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2011年         4月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

マガジン2011年4月号

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   29日号
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★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【オーストラリア旅行】(3)

【4月1日】

●花博覧会(4月1日)

 たまたまメルボルン市で、花博覧会が開かれていた。
今日の目的は、その花博覧会を見ること。

 ボブとデニスが案内してくれた。
ワイフはやや疲れ気味。
私たちはローヤルパレード通りをシティ(町)のほうへ歩き、
そこからトリィニティ・カレッジを通り抜けた。
中世の城を思わせるカレッジである。
このカレッジだけで、ひとつの大学がすっぽりと入ってしまうほど広い。
通りがかった人(教授?)に人数を聞くと、270人の学生と30人の
ポスト・グラジュエイト(修士・博士課程)の学生がいるとのこと。
そう教えてくれた。

 それから一度、大通りに出て、花博覧会に向かう。

●馬車

 花博の会場からは、トラム(市内電車)で、フリンダース駅に向かう。
日本で言えば、新宿のようなところ。
その前に、あの荘厳な、St.ポール大寺院がある。

 4人で入る。
「写真を撮っていいか」と聞くと、売店の女性が「いいです」と言った。
しかし私は撮らなかった。
あまりにも畏れおおい。
その荘厳さに圧倒された。

 大寺院から出たところに、2頭だての馬車が泊まっていた。
さっそく料金を交渉。
4人で100ドルでよいと言った。
加えて20ドルのチップ。
120ドルを渡した。

 御者は気をよくして、街中をあちこち回ってくれた。
私たちは、1時間ほどかけ、ハウスに戻った。

●会食

 夜はデニス君が夕食に招待してくれた。
デニス君の娘が2人と、婚約者が来ていた。
私たちはスキヤキを食べた。

 日本的なスキヤキといった感じだった。
ネギの代わりに、タマネギを使っていた。
焼き豆腐の代わりに、ふつうの豆腐を使っていた。
肉はもちろん赤肉。
霜ふり肉など、このオーストラリアにあるはずもない。

 「日本にスキヤキと同じか?」と、数回聞かれた。
「シミラー(similar=似ている)」と答えた。
「日本のスキヤキに似ている」という意味で、そう言った。

 その席で、デニスの娘のタミーが、「結婚式に来てほしい」と言った。
「いいよ」と答えた。
ハネムーンは、日本へ来るという。
「日本ではぼくがめんどうをみてあげるよ」と言うと、うれしそうに
笑った。

フィアンセの名前は、Luke(ルーク)という。
以前から私は彼のことを、「スカイウォーカー」と呼んでいる。
映画『スターウォーズ』の主人公の名前が、ルーク。
それでそう呼んでいる。

●4月2日

 4月2日、朝早く起きて、サザン・クロス駅に向かう。
昔は「スペンサーSt.駅」と呼んだ。
そこからオーバーランド号に乗って、友人の自宅のあるボーダータウンに
向かう。

 いつ走り出すともわからない列車。
平均時速は85キロとアナウンスされたが、その速度もなかった?。
ノロノロ……というか、ガタンゴトン……といったふう。

 やがて2人の若い男がやってきて、朝食の注文を取りにきた。
私たちは一番値段の高いのを注文した。
高いといっても、12ドル前後。

●メルボルンからジーロンへ

 以前とは列車の走るコースが変わっていた。
以前は一度バララートへ出て、そこからアデレードに向かった。
今は、一度ジーロンまで南下し、そこからアデレードに向かう。
友人の話では1995年に変わったという。
列車の線路幅も、そのとき現在の線路幅になったという。

 ジーロンはこのあたりの工業地帯。
以前は羊毛の輸出港として栄えた。
昨夜日本料理店へ招待してくれたデニス君の生まれ故郷でもある。
途中、ジーロン・グラマー・スクールがある。
デニス君は、その学校に幼稚園児のときから、高校2年生まで通った。
そこで1年飛び級をし、メルボルン大学へ。
修士号を得た後、今はモナーシュ大学で働いている。

 皇太子の娘の「愛子さん」も、一時は、この学校に通うという話が出た。
その話はどうなったのか。

●田園風景

 それからは5時間あまり、単調な田園風景がつづく。
行けども行けども、牧場と穀倉地帯。
4月ということもあって、つまりオーストラリアでは秋ということも
あって、枯れた平原。

 気が遠くなる……というより、ぼんやりと見ていると、眠くなる。
ワイフも、私も、ときどき眠った。

 昼食も同じようにして、とった。
私たちはみな、いちばん値段の高い料理を注文した。

●人間臭さ

 サザン・クロス駅の話に戻る。
日本でいう車掌たちが、自由な服装をしてたがいに話し込んでいた。
日本では見られない光景である。
ワイフは目ざとくそれを見て、こう言った。
「ズボンだけは同じみたい」と。

 私は「何とだらしないことよ」と思った。
が、やがて私の常識のほうがおかしいことを知った。

 車掌は、名簿から私たちの名前を見つけると、楽しそうに話しかけてきた。
それ以後、私たちを見ると、ファーストネームで私たちを呼んでくれた。
が、何と言っても驚いたのは、ジーロン駅でのこと。
オーバーランド号は、20分も早く、ジーロン駅に着いた。
車内アナウンスが、「ここで17人の客を乗せる」と言った。

 列車はしばらくそこに停まった。
曜日によって、市内を回るコースと、郊外の駅を回るコースがちがうらしい。
が、その17人が乗った。
とたん列車が動き出した。
時刻表も、客しだい。

 つまり、それを「自由」という。
日本では、考えられない。

【ボーダータウンにて】

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/94/img6b3f3c1fzikbzj.jpeg" 
width="800" height="600" alt="オーストラリア3.jpg">

●ジューン

 ボーダータウンには、ボブの母親が迎えに来てくれていた。
今年84歳になるが、シャキシャキとしているのには驚いた。
話し方も、41年前と同じ。
名前をジューンという。
私はいつも「ジューン」と呼んでいる。
5、6年前に、一度、日本へ来てくれたことがある。
そのときは、長野を案内した。

 そのときのこと。
ジューンは日本式(スリッパ型)のトイレの使い方がわからず、苦労した。
楽しい思い出がどっとよみがえってきた。

●1・6エイカー

 ボブの家の敷地は、1・6エイカーもある。
16000平方メートル。
坪数に換算すると、約5000坪。
どんな広さかといっても、文では表現できない。
見たままの広さということになる。

 が、このあたりでは平均的。
「平均的」ということは、平均的。
町の中では、200〜300坪的の家もあるが、郊外へ足を延ばすと、10エイカー
前後の家はいくらでもある。
町の中で中華料理店を開いているT氏の家は、見渡すかぎり、彼の敷地。
その一画を囲んで、自宅の敷地としていた。

 遊びに行くと、裏手に牧場があった。
羊が、30〜40頭、群れをつくっていた。
「あなたの羊か?」と聞くと、「だれかが勝手に草を食べさせている」と。

 ボブの家も。その一角をフェンスで囲み、自宅としている。
「囲む」ということは、日本風に言えば、「垣根」ということになる。
その垣根の中では、芝生がこの時期でも青々と育っている。
家に着くと私は何枚か、写真を撮った。

●物価

 オーストラリアへ来て驚いたのは、物価が高いということ。
自動販売機で買う飲食物にしても、3ドル〜3・5ドル前後。
現在の為替レートで計算しても、240〜290円。
量はやや多いが、だいたい2倍前後とみてよい。
(現在、1オーストラリアドル=94円前後。)

 言い換えると日本円が、それだけ弱いということ。
本来なら、つまり同等になるためには、1ドル=50円前後が妥当。
さたに言い換えると、日本ではその分だけ、「無駄」が多いということ。

 公共施設は立派だが、民家はボロボロ。
オーストラリアでも、ある程度の差はあるが、国の富が一般家庭にまで、
平等に行き渡っている。
それでもオーストラリアの人たちはみな、こう言う。
「オーストラリアも官僚主義的になってきた」と。

 わかりやすく言えば、こういうこと。
本来なら、1本50円前後で買えるはずのジュースを、日本人は120円で
買っている。
税金だか何だか知らないが、無駄な人に無駄な仕事をさせておくために、
そうしている。
そういう矛盾が、こういう国へ来てみると、よくわかる。

●夕食

 夜、ジューンさんが、夕食に招待してくれた。
料理は、ケーキとピザ。
イタリア人の女性も来ていた。
話しは、メルボルンで食べた日本食になった。
それについて話すと、そのイタリア人、名前をサンタと言ったが、
サンタはこう言った。

 「オーストラリアではピザにパイナップルをのせているのには、驚いた」と。
「日本でもパイナップルをのせる」と話すと、「イタリアではのせない」と。
それぞれの国では、それぞれの国の人に舌にあわせて、料理を作り変える。
それはそれでよいことかもしれない。

 なおイタリアでは、「ロメオ&ジュリエット」のことを、「ジュリエッタ&ロミィオ」と
言うのだそうだ。
「オーストラリアへ来て、いろいろなものが、逆になっているのを知って驚いた」と。
ほかにもいろいろな例をあげて、話してくれた。

●豊かさとは何か

 では、1Aドルはいくらくらいが、よいのか?
実生活レベルでみるなら、先にも書いたように、1Aドルは、50円前後。
が、そうはいかないところが、為替。
国力に応じて、為替レートも大きく影響を受ける。

 オーストラリアは言わずと知れた資源国。
国自体がもつ豊かさがちがう。
そのことを思い知らされるのが、住環境。
オーストラリア人は、広い敷地と広い家の中で、伸び伸びと暮らしている。
その豊かさは、オーストラリアへ行ってみるとよくわかる。
わかるというより、ふつうの日本人なら、ふつうでない衝撃を受けるはず。

 が、それだけではない。
労働時間も、また忙しさも、日本のそれとは、まったく異なる。
メイは、ボーダータウンで医師をしている。
3人の医師の長として、診療所(サージャリー)を取り仕切っている。
そのメイは、2週働くと、2週の休暇を取っている。

 ボブの息子のアンドリューは、4週間働くと、2週間の休暇を取っている。
アンドリューは、アデレイドから5000キロ離れた鉱山で働いている。
つまりそのつど、5000キロ(北海道から九州までが、2000キロ)の距離を、
通勤していることになる。
5000キロだぞ!

 ボーダータウンでは、どの店も、ガラ〜ンとしている。
通りに人影を見ることも少ない。
それでも何とか、生活できるらしい。
そういうのを「豊かさ」という。

●原稿

 実は、この数日、原稿を書いていない。
現在は、4月6日。
旅行最終日……というか、午前の便で日本へ帰ることになっている。
時刻は午前3時(南オーストラリア時間)。

 忙しくて、自分の時間がもてなかった。
が、今朝は3時に目が覚めてしまった。
ワイフが時計を読みまちがえた。
あるいは、私が聞きまちがえた。
「6時?」と思って起きたら、3時だった。
今朝は、ワイフのために簡単にアデレード市内の観光をすませ、そのあと空港に
向かう。

●中華料理店

 先にボーダータウンの中華料理店について書いた。
経営者は、45歳になるT氏。
あの天安門事件のときには、北京大学にいた。
そのあとオーストラリアに逃げてきて(?)、しばらくシドニーに住んだという。
ボーダータウンに移り住んだのは、そのあと。

 その中華料理店は、木、金、土、日の4日だけ開いている。
しかも午後4時以後のみ。
それでいて郊外には、日本人の常識では考えられないような大豪邸に住んでいる。
敷地の広さは先にも書いた。
が、家の広さにも度肝を抜かされる。
居間だけでも、日本的に言えば、40畳前後。
どの部屋も、20畳前後。
そういう部屋が、居間を取り囲んで、10室前後もある。

 家全体を遠くから見ると、小さく見えるのは、それだけ天井が高いから。
「どうしてこんないい生活ができるのか?」と思いながら、その一方で、「日本人は
どうしてこんないい生活ができないのか?」と思う。
理由は、あなたの家の近くにある公共施設を見れば、わかるはず。

 いいか、日本人!
私たちは、本来なら、もっとよい生活ができてもよいのだぞ!
税金を安くして、その分のお金を私たち自身に使わせてほしい。
……とまあ、またまた愚痴。
やめよう、こういう話は……。

●老人村

 年金額は、総じて一律、月額15万円前後。
日本のようなインチキ臭い差別は、ない。
満60歳になると、自動的に支給される。
15万円と聞くと、「少ないかな」という印象をもつ。
が、それでちゃんと生活できるしくみが、できあがっている。
そのひとつが、「老人村(Old Man's Village)」。

 ボーダータウンにも、「老人村」というのがある。

 「村」といっても、もちろん日本的な「村」ではない。
ごくふつうの住宅街。
1棟に2家族、もしくは1人ずつが住んでいる。

 で、その村の中には、幼稚園がある。
「老人は幼児が好きだから」と。
また道をはさんで、そのとなりには、日本でいう「特別養護老人ホーム」もある。
歩けなくなったような老人は、そのホームに移り住む。

 「オールド・マン」という言い方は、好きではないが……。

日本的に言えば、「恵まれた環境」ということになる。
が、彼らには、その意識はない。
当たり前のこととして、生活の中にしみこんでいる。
が、何よりも驚くのが、土地の広さ。

 これについては、すでに書いた。
で、そこで考えるのが、「人間の価値」

●人間の価値

 人間の価値は平等とは言う。
しかしそれは概念上の話。
現実は、つねに別の尺度で測られる。
つまり人間の価値は、人間として大切にされているかどうかで決まる。

たとえばティム(ボブの友人)の家を訪れたときのこと。
ティムは、子ども(4歳くらい)を、部屋の中央で入浴させていた。
聞くと、手製のバス(風呂)ということだった。

 幅が、1メートル四方、高さが1メートル30センチほどの箱。
その上部に子ども用のバスタブをはめこみ、その中で入浴させていた。
台も備えつけてあり、何枚かの食器がそこにあった。
たぶんティムの子どもは風呂に入りながら、食事をしたのだろう。
つまりそういうのを「価値」という。

 その「価値」と比べると、日本人がもつ人間的な価値は、残念ながら低い。
人間として、大切にされていない……というより、大切なものを、大切でないと
思い込み、一方、大切でないものを、大切と思い込んでいる。
結果として、人間の価値を低めている。

●広大な土地

 オーストラリアへ来たら、広大な土地を楽しむのがよい。
楽しみ方は、さまざまだろう。
しかしそれを楽しむのがよい。

 行けども行けども、牧場、農地……。
まばらに点在する羊や牛の群れ。
ときどき馬も見える。

 残念ながら今回は、野生のカンガルーを見ることはできなかった。
そのかわり自然公園で、美しい鳥を見ることができた。

 で、その楽しみ方だが、ぼんやりとそれをながめる。
私のばあいは、そうしている。
そのうちウトウトと眠くなるが、それはそれで構わない。
それだけで心が洗われる。

 偏頭痛もちの私だが、オーストラリアを出発してから今日まで、偏頭痛は
一度も起きていない。
「心を洗う」というのは、そういうことをいう。

●独立心

 オーストラリア人がもつ独立心には、驚く。
親子でも、「つながり」は太いが、まるで他人。
そういうつきあい方をする。

 アデレードには、友人の母親もついてきたが、みな、別々のホテル。
息子や娘の住む家もあるが、そこには泊まらない。
息子や娘も、親を泊めようという意識さえない。
日本人の私には、何とも殺伐とした親子関係に見える。
が、それがオーストラリア人の生き様ということになる。

 「日本では、親子がいっしょに住むことが多い。
三世代、四世代住宅というものある」と話すと、みな、驚いていた。

●観光地

 いくつかの観光地も回った。
しかし私には、街の中の店を見て回るほうが、楽しい。
わけのわからない店を見つけるたびに、それがどんな店かを聞いた。
それが楽しい。

 ただ、どの店も、ガラ〜ンとしている。
客の姿など、めったに見ない。
メルボルンでも、ボーダータウンでも、またアデレードでも、そうだ。
日本風に言えば、「よくやっていけるな」となる。

 わずかな客を相手に、太々(「細々」ではない)と暮らしている。
「ラッキーカントリー」とはよく言ったもの。
穴さえ掘れば、彼らは生きていくことができる。
国中、鉱物資源だらけ。

●韓国製

 現在、オーストラリア第一の貿易相手国は、中国になっている。
数年前に、日本は追い抜かれた。
中国の巨大資本の進出も目立つ。
その日本のあとを、韓国が追い上げている。
それが現在の、オーストラリアということになる。

 「日本は何をしているのだ!」と叫びたくなるほどの、体たらく。
日本は「馬力」そのものを失ってしまった。
が、これだけは言える。

 日本人は、とくに日本の若者たちは、今に見る日本の繁栄は、永遠のものと
思い込んでいるかもしれない。
食料にしても、天から降ってくるもの、と。
しかし今に、日本の「円」は紙くずになる。
すでにここ数日、その徴候が現れてきている。
へたをすれば、国家破綻(デフォルト)。

 では、どうするか?
日本は「人材」で勝負するしかない。
それを支えるのは、教育しかない。
そういう現実、つまり教育の重要性がまるでわかっていない。

●日本の教育

 今の日本は、「たくましい子ども」を育てる構造になっていない。
まわりを見ても、キバを抜かれた、おとなしい子どもばかり。
むしろ腕白で、自己主張のはげしい子どもを、避ける傾向にある。
親たちの間でも、嫌われる。

 が、日本を一歩出れば、そこは海千山千の世界。
そんな連中を相手に、これからの日本人は、どう戦っていくというのか。

 で、韓国製の話。
今、韓国は、「この時」とばかり、日本の追い落としにかかっている。
竹島(独島) に、放射能見地装置を設置したり、放射能漏れを韓国政府に
通知しなかったと怒ってみせたり……。
あのトヨタのプリウス問題のときは、韓国紙はこう書いていた。
「こんなチャンスは、いつまでもつづくはずがない」と。
日本が外国で叩かれるたびに、彼らはそれを「チャンス」ととらえる。

 で、このホテルのテレビは、ヒュンダイ製(韓国)、大型クーラーは、LG(韓国)。
駐車場には、まだ少数派だが、ヒュンダイ(韓国)の車も目につく。

 日本はこういう現実を、もっと知るべき。
知った上で、教育論を組み立ててるべき。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●大地震のあとに……放射能汚染+富士山爆発!!

++++++++++++++++++

この数日、すっかり調子が狂ってしまった。
一日中、テレビを見ている。
ラジオを聞いている。
原稿は、ほとんど書いていない。
書きたいと思うテーマが、思い浮かんでこない。
頭の中に、モヤがかかったよう。
自分がバカになってしまった(?)。

今は、原子力発電所の事故が心配。
足下をすくわれるような不安感。
先の見えない不安感。
放射能汚染は、この先、何十年もつづく。
農産物にも、壊滅的な被害をもたらす。
もちろん人体への影響も心配される。
が、そんなことを考えていると、思考が
堂々巡りしてしまう。

++++++++++++++++++++

●放射能汚染+富士山爆発

すでに外国では、被爆者のニュースが飛び交っている。

『……被災地で活動しているオーストラリアとニュージーランドの救援隊員4名が、軽度
の被ばくをしていたことが16日わかりました。
 オーストラリアのギラード首相によりますと、軽度の被ばくをした救援隊員2名は16
日朝、乗っていたヘリコプターの回転翼に氷が付着するなどしたため、福島第一原子力発
電所からおよそ40キロ離れた空港に着陸しましたが、その後の検査で、履いていた靴か
ら低レベルの放射性物質が検出されたということです』(TBSーiNews)と。

仙台市に住んでいた外国人留学生たちは、つぎつぎと仙台市を離れているという(同)。
きわめて常識的な行動である
すでに福島第一原発から約20キロの距離にある地点で、平常値の6600倍にあたる放
射能が検出されている(3月16日・JiJicom)。

『……文部科学省は16日、福島第1原発から約20キロの距離にあり、住民に屋内退避
指示が出されている福島県浪江町周辺で、1時間当たり195〜330マイクロシーベル
トの放射線量を観測したと発表した。最大で平常値の約6600倍に当たる高い数値で、
同省は政府の災害対策本部に報告した』(3/16Jiji.com)。

昨日、今日は、まだよい。
風が陸から海に向かって吹いている。
しかしいつ何時、風が北から南に吹くようになるかもしれない。
そうなれば、つぎは東京があぶない。
……というより、大パニック。

『……放射性物質の拡散で最も注意すべきなのは風向きだ」……。大阪大学の近藤明准教
授(大気汚染環境学)はこう解説する。東京都市大学の松本哲男教授(原子力学)による
と、キセノンやクリプトンなどの放射性物質は気体のまま大気中を漂う。ヨードなどは大
気中のチリや微粒子にくっついて飛散する……』(日本経済新聞)と。

が、さらにこんな心配なことも。
富士山の爆発が誘発されるかもしれないという。
Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『…… 静岡県東部で震度6強を観測した15日深夜の地震は、11日の東日本大震災を
もたらした巨大地震で誘発された可能性が大きい。震源付近では巨大地震の直後から箱根
で群発地震が起きており、富士山の火山活動の活発化を懸念する声も出始めた。マグニチ
ュード(M)9・0という巨大エネルギーの"余波"が日本列島を揺さぶっている』と。

富士山が爆発すれば、日本の大動脈は、完全に断たれる。
その深刻さは、今回の地震の比ではない。

……書いても書いても、出てくるのは、愚痴ばかり。
頭の中に、ストレス性の脳内ホルモンが充満している。
それが私を、ゆううつにする。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>



★Fight Back!(1)

+++++++++++++++++++

今朝は6時半前に目を覚ました。
ラジオにスイッチを入れると、地震関連のニュース。
しばらくしてからラジオ体操。
あの調子のよい音楽が流れてきた。

ラジオを聞くのは久しぶり。
ラジオ体操をするのは、さらに久しぶり。

私はそれに合わせて、ふとんの中で体操。

……ふとんの中でも、ラジオ体操はできる。
足を伸ばしたり、体をひねったり……。
しばらくすると、ワイフが怒った。
これは予想どおり。
「まだ、寝てるんだから、静かにしてよ……」と。

しかたないので、起きた。
起きて、ウォーキングマシンに。
このところ毎朝、30分、それをすることにしている。
寒い朝には、これがいちばん。
30分もしていると、全身に汗をかく。
ジワーッと汗をかく。

が、このところ、運動にも力が入る。
運動量もふやす。
昨日も、1時間かけて、町まで歩いた。

負けてたまるか!
ここでくじけて、たまるか!
どうだ!
これこそまさに団塊世代の心意気!

ははは。
この日本は、我ら団塊の世代ががんばっている間は、
だいじょうぶ!
日本は、沈没など、しない!

+++++++++++++++++++

●消えた商品

 今、ショッピングセンターの棚から商品が消えた。
最初は米、つぎにトイレットペーパー……。
今は、どこへ行っても、ガラ〜ンとしている。

 それを見る若い人たちは、パニックになるかもしれない。
事実、パニックになった。
しかし心配は、無用。
私たちが子どものころは、どこもそうだった。
みな、そうだった。
当時は、モノがないのは、当たり前。
卵にしても、果物にしても、1個売り、1個買いが当たり前だった。

 当たり前だったから、飢餓感はなかった。
窮乏感もなかった。
むしろかわいそうなのは、そういう貧困時代を知らない、若い世代。
モノがあるのが、当たり前。
そんな時代しか、知らない。

 トイレにしてもそうだ。
私たちの時代には、ボットン便所が標準。
私などは、はじめてアパートに移り住んだとき、こう思った。
「やっと我が家も、水洗トイレになった」と。

つまり私たちはそういう「喜び」を無数に重ねながら、生きてきた。
だから逆に、こう思うことが多い。
「こんなことでいいのか?」と。
つまり今の若い人たちは、そこにある「現実」を、あまりにも見失っている。
その「現実」が、今、戻ってきた(?)。

●天災

 私は昭和22年生まれ。
1947年。
戦後直後の、団塊世代第1号。
戦後生まれだから知らないが、あの戦争では、300万人もの日本人が死んだ。
同じく300万人の外国人が死んだ。

 いや、こんなことを書くからといって、今度の天災など何でもないと言っている
のではない。
「私でなくてよかった」などとも思っているのでもない。
むしろ逆。

ほんの少し生まれる時代がずれていたら、私がその戦争で死んでいた。
ほんの少し生まれる場所がずれていたら、私が今度の天災で死んでいた。
60年も生きていると、他人の死も、自分の死も、同じ。
区別できない。
そういう前提で、私はこう言う。
今度の天災など、何でもない。
私たち日本人は、それを乗り越えることができる。

 ただ腹立たしいことはある。
あの東京電力の社員たち。
社員というより、幹部たち。
自分たちは奥の院にひっこんでしまっている。
会見に出てこない。

 その一方で、かわいそうなのは、若い社員たち。
いつも毎回4人前後の社員が出てくる。
肩を寄せ合いながら、ボソボソと何かをしゃべっている。
何を言っているかさえ、よく聞き取れない。
あ〜あ!
私がその場にいる記者なら、こう叫ぶ。

「おい、ちゃんと責任者を出せ!」
「お前たちのようなザコでは話にならない。責任者を呼んでこい!」と。

 まあ、愚痴はこれくらいにして、今日も一日、楽しくがんばろう!
日本は、これしきのことでは、くじけない。
くじけてはいけない。
そういうパワーが、結局は、被災地のみなさんへの最大のエールとなる。

 みなさん、いっしょに、がんばろう!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【BW教室・2011−3−17】(子どもたちの元気と活力+笑い)
  大震災より1週間目(はやし浩司 2011−03−17)


日本は、子どもたちを見るかぎり、心配なし!
そんなエネルギーを、このビデオを通して感じてください!



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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【オーストラリア旅行】(2)

【チャンギ空港にて】

●日本のニュース

 チャンギ空港では、乗り継ぎのための時間が、4時間半もあった。
その間に軽い食事。
何本か、飲み物を口にする。

 テレビではアメリカのニュース番組をそのまま流していた。
しばし、それに見入る。

 フクシマの原発事故も、アメリカでは経済ニュース。
もっぱら経済的な視点で論じられていた。
「損失はいくら……」とか、「復興費はいくら……」とか、そんな話ばかり。
すでに世界では、チェルノブイリ、スリーマイルと並び、世界の三大原発事故に
並べ始めている。

 そのニュースを見ながら、こんなことを考える。
もし戦後、沖縄が香港になり、東京がシンガポールになっていたら、今の今も日本は、
押しも押されぬ世界の経済大国として君臨していただろう、と。

沖縄を香港化すべきだった。
東京をシンガポール化すべきだった。
今や東証に上場している外資企業は、1けた台。
10社もない。
一方、シンガポールには、数百社以上。
チャンギ空港は、ハブ空港として、世界の経済の中継地になっている。

ラウンジで知り合ったイギリス人は、イギリスから来て、ここシンガポールで
飛行機に乗り換え、オーストラリアに向かうということだった。
どうしてそれを羽田でしないのか?
羽田で乗り継がないのか?

航路的にも、(イギリス)→(北極)→(羽田)→(オーストラリア)のほうが、
短い。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/15/img52c37e1fzikdzj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00036.JPG">

●日本vs外国

 シンガポールまで来ると、こう考える。
「何も、日本にこだわる必要はないのではないか」と。
ワイフも同意見。
世界の人たちは、もっと自由に、「国」を考えている。
EUを例にあげるまでもない。
言い換えると、日本も、外国をそういう目で見る必要がある。
「日本だ、外国だ」と、垣根を高くすればするほど、日本のほうが世界ののけ者に
なってしまう。

 わかりやすく言えば、日本で仕事がなくなれば、外国へ行けばよい。
外国で働けばよい。
そのあたりを、もっと気楽に考えたらよい。
ラウンジで会ったイギリス人の男も、そう言っていた。
親や兄弟は、オーストラリアに住んでいる。
が、自分の家族はイギリスに住んでいる。
たがいに行ったり来たりしている、と。

●A380

 目を覚ますと、アデレード上空まで来ていた。
眠ったのか、眠らなかったのか、よくわからない。
何かの夢を見たようだが、よく覚えていない。
シンガポールとメルボルンの時差は3時間。
私が目を覚ましたのを見ると、ワイフがこう言った。
「星空がきれいだった」と。

 星と言えば、南十字星。
サザン・クロス。
オーストラリアへ着いたら、真っ先にワイフにそれを見せてやりたい。

【メルボルンにて】

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/93/img4cf8fa36zik3zj.jpeg" 
width="800" height="600" alt="メルボルン2.jpg">

 空港からはデニス君の車で市内に向かった。
そのままインターナショナルハウスへ。
ボブ君が、ゲストハウスを予約しておいてくれた。
荷物を置いて、そのままデニス君の家へ。
車で1時間ほど。
カーネギーという地名。

 ……仙台市のことを「杜(もり)の都」という。
豊かな街路樹に覆われ、夏でも涼しげな森の影をつくってくれる。
が、もしあなたがメルボルンを見たら、「杜」の概念が変わるだろう。
とくにこのローヤルパレード通りを見たら、変わるだろう。
どう変わるかは、ここに書けない。
書けないが、変わるだろう。

昔からこう言う。
メルボルンの中に、公園があるのではない。
公園の中に、メルボルンがある、と。

 カーネギーでは、数時間を過ごした。
その間、ワイフは、2時間ほど、友人の家で眠った。
私たちは、つまりデニスとボブと私は、いろいろ話した。
で、ワイフが起きたのをみはからって、近くの日本料理店へ。
最近開店したという。
私とデニスは、オーストラリア式の天丼。
ボブは、オーストラリア式のうな丼。
ワイフは、これまたオーストラリア式の牛丼を食べた。

 どれも日本的というだけで、日本のものとはちがう。
また値段にしても、天丼よりうな丼のほうが安かったのには、驚いた。
AS$で、8〜9ドル前後だった。
「このあたりには、モナーシュ大学の留学生が多く住んでいる。
だからこういう店が多い」と。

 通りには日本料理店のほか、ベトナム料理店、マレーシア料理店、
中華料理店などが並んでいた。
帰りに私とワイフは、八百屋で、果物を何種類か買った。
イタリア風(ギリシャ風?)の八百屋で、一種類ずつ大きなコーナー
に、山積みにして売っていた。

●ワイフの印象

 ワイフはメルボルンの街並みを見ながら、「ディズニーランドみたい」と言った。
1度や2度ではなく、何度もそう言った。
家々の形や色、それがディズニーランドのそれみたい、と。

 人によってメルボルンの印象はちがうだろう。
「おもしろい見方だな」と私は思った。
が、そのうち私も、そういう目で見るようになった。
「たしかにそうだ」と。

 家々の中には、子どもが喜ぶようなアトラクションこそないが、無数の見知らぬドラマ
が詰まっている。
たとえば車の中から見かける電車にしても、バスにしても、異国風というよりは、ディズ
ニーランドのそれ。
カラフルで、それが秋の白い陽光を受けて、まぶしいほどに輝いていた。

●インターナショナル・ハウス

 イギリスのカレッジ制度の説明をするのには、時間がかかる。
日本で考える「寮」とは、趣をかなり異にする。
また日本で考える「寮」をそのまま当てはめて考えてはいけない。

簡単に言えば、「ハリーポッターの世界」。
全寮制であると同時に、カッレジ自体が大学の機能を分担する。
ほかのカレッジから学生がやってくることもある。
もちろんその反対のこともある。

食事は毎回、フルコース。
学生たちはローブと呼ばれるガウンを身につけ、食事に臨む。
もちろん正装。
当時は、そうだった。

 が、その後オーストラリアも、変わった。
政権が変わったり、不況を経験したりした。
「予算が削られた」というような理由で、簡略化された。
が、何よりも変わったのは、男女共学になったこと。
若い女子学生が多いのには、戸惑った。
私たちの時代には、男子専用のカレッジだった。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/19/imga2c01d9azik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="DSC00124.JPG">
(友人の部屋だった、その前のテラス。いろいろな思い出がしみこんでいます。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/20/img4bddf402zikczj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00083.JPG">
(学生寮。1970年当時は、下の階に副寮長のショール夫妻が住んでいました。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/17/img94f8c25czikfzj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00105.JPG">
(今は、ディミック・ルームと呼ばれている食堂。手前がローテーブル。)

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/18/img962c794fzik2zj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00111.JPG">
(ハウスの中庭)

●ハイテーブル

 私は寮長の横、つまりハイテーブルで食事をすることになっている。
食堂は、大きくハイテーブルとローテーブルに分かれる。
数段高い位置にあるのが、ハイテーブル。
アンダーグラジュエイト(一般大学生)が座るのが、ローテーブル。

もしそれもよくわからなかったら、映画の1シーンを思い出してほしい。
そこはまさに「ハリーポッターの世界」。

 そういう意味では、あの映画はカレッジ制度を理解するのには、役立つ。
メジャーな教育は、大学構内の中で受ける。
それ以外のマイナーな教育は、カレッジで受ける。
カレッジでの教師はチューターと呼ばれる。
そのチューターたちが、アンダー・グラジュエイト(大学生)の教育をする。

●1970年

 1970年。
大阪で万博が開かれた年である。
その年に私はメルボルンに向かった。
正田氏(美智子皇后陛下の父君)が、「どこの大学にしたいか」と聞いた。
私は迷わず、「メルボルン大学」と答えた。
すかさず正田氏が聞いた。
「どうしてだ」と。

 私はさらに胸を張ってこう答えた。
「日本からいちばん遠いからです」と。

 その当時の人口は、300万人。
そんなメルボルン市にも、日本人の留学生は、私1人だけ。
通産省から1人、研修生が来ていたが、彼は数か月で帰ってしまった。

 当時の日本人は、それなりの人物による身元引き受け人がいないと留学が
できないしくみになっていた。
その身元引き受け人に、正田氏がなってくれた。

●アルバイト

 日本円に換算すると、当時の寮費は、月額20万円前後。
1ドルが400円の時代だった。
また大卒の初任給が、やっと5万円に届いたころ。
往復の飛行機料金(羽田・シドニー間)が、42万円前後。
それだけでも、私には気が遠くなるような金額だった。

 が、アルバイトができなかったわけではない。
日本領事館の井口氏や、M物産の支店長らが、そのつどアルバイトを回して
くれた。
たいていは観光案内。
日本からやってくる政治家や実業家を、案内して回る。
その中には、たまたまハイジャック事件で北朝鮮に渡った、山村運輸政務次官もいた。
あの事件のあと、山村氏は、メルボルンにしばらく身を隠していた。
理由は、聞いていない。

なおアルバイト料はあとから受け取ったが、それよりも日本料理を腹いっぱい食べ
られるのが、何よりもうれしかった。
当時、コリンズ通りだったと思うが、路地を入ったところに一軒だけ、日本料理店が
あった。
当時の日本料理は、それこそひとつが、?万円を超えるほど、高級料理だった。
まぐろの刺身にしても、そのつどコック長が、マグロをそのまま席へもってきて、
どこを食べるか聞いた。

 私はすぐその料理店のみなと、親しくなった。

●ゲストルーム

 ゲストルームは、ハウスの裏手にあった。
部屋は4ルーム。
2つのベッドルームのほか、キッチンや談話室が備わっていた。
実のところ、私も、そんなところにゲストルームがあるとは、知らなかった。
ハウスには、毎週のようにノーベル賞級の学者がやってきて、私たちといっしょに
生活した。
そうしたゲストたちが、そこに泊まっていた。
が、今回は、私たちの番。

いつもそう思うのだが、オーストラリアでは、すべてが大ざっぱ。
シャワーにしても、ザーッと水が出るというよりは、ドカーッと出る。
タオルに石鹸をつけて体を洗おうとしても、石鹸のほうが先に落ちてしまう。
こちらの生活に慣れるには、それなりの時間がかかる。

●家具

 家具も、大ざっぱ。
日本的なこまかい細工はない。
ないかわりに、しかしどれも本物の木材を使っている。
ベットの横に小さな小物戸棚があるが、ワイフは動かすことすらできなかった。
ドシンと重かった。

「100年先、200年先を考えて、こういう家具を使っているのだね」と私が言うと、
ワイフも、「そうねえ」と。
どこか感慨深そうだった。
年数がさらに重みをます。

 このゲストルームにしても、100年近く前に建てられたもの。
外観は古いが、あちこちに歴史的な重みを感ずる。
加えて、独特の、あのにおい。
白人の体臭というか、なめし皮のにおい。
床のジュータンと、乾いたペンキのにおい。
そのにおいに包まれると、そのまま41年前にタイムスリップしてしまう。

●食事

 夕食は6時半から。
この時刻は、41年前と変わっていない。
私とワイフは、寮長(ウォードン)の横に並んで座った。
たまたまホッケーで活躍した女子学生たちも、ハイテーブルに並んだ。

 最初のスピーチで、寮長が私たちのことを紹介した。
「41年ぶりに、この2人の紳士がこのハウスに泊まります」と挨拶すると、食堂から
拍手がわいた。
うれしかった。
私の名前も写真も、ハウスの記録の中に残っていた。
うれしかった。

●話題

 「日本」というと、すぐ「津波」と「原発事故」の話になる。
私は冗談を交えながら、話題をそらした。
寮長も、対面して座った女子学生たちもそれを知って、話題を変えた。

 不思議なものだ。
ハウスに入ったとたん、ワイフにまで英語で話しかけている。
へたくそな英語の上に、あのオーストラリアン英語。
わかってくれたのかどうかはわからない。
そのつどワイフも、英語で答えてくれた。

 このハウスでは、アジア人でも外国人。
日本人的な顔をしていても、外国人。
ワイフもその外国人に見えた。
……というか、日本語と英語を同時に話すのは、疲れる。
本当に疲れる。

●金沢大学

 私が通った母校。
金沢大学という大学は、以前は、城の中にあった。
石川門をくぐって橋を渡ると、兼六園。
私は4年間、その兼六園を通り、大学へ通った。

 その金沢大学は、現在、金沢市のはずれにある「角間」というところに移動している。
見るからに新制大学。
どこにでもあるような新制大学。
味も素っ気もない。

移動した理由は、金沢城址を、観光地にするため。
「お金(マネー)」がほしいため。
まだじゅうぶん使える学舎は、跡形もなく取り壊された。
そのあとに、城の城壁らしきものが復元された。
が、これこそ天下の愚作。
天下の愚作と言わずして、何という。

 ヨーロッパでもそうだが、オーストラリアでも、大学を市の中心部に置く。
「学府」という言葉は、そこから生まれた。
つまり「知」の殿堂。
それが大学。
その大学が、市の知性を先導する。

 メルボルン大学にしても、そうだ。
メルボルン市の北側に隣接し、大学全体が深い緑の森に覆われている。
メルボルン市にあっても、もっとも美しい場所と言えば、パークビル通り。
左右を広大な公園に挟まれている。
観光名所にもなっている。

 メルボルンだけではない。
アデレードも、そうだ。
アデレード大学は市の中心部に隣接している。
それを取り囲むように、神学校や教育単科大学などがずらりと並ぶ。

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jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00210.JPG">

●中川善之助氏

 実は大学を取り壊し、観光地にするという話は、私が学生のころからすでにあった。
が、当時の学長であった中川善之助氏が、それにがんとして反対した。

 学生数は4000人。
その学生が金沢市に落とすお金は、莫大なもの、と。

 が、お金だけではなかった。
何かにつけ、市の行事は私たち学生が主導した。
祭りはもちろん、コンサート、催し物、講演会などなど。
ついでに学生運動もした。
それだけ学生の存在感が大きかった。
……というか、そのときはそれに気づかなかった。
気づいたのはこの浜松市に住むようになってから。

 この浜松市は、恐ろしく文化性のない町だった(失礼!)。
静岡大学の工学部もあったはずだが、その存在感がまるでなかった。
祭りにせよ、静岡大学の学生が何かをしたという話は、今に至るまで耳にしたことがない。
だから……というふうに言い切るのも失礼なことだが、この浜松市は、どこかヤクザぽい。
知的レベルが(?)(失礼!)。
金沢と比較してみると、それがよくわかる。

 たとえば金沢では夜ともなると、あちこちの公民館から、三味線や鼓(つづみ)、謡
(うたい)の声が聞こえてきた。
大学の教授たちが開く講演会は、毎晩のようにあちこちで開かれた。
それらが全体として、金沢市の「品格」を支えていた。

●メルボルン大学

 メルボルンを訪れた人は、メルボルン大学のもつ広大なキャンパスに驚くだろう。
周辺には、中世の城を思わせるカレッジが、ズラリと並んでいる。
そしてその外側を、学生たちが住む学生寮や家々が取り囲んでいる。
それだけではない。
そのメルボルン大学を囲むように、総合病院や女性病院、子ども病院、さらには、
いくつかの単科大学が林立している。

 メルボルン市を見るかぎり、むしろ商業地域のほうが、小さく見える。
フリンダース駅周辺には、高層ビルも多いが、それでもメルボルン大学のもつ存在感
は、大きい。
待ちを歩く若い人たちと言えば、大学生。
その大学生たちが、メルボルン市を先導している。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/94/img5e28fdabzik8zj.
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width="640" height="480" alt="DSC00394.JPG">

 で、この浜松市はどうか。
現在、市内は、若者たちに占領されてしまっている。
以前は仕事を終えたサラリーマンや労働者が、多く立ち寄った。
が、今は、若者たち。
怪しげな雰囲気を漂わせた男や女たち。
一見して、そのレベルとわかる男や女たち。

 それを金沢市に住む友人に話すと、こう言った。
「金沢も似たようなものだよ」と。
学生が街にいたころは、まだ華やかだった。
が、今ではあの香林坊(繁華街)ですら、ゴーストタウン化している。
 
●天下の愚作

 金沢大学が角間に移設されると聞いたとき、私はまっさきに金沢の友人(弁護士)に
聞いた。
「どうしてだ?」と。
するとその友人はこう言った。
「県知事が、金大(金沢大学)出身でないからね」と。
つまり金沢大学に愛着がないから、と。

 わかりやすく言えば、県知事は、「金儲け」を優先させた。
金沢大学を追い出し、そのあとに城を復元する。
観光地として売り出す。
魂胆は見え見えというか、それが目的だった。

 で、結果はどうなったか。
金沢市の観光収入は、それで増えたのか?
NHKの大河ドラマの影響で一時的に観光客はふえたものの、今はその反動に苦しんで
いるという。
それに観光地といっても、城跡に城壁を連ねただけのもの。
観光客にしても、石川門をくぐったあと、一瞥(べつ)してそのまま外に出てしまう。

 が、それ以上に金沢市の失ったものは大きい。
金沢市は「知」を失った。
わかりやすく言えば、どこにでもあるような俗っぽい町になってしまった。

 ……同窓会に出るたびに、私たちはこう言う。

「金沢大学は北海道大学についで、全国第二の広いキャンパスを誇った。
それがぼくたちの誇りでもあった。
が、今は、見る影もない。
どこにでもある新制の私立大学のようになってしまった。
が、いちばん損をしたのは、金沢市自身ということになるよ。
この先、100年、200年をかけて、さらに俗っぽい町になる。
そのほうがよっぽど損なんだがね」と。

 なお金沢大学が角間に移ってからというもの、私は一度も角間を訪れていない。
同窓生の中でも、訪れた人は、ほとんどいない。

 ……それでも「はやし(=私)の言うことはおかしい」と思うなら、一度、
メルボルン大学を訪れてみることだ。
あなたもその存在感に圧倒されるはず。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/95/img3bfaebefzik2zj.
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width="640" height="480" alt="DSC00153.JPG">


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●原発事故(日本沈没)

 恐ろしいことが起きつつある。
政府は、「落ち着いて」とか、「冷静に」とか言っている。
落ち着け?
冷静になれ?
しかし落ち着いているばあいではない。
冷静になれるばあいではない。
アメリカ・ホワイトハウス報道官でさえ、「緊急事態」という言葉を使っている。
「緊急」というのは、「緊急」。
それ以上でも、またそれ以下でもない。

 テレビに釘付け。
じっと見入る。
襲い来る不安感。
政府の役人や東京電力の職員の一言一句に、何も聞き漏らさないと、神経を集中する。
が、どれもおかしい?

まずあのED官房長官。
役人の書いた作文を読んでいるだけ。
それ以上の知識は、ゼロ。
記者の質問には何一つ、答えられない。
質問されそうになると、「私からは以上です」と言って、逃げてしまう。
答えられないばかりか、今朝は、こんな珍説も。

FD官房長官は、こう言った。
「マスコミの無責任は発言は、国民の不安を増大させるだけ。
謹んでほしい」と。

それに対して、すかさず1人の記者が質問した。
「どこのマスコミか?」と。
が、FD官房長官は、それに対して、タジタジ。
FD官房長官の、その発言こそが、「無責任な発言」ということになる。

 保安院の役人にしても、そうだ。
イチバン最初に登場してきた役人は、「マイクロ・シーベル」の意味すら知らなかった(?)。
記者に質問されると、一瞬、二瞬、戸惑った表情をして見せた後、「あとで報告します」と。
さらにこんなバカげた返答も。

 福島第一原発の北、20キロに、女川原発がある。
そこでは8マイクロ・シーベル・の放射能が検出された(14日)。
それについて、「この放射能は、福島第二原発からのものと思われます。
8マイクロ・シーベルは、まったく心配ない数値です」と。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

 あのね、放射能の濃度というのは、距離の二乗に反比例するの!
仮に20キロとするなら、20000メートル。
20000x20000=400000000=4億!
つまり放射能の発生元の1メートル四方では、その4億倍の放射能が漏れたことになる。
もちろん風向きにもよるが、実際には、それ以上とも考えられる。
たまたま南風に乗って、女川原発に直行したと考える方が、無理。

8マイクロx4億が、どういう数値になるか、自分で計算してみらたよい。
(この計算によれば、発生元では、32億マイクロシーベル、つまり320万ミリ
シーベル。
とんでもない放射能が漏れ出たことになる!)
……と思っていたら、またまた同じ発言。

今度は、福島第二原発から、100キロ離れた、東海村原子炉周辺で、5マイクロ・
シーベルの放射能が検出された。
それについても、同じ意見。
「(福島第二原発から流れてきた放射能と思われるが)、この程度なら、心配ありません」
(NHKテレビのコメンテイター)と。

 今度ほど、私は科学者(?)の脳みそを疑ったことはなかった。

 ド素人の官房長官。
役人根性丸出しの東京電力の社員たち。
深刻さを、あえて覆い隠そうとする科学者たち。
「こんな連中が、日本の安全を担っていたのか」と、私は唖然とした。

 が、不測の事態は、不測の事態を呼ぶ。
人為的ミスが、それに追い討ちをかける。
電源機が燃料切れで、2時間も停止していた。
こうして1号基、3号基、2号基とつづいて爆発。
今は、4号基まで、爆発。

 1号基が爆発したとき、「ほかの原発はだいじょうぶです」と、確か、言っていたぞ!
そのとき2号基、3号基、4号基も併せて、対策を講じていれば、こんな大惨事には
ならなかったはず。
いいか、爆発したこと自体、大惨事!
緊急事態!

 私なら総理大臣なら、半径100キロ以内の人たちに、避難命令を出す。
福島第二原発から東京まで、直線距離にして、170キロ。
東京だって、あぶない。

 が、管総理は、こう言った。

「関係者は、命がけで、懸命な作業をしています」(記憶、3月15日)と。
前回のときは、「東京電力に、任せるしかない」というようなこと言っていた。

 だから、どうなの?
それがそれが、どうしたの?
私には責任逃れの詭弁にしか聞こえなかった。

 こういうときほど、ものごとがすべて裏目、裏目と出る。
まるでドミノ倒しのように、それがつづく。
日本の経済も、大きく揺らいだ。

株価は大暴落。
円は急上昇。

円が急上昇したのは、円キャリーの逆流が始まったため。
このあとやってくるのは、国家破綻(デフォルト)。
ハイパーインフレ。
わかりやすく言えば、札が紙くずと化す。

そこで日銀は、昨日(15日)、15兆円のお金を市中にバラまいた。
日本の心臓に、電気ショックを与えた。
メチャメチャな対策としか言いようがない。
ないが、この際、しかたない。
死ぬか、生きるか?

 私とて、日本人。
福島第一原発が、このまま静かに収まってくれればよい。
心から、そう願う。

 が、このザワザワとした不安感を、払拭することができない。
このままでは、この日本は、本当に沈没してしまう!

2011/03/15

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●東日本・大地震(14:46分、M8・8)(改)

+++++++++++++++++++++

午後2時40分すぎ、東日本を巨大地震が襲った。
私はそのとき教室にいて、その日のレッスンの準備
をしていた。
教室が揺れ出したのは、ワイフがちょうど席を
立ったときのことだった。
階下から子どもの声がしたので、それを迎えに
いくためだった。

「おい、地震だ」と私が声をかけると、ワイフが、
「あなたが揺らしているのでしょう?」と。
「ちがうよ、ホラ!」と。
机の上の電気が、ユラユラと揺れていた。
壁にかかった額縁や時計が、ユラユラと揺れていた。
それを見て、ワイフは黙った。

沈黙が流れた。
10秒・・・20秒・・・。
かなり長い揺れだった。
実感としては30秒以上もつづいた。
「これは大きな地震だ」と、直感でわかった。
「東京か・・・ちがう。もっと遠くだ・・・そうだ」と。
横揺れが長くつづくというのは、そういう地震をいう。

私が教室の外へ飛び出すと同時に、生徒が1人、靴を
脱いで、中へ入っていった。
私はその子どもを抱きかかえると、階段をおりた。
「靴がない」と子どもが暴れた。
が、私はかまわず下へおりた。

(2011年3月11日)

+++++++++++++++++++++

●福島第一原発

 3月11日の夜から、テレビの報道にくぎ付け。
ほぼ徹夜。
今朝もまた朝からテレビにくぎ付け。
昼過ぎ、ワイフと買い物。
帰ってきてからも、またテレビにくぎ付け。

息が止まる。
涙が出る。
体が震える。
「これが私たちの国か」と思う。
思うたびに、体を鋭い不安感が貫く。
こわい。
恐ろしい。
ふと油断すると、放心状態。
頭を振って、また画面を見つめる。
その繰り返し。

が、今は、福島第一原発事故。
午後3時30分過ぎ、爆発事故が起きた。

 時刻は、午後6時少し過ぎ。
たった今、(経済産業省原子力安全)保安院の職員による会見が
終わったところ。
が、内容は、「わからない」「調査中」と。
午後3時30分過ぎに爆発があって、午後6時に、わからない?
2時間半もたって、「調査中」とは!
電話が無理なら、無線電話一本ですむ話。
それすらしていない!
不安感が怒りに変わる。

●最悪

 それにしても頼りないのが、ED官房長官。
緊迫感がまるでない。
ヌボーッとした言い方が、かえってイライラ感を誘う。
言うことは、いつも同じ。
「落ち着いてください」「風説にまどわされないように」と。
こんなバカげた会見を聞くために、テレビを見ているのではない。

 万が一、(すでにかなりの量の放射性物質が放出されているようだが)、
放射能漏れということになったら、ことは最悪。
あのチェルノブイリで起こった事故と同じものが、この日本で起こることになる。
へたをすれば、東北地方には、人はだれも住めなくなる。
10キロとか、100キロの範囲ではない。
1000キロ単位で、人が住めなくなる。
(福島から東京まで、約170キロ。
東京から浜松まで270キロ。
グーグルマップで計測。)
そういう深刻さが、まるでわかっていない。

●心配

 最悪の地震。
まだ何とかなる。
その「最悪」がわかればよい。
最悪から、未来に向かってはいあがることができる。
たとえば青森市は昨日は、全域にわたって停電していた。
が、翌日の今日は、電力が戻った。

天災は、経済活動には、ほとんど影響を与えない。
それが今までの経済界の常識だった。
しかしこれほどまでの天災は、例外。
加えて原子力発電所の事故は別。
日本の経済に、決定的なダメージを与える。
そうでなくても、日本経済は薄い氷の上。
いつ何どき崩壊しても、おかしくない。
「こんなときに、金(マネー)の心配?」と思う人もいるかもしれない。
しかし日本全体への影響となると、深刻。
この先、10年後、20年後にわたり、深刻な影響を与える。
あるいは日本はそのまま再起不能になってしまう。

 もし今度の原子力発電所の事故が、さらに深刻なものになれば、万事休す。
日本の国家破綻(債務超過=デフォルト)は、確実。
「時間の問題」と言われた、その「時」がやってくる。
たった今の報道によれば、トヨタ自動車は、14日から、すべての操業を停止する
と発表した(3月12日19:30)。
すでにその「時」が始まった。

●希望

 ・・・先のところまで書いて、今日(13日)になった。
福島第一原子力発電所の第1号機は、今のところ落ち着いているという。
その代わり、今度は第3号機が、おかしくなり始めたという。
まだまだ気が抜けない。
が、昨日のような緊張感はない。
・・・というか、疲れてしまった。

 「こんなことがあるのか?」と、そのテレビの報道を見ながら、つど思う。
疲れを感じたとたん、現実感がそのまま薄れていく。
その下には、無数の人たちがいて、悲しみにうちひしがれている。
その悲しみが薄れていく。
ただ茫然としたまま、画面だけを見つめる。
こんなことを考えてはいけないということはよくわかっている。
しかしどうしても、考えてしまう。

「もし、同じような大津波が、この浜松を襲ったら、どうなるか。
私の家はだいじょうぶだろうか」と。
しかし明日は我が身。
どうしても、結論はそこへ行ってしまう。
つまり考えが、堂々巡りしてしまう。
先へ進まない。

●終わりに・・・

 今回の大地震、それにつづく大津波。
それがどういうものであったかは、もう少し時間がたたねばわからない。
政府もみな、関係者は今、懸命の活動をしている。
「がんばってください」とだけしか言いようがない。
手伝いたくても、どうしようもない。
テレビ局によっては、すでに募金活動を始めたところもある。
もう少し様子をみたあと、協力できることは、しよう。
・・・と心に決める。

 3日ぶりに救出された男性(80歳くらい)が、こう言った。
「私は、チリ津波も経験しています。
再建できますよ」(テレビ報道)と。
その笑顔が、さわやかに見えた。
プラス、それを聞いて、思わず、涙がこぼれた。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/4255532084/" title="●BLOGタ
イトル最前線の子育て論byはやし浩司 by bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm5.static.flickr.com/4006/4255532084_4e04cf5858_o.jpg" width="500" 
height="250" alt="●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司" /></a>

++++++++++++++++++++

日本中が言いようのない不安感に襲われている。
どうか、私のYOUTUBEを見て、元気を
出してほしい。

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【楽しく学ぶ子どもたち】

この子どもたちの笑い声を守るのは、私たちおとなの役目+義務である!


