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2011年         7月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

2011−7月号





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 29日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●過剰行動児

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【突然、キーキー声を張りあげる子どもについて】

【N先生より、はやし浩司へ】

お久しぶりです。先生、お元気でしょうか。
うだるような暑さの中でも子どもたちは
元気に遊んでいます。
今日は、保育園の園児のご相談をしたいと
思います。
 
興奮したりすると、「キー」とまるで猿のように
叫ぶ子がいて、とても気になります。
一人そんなことをすると、まねをする子が出ます。
友達と遊んでいて、喜んでいる時かと思いますが、
本当によく響き渡る声です。
 
この子は、5歳児ですが、サ行やタ行がうまく
言えません。でも、友達とはおしゃべりが盛んです。
実習生やボランティアの方などが保育園に
みえると、おんぶや抱っこをせがんだり、べったり
甘えたりして積極的に行動します。
家庭では、母親にほとんど甘えたがる様子は見せない
ということです。
 
単に、そんな声を出して楽しんでいるのか、それとも
何か彼の心のなかを表現しているのでしょうか。
子どもですから、キャッキャと騒ぐのは慣れているのですが
この子の声はとても気になります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●問題点

 問題点は、つぎの3つある。
それぞれを別に考える。
が、ここでは(1)の過剰行動性について考える。

(1)キーキー声を張り上げる。
(2)発語障害
(3)母子関係の不全(マターナルデブリベーション)

【はやし浩司より、N先生へ】

●樹香庵

 暑いですね。
冗談のような話ですが、おとといの夜は、浜北区の森の家にある、樹香庵に一泊しました。
すばらしい一軒家旅館です。
そこでのこと。
風呂上がりに体重計に乗ったら、何と72キロ!
ギョーッ!
少し腹が出てきたかなと思っていましたが、7〜8キロもオーバーです。

 で、そのショックといったら、たいへんなものでした。
とたん意気消沈。
ガックリときました。
で、しばらくしてから、ワイフにも体重を測らせました。
そのワイフも、いつもより6キロもオーバー。
……ということで、体重計が壊れていることを知りました。
ホーッとしましたが、そんなこともあり、昨日と今日は、運動+ダイエット。
サイクリングを2単位(40分x2)、プラス、カロリーメイトと軽食のみ。

 昨日、1キロ減量。
今日、500グラム減量。
現在、66キロ。
それでも標準より、4〜5キロ、オーバー。
しばらく苦しいダイエットがつづきそうです。

●キーキー・ボイスについて

 幼児のキーキー・ボイス(突発的で、耳をつんざくようなキーキー声)は、第一に、過剰行動性
を疑
います。
もう30年ほど前から、アメリカでは問題になっています。
「過剰行動児」と訳されていますが、日本では一般的ではありません。

 原因は、低血糖です。
日常的に、糖分の多い食生活(ジュースやアイスクリームなど)を摂取していると、血糖値があ
がりま
す。
その血糖値をさげようと、インシュリンが分泌されます。
で、血糖値はさがりますが、血中に残ったインシュリンが、さらに血糖値をさげつづけます。
結果として、低血糖児になるわけです。

 低血糖になると、脳の抑制命令がきかなくなり、行動に過剰性がみられるようになります。
以前書いた原稿をこのあとに添付しますが、砂糖断ち(白砂糖)をすれば、1週間ほどで、ウソ
のよう
に静かになりますから、一度、試してみてください。
つまり原因は、食生活と考えます。
(かんしゃく発作、あるいはてんかん症も疑われますが……。)

 付随的な症状としては、(1)体の緊張感が保てず、ダラダラとした様子になる(カルシウムイ
オン
不足)、(2)集中力がつづかない、(3)興奮性が強くなる、などがあります。

 あわせて海産物の多い食生活に切り替えます。
海産物には、K、Mg、Caが多く含まれています。
イギリスでは昔から、「カルシウムは紳士を作る」と言われています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●過剰行動児(2007年に書いた原稿)

●砂糖は白い麻薬

++++++++++++

甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。

私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。

それが最近、科学的に、証明され
つつある。

++++++++++++

●禁断症状

 アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文を発
表し
ている。

 「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイ
ド拮
抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この
結果か
ら、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわかる。
人間でも
同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもしれない」(日経・
サイ
エンス・07・12月号・P55)と。

 これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しかし一
歩、近づ
いた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!

 その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の原稿を
もとに、
書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。この中に書いた、
U君とい
うのは、今でもよく覚えている。

++++++++++++++

●砂糖は白い麻薬

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミ
ソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりや
すい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ小
児栄養
学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分
泌され、
そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令
を阻害す
る、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。
母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。

U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられ
た。このタ
イプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
った
いないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君は1
日、
100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで私はまず
砂糖
断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット

くれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状
のよ
うなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。
が、その
1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まった
く反
応がなくなってしまったのだ。

何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだ
け。母
親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。
今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの必要量は確
保できる。
ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイチゴジャム大さじ一杯
分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声を
はりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネシウム
の多い
食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬
と考え
る学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、
せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。

とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ
(弾
力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても

れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、

ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだや
かに
し、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるよ
うに
するため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざける
こと
はできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出し
ているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要なこと
である」
と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・
フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神

のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原
因になっ
ている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る
子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期間が長
ければ長
いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム
不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。脳神経細
胞の興奮
性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそい。神経衰弱、精
神病にか
かりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医
学」)という
説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。

+++++++++++++

 30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬による
禁断
症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつけられて、私は、
そう
書いた。

 U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケット!」と叫

だという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。

 が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。おか
しなこ
とに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえって子どもの情緒は
不安定
になる」と主張する学者さえいた。

 私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確信を得た。
まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当てはめて考えることは
できな
い。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえれば、うれしい。

●お母さんたちへ

 ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大きなソフトク

ームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。

 それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より大き
なソフト
クリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。

 量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べるということ
は、
体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。

 いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなります。それ

けではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き起こすことも、よ
く知られ
ています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる人もいるかもしれません。理由は
簡単
です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要以上に血糖値をさげてしまうからです。

 突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言えば、
突発的に、
キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつんざくような金きり声
で)、
騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。

 『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製していな
い、
黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル分がバランスよく含ま
れて
いますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりません。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ボル
コフ 
過食症ラット 禁断症状)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インシュリンの分泌について

 ついおととい、こんな論文がネット上に、ニュースとして流れました。
「ペットボトル症候群」というのが、それです。
「ペットボトル症候群」という言葉は、もう10年以上も前からあります。
毎年、夏になると、話題になります。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。

『ペットボトル症候群(ペットボトルしょうこうぐん、PET bottle syndrome)とはスポーツドリンク、
清涼飲料水などを大量に飲み続けることによっておこる急性の糖尿病である。
糖尿病性ケトアシドーシスの症状となった若い人達の多くがペットボトルで清涼飲料水を飲んで
いた
ことから「ペットボトル症候群(清涼飲料水ケトアシドーシス)」と名付けられた。1992年5月に、
聖マリアンナ医科大学の研究グループが報告した』(ウィキペディア百科事典)と。

 このばあいは、一度に多量の糖分を摂取することにより、インシュリンの分泌が停止してしま
うとい
うことになります。
その結果、急性の糖尿病が起るというわけです。
ひどいばあいは、そのまま昏睡状態に陥ってしまうこともあるといいます。
(こわいですね!)

 どうであるにせよ、糖分の過剰摂取は、子どもの脳の発育には、よい影響を与えないというこ
とにな
ります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●キレる子ども(感情、行動に抑制のきかない子ども)

 キレる子ども(突発的に錯乱状態になって、暴れる、興奮する)についても、ひとつの原因とし
て、
白砂糖の過剰摂取が疑われています。
一部、原稿がダブるかもしれないが、それについて書いた原稿をさがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)
が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプの
子ども
である。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続
いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたことがある(九
八年)。
日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、この分野の研究者と
して知られて
いる。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう
相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その
様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意すると、H君
は突発
的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動性も気になると
母親は
言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興奮状態になることも珍
しくな
かった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性か
ら、H
君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しない
まま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが過剰行動児をわ
かった
ところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそれを口にすることは許
されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児や
かん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。この過剰行動
児につ
いてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの子どもは過剰行動児
です」
と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしな
がら、
その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモ
ン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」という。メカニズ
ムは、
こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々に分泌される。し
かし一
時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり必要とされる量以上の
量のイン
スリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。
これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる症状
でもある。
私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受
けたこ
とがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの
命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つかめ」とい
う行動
命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖に
なると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切るような動
きに
なる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝手に小刻みに
動いて
しまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくな
り、一
度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎる
と、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖
は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血液を中
和しようと、
骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の
発育が
不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が
遅くな
るなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カル
シウム
が不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘
い食品
を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセ
ロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの生化学者
のミラ
ーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に
重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリング」八
一年(7)
号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる問題行動が、食
物と関
係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている白砂糖の量は、次のよう
になっ
ている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャ
ムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶な
ど、あ
らゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、
異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビスケッ
トがほ
しい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐
ろし
かった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまっ
たとい
う。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっ
ていた。
ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャ
ムを
食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、
「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じたら、砂糖
断ち
をする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころがける。私の
経験では、
幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落
ち着くの
がわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだ
けでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そうでな
くても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体重15

ロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に
等しい。
おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしま
う。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れて
いない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、ここでい
う弊害
はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過剰
行動児 
セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 原因 キレる子ども
 原
因 原因物質)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●N先生へ

 その子どもには、砂糖断ちを勧めてみたらよいでしょう。
しかしこれは食生活の問題というよりは、母親の買い物癖の問題です。
一時的に母親が気をつけても、また数か月もすると、元に戻ってしまいます。
母親の買い物癖が、また始まるからです。
ショッピングに行っても、甘い食品を選んで買う、など。

 ですから母親自身が、かなり心を鬼にして、つまり覚悟をして治そうという意識がないかぎり、
子ど
もの過剰行動性は、治らないということです。
そこで私は、「冷蔵庫をカラにせよ」という提言をしています。
それについて書いた原稿もあるはずです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●買い物グセ

 夏場になると、がぜん多くなるのが、体をクネクネ、ダラダラさせる子ども。原因は、いろいろ
ある。

 クーラーなどによる、冷房のかけすぎ。睡眠不足。それに、甘いものの食べすぎ。

 この時期、どうしても、アイスやかき氷が多くなる。ジュースや、清涼飲料水などなど。糖分の
とり
すぎが遠因となって、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの不足を引き起こす。

 だいたいにおいて、世の母親たちよ、ものごとは、常識で考えてみようではないか。

 体重12キロの子どもに、缶ジュース一本を与えるということは、体重60キロのおとなが、5
本飲
む量に等しい。それだけ多量のジュースを一方で、与えておきながら、「どうしてうちの子は、小
食な
のでしょうか」は、ない!

