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2011年         3月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

(2011−3月号マガジン)





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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2011年 2月 27・28日(緊急案内)
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(今回は、未発表の原稿を、臨時に送ります。)

【臨時増刊】

●借りた10円(生涯において2度目の借金)

今夜、山荘へ来る途中、
近くのKR派出所に寄った。
数日前、散歩の途中、そこで電話を借りた。
そのとき「あとで電話代をもって
きますから」と約束した。
一方的な約束だった。
しかし私には、生涯において、
2度目の借金。
私は子どものころから、人にモノを
借りるのがいやだった。
・・・というか、借りたことがない。
「借りるのが、いやな性分(しょうぶん)」。
私が生まれ育った地方では、「性分」という
言葉を使った。
そういう性分だった。

10円玉を袋に入れ、私の書いた本を
一冊、添えた。
で、派出所の中へ。
時刻は午後8時半を過ぎていた。
だれもいなかった。
入り口のデスクの上に、「御用の方は、
電話してほしい」とあった。
私は受話器をあげた。
とたん、「本署です」という声が返ってきた。

「あのう、たいしたことじゃないんですが、
先日、電話を借りたので、10円、返しに
来ました」と。
すると電話の警察官は、こう言った。
「すぐ署員を回しますから」と。

私「わざわざ回していただかなくても、
お金はデスクの上に置いておきますから」
署「それが困るんです。金額の問題では
ないのです」
私「・・・? どういうことですか?」
署「だから金額の問題ではないのです。
そういうことをしてもらっては、困るんです。
すぐ署員を回しますから、そこで待って
いてください」
私「・・・ハア・・・」と。

 私は受話器を置いて、外に出た。
車に乗った。
ワイフが「どうだったの?」と。
「それがね、おおげさなことになってしまってね。
お巡りさんが戻ってくるまで、待っていろと、
そういうことになってしまった」と。

 しばらく私たちは、車の中で待った。
10分、20分、30分・・・。
かなりの時間、車の中で過ごした。
「時間を無駄にした」と、何度か思った。
するとそのとき小型のパトカーがやってきた。
ワイフが「あれよ」と言った。
その言葉が終わらないうちに、私は外に出た。

 パトカーの中には、3人の警察官がいた。
私は思わず、敬礼してしまった。
「おおげさなことになってすみません。
実は、先日、電話を借りたので、10円
返しに来ました」と。
警察官は、「遅くなってすみません」と。
何度も頭をさげた。
さげながら、いちばん年配格の警察官が、
困った表情をしてみせた。
「困るんですねえ。そういうことは・・・。
どう処理していいか・・・困るんですよ」と。

私「電話代ですが・・・」
警「それがね、たとえ10円でも、処理のしようがないのです」
私「そうですかア・・・?」
警「電話代はいいですよ」
私「そうですかア・・・」と。

そのとき1人の警察官が、私のことを
思い出した。
「ああ、あのときの人ですね」と。

 私はそのとき27キロの道を歩くつもりでいた。
しかしKR交番あたりまで来たとき、こむら返しが
起きてしまった。
家まで、あと2、3キロというところだった。
それでワイフに電話した。

私「そうです。引佐町(いなさちょう・浜松市の
北区)から歩いてきた者です」
警「よかったんですよ、電話代は」
私「そういうわけにはいきません」と。

 3人の警察官は、それぞれに「どうしようか」
というような表情をしてみせた。 
私は、警察官の気持ちが理解できた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、10円は
もらったことにします。
そのかわり私が書いた本を置いておきますので、
よかったら読んでください」と。

 私は何か、悪いことをしたような気分になった。
あいさつをすますと、そそくさと、その場を離れた。

 私は10円玉を返すつもりだけだった。
簡単にお金を返せば、それですむと考えていた。
が、警察署には、警察署の内部規約のようなものが
あるらしい。
電話に出た本署の警察官の言葉が、頭の中を横切った。
「金額の問題ではないのです」と。

10円でも、1億円でも、現金を受け取ること自体、
許されない。
どうもそういうことらしい。

車が走り出すと、私はワイフにこう言った。
「だまって置いてくればよかった」と。

 しかし私には、生涯において、2度目の借金。
一度は、同じように、勤め先の幼稚園で借りた。
そのときも電話代の10円だった。
翌日、菓子箱を添えて、10円を返しに行った。
相手は驚いたが、私には、許せない10円だった。
少なくとも学生時代から、はじめての経験だった。
10円でも、100万円でも、同じ。
金額の問題ではない。
他人にお金を借りたのは、そのときが、最初だった。
また最後にするつもりだった。

私「ぼくにとっては、2度目の借金だった」
ワ「そうねエ」
私「2度とお金を借りるつもりはなかった。
が、借りてしまった」と。

 しばらく走ると、小さいが後悔の念が
心の隅から出てきた。
「返しに行かなかったほうがよかったかな」と。
私の小さな行為が、3人の警察官を
呼び戻してしまった。
パトカーによる夜回りを、中断させてしまった。
何か悪いことをしたような気分になった。

 で、そのあとのこと。
つまり電話をしたあとのこと。
しばらく休んでいると、また歩けるようになった。
で、KB交番から、1キロほど歩いたところで、
ワイフが待っていてくれた。
留守番電話の声を聞いてくれた。
しかし交番でお金を借りた話は、しなかった。

ワ「よく歩いたわね・・・」
私「3時間半くらいかな」と。

 
Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)
 
●映画『ウォール・ストリート』(カーク・ダグラス主演)

++++++++++++++++

昨日は土曜日ということで、午後になって
映画館で映画を観てきた。
『ウォール・ストリート』。
カーク・ダグラス主演。
星は2つか3つの、★★。

あまりおもしろくなかった。
・・・というか、よくわからなかった。
字幕の翻訳がよくなかった。
英語のほうでは、ちゃんと主語を入れて
話している。
が、字幕のほうでは、だれがそう言ったか。
それが、よくわからない。
そんな初歩的な稚拙さが目立った。

それにあの映画を理解するためには、
かなりの経済知識が必要。
「レバレッジ」を「てこ入れ」と訳していた。
レバレッジは、レバレッジのままでいいのではないか。
が、それ以上に、私はあの映画を観ていて、
大きな疑問を覚えた。

20代後半の若者が、1億ドル単位のマネーを、
ゲーム感覚で動かす。
その異常さに、どうしてもついていけなかった。

++++++++++++++++

●狂った世界

 まだギャング映画のほうが、わかりやすい。
善玉、悪玉がはっきりしている。
そのギャング映画と、それほどちがわない。
やっていることは、同じ。
が、ウォール・ストリートのほうでは、「リーガル(=合法)」となる。
映画の中でも、「合法的な欲望」というような言葉が出てきた。
つまり合法であれば、何をしてもよい、と。

 が、やはり、おかしい。
最終的にカーク・ダグラスが演ずるトレーダーは、1億ドルを11倍にする。
11億ドル。
日本円で、約1000億円!
ハッピーエンドで終わる映画だが、どうしてハッピーエンドなのか?

 ギャング映画なら、その範囲の、それなりの悪玉どうしの抗争で終わる。
しかしウォール・ストリートでは、ちがう。
現にあのリーマンショック(2008・9月)では、世界中が、大きな影響を受けた。
映画の中でも、実名こそ出てこなかったが、それが大きなひとつの節目になっていた。
つまり善良かつまじめな庶民まで、大きな巻き添えを食らった。

●資本主義

 念のために、申し添えておく。
私は共産主義者ではない。
ことマルクスについては、「マ」の字も知らない。
社会主義者でもない。
政党については、私は浮動票層の1人。
選挙のたびに、支持政党が変わる。

 そんな私でも、あの映画を観ていて、「狂っている」と感じた。
「資本主義社会は狂っている」と。
どうしてたった1、2年で、1人の男が、1億ドルを11億ドルに
することができるのか。
当然そうして得たお金は、だれかの犠牲の上に成り立っている。
わかりやすく言えば、「搾取」したもの。
私のお金かもしれないし、あなたのお金かもしれない。
映画を観終わったあと、少なからず、私はこう感じた。
「まじめに働くのが、いやになった」と。
「まじめにコツコツ働いている自分が、バカみたい」とも。

●感情移入

 本来なら映画の主人公に感情移入し、「よかった!」で終わるはずの映画。
それが最後の最後まで、その感情移入ができなかった。
若い夫婦が、1億ドルを手にする。
1歳になった息子のパーティに、100〜200人の人が集まる。
ふつうのパーティではない。
豪華なパーティ。
まさにハッピーエンドだが、バカ臭ささえ覚えた。
金(マネー)の亡者たちが、金の使い道に困って開いたパーティ。
超ドラ娘とドラ息子が、また別のドラ息子を育てている。
そんな印象をもった。

シンデレラとか白雪姫の話なら、まだよい。
おとぎ話。
現代という舞台で、現実にそういうことをしている人たちがいる。
そこに大きな違和感を覚えた。
 
●アメリカ 

 ご存知ない人も多いかと思う。
現在、外貨準備高のいちばん高い国は中国であり、日本であり、そして
中東の産油国である。
が、世界中で、ただ一か国、外貨準備高ゼロの国がある。
それがアメリカ。
アメリカだけは、外貨を準備する必要がない。
外貨、つまりドルが必要になったら、印刷機を回せばよい。
それですむ。

 一方、この日本は、それだけの外貨をもちながら、自由に換金することさえ
許されていない。
あの橋本政権は、外貨を5%(たったの5%だぞ)、ほかの通貨に換金すると
言っただけで、クビが吹っ飛んでしまった。
時のアメリカ大統領の逆鱗に触れた。
つまり日本という国は、アメリカのドルを買い支えているだけ。
そういう存在。

 また外貨をたくさんもっているからといって、意味がない。
もともと外貨などというものは、通貨の換金のために用意しておくもの。
言うなればタンス預金。
それと同じ。
必要以上にためても、意味がない。
つまり外貨というのは、投資してはじめて生きる。
が、この日本のばあい、その投資もできない。
つまり塩漬け。

そういう世界の国々を犠牲に、アメリカは好き勝手なことをしている。
その中心部が、ウォール・ストリート。
ニューヨークのウォール・ストリート。
映画『ウォール・ストリート』は、その一端を、はからずも私たちに
のぞかせてくれた。

●結論

 で、結論。
現実的な映画であるだけに、疑問ばかり覚えた。
同時進行の形で進んでいくラブ・ストーリーなど、どうでもよくなってしまった。
苦労を知らないドラ娘とドラ息子。
生意気なセリフばかりを口にする。

 あの映画は、言うなれば、アメリカ製の反米助長映画。
イランやアフガニスタンの反米勢力が、反米教育のために使う映画としては最適。
私なら、そうする。
「みなさん、アメリカという国は、ここまで狂っている!
この映画を観れば、それがわかる!」と。

 ワイフもこう言った。
「よく、あんな映画を作ったわね」と。
「隣の金持ちが、いかに自分たちが金を浪費し、ぜいたく三昧な生活をしているか、
それを世界に公開したようなものね」とも。

(付記)もうひとつの違和感

 あの映画『ウォール・ストリート』を制作した制作者は、若い人だと思う。
年齢はわからない。
たぶん30代か、40代?。
少なくとも60代以上の人ではない。
そういう「年齢」は、映画に出てくる老人の扱い方を見ればわかる。

 たとえば息子が義理の父親に、向かって、「あなたは(心の)さみしい人ですね」
と言うシーンがある。
(「かわいそうな人」だったかもしれない。英語では、「a sad man」と言っていた。)
金の亡者のような父親を、批判して言った言葉である。

 その父親を擁護するつもりはないが、私はそのセリフを聞いたとき、
「何、言ってやがる!」と、強い反発を覚えた。
「親の苦労も知らないくせに!」と。
その息子にしても、「1億ドル」というマネーに心を躍らせ、スイスまで、
それを受け取りに行ったではないか。
(映画の中では、「クリーン・エネルギー産業への投資のため」と、正当化していたが)。

 平たく言えば、善玉の若者が、悪玉の老人を攻撃した。
しかし善玉、悪玉といっても、相対的なもの。
同じムジナ。
いくらそうであっても、義理の父親に向かって、「あなたはさみしい人ですね」は、ない。
言い過ぎ。
生意気。
で、息子は、胎内で動く孫の超音波断層映像を、父親に見せる。
父親はそれを見て、やがて生き様を変える。
つまり、で・き・す・ぎ。

 で、最終的に、父親のほうが娘夫婦に許しを乞いにやってくる。
家庭を顧みず、仕事ばかりしていた自分を恥じる。
わびる。
1億ドルという、みやげ持参で・・・。
娘はそれを見て、父親の体の中に、静かに身を寄せる。
このシーンだけを見ても、その映画は、若い制作者によって作られた
ことがよくわかる。

(私なら、娘夫婦のことは忘れ、自分の人生を生きる。
許してもらうとか、そういうことは考えない。
うらみ、つらみも、なし。
考えるだけで、疲れる。)

 そう言えば、先日観た『グリーン・ホーネット』という映画もそうだった。
自分(息子)は、親の稼いだ金を自由奔放に浪費しながら、その一方で、
その親を徹底的に否定する。
父親の銅像を破壊する。
まさに現代の若者を象徴しているかのような映画だった。

 私はこう言いたい。
親だって、1人の人間だぞ。
懸命に生きているんだぞ。
ぜいたくを言うな。
それをそこらの若者に、善人だの悪人だのと、判断されてたまるか、と。

・・・ハハハ、これは老人のグチ?
が、今はわからないかもしれない。
しかしあなたも、私の年齢になれば、私の気持ちが理解できるはず。
子育てで苦労し、幾多の山を越え、谷を越えれば、わかるはず。
世の中は、そんなに甘くない。

 「家庭が大切」というのは、よくわかる。
しかしその家庭を支えるためには、収入がなければならない。
ドラ娘やドラ息子には、そのきびしさがわからない。


Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)

【今日は、日曜日】

●のんびりとした午後、日曜日

 私は昼寝。
こたつの中。
ワイフは美容院へ。
うっすらと目を覚ます。
そのころ、ワイフが戻ってきた。
庭先を横切って、裏の勝手口へ。

 私は横になったまま。
勝手口があいた。
ワイフが入ってきた。
「よく眠った?」と。
「うん」と答えた。

ワ「何か、食べる?」
私「・・・?」
ワ「そばでも作ろうかしら?」
私「うん」と。

●昼寝

 ときどき昼寝をするようになった。
もう数年になる。
毎日というわけではない。
今日は、人に会う約束もなし。
予定もなし。

 夕方前の白い光。
西のほうからまっすぐ目の前の森を照らす。
風は強そう。
全国的に、今日は、雪模様とか。
浜松は、快晴。
薄っすらと白いモヤがかかった水色の空。
それが枯れた木々の間から見える。
寒そう。
もう一度、こたつの中に、身をもぐらせる。

●ミニ・バブル

 明日の予定を立てる。
ひとつはネット証券との契約解消。
残った株を売り払い、全額、銀行へ移す。
この先、何があるかわからない。
町の景気は、ますます悪くなってきている。

 昨日も、「土地は暴落するかもしれない」と書いた。
土地は今、ミニ・バブル状態。
いつはじけても、おかしくない。
だから「投資には向かない」と書いた。

 ・・・というより、税金が高すぎる!
何をするにも、税金、税金、また税金。
紙切れ一枚発行してもらうだけで、今では500円。
土地の売買をするだけで、20%前後が消える。
不動産屋に支払う手数料を加えると、もっと消える。

●フルーツパーク

 市が経営していた、フルーツパークが事実上、倒産した。
今度、民営化されるという。
いったいそれで、どれだけの税金が無駄になったことか。
無駄にしていることか。

 市が経営するこうした娯楽施設は、どこもガラガラ。
本気度ゼロ。
その本気度のなさが、客を遠ざける。

やる気なさそうに立っている職員。
ダラダラとした動き。
愛想も悪い。

 いくつかの飲食店もある。
が、値段ばかり高くて、まずい。
フルーツパークもそうだった。
施設だけは、やたらと豪華。
すべて鉄筋作り。

ディズニーランドにひけをとらない。
が、ディズニーランドは、一部の建物を除いて、
安価な、鉄骨作り。
何のための施設だったのか。
だれが儲けたのか。

 浜松は、もとももとは工業の町。
楽器とオートバイの町。
それが今では、音楽と花木(かぼく)の町。
金持ちの道楽のようなことばかりしている。
だから衰退する。

●寝覚め

 寝覚めは、よくない。
私の文章を読めば、わかる。
不平、不満、悪口、それにグチ。

低血圧のせいか。
それとも血糖値がさがっているためか。
何を考えても、イライラする。
それがこうして文になって表れる。

で、こういうときは、気分転換がよい。
「TY(=DVDショップ)へ行ってこうようか」と。
ワイフに声をかける。
「うん」という、明るい声が返ってきた。

 TYは書店+DVDショップ。
自由に立ち読みができる。
そういうコーナーまで設けてある。
軽食もできる。
つまり、それが本気度。
本気で客を楽しませようとしている。

 こういう時代に商売を成功させようとしたら、本気になるしかない。
その本気度が客に伝わったとき、その店は繁盛する。
飲食店、ホテル、旅館・・・など。
何でもそうだ。
教育もそのひとつ。

 幼稚園でも、園長を見て選ぶ。
園長の本気度が高い幼稚園は、活気がある。
園児も生き生きとしている。
先生同士の掛け声が、飛び交う。
そういう幼稚園では、子どもが伸びる。
そうでなれば、そうでない。
建物の豪華さに、だまされてはいけない。

●TYにて

 今、DVDショップにいる。
「TY」。
・・・あえて伏字にすりこともない。
「TUTAYA」。
このあたりでは、最大のDVD+書店。
ワイフは緑茶テラ、私はキャラメル・テラ。
私はパソコン雑誌、ワイフは旅行雑誌。
先ほど、DVDを4本、借りた。

 目の前のインド人は、i−Podを読んでいる。
たった今、話しかけてみた。
いろいろ教えてくれた。
おもしろそう。

i−Podは、店で見たことがある。
手で触ってみたのは、今日が始めて。
この世界は、まさに日進月歩。
めまぐるしく変化する。
ついていくだけで、たいへん。

 で、今、私がほしいのは、新しいパソコン。
TOSHIBAの新MX。
とくに必要としているわけではない。
気分転換。
パソコンも、しばらく使っていると、あきてくる。
あきてくると、ただの道具。
そうなると文を書いていても、味気ない。

 で、今日のお供は、TOSHUBAのUX。
キーボードが独立している。
打ちやすい。
バッテリーも、6時間ほどもつ。

●学生

 目の前に、1人の男が座っている。
懸命にこまかい英文を読んでいる。
コピーした紙に、しきりに赤線を入れている。
表題は見えないが、ヘッダーに「article(エッセー)」とある。
何かの原稿らしい。

 30歳くらいかと思ったが、顔をあげた瞬間、学生とわかった。
学生・・・自分の学生時代を思い出す。
私は法科の学生だったが、英語の勉強ばかりしていた。
金沢にいたときだった。
下宿の近くに、アメリカ文化センターがあった。
そこで毎日、2〜3時間を過ごした。

 宮崎さんという、館長がいた。
文学者だった。
文学者だったということは、浜松へ来て知った。
毎晩、連続で宮崎さんの書いた本が、ラジオで朗読された。
うれしかった。
で、一度、宮崎さんに電話をかけた。
私のことを、よく覚えていてくれた。

 宮崎??。
名前を忘れた。
遠い遠い、過去の一こま。

●花粉症

 ワイフが話しかけてきた。
伊豆の本を読んでいる。
温泉さがし?
「ここがすてき」とか、そんなことを言っている。
が、鼻声。
花粉症。
数日前から、喉がガラガラすると言っていた。
今日は、朝から鼻がつまると言っていた。

 花粉症による苦しみは、花粉症になったものでないとわからない。
ジクジクと、いつ終わるともなくつづく不快感。
不眠、眠気、呼吸困難、かゆみ、痛み・・・。
粘膜という粘膜、すべてがやられる。
総合的に、その人を苦しめる。

 私も20年以上、苦しんだ。
が、今は、最初の1週間だけ。
毎年、2、3本の注射と、シソの葉エキスだけで治している。

●がん

 少し気分が和らいできた。
よかった。
やはり気分転換というのは、大切。

 ところで今、「免疫学」(ナツメ社)という本を、読んだ。
それによると、がんは、ストレスで起こるのだそうだ。
ストレスが免疫機能を弱体化させる。
それががん細胞の増大を許してしまう。

 免疫機能がしっかりしていれば、数百万個単位のがん細胞を移植しても
がんにならない。
しかしストレスを加えると、数千単位個のがん細胞を移植しただけで、
がんになるという(同書、動物実験)。

 いつか友人のS君(同窓生)がこう言った。
「がんはね、ストレスが原因で起こるんだよ」と。
S君の言ったことは、正しかった。

●朗らかに生きる

 大切なことは、朗らかに生きるということ。
どうもそういうことらしい。
それが結論。

そう言えば、昨日、こんな新聞記事を読んだ。
死刑囚の人たちは、日々に大きなストレスを受ける。
中には、それによって神経を病んでしまう人もいる。
それで政府は、今度、実態調査をすることになったとか。

 ・・・そうだろうな、と思う。
私たちには想像もつかない、ストレスのようだ。
ある死刑囚は、こう書いていた。
毎朝、看守が廊下を歩いてやってくる。
その足音がこわくてならない、と。
その足音が自分の独房の前で止まったとき、
死刑が執行される。
 
 ・・・そうだろうな、と思う。
いくら罪が大きいとはいえ、それを除けば、1人の人間。
脳みそにしても、脳みそ全体が犯罪を犯すわけではない。
ほんの一部が狂う。
狂って、犯罪を犯す。
ほんの一部、だ。
残りの99%以上は、私やあなたと同じ。
99・99%以上は、私やあなたと同じ。

 つまり悪人も善人も、紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
ほんの少し、人生の歯車が狂っただけ。
それで悪人は悪人になり、善人は善人になる。

やはり死刑は廃止すべき。
あれほど残酷な刑罰はない。
残酷すぎる。

+++++++++++++++++

以前、書いた「死刑廃止論」の原稿を
さがしてみる。

+++++++++++++++++

●死刑廃止論(2007年9月記)

+++++++++++++++++

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

+++++++++++++

●犯罪性の認識

 たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という
刑罰の重大性を認識しているかどうかというと、答はNOではないか。ふつうの状態であ
れば、「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行為に走るのを、
思いとどまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bとい
う悪いことをしたら、B罪というように、あらかじめ決めておく。わかりやすく言えば、「こ
れこれ、こういう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいますよ」という意味。

 もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。これによって、犯罪の発
生を予防する。わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことを
したら、こうなりますよと教える」意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうと
いう点で、罰とての「刑」の意味はない。罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から
消えていなくなってしまう。

そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限
はあるのか。

わかりやすい例で考えてみよう。

 ひとりの男が、窃盗をしたとする。その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗
をしたのは、右手」ということで、右手を切断したとする。そうした行為が、果たして刑
罰として、許されるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立
つ。本人は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。また多くの人は、右手を切
り取られた人を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

 しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。
右手を切り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、
それはひどい」と。だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。最高裁が83年に定めた「永山基準」と
いうのが、それ。それによれば、つぎのようにある。

(1) 犯罪の罪質
(2) 動機
(3) 殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4) 結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5) 遺族の被害感情
(6) 社会的影響
(7) 犯人の年齢
(8) 前科
(9) 犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地から
も、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許
される」(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応され
るようになってきている。つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。犯罪そのものが凶
悪化しているという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意
味をもつ。罰すべき(主体)を殺してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失って
しまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰
である」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうだろうか。反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だってい
るかもしれない。たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え
方が変わってきた。「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」
と、ふと思うことが多くなった。ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになった
ら、それ以上に長生きをしたいとは思わない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。死刑に値する凶悪犯であ
るならなおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。刑罰としては、そちらのほうが
ずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人も
いるかもしれない。しかしそれこそまさに、幼稚的発想。思考力がまだじゅうぶん発達し
ていない子どもが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託
したような国なら、いざ知らず、日本のような民主主義国家において、「公」としての組織
体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。しかし民主主義国家では、死刑
にするのは、国民1人ひとりである。つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。私
や、あなたが、だ。もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えている
なら、それこそ、民主主義の放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。ゆいい
つ残るとすれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。愛する人を
奪われ、深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。犯罪者を殺したいほど憎く思
うこともあるだろう。あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるか
もしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題もある。が、それこそ国が考えるべ
き問題ではないだろうか。金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、
そうした心情を、私たちみなが、力を合わせて、救済していく。それとも犯罪者を抹殺し
たところで、その人は、救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの
人と、紙一重のちがいでしかない。どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思
とは無関係に、深みにはまってしまう。私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、
明確な一線を入れることすら、むずかしい。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論というこ
とになる。つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
死刑 死刑廃止 死刑廃止論)

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●家に戻って

 家に戻ったら、午後7時。
NHKの定時ニュースが始まった。
エジプト情勢、チュニジア情勢、それに新燃岳・・・。
そんなニュースがつづく。

 都城市では、土石流の心配が出てきた。
避難命令が出ているとか。
「たいへんだろうな」と思ったところで、何も考えられない。
そう言えば、たった今、メルボルンに住む友人から、メールと映像が
届いていた。
メルボルンに、理録的な大雨が降ったらしい。
友人の家の前が、川のようになっていた。
例年だと、猛暑と乾燥。
水不足と山火事。
が、今年は大雨。

 内心では、よかったと思った。
水不足よりは、よい。
どこか無責任な感想だが、そう思った。

 しかし火山灰は、どうしようもない。
石灰をまぜて、セメントとして利用する。
レアメタルを取り出す。
そういう方法で利用できないものか。
何かの方法で固めて、レンガにするという方法もある。
どこか無責任な感想だが、そう思った。

●日本相撲協会

 NHKでは、スポーツ報道。
野球に、カウリング、ラグビーとつづく。
ふと相撲を思い浮かべる。
どこか胡散(うさん)臭い。
その裏でうごめく、日本相撲協会。

 もし野球チームのだれかが、八百長をしたとする。
相手のチームを勝たせるため、わざとボールを落としたり、三振に終わったりする。
考えてみれば、たいへんな背信行為。
そんな選手が一人でもいたら、チームはバラバラ。
そういうインチキを、みなが、組織的にする。
(日本相撲協会は、限られた関取りだけに責任を負わせ、幕引きにしようとしている
ようだが・・・。)
それがいかに許しがたいものであるかは、野球に当てはめて考えてみるとわかる。

 それにしても顔は心を表すとか。
そういう偏見をもってはいけない。
それはよくわかっている。
しかしこのところ、みな、どうも人相がよくない。
親方や関取の人相だ。
私には、そう見える。

 一方、ほかのスポーツのスポーツ選手たちは、みな、さわやか。
すがすがしい。
そのさわやかさ、すがすがしさが戻らない限り、相撲には明日はない。
胡散臭さだけ、いつまでも残る。

 「国技」という名前をつけて、守らなければならない時代は終わった。
伝統的国技という範囲で、温存していけばよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 2011+++++++++はやし浩司

●2月14日(St.バレンタイン・ディ)に

●野鳥

 今日はSt.バレンタイン・ディ。
神様の日。
そこで神の心。
それについて考えてみる。

・・・というほど、大げさなことではない。
私の家の庭には、毎朝、いろいろな種類の野鳥がやってくる。
スズメ、キジバト、ヒヨドリ、ツグミ、モズ、メジロほか。
名前のわからないのも、2、3種類やってくる。
そういう野鳥が、それぞれの餌を食べる。

 スズメとキジバトに餌をやるようになって、もう20年以上になる。
あるいはそれ以上になるかもしれない。

私は子どものころから、空を飛ぶものは、何でも好きだった。
飛行機、凧、鳥・・・。
とくに小鳥が好きだった。

それでそうしている。

●キジバト

 餌は、農協で、ニワトリ用のものを買ってくる。
10キロ入りで、1500円前後。
1袋あれば、2か月前後はもつ。
その餌を、私は庭にまく。

が、少し前、隣町の豊橋市で、鳥インフルエンザが発生した。
それ以後は、少し離れた、山の中にまくようにした。

 が、今年は、様子が、変わった。
少し前までは、スズメとキジバトしか、来なかった。
が、そこへほかの野鳥が、多数、やって来るようになった。
とくにツグミ。
私とワイフは、「鳥のギャング」と呼んでいる。
気性が荒く、喧嘩早い。
つまり私にとっては、邪魔もの。

 一方キジバトは、庭の栗の木の上で生まれ育った鳥。
昨年の秋に2羽生まれたが、1羽は、どこかへ行ってしまった。
以後、子どものキジバトは1羽だけになってしまった。
いつも庭のどこかで、ポツンとひとりで時間を過ごしている。
私としては、そのキジバトに餌をあげたい。

●ツグミ

 キジバトの世界は、きびしい。
雛でも、ある程度大きくなると、親鳥に追い出される。
いつまでも親子関係がつづくわけではない。
もともと、私の家の庭は、親鳥の縄張り。
わが子でも、容赦しない。

 それを知っているから、最近は餌を2か所に分散してまくようにしている。
が、そこへ最近は、先にも書いたように、ツグミの集団がやってくるようになった。
夫婦プラス子ども。
3〜5羽ずつ、いくつかの集団に分かれてやってくる。
そのツグミが、キジバトを追い払うようになった。
が、これは私の意図したこととは、ちがう。

●不謹慎な話

 神と人間。
その神と人間の間には、大きな「差」がある。
同じように、人間と鳥の間にも、大きな「差」がある。
言い換えると、鳥から見れば、私だって、神ほどの力があるかもしれない。

 そこで仮に、・・・こんなことを書くと、キリスト教徒の人には不愉快かも
しれない。
が、仮に私が「神」であるとする。
ともかくも、仮に私が「神」であるとすると、キジバトは、「わが子」
ということになる。
庭に遣(つか)わした、わが子。
つまり「キリスト」。

(かなり不謹慎な話になってきた!)

 私は鳥の世界に、愛と平和を教えたい。
キジバトを通して、愛と平和を教えたい。
が、今の状況を見るかぎり、ホープレス(=希望なし)。
今の今も、つぐみどうしが、小刻みにギギーッと鳴いて、喧嘩をしている。
先にも書いたように、先住者であるキジバトを追い回す。
何とあさましい世界。
醜い世界。

 「私が餌をまいているのは、お前たちのためではない。
キジバトのためだ。
そのお前たちが、餌を取り合って喧嘩している。
何ごとか!」と。
私は、そう叫びたい。

●自然の掟

 しかし鳥は鳥。
私と鳥の間には、距離がありすぎる。
「差」がありすぎる。
私がいくら鳥どうしの愛と平和を説いても、意味はない。
人間の言葉すら、理解できない。
また理解できるようになるまでに、この先、億年単位の時間が
かかるだろう。

 それに鳥たちは、それでいて、何も悪いことをしているわけではない。
この現象、つまりツグミがキジバトを追い出すという現象は、ここだけ
のものではない。
北海道でも九州でも、同じ現象が起きているはず。
体はキジバトより小さいが、ツグミには、鋭いくちばしがある。
動きも、キジバトよりすばやい。
それに比較して、キジバトは、どこかおっとりしている。
つまりキジバトに勝ち目はない。

 彼らは彼らで、自然の掟(おきて)に従っているだけ。
またその掟があるから、自然界は一定の秩序を保っている。
いくら私が神でも、その掟を破ることはできない。

●わが子

 神がイエス・キリストを「わが子」として、人間世界に遣わした。
キリスト教では、そう教える。
が、当時の地上は、とても楽園と言えるような世界ではなかった。
圧政と暴力、貧困と疫病。
民衆は不幸のドン底で、あえぎ苦しんでいた。
当然、略奪や喧嘩も日常的に起きていたにちがいない。
で、神は人間に、何とかして愛と平和を教えようとした。
結果、今に見るキリスト教が誕生した。

(さらに不謹慎な話になってきた!)

 言い換えると、神と人間との間には、人間と鳥ほどの「差」はないと
いうことになる。
「差」がありすぎたら、神はイエス・キリストを地上へ遣わさなかったはず。
割と近い?
つまり「差」は、小さい?
そんな関係かもしれない。

●庭の鳥と同じ

 そこで神の心。

こうした人間世界をどこかで見ている神は、人間を、どうとらえているだろうか。
「あさましい動物」と思っているだろうか。
それとも、「これも自然の掟」と割り切っているだろうか。

 今朝もニュースサイトを開くと、その種の事件が、ズラリと並んでいた。
人間にはそれなりの知的能力がある。
しかしやっていることは、庭の野鳥と同じ。
わずかな餌を取り合い、喧嘩し、他の鳥を追いかけ回す。
そのあさましさ。
その醜さ。
ふと心のどこかで、「愚かなことをしているな」と思う。
しかしそう思うその心は、私が庭の鳥を見るのと同じ。
あるいは、どこがどうちがうというのか。

 つまりそれが神の目。
神の心。

●St.バレンタイン・ディ

 今日は、St.バレンタイン・ディ。
これから先週受けた、胃カメラの検査の結果を聞きに行ってくる。
一部、組織検査に回された。
かなりあやしいところが、あった。
ドクターは、数回、「念のため」と言った。
が、それでもこわい。
この1週間は、私にとって、地獄のような毎日だった。
私は何を隠そう、心気症。
がんノイローゼ。
食欲も減った。
何をしても、気が重かった。

 数日前に読んだ本には、こうあった。
「がんは、ストレスなどによって、免疫機能が低下したときに増殖する。
がん検診を受け、その結果が出るまでに、本当にがんになってしまう人もいる」と。
あれこれ気をもむうちに、免疫機能が低下し、本当にがんになってしまう人もいる、と。
けっして笑いごとではすまされない。

 さあて、神の心になったところで、これから出かけることにする。
病院へ、検査結果を聞きに行く。
あとの運命は、神のみぞ、知る。

 ハッピー・バレンタイン・ディ!


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【子育てQ&A】

相談(1)小学3年生の母から

 最近同居を始めた夫の親が子どもを甘やかして、ストレスを感じている毎日です。
 宿題が終わるまでテレビは見ないとか、夕飯が近い時間に間食しない……、というよ
うなささいなことですが、注意しているこちらの努力を無にするように子どもの言うこ
とを聞いてしまいます。夫の親だからと遠慮せず、甘やかさないようにガツンと言った
方がいいのでしょうか?

A:あきらめなさい。この種の問題は一度こじれると、別居か、さもなくば離婚かとい
う問題に発展します。(その覚悟と経済的余裕があるなら、ガツンと言いなさい。)あな
たの子どもは、(多少)、スポイルされますが、しかし子育て全体からみれば、マイナー
な(=どうでもよい)問題です。小学3年生ということですから、(多少)ですみます。
少なくともあなたの夫より、悪くなることはありません。(あなたの夫も、同じ両親に
育てられたのですから。)
それよりも大切なのは、こういう状況を前向きに生かし、あなたはあなたで自分の好
きなことをすること。あなたにも夢や希望があったでしょ。それを今、実行するので
す。一人の人間として、したいことを追求します。すばらしいチャンスですよ! 
 で、両親にはこう言います。「お父様、お母様のおかげで、たいへん助かっています。ありが
とうございます」と。両親を責めるのではなく、両親に自覚を促し、子育ての責
任を分担してもらいます。
 ついでに一言。両親があなたの方針に反したことをしたとしても、けっして子どもの
前で、両親のことを悪く言ってはいけません。批判もタブー。子どもは糸の切れた凧の
ようになり、指導ができなくなります。言うとしても、どこがどう悪いか、その行為だ
けにとどめます。あとの判断は、子ども自身に任せます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学6年生の父から

 二男は、6年生の後半から不登校です。きっかけは、友達とのちょっとした行き違い
で起きたけんかです。そのうち学校に行くようになるだろうと思っていましたが、今も
学校に行けないままです。
 中学進学を機会に、本人も不登校から抜け出したいと言っています。親がすべきこと
は、どんなことでしょうか?

A:こういうときの大鉄則は、これ。『暖かい無視』『求めてきた時が与え時』です。あせれ
ばあせるほど、子どもをマイナスの方向に追い詰めてしまいます。暖かく無視します。そ
して子どものほうから何かアクションがあったら、そのときはすかさず相談に乗ってやり
ます。表面的にはどうであれ、あなたの子どもは、あなた以上に苦しんでいます。大切な
ことは、それを忘れないこと。あなたも苦しいでしょうが、その苦しみを、子どもにぶつ
けてはいけません。
 今は時代が変わりました。「学歴」から「一芸」へ。おとなになる道は一つではありませ
ん。この機会をうまくとらえ、子どもの特性、方向性を見極めてみてはどうでしょうか。
そしてそれが見つかったら、あなたは子どもにこう言います。「お前がしたいことをしなさ
い。どんな道であれ、お父さんは、お前を応援するよ」と。
 私の二男も、同じころ、不登校を繰り返しました。しかしそのつど、「生きているだけで
いい」と思い直すことで、乗り越えることができました。
 そのときは遅々として進まない子育て。しかしそれも終わってみると、あっという間の
できごと。不登校など、何でもありません。子どもを信ずること。子どもを支えること。
それがあとあと、今という現在を、光り輝くものにします。平凡は美徳ですが、平凡な生
活からは、親子の太い絆は生まれません。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月期〜始動!

+++++++++++++++++

今朝、講演会の依頼が入った。
大きな総会での講演会である。
うれしかった。
目標ができた。
が、ただうれしいだけではない。
それが励みになる。
9月の講演だが、その日にかけて準備する。
体調を整える。
原稿を考える。
怠けた頭と体では、講演はできない。

それにもうひとつ。
4月からの仕事が順調に動き出した。
教室への問い合わせや、入会申し込みが活発になってきた。
周辺があわただしくなてきた。

がんばろう。
がんばるしかない。

春(3、4月)には、オーストラリアの友人が、2人来る。
それぞれと、近くの温泉に泊まる予定。
今朝、予約をすませた。

負けてなるものか!、・・・ということで、今日も、
運動は2単位(1単位=40分)。
よい汗をかいた。

++++++++++++++++

●group1

 がん検診の結果は、「group1」だった。

 ガン検診のばあい、
group1……良性
group2……良性
group3……良性・悪性
group4、5……悪性ということらしい※。

 ホーッ!

 その「がん」だが、がんも生活習慣病ということが、ますます明確になってきた。
言い換えると、生活習慣に気をつければ、人は、がんにはならない。
生活習慣が乱れたとき、人は、がんになる。
その最大の敵。
それがストレス。

ストレスが、その人のもつ免疫機能を低下させる。
結果として、がん細胞を増殖させてしまう。
がんになる。

●ストレス

 ストレスにもいろいろある。
心的ストレスと肉体的ストレス。
それに薬物ストレスというのもあるそうだ。
同じ薬を長くのみつづけていると、肉体は、それを「ストレス」と判断する。

 ではどうすればよいか。
そのヒントが、「東洋医学」ということになる。
「東洋医学的な生き方」が、その人の体をがんから守る。
黄帝内経・上古天真論篇には、こうある。

いわく、『風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応さ
せ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、
みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥るこ
ともなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』(上古天真論篇)
と。

●言いたくない

 先に『group1』という結果を書いた。

(1)「悪性がん」という意味

 仮にそれが「悪性がん」という意味だったとする。
もしそうなら、私は自分のがんを、公表することになる。
しかし私のような人間が、それを公表しても意味はない。
(有名人の中には、自分の大病を公表する人もいるが・・・。)
公表したからといって、「死の恐怖」が和らぐわけではない。

(2)「シロ」という意味

 仮にそれが「シロ」という意味だったとする。
(group1は、シロという意味だが……。)
もしそうなら一応、検査した範囲では、私は健康ということになる。
しかしそんなことを公表すれば、現在、がんで苦しんでいる人に申し訳ない。
(公表してしまったが……。)
それに「私は健康だ」と言っても、一時的な健康にすぎない。
「この1〜2年は、だいじょうぶだろう」という程度の健康にすぎない。

 私には、どちらでもよい。
どちらであっても、私は私。
いつものように、私は私として、書きたいように書く。
生きたいように、生きる。

ただこういうことは言える。
今は、がんも、簡単に治る時代になったということ。
胃がんにしても、内視鏡で見つけたら、その場で切り取ってしまう。
しかも内科医院でも、それができるようになった。
早期発見の重要さは、ここにある。

●死後の世界

 夕方になって、軽い頭痛。
昨夜は遅くまで義兄の家で、話し込んだ。
あるいは睡眠不足?
それが原因か。

 で、近く、『ヒア・アフター』という映画が公開される。
超能力者をテーマにした映画らしい。
楽しみ。

(個人的には超能力なるものを、まったく認めていない。
そんな私が、「楽しみ」というのも、矛盾していると、自分でも思うが・・・。)

クリント・イーストウッド監督の映画。
どんな映画か。
それを前もって想像するのは、実に楽しい。

 予告編によれば、死後の世界を描いた映画という。
映画の中の話だから、本気で論じても意味はない。
その映画に出てくる死後の世界は、あくまでもイーストウッド監督が描く死後の世界。
そこで私は、どう考えるか?

●私が考える死後の世界

 前にも書いたが、こういうこと。
もし本当に「あの世」があるとするならという仮定の上での話である。
もしあると仮定するなら、実は、「この世」こそが、実は「あの世」ではないか、と。
私たちは本当は、「あの世」の住人で、ときどき「この世」へやってきて、
極楽(天国)や地獄を経験する。

 そのほうが、つじつまが合う。
私たちが「この世」と呼んでいるこの世界には、極楽もあれば、地獄もある。
喜びもあれば、悲しみもある。
人は「この世」で、さまざまな経験をする。
そして死んで、「あの世」、つまり元の世界に戻っていく。

だから私たちが「あの世」と呼んでいる世界の住人たちは、こんな会話をしているに
ちがいない。

A「ねえ、あの世には、寿命というものがあるそうですな」
B「何ですか、その寿命というのは?」
A「要するに、死ぬことらしいです」
B「死ぬって、どういうことですか?」
A「それが私にも、よくわからないのです。消えてなくなるという意味ですかね」
B「ハハハ、そんなバカなことを・・・」
A「ね、今度、一度、あの世へ行ってみますか」

B「それもいいですな」
A「あの世には、極楽もあれば、天国もあるそうですよ」
B「何ですか、極楽というのは?」
A「まあ、ボケーッと、苦労のない世界のことですかねえ」
B「それもつまらないですね」
A「じゃあ、地獄にしようかな」
B「地獄ねえ。何ですか、それ?」
A「苦しみや悲しみが満ちた世界ですよ」
B「苦しみ? 悲しみ? ・・・何ですか、それ?」と。

 『ヒア・アフター』は、いったいどのような世界を見せてくれるだろうか。
興味津々。

(注※)(以下は、大腸がんの判定基準)(メディカル・ユニオンのHPより)

Group1正常粘膜。過形成粘膜。(非腫瘍性で異型のない粘膜組織。)
Group2炎症性あるいは再生性変化。(非腫瘍性で異型を示す病変。)
Group3腫瘍性で軽度から中等度異型を示す病変。(軽度〜中等度異型の腺腫。)
Group4高度異型の腺腫。(腫瘍性で高度異型を示す病変。)
Group5癌と断定。(明らかに癌と診断しうる異型を示す病変。)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●情愛論(心の暖かい子どもvs冷たい子ども)

++++++++++++++++++

基本的には、子どもの(=人の)の情愛は、
母親によって、乳幼児期に作られる。
この時期、母親の暖かい情愛に恵まれた
子ども(=人)は、暖かい情愛をもつ。
そうでなければ、そうでない。

++++++++++++++++++

●心の暖かい人vs冷たい人

 情愛の深さは、相対的なもの。
情愛の深い人には、心の冷たい人がよくわかる。
が、心の冷たい人からは、情愛の深い人が、わからない。
お人好しか、ばあいによっては、ただのバカに見える。

 その情愛の深さは、共鳴性によって決まる。
相手の悲しみや苦しみ、さみしさやつらさを、より深く共鳴できる人を、情愛の深い
人という。
が、これには個人差がある。
程度の差もある。
幅のちがいもある。

 その情愛は、母親によって、乳幼児期に作られる。

●8%!

 前もって誤解がないようにしておきたい。
「母性愛」という言葉がある。
本能に根ざした「愛」と考えている人は多い。
しかし実際の調査によると、約8%の母親(私の調査では10%の母親)は、
自分の子どもを愛することができず、人知れず、悩んでいる。
10人に1人!

母親だから……という、『ダカラ論』ほど、アテにならないものはない。
またそういうものを、頭から肯定し、すべての女性に押しつけてはいけない。
みながみな、母性愛があるわけではない。
押しつければ押しつけるほど、その女性を苦しめることになる。
「母親だから、子どもを愛しているハズ」という『ハズ論』も、同じように考える。

 それはともかくも、そういう母親をもった子ども(人)は、不幸である。
日常的に愛情飢餓の状態に置かれる。

●愛情飢餓

 が、愛情飢餓は、母親自身の愛情の欠損だけによって起こるものではない。
離婚、家庭不和、騒動、母親との死別などなど、「母性愛不在」の状態がつづくと起こる。
愛情飢餓が慢性的につづくと、子どもは飢餓感から、じゅうぶんな情操を築けなくなる。

 言うまでもなく、健全な母子関係は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)が
基本となって育つ。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
子どもの側からみると、「どんなことをしてもいい」という安心感。
親の側からみると、「どんなことをしても許す」という寛大さ。
この両者が基盤にあって、基本的信頼関係が結ばれ、それが子どもの豊かな心作りに
つながっていく。

●ぬいぐるみ

 私がそれに最初に気づいたのは、教室の入り口に大きなクマのぬいぐるみを置いた
ときのこと。
もう20年近くも前のことだった。
子どもによって、その反応が2分されるのを知った。

 たいはんの子ども(幼児)は、ぬいぐるみを見ると、「かわいい」と言い、抱いたり、頬
ずりしたりする。
が、中には、ぬいぐるみを見ても、反応しなかったり、さらに中には、足でキックする
子どももいる。
その割合は、8対2。
つまり10人のうち、8人くらいが、好意的な反応を示し、2人くらいが拒絶的な反応
を示す。

 この現象だけをもって、情愛の深さをしることはできない。
しかしひとつの目安にはなる。

●私はどうか

 この問題は、即、私たち自身の心の問題と直結する。
つまり私(あなた)自身はどうか?
私(あなた)自身は、情愛の深い人だろうか。
それとも心の冷たい人だろうか。

 が、ここでまた別の問題にぶつかる。
これは脳の中でも、CPU(中央演算装置)の問題。
情愛の深い人にしても、またそうでない人にしても、それを客観的に知ることはできない。
自分がそうであるため、自分を基準にして考える。
自分がそうであるから、人もみな、そうであると考える。
またよほどのきっかけがないかぎり、自分がそうであることに気づかない。

●A氏の妻

 少し前、妻と離婚した知人のA氏(55歳)が、こんな話をしてくれた。
離婚のきっかけは、人間ドックを受けたときのことだったという。
肝臓に影が見つかり、がんの疑いがかけられた。
そのあとA氏は、放心状態になり、家に帰るまで涙が止まらなかったという。

 で、その夜は、なんとかやり過ごしたが、翌日の夜、絶望的な孤独感が襲った。
そこでその夜だけでもと思い、妻のベッドにもぐりこもうとした。
「助けてほしい」と。
声にもならないような声だった。
が、それに答えて、妻が、「もう寝てるんだから、静かにしてよ! 私に
何ができるのよ!」と。

 A氏はその夜は別の部屋で寝た。
はげしい孤独感を闘いながら、朝まで眠られなかった。
と、同時に、妻との離婚を決意した。

 心の冷たい人というのは、A氏の妻のような人をいう。

●受験戦争で壊れる心

 一般論として、はげしい受験戦争を経験した子ども(人)ほど、心が冷たい。
たった1か月程度、進学塾の模擬特訓を受けただけで、別人のようになってしまう。
そんな子どもも、珍しくない。
(これは本当だぞ! おおげさに書いているのではないぞ!)

当然のことながら、年少であればあるほど、影響は大きい。
親は、「勉強に対する心構えができました」と喜んでみせる。
しかし壊れた心には、気づかない。

 皮肉なことに、親自身もはげしい受験競争を経験している。
暖かい情愛を、こなごなに破壊されている。
だから自分の子どもの情愛がこなごなに破壊されても、それに気づかない。

 結果、「親の恩も遺産次第」と。
実際、そういう子どもは、多い。
そのひとつの例として、韓国や日本など、受験競争のはげしい国の子どもほど、
「将来、親のめんどうをみる」と答える子どもが少ない。
もう一度、内閣府のした調査結果をよくみてほしい。

++++++++++++++++++++


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国    35.2%、
日本    28.3%


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 すべてが受験競争が原因とは言っていない。
ほかにもいろいろ考えられる。
しかし受験競争が原因でないとは、もっと言えない。
受験競争といっても、韓国や日本では、すでに何世代にも渡って、つづいている。
それが親から子へと連鎖し、それがこうした結果となって表れている。

●子どものほうから縁を切る?