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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【オーストラリア旅行】(1)

●オーストラリア旅行(2011年3月30日〜2011年4月7日)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/92/img057a2448zikfzj.jpeg

width="800" height="600" alt="IH.jpg">

【出発前に……】

●オーストラリア

+++++++++++++++++++++

2011年、3月30日。
ワイフと私はオーストラリアへ「行く」。
「行く」と構えるほど、私にとっては、重大事。
サケが長い回遊を経て、ふるさとの源流に
もどるように、私は心の源流にもどる。

それをメールで知らせると、2人の友人から、すかさず
返事が届いた。
アデレードで2泊の予定だった。
が、2泊ではとても足りそうにない。
それにアデレードからメルボルンまでは、列車で移動する予定だった。
が、友人が言うには、車でオーストラリア大陸を縦断しよう、と。
そうなると、とても2泊では足りない。

+++++++++++++++++++++

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width="640" height="480" alt="DSC00113.JPG">

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jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC00801.JPG">

●Rosin the Beau

 オーストラリアの友人が教えてくれた歌に、「ローザン・ザ・ボー」
というのがある。
アイルランドの民謡(drinking song)ということだが、私はその歌を
今でもソラで歌える。
しかし歌の題名がわからない。
YOUTUBEで調べてみた。
「Rosan the Ballか?」・・・ということで、調べてみたが、
うまくヒットできなかった。

 が、今日、その歌を教えてくれた友人から、返事が届いた。
正しくは、「Rosin the Beau」。
さっそくYOUTUBEで検索。
いくつかのシンガー・グループが歌っているのがわかった。
その中でも、「ザ・ダブリンズ」のが、そのままの歌い方だった。
こうした民謡は、歌手によって、アレンジの仕方がまちまち。
私はその歌を聴きながら、ポロポロと涙がこぼした。
そのときの情景が、そのままそこにあった。
私はちょうど40年前に、タイムスリップした。

 それを横で見ていて、ワイフがこう言った。
「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。

 私は名前を教えてくれた友人に、返事を書いた。
「30年間、ぼくはこの歌をさがしつづけた。
やっとこの歌に、めぐり会えた。
ありがとう」と。

●1日が1年

 あのころの私は、1日を1年のように長く感じながら生きていた。
けっして大げさな言い方ではない。
本当に、そう感じた。
1日が終わり、ベッドに体を横たえた瞬間、そう感じた。
そんなある日のこと。
ちょうど3か月目のことだった。
私はこう思った。
「まだこの先、こんな生活が9か月もつづくのか!」と。
うれしかった。
それがたまらなく、うれしかった。

 私は留学する前、4年間、金沢の大学に通った。
そういう自分を振り返りながら、その密度のちがいに驚く。
4年間、通ったはずなのに、その4年間の重みがどこにもない。
思い出がない。
あるにはあるが、オーストラリアでの経験があまりにも濃密すぎた。
そのため金沢での学生生活がかすんでしまう。
その感覚は、今でもそうで、青春時代というと、あの時代ばかりが光り輝く。
金沢での4年間もそうだが、さらに高校時代の3年間となると何も残っていない。
単調な生活。
スケールの小さな生活。
「学問」と言っても、暗記また暗記。
あの時代には、(今でもそうだが)、自分で考えるということすら許されなかった。
疑問をもてば、なおさら。
疑問をもったとたん、「学校」というコースからはじき飛ばされてしまっていた
だろう。

●不思議な世界

 そうした様子は、『世にも不思議な留学記』に書いた。
地元の中日新聞と、金沢学生新聞に、あしかけ5年に渡って、連載させてもらった。
興味のある方は、ぜひ、読んでほしい。
私のホームページ(ウェブサイト)から、『世にも不思議な留学記』へと進んでもらえば
よい。

 が、時代が変わった。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
私たちが学生のころには、考えられなかったことである。
往復の旅費(羽田・シドニー間)だけで、42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超え始めた時代である。

 私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
日本には綿棒すら、まだなかった。
バンドエイドもなかった。
風邪を引けば、風呂へ入ることを勧められた。
医学部の学生が部屋までやってきて、注射を打ってくれた。
こんなこともあった。

 カレッジ対抗で、演劇会をもつことになった。
大学の構内では、壁紙を張ることが、きびしく禁じられている。
が、友だちが、「これからその案内のポスターを貼りに行く」と。
驚いてついていくと、彼らはそれを地面に貼っていた。
(地面だぞ!)

 あるいは冬の寒い日。
1人の女の子が私を、海へ誘ってくれた。
水着をもってくるように言われた。
今となっては本当かウソかよくわからないが、・・・というのも、
オーストラリア人は、この種のウソを平気でつくので、・・・名前をタマラ・ファクター
といった。
自分で、「私は、(化粧品の)マックス・ファクターの孫」と言っていた。

 で、海へ行くと、・・・そういえばそこで私ははじめて、「ミート・パイ」という
オーストラリアでもっともよく食べられているパイを食べた。
その食べている間に、彼女は、水着姿になってしまった。
泳ぐためではない。
「サン・ベイジング(日光浴)」のためだった。
・・・などなど。

言い忘れたが、冬に浜辺でサン・ベイジングなるものをするという
習慣は、当時の日本人にはなかった。
そう言えば、同じカレッジにいた友人は、冬の日でも、また雨の日でも、
金曜日の夕方になると、キャンピング道具をもって、近くの森へキャンプ
に出かけていた。
そういう習慣も、当時の日本人にはなかった。

 ……こうして書き出したら、キリがない。

●常識論

 アインシュタインは、常識というのは、18歳までに作られる偏見であるという
ようなことを書いている。
たしかにそれはそうで、子どもたちにしても、綿棒を見て驚く子どもはいない。
そこにあるものを、当然のものとして、受け入れていく。
が、それは18歳ごろ、常識として脳の中で、固まる。
それ以後は、その常識に反するものを、「異質なもの」として処理しようとする。
ときにそれが脳の中で、それまでの常識とはげしく対立することもある。

 たとえば私は向こうの女子学生たちが、みなノーブラで、それこそ乳首が飛び出て
いるような状態で、薄いシャツを着ているのを見て驚いたことがある。
その(驚いた部分)というのが、私の常識ということになる。

 では、何歳くらいの子どもだったら、驚かなかっただろうか。
15歳くらいか。
16歳くらいか。
それともアインシュタインが言うように、18歳くらいだろうか。
少なくとも私は驚いた。
そのとき私は23歳だった。
ということは、やはり18歳前後ということになる。
(アインシュタインという人は、本当にすごい!)

 そのころまでに「常識」が形成される。
それがその人の意識の基盤になる。
ものの考え方の基盤になる。

●自由

 が、今では、高校生でも驚かない。
綿棒を見ても、バンドエイドを見ても、驚かない。
むしろそちらのほうこそ、不思議!、ということになる。
彼らもまた、生まれながらにして、そこにあるものを、当然と思い込んでいる。

 話は大きく脱線したが、私には毎日が驚きの連続だった。
が、その中でも最大の驚きといえば、彼らの「自由」に対するものの考え方だった。
彼らがもっている自由の意識は、私がもっていた意識とは、明らかに異質のもの
だった。
たとえば職業観。
たとえば家族観。
たとえば人生観。
それを知るたびに、私の頭の中で火花がバチバチと飛び散るのを感じた。

 当時の私たちは職業といえば、迷わず、大企業への就職を選んだ。
「寄らば大樹の影」。
それが常識だった。
が、オーストラリア人には、それがなかった、などなど。

私などは、友人の父親たちが、収入に応じて、つぎつぎと家を移り替えていく
のに驚いた。
「家」に対する意識も、ちがっていた。

 私が大学で使ったテキストには、こうあった。
「日本は、君主(Royal)官僚主義国家」と。
が、これには私は反発した。
「日本は民主主義国家だ」と。
しかしだれも相手にしてくれなかった。

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
首相以下、国会議員の大半は、元官僚。
県知事の大半も、元官僚。
大都市の知事も、これまた元官僚。
40年前の日本は、さらにそうだった!

●自由の意識

 もちろんオーストラリアでの生活は、私の人生観に大きな影響を与えた。
それがよかったのか、悪かったのか。
現在の私が、その「結果」とするなら、よい面もあるし、悪い面もある。
この日本は、組織型社会。
組織に属している人は、実力以上の「得」をする。
たいした努力をしなくても、「得」をする。
今の公務員たちをみれば、それがわかる。
組織に属していない人は、実力があっても、「損」をする。
努力に努力を重ねても、「損」をする。
今の商工業界の人たちをみれば、それがわかる。

 「自由」を知らない国民には、それが常識かもしれない。
しかもそうした常識は、遠く江戸時代の昔から、しっかりと日本の社会に根を
おろしている。
そう簡単には、なおらない。

 が、あえて私は自由の道を選んだ。
たいへんな道だったが、私は私の生き様を貫くことができた。
その原点が、あのオーストラリアでの学生生活にある。

 人は、友だちや師、さらには社会や国から、さまざまなものを学ぶ。
何を学ぶかは、それぞれの人によってちがう。
私のばあい、「生き様」を学んだ。
一編の論文を書いたわけではない。
もしあの時代の論文があるとすれば、今の私自身ということになる。
オーストラリアという国は、私にはそういう国だった。

【バスの中で】

●3月30日、中部空港・セントレアへ

 「さあ、行くぞ!」と、バスの中。
エンジンがかかった。
時刻は6時10分。
行き先はオーストラリア。
メルボルン。
アデレード。

 タクシーの中でもそうだった。
今もそうだ。
震災の話も、原発事故の話もしたくない。
今は、そんな気分。
話したところで、どうにもならない。
堂々巡り。
愚痴。
不平、不満。
その繰り返し。

●浜松もあぶない?

 今回のオーストラリア行きは、去年から予定していた。
チケットの予約を入れたには、先月(2月)の終わり。
「こんなときに旅行?」と思う人もいるかもしれない。
が、震災の前から、今回の旅行は、予定していた。

どこか弁解がましいが、今回の震災(3月11日)とは関係ない。
が、その一方で、日本から脱出するという意識もないわけではない。
不幸中の幸いというか、今回の原発事故は「風」が幸いした。
事故以来、冬型の天気図。
風はずっと陸から海側に吹いていた。

 が、そんな「幸い」が、いつまでもつづくとはかぎらない。
風向きが変われば、東京だってあぶない。
浜松だってあぶない。
原発事故は、100キロ単位どころか、1000キロ単位で広がる。

●人災論

 今回の原発事故について、人災論が浮上してきた。
いくつかの人的なヘマが重なって、事故が拡大した。
処理が、長引けば長引くほど、そうだろう。
責任論が大きくなる。

原発は「作る」のは簡単。
「閉じる」のがむずかしい。
これは私の意見ではない。
世界の常識。

 つまり閉じ方も確立されていないまま、今回の事故が起きた。
ホースで水をかける程度の処理で、事故が収束するはずがない。
たとえば昨日(3月29日)になって、プルトニウム吸収剤を散布するとか(報道)。
そんな話が決まった。
しかしこの日本に、そんな吸収剤はあるのか?

 それにしても腹立たしいのが韓国。
「日本・危険説」をさかんに世界に向けて発信している。

●1970年

 ……またまた震災の話になってしまった。
やめよう。
こんな愚痴を書いても、何にもならない。

 私がオーストラリアへ渡ったのは、1970年の3月。
大阪万博(1970)が始まる、その直前だった。
日にちはよく覚えていない。
1970年の3月3日か4日だった。
私はあえて各駅停車の飛行機に乗った。
世界中を見たかった。
もっとも当時の飛行機(DC−8)は、航続距離が短い。
香港とマニラで給油のため駐機した。

 はじめての香港。
はじめてのマニラ。
私は外国に降り立つたびに、自分の体が宙を舞っているように感じた。

●悪夢

 ワイフは横で、今しがたまで、何やらメモを取っていた。
どこかウキウキしている。
若いころからのんきな女性。
なにごとにつけ、楽天的。
おおらか。
だからこそ、私のワイフでいられた。
今回も、1か月も前から、旅行の準備をしたのは、私。
「まだ早いでしょ!」と。
何度もワイフに言われた。

 が、私は落ち着かない。
今でも悪夢と言えば、飛行機や列車に乗り遅れる夢。
29歳のとき飛行機事故を経験している。
それだけではないが、こうした強迫観念は、どうしようもない。
いつも何かに追い立てられている。
それがそういう悪夢につながっている。

●オーストラリアの秋

 窓の外は冬景色。
今年の冬は寒かった。
今も寒い。

 昨日、オーストラリアの友人に問い合わせた。
アデレードでは気温は、10度〜30度という。
日本の気候にちょうど6か月を加えたのが、オーストラリアの気候ということになる。
が、実際には、オーストラリアの夏は暑い。
オーストラリアは、今が秋。
これから畑に種をまき、冬の間に小麦を育てる。
今ごろは緑の草原が美しく広がっているはず。
楽しみ。

●終着点

 今回の旅行は、旅行というより、人生のしめくくり。
ワイフのことは知らないが、私はそうとらえている。
ちょうど41年。
オーストラリアでの学生生活を「出発点」とするなら、今が「終着点」。
その41年を、何とか乗り切った。
生き延びた。

 私の人生を総括すると、そうなる。
つまり自由業というのは、そういうもの。
「自由」というのは、そういうもの。
だれにも頼らず、たったひとりで生きる。
が、充実感は、それほどない。
私のばあい、いつもハラハラしながら、生きてきた。
今の今も、そうだ。
こういう旅行をしながらも、別の心では、すでに帰国後のことを考えている。
あるいは、そのころ、日本はさらに混乱しているかもしれない。

 またまた原発事故の話になる。
今のやり方では、だめ。

●フンギリ

 「フンギリ」という言葉がある。
「糞切り」と書くのか。
どこかでフンギリをつける。
そのフンギリが感じられない。

 事故直後から、廃炉を覚悟すべきだった。
廃炉を覚悟で、処理に取りかかるべきだった。
が、それを何とか原子炉を残そうとした。
今の今もそうだ。
原子炉内への注水とタービン室の排水。
この2つを両立させようとしている。
が、このやり方では問題は解決しない。
へたをすれば、両倒れ。

私なら、海はあきらめ、原子炉のメルトダウンだけを考えて対処する。
海の汚染は、まだ何とかなる。
しかし原子炉がメルトダウンし、原子炉が爆発したら、万事休す。
死の灰は、日本中に降り注ぐ。

●自由

 話は脱線したが、「自由」というのは、そういうもの。
損と得が、いつも隣り合わせになっている。
損にこだわっていたら、自由にはなれない。
深みにはまり、やがて身動きが取れなくなる。
フンギリをつけるときは、つける。
それが身を軽くする。
今回の原発事故には、そのフンギリがない。
つまり卑しき役人根性。

「やるべきことはします。しかしそれ以上のことはしません」と。
あとは責任逃れ。
そればかり。

アーア、また愚痴になってしまった!

●自由業

 自由業について、一言。

 今、この日本で、自由業と言えるような自由業というのは、ほとんどない。
農業にしても漁業にしても、補助金漬け。
補助金がなければなにもできない。
どう補助金漬けになっているかは、その世界の人なら、みな知っている。

町の小さな企業ですら、いかに公的機関の仕事を多く受注するかで、命運が決まる。
土建業を例にあげるまでもない。
つまりみながみな、「国」にぶらさがっている。
また「国」にぶらさがらないと生きていかれない。

 一方、私など、補助金の「ホ」も手にしたことがない。
国からそれらしきものを手にしたのは、出産時の祝い金だけ。
3人の息子たちが産まれるたびに、それをもらった。
10万円x3=30万円!
計30万円!

 だからこう言う。
「生き延びた」と。

●究極の選択

 人生には、潮時というものがある。
今が、そのときかもしれない。
私も63歳。
団塊の世代、第一号。

 ここでいつも究極の選択に迫られる。

(1)健康な間に、好き勝手なことをする。
(2)死ぬまで今のまま、がんばる。

 「好き勝手なこと」というのは、私の夢を果たす。
私には私の夢があった。
そう、あのとき私は、オーストラリアに移住したかった。
留学生活が終わったとき、そのままオーストラリアに残りたかった。
が、それができなかった。
郷里の母が、今にも死にそうな声でこう言った。
「帰ってきておくれ」「帰ってきておくれ」と。

 が、今ならそれができる。
だれにも遠慮せず、好き勝手なことができる。
ワイフも、それを言う。
「移住しましょうよ」と。

 おかしなものだ。
オーストラリアを知らないワイフのほうが、積極的。
どうしてだろう?

【セントレア空港で】

●シンガポール航空

 シンガポールからメルボルンまで、A380。
わかるかな?
エア・バス380だぞ。
世界最大の旅客機。
「2階席にしますか、1階席にしますか?」と聞かれた。
それでそれを知った。
もちろん私はこう答えた。
「2階席に」と。

 今や、シンガポールがアジアの中心。
東京ではない。
シンガポール。
1人当たりの国民所得でも、すでに日本は追い抜かれている。
だからそういう飛行機でも買うことができる。
世界最大の旅客機。
「日本は負けたね」とワイフに言うと、ワイフもあっさりとこう認めた。
「とっくの昔にね」と。

●ラウンジで

 出発まで1時間半。
ワイフラウンジで、軽い朝食。
意外と白人が少ない。
前後左右、みな、ジャパニーズ。
これも原発事故の影響か?
そんな印象をもった。

 が、うるさいことといったらない。
右横の家族は、ギャーギャーと大声で騒ぎあっている。
祖父母らしき両親を中心に、2人の娘と1人の息子。
それにその子どもたち(孫)。
その孫が4人。

 その向こう隣には、同じような組み合わせの家族。
子どもはいないが、やはり大声で騒ぎあっている。
のどかとは言いがたいが、平和な風景。

 それにしてもうるさい!

●うるさい

 左横の家族は、グアムへ行くらしい。
「グアム」と書いた大きな雑誌を開いたり、閉じたりしている。
さらにその向こう側の2人連れは、何やらを書類に書き込んでいる。
若い方の女性が、「ここはこう……」というような言い方で、もう1人の女性に指示
している。

 「あと1時間……」とワイフが言った。
搭乗ゲートは、14番。
一番、端。
今、右横の家族を見たら、そちらは「韓国」と書いた本を読んでいる人がいた。
あのうるさい家族は、韓国へ行くらしい。

韓国でも同じように騒ぐのだろうか。

 「早めに14番ゲートへ行くか」と私。
「うん」とワイフ。
ここはう・る・さ・い。
子どもたちまで、ギャーギャーと騒ぎ出した。

●14番ゲートで
 
 目の前に58インチのテレビがある。
震災で犠牲になったアメリカ人教師の話をしている。
右下の案内には、「日本人を愛したアメリカ人教師」とある。
「生徒の無事を確認したあと、津波に……」と。
名前は、テイラー・アンダーソンという。
そのテイラー・アンダーソンに対する義援金募集をしている。

 今度の津波で、多くの外国人も行方不明になっているという。
たぶん、もう生きてはいないだろう。
今の日本から、震災、津波、原発事故の話から逃れることはできない。
どこへ行っても、だれと話しても、その話ばかり。

●A330ー300

 飛行機に乗ると、すぐ、映画、「ガリバー旅行記」を観た。
おもしろかった。
で、すぐ食事とつづき、そのあと、睡魔。
1時間ほど、眠った。

 時刻は日本時間で、午後2時23分。
もう4時間も乗っている。
日本との時差は、ちょうど1時間。
シンガポールは、午後3時23分。

 機種は、エアバス330。
いろいろ頭の中をさぐってみるが、エアバスに乗るのは、これがはじめて?
ボーイング社の飛行機とは、内装が微妙にちがう。
ざっと見たところ、新品。
車でいえば、新車。
汚れもなく、真新しい。
30〜40年前には、アジアの国々は、みな、日本が払い下げた中古機を使っていた。
フィリッピン航空の飛行機などは、窓枠がさびていた。
が、今は、ちがう。
この世界も、すっかり様変わりした。

 画面にそのつど時速(対地速度)が表示される。
それによれば、518マイル(833km)とか。
ボーンイング777や747よりは、遅い?
このあたりは、いつも強い向かい風を受ける。
そのせいかもしれない。

●さらば、日本!

 若いときからそうだ。
だから、どうかそういう私を責めないでほしい。
私は若いときから飛行機に乗り、離陸したとたん、こう思う。
「さらば、日本!」と。
とたん、日本のことを忘れる。
小さな国。
それが日本。
何かにつけ、わずらわしい国。
それが日本。

 そのクセが今も残っている。
「さらば、日本!」と。
今、私ははじめて、震災や津波、それに原発事故を頭の中から振り払うことができた。
この2週間、本当に重かった。
「重い」というよりショック状態。
ゆううつな気分が、四六時中、頭の中を離れなかった。
……ということは、逆に、帰国するとき、どんな気分になるのだろう。
それが心配。

●『東洋航路』

 シンガポールまで、あと約2300キロ。
頭の中で計算する。
あと約3時間。

 これも私のクセ。
シンガポールへ行くたびに、W・サマーセット・モームの書いた『東洋航路』という
本を思い出す。 
東南アジアへの旅行記である。
学生時代、無我夢中で読んだ。
どこかの港での描写が、鮮明な記憶となって残っている。
それもあって、私は東南アジアが好き。
タイ、カンボジア、ベトナム、シンガポール、そして香港……。
どの国も好き。
違和感を覚えない。
 
●非国民

 ああ、今、本当に日本のことが頭から消えた。
震災で苦しんでいる人には申し訳ない。
原発事故と懸命に戦っている人には申し訳ない。
しかし今の私は、やっとその憂うつ感から解放された。
やっと気が楽になった。

 こういう私のような日本人を、「非国民」というのか。
わかっている。
しかし総じて言えば、……つまり私の過去を振り返ってみれば、日本は日本。
いろいろがんばってはみたが、私はいつもはじき飛ばされてばかりいた。
つまり相手にされなかった。

ほとんどの日本人は、「日本は自由な国」と思い込んでいる。
しかしどこに「自由」がある?
自由もどきの自由、つまり「自由」という幻想を信じているだけ。
自由に生きる人間を認めない。
その価値を認めない。

 ある新聞社の記者(女性)は、私にこう言った。
「林さん(=私のこと)、私たちはあなたのような人が、成功してもらっては
困るのです。
あなたのような人が成功するのを見ると、私たちは自己否定しなければなりません」と。

 「組織」という「束縛」の中で、みな、体中をがんじがらめに縛られている。
縛られているという意識さえないまま、縛られている。
またそれ以外に生きる道がない。
あの日本では……。

●官僚主義国家

 では、私には愛国心はないのか?……ということになる。
が、私にとって愛国心とは、「民」をいう。
「土地」をいう。
「国」ではない。
頂点に「天皇」がいて、その下に官僚制度がある。
その官僚制度が、日本という「国」の柱になっている。
日本が民主主義国家と思っているのは、私たち日本人だけ。

 日本という国は、奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
そんな官僚主義国家を愛せよと言われても、私にはできない。
日本人も日本の文化も好き。
しかし「国」となると、どうしても好きになれない。

●自由と依存性

 41年前、オーストラリアに渡った。
毎日が驚きの連続だった。
が、その中でもオーストラリア人のもつ、あの「自由」には驚いた。
ある日、友人に招待され、小さな町に行った。
そこでのこと。
車の中にいっしょにいた中学生くらいの友人の弟が、こう言った。

「ヒロシ、あの橋には、X万ドルもかかったんだよ。無駄な橋だよ」と。

 これには驚いた。
そんな中学生ですら、税金の使われ方に目を光らせている。
一方、私たち日本人には、それがない。
万事、お上(かみ)任せ!

何かといえば、「国が……」「国が……」と。
何でも国がしてくれるものと、思い込んでいる。
その依存性こそが問題。
隷属意識と言い換えてもよい。
そういう精神構造を、「甘えの構造」ともいう。

つまり自由と依存性は、相克(そうこく)関係にある。
依存性が強い分だけ、自由への意識が薄い。
自由への意識が薄い分だけ、依存性が強い。

●キャンピング

 オーストラリアの学校には、「キャンピング」という科目がある。
「選択科目ですか?」と聞いたら、「必須科目」という。
つまり原野でも、ひとりで生きていかれる。
そんな子どもを育てるのを、オーストラリアの学校は目標としている。

 そのこともあって、オーストラリア人は、独立心が旺盛。
私が学生だったころでも、親のスネをかじって大学へ通っている学生は、さがさなければ
ならないほど、少なかった。
今は、もっと少ない。
奨学金を得るか、借金をするか、あるいは働くか。
それぞれがそれぞれの方法で大学へ通っていた。
友人の1人は、1年働き、1年大学へ通い、またつぎの1年働き……ということを繰り返
していた。

 その友人は、あいた時間を利用して、下着のセールスをしていた。
車のトランクの中に女性の下着をいっぱい詰めこんでいた。

●よみがえる思考回路

 おもしろい現象である。
飛行機でオーストラリアに近づくにつれて、忘れていた記憶がどんどんとよみがえって
くる。
あのころの自分が、そのまま戻ってくる。
思考回路まで、戻ってくる。
それに英語まで戻ってくる。

 日本で英語を話すと、このところ大きな疲労感を覚える。
が、今は、それがない。
この飛行機の中では、日本語のほうが、かえって話しにくい。
体で示すジャスチャまで、英語式。
オーストラリア式。

●機内サービス

 今回は、シンガポール航空を利用した。
オーストラリアへ行くときは、いつもカンタス航空を利用している。
戦後、一度も航空機事故を起こしていない。
世界でもっとも安全な航空会社。
それについてオーストラリアの友人に確かめると、こう教えてくれた。
「オーストラリアはオーストラリア独自の安全基準を作った。
世界の僻地(へきち)だったから、万事、手探りで、そうした」と。
つまりほかの国々のことがわからなかったから、独自の安全基準を作った、と。
それがかえって幸いし、今にみるカンタス航空を育てた。

 で、今回はシンガポール航空。
料金は、日本のJ社のそれより、やや安いといった程度。
(J社は、お高くとまりすぎ!)
現在、高級化路線を歩んでいるが、やがて裏目に出るはず。
ボロボロの飛行機を使って、高級化路線もない。
バカげている。
今度の震災以後、30%も客足が落ちているという(2011年3月)。

 一方、破竹の進撃を繰り返しているのがANA。
エアバス380の導入も決めている。
ボーイング787の購入もすませている。

 ワイフがこう言った。
「スチュワーデスの体型がみな、同じね」と。
みな、細く、スラリとしている。
それに美人ぞろい。
「きっと体型に関する機内規程があるんだろうね。
体重が50キロを超えたら、クビとか……」と。

美しいだけではない。
サービスも、たいへんよい。
ワインもビールも飲み放題。
先ほど座席の移動を頼んだら、こころよくそれに応じてくれた。
窓際の席から、4席あいている中央列の席に移動した。

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width="640" height="480" alt="DSC00037.JPG">


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●将棋の話(将棋に見る独裁者)

++++++++++++++++++++

将棋では、相手から駒を取ったら、その駒は、
即、今度は自分の駒になる。
自分の駒となって、相手を攻撃する。
(その反対のばあいも、そうである。)
が、この忠誠心のなさ。
薄情さ。
俗世間の言葉を借りるなら、これほどまでの
裏切り行為はない。

……と考えたところで、ハタと筆が止まる。
「これは日本の武士道の精神に反する」と。

そこで将棋の歴史を調べてみる。

現在、私たちが「将棋」と読んでいるゲームは、
平安時代の昔には、すでにあったようだ。
ウィキペディア百科事典には、つぎのように
ある。

「平安時代から五角形の板に墨で字を書く
という形式を保ち、ほとんど変化していない。
現在発掘されている駒で年代が特定されて
いるもののうち、もっとも古いものは奈良県
の興福寺旧境内跡から発掘されたものである」と。

つまり武士道が確立する前から、将棋は
あった。
もしそのとき武士道が確立していたら、
ルールは大きく違っていたはず。
武士道の精神が少しでもあるなら、将棋のように
コロコロと主君を替えるなどいうことはありえない。
たとえば西洋のチェスのように、一度
取られた駒は、死んでおしまい。
「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)である。

言い換えると、平安時代の昔には、
主従関係も、江戸時代のそれよりは、
はるかに緩(ゆる)やかで、いいかげんなもので
あったということになる。

主君など、だれでもよい。
そのときメシを食わせてくれるのが、主君。
その主君にために働く。

++++++++++++++++++

●独裁者

 ご存知のように将棋では「王(おう)」もしくは「玉(ぎょく)」が取られたら、
おしまい。
そのため金将、銀将以下みな、ときとばあいに応じて、どんどんと自爆攻撃を
しかけていく。……犠牲になっていく。
おとりになることもある。……犠牲になっていく。

 つまり将棋の世界に見る「王」「玉」は、まったくの独裁者。
自分の身代わり、もしくは後継者の存在すら許さない。
つまり将棋の差し手は、ゲームをしている間、完全な独裁者になる。
独裁者になりきって、将棋を指す。
ほかの駒への情け容赦は、無用。

自爆攻撃を命令するのも、指し手。
おとりに駒を差し出すのも、指し手。
自分という「王」を守ることだけを考えて、将棋を指す。
相手の「王」を殺すことだけを考えて、将棋を指す。

 将棋を指していると、ときどき自分が独裁者になったような気分になるのはそのためか。
あるいは独裁者の気持ちがよく理解できる。

●ルールの変更

 そこでルールを変更してみたら、どうだろう。
いろいろ考えられる。

(1)駒の置き方は自由にする。(「歩」の位置はそのままで、試合の直前まで、相手に
見せないようにする。)
(2)駒の上下関係はなくす。(ただし、動きは今まで通りでよい。)
(3)相手の駒を取ったら、自分の駒として使うことができる。(このルールは従来通り。)
(4)相手の駒をすべて取ったら、勝ち。(「王」を取ったら、勝ちというのではない。)

 こうすれば、将棋も、ずっと民主的になる。
言うなれば「民主将棋」。

……というか、私はときどきこのルールで、学生時代から将棋を指している。
最初は、将棋盤の上に、ついたてを立てておく。
「歩」だけは、従来通りに置き、そのほかの駒は、1段目、2段目に自由に並べる。
ついたてを取った瞬間、ゲームが始まる。
結構、このルールはおもしろいので、もし将棋を指すのが好きな人がいたら、一度、
ためしてみたらよい。

●独裁者論

 将棋は独裁者vs独裁者のゲームである。
あとの駒は、すべてその独裁者のためにある。
が、将棋がおもしろいのは、策略、謀略、罠、おとりが、一手ごとに、複雑に交錯
するところにある。
囲碁やチェスもおもしろいが、「奥深さ」という点では、将棋にはかなわない。
が、将棋のおもしろさは、それにとどまらない。

 将棋の世界を通して見ると、独裁者と呼ばれる人たちの心の動きが、よくわかる。
つまり独裁者の立場を、模擬体験できる。

 たとえば北朝鮮の金xx。
リビアのカダフィなどなど。

(1)独裁者はまず、身辺を親衛隊で固める。
忠誠心だけの、脳なし(能ではなく「脳」)の親衛隊であればあるほど、よい。
あるいは特別に優遇する。

(2)独裁者がいちばん恐れるのは、クーデター。
軍部の反乱。
そのため軍の中枢部には、親族を配置する。
あるいは判断力のない老兵を、象徴的に配置する。

(3)自分をかぎりなく神格化し、絶対化する。
が、ここで誤解してはいけないのは、独裁者自身が、それを望んでいるのではないと
いうこと。
独裁者を取り囲む、取り巻きが、それを望み、独裁者を神格化、絶対化する。
国全体を宗教国家化するという方法もある。
あるいは既存の宗教を利用する。
少し前に亡くなった、F氏(北朝鮮から亡命してきた政府高官)は、こう言っていた。
「金xxを支えているのは、取り巻きの20人程度。
多くても100人程度」と。

 つまりそういう人たちが「王の世界」を構成する。

(4)警戒すべきは、知識階級。
独裁者がもっとも恐れるのは、知識階級。
『庶民は宗教を信じ、知識階級は宗教を疑う。が、独裁者は宗教を利用する』
(西洋の格言)と。
知識階級が、独裁者の神格性、絶対性を疑う。

 そこで、つまり知識階級を抑え込むためには、2つの方法がある。
ひとつは物理的な方法で、抑え込む。
粛正という手段で、闇から闇に葬る。
ポルポトの大虐殺は、こうして始まった。

もうひとつは、知識階級そのものを独裁者の権威で、権威付けする。
その権威で、知識階級を懐柔する。
独裁者名で、「〜〜賞」を授与する。

●されど、おもしろい

 私の寝床の枕もとには、SONYのPSPが置いてある。
このところ毎朝、床から起き上がる前に、PSPを相手に将棋を指す。
それが日課になっている。
ぼやけた頭を覚醒させるには、この方法は、たいへんよい。

 プラス、私のような凡人でも、独裁者の気分を楽しむことができる。
とくに相手の王を追い込み、グサリととどめの一発!……そのとき覚える快感は、
ほかのゲームでは味わえない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 将棋論 独裁者論 独裁者の論理 将棋の論理)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3月11日

●東日本・大地震(14:46分、M8・8。)

+++++++++++++++++++++

午後2時40分すぎ、東日本を巨大地震が襲った。
私はそのとき教室にいて、その日のレッスンの準備
をしていた。
教室が揺れ出したのは、ワイフがちょうど席を
立ったときのことだった。
階下から子どもの声がしたので、それを迎えに
いくためだった。

「おい、地震だ」と私が声をかけると、ワイフが、
「あなたが揺らしているのでしょう?」と。
「ちがうよ、ホラ!」と。
机の上の電気が、ユラユラと揺れていた。
壁にかかった額縁や時計が、ユラユラと揺れていた。
それを見て、ワイフは黙った。

沈黙が流れた。
10秒・・・20秒・・・。
かなり長い揺れだった。
実感としては30秒以上もつづいた。
「これは大きな地震だ」と、直感でわかった。
「東京か・・・ちがう。もっと遠くだ・・・そうだ」と。
横揺れが長くつづくというのは、そういう地震をいう。

私が教室の外へ飛び出すと同時に、生徒が1人、靴を
脱いで、中へ入っていった。
私はその子どもを抱きかかえると、階段をおりた。
「靴がない」と子どもが暴れた。
が、私はかまわず下へおりた。

(2011年3月11日)

+++++++++++++++++++++

●福島第一原発

 3月11日の夜から、テレビの報道にくぎ付け。
ほぼ徹夜。
今朝もまた朝からテレビにくぎ付け。
昼過ぎ、ワイフと買い物。
帰ってきてからも、またテレビにくぎ付け。

息が止まる。
涙が出る。
体が震える。
「これが私たちの国か」と思う。
思うたびに、体を鋭い不安感が貫く。
こわい。
恐ろしい。
ふと油断すると、放心状態。
頭を振って、また画面を見つめる。
その繰り返し。

が、今は、福島第一原発事故。
午後3時30分過ぎ、爆発事故が起きた。

 時刻は、午後6時少し過ぎ。
たった今、(経済産業省原子力安全)保安院の職員による会見が
終わったところ。
が、内容は、「わからない」「調査中」と。
午後3時30分過ぎに爆発があって、午後6時に、わからない?
2時間半もたって、「調査中」とは!
電話が無理なら、無線電話一本ですむ話。
それすらしていない!
不安感が怒りに変わる。

●最悪

 それにしても頼りないのが、ED官房長官。
緊迫感がまるでない。
ヌボーッとした言い方が、かえってイライラ感を誘う。
言うことは、いつも同じ。
「落ち着いてください」「風説にまどわされないように」と。
こんなバカげた会見を聞くために、テレビを見ているのではない。

 万が一、(すでにかなりの量の放射性物質が放出されているようだが)、
放射能漏れということになったら、ことは最悪。
あのチェルノブイリで起こった事故と同じものが、この日本で起こることになる。
へたをすれば、東北地方には、人はだれも住めなくなる。
10キロとか、100キロの範囲ではない。
1000キロ単位で、人が住めなくなる。
(福島から東京まで、約170キロ。
東京から浜松まで270キロ。
グーグルマップで計測。)
そういう深刻さが、まるでわかっていない。

●心配

 最悪の地震。
まだ何とかなる。
その「最悪」がわかればよい。
最悪から、未来に向かってはいあがることができる。
たとえば青森市は昨日は、全域にわたって停電していた。
が、翌日の今日は、電力が戻った。

天災は、経済活動には、ほとんど影響を与えない。
それが今までの経済界の常識だった。
しかしこれほどまでの天災は、例外。
加えて原子力発電所の事故は別。
日本の経済に、決定的なダメージを与える。
そうでなくても、日本経済は薄い氷の上。
いつ何どき崩壊しても、おかしくない。
「こんなときに、金(マネー)の心配?」と思う人もいるかもしれない。
しかし日本全体への影響となると、深刻。
この先、10年後、20年後にわたり、深刻な影響を与える。
あるいは日本はそのまま再起不能になってしまう。

 もし今度の原子力発電所の事故が、さらに深刻なものになれば、万事休す。
日本の国家破綻(債務超過=デフォルト)は、確実。
「時間の問題」と言われた、その「時」がやってくる。
たった今の報道によれば、トヨタ自動車は、14日から、すべての操業を停止する
と発表した(3月12日19:30)。
すでにその「時」が始まった。

●希望

 ・・・先のところまで書いて、今日(13日)になった。
福島第一原子力発電所の第1号機は、今のところ落ち着いているという。
その代わり、今度は第3号機が、おかしくなり始めたという。
まだまだ気が抜けない。
が、昨日のような緊張感はない。
・・・というか、疲れてしまった。

 「こんなことがあるのか?」と、そのテレビの報道を見ながら、つど思う。
疲れを感じたとたん、現実感がそのまま薄れていく。
その下には、無数の人たちがいて、悲しみにうちひしがれている。
その悲しみが薄れていく。
ただ茫然としたまま、画面だけを見つめる。
こんなことを考えてはいけないということはよくわかっている。
しかしどうしても、考えてしまう。

「もし、同じような大津波が、この浜松を襲ったら、どうなるか。
私の家はだいじょうぶだろうか」と。
しかし明日は我が身。
どうしても、結論はそこへ行ってしまう。
つまり考えが、堂々巡りしてしまう。
先へ進まない。

●終わりに・・・

 今回の大地震、それにつづく大津波。
それがどういうものであったかは、もう少し時間がたたねばわからない。
政府もみな、関係者は今、懸命の活動をしている。
「がんばってください」とだけしか言いようがない。
手伝いたくても、どうしようもない。
テレビ局によっては、すでに募金活動を始めたところもある。
もう少し様子をみたあと、協力できることは、しよう。
・・・と心に決める。

 3日ぶりに救出された男性(80歳くらい)が、こう言った。
「私は、チリ津波も経験しています。
再建できますよ」(テレビ報道)と。
その笑顔が、さわやかに見えた。
プラス、それを聞いて、思わず、涙がこぼれた。


Hiroshi Hayashi++++++++March 2011+++++++++はやし浩司



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休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育と日本の未来】(2011/03/08)

●教員の資格とは何か?

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

小学校入学を迎え、その年齢の子どもをもつ親たちが騒がしくなってきた。
「うちの先生は、正規教員で、よかった」
「うちの先生は、見習い教員(=非正規教員)なの……」と。

あるいは誤解も多い。
「うちの学校は、非正規教員ばかり」とか、
「教員資格をもっていない先生もいる」とか、など。
(そういうことは、ない。)

今朝の毎日新聞によれば、『文部科学省の調査で、今年度は公立小中学校の教員の
6〜7人に1人に上ることがわかった』(2011/03/08、毎日新聞)とある。
「最近は多くなった……」と感じていたが、これほどまでに多いとは、私も
知らなかった。

実は、私の親しい友人の娘も、現在、その非正規教員として小学校で教えている。
「毎日、残業が多い」
「親からの携帯電話へのメールが多く、返事を書くだけで、2〜3時間かかる」と。
忙しい割には、給料は少ない。
毎日新聞は、つづいてこう書いている。

『山口県内の県立高校で非常勤講師を務める30代の女性は、昨春から2校掛け持ちで週
3日、計8時間教壇に立つ。年収は百数十万円。教員の給与だけでは生活できないため、
授業の合間を縫って週4日は塾講師と家庭教師のアルバイトをしている』と。

年収が、100数十万円というのは、きびしい。
月額にすると、10万円前後。
『青森県内の公立小学校に勤務する30代の男性は過去6年間、常勤講師と非常勤講師の
不安定な立場を繰り返してきた。非常勤の年は時給2790円』(毎日新聞)だそうだ。

で、友人の娘も、自宅から学校に通っている。
「あと1〜2年働けば、正規教員になれるかもしれない」とがんばっている。
が、その採用試験もきびしい。

『(青森県の場合)、10年度は579人が受験して23人しか採用されなかった』とある。

こうした現状の中、学校の教師の中には、ワーキングプアがふえているという。

『北海学園大の川村雅則准教授(労働経済学)は09年、連合北海道と共同で道内の非正
規教員を対象にアンケート調査を行った。608人の回答者のうち、「ワーキングプア」の
基準とされる年収200万円未満の教員が14%に上り、300万円未満に広げると4
3%に膨らんだ』(毎日新聞)と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●私は塾教師

  数字を整理してみる。

(1)非正規教員は、現在6〜7人に1人
(2)時給は、2790円
(3)年収200万円以下の教員が、14%
(4)年収300万円未満の教員が、43%

 私の職業は、基本的には塾教師。
「基本的には」と断りを入れるのは、「塾教師だけが収入源ではない」という意味。
若いころは、それだけでは生活ができないということで、いろいろな仕事をした。
最近になって、体力的な限界を感ずるようになった。
子どもたちと接することのありがたさが、理解できるようになった。
今は、子どもたちに教えるのが、生きがいになっている。
だから今は、「私は塾教師です」と、すなおに言うようになった。

 だからこういう数字を見ると、私はすぐこう思ってしまう。
「何も、学校の教師だけが、教師の道ではないはず」と。

●道はひとつ?

 この日本では、学校を離れて道はなく、子どもたちの進むべき道は、ひとつに
かぎられていた。
だから子どもが不登校を起こしたりすると、親は、真っ青になって、あわてた。
が、この10年、事情が大きく変わった。
静岡県の教育委員会も、4、5年前、「一芸論」という言葉を使い始めた。
(「一芸論」は、はやし浩司のオリジナル。
30年ほど前に書いた本の中で、私は、その言葉を使った。)

 世界は、そのころから「教育の多様性」を模索し始めた。
が、この日本では、遅れること、20年。
いまだに「学校絶対主義」「学歴信仰」「学校神話」が、のさばっている。

 何も学校だけが道ではない。
またそうであってはいけない。
子どもがおとなになる道は、無数にある。
その「無数」を、なぜ認めないのか。
親も、そして教師も!

●きびしい塾産業

 今の私なら、そんな学校などすぐやめて、さっさと塾教師になる……と書きたいが、
残念ながら、塾経営も、きわめてきびしい。
ウソだと思うなら、自分で生徒を集めてみたらよい。
40年前ならいざ知らず、今どき、広告につられて入塾してくる子どもなど、いない。
それに塾や進学塾については、寡占化が進んでいる。
またそうでないと、塾経営は成り立たない。

 具体的には、30〜40年前には、私の教室の周辺には、10〜15教室の塾があった。
が、現在、生き残っているのは、私の教室だけ。
また関東周辺に、以前、「学外研」というすぐれた塾連盟があった。
たいへんアカデミックな連盟で、定期的に会合を開き、活発に活動を繰り返していた。
いちばん多いときは、100くらいの塾長が、メンバーに名前を連ねていた。

 私もそのメンバーに加えてもらったが、今でも塾を経営している人は、ほとんどいない。
昨年、その中の1人の会うことがあった。
消息をたずねると、「みんなチリジリになってしまったなあ」と。
さみしそうだった。
それが現実である。

 となると、つまり「就職」ということを考えるなら、チェーン化した大規模塾しかない。
が、そちらのほうが仕事はむしろきびしい。
もちろん就職もきびしい。
生徒の定着率が悪いと、たいていそのままクビになってしまう。
採用期間も、1年の更新制がふつう。
年齢制限はないが、40代以上の教師は、現実には、ほとんどいない。

 加えて、「教育」と「指導」とはちがう。
受験教育とはいうが、中身は「指導」。
教育とは、本質的に異質のものである。

●口コミとキャリア

 が、私のばあい、60歳を過ぎても、何とか仕事ができる。
今も、している。
40年のキャリアがあるから……と書きたいが、キャリアだけでは、この仕事はできない。
「元○○大学教授」という肩書きを並べたところで、生徒は集まらない。

 が、やはり「キャリア」ということになる。
現在、私の教室に通っている生徒のうち、約30%以上は、OBの子どもたちである。
「子どものころ、先生に世話になりました」と言って、私にその子どもの教育を
任せてくれる。
それがここでいう「キャリア」ということになる。
またそういう親たちが、口コミで、生徒を呼んできてくれる。

 つまりそれだけの「根性」があるなら、「学校などすぐやめて、さっさと塾を開きなさい」
ということになる。
そうでないなら、まだ学校にぶらさがっていたほうが、安全!
無難!

●受験教育化する教育

 学校教育と受験産業。
それについて一言。

先にも書いたように、ちがいは「教育」と「指導」ということになる。
受験産業、とくに進学塾でしているのは、教育ではない。
指導である。
自動車教習所でしている、運転指導と同じ。
親も子どもも、それをよく知っている。
割り切って、通っている。
教える教師側も、それをよく知っている。

 が、だからといって、「教育」が善であり、「指導」が悪ということではない。
2000年以後、それまで無風地帯だったこの浜松市にも嵐が襲ってきた。
中高一貫校の出現である。
それまでは公立高校が「主」、私立高校が「従」、もしくはその受け皿として機能していた。
それが一変した。
今では、小学4、5年生ごろから、受験勉強が始まる。
同時に、それまで高等部しかなかった私立高校が、中等部を併設した。
受験戦争がさらに激化した。
私立高校によっては、進学塾の講師を招いて、進学指導をしているところもある。

 もし今ここで、「指導」を否定したら、日本の学校教育そのものが崩壊する。

●予備校化する高校

 となると「教育とは何か」ということになる。
改めて、教育とは何か。

私たちの古い世代は、「教育があって、受験勉強がある」と考えやすい。
が、今は、その反対。
「受験勉強をカモフラージュするため、教育らしきことをする」。
それが学校教育の基本的な姿勢となっている。
もう15年も前の話だが、こんなことがあった。

 神奈川県で中規模の進学塾を経営している知人から、神奈川県下の
進学高校の学校案内書が届いた。
全部で30〜40校分あった。
が、それを見て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、進学大学と合格者数が、「実績」として明記してあった。
中には別紙の形で、案内書にはさんであるのもあった。
しかしそういう学校は、数えるほど。
(あるいは数年おきに、案内書を印刷しているためかもしれない。)

 私はそれを見て、「高校が予備校化している」と感じた。
が、学校ばかりを責めてはいけない。
親たちが、それを基準にして、自分の子どもの進学先を決めている。
「あの学校はいい学校」「悪い学校」と。
平気でそれを口にする。

●現実と理想

 もちろん「これではいけない」と考える教師も多い。
あるいは教育に情熱を燃やして、教職に就く人も多い。
しかし現実と理想の間には、大きなギャップがある。
「人間を育てる」という大義名分はあっても、形骸化している。
この日本では、「だからそれがどうしたの?」という部分がない。
「人間を育てて、それがどうなの?」と。

たとえば中学3年生をみても、高校受験が、教師と生徒の関係を、粉々に
破壊する。
どう破壊するかは、みなさん、すでにご存知の通り。
大半の中学生は、蹴飛ばすようにして、学校を去っていく。

 わかりやすい例では、進学塾がある。
あの進学塾では、師弟の心温まるヒューマンなドラマは生まれない。
だからある講師はこう嘆いた。

「私は30年以上、進学塾の講師をしていますが、結婚式に呼ばれたことは
一度もありません」と。
「むしろ生徒たちは、仮に一流大学へ進学したとしても、進学塾に通っていたことは、
隠します」とも。

 そうした現実が、学校教育にも及んでいる。
だから尾崎豊が、「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」(卒業)と歌ったときも、
その歌に驚く人がいる一方、その歌を支持する若者も、それ以上にいた。
シングル版も含めると、200万枚以上も売れたという(CBSソニー)。

●親の欲望

 一方、親の欲望には、際限がない。
昔は「教育ママ」と言った。
今は「モンスターママ」と言う。
正直に、「親さえ介入してこなければ、教育という仕事は、すばらしい仕事です」と
言った教師もいた。

 まじめな教師ほど、現実と理想のギャップの中で、苦しむ。
もがく。
そして傷つく。
そこで生まれた言葉が、「10%のニヒリズム」。
どこかの塾教師が、何かの会合のときに、そう教えてくれた。
「教育は、いかに全力投球しても、最後の10%は自分のためにとっておく」と。

 そこでいつも引き合いに出されるのが、あの金八先生。
熱血教師。
しかし実際には、ああいう教師はありえない。

●金八先生

 ある中学校の校長が、こう漏らした。
「ああいう番組が困るんです」と。
つまり親たちは、ああいう番組を見て、理想の教師像を作ってしまう。
現実から遊離する。
そしてその返す刀で、「教師はそうあるべきと決めてかかってくる」と。

 「あの番組のおかげで、教師たちがえらい迷惑をしています」とも。
ある女性教師は、こう漏らした。
「いろいろ言われますが、私たちが休めるのは、授業中だけです。
私は教科主任をしていますが、生活主任の先生に、教科指導はできません。
申し訳なくて、できません」と。
生活主任の教師は、夜中中、あちこちを飛び歩いている。
家庭が崩壊状態の生徒もいる。

 たとえば自分の娘が家出したとする。
そのとき親は、警察へ電話をするのではなく、まっさきに担任の教師に電話する。
「学校の先生は、そういうことをしてくれるべき」と。
そういう家庭のめんどうまで、みなければならない。
つまりクタクタ。
「そんな先生に向かって、どうして教科指導ができますか」(ある女性教師の会の席で)と。

 つまり今、学校の教師は、生徒の生活全般にまで責任を負うようになった。
その負担感には、相当なものがある。
まともな神経をもっていたのでは、勤まらない。
だから「10%のニヒリズム」。

●逆行する日本の教育

 が、世界の教育は、日本の流れとは、逆の方向に進んでいる。
「教師は、学校内での指導には責任をもつ。
しかし学校を一歩離れたら、一切、責任をもたない」と。
システムとしては、大病院の診察室を思い浮かべればよい。
診察室が教室になったと思えばよい。

 生徒が自分の教室にいる間は、教師は指導に責任をもつ。
が、一歩外に出れば、いっさいの責任はなし(アメリカ)。
あるいは教師の連絡先さえ秘密にしている国もある(カナダ)。
「教育は教育」と、割り切っている。
またそうであるからこそ、質の高い教育を教師は提供できる。
医師にしても、そうだ。
患者が診察室から出たら、そこで関係は切れる。
そうであるからこそ、質の高い医療を医師は提供できる。

 つまり金八先生が、あるべき教師の教師像と思ってはいけない。
またそういう教師を求めてはいけない。
あの番組は、そういう誤解を招く。

・・・という意味で、現場の教師たちは、えらい迷惑をしている。

●自分で考える子ども

 となると、「教育とは何か」、それがますますわからなくなってくる。
人間選別機関としての学校。
もの言わぬ従順な民作りとしての教育。
知識詰め込み主義としての教育。
「教え育てる」という観点からは、それでよい。
しかしそれが今、大きな曲がり角に来ている。

 恩師の田丸謙二先生は、口癖のように、こう言っている。
「Independent Thinkerを育てなさい」と。
「自分の頭で考える人」という意味である。
が、これは世界の常識でもある。
欧米では、どこの学校へ言っても、この言葉が、教室の入り口に張り紙にして書いてある。
(「Independent」につづく言葉は、いろいろあるが・・・。)

 が、問題がないわけではない。
「自分で考える子ども」・・・といっても、これはまさに両刃の剣。
オーストラリアの友人(大学の教授)は、こう言った。
「オーストラリアでは、伝統的に子どもの自立(Independent)を
重要視している。
それはそれでよいことだが、オーストラリアでは大企業が育たない理由のひとつにも
なっている、と。

 一方、この日本では、その逆。
教育のシステムそのものが、集団帰属型になっている。
むしろ「自分で考え、個性的に生きる子ども」を排斥する傾向が強い。
少し前まで、(今でもそうだが)、幼稚園などを親の都合で欠席したりすると、
すかさず幼稚園から電話がかかってきた。
「そんなことをすると、後れます」と。

 しかし何から「後れる」のか?
どうして「後れる」のか?
またどうしてそれが悪いことなのか。

●極東の小国

 今朝もアジアの地図を見て、こう思った。
「こんな小さな国が、よくがんばっているな」と。

 中国を体とするなら、朝鮮半島は、大腸。
そう思ってみると、日本は、便秘か何かで、やっと出てきた便のような形を
している。
ブツブツ、ブリブリ、と。

 かなり不謹慎なたとえかもしれないが、そのとき私はそう思った。
そんな国が、第三位にはなったといえ、まだ第三位。
世界第三位の経済大国。
が、その日本。
資源にも乏しい。
国土も狭い。
約80%は、山岳。

 この日本がこの先、生き残っていくためには、マンパワーしかない。
つまり「人間」。
「教育」。
その教育でつまずいていたら、この日本には未来はない。

●教員の資格とは何か

 が、そこにはひとつ、大きな壁が立ちはだかる。
この日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
この日本が民主主義国家と思っているのは、私たち日本人だけ。
民主主義、つまり選挙などというものは、いわば「飾り」。
世界の民主主義と比較してみると、それがよくわかる。

 その結果、管理、管理、また管理。

 この日本では何を始めるにも、資格だの、許可だの、認可が必要。
田舎町の小さな駅で、ガイドをするにも、資格(?)がいる。
私が会ったガイドの女性が、そう話してくれた。
あるいは私の実家は自転車屋だったが、今では、床に油が一滴落ちていても、
仕事ができない。
消防法うんぬんという法律が、目を光らせている。
つまり日本人は、みな、管理という見えない糸で、体中をがんじがらめに縛られている。

 が、不思議なことに、本当に不思議なことに、そういう社会に住みながら、
だれも息苦しいと思っていない。
思っていても、それを口に出して言う人はいない。
そこで登場する言葉が、「自由」という言葉である。

 悲しいかな、私たち日本人は、いまだかって本物の自由に触れたことがない。
反対に、いまだに、江戸時代のあの封建主義時代を美化してやまない。
封建時代という、あの暗黒の過去すら清算していない。
江戸時代の身分制度が、学歴制度に替わった。

現在、私たちが「自由」と思っているものにしても、戦後アメリカから移植された
もの。
私たち自身が、勝ち取ったものではない。

 つまりその延長線上に、現在の教育制度がある。
で、改めて問う。
「教育とは何か?」と。
また「子どもの教育はどうあるべきか?」と。

●では、どうするか?