 ……というような話をすると、ほとんどの親は、自分の愚行(失礼!)に気づく。そして、こう言
う。
「では、今日から、改めます」と。

 しかし、問題は、この先。

 しばらくの間は、母親も注意する。しかし数週間から1か月、2か月もすると、また、もとにもど

てしまう。もとの食生活にもどって、また子どもに、甘い食べ物を与えてしまう。

 思考回路がそうできているからである。つまり、この思考回路、それにもとづく行動パターン
を変え
るのは、容易なことではない。

 買いものに行くと、また同じ、ジュースだのアイスを買い始めてしまう……。

 では、どうするか。

 こうした思考回路を変えるためには、ショックを与えなければならない。「ショック」である。

 話は、かなり脱線するが、昔は、チンドン屋というのがいた。新しい店ができると、そこの経営
者が
チンドン屋を雇い、そのチンドン屋が、そのあたりをぐるぐると回った。

 私たち子どもは、それがおもしろくて、いつまでも、そのチンドン屋について歩いた。

 つまりそうすることで、もちろんその店の宣伝にもなるが、そのあたりに住む人たちの、行動
パター
ンを変えることができる。たとえば人というのは、一度、ある店に行き始めると、その行動パタ
ーンを
変えるのは、容易なことではない。

 「お酒……」といえば、「A酒屋」と。
 「お米……」といえば、「B米屋」と。

 そこで新しくできた店は、そのあたりの人たちがもつ、そういう意識、つまり行動パターンを変
えな
ければならない。それがチンドン屋というわけである。

 たしかにあのチンドン屋は、ショックを与えるという意味では、効果がある。派手な服装に、派
手な
鳴り物。それに踊り。チンチン、ドンドンと音に合わせて、踊りながら回る。そのあたりの人たち
は、
それを見て、自分の行動パターンを変える……。

 では、どうするか?

 あなたには、あなたの買い物グセがある。その買い物グセをなおすには、どうするか。

 もうおわかりかと思うが、その行動パターンを変えるためには、自らにショックを与えればよ
いとい
うことになる。ショックを与えて、自分の行動パターンを変える。

【一つの方法】

 今すぐ、冷蔵庫の中にある、甘い食品(アイス、ジュース、プリンなど)を、すべて袋につめて、

てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、心を鬼にして、捨てる。

 この「もったいない」という思いが、ショックとなって、あなたの意識、行動パターンが変わる。

 こういうとき、「つぎから、買うのをひかえればいい」とか、「もったいないから、食べてしまお
う」
と考えてはいけない。そういうケチな根性をもつと、またすぐ、もとの買い物グセにもどってしま
う。

●マターナル・デブリベーション

 ついでに母子関係の不全についての原稿をさがしてみます。
どうか参考になさってください。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マターナル・デブリベーション(Maternal Deprivation、母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続け
た。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようにな
り 年
末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言葉)自
分の
存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。
電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち
直れません。
フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り
続ける妙な
癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放される
と信
じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽ
い奇
声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、
心が開
くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこ
む習性
がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特
の症状が
現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってき
た。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになってい
る。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の
発達が遅
れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、そ
れを末尾
に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待した
りするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってき
た。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされた
が、最
後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少

書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待し
たりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし

表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももい
る。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持すること
がで
きる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要

ある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子ども
がいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満
足げで
おっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえ
ば、
いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デプリベイベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなの
か?」
と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難し
い。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれな
い。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、
そうし
ていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この
「マタ
ーナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高
い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なこ
とではな
い。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということ
もある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もり
に関して
いるという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エ
ンドロフ
ィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デプリベーション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】(分科会、レジュメ)

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはい
けない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが…
…。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性
が強くな
る。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分

甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物な
ど、雑務
のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」
とい
う相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親
自身が自
立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文
化圏の民族
は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないよう
だ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひ
とつにな
っている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セ
ルフ・コ
ントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切な
バロ
メーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかって
きた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなる
と言わ
れている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二
匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これをA犬
とする。
もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからもらってきた。こ
れを
B犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもな
ろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、決して
心を許
さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。そして腹
が減
るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッ
ポを振
ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そ
べっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木鉢は
全滅。
小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠実で、門をあ
けて
おいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいの
か、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるので、ここ
では
詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わらないというこ
と。
A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っ
ている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すこ
とを知っ
ている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信頼して
いる。
幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもに
も同じよ
うなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。こ
のタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の動き
が平坦にな
る、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい(長畑正
道氏)な
ど。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて
自分の
心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相
手に心
を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をす
る。
そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそ
れだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまかす。
茶化す。
そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそ
うだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。……と書
いて、
ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」と