 最近多いのが、子どものほうから縁を切るケース。
その直前まで、親から金を借り放題だった子どもが、社会人となり、結婚したとたん
縁を切る。
理由など、何でもよい。
しかもたった一枚の手紙。
それにはこうある。

 「今後、いっさい、連絡をしてくるな。
私(ぼく)と連絡を取りたかったら、直接ではなく、XさんやYさんを通してしてほしい」
「これが私(ぼく)のこの30年間の結論だ」と。

 つまり子どもの側が、親に向かって、「連絡は、XさんやYさんを介してしろ」と。
自分では、どこかの社長にでもなったようなつもりでいる。
が、先にも書いたように、今、こういう子どもがふえている。

 氷のように冷たい心。
が、その冷たさもわからない。
あるいは自分では、それなりに心の暖かい、やさしい人間と思っているのかもしれない。
脳のCPUが狂っているため、自分ではそれがわからない。
わからないほどまで、心がこなごなに破壊されている。

●子どもの心を育て、守る

 ではどうするか?
もう改めてここに書くまでもない。
そのカギを握るのが、母親ということになる。
で、子どもの心は、それでできる。
あとは、それを壊さないようにする。
一度壊れた心は、二度と修復されることはない。
そう断言してよいほど、子どもには、決定的な影響を与える。
それがそのままその子どもの心として、定着する。

 最近、こんな話を聞いた。

 知人のAさんが、実の母親を介護するようになって、数日目のこと。
どこでどう情報を得たのかはしらない。
すかさず、イトコのX(女性)から、1000円にもならない菓子を送ってきたという。
それ以前から、AさんはXが、Aさんの家庭をあれこれと詮索し、うわさ話の具に
していたことは、よく知っていた。

 が、一応、「礼」はしなくてはならない。
が、Aさんにしてみれば、Xの意図は見え見え。
Aさんと家族との確執については、よく知っていたはず。
で、電話を入れると、いきなり「どう?」と。

 つまり「どんな具合か?」と。

A「いったい、これはどういうつもりですか?」
X「(あなたの)お母さんには世話になったから」と。

 心の壊れた人というのは、そういうことが平気でできる。
他人の家の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
楽しみながら、それができる。
Xは、昔からそういう女性だったそうだが、60歳を過ぎてもそれができるところが
恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の冷たい人 壊れた人 情愛 情愛論 心の暖かい人)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある老人】


●金指から伊目へ


 ときどき何のために生きているか、わからなくなる。
何のために生きてきたのかも、わからなくなる。
私の人生は、何だったのか、と。


 そのときもそうだった。
健康を考えての散歩だったが、ふとこう思った。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


 そのとき私は、浜名湖に沿って歩いていた。
細江(かなさし・浜名湖の北にある田舎町)から、
伊目(いめ・浜名湖沿いにある小さな村落)へ。
そこから内陸部に向かって、左に曲がる。
広い公道で、ゆったりと歩ける歩道が気持ちよかった。
ゆるい坂だった。


 山荘へ行ったとき、「帰りは歩いてみよう」と思い立った。
半端な距離ではない。
一度、正確に測ったことがある。
片道、27キロ。
その途中でのことだった。


少し前までは、秋になると、このあたり一帯、みかんの花が咲いた。
今は、みかん畑など、さがしても見つからない。
高齢化が進み、離農する人がふえた。


風は強く冷たかったが、体の熱気と打ち消しあい、寒くはなかった。
低い雲の間から、時折、白い太陽の光が、頬を照らした。


 私はその坂を、やや歩幅を狭くしながら歩いていた。
そのとき、そう考えた。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


●長い坂


 長い坂だった。
車だと、5分前後で登りきってしまう。
が、歩くと、結構、距離がある。
それまでの疲れが、足の裏に響いてきた。
歩くたびに、ツンツンと痛い。


 と、そのとき向こう側から、1人の老人が歩いてきた。
年齢は75歳前後か。
80歳を過ぎていたかもしれない。
体が左に傾いている。
2本の脚も、左右不ぞろいで、同じように左に傾いている。
歩くたびに、体が大きく揺れる。
ヒョコタン、ヒョコタン……。
そんな歩き方だった。


瞬間、何かの病気かと思った。
が、脳梗塞の人の歩き方とは、ちがっていた。
右手には、ポリ袋に入った食料らしきものを、ひとつもっていた。


 細い顔。
彫りの深いしわ。
色も浅黒く、目は、下を向いたままだった。
私はだまって、すれちがった。


●老人


 が、その瞬間、その老人が気になった。
気になって、立ち止まり、振り返った。
老人は、相変わらず、独特の歩き方で坂をくだっていった。
「あの歩き方では、さぞかし疲れるだろうな」と。
体のどこかに不自然な力が加わる。
それが体のどこかを傷(いた)める。
あるいはどこか痛いから、それをかばいながら歩いていたのか。


 が、意外と軽そうな足さばきだった。
不自然な歩き方だったが、リズミカルだった。
私は、じっとその後ろ姿を見ていた。


が、突然、その男性が止まった。
150メートルほど行ったところのことだった。
止まると同時に、体をくるりと回すと、私のほうを見た。
すばやい動きだった。
男の鋭い視線が、そのままズバリ、私の視線をとらえた。
視線をはずす余裕がなかった。
私はそのまま棒立ちになってしまった。


 不思議な光景だった。
その老人は、私の心を見透かしたかのようだった。
「ジロジロ見るな」と。
鋭い視線だった。
そんなふうに言っているようにも、見えた。


●元気


 時間にすれば、10秒とか20秒前後ではなかったか。
私たちは、たがいを見つめあった。
が、再びその老人が体をくるりと回し、また歩き始めた。
機械的な動きだった。
それを見届けて、私も体を回した。


「あんな老人でもがんばっている」と。
「あの老人と比べたら、私など、ただの小僧。まだがんばれる」とも。
そう思った瞬間、消えかけていた元気が、ポーッとまた燃え出した。
歩幅が大きくなった。


 「とにかく私たちは生きてきたし、今も生きている。これからも生きていくしかない」。
トルストイの書いた『戦争と平和』の一節を思い出した※。
理由など、ない。
目的もない。
夢や希望など、とっくの昔に消えた。
それでも生きていく。


●坂の上


 長い坂を上りきると、今度は道は大きく右へ曲がる。
あたりにはどこにもスーパーらしきものはない。
小さな店は1つ、2つあったが、食料品店とはちがう。
「あの老人は、どこで何を買ったのだろう?」と、そんなことを考えた。
酒だったのだろうか、それともタバコだったのだろうか。
袋の中のモノは、3〜4個程度だった。
 

 道はまだつづいていた。
長い道だった。
このあたりの人たちがよく使う幹線道路になっている。
数秒ごとに、乗用車が行き交った。
ときどき大型のダンプも通り抜けた。
そのたびに乾いたほこりが舞いあがった。


 相変わらず冬の冷たい風が吹いていた。
やがて私は東名高速道路のガードを抜けると、大きな四つ角へ出た。
右へ行けば、舘山寺温泉。
左へ行けば、浜松市内。
道路標識には、「市内まで10キロ」とあった。
「あと一息」と、私は自分に気合を入れた。


(注※) 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的に
は幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるため
には)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)



Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●生きることは書くことbyはやし浩司

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メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

今の私が、そうだ。

++++++++++++++++++

●大病の宣告

大病を宣告されたら、あなたはどうするか?
あるいは、だれかに大病を打ち明けられたときでもよい。
あなたは、どう応対するか?

参考になるのが、有名人。
有名人の中には、自らマスコミに向かって大病を告白する人がいる。
「私は乳ガンです」と。

反対に、死ぬまでまったく秘密にする人がいる。
有名人でなくても、自らの大病を告白する人もいる。
人、それぞれ。
それぞれの思いの中で、告白したり、秘密にしたりする。
大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある。
もしあなたが健康人なら、あるいは若いなら、そういう人たちのことを
とやかく言うのは許されない。
あなたの近親者についても、そうだ。
できることと言えば、相手の気持ちを思いやり、そっとしておいてやること。
仮にそういう噂を耳にしたとしても、こちらから聞き出すようなことをしてはいけない。
それが最善。

そこで「私なら・・・」と考えてみる。
実のところ、私は過去に数回、大病の疑いをかけられた経験がある。
そのつど、私のとった行動は、完全に秘密主義。
家族でも、ワイフだけにしか話さなかった。
話したところで、どうにもならない。
あの「死を前にした不安感」は、同時に隔離感をともなう。
裸で断崖絶壁に立たされたような、隔離感である。
あるいは巨大な鉄壁に囲まれたような隔離感。
あの隔離感だけは、どうしようもない。

●心のポケット

 先に、「大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある」と書いた。
それが「心のポケット」ということになる。
それがある人には、相手の心がよく理解できる。
それがない人には、理解できない。
そのポケットのない人に、いくら大病の話をしても意味はない。
心のポケットにない人は、まずこう考える。
「その人がいなくなったら、自分はどうなるか?」と。
まず自分の損得を優先させる。

 実のところ若いころの私がそうだった。
そのころの私は、死とは無縁の世界に住んでいた。
だからそう考えた。
つまり人の死ですら、自分にとっての「損得論」の中で処理した。
「この人がいなくなったら、自分はどうなるのだろう?」と。
このことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、よくわかる。
ほとんどの子どもたち(幼児、小学生)は、「老人は死ぬもの」と考えている。
「死んで当然」と。

 だからほとんどの子どもたちは、(特別なケースをのぞいて)、こう答える。
「悲しくなかった」と。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったか」と聞いたときのことである。
子どもたちは、「老人は死ぬもの」という前提で、老人をみる。

 言い換えると、私が秘密主義なのは、ここに理由がある。
大病を告白して、それがどうだというのか。
何がどうなるというのか。
それが何かの役に立てばよい。
しかしそうでなければ、たいはんの人は、他人のことなら世間話としてすませてしまう。
みながみな、心のポケットをもっているわけではない。

●受諾

 私のような人間を、心気症という。
いつも死の影におびえ、ビクビクしている。
だからときどき、こう思う。
「そんなに私の命がほしければ、とっとと持って行け!」と。

 そのかわり、いつその「時」が来てもよいように、心の準備だけはしておく。
「準備」というか、「完全燃焼」。
とことん自分を燃やしつくし、あと腐れのないようにしておく。
わかりやすく言えば、悔いのない人生にしておく。
が、これがむずかしい。
むずかしいというより、できない。

 日々に決意し、日々に後悔する。
毎日が、この繰り返し。
が、どんなにがんばっても、死を避けることはできない。
キリストも、釈迦も、ムハンマドも、孔子も、みな、死んだ。
いわんや、あなたをや。
いわんや、私をや。

 つまり死はいつも、時間の問題。
が、こういうこともある。
数週間前、私ははげしい神経痛を覚え、床に倒れこんでしまったことがある。
そのとき不思議なことに、本当に不思議なことに、私は何もこわくなかった。
「ああ、これで死ねるのか」と。
そんなふうに考えた。

 心気症の私が、「ああ、これで死ねるのか」と。
私はその瞬間、死をすなおに、受け入れていた。
どうしてそういう心境になったのかは、わからない。
しかしそう考えた。

●猶予期間

 もっとも大病といっても、そこには猶予期間がある。
脳梗塞や心筋梗塞のような病気は別として、すぐ死ぬわけではない。
うまくいけば、6か月とか1年は生きられる。
その間に、何かができる。
(実際には、そんな甘いものではないが・・・。)

 それに6か月にしても、10年にしても、同じ。
同じ瞬時。
総じて言えば、60歳を過ぎたらみな、死の待合室に入る。
平均余命は80歳前後。
健康余命は、それから10年を引いた、70歳前後。
70歳を過ぎたら、病魔との闘い。
病気のない人はいない。
ダラダラとした闘いが、平均して10年、つづく。
だからときどきこう思う。

 「老人は、総じてみな、『老』という大病を患っている」と。
だから当然のことながら、加齢とともに、先に書いた心のポケットができる。
大病を患った人の気持ちが、よくわかる。
が、誤解しないでほしい。
私にしても、死ぬのがこわいのではない。
老人になるのが、こわいのではない。
こわいのは、そのプロセス。
苦痛と孤独。
それがこわい。

●これからの老後

 私はいろいろなことを書いてきた。
ありのままを書いてきた。
しかしこと「大病」ということになったら、恐らく何も書かないだろう。
書いたところで、何も役に立たない。
読む人にしても、気が重くなるだけ。
たいはんの人は、「ジーさん、バーさんは、死んで当然」と考える。
老人の死に際のグチなど、だれも聞きたくない。

 一方、死ぬ側の私にしても、人知れず、死にたい。
いつかどこかで、だれかがふと私のことを思い出す。
そしてこう思う。
「ああ、あのはやし(=私)は、死んでいたのか」と。
それでよい。
だからやはり、私なら、だれにも言わない。
秘密主義。
自信はないが、たぶん、秘密主義。

(補記)

 この肉体という乗り物は、もちろん私であって、私でない。
そのことは、自分の手のひらを見ただけでも、わかる。
私の意思で、手のひらが手のひらになったわけではない。

 が、私はその乗り物に乗っている。
ただふつうの乗り物とちがうところは、乗り物が壊れれば、「私」も死ぬと
いうこと。

 そこで「私」とは何か。
私論。
私にとって私とは、今、この見える世界、感ずる世界、その中心にいるのが、
私ということになる。
が、一歩、その私から離れてみる。
たとえばあなたなら、あなたでよい。
あなたから見た(はやし浩司)は、どうだろうか。
あなたは何を見て、(はやし浩司)という「私」を判断するだろうか。

 それが私のばあい、「文」ということになる。
「文で書かれた人間」、それが「私」ということになる。
つまり私が乗っている、この乗り物が動かなくなっても、今度は別の
乗り物に乗った(あなた)が、私を見る。
つまり「文」が残るかぎり、「私」は死なない。

平たく言えば、「私が乗っている乗り物」は、ただの乗り物。
壊れて動かなくなってしまったとしても、気にすることはない。
(気にすることも、ないだろうし・・・。)
言い換えると、私たちは乗り物が動かなくなるまでは生きている。
動かなくなれば、何もわからなくなる。
が、「私」は、ちゃんと残る。
「あなた」の中で、ちゃんと残る。

 いつだったか、私は新聞(中日新聞)のコラム(第110回、最終回)で、
「生きることは書くこと」と書いた。
その意味が、これでわかってもらえたと思う。

+++++++++++++++++

そのときの原稿です。

+++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。
読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には
「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果て
のない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でも
あった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということ
は、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこま
でも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには
行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された
時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読
みくださり、ありがとうございました。」 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 中日新聞コラム 生きることは書くこと 大病の宣告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心気症(2008年3月記)

●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気
症という(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや…
…!?」と思うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症と
いう。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経
症、あるいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、ある
いは強迫神経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあ
った!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右
側の奥歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわ
ってみる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨
のほうに伝わっている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。し
かしそんなことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち
消す。「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。
私が、「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れ
ないほどの痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないの
かもしれない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みが
どんどんひどくなったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのま
まにしている。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾ
と体を動かした。すかさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってき
た。枕元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そ
のほかもろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったと
ころ。時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らない
が、昔、そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思っ
た。思いながら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあ
ったので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しか
し風邪で歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安に
なった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだ
が、そんな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、
ないか」「がんとわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、
あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態に
なる。ボクシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、
消える。おまけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰
りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなの
か。……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収ま
ってきた」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変
でもあったら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯は
ビクとも動かない。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこ
かの病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊さ
れますから、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき
間に、小さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、
虫歯になっていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日にな
った。時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、
ときおり、つづいている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえ
し。ときどきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」
と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってき
たということ。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つ
まりそのままあわてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に
生きてこられたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてき
た。多少、「死」への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない
人生を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪い
ばかりではないようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだら
しい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を
取ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯
石を削る音がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気
を思わせる。縁側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性のS器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶた
の模様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明に
なってきた。たしかに女性のS器だった。何度も確かめたが、女性のS器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美し
くないとか、そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性のS器が、至近距離で、
超リアルに見えてきた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、
ともかくも、リアルだった。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかも
しれない。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか? 
それとも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。とも
かくも、それは不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そして
こう言った。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、
同じような経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられ
た麻酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその
不安を消すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も
何度も繰りかえすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」
「手のばい菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってき
た父親に対して、「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)
もいた。その子どもは、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸
をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに
位置づけられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界で
も、同じようなことを経験する。

 ある女性は、毎日3〜5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、
同じように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何
やら呪文のようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわ
しているというよりは、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。
念仏を唱えていた女性は、「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じてい
た。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)を
もつこと。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母
親が、ベッドの位置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」
(母親談)子ども(中学男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も
開発されているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科の
ドクターに相談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子
供のこだわり)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●崖に立たされた日本経済(2011年2月12日記)


+++++++++++++++++


「サドン・デス」という言葉がある。
スポーツの世界での言葉である。
映画にも、そういう題名のがあった。
つまり「突然死」。

日本の国家経済が破綻するとき。
それは突然、やってくる。
つまりサドン・デス。
過去の歴史の中でも、じわじわと
国家破綻した例は、一度もない。
ワーッと始まり、ワーッと終局を迎える。
それが国家破綻(=債務超過)。
「デフォルト」。


+++++++++++++++++

●日経新聞より

 まず、日本経済新聞を並べて読んでみる。(2月12日)

+++++++++++以下、日経新聞より+++++++++++


●公的債務残高


 公的債務残高の国内総生産(GDP)比率は200%超と、主要国の中では突出して高い。
S&Pはこの比率が20年半ばまで悪化し続けると予想。国と地方の基礎的財政収支を20
年度に黒字化するとの政府目標は「大規模な財政再建策が実施されない限り、達成できな
い」と分析した。

 財務省の試算によると、長期金利(新発10年物国債利回り)が1%上昇した場合、利払
い費を含む国債費は12年度に1兆円、13年度に2.5兆円、14年度に4.2兆円それぞれ増
える。

 野田佳彦財務相は格下げ発表を受け「節目、節目で財政規律を守るメッセージを出して
いくことが重要だ」と語った。(日経・1・27・2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●ガラガラポン


 「ずるずると債務残高が積み上がり、マクロ経済もパッとしないとなると、もう一回(格
下げを)検討せざるを得ないリスクはある。上にいくシナリオは、何らかの形で税制や年
金制度改革で政治的な妥協が図られる場合だ。日本の社会保障制度は高度成長や人口増を
前提にしたモデル。このあたりでガラガラポン(大改革)すべきだ」(日経新聞・1・30・
2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●217%


 「日本の公的債務残高が先進国の歴史上、最悪の水準に迫りつつあることが分かった。
国際通貨基金(IMF)によると、地方も含む一般政府の債務残高は2009年に名目
国内総生産(GDP)の217%に達し、統計で確認できる1875年以降で最悪となった。
このまま債務が増え続けると、5年程度で第2次世界大戦直後の英国を抜き、先進国史上、
最も悪い状況に陥る可能性がある」(日経新聞・2・12・2011)


+++++++++++以上、日経新聞より+++++++++++

●国家破綻

 では、いつか。
いつ日本は、破綻を迎えるか。

(1)日本政府が、予算を組めなくなったとき。
(2)国債の買い手が、つかなくなったとき。

 その時期は、この4月期と10月期と言われている。
が、その不安が市場を襲ったとき、国家破綻は、一気に起こる。
何度も書くが、日本の国家破綻は、可能性の問題ではなく、時間の問題。
確実にやってくる。

 が、救済方法がないわけではない。

(1)大増税
(2)社会保障費の大幅削減

 しかしどちらも、今の政局を見るかぎり、実現困難。
大増税をすれば、……たとえば消費税を20〜50%にするとか……、そうでなくても
目下、この日本は大不況下。
経済活動は、さらに萎縮する。

 社会保障費にしても、年金の一元化すら、ままならない。
足や腰の曲がった老人が、3か月ごとに100万円の札束を手にする一方、我々のように、
63歳になった今も、1円も手にできない人も多い。
65歳からもらっても、月額6万4000円足らず!

 こういう不公平を野放しにし、何が行政改革だ!……ということになる。

 今、この日本に必要なのは、強力な内閣。
超強力な内閣。
官僚たちの不満や抵抗を、吹っ飛ばすほど力のある内閣。
しかし現状は、?????。
訳のわからない内部紛争に明け暮れている。

●札が紙くずに

 皮肉なことに、破綻するなら破綻するで、1日も早いほうがよい。
自己破産に似ている。
1日延ばしを繰り返すたびに、借金は、雪だるま式にふえていく。
そのツケは、結局は、役人をのぞく、国民にのしかかってくる。

 国債が信用力を失えば、それを大量にかかえている銀行、証券会社は、倒産する。
銀行や証券会社が倒産すれば、会社が倒産する。
(役所は倒産しない!)
人々は失業者となって、街にあふれる。
(役人は失業者にはならない!)
 株価は暴落し、ハイパーインフレが始まる。
(役人の給料だけは、物価スライド制によって、増額される。)

円は暴落し、90%以上を輸入に頼っている食料品が値上がりする。
わかりやすく言えば、「札」が紙くずと化す。
一説によると、1ドルは1000円近くまで暴落するという(某経済評論家)。
当然、原油も、現在より、12倍高騰する。
現在リッター140円前後(レギュラー)だから、単純に計算しても、
6倍の約1000円になる。
(ガソリンのばあい、約50%が税金。)

 それが起こるのは来週かもしれない。
しかし2年後ということはない。
「この1〜2年以内」ということは確実。
今のままでは、もう救いようがない。

が、私のようなド素人でも、この程度のことがわかるようになった。
そういうときが、あぶない。
日本の経済は、この3月を乗り切ることはできないのではないか。
私はそう心配している。

●現物資産

 この道に詳しい友人に電話をかけてみた。
その結果、「土地、金、資源」を「現物資産」というらしい。
しかし土地については、逆に暴落する可能性もあるとか。
加えてこの日本では、すでに投資として、土地を買う人はいない。
「20年分の税金と、土地の価格は同じ」(友人談)と。
つまり20年間、土地を保有していると、土地の価格と、それに支払う税金額は同じ
になる、と。

また売れば100%、税務署に把握される。
20%〜40%の所得税が課せられる。
遺産相続も楽ではない。
週刊誌情報によれば、相続税を80%にするという案も出ているとか。

また資源といっても、庭に、鉄くずを積むわけにもいかない。
そうなるとやはり「金(ゴールド)」ということになる。

 しかしこのところ、金の売買も、うるさくなってきた。
どううるさいかは、実際、自分で金の売買をしてみればわかる。
身分証明書だの、印鑑だの、そういう手続きをしないと、売買できなくなってきた。
それに常識で考えても、あんな小さな金塊が、1キロ400万円弱というのは、
おかしい。
どう考えても、おかしい。
1キロバーで、ふつうの小型車だったら、2台も買える!

 いちばんよい方法は、現在タンス預金をしている人たちが、イチ・ニのサンで、
いっせいに約半分を浪費すること。
市中に放出すること。
それで市場が活性化する。
しかしこの方法には、現実性がない。

●国家破綻
 
 みなが「あぶない」と思ったときが、あぶない。
けっして私がそれを助長しているわけではない。
しかしあぶない。

 ……ということで、現在、金(プラチナ)価格は、不気味な上昇をしつづけている。
10年ほど前には、一時、グラム1000円になったこともある。
それが今は、4000円弱。
とても手が出る価格ではない。
ないが、それでも上昇をしつづけている。

 かといって、私たちの資産は、私たち自身で守るしかない。
そこで自分なりに、いろいろと考えてみる。

(1)銀行などに預けておく現金は、必要最小限にする。
   かならず1000万円以下にしておくこと。
(2)証券会社に預けておく現金(MMFなど)も、必要最小限にする。
(3)ネット証券はどうか? ……私にはよくわからない。
   わからないから、私なら手を引く。
   倒産したとき、そのあとがめんどう。
   会社の所在地すら、はっきりしていない。
(4)売り先が確実ならよいが、そうでないなら、今は、土地に手を出してはいけない。
(5)貴金属の売買については、信用のある店でする。
   町中にある「貴金属買います」という店だと、高く売りつけられるか、安く買い
   叩かれる。
   店によっては、「鑑定料?」という料金を5〜20%も取られる。

 いろいろ考えるが、以上は私というド素人の意見。
あとはみなさんご自身の判断を加味して、利用してほしい。
「はやしって、バカなこと書いている」と思ってもらってもよい。
(しかし私は、あのリーマンショックを、ほぼ1年前に予測していたぞ!)

ともかくも、今や日本経済は、存続のがけっぷちに立たされている。
その危機感だけは、しっかりともったほうがよい。
2011/02/12記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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【反動形成】2月10日(木曜日)

+++++++++++++++

今日は、木曜日。
よくわかっている。
が、木曜日は、何かと忙しい。
それもあって、木曜日になるたびに、こう思う。
「今日は、だいじょうだろうか?」と。
つまり体力がつづくだろうか、と。

昨日は、朝、30分のウォーキングをした。
午後、約3時間、外を歩いた。
歩きたくて歩いたわけではないが、ともかくも
歩いた。
計3時間30分。
運動量としては、まずまず。

そんなわけで、今は、こう思う。
「今日は、だいじょうぶ」と。

++++++++++++++

●反動形成

 「反動形成」という言葉がある。
何度かそれについて、書いた。

 要するに、本当の自分を隠し、仮面をかぶること。
よくあるのは、こんな例。

ケチな人が、そのケチを隠すために、気前のよい自分をわざとおおげさに見せたりする。
あるいは教育ママが、人には、「私は子どもに勉強しなさいと言ったことはありません」と、
ウソをついたりする。
子どもの世界でも、よく見られる。
よい兄、よい姉を演じながら、その実、裏で陰湿な弟いじめや、妹いじめを繰り返したり
する。

 本当の自分を見抜かれるのがこわく、その反動として、正反対の自分を演ずる。
たとえば内面に潜む攻撃心や、憎悪を隠すため、妙にやさしい人間を演ずるのもそれ。
「仮面(ペルソナ)」とちがうのは、「正反対」という部分。
たとえばショッピングセンターの売り子が見せる、あの笑顔は、仮面である。
仮面をかぶりながら、客にものを売る。

反動形成は、それとはちがう。
心の中に別室をつくり、その中に自分を押し込む。
これを「抑圧」というが、日常的に、心がその抑圧状態になる。
本当の自分をさらけ出したら、自分の立場そのものが、あやうくなる。
正反対の自分を演ずることによって、自分の立場を取り繕う。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為。

●ぎこちなさ

 反動形成には、いくつかの特徴がある。
どこか不自然。
どこか変。
どこかぎこちない。

 わざとらしい言葉。
不自然な笑顔。
一貫性のない生活態度、などなど。

 ときに心の別室にたまった、不平や不満が爆発することもある。
ふつうの爆発ではない。
その瞬間、まったくの別人になる。
(……というか、そのときのほうが、その人自身のほんとうの姿ということになるのだが
……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前に書いた原稿を拾ってみる。
一部、ダブるが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反動形成(1)(2010年記)

 反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。

 そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。

 が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。

先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。

 ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。

 それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。

本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。

●反動形成(2)(2009ー6記)

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、Sックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。(S=セ、禁止用語)

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「Sックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫
んでみせたりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せる
かどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方
で、「嫌いだヨ〜」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえてお
おげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめ
ると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはい
る。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦のばあい

 よき夫、よき妻。
しかしたがいに反動形成。
内心では、憎しみあい、軽蔑しあっている……。
そういう夫婦は、少なくない。
私たち夫婦がそうかもしれないし、あなたがた夫婦も、そうかもしれない。
そういう「形」にしなければ、自分が、みじめ。
50歳とか60歳とかを過ぎ、「私たちの結婚は失敗でした」とは、とても言えない。
この年齢になると、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
敗北感から、絶望感に発展することもある。

 だから妥協し、ほどほどのところで接点を見出し、よい夫婦を演ずる。
いっしょに映画を観に行ったり、旅行に出かけたりする。
世間体というより、ここにも書いたように、たがいに本当の自分を認めたら、夫婦という
より、自分自身が崩壊してしまう。
それがこわい。

 ……と書くと、身も蓋(ふた)もない。
しかし多かれ少なかれ、どんな人も、自分をごまかしながら生きている。
程度の差はある。
つまり反動形成は、みながしている。
していない人はいない。

ただひとり、自分をさらけ出しながら生きている女性と言えば、あの「みさえさん」。
「クレヨンしんちゃん」(コミック本、vol. 1~11前後)のママである。
私はみさえさん以外に、自分をさらけ出しながら生きている女性を知らない。
これは余談。

●さらけ出し

 そこで私自身の反動形成は何か、それを考えなおしてみる。

 たとえば、ウソとインチキ。
私はもともとウソつきで、インチキな男だった。
子どものころは、そうだった。
拾ったお金でも、交番へ届けたことは、めったにない。
(1、2度はあったように記憶しているが……。)

 それにウソつきだった。
……というか、私が住んでいた世界は、ウソが当たり前だった。
今でも、何が本当で、何がウソなのか、よくわからない。
そういう自分がいやになり、私は私なりの経験を通して、そういう世界から抜け出た。
その結果が今。
私はウソとインチキには、妥協しない。
ウソをついたり、インチキをする人を、許さない。
相手が息子でも、許さない。
自分でもときどき「過剰」と思うことがある。
ワイフもときどき、こう言う。
「もう少し妥協したら……」と。

 考えてみれば、これも反動形成。
自分の中に潜む邪悪な人間性を隠すために、(……隠すという意識はあまりないが)、
表では正反対の自分を演じてみせる。
それが長くつづいたため、それが生活態度として、定着してしまった(?)。

 が、それで邪悪な人間性が消えたわけではない。
今でも道路でサイフのようなものを拾ったりすると、頭の中が混乱する。
こんな経験がある。
2007年に書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●勇気(2007年8月記)

+++++++++++++++

昨夜、コンビニの前を通ると、
小さなサイフが落ちていた。

イヤ〜ナ気分だった。
私はそれを拾うと、自転車の前の
かごに入れた。

途中、信号待ちのところで、サイフを
開いてみると、何枚かのカードが
入っているのが、わかった。
住所と名前が書いてあった。

イヤ〜ナ気分だった。本来なら、
そのままコンビニの店員に渡すべき
だった。

悶々とした気分。
「もらっちゃえ」と言う、自分。
「落としたヤツが悪いんだ」と言う、自分。
そんな自分が、そこにいた。

そんな自分を感じながら、家に着いた。
ワイフがそこにいて、「お帰り!」と
声をかけてくれた。

明るい声だった。

私「サイフを拾っちゃった」
ワ「どこで?」
私「あの○○のコンビニの前」
ワ「……」
私「名前と電話番号が書いているから、
そこへ電話して!」
ワ「うん」と。

あとの処理は、ワイフに任せた。
いくら入っているかは、見なかった。
知りたくもなかった。

かばんをかけて、書斎へ入るとき、
振り返ると、ワイフは、どこかへ
電話をかけていた。

よかった……。

夜、床についてから、私は、ワイフに
こう言った。

「サイフを拾うたびに、いまだに迷う。
子どものころの、あの邪悪な小ズルサ、
それが、いまだに、ぼくの心の中で生きている。

ぼくが子どものころには、拾ったお金は、
そのまま自分のものになった。

ぼくはそういう時代に生きていた」と。

+++++++++++++++

 ほかのことでは迷わない私でも、どういうわけか、拾ったお金については、そうではな
い。迷う。私が子どものころには、終戦直後ということもあって、拾ったお金は、拾った
子どものものだった。当時は、そういう時代だった。

 モラルもルールも、なかった。親たちにしても、食べていくだけで、精一杯。家庭教育
の「か」の字もないような時代だった。

 だから今でも、迷う。「返そう」という自分と、「もらっちゃえ」という自分。その2人
が、自分の中で、はげしく対立する。一度、心にしみついた(汚れ)は、そう簡単には消
えない。昨夜もそうだった。

 で、ここに書いたように、今回は、処理は、ワイフに任せた。数年前にも一度、同じよ
うにコンビニの前で拾ったことがある。そのときは、コンビニの店員に届けた。しかし今
回は、自転車のかごに入れて、もち帰ってしまった。

 つまり、このあたりに、私の善人としての限界がある。が、限界といっても、このとこ
ろ、輪郭(りんかく)が、ぼやけてきた。以前は、コンクリートの壁のようだったが、今
は、木の柵のようになった。簡単に乗り越えられる。

 おかげで、今朝は、どこかすがすがしい。さわやかな気分。心の中で、掃除機をかけた
ような気分といってもよい。それに少しだが、自分に自信がついた。

 世の中には、こわいものはいくらでもある。子どもたちは、「お化け」「幽霊」というが、
それもそうかもしれない。

 しかしほんとうにこわいのは、自分自身である。自分自身の中に潜む、邪悪な自分であ
る。この邪悪な自分に毒されると、人生そのものを無駄にしてしまう。前にも書いたが、「今、
生きている」という、その一時(いっとき)一時の時間ほど、貴重な財産はない。その財
産を、無駄にしてしまう。

 その邪悪な自分と戦うためには、勇気がいる。どういうわけだか、勇気がいる。しかし
その勇気を実感したとき、それが今度は、喜びに変わる。ここに書いた、「自信」も、そこ
から生まれる。

 「よかった!」と思ったところで、この話は、おしまい。今日(8月31日)も、始ま
った。

 みなさん、おはようございます!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに……

 反動形成と仮面。
今日1日は、この2つをテーマに、いろいろ考えてみたい。
どうして人は(私は)、反動形成をするのか。
仮面をかぶるのか。

 では、今日は忙しいので、ここまで。
推敲しないまま、BLOGに原稿をアップする。
ごめん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 反動形成 拾ったサイフ 邪悪な自分 邪悪な私 抑圧 心の別室)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愛する人の死

++++++++++++++++++

NG先生が亡くなって、もう2か月が過ぎた。
早いというか、長かったというか。
NG先生の奥さんから、今朝、メールが
届いていた。
「この2か月は、あっという間でもあり、
20年にも長く感じます」と。

自分の死を受け入れるのは、むずかしい。
いわんや、愛する人の死を受け入れるのは、
さらにむずかしい。

ひしひしと迫るくる孤独感。
さみしさ。
悲しさ。
それには理由がある。

「死」を前にした孤独感は、同時に
隔離感をともなう。
いくら近くに愛する人がいて、やさしい
言葉をかけてくれても、それは心に
しみこんでこない。
「死ぬのは、私ひとり」と。

その隔離感が、そばにいる相手にもわかる。
どんなに同情しても、同情しきれない。
あるところまで入ったところで、拒絶
されてしまう。
壁がある。
その壁を乗り越えることはできない。

だから死んでいく人も孤独だが、
しかしそれを近くで見守る人は、もっと
孤独。
さみしい。
悲しい。
足下をすくわれるような空虚感。
つかんでもつかみきれない、自分の心。
怒りと絶望感。
どうしようもない、怒りと絶望感。

死んでいく人も、また残された人も、
その怒りと絶望感と闘わねばならない。

++++++++++++++++++

●老後と孤独

 老後は、孤独との闘い。
先のない袋小路で、暗闇に包まれる。
日々に肉体は衰え、経験しなかった病魔が、つぎつぎとやってくる。
心配と不安。
いや、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスが、こわい。
できれば、ポックリと死にたい。

しかしほとんどの人は、そうはいかない。
大病を患えば、なおさら。
オーストラリアの友人は、こう言った。
「さみしいか?」と私が聞いたときのこと。
その友人は、ポツリと、「うれしかった」と。

 友人の妻は、がんで、2年間苦しんだ。
そのあと死んだ。
その苦しみを見ていたからこそ、友人は、そう言った。

●散歩

 NG先生の奥さんの気持ちを察するにつけ、胸が痛む。
どんなにどうがんばっても、奥さんの気持ちの中には、入れない。
そこには、先に書いた隔離感がある。
だから私にできることと言えば、そっと奥さんの心を暖かく包んでやることでしかない。
それで奥さんの気持ちがやすらぐとは、思わない。
さみしさや悲しさが、癒されるとは思わない。
しかしそれしかできない。
その歯がゆさ。

 NG先生が亡くなったと聞いた午後、私は、長い散歩に出た。
例年になく冷たい北風が、吹いていた。
乾いた北風で、道路脇の木々が、それに大きく揺れていた。

通り過ぎる人にも生彩がなかった。
ふだんならけばけばしく見える店の看板も、色彩を失っていた。
……というか、ほとんど顔をあげないで、歩いた。
ときどき前を見、あとは側溝のふたの上を歩いた。
灰色の、どこまでも灰色の、味気ない道。
その上をとぼとぼと、歩いた。

●通夜

 通夜のときも歩いた。
NG先生の自宅までは、40〜50キロはある。
電車でも、4つ目の駅。
足が痛くなって、2つ目の駅で、電車に乗った。
それまで歩いた。
歩いているときだけ、私は、さみしさや悲しさを忘れることができる。
子どものころから、ずっとそうだった。
そのときも、そうだった。

 通夜の日は、さらに冷たい風が吹いていた。
身を切るような冷たさだった。
駅を下りてから、それからまた20分ほど、歩いた。
何度か、通った道。

 そう、NG先生だけだった。
NG先生だけは、私の原稿を、隅々まで読んでくれた。
一度の例外もなく、長い感想文をそのつど、送ってくれた。
NG先生という人は、そういう人だった。
そういう人を、私は失った。

 そのさみしさ。
その悲しさ。

●急死

 NG先生の死は、突然だった。
本当に、突然だった。
いつものように近くの病院へ、定期診断に行った。
注射を打ってもらった。
その直後、急変。
そのまま帰らぬ人になった。

 私はそんな死に方を、ほかに知らない。
それまで孫の世話をし、犬と散歩をしていた。
だからそれを認めろと言われても、すぐにはできなかった。
今もできない。

 ただおかしなことに、たいへんおかしなことに、私はNG先生を、うらやましく
思っている。
それを「ポックリ」と言わずして、何という。
そうでなくても、60歳を過ぎると、つぎつぎとやってくる。
経験したことのない、痛み、症状、病気……。
そのたびに「死」の影におびえ、ビクビクする。
70歳になれば、なおさらだろう。
80歳になれば、なおさらだろう。

 63歳の私ですら、ときどき、こう思う。
「もう、いいかげんにしてくれ。
命がほしいなら、さっさと持って行け!」と。

●NG先生の業績

 誤解しないでほしいのは、だからといって、死を望んでいるのではない。
死にたくない。
1回ポッキリの命。
しかし問題は、その生き方。
が、このところ、どう生きるかということよりも、どう死ぬか。
それをよく考えるようになった。

 できればこの世に生きたという証(あかし)を残したい。
かなわぬぜいたくということは、よく承知している。
しかしそれでも残したい。
その方法は、あるのか。
可能なのか。

 ……言い換えると、私がしなければならないこと。
NG先生は、教師であると同時に、学者だった。
その業績には、すばらしいものがある。
その業績をこの世に残すこと。
方法はいろいろある。
が、私ができることは、インターネット上に、先生の論文を残すこと。
このままNG先生が、この世から忘れ去られてしまうことには、耐えられない。
つまりそれが私の、NG先生との死と闘う、ゆいいつの方法ということになる。

 NG先生は、死んでいない。
まだ生きている。

 ……と力んではみたが、やはりさみしい。
このやるせなさを、どうしたらよいのか。
私は今、その怒りと絶望感と闘っている。
勝ち目のない闘いだが、がんばるしかない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希薄になる親子関係(資料)


 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。


あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。


 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」という言葉を使って、はねのける。


 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄。
もう一度、日本の内閣府がした調査結果を、よく見比べてみてほしい。


+++++++++++++++


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?


自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか


『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)


++++++++++++++++


●何も書きたくない!


 この数字がすべて。
私は、何も書きたくない。
しかしこの問題は、結局は自分人に返ってくる。
それとも今どきの若者たちは、永遠に、若いままと思っているのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど、オメデタイ話はない!


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内閣府 親子関係 どんなことをしてでも親のめんどうをみる 親の
めんどう 親のめんどうをみる 成人男女の意識調査 はやし浩司 将来親のめんどうを
みる 親を養う)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2月8日という、「今」論】

●時の流れ

 今、この瞬間だけをみる。
遅々として進まない時間。
今朝は風もない。
昨日までの強風は消え、今は、庭の木々も、動きを止めている。

 これが時間か?
時間というものか?

 しかしそこにあるのは、「今」だけ。
過去は、ない。
未来は、ない。
つねに「つぎの今」がやってきて、また「過去の今」へと去っていく。
よい例が、人の死。

 NG先生が亡くなって、もう2か月になる。
早いというよりは、今と2か月前との間に「時間」がない。
「2か月」という数字はあるが、その実感がない。
つい数日前……というよりは、この2か月が、瞬時に消え去った。
……消え去ってしまった。

●人の死

 学研の幼児局に、斉藤洋三氏という編集長がいた。
世話になった。
その人が亡くなって、もう20年以上になる。

 そのあと、その斉藤洋三氏を追うように、本郷左智夫氏という編集長がが亡くなった。
「学習」「科学」という、日本を代表する学習雑誌を創りあげた編集長である。

 これら両氏が、今、ここでどうこうというのではない。
今、そういう人たちを思い出しながら、こう思う。
「瞬時だな」と。
その間に「20年」という時の流れがあるはず。
が、その実感が、どこにもない。

 さらに40年前に亡くなった、伯父がいる。
30年前に亡くなった叔父がいる。
それらのオジにしても、ともにその「時」から、今に至るまで、「瞬時」。
どの人を思い出しても、つい瞬間前に亡くなったような気がする。

 言い換えると、この先、10年、あるいは20年など、その瞬時に過ぎる。
いくら私やあなたが、「私たちは生きている」と実感しても、
その実感は、つぎの瞬時には、またたく間に消える。
時の流れというのは、そういうもの。

●順番

 人の死について、「順番」と考える人がいる。
それはその通りと思う。
うまくいけば(?)、人はその順番に従って、この世を去っていく。
ときどきその順番が狂う人もいる。
若くしてこの世を去る人もいる。
しかしおおむね、「順番」という考え方は、まちがってはいない。

 毎年、私より年上の人たちは、どんどんとこの世を去っていく。
どんどんと消えていく。
とくにこの数年の動きは、はげしい。
人も60歳を過ぎると、それがよくわかるようになる。
そのさみしさ。
そのはかなさ。

 しかしそれが人の世と割り切れば、同時に自分の死も割り切れる。
そのときが来たら、それを受け入れる。
仮にその先10年、長生きしたところで、(あるいは20年、長生きしたところで)、
それがどうだというのか。
瞬時は、瞬時。
だからこそ、私たちは、「今」を懸命に生きる。
一瞬一秒とて、無駄にできる時間はない。
また無駄にしては、いけない。

●死の恐怖

 先日、私は後頭部にはげしい神経痛を覚え、その場に倒れてしまった。
首を不意にひねったようなとき、ときどきそれが起きる。
が、そのときは、ちがった。
太い何百本もの神経が、一度にひねられたような痛さだった。

 私は床に倒れたとき、こう思った。
「ああ、これで死ねる」と。

 けっして死を望んでいたわけではない。
またそういう状況でもなかった。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、何もこわくなかった。
その瞬間だが、私は死をすなおに受け入れていた。
幸い……というか、いつもそうだが、その痛みは、数秒単位の短い時間で収まる。
私はそのあと、ゆっくりと床から、立ち上がった。

 私たちがなぜ死を恐れるか。
これはあくまでも私のばあいだが、私は死ぬまでのプロセスがこわい。
生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
簡単には死なせてくれない。
ワイフもときどき、こう言う。

「ボケ老人になり、みなに、迷惑をかけて死ぬのはいや」と。
同時に、「どうしてこの日本では、安楽死を認めてくれないのかしら」とも。

●ワイフと……

 昨夜は、寝床に入ってから、ワイフとこんな会話をした。

私「もしぼくが死ぬことになっても、悲しまないでよ。
ぼくが死んでも、やがてお前が死ぬときまでは、瞬時だからね」
ワ「私はあなたが死ぬまで、しっかりとめんどうをみるわ」
私「ありがとう。
そのかわり、お前が死ぬときは、かならず迎えに来るよ。
どんなことがあってもね。
神様や仏様が怒っても、迎えに来るよ」
ワ「頼むわ」と。

 そのほかにもいろいろ話した。
時計をみると、午前1時を過ぎていた。
それを最後に、私たちはいつの間にか、眠ってしまった。
 
 私たちは、こうする。

 私が死んでも、葬式などは、いっさい、しない。
だれにも知らせない。
だれも来なくてよい。
ただワイフだけ、一晩、横にいてくれれば、それでよい。
で、そのあと、火葬場で焼かれて、灰になる。
その灰は、ワイフが死ぬまで預かる。

 昨夜もワイフは、それをしっかりと約束してくれた。
私は何度も念を押した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 遺言 晃子への遺言)

●懸命さ

 私たちはこの宇宙で、瞬時に生まれ、そのまた瞬時に死んでいく。
その間に、長い時間があるように見えるが、もともとそんな「時間」など、存在しない。
100年前に生きた人も、1000年前に生きた人も、みな同じ。
1万年前に生きた人も、10万年前に生きた人も、みな同じ。

 この先の「未来」についても、同じ。
この先10年生きようが、20年生きようが、それがどうだというのか。
50年でもよい。
つぎの瞬時には、私もあなたも、この世から消えてなくなる。
それがわからなければ、私やあなた自身の過去をみればよい。
この10年間は、どうだったか?
この20年間は、どうだったか?
どれも瞬時に過ぎたはず。
そのいとおしさ。
切なさ。

 大切なことは、「今」を懸命に生きること。
懸命に生きて、生きて、生き抜く。
つぎの「今」は、その結果として、からなずやってくる。
が、それでも、「今日はよくがんばった」と思える日など、ない。
一日もない。
が、だからといって、生きるのが無駄というのではない。
その逆。
その(懸命さ)の中から、無数のドラマが生まれる。
人がなぜ、この世界に生まれ、そして死んでいくか。
その答は、シンプル。
無数の人間が織りなすドラマにこそ、価値があるから。
意味があるから。

 不完全でボロボロの世界。
だからこそ、おもしろい。
楽しい。

●はやし浩司 2011−0208

 今朝も5時に起きた。
睡眠時間は4時間(?)。
すぐウォーキングマシンで運動。
今朝は、10分間だけ、した。
書きたいことがたくさんあった。
汗が体ににじんだところで、そのまま書斎へ。

 パソコンを立ち上げ、メールに目を通す。
ニュースを読んで、あちこちのサイトのアクセス数を知る。
そのあと昨日撮影したビデオを、編集。
そのままYOUTUBEにアップ。
原稿を書き始めたのは、そのあと。
そう言えば、昨晩、ふとんの中でワイフがこう言った。

「あなたはいいわね。自分の書いたものが残るから」と。

 ワイフはいつもそう言う。
が、私は、そんな安易な気持ちで原稿を書いているのではない。
原稿イコール、私の墓石。
毎日自分の墓石に文字を刻むようなつもりで、文を書いている。
「私の命」そのもの。
「今」を生きる私の命そのもの。
今という瞬間を、実感のあるものにするためには、それしか方法がない。
だから書く。

●今日も始まった

 ……こうして今日も始まった。
何が書けるかということではない。
どんな新しい発見ができるか。
それが重要。
何か新しい発見ができれば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。

 ただ願うことは、夜、床に就いたとき、深い後悔のため息だけは
つきたくないということ。
あれほどつまらない敗北感は、ない。
何としても、それだけは避けたい。
またそうあってはいけない。

 まさに『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』(論語)。
それをもう一度、深く、胸に刻む。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アホの上塗り(How are you ashamed of yourselves, Mr. NHTST, USA?)

To: NHTSA, USA

What has been the "TOYOTA" problem?
Please re-read my article which I wrote in 2010.
In that article, I wrote, "Be ashamed NHTSA!"
I also agein write here, "Be ashamed, NHTSA!"

+++++++++++++++++++++++++

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

このたび、TOYOTAの「シロ」が、
確定した。

まず、YOMIURIの記事から。

+++++++++++++以下、YOMIURI+++++++++++++++

 ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに"お墨付き"を与え
たことを明らかにした。末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」
を購入したという。

 長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買
うべきだ』と答えた」と語った。「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも
述べた。長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。

+++++++++++++以上、YOMIURI+++++++++++++++

●ラフード米運輸長官

 こんな記者会見程度で、TOYOTAが被った損害が、解消できるのか?
それで責任を果たしたことになるのか。
このラフード米運輸長官は、アホ中のアホ。
TOYOTA車に、宇宙線をあててまで、欠陥を探し出そうとした、その張本人である。
「車に、宇宙線」だぞ。
それもNASAと協力して?!