 第一に考えるのは、教師の負担の軽減。
日本の医療システムを参考にすればよい。
これは先にも書いた。
またこの方法により、教師は教育により専念できるようになる。
教師は「教育」の専門家である。
雑務に追われ、どうしてその専門性を追求できるというのか。

 第二に考えるのは、教育の自由化。
いまだに「英語教育不要論」がはびこっているのには、驚く。
「英語教育をやめて、国語教育を」とか、中には、「英語教育をやめて
論語を教えろ」と主張する学者もいる。

 だったら、こう考えればよい。
英語を勉強したい子どもがいる。
したくない子どももいる。
英語を学ばせたい親がいる。
学ばせたくない親もいる。
英語を教えたい教師がいる。
教えたくない教師もいる。

 ならば、どうして自由選択制にしないのか。
EUで広く採用されている、クラブ制にすればよい。
基本的な重要教科は、学校で教える。
それ以外の実用的な教科は、クラブに任せる。
もちろん英語クラブへ通いたい子どもは、そこへ通えばよい。

またクラブに払う月謝は、クーポン制(バウチャー券)にすればよい。
ドイツでは、そうしている。
こうして、教育をより柔軟かつ、多様化させる。

 第三に、これがもっとも重要だが、格差社会をなくす。
この格差社会があるかぎり、受験産業は栄える。
また現在の状況で、クラブ制を確立すれば、子どもたちはみな、
受験塾ばかりに通うようになるだろう。

 もちろん能力のある人は、それなりの道へ進めばよい。
しかしそうでない人が、既得権にぶらさがっているから、困る。
「天下りをどう思いますか」というレポーターの質問に答えて、ある官僚は、こう言った。
「私ら、若いころ受験で苦労したから、当然でしょ」(NHKの報道)と。

 これが既得権である。
またその権利を保留した人のことを、「既得権益者」と呼ぶ(「文藝春秋・日本の
論点2011」)。

 こうした人たちは、死ぬまで、国の手厚い保護を受ける。
そうでない人は、そうでない。
その格差を縮める。
教育改革は、そこから始まる。
またそれがないと、始まらない。
現に今、大卒の就職先として、人気ナンバーワンが、「公務員」(文科系)と
いうのは、まことにもって悲しむべき現象と考えてよい。

●カリキュラム

 2010年も、さまざまな実験を重ねてみた。
幼児(年中児・年長児)に、分数や小数を教えてみた。
正の数・負の数も教えてみた。
掛け算や割り算も教えてみた。
が、改めて幼児のもつ学習能力と旺盛な知識欲には驚いた。
底なしとは、まさに幼児の世界をいう。
それがだめだというのは、幼児には、クラッシク音楽を聴かせてはいけないと
言うのと同じくらい、バカげている。

 (私がどういう指導をしているかは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」へと進んでみてほしい。)

 そういう幼児の姿を見ると、「では、カリキュラムとは何か」と、
そこまで考えてしまう。
あるいは「カリキュラムほど、いいかげんなものはない」と断言してもよい。
言い方を変えると、「どうしてあんなものに縛られなければならないのか」と。

 教育は、もっと自由であってよい。
自由であるべき。
その「自由」の中から、教師のやる気が生まれる。
生徒のやる気も、つづいて生まれる。
教育のダイナミズムというのは、それをいう。

●非正規教師vs正規教師

 正規教師と非正規教師。
どういう教師を「正規」といい、どういう教師を「非正規」というのか。
が、文科省の教育システムの中に、しっかりと組み込まれた教師を、「正規」というのなら、
これはまちがっている。
またそれほど、恐ろしいものはない。
戦前、戦時中の軍国主義教育を引き合いに出すまでもない。
あるいはどこの独裁国家も、まず最初に手をつけるのが、教育。
それを忘れてはならない。
また私たちは、常に教育を疑ってみる。

 ねらいとしては、まず非正規教師として教師を雇い、教師の資質を確かめる。
不適格教師は、それによって選び落とすことができる。
「安い給料で・・・」というのは、あくまでも副次的なもの。
それが目的で、非正規教師をふやしたわけではない。

 もし財政難を口にするなら、アメリカのように、教師もインターン制にすればよい。
……という方法もあるはず。
アメリカの多くの小学校では、教師+インターン(学生)+当番の親(交替制)
の3人で教えている。

 むしろこの制度、つまり「非教師制度」は、教師そのものを、「もの言わぬ従順な
教師」づくりに利用される危険性がある。
言われたことだけを、きちんとこなし、それでよしとする教師である。
が、そうした教育から、ダイナミックな子どもは生まれない。
「これでいいのかなあ」と思ったところで、思考停止。

 日本の未来は、現在の教育制度をみるかぎり、あまりにも暗い。
「非正規教師」という言葉を見ながら、今朝は、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本の教育改革 正規教師 非正規教師 教育と日本の未来)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●追記(田丸謙二先生からの返信)「クリエイティブな教育」について


+++++++++++++++++


田丸謙二先生の名前を原稿の中で使った
ときは、その原稿をかならず田丸謙二
先生に送ることにしている。
これは私のような物書きが守らなければ
ならない最低限のマナーである。
で、前回の原稿を田丸謙二先生に送ったら、
3通の返事が届いていた。


きびしい意見だが、私にはありがたい。


+++++++++++++++++


【1】


林様:independent に考える内容が問題です。creative education 日本に乏しい教育です。
殊に教師が。世界はコンピュータの時代に適応して激しく近代化する変化をリードする教
育をしていますが、日本は立ち遅ればかり。「ゆとり教育」がダメで今度は「探究」をと学
習指導要領に掲げながら碌に出来ない。日本だけ置いてきぼりです。残念ながら。
田丸謙二


論文添付※


【2】

林様:教育の本質的重要性は何か、教育する時間がどうの、待遇がどうの、教員の資格が
どうの、というよりも、もっともっと重要なことがあるのではないでしょうか。現実の問
題にとらわれ過ぎるよりも、です。
田丸謙二。


【3】


林様:膨大なアクセスがあればある程その内容は重要ではないでしょうか。現実問題を知
り過ぎている感じです。「本当の教育」がなんであるかを外にして。孔子が「論語」で言い
ました三楽の一つは本当の弟子を育てることであると、と。頑張って下さい。田丸謙二


【4】


林様:貴君の長い文章を印刷してゆっくり読みなおしました。前便では眠いままに斜め読
みでしたが、ゆっくり読むとさすがによく書かれている感じです。こちらの前便で書きま
したように「教育」の本質的あり方には触れてないのですが、街の話題的な観点からする
となるほどと思える点が少なくありません。日本が国際的に一人前になるのは矢張り「国
の将来は教育が決める」のですから、是非一人前になるよう、そして日本に乏しい「本当
の education 」を根付かせるよう頑張って下さい。
ご健闘を祈ります。お休みなさい。田丸謙二


+++++++++以下、田丸謙二先生の論文(※)より+++++++++++


●クリエイティブな教育を



森嶋教授の言葉:初めにロンドン大学の名誉教授だ
った森嶋通夫先生の文章を引用する。「現在の(日
本の)教育制度は単数教育〈平等教育〉で、子供の
自主性を養う教育ではない。人生で一番大切な人
物のキャラクターと思想を形成するハイテイ―ンエ
イジを高校入試、大学入試のための勉強に使い果
たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の
教育に一番欠けているのは議論から学ぶ教育であ
る。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練が最も欠如し
ている 自分で考え、横並びでない自己判断の出来
る人間を育てなければ、2050年の日本は本当に駄
目になる。(こうとうけん、16、(1998) p.17)


立花隆氏の言葉:次に最近出た立花隆の「天皇と東
大」(文芸春秋)の中の一節を引用する。『東大型の
秀才(いわゆる学校秀才)の頭の特徴は、人から教
えられることを丸暗記的に覚えこみ、それをその通
りに繰り返すことは得意とするが、自分の頭で独自
にものを考える、クリエイティブな思考は苦手と言う
ことである。日本の学校教育のシステムは、このタ
イプの秀才がよい成績をあげるように出来ている。
上級学校の入試(東大入試もふくめて)も、このタイ
プの秀才が受かるようにできているから、東大には
このタイプの秀才がごろごろいる。東大を卒業した
あとに、そのような秀才が各界にエリートとしてふり
まかれていくから、日本では、エリート層全体のクリ
エイティビティが低い』、つまり「試験に強い」のとクリ
エイティブとは別であるというのである」。


安藤教授の言葉:今年の「化学と工業」誌6月号に建
築家の安藤忠雄東大名誉教授の巻頭言が載ってお
り、その結論的な部分を書き出してみる。「新しい時
代を切り拓き、未来を創っていくために、私たちはも
っと力ある個人を育てていかねばならない。そのた
めに必要なのが知識の詰め込みでなく、能力を引き
出すための基礎学習だ。大切なのは子供たちの自
由な発想を促し、常に疑問を持ち、興味のあるもの
を探究していく姿勢を植えつけることだ。自ら成長し
ようとする力を伸ばしていくのが教育の根本である
はずだ。教育制度の改革は急務である」。 


私の孫の例:身近なその例を挙げてみる。アメリカ
で小学校二年まで教育を受けて日本に帰ってきた
私の孫は、日本育ちと著しく違っていた。例えば、コ
ップに水を入れその中に自分の腕時計を入れてい
る。「何をしているのよ!」というと。「これ防水と書
いてある」。実験なのである。(「ゆとり教育を始めた
有朗朗人先生はこの話を知って言われていた。日本
にもコップの水の中に腕時計を入れるような子が出
るといいのだが、と。科学の元は「好奇心」から生ま
れるからである。その意味で「すべての子供は自然
科学者」なのである)。その孫はさらに言う、救急車
がこちらに来る時は高い音なのに、向うに行くときは
低くなるのは何故?」、「台風のメはどうなっているの
?」、「雷の電圧は高い針金を使って測れないかし
ら」などなど、すべて自分で考えて質問をしていた。
自然が面白くてしょうがないのである。孫の担任の先
生も「自分は長年教師をしているがこんな利口な子供
は見たことがない」と言っていた。しかし、しかしであ
る。日本で「思考とは無関係な、お粗末な教科書」を
詰め込まれて、暗記させられ、試験に備える教育を
受ける間に見る見るうちに自分で考えなくなってしま
った。「利口な子供を利口でない子にする日本の教育
の素晴らしさ?」は本当に驚くほどはっきりしていた。
正に余りにもはっきりと示されたからである。安藤先
生の言われるお言葉の実にいい例がそのまま見られ
たのである。私の孫に限らず、日本では一般の子供
たちも生来「利口な素質」を持っていても、生来のそ
の優れた才能を引き出し(educeし)、育てる本当の
educationがない。エデュケイションとはそれぞれの子
供のいい点を自由に「引き出す(educeする)」ことであ
るのに、むしろそれを殺して育てているのが日本であ
る。本当の教育は「知識を詰め込む」ことだけではな
い。日本の教育関係者で本当にそのことを認識して
いる人は何人いるであろうか。「物を知らなければ、
自分で考えることが出来ない」「詰め込み教育」が本
当にあるべき教育と信じて子供たちの才能を殺して
いる罪深い教育者が満ち満ちているのでいるが、
そのような「罪深いこと」をしながら、彼ら自身はその
罪深さを微塵も意識していない。「考える力」を育てる
には全ての子供たちが生れながらに保有する自然科
学者としてのcuriosity を引き出し育てることである。
それを育てこそすれ、殺すことをしては絶対にいけな
いのである。子供の才能をつぶす罪深いことをしなが
ら、教育功労者として叙勲に預かっているのが日本の
教育者たちである。


川上先生の言葉:長岡技術科学大学の学長をしてお
られた川上正光先生の厳しい言葉を引用する。 「も
のを覚える能力と自ら考え出す独創力とは本質的に
別物である。「独創力ある人材」を作り出す点ではわ
が国の教育学も教育者も全く無力である。幼稚園か
ら大学院まで主として考える力を増強すべきであり、
各段階の入学試験もものしりの度合いを測ることを
やめて、考える力を測るべく大改革をなすべきであ
る」 福井謙一先生は言っておられた。「今の大学入
試は若い人の芽を摘んでいるんですよ」と。 例えば
化学者でも、もう一生見ることのないような化合物の
色を質問してみたりして、化学を悪くしているのは案
外化学者自身であることが少なくない。  


アメリカの教育改革:既に15年以上前のことである。
アメリカではアカデミーを中心に、それまでは理科で
鯨の種類などを覚えさせていたのを止めて、science 
inquiry、つまり何故そうなのか探究的に考える理科
に変え、しかも理科だけでなく社会や歴史も含めて、
全体的に記憶する知識は基本的なことに絞り、探究
的に「考える教育」に改革したのである。そのために
は、全国で150回も公開討論会を開き、教育関係者
とも密接に連携し、最後には4万冊の原本を作って新
しい教育を根付かせるという大変な努力をした。
  丁度同じ頃は日本では上意下達で、高校の化学か
ら「平衡」という言葉を除いて「考えない化学」にした
時代であった。「平衡」は最も基本的な考える概念の
一つである。その頃は「考える化学」など全く考えられ
ない「教育専門家」たちが日本の教育を牛耳っていた
のである。(現在では手直しされているからよいよう
なものではあるが、日本と米国との教育関係者たち
の見識のレベルが如何に異なるか、残念ながらこれ
ほど大きかったのである)。(二、三十年先の時代が求
める教育の近代化改革は教育のベテランに頼っては
出来ません。日本の教育が時代遅れになるのは文部
科学省が教育のベテランを集めて決めるから世界から
遅れてしまうのです。「ゆとり教育」が失敗だったことで
も解りますが、世界中がもっと「考えるeducationを」と
言って改革しているのに、日本では記憶させる項目を
減らしただけでした。本当に智恵のある連中に頼って
教育の近代化が初めて出来ることです。)


  アメリカの考える新しい理科教育はその後欧州
にも拡がり、日本にも「ゆとり教育」として入ってき
た。然し、日本では衆知のようにうまく行かない。
「知識三割削減、探究的に考える」と言っても、「考
える教育」など教師も含めて昔から乏しかったから
である。結果的には「学力低下」など言われ、現場は
混乱したままである。今度の学習指導要領ではそれ
を取り戻すべく「探究」を重視するというが、「ゆとり
教育」の二の前になる恐れ充分である。(2010年9月)


   「詰め込み教育」で「考えない教育」をしている
ということは教師は自分では分からない。誰でも自分
は十分に考えていると思っているものである。然し考
える力を養うにはそれなりの風土と大変に厳しい訓
練が要求される。私が前に本誌、化学と工業」(52巻)
に娘の大山秀子と書いた「アメリカの孫と日本の孫」
にあるが、アメリカの小学校の校長さんは教育の目
標に「independent thinker」を養うこととして授業中も
常に君はどう考えるか、このような場合はどうすれば
いいと思うか、各自の考える能力を引き出す(educe)
訓練をしているという。日本の小学校の先生で
「independent thinker」を養うなど考える先生がいる
だろうか。教育改革に忙しい世界の中でわが国だけ
が取り残される。


これからの教育:コンピュータの時代になり、科学技
術はいうまでもなく、国際化、情報化は加速度的に
進み、変化の激しい時代になってきた。今の若い人
たちが社会を支える二、三十年先の時代はさらに激
しく変化をするダイナミックな時代になるであろう。携
帯用のパソコンも出てくるだろう。その時代に備える
彼らヘの「現在の教育」はその将来の時代に適応し、
時代をリードできる「智慧」を育てることでなくてはな
らない。欧米式にindependent thinkerに育て、時代
を先取りして、思考力をしっかりと身につけ、クリエイ
ティブに考える教育をすることである。「ものしり」創り
ではない。


   わが国には「学ぶ」が「マネブ」(真似をする)か
ら由来したように,文化輸入国であったし、新しいこと
を探究する教育の伝統もなかった。「ゆとり教育」が
うまく行かないのも「自立して考える風土」がないか
らである。今まで考える教育など受けたこともない
教師に「考える教育を」と言っても容易でない。生徒
は授業中に自立して新しいことを考えることもなく、
debateすることもない。その上、世界的にも極めて
見劣りする今の日本の「教科書」を使って「考える力」
を育てるのはとても容易ではない。文部科学省の責
任である。欧米に見習って教科書の検定は辞めるべ
きである。


入試改革:教育を変えるには試験制度も変えること
になる。欧米式にクリエイティビティを基にするので
ある。私はある新設大学で、高校の教科書持参で
試験をし、記述式に答えさせた。(筆記試験と並行し
て面接で基礎項目を尋ねる試験を設けた。)知識を
尋ねるのではなく、こういう場合はどうすればいいか、
これは何故なのか、専ら考える問題を出して記述式
に答えを書かせると、受験生の考える力は手に取る
ように分かる。○×式などの比ではない。(教科書持
参でなくても「考える問題」を出せばよい) ケンブリッ
ジ大学では入試に知識の量は問わない、専ら面接を
主にして自立して考え、本当にやる気のある将来の
リーダーを選ぶという。今の日本のように、○×式
で一点でも違えばそこで線を引くのを最も公平とす
る「手抜きの試験」だけでクリエイティブな教育が育
つはずがない。若い人たちの芽を摘んでいながら、
大学の教師たちはその罪を微塵も意識していない。
クリエイティブな試験をするにはクリエイティブな出
題者が不可欠である。


   私はこれまで繰り返しクリエイティブな教育の重
要性を説いてきた。それに対する教育関係者は殆ど
全て賛意を評してくれている。しかし本当のところそ
れが何を意味するのか殆ど解かってくれない、反対
する理由がないだけである。日本の教育の根本的
改革が如何に難しいかがよく解かる。今は世界的に
教育改革の大きな波が広がっている。日本では現在
教育問題が話題になっているが、この機会にわが国
でも全ての教師たちがダイナミックに激動する時代を
リードするよう、「考える智慧」を育てる「クリエイテイ
ブに考える教育」を目指さないと本当に日本は駄目
になる。「ゆとり教育」がもたらした現在の混乱した状
態から一日も早く正しい方向へと立ち直るためには、
化学会の化学教育協議会の努力も不可欠であるし、
「化学と教育」誌でも、どうしたら生徒が自立してクリ
エイティブに考えるような授業が出来るか、これまで
なかったタイプの教育なだけに、是非前向きに示して
欲しいものである。


終わりに:要するに森嶋通夫教授の「自分で考え、横
並びでない自己判断のできる人間を育てなければ日
本は本当に駄目になる」という言葉も、安藤教授の強
い個人を作れと言われるのも、そのまま私の孫の例
でも解かることであるし、また立花隆氏の指摘する
「日本のエリートはクリエイティビティが乏しい」という
のも、更には「ゆとり教育」が教育界に混乱をもたらし
ただけなのも、理由は全て共通の基盤から来る話で
ある。日本の教育には「詰め込み教育」はあっても「考
える力の育成」が乏しいのである。


  日本の教育と欧米のエデュケイションとの違い」


        日本的教育   欧米のエデュケイション


志向型     知識の蓄積      創造力開発
教師の立場操作 Teaching 教育  Education 啓能
目的        教える       才能をひき出す
学生の立場    Learning 学習  Study 考究
目的         覚える      掘り下げて考える
特徴
(1)    既成の枠内にいる   枠出て自由に考える
(2)   物知りで模倣が上手  独創力が養える
(3)    問題の解き屋に終わる 発明・発見をする


                     2,007年6月22日


「化学と教育」誌'57巻3号(2009年)に日本化学会会
長の中西宏幸さんがお書きになっています。「イノベー
ションを推進するためにはこれを担う人材の育成が急
務であるが、残念ながら、わが国の人材育成は多くの
問題を抱え危機的な状況にあるといわざるをえない。
コミユニケーション能力の不足、専門以外の基礎学力
の不足、自分で考える力あるいは意欲の低下といった
問題が感じられるのは私だけではないと思う」 2009年
9月26日

   
  「ゆとり教育」が「学力不足」をもたらしたということで教育
改革をしようという。「記憶させる項目」を増やしただけでは
本当の教育改革にはならない。しかし一部の教育関係者
の中にはゆとり教育の反省もあって矢張りもっと考えさせ
る教育を定着させなければの声も出てきた。欧米の教科
書を見ても皆日本の何倍もの厚さで、ものの考え方から
興味ある話題など、読んでいて学問の面白さが身に着く
ようになっている。日本の薄い最低の教科書とは雲泥の
違いである。(教科書は学校の備品として備えて、それを
5年間使えば毎年の必要経費は五分の一になる。厚い教
科書の全部を教えなくても、好きな子はどんどん先を学ん
で伸びて行く。)最も大事なことは矢張り教師の再教育で
ある。

                        (2010年5月6日)      
 
             
 アメリカの先端的企業のIBM の社訓は「think (考えろ)」と
いうことで、各自の机の上に「think」と書いた文鎮が置かれ
ているという。或る卒業生がIBM に関係していてその話を
したら、彼はポケットからボールペンをとり出してそれに小
さい字で「think IBM」と刻んであった。誰でも自分は充分に
考えていると思っている。然し外から「もっと考えろ」と言わ
れてもう一考えをするだけcreativeになるものである。正に
田丸研の「家訓」が「もっと考えろ、考えに考えて新しいアイ
ディアを得る体験」を求めていますがその人なりに「深く考
えに考えるる習慣」を身につけることはは一生の宝になる
からである。
                        (2010年10月11日)

+++++++++以上、田丸謙二先生の論文(※)より+++++++++++

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【弟子論】

●孔子の論語「三楽について」

++++++++++++++++++++++

『論語』(ろんご、?音: L?ny? )とは、孔子と
彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した
書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教
における「四書」の1つに数えられる(以上、
ウィキペディア百科事典より)

++++++++++++++++++++++

●孔子の「三楽について」

孔子曰、益者三樂、損者三樂、樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣、樂驕樂、樂佚遊、
樂宴樂、損矣。

孔子の曰わく、益者(えきしゃ)三楽(さんらく)、損者(そんしゃ)三楽。礼楽(れいが
く)を節(せっ)せんことを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友(けんゆう)
多きを楽しむは、益なり。驕楽(きょうらく)を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴
楽(えんらく)を楽しむは、損なり。

●三楽

 「楽」といっても、内容はさまざま。

○礼楽(れいがく)を節(せっ)せんことを楽しむ。
○人の善を道(い)うことを楽しむ。
○賢友(けんゆう)多きを楽しむ。

×驕楽(きょうらく)を楽しむ。
×佚遊(いつゆう)を楽しむ。
×宴楽(えんらく)を楽しむ。

 孔子は、上記(○)を益者三楽、(×)を損者三楽と位置づけた。
田丸謙二先生が説く「弟子」とは、孔子の説いた「賢友」のことか。
釈迦も、キリストもその弟子に恵まれた。
弟子が、釈迦やキリストの教えを広めた。
もし弟子がいなかったら、釈迦もキリストも、その名すら世界に知られることはなかった。
田丸謙二先生は、この三楽を引用しながら、「孔子が論語で言いました三楽の一つは、
本当の弟子を育てることである」と説いている。

 その通りだと思う。
私たちがなぜ今、ここに生きているかといえば、子孫をつぎの時代に残すため。
肉体は生殖によって残すことができる。
が、精神は、「弟子」によって、残すことができる。
少なくともほかに伝達手段のなかった、孔子の時代にはそうだった。

 が、ここでひとつのパラドックスにぶつかる。
「弟子はどうすればいいのか」というパラドックスである。
弟子は弟子。
師にはなれない。
師になったとたん、弟子は弟子でなくなってしまう。

●師の連鎖

 孔子はそれでよい。
釈迦もキリストもそれでよい。
弟子を作り、自分の考えを教え広めることができた。
では、弟子はどうするのか。
単刀直入に言えば、弟子はただ「師」の教えを忠実に後世に伝える伝道者であれば、
それでよいのか。
たとえばキリストの弟子のマタイは、キリストの重要な教えを後世に残した。
しかしマタイ自身は、キリストを超えることはできなかった。
弟子のままだった。

 が、もちろんそうではない。
またそうであってはいけない。
弟子はつぎの段階では「師」であり、その弟子も、そのつぎの段階では「師」になる。
それを「師の連鎖」と考えるなら、師の連鎖こそが、人間の精神を高揚する。
田丸謙二先生の弟子は、今度は師となり、また自分の弟子を育てる。
たぶん田丸謙二先生も、そういう意味で、「弟子を育てなさい」と言っている。

●多元化する現代社会

 が、師はつねに、自分に忠実な、つまりは自分だけを師とするような弟子を求めやすい。
釈迦もキリストも、そうだった。
(「汝の敵を愛せよ」と教えたキリスト自身は、自分の敵を許さなかった。
これもパラドックスである。)

科学の世界と宗教の世界は、ちがうかもしれない。
しかし現代社会は、釈迦やキリスト、さらには孔子が生きていた時代とはちがう。
私自身にしても、中学、高校、大学と、それぞれの段階で、多くの師に囲まれた。
さらに今というこの時点においても、それぞれの分野に、「師」がいる。
一元的な師弟関係というのは、現実には、存在しない。
(繰り返しになるが、宗教の世界では、師はつねに1人ということになる。)

 加えてこれほどまでの情報社会になると、私たちは常に無数の情報を吸収し、
その一方で、これまた無数の情報を吐き出す。
と、考えていくと、(つまり田丸先生流に、自分の頭で、independentに考えていくと)、
師とは何か。
弟子とは何か。
さらに言えば、三楽とは何か、それがわからなくなる。
(もともと私はこういう教条的なものの考え方が好きではないのだが……。)

 つまり私はもとから、「弟子」などというもは、考えていない。
私自身が「師」になろうという野心もない。
その力もない。
言い換えると、私は(人)から(人)への一里塚。
どうせ人は死ねばおしまい。
何らかの形で、「私」の影響は残るかもしれない。
が、そこまで。
名前を残したところで、意味はない。
大切なことは、つぎの世代の人たちが、よりよい人生を歩むこと。
それでよい。

●現代という時代の中で

 コンピューターとそれにつづくインターネット。
これをさして、「第二の産業革命」と説く人は多い。
(もっともそう評価されるためには、もう少し時代の流れを見なければならないが……。)
しかしコンピューターとインターネットが、私たちの生活を根底からひっくり返し始めて
いるのは、事実。

 たとえば私はこうしてものを書く。
書いたものは、瞬時に、世界中の人たちの目に届く。
HPとBLOGの両方だけで、毎月のアクセス数が、2009年の5月、30万件を
超えた。
現在は、もっと多い。
中には、毎日、熱心に私の原稿を読んでくれる人がいる。
ときどきそういう人に出会う。
先日も、あるレストランへ入ったら、そこの店主がこう言った。
「先生(=私)の原稿を、毎日読んでますよ」と。

 が、私はそういう人たちに対して、「私は師」と思ったことはない。
また読者イコール、「弟子」と考えたこともない。
読者自身も、そうは思っていないだろう。
それに読んでくれるからといって、私の意見への賛同者とはかぎらない。
多くは、「くだらないことを書いている」と、笑っているかもしれない。

 が、それにしても、すばらしいことではないか。
地方の、浜松市にいながら、東京を通り越して、世界に向けて情報を発信することが
できる。
反対に、地方の、浜松市にいながら、世界の最新の情報を、そのまま受け取ることが
できる。
本を書くときのようなめんどうな手続き(出版社とのやり取り全般)も、必要なし。
しかも読者の反応も、これまた瞬時に届く。

 これを「第二の産業革命」と言わずして、何と言う?

 ずいぶんと回りくどい言い方をしたが、田丸謙二先生の説く「弟子」の時代は、
すでに終ったのではないか。
それを支える「上下意識」も、すでに崩壊している。
少なくとも、一元的な師弟関係の時代は終ったのではないか。
孔子の時代とは異なり、情報の伝達方法そのものが変わった。
今の私は、そう考える。

 不特定多数の「師」が、これまた不特定多数の「弟子」をもち、その不特定多数の
「弟子」が、これまた別の世界で、不特定多数の「師」となる。
そういう関係が渾然一体となって、現代社会の人間関係を、網の目のように創りあげて
いる。
それがあえて言えば、現代版の師弟関係ということになる。

●孔子の時代

 神格化している孔子を批判すのは、たいへんなこと。
恐れ多い。
しかし孔子の時代と、現代を同一視することは危険なことでもある。
先にも書いたように、「三楽」とか、「益楽」「損楽」と、教条的に考えるのは、私は
好きではない。
あまりにも教条的である。
人間の生活は、もっと多様性に富んでいる。
それぞれがスペクトラムのように、たがいに入り混じっている。
教条のこわいところは、教条によってその人を束縛する点のみならず、それ以外の
思考性を否定するところにある。
あるいは人から考える力、そのものを奪う。
さらに言えば、「楽」とは何か、その定義もあいまい。

 孔子が生きていたころのように、情報が恐ろしく貧弱な時代(失礼!)には、それなり
に説得力はあったかもしれない。
が、今はちがう。
PETの発達とともに、人間の脳の働きを、リアルタイムに見ることもできるように
なった。
「欲望」についても、大脳生理学の分野で、科学的な説明がなされ始めている。
視床下部から発せられる信号に応じて、ドーパミンという脳間伝達物質が分泌される。
それが人間の生きる原動力となる。
(生きる)こと自体が、(欲望)の現れと考える。

 方向性こそちがうが、真理探究に向かうエネルギーも、享楽に向かうエネルギーも、
中身は同じ。
少なくとも脳内の反応としては、区別がつかない。
ときには、驕楽(きょうらく=傲慢)を楽しみ、佚遊(いつゆう=怠惰)を楽しみ、
またときには、宴楽(えんらく=酒盛り)を楽しむ。
同時に真理探究のも心がける。
それが人間ではないのか。
「悪」と決めつけてはいけない。

 ……とまあ、居直ってばかりいてはいけない。

 が、つまるところ、「教育」というのは、そういうもの。
何も期待せず、何も求めず、我が正しいと思うところを、子どもに伝えていく。
そのあとの判断は、子どもに任せればよい。
くだらないと思って去っていく子どももいれば、すばらしいと言って近づいてくる
子どももいる。
去っていく子どもも、近づいてくる子どもも、弟子は弟子。
賛同してくれないから弟子でないとか、賛同してくれるから弟子と考えてはいけない。
それこそ、「驕楽(傲慢)」と言うべき。

●はやし浩司流「弟子論」

 以上が、私が考えた「弟子論」ということになる。
ただ田丸謙二先生は、私の住む世界とは、まったく異質の世界に住んでいる。
田丸謙二先生の住んでいる世界は、学問の世界。
真理探究の世界。
そういう世界では、真理の積み重ねが必要不可欠。
つまり人間関係は師弟関係で結ばれる。
またそれがないと、「体系(=組織)」が確立しない。

 一方私が住んでいる世界は、俗世間。
そもそも「師」として残すようなものは、考えていない。
また残せるようなものは、何もない。
またそこに私の信奉者がいたとしても、私はその名前はおろか、存在すら知らない。
ゆいいつの指標は、読者がふえているということ。
が、それとて、数字の話。
YOUTUBEの動画だけでも、このところ毎日800件(インサイト)もアクセス
がある。
が、「800件」という数字があるだけで、実感はない。
つまりそれが現代流の、師弟関係(?)と考えられなくもない。

 ……ということで、このエッセーの結論。
田丸謙二先生は、「弟子を育てろ」と私に教える。
しかし今の私には、それについてどう答えたらよいのか、わからない。
ただひとつはっきりしている点がある。
それは私は、田丸謙二先生の、弟子の一部。
「1人」ではなく、あくまでも「一部」。
田丸謙二先生の書いた原稿を、できるだけ末永く残す。
教えを守り、この先、ひとつずつ考証しては、自分の考えを書き足していく。
1人のIndependent Thinkerとして……。

●弟子の一部として

 恩師、田丸謙二先生のような先生の意見に異議を唱えるのは、本当に恐れ多いこと。
このままこの原稿をボツにしようかとも考えた。
が、私は私。
Independent Thinker。
このまま保存する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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友)


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   20日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【場面かん黙・場面かん黙児】

++++++++++++++++++

林美子(はやし・みこ)さんという方から、
『なっちゃんの声』という本を、送って
もらいました。

今回は、その本の紹介します。

で、場面かん黙児への理解は、まだほとんど
進んでいない……というのが、私の
実感です。

家の中では、ふつうに、あるいはふつう以上に
よくしゃべるため、親やその周辺の人は、
それに気づきません。
が、場面が変わると、まったく話さなく
なってしまいます。

たいていは、保育園や幼稚園など、集団教育の
場に、いきなり入れられたようなとき、
発症します。

対人恐怖症がこじれ、無言を守ることによって、
心を防衛しようとする機能が働くためと
考えるとわかりやすいでしょう。

はやし・みこさんから送っていただいた
資料にもあるように、早期の段階で気づき、
適切な指導(私のばあい、大声で笑わせるという
方法を重視しています)があれば、そのまま
症状が消えてしまいます。

が、問題は、その子ども自身にあるというより、
無知と無理解が蔓延し、誤解や偏見が生まれやすい
ということです。
私も一度、その子どもの父親に、「お前が
うちの子を萎縮させてしまった。責任を
取ってもらう!」と、怒鳴り込まれたことが
あります。
親自身が、それに気づかないというケースも
多々あります。

子育ての世界では、「無知」は、それ自体が
罪ということになります。
どこかにそのとき書いたエッセーがあるはずです。
あとで、ここに添付しておきます。

はやし・みこさん、本をお送りくださり、
ありがとうございました。
できるだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、
ここに紹介させていただきます。

本の申し込みは、「学苑社(03−3263−3817)まで。

++++++++++++++++++

+++++以下、送っていただいた本、資料をそのまま紹介++++++

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/80/img70772b8czik4zj.
jpeg" 
width="966" height="1507" alt="img135.jpg">


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/79/img2fb4af99zik7zj.
jpeg" 
width="953" height="1304" alt="img136.jpg">


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/78/imga34f9321zik1zj.
jpeg" 
width="1015" height="1443" alt="img137.jpg">


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/77/imga9e00f0dzikfzj.
jpeg" 
width="1138" height="1258" alt="img138.jpg">


+++++以上、送っていただいた本、資料をそのまま紹介++++++

+++++++++++++++++++++

子育ての偏見と誤解について、もう10年近く
前に書いた原稿です。

先に書いたように、子育ての世界では、「無知」は、
それ自体が罪ということになります。
「知らなかった」では、すまないということです。
少しきびしいエッセーですが、そういう視点から
どうか、読んでください。

+++++++++++++++++++++

【子育てブルース】

++++++++++++++++++

子育ての世界にも、人には言えない、
悲しい物語が、山のようにある。
それを口にしたら、おしまい……という
ような話もある。
今朝は、そんな物語について、書いてみたい。
ただしここに書く子どもの例は、架空の
話と考えてほしい。
何人かの子どもを、1人の子どもに仕立てて
書いてみた。

++++++++++++++++++

●問題児?

 その子ども(小2女児)には、まったく、問題はない。
むしろ聡明で、思考力も深い。
性格もおだやか。
とくに数に鋭い反応を示す。

 が、母親(Mさん)は、会うたびに、その子どもについて、不平、不満を並べる。
そのたびに、私は、それを否定する。
が、母親は信じない。
信じようともしない。
何か言えば、すかさず、それについて反論する。
「あそこが、悪い。ここが悪い」と

 この世界には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉もある。
自分の子どもをわざと病人にしたて、その子どもを、かいがいしく世話をしてみせる。
よくできた母親を演じてみせる。
「私は子どもを愛しています」と、口ではよく言う。
しかしその実、何も愛していない。
自分の心の隙間を埋めるために、子どもを利用しているだけ。

(「代理ミュンヒハウゼン症候群」については、「はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン」
で、検索をかけてみてほしい。)

 が、それに似た事件となると、……というより、それを薄めたような事件となると、
程度の差もあるが、ゴマンとある。
それについて、ある精神科医のドクターは、こう教えてくれた。
「そのタイプの親は、(母親であることが多いが……)、見るからに様子がちがいますから、
わかります」と。

 「見るからに」という言葉を使えるのは、それなりに多くの例を見てきたから言える。
ふつうの人には、わからない。
が、たしかに様子が、ちがう。
へん?
おかしい?

 どこか挙動が不自然で、母親らしい(なめらかさ)がない。
いつもピリピリしていて、心に余裕が感じられない。

●Mさん(37歳)のケース

 ここに書いたMさんは、毎日のように娘(小2)の心配ばかりしている。
「学校の参観日で見たが、手をあげなかった」
「声が小さかった」
「せっかく先生にさされたのに、隣の子に、先に答を言われてしまった」
「忘れ物をした」
「宿題をやらない」と。

 少しでも顔色が悪いと、すぐ病院へ連れていく。
花粉症だったのだが、「レーザーで焼いてもらう」とか、「扁桃腺を切ってもらう」とか、
そんな話ばかり。

 その女の子で特徴的だったのは、母親が近くにいるときと、いないときとでは、様子が
まるで別人のようにちがったこと。
母親がいるときは、静かでおとなしかった。
表情も暗かった。
が、母親がいないところでは、明るく快活で、いつもニコニコ笑っていた。

 母親は、「子育てでたいへんです」と言いながら、Mさんが学校から帰ってくると、
一瞬たりとも、M子さんのそばから離れなかった。

●バカなフリ

 一方、大きな問題をかかえているにもかかわらず、それにまったく気づいていない親も
多い。
気づかないまま、子どもを叱ったり、説教したりする。
あるいは幼稚園の先生に、「どうしてでしょう?」を繰り返す。
が、幼稚園の先生に、診断権はない。
またそれが判断できるようになるまでには、10年単位の経験が必要。

 病名を出すのは、はばかれるが、しかしわかるものはわかる。
わかるのであって、どうしようもない。
「〜〜障害」と言われる子どもたちである。
AD・HD児にしても、自閉症児にしても、私のばあい、会った瞬間にわかる。
が、もちろん病名を口にするのは、タブー。
タブー中のタブー。
わかっていても、わらないフリをして、……つまり無知なフリ、もっと言えば、
バカなフリをして、相談に乗る。
しかし、ここで問題が起きる。

●たとえばLD児

 LD児、つまり学習障害と言われる子どもたちがいる。
症状は、みな、ちがう。
ちがうが、ある一定のワクの中で、定型化される。
読み書きのできない子ども、算数がとくに苦手な子ども、集中力に欠ける子どもなど。
が、平たく言えば、学習面において、著しい「遅れ」を示す。

 最近の定説に従えば、脳の機能的な問題がからんでいるため、教育の世界で
改善を求めるのは、容易なことではない。
たとえば識字障害児と呼ばれる子どもがいる(注※)。
難読症、失読症が含まれる。
出現率は、10%前後と言われている。
10人に1人。

 このタイプの子どもは、文字そのものを読み取ることができない。
そのためその影響は、あらゆる面に現れる。
が、親にはそれがわからない。
「算数の文章題を、読みまちがえてばかりいます」
「本を読みません」など。

 そういう子どもをもつ親から、「どうしたら国語ができるようになりますか」という
相談をもらう。
指導の方法がないわけではない。
が、簡単には、できるようにならない。
そこであれこれ方法を教える。
が、1、2週間もすると、(たったの1、2週間!)またやってきて、こう言う。
「先生、効果、ありませんでした」と。

●X君
 
 もう1人、記憶によく残っている子ども(中学・男児)に、X君がいた。
学校でも、評判の(?)子どもだった。
で、その子どもを含めて、自宅で、4〜5人だけのクラスをもったことがある。
しかし半年もしないうちに、X君だけをのぞいて、みな、やめてしまった。

 「あんなX君といっしょでは、いやだ」と。

 小さな地域である。
小学生活6年間をともに過ごしている。
みな、それぞれ、それぞれの子どもの能力をよく知っている。

 で、そのあとX君は、3年間、私の家に通ってくれた。
いつもひとりだった。
で、何とか、それなりの高校に進学していったが、それでX君が私に感謝したかというと、
それはない。
もともと勉強が嫌いだった。
やっと少し追いついたかと思っても、学校の勉強は、さらに先へと進んでいた。
つまり「親が行け」というから、私の教室に通ってきただけ。
毎週、毎週、重い足を引きずりながら、私のところへ来ていた。
それが私にも、よくわかった。
そういうケースもある。

●私の経験

 私もいろいろな「波」を経験した。
ある時期は、市内でもゆいいつと言われる進学校の子どもたちばかりになったこともある。
また別のある時期は、いわゆる問題をかかえた子どもたちばかりになったこともある。
英才教育を試みたこともある。
2〜3歳児の教育を試みたこともある。

 30〜40代のころは、幼稚園の年中児(4〜5歳)から、高校3年生まで教えていた。
そういう「波」を無数に経験して、現在は、「なるようになれ」が、教育の基本になって
いる。
深く考えない。
子どものことだけを考えて、教える。
教えるというより、接する。
親の要求には、際限がない。
それに振り回されていたのでは、教育そのものが成り立たない。

 が、このところ体力的な限界を感ずることが多くなった。
よく誤解されるが、教育は重労働である。
どう重労働であるかは、実は、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。
たった1人や2人の子どもですら、たいへん。
それを30人とか40人とか、教える。
まともに接したら、目が回る。
その中に問題のある子どもが含まれていたら、なおさら。
さらに問題のある親が介入してきたら、……!

●親の欲望

 ここで「親の欲望には際限がない」と書いた。
が、これは事実。

 進学校にしても、自分の子どもがB中学へ入れるとわかってくると、親は、今度は
「何とかA中学へ」と言い出す。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」と言い出す。

 また不登校児にしても、やっとのことで、午前中登校ができるようになると、
「せめて給食まで」となる。
給食を食べるようになると、「午後の授業も」と言い出す。

 それに振り回される学校の教師こそ、えらい迷惑。
(「迷惑」という言葉には、語弊があるが……。)
 私の教室で言えば、実のところ、問題をもった子どもほど、苦労する。
マンツーマンどころか、ワイフにも手伝ってもらって、2対1で教える。
が、そういう子どもがいると、ほかの子どもたちが、やめていく。
それでいて、その子どもが感謝するかといえば、そういうことは、絶対にない。
むしろいやなことをさせられたという、被害者意識をもってしまう。
こういう子どもは、「経営」ということを考えるなら、とても割に合わない。
(これ以上、これについて書くと、グチになるので、この話はここまで。)

●「お前を訴えてやる!」

 親の無知と無理解。
独断と偏見。
傲慢とわがまま。

 今では幼稚園でも、「入れていただけますか?」と聞いてやってくる親は、ほとんど
いない。
おけいこ塾なら、なおさらそうで、へたに「うちではお引き受けできません」などと
言おうものなら、親は、店で販売拒否にでもあったかのように怒り出す。

「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。
 私の教室のばあい、過去40年近く、入会を断わったことはほとんどない。
子どもに問題があるときは、その子どもに合わせて、2〜3人のクラスを編成して、
指導する。

が、それでもこのところ疲れを覚えるようになった。
子どもの「質」が変わったというより、親たちの「質」が変わった。
子どもというより、親を見て判断する。
「この親の子どもは、教えられない」と判断したときは、入会を断わるようにしている。
子どもの問題点を、それなりに理解しているならまだしも、それがないと指導ができない。
10年ほど前だが、場面かん黙症の子ども(幼稚園女児)がいた。
このタイプの子どもは、集団の中では、貝殻を閉ざしたかのようにかん黙してしまう。

 で、ある日、父親が参観にやってきた。
自分の娘の様子を見た。
ショックを受けた。
そのあとのこと。
その父親は電話口で、こう言った怒鳴った。
「貴様は、うちの娘を萎縮させてしまった。
訴えてやる。責任を取ってもらう!」と。

●教育ブルース

 ……こうして今日も、全国のあちこちから、子育てブルースが聞こえてくる。
どこか毒々しくて、それでいて、どこかもの悲しい。
みんな一生懸命しているはずなのに、どこかで歯車が狂う。
狂って、人の心をさみしくする。

 できるならニヒリズムは、もちたくない。
しかしニヒリズムをもたずして、教育はできない。
親にしても、自分で失敗してみるまでは、それがわからない。
あるいは今の状態より、より悪くなって、それまでの状態がまだよかったことを知る。

 最初は、ほんの小さな狂い。
それが加速度的に大きくなり、悪循環に悪循環が重なる。
気がついたときには、にっちもさっちもいかなくなっている……。

 ではどうするか?

 この問題だけは、親自身が、自ら気がつくしかない。
そのために自分で賢くなるしかない。
が、それを恐れてはいけない。
子育てには、その人の人生観、哲学、生き様すべてが集約される。
子育てを追求することは、その人の人生観を追求することにもなる。
奥は深い。
生涯のテーマとして、なんら遜色はない。
……とまあ、大上段に書いて、この稿はおしまい。
どうかみなさん、失敗にめげず、がんばってください!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子育てブルース)
(注※)難読症、失読症の症状

【幼児期】

Delays in speech 
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly 
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes 
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge 
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。

【学童期】

Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order 
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them 
(sound-symbol correspondence) 
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in 
words (phonological awareness) 
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make 
words (phonemic awareness) 
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems 
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words 
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in 
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal, 
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。

【後期学童期】(小学、高学年児)

Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent. 
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling 
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and 
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder) 
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings 
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task 
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory) 
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and 
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes 
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of 
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 文字表出能力障害 Dyslexia  Alexia 
ディスレクシア アレクシア)

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指導する側の立場で書いたエッセーです。

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●無知、無理解、無学

子育てで、何がこわいかと言って、無知(=親にその知識がない)、無理解(=子どもの症
状について、理解しようとしない)、無学(=親に学ぶ姿勢がない)の3つほど、こわいも
のはない。

 私はドクターではないから、診断名をくだすことはできない。しかしその子どもに、ど
んな障害があるかは、会ったその瞬間に、ある程度わかる。が、それを口に出すことはで
きない。わかっていても、知らぬフリをする。そんなときは、そのため、それとなく、親
に、さぐりを入れる。

 が、そういう親にかぎって、無知、無理解、無学。(失礼!)「できるだけ、避けて通り
たい」という親の気持ちも、理解できないわけではない。「たとえその疑いはあっても、信
じたくない」という親の気持ちも、理解できないわけではない。親としても、つらい。悲
しい。それはよくわかる。

たとえば7、8年前になるが、1人の女の子(小2)がいた。Hさんという名前の女の子だ
った。場面かん黙児だった。最初、父親に連れられて私の教室にやってきた。が、父親は、
自分の娘のことを、何も気づいていなかった。

 その日は、何とか、やり過ごした。が、つぎのときには、今度は母親に連れられてやっ
てきた。私は、それとなくさぐりを入れた。(さぐり)というのは、親がどの程度まで、自
分の子どもの問題点を理解しているか、それを知ることをいう。が、何を聞いても、即座
に返ってくるのは、反論ばかり。

私「静かなお子さんですね」
母「家では、ふつうにしゃべります」
私「学校では、どうですか?」
母「友だちとなら、会話できます。しかし、おとなが苦手です」
私「学校の教室では、どんな様子ですか?」
母「しゃべりません。とくに先生との相性が悪いようです」

私「幼児期に、どこかへ相談なさったことがありますか」
母「問題は、ありません。生まれつき、外では、静かな子どもです」
私「外で静かだということにお気づきになったのは、いつですか?」
母「言葉の発達が遅れたからです」
私「遅れたというのは……?」
母「今は、問題、ありません」と。

 その女の子には、かん黙児特有の、(遊離)が見られた。顔の表情と、心の状態(情意)
が不一致した状態をいう。いつもニンマリというか、ニコニコというか、意味のわからな
い笑みを浮かべていた。いやがっているはずのときも、怒っているはずのときも、意味の
わからない笑みを浮かべていた。同じかん黙児でも、こうした遊離が見られたら、(程度に
もよるが……)、症状は重いとみる。あるいは、すでに症状がこじれてしまっているとみる。

 もっと早い段階、たとえば3、4歳ごろにそれに気づき、適切な対処をしていれば、あ
る程度、遊離を防げたかもしれない。軽くすますことができたかもしれない。しかしそれ
は(過去)の話。教育の世界では、(今、そこにある現実)を原点に、ものを考える。親の
過去を責めても、意味はない。

 私はさらにさぐりを入れた。入れながら、親の口から、「かん黙」という言葉が出てくる
のを待った。しかし最後まで、その言葉は出てこなかった。ほんとうに無知なのか? そ
れとも隠しているのか? 私には判断できなかった。

 で、このタイプの子どもの指導のむずかしい点は、(1)集団に溶け込まないこと。(2)
心を開かないから、心の交流ができないこと。(3)ストレスを、内へ内へとためやすいた
め、予期せぬ問題が、発生しやすいこと。そのときすでに、その女の子には、家庭内暴力
的な様子が、始まっていた。母親は、こう言った。

 「学校から帰ってくると、私に向かってはげしい暴力を振るうことがあります」と。

 つまり教える側からすると、腫れ物に触れるかのような、細心で、デリケートな指導が
必要となる。何を考えているか、わからない。それがつかめない。そのため教えるといっ
ても、まさに手さぐりの神経戦。ピンと張り詰めたような神経戦。それが一瞬、一秒とい
う単位でつづく。突然、キレて、暴れ出すこともある。若いときなら、神経戦もできるが、
当時すでに私は50歳を超えていた。神経戦は、つらい。

 が、何よりも大きな問題は、そういう問題がありながらも、親自身が、それに気がつい
ていないこと。気がついていれば、話もできる。指導もできる。が、そこにある問題から、
親が目をそらしてしまっているばあい、指導そのものができない。

またこのタイプの親は、やめるのも、早い。少しやってみて効果がないとわかると、(そん
なに簡単に効果が現れるということはないのだが……)、「この教室はだめだ」というよう
な判断をくだして、子どもの手を引っ張って、そのままやめてしまう。

 その女の子のばあいも、私は、こう言った。「簡単には、いきませんよ。1年とか、2年
とか、あるいはもっとかかるかもしれません」と。しかし母親は、こう反論した。「うちの
子は、慣れれば、だれとでも話をします。話をしないのは、慣れていないだけです」と。「と
にかく、教室へ置いてくれれば、それでいい」とも、言った。

 事実、その女の子は、そのあと数か月程度で、私の教室を去っていった。

 かん黙児……。その中でもとくに指導がむずかしいのは、場面かん黙児。親は、「家では
ふつうです」と、がんばる。子ども自身に問題があるとは、思っていない。だから、その
問題点に気づくこともない。

 だから私は、当時、こう書いた。「親の、無知、無理解、無学ほど、こわいものはない」
と。

(付記)

 かん黙児にかぎらず、情緒そのものに障害がある子どもは、けっして、無理をしてはい
けない。「直そう」とか、「治そう」と考えてはいけない。そういう子どもであることを認
めた上で、その子どもに合った指導をするのがよい。(親にそれを認めさせるまでが、たい
へんだが……。)あとは、時期を待つ。子ども自身がもつ自律能力を待つ。

かん黙児にしても、その年齢がくれば、何ごともなかったかのように、終わる。小3〜4
年生を境に、症状は急速に改善する。(症状をこじらせれば、その時期は、ぐんと遅くなる。
あるいは、別の問題を引き起こす。)

 無知、無理解、無学が原因で、たいていの親は、無理をする。この無理が、こわい。「そ
んなはずはない」「うちの子に限って」と、子どもをはげしく叱ったりする。そのため症状
を、かえってこじらせてしまう。子ども自身が自分で立ちなおるのを、遅らせてしまう。

 そこで学校教育の場では、それとなく親に、学校医もしくは専門医の紹介をしたりする。
「一度、専門医に相談してみてはどうですか?」と。

 こうした働きかけがあったら、親は、すなおにそれに応ずるのも、大切なことではない
だろうか。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 場面かん黙 場面かん黙児 緘黙児 はやし みこ なっちゃんの声)

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2003年に書いた原稿です。
古い原稿なので、随所に、知識不足な点も
あります。

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●かん黙児について



【かん黙についての相談より】



はじめまして。やっと先生のHPにたどりつきました。

私には年中の七月に五歳になったばかりの長男と、三歳の二男がおりますが、長男のこと
でご相談いたします.



長男は、家では明るくひょうきんでお調子者の元気な子ですが、一歩外へ出ると、なぜか
ほかの子どもとは話しをすることができません。(大人とは会話をすることもあるのですが)。
話し始めたのは割と早かったのですが、五歳になる現在まで息子が友だちと楽しくおしゃ
べりする姿をみたことがありません。



赤ちゃんの頃から人見知りが激しく、私からなかなか離れられない子だったので、性格か
な?
 と思っていたのですが、いまだに治らないので、これは何かほかに問題があるのかなと
思い始めました。



幼稚園でも友だちの間には入っていけないらしく、担任の先生が友だちとの中に入って仲
立ちをしてくれています。



友だちから誘われると遊びはするものの、なぜか話しをすることができないということで
す。(してもあいづちを打ったり、うんとかううんとか言う程度だそうです)。先生には話し
はできます。



四月より二年保育で幼稚園に通い始めましたが、喜んで通ってはいません。時々園バスを
待つとき泣いたり、行きたくないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽し
いとは言います。



公園で遊んでいても、同じ年くらいの子がそばに寄ってくると顔がくもったり、逃げたり、
不安そうな顔をしたりします。



息子は家では電車や車で町をつくったり、絵を描くのがすきです。それと数字や字を書く
ことにとても興味があり、教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノ
がすごく好きで、耳から聞く曲を、ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりするこ
とがあります。



子どもと話しのできないかんもく症というのはあるのでしょうか? 親としてどうこの子
に接してやればいいのでしょう?