う人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私であって、私でな
い部
分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づ
いた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児
拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題ではない。問
題はそう
いう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれ
に気づか
ないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それ
だけで
はない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのは
そうい
うもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自
身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるようになった。
「あ
あ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっ
と相
手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指
導する。
そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去を
のぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではなく、そうい
う過
去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題は、それに気づ
くだけ
でも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということに
なる。

(はやし浩司 Maternal Deprivation マターナル デプリベイション マターナル デプリベーショ
ン 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 
education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 
BW はやし浩司 マターナルデプリベイション マターナル 母子関係 母性愛の欠落 ホスピ
タリ
ズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子どもの依存
性 幼
児期前期 自律期 幼児期後期 自立期)

(参考)ペットボトル症候群

Yahooニュース(2011−0712より)

『…… ペットボトル症候群の正式名称は、「ソフトドリンク(清涼飲料水)・ケトーシス」。継続し

大量にジュースなどの清涼飲料水を摂取することで、血糖値が上昇。血糖値を一定に保つホ
ルモンのイ
ンスリンの働きが一時的に低下してしまう。

 インスリンが欠乏するとブドウ糖をエネルギーとして使えなくなり、脂肪などを分解する。その
際に
「ケトン体」と呼ばれる代謝成分が増え、血液が酸性に傾く。「意識がもうろうとしたり、倦怠(け

たい)感があったり。昏睡(こんすい)状態に陥ることがあります」と、大阪府内科医会会長で、
ふく
だ内科クリニック(大阪市淀川区)の福田正博医師は説明する。

 糖分の過剰摂取で血糖値が上がると、それを薄めようとしてさらに水分を欲して喉が渇く▽
尿の回数
も増える▽喉の渇きに任せてさらに甘い飲み物を飲む−という悪循環に陥る。福田医師は「危
険なのは
夏場に中高生が部活動で水代わりに大量に清涼飲料水を飲んだり、毎日2、3リットル飲んで
いたりす
るような場合。突然倒れる場合もある」と警告する。

 福田医師によると、インスリンの投与などの治療によって、症状は比較的早期に治まるケー
スが多い。
しかし、注意が必要なのは肥満体型の人。糖尿病予備軍と呼ばれる人たちはインスリンの働
きが悪く、
よりリスクが高まるという』(以上、Yahooニュースより)と。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし
浩司 幼児教室 浜松 BW子どもクラブ BW教室 はやし浩司 育児論 最前線の子育て論b
yは
やし浩司 知育教育 知能教育 Hamamatsu Japan 



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月13日(化粧=仮面について)byはやし浩司

●占い師

++++++++++++++++++++++

私は幼児の数と同じ数だけ、母親たちを見てきた。
「観てきた」でもよい。
「観察」の「観」である。

だから会った瞬間、その母親(女性)の
奥の性質、性格までわかる。
ついでに知的レベルや、人間的な豊かさ
(浅はかさ)まで、わかる。

わかるものはわかるのであって、これは
どうしようもない。
だから数日前、ワイフにこう話した。
「ぼくが占い師になったら、いい占い師に
なるよ」と。

たまたま食事をしているレストランの前に、
何かの占いをしているブース(小部屋)があった。
食事をしている間も、何人かの若い女性が
出入りしていた(浜松市内、地下街)。

そのブースを見ながら、私は、ワイフにそう言った。

+++++++++++++++++++++

●母親の奥の奥

 子どもと母親。
同じ人間……というより、最近では、母親たちが高校生か、中学生に見えるようになった。
ときに小学生に見えることもある。
(反対に、母親たちからは、私がジジイに見えるということになる。)
けっしてバカにして言っているのではない。
年齢差がわかりにくくなったということ。
つまりそれだけ自分が、年を取ったということか。
年を取れば取るほど、10歳と30歳のちがいが、小さくなる。
が、どうもそれだけではないようだ。

 ときどき「よく、こんな若い女性が、母親をしているな」と思うときがある。
まるで子ども。
子どもが子どもを育てている。
あるいはよくて、姉と弟(妹)。
そんな感じがするときがある。
つまり子どもを観るような目で、母親を観る。
平たく言えば、母親とて、子どもの延長線上にいる。
「母親も子どももちがわない」と。

●化粧

 その母親。
若い人たちだけに、身を飾る。
心を飾る。
それを化粧というのなら、化粧という言葉でもよい。

 母親にかぎらず、人間はみな、化粧をする。
顔の化粧だけではない。
心の化粧もする。
しかしいくら化粧をしても、化粧は化粧。
その化粧を見破ることができる。

 が、誤解しないでほしい。
化粧が悪いといっているのではない。
化粧をしていない人はいない。
化粧イコール、文化と断言してもよい。
およそ私たちが「文化」と呼んでいるものは、その化粧が昇華したもの。
動物社会からの「分化」を、「文化」という。
より動物的でない状態を、「文化」という。

 が、化粧に溺れてしまってはいけない。
化粧をしている「私」を忘れてしまってはいけない。
中には、化粧に溺れるあまり、自分を見失ってしまっている人もいる。
女性にかぎらない。
男性にも多い。

●仮面

 心理学の世界では「ペルソナ」という。
「仮面」。
私も今回、3・11大震災を見聞きするうちに、いわゆる「化けの皮」がはがれてしまった。
たった一度の地震と津波で、2万人以上もの人たちが命をなくしてしまった。
いとも簡単に、多くの人たちが命をなくしてしまった。
その衝撃は大きかった。
それから1週間、私は、ものが書けなくなってしまった。

