新規ページ002
はやし浩司メインHP マガジン過去版INDEX
2011年         2月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

2011−2月号マガジン





*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   28日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月8日(仕事初め)

+++++++++++++++++

今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。

で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。

+++++++++++++++++

●ネチネチした話し方

 ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。

 言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。

「キニョウ〜ウ(昨日)〜、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ〜」と。
 
 よく「メリ−・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ〜ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。

 デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。

●原因?

 原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)

依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。

 が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。

●相談

 母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。

 こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。

 顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。

 が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。

●結論

 結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。

しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。

 もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)

************************

●子どもを知る心理学(1)

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1〜3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。


で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく
人がいると、その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、ど
こでもみなが、した。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、
相手の心をとらえたり、心を和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)
ということになる。自己中心的な人ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対に
いつも相手の立場でものを考えたり、行動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人という
ことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、
そのため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、
親に従うよう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらに
は対等意識が芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通
用しなくなった。また最近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味は
ない。反発を受けるか、さもなければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威
主義の親ほど、子育てで失敗しやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな
不安を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返
りならぬ、幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと
考えてよい。おとなは、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それに
よって、つまり子どもはおとなの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときど
き幼児を相手にプロレスをする。わざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子
が大きく変わる。そういう方法で、子どもに自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。
とくに眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と
呼ぶ。毛布の端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着
かせるため、指先の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モ
ルヒネ系(エンドロフィン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの
方法は、老人のボケ防止にも役立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモ
ノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬいぐるみなど)にこだわっても、それを「おかし
な行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」と
いう。子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思
い通りにしたいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛
もどきの愛」。自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親
の深い愛と誤解しているということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」
の念に変わりやすいということ。真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切
られた」と騒いでいる親は、一度、この代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・
二男・三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列
をもちこむ。そしてその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あ
なたはお姉ちゃんだから……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論に
は根拠がないばかりか、その子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにも
なりかねない。なお、兄弟姉妹の間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄
弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉
さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』
と呼ぶ。記憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによっ
て残すという方法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このこ
とはよく将棋を指しているときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところ
から「角」が飛び出してきて、飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中に
スキができる。そのため、そういうヘマが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が
不幸になるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛
と憎しみは、紙一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみ
に変わる。が、それにはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人
を憎むのは、ネズミを追い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、
憎しみにせよ、それほど長くつづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。
時に人間性まで狂う。だから「家に火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健
康しかり、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ
悩む前に、その子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」
とか、「さらに…」と思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸
福にしても、そんなに遠くにあるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあ
って、あなたに見つけてもらうのを、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、
一度、静かに自分の身の回りを見直してみるとよい。「今、ここに生きている」ということ
が、どんなにすばらしいことか、あなたにも、それがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケー
スがある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、ど
ちらをもらおうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心
配と、悩むこともある(+−)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それと
も顔に墨を塗られるかを迫られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険し
いイバラ道を渡らなければ、食物にあるつけないようなケース(−+)。人は常にこのコン
フリクトを繰り返しながら、生きている。詳しくは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索
をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

+++++++++++++++

 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族とは何か?】(ネバネバ社会の復活)

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。
今夜は、弁天島にあるK旅館で会食会。
それ以外は、とくに予定なし。

++++++++++++++++++

●パサパサ家族vsネチネチ家族

 少し前、パサパサ家族について書いた。
パサパサになったパンのような家族を、「パサパサ家族」という。
手で持った先から、パサパサの粉のようになって、飛び散る。
粘着性が、まるでない。
だから「パサパサ家族」。

 これに対して、家族の絆が濃密で、ネチネチした家族を、「ネチネチ家族」という。
私が生まれ育った家族が、そうだった。
何かにつけ、ネチネチしていた。
息苦しいほど、ネチネチしていた。

が、今は、パサパサ。
夫婦関係も、パサパサ。
親子関係も、パサパサ。

 が、この「パサパサ」「ネチネチ」は、地域社会、さらには国にも当てはまる。
パサパサ社会vsネチネチ社会。
パサパサ国家vsネチネチ国家。

 ネチネチ家族で生まれ育った私には、パサパサ家族というのが、どういものか、
それがよくわかる。
しかしパサパサ家族の人には、それがわからない。
パサパサ家族しか知らない。

●恋愛ごっこから結婚ごっこ

 最近の若い人たちを見ていると、「恋愛こそ、すべて」という考え方をしているのが、
よくわかる。
まるで一生の大事ごとのように考えている。

 私たちの時代にも、恋愛ごっこというのは、あるにはあった。
しかしいざ結婚となると、大きなブレーキが働いた。
両親や親戚との関係。
仕事や収入との関係。
年齢も大きな問題となった。
そういった関係や問題の中で、自分の恋愛にブレーキをかけた。
私も、大学時代の恋人とは、それが理由で別れた。
が、今は、それがない。

 恋愛ごっこは、そのまま結婚ごっこになり、ついで子育てごっこになっていく。
生活感がない。
昔風に言えば、地に足がついていない。
後先のことを考えず、(ごっこ)に走ってしまう。

●幻想

 が、口では偉そうなことを言う。
苦労を知らない。
貧乏を知らない。
貧乏の恐ろしさを、知らない。
今に見る富と繁栄は、天から降ってきたものと思う。
だからこう言う。
「仕事より、家族の方が大切」と。

 これについては、私は反論しない。
私もそう思っている。
しかしそれはあくまでも、仕事第一主義への反省として、そう思っているだけ。
私たちの世代は、仕事を第一に考える余り、家族を犠牲にした。
犠牲にしすぎた。
その反動として、私も「家族主義」を唱えた。
が、それが今は、行きすぎてしまった(?)。

 つまり今の若い人たちからは、(仕事)という部分が欠けてしまっている。
それがわからなければ、自分の年齢に、30とか40を足してみたらよい。
そのとき自分がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
中には「私たちの親子関係は絶対」「死ぬまで良好な親子関係をつづける」と
思っている人もいる。
しかしそれは幻想。
まったくの幻想。

●勝ち組vs負け組

 現在、老人社会は、大きく2つのグループに分かれる。
勝ち組と負け組である。
「日本の論点・2011」(文藝春秋社刊)によれば、(1)元公務員、(2)蓄財に成功
した老人を、「勝ち組(既得権益者)」と言うそうだ。
そうでない人は、負け組。

 勝ち組の人たちは、リッチで豊かな老後を、何不自由なく暮らすことができる。
負け組の人たちは……?
この部分については、あまり書きたくない。
書けば書くほど、さみしくなる。

 ともあれ、自分の将来がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみたら
よい。
あなたは勝ち組となって残るのか、それとも負け組となって残るのか。
それを分けるのが、「仕事」ということになる。

 で、私は数多くの「勝ち組」という人たちを見てきた。
私のまわりにも、そういう人たちがいる。
そういう人たちは、(公務員をのぞいて)、すでに30歳くらいのとき、勝敗を決めている。
少なくとも40歳を過ぎて、勝ち組になる人はいない。
50歳を過ぎて、勝ち組になる人は、さらにいない。
30歳になった今、「明日も今日と同じ」という人生を歩んでいる人が、勝ち組に残る
確率は、きわめて低い。

 これは健康論に似ている。

●健康論

 健康であるかどうかは、運動する習慣をもっているかどうかで決まる。
30歳前後までに、その習慣を作りあげた人は、60歳を過ぎても健康。
そうでない人は、そうでない。

 たとえばA氏は、20代のはじめから夕方ジョギングをしている。
B氏は、週に2回、道場に通い、柔道をしている。
Cさんは、テニスの大会に毎年、出場している。

 つまりそうした習慣をもっている人は、60歳を過ぎても健康。
そしてそれは30歳前後のその人の生活姿勢を見れば、わかる。
つまりこの時期、その人の方向性が決まる。
若いことをよいことに、のんべんダラリの生活をしていれば、60歳はない。

 言い添えると、タバコは害にこそなれ、よいことは何もない。
中にヘビースモーカーの人でも、健康(?)な人はいるには、いる。
しかし60歳を過ぎて、健康な人はほとんどいない。
がんや脳疾患、心臓疾患で亡くなった仲間の大半は、そのヘビースモーカーだった。

 話が脱線したが、勝ち組になるか、負け組になるか。
それも30歳くらいまでに決まる。
その方向性を作った人は、勝ち組。
そうでない人は、負け組。
「明日こそ、何とかなるだろう」「明日があるさ」と慰めながら生きている人に、
明日はない。

●幸福はお金では買えないが……

 何度も書くが、たしかに幸福はお金では買えない。
しかしお金がなければ、その人は確実に不幸になる。
心も貧しくなる。
それが「現実」。
「ごっこ」には、その現実感がない。
つまり「生活感」がない。

 そうでなくても、世界中の人たちが、そのパイを取り合って競争している。
熾烈な競争である。
今の世の中、10年単位で変わっていく。

 「仕事より家族の方が大切」と説くのは結構なこと。
しかしそれはある程度、……というか、方向性をしっかりと作った人が使う言葉。
少ない収入で、生活費を切り詰め、ピーピーと言っている人が使う言葉ではない。
それこそ、「何を偉そうに!」となる。

 で、最後の頼みの綱が、「家族の絆(きずな)」ということになる。
この絆さえあれば、まだ何とかなる。
しかしその絆さえ、このところ、音をたてて崩れ始めている。

●パサパサになる人間関係

 いくらあなたが「私の子どもたちはだいじょうぶ」と思っていても、それは幻想。
「私たちの親子関係は安泰」と思っていても、それは幻想。
子どもを包む環境を「海」にたとえるなら、あなたの親子関係は「川」程度の意味
しかない。

 やがて子どもたちは巣立っていく。
そのとき海へ解き放たれる。
とたん、海のもつ「力」にそのまま染まっていく。
ひとつの例をあげて考えてみよう。

 10年ほど前、私の家の近くに、静岡県でも最大級とも言われるショッピングセンター
がオープンした。
そのあと1〜2年は何とか持ちこたえたが、近隣の商店街はつぎつぎと、シャッターを
下ろしていった。
私自身は、田舎町の商店街で生まれ育ったから、そういった商店街のもつ粘着性をよく
知っている。
ネチネチというか、ベタベタ。
私の父にしても、自転車屋を経営していたが、自分で縄張りを決め、その外での仕事を
自粛していた。
そういう(温もり)が、まだ随所に残っていた。

 が、今はちがう。
パサパサというか、サラサラ。
人間関係も希薄になった。
そういう世界、つまり「海」に染まるうちに、当然、ものの考え方も影響を受ける。
現在のあなた自身を見れば、それがわかるはず。
平たく言えば、「親の恩も遺産次第」となる。

 ……というのは書き過ぎとしても、今では『子、大学生、親貧乏盛り』という。
爪に灯をともしながら、親は子どもの学費を工面する。
老後の資金を食いつぶす。
が、子どもはどうかというと、社会人になったとたん、ハイ、さようなら!

●これからの老後

 貧困の時代から、高度成長期へ。
バブル経済期から、衰退期へ。
この日本は大きく激動した。
が、意識というのは、そうは簡単には変わらない。
アインシュタインも言っているように、ほとんどの人は18歳くらいまでに、その
意識(常識)を完成させる。
その意識を死ぬまで、もちつづける。
多少の修正はあるだろうが、あくまでも「修正」。

 が、それぞれの世代のもつ意識は、10年単位で変わっていく。
ついていくのは不可能。
理解するのさえ、難しい。
今では親子関係ですら、パサパサと切っていく若い人は、珍しくない。
「ON/OFF人間」というのは、そういう人たちを指す。

が、私たちのような旧世代の者にとっては、ここに書いたように、理解するのさえ、
難しい。
それこそ心臓を2つに裂くような苦しみを経験しなければならない。
「どうでもなれ!」という思いと、「しかしそれでも親子は親子」という思いの中で、
悶絶する。
が、これもやがて一巡する。
決別する。

 で、パサパサ家族で生まれ育って子どもは、さらにパサパサ家族を作っていく。
そういう意識もないまま、またそれがどういうものであるかさえわからないまま、
パサパサ家族を作っていく。
が、こうなるともう私の知ったことではない。
「あとは野となれ、山となれ!」。

 つまりそこまで割り切らないと、若い人たちを私たちの世代から切り離すことは
できない。
自分の老後さえ、見つめることができない。
私たちがいくらネチネチ家族を望んだとしても、若い人たちは、それを「干渉?」と
捕える。
自分ひとりで母親の産道をくぐりぬけ、社会人になったつもりでいる。
オメデタイというか、バカげている。
自分で自分のクビを絞めるようなことを、平気でしている。

●ネバネバ社会の復活

 名古屋に住む友人夫妻は、近隣の人たちと旅行会を結成している。
毎月会合を開き、定期的にあちこちを旅行している。
すばらしい会である。

 で、私もそれに触発されて、近隣の人たちに話しかけてみた。
みな、好意的に反応してくれた。
近く、第1回目の会合をもつことになっている。
会の内容については未定だが、それはこれからの話し合いを通して決める。
つまり「ネバネバ社会の復活」である。

といっても、それですべての問題が解決するわけではない。
しかしこのままでよいとは、だれも思っていない。
このままでは、日本の社会そのものまでパサパサになってしまう。
現に今、「老人はゴミ」と考える若い人たちが、ふえている。
ウソだと思うなら、たまには2チャンネルで、若い人たちがどんな会話を交わしているか、
それを読んでみたらよい。

 恐らくこの傾向はさらに強くなることはあっても、弱くなることはないだろう。
介護問題にしても、医療問題にしても、私たちの老後のあり方に直結している。
ならば私たちは私たちで、ネバネバ社会を自ら守るしかない。
私たちは私たちの豊かな老後を、自ら守るしかない。
それがここに書いた、「会」ということになる。

 その結果はまた近く報告できると思う。

********************************

【月末会のお知らせ】

 先日、話させていただきましたように、私たちの近隣でも、何かの「会」を
もちたいと思います。
称して「月末会」(仮称)。
月末に一番近い金曜日の夜を、とりあえずその日にどうかと思っています。
最初は、みなでお茶を飲む程度(あるいは自己紹介程度)でよいのではないかと
思っています。
時間帯は、午後8時〜9時ごろで、いかがでしょうか。
つごうの悪い方は、またお知らせください。
みなで、話し合って決めたいと願っています。

 で、会のメンバーについてですが、名古屋に住む友人夫妻のばあい、5組(10人)
で運営しているそうです。
一度、機会があれば、浜松の方へ招待して、会の内容を話してもらうつもりでいます。
すでに10年ほど、つづけているそうです。

メンバーについては、それぞれのメンバーが、とくに親しい人を呼んでくるという
方法がよいかと思います。
そのほうが居心地もよいですし、メンバーに上下関係を作らなくてもすみます。

 いろいろ考えていますが、「継続することが大切」とか。
いかがでしょうか。

 第一回目の会合は、1月xx日(金曜日)、午後8時〜9時でいかがでしょうか。
私の自宅へおいでくだされば、うれしく思います。
会合場所は、持ち回り制がよいのではないかと思います。

 いかがでしょうか?
ぜひ、おいでください。

                        林 浩司
                          晃子

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2011年1月9日】

●ファーザーコンプレックス

2、3日前、ファザコン(ファーザーコンプレックス)について書いた。
それについて、相談フォームのほうにメールが寄せられた。
「うちの上さん(=妻)がそうで・・・」と。
「父親(=義父)とのよからぬ関係を疑っています」とも。
(転載不許可ということなので、以下、要約。)

 その男性は、結婚して3年目になるという。
子どもも1人(男児)がいる。
で、その男性の妻のファザコンを疑い始めたのは、分娩のときだった。
それまでは何かにつけ、よく気がつく父親程度としか思っていなかった。
引越しの手伝いに来てくれたり、日曜日には、車を洗いに来てくれたりなど。
しかし出産当日、分娩室に入ってくると言って、きかなかったという。

 で、異変を感じたのは、家族旅行のとき。
宿泊先の温泉で、父親が家族風呂を頼んでくれた。
その男性は、自分たちへの気遣いと感謝した。
が、驚いたことに、夫婦と子どもの3人で風呂へ入ろうとしていると、
何と、父親まで入ってきたという。
妻の様子を見ても、とくにいやがるふうでもない。
その男性は不快だったので、父親には遠慮してもらいたかった。
が、そのときすでに遅し。
妻と父親は並んで湯船の中に!

 その夜妻がその男性にこう言ったという。
まったく悪びれた様子もなく、シャーシャーと、
「あなたと結婚する前まで、いつも父と入浴していたのよ」と。

 ガクン!(男性の言葉)

 母親が息子を溺愛する。
その結果、マザコン男性が生まれる。
その反対に、父親が娘を溺愛する。
その結果、ファザコン女性が生まれる。
症状、タイプはちがうが、基本的には、中身は同じ。

 どこかゆがんだ家族関係だが、今どき、マザコンにせよ、ファザコンにせよ、
珍しくない。

●火星のUFO

 昨日は、土星の輪(環)について書いた。
書いたが、専門家たちは、すでにはるか遠くまで調べている。
私の出番はない。
そう感じたので、筆を汚しただけで書くのをやめた。

 が、同時に火星上空に浮かぶUFOの写真を発見した。
そのUFOだが、私とワイフが、35年前に見たUFOとまったく同じ
形をしていた。
「ハア〜〜」と言ったきり、息が止まった。

私とワイフが見たUFOは、イラストにした。
そしてそれからほぼ20年後。
その夜のことは、そのまま中日新聞にコラムとして書かせてもらった。
イラストもそのまま載せた。

 私が火星上空のUFOをまねてイラストを描いたのではない。
火星上空のUFOを、NASAが捕らえたのは、そのずっと後。

 私は(ワイフも)、あの夜見たものが何であったのか、ずっと考えてきた。
新聞にコラムを発表すると、「私も同じものを見た」という人も、何人か現れた。
しかし「見ただけ」。
何ともつかみどころのない話である。
またそれ以上、進展のしようが、ない。
話の進めようが、ない。
ただ、見ただけ!

 しかし火星上空を浮遊する(?)UFOは、たしかに私が見たUFOと
形が似ている。
似ているというより、同じ。
細部の角の形まで、同じ。
驚いたというより、やっと巡りあえたという喜びのほうが強かった。

(今まで、目の錯覚だったとか、飛行機だったとか言った、みなさんへ)

 私はウソをつかないぞ!
ウソまで書いて、自分のコラムを汚(けが)したくない。
私を疑うなら、NASAが公表した、火星上空を浮遊する(?)UFO
の写真を見ろ!
それが何であるか説明した上で、私の書いた記事を否定しろ!

 もう一度、2枚の写真と絵を並べてここに掲載しておく。
上が火星上空を浮遊する(?)UFO。
下が、私たちが見たUFO。

(注)火星上空を浮遊するUFOについて、「これはレンズ上のゴミ」と思う人も
いるかもしれない。
私のワイフもそう言った。
しかしそれについては、そばにいた長男が、即座に反論した。
「NASAの火星探査機のカメラに、ゴミなど、つかないよ!」と。
それにレンズ上のゴミなら、焦点距離がまったくちがう。
黒くぼやけるはず。
一度、自分のもっているデジカメで確かめてみるとよい。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/65/img62d89929zikczj.jpeg

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/67/img431e3b27zikazj.jpeg

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

●オーストラリア

 近く、オーストラリアへワイフと行ってくる。
それについて、私はJ・ライン(航空機)を利用するつもりでいた。
私とて、日本人。
日本の飛行機に乗りたい。
が、昨日、J社の労働組合機関誌を読んで、やめた。
ネットサーフィンをしているとき、それを見つけた。
J社は目下、経営再建中。
労使問題で、社内はゴチャゴチャ。

 その新聞には、こうあった。

「……不具合があっても、要領よく見なかったことにすること
も可能ですが、出発遅れや欠航の可能性があっても、見つけた
不具合は直す整備士としての良心がなければ安全運航は守れません」
(「W」より抜粋)と。

 念のため、もう一度、しっかりと読みなおしてみてほしい。
その上で、つぎに進んでほしい。

 私はこの文を読んでゾッとした。
中学生程度の読解力があるなら、理由はわかるはず。
裏を返して言うと、こうなる。
「へたに(整備員を)整理解雇したら、手抜きをするぞ。
適当に整備をすませて、それですますぞ」と。

 こういうのを「恫喝(どうかつ)」という。
まさに恫喝。
だからJ社・ラインの飛行機を利用するのは、やめた。
やはりカンタス航空にする。
カンタス航空は、戦後一度も、航空機事故を起こしていない。
(=事故による死者を出していない。)

 J社の社員の気持ちも、よくわかる。
解雇がいかにつらいものかも、よくわかる。
しかしこんなことを社内機関誌に書くようでは、おしまい。
読み方によっては、「手を抜こう」「適当にやろう」と、仲間に
呼びかけているともとれる。
まことにもって、常識ハズレ!

機関誌の終わりには、こうある。
『それは社員の中に浸透していきます』と。

ここでいう(それは)とは、何か?
中学生でも、こう書くだろう。
「手抜き整備」と。
恐ろしい!
だからJ社の飛行機を利用するのは、やめた!

 労働新聞の一部を、そのままここに転載する。

『……私たち日本航空ユニオンは、整備職が中心の組合です
が、この秋以降の管財人・支援機構の不誠実な発言に大き
な不安と、危機感を持ちます。

航空機の整備の仕事は、絶対にウソをつかず、誠実で
なければ成り立ちません。不具合があっても、要領よく
見なかったことにすることも可能ですが、出発遅れや欠
航の可能性があっても、見つけた不具合は直す整備士と
しての良心がなければ安全運航は守れません。

その航空会社の経営者(管財人・支援機構)が、その
場その場を取り繕う形だけの行動を取り、目的(人員削
減)のためには心にも無い発言を平気ですれば、それは
社員の中に浸透していきます』(J社機関誌「W」
10−12−09日号)より。

詳しくは、以下に。

http://www.bekkoame.ne.jp/~jcau/wing229.pdf


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   25日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●離婚が悲劇になるとき(10%のニヒリズム)

++++++++++++++++++

離婚というと、夫婦だけの問題と
考える人は多い。
しかしけっして、夫婦だけの問題ではない。
その夫婦を包む、家族の問題でもある。

こんな話を聞いた。

その老夫婦(ともに65歳)には、2人の
息子がいる。
その2人の息子が、相次いでこの数年間の
うちに離婚してしまった。

それぞれに3人ずつの子ども(孫)がいた。
つまり息子たちの離婚によって、その夫婦は
一度に6人の孫を失ったことになる。

こういうケースのばあい、いくら離婚しても、
元夫には、面会権のようなものが残る。
家事調停の場で、そのような取り決めもできる。
「養育費を支払うかわりに、月に1度は元夫と面会
させる」と。
が、家事調停らしい調停もしないまま、
つまり妻の方が、一方的に家を出てしまった。
また2人の息子にしても、この不況下。
養育費を支払う能力はなかった。

こうなると、本当に「失った」という状態になる。
それまでは毎年のように行き来していた家族だったが、
離婚と同時に、縁は切れた。
たがいに相手を罵倒しあうような状態になってしまった。

……この話を聞いたとき、私は、「孫も考えもの」と
思うようになった。
というのも、私にも3人の息子がいる。
うち2人は結婚している。
で、もし離婚ということになれば、孫たちは
元妻側に引き取られることになる。
そうなったとき、ショックは、大きい。

事実、ここに書いた老夫婦は、それ以後、一度に
10年は老(ふ)けてしまったという。
息子たちとの関係も切れてしまったという。

一度は、家族全体(老夫婦+息子たち+孫)の写真を、
誇らしげに年賀状に載せたこともある。
が、それも一時の夢で終わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う?

++++++++++++++++++

●10%のニヒリズム

 こういう話を聞くたびに、「10%のニヒリズム」という言葉を思い出す。
どこかの塾の教師が教えてくれた。
つまりいくら全力投球しても、最後の10%だけは、自分のためにとっておけ、と。
100%投球してしまうと、万が一のとき、そのあとがない。

 夫婦はともかくも、親子、親戚、近所づきあいなどなど。
とくに教育の世界では、そうかもしれない。
傷つくのは、いつも一方的に、こちら側だけということになる。
事実、私のばあいも、その子どもに全力投球しながらも、別の心で、つまり10%の
部分で、「この子も、いつか去っていく」と考える。
心の準備を怠らない。
またそれがあるからこそ、「さようなら」「元気でね」と、さわやかに別れることができる。

 一見、ニヒリズムに見えるかもしれない。
しかしこれはこの複雑な社会を楽しく生き延びるためのコツということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 
●2011年1月5日(はやし浩司 2011−01−05)

●伊良湖ビューホテルへ

 浜松周辺で、景観第一のホテル言えば、伊良湖ビューホテル。
渥美半島(愛知県)の先端にある。
このホテルに泊まるようになって、もう4、5回目になる。
電車で豊橋まで。
豊橋から迎えのバスで、1時間10分。

 あいにくの曇り空。
どんよりとした灰色の雲が、下のほうまで降りている。
寒いというよりは、冷たい。
冬の冷気が体の芯までしみる。
バスが出る時刻まで、40分ほどあった。
駅構内のパン屋で
コーヒーを飲んで時間をつぶす。

●夢の中の家

 豊橋へ着く直前、私は一軒の家を見て、驚いた。
夢の中にときどき出てくる家、そのものだった。
小高い丘の上にあって、左右対称の形をした家だった。
赤い屋根に白い壁。
玄関は中央にあって、モダンな感じの家だった。

 「おい、夢の中に出てくる家があった!」と声をかけると、ワイフはこう言った。
「その反対じゃ、ないの?」と。

 実は、その通り。
私はこの当たりは何十回となく、電車で往復している。
そのときその家が、何らかの形で、記憶に残った。
記憶したという意識もないまま、記憶に残った。
どう記憶に残ったかも、わからないまま記憶に残った。
しかし残った。
それがときどき、私の夢の中に出てくる。

 つまり夢の中に出てくる家と同じ家を見たのではなく、脳のどこかに記憶された家を、
私は夢の中で見ていた。

●脳内ストレス

 ストレスが慢性化したり、許容限度を超えると、脳内でサイトカインが分泌
される。
脳内ストレスを引き起こす。
症状は、今の「私」。

 食欲が減退し、体が冷える。
性欲も減退するというが、これはもとから減退している。
やる気を失い、何を考えても、憂うつになる。

 「うつ」というのは、「こだわり」をいう。
何かのことでそれにこだわると、そればかりを考える。
取り越し苦労が多くなる。
被害妄想も強くなる。

 ……それではいけないということで、暮れの30日から、こうして
遊び回っている。
自宅で寝たのは、1日だけ。

 言い忘れたが、脳内ストレスを軽く考えてはいけない。
心臓疾患(心筋梗塞)や脳疾患(脳梗塞)の原因となる。
私も一時、心臓の変調を感ずるようになった。
それだけではない。
免疫機能が低下するため、がんを引き起こすこともあるという。

●ワイフ

 そういう私を心配して、……というか、それにかこつけて、ワイフは
私をあちこちへ連れ出す。
昨日は、法多山(はったさん)へ、初詣に行ってきた。
浜松から車で1時間半ほどのところにある。
1月4日に初詣?
去年は、12月末に初詣の先取りをした。
人の混雑は、あまり好きではない。

 ふだんはもの静かな女性だが、ワイフは若いころから行動派。
「趣味は旅行」などと、平気で人に言う。
(旅行というのは、お金がかかるんだぞ!)

私も若いころは、ワイフに負けないほどの行動派だった。
しかしこのところ、「出かけたい」という気力そのものが、弱ってきた。
もしワイフの誘いや励ましがなかったら、今ごろは家の中でゴロゴロしていたはず。

●豊橋

 よその町に来てみると、それがよくわかる。
官民格差というか、「公・官」と結びついた業種は、立派。
結びついていない業種は、みすぼらしい。

 たとえば病院や医院など。
豪華な建物。
つぎに建設業や銀行など。
鉄筋のビル。。
昔は、米屋や酒屋が保護を受けたが、今は自由化された。
タバコ屋もそうだ。
とたん、みな、店を閉めた。

あわれなのは、一般商店。
何の保護もなく、みすぼらしい姿を、さらけ出している。
少し郊外へ行くと、正月の5日というのに、シャッターを下ろしたまま。
そんな商店が、ズラズラと並ぶ。

 ある程度の「格差」なら、まだがまんできる。
しかしここまで格差が広がってしまうと、そうはいかない。
心の下から怒りがわいてくる。
「公・官」が潤い、「民」は、重税であえぐ。
「公・官」は我が世の春を謳歌し、「民」は明日の仕事を心配する。

●被害妄想

 先ほど「被害妄想」という言葉を使った。
不安神経症ともいう。
最近ではパニック障害という。
心配ごとだけが、どんどんと勝手に膨(ふく)らんでいく。
動悸と胸騒ぎ。
体全体がフワフワと宙に浮いたようになる。
その恐怖感は、経験したものでないとわからない。

 が、おかしなもので、そういう状態になると、そういう状態のほうが、
ふつうとなる。
自分がおかしいと思う前に、みながおかしく見える。
が、やがて心が落ち着いてくる。
静かになる。
今度は逆に、「どうしてあんなことを心配したのだろう」となる。

●ハエ

 窓の外に、一匹のハエがいる。
大きな黒いハエで、それが上下、左右に動き回り、もがいている。
何とかして部屋の中に入ろうとしている。
私にはそう見える。

 この寒さ。
明日の朝には、死ぬだろう。
ハエにしてみれば、命がけの闘いということになる。

 ところでこの伊良湖ビューホテルは、東向きの部屋と西向きの部屋に
大きく分かれている。
今日は東向き。
明日は日の出が、部屋から見えるはず。
楽しみ。
で、その東向きの部屋。
眼下に渥美半島が豊橋のほうまでつづいているのがわかる。
通りの明かりが筋となって、遠くまで連なっている。

 ハエと明かり。
おかしな取り合わせだが、私はその2つを見ながら、この原稿を書いている。

●脱水症状

 食事は7時15分から。
たった今、大浴場から戻ったところ。
体中がすっきりした。
ついでに頭の中も。

 ワイフは目の前で、ガラスに顔をつけて外をながめている。
長男は、何かの本を読んでいる。
「何時?」と聞くと、「(6時)半」と、ワイフは言った。

 今日は一日中、ほとんど水を飲まなかった。
そのせいか、現在は、脱水状態。
自分でも、それがよくわかる。
その話をすると、ワイフがコップに水を入れて、もってきてくれた。

●食事から帰る

 食事のとき、ワイフとこんな話をする。
「ぼくたちは、よく今まで(=この年齢まで)、無事で生きてこられたね」と。
ワイフはそれに軽く同意してくれた。

 食欲が満たされると、人間は幸福感を覚えるという。
脳下垂体の一部にそういう機能がある。
反対に空腹になり、血糖値がさがると、イライラしてくる。
神経が過敏になる。

 今が、そういう状態。
つまり満腹感+満足感。

料理はバイキング方式。
このホテルのバイキング料理は、種類が豊富で、質もよい。
ジュース類の飲み物だけは、有料。
残念と言えば、残念。

 が、これはホテル側の判断ミス。
私が支配人なら、ジュース類を無料にする。
甘味料の入ったジュースは、それだけで血糖値をあげる。
食欲を減退させる。
つまりその分だけ、客の食べる料理の量が減る。

 フルーツ類は食べ放題なのだから、どう考えても矛盾している。
ジュースを飲む代わりに、フルーツをかじればよい。

ワ「本当ね。それだけでも感謝しなくちゃあ」
私「だろ。息子たちもみな、それなりに育ったしね」と。

(注:朝食もバイキング方式だったが、朝食の方では、ジュース類は飲み放題
だった。)

●「給料よりも、心の豊かさ」(C新聞・1面コラム)

 昨日、C新聞のコラム(1面)に、こんなエッセーが載っていた。
題して「給料よりも、心の豊かさ」と。
内容は、読まずとも、私にはすぐわかった。
言いたいことも、私にはすぐわかった。
が、読んでみた。

 ……あるサラリーマンが会社をやめ、どこかの島に移住した。
そこで鍼灸師の資格を取り、今はその島で生活している。
収入は何分の1かに減ったが、心豊かな生活を楽しむことができるようになった、と。

 ありきたりの幸福論である。
貧しさや苦労を知らない世代の、たわごとである。
こんなふうに考える人が多くなったら、それこそこの日本は沈没してしまう。
すでに日本は、1人当たりの国民所得で、シンガポールに抜かれている。
2025年までには、韓国にも抜かれると予想されている。
GDPでは、すでに中国に抜かれてしまった。

 タイトルが、『モノよりも、心の豊かさ』というのなら、まだ私も納得する。
しかし今の若い世代は、あの「貧しさ」を知らない。
知らないから、今のままの繁栄が、この先もずっとつづくと錯覚している。
だから平気で、こう言う。

 『給料よりも、心の豊かさ』と。
その記事をまとめたのは、たぶん若い編集者なのだろう。
生活の苦しさを知らないロマンチスト?
あるいは女性?
中高年の編集者なら、こういう記事は書かない。

 たしかにお金では、幸福は買えない。
心の豊かさも買えない。
しかしお金がなくなったら、まちがいなく不幸になる。
心も貧しくなる。
「現実」のもつきびしさが、まるでわかっていない。

●苦労

 私の息子たちにしても、こう言う。
『パパは、仕事ばかりしていて、家族をかまってくれなかった。
家族はバラバラだった』と。

 それはその通りだったかもしれない。
いや、たしかにそうだった。
認める。
しかし私はこう言いたい。
「もっと不幸な家庭を、たくさんのぞいて来い!」と。

 私が子どものころ住んでいた隣の人は、OTさんと言った。
今でも、よく覚えている。
OTさんの家業は、キャラメルを紙を包む仕事。
仕事といっても、内職仕事。
その仕事を朝から夜中までしていた。
2人の子どもがいた。
1人は、私より1級、年上。
その同級生が、家事全体を担当していた。

 そういう苦労を、今の若い人たちは知らない。
知らないから、平気で言う。
「仕事よりも家庭が大切」と。

 が、今のままでは、やがて日本も、あの時代に逆戻り。
すでにそのようになりつつある。
国際経済を戦争にたとえるなら、戦争というのは先手、先手で攻めてこそ、勝てる。
守勢に回ったとたん、負ける。
世界中が血眼(ちまなこ)になって戦争をしているのに、『給料より……』とは!

●日本は貧しい

 またまた愚痴になってしまった。
が、これだけは言える。
苦労を知らないから、感謝の念も生まれない。
今のこの日本の繁栄にしても、自分たちが作り上げたものと錯覚している。

 いつだったか、私が息子の1人に、「戦後の日本は貧しかった」と言ったときのこと。
息子はこう言い返した。
「パパ、そんなのは、自業自得だよ」と。

 しかし今でも日本は、貧しい。
土地も狭い。
農地もない。
資源もない。
あるのは、「日本人」というマンパワーだけ。
そのマンパワーが、パワーを失いつつある。

 公務員が就職人気業種の1位になり、外国へ出たいという若者が
どんどんと減っている。
恋愛ごっこだの、家族ごっこだの、そんな遊びに明け暮れている。
言うなれば、ままごと。
だから義兄は、こう言った。

 「もう一度、日本を貧乏のドン底に叩き落してやればいい。
そうすれば、今の若い人たちも、目が覚めるだろう」と。

 暴論に聞こえるかもしれない。
しかし私は少しも暴論とは思わない。
苦労をしていないから、富や幸福は、「もらうもの」と思っている。
この依存性をぶち壊すには、一度貧乏を、自ら経験させるしかない。

●無事

 が、私たちが「無事で生きてこられたね」というときの「無事」には、もっと
別の意味がある。
たとえばバブル経済のころ、私の教室の周辺だけでも、10教室ほど、幼児教室や
小学生対象の個人塾があった。
しかし今、残っているのは、私の教室だけ。

 また私は学G研という塾連盟のメンバーにもなっていた。
最盛期には、50〜60人のメンバーがいた。
アカデミックな雰囲気をもった、すぐれた連盟だった。
が、現在、その中で、生き残っている教室(塾)は、ほとんどない。
私の教室を含めて、1〜2教室程度ではないか。
この10年、音信が途絶えてしまったから、詳しくは知らない。

 そういう現実をふまえて、「無事」という言葉を使う。
もっともワイフが「無事」というときは、「健康」をさすことが多い。
「大きな病気をしなかったから、よかった」と、いつも言っている。
そのワイフにしても、0〜2歳のころは、やせ細り、「2歳まで生きている
かどうかわからない」と言われていた。

●つぎの世代

 では、どうするか?
どう考えたらよいのか?

 ひとつには教育がある。
教育によって、日本の活力を生み出す。
が、私たちの世代が、つぎの世代に残せるものとしたら、それしかない。
それ以外の部分については、無力でしかない。
はっきり言えば、どうしようもない。

 つぎの世代の世界は、つぎの世代の人たちが作っていく。
「元気」といっても、私たちに残された元気は、もうどれほどもない。
現状を生きるだけで、精一杯。
どうであれ、私たちは、その世界を見ることはないだろう。

●中国人

 ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
濡れたタオルを、物干しに掛けている。
「隣の4部屋くらいは、中国人みたいよ」と。

 前回、秋に来たときも、中国人がたくさん来ていた。
たまたま尖閣諸島付近で、日本の海上保安庁の船と、中国の漁船が衝突したころだった。
中国政府は、日本への観光旅行を中止するなどと言っていた。
が、このホテルには影響はなかった(?)。
そのときも、結構、混雑していた。
ただ回を重ねるごとに、つまり毎年、見るたびに、中国人の態度が大きくなっていく
のには、驚く。
今の今も廊下で、甲高い声をあげて、騒いでいる。
傍若無人。

 このホテルにとっても、また日本全体にとっても、今は、中国サマサマ。
日本のバブル経済がはじけたとき、日本は経済破綻の崖っぷちに立たされた。
その日本経済をかろうじて支えてくれたのが、実は中国だった。
中国の高度成長の波に乗って、日本は何とかもちこたえた。
もし中国からの観光客が来なかったら、このホテルも、経営が成り立たない
だろう。

 ここはじっとがまんのとき。
そのうち静かになるだろう。

●時刻は10時

 時間のたつのは早い。
夕食をとり、2度目の風呂につかって戻ったら、もう10時!
1〜2時間という時間が、あっという間に過ぎてしまった。
これはどうしたことか。

 眠りたいという思いと、もっと文を書いていたいという思いが、交互に
現れては消える。
どうしよう?
ワイフと長男は、ベッドの上で、本を読んでいる。

 そう言えば、この1〜2日、PSP(ソニーのゲーム機)将棋では、負けてばかり。
集中力がつづかない。
これもサイトカイン(脳内ホルモン)によるものか。
このつづきは、明日の朝、また書く。
この部屋からは、もし天気がよければ、すばらしい朝日が拝めるはず。
では、おやすみ。
1月5日、午後10時。

●午前6時

 時刻は午前6時。
真っ暗闇の中で、パソコンを立ち上げる。
この文を書き始める。

 ……目が覚める前、こんな夢を見ていた。

 私はどこかの(自宅?)にいた。
裏のほうを見ると、雑草の生えた広場になっていて、子どもが何人か遊んでいた。
ワイフは家の中にいて、家事をしていた。
が、そこへ2人の子どもが、家の中に入ってきた。
あとを追いかけるようにして、ブラジル人の母親が入ってきた。
日本語が話せない。
が、どうやら「しばらく子どもを預かってくれ」と言っているようだ。
私とワイフは、2人の子どもを預かることにした。

 夢は、私が何かの遊具を取り出すところで終わった。
そこで目が覚めた。
(自宅?)と言っても、見覚えのない家だった。
古い農家のような家で、土間は、黄色の土がむき出しになっていた。
どうしてそんな夢を見たのだろう。

●1月6日

 今年の日本経済について、どこかの雑誌がその特集を組んでいた。
5〜6人ほどの学者や研究者が、その予想を書いていた。
立ち読みだったので、記憶をたどってみる。

(1)中国のバブル経済が崩壊する。
(2)日本のインフレが進む(円安になり、1ドルが100円になる。)
(3)株価があがり、景気がよくなる。
(4)韓国が「失われた10年に突入する」などなど。

 こうした予想は、例年だと、それほどの幅もなく一致するもの。
が、今年の予想は、みな、バラバラ。
X氏は、景気はよくなると主張し、Y氏は、景気は悪くなるという。
Z氏は、第二、第三のリーマンショックが襲ってくるという。
つまりそれだけ今年の景気は予想がしにくいということらしい。
ひとつの問題として、日本の航空業界を考えてみる。

●J社問題(航空業界)

 J社がかかえる問題は、いくつかある。
ひとつは旧態依然の経営体質。
ひとつはLCC(激安運賃運行)時代への対応。
ひとつはオープンスカイ問題。

 この先、J社が生き残っていこうとすれば、現在のような鎖国状態を政府に維持して
もらう。
国内便専門会社として、国内便だけに徹する。

EUでは、すでにLCCは、日常化している。
わかりやすく言えば、街中の乗り合いバスのような存在になっている。
場合によっては、パリから地方空港まで、300円(日本円で300円だぞ!)で
乗れる時代になった。
客はネットを見ながら、最低料金になったところでチケットを買う。
それをプリントアウトして、空港へかけつける。
そのまま飛行機に乗る。

 そんな芸当が、日本の航空会社にできるだろうか?
とくにJ社にできるだろうか?
プライドばかりが、やたらと強い。
そのプライドをかなぐり捨てて、そこまでLCCに徹することができるだろうか?
できないとするなら、従来どおり、鎖国主義を貫くしかない。
日本の空を細々と飛ぶしかない。
が、それで安泰かというと、そうでもない。

 近く、東京―大阪間が、リニアモーター列車で結ばれる。
新幹線網がさらに充実する。

さらに世界中のLCCが、日本へ参入しつつある。
すでにたとえば札幌から福岡へ行くとき、札幌から仁川(韓国)まで
大韓航空を使い、同じ大韓航空を使って仁川から福岡まで行く。
そんな人がふえている。
そのほうが料金にしても、はるかに安い。

 当の昔に、日本の航空会社は、国際競争力を失っている。
J社はさかんに「黒字になった」とはしゃいでいるが、中身は赤字路線を廃止しただけ。
余剰人員をクビにしただけ。
体質は何も変わっていない。
問題は何も解決していない。

 J社がかかえる問題は、日本経済全体がかかえる問題と考えてよい。
つまりJ社は、日本経済の縮図。

製造会社は海外で活路を見出しているが、航空会社にはそれができない。
できるとすれば、逆に人件費の安いパイロットや客室乗務員を、外国から雇うという
方法がある。
整備は外国の整備会社に任す。
つまり日本の航空会社を、外国の航空会社と同じレベルに置く。
そこからスタートする。
何なら、J社の本店を、タイのバンコクに置けばよい。 

いっそのこと、日本、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリッピンで
共同して、1つの航空会社を作ったらどうか。
そのほうがわかりやすい。

かなり乱暴なJ社再建論だが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

 ……それにしても、1企業を救済するために、国税を1兆円も使う必要は
本当にあったのだろうか。
国民1人当たり、約1万円。
浜松市の人口は80万人だから、浜松市だけで、80億円。
カルフォルニア州より小さな国に、航空会社が2社。
子会社も含めると、10社以上。

●ロビーで

 先ほどワイフがホテルのアンケート用紙に、意見を書いた。
それには「大満足」とあった。
よかった。

 私はロビーにあった椅子を窓側に向けた。
そこに座り、今、この文を書いている。
眼下には、渥美半島の先が見える。
小さな小山があり、灯台はその小山に隠れて見えない。
先ほど自動車運搬船が、左方面からやってきて、右方面へと消えていった。
空は相変わらず曇り。
鉛色の黒い影を伴った雲が、すぐ上に見える。

 風は強い。
朝、露天風呂に入ったが、風で湯しぶきがあがり、私の顔面を叩きつけた。
波も荒いはずだが、ここから見るかぎり、のどかな冬の海。
幾重にも皺(しわ)になった海面が、ゆっくりと岸へ打ち寄せている。

 「いい正月だったね」と言うと、ワイフは満足そうに笑った。
やりたいことは、すべてした。
そんな満足感が私の心を満たした。

 で、今度の正月を総括すると、こうなる。

「子離れと、居直りの正月」。
やっと子離れができた。
子離れを完成させた。
「これからは私の人生」と。

「居直り」というのは、「私の人生は、こんなもの」と、自分に納得できた。
たいしたことはできなかった。
これからもできないだろう。
あるがままの自分を認め、そのまま残りの人生を生きていく。
つまり、これからは、もうだれにも邪魔されず、自分の人生を生きていく。

 ……2年前、実兄と実母を亡くした
昨年、実家を処分した。
姉との5年闘争にも、ケリをつけた。
そして今年、2011年の1月。
息子たちとも、ケリをつけた。
私は生まれて始めて、「自由」を勝ち取った。
今の私を束縛するものは、何もない。
「私は自由だ!」と。

 もっともワイフに言わせると、「何よ、今ごろ」となる。
「あなたはね、若いころは、どうしようもないマザコンだったのよ。
60歳を過ぎて、やっと子離れできたのよ」と。
先ほども、ここまで書いたことを読み聞かせてやったら、そう言った。

私「でもね、つい昨年まで、ぼくはこう考えていたよ。
もし息子たちの身に何かあれば、家や土地を売ってでも助けてやろうと」
ワ「今どき、そんな親はいないわよ。息子たちだって、そんなこと望んでいないわよ」
私「そうだね。でもね、ぼくはお前と結婚する前から、収入の半分を、
実家へ送っていたよ。息子たちには、そんな気持ちはみじんもないよ」
ワ「今どき、そんな若い人はいないわよ。時代が変わったのよ」
私「そうだね」と。

●常識と意識

 一度心の中にできた常識を変えるのは、容易なことではない。
意識を変えるのは、さらに難しい。
が、私には私の常識があった。
その常識に従って、自分の意識を作りあげた。
私なりの家族像、親像、親子像、家庭像を作りあげた。

 が、時代は変わった。
たしかに変わった。
その変化を知りつつ、その変化に順応できなかった。
できないから、がんこ親父となり、それをワイフや息子たちに押しつけた。
が、そこで猛烈な反発を食らった。
考えてみれば、それだけのこと。

 本当によい正月だった。
2011年1月6日。
伊良湖ビューホテル・ロビーにて。
近く、改装工事に入るという。
それが終わったら、また泊まる予定。
最後に繰り返しになるが、伊良湖ビューホテルほどの景観を備えたホテルは、
そうはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 2011年正月 伊良湖ビューホテル はやし浩司 2011−01
06)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月7日

++++++++++++++++++

今朝は、運動、なし。
そのこともあって、寒くてしかたない。
先ほどまで、手先は、こたつの中に入れたまま。
今、やっと手を出した。
キーボードを叩き始めた。

いよいよ明日から、仕事始め。
長い休みだった。
それもあって、緊張感が、どうも盛りあがらない。
ワイフは「午後は、映画を観に行こう」と言っている。
運動不足もあって、何となく、体がだるい。
ブルブルと震えたあと、あくびがつづけて出る。

窓の外には、栗の木。
まだ黄色い葉を残して、がんばっている。
この浜松では、今ごろが、「秋」ということになる。
やがて冬のないまま、春を迎える。

+++++++++++++++++++

●折りたたみ式自転車

 3、4日前、折りたたみ式自転車を買った。
値段は1万500円。
定価は1万5000円とか。
新春初売り、目玉商品ということで、その値段で売ってもらった。
安い!