 ラフード米運輸長官は、「論理学」の「ロ」の字も知らない、アホ。
アホ長官。

●2010年に書いた原稿より

 昨年(2010)に、私が書いた原稿を、もう一度、よく読んでみてほしい。
ここに書いた「アホ」の意味が、よくわかってもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10−04−01)

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の
原稿が、あちこちのサイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスに
よるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの
不適切な操作によるもの。
ところで、こんな仰天ニュースが、読売
新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)
と全米科学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受け
て事故原因の調査に乗り出すことが30日、明らかになった。
 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月か
けて行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影
響を与えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行
う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立
てあげたいらしい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼したという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア〜〜〜?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、そ
の放射線とやらは、どこから発せられたのか。

そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるは
ず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授の
それと、どこもちがわない。

「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したと
か?

TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与え
るかもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほう
がよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠
とはならない。

もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こ
ぞって、放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、
TOYOTAの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。

(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)
さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA
車に、まんべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」
も証明しなければならない。
まだある。

「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、
証明しなければならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残
る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせな
くなってしまった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、
アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数
でもよい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も
走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、
アメリカには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」
と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。
これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数値
に近ければ、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因があると
いうことになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)
と、ほかのメーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通
安全局(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。
 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交
通安全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題に
する前に、車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしてい
る。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必
要があるのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題
は起きていないという。

(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでい
る。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証
明しなければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータで
もあれば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響
を与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめ
て十分となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が
与える影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X−File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明
できた」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。

言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 ラフード米運輸長官 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安
全局(NHTSA) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制
御装置 影響 TOYOTA ハイブリッド車)

●終わりに

 ラフード米運輸長官は、こう言ったという。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買
うべきだ』と答えた」と。

 それに応じて、日本の経団連は、「安全性のお墨付きをもらった」とはしゃいでいる。
が、これもおかしい。
日本の車、社会、経済に与えた影響は、計り知れない。
それをさておき、「お墨付き」とは?
どうして日本は、ここまで隷属するのか。
シッポを振るのか。
本来なら、「コノヤロー!」と激怒し、損害賠償を請求してよい事案である。
どうしてそれをしないのか?

 つまりラフード米運輸長官のこの程度のリップサービスで、日本人のあのときの
(怒り)をご破算にしてすませてはいけない。
またそれですむような話ではない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの人格の完成度(2009年11月発表の原稿より)

++++++++++++++++++

子どものばあい、その年齢に比して、
幼児ぽい(幼稚ぽい)というのは、
好ましいことではない。

やってよいことと、やっていけないことの
区別ができない。
突然、突飛もない行動をしたりする。

子どもの人格の完成度は、子どもの
様子を、ほかの子どもと比較して判断する。

+++++++++++++++++++

●前頭連合野

 「理性の府」と呼ばれるのが、前頭連合野。
この前頭連合野が何らかの形で損傷を受けると、善悪の判断が適切に
できなくなる。
欲望の命ずるまま、勝手な行動を繰り返すこともある。

 晩年の兄が、そうだった。
玄関先で小便をしたり、自動車のナンバーに、マジックインクで、いたずら書きを
したりした。
ゴミを捨てに行くときも、そのゴミを、近所の家の間にはさんで帰ってきたことも
ある。
 兄は、若いころから母の過干渉により、自分で考えるということができなかった。
それが晩年、ひどくなった。
軽い認知症が加わり、さらにひどくなった。

 子どものばあいでも、異常な過関心が日常化すると、似たような症状を示す。
「自分で考える」という習慣そのものが、育たない。
「自分で行動する」ということはできるが、その「行動」に対して責任を取らない。
「責任を取る」という意味すら、理解できない。
 
 強く叱ると、そのときだけは、(さも、叱られています)という姿勢(ジェスチャ)
をして見せる。
しかしジェスチャだけ。
その実、何も反省していない。

●ある母親

 その母親(当時35歳くらい)は、たいへん口うるさい人だった。
いつも子どもたち(息子と娘)を相手に、ガミガミと怒鳴ってばかりいた。
そのため子どもたちは、一見、従順な子どもになった。
が、自分で考えて、責任を取るということが、できなかった。

 その母親自身も、子どものころ、今で言うAD・HD児ではなかったかと思う。
異常な多弁性が、特徴的だった。
電話で話しても、いつも一方的にまくしたてるだけ。
相手の話を聞かない。
聞かないというより、相手に話させるようなスキ(?)をつくらない。
話の内容も、ポンポンと飛ぶ。

 ある日のことだった。
何かの会合に、その母親が娘を連れてきた。
娘は当時、10歳くらいではなかったか。
その娘にこう言っていた。

 「お茶を出すときは、絵柄を相手に向けて出すのよ、わかった?」と。
そしてお茶の出し方を、みなの前で、こまごまと指導していた。

 一方、私は、そのときまで、そういったことに注意を払ったことは、一度も
なかった。
そういう作法があることさえ、知らなかった。
しかしその母親の頭の中には、そういった情報が、ぎっしりと詰まっていたらしい。
ことあるごとに、こまごまとしたことを、娘に指示していた。

 私はそれを聞きながら、「こういう母親では、子どもたちも息が詰まるだろうな」と
思った。

●常識ハズレ

 結果としてそうなったのだろうが、息子も娘も、中学生のころには、いろいろな
事件を引き起こすようになった。
とくに息子のほうは、その町内でも有名なほど、「グレた」(同じ町内に住む友人の話)。
娘のほうも、同じような経過をたどった。

 が、息子も娘も、見た感じでは、ごくふつうの子どもといった感じだった。
おとなたちの前では、おとなしく、無口だった。
親の言うことには、従順に従っていた。

 が、常識ハズレはつづいた。

 これは人伝えに聞いた話だが、結婚式の当日、息子は、暴走族仲間を連れてきた
という。
予定外のハプニングに、母親は、(もちろん父親も)、あわてた。
しかしそれも後の祭り。
盛大な結婚式を用意しただけに、親たちは、かえって恥をかかされるところとなった。

●子育て自由論

 「自由」とは、もともとは、「自らに由(よ)る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
この3つを重ねて、「自由」という。

 そのためには、子どもには、まず自分で考えさせる。
行動させる。
そして自分で責任を取らせる。

 これは乳幼児期からの、子育ての基本ということになる。
そのためには、いくつかの前提がある。

(1) 子どもをひとりの人間と認める。
(2) 親意識(とくに悪玉親意識)を捨てる。
(3) 友として、子どもの横に立つ。

 ここでいう「悪玉親意識」というのは、親風を吹かすことをいう。
 頭ごなしに、ガミガミ言うのは、禁物。
それが日常化すると、子どもは自分で考えることができなくなってしまう。
親の言うことには従順に従っても、母親がいないところでは、何もできなく
なってしまう。

 あとは、(ますますガミガミ言う)→(ますます常識はずれになる)の悪循環。
それを繰り返す。

●早期診断

 こうした悪循環は、早期発見、早期解決が何よりも、大切。
私の経験では、子どもが3〜4歳児になるころには、たいてい手遅れ。
というのも、子育ては(リズム)。
そのリズムは、ひょっとしたら、子どもを妊娠したときから始まっている。
そのリズムを直すのは、容易なことではない。

 基本的には、心配先行型の育児姿勢がその背景にあるとみる。
(異常な溺愛、あるいはその背景に、親自身の情緒的な欠陥が、子どもの精神的な
発育をはばむこともある。)
さらに言えば、親自身に、ちゃんとした(親像)がしみこんでいない。
親自身が、不幸にして不幸な家庭で、育っている。
根は深い。

 が、気がつけば、よい。
こうした問題は、気がつけばよい。
気がつけば、あとは時間が解決してくれる。
5年とか、10年とかはかかるが、時間が解決してくれる。
まずいのは、そういう(過去)があることに気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
過去に振り回されること。
 
 その診断の目安のひとつが、「人格の完成度」ということになる。
満5〜6歳になると、子どもの核(コア・アイデンテティ)が、見えてくる。
「この子は、こういう子」という、つかみどころをいう。
そのとき、「うちの子は、どこかおとなっぽい」と言うのであれば、よし。
しかし反対に、「うちの子は、どこか幼稚ぽい」と感じたとしたら、人格の核形成
が遅れているとみてよい。
幼稚園や保育園の中での言動を、ほかの子どもと比較すれば、それがわかる。

●子どもらしさと幼稚性

 誤解がないように書いておく。

 子どもが子どもらしい心をもっているということと、幼児性(幼稚性)が残って
いるというのは、別問題である。
子どもらしい、素直さ、明るさ、無邪気さをもっているというのは、むしろ好ましい。
一方、ここでいう幼児性(幼稚性)は、退行的な症状をいう。

 騒いでいけないような場所で、騒いでみせたり、平気で人が困るようなことを
したりする。
言ってはいけないような冗談を口にしたり、悪いことでも平気でする、など。
その場の雰囲気を、適切に判断できない。
赤ちゃん返りのような、甘ったれた、ネチネチしたものの言い方をするときもある。

 が、何よりも目立つのは、常識はずれな行為。
色水をバケツの中で溶かし、それを幼稚園のベランダから、下の子どもにかけていた
子ども(年長・男児)がいた。
コンセントに粘土をつめて遊んでいた子ども(年長・男児)もいた。
小学3年生の子ども(男児)だが、虫の死骸をマッチ箱に詰めて、それを誕生日
プレゼントにした子どももいた。
そういうのを幼児性(幼稚性)という。

●では、どうするか?

 自分で考える子どもにするには、読書が効果的である。
反対に、読書が好きな子どもは、例外なく、様子がおとなっぽい。
人格の完成度が高い。

 親自身についても、そうだ。

 先にあげた母親のばあい、識字能力に問題があり、本や雑誌をまったくといってよい
ほど、読まなかった。
ある日何かの書類を手渡したことがあるが、その母親は、それを見せるやいなや、
片手で、それを払いのけてしまった。
「私には、こんなもの、読めません!」と。
文字に対する拒否反応すら示していた。

 つまりこの問題は、子どもの問題というよりは、母親の問題。
家族の問題ということになる。
子どもは、その家族の「代表」に過ぎない。

 母親は今でもガミガミと子どもたちを叱りつづけている。
叱られるべきは、母親自身ということになる。
が、悲しいことに、自分を客観的に判断する能力すら、もっていない。

●ものを書く

 あとは、ものを書くという習慣を勧める。
ものを書くことによって、人は考える。
その(考える)という習慣が、長い時間をかけて、その人の人格を完成させる。

 日記でもエッセーでも、何でもよい。
ひとつのことがらが気になったら、それについて、自分の意見を書き添える。
それだけのことで、考えるという習慣を身につけることができる。

 それを5年とか、10年単位でつづける。
その結果として、人は、「自ら考える人」になることができる。
繰り返すが、子どもの人格の完成度は、あくまでも、その結果として決まる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 欲望 欲望の抑制 コントロール 前頭連合野 理性の府 理性とは)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【虚栄の構造】(虚栄vs自慢)

+++++++++++++++++

虚栄心の強い人というのは、いる。
自分の体を、クジャクの羽で飾り、
自分ではクジャクになったつもりでいる。
が、(飾り)は(飾り)。
どこまでいっても、(飾り)。

その一方で、虚栄心のない人はいない。
程度の差はある。
が、人間が社会的動物、つまり他者との
つながりの中で生きる動物である以上、
この虚栄心と決別することはできない。

私たちはいつも、他者の(目)を意識している。
それが虚栄心の原点と考えてよい。

+++++++++++++++++

●私の母

 私の母も、虚栄心の強い人だった。
「本家」ということもあり、その分、自負心も強かった。
姉御(あねご)意識も強かった。
そのため、年金しか収入のないオジ、オバの生活費まで負担していた。

 が、母自身はぜいたくをしていたわけではない。
母自身は、質素な人だった。
死んだときも、祖父母が残した置物類をのぞいて、財産らしいものは何もなかった。
にもかかわらず、母は人一倍、見栄を張った。
つまりそれが母にとっては、ステータスだった。
母はそのつど、「祖父が財産を残してくれた」と、人には言っていた。
しかしこれは私の名誉(?)にかけて言う。
が、祖父が残した財産……というより、私が中学生のときには、家計はすでに火の車
だった。
祖父は毎日、道楽で、バイクをいじって遊んでいた。

 母はそれでよいとしても、金銭的負担は、すべて私がした。
母は、そのつど浜松へやってきては、私からむしり取るようにして、現金をもって帰った。
容赦しなかった。
貯金通帳がカラになるたびに、ワイフは、泣いた。
それでも母は、容赦しなかった。
結婚し、長男が生まれたときも、私のところへやってきて、私の貯金を全額おろさせた。
「先祖を守るために、親が息子の金を使って、何が悪い!」と。
それが母の口癖だった。

 この文を読んだ人は、「とんでもない親」と思うかもしれない。
しかし当時は、まだそういう時代だった。
そういう常識(=意識)をもっていた人は、少なくなかった。
私の母も、その1人に過ぎなかった。

 言い換えると、虚栄心には、それほどまでに強い「魔力」がある。
一度その魔力に染まると、自分でも自分がわからなくなる。
「世間体」という、他人の目の中で生きるようになる。
 
●自慢と虚栄

 ……私はあえて母のことを書くことによって、自分の中に潜む虚栄心を
たたきつぶしてみた。
本来なら、すばらしい両親をもち、それなりの家系の生まれと書きたい。
しかしそんなもの、どこを探してもない。
名字は「林」。
名前からもわかるように、先祖は、百姓。

 一度祖父に連れられて、祖父の生まれ育った家に行ってみたことがある。
私が小学6年生か、中学1年生のときのことだった。
祖父の家は、すでに空き家になっていた。
道路脇の小さな家で、土壁がむき出しになっていた。
窓らしい窓もない、粗末な家だった。
祖父は8歳のとき家を出、そのまま鍛冶屋で丁稚(でっち)として働いた。

 が、ここまで書いて、迷いが生じた。
「ここまで書く必要があるのか?」と。
こんなことを書けば、いとこの中には、不愉快に思う人もいるかもしれない。
「林家、林家」と、「林」の名を自慢にしている人もいる。

 私もこの年齢になったから、つまり平均余命まで、あと10数年になったから、
こんなことが書ける。
あと数年で健康寿命は尽き、そのあとは、病魔との闘いということになる。
ボケの心配もある。
今さら、虚栄を張ったところで、何になる。

●自慢

 が、それでも虚栄心は残る。
モヤモヤと残る。
自慢たらしい自分。
いつもそういう自分がそこにいて、上からにニヤニヤと笑って私を見おろしている。

 そこで私はやめた。
息子たちの自慢。
家の自慢。
夫婦の自慢、などなど。
自慢すればするほど、自分がみじめになる。
だから私はやめた。

 同時に幸福そうなフリをするのも、やめた。
健康そうなフリをするのも、やめた。
もっとも今は、それなりに満足した生活を送っている。
成人病とも無縁だし、小さな故障を除けば、健康。
ともかくも、自慢は、そのまま虚栄心に直結する。
その虚栄心が、自分の心を狂わす。

●本題

 さて、本題。

 何故に、人は虚栄心をもつのか。
もちろんその原点には、「人に認められたい」という本能的な欲求がある。
あるいは虚栄を張ることによって、「優越性を保ちたい」という本能的な欲求もある。
それほど収入のない人が、無理をして高級車を乗り回すケースを想像してみればよい。
(もちろん中には、車が好きで、そうしている人もいるが……。)

 が、ここで壁にぶつかる。
人に認められたからといって、それがどうなのか?
優越性を保ったからといって、それがどうなのか?
冷静に考えれば、そうなるが、これが地域社会という「狭い社会」に入ると、変節する。
とくに「田舎」と呼ばれる社会ではそうだ。
むかし、私にこう言った友人がいた。

 私が「自転車通勤をしている」と言ったときのこと。
その友人は、こう言った。
「ぼくらは会計士をしているから、恥ずかしくて、とてもそんなことはできないよ」と。

 そういうケースもないわけではない。
しかしあのビル・ゲーツは、ひとりで東京駅から成田まで、電車に乗っていった。
粗末な服装に、カバンひとつで。
そのときビル・ゲーツは、私たちのうしろに並んで立っていた。
私が「あなたはビル・ゲーツですね」と声をかけると、はにかみながら、「YES」と※。

 わかるかな?
あのビル・ゲーツが、電車に乗っていた!

(注※)そのとき、私とワイフ、それに息子(三男)がそこにいた。
息子はそのとき、興奮状態になってしまった。
みなで記念撮影をしたが、息子の携帯電話に、その写真は残っていなかった。
残念!

●虚栄心と闘う

 結局は「視野の広さ」ということになる。
「道徳の完成度」は、つぎの5つで評価される(コールバーグの「道徳の完成論」
を参考)。

(1) 公正性
(2) 普遍性
(3) 一貫性
(4) 正義性
(5) 視野の広大性

 この中の(5)の視野の広大性こそが、虚栄心と闘う唯一の方法ということになる。
それができれば、(1) 公正性、(2) 普遍性、(3) 一貫性、(4) 正義性は、
自然な形で、おのずと生まれてくる。
言い換えると、虚栄心に毒されると、公平性、普遍性、一貫性、正義性が、粉のように
なって崩れていく。

 たとえば友人の中には、1億1000万円もするような車を、まとめて10台も
購入した人がいる。
全豪イチの長者番付にも載ったことがある。
そういう友人が近くにいると、高級車に乗って得意がっている人を見ると、正直に
告白するが、バカ(失礼!)に見える。
名誉や地位にしても、そうだ。

 だから、虚栄心を覚えたら、いかにしてそれと闘うというよりは、いかにして視野を
広くするかということになる。
その視野が広ければ広いほど、虚栄心が、姿を縮める。
宇宙観、人生論、生命観、死生観、宗教観などなど。

 要するに、ありのままの自分で生きるということ。
ありのままの自分をさらけ出して生きるということ。
チッポケな人間なら、チッポケな人間で、よいではないか。
つまりサルの惑星で、サルたちと競っても意味はない。
(私も、そのサルの1人。誤解のないように!)
これは自分の人生をより有意義に生きるための、大鉄則ということになる。

++++++++++++++++

以下、以前、書いた原稿をいくつか、
添付します。

++++++++++++++++

●道徳完成論(2007年11月記)
 
+++++++++++++

子どもにとって、道徳とは何か。
子どもの道徳の完成度は、つぎ
の5つで決まる。

称して、はやし浩司の「道徳
完成論」。

(1) 公正性
(2) 普遍性
(3) 一貫性
(4) 正義性
(5) 視野の広大性

+++++++++++++

(1) 公正性

 たとえばあなたの親類の1人が、万引きしていたとする。そのときあなたは、その親類
に対して、どう行動をとるだろうか。見て見ぬフリをするだろうか。あるいは、悪いこと
は悪いこととして、その親類を注意するだろうか。さらに店の人に通報するだろうか。相
手がだれであれ、ものごとを公正に判断できる人を、道徳の完成度の高い人という。

(2) 普遍性

 ものの価値観が、世界的標準で、常識的であること。だれが聞いても、納得できる人生
観、哲学をもっている。おかしな思想に染まり、かたよったものの考え方をする人は、そ
れだけで道徳の完成度の低い人とみる。

(3) 一貫性

 言っていることに、いつも一貫性があること。反対に、会うたびに言うことが変わった
り、様子が変わったりする人は、それだけで道徳の完成度の低い人ということになる。誘
惑にも弱く、悪事に染まりやすい。一方、一貫性のある人は、言動と行動が一致している。

(4) 正義性

 視点がいつも弱者の側にあり、他人に対しても、また自分に対しても誠実であること。
自分に対して誠実ということは、心を偽らないこと。いつもありのままの自分を、外に出
すことをいう。また他人に対して誠実であるというには、ウソをつかない。約束を守る。
この2つが、日常生活の中で、自然な形で実行できることをいう。

(5) 視野の広大性

 ものの考え方が、人間、生物、地球、宇宙・・・と、広いことを、「視野の広大性」とい
う。一方、卑近な問題に右往左往し、私利私欲にかられたり、利己的なものの考え方をす
る人は、視野が狭いということになる。

 教育の場で、(家庭教育においても、そうだが……)、「道徳」を考えたら、この5つの柱
を参考にしてみてほしい。何かの役に立つはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
道徳 道徳の完成 道徳の完成度 道徳完成度 子どもの道徳 子供のの道徳 道徳教
育)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「私」論、3つの条件(2005年6月10日記)

 「私」とは、何か? つまりそれぞれの人には、「私」がある。しかしそれぞれの人は、
いつも「私」とは何か、それを知りたくて、悩んでいる。とくに、若い人ほど、そうだ。

 そこで「私」論。その私をつかむためには、3つの条件が必要である。

(1)私は「私」であるという自覚。(自己自信性)
(2)私はいつも私であるという連続性(一貫性)。
(3)私は、他者と、良好な人間関係をもっているという、3つの条件、である。

 しかしこの「私」は、いつも、不変なものとはかぎらない。そのつど、状況に応じて、
変化する。とくに青年期においては、そうである。ゆれ動く。そのため多くの青年たちは、
「私とは何か」というテーマについて、思い悩む。

(1) 私であるという自覚

 「私であるという自覚」は、(私が考える私)と、(現実の私)が、一致したとき、自分
のものにすることができる。

 たとえて言うなら、結婚がある。好きで好きでたまらなくて、その人と結婚したという
のであれば、結婚生活を、そのまま自分のものとして、受けいれることができる。

 しかし反対に、いやな相手と不本意なまま結婚したとしたらどうであろうか。(自分のし
たかった結婚)と、(現実の結婚)が、大きくズレていることになる。こうなると、その結
婚生活は、ギクシャクとしたものになり、その結婚生活をそのまま自分のものとして、受
けいれることはできなくなる。

 同じように、(本来の私)と、(現実の私)が、一致していれば、その人は、「私は私であ
る」という自覚をもつことができる。そうでなければ、そうでない。

 もう少し具体的に考えてみよう。

 あなたは、こう心の中で、願っている。容姿もよく、頭も聡明でありたいと。人気者で、
どこへ行っても注目される。資産家の子どもで、何一つ不自由のない生活をしたい、と。

 しかし現実には、そうでない。容姿は悪い。学校での成績も悪い。みなに嫌われ、とき
には、いじめも受けている。両親は離婚状態で、家計も苦しい。このままでは大学進学も、
おぼつかない。

 そこであなたは、(現実の私)を、(本来の私)に、近づけようとする。

 勉強面で努力する。あるいはスポーツマンになるべく、努力する。服装や、身だしなみ
にも、注意を払う。(こうあるべき)と思う「私」に、あなたは自分自身を近づけようとす
る。

しかしそこにも、限界がある。努力しても、どうにもならないことはある。それについて
は、あきらめ、受けいれる。

 が、それは決して、たやすい道ではない。あきらめることは、若いあなたにとっては、
敗北以外の何ものでもない。それにまだ、あなたには、無数の可能性が残されている。そ
ういう思いもある。だからあなたはいつも、こう悩む。「私は、いったい、どこにいるのか?」
と。

 が、この段階でも、うまくいかないことが多い。努力しても、それが報われない。せっ
かく新しい服を買ってきても、みなに、「あなたには似あわない」と笑われる。あなたは自
信をなくす。それが高じて、自暴自棄になり、自分を否定するようになるかもしれない。

 が、あなたの心の奥底に住む、「私」は、それを許さない。そこでその心の奥底に住む、
「私」は、自分を防衛しようとする。自分が崩壊していくのを、防ごうとする。

 もっとも手っ取りばやい方法は、攻撃的になること。みなに、暴力を振るって、みなに、
恐れられればよい。あるいはさらに自虐的になって、めちゃめちゃな勉強や練習をするよ
うになるかもしれない。

 これらをプラス型というなら、他人に服従的になったり、依存的になったりするのを、
マイナス型という。さらにその程度が進んで、逃避型になり、他人との接触をこばむよう
になるかもしれない。引きこもりも、その一つである。

 私が「私」であるためには、私がそうでありたいと思っている私、あるいは自分が自分
で描く自己像(自己概念)と、現実の私(現実自己)を一致させなければならない。

 なぜ、青年期に、私であるという自覚が混乱するかといえば、えてして、青年期には、
現実の自分とは、かけ離れた理想像をもちやすいからと考えてよい。夢や目標も、大きい。
そのギャップに悩む。「こんなはずではなかった」「もっと別の道があるはずだ」と。

 (私が考える私)と、(現実の私)が、一致すること。これが、私が「私」であるための、
第一の条件ということになる。

(2)私はいつも私であるという連続性

 あまりよいビデオではなかったが、こんなビデオがあった。

 ある女性捜査官が、ギャングにつかまってしまう。その捜査官は、イスにしばられたま
ま、拷問を受ける。そのとき、ギャングが、「仲間のいる場所を言え」と迫る。が、その捜
査官は、敵意をさらにむき出しにして、そのギャングに、ペッとつばをかける。

 その女性捜査官は、気の強い女性ということになる。で、そのシーンを見ながら、私は、
こんなことを考えた。

 「映画だから、そういうことができるのだ。現実に、そういう場面に置かれたら、ふつ
うの人なら、そこまで、私を押しとおすことはできないのではないか」と。

 とくに私は優柔不断な人間である。その場、その場で、だれにでもシッポを振ってしま
う。人間的なモロさをもっている。だからイスにしばられ、命の危険を感じたら、友人の
いる場所を、ペラペラとしゃべってしまうにちがいない。

 が、それでは、ここでいう「連続性」がないということになる。優柔不断であるという
ことは、それだけで、「私」がないことになる。つまりはいいかげんな人間ということ。

 そこで私が「私」であるためには、連続性がなければならない。「一貫性」ともいう。カ
メレオンが自分の色を変えるように、いつも私を変えていたのでは、「私」は、そもそも、
ないということになる。

 どんな場所でも、またどんな状況でも、一貫して、「私」がそこにいる。私が「私」であ
るための、これが第二の条件ということになる。

(3)他者との良好な人間関係

 私ひとりで、「私」を認識することはできない。他人の間にあって、はじめて、私たちは、
「私」を認識することができる。つまり「私」というのは、相手があってはじめて、「私」
でありえる。

 世俗的なつきあいをすべて断ち切り、山奥で、ひとりで生活を始めたとしよう。が、何
もしないわけではない。文章を書いたり、絵を描いたりすることもある。何かの工芸物を
作ることもある。

 しかしいくらひとりで生活をしていたとしても、その文章や絵を発表することによって、
他者とのかかわりをもつ。作品を売ることによって、他者とのかかわりをもつ。本気で、
他者とのかかわりを切るつもりなら、そうしたかかわりすらも、やめなければならない。

 たとえばひとり穴の中にこもって、原始人のような生活をする、とか。まったく他人の
目を感じない世界で、だ。

 こういう世界の中で、果たして私たちは、「私」を認識することができるだろうか。もう
少しわかりやすい例では、チャールストン・ヘストンが演じた『猿の惑星』がある。

 あとでわかったことだが、あの映画のモデルになったのは、日本人だそうだ。それはと
もかくも、ある宇宙飛行士が、ある惑星にロケットで不時着する。が、そこは猿の惑星。
が、猿といっても、知能は高く、言葉も話す。

 しかしそこがもし、本当に猿の惑星だったら、どうだろうか。猿といっても、映画の中
に出てくるような猿ではなく、日光の山奥に住む猿のような、本物の猿である。

 あなたははげしい絶望感を覚えるにちがいない。言葉も通じない。気持ちも通じない。
あなたがもっている文化性や道徳性は、猿たちの前では、何一つ、意味をもたない。つま
りいくら「私は私」と思ったところで、その私は、その絶望感の中に、叩き落されてしま
う。

 私が「私」であるためには、他者との良好な人間関係がなければならない。その上で、
はじめて、私は「私」でありえる。これが第三の条件ということになる。

 ほとんどの若い人たちは、それが一つの関門であるかのように、一度は、「自分さがし」
の旅に出る。「私は何か」「自分はどこにいるのか」「私は、何をすべきなのか」と。

 その一助になればと思い、この「私」論を書いた。

(はやし浩司 私論 私とは何か 自分さがし 自分探し 自我 自我の確立 青年期の
悩み 自我の一貫性 自我の連続性 自我の社会性 自我の一致 現実自己 自己概念
 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本のデフォルト】

●個人破産(NPさんのケース)

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現実の話。
まさに現実の話。

近くに、NP氏(62歳)という人が住んでいる。
若いときには、かなり儲けたらしい。
豪邸と言うにふさわしい、家に住んでいる。
庭は狭いが、白亜の殿堂。
3階建て。

家族は妻と、妻の両親、それに3人の息子と娘。
(息子2人に娘1人。長男と娘は、現在別居中。)
息子は一級建築士として、そこそこの高収入を
得ている。
娘は独身。
もう1人の息子は、現在、休職中。
年齢は、上から36歳(息子)、32歳(娘)、
30歳(息子)。

NPさんは、今でも月額50万円近い収入がある。
ある土建会社の専務をしている。
が、生活が派手。
国産だが高級車を乗り回し、休みごとに
あちこちの温泉に出かけている。
妻がいるが、その妻も浪費家。
毎月の生活費だけでも、月額70万円もかかる。
つまり20万円の赤字。

それには理由がある。
もうすぐ90歳になる両親がいる。
父親は、特養に入居。
母親は、有料の老人ホームに入居。
双方で、月々、20万円ほどの費用がかかる。

そのためNP氏は、毎月20万円を銀行から借りている。
土地や建物が担保。
が、それだけではない。
すでに借金が、9000万円近くもたまっている。
毎月の利子を返却するだけで、たいへん。
が、その利子分は、毎月建築士をしている長男から借りている。
それが月額20万円。

つまり50万円の収入で、90万円の支出。
借金は現在、雪だるま式にふえつつある。
が、NPさんは、こう言っている。
「息子の収入が、毎月70万円もある。
それに土地と家を売れば、何とかなる」と。

で、先月(2010年12月)、年の暮れ、
いつものように銀行へ足を運んだ。
「来月も、20万円ほど、用立ててほしい」と。
借金の申し込みをした。
が、その日は支店長が応対に出た。
いわく、「NPさん、悪いが、これ以上、
お金は貸せない」と。

NP氏は、あわてた。
「それは困る。何とか、貸してくれ」と。
銀行からの融資が止まれば、その先で
待っているのは、自己破産。

ああああ……。

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●100万円の札束を、わしづかみ

 この話は前にも書いた。
月末になると、郵便局に老人たちがずらりと並ぶ。
足や腰の曲がった老人も多い。
そういう老人たちが、それぞれ100万円の札束を、わしづかみにして帰る。
貯金の限度額は、1000万円。
国債の限度額も、1000万円。
だから現金!

 それぞれの公務員の人たちに責任があるわけではない。
しかしその老人たちこそ、元公務員。
三公社五現業の、元準公務員。
ご存知のように、年金は3か月ごとに支払われる。
それで100万円!

 が、その一方で、たった1万4000円(月額)の子ども手当て。
それがいまだに、国会でもめている。
週刊現代は、「天下の愚策」と評した。
「親がもうけるだけ」と。

 何が愚策で、何がそうでないか、私たちは、もう一度現実をよく見なければならない。
冒頭に書いたNPさんというのは、NIPPON、つまりこの日本のことである。

●国家破綻

 日本の国債の格付けが、またさがった。
私たちにはピンとこない話だが、今、この日本は世界からも、確実に見放され始めている。
が、その先にあるのは、国家破綻。
これは可能性の問題ではない。
時間の問題。

私の個人的意見として、そう書いているのではない。
ウソだと思うなら、書店に並ぶ経済誌を片っ端から読んでみたらよい。
おおかたの経済学者たちは、「ここ1〜2年がヤマ」と書いている。

 果たして来年度の国家予算は、組めるのか?
国債は、うまくさばけるのか?
そのどちらかが行き詰ったとき、この日本はデフォルト、つまり債務超過=国家破綻する。

 多くの銀行は倒産し、ついで日本経済は、奈落の底へと叩き落される。
倒産につづく倒産。
もちろん「札」は、紙くずと化す。

今朝の某経済新聞社の予測によれば、1ドル=1000円(現在82円)まで、暴落
する可能性があるという(2011年2月6日)。
当然のことながら、同時にドルも暴落するから、「タクシーの初乗りが、1万円になる」
という話も、けっしてありえない話ではない。
ここ数年のうちに、そうなると考えたほうがよい。

●では、どうするか

 では、どうするか。
これについても大方の経済学者の意見は、一致している。
資産は、「できるだけ現物資産でもて」と。

 何をもって現物資産というかは、よくわからない。
思いつくのは、土地、貴金属、それに外債。
外債にしても、銀行や証券会社がつぶれたら、やっかい。
あの山一証券の倒産のとき、辛酸をなめた人は多いはず。

 が、何よりも心配されるのは、食料。
食料品の大高騰。
どこまで高騰するか、それを予測している経済誌は見当たらない。
が、常識で考えても、それなりの価格になるのは必至。
1か月分の給料で、米が10キロも買えない……。
そうなるかもしれない。

●自己防衛あるのみ

 貨幣価値が10分の1になれば、国の借金も、実質的に10分の1になる。
国の借金を減らす方法としては、それしかない。
が、それを国というより、官僚たちが目ろんでいるとしたら、おおまちがい。
許せない。
とんでもない背信行為。

また現在、多額の借金をかかえている人には、一時的には朗報ということになる。
が、それを喜んではいけない。
そのあと、その何十倍もの生活苦が、津波のように襲ってくる。
もともと資産のない人たちだから、病気や事故で倒れたら、万事休す。

 また韓国紙は、連日、日本のデフォルトを心待ちにしているような記事を並べている。
が、その影響は、当然、韓国にも及ぶ。
何といっても、経済規模がちがう。
日本が風邪を引けば、韓国は肺炎になる。
日本が倒れれば、韓国は死ぬ。
そういう現実が、まるでわかっていない。
わかりやすく言えば、日本は韓国なしでも生きていかれる。
が、韓国は、日本なしでは生きていかれない。

 ともかくも、私たちの生命と財産は、私たち自身で守る。
その時期は、刻一刻と近づきつつある。

●あとがき

 結局は、政治の責任ということになる。
が、そういう政治を許してきた、私たちの責任ということになる。
私たち自身も、何も変えようとしなかった。
「明日がある」「何とかなる」と、その場しのぎを繰り返してきた。
その結果が、今。
行政改革、つまり官僚制度の是正が叫ばれるようになって、すでに30年以上が過ぎた。
が、何も変わらなかった。

官僚たちは、失われた20年を横目に、今の今も、我が世の春を謳歌している。
満額の給料に、満額の退職金。
満額の年金に、至れり尽くせりの社会保障。

 ただ悪いことばかりではない。
仮に1ドル=1000円になれば、日本人は、再び働き始める。
歯を食いしばって、がんばり始める。
戦後のあの時代のように。
あるいは団塊の世代が働いた、あの高度成長期のように。
輸出産業も、息を吹き返す。……はず。

 そのための布石だけは、今、しかりとしておかねばならない。
国家が破綻しても、知的産業の流出だけは、防がねばならない。
基幹産業だけは、守りぬかねばならない。

 ……それでも最初に息を吹き返すのは、公務員ということになるのか。
日本という国は、奈良時代の昔から、官僚主義国家。
つぎの時代にも、やはりそうなるのか。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●欲望の奴隷たち(日本相撲協会)

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日本相撲協会が、揺れに揺れている。
おとといの新聞では、こんな記事もあった。
アンケート調査に対して、「親方が部屋の力士たちに、
みんな『なかった』に○をつけろ」と指示した」(中日新聞)と。
そういう部屋もあったという。
つまり「八百長があったかどうか」という
アンケート調査に対して、「なかった」に○をつけろ、と。
親方が部屋の力士に、それを指示したという。

さらに昨日の報道によれば、疑惑の渦中に
ある力士の中には、「携帯電話を壊してしまった」
「紛失してしまった」と答えた人もいたという
(同、中日新聞)。

が、韓国の報道によれば、読売新聞発として、
「さらに5人が、八百長相撲をしていた」とか。

が、何よりも忘れてならないのは、
我々が怒っているという事実。
春場所の中止くらいではすまない。

今までもそのつど八百長相撲がうわさされたことは、
何度かある。
が、そのつど日本相撲協会は、「事実無根」と、
反発してきた。
それを指摘した週刊誌を逆告発したこともある。

その日本相撲協会。
うみを出したら、皮しか残らない。
公益法人の取り消しは当然。
春場所の中止は、これまた当然。

……というのも、今回の一連の八百長相撲事件を
通して真っ先に思い出すのが、あの拉致事件。
北朝鮮による拉致事件は、あった。
にもかかわらずそれまで、北朝鮮は、それを
指摘されると、「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返していた。
ときには会議の担当者が激昂(げっこう)し、机まで
叩いてみせたという。
たいていそのまま会議は中断。

日本相撲協会……人間の醜さ、ここに極まれり。
その裏では、億単位の現金が乱舞している。

八百長相撲は、日常的になされていた。
メールのやり取りを読んだだけでも、それがわかる。
言い慣れた書き方。
やり慣れた、取り組みの仕方。
だれも一部の力士による、今回だけの事件とは、
思っていない。

日本相撲協会は、「3人以外、関与否定」(中日新聞・
2011・2・6)という大見出しをトップに
かかげた。
証拠をつきつけられた範囲内でしか、罪を認めない?
こんなやり方で、国民が納得するはずがない。
我々の怒りのボルテージは、ますます上昇している。

+++++++++++++++++++++++++

●興業

 興業なら興業と割り切ればよい。
金儲けが目的。
プロレスがそうである。

 そこで素朴な疑問。
プロレスと相撲は、どこがどうちがうというのか。
「伝統的国技」とはいうものの、中身は同じ。
もちろん、「相撲を廃止しろ」と書いているのではない。
伝統的国技であることには、ちがいない。
それなりの保護や助成は、必要。
しかしそれにも「限度」がある。

たとえばNHKと日本相撲協会とは、太いパイプでつながれている。
その「場所」になると、NHK(BS)は、午後1時前後から、6時過ぎまで
実況中継している。
そのあとの定時のニュースでも、勝敗を紹介している。
が、常識で考えても、そこまでする必要があるのか。
明らかに「限度」を超えている。

●欲望

 現在の日本相撲協会を、報道という窓を通してその外から見ていると、
「欲望とは何か」。
そこまで考えてしまう。

 まったく話が変わるが、たまたま昨日も、どこかの小学校教師が、盗撮し、
逮捕された。
教室のあちこちに隠しカメラを設置し、女児の脱ぎ着を盗撮していたという。

「どうして?」……、つまり「どうしてそんなことをするのか?」というより、
「どうしてこういう事件が繰り返されるのか」ということ。
10年ほど前、この浜松市の高校でも、あった。
女子の更衣室にやはり隠しカメラを置き、女子生徒の脱ぎ着を盗撮していた。

学校の教師なら、こういう事件を、近くで見聞きしているはず。
どんな罪になるかも、知っているはず。
が、それでもその欲望を、抑えることができない。
つまりそれが「欲望の力」ということになる。
言い換えると、欲望の力には、ものすごいものがある。

+++++++++++++++++

昨年(2009年9月)に、こんな
原稿を書いた。

+++++++++++++++++

●欲望vs理性

++++++++++++++++++++

昨夜遅く、近くにオープンした靴屋へ行ってきた。
開店初日には、何百台という車が並んだ。
西日本第一の規模を誇るという。
超大型店。
……それから1週間。
やっと楽に入店できるようになった。
で、オープンセールということもあった。
ふつうなら8000〜1万円もするような靴が、
(本当のところ、私には靴の値段はわからないが)、
2500〜3000円で売られていた。
私が1足、ワイフが1足、買った。
2足で、4800円!

++++++++++++++++++++

●生きる原動力

 生きているだけでも、すばらしいこと。
ものが見える、ものが聞こえる、話ができる……。
そういう視点に立てば、あらゆる問題が解決する。

 が、ただ生きているだけでは、人間は満足できない。
視床下部から脳全体に、常にシグナルが送られる。
そのシグナルに応じて、もろもろのホルモンが分泌される。
そのひとつにドーパミンがある。
人間の快楽と欲望を司る脳内ホルモンである。
それが人間が生きる原動力となる。
それをフロイトは「性的エネルギー」と呼んだ。
ユングは「生的エネルギー」と呼んだ。
(これは私の勝手な解釈によるもの。)

●理性vs欲望

 しかし脳内ホルモンの命令するままに行動していたら、たいへんなことになる。
人間のもつ欲望には、際限がない。
しかもドロドロと薄汚い。
そこでそれをコントロールするのが、理性、つまり前頭連合野ということになる。

 もし善と悪を大脳生理学的に考えるなら、前頭連合野が司る理性が、善、
ドーパミンに支配される欲望の世界が、悪ということになる。
が、前頭連合野の力には限界がある。
欲望の力のほうがはるかに強力。
パワーフル。
大学の教授だって、手鏡で女性のスカートの下をのぞく。
それもそのはず。
欲望は、「生きる力」そのものと直結している。
食欲にしても性欲にしても、また物欲、権力欲にしても、「生きる力」を土台にして
生まれる。
善と悪は、そういう点でも平等ではない。

●メカニズム

 では、理性に勝ち目はないかというと、そうとも言い切れない。
ここに書いたようなメカニズム、(あくまでも私が考えたメカニズムだが)、それが
わかるだけでも、そこに「敵」が見えてくる。
まずいのは、欲望に操られるまま、操られていると気がつかないで、行動すること。
欲望の奴隷になること。

 が、こうしたメカニズムがわかってくると、自分自身を一歩退いたところから、
客観的に見つめることができるようになる。
たとえば食欲にしても、「食べなければ損なのか。食べたら損(そこ)ねるのか」と。
自分で自分の食欲をコントロールすることができるようになる。
食べ放題の店とか、ホテルのバイキング料理とかへ行くと、そういう経験をよくする。
そういうところで、欲望の命令するまま食物を口に入れていたら、あっという間に、
体をこわす。

 ……といっても、そんなことでも簡単なことではない。
私などどこかの旅館やホテルで一泊するたびに、2〜3キロも体重がふえてしまう。
で、そのあとあわててダイエット。
その繰り返し。

●靴屋で……

 同じような現象を、昨夜、靴屋でも経験した。
安い。
確かに安い。
値段を見ているうちに、「買わなければ損」という欲望が、猛烈にわいてきた。
実際、近くを見ると買い物かごに、3〜6足も靴を入れて歩いている人がいた。
子連れだったが、10足近く、まとめて買っている夫婦もいた。

 が、それにブレーキをかけたのは、ほかならぬ理性だった。
(持ちあわせが少なかったこともあるが……。ハハハ。)
「靴などというものは、1足を大切にはく。それがはけなくなったら、また買う」と。
たとえば6足を3年ではくとすると、1年に2足となる。
しかし1足を1年はけば、結局は、半額ということになる。
それがわかったとき、「オール20%引き」という文字が、かなり色あせて見えた。

 つまりこうして自分の欲望にそのつどブレーキをかけていく。
そういう習慣を身につける。
それが積み重なって、理性の力で欲望をコントロールすることができるようになる。
平たくいえば、欲望をコントロールできるかできないかは、能力の問題ではなく、
習慣の問題ということ。
習慣の中で、理性の力を養っていく。

 ……今朝は、そんなことを発見した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 欲望 理性 生的エネルギー 欲望をコントロール)

●欲望

 欲望をコントロールするのは、むずかしい。
たいへんむずかしい。
個人の力では、(もちろん個人差もあるが)、不可能とさえ考えてよい。

 では、どうするか?

 私は「システム」の問題と考えている。
たとえば日本相撲協会。
たとえば学校制度。
政治にしても、そうだ。

 欲望の追求がすべて「悪」ということではない。
しかしそこにブレーキをかけるのが、システムということになる。
平たく言えば、できるだけ多くの人たちの目を通して、個人の欲望を監視する。
厳罰主義でもよい。

 たとえばオーストラリアでは、18歳未満の女子との性的な関係は、きびしく
禁止されている。
見聞きし、それを届けなかっただけでも、罪に問われる。
日本風に言えば、「不作為罪」ということになる。

 相撲について言えば、「八百長」という言葉そのものが、相撲の世界から生まれている。
明治の昔から、八百長相撲は、常識だったと考えてよい。
だったら、相撲というのは、もともとそういうものとして、見ればよい。
プロレスを例にあげるまでもない。
が、それでもだめだというのなら、万人が等しく参加できる「スポーツ」にすればよい。
サッカーや野球を例にあげるまでもない。

 日本相撲協会は、「国技」を隠れ蓑に、あまりにも好き勝手なことをしすぎた。
欲望を追求しすぎた。
「うみ」が、たまり過ぎた。
それが今、一気に外に噴き出した。

 日本相撲協会の「土下座」だけを見て、それで終わらせてはいけない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 21日祭日
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●佐久間象山(1811〜1864)と皆神山(長野県長野市)

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こんなロマンがある。
つまりおとぎ話。
その話というのは……。

佐久間象山という幕末の学者がいた。
幕末の志士たちに、大きな影響を与えたとされる。
その中には、吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬
などがいた。
とくに勝海舟とは縁が深い。
勝海舟の妹の順が、佐久間象山の妻である。

たいへんな学者で、国家論のみならず、ガラスの
製造法、電話の研究、地震予知機まで研究して
いたという。

その佐久間象山の生まれ故郷が、長野県松代。
現在は、長野県長野市になっている。
その松代。
ワイフに、「一度は行ってみなければいけないね」と
言うと、「どうして?」と。

+++++++++++++++++++

●皆神山

 松代には、不思議な山がある。
ピラミッドのようでもあるが、上部半分が、火山口のようにもなっている。
名前を「皆神山」という。
昔からその山の地下に、3キロx1・6キロの大空間があるとされる。
人工的に造られた山という説もある。
ウソか本当か?

 今では、インターネットを使えば、簡単に調べられる。
YOUTUBEで、「皆神山」を調べると、ズラリと画像が並ぶ。
その皆神山と佐久間象山の関係は、わからない。
ただ佐久間象山が、そのあたりで、生まれ育ったというだけである。
が、ここで私が「不思議な山」というのは、地下の大空間のことを言うのではない。
実は、皆神山というのは、UFO研究者たちの間では、UFOの出没地として
よく知られているということ。
(以上、「UFOエイリアン」(ダイアプレス参考))。

●佐久間象山

 佐久間象山の写真(国会図書館蔵)を見て、まず驚くのが、その日本人離れした顔。
長い顔。
大きく鋭い目。
日本人というよりは、アラブ系もしくはユダヤ系。
耳たぶが頭部にぴったりくっついているのか、写真では、両耳が見えないこと。
佐久間象山は、遺伝子操作によって宇宙人によって作られた人間……。
……と書くと、何となくあやしげなエッセーになってくる?
しかしこれはロマン。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/48/img5dccf106zikfzj.
jpeg" 
width="247" height="347" alt="39-10.jpg">

ウィキペディア百科事典には、こうある。

「……象山は兵学のみならず、西洋の学問そのものに大きな関心を寄せるようになる。
ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、更には牛痘種の導入も企図していた。
嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は視察として浦賀の地を
訪れている」と。

 SF小説的に考えだすと、思考が止まらなくなる。
おもしろいというより、ワクワクしてくる。
(ただしロマンの範囲で……。)

私「なあ、今度、長野へ行ったら、皆神山まで足を延ばしてみようか」
ワ「春になったら、ね」と。

 現在は雪の中。
それまでに資料集め。
(ただしロマンの範囲で……。)

●旅行(ロマンを求めて……。)

 ……というようなことを書いたが、佐久間象山がどうのとか、皆神山がこうのとか、
いうのではない。
ただ「こういう話は、おもしろい」という範囲での話。
同じ旅行でも、ロマンを描きながらするのと、そうでないのとでは、おもしろみがちがう。
たとえば伊豆の天城峠。
そこに一本のトンネルがある。
何の変哲もないトンネルだが、(どこにでもあるようなトンネルだが)、「踊り子」
(川端康成)が通ったトンネルと思うだけで、楽しさが倍増する。
それと同じ。

 近く大学時代の友人を訪問しながら、長野まで行く。
そのときここに書いたことを思い出しながら、そのあたりを旅をする。
おもしろさが、倍増するにちがいない。
ワイフと議論を重ねるのも、楽しい。
つまりそれがここでいう「ロマン」。

 佐久間象山は、ひょっとしたら、宇宙人だったかもしれない。
皆神山は、UFOの発着場であったかもしれない。
つまりそれがここでいうロマン。
おとぎ話。
もちろん本気で信じているわけではない。
(UFOの存在は、信じているが……。)

 今日は、2月2日。
将棋(PSP)をしながら、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
汗をかいた。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【相撲疑獄】(八百長事件)

●国技?