少しでも友だちと遊ぶことの楽しさを子どもに味あわせてやりたいのです。先生のアドバ
イス心よりお待ちしております。

(長野県S市・SY母親より)



【はやし浩司より、SYさんへ】



 かん黙傾向というのは、広く、いろいろな情緒障害の随伴症状として見られるものです。
ですから、かん黙傾向があるからといって、かん黙児ということにはなりません。たとえ
ば対人恐怖症の子どもは、やはり人前では、ほとんどしゃべりません。



 で、そのかん黙傾向が、ふつうの人間関係を結べないほどまでに強くなった状態を、か
ん黙と言います。かん黙児の特徴については、ここに原稿を添付しておきます。参考にし
てください。いただいたメールだけではよくわかりませんが、私は、心配されるようなか
ん黙児ではなく、ここに書いた対人恐怖症ではないかと思います。「時々園バスを待つとき
泣いたり、行きたくないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽しいとは言
います」という、一日の中において、症状が変化するところに、それを感じました。これ
を「症状の日内変動」と言いますが、広く、恐怖症全体に共通して見られる症状だからで
す。



 原因については、今さら問題にしても意味はありませんが、考えられるのは、最初の段
階で、人に対して、恐怖心を覚えたということです。つまり親と子だけのマンツーマンの
子育てが中心だったのが、外へ出され、そこで人に対して、恐怖心を覚えたということで
す。「人見知りが強かった」ということですが、そのとき、親が無理をしたか、あるいは突
き放すようなことをしたのかもしれません。



 そういう意味では、情緒が不安定な子どもということになります。ただ誤解してはいけ
ないのは、情緒が不安定というのは、あくまでも結果でしかないということです。わかり
やすく言えば、あなたの子どもは、心の緊張感がとれない、ほぐれない状態にあるという
ことです。その緊張している状態のところに、心配や不安が入りこむと、それを解消しよ
うと、一挙に、情緒が不安定になる。それが今の状態だということです。



 この緊張感は、なかなかとれません。五、六歳児ならなおさらで、それこそ一年単位の
ケアが必要です。あるいは安静になったと思っても、簡単なきっかけで再発します。心と
いうのは、そういうものです。もっと言えば、SYさん自身も、子どもに対して、全幅に
心を開いていない、つまり日常的に、ある種の緊張感を覚えている可能性もあります。子
どもの心というのは、そういう意味で親の心を写す、カガミのようなものです。あなた自
身のことも反省してみてください。なお恐怖症の原稿も、ここに添付しておきます。



 さてSYさんの相談で、一番気になるのは、三歳の二男のことです。逆算すると、人見
知りを始める、ちょうど、満一歳前後から、満一・五歳前後にかけて、下の子どもが生ま
れたことになります。もっとも親に甘えたいときに、下の子が生まれたということになり
ます。この段階で、子どもの情緒が一挙に不安定になったと考えられます。いただきまし
たメールを読むかぎり、赤ちゃんがえりの一つの変形タイプではないかと推察されます。
どこかで「あなたはお兄ちゃんだから」式の、突き放しをしていませんか。決して、赤ち
ゃんがえりを安易に考えてはいけません。それはちょうど、あなたの夫が、ある日突然、
愛人をあなたの家に連れこむようなものです。あなたははたして平静でいられるでしょう
か。



 あくまでもいただいたメールの範囲ですが、いわゆるかん黙児ではないと思います。考
えられるのは、赤ちゃんがえりがこじれた、対人恐怖症ではないかと思います。あくまで
も一つの意見として参考にしてください。かん黙児は、おとなとは、絶対に話をしません。



 ただ一つ気になるのは、自閉傾向があるということ。(自閉症ではありません。誤解のな
いように!)カラに閉じこもるような傾向を見せたら、何らかの方法で、外へ引き出して
あげるとよいでしょう。(ただし無理をしてはいけません。)「それと数字や字を書くことに
とても興味があり、教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノがすご
く好きで、耳から聞く曲を、ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりすることがあ
ります」というところに、私は、それを感じます。



 心のケアとして大切なことは、濃厚なスキンシップを与えるということです。とくに子
どもがときどき、思いついたように求めてくるスキンシップについては、絶対に(絶対に!)
拒んではいけません。求めてきたら、グイと力強く抱く。しばらく抱いていると、やがて
満足して体を離すようになります。それまで、子どもを抱きます。



 またこの際、弟さんには悪いですが、全幅の愛情を、もう一度、子どもに戻してみます。
添い寝、手つなぎ、抱っこなど。そして半年単位で、少しずつ、離れていきます。スキン
シップには魔法の力があります。どうかそれを信じて、一度、ためしてみてください。



 なお。こうした心の問題は、「なおそう」と考えてはいけません。「今の状態をより悪く
しないこと」だけを考えて対処します。「あなたはよくがんばっているよ」「すてきだわ」
式の前向きなストロークをかけてあげます。今、あなたの子どもは、体を使って、愛情不
足を訴えています。



 最後に「ほかの子どもと楽しく遊ばせてあげたい」という、親のエゴを子どもに押しつ
けてはいけません。五歳前後から、子どもは、幼児期から少年期への移行期(中間反抗期)
に入ります。この時期、子どもは、カラを脱ぐようにして、少年になっていきます。決し
て、あせってはいけません。あなたがそれを「悪いこと」と決めてかかればかかるほど、
自我の同一性が乱れます。あるがままを認めながら、「あなたはそれでいいのよ」と自信を
もたせてあげてください。



 今、たいへん微妙な段階にあると思います。幼稚園にせよ、無理をしないで、ときどき
行けばよい式に考えてください。心が発熱していると思えば、よいのです。それともあな
たは熱がある子どもを、幼稚園へ行かせますか? だいたい幼稚園へ、喜んでいく子ども
など、少ないのです。とくにあなたの子どもはそうではないでしょうか。



 あとはCA、MGの多い食生活に心がけ、「暖かい無視」のある生活をしてみてください。
では、また何か、変化があれば、ご連絡ください。お待ちしています。



 なおこの原稿は、七月二一日号のマガジンに掲載しますが、よろしくご了解ください。
不都合な点があれば、至急、ご連絡ください。改めます。



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(参考)



●かん黙児

 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変
わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の
学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学
生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子ど
もまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。



●ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全
かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの
子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当て
て意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。



 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子ど
もはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したと
きをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われて
いる。



 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめ
る)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももい
る。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。

かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たり
すると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあ
いがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話
しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障
害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければ
ならない。



++++++++++++++++++++++

(参考2)



心の病気



 心も、ときに病気になる。その代表的なものに、(1)抑うつ神経症、(2)不安神経症、
(3)強迫神経症、(4)心気神経症、(5)恐怖症などがある。この中でとくに(1)抑
うつ神経症を、「心の風邪」と言う人がいる。となると、(2)不安神経症は、下痢、(3)
強迫神経症は、頭痛、(4)心気神経症は、胃炎、(5)恐怖症は、二日酔いということか。
あまりよいたとえではないかもしれないが、要するに、だれでも、下痢をしたり、頭痛に
なったりするように、簡単に不安神経症になったり、強迫神経症になったりするというこ
と。



 私のばあい、いつもこのどれかを経験している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(6)抑うつ神経症

ときどきワイフが先に死んだら、どうしようかと考える。ひとりで生きていく自信は、私
には、まったくない。しかし一度、そう考えだすと、生きる目的すら、なくしてしまう。
今までの人生があっという間に終わったように、これからの人生も、あっという間に終わ
ってしまうだろうとか、私の老後は、孤独であわれなものになるだろうとか、そんなこと
まで考える。ただ私のばあい、病識(自分で病気とわかること)があるので、それなりに
対処できる。「今の私は、本当の自分ではない」と考えて、カルシウム剤をたくさんとって、
睡眠時間を長くしたりする。軽いばあいには、たいてい翌朝にはなおっている。心がふさ
いで重苦しく、晴れないことを、抑うつ神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(7)不安神経症

一度、パソコンにウィルスが侵入したのではないかと、大あわてしたことがある。心臓は
ドキドキし、体中から冷や汗が出た。最終的には、パソコンをリカバリーをすることで問
題を解決したが、夜中に始めて、一段落したころには朝になっていた。ほかに私はちょっとした
ことで、被害妄想がとりとめなく大きくなることがある。つぎつぎとものごとを悪
いほうへ、悪いほうへ考えてしまう。俗にいう、とりこし苦労タイプの人間である。あと
になって、「どうしてあんなことで悩んだのだろう」と思うことが多い。突発的にはげしい
不安感に襲われ、呼吸が苦しくなったり、動悸がはげしくなることを、不安神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(8)強迫神経症

山荘には、防犯装置と、自動火災連絡装置が設置してある。自動火災連絡装置というのは、
山荘内で、ガス漏れや火災があったとき、私の自宅のほうに電話がかかってくるしくみの
装置をいう。で、一度だけだが、それがかかってきたことがある。私はあわてて山荘へ向
ったが、そのときは、本当に生きた心地がしなかった。途中、携帯電話で隣人に電話をし
たが、あいにくと隣人は不在。が、その直後からおかしな現象が起きた。山荘でたき火を
したあとなど、水で火を消すのだが、いくら消しても、どこかもの足りなさを覚えた。た
き火コーナーが、プールのように水びたしになっても、不安感が消えなかったこともある。
自分の意思に反して、勝手に悩んだり、心配したりすることを、強迫神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(9)心気神経症

今まで経験しなかったような病状が現れたりすると、「もしや」と思うことがある。数か月
前だが、生徒たちからたくさんのチョコレートをもらった。そのチョコレートを食べ過ぎ
たせいか、脳が一時的に覚醒(興奮)状態になってしまった。(私は本当はチョコレートは食べ
られない体質。)脳が勝手に乱舞してしまった。私はそのときはチョコレートのせいだとはわか
らなかったので、脳腫瘍ではないかと疑ってしまった。とたん、極度の不安状態
になってしまった。ワイフが「何でもないわよ」となだめてくれたが、私はフトンの中で、
体を丸めてガタガタ震えていた。悪い病気にかかってしまったのではないかと、極度の不
安状態になることを、心気神経症という。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(10)恐怖症

私には高所恐怖症や閉所恐怖症にあわせて、飛行機恐怖症などがある。恐怖症というのは、
一度なると、いろいろな形で現れてくる。数年前は、あやうく交通事故を起こしかけたが、
そのあと、私は自転車に乗られなくなってしまった。夜、自転車で道路を走っていたが、
走っている車が、どれも私のほうに向って走ってくるように感じた。私は数百メートル走
っては自転車からおり、また走ってはおりた。あとでみたら、手が、汗でべっとりと濡れ
ていた。何かとくべつのことで、ものごとに激しい恐怖感を覚えることを、恐怖症という。
ほかに動物恐怖症、お面恐怖症、先端恐怖症などもある。



 私のばあい、肉体的には健康だが、精神的にはあまり健康ではない。よく落ちこむし、
ときに激怒して、自分がわからなくなることがある。ここにあげた恐怖症にせよ、強迫神
経症にせよ、いろいろな形で、よく経験する。



 こういう心の病気になったとき、こわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため
か、狂っている私のほうが正しいのか、そうでないときの私のほうが正しいのか、それが
わからなくなること。たとえば抑うつ状態になったとき、かえってそうでない人のほうが、
おかしく見えるときがある。私のことで言うなら、落ちこんでいる自分のほうが、本当の
自分のように思うことがある。そして「今まで落ちこまなかったのは、私がバカだったか
ら」というような考え方をしてしまう。



 また恐怖症にせよ、心気神経症にせよ、私の経験からしても、自分ではコントロールで
きないということ。自分に「だいじょうぶだ」と何度言い聞かせても、もう一人別の自分
が、それを打ち消してしまう。あるいは頭の中ではだいじょうぶと思っていても、体は勝
手に動いてしまう。もう二〇年近くも前のことだが、私はテレビのアンテナをつけるため
に、屋根にあがったことがある。しかしおりるとき、勝手に足がすくんでしまい、それ以
上、動けなくなってしまった。結局、近くの電気屋さんに来てもらい、助けてもらったが、
そのときも、いくら「だいじょうぶだ」と自分にってきかせても、自分では、どうしよう
もなかった。



 だから……。今、いろいろな心の病気をかかえた子どもに接すると、そういう子どもの
心の状態がよくわかる。親は、「気のせいだ」「気はもちようだ」などと言うが、私はそう
は言わない。先日も「トンネルがこわい」と訴えてきた小学生(小一男児)がいた。その
子どもに接したときも、私は、こう言った。「こわいよね。ぼくもトンネルがこわくて、と
きどき入れないときがある。天井がコンクリートか何かで、しっかりしていればいいけど、
岩がむき出しであったりすると、ぞっとするね」と。



 熱を出して苦しんでいる子どもに無理をさせないように、心の病気にかかっている子ど
もに無理をしてはいけない。心の病気は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向
があるが、決して安易に考えてはいけない。こじらせればこじらせるほど、立ちなおりが
むずかしくなる。

(030713)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●場面かん黙の子どもたち

林様(はやし・みこ様、「なっちゃんの声」の著者)へ
 
おはようございます。
 
まったくおっしゃる通りです。
場面緘黙も、早期に指導すれば、「なおり」ます。
年長児になってからだと、たいへんむずかしいですが、
年中児くらいだと、親にそれと気づかせないまま、
私のばあい、「なおしてしまします」。
 
さらに症状がこじれると、(表情)と(情意=心)が遊離し、
何を考えているかわからなくなります。
意味のわからない柔和な笑みを浮かべたままになります。
こうなると、たいへん指導がむずかしくなります。
 
が、体をこわばらせる程度の症状であれば、一度、みなと、
ゲラゲラ笑わせるだけで、(といっても、簡単なことでは
ありませんが)、そのままなおってしまいます。
 
が、やはり「診断名」を口にするのは、私にはできません。
「もしまちがっていたら……」という思いの中で
苦しみます。
(迷うのではなく、苦しみます。)
ですから親には告げないで、私のばあい、なおしてしまいます。
 
実は、少し前も、それがありました。
幼稚園では、入園以来一言も話さなかった子どもが、
2度目のレッスンで、声を出しました。
(一度目は、お母さんといっしょに、うしろで見学していました。)
年中児です。
 
母親と伯母がうしろでそれを見ていて、
「Mちゃんが声を出している!」と驚いていました。
その家族にしても、「かん黙」という言葉をこの先、
知ることはないでしょう。
 
私はこの方法で、軽い自閉症、発語障害など、
なおしています。
もちろん「直す」とか「治す」という言葉は、いっさい、使いません。
 
林様とは、立場がちがうので、対処の仕方もちがってきます。
また何度か親とのトラブルがあると、それがトラウマに
なってしまいます。
実際、「お前を訴えてやる」と父親に怒鳴り込まれたこともあります。
「お前がうちの娘を、萎縮させてしまった!」とです。
で、そのとき私は、父親にこう言いました。
 
「訴えるのは、あなたの自由ですが、一度、私の
レッスンを見てから訴えなさい」と。
 
それから数回、父親はうしろで参観していました。
で、その数回の参観が終ったあと、私にこう言いました。
「よくわかりました。すみませんでした」と。
 
いろいろなドラマがあります。
……ありました。
おっしゃるとおり、早期に気がつき、そのとき、「殻(から)」
から引き出してやる。
それがそのまま治療法ということになります。
私の場合、幼児を笑わせることだけを考え、指導して
います。
いろいろ誤解もありましたので、ここ数年は、
レッスンの内容を、すべて公開しています。
(もうすぐ教室を閉鎖しなければならないかもしれない
という思いもあるからです。)
 
「笑えば、子どもは伸びる」。
これが私の教え方です。
何かの参考にしていただければ、うれしいです。
 
しかし、ね。
場面かん黙などというものは、何でもない問題ですよ。
「この子は、こういう子」と認めてしまえば、何でもない問題ですよ。
日本人は、どうしても「ふつう」という基準を作ってしまう。
民族的な悪いクセです。
その「ふつう」に合わないと、何でも「異常」扱いしてしまう。
しかしこれは世界の常識ではありません。
不登校児にしても、そうです。
アメリカでは、ホームスクーラーが、2000年には200万人
を超えたはずです。
 
で、そういう子どもたちのために、州政府が、
指導者を用意し、教材まで用意しています。
そういうフレキシブルな教育システムが確立しています。
どうして日本は、もっと心を広くして、子どもの多様性を
認めないのでしょうか。
 
いいじゃないですか、静かな子どもがいても……。
 
そうすれば、たとえばかん黙児という診断名にしても、
どこかへ吹き飛んでしまうはずです。
 
たいせつなことは、その子どもが、生き生きと自分の
人生を前向きに生きていくこと。
またそれをみなが、認めあうこと。
それにまさる価値はありません。
 
12年ほど前、中日新聞に書いたコラムです。
そのまま紹介します。

                はやし浩司
 
************************
 
●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーン
だが、欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過
ごすということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解でき
る。しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐
をするのか」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」と
いうことになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に
危害
を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、
あたかも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、
一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府
時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、
伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的な
ことを教えるのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本
では学歴を身につけるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。
欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメ
リカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言
し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の
基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出
す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地
ほどの開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになって
いる」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこ
で「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてく
れた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太
子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュ
ラムを学校が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、
と。そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもら
いたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 
1999年記
 
 
************************
 

【常識が偏見になるとき】 



●たまにはずる休みを……!



「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、た
いていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。
しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。



アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑っ
てみる。たとえば……。



●日本の常識は世界の非常識



(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希
望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。



日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけ
でも九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の
割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。



それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教
育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修
会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約
千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。



(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。ド
イツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決める
ことができる。



そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習ク
ラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2
001年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、2
30マルク(日本円で約14000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助
金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。



 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。



ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」
と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう
教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待ってい
ると、先生のほうから電話がかかってきます」と。



(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見
て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別
紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。



この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨
てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう
話してくれた。



 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校が
カリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」
と。



なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出す
と同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。



●そこはまさに『マトリックス』の世界



 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。



その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、
「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を
信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画
『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だ
と気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。



●解放感は最高!



 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。



※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決
めることができる。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●「自由に学ぶ」



 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On 
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。



 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもので
しかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の
上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。



 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義
国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているでは
ないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはな
らない」と。



 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の
犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考える
のは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察シ
ステムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと
別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。



 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中
学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、400
0人多い。

(はやし浩司 フリースクール 自由な教育 LIE Learn in Freedom 不登校 常識論 
意識 はやし浩司 教育評論 教育論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6か国協議について(中国を警戒しよう)


+++++++++++++++++++++


現在、6か国協議は暗礁に乗り上げている。
「南北会談が先」と主張するアメリカ。
「6か国協議が先」と主張する中国と北朝鮮。


+++++++++++++++++++++


●チベット問題


中国がどんな国であるかを知りたかったら、
チベット問題を見ればわかる。
中国は、「話せばわかる」と考えていつ人は多い。
しかし中国いうような国は、そんな甘い国ではない。
今までの経緯を知れば、それがわかる。
そのひとつがチベット問題。


1949年、時の毛沢東は、大軍隊を
チベット高原に送り込み、力ずくで
チベット高原全体を、中国の領土に組み込んで
しまった。


現在のチベット自治区、青海省、甘粛省、
四川省(以上をまとめて、チベット高原という)
が、それである。


その間に、100万人以上ものチベット人が
殺されている。
総人口が600万人だから、6分の1。
日本の人口に換算するなら、2000万人が殺された
ことになる。


今の今ですら、インド側に亡命する人は、
後を絶たない。
その中の1人が、ダライラマ14世。
非暴力主義を訴え、平和と自治政府の樹立を
求めつづけている。
が、中国は、それすらも一方的に無視。
現在の今でも、中国人によるチベット人への
弾圧はつづいている。


「チベット国旗に似ているものを所持して
いただけで、7年間も投獄された例がある」
(「世界の大疑問」Gakken)という。


●中国の隠された意図


そういう国に、そもそも6か国協議の
議長国を任せたのが、まちがい。
もとから北朝鮮の核開発問題を解決しようなどと
いう意思そのものがない。
一方で北朝鮮を適当に泳がせながら、
自国の存在感を、内外にアピールしているだけ。


もともと中国にしてみれば、北朝鮮の核兵器など、
痛くもかゆくもない。
いざとなれば、1日で、北朝鮮を叩きつぶす
ことができる。
今の今ですら、中国さえ本気になれば、北朝鮮の
核開発問題など、1日で解決する。
食料の援助を、停止すればよい。
が、中国は、それをしない。
しないばかりか、裏で北朝鮮を援助しつづけている。


どうしてこんな状態で、6か国協議なのか。
アメリカ、日本、それに韓国は、中国の
腹黒い意図にもてあそばれているだけ。


が、これに対して、多くの専門家は、
「中国は朝鮮半島の混乱を望んでいないから」と
いうようなことを主張している。


本当に、そうか?
本当に、そう考えてよいのか?


●中国はそんな甘い国ではない


中国は、そんな甘い国ではない。
チベット問題だけではない。
ほかにも南沙諸島問題がある。
台湾問題がある。
(台湾問題が片づけば、つぎはいよいよ沖縄だぞ!)
シンキョウ・ウイグル自治区問題がある。
このウイグル自治区問題は、チベット自治区
問題と、内容がたいへんよく似ている。


中国はある日突然、大軍隊を送って、
一方的に、その「地区」を支配下に置く。
置いた後、中国人の入植者をどんどんと
送り込む。
なし崩し的に、その「地区」を自国に
併合する。


このシンキョウ・ウイグル自治区問題が
チベット問題とちがう点は、現在の今も、
弾圧がつづいているという点。


中国政府は、理由にもならない理由を
こじつけ、「過激派?」を、どんどんと
投獄している。
闇から闇に葬られた人は、2009年
だけでも、1万人と言われている(同書)。


そこで6か国協議。


中国のねらいは、ズバリ、朝鮮半島の中国化。
豊富な地下資源をもつ北朝鮮を、自国の
支配下に置くこと。
少なくとも、韓国やアメリカの支配下には
置かせない。
中国はその野望を捨ててまで、6か国協議に
協力するはずはない。


●一方、この日本では?


悪党か悪党でないかは、相対的なもの。
大悪党を前にすれば、小悪党でも、善人に見える。
中国を大悪党とするなら、アメリカは小悪党。


が、善人でも、悪党に仕立て上げられる。
それこそ重箱の隅をほじくり返し、ささいな罪を
おおげさに騒げばよい。


たまたまおととい、日本の外務大臣が辞任した。
理由は、「外国人からの献金」?
が、金額が知れている。
4年間で、計20万円。
毎年、5万円。
野党は、まるで鬼のクビでも取ったかのように、
はしゃいでいる。


が、今は、そんな「時」ではない!
こんなささいな問題で、足の引っ張り合いをしている
場合ではない!
が、今度は、厚生労働大臣の失言問題?
今は、挙国一致態勢で、内外の問題に対処すべきとき。


リビアの内戦では、すでに何万人もの人たちが
犠牲になっている。
原油価格は上昇し、へたをすれば、それが日本の
国家破綻の引き金を引くことになってしまうかも
しれない。
そんなときに、何が5万円だ!
何が失言問題だ!


……というか、すでにもう手遅れ。
外務大臣が辞任を表明したとき、私はこう思った。
「これで日本も、おしまいだな」と。
私がそう見ているというよりは、世界がそう見ている。
「日本政府に、政権統治能力なし」と。


世界は、(1)増税と、(2)歳出カットを、日本が
どう処理するか。
それを固唾(かやず)を飲んで、見守っていた。
その結果が、これ。


何も民主党を支持するわけではないないが、
日本をここまでメチャメチャにしたのは、
ほかならぬ自民党ではないのか。
少しは恥を知れというか、謙虚になれ。


●では、日本は?


話はそれたが、どうして日本は、もっと
国際問題を論じないのか。
重箱の隅をほじくり返すような時間と
エネルギーがあるなら、それを世界で
使えばよい。


こんな小さな国の中で、足の引っ張り合いばかり
していて、何になる。
5万円の献金問題にしても、失言問題にしても、
「ハハハ」ですむ話ではないか。


たまたま今朝も、こんなニュースが朝刊に
載っていた(2011/03/08)。
何でもあの中国が、レアアースの代替研究を
共同でしようと、日本にもちかけてきたという。
理由など、何でもよい。


が、こんなバカげた提案に日本は乗ってはいけない。
乗る必要もない。
日本は中国の助けなど、必要としていない。
何が「共同」だ?


中国が言う「共同」の中身は、すでに6か国協議で
証明済み。
忘れてならないのは、……つまり私たち日本人が
肝に銘じておかねばならないのは、中国は、
北朝鮮よりタチの悪い、独裁国家であるということ。
無数の核兵器をもち、すでに実戦配備につけている。


その上、今度は空母だの、ステルス戦闘機だの……。
中国の領土的野心は、とどまるところを知らない。
いいか、台湾問題のつぎは、沖縄だぞ。
沖縄の領有権問題だぞ。


こういう巨悪が日本の外で、渦を巻いている。
なのに、この日本は……!


そういうことを知ってほしかったから、今朝は
中国問題を取りあげてみた。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 外務大臣の辞任問題 厚生労働大臣の失言問題 はやし浩司 チベッ
ト問題)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【R町通りを歩きながら】

●浜松市R町通り

 浜松市の中心街に、R町通りというのがある。
旧東海道沿いの通りである。
今は、国道1号線となっている。
このR町通り。
その先、つまり北の端で、直角に曲がり、そのまま東京方面へとつづいている。

 私が浜松へ来たころ、このあたりの人たちのことはよく知っていた。
Kショップという、赤ちゃん用具の専門店。
S堂という、画材道具の専門店。
T屋という、貸し呉服屋。
ほかにY屋という書店、N塾という塾などなど。

 今日、その中のひとつ、S堂に足を運んだ。
主人のKさんとは、40年来のつきあいということになる。
その奥さんと、近所の人たちの話になった。
「もうこのあたりで、残っているのは、うちと、Y屋書店だけです」と。

●ミキオ君

 T屋という貸し呉服店を営んでいた、Yさんは、よく知っている。
息子のM君は、私が浜松で知り合った、最初の友人。
そのM君、名前をミキオ君といったが、住むところがないと言うと、彼の両親の
別荘を貸してくれた。
「冬の間は、だれも使っていないから、使っていい」と。

 別荘は、浜松市内から電車で3つ目にある、弁天島というところにあった。
人工造成された島で、東海道新幹線と東海道線が、その南側を並んで走っている。
私は半年ほど、その別荘に住んだ。
海のそばの別荘だった。
管理人が、その西側の棟に住んでいた。

 が、そのミキオ君は、その直後、ブラジルへ単身渡り、そこで死んでしまった。
交通事故で死んだということだった。
だから今でも、「ミキオ」という名前は知っているが、漢字でどう書くのか知らない。

●K屋(赤ちゃんショップ)

 「T屋の息子さんは、ブラジルで亡くなったんですよ」と私が言うと、S堂の女主人は、
「そうですってねえ」と言った。
女主人にしても、遠い遠い昔の話。
40年前の話である。

 「K屋さんは、どうしましたか?」と聞くと、「ああ、K屋さんねえ。浜松の財産を
すべて売って、静岡に引っ越しました」と。
K屋の主人とは、直接のつきあいはない。
が、あるドクターのゴーストライターをしていたころ、K屋の主人は、毎週、その
ドクターを、妊産婦講座の講師として招いていた。
そのドクターに連れられて、よくその店に入った。
これも40年前の話である。

●佐藤栄作

 田舎の小さな町ならともかく、こんな大きな町でも、人の出入りがある。
私はそれに少なからず、驚いた。
40年前というが、2倍すれば、80年前。
3倍すれば、120年前。
江戸時代にさしかかる。

 その江戸時代。
S堂のちょうどまん前に、「平野屋」という名前の料理店があった。
東海道筋の元本陣宿。
大名行列でやってきた殿様だけが泊まる、格式の高い宿屋であったという。
その宿屋が、その後、料理店になった。
私はそこでよく昼食や夕食を食べた。
たしか昼食を、200円とか、250円で食べさせてくれた。
おかしなことに、私はその店で、佐藤栄作の何かのニュースを見たのを思えている。
当時の総理大臣だった。
が、何のニュースだったかは、よく覚えていない。

 退陣表明のニュースだったか?
新聞記者に「出て行け」というようなことを言っていた。
そのようなニュースだった。

●S堂にて

 そのR町通りを、今日、ワイフと2人で歩いた。
静岡銀行で円をオーストラリア・ドルに交換した。
その足で、教室に向かった。
S堂に寄ったのは、その途中のことだった。

 当時は毎日のように、そのあたりを歩き回った。
その近くの個人塾と進学塾で、講師をしていた。
家庭教師もしていた。
その家庭教師先の人の話になった。

私「Tさんは、お元気ですか?」
主「さあ、ここ数年、見ていませんね」
私「ご主人とは、ライオンズクラブで、仲間だったようです」
主「そうみたいですね」
私「Tさんの息子さん2人を、家庭教師していました」
主「そうですか?」と。

 Tさんは、当時、このあたり一帯を支配する文具店の卸問屋をしていた。
が、奇縁というのは、こういうことを言うのか。
その社員に、中学時代の同級生がいた。
同級生といっても、たがいの実家は、100メートルも離れていなかった。
M君といった。

 そのM君。
50歳になる前に、肺がんで命を落としている。
奥さんの話では、肺を切ったら、1リットルのタール状の腐った血が出てきたという。
壮絶な闘いだったらしい。
中学時代は、ずば抜けたスポーツ選手だった。
体育の授業のとき、みなの前で、大車輪(鉄棒)をしてみせたこともある。

●奥さん

 Tさん、つまり卸文具店の奥さんは、本当に、心のやさしい人だった。
私のような風来坊にでも、ていねいに接してくれた。
家庭教師が終ると、よく食事も出してくれた。
が、当時は、職業による身分意識も色濃く残っていた。
私のしている仕事が、奥さんには、そう見えたのだろう。
ある日、奥さんは、私にこう言った。

 「林さん(=私)、あなたにうちの息子たちのめんどうをみてもらうのは、
うれしいです。
しかしね、林さん、こういうことで、あなたの大切な将来を台無しにしていると
思うと、申し訳ない気がします」と。

 私はその言葉を聞いたあと、道を歩きながら、涙をこぼした。
ちょうどそのころ、私はすべてのものを失っていた。
それを奥さんは、私に気づかせてくれた。
……というか、はっきりさせてくれた。

 R町通りの一角には、そんな思い出もしみついている。

●栄枯盛衰

 「浮き沈み」という言葉は好きではない。
「栄枯盛衰」という言葉にしても、そうだ。
だれも浮かんではいない。
同じように沈んだわけでもない。
ただそこにいる人たちが、変わったということ。
「置き換わった」という言い方のほうが、正しいかもしれない。

人は、それぞれの時代に、それぞれの場所で、懸命に生きている。
私とのつながりが切れたというだけ。
それを「沈んだ」とは、言わない。
この私にしても、あと10年もすれば、人のうわさからも消え、20年もすれば、
この世から消える。
そういう私を「沈んだ」とは、言ってほしくない。

●袋小路の過去

 私とワイフは、その近くのコンビニで、昼食を買うつもりでいた。
が、改装中。
で、2、3軒隣の薬局へ入った。
まさか・・・と思って入ったが、弁当を売っていた。
私はいくつかの菓子パンと、ボトル入りのお茶を買った。

 外へ出ると、冬に逆戻りしたかのような冷気。
通りを歩く人もいなかった。

 「でもね、昔は、もう少し人の温もりがいたよ。今のようにだれの
ものともわからないビルばかりではなかった」と。
私がそう言うと、ワイフはあたりをゆっくりと見回した。

 42年前というが、その42年前の、ほんの1年前には、私はオーストラリア
にいた。
42年前の過去が、紙一枚で、オーストラリアの時代につながっている。
遠い遠い昔のはずだが、そのオーストラリアの時代は、すべてが、つい昨日の
ように現代とつながっている。
一方、R町通りの思い出は、その狭間にあって、たとえて言うなら、袋小路に
入ったような過去。
それが私にとっての、R町通りということになる。

●教室

 私とワイフは、その足で、教室に入った。
最初のクラスまで1時間ほど、あった。
私は菓子パンをかじりながら、教材のプリントを印刷した。
いつもの午後。
いつもの仕事。
こうして私の42年間が、過ぎた。

 そうそう書き忘れたが、同じR町通りのY屋書店には、毎日のように通った。
雨の日も風の日も。
空き時間が1時間でもあると、その書店に通った。
本を読んだ。
本を買った。

 そのY書店も、数年前、3階を閉鎖した。
少し前まで、午後9時まで営業していたが、それがこのところ8時になった。
人通りが少なくなった。
併せて、書籍の数も少なくなった。
私にとっては、そのほうがさみしい。

 教材のプリントを印刷しているとき、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 浜松市 連尺通り 連尺通りの思い出)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日韓経済戦争】「日韓経済は一蓮托生」

●物価上昇

 世界の穀物価格は、平均して、この
1年間で、30%弱も上昇。
この3年間で、約2・5〜3・0倍に上昇。

たとえば大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍。
(農林水産省調べ・MMF・2010)

 原因は、

(1)2010年7月以降の、ロシアの干ばつ、
(2)アメリカが、生産量見込みの大幅な下方修正をしたこと、
(3)大豆については、アルゼンチンの降雨不足、
(4)小麦は、豪州東部の洪水と、米国大平原の土壌水分不足。
  (以上、農林水産省HPより)。

 こうした穀物価格の上昇は、韓国をも直撃している。

 韓国、東亜日報は、「とくに、低所得層のエンゲル係数は、5年ぶりに最高値を記録し、
食品物価の上昇により、家計負担が相当大きかったことが分かった」(東亜日報・3月1日、
2011)と報道している。

 もう少し具体的に数字を並べてみる。
朝鮮日報(2011−03−03)は、つぎのように書いている。

『物価統計に含まれる489品目のうち、魚、野菜、果物など51品目だけを計算した新
鮮食品指数(生鮮食品指数)は、昨年6月から9か月連続で2桁台の上昇を続けており、
2月には25%の上昇を記録した』と。

 「昨年6月から9か月連続で2桁台の上昇」というのは、ふつうではない。
ならば、ウォン高に誘導し、輸入価格を引き下げればよいということになる。
もっとも手っ取り早い方法は、公定歩合をあげる。
つまり中央銀行の貸出金利をあげる。
が、それができないところに、韓国経済のジレンマがある。

●増える個人債務

 朝鮮日報(2011−03−01)は、つぎのように書いている。

 『……韓国の家計債務が急速に増加し、昨年末には795兆ウォン(約58兆円)に達
し、800兆ウォンの大台に迫った。家庭向け融資残高(クレジットカード債務を含む)
は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権期(2003−07年)には192兆ウォン(約14兆
円)、李明博(イ・ミョンバク)政権に入ってからの3年間で165兆ウォン(約12兆円)
増えた。両政権で融資残高が357兆ウォン(約26兆円)も増加し、韓国の各世帯の財
務状況は破綻寸前だ』と。

 つまり、『韓国の家計債務が、急速に増加し、2010末には、58兆円になった』と。

 朝鮮日報は、一例として、あるガソリンスタンドの店主を例にあげている。

『…… ガソリンスタンド保守業を営む男性(50)は、過去3年で借金が雪だるま式に
膨らみ、これ以上耐えきれなくなった。
08年4月に事業資金に充てるため、自宅を担保に銀行から3億ウォン(約2190万円)
を借り入れた。
3年の返済猶予付きの25年間の分割ローンで、毎月200万ウォン(約14万6000
円)の利子を支払っていた。
08年初めには月に400万ウォン(約29万1000円)稼いでいたため、利払いに耐
えられたが、景気が悪化し、現在は月収が150万ウォン(約10万9000円)前後だ。
男性は「利払いや生活費など月に100万ウォン(約7万3000円)以上の不足分は、
クレジットカードで支払っていたため、カード債務だけで7000万ウォン(約510万
円)に膨らんだ」と話した』(以上、朝鮮日報)と。

詳細は、
http://www.chosunonline.com/news/20110301000021

 別の統計によれば、「平均所得は、09年度比で、5・8%しかふえていないのに、利子
支出は、16・2%もふえている」(朝鮮日報)という。

 もしここで貸出金利を1%でもあげたら、それこそ韓国経済は、奈落の底に叩き落とさ
れることになる。
平たく言えば、こうだ。

 「インフレ(=物価高)を抑制するために、金利をあげたい。
しかし金利をあげれば、個人債務者の破綻がつづく」と。
が、これは韓国だけの問題ではない。
そのままこの日本の問題でもある。

●日本

 世界の穀物価格は、08年度比で、約3倍に上昇している(前述)。
が、この日本では、それほどの実感はない。
その上昇分は、円高が吸収した。

 リーマンショック(08年)以前は、1ドルが120円前後だった。
現在は、82円前後。
これで計算すると、円は32%も上昇したことになる。
この上昇分のおかげで、食料価格は安定した(?)動きをみせている。

 ただここで誤解してはいけないことがある。
これだけ「円」をたれ流しても、円高がつづくのは、それだけ「円」が強いからではない。
それだけ相対的に、世界経済が不安定だから、である。
「まだ日本の円のほうが安全」ということで、世界の投機資金は、日本に向かっている。

が、その一方で、日本の「円高」は、今まさに風前の灯火。
ほとんどの経済学者は、「日本の国家破綻(デフォルト=債務超過)は、可能性の問題では
なく、時間の問題」と述べている。

 こうした漠然とした不安感に、どこかで火がつけば、一気に日本経済は破綻に向かう。
ギリシア危機を例にあげるまでもない。
「一気」である。

 その一気がいつやってくるか?
つまり引き金を引くのは、いつか?
そのひとつの火薬庫が、韓国ということになる。

●日韓経済は一蓮托生

 長い間、私は「日韓経済戦争」について書いてきた。
すでに10年になる。
が、その間、破竹の進撃を繰り返す韓国。
何もかも、裏目、裏目と出る日本。
昨今の経済ニュースによれば、2040〜45年には、1人当たりのGDPにおいて、
韓国は日本を追い抜くと予想されている。
それがはっきりしたとき、つまり昨年の夏ごろを最後に、私は「日韓経済戦争」について
書くのをやめた。

 ……今さらあの当時の日本人のノー天気ぶりを嘆いても、始まらない。
知性も理性もかなぐり捨て、よい年齢のオバチャンたちが、韓国の若い俳優を追い
かけ回す。
これを「国辱」と言わずして、何という。

 が、ここにきて韓国経済が、音をたててきしみ始めた。
日韓経済戦争ということになれば、「敵」の衰退は、即、味方の興隆につながる。
ふつうならそう考える。
が、日本の経済とて、ガタガタ。
まるでユラユラと揺れる台座の上で、かろうじてバランスを保っているようなもの。
もしここで足の一本でも折れたら、台座はそのまま崩れてしまう。
韓国経済は、その足の一本ということになる。
つまり一蓮托生。

●どうするか?

 ならば、どうするか?
……と書きつつ、ここからは日本の問題。
私たち自身の問題。

 要するに極東アジアの小国どうしが、いがみあっていても仕方ないということ。
世界から見れば、区別するのも不可能なほど、よく似た兄弟民族。
兄弟国家。
が、かといって、日本の知的財産を、そのまま韓国に譲渡するというわけにもいかない。
韓国が日本を追い抜くのを、指をくわえて見ているわけにもいかない。
あれほどの反日国家が力をもったら、この日本はどうなるか。
それをほんの少しでも、頭の中で想像してみればよい。

 中には、「仲よくすればいい」という意見もあるかもしれない。
しかし私がUNESCOの交換学生として韓国へ渡ってから、44年。
韓国人のもつ反日感情は、ほとんど変わっていない。
むしろ力をますにつれて、反日感情は、先鋭化している。
竹島(独島)問題を例にあげるまでもない。
この先、10年や20年で、彼らのもつ対日感情が、劇的に変化することなど、
ありえない。

 つまりここに、日本には日本のジレンマがある。
考えれば考えるほど、袋小路に迷い込んでしまう。
ゆいいつの救済法があるとするなら、日本は日本で国力を回復すること。
結果として、日本経済の足腰を強くすること。

国家破綻が時間の問題なら、ここは大出血を覚悟で、先手、先手で、対策を実行すること。
破綻してから大騒ぎするか。
破綻する前に大騒ぎするか。
どちらを選ぶか。

 私は後者を選ぶべきと考えるが、与党内部でさえ、足の引っ張りあいがつづいている。
これでは嵐を前に、家の中で夫婦げんかをしているようなもの。
情けないというか、心もとないというか……。

 日本は、まさにその正念場を迎えつつある。
2011/03/04記

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3月6日

+++++++++++++++++++++++++++++

明日は月曜日。
English Jiji comは、つぎのように
伝える。

英語の勉強のため、翻訳してみる。

+++++++++++++++++++++++++++++

●Middle East Unrest Seen Affecting Tokyo Stocks Next Week

 来週(3月7日〜)中東不安は、東京マーケットに影響を与える

  Tokyo, March 4 (Jiji Press)ーTokyo stocks are expected to continue to be affected by 
the political unrest in the Middle East and North Africa and crude oil price moves, 
although the downside is likely to be supported by expectations of a U.S. economic 
recovery.
東京市場は、USの経済回復の期待に支えられ、影響は多少緩和されるかもしれないが、
中東および北アフリカの政治的混乱、原油価格の動きによって、引き続き、影響を受ける
ものと思われる。

  If crude oil prices keep rising due to the political turmoil, investors will shift funds 
from stocks, expecting the economies of advanced countries will be hurt, brokers said. 
政治的な混乱により、原油価格が上昇すれば、先進国の経済が傷つくことが予想され、投
資家は、株式市場からファンドへ移動するだろうと、投資家たちは述べている。

+++++++++++++++++++++++++++++++

●負のスパイラル

 先進国が札を増刷しつづけるかぎり、穀物、原油価格は上昇する。
当然の帰結である。
が、先進国はそれでよい。
食糧価格や石油価格の上昇を、「生活」の範囲内で、消化できる。
が、中進国や後進国にとっては、そうではない。
失業と貧困。
インフレと食料品の高騰。
政情不安は、一気に進む。
その結果がエジプトであり、リビアということになる。
が、だれも、ここで終るとは思っていない。

 原油価格は1バレル、100ドルを突破した。
やがて200ドルを超えるだろうと予測されている。
穀物価格(大豆、小麦、トウモロコシ)についても、08年度比で、約3倍に
なっている(2011年3月現在)。

つまりそのしわ寄せは、中進国や後進国に、集まる。
言い換えると、先進国の、(この日本も含めての話だが)、身勝手な経済運営が、
世界の経済を、メチャメチャにし始めている。
中には、「日本がよければ、それでいい」と考えている人もいるかもしれない。
しかしそのツケは、やがて回り回って、この日本にもやってくる。

 その第一波が、ジジコムの記事。
東京市場の混乱。
株価の暴落。
景気の低迷。
言うなれば、世界は、今、負のスパイラルを描きながら、奈落の底へと落ちはじめている。

●アジア情勢

 そこでアジア情勢をもう一度、復習してみたい。

(1)インド・パキスタン戦争
1948年に、カシミール地方の領有権争いが原因で、戦争が始まった。
原因についてはいろいろ言われているが、水源地争いであると、パキスタンの友人が
話してくれた。
今の、インド・パキスタンは、戦争状態にある。

(2)中国・インド戦争
1959年、中国は国境線を改めるため、インドに軍を進め、1962年、それが
大規模な軍事衝突に発展。
結果、中国とインドの国境線は、中国の都合のよいように、書き換えられてしまった。

(3)スリランカの内戦
スリランカは独立国だが、内部では、タミル人とシンハラ人の対立がつづいている。
人口の7割をシンハラ人が占めているが、仏教徒。
残りの2割がタミル人で、ヒンドゥー教徒。
宗教戦争がからんでいるため、たがいに容赦しない。
現在は、タミル人の反政府活動は収束し、表面的には静かになっている。

(4)ミヤンマーの民主化運動
アウンサン・スー・チー女史の名前をあげれば、「ああ、あの国か」と思う起こす人は
多い。
今の今も、軍事政権による強圧政治がつづいている。
軍事政権側は、7段階の「民政移管計画」を発表している。
現在は、やっと1段階が終ったところ。
その先のスケジュールは示されていない。

(5)東チモール独立問題
チモールは現在、東チモールと西チモールに分断されている。
あれこれ語るより、オーストラリアの第一の仮想敵国は、インドネシアである。
そのことからもわかるように、チモールの独立問題は、オーストラリアvs
インドネシア問題と考えてよい。

(6)チベット問題、東トルキスタン問題
中国は領土拡大政策のもと、周辺の弱小国家を、つぎつぎと自国へ併合している。
チベット、それにウイグル自治区。
やがて台湾、さらには沖縄へと、領有権を主張してくるはず。
中国の領土野心には、じゅうぶん警戒する必要がある。

(以上、参考文献:「世界の大疑問」(Gakken)

●日本は……?

 この先、この日本は、どうなるか?
本来なら今、日本政府は、強力な挙国一致体制を敷かねばならない。
が、肝心の政府(=管内閣)は、ガタガタ。
今度は外務大臣の献金問題で、揺れている。
在日韓国人からの献金が問題になっているらしい。
が、それよりも驚くのは、つぎの2点。

(1)よくもまあ、こんなこまかいことを調べたものだということ。
どこかの団体が、血眼になって調べたのだろう。
どこの団体が、どのようにして調べたかは、知らない。
知らないが、おおよその見当はつく。
あの団体である。
こうした政治スキャンダルの背後には、いつもあの団体の影が見え隠れする。

(2)外国人からの献金は禁止されている。
……とまあ、法律にはあるかもしれない。
しかしたいした金額ではない。
報道によれば、たったの計20万円。
小沢一郎氏に投げかけられた、億単位のヤミ献金疑惑とは、桁がちがう。
中日新聞によれば、こうだ。

『政治資金収支報告書によると、前原氏の関係政治団体が2005〜08年に選挙区であ
る京都市山科区の女性から、年5万円計20万円の個人献金を受け取り、前原氏は参院予
算委員会で、この女性が在日韓国人だと認めた』(以上、中日新聞より)と。

 「額は問題ではない」と野党は主張している。
その上で、鬼のクビでも取ったかのように騒いでいる。
が、たかが計20万円!
年間、5万円!
どうしてそんな額で、外務大臣の進退(クビ)が問題になるのか。
逆に言えば、そんな献金にまで目を光らすことなど、不可能。

 今は、こんなバカげた足の引っ張り合いをしている場合ではない。
内輪もめしている場合ではない。
ないことは、アジア情勢を見ただけでも、わかるはず。
今の今、世界は、大激動している。
まさに「一寸先は、闇」。
わかりやすく言えば、日本の一歩外では、ギャングたちが機関銃をバンバンと
撃ちはなっている。
隣が火事なのに、夕食の味付けのことで、夫婦喧嘩をしているようなもの。

●明日から……

 今夜はこれでおしまい。
2011年3月6日。
明日からも世界は、大きく動く。
ただひたすら注視。
油断は禁物。

 では、おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●あの世vsこの世

+++++++++++++++++++++++++

あの世がsub(従)で、この世がmain(主)と
考えるのには、無理がある。
私たちは今、(この世)で生きているから、どうしても、
(この世)を中心に、ものを考える。
しかし、これはおかしい。

常識で考えれば、私たちが考えているあの世こそが、
main(主)ではないのか。
もしあの世があるとしたら、そうなる。
また(この世)には、極楽もあれば、天国もある。
地獄もある。
むしろ(この世)のほうこそ、実は(あの世)ではないのか。

人の一生にしても、あまりにも短い。
長くて100年前後。
100年などというものは、瞬間。
まばたきの、そのまた、まばたきの長さでしかない。
一方、(あの世)には、時間さえない。
死すらない、未来永劫の世界。

+++++++++++++++++++++++++

●この世は、実はあの世のあの世

 今日もドライブをしながら、ワイフと、「あの世」の話になった。
きっかけは、昔、島倉千代子が歌った、『♪この世の花』。
私がその歌をふと口ずさんだら、ワイフが「大げさな歌ね」と。
「この世の花」の「この世」という部分が、大げさ、と。
それで「あの世論」になった。
(おかしなきっかけだが、事実は、事実。)

 で、結論は、こうだ。
「ぼくたちが思っている(この世)こそが、実は(あの世)の(あの世)。
ぼくたちが思っている(あの世)こそが、実は、(この世)。
ぼくたちは(あの世)の住人で、ときどき(この世)へやってきて、(この世)を経験する。
この世には、天国もあるし、地獄もある。
あの世で悪いことをした人は、この世へやってきて、地獄を経験する」と。

 ……というような話は、すでに何度も書いた。
この「この世はあの世」論は、(その反対でも、もちろんよいが)、はやし浩司の
オリジナルと考えてもらってよい。
古今東西、そんなことを説いた宗教家はいない。
またそういう宗教も、ない。

●自己中心的

 するとワイフが鋭いことを言った。
「あの世の人たちが、こんなこの世に来たがるかしら?」と。
たとえて言うなら、私たち人間が、生まれ変わって、虫の世界に入るようなもの。
アリでもよいし、コオロギでもよい。
もう少し高等な生物ということになれば、ワニでもよいし、鳥でもよい。

ワ「私なら、いやだわ。虫になるなんて。
だってそうでしょ。
あの世の人たちは、何万年のそのまた何万年も生きるわけだから、きっと私たち人間より、
はるかに頭もいいはずよ」
私「そうだな。
そう考えると、ぼくもいやだな……。
あえて虫の世界など、経験したくもない。
ただね、あの世の住人してみれば、この世に生まれてくるのは、映画でも観にいくような
ものかもしれないよ。
ちょっと2、3時間、あの世へ行ってくるわ、とね」

 どうであれ、つまりあの世がこの世であれ、またその反対であれ、現在の(この世)が、
「メイン(主)」と考えるほうが、おかしい。
それこそジコチュー。
あまりにも人間中心的。
それに視野も狭い。
もしあの世が本当にあるならという、前提での話だが……。

●「いやだね」

 が、ここで疑問が発生する。
つまりワイフが言ったように、仮に今、私たちが(あの世)の住人だったとする。
(あの世)で、幸福で満ち足りた毎日を送っている。
そんな住人が、わざわざ地球上の(この世)へやってくるだろうか。
そういう疑問である。

 人間でなくてもよい。
アリでも、コオロギでもよい。
ワニでも、鳥でもよい。
仮にやってくるとしても、何のために?
それがわからなければ、こんな例で考えてみればよい。

 どこかのだれかが、あなたにこう言ったとする。

「今度、あの世で虫の世界を経験してみようか。
もし君が望むなら、アリの世界でもよい。
働きアリというアリだ。
あの世へ行って、虫になって生まれ、虫の一生を経験する」と。

 そこであなたがそれを望むと、あなたは地中深くに眠る、アリの卵になる。
卵になって、孵化するのを待つ。

 ……たぶん、私なら、こう言うだろう。
「いやだね」と。
「そんな経験をして、どうなるの?」とも。

 同じように、人間の世界だって、そうだ。
私なら、やはりこう言うだろう。
「いやだね」と。

●結論

 ……こうして考えていくと、矛盾ばかりが生じてくる。
あちらで矛盾、こちらで矛盾……、と。
へたに「あの世がある」というから、そうなる。
が、「ない」とすると、すべての矛盾が霧散する。
シンプルでわかりやすくなる。
私たちは死ねば、電気を消すように、そのまま消えてなくなる。

私「やはり、あの世というのは、ないということになるね」
ワ「どう考えても、そうなるわね」
私「そうなんだよ。つまり死んだら、おしまい」
ワ「そうね、人間だけが特別だなんて、おかしいわ」

 以下はあくまでも、私の考え。

 私には、あの世があるのか、ないのか、わからない。
わからないが、今は、私は、「あの世はない」という前提で生きている。
言うなれば背水の陣。
毎日が、断崖絶壁に追いつめられたような状態と言ってよい。
が、もし死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
そのときは、そのとき。
あの世で、のんびりと、新しい人生を歩む。

 最後にワイフがこう言った。

「(あの世)と(この世)をあべこべにしたような映画はできないかしら?
きっとおもしろい映画になるわよ」と。

 ……ここに書いたことは、つまりは、その程度の話。
あまり本気にしないでほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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●はやし浩司 2011−03−08

【幼児に、実験的に、対称図形を教えてみました】(2011−3月)

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<object width="425" height="344"><param name="movie" 
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allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【場面かん黙児】(改)

●場面かん黙児

+++++++++++++++++

家の中では、ふつうに話したり、
騒いだりすることができる。
しかし家を一歩出ると、場面に応じて、
かん黙(緘黙)してしまう。
たとえば幼稚園や、おけいこ塾などでは
貝殻を閉ざしたかのように、まったく
話さない、など。
体が固くなるタイプの子どもと、柔和な、
意味のわからない笑みを浮かべるタイプの
子どもに分けて考えることができる。

このタイプの子どもを、「かん黙児」
「場面かん黙児」という。
少し経験のある教師なら、簡単に
見分けることができる。

もちろん診断名を口にするのは、
タブー中のタブー。
できることと言えば、「一度、専門の先生に
相談してみてはどうですか?」と提案する程度の
ことでしかない。

が、このかん黙児の指導でむずかしいのは、
本人の問題よりも、家族、とくに
母親に、その理解がないこと。
家の中ではふつうに話すため、それに
気づかない。
気づかないばかりか、「先生が悪い」
「ほかの子どもに圧倒される」などと言って、
他人の責任にしてしまう。
中には、「お前がうちの子を萎縮させて
しまった!」と、先生に抗議していく
親もいる。

さらに……。
本来なら、発症直後、つまり乳幼児の
ときに適切な指導をし、そうした症状
から子どもを、取り出してあげねば
ならない。

(「取り出す」という表現は、私が考えた。
「取り出す」「引き出す」という言い方の
ほうが、「治す」「直す」という言い方より、
事実に近い。)

もっとも簡単な方法は、ほかの子どもたち
といっしょに、ドッと笑わせる。
私はこの方法で、かん黙児(もちろん
親や子どもには、診断名を告げることは
ない)を、なおしている。

が、それすらも理解できない。
親は「話せて当たり前」と考える。
そしてよくしゃべる子どもを、「騒がしい
子ども」として、遠ざけてしまう。
あるいは「できの悪い子ども」として、
遠ざけてしまう。
子どもを見る基準そのものがちがう。

さらにこんなことも……。
せっかく本人が話しても、(最初の
ころは、蚊の鳴くような小さな声だが)、
子どもに向かって、「どうして、あなたは
大きな声で話せないの!」と叱ったりする。

この一撃が、ますます症状を重くする。
が、話はさらに先につづく。

先にも書いたように、乳幼児期に
それに気づき、適切な指導をすれば、
症状は、ほかの子どもと区別ができないほど
まで、改善する。
が、その乳幼児期に、無理をしたりする
ことによって、症状がこじれてしまう。
複合的な症状となってしまう。

が、そのときでも親はそれに気づかない。
そこで私がそれとなく問題点を指摘すると、
たいていの親は、こう言う。

「わかっていたら、どうしてもっと
早く教えてくれなかったのですか!」と。

が、こんな逆の例もある。
A子さん(年長児)はかん黙児だった。
半年くらい、教室では何も話さなかった。
が、それを過ぎると、やっと少し声が
出るようになった。
そのときのこと。
母親がレッスンのあと、私にこう言った。

母「うちの子は、ああいう子でしょ」
私「はあ……」
母「先生、かん黙症って、ご存知ですか?」
私「はあ……」
母「来週、就学前検診があります。
そのとき、どうすれば、ああいう子という
ことがわからないですむでしょうか?」
私「はあ……」と。

教える側は、いつも親の身勝手に(=無知)に
振り回される。
そのたびに、大きな挫折感を覚える。

もちろん親自身がそれに気づいていればよい。
そこから指導が始まる。

+++++++++++++++++

【場面かん黙児】


●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こ
うして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な
現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって
走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自
転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」と
いうドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出
した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある
程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子ども
や、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめ
て行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限
度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や
汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに
乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、
暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、
今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑
惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに
死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、し
かっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立
場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。
無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心
が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車
の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」
とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症と
いうのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子
どもの恐怖症に対処する。

++++++++++++++++++++

●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。
それについて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

●Wさんの問題

 一〇年ほど前までは、「学校へ行けない」というのが、大きな問題だった。が、今では、
「幼稚園へ行けない」というのが、問題になり始めている。それも、三歳や四歳の子ども
が、である。

Wさんの問題を考える前に、「どうして三歳や四歳の子どもが、幼稚園へ行かねばならない
のか」「行く必要があるのか」「行かなければ、何が問題なのか」ということを、考えなけ
ればならない。

あるいはあと二〇年もすると、二歳や三歳の子どもについて、同じような相談をもらうよ
うになるのかもしれない。「どうしてうちの子は、保育園へ行けないのでしょうか」と。

 Wさん自身が、「保育園は、行かねばならないところ」「幼稚園は、行かねばならないと
ころ」という、固定観念をもちすぎているところが、気になる。

 私は正直に告白するが、幼稚園にせよ、保育園にせよ、行くとしても、適当に行けばよ
いと考えている。「適当」という言い方には、語弊があるかもしれないが、この時期は、あ
くまでも、家庭教育が主体であること。それを忘れてはならない。

 ずいぶんと昔のことだが、ある幼稚園の先生方の研究発表会に、顔を出したことがある。
全員、女性。男は、私一人だけだった。

 一人の女性教師が、誇らしげに、包丁の使い方を教えているという報告をしていた。「私
は、ダイコンを切るとき、本物の包丁を使わせています」と。

 で、そのあと、意見を求められた。が、私は、思わず、こう言ってしまった。「そんなこ
とは、家庭で、母親が教えればいいことです」と。

 会場が、シーンとなってしまったのを覚えている。

●小学校の問題が、幼稚園で 

 Wさんは、こう書いている。「あまりにも嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、
「必ず連れて来るように」とのこと。で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きま
した」と。

 当時、その子どもは、三歳である。たったの三歳である。あるいは、あなたは三歳の子
どもが、どういう子どもであるか、知っているだろうか?

 いくら保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言っても、一か月もの間、泣いてい
る子どもを抱えて連れていってよいものだろうか。Wさんには悪いが、私はこのメールを
読んで、この部分で、いたたまれない気持になった。

 もちろんだからといって、Wさんを、責めているのではない。Wさんも書いているよう
に、「母の介護」という、やむにやまれぬ事情があった。それにWさんは、それが子どもの
ために、よかれと思って、そうした。そういうWさんを、だれも責めることはできない。

 私が問題としたいことは、Wさんをそのように動かした、背景というか、社会的な常識
である。

 私がこの世界に入ったときは、幼稚園教育も、二年、もしくは一年がふつうだった。浜
松市内でも、幼稚園(保育園)へ行かないまま、小学校へ入学する子どもも、五%はいた。

 それが三年保育となり、さらに保育園自身も、「預かる保育」から、「教える保育」へと
変身している。

 こういう流れの中で、三〇年前には、小学校で起きていた現象が、幼稚園でも起きるよ
うになった。たとえば今では、不登校ならぬ、不登園の問題が、あちこちの幼稚園で起き
ている。Wさんの問題は、まさにその一つということになる。

●もっと、おおらかに! 
 
 はっきり言えば、子どもが、そこまで嫌がるなら、幼稚園や保育園へ、行く必要はない。
まったく、ない。

 少し前まで、(今でも、そう言う先生はいるが……)、幼稚園を休んだりすると、「遅れま
す」とか、「甘やかしてはダメです」と、親を叱る先生がいた。

 しかしいったい、何から、子どもが遅れるのか? 心が風邪をひいて、病んでいる子ど
もを、保護して、どうして、甘やかしたことになるのか?

 乳幼児期は、家庭教育が基本である。これは、動かしがたい事実である。この時期、子
どもは、「家庭」について学ぶ。学ぶというより、それを体にしみこませる。

 夫婦とは何か。父親や母親とは何か。そして家族とは、何か、と。家族が助けあい、守
りあい、励ましあい、教えあう姿を、子どもは、体の中にしみこませる。このしみこみが
あってはじめて、自分がつぎに親になったとき、自然な形で、子育てができる。

 それにかわるものを、幼稚園や保育園で、どうやって教えることができるというのか。
ものごとは、常識で考えてほしい。

 だからといって、幼児教育を否定しているのではない。しかし幼児教育には、幼児教育
として、すべきことが山のようにある。包丁の使い方をい教えるのが、幼児教育ではない。
ダイコンの切り方を教えるのが、幼児教育ではない。

 現にオーストラリアでは、週三日制の幼稚園もある。少し都会から離れた地域では、週
一回のスクーリングだけというところもある。あるいは、アメリカでは、親同士が、交互
に子どもを預かりあいながら、保育をしているところもある。

 幼児教育は、幼稚園、あるいは保育園で、と、構えるほうが、おかしい。今、この「お
かしさ」がわからないほどまで、日本人の心は、道からはずれてしまっている。

● かん黙児?