 この自転車なら、車(プリウス)で持ち運べる。
そう考えて、買った。
が、まだ一度も乗っていない。
明日から通勤に乗るつもり。
帰りはワイフの車に積んで帰ればよい。

●「遊びにおいでください」

 日本人は、「遊びにおいでください」という言葉を、あいさつ代わりに使う。
深い意味はない。
あくまでも、「あいさつ」。
年賀状などにも、そう書いてくる人は多い。

 とくに岐阜県の山間地方では、よく使う。
「正月には来てください」
「昼飯を食べていってください」
「またうちに寄ってください」と。

 そう言われた方も、それをよく知っているから、適当に答える。
「ええ、また……」とか、何とか。
そういう言葉を真に受けてはいけない。
「じゃあ、来週にでもおうかがいします」などとでも言おうものなら、さあ、たいへん!
相手の様子や態度が、ガラリと変わることも珍しくない。

 一方、オーストラリア人は、こうした「あいさつ」をしない。
「うちで泊まれ」と言ったら、言葉通り、受け取ればよい。
むしろ断るほうが、失礼。
だからめったにそういう言葉を、使わない。

 で、困るのが私。
相手にそう言われたとき、どこまで本気で考えてよいか、わからないときがある。
迷う。
一方、「口のうまい人」というのは、多い。
相手が本気になる一歩、すれすれの手前で、言葉を切る。
「じゃあ、一度、行こうかなあ」と思い始めた矢先、「じゃあ、さようなら」と。

 こういた言い方を、日本人のやさしさと解釈すべきか。
それともいいかげんさと解釈すべきか。
ただ言えることは、日本人も、欧米化し始めているということ。
言葉を言葉通りに受け取る人が、ふえてきた。
一方、そういうあいまいな言い方をする人が、減ってきた。

 私は、そのほうが、よいと思っている。
たとえばこの浜松では、あまりそういう言い方をしない。
その分だけ、相手の心がよくわかり、つきあいやすい。

 ところで私自身は、そういう言葉を使わない。
あいまいな言い方イコール、ずるい言い方ととらえる。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【土星の輪(環)】(不思議探検byはやし浩司)

+++++++++++++++++++++++

昨夜、床に就いてから、土星のことを考えた。
土星の輪が気になった。
(本当は「環」と書いて「わ」と読む。以下、「輪」で統一。)
「どうして土星の輪が、輪なのか?」と。
とたん、頭の中が冴えてしまった。

土星の輪が輪であるためには、何らかの力、たとえば
磁場が働いているはず。
その力は、どこでどのようにして生み出されて
いるのか。

また輪なら輪でよい。
どうしてその輪は、レコード盤のようになっているのか。
もちろん厚みはあるはず。
が、宇宙から見ると、紙のように薄い。
土星の大きさに比べると、極薄のパラフィン紙のよう。

あの輪は、小さな岩石でできているという。
それはわかるが、どうして岩石どうしが衝突をしないのか。
衝突を繰り返せば、輪はバラバラになってしまうはず。
小さな岩石というか、衝突を繰り返せば、砂のように
なってもおかしくない。

が、最大の謎は、なぜあの輪には、「筋」があるのか。
しかもその筋は、写真で撮影されるたびに、微妙に
模様を変えている。
(これは写真の取り方にもよるのかもしれないが……。)
どうして筋の模様が変わるのか。

いつもならこういうときは、つまり何か疑問をもったような
ときは、書斎へ入る。
調べる。
しかし昨夜は、寒かった。
私の書斎は、小さなこたつだけ。
床は、アイススケート場の氷のように冷たい。
書斎へ戻る気がしなかった。
そのままがまんした。
眠ってしまった。

++++++++++++++++++++++

●カッシーニ

 土星探査機、カッシーニが、不思議な写真を地球に届けてきた(2009年8月12日)。
それには土星の輪を横切る、謎の物体が移されていた。
輪の大きさから計算しても、巨大な物体と考えてよい。

(Photo1)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/71/img7fe65bedzik3zj.jpeg

width="461" height="316" alt="090811-saturn-equinox-rings-picture_big.jpg">

中央の白い物体が、それである。
いったい、この物体は、何なのか。

 それはさておき、土星の輪の構造について、「AstroArts」サイトは、
つぎのように説明している。

『粒子の大きさを表している。5センチ以下の大きさの粒子が少ない領域が紫、5センチと
1センチ以下の粒子が含まれる領域がそれぞれ緑と青に着色されている。写真で白く写って
いる領域は、粒子があまりに集まっているため電波による撮影ができなかった部分である。
他の画像と合わせて考えると、どうやら土星の環は、どの領域も様々な大きさの粒子が集
まってできていて、大きい物で数メートルになるようだ』(同・サイトより)。

(Photo2)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/72/imgee2edadczikczj.jpeg

width="1000" height="750" alt="rings.jpg">

 つまり岩石といっても、大きいので数メートル、5センチ〜1センチ程度ということ
らしい(カッシーニの分析による)。
が、土星にまつわる謎は、これだけではない。

たとえば土星の北極付近を流れるジェット気流は、何と六角形になっている。
カルフォルニア工科大学の、サヤナギ・クニオ氏も、「地球の気象現象の規模が数週間程度
であることを考えると、この六角形構造の寿命の長さは特別な現象だ。これは、木星の大
赤斑を形成する不思議な気象条件に匹敵する謎だ」(Livedoor News)と述べている。

 詳しくは……
http://news.livedoor.com/article/detail/4498557/

 が、ここでは土星の輪についての謎に焦点をしぼりたい。

●インターネット
 
 しかし便利になった。
すばらしく便利になった。
15年前なら、こうした疑問をもったら、図書館へ足を運ばねばならなかった。
が、今は、小さな書斎の中で、瞬時にそれが調べられる。
しかもそれだけではない。

 たまたま火星の写真を見ていたときのこと。
何と、その中に、私とワイフがあの夜見たのと同じ形のUFOが写りこんでいるのを
知った(NAVARサイト)。
驚いた!

http://matome.naver.jp/odai/2128073146356728601/2128081244857809503

(Photo3)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/66/img61c597d8zik2zj.jpeg

width="1023" height="1023" alt="d88cbd81.jpg">

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/65/img62d89929zikczj.jpeg

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

 火星の上空に、ブーメラン型のUFOが写っている。
この形は、まさに私たちが、あの夜、見たUFOの形である。
しかも35年近くも、前に!
それについては、地元の中日新聞に記事を書かせてもらった。
またまた話が脱線してしまうが、どうか許してほしい。
そのときの記事の一部をここに掲載する。
イラストは、その夜私たちが見たUFOである。
このUFOと、火星上空を飛ぶ(?)UFOと比べてみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(photo4)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/67/img431e3b27zikazj.jpeg

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/58300138/
http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/58300138/sizes/l/in/photostream/

 こんなことまでわかるから、インターネットは、たまらない!
ぞっとするほど、楽しい!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び土星の輪

 土星の輪は、12本の環と、6本の隙間でできているという。
それぞれに名前がついている。
が、それについて調べていたら、またまたとんでもない写真が、目にとまった。

 同じ「NAVAR」サイトは、土星の輪の上に写る、巨大なUFOの写真を紹介
している。

http://matome.naver.jp/odai/2128073146356728601/2128081197357795203

 いったい、これはどういうことなのか?
この写真の信憑性も問題になるが、土星には、(「土星にも」と書くべきか)、底知れぬ
謎が隠されていることがわかる。

●土星

 土星自体は高速で回転している。
そのため土星は完全な球形ではなく、扁平な形をしている。
そのことと磁場の形成と関係あるかどうかは、私にはわからない。

 なおウィキペディア百科事典は、土星の構造について、つぎのように説明している。

『……土星の内部は木星と似ている。中心に岩石の核があり、その上に液体金属水素の層、
水素分子の層がある。様々な氷も存在している。
土星の内部は高温であり、核では12,000K に達し、土星が太陽から受けているよりも多く
のエネルギーを放出している。
このエネルギーのほとんどは、ケルビン・ヘルムホルツ不安定(重力によるゆっくりとし
た圧縮)により生成されていると考えられているが、それだけで熱生成の全てが説明でき
ているわけではない』と。

 土星の内部では、何か、不思議なことが起きているらしい。
では、土星の輪はどうなのか?

●輪の構造

 土星の輪の構造については、『宇宙ニュース大辞典』が詳しく説明している。

http://kakocha.blog119.fc2.com/blog-entry-45.html

『……最近の望遠鏡や性能のよい双眼鏡を使えば土星の環は容易に観測することができる。
環は土星の赤道から 6,630 km から 120,700 km の距離まで広がっており、シリカや酸化
鉄、氷の粒子などで構成されている。
粒子は細かい塵状のものから、小さな自動車程度の物まで様々である。
土星の環の起源については有力な説が2つある
一つは19世紀にエドゥアール・ロシュが唱えた説で、土星の衛星が土星に近づきすぎて潮
汐力によって破壊されたというものである。
この前提として、破壊された衛星に彗星や小惑星が衝突したとされている。
もう一つはリングの構成物は元々衛星ではなく、土星形成時の星雲の成分がそのまま外に
残った物という説である。
後者で形成された場合、土星の環は数百万年も形状を維持できるほど安定していないため、
この説は今日ではそれほど広くは受け入れられていない。

土星の環は内側から順にD環、C環、B環、A環、F環、G環、E環があり、F環、G環
はよじれた構造をしている。
地球から観察した場合、環の間隙は最も大きなカッシーニの間隙とエンケの間隙のみ見る
ことができるが、ボイジャーは土星の環に何千もの空白区間があることを発見した。
この構造は土星にある多くの衛星の副産物と考えられる。
また、衛星の運動以外では粒子同士の重力的共鳴現象によって環を形作っていると考えら
れる。

環の厚さはその大きさに比べて非常に薄く、特に内側ほど薄い。
各環の中央部の厚さは不明であるが、端部ではC環が約5m、B環が5〜20m、A環が10
〜30mである。仮に土星本体の直径を10mとして模型を作ったとすると、環の厚さは数μ
m程度となる。
なお、G環の厚さは100km、E環は1万kmと推定されている。

F環は、羊飼い衛星のパンドラとプロメテウスの二つの衛星によって形を維持していると考
えられており、物質密度の高いコアという部分と淡いストランドという部分で構成され、
形状は常に変化している。
2005年9月のカッシーニの観測により、F環のストランドが螺旋状であることが発見され
た。螺旋構造の成因はF環とS/2004 S 6の衝突によると推測されている。

2006年3月、カッシーニによってエンケラドゥス南極付近に噴出孔が発見され、E環はこ
こから放出された物質によって形成されたと考えられている』(以上、『宇宙ニュース大辞
典』より)。

●どうして「輪」なのか。

 土星の輪の構造については、よくわかった。
が、どうして「輪」なのか。

それについても、『宇宙の大辞典サイト』(上述)は、詳しく説明している。

『1980年まで、土星の環の構造は土星の重力のみによって形作られると説明されてきた。
しかし、ボイジャーはB環のなかに暗い放射状の構造を発見した。
これはスポークと呼ばれ、重力による環の軌道運動だけでは説明できない物だった。
この現象は土星の環がほぼ土星の磁気圏内を運動しているため、環を構成している粒子の
電磁相互作用によって生じていると考えられている。
しかしスポークが形成される原因ははっきりと分ってはいない。

カッシーニは2004年7月の土星到着以来、ボイジャーと同等以上の精度で環を撮影したが、
しばらくの間スポークは認められなかった。
2005年9月に、スポークの写真が得られ、四半世紀を経てその存在があらためて確認され
た。スポークは、環の平面が太陽と大きな角度をなす土星の夏・冬には消失し、環の平面
が公転面と重なる土星の春・秋に姿を現すと考えられている』(以上、『宇宙ニュース大辞
典』より)。

●スポーク?

 スポーク?
自転車のスポークと同じように考えてよいのか?
B環の中に、放射状の構造(?)を発見したという。

(Photo5)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/69/imgb083fe55zik5zj.jpeg

width="470" height="485" alt="土星の輪に現れるスポーク">

『……この現象は土星の環がほぼ土星の磁気圏内を運動しているため、環を構成している
粒子の電磁相互作用によって生じていると考えられている。しかしスポークが形成される
原因ははっきりと分ってはいない』(Wapediaより)。
写真の黒い影が、そのスポークと呼ばれる部分である。
そのスポークも、土星の輪の生成に関係がある(?)。

●結論

 結局、私ごときの素人が、とやかく言うような問題ではない。
それが結論ということになる。
この分野の専門家たちが、土星の輪についても、徹底的に研究、分析を行っている。
私がもったような疑問など、この世界では、幼児の戯言(たわごと)のようなもの。
月を見ながら、「どうして月は落ちてこないの?」と。
そうたずねる幼児と同じ。

 ……ということで、この話はここまで。

 それにしても宇宙は謎に満ちている。
あれこもこれも謎だらけ。

 土星の輪にしても、しかり。
これで謎が解けたわけではない。
輪のことを調べていたら、今度は「スポーク」が出てきた。
「UFO」も出てきた。
六角形を描いて回転する、大気の流れまで出てきた。
さらに火星上のUFOまで出てきた。
ふつうの形なら驚かないが、それは明らかにブーメラン型をしていた。
さらに土星の輪の上に並ぶ、巨大なUFOも出てきた。

 まさに何でもござれ!

 ……しかし眠られぬ夜は、こうしてはるかかなたの宇宙に視点を置くとよい。
心が広くなる。
夢見もよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 土星の環 土星の輪 スポーク 土星の輪の謎 土星の環の謎 火星
のUFO)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   23日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子離れ(親意識との決別)(親の依存性vs親の自立)

+++++++++++++++++++++

70歳を過ぎても、子離れできない親がいる。
一方、子どもがまだ中学生なのに、さっさと
子離れしてしまう親もいる。
そのちがいは、何か。
どちらがよいのか。
また子離れするには、どうしたらよいか。

+++++++++++++++++++++

●「なりすまし詐欺(オレオレ詐欺)」

 いまだになりすまし詐欺が跡を絶たないという。
電話一本で、いとも簡単に親たち(祖父母たち)が騙(だま)されてしまう。
この話を、オーストラリアの友人(60歳)に話したら、こう言った。
「オーストラリアでは考えられない」と。

 「もしそういう電話がかかってきたら、オーストラリア人の親なら、こう言うだろうね。
それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 つまりなりすまし詐欺というのは、きわめて日本的な現象ということになる。
その根底で、日本人独特の甘えの構造(=依存性)と、深く絡(から)みあっている。

●「二度と帰ってくるな!」

 10年ほど前だが、こんなTV番組を見た。

 深夜、東京のKB町にレポーターとカメラマンが入った。
2人の中学生らしい女の子をつかまえた。
その女の子たちに、「おうちの人は心配してないの?」と。

 が、その女の子たちは、「心配してないヨ〜」と。

 そこでレポーターは何とか女の子たちの自宅の電話番号を聞き出した。
自宅に電話した。
電話に母親らしき女性が出た。
が、その母親らしき女性の言い方に驚いた。
娘たちの外出を心配しているかと思いきや、その逆。
「私には関係ありません!」「放っておいてください!」と。

 そこで女の子(=娘)が電話に出ると、母親らしき女性は、電話口の向こうでこう
叫んだ。
「あんたなんか、二度と家に帰って来るんじゃないわよ。わかったア!」と。

●解放

 親はどこまで子どものめんどうをみるべきか。
その内容と基準、それに程度は、それぞれの家庭によって、みなちがう。
子育ての意識そのものが、ちがう。
夫婦(父親vs母親)によっても、ちがう。

 仮に70歳を過ぎても、ネチネチと子離れできない親を、(10)とする。
一方、子どもが小学生、もしくは中学生のころに、「私は関係ありません」と、
子どもを突き放す親を、(0)とする。
上記、テレビに出てきたような母親をいう。

 が、これは意識の問題。
(10)の親から見れば、(0)のような親がいること自体、信じられない。
(0)の親から見れば、(10)のような親がいること自体、信じられない。
その一方で、ほとんどの親は、自分のもっている意識を、標準と考える。
ほかの親たちも、みな、そうと考える。
しかしそう考えてはいけない。
人、それぞれ。
意識も、それぞれ。

●私たち夫婦のばあい

 私たち夫婦ですら、たがいに意識がちがう。
生まれ育った環境がちがうから、ちがって当然。

 私はネチネチとした、濃密な親子関係のある世界で、生まれ育った。
ワイフは、幼いころ母親を亡くし、父親の手だけで育てられた。
そのため私から見ると、「親子感覚」が希薄。
上記(0)〜(10)に基準に当てはめるなら、私は、(7)もしくは(8)。
ワイフは、(3)もしくは(4)。

実際、私のワイフが、3人の息子たちに向かって、「勉強しなさい!」などという
言葉を使って、息子たちの世話を焼いているのを、見たことがない。
息子たちがまだ小学生のころから、学校の宿題にしても、「やりたければやりなさい」
「やりたくなければ、やらなくてもいい」という接し方をしていた。

 ほかにたとえばアメリカに住む孫に対しても、毎月のようにプレゼントを送ったのは
私。
ワイフはただの一度も、自分からは送っていない。

 が、おかしなもので、いつも嫌われるのは、私。
好かれるのは、ワイフ。
どうして……?、と書きたいが、俗世間では、こう言う。
『うるさい親は、嫌われる』と。

●子離れ

 子離れとは、何か?
つまるところ、いつ、どの時点で、「私とは関係ない」と、子どもを突き放すかで、
決まる。
言い替えると、子どもにもっている依存性を断ち切ることを、子離れという。
子離れと、親の自立は、紙で言えば、表と裏。

 私も、さんざん辛酸をなめさせられたあと、やっと、こう思えるようになった。
「勝手にしろ!」「知ったことか!」と。
決別したというのではない。
息子たちを見捨てたというわけでもない。
息子たちに抱いていた、期待感を払拭した。
とたん、心の中が、スーッと軽くなったのを覚えている。
つまりそのとき、私は親として自立した。
……というか、親意識と決別した。

●それまでの私

 それまでの私を総括すると、こうなる。
「いつか、めんどうをみてもらわなければならないときがあるかもしれない」
「息子や息子の嫁たちに、嫌われたくない」
「親として、優位な立場にいたい」と。

 いつもそう考えていた。
が、息子たちにその気がまったくないことを知った。
仮に私が心筋梗塞で倒れたと連絡しても、「ああ、そう?」で終わってしまうだろう。
(だからといって、それが悪いというのではない。
それが現代の若者たちの標準的な意識ということになる。
また私自身も、そういうふうに息子たちを育ててきた。)

そういった息子たちの意識を、はっきりと自覚したとき、息子たちに抱いていた
依存性が消えた。
同時に、そこに私の人生があることを知った。
「私は私の人生を生きる」と。
つまり私は、子育てから、解放された!

●依存性

 体にしみついた依存性と決別するのは、たいへん苦しい。
自己否定から、絶望感、さらには襲い来る孤独感と闘わねばならない。
意識を変えるというのは、並大抵の努力では、できない。

 が、この問題だけは、自分たちの問題。
子どものもっている意識を変えようとしても、無駄。
子どものもっている意識と闘っても、これまた無駄。
親の私たちは、それを認め、受け入れるしかない。

 少し前、「デジタル人間」について書いた。
ドライで合理的。
人間関係ですら、ON/OFFだけで片づけてしまう。
そういう人間をデジタル人間という。
「人情」というものが、通じない。
現代の若者たちが、そうであるなら、私たちはそれに合わせて生きていくしかない。
あるいは相手にしない。

 今の私なら、仮になりすまし詐欺の電話がかかってきても、即座にこう言うだろう。
「それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 子離れについて、別の角度から考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ論 依存性 子離れ 親の自立 はやし浩司 親子感覚)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●デジタル人間vsアナログ人間(あなたは、どちら?)

+++++++++++++++++++

デジタル人間。
人間関係を、ON/OFFだけで決めてしまう。
つきあうか、つきあわないか、そのつど、スパスパと判断し、行動する。
つきあう価値のある人間とは、つきあう。
つきあう価値のない人間とは、つきあわない。
ドライ、淡泊、計算ずく。
最近の若い人たちの一般的な、考え方。

これに対して、アナログ人間。
ON/OFFの切り替えが苦手。
人間関係が癒着していて、妥協しながらも、相手との関係を維持する。
つきあいたくなくても、嫌われるのを避け、いい人ぶる。
そのつどYES/NOが言えず、ズルズルとあいまいなまま生きる。
人情的、濃密、計算しない。
従来の日本人の一般的な、考え方。

デジタル人間からは、アナログ人間は、ネバネバして見える。
田舎ぽい。
アナログ人間からは、デジタル人間は、サバサバして見える。
都会ぽい。

++++++++++++++++++

●珍現象

 A氏の家に、東京へ出た息子夫婦が、帰ってきた。
孫も2人、連れてきた。
1年半ぶりの帰郷である。

A氏は現在、65歳。
定年まで、地元のバイク会社に勤めた。
現在は、部品管理会社の守衛をしている。
そのA氏が、こう言った。

(1)息子夫婦は、みやげを何も持ってこなかった。
(2)2人の孫の分だけではなく、息子まで、お年玉を請求した。(A氏の妻が、3万円
渡したという。)
(3)正月に来たといっても、嫁は家事をいっさいしない。子ども(孫)を預けて、
同窓会だの、友人宅回りだのと言って、遊んでばかりいた。(A氏の妻が、料理を用意した。)
(4)A氏夫婦は2人の孫を連れて、近くの遊園地へ行ったりした。
(5)みなでレストランで食事をしたが、息子夫婦は、1円も負担しなかった。
そればかりか、帰りの車のガソリン代を、A氏の妻から受け取っていた。

●意識のちがい

 「どうして?」と理由を聞くと、A氏はこう教えてくれた。
「息子夫婦は、生活がギリギリで余裕がないのです」と。

 それもそのはず。
最近の若い人たちは、給料を手にしても、目一杯の生活を始める。
高級マンションに住み、大型の車を乗り回す。
冷蔵庫、レンジ、エアコン、液晶テレビなどなど。
「あって当たり前」の生活をする。

「それに私の方から遊びにおいでと声をかけた手前上、息子夫婦は、お客様です。
嫁さんに家事をさせたら、息子が怒ります」と。

 A氏の息子夫婦を責めても、意味はない。
つまりこの40年間で、日本人の常識が逆転した。

●40年前

 私たちは6畳と4畳のアパートに住んでいた。
車は買ったが、中古のHONDAの小型車だった。
長男が生まれたとき、そうだった。
収入は人並みにあったが、約半額は、毎月実家の母に届けていた。

 盆暮れには、どんなに忙しくても、時間を作って実家詣でをした。
もちろんみやげも、そのつど持っていった。
帰るときには、少なくとも10万円程度の現金を置いてきた。

 ワイフはワイフで、私の実家へ帰ると、家政婦のように働いた。
ときどき家族を連れて、近くの温泉へ行ったりした。
もちろん費用は全額、私が負担した。
が、私たちだけが特殊というわけではない。
それが当時の「常識」だった。

 が、今はちがう。
意識が180度、変わった。
子どもが親の世話をするのではない。
親が子どもの世話をする。
孫の世話をする。
たった40年で、親子の立場が逆転した。
(たったの40年だぞ!)
原因は、何か?
それが冒頭にあげた、デジタル人間の台頭である。

●ドラ息子

 いつごろから、こうなったのか?

 私が最初に強くそれを感じたのは、すでに30年も前のことである。
当時、昔でいう「ドラ息子・ドラ娘」が、急速に増え始めた。
時はちょうど、高度成長期。
それにつづくバブル経済期。
子どもが生まれると、みなが寄ってたかって、蝶よ花よと、子どもに手をかけた。
金をかけた。
時間をかけた。

 その結果、子どもたちは、自分を中心に世界が回っていると錯覚し始めた。
「もらうのが当然」「してもらうのが当然」と。
その結果が、今。
そのときの子どもたちが、今の親たち。

 正月に実家へ帰っても、ただで寝泊まりする。
親に小遣いを渡すのではない。
親から、さらに小遣いをせびる。
先に書いたA氏の息子夫婦のようなケースは、けっして特殊ではない。
が、悲劇はつづく。

●金の切れ目が、縁の切れ目

 子どもが大学へ入ると、親たちは爪に灯をともしながら、学費を送る。
生活費を送る。
しかしそんな苦労など、どこ吹く風。
子どもたちは、遊ぶ。
ただひたすら遊ぶ。
バイトもするが、それはすべて遊興費のため。

 もちろん勉強の「ベ」の字もしない。
愛だの恋だのと、恋愛ゲームに明け暮れる。
で、何とか卒業。
何とか就職。
で、最後には、ある日突然見知らぬ女性を家に連れてきて、「結婚します」と。

 親の意見を求めることもない。
恋愛を、人生の最大の重要事と考える。
またそれが、す・べ・て。

 で、こんな話を聞いた。

 結婚して間もなくのこと。
B氏の息子が、やはり東京から帰ってきた。
突然の帰郷である。
「どうした?」と聞くと、「結婚式をしたい」と。
「どこでやるのか?」と聞くと、「この浜松でしたい」と。

 で、それについて、結婚式の費用を出してくれないかと。
B氏が、「少しなら負担してやってもいい」と答えると、息子は突然、激怒。
こう言い放ったという。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ。
この浜松でしてやるのだから!」と。

 それ以後、1年以上になるが、息子からは音信なし!
どこかで結婚式をしたらしいが、B氏夫婦には招待状は来なかったという。

 以上の話を読んで、「この息子はおかしい!」と思ったら、あなたはアナログ人間。
「息子の言い分の方が正しい!」と思ったら、あなたはデジタル人間。
さて、あなたは、どちら?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル人間 アナログ人間 どら息子 ドラ息子 親子の絆 はや
し浩司 逆転する親子関係 はやし浩司 ON OFF人間 ON−OFF ON・OF
F人間)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月3日(雑感、思いつくまま)


++++++++++++++++


時刻は、午前0時15分。
1月3日になったところ。
昨日(1月2日)は、忙しかった。
原稿を書くヒマもなかった。
一日中、動き回っていた。
で、今。
やっと自分の時間ができた。
ホ〜〜ッ!
ワイフは隣の部屋で、眠っている。
アルコールが入ると、それこそ
コテンと眠ってしまう。
うらやましい!


++++++++++++++++


●年賀状


 毎年、1月2日には、年賀状の配達はないものと思っていた。
が、今年から、2日にも配達をするようになったらしい。
朝、起きて郵便受けを見ると、年賀状が届いていた。


 で、その年賀状。
私が「少なくなったね」と言うと、ワイフは、「当たり前でしょ」と。
数年前、一度、年賀状廃止宣言なるものをした。
みなに、断わりのハガキを出した。
「これからはインターネットの時代なので・・・」とか、何とか、書いた。


またおととしは、喪中ということで、だれにも出さなかった。
知らない人は年賀状をくれたが、そのままにしてしまった。
それもあって、年賀状の枚数は、ガクンと減った。


40代のころは、800〜1000枚にもなった。
年賀状を書くのも、1週間仕事。
私が図柄を描き、ワイフがあて先を書いた。
考えてみれば、そのころが私の人生のピーク?
が、今年は・・・まだ数えてないが、150枚前後(?)。
私が出した年賀状の枚数も、それくらい。
年齢に反比例して、年賀状の枚数も、少なくなっていく。

オー・ヘンリーの「最後の1枚」という短編小説を思い出す。
病弱な少女が、枯れ木に残る最後の1枚に希望を託し、生き延びる。
私も、やがてそうなる。
最後の1枚に、望みを託す。
0枚になったとき、死ぬ。
(あるいは、その逆?)


●休日の過ごし方 

 この数年、休日の過ごし方を変えた。
それまでは予定も立てず、家でゴロゴロしていることが多かった。
が、それは私には向いていない。
私のやり方ではない。
それがわかった。

家の中でじっとしていると、かえってイライラ感がつのってしまう。
だから最近は、休日になったら、遊びまくる。
ヒマを見つけては、外出する。
毎日、どこかの旅館やホテル、山荘に寝泊りする。
「だったら、どこか外国へでも行ってくればいい」と思う人もいるかもしれない。
しかし私は飛行機が苦手。
一度飛行機事故を経験してから、飛行機に乗れなくなってしまった。
いや、乗れなくはないが、いつもひどい緊張感に襲われる。
旅先のホテルでは、一睡もできない。
「帰りの飛行機に乗らなければ・・・」と思うだけで、不安になる。
動悸が始まる。
体が宙に浮いたような状態になる。
こういうのを「飛行機恐怖症」というのか。
症状を、列挙してみる。


(1)飛行機に乗るのが、怖い。(棺おけに入ったような気分になる。)
(2)みなについて、ぞろぞろと乗ることはできる。(前の客の背中に隠れて乗る。)
(3)席に着いても落ち着かない。(目を閉じて、じっとしている。)
(4)体から緊張感が抜けない。(体中がコチコチになる。全身に冷や汗をかく。)
(5)先方のホテルで眠れない。(睡眠薬をのむ。)


 そんなわけで、特別なばあいをのぞいて、飛行機には乗らない。
時間はかかっても、国内では、列車を利用する。


 こうした恐怖症というのは、それがない人には理解できないものらしい。
「思い過ごし」とか、「気のせい」とか、言う。
しかし怖いものは、怖い。
足が勝手にすくんでしまう。
これは脳の奥深いところで起こる反応。
理性でコントロールできるようなものではない。


 話は脱線したが、そんなわけでこれが私の休日の過ごし方ということになる。
つまり人、それぞれ。
私は私。


●骨董市


おととい(1月1日)は、市内のグランドホテルであった骨董市に行ってきた。
昨日(1月2日)も、市の産業展示館であった、骨董大市に行ってきた。
若いころは骨董が好きで、いろいろなものを買い集めた。
が、今は、売りどき。
もっていても、しかたない。
飾るところもない。


 全部で50店ほど並んでいただろうか。
ワイフとああでもない、こうでもないと言いあいながら回った。


 収穫は、明治時代の教科書。
6冊、買った。
ボロボロの本だった。
ワイフはそれを見て、「一度、消毒したらどう?」と言った。


ついでに私がもっている骨董品の写真を見てもらった。
が、どれも「全国版」とか。
おもしろい言い方だった。
つまり私がもっている骨董品は、東京、京都、大阪のような大都市でしか鑑定できない
という。
だから「全国版」。
「この浜松では鑑定できません。京都へ行ってみたらどうか」と、言われた。
「あるいは美術館でもいい」とも。


私が「ニセモノではありません」と言うと、骨董店の男はこう言った。
「ニセモノでないことは、あなたの顔を見ればわかります」と。
瞬間、意味がわからなかった。
が、そう言われて、そのあとうれしくなった。


 全体としてみると、今、骨董品は底値。
中国からニセモノがどんどんと入り、骨董品の価値がさがってしまった。
一時は100万円を超えたような絵皿でも、今では1〜2万円で取り引きされて
いるという。


 時代が変わった。
日本人の趣好が変わった。


●無精髪


 今、髪の毛はボサボサ。
「床屋へ行かなければ」と思いつつ、日を延ばしてしまった。
その結果が、今。
正月というのに、何たるザマ!
「明後日から床屋が始まるから、行って来たら?」とワイフは言う。
が、それもめんどう。
もう少し先延ばしにする。
それまで整髪料で、ごまかす。


・・・しかし私の年齢で、これほどまでに髪の毛がフサフサしているのは珍しい。
白髪も少ないほう。
去年、大学の同窓会に出たら、半数以上が照れ照れのハゲ頭だった。
「床屋へ行かなくてもすむからいいなあ」と思ったが、やはりハゲ頭は」いや。
めんどうでも、髪の毛はあったほうがよい。


●正月


 「正月」という言葉から緊張感が消えた。
私たちが子どものころは、正月というと、一大行事だった。
重大事だった。
が、今はちがう。
のんべんだらりというか、正月といっても、ただの休日。


 たとえばこの山荘周辺の農家の様子も、変わった。
20年前には、どこの家の前にも、門松が並んだ。
が、今は、ほとんど見ない。


 私の家にしても、そう。
今年は1月1日になって、あわてて正月らしくあれこれ飾った。
餅つきも予定していたが、市内に住む友人が、その前日、餅を送ってくれた。
そのため餅つきは、中止。


 先にも書いたように、あちこちで寝泊りしているため、おせち料理もなし。
ワイフが2、3品、用意した。
が、それだけ。
そんなわけでますます緊張感が抜けた。
「こんなことでいいのかなあ」という思いが、心をふさぐ。


●不安神経症(パニック障害)

 このところときどき、不安神経症に陥る。
動悸がはげしくなり、不安感が脳内に充満する。
気分が浮いたような状態になり、落ち着かない。
ささいなことで、イライラする。

 で、私のばあい、そういうときは、自分の胸の内を文章にして叩き出す。
(キーボードを叩くから、「叩き出す」と言う。)
たいてい30分もすると、落ち着いてくる。
心が軽くなる。
反対に、そのままにしておくと、頭の中がモヤモヤしてくる。
症状がひどくなる。

 もっともそういうときに書いた原稿は、外に向かっては発表しない。
言うなれば、ボツ原稿。
どうしても愚痴ぽくなる。
読みたい人もいないだろう。
だから書き終わったら、そのまま削除。
趣味の魚釣りと同じ。
魚を釣っても、また水の中に戻す。

 さてさてやっと眠くなってきた。
時刻は、もうすぐ午前1時。
明日も忙しい。
起きたらすぐ、周辺の草刈をするつもり。
一汗かいて、風呂に入る。
それが楽しみ。

 では、みなさん、おやすみ!
(はやし浩司 2011−01−03)


Hiroshi Hayashi++++++Jan 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●初夢

++++++++++++++++++++++

今年の初夢。
見たはずなのだが、よく覚えていない。
どこかの温泉に入っていた?
湯船が2つあったが、ひとつには、
レスラーのような黒人の大男が入っていた。
私たちは隣の部屋にあった、もうひとつの
湯船に入った。
隣の客と肩がこすりあうほどの混みようだった。

あのフロイトも「夢判断」を重要視している。
いろいろな説がある。

時計の夢を見るのは、強迫観念の強い人。
旅先であわてる夢を見るのは、不安神経症(パニック障害)の人。
混浴の夢を見るのは、性的に欲求不満の人。
トイレをさがす夢を見る人は、小便がしたい人、など。
(以上、はやし浩司説)

もう10年近くも前のこと。
1月2日の朝、私はヘビの夢を見た。
昔からヘビの夢を見ると、金運がよくなると言われている。
私は喜んだが、その年は最悪だった。
つまり、こういうのは迷信。

ところで中国では、すでに2000年以上も前から、
夢判断をしていた。
そういう話を知っている人は少ない。
『黄帝内経(こうていだいけい)』という本に、
それがちゃんと載っている。
詳しくは小生の『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)を
見てほしい。

http://farm1.static.flickr.com/27/44248065_6d77fe9e35_b.jpg

http://farm1.static.flickr.com/32/44248066_dfea74d843_b.jpg

見方によっては、フロイトの夢判断より、はるかに合理的である。
漢方理論にしっかりと基づいている。

で、目をさましてから、ワイフとこんな話をした。

私「よくさあ、認知症か何かになると、どこどこへ帰りたいと言う人がいるよね」
ワ「みんな、言うみたいよ」
私「ぼくの母は、生まれ故郷のID村に帰りたいと、いつも言っていた」
ワ「そうね」
私「でね、ぼくのばあいだけど、ぼくが老人になり、そういう状態になったら、
どこへ帰りたいと言うだろうか」

ワ「どこ?」
私「お前は、どこだ?」
ワ「砂山の実家かしら?」
私「ああ、あそこならいつでも連れて行ってやるよ」
ワ「新幹線の改札口のあたりよ」
私「ハハハ、それはわかりやすい。新幹線の改札口へ連れて行ってやるよ」

ワ「あなたは、どこなの?」
私「それがね、ぼくのばあい、根無し草だから、とくに帰りたいというところがない」
ワ「この家じゃなくて?」
私「夢の中に出てくるとすれば、それがね、おかしなことに、裏のNKさんの家なんだよ」
ワ「あの大豪邸?」
私「そうなんだよ。あの家なんだよ。ハハハ」と。

ワイフの生まれ故郷(実家)は、今は新幹線の浜松駅、その改札口あたりにあった。
もしこの話を覚えていてくれる人がいたら、JR浜松駅で降り、新幹線の改札口を
通るようなとき、こう思ってほしい。
「ああ、ここがあのはやし浩司の妻の実家のあったところか」と。

が、私のばあいはどこか?
やはり郷里のM町か?
それともこの浜松市か?
よく旅先から家に戻る夢を見る。

そのときは岐阜のほうを目指して帰る。
しかし夢の中に出てくる家は、先にも書いたように、裏のNKさんの大豪邸。
オレンジ色の屋根、白壁の家。

+++++++++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 夢判断 フロイト 黄帝内経 初夢)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●東亜日報の反日記事

● ?? ??? ?? ??

+++++++++++++++++


東亜日報(韓国紙)は、「あきれた日本の新聞」と題して、つぎのような
記事を掲げた。

そのまま紹介する。

++++++++++以下、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

国防部が発表した「2010年国防白書」に独島(トクト・日本名竹島)の写真がなかっ
たことについて、日本の産経新聞が昨年12月31日、「日本への配慮ではないかと関心を
呼んでいる」とし、その背景に注目した。 

韓日間に独島の領有権問題が起こった08年には、韓国政府が国防白書の表紙に独島を背
景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真を載せ、本文にも、海軍艦艇の独島防衛訓練のカラ
ー写真を載せたが、今回は2つの写真が削除されているということだ。2010年度版に
は、独島関連の写真として、島の上空を哨戒飛行する空軍戦闘機の小さな写真1枚だけが
掲載された。 

これについて、軍当局は、「ひと言で言って、あきれた」と述べた。軍関係者は、「これま
で表紙に写真が3枚入っていて散漫であるうえ、毎回デザインが同じだという反応もあり、
今回はデザインに変化を与えたのだが、過剰な解釈だ。表紙の写真を抜いただけであり、
独島に対する韓国の確固たる守護意志の内容はすべて含まれている」と反論した。

++++++++++以上、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

●検証

 そこで産経新聞を調べてみた。
実際、そのような記事があることがわかった。

++++++++++以下、産経新聞、記事より++++++2011

【ソウル=黒田勝弘】

 韓国国防省は30日、2010年版の国防白書を発表したが、前回の08年版白書の表
紙に掲載されていた竹島(韓国名・独島)の写真が表紙から消えており、日本への配慮で
はないかと関心を呼んでいる。

 韓国では近年、金大中・盧武鉉政権(1998〜2008年)時代の対北融和策で北朝
鮮への警戒心が後退。代わって竹島・独島をめぐる日韓の領有権紛争から「独島防衛」が
強調され、マスコミなどはまるで日本が"仮想敵"かのような雰囲気になっていた。

 国防白書(08年版)では表紙に「独島」を背景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真が
掲載され、本文でも北朝鮮などによる「局地挑発に対する備え」の項に、海軍艦艇による
「独島防御訓練」のカラー写真が出ていた。

 今年の白書ではこの2枚の写真は削除され、「独島」がらみでは島上空を哨戒飛行する空
軍機の小さな写真1枚だけになった。

 韓国では今年、哨戒艦撃沈事件や延坪島砲撃などで北の軍事的脅威が大問題になり、政
府はこれまでの安保政策の立て直しを迫られている。韓国政府として現実離れした"日本脅
威論"をあおるような写真は不必要と判断したものとみられる。

++++++++++以上、産経新聞、記事より++++++2011

●「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」

 産経新聞の記事の中で、最大の問題点は、「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」
という部分。

 いつ、だれが、どこでそのような「関心を呼んだ」のか?
記事には、「黒田勝弘」の記者名がある。
となると、こういう独断的判断を下したのは、黒田勝弘氏自身ということになる。
黒田勝弘氏は、勝手に国防白書を自己流に解釈し、最後に、こう結んだ。

「韓国政府として現実離れした"日本脅威論"をあおるような写真は不必要と判断した
ものとみられる」と。

●韓国側の反発

 これに対して、韓国側は、強く反発した。
それが東亜日報の記事である。

 が、私は黒田勝弘氏のこう言いたい。
「日韓問題は、貴殿が考えているような、底の浅い問題ではない。
韓国の人がもっている反日感情は、そんな甘いものではない。
認識不足もよいところ」と。

 つまり私はこれほどまでに、オメデタイ記事を、そうは知らない。
産経新聞というよりは、黒田勝弘氏の、視野の狭さに驚く。
つまりこの程度のことで、一喜一憂してはいけない。
自己流の解釈を加えて、日韓関係が改善に向かっていると安易に判断してはいけない。
東亜日報が反発して、当然である。

 私も、この記事には、日本側の立場で、あ・き・れ・た!


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【1月5日朝記】(さあ、今日も始まった!)

●目と口

++++++++++++++++++

感情は口に先に表れる。
目は、それにつづく。

わかりやすく言うと、喜怒哀楽、
とくに驚き、笑いは、まず口に現れる。
ついでそれに対して目の動きが追従する。

つまりそれによって、作られた表情か、
本物の表情かを、判断することができる。

……というような話を、若いころ、
何かの本で読んだことがある。

++++++++++++++++++

●日本映画

 日本映画が、全体として、演技ぽいのは、「演技」を意識しているから。
たとえば1人の男が町を歩いている。
そのとき突然、後ろから、だれかに肩を叩かれる。
その瞬間のこと。
その男は、相手の顔を確かめる前に、つまり振り向く前に、目の筋肉が先に緩(ゆる)む。
その状態で振り返る。
相手は男で、彼の友人だった。
(ふつうなら、まず相手を見てから笑う。
笑うとしても、口の方が先に笑う。)

 ……というような「瞬間」を、私たちは見落とさない。
笑顔についても、同じことが言える。

 たとえば1人の女性が、何かのジョークを聞いて笑うようなばあい。
まず口の方が先に反応して、笑う。
目が笑うのは、そのあと。
それが本当の笑い。

 が、日本映画では、あらかじめ用意した表情で、笑う。
こういうときは、こういう表情をしてみせるもの……というような表情で笑う。
たとえて言うなら、ショッピングセンターに立つ売り子のような表情をしてみせる。
ニコニコ笑うが、作り笑い。
どこか不自然。
演技ぽい。
ここでいう「演技」というのは、それをいう。

 こうした稚拙な演技を防ぐゆいいつの方法は、俳優が、その人物になりきること。
その人物の心になりきること。
演技はそのあと、ついてくる。

●孤独は心のがん細胞

 数日前、「孤独は心のがん細胞」という内容の原稿を書いた。
孤独感がつのると、精神状態が変調する。
その先に「死」が見え隠れするようになる。
そのまま自殺してしまう人も少なくない。
だから「孤独は心のがん細胞」。

 ところが、である。
孤独は心のがん細胞だけではなく、肉体のがん細胞であることもわかってきた。
絶望感を味わった人ほど、心臓病、脳卒中、さらにはがんになる人が多いのだそうだ。
理屈としては、納得できる。
絶望感が、体内の免疫機能を減退させる。
孤独感にしても、同じ。
孤独感ほど、強烈なストレスはない。

 私の学生時代の友人も、そう言った。
彼はこの6年、胃がんと闘っている。
「林、がんはね、ストレスが原因で起こるんだよ」と。

 ストレス、イコール、がんということでもないだろう。
しかしストレスは、体によくない。
2008年に、その友人について書いた原稿を、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●S君の生き方(Immunocyte & Cytokine)
A cytokine brings the effect that multiple functions, that is, a single cytokine varies in 
the condition of the target cell.

+++++++++++++++

昨夜、T県T市に住んでいる、S君と
電話で、1時間ほど、話す。

大学の同窓生である。

彼も、4、5年前、内臓にガンを患い、
現在も、「闘病生活をしている」(同君)
とのこと。

「毎月、いろいろな検査を受けている」
「毎週、リハビリに通っている」
「毎日、いろいろな薬をのんでいる」と。

しかし生き方が、すばらしい。
何ごとにつけ、前向き。

「ぼくはクラシック音楽が好きだから、
チケットはいつも、何枚ももっている」と。

心配して電話をかけたつもりだったが、
かえって私の方が、教えられた。

「なあ、林君、ガンなんて、治せば
いいんだよ。すぐ死ぬというわけでも
ないからね。ていねいに検査を受けていれば、
転移も、それでわかる。わかったとき、対処
すれば、まにあうよ。これで最初のガンから
5年になるから、あと10年は生きられるよ。
これからの10年は、(もうけもの)と
思って生きるよ」と。

「悪いのは、ストレスだよ。ストレスが、
ガンを引き起こすと考えていいよ。
ぼくの周囲でガンになった人を見てもね、
何らかのストレスが引き金になったと
思われるのが、多い。ストレスが免疫細胞の
力を弱めてしまうんだよ。ガン細胞なんて
ものはね、みな、もっているんだよ」とも。

次回の同窓会には出ることを約束して、
電話を切る」

++++++++++++++++

●ストレス

++++++++++++++++

以前、ストレスについて書いた原稿を
さがしてみた。

++++++++++++++++

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 孤独感、絶望感は、ただ単なる感情ではない。
肉体をもむしばむ「がん細胞」ということになる。
こわいのは、脳内ストレス。
年齢的なことはよくわからないが、50歳を過ぎたら、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ストレス 免疫 免疫機能の低下 免疫機構 サイトカイン 孤独
 強力なストレス はやし浩司 絶望 孤独 心のがん細胞 ガン細胞)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2つのニュース(はやし浩司 2011−01−05)

++++++++++++++++++++

「?」と思った、2つのニュース。
ひとつは、アメリカのアーカンソー州で起きた、鳥の大量死事件。
もうひとつは、北朝鮮の金xxに関するニュース。

並べて考えてみる。

++++++++++++++++++++

●花火で、鳥が大量死?(Yahooニュースより)

【ニューヨーク山科武司】

 米アーカンソー州で野鳥が大量に死ぬ"事件"が発生した。原因は不明だが、「新年を祝
う花火の音が鳥のストレスを高めた」との見方が出ている。

 CNNなどによると、アーカンソー州中部の人口5000人の町ビーブで、先月31日
の夜から今月1日未明にかけ、ハゴロモカラスやムクドリが約5000羽、1.6キロ四
方の範囲で死んだ。落下してくる鳥のため車の運転は困難となり、住民は傘をさして鳥を
避けたという。

 夜行性の鳥ではなく、なぜ巣から一斉に飛び立って死んだかは不明だ。研究機関で死体
を解剖したが、感染性の病原はなかった。31日夜には同町で新年を迎える花火を打ち上
げており、AP通信は「その音に鳥が驚いたのでは」との見方を紹介している(以上、Y
ahooニュースより。)

●金xxの公開活動(朝鮮日報より)

 統一部は4日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記による昨年の公開活動が161
回に及んだと明らかにした。ちなみに2009年には159回で、脳卒中で倒れた2008年は97
回だった。

 分野別では工場や企業所など経済部門での視察が63回で最も多く、軍部隊の視察など軍
事部門の現地指導が38回でその次に多かった。さらに公演の観覧28回、中国訪問など対
外活動12回、大学訪問や政治関連行事などが20回だった(以上、朝鮮日報より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思いつくまま

 花火が原因なのか。
それとも何かの伝染病によるものなのか。
しかし私にはこんな経験がある。

 子どものころのこと。
私が住んでいた町では、「川開き」といって、川のそばで毎年、花火大会が催された。
8月1日だったと記憶している。

 で、その直後の、その翌朝のこと。
近くに小倉公園と呼ばれる小さな山がある。
そこを歩いていたとき、無数の小鳥が死んでいるのを見かけた。
無数といっても、点々と、何十羽という数だった。
それを見て、だれかがこう言った。

 「昨夜の花火で驚いて、死んだのだろう」と。

 で、それから30年後。
そのことについて、本に書いた。
『受験に克つ子育て法』(三一書房)という本の中だった。
が、それについて、ある人がこう言った。
「花火で、鳥は死なない」と。

 以来、私はどちらが正しいのか、迷うようになった。
が、今回、アメリカのアーカンソー州で、似たような事件が起きた。
まだ花火と確定されたわけではないが、疑ってみる価値はじゅうぶん、ある。

 人間にとっては「楽しみ」の花火だが、小鳥にとっては、恐怖そのもの。
小鳥だけではない。
私はこの30年近く、犬を飼っているが、犬だっておびえる。

 花火大会イコール、人間の傲慢さの象徴と考えてよい。
人間だけが、地球の住人ではない!
花火が原因とまだ確定したわけではないが、そうであっても、またそうでなくても、
人間の傲慢さの象徴と考えてよい。

●公開活動が161回?

 常識で考えて、161回は、ありえない。
ほぼ2日に1回の割合である。
それがいかにハードなスケジュールであるかは、自分のこととして考えてみると、わかる。

 私は健康なほうだが、1泊旅行をして帰ってきただけで、ヘトヘトになる。
翌日は1日中、横になっていることもある。
いわんや、脳梗塞を経験した人が?
年齢も68歳。

 私は替え玉ではないかと、疑っている。
重要な公開活動については、本人自身がすることもあるだろう。
しかしそれ以外は、替え玉による、公開活動。
そう考えてよい。
以前、やはり何かの本で、金xxには、何人もの替え玉(=影武者)がいると
読んだことがある。
そのときは、身の保全のためにそうしているという話だった。

 それに年に161回もあちこちに出かけていたら、動きがすべてわかってしまう。
これはアメリカの暗殺を恐れる金xxにしては、たいへん、まずい。
あの国は、何からなにまで、ウソで塗り固めている。
こういう話は信じないほうがよい。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   21日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

***********************


新年、明けまして、おめでとうございます!