 「私とは何か」「人間とは何か」と。
さらには「人間が創りあげた文化とは何か」と。
そこまで考えてしまった。
それまでの私は、きれいごとばかりを書いていた。
しかしそんなきれいごとに、どれほどの意味があるというのか。

 報道などによると、3・11震災直後から、離婚する夫婦がふえたという。
それまでかろうじて互いをつないでいた絆が切れてしまったのだろう。
その気持ちは、よく理解できる。
いわゆる「仮面夫婦」と呼ばれている夫婦は多い。
そういう夫婦が、目の前で多くの人が死んだのを知り、自分の仮面に気づいた。
仮面の虚しさを知った。

●化粧に溺れる

 ところで「化粧に溺れる」というときには、2つの意味がある。
ひとつは自分の化粧に溺れるという意味。
これについては先に書いた。

 もうひとつ、相手の化粧に溺れるという意味もある。
分別もあるはずはずの年配のオバチャンたちが、韓流スターを追いかけ回した。
そういうオバチャンたちは、相手の化粧に溺れたということになる。
しかしこういうオバチャンたちは、まだわかりやすい。
単純というより、単細胞。
実害はないので、好きにさせておけばよい。

 が、同時に、そういう人たちは、身のまわりにある価値に気づかない。
そこにすばらしい人がいても、それに気づかない。
わかりやすく言えば、たとえば地位や肩書きだけで、その人を判断してしまう。
画面の「虚像」だけを見て、それを「実像」と錯覚してしまう。
つまり化粧だけを見て、その人を判断してしまう。
それはその人にとっても、たいへん不幸なことでもある。

 ものの価値観が相対的になる。
仮面だけをみて、その人を判断する。
自分についても、そうだ。
だから生き方そのものが、世俗的になる。
いつも世俗に振り回されるようになる。

●社会的制裁

 少し話は脱線するが、少し前、こんな判決があった。
ある著名な教授が、破廉恥罪で逮捕、起訴された。
有罪だったが、つぎのような理由が付いて、執行猶予になった。
「被告人は、すでにマスコミの世界で仕事を失い、教授職を解職されるなど、じゅうぶんな社会
的制裁
を受けているので、執行猶予刑に処す」と。

 私はこれを聞いて、こう思った。
「であるなら、世俗、ゆまり一般の人たちは、(私も含めて)、日常的に社会的制裁を受けてい
るという
ことになる」と。
私たちは、その(マスコミの世界)の外にいる。
マスコミに相手にされることは、まずない。
(教授職)についても、そう。
ほとんどの人は、地位や肩書きとは、無縁の世界に住んでいる。

 少しわかりにくい話かもしれないが、こういうこと。
つまりマスコミにも相手にされず、地位や肩書きのない私たちは、そうであること自体、社会制
裁を受
けているということになる。
が、こんなバカな話はない。
つまりそんなバカな判決理由は、ない。
こんな論理がまかり通るなら、もし私が同じような罪を犯しても、執行猶予はつかないということ
にな
る。

●風評利得

 もうひとつ脱線する。

 最近、よく「風評」とか、「風評被害」という言葉を耳にする。
原発事故にからんでの言葉である。
しかし風評にも2種類ある。
政治家などは、その風評をうまく利用して、選挙で当選する。
テレビなどに流されるコマーシャルにしても、そう。
わざと風評を流し、それを金儲けにつなげる。
このばあいは、「風評利得」ということになる。

 あの東京電力にしても、事故前は、「原発は安全」の風評を、さかんに流していたではない
か。
だから今、「風評被害」という言葉を聞くと、私などは、すかさず、「何、言ってるんだ!」と思っ
てし
まう。
つまり一方で風評利得をしたいだけしておきながら、他方で風評被害を訴える。
中身ではない。
風評。
つまり、仮面。

●一線を引く

 話を戻す。

 私たちはいつも化粧をしてで生きている。
それはそれでしかたのないこと。
が、化粧に溺れてしまってはいけない。
化粧は化粧、中身は中身。
しっかりと区別して、自分や相手を判断する。

 わかりやすい例で考えてみよう。
相手にいくら地位や肩書きがあったとしても、それはそれ。
自分にいくら地位や肩書きがあったとしても、それはそれ。
女性にしてもそうだ。
相手が、いくら美しい化粧をしていても、それはそれ。
自分がいくら美しい化粧をしていても、それはそれ。
いつも心のどこかで一線を引く。
その一線がないと、いわゆる「化粧」に溺れてしまう。
相手が見えなくなってしまう。
自分がわからなくなってしまう。

中には、70歳を過ぎても、一流大学を出たことを鼻にかけている人がいる。
が、まわりの人は、相手にしていない。
相手にしていないが、自分は相手にされるべきと思い込んでいる。
そのおかしさ。
そのあわれさ。
そうなる。

●占い師

 若い母親(女性)たちは、私を相手にしない。
それがこのところ、自分でもよくわかる。
通りで一瞬、視線がこちらを向くことはある。
しかしたいていそのまま、視線をそらしてしまう。
私はジジイの上を行く、さらなるジジイ。