Wさんの子どもを、ドクターが、どのようにみて診断したのか、私は知らない。しかしそ
の前提として、かん黙児の診断は、しばらく子どもを指導してみないと、できない。

 ドクターの前で、黙ったからといって、すぐかん黙児ということにはならない。ただ単
に緊張していただけかもしれないし、あるいは対人恐怖症、もしくは、集団恐怖症だった
かもしれない。

 私は診断名をつけて、診断をくだすことはできないが、しかしかん黙児かどうかを判断
することくらいなら、できる。が、そのときでも、数日間にわたって、子どもを指導、観
察してみて、はじめてわかることであって、一、二度、対面したくらいで、わかるような
ことではない。そのドクターは、どうやって、「場面かん黙」と判断したのだろうか。

 このWさんのメールを読むかぎり、無理な隔離が原因で起きた、妄想性をともなった、
集団恐怖症ではないかと思う。……思うだけで、何ともいえないが、それがさらにこじれ
て、学校恐怖症(幼稚園恐怖症)になったのではないかと思う。

 もっとも恐怖症がこじれて、カラにこもるということは、子どものばあい、よくある。
かん黙も、何かの恐怖体験がきっかけで起こることは、よく知られている。かん黙するこ
とにより、自分がキズつくのを防ごうとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。

 しかしもしそうなら、なおさら、無理をしてはいけない。無理をすればするほど、症状
がこじれ、立ちなおりが遅れる。子どもの立場で、子どもの心をていねいにみながら、対
処する。

 保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言ったというが、私には、とんでもない暴
言に聞こえる。あるいは別に何か、先生には先生なりの、理由があったのかもしれない。
この点については、よくわからない。

 なお場面かん黙については、つぎのようなポイントを見て判断するとよい。

●かん黙児

(1) ふとしたこと、あるいは、特定の場面になると、貝殻を閉ざしたかのように、口を
閉じ、黙ってしまう。集団教育の場に入れられたようなとき、そのショックからかん黙す
ることが多い。防衛規制のひとつと考えられている。

(2) 気が許せる人(限られた親や兄弟、友人など)と、気が許せる場所(家)では、ご
くふつうに会話をすることができる。むしろ多弁であることが多い。


(3) かん黙している間、心と表情が遊離したかのようになり、何を考えているか、わか
らなくなる。柔和な意味のわからない笑みを浮かべて、ニンマリとしつづけることもある。
反対に「話してごらん」と促すと、体をこわばらせてしまう子どももいる。

(4) かん黙しているとき、心は緊張状態にある。表情に、だまされてはいけない。ささ
いなことで興奮したり、激怒したり、取り乱したりする。私は、(親の了解を得た上で)、
そっと抱いてみることにしている。心を許さない分だけ、体をこわばらせる。炊き心地が
悪い。反対に抱かれるようだと、症状も軽く、立ちなおりは、早い。

 詳しくは、「はやし浩司のサイト」の「かん黙児」を参照してほしい。

 で、こうした症状がみられたら、軽重もあるが、とにかく、無理をしないこと。そうい
う子どもと認めた上で、半年単位で、症状の推移をみる。一度、かん黙症と診断されると、
その症状は、数年単位でつづく。が、小学校に入学するころから、症状は、軽減し、ほと
んどの子どもは、小学三、四年生くらいを境に、何ごともなかったかのように、立ちなお
っていく。

 ある子ども(幼稚園児)は、毎朝、幼稚園の先生が、歩いて迎えにきたが、三年間、た
だの一度もあいさつをしなかった。その子どものばあいは、先生と、視線を合わせようと
すらしなかった。視線をそらすという、横視現象は、このタイプの子どもによく見られる
症状の一つである。(あるいはじっと相手の視線をのぞきこんだまま、緘黙する。)

 しかしかん黙症の子どもの、本当の問題は、親にある。家の中では、何も問題がないた
め、幼稚園や保育園での様子を見て、「指導が悪い」「先生が、うちの子を、そういう子ど
もにした」などと言う。私も、何度か、経験している。

 子ども自身では、どうにもならない問題と考える。いわんや、子どもを説教したり、叱
っても意味はない。

 子どもが自分で自分を客観的に判断できるようになるのは、小学三年生以上とみる。こ
の時期を過ぎると、自己意識が急速に発達して、自分で自分の姿を見ることができるよう
になる。そして自分で自分を、コントロールするようになる。

 かん黙児は、かん黙するというだけで、脳の働きは、ふつうか、あるいはそれ以上であ
ることが多い。もともと繊細な感覚をもっている。だから静かに黙っているからといって、
脳の活動が停止していると考えるのは、まちがいである。

 反応が少ないというだけで、ほかに問題は、ない。だから教えるべきことは教えながら、
あとは「よくやったね」とほめて、しあげる。先にも書いたように、この問題は、本人自
身では、どうにもならない問題なのである。
 
●Wさんへ

 メールによれば、「昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています」とのこと。
私は、まず、ここを重要視すべきではないかと思います。

 いただいたメールの範囲によれば、かん黙症状があるにせよ、対人恐怖か、集団恐怖が、
入りまざった症状ではないかと思います。一つの参考的意見として、お考えくだされば、
うれしいです。

 ふつうこの年齢では、かん黙症については、「別人のように……」という変化は、ありま
せん。その点からも、かん黙症ではなく、やはり何らかの妄想性をともなった、恐怖症が
疑われます。もし恐怖症であれば、少しずつ、環境にならしていくという方法で対処しま
す。

 私自身も、いくつかの恐怖症をもっています。閉所恐怖症。高所恐怖症など。最近では、
スピード恐怖症になったこともあります。恐怖症というのはそういうもので、中味があれ
これと変わることはあります。つまり「恐怖症」という入れ物ができ、そのつど、その中
味が、「閉所」になったり、「高所」になったりするというわけです。

 下のお子さん(弟か妹)のことは書いてありませんが、もしいるなら、分離不安がこじ
れた症状も考えられます。

 どちらであるにせよ、「別人のように……」ということなら、私は、もう問題はほとんど
解決しているのではないかと思います。

●最後に……

 心に深いキズを負った人は、二つのタイプに分かれます。

 そのまま他人の心のキズが理解できるようになる人。もう一つは、心のキズに鈍感にな
り、今度は、他人をキズつける側に回る人です。よく最悪のどん底を経験した人が、その
あと、善人と悪人に分かれるのに、似ています。

 ほかにたとえば、はげしいいじめにあった子どもが、他人にやさしくなるタイプと、今
度は、自分も、いじめる側に回るタイプに分かれるのにも、似ています。

 今、Wさんのお嬢さんは、何かときびしい状況におかれていることは、「大泣き」という
言葉からも、よくわかります。Wさんが、かばうと、また大泣きということですが、遠慮
せず、かばってあげてください。無神経で、無理解な人たちに負けてはいけません。お嬢
さん自身は、何も、悪いことはしていないのです。またどこも悪くはないのです。

 お嬢さんは、日記からもわかるように、たいへん心のやさしいお嬢さんです。回りの人
に、そういう目で見られながらも、自分をもちなおしています。理由は、簡単です。あな
たという親の愛情と理解を、たっぷりと受けているからです。つまりここでいう善人の道
を、すでに選んでいるわけです。

 事実、『愛は万能』です。親の愛がしっかりしていれば、子どもの心がゆがむということ
は、ありえません。最後の最後まで、その愛をつらぬきます。具体的には、最後の最後ま
で、「許して、忘れます」。その度量の広さで、親の愛情の深さが決まります。

 長いトンネルに見えたかもしれませんが、もう出口は、すぐそこではないでしょうか。
いろいろつらいこともあったでしょうが、そのつらさが、今のあなたを大きく成長させた
はずです。このことは、もう少し先にならないとわからないかもしれませんが、やがてあ
なたも、いつか、それに気づくはずです。

 幸運にも、Wさんは、たいへん気が長い方のように思います。よい母親の第一の条件を、
もっておられるようです。「(子どもが私に)、帰っていいよと言うまで、(いつまでも)、そ
の場で待っています」などということは、なかなかできるものではありません。尊敬しま
す。

 結論を言えば、今のまま、前向きに進むしかないのではないかと思います。まわりの人
を理解させるのも、あるいはその流れを変えるのも、容易ではないと思います。それ以上
に、ここにも書いたように、もう出口に近いと思われます。あと少しのがまんではないか
と思います。いかがでしょうか?

 仮に、かん黙症であっても、率直に言えば、箱庭療法程度の療法で、その症状が改善す
るとは、とても思われません。かん黙症について言えば、半年単位で、その症状を見守り
ます。

 で、このとき大切なことは、無理をして、今の症状をこじらせないこと、です。時期が
くれば、大半のかん黙症は、なおっていきます。

 「時期」というのは、ここにも書いたように、小学三、四年生前後をいいます。それま
でにこじらせると、かえって恐怖心をいだかせたり、自信をなくさせたりします。「あなた
は、あなたですよ」という、暖かい理解が、今、大切です。子ども自身には、自分が(ふ
つうでない)という意識は、まったくないのですから。

 最近、「暖かい無視」という言葉が、よく使われています。お嬢さんを、暖かい愛情で包
みながら、そうした症状については、無視するのが一番かと思います。だいたいにおいて、
問題のない子どもなど、いないのですから、そういう視点でも、一度、おおらかに見てあ
げてください。

 なお、「幼稚園とは、行かねばならないところ」と考えるのは、バカげていますから、も
しそのようにお考えなら、そういう考え方は、改めてください。決して、無理をしないこ
と。「適当に行けばいいのよ」「行きたいときに行けばいいのよ」と、です。

 ただこれから先、ふとしたきっかけで、学校などへ行きたがらないことも起こるかもし
れません。それについては、私の「学校恐怖症」(はやし浩司のサイト、症状別相談)を参
考にしてください。そういう兆候が見られたら、むしろ親のあなたのほうから、「今日は、
学校を休んで、動物園へでも行ってみる?」と、声をかけてみてください。そういうおお
らかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 つぎにスキンシップです。このスキンシップには、魔法の、つまりはまだ解明されてい
ない、不思議な力があります。子どもがそれを求めてきたら、おっくうがらず、ていねい
に、それに答えてあげてください。

 あとは、CA、MGの多い食生活にこころがけます。海産物を中心とした、食生活をい
います。

 またかん黙症であるにせよ、恐怖症であるにせよ、できるだけそういう状態から遠ざか
るのが、賢明です。要するに、思い出させないようにするのが、コツです。あとは、その
期間を、少しずつ、できるだけ長くしていきます。

 最後に、子育ては、楽しいですよ。すばらしいですよ。いろいろなことがありますが、
どうかそれを前向きにとらえてください。仮にあなたのお嬢さんが、かん黙症であっても、
そんなのは、何でもない問題です。先にも書きましたが、それぞれの人が、いろいろな問
題をかかえています。が、こと、かん黙症については、時期がくれば、消えていく、つま
りは、マイナーな問題だということです。どうか、私の言葉を信じてください。

 ついでに、できれば、私の電子マガジンをご購読ください。きっと、参考になると思い
ます。無料です。
(031017)(2011ー02ー27改変)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 かん黙児 緘黙症 かん黙症 情緒の問題 情緒障害児 心に障害を
もった子ども)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育て疲労・診断テスト

++++++++++++++++++

千葉県I市の中学校で、私の記事が、
役に立った。
先ほど、担当の先生から、礼のメール
が届いていた。

使ってもらった資料が、メールに添付
されていた。
それをそのまま紹介。

なお診断結果は、HPのほうで、読んで
ほしい。

++++++++++++++++++

"はやし浩司" 先生の
子育て疲労度診断

1 あなたは自分の子育てを総合的にみるとどのように感じていますか。
   4 いつもどこかぎこちなく、不自然で「これでいいのか」と思うことが多い。
   2 上手でもないが下手でもない。平均的な親ではないかと思っている。
   0 自然な子育てが気負いなくできる。自分の子育てには自信を持っている。

2 あなたは子育てをしながら、親としてどの程度「親意識」を感じていますか。
   4 子育てをしていると親の義務を感じ、時にそれを重圧に思うことがある。
   2 子育てを負担に思うことがあるが、それはそれとして割り切ることができる。
   0 子どもは勝手に大きくなっていくと思う。親はそれを手助けするだけ。

3 日常の習慣について、あなたはどの程度、子どもに守らせていますか。
   4 毎日の手洗い、うがい、歯磨きなども含めて、ほぼ例外なくやらせている。
   2 ときどきうるさく言ったり注意するが子どもに任すことが多い。
   0 万事適当に・・というようなところがあり、あまり気にしない。子ども次第。

4 あなたから見た子どもの能力についてあなたはどのように思っていますか。
   4 「やればできるはず」と思うことが多く、親の期待にこたえてくれない。
   2 「まあ、こんなものだ」と思うことが多く、期待半分あきらめ半分。
   0 期待には十分こたえてくれていると思う。将来を楽しみにしている。

5 あなたの子どもは、学校であったことを、あなたにどのように話しますか。
   4 ほとんど話さない、聞いても言葉をごまかして逃げようとする。
   2 聞けばいろいろ話してくれるが、自分からあれこれ話してくれることはない。
   0 子どものほうからあったことを面白おかしく話してくれることが多い。

6 一緒に公園へ行きました。子どもが遊具で遊んでいるとき、あなたは・・・。
   4 かなり強い忍耐力が必要で、心もどこかでじっと我慢をしているようだ。
   2 じっと待つことができる。時間がくれば適当に帰り支度をして、帰る。
   0 いつまでも子どもと一緒に、時を過ごすことができる。苦痛に感じない。

7 他人が、あなたの子どもに話しかけてきました。あなたはその会話を聞きながら・・。
   4 すぐ会話に割り込みああ言いなさい、こう言いなさいと、干渉する。
   2 ときどき間に割りこむことはあるが、子どもの会話を横で聞くことができる。
   0 その人と子どもの会話をそばで安心して聞くことができる。口をはさまない。
                   −1−
8 今の子育てを静かに振り返ってみたとき、あなたは子どもを産んだことを・・・。
   4 産むべきでなかったと思うことがある。望まれない子どもだったのでは。
   2 特にどうとは思わない。子どもは子どもで、勝手に生まれてきたという感じ。
   0 子どもを産んでよかった。子どもは私に生きる喜びと力を与えてくれる。

9 結婚前のあなたと、今のあなたを比べてみてください。あなたはどう変化しましたか。
   4 結婚前はまだ夢や希望があり、今より日々明るく輝いていたように感じる。
   2 結婚前と今とでは大きな変化は感じない。今は今で結構楽しんでいる。
   0 子育てをしながら結婚前にはなかった充実感を感じている。毎日が楽しい。

10 あなたは子育てをしながら、親として自分はどういう存在だと思っていますか。
   4 親として結局は子育てで、自分の人生を消耗し、子どものために犠牲になる存
在だ。
   2 親がある程度犠牲になるのは仕方のないことだ。あきらめるしかない。
   0 子育ては生きがいだから、自分の人生を犠牲にしているとは考えられない。

11 子どもの勉強を横で見ているとき、あなたは
   4 イライラ、何かにつけ怒りがわいてくる。子どもをしかることもしばしば。
   2 子どもをしかることもあるが、それなりに楽しく会話をしながらできる。
   0 子どものそばにいるのは楽しい。子どもも好んで私のそばにいる。

12 子どもを叱るときあなたの様子を思い浮かべてください。そのとき・・・。
   4 カッとなると、「あんたさえいなければ」式の叱り方をすることが多い。
   2 叱ることは叱るが、憎く思ったりすることはない。節度を守ることができる。
   0 叱ることはほとんどないし、いつも子どものことをいとおしく思っている。

13 あなた自身の性格(情緒)について、あなたはどのように感じていますか。
   4 思い悩んだり、沈んだりしやすい。クヨクヨと悩みやすく、大変不安定。
   2 不安な面はあるが、感情のコントロールはできる。取り乱すことはない。
   0 大変楽天的で。おおらか。感情をむき出しにするということはまずない。

14 あなたは自分の将来や家族の将来について、日ごろどのように考えていますが。
   4 将来を思うと不安でならない。特に、子どもの未来は、暗いと思う。
   2 いろいろあるが、何とかやっていくだろうと思う。心配はしてない。
   0 子どもの未来は明るいと思っている。大きな心配や悩み事はない



                   −2−
15 妊娠時から今まであなたの子育てを振り返ってみると、あなたの子どもは・・・。
   4 いつも何らかの問題を抱えていた。毎日それと格闘してきたように思う。
   2 いろいろあり楽ではなかったが、大きな問題もなく今までやってこられた。
   0 問題はあったが、旅を楽しむように、楽しみながら子育てをしてきたようだ。

16 日ごろの生活の中であなたはどの程度子どものことを気にしていますか。
   4 子どもがいても、いなくても気になってしょうがない。気が休まらない。
   2 子どもが近くにいるときは気になるが、そうでないときは忘れる。
   0 近くにいても、気にしないでマイペースで自分のことができる。

17 子育てをしながら、あなたはどの程度孤立感を覚えていますか。あなたの家族は・・。
   4 皆、自分勝手で、私にすべてを押しつけていると感じる。家族の助けがほしい。
   2 夫(妻)はそれなりに助けてくれるので、やはりそれなりに助かっている。
   0 家族が皆、子育てを助けてくれているので、一人ぼっちという孤立感はない。

18 一日が終わり、あなたの子どもは床について眠りました。そういうときあなたは・・。
   4 疲れがどっと出てくる。毎日戦争のようで、あわただしく過ぎていく。
   2 ホッとすることが多い。やり残した家事を、それなりにてきぱきとできる。
   0 子どもの安らかな寝顔や寝息を聞いていると心が休まり、満足感を覚える。

19 近所や同じクラスの子どもの、良いうわさを耳にしたとき、どのように感じますか。
   4 対抗心やライバル心がわいてくる。大変気になり落ち着かなくなる。
   2 気になるが、他人は他人というように、自分とは切り離して考えられる。
   0 ほとんど気にしない。参考にはするがあくまでもうわさとして処理する。

20 今あなたは、子育てのほかに何かやりたいこと、あるいはしていることがあります
か。
   4 子育てで精いっぱいで他に何もできない。したいという気力もわかない。
   2 適当に自分のしたいことをしている。が、中途半端で終わることが多い。
   0 自分なりに時間を見つけて、いろいろなことをしたいし、実際にしている。

21 あなたの前で、子どもはいつもどんな表情を(態度・様子)をしていますか。
   4 表情が暗く、憂鬱そうだ。グズグズしていて、はっきりしない。
   2 会話は少ないが、互いにマイペース。暗くはないが明るくはない。
   0 楽しそうにはしゃぐことが多く、あれこれいろいろと話しかけてくる。



                  −3−
22 学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどのようにして気を休めますか。
   4 あなたのいないところを求める。あなたがいるとその場から逃げていく。
   2 あなたのことを気にしているが、あなたがそばにいても、平気なようだ。
   0 好んであなたのそばにいたがる。あなたがそばにいると、気が休まるようだ。

23 あなたが子どもに何か注意をしたとき、あなたの子どもはどんな様子を見せますか。
   4 黙ってしたがう。親の前ではいい子ぶる。反論したり、反発することはまずな
い。
   2 ぶつぶつ不平を言ったり、反論することはあるが、その程度。
   0 ワーワーと反論したり、自分の意見を言ったりする。うるさく感じることもあ
る。

24 学校でのあなたの子どもはどうですか。参観日での様子を思い出すと。
   4 問題のある子どもだと思っている。このままではいけないと思うことが多い。
   2 あれ、これ気になることはあるが、子どもというのはそういうものだと思う。
   0 明るく伸びやかで、子どもらしく思う。先生にも好かれていると思う。

25 あなたは日ごろ、子どもに対してどのように思っていますか。他人の目で見ると・・。
   4 年齢に比して幼く見えるようで、どうも自分の子どもに自信がない。
   2 うちの子どもは、何かにつけてふつうで、かつ標準的だと思う。
   0 同年齢の子どもより、しっかりしていると思うし、集団の中でも目立つ。
 


以上です。 


【診断結果】

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page008.html
をご覧ください。


                   −4−

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(はやし浩司 2011−03−03)

●今朝は7時起き

 一度、夜中に目が覚めた。
時刻はわからない。
トイレに行き、そのまま、またふとんの中に。
再び目を覚ましたら、午前7時。
2時間のロス!
あわてて起きて、ウォーキングマシンへ。
寒い朝だったが、30分もすると、ポタポタと汗が落ちてきた。
で、そのまま書斎へ。

 友人たちから何通か、メールが届いていた。
返事を書く。
そのあとは日課。

●Eマガの読者のみなさんへ

 Eマガ社から連絡が入っていた。
それによると、近く、Eマガが廃刊になるかもしれないとのこと。
10年以上、世話になってきた。
残念。

時代が変わった。
そのあとBLOGの全盛期。
さらに最近は、FACEBOOKとか、TWITTERに。
BLOG自体も、HP化している。
本家のHPの時代も、終わりに近づきつつある(?)。
このことはアクセス数の変化を見れば、わかる。

 電子マガジンの読者数は、この1〜2年、ほとんどふえていない。
BLOGへのアクセス数は、毎日、数万件。
どんどんふえている。
HPへのアクセス数は、ふえてはいるものの、BLOGほどではない。
FACEBOOKとTWITTERについては、少しかじってみた。
が、私向きではない。
それがわかった。
私は長い文章が好き。
短文でポンポンと言い合うのは、私の書き方ではない。
だから、今は、休眠状態。

 で、Eマガを読んでくれている人は、メルマガ(無料版)か、マグプレ(有料版)
へ、乗り換えてほしい。
ともに私のHPのトップページからできるようになっている。

●老夫婦

 昨日、浜松でいくつか事件があった。
ひとつは、バス乗っ取り事件。
もうひとつは、老夫婦の焼死事件。
その焼死事件の記事を読んで、ワイフがこう言った。
「私たち、もう老夫婦?」と。

 焼死した女性の年齢が63歳。
ワイフは、それを言った。
「63歳でも、老夫婦?」と。

 何か、もっと別の言い方はないのか。
あるいは「老夫婦」は、やめてほしい。
せめて「男女」。

 統計的には、自分が「老人」と認める年齢は、75歳以上だそうだ。
そのころになると、自分を老人と認める。
しかし63歳では、無理。
私自身も、自分を「老人」と思っていない。
認めていない。
私は、その63歳。

 で、火事は事故によるものなのか。
それとも心中か。
たいへん気になった。

●FLASHとFLUSH

 数日前に書いた原稿の中で、「FLASH」と「FLUSH」を間違えた。
「トイレの水を流せ」は、「FLUSH AFTER EACH USE」。
「FLASH AFTER EACH USE」はまちがい。

 オーストラリアの友人が、それを指摘してくれた。
……というか、私の英語力も、かなりサビついてきた。

 で、昨夜遅く、映画『英国王のスピーチ』というのを観てきた。
私はあまり気が進まなかったが、ワイフがどうしても観たいと言った。
それで観てきた。
何でもアカデミー賞を受賞したとか。(候補にあがっているということか?)

 星は3つの、★★★。

 イギリス人なら、星を5つつけるだろう。
アメリカ人なら、4つつけるだろう。
が、日本人の私には、やや「距離感」がある。
それで星は、3つ。

 その映画を観ながら、私は英会話の訓練。
俳優のセリフを頭の中で、何度も繰り返した。
ゆっくりとした英語だった。
だから、それができた。

 で、英国王のstammer(吃音障害)の矯正を指導したのが、オーストラリア人。
オーストラリア英語というのは、もともと、イギリスの下町英語をベースにしている。
映画『マイ・フェア・レイディ』の中に、その下町英語が出てくる。
クィーンズ英語とオーストラリア英語。
そうした訛(なま)のちがいも、映画の中では注意深く表現されていた。

 今月は、ほかに新作が2作、公開される。
楽しみ!

(補記)ところで、たった今も、「stummer」なのか、「stammer」なのか、
迷った。
正しくは「stammer」。
辞書を使って、確認した。

 今日は、忙しいので、朝の原稿は、ここまで。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●3月2日

●不正入試事件

 「京都大などの入試問題が、試験時間中にインターネットの質問サイト、(ヤフー知恵袋)
に投稿された」(Yahoo News)という。

 が、こうした不正入試方法は、今に始まったことではないのではないか。
すでに10年ほど前から話題にはなっていた。

 方法はいろいろ考えられる。

 もっとも簡単な方法は、たがいにモールス信号のようなもので、解答を送受信するというも
の。
マークシート方式の試験問題なら、この方法が、もっとも簡単でわかりやすい。
順番に、正解の番号のみを、トンツーで送受信すればよい。
私はよく冗談交じりに、こう話したことがある。
「長い髪の毛で、イヤホンを隠せば、簡単にできる」と。
それがさらに高度に進化したのが、今回の方法ということになる。

 で、今回の事件を聞いて、私はこう思った。
「日本も、やっと気づいたか!」と。

隣の韓国では、数年前から、携帯端末や電子機器を使った不正入試事件が続発し、社会問
題にもなっている。
日本ではそういうことは起きないと考えるのは、オメデタイというか、バカげている。
どうしてもっと真剣に、対策を練らなかったのか。

不正入試事件を起こした受験生も悪だが、対策を取らなかった大学側も悪。
現在の入試方法は、まるで現金を台座に乗せて、町中を運ぶようなもの。
あまりにも無防備すぎる。

●入学試験

 「入学試験ほど、いいかげんなものはない」。
私は小・中・高・大学と、この40年間、その入学試験を傍から見つづけてきた。
その結論が、これ。
最悪だったのは、80年代から90年代の中ごろまで。
勉強しかしない、勉強しかできない、どこか頭のおかしな高校生ほど、スイスイと一流大
学の一流学部へ入学していった。

 今でも一般論として、よくこんなことが言われる。
「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、いじめ問題が深刻」と。
あるいは「進学校と呼ばれる中学、高校ほど、学校の周辺にゴミが散乱している」とも。
不正というなら、これほどの「不正」はない。

 で、それではよくないということで、AO入試というのが始まった。
2000年に入ってからである。
が、そこは「敵も然(サル)もの……」。
即座に進学予備校では、対策講座が始まった。
結果、今では、AO入試すら、骨抜きにされてしまっている。

●「不正」とは何か

 そこで改めて考えてみる。
「不正とは、何か」と。
考えてみれば、この世の中、不正だらけ。
上は政府与党や日本相撲協会に始まり、下は子どもの世界まで。
総合商社にしても、まともな方法で稼ぐ利益よりも、不正な方法で稼ぐ利益のほうが多い
と言われている。
つい先月には、こんな事件もあった。

 インドネシアの経済使節団が韓国を訪問した。
その宿泊先のホテルに、韓国政府直属の経済スパイが侵入。
情報を盗み出そうとして、失敗。
「あまりにも稚拙な方法だった」と、韓国紙も認めるほど、お粗末な事件だった。
さらにその上を行くのが、スパイ衛星、などなど。

 もしこの世で、「私は不正なことはしません」などと言おうものなら、その人は生きてい
かれない。
そのことは、あなた自身を冷静に見つめてみればわかるはず。
卑近な例をあげれば、信号無視、走行中の携帯電話……。
みな、スキさえあれば、不正なことを、平気でしている。

 私たちは常に、犯罪ではないが、その一歩手前のギリギリのところで生きている。
そんな私たちが、どうして子どもたちに、「不正はいけません」と言うことができるだろう
か。
さらに一言付け加えるなら、これほどまでに不公平感が社会に充満してくると、「何が、不
正だ!」とも言いたくなる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

●不作為の悪

 だからといって、不正入試方法を是認せよというのではない。
日本の社会にあって、唯一の聖域。
それが「受験」ということになる。
もしその受験の世界にまで不正がはびこるようになったら、日本はおしまい。
そういう意味で、先に「対策を取らなかった大学側も悪」と書いた。
つまり大学側は、あたかも被害者であるかのような立場を取り繕っているが、これはおか
しい。
言うなれば、「不作為の悪」。

 ということで、この先も、いたちごっこはつづく。
この世に不公平感があるかぎり、いたちごっこはつづく。
またその不公平感があるかぎり、犯罪者の犯罪意識を薄める。
方法もさらに巧妙になる。
そのうちメガネに仕込んだカメラで、入試問題を撮影し、瞬時にその解答が、メガネに映
し出される、そんな装置も開発されるようになるかもしれない。
つまりそういうことも考えに入れ、大学側は対策を練る必要がある。

 最後に一言。

 「学生から携帯電話を取りあげるのは、不可能」という意見が目立つ。
「携帯電話は必携品」とか、「携帯電話で親と迎えの場所を打ち合わせている」とか、など。
「数千台の携帯電話を、入り口で預かるのは不可能」という意見もあった。
が、これもおかしい。

 私たちの時代には、携帯電話なるものは、まったくなかった。
20年前にも、なかった。
しかし何も困らなかった。
が、どうして今は、困るのか?
どうも釈然としない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 不正入試事件 不正入試)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の統合性の確立】2011/02/26記


●ある知人


 先月、1人の知人が他界した。
男性、享年、85歳。
55歳のとき退職し、以後、仕事の経験は、なし。
計算すると、30年間、遊んで暮らしたことになる。
(30年間だぞ!)
中央省庁の出先機関の元副長。


 その知人についての最大の謎。
……と言っても、私がそう思うだけだが、心の問題をどう処理したかということ。
私なら1年どころか、1か月でも、気が変になってしまうだろう。
「遊んで暮らせ」と言われても、私にはできない。
何をどうやって遊べばよいのか。


●時刻表的生活


 そこで近所の人に話を聞くと、その知人について、こう教えてくれた。
「毎日、ふつうでない、規則正しい生活をしていました。
家の裏に100坪あまりの畑をもっていました。
一日中、農作業をしていました」と。


 朝、6時に、雨戸を開ける。
午前10時と3時に、ゴルフの練習。
練習時間は、ピッタシ、30分間。
家の横にネットを張った練習場もある。
夕方6時半に、雨戸を閉める。
庭先にある池の金魚に与える時刻まで、決まっていたという。
その間を縫って、もっぱら農作業。
夏も冬もない。
まさに時刻表的生活。


 このあたりにその知人の特性のようなものが、見え隠れする。
「時刻表的生活」というのは、ふつうの人のふつうの生活ではない。
そうであるからこそ、この30年間遊んで暮らせたのかもしれない。


●仕事
 

 仕事ができる喜びを書きたい。
63歳を過ぎても仕事ができる、その喜びを書きたい。
しかしそれを書くと、そうでない人に申し訳ない。
仕事をしたくても、職場から追い出された人も多い。
喜びを書こうとしても、強いブレーキが働く。
それに私だって、明日のことはわからない。


 もちろん仕事ができるためには、いくつかの条件がある。
健康であること。
職場があること。
その仕事を必要とする人がいること。


しかしこれらは、向こうからやってくるものではない。
こちらから求めるもの。
それなりの努力が必要。
その「努力」という部分が、やがて「喜び」につながる。
けっして軽々しく、「ラッキー!」と言えるようなことではない。


●流れ


 が、仕事があれば、それでよいというものでもない。
仕事から生まれる、緊張感。
それに「流れ」。
もちろん「生きがい」も必要だが、この際、ぜいたくは言っておれない。
「流れ」が、大切。


たとえば東洋医学でも、「流水は腐らず」と教える。
これは肉体の健康法について言ったものだが、精神の健康法としても、
そのまま使える。
週単位、月単位、さらには季節単位、年単位で、生活は流れていく。
その「流れ」が重要。


 が、仕事を失うということは、同時に、その「流れ」が止まることを意味する。
「年金があれば、それでよい」という問題ではない。
(もちろん年金は必要だが、それでは十分でない。)


 もっとも私のばあいは、その年金さえアテにならない。
働くしかない。
働くしかないから、仕事を手放すわけにはいかない。
「私は仕事ができる」と、一方的に喜んでいるわけではない。
その下には、切実な問題が隠されている。
どうか、誤解のないように!


●心の問題


 先に「心の問題」という言葉を書いた。
ほとんどの人は、(私も若いころそうだったが)、「老後」というと、健康問題しか
ないように考えている。
また健康であれば、それでよしと考えている。
(もちろん健康であることは必要だが、それでは十分でない。)


窓のない袋小路に立たされると、「だから、どうなの?」と考えることが多くなる。
「健康だからといって、それがどうなの?」と。
つまりその先が、「心の問題」ということになる。


 ただ誤解してほしくないのは、老人といっても、1人の人間ということ。
けっして半人前になるわけではない。
感性も知性も理性も、若いときのまま。
喜怒哀楽の情も、若いときのまま。
反応は多少鈍くなるが、生きることを、あきらめるようになるわけではない。


 が、世間は、否応(いやおう)なしに、あきらめることを強いてくる。
「あなたも歳だから……」と。
つまり老人は、そのはざまで、もがく。
苦しむ。
それが心の問題ということになる。
 

●金太郎飴人生


 だから老人は、現状を1日延ばしで、人生を先に送ろうとする。
今の私がそうだ。
悠々自適の隠居生活などというものは、夢のまた夢。
またそんな生活に、どれほどの意味があるというのか。
けっして負け惜しみではない。
先に書いた知人を思い浮かべてみればよい。


 この30年間、何がどう変わったというのか。
10年前も同じ。
20年前も同じ。
こういうのを、「金太郎飴人生」という。
つまり、どこで切っても、同じ。


 一方、仕事をしている人にしても、そうだ。
もっとも私の年齢になると、地位や名誉など、まったく興味がない。
関心もない。
仕事といっても、どこかで生きがいにつながっていなければならない。
収入につながれば、さらによい。
……というのが、仕事ということになる。


●老後の統合性


 こうして考えていくと、やはり「老後の統合性」の問題に行き着く。
(人間として、すべきこと)と(現実にしていること)を、一致させていく。
それが「統合性」ということになる。


その統合性の確立に成功した老人は、老後を生き生きと過ごすことができる。
日々に満足し、充足感を覚える。
そうでない老人は、そうでない。
日々に後悔し、明日が来るのを恐れる。


私もこの年齢になってわかったことがある。
孫の世話に庭いじり?
そんな生活はけっして理想の老後ではないということ。
これはそれができない私のひがみでは、ない。
今はわからないかもしれない。
しかしあなたも60歳を過ぎたら、それがわかるはず。


●究極の選択


 が、知人は、30年間、遊んで暮らした。
たまに町内の活動をしたことはあるらしい。
しかしいつも、「お偉い様」。
私も息子の運動会で、来賓席に、その知人が座っているのを見たことがある。
何もせず、じっと座っていた。
が、それでは生活に根をおろすことはできない。
晩年を自分のものにすることはできない。


 さみしくなかったのだろうか?
悶々と悩むことはなかったのだろうか?
窓のない部屋の閉じ込められて、息苦しくなかったのだろうか?


 となると、やはり最初の問題にぶつかってしまう。
その知人は、心の問題をどう処理したかということ。
悩みや苦しみもあっただろう。
さみしい思いやつらい思いもしただろう。
ひょっとしたら、遊びたくて遊んでいたわけではないかもしれない。
が、私には、やはり「遊んで暮らした」としか思えない。


 で、最後に究極の選択。
あなたならどちらを選ぶだろうか。


(1)年金で、死ぬまで、遊んで暮らす。
(2)死ぬまで、働きながら暮らす。


 私なら(2)を選ぶ。
(本当は先にも書いたように、選ぶしかないが……。)
仮に年金があったとしても、(2)を選ぶ。


 ……ということで、今朝は20分のランニングから始まった。


今日、健康なら、たぶん明日もだいじょうぶだろう。
今週、健康なら、たぶん来週もだいじょうぶだろう。
今月、健康なら、たぶん来月もだいじょうぶだろう。


が、来年のことはわからない。
だれにもわからない。
ここはがんばるしかない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【なぜ私たちは感情をもつのか】

+++++++++++++++

感情とは何か。
感情は、脳の中のどこで、どのようにして
作られるのか。

それがわかれば、反対に、私たちは
自分の感情を、外部からコントロール
できるようになるかもしれない。

田丸謙二先生の最新の論文を読みながら、
それについて考えてみたい。

+++++++++++++++

●感情について

 人間のもつ感情は、大きく喜・怒・哀・楽の4つに分けられるという。
東洋医学では、怒・恐・喜・驚・悲・思・憂(霊枢・本神論篇)に分けて考える。
が、これはおかしい。
こういうふうに現象面だけを見、それを分類して考えるのは、おかしい。

 というのも、人間の脳みそは、基本的には、ON/OFFの構造になっている。
常に無数のON/OFFが繰り返されている。
ということは、感情も、基本的には2つしかないはず。
つまりこれらの感情のうち、2つのみが基本的感情で、残りの感情は、その
バリエーションに過ぎない。
そう考える方が、自然である。
また脳のメカニズムから考えて、そのほうが合理的である。
となると、どれを選ぶか?
どの2つを、基本的な感情として、選ぶか?

●教条主義

 これを教条主義的発想と同列においてよいかは、知らない。
しかしたとえば感情にしても、喜・怒・哀・楽と4つに分けることによって、
あたかもそれ以外の感情はないかのように、思ってしまう。
あるいはその4つに固定されてしまう。
「脳の中には、4つの感情がある」と。
(別に4つでなくても、7つでも8つでもよいが……。)
が、これは正しくない。
またそう考えてはいけない。

 ちなみに教条主義というのは、Yahoo辞書によれば、「状況や現実を無視して、ある
特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、
歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう」とある。

 この表記を借りるなら、ものごとは機械的に考えてはいけないということになる。
ときとして私たちはあまりにも常識になっている教条に支配され、それ以外のものの
考え方ができなくなるときがある。
ここに書いた、喜・怒・哀・楽にしても、しかり。
では、感情とは何か?
基本となる2つの感情とは何か?
私は「緊張」と「弛緩」の2つをあげる。

●2つの基本的感情

 ONで「緊張」、OFFで「弛緩」と考えるなら、基本的感情は、「緊張」と「弛緩」
ということになる。

 緊張に属するものは、怒・悲・哀・苦・恐・驚。
弛緩に属するものは、喜・楽。
緊張と弛緩の双方が対立した状態が、憂・鬱・思。

 が、こうして分類するのも、あくまでも便宜上のもの。
分類しても意味はない。
それ自体が、教条的ということになる。

●交感神経vs副交感神経

 感情論を理解するために、ひとつの参考になるのが、交感神経と副交感神経。
そのメカニズム。
わかりやすく言えば、「動け」と命令するのが、交感神経。
「動くな」と命令するのが、副交感神経。
この両者が、バランスよく調整しあったとき、人はスムーズな行動をすることができる。

 交感神経について、Yahoo辞書には、こうある。

「副交感神経とともに、高等脊椎動物の自律神経系を構成する神経。脊柱の両側を走る幹
から出て内臓や血管・消化器・汗腺などに分布。心臓の働きの促進、血管の収縮、胃腸の
働きの抑制、瞳孔の散大などの作用がある」と。

 同じく副交感神経については、こうある。

「自律神経の一。脳部および仙骨部から発し、大部分は迷走神経で、伝達物質として
アセチルコリンを分泌する。交感神経系と拮抗(きっこう)的に働き、心臓に対しては抑制、
胃腸に対しては促進の作用をする」と。

 人間の感情にも、これと同じ機能が作用しているのではないか。
つまり「促進」と「抑制」。
先に書いた、「緊張」と「弛緩」と結びつけてみると、「促進」が「緊張」、
「弛緩」が「抑制」ということになる。

●熱帯魚の世界では

 ところで話は変わるが、人間も太古の昔には、魚だったという。
どんな魚だったかは知らないが、水槽の中の熱帯魚と同じ、もしくはそれに近い
生物だったと考えられる。
(魚は魚で進化しているが……。)
その熱帯魚。
基本的には、2つの感情しかないように見える。
(あくまでも、そう見えるだけの話だが……。)

 餌を与えるとき……水中に浮遊しながら、餌を食べる。
このとき熱帯魚の脳の中では、喜・楽の感情が充満していると考えられる。
つまり弛緩状態。

が、何かのショックを感じたとき……水槽の中を、逃げ回る。
このとき熱帯魚の脳の中では、恐・驚・怒の感情は充満していると考えられる。
つまり緊張状態。

●人間の感情

 なぜ私がこんなことを書くか。
それにはひとつ、重要な意味が隠されている。
つまり「人間の感情は、どこでどのようにして生まれるか」という問題。

 が、これについては今では、脳内ホルモン説が定説化している。
つまり人間の感情は、脳内ホルモンによって引き起こされる。

たとえば何かよいことをすると、その信号は大脳から、辺縁系の中にある、
扁桃核(扁桃体)というところに送られる。
すると扁桃核は、モルヒネに似た、エンドロフィン、エンケファリン系の
脳内ホルモンを分泌する。
それが脳内を、陶酔感で満たす。
それが「楽しい」という感情を生み出す。

 が、反対に何かのことで、危機的な状況に陥ったとする。
メカニズムは私には分からないが、脳内で、サイトカイン系の脳内ホルモンが
分泌される。
脳内ストレスは、こうして起こるが、それが「怖い」とか「恐ろしい」とかいう
感情を引き起こす。

●田丸謙二先生

 では、「美」については、どうか?
たまたま昨夜(2・23)、田丸謙二先生が、原稿を送ってくれた。
人間の脳は、どこでどのようにして「美」を判断するかについての論文である。
投稿の日付を見ると、2月21日となっている。
内容もさることながら、88歳を過ぎても、先生はこうした論文を書くことができる。
先生はいつも私に、生きる勇気と希望を与えてくれる。

 先生の論文をそのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●脳の科学と芸術

                  田丸謙二

  日本化学会の会誌「化学と工業」の二月号に「神経科学から
脳科学へ」から始まり、「脳はなぜ美に魅せられるのか」、『「幸
せ」を感じる脳』など、最近の「脳科学」の進歩や展望について
特集があった。

この15年の間に、それまで動物実験や臨床知
見に限られていた脳の科学が非侵襲的(人体を傷つけず安
全)に、脳の各種の部分が外部に対応してもたらされる変化を
直接に調べることが出来るようになって飛躍的に新しい局面
が開けて来たのである。

 非侵襲的計測法は大別して二つの方法があり、一つは神経
に場がれる電流によって生じる電位を頭皮上から測定する脳
電図に代表される。

また神経電流によって発生する微弱磁場
を、頭の周囲から計測する脳磁図となる。

もう一つの方法は神
経活動によるエネルギー消費を観測する方法であり、脳の局
所の血行動態を観測して脳の働いている部分の活動の大きさ
が計測できる。

 非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである。

人が快い状態、不快な状態とは脳の部位によって違って働く
のである。更に芸術的にはどのようなものに魅せられるか、難
しい問題を解らないなりに如何にして少しでも科学的に取り扱
うことが出来るようになるのか、少なくとも脳の部分部分での
美に対応する変化が生まれて来るのである。

芸術を科学とし
て取り扱うこれまでには到底考えられなかったことが正に始ま
ろうとしている感じもするが、どれだけのことが生れるのか、こ
れからの大きな問題の一つでもあろう。

  一つの例として挙げられているのはゴッホ(Vincent van 
Gogh 1853〜1890)だが、彼の生前には1枚しか売れなかった
彼の絵が現在では数十億円もの値段がつけられているほど
の価値となっている。

如何に人や時代によって「美しさ」に魅せ
られるかが大きな問題であることが分かる。

これから脳の科学
が芸術と如何に関連されるか、ゼロからの出発で、正に。

これ
からの問題である。芸術品の価格評価も脳の反映によって決
る可能性もあり得る。

 このような芸術に限らずとも、外部からの影響に対する脳の
部位の対応だけでなく、人類の高度な社会現象や個人の行動
動機に至るまで、充足感、幸福感、危惧感、好奇心、創造生な
どに深くかかわってくる可能性が高いという。
 
 例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなこ
とが脳の外側からさせることが出来れば、「うつ病」などの治療
になれないかしら。

数学の難問題を回答できる時の脳の働き
についても同じように働くことが出来れば素晴らしい事になる
かも。

余り素晴らしい事が容易に出来るようになると却ってつ
まらない事になるかも。                        
(2011年2月21日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●考察

 さっそく私になりにいろいろ考えてみた。
それが先に書いた、「基本感情論」ということになる。
で、先生はたいへん興味深い事実を指摘している。

『非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである』と。

 たぶん母親の感情についての指摘かと思う。
この記述によれば、

(1)赤ん坊の笑顔を見ているときと、
(2)泣き顔を見ているときとでは、
脳の中でも、活動分野が異なるということ。

 このことから田丸謙二先生は、「芸術を科学として扱う」という可能性に
ついても言及している。
「なるほど」と感心したところで、先に書いた私の感情論へとつながっていった。

●ゴッホの絵

 で、ひとつの例として、田丸謙二先生は、ゴッホの絵をあげている。
ただし私は個人的には、ゴッホの絵は、好きではない。
はげしすぎるというか、ゴッホの絵を見ていると、どうも落ち着かない。
どこか狂人的?
そんな印象すらもつ。
ときどき「どうしてこんな絵が、こうまでもてはやされるのか?」と、
不思議に思うこともある。
話が少し脱線するが、許してほしい。

 ……というか、世俗的な評価というものを、あまり信用していない。
というのも、世俗的評価というのは、個人の評価の集合というよりも、
マスコミ的な洗脳によって作られたもののほうが、多いということ。
そのことは、現代の日本を見れば、よくわかる。
どういう人物が、世俗の世界で評価され、またすばらしい才能と知性をもちながらも、
どういう人が世俗の世界に埋没してしまうか。
それをみれば、よくわかる。

 平たく言えば、この日本では、マスコミの力をうまく使い、有名になったほうが、
勝ち。
それが世俗的評価ということになる。
つまりゴッホも、そうした世俗的評価で作りあげられた画家ではないかということ。
少なくとも、私なら、何億円も出して、あんな絵(失礼!)を、自分の居間には
飾っておかない。
見ている私自身まで、気が変になる。

 ……というふうに考えてみると、その反応は、(2)の泣き顔を見ている
母親の反応と同じことが、私の脳内で起きていることになる。

●再び感情論

 感情も科学で操作されるようになる。
田丸謙二先生は、その可能性について言及している。
それと同じに考えてよいかどうかは、知らないが、最近、私はこんな経験をした。

 胃カメラをのんだときのこと。
胃がんの疑いをかけられた。
が、私は心気症。
その数日前から、心は緊張状態。
最悪のばあいを想像し、食欲も減退した。
ハラハラ…ドキドキ…。

 で、その当日。
胃カメラをのむときは、腕に麻酔注射を打つ。
同時に、のどを通して麻酔薬をのむ。
しばらくすると、脳内が甘い陶酔感で満たされる。
何とも言えない、かったるい状態になる。

 で、検査が終わり、あやしげな箇所の生体を採取。
生体検査へと回された。
そのときのこと。
30分ほどベッドで休んでいるときのこと。
同時に私は、やさしい幸福感に包まれた。
「死」への恐怖は、まったくなかった。
あれほど恐れていたはずの検査だったが、そのときは、安らいだ気分になっていた。

 「感情も科学で操作される」。
今にして思えば、田丸謙二先生の指摘通りということになる。
先生は、こう書いている。

『例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなことが脳の外側からさ
せることが出来れば、「うつ病」などの治療になれないかしら』と。

 薬物の力によるのではなく、「外部からの刺激によって、脳内の反応をコントロール
できるのではないか」と。
どこかSF的だが、すでにSFの世界を飛び出し、現実の話になりつつある。
現に脳の一部を電気的に刺激し、脳の中で起きる反応を調べるという方法は、
研究の分野では日常化している。
そういう方法がさらに進歩すれば、感情そのものをコントロールできるように
なるかもしれない。
冒頭に書いたように、脳のメカニズムは意外とシンプル。
ON/OFFの世界。

先生の論文を読んだとき、そう思った。

●感情とは何か

 古今東西の哲学者や科学者が、問うてやまなかった最大かつ、もっとも神秘的な謎。
それが感情論ということになる。
私たちはなぜに、感情をもつのか。
その感情は、どこでどのようにして生まれるのか。

 田丸謙二先生の論文をもとに、私なりにそれについて考えてみた。
このつづきは、もう少し先生の論文を脳の中で消化したあと、書いてみたい。

 2011年2月24日。
今日も始まった。
時刻は午前7時13分。

田丸謙二先生へ、

おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 感情論 感情とは 喜怒哀楽 感情の制御 感情のメカニズム 心 
はやし浩司 心はどこにあるのか)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2月25日

●オーストラリアへ

 やっとB君との話し合いがついた。
メルボルンからアデレードまで、車で行くというB君。
オーバーランド号(大陸横断列車)に乗るという私。
B君の家は、南オーストラリア州とビクトリア州の州境にある、
ボーダータウンというところにある。

 メルボルンでは、インターナショナルハウス(IHカレッジ)に一泊。
市内のホテルにもう一泊。
その翌朝、オーバーランド号に乗ることにした。

 この先、あれこれと準備がたいへん。
オーストラリアは、私にとっては、遠くて遠い国。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
信じられないというより、あの時代の私は何だったのか。
そんなことまで考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ターゲット(投射・防衛規制)

 「ターゲット」という言葉は、私が考えた。

 昔、こんなことがあった。
Sさん(高校1年生)は、不登校児だった。
母親に連れられて、私のところへやってきた。
話を聞くと、Sさんは、こう言った。

「同じクラスのXさん(女子)に、意地悪される」と。

 そこで母親は学校の先生と相談し、クラスを変更してもらった。
で、しばらくすると、またSさんは、不登校児になってしまった。
今度は「Yさんが、いじめる」と言い出した。

 で、Sさんのお母さんは、学校側と相談。
再びクラスを変更してもらった。
が、それで問題が解決したわけではない。
Sさんは、今度は、「担任が私を嫌っている」と言い出した。
またまた不登校児になってしまった。

 実際の話はもう少し複雑だったが、大筋は以上の通りである。
私はこのSさんのケースから、「ターゲット」という言葉を思いついた。

●投射

 Sさんは、そのつど、ターゲットを変えた。
最初は、Xさん。
つぎに、Yさん。
そしてさらに、担任へ、と。

 Sさんは基本的には、学校へ行きたくなかった。
それをXさんのせいにしたり、Yさんのせいにしたり、さらには先生のせいにした。
こういうのを心理学では、「投射」という言葉を使って説明する。
本当は、自分が相手を嫌っている。
そのことを正当化するため、相手が自分を嫌っているからと思い込む。
「相手が私を嫌っているから、私は、自分のしたいことができない」と。

 深堀元文氏の「心理学のすべて」には、こうある。
『投射……困難や失敗を他人のせいにしたり、自分の好ましくない欲望を、
他人のものとみなす』と。

 つまり母親も、そして私も、Sさんに振り回されただけ。

 ……という話は、前にも何度も書いた。
で、ここではもう一歩、話を先に進めてみたい。
今朝、ふとんの中で、こんな経験をした。

●怒るという感情は、そのまま

 私はX氏のことを考えていた。
不愉快な男だった。
平気でウソをつく。
口もうまい。
金を借りに来たときも、先に返済計画書を私に見せた。
3か月後から、毎月x万円、1年後から毎月x万円……と、
一覧表になっていた。

 私は人には、お金を貸さない。
そこで私はX氏に、20万円を渡し、「これだけあげるから、勘弁してほしい」と。
が、それっきり。
礼もなければ、あいさつもない。
そのX氏のことを考えていたら、ムラムラと怒りが頭の中に充満してきた。

 そのときのこと。
私はそのX氏と、別のY氏を置き換えてみた。
Y氏もずるい男だった。
浜松へ何度か遊びに来たが、そのつど、別の愛人を連れてきた。
アメリカへ行くときも、「アメリカへ行くから、君の息子を紹介してほしい」と。
そのときも、別の愛人を連れていった。
で、一度、私にこう言ったことがある。
「なあ、林(=私)、今度の彼女の名前は、Sだからな。名前をまちがえるなよ」と。

 するとそこでおもしろい現象が起きた。
起こっている感情は同じなのに、頭の中で、X氏からY氏へ、スルリとターゲット
が置き変わった。
まったく無理がなかった。

 「怒る」という感情はそのまま。
しかしターゲットは、X氏からY氏へ。
X氏のことを考えて怒っていた私が、いつの間にか、今度はY氏を怒っていた。

●八つ当たり

 脳みそというのは、一見複雑怪奇だが、その実、そのメカニズムはシンプル。
単純。
ひとつの反応が起こると、それがそのまま別の場面でもつづいてしまう。

日本語にも、「八つ当たり」という言葉がある。
A氏に対して怒りを覚えていると、それがそのままB氏にまで及んでしまう。
そういうことは、よくある。
「怒り」という感情が先にあるから、理由など、何でもよい。
過去にあったささいなことを理由にあげて、「お前は、あのとき!」と。

 こういうのを八つ当たりという。

 そこでそういうときは、どうしたらよいか。
……といっても、答は簡単。
そのつど頭を切り替えればよい……ということになる。
が、これがむずかしい。
若いときは、それほどむずかしく思ったことはない。
というか、それほど深刻な問題にはならなかった。
そのつど、パッパッと頭を切り換えることができた。

 が、最近はそうではない。
不器用になったというか、切り替えがうまくできない。
ひとつのことで悶々としていると、あらゆることで悶々としてしまう。
感情がそのまま、つぎの場面でも、残ってしまう。
脳のフィードバック機能が、衰えてきたせいとも考えられる。

●フィードバック

 脳内で、ある反応が起こると、すかさずそれを打ち消すための機能が働く。
たとえば何かの脳内ホルモンが分泌されると、それと正反対の脳内ホルモンが
分泌される。
こうして脳は、自分の脳内を、いつもクリアな状態に保とうとする。
これを「フィードバック」という。

 こういう理屈が正しいかどうかは、わからない。
わからないが、加齢とともに、そのフィードバック機能が衰える。
つまり正反対の脳内ホルモンの分泌が衰える。
あるいは反応が鈍くなる。
それが先に書いたような現象につながるのではないか。

つまり「感情の切り替えがうまくできない」。
へたをすれば、脳の中に、もろもろの脳内ホルモンが充満することもある。
何がなんだか、訳が分からなくなる。
そういうこともある。

●脳内観察(インナー・トリップ)

 自分で自分の脳内を観察する。
言うなれば、自分の脳の自己診断ということになる。
最近のパソコンには、そういう機能がついたものがある。
動作がおかしくなったら、自分でそれを診断し、それを是正する。
それと同じように、自分の脳が、自分の脳内を観察する。
考えてみれば、これはおもしろい現象ではないか。

 「ああ、私は怒っている」と、まず自分を知る。
つぎにターゲットを自分で置き換えてみる。
ターゲットが、簡単に置き換わる。
X氏を怒っていたはずなのに、今度はそれがY氏に置き換わる。
「怒り」はそのまま。

 では、反対にこんなことはできないか。
たとえば怒っている最中に、ワイフとの楽しい思い出を思い出してみる。
そうすれば、自分の脳は混乱するはず。
それがおもしろい。

実は、そのとき、それもしてみた。
が、これはうまくいかなかった。
そこで働いたのは、「八つ当たり」。
「怒り」が基本にあるから、楽しい思い出というよりも、ワイフのあら探し
が始まってしまった。
が、これではいけない。
ワイフのことを考えるのを、やめた。

……というように、自分の脳をコントロールすることができる。
自分の脳を相手に、自分で遊ぶことができる。

 今朝、目を覚ましてから起きるまで、ふとんの中で、私はそんな経験をした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 投射 防衛規制 八つ当たり ターゲット ターゲットの移動 イン
ナー・トリップ)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●おかしな外来語、「マニフェスト」

++++++++++++++++++

「マニフェスト」とは、何か?
その意味を知っている人は少ない。
この日本では「選挙公約」のことを、
「マニフェスト」と言う。
だったら、「選挙公約」と言えばよい。
どうしてわざわざ「マニフェスト」と言うのか?