今年も、よろしくお願いします。


***********************


●1月1日の予定


 何人か、年始のあいさつに回り、そのあと、映画を観てくる。
『ハリーポッター』。
そのあと今夜は市内の、ビジネスホテルに一泊。
ダブルベッドルームで、5500円。
朝食は無料(クレタケ・イン)。


 明日は、ワイフの兄弟会。
明後日は、N町の友人を訪問。
車で2時間ほど、かかるかな?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
はやし浩司 牧之原市 相模 相模海岸 はやし浩司 2011−01−01


●夫婦げんか


 昨日(1月1日)、ワイフとこんなことを誓いあった。
「もう過去のことを持ち出して、けんかするのはやめよう」と。
というのも、私たちの夫婦けんかのパターンは、いつも同じ。
それには理由がある。


 私は何でも口に出して、パッパッとものを言う。
ワイフは、それに反して、何でも胸の中にためこんでしまう。
それが臨界点に達すると、爆発する。
何を言っても、反発する。
そのときに、いつも過去の話を持ち出す。
「あのとき、あなたは!」と。
私も負けじと、「お前だって!」とやり出す。


 あとはお決まりのエスカレート。
だから誓いあった。

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【家族の粘着力】


●パサパサ家族


 家族どうしの粘着力が、なくなった。
密着力もなくなった。
今の若い世代のもっている「家族観」と、私たちがもっているそれとは、明らかにちがう。
私たちがもっている家族観には、それがよいものかどうかという議論もあるが、もう少し
粘着力がある。
ネバネバというか、ベタベタというか……。


 が、今の若い世代の人たちには、それがない。
言うなれば、「パサパサ」。
だからパサパサ家族。
「サバサバ」という言葉もあるが、それとは、少しニュアンスがちがう。
たとえて言うなら、水分が明らかに足りないパンか、うどんのようなもの。
口に運ぶ前に、パサパサと粉になって下へ落ちてしまう。


●お金


 よく誤解されるが、「お金をかけたから、子どもは親に感謝しているはず」と考えるのは、
まったくの幻想。
お金がなければ、家族は危機的状況に陥る。
しかしお金で、家族の心をつなぐことはできない。
むしろお金が、家族の絆を粉々にすることが多い。


 「親の介護を2年もつづけば、兄弟はバラバラ」という。
それに遺産問題がからむと、メチャメチャ。
金額の問題ではない。
わずか数百万円のことで、兄弟が険悪な状態になることもある。
反対にたがいに数億円近い財産を手にしながら、それでも険悪な状態になることもある。
遺産問題がこじれ、以後、行き来が途絶えた兄弟となると、ゴマンとある。


●心の問題


 が、家族がパサパサになったのは、それだけが原因ではない。
ひとつには乳幼児期の母子関係がある。
現在、幼保一元化(こども園)が、国会でも問題になっている。
しかし論じられているのは、制度の問題のみ。
「心」の問題が、置き去りになっている。


 0歳児から保育所へ預けるのが、今では常識になっている。
共働きだけが理由ではない。
「母親の育児負担の軽減」が、大きな理由になっている。
それはそれでしかたのないことかもしれない。


 しかしそのため、本来その時期に形成されるべき親子の絆、つまり粘着力や
密着力が犠牲になる。
が、肝心の親たちがそれに気づいていない。
親たち自身も、あの高度成長期の中で、同じような環境の中で、生まれ育っている。
つまり親たち自身も、パサパサ。
親がパサパサだから、子どももまた、パサパサ。
パサパサのパサパサ家族。


 0歳から人工飼育された子どもの心が、どうなるか。
これは何もSF映画の世界だけの話ではない。
「心」というのは、学習によって作られる。


●家族の絆


 皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
今の若い家族は、毎週のようにドライブをしたり、行楽を楽しんでいる。
私たちの世代には、想像もできかった豊かな生活である。
が、その分だけ、家族の絆が太くなったかといえば、それはどうか。
むしろ絆は細く、薄くなった。
絆をつくるヒモにしても、ここに書いたようにパサパサ。
いとも簡単に切れてしまう。


 「それでもいい」と言うのなら、それはそれ。
たとえば「国民意識」にしても、そうだ。
「地域意識」でもよい。
それもパサパサ。


 少し前だが、高校生たちと、こんな会話をした。
「もし北朝鮮が日本へ軍隊を送ってきたら、君たちはどうする」と聞いたときのこと。
みな、こう答えた。
「アメリカ軍が、追い払ってくれる」と。
中には「ぼくは逃げる」と言った高校生もいた。
あるいは「そのために自衛隊がいる」と言った高校生もいた。


 さらにある老人(82歳)はこう言った。
現在、長野県で、ひとり住まい。
「年金制度が悪い」と。


 つまり息子や娘たちは、「親には年金があるから、ぼくたちはめんどうをみなくていい
と考えている」と。


●団塊世代vs若い世代


 世の中が、あまりにも急激に変化しつつある。
ついていくだけでたいへん……というより、不可能。
意識を変えるのは、簡単なことではない。
10年単位(それでも短いほうだが……)の時間がかかる。


 だから若い世代の人たちの意識に合わせるということが、むずかしい。
つまり私たちがもっている「家族観」と、今の若い人たちがもっている「家族観」は、
あまりにも違いすぎる。
私は「こうあるべき」と考える。
しかし若い世代は、私たちの家族観を、容赦なく否定する。
理解しようとすら、しない。
戦後のあの苦しい時代の話をしても、すかさずこう言い返される。
「そんなのは自業自得。ぼくらには、関係ない」と。

 が、これだけは覚えておくとよい。
若い人たちも、やがて年を取る。
年を取って老人になる。
そのとき、さみしい思いをするのは、結局は、あなたがた自身であるということ。
それがわからなければ、乾いた砂を思い浮かべてみればよい。
あれこそ、まさに、パサパサ。
あなたの人間関係も、そうなる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 パサパサ家族 薄れる親子の絆 現在の家族観 ネバネバ家族 はや
し浩司 家族の粘着性 粘着力 密着度 密着性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ヘリコプターママ】

●溺愛ママの子育てブルース

++++++++++++++++++

ある日、ある母親(47歳)は、娘(22歳)
から、三下半(みくだりはん)を突きつけられた。
娘が大学を卒業した直後のことだった。

江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文書を、
3行半で書いた。
そのことから、そういう。
ふつうは、夫から妻に出す離縁状をいう。

が、実際に、三下半だった。
携帯電話のメールで、娘は母親にこう伝えた。

「今後生涯にわたって、絶縁します。
一切、連絡はしないでほしい。
私を捜すこともしないでほしい。
         ○○圭子」

++++++++++++++++++

●ヤボな話

 これはヤボな話かもしれない。
しかしこういうケースのばあい、母親は、娘を訴えることができるか。
それまでの養育費と学費、それに慰謝料を請求することができるか。
法律的には可能かもしれない。
しかし実際には、子育てに対する構え方によってもちがうが、裁判沙汰にする親は
いない。
泣き寝入りするのが、ふつう。
実際、その母親はそれがきっかけで、うつ病を発症し、気が変になってしまった。

●溺愛の果て

 親が子どもを溺愛して、よいことは何もない。
親はよかれと思い、子どもを溺愛するが、子どものほうこそ、ありがた迷惑。
親が思うほど、子どもは感謝していない。
そればかりか、それを「干渉」ととる。
ある男子高校生は、母親にこう言って叫んだ。

「いつオレが、お前に産んでくれと頼んだ!」と。
母親の存在感が大きすぎた。
その男子高校生は、それに反発した。

●溺愛ママ

 溺愛ママについては、たびたび書いてきた。
全体としてみると、もっぱら、子どもの立場で書いてきた。
しかしここでは親の立場で考えてみたい。
というのも、「溺愛ママ(パパでもよいが)」というと、自業自得と考える人が多い。
子育ての失敗が原因で、結果として、親自身がひどく傷つく。
だから自業自得、と。

 しかしそうとばかりは言えない。
溺愛ママと呼ばれる人は、それなりに愛情も深い。
子育てに没頭する分だけ、子どもに時間とヒマ、それにお金をかける。
子どものためならと、どんな苦労も厭わない。
ただ子どもを溺愛する母親(父親でもよい)には、情緒的な欠陥があることが多い。
未熟性といってもよい。
それが母親をして、子どもを溺愛に走らせる。
が、それは母親自身の責任ではない。
その母親を育てた、両親の責任である。
溺愛ママだけに、自業自得と、責任をおおいかぶせるのは、あまりにも酷。
かわいそう。

++++++++++++++

溺愛ママについて書いた原稿を
さがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●溺愛

親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえ
ば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本
能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類は
とっくの昔に滅亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをい
う。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべ
ればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する
親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに
押しつけているだけ。

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と
意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで
決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子ども
のできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。
その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいて
いは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭
不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子
どもを溺愛するようになる。

 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。

(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、
(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、
(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、
(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体にちょう
どひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失礼!)と
呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。

 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もい
る。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと
自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを
生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離
れる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ブルース

 自分の中に溺愛性を感じたら、子どものためというよりは、自分自身のために、子育て
から離れたほうがよい。
その時期はできるだけ早いほうがよい。
溺愛にのめりこめばのむほど、あとあと傷口が深くなる。

 親が子どもを溺愛して、子どもが親の望み通りになるケースは、100に1つもない。
ご注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 溺愛 でき愛 溺愛ママ でき愛ママ でき愛ママブルース)

●モンスターママvsヘリコプターママ

●ヘリコプター・ママ(Helicopter Mothers in South Korea)

++++++++++++++++++

韓国には、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれる
母親たちがいるそうだ。

「ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、
あれこれ世話をする母親」(朝鮮N報)という意味だ
そうだ。

++++++++++++++++++

朝鮮N報、8月10日付け(2008)に、こんな興味深い記事が載っていた。
少し日本語を読みやすくして、紹介する。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++

ある名門大学の経営学科に通うキム某君(19)は、夏休みを利用してソウル・鐘路にある
有名な公認会計士試験予備校に通っている。母親が「次の学期の"会計原理"の授業で良い

績を取らなければならないから、夏休みに予備校へ通っておく必要がある」という話を周
囲の人たちから聞き、どの予備校が良いか調べた上で、登録までした。

キム君の母親は、息子が次の学期に履修する科目をすべて決めていた。「公認会計士試験に
向け、徹底的に準備するためには、会計分野の専門教育科目が重要だから、この科目は英
語ではなく国語の授業として臨めばよい。○○教授の講義は上手いというから、必ず取らな
ければならない」といった形だ。

 大学1年のチェ某君(19)は、ある金融機関でインターンとして働いている。まず大学
の就職情報センターや学科のホームページで情報を集めた後、「ここ(金融機関)で働いた
経歴は、就職の際に一番プラスになるだろうから、ここへ行きなさい」という母親のアド
バイスを聞き、その通りにしている。チェ君の母親は、息子に代わって自動車教習所の登
録もしている。

 キム君やチェ君の母親のような人が最近増え、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれている。
ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、あれこれ世話をする母親という意味
だ。自分の子どものことを何でもしてあげることで、子どもを「マザコン」に仕立て上げ
ているともいえる。

 ソウル大宗教学科のユ・ヨハン教授は「成績を出した後、教授に直接会って"うちのこの
成績が良くないと、専攻を決める際に人気のない学科に行かされるかもしれないから、成
績を上げてくれ"と懇願する母親もいた」と話す。

 釜山に住む主婦のユン某さん(49)は、大学1年の息子が「ほかの人よりも早く司法試
験の準備をしたい」と言ったため、その願いを叶えるために東奔西走した。息子の軍隊へ
の入隊や大学の休学の時期をすべて調整し、さらに自らソウルへ行って、司法試験の合格
者を多く出しているという冠岳区新林洞一帯の予備校を探し歩いた。

 京畿道に住む主婦キム某さん(54)は、31歳になる会社員の息子の「金融アドバイザー」
だ。銀行や不動産鑑定士に依頼して綿密な分析をし、利回りが良いファンドや株式投資、
積立口座などを選んで、息子に代わって加入するとともに、毎月の収益実績をチェックし
て資金の運用までしている。息子の月給の管理も母親の役目だ。息子が女性と会えば、条
件や趣向などを把握し、引き続き会ってもよいかどうかを息子に言い聞かせてもいる。

 問題はこうした「ヘリコプター・ママ」の下で過保護に育てられた子どもたちが、困難
な状況に直面したとき、自らの力で問題を解決していく経験が絶対的に不足しているとい
うことだ。その子どもたちもまた、「マザコン」になってしまうのではないかという不安を
感じているという。

 高麗大社会学科の玄宅洙(ヒョン・テクス)教授は「就職難が続き、"ニート"が増える中、
子どもが大学を卒業した後の進路を決めることも、親(特に母親)の役目になっている。
母親の"行き過ぎた親心"が、成人した子どもの親への依存度を高め、"一人では何もできな
い"大人に仕立て上げている」と苦言を呈した。

+++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++

日本でいう「モンスター・ママ」に似ている。
少し前は、「教育ママ」と読んだ。
要するに、過干渉、過関心、過保護、それに溺愛を複合した母親ということになる。
本来なら、社会や自分自身に向けるべき生きがいまで、すべて子どもに向けてしまう。
その結果、朝鮮N報にもあるように、子どもは、マザコン化する。
50代、60代になっても、母親のうしろを、いそいそとついて歩いたりする。

が、もちろん、本人自身に、その自覚はない。

自分では、「親孝行の、すばらしい息子」と思っている。
あるいは「自分の親は、自分がそうするに足る、すばらしい親」と思いこんでいる。

問題は、なぜ、こういう母親が生まれるかということ。
それには、社会の不備があげられる。

女性は結婚し、家庭に入ると、その時点から、子どもを産み、子どもを育てる(道具)と
しか見られなくなってしまう。
いくら才能やキャリアがあっても、家庭の中では、それを生かすこともできない。
またその途中で、自分を磨くこともできない。
勉強といっても、せいぜい資格試験のため。
その先がない。

約30%の女性は、それでよいと考えている(某、調査)。
しかし大半の女性は、不完全燃焼症候群の中で、悶々とした日々を過ごす。
それから生まれるストレスは相当なもので、「家庭は、女性にとっては監獄である」と説い
たイギリスの評論家さえいた。

つまりそうしたエネルギーを、すべて子どもに向けてしまう。

モンスター・ママにせよ、ヘリコプター・ママにせよ、ゆがんだ男女差別観が生んだ、犠
牲者にすぎない。

韓国も日本も、この点では、よく似ている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 ヘリコプタ
ーママ ヘリコプター・ママ モンスター・ママ モンスターママ)

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【離婚問題、私たちのケース】(孤独論)


●初老期クライシス


今日は、明日の初日の出を見るため、
牧之原市相良にある、ペンションにやってきた。
「ワイフが、どこかの海で、初日の出を見たい」と言った。
それでそうした。

ワイフと長男、それに私。
「海まで歩いて、1分」とか。
海が見えるペンションではないが、それは
しかたない。


……ところで日の出は、何時何分か。


今、ふと、そんなことを考える。
朝、6時はまだ、暗い。
6時30分になると、明るくなる。
「6時ごろ起きればいいかな?」と、
そんなことを考える。


車で来るとき、ワイフとこんな話をする。
「初老期になると、さまざまな問題が、
どっと起きてくるね」と。
「みんな、それぞれの方法で、解決して
いるみたいだけど、あまり表には出てこない」とも。


何が問題というわけではない。
しかし初老期の倦怠期は、それまでの倦怠期とは、
大きくちがう。
今までの倦怠期には、「未来」という出口があった。
倦怠期といっても、どこかへ寄り道するような感じだった。
が、初老期の倦怠期には、その「未来」がない。
そのまま暗い袋小路に入ってしまう。
寄り道というよりは、分かれ道。
後戻りのできない、分かれ道。
そのまま離婚してしまう人も多い。


現在の私たちも、そうだ。
私は私。
ワイフはワイフ。
そんな考え方をしているうちに、いつの間にか、
心が離れてしまった。
とくに意見が衝突するというわけではない。
会話が途絶えたわけでもない。
むしろ以前より、よくしゃべる。
が、たがいにどこか理解しあえない。
どこか分かりあえない。
一方的に、私は私の意見を言う。
ワイフはワイフの意見を言う。
それが時として、言い争いになる。
数日前の夜も、そうだった。

 原因は、ささいなことだった。
いつもの夫婦げんかだった。

たがいに言いあっているとき、ワイフのほうから、
こんな言葉が出てきた。
覚悟はしていたが、しかし実際にそう言われると、
その言葉が、槍のように胸を刺す。


「別れましょうか?」と。
おとといの夜のことだった。


●初老期


初老期に、どっとやってくるのが、
初老クライシス。
生活のリズムが、大きく変わる。
夢や希望が消え、生きる目的が見えなくなる。
老後への不安が、それに拍車をかける。
病気があれば、なおさら。
なくても、病気への不安は、いつもそこにある。
が、とくにこわいのが心の病気。
脳の病気。
ボケ。


若いときは気力でそれを乗り越えることができる。
が、加齢とともに、その気力も弱くなる。
ごまかしがきかなくなる。
それまで隠してきた精神的な(もろさ)が、表に出てくる。
中には60歳を過ぎて、人格が極端に後退する人もいる。
そうでなくても、50歳を過ぎると、知力も落ちてくる。
知恵や知識も、脳みその下から、容赦なく、こぼれ出て行く。
まるで穴のあいたバケツのよう。

よい例が、英語の単語。
新しい単語など、100に1つも脳に残らない。
(若いときに覚えた単語は、今でも忘れないが……。)
歌にしても、そうだ。
歌詞を覚えるのに苦労する。
メロディーなど、最近の曲は、楽譜を見ても歌えない。


が、何が怖(こわ)いかと言って、「孤独」ほど、怖いものはない。
孤独に苛(さいな)まれるようになると、目の前で、「死」がちらつくようになる。
自殺の道を選ぶ人も多い。
そうでなくても、心を狂わす。
腐らせる。
この時期、離婚率もピークを迎える。
「熟年離婚」という言葉も定着した。
初老クライスに破れ、40年来の縁を切る夫婦も多い。


そこで孤独論。
初老期イコール、孤独との闘い。
「喪失の時代」と位置づける人もいる。


●孤独論


 大前提として、孤独でない人はいない。
みんな孤独。
みな、孤独が怖いから、それをごまかして生きているだけ。
はしゃいでいるだけ。
楽しそうに見えるが、それは表面だけ。
うわべだけ。
その日、その日をごまかして生きているだけ。
その下では、孤独が渦を巻いている。
その人が落ちてくるのを、「今か、今か」と、そこで待っている。
手招きをしながら、待っている。


孤独であることを、隠す必要はない。
恥じる必要はない。
あなたは悪人でも、罪人でもない。
ごくふつうの人。
ごくふつうの人だからこそ、孤独になる。


 たしかに孤独は、怖い。
恐ろしい。
足下をすくわれるような恐怖感。
が、怖いからといって、逃げてもしかたない。
もがいては、だめ。
苦しんでは、だめ。
逃げれば逃げるほど、孤独はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
追いかけてくる。
もがけばもがくほど、苦しめば苦しむほど、あなたは心をむしばみ、やがて「死」を
考えるようになる。
「孤独」は、いわばガン細胞のようなもの。
心のガン細胞。
あなたを食いつぶし、やがて自らも命を絶つ。


孤独になったら、静かに身を任す。
流れに身を横たえ、流れに身を任す。
身を任せ、とことん孤独の世界に身を横たえる。
行き着くところまで行き着けば、やがて身は止まる。
必ず、止まる。
それまでは苦しい。
苦しいが、歯をくしばる。


が、孤独は、真理を開く扉。
真理にたどりつくための関門。
第二の産道。
母の胎内から外に出るのが、第一の産道。
孤独の世界から真理の世界に出るのが、第二の産道。


とことん孤独になる。
ドン底に落とされる。
そのとき、その先に小さな光が見えてくる。
それが愛という希望の光。
『絶望した人間だけが、その先に希望を見る』と
言った賢人がいた。
同じように、『孤独をくぐりぬけた人間だけが、
真理を知る』。


その世界を見たとき、あなたは大粒の涙を流すだろう。
熱い涙。
そのときは、泣きたいだけ、泣けばよい。
大声で、泣きたいだけ、泣けばよい。


♪孤独、
孤独は、いやなもの。
孤独、
孤独は、つらいもの。
だけど、孤独から逃げてはいけない。
孤独、
孤独は、恐ろしい。
逃げれば逃げるほど、
キバをむく。
あなたに襲いかかってくる。
孤独、
孤独は真理に至る、関門。
一度は通り抜けなければならない、関門。


あのイエス・キリストですら、
孤独に苦しんだ。
「ハンガー(飢え)」という孤独に苦しんだ。
その結果、「愛」にたどり着いた(マザーテレサ)。


♪父は死んだ。
母も死んだ。
友も死んだ。
ワイフは去っていった。
息子たちも去っていった。
残されたのは、私だけ。


私は孤独におびえ、
身を震わす。
誰も愛することができない。
誰にも愛されない。
それが無間地獄。

が、私たちが探し求めている真理は、その向こうに隠されている。
言うなれば、孤独は真理を取り囲む「砦(とりで)」。
巨大な砦。
戦っても、あなたに勝ち目はない。
勝つ必要もない。
あなたはただ静かに、それを受け入れればよい。
それであなたはその砦を、粉々にすることができる。


私はさみしかった。
いつもひとりぼっちだった。
心を開くこともできず、
だれにも心を開かせなかった。


私は孤独だった。
毎晩、暗闇の中で、
体を丸めて眠った。
助けを求めた。
だれも答えてくれなかった。


が、今は、ちがう。
私はその向こうに、小さな光を見た。
「希望」という名の、小さな光を見た。


うれしかった。
心が軽くなった。
穏やかで、やさしくなった。
安らいだ気持になった。


その夜も、ワイフは私に背を向けて寝ていた。
体を固くしていた。
このところ同じふとんの中でも、どうも居心地が悪い。
一体感が消えた。

私はそっとワイフの背中に手をかけた。
反応はなかった。
もう一度、そっと手をかけた。
うるさそうに、ふとんの中に顔をもぐらせた。

そのとき私はこう言った。
「やっぱり、離婚するのはよそう」と。
ワイフは、「ウン」とうなずいてくれた。


(2010年12月31日夜、牧之原市相良・ペンション・リリカルにて)



(はやし浩司 孤独論 孤独 孤独は第二の産道 孤独は関門 孤独という砦 孤独は
第二の関門 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●1月1日


 今日から2011年。
「2010年」は過去になった。
時刻は、午前5時53分。
私はベッドの中。


 トリプル・ルームということになっている。
しかしひとつは、子どもの2段ベッド。
そこで昨夜は、2つのベッドをひとつにし、私とワイフ、それに長男の3人で
雑魚寝をすることにした。
こんな寝方をするのは、30年ぶり?
長男の横顔が、子どもの顔に見えた。
いとおしさが、ググーッとわいてきた。


 もうすぐ6時になる。
起きて支度をしなければならない。
今日の初日の出は、ビデオに収め、YOUTUBEにアップする。
が、ワイフは横で、いびきをかいて眠っている。


 部屋は西向きで、空の様子がわからない。
それに今朝も冷え込んでいる。
外は寒そう。


●読み直し

 
 することもないので、暗闇の中で、パソコンを開く。
昨夜書いた原稿を読み直す。
そのあと、先の文を書く。


 時刻は午前6時を過ぎた。


 もう5〜10分もしたら、起きよう。


(ぼんやりとしたまま、時間だけ過ぎる。)


 初老期を総括すると、こうなる。


「何かをしなければならない」「しかし何をしたらよいか、わからない」
「何かができるはず」「しかし何をしても、空回り」


そういう思いが頭の中で、堂々巡り。
そのうち精神がよどんでくる。
腐ってくる。
取り越し苦労とヌカ喜び。
この2つを、繰り返す。


 一本の筋道が見えてくればよい。
その道筋が見えてこない。
それが初老期。
……というか、私の知る初老期。


 初老期のみなさん、
苦しいのは、あなただけではない。
さみしいのは、あなただけではない。
みんな、そうだ。


 新年、あけまして、おめでとうございます。
新年早々、暗い話で、すみません。
我が家もいろいろあります。
外から見ると、幸福そうな家庭に見えるかもしれませんが……。


 大切なのは、ドラマ。
そのドラマに生きる価値があるのですね。
だから失敗を恐れない。
いつもそこを原点にして、前に進む。
それが人生ですね。


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   18日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●離婚が悲劇になるとき(10%のニヒリズム)

++++++++++++++++++

離婚というと、夫婦だけの問題と
考える人は多い。
しかしけっして、夫婦だけの問題ではない。
その夫婦を包む、家族の問題でもある。

こんな話を聞いた。

その老夫婦(ともに65歳)には、2人の
息子がいる。
その2人の息子が、相次いでこの数年間の
うちに離婚してしまった。

それぞれに3人ずつの子ども(孫)がいた。
つまり息子たちの離婚によって、その夫婦は
一度に6人の孫を失ったことになる。

こういうケースのばあい、いくら離婚しても、
元夫には、面会権のようなものが残る。
家事調停の場で、そのような取り決めもできる。
「養育費を支払うかわりに、月に1度は元夫と面会
させる」と。
が、家事調停らしい調停もしないまま、
つまり妻の方が、一方的に家を出てしまった。
また2人の息子にしても、この不況下。
養育費を支払う能力はなかった。

こうなると、本当に「失った」という状態になる。
それまでは毎年のように行き来していた家族だったが、
離婚と同時に、縁は切れた。
たがいに相手を罵倒しあうような状態になってしまった。

……この話を聞いたとき、私は、「孫も考えもの」と
思うようになった。
というのも、私にも3人の息子がいる。
うち2人は結婚している。
で、もし離婚ということになれば、孫たちは
元妻側に引き取られることになる。
そうなったとき、ショックは、大きい。

事実、ここに書いた老夫婦は、それ以後、一度に
10年は老(ふ)けてしまったという。
息子たちとの関係も切れてしまったという。

一度は、家族全体(老夫婦+息子たち+孫)の写真を、
誇らしげに年賀状に載せたこともある。
が、それも一時の夢で終わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う?

++++++++++++++++++

●10%のニヒリズム

 こういう話を聞くたびに、「10%のニヒリズム」という言葉を思い出す。
どこかの塾の教師が教えてくれた。
つまりいくら全力投球しても、最後の10%だけは、自分のためにとっておけ、と。
100%投球してしまうと、万が一のとき、そのあとがない。

 夫婦はともかくも、親子、親戚、近所づきあいなどなど。
とくに教育の世界では、そうかもしれない。
傷つくのは、いつも一方的に、こちら側だけということになる。
事実、私のばあいも、その子どもに全力投球しながらも、別の心で、つまり10%の
部分で、「この子も、いつか去っていく」と考える。
心の準備を怠らない。
またそれがあるからこそ、「さようなら」「元気でね」と、さわやかに別れることができる。

 一見、ニヒリズムに見えるかもしれない。
しかしこれはこの複雑な社会を楽しく生き延びるためのコツということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
●2011年1月5日(はやし浩司 2011−01−05)

●伊良湖ビューホテルへ

 浜松周辺で、景観第一のホテル言えば、伊良湖ビューホテル。
渥美半島(愛知県)の先端にある。
このホテルに泊まるようになって、もう4、5回目になる。
電車で豊橋まで。
豊橋から迎えのバスで、1時間10分。

 あいにくの曇り空。
どんよりとした灰色の雲が、下のほうまで降りている。
寒いというよりは、冷たい。
冬の冷気が体の芯までしみる。
バスが出る時刻まで、40分ほどあった。
駅構内のパン屋で
コーヒーを飲んで時間をつぶす。

●夢の中の家

 豊橋へ着く直前、私は一軒の家を見て、驚いた。
夢の中にときどき出てくる家、そのものだった。
小高い丘の上にあって、左右対称の形をした家だった。
赤い屋根に白い壁。
玄関は中央にあって、モダンな感じの家だった。

 「おい、夢の中に出てくる家があった!」と声をかけると、ワイフはこう言った。
「その反対じゃ、ないの?」と。

 実は、その通り。
私はこの当たりは何十回となく、電車で往復している。
そのときその家が、何らかの形で、記憶に残った。
記憶したという意識もないまま、記憶に残った。
どう記憶に残ったかも、わからないまま記憶に残った。
しかし残った。
それがときどき、私の夢の中に出てくる。

 つまり夢の中に出てくる家と同じ家を見たのではなく、脳のどこかに記憶された家を、
私は夢の中で見ていた。

●脳内ストレス

 ストレスが慢性化したり、許容限度を超えると、脳内でサイトカインが分泌
される。
脳内ストレスを引き起こす。
症状は、今の「私」。

 食欲が減退し、体が冷える。
性欲も減退するというが、これはもとから減退している。
やる気を失い、何を考えても、憂うつになる。

 「うつ」というのは、「こだわり」をいう。
何かのことでそれにこだわると、そればかりを考える。
取り越し苦労が多くなる。
被害妄想も強くなる。

 ……それではいけないということで、暮れの30日から、こうして
遊び回っている。
自宅で寝たのは、1日だけ。

 言い忘れたが、脳内ストレスを軽く考えてはいけない。
心臓疾患(心筋梗塞)や脳疾患(脳梗塞)の原因となる。
私も一時、心臓の変調を感ずるようになった。
それだけではない。
免疫機能が低下するため、がんを引き起こすこともあるという。

●ワイフ

 そういう私を心配して、……というか、それにかこつけて、ワイフは
私をあちこちへ連れ出す。
昨日は、法多山(はったさん)へ、初詣に行ってきた。
浜松から車で1時間半ほどのところにある。
1月4日に初詣?
去年は、12月末に初詣の先取りをした。
人の混雑は、あまり好きではない。

 ふだんはもの静かな女性だが、ワイフは若いころから行動派。
「趣味は旅行」などと、平気で人に言う。
(旅行というのは、お金がかかるんだぞ!)

私も若いころは、ワイフに負けないほどの行動派だった。
しかしこのところ、「出かけたい」という気力そのものが、弱ってきた。
もしワイフの誘いや励ましがなかったら、今ごろは家の中でゴロゴロしていたはず。

●豊橋

 よその町に来てみると、それがよくわかる。
官民格差というか、「公・官」と結びついた業種は、立派。
結びついていない業種は、みすぼらしい。

 たとえば病院や医院など。
豪華な建物。
つぎに建設業や銀行など。
鉄筋のビル。。
昔は、米屋や酒屋が保護を受けたが、今は自由化された。
タバコ屋もそうだ。
とたん、みな、店を閉めた。

あわれなのは、一般商店。
何の保護もなく、みすぼらしい姿を、さらけ出している。
少し郊外へ行くと、正月の5日というのに、シャッターを下ろしたまま。
そんな商店が、ズラズラと並ぶ。

 ある程度の「格差」なら、まだがまんできる。
しかしここまで格差が広がってしまうと、そうはいかない。
心の下から怒りがわいてくる。
「公・官」が潤い、「民」は、重税であえぐ。
「公・官」は我が世の春を謳歌し、「民」は明日の仕事を心配する。

●被害妄想

 先ほど「被害妄想」という言葉を使った。
不安神経症ともいう。
最近ではパニック障害という。
心配ごとだけが、どんどんと勝手に膨(ふく)らんでいく。
動悸と胸騒ぎ。
体全体がフワフワと宙に浮いたようになる。
その恐怖感は、経験したものでないとわからない。

 が、おかしなもので、そういう状態になると、そういう状態のほうが、
ふつうとなる。
自分がおかしいと思う前に、みながおかしく見える。
が、やがて心が落ち着いてくる。
静かになる。
今度は逆に、「どうしてあんなことを心配したのだろう」となる。

●ハエ

 窓の外に、一匹のハエがいる。
大きな黒いハエで、それが上下、左右に動き回り、もがいている。
何とかして部屋の中に入ろうとしている。
私にはそう見える。

 この寒さ。
明日の朝には、死ぬだろう。
ハエにしてみれば、命がけの闘いということになる。

 ところでこの伊良湖ビューホテルは、東向きの部屋と西向きの部屋に
大きく分かれている。
今日は東向き。
明日は日の出が、部屋から見えるはず。
楽しみ。
で、その東向きの部屋。
眼下に渥美半島が豊橋のほうまでつづいているのがわかる。
通りの明かりが筋となって、遠くまで連なっている。

 ハエと明かり。
おかしな取り合わせだが、私はその2つを見ながら、この原稿を書いている。

●脱水症状

 食事は7時15分から。
たった今、大浴場から戻ったところ。
体中がすっきりした。
ついでに頭の中も。

 ワイフは目の前で、ガラスに顔をつけて外をながめている。
長男は、何かの本を読んでいる。
「何時?」と聞くと、「(6時)半」と、ワイフは言った。

 今日は一日中、ほとんど水を飲まなかった。
そのせいか、現在は、脱水状態。
自分でも、それがよくわかる。
その話をすると、ワイフがコップに水を入れて、もってきてくれた。

●食事から帰る

 食事のとき、ワイフとこんな話をする。
「ぼくたちは、よく今まで(=この年齢まで)、無事で生きてこられたね」と。
ワイフはそれに軽く同意してくれた。

 食欲が満たされると、人間は幸福感を覚えるという。
脳下垂体の一部にそういう機能がある。
反対に空腹になり、血糖値がさがると、イライラしてくる。
神経が過敏になる。

 今が、そういう状態。
つまり満腹感+満足感。

料理はバイキング方式。
このホテルのバイキング料理は、種類が豊富で、質もよい。
ジュース類の飲み物だけは、有料。
残念と言えば、残念。

 が、これはホテル側の判断ミス。
私が支配人なら、ジュース類を無料にする。
甘味料の入ったジュースは、それだけで血糖値をあげる。
食欲を減退させる。
つまりその分だけ、客の食べる料理の量が減る。

 フルーツ類は食べ放題なのだから、どう考えても矛盾している。
ジュースを飲む代わりに、フルーツをかじればよい。

ワ「本当ね。それだけでも感謝しなくちゃあ」
私「だろ。息子たちもみな、それなりに育ったしね」と。

(注:朝食もバイキング方式だったが、朝食の方では、ジュース類は飲み放題
だった。)

●「給料よりも、心の豊かさ」(C新聞・1面コラム)

 昨日、C新聞のコラム(1面)に、こんなエッセーが載っていた。
題して「給料よりも、心の豊かさ」と。
内容は、読まずとも、私にはすぐわかった。
言いたいことも、私にはすぐわかった。
が、読んでみた。

 ……あるサラリーマンが会社をやめ、どこかの島に移住した。
そこで鍼灸師の資格を取り、今はその島で生活している。
収入は何分の1かに減ったが、心豊かな生活を楽しむことができるようになった、と。

 ありきたりの幸福論である。
貧しさや苦労を知らない世代の、たわごとである。
こんなふうに考える人が多くなったら、それこそこの日本は沈没してしまう。
すでに日本は、1人当たりの国民所得で、シンガポールに抜かれている。
2025年までには、韓国にも抜かれると予想されている。
GDPでは、すでに中国に抜かれてしまった。

 タイトルが、『モノよりも、心の豊かさ』というのなら、まだ私も納得する。
しかし今の若い世代は、あの「貧しさ」を知らない。
知らないから、今のままの繁栄が、この先もずっとつづくと錯覚している。
だから平気で、こう言う。

 『給料よりも、心の豊かさ』と。
その記事をまとめたのは、たぶん若い編集者なのだろう。
生活の苦しさを知らないロマンチスト?
あるいは女性?
中高年の編集者なら、こういう記事は書かない。

 たしかにお金では、幸福は買えない。
心の豊かさも買えない。
しかしお金がなくなったら、まちがいなく不幸になる。
心も貧しくなる。
「現実」のもつきびしさが、まるでわかっていない。

●苦労

 私の息子たちにしても、こう言う。
『パパは、仕事ばかりしていて、家族をかまってくれなかった。
家族はバラバラだった』と。

 それはその通りだったかもしれない。
いや、たしかにそうだった。
認める。
しかし私はこう言いたい。
「もっと不幸な家庭を、たくさんのぞいて来い!」と。

 私が子どものころ住んでいた隣の人は、OTさんと言った。
今でも、よく覚えている。
OTさんの家業は、キャラメルを紙を包む仕事。
仕事といっても、内職仕事。
その仕事を朝から夜中までしていた。
2人の子どもがいた。
1人は、私より1級、年上。
その同級生が、家事全体を担当していた。

 そういう苦労を、今の若い人たちは知らない。
知らないから、平気で言う。
「仕事よりも家庭が大切」と。

 が、今のままでは、やがて日本も、あの時代に逆戻り。
すでにそのようになりつつある。
国際経済を戦争にたとえるなら、戦争というのは先手、先手で攻めてこそ、勝てる。
守勢に回ったとたん、負ける。
世界中が血眼(ちまなこ)になって戦争をしているのに、『給料より……』とは!

●日本は貧しい

 またまた愚痴になってしまった。
が、これだけは言える。
苦労を知らないから、感謝の念も生まれない。
今のこの日本の繁栄にしても、自分たちが作り上げたものと錯覚している。

 いつだったか、私が息子の1人に、「戦後の日本は貧しかった」と言ったときのこと。
息子はこう言い返した。
「パパ、そんなのは、自業自得だよ」と。

 しかし今でも日本は、貧しい。
土地も狭い。
農地もない。
資源もない。
あるのは、「日本人」というマンパワーだけ。
そのマンパワーが、パワーを失いつつある。

 公務員が就職人気業種の1位になり、外国へ出たいという若者が
どんどんと減っている。
恋愛ごっこだの、家族ごっこだの、そんな遊びに明け暮れている。
言うなれば、ままごと。
だから義兄は、こう言った。

 「もう一度、日本を貧乏のドン底に叩き落してやればいい。
そうすれば、今の若い人たちも、目が覚めるだろう」と。

 暴論に聞こえるかもしれない。
しかし私は少しも暴論とは思わない。
苦労をしていないから、富や幸福は、「もらうもの」と思っている。
この依存性をぶち壊すには、一度貧乏を、自ら経験させるしかない。

●無事

 が、私たちが「無事で生きてこられたね」というときの「無事」には、もっと
別の意味がある。
たとえばバブル経済のころ、私の教室の周辺だけでも、10教室ほど、幼児教室や
小学生対象の個人塾があった。
しかし今、残っているのは、私の教室だけ。

 また私は学G研という塾連盟のメンバーにもなっていた。
最盛期には、50〜60人のメンバーがいた。
アカデミックな雰囲気をもった、すぐれた連盟だった。
が、現在、その中で、生き残っている教室(塾)は、ほとんどない。
私の教室を含めて、1〜2教室程度ではないか。
この10年、音信が途絶えてしまったから、詳しくは知らない。

 そういう現実をふまえて、「無事」という言葉を使う。
もっともワイフが「無事」というときは、「健康」をさすことが多い。
「大きな病気をしなかったから、よかった」と、いつも言っている。
そのワイフにしても、0〜2歳のころは、やせ細り、「2歳まで生きている
かどうかわからない」と言われていた。

●つぎの世代

 では、どうするか?
どう考えたらよいのか?

 ひとつには教育がある。
教育によって、日本の活力を生み出す。
が、私たちの世代が、つぎの世代に残せるものとしたら、それしかない。
それ以外の部分については、無力でしかない。
はっきり言えば、どうしようもない。

 つぎの世代の世界は、つぎの世代の人たちが作っていく。
「元気」といっても、私たちに残された元気は、もうどれほどもない。
現状を生きるだけで、精一杯。
どうであれ、私たちは、その世界を見ることはないだろう。

●中国人

 ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
濡れたタオルを、物干しに掛けている。
「隣の4部屋くらいは、中国人みたいよ」と。

 前回、秋に来たときも、中国人がたくさん来ていた。
たまたま尖閣諸島付近で、日本の海上保安庁の船と、中国の漁船が衝突したころだった。
中国政府は、日本への観光旅行を中止するなどと言っていた。
が、このホテルには影響はなかった(?)。
そのときも、結構、混雑していた。
ただ回を重ねるごとに、つまり毎年、見るたびに、中国人の態度が大きくなっていく
のには、驚く。
今の今も廊下で、甲高い声をあげて、騒いでいる。
傍若無人。

 このホテルにとっても、また日本全体にとっても、今は、中国サマサマ。
日本のバブル経済がはじけたとき、日本は経済破綻の崖っぷちに立たされた。
その日本経済をかろうじて支えてくれたのが、実は中国だった。
中国の高度成長の波に乗って、日本は何とかもちこたえた。
もし中国からの観光客が来なかったら、このホテルも、経営が成り立たない
だろう。

 ここはじっとがまんのとき。
そのうち静かになるだろう。

●時刻は10時

 時間のたつのは早い。
夕食をとり、2度目の風呂につかって戻ったら、もう10時!
1〜2時間という時間が、あっという間に過ぎてしまった。
これはどうしたことか。

 眠りたいという思いと、もっと文を書いていたいという思いが、交互に
現れては消える。
どうしよう?
ワイフと長男は、ベッドの上で、本を読んでいる。

 そう言えば、この1〜2日、PSP(ソニーのゲーム機)将棋では、負けてばかり。
集中力がつづかない。
これもサイトカイン(脳内ホルモン)によるものか。
このつづきは、明日の朝、また書く。
この部屋からは、もし天気がよければ、すばらしい朝日が拝めるはず。
では、おやすみ。
1月5日、午後10時。

●午前6時

 時刻は午前6時。
真っ暗闇の中で、パソコンを立ち上げる。
この文を書き始める。

 ……目が覚める前、こんな夢を見ていた。

 私はどこかの(自宅?)にいた。
裏のほうを見ると、雑草の生えた広場になっていて、子どもが何人か遊んでいた。
ワイフは家の中にいて、家事をしていた。
が、そこへ2人の子どもが、家の中に入ってきた。
あとを追いかけるようにして、ブラジル人の母親が入ってきた。
日本語が話せない。
が、どうやら「しばらく子どもを預かってくれ」と言っているようだ。
私とワイフは、2人の子どもを預かることにした。

 夢は、私が何かの遊具を取り出すところで終わった。
そこで目が覚めた。
(自宅?)と言っても、見覚えのない家だった。
古い農家のような家で、土間は、黄色の土がむき出しになっていた。
どうしてそんな夢を見たのだろう。

●1月6日

 今年の日本経済について、どこかの雑誌がその特集を組んでいた。
5〜6人ほどの学者や研究者が、その予想を書いていた。
立ち読みだったので、記憶をたどってみる。

(5)中国のバブル経済が崩壊する。
(6)日本のインフレが進む(円安になり、1ドルが100円になる。)
(7)株価があがり、景気がよくなる。
(8)韓国が「失われた10年に突入する」などなど。

 こうした予想は、例年だと、それほどの幅もなく一致するもの。
が、今年の予想は、みな、バラバラ。
X氏は、景気はよくなると主張し、Y氏は、景気は悪くなるという。
Z氏は、第二、第三のリーマンショックが襲ってくるという。
つまりそれだけ今年の景気は予想がしにくいということらしい。
ひとつの問題として、日本の航空業界を考えてみる。

●J社問題(航空業界)

 J社がかかえる問題は、いくつかある。
ひとつは旧態依然の経営体質。
ひとつはLCC(激安運賃運行)時代への対応。
ひとつはオープンスカイ問題。

 この先、J社が生き残っていこうとすれば、現在のような鎖国状態を政府に維持して
もらう。
国内便専門会社として、国内便だけに徹する。

EUでは、すでにLCCは、日常化している。
わかりやすく言えば、街中の乗り合いバスのような存在になっている。
場合によっては、パリから地方空港まで、300円(日本円で300円だぞ!)で
乗れる時代になった。
客はネットを見ながら、最低料金になったところでチケットを買う。
それをプリントアウトして、空港へかけつける。
そのまま飛行機に乗る。

 そんな芸当が、日本の航空会社にできるだろうか?
とくにJ社にできるだろうか?
プライドばかりが、やたらと強い。
そのプライドをかなぐり捨てて、そこまでLCCに徹することができるだろうか?
できないとするなら、従来どおり、鎖国主義を貫くしかない。
日本の空を細々と飛ぶしかない。
が、それで安泰かというと、そうでもない。

 近く、東京―大阪間が、リニアモーター列車で結ばれる。
新幹線網がさらに充実する。

さらに世界中のLCCが、日本へ参入しつつある。
すでにたとえば札幌から福岡へ行くとき、札幌から仁川(韓国)まで
大韓航空を使い、同じ大韓航空を使って仁川から福岡まで行く。
そんな人がふえている。
そのほうが料金にしても、はるかに安い。

 当の昔に、日本の航空会社は、国際競争力を失っている。
J社はさかんに「黒字になった」とはしゃいでいるが、中身は赤字路線を廃止しただけ。
余剰人員をクビにしただけ。
体質は何も変わっていない。
問題は何も解決していない。

 J社がかかえる問題は、日本経済全体がかかえる問題と考えてよい。
つまりJ社は、日本経済の縮図。

製造会社は海外で活路を見出しているが、航空会社にはそれができない。
できるとすれば、逆に人件費の安いパイロットや客室乗務員を、外国から雇うという
方法がある。
整備は外国の整備会社に任す。
つまり日本の航空会社を、外国の航空会社と同じレベルに置く。
そこからスタートする。
何なら、J社の本店を、タイのバンコクに置けばよい。 

いっそのこと、日本、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリッピンで
共同して、1つの航空会社を作ったらどうか。
そのほうがわかりやすい。

かなり乱暴なJ社再建論だが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

 ……それにしても、1企業を救済するために、国税を1兆円も使う必要は
本当にあったのだろうか。
国民1人当たり、約1万円。
浜松市の人口は80万人だから、浜松市だけで、80億円。
カルフォルニア州より小さな国に、航空会社が2社。
子会社も含めると、10社以上。

●ロビーで

 先ほどワイフがホテルのアンケート用紙に、意見を書いた。
それには「大満足」とあった。
よかった。

 私はロビーにあった椅子を窓側に向けた。
そこに座り、今、この文を書いている。
眼下には、渥美半島の先が見える。
小さな小山があり、灯台はその小山に隠れて見えない。
先ほど自動車運搬船が、左方面からやってきて、右方面へと消えていった。
空は相変わらず曇り。
鉛色の黒い影を伴った雲が、すぐ上に見える。

 風は強い。
朝、露天風呂に入ったが、風で湯しぶきがあがり、私の顔面を叩きつけた。
波も荒いはずだが、ここから見るかぎり、のどかな冬の海。
幾重にも皺(しわ)になった海面が、ゆっくりと岸へ打ち寄せている。

 「いい正月だったね」と言うと、ワイフは満足そうに笑った。
やりたいことは、すべてした。
そんな満足感が私の心を満たした。

 で、今度の正月を総括すると、こうなる。

「子離れと、居直りの正月」。
やっと子離れができた。
子離れを完成させた。
「これからは私の人生」と。

「居直り」というのは、「私の人生は、こんなもの」と、自分に納得できた。
たいしたことはできなかった。
これからもできないだろう。
あるがままの自分を認め、そのまま残りの人生を生きていく。
つまり、これからは、もうだれにも邪魔されず、自分の人生を生きていく。

 ……2年前、実兄と実母を亡くした
昨年、実家を処分した。
姉との5年闘争にも、ケリをつけた。
そして今年、2011年の1月。
息子たちとも、ケリをつけた。
私は生まれて始めて、「自由」を勝ち取った。
今の私を束縛するものは、何もない。
「私は自由だ!」と。

 もっともワイフに言わせると、「何よ、今ごろ」となる。
「あなたはね、若いころは、どうしようもないマザコンだったのよ。
60歳を過ぎて、やっと子離れできたのよ」と。
先ほども、ここまで書いたことを読み聞かせてやったら、そう言った。

私「でもね、つい昨年まで、ぼくはこう考えていたよ。
もし息子たちの身に何かあれば、家や土地を売ってでも助けてやろうと」
ワ「今どき、そんな親はいないわよ。息子たちだって、そんなこと望んでいないわよ」
私「そうだね。でもね、ぼくはお前と結婚する前から、収入の半分を、
実家へ送っていたよ。息子たちには、そんな気持ちはみじんもないよ」
ワ「今どき、そんな若い人はいないわよ。時代が変わったのよ」
私「そうだね」と。

●常識と意識

 一度心の中にできた常識を変えるのは、容易なことではない。
意識を変えるのは、さらに難しい。
が、私には私の常識があった。
その常識に従って、自分の意識を作りあげた。
私なりの家族像、親像、親子像、家庭像を作りあげた。

 が、時代は変わった。
たしかに変わった。
その変化を知りつつ、その変化に順応できなかった。
できないから、がんこ親父となり、それをワイフや息子たちに押しつけた。
が、そこで猛烈な反発を食らった。
考えてみれば、それだけのこと。

 本当によい正月だった。
2011年1月6日。
伊良湖ビューホテル・ロビーにて。
近く、改装工事に入るという。
それが終わったら、また泊まる予定。
最後に繰り返しになるが、伊良湖ビューホテルほどの景観を備えたホテルは、
そうはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 2011年正月 伊良湖ビューホテル はやし浩司 2011−01
06)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2つのニュース(はやし浩司 2011−01−05)

++++++++++++++++++++

「?」と思った、2つのニュース。
ひとつは、アメリカのアーカンソー州で起きた、鳥の大量死事件。
もうひとつは、北朝鮮の金xxに関するニュース。

並べて考えてみる。

++++++++++++++++++++

●花火で、鳥が大量死?(Yahooニュースより)

【ニューヨーク山科武司】

 米アーカンソー州で野鳥が大量に死ぬ"事件"が発生した。原因は不明だが、「新年を祝
う花火の音が鳥のストレスを高めた」との見方が出ている。

 CNNなどによると、アーカンソー州中部の人口5000人の町ビーブで、先月31日
の夜から今月1日未明にかけ、ハゴロモカラスやムクドリが約5000羽、1.6キロ四
方の範囲で死んだ。落下してくる鳥のため車の運転は困難となり、住民は傘をさして鳥を
避けたという。

 夜行性の鳥ではなく、なぜ巣から一斉に飛び立って死んだかは不明だ。研究機関で死体
を解剖したが、感染性の病原はなかった。31日夜には同町で新年を迎える花火を打ち上
げており、AP通信は「その音に鳥が驚いたのでは」との見方を紹介している(以上、Y
ahooニュースより。)

●金xxの公開活動(朝鮮日報より)

 統一部は4日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記による昨年の公開活動が161
回に及んだと明らかにした。ちなみに2009年には159回で、脳卒中で倒れた2008年は97
回だった。

 分野別では工場や企業所など経済部門での視察が63回で最も多く、軍部隊の視察など軍
事部門の現地指導が38回でその次に多かった。さらに公演の観覧28回、中国訪問など対
外活動12回、大学訪問や政治関連行事などが20回だった(以上、朝鮮日報より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思いつくまま

 花火が原因なのか。
それとも何かの伝染病によるものなのか。
しかし私にはこんな経験がある。

 子どものころのこと。
私が住んでいた町では、「川開き」といって、川のそばで毎年、花火大会が催された。
8月1日だったと記憶している。

 で、その直後の、その翌朝のこと。
近くに小倉公園と呼ばれる小さな山がある。
そこを歩いていたとき、無数の小鳥が死んでいるのを見かけた。
無数といっても、点々と、何十羽という数だった。
それを見て、だれかがこう言った。

 「昨夜の花火で驚いて、死んだのだろう」と。

 で、それから30年後。
そのことについて、本に書いた。
『受験に克つ子育て法』(三一書房)という本の中だった。
が、それについて、ある人がこう言った。
「花火で、鳥は死なない」と。

 以来、私はどちらが正しいのか、迷うようになった。
が、今回、アメリカのアーカンソー州で、似たような事件が起きた。
まだ花火と確定されたわけではないが、疑ってみる価値はじゅうぶん、ある。

 人間にとっては「楽しみ」の花火だが、小鳥にとっては、恐怖そのもの。
小鳥だけではない。
私はこの30年近く、犬を飼っているが、犬だっておびえる。

 花火大会イコール、人間の傲慢さの象徴と考えてよい。
人間だけが、地球の住人ではない!
花火が原因とまだ確定したわけではないが、そうであっても、またそうでなくても、
人間の傲慢さの象徴と考えてよい。

●公開活動が161回?