 一方、そのジジイは、若い母親(女性)たちの心の動きが、手に取るようによくわかる。
動きだけではない。
過去も、生い立ちも、心情も、ものの考え方も……。
さらに言えば、性質も性格もわかる。
手に取るように、よくわかる。
いくら化粧をしていても、そんなのは、腸から出るガスほどの意味もない。
いくらにこやかな顔をとりつくろっていても、「この女性は、かなりのヒステリーもちだな」というと
ころまでわかる。

 もっともわかったところで、そこまで。
相手から質問でもあれば、話は別。
しかし私はそのまま、それを心の奥にしまう。
だから、こう思う。
「私が占い師になったら、いい占い師になるだろうな」と。

 相手がわかったら、あとは料理にトッピングをかけるように、人生論をその上に載せればよ
い。
「あなたはこうなりますよ」と。

 たまたま食事をしているレストランの前に、何かの占いをしているブース(小部屋)があった。
食事をしている間も、何人かの若い女性が出入りしていた(浜松市内、地下街)。

そのブースを見ながら、私は、そんなことを考えた。

(補記)

 幼児と接するようになって、40年になる。
40年!
その幼児、会った瞬間に、その幼児のことが手に取るように、よくわかる。
性格や性質、知的能力はもちろん、家庭環境、さらには、将来起こりうるであろう問題まで。
私はドクターではないが、会った瞬間、「〜〜障害児」というところまで、わかる。
わかるが、わからないフリする。
バカなフリをする。

 親たちにしても、私がそこまでわかるとは思ってもいない。
それがわかるから、私は黙る。
黙って、自分の仕事だけをこなす。
言うなれば、これもニヒリズム。

 遠い昔、こんなことがあった。
どうしようもないドラ娘(小学生)がいた。
ドラ娘になればなるほど、結局は損をするのは、その子ども自身。
そこで私はあえてタブーを破り、その子どもの母親に、その子どもの問題点を告げようとした。
するとその母親は、すかさず、私にこう言った。

「あんたは、黙って、娘の勉強だけをみていてくれればいい」と。
つまり「余計なことは言うな」と。

 その言葉が今でも、大きなトラウマになっている。
そのつど、このトラウマが口を重くする。
しかし今、このタイプの母親がふえている。
というより、何割かがそうであると断言してよい。
子どもへの批判を、自分への批判ととらえてしまう。
そしてその批判を許さない。
完ぺき主義。
強い自己中心性。

 ……というふうに、私はずっと子どもだけを観てきた。
しかし今、それが親の世界にまで広がった。
親のことまで、手に取るようにわかるようになった。
それもそのはず。
私は40年も、その母親たちと接してきた。
つまりそれについて、ここで書きたかった。
何とも歯切れの悪いエッセーになってしまったが、ごめん!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アメリカのデフォルト(迫り来る金融危機)

+++++++++++++++++

アメリカの借金問題が、大詰めを
迎えている。
8月3日までに、オバマ大統領が、
どのような結論をくだすか。
それでアメリカの命運が決まる。
しかし、具体的に、いったい、
どれほどの借金があるのか。

+++++++++++++++++

●借金、総額

 ネットで「アメリカ 借金総額」で検索をかけてみた。

★2009年5月……330兆円以上(これは日本の国債買い入れ額)
★2008年……5500兆円
★2008年……620兆円などなど。

 おどろおどろどおしい数字が、ズラリと並ぶ。
 
そこで調べてみると、おもしろいサイトに行き当たった。
http://oddhammer.com/tutorials/debt_clock/US_debt_clock.swf
ここをクリックすれば、リアルタイムで、アメリカがかかえる借金の総額がわかる。
それによれば、2011年7月14日午前9時4分現在、14兆6500億ドル。
1ドル80円で計算すると、1172兆円!

 しかしこの数字とて、控えめな数字。
実際には、地方政府の借金まで含めると、すでに40兆ドルを超えていると言われている。
あちこちのサイトを調べてみたが、正確なところは、だれにもわからない。
が、仮に40兆ドルとすると、3200兆円!
日本の国家税収が、40兆円だから、その80倍ということになる。

 ところでヤフー知恵袋には、こんな気になる記述もあった。
いわく、『……アメリカ政府はこの支出をカバーするために国債を発行し、日本はせっせと買
い、総額3
兆ドル(330兆円)にのぼると言われるが、日銀がひた隠しにしているので正確のところは分か
らない。
買ったが最後、これは売ることは絶対に許されない。 
両国の経済が同時破局に立ち至るからである。
毎年新しい国債を買わされつづけている』(ヤフー知恵袋)と。

 知らなかった!

 しかも、『……我が国(=日本)の毎年の予算は約80兆円、税収は約44兆円しかない。
財政赤字が我が国でも膨らんでいく一方だ。
それなのにどこからどういうお金が出ているのか謎だが、アメリカ国債の購入額は毎年32兆
円にもの
ぼると言うのが大勢の見方である』(ヤフー知恵袋)と。

 記事がどの程度正確なのかは知らない。
が、この日本は毎年、ドルを32兆円分も買い支えている(?)。
買い支えているということは知っていた、
が、額は、知らなかった。
これほどまでの額とは、知らなかった。

●アメリカ

 そこでアメリカは、クリントン時代には、IT(一次)バブルを引き起こした。
ブッシュ時代には、住宅バブルを引き起こした。
つづくオバマ大統領は、今に見る、第二次ITバブルを引き起こしている。
Twitterとか、Facebookとか、それに関連する企業の株が、数百億ドル規模で売買され
ている。
その上で、ドル札が乱舞している。
そんな実態のない会社の資産が、どれも数兆円規模!