++++++++++++++++++

ときどき、子どもたち聞く。
「相撲を見ている?」と。
が、そのたびにみな、こう言う。
「見ていない」と。

私が知るかぎり、「相撲ファン」の子どもはいない。
ゼロ!

が、そんな相撲中継を、NHKは、毎日午後1時過ぎから、
6時前後まで中継している。
NHKと相撲協会。
何か、あやしい?
何か、臭い?

「国技」とは名ばかり。
ただの「興業」。
金儲けのための興業。
もちろんスポーツではない。

++++++++++++++++++

ちょうど1年前、こんな原稿を書いた。
2010年2月の日付になっている。

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事選挙)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。
私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●八百長事件

 相撲の八百長は、私が学生時代のころからうわさになっていた。
取り組みが終わると、下っ端が、現金を包んで部屋を走り回るというような話もあった。
が、そのたびに相撲協会は、「八百長はない」と。

 しかし今度ばかりは、逃げられない。
物的証拠が出てきた!

 日本経済新聞は、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、日経新聞++++++++++++++

高木義明文部科学相は3日午前の衆院予算委員会で、日本相撲協会の放駒理事長から同

朝に八百長問題について報告があったと明らかにし「名前があがっている(13人の)力士
のうち、3人が八百長に関与したことを認め、新たに1人の力士の名前があがっている」
と述べた。

 文科相は「相撲協会は弁護士など専門家により徹底した調査を本日から行う。計14人の
力士については6日の理事会までに中間報告を終えて概要を報告する」と説明した。「事の
重大性に鑑み状況を踏まえて厳正に対処していきたい」とも述べた。自民党の斎藤健氏へ
の答弁。

+++++++++++++以上、日経新聞++++++++++++++

●相撲協会

 相撲協会の罪は重い。
またもや、「八百長は今回だけ」などと、うそぶいている。
だいたい「相撲協会からの報告」というのが、おかしい。
今回の八百長は、野球賭博事件を調べていた警察当局筋から明るみになった。
そこで相撲協会。
逃げるに逃げられなくなり、「調査」をした。
その結果が、日経の記事。

 億単位の現金が乱舞する、相撲の世界。
そういうものを「国技」と称して、保護する価値があるのか。
意味があるのか。
毎日実況中継する、意味があるのか。
過去……というより戦後、そのつど八百長疑惑が取りざたされ、そのつど「完全否定」。
逆に、それを追及したライターを逆告発。
裁判で勝ったことを理由に、「無実が証明されました」と。

 八百長などというものは、当事者が口をつぐんでしまえば、だれにもわからない。
こういうことを、繰り返しながら、今に至った。
即刻、「公益認定」を取り消すべきである。
何からなにまで、どんよりと腐った世界。
地元のC新聞は、「氷山の一角」という見出しをかかげた。

+++++++++++++以下、読売新聞++++++++++++++

枝野官房長官は3日午前の記者会見で、大相撲の力士が八百長への関与を認めたことに関
連し、「八百長が蔓延(まんえん)しているような法人であれば、公益認定を得ることは難し
い」と述べた。

 日本相撲協会は新公益法人制度のもとでの公益財団の認定を目指しているが、八百長が
常態化していることが明らかになった場合は認められないとの考えを示したものだ。

 また、枝野長官は日本相撲協会について、「うみをすべて出し、(八百長を行った力士ら
に)厳しい処置をとるよう、(所管する)文部科学省を通じて厳しくやってもらう」と強調
した。

+++++++++++++以上、読売新聞++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2011年2月3日

●街まで歩く

++++++++++++++++++++++

このところ朝食以外は、外食ですますことが多くなった。
ワイフに仕事を手伝ってもらっていることもある。
そのため外食は、できるだけ安く、おしいものをさがす。
美食家といえば、美食家。

……といっても、その一方で、カロリー計算も
しなければならない。
それに「量」。
今、どこでも私たちには、量が多すぎる。
若い人たちを基準にしている。
もっとも量は、食べ残すという方法で対処できる。
しかし私たち団塊の世代には、それができない。
食べ残すということに、罪悪感を覚える。
罪悪感というよりは、損失感か?
だからどうしても一人前、食べてしまう。
つまり食べ過ぎ。

ときどきこう思う。
よくもまあ、この年齢になるまで、糖尿病に
ならなかったな、と。
本来なら、とっくの昔に、糖尿病になって
いてもおかしくない。
美食家の大敵は、糖尿病。

……ということで、このところ運動に気を遣っている。
昨日も、ワイフと2人で、街までの6キロを歩いた。
時間にして、ちょうど1時間。
コースは、自宅→西伊場→根上がり松(地名)まで。
大回りしたのは、途中の雑貨屋に立ち寄るため。
その近くで昼食。

根上がり松近くに、「コンコルド」という、
イタリアン・レストランがある。
Aさんという、私が幼稚園の講師をしていたころからの
友人が、経営している。
雰囲気、味、ともに最高!
ワイフも私も大満足。
で、そこからは、バスに。
Aさんと話し込んでしまった。
それでバスに乗った。
しかし楽しかった。

こうしたレストランでは、それはホテルや旅館にも
通ずることだが、「哲学(=ポリシー)」が大切。
それに本気度。
久々に、哲学と本気度を感じた。
帰り際、「お店の紹介を、HPでしていいですか?」と
聞くと、快く応諾してくれた。

店を出たとき、ぐっと懐かしさがこみあげてきた。
Aさんと知り合って、もう40年になる。
その40年前が、風のように目の前を通り過ぎていった。

コンコルド……浜松市の西、根上がり松から西へ
150メートルほどのところにある。

++++++++++++++++++++++

●暖かい

 今朝は5時ごろ目が覚めた。
肌で気温を感ずる。
「暖かい!」。

 そのまま起きて、ウォーキングマシンへ。
「ウォーキング」といっても、小股で走ることが多い。
いつもは30分と決めているが、今朝は、10分。
早く書斎へ入りたかった。

●花粉症

 目が覚めたとき、鼻の奥がツンツンと痛かった。
花粉症の始まりである。
先週あたりから、様子がおかしかったが、ここにきてはっきりした。
花粉症である。
例年より、1週間程度、早い。

 が、私のばあい、最初の1週間程度で、症状が消えるようになった。
19年ほど前、全身に花粉を浴びるような事件があった。
たまたまその時期に、杉の木の植え替え作業をした。
それ以来、そうなった。
つまりそれまでは、この季節になると、地獄の苦しみを味わった。
こういうのを「減感作療法」というらしい。
GooのHPには、こうある。

「……免疫療法の一種で、今のところ花粉症を根本的に治す唯一の治療法とされています。
アレルギーを起こす花粉の抽出液(エキス)を少しずつ患者さんの体内に注射し、花粉に
対する慣れを体内につくってしまおうという方法です」(Goo HP)と。

 ただし私がしたような方法を、まねしないこと。
へたをすれば、命取りになるという。
専門医師に相談して、「少しずつ、慣れをつくる」(Goo HP)のが安全。

●映画

 この数週間、映画のことは、あまり書かなかった。
しかし劇場へ行かなかったわけではない。

 最近観た映画は、「RED」「ソーシャル・ネットワーク」「グリーン・ホーネット」
「アンストッパブル」。
すべて現在も上映中。
つまりめぼしいものは、すべて観ている。
で、今日から、「ウォール・ストリート」が始まる。
近く、「ヒア・アフター」が始まる。
楽しみ。

 ついでながら、私の星評価。

「RED」……★★★(できすぎ)
「ソーシャル・ネットワーク」……★★(ただのストーリー映画)
「グリーン・ホーネット」……★★(飛びすぎ)
「アンストッパブル」……★★(ハラハラ度が低い)

 ちょっときびしいかな?

 私たち夫婦は、ボケ防止を意識し、週に1、2度は劇場へ足を運んでいる。
「映画を楽しむ」というよりは、「ボケ防止」。
本当にボケ防止になっているかどうかはわからない。
が、映画はたしかに脳みそを刺激する。
つまり肉体の運動と同じ。

●胃カメラ

 来週、胃カメラを飲むことになっている。
軽い逆流性食道炎がつづいている。
医師に相談すると、「一度は飲んでみたほうがいい」と。
それでそうなった。

 散歩のとき、それがワイフと話題になった。

私「なあ、もし胃がんが見つかったら、どうする?」
ワ「切れば、治るわよ」
私「切るのか?」
ワ「まだ早期でしょ」
私「症状が出ているから、もう早期ではないよ」
ワ「今は、がんで死ぬ時代ではないわよ」と。

 ワイフのよいところ。
何ごとも、楽天的。
ワイフのような人間は、うつ病にはならない。
うらやましい。

 で、私のばあい、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。

「命」というのは、皮肉なもの。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのも、これまたたいへん。
簡単には死なせてくれない。
そのプロセスがこわい。

 独居老人→無縁老人→孤独死。
その「孤独」がこわい。

●ニュースより

(日本の相撲)

 日本の相撲が、揺れている。
激震というより、「やっと……」という感じ。
あの世界は、何からなにまで、うさん臭い。
日本相撲協会は、「八百長は今回だけ」「うみをすべて出す」というようなことを
言っている。

アホ!

だれがそんな話を信ずるか。
うみをすべて出したら、残るのは「皮」だけ。

(エジプト)

 揺れていると言えば、エジプト。
それに民主党。
誤解していけないのは、頂点に立つ権力者というのは、いわば「象徴」。
御輿(みこし)で言えば、御輿。
それを担(かつ)ぐ人間がいるから、御輿が御輿になる。
そういう意味では、頂点に権力者というよりは、それを担ぐ人間のほうが、悪(ワル)。
自分は権力者の陰に隠れて、身の保全を図る。
利益をむさぼる。

 ムバラク大統領にも、小沢一郎氏にも、そういう取り巻きがいる。
そういう取り巻きを崩さないかぎり、政治は変わらない。

(新燃岳)

 それにしてもすごいのが、新燃岳。
爆発。
ワイフに「見に行きたいね」と言うと、叱られてしまった。
「不謹慎よ」と。

 たしかにそうかもしれない。
しかし見たいものは、見たい。
上空2000〜3000メートルまで煙があがっているという。
「すごいだろうな」と思ったところで、思考停止。
たしかに不謹慎。

ワ「それにあぶないわよ」
私「そうだな……」
ワ「みんな避難しているというのに、わざわざ見に行くなんて……」
私「そうだな……」と。

 自分の声が、だんだんと小さくなっていくのがわかる。
しかし私には、こんな経験がある。

(伊勢湾台風)

 私は子どものころ、台風が好きだった。
台風が来るのが、楽しみだった。
伊勢湾台風がやってきたときも、私は風向計を作って、遊んでいた。
が、そこへ直撃。
台風の目が、まともに私の住む町を通過した。

 で、そのバチが当たったというか、窓ガラスが割れ、足を大けがするハメに。
今も右足に、そのときの傷跡がはっきりと残っている。
ウィキペディア百科事典には、こうある。

「1959年(昭和34年)9月26日、後に伊勢湾台風と呼ばれる台風15号の接近の為小学
校の運動会は中止となる。
その後、台風は勢力を強め紀伊半島潮岬に上陸、東海地方に甚大な被害をもたらしていた。 
伊勢湾は満潮と台風の高波で決壊、木材を押し流し家々を破壊、そして大勢の人々も一緒
に飲み込んでゆく。 
ついにはひかり一家も流されるが、ひかりは愛犬の命がけの行動によって翌日神社の大木
にひっかかっているところを発見され無事救出される。 
しかし両親や利夫は助からなかった」(映画「伊勢湾台風物語」より)と。

 昭和34年ということだから、私が12歳のとき。
小学6年生ということになる。
しかしこの話は、私だけの秘密だった。
つまり「台風が好き」ということは、その前にもだれにも言わなかった。
伊勢湾台風以後は、さらにだれにも言わなかった。

 しかし、である。
15年ほど前に知り合った、アメリカ人(元高校教師)が、そのときこう言った。
「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。
台風がやってくると、ベランダに椅子を並べて、それを見ているよ」と。
彼は高層マンションの8階当たりに住んでいた。

 この話を聞いたときには、驚いたというよりは、うれしかった。
「ナーンダ、私だけではなかった!」と。

 で、それ以来、ときどき生徒たち(幼児や小学生)にこう聞く。
「みんなは、台風が好きか?」と。
するとほとんどの子どもたちが、こう答える。
「好き」と。

 理由を聞くと「学校が休みになる」とか、そういうことらしいが、それを聞いて、
私はほっとした。
私は長い間、私の頭はおかしいと思っていた。
「台風が好き」というのは、どう考えても、まともではない。
それに台風といっても、伊勢湾台風のような台風は、例外。
この浜松では、この数十年、台風による被害らしい被害は、ほとんど起きていない。
それもある。

 もっとも私自身は台風の恐ろしさをよく知っている。
伊勢湾台風が、よい経験になった。
だから今でも、台風が近づくたびに、過剰とも言えるほど過剰な防御策を取る。
言い替えると、この浜松の人たちは、無防備過ぎる。
むしろそちらのほうが、心配。

 「台風が好き」と言っても、その範囲での話。
「新燃岳を見たい」と言っても、その範囲での話
つまり「被害が楽しい」と言っているのではない。
どうか誤解のないように!

●おもしろい現象

 現在、私の教室に、ずば抜けて頭の切れる女子(中2)がいる。
鋭いというか、論理的で、少しでも矛盾を覚えると、すかさず私を攻撃してくる。
進学校でも、学年トップクラスの成績を修めている。
その女子の名前を、(尊敬の念をこめて)「Nさん」という。

 そのNさんだが、意外なことに、まじないや占いを信じている。
先日も手相の話をしてやったら、(私自身は、まったく信じていないが)、それを本気に
してしまった。
あらかじめいろいろな情報を別のところから仕入れておいた。
その情報をもとに、「君は……」と。
いろいろと言い当ててやった。

 言うなれば手品のようなものだが、Nさんは、それを信じてしまった。

私、Nさんの手のひらをまじまじと見ながら、「君は……!」
N「何よ、言ってよ!」
私「……言えない」
N「だから、どうなのよ!」
私「言わない方がいい。君も聞かない方がいい……」
「ぼくには君の未来がわかる。だから言わない方がいい……」と。

 Nさんは、それを気にした。
私は遊びのつもりだったが、そのあと、Nさんは勉強どころではなくなってしまった。
そんな感じだった。
ときおり私の方を見て、「どうだったの。教えて。私はどうなるの?」と。
今にも泣きべそをかきそうな雰囲気だった。

 私には、Nさんが、どんな反応を示すか、そちらのほうに興味があった。
ふだんは知性と理性のかたまりのような女子である。
活動的で行動的。
そんなNさんが、手相を信じる?

(脳のエアー・ポケット)

 脳には、エアー・ポケットのような部分がある。
言うなれば「盲点」。
そのことを知ったのは、あるカルト教団の信者と話していたときのこと。
一流大学の理科系の卒業者でも、ある日突然、カルト教団の信者になってしまう。
ほんの少し、常識を働かせれば、「おかしい」と思うようなことでも、わからなく
なってしまう。
それこそ、バチとかタタリとか、そんなことを信じてしまう。
そういうことは珍しくない。

 そういった現象を説明するのが、「エアー・ポケット論」である。
そこへ入ると、知性や理性がそのままどこかへ吹き飛んでしまう。
合理的にものを考えることができなくなってしまう。

(翌朝)

 私は翌朝一番に、Nさんの家に電話を入れた。
父親が出た。
私は事情を話した。
「Nさんが、本気にしてしまうと困るので、早めに説明しておきます。
今夕、Nさんが学校から帰ってきたら、あれは手品だったと、どうか伝えてください」と。

 父親はすぐ納得してくれた。
そしてこんな話をしてくれた。

「Nはね、小学5年生ごろまで、サンタクロースを信じていたんですよ。
それにね、昔の写真……ほら、昔の写真って、白黒でしょ。
それを見てね、昔は白黒の時代だったと信じていたんですよ」と。

 つまり、(頭のよさ)と(脳のエアー・ポケット)とは、別。
頭がよいから、カルトにハマらないということはない。
頭が悪いから、カルトにハマりやすいということもない。
言い替えると、エアー・ポケットはだれにでもある。

 Nさんを見ていて、そんなことを考えた。

●ワイフはテニスに

 朝食後、ワイフはクラブに出かけて行った。
私はひとり、書斎に残された。
軽い睡魔が、私を襲う。
心地よい眠気。

 ひとつだけ困ったことがある。
現在ワードを使って文を書いているが、いつの間にか、上書きモードになってしまった。
以前は(ツール)の(オプション)から、モードを変更できた。
が、今はそれができない。
どうすれば(挿入モード)に戻せるか。

 言語バーを、(IME2007)から(ATOK2007)に変更してみたが、だめ。
一度ワードを閉じ、再び立ち上げてみたが、だめ。
「どうしたらいいのか?」と考えながら、この文を書いている。
パソコン自体を、再起動すればたぶん、再び(挿入モード)に戻るとは思うが、現在、
YOUTUBEに動画をアップ中。

 機能が複雑になった分だけ、ときどきこうしたトラブルが起きる。
かえって簡単なことができなくなってしまう。
ワードだけではない。
カメラにしても、ビデオカメラいしても、さらに携帯電話にしても、そうだ。
 
 ……少し眠ってきます。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界経済(2011年という年)

 まずアメリカ!
それにつづいて、日本、EUが、札(=マネー)を大増刷した。
世界中にバラまいた。
その総額、100兆円とも、それ以上とも言われている。
(アメリカだけで100兆円という説もある。)

 おかげで世界は、ダブダブのお金漬け。
ジャブジャブというより、ダブダブ。
(どちらも同じようなものだが……。)

 で、困ったのは、中進国以下。
中進国以下の国々。
「我も、我も……」と自国通貨を印刷し始めた。
が、悲しいかな自国以外では通用しない。
そのため、インフレ。
ハイパーインフレ。
物価は上昇、食糧の輸入もままならなくなった。
わかりやすい例として、北朝鮮がある。
この1年間だけで、米の価格が50倍も、はね上がったという。

 では、なぜアメリカや日本では、インフレが起きないか?
貨幣価値がさがらないか?
つまりその分だけ、ドルや円が強いということになる。
世界中が、ドルや円をほしがっている。

絵画にたとえてみると、それがよくわかる。
「ピカソ」という署名があるだけで、絵は売れる。
「○△xx」という名前では、絵は売れない。
わかりやすく言えば、先進国には、インフレを吸収するだけの余力がある。
食糧価格にしても、少しくらいならあがっても、どうということはない。

●中進国以下が犠牲に

 結局、しわ寄せは、中進国以下に集まる。
中進国以下の「国々」に集まる。
不況と失業、加えて物価高。
とくに食料品の不足と価格の高騰は、影響が大きい。
直接、市民生活に大きな打撃を与える。
今回のエジプトの騒乱は、起こるべくして起きた騒乱ということになる。

が、エジプトだけで収まるとは、だれも思っていない。
端的に言えば、中進国以下の国々が、先進国の犠牲になる。
そういう「構造」になっている。
今後、こうした騒乱は、世界中で起きる。

 で、私たち日本人は、ひょっとしたらこう思うかもしれない。
「日本人でよかった!」と。
日本は今のところ、一応「先進国」として、その地位を保っている。
(いつ、コケるかわからないが……。)
「円」を増刷しても、それをほしがる人がいる間は、安泰。
が、ここで忘れてはいけないことが、2つある。

(1)ここにも書いたように、私たちの今の生活は、中進国以下の国々の犠牲の
上に成り立っているということ。

(2)やがて回り回って、先進国にも、その影響が及んでくるということ。
すでに北海油田の原油価格は、1バレル、100ドルを突破した。
世界情勢が不安定になれば、世界経済も狂い始める。

●2011年

 今は、まだよい。
ここに書いたような「構造」に、まだ気がついていない。
中進国以下の人たちには、まだそれがわかっていない。
エジプトにしても、抗議の矛先は、ムバラク大統領に向かっている。
アメリカや日本にではなく、ムバラク大統領に向かっている。
しかしやがて気がつく。
「なぜ、私たちは貧しいのか?」と、
それを、そのうち考えるようになる。
そしてその先に、アメリカや日本、EUがいることを知る。
そうなったとき、果たして、アメリカや日本、EUは、どうなるか?
アメリカや日本が、無事でいられるとは、私には思えない。

 アメリカは、(日本もその仲間だが)、本当にズルイ国だと思う。
自国さえよければ、それでよい、と。
自国の救済しか考えていない。
つまり自分勝手。
なりふり構わず、ドルを大増刷している。
その結果、世界を犠牲にした。……している。

 1月に入ってから、アルミ、銅などの素材金属の価格が上昇している。
ジリジリとさがりつづけていた金価格も、エジプト騒乱を境に、上昇に転じた。
ガソリンの価格も、それに同調し始めている。
日本の経済破綻についても、「可能性の問題ではなく、時間の問題」と
ささやかれている。
もしそうなったら、円キャリーで流出した「円」が、日本に逆流する。
わかりやすく言えば、円の大洪水。
それが始まる。
某経済誌によれば、そのため円は大暴落。
1ドルが、300〜400円になるという。
もちろんハイパーインフレ。
「タクシーの初乗りが、1万円になるだろう」(某経済誌)と説く学者もいる。

 つまり2011年は、日本にとっても、たいへんな年になりそう。
それがこの2月になって、いよいよはっきりしてきた。

(注:私という、ド素人の書く経済論なので、本気にしないでほしい。
そのためこのままボツにしようかと思ったが、このままBLOGに掲載する。)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本相撲協会(疑惑の理事会選挙)

++++++++++++++++++

数日前、日本相撲協会の批判記事を書いた。
BLOGに載せた。
が、その反響というか、アクセス数に驚いた。
いつもの倍以上。

Goo−Blog、楽天など、いつもなら
合計で3000〜4000件(1日)だったのが、
1万件を超えた!

つまりそれだけ反響があったということ。
読者のみなさんの関心が大きいということ。

私は、「日本相撲協会ほど闇に包まれた世界はない」と
書いた。
そのひとつが、あの理事会選挙。
昨年(2010年)の2月に書いた原稿を、
再掲載する。

つまりこの理事会あって、日本相撲協会。
その日本相撲協会あって、今回の八百長事件。
テレビでは、八百長相撲をそのまま紹介していた。
あらかじめ示し合わせた通りの、八百長相撲。
八百長を八百長とも知らず、それを解説してみせた
NHKの解説者が、今回ほど、ピエロに見えたことはない。

+++++++++++++++++++

●疑惑の理事会選挙(2010年2月の原稿より)

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事八百長選挙?)(改)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
「年寄株」が数億円で売買されているという話も、聞いたことがある。
(数億円だぞ!)
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!
(どうしてそういう相撲が、文科省の管轄になっているのか?
それもおかしい?)

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。
(何か、臭いぞ!)

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。

私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

これこそまさに「八百長選挙」ではないか。
某力士は、メールの中で、こう言っていた。
「私らのやることなど、かわいいもんです」(報道)と。
私には、その意味が、よくわかるのだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙 疑惑の八百長選挙)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●八百長

 八百長と相撲との関係は、深い。
「八百長」という言葉は、もともと「相撲の世界」から生まれた。

 広辞苑には、こうある。

「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合わせで、
常に一勝一敗になるように、あしらったことに起こるという。

(1)相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの
勝負を争うこと。
なれあい試合。
(2)転じて、内々示し合わせておいて、なれあいで事を運ぶこと」と。

 で、それについて日本相撲協会は、「八百長は、今回が初めて」という煙幕を
盛んに張っている。
が、それを信ずる人はいない。
(私も、信じない。)
そればかりか、昨年、八百長相撲を指摘したライターを、逆告発までしている。
厚顔無恥とは、まさに現在の日本相撲協会のような団体をいう。
その罪は重い。

●時代は変わった

 私が子どものころといえば、野球、相撲、プロレス。
この3つが、最大の関心事だった。
しかし今は、時代も変わった。
今では、相撲中継を見ている子どもは、ゼロ。
「相撲が好き」と言う子どもは、さらにゼロ。

 かわってサッカーがある。
もろもろのスポーツがある。
どうしてこういう時代に、「相撲」なのか?

 伝統的国技として、それなりに残す努力は必要かもしれない。
しかしそれにも限度がある。
あえて比較するなら、相撲とプロレスはどこが、どうちがうのか。
興業なら興業でよい。
金儲けのための興業と割り切ればよい。
が、それを「国技」というカバーをかぶせて、金儲けをごまかす。
その結果が、今。
今回の八百長事件は、まさに「氷山の一角」(某新聞)。

 自浄能力は、現在の日本相撲協会には、ない。
そのことは、先にあげた「理事会選挙」の結果を見ればわかるはず。
これを「八百長選挙」と言わずして、何という?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 日本相撲協会 八百長相撲 八百長選挙)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2011−02−01

+++++++++++++++++

朝、普段着のまま、ランニングをする。
白い朝の光線、春草のかすかな匂いの
混ざった冷気、
それを頬で感じながら、ヒタヒタと走る。

しばらく走ると、目の下から、一番汗。
それがスーッと下に流れた。
時折、自動車が風を切って、走り抜ける。
乾いた風が、体をあおる。

少し前、同じようなランニングをしたとき、
ひざを傷めた。
それを心配しながら、かかとをあげないよう、
すり足で走る。

途中、待ち合わせ場所に来ると、ワイフが
そこにいた。
「早かったわね」とワイフ。
「うん、今朝は走った」と私。
車に乗ると、ドカッと汗が噴き出した。
時計を見ると、40分。
今日一日の運動量の、半分をこなした。

+++++++++++++++++


【かん黙児&過敏児】


悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)
教師が子育ての宿命を感ずるとき


●かん黙児の子ども


 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をす
る。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。
指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結
構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじま
ない。が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親
が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてその
あと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学
級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)
のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何が
パニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。


●経過は一年単位でみる


 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が
軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。
何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親に
は一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子
どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切
るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべ
て、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善すると
いうことは、ありえない。が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時
に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つ
まり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこ
ともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。


●「そんな冷たいこと言わないでください!」


 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児と
わかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、
「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心
理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親
自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわって
いる。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で
判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこ
と言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。


●親は自分で失敗して気づく


 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たい
ていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、
症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさ
っちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくし
かない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そうい
う宿命が、いつもついて回る。


(参考)


●かん黙児


 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変
わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の
学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学
生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子ど
もまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。


 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙す
る、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイ
プの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを
当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。


 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子ど
もはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したと
きをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われて
いる。


 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめ
る)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももい
る。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。


かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たり
すると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあ
いがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話
しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障
害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければ
ならない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき


●敏感(神経質)な子ども 


 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオド
オドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。
そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。


 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この
敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合
わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と
身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや
腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子
さんは、まさにその精神的過敏児だった。


●過敏児


 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おと
なの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろ
く、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、
環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのた
め体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、
一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出る
こともある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に
悩まされていた。


●子どもを認め、受け入れる


 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもっ
て生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をす
ればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児に
ついて言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せ
ることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ること
ができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけ
で神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前
提で理解してあげる。


●一見鈍感児なのだが……


 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子ど
ももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊
細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬと
ころでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっ
ぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先
生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつ
つも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもの
で、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方
向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)
のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを
飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことです
か!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。


(参考)
●過敏児と鈍感児


 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふ
つうこの両者は対比して考える。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 かん黙児 緘黙児 場面かん黙児 全かん黙児 過敏児 はやし浩司 
敏感児)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沼津市での講演会】

●沼津へ

 夜行列車で沼津へ向かう。
今夜は沼津で一泊。
明日の講演会に備える。
地域の学校の先生たちが、集まってくれる。
予定では300人とのこと。

 が、出だしが決まらない。
どこから切り出そうか。
今、そんなことを考える。
……というより、私のばあい、いつもその場の雰囲気で決める。
壇上に立ったその瞬間、その瞬間に、決める。

●夜行列車

 「新幹線にすればよかった」と、先ほどワイフにこぼした。
夜行列車といっても、通勤列車。
客が一列に対峙して座る。
どうも落ち着かない。
横を見ると、ワイフはすでに本を開き、それを読んでいる。

 さっそく客の観察を始める。
これは私のいつものクセ。

反対側左から、40歳くらいの女性。
60歳くらいの女性。
真ん前は、50歳くらいの男性。
この男性は単行本を片手で持ち上げて、それを読んでいる。
5〜6人をおいて、若いカップルが一組。
女のほうが、ペチャクチャと何やら話しつづけている。

●乗客

 列車は各駅停車。
そのつど駅に止まり、そのつど冬の冷気が足元に流れてくる。
あとは間断なくつづく電気モーターの音と、ガタンガタンという車輪の音。
軽い眠気が繰り返し私を襲う。

 そう言えば、斜め右前の男が気になる。
65歳くらいか。
浅黒い顔色をし、ときどき小さな魔法瓶に口をつけて、何やら飲んでいる。
職業は何だろう。

……たった今、その男が読んでいる本の表紙が見えた。
パソコン用めがねをかけているので、大きな文字しか見えない。
それには「台湾」とあった。
旅行案内の本か?
右脇に大きな黒いバッグ。
ワイフに「表紙に何と書いてある?」と聞くと、「食べ物の本みたい……」と。

●隣人 

 事務所の隣人が、入院しているという。
それほど親しくはないが、気になる。
穏やかで、誠実な人だ。
ときどき「何か手伝いましょうか?」と声をかけたことがある。
パソコンのことなら、多少の知識がある。
が、相手にしてもらえなかった。
隣人はいつもパソコンを前に、何かをしていた。

 が、見舞いに行くほど、親しくはない。
突然行くのも、好ましくない。
相手の都合もあるだろう。
大家さんの話では、げっそりと痩せていたという。
書き忘れたが、入院してもう1か月になるという。
検査入院とかで、入院した。
それが1か月?

●伯父の他界

 数日前、伯父が他界した。
おととい、香典を届けた。
岐阜の山奥で、峠を越えたら、一面の雪景色。
久しぶりの雪景色。
その美しさに、思わず声をあげた。

 母方の兄弟が13人。
父方の兄弟が5人。
私には18x2=36人のオジやオバがいた。
が、今は、もう2、3人になってしまった。
さみしいというより、「つぎは私たち……」。
そんなふうに考える。
ワイフも、「順番ね」と言った。

 伯父は、自宅のふとんの中で横になっていた。
若いころは色白だった。
大柄な人だった。
が、そこに見た伯父は、小さく、顔色も土色だった。
表情も、別人のようだった。

●封建主義

 その伯父。
よい意味でも、そうでない意味でも、昔の武士のような人だった。
私はいつもその伯父を通して、江戸時代を見ていた。
家父長意識が強く、家意識も強かった。
ものの考え方も権威主義的で、上下意識も強かった。
もちろんプライドも高かった。
封建時代というより、封建主義のかたまりのような人だった。

嫁いできた伯母などは、最初の10年ほどは、「女中」のような存在だった。
妻というよりは、「女中」。
みな、そう言っていた。

 ……あの封建時代を礼賛する人も多い。
「武士道こそ日本の……」と説く人も多い。
しかし封建時代の、「負の側面」を語ることなしに、一方的に武士道なるものを
礼賛してはいけない。
平たく言えば、「人間」を語ることなしで、武士道を語ってはいけない。

●前の男

 列車は掛川を過ぎた。
静岡までの半分の距離を過ぎた。
斜め右側の若いカップルは、相変わらず、ペチャクチャと話しつづけている。
その横の男は、本を読むのをやめ、今は、両手をコートのポケットに入れ、
眼を閉じている。
横には、大きな黒いバッグ。
 
 大きなバッグである。
通勤用ではなさそう。
どこかへ行くのだろうか。
それとも帰ってきたのだろうか。
頬は、ブルドックの顔のように垂れ下がっている。

●文を書く

 この列車は鈍行列車ということになる。
が、私は嫌いではない。
1〜2時間の距離なら、いつも鈍行列車を利用する。
こうして列車の中で、文を書くのは楽しい。
新幹線だと、それができない。
……というか、落ち着かない。

 時間はたっぷりとある。
そう言えば、あのカップルが、先ほどの駅で降りた。
とたん、夜行列車独特の静けさが、車内に充満した。
みな、目を閉じて黙りこくっている。
聞こえるのは、車掌の声、笛の音、それに客が動かす荷物の音。

 ……またまたあの眠気。
もしこうしてキーボードを叩いていなかったら、私は眠っていただろう。
横を見ると、ワイフも目を閉じて眠っている?

●OFF

 たった今、ぐるりとあたりを見回した。
そのとき、斜め前の男と、視線が合ってしまった。
気がつかなかったが、向こうは先ほどから私のほうを見ていたらしい。
私は会釈する間も取らず、目をそらした。
そらしながら、左手で首筋をかいた。

 人間というのは、不思議な生き物だ。
こういう世界では、すべての人を、OFFにしてしまう。
人間を人間と見ない。
記憶にも残さない。
記憶にも刻まない。

 相手の男もそうだろう。
私をどう見たかはわからないが、見ると同時に、忘れているはず。
大脳生理学の本によれば、数分の1秒程度で、忘れてしまうそうだ。
でないと、脳みそは記憶だらけになってしまう。
パンクしてしまう。
この文を読んでいるあなたにしても、そうだ。
読んだ先から、内容を忘れていく。
それでよい。

●空想

 では、どうすればよいのか。
どうすれば、この瞬間を、脳に刻むことができるのか。
またこの文を読んでいる読者のみなさんの脳に、どうすればこの文を刻むことが
できるのか。

 何かの事件があれば、それでよい。
それを書けばよい。
何かないか……?

 そう、こんな話はどうか。
実はこの夜行列車は、今日死んだ人を、黄泉(よみ)の国へ運ぶ、死人列車。
昔、そんなようなテレビ映画があった。
「ミステリーゾーン(ツワイトライトゾーン)」というのが、それだった。

 が、列車の中の客たちは、自分が死んでいることに気がついていない。
いつもの自分と思っている。

 あるいは火星に向かう宇宙船でもよい。
ただの宇宙船では退屈するだろう.
そこでわざと夜行列車風に作り変える。
この列車の中の人たちは、みな、それなりの科学者。
外の景色も、作り物。
しかし速度は、秒速数万キロ!  
 
●乗り換え

 この列車は、静岡で乗り換え。
乗り換えて、沼津に向かう。
同じ静岡県なのに、結構、遠い。
少し尻が痛くなってきた。
この一週間、運動量をふやした。
筋肉痛が、あちこちに残る。

 ……それにしても、腹が減った。
沼津で何かを食べる。
それが楽しみ。

 明日は講演のあと、主催者の人たちが、昼食を用意してくれるとか。
先日、電話で「生ものでいいですか?」と聞いてきた。
沼津といえば、魚。
サシミ類なら、毎日でもよい。
私の大先祖は、肉食の魚だった!
楽しみ。
空腹なときは、とくに楽しみ。

●真剣勝負

 私にとって講演というのは、まさに真剣勝負。
集まる人の数には、左右されない。
関係ない。
10人でも、500人でも同じ。
まったく同じ。
「手を抜かない」というよりは、どこでも同じ。
真剣勝負。

 ……といっても、このところ心配なのは、気力。
気力がつづかない。
気力がつづかないと、途中で何を話しているか、わからなくなる。
脱線しても、話を元にもどすことができなくなる。
それが心配。

 だから講演の朝は、食事を抜く。
腹をからっぽにしておかないと、脳みそのほうに血が回らなくなる。
私は低血圧症。
上が110、下が60〜70前後。
長生きはできるそうだが、その分、ボケやすい、とか。

 それに中には、同じ話をする人もいるとか。
私のばあいは、いつもちがった話をする。
会場ごとに、ちがった話をする。
で、明日の話は、やはり新家族主義から入る。

●新家族主義

 家族主義もよいが、行き過ぎはよくない。
現在は、その家族主義が行き過ぎている。
「仕事より家族」と言うのは結構だが、貧乏の恐ろしさを知った上でなら、それもよい。
貧乏の恐ろしさを知らないまま、「家族のほうが……」というのは、おかしい。

 たしかにお金では幸福は買えない。
が、お金がなければ、確実に不幸になる。
また多くの親は、子どもに楽しい思いをさせること、あるいは楽をさせることが、
親の愛の証(あかし)と考えている。
親の絆もそれで太くなる、と。

 しかしこれは誤解。
まったくの誤解。
子どもを「よい子」にしたければ、(「よい子」の定義もむずかしいが……)、
子どもには苦労をさせる。
その苦労が、子ども自身を育てる。

●苦労

 が、苦労といっても、二種類、ある。
自分のための苦労と、他人のための苦労。
(1)利己的苦労と、(2)利他的苦労。
よく「私は受験勉強で苦労しました」と言う人がいる。
しかしそれは自分のための苦労。

 子どもは、(おとなもそうだが……)、他人のために苦労を重ねて、自分の人格を
磨くことができる。
できれば無私無欲。
忍耐力も、それで育つ。

 これも誤解がないように、ここではっきりと書いておきたい。
子どもにとっての忍耐力というのは、(おとなにとってもそうだが……)、「いやなことを
する能力」をいう。
たとえばためしにあなたの子どもに、トイレ掃除でもさせてみればよい。
何の抵抗もなく、自然にそれができれば、すばらしい子どもということになる。
つまりそういう「力」は、苦労によって育つ。
「自分のための苦労」ではない。
「他人のための苦労」で育つ。

 ……反対に、よく「うちの子はサッカーだと一日中しています。忍耐力はあるはずです。
そういう力を、勉強面でも伸ばしたい」という親がいる。
しかしそんな力は、ここでいう忍耐力ではない。
自分のために苦労しているだけ。
好きなことをしているだけ。

 親としてはつらいところだが、……というのも、日本人は骨のズイまで、日本人独特
の育児観がしみこんでいる。
そういう常識を変えるのは、容易なことではない。
たとえばニュージーランドでは、学校から帰宅したあと、子どもたちは家事の手伝いを
日課としている。
夕食までの時間が、その時間。
その間に、親の指示に従い、自分の役割を果たす。
私が「学校の宿題があるときは、どうするのか?」と聞くと、その大学生はあっさりと、
こう言った。
「夕食後だ」と。

 それが彼らの常識。

●見返り?

 となると、明日の講演は、このあたりから話したい。
今どき、高校生はもちろん、大学生でも、親に感謝しながら学校へ通っている子どもは、
さがさなければならないほど、少ない。
実際には、いない。
中に、お金を受け取るときだけ、「ありがとう」と言う子どももいる。
が、それだけ。
親がへたに何かを期待(?)しようものなら、すかさず子どものほうが、こう反論する。
「あんた(=親父)は、見返りを求めて子育てをしてきたのか!」と。
子どものほうに、親が叱られる時代である。
また今どきの子どもたちは、それを「干渉」という言葉で表現する。

 「将来、親のめんどうをみる」などと考えている若者は、30%もいない!

●沼津東急ホテル

 沼津は、沼津東急ホテルで一泊。
食事はまだだったので、歩いて100メートルほどのところにあった居酒屋で夕食。
「さえ丸おじさんの店」。

サスガ!

さすが沼津。
私は、カンパチの頭(かしら)焼き。
ワイフは、サシミの5点盛り。
新鮮で、おいしかった。
私もワイフも、大満足。

●エジプト騒乱

 部屋に帰ると、午後11時のニュース。
九州の新燃岳の火山爆発。
全国的なインフルエンザの流行。
エジプトの騒乱。
断片的なニュースが、横にあるテレビから流れてくる。
今日も、あちこちでいろいろなことがあったらしい。

 ……そのエジプト。

先進国は今、自国の経済を守るために、「札」を大増刷している。
世界中が、インフレの荒波にさらされている。
が、当の先進国は、それでよい。
インフレを吸収するだけの余力をもっている。
たとえばアメリカドルにしても、いくら印刷しても、それをほしがる国がある。
自国の通貨よりも、アメリカドルのほうをほしがる国のほうが多いのではないか。
しかしエジプトの通貨は、どうか?

本来なら、同じ割合だけ札を増刷して、アメリカドルに対抗したい。
しかしエジプトの通貨など、だれもほしがらない。
つまりそうしたしわ寄せが、中進国以下に集まり始めている。

不況と高い失業率。
物価の高騰と食料不足。
そのひとつが、エジプトの騒乱となって表面化した。
この先、世界情勢は、ますます混沌としてくる。

●1月29日

 今朝は、よく眠れなかった。
朝、4時に、目が覚めた。
エアコンのせいか、空気がカラカラに乾燥。
目が覚めたとき、喉もカラカラだった。

 冷蔵庫から、スポーツドリンクを取り出して飲む。
ワイフも半分、飲む。
再び電灯を消し、目を閉じる。

 ……頭の中で、巨大な宇宙船を想像する。
円筒形の宇宙船である。
直径は、数100キロ以上、長さは、数1000キロ以上。
実際、それに近いUFOが、土星の環(輪)付近で見つかっている。
「どんなUFOだろう?」と想像する。

 ……いつも眠れない夜は、そんなことを考える。
いつもなら、そのまま眠ってしまう。
が、今朝は反対に、かえって頭が冴えてしまった。

●円筒形の宇宙船

 円筒形の宇宙船。
居住区は、円筒の内側に張りつくように位置する。
もちろん人工の山や海もある。
球体の表面に張りつく地球と、ちょうど逆ということになる。
宇宙船は、ゆっくりと回転する。
その遠心力を利用し、人工重力を生み出す。

 直径が100キロ以上もあるから、空のかなたに、別の都市群が見える。
もちろん地球上と同じような大気の気流もあり、天候も日々に変化する。
空を飛行機が飛び交い、海には船も浮かぶ。
中央にはプラズマ太陽。
それが24時間単位で、明るくなったり、暗くなったりする。

 この程度の大きさがあれば、1億人から数億人ほどの人たちが、居住できる。
で、今朝はこんなことを考えた。

 円筒形の宇宙船は、ゆっくりと回転する。
そのとき回転する方向と逆に、同じ速度で走る列車があったとする。
理屈で考えれば、遠心力はそれによって相殺されることになる。
つまり無重力状態になる。
となると、その列車は、そのまま宙に浮かぶことになる。
……浮かぶことになるのか?

 そんなことを考えていたら、かえって頭が冴えてしまった。

●さらに10兆円?

 現状のままでは、2、3年後には、赤字国債がさらに10兆円ほどふえるという。
寝る前に見たテレビで、解説者がそう言っていた。
これは、もうメチャメチャな額と言ってよい。
わかりやすく言えば、月給40万円しかない人が、毎月90万円近い生活費を使って
いることになる。
差し引き50万円は、借金。
その借金が、さらに10万円増える。

 ただ救いなのは、息子や娘のできがよく、資産を1000万円近くもっていること。
いざとなったら、息子や娘の預貯金を食いつぶせばよい。
一家の親父は、そんなことを考え、借金のことなど、どこ吹く風。
今月も庭の改造や、離れの改築に忙しい……。

 バカげているが、だれもそれを止めることができない。
本来なら親父の小遣いを減らし、道楽をやめさせる。
経済学者たちは、みなこう言っている。
「日本経済の破綻は可能性の問題ではなく、時間の問題」と。

●行政改革

 ここまで来たら、行政改革、つまり官僚制度の是正を断行するしかない。
わかりやすく言えば、公務員数の削減と公務員の給料の削減。
ボーナスにしても、公務員の人たちには、年4回も支払われている。
夏と冬の通常のボーナスのほか、年2回の「調整金」という名目のボーナス。
恩給にしても、「転籍特権」という特権がある。
その人が死んでも、家族は、それ以後も年金を受け取ることができる。
つまりそういう特権が無数に積み重ねあげられ、現在の公務員社会を作っている。

……いったいいくらの給料が支払われているのか。
支払われていないのか、それを正確に知る人は少ない。
が、計算方法がないわけではない。

 総人件費を、総公務員数で割るという方法がある。
いろいろな計算がなされている。
が、それとて、よくわからない。
複雑に入り組んでいる。

 で、昨日、政府は、公務員の給料を総じて2割削減するということを言い出した。
当然のことである。
が、O県のばあい、以前、5%(たったの5%だぞ)削減すると首長が提案しただけで、
大騒動になった。
提案は、そのままつぶされてしまった。

 さて、どうなることやら。
が、このままでは日本の経済は、確実に破綻する。
ある評論家はテレビ報道の中で、「残りの猶予期間は、ここ1、2年です」と言っていた。
それを過ぎると、赤字国債の買い手が見つからない。
つまり国家破綻!