 常識で考えて、161回は、ありえない。
ほぼ2日に1回の割合である。
それがいかにハードなスケジュールであるかは、自分のこととして考えてみると、わかる。

 私は健康なほうだが、1泊旅行をして帰ってきただけで、ヘトヘトになる。
翌日は1日中、横になっていることもある。
いわんや、脳梗塞を経験した人が?
年齢も68歳。

 私は替え玉ではないかと、疑っている。
重要な公開活動については、本人自身がすることもあるだろう。
しかしそれ以外は、替え玉による、公開活動。
そう考えてよい。
以前、やはり何かの本で、金xxには、何人もの替え玉(=影武者)がいると
読んだことがある。
そのときは、身の保全のためにそうしているという話だった。

 それに年に161回もあちこちに出かけていたら、動きがすべてわかってしまう。
これはアメリカの暗殺を恐れる金xxにしては、たいへん、まずい。
あの国は、何からなにまで、ウソで塗り固めている。
こういう話は信じないほうがよい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●東亜日報の反日記事

+++++++++++++++++


東亜日報(韓国紙)は、「あきれた日本の新聞」と題して、つぎのような
記事を掲げた。

そのまま紹介する。

++++++++++以下、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

国防部が発表した「2010年国防白書」に独島(トクト・日本名竹島)の写真がなかっ
たことについて、日本の産経新聞が昨年12月31日、「日本への配慮ではないかと関心を
呼んでいる」とし、その背景に注目した。 

韓日間に独島の領有権問題が起こった08年には、韓国政府が国防白書の表紙に独島を背
景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真を載せ、本文にも、海軍艦艇の独島防衛訓練のカラ
ー写真を載せたが、今回は2つの写真が削除されているということだ。2010年度版に
は、独島関連の写真として、島の上空を哨戒飛行する空軍戦闘機の小さな写真1枚だけが
掲載された。 

これについて、軍当局は、「ひと言で言って、あきれた」と述べた。軍関係者は、「これま
で表紙に写真が3枚入っていて散漫であるうえ、毎回デザインが同じだという反応もあり、
今回はデザインに変化を与えたのだが、過剰な解釈だ。表紙の写真を抜いただけであり、
独島に対する韓国の確固たる守護意志の内容はすべて含まれている」と反論した。

++++++++++以上、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

●検証

 そこで産経新聞を調べてみた。
実際、そのような記事があることがわかった。

++++++++++以下、産経新聞、記事より++++++2011

【ソウル=黒田勝弘】

 韓国国防省は30日、2010年版の国防白書を発表したが、前回の08年版白書の表
紙に掲載されていた竹島(韓国名・独島)の写真が表紙から消えており、日本への配慮で
はないかと関心を呼んでいる。

 韓国では近年、金大中・盧武鉉政権(1998〜2008年)時代の対北融和策で北朝
鮮への警戒心が後退。代わって竹島・独島をめぐる日韓の領有権紛争から「独島防衛」が
強調され、マスコミなどはまるで日本が"仮想敵"かのような雰囲気になっていた。

 国防白書(08年版)では表紙に「独島」を背景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真が
掲載され、本文でも北朝鮮などによる「局地挑発に対する備え」の項に、海軍艦艇による
「独島防御訓練」のカラー写真が出ていた。

 今年の白書ではこの2枚の写真は削除され、「独島」がらみでは島上空を哨戒飛行する空
軍機の小さな写真1枚だけになった。

 韓国では今年、哨戒艦撃沈事件や延坪島砲撃などで北の軍事的脅威が大問題になり、政
府はこれまでの安保政策の立て直しを迫られている。韓国政府として現実離れした"日本脅
威論"をあおるような写真は不必要と判断したものとみられる。

++++++++++以上、産経新聞、記事より++++++2011

●「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」

 産経新聞の記事の中で、最大の問題点は、「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」
という部分。

 いつ、だれが、どこでそのような「関心を呼んだ」のか?
記事には、「黒田勝弘」の記者名がある。
となると、こういう独断的判断を下したのは、黒田勝弘氏自身ということになる。
黒田勝弘氏は、勝手に国防白書を自己流に解釈し、最後に、こう結んだ。

「韓国政府として現実離れした"日本脅威論"をあおるような写真は不必要と判断した
ものとみられる」と。

●韓国側の反発

 これに対して、韓国側は、強く反発した。
それが東亜日報の記事である。

 が、私は黒田勝弘氏のこう言いたい。
「日韓問題は、貴殿が考えているような、底の浅い問題ではない。
韓国の人がもっている反日感情は、そんな甘いものではない。
認識不足もよいところ」と。

 つまり私はこれほどまでに、オメデタイ記事を、そうは知らない。
産経新聞というよりは、黒田勝弘氏の、視野の狭さに驚く。
つまりこの程度のことで、一喜一憂してはいけない。
自己流の解釈を加えて、日韓関係が改善に向かっていると安易に判断してはいけない。
東亜日報が反発して、当然である。

 私も、この記事には、日本側の立場で、あ・き・れ・た!


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【1月5日朝記】(さあ、今日も始まった!)

●目と口

++++++++++++++++++

感情は口に先に表れる。
目は、それにつづく。

わかりやすく言うと、喜怒哀楽、
とくに驚き、笑いは、まず口に現れる。
ついでそれに対して目の動きが追従する。

つまりそれによって、作られた表情か、
本物の表情かを、判断することができる。

……というような話を、若いころ、
何かの本で読んだことがある。

++++++++++++++++++

●日本映画

 日本映画が、全体として、演技ぽいのは、「演技」を意識しているから。
たとえば1人の男が町を歩いている。
そのとき突然、後ろから、だれかに肩を叩かれる。
その瞬間のこと。
その男は、相手の顔を確かめる前に、つまり振り向く前に、目の筋肉が先に緩(ゆる)む。
その状態で振り返る。
相手は男で、彼の友人だった。
(ふつうなら、まず相手を見てから笑う。
笑うとしても、口の方が先に笑う。)

 ……というような「瞬間」を、私たちは見落とさない。
笑顔についても、同じことが言える。

 たとえば1人の女性が、何かのジョークを聞いて笑うようなばあい。
まず口の方が先に反応して、笑う。
目が笑うのは、そのあと。
それが本当の笑い。

 が、日本映画では、あらかじめ用意した表情で、笑う。
こういうときは、こういう表情をしてみせるもの……というような表情で笑う。
たとえて言うなら、ショッピングセンターに立つ売り子のような表情をしてみせる。
ニコニコ笑うが、作り笑い。
どこか不自然。
演技ぽい。
ここでいう「演技」というのは、それをいう。

 こうした稚拙な演技を防ぐゆいいつの方法は、俳優が、その人物になりきること。
その人物の心になりきること。
演技はそのあと、ついてくる。

●孤独は心のがん細胞

 数日前、「孤独は心のがん細胞」という内容の原稿を書いた。
孤独感がつのると、精神状態が変調する。
その先に「死」が見え隠れするようになる。
そのまま自殺してしまう人も少なくない。
だから「孤独は心のがん細胞」。

 ところが、である。
孤独は心のがん細胞だけではなく、肉体のがん細胞であることもわかってきた。
絶望感を味わった人ほど、心臓病、脳卒中、さらにはがんになる人が多いのだそうだ。
理屈としては、納得できる。
絶望感が、体内の免疫機能を減退させる。
孤独感にしても、同じ。
孤独感ほど、強烈なストレスはない。

 私の学生時代の友人も、そう言った。
彼はこの6年、胃がんと闘っている。
「林、がんはね、ストレスが原因で起こるんだよ」と。

 ストレス、イコール、がんということでもないだろう。
しかしストレスは、体によくない。
2008年に、その友人について書いた原稿を、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●S君の生き方(Immunocyte & Cytokine)
A cytokine brings the effect that multiple functions, that is, a single cytokine varies in 
the condition of the target cell.

+++++++++++++++

昨夜、T県T市に住んでいる、S君と
電話で、1時間ほど、話す。

大学の同窓生である。

彼も、4、5年前、内臓にガンを患い、
現在も、「闘病生活をしている」(同君)
とのこと。

「毎月、いろいろな検査を受けている」
「毎週、リハビリに通っている」
「毎日、いろいろな薬をのんでいる」と。

しかし生き方が、すばらしい。
何ごとにつけ、前向き。

「ぼくはクラシック音楽が好きだから、
チケットはいつも、何枚ももっている」と。

心配して電話をかけたつもりだったが、
かえって私の方が、教えられた。

「なあ、林君、ガンなんて、治せば
いいんだよ。すぐ死ぬというわけでも
ないからね。ていねいに検査を受けていれば、
転移も、それでわかる。わかったとき、対処
すれば、まにあうよ。これで最初のガンから
5年になるから、あと10年は生きられるよ。
これからの10年は、(もうけもの)と
思って生きるよ」と。

「悪いのは、ストレスだよ。ストレスが、
ガンを引き起こすと考えていいよ。
ぼくの周囲でガンになった人を見てもね、
何らかのストレスが引き金になったと
思われるのが、多い。ストレスが免疫細胞の
力を弱めてしまうんだよ。ガン細胞なんて
ものはね、みな、もっているんだよ」とも。

次回の同窓会には出ることを約束して、
電話を切る」

++++++++++++++++

●ストレス

++++++++++++++++

以前、ストレスについて書いた原稿を
さがしてみた。

++++++++++++++++

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 孤独感、絶望感は、ただ単なる感情ではない。
肉体をもむしばむ「がん細胞」ということになる。
こわいのは、脳内ストレス。
年齢的なことはよくわからないが、50歳を過ぎたら、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ストレス 免疫 免疫機能の低下 免疫機構 サイトカイン 孤独 
強力なストレス はやし浩司 絶望 孤独 心のがん細胞 ガン細胞)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   16日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子離れ(親意識との決別)(親の依存性vs親の自立)

+++++++++++++++++++++

70歳を過ぎても、子離れできない親がいる。
一方、子どもがまだ中学生なのに、さっさと
子離れしてしまう親もいる。
そのちがいは、何か。
どちらがよいのか。
また子離れするには、どうしたらよいか。

+++++++++++++++++++++

●「なりすまし詐欺(オレオレ詐欺)」

 いまだになりすまし詐欺が跡を絶たないという。
電話一本で、いとも簡単に親たち(祖父母たち)が騙(だま)されてしまう。
この話を、オーストラリアの友人(60歳)に話したら、こう言った。
「オーストラリアでは考えられない」と。

 「もしそういう電話がかかってきたら、オーストラリア人の親なら、こう言うだろうね。
それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 つまりなりすまし詐欺というのは、きわめて日本的な現象ということになる。
その根底で、日本人独特の甘えの構造(=依存性)と、深く絡(から)みあっている。

●「二度と帰ってくるな!」

 10年ほど前だが、こんなTV番組を見た。

 深夜、東京のKB町にレポーターとカメラマンが入った。
2人の中学生らしい女の子をつかまえた。
その女の子たちに、「おうちの人は心配してないの?」と。

 が、その女の子たちは、「心配してないヨ〜」と。

 そこでレポーターは何とか女の子たちの自宅の電話番号を聞き出した。
自宅に電話した。
電話に母親らしき女性が出た。
が、その母親らしき女性の言い方に驚いた。
娘たちの外出を心配しているかと思いきや、その逆。
「私には関係ありません!」「放っておいてください!」と。

 そこで女の子(=娘)が電話に出ると、母親らしき女性は、電話口の向こうでこう
叫んだ。
「あんたなんか、二度と家に帰って来るんじゃないわよ。わかったア!」と。

●解放

 親はどこまで子どものめんどうをみるべきか。
その内容と基準、それに程度は、それぞれの家庭によって、みなちがう。
子育ての意識そのものが、ちがう。
夫婦(父親vs母親)によっても、ちがう。

 仮に70歳を過ぎても、ネチネチと子離れできない親を、(10)とする。
一方、子どもが小学生、もしくは中学生のころに、「私は関係ありません」と、
子どもを突き放す親を、(0)とする。
上記、テレビに出てきたような母親をいう。

 が、これは意識の問題。
(10)の親から見れば、(0)のような親がいること自体、信じられない。
(0)の親から見れば、(10)のような親がいること自体、信じられない。
その一方で、ほとんどの親は、自分のもっている意識を、標準と考える。
ほかの親たちも、みな、そうと考える。
しかしそう考えてはいけない。
人、それぞれ。
意識も、それぞれ。

●私たち夫婦のばあい

 私たち夫婦ですら、たがいに意識がちがう。
生まれ育った環境がちがうから、ちがって当然。

 私はネチネチとした、濃密な親子関係のある世界で、生まれ育った。
ワイフは、幼いころ母親を亡くし、父親の手だけで育てられた。
そのため私から見ると、「親子感覚」が希薄。
上記(0)〜(10)に基準に当てはめるなら、私は、(7)もしくは(8)。
ワイフは、(3)もしくは(4)。

実際、私のワイフが、3人の息子たちに向かって、「勉強しなさい!」などという
言葉を使って、息子たちの世話を焼いているのを、見たことがない。
息子たちがまだ小学生のころから、学校の宿題にしても、「やりたければやりなさい」
「やりたくなければ、やらなくてもいい」という接し方をしていた。

 ほかにたとえばアメリカに住む孫に対しても、毎月のようにプレゼントを送ったのは
私。
ワイフはただの一度も、自分からは送っていない。

 が、おかしなもので、いつも嫌われるのは、私。
好かれるのは、ワイフ。
どうして……?、と書きたいが、俗世間では、こう言う。
『うるさい親は、嫌われる』と。

●子離れ

 子離れとは、何か?
つまるところ、いつ、どの時点で、「私とは関係ない」と、子どもを突き放すかで、
決まる。
言い替えると、子どもにもっている依存性を断ち切ることを、子離れという。
子離れと、親の自立は、紙で言えば、表と裏。

 私も、さんざん辛酸をなめさせられたあと、やっと、こう思えるようになった。
「勝手にしろ!」「知ったことか!」と。
決別したというのではない。
息子たちを見捨てたというわけでもない。
息子たちに抱いていた、期待感を払拭した。
とたん、心の中が、スーッと軽くなったのを覚えている。
つまりそのとき、私は親として自立した。
……というか、親意識と決別した。

●それまでの私

 それまでの私を総括すると、こうなる。
「いつか、めんどうをみてもらわなければならないときがあるかもしれない」
「息子や息子の嫁たちに、嫌われたくない」
「親として、優位な立場にいたい」と。

 いつもそう考えていた。
が、息子たちにその気がまったくないことを知った。
仮に私が心筋梗塞で倒れたと連絡しても、「ああ、そう?」で終わってしまうだろう。
(だからといって、それが悪いというのではない。
それが現代の若者たちの標準的な意識ということになる。
また私自身も、そういうふうに息子たちを育ててきた。)

そういった息子たちの意識を、はっきりと自覚したとき、息子たちに抱いていた
依存性が消えた。
同時に、そこに私の人生があることを知った。
「私は私の人生を生きる」と。
つまり私は、子育てから、解放された!

●依存性

 体にしみついた依存性と決別するのは、たいへん苦しい。
自己否定から、絶望感、さらには襲い来る孤独感と闘わねばならない。
意識を変えるというのは、並大抵の努力では、できない。

 が、この問題だけは、自分たちの問題。
子どものもっている意識を変えようとしても、無駄。
子どものもっている意識と闘っても、これまた無駄。
親の私たちは、それを認め、受け入れるしかない。

 少し前、「デジタル人間」について書いた。
ドライで合理的。
人間関係ですら、ON/OFFだけで片づけてしまう。
そういう人間をデジタル人間という。
「人情」というものが、通じない。
現代の若者たちが、そうであるなら、私たちはそれに合わせて生きていくしかない。
あるいは相手にしない。

 今の私なら、仮になりすまし詐欺の電話がかかってきても、即座にこう言うだろう。
「それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 子離れについて、別の角度から考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ論 依存性 子離れ 親の自立 はやし浩司 親子感覚)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族の粘着力】


●パサパサ家族


 家族どうしの粘着力が、なくなった。
密着力もなくなった。
今の若い世代のもっている「家族観」と、私たちがもっているそれとは、明らかにちがう。
私たちがもっている家族観には、それがよいものかどうかという議論もあるが、もう少し
粘着力がある。
ネバネバというか、ベタベタというか……。


 が、今の若い世代の人たちには、それがない。
言うなれば、「パサパサ」。
だからパサパサ家族。
「サバサバ」という言葉もあるが、それとは、少しニュアンスがちがう。
たとえて言うなら、水分が明らかに足りないパンか、うどんのようなもの。
口に運ぶ前に、パサパサと粉になって下へ落ちてしまう。


●お金


 よく誤解されるが、「お金をかけたから、子どもは親に感謝しているはず」と考えるのは、
まったくの幻想。
お金がなければ、家族は危機的状況に陥る。
しかしお金で、家族の心をつなぐことはできない。
むしろお金が、家族の絆を粉々にすることが多い。


 「親の介護を2年もつづけば、兄弟はバラバラ」という。
それに遺産問題がからむと、メチャメチャ。
金額の問題ではない。
わずか数百万円のことで、兄弟が険悪な状態になることもある。
反対にたがいに数億円近い財産を手にしながら、それでも険悪な状態になることもある。
遺産問題がこじれ、以後、行き来が途絶えた兄弟となると、ゴマンとある。


●心の問題


 が、家族がパサパサになったのは、それだけが原因ではない。
ひとつには乳幼児期の母子関係がある。
現在、幼保一元化(こども園)が、国会でも問題になっている。
しかし論じられているのは、制度の問題のみ。
「心」の問題が、置き去りになっている。


 0歳児から保育所へ預けるのが、今では常識になっている。
共働きだけが理由ではない。
「母親の育児負担の軽減」が、大きな理由になっている。
それはそれでしかたのないことかもしれない。


 しかしそのため、本来その時期に形成されるべき親子の絆、つまり粘着力や
密着力が犠牲になる。
が、肝心の親たちがそれに気づいていない。
親たち自身も、あの高度成長期の中で、同じような環境の中で、生まれ育っている。
つまり親たち自身も、パサパサ。
親がパサパサだから、子どももまた、パサパサ。
パサパサのパサパサ家族。


 0歳から人工飼育された子どもの心が、どうなるか。
これは何もSF映画の世界だけの話ではない。
「心」というのは、学習によって作られる。


●家族の絆


 皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
今の若い家族は、毎週のようにドライブをしたり、行楽を楽しんでいる。
私たちの世代には、想像もできかった豊かな生活である。
が、その分だけ、家族の絆が太くなったかといえば、それはどうか。
むしろ絆は細く、薄くなった。
絆をつくるヒモにしても、ここに書いたようにパサパサ。
いとも簡単に切れてしまう。


 「それでもいい」と言うのなら、それはそれ。
たとえば「国民意識」にしても、そうだ。
「地域意識」でもよい。
それもパサパサ。


 少し前だが、高校生たちと、こんな会話をした。
「もし北朝鮮が日本へ軍隊を送ってきたら、君たちはどうする」と聞いたときのこと。
みな、こう答えた。
「アメリカ軍が、追い払ってくれる」と。
中には「ぼくは逃げる」と言った高校生もいた。
あるいは「そのために自衛隊がいる」と言った高校生もいた。


 さらにある老人(82歳)はこう言った。
現在、長野県で、ひとり住まい。
「年金制度が悪い」と。


 つまり息子や娘たちは、「親には年金があるから、ぼくたちはめんどうをみなくていい
と考えている」と。


●団塊世代vs若い世代


 世の中が、あまりにも急激に変化しつつある。
ついていくだけでたいへん……というより、不可能。
意識を変えるのは、簡単なことではない。
10年単位(それでも短いほうだが……)の時間がかかる。


 だから若い世代の人たちの意識に合わせるということが、むずかしい。
つまり私たちがもっている「家族観」と、今の若い人たちがもっている「家族観」は、
あまりにも違いすぎる。
私は「こうあるべき」と考える。
しかし若い世代は、私たちの家族観を、容赦なく否定する。
理解しようとすら、しない。
戦後のあの苦しい時代の話をしても、すかさずこう言い返される。
「そんなのは自業自得。ぼくらには、関係ない」と。

 が、これだけは覚えておくとよい。
若い人たちも、やがて年を取る。
年を取って老人になる。
そのとき、さみしい思いをするのは、結局は、あなたがた自身であるということ。
それがわからなければ、乾いた砂を思い浮かべてみればよい。
あれこそ、まさに、パサパサ。
あなたの人間関係も、そうなる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 パサパサ家族 薄れる親子の絆 現在の家族観 ネバネバ家族 はや
し浩司 家族の粘着性 粘着力 密着度 密着性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月3日(雑感、思いつくまま)


++++++++++++++++


時刻は、午前0時15分。
1月3日になったところ。
昨日(1月2日)は、忙しかった。
原稿を書くヒマもなかった。
一日中、動き回っていた。
で、今。
やっと自分の時間ができた。
ホ〜〜ッ!
ワイフは隣の部屋で、眠っている。
アルコールが入ると、それこそ
コテンと眠ってしまう。
うらやましい!


++++++++++++++++


●年賀状


 毎年、1月2日には、年賀状の配達はないものと思っていた。
が、今年から、2日にも配達をするようになったらしい。
朝、起きて郵便受けを見ると、年賀状が届いていた。


 で、その年賀状。
私が「少なくなったね」と言うと、ワイフは、「当たり前でしょ」と。
数年前、一度、年賀状廃止宣言なるものをした。
みなに、断わりのハガキを出した。
「これからはインターネットの時代なので・・・」とか、何とか、書いた。


またおととしは、喪中ということで、だれにも出さなかった。
知らない人は年賀状をくれたが、そのままにしてしまった。
それもあって、年賀状の枚数は、ガクンと減った。


40代のころは、800〜1000枚にもなった。
年賀状を書くのも、1週間仕事。
私が図柄を描き、ワイフがあて先を書いた。
考えてみれば、そのころが私の人生のピーク?
が、今年は・・・まだ数えてないが、150枚前後(?)。
私が出した年賀状の枚数も、それくらい。
年齢に反比例して、年賀状の枚数も、少なくなっていく。

オー・ヘンリーの「最後の1枚」という短編小説を思い出す。
病弱な少女が、枯れ木に残る最後の1枚に希望を託し、生き延びる。
私も、やがてそうなる。
最後の1枚に、望みを託す。
0枚になったとき、死ぬ。
(あるいは、その逆?)


●休日の過ごし方 

 この数年、休日の過ごし方を変えた。
それまでは予定も立てず、家でゴロゴロしていることが多かった。
が、それは私には向いていない。
私のやり方ではない。
それがわかった。

家の中でじっとしていると、かえってイライラ感がつのってしまう。
だから最近は、休日になったら、遊びまくる。
ヒマを見つけては、外出する。
毎日、どこかの旅館やホテル、山荘に寝泊りする。
「だったら、どこか外国へでも行ってくればいい」と思う人もいるかもしれない。
しかし私は飛行機が苦手。
一度飛行機事故を経験してから、飛行機に乗れなくなってしまった。
いや、乗れなくはないが、いつもひどい緊張感に襲われる。
旅先のホテルでは、一睡もできない。
「帰りの飛行機に乗らなければ・・・」と思うだけで、不安になる。
動悸が始まる。
体が宙に浮いたような状態になる。
こういうのを「飛行機恐怖症」というのか。
症状を、列挙してみる。


(6)飛行機に乗るのが、怖い。(棺おけに入ったような気分になる。)
(7)みなについて、ぞろぞろと乗ることはできる。(前の客の背中に隠れて乗る。)
(8)席に着いても落ち着かない。(目を閉じて、じっとしている。)
(9)体から緊張感が抜けない。(体中がコチコチになる。全身に冷や汗をかく。)
(10)先方のホテルで眠れない。(睡眠薬をのむ。)


 そんなわけで、特別なばあいをのぞいて、飛行機には乗らない。
時間はかかっても、国内では、列車を利用する。


 こうした恐怖症というのは、それがない人には理解できないものらしい。
「思い過ごし」とか、「気のせい」とか、言う。
しかし怖いものは、怖い。
足が勝手にすくんでしまう。
これは脳の奥深いところで起こる反応。
理性でコントロールできるようなものではない。


 話は脱線したが、そんなわけでこれが私の休日の過ごし方ということになる。
つまり人、それぞれ。
私は私。


●骨董市


おととい(1月1日)は、市内のグランドホテルであった骨董市に行ってきた。
昨日(1月2日)も、市の産業展示館であった、骨董大市に行ってきた。
若いころは骨董が好きで、いろいろなものを買い集めた。
が、今は、売りどき。
もっていても、しかたない。
飾るところもない。


 全部で50店ほど並んでいただろうか。
ワイフとああでもない、こうでもないと言いあいながら回った。


 収穫は、明治時代の教科書。
6冊、買った。
ボロボロの本だった。
ワイフはそれを見て、「一度、消毒したらどう?」と言った。


ついでに私がもっている骨董品の写真を見てもらった。
が、どれも「全国版」とか。
おもしろい言い方だった。
つまり私がもっている骨董品は、東京、京都、大阪のような大都市でしか鑑定できない
という。
だから「全国版」。
「この浜松では鑑定できません。京都へ行ってみたらどうか」と、言われた。
「あるいは美術館でもいい」とも。


私が「ニセモノではありません」と言うと、骨董店の男はこう言った。
「ニセモノでないことは、あなたの顔を見ればわかります」と。
瞬間、意味がわからなかった。
が、そう言われて、そのあとうれしくなった。


 全体としてみると、今、骨董品は底値。
中国からニセモノがどんどんと入り、骨董品の価値がさがってしまった。
一時は100万円を超えたような絵皿でも、今では1〜2万円で取り引きされて
いるという。


 時代が変わった。
日本人の趣好が変わった。


●無精髪


 今、髪の毛はボサボサ。
「床屋へ行かなければ」と思いつつ、日を延ばしてしまった。
その結果が、今。
正月というのに、何たるザマ!
「明後日から床屋が始まるから、行って来たら?」とワイフは言う。
が、それもめんどう。
もう少し先延ばしにする。
それまで整髪料で、ごまかす。


・・・しかし私の年齢で、これほどまでに髪の毛がフサフサしているのは珍しい。
白髪も少ないほう。
去年、大学の同窓会に出たら、半数以上が照れ照れのハゲ頭だった。
「床屋へ行かなくてもすむからいいなあ」と思ったが、やはりハゲ頭は」いや。
めんどうでも、髪の毛はあったほうがよい。


●正月


 「正月」という言葉から緊張感が消えた。
私たちが子どものころは、正月というと、一大行事だった。
重大事だった。
が、今はちがう。
のんべんだらりというか、正月といっても、ただの休日。


 たとえばこの山荘周辺の農家の様子も、変わった。
20年前には、どこの家の前にも、門松が並んだ。
が、今は、ほとんど見ない。


 私の家にしても、そう。
今年は1月1日になって、あわてて正月らしくあれこれ飾った。
餅つきも予定していたが、市内に住む友人が、その前日、餅を送ってくれた。
そのため餅つきは、中止。


 先にも書いたように、あちこちで寝泊りしているため、おせち料理もなし。
ワイフが2、3品、用意した。
が、それだけ。
そんなわけでますます緊張感が抜けた。
「こんなことでいいのかなあ」という思いが、心をふさぐ。


●不安神経症(パニック障害)

 このところときどき、不安神経症に陥る。
動悸がはげしくなり、不安感が脳内に充満する。
気分が浮いたような状態になり、落ち着かない。
ささいなことで、イライラする。

 で、私のばあい、そういうときは、自分の胸の内を文章にして叩き出す。
(キーボードを叩くから、「叩き出す」と言う。)
たいてい30分もすると、落ち着いてくる。
心が軽くなる。
反対に、そのままにしておくと、頭の中がモヤモヤしてくる。
症状がひどくなる。

 もっともそういうときに書いた原稿は、外に向かっては発表しない。
言うなれば、ボツ原稿。
どうしても愚痴ぽくなる。
読みたい人もいないだろう。
だから書き終わったら、そのまま削除。
趣味の魚釣りと同じ。
魚を釣っても、また水の中に戻す。

 さてさてやっと眠くなってきた。
時刻は、もうすぐ午前1時。
明日も忙しい。
起きたらすぐ、周辺の草刈をするつもり。
一汗かいて、風呂に入る。
それが楽しみ。

 では、みなさん、おやすみ!
(はやし浩司 2011−01−03)


Hiroshi Hayashi++++++Jan 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●初夢

++++++++++++++++++++++

今年の初夢。
見たはずなのだが、よく覚えていない。
どこかの温泉に入っていた?
湯船が2つあったが、ひとつには、
レスラーのような黒人の大男が入っていた。
私たちは隣の部屋にあった、もうひとつの
湯船に入った。
隣の客と肩がこすりあうほどの混みようだった。

あのフロイトも「夢判断」を重要視している。
いろいろな説がある。

時計の夢を見るのは、強迫観念の強い人。
旅先であわてる夢を見るのは、不安神経症(パニック障害)の人。
混浴の夢を見るのは、性的に欲求不満の人。
トイレをさがす夢を見る人は、小便がしたい人、など。
(以上、はやし浩司説)

もう10年近くも前のこと。
1月2日の朝、私はヘビの夢を見た。
昔からヘビの夢を見ると、金運がよくなると言われている。
私は喜んだが、その年は最悪だった。
つまり、こういうのは迷信。

ところで中国では、すでに2000年以上も前から、
夢判断をしていた。
そういう話を知っている人は少ない。
『黄帝内経(こうていだいけい)』という本に、
それがちゃんと載っている。
詳しくは小生の『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)を
見てほしい。

http://farm1.static.flickr.com/27/44248065_6d77fe9e35_b.jpg

http://farm1.static.flickr.com/32/44248066_dfea74d843_b.jpg

見方によっては、フロイトの夢判断より、はるかに合理的である。
漢方理論にしっかりと基づいている。

で、目をさましてから、ワイフとこんな話をした。

私「よくさあ、認知症か何かになると、どこどこへ帰りたいと言う人がいるよね」
ワ「みんな、言うみたいよ」
私「ぼくの母は、生まれ故郷のID村に帰りたいと、いつも言っていた」
ワ「そうね」
私「でね、ぼくのばあいだけど、ぼくが老人になり、そういう状態になったら、
どこへ帰りたいと言うだろうか」

ワ「どこ?」
私「お前は、どこだ?」
ワ「砂山の実家かしら?」
私「ああ、あそこならいつでも連れて行ってやるよ」
ワ「新幹線の改札口のあたりよ」
私「ハハハ、それはわかりやすい。新幹線の改札口へ連れて行ってやるよ」

ワ「あなたは、どこなの?」
私「それがね、ぼくのばあい、根無し草だから、とくに帰りたいというところがない」
ワ「この家じゃなくて?」
私「夢の中に出てくるとすれば、それがね、おかしなことに、裏のNKさんの家なんだよ」
ワ「あの大豪邸?」
私「そうなんだよ。あの家なんだよ。ハハハ」と。

ワイフの生まれ故郷(実家)は、今は新幹線の浜松駅、その改札口あたりにあった。
もしこの話を覚えていてくれる人がいたら、JR浜松駅で降り、新幹線の改札口を
通るようなとき、こう思ってほしい。
「ああ、ここがあのはやし浩司の妻の実家のあったところか」と。

が、私のばあいはどこか?
やはり郷里のM町か?
それともこの浜松市か?
よく旅先から家に戻る夢を見る。

そのときは岐阜のほうを目指して帰る。
しかし夢の中に出てくる家は、先にも書いたように、裏のNKさんの大豪邸。
オレンジ色の屋根、白壁の家。

+++++++++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 夢判断 フロイト 黄帝内経 初夢)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●デジタル人間vsアナログ人間(あなたは、どちら?)

+++++++++++++++++++

デジタル人間。
人間関係を、ON/OFFだけで決めてしまう。
つきあうか、つきあわないか、そのつど、スパスパと判断し、行動する。
つきあう価値のある人間とは、つきあう。
つきあう価値のない人間とは、つきあわない。
ドライ、淡泊、計算ずく。
最近の若い人たちの一般的な、考え方。

これに対して、アナログ人間。
ON/OFFの切り替えが苦手。
人間関係が癒着していて、妥協しながらも、相手との関係を維持する。
つきあいたくなくても、嫌われるのを避け、いい人ぶる。
そのつどYES/NOが言えず、ズルズルとあいまいなまま生きる。
人情的、濃密、計算しない。
従来の日本人の一般的な、考え方。

デジタル人間からは、アナログ人間は、ネバネバして見える。
田舎ぽい。
アナログ人間からは、デジタル人間は、サバサバして見える。
都会ぽい。

++++++++++++++++++

●珍現象

 A氏の家に、東京へ出た息子夫婦が、帰ってきた。
孫も2人、連れてきた。
1年半ぶりの帰郷である。

A氏は現在、65歳。
定年まで、地元のバイク会社に勤めた。
現在は、部品管理会社の守衛をしている。
そのA氏が、こう言った。

(1)息子夫婦は、みやげを何も持ってこなかった。
(2)2人の孫の分だけではなく、息子まで、お年玉を請求した。(A氏の妻が、3万円
渡したという。)
(3)正月に来たといっても、嫁は家事をいっさいしない。子ども(孫)を預けて、
同窓会だの、友人宅回りだのと言って、遊んでばかりいた。(A氏の妻が、料理を用意した。)
(4)A氏夫婦は2人の孫を連れて、近くの遊園地へ行ったりした。
(5)みなでレストランで食事をしたが、息子夫婦は、1円も負担しなかった。
そればかりか、帰りの車のガソリン代を、A氏の妻から受け取っていた。

●意識のちがい

 「どうして?」と理由を聞くと、A氏はこう教えてくれた。
「息子夫婦は、生活がギリギリで余裕がないのです」と。

 それもそのはず。
最近の若い人たちは、給料を手にしても、目一杯の生活を始める。
高級マンションに住み、大型の車を乗り回す。
冷蔵庫、レンジ、エアコン、液晶テレビなどなど。
「あって当たり前」の生活をする。

「それに私の方から遊びにおいでと声をかけた手前上、息子夫婦は、お客様です。
嫁さんに家事をさせたら、息子が怒ります」と。

 A氏の息子夫婦を責めても、意味はない。
つまりこの40年間で、日本人の常識が逆転した。

●40年前

 私たちは6畳と4畳のアパートに住んでいた。
車は買ったが、中古のHONDAの小型車だった。
長男が生まれたとき、そうだった。
収入は人並みにあったが、約半額は、毎月実家の母に届けていた。

 盆暮れには、どんなに忙しくても、時間を作って実家詣でをした。
もちろんみやげも、そのつど持っていった。
帰るときには、少なくとも10万円程度の現金を置いてきた。

 ワイフはワイフで、私の実家へ帰ると、家政婦のように働いた。
ときどき家族を連れて、近くの温泉へ行ったりした。
もちろん費用は全額、私が負担した。
が、私たちだけが特殊というわけではない。
それが当時の「常識」だった。

 が、今はちがう。
意識が180度、変わった。
子どもが親の世話をするのではない。
親が子どもの世話をする。
孫の世話をする。
たった40年で、親子の立場が逆転した。
(たったの40年だぞ!)
原因は、何か?
それが冒頭にあげた、デジタル人間の台頭である。

●ドラ息子

 いつごろから、こうなったのか?

 私が最初に強くそれを感じたのは、すでに30年も前のことである。
当時、昔でいう「ドラ息子・ドラ娘」が、急速に増え始めた。
時はちょうど、高度成長期。
それにつづくバブル経済期。
子どもが生まれると、みなが寄ってたかって、蝶よ花よと、子どもに手をかけた。
金をかけた。
時間をかけた。

 その結果、子どもたちは、自分を中心に世界が回っていると錯覚し始めた。
「もらうのが当然」「してもらうのが当然」と。
その結果が、今。
そのときの子どもたちが、今の親たち。

 正月に実家へ帰っても、ただで寝泊まりする。
親に小遣いを渡すのではない。
親から、さらに小遣いをせびる。
先に書いたA氏の息子夫婦のようなケースは、けっして特殊ではない。
が、悲劇はつづく。

●金の切れ目が、縁の切れ目

 子どもが大学へ入ると、親たちは爪に灯をともしながら、学費を送る。
生活費を送る。
しかしそんな苦労など、どこ吹く風。
子どもたちは、遊ぶ。
ただひたすら遊ぶ。
バイトもするが、それはすべて遊興費のため。

 もちろん勉強の「ベ」の字もしない。
愛だの恋だのと、恋愛ゲームに明け暮れる。
で、何とか卒業。
何とか就職。
で、最後には、ある日突然見知らぬ女性を家に連れてきて、「結婚します」と。

 親の意見を求めることもない。
恋愛を、人生の最大の重要事と考える。
またそれが、す・べ・て。

 で、こんな話を聞いた。

 結婚して間もなくのこと。
B氏の息子が、やはり東京から帰ってきた。
突然の帰郷である。
「どうした?」と聞くと、「結婚式をしたい」と。
「どこでやるのか?」と聞くと、「この浜松でしたい」と。

 で、それについて、結婚式の費用を出してくれないかと。
B氏が、「少しなら負担してやってもいい」と答えると、息子は突然、激怒。
こう言い放ったという。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ。
この浜松でしてやるのだから!」と。

 それ以後、1年以上になるが、息子からは音信なし!
どこかで結婚式をしたらしいが、B氏夫婦には招待状は来なかったという。

 以上の話を読んで、「この息子はおかしい!」と思ったら、あなたはアナログ人間。
「息子の言い分の方が正しい!」と思ったら、あなたはデジタル人間。
さて、あなたは、どちら?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル人間 アナログ人間 どら息子 ドラ息子 親子の絆 はや
し浩司 逆転する親子関係 はやし浩司 ON OFF人間 ON−OFF ON・OF
F人間)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   14日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page021.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。よろしかったら、お願いします。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月1日の予定


 何人か、年始のあいさつに回り、そのあと、映画を観てくる。
『ハリーポッター』。
そのあと今夜は市内の、ビジネスホテルに一泊。
ダブルベッドルームで、5500円。
朝食は無料(クレタケ・イン)。


 明日は、ワイフの兄弟会。
明後日は、N町の友人を訪問。
車で2時間ほど、かかるかな?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
はやし浩司 牧之原市 相模 相模海岸 はやし浩司 2011−01−01


●夫婦げんか


 昨日(1月1日)、ワイフとこんなことを誓いあった。
「もう過去のことを持ち出して、けんかするのはやめよう」と。
というのも、私たちの夫婦けんかのパターンは、いつも同じ。
それには理由がある。


 私は何でも口に出して、パッパッとものを言う。
ワイフは、それに反して、何でも胸の中にためこんでしまう。
それが臨界点に達すると、爆発する。
何を言っても、反発する。
そのときに、いつも過去の話を持ち出す。
「あのとき、あなたは!」と。
私も負けじと、「お前だって!」とやり出す。


 あとはお決まりのエスカレート。
だから誓いあった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ヘリコプターママ】

●溺愛ママの子育てブルース

++++++++++++++++++

ある日、ある母親(47歳)は、娘(22歳)
から、三下半(みくだりはん)を突きつけられた。
娘が大学を卒業した直後のことだった。

江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文書を、
3行半で書いた。
そのことから、そういう。
ふつうは、夫から妻に出す離縁状をいう。

が、実際に、三下半だった。
携帯電話のメールで、娘は母親にこう伝えた。

「今後生涯にわたって、絶縁します。
一切、連絡はしないでほしい。
私を捜すこともしないでほしい。
         ○○圭子」

++++++++++++++++++

●ヤボな話

 これはヤボな話かもしれない。
しかしこういうケースのばあい、母親は、娘を訴えることができるか。
それまでの養育費と学費、それに慰謝料を請求することができるか。
法律的には可能かもしれない。
しかし実際には、子育てに対する構え方によってもちがうが、裁判沙汰にする親は
いない。
泣き寝入りするのが、ふつう。
実際、その母親はそれがきっかけで、うつ病を発症し、気が変になってしまった。

●溺愛の果て

 親が子どもを溺愛して、よいことは何もない。
親はよかれと思い、子どもを溺愛するが、子どものほうこそ、ありがた迷惑。
親が思うほど、子どもは感謝していない。
そればかりか、それを「干渉」ととる。
ある男子高校生は、母親にこう言って叫んだ。

「いつオレが、お前に産んでくれと頼んだ!」と。
母親の存在感が大きすぎた。
その男子高校生は、それに反発した。

●溺愛ママ

 溺愛ママについては、たびたび書いてきた。
全体としてみると、もっぱら、子どもの立場で書いてきた。
しかしここでは親の立場で考えてみたい。
というのも、「溺愛ママ(パパでもよいが)」というと、自業自得と考える人が多い。
子育ての失敗が原因で、結果として、親自身がひどく傷つく。
だから自業自得、と。

 しかしそうとばかりは言えない。
溺愛ママと呼ばれる人は、それなりに愛情も深い。
子育てに没頭する分だけ、子どもに時間とヒマ、それにお金をかける。
子どものためならと、どんな苦労も厭わない。
ただ子どもを溺愛する母親(父親でもよい)には、情緒的な欠陥があることが多い。
未熟性といってもよい。
それが母親をして、子どもを溺愛に走らせる。
が、それは母親自身の責任ではない。
その母親を育てた、両親の責任である。
溺愛ママだけに、自業自得と、責任をおおいかぶせるのは、あまりにも酷。
かわいそう。

++++++++++++++

溺愛ママについて書いた原稿を
さがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●溺愛

親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえ
ば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本
能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類は
とっくの昔に滅亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをい
う。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべ
ればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する
親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに
押しつけているだけ。

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と
意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで
決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子ども
のできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。
その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいて
いは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭
不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子
どもを溺愛するようになる。

 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。

(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、
(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、
(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、
(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体
にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペ
ット児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくまし
さに欠ける。

 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もい
る。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと
自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを
生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離
れる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ブルース

 自分の中に溺愛性を感じたら、子どものためというよりは、自分自身のために、子育て
から離れたほうがよい。
その時期はできるだけ早いほうがよい。
溺愛にのめりこめばのむほど、あとあと傷口が深くなる。

 親が子どもを溺愛して、子どもが親の望み通りになるケースは、100に1つもない。
ご注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 溺愛 でき愛 溺愛ママ でき愛ママ でき愛ママブルース)

●モンスターママvsヘリコプターママ

●ヘリコプター・ママ(Helicopter Mothers in South Korea)

++++++++++++++++++

韓国には、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれる
母親たちがいるそうだ。

「ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、
あれこれ世話をする母親」(朝鮮N報)という意味だ
そうだ。

++++++++++++++++++

朝鮮N報、8月10日付け(2008)に、こんな興味深い記事が載っていた。
少し日本語を読みやすくして、紹介する。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++

ある名門大学の経営学科に通うキム某君(19)は、夏休みを利用してソウル・鐘路にある
有名な公認会計士試験予備校に通っている。母親が「次の学期の"会計原理"の授業で良い

績を取らなければならないから、夏休みに予備校へ通っておく必要がある」という話を周
囲の人たちから聞き、どの予備校が良いか調べた上で、登録までした。

キム君の母親は、息子が次の学期に履修する科目をすべて決めていた。「公認会計士試験に
向け、徹底的に準備するためには、会計分野の専門教育科目が重要だから、この科目は英
語ではなく国語の授業として臨めばよい。○○教授の講義は上手いというから、必ず取らな
ければならない」といった形だ。

 大学1年のチェ某君(19)は、ある金融機関でインターンとして働いている。まず大学
の就職情報センターや学科のホームページで情報を集めた後、「ここ(金融機関)で働いた
経歴は、就職の際に一番プラスになるだろうから、ここへ行きなさい」という母親のアド
バイスを聞き、その通りにしている。チェ君の母親は、息子に代わって自動車教習所の登
録もしている。

 キム君やチェ君の母親のような人が最近増え、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれている。
ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、あれこれ世話をする母親という意味
だ。自分の子どものことを何でもしてあげることで、子どもを「マザコン」に仕立て上げ
ているともいえる。

 ソウル大宗教学科のユ・ヨハン教授は「成績を出した後、教授に直接会って"うちのこの
成績が良くないと、専攻を決める際に人気のない学科に行かされるかもしれないから、成
績を上げてくれ"と懇願する母親もいた」と話す。

 釜山に住む主婦のユン某さん(49)は、大学1年の息子が「ほかの人よりも早く司法試
験の準備をしたい」と言ったため、その願いを叶えるために東奔西走した。息子の軍隊へ
の入隊や大学の休学の時期をすべて調整し、さらに自らソウルへ行って、司法試験の合格
者を多く出しているという冠岳区新林洞一帯の予備校を探し歩いた。

 京畿道に住む主婦キム某さん(54)は、31歳になる会社員の息子の「金融アドバイザー」
だ。銀行や不動産鑑定士に依頼して綿密な分析をし、利回りが良いファンドや株式投資、
積立口座などを選んで、息子に代わって加入するとともに、毎月の収益実績をチェックし
て資金の運用までしている。息子の月給の管理も母親の役目だ。息子が女性と会えば、条
件や趣向などを把握し、引き続き会ってもよいかどうかを息子に言い聞かせてもいる。

 問題はこうした「ヘリコプター・ママ」の下で過保護に育てられた子どもたちが、困難
な状況に直面したとき、自らの力で問題を解決していく経験が絶対的に不足しているとい
うことだ。その子どもたちもまた、「マザコン」になってしまうのではないかという不安を
感じているという。

 高麗大社会学科の玄宅洙(ヒョン・テクス)教授は「就職難が続き、"ニート"が増える中、
子どもが大学を卒業した後の進路を決めることも、親(特に母親)の役目になっている。
母親の"行き過ぎた親心"が、成人した子どもの親への依存度を高め、"一人では何もできな
い"大人に仕立て上げている」と苦言を呈した。

+++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++

日本でいう「モンスター・ママ」に似ている。
少し前は、「教育ママ」と読んだ。
要するに、過干渉、過関心、過保護、それに溺愛を複合した母親ということになる。
本来なら、社会や自分自身に向けるべき生きがいまで、すべて子どもに向けてしまう。
その結果、朝鮮N報にもあるように、子どもは、マザコン化する。
50代、60代になっても、母親のうしろを、いそいそとついて歩いたりする。

が、もちろん、本人自身に、その自覚はない。

自分では、「親孝行の、すばらしい息子」と思っている。
あるいは「自分の親は、自分がそうするに足る、すばらしい親」と思いこんでいる。

問題は、なぜ、こういう母親が生まれるかということ。
それには、社会の不備があげられる。

女性は結婚し、家庭に入ると、その時点から、子どもを産み、子どもを育てる(道具)と
しか見られなくなってしまう。
いくら才能やキャリアがあっても、家庭の中では、それを生かすこともできない。
またその途中で、自分を磨くこともできない。
勉強といっても、せいぜい資格試験のため。
その先がない。

約30%の女性は、それでよいと考えている(某、調査)。
しかし大半の女性は、不完全燃焼症候群の中で、悶々とした日々を過ごす。
それから生まれるストレスは相当なもので、「家庭は、女性にとっては監獄である」と説い
たイギリスの評論家さえいた。

つまりそうしたエネルギーを、すべて子どもに向けてしまう。

モンスター・ママにせよ、ヘリコプター・ママにせよ、ゆがんだ男女差別観が生んだ、犠
牲者にすぎない。

韓国も日本も、この点では、よく似ている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 ヘリコプター
ママ ヘリコプター・ママ モンスター・ママ モンスターママ)

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【離婚問題、私たちのケース】(孤独論)