で、ウィキペディア百科事典で調べてみたら、
こうあった。

マニフェスト(manifesto) とは、宣言書・
声明文の意味、と。

だったら、「選挙宣言書」と言えばよい。
「選挙声明文」でもよい。
「選挙宣誓書」なら、さらによい。
「選挙公約」と言うよりは、重みがぐんとます。

「マニフェスト」と「選挙公約」。
「選挙公約」と「マニフェスト」。

どう考えても、「マニフェスト」のほうが、軽い。
横文字であるだけに、意味がわからない。
わからない分だけ、ピンとこない。
やはり「選挙宣誓書」という言葉を使った
ほうがよい。
そのほうが、わかりやすい。

そうでなくても日本人は、ウソに甘い。
「ウソも方便」という言葉もある。
平気でウソをつく。
ウソをつかれても、怒らない。
公約など、腸から出るガスのようなもの。
私たちもそう考えているし、政治家たちも
そう考えている。

+++++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 またまた経験した。
が、だからといって、その知人の妻を批判しているのではない。
久しぶりに、あの言い方を聞いた。
こんな言い方……。

 先日、知人が亡くなった。
通夜には行けなかったので、その前日、知人宅を訪れた。
そのときのこと。
知人の妻は、知人の横に座っていた。
私が知人に別れを告げているとき、その妻が、こう言った。
「林さん、昼ご飯を食べていってください」と。

 が、その地方では、それがあいさつ言葉になっている。
朝、遅く起きても、「おはよう(=早いですね)」と言うのと同じ。
ウソではないが、ウソ。
そんなとき、「じゃあ、いただきます」などと言おうものなら、さあ、たいへん。
家中、大騒ぎになる。
昼ご飯など、どこにも、用意されていない。

 もう10年も前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【表と裏】

++++++++++++++++++

みながみなというわけではないが、
私が生まれ育った郷里のM町では、
ときどき、何が本当で、何がウソ
かわからなくなる。

ウソをウソと意識しないまま、平気
でウソをつく。それがその地方の
習慣にもなっている。その場、その場で、
適当なことを言って、とりつくろう。

が、何よりも不思議なのは、そういう
ウソをつかれながらも、つかれた
ほうも平気、ということ。
それなりに、みな、うまく、やっている。

その郷里を離れて、40年。
以前、「飛騨の昼茶漬け」について
書いたことがある。4年前の原稿
である。(2007年6月記)

++++++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。たとえば岐阜県の飛騨地方には、
『飛騨の昼茶漬け』という言葉がある。あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習が
ある。しかし道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。相手が断るのを承知の上で、
誘う。
そして断るほうも、これまたウソを言う。おなかがすいていても、「食べてきたところです」
と答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうものな
ら、さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。まさか昼飯に茶漬け
を出すわけにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。ひょっとしたら、あなたも日常的に使
っているかもしれない。日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、う
まくごまかして先へ逃げるほうが、美徳とされる。ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌
う。何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)
す』というお国がらである。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。そしてそれが日本人の
国民性をつくりあげている。私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。オーストラリアのメルボルン
大学にいたときのことである。私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけない
と思い、断るつもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。で、そのあと、別
の友人たちといっしょに、昼食を食べた。そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられ
ないほど、激怒した。「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。私はそう怒鳴ら
れながら、ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、ウソに対する寛容度がまっ
たく違うということを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。
しかし日本人は、それをしない。しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分
も」と考える。そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。
それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。

●私はウソつきだった

 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。ほかの子どもたちよりもウソつきだ
ったかもしれない。とにかく、ウソがうまかった。ペラペラとその場を、ごまかして、逃
げてばかりいた。私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。

その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。商
売では、ウソが当たり前。このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへたが
決まる。私は毎日、そういうウソを見て育った。

 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。自分を偽るのをやめた。だからとい
って、それですぐ、正直な人間になったわけではない。今でもふと油断をすると、私は平
気でウソを言う。とくにものの売買では、ウソを言う。自分の体にしみこんだ性質という
のは、そうは簡単には変えられない。

 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。あなたは自分の子どもに、どの
ように接しているかを考えてみてほしい。あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何
と言っているかを考えてみてほしい。

もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさい」「ウソはついてはいけません」と、
日常的に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。人間は、そうでなくてはいけない。
……とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしまったが、実のところ、それがまた、
日本人の子育てで、一番欠けている部分でもある。そこでテスト。

 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけた。そして帰
りぎわ、10万円のタクシー券を渡されたとする。そのとき、あなたはそれを断る勇気は
あるだろうか。

さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はある
だろうか。私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしまうだ
ろうと思う。正直に言えば、そういうことになる。

つまり私は、子どもときから、そういう教育しか受けていない。つまりそれは私自身の欠
陥というより、私が受けた教育の欠陥といってもよい。さてさて、あなたは、子どものこ
ろ、学校で、そして家庭で、どのような教育を受けただろうか。

【補記】

日本人のこうした国民性は、話せば長くなるが、長くつづいた封建制度の結果と考えてよ
い。今のK国のような時代が、300年以上もつづいたのだから、当然といえば当然。「自
分に正直に生きる」ということそのものが、不可能だった。

それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。ただここで言えること
は、決して、あの封建時代を美化してはいけないということ。もちろん歴史は歴史だから、
それなりの評価はしなくてはいけない。しかし美化すればするほど、日本人の精神構造は、
後退する。

(はやし浩司 日本人の精神構造 封建時代の遺物 はやし浩司 家庭教育 育児 教育
評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 飛騨の昼茶漬け 
ウソも方便 嘘も方便)

++++++++++++++++

●表と裏

 私の知人の中にも、こんな人がいる。裏で、私の悪口を言いながら、表では、平気でつ
きあってくる人である。私はそういう人を見ながら、「この人の精神構造は、いったいどう
なっているのだろう?」と思う。

 が、私は私で、そういう人とはつきあわない。一度でも、そういう事実を知ったら、つ
きあわない。交際をやめる。年賀状の交換もやめる。が、そういう人にかぎって、騒ぎた
てる。

 「あの林は、年賀状の返事もよこさない」とか、何とか。

 あるいは私の動向をさぐってくる。何だかんだと口実をつくっては、近づいてくる。よ
ほど私のことが気になるらしい。もちろん、私に好意的だから、そうするのではない。私
が失敗したり、不幸になったりするのが、楽しみだから、そうする。それが私にもよくわ
かる。

 どうせそのレベルの人たちだから、そういう人は、無視する。相手にしない。

 ……ということで、私は若いころ、こんな鉄則を自分につくった。『つきあうなら悪口を
言わない。悪口を言ったら、つきあわない』と。

 ついでに同じころ、こんな原稿を書いたこともある。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●電話の口

++++++++++++++++++

あなたは受話器の話し口を手で押さえて、
近くの人と、話をすることはありませんか?

しかし、それはたいへん、危険なこと。
一度でも、それをすると、それが理由で、
相手との人間関係を破壊することになるかも?

++++++++++++++++++

 あなたは今、電話で、だれかと話をしている。だれでもいい。だれかだ。そのとき、あ
なたは、近くにいる、子どもか、夫か、あるいは妻と、何か相談しなければならないこと
ができた。受話器はもったまま、だ。

 そのとき、あなたなら、どうするだろうか。

 一番、安全な方法は、電話機の「保留ボタン」を押すことだ。それを押せば、何らかの
音楽が流れ、会話は、それで完全に、途切れる。

 しかしそこまでは、したくない。その必要は、ない。そういうとき、あなたならどうす
るだろうか。……あなたは、多分、電話の話し口(聞き口ではなく、話し口)の方を、手
で押さえる。そして小さな声で、近くにいる人に、顔をしかめながら、こう言うにちがい
ない。

 「この電話、あの林からよ。いやねエ〜。どうるす?」と。

 あなたは話し口を手でしっかりと押さえている。だから小声で話したことは、相手には、
聞こえないと思っている。

 だからそう言い終わると、また手を離して、「そうですねえ、わかりました、林さん」と、
明るい声で話す。

 しかし……だ。最近の電話機は、性能がよい。話し口を手で押さえたくらいでは、会話
をさえぎることはできない。あなたの話した言葉は、実は、耳にあてた聞き口からも、相
手に伝わる。話し口も、聞き口も、原理的には、構造は、同じ!

 だから、電話機の口を手で押さえたくらいで、安心してはいけない。最近だが、こんな
ことがあった。

 私は、B氏に電話をした。少しこみいった話なので、内容は、省略する。しかしB氏は、
留守だった。(実際には、居留守を使っていた。)かわりにB氏の妻が電話に出た。

私「……では、いつお帰りですか?」
妻「もうすぐ帰ってくると思いますが……」と。

 そのとき、B氏の妻は、受話器の話し口を手で押さえた。その感触というか、手で押さ
えた感じが音でわかった。ポンと耳がつまったような感じがした。B氏の妻は、近くにい
るB氏に、小声で、こう言った。「あの林からよ。いやねエ……。この電話、どうする?」
と。

 それに答えて、そばにいたB氏は、多分、首を横に振ったのだろう。B氏の妻は、夫の
様子を見て、再び、明るい声で、「ごめんなさいねエ。また帰ってきましたら、林さんから
電話があったことを、主人に伝えておきますから……」と。

 ……という、この話は、実は、フィクションである。最近、別のところで経験したこと
を、私の話にからめて、作ってみた。

 しかし、現実に、こんなことが私に起きたとしたら、私なら、そのB氏とは、絶交する。
つきあう必要は、ない。つきあいたくもない。

 ……ということで、今日は、電話の話。今でも、受話器の話し口を手で押さえて内密な
話をする人は、少なくない。しかし、それはたいへん危険なこと。あまりにも無防備なこ
と。それをみなさんにお伝えしたくて、このエッセーを書いた。

 ……この話が、ウソだと思うなら、だれかに協力してもらって、自分で確かめてみたら
よい。私の言っていることがウソでないことが、わかってもらえるはず。どうか、くれぐ
れも、ご用心!


++++++++++++++

 この中で、私は、「この話は、フィクションである」と書いた。しかし詳しくは書けない
が、似たような経験をしたから、私は、この話を書いた。

 ここでいうB氏も、表と裏のある人ということになる。それまではかなり親しくつきあ
っていた人だったが、私は、この電話のあと、B氏とは、縁を切った。ワイフは、「適当に
つきあっておけばいいのよ」と言ったが、私には、そういう芸当ができない。若いころな
らできたかもしれないが、今は、もうできない。めんどうというか、そういう人が近くに
いるだけで、神経がすり減ってしまう。

 が、B氏にはそれがわからない。わからないというか、私がなぜ怒っているかさえ、わ
かっていない。だからそのあとも、何ごともなかったかのように、何度も電話をかけてき
たりした。

 適当にものを言って、その場をやりすごす。そういう人は、少なくない。好きか嫌いか
ということになれば、私は、そういう人が、大嫌い! そういう人と、愚劣な交際をつづ
けて、無駄にする時間は、私には、もうない!

【補記】

 私は、そういう意味でも、この浜松が、大好き! 私のワイフの兄弟にしても、みな、
正直。本当に正直。表も、裏もない。そのわかりやすさが、たがい人間関係を、さわやか
なものにしている。

 たとえばこの浜松では、ものの売買をするときでも、(掛け値)ということをしない。(値
切る)ということもしない。そういうやりとりをしているところを、見たことさえない。

 人間関係もそうで、少なくとも私のワイフの兄弟たちは、ありのままの姿で、ありのま
まに生きている。飾ることもない。虚栄を張ることもない。見栄や世間体とは、みな、無
縁の世界で生きている。すばらしいことだと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の嘘 はやし浩司 日本人のウソ ウソも方便論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び、マニフェスト

 ウソをつくのが商売。
それが政治家。
そんな政治家に、誠実さを求めても、意味はない。
悲しいことだが、この日本では、だれもが、そう思っている。
私もそう思っているし、あなたもそう思っている。
私もごく最近まで、「公約」などというものは、選挙に勝つための「方便」と思っていた。
言うなれば、「選挙目標」。
だから公約が破られたからといって、それほど腹を立てなかった。

 が、しだいにウソに対して、国民の目がきびしくなってきた。
日本人の意識が、少しずつだが、変化してきた。
「公約違反」という言葉も、よく聞かれるようになった。
そこで登場したのが、「マニフェスト」?
「軍隊」を「自衛隊」と言い換えたようなもの。
つまり国民をだますための煙幕?

 私には、そう思われてならない。
だったら、やはり「選挙宣誓書」と言えばよい。
どうしてそういう言葉を使わないのか?
そのほうがわかりやすいし、国民も、注視する。
もちろん重みも、ぐんとます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 マニフェスト 選挙宣誓書 選挙声明文 公約論)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日の反省(2−21)

●チラシ

 帰宅後、こたつに入って、チラシを見る。
東名浜松西インターの近くに、「NG」というパソコンショップがある。
私はいつも、その店を利用させてもらっている。
その店のチラシ。
A3大のチラシに、製品と価格が、ぎっしりと書きこんである。
私のばあい、(私のような人間も多いと思うが)、それを見ているだけで楽しい。

 が、今、ほしいのは、とくにない。
パソコンも、つぎのつぎ待ち。
現在デスクトップに、MCJ社のを使っている。
昨年、買ったばかり。
買い換えるとしても、来年。
だからつぎ(今年の年末)の、つぎ(2012寝年の夏ごろ)。
ノートパソコンは、4〜5台、すべて現役中。
あえて言うなら、TOSHIBAのMX/34M。
それがほしい。
価格は、現在、5万9800円(価格ドットコム)。

 あとはカシオのカメラかな?

●日本相撲協会

 ……こんな意味のない文章を書かねばならないほど、私の脳みそは休眠状態。
どうも冴えない。
このところ何を読んでも、また何を考えても、「どうでもいい」と思いが先に立って
しまう。
つまり熱くならない。

 今日も仕事に行く途中、書店に立ち寄った。
何冊か、週刊誌を立ち読みした。
いつもなら、それだけで頭の中がバチバチとショートする。
書きたいことが、頭の中に充満する。
爆発しそうなほど、充満する。
それが今日は、なかった。

 たとえば「週刊現代」。
相撲の八百長問題を大きく、取り上げていた。
当然だろう。
週刊現代は、過去、何回か日本相撲協会に逆告訴されている。
そのたびに証人が証言を翻し、いつも週刊現在側の敗訴。
多額の賠償金まで支払わされている。

 が、八百長は、犯罪ではない。
犯罪ではないから、刑事訴追はできない。
週刊現代も、観客が集団提訴するようなばあいをのぞき、法的な責任を取らせるのは
無理というようなことを書いていた。
私もそう思う。

が、ここでまたまた別の「ウミ」が出てきた。
今度は、相撲賭博。
「賭博」なら刑事犯として、訴追できる。
警察が介入することができる。
日本相撲協会を、叩きのめすことができる。
あの団体は、何からなにまで、ウサン臭い。
悪臭がプンプンと臭う。
相撲賭博、おおいに追及してもらいたい!

 それにしても日本相撲協会の理事たちの人相はよくない。
顔で人を判断してはいけないとは、よく言う。
しかしそれにしても、「よくない」。
私は一片の知性も理性も感じない。

●中東、激変中

 エジプトにつづいて、今度はリビアがおかしくなってきた。
今日の夕刊には、こうある。
「リビア首都にデモ拡大」(中日新聞)と。

 やがてこの日本にも、さまざまな形で影響が波及してくるだろう。
原油価格の上昇程度では、すまない。
そうでなくてもEUには、いくつか、あぶない国がある。
そういうあぶない国の、足下(あしもと)がこける。
それが日本にも、影響する。
へたをすれば、日本の国家破綻(デフォルト)の引き金を引いてしまうかもしれない。

世界の食糧価格(大豆、小麦、トウモロコシ)は、この3年間で、3倍近くにまで
あがっている(2008年比)。
世界的な大インフレが始まっていると見るべき。
理由は言わずと知れた、アメリカのドルの垂れ流し。
日本も同罪。

 先進国はこれくらいの値上げなら、何とか吸収できる。
が、中進国以下は、そうはいかない。
猛烈な物価高と、それにともなう貧困層の増大。
そのエネルギーが、今、中東で爆発した。

●話題

 本来ならここで、話題を変えなければならない。
視野を広くし、別の分野に挑戦しなければならない。
いつも同じテーマで書いていると、脳みそが、固くなる。
視野が狭くなる。
「何かないかな?」ということで、浜松のおいしい店を、頭に思い浮かべる。

 ……といっても、私が住んでいるこの町内周辺のレストラン。
イチ押しは、「かっぱ寿司」。
今夜もそこで食べてかえってきたが、寿司ネタがいつもの倍以上もあったのには、驚いた。
値段も、3月末まで、1皿90円。
おまけに、おいしい。
寿司専門店の寿司もおいしいが、ときどき、生臭い寿司が出てくるときがある。
一度でもそういう寿司が出されると、私のばあい、「つぎ」がない。
そのまま足が遠のいてしまう。

 つぎに、「鐘庵(しょうあん)」。
こじんまりとした日本そば屋だが、おいしい。
桜えびの?き揚げが、おいしい。
先週は、毎日、3日もつづけて、その鐘庵に通った。
そばもおいしいが、入り口付近にある、静岡おでんも、おいしい。
静岡おでんは、煮込みつゆの色が、独特。
濃い黒色
おでんには、魚粉(さかなこ)と海苔粉(のりこ)をかけて食べる。

 そういう店がつぎつぎと私の家の近辺にできた。

●折伏(しゃくぶく)

 そう言えば数日前、ある宗教団体の信者が、私の家にやってきた。
さかんに私に入信を勧めた。
その宗教団体では、そうした行為を「折伏(しゃくぶく)」と呼んでいる。
「相手を折り伏せる」という意味である。

 しかしもともと信者が信者を折伏するということは、なかったはず。
少なくとも鎌倉時代の昔にはなかったはず。
「折伏」というのは、本来、寺が寺を、乗っ取ることを意味した。
たとえば鎌倉時代になると、鎌倉幕府は、それまでの寺をつぎつぎと、
臨済宗に改宗させていった。
それが「折伏」である。

 これに対して、穏便に説得するという方法もあった。
それを「摂受(しょうじゅ)」と言う。
どちらであるにせよ、それにつづく戦国時代もそうであったが、「民」など、
もとから数に入っていなかった。
「民」、つまり「民の意思」など、問題外。
民、つまり信徒にしても、僧侶の読む経典が変わったところで、
それに対して文句など言えなかった。

 が、今では、信者(民)が、一般の人(民)を折伏する時代になった?
「林さん(=私)も、一度、私たちの座談会に出てみませんか」と、
さかんに言われた。
私は時間がないことを理由に、それを断わった。

 ある賢人いわく、『凡人は宗教を信じ、知識人は宗教を疑う。しかし為政者は
宗教を利用する』と。

●振り込め詐欺

 もうひとつ、事件があった。
これも数日前のこと。
あやしげな電話が息子のところへかかってきた。
「グランの木村です」と、その男は名乗った。
が、その瞬間、「振り込め詐欺」とわかった。
(そういう電話が、私のところへ、よくかかってくる。)
のらりくらりと会話をかわしていると、相手の男もそれに気づいたのか、
突然、「では、いいです。息子さんの携帯電話に電話しますから」と言って、
電話を切ってしまった。

 その少しあと、息子に、「そんな会社の、そんな人を知っているか?」と確かめると、
「知らないよ」と。

で、私はそのまま110番に通報。
私の家の電話機は、ナンバーディスプレイになっている。
相手の番号も、伝えた。

 ……そのあとその電話番号に、何度か電話をしてみた。
が、何度かけても、通話中。
相手は、そういう設定にしているらしい。

 で、私はときどきこう思う。
もし、今の仕事をしていなかったら、私は私立探偵社を経営しているだろうな、と。
やたらと正義感が強く、こういう方面でのカンが働く。
ワイフもそう言う。
「あなたにピッタリの仕事ね」と。

●花粉症

 今日は朝から目がかゆく、クシャミもときどき、つづけざまに出た。
花粉症独特のクシャミである。
「いよいよ始まったか」と。

 毎年、最初の1週間ほどだけ、花粉症の症状が出る。
そのあと、症状は急速に収まる。
今が、がまんのとき。

医院で「花粉注射」というのを、打ってもらう。
あとはシソの葉エキスというのを、のむ。
毎年、それで症状は消える。

 それにしても今年の飛散量は、昨年の10倍とか。
ゾーッ。 
そう言えば、昨日も山荘へ行ってみたが、どの杉の木も、赤茶色の実を、
ぎっしりとつけていた。
不気味な感じがした。

●新製品

 やはり新しいパソコンを買おう。
ノートパソコン。
気分転換には、必要。
ボケ防止のためと思えば、安い。
このままでは、脳みそが腐ってしまう。

i−Podにしようか?
i−Padにしようか?
いろいろ迷ったが、やはりノートパソコンが無難。
いや、カメラのほうがよいかもしれない。
カシオのEX−ZR100。
このカメラはすごい!
値段は現在、3万33790円(価格ドットコム)。
この1月に出たばかりの新製品。
もう少し待てば、値段もさがるはず。

●就眠

 さてさて、床につく時刻になった。
ワイフがいつもの就眠儀式を始めた。
化粧を落とし、血圧を測る。
そのあとパジャマに着替える。

 子どもの世界にも、就眠儀式というのがある。
子どもは、毎晩、同じことを繰り返し、やがて眠りの世界に入る。
英語では、「ベッド・タイム・ゲーム」という。
それと同じ。
ワイフは今、それをしている。

 今夜の私はとくにやることもなし。
頭の中は、ぼんやりしたまま。
私はこのままボケていくのだろうか。
ふと、今、そんな心配が頭の中を横切った。

 では、みなさん、おやすみなさい!

2011年2月21日、夜記。
今日はとくに新しい発見はなし。
体調は、よくなかった。
気分も、よくなかった。
仕事も、まあまあ。
運動も、散歩が1時間だけ。
総合点をつけるなら、10点満点中、3点くらい。
明日はがんばろう。

はやし浩司 2011−02−21夜記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2月23日

●30年前の私

++++++++++++++++++

昨日、BW教室の説明会を開いた。
5〜6人ずつに分けてしている。
その会でのこと。
こんなことがあった。
私は会が終わるとき、母親の許可を得、
その女の子(年中児)を抱き上げた。
女の子を抱き上げるのは、数年ぶりのこと。

名前をSさんといった。
知るも知らぬもない。
教え子のR君の、(いつも私は、そう呼んでいた)、
娘だった。
R君は、11年近く教えた。
R君の弟も、11年近く、教えた。
R君の妹も、11年近く、教えた。

そういう思いが、どっとその瞬間、私を襲った。
母親が、「Rの妻です」と言ったときの
ことだった。

私「えっ、あのR君?」
母「そうです……」と。

うれしかったというより、心の底から
なつかしさがこみあげてきた。
涙がこぼれそうだった。
そこで言葉が止まってしまった。

私は女の子を抱き上げながら、
「あのR君の子どもかあ!」と。
とたん、30年前にタイムスリップ。
あのころの私がそのまま戻ってきた。
一世代という時の流れが、凝縮して、
目の前を通り過ぎた。

私がもっとも輝いていたころのこと。
R君の母親も、もっとも輝いていた。
私を助けてくれた。
恩もある。

女の子の顔には、R君の母親の面影が色濃く
残っていた。
「お母さん、そっくりだ」と。
そのとき私は、子どものようだった。
自分でも、それがよくわかった。
年甲斐もなく……。
ただただ、なつかしかった。
ただただ、うれしかった。

+++++++++++++++++

●タイムスリップ

 ときどきこんなことを考える。
私はタイムスリップする。
50年前の過去にもどる。
50年前の過去にもどって、50年前の自分に会う。
父に会う。
母に会う。
祖父や祖母に会う。

 が、相手は私だと気づかないだろう。
当時は、タイムスリップという言葉すらなかった。
私はあの町を歩き、自分の実家に行く。
小さな自転車店である。
そこで私は、店に並んだ自転車をすべて買う。
1台3万円としても、50万円もあれば、すべて買える。
当時の自転車は、それくらいの値段だった。
そう、あのころの私は学校から帰ってくると、いつも
母にこう聞いていたという。

「今日、自転車、売れた?」と。

 で、当時の「私」に会ったら、私は何と言うか。

●小学6年生の私

 私は小学6年生か中学1年生。
小学6年生ということにしておこう。
つまりここで私は、2人の自分を想像する。

 小学6年生の私と現在の私。
現在の私が、こう語りかける。
「私は、君の50年後の私だよ」と。
そのとき小学6年生の私は、どう反応するだろうか。
今度は自分の過去をさぐる。
あのころの私は毎日、外で遊んでばかりいた。
腕白だった。
だからたぶん、こう返事するだろう。
「おじさん、あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

 現在の私にそう言われても、それを理解するだけの知識もない。
冷静に考える能力もない。

あなた自身のこととして考えてみたらよい。
ある日、どこか顔は似ているが、しかし見知らぬ老人がやってきた。
やってきて、「私はあなたの未来に私だよ」と。
あなたはどう思うだろうか。
そのときのあなたを想像してみればよい。
たぶんあなたも、そう言うだろう。

「あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

●過去の未来

 が、現在の私だって、それで引き下がらない。
私は小学6年生の私に、こう言う。

「君は少し前まで、ゼロ戦のパイロットにあこがれていただろ?」
「君が好きな人は、あのAMさんだろ?」
「君はバイオリンを習っていたけど、いやだっただろ?」
「それに君は、小学3年生のとき、大阪のオバサンが作ってくれた人形を
抱いて寝ていただろ?」と。

 小学6年生の私は、それを聞いて仰天するにちがいない。
私しか知らない秘密ばかり……。
しかし私がいちばん伝えたいのは、そのことではない。
つまり私が、未来から来た「私」ということではない。
ものの考え方、その道筋を伝えたい。
過去の「私」に、その未来を伝えたい。

「いいか、世の中にはまだ君の知らないことが山のようにある。
君が高校生になるころには、電子計算機というのが世に出てくる。
その電子計算機には、注目した方がいい。
遺伝子工学とか、光合成とか、それに触媒という言葉も出てくる。
やがてすぐ、人間はロケットで月まで行くだろう」と。

 しかしあのころの私なら、きっとこう答えるだろう。
「おじさん、ぼく、そんなことなら、みんな知っているよ」と。
生意気な子どもだった。
自分でも、それがよくわかっている。

●R君の娘

 私はR君の娘を床におろし、「よろしくね」と言ったとき、そこに30年前の
「私」がいることを知った。
そう、あれから30年。
今の仕事を通して、いろいろなことを学んだ。
現在の「私」は、30年前の「私」ではない。
が、そこにいるのは、まぎれもなく、あのR君の娘だ。
顔は、R君の妹、そっくり。
R君の母親、そっくり。

 私は何度も、「あなたのお父さんのことをよく知っているよ」と言いかけた。
しかしそれは言わなかった。
これからゆっくりと、機会を見つけて、それを言えばよい。
時間はたっぷりある。
が、ふと、こうも思った。
「この子が最後だろうな」と。

 R君は、娘の指導を、私に任せてくれた。
しかしその娘がおとなになり、結婚し、子どもをもつころには、「私」は、もう
この世にはいない。
いても、使い物にならない。
そのとき私は92歳。
生きているはずがない。
つんとしたさみしさが、心を貫いた。

 「君のお父さんとはね、このビルの屋上で、石蹴りをして遊んだんだよ。
それに君のおじさんや、おばさんとも、ね」と。

 別れるとき、そう言った。
「またおいでよ!」と声をかけると、うれしそうに笑った。
私の心の中で、ポーッと何かが燃えた。

●時の流れ

 私は過去の「私」に出会った。
過去の「私」に話しかけた。
が、そんなことは、その女の子には、わからない。
わかるはずもない。
まだ4歳か5歳。
何という、はがゆさ。
が、そのはがゆさは、現在の「私」が、12歳の「私」に会ったときに
感ずるはがゆさかもしれない。

 時の流れは、世代を繰り返す。
しかしつぎの世代は、まったく白紙。
いくら「君のお父さんのことは、よく知っているよ」と叫んでも、女の子には、
通じない。
その女の子は女の子で、今、自分の人生を始めたばかり。
私のことなど、まったく知らない。
何という、はがゆさ。
何という、切なさ。

 かわいいというより、すでにその向こうに、あの気品と美しさをたたえていた。
入会書を受け取りながら、母親にこう言った。

「R君のお母さんは、美しい方でした。
今も美しいですが、若いころのお母さんは、息をのむほど美しい方でしたよ」と。
どういうわけか、矢印型の金とプラチナが交互に並んだ、あのネックレスが印象に
残っている。

 私がタイムスリップしたのは、30年前ではなく、ひょっとしたら60年前だった
かもしれない。

R君、元気ですか。
長いつきあいになりますが、よろしく!

はやし浩司記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●午後8時8分(はやし浩司 2011−02−23)

 午後8時過ぎ。
雨の中、雷鳴がとどろく。
外は雨。

今日は、水曜日。
仕事は休みだった。
が、朝から、気分がどうもすっきりしない。
モヤモヤしている。
このところ睡眠不足。
朝、5時ごろ目が覚める。
……覚めてしまう。
そのまま1〜2時間、ふとんの中で過ごす。

 が、これではいけない。
……ということで、体にムチを打つようにして、起きる。
ウォーキングマシンに乗る。
30分、歩く。
全身から、ジワーッと汗がにじみ出る。

 そのまま書斎へ。
生徒の親たちに、手紙を書く。
4月からの予定と、時間帯の変更など。
それに新入会の人たちへの連絡。
おかげで4月から、今年も無事仕事ができそう。
私の仕事は、そういう仕事。
言うなれば、1年契約の労働者。
社会保障は、まったくなし。
何もない。
今年はよくても、来年(4月から)のことは、
わからない。

 午後になって、あちこちへ買い物。
帰ってきてから、1時間ほど、仮眠。
そのあと夕食。
……ということで、午後8時になってしまった。

●絶望的な革命

 世界が激動している。
エジプトにつづいて、リビア、そしてバーレーン。
そこへ今度は、ニュージーランドの大地震が重なった。
あまりにも目まぐるしく、ついていけない。
「日本はだいじょうぶか?」
「私はだいじょうぶか?」と、自分のことを考えるだけで、精一杯。
脳みそは、相変わらず、休眠状態。
書きたいことはあるはずなのに、以前のように、
バチバチと火花が飛ばない。

 何かの脳の病気なのだろうか。
それとも、ただ疲れているだけなのだろうか。
それともボケてきた?
このところ書くテーマは、いつも同じ。
過去に書いたことの、繰り返し。

●身勝手

 先ほどもニュージーランド地震のニュースを見ていた。
1人の白人女性が、がれきの下から救助される映像が出てきた。
そのときも、「よかった!」と思う前に、心の傷(トラウマ)
のことを考えてしまった。
「この女性も、この先、一生、心の傷に苦しむだろうな」と。

 私も30歳になる少し前、飛行機事故を経験している。
今でも、それが心の傷となって、心の奥に深く残っている。
飛行機に乗れない。
乗っても、旅先で不眠症に苦しむ。

その女性もそうだろう。
救出されたときは、「ああよかった」と思ってすむ。
……すんでしまう。
心の傷が、「傷」として姿を現すのは、しばらくたってから。

 私もそのあと、2週間ほどだったが、イタリアと
ブラジルへ行く仕事を引き受けていた。
が、その日が近づくにつれて、体が固まり始めた。
夜、体がほてり、眠れなくなってしまった。

 それでこの2つの仕事を、ドタキャン。
つまり心の傷は、ふだんは、心のどこかにもぐっている。
姿を現さない。
が、同じような状況になったとき、心の奥から出てくる。
姿を現す。

 ……本来なら、がれきの下の人たちの心配を
しなければならないのだが……。

●絶望的な革命

 そのリビア。
先ほどのニュースでも、「民衆革命」というような
言葉を使っていた。
革命?
たしかに革命だが、それで民衆の生活がよくなる
わけではない。
それが約束されているわけではない。
むしろ、政治的な混乱は、経済の低迷をもたらすかもしれない。

 この3年間で、世界の食糧(小麦、大豆、とうもろこし)は、
3倍近くも値上がりしている。
日本でも、この4月から、小麦の価格が、13%引き上げられるという。
NHKのニュースでは、世界的な天候不順と、中進国での
需要の増大を、理由にあげた。
しかしそれだけではない。
世界は、今、インフレの渦の、まっただ中。

 これだけ先進国がお金(マネー)をばらまけば、
インフレが起きないわけがない。
現に今、中国では、さらに住宅価格が、あがりつづけている。
日経新聞は、つぎのように伝えている(2月18日)。

++++++++++++++++++++

中国国家統計局が18日発表した1月の新築住宅の
価格指数によると、主要70都市のうち10都市で
前年同月比の上昇率が10%を超えた。

カネ余りを背景にバブルの懸念は治まっておらず、
中国人民銀行(中央銀行)は預金準備率の引き上げ
など金融引き締めを続けている。

++++++++++++++++++++

 こちらのほうは、「金余り」と、すなおに
金余り(=インフレ)を認めている。
どうして食糧も、「金余り」と認めないのだろう。
金余りが先にあって、食糧の価格があがっている。

 結局は日本も含めて、先進国の身勝手が、
こうした弱小の国々を直撃している。
それがエジプトであり、リビアであり、他の
中東諸国ということになる。
が、これで収まるとはだれも思っていない。

 仮にあなたの生活で、食費がこの3年間で、
3倍になったとする。
仕事もなく、収入もない。
そのとき、あなたなら、どうするだろうか。
黙って静かに、貧乏生活に耐えるだろうか。

 「革命」という勇ましい言葉に、だまされてはいけない。
その中身は、「絶望的なあがき」。
だからといって、独裁政治を肯定しているわけではない。
ただ、だれが政治の主導者になっても、この「あがき」を
消すことはできない。
民主化されたからといって、明日から生活が安定するわけではない。

(たった今、近くに落雷! 
ものすごい音がした!)

 どこに落ちたかということよりも、パソコンのほうを
先に心配する。
この身勝手さ。
……本来なら、被害にあった人たちのことを心配を
しなければならないのだが……。

 で、今すべきこと。
パソコンをシャットダウンしたあと、
コンセントを全部抜く。
どうしよう……?
が、このまま続行!
データをUSBメモリーに移し、
このまま続行!

 ……だから「絶望的な革命」。
指導者もいない。
目標もない。
ただそこに見える「敵」を、倒しただけ。
わかりやすく言えば、つぎの家を建てるための
資金も、設計図もないまま、今の家を取り壊しただけ。

●カダフィ大佐と小沢一郎氏

 カダフィ大佐(リビアの大統領)の映像を見ていたとき、
ふと民主党の小沢一郎氏を思い浮かべた。
どうしてだろう?
どこでどうつながっているのだろう?

 脳の表層部分では、その接点がよくわからない。
しかし脳の深層部分では、その接点をとらえている。
つまり「カン(勘)」。
私のカンによれば、この2人には、大きな共通点がある。
そこで私は脳の奥深くへと、切り込んでいく。
これが「書く」という作業になる。

 で、まっ先に思いついたのは、「権力」という言葉。
この2人は、まるで自分のことがわかっていない。
「正義」という言葉を盾に取って、自分の利益にそれをつなげている。
往生際が悪いというか、見苦しいというか……。

 権力の座というのは、それほどまでにおいしいものなのか?

 そう言えば、先ほども小沢一郎氏のニュースを見ながら、こう思った。
「この人も、この先、それほど長くはないだろうに」と。

不健康な体つき。
顔色も悪い。
加えてこのストレス。
が、私たち庶民が想像もつかないような富も手に入れた。

 「私なら……」といろいろ考えたが、それは
ここには書かない。
人それぞれ。
私の人生、あなたの人生。
人、それぞれ。
ただ政治家のばあいは、私たちの生活に大きな影響を与える。
愚行をだまって、見過ごすわけにはいかない。

 小沢一郎氏に言いたい。
あなたは静かに、政界を去りなさい。
そのほうが私たちにとっても、よいことだし、
あなたにとっても、よいこと。

●雨が止んだ

 雨が止んだようだ。
急に静かになった。
と、同時に、キーボードを叩く指が、軽くなってきた。
少し、調子が戻ってきた?
が、頭の中は、相変わらず休眠状態。

 ……ということもあって、今日も、近くのパソコンショップへ行ってきた。
メモリーの増設を考えている。
が、それが結構、高額。
デスクトップ用のメモリーのばあい、4GBのメモリーが1枚5000円前後。
それが4枚で、2万円。
どうしてだろう?

 現在、USBメモリーにしても、SDカードにしても、4GBなら、
安い店では、1000円前後で買える。
だったら、SDカードをそのまま使えるようにすればよい。
4枚買っても、4000円。
それですむはず。
……とまあ、素人の私は、そう考える。

 ところで、夕食のとき、08年に買った、H社のパソコンを
取り出した。
ほとんど使っていなかったが、使い出したとたん、故障。
ちょうど1年の保証期間が過ぎたころのことだった。

 で、製品をH社に送り、修理代を見積もってもらった。
マザーボードの交換(2万円)+技術料(1万5000円)+消費税
とのこと。
バカバカしいので、そのままにしておいた。

 そこでネットで調べると、そのパソコンは、大変な失敗作=欠陥商品
とわかった。
同じようなマザーボードの故障事例が、ズラズラと並んだ。
「二度と、H社のパソコンは買わないぞ」という書き込みも目立った。
 
 ……買ってから、2年半。
今になって、怒りがこみあげてきた。

●怒り
 
 その「怒り」という言葉で思い出した。
(ものを書く)というのは、(怒ること)。
怒りなくして、ものは書けない。
悲しみでも、苦しみでもよい。
しかし源(みなもと)は同じ。
「怒り」。

 怒りがあって、はじめて頭が熱くなる。
バチバチと火花が飛ぶ。
そのときはじめて文が書ける。
エネルギーがつづく。
集中力がつづく。

 言い換えると、平穏な生活からは、文は生まれない。
またそういうとき書いた文には、意味はない。
考えてみれば、ガン検診でシロ判定が出たあと、私に心はずっと、
穏やかだった。
気が抜けてしまった。
だから脳みそが、休眠状態になってしまった。

 しかし明日、また別の検診を受けなければならない。
もろもろの血液検査。
どうなることやら?

●明日から……

 明日から、またがんばろう。
……と、考えてはいけない。
今、ふとそう思ったが、「明日から、またがんばろう」と
考えてはいけない。

 がんばるなら、今夜から。
今という、この瞬間から。
「明日から……」と思ったとたん、それが明後日(あさって)になる。
すべてが後回しになる。
これはまずい。
たいへんまずい。

 しかし何をがんばるのか?
そのテーマがない。
子育て論については、書き尽くしたように感ずる。
それとも、まだその先があるというのか。
あるとするなら、どこからどう切り込んでいけばよいのか。

●ニュース

 おととい友人の活動が、中日新聞で紹介されていた。
名古屋市で、売れ残った野菜などを、それを必要としている施設などに
無料で配達している。
名前を本岡君という。
UNESCOの交換学生時代からの友人である。

 その前夜、「明日、新聞に載るから見て」という伝言が、留守番電話に
入っていた。
で、見ると、あの紙面の半分を使って、それが紹介されていた。
オールカラーの全国版。
うれしかった。

 で、もうひとつのニュースは、オーストラリアの友人が、今度
新しい趣味を始めたということ。
「娘に、誕生日プレゼントに、ミシンを買ってもらった」と。
そのミシンで、いろいろなものを作っているのだそうだ。

 こういう話を聞くと、私はすぐ、「男がミシン?」と思ってしまう。
団塊の世代の悪いクセ。
いまだに古い性差別意識(ジェンダー)が、心の中に巣くっている。
亡霊のように、生き残っている。
「これではいけない」と、自分に言い聞かせる。
それを心の中で、叩きつぶす。

 それにして友人は、よい娘をもったものだ。
私など、人生、63年を生きてきたが、いまだかって、息子たちから、
誕生日プレゼントなど、一度ももらったことがない。
育て方が悪かったのか、それとも私自身の精神的な欠陥に
よるものなのか?

 どうであるにせよ、この先も、もらうことはないだろう。

●隣人会

 先月の終わりに、隣人会を始めた。
もうすぐ2回目の会合がある。
会員を1人、2人とふやしていく。
少しずつ。

 こんなことを地方の農村に住んでいる人に話しても理解されないだろう。
しかしこのあたりでは、隣人どうしでも、ほとんど交流がない。
あっても通りでする、簡単なあいさつ程度。
「これではいけない」と、一念発起。
それで隣人会を始めた。

 が、第1回目の会合を待たずして、すでに1組、抜けた。
残念!
しかしこれも、人、それぞれ。
それぞれの人には、それぞれの思いがある。
考え方がある。

 そのうち会が軌道に乗ってきたら、また誘ってみる。

●Eマガ

 現在、無料マガジンを2誌、発行している。
3月2日で、1487号になる。
そのうちのひとつ、Eマガの配送が、最近、よく乱れる。
発行する私の方も、無料で出してもらっているから、文句は言えない。
しかし予約どおり配送されないというのは、困る。
たいへん困る。

 今日もそうだった。
しかたないので、同じマガジンを、再送信する。
が、たいてい2度目もうまくいかない。
そこで3度目。
だいたい3度目くらいで、うまく配信される。

 たびたび(お願い)という形で、Eマガ社にメールを
出している。
「きちんと配信してほしい」と。
しかし一度も、返事はない。
私としては、それが残念でならない。
1487号という号数からもわかるように、私はマガジンを出すことに、
生きがいを感じている。
……感じてきた。
その生きがいが、不安定になる。
「たいへん困る」というのは、そういう意味。

 で、読者の方にお願い。
現在、Eマガを購読してくださっている方は、どうかメルマガの
ほうへ、購読先を変更してほしい。
私のHPのトップページ(右下)で、それができるようになっている。
メールアドレスを書き込み、(送信)をクリックするだけ。

●9時半

 時計を見たら、もう9時半。
まだ床に就く時刻ではないが、ここで一休み。
目が疲れてきた。
タイプミスも多くなってきた。

 つまらない文ばかりで、ごめん。
プラス、おやすみ!!

 明日は検診だから、このあとはお湯しか飲めない。
睡眠薬もだめ。
パソコン雑誌でも読みながら、再び眠くなるのを待つ。

 2011年2月23日、午後9時29分、書斎にて


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本人の隷属性について】(民主主義を完成させるために)

++++++++++++++++

日本人が民族的にもつ隷属性について。
たまたま今日、ある人と、それについて
議論した。
「何をもって、君は隷属性というか?」と。
その人は、そう言った。
私は、ひとつの例をあげた。

++++++++++++++++

●江戸時代から明治時代へ

 江戸時代には、徳川家康の悪口、批判は、タブー中のタブー。
悪口を言ったり、批判する人など、いなかった。
実際には、300年をかけて、徳川家康の都合の悪い事実は、徹底的かつ、
繰り返し、抹消された。
結果、今に見る、「徳川家康」が生まれた。

 が、それはそれでよい。
問題は、そのあと。
その徳川時代……徹底した独裁政治であったが、その時代が終わると、今度は、
明治時代。
徳川時代も、明治時代も似たようなものだった。
それはそれとして、そのとき日本人の意識は、どう変化したのか。
徳川家康を本当に信奉していた人も、いたはず。
が、そういう人たちは、どこへ消えたのか?
あるいはなぜ、明治政府に抵抗しなかったのか?
武士の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 同じように戦後。
軍国主義は、敗戦とともに、崩壊した。
が、とたん、今度は、アメリカ様々。

広島に原爆が落ちた同じ月。
8月の終わりには、アメリカ軍の調査団が、広島を訪れている。
そのときのこと。
アメリカ軍は、日本人によって、大歓待を受けている。
旅館で、アメリカ軍の調査団が、どのような待遇を受けたかについて、ちゃんとした
記録が残っている。
軍人の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 つまり日本人にしてみれば、「頭」など、だれでもよい。
徳川家だろうが、天皇家であろうが、はたまたアメリカであろうが、だれでもよい。
その「だれでもよい」という部分が、日本人が民族的にもつ隷属性ということになる。
「今日から、天皇です」と言えば、ハハア〜と頭をさげる。
「今日から、アメリカです」と言えば、ハハア〜と頭をさげる。
これが隷属性である。

●DVD「The Wave」(ドイツ映画)

 最近、私は映画「ウェイブ」(DVD・ドイツ映画)という映画を見た。
実際にあった話を基にしているという。
内容は、こうだ。

 ある高校で、「独裁主義」についての講義が開かれた。
その講師(指導教師)が、同載主義というのはどういうものか、それを実際に
体験させようとする。
生徒たちに白いシャツを着せ、あいさつの仕方を考える、など。
グループのマークまで作る。

 が、途中から、講義が講義でなくなってしまう。
集団化した高校生たちが、暴走し始める。
講師の制御がきかなくなる。
が、講師はそこに危険なものを感じ、講義を中止。
とたんそれに抗議して、2人の高校生が死ぬ。

 どの程度、「実際にあった話」なのか、私にはわからない。
が、それにたいへんよく似た事件に、「スタフォード大学の監獄実験」というのがある。
心理学の教科書にも載っている、有名な事件である。
それについて、2007年に書いた原稿があるので、そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【スタンフォード大学の監獄実験】

+++++++++++++++++++

今から、15年ほど前、アメリカの
スタンフォード大学で、興味ある
実験がなされた。

「スタンフォード監獄実験」というのが、
それである。

この実験を通して、改めて、人間のもつ
弱さというか、本来的な欠陥が明らかに
なった。

+++++++++++++++++++

 ウィキペディア百科事典から、直接、そのまま原稿を引用する。

【スタンフォード・監獄実験】

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心
理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を
舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動し
てしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォ
ード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人
を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い
設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、
受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。
+++++++++++++++++++++++

●実験の内容

ジンバルドーは役割を与えられた者達に自ら与えられた役割をよりリアルに演じさせるた
め、逮捕から始まり、囚人役に対して指紋をとり、シラミ駆除剤を拭きつけ、屈辱感を与
えるために下着を着用させず、トイレへ行くときは目隠しをさせ、看守役には表情が読ま
れないようサングラスを着用させたり、午前2時半などに囚人役を起こさせたりした。

次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗
した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ
排便するように強制され、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルド
ーはリアリティを追求し、「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続され
た。

精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう1
人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての
非難を強制し、まもなく離脱。

離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から5
階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。

●実験の中止

ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診
てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症
状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。

看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレット
ペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。

ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、牧
師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族たちは弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日
間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。

後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると
認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被
験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。

●実験の結果

権力への服従 
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に
理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。 

非個人化 
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしま
う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の盲点

 以上が、「スタンフォード大学の監獄実験」のあらましである。
この話と、暴徒にあげた映画「ウェイブ」は、よく似ている。
「ウェイブ」については、DVDが出回っているので、どうか自分で観てほしい。
映画としては退屈なものだが、人間の心理を知るには、たいへん参考になる。
映画の中でも、最初は遊びや演技のつもりだったが、それがある時点から、暴走し始める。
が、その底流にあるものは何かといえば、……つまり共通した部分は何かといえば、
それが「隷属性」ということになる。

 実際、だれかに隷属するというのは、甘美な世界である。
自分では、何も考えなくてもよい。
ただその人が喜ぶようなことだけを、すればよい。
カルト教団の信者たちを見れば、それがわかる。
ああしたカルト教団内部では、信者同士が兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になる。
固い団結で結ばれ、共通の利害をもち、集団で行動する。

 なぜ人間は、そうなるかということを論じても意味はない。
心には、そういう盲点がある。
その盲点に、何かのきっかけで、スポッと入りこんでしまう。
私はそれを「心のエアーポケット」と呼んでいる。
ごくふつうの、良識のあるような人でも、入りこんでしまう。
そしてあとはお決まりの信者となり、上層部に操られるまま、ロボット化する。

 江戸時代には、徳川家のロボット。
戦時中は、天皇家のロボット。
そして今は、アメリカのロボット?

 ……というのは書き過ぎかもしれない。
しかし考えてみれば、この隷属性こそが、他方で民主主義の敵ということになる。
この日本では、何も考えず、盲目的に為政者に従う人たちが、あまりにも多すぎる。
民主主義といっても、名ばかり。
「酒を一杯おごられたから、恩義がある」という、どうでもよい理由をこじつけて、
その候補者に一票を入れる。

●16人の忠臣蔵

 どうしてその「ある人」と、日本人の隷属性についての議論が始まったか?
実は、その前に、私たちは民主党の話をしていた。
今回、民主党は内部分裂してしまった。

小沢一郎に近い「小沢派」が、民主党に反旗を翻した。
その数、16名。
私はそれをさして、「平成の忠臣蔵」と呼んだ。
けっして称えて、そう呼んだのではない。
「バカげている」という意味で、そう呼んだ。

 が、西洋だったら、逆の現象が起きていただろう。
自分たちを裏切った小沢一郎に、文句を言うことはあっても、忠義を尽くすということは
ありえない。
「私はあなたを信頼して、政治家になった。どうしてその信頼を裏切ったのだ!」と。

 このことは、40年前、私自身が、経験している。
つまりこの日本と、西洋のちがい。
それを経験している。
それについても原稿を書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●忠臣蔵

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知ら
ないが、ナイフ(刀)で切りかかった。
傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。
浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。
今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。
浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。
浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。
「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。
しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。
そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。
今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者
が出た。
自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。
もともと何かと問題のある自治体だった。

わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少
なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのは
ヤボなこと。
当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。
今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、
制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。
浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗
殺した。
「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」とい
うのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつま
が合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。
だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。
「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕
府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。
自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはあり
えない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう一作。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●大河ドラマ

++++++++++++++++

NHKの大河ドラマについては、
たびたび批判してきた。

理由の第一。封建主義時代の負の
側面に目を向けることなく、ただ
一方的に、あの時代を美化しては
いけない。

理由の第二。私たち日本人は、
封建時代の暴君たちの目を通してしか
その歴史を見ない。しかし私たちの
祖先の99・99%は、その暴君に
虐げられた庶民であった。
それを忘れてはいけない。

++++++++++++++++

 戦国時代の日本がどういう国であったかを知りたかったら、現在、部族紛争を繰りかえ
しているアフリカ諸国を見ればよい。あるいはそれ以下であったかもしれない。もちろん
歴史は歴史だから、それなりの評価はしなくてはいけない。しかし必要以上に美化しては
いけない。

 今の今でも、織田信長や豊臣秀吉を、理想のリーダーとして考えている人は多い。徳川
家康ともなると、もっと、多い。しかし江戸時代という時代が、いかに暗黒かつ、恐怖政
治の時代であったか、それを忘れてはいけない。中には、おめでたい人がいて、「日本は、
戦国時代の昔から、先進国だった」と信じている人がいる。

 しかし現実には、明治のはじめですら、当時の日本の国力は、当時のインドネシア程度
であったと言われている。何も、私は日本をけなしているのではない。私たち日本人にい
ちばん欠けている歴史観といえば、そのつど、歴史そのものを、ナーナーですませてしま
ったこと。

 江戸時代という封建主義時代ですら、日本人は、一度とて、清算していない。さらに戦
前の軍国主義時代というあの時代ですら、一度とて、清算していない。清算しないまま、
つまりわかりやすく言えば、反省することもなく、それをつぎの時代につなげてしまった。

 だからいまだに、封建主義時代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。軍国主義時
代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。

 だから私たち日本人は、声を高くして、正義を主張することができない。隣に封建主義
そのものの国があっても、あるいはまた軍国主義そのものの国があっても、「あなたがたは
まちがっている」と、言うことすらできない。

 いくら「私たち日本人は、自由だ、平等だ」と叫んでも、その声は、そのまま空のかな
たに消えてしまう。日本が、本当に民主主義国家だと思っている人は、いったい、この世
界に、何パーセントいるだろうか。もう30年前にはなるが、オーストラリアの大学生が
使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。別のテキストには、「君主(天
皇)官僚主義国家」となっていた。

 その状況は、今でも変わっていない。変わっていないばかりか、時代はまさに、逆行し
つつある。日本の大勢がそれでよいというのなら、それはそれでかまわない。しかしどう
して今、この2007年という年にあって、『風林火山』なのか。それを、私たちは、一度
ここで立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか。

+++++++++++++++++++++

『世にも不思議な留学記』として
書いた原稿です。

+++++++++++++++++++++

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。中には、「空手
を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。

あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、
競馬の馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。

さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。話を聞くと、「カ
ルピス」という飲料を誤解したためとわかった。カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」
という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲
んで、こう聞いた。「忠臣蔵を説明してほしい」と。いわく、「浅野が吉良に切りつけた。
浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。ここまではわかる。しかしなぜ、浅
野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。

加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。それに死刑
を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に
抗議すればよい。また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。ど
うしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本
人は、水戸黄門に頭をさげるのか。水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるの
か」と。私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになって
いる。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。体中を鉄板でお
おい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。イギリスにも、ロビン・フッドや、
ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロースクールの一室で、みながお茶を飲んでい
るときのこと。ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。

「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)
という制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。そこで私が「何もない」と答え
ると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫
んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでい
るかぎり、絶対にわからない。が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が
日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのと
きすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイ
と泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア〜」と。

だからといって、母を責めているわけではない。母は母で、当時の常識に従って、そう
言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。が、
その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世
界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。一方、中の世界では、留学していたこ
とを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてし
まった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、
ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらし
い仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 

+++++++++++++++++

 若い人たちにしてみれば、60年前というのは、遠い昔かもしれない。しかし私のよう
なものにしてみれば、60年前といっても、つい昨日のようなもの。

 私自身は戦後の生まれだが、それでも子どものころは、毎日、軍歌を口ずさみ、戦艦大
和の話をしていた。当時はまだ、「天皇」と呼び捨てにすることさえできなかった。一度だ
けだが、私がそう言ったとき、父は、私を殴った。「陛下と言え!」と。

 さらに江戸時代ともなると、遠い遠い昔かもしれない。しかし私のようなものにしてみ
れば、120年前といっても、たったの2倍。つまり60年の2倍。私の祖父は、明治生
まれだったが、江戸時代をそのまま引きずって生きていた。

 その祖父の時代に、江戸時代は終わっただろうか。私の父の時代に、軍国主義時代は終
わったのだろうか。答は、「NO!」。

++++++++++++++++++

みんなで、もう一度、「武士道」について
考えてみよう。

++++++++++++++++++

●武士道

トム・クルーズの『ラスト・サムライ』がヒットしたこともある。NHKの『新撰組』
もそうだ。そのせいか、今、日本は、武士道一色といってもよい。O女子大教授の、F
M氏などは、「日本が誇るべき民族精神である」(「文言春秋」04・05)などと、賞賛
している。

 しかし武士道とは、いったい何なのか。たとえば今、話題の、『新撰組』。

 あの新撰組が、京都の町に現れたとき、京都の町は、恐怖のどん底に叩き落された。新
撰組は、我がもの顔に刀を振り回し、自分たちの意に沿わない者を容赦なく殺していった。

そういう連中が、いかに恐ろしい存在であったは、数年前に佐賀県で起きた『バス・ハ
イジャック事件』を思い出してみればわかる。あのときは、刃渡り40センチ足らずの
包丁をもった少年に、日本中が震えた。

 そこで武士道。

 江戸時代には、士農工商という、明確な身分制度がしかれていた。この身分制度でいう、
「士」が、武士ということになる。つまりは、刀をもった、為政者。日本人全体としてみ
れば、数パーセントに満たない人たちであった。

 大半の日本人は、その武士の圧制、暴力の影におびえながら、細々と生活をしていた。
つまり江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、暗黒かつ恐怖政治
の時代であった。私たちがいう武士とは、そういう時代の「武士」であったことを、忘れ
てはならない。

 こんな話を、15年ほど前、山村に住む90歳(当時)くらいの女性に聞いた。

 明治時代の終わりごろ。江戸時代が終わって、20〜30年近くもたっていたというが、
そのときですら、まだ、旧武士たちは士族と呼ばれ、刀をさして歩いていたという。

 その人が歩いてくると、遠くからカチャカチャと、鞘(さや)が、当たる音がしたとい
う。すると、皆は、道の脇により、頭を地面にこすりつけるようにして、ひざまづいたと
いう。

 「私が子どものころはそうだったよ」と、その女性は笑っていたが、武士道には、そう
いう側面がある。

 私たち日本人は、こういう話を聞くと、自分の視点を、武士の目の中に置いて、考えが
ちである。「頭をさげた平民」ではなく、「頭をさげさせた武士」の目を通して、日本を見
る。

 これは日本人独特の、オメデタさと考えてよい(失礼!)。今でも、つまり2004年の
今でも、「私の先祖は、旧M藩の家老でした」「私の先祖は、官軍の指揮官でした」などと、
自慢する人は多い。残りのほとんどの先祖は、町民や農民であったことについては、目を
つぶる。

 「私の先祖は、武家だった」と主張するのは、その人の勝手。またそれを誇りに思うの
も、その人の勝手。しかしそれがどうしたというのか? あるいは、そんなことは、そも
そも、誇るべきことなのか。

 江戸時代が終わって、140年近くもたったいるのに、いまだに、そういうことを言う
というのは、つまりは、それくらい、あの江戸時代という時代が、恐怖政治の時代であっ
たということを意味する。民衆は、骨のズイまで、魂を抜かれた。一つの例をあげよう。

+++++++++++++++++

●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所とい
うことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。

江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、
その「きびしさ」。

関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれば死
罪だが、その関所破りを助けたもの、さらには、その家族も同程度の罪が科せられた。

新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、
そこでさらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきび
しく制限されていたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いた
ことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その
中の随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでい
た」というような記述があったことである。

当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。私と
女房は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。「江戸時代が自
由な時代だったア?」と。

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それを
きゅうくつとは思わなかっただろうということは、私にもわかる。あの北朝鮮の人たちだ
って、「私たちは自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たちで、「自分たちの
国は民主主義国家だ」と主張している。(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)

現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコ
メント)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことで
ある。

私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかというこ
と。新居の関所はその象徴ということになる。たまたま館員の人に説明を受けたが、「番
頭は、岡崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこ
か誇らしげであったのが気になる。

関所がそれくらい身分の高い人(?)によって守られ、新居町が特権にあずかっていた
ということだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そう
いう意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関
所をとおして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じ
てみるとよい。

何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して
美化してはいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。そういえば関所
の中には、これまた美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のよう
に美しかった。

私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに

 昔からこの日本では、「長いものには巻かれろ」と言う。
しかしそれこそここでいう隷属性の原点。
隷属性そのもの。
そうした意識をもっているかぎり、日本人の心の中に、民主主義は根付かない。
そうした意識を変えないかぎり、民主主義は完成しない。

 そういう視点で、この原稿を読んでみてほしい。
またそういう視点で、日本人が民族的にもつ「隷属性」について、考えてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の隷属性 はやし浩司 忠臣蔵 民主主義と隷属性 従属性 
意識改革)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●山荘にて(はやし浩司 2011ー02−19)

 手元に「週刊現代」の2月19日号がある。
「八百長相撲」の記事が気になった。
それで買った。
買ったが、山荘に置き忘れたまま。
ほとんど読まなかった。
週刊現代と日本相撲協会の確執は、長い。
週刊現代はそのつど八百長相撲を指摘し、そのつど日本相撲協会に逆告訴され、
敗訴している。
莫大な損害賠償金まで支払っている。

 週刊現代の怒りは、このままでは収まらないだろう。
八百長相撲は、ごく当たり前の習慣として、なされていた。
今回の一連の八百長事件をながめていると、そんな感じがする。

 さらに私も最近知って驚いたことがある。
相撲のことを「国技」と呼んでいたが、相撲は国技でも何でもない。
公的に、だれかがそう規定したわけではない。
「国技館」でするようになったから、いつの間にか、「国技」と位置づけられてしまった。
どうもそういうことらしい。

 だったらなおさら、相撲を国技として保護する理由などない。
またそういう政策など、すぐやめたらよい。
「公益法人」などというのは、もってのほか!