 それぞれの公務員の人に責任があるわけではない。
が、ここまで丸々に肥大化した公務員社会。
そこにメスを入れないかぎり、日本に明日はない。

●会場へ

 会場へは、迎えの車で。
朝食は抜いた。
そうでなくても、眠い。
ここで食事をしたら、本当に眠ってしまう。
一度、そういうヘマをしたことがある。
昼に出された寿司を食べてしまった。
講演は、そのあと。
その講演の途中で、瞬間だが、コクリと眠ってしまった。
以来、講演の前には、食事をしないことにした。

 が、寒いせいか、今朝は、呂律(ろれつ)がよく回らない。
たとえば「きょう(今日)」というのを、「ケウ」などと言ってしまう。
こういうときは、発声練習をする。
脳と口の筋肉をシンクロナイズさせる。
合唱団員のとき、よくした。

 ……あるいは脳の微細脳梗塞が始まっているのかも?
血栓性の脳梗塞。
心配。
本来なら30分でもジョギングできればよい。
脳の回転がよくなる。
が、その時間もなさそう。
今朝はこれからこのまま会場へ。
あと30分。
チェックアウトをすませ、ロビーで待つ。

それでは、みなさん、おはようございます。
(2011年1月29日)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●1月31日朝記

++++++++++++++++++++

昨日、NG先生の奥さんと、私とワイフ、
3人で食事をしてきた。
場所は、いつかいっしょに行ったことがある、
「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。
広い窓の下に浜名湖を見下ろすことができる、
「すてきな」レストラン。
「すてきな」という、どこか女性的な表現に
ぴったりのレストラン。
静かで、上品で、まるで中世の城を思わせるような
雰囲気。

NG先生は、昨年の暮れ、12月1日に亡くなった。
あまりにも突然の死だった。
いつものように日課をこなし、いつものように
医院へ……と。
そこでそのまま亡くなってしまった。
そのNG先生が、そのレストランを紹介してくれた。
覚えにくい名前だが、一度行ったら、忘れることの
できないレストラン。
それが「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。

私とワイフは、奥さんをなぐさめるつもりで、
奥さんを誘った。
奥さんはあれこれ都合をつけ、私たちの申し出を
快く受けてくれた。

+++++++++++++++++++

●NG先生

 話はつきなかった。
奥さんの話を聞きながら、そのつど私はNG先生の、あの静かな笑顔を思い浮かべていた。
私にとっては、もっとも大切な理解者だった。
短いエッセーでも、文の向こうにある私の心を読み取ってくれた。
たわいもない旅行記。
そんな旅行記でも、NG先生は、ていねいに読んでくれた。
感想文を届けてくれた。
「さぞかし、つらい旅行だったようですね」と。

 それが私にとって、うれしかった。
そのため毎回、「これは……」と思うエッセーをメールで送った。
NG先生は、かならず返事をくれた。
そのNG先生がいなくなってしまった。
心に穴が開いてしまった。

 私はNG先生の訃報を聞くと、そのまま家を出てしまった。
何時間も、家のまわりを徘徊した。
私は子どものときから、そうしている。
何かさみしいことや、つらいことがあると、決まって徘徊した。
その夜もそうだった。
その夜も家に帰ったのは、午前3時ごろ。
足が痛くなって、歩けなくなってしまった。
コンビニから電話をかけ、ワイフに車で迎えに来てもらった。

●NG先生

 人はなぜ、やさしくなれるか?
やさしさは、どこから生まれるか?
その答をNG先生は、よく知っていた。

幼いころより、苦労の連続。
「不運」というには、あまりにも過酷な人生。
そういう人生を通して、NG先生は、心の中に無数のポケットを作っていった。
そのポケットが、NG先生をやさしくした。
あの奥深い人間性はそこから生まれた。

 ……いつだったか、こんな相談があった。
まだ知り合って、間もないころのことだった。

「私の知人に不幸な女性がいましてね……」と。
その手紙には、その女性の不幸な生い立ちと、心の病が長々と書かれていた。
私はその手紙を読んで、あまりにもありえない境遇に驚いた。
が、それは事実だった。
やがて少しずつわかったことだが、それはNG先生自身のことだった。

 奥さんは、NG先生のことを、断片的に話してくれた。
それが私の頭の中で、ジグソーパズルのようにつながっていった。
NG先生の過去が、そして現在が、頭の中で浮かびあがってきた。
話の途中で、ワイフが奥さんにこう言った。

「先生が亡くなられたと聞いたとき、主人は、へんになってしまったのですよ」と。

●死

 私は基本的には、それがだれの死であれ、「死」を認めない。
たとえその人の葬式に出たとしても、認めない。
それはただの儀式。
その人は、いつもどこかで生きている。
ただ、「会えないだけ」。

 だれでも、事情によって、数か月、あるいは数年、あるいは数十年、会えない
ことはある。
それと同じ。
同じと思うことで、私は人の死を見送ってきた。

 だからNG先生の奥さんからメールが入っても、私はいつものように「NG先生奥様へ」
という書き出して返事を書いていた。
「NG先生は、そこにいる」と。

 それはそのまま私の死生観でもある。
私はいつもワイフにこう言っている。
「私が死んでも、だれにも知らせなくていい」と。
親戚、友人はもちろん、息子たちにも、知らせなくていい、と。
いつか、どこかで、だれかが「あの林は?」と聞いたとき、そのとき死んでいたと
わかればよい。

 さらに言えば、10年前に死んだ人も、50年前に死んだ人も同じ。
明日、死ぬ人も、20年後に死ぬ人も同じ。
この宇宙という時間枠で見れば、100年や200年、瞬時の、そのまた瞬時。
誤差にもならない。
こんな文章を書いている私だって、つぎの瞬間には、この世から煙となって消える。
 
●形見

 奥さんを家に送り届けると、奥さんがこう言った。
「渡したいものがありますから、寄ってください」と。

 気遣いを感じたので、私は遠慮したかった。
が、どういうわけか、私はそれに素直に応じてしまった。
「NG先生の論文集を、HPにまとめて掲載したい」という思いがあった。
それをどこでどう頼むか、その糸口をさがしていた。
しかしそれはあまりにも、恐れ多い。

 奥さんは玄関前にある客間へ通してくれた。
私はそこでNG先生の遺骨を見た。
座って手を合わせた。

 「80歳まで元気でがんばりましょう」と、つい先日、誓いあったばかり。
学年は1級上だったが、年齢は、私と同じ。
享年、63歳だった。

奥さんは「主人は、先生のこと(=私)を尊敬していました」と言ってくれた。
それに答えて、ワイフがかわりにこう言ってくれた。
「主人(=私)も、先生(=NG先生)を尊敬していました」と。

 と、そのとき、奥さんが一着の服を私にうしろからかけ、こう言った。
「主人の形見です。どうか、これを着てください」と。

 奥さんはサイズを気にしていた。
が、サイズなど、問題ではない。
「どうしてサイズが……!」と。
そう思った瞬間、目から涙があふれ出た。
止めどもなく、涙があふれ出た。
そのとき私ははじめて、NG先生の「死」を認めた。
自分の中の死生観が、サラサラと粉のように崩れていくのを感じた。

●帰りに

 ワイフがこう言った。
「あなたにとって、大切な人だったのね」と。
私はただ「うん」と。

そう、大切な人だった。
どこかの部屋に、こんな色紙が飾ってあった。

 「たったひとりでも、あなたをわかってくれる人がいたら、それでいい」と。
たしか「みつを」という署名があった。
人は、その「たったひとり」を探し求めて、人生という荒野をさまよい歩く。
とぼとぼと、あてどもなく、さまよい歩く。

 が、その「ひとり」の人がいなくなってしまったら……。
残された人は、どう生きていけばよいのか。
やっとわかりあえた、……わかりあえそうになったそのときに、NG先生は去って
しまった。
約束の80歳までに、まだ17年もあった。
それを思ったとき、また涙があふれ出した。

 ……いちばん最後のメールで、こんなことを言い合った。
「ぼくは、この先、小さな小さな希望を見つけ、その希望に向かって生きていきます」と。
すかさずNG先生から返事が届いた。
「私もそうです」と。

NG先生は、そのとき絶滅種になっている植物の探索をしていた。
「未発見のシダを見つけるのが、私の希望です」とも。

 NG先生へ

 11年間、ありがとうございました。
最後に奥さんに手紙を見せていただいて驚きました。

 先生と講演先の学校で知り合ったのが、平成11年12月1日、水曜日。
先生が亡くなったのは、平成22年12月1日、水曜日。
これは偶然なのでしょうか?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●喪失の受容段階論(孤独と真理)「喪失の受容段階論」


●孤独は心のがん細胞


++++++++++++++++


喪失の内容、程度は、さまざま。
失恋、事業の失敗、健康、離婚、
子どもの巣立ち、肉親の死、配偶者の
死など。


そのつど人は、はげしい喪失感を
覚える。
ときにそれがそのまま絶望感になることもある。
襲い来る孤独感、孤立感、虚無感……。


少し前、「孤独は心のがん細胞」という
記事を書いた。
孤独をけっして軽く見てはいけない。
孤独は、心をむしばみ、やがて自らの死、
つまり自殺へと、心を導く。


が、この孤独。
闘えば闘うほど、キバをむいて
私たちに向かって襲いかかってくる。
もがけばもがくほど、孤独という糸に
からまれ、身動きが取れなくなる。


仏教でも、「無間地獄」と位置づける。
あのイエス・キリストも、孤独に
苦しんだ(マザーテレサ)。


が、受け入れてしまえば、何でもない。
孤独に身を任せ、静かにそれを受け入れる。
それで苦しみが消えるわけではない。
悲しみが消えるわけではない。
孤独であることは、苦しい。
魂が引き裂かれるほど、苦しい。
が、その苦しみを受け入れたとき、
その先に小さな光明が見えてくる。


人は、人生において2度、産道をくぐりぬける。
母胎からの産道。
そして孤独からの産道。
2度目の産道をくぐりぬけたとき、人は、
真理の世界に生まれ出ることができる。


++++++++++++++++++


●喪失


 人は、どう喪失感を受け入れていくか。
その参考となるのが、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」。
言うまでもなく、「自分の命」を失うことを超える喪失感は、ない。
まさに死は究極の喪失感ということになる。


●死の受容段階論


 キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)は、
つぎのような段階論をいう。


(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の
終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)


●喪失の受容段階論


 喪失感がはげしければはげしいほど、ロスの『死の受容段階論』に似た段階を経て、や
がて人は喪失を受け入れるようになる。
こまかい点ではちがいはあるのだろうが、おおまかに言えば、それに近い。
順に整理してみる。


(第1期) 否認……失ったことを知り、大きなショックを受けたのち、失ってはいないと、
はげしく否認する。ささいなことに希望をつなぎ、「まだ何とかなる」と思う。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の幸福
そうな人、家族で、相手本人に対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……喪失の回復の見込みがないことを自覚すると、神や医者、家族と
取り引きを試みる。祈ることでの延命や、喪失の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……喪失感が持続的につづくと、虚無主義に陥ったり、抑うつ状態にな
る。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至る。運命に身を任せ、運命に従い、喪失による
孤独感を静かに受け入れる。(以上、ロスの『死の受容段階論』を一部、改変。)


●孤独をどう受け入れていくか


 孤独というのは、闘っても意味がない。
闘う必要もないし、また人間にはそれに打ち勝つ力はない。
そこで大切なことは、居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
同時に、「みな、そうなんだ」と思えばよい。


 一見、派手な世界で愉快そうに振る舞っている人にしても、孤独でない人はいない。
みな孤独を背負っている。
あるいは孤独という氷の上を歩いている。
薄い氷。
その下では孤独が、「おいで、おいで」と手招きしている。


孤独を知らない人というのがいたら、本物のバカか、ものを考えないノーブレイン
(=脳なし人間)。
あるいは孤独をごまかして生きているだけ。
孤独から逃げているだけ。


 もちろん財力や名誉、地位、肩書き、経歴など、孤独の前では、一片の価値もない。
意味もない。
乾いた煙ほどの力もない。
孤独を癒す力など、まったくない。
もがけばもがくほど、孤独の糸がからんでくる。
身動きが取れなくなる。


 が、ひとたび孤独を受け入れれば、周りの世界は一変する。
それまで見えなかったものが、見えるようになる。
何が大切で、何がそうでないか。
何が価値があり、何がそうでないか。
言うまでもなく、私たちが探し求めている真理は、その向こうにある。


●真理探究


 財力や名誉、地位、肩書き、経歴に毒されている間は、真理など求めようもない。
そういう世界で踊っている人は、作りあげられた幻想の世界で、酔いしれているだけ。
それは一時のさみしさを紛らわすために飲む、酒のようなもの。
酒から覚めたら、その何倍もの孤独感が襲ってくる。


 言い替えると、財力や名誉、地位、肩書き、経歴にしがみつけばつくほど、その人は
孤独を前に、もがき、苦しむ。
絶望のどん底へ叩き落とされる。
「自らの死」を選択することにもなりかねない。


 が、孤独は「第二の産道」。
その産道をくぐり抜けることなしに、人は、真理の世界に入ることはできない。
もちろん「真理」は、その人によってちがう。
真理はひとつではないし、真理の向こうにまた別の真理がある。
そこは平和で、満ち足りた世界。
豊かで、おおらかな世界。
が、その世界もまた、無限のかなたへとつづく。


 方法は簡単。
孤独を受け入れる。
静かに受け入れる。
それで苦しみや悲しみが消えるわけではない。
しかしやがて、その先に、一筋の光明が見えてくる。
あとはその光明に向かって歩いていけばよい。


 ……この先のことは、私にもわからない。
ただこれだけは言える。


真理などというのは、そんなに遠くにあるものではないということ。
私やあなたのすぐそばにあって、私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて
じっと待っている。


 さあ、あなたも勇気を出して、孤独の世界に身を横たえてみよう。
声に出して叫んでみよう。
「私はさみしい!」と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 第二の産道論 真理の探究 真理 孤独論 喪失論 喪失の受容段階
論 はやし浩司 ロス 死の受容段階論 はやし浩司 孤独は心のがん細胞)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●雑感(2011/01/28)

●金価格

 少し前まで天井知らずに見えた金価格が、この数週間、じわじわとなだらかな山をくだ
るように低下している。
が、こういう低下のしかたそのものが、不自然。
「じわじわ」というところが、不自然。
つまり巨大な力が、その裏で動いている。
つまりコントロールしている。

 「巨大な力」というのは、国家的規模の力をいう。
こうした操作をするには、それくらいの規模の力が必要。
「急激に下がりすぎても困る」……そのときは適当に(買い)を入れる。
しかし「現在のような高値で何とか売り抜けたい」……しかし下がりすぎても困る、と。
言い替えると、利食いの売りを入れながら、一方で金価格の暴落を防ぐ。
こんな芸当ができるのは、やはり「巨大な力」だけ。

 アメリカか?
それとも中国か?
現在、グラム3700円前後(田中貴金属)。
が、いつまでも下がりつづけるわけではない。
3500円くらいで底を打つはず。


●窓から小便

 みんなやっている。
男なら、みんなやっている。
窓から、小便。

 私は高校生くらいのときから、よく窓から小便をした。
前に小屋根があって、店の看板がそこに立っていた。
その看板の下あたりを、めがけて小便をした。
それには理由がある。

 ひとつは私の家は細長い家で、私の部屋は二階の一番北側。
便所は一階の一番南側にあった。
だからいつだったか、間に合わないと思ったとき、窓から外に向かってした。
もうひとつは、私は子ども(幼児)のころから、あの便所が怖かった。
ボットン便所で、いつも薄暗かった。
それに臭かった。
で、以後、それが習慣になった。

 で、今でもときどき、窓から外に向かってする。
それについてワイフが、こう言った。

ワ「あなたは窓からしているしね……」と。
私……ドキッ!、「……知っていたの?」
ワ「知っていたわよ。ずっと前から……」
私「だったら、言ってくれればいい」
ワ「言う必要もないでしょ」と。

 ナーンダ!
私だけの秘密かと思っていた。
ワイフは、とっくの昔に知っていた。

私「ぼくね、高校生のときから、していたよ」
ワ「……」
私「でね、ある夜、いつものようにそれをしたら、下の道路から声が聞こえてきたよ」
ワ「その話は、いつか、聞いたわよ」
私「そうだったか? 母親と娘だった。その娘がこう言った。『あら、お母さん、雨よ!』
って」

ワ「……かわいそう……」
私「だろ。だからそれからは、じょうずにするようになった」
ワ「じょうずにって?」
私「左右に振りながら、小出しに、うまく樋(とい)の中に流すんだよ」
ワ「今も、そうしているの?」
私「まあ、ね」と。

 立ち小便は、男の特権。
(女性でも、できなくはないらしいが……。)
尿を膀胱にいっぱいためて、一気に放出する。
あの解放感は、たまらない。

 いちばんよいのは、山の頂上から、下をめがけてする。
そういう場所を見つけて、下をめがけてする。
あの解放感は、たまらない。

●若い人たちのアイデンティティ(同一性の確立)

 私たちの世代では、権力との闘いが、ひとつのテーマになっていた。
安保闘争もそのひとつ。
政治のことは何も知らなかった。
しかし自分たちを抑えつける権力に、抵抗した。
それが私たちにとっての、安保闘争だった。

 が、つぎの世代では、世代との闘いが、ひとつのテーマになっていった。
それをわかりやすく表現したのが、尾崎豊の「卒業」。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」と。
あの歌の出現に、私たちは少なからず、驚いた。
その歌の向こうに見える、若者たちの猛烈な反発を感じ取ったからだ。

 で、現在はどうかというと、それが「恋愛ごっこ」。
「韓流ドラマ」の流行に、私は、それを見る。
歴史も政治も、どこかへ吹きとんでしまった。
「反日、嫌韓など、どうでもいい」と。
つまり「恋愛こそ、すべて」。

 つまり自我の同一性といっても、「だれを、どの程度好きなのか、それが問題」。
これが現在の若い人たちの「自己概念」。
そしてその人と、どうつきあっているか。
それが「現実自己」。
それが一致した状態を、今の若い人たちがいう、「自我の同一性」ということになる。

 今ではほとんどの男子高校生は、避妊具つまり、コンドームを持ち歩いている。
「放課後の部室、空き部屋はラブホテルのよう」と。
ある高校の教師はそう言った。

これをわかりやすく、チャート化してみる。

(私たちの世代) 権力との闘い
(つぎの世代)  世代との闘い(=古い世代の否定)
(現在の若者)  恋愛ごっこ

 「これでいいのか?」と思ったところで、この話はおしまい。
私たちの世代にしても、その前の世代のこととなると、ほとんど知らない。
たとえば私たちの一世代前の人たちは、国を守るためと、戦場で命を落としていった。
その数、300万人。
(日本人が殺した外国人の数も、同じく300万人。)
そういう人たちから見れば、私たちの世代は、何ともだらしない。
「何が、権力闘争だ!」となる。

 それぞれの世代は、それぞれ勝手なことをしながら、自分たちの世界を作る。
私たちの世代が正しいというわけではない。
私たちの前の世代が正しいというわけでもない。
つぎのつぎの今の世代が、正しいというわけでもない。

●運動のしすぎ

 重要な講演が近づいた。
日を追うごとに、運動量をふやした。
その結果、昨日あたりから、太ももや腰が痛くなり始めた。
ギコギコとした感じ。

 運動もやはり、ほどほどに……。

 では、今日も始まりました。
みなさん、おはようございます。
これからいつもよりやや遅い、朝食です。
1月28日 2011年
はやし浩司 2011−01−28


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林 浩司

【伯父の訃報】

●電車で岐阜へ

昨夜、伯父の訃報が届いた。
「トイレの前で倒れ、そのまま亡くなった」と。
3年前に亡くなった母と、ちょうど12歳違いだったということだから、今年89歳か9
0歳。
よい伯父だった。
いろいろあったが、総括してみると、そうなる。

こう書くと、ほめているのか、けなしているのかはわからない。
が、映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんのような伯父だった。
もちろんよい意味で、寅さんのような伯父だった。
人情豊かで、世話好きだった。
それにやさしかった。

●ワイフの頭痛

 この数日、ワイフはあまり調子がよくない。
花粉症のせいとワイフは言う。
鼻づまりと軽い頭痛。
昨夜も、寝るまで「頭が痛い」と言っていた。
最後に時計を見たのは、午前1時。

 で、今朝、「どうする?」と聞くと、「今朝はだいじょうぶ」と。
顔色はあまりよくない。
元気もない。
話す声も、どこか沈んでいる。

●電車

 電車に乗ると、すぐうしろの男が、さかんにクシャミをし始めた。
私たちはすぐ席を移動した。
幸い、電車はすいていた。

 窓の外はすっかり、冬景色。
枯れた草木の葉が、さらに色を落としている。
残ったわずかな緑も、黒い影のようにしか見えない。
今年の冬も、あと少し。
今、そう思った。

●おかしな計算

 時間がなかったので、浜松→名古屋間の切符を買った。
浜松駅では岐阜までの切符は、自動販売機では買えない。
が、切符売り場(ブース)には、ズラリと客が並んでいた。

 浜松から名古屋まで、1名、1890円。
浜松から岐阜まで、1名、2210円。
車掌が通りかかったので、「乗り越し」を頼むと、差額は1名、450円という。
が、この計算は、おかしい。
で、それを告げると、名古屋から岐阜まで、1名、450円だから、と。

・・・?
差額分だけというのなら、320円でよいはず。
「そういう規則なら、しかたないね」と言うと、「そうなんです」と。

●さざ波

 人生にはいろいろある。
そのつど小さなドラマがさざ波のようにやってきて、また去っていく。
ときどき大きな波もやってくる。
それが繰り返し、繰り返し、つづく。

 で、大切なことは、できるだけ大きな船になること。
大きな船になればなるほど、波に揺れることはない。

・・・とまあ、偉そうなことを書いたが、親類づきあいだけは別。
簡単にON/OFFで割り切ることができない。
理屈や合理が通じない。
ふと油断すると、ささいな問題に巻き込まれ、自分を見失う。
小さなさざ波に、心を煩わされる。

●思い出

 子どものころ、伯父は私をよく遊びに連れて行ってくれた。
川で魚も取ってくれた。
若いときからスポーツマンで、そういう点ではたくましかった。

鉈(なた)一本で、イノシシと対峙し、そのイノシシを倒した話。
猟に行った帰りに、サルを撃ち殺した話。
大水で流れ出た墓場の死体を、背負って帰った話。
ダイナマイトを使って、魚を取った話、などなど。

 今まで思い出したことのないような話が、つぎつぎと脳裏をかすめる。
いろいろあったが、伯父は、私にはよい伯父だった。

●いつもの声

 電車は豊橋を過ぎて、「新快速」になった。
名鉄電車の特急ほどの速さがある。
浜松からは、乗り換えなしで岐阜まで行くことができる。
時刻は今、午前10時37分。

 ワイフはぼんやりと、(多分?)、窓の外の景色を見ている。
昨日も、「どこかへ旅行したいわ」と言っていた。
その希望がかなった?
伯父の死といっても、あぶないという話は、すでに前から聞いていた。
覚悟をしていた。
それもあるのかもしれない。
訃報を知らせてくれた、いとこたちにしても、いつもの声だった。
今朝、別のいとこに道路の雪の状態を問い合わせた。
そのいとこも、いつもの声だった。

 こうして人は去っていく。
あたかも何ごともなかったかのように。
そしてそのあと、また何ごともなかったかのように、また新しい時が始まる。

●タクシーで

 岐阜からT村までは、車で1時間半余り。
タクシーで行くと、片道、1万5000円?
前回、・・・3年ほど前だったが、それくらいかかった。
往復で、3万円。

 「バスで行って、その分で、どこかに泊まってこようか」と言うと、ワイフも、
「そうねエ・・・」と。
あまり乗り気ではなさそう。
どうしようか?
どうしてこんなとき、こんなセコイことを考えるのか。

●寒い

 窓の外が急に曇ってきた。
いつもなら見える遠くの山々も、今日は雪雲に隠れて、見えない。
灰色の、どんよりとした境目のない雲だ。
「雪かもしれないよ」と。

 しばらく黙っていたが、ワイフがこう言った。
「今年は寒いわね」と。
寒いというより、冷たい。
先週、浜松でも40年ぶりと言ってよいほどの降雪があった。
雪はそれほど積もらなかったが、道路が凍結した。
そのためバイパスや東名高速道路は閉鎖。
その朝だけで、何と370件余りもの交通事故が起きたという。
浜松市内だけ、で。
370件余り、だぞ!

●NG先生の奥さん

 今朝、先月亡くなったNG先生の奥さんから、メールが入っていた。
「さみしい」とそれにはあった。
それで今度の日曜日に、食事に誘ってみた。
一度、みなで会食をしたことがあるレストランを提案した。
まだ返事はないが、家に帰ったら、もう一度強引に誘ってみる。

 レストラン・・・名前は忘れたが、丘の上にある外国風のレストラン。
途中の道から、浜名湖が一望できた。
NG先生夫妻が、私たち夫婦を誘ってくれた。
今度は、私たちが、誘う番。

●思考停止

 愛する人が亡くなると、いろいろな段階を経て、やがて現実を受け入れるようになる。
何かの本にそう書いてあった。

 最初は(混乱)。
それが一巡すると、(怒り)。
それが収まると、・・・?
詳しくは忘れたが、キューブラー・ロスの「死の段階論」に似ている。
そのときは、そう思った。

 また同じ「喪失」でも、衝撃度によって、いくつかに分類されている。
その中でも、配偶者の死は、最大級とか。
「そうだろうな」と思ったところで、思考停止。
それ以上のことは、私にもわからない。
興味本位で書くには、あまりにも失礼。
だから思考停止。

●心の余裕

 今日のお供は、TOSHIBAのUX−23。
最軽量のミニ・パソコン。
バッテリーは5時間ほどもつ(?)。
が、たった今見たら、「残り63%」。
もう37%も消費!

 ところで今度、電気自動車が発売になるとか。
その試乗記を、何かの雑誌で読んだ。
フル充電で、120キロ走るそうだ。
そのつど、バッテリーの残量が「%」表示されるそうだ。
しかし・・・。

 私ならそんな車には乗らない。
いつもハラハラ。
ハラハラのしどうし。
今の私の心の状態と同じ。
生活には、いつも「余裕」が必要。
昔、こんな話をしたことがある。

●余裕論

 サラリーマンをしていると友人が、私にこう言った。
「林さん(=私)はいいですねえ。ぼくらの何倍も収入があるから」と。
それに答えて、こう言った。

「サラリーマンの人が手にする20万円(月給)と、ぼくらが手にする20万円は、ちが
いますよ。
ぼくらの20万円は、明日のない20万円です。
来月の保証が、まったくない。
だから予定が立たない。
もしぼくらがサラリーマンの人たちと同じ安心感を得ようとしたら、数倍でも足りないく
らいです」と。

 このパソコンにしても、そうだ。
「まだ100時間、使える」というのなら、安心。
が、「あと5時間」というのは、今の私には心細くてしかたない。

●余裕

 心の余裕について書いた。
が、「余裕」とは何か?
最初に思いつくのが、金銭的な余裕。
つぎに肉体的(健康的)な余裕。
そして心の余裕。

 どうであれ、余裕をもって生きるというのは、大切なこと。
が、だからといって、ぜいたくがよいというわけではない。
ぜいたくをしたいというわけではない。
万事、控えめ。
質素。
そう、「質素を旨とすべし」。
いつもあと一歩という、その手前の状態で、やめる。
それが「余裕」。
つまり余裕というのは、そのときの状態ではなく、自分で作るもの。
2000円しかなかったら、1000円のものを買えばよい。
1000円しかなかったら、500円のものを買えばよい。
それが「余裕」。

 人生も、これまた同じ。

●仕事

 4月からの仕事を考える。
あれこれ考える。
私の仕事は、4月が新年度。
1月という正月ではない。

 仕事があるとか、ないとかいうことではない。
仕事ができるか、どうか。
それが問題。
体力と相談しながら、仕事を考える。
そう言えば、事務所の隣人の姿を、このところ見ない。
今朝、車を駐車しながら大家さんにそれを話すと、「入院なさっています」と。

 私より15歳は、若い。
そんな人が、1か月近くも入院?
「明日はわが身」と、身を引き締める。
廊下で立ち話程度のつきあいしかない。
が、それでも気になる。
心配。
ザワザワとした心配。

●1月27日

 先のところまで書いて、今は、その翌日の1月27日。
昨夜、暗くなってから、家に着いた。
以後、何をするでもなし、しないでもなし……という状態で、夜、床に就いた。
時刻は10時前。

 「ここ数日、原稿が書けない」とワイフにこぼす。
こぼしながら、またまたPSP相手に将棋。
やはり子どもには、PSPなどのゲーム機器は、買い与えない方がよい。
時間が、無駄になる。
将棋ならまだよいが、……というのも、それなりにためになる部分もあるが、怪獣を倒す
とか、動物を闘わせるとかいうのは、そもそも意味がない。
そんな意味のないゲームで、1時間とか2時間を浪費する。

 そんなヒマがあったら、家事の手伝いをさせる。
そのほうがよほど、子どものためになる。

●I村

 I村では、夢のような美しい景色を見た。
白銀の世界を、白い粉雪が舞っていた。
私は夢中でデジタルカメラのシャッターを切った。
タクシーの運転手も、気を利かして、ところどころでスピードを落としてくれた。
ワイフは、「映画の中のシーンみたい」と、何度も言った。
美しかった。
こんな簡単な言葉しか思いつかないが、とにかく、美しかった。

マガジン2月号用の写真ということになる。
マガジン2月号は、その写真で飾りたい。

 ……遠い昔に見た景色。
一点の汚れもない、純白の世界。
顔にかかる粉雪が、心地よかった。

●今日も始まった!

 さて、今日も、始まった。
1月27日、木曜日。

 最後に一言。
昨日乗ったタクシーの運転手は、「ものすごい人」(ワイフの言葉)だった。
ヨボヨボのジーさんだった。
髪の毛がほとんど抜け、残った髪の毛もちぢれていた。
その上やせこけて、色も浅黒かった。

 が、年齢を聞いてびっくりした。
というのも、少し心配になったので、年齢を聞いてみた。
私には、75歳前後の老人に見えた。
すると運転手は、ためらうことなく、こう言った。
「63歳です。昭和23年生まれです」と。

 な、何と、私と同じ年齢!
「あ、そうですか」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。
それについて、ワイフは、帰りの電車の中でこう言った。
「タバコのせいよ」と。
「ドアのハンドルも、タバコのヤニで、ベタベタしていたわ」と。

 かなりのヘビースモーカーとみた。
それが老化を早めた?
それにしても、「ものすごい人」だった。
強く印象に残った。
(私は、22年生まれの63歳。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【講演会要旨】

●親を尊敬しない

 平成10年というと、ちょうどみなさんが、成人式を迎えられたころのことです。
当時の総理府がした調査、つまり「青少年白書」によりますと、「父親のようになりたくな
い」と答えた、中高校生が、79%、つまり約80%もいました。
「父親を尊敬できない」と答えた子どもも、55%もいました。

 ここで注意しなければならないのは、「55%」という数字です。
では残りの45%はどうかということです。
45%の子どもは、「父親を尊敬している」ということにはなりません。
大半は、「何とも思っていない」ということではないでしょうか。

 また「尊敬できない」という子どもの中には、「軽蔑している」という子どもも含まれて
いるはずです。
総理府の調査ですから、「父親を軽蔑している」という調査項目をつけるわけにはいかなか
ったのでしょう。
だからどこか遠まわし的に、「父親を尊敬していない」という調査項目にしたのだと思いま
す。
それにしても、80%の子どもが、「父親のようになりたくない」と答えているのには、驚
きました。

 で、「私は母親だから」と思っている人にしても、安心してはいけません。
たしかに子どもにとって、父親と母親の存在はちがいます。
父親は、子どもにとっては、「一滴(ひとしずく)」の関係です。
一方、母親は、子どもを宿し、産み、そのあと乳を与えます。
同じ親でも、絆(きずな)ということになれば、母親のほうが太いということになります。
さらに最近の研究によれば、人間にも、一部の鳥類に似た「刷り込み」(インプリンティン
グ)というのがわかってきました。
生後0か月から7か月くらいまでの間をいいます。
この時期を「敏感期」と言います。
この時期を通して、親子の関係は、本能に近い部分にまで刷り込まれます。

 それはそれとして、つまり「一滴」の希薄な関係を、あのフロイトという学者は、「血統
空想」という言葉を使って説明しました。
子どもは少年少女期から思春期前夜、学年的に言えば、小学3、4年生ごろを境にして、
急速に親離れをはじめます。

 男児ですと、それまで学校であったことを、親に話します。
が、このころを境に、急に話さなくなります。
女児ですと、それまで父親といっしょに風呂に入っていたのが、このころを境に、急に入
らなくなります。
そのころ、子どもは、自分の血統を疑うようになります。
「私は、あの父の子どもではない」とです。
「私の父は、もっと高貴で、気高い人だ」とです。
これを「血統空想」と言います。

 残念ですが、母親との血筋を疑う子どもはいません。
先にも書いたように、母親からは「命」を授かっているからです。
それが脳にしっかりと刻まれています。
が、母親とて、安心してはいけません。
先の総理府(現在の内閣府)の調査でも、それほど大きな差は出ていません。
ちがいは数%程度です。

●親の恩も遺産しだい

 さらにショッキングな調査結果があります。
数年置きに、こんな調査がなされています。
総理府の調査結果によれば、「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と考え
ている子どもが、日本人のばあい、28%前後しかいないということ。
たいはんの若者たち、あなたがた自身の意識ということになりますが、たいはんの若者た
ちは、「経済的な余裕があれば、めんどうをみる」と答えています。

 が、残念ながら、「経済的に余裕のある人」など、今では探さなければならないほど、少
ないです。
みな、目一杯の生活をしている。
また目一杯の状態で、結婚し、子どもをもうけます。

 私たちの世代と比較するのもヤボなことですが、私たちの世代は、20歳を過ぎるまで、
ボットン便所がふつうでした。
トイレットペーパーが世に出てきたのもそのころでした。
では、それ以前はどうだったかというと、「落とし紙というザラ紙」でした。
さらにそれ以前はというと、これは私が小学生のころの話ですが、新聞紙でした。
そういう私ですから、はじめてアパートに住むようになり、水洗便所になったとき、それ
がうれしくてたまりませんでした。
きれい……というより、臭いがしませでした。
それがうれしかったです。

 さらに結婚したときは、中古の軽自動車を買いました。
冷蔵庫と洗濯機だけは早く買いましたが、それ以外のものは、収入に応じて、少しずつ買
い足していきました。
が、今は、すべて、「あるのが当たり前」というところから始まります。
つまり目一杯の生活というのは、それをいいます。
ですから「経済的に余裕のある人はいない」ということになります。
言い換えると、「親のめんどうはみない」ということになります。
あるいは『親の恩も遺産しだい』というところでしょうか。

 こんな話をしても、みなさんにとっては、耳が痛いだけかもしれません。
が、私は何も今のみなさんを批判するために、ここに立っているわけではありません。
その逆です。

 みなさんとて、あの飽食とぜいたくの時代の犠牲者かもしれないということです。
みなさんが生まれたころは、日本は、バブル経済の真っ只中。
高度成長期の流れの中で、この日本は、世界でも経験したことがないほどの反映を謳歌し
ました。
そんな中、みなさんは生まれました。
それこそ祖父母がやってきて、手をかけ、時間をかけ、お金をかけた。
まさに「蝶よ、花よ」と育てられたわけです。
が、そのあと、日本は長くて暗いトンネルに入ってしまいました。
「失われた10年」と言われていましたが、今では「失われた20年」と言われるように
なりました。

 「2015年には中国に抜かれるだろう」と予測されていましたが、それよりも5年も
早く、中国に抜かれてしまいました。
また国民1人当たりの所得にしても、とっくの昔にシンガポールに抜かれています。
今のままでは、2025年には韓国に抜かれ、国力においては、インドやブラジルにも抜
かれるだろうと言われています。

 日本がアジアの中心という話は、すでに遠い昔の話です。
アメリカでも、アジアのニュースは、シンガポール経由で入ってきます。
東京ではありません。
シンガポールです。
東京のマーケット情報ですら、一度シンガポールに集められ、そこからアメリカへ入って
きています。
東京証券取引所に上場されている外資系企業も、一時は200社近くもありましたが、今
年に入って、とうとう9社になってしまいました。
こういう現実を、いったい、どれほどの日本人が認識しているでしょうか。

 ……またまた暗い話になってしまいました。
寒いところおいでくださった方には、本当に申し訳ないと思います。
「元気になる話ならいいが、こんな暗い話を聞きにきたのではない」と思っておられる人
も多いかと思います。
もう少しがまんして、どうか私の話を聞いてください。
この問題は、そのままみなさんの将来に直結してくる問題だからです。
またそれがわかれば、みなさんの将来、さらには現在の子育てがどうあるべきかがわかっ
てくるからです。

●「親の責任でしょ!」 

 こんな事件がありました。
こういう不況です。
今では珍しくない事件です。

 そのお父さんには、2人の娘がいました。
1人は大学生。
もう1人は、そのとき高校3年生になったばかりです。

 お父さんはその数年前、それまで務めていた会社をリストラされ、自分でそれまでに取
った資格をもとに、小さな事務所を開きました。
が、最初のころこそはそこそこに仕事がありましたが、数年もすると左前になり、閉鎖と
いうことになってしまいました。

 そこでそのお父さんは高校3年生になったばかりの娘にこう言いました。
「お金がないから、大学進学をあきらめてくれ」と。
が、この言葉にその娘が猛反発。
「何を今さら! 借金でも何でもして、私を大学へやって。親の義務でしょ!」と。

 この話を私は私のワイフから聞きました。
ワイフの友人の娘です。
そこで私はその夏休みのある日、その娘を私の家に呼びました。
「何という、ドラ娘め!」と。
腹の底では煮えくり返るような怒りを覚え、しかし表情はにこやかに……。
が、私はその高校生の一言で、見方が180度、変わってしまいました。
その高校生は、こう言ったのです。

 「だって、先生、私は子どものときから、親に『勉強しろ、勉強しろ』と言われつづけ
てきたのよ。行きたくもないのに塾へ通わされ、成績はどうの、順位はどうのと、そんな
ことばかり言われつづけてきたのよ。この状態は中学校へ入ってからも変わらなかった。
どうして今になって、『もう勉強しなくていい』と、そんなことが言えるの!」と。

 ……子どもに向かって『勉強しろ』と言うのは構いませんが、安易に言ってはいけませ
んよ。
言えば言うほど、あとあと責任を取らされますから。
今ね、学校へ通うことについて、親に感謝しながら通っている子どもは、ゼロとみてよい
です。
高校生では、ゼロ。
大学生でも、「ありがとう」と言うのは、お金をもらうときだけ。
たいていの大学生は、社会人となったとたん、「ハイ、さようなら」。
しかしまだそんな大学生は、よいほう。
先日も、こんな話を聞きました。

 ある日、突然、息子が彼女を連れて帰ってきた。
帰省するたびに、ちがった彼女を連れてくる。
で、親にこう言ったそうです。
「結婚式をしたいが、お金を出してくれるか?」と。
そこでその親が、「少しくらいなら……」と答えると、その息子はこう言ったそうです。
「親なら、結婚式の費用を出してくれてもいいだろ!」と。

 今はそういう時代なのでしょうか。
私などは、結婚する前から、収入の約半分は実家に送金していました。
今のワイフもそれに納得して、私と結婚しました。
以後、30年近く、実家に、お金を送り続けました。
それ以外にも、法事や冠婚葬祭の費用、すべてです。
ですから私たちは、結婚式をあげていません。
その費用がありませんでした。

●世代闘争

 何かが、おかしい。
何かが、狂っている。
あるいは今は、その過渡期ということになるのでしょうか。
この半世紀を振り返ってみると、こんなことが言えます。

(1)私たちの世代……反権力闘争の時代。
(2)つづくつぎの世代……反世代闘争の時代。

 私たちの時代は、反権力との闘いが、大きなテーマになっていました。
安保闘争も、そのひとつです。
しかしよく誤解されますが、あの学生運動に参加した学生にしても、何も共産主義を求め
ていたわけではありません。
共産主義の「キ」の字も知らなかった。
ただ私たちは、私たちの体をがんじがらめにしている鎖を、解き放ちたかった。
それが反権力闘争へと結びついていったわけです。

 が、それも一巡すると、今度は、反世代闘争へと変化していきました。
そのよい例が、あの尾崎豊の歌った、『卒業』です。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」というあの歌です。
あの歌には大きなショックを受けました。
「学校」というより、「教育」の否定。
私はそれを感じたからです。

 教育というのは、言うまでもなく、先人たちが得た知識や経験を、あとにつづく人たち
に伝えていくのが、第一の目標です。
その教育を否定するということは、若い人たちは若い人たちで、まさにゼロからの出発を
意味します。
これは若い人たちにとっても、たいへん不幸なことです。
同時に、私たち老人族にとっても、たいへん不幸なことです。
最近のインターネットをのぞいていると、ますます言葉が辛らつになってきているのがわ
かります。
少し前までは「粗大ゴミ」と言われていましたが、今では、「老害」とまで言われるように
なってきています。
社会に「害」を与える存在というわけです。

 で、その世代闘争も、今は、一巡しました。
尾崎豊と言っても、今では名前すら知らない人も多いかと思います。
長淵剛にしても、そうです。

 では今は何か。
私は「恋愛ごっこ」の時代と位置づけています。
恋愛ごっこ、です。
恋愛こそ、人生の最大の関心ごと。
今の若い人たちは、それしか頭にない。
またそれがすべて。
この話を先に進める前に、ひとつ話しておかねばならないことがあります。

●自我の同一性

 思春期から青年期にかけて、最大のテーマといえば、自我の同一性の確立ということに
なります。
「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、自分像のことを、「自己概念」と言い
ます。
一方、そこには「現実の自分」がいます。
それを「現実自己」と言います。

 この自己概念と現実自己をどう一致させていくか。
これが青年期における最大のテーマとなります。
その確立に成功した人は、自分が信ずる道を、力強くまい進することができます。
そうでない人は、そうでない。
中途半端で、訳のわからない人生を送ることになります。
が、これは、発達心理学の世界では、常識的な話です。
で、ここではその先というか、「自己概念」の中身について考えてみます。

 問題は「私はどうあるべきか」という部分。
話を戻しますが、私たちの世代では、それがいつも「天下・国家」と結びついていました。
つづく尾崎豊の世代では、「親」と結びついていました。
私が出世主義に対して、家族主義を唱え始めたのも、そのころです。

 で、今はそれがどうか?
それが先に書いた「恋愛ごっこ」ということになります。
私がそれを強く感じたのは、あの韓流ドラマがブームになったころです。
今でもブームがつづいていますが……。

 あの韓流ブームを知ったとき、私はこう思いました。
「今までの私たちは何だったのか」と、です。
韓国の人たちの反日感情には、ものすごいものがあります。
最初に私がそれを経験したのは、1968年に、UNESCOの交換学生として、韓国に
渡ったときです。
以後、韓国の人たちの心は、大きく変わったとは思っていません。

 一方、そういう韓国に対して、私たちは「嫌韓」という言葉を使いました。
間にはげしい経済戦争があったからです。
好きになるのは、その人個人の自由ですが、しかしそういう歴史というか、現状を一足飛
びに飛び越えて、韓流ブーム?
若い人たちだけではない。
それなりの年配の女性まで、韓国の若い俳優を追いかけまわしていました。
一方で経済戦争。
一方で韓流ブーム。

 こうした時代の流れの中に、みなさんがいます。
で、今では、高校生でも大学生でも、政治の話をする人はほとんどいません。
いわんや天下、国家を論ずる人もいません。
世代の話をする人もいません。
するといえば、恋愛。
恋の話。
愛の話。
明けても暮れても、携帯電話片手に、恋愛の話。

 これを自我の同一性の中に押し入れてみると、こうなります。

「私はどんな人を好きになるべきか。またどんな人が私を好きになるべきか」。
それが「自己概念」ということになります。
そして現実に、どんな異性と交際しているか。
どう交際しているか。
それが「現実自己」ということになります。
またこの両者が一致した状態を、「自己の同一性」ということになります。

●変わる家族意識

 こうした変化に大きく影響を受けたのが、「家族意識」です。
たとえば私たちの世代は、企業戦士おだてられ、会社一筋で仕事をしてきました。
「一社懸命」という言葉も、生まれました。
当時の私たちが、「仕事と家庭とどちらが大切か」と聞かれれば、まよわず「仕事」と答え
たものです。

 が、それが大きく変化したのが、ちょうど2000年ごろです。
この2000年を境にして、「仕事」と「家族」の地位が逆転しました。
それ以後は、「家族のほうが大切」と考える人のほうが多くなり、今では、80〜90%の
人が、「家族」と答えています。

 が、ここで重要な欠陥が生じてきました。
先ほども言いましたように、私が説いた「家族主義」とは、異質のものになってきたとい
うことです。
私はそれまでの「出世主義」に対して、「家族主義」という言葉を使いました。
が、それが行き過ぎてしまった。
「家族を大切に」という思いが行き過ぎてしまい、「仕事はどうでもいい」というふうに考
える若い人たちが多くなったということです。

 仕事もしない、かといって、将来の準備もしない。
そんな若い人たちの出現です。
しかもその数が、年々ふえています。
推定64万人もいるということです(2009年版「青少年の現状と施策」・青少年白書)。

 が、私が言う問題は、そのことではありません。
「仕事より家族が大切」というのは、よく理解できます。
またそれに異論を唱えるつもりはありません。
が、最近の若い人たちが使う家族主義には、ひとつ大きな欠陥があります。
欠陥というより、世界の常識からはずれている、と言ったほうが正確かもしれません。
つまりその家族主義には、両親の姿がないということです。

 家族主義……簡単に言えば、夫婦とその子どもだけの世界をいいます。
それぞれの両親は、その外の世界に置かれます。
あるいは、その世界の中に入っていない。
しかしこれは世界の常識ではありません。

 冒頭のところで、「どうしても親のめんどうをみる」と答えた若者は、28%と書きまし
た。
この数字がいかに低いものであるかは、世界の青年の意識と比べてみるとよくわかります。

イギリスの若者…66%、アメリカの若者…64%、という数字と見比べてみてほしい。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんど
うをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%。

 日本だけが突出して(?)、低いのです。
ね、おかしいと思いませんか。
世界でもっとも豊かな繁栄を築いた日本ですよ。
みなさんもそうだったでしょうが、食べ物にも困らず、ほしいものは何でも手に入れるこ
とができた。
本来なら、昔風に言えば、親の恩をもっとも強く感じてよいはずの世代です。
その世代が、「経済的に余裕があれば……」と。
繰り返しになりますが、経済的に余裕のある人はいません。
裏を返して言うと、「めんどうはみない」ということです。

 どうしてでしょうか?
……というよりも、この問題は、そのままみなさんの近未来の問題ということになります。
中には、「私はだいじょうぶ。私と子どもたちとは、深い絆で結ばれているから」と。
そんなふうに考えている人も多いかと思います。

 しかしそれは幻想。
まったくの幻想。
それがわからなければ、あなたがた自身の心の中をのぞいてみればいいでしょう。
先ほどあげた数字は、まさにここにいるあなたがた自身の心だからです。
平たく言えば、この先、私たちの世代はもちろんのこと、あなたがたの世代も、やがて6
0%以上が独居老人、もしくは無縁老人になり、孤独死を迎えるのです。
孤独死をしても、すぐ発見されるというわけではありません。
平均発見日数は、6日です。
私の知人の老人などは、死後30日を経て、やっと発見されたそうです。
そういう現実が、そこに迫ってきています。

 あなただけが無縁と、どうして言えるでしょうか。

●苦労論

 では、どうすればよいのでしょうか。
私たちはどう考え、その中で、どう子育てを考えていったら、よいのでしょうか。
が、その前に、ひとつだけ考えなければならない問題があります。
それが原因です。
どうしてそうなってしまったか、ということです。

 そのひとつが、「苦労」という言葉に集約されます。
苦痛を乗り越える経験ということになります。
その苦労をしていない。

 ……と書くと、反発する人も多いかと思います。
「私は苦労した」とです。
しかし苦労にも、2種類あります。
自分のための苦労と、他人のための苦労です。
おおざっぱに言えば、そういうことになります。

 で、たとえば受験勉強をし、有名な、こういう言葉は本当に好きではありませんが、一
流大学に合格したとします。
これは自分のための苦労ということになります。

 一方、無私無欲でするボランティア活動というのがあります。
これが他人のための苦労ということになります。
今の若い人たちは、子どものときから、後者の他人のための苦労というのをしていない。

(以下、つづく)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老齢期の自己概念(ソーシャル自己概念の構築)

+++++++++++++++++++++++

 「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、
自分像を、「自己概念」という。
この自己概念に対して、現実の「自分」がいる。
これを「現実自己」という。

 青年期の自己概念と、老齢期の自己概念には、
内容において、大きなちがいがある。
青年期の自己概念については、シャベルソンという
学者が、4つの領域に分類している。

(1)アカデミック自己概念(どういう学歴を身につけるか)
(2)ソーシャル自己概念(どういう社会的人間になるか)
(3)エモーショナル自己概念(どういう感情をもった人間になるか)
(4)フィジカル自己概念(どういう身体的特徴をもった人間になるか)

 が、当然のことながら、老齢期に入ると、
上記(1)のアカデミック自己概念は、終了している。
(3)のエモーショナル自己概念も、それほど重要ではない。
(4)のフィジカル自己概念についても、「ああはなりたくない」と考える
ことはあっても、そこでSTOP。
いつもそこに(どうしようもない自分)を発見する。
肉体の老化だけは、いかんともしがたい。

 問題は(2)のソーシャル、つまり「社会的な」自己概念である。
これをどう自分の中に構築していくか。
というのも、この時期、人は仕事を退職し、子育てからも解放される。
(正しくは、仕事からも追放され、子どもには逃げられる?)
言うなれば、心の中に空白部分が生ずる。

 心理学的には、「私的領域」が拡大する。
その私的領域でどう生きるか。
それを模索する時期ということになる。

++++++++++++++++++++++

●人生の節目

 人生にはそのつど、大きな節目がある。
個人的な環境によってもちがうが、一般的には、(1)青年期、(2)壮年期、(3)
老年期に分ける。

 青年期は思春期から始まり、自分の進むべき道が決まる時期までをいう。
壮年期は長く、ばくぜんとしている。
壮年期を通して、人は社会的地位を固め、その中における評価を定める。
老年期は、別名「喪失の時代」とも言われている。
「喪失」(この言葉は、あまり好きではないが……)との闘いの時期ということになる。

 そこで重要なのは、(1)自己概念をどう構築するかということ。
その前提として、(2)どう現実を受け入れていくかということ。
その上で(3)自分の役割を策定し、(4)現実の自分(=現実自己)をどう
一致させていくかということ。
順に考えてみよう。

●現実の受け入れ

 多くの人は、こう言う。
「温泉などで、自分の姿を鏡に映してみたとき、それがわかる」と。
緩んだ肉体、垂れ下がった臀部(でんぶ)、張りのない肌……。
若い人と比較するまでもない。
歩き方まで、老人臭くなる。

 が、それが現実。
受け入れるしかない。
が、そこは人間。
簡単には受け入れない。
もがく。
抵抗する。
無理をする。
が、それも一巡するときがやってくる。

●自己概念の構築

 老後の自分はどうあるべきか。
退職すると同時に、あるいは子育てが終わると同時に、みな、同じように
考え始める。
が、簡単には、答が出てこない。
ばくぜんとして、つかみどころのない毎日。
悶々として、いつ晴れるともわからない世界。
「これではいけない」と思っていても、それにつづく道が見えてこない。

 「老後は孫の世話と庭いじり……」と、だれかが言った。
「それが理想の老後」と。
しかし自分がその老後を迎え、それがまったくの虚構であると知った。
そんなことで自分の心の隙間を埋めることはできない。
かえって虚しくなるだけ。

 そこでエリクソンという学者は、「統合性」という言葉を使った。
青年期の自我の同一性の確立と、同じに考えてよい。
「老後になったら、やるべきことを見つけ、現実にそれをする」と。

が、(やるべきこと)と言っても、条件がある。
無私無欲でする。
功利、打算が入ったら、統合性はそのまま霧散する。
かといって、「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」と
いうわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長続きしない。
そこでエリクソンは、その準備を、人生の正午と言われる、40歳から始めろと説く。

●自分の役割の策定

 「私は何をなすべきか」と。
周りの人たちの老後が、参考になる。

 学生時代の先輩の1人は、観光ガイドを始めた。
現職時代の技術能力を生かして、世界中を回りながら、技術指導している人もいる。
家庭菜園を本業にした人もいる。
団体で、やはり現役時代の経験を生かしてがんばっている人もいる。
それぞれが、それぞれの道を進んでいるが、みながみな、うまくコースに乗って
いるわけではない。

 仕事から仕事へと、渡り歩いている人もいる。
日雇い労働者と同じ身分の人もいる。
が、健康であれば、まだよいほう。
脳梗塞や糖尿病を悪化させてしまった人もいる。
この時期になると、若いころからもっていた持病が、急に表に出てくる。
とくにこわいのが、精神病。
若いときは気力で何とかごまかせるが、老齢期にさしかかると、その気力が弱くなる。
肉体にしても、そうだ。
ひざや腰を痛めると、それがそのまま定着してしまう。
もちろんボケの問題もある。

 そういうのを乗り越え、私たちは「自分の役割」を設定しなければならない。
で、ここで言えることは、ただひとつ。
「この問題で苦しんでいるのは、あなただけではない」ということ。
総じて老齢期を迎えると、みな、この関門をくぐり抜けなければならない。

●現実自己との一致

 役割が設定できたら、あとはそれに向かって邁進(まいしん)していく。
「自己概念」と「現実自己」を一致させていく。

 子育てから解放され、仕事からも解放される。
親の介護からも解放される。
そのため自分で使える時間がどんとふえる。
これを「私的領域の拡大」という。

 考え方によっては、もっとも気楽な時期ということにもなる。
この時期になると、無責任であることが、ひとつの美徳になる。
もちろん人生そのものが、いわゆる「死の待合室」に突入する。
先の見えない袋小路。
先細りの人生。
すべてが不可逆的に悪化する。

が、ものごとは悪い方ばかりに考えてはいけない。
だからといって、落ち込んでばかりいてはいけない。
先にも書いたように、だれしも一度は通り抜けなければならない「関門」。
私ひとりだけがそうではないし、あなたひとりだけがそうではない。
そう考えるだけでも、気が楽になる。

●終わりに……

 こういう原稿を書くと、「では、私はどうなのか?」と考える。
率直に言えば、こういう原稿を書きながら、自分はどうあるべきかをいつも考える。
が、道筋だけできてしまえば、あとは楽。

 そのときが来たら、有料の老人ホームに入居する。
そこでも死ぬまで原稿を書きつづける。
さみしかったら、さみしいと書く。
悲しかったら、悲しいと書く。
そんな人生を、最期までつづける。

 もっともそれとて、運がよければ……という条件がつく。
明日、何かの大病が発見されるかもしれない。
すでに私の年齢の人は、約10%が他界している。

が、こうして書いていること自体が、あとにつづく人たちの参考になる。
どの人もこの世に生まれ、やがて老齢期を迎える。
あえて言うなら、今まで、その老齢期を老人の立場で考え、ものを書いた人が、
あまりにも少ない。
だから私は書く。
無私無欲で書く。
つまりこれが私にとっての「統合性」ということになる。
いつまでできるか自信はないが、とにかく、つづけるしかない。
どうか、よろしく!
(今朝の私は少し悲観的かな?)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自己概念 統合性の確立 現実自己 人生の節目 ソーシャル自己概
念)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●30年前の生徒たち

++++++++++++++++++++

今、パソコの横に、30〜35年前の写真がある。
みなで、何かのことで記念撮影したときのもの。
先週、棚の隅からポロリと出てきた。
様子から見て、年長児(5〜6歳児)の子どもたち。
場所は、A幼稚園の東園舎(当時)。
その写真をときどき見ながら、ふとこう思う。
「みんな、今ごろ、どうしているだろう?」と。

当時の私は、幼稚園の年中児から、高校3年生まで
教えていた。
午前中はA幼稚園で教え、午後からは、「教室」で教えた。
幼児クラスが終わると、別の場所で小学生、中学生
を教え、夜は、高校生を教えていた。
この写真の中の子どもたちにしても、そのあと、
高校を卒業するまで教えた子どもが、3人いる。
14年間、教えたことになる。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/75/img55e667c8zik5zj.
jpeg" 
width="882" height="543" alt="img130.jpg">

で、名前を思い出してみる。

上段(男児)、左から、
KD君
TK君
MZ君?
SZ君
??君
??君
下段(女児)、左から、
??さん
AZさん
ETさん
??さん
??さん
IGさん
??さん
MRさん
もちろん右端に立っているのが、私。

 名前を覚えているのが、14人中、8人。
約60%。
「そんなものだろうなア」と、自分をなぐさめる。
何といっても、30年以上も前の生徒たち。
それに忘れたのは名前だけで、今でもこうした写真を見るたびに、
スーッとその世界にタイムスリップする。
そのままその当時の「私」になる。

声が印象に残っている子どもがいる。
しぐさが印象に残っている子どもがいる。
その後、家族ぐるみで交際した人がいる。
兄弟が同時に通ってくれていて、いっしょに遊んだ子どもがいる。
うち何人かは、おとなになってからも、連絡をくれた子どもがいる。
(現在は途絶えているが……。)

みな、それぞれだが、この時代も、私の一部。
まぎれもない、私の一部。

あのころの私は、無我夢中だった。
朝9時から教え始め、いつも仕事が終わるのが、午後10時ごろ。
13時間労働!
その間をぬって教材を作ったり、本を書いたりしていた。
このころは、テレビ局の脚本も書いていた。
翻訳もしていたし、通訳もしていた。
貿易の手伝いもしていた。

写真を見ているだけで、あれこれと脳裏に浮かんでくる。
あの日も今朝と同じような太陽が輝いていた。
写真は、どこか色あせているが、青い空は青い空。
ただ自分だけが、年を取ったよう。
私だけが変わったのか?
あるいはここに写っている私は、どこへ行ったのか?