●初老期クライシス


今日は、明日の初日の出を見るため、
牧之原市相良にある、ペンションにやってきた。
「ワイフが、どこかの海で、初日の出を見たい」と言った。
それでそうした。

ワイフと長男、それに私。
「海まで歩いて、1分」とか。
海が見えるペンションではないが、それは
しかたない。


……ところで日の出は、何時何分か。


今、ふと、そんなことを考える。
朝、6時はまだ、暗い。
6時30分になると、明るくなる。
「6時ごろ起きればいいかな?」と、
そんなことを考える。


車で来るとき、ワイフとこんな話をする。
「初老期になると、さまざまな問題が、
どっと起きてくるね」と。
「みんな、それぞれの方法で、解決して
いるみたいだけど、あまり表には出てこない」とも。


何が問題というわけではない。
しかし初老期の倦怠期は、それまでの倦怠期とは、
大きくちがう。
今までの倦怠期には、「未来」という出口があった。
倦怠期といっても、どこかへ寄り道するような感じだった。
が、初老期の倦怠期には、その「未来」がない。
そのまま暗い袋小路に入ってしまう。
寄り道というよりは、分かれ道。
後戻りのできない、分かれ道。
そのまま離婚してしまう人も多い。


現在の私たちも、そうだ。
私は私。
ワイフはワイフ。
そんな考え方をしているうちに、いつの間にか、
心が離れてしまった。
とくに意見が衝突するというわけではない。
会話が途絶えたわけでもない。
むしろ以前より、よくしゃべる。
が、たがいにどこか理解しあえない。
どこか分かりあえない。
一方的に、私は私の意見を言う。
ワイフはワイフの意見を言う。
それが時として、言い争いになる。
数日前の夜も、そうだった。

 原因は、ささいなことだった。
いつもの夫婦げんかだった。

たがいに言いあっているとき、ワイフのほうから、
こんな言葉が出てきた。
覚悟はしていたが、しかし実際にそう言われると、
その言葉が、槍のように胸を刺す。


「別れましょうか?」と。
おとといの夜のことだった。


●初老期


初老期に、どっとやってくるのが、
初老クライシス。
生活のリズムが、大きく変わる。
夢や希望が消え、生きる目的が見えなくなる。
老後への不安が、それに拍車をかける。
病気があれば、なおさら。
なくても、病気への不安は、いつもそこにある。
が、とくにこわいのが心の病気。
脳の病気。
ボケ。


若いときは気力でそれを乗り越えることができる。
が、加齢とともに、その気力も弱くなる。
ごまかしがきかなくなる。
それまで隠してきた精神的な(もろさ)が、表に出てくる。
中には60歳を過ぎて、人格が極端に後退する人もいる。
そうでなくても、50歳を過ぎると、知力も落ちてくる。
知恵や知識も、脳みその下から、容赦なく、こぼれ出て行く。
まるで穴のあいたバケツのよう。

よい例が、英語の単語。
新しい単語など、100に1つも脳に残らない。
(若いときに覚えた単語は、今でも忘れないが……。)
歌にしても、そうだ。
歌詞を覚えるのに苦労する。
メロディーなど、最近の曲は、楽譜を見ても歌えない。


が、何が怖(こわ)いかと言って、「孤独」ほど、怖いものはない。
孤独に苛(さいな)まれるようになると、目の前で、「死」がちらつくようになる。
自殺の道を選ぶ人も多い。
そうでなくても、心を狂わす。
腐らせる。
この時期、離婚率もピークを迎える。
「熟年離婚」という言葉も定着した。
初老クライスに破れ、40年来の縁を切る夫婦も多い。


そこで孤独論。
初老期イコール、孤独との闘い。
「喪失の時代」と位置づける人もいる。


●孤独論


 大前提として、孤独でない人はいない。
みんな孤独。
みな、孤独が怖いから、それをごまかして生きているだけ。
はしゃいでいるだけ。
楽しそうに見えるが、それは表面だけ。
うわべだけ。
その日、その日をごまかして生きているだけ。
その下では、孤独が渦を巻いている。
その人が落ちてくるのを、「今か、今か」と、そこで待っている。
手招きをしながら、待っている。


孤独であることを、隠す必要はない。
恥じる必要はない。
あなたは悪人でも、罪人でもない。
ごくふつうの人。
ごくふつうの人だからこそ、孤独になる。


 たしかに孤独は、怖い。
恐ろしい。
足下をすくわれるような恐怖感。
が、怖いからといって、逃げてもしかたない。
もがいては、だめ。
苦しんでは、だめ。
逃げれば逃げるほど、孤独はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
追いかけてくる。
もがけばもがくほど、苦しめば苦しむほど、あなたは心をむしばみ、やがて「死」を
考えるようになる。
「孤独」は、いわばガン細胞のようなもの。
心のガン細胞。
あなたを食いつぶし、やがて自らも命を絶つ。


孤独になったら、静かに身を任す。
流れに身を横たえ、流れに身を任す。
身を任せ、とことん孤独の世界に身を横たえる。
行き着くところまで行き着けば、やがて身は止まる。
必ず、止まる。
それまでは苦しい。
苦しいが、歯をくしばる。


が、孤独は、真理を開く扉。
真理にたどりつくための関門。
第二の産道。
母の胎内から外に出るのが、第一の産道。
孤独の世界から真理の世界に出るのが、第二の産道。


とことん孤独になる。
ドン底に落とされる。
そのとき、その先に小さな光が見えてくる。
それが愛という希望の光。
『絶望した人間だけが、その先に希望を見る』と
言った賢人がいた。
同じように、『孤独をくぐりぬけた人間だけが、
真理を知る』。


その世界を見たとき、あなたは大粒の涙を流すだろう。
熱い涙。
そのときは、泣きたいだけ、泣けばよい。
大声で、泣きたいだけ、泣けばよい。


♪孤独、
孤独は、いやなもの。
孤独、
孤独は、つらいもの。
だけど、孤独から逃げてはいけない。
孤独、
孤独は、恐ろしい。
逃げれば逃げるほど、
キバをむく。
あなたに襲いかかってくる。
孤独、
孤独は真理に至る、関門。
一度は通り抜けなければならない、関門。


あのイエス・キリストですら、
孤独に苦しんだ。
「ハンガー(飢え)」という孤独に苦しんだ。
その結果、「愛」にたどり着いた(マザーテレサ)。


♪父は死んだ。
母も死んだ。
友も死んだ。
ワイフは去っていった。
息子たちも去っていった。
残されたのは、私だけ。


私は孤独におびえ、
身を震わす。
誰も愛することができない。
誰にも愛されない。
それが無間地獄。

が、私たちが探し求めている真理は、その向こうに隠されている。
言うなれば、孤独は真理を取り囲む「砦(とりで)」。
巨大な砦。
戦っても、あなたに勝ち目はない。
勝つ必要もない。
あなたはただ静かに、それを受け入れればよい。
それであなたはその砦を、粉々にすることができる。


私はさみしかった。
いつもひとりぼっちだった。
心を開くこともできず、
だれにも心を開かせなかった。


私は孤独だった。
毎晩、暗闇の中で、
体を丸めて眠った。
助けを求めた。
だれも答えてくれなかった。


が、今は、ちがう。
私はその向こうに、小さな光を見た。
「希望」という名の、小さな光を見た。


うれしかった。
心が軽くなった。
穏やかで、やさしくなった。
安らいだ気持になった。


その夜も、ワイフは私に背を向けて寝ていた。
体を固くしていた。
このところ同じふとんの中でも、どうも居心地が悪い。
一体感が消えた。

私はそっとワイフの背中に手をかけた。
反応はなかった。
もう一度、そっと手をかけた。
うるさそうに、ふとんの中に顔をもぐらせた。

そのとき私はこう言った。
「やっぱり、離婚するのはよそう」と。
ワイフは、「ウン」とうなずいてくれた。


(2010年12月31日夜、牧之原市相良・ペンション・リリカルにて)



(はやし浩司 孤独論 孤独 孤独は第二の産道 孤独は関門 孤独という砦 孤独は
第二の関門 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●1月1日


 今日から2011年。
「2010年」は過去になった。
時刻は、午前5時53分。
私はベッドの中。


 トリプル・ルームということになっている。
しかしひとつは、子どもの2段ベッド。
そこで昨夜は、2つのベッドをひとつにし、私とワイフ、それに長男の3人で
雑魚寝をすることにした。
こんな寝方をするのは、30年ぶり?
長男の横顔が、子どもの顔に見えた。
いとおしさが、ググーッとわいてきた。


 もうすぐ6時になる。
起きて支度をしなければならない。
今日の初日の出は、ビデオに収め、YOUTUBEにアップする。
が、ワイフは横で、いびきをかいて眠っている。


 部屋は西向きで、空の様子がわからない。
それに今朝も冷え込んでいる。
外は寒そう。


●読み直し

 
 することもないので、暗闇の中で、パソコンを開く。
昨夜書いた原稿を読み直す。
そのあと、先の文を書く。


 時刻は午前6時を過ぎた。


 もう5〜10分もしたら、起きよう。


(ぼんやりとしたまま、時間だけ過ぎる。)


 初老期を総括すると、こうなる。


「何かをしなければならない」「しかし何をしたらよいか、わからない」
「何かができるはず」「しかし何をしても、空回り」


そういう思いが頭の中で、堂々巡り。
そのうち精神がよどんでくる。
腐ってくる。
取り越し苦労とヌカ喜び。
この2つを、繰り返す。


 一本の筋道が見えてくればよい。
その道筋が見えてこない。
それが初老期。
……というか、私の知る初老期。


 初老期のみなさん、
苦しいのは、あなただけではない。
さみしいのは、あなただけではない。
みんな、そうだ。


 新年、あけまして、おめでとうございます。
新年早々、暗い話で、すみません。
我が家もいろいろあります。
外から見ると、幸福そうな家庭に見えるかもしれませんが……。


 大切なのは、ドラマ。
そのドラマに生きる価値があるのですね。
だから失敗を恐れない。
いつもそこを原点にして、前に進む。
それが人生ですね。


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   11日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実例

 こんな話(例1)

 その男には、子どもがいた。
若いころ、たまたま遊んだ女性との間にできた子どもである。
しかしその男は、そのことを告げないで、相手の女性と結婚した。
で、それから20年。
ある日、突然、その子どもがその男の前に名乗り出た。
「私はあなたの子どもです。母から、聞きました」と。
そのことが、妻の耳にも入り、家の中は大騒動。
妻は、「娘(当時10歳)が、中学を卒業したら離婚する」とまで言い出した。

 こんな話(例2)

 その女性は結婚してからも、妊娠できず、病院通いをしていた。
表向きは「不妊症」と言っていたが、実際は「アッシャーマン症候群」。
若いころの中絶のときの処置が不適切で、子宮の内膜に傷がついてしまった。
「子宮腔癒着症」とも呼ばれ、子宮の内膜がうまく成長することができなくなる病気を
いう。
排卵などは正常に行われるのだが、着床がしにくくなる。
中絶や流産が必ずしも不妊症につながるというわけではないが、ここにあげたような
ケースは少なくない。

女性の両親は、それを知っていた。
知らないのは、夫だけ。
現在の今も、妻と不妊教室に通いながら、子ども作りに励んでいるという。


●本来なら……

 本来なら、こうした過去は、結婚時、あるいはその前に相手に話すのがよい。
(私は、話すべきと思うが……。)
「ぼくには別に子どもがいる」「私は若いころ中絶したことがある」と。
その上で、たがいに納得した上で、結婚する。
それをしないというのは、それ自体、不作為による背信行為ということになる。
(「不作為」というのは、法律用語で、「本来ならすべきことをしないで」という意。)

 が、問題は、父親にせよ、母親にせよ、それを知っていたばあい。
いろいろなケースがある。

 こんな話(例3)

 息子の嫁が自宅に泊まったときのこと。
母親は、嫁の体に妊娠線(妊娠した経験のある女性に現れる、特有の線模様)が
あることを見てしまった。
しかし息子は、それに気づいていない。
妊娠線がどういうものであるかすらも知らない。

 こういうケースのばあい、たいていの親は、そのまま黙ってしまう。
大切なことは、息子にせよ、娘にせよ、幸福な家庭を築くこと。
だれにもひとつやふたつ、過ちや失敗(?)はある。
母親はその事実を、墓場までもっていくことにした。
嫁は嫁で、生涯、それについて夫に話すことはないだろう。

 こんな話(例4)

 相手の娘には、重度の人格障害があった。
子どものころは、不登校を繰り返し、それが終わると今度は、家庭内暴力。
家の外ではおとなしかったが、家の中では暴れた。
青年期に入ると引きこもりを繰り返し、定職にも就かなかった。
病院で、うつ病の薬を処方してもらっていた。

 が、結婚。
自分の息子が、「どうしても」というので、結婚した。
かなり資産家だった。
両親は興信所を使って、相手の女性、つまりその娘について調べた。
その娘の過去を知った。
が、いくら説得しても、息子は、「結婚する」と。
相手の両親にも、それとなく反対の意思を伝えた。
が、相手の両親は両親で、「良縁です」「良縁です」と喜ぶだけ。
話し合いにならなかった。

 現在、息子夫婦は同じ市内に住んでいるが、行き来は途絶えた。
子ども(孫)も2人生まれたが、この5年、会っていないという。

●誠実

 誠実に生きるというのは、むずかしい。
が、こんな皮肉な話を耳にしたことがある。

 「不倫相手の方が、何でも話せる」と。
つまり相手が不倫相手だと、夫や妻にさえ話せないような話でも、話せる、と。
これはどういう心理によるものなのか。
ワイフに相談すると、ワイフがこう教えてくれた。

「不倫という罪深いことをたがいにしているから、罪の意識が薄れるんじゃ、
な〜い?」と。

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
「だったら、はじめっから、不倫相手と結婚すればいいのに」と私。
「そのほうが、たがいに誠実でいられる」と。
 
 ともかくも、こうして男と女のドラマが始まる。
またそうであるから、10組の夫婦がいれば、10通りのドラマが生まれる。
が、それが人生。
人間の人生。
みな、同じようだったら、つまらない。
おもしろくない。

 ほかにもいろいろ書きたいことがあるが、今朝はここまで。

 みなさん、おはようございます。

2010年12月25日朝記


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【子どもの自己主張】

●自己主張する幼児たち(年中児、3〜5歳児)@BW幼児教室(子どもクラブ)
 はやし浩司 2010−12ー24 Hamamatsu Japan

(YOUTUBEより)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/aAWwn5YMWj0?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/aAWwn5YMWj0?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/XVX5biFmAvE?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/XVX5biFmAvE?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/QInBEXBm8fA?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/QInBEXBm8fA?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/kj7dQ5CQ6XQ?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/kj7dQ5CQ6XQ?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教え育てる?(教育の原点とは)

++++++++++++++++++++

日本の教育は、「教え育てる」が基本になっている。
だから「教育」という。
しかしこの教育法は、日本では通用しても、
外国では通用しない。

英語国では「education」という。
「educe(引き出す)」が語源になっている(TK先生指摘)。
つまり引き出す。
「ちがいは何?」と考える人も多いかもしれない。
が、ちがいは、大きい。

わかりやすく言えば、本山教育が日本の原点。
「頭から小僧に叩き込む」。
それが教育。

一方欧米では、「引き出す」。
そのため「debate(討論)」が、教育の重要な柱になっている。
欧米の教育は、討論に始まり、討論に終わる。
ペーパーワークなど、たまにしか、しない。

韓国の朝鮮N報(新聞)の一部を紹介する。
日本の現状を客観的に見ている。

++++++++++以下、韓国・朝鮮N報、一部抜粋+++++++++++

米ハーバード大のマイケル・サンデル教授による「正義論」の授業は、大教室で熱い討論
が繰り広げられることで有名だ。
教室を埋め尽くす学生たちの国籍は多種多様で、これも授業の特徴の一つとなっている。
アジア系の学生も多い。だが、討論の場に日本人学生の姿はほとんど見られない。
昨年の時点で、ハーバード大に在学中の外国人学生(学部生)666人のうち、韓国人が42
人、中国人が36人、シンガポール人が22人、インド人が20人だったのに対し、日本人は
わずか5人だった。

++++++++++以上、韓国・朝鮮N報、一部抜粋+++++++++++

●幼児教室でも

 私が主宰する幼児教室でも、討論を大切にする。
子どもたちに活発に発言させる。
ペーパーワークは、子どもたちを抑えるときに利用する。
(詳しくは、BW公開教室を観てほしい。
http://bwhayashi.cool.ne.jp/index.html
より)

 しかしこの方法は、親たちには、受けがよくない。
「勉強というのは、机に向かってペーパーワークをするもの」という、明治以来の、
(あるいはそれ以前からの)、詰め込み教育が「教育」の柱になっている。
親たちもまた、それが教育と思い込んでいる。
反対にペーパーワークが多ければ多いほど、「プリントという証拠が残るため?」、
親は喜ぶ。

 しかし現実には、ペーパーワークをさせることほど、楽な指導法はない。
教師は座って、○×をつけるだけ。

●討論しない日本人

 日本の学生が討論しないというのは、世界の常識。
どこへ行っても、静かでおとなしい。
学生だけではない。
国際会議のような席でも、みな、ニンマリと笑いながら、座っているだけ。
それを朝鮮N報は、「討論の場に日本人学生の姿はほとんど見られない」と評した。
事実、その通りだから、これについては、反論のしようがない。

 が、これを日本の教育の欠陥と言わずして、何という。
むしろ日本人は、(日本の教育者は)、自己主張する子どもを嫌う傾向にある。
そのことも、私の「公開教室」を観てもらえばわかる。
幼稚園や、学校教育とのちがいが、わかってもらえる。
私の教室では、静かに黙って教育を受けるような子ども(幼児)はいない。

 が、それだけではない。
つまり討論するかしないかは、「個」の問題と深く結びついている。

 そう言えば、これについてはいろいろな原稿を書いてきた。
いくつかを探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●大河ドラマ(2007年5月に書いた原稿より)


 「絶対、見ないぞ」と思っていたが、チャンネルをかえるついでに、NHKの大河ドラ
マを見た。……しばらく見てしまった。何かの評定会議をしているシーンだった。

 それを見て、びっくり。10年前の大河ドラマとそっくり。20年前の大河ドラマとそ
っくり。

 武将たちが、それぞれ自分のセリフを言っていたが、その言い方が、ワンパターン。実
にワンパターン。あんな演技なら、私にだって、できる。あなたにだって、できる。武将
というのは、こういうものの言い方をするものだというような、決められた言い方。こう
いうときには、こういう表情をするものだという、実にわざとらしい演技。

 自然さが、どこにもない。人間味が、どこにもない。

 私も、20年ほど前のことだが、その会社の命運を決するような会議に出させてもらっ
たことがある。昨日の大河ドラマのように、そこには、15人前後の役員が集まっていた。
そして同じように、自分の意見を述べあっていた。

 しかし雰囲気は、まるでちがう。それぞれの人が、それぞれの立場で、自分の意見を述
べていた。どこかへつらいがちに、ものを言う役員。頭を下に向け、ポツリ、ポツリとし
ゃべる取締役社長。だまりこくったまま、ため息ばかりつく、別の役員などなど。大河ド
ラマの監督も、一度、そういうシーンをどこかで見てくるとよい。

 領地を取っただの、取られただの、まるで餓鬼の会議。そこには、一片の正義もない。
何のために、戦っているのか、戦うのか、その大義名分すら、ない。まったく、ない。民
衆のために闘うとか、民主主義のために戦うとか、はたまた自由を求めて戦うというのな
ら、まだわかる。しかしそういう正義は、まったく、ない。

 要するに、みな、我欲の追求だけが目的。そのための会議。のどに力を入れて、力んで
いるだけ。見ているうちに、あのK国の軍人たちを連想してしまった。

 大河ドラマというのは、こういうものでございます……という、まさに型にはまった演
技。どうしてNHKは、10年一律のごとく、同じような番組ばかりつくるのだろう。

++++++++++++

以前(1999)、書いた原稿を
添付します。

++++++++++++

●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーン
だが、欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過
ごすということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解でき
る。しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐
をするのか」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」と
いうことになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を加
えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、
あたかも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、
一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府
時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、
伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的な
ことを教えるのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本
では学歴を身につけるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。
欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメ
リカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言
し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の
基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出
す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地
ほどの開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになって
いる」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこ
で「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてく
れた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太
子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュ
ラムを学校が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、
と。そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもら
いたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●大学生の親"貧乏盛り"

 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均1
1万7000円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけ
ではすまない。

アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に40〜5
0万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネッ
トも常識。
…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。世間
は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! 

 そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学
生、親、貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。

 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、
さがさなければならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税
法上の控除制度があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。

しかも、だ。日本の対GNP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少
ない。
欧米各国が、7〜9%(スウェーデン9・0、カナダ8・2、アメリカ6・8%)。日本は
この十年間、毎年4〜5%前後で推移している。

大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少ないということは、それだけ親の負担
が大きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀行の救済のためだけに、4兆円
近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国200万人の大学生に、一人当たり2
00万円ずつの奨学金を渡せる!

 が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育と
いうのはそういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への
隷属意識は、世界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)
き込まれている。

いまだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本
人のこの後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、
あくまでも個人的利益の追求の場と位置づけている。

 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と
考えている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こうい
う冷淡さが積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。

 日本の教育制度は、欧米に比べて、30年はおくれている。その意識となると、50年
はおくれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。

「こんなところで、子どもを育てたくない!」と。

「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがいろいろあ
って、そう言ったのだろう。が、それからほぼ30年。この状態はいまだに変わっていな
い。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、
孫を育てたくない」と。

 私も3人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであ
ろう孫のことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。
(1999年ごろ記)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●引く文化・押す文化

 日本の子どもは、消しゴムのカスを、手前に払って、机の下に落とす。欧米の子どもは、
向こう側に払って、机の上に残す。

考えてみれば、不思議なことだ。教えなくとも、日本の子どもたちは、いつの間にかそう
するようになる。考えてみれば、日本の刀は、手前に引きながら、相手切る。欧米の刀は、
相手のほうに突き刺しながら切る。ノコギリもそうだ。日本では引きながら切る。欧米で
は押しながら切る。

これを称して、日本の文化は「引く文化」。欧米の文化は「押す文化」と言った人がいた。
たとえば「庭」。日本では、庭をつくるとき、視点を家の中に置く。つまり家の中に美しさ
を、引きこむようにして庭をつくる。欧米は反対に、外に向かって庭をつくる。

わかりやすく言えば、通りから見た美しさを大切にする。何でもないようなことだが、こ
うした文化は、教育にも大きな影響を与えている。

 日本人は、周囲の価値を、自分の中に引きこむことを美徳とする。内面世界の充実を大
切にする。一方、欧米では、自分の価値を、相手に訴えることを美徳とする。

日本人はディベイト(討論)がヘタだと言われているが、そもそも国民性が違うから、し
かたない。いや、長い間の封建制度が、日本独特の国民性を作った。自己主張をして波風
をたてるよりも、ナーナーですまし、「和」をもって尊しとすると、日本人は考える。

つまりそもそも風土そのものが、「個」を認める社会になっていない。特に教育の世界がそ
うだ。徹底した上意下達方式のもと、親も子どもも、いつもそれに従順に従っている。文
部省が「体験学習だ」と言えば、体験学習。「ボランティア活動だ」と言えば、ボランティ
ア活動。いつもすべてが全国一律に動く。親の側から、教育に注文をつけるということは、
まず、ない。

そういう意味でも、日本人は、まだあの封建制度から解放されていない。体質も、それか
ら生まれるものの考え方も、封建時代のままといってもよい。言いかえると、日本の封建
時代が残したマイナスの遺産は、あまりにも大きい。

 ……と悩んでもしかたない。問題は、こうした封建体質から私たちをいかにして解放さ
せるか、だ。一つの方法として、あの封建時代、さらにその体質をそっくりそのまま受け
継いだ明治、大正、昭和の時代を今ここで、総括するという方法がある。歴史は歴史だか
らそれなりに正当に評価しなければならない。しかし決して美化したり、茶化したり、歪
曲してはならない。

たとえば2000年のはじめ、NHKの大河ドラマにかこつけて、この静岡県で、『葵三代、
徳川博』なるものが催された。たいへんなにぎわいだったと聞いているが、しかしそうい
う形で、あの封建時代を美化するのはたいへん危険なことである。

あの世界にも類をみないほどの、暗黒かつ恐怖政治のもとで、いかに多くの民衆が虐げら
れ、苦しんだか、それを忘れてはならない。一方、徳川家康についても、その後、300
年という年月をかけて、つごうの悪い事実は繰り返し抹消された。

私たちが今もつ「家康像」というのは、あくまでもその結果でしかない。つまりこうした
ことを繰り返している間は、私たちはあのマイナスの遺産から抜け出ることはない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育ての原点

 スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。ヤマバトが来ても逃げない。しかしモズが来る
と、一斉に逃げる。モズは肉食だ。しかしではなぜ、スズメは、そんなことを知っている
のか。それは本能によるものなのか。それとも学習によるものなのか。

 スズメは子育てをする一時期を除いて、集団行動をする。それはよく知られた習性だが、
子育てのときもそうだ。子スズメたちは、いつも親スズメのあとをついて飛ぶ。そして親
スズメに習って、エサの取り方や食べ方を学ぶ。そのときのことだ。

モズが来ると、親スズメがまず逃げる。そしてそれを追いかけるようにして、子スズメも
逃げる。スズメたちがモズから逃げるのは、本能によるものではなく、学習によるものだ。
本能によるものなら、親スズメと同時か、場合によっては、親スズメより先に逃げるはず
である。

 実は「子育て」の原点はここにある。教育の原点と言ってもよい。親は子どもを育てな
がら、まず命を守る方法を教える。危険なものと、そうでないものを教える。将来生きて
いくために必要な知識を、子どもたちに教える。経験を伝えることもある。子どもたちは、
そういう知識や経験を武器として、自分たちの世代を生きる。そして親になったとき、自
分たちが教えられたようにして、次の世代に知識や経験を伝える。

が、この図式通りいかないところが、人間の世界だ。そしてこの図式通りでないところに、
子育てのゆがみ、さらに教育のゆがみがある。

その第一。たとえば今の日本の子どもたちは、家事をほとんど手伝わない。すべき家事す
ら、ない。洗濯は全自動の洗濯機。料理も大半が、電子レンジで温めればすんでしまう。
水は水道、
ガスはガス管から運ばれる。掃除も、掃除機ですんでしまう。幼稚園児に、「水はどこから
来ますか」と質問すると、「蛇口!」と答える。

同じように野菜はスーパー、電気は電線となる。便利になったことはよいことだが、その
便利さに慣れるあまり、「生きることの基本」を忘れてしまっている。そして他方で、必要
でもないような知識を、人間形成に必要不可欠な知識と錯覚する。よい例が一次方程式だ。
二次方程式だ。

私など文科系の大学を出たこともあって、大学を卒業してから今にいたるまで、二次方程
式はおろか、一次方程式すら日常生活で使ったことは、ただの一度もない。さらに高校二
年で微分や三角関数を学ぶ。三年では三角関数の微分まで学ぶ。

もうこうなると、教えている私のほうがバカバカしくなる。こんな知識が一体、何の役に
たつというのか。こうした事実をとらえて、私の知人はこう言った。「今の教育には矛盾と
錯覚が満々ている」(学外研・I氏)と。

 教育、教育と身構えるから、話がおかしくなる。しかし子どもたちが自立できるように、
私たちが得た知識や経験を、子どもたちに伝えるのが教育。そしてそれを組織的に、かつ
効率よく、かたよりなく教えてくれるのが学校と考えれば、話がスッキリする。子育てだ
ってそうだ。将来、子どもたちが温かい家庭を築き、そしてそれにふさわしい親として子
育てができるようにするのが、子育て。そういうふうに考えて子育てをすれば、話がスッ
キリする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 教育の原点 和をもって尊し educe education 個の教育)

●討論を大切に

 「もの言わぬ従順な民」の時代は、もう終わった。
またそういう子どもを求めてはいけない。
少なくとも、そういう人間は、世界では通用しない。
日本の中では、それでよいとしても、一歩、外に出れば、そこは修羅場。
百戦錬磨の怪獣たちが住む、修羅場。
もの言わぬ従順な民が、どうしてそういう怪獣たちを相手に、勝負できるか。

 現在の教育のあり方を、基本的な部分から、もう一度ながめ直してみる必要がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Active Learning(生きた教育)vs Silent People(もの言わぬ民)

++++++++++++++++++++++++

バートランド・ラッセルは、つぎのように述べている。

Passive acceptance of the teacher's wisdom is easy to most boys and girls.
教師の知恵をそのまま受け入れることは、生徒たちにとっては楽なこと。
It involves no effort of independent thought, and seems rational because the teacher 
knows more than his pupils; it is moreover the way to win the favor of the teacher 
unless he is a very exceptional man. 
自分で考えるという努力を必要としないし、それに教師は生徒たちよりもよく知っている
という点で、教師のもつ知恵は、より道理的である。
Yet the habit of passive acceptance is a disastrous one in later life. 
が、ものごとを受動的に受け入れるという習慣は、あとになって、たいへんなことだとわ
かる。
It causes men to seek a leader, and to accept as a leader whoever is established in that 
position... 
受動的であると、リーダーを求めるようになり、その地位にある人ならだれであっても、
その人をリーダーと受け入れてしまうようになる。
It will be said that the joy of mental adventure must be rare, that there are few who can
 appreciate it, and that ordinary education can take no account of so aristocratic a good.
精神的な冒険による喜びというのは、稀なことであり、それゆえにそれを楽しむ人はほと
んどいない。そのためふつうの教育というのは、規律正しく貴族主義的であればあるほど、
よいと言われる。
I do not believe this.
しかし私は、こんなことを信じない。
The joy of mental adventure is far commoner in the young than in grown men and 
women. 
若い人たちのほうが、成人した人たちより、ずっとしばしば、精神的な冒険の喜びを経験
している。
Among children it is very common, and grows naturally out of the period of 
make-believe and fancy.
幼い子どもたちほどそうで、成長とともに、空想の世界から自然と抜け出ていく。
It is rare in later life because everything is done to kill it during education... 
むしろ歳をとればとるほど、教育を通して、それをつぶされてしまうため、そういうこと
が稀になる。
The wish to preserve the past rather than the hope of creating the future dominates the 
minds of those who control the teaching of the young.
未来を創造するという希望よりも、過去を保全するという願いのほうが、若い人たちを教
育する教師の心を、より強く支配する。
Education should not aim at passive awareness of dead facts, but at an activity directed 
towards the world that our efforts are to create. 
教育というのは、死んだ事実を、生徒たちに押しつけることを目的としてはいけない。そ
うではなくて、私たちの努力が創りあげる世界に向かって、生徒たちを活動的にすること
を目的としなければならない。

++++++++++++++++++++ 

●死んだ教育vs生きた教育

 教師はどうしても、保守主義に陥りやすい。
「教育」本来のシステムそのものが、そういう趣旨から出発している。
とくに日本のばあい、明治以来、「教え、育てる」が、教育の基本になっている。
最初に「教科書」を用意し、それを子どもたちに植えつける。
それが教育の基本になっている。

 しかしオーストラリアでは、(当時は批判的な声も多く聞かれたが)、すでに小学3年生
まで、教科書を使っていなかった(南オーストラリア州)。
それも私が直接確認したのは、25年以上も前のことである。
(最近のことは、知らない。)
また「教科書」という概念ではなく、彼らが使っているのは、「テキスト」である。
テキストブック、イコール、教科書ではない。

 つまり世界的にみれば、日本の教育はバートランド・ラッセル風に言えば、「死んだ教育」
ということになっている。
それが、基本になっている。
「創りあげる教育」ではなく、「上から下へ、押しつける教育」。
だからおもそろくない。
つまらない。

だから子どもたちは、よくこう言う。
「まだ、習っていない!」と。
何か新しい漢字を書かせようとしたり、新しい問題を解かせようとしたとき、など。
決まって、そう言う。
教育の受け方そのものが、受動的。
わかりやすく言えば、小学低学年時においてすら、すでにそう飼い慣らされてしまってい
る!

●では、どうするか?

 教科書の廃止は当然としても、それに代わるシステムを創りあげなければならない。
「指針」のようなものでよい。
また教育現場にダイナミズムをもたらすために、EUのように大学の単位を共通化する。
同時に教育のクラブ化を進める。
重要な必須科目は、「学校」という場で教える。
しかしそうでない科目は、学校を離れたクラブで教える。
クラブを選ぶのは、子どもたちの自由。

 フランスに住んでいるSさんは、最近、こんなメールをくれた。
「(2人)の子どもたちは、自転車クラブに夢中です」と。
まだ小学生である。
そういう子どもたちが、クラブを通して、夢中になれるものをもっている。
それをすばらしいと言わずして、何という。

 もちろんその前に、やるべきことがひとつある。
職業の公平化である。

 親たちは日々の生活を通して、社会の「格差」「差別」「不公平」を、いやというほど、
感じ取っている。
こうした問題を解決しないまま、今、教育を自由化すれば、いわゆる受験産業だけが「ク
ラブ」になってしまう。
それでは元の木阿弥。

 が、皮肉なことに、この日本では、そうした格差、差別、不公平の恩恵を受けているの
が、官僚たち、なかんずく文部科学省。
天下り先として機能している外郭団体にしても、ダントツに多い。
1800団体近くもある。
中には、ほとんど意味のない団体もある。
こうした団体が、日本の教育をがんじがらめにし、硬直化させている。
1500年もつづいた日本の官僚制度の壁は、あなたが考えているより、はるかに厚い。

 その結果、どんな子どもが生まれるか?
それはあなた自身が、いちばんよく知っている。
「もの言わぬ、従順な民」。
あるいは、「もの考えぬ、従順な民」でもよい。
それがあなた自身ということになる。

 日本の教育を真正面から批判してみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 生きた教育 バートランド・ラッセル もの言わぬ従順な民 格差 差
別 自由な教育論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●12月27日(今年も秒読み段階)

 今日は12月27日、月曜日。
朝、ふとんの中でモジモジしていたら、午前8時になってしまった。
あわてて起き、そのままウォーキングマシンへ。
今朝は20分で切り上げた。

 ワイフが朝食を用意してくれていたので、急いで食べた。
書斎へ入ったのは、そのあと。
いくつかのメールが届いていたので、返事を書く。
ニュースを読む。
で、今朝は「姓名判断」について書いた。
それが先の原稿。

●総括

 あと丸5日、ある。
2010年が終わったわけではない。
だからまだ2010年を総括したくない。
この5日に、全精力を傾けたい。
1日、1日を大切に生きたい。

 数年前までだと、この時期は正月の準備に明け暮れた。
いっぱしに、餅つきもしたりした。
そう言えば、年賀状を書くのも、1週間仕事だった。
私が絵柄を描き、ワイフが宛名を書いた。
居間の床が年賀状で、埋まった。

が、今は、プリンターで簡単にできる。
昨夜遅く、印刷を始めたが、片手間。
私がしたことと言えば、ときどき年賀状をトレイに補充することだけ。
「こんなことでいいのかなあ」と思いつつの作業だった。

 こんな年賀状なら、あまり意味はない。
ただの印刷物。
儀礼的印刷物。
こんなことを繰り返しても、「大切に生きた」という喜びにはつながらない。

●あと5日

 もしあなたが「余命はあと5日です」と宣告されたら、あなたなら何を、どうする
だろうか。

 ウーン。
私なら、身辺の整理を始める。
とくに原稿の整理。
私の書いた原稿こそが、まさに私の「墓石」。
最後にその墓石を磨く。

 別れの手紙を書くかもしれない。
友人や家族、それに親しかった人たち。
そういう人に手紙を書く。

すべてを許し、すべてを許してもらう。
許してもらえないかもしれないが、許しを乞う。

 あとはその瞬間、瞬間、思いついたことを文にする。
死ぬ間際まで、文を書く。
激痛がなければ、幸い。
頭と手が動けば、幸い。
目が見えれば、幸い。

 ……明後日で、今年の仕事はおしまい。
それがすんだら、やはり原稿の整理を始める。
あちこちに分散している原稿を、ひとつのまとめ、DVDに焼く。
HPも整理する。

 この世界、まさに『金の切れ目が縁の切れ目』。
プロバイダーへの支払いが止まれば、HPも削除される。
もっとも墓石という「石」ですら、やがて朽ちてぼろぼろになる。
私の書いたものにせよ、10年ももてば、御の字。
100年後に、1文でも残っていれば、それが「はやし浩司」。
「私」が生きたという証(あかし)。

 残りの5日間は、その1文を残すために、全力を傾ける。
しかしどうすれば、1文を残すことができるか。
方法のひとつは、二男に頼むこと。
DVDに焼いた原稿を、30年後、50年後に、再び、アップロードしてもらえばよい。
ナルホド。
これはよい方法だ。
あとで二男に相談してみよう。

 この広い宇宙。
とてつもなく広い宇宙。
その宇宙の、ゴミにもならない小さな惑星で、私は生まれ育った。
そしてゴミにもならない文章を書きつづけた。
あとの判断は、これから生まれ育ってくる人たちに任せればよい。

 ともかくも、私はこの5日間で、完全燃焼すること。
来年は、ない。
明日も、ない。
あるのは、今日だけ。
この瞬間だけ。

がんばるぞ!

2010年12月27日朝記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 2010−12−27)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12月28日

+++++++++++++++++++

我ら団塊の世代は、ぜいたくをすることに、
罪悪感を覚える。
悲しき、かつ、貧しき世代。
「ひもじさ」が身にしみている。

戦後のあの時代を知るが故に、現在のこの
繁栄に、おぼつかなさを覚える。
もう少し平たく言えば、いつ何時、あの
時代に逆戻りしてもおかしくない。

そういう不安感を、いつも抱えている。
だからぜいたくが、できない。
ぜいたくをすることに、罪悪感を覚える。

++++++++++++++++++++

●嫁vs姑戦争

 嫁と姑(しゅうとめ)が、仲よくいっているケースは、今、ほとんどない。
なぜか。

 姑にしてみれば、自分の息子は、「自分のモノ」。
その「モノ」が、ある日突然、嫁に取られてしまう。

 一方、嫁にしてみれば、夫は「自分のモノ」。
子どもができれば、なおさら。
夫をはさんでの争奪戦が始まる。

 ……とまあ、簡単に言えば、そういうこと。
そこで大切なことは、この「モノ」意識を、できるだけ早く解消すること。
たとえば今、あなたが自分の子どもを育てているなら、自分の意識の中に、
「モノ意識」がないかどうか、一度、探ってみるとよい。
「私の子ども」と、いつも「私の」をつけている人ほど、あぶない。

 子どもはたしかに、あなたから生まれたかもしれない。
腹も痛めた。
苦労もした。
しかしあなたの「モノ」ではない。
わかりやすく言えば、いつかは去っていく。
そういう存在。
そう考えて、その年齢になったら、その覚悟と準備を始める。
幻想は、禁物。
期待は、禁物。
それはちょうど、宝くじのようなもの。

 当たれば、それでよし。
はずれても、がっかりしない。
当たることを、過度に期待しない。

それよりも重要なことは、あなたはあなたで自分の人生を組み立てる。
前向きに生きていく。
つまり子どもという「モノ」など、相手にしない。
これは老後のあなたの心を守るために、とても大切なことのように思う。
理由が、ある。

 いくら戦争をしても、姑には勝ち目はない。
どうせ先細りの人生。
その先は、真っ暗。
戦争をして、惨めな思いをするのは、いつも決まって姑。
あがけばあがくほど、墓穴を掘る。

 今日もあちこちで、嫁vs姑戦争がくり広げられている。
あなただけが無事ですむという保証は、どこにもない。
だから今が、大切。
コツは簡単。
「限度をわきまえ、子育てにのめり込みすぎない」(ラッセル)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 嫁姑戦争)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●今朝も寒かった

 今朝は5時半ごろ、目が覚めた。
が、床から起きたのが、午前7時すぎ。
ふとんの中で、PSP将棋を相手に、2試合。
1勝1敗。
将棋を指しながら、ワイフとバカ話。

 で、話題は餅つき。
「どうしようか」「どうしよう」「やっぱりしよう」と。

 電気の餅つき機はあるが、最後の仕上げはいつも、臼(うす)でしている。
毎年1臼だけ。
それでも臼でしている
臼でついた餅は、ねばりがちがう。

 起きてから、すぐウォーキングマシンで運動。
10分もすると、全身から汗が出てくる。
それが心地よい。

 で、今日は午前中から仕事。
1日、忙しい。
そうそう昨夜、DVDショップで、4本もDVDを借りてきた。
今年の正月は、DVD三昧。
兄弟会、温泉旅行とつづく。

 寒いが、がんばろう。
雪が降らないだけ、まだよいほう。
それにいくら寒いといっても、浜松は、まだ暖かいほう。
ぜいたくを言ってはいけない。

 今夜は教室の忘年会。
またまた太るかな?

 おはようございます。
はやし浩司 2010−12−28


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
 
●雑感(はやし浩司 2010−12−30)

●宗教観 

 12月24日は、クリスマス。
つまりキリスト教。
大晦日は除夜の鐘を聞きながら、
初詣。
つまり仏教。
近隣の神社に参拝する人も多い。
つまり神教。

 年末から年始にかけて、日本人の
宗教観は、めまぐるしく変化する。
私もそうだし、たぶん、あなたも
そうだろう。

 言い換えると、信仰というよりは、
儀式。
お祭り。
もともと「教え」に従ったものではない。
ないからどこか、いいかげん。
言うなれば、多神教的無神論。
それが日本人の宗教観。
総じて言えば、そういうことになる。

●宗教

 アメリカという国は、おもしろい国だ。
どこのどんなところへ行っても、キリスト教が深く
しみこんでいる。
札にも、「God」という文字が刷り込んである。
そのくせ、「君たちの国は、キリスト教国だ」と言うと、
彼らはそれに猛烈に反発する。
「アメリカはキリスト教国ではない!」と。

 で、その一方で、「日本は仏教国」と言う。
そう言われた私のほうも、困る。
「そうかなあ」と思ってみたり、「そうでも
ないのだがなあ」と思ってみたりする。

 ただし日本の仏教ほど、いいかげんな宗教もない。
釈迦は1人のはずなのに、四分五裂。
仏教と言いながら、中身はヒンズー教。
チベット密教。
それが中国の土着宗教と結びついて、日本へやってきた。

 「大乗仏教」というのはそれをいう。
ヒマラヤ山脈の北側を迂回して中国へ入った仏教をいう。
「北伝仏教」ともいう。
その一方で、南伝仏教を、「小乗仏教」と呼び、さげすむ。
しかし南伝仏教のほうが、はるかに色濃く、釈迦仏教を
今に残している。
僧が身にまとう衣を見ても、それがわかる。
どうして日本の仏像がみな、古代ギリシャの衣を
身にまとっているのか。
インドで男性だったカノン(観音)が、どうして日本では
女性なのか。
いろいろ言いたいことはあるが、ここまで。
ここに書いたことは、常識。

 が、何よりも大切なことは、どんな宗教であるにせよ、
それによって心の安穏を得ること。
それがあれば、宗教。
なければ、ただの気休め。

●宗教vs人間

 古代の世界にも、数多くの国があった。
それぞれが何かの宗教をもっていた。
が、それらの宗教は、文明の崩壊とともに、闇に消えた。
それを信仰する人間がいなくなったから、闇に消えた。
つまり人間が宗教を作った。

 このことは、浜松近郊の寺を見ればわかる。
車で1時間も郊外へ行くと、無住の寺が目立つ。
廃寺になった寺も少なくない。
若い人たちが町へ出た。
そのため、檀家がいなくなってしまった。
そのため住職も町に出てきてしまった。
必要に応じて、村にもどり、そこで仏の供養をしている。

●不景気

 昨日も、行きつけの弁当屋の親父が言った。
「不景気だねエ〜」と。

私「政府は、10兆円近いお金をバラまいているわけだし……」
弁「それがどこかへ消えてしまっているというわけ」
私「どこへですか?」
弁「タンス預金でしょうかねエ〜」と。

 街の中の飲食店が最悪。
シャッターをつぎつぎと下ろしている。
こういう現実を、政府はどれほど知っているのか。

弁「ふつうなら、暴動が起きてもおかしくない状況だよ、これは」
私「そうですね。若者たちがおとなしすぎますね。介護保険ひとつとりあげても、
反対運動ひとつ起きない」
弁「どうして暴動が起きないのですかねエ〜」
私「親がめんどうみているからじゃ、ないですかねエ〜」
弁「しかしいつまでも親にお金があるわけでもないだろうし」
私「そうですねエ〜」と。

 つぎに出てくるのは、ため息ばかり。

●UFO

 今度、中国で出たUFOは、すごい!
細長いUFOで、窓らしきものも並んでいた。
下部からは白い光線。
大きさは、写真で見た感じでは、100メートル前後(?)。
もちろん飛行機ではない。

今年の夏ごろ、話題になった。
そのため近くの空港が一時的に閉鎖になったという。

 昨日、その写真を書店で見た。
ある雑誌に載っていた。
目玉はその写真だけだったので、雑誌は買わなかった。
だから詳しくは、ここには書けない。
あとで家に帰って、ネットで調べてみる。
が、それにしても、すごい。
あれをUFOと言わずして、何という。

 つまりUFOは、オカルト現象ではなく、科学的事実。
その雑誌にも書いてあったように、いまや存在を議論しているばあいではない。
「存在する」という前提で、議論を始めるべき。

●神の存在

 神が神の正体を現したら、地球もいよいよあぶないということ。
同じように、UFOがUFOの正体を現したら、地球もいよいよあぶないということ。
現れることによる、混乱どころではない。
それ以上に、ことは深刻。
地球はもう、取り返しのつかないところまで来ている。
そういう状態と考える。

 たとえば地球温暖化。
現在、地球温暖化(火星化)は、不測の事態が別の不測の事態を呼び込みながら、
急速に進んでいる。
10年前に、温暖化によって海洋の海流の流れが変わるなどと、いったいどこのだれが
予想しただろうか。
この先、さらに不測の事態が、別の不測の事態を招く。
地球温暖化は、人間の想像力をはるかに超えたところで、進む。

 たとえば今。
驚くなかれ、外では稲妻が走り、雷鳴がとどろいている。
雨が窓を叩きつけるように降っている。
雹(ひょう)も、降った。
人生、60年を生きてきたが、12月28日に、このような天気を見たのははじめて。
これを異変と言わずして、何という。

 つまりその異変が限界を超えた。
神にせよ、宇宙人にせよ、今さら姿を隠しておかねばならない理由がない。
言い換えると、神にせよ、宇宙人にせよ、堂々と姿を現したら、おしまい。
「終末」は近い。

 ……とまあ、悲観的な見方はさておき、今度、中国で出たUFOは、すごい。
あとでゆっくりと調べてみよう。

●韓国

 日本の政局が混乱している。
そのスキ(?)をついて、韓国が竹島の実効支配を、さらに推し進めている。
今度は巡洋艦を常駐させるという。

 本来なら日本は、国交断絶を覚悟で、それに抗議すべき。
しかし肝心の日本の政治は、ガタガタ。
混乱につづく混乱。
それをよいことに、韓国は、やりたい放題。
ついでに北朝鮮を口実に、軍事訓練。
「北朝鮮からの防衛」を口実にしているが、それはウソ。
韓国人の大多数は、「北朝鮮より日本のほうが脅威」と考えている。

 日本人の私は、日本のどこが脅威なのだろうと考える。
意識というのは、そういうもの。
ほんの少し立場がちがうと、180度、意識がちがうということは、よくある。

●熟年離婚

 最近は、あまり話題にならない。
ならないが、熟年離婚が、減っているというわけではない。
相変わらず、多い。
ある日、突然、たいていは妻がこう宣言する。
「離婚します」と。

 「豆腐を買いに行ってきます」と言ったきり、そのまま家出する妻もいるという。
沖縄で聞いた話である。

 もちろん話し合いなどは、いっさいなし。
一方的というか、妻のほうは、「話し合っても無駄」という状態になる。
が、夫側の受ける衝撃には、相当なものがある。
自己否定などという甘いものではない。
絶望のどん底へと叩き落される。
足が宙へ浮いたような状態になる。
何がなんだか、訳が分からなくなる。
狼狽するだけ。
オロオロするだけ。

●がまん

 知人の中にも、最近、熟年離婚をした人がいる。
結婚したてのころは、熱々の、相思相愛。
奥さんのあのデレーッとしたものの言い方が、今でも私の耳に残っている。
で、やがて妊娠、そして出産。
そのあたりまでは、うまくいっていた。
というか、熟年離婚の芽は、すでにそのころできたらしい。
心の奥深いところで、かつ静かに、音もなく……。

 総じてみると、がまん強いと評される女性ほど、こわい。
その(がまん)が、妻の心をゆがめる。
抑圧されたうっ憤が、時間をかけて蓄積される。
それがある日突然、爆発する。
ドカーン、と。

 これも総じてみると、離婚される側の夫は、全体的に権威主義的。
家父長意識が強く、仕事一筋。
(現在の私のよう!)
前ばかり見ているから、うしろが見えない。
妻の心を見失う。

●妻は死んだ

 が、熟年離婚から立ち直る人も、いないわけではない。
ある知人は、(もともと転勤族ということもあったが)、それをきっかけに海外移住。
現在は、クイーンズランド(オーストラリア)に住んでいる。
そこで知り合ったインドネシア人の女性と同棲。
仲よく暮らしている。
現在、年齢は、67歳。
インドネシア人の女性は、40歳。

 その知人はこう言った。
「熟年離婚されたからといって、失敗組と考えてはいけませんよ。
離婚されたのではなく、ひょっとしたら私のほう離婚を望んでいた。
妻がそれを具体化しただけです」と。
で、私が、「前の奥さんを恋しく思うことはありませんか」と聞くと、
笑いながら、こう言った。

 「それはありません。心のつながりが切れれば、他人。離婚は他人の死と同じ
です」と。
ただ「最後にいっしょに住んでいた、S県のK町にだけは帰りたくありません」
と付け加えた。

●死

 大切なことは、どういう状況であれ、そこを原点として、前に向かって生きて
いくこと。
人との世には、出会いもあれば、別れもある。
その繰り返し。
夫婦の離婚もあるが、親子の離縁も、これまた多い。
兄弟姉妹の離縁となると、さらに多い。

 もちろん仲がよいのが、理想。
周囲の人たちと、暖かい愛情で結ばれている。
が、それでも狂うときは狂う。
狂って、やがて別れに向かう。
仮に仲がよくても、最後の最後には、「死」がやってくる。
これだけは、何人にも、どうしようもない。

●夫側からの熟年離婚

 12月30日というのに、暗い話になってしまった。
何とか明るい話でしめくくりたいと思うが、話はつづく。
反対に夫のほうから離婚届を妻に叩きつけたという話も聞いた。
(夫が妻に、だぞ!)