 バブル経済というのは、見た目には、派手。
人気取りには、もってこい。
が、バブルはバブル。
やがてはじける。
そのときがこわい。

 常識で考えてみたらよい。
Twitterにしても、企業価値は現在、37億ドルと計算されている(「超恐慌の時代」)。
37億ドル!
約3000億円!
ただのインターネットサービス会社が、約3000億円!
今の今も、そうした会社に、(上はFacebookからゲーム産業まで)、1000万ドル単位の投資
が繰り返されている。

●おめでたい、日航、そして韓国

 日本航空は破綻した。
株価はゼロ価値になり、銀行の支配下に入った。
日本航空は、「黒字を叩きだした」とはしゃいでいるが、その大部分は、そのまま銀行の金庫
に。
社員たちは、生かさず殺さずの状態で、働かされている。

 その日本航空を大型化したのが、韓国。
韓国の銀行は、すべてアメリカの銀行の支配下にある。

第一銀行  外資比率100% (筆頭株主:スタンダード・チャータード)※
韓美銀行  外資比率 99% (筆頭株主:シティ・グループ)(韓国シティ銀行)※
国民銀行  外資比率 86% (筆頭株主:バンク・オブ・ニューヨーク)
外換銀行  外資比率 74% (筆頭株主:ローンスター)
ハナ銀行  外資比率 72% (筆頭株主:ゴールドマンサックス)
(以上、2005年前後当時)

 わかるかな? 
エッ、まだわからない?

 国策銀行のウリ銀行をのぞいて、韓国の銀行は、すべて、外資の支配下にあるというこ
と。
国民銀行を例にあげてみると、86%が、外資。
しかもその筆頭株主は、バンク・オブ・ニューヨーク! アメリカの銀行である。
わかりやすく言えば、韓国の銀行は、アメリカの銀行、もしくはその支店と考えてよい。

 さらに半導体と液晶で世界一と言われるサムスンが54%、現代自動車が49%の比率で外
国資本の
支配下に入っている。
外国資本というのは、つまりアメリカ資本のこと。
これでなぜ、アメリカが必死で韓国を守ろうとしているか、その理由がわかるはず。
 
●アメリカの国家破綻に備えよう

 8月2日から3日にかけて、アメリカの命運は決まる。
最終的には、債務限度額の引き上げ、つまりドル札の増刷によって乗り切るだろう。
しかしそのあと、EU危機、中国危機、中東危機が待ちかまえている。
どのひとつがコケても、アメリカはドミノ倒しのドミノのように、コケる。

 もちろんこの日本もあぶない。
3・11大震災以前ですら、薄氷を踏むような経済運営を強いられてきた。
それが3・11大震災で、さらに悪化した。
直近の円は、現在78〜79円/ドル。
超円高。
さらに60円台にまで進むと説く人もいる。
しかしそれを喜んでいてはいけない。
これは大津波の前の引き潮のようなもの。
このあと想像もつかないような、大津波がやってくる。
1ドルが120円前後で収まるなどと考えている経済学者は、まずいない。
へたをすれば、200円、300円……。
同時にハイパーインフレがこの日本を襲う。

 タクシーの初乗りが、1万円とか2万円になる(某経済誌)。
そうなる。

 もしアメリカが国家破綻したら、(=デフォルト(債務超過))、日本はそのまま奈落の底へと叩
き落
とされる。
リーマンショック、ドバイショックの比ではない。
日本がかかえる330兆円と言われるドル札は、紙くずと化す。

 では、どうするか……?
ほとんどの経済誌は、「現物資産に交換しろ」と説く。
現物資産とは、土地、貴金属をさす。
しかし目下、この日本でも土地バブルが進行中。
不動産屋は、売り物件をさがして、血眼をあげている。
空前の利益を、稼ぎ出している。
こんなときに土地に手を出せば、それこそ先のバブル経済の二の舞。

 では貴金属ということになるが、こちらもすでに天井を打っている。
もっとも金(ゴールド)のばあい、いくら価格があがっても、困る人はいない。
困る人がいないから、さらにその天井を抜くということも、考えられなくはない。
方法としては、1〜3か月ごとに、ドスンと値をさげているから、そのドスンと値をさげたあたり
で、
買う。
そういう形で、資産を守る。

 ともかくも、未曾有の金融危機が、刻一刻と迫りつつある。
その第一波が、8月3日(アメリカ)。
ただただ注視あるのみ!
2011/07/14早朝記

(注※)★韓国・第一銀行について
  『英国に本部を置くスタンダード・チャータード銀行の最終持ち株会社である渣打集団有限
公司[香
港上場、チャータード集団(スタンダードチャータードピーエルシー)、2888]は、買収に成功し
た韓国第一銀行(KFB)の社名を変更すると発表した。チャータード「ブランド」への結合が狙
いと
している。13日付で香港・財華網が伝えた。
  変更後の英社名は、「Korea First Bank」から「SC Jeil Eun Ha
eng」となる。この社名は、「SC第一銀行」の意味で、SCはスタンダード・チャータードの略称だ
という』(2005年6月)(Seechina HPより)。