なんともしまりのない、バカな顔をしている。
そう、それにあのころは、いつも写真のようにネクタイをしていた。
幼稚園の園長がきびしい女性で、いつもこう言っていた。
「人前に立つには、それなりの服装をしなさい!」と。
それでそうしていた。
(現在は、セーターなど、ラフは服装で教えているが……。)

今日も午後は、年長児から教え始める。
教える子どもたちは、30年前と同じ。
毎年、毎年、この繰り返し。
こうして教えながら、この4月からは、41年目に入る。

++++++++++++++++++++

●今週の予定

 今週は、何かの大会の場で、基調講演することになっている。
学校の先生たち、300人が集まってくれる。
それもあって、今朝から運動量をふやした。
だらけた脳みそでは、講演はできない。
その日までに体調を整えなければならない。

 朝早く出れば、会場に間に合う。
が、大事を取って、その前夜、現地に到着。
ホテルに一泊。
ワイフも付き添ってくれる。
このところあれこれ、私の健康に気を遣ってくれる。
心配なのは心臓だが、この1年間、狭心痛らしきものは、数回だけ。
(どういうのを狭心痛というのか、私にはよくわからない。
ただの神経痛だったのかもしれない。
逆流性食道炎によるものだったのかもしれない。)
が、私の父は、今の私の年齢と同じ63歳で、心筋梗塞で他界している。
油断は禁物。

●「子ども手当てより、空母」?

 今朝の朝刊に、週刊誌のコマーシャルが載っていた。
いわく「子ども手当てより、空母を」と。
SKという女流評論家の意見らしい。
(見出しだけで、記事は読んでない。)

 が、私なら、こう書く。
「空母より、防空壕(核シェルター)」と。

 日本の防衛と将棋を対比させるのは正しくないかもしれない。
しかし将棋を指しているとき、攻め一方では、あっという間に、敗れる。
攻める一手を指す前に、相手の飛車・角の位置、それに持ち駒を確認する。
つまり攻撃6割、防御4割。
(この割合は、あくまでも私の将棋の指し方だが……。
また序盤、中盤、終盤で、そのつど変わる。)

 つまり日本の防衛は、あまりにも脆弱。
ちゃんとした防空壕(核シェルター)がどこにもないというのは、おかしい。
どう考えてもおかしい。
いくら近代的な兵器で海岸線を守っても、内陸部、つまり守りがガタガタでは、
どうしようもない。
どうして日本政府は、防空壕(核シェルター)を用意しないのか?

 今は、ミサイルの時代。
空母なんか造っても、意味はない。
「どうしても……」というのなら、韓国のように高速道路と滑走路を兼用させればよい。
いざとなったら、高速道路を遮断し、滑走路して使用する。
コンクリートの厚さを40センチ(韓国)にし、中央分離帯を除去する。
そのほうがコストもはるかに安くつく。

 ついでに言えば、トンネルと防空壕を兼用させるという方法もある。
(大都市では、いざとなったら地下鉄のトンネルを防空壕にするという方法を考えて
いるそうだが……。)

 「空母」という発想が、陳腐。
SKさんには悪いが、空母にしてもミサイルに攻撃されたら、ひとたまりもない。
第一、何のために、どこに浮かべるのか?
仮想敵国が中国ということであれば、やめたほうがよい。
中国はすでに核ミサイルを、実戦配備している。
まともにぶつかったら、日本に勝ち目はない。

 さらに一言。
どうして「子ども手当て」と「空母」が、バーターされるのか。
どうして「子ども手当て」なのか。
「戦闘機より空母」と書くなら、まだ話もわかるのだが……。

●インフレ進行中!

 今朝の経済ニュース(2011/01/24)を読むと、世界的にインフレが進行しているという。
たしかにこの日本でも、物価がジワジワとあがり始めた。
食料品にガソリン。
それが私にも、よくわかる。

 インフレを知るひとつの指数として、金・プラチナ価格がある。
で、今朝の金、プラチナ価格を調べてみると、金が3795円、プラチナが5195円。
金は、下降傾向。
プラチナは、上昇傾向。

 ほかにニッケル、アルミ、銅は、この数か月で最高値を更新しつづけている。
金価格はたしかに異常。……だった。
それがここにきて、調整局面に入った。
だから下降傾向。
一方、不気味なのは、プラチナ。
投機性が強く、上昇傾向に乗ると、一気に7000円台まであがる。
今がそのときか?

 ともあれ、これだけ市中に札をばらまけば、影響が出ないという方がおかしい。
アメリカを中心として、札印刷機は、現在フル回転中。
日本もEUも、現在フル回転中。
かわいそうなのは、中進国。
それだけのインフレを吸収できる能力がない。
同じように札を印刷しても、世界で通用しない。
世界の人は、やはりドルをほしがる。
円やユーロをほしがる。
(中国の元をほしがる人もふえてはいるが……。)

 つまり世界の政治情勢が不安定化するということ。
この先、それがツケとなって、中進国以下に回っていく。
そのときがこわい。
世界中で紛争が始まる。

 ということで今朝も、始まった。
先ほどまで、布団の中でPSPを相手に将棋をさしていた。
今朝は、1勝2敗。
脳みその調子は、あまりよくない。

(そう言えば、PSPの将棋をうまく利用すれば、ボケ診断ができるのでは?
たとえば満55歳のとき、勝率、40%。
60歳のとき、勝率、30%。
65歳のとき、勝率、20%、と。
ゲーム機のほうは、「力」は同じ。
勝率の低下イコール、ボケの進行度ということになる。
それを使えば、ボケ診断ができる。)

 1月24日、2011年。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【山荘にて】(はやし浩司 2011−01−21)

++++++++++++++++++++

今夜は、8時過ぎになって、山荘へやってきた。
途中、コンビニで菓子類を買った。
山荘へ着いたのが、午後9時、少し前。

途中、車の中でワイフとあれこれ話す。

++++++++++++++++++++

●苦労論

 よく「私は苦労しました」と言う人がいる。
「苦痛に耐えること」。
それを「苦労」という。
それはそれで、よくわかる。
しかし「苦労」というときには、2つの意味がある。

(1)自分のための苦労。つまり私利私欲のための苦労。
(2)他人のための苦労。つまり無私無欲に根ざした苦労。

その中間にあるのが、(3)家族(配偶者、子ども、親)のための苦労ということ
になる。

 たとえば1人の学生が、受験勉強で苦労したとする。
夜遅くまで勉強した。
進学塾にも通った。
しかしこれは自分のための苦労。
上の分類法によれば、(1)の苦労ということになる。
(中には、将来、家族を支えるためにと考え、受験勉強にいそしむ学生もいるかも
しれない。
しかし今どき、そんな学生は、探さなければならないほど、少ない。)

 一方、世話好きで、いつも他人の心配ばかりしている人がいる。
あれこれ仕事を引き受けて、忙しい毎日を送っている。
自分の時間は、ほとんどない。
残ったお金も、あまりない。
明けても暮れても、ボランティア。
そういう人もいないわけではない。
上の分類法によれば、(2)の苦労ということになる。

 その間にあって、(3)子育てで苦労している人がいる。
子どもの学資を稼ぐために、パートに出て働く母親を想像すればよい。
子どもは「他人」ではない。
しかし「自分」でもない。
入れ込みの程度にもよるが、他人にかぎりなく近い子どももいれば、自分に
かぎりなく近い子どももいる。
どうであるにせよ、「自分」ではない。
「他人」でもない。

 そこであなたのばあいは、どうだろうか。
「私は苦労しました」と言うときのあなたを考えてみてほしい。
そのときあなたは、どういう苦労を、「苦労」と言うだろうか。
たとえば私のワイフは、いつもこう言う。

「私は、あなたで苦労したわ」と。

 が、これは(1)の苦労だろうか。
それとも(2)の苦労だろうか。
あるいは(3)の苦労だろうか。

●「私は苦労した」

 それを話すと、ワイフはこう言った。
「『私は苦労した』と言う人は、たいてい(1)の自分のことで苦労した人よ。
(2)の他人のために苦労した人は、『苦労した』とは言わないわよ。
むしろ楽しんで、そうしているのだから」と。

 ナルホド!

 ということは、「私は子育てで苦労しました」と言う人ほど、どこかで
私利私欲が、からんでいる。……ということになる。
無私無欲で子育てをした人ほど、「苦労した」とは言わない。
つまりその言葉を聞けば、親と子どもの関係がわかるということになる。

●私のばあい

 私のばあい、苦労したといえば、介護ということになる。
しかし介護そのものは、さしたる苦労ではなかった。
あるとき、兄や母の介護をしながら、こう思った。
「子どもの世話より、楽」と。

 苦労というより、苦痛だったのは、実姉からの電話。
何がどうということは、ここには書けないが、実姉から電話があるたびに、
心臓が踊った。
手が震えた。

 つぎに苦労と言えば、実家への仕送り。
が、その仕送りについても、ある時期までは、むしろ楽しんでしていた。
ワイフも協力的だった。
実母を助ける。
実兄を助ける。
それが楽しかった。

 その(楽しさ)が失われたのは、たがいの間の信頼関係が消えたとき。
以後、金銭的な負担というよりは、社会的な負担に苦しんだ。
「それでも仕送りをしなければならない」という思いが、そのまま重圧感となり、
私を押しつぶした。

 言い換えると、自分が納得しているばあいには、苦労は苦労ではない。
納得できないときに、「苦痛」は「苦労」に変わる。
その逆でもよい。

●問題は子育て

 サイトカイン。
カテコールアミン。
私は脳内ホルモンについては、名前しか知らない。
見たこともない。
手にしても、ただの液体にしか見えないだろう。

 が、この2つは、対照的な脳内ホルモンと考えている。
ストレスが慢性的につづくと、脳内は、サイトカインで満たされる。
一方、前向きに生き生きと活動していると、脳内は、カテコールアミンで満たされる。
あるいはその逆でもよい。
それぞれが悪循環、あるいは良循環となって、その人を後ろ向きに引っ張たり、反対に
前向きに引っ張ったりする。
このことは子どもの学習態度を見ていると、よくわかる。

 いやな科目を、いやいや学習している子どもは、表情が暗い。
苦労がとたんに、苦痛に変わる。
その逆でもよい。
好きな科目を、前向きに学習している子どもは、表情が明るい。
苦労を苦労とも思わない。
むしろそれを楽しんでしている。

 となると、自ずと結論が出てくる。
それが苦労であるかどうかは、その人の(心構え)で決まるということ。
子育てについても、しかり。
いやいや子育てをしていれば、苦労は苦労になる。
楽しく子育てをしていれば、苦労はそのまま霧散する。
で、そのちがいは何かといえば、「愛情」の問題ということになる。

●私とワイフ

 ワイフはこう言う。
「私の子育ては楽だった」と。
私はこう言う。
「ぼくは苦労ばかりしていた」と。

 つまりワイフは、3人の息子たちを愛情でくるんでいた。
一方、私は、生活の心配ばかりしていた。
自営業というのは、そういう職種をいう。
(たぶんに、弁解がましいが……。)
今日、病気か事故で倒れれば、万事休す。
明日からは、路頭に迷うことになる。
毎日が、そういうきびしさとの闘いだった。

 そう言えば、私の母はいつもこう言っていた。
「サラリーマンの人たちは、気が楽でいいわねえ」と。
サラリーマンの人たちは、そうは思っていないかもしれない。
サラリーマンの人たちには、サラリーマンの人たちの苦労がある。
しかし自営業の人たちから見ると、たしかにそう見える。
上り坂のときはよいが、下り坂になると、とたんに苦労が倍加する。

 話がそれたが、親子についても、そこに細くても一本の絆があれば、救われる。
しかしそれが消えたとき、苦労は苦痛に変わる。
その逆でもよいが……。
私には息子たちを愛情でくるむような、心の余裕はなかった。

●苦労

 ところで義兄は、いつもこう言う。
「今の若い人たちは、苦労をしていないからねエ」と。
つまり「だから、今の生活のありがたさがわからない」と。
けっして若い人たちを責めているのではない。
むしろ逆。
「……だから、かわいそう」と。

 「幸福」というのが、そこにあるのが当たり前と考える。
だから不幸に対する、耐性というものがない。
たとえば便器。

私たちの世代は、ボットン便所から出発している。
尻を拭く紙も、ザラザラの再生紙。
それ以前は、新聞紙。
だから最近の便器を見ると、臭いがしないというだけで、夢のように感ずる。

 が、今の若い世代は、それを知らない。
少しでも汚れていると、「生理的な嫌悪感を覚える」と言う。
生理的な嫌悪感?
いったい、それは何?
私はそういう言葉を聞くと、人間的な嫌悪感を覚える。
で、ときどき、こう思う。
「今のような豊かさが持続できれば、それでよし。
そうでなければ、この先、苦労の連続だろうな」と。

●耐性

 そんな話をしていると、ワイフがこう言った。
「私ね、父の酒を買いにいくのが、私の仕事だった」と。

 ワイフの父親は酒豪だった。
で、ワイフは子どものころ、一升瓶をもって、いつも酒屋へ酒を買いに行ったという。
一升瓶をもっていくと、酒屋がそれに酒を注いでくれた。
その一升瓶を、また家にもって帰る。

 当時の日本では、どこにでも見られた光景である。
それについて、私が「今の若い人は、それをしないね」と。

私「しないとうか、親がさせないね」
ワ「そんなことをさせたら、虐待と騒ぐ人もいるかもね」
私「……そうだろうな。ぼくでも、そこまではしなかった」
ワ「そういう生活感が、子どもの世界から消えたのよ」
私「そうだね」と。

 あくまでも比較の問題だが、私のワイフには、そういう耐性がある。
私よりはるかに、ある。
耐性のある人は、苦労をしながらも、苦痛を減少させることができる。
耐性のない人は、多少の苦労をしただけでも、大げさに騒ぐ。
私とワイフのちがいには、この耐性が大きくからんでいる。
言い換えると、「苦労」について考えるとき、「耐性の問題」も無視できないということ。

●結論

 このあたりでひとつの結論が出てくる。
こと、子育てにおいては、「子どもには苦労をさせろ」と。
その苦労が耐性を生む。
苦痛を乗り越える力となる。

しかしその苦労といっても、冒頭に書いた(1)のような苦労では意味がない。
(2)のような苦労をいう。

 たとえば受験勉強を熱心にして、有名大学(こういう言葉は本当に不愉快だが)に
入学したとしよう。
子ども自身は、自分では苦労したと思っているかもしれないが、それはここでいう
苦労ではない。
平たく言えば、自分の欲望を満足させただけ。

だから当然のことながら、そこからは感謝の念は生まれない。
それ以後、親が爪に灯をともしながら学資を送ったとしても、その子どもにとっては、
当たり前。
中には、「親のために大学へ行ってやっている」と豪語(?)する子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 それもそのはず。
幼児のときから、「ほら、英語教室!」「ほら、ピアノ教室!」と。
中には、七五三の祝いに、親戚中を呼び集め、披露宴を開く親さえいる。
子どもをかえって不幸にしながら、その事実にすら気がついていない。

 最後に、こんな話。
これから書くことは、事実。
「事実」と断らなければならないほど、そうでない人には信じられないような話。
こういう話。

 毎週のように、嫁が、夫の実家にやってくる。
(嫁が、夫の実家にやってくるのだぞ!)
そして夫の両親から、小遣いをせびる。
「夫の給料だけでは、生活が苦しい」と訴える。
「夫の給料だけでは、子どもを進学塾へ通わせることもできない」と訴える。
で、最近、こんなことがあったという。

 いつものように、嫁が夫の実家にやってきた。
こう言った。
「100万円が必要。100万円、出してほしい」と。
が、両親といっても、80歳を過ぎている。
義父は元薬剤師。
義母は元看護士。
財産があるといっても、無限にあるわけではない。
そこで母親(=夫の母親)が、5万円を渡すと、その嫁は、「それでは足りない!」と言い、
その5万円を机の上に置いたまま、家に帰ってしまったという。

 ドラ娘も、ここに極まれり!、というような話である。
苦労を知らない人間というのは、そうなる。
そんな人間には、死ぬまで「幸福」は訪れない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 苦労論 苦労 苦労について)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【滋賀県・O市のY先生(小学校教諭)より、はやし浩司へ】

●代償的過保護

+++++++++++++++++++++++++++

滋賀県のY先生より、こんなメールが届いている。
以下、要約。

「……私のクラスにKさん(女児、小4)という子がいるが、家に帰りたがりません。
いつもみなが帰ったあとも真っ暗になるまで、校舎の裏庭(小さな山になっていて、
ふだんは児童の遊び場になっている)で、時間を過ごしています。
近くに住むEさん(女児、小4)に話を聞くと、母親がたいへんきびしい人らしく、
おおまかに言えば、つぎのようだそうです。

(1)毎日、1時間の漢字の書き取りと、計算練習が義務づけられている。
(2)そのあと母親にテストされ、満点でないと、夕食が食べられない。
(3)友だちにもらった遊び道具などは、すべて捨てられる。
(4)家の前まではいっしょに帰るが、いつも裏の勝手口から家に入る。
(5)ほかに毎日プリント学習を2枚することになっていて、それがしてないと、
ベッドから引きずり出され、それをさせられる。
(6)「成績がさがったら、お弁当を作らない」と、母親に言われている。

 学校でも、ときどき「おなかが急に痛くなった」「足が痛い」と言って、保健室
で横になっています。
小学2年生ごろまで、授業中に、おもらしをすることがあったそうです」と。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++

●代償的過保護と帰宅拒否

+++++++++++++++

典型的な代償的過保護である。
親の支配下におき、子どもを
親の思い通りにする。
一見、過保護だが、過保護に
ともなう(愛情)が希薄。
「代償的過保護」という。
過保護もどきの過保護。
そう考えるとわかりやすい。

+++++++++++++++

●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思い
どおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味で
は、代償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴が
みられるようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(し
てよいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、
親に追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその
温和性は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のも
のである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする
……といったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」
と誤解する傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価してい
る。臆面もなく、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の
前では、借りてきたネコの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題
は、そのことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その
呪縛性に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であ
るかわからないまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別
として、その重圧感は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に
気がつくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生ま
れてはじめて、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画も
あった。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、ま
ず、あなたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あ
なた自身の中の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにし
てきた。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことが
ある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見
せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ず
る。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と
考えてよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に
分析してみるとよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子ども
のため」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子
どもを利用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用す
る。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力
的、威圧的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするな
ら、お涙ちょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見
せつけながら、子どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、
操られているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、
異常なまでに依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生
まれながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子
ども自身が、かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。
そして子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔
の表情とが一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒
っているときは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。
そういう子どもを、すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 代償的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)●フリをする母親

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッ
シャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというの
は、現実にいた男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばか
りしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で
病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親を、「代理ミ
ュンヒハウゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンフハウゼン
症候群」と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)
に、一方で、姑(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい
嫁)を、演じていた人がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたっ
た一人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長
女(当時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当
然のことながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる
女性(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、
子どもが病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見
せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面と
いうより、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そう
でないのか、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子ど
ものほうが萎縮してしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、
だれか他人に訴える気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判する
ことさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ミュンヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 仮面をかぶる母
親)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子ども
がふえている。
S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。
「幼稚園で帰る時刻になると、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。
それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにきてほしいと。
どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、
園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。
そこで皆でさがすのですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうので
す」と。
私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言え
ば、家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。
まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。
幼児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつ
れて、当然、家庭の役割も変わってくる。
また変わらねばならない。
子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。

つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。
が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。
「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(随筆家・ソロー)とい
うのがある。
つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座っ
たほうが、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチ
ャの頭のようでなくてはいけない。
あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこで
こんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみ
てほしい。
もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間
関係にある。
しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃
げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。
もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれ
ない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不
自然に遅い。
毎日のように寄り道や回り道をしてくる。
あるいは外出や外泊が多いということであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。
家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、い
やなことを避けるための行動をする。
帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、
帰宅拒否につながる。
裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってく
るだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。

(はやし浩司 子供の帰宅拒否 帰宅拒否 家に帰りたがらない子ども 帰宅を拒否する
子供)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Y先生へ】

 メール、ありがとうございました。
いろいろな母親がいますね。
まさに典型的な代償的過保護と言うべき母親ですね。
まず「子どもはこうあるべき」という設計図を頭の中で作り、その設計図どおりの
子どもにしようする。

 疑うべきは、まず母親の情緒問題です。
自分の情緒的欠陥、つまり穴をふさぐために子どもを利用しているだけ。
何かの精神的な問題をもった女性と考えます。

一見、過保護に見えますが、過保護には愛情があります。
その愛情(=「許して忘れる」)がありません。
先にも書いたように、過保護もどきの過保護。
だから代償的過保護と言います。
発達心理学の用語にもなっています。
それが過度になれば、「虐待」ということになります。
「食事を与えない」「眠らせない」というのは、立派な虐待です。

 が、母親には、その自覚がない。
「私は子どものためにそうしている」と確信しています。
だから余計にやっかいですね。
説得しても、その母親には理解できないでしょう。

 ……私も子どものころ、帰宅拒否児だったと思います。
(いろいろな思い出をつなぎあわせると、そういう「私」が浮かびあがってきます。)
いつも学校帰りには、道草を食って遊んでいました。
夏でも、毎日真っ暗になるまで、近くの寺で遊んで時間をつぶしました。
今、思い出しても、暗くて、つらい毎日でした。

 もしKさん(小4)も、同じようであるとするなら、同情します。
恐らく一生、その傷が癒されることはないでしょう。
今の私が、そうです。
63歳になろうというのに、いまだに心の中に暗い影を落としています。

 やはりこの問題は、先生が指摘しておられるように、児童相談所が介入
すべき問題ですね。
先にも書いたように、「食事を与えない」「眠らせない」というのは、虐待です。
また無理な勉強を強制するのも、虐待と考えてよいでしょう。
一応、報告だけは、きちんとしておかれることを、お勧めします。

 なお小4と言えば、思春期前夜。
この先、Kさんには、いろいろな試練が待ちかまえています。
非行に走らなければよいと心配しています。
(あるいは、引きこもり(マイマス型)、家庭内暴力(プラス型)へと進むことも
多いです。)

 父親はどういう人なのか。
またどのように考えているのか。
それがわかったら、どうかまたメールをください。
では、今日は、これで失礼します。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【合理化】(合理化という非合理)

+++++++++++++++++

自分の中にある失敗や挫折。
それから生まれる憎しみや怒り。
それを相手のせいにしてしまう。
つまり相手が、自分に対して、
憎しみや怒りをもっているから、
自分もそれに反応しているだけ、と。
これを心理学の世界では、「投影」という。
自分の心を、相手の心にそのまま
投影し、自分の感情を合理化する。

夫婦の間、親子の間、友人や近隣の
人たちの間で起こりやすい。
さらには教師と生徒の間でも、よく見られる。
国際外交の場でも、よく見られる。

が、この投影のこわいところは、
それにとどまらない。
いわば妄想のひとつ。
妄想が強ければ強いほど、ときとばあいに
よっては、それが思わぬ事件へと発展
してしまう。

「あいつが悪いから、オレはこうなった
のだ!」と。
思い込みがはげしければはげしいほど、
敵意と攻撃心も大きくなる。
国際外交の場では、それが戦争につながることも
珍しくない。

その投影についてはたびたび書いてきたので、
ここではその先。
「合理化」について、考えてみたい。

++++++++++++++++++

●合理化

 たとえば買った宝くじの券をなくしたとする。
カバンに入れておいたはずなのに、ない。
どこにもない。
そういうとき心は、それから発する不快感を消すために、たとえばこう言って、
自分をなぐさめる。
「どうせハズレに決まっている。今まででも、当たったためしがない」と。

 こうして(紛失したという失敗)を合理化する。
自分に対する怒りを、収める。
これが心理学でいうところの「合理化」である。

 こうした合理化は、日常生活の中でよく経験する。
で、ここではもう一歩、話を先に進めてみたい。

●子育ての失敗

 こと子育てについては、「失敗」という言葉ほど無意味なものはない。
失敗の連続。
それが子育て。
が、それでも「失敗」と思うようなことがあったとしよう。
そういうとき、親は、こう思う。
「私が子育てで失敗したのは、私の両親(祖父母)が悪いからだ。
私はちゃんとした家庭で育っていない。それが原因だ」と。

 実は、私も、若いころ、よくそう思った。
わかりやすく言えば、よく親を恨んだ。
そしてそれから生まれる敵意や攻撃心を、親(私の両親)に向けた。
「どうして、ちゃんと私を育ててくれなかったのだ」と。

たとえば私の父は、2、3日おきに酒を飲んで暴れた。
それが私には、つらかった。

●私の父

 が、当時は、そういう時代だった。
戦後直後ということもあった。
みな、食べていくだけで、精一杯。
家庭教育の「カ」の字もない時代だった。

 たとえば私などは、家族旅行などといったものは、小学6年生までに、ただの1度
しか経験していない。
(ただの1度だぞ!)
その1度も、父が旅行先(伊勢参り)で酒を飲んでしまい、そのままパー。
私と母は、その夜のうちに実家へ戻ってしまった。

 が、その原因といえば、あの「戦争」だった。
さらに言えば、父が酒に溺れるようになったのも、あの「戦争」だった。
父は、台湾で貫通銃創を受けている。
傷痍(しょうい)軍人として帰国。
今で言う、PTSDになっていたとしても、おかしくない。

が、それ以上に、価値観の変化に、父はついていけなかったのかもしれない。
それまでは、天皇を神と仰いでいた。
その神国日本が敗れ、天皇は「人」に戻った。
今にして思えば、父が受けた落胆感には、相当なものがあったはず。

●合理化の修正

 が、それがわかるようになったのは、私が40歳を過ぎてからのこと。
それまではわからなかった。
わからなかったから、子育てで行き詰まるたびに、私は両親を恨んだ。
恨んで、自分の失敗を、合理化しようとした。

 といっても、その程度のことは、みなしている。
「私の親はすばらしかった」と思っている人は、まず、いない。
みな、どの人も自分の親を踏み台にし、さらにそのつぎの親を目指そうとする。
私だけが特別だったとは、思っていない。

 先に「子育ては失敗の連続」と書いたが、それ以上に、親にはその余裕がない。
毎日の生活に追われる。
仕事に追われる。
家族を支えるだけで、精一杯。
私にしても、そうだった。
それがわかったとき、私の私の親たちに対するものの考え方が変わった。
「私の親たちも、戦後のあの時代の中で、生きていくだけで精一杯だった」と。

●国際社会では

 要するに、人は自分にとって不愉快なものからは、目を遠ざけようとする。
自分にとって都合のよいものだけで、見ようとする。
さらに自分にとって都合の悪いものがあったとしても、それを合理化によって、
自分のつごうのよいものに、作り替えようとする。
こうして人は、自分の「心」を防衛する。

 たとえば視点を大きく広げてみよう。

 現在、アメリカと中国は、(そして日本も)、印刷機をフル回転させて「札」を印刷
している。
すでに世界のあちこちで、(この日本でも)、インフレの兆候が見えだした。
が、こうしたインフレで、そのしわ寄せ的打撃を被るのは、中進国以下の国々。
政情も不安定化する。
アメリカやEU、それに日本のような先進国は、そういうインフレを乗り越える力が
ある。
世界の資金が、ドル、ユーロ、円、ほかに金やプラチナに集約される。

 が、日本は、そういう「事実」を知っていながら、あえて目をつぶる。
知らぬフリをする。
これも合理化といえば、合理化ということになる。
「悪いのは、それだけの努力をしていない、中進国以下の国々」と。

●合理化の恐ろしさ

 合理化がはげしければはげしいほど、人は、自分の姿が見えなくなる。
ばあいによっては、それが妄想を引き起こし、先にも書いたように、敵意や攻撃心に
変化することもある。
実際に行動に移せば、たいていのばあい、取り返しのつかない結果を招く。

 たとえばあの北朝鮮は、韓国に対して軍事攻撃をしかけたのは、韓国の責任と
主張している。
韓国内部にも、そう主張して、北朝鮮を擁護する勢力がある。
「そこまで北朝鮮を追い込んだ、韓国のほうが悪い」と。

 もしこんな論理が正当化されるなら、あらゆる強盗が正当化されてしまう。
「私は強盗などしたくなかった。しかし私に強盗をさせた社会が悪い」と。
合理化の恐ろしさは、ここにある。

●反省

 そこで大切なことは、心が本来的にもつ、そうした弱点というか盲点を、何らかの
形でカバーするということ。
「自分を知る」ためのひとつの方法ということになる。

たとえば何か、自分にとって不都合なことが起きたら、即座に「相手が悪い」と
決めつけてはいけない。
何かを見落としていないかを、反省する。
つまり人は、その瞬間、瞬間に、つねに自分を合理化しながら生きている。
程度の差もあるだろう。
が、つねに合理化しながら生きている。
そういう前提で、そのつど、自分を見直してみる。

 で、最後に一言。

 この合理化が一度進むと、その相手とは、会話ができなくなる。
たとえばあなたの息子(娘)が、「自分が不幸なのは、親のせいだ」と言ったとする。
あなたの息子(娘)は、自分を合理化しているだけ。
が、その合理化には、つねに狂信性がともなう。
先にも書いたように妄想性が強ければ強いほど、そうなる。
つまりその時点で「合理」は「非合理」に変身する。

 一度、そうなったら、夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、あるいは近隣の人や
親類の人であるにせよ、遠ざかるのがベスト。
たがいに時間をかけ、頭を冷やす。
相手の非合理性を指摘しても意味がないばかりか、かえって火に油を注ぐことに
なりかねない。

 ご注意!

(注)何とも中途半端な原稿です。
書き足りないところもありますが、後日推敲し直すことにし、ここではそのままBLOG
に載せます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 合理化 合理化の恐ろしさ 防衛規制 投影 敵意 攻撃心 合理化
という非合理)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●格安ホテル

++++++++++++++++++

今日は、日曜日。
といっても、今朝は、何と朝帰り。
昨夜は、近くの浜名湖ロイヤルホテルに一泊。
ワイフと息子と、それに私の3人で
泊まった。

1名、1泊、3000円+入湯税。
ただし食事なし。
が、20畳以上もある広い部屋。
洋室。

当日の朝、旅行会社のHPを、チェック。
部屋に空きがあると、格安で泊めてくれる。
この方式は、あのLCC(格安航空会社)の
それと似ている。

EUでは、みな、こうして飛行機に乗っている。
ネットをチェックしながら、格安航空をさがす。
離陸直前ほど、料金が安くなる。
ばあいによっては、パリから地方空港まで、
300円で乗れることもあるという(Sさん)。
ただし満席になると、そこでストップ。

飛行機にしても、ホテルにしても、空席や
空き室をつくるよりは、そのほうがよい。
平たく言えば、従業員を遊ばせておくよりは、
よい。

一方、私たちには、あの豪華な料理は必要ない。
簡単な食事でよい。
のんびりと温泉に入れれば、それでよい。
それで満足。
ホテルに泊まれば、食事前、就寝前、それに早朝の
3回、温泉に入れる。

++++++++++++++++++

●ホテルにて

 いつもなら私はパソコン相手に、キーボードを叩く。
が、このところ、(……といっても、この数日のことだが)、どうも気が重い。
書きたいことはいくつかあるのだが、頭の中が整理できない。
整理できないというより、ぼんやりとしていて、「形」にならない。

 ……というわけで、昨日は、数年ぶりにプラモデル屋を訪れてみた。
ドイツのタイガー戦車の模型を買ってみた。
子どものころは、よく作って遊んだ。
あとはPSP(ソニーのポータブル・ゲーム機)。
現在は、「将棋・ゲーム」にハマっている。

 クラス分けのリーグ戦があり、現在S1クラスの15位。
Cクラスから始まり、Bクラス、Aクラス、S1へと勝ち進む。
今のS1クラスを制覇すると、つぎは……?
何かあるはず。
ワイフは、「ボケ防止にはよいかもね」と言う。
私も、そう思う。

 が、たかがPSPとあなどってはいけない。
結構、強い。(=私が、弱い?)
昨夜は、そんなわけで私はベッドの上で、PSPと格闘していた。
ワイフはDVDを観ていた。
息子は、タイガー戦車を組み立てていた。

 それぞれの土曜日。
土曜日の夜。

●将棋

 将棋というのは、集中力のゲーム。
集中力が途切れたとき、スキを作る。
そのスキを、すかさず、相手(コンピューター)が突いてくる。

 おもしろくないのは、ヘマをしないこと。
相手が人間のときは、ヘマをしてくれる。
それがおもしろい。
が、コンピューターはヘマをしない。
だからおもしろくない。

 もちろん弱点もある。
負け戦になると、自滅的な戦法に出てくる。
相手が人間なら、途中で投了ということもある。
コンピューターは、投了するとしても、最後の最後。

 それに思考ルーチンが同じなのか、繰り返し、同じ手を使ってくることがある。
それを繰り返していると、相手方(コンピューター)に、駒がなくなってしまうことが
ある。
こういうとき人間なら、1回でやめ、別の手を考える。
同じ手を使って、駒を失うのは、まずい。
が、コンピューターには、そういう判断ができない。

 また「王将」を左右交互に動かしていると、つまり時間稼ぎをしていると、
やはり思考ルーチンに従って、どんどんと駒を前に進めてくる。
そのとき相手方(コンピューター)に、スキが生まれる。
私はそこを突けばよい。

 が、クラスがあがるごとに、たしかに強くなっていく。
Cクラスのときは、こちらが駒を動かすと、すかさず相手方(コンピューター)も
駒を動かした。
ほとんど考えていない。
が、Aクラスになると、反応が鈍くなる。
S1クラスになると、さらに鈍くなる。
時に10〜15秒ほど考えてから、駒を動かしてくる。
つまりそれだけコンピューター側も、考えているということ。

 ワイフは「囲碁もしたら?」と言ってくれる。
Sクラスをクリアしたら、つぎに囲碁に挑戦してみる。
学生時代は、下宿で囲碁ばかりしていた。
楽しみ。

●HD(ハーディスク)交換

 またまたHD交換に挑戦している。
数か月前、何度目かに挑戦し、失敗した。
で、昨日、新しい交換ソフトを購入。
しかしそれでも途中で、STOP。

 原因がわからない。
理由もわからない。
で、このあと、つまり今日の午後、もう一度、挑戦してみる。
うまくできても、4〜5時間はかかる。
やってみるしかない。

 で、なぜ今、HD交換か?
ご存知の方も多いと思うが、HDも、時として故障する。
寿命もある。
そこで古いHDを、新しいHDに丸ごとコピー。
そのあとHDを交換する。
古いHDをそのまま保管しておけば、(新しいHDでもよいが……)、
HDに何かトラブルが起きたようなとき、ハードディスクを取り替えることで、
トラブルを回避することができる。
つまり安全策。

 パソコンとつきあうときは、いつもファイルの保存に心がける。
いつ何時、何があるかわからない。
それがパソコンの世界。

●今日(日曜日)の予定

 今日の予定は、とくになし。
書きたいテーマはあるが、どうも気が進まない。
が、これではいけない。
たとえば昨日、こんな原稿を書いた。
もう一度、ここにその一部を掲載する。

++++++++++++++++

 ……最後に、こんな話。
これから書くことは、事実。
「事実」と断らなければならないほど、そうでない人には信じられないような話。
こういう話。

 毎週のように、嫁が、夫の実家にやってくる。
(嫁が、夫の実家にやってくるのだぞ!)
そして夫の両親から、小遣いをせびる。
「夫の給料だけでは、生活が苦しい」と訴える。
「夫の給料だけでは、子どもを進学塾へ通わせることもできない」と訴える。
で、最近、こんなことがあったという。

 いつものように、嫁が夫の実家にやってきた。
こう言った。
「100万円が必要。100万円、出してほしい」と。
が、両親といっても、80歳を過ぎている。
義父は元薬剤師。
義母は元看護士。
財産があるといっても、無限にあるわけではない。
そこで母親(=夫の母親)が、5万円を渡すと、その嫁は、「それでは足りない!」と言い、
その5万円を机の上に置いたまま、家に帰ってしまったという。

 ドラ娘も、ここに極まれり!、というような話である。
苦労を知らない人間というのは、そうなる。

+++++++++++++++

 繰り返しになるが、この話は事実。
直接、その「義父」から聞いた。
(もちろんその人とわかるような部分は、変えてあるが……。)
その「義父」が、「うちの嫁さんはねえ……」と言って、この話をしてくれた。

 ワイフもその席にいた。
その嫁については、あれこれ聞いていたので、ワイフも私もさほど、驚かなかった。
しかし今回の話は、明らかに度を越している。
「エスカレートしてきた」と書くべきか。
年老いた義父母。
ともに80歳近い。
判断力も鈍ってきた。
それをよいことに、義父母を手玉にとって、もてあそぶ。

 つまりこの話には、いくつかの問題点が隠されている。

(1)老夫婦の財産管理は、どうすべきか。
(2)「嫁」とのつきあいは、どうすべきか。

 で、この話にはもうひとつ伏線がある。
嫁は、そのつど3人の孫を連れてくる。
つまり孫をダシに、義母から、小遣いをせびる。

 いろいろ考えさせられる。
が、今朝はこれまで。
このつづきは、またあとで!
では、みなさん。

おはようございます!

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教師が親を訴える

 新聞などで報道されている程度の情報しかない。
だから本当のところは、どうなのか?
それはよくわからない。
だからあくまでもここでは、一般論として、自分の考えを書いてみたい。
学校の教師が、親を訴えた!
そういう事件である。

Jcastは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

  S県の市立小学校に勤務する女性教師が、女児の親から何度もクレームを受けて不眠症に
陥ったとして、慰謝料500万円の支払いを求めて係争中の騒動。「とくダネ!」は騒動の原
因に迫った。 

  女性教師が提訴したのは昨年9月(2010年)。担当していたクラスの女子児童2人が喧嘩
となり、それを仲裁したときに一方の保護者から差別をしていると非難された。さらに、背中を
触れただけで警察に暴行容疑の被害届が出されたという。

  取材したKAキャスターによれば、「2人の喧嘩はクラスでも話し合いが行われました。
でも、提訴している親は、もめ事は喧嘩ではなくイジメであると思ったようです。それで、
連絡帳に娘が差別されていると30行から80行にわたる教師批判の文章を何回も書いたよ
うです」

  女性教師の言質を取るために、親がICレコーダーを密かに子供に持たせていたことも紹
介、メインキャスターのOGは「モンスターペアレントではないのか」と疑問を投げかけ
た。

  提訴するまでに、両親と女性教師の話し合いの場が設定されていたが、両親は拒否したと
いう。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

 その親がどうであったかは、知らない。
またこう書くからといって、その親がそうであるというのではない。
ただ一般論として、10人の親がいれば、そのうち1人くらいの割合で、「たいへんな親」
がいるのは事実。
「たいへんな親」というのには、いろいろな意味が含まれる。
教える側からみて、「たいへん」。
そういう親をいう。
受験ノイローゼの親も、それに含まれる。

 以前、(もう20年以上も前のことだが)、書いた本に、こんな話を書いた。
BLOGに紹介したのは、2006年8月の日付になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【受験ノイローゼ】

●受験ノイローゼ

 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がな
る。ある母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼ
りました」と。「家でゴロゴロしている息子(中2)を見ただけで、気分が悪くなり、その
場に伏せたこともあります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験があ
る。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学
歴信仰をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこち
らが排斥されてしまう。

「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった
母親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言った
ときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰り
かえす。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようにな
ると、親自身がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという
恐怖。そしてそれを子どもにぶつける。

もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安が
入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状
態になると、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。
家族の心を犠牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学5年の女児をも
つある母親はこう言った。

「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝す
るはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノ
イローゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。た
とえば人前では、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、
「私はどこの学校でもいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているの
で、何とか、希望をかなえさせてやりたい」とか、言ったりする。

外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えて
みる。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1) 生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな
目つき、元気のない応答など。

(2) 思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶
力の低下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。

(3) 精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪
失、日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。

(4) 睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。

(5) 風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意に
よる事故が多くなる。

(6) ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったり
する。衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同
時にいくつか買う。

(7) ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れ
ず、それが苦になってしかたない。

(8) 同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロール
ができなくなる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと
思うことが多い。ヒステリックに泣き叫んだりする。

(9) 他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉
じこもる。

(10) 過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症にな
る。体重が極端に変化する。

(11) また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささい
なことで、相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できな
くなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につなが
ることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることがで
きる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっか
りもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼ
られるということ。

明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になったり
する。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られた範
囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対して、
過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1〜2時間過ごしていた
母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意して
いた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこうい
うエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつか
の話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを
書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭では
なかったが、30万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、
車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をま
ちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。

ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子ど
ものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、
いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、
東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。
いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイロー
ゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものできが、親の
望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような
症状のうち、5個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。

あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあ
なたの子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身
の受験体験にメスを入れてみてほしい。

○ 子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライ
ラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

○ 子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくよ
うで、心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。


○ 子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのま
まダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。

○ 同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどん
なことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。


○ 子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あ
れこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。

○ 子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもが
したりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。


○ テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、
子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

○ 明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、
家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

○ 「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっ
とできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。

○ 子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使
えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結局は犠牲者

 繰り返すが、こう書くからといって、今話題になっている親が、そうと言うのではない。
その親のことは知らない。
テレビなどではキャスターのインタビューに答えているようだが、それも見たことがない。
本当に教師による体罰があったのかもしれない。
本当に教師による差別があったのかもしれない。
それはこれからの裁判の中で、明らかになっていくだろう。

 しかしその前に、受験ノイローゼと言われる親にしても、現在の日本がかかえる、
学校神話、受験競争、学歴主義の犠牲者にすぎないということ。
他の多くの親同様、現代の日本がもつ価値観の中で、踊らされているだけ。
「私」を見失っているだけ。
やがて時がくれば、それに気づく。
が、今は、わからない。

 が、本当の犠牲者は、子ども自身。
それを忘れてはならない。
同じく以前、こんな原稿を書いたことがある。
これがこの原稿の結論ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)


++++++++++++++++++


息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。


【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)


[投稿者] 小6の母 
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。


解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。


2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。


でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。


いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。


というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。


息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。


私が学校に行って話をすることは間違っていますか?


【はやし浩司より、Aさんへ】


 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかた、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。


一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならない問題ではありません。
 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。


そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
 で、あなたは……


(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。


(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。


(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。


(4)先生に抗議しようと考える。


 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、過干渉、過関心+
溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?