 もともとの原因は、親子喧嘩。
その男性(父親)には2人の息子がいた。
そのうちの1人と、ある夜、取っ組み合いの大喧嘩になった。
そのときのこと。
息子がげんこつを振り上げ、その男性(父親)に殴りかかろうとした。
が、その男性は、微動だにせず、息子に向かって、こう叫んだ。
「殴りたければ殴れ!」と。

 瞬間、その男性は、妻のほうを見た。
いつもそうなのだが、そういう状況になっても、妻はじっとそれを傍観しているだけ。
が、その夜はちがった。
男性が妻の顔を見ると、うっすらと笑みすら浮かべていたという。
それを見て、その男性は妻との離婚を決意した。
その男性はこう言った。
「息子の怒鳴り声は、どうということはありませんでした。
しかし妻の笑みを見たときには、心底、ゾッとしました」と。
 
●ただの「いとなみ」

 こういう話をつづけて聞いていると、夫婦とは何か。
親子とは何か。
さらに人生とは何か。
そこまで考えてしまう。

 ひとつのヒントととして、キジバトの世界がある。

 あのキジバトは、産卵、孵化のときだけ、つがいを組む。
たいてい2個の卵を産み、2羽の雛を育てる。
が、やがて1羽の体の小さいほうの雛が、大きいほうの雛に巣から落とされる。
キジバトは、こうして1羽だけの雛を大きくする。

 が、雛が成鳥になるやいなや、親は自分の子どもと別れる。
それ以後は、たとえ自分の子どもでも、自分の縄張りには寄せ付けない。
ときどき親鳥が、自分の子どもを追い払う姿を見かける。

 人間とキジバト。
いっしょに考えることはできない。
しかし結婚、出産、育児の原点は、そんなものかもしれない。
大きな意味があるようで、そうはない。
深い意味を求めても、無駄。
人間がまだ原始的な動物であったときからつづいている、ただの「いとなみ」。
それに過ぎない。

 ……というのは、言い過ぎ。
わかっている。
人間の子育てには、プラス、ドラマがある。
このドラマにこそ、価値がある。
人間とキジバトを同列に置くことはできない。

●12月30日

 夜も少し明けてきた。
窓の外が、ほんのりと明るくなってきた。
12月30日。
あと2日で、新年。

 今年1年、我が家でもいろいろあった。
ゴタゴタつづきというか、ドタバタつづきというか。
大切なことは、切り捨てるものは、切り捨てる。
あきらめるものは、あきらめる。
失敗とか、敗北とか、そんなふうに考えてはいけない。
割り切って考える。
どの道、人生は短い。

 実のところ、この私にしても、いつ離婚届を突きつけられてもおかしくない状態。
自分でもそれがヨ〜ク、わかっている。
覚悟はしている。
が、問題は、そのあと。
まだその道筋が見えてこない。
年齢も年齢。
健康にも、このところ自信がなくなってきた。
となると、私もやはり、狼狽(ろうばい)組か。
オロオロするのみ。

 昨夜も私はワイフにこう聞いた。
「離婚してあげようか?」と。
が、ワイフは何も答えなかった。
(やっぱり、私の家も、あぶないねエ〜。)

●希望

 さて、今日の目標。
とくになし。
2011年1月号のマガジンを出さなければならない。
しかし何となくめんどう(ごめん!)。
昨夜も長男にこう言われた。
(……言われてしまった。)

「だれが、あんなもの読んでるの?」と。
「自分のことを書くのは構わないが、ぼくたちのことは書かないでよ」とも。

私「でもね、毎月、最低でも30万件のアクセスがあるよ」
長「アクセスというだけだろ」
私「そうだな」
長「ちょっと見て、ポイという人でも、1件だよ」
私「そうだな」
長「それにぼくのYOUTUBEにしてもそうだけど、批判的な人も多いはず」
私「そうだな」と。

 反論の余地なし。
事実、その通り。
まったく、その通り。
しばらく電子マガジンは休刊にしようか。
そんなことを繰り返し、考える。
そう言えば、「静岡アットS」というサービスも、この2月末をもって、
突然、閉鎖されるという。
昨日、メールが入った。
静岡新聞社が支えているポータルサイトだから、だいじょうぶかなと思っていた。
つまりこの世界、それだけ動きがはげしい。

 ……が、いくら小さくても、電子マガジンは私の「希望」。
「生きがい」。
BLOGにも原稿を書いているが、そのBLOGからよい原稿を集め、推敲し、
それをマガジンとして発表している。
今の私から電子マガジンを取り去ったら、あとに何が残る?
……実際には、何も残らない。

 私のマガジンを毎回読み、同じように毎回批評を届けてくれていたNG先生が、
この12月1日に、亡くなった。
私にはよき理解者だった。
それだけにショックも大きかった。
終日、放心状態になってしまった。

で、そのあと、アメリカに住む二男に原稿を送るようになった。
その二男が、今度はあれこれ批評を書いて送ってくれる。
これがたいへん参考になる。

 先日も「良妻vs悪妻」という原稿を送った。
それについて、「アメリカで良妻とか悪妻とか、そんなことを決めつけて書くと、
差別主義と言われ、大問題になるよ」と。

 ナルホド!

 国がちがうと、意識もちがう。
基本的なものの考え方もちがう。
私がそのあとすべきことは、「なぜ、そうなのか」を考えること。
どうして良妻vs悪妻というテーマでものを書いたら、差別主義になるのか。
たしかにアメリカでは、「差別」(ディスクリミネーション)にうるさい。
それはわかるが、どうして?

 それを考えていくと、その先に「アメリカ」が見えてくる。

 世の中には、私の知らないことが、まだ山のようにあるようだ。

●年賀状

 昨日、1日で年賀状を書き、近くのポストに投函してきた。
時間にすれば、2時間ほどでできた。
で、そのときのこと。
こんなことを考えた。

 現在「筆M」というソフトを使っている。
2〜3年おきに、UPGRADE版を購入。
が、この筆M、UPGRADEするたびに、複雑になる。
使い勝手が悪くなる。
昨日もそうだった。
こまかい設定ができるのはよいが、それが不必要なまでに、こまかい。
こうしたソフトは毎日使うようなものではない。
使うとしても、年に1度だけ。
その間に、操作方法を忘れてしまう。
ああでもない、こうでもないと操作しているうちに、30〜40分も時間が
過ぎてしまった。

 どうしてもっと、簡単にしないのか?
わかりやすいソフトにしないのか?
一般の人は、ここまで高度なソフトは求めていない。

 で、その年賀状。
書くのは便利になった。
が、その分だけ、ありがたみが消えた。
書くほうも、もらうほうも、気楽になった。
「これでいいのかなあ」と思いつつ、ポストに投函。

●PSP(ソニー製)体験記

 この10日あまり、PSP将棋にハマっている。
おもしろい。
たとえばリーグ戦では、Dグループから始まり、最終的にはS1グループへと
勝ち進んでいく。
現在は、Cグループあたりをウロウロしている。

 で、PSP体験記。

 PSP(ソニー製)で遊ぶようになって、いくつか感じたことがある。
そのひとつ。
画面が小さいだけに、疲労感も大きいということ。
つづけて将棋を指していると、イライラ感がつのる。
自分でもそれがよくわかるほど、つのる。
ゲームは2試合までと決めているが、それでも気分が重くなる。
高じると、そのまま頭痛に。

勝ったときは、それなりに気分がよい。
しかし負けたときには、ドンと気分が悪くなる。

 総合的に判断すると、やはり子どもには、よくないということ。
幼児には、とくに避けたほうがよい。
将棋ゲームですら、こうなのだから、怪獣ものは、なおさら(?)。
将棋にしても、大きな将棋板の上で、人間相手に楽しむのがよい。
またそれが正道。

 ……というような理由で、アメリカの孫たちに送るのは、やめた。
嫁さんに叱られそう。

●さて、朝

 さて、朝になった。
考えることは、まず運動。
散歩に出ようか。
それともウォーキングマシンですませようか。
が、今朝は、かなりの睡眠不足。
昨夜は長男と、午前1時ごろまで、話しこんだ。
今ごろになって、眠くなってきた。
どうしよう?
もう一眠りしようか?

 やはり、一眠りしよう。
そして目が覚めたら、中国に現れたUFOについて、詳しく調べてみよう。
たしかに、あれはすごい!
乞うご期待!、というところ。

 みなさん、おはようございます。
2010年12月30日、朝記。

Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

****************************
【中国・杭州・蕭山(しょうざん)国際空港に現れたUFO
****************************

●インチキか本物か、それを確かめるのは、あなた!


http://www.youtube.com/watch?v=WzQc-UCHXtA&feature=related


2010年7月9日、中国杭州の、蕭山に、UFOが出現した。
多くの目撃者もおり、またさまざまな角度から写真も撮影されている。
このUFO騒動が、インチキでないことは、当日、近くの空港が閉鎖
されたことでもわかる。


エルエル(NEWS)サイトは、つぎのように伝える。


『浙江省杭州市にある蕭山(しょうざん)国際空港が一時閉鎖され、18便の飛行機に影
響が出たそうです。
この写真は午後8時40分頃に撮影されたそうです。空港が閉鎖されたのは8時41分〜
9時45分まで』(エルエル)と。


詳しくは、
http://10e.org/mt2/archives/201007/092319.php


このUFOの特徴は、上部に客室らしき構造をもち、下部が光線に包まれて
いるということ。
また上部の客室らしき部分には、2つずつ、窓が並んでいるのがわかる。
さらに写真によっては、下部から下方向、あるいは尾部方向に、光線を発して
いるのがわかる。
鮮明な写真も数多く撮影されている。


計18便の飛行機に影響が出たということだから、相当数の目撃者がいたはず。
最近にない、UFO目撃例ということになる。

そのUFOが、どういうものであるかは、みなさん自身で見て、確認してほしい。
HTML版も、ここに添付しておく。

<object width="480" height="385"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/QvGUaIPgqJw?fs=1&amp;hl=ja_JP"></param><par
am name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/QvGUaIPgqJw?fs=1&amp;hl=ja_JP" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="480" height="385"></embed></object>

インチキか本物か、それはあなた自身で確かめてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 中国 杭州 UFO 2010−07−09)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================










*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   9日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●12月26日夜・日曜日(はやし浩司 2010ー12−26)

●真冬のダイエット

 この数週間、体重計には乗らなかった。
……乗れなかった。
こわかった。
が、数日前、近くの温泉に行った折、乗った。
恐る恐る……。
ジャジャーン!

何と64・5キロの、2・5キロ、オーバー。

 早速、一昨日から、ダイエット。
小食+運動、あとはコンニャク食。
で、昨日体重を量ってみたら、63キロ。
今日は、62・5キロ。

ほっとしたのも束のが、異変はすぐ起きた。
体がいわば、ガス欠状態になってしまった。
寒い。
とにかく寒い。
寒いというより、どこにいても、体の芯から冷える。
ストーブをたいていも、寒い。
こたつの中に入っても、寒い。
布団乾燥機をつけ、ふとんにもぐっても、寒い。

 ワイフがそのつど、葛根湯を作ってくれた。
それでも寒い。

 ……ということで、今夜は、カニすき鍋。
ダイエットは、一時、中断。

●「日本の論点・2011」(文藝春秋)

 こたつの中で、「日本の論点」を読む。
あちこちを拾って読む。
その中のひとつ。
葬儀。

 「葬儀など不要」と説く人。
「葬儀は必要」ととく人。

 私はどちらでもよいと考える。
人、それぞれ。
それぞれが、納得する方法で、すればよい。
こうした議論そのものが、ナンセンス。
したい人は、すればよい。
したくない人は、しなければよい。
したい人に向かって、「しなくてもいいです」と言う必要はない。
しない人に向かって、「したほうがいいです」と言う必要はない。

 が、こういう問題もある。

 「葬儀は不要」と思っていても、世間体という圧力をはねかえすためには、相当の
覚悟とエネルギーが必要。
私自身がそうだった。
そこで自分なりの理論武装。
母を介護している間、20年ぶりに、あちこちから宗教論について書いた本を引き出し、
それを読んだ。
が、こうした理論を自分のものにするには、熟成期間が必要。
5年とか、10年とか、そういう時間の経緯が必要。
「今日読んだから、明日から、私もそうします」というわけにはいかない。

 で、その熟成期間を待たずして、実兄が他界。
つづいて実母が他界。
結局、世間並みの葬儀をすることになってしまった。
世間体という圧力と闘うのは、それほどまでに難しい。

●葬儀

 葬儀費用は、平均で220万円前後だそうだ(「日本の論点)。
実兄のときは、それ以上にかかった。
実母のときは、それ以下ですんだ。
間に2か月しかなかった。
実兄の100か日法要と、実母の七七回忌が重なった。

 で、その葬儀を振り返ってみて、こう考える。

 やはり葬儀というのは、質素にやればよい、と。
直送でも自然葬(密葬)でもよい。
派手にやったから、よいというのでもない。
質素にやったから、悪いというのでもない。

 ただ大切なことは、それぞれの人が、相手の葬儀の仕方、あるいは葬儀のやり方を、
理解すること。
受け入れること。
尊重すること。
いくら相手のやり方が気にくわないからといって、それをとやかく言ってはいけない。
それこそ「傲慢」というもの。

 一方、葬儀をする人は、自分流のやり方を、声高らかに、宣言すればよい。
「うちでは、こうします!」と。
地域によっては、勇気のいることかもしれない。
しかし、宣言する。
自分流のやり方を、押し通す。
もしそれをとやかく言う人がいたら、こちらから蹴飛ばしてやればよい。

 ……しかし220万円前後?
私の年金は、月額6万4000円。
34か月分。
約3年分。
葬儀費用もバカにならない。

●日曜日

 昨夜は、午前1時ごろまで義兄の家で、話し込んだ。
長話をした。
家に帰って寝たのが、午前2時。
今朝起きたのが、午前9時。
「まだ6時ごろかな?」と思って起きたら、午前9時だった。

 で、今日は日曜日。
やるべきことは、山のようにある。
そのひとつが、年賀状書き。
おおまかなデザインは、決まっている。
たいした作業ではない。
その気になれば、1時間足らずですむ。
が、その1時間を作るのが、むずかしい。
どうしても後回しになってしまう。
今の今も、そうだ。

 年賀状を書くより、こうして文を叩いていたほうが、楽しい。
どうしよう?

 ……先ほど、ワイフが買い物に行かないかと声をかけてくれた。
ということで、これから買い物。
カニすき鍋のカニを仕入れてくる。
ついでに同じものを、義兄に届けてくる。
昨夜は、真夜中まで、失礼をした。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●私(林 浩司)の運勢


+++++++++++++++++


どこかの団体が、勝手に私の姓名判断を
している。


詳しくは、
http://mei.longseller.org/o26/i21222.html
で、ご覧になっていただきたい。


で、私はこの類の運勢占いを、いっさい、
信じない。
もとから思考回路にない。
「占い」「まじない」と聞いただけで、
脳みそが拒絶反応を示す。
それに比べて姓名判断というのは、かなり
数学的。
姓名にも、バランス感覚が働く。
あまりヘンチクリンな名前では、笑いものに
なるだけ。
それを調整するのが、姓名判断。
私はそう理解していた。


が、読んでみて、驚いた。
「ヘ〜エ」と感心するほど、驚いた。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という。
しかしここまで当たっていると、
ぞっとする。


どこかで私を観て、書いたのではないかと
思えるほど、よく当たっている。


そのまま紹介させてもらう。


+++++++++++++++++++


●天格


勤勉 努力 成功
資産家で、同族意識強く、地域社会で活躍してきました。
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断し
ません。


●人格


苦労 挫折 障害
神経が細かく、直感が鋭い偏屈強情な直情型です。頭はよいが金運は弱いようです。配偶
者、実子に縁が薄く、病難が周囲にいて面倒を看ます。
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕
事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。


●地格


人望 大成 逆転成功
自分の理想実現に全力を尽くすタイプです。親や他人に精神、物質両面で惜しみなく援助
します。
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運
勢を表します。


●外格


信頼 誠実 努力
人からは、ファイト満まん、頭の回転が速い、プライドが高い人というように見られてい
ます。
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会
的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。


●総格


柔軟性 順調 家庭運
要領よく処理がテキパキと早くまじめ、プライド高く厳しく冷たい自分勝手な印象、など
の特徴があります。
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表しま
す。


●私の判断


 しかしよくよく読んでみると、どれも「だれにでもそういう面はある」というような
ことばかり。
あるいは「時には、そういう面もある」というようなことばかり。
「成功」という言葉もあるが、どの程度をもって、「成功」というのか。
またたとえば「人からは、ファイト満まん、頭の回転が速い、プライドが高い人というよ
うに見られています」という部分について。


たしかに私をそういうふうに見ている人もいる。
若いときの私を知っている人は、今でもそういう印象をもっているかもしれない。
少なくとも、ヤワな男ではない。
が、最近は、かなり変わってきた。
ファイトもしぼみがち。
頭の回転も鈍くなってきた。
プライドなどというものは、とうの昔に捨てた。


 姓名判断というのは、名前が同じなら、年齢には関係ないはず。
しかし同じ人間でも、年代ごとに環境も変わり、人間関係も変わる。
浮き沈みは、人の常。
そういう(変数)は、どう勘案するのか。


 若いころの私は、とても「誠実な人間」とは言えなかった。
ウソつきで、インチキなことばかりしていた。
「誠実」を努めて心がけるようになったのは、浜松へ来て、ドン底の、そのまたドン底へ
叩き落とされてから。
そのときから、タバコをやめ、酒もやめ、ついで女遊びもやめた。
自分でもバカではないかと思うほど、クソまじめに生きるようになった。
1972年のはじめごろのことである。
(ドン底に落ちたのは、1971年の冬。)


 もっとも私は「はやし浩司」。
「林浩司」と書くのは、公的な書類の上だけ。
で、こういうばあいは、どうなるのか。
「はやし」は、もともとは、「波・也・之」の一部が、ひらがなになったもの(万葉仮名)。
だったら、「波也之浩司」で姓名判断してもらったほうがよい。
それなら現実に即している。


 久々に姓名判断なるものを、読ませてもらった。
おもしろかった。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 姓名判断 占い まじない)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●密度の濃い人生(2)


 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場
になっている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつ
も七〜八人の老人がいる。


 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、
小さな畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。男性
たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。私はいつもその前を通って仕
事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。
悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!


 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」
と思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。「のどかだな」と思
う部分は、「私もそうしていたい」と思う部分だ。しかし「これでいいのかな」と思う部分
は、「私は老人になっても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。


 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだ
けなら、それは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。
そういう人生だったら、一〇年生きても、二〇年生きても、へたをすれば、たった一日を
生きたくらいの価値にしかならない。しかし「濃い人生」を送れば、一日を、ほかの人の
何倍も長く生きることができる。仮に密度を一〇倍にすれば、たった一年を、一〇年分に
して生きることができる。人生の長さというのは、「時間の長さ」では決まらない。


 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間を
ムダにしていることか、ということになる。私は今、満五五歳になるところだが、そんな
私でも、つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。
いわんや、七〇歳や八〇歳の老人たちをや! 私にはまだ知りたいことが山のようにある。
いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。が、ある
らしいということだけはわかる。いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山が
あった。今もある。だからこれからもそれが繰り返されるだろう。で、死ぬまでにゴール
へたどりつけるという自信はないが、できるだけ先へ進んでみたい。そのために私に残さ
れた時間は、あまりにも少ない。


 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。頭がボケたら、自分で
考えられなくなる。無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは
思わない。ボケるということは、思想的には「死」を意味する。そうなればなったで、私
はもう真理に近づくことはできない。つまり私の人生は、そこで終わる。


 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。あくまでも今
の私がこう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつ
づけたい。だから空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしという
ふうにして過ごす人生だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02−10−5)※


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●眠られぬ夜(2010−12−24記)

++++++++++++++++++

昨日は、仕事も順調。
体調もよかった。
自分なりに満足できる1日だった。
が、床に入ると、どうも寝付きが悪い。
安定剤を半分に割ってのむ。
舌の先でなめていると、やがて眠くなる。

1度、トイレに起きた。
再び床に就いてから、PSPで将棋を指した。
勝った。
そのあと「おめでとう、5戦連勝」と表示された。

時計を見ると、午前1時。
ワイフは横で寝息をたてていた。

私は静かに目を閉じ、巨大なUFOを
思い浮かべた。
何でも土星の輪の中には、日本列島を
2倍したほどの大きさのUFOが常駐
しているという。
何かの本で、そう読んだ。
写真も添えられていた。

半端な大きさではない。
長さだけでも4000キロ!
それが尾部(あるいは頭部)から、岩石を
吹き出しているという。
またそれによって、なぜ土星の輪の模様が
変化するか、その説明ができるという。

何とも信じがたい話だが、あまりにも
突飛すぎるが故に、かえって真実味がある。

私はそのUFOの内部を想像した。
円筒形ということだから、回転しながら
遠心力を利用した人口重力を作っているに
ちがいない。
ということは、UFO内側の壁面に張りつくように、
生活空間があるということになる。
地球で見るような山や川もあり、草原もある。

眠られぬ夜は、私は決まってそんなUFOを
頭の中で空想する。
子どもの世界でいう、おとぎ話。
それと同じ。
私もそんなことを空想しながら眠る。

+++++++++++++++++++

●現実性と空想性

 子どもの世界では、空想性はあまり好ましくない。
イギリスの教育格言にも、『空中の楼閣を想像するのはよいが、子どもを空中の楼閣に
住まわせてはならない』というのがある。
現実は現実。
空想は空想。
その両者は、はっきりと区別する。

言い替えると、現実性のあるなしで、その子どもの精神の発達度を知ることができる。
たとえば乳幼児期のある一時期、子どもは空想の世界にハマることがある。
が、その時期を過ぎると、子どもは急速に現実的なものの考え方をするようになる。
言い替えると、少年、少女期に入って、空想性が強すぎるというのは、好ましいこと
ではない。

 占いやまじない、さらには「スピリチュアル」。
ゲームの世界にハマるのも、そのひとつ。
そういうものにハマるということ自体、精神の発達が未熟と考えてよい。

●UFO

 UFOが存在するとか、しないとかいう議論はさておき、地球を宇宙からながめる
という点では、UFO問題を考えることは、それなりに楽しい。
視野が広くなる。
冒頭に書いた、長さ4000キロのUFOでもよい。

 しかしまったくのデタラメかというと、私はそうは思わない。
私とワイフは、長さ数キロもあるようなUFOを目撃している。
さらに月には、「オニール橋」と呼ばれる橋があったという(後述)。
(現在、その橋は消えている。)
子どものころ、どこかの科学展示会に行ったとき、その橋のことを知った。
長さは、20キロ前後もあったという。
その空想図が、大きく描かれていた。
あのオニール橋にしても、UFOだったと考えると、辻褄(つじつま)が合う。
4000キロなら4000キロでもよい。
人間には想像を絶する大きさだが、ものごとは人間中心に考えてはいけない。
一匹のアリが、100万トンの石油タンカーを想像するばあいを考えてみればよい。
この宇宙では、人間は、アリのようなもの。

●空想性

 広く考えれば、人間が「あの世」を想像するのも、空想性のひとつということになる。
天国でも、極楽浄土でもよい。
言い替えると、人は加齢とともに、その空想性が強くなる。
またそういった空想をすることによって、一抹の安堵感を覚える。
孤独な夜も、それによって癒される。

 つまり加齢とともに、精神の発達が萎縮する。
後退する。
現実から離れて、空想の世界を生きるようになる。
私について言えば、この傾向はますます強くなることはあっても、弱くなることはない。
そのことは、老人たちを観察してみれば、よくわかる。

 たとえば私の母は、特養にいたころ、介護士の人たちをみな、親類の人や、昔なじみ
の人に置き換え、その名で呼んでいた。
「あの人は、隣のXさんの息子さんの、〜〜さんや」
「この人は、在所のK村から来ている、〜〜さんや」と。

 さらに言い替えると、こうした空想性が強くなったら、それだけ老人に近づいたという
こと。
けっして好ましいことではない。
だから闘う。
そういう自分と闘う。
「あの世」を信ずるにしても、そんなことは、死の直前でじゅうぶん。
それから信じても、遅くはない。

●現実性

 一方、現実性は、現実の世界を現実的に生きることで養われる。
簡単に言えば、仕事をする。
お金を稼ぐ。
そういう連続性のある緊張感の中で、養われる。
釈迦もこう言っている。
『己(おのれ)こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』と。

 それについて以前、こんな原稿を書いた。
話が少し脱線するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。
釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。
好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」
にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。
先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。
私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となること
もある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるように
なるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴
な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。自分イコール、子どもというような考え方をする。
ある母親はこう言った。
「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子
どもを殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。
また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。
一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。
その原点をふみはずして、子育てはありえない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●検証

 現実的に生きようとする私。
その私が別のところで、空想の世界に生きている。
この矛盾?
そこで私はその矛盾を合理化するために、「UFOは迷信ではなく、科学である」と主張
する。

 が、「見たことがある」というだけで、そこから話が前に一歩も進まない。
そういう「会」が、この浜松市にもいくつかあるらしい。
一度は顔を出してみたいと思いつつ、まだ一度も、実行していない。
その会の人たちにしても、立場は、私と同じではないか?
言うなれば、小田原評定。
ああでもない、こうでもないという議論ばかりしていて、先に進まない。
みなで調査に行くというわけにも、いかない。

 が、ここにきて、ひとつ、新しい検証手段が見つかった。
YOUTUBEという検証手段である。
YOUTUBEには、土星のUFOについての映像もアップしてある。
そういうものを検証しながら、自分でそれを確認することができる。
「これは本物だ」とか、「これは怪しい」とか。

 そう言えばこんなUFOもあった(YOUTUBE)。

 そこかの空にUFOが現れた。
そのUFOのこと。
空に浮かんでいたのだが、移動するときだんだんと薄くなり、やがて空に溶け込むよ
うに消えていった。
透明化したとも考えられる。
そのYOUTUBEを見たとき、「このUFOは本物」と、私は確信した。
私が40近くワイフと見たUFOも、そうだったからである。
また当時、そのように文として記録した。
「私が見たUFOは、スーッと空を横切ると、そのまま空に溶け込むようにして
消えていった」と。

 YOUTUBEでその画像を見る、何十年も前のことである。

 ……ということで、眠られぬ夜は、目を閉じて、UFOのことを考える。
しばらくしていると、そのまま眠ってしまう。
それが私にとっての「おとぎ話」。
母親が寝床で子どもに話して聞かせる、「おとぎ話」。
昨夜の私がそうだった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 眠られぬ夜 UFO問題 オニール橋 土星のUFO)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●UFO(2007年12月の原稿より)

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o'clock. 
We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or 
3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks 
me if I believe in UFO's, I would say, "Yes". These days at the Parliament House of 
Japan, some congressmen discuss about UFO's in the public. Does this have something
 to do with "Kaguya", a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the 
moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about 
the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for 
the aliens. Do you think so too? 

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

●オニール橋

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさん
と輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者
の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあっ
た。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、
そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、
全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消え
た」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるよう
に着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2〜3
キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が
話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20〜30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私た
ち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUF
Oにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上で
も公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいの
は、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうか
ウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(以下、月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビ
ューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的
に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような
形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、
ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確
認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだった
のではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部
長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一
時的に着陸していたのではという推測もされたそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニー
ル橋)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●12月24日夜記(2010年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不景気

 コンビニで、週刊誌を立ち読みする。
一読して、暗い気分になる。
どの週刊誌も、「不景気」一色。
たとえば週刊Sは、「シャッター街」を特集していた。
不景気でシャッターを下ろした、シャッター街。
その通りでは、どの店もシャッターを下ろしたまま。

私自身も、商店で生まれ育った。
それだけに、こういう話は、つらい。
身につまされる。
シャッターを下ろした商店主たちは、どこへ行けばよいのか。
どこへ行ったのか。
さぞかしつらかったことだろう。
そのつらさは、私自身が経験している。

 負け戦(いくさ)なら負け戦でよい。
短期間に終わるなら、まだよい。
しかし商店のばあいは、それが10年単位でつづく。
言うなれば真綿で首を絞められたような状態。
それが綿々とつづく。
ジワジワ、ジワジワと……。
その間に、心まで蝕(むしば)まれる。
もちろん健康にもよくない。

2010年は不景気で始まり、不景気で終わった。
そんな感じがした。
もう少しワクを広げると、平成時代は不景気で始まり、
それがいまだに続いている。
「失われた10年」が、「失われた20年」になった。

今にして思えば、宮Z総理大臣、橋M大蔵大臣。
あの2人が、日本の経済をメチャメチャにしてしまった。
ある週刊誌は、この2人をさして、「戦後の日本のA級戦犯」と書いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●北朝鮮、つぎの一手

 北朝鮮は、「聖戦」と称して、またまた韓国を脅した。
今度は、「核戦争の準備を整えた」(12月24日)と。
それに対して、韓国政府は、いつもの脅し(レトリック)ととらえている。
が、本当に、そうか?
そう考えてよいか?

 こういうときは、一度自分の脳を、あの独裁者の脳の中に入れてみる。
彼になりきって、ものを考えてみる。
そうすると彼の思考回路が手に取るようによくわかるようになる。
その状態で、あの独裁者のつぎの一手を考える。
で、そのつぎの一手とは……。

(1)適当に韓国を挑発する。
(2)韓国がそれに応じて、反撃してくるのを待つ。
(3)しばらく間を置いて、核実験を強行する。

 問題は核実験する場所だが、北朝鮮の北部や、日本海側ではない。
ズバリ38度戦のすぐ北。
韓国や在韓米軍を脅すには、最適。
そこなら全面戦争にはつながらない。
自国の領土内だから、名分も立つ。

 では、どうやって核兵器を、38度線近くまで運ぶか?
方法は簡単……というより、すでにその場所はできている。
何十本もあるとされるトンネルのひとつを使えばよい。
が、もし韓国の反撃が過ぎたものであれば、ソウルの地下で、ということも
考えられる。
ソウルの下にも、トンネルが走っている。
が、その場合は、核爆発と同時に、北朝鮮軍を一斉に南下させる。
アメリカ軍が反撃を整える前に、プサンまで南下する。
猶予期間は7日。
7日以内なら、北朝鮮は韓国を制圧できる。
それ以後だと、国連軍は反撃態勢を整える。
(2010年12月24日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●韓国vs中国

 少し前、中国の漁船が韓国の巡視船に体当たりをした。
韓国の領海内での違法操業が、発端だった。
その結果、中国漁船は沈没。
何人かの死者が出た。

 それについて韓国政府は、それ以上、ことを荒立てないようにという配慮からか、
「遺憾声明」なるものを出した。
「遺憾」という言葉を使った。
死者が出たことについて、「I'm sorry」と言った。
これを受けて、中国政府はそれを「謝罪声明」と曲解し、中国国内で発表した。
「韓国政府が謝罪した」と。
が、これに韓国のマスコミが一斉に反発した。
「事実を歪曲した」、「わざと反韓感情を、かきたてている」と。

 しかし「遺憾」も「謝罪」も、英語では「I'm sorry」。
「残念」「ごめんなさい」という意味。
こういうケースのばあい、「遺憾声明」を出すほうが、おかしい。
少しでも国際外交の知識があったら、こんな言葉は使わなかったはず。
ずいぶんと昔だが、日本もアメリカに対して、同じ失敗をしている。

 それに一言。

 韓国の新聞は、いつも日本のニュースをゆがめて韓国国内へ伝えている。
わざと反日感情をかきたてている。
それについては、今までたびたび書いてきた。
そういう韓国が、中国に対して文句をつける。
このおかしさ。

 少し前のことだが、中国の自動車会社が、韓国の車のデザインを盗用したと、
韓国で問題になった。
しかしその韓国は、どうか?
どうだったか?
10年前まで、日本車をコピーして車を作っていた。
前から見るとTOYOTA、うしろからみるとNISSAN。
そんな車ばかりだった。

 自分の姿を客観的に知ることは、むずかしい。
自分の国を客観的に知ることは、さらにむずかしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●性欲の奴隷たち

 ある賢者はこう言った。
『若者たちは老人を見ると、みな、バカと思う。
しかし老人たちは若者を見ると、みなバカと思う」と。

 その「境界」、つまり若者と老人を分ける壁が、「性欲」ということになる。
60歳を過ぎると、人は、急速に性欲から解放される。
「衰退する」とか「減退する」というのではない。
「解放される」。

 たとえばこの私。
(こういう話は、正確に書きとめておきたい。)
性欲が消えたわけではない。
ただ最近は、若い女性には、ほとんど興味がない。
どんな写真を見ても、ただの肉塊に見える。
(それとも脂肪の塊?)
胸にしても、腰にしても、ただの肉塊に見える。

 もともとただの肉塊。
肉塊でないと言うほうが、おかしい。
つまり私たちが人間として本来的にもつ本能が、私たちの目を狂わせているだけ。
性欲から解放されると、それがよくわかる。
言い換えると、この私にしても今まで、性欲の奴隷でしかなかった。
それがよくわかる。

 が、それだけではない。
若い女性、とくに化粧に化粧を塗り重ねたような女性を見ると、本当にバカに見える。
恩師のT先生は、そういう人たちを評して、「昆虫のような脳みそ」と表現した。
その言葉をはじめて聞いたときには、私は少なからず違和感を覚えた。
が、今、私も、そう思うようになった。
中身がまったくない。
ないばかりか、薄汚ささえ覚える。
まさに昆虫のような脳みそ。
そういう脳みそしかもっていない。

 性欲の奴隷となり、本能の命ずるままに行動している。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、ヒトも、子孫を後世に残すことができる。
が、それに溺れてはいけない。
……と言っても、それに溺れている人に、それを説いても意味はない。
それが生きる原動力にもなっている。
あのフロイトも、それを「性的エネルギー」という言葉を使って説明した。
女性だけではない。

 男性がスポーツでがんばるのも、仕事や業績でがんばるのも、結局はその向こうに、
その性的エネルギーがあるから。
それが背後でその人を操る。

 が、60歳を過ぎると、そういう自分が、たいへんよくわかるようになる。
同時に、脳の中を、さわやかな風が吹き通るようになる。
それを私は「性欲からの解放」と呼んだ。

 だから今、私は、若者たちがみな、バカに見える。
ちょうど若者たちが私たち老人をバカと思うように、バカと思う。
自分であって自分でないものに、振り回されているだけ。

 で、今は、どうか?
相手が男性でも、また女性でも、その向こうにある「人間」を見るようになった。
「男性だから……」とか、「女性だから……」とか、そういう外見では区別しない。
1人の人間として、どうなのか、と。

 で、私と同年齢以上の人は、このエッセーを読んで、「そうだ」と納得してくれるはず。
しかし若い人たちには、このエッセーの内容すら理解できないだろう。
「そんなはずはない」とか、「はやし浩司は、きれいごとを並べているだけ」とか、
そう言って反発するかもしれない。
「何を偉そうに」と思う人もいるかもしれない。
私自身もそうだった。
私も若いころは、老人がみな、バカに見えた。

 しかしもしそうなら、男性も女性も、もう一度冷静な目で、異性をながめてみるとよい。
自分にこう問うてみたらよい。
「どうして相手が、ただの肉塊に見えないのか」と。
つまりその(見えなくしているもの)が、私であって私でない部分、つまり本能という
ことになる。

 ……ただしまったく性欲がなくなったわけではない。
ときどきだが、今でも性欲がわいてくるときがある。
突発的にと書くべきか、それとも発作的にと書くべきか。
どうであるにせよ、まったく消えてしまったわけではない。
しかしそれは小便とか大便と同じ。
それに相手は、若い女性ではない。
私のワイフである。

また若いときとちがって、そうした性欲には、いつもある種の虚しさがともなうように
なった。
その虚しさを感じたとたん、自分の中から性欲がスーッと萎(な)えていく。
それが自分でも、よくわかる。
そう言えば、10年ほど前のこと。
ワイフとこんな会話をしたことがある。
私が「今なら、混浴風呂に入っても、そこにいる女性と平気で会話ができると」と
言ったときのこと。
ワイフはこう言った。

「バカねえ。相手の女性がいやがるでしょ。どうしてあなたにはそれがわからないの!」
と。

 ハハハ。
そうだった。
相手のことを考えていなかった。
若い女性が私のようなジジイなど、相手にするはずがない。
ハハハ。
この話は、ここまで。
こういう話は、どうも苦手。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●12月24日

 今夜はクリスマス・イブ。
夜遅く、ワイフと山荘にやってきた。
毎年、家でクリスマスをささやかに祝ってきた。
2人だけで。
ときに長男を加えて3人だけで。

が、今年は、やめた。
つまり家で祝うのは、やめた。
そのかわり、教室の生徒たちといっしょに、祝った。
いくつかのゲームをした。
記念撮影もした。
それがめちゃめちゃ、楽しかった。
ワイフもうれしそうだった。
その様子は、ビデオカメラに収めた。
明日にはYOUTUBE上で、公開するつもり。

 で、ここへ来る途中、ワイフといろいろな話をした。

私「ぼくね、最近は、生徒と自分の息子たちや孫たちと区別できなくなった」
ワ「私も、そうよ」
私「なっ、そうだろ。少し前までは、生徒は生徒、家族は家族というふうに区別していた」
ワ「たしかに区別していたわね」
私「が、今はちがう。息子たちや孫たちが、毎日ぼくに会いに来てくれる。そんなふうに
考えるようになった」
ワ「そうね。あなたの生徒を見る目は、明らかに変わってきたわよ。生徒を見たとたん、
あなたの顔がパッと輝くわよ。それがわかるわ」と。

 去年までは、さみしいクリスマスだった。
しかし今年は、ちがった。
楽しかった。
つまり家族を家族と区別するから、さみしくなる。
しかしその壁を取り払えば、そこにいるのは、みな、私の家族。
とたん、今まで感じていたさみしさが、ウソのように消える。

 今年のクリスマスは、そういう点では意味があった。
自分の世界を広げることができた。
新しい感覚を、ゲット!
これからは、そのワクを広げていけばよい。
みなさん、メリークリスマス!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●良妻vs悪妻

 昨日、二男にこんなメールを出した。
「貴君のワイフはすばらしい人だよ。自信をもっていいよ」と。
すかさず二男から返事が届いた。
「どうして、パパにそれがわかるのか?」と。

 で、私はこう書いた。
「ぼくは若いころから、女性の世界で生きてきた。
今でも毎日、10〜20人の母親と呼ばれる女性と会っている。
だからそれがよくわかる」と。

 良妻か悪妻か。
それは当の夫には、判断できないかもしれない。
良妻であっても、悪妻であっても、その女性しか知らない。
比較して判断することができない。

しかし良妻と呼ばれる人は、たしかにいる。
またそういう女性と結婚した男性は、幸福。
そうでない男性は、不幸。
さらに悪妻と結婚した男性は、もっと不幸。
が、不幸なことに、自分が不幸であることにさえ気がつかない。
やがて子どもができたりして、一生を、憂うつなまま過ごす。
棒に振る。

 それについてワイフがやはり車の中で、こう聞いた。
「じゃあ、どうして結婚してしまうのかしら?」と。

私「本能の力のほうが、それだけ強力ということじゃないかな」
ワ「がまんできなくなるというわけ」
私「そうだろうね。そこに異性がいると、たがいにがまんできなくなる。
だから結婚してしまう。理性のブレーキが働かなくなる」
ワ「私たちもそうだったかしら」
私「例外はないよ」と。

 悪妻になるとわかっていても、性欲のほうが理性を押しつぶしてしまう。
だから結婚する。
子どもまで作ってしまう。
しかしそのあたりで、「恋のホルモン」の有効期限が切れる。
とたん、そこに待っているのは、きびしい現実。
悪妻だったからという理由で、離婚することもできない。

ワ「だったら、結婚なんて、くじを引くようなものね」
私「ぼくも、そう思う。くじ引きと同じ」
ワ「でもそのときは、『この人しかいない』と思って、みな、結婚するわよ」
私「ハハハ、それが本能。本能のなせるわざ」
ワ「で、あなたはどうなの?」
私「ぼくかあ? ぼくねえ? ぼくは運がよかったと思っているよ。
お前のようないいワイフに恵まれて……」と。

 良妻か悪妻か。
それは10年とか20年とかでは、わからない。
少なくとも子育てが終わるまで、わからない。
そのころわかる。
子育てが終わったとき、ともに理解しあい、助けあい、励ましあうことができるなら、
良妻ということになる。
が、それよりも大切なことは、そばにいるだけで安心感を覚えること。
やすらぎを覚えること。
ふだんは空気のような存在。
けんかもするが、2日以上は、つづかない。
それがあれば、良妻。
それがなければ、悪妻。

私「派手な恋愛をしたからといって、幸福な家庭を築くとはかぎらない。
結婚式にしても、そうだ。
皮肉なことに、派手な結婚式をしたカップルほど、あとがあやしいね」
ワ「……」と。

 これは慰めか。
私たち夫婦は、その結婚式をしていない。
そのお金がなかった。
が、今になってみると、しなくてよかったと思っている。
私流の生き様を貫くことができた。
一抹のさみしさは、ある。
しかしそれは耐えられない(さみしさ)ではない。

 晃子へ、

 いろいろ今まで、ありがとう。
口ではうまく言えないが、愛しているよ!