何度も繰り返すが、日本相撲協会がしている「スモウ」は、ただの興行。
金儲けのための興行。
プロレスリングと同じ。
私たちがスポーツとして位置づけている相撲は、たとえば大学や高校でしている相撲部
の相撲。

レスリングにしても、そうだ。
プロレスリングを、スポーツと思う人はいない。
ただの興行。
興行なら、仮に八百長があっても、だれも驚かない。
観客が楽しめば、それでよい。
相撲も同じ。
私たちも、八百長があるという前提で、相撲を見る。

 日本相撲協会にとっても、そのほうが気が楽ではないのか。
いらぬ神経を使わなくてすむ。

 ……ともかくも、今まで、私たちをだましつづけてきた罪は、重い。
その分だけ、怒りも大きい。
週刊現代を読んでいるとき、それを強く感じた。


●週刊「アスキー」(2月8日号)

 もう1冊、手元に雑誌がある。
これも古い。
週刊アスキー(2/8日号)。

 コンビニで買ったが、ほとんど読まないで、そのままにしてあった。
この雑誌も、置きっぱなしになっていた。
カタログをそのまま閉じたような雑誌だが、新製品に目を通すだけでも楽しい。

2/8日号では、「ノートPC、春モデル35」という特集が組んであった。
先ほど、それをざっとながめてみた。
どれがほしいということはなかった。
が、楽しかった。

 どうしてだろう?
どうして楽しいのか?

 今夜のお供は、TOSHIBAのダイナブック、MX。
バッテリーのもちが、10時間近いというスグレモノ。
ただ表面がツルツルしていること。
キーボードが打ちにくいこと。
そのためタイプミスが多い。
そういう点では、あまり好きではない。

 そのMXを使いながら、こう考える。
「パソコンは、ただの電気製品ではない」と。
それをワイフに話すと、「では、何よ?」と。

 そう聞かれても困るが、ただの電気製品ではない。
私はパソコン1台、1台に、女性の名前をつけている。
新製品を買ったら、数日は枕元に置いて、眠っている。
愛着感がちがう。

 あえて言うなら、パソコンの世界は、もうひとつの別世界。
画面の向こうには、この宇宙と同じだけ広い、宇宙が広がっている。
言うなれば、この世とあの世をつなぐ窓のようなもの。
たとえば今、こうして書いている文章にしても、明日の朝には全世界へと届く。
一方、全世界の情報を、こうして居ながらにして、ここで知ることができる。
考えてみれば、不思議な世界。
本当に不思議な世界。

 だからただの電気製品ではない。


●IZ先生へ

 お元気ですか。
こども園開園の案内、ありがとうございました。
先生と知り合って、もう10年以上になります。
正確には、13年です。
先生がある日突然、私の教室を訪れてくれました。
何かの大会が、近くの教育会館であった、その帰り道のことです。
先生は、私のレッスンを見て、「もったいない」と言ってくれました。
その言葉が、うれしかったです。
つまり「こういう小さな教室でするには、もったいない」と。

 で、そのあと先生は、埼玉県にある幼稚園の園長の話をもちかけてくれました。
私は残念ながら、断りました。
私は当時すでに、残りの人生は執筆活動を中心にしようと、心に決めていたからです。
一方、先生は当時、小学校の新設に尽力していました。
小学校のほうはともかくも、その後、保育園の開園、そして今回のこども園の開園。
おめでとうございます。
先生のエネルギーには、ただただ感服するのみです。

 で、私のほうはといえば、相変わらず小さな教室で、直接子どもたちを教えています。
当時と、基本的には何も変わっていません。
生活パターンも同じです。
今でも書くのが好きで、暇さえあれば、パソコンに向かってキーボードを叩いています。
それもあって、パソコンだけは、つぎつぎと新しい機種を購入しています。
言うなれば、道楽三昧の毎日です。

 が、このところ様子が少しずつ、変わってきました。
私の原稿を読む人がふえてきたということです。
今では、毎日、1万人以上もの人が、何らかの形で、「はやし浩司」の名前のある文章を
読んでくれます。
実際には、もっと多いはずです。
考えてみれば、これはものすごいことですね。
今の私は、それが生きがいです。
……というか、それがあるから生きているようなものです。

先生とはまったくちがった生き方かもしれませんが、(生きる執念)のようなものは、
大きく共通していると思っています。
で、再び同じ質問ですが、お元気ですか。
私のほうは、成人病とも無縁で、そこそこに元気でがんばっています。

 ただがん検診とうのは、いやですね。
受けるたびに、「要精密検査」という知らせを受け取ります。
2週間前も、そうでした。
そのつど肝を冷やしますが、今のところ無罪です。
がんも、成人病イコール、生活習慣病とか。
ストレス原因説(ストレスにより免疫力が低下し、がん細胞を増殖させるという説)
が、主流になってきました。
ストレスはよくない。
……ということで、穏やかに生きることを、最近は、とくに心がけています。

 先生には、本当にお世話になりました。
何度も講演会の講師に呼んでくださり、ありがとうございました。
私には、どれもすばらしい思い出になりました。
あのロゼシアター(富士市)にしても、そのあと幾度となく縁があり、たびたび
そこで講演しました。
講演するたびに、先生との出会いを思い出していました。

 ……こうして13年。
私を取り巻く環境だけは、大きく変化しました。
家族といえる家族は、私とワイフ、それに長男だけになってしまいました。
母も兄も他界。
たった1人の姉とは、断絶状態です。
あと息子が2人いましたが、(「いましたが」という過去形です)、2人も、
遠くへ行ってしまいました。

 残るは、私の「晩年」ということになります。
「どう生きるか」ということよりも、最近は、「どう死ぬか」、
それを先に考えるようになりました。
ご存知のように無心論者ですから、墓には、ほとんどこだわっていません。
死後の世界にも、こだわっていません。
だからというわけでありませんが、私にとっての墓石は、「文章」と心得ています。
またそういうつもりで、毎日文章を書いています。
墓石に文字を刻むようなつもりです。

 で、今、いつか先生が遊びにきてくれたあの山荘で、この手紙を書いています。
あのときのままです。
何もかも、あのときのままです。
今、私が座っている場所も、あのときのままです。
先生はおいでになったとき、すぐ昼寝をしましたが、今では私も、その昼寝をするように
なりました。
短い時間の昼寝は、ボケ防止にもよいのだそうです。
それを知り、このところ昼ごろ、30〜40分程度、昼寝をしています。
今でも先生の幼稚園には、先生専用の昼寝ベッドがありますか。
よく思い出します。

 で、今度はこども園ですね。
先生の教育メソドが濃厚に生きていることと思います。
ともかくも、開園、おめでとうございます。
私のような人間には、まねできない偉業の数々。
心から先生を、尊敬します。
本当に、おめでとうございます。

 で、当日は、……というか、その翌日、私とワイフは、オーストラリアへ旅立ちます。
そのこともあって、開園式には出席できません。
「あの恩知らず!」と思われるかもしれませんが、どうかお許しください。
私は大の飛行機恐怖症。
加えてオーストラリアへは、今回、はじめてワイフを連れていきます。
私にとっては、特別の思いのある国です。
私の人生の出発点でもあり、またゴールでもあります。
ただの旅行ではありません。

 オーストラリアといっても、メルボルン。
メルボルンといっても、パークビル。
「241 ローヤル・パレード」。
私はそこで、私の青春時代を完全に燃焼しました。
言うなれば、私の心の聖地です。
そこへ人生の最後に、ワイフを連れていきます。
今回は、そういう旅行です。
今からすでに緊張しています。
どうかわがままをお許しください。

 今、時刻は、午後11時。
ちょうど11時です。
今、ワイフは私が床につくのを待って、何やら横でメモを取っています。
私にとっては、もっとも心が安らぐ、至極のときです。
こうして先生に手紙を書いていると、なおさらです。

 本当に早いものですね。
13年です。
先生とは、すべてよい思い出ばかり。
楽しかったです。
同時に先生のバイタリティには、いつも驚きました。
今も、あのままですか。
奥様は、お元気ですか。
息子さんたちは、それぞれの幼稚園で、がんばっていますか。
先生のような人を、「成功者」と呼ぶのですね。
本当に幸福な人だと思います。
よき妻、よき後継者。
あまりこういう言葉を使ったことはありませんが、うらやましいです。
私もそうなりたいと思いつつ、結局はできませんでした。
日々にあきらめの気分ばかり、大きくなっていきます。
同時に、自分をなぐさめることも多くなりました。

 さて、これからのこと。
私は元気なうちは、仕事をつづけます。
年金も乏しいものです。
たくわえは、息子たちの学費(+遊興費?)で使ってしまいました。
だから働くしかありません。
願わくば、ピンポク。
前日までピンピンと働き、翌朝、ポックリと死ぬ。
それが理想です。

 どうか先生も、お体を大切に。
私も浜松でがんばります。
がんばるしかないから、がんばります。
開園式には行けませんが、その前後に、先生の都合さえよければ、一度、
遊びに行かせてください。
先生や奥様の元気な姿を、見たいです。

 ワイフが横で、モジモジしています。
「もう寝よう」という催促です。
ワイフは、そういう女性で、いつもそばにいて、じっと私に耐えていてくれます。
だからもう寝ます。

 おやすみなさい。
今夜は、暖かいですね。
今まで朝、起きるのがつらかったです。
これからは毎朝、5時起きです。
原稿を書いて書いて、書きまくります。
私にとっては、それが楽しいです。
荒野をひとりで歩くような、楽しさです。

 では、ほんとうにおやすみなさい。

      はやし浩司

2011年2月19日夜、山荘にて


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ちょうど10年前

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FC2のBLOGをあちこち読んでいたら、
ちょうど10年前に書いた原稿が見つかった。
湖西市にあるWZ中学校で講演した、その
前後に書いた原稿である。

この原稿(講演)は、当時の校長先生には、かなり
不評で、講演のあと、「私はそうは思いません」
「私の考え方とはちがいます」などと言われてしまった。

この原稿を読んでいて、そのときのことを
思い出した。

++++++++++++++++++++

WZ中学校のみなさんへ

        少しいただいた質問について、考えてみました。
        異論、反論もあるかもしれませんが、一つの参考意見として
        みなさんがご家庭で考えるきっかけになればうれしいです。

                     はやし浩司

***********************************

【WZ中学校の父母よりの、質問に答えて……】(1)

 WZ中学校の父母より、こんな質問が届きました。

 「仮想現実体験と、実体験のちがいにより、心の形成には、どのような影響が出るか」
という質問です。

 それについて考える前に、以前書いた原稿を、そのまま、ここに転載します。(一部は、
中日新聞に投稿済み。)少し質問の趣旨からは、脱線すると思いますが、お許しください。
この中で、私は仮想現実体験(パソコンやテレビゲームの世界)のもつ、一つの問題点を、
取りあげてみました。

+++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。

娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。

私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方につ
いては、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。

そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしています
が、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中さ
せて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。

自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ること
は難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。
「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。

「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。
私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことでは
ない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行
くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。
その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が
原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親が
すべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でな
い部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、
それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、も
っと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思
いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のこと
を、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねく
れる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこう
したゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこと
なく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰
り返すことである。

++++++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣
く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がしま
す。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いてい
る態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ない
ようです。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落
ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言った
ところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ
でも、いろいろあります。

それにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲
求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによ
ると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数
かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なお
そう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく
見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視す
ることによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」
「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生
きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を三五年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はな
いのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然にな
おっていく。UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、
四年生を境に、症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言
動をコントロールするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」
「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」
と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中にな
っているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最
近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意
識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」とい
う部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめま
す。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情
の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。
それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴
れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいま
す。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛
情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり
神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そ
のときわかってくださると確信しています。

もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母
親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一
度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※ ……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考え
る考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物
的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物
的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。
この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静
岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞
しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩
き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと
倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうも
のではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。
小一児で、一〇人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの
子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えれ
ばこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れか
ら、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」
と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%
以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」
(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨
てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に
出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなっ
た」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の
差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が
難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と
続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり
感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこ
に恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じよう
な現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテ
レビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見ていると
きだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」
と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。
しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速
すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、
おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろい
が、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や
論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがな
い新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。そ
の一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

+++++++++++++++++++++

●日本人は賢くなったか?

 人間の賢さは、「自ら考える力」で決まる。

 よく誤解されるが、知識や情報が多いからといって、賢い人ということにはならない。
反対に、いくら知識や情報があっても、バカな人はバカ。映画『フォレストガンプ』の中
でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じ
ゃ、ないのよ)」と。

 そういう視点で、もう一度、日本人について考えてみる。日本人は、賢くなったか、と。

 今、高校生でも、将来を考えて、毎日本を読んだり、勉強している子どもは、10%も
いない。文部科学省国立教育政策研究所の行った調査によると、「宿題や授業でしか本は読
まない」と答えた子ども(小、中、高校)は、全体では18%だが、高校生は33%であ
った。また「教科書より厚い本を読んだことがない」も、全体では16%だが、高校生で
は23%であった(全国小学4年生以上高校2年生までの2〜120人について調査。0
2年)。

 わかりやすく言えば、小学生ほど、よく本を読み、中学生、高校生になると、本を読ま
なくなるということ。

一見何でもないような現象に見えるかもしれないが、「では、高校生とはいったい、何か」
という問題にぶつかってしまう。より高度な勉強をするから高校生というのではないのか。
が、実態は、その逆。

毎日くだらない情報を、携帯電話で交換しているのが、高校生ということになる。そう言
い切るのは正しくないが、しかし実態は、そんなところと考えてよい。大半の高校生は、
毎日4〜5時間はテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶしている。6〜7時間
と答えた子どももいた(筆者、01年、浜松市内の高校生10人について調査)。

 その結果というわけではないが、最近の高校生は、まさにノーブレイン(知能なし)と
いう状態になっている。知識や情報に振りまわされているだけ。自ら考えるということが
できない。……しない。政治問題や社会問題など、問いかけただけで、「ダサイ!」と、は
ねのけられてしまう。「日本がかかえる借金は六〇〇兆円だよ。君たちの借金だよ」と私が
話しかけたときのこと。女子高校生たちは、こう言った。「私ら、そんな話、関係ないもん
ネ〜」と(2000年市内の図書館で)。

 もちろん本を読んだからといって、賢くなるというわけではない。それ以上に大切なこ
とは、いかにして問題意識をもつか、だ。その問題意識がなければ、本を読んでも、それ
もただの情報で終わってしまう。よい例が、ゲームの攻略本だ。

最近では、「ハリーポッター」の魔法の解説本などもある。もともとウソにウソを塗り固め
たような本だから、いくら読んでも、それこそまさにムダな情報。先日、私も、子どもた
ち(小学六年生)の前で、こう話してやった。

 「栗の葉に、近くに落ちている松の葉包み、それを手で握って、ローローヤヤ、カカカ、
バーバーと呪文を唱えれば、親から小遣いが、いつもの一〇倍もらえる」と。

 たまたま日本中がハリポタブームでわきかえっていたときでもあり、子どもたちは真剣
なまなざしで、私の呪文をノートに書きとめようとした。が、そのうち一人が、「先生、反
対に読むと、バカヤローだ」と。

 そこでいかにして、子どもに問題意識をもたせるか、である。が、この問題について考
える前に、こういうこともある。

 ノーブレインの状態になると、その人間は、いわゆるロボット化する。ひとつの例が、
カルト教団の信者たちである。彼らは思想を注入してもらうかわりに、自ら考えることを
放棄してしまう。ある信者とこんな会話をしたことがある。

私が「あなたがたも、少しは指導者の言うことを疑ってみてはどうですか。ひょっとした
ら、あなたがたは、利用されているだけかもしれませんよ」と。するとその男性(六〇歳)
はこう言った。「○○先生は、万巻の書物を読んで、仏の境界(きょうがい)に入られた方
だ。教えにまちがいはない」と。

 同じような例は、あのポケモン現象のときに、子どもたちの世界でも起きた。それはブ
ームとかいうような生やさしいものではなかった。毎日子どもたちは、ポケモンの名前を
つらねただけの、まったく意味のない歌(「ポケモン言えるかな」)を、狂ったように歌っ
ていた。そしてお菓子でも持ち物でも、黄色いピカチューの絵がついているだけで、それ
を狂ったように買い求めていた。

私はこのポケンモン現象の中に、たまたまカルトとの共通性を見出した。そして『ポケモ
ンカルト』(三一書房)という本を書いた。

 このロボット化でこわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、本人にはその
自覚がないこと。カルト教団の信者も、またポケモンに夢中になる子どもも、なぜ自分が
そうなのかということがわからないまま、たいていは「自分は正しいことをしているのだ」
と思い込まされたまま、醜い商魂に操られる。そしてその結果として、それこそ愚にもつ
かないようなことを、平気でするようになる。

 こうした状態を防ぐためにも、私たちはいつも問題意識をもたねばならない。あなたの
子どもについて言うなら、これはいつかあなたの子どもがカルト教団の餌食(えじき)に
しないためでもある。ノーブレインというのは、それ自体がひとつの思考回路で、いつな
んどき、その回路の中に、カルト思想が入り込まないともかぎらない。

たまたまあのポケモンブームのころ、アメリカのサンディエゴ郊外で、「ハイアーソース」
という名前のカルト教団の信者たち三九人が、集団自殺をするという事件が起きた(九七
年三月)。残された声明文には、「ヘール・ポップすい星とともに現れる宇宙船とランデブ
ーして、あの世へ旅立つ」と書いてあったという。

 常識で考えればバカげた思想だが、ノーブレインの状態になると、それすらもわからな
くなる。つまりそういう人を、「バカな人」という。

 いかにして問題意識をもつか。

 これは私のばあいだが、私はいつも、自分の頭の中で、その日に考えるテーマを決める。
教育問題であることが多いが、政治問題や社会問題も多い。たいていは身近なことで、「お
かしいぞ」と思ったことをテーマにするようにしている。たまたま昨日(02・8月9日)
もテレビを見ていたら、田中M子という国会議員が辞職したというニュースが飛び込んで
きた。私はそのニュースを見ながら、いろいろなことを考えた。

(1) T中氏は息子を政治家にするというが、見るとまだあどけなさの残る青年ではない
か。そういう形、つまり世襲制で政治が動いてよいのか。動かされてよいのか。あるいは
どうしてそうまで政治の世界に、執着するのか。その魅力は何なのか。田中M子氏にして
も、それほど哲学のある人物には見えない。私には出世欲にとりつかれた、どこかガリガ
リの政治亡者のようにしか見えない。

(2) T中氏は、さんざん、自己弁明をしてきたではないか。今までのそういう弁明は、
いったい、何だったのか。私たちにウソを言ってきたのか。

(3) その辞職ニュースを受けて、街の人の声が報道されていたが、大半は、「田中さん
がかわいそうだ」「おしい人をなくした」と言っていた。そうした声を聞いたとき、私はそ
の少し前、人間国宝にもなっている歌舞伎役者のO氏が、19歳そこそこの若い舞妓と不
倫関係にあったというニュースを思いだした。あのときは、街の声のみならず、テレビの
キャスターまで、「不倫は、芸のコヤシ」と言っていたのを覚えている。(若い女性はコヤ
シ?)O氏はその舞妓と別れるとき、ホテルのドアで、チンチンを出して見せたという。
こうした愚民性は、いったいどこからくるのか。

 「おかしい」と思うことが、つぎつぎと頭に飛来する。そこでひとつずつ、その問題に
ついて考える。その結果というわけではないが、この原稿が生まれた。私は、(3)の愚民
性に、とくに関心をもった。「日本人は賢くなったか」と。

 で、その結論だが、答は、「ノー」。日本人は知識と情報の氾濫の中で、ますます自分を
見失いつつある。ますます愚かになりつつある。

そのことは、今の子どもたちの世界を見ればわかる。子どもたちの「質」は、この三〇年、
確かに悪くなった。ひとつの例というわけではないが、三〇年前の幼児は、「おとなになっ
たら、何になりたい」と聞くと、「幼稚園の先生」とか、「野球の選手」と答えていた。し
かし今の子どもは違う。

「ハリーポッターのような魔法使い」とか、「超能力者」とか、答える。バブル経済のころ
は、「私、おとなになったら、土地もちの人(男)と結婚する」と言っていた女の子(小四)
や、「宗教団体の教祖になる」と言っていた男の子(小五)がいた。が、そのときよりも、
今のほうが、さらに悪くなっているように思う。
(注、この「日本人は賢くなったか」は、02年8月記)
(はやし浩司 新しい荒れ 右脳教育 思考 仮想現実 自己意識 自意識)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【WZ中学校の父母よりの、質問に答えて……】(2)

 WZ中学校の父母よりの、もう一つの質問は、こんな質問です。

 「文化、時代の違いによる、当たり前のここと、当たり前でないことについて」という
質問です。

 いわゆる「意識論」のことです。私たちがもっている「意識」というのは、その時代の
文化、さらに生まれ育った環境などによって、作られていくものです。

 そういう意味で、絶対的、かつ普遍的な意識というのは、ありません。そのときどきの
時代、さらには生まれ育った環境によって、変化しうるものだということです。

 そのことを最初に私自身が、意識したのは、私が留学生となって、オーストラリアへ渡
ったときのことです。

 つぎの原稿が、それです。

+++++++++++++++++++++

●意識の違い

 今朝、K国の子どもたちが、テレビで紹介されていた。どの子どもも、独得の笑みを浮
かべて、踊ったり、楽器を鳴らしたりしていた。ワイフは、それを見て、「気持ち悪い」と
言った。私も同感だった。

 で、こうした子どもたちについて、K国から脱出してきた人は、こう言った。「鼻血を出
しても、練習をつづける」と。そういうK国の子どもたちを、すばらしいと思った日本人
は、いったい、何人いただろうか。

 しかしそのとき、である。その脱出してきた人が、ポロリとこう言った。それは私には、
衝撃的な言葉だった。

 「K国では、こうした子どもたちが、政府の宣伝用に使われる。それはちょうど、西側
諸国の、コマーシャルのようなものだ。西側では、モノを売るために、宣伝する。それと
同じ」と。

 人の意識というのは、絶対的なものではない。普遍的なものでもない。立場が変われば、
その意識も変わる。

 私たちはK国の子どもたちを見ながら、「おかしい?」と思う。しかしその意識は、相対
的なもので、K国の人たちから見れば、今度は、私たちの国が、おかしく見えるに違いな
い。その一つが、「物欲を刺激するコマーシャル?」ということになる。

 たとえば、あのポケモンが全盛期のころ、子どもたちの世界は、まさにポケモン漬けに
なった。テレビ、雑誌、ゲーム、コミック、商品ほか。あらゆる場面で、子どもたちは、
その商魂に乗せられた。

 その結果、あの黄色いピカチューの絵を見ただけで、子どもたちは、興奮状態になって
しまった。一度、私は不用意に、「ピカチューのどこが、かわいいの?」と言ってしまった
ことがある。とたん、生徒たちから、猛烈な抗議の嵐。袋叩きにあってしまった。

 こうした異常な現象を、いったい、どれだけの人が、「異常」と感じたであろうか。そこ
で私は、一冊の本を書いた。それが『ポケモン・カルト』(三一書房)である。

 しかしこの本に、執拗ないやがらせをしかけてきたのは、二〇歳をすぎた若者たちだっ
た。「お前は、子どもの夢をつぶすのか」「とんでもない、トンデモ本だ」と。今でも、そ
の団体の人たちが、その本や私を、攻撃している。

 こういう現象は、K国の人たちには、どう見えるだろうか。ここにも書いたように、意
識というのは、相対的なものである。私たちが、K国の子どもたちがおかしいと思うのと、
まったく同じように、K国の人たちは、日本の子どもたちは、おかしいと思うに違いない。
現に、あの金XXは、そう言っている。「西側の狂った文化」と。

 私は、K国の子どもたちの映像を見ながら、不思議な感覚にとらわれた。K国がおかし
いと思えば思うほど、自分たちの世界も、おかしく見えた。ただ私たちは今、その(自分
たちの国)に住んでいるから、それがわからない。言いかえると、私たちが、自分の国は
ふつうだと思っているのと同じように、K国の人たちは、自分たちの国は、ふつうだと思
っているに違いない。

 少し話が脱線するかもしれないが、私は、学生時代、こんな経験をしたことがある。『世
にも不思議な留学記』(中日新聞掲載済み)で発表した原稿を、転載する。
 
+++++++++++++++++++

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう30年も前のことだが、私がメルボルン大学
に留学していたときのこと。当時、正規の日本人留学生は私一人だけ。(もう一人Mという
女子学生がいたが、彼女は、もともとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、一通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、
「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。私が喜んで、「外交官ではないか! お
めでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、その手紙を丸めてポイと捨てた。

「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、行きたくない」と。考えてみれば
オーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとはまったく違っ
ていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本
へ帰ったら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本で
は軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ
入らないのか」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になる
ことイコール、そのまま出世コースということになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼく
は日本へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言って
いた。が、ある日、一番仲のよかったデニス君が、こう言った。

「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されて
いる」と。彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社
マンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかな
かった。この友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなた
の夫はどのような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこ
れだけは言える。

こうした職業観というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によって、そ
れぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なこ
とは、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。
私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣
き崩れてしまった。

「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常識にそってそう言っただ
けだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。しかしあなたとあな
たの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそういう時代
ではない。あってはならない。

+++++++++++++++

●肩書き社会、日本

 この日本、地位や肩書きが、モノを言う。いや、こう書くからといって、ひがんでいる
のではない。それがこの日本では、常識。

 メルボルン大学にいたころのこと。日本の総理府から派遣された使節団が、大学へやっ
てきた。総勢三〇人ほどの団体だったが、みな、おそろいのスーツを着て、胸にはマッチ
箱大の国旗を縫い込んでいた。

が、会うひとごとに、「私たちは内閣総理大臣に派遣された使節団だ」と、やたらとそれば
かりを強調していた。つまりそうことを口にすれば、歓迎されると思っていたらしい。

 が、オーストラリアでは、こうした権威主義は通用しない。よい例があのテレビドラマ
の『水戸黄門』である。今でもあの番組は、平均して二〇〜二三%もの視聴率を稼いでい
るという。

が、その視聴率の高さこそが、日本の権威主義のあらわれと考えてよい。つまりその使節
団のしたことは、まさに水戸黄門そのもの。葵の紋章を見せつけながら、「控えおろう」と
叫んだのと同じ。あるいはどこがどう違うのか。が、オーストラリア人にはそれが理解で
きない。

ある日、ひとりの友人がこう聞いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、どうす
るのか。それでも日本人は頭をさげるのか」と。

 この権威主義は、とくにマスコミの世界に強い。相手の地位や肩書きに応じて、まるで
別人のように電話のかけ方を変える人は多い。私がある雑誌社で、仕事を手伝っていたと
きのこと。相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせの
とおりいたします」と言ったあと、私のような地位も肩書きもないような人間には、「君イ〜ネ〜、
そうは言ってもネ〜」と。

しかもそういうことを、若い、それこそ地位や肩書きとは無縁の社員が、無意識のうちに
そうしているから、おかしい。つまりその「無意識」なところが、日本人の特性そのもの
ということになる。
 
こうした権威主義は、恐らく日本だけにしか住んだことがない人にはわからないだろう。
説明しても、理解できないだろう。そして無意識のうちにも、「家庭」という場で、その権
威主義を振りまわす。「親に向かって何だ!」と。

子どももその権威主義に納得すればよし。しかし納得しないとき、それは親子の間に大き
なキレツを入れることになる。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前で仮面
をかぶる。つまりその仮面をかぶった分だけ、子どもの子は親から離れる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見渡してみてほしい。あなたの叔父や叔母の中には、
権威主義の人もいるだろう。そうでない人もいるだろう。しかし親が権威主義的であれば
あるほど、その親子関係はぎくしゃくしているはずである。

 ところで日本からの使節団は、オーストラリアでは嫌われていた。英語で話しかけられ
ても、ただニヤニヤ笑っているだけ。そのくせ態度だけは大きく、みな、例外なくいばっ
ていた。このことは「世にも不思議な留学記」※に書いた。それから三〇年あまり。日本
も変わったが、基本的には、今もつづいている。

+++++++++++++++++++

 意識の違いというのは、恐ろしい。その意識にどっぷりとつかっていると、ほかの世界
が理解できなくなる。それだけならまだしも、自分がおかしな世界に入っていても、それ
に気づかなくなる。

 典型的な例としては、宗教の世界がある。その世界の外にいる人からみれば、「おかし
い?」と思うようなことを、平気で、しかも、ま顔でしている信者は、いくらでもいる。

 そこで大切なことは、いつも、自分の意識を疑ってみること。自分の意識を、ふつうだ
と思ってはいけない。絶対だとは、さらに思ってはいけない。意識というのはそういうも
ので、またそういう前提で、いつも自分の意識を、疑ってみる。

 それは、ものを考えるとき、たいへん重要なことである。……というようなことを、K
国の子どもたちを見ながら、考えた。

+++++++++++++++++++++

ついでに、少し前に書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

●子どもの意識

 フロイトは、子どもの記憶について、つぎのようなことを書いている。

つまり幼児期記憶の回想について、「言葉や観念によって思い出すという形で回想するだけ
なく、むしろその回想する体験にともなう感情や対人関係のパターン、態度のほうを先に
反復する」(「フロイト思想のキーワード」小此木啓吾・講談社現代新書)と。

 このことは、たとえば子どもに、ぬいぐるみを与えてみればわかる。心豊かで、愛情に
恵まれて育った子どもは、ぬいぐるみを見ただけで、うれしそうな笑みを浮かべ、さもい
とおしいといった様子で、それを抱こうとする。それはぬいぐるみを見たとき、自分自身
が受けた環境を、その場で再現するからである。

 あるいは絵本を与えてみればわかる。「あっ、本だ!」と喜んで飛びついてくる子どもも
いれば、目をそむけてしまう子どももいる。その本の内容を確かめる前に、だ。こうした
違いは、「本」というものに、よい印象をもっているかどうかで、決まる。

幼いときから、たとえば親に抱かれて本を読んでもらった子どもは、本を見たとき、その
周囲の状況や情景を、心の中で再現する。つまり本にまつわる「温もり」を、そこに感ず
る。だから本を見ただけで、それを好意的にとらえようとする。一方、たとえばカリカリ
とした雰囲気の中で、無理に本を読まされて育ったような子どもは、本を見ただけで、逃
げ腰になる。

 このことは、人間関係にも影響する。私はメガネをかけているが、初対面のとき、私の
顔を見て、こわがる子どもは少なくない。そこで理由を聞くと、親は、たとえばこう言う。
「近所にこわい犬を飼っている男性がいて、その人がメガネをかけているからではないで
しょうか」と。つまりその子どもにしてみれば、(こわい犬)→(こわい人)→(メガネ)
→(メガネの人は、こわい)ということになる。

 フロイトは、こうした現象を、「転移」と呼んだ。しかしこうした転移は、おとなの世界
でも、ごく日常的に見られる。とくに人間関係において、それが顕著に見られる。たとえ
ば、電話の相手によって、電話のかけ方そのものが、別人のように変わる人がいる。自分
より目上の人だとわかると、(無意識のうちに、しかも即座にそれを判断するが)、必要以
上にペコペコする。一方、目下の人だとわかると、今度は必要以上に、尊大ぶったり、威
張ったりしてみせる。

 で、こういう人にかぎって、……というより、例外なく、テレビドラマの『水戸黄門』
の大ファンであったりする。三つ葉葵の紋章か何かを見せて、側近のものが、「控えおろ
う!」と一喝すると、周囲の者たちが、「ハハアー」と言って、頭をさげる。このタイプの
人は、そういう場面を見ると、痛快でならない。……らしい。

 そこでさらに調べていくと、こういう人たち自身もまた、そうした権威主義的な社会、
あるいは家庭環境の中で育ったことがわかる。つまりこうした感情なり、言動は、それぞ
れ一貫性をもってつながっている。(権威主義的な環境で生まれ育った)→(自分自身も権
威主義的である)→(無意識のうちにも、それがその人の価値観の根底にある)→(無意
識のうちにも、人を上下関係を判断する)→(水戸黄門が痛快)と。

言うなれば、水戸黄門を見ることで、このタイプの人は、自分の価値観を再確認している
のかもしれない。その確認ができるから、水戸黄門はおもしろく、また痛快ということに
もなる。

 何だか、話が込み入ってきたが、要するに、子ども、なかんずく幼児を相手にするとき
は、表面的な「心」とは別に、「もうひとつの心」を想定しながら、接するとよい。たとえ
ば何らかの学習をさせるときも、(何を覚えたか、何ができるようになったか)ではなく、
(そのことが全体として、どのような印象をもって、子どもの心の中に残るだろうか)を、
考えながらする。そしてその印象がよいものであれば、よし。そうでなければ、失敗、と。

先にあげた例で言うなら、子どもに絵本を見せたとき、「あっ、本だ!」と飛びついてくれ
ば、よし。逃げ腰になるようであれば、失敗、ということになる。フロイトの言葉を借り
るなら、「よい転移ならよし。悪い転移には気をつけろ」ということになる。

これを私たちの世界では、「前向きな姿勢」と言っているが、この時期は、こういう前向き
な姿勢を育てることを大切にする。この前向きな姿勢があれば、子どもは自らの力で、前
向きに伸びていくし、そうでなければ、そうでない。が、それだけではすまない。一度子
どもがうしろ向きになってしまうと、それをなおすのに、それまでの何十倍もの努力が必
要になる。

たとえば小学校の入学までに、一度本嫌いになってしまうと、以後、好きになるというこ
とは、ほぼ絶望的であると言ってもよい。「だから幼児教育は大切だ」と言ってしまえば、
あまりにも手前ミソということになるかもしれないが……。

++++++++++++++++++++++

日本人の意識を考えるための参考文献として
もう一つ、私の原稿を添付しておきます。

++++++++++++++++++++++

●権威主義の象徴

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控
えおろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。

日本人はそういう場面を見ると、「痛快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。
オーストラリアの友人はこう言った。「もし水戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。
フランス革命以来、あるいはそれ以前から、欧米では、歴史と言えば、権威や権力との闘
いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそう
だ。長男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。
別居も何度か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。

「今の若い者は、先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身の
ことか。一方長男は長男で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に
入って二人の仲を調整しようとしたことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっている
わだかまりは、想像以上のものだった。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかという
こと。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まった
くと言ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人に
なってもらった。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてこ
とあるごとに、先祖の血筋を自慢した。

Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であった。ふつうの会話をし
ていても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子どもたちに向
かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積もり積
もって、親子の間にミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを
説明できる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければな
らないのか。だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使
われる。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と
服従、保護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれ
るはずがない。

権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つまり
「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、一
方的なものになる。そのため子どもは心を閉ざす。

Mさん親子は、まさにその典型例と言える。「親に向かって、何だ、その態度は!」と怒る、
Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視する長男。

こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義
的であること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、自
分を否定することになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと
良好な親子関係を築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』
をおもしろいと思っている人ほど、あぶない。

++++++++++++++++++++++++

●依存心

 人間は、何かに依存しなければ生きてはいかれない生物なのかもしれない。それぞれの
人が、何かに依存している。で、少し前、その「依存」について、自分なりに分析してみ
た。依存といっても、何に依存するかで、生きザマがまったく違ってくる。

(1)モノ、お金、名誉、地位、財産に依存するタイプ
(2)自分自身に依存するタイプ
(3)家族や親類など、人に依存するタイプ
(4)宗教に依存するタイプ

 このうち、自分の先祖を誇る人は、(1)の「名誉、地位に依存するタイプ」ということ
になる。実のところ、このタイプの人は多い。少し前も、「今度、伯父が、選挙に出馬する
ことになりましたから」と言って、選挙用のポスターをもってきた人がいた。しかしその
人は、伯父の選挙を本当に応援しているのではない。そういう言い方をして、「自分の家系
には、こういう人がいる」ということを、自慢していただけである。

 しかし考えてみれば、しょせん、ドングリの背くらべ。○○藩の家老の子孫だろうが、
田舎の百姓の子孫だろうが、結局は、「生まれた穴がほんの少し違うだけ」(モーツアルト
「フィガロの結婚」)。私なんかは、名字が「林」ということからもわかるように、先祖は
ただの百姓。依存しようにも、しようがない。

 そうそう、私の母にこのことを言うと、母はいつも本気で怒っていた。母は、N家とい
う武家の血筋を引く家系で生まれ育った。だから「うちの先祖は百姓だった」などと言お
うものなら、「違う、武家だ! ヘンなこと言うな!」と。そういう点では、母も、人一倍、
先祖にこだわっていた。

 話はそれたが、この問題は、「誇り」とも、深く関連してくる。オーストラリアに留学し
ているころ、こんなことがあった。

●独特のモノ意識

 K大学から、医学部で講師をしている二人の男が、大学へやってきた。そこで私がメル
ボルン市内をあちこち案内してあげた。が、目ざといというか、つぎつぎと日本製を見つ
けては、「あれは、日本の車だ」「あれは、日本のカメラだ」と。

 そこで私にいろいろ話しかけてきた。で、そのとき私がどうそれに答えたかは忘れてし
まったが、最後には、その男たちを、怒らせてしまったようだ。その中の一人がこう言っ
た。「君は、日本人だろ。同じ、日本人が作ったものを喜ばないのか」と。当時の日記には、
こうある。

 「Dさん(ドクターの一人)は、私に『君は、ヘンに欧米かぶれしている。君のような
日本人が、こういうところで研究生をしていることが信じられない。もっと日本人に誇り
をもて』と言った。私から見れば、どうして日本製があることが、そんなにうれしいのか
理解できない。結局は、それこそまさに、欧米コンプレックスの裏返しではないのか。

 このドクターたちも、やはり(1)の「モノ、お金に依存するタイプ」ということにな
る。戦後の高度成長期の中で、このタイプの人は、まさに大量生産された。今でも、「モノ
やお金のほうが、家族や人間関係より大切だ」と考えている人は、いくらでもいる。

 いや、こう書くからといって、それが悪いと言っているのではない。人、それぞれ。私
のように、依存するものがない人間は、一見、たくましく見えるかもしれないが、実のと
ころ、心の中はボロボロ。自分がボロボロである分だけ、その自分自身に依存することも
できない。だから毎日が、不安でならない。

ちょっとしたことで、つまずいたり、キズついたりする。実のところ、ときどき、こう思
う。「何か、本物の宗教があれば、信仰してみたい」と。そう、何が楽かといって、神や仏
に依存することぐらい、楽なことはない。

 ただこういうことは言える。

 いまだに日本人の多くは、封建時代の亡霊を引きずっている。日本独特の権威主義もそ
うだが、人間が人間を見る前に、地位だの肩書きだの、そういうもので人間を判断してい
る。そしてそういう亡霊が、教育の世界にも残っていて、教育をゆがめ、子どもたちの心
をゆがめている。ここでいう先祖意識も、そういう亡霊の一つと考えてよい。そういうも
のに依存すればするほど、あなたは自分自身を見失う。子どもの姿を見失う。
(02−2−6)

● 著名な祖先しか誇るもののない人間は、ジャガイモのようなものだ。その人間のもつ、
唯一のよい部分は、地下に眠る。(オヴァベリ「断片」)

● 祖先のうちで奴隷でなかった者もなかったし、奴隷の祖先のうちで王でなかった者もい
なかった。(ヘレン・ケラー「自叙伝」)

● 私の父は混血児だった。父の親父は黒人だった。そして、私の祖先は、猿だった。(デ
ューマ「お前の父はだれか」)

こうした考え方とは対照的に、江戸時代の学者の中江藤樹は、「翁問答」の中で、こう書い
ている。参考までに……。

「家をおこすも子孫なり。家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁盛
をもとむるは、あくなくて行くことをねがふにひとし」と。「人」より、「家」のほうが大
切ということ。中江藤樹はそう書き残している。

++++++++++++++++++++++++

 かなり過激な意見なので、驚かれたかもしれませんが、「子どもの意識」を考える、一つ
のヒントになれば、うれしいです。

 今回は、講師として、お招きいただき、感謝しています。

 ありがとうございました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以上が、2002年に書いた原稿です。
今、読み直してみると、どうしてあのとき、あの校長が不機嫌だったのか、
よくわかります。
私は何も、日本の伝統的文化まで、否定したつもりはないのですが……。

この話は、つまりここに書いたような話は、以後、どこの講演会でもしていません。
こういうどこか政治的な臭いのする講演は、いつも嫌われます。
2011/02/20記


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●勉強嫌いな子ども

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勉強嫌いな子どもには、大きく分けて
2つのタイプがある。

(1)意識的に「嫌う」子ども
(2)無意識のまま、「嫌う」子ども。

意識的に嫌う子どものばあいには、まだ
指導ができる。
その(意識)をつかむことができる。
ああでもない、こうでもないと声に出して
抵抗する。
このタイプの子どもは、まだ指導が可能。

しかし無意識の世界から、原発的に
嫌う子どももいる。
このタイプの子どものばあいには、指導は
たいへんむずかしい。
子ども自身の意思の力でも、どうにも
ならない。
自覚を促すのは、不可能とさえ言ってよい。
もっと奥深いところから、子どもを操る。
「嫌い」という思いが、心の奥で固まって
しまっている。
それを溶かすのは、容易ではない。
……というより、不可能。

+++++++++++++++++

●SE君(小3)のケース

 SE君(小3男児)は、幼児期から多動性があった。
静かな落ち着きがなく、騒々しかった。
少し油断すると、周囲を巻き込んでは騒ぎ、時にはレッスンそのものを破壊した。
瞬時に気分が変化し、ものの考え方も、直情的、直感的。
SE君が、AD・HD児であったかはどうかということはさておき、そのSE君は、
学年を追うごとに、ますます勉強嫌いになっていった。

 そのSE君が、大きく変化したのは、小学3年生になったときのことだった。
学校で、担任の先生が替わった。
神経質できびしい先生だった(母親談)。
明らかに無理な学習、強制的なしつけ、あるいは強圧的な叱り方が、日常化していた。
母親はこう言った。
「学校では、うちの子には居場所がないみたいです」と。
つまりみなから、邪魔者扱いをされている、と。
SE君が、勉強から逃げるようになったのは、そのころからである。

 ただ嫌いというのではない。
「さあ、この問題を考えてみよう」と言っただけで、表情が暗くなってしまう。
体中から骨が抜けたように、姿勢が崩れてしまう。
マンツーマンで教えても、まったく効果はない。
いたずら繰り返し、時間をつぶす。
きつく指示しても、そのつどぐずぐず言い、勉強にとりかからない。

 その様子を見ていると、自分の意思で拒否しているというよりは、SE君自身が、
自分をもてあましているといったふう。
そんな印象をもつ。
つまりSE君は、心のもっと奥深いところで、勉強に対して拒絶反応を示している。
こういうとき「原発的」という言葉が正しいかどうかはわからないが、心の奥深く
で反応しているという点で「原発的」という言葉を使う。
SE君自身の意思が感じられない。
俗な言い方をすれば、同じ勉強嫌いでも、「根が深い」。

●症状をこじらせる

 一般論として、AD・HD児の指導が困難なのは、その子どもがAD・HD児だから
ではない。
それまでの無理なしつけが、症状をこじらせてしまう。
指導を困難にする。
本来なら、小学3年生くらいを境に、自己評価力、自己管理力、自己認識力が育って
くる。
そのころになると、自分で自分をコントロールする力が育ってくる。
見た目には、生活態度全体が落ち着いてくる。

 が、中には、症状をこじらせてしまうケースがある。
とくにSE君のように、境界線上にいる子どもは、そうである。
先生も親も、「何とかなる」と考え、無理をする。
はげしく叱ったり、きびしく指導したりする。
その無理が、症状をこじらせる。

 大切なことは、幼児期にいろいろな問題が生じたとしても、あせらないこと。
(もちろん適切な指導は、必要。)
「直そう」とか「治そう」と考え、あせればあせるほど、症状がこじれる。
あとあとの立ち直りを、むずかしくする。

●あきらめは悟りの境地

 小学3、4年生までに、こうしたこじれた症状がでてくると、それ以後、
勉強が好きになるということは、まずない。
(おくれる)→(逃げる)→(ますます嫌いになる)の悪循環の中で、あとは行き着く
ところまで行く。
では、どうするか。

 今は時代も変わった。
(学歴)よりも(一芸)。
おとなになる道はひとつではない。
そう考えて、別の道を用意する。
勉強で追いつめれば追いつめるほど、ますます症状をこじらせてしまう。
さらに言えば、『あきらめは、悟りの境地』。
あきらめるべきものは、あきらめる。
子どもの心というのは、不思議なもの。
親ががんばればれば、がんばるほど、逆効果。
「まだ、何とかなる」「こんなはずはない」と、思えば思うほど、逆効果。
が、あきらめ、子どもを受け入れてしまうと、子どもも気が楽になるのか、そのときから、
伸び始める。

 ただし表面的な「あきらめ」ではいけない。
心底、あきらめる。
「うちの子は、こんなもの」と。
それが子どもの心に風穴をあける。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 原発的な勉強嫌い 勉強を嫌う子ども こじれる症状 ADHD児
AD・HD児 無理なしつけ はやし浩司 無理な学習指導)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本危機論(「個」の主張をめざして)

(注意)間に数日置いて書いた原稿です。
まとまりのない、支離滅裂な原稿になって
しまいました。

こういうときは、食材を料理するように、
いくつかに分散して、それぞれをひとつの
原稿にまとめるという手法を使いますが、
今回は、そのまま掲載します。

あらかじめ、ご承知おきください。

++++++++++++++++++++

日本では、「個」の教育がなされていない。
「個」を生かす社会も、不十分。
が、それはまさに社会の責任。
私たちはただひたすら、(もの言わぬ従順な民)で
よいのか。
しかしそれこそ、まさに亡国への序曲。
日本の一歩外に出れば、そこは海千山千の世界。
ギャングの世界。
どうやってそういう連中を相手に、この先、
この日本は闘っていくというのか。

++++++++++++++++++++

●意識のちがい

 国によって、また時代によって、たとえば職業観というのは、ちがう。
たとえば子どもたちに、「どんな仕事がいいか?」と聞くと、今では、「タレント」とか、
「お笑いタレント」とか、答える子どもが多い。
もちろん「サッカー選手」とか、答える子どもも多い。
その時代ごとに作られる……というよりは、その時代の価値観をそのまま反映する。

 日本でも戦時中は、軍人だった。
軍人の地位も高かった。
それが戦後は、大企業の社員になった。
私たちの時代には、そうだった。
「兵士」は、そのまま「企業戦士」になった。
「愛国心」は、そのまま「愛社心」になった。
「一社懸命」という言葉もあった。

 戦前は、「立派な国民」という言葉がもてはやされた。
戦後は、「立派な社会人」という言葉がもてはやされた。
戦前の言葉なのだろうが、私たちが子どものころには、まだこんな言葉が残っていた。
「末は大臣か、博士か」と。
出世主義が、この日本では、当たり前のようにもてはやされた。
地位と肩書き。
それでその人の価値が決まった。

 が、何といっても、身分制度というのは、恐ろしい。
江戸時代の身分制度が、明治以後、学歴主義に置き換わった。
たとえば私がこの浜松に住むようになったころのこと。
この浜松では、出身高校で、「身分?」が判断されているのを知って驚いた。
「あの人は、B高校なんですってねえ」とか、「あの人がS高校!」とか。
同窓生意識も、強い。……強かった。
今でも、古い世代を中心に、そういう意識のままの人は多い。

●大切なのは、中身

 人は裸で生まれる。
死ぬときも裸。
だから生きるのも、裸。

 称して「裸論」。
が、裸で生きるのはむずかしい。
とくにこの日本では、むずかしい。
どの世界にも、組織があって、どこかの組織に属さないと、生きていくのもむずかしい。
反対に、組織に属すると、生きるのも楽。
大きければ大きいほど、よい。
日本は、まさに組織社会。
が、そのため、個人が犠牲になる。
個人というより、「個」が犠牲になる。
が、これも意識の問題。
「私」という「個」を犠牲にしながら、「個」を犠牲にしているという意識そのものが
ない人も多い。
「個」というものが、どういうものであるかさえ、わかっていない。

 平たく言えば、子どものころから「個」の教育を受けていない。
集団隷属型というか、金太郎飴的というか、それが日本の教育の基本になっている。
が、その殻(から)から抜け出すのは、容易なことではない。

●「個」の教育

 最近、私は自分の幼児教室で、いろいろな実験を繰り返している。
たとえば幼児に、「正負の数」を教えてみた。
「分数」も「小数」も教えてみた。
今週は、「かけ算」を教えている。

 どれも大成功……というか、子どもたち(年長児・年中児)は、それを理解した。
その様子は、YOUTUBEで公開している。
私のHPから、「BW公開教室」へと進んでみてほしい。
賛否両論もあるだろうが、そこに聞こえる、子どもたちの笑い声を聞いてほしい。
それがこうした教え方の、「答え」ということになる。

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 こうして公開する目的は、2つある。
ひとつは、私のしていることを、もっと多くの人たちに利用してもらいたいということ。
もうひとつは、幼児のもつ可能性を、もっと多くの人たちに知ってほしいということ。

 「幼児だから、ここまで」という『ダカラ論』ほど、意味のないものはない。
またそういう制限を加える必要はない。
加えてはいけない。
反対に、どうして幼児に「正負の数」を教えてはいけないのか。
もしこんな論理がまかり通るなら、この日本からは、ベートーベンもモーツアルトも
生まれないということになる。
つまりそこそこの子どもは生まれるが、それ以上の子どもは、生まれない。

 ……と書くのは、言い過ぎ。
それはよくわかっている。
が、みなが、もっと自由に子どもを教育すればよい。
それが結果として、「個」を育てる。

●就職難?

 今年、大卒の就職率は、さらにさがった。
そして今朝の新聞(C新聞)によれば、就職したあとも、離職者がふえているという。
「こんなハズではなかった」と、会社を去っていく若者がふえているという。

 理由はいろいろあるだろう。
が、もう10年ほど前になるが、京都にあるP出版社の編集長が、こんな話をしてくれた。

 「最近の新入社員たちは、おかしい。
入社すると同時に、マンションで、豪勢な生活ができると思いこんでいる。
最近のトレンディ・ドラマの影響だろうが、世の中、そんなに甘くない。
そういう現実が、まるでわかっていない」と。

 つまり最近の新入社員(大卒)は、入社と同時に、会社の命運を決めるような仕事が
できると思いこんでいる、と。
世間の見方が、総じて、甘い。
それもそのはず。

子どものときから、「苦労」というものを、していない。
「苦労」といっても、自分のための苦労。
他人のための苦労をしていない。
たとえばゲームソフトを手に入れるための苦労はしている。
しかし家族のために掃除をするとか、そういう苦労はしていない。

 あるいは受験勉強では苦労をした。
しかし学費は、天から降ってくるものと思っている。
アルバイトはするが、すべて遊興費。

 それもそのはず。
子どものころから、「個」で生きるという訓練を受けていない。
「みなと同じことをしていれば、安泰」。
その結果、景気が右に流れれば、自分も右に流れる。
左に流れれば、自分も左に流れる。
だから、就職難?