 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。


 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、先生は、忙しかったと思いますよ。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。


それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。


 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。


(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。


 で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。


 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。


 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。


(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視」です。


子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。


その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいか思います。


+++++++++++++++++


『負けるが勝ち』


これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。


+++++++++++++++++


●負けるが勝ち


 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、
「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆
が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人も
いる。


さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。


 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。


しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。


それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【親の欲目】


●親の欲目


 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。


親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。


●やってここまで


 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。


 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。


●子どもを受け入れる


 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。


そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【Aさんへ】


 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。

 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉 はやし浩司 家
庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩
司 負けるが勝ち 教師が親を訴える モンスターママ論 育児ノイローゼ 受験ノイロ
ーゼ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月19日

●不良老人

 ワイフは、私たち夫婦のことを、ときどき、
「不良老人」と呼ぶ。
行動が、昔で言う「不良」のそれだかからである。

夜な夜な、遊び回っている。
気が向いたら、即実行。
深夜映画を観て、そのままビジネスホテルに。
これには理由がある。
自宅に帰っても、寒い。
寒いというより、「冷たい」。
暖房機をONにしても、暖かくなるまでには
時間がかかる。
だから「どこかに泊まっていこうか?」となる。

 浜松市内では、一泊3000円(1名分)で
泊まれる。
セミダブルの部屋だと、朝食付きで、
5500円(2名分)。
部屋に入ったら、暖房をがんがんつける。

安いというか、この業界でも、価格破壊が起きている?
利用者の私たちにはありがたい。

●今朝は、5時起き

 昨夜はワイフは、ふとんの中でDVDを観ていた。
私は反対側を向いて、PSPを相手に将棋を指していた。
電気を消すとき時計を見たら、午前0時。

 そのせいか、あまりよく眠られなかった。
トイレに起きたのが、午前4時。
1時間ほどふとんの中でがんばってみたが、そのまま頭が冴えてしまった。
再び時計を見たら、午前5時。
で、起床。
書斎へ。
途中、台所を通ると、パン焼き機(ホームベーカリー)が、ゴトゴトと音を立てていた。
気になって中を見ると、パンの生地をこねているところだった。

 「こんな朝早くから、仕事をしている!」と、へんに感心した。

●キジバトの餌

 数日前、餌を切らした。
この数日、餌をまいてない。
そのせいか、キジバトが一羽、終日、キーウィの木の上でじっとしている。
餌を待っている?
去年の秋(ほんの数か月前)に、生まれた雛である。

 餌はいつも近くの農協で買っている。
農協で買うと、10キロ入りで、1700円前後で買える。
今日の午後、買いに行くつもり。
しかし……。

 野生の鳥を餌付けするのは、よくない。
それはよく承知している。
依存性ができてしまい、自立できなくなってしまう。
で、餌の量を減らすなどの方法で、自分なりに考えている。

しかしこのところ、野鳥の数がめっきりと減った。
スズメなどは、10分の1程度になってしまった。
今ここで餌付けをやめたら、このあたりから野鳥は、本当にいなくなってしまう。
それもまた、さみしい。

●Eマガ 

 このところEマガの配信が、乱れている。
「配信終了」のメールは届くが、実際には配信されていない。
そこで「再配信版」を、配信する。
が、それも配信されない。

 ……で、今朝(1月19日)は、1月17日号と、1月19日号の2号を、再々度、
配信してみた。
で、それはうまくいった。
数分もたたないうちに、Eマガが、メールボックスに入った。

しかし……?
理由も原因もわからない。
以前、Eマガ社に問い合わせたが、返事はなし。
いつも無料で配信してもらっているため、文句は言えない。
そのつど、手動で対処するしかない。

【Eマガ読者のみなさんへ】

 そんなわけで、できれば、Eマガからメルマガに乗り換えてください。
こちらも無料です。
メルマガの申し込みは、私のメイン・ホームページからできます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

 なおメルマガのほうでは、今年も、人気投票で第1位(カテゴリー別部門)を受賞
した。
投票してくれた読者のみなさん、ありがとう!

●花粉症

 今年はまだ1月というのに、花粉症による症状が出てきた。
ときどきクシャン、クシャンと、はげしいクシャミが出る。
新聞報道などによれば、今年の花粉の飛散量は、例年の数倍以上になりそう、とか。
昨年(2010)の夏の猛暑の影響らしい。

ユーウツ!

 私のばあい、シソの葉エキスがよく効く。
初期の段階で、やや濃いのを、空腹時にのむ。
最初の1週間ほどで症状は、そのまま消える。
今日あたり、それを買ってくるつもり。

 そういう私でも、若いころは花粉症に苦しんだ。
一時は、沖縄への移住を本気で考えた。
沖縄には、杉の木やヒノキがない。
それでそう考えた。

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
はやし浩司 2011−01−19

【BW子どもクラブ】(中日ショッパー紙・2011年1月号より)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>




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Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●自由と孤独(父親の存在とは?)「父子論」byはやし浩司

++++++++++++++++++

昨日も介護に疲れた息子(50代)が、
父親(80代)を殺すという事件が起きた。
痛ましい事件である。

こういう事件を見聞きすると、介護の経験の
ない人は、「どうして?」と首をかしげる。
私もそうだったし、今のあなたもそうかも
しれない。

しかし「介護」のもつ重圧感には、相当な
ものがある。
それはいつ晴れるともなく綿々とつづく、
曇り空のようなもの。
被介護者との間に良好な人間関係があれば、
まだ救われる。
が、それがないと、「介護」はとたん、巨大な
重石となって、あなたを押しつぶす。

それはそれとして、つまり介護の問題は別として、
息子が父親を殺した。
ここに焦点を当てて、今朝は、父親と
子ども(息子や娘)、つまり「父子論」について
考えてみたい。

++++++++++++++++++

●自己評価力

 ほとんどの人は、「私はふつう以上の、ふつうの人間」と思っている。
少なくとも、平均以上の人間と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。
さらに、ほとんどの親は、「私はふつう以上の、ふつうの親」と思っている。
ここでは親といっても、「父親」に的をしぼって考えてみる。
つまりこと、父親に関して言うなら、少なくとも、平均以上の父親と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。

 が、まわりの人たちは、あなたを「ふつうの人」とは思っていない。
あなたの子どもたちは、あなたを「ふつうの父親」とは思っていない。
このことはいろいろな調査結果を見ても、わかる。

 以前「断絶」という題で、それについて書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないな
どがある。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、
わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能があるが、断絶状態になる
と、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即
発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親
で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子ども
はそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認め
あわない状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は5
5%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青
少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論した
り、逆らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ
親は少なくないが、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の
何ものでもなかった。江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまれば
そのまま佐渡の金山に送り込まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、
今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。た
とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入っ
てくれれば」と、子どもの受験競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の
大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあ
い、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべ
てマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えては
いけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●79%!

 この原稿の中で、とくに注意してほしいところは、つぎ。

……「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青少年白書』平成
10年)……。

 あなたはこの「55%」「79%」という数字をどう読むだろうか。
さらに一言、付け加えるなら、この中には、「父親を軽蔑している」という調査項目がなか
ったのは、なぜか?
言うまでもなく、総理府(現在の内閣府)の調査では、そこまではできなかった。
つまり「父親を尊敬していない」の中には、当然、「父親を軽蔑している」という子どもも、
多数含まれる。

 さらに言えば、100−79=21%の子どもが、「父親を尊敬している」という
ことにはならない。
「何とも思っていない」という子どもが、大半と推定される。

 つまり父親の存在感は、きわめて薄い。
父親の立場は、きわめて弱い。
しかしほとんどの親(父親)は、「私はだいじょうぶ」と高をくくっている。
つまり自己評価力は、その分だけ、きあめて低い。

 そこで私は、この数字を、逆にこう読む。
「父親というのは、そういうもの」と。
あのフロイトも、「血統空想」という言葉を使って、それを説明している。
それについて書いたのが、つぎの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親・ヨセフ   

●今朝・あれこれ(2007年11月19日)

++++++++++++++

昨夜、どこか風邪っぽかった。
が、外食。大きな店だったが、
暖房があまりきいていなかった。

肉料理を久しぶりに食べたが、
家に帰ると、悪寒。薬をのんで、
そのまま就寝。

ところで、この土日に、2本の
DVDを見た。

『敬愛なるベートーベン』と、
『ドレスデン』。ともに、すばらしい
映画だった。

学生のころは、毎年、第九交響曲を
歌っていた。映画を見ながら、
いっしょに合唱。涙、ポロポロ。
『敬愛なるベートーベン』は、
星は4つの、★★★★。

もう1本の『ドレスデン』も、
星は4つの、★★★★。2時間半もの
大作なので、じっくりと構えて見るの
がよい。

ドイツも、このところ、すばらしい
映画を制作するようになった。
CGも、ハリウッド映画に追いついた
という感じ。

よかった! 感動した!

ほんとうは、どれも星は5つかも
しれない。乱発すると価値が
さがるので、あえて、星は、
4つにした。

++++++++++++++

●ヨセフ

 今度、キリストの父親のヨセフをテーマにした映画が、劇場で公開されるという。公開
されしだい、ワイフと見に行くつもり。ワイフは、たいへん楽しみにしている。

 チラシには、こうある。

 「あの日、ヨセフがマリアを信じなければ、あの時、ふたりが大王による虐殺から逃れ
えなければ、キリストは誕生しなかっった」と。

 キリスト教会の中には、「聖ヨセフ教会」というのもあるが、全体としてみると、父、ヨ
セフの影は薄い。マリア像をかかげる教会は多いが、ヨセフ像をかかげる教会は、ほとん
ど、ない。

私は、若いころから、教会へ行くたびに、それを疑問に感じていた。そういう疑問をベー
スに、以前、いくつかの原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++

●育児に参加しない父親

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にの
しかかってきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうで
はない。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だっ
たかもしれない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。

ある女の子(小5)は母親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっと
いい男の人と結婚すればよかったのに!」と。理屈で考えれば、母親が別の男性と結婚し
ていたら、その子どもは存在していなかったことになるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方を
する。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親
のヨセフは、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、
その一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約30%の夫は、家事をほとん
どしていない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親に
してもらう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」
と。決して男尊女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親
なら、私はその反対のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬
しあうことをいう。まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とく
に子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、
母親の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女
性(32歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑
していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父
親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親
を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?

 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過
渡期にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約30%の若い夫は、育児はもちろ
ん、炊事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を
張っている。あせらず、じっくりと構えること。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母親の役目

 子どもにとって、自分と母親の関係は、絶対的なものだが、しかし自分と父親の関係は、
絶対的なものではない。「母親から生まれた」という実感はあるが、「父親から生まれた」
という実感は、もちにくい。だからたいていの子どもは、自意識(だいたい10歳前後か
ら)が発達してくると、父親との間に、一定の距離を置くようになる。「ひょっとしたら、
自分は父親の子どもではないかもしれない」と思う子どもも少なくない。

ある男の子(小5)は、こう言った。「ママが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼ
くは、もっと幸福になれた」と。

 こういうケースでは、「パパが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼくは、もっと
幸福になれた」とは、言わない。中には母親に向かって、「どうしてあんなパパと結婚した
の!」と、迫る子どもさえいる。理屈で考えれば、もし母親が別の男性と結婚していたら、
その子どもは、絶対に生まれていなかったことになるのだが……。

 このことは、子どもと母親の結びつきを理解するには、たいへん重要なポイントとなる。
わかりやすく言えば、子どもと母親のつながりは、父親のそれよりも太いということ。も
ちろん中には、そうでないケースもあるが、少なくとも、子どもの側からみると、太い。
だから父親と母親が、けんかをすると、特別の事情がないかぎり、子どもは、母親の味方
をする。歌にしても、母親をたたえる歌は多いが、父親をたたえる歌は少ない。

 たとえば窪田聡氏が作詞した、『かあさんの歌』にしても、森進一氏が歌う、『おふくろ
さん』にしても、母親をたたえる歌である。「♪母さんは、夜なべをして……」とは、歌う
が、同じように苦労をしている父親に対して、「♪父さんは、夜なべをして……」とは、歌
わない。

最近、演歌歌手のK氏が、父親をたたえる歌を歌いだしたが、そういう歌は例外と考えて
よい。つまり母親というのは、どこかたたえやすいが、父親というのは、どこかたたえに
くい?

 このことと関連しているのかもしれないが、たとえばキリスト教でも、聖母マリアをた
たえる信者は多いが、父親ヨセフをたたえる信者は少ない。実のところ、これがこのエッ
セーを書き始めたヒントになっている。昨夜ワイフが、ふと、「どうしてヨセフは影が薄い
のかしら?」と言ったのが、きっかけになった。

 話が脱線したが、つまり子どもの側からみたとき、父親と母親は、決して対等ではない。
子どもにとって母親は、父親以上に、特別な存在である。幼児でも、「お母さんがいないと、
どんなことで困りますか?」と質問すると、つぎつぎと答がかえってくる。しかし「お父
さんがいないと、どんなことで困りますか?」と質問すると、とたんに、答が少なくなる。

 そこで母親は、このアンバランスを、子育ての場で、調整しなければならない。そして
結果として、子どもの側から見たとき、父親と母親が、等距離にいるようにしなければな
らない。この仕事は、父親ではできない。それをするのは、母親自身ということになる。

方法としては、母親の立場をよいことに、母親だけが親であるというような押しつけはし
ないこと。もっと言えば、家庭教育の場で、父親の存在を、いつも子どもに感じさせるよ
うにする。「これは大切な問題だから、お父さんに判断してもらいましょうね」「お父さん
ががんばってくれるから、みんなが安心して生活ができるのよ」とか。

 決して男尊女卑的なことを言っているのではない。賢い母親なら、そうする。たがいに
高い次元に置き、尊敬しあうことを、「平等」という。もちろんこの文章を読んでいるのが
父親なら、その反対のことをすればよい。

 しかし、なぜ私がこのエッセーを書いているかについては、もう一つの理由がある。そ
れは今、父親の存在感が、ますます薄くなってきているということ。これに対して、「父親
の威厳を回復せよ」という意見もあるが、今は、もうそういう時代ではない。「威厳論」を
もちだしても、子ども自身が従わない。そこでここでいうように、「たがいに高めあう」と
いう意味での、平等論ということになる。

 またまた話が脱線したが、家庭教育においては、いかにして子どもと父親のパイプを太
くするかが、重要なテーマと考えてよい。またその努力を怠ると、家族そのものが、バラ
バラになってしまう。話せば長くなるが、問題行動を起こす子どもの家庭ほど、父親の存
在感が薄いことが知られている。

もっとはっきり言えば、母親だけでは、子育てはできないということ。できなくはないが、
失敗する確率は、ぐんと高くなる。そのためにも、子どもと父親のパイプは、今から太く
しておく。そしてそれをするのは、母親の役目ということになる。
(03−1−5)

【追記】
 よく父親の教育参加が話題になるが、それはここにも書いたように、そんな単純な問題
ではない。父親が、「では、私も子育てに参加してみるか」と思うころは、すでに手遅れ。
問題の「根」は、もっと深い。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父親、ヨセフ

●存在感の薄い、ヨセフ

 イエス・キリストの父親は、ヨセフである。しかし母親のマリアは、処女懐胎している。
一説によると、そのときヨセフは、マリアと婚約関係にはあったが、マリアとは性的関係
はなかったとされる。また一説によると、処女懐胎のことは、マリアには、天使が知らせ
たが、ヨセフには、知らせなかったという。さらにヨセフは、イエス・キリストが、神の
子としての活動を始める前に、死んでいる。ここでキリスト教、最大の謎にぶつかる。父
親ヨセフは、では、いったい、何であったのか、と。

 この議論は、キリスト教の世界では、すでにし尽くされているほど、し尽くされている。
私のような門外漢が、いまさら、論じても意味はない。そこでここでは、もう一歩、話を
先に進めてみたい。

●母親は絶対

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それは母親が、出産、授乳という直接的
な方法で、子どもの「命」そのものにかかわるからと考えてよい。一方、父親と子どもの
関係は、母親とくらべると、もろく不安定なもの。わかりやすく言えば、「精液一しずく」
の関係にすぎない。このちがいは、そのあとの親子関係にも、色濃く反映される。

 たとえば夫婦でけんかをしたとする。そのとき子どもは、たいてい母親の側にたつ。そ
ればかりか、子どもは、自意識が発達してくると、「自分は父親の子どもではないのでは」
という疑いをもつようになる。「私の本当の父親は、もっと高貴な人物で、私もそれにふさ
わしい人物にちがいない」と。これをフロイトは、「血統空想」と呼んだ。

 実際、男というのは、排泄が目的だけのためのセックスをすることができる。その気に
さえなれば、行きずりの女性と、数時間だけの性的関係をもつことだって可能である。一
方、女には、妊娠、出産、育児という責務がその時点から課せられる。

もし男も女も、同等の快感であったとするなら、女はセックスなどしないだろう。そのあ
と予想される「重荷」を考えたら、とても割にあわない。たとえば男というのは、そのセ
ックスの途中であっても、冷静に、女の反応を楽しむことができる。しかし女はそうでは
ない。無我夢中というか、我を忘れてセックスの快感に酔いしびれる。

またクライマックスの長さも深さも、男のそれとは比較ならないほど、長く、深い。恐ら
く長い間の進化の過程でそうなったのだろう。つまり女にとっての快感は、そのあと予想
される「重荷」を忘れさせるほど、すばらしいものであるらしい。またそれがあるから、
女も、あと先のことを考えることなく、セックスに没頭することができる?

 となると、太古の昔の男女関係がどういうものであったかについて、こう推理すること
はできる。

●親は、母親だけ?

 人間が、下等な哺乳動物の時代においては、あるいはそれよりもずっと先の時代におい
ては、男というのは、ただの「精液供給者」にすぎなかったのでは、と。結婚という形が
できたのは、ずっとあとのことで、それ以前はというと、子どもにとって親というのは、
母親でしかなかったのでは、と。その原始的な関係が、イエス・キリスとマリアの関係に、
如実に示されていると考えられなくもない。

 で、インターネットで検索してみると、父親のヨセフをたたえる教会も、少なからず存
在することがわかった。こうした教会では、父親のヨセフの苦悩や悲しみ、さらにはそれ
を克服した崇高さを、ことさら美化している。

しかしその視点そのものが、結婚観が確立し、父親像、母親像が確立した、「現代」から見
た視点にすぎない。つまり現代という視点から見れば、どう考えても矛盾する。おかしい。
おかしいから、どうしても父親のヨセフを、たたえる必要性が生まれた?

 しかし当時といえば、社会秩序そのものが確立されていなかった。だから当然のことな
がら、家族という概念も、まだ確立されていなかった。少なくとも、現在、私たちが考え
る家族観、……つまり、父親がいて、母親がいて、そして子どもがいるという家族観とは、
異質のものであったと考えるのが正しい。この日本でも、「家」中心の家族観から、「個」
中心の家族観に改められたのは、戦後のことである。

●母親と父親は平等ではない?

 こう考えていくと、母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して平等でも、
同一のものでもないことがわかる。このことは、母親の子どもに対する意識と、父親の子
どもに対する意識の違いとなっても現れる。自分の子どもを見ながら、「この子どもは私の
子どもではない」と疑う母親は、絶対にいない。しかし同じように自分の子どもを見なが
ら、「ひょっとしたら、この子どもは、私の子どもではない」と疑う父親はいくらでもいる。
そしてそれがちょうどカガミに映されるかのように、子どもの心となる。

 つまり子どもにとって、親は、母親であったということは、一方で、「父親」という概念
は、ずっとあとになって、生まれたと考えるのが正しい。少なくとも社会秩序が確立し、
一夫一妻制度が確立したあとに、その輪郭を明確にした。それ以前はというと、父親は、
まさに「精液一しずく」。

 そこで家庭では、まず父親の存在と、母親の存在は、平等ではないという前提で、考え
る。父親の母親化、あるいは反対に母親の父親化ということは、ある程度はありえるが、
子どもの意識まで変えることはできない。いくら父親が母親らしくしても、父親の乳首を
吸う子どもはいない。

●母親は父親を立てる

 で、ここから先は、母親の出番ということになる。母親は絶対的な立場を利用して、父
親と子どもの関係を、より強固にするという義務がある。具体的には、家庭では、(1)子
どもが父親との関係を疑わないようにする。子どもが「血統空想」(フロイト)をもつこと
自体、すでに、父親と子どもの関係は、ゆらぎ始めているということ。

 つぎに(2)母親は、父親を自分より上位に置くことにより、父親の家庭における存在
を高める。こう書くと、男尊女卑論だと騒ぐ人がいるが、そうではない。「平等」というの
は、互いに相手を高い次元においてはじめて、平等という。「父親を立てる」ということ。
「大切な判断は、お父さんにしてもらおう」「この話は、お父さんにも聞いてもらおう」と。
そういう姿勢を通して、子どもは、父親像を学ぶ。身につける。

●父親ヨセフの苦悩

 こうして考えてみると、イエス・キリストの父親である「神」は、イエス・キリストを
もうけるためにマリアを選んだが、ヨセフは、選ぶという対象そのものにはなっていなか
ったのではということになる。はっきり言えば、マリアとイエス・キリストのめんどうを
みるなら、だれでもよかった? ……こう書くと、猛反発を受けそうだが、しかし事実を
冷静に積み重ねていくと、そうなる。あるいは、あなたがヨセフならどうだったかという
視点で考えてみるとよい。

 妻が、ある日突然、妊娠した。自分には性交したという記憶がない。そこで妻を問いつ
めると、「神の子だ」という。半信半疑だったが、しかしやがて子どもは生まれてしまった。
そういう状況に置かれたら、あなたはどう考えるだろうか。

ヨセフをたたえる教会では、「そうした苦悩を乗り越えたところに、父親ヨセフの偉大さが
ある」というような論陣を張るが、それはあくまでも結果論。結果的に、イエス・キリス
トが、偉大な人物になったから言えることであって、そうでなかったら、そうでなかった
であろう。

 いやそれ以上に、イエス・キリストはどうであったのか。ヨセフを父としながらも、お
そらく母親のマリアからは、「あんたの父は、ヨセフではない。天にいる『主』である」と
聞かされていた。イエス・キリストは、そういう話を、どこでどう納得したのか。矛盾を
感じなかったのか。あるいはそれこそ、フロイトがいう、「血統空想」そのものではなかっ
たのか? 

 「どうしてキリスト教では、父親のヨセフの影が薄いのか」、また「どうしてキリスト教
会では、マリア像を飾るが、ヨセフとマリアを並べて飾らないのか」という、何気ない疑
問をもったのがきかっけで、このエッセーを書いてみた。このつづきは、また今度、どこ
かの教会へ行ったときにでも、じっくりと考えてみる。
(03−1−15)

++++++++++++++

 「マリア」のチラシの裏面には、こうある。

 「本作は、神学、歴史、政治、社会、文化などのあらゆる専門家の協力を得て、マリア
とヨセフ、そしてキリスト誕生までの物語を、忠実に再現。突然、神からの啓示を受けた
若いふたりがどのように困難を乗り越え、お互いの親愛を築いていったのか? そしてク
リスマスの本当の意味とは……」とある。

 映画が楽しみだ。

 そうそう、ほかに、ニコラス・ケイジ主演の、「ナショナル・トレジャー」と、アンジェ
リーナ・ジョリー主演の、「マイティ・ハート」も封切りになる。ワイフは「みんな見に行
く」とがんばっているので、つきあうつもりでいる

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 フロイト 血統空想 マリア ヨセフ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親と子ども(息子と娘)

 自分という人間が、他人にどう評価されているか、それを知る能力が、「自己評価力」
ということになる。
その力がある人ほど、自分を客観的に見つめる能力をもっている。
(あるいは、その逆でもよいが……。)

 が、こと「父親」に関していうなら、子どもにどのように評価されているか、それを
客観的に評価できる父親は、いない。
そのヒマもない。
余裕もない。
家族や生活を支えるだけで、精一杯。
だから父親は、「自分」をそのまま、ストレートに子どもたちにぶつけてしまう。
私もそうだったし、今のあなたも、そうかもしれない。

 だからといって、今ここで、「子どもたちの視点で、もう一度、自分を見つめなおして
みよう」などと、提案するつもりはない。
はっきり言えば、そんなことは、どうでもよい。
先にも書いたように、父親というのは、そういう存在。
「嫌われて当然」という存在。
それがわからなければ、一度、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲で、父親と子ども(息子や娘)が、仲よく、「友」の関係にある人は
いるだろうか。
私にも、60数名近い、いとこたちがいるが、父親と子ども(息子や娘)が、うまく
いっている親子は、ほとんどいない。
「ゼロ」と断言してもよい。

★父親が心筋梗塞で倒れても、見舞いにいかない。
★同居して40年になるが、たがいに口をきかない。
★生まれてこの方、父親と会話らしい会話をしたことがない。
★離婚したあと、父親には一度も会っていない。
★仏壇を開いて、手を合わせたこともない、など。

 だからといって、そういう、いとこたちを責めているのではない。
私自身も似たようなもの。
私の息子たちも似たようなもの。
言い替えると、「子ども(息子や娘)に好かれよう」「尊敬されよう」と考えても無駄。
子どもたちはさらにその向こうで、「父親のようになりたくない」と考える。
いかにあなたが、平均以上のすばらしい父親であっても、だ。

 だからわかりやすく言えば、こういうこと。
「あなたの知ったことではない。
父親の役目を果たしたら、さっさと子どもたちから去ればよい」と。

●パラドックス

 どこの家庭も、表面的には、うまくいっているように見える。
しかしそれは「表面」だけ。
どこの家庭にも、それぞれ問題がある。
問題のない家庭は、ない。

 ただ残念なことに、今の若い夫婦(父親と母親)は、不幸な家庭、あるいは生活の
苦労というものを知らない。
つまりそうした不幸や苦労を受け入れる度量が、きわめて狭い。
小さい。
だから父親の(父親にかぎらないが)ささいな欠点をとらえては、おおげさに騒ぐ。
(してもらったこと)を忘れ、(ないものねだり)に始終する。
「私の父親は、ここが悪い」「あそこが悪い」と。

 が、これだけは忘れない方がよい。
私も若いころ、私の父親を、そういう形で批判した。
つまり今度は、やがてあなた自身も、そういう形で批判される。
いかにあなたが「私は完ぺきな父親」と思っていても、だ。
つまりそこに自己評価力の、落とし穴がある。

 たとえばひとつの例として、「寝る前の読み聞かせ」を取りあげてみる。

●読み聞かせ

 私は戦後生まれのあの時代の人間である。
父親に本を寝る前に読んでもらったという経験がない。
母親にもなかったと思う。
記憶には、ない。

 で、そういう私が父親になった。
子どもを3人、もうけた。
が、世代連鎖というのは、恐ろしい。
無意識のうちにも、親は、自分が受けた子育てを再現する。
よい再現なら、問題はない。
しかしそうでない再現もある。

 私は3人の息子たちに、寝る前に読み聞かせをしてやったことは、一度もない。
そういう習慣そのものがなかった。

 で、たとえば、(実際に、息子たちがそう不満を漏らしているわけではないが)、
息子の1人が「パパは、ぼくたちが子どものころ、寝る前に読み聞かせをしてくれ
たことがない」と言ったとする。
息子たちは外国の映画を見、外国にはそういう習慣があることを知ったらしい。
が、この日本には、なかった。

 そういうふうに言われたら、この私は何と答えればよいのか。
まさか「ごめん」とは、言えない。

 で、息子たちは結婚し、子ども(孫)をもうけたとする。
そして自分がしてほしかったことを、子ども(孫)にする。
寝る前に、ベッドで横になり、本の読み聞かせをしてやる。
いつか見た、あの「映画」のように、だ。

 で、ここで一件落着。
めでたし、めでたし……ということになる。
息子たちは、私ができなかったことをし、親子(息子と孫)の絆を深める。
よい親子関係を築く……と書きたいが、ここで待ったア!

 本当に、それでよい親子関係を築くことができるだろうか?
答は、「NO!」。
たぶん息子たちの子ども(孫)は、いつかこう言うにちがいない。

「パパは、毎晩、頼んでもいないのに本を読み聞かせ、ぼくたちを眠らせてくれ
なかった」と。
わかるかな?
このパラドックス?

 私は私で、私の思いがあって、子育てをした。
その第一、息子たちには、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
貧乏の恐ろしさは、いやというほど、身にしみている。
大学の学費についても、これまた惜しみなく注いだ。
自分がしたような苦労だけは、させたくなかった。
私は毎月、実家から、下宿代しか送ってもらえなかった。
が、そういう思いというのは、息子たちには、伝わらない。
伝わらないばかりか、(実際に、そう言っているわけではないが)、息子たちは、
たぶん、こう思っているにちがいない。

 「パパは、毎日仕事ばかりしていて、家族を顧みなかった。そのため家族はバラバラ
だった」と。

●決別

 子離れとは、結局は、依存性との決別を意味する。
相互依存と言い替えてもよい。
この依存性があるかぎり、「父親というのは、さみしい存在」ということになる。
が、ひとたび依存性を断ち切ってしまえば、あとは楽。
目の前の道が、パッと開ける。

 つまり宝くじと同じ。
当たればもうけもの。
父親と子どもの関係も、またしかり。
たまによいことがあれば、もうけもの。
そう考えて、当たることを期待してはいけない。
また当たろうと努力しても、無駄。
こと、父親と子どもの関係について言えば、当たらなくて、当たり前。
期待しない。
幻想を抱かない。
そういう前提で、自分の将来を考える。

 それが父親と、子ども(息子や娘)との、あるべき姿ということになる。
これであなたも、少しは気が楽になっただろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 父子論 父親と子ども論 父親と子供論 親子論 親子とは何か
 総理府調査 青少年白書 将来親のめんどうを見る 父親のようになりたくない 総理
府 青少年白書 はやし浩司 父親の役割 断絶 親子の断絶)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 7日
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Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

3月号相談事例

相談(1)小学6年生の母親から
 長女は几帳面な性格で、宿題もきちんとするし、忘れ物もしないしっかりした子なので
すが、もう少し自分の意見をみなの前で言えるような積極性を身につけてほしいと思いま
す。
 報道で社会の状況がますます厳しくなることを知るにつけ、この子の将来を考えると、
このままでいいのか考えてしまいます。何かできることはないでしょうか?


A:私の母は、いつもこう言っていました。『上見てキリなし、下見てキリなし』と。子ど
もはすでに思春期に入っています。この時期は、子どもの良い点だけを見、それを伸ばす
ことだけに心がけます。欠点を指摘すれば、役割混乱が起き、自我の確立に失敗します。
結果として自己評価力の低い子どもになり、「まだ以前の方が良かった…」を繰り返しなが
ら、「下へ、下へ」と向かってしまいます。親子の間に、大きなキレツを入れることにもな
りかねません。
 文面から判断するかぎり、すばらしい子どもです。『まじめにまさる美徳なし』。むしろ
心配なのは、不安先行型(=取り越し苦労型)のあなたの育児姿勢です。恐らくその姿勢
は、長女を妊娠したときからつづいていると考えられます。その結果が、「今の状態」とい
うことになります。ではどうするか。
 最初は言いにくくても、「うちの子はすばらしい」を、みなの前で繰り返し言ってみてく
ださい。その言葉はやがて第三者を経て、子どもの耳に入ります。直接、子どもの耳に入
るよりも、はるかに効果的です。これを「ウィンザー効果」といいます。またこうするこ
とによって、それが「パブリック・アナウンスメント(公的宣言)」になり、あなた自身の
心を作り替えることもできます。
 で、6年後、10年後の心配はしないこと。まず「今」できることを、懸命にします。「結
果」はかならず、あとからついてきます。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子どもの将来 不安 積極性 子供の積極性)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


相談(2)中学3年生の父から
 入試を控え、合格に向けてがんばっている息子。しかし志望している高校は、少し背伸
びをして届くかどうかという学校を選びました。
 受験する高校を選んだのは本人だし、親としても本人とよく相談したことなので、合格
を信じて応援しています。でももしものとき、親はどういう態度を取ったらいいのかを考
えると、憂うつです。どうしたらいいでしょうか?


A:憂うつになって当然です。憂うつにならない親はいません。そこで大切なことは、視
野を広くもつ、です。そこに健康な子どもがいる。元気で生きている。そこを原点に考え
れば、子どもの受験など、腸から出るガスのようなものです。賢明な人は、その価値を失
う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づきます。健康しかり、青春時代しかり、
そして子どもの良さも、またしかり。

 で、相談の件。子どもの受験はすべて、「不合格のときを考えて準備する」です。そのと
き親はどのように対処し、子どもの心を守るか。いかに心の傷(トラウマ)を最小限に抑
えるか。それを今から準備します。ポイントは子どもとともに、どうそれを乗り越えてい
くか、その道筋を、あなた自身が用意しておく、です。方法は簡単です。親ではなく、子
どもの「親友」として、子どもの横に立ちます。それができれば、つぎの行動は自ずと決
まってきます。

 なお、あなた自身もそうであったように、子どももまた、挫折し、失敗し、そのつど傷
まるけになりながら、よりたくましくなっていきます。親としてはつらいところですが、
その苦しみに耐えるのも、親の仕事のひとつです。恐れないこと。逃げないこと。
 あとは子どもに任せます。合格すれば祝い、そうでなければ、おいしいものでも食べて
忘れます。それがドラマ。そのドラマの中にこそ、生きる意味や価値が隠されています。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 子供の受験対策 子どもの受験への心がけ 準備 親の対処の仕方
 親の心構え 受験競争 はやし浩司 不合格 合格)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ぼくが結婚を決めたワケ』(1−16)

+++++++++++++++++++

午前中、街へ行く用事があったので、そのついでに
劇場で映画を観てきた。
『ぼくが結婚を決めたワケ』というのが、それ。
軽いタッチのホームドラマ風の映画。
気楽に観る映画ということで、星は2つの★★。
気軽に楽しめた。

で、映画を観たあと、ワイフとこんな話し合いをした。
もし友人の妻が浮気をしていると知ったら、
どうするか、と。

ワイフは、「よく考えて、ケースバイケースね」と。

映画も、親友の妻の浮気がテーマになっている。
親友の妻が、若い男生と、浮気を重ねている。
それを知ったその男は、親友に告げるべきかで、苦しむ。
悩む。
『ぼくが結婚を決めたワケ』というのは、そういう映画。
で、あなたならどうするだろうか。
親友の妻が、若い男生と浮気をしているのを知ったら、
あなたはどう考えるだろうか。
どう行動するだろうか。

が、ここでひとつ誤解してはいけないことがある。
映画の中では、「浮気」がテーマになっている。
親友の妻の浮気をからませながら、ストーリーが
展開していく。
が、本題は、「誠実さ」。
浮気の前提として、夫はどこまで妻に誠実で
あるべきか。
友は親友に、どこまで誠実であるべきか。
(当然、誠実であるべきだが……。)

浮気の問題は、あくまでも、その結果として、
自然に処理されるべきもの。
その「誠実さ」に、英語国では、たいへんシビア。
「ウソ」をたいへん、嫌う。
「ウソも方便」と考える日本人とは、ここが
大きくちがう。
「本音と建て前」にしても、そうだ。

そのあたりのちがいをよく知った上でこの映画を観ないと、
日本人の私たちには、この映画は理解できないだろう。
「どうしてここまで?」となってしまうだろう。

さらに言えば、「誠実さ」を問題にしない日本人に
してみれば、「浮気」は、それほど重大事ではない。
ただの「浮ついた遊び」。
今でもバーやクラブで遊ぶ程度なら、浮気ではない。
そう考える男たちは多い。
戦前まで、男たちは愛人の数によって、「力」を競った。
そういう名残は、今でも日本のどこかに残っている。

一方、夫の浮気を知りつつ、体面を重んじる女性は多い。
「家庭」とか、「家族」とか、形にこだわる。
つまり「夫の浮気、即、離婚」と考える女性は、少ない。

総じて言えば、日本人の辞書には、「誠実」という言葉がない。
だから平気でウソをつく。
表面(おもてづら)を裏面(うらづら)を使い分ける。
しかしこうした二面性というのは、日本以外では理解されない。
「奇異なる民族」という言葉も、そこから生まれた。

「どうして白人は、浮気ごときでこうまで大げさに
騒ぐのか」と。
この映画を観て、もしあなたがそう感じたら、
あなたもその「奇異なる民族」の1人ということになる。

++++++++++++++++++++

●浮気

 私は浮気をしている「男」を信用しない。
妻でさえ、平気で裏切っている男である。
友人を裏切ることなど、何とも思っていない。
だから信用しない。
浮気をしていると知ったときから、一線を引く。

 が、中には、バカ(養老孟司の言葉)がいる。
平気でこう言う。
「なっ、林、若い女はいいぞ。いっしょに遊びに行くか?」と。
半ば得意げに、そう言う。
だからバカ。

 しかしそうした常識をひっくり返したのが、小説『マディソン郡の橋』。
それについて書いた原稿がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●母親がアイドリングするとき(中日新聞発表済み) 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。

結婚したのは二四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ
電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、
今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れ
ていた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性
の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦
後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメ
リカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わっ
てしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行
く」と。「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるという
ことだった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵
だった。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよう
なものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段落す
るときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と思うの
ではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間とし
て。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●真剣かどうか?

 見た目には「浮気」でも、真剣かどうかで、中身は変わる。
「真剣」というのは、内なる「生」に基づいているかどうかということ。
「生」が発する叫び声に基づいているかどうかということ。
それがあれば、浮気は浮気ではない。
そのよい例が、R・ウォラーの『マディソン郡の橋』ということになる。
映画『マディソン郡の橋』を観てみるのもよい。

もしそれさえ「悪」と否定されてしまったら、人間は人間でなくなってしまう。
だから私はときどき、こう言う。
「どうしても浮気をしたかったら、命がけでしたらいい」と。
そう、命がけ。

 それができないようであれば、やめたほうがよい。
夫や妻への誠実さを優先させ、ぐいとがまんする。

●最初の命題

 さて、最初の命題。
親友の妻が浮気をしていると知ったら、あなたはどうするか。

 実のところ、私は今までそういう経験を数度、している。
親友ではないが、近い知人である。
で、私のばあいは、今までそうした事例を、黙認というか、無視してきた。

 バカな伯父がいて、私に彼の愛人を自慢げに紹介してくれたこともある。
あるいはある会社の社長に呼ばれて、小さな割烹へ行くと、そこにその社長の愛人が
同席していたこともある。

 が、そのつど私は、こう考えた。
「へたに騒いで、ことを荒立てたくない」と。

 が、親友だったら、どうか。
もっとも親友といっても、数名程度しかいないが、そういう親友の妻が浮気をしていると
知ったら……。

 やはり映画の中にもあったように、まず最初に、親友自身にではなく、浮気をしている
妻に警告するだろう。
「あなたの夫のために、浮気をやめなさい」と。
親友に告げるかどうかは、そのあとの状況による。
それで妻が浮気をやめたのなら、そのままにしておく。
が、それでもやめなかったら……。

 そのあとの展開は、映画のストーリーと同じになるだろう。
言い替えると、映画『ぼくが結婚を決めたワケ』は、そういう意味では、たいへん常識的
な映画ということになる。
(あくまでも私の常識に照らし合わせて……という意味だが。)

●本能の奴隷

 ともあれ、その映画を観ながら、こう考えた。
「みな、本能の奴隷だな」と。

 私のように本能、つまり性欲から解放されつつある人間からみると、どの人も、本能の
奴隷のように見える。
本人たちは意識していないかもしれないが、まさに奴隷。
奴隷となって、ドタバタ劇を演じているだけ。
「私」と思い込んでいるだけで、その実、「私」はどこにもない。

 若い人たちにこんなことを言っても、理解されないだろう。
「私は私」と思い込んでいる。
思い込んだ上で、行動している。
恋愛にしても、それにつづく結婚、育児にしても、そうだ。
が、それが無駄とか、虚しいとか言っているのではない。
私が言いたいのは、その逆。

 つまり本能の奴隷であるがゆえに、そこから無数のドラマが生まれる。
私たちがなぜ、今、ここで生きているかと言えば、そのドラマに価値を見出すからである。
もしあの映画『タイタニック』に、ジャックとローズが出てこなかったら、あの映画は
ただの船の沈没映画で終わってしまっていたはず。
あの映画を観て涙を流す人はいなかっただろう。
言い替えると、それが本能に基づくものであれ、何であれ、「真剣さ」こそが大切。
その真剣さが、ドラマを、光り輝かす。
人間が織りなす無数のドラマを、光り輝かす。
『マディソン郡の橋』を観れば、それがわかる。

 その真剣さについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れて
しまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生
き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、
ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分
の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き
方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと
思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、
一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位
置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しか
し今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であ
って、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だっ
たら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子
どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そうい
う子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切で
はないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たと
えば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。
それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真
っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では
「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいい
のよ」と。

ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的
な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわか
らないのではないか……と、私は心配する。

+++++++++++++++++++++

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるか
らではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」
だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違
う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪その人はど
こにいる。私たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人はどこにいる」と。

それから30年。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけ
ではないが、トルストイの「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一方、人
生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福に
なるピエール。そのピエールはこう言う。

「(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第五
編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというも
のは、生きてみなければわからない。映画「フォレスト・ガンプ」の中でも、フォレスト
の母は、こう言っている。「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(そ
の味は)わからないのよ」と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬
時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うな
ら、懸命に生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。

言いかえると、そうでない人に、生きる意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も希
望もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を無難に過ごしている人には、生きる
意味などわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子
どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生
きる、その生き様でしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をして
いたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういう
ものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、
結局は、何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 今を生きる 高校野球 はやし浩司 マジソン郡の橋 マディソン郡
の橋 ドラマの価値)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ソーシャル・ネットワーク』  ●教師が親を訴えた?!

 昨夜、映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てきた。
ストーリー性に乏しい、ただの映画。
娯楽性も、ほとんどゼロ。
ネット・ユーザーには興味深い映画かもしれない。
が、その範囲。
つまりその範囲に収まる映画。
一般性のある映画ではない。
星は、1つか2つの、★。

 劇場を出たのが、午後11時過ぎ。
そのままワイフと近くのビジネスホテルへ。
そこで一泊。
今朝、早く、帰宅。

+++++++++++++++++++

●「人体の不思議展」

 私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。
この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。

 おもしろい?
人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろい?
学生時代、医学部へ遊びに行くと、よくホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。

しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。

 また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。
(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)

 むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。
大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。

 「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。

「人体の不思議展」は、どうか?



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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年中児に時計の読み方を教える】(実験教室byはやし浩司@BW子どもクラブ)
はやし浩司 2011−01−15

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【1】

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【2】

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【3】

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【4】

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BW はやし浩司 幼児と時計 時計の読み方 時計の学習 幼児に時計を教える 時計
学習 幼児教室 BW子どもクラブ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自尊感情

+++++++++++++++++++++++++++++++++

『日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大
体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、
日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よ
いところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3
年生の39.6%が否定的な回答をしていた』(以上、毎日新聞の記事より・08・11・
26)。

数字をもう一度、整理してみる。

「私は自分に大体満足している」と答えたのは、

アメリカ……53.5%
中国  ……24.3%
日本  …… 9.4%

「自分には、よいところがあると思いますか」という質問に対して、否定的な回答を
したのは、

都内の小学6年生……29.4%、
中学3年生   ……39.6%

++++++++++++++++++++++++++++++++

東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊感情を高める指導方
法について研究を始める方針を固めたという(毎日新聞※)。

しかしどうして今ごろ?、というのが、私の率直な感想。
つまりどうして今ごろ、「研究を始めるのか?」と。
こんなことは発達心理学を少しでも勉強してことがある人なら、みな、知っている。
つまり常識。
「自己の同一性」(アイデンティティ)という言葉を知らない人は、ない。
自尊感情にしても、やる気にしても、すべてこの自己の同一性で、決まる。

その自己の同一性について、

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どん
な人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念というこ
とになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。
悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自
分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズ
レる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な
夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、
すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにい
れば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿
しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、
笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、
私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目
を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも
正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、
その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いて
みる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡
単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから
見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐ
ためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思い
こんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!
(はやし浩司 自己概念 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教
育 子育て はやし浩司 自己概念 現実自己 アイデンティティ)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自分を知る

 自分の中には、(自分で知っている部分)と、(自分では気がつかない部分)がある。

 同じように、自分の中には、(他人が知っている部分)と、(他人が知らない部分)があ
る。

 この中で、(自分でも気がつかない部分)と、(他人が知らない部分)が、「自分の盲点」
ということになる(「ジョー・ハリー・ウインドウ」理論)。

 (他人が知っていて、自分では知らない部分)については、その他人と親しくなること
によって、知ることができる。そのため、つまり自分をより深く知るためには、いろいろ
な人と、広く交際するのがよい。その人が、いろいろ教えてくれる(※)。

 問題は、ここでいう(盲点)である。

 しかし広く心理学の世界では、自分をよりよく知れば知るほど、この(盲点)は、小さ
くなると考えられている。言いかえると、人格の完成度の高い人ほど、この(盲点)が小
さいということになる。(必ずしも、そうとは言えない面があるかもしれないが……。)

 このことは、そのまま、子どもの能力についても言える。

 幼児をもつほとんどの親は、「子どもは、その環境の中で、ふさわしい教育を受ければ、
みんな、勉強ができるようになる」と考えている。

 しかし、はっきり言おう。子どもの能力は、決して、平等ではない。中に平等論を説く
人もいるが、それは、「いろいろな分野で、さまざまな能力について、平等」という意味で
ある。

 が、こと学習的な能力ということになると、決して、平等ではない。

 その(差)は、学年を追うごとに、顕著になってくる。ほとんど何も教えなくても、こ
ちらが教えたいことを、スイスイと理解していく子どももいれば、何度教えても、ザルで
水をすくうような感じの子どももいる。

 そういう子どもの能力について、(子ども自身が知らない部分)と、(親自身が気がつい
ていない部分)が、ここでいう(盲点)ということになる。

 子どもの学習能力が、ふつうの子どもよりも劣っているいるということを、親自身が気
がついていれば、まだ教え方もある。指導のし方もある。しかし、親自身がそれに気がつ
いていないときは、指導のし方そのものが、ない。

 親は、「やればできるはず」「うちの子は、まだ伸びるはず」と、子どもをせきたてる。
そして私に向っては、「もっとしぼってほしい」「もっとやらせてほしい」と迫る。そして
子どもが逆立ちしてもできないような難解なワークブックを子どもに与え、「しなさい!」
と言う。私に向っては、「できるようにしてほしい」と言う。

 こうした無理が、ますます子どもを勉強から、遠ざける。もちろん成績は、ますますさ
がる。

 言いかえると、賢い親ほど、その(盲点)が小さく、そうでない親ほど、その(盲点)
が大きいということになる。そして(盲点)が大きければ大きいほど、家庭教育が、ちぐ
はぐになりやすいということになる。子育てで失敗しやすいということになる。

 自分のことを正しく知るのも難しいが、自分の子どものことを正しく知るのは、さらに
むずかしい。……というようなことを考えながら、あなたの子どもを、一度、見つめなお
してみてはどうだろうか。

(注※)

 (自分では気がつかない部分)で、(他人が知っている部分)については、その人と親し
くなることで、それを知ることができる。

 そこで登場するのが、「自己開示」。わかりやすく言えば、「心を開く」ということ。もっ
と言えば、「自分をさらけ出す」ということ。しかし実際には、これはむずかしい。それが
できる人は、ごく自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。

 が、とりあえず(失礼!)は、あなたの夫(妻)、もしくは、子どもに対して、それをし
てみる。コツは、何を言われても、それを聞くだけの寛容の精神をもつこと。批判される
たびに、カリカリしていたのでは、相手も、それについて、話せなくなる。

 一般論として、自己愛者ほど、自己中心性が強く、他人の批判を受けいれない。批判さ
れただけで、狂乱状態になる人さえいる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【私らしく生きるために……】

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろ
うか。実際には、少ないのでは……。

+++++++++++++++++

 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自
己概念」という。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く
理想像とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を
確信することができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができ
る。そうでなければ、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではすま
ない。心の状態も、きわめて不安定になる。

++++++++++++++++++

 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両
親は、その地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになって
いた。ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。と
たん、つまり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて
不安定になった。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がう
まくかみあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、
そこで不適応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、
ささいなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、
進学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望し
ていたのだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければなら
ななかった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育
てられた。夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえし
た。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存
在だった。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、
進学指導の三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だっ
た。「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、
がんばっているつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数
日後、Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非
行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになってい
た。こうなると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業
中でも、先生に叱られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現
実の自分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、
どうでもよい。ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すば
らしいとは思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分
を否定するCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入って
いてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それは
たとえて言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなもの
ではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、
父親ですら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言い
かえると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければなら
ない自分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの
心をバラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがまま
に育てていくということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保
っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理を
しなくていい」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。

+++++++++++++++++++++

 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでな
ければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあ
わせなければならない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生き
がいを見つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢
や希望にそって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういう
ことをいう。
(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

この日本には、子どもたちに用意された道が、一本しかないということ。
すべての問題の根源はここにある。

一人の人間が、子どもからおとなになる過程において、子ども自身が選べる
道が、もっとたくさんあってもよいのではないか。

たとえばドイツやイタリアでは、中学生たちはたいてい午前中だけで授業を
終え、それぞれがみな、クラブに通っている。
その費用は、(チャイルド・マネー)として、国から支給されている(ドイツ)。

東京都教育委員会は、「脳科学の専門家と連携して」、その方法を探るという。
すごいことだと思うが、これは脳科学の問題ではない。
制度の問題である。

今の制度では、(ものを考えない、従順な子ども)のみが、受験競争を勝ち抜く
ことができる。
その異常さに、まずみなが先に気がついたらよい。

(注※)(以下、毎日新聞の記事より)東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持て
ない子どもの自尊感情を高める指導方法について研究を始める方針を固めた。日本の子ど
もは最近の学力テストや国際調査で自己肯定感が低いことが分かっている。いじめや不登
校など教育問題の根底にも子どもの自尊心が少ない点があるともみられ、向上策の開発に
着手する。

 都教委の計画では、都教職員研修センター(文京区)と大学が共同研究を進める。脳科
学などの専門家と連携し、子どもにどのような働きかけをすれば自尊感情が高まるかを探
る。さらに小学校1校を研究協力校に指定し、児童の意識調査を行い、指導方法を実証す
る。事業費として400万円を要求している。

 日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大
体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、
日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よ
いところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3
年生の39.6%が否定的な回答をしていた。

 都教委の担当者は「子どもに自信が育つ核心の部分をできるだけ解明し、いろいろな手
立てで働きかけられるようにしていきたい」と話している(以上、毎日新聞の記事より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
自尊感情 やる気 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子どもに自信をつけさせる)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月13日(木曜日)

+++++++++++++++++++++

数日前、人間ドックを受けてきた。
半日の、もっとも簡単なコース。
そのドックを受けながら、いろいろ考えた。

ひとつ。
検査の非効率なのには、驚いた。
それぞれの検査は、数分程度で終わるものばかり。
が、その間の待ち時間が長かった。
1か所で、平均1時間ほど待たされる。
長いところで、3時間。
看護士に、「……まだですかア〜?」と声をかけると、
「あら、まだ、ここに(いたのか)?」と。

で、調べてもらったら、「先ほど、救急車が入って……」とのこと。
つまり後回し。

結果は、オール、シロ!