 二男へ、

 最近の若い女性には、貴君が想像もつかないようなバカが多い。
「バカママ」という言葉が、一時流行語になったが、それが最近はさらにひどくなった。
理性のひとかけらもないような女性が、母親の顔をして、子育てをしている。
まだ幼児の子どもに、整形手術を施したりしてね。
ああいうのは、法律で禁止すべき、と、ぼくは思う。
先日は、コンビニで自分の息子(小学生)に、「テメエ、マジ、バカか!」と叫んでいた
母親を見かけた。
まともな日本語すら、話せない。

 貴君は幸いにも、そういう女性を知らない。
そういう世界で生きていない。
だから身近にいる人の、すばらしさが理解できない。
貴君のワイフは、まちがいなくすばらしい人だよ。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コタツの中で

 ワイフは隣の部屋で眠っている。
私はこうしてコタツの中で、文を書いている。
私にとっては、至極のとき。
楽しい。
できるなら明日の朝まで、こうして文を書いていたい。

 外気は冷たいはずなのに、寒さを感じない。
コタツだけで、じゅうぶん暖かい。

どうしてだろう。
どうしてこんなに文を書いていると、楽しいのだろう。
いや、反対に1日も文を書かないでいると、頭の中がモヤモヤとしてくる。
それが、私にはかえって苦痛。
だから文を書く。
書いて、モヤモヤを叩き出す。
その爽快感は、たまらない。
たとえて言うなら、便秘か何かでたまったウxxが、ドサッと出たときの気分に似ている。
うまく文章にまとまれば、なおさら。

 さらに最近は、私に似た人に出会うと、うれしくてならない。
「私はヒマさえあれば、文を書いています」「私もそうです」と。
とたん100年来の友人のようになってしまう。

 ……そう言えば、今井修という人もそうだった。
この浜松に住むようになって、最初の友人だった。
年齢は、私より7歳ほど、上だった。
その今井さんも、いつも原稿用紙に文を書いていた。
「いつか作家になる」が、口癖だった。

 その「今井修」という名前が出てきた。
ワイフのほうから、その名前を口にした。
「あの今井さんは、若くして死んでしまったわね」と。

 いつも焼酎片手に、タバコを吸いながら原稿を書いていた。
死因は食道がん。
わかりすぎるほど、わかりやすい死因だった。
ちょうど30歳になったときのことだった。

私「ぼくね、今井さんを思い出すたびに、今井さんの分まで、書いてやろうという
気持ちになるよ」
ワ「いい人だったわね」
私「そうだよ。本当にいい人だった」
ワ「文章はどうだったの?」
私「昔風の、くどい文章だった。ぼくは好きではなかった。ほら、ぼくは短い
文で、ポンポンと書くのが好きだったからね。漢字もできるだけ使わないように
している」
ワ「今井さんは……?」
私「ほら、あの人はアル中だっただろ。酒を飲んでいないと手が震え、ペンが
持てなかった。だからああいう文章になったんじゃないかな」と。

 文の書き方は、人それぞれ。
みな、ちがう。
読む側にしても、好き好きがある。
私の文章が好きという人もいれば、そうでない人もいる。
私は私。
今井さんは今井さん。
しかし重要なことは、自分の心を偽らないこと。
ありのままを、正直に書くこと。
文のじょうず、へたは、次の次。

 だれのためでもない。
文というのは、自分のために書く。
多くの人に読んでほしいとは思う。
しかしだからといって、媚(こび)を売ってはいけない。
言い換えると、私は文を書いているときだけ、言いようのない解放感を覚える。
大空をはばたくことができる。
またそれがあるから、文を書く。

 ……ということで、かなり眠くなってきた。
12月24日は終わり、今はもう25日。
2010年12月25日。
では、みなさん、おやすみなさい!
今日も、1日、無事、終わりました!
ありがとうございました!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================








*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   7日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page018.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【保護と依存について】

●保護と依存

 今朝、ワイフと食事中に、こんな会話をした。
いつもの「保護と依存」の問題。
一度保護と依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではない。
保護するほうは、いつもまでも保護を求められる。
負担感に苦しむ。
一方、依存する側は、いつまでも依存する。
依存して当たり前と考えるようになる。
だから保護、依存の関係は、できるだけ作らないほうがよい。
親子でも、兄弟でも、親類でも、また友人でも。

●甥、姪の学費を全額負担したT氏

 T氏というドクター(内科医)が2年前に他界した。
私の30年来の友人であった。
そのT氏は、それぞれの親を通して、4〜5人の甥、姪の学費を負担した。
そのつど、ほぼ全額、負担したという。

 その話をT氏から生前、よく聞いていたから、私は当然、それらの甥や
姪が、葬儀に来ているものとばかり思っていた。
が、葬儀には、甥や姪はもちろんのこと、その親たちすら来ていなかった。
T氏の奥さんに、「どういうことですか?」と聞くと、奥さんはこう言った。
「主人が現役を退いてからも、みな、よくお金を借りにきました。
が、主人がそれを断っていたからです」と。

 俗な言い方をすれば、それまでさんざん世話になっておきながら……ということになる。
これが「保護と依存の関係」ということになる。

 私の母にしても、私は20歳のはじめから、収入の半分を母に届けていた。
27歳くらいのときから、法事の費用もすべて負担した。
しかし母はそのことを、だれにも話さなかった。
で、私が40歳を過ぎてから、姉に、そういう話を母から聞いているかと尋ねてみた。
が、姉は「そんな話は聞いていない」と。
その話をしながら、私がワイフに、「金を借りた人は自分の手柄と思うから、だれにも
話さないものだよ」と言うと、ワイフは、「そうね」と。

 母は質素な人だった。
無駄遣いはしなかった。
それは認める。
しかし私から得たお金で、母は母の実家や親類の人たちを助けていた。
従弟たちの学費にもなっていた。
このことは最近になってわかったことだが、もちろん母の実家や親類の人たちは、
そうしたお金の出所を知らない。
知らないから、母のことをほめちぎっても、私には礼の一言もない。
今にしてみると、私もバカなことをしたものと思う。
つまりこれが「保護と依存の関係」ということになる。

●子どもの学費

 子どもの学費についても、同じようなことが言える。
今、高校でも、さらに大学でも、親に感謝しながら高校や大学へ通う子どもはいない。
皆無と断言してよい。
お金が必要になると、電話をかけてくる。
で、親は、爪に灯をともしながら、学費を送る。
が、そんな親の苦労など、どこ吹く風。
親からのお金をかすめとっては、遊びほける。

 ……と断言するのも、失礼なことかもしれない。
中には、そうでない学生もいる。
しかしそういう学生は、少ない。
本当に少ない。

 それもそのはず。
子どもは子どもで、小さいときから、「勉強しろ」「宿題はしたか」「成績はどうだった」と、
尻を叩かれてばかりいる。
親は子どものためと思って、そうしている。
しかし子どもは、そうは思っていない。
「したいこともできず、勉強ばかりをさせられた」と思う。
だから高校へ入っても、また大学へ入っても、親に感謝などしない。
するはずもない。
中には、「親がうるさいから、大学へ入ってやる」と言う子どもさえいる。

 一方、親は親で、「大学まで出してやったのだから、息子(娘)は感謝しているはず」
と考える。
しかしこれは幻想。
まったくの幻想。
親はその幻想にしがみつき、自分の親バカを正当化する。
自分を慰める。

 もっとも親子の間に、一本でも良好な親子関係が残っていればよい。
それさえないと、自己否定から絶望感すら覚える。
ふと気がついてみると、老後の資金さえない。
そんな状態になる。

 つまりこれも「保護と依存の関係」ということになる。

●これからの親子関係

 私は63歳。
が、これは私だけの問題ではない。
40代、50代の人にも、共通の問題と考えてよい。
それがわからなければ、息子や娘が巣立ったとき、あなたが何歳になっているかを
計算してみればよい。
簡単な足し算をしてみれば、わかるはず。

 現在、日本の若者で、(あなた自身もそうかもしれないが)、「将来、親のめんどうを
みる」と考えている若者(成人)は、30%もいない。
この数値は、欧米やアジアの若者たちと比べても、極端に低い。
つまりあなたの老後は、そういう息子や娘たちの上に、載っている。
独居老人、無縁老人、そしてその先では孤独死。
それが今、あたりまえの老後になりつつある。

 だったら……というか、ここまで書けば、では子育てはどうあるべきか、賢明な
あなたにならわかるはず。
子どもに向かって、「勉強しろ」というのは、親の勝手。
しかしそう言えば言うほど、その責任を取らされるのは、あなた自身ということ。
それでももしあなたが「私はだいじょうぶ」「うちの子にかぎって、親を裏切ることは
ない」などと思っていたら、それは幻想。
まったくの幻想。

 先日もある男性(長野県出身)と、近くの温泉でこんな会話をした。
S町という、北信から来ていた。
その北信でも、過疎化に併せて、墓地の放棄が目立ってきたという。
そこで地域ごと、寺ごとに、無縁仏用の大きな石碑を建て、そこに遺骨を納めなおし、
集団で供養しているという。

 その男性は、こう言った。
「一度、都会へ出たら、今の若者たちはぜったいに戻ってきませんね。
それだけの社会システムが整っていればよいのですが、それが不完全です。
だから私が住んでいるS町でも、独居老人がどんどんとふえています。
私もその1人です」と。

 で、私が「息子さんや娘さんのところに会いに行かないのですか」と聞くと、
こう話してくれた。
「行きません。もう20年来、会ったこともありません。そのかわり、今は、
弟と仲よくしています。
その弟も、豊橋(愛知県)で独居老人です」と。
言い忘れたが、その老人は、「今、82歳です」と言った。

 こうした傾向は、この先、20〜30年はつづく。
つまりこの原稿を読んでいるあなた自身も、その独居老人になる可能性は高い。
おおざっぱな試算によるものだが、約60%(某評論家)がそうなると言われている。
この数字が決して誇張されたものでないことは、あなたの周辺に住んでいる老人を
観察してみればわかる。

●保護と依存(2)

 だから保護と依存の関係については、慎重に対処したらよい。
相手が自分の子どもであっても、慎重に対処したらよい。
つまり過剰な保護意識は禁物。
禁物というより、危険。
子ども自身も、不幸になる。
保護に慣れきってしまった子どもは、保護なしでは生きていかれなくなる。
だからあのイギリスのバートランド・ラッセル(イギリス・ノーベル文学賞受賞者、
哲学者)もこう言っている。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれ
ども、決して限度を超えないことを知っている、そんな両親のみが、家族の真の喜びを与
えられる」と。

 けだし名言である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 保護と依存 保護と依存の関係)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Independent Thinker】 

●ひとりで考える人(Independent Thinker)

 イギリスの哲学者でもあり、文学者でもあった、バートランド・ラッセルは、「宗教論(In 
Religion)」の中でつぎのように書いている。

Passive acceptance of the teacher's wisdom is easy to most boys and girls. It involves 
no 
effort of independent thought, and seems rational because the teacher knows more than 
his pupils; it is moreover the way to win the favor of the teacher unless he is a 
very 
exceptional man. Yet the habit of passive acceptance is a disastrous one in later 
life. It 
causes men to seek a leader, and to accept as a leader whoever is established in that 
position... It will be said that the joy of mental adventure must be rare, that there 
are 
few who can appreciate it, and that ordinary education can take no account of so 
aristocratic a good. I do not believe this. The joy of mental adventure is far commoner 
in 
the young than in grown mean and women. Among children it is very common, and 
grows naturally out of the period of make-believe and fancy. It is rare in later life 
because everything is done to kill it during education... The wish to preserve the 
past 
rather than the hope of creating the future dominates the minds of those who control 
the teaching of the young. Education should not aim at passive awareness of dead facts, 
but at an activity directed towards the world that our efforts are to create

教師の知恵をそのまま、受動的に受けいれるということは、ほとんどの少年少女に対して
は、楽なことであろう。それには、ひとりで考えるindependent thoughtという努力をほ
とんど要しない。

また教師は生徒より、ものごとをよく知っているわけだから、一見、合理的に見える。そ
れ以上に、この方法は、その教師が、とくにおかしなexceptional人でないかぎり、生徒

とっては、教師に気に入られるための方法でもある。

しかし受動的にものごとを受けいれていくという習慣は、そのあとのその人の人生におい
て、大きな災いdisastrous oneをもたらす。その人は、リーダーを求めさせるようになる。
そしてそれがだれであれ、リーダーとして、その人を受け入れることになる。

子どもには、精神的な冒険mental adventureをする喜びなどというものは、なく、それを
理解する子どももほとんどいないし、ふつうの教育のもつ、貴族主義的なaristocratic教

のよさが、子どもには、わからないと言う人もいるかもしれない。

しかし私は、そんなことは信じない。精神的な冒険というのは、おとなたちよりも、若い
人たちの間でのほうが、ずっとありふれたことである。幼児たちの間でさえ、ありふれた
ことである。

そしてその精神的な冒険は、幼児期の(ものを信じたり、空想したりする期間)the period 
of make-believe and fancyの中から、自然に成長する。むしろあとになればなるほど、す
べてが教育によって、これがつぶされてkillしてしまうので、よりまれになってしまう。

若い人たちを教育する教師たちは、どうしても、未来を想像したいと願うより、過去を保
全したいとい願いやすいdominates。子どもの教育は、死んだ事実を受動的に気がつかせ
ることpassive awareness of dead facts,ではなく、私たちの努力がつくりあげる世界に

って、能動的に向わせることを目的としなければならないthe world that our efforts are 
to 
create。

バートランド・ラッセル(1872〜1970)……イギリスの哲学者でもあり、ノーベ
ル文学賞受賞者

++++++++++++++++++++はやし浩司

●精神的な冒険(mental adventure) 

 精神的な冒険……つまり、今まで経験したことがない世界に自分自身を置いてみて、そ
のときの精神的な変化を、観察する。そしてその中から、新しいものの考え方や、新しい
自分を発見していく。

 それはとても、おもしろいことである。

 新しい発見に出あうたびに、「今まで、こんなことも知らなかったか」と驚くことがある。
それが自分に関することなら、なおさらである。

 その精神的な冒険について、バートランド・ラッセルは、「教育というのは、死んだ過去
の事実を、子どもたちに気づかせることではなく、私たちが創りあげる、未来に向かって
能動的に向わせることを目的としなければならない」(Education should not aim at 
passive awareness of dead facts, but at an activity directed towards the world that 
our 
efforts are to create)と書いている(「In Religion」)。

 では、それを可能にする方法は、あるのか。そこでバートランド・ラッセルは、教育論
の中で、「Independent Thought」という言葉を使っている。直訳すれば、「独立した思想」
ということになる。もう少しわかりやすく言えば、「ひとりで、考えること」ということに
なる。

 少し前、恩師のT先生が指摘した、「Independent Thinker」と、同じ意味である。訳せ
ば、「ひとりで考える人」ということになる。

 ……こう書くと、「ナーンダ、そんなことか」と思う人も多いかと思う。しかしそう思う
のは待ってほしい。

 「ひとりで考える」ということは、たいへんなことである。私たちは日常生活の中で、
そのつど、いろいろなことを考えているように見える。しかしその実、何も考えていない。
脳の表面に飛来する情報を、そのつど、加工しているだけ。それはまるで、手のひらで、
頭をさすりながら、その頭の形を知るようなもの。

 ほとんどの人は、その「形」を知ることで、脳ミソの中身まで知り尽くしたと錯覚する。
しかしその実、何もわかっていない。

 それがわからなければ、北海道のスズメと、沖縄のスズメを、見比べてみることだ。そ
れぞれが、別々の行動をしているように見える。一羽のスズメとて、同じ行動をしていな
い。が、その実、(スズメ)というワクを、一歩も超えていない。

 つまり私たち人間も、それぞれが自分で考えて行動しているように見えるが、その実、(人
間)というワクを、一歩も超えていない。北海道のオバチャンも、沖縄のオバチャンも、
電車に乗ると、世間話に、うつつをぬかす。大声でキャーキャーと騒ぎながら、弁当を食
べる。

 つまりそれでは、いつまでも、Independent Thinker(ひとりで考える人)には、なれな
いということ。Independent Thinker(ひとりで考える人)になるためには、人間は、自ら、
そのワクを踏み超えなければならない。

 しかしそれは、きわめて大きな苦痛をともなうものである。北海道のスズメが、スズメ
というワクを超えて、ウグイスたちと同居を始めるとか、あるいは、自分だけ、家の軒先
に巣をつくらないで、土手の洞穴に、巣をつくるようなものである。

 人間として、それができるかどうか。それがIndependent Thinker(ひとりで考える人)
の条件ということにもなる。

 恩師のT先生は、科学研究の分野で、Independent Thinker(ひとりで考える人)の重要
性を説いている。しかしそれと同じことが、精神生活の分野でも言うことができる。バー
トランド・ラッセルは、それを指摘した。

 ありふれた考え方ではない。ありふれた生き方ではない。ありふれたコースにのって、
ありふれた人生を送ることではない。そういうワクの中で生活をすることは、とても楽な
こと。しかしそのワクを超えることは、たいへんなことである。

 しかしそれをするから、人間が人間である、価値がある。人間が人間である、意味があ
る。私も含めてだが、しかしほとんどの人は、先人たちの歩んできた過去を、そのまま繰
りかえしているだけ。

 もちろん、その中身はちがうかもしれない。先日も、ある中学生(女子)に、「先生たち
も、若いころは、ある歌手に夢中になって、その歌手の歌を毎日、聞いていたよ」と言っ
た。

 するとその中学生は、笑いながら、「先生の時代の歌と、今の歌は、ちがう」と言った。

 本当に、そうだろうか。私はこう言った。「歌が何であれ、歌を聞いて感動したという事
実は、私もそうだったし、君もそうだ。私の父親もそうだったし、祖父も、そうだった。
やがて君も母親になって、子どもをもつだろう。その子どもも、同じことをするだろう。
つまり繰りかえしているだけだよ。

 もし、その繰りかえしから抜け出たいと考えるなら、そのワクから自分を解放しなけれ
ばならない。それが、Independent Thinker(ひとりで考える人)ということになるよ」と。

 しかしこれは私自身のテーマでもある。

 ふりかえってみると、私は、何もできなかった。これから先も、何もできないだろう。
私の家の近くには、仕事を退職した年金生活者がたくさん住んでいる。中には、懸命に、
自分の人生を、社会に還元しようとしている人もいるが、たいはんは、5年前、10年前
と同じ生活を繰りかえしているだけ。

 もし彼らの、その5年とか10年とかいう時代をハサミで切り取って、つないだとした
ら、そのままつながってしまう。そういう人生からは、何も、創造的なものは生まれない。

 死んだ過去に固執していてはいけない。大切なことは、未来に向かって能動的に進むこ
とである。

 ついでに、バートランド・ラッセルは、「精神的な冒険」のおもしろさについて、書いて
いる。

 私もときどきする。去年は、F市に住む女性と、精神的な不倫を実験してみた。もちろ
んその女性には、会ったことはない。声を聞いたこともない。私のほうから、お願いして、
そうした。

たった一度だったが、私に与えた衝撃は大きかった。結局、この実験は、相手の女性の心
をキズつけそうになったから、一度で終わったが、しかしそのあと、私は、自分をさらけ
出す勇気を、自分のものにすることができた。

 だれも考えたことがない世界、だれも足を踏み入れたことがない世界。そこを進んでい
くというのは、実に、スリリングなことである。毎日が、何かの発見の連続である。そし
てそのつど、さらにその先に、目には見えないが、モヤのかかった大原野があることを知
る。

 はからずも、学生時代、私の神様のように信奉した、バートランド・ラッセル。そして
そのあと、性懲りもなく、私のような人間を指導してくれている恩師のT先生。同時に、
Independent Thinker(ひとりで考える人)という言葉を、再認識させてくれた。私はそこ
に何か、目には見えない糸で結ばれた、因縁のようなものを感じた。

 そう、そういう意味では、今日は、私にとっては、記念すべき日になった。

(はやし浩司 Independent Thinker(ひとりで考える人) (はやし浩司 家庭教育 育
児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 保護と依
存 バートランド・ラッセル ラッセルの言葉)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人生の密度(感動と驚き)


++++++++++++++++


人生の密度は、何によって決まるか。
もちろん密度は、濃いほど、よい。
仮に人より2倍、密度の濃い人生を
送ることができれば、同じ時間でも
人より2倍長く生きることができる。
そうでなければ、そうでない。


++++++++++++++++


●サイエンス


 人間にも、コンピューターに似た、「クロック数」のようなものがあるのか?
脳にも回転速度のようなものがあるのか?


 それについては最近では、脳科学が急速な進歩を遂げ、科学的にそれが証明され
つつある。
たとえば2008年、アメリカのサイエンス誌に、こんな興味深い論文が
掲載された。


 それは人間の、(これは人間にかぎらない)、条件反射についての論文だったが、
人間を基本的な部分で動かすシグナルは、どうやら脳下垂体の下部から
発せられているらしいということがわかってきた。
そこからシグナルが発せられると、たとえばドーパミンという神経伝達物質が
放出され、それが線条体などを刺激する。
ドーパミンというのは、人間の欲望と快楽を調整している神経伝達物質をいう。


 わかりやすく言うと、脳の中心部、奥深くで、(生きるための信号)が
常に発せられ、それが生きることの原点になっている。


●子どものシグナル


 子ども、とくに幼児のシグナルは、おとなの私たちより2倍は、速い。
(これはあくまでも私の印象によるものだが……。)
つまり頭の切り替えというか、回転が速い。
もしおとなのもつリズムで、幼児を指導していたら、幼児はそのリズムに乗れず、
あっという間に飽きてしまうだろう。
そのことは、幼児を教えてみれば、よくわかる。
テンポを速くし、小刻みに内容を変えていく。
そうでもしなければ、幼児を、50分なら50分の指導に引きつけておくことはできない。


●クロック数


 脳下垂体から発せられるシグナルに、「クロック数」という概念が当てはまるか
どうかは知らない。
そういう議論もあるかと思う。
が、ここではあくまでも仮説として、こんなことを考えてみたい。


 1秒間に発振する(電圧の最大値と最小値を繰り返す)回数を、クロック周波数という。
コンピューターの世界では、そのクロック数によって、CPU(中央演算装置)の
性能が決まる。
たとえば私が現在使っているパソコンは、インテル社製で、3・06GHzの性能を
もっている。
1秒間に、約3000000000回のスイッチON/OFFを繰り返す。
(すごいね!)
が、もし脳のシグナルの速さを計測できるとしたら、それが脳のクロック数という
ことになる。


 たとえば人間のクロック数が、1000回/秒であるとする。
実際には、それほどもないと思うが、もし1000回/秒であるとするなら、
私のコンピューターは、300万倍の能力をもっていることになる。
能力というよりは、計算速度をもっていることになる。
平たく言えば、私が脳の中で、23x45の1つのかけ算を暗算する間に、
コンピューターは、同じようなかけ算を、300万回、計算できることになる。


 が、ここで重要な問題が起きてくる。
脳の大きさと、伝達速度の問題である。


●伝達速度


 庭を見ていると、今朝もスズメたちがやってきて、餌をついばんでいる。
そのスズメたち。
チョコチョコと動いては、また別の行動をチョコチョコと繰り返す。
行動が素早い。


 3メートルほどの高さなら、ヒョイヒョイと上下し、木々の間を飛び回っている。
人間に例えるなら、100メートル近い山を瞬時に上り下りするようなもの。
また目と脳の距離も短いから、とらえた信号には、即座に反応する。
私が庭へ顔を出した瞬間に、サーッと高い木へと逃げていく。


 ……つまりいくらクロック数が速くても、脳の中の伝達速度が遅ければ、その分だけ、
頭の回転は遅くなる。
つまり脳の大きさと、伝達速度は、反比例する。
(正確に反比例するというわけではないだろうが……。)


 で、私はあるときこう考えた。
もし数億年後、現在のゴキブリが進化し、ゴキブリ人間のようなものが現れたとする。
彼らは時計の秒針よりさらに細かく分けた、1秒を60に分けた針のあるような
時計を作るだろうな、と。
体だが小さい分だけ、脳内の伝達速度は速くなる。
(反対に像のような巨大な生物ともなると、少なくとも秒針は必要ない。)


 結論を先に言えば、クロック数は同じでも、伝達速度が遅くなれば、その分だけ、
脳の活動は鈍くなる。
つまり密度は薄くなる。
(いろいろ反論はあるだろうが……。)


●頭の回転


 ここでは割愛するが、「信号の伝達」という点では、動物の脳は、たいへんのんびり
というか、非効率な方法を用いている。
電線を伝わる電気信号のようなわけにはいかない。
ちょうどドミノ倒しに似た方法で、ひとつずつの神経細胞が、信号をつぎの神経細胞へと
伝えていく。
つまり脳が大きくなればなるほど、人間はより知的にはなるが、その分だけ、反応が
鈍くなる。
単純に考えれば、おとなより、子どもの方が、脳が小さい分だけ、頭の回転が速いという
ことになる。


●密度


 密度……もしここでいう密度が、2倍速くなったらどうなるか……?

 たとえば1時間に1本の映画を観ることができたとする。
もし密度が2倍になれば、それぞれの映画を早送りして、1時間に2本の映画を観る
ことができることになる。
4倍になれば、さらに早送りして、1時間に4本の映画を観ることができるように
なる。


 言い替えると、1時間に4本の映画を観ることができる人は、1時間に1本の映画を
観ることができる人の、4倍、密度の濃い人生を送ることができる。
(実際には、ここまで単純に計算できないとは思うが……。)
しかし密度を濃くするということは、とても重要なことである。
そのことは、あなたの今の生活と、あなたが子どものころの生活を比較してみればわかる。
たとえば10歳から20歳までの10年間と、30歳から40歳までの10年間。
同じ10年間のはずだが、「長さ」そのものが、ちがう。


 このことは、50歳、60歳になってみると、さらによくわかる。
よく「年を取れば取るほど、時間が短くなる」という。
それが実感として、よくわかる。
つまり子どものころのほうが、密度が濃かったということになる。


●密度の計算


 そこで多くの学者たちは、密度の計算式を求めた。
いろいろな説がある。
が、どれも「?」。
で、私は「爆発説」を考えた。
人生をある一定量のガソリンにたとえてみる。


 誕生と同時に、人間は爆発的にガソリンの大半を消費する。
そのあと10年ほどで、2分の1とか、3分の1を消費する。
そのあと10年ほどで、さらに4分の1とか、5分の1を消費する。
それ以後は、わずかに残ったガソリンを、少しずつ使って生きていく。
63歳になった今は、言うなれば燃えかすのようなもの。
残っているガソリンもわずか。
そのことは特養で生活する老人たちを観れば、よくわかる。


 今日は昨日と同じ。
明日は今日と同じ。
そんな生活を毎日、繰り返している。
1年前も、今年も同じ。
10年生きたとしても、10年前と同じ、と。


 つまり人生の密度は、反比例のグラフのように、加齢とともに、小さくなっていく。


●では、どうするか


 具体的に考えてみよう。


 私は今朝は、午前7時に起きた。
昨夜は長男とワイフと3人で、舘山寺(浜松市内から40分ほどの温泉街)へ行って、
温泉につかってきた。
帰りに回転寿司屋に寄って、遅い夕食。


 私はそれからYOUTUBEに動画を1本、アップした。
床に就いたのが、午前0時。
目を覚ましたとき、外気は冷たかった。
が、そのまま眠っていても、起きて運動をしても、1時間は1時間。
私は思いきって起きて、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
(ときどき駆け足もするが……。)


 30分も運動すると、全身に汗をかく。
その運動をしながら、いろいろ考える。
今朝は、今ここに書いている「人生の密度」について考えた。
で、そのままの状態で書斎へ。
メールやニュースを読んだあと、原稿を書く……。


 かなり密度の濃い(?)時間の使い方をしていることになる。
が、その実感が、あまりない。
これはどうしたことか。


 そう言えば、昨夜車の中で、長男がこう言った。
「記憶というのは、感動したり、驚いたりしたときに、強く残るもの」と。


 ナルホド!


 時間を小刻みに使ったからといって、密度を濃くしたことにはならない。
大切なのは、「感動」や「驚き」ということになる。


●ホメオスタシス効果


 が、感動や驚きにしても、それが繰り返されると、回を重ねるごとに、どんどんと
その感動や驚きが薄れていく。
よい例が旅行。


 あちこちへ旅行をし始めたころは、そのつど感動したり、驚いた。
が、回を重ねるにつれて、それが薄れてきた。
最近では、先月行った旅行先のことすら、よく思い出せない。
これもホメオスタシス効果と言ってよいのか。
ウィキペディア百科事典には、こうある。


「恒常性、ホメオスタシス(ホメオステイシスとも)は生物のもつ重要な性質のひとつで
生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性
質、
あるいはその状態を指す。生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重
要な要素でもある。生体恒常性とも言われる」と。


 わかりやすく言えば、同じことを繰り返していると、マンネリ化しやすいということ。
言い替えると、密度を濃くするということは、「感動」や「驚き」を、どう自分の人生の
中に取り込んでいくかということ。
時間を有効に使えばよいということでもないらしい。
もっと言えば、忙しいから、それでよいということでもないらしい。
仮にスズメのクロック数が人間の2倍速いとしても、スズメが人間の2倍、密度の濃い
人生を送っていることにはならない。


●感動と驚き


 以上が、私の偏見と誤解による、「人生の密度論」である。
隙間だらけの、つまりは理論としてはボロボロの仮説に過ぎない。
しかしひとつの結論を得た。


 感動と驚き。


 これを大切にする。
……ということで、今日も始まった。
12月23日。
教室では生徒たちが、クリスマス会を楽しみにしている。
その準備をする。
買い物をする。
生徒たちとワイワイと騒ぎ、楽しむ。
それが直接、ここでいう感動と驚きにつながるとは思わない。
が、しかし心に何かしらのインパクトを与えるだろう。
少なくとも、寝て暮らすよりは、よい。


 さあ、今日も感動しよう。
驚こう。


 では、みなさん、おはようございます。
今日も、がんばります!!!


Merry Christmas!!!


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 人生の密度 ホメオスタシス効果 クロック数 視床下部 シグナル 
人生の密度論)


++++++++++++++++++++


08年と02年に、同じようなテーマで
原稿を書きました。
もう一度、ここに掲載します。


++++++++++++++++++++


●孔子の60代(Confucius on 60's)


+++++++++++++++++++


60代といえば、孔子の生き様が参考に
なる。


孔子(前551〜前479)は、魯に仕え、
大司寇となったが、権力者と衝突し、56歳
から10年間、魯を去って諸国を歴遊したという
(ブリタニカ国際大百科事典)。


その10年間で、孔子は諸侯に道徳的政治の
実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の
教育と著述に専念したという(同)。


『春秋』や他の儒家の経典はそのとき生まれたが、
『論語』は、孔子と弟子の言行録と言われている(同)。


+++++++++++++++++++++


●66歳で


計算すると、孔子は、満73歳前後でこの世を
去ったことになる。
それまでの基礎があったのは当然としても、
今、私たちがいうところの「孔子」は、
ブリタニカ国際大百科事典を参考にすれば、
満66歳前後から73歳前後までに「孔子」に
なったことになる。


ただ釈迦にせよ、キリストにせよ、孔子にせよ、
弟子に恵まれたということ。
弟子たちが、「師」の教えを、後世に残し、伝えた。
もし弟子に恵まれなかったら、釈迦も、キリストも、
孔子も、今に名を残すことはなかった。


それはそれとして、孔子が60歳を過ぎてから
(がんばった)というのは、たいへん興味深い。
言いかえると、「50歳だから……」とか、
「60歳だから……」とか言って、あきらめてはいけない。
……ということを、孔子は私たちに教えている。


が、同じ60歳でも、私と孔子は、どうしてこうまでちがうのか。
ひとつの理由として、中国の春秋時代は、今よりはるかに純粋な時代では
なかったということ。
つまりその分だけ、雑音も少なく、回り道もしなくてすんだ。
それにもうひとつ率直に言えば、当時は、情報量そのものが少なかった。
春秋時代に、人が一生かけて得る情報量は、現代の新聞1日分もなかったのでは
ないか。
言いかえると、私たちは、情報の洪水の中で、何が大切で、何がそうでないか、
それすらも区別できなくなってしまっている。
あるいは大切でないものを大切と思いこみ、大切なものを、大切でないと
思いこむ。


もちろんだからといって、孔子の時代が今よりよかったとは思わない。
釈迦やキリストの時代にしても、そうだ。
しかしここにも書いたように、今よりは、純粋であったことだけは、事実。
たとえて言うなら、子どものような純朴さが、そのまま生きるような時代だった。
このことは、私たちの子ども時代と比べてみても、わかる。


私たちが子どものころには、テレビゲームなど、なかった。
携帯電話もなかった。
しかしだからといって、私たちの子ども時代が、今の子どもたちの時代より
貧弱だったかといえば、だれもそうは思わない。
だから、こと(思想)ということになれば、孔子にはかなわないということになる。


このことは、私たちにもうひとつの教訓を与える。


老後になればなるほど、純朴に生きる。
というのも、私たちは、あまりにも情報、とくに金権教的な情報に毒されすぎている。
人間の命さえも、マネーという尺度で判断してしまう。
そういうものからだけでも解放すれば、ものの見方も、かなり変わってくるはず。


ともあれ、あの時代に、60歳を過ぎてから、「諸侯に道徳的政治の
実行を説いた」というところは、すごい!


さらに「晩年は魯で弟子の教育と著述に専念したという」ところは、
もっとすごい!
だからこそ「孔子は孔子」ということになるのだが、それにしても、すごい!
私たちが頭に描くジジ臭さが、どこにもない。
そういう点で孔子の生き様は、本当に参考になる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
孔子 論語 春秋時代 Confucius はやし浩司 密度の濃い人生)


●朝に道を聞かば……

+++++++++++++++++


論語といえば、『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』。


それについて以前書いた原稿を添付します。


+++++++++++++++++


『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』


●密度の濃い人生


 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い
方によっては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。


 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をい
う。薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きて
いるだけという人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実
感を与える。


 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生き
る目的も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と
生きている人は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。


 先日、三〇年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまっ
た。同じように三〇年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞
くと、仕事から帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚
釣りかランニング。「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。「静かに考え
ることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれない。


 一方、八〇歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あ
なたをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑い
ながら、こう言った。「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役

です」と。そういう女性は美しい。輝いている。


 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを
同じように繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。
あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」の著者、一八三五〜一九一〇)も、こう書い

いる。「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。


 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一
歩、話を進める。


●どうすればよいのか


 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。
私は「無我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。私もある時期、無我夢中で、お
金儲けに没頭したときがある。しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も
残っていない。私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。し
かし何も残っていない。


 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口
三〇〇万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。そん
なある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。「ここでの

日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。決してオーバーなことを書
いたのではない。私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう時期というのは、今、
振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。


 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はま
だ結論出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。


(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中
に、
広い世界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。


 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度
が濃いということにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世
界の問題。他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからと
いって、落胆することもないし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。
あくまでも「私は私」。そういう生き方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くする

とになる。


 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これか
ら先、ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02−10−5)


(追記)


 もしあなたが今の人生の密度を、二倍にすれば、あなたはほかの人より、二倍の人生を
生きることができる。一〇倍にすれば、一〇倍の人生を生きることができる。仮にあと一
年の人生と宣告されても、その密度を一〇〇倍にすれば、ほかのひとの一〇〇年分を生き
ることができる。極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道

聞かば、夕べに死すとも可なり』と。朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方
に死んでも、悔いはないということ。私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、
そういう意味も含まれる。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   4日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page017.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソと小細工

++++++++++++++++

私は、「ウソ」に対して、過剰とも
言えるような反応を示す。
心の中に大きなトラウマがある。
それが反射運動的に激怒となって、
外に現れる。

小細工にしても、そう。
私の心は、同じように反応する。
それが小細工とわかったとたん、
その人への信頼感は、その瞬間、
粉々に壊れる。

ウソと小細工。
見た目には大きく違うが、中身は
同じ。

ウソつきは、小細工が好き。
小細工をする人は、ウソが好き。

++++++++++++++++

●小細工

 小細工をする人は、繰り返し、小細工をする。
小細工しながら、生きている。
思考回路が、そうなっている。
だからそれが悪いこととは、思わない。
ごく日常的な行為として、それができる。
平たく言えば、一事が万事。

 だれがそうとは言わない。
しかしこのタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人はいるはず。
こまかいことに神経をつかい、それでもって相手を、自分の思い通りに動かそうと
する。

少し前に観た映画に、『君に読む物語』(The Notebook)というのがあった。
その中で、ボーイフレンドは、ガールフレンドに毎日手紙を書く。
が、ガールフレンドの母親が、その手紙をそのつど握りつぶしてしまう。
これも小細工。
そういうことが平気でできる人というのは、心がかなり壊れた人とみてよい。

●壊れた心

 心というのは、一度壊れると、もとに戻すのがむずかしい。
一生、不可能ではないかとさえ、思う。
たとえば一度、人間らしい心を失ってしまった人、など。
そういう意味では、幼児期、少年期は、たいへん重要な時期と考えてよい。
この時期の子どもの心は、たいへん傷つきやすい。

 当然のことながら、穏やかで、静かで、心豊かな環境で育てるのがよい。
もちろん両親の暖かい愛情も重要。

 が、意外と甘く見過ごされてしまうのが、赤ちゃん返り。
下の子どもが生まれると、上の子どもにさまざまな変化が現れることがある。
そのひとつが、赤ちゃん返り。
嫉妬という、きわめて原始的な感情がからんでいるだけに、基本的な部分で人間性
そのものをゆがめる。
嫉妬がからむと、人間は、(動物の世界でも似たような現象が数多く報告されているが)、
相手を殺すというところまでする。

 そういう事例を、数多く、私は見聞きしている。

 だから「心」というのは、作るものではなく、壊さないようにするもの。
そういう意味では、私は性善説を支持する。

 人間は本来、みな、やさしくて穏やかな心をもっている。
が、それが何らかの理由で壊れ、そして心をゆがめていく。
たとえば「悪人」とか、「犯罪者」という言葉がある。

 しかし悪人も善人も、大きくちがうようで、それほどちがわない。
紙一重というか、どこかで歯車が狂っただけ。
最初は小さな狂いだったかもしれないが、それが時間とともに大きくなる。
大きくなって、悪人は悪人になり、犯罪者は犯罪者になる。

 少し前、法務省の依頼で、40分x2本の、受刑者用の講演テープを作った。
横浜のラジオ局で収録した。
そのあと全国の刑務所に配布された。
そのときも、そういう話をした。

 そこで重要なことは、まず自分を知ること。
その第一歩が、自分の幼児期を知ること。
「私」を知ることは、すべてそこから始まる。
その方法については、すでに何度も書いてきた。

 話がそれたが、ウソをつく。
小細工を重ねる。
こうした症状も、「壊れた心」という視点に立ってみると、よく理解できる。
繰り返しになるが、「子どもの心は壊さない」。
これは子育てにおける、もっとも重要なポイントということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 小細工 ウソ 嘘 子育ての要 壊れた心)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>


●Happy Learners


BW子どもクラブbyはやし浩司
浜松・Japan


●2010年の終わりに……(年長児、5−6歳のみなさん)2010−12−20


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/_2a2fcKaFjk?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/_2a2fcKaFjk?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12月20日、夜記

++++++++++++++++

PSPを使っての将棋は、連戦連勝。
しかし画面が小さく、私には見づらい。
根を詰めて指していると、すぐ頭が痛くなる。
これはどういう理由によるものなのか。

だからそのつど1試合が、限度。
間に1時間以上の休憩が必要。
・・・というより、将棋ばかりしている暇はない。
楽しいが、そこまで。

++++++++++++++++

●失聴

 左の耳が聞こえなくなって、もう20年以上になる。
「突発性〜〜」という病名が使われ始めたころのことである。
正月も近いというある夜、左耳が焼けるように痛くなった。
熱もあった。
それが一昼夜つづいた。
いろいろな薬をのんだ。
扁桃腺か風邪かと思った。
が、その熱が冷めたとき、左耳は聴力を失っていた。

 で、左耳というのは、右脳に直結している。
身体の神経と脳の神経は、左右逆に交差している。
その右脳は、音楽やグラフフィックなど、アナログ的な働きを得意とする。
一方左脳は、論理や分析、言語や計算などの、デジタル的な働きを得意とする。
だから芸術家には、左利きが多いとよく言われる。
一方、作家や数学者には、右利きが多いとよく言われる。
もっともこの日本では、以前は、左利きは全体の5%前後と言われていた。
左利きは、嫌われていた。
左利きの子どもは、無理に矯正された。
が、実際には、左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている
(日本人は3〜4%)。
原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。
親からの遺伝という遺伝説。
生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

 それはともかくも、左耳を失聴してから、ステレオ音楽がわからなくなった。
音の方向もわからなくなった。
教えていて困るのが、これ。
幼児の声は、みな、よく似ている。
口の動きをみて、その子どもがしゃべっていると知る。
が、もっと困ることがある。

 たとえば一方向から、親の声と子どもの声が、耳に入ったとする。
こういうばあい、頭の中で、音を分離できない。
できないから、親の声と子どもの声が、混ざって聞こえる。
あるいは講演会の席などで、だれかが質問したとする。
そのとき講演会の外を走る車の音と、質問の声がまざって聞こえる。
つまり大きい音に小さい音が、負けてしまう。
質問した人の声が小さいと、声を聞き取れなくなる。

●右脳vs左脳

 さらに論理的に考えると、こうなる。
左耳が聞こえないということは、右脳に直接信号が届かないということになる(?)。
音楽を理解する中枢は、その右脳にある。
が、私は音楽が好きだし、よく聞く。
しばらく聞いていると、よい気分になる。
脳の中で、モルヒネ系のホルモンが分泌されるためと考えられる。
つまり左耳からの信号はなくても、右脳はちゃんと機能している(?)。

 大脳生理学の専門家が聞いたら、「おい、林、それはちがうよ」と言う
かもしれない。
右脳に音楽を司る中枢があるといっても、理解するのは脳の別の部分かも
しれない。
それに右耳から入った信号でも、右脳に届くということもあるかもしれない。
右脳と左脳は、脳梁(のうりょう)と呼ばれる、神経の太い束でつながっている。
左脳に入った信号が、右脳に伝わるということは、じゅうぶん考えられる。
さらに脳には、補完作用というのがある。
たとえば左脳がダメージを受け、言語中枢に支障が出たようなばあい、訓練に
よって右脳がそれをカバーする、など。
さらに最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があるという。
だから女性には、おしゃべりの人が多い、とか。
つまり脳というのは、私たちが考えるよりはるかに柔軟性や適応性がある。

 わかりやすく言えば、脳は使えば使うほど、よくなるということ。
そればかりか、失われた機能まで、回復することもあるという。
これも何かの本で、読んだことがある。
(本といっても、ちゃんとした研究論文だぞ!)

●ボケ

 一方、使わなければ、どうなるか?
・・・というより、50歳も過ぎると、脳の底に穴が開いたような状態になる。
それまで脳の中にあった知識や知恵が、どんどんと下へとこぼれ落ちていく。
みごとなほど(?)、下へとこぼれ落ちていく。
それが自分でも、実感として、よくわかるようになる。
つまり放っておいたら、バカになるだけ。

 それを防ぐためには、2つの方法がある。
(1)頭をよく使う。(いろいろな刺激を多方面から与える。)
(2)失われた分以上に、新しい知恵や知識を脳の中に叩き込む。

 これは私という人間の素人判断。
が、ときとしてボケは、その向こうで始まることがある。
血栓性の脳梗塞や、アルツハイマー病など。
こうなるとお手上げ。
言い換えると、自分ではどうしようもない。
その恐ろしさは、左耳を失聴した私にはよくわかる。
どんなに努力しても、一度切れた神経は、つながらない。
こうした状態が、脳全体で起こる。

●相手にされない

 ボケになると、人に相手にされなくなる。
それがさみしい。
たとえば私たちでも、相手がボケているとわかると、相手にしない。
適当にあしらって、それですます。
「どうせボケた人の言うことだから・・・」と。
言い換えると、自分がボケになると、相手は私を適当にあしらって、
それですますようになる。
相手にされなくなる。

 もっともボケた本人は、それに気づかない。
このことはボケた人と話していると、よくわかる。
「頭のほうは、だいじょうぶですか?」などと言おうものなら、即座に、こんな
返事が返ってくる。
「私は、だいじょうぶです。どこも悪くありません!」と。
アルツハイマー病の初期段階の人ほど、猛烈に反発するという。
取り繕(つくろ)いや、辻褄(つじつま)あわせ、弁解や言い訳が多くなるという。
何かの本で、そう読んだことがある。

 が、それも限度を超えると、つまり本人があきらめてしまうのか、
ボケは急速に進む。
もっともそうなれば、自分がボケていることさえ、わからなくなる。

●メガネ店で

 メガネ店では、補聴器も売っている。
補聴器といっても、ただ音を大きくするだけのものから、耳の状態に合わせて、
きめこまかく調整して使うものまである。
後者のばあい、耳鼻科の医師と相談して使うのがよい。

 それはそれとして、先日、骨振動系の補聴器を貸してもらい、試してみた。
ボリュームは最大。
わずかだったが、左耳でも音を聞くことができた。
そのときのこと。
音がすばらしく奥行きのあるものに聞こえた。
絵画にたとえるなら、それまで白黒だったものが天然色になったような
気分だった。

 けっして大げさなことを書いているのではない。
本当にそう感じた。
と、同時に「私は損をしている」と思った。
美しい音でも、その10分の1も味わっていない。

●相対的

 賢明な人は、それを失う前にその価値を知る。
そうでない人は、それを失ってはじめて、その価値を知る。
健康というのは、そういうもの。
しかし脳の健康には、それが当てはまらない。
失ったことにすら気がつかない。
気がつかなくても、生きていくうえにおいては、ほとんど支障がない。
ボケた人はボケた人なりに、何とか生きていく。
しかもボケというのは、相対的なもの。
私やあなたにしても、若くて聡明な人たちから見れば、ボケて見える。

●今日もがんばろう!

 今は、PSPを使って、脳トレをしている。
PSPの将棋(D3パブリシャー社「The将棋」)では、
レベル20まで難度を調整できる。
で、昨夜ふとんの中で、そのレベル20に挑戦してみた。
結果は、私の負け。
このゲーム機器で遊んで、はじめて負けた。
(もっともPSPのほうでは、そのつど30秒も思考を繰り返す。
私は、5秒以内の速攻。
これは負けたことの言い訳か?)

 ……しかし今朝は、脳がよく働かない。
目の前に、処理しなければならない書類が、4〜5通、ある。
が、どれから手を付けようか……?
何かにつけて、投げやり。
迷っている間に、時間ばかりが過ぎていく。
やはり頭の働きが、悪くなったのか?

 ……ともかくも、今日も始まった。
12月22日。
みなさん、おはようございます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケが始まるとき(グチ論・愚痴論)

++++++++++++++++++

今日(12月18日)、東名西インターの
少し北にある、「S」というレストランで、
遅い昼食をとった。

そのときのこと。
運悪く(?)、その席に案内されてしまった。
隣の席、つまり背側の席に、2人の女性が
座っていた。
1人は、65歳〜70歳。髪の毛は根本が
白く、始末の悪いなりをしていた。
ボサボサの頭に、ヨレヨレの衣服。
この女性を、女Aとする。

もう1人は、40歳前後。
この女性を、女Bとする。
最初、2人は親子かなと思った。
似たような顔をしていた。

が、席についたとき、瞬間、「しまった!」と
思った。
耳のそばで、間断なく女Aがしゃべっていた。
ペチャペチャ、クチャクチャ……
ペチャペチャ、クチャクチャ……、と。
そのうるさいことといったら、なかった。

脳に飛来する情報を、そのまま口にしているだけ。
話の内容が、クルクルと変化していく。
愚痴につづく、愚痴。
ところどころで、わかったようなことを言う。
「人生、前向きにいきなきゃあ」と。
が、それらはすべて、だれかの受け売り。

それに対して、女Bが、適当に相づちを入れる。
女Aはさらに気をよくして、しゃべる。
……しゃべりつづけた。

私は覚悟を決めた。
どんな話をしているか、確かめてみようと。
そういう気になった。

最初は、話のストーリーがつかめず、
苦労した。
内容が理解できなかった。
話の内容が、ポンポンと飛ぶ。
つかみどころがない。
が、5分もすると、おぼろげながら、輪郭が
見えてきた。
どうやら娘のダンナの話をしているらしい。
親類の話をしているらしい。
昔の仕事の話をしているらしい。

よく誤解されるが、ペラペラとよくしゃべるから、
頭がよいということにはならない。
頭のよさは、思考力のあるなしで決まる。
思考の深さによって決まる。
頭のよい人ほど、(子どもでもそうだが)、
相手の言ったことを、一度頭の中で反すうする。
が、女Aのばあい、一方的にしゃべるだけ。
相手の話を聞かない。
聞く耳すら、ない。

私は女Aの話し方の特徴を、そこでメモした。

(1)間断なく、よくしゃべる。
(2)聞き手の意見を聞こうともしない。
(3)相手に意見を求めない。
(4)話のないようが、つぎつぎと変化する。
(5)無表情で、口先だけで話す。
(6)内容が浅い。つまり思考を反復しない。
(7)自己の優位性を、相手に押しつける。
(8)不平不満、愚痴が多い。

私は女Aの話を聞きながら、「人間は、こうして
ボケていくもの」と確信した。

++++++++++++++++++++

●不安神経障害

 愚痴は、アメリカの精神医学会(DSM)の診断基準によれば、不安神経障害の
主症状のひとつになっている。
「Complaint」を「愚痴」と訳すと、そうなる。
つまり愚痴を言うのは、それ自体、心の病気。
だから愚痴は言わない。
聞かない。
相手にしない。

ある賢人は、こう言った。
「怒ったときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても怒るな」と。
けだし名言である。

 原稿をさがしてみたら、昨年、同じテーマについて書いたのを知った。
それをそのまま再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愚痴(Complaint or Grumble)

++++++++++++++++++++++++

英語と日本語を一致させることはできない。
微妙にニュアンスがちがうことが多い。
たとえば「愚痴」を、英語では、「complaint(不平・不満)」という。
しかし「愚痴」と、「complaint」は、どこかちがう?
そういうことはあるが、その「complaint」について、アメリカの精神医学会
(American Psychiatric Association)は、「不安神経障害(Anxiety Disorder)」
の主症状のひとつにあげている(DSMー4)。

愚痴をあれこれ言うこと自体、「障害(Disorder)」のひとつというわけである。
なるほど!
だから、愚痴は言わない。

APAのHPには、つぎのようにある(一部抜粋)。

In behavioral health care as in general medicine, when an individual complains of a 
subjectively experienced disturbance or unpleasant perception such as pain or anxiety, 
we call this a symptom. We distinguish this from a sign such as slurred speech which a
 
professional can observe.
(苦痛や心配ごとのような混乱や不快感について、不平、不満を訴えることを、「症状」と
いい、たとえばおどおどした態度のような、専門家でないと区別できないような症状を、「兆
候」という。)

+++++++++++++++++++++++++

●日本語

 日本語を使っているとき、ときどき、こう感ずることがある。
「日本語って、すぐれているなあ」と。
とくに(心)を表現する用語が、きわめて豊富である。

 たとえば10年ほど前から、欧米では、さかんに「attachment(アタッチメント)」
という言葉が使われるようになった。
「愛着行為(行動)」と翻訳されている。
が、これなどは、「赤ちゃん返り」の類義語と考えればよい(反論もあるだろうが……。)

 心理学で言う「固着」にしても、日本語には、「わだかまり」とか、「こだわり」とか
いう言葉がある。その類義語と考えればよい。(反論もあるだろうが……。)

 さらに日本語には、「取り越し苦労」とか、「ヌカ喜び」という言葉もある。
これなどは、まさに「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつと考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)
精神的に不安定な人ほど、取り越し苦労とヌカ喜びを、いつも繰り返す。

 私たちは専門家ではないから、(逃げるわけではないが……)、要するに、心理学と
いっても、よりよく自分の人生を生きるための道具にすぎない。
またそういう目的のために利用すればよい。
(それでお金を稼いでいる人は別だが……。)

冒頭にあげた、愚痴(complaint)にしてもそうだ。
「愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでない」と考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)

●K子さん(62歳)の例

 当時、私は無料で、電話相談なるものを受け付けていた。
そんなある日、K子さんという女性から、家族の問題について、相談があった。
静かで、落ち着いた女性だった……と感じたのは、最初の1回目のときだけ。
それにつづく相談は、まさに「?」としか思えないようなものだった。

 いくつか特徴があった。

(1)一方的にしゃべるだけ。
(2)不平、不満をしゃべるだけ。
(3)「では、どうすればいいのか」という話し合いができない。
(4)ことこまかに、どうでもよいことを、しゃべるだけ。
(5)つぎの相談のときには、前の相談のことを忘れてしまっている(?)。
(6)前回の相談のときの矛盾をつくと、パニックになる。
(7)「私はすばらしい」「まちがっていない」ということを強調する。
(8)私が反論的な意見をそえると、それに猛反発する。
(9)子どもの相談といいながら、ときとして、夫や姑の話になる。
(10)そういう電話が、毎回、ときに1時間以上も、ねちねちとつづく。

 当時の私は、「愚痴を聞いてやるだけでもいいのでは」と考えて、K子さんの
言うままにしておいた。
しかしまともに聞いていると、こちらまで気が変になりそう。
そう感じたから、ときには受話器を耳からはずして、「そうですか」「そうですね」だけを
繰り返した。
一度だが、私の方から電話を切ろうとしたことがある。
とたん、K子さんは、パニック。
激怒。

「どうして私の話を聞いてくれないのですかア!」と。

●愚痴 

 「愚痴は言わない」というのは、さわやかに生きるための大鉄則。
だが、同時に、「他人の愚痴を聞かない」というのも、重要。
愚痴には、恐ろしい魔力がある。

 仏教でも、肉体の奴隷になることを、強く戒めている。
もし肉体の命ずるままに、精神が動揺したら、人間はそのまま畜生と化す。
その中でも、とくに警戒すべきものが、『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』。

ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』をいう。

 要するに、(愚かさ)が極まった状態を、『痴(ち)』といい、それが愚痴の語源に
なっている。
わかりやすく言えば、愚痴を言うこと自体、その人が愚かであることを意味する。
その(愚かさ)に接していると、接するこちら側まで、愚かになる。
だからある賢人は、こう言った。

 「怒っていたら、愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな」と。
けだし、明言である。

 ともかくも、愚痴を言うということ自体、アメリカでは、精神障害(mental disorder)
を疑われるということ。
日本では、愚痴を軽く考える傾向があるが、アメリカでは、そうでないということ。
気をつけよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 complaint 不安神経障害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●追加

 昨年書いた原稿に、今日の経験を追加してみる。

 私は女Aよりも、女Bのほうに、興味をもった。
介護士ではない。
ヘルパーでもない。
友人や娘でもない。
これについてワイフが、あとでこう話してくれた。
「今はね、ああいうふうに老人の話を聞くだけのヘルパーさんも、いるのよ」と。

 知らなかった!

 そこでネットを使って調べてみると、つぎのようなことがわかった。
介護ヘルパーのばあい、被介護者の話をよく聞くというのも、重要な仕事のひとつに
なっているということ。
「聞いてやるだけでも、老人は安心する」と。

 ナルホド!