 仕事がなかったら、自分で作ればよい。
そういう発想が、ない。
仕事が気に入らなかったら、自分で作ればよい。
そういう発想が、ない。

●逆転現象

 話が脱線したが、要するに「たくましさ」ということになる。
その追求こそが、「個」の教育ということになる。
が、現状は、不可逆的に、悪化している。

 幼児の世界を見ても、そのたくましい子どもが、どんどんと減っている。
とくに男児。
男児の女性化が始まって、もう30年になる。
今では「男」と「女」が逆転している。
平等なら、まだよい。
逆転している。

 小学校の低学年をみても、いじめられて泣くのは、たいてい男児。
いじめて泣かせるのは、たいてい女児。
こういう現状を、いったい、どれだけの人が知っているのか。
反対に、今では、わんぱくで、ガキ大将のような男児が、むしろ「できの悪い子」
というラベルを張られ、排斥される。
またそういう男児が、10人に1人もいない。
残りの9人は、ナヨナヨしている。
ものを横取りされても、それを取り返すことさえ、できない。

が、もちろん、これは子どもの責任ではない。
そういう子どもを育てた親の責任でもない。
社会の責任である。

●まず私たちが……

 社会を変えようとするなら、まず私たちおとなが、「個」の世界で生きてみる。
その「個」を主張する。
遠慮することはない。
が、今の今ですら、私を叩いてくる人は、跡を絶たない。

 「同じ原稿を複数のBLOGに載せるな」と言ってきた人(日本人)がいた。
「YOUTUBEに、多数の動画をUPするな」と言ってきた人(日本人)もいた。
まさに『出る釘は叩く』の発想。
それこそがまさに日本的。
そういう現実が、まったくわかっていない。
(私は「日本」というより、「世界」に向けて、情報を発信している。
いいか、世界は、日本の何百倍も広いのだぞ!)

 だからこの日本では、民主主義が育たない。
ヘタクソな政治でも、文句ひとつ言わない。
……言えない。

卑近な例だが、私の住む団地にしても、角ごとに、5〜6本前後の道路標識が
立っている。
中には「いたわりゾーン」とかいう、訳の分からないものまである。
どこかの交通安全協会が立てたものだが、1本立てるのに、120万円前後の
お金がかかるとか。
何かの週刊誌で、そう読んだことがある。
それも10年以上も前に!

 こうしたゆがんだ政治が、日本全国、津々浦々、どこでも野放しになっている。
が、だれも文句を言わない。
みな、ただひたすら、おとなしく、静か。
もの言わぬ従順な民。
こんな社会で、子どもの「個」など、育つわけがない。

●組織

 私は、M物産での商社マン時代をのぞき、そのあと人生の大半を、ひとりで生きてきた。
そういう人生を総括してみると、こう言える。

「この日本では、『個』で生きることは、たいへんむずかしい」と。

 「むずかしい」というより、損の連続。
言い換えると、組織に属していれば、得。
苦労に苦労を重ねても、生活が苦しい人はいくらでもいる。
その一方で、さしたる苦労をしなくても、生活が楽な人もいくらでもいる。
不公平社会、ここに極まれりということになるが、それを決めるのが、「組織」。

 組織……それも大きければ大きいほどよいが、その組織に属している人は、得。
そうでない人は、損。
そういう社会ができあがってしまっている。
だからますます「個」が、脇へ追いやられる。
もちろん教育の世界とて、例外ではない。

●声をあげよう!

 みんな、もっともっと、声をあげよう。
おかしいものは、おかしいと言おう。

とくに退職した人たち。
けっして内向きな生き方をしてはいけない。
「自分さえよければ、それでいい」と、考えてはいけない。
それこそ、まさに悪魔の所作。
それが積み重なると、ものの考え方すべてが、悪魔的になる。
あなた1人の力は小さくても、みながみな、そう考えるようになったら、それこそ
この日本は、おしまい。

 そうでなくても、社会の私たちを見る目は、ますます冷たくなってきている。
「粗大ゴミ」どころか、「社会悪」と考える人もふえてきている。
そのうちこの日本では、「老人排斥運動」さえ始まるようになるかもしれない。
また排斥されてもしかたないようなことを、している。
あるいはすべきことをしないまま、のうのうと生きている。

 だから私たちは、自分の命を、社会に還元する。
藤沢市に住む恩師が教えてくれた言葉である。
「還元」。
わかりやすく言えば、「返礼」「お返し」「恩返し」。
私たちが黙っていたら、道路の角に立つ立て札は、一方的にふえるだけ。
だから声をあげる。

●支離滅裂

 「個」の話から、「老人」。
さらに「還元」の話になってしまった。
最後は、「声をあげよう」?
まさに支離滅裂。
最初に「個の教育をめざして」と書いた。
が、書いていくうちに、「このままではいけない」と、そのつど考えた。
それでこういう原稿になってしまった。
かなり弁解がましいが、どうか許してほしい。

 最後に一言。
「日本はこのままでは、ますます低落していく」。
そういう危機感だけは、どうか私と共有してほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【年中児に、かけ算を教えてみる】(BW実験教室byはやし浩司)

●年中児(4,5歳児)にかけ算を教えてみました。
 結果は、どうかご自身でご覧ください。
 同時に、幼児のもつ可能性を、どうか再認識してください。
 「幼児だから、脳の構造も幼稚」と考えるのは、明らかにまちがっています。


(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界情勢(どう私たちは自衛すべきか)

++++++++++++++++++

アメリカが、あれだけドルをたれ流せば、
影響が出ないはずがない。
正確な数字はわからないが、100兆円
とも、あるいはそれ以上とも言われている。

結果、世界の穀物価格は、平均して、この
1年間で、30%弱も上昇。

たとえば大豆価格……08年比で、2・6倍
小麦価格……08年比で、2・3倍
とうもろこし価格……08年比で、3・1倍。
(農林水産省調べ・MMF・2010)

農林水産省のHPには、こうある(以下、農林水産省HPより)。

○穀物等の国際価格は、輸出国の輸出規制等により高騰した2008年夏以降一旦落ち着いた
ものの、2010年7月以降再び上昇。現在は、2006年秋頃に比べ2.3〜3.1倍の水準。

○2010年7月以降、ロシアの干ばつ等により、小麦を中心に上昇。8月下旬以降、小麦か
らの需要のシフトや米国の生産量見込みの大幅な下方修正等により、とうもろこしを中心
に上昇。11月下旬以降、とうもろこし、大豆はアルゼンチンの降雨不足等により、小麦は、
豪州東部の洪水、米国大平原の土壌水分不足等により上昇(以上、農林水産省HPより)。

こういう世界情勢の中で、世界各国は
政情不安に揺れている。
エジプトは、その第一幕に過ぎない。
順に思いつくまま、私たちはどう自衛すべきか、
今朝のニュースを読みながら、思いついたまま、
ここに書いてみる。

++++++++++++++++++

●先進国

 仮に月収が100万円あったとする。
そういう人たちにとっては、食料品価格が、2倍になったところで、それほど
影響はない。
毎月の食料費が、10万円から20万円になっても、なんとかしのげる。

 しかし貧しい人たちにとっては、そうでない。
仮に月収が20万円しかなかったとする。
そういう人たちは今の今でさえ、食料費を切り詰めて生活している。
毎月の食料費が、5万円が10万円になったら、生活そのものができなくなる。
もう少し正確には、エンゲル係数という係数を使って判断する。

●エンゲル係数

 エンゲル係数は、消費支出に占める食料費の割合をいう。
「使ったお金のうち、食料費は何%」(All・About・マネーサイトより)で決まる。
総務省家計調査によれば、

年収〜442万円の人で、平均24・3%、
年収944万円以上の人で、平均19・6%、
全世帯の平均は、21・6%、となっている(2005年、2人以上の世帯調べ)。

 が、これは日本という、まだ恵まれた国での数字。
世界には、まだ1日、1〜2ドルで生活している人がいる。
昨今の報道によれば、この1年間で、そういった最貧困層の人たちが、4000万人も
ふえたという(11年2月)。

 そういった人たちにとっては、エンゲル係数という係数そのものが、成り立たない。

●シワ寄せは貧しい国々へ

 世界規模でみるなら、そういったシワ寄せは、最後には貧しい国々に集まる。
ここ1か月のニュースを見るまでもない。

 まずエジプト。
つぎにリビア、バーレーン、クゥエート……。
表向きは独裁政治への反発ということになっている。
しかしその引き金となったのが、高い失業率と貧困。
こうした政情不安は、現在、世界中に飛び火しようとしている。
が、こうなることは、アメリカが狂ったようにドルを印刷し始めたときから、
予想されていた。
2010年の初頭から、アメリカは、ドル防衛のため、なりふり構わず、
ドルを世界中にたれ流し始めた。

 が、この日本とて、無罪というわけにはいかない。
アメリカが、清水の次郎長なら、日本は、森の石松。

●アメリカの好景気

 今朝の日経新聞によれば、アメリカでは物価高にもかかわらず、株価が上昇して
いるという。
(日本は、株価は低迷したまま。)
つまりアメリカでは、ありえないことが起きている。
その(ありえないこと)の理由のひとつが、先に書いた(しわ寄せ)ということになる。

 つまりアメリカだけの、ひとり勝ち。
(「勝ち」というより、「得」。)
それもそのはず。
いくらアメリカがドルを増刷しても、世界中の人たちは、そのドルをほしがる。
ドルに代わる通貨そのものが、ない。
ユーロにしても、元にしても、また円にしても、アメリカ・ドルほどの力はない。
だから「もつべきものは、やはり、ドル」ということになる。
(それをよいことに、アメリカはドルを印刷しているのだが……。)

●不安

 こんなことをしていたら、世界はメチャメチャになってしまう。
現にメチャメチャになり始めている。
アメリカはそれでよいかもしれないが、政情不安が、さらなる政情不安を引き出す。
先に書いた、エジプトは、その第一幕にすぎない。

そのためアメリカだって、安泰というわけにはいかない。
やがてそのツケは、結局は、アメリカにも回ってくる。
当然、日本にも回ってくる。

すでにイランが、今回のエジプト動乱を機に、中東での勢力拡大に乗り出した。
軍艦がスエズ運河を越え、地中海に入った。
……などなど。
この先、こうした動きがこのまま落ち着くとは、だれも思っていない。

 こうした不安を見越して、今、世界のマネーは、現物資産、たとえば金やプラチナに
向かい始めている。
今日の金価格(ゴールド・田中貴金属)は、1グラム、4000円弱。
ニューヨーク・先物価格では、1オンス、1400ドル弱。

●日本は……

 その日本はといえば、まあ、あきれるというか、バカげているというか……?
小沢一郎という、たった1人の政治家に振り回され、右往左往。
国政の「体(てい)」そのものが、バラバラ。
こういうのをさして、「何という体たらく!」と言う。
「天下、国家プラス、世界の一大事に、何をしているのか」と叫びたくなるほど、
だらしない。

 そうでなくても今の日本に必要なのは、超強力な政府。
官僚の抵抗など、一喝して吹き飛ばせるほど、超強力な内閣。
今、ここで行政改革を断行しなかったら、この日本はどうなる?
それこそ想像するだけでも恐ろしいことが、つぎに待っている。

日本の国家破綻は、すでに可能性の問題ではない。
時間の問題。
この3月期を乗り越えることができるのか?
10月期を乗り越えることができるのか?
へたをすれば、総選挙をやっている、その最中に、この日本は破綻するかもしれない。

 つまりこれだけ国際情勢が混沌としてきたにもかかわらず、この日本は、何も
できないでいる。
国際会議を開くこともできないでいる。
わかりやすく言えば、家の中がゴタゴタしているため、家の外のことなど、とても、
とてもといった状態。

●自衛

 こうして考えていくと、私たちは私たちで、自衛するしかない。
政府は、まったくアテにならない。

(1)資産の退避……1ドルが1000円になるのも覚悟する。
   最低でも2年分の資産の確保。
  「金1キロで、1年分の生活費」(貴金属商主人談)と言われている。
(2)仕事、食料の確保……仕事と収入があれば、何とかなる。
   不況時代にも必要な仕事というのはある。
   耕作地があれば、作物を作る。
   大根一本、1万円。
   やがてそうなる。
(3)超節約生活……今から、節約生活に慣れておく。
   目一杯の生活から、余裕のある生活に転換する。
(4)健康の維持……運動量をふやす。ストレスをためない。
   運動する習慣を、しっかりと生活の中に組みこむ。

 以上は、私というド素人の考えた自衛策ということになる。
あくまでも参考の範囲で利用してほしい。

なお土地については、現在、ミニバブル進行中。
バブルがはじければ、再び暴落する。
投資先としては、向かないのではないか。
ただし土地をもっている人は、今すぐ現金が必要でないなら、手放さない方がよい。

●最後に……

 最後にもう一度、農林水産省が公表した、世界の穀物価格の数字を並べてみる。

 大豆価格……08年比で、2・6倍
 小麦価格……08年比で、2・3倍
 とうもろこし価格……08年比で、3・1倍
  (農林水産省調べ・MMF・2010)

 たまたま日本は、円高にブレたから、こうした価格の上昇分を、円高で吸収する
ことができた。
しかし国によっては、3倍どころか、10倍、20倍になった国もある。
(あの北朝鮮では、50倍だぞ!
この1年間だけでも、50倍だぞ!)

 今、世界は、たいへんな状況になりつつある。
今朝のニュースを読みながら、そう思った。

2011/02/19朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●あの世論(映画『ヒア・アフター(hereafter)』を観て……)

++++++++++++++++++++++

今日から、映画『ヒア・アフター』が、公開された。
主演は、マッド・デイモンとセシル・ドゥ・フランス。

早速、ワイフと観てきた。

『ヒア・アフター』、つまり「あの世」。
字幕の中でも、そう翻訳していた。
私は、実は、この英語を知らなかった。
「hereafter(あの世)」ではなく、
「hear after(あとから聞く)」かと思っていた。
だから、「ヒア・アフターねエ?」と。

++++++++++++++++++++++

●臨死体験

 映画『ヒア・アフター』の中では、1人の霊能者を主人公(ジョージ)にしながら、
それと並行し、臨死体験がひとつのテーマになっていた。

人は死線をさ迷うと、臨死状態を体験をするという。
その臨死体験。

臨死体験でたいへん興味深いのは、東洋のこの日本でも、また西洋の欧米でも、
同じような状況に置かれると、みな、似たような体験をするということ。
日本では、「三途の川」という。
西洋では、「湖」とか「海」とか、そういうふうに表現する人が多い。
もちろん「川」と表現する人もいる。

三途の川を渡ろうとしたら、うしろから声が聞こえてきた。
その声を聞いて、渡るのをためらっていたら、もとの世界に戻ってきた、とか。
映画『ヒア・アフター』の中でも、主人公の女性(マリー)は、みなといっしょに歩いて
いこうとしていた
この「みんなといっしょに歩いていた」という部分が、臨死体験。
が、何かのことで突然うしろに引かれ、そのまま生き返るという展開になっている。

 水の流れる川と、花が咲き乱れる美しい野原。

ただし映画『ヒアアフター』の中では、そういった景色は表現されていなかった。
「360度、すべての世界が一度に見えた」というようなことを、その女性は
言っていた。

 が、だからといって、スピリチュアル(霊的)な世界を肯定するのは、早い。
それをもって、「あの世がある」と言い切るのは、早い。
脳の一部には、どうもそういう機能が、もともとあるらしい。
(以下、記憶によるものなので、不正確。)

死ぬ寸前、つまり脳が機能を停止する直前、脳の一部のみが機能し、
人にそのような「夢」を見させるという(記憶による)。
前頭と側頭の間の溝(みぞ)に、その「一部」があるという(記憶による)。
その部分を電気的に刺激すると、先に書いたような水の流れる川と、
花が咲き乱れる美しい野原を、人は幻視として見るという(記憶による)。

 何かの薬草を服用しても、同じような現象を引き起こすことができるという
(記憶による)。
南アメリカにはその薬草を使って、幻覚を起こさせるという原住民もいるという。
まじないや病気の治療に使っているらしい(記憶による)。

 以上、「記憶による」というのは、何かの本で、そう読んだことがあるという意味。
何の本だったかは、忘れた。
以前、それについて書いた原稿があるはず。
(家に帰ってからさがしてみるが、見つからなかったら、ごめん!)
で、そのときも、こんなふうに書いた。

「長い進化の過程を経て、人間の脳の中には、そういう機能まで用意されている」と。
つまり死に際して、人は、最期の最期で、そういう夢を見るようになっている、と。
それには東洋人も、西洋人もない。
それが臨死体験ということになる。……ということではないか。
その本だけで、こう判断するのも危険なことだが、今の私には、そのほうが合理的に
聞こえる。
私は、スピリチュアルな意味での、「あの世」の存在を、信じていない。

 では、死んだら、私たちはどうなるか。
それについても、映画の中で、こう言っていた男がいた。
「電気を消すのと同じ。そのまま真っ暗になって、おしまい」(記憶による)と。
私はこちらの意見のほうを、支持する。

●あの世論

 が、実のところ、私にもわからない。
本当にあの世があるのか。
それともないのか。
そういう議論はさておき、今の私は、一応「ない」という前提で生きている。
死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
また死んでから、それを知っても、遅くはない。

 が、宗教の中には、「信仰の厚かったものだけが、天国へ行ける」などと教えて
いるのがある。
しかしこの考え方は、おかしい。
あるとも、ないともわからない状態で、それを信じろというほうが、おかしい。
まちがっている。
もし天国が本当にあるのなら、それを先に見せてくれればよい。
そうすれば、私のような無神論者でも、有神論者になる。
スピリチュアルな世界を信じ、天国を信ずようになる。

 ……というようなことは、すでに何度も書いてきた。
だからここでは、その先を考えてみたい。

●生体検査

 2週間ほど前、私は胃がんを疑われた。
そのときのこと。
表面的にはともかくも、心の中は、最悪。
不安と心配。
それが同時に、繰り返し心をふさいだ。
食欲も減退。
結果を知るまで、1週間で、2〜3キロもやせた。

 私は何度か、こう思った。
「私のような無神論者は、不幸だ。こういうとき、すがる相手がいない」と。

 信仰者なら、神や仏に、助けを求めただろう。
助けというか、やすらぎ。
それを求めただろう。
しかし私には、その神も仏もいない。
そこにポツンといるのは、私。
ひとりぼっちの私。
ワイフはそういう私を心配し、あれこれと慰めてくれた。
が、間にある隔離感は、どうしようもなかった。
すきま風は、どうしようもなかった。
私は孤独のどん底へ、叩き落された。

●やすらぎ
 
 映画『ヒア・アフター』は、しかし、よい映画だった。
途中、何度か、涙を流した。
あとに残された人たちの切なさが、そのつどジンジンと胸にしみた。
あの世があるとか、ないとか、そういう議論はさておき、「あの世」を必要とする
人たちも多い。
「あの世はある」と信ずることのみによって、救われる。
そういう人たちに向かって、「臨死体験は脳の活動の一部です」とか、「あの世は
ありません」とか、どうしてそんなことが言えるだろうか。
どうしてそんな残酷なことが言えるだろうか。

 その人がそれを信じ、やすらぎを得ているとしたら、そっとしておいてやること
こそ重要。
先にも書いたように、あの世があるのか、ないのか、本当のところ、私にもわからない。

●映画『ヒア・アフター』

 映画としては、期待したほどではなかった。
あえて星をつけるとしたら、星は3つの★★★。
『シクス・センス』『マトリックス』から始まり、『ミラーズ』『インセプション』ときて、
この『ヒア・アフター』。
ほかの映画を、星5つとするなら、この映画は、やはり星は3つ。
ややインパクトに欠ける。
……というか、冒頭の津波のシーンだけが、場違いなほど、大げさ。
臨死状態を経験するなら、あれほどの津波でなくても、よかったはず。

最後は、運命的な出会いにより、ハッピーエンドで終わるが、その部分も弱い。
「だったら、今までの流れは何だったのか?」と思ったところで、映画は終わってしまう。
ともかくも、西洋人の死生観が、この映画を通して、少し理解できた。
「西洋人」というよりは、監督のクリント・イーストウッドの死生観と書くべきか。

私なら、先日も書いたように、(あの世)と(この世)を逆転した描き方をする。
「この世」と思っている、この現世が、実はあの世。
「あの世」と思っている、死後の世界が、実はこの世。
私たちは、「あの世」と呼んでいる本来の世界から、「この世」と呼んでいるスピリチュ
アルな世界へやってきた。
今、その世界で生きている(?)。

 そのほうが、つじつまが合う。
私たちが「この世」と呼んでいるこの世界には、天国もあれば、地獄もある。
それに「この世」での命は、まりにも短い。
長く生きても、100年。
一方、「あの世」では、永遠。
母体(マトリックス)はどちらかというと、私たちが「あの世」と呼んでいる世界の
ほうこそ、母体。

●あの世の話

 もっとも私もあと16年足らずで、(それも運がよければの話だが)、この世を去る。
16年というが、そんな年数など、あっという間。
自分の過去を振り返ってみると、それがよくわかる。
今の年齢から16年を引くと、63−16=47歳。
47歳から今まで、あっという間に過ぎた。
だからこれからの16年間も、あっという間に過ぎていくだろう。
あるいはもっと早いかもしれない。

 で、その夜、床の中で、私はワイフにこう約束した。
胃がんの疑いがかけられた夜のことである。

「もしぼくが死んだら、その夜だけは、ぼくのそばにいてよ。
その夜、ぼくはかならず戻ってきて、あの世の話をしてあげるから」と。
ワイフには暗闇で見えなかったかもしれない。
が、私はその話をしているとき、ポロポロと涙をこぼした。
その涙こそが、クリント・イーストウッドの描きたかった涙ではなかったのか。

 そう言えば、マッド・デイモンの新作が、予告編で紹介されていた。
「運命」をテーマにした映画のようだ。
(タイトルは忘れた。)
こちらもおもしろそう。
楽しみ。
かならず観にいく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

05年ごろ書いた原稿です。
しかしここに出てくる、三日酔いというのは、
私が45歳ごろ経験したものです。
ずいぶんと古い原稿だと思いますが、
ここに掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●臨死体験

++++++++++++++++++

それにしても、ひどい三日酔いだった。
風邪の症状も、それに加わった。
そのときのこと。
私は二日酔いの症状のひとつである、
厭世(えんせい)気分というのを味わった。
これはたぶんに、脳内の脳間伝達物質の
変調によるものだと思う。

感情の鈍麻(愛犬がただの犬に見えた)、
空虚感(何をしても根気がつづかず、空しく感じた)、
思考力の低下(何も考えることができなかった)、そして、
厭世気分(何ごとも、どうでもよくなってしまった)。

私は布団の中で、暗い天井を見上げながら、
ふと「死ぬときはこんな気分だろうな」と思った。
「いつ死んでも構わない」という気分にもなった。
しかし、おかしなことに、たいへんおかしなことに、
死ぬことがこわいという思いは、ほとんどなかった。

「思う存分生きてきたではないか」
「これ以上、何ができる」と。

おかしな満足感だった。
つまりこれはまったく私が予想していなかったことである。
私はいつも、こう思っていた。
「私のような往生際(おうじょうぎわ)の悪い
人間は、いざ死ぬというときになると、ギャーギャーと
大騒ぎするだろうな」と。
そのこともあって、死ぬということが、こわい。
……こわかった。
「生きることは、死の恐怖と闘うことである」などと
書いたこともある。

しかしそのときは、ちがった。
「このまま死ねるなら、それはそれで構わない」とさえ、
思った。

言いかえると、「生きたい」という思いも、
「死にたい」という思いも、私でない(私)によって
操作された結果として生まれる(思い)ということになる。

「死にたくない」という思いも、「死ぬのがこわい」という
思いも、同様に考えてよいのでは(?)。
で、私は最終的にはこう思った。
「意外と、そのときはそのときで、死を受容し、
気楽に死ねるのではないか」と。

こういうのは「臨死体験」とは言わないが、
しかし私は、そのとき、死の心理体験をしたことになる。

+++++++++++++++++++

若いころ、恩師の松下哲子(のりこ)先生に、こう聞いたことがある。
先生はそのとき80数歳を過ぎていた。
長い廊下になった縁側に座り、先生に、ふとこう聞いたときのこと。
「先生、人間というのは、歳をとると、死ぬことがこわくなくなるものですか?」と。

松下先生は、縁側で丸い背をかがめながら、こう言った。
「林さん、人間というのは、いくつになっても、死ぬのはこわいもんですよ」と。

私はこの言葉に驚いた。
松下先生は、若いときから幼児教育に情熱を燃やし、それをやり尽くした人である。
そのときも新しい園舎の建築もすませ、まさに円熟の境地に達していたはず。
松下先生の銅像も完成していた。
「松下先生の立場なら、いつ死んでもよいという覚悟ができていてもおかしくないはず」
と、私は考えた。

が、先生は、率直に、「こわい」と言った。
そこでたぶん、こういう会話をしたと思う。
「そういうものですか?」「そういうもんです」と。

だから私は自分に自信がもてなくなってしまった。
松下先生のような人物ですら、そう言った。
私より、何倍も、密度の濃い人生を送った人である。
しかも当時の松下先生は、80歳を過ぎていた。

で、私はそのあとこう思った。
私にも、いつかその日がやってくる。
しかしその日まで、私は死をこわがりながら生きる。
それしかない、と。
(死の克服)というのは、それほどまでにむずかしいことだ、と。

が、それがあっさりと、ひっくり返ってしまった。
たしかに私は厭世気分というのを味わった。
そして死への恐怖感が、一時的であるにせよ、薄らいだ。
薄らいだというより、消えた。
だから少しおかしな言い方に聞こえるかもしれないが、私はこう思った。

「これなら、いけるぞ」と。

つまり、そのときがきたら、意外とあっさりと死ねるのではないか、と。
が、それには条件がある。
そのときまで、生きて生きて、生きまくる。
精一杯、自分を燃焼させる。
「やるだけのことは、やった」という思いが、そのとき、「もう死んでも構わない」
という思いにつながる(?)。

まだここでは(?マーク)をつけたままにしておくが、どうも、そういうことでは
ないだろうか。

……いや、ちがう!

ここまで自分の書いた文章を読みなおしてみて、こう思った。
「生きたい」「死にたくない」という思いは、最近の研究によれば、どうやら
脳下垂体にある視床下部あたりから生まれていることがわかってきた。
そこから強力なシグナルが発せられ、それが「生きたい」という人間のもつ、
根源的な生命力の原泉につながっていく。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、あるいはユングが説いた「生的エネルギー」
と同じに考えてよい。
人間にかぎらない。
あらゆる動物も同じと考えてよいが、ともかくも、そのシグナルが弱くなれば、
当然、「生きたい」という意欲も、弱くなってくる。……はず。

私が経験した厭世気分というのは、そのシグナルが変調、もしくは、弱くなった状態と
考えられないだろうか。
で、もしそうなら、何も、それまで生きて、生きて、生きまくるなどと気張らなくても、
だれしも、そのときがきたら、気楽に死の受容ができるということになる。
何もあえて、マズローの死の受容段階論など、とりあげる必要はない。
みな、ゆくゆくは、自ら、死を受容するようになる。

で、「生きたい」という思いが、実は(作られた意識)であるとするなら、
「死にたい」という思いもまた、(作られる意思)ということになる。
要するに、そのときは、そのとき。
そのときがくるまで、とにかく、生きる。
それでよい。
あとは脳のほうが勝手に意思を作ってくれる。
「死にたい」あるいは、「死んでもいい」という意思を勝手に作ってくれる。
そしてそのときは、そのときで、静かに死ねる。
今から、「死ぬのはこわい」などと、クヨクヨと悩む必要はない。
また悩んでも、無駄。

それを私は、この正月にまなんだ。
そしてそれがこのエッセーの結論ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容 厭世気分 その時 臨死体験 死を受け入れる はやし浩司 マズロー)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【浜松市・呉竹荘(ホテル・ヴィラくれたけ)にて】(がん検診無罪判決を祝って)

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SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/05/imge0af2f0ezikczj.jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC01475.JPG">

●無罪

 今夜は、市内のホテルに一泊。
がん検診の無罪判決を祝うため。
浜松周辺では第一のビジネスホテル。
昔は「呉竹荘(くれたけそう)」と言った。
今は「ホテル・ヴィラくれたけ」という名前になった?
部屋の宿泊案内では、すべてそうなっている。

 私はこうした検査結果で「シロ」判定が出るたび、それを「無罪」とか、
「無罪判決」とか、そんなふうに呼んでいる。
理由はない。
たぶん、もともと法科の学生だったということが関係しているかもしれない。
「良性だったから、シロ、つまり無罪」。

 先週受けた内視鏡検査で、胃壁に1〜2センチ大の腫瘍が見つかった。
ドクターはその一部を切り取り、生体検査に回した。
「念のため」と何度も言った。
私は信じなかった。
写真を見たが、たしかにぽっこりと、盛り上がっている。
表面には、細かい傷もある。
「ただごとではない」ということは、素人の私にも、よくわかった。

 それから1週間。
月曜日にかかりつけの医院に行くと、呼びに来た看護士が指で丸を作ってくれた。
「心配ありません」という合図だった。
検査結果は、「group1」。

●レストラン・デニーズにて

 午後8時にチェックイン。
部屋に荷物を置くと、そのまま近くのレストランに。
『デニーズ』という名前のレストラン。
歩いて、2〜3分のところにある。
ときどき利用させてもらっている。

 私もワイフも、うどん料理。
デザートに、イチゴなんとかという料理+飲み物。
デニーズでも和食料理が食べられるようになった。
おいしかった。

 その料理を食べながら、こんな話をした。
10年ぶりか。
今東光(こん・とうこう)先生(以下、今東光で統一)の話になった。
今では、今東光の名前を知る人は少ない。
作家、参議院議員、それにどこかの宗派の大僧正だった。

 その今東光とは、私はテレビ局で知り合った。
当時、私は日本テレビの11PMという番組で、脚本を書かせてもらっていた。
東洋医学がブームになり始めていたころのこと。
その脚本を書かせてもらっていた。
それが縁で、……というか、私は今東光とは、東京の築地にある国立がんセンター
でしか会っていないが、たびたび会うようになった。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/04/img805676efzikczj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC01471.JPG">

●二度の入院

 今東光は、私の知る限り、二度、がんセンターに入院している。
一度目は、直腸がんが見つかったときで、病室ではまったく元気だった。
センターの門の前に、焼肉屋があって、ときどき病院を抜け出し、焼肉を食べていた。
私も一度、連れていってもらったことがある。

二度目は、それから2、3年してからのことだった。
そのときは体を、テントのようなもので覆っていた。
動くのもままならないといったふうだった。

 今東光はメロンが好物で、それを食べたくなると、ときどき電話がかかってきた。
「静岡のメロンが食べたいから、届けてくれ」と。
私はメロンを買って、今東光に届けた。
私が24、5歳のころのことだったと記憶している。

 その今東光が、こんな話をしてくれた。
一度目の入院のときのことだった。

●女を買う

 若い人に、こんな話をしても、理解できないだろう。
私も理解できなかった。
今東光は、こう言った。

「オレは、18、9歳のときから、修行、修行で、女遊びができなかった。
だから今になって、しまった!、と思う。
しまった!、と思って、夜中でも、女を買いに行く」と。
「行く」というところを、「行くべえ」というような言い方をしていた。
どこの方言か、私は知らない。

 その「しまった!」という部分が、理解できなかった。

 また「女を買う」といっても、今東光のばあいは、「絵のモデルを買う」という
意味である。
当時、今東光は、女性のヌード画を好んで描いていた。
細い線の、ヒョロヒョロした絵だった。
行きつけの画廊に電話をすると、画廊は「女」を用意して待っていてくれた。

 その話を聞いて、「どうして何十年前のことを……?」と、私はそう思った。

●後悔

 デニーズでは、今東光の話になった。
それには理由がある。
私がワイフに、「あのときの今東光先生の気持ちが、今になって理解できる」と。
ふと、そう漏らすと、ワイフが「どうして?」と。

 「ぼくはね、若いころ、仕事ばかりしていた。
ほとんど遊ばなかった。
お金を稼ぐことはできたが、みんな人に取られてしまった。
親に取られ、息子たちに取られ、親類にも取られた。
だからね、今になって、しまった!、と思うことが多い」と。

 ワイフは、すなおに同意してくれた。

 「今度ね、がんが疑われたとき、ぼくはそれをまっ先に考えた。
ぼくの人生は、何だったのかのとね。で、ぼくは無罪だった。
だから遊ぶ。若いとき遊べなかった分だけ、遊ぶ」と。

 そのあと、先の今東光の話になった。

●孫の世話

 今にしてはじめて、親とは何か、子どもとは何か、別の視点から見ることができる。
そのときは、わからない。
自分がどんな親であるかさえ、わからない。
子育てにしても、無我夢中。
前だけしか見えない。
うしろを見る余裕など、どこにもない。
一方、親というのが、どういう存在なのかもわからない。

 が、今ならわかる。
ワイフとこんな話もした。

 「ほらね、よく孫の世話と庭いじり……それが理想の老後と説く人がいるだろ。
ぼくはね、そうは思わない。
もう一度、子育てをしろと言われても、困る。もういやだ。
子育ては、一度でこりごり。孫の世話など、まっぴら、ごめん」と。

 ワイフは、私より先に、そう言っていた。
かなり前から、そう言っていた。
「孫は写真で見ればかわいいけど、そばにいたらうるさいだけね」と。
そのときは、「冷たい女性だな」と思った。
しかし今、私はワイフと同じように考えるようになった。

私「そうだな。今はね、教室の子どもたちのほうが、かわいい。
離れて暮らしていることもあるけどね」
ワ「……そうね。教室から出て行けば、そこで責任が消えるから、気も楽だわ」
私「そう、孫たちが毎週、ぼくに会いに来てくれる。
最近のぼくは、そう考えるようになった」と。

●現実の話

 ところで、これは現実の話。
ときどき、祖父母の葬儀に出たあと、そのままの足で教室へやってくる子ども
(幼児)がいる。
「今日、おじいちゃんの葬式だった」とか、言う。
そういう子どもに向かって、私は「悲しかった?」と聞く。
たいていいつも、そう聞く。

 が、いまだかって、「さみしかった」とか「悲しかった」と答えた子ども(幼児)は、
1人もいない。
小学生でも、まずいない。
ただ1人だけ、「泣いた」という子ども(小学3年女児)が、いるには、いた。
そういう子どもは、驚くほど、例外。
で、理由を聞くと、こう話してくれた。
話してくれたというより、その家庭では、いろいろ事情があって、祖父が父親がわりを
していた。
それで「泣いた」と。

●意識のズレ

 で、ときどき私は聞く。
「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、悲しかった人?」と。
が、答はいつも同じ。
「ううん……」「ぜんぜん……」と。
葬儀の場で、はしゃいでいる子どもさえいるとか。
あとで母親が、「困りました」と。

 が、一方、孫が事故にあったり、大きな病気にかかれば、祖父母は神経をすり
減らす。
心配する。
しかし孫の子どもたちは、そうでない。
「老人は死ぬもの」、あるいは「死んで当然」という考え方をする。

 その話をしながら、私はワイフにこう言った。
「幻想はもたないほうがいい」と。

●幻想

 私たちは子育てをしながら、幻想をもちやすい。
幻想に酔いやすい。
しかし幻想は、幻想。
たいていのばあい、親のもつ思いと、子のもつ思いは、大きくちがう。

 内閣府の調査によれば、将来「父親のようになりたくない」「母親のようになりたく
ない」と答えている中高校生は、80%近くもいる(79%……『青少年白書』
平成10年)。
80%だぞ!
80%といえば、ほとんど!

 先日もある小学生(小6男児)が、ふとこう言った。
「あんなヤツ、いないほうがいい」と。
「あんなヤツ」とは、その男児の母親をいった。

私「あのね、君がそんなふうに思っていると知ったら、お母さんは悲しむぞ」
男「いいんだよ、あんなヤツ。いないほうがいいんだよ」
私「本当に、そう思うのか」
男「死んでしまってもいい」と。

 その母親は、人一倍、子どものことを考えている。
そのために人一倍、努力している。
が、子どもの心は、とっくの昔に母親から離れてしまっている。
親の思いと、子どもの思いは、多くのばあい、一致しない。
それが先に書いた「80%」(内閣府)という数字。

 子どもたちの世界というより、日本人の親子関係は、たしかにおかしい。

●孤立無援

 私もそうだった。
子育てはそれなりに楽しかった。
生きがいだった。
それは認める。
しかしその一方で、相当な社会的負担感を、いつも覚えた。

 とくに私のばあい、孤立無援。
孤立無援どころか、実家の心配までしなければならなかった。
これはずっとあとになってわかったことだが、私は、母を通して、何世帯もの
オジ、オバの生活費まで負担していた。

が、肝心のオジ、オバは、そういう話は、自分の息子や娘たちにはしていない。
だから今になっても、私に感謝するイトコはいない。
むしろ年長風を吹かし、私にあれこれ説教したのもいた。
「浩司君、親は親だから、大切にしろよ」とか、など。

 私はいつも追いつめられていた。
仕事ばかりしていた。
そのため「家族」を犠牲にした。
ワイフや息子たちは、今になって、そう言う。
しかし私が本当に犠牲にしたのは、実は「私自身」だった。

●28%?

 ついでにこれも内閣府の調査だが、こういうこと。
日本人の若者(成年男女)のばあい、「将来、親のめんどうをみる」と
自覚している若者は、30%もいない。
(実際には、28%。平成21年調査※)
多くは「経済的に余裕があれば、みる」と答えている。

 しかし経済的に余裕のある人など、ほとんどいない。
それぞれの人がそれぞれの収入の中で、目一杯の生活をしている。
言い換えると、「親のめんどうはみない」ということになる。

が、考えてみれば、これはおかしい。
本来なら、豊かな生活の中で、それを築いた親たちに、もっとも感謝しなければ
ならない。
そういう世代である。
その感謝の念がない。
ないばかりか、それを「当然」と考えている。
へたに「ぼくたちは苦労した」などと言おうものなら、「自業自得」とやり返される。

●自業自得

が、若い人たちを責めてばかりいては、いけない。
私たちの世代にしても、父や母たちがした苦労を知らない。

私の父にしても、台湾でアメリカ兵と戦っている。
腹に貫通銃創を受け、傷痍軍人として、日本に帰ってきた。
父は父なりに、「日本のために戦った」。
が、私はそういう父を、いったいどの程度理解し、感謝しただろうか。
いや、むしろ逆。
私は口にこそ出して言わなかったが、いつもこう思っていた。
「バカな戦争をするからだ」と。

 若い人たちが言う「自業自得」という言葉と、中身は同じ。
どこがどうちがうというのか。

●もうけもの

 「ぼくはね、これからの人生は、もうけものと思っている」と。
友人のS君も、そう言っていた。
S君は、50歳を過ぎたころ、内臓のがんを患(わずら)った。
それ以後、何度か手術を経験している。
「林(=私)、50歳を過ぎたらね、人生はもうけものなんだよ」と。

私「ぼくはね、この1年間、遊んで遊んで、遊びまくる。もちろん、仕事もする。
親や息子たちに取られた分を、少しでも取り返す」
ワ「でもね、私たちはラッキーだったと思うわ。
大きな事故も、病気もなかったし……。
今まで無事でこられたことが、ラッキーなのよ」

私「……ぼくは、そういうふうには、考えられない。
ぼくにはどうであれ、1回の人生。ぼくしか知らない人生。
病気になっても、不幸だとは思わない。しかたないと思う。
病気でないから、幸福ということにもならない。
生き様の問題ではないかな」と。
 
 少しわかりにくい話かもしれない。
こんな例がある。

●1回の人生

 ある進学校(中学)に、S君という男子が通っていた。
運動はよくできたが、勉強のほうは、まったくだめだった。
当時、「落ちこぼれ」という言葉がはやった。
S君は、その落ちこぼれだった。

 が、S君はどういうわけか、その中学校に進学した。
小学校と中学校がつづきになっていた。

 で、ある日、S君が中学3年生になったときのこと。
私はS君にこう聞いた。
恐る恐る聞いた。
「君は、今の学校に入ったことを後悔していないか?」と。
するとS君は、明るい声で、こう答えた。
「ううん、楽しいよ」と。

 私はS君が、進学校にいることを後悔しているものとばかり思っていた。
しかしS君は、「後悔していない」と。

 この話は、私に大きなショックを与えた。
で、私なりにS君を理解しようとした。
で、私の得た結論は、こうだ。
「どうであれ、S君はその学校しか知らない。
知らないから、後悔のしようがない」と。

 つまりS君は、別の学校の、別の人生を知らない。
もし知っていたら、それぞれを比較することによって、どちらがよくて、どちらが
悪いかを知る。
比較できないから、そのときの(現実)を受け入れるしかない。
よくても、また悪くても、受け入れるしかない。
それが、私がここでいう「1回の人生」という意味である。

●ホテル・ヴィラくれたけ

 ワイフは、いつのもように、今、DVDを観ている。
老人夫婦の強盗をテーマにした映画である。
私はこうして鏡に向かって、パソコンのキーボードを叩いている。

 このホテルはすばらしい。
部屋は旧館の6階だが、何でも「特別フロア」とか。
エレベーターを降りたところに、そう書いてあった。
風呂の横には、シャワールームまである。
先月、隣のGホテルにも泊まったが、料金を勘案するなら、ホテル・ヴィラくれたけの
ほうが、はるかにすばらしい。
サービスも本気。
テレビにいたるまで、ピカピカに磨いてある。
冷蔵庫の中まで、ピカピカに磨いてある。
それに分厚いジュータン。
本気度がよくわかる。

 私は茶を作り、ワイフに出す。
ワイフは「ありがと」と言って、それを口にする。

●猶予期間

 さて、(もうけもの)の人生を、どう生きるか。
今回は無罪だったが、次回はわからない。
次回はよくても、そのつぎはわからない。
ドクターは、「1〜2年は、検査しなくてもいいでしょう」と言った。
(たったの1〜2年?)
この言葉を裏から読むと、「2年後はわかりませんよ」という意味。
つまり猶予期間は、2年。

 加齢とともに、そのテンポは速くなる。

 たまたま私の教室にOZ君という生徒がいる。
OZ君の父親は、医大でも、PSA検査の権威。
日本全国を、PSA検査法の指導で回っている。
そのOZ先生と、2度ほどいっしょに食事をさせてもらった。
その席で、「林先生(=私)も、PSA検査を受けなさい」と、さかんに勧められた。
言い忘れたが、PSA検査というのは、前立腺がんを発見するための検査法である。

 以後、どういうわけか、検査づいてしまった。
先月は、大腸から直腸の検査。
そして今回は、食道から十二指腸まで。
言うなれば、入り口と出口の検査をすませたことになる。
しかし猶予期間は、たったの2年。
OZ先生も、そう言っていた。
「2〜3年は、PSA検査は必要ないでしょうね」と。

●「その日」

 今回、内視鏡検査で、「灰色判定」をくだされたときのこと。
私はこう考えた。
「とうとう、来たか!」と。

 が、いつか(その日)はやってくる。
かならずやってくる。
それを覚悟して、私は毎日、完全燃焼に心がける。
一瞬でも、一秒でも、時間を無駄にしたくない。
が、それでも一日たりとも、満足した日はない。
毎晩、床について電気を消した瞬間、こう思う。
「ああ、今日も終わってしまった」と。

 で、そのあとのこと。
ドクターは、「念のため」と数回言いながら、部屋を出て行った。
私はまだ麻酔の残る、甘ったるい意識の中で、こう思った。
「思ったより、早くやってきたな」と。
意外と冷静な自分を知った。
もう少し、取り乱すかと思っていた。
が、冷静だった。

 「死」を覚悟したというより、こう思った。
「仮に悪いものであっても、手術をすればなおるはず。
初期であれば、5年生存率は、95%以上。
その間に、ゆっくりと身辺の整理ができる」と。

●身辺の整理

 身辺の整理……。
いろいろある。
まっ先に考えたのが、「私の人生は何だったのか」ということ。
が、つぎに考えたのが、ワイフの老後。
ワイフは、近くの有料老人ホームへ入居すると言っている。
息子たちに迷惑はかけたくないと言っている。
ワイフの性格からして、そうだろう。
若いころから独立心が旺盛。
私より、はるかに旺盛。

 「土地を売れば、入居費用は何とかなる。
あとは残った財産を、うまく使えばいい」と私。
「学費だけは惜しまない」と、私は考えてきた。
が、気がついてみたら、老後の資金は、底をついていた。
息子たちをうらんだというよりは、親バカだった自分を恥じた。

 つぎに考えたのが、私の原稿。
つまり墓石。
私にとっては、原稿イコール、墓石。
墓石イコール、原稿。
それを少しでも、そして少しでも長く、この世に残したい。
その方法を考えた。

●難問

 が、すぐ難問にぶつかった。
私のように、こうして自分の生活をさらけ出している人は少ない。
少ないから、原稿の内容から、私が今、どういう状況なのか、他人にすぐわかって
しまう。

 それについて、どう自分を表現したらよいのか。
それを何度も、繰り返し考えた。
どこかの有名人のように、大病を告白するのか。
それとも最後の最後まで、隠しつづけるのか。
少なくとも、息子たちには知られたくない。
いらぬ心配をかけたくない。

 その夜、ワイフはこう言った。
「あなたが死んだら、骨は、私がちゃんと預かるわ」と。
それに答えて、私は、ワイフにこう言った。
「ぼくが死んでも、だれにも知らせるな。息子たちにも知らせるな。
お前だけが、その晩、そばにいてくれれば、それでいい」と。

 そういう約束を、たがいに決めておく。
これも身辺整理のひとつということになる。

●『一助、百回』

 あれから35年近く。
今東光は、「しまった!」という言葉を使った。
同じ言葉を、今、私も使っている。
しまった!、と。

 私は私の人生を生きるのを、すっかり忘れていた。
で、気がついてみたら、そこにはだれもいない。
人生はすでに終盤。

ひとりよがりな、自己犠牲。
ひとりよがりな、自己満足。
それだけで生きてきた。

ただ言えることは、金(マネー)の力は、恐ろしく弱いということ。
金(マネー)で、幸福は買えない。
人の心は買えない。
『一助、百回』という格言は、私が考えた。
「人というのは、1回でも助けると、それがそのまま当たり前になる。
そしてそれが100回繰り返される」という意味。

 親にせよ、息子たちにせよ、親類にせよ、みな、そうだ。
私もあと2年で、年金生活者になる。
が、人生で、得た金(マネー)は、ワイフの父親が死んだときにもらった10万円。
それだけ。
親や親類からもらった金(マネー)は、1円もない。
ただの一度もない。

 だから『一助、百回』。
(これは愚痴かな?)

●就寝

 おもしろいことに、こういうホテルでは、ワイフは寝る前に風呂に入る。
私は朝、起きたときに風呂に入る。
このホテルには、大浴場はない。
どうしてだろう?

 家ではいつもいっしょに入っている。
長話をすることも多い。
が、こういうホテルでは、別々。
人の習慣というのも、時とばあいによって変化する。
一貫性がない。
逆に言えば、人は時とばあいに応じて、別の習慣を作る。

考えてみれば、これはおもしろい現象だ。
(新しい考え方、ゲット!)

●就寝

 さて就寝の時刻が近づいてきた。
今、ワイフはその風呂に入っている。
シャワーの音が、よく聞こえる。

 オテル・ヴィラくれたけ。
このホテルのオーナーは、YS氏。
2人の子ども(兄と妹)がいた。
私の教え子である。
幼児のときから、小学4、5年生になるまで、教えさせてもらった。
今ごろは、30歳前後になっているはず。
そういうひいき目をはずしても、ホテル・ヴィラくれたけは、浜松市でも
最高のホテル。
都会的なホテルだが、どこか、家庭的な雰囲気が漂っている。
この部屋(6xx号室)に泊まってみて、それがはっきりと確認できた。

●終わりに

 「これからの人生はもうけもの」と思う。
そう思うだけで、人へのうらみ、つらみは、消える。
生きているだけでも、ありがたい。
健康であるなら、なおさら。
仕事があれば、さらによい。
……というか、生きがい。
生きがいこそ、重要。
それがあれば、さらによい。

 (その日)まで、生きがいをもって生きる。
(その日)がきても、後悔しないように生きる。
(その日)が来たら、「おいでになりましたか」と、受け入れる。
そのためにも、完全燃焼あるのみ。
ただひたすら完全燃焼、あるのみ。
日々に、完全燃焼、あるのみ。

 はからずも今回、それを模擬体験した。
灰色ゾーンの中で、重苦しい日々を過ごした。
が、これではいけない。
「重苦しい」ということは、不完全ということ。
まだまだ私の精進は足りない。
それを思い知らされた。
よい反省の機会になった。

 そうそう言い忘れたが、今朝は、近くのガーデンパークまで行って、昼の
弁当を食べてきた。
そこでのこと。
人間のピュービックヘアー(陰M)そっくりの木を見つけた。
私が、「なあ、お前、あの木ね、陰Mそっくりとは思わないか」と。
ワイフはさかんに、「どうしてあなたはそんなに下品なのよ」と言って笑った。

その写真を、ここに添付しておく。
暗い話ばかりしたので、最後は、笑ってほしい。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/06/img6fde9312zikazj.
jpeg" 
width="640" height="480" alt="DSC01435.JPG">

 ……ということで、今夜はここまで。
では、みなさん、おやすみなさい。

2011年2月16日、夜11時23分。

(注※)
イギリスの若者…66%、アメリカの若者…64%、という数字と見比べてみてほしい。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんど
うをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 がん検診 胃がん検診 今東光 はやし浩司 呉竹荘 ホテル・ヴィラ
くれたけ ホテルヴィラくれたけ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●もうけもの人生

++++++++++++++++++++++

ワイフの父親は、戦時中、ラバウルに向かった。
3000人の兵士とともに、ラバウルに上陸した。
が、そこで終戦。
父親の話によれば、生き残って帰ってきたのは、
そのうちの、たったの300人。
(ラバウルでは、約13万人の日本兵が戦死。)

だから生前の父親は、いつもこう言っていた。
「申し訳ない、申し訳ない」と。
私も、1、2度、その言葉を耳にしたことがある。

「自分だけ生き残って帰ってきて、申し訳ない」と。
そのことが大きく関係したかどうかは、知らない。
しかし、がんで手術することになったときのこと。
ワイフの父親は、二度と自宅に帰ることはないと覚悟したのか、
身辺をきれいに整理して、病院へ向かった。

 が、手遅れだった。
開腹はしたものの、そのまま縫合。
それから約1か月後、ワイフの父親は他界した。
私も何度か見舞いに行った。
が、ワイフの父親ほど、すばらしい死に様を見せた人を、
私は知らない。
私が病院へ行くと、いつもベッドの上で正座していた。
かなりの激痛があったはずだが、ただの一度も、
「痛い」とは言わなかった。

そして最期の最期のときも、家族が見守る前で、
自らいくつかの管をはずし、静かに息を引き取っていった。
まったく動ずることはなかった。

私はその話をワイフから聞き、「人は、こんなにも
すばらしい死に方ができるものか」と、驚いた。

+++++++++++++++++++++++

●もうけもの

 ものが見える、音が聞こえる、風を肌で感ずる……。
それだけでも、すばらしいこと。
そのすばらしさに気づいたら、身のまわりのもろもろの問題は、そのまま霧散する。
それを学生時代の友人は、こう表現した。
「もうけもの」と。

 友人はすでに10年近く、がんで、闘病生活をしている。
毎日薬をのみ、週に1度は病院へ行き、月に一度は検査を受けている、と。
「あのなあ、林(=私)、がんなんてものはなあ、見つかったら、切ればいい。
切ったときから、5年は生きられる。
その5年は、もうけものなんだよな」と。
励ますつもりで電話したのだが、かえって励まされてしまった。

●人生、50年

 昔は「人生、50年」と言った。
その前の江戸時代には、平均寿命は45歳前後だったという。
それを思えば、今の私はとっくの昔に死んでいても、おかしくない。
その私が63歳になった今も、生きている。
これを「もうけもの」と言わずして、何と言う?

 そこで重要なことは、その(もうけもの)の人生を、どう生きるかということ。
さらに言えば、密度。
だらだらと無益に100年生きるよりは、たとえ1日でも、有益に
生きたほうがよい。
『朝に道を聞かば・・・』(論語)というのは、そういう意味である。

●健康寿命

 が、私が「もうけもの」と言うときには、もうひとつ別の切実な問題がある。
老後の資金の問題である。
できれば死ぬ間際まで働き、ポックリと死にたい。
そうすればだれにも迷惑をかけることなく、死ぬことができる。
が、そうはいかない。

健康寿命は、(平均余命)―(10年)という。
男性について言えば、健康寿命は69歳前後(79歳−10年=69歳)。
そのあと10年ほどは、もろもろの病気を繰り返す。
79歳ごろ、寿命が尽きる。
その「10年」が問題。
私だけの問題ではない。
ワイフの問題もある。

 元気で仕事ができればできるほど、資金がたまる。
その資金で、有料老人ホームに入ることができる。

●無縁死

 最近、話題になっているのが、「無縁老人」「無縁死」。
最初にその言葉を知ったときには、私も少なからずドキッとした。
しかしこのところ、心境が変わってきた。
「それもいいのではないのかな」と。

 つまり無縁老人になろうが、無縁死をしようが、それはそれ。
……というか、古今東西、ほとんどの人は、皆、そういう死に方をしている。
それを「悪いこと」とか、あるいは「あってはならないこと」と考えるから、
話がむずかしくなる。

「老人」になるまで生きられただけでも、御の字。
若くして死んでいく人のことを思えば、なおさら。
それはちょうど、シワの数を心配する、若い女性に似ている。
歳を取れば、だれだってシワはふえる。
どうしてそれが悪いことなのか。

 喜んで無縁老人になり、無縁死をすればよい。
またそうであるからといって、それを「不幸なこと」と決めつけてはいけない。
大切なことは、それ以上に、「今」をどう生きるかということ。
有意義に、どう生きるかということ。
方法は簡単。
ただひたすら懸命に生きればよい。
結果は、かならずあとからついてくる。

●結果
 
 こう書くと、そうでない人たちにたいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし私は、こう思う。
「63歳の今、こうして元気で仕事ができるだけでも、ありがたい」と。
頭のほうも、いまのところ心配なさそう。
そういう私を見て、ワイフはこう言う。
「私たちはラッキーだったわ」と。
大きな病気はしなかった。
大きな事故もなかった。

 が、私はそうは思わない。
20代の後半から、60歳になるまで、私は運動を欠かさなかった。
毎日、2単位(1単位=40分)のサイクリングをつづけた。
頬を切るほど冷たい風の中でも、欠かさなかった。
その結果が、「今」ということになる。

●放心状態

 はからずも今回、私はがん検診で、「死」をそこに感じた。
自分の限界を、そこに感じた。
「私も、ここまでか」と。
しかし不思議なことに、あれほどまで日ごろは、死を恐れていた私が、冷静だった。
もう少し取り乱すかと思った。
事実、30歳前後のとき、脳腫瘍を疑われたときには、放心状態になってしまった。
病院からどのように家に帰ったか、覚えていない。
途中でワイフが車で拾ってくれたが、ワイフはこう言った。
「あなたは幽霊みたいだった」と。

 その夜は、1歳に前後になったばかりの長男の顔を見て、泣き明かした。

 その同じ私が、冷静だった。
その理由のひとつが、ワイフの父親ではないかと思う。
父親は、「死んでいて当たり前」という前提で生きていた。
今の私について言えば、「死ぬのが当たり前」。
それを思えば、一日、一日、生きているだけも、ありがたい。
意識したわけではないが、いつの間にか、私はその精神を引き継いでいた。
そこで今は、こう思う。
「生きているだけでも、もうけもの」と。

●もうけもの人生
 
 ここ数日は、のんびりとさせてもらっている。
今朝も、午前8時起き。
しかし昨日から、運動を再開。
今日から原稿書き、再開。
明日からは、また午前5時ごろ起きる。

 ただ頭の活動は、たしかに鈍くなってきた。
新しい発見も、少なくなってきた。
何よりも心配なのは、ものごとに対する関心が薄れてきたこと。
ニュースサイトに目を通しても、そのまま読んで終わってしまう。
「これではいけない」とは、思う。
思うが、そのまま終わってしまう。

 (そう言えば、最近、「電子マガジンをやめようか」と思うことが多くなった。
それもそのひとつ。)

 生きることに、めんどう臭さを覚えるようになったら、おしまい。
だから今日もがんばる。
がんばろう!

2011年2月18日朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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