残りの検査は2月の定期検診に回された。

++++++++++++++++++++

●健康

 ときどきだれかに、「元気?」と聞かれると、困ってしまう。
元気と言えるほど、元気ではない。
毎日、体調を維持するだけ、精一杯。
おとといと昨日は、浜名湖の周辺を、40分ほど自転車で走った。
あとは機会を見つけては、運動に利用している。
それでも疲れを感ずることが多い。

 そういうときは、こう聞いてほしい。
「何か、病気をしていますか?」と。
そう聞かれれば、答えやすい。
しかしそんなふうに聞く人はいない。

●寒い

 この1週間、寒かった。
「寒い」というより、「冷たい」。
冬の冷気が容赦なく、肌を刺した。

 で、問題は、寝るとき。
私の寝室は、隙間だらけの和室。
いまどきエアコンなしの部屋は珍しい。
しかし和室には、エアコンはない。
布団乾燥機で布団を暖めながら、寝る。
が、これがなかなか、よい。
まるで露天風呂か何かに入っているよう。
(布団乾燥機をもっている人は、一度試してみたらよい。
ここに書いたことに納得するはず。)

 そこでこんな電気製品を作ってほしい。

(1)基本的な構造は、布団乾燥機と同じ。(あるいは全体に、もっと細くてもよい。)
(2)温度調整ができる。(布団乾燥機では、それができない。)
(3)スイッチが切れたあと、通気性が悪くなるので、通気性のよい材質で作る。
(4)長時間タイマー付きのもの。(低い温度と弱風で、5〜7時間使える。)
(5)厚い布団でも、チューブがつぶれないもの。(細いパイプ状でもよい。)

 称して、「布団暖房機」。
コメントなどを読むと、結構、暖房の目的で使っている人が多いのには、驚いた。
「私だけかな?」と思っていた。
こんな暖房機があったら、売れるのにと、私は思う。

●幼児に小数を教えてみる

 今日は幼児教室(年長児)で、小数を教えてみた。
実験的にしてみた。
結果は、みごと、成功!
最後には、「0・3+3」の計算ができた子ども(年長児)がいた。
驚いた。
感動した。
答はもちろん、「3・3」。

 少し前は、分数を教えてみた。
最後には簡単な分数の計算もできるようになった。
で、考えてみると、学校のあのカリキュラムほど、いいかげんなものはないということ。
大切なのは、「教え方」。
それさえ工夫すれば、幼児でも、分数や小数ができるようになる。
つまり概念を理解し、それを応用することができるようになる。

 YOUTUBEの「BW公開教室」で紹介しているので、ぜひ見てほしい。
HPへは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

●1月13日

 1月13日も、もうすぐ終わる。
時刻は、午後9時55分。
今日は昼寝ができなかったので、早めに床に就く。
何とも、さえない一日だった。
これという成果もなかった。
新しい発見もなかった。
よい原稿も書けなかった。

 今は、動画の編集を静かに待っている。
(編集したあとのファイル交換、結構時間が、かかる。)
YOUTUBEにUPするのは、明日の朝。
高画質版でUPすると、15分程度のビデオでも、30分ほどかかる。
7本分UPすると、それだけで3時間以上。
だから今夜は、できない。

 眠くはないが、ほどよい疲れ。
ビデオのファイル交換(レンダリング)が終わったら、今日の作業は、おしまい。
それがもうすぐ終わる。

 では、みなさん、おやすみなさい。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●1月14日(金曜日)

【幼児に小数は理解できるかvs教えられるか】(BW実験教室byはやし浩司)
○結果はみごとに、成功!!


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(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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++++++++++++++++++++

1か月前に、「夫婦論」を書いた。
それを今日、マガジンで発表した。
ちょうど1か月前の原稿ということになる。
それを読んで、いろいろ考える。

++++++++++++++++++++

●離婚

 ある本に書いてあったが、本当に離婚する夫婦というのは、静かなものだそうだ。
会話もなく、話し合いもない。
「話し合っても無駄」と。
離婚相談所はおろか、友人や、親類にも相談しないそうだ。
夫婦でも、たがいに心が冷え切ると、そうなる。
(親子でも、そうだが……。)

 一方、家事調停などに臨む夫婦などは、調停委員の一言で、またもとのサヤに収まる
ことが多いとか。
つまり相手のここが悪い、あそこが悪いと言い合っている夫婦というのは、それほど
危機的な状況ではない、と。
別れたくないから、言い争う。

 しかし考えてみれば、不思議なもの。
親子とは何か。
夫婦とは何か。
そして家族とは何か。
考えば考えるほど、わからなくなる。
私たちは本能に操られた、ただの奴隷なのか。
となると、「私」とは、いったい、何なのか。
何だったのか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。

●JAL(日本航空)の再建問題

 昨日の報道によれば、ANAは、売上高、乗客数ともに、JALを上回った。
ANAは、全体に20%以上伸び、半面、JALは、30%近く、落ち込んだ
(2010年)。
ふつうの会社でも、業績が10%落ち込むと、社内に異様な雰囲気が漂うようになる。
社員同士が、ピリピリし始める。
それが30%!
30%という数字は、危機的な数字と考えてよい。
会社という組織そのものが、空洞化する。
わかりやすく言えば、ガタガタ。

 そのJALに日本政府は、1兆円という税金を注いで、救済した。
借金をチャラにした。
その上さらに1兆円近い、債務保証。
もし再建問題が頓挫すれば、日本政府は、2兆円という税金を、ドブに捨てることになる。
もうメチャメチャな金額と言ってもよい。
浜松市(人口80万人)に当てはめると、約160億円の損失ということになる。
(1人、2万円で計算。)

 ……で、こうして今回のJALの一次破綻劇を振り返ってみると、結局は、
JALではなく、銀行の救済劇だったことがわかる。
JALに多額の債権をかかえていた銀行を、税金を使って救済した。
本来ならJALを倒産させ、その分の損失を銀行にかぶせればよかった。
が、政府はJALの救済と称して、銀行を救済した。
この手法は、あの日債銀の倒産時のそれとよく似ている。
あのときも、「預金者保護」という名前を使って、銀行を救済した。
本当に預金者を保護するためだけだったら、預金者だけを保護すればよかった。

 で、ここからは私の憶測。
(あくまでも憶測。)

 政府は銀行を救済する過程で、銀行とこんな話し合いをしたのかもしれない。

国「税金を使って、あなたがたを助けてあげたのだから、再建時には、また1兆円貸して
やってほしい」
銀「もうコリゴリです」
国「そこを何とか。政府保証をつけるから……」
銀「いくら?」
国「融資額の80%ではどう?」
銀「……?」
国「2年間の猶予があるから、その間に残りの20%分は、利益として吸い上げればいい」
と。

 それを知ってか知らずか、まじめに働かされる社員こそ、あわれ。
言うなれば巨大資本のために、ただ働きさせられているようなもの。
このままではJALの二次破綻は避けられそうにもない。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【孤独論】(孤独で眠られぬあなたへ)改

++++++++++++++++++++

孤独感は、強烈なストレッサーとなり、
脳内で、脳内ストレスを引き起こす。
短期的には、アドレナリンの分泌を誘発し、
動悸、発汗などの症状を引き起こす。
慢性化すると、サイトカインを分泌し、
低体温、思考力の低下、憂うつ感、
気力や性欲の減退を引き起こす。
心がバラバラになるだけではない。
免疫機能にも影響し、体内の免疫力が低下する。
もろもろの病気を誘発し、心疾患、脳疾患、
さらにはがんをも誘発する。
孤独、それにまつわる孤独感を、安易に
考えてはいけない。
孤独はまさに、「心のがん細胞」。

++++++++++++++++++++

●孤独=絶望

 仏教でも、孤独を「無間地獄」と位置づけている。
まさに地獄。
人は孤独の世界に陥ると、目に見えない業火で体中を焼かれる。
孤独ほど、恐ろしいものはない。

だれにも相手にされない。
だれにも愛されない。
だれにも理解されない。
あなたの存在を気にかける人さえいない。
あのイエス・キリストでさえ、始終、弟子たちに、「あなたは私を愛しているか?」と
問いつづけたという。

 その孤独。
闘えば闘うほど、あるいはもがけばもがくほど、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
また闘って、闘えるような相手ではない。
もがいたところで、どうにもならない。
最悪のばあいは、(多くの人はそうしているが)、自ら命を絶つということにもなり
かねない。
孤独は、まさに心のがん細胞。
自ら増殖し、自分の宿り主の命さえ、奪う。

 では、どうするか?

●受け入れる

 孤独もひとつの「運命」にすぎない。
私たちの体や心は、無数の目に見えない糸で、がんがらめになっている。
過去の糸、現在の糸、生い立ちの糸、社会の糸、家族の糸、仕事の糸、肉体の糸、
健康の糸、人間関係の糸、などなど。
自分で「あっちに行きたい」と思っていても、「糸」がそれを許さない。
ときに自分の望む方向とはちがった方向に、自分を引っ張っていってしまう。
こうして人には、「運命」が生まれる。
人は、常に、その運命に翻弄される。

 その運命。
逆らえば逆らうほど、運命は、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
「いやだ」「避けたい」と思えば思うほど、それが重荷になってくる。
が、その運命も、受け入れてしまえば、何でもない。
受け入れてしまえば、運命は、向こうのほうから去っていく。
尻尾を巻いて去っていく。
で、そのあとやってくるのは、すがすがしいほどに、さわやかな世界。
孤独も、また同じ。

●「生きたい」vs「死にたい」

 孤独との闘いは、壮絶なものとなりやすい。
それもそのはず。
「生きたい」という人間の根源的な欲望と、「死にたい」という人間の根源的な
自己否定が、孤独をはさんで、まっこうから対立する。
これほどまでにはげしい葛藤(コンフリクト)は、ほかにない。

 そもそも「生きたい」という欲望は、「死にたい」という自己否定を裏返して生まれる。
言い替えると、「生きたい」と強く思う人は、その一方で、「死にたくない」という思いと
闘う。
つまり日頃から、「生きたい」と願っている人は、それだけ「死にたい」という自己否定感
が強い人ということになる。
何も考えない人、つまりノー天気な人は、「生きたい」という思いもなければ、自己否定感
もない。
ただその日、その日を、のんべんだらりと生きているだけ。
そういう人には、もちろん、孤独感はない。

●孤独を受け入れる

 孤独になったら、それと闘ってはいけない。
もがいてはいけない。
静かに身を横たえて、孤独に身を任す。
孤独を受け入れる。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
とたん、(多少の時間はかかるが、しかし一晩眠れば)、孤独は向こうから去っていく。
もちろん、苦しい。
が、そのうち尻尾を巻いて、去っていく。

 孤独でない人はいない。
もしあなたが「生きよう」と懸命に考えている人なら、孤独から逃れることはできない。
いつも孤独はそこにあって、あなたがそこに落ちてくるのを、待っている。
手招きをして待っている。
言うなれば、孤独は、あなたの「影」のようなもの。
どんなことをしても、その影を切ることはできない。
もちろん先にも書いたように、ノー天気な人は、別。
が、孤独は、悪いことばかりではない。

●第二の産道

 人は母親の産道をくぐり抜けて、この世に誕生する。
同じように、人は、孤独という産道をくぐり抜けることによって、真理の世界に誕生する。
孤独は、まさに第二の産道。
孤独の苦難をくぐりぬけた人だけが、真理の世界に到達することができる。
そこは、まさに安穏の世界。
愛と慈悲にあふれた、やすらぎの世界。

 言うなれば、孤独は、その産道の前にたちはだかる衛視のようなもの。
簡単には、その道を通してくれない。
それが「苦しみ」ということになる。
だから苦しむことを恐れてはならない。
苦しむことを、「結論」と考えてはいけない。
それが「終わり」と考えてはいけない。
絶望の、そのまた絶望の淵に叩き落とされたとき、はじめて真理は姿を現す。

 方法は、簡単。
静かに身を横たえる。
闘ってはいけない。
もがいてもいけない。
静かに身を任す。
そしてこう居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。

●孤独でない人はいない

 孤独でない人はいない。
「生きよう」と懸命に努力人に、孤独でない人はいない。
だから雑音は無視する。

 派手な人づきあい。
派手な交友関係。
派手な活躍。
地位や肩書き、見栄えや世間体。
そういう世界に溺れている人は、あわれんでやればよい。
そういう人たちは「私は孤独ではない」と、虚勢を張っているだけ。
自分をごまかして生きているだけ。

 だから孤独であることを喜ぼう。
それはまじめに生きているという「証(あかし)」。
けっして恥ずべきものでも、隠さなければならないものでもない。
「私はさみしい」「私は孤独」と、声を出して言えばよい。
それが人間のあるべき本来の姿。

 マザーテレサも、「イエス・キリストは孤独だった」と看破している。
マザーテレサ自身も、孤独だった。
そしてイエス・キリストも、マザーテレサも、それぞれが、その孤独を乗り越え、
その向こうに真理を発見した。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 孤独論 孤独とは 孤独と闘う 孤独な人へ 絶望 絶望感 運命論)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 2日
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3月2日  第1487号になりました!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを知る心理学byはやし浩司】

●窮地の演出

 子どもの自尊心を高める方法が、これ。つまり「私はお母さんのピンチを救った」と思
わせながら、子どもを得意にさせる。「家族のピンチ」でもよい。これを『窮地の演出』(は
やし浩司)という。「あなたのおかげで、お父さんは無事だったのよ。命の恩人ね」と。と
いっても、そういう場面は、そうは多くない。が、そのときどきにおいて、それを演出す
る。「今日、あなたのおかげで、助かったわ。あなたがいなかったら、どうなっていたこと
か」と。要するに負けを認めるところでは認める。意地を張って、親の優位性を子どもに
押しつけてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司※

●クロス・コンプレインニング

 コンプレイン(Complain)は、アメリカの精神医学会の診断基準によれば、精神障害の
主症状のひとつになっている。愚痴をよく言う人は、何らかの精神障害を疑ってみる。そ
の愚痴を言い合うのが、クロス・コンプレインニング。「お前はあのとき、みなの前でぼく
に恥をかかせた」「あなただって、私の兄に、悪口を言ったじゃない」「それはお前が、ぼ
くの言ったことを、バカげていると笑ったからだ」と。ある賢人はこう書き残した。『怒っ
ているときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな』と。とくに子どもには愚痴を言わ
ない。子どもの愚痴を聞いても、怒らない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の拡大

 「私は私」と強く認識することを、「自我」という。その自我がさらに強くなると、周り
の人たちを自分の支配下に置こうとする。「私」を実際以上に、大きく見せようとする。そ
れが「自我の拡大」。親意識も、総じて言えば、この自我の拡大として理解できる。それほ
ど力もない親が、大物ぶって見せるなど。あるいは物知りであるように振舞うなど。なけ
なしのサイフを振りながら、金持ちぶるのも、それ。つまり「私は力がある」ということ
を誇示しながら、相手を自分の下に置こうとする。力のない親が、陥りやすいワナのひと
つ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感

 人は常に他者との関わりの中で生きている。かかわりももたず、ひとりで生きている人
(?)は、何か心に大きな障害をもった人と考えてよい。その(関わり)の第一が、自己
効力感ということになる。自己肯定感ともいう。「私は他人に認められている」「自分は社
会で役に立っている」「私を必要とする人がいる」「私はやればできる」と。子どもの世界
でいうなら、「私は親に守られている」「私の親は、私を信じてくれている」というのも、
それ。こうして人は、他人との関わりの中で、自分を位置づけていく。またそれがあると、
その人(子ども)は、それをバネとして、前向きに伸びていくことができる。まずいのは、
ネガティブな育児姿勢。「あなたはやっぱりダメね」式の言葉は、子育てではタブー。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マザコン(マザーコンプレックス)

 マザコン男ほど、相手に「マドンナ(=理想的な女性)」を求めやすい。が、この世の中
に、マドンナ(聖女)など、いない。だから一般論として、マザコン男ほど、離婚しやす
いと言われている(確たる統計があるわけではないが……。)あるいはマザコン男ほど、浮
気をしやすいとも言われている。だから子ども(男児)をマザコンにすると、子どもは将
来、幸福な結婚生活を送れなくなる可能性が高くなる。で、それを是正するのが、父親。『子
どもを産み育てるのは母親。狩の仕方を教えるのが父親』と。母子関係の是正と、社会性
の認識。それが父親の役目ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●空想的虚言

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのは構わない。しかし空中の楼閣に
住まわせてはならない』というのがある。空想するのは、子どもの自由。自由というより、
特権。しかし空想は空想。現実との間に一線を引く。この一線が引けなくなると、子ども
は、空想的虚言を口にするようになる。ウソの世界に生きているから、空想と現実の区別
さえつかない。「私はイタリアの女王」と言い張った女の子(小2)がいた(オーストラリ
ア)。が、その一方で、空想がまったくできない子どもがいる。冗談を言っても笑わないど
ころか、反対に怒り出してしまう。頭がカチカチで、融通がきかない。アスペルガー児に
よく症状のひとつである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夢の加工

 私たちが見る夢は、そのつど加工されている。現実をそのまま夢に見ることは、めった
にない。たとえば私は電車に乗り遅れる夢を、よく見る。これは私の心の中に内在する強
迫観念が圧縮され、象徴化されたものと考えることができる。「電車」は、「人生」を置き
換えたもの。乗り遅れることによってハラハラするのは、強迫観念が象徴化したもの。つ
まり夢は心の中を映す鏡ということになる。反対にどんな夢を見るかを知ることによって、
たとえば子どもの心の中をのぞくことができる。意外なのは、幼児でもこわい夢を見る子
どもが多いということ。先日幼児クラスで聞いてみたら、約60%の子どもが、こわい夢
をよく見ていることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己達成感

 子どもに何かをやらせるときは、自己達成感を大切にする。「できた!」という喜びが、
つぎの意欲へとつながっていく。たとえばワークブックでも、半分程度できればよしとす
る。あるいは子どもにとって、やや簡単すぎるかな(?)と思えるようなものにする。こ
んなことがあった。生徒に30問くらい計算問題をさせたときのこと。1〜2問、答がち
がっていたが、私は花丸をつけて、その子どもをほめた。それについて祖母が、こう言っ
た。「いいかげんな丸はつけないでほしい」と。私はこう反論した。「一生懸命したことに、
花丸をつけたのです」と。その子どもは計算が苦手だった

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・サマライジング(自己完結)

 相手の立場や心を勝手に結論づけてしまう。それを「セルフ・サマライジング」という。
「自己完結」と訳す。たとえばこういう会話。「あなたの成績は最悪ね。これじゃあ、あな
たの人生は終わりね」とか、など。相手をさして、「人間のクズ」とか、「負け犬」とか、
反論できないような言葉を使うのも、それ。「君は本当は、ぼくを嫌っている。だからそう
いうことを言うのだ」というのも、それ。相手の立場や心を確かめることなく、「そうだ」
という前提で、自分の立場や心を決めてしまう。自己中心性の強い人が陥りやすいワナで
ある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ウィンザー効果

 子どもをほめるときは、第三者の口を借りるとよい。それとなく子どもの耳に入るよう
にしむける。あるいは第三者を介してほめる。子どもが聞こえるようなところで、(あるい
は聞こえなくてもよいが)、父親に向かってこう言う。「うちの子ねえ、今日、先生にほめ
られたのよ。うれしいわ」と。これを私は「間接話法」(はやし浩司)と呼んでいる。心理
学の世界では「ウィンザー効果」という。ウィンザー公爵夫人(小説『伯爵夫人はスパイ』)
が言った言葉とされる。「あなたはすばらしい」とほめるのが、直接話法。直接話法よりも、
間接話法の方が効果的。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・ハンディキャッピング

 テスト前なのに、子どもがやるべきことをやらないで、ゲームばかりしている。そうい
う姿を見ると、親は、イライラする。が、子どもとて、テスト前ということを知らないわ
けではない。あせればあせるほど、勉強が手につかなくなる。どうしようもない状態に、
自分を追い込んでしまう。これを心理学の世界では『セルフ・ハンディキャッピング』と
いう。自ら、ハンディを設定し、その中に自分を押し込んでしまう。こういうときは子ど
もを追いつめるのではなく、逆に気分転換をさせるとよい。「レストランでおいしいもので
も食べてきましょう」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●完璧主義の子ども

 何をやらせても、完璧。また完璧でないと、気がすまない。先生やほかの親たちには、「す
ばらしい子ども」と評価される。またそう評価されることで、自分の立場を作る。が、こ
のタイプの子どもは、その一方で、他人に仕事が任せられない。他人の失敗を許さない。
何でもイチから自分でしたがる。またそれができないと、突然、仕事を投げ出したりする。
そのため、仲間の間では嫌われる。心を許さないから、いつも孤独。本人が思っているほ
ど、仲間の間ではよく思われていない。が、このタイプの子どもは、一度何かでつまずく
と、ガタガタになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●好意の返報性

 子どもを伸ばす最大の秘訣は、その子どもを「いい子」「すばらしい子」と、信ずること。
たとえそうでなくても、何度も心の中で繰り返し、自分の心をだます。英語のことわざに
も、『相手は、あなたが思うように、あなたを思う』というのがある。あなたがその子ども
を「いい子」と思っていると、その子どもも、あなたを「いい人」「いい先生」「いい親」
と思うようになる。以心伝心ともいう。魚心あれば水心ともいう。好意には、返報性があ
る。

(補記)

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味す
る(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単
語に由来す
る。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせ
いか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参観して
いる私の
ほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、そ
れが強
化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことが
あった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。

 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン
 子どものやる気 子供の集中力 思考力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ストレス学説

 ストレスの原因を、「ストレッサー」という。人間はある程度のストレスには耐えられる。
が、限界を超えると、さまざまな身体的変調となって、それが外に現れる。が、それがさ
らに慢性化すると、脳内でサイトカインが分泌され、脳内ストレスを引き起こす。食欲不
振、低体温、性欲減退など。さらにそれが進むと、免疫機能が低下し、ばあいによっては
心疾患、脳疾患、がんなどの病気の引き金を引くこともある。けっして軽く見てはいけな
い。なおストレスの程度と、それに対する反応には、個人差がある。Aさんには何でもな
いストレスが、Bさんには大きなストレッサーとなることもある。ところでこんな話を耳
にした。「庭で放し飼いにしている犬ほど、長生きする」と。それだけストレスが少ないと
いうことか。私の家のハナ(犬)も庭で放し飼いにしているが、今年で16歳になる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己開示度

 相手がどの程度まで秘密を暴露しているかで、相手が、どの程度、あなたと親密になり
たがっているかがわかる。それを知るのが、「自己開示度」。いつもどうでもよいような世
間話だけで終わる人は、あなたと親しくなるのを拒んでいるとみてよい。反対に、自分の
病気や家族の問題などを話す人は、あなたと親しくなりたがっているとみてよい。反対に
あなたがその人と親密になりたかったら、秘密を暴露してみるとよい。あなたの秘密を知
ったことで、相手は信頼されていると思い、あなたに親近感を覚えるようになるかもしれ
ない。これを「自己開示の返報性」という。

(補記)

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタ
ルシス(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を
軽減させることをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻
であれば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、
そういう機能がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しか
った思い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出
を、すべて吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分
の心を開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)
相手もあなたに自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことが
できるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

● 私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
● 私にとって、今まで、一番つらかったことは、
● 私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容につ
いては、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがい
の信頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているか
どうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉
は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができ
る。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかっ
たことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプ
レックスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそ
ういうのがあれば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、
あなたと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がう
まく結べない人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対
して自己開示してみるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものが
ない人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理
解するという方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立
場になって聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、も
う一度、話してくれない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうす
るか、いろいろ考えてみたわ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せるこ
とで、同時に、自分もまた相手に対して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがい
にわけのわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出し
て、自己開示してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※ ……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによっ
ては、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、
そういう作用もある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●感受性訓練法

●感受性訓練法

 5〜6人のクラスで、そのままにしておくと、子どもたちは勝手な会話を
し始める。
ふだんは制止するが、ときには、そのままにしておく。
それによって子どもたちの本音を知ることができる。
が、それだけではない。
言いたいことを、そのまま言わせることは、大切なこと。
それによって、よりよい人間関係を築くことができる。
たとえば心理学の世界には、「感受性訓練法」というのがある。
「ラボラトリー・トレーニング」とも呼ばれている。

 これは体験者を一室に隔離して、ありのままの感情を、さらけ出させるという方法。
それを体験者の状態に合わせて、数時間とか数日間、つづける。
やがてカタルシス効果が現れて、体験者は、大声で泣きわめいたり、怒ったりする。
不平不満をぶつけたり、ときに暴れたりする。
が、それが一巡すると、体験者は、やがて心を抑圧していた殻(から)から解放され、
感情をストレートに表現できるようになる。

 この訓練を受けると、感受性が豊かになり、他人に対して、深い思いやりが
生まれたり、相手の悲しみや苦しみが、よりよく理解できるようになるという。
が、似たような経験を、実は私は教育の場ではよくする。

 私はときどき、子どもたち(幼稚園児)に、こう言う。
「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。
すると子どもたちは、最初は、はにかみながら、「嫌いだよ〜オ」などと答えたりする。

 そこで私は、語気を強めて、こう言う。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」「自分にウソをつくのは
悪いことだ!」と。
まじめな顔をして、叱る。
するとやがて子どもたちは、「好きだけどオ〜」とか言うようになる。

 が、何もおっぱいの話にかぎらない。
ときに子どもたちをじらしながら、「見たかったら、見たいと言え!」と促したりする。
(この方法は、私がレッスン中によく使う。「BW公開教室」(私のHPより)
でも紹介しているので、興味のある人は見てほしい。)

 つまりこうして内にたまった(思い)を、一度、外に吐き出させる。
大声で言えるようにする。
感情を、そのまま表現させる。
言うなれば、これもカタルシス効果のひとつということか。
この方法により、一義的には、(性)に対して暗いイメージをもたせることを
防ぐことができる。
が、それ以上に、子どもの心をまっすぐにすることができる。

その結果として、子どもをして、かつ感受性豊かな子どもにすることができる。
「感受性が豊か」ということは、それだけ「他人の心に敏感に反応できること」を
いう。
 
反対に心がゆがんでくると、心(=情意)と表情が、一致しなくなってくる。
ばあいによっては、遊離し、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)になる。

 むずかしい話はさておき、親子の間でも、夫婦の間でも、また友人との間でも、
たがいに言いたいことを言うというのは、人間関係の基本。
それなくして、良好な人間関係は育たない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 感受性訓練 感受性訓練法 ラボラトリー・トレーニング 心の
訓練 はやし浩司 カタルシス効果)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●シンクロ効果(同調理論)

 その人と親しくなりたかったら、「同一景色」を見る。同一景色を見ながら、話をする。
たとえば美術館へ行ったようなとき。つねにその相手と同じ位置に立ち、同じ角度から同
じ絵や像を見る。たったそれだけのことだが、相手のあなたへの親近感がぐんと増す。こ
れを「同一景色理論」(はやし浩司)という。「同じものを見ている」という無意識下の意
識が、「シンクロ効果」を生み出す。けっしてあなたは、その相手を置いてきぼりにしたり、
勝手な行動をしてはいけない。子どもの心をつかみたかったら、子どもと同じレベルに置
いて、ゲームを楽しむのも一手。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦の相補性

 夫婦というのは、不思議なもの。30年とか40年もいっしょに暮らしていると、たが
いにたがいを補完しあいながら生きるようになる。行動だけではない。性格、性質につい
ても同じ。神経質な夫に、ヘマばかりしている妻。無口な夫に、おしゃべりな妻。独立心
が旺盛な夫に、甘えん坊の妻。活動的な夫に、従順な妻など。これを「性的相補性」と言
う。夫婦が100組いれば、100通りの夫婦が生まれる。だから夫婦はおもしろい。男
と女の世界は、おもしろい。

(補記)

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

++++++++++++++

 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」
という共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点
もある。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっか
りとかみあう。それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……というこ
とになる。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良く
やっているというケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相
補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかとい
うことにもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由は
あるが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。
たとえ夫婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないか
ら、さげる。これも相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長い
ほど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が
担当すべきところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。
一方、身を引くところは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがい
の相補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であ
るとするなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面
では、私が(主)であるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が
従」というのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然
にできる。もっとも、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生き
ていかれない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)
につながる。総じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができ
る夫婦のことを、「仲のよい夫婦」という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同性愛

 子どもはつぎの過程を経て、成長していく。(自己愛)→(同性愛)→(異性愛)と。フ
ロイトがそう言っている。つまり子どもの成長過程で、同性愛的傾向があるからといって、
あわててはいけない。ほとんどの子どもは、思春期前夜から思春期以前は、同性愛的傾向
をもつ。その時期を経て、それが異性愛へと変化していく。が、その時期を過ぎても同性
愛的傾向がつづくようであれば、性同一性障害が疑われる。(だからといって、それが異常
と考えてはいけない。どうであれ、あるがまま認め、納得する。)「性」の世界には、常識
は通用しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●エディプス・コンプレックス

 ソフォクレスの戯曲に、『エディプス王』というのがある。ギリシャ神話である。物語の
内容は、つぎのようなものである。

 テーバイの王、ラウルスは、やがて自分の息子が自分を殺すという予言を受け、妻イヨ
カスタとの間に生まれた子どもを、山里に捨てる。しかしその子どもはやがて、別の王に
拾われ、王子として育てられる。それがエディプスである。

 そのエディプスがおとなになり、あるとき道を歩いていると、ラウルスと出会い、けん
かする。が、エディプスは、それが彼の実父とも知らず、殺してしまう。

 そのあとエディプスは、スフィンクスとの問答に打ち勝ち、民衆に支持されて、テーバ
イの王となり、イヨカスタと結婚する。つまり実母と結婚することになる。

 が、やがてこの秘密は、エディプス自身が知るところとなる。つまりエディプスは、実
父を殺し、実母と近親相姦をしていたことを、自ら知る。

 そのため母であり、妻であるイヨカスタは、自殺。エディプス自身も、自分で自分の目
をつぶし、放浪の旅に出る……。

 この物語は、フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)にも取りあげ
られ、「エディプス・コンプレックス」という言葉も、彼によって生みだされた(小此木啓
吾著「フロイト思想のキーワード」(講談社現代新書))。

つまり「母親を欲し、ライバルの父親を憎みはじめる男の子は、エディプスコンプレック
スの支配下にある」(同書)と。わかりやすく言えば、男の子は成長とともに、母親を欲す
るあまり、ライバルとして父親を憎むようになるという。(女児が、父親を欲して、母親を
ライバル視するということも、これに含まれる。)

 この説話から、一般に、成人した男性が、母親との間に強烈な依存関係をもち、そのこ
とに疑問をもたない状態を、心理学の世界では、「エディプスコンプレックス」という。母
親からの異常な愛情が原因で、症状としては、同年齢の女性と、正常な交友関係がもてな
くなることが多い。

 で、私も今までに何度か、この話を聞いたことがある。しかしこうしたコンプレックス
は、この日本ではそのまま当てはめて考えることはできない。
その第一。日本の家族の結びつき方は、欧米のそれとは、かなり違う。その第二。文化が
ある程度、高揚してくると、男性の女性化(あるいは女性の男性化といってもよいが)が、
かぎりなく進む。現代の日本が、そういう状態になりつつあるが、そうなると、父親、母
親の、輪郭(りんかく)そのものが、ぼやけてくる。

つまり「母親を欲するため、父親をライバルとみる」という見方そのものが、軟弱になっ
てくる。現に今、小学校の低学年児のばあい、「いじめられて泣くのは、男児。いじめるの
は女児」という、逆転現象(「逆転」と言ってよいかどうかはわからないが、私の世代から
みると、逆転)が、当たり前になっている。

 家族の結びつき方が違うというのは、日本の家族は、父、母、子どもという三者が、相
互の依存関係で成り立っている。三〇年ほど前、それを「甘えの構造」として発表した学
者がいるが、まさに「甘えの関係」で成り立っている。子どもの側からみて、父親と母親
の境目が、いろいろな意味において、明確ではない。
少なくとも、フロイトが活躍していたころの欧米とは、かなり違う。だから男児にしても、
ばあいによっては、「父親を欲するあまり、母親をライバル視することもありうる」という
ことになる。

 しかし全体としてみると、親子といえども、基本的には、人間関係で決まる。親子でも
嫉妬(しっと)することもあるし、当然、ライバルになることもある。親子の縁は絶対と
思っている人も多いが、しかし親子の縁も、切れるときには切れる。

 また親なら子どもを愛しているはず、子どもならふるさとを愛しているはずと考える、
いわゆる「ハズ論」にしても、それをすべての人に当てはめるのは、危険なことでもある。
そういう「ハズ論」の中で、人知れず苦しんでいる人も少なくない。

 ただ、ここに書いたエディプスコンプレックスが、この日本には、まったくないかとい
うと、そうでもない。私も、「これがそうかな?」と思うような事例を、経験している。私
にもこんな記憶がある。

 小学五年生のときだったと思う。私はしばらく担任になった、Iという女性の教師に、
淡い恋心をいだいたことがある。で、その教師は、まもなく結婚してしまった。それから
の記憶はないが、つぎによく覚えているのは、私がそのIという教師の家に遊びに行った
ときのこと。川のそばの、小さな家だったが、私は家全体に、猛烈に嫉妬した。家の中に
はたしか、白いソファが置いてあったが、そのソファにすら、私は嫉妬した。
常識で考えれば、彼女の夫に嫉妬にするはずだが、夫には嫉妬しなかった。私は「家」嫉
妬した。家全体を自分のものにしたい衝動にかられた。

 こういう心理を何と言うのか。フロイトなら多分、おもしろい名前をつけるだろうと思
う。あえて言うなら、「代償物嫉妬性コンプレックス」か。好きな女性の持ち物に嫉妬する
という、まあ、ゆがんだ嫉妬心だ。

そういえば、高校時代、私は、好きだった女の子のブラジャーになりたかったのを覚えて
いる。「ブラジャーに変身できれば、毎日、彼女の胸にさわることができる」と。そういう
意味では、私にはかなりヘンタイ的な部分があったかもしれない。(今も、ある!?)

 話を戻すが、ときとして子どもの心は複雑に変化し、ふつうの常識では理解できないと
きがある。このエディプスコンプレックスも、そのひとつということになる。まあ、そう
いうこともあるという程度に覚えておくとよいのでは……。何かのときに、役にたつかも
しれない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親の役割

●母子関係の是正

 母子関係は、絶対的なものである。それは母親が、妊娠、出産、授乳(育児)という、
子どもの「命」にかかわる部分を、分担するためである。

 同じ親でも、母親と父親は、そういう意味においても、決して平等ではない。はっきり
言えば、父親がいなくても、子どもは生まれ、育つ。

 が、ここでいくつかの問題が生まれる。
 その第一は、精神の発育には、父親の存在が、不可欠であるということ。それには、つ
ぎの二つの意味が含まれる。

(1)父親像の移植
(2)母子関係の是正

 人間は、社会的な動物である。そしてその「社会」は、「家族」という、無数の共同体が
集合して、成りたっている。世界のあちこちには、大家族制度や、かつてのヒッピー族が
経験した、集団家族制度のような家族形態をとっているところもある。
しかしこの日本では、一人の父親と、一人の母親が結婚して、家族を構成する。それが家
族の基本であると同時に、子育ての基本となっている。(だからといって、そうであるべき
と言っているのではない。誤解のないように!)

 そうした家族形態の中における、父親の役割を、子どもに教える。「父親というのは、こ
ういうもの」「父親というのは、こうあるべき」と。これが父親像の移植である。子どもは、
父親に育てられたという経験があってはじめて、その父親像を、自分のものとすることが
できる。

 しかしこれに加えて、もう一つ、重要な役割がある。それが、(2)の母子関係の是正で
ある。

 このことは、離婚家庭や、父親不在家庭の子どもをみれば、わかる。
 父親像がない状態で育った子どもは、母子関係がどうしてもその分、濃密になり、母親
の影響を大きく受けやすい。そのためマザーコンプレックスをもちやすいことは、すでに
あちこちで指摘されているとおりである。

 子どもは、その成長過程において、母子関係から離脱し、社会性を身につける。これを
「個人化」という。その個人化が、遅れる。あるいは未発達なまま、おとなになる。三〇
歳を過ぎても、四〇歳を過ぎても、さらに五〇歳をすぎても、母親なしでは、生きられな
い状態を、自ら、つくりだす。

 六〇歳をすぎても、「お母さん」「お母さん」と、甘えている男性など、いくらでもいる。
 しかしこうした依存性は、決して、一方的なものではない。
 ふつう子どもが、依存性をもつと、子どもの側だけが問題になる。しかし実際には、子
どもの依存性を許す、甘い環境が、その子どもの周辺にあると考える。もっとはっきり言
えば、母親自身が、依存性が強いことが多い。

だから母親自身が、子どもの依存性を見落としてしまう。あるいは子どもに、自分がもっ
ている依存性と同じものを、もたせてしまう。
たとえば依存性の強い母親は、親にベタネタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、
よい子、としてしまう。反対に、親に反抗したり、自立心が旺盛な子どもを、「親不孝者」
と、排斥してしまう。

 こうしてベタベタに甘い、母子関係が、生まれる。
 そのベタベタになりがちな母子関係を制限し、修復するのが、父親の役目ということに
なる。

 具体的には、(1)行動に制限を教える。(2)社会的人間としての、父親の役割を教え
る。
 たとえば溺愛ママと呼ばれる母親がいる。
 このタイプの母親は、母親と子どもの間にカベがない。だから子どもが何かの不祥事を
起こしたりすると、自らが責任をかぶることにより、子どもの責任をあいまいにしてしま
う。

 子ども(中3男子)が、万引き事件を引き起こして補導されたとき、一夜にして、あち
こちをかけずりまわり、事件そのものをもみ消してしまった母親がいた。
 つまりそういうことをしながら、子どもの精神的な発育を、母親自身が、むしろ、はば
んでしまう。

 こうした母親の行動にブレーキをかけるのが、父親の役目ということになる。もともと
父子関係は、「精液一しずく」の関係にすぎない。しかしこうした父親のもちうる客観性こ
そが、父親像の特徴ということにもなる。
 つぎに(2)社会的人間としての、父親の役割だが、これは、現代の社会構造と、深く
結びついている。たとえば少し前まで、この日本では、「男は仕事」という言葉が、よく使
われた。「男が仕事をし、女が家庭を守る」と。(だからといって、こうした考え方を、私
が肯定しているわけではない。誤解のないように!)

 こうした「男」と「女」のちがいは、さまざまな形で、社会の中に組みこまれている。
そのちがいを、教えていくのも、実は、父親の役割ということになる。
 父親は、決して、母親にかわることはできない。またかわる必要もない。母親には母親
の、そして父親には父親の限界がある。その限界をたがいに、補いあうのが、父親の役目
であり、母親の役目ということになる。

 その役割を混乱させると、子育てそのものが、混乱する。
 よくあるケースは、(1)父親の母親化。(2)母親の父親化。(3)それに父親の不在(疑
似母子家庭)である。こういう家庭では、子育てそのものが、混乱しやすい。
 父親の母親化というのは、父親自身が、女性化していることをいう。子どもを、溺愛マ
マよろしく、息子や娘を溺愛する父親は、決して珍しくない。

 つぎに母親の父親化も、ある。このばあい、その影響は、子どもに強く現れる。本来な
ら、母子関係ではぐくまれねばならない、基本的な信頼関係(絶対的なさらけ出しと、絶
対的な受け入れ)が、結べなくなる。その結果、子どもの情緒、精神の発育に、深刻かつ
重大な影響を与える。

 一般的に言えば、母親が父親化すれば、子どもは、愛情飢餓の状態になり、心の開けな
い子どもになる。

 さらに父親の職業などで、疑似母子家庭と呼ばれるようなケースになることもある。夫
の長期にわたる、単身赴任が、その一例である。
だからといって、母子家庭が悪いと言っているのではない。ただこうした問題があるとい
うのは、事実であり、そういう事実があるということを知るだけでも、母親は、自分の子
育てを、軌道修正できる。母子家庭が本来的にもつ問題を、克服することができる。

 まずいのは、こうした問題を知ることもなく、母子関係だけに溺れてしまうケースであ
る。この原稿は、そういう目的のために書いたのであって、決して、母子家庭には問題が
あると書いたのではない。どうか、誤解のないようにしてほしい。
(はやし浩司 父親役割 母子家庭 問題 エディプス コンプレックス)
________________________________________
【追記】

 母子家庭でなくても、母親が、日常的に父親を否定したり、バカにしたりすると、ここ
でいう父親像のない子どもになることがある。

 このタイプの子どもは、言動に節制がなくなったり、常識ハズレになったりしやすい。
あるいはマザコンになりやすい。

 マザコンタイプの子どもの特徴は、自分のマザコン性を正当化するために、ことさら親
(とくに母親)を、美化するところにある。「私の母親は、偉大でした」「世のカサになれ
と、教えてくれました」と。そして親を批判したりする人物がいると、それに猛烈に反発
したりする。

 こうしたマザコン性から子どもを救い出し、父親像をインプットしていくのが、実は、
父親の役目ということになる。これを心理学の世界では、「個人化」という。もともと個人
化というのは、家族どうしの依存性から脱却することを言う。つまりわかりやすく言えば、
「自立化」のこと。

 マザコンタイプの人は、その個人化が遅れる。ベタベタとよりそう関係を、かえって美
化することもある。親は、「親孝行のいい息子」と思いこみ、一方、子どもは、「やさしく、
すばらしい親」と思いこむ。

 簡単に言えば、父親の役目は、子どもを母親から切り離し、子どもを自立させていくこ
と。

 もちろんその過程で、子どもの側にも、さまざまな葛藤(かっとう)が起きることがあ
る。エディプスコンプレックス※も、その一つということになる。

 が、最近の問題として、父親自身が、じゅうぶんな父親像をもっていないことがあげら
れる。父親自身が、「父親」を知らないケースである。

 さらに父親自身が、マザコンタイプであったりして、ベタベタになっている母子関係を
見ながら、それに気がつかないということもある。あるいはさらに、父親自身が、母親の
役割にとってかわろうとするケースもある。

 溺愛パパの誕生というわけである。

 このように、現代の親子関係は、今、混沌(こんとん)としている。しかし今こそ、改
めて、父親の役割とは何か、母親の役割とは何か。それを冷静に判断してみる必要はある
のではないだろうか。でないと、これから先、日本人のそれは、ますますわけのわからな
い親子関係になってしまう。

 ここに書いたことが、あなたの親子関係をわかりやすいものにすれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。


この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。

(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム 
モラトリアム人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●天皇の敬称問題

産経新聞は、天皇の敬称問題について、以下のように報じている。(2011年1月12日)。
教育の世界では、たいへんデリケートな問題だから、全文、そのまま掲載させてもらう。

++++++++以下、産経新聞、2011年1月12日++++++++++

 天皇陛下に敬称を付けず"呼び捨て"の記述が文部科学省の教科書検定をパスし、今年
4月から小学校6年生の教科書として供給・使用されることが10日わかった。巻末の用
語の索引に「天皇」を盛り込まなかった教科書もあった。天皇、皇后両陛下はじめ「皇室
軽視」の傾向はこれまでも教科書でみられたが、学習指導要領では「天皇への理解と敬愛
の念を深める」よう求めている。専門家からは「指導要領の趣旨が教科書に十分浸透して
いない」との批判の声が上がる。

 敬称がない表記があったのは、小6社会の教科書。文科省の検定を通過した4出版社の
うち教育出版と日本文教出版、光村図書の教科書が、陛下ご自身が写った写真を説明する
際に「文化勲章を授与する天皇」「インドの首相をむかえた天皇」と表記していた。

 2つの教科書を出す日本文教出版は、別の教科書でも天皇、皇后両陛下の写真説明を「福
祉施設を訪問される天皇と皇后」と表記。「される」と敬語はあるが敬称はなかった。

 「天皇」という地位自体の説明は、憲法や法律、指導要領でも敬称を付けずにただ「天
皇」と記述し、新聞や出版物も同様。しかし、陛下ご自身の行動や表情などを伝える際に
は必ず敬称をつけるのが一般的。

 しかし、教科書は陛下に敬称がなく、一方で一般国民や外国人らの名前には「被爆体験
を持つ○○さん」「緒方貞子さん」(元国連難民高等弁務官)などと敬称があった。

 東京書籍は"呼び捨て"はないが、教科書の重要語を並べた巻末索引に「天皇」はなし。
一方で「内閣総理大臣」「ユニバーサルデザイン」などはあった。

 過去の小中高の教科書でも「仁徳天皇陵」の記載が括弧書きや「大仙陵古墳」「大山古墳」
「仁徳陵」として検定をパス。「皇太子明仁」の記載が「明仁皇太子」となったり、皇后陛
下を「正田美智子」とした記載がパスしたことがあった。

 皇室や教科書問題に詳しい高崎経済大学の八木秀次教授は「憲法上の『天皇の地位』は、
重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科書では敬称を付けるべきだ」と話すが、文科省は
「教科書記述の内容に誤りがあるわけではない」とする。

++++++++以下、産経新聞、2011年1月12日++++++++++

●私も……

 私も子どものころ、「天皇」と言っただけで、父に殴られた経験がある。
父はそのとき、こう言った。「陛下と言え!」と。
私が小学3年生のときのことだった。
で、父はそのあと学校へ出向き、担任の教師たちに、「貴様らは学校で、何を教えているか」
と怒鳴り散らしたという。

 天皇のために命を捧げた父にしてみれば、当然の行為だった。
しかし天皇は、「天皇」でよいのではないか。
私も、天皇にかぎらず、客観的に事実を書くときは、いっさい敬語を使わないようにして
いる。
また「天皇」と書いたことによって、呼び捨てにしているという意識はない。
いわんや軽んじている意識はない。

もちろん産経新聞にもあるように、『陛下ご自身の行動や表情などを伝える際には必ず敬称
をつけるのが一般的』というのには、異論はない。
当然のことである。

 それがわからないときは、たとえば日本の国政を論ずるとき、「内閣総理大臣」と書くべ
きなのか、それとも「内閣総理大臣閣下」と書くべきなのか、それを考えてみればよい。
こういうとき「閣下」という敬称をつける人は、いないはず。
もっと卑近な例では、「浜松市長」と書くことはあっても、「浜松市長様」と書く人はいな
い。
また敬称をつけたからといって、「敬愛の念」を示したことにはならない。

今では、学校の先生に対して、「先生」という敬称をつけて、先生を呼ぶ生徒はいない。
呼び捨てが一般化している。
私も幼児に、「はやし!」「はやし!」と呼ばれている。
親たちの中には気にする人もいるようだが、私は気にしない。
私も、子どもたちを特別なばあいを除き、呼び捨てにしている。

 で、この問題は、どこかのだれかが決めるようなことではない。
その向こうに、(大きな流れ)がある。
いくら教科書にそう書いてあるからといっても、子どもたちのもつ(流れ)を変えること
はできない。
つぎの世代が、時間をかけて、ゆっくりと解決していけばよい。
ただ私の印象としては、つまり現在の(流れ)を見る限り、それがよいことなのか、悪い
ことなのかという判断はさておき、こうした敬称は消える運命にあると思う。

 八木秀次教授は「憲法上の『天皇の地位』は、重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科
書では敬称を付けるべきだ」と話している(同紙)。
そういう意見もあるだろう。
が、文科省は「教科書記述の内容に誤りがあるわけではない」としている。
文科省の立場を支持したい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 天皇の敬称 敬称問題 陛下という敬称 天皇陛下の敬称問題 敬
語 敬称)


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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