 また聞き役専門のヘルパーというのはいないが、ある「何でも屋」の広告には、
「老人の話し相手になる」というのもあった。
つまり孤独な老人を相手に、聞き役になる、と。
話を聞いてもらえるだけでも、孤独な老人には、助けになるらしい。
しかしその老人自身は、どうなのか?
それで満足するのか?
見知らぬ相手に、愚痴を並べて、それで救われるのか?
相手は、仕事のひとつとして、話を聞いてくれる。
が、私なら、そんな相手に、内輪の話はしない。
ふつうの思考力のある人なら、そう考える。
しかし、そういう判断力も、ない。
ないから、やはりそういう話し方をする人は、ボケ症状が始まっているとみてよいのでは。

 レストランを出てから、ワイフとこんな会話をした。

私「愚痴を言わないことだよね」
ワ「そうね」と。

 ところで私はよく愚痴をこぼす。
しかしこと私のワイフにかぎっていえば、結婚してから40年近くになるが、私は
ワイフが愚痴をこぼしたのを聞いたことがない。
つまり不安神経障害とは、それだけ無縁ということ。
うらやましい。

 で、この原稿の結論。
それは先に書いた。
つまり愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでないと考えてよい。
あるいはボケの始まりと考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 愚痴は聞いても怒るな 怒ったときは愚痴を言うな
 グチ 不安神経障害(DSM))


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『トロン(TRON)』

+++++++++++++++++++++++

前作を見てから、25年(?)。
前作が衝撃的だったから、期待も大きかった。
当時主流になりつつあった、レーザーディスク版も買った。
当然、何度も観た。

が、時代は変わった。
映画も変わった。

昨夜、その映画、つまり『トロン』を観てきた。
星は2つか3つの、★★+。
(かなり、がっかり!)

3D映画だったが、それほどの迫力もなかった。
先週観た『ロビンフッド』が、よかったこともある。
そちらは、星4つの、★★★★+。
久々に、「これが娯楽映画!」と言わせるような映画だった。
その反動?
感覚が鈍化したため?
今では『トロン』程度の映画なら(失礼!)、いくらでもある。
たくさん観てきた。
ワイフはこう言った。
「前宣伝が派手な映画ほど、がっかりすることが多いわ」と。

半分、同感。

+++++++++++++++++++++++

●DVD『運命のボタン、THE BOX』

 この原稿を書き始めたころ、ワイフもこたつの中で、『運命のボタン、THE BOX』
というDVDを観始めた。
劇場で上映されたとき、忙しくて見損ねた。
で、今夜になった。
私はパソコン、ワイフはDVD。
が、途中から、おもしろそうだったので、原稿を書くのをやめ、合流。
あら筋は、つぎのよう。

 宇宙の知的生命体(たぶん、火星人?)が、人間の「質」を試すという筋書き。
そのために、ボタンのついたBOX(箱)を、人間に渡す。
「押せば、100万ドルをあげる。しかし押したとき、どこかでだれかが死ぬ」と。
が、どこでだれが死ぬか、それは当人たちにもわからないという。

 その映画を観ながら、私なら、迷わず押すと思った。
100万ドルといえば、約1億円。
もともとインチキ臭い話。
押してダメもと。
第一、そんな話は信じない。
本当に100万ドルもらえるとは、思わない。

つまり欲望vs理性ということになれば、私のばあい、欲望のほうが、はるかに強い。
こういうケースでは、理性の力で欲望をコントロールするのは、たいへんむずかしい。
で、それを見て、火星人は、人間というか人類の「質」を判断する。
いうなれば投票のようなもの。
ボタンを押す人間がより多ければ、人類を絶滅させる。
押さない人間がより多ければ、人類を存続させる、と。
(しっかりと観ていたわけではないので、このあたりの展開は不正確。)

 映画自体、少し回りくどい。
全体としてわかりにくい構成になっている。
何もそんな手のこんだ方法を使わなくても、人間の「質」を知る方法は、いくらでもある。

 ストーリーは、1組の夫婦が、そのモニター(?)に選ばれるところから始まる。

●摂氏400度

 この映画を別として、こんなことを考えてみたい。
つまり人間にはその価値があるかどうか。
地球上で存在する価値があるかどうかということ。
もしそれを判断せよと言われたら、あなたなら何と答えるだろうか。
たとえば地球温暖化が、温暖化程度ではすまなくなり、いよいよ火星化するとわかった
ときでもよい。

 人間という一種類の動物のために、そんほかのありとあらゆる動植物が、犠牲になる。
それでもあなたは、「人間は存在すべき」と判断するだろうか。
どうせ人間も絶滅するなら、ほかの動植物を存在させるためにも、早めに人間を絶滅
させたほうがよい。
私ならそう考えるし、それが常識的な判断ということになる。

が、人間は、簡単には絶滅しない。
ありとあらゆる無間地獄を経験してでも、人間は最後の最後まで生き残ろうとする。
あがく。
もがく。
最終的に、地球の平均気温が摂氏400度になっても、だ。
(摂氏で、400度だぞ!)
実は、それがこわい。

●SFファンなら、必見映画

 『BOX』の中では、火星人は人間の欲望の醜さを知り、全体として、人間を
絶滅させる方向に考えているようだ。
が、その1組の夫婦の「愛」を知り、考え方を少し改めたかな(?)というところで
映画は終わる。

 映画の撮り方をまちがえると、とんでもない映画になりそうな映画。
が、そこはアメリカ映画。
実にたくみに、かつ、俳優の名演技でカバーしていた。
お金をかけ、ていねいに制作されていたこともある。
星は『トロン』より1つ多く、3つの、★★★。
SFファンなら必見。

 で、先の話に戻る。
もしあなたにその選択が任されたら、あなたはどう判断するだろうか。
「人間は存続する価値があるか、どうか」と。

 で、同じ質問をワイフにすると、ワイフはこう言った。
「神様なら、どうするかしら?」と。

私「実は旧約聖書にも、似たような話が出てくるね。キリストにしても、最後の
晩餐のあと、そういう選択を迫られる」
ワ「キリストは、すべての人間の罪を背負って、自ら犠牲になったというわけでしょ」
私「キリスト教では、そう教える」
ワ「……私なら、どうするかしら……」
私「ぼくなら、迷わず、押すよ。ハハハ」
ワ「そうね、ハハハ」と。

●批評

 映画『BOX』では、「どこかでだれかが1人、死ぬ」という筋書きになっている。
しかしそれでは弱い。
つまり1人では、弱い。
私が製作者なら、「どこかでだれかが、一度に100人死ぬ」というような筋書きにする。
たとえばその主人公の夫婦がボタンを押したとき、近くで爆発事故が起き、ちょうど
100人が死ぬ、とか。
あるいは夫婦の年齢の数だけ、人が死ぬでもよい。
(あくまでも映画としての、話だぞ!)

 主人公の夫婦は100万ドルを手にするが、同時にそれ以後、良心の呵責に苦しむ。
そのほかの展開は、映画どおりでよい。
どこかでだれかが死ぬといっても、病気や事故で亡くなる人は多い。
「どこかでだれかが、1人死ぬ」では、直接的な因果関係を結びつけるのは、むずかしい。
つまりそのあたりの結びつけが、少し甘い。
(偉そうなことを書いて、ごめん!)

●『トロン』

 一方、『トロン』では、コンピューターの中に、人間が入る。
発想としては、最高におもしろい。
映画の中では、人間のDNAをデジタルDNA化してコンピューターの中に入るという。
そんな筋書きになっている。
が、観ているうちに、いくつかの疑問がわいてきた。
その第一が、感情の問題。

最近の脳科学によれば、感情=脳内ホルモン説が、主流になってきている。
私たちが感ずる喜怒哀楽など、もろもろの情感は、脳内ホルモンによるもの。
コンピューターの中に入った人間には、(仮に入れたとしても)、その情感があるのか。
あるとするなら、どうやってその情感を作り出すのか。

 前作を観てから、いつもどこかで私はそれについて考えてきた。
で、私の得た結論は、コンピューターの内部というのは、おそろしく冷たく、機械的
な世界ということ。
コンピューター内部で、何かしらのホルモンでも分泌されれば、話は別だが、それは
ありえない。

 このことは人間の脳を、そっくりそのままコピーしたばあいを考えてみればわかる。

たとえばあなたの脳を、そのままそっくり、1台のコンピューターにコピーできた
とする。
そのとき、そのコンピューターは、あなたそのもの。
カメラをつけ、マイクをつけ、ついでにスピーカーを取り付ければ、「あなた自身」。
見ることも、聞くことも、話すこともできる。
しかしそのコンピューターに感情があるかいなかということになれば、ない。
コンピューター内部で、どうやってホルモンを合成し、分泌するのか。

 映画『トロン』の中では、コンユーターの中であるにもかかわらず、そこに出てくる
人間は、みな、地上の人間と同じように感情をもっていた。
さらに言えば、「時間」の問題もある。

映画の中では、コンピューターの中の8年間は、地上の1秒に相当するというような
ことを言っていた(記憶により、不正確)。
それはその通りだろうと思う。
であるとするなら、コンピューターの中の父親は、どうして年を取ったのか。
悪玉のコピーされた父親は、どうして年を取らなかったのか。

 また「次元」の問題もある。
コンピューターの中は、上下、左右のない、異次元の世界のはず。
が、映画の中では、地上の様子とまったく同じ。
バイクが、地上を走るバイクと同じように、コンピューターの中を走る。

 ……とまあ、いろいろ考えながら、観た。
そういう点ではおもしろかったが、言い換えると、私自身も、前作から今日までに
観方が大きく変わったということ。
知識もふえた。
それで星は、2つということになってしまった。
『トロン』は、やはり前作だけで終わればよかった。
そのほうが、伝説的価値が残ったと思う。

●付記

 DVD『BOX』を観終えたあと、ワイフとこんな話をした。
「ぼくが映画製作者なら、『未知との遭遇』のリメイク版を作るよ」と。

ワ「どんなふうに?」
私「今度は、宇宙人側に視点を置いた映画にする」
ワ「おもしろそうね」
私「そうだよ。人間とコンタクトするかどうか、宇宙人は迷う。そのためいくつかの
実験を重ねる。反対派や、人類滅亡を主張する宇宙人と、あれこれやりあう。そういう
筋書き」
ワ「おもしろそうね」
私「だろ……」と。

 こういうバカ話は、本当に楽しい。
いつまでしていても、飽きない。
(2010年12月18日夜記)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●韓国の人たちへ(?? ?????!)

●射撃訓練を中止しろ!(?? ??? ????!)

北朝鮮という国を、本気で相手にしてはいけない。
またその価値もない。
「勝った」「負けた」ということになれば、
韓国は、すでに勝っている。
負けているものは、何もない。

????? ???, ???? ???? ??.
??? ? ??? ??.
"???" "??"??????,
??? ?? ?????.
?? ?? ???? ??.

今、君たちがしていることは、竹島でしていることと同じではないか。
延坪島にしても、38度線が、北へ大きく迂回している。
あの島を、韓国の領土と主張するほうが、おかしい。
仮に韓国の領土であるとしても、相手は世界の最貧国。
あんな島のひとつやふたつ、与えてやれ。
早晩、自己崩壊する。
自己崩壊すれば、すべて君たちのものになる。

?? ???????? ??, ?????? ?? ?? ?? ???.
?????, 38 ??? ???? ?? ??????.
? ?? ?? ???? ???? ? ? ????.
?? ??? ?????? ??? ?? ???.
?? ? ? ?? ?? ?, ????.
??? ?? ????.
??? ???? ?? ???? ????.

それよりも私たち日本人に理解できないのは、つぎのこと。
どうして開城工業団地があるのか。
いろいろな思惑があることは、わかる。
わかるが、君たちが今、第一にすべきことは、開城工業団地の閉鎖である。

???? ?? ???? ??? ? ??? ??? ?.
? ?? ??????.
???? ????? ?? ????.
???, ???? ??, ?????? ? ??, ?? ?? ????.

一方で経済援助をしながら、他方で銃撃戦を用意する。
そのおかしさ。
矛盾。
しかしそれこそ北朝鮮の思うつぼ。
君たちは再び、北朝鮮の罠にかかろうとしている。
北朝鮮の独裁者たちは、自国民の注意を外にそらすため、戦争を口実にしている。
どうしてそんな簡単なことがわからないのか。

?? ?? ??????, ???? ???? ????.
? ?????.
??.
??? ?? ???? ?? ??? ?.
???? ?? ??? ?? ???????.
??? ????? ???? ??? ??? ??? ?? ??? ???????.
? ?? ??? ?? ????.

戦争というのは、一度始めたら、最後。
収拾するのに、その何倍もの時間と費用がかかる。
損害が出れば、なおさら。

????? ??, ? ? ???? ???.
?????, ? ??? ??? ??? ????.
??? ?? ???.

君たちが日本を嫌っているのは、よくわかる。
しかしその日本は、アメリカ軍の基地になっている。
佐世保にせよ、横須賀にせよ、はたまた沖縄にせよ、日本の領土だぞ。
日本が基地費用を負担している。

???? ??? ?????? ?? ? ??.
??? ? ??? ??? ???????.
?????, ??????, ?? ??????, ??? ????.
??? ?? ??? ??????.

その日本が、邦人救出のための自衛隊派遣を口にしただけで、「一蹴」とは!
君たちは、2つのことを誤解している。
ひとつは、アメリカはそんな甘い国ではないということ。
日本の沖縄問題をひとつ取りあげてみれば、それがわかるはず。

? ??? ??? ????? ??? ??? ??? "??"??!
???? 2 ??? ??????.
??? ??? ?? ??? ??? ??? ?.
?? ???? ??? ?? ?? ?? ??? ? ???.

もうひとつは、日本には、朝鮮半島侵略の意図は、みじんもないこと。
戦時中はどうであれ、現在の日本という国は、そういう国。
もう少し、日本を信頼してみたらどうか。

? ???, ??? ??? ??? ??? みじん? ??.
??? ???? ??? ????? ??? ?? ??.
? ? ??? ?? ?? ???.

今、ここで局地戦であるにせよ、戦争を始めたら、ソウルは本当に火の海になる。
仮に3日で北朝鮮を制空権を掌握できたとしても、ただではすまない。
10万人単位の、狂信的な工作員がいることを忘れるな。
貧者には貧者の論理というものがある。
彼らは、その貧者の論理にしたがって生きている。
「俺たちが貧しいのは、お前たちが富を独占しているから」と。

??, ???? ?? ?? ?????, ??? ???? ??? ?? ??????.
?? 3 ? ??? ?? ?? ??????? ??? ????.
10 ?? ??? ???? ??????? ?? ?? ??.
??? ??? ???? ????.
??? ? ??? ??? ?? ????.
"??? ??? ?? ??? ?? ???? ?? ??"???.

それよりも重要なことは、人権問題を先頭に、北朝鮮を自己崩壊に導くこと。
中国を孤立さえ、中国を動かすこと。
中国が北朝鮮を支える限り、北朝鮮は自己崩壊しない。
が、中国が動けば、北朝鮮は崩壊する。
すでにその兆候は見えている。

???? ??? ?? ?? ??? ???? ??? ??? ?????.
??? ????? ??? ??.
??? ??? ???? ? ??? ??? ???? ???.
??? ??? ???? ???, ??? ????.
?? ? ??? ?????.

君たちが今日、しようとしていることは、竹島で射撃訓練をするようなもの。
実効支配というのを確立したという気持ちは、よくわかる。
しかしそんなことをしても、世界の人たちは、君たちの行為を笑うだけ。
自分たちの島でないことを、自分たちがよく知っているから、無理をする。
どうしてそんなことが、わからないのか。

???? ??????? ??, ?????? ?? ????? ?.
?? ???? ?? ??????? ??? ? ??.
??? ?? ???? ??? ???? ???? ??? ???.
???? ?? ???? ??, ??? ? ?? ?? ??? ?????.
? ??? ?????

また君たちは「正義」という言葉をよく口にする。
しかし一歩離れて、この日本から見ていると、君たちも北朝鮮も同じ。
思考回路が、実によく似ている。
些細なことにこだわり、すぐ頭を熱くする。
少しでも批判されると、それに対して過剰反応する。

?? ???? "??"?? ?? ?? ?? ???.
??? ? ?? ???? ???? ??, ???? ??? ????.
?? ??? ?? ????.
??? ?? ?? ?? ??? ?????.
????? ???? ??? ?? ???? ????.

いいか、ここで戦争の火ぶたを切れば、一番喜ぶのは、アメリカだぞ。
アメリカの軍需産業だぞ。
君たちは、それに操られているだけ。

???, ???? ??? ??? ?? ?? ???? ?? ????.
??? ?? ????.
???? ??? ???????.

この日本にしても、そうだ。
朝鮮半島が有事ということにでもなれば、日本の経済も大打撃を受ける。
無事ではすまない。
仮に北朝鮮を抑え込み、解放したとしても、そのあと莫大な請求書が舞い込んでくる。

? ????? ???.
???? ??? ??????? ?? ??? ? ??? ???.
?? ????.
?? ??? ???, ???????? ? ? ??? ???? ?? ??

だから、ここは冷静に。
射撃訓練をしたければ、ほかの島ですればよい。
ああいう暴力国家を、本気で相手にしてはいけない。
日本には「負けるが勝ち」という諺がある。
韓国にもあるかどうかは、知らない。
つまり負けたふりをして、勝つ。
それとも君たちは、あんな国と、心中するつもりなのか。

??? ??? ????.
?? ????? ??? ?? ???????.
?? ?? ???, ???? ???? ??.
???? "?? ???? ?"??? ?????.
???? ??? ??? ???.
??? ???? ???.
??? ???? ?? ??? ?? ????.

へたをすれば、何十人、何百人、あるいは何万人という人が死ぬ。
あんな小さな島のために。

だから、あえて言う。

韓国の人たちよ、射撃訓練を中止しろ!

????? ?? ?, ?? ? ?? ?? ???? ??? ???.
?? ?? ? ???.

??? ?? ???.

?? ?? ??, ?? ??? ????!

2010年12月20日、朝記
2010 ? 12 ? 20 ? ??

++++++++以下、Yahoo News より++++++++

韓国の聯合ニュースは20日、韓国軍が同日午前にも、延(ヨン)坪(ピョン)島周辺の
黄海で海上射撃訓練を実施すると伝えた。ただし気象条件によっては午後になる可能性も
あるという。韓国軍合同参謀本部は、気象条件の良好な日を1日選んで実施するとしてお
り、訓練は1日で終了する見通し。(2010−12−20)

++++++++以上、Yahoo News より++++++++

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

SK様へ (To Ms. SK:)

+++++++++++++++++

今朝は、こんな実験をしてみます。
ちょっとおもしろい実験です。

グーグルの翻訳サービスを利用して、一度、日本語を英語に翻訳してみます。
つぎに今度は、その英語を、日本語に翻訳してみます。
元の日本語に、どこまで戻るか。
たいへん興味があります。

言い忘れましたが、おはようございます。
NJって、どんなところか、たいへん興味をもちました。
またいつかNJの話をしてください。

では、実験、開始です。

+++++++++++++++++

こんにちは!
昨日は、忙しい1日でした。
まず起きて、草刈り。
草払い機というエンジン付きの機械で草を刈ります。
それが終わると、1時間ほど、ランニングをしました。
歩いたり、駆け足をしたりのランニングです。

それから近くの大型DIYショップへ行き、電気ストーブを購入しました。
この寒さです。
家に帰り、寝室を、和室から洋間に移動しました。
和室はすきま風が入ります。
それでそうしました。

で、夕方になり、ワイフといっしょに買い物。
土日は、私が料理をすることが多いです。
また先日、SONYの、ゲーム機を買いました。
PSPというゲーム機です。
これが結構楽しくて、今、毎日のように楽しんでいます。
で、あちこちの店で将棋のソフトがないか、さがしてみました。
が、ありました。
2000円弱でした。
即、購入。
そのソフトを相手に、今のところ、5戦5勝です。
もともと子ども相手のソフトですから、弱いです。

++++++++++++++++++++

まずここまでを翻訳してみます。
以下がその結果です。
お笑いになると思います。

++++++++++++++++++++

Hello!
Yesterday was a busy day.
Wake up first mowing.
Mow the grass with a machine equipped with aircraft engine plant pay.
When you are done, about 1 hour for running.
Walking, and running the fast lane or to.

Then go to the nearby large DIY shop and bought the electric stove.
It is this cold.
Home, the bedroom, Hazama Hiroshi moved from the tatami.
Japanese-style room is filled with drafts.
To do so.

In the evening and went shopping with my wife.
The weekend is that I cook often.
The last Sun, SONY, and bought the game.
This is a PSP game.
This is quite fun, and now enjoys a daily basis.
, And if there are any chess software in stores everywhere, I'm looking.
, But there.
Was about 2000 yen.
Immediate purchase.
Against the software, so far, and five against five wins.
The software was originally from the other children. Weak.

+++++++++++++++++

何となくわかる……という程度の英語みたいですね。
今度は、この英語を日本語に
翻訳してみます。

+++++++++++++++++

こんにちは!
 昨日は忙しい一日だった。
 目覚め第一草刈り。
 航空機エンジン工場支払いを備えたマシンで草を刈る。
 あなたが実行するために、約1時間を行っている場合。
 、ウォーキング、高速車線をまたは実行している。

 その後、近くの大規模なDIYショップに移動し、電気ストーブを買った。
 これは寒いです。
 ホーム、ベッドルーム、ハザマ浩は畳から移動。
 和室は、ドラフトで満たされている。
 に行ってください。

 夕方とでは、妻と一緒に買い物に行きました。
 週末は、私がよく料理ということです。
 最後の日は、ソニー、ゲームを買った。
 これは、PSPのゲームです。
 これは、とても楽しいです今毎日を楽しんでいます。
 どこにでも店舗内の任意のチェスのソフトウェアがあるとしたら、私が探しています。
 、しかし、そこ。
 約2000円だった。
 即時購入。
 ソフトウェアに対しては、これまでのところ、5勝に対して5。
 ソフトウェアは、他の子供たちから最初にあった。弱い。

++++++++++++++++++++++

ハハハ。
以上が、結果です。
やはりこうした翻訳ソフトを使うときは、最初に、きちんとした日本語で書かないと
だめのようですね。

「私は朝、7時に起きました。
それから草刈りをしました」というようにです。
それからできるだけ文を短くするのも、コツのようです。
あまりむずかしい漢字でもだめ。
しかしひらがなで書くと、誤解されてしまう。
いろいろあります。

今朝は、ちょっとした実験をしてみました。
何かの参考になれば、うれしいです。

では、ご家族のみなさんに、よろしく!

Merry Christmas!

はやし浩司


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司   11年   2月   2日号
 ================================  
2011年月2日2日現在……1475号
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【楽しく学ぶ】(幼児教室・1年間の総復習)
 年長児クラス(2010−12−16)

「笑うこと」には不思議な力(パワー)があります。
笑うことによって、子どもは心を開放します。
が、それだけではありません。
前向きな学習姿勢も、そこから生まれます。
2010年度のまとめのレッスンということで、少しハメをはずしましたが、
どうかお許しください。

なおビデオではわかりませんが、教室で直接受ける子どもたちのエネルギー(=迫力)
には、ものすごいものがあります。
このエネルギーを大切にしたいですね。
子どもたちの生き生きとした声を、どうかお楽しみください。

(参考)

●笑いの効用

 笑うと、血液の流れがよくなるそうだ。それだけではないと思うが、「笑うこと」には、
不思議な力がある。それは私自身が、幼児教育の場で、日常的に実感していることでもあ
る。

今度、アメリカ・メリーランドのマイケル・ミラー医師らが、こんな発表をした。
いわく、「血管の内側にある組織が刺激を受けて、血液の流れがよくなることが、調査で明
らかになった。『笑いは健康にいい』との説が医学的にも裏づけられた形だ。なぜ笑うとこ
の組織が活性化されるのかまでは突きとめられなかったが、同医師は『ストレスからくる
血行障害のリスク、減らすことができる』と、笑いの効用を力説している」と。  
(時事通信・05年3月15日 )



●テーマ「楽しく学ぶ」


<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Cv4sjK77KtI?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Cv4sjK77KtI?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>





<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/Bo2NgOIZLc0?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/Bo2NgOIZLc0?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>




<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/pR0NkgmvI5Y?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/pR0NkgmvI5Y?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>




<object width="425" height="344"><param name="movie" 
value="http://www.youtube.com/v/PEdXxW2GfRg?hl=ja&fs=1"></param><param 
name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" 
value="always"></param><embed 
src="http://www.youtube.com/v/PEdXxW2GfRg?hl=ja&fs=1" 
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" 
allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 笑い 不思議な力 笑いの効用 はやし浩司 笑う 魔法の力)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己認識能力

++++++++++++++++

権力に溺れると、自分の姿が客観的に
見えなくなる。
今朝、2つのニュースを読みながら、
そう思った。

ひとつは、民主党の小沢一郎代表に
関するニュース。
もうひとつは、あの北朝鮮。
韓国の国防部新長官を指して、
「戦争狂の反逆者」とこきおろした。

ともに、自分のことがまったく
わかっていない。
つまりともに自己認識能力、ゼロ!

民主党が支持率を落とし続けているのは、
民主党に小沢一郎代表がいるから。
それを忠臣蔵よろしく盲従的に支える
取り巻きがいるから。

北朝鮮については、もう「?」マーク
あるのみ。
韓国を砲撃しておいて、「戦争狂の
反逆者」はない。

2つの記事の一部を抜粋してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本経済新聞社・12月17日より】

民主党の小沢一郎元代表は17日、自らの「政治とカネ」を巡る問題で、岡田克也幹事長が
要請している衆院政治倫理審査会への出席について回答する。
出席要請は拒否する見通しで、岡田氏との会談にも応じず、17日に代理人を通じて岡田氏
側に伝える。
執行部は回答を受け、来週にも政倫審で招致議決する方向で調整する一方、菅直人首相は
直接会談で小沢氏に要請することも検討する。


【ソウル12月16日・聯合ニュースより】

北朝鮮の朝鮮中央通信は16日、国防部の金寛鎮(キム・グァンジン)新長官を「戦争狂」
「民族反逆者」などの強い言葉を用い非難した。

 同日の論評で、金長官は就任のあいさつで「北が完全に屈服するまで対応すべきだ」と
妄言を述べたほか、前線地帯を視察し「北朝鮮指導部と軍が主敵だ」と騒いでまわったと
指摘。
こうした行動は「鮮半島の緊張を悪化させ戦争の導火線に火をつけようとする戦争狂の発
作であり、同族対決を招く危険極まりないでたらめな行動だ」と批判した。
金長官は「かねてから反逆の銃を手に同族対決に血眼になっている醜悪な売国奴、民族反
逆者だ」と、攻撃的な言葉を浴びせた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自分を知る(ジョンハリ理論)

 去年(09年)、『ジョンハリの窓』という題で、原稿を書いた。
それをそのまま紹介します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自分を知る


++++++++++++++++++++++


私の教室(BW教室)のビデオを撮るようになって、
ちょうど2か月。
ほとんど手を加えないで、そのまま紹介している。
「ほとんど」というのは、「選択、カット、編集を
しないで」、という意味。


そのビデオを見ていて、たくさんのことに気づいた。
それまでの私が気がつかなかった部分である。
よい面もあるし、悪い面もある。
ときどき「私って、こうだったんだ」と、自分で
へんに納得することもある。


そういう(私)。
(ジョンハリの窓)理論によれば、私の「盲点領域」と
いうことになる。
それに気づいた。


++++++++++++++++++++++


●ジョンハリの窓


アメリカの心理学者の、ルフトとイングラムの2人が、こんな学説を提唱した。
つまり「私」というときの「私」は、つぎの4つに区分されるという。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分も気がついていて     +     自分が気がついていなくて、
他人も気がついている部分   +     他人が気がついている部分 
(開放領域)         +     (盲点領域)  
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分は気がついているが、   +     自分も気がついていなくて、
他人が気がついていない部分  +     他人も気がついていない部分 
(隠ぺい領域)        +     (未知領域)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
         (参考:深堀元文監修、「心理学のすべて」(日本実業出版社)


2人の学者の名前を取って、「ジョン・ハリの窓」という。
で、私が自分のビデオを見て、再発見した部分は、このうちの(盲点領域)と、
(未知領域)ということになる。


たとえば癖(くせ)。
ビデオを見ながら、「私にはこんな癖があったのだ」と。
これはジョンハリの窓に従えば、(盲点領域)ということになる。
もちろんジョンハリの窓でいう(盲点領域)は、癖のことを言っているのではない。
心の奥深くに潜む、深層心理を言ったものである。
しかし癖は手がかりにはなる。


たとえば私は子どもたちを指導するとき、すぐ「わかった?」とか、「わかったか?」
と言う。
よい言葉ではない。
私はそう言いながら、わからないでいる子どもを無視して、そのまま先へと進んで
しまう。
この言葉は、そういうときの自己弁解として使われる。
つまり、イヤ〜〜ナ言葉!


で、それを見て、このところその言葉をできるだけ使わないようにしている。
ほかにもある。


●未知領域


自分でも気がついていなくて、他人も気がついていない部分を、「未知領域」
という。
が、中に、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語(?)する人がいる。
しかしそういう人ほど、本当のところ、自分のことがまったくといってよいほど、
わかっていない。
というのも、脳みその活動領域をみるまでもなく、私たちが「私」として意識
する部分というのは、恐ろしく小さい。
一説によると、数10万分の1と言われている。


だから謙虚になるのが、よい。
「私は自分のことが何もわかっていない」という前提で、自分を見る。
すべては、ここから始まる。


いろいろな方法がある。
たとえば私のばあい、幼児を教えることによって、始終、自分を見つめることができる。
これには、2つの意味がある。


よく幼児の中から、幼児期の私に似た「私」をさがすことがある。
「私も幼児のころ、こういう子どもだったんだなあ」と。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。
あるいは自分と同じような生い立ちをもった子どもを知る。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。


たとえばこの方法で、私はいつだったか、私も、帰宅拒否児であり、愛情飢餓の状態
だったことを知った。
そしてそれがいまだに尾を引いているのを知った。


もう一つは、相手が幼児のばあい、容赦なく、私を批評する。
「先生の口は臭い(=口臭がする)」に始まって、「先生は、ジジイだ」というのまで
ある。
子どもというのは、そういう意味で正直。
私の盲点を、ズケズケと指摘する。
頭にカチンと来ることもあるが、そこはそこ。


そういう意味では、私は、職場を通して、いつも自分を見つめなおすことができる。


●私を知る


最近の研究によれば、「私」と言える部分は、実はほとんどなく、そのほとんどは、
脳みその中の別の部分に操られているだけということがわかってきた。
条件反射運動を例にあげるまでもない。


愛煙家は、タバコの臭いをかいただけで、あるいはアルコール中毒の人は、
酒のコマーシャルを見ただけで、猛烈な欲求がわくのを感ずる。
そういう人たちは、「私は私だ」「自分で考えて行動している」と思いがちだが、
実際には、ドーパミンという神経伝達物質によって操られているにすぎない。


これが「性欲」となると、人間の活動のほとんどの部分にまで、影響を及ぼしている。
中学生や高校生が、スポーツでがんばるのも、あるいはファッションに興味をもつのも、
その原点にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)ということになる。
私たちは操られるまま、操られているという意識ももたず、操られている。


だから「私」がわからない。
自分の心を解剖してみたとき、どこからどこまでが「私」で、どこから先が「私」
でないか、それがわからない。
実際には、「私」と言える部分というのは、ほんのわずかかもしれない。


話が脱線したが、「私を知る」ということは、それほどまでにむずかしいということ。


●どうすればよいか?


未知領域があるとして、では、どうすればその未知領域を知ることができるか。
このことは、病識のない認知症の人たちを観察してみると、わかる(?)。


私の近くに、このところどうも(?)という女性(60歳くらい)がいる。
……いた。
(最近になって、アルツハイマー病と診断されたようだが……。)
最初は平気で約束を破ることが気になった。
しかしそのうち、その女性は約束を破るのではなく、約束そのものを忘れてしまう
ことに気がついた。


日時を忘れる。
モノを忘れる。
支払いを忘れる。
預かったお金を忘れる。
計画を忘れる、など。


その一方で、その女性は、こまかいことにたいへんうるさく、私にあれこれと
指示をした。
一言ですむような話を、くどくどと1時間くらいかけて話したりした。
で、私がやんわりとその女性の会話をさえぎった。
「私は、そんなバカではないと思います」と。


するとその女性は何を勘違いしたのか、突然、ヒステリックな声を張りあげて、
こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。


これには驚いた。
驚くと同時に、「この女性は自分のことがまるでわかっていない!」と。
私は何も、その女性のことをバカと言ったつもりではない。
で、しばらくして、こうも思った。


「この女性が未知領域について気がつくときは、あるのだろうか?」と。


しかし答は、わかっている。
その女性がそれに気がつくよりも早く、認知症は進む。
つまりその女性は生涯、自分の中の未知領域に気がつくこともなく、人生を
終えるだろう。


……と考えたとき、それはとりもなおさず、私自身の問題であることを知った。
認知症にならなくても、この先、脳みその活動は、加齢とともに、ますます
鈍くなる。
(その女性)イコール、(私自身の近未来の姿)と考えてよい。


●心理学の世界では……


「心理学のすべて」(深堀元文監修)によれば、未知領域を知るために、いろいろな心理
テストが用意されている。
しかしここでは割愛させてもらう。
というのも、これはテストによってどうこうという問題ではなく、日頃の私たちの
生き方に、深く関係しているからである。
またこのエッセーを書く、目的でもない。


先にも書いたように、「私の中には、私が知らない部分のほうが多い」を知り、
自分自身に対して、謙虚になる。
それによって、私たちは自分のことをより深く知ることができる。
またそういう視点を常にもつ。
つまりは日頃の心がけの問題ということになる。


繰りかえしになるが、もし今、あなたが、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と
思っているなら、あなたは、かなりあぶないと考えてよい。


さらに蛇足になるが、もし今、あなたが、「私の子どものことは、私がいちばんよく
知っている」と思っているなら、それも、かなりあぶないと考えてよい。
それについては、あちこちで何度も書いてきたので、そちらを参考にしてほしい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ジョンハリの窓 ジョン・ハリの窓 ジョンハリ学説 心の盲点 盲点領域 未知領域
はやし浩司 私とは 私を知る はやし浩司 ジョンハリ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己認識能力

 自分を知ることは、本当にむずかしい。
「私のことは、私がいちばんよく知っている」と言う人ほど、実は自分のことを何も
知らない。
「知っている」と自分で、そう思い込んでいるだけ。

 しかし……。
それにしてもなぜ、あの小沢代表は、ああまでがんばるのか?
がんばれるのか?
また北朝鮮は、なぜああまで、トンチンカンなことを言いつづけるのか?
言いつづけることができるのか?

 その答は、ただひとつ。
ともに醜い出世主義にこり固まっている。
古典的な出世主義と言い替えてもよい。
いまだに明治や大正時代の「出世主義」にこだわっている。

 北朝鮮にしても、しかり。
上から下まで、出世主義のかたまり。
だから自分の姿を、客観的に見ることができない。
権欲に振り回されてしまう。
つまりそれだけ、人間として、また国家として未熟ということ。

 欧米の首相たちは、自転車通勤している。
そういうことが、日常的なこととして、ごく自然にできる。
民主主義の完成度が、まるでちがう。
そのあたりから政治にメスを入れないと、日本は変わらない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ジョンハリの窓 ジョン・ハリの窓 ジョンハリ理論 ジョン・ハリ理
論 自分を知る 自己認識 自己認識能力)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【デジタル教科書】(どうして時代の流れに反対するのか?)


+++++++++++++++


昨日(12月17日)、書店に
立ち寄った。
驚いた。
デジタル教科書など、時代の
常識と考えていた。
が、そこにはズラリと、
「デジタル教科書・反対論」なる
タイトルの書籍が、並んでいた。
平積みではない。
棚に、同じ本が、表紙を前に、
10冊前後ずつ、並んでいた。
かなりの威圧感があった。
が、即座に私の脳みそが反応した。


デジタル教科書に反対?
これはどういうことなのか?
どうしてデジタル教科書に、
反対なのか?


隣の韓国では、2011年の4月から、
すべての学校でデジタル教科書が
使われるようになるという(報道)。
それが時代の流れなら、デジタル教科書
に反対する理由などない。
近未来の学校教育を想像してみればよい。
「紙」を使った、現在の教科書の
ほうが、時代遅れ。
地球温暖化防止を理由にするまでもない。


++++++++++++++++


●SONYのPSP


 私は現在、SONYのPSP(電子ゲーム機器)を使って、遊んでいる。
「モンスター・ハンター2G」(通称「モンハン」)。
現在、「3G」が発売になっている。
が、「2G」だけでも、精一杯。
買って、もう10日になるが、いまだに初期ステージの村で、うろうろしている。


 そのゲーム。
子どもたちの心を捕らえて放さない。
ゲーム機器を見せただけで、目の色を変える。
PSPをもっているというだけで、私はみなの人気者になってしまった。


毎日のように子どもたちがいろいろなソフトを見せてくれる。
ゲームの仕方を教えてくれる。
おとといは(15日)は、ゲームを無線LANでつないで、たがいに対戦する方法
を教えてもらった。


 私はそういう子どもたちを見ながら、どうしてこういう機器を、教育に
もっと利用しないのか、と考えた。


●パソコンの世界


 パソコンを使っていない人に、いくらそのすばらしさを説明しても無駄。
理解すらできない。
しかしパソコンがそこにあり、ネットにつながっているということは、
座右に、巨大な図書館があるようなもの。
しかも司書つき。
最近では、私は語句の使い方まで、検索をかけて調べるようになった。
辞書がわりにもなる。


 そのパソコンの世界は、まさに日進月歩。
たった10年前には、10GBのハードディスクの出現に目を丸くした。
それまでは「メガバイト」の時代だった。
それがやっと「ギガバイト」の時代になったと思っていたら、友人から電話。
「台湾製だが、10GBのパソコンが出た。買わないか?」と。
私は、すぐとびついた。


 今では、デスクトップパソコンともなると、1TB(1000GB)
は当たり前。
2TBの時代になりつつある。
搭載するメモリーについても、そうだ。
現在私が使っているデスクトップは、12GBのメモリーを搭載している。


 仮に1TBもあれば、全世界の全学年の教科書を丸コピーしても、おつり
がくるはず。
しかしそんな必要はない。
ネットでつなげば、その?億倍の情報を、居ながらにして、自分のものに
することができる。


 私など、この数年、ほとんど図書館へ行っていない。
それまでは毎週のように、図書館へ通っていたが……。
これが時代の流れ。


●可能性


 デジタル教科書の是非を争っても、意味はない。
というのも、デジタル教科書そのものが、無限の可能性を秘めている。
すでに紙のようにペラペラと曲がるモニター(表示装置)も開発されている。
その気になれば、現在使っている教科書とそっくり同じよな教科書も作る
こともできる。


 どうしても……ということなら、それも可能。
(そんな必要はないと思うが……。)


 が、そこで進歩が止まるわけではない。
デジタル教科書といっても、将来的には、かぎりなく薄く、軽くなる。
さらに学校と子どもを、デジタル教科書を介して、直接つなぐことも可能。
もし「性能がよすぎる」というのであれば、いくらでもダウンサイズできる。
大は、常に小を兼ねる。


 反対派の人たちは、「無駄になる」というようなことを言っているようだ。
そういう話は聞いたことがある。
どうして?


 たとえばもっともシンプルにデジタル教科書を考えてみよう。


(1)教科書を、SDカードのようなものにコピーする。
あとはそのSDカードを学年ごとに、差し替えればよい。
子どもたちは、何冊も教科書をもって歩く必要はない。


(2)全国の教師が、自作のテキストやワークブックを共有する。
それだけでも、膨大な情報量になる。


 いいことづくめで、悪いことは何もない。


 どうしてもっとシンプルに、ものごとを考えることができないのか。


●反対論者


 私は私で、白紙の状態から、この問題について考えたかった。
どういう理由で反対しているのか、今の段階では、私にはわからない。
しかしこの問題を考えるとき、ひとつの大きな問題をクリアしなければならない。
それが「知識と思考」の問題。


 この先、知識は、かぎりなく価値を失う。
知りたいことがあれば、パソコンを使い、その場で知ればよい。
言い換えると、「もの知り」は、お呼びではない。


 その半面、「思考」が重要な意味をもつようになる。
わかりやすく言えば、「自ら考える子ども」。
「自ら考える人間」。


 考えるということは、そこにある事実を加工、分析、さらに論理的に
積み重ねることをいう。
その意識、つまり教育に対する考え方を、基本的な部分で、まず変えなければ
ならない。
すでに多くの大学では、「辞書、参考書、持ち込みOK」という入試方法を
とっている。


(AO入試方法については、学力の低下を理由に、見直す大学がふえているのも
事実だが・・・。)


 つまり「学校教育イコール、知識教育」という、旧態の固定観念を捨てる。
「知識」にこだわるかぎり、便利すぎる文明の利器は、人間をかえって怠惰にする。
それはそうだが、暗記に始まって、暗記に終わる現在の教育システムが、だれも正常
とは考えない。


●過去


 少し話を過去に戻す。


 戦後のある時期までは、日本の電子機器は、世界をリードしていた。
が、それは今では、当時の面影は見る影すらない。
ほとんどの分野を、とくに韓国、台湾に奪われてしまった。


 コンピューター教育にしても、しかり。
なぜに、現在の韓国があり、台湾があるか、それを考えてみればよい。
日本が二の足を踏んでいる間に、彼らは、小学レベルから、コンピューター教育を
始めた。
オーストラリアでさえ、現在34歳の二男が11歳だったから、23年以上も前から、
小学レベルでコンピュータ教育をしていた(南オーストラリア州)。
私が目撃した。
さらにアメリカでは、10年以上も前から、しかも4歳児からコンピューター教育を
していた。
私が目撃した(アーカンソー州)。


 が、この日本では、「教員がいない」「教員資格がどうの」「教授を育てるまでに
20年」「カリキュラムが定まらない」などという、理由にもならない理由を並べて、
結局、コンピューター教育は実現しなかった。


 少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、まず、やってみること。
多少の試行錯誤はあるかもしれない。
失敗もあるだろう。
しかしそんなことを恐れていて、何ができる?


●否定派


 ……という段階で、今朝、反対派の人たちが、どんな理由を並べているか、調べて
みた。
書店にあった本を書いた著者のHPを開いてみた。
そこには、同じようにズラリと、いろいろな人が反対意見を並べていた。
それを箇条書きに、整理してみる(以下、池田信夫氏のウェブサイトより)。


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
(以上、池田信夫氏のウェブサイトより)


●順に検討してみよう


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


★20年前というと、コンピューターの世界では、やっとラップトップ・パソコンが
TOSHIBAから発売になったころ。
そんなとき、今と同じデジタル教科書の話があった?
少なくとも私は知らない。


(なおBTRONについては、池田氏は誤解している。後述。)


私はそのころ東京の秋葉原まで二男を連れて行き、その1台、買った。
値段は40万円を超えていた。
そんな時代の失敗を、今、どうして持ち出すのか?


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


★280円なら、安い!
280円x12か月x12年=40320円。
リースだから、12年後には、さらにすぐれた機能をもった端末機が、現れるはず。
子ども手当てだけも、じゅうぶん、おつりがくる。
教科書会社は巨億の利権にぶらさがり、好き勝手なことをしている。
教科書会社ならよくて、どうしてソフトバンクだと、だめなのか。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


★どうしてここで「英語」が出てくるのか。
「英語教育をやめて、論語を読ませろ」と主張する学者も多い。
英語ではなく、数学や理科では、どうしていけないのか。
英語という「言語」教育であれば、英会話ができる・できないは、つぎの問題。
それに今どき、英語の話せない英語教師はいない!
いつの話をしているのか。
現に今、税金の食い逃げをしている教科書会社を、どうして問題にしないのか?


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。


★教育は、能率だけではできない。
「カリキュラム」という言葉を使って反対する人も多い。
しかし教育は、カリキュラムどおりには、進まない。
相手は、子どもという「人間」である。
そのときの様子をみて、臨機応変に対処する。
それが教育である。


 また「無能」という言葉を安易に使ってほしくない。
同じ公務員の中でも、もっともハードな仕事を強いられているのが、学校の教師。
1週間の間に、「空き時間(=休み時間)」が、カリキュラム通りだと、1〜2時間
しか取れない。
それを教師たちがみな、たがいにやりくりしあって、3〜4時間にしている(静岡県)。
「無能」という言葉を使うなら、まず自分でやってみること。


●「やらまいか精神」


 浜松に住むようになって、40年。
当初、この浜松へ来て、驚いたことが2つある。


 ひとつは、「文化」の「ブ」の字も感じなかったこと。
おそろしく文化の低い町と思った(失礼!)。


 たとえば私が学生時代を過ごした金沢では、毎週のように近くの公民館で、
講演会があった。
大学やその道の専門家が、町の人たちに何かの講演をしていた。
夕方になると、あちこちから三味線や謡(うたい)の音や声が聞こえてきた。
祭りともなると、城内の大学生が率先して参加していたし、コンサートも頻繁に
行われていた。
浜松には、静岡大学の工学部もあったが、学生の「臭い」すら、どこにもなかった。
しかし、この話は、今回のテーマには関係ない。


 もうひとつは、「やらまいか精神」。
無責任と言えば、無責任。
無謀と言えば、無謀。
しかしこの浜松の人たちは、何でも新しいものが、好き。
当時私はいくつかの会社を回りながら、貿易の手伝いをしていた。
社内報も書いていた。
そんなとき私が何か新しいことを提案すると、経営者たちはみな、即座に、
「やらまいか(やってみよう)!」と答えてくれた。
ポンと言えば、ポンと返ってくる。
そんな感じだった。
これを称して「やらまいか精神(魂)」という。


 金沢は何かにつけて、保守的。
それに対比して、浜松は何かにつけて、革新的。
今では、そうした土着性はともに、かなり薄められてしまったが、なくなってしまった
わけではない。
逆算すると、50年前には、その「やらまいか精神」は、もっと強かった。
100年前には、もっと強かった。


だからこの浜松から、HONDAが生まれ、SUZUKIが生まれた。
YAMAHAが生まれ、KAWAIが生まれた。
ROLANDもうまれた。
ホトニクスも生まれた。
ついでにあの豊田左吉も、この浜松(浜名湖の西)で生まれ育っている。
TOYOTAの豊田左吉だぞ!


 もしこの浜松がなかったら、その後の、そして現在の日本はなかった!


●BTRON


 日本全体が、今風に言えば、草食系になってしまった。
おとなしく、万事、事なかれ主義。
池田信夫氏のウェブサイトを読んでいると、それを強く感ずる。
BTRONの話が出たので、ついでに一言。


 BTRONというのは、東京大学の坂村健氏によって開発された、ビジネス向き
OS。
(デジタル教科書の話ではなく、OSの話だぞ!)
当時日本には、アップルのOSのみがあり、Windowsは、まだ実用段階には
入っていなかった。
それで時の政府が、BTRONに目をつけ、全国の学校を基盤に普及させようとした。
が、これに「待った!」をかけたのが、時のアメリカ政府。
「スーパー301条」の適応をちらつかせ、それを抑え込んでしまった。
池田氏が言うように失敗したのではない。
日本が二の足を踏んでいるちょうどそのとき、アメリカによってつぶされてしまった。


 またBTRONは、OS(オペレーティング・システム)の話であって、今回の
デジタル教科書の話とは、まったく関係がない。
BTRONが失敗したから、今度も……という主張には、無理がある。
池田氏は、デジタル教科書とBTRONの失敗(?)を、たくみにすりかえている!


 一方、この日本でもコンピューター教育の動きはあった。
やはり20年ほど前のことである。


 それを全国に普及させようとしたのが、時の通産省。
反対したのが、時の文部省。
失敗したのでは、ない。
その理由は、先に書いた。


再度、平たく言えば、「教員免許をもった工学系の教師がいない」「教員免許をもたない
教師は、教壇に立たせるわけにはいかない」「コンピューターの指導資格をもった
教員を育てるためには、教育学部に、その学部を作らねばならない。そのためには、
20年かかる」と。


●終わりに


 あのとき、BTRONを全国に普及させていたら、その後の日本は大きく
変わっていただろう。
日本には電子産業の分野で、世界をリードする底力があった。
現にアメリカにさえ、一歩も二歩もリードしていた。


もしあのとき、日本がコンピューター教育を推進していたら、その後の日本は
大きく変わっていただろう。
今ごろ世界中のコンピューターで、BTRONが活躍していたかもしれない。
少なくとも韓国や台湾に、遅れを取ることはなかった。
今や日本の電子産業は、風前の灯火(ともしび)。
今では国民1人あたりの所得では、シンガポールに抜かれてしまった。
2025年には、韓国にも抜かれる。


 どうして「やってみないのか!」。


 それがわからなければ、40年前の映画、『2001年、宇宙の旅』を観てみる
ことだ。
あの映画の中に、紙製の本でも出てくれば話は別。
近未来の世界というのは、そういう世界。
どうして今、紙製の教科書にこだわるのか。
その理由が、まったく私には理解できない。


 迷っているヒマはない!


 デジタル教科書は、いますぐ軌道に乗せたらよい。
何を迷っているのか!
「まず、羽ばたけ。体はあとからついてくる!」。


 このつづきは、またあとで書いてみたい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル教科書 電子教科書 教科書のデジタル化)

池田信夫氏のサイト
http://agora-web.jp/archives/1065328.html


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                  
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






戻る
戻る