★韓国シティ銀行について
  『第一銀行時代、アジア通貨危機の際に主要取引先であった起亜自動車、大宇、韓宝鉄
鋼の相次ぐ
経営危機に連鎖して破綻。米投資ファンドのニューブリッジ・キャピタルが経営権を買収。韓国
の銀行
としてはじめての外国人CEOウィルフレッド・Y・ホリエが就任して話題となった。ウィルフレッド・
Y・ホリエは日本の消費者金融でCiti傘下のアイク(現ディック)で長年社長を務めた人物であ
る。
韓国では欧米金融機関の名を冠した金融機関は、同行のほかに米シティバンク傘下の韓国シ
ティ銀行
(旧韓美銀行)がある』(ウィキペディア百科事典より)。

★国民銀行について
  『アジア通貨危機後の2001年、国策により優良銀行であった韓国住宅銀行と旧・国民銀
行が合併する形で発足。国民カードなどの子会社を保有するほか、宝くじの販売なども行う。
2009年現在、外資資本比率が55.76%であり、筆頭株主はシティバンク、エヌ・エイの13.76%
である。
対外的には「国民」という表現がドメスティックな印象を与えるため、KBという名称を用い
ることが多い』(ウィキペディア百科事典より)

★外換銀行について
  『2009年5月、韓国の政府系金融機関韓国産業銀行(KDB)が、ローンスター保有の韓
国外換銀行株を買収する可能性を示唆したが、ローンスターからの売却先は二転三転した状

が続いており、同行はなかなか安定基盤に軟着陸できない状況を続けている。
現行、ローンスター子会社であるLSF-KEBホルディングスSCAが51.02%出資している』(ウ
ィキペディア百科事典より)。

 
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本のアメリカ国債購入費(アメリカへの上納金)は、毎年48兆円!

++++++++++++++++++

毎年日本は、アメリカ国債を6000億ドル、
日本円に換算して、約48兆円分も
購入しつづけている。

つまりは貸し金。
もちろん返してくれるアテはない。
だから貸し金というよりは、上納金。

「脱原発」についての原稿を書いているうち、
途中から、その上納金の話になってしまった。

が、今、そのアメリカが限界に近づきつつある。
8月3日に、オバマ大統領がどのような
決断を下すか。
それによってアメリカのみならず、日本の
命運も決まる。

++++++++++++++++++++

●それでも私は、管直人首相を支持する(途中から、アメリカの債務問題)

 原子力発電所が、いかに恐ろしいものであるかは、今回の福島第一原発事故でわかったは
ず。
わかったはずだが、まったくわかっていない(?)。
そんな人が、あまりにも多すぎる。

事故だけではない。
仮にどこかの国が、原子力発電所に向けてミサイルを発射したら、どうなるか?
原子炉に直接当たらなくても、その周辺設備に当たったばあいでもよい。
発電機に当たっただけでも、今回の福島第一原発と同じ状況になる。

 管直人首相が、「脱原発」という言葉を使った。
これに対し、野党(自民党)からはもとより、与党内部(民主党)からも、非難ごうごう。
「首相の勝手な判断だ」「個人的意見だ」「党の見解ではない」「希望的意見だ」と。
さらに野党からは「独裁者の発言」という意見まで飛び出した。

 ふつうの常識のある人なら、「脱原発」を唱えて当然。
いくら便利でも、ひとたび事故が起きたら最後。
へたをすれば、日本列島の半分以上に、それ以後人は住めなくなる。

そのふつうの常識のない人が、この日本には、あまりにも多すぎる。
福島第一原発事故は、まだ収束していない。
応急措置がやや軌道に乗ったかなというレベル。
「被害」ということになれば、その被害が現れてくるのは、これから。
その被害の規模もまだわからないうちから、原発再開は、ない。

●代替エネルギー

 恩師に田丸謙二先生という人がいる。
1970年に知り合って、もう41年になる。
その田丸謙二先生率いる研究チームは、触媒による水の分解の研究に取り組んでいる。
理化学研究所で、2けたを超える人数の研究者たちが、懸命にその研究に取り組んでいる。
先月も先生に連絡を取ったら、先生は、こう言っていた。
「もうすぐ(研究の)成果が出てきますよ」と。

 水を触媒により分解できれば、空気中の窒素と化合させ、アンモニアを作ることができる。
そうすれば人類は、無尽蔵かつ、まったくのクリーンエネルギーを手にすることができるように
なる。
石油だけが燃料ではない。
原子力発電だけが、発電方法ではない。

この4月に書いた原稿を再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【水を触媒を使って、酸素と水素に分解する】

●希望

++++++++++++++++++++++

遠い昔……といっても、41年前。
1970年のこと。
田丸謙二先生は、自身のチュータールームで、
先生の夢を話してくれた。

「いつか水を、触媒を使って酸素と水素に分解
することができれば、人類は、無尽蔵のクリーン
エネルギーを手にすることができる」と。

夢のような話である。
当時の私は、そう感じた。
が、それから41年。
昨日(2011年4月18日)、日本人研究者の
書いた論文が、世界中を駆け抜けた。
時が時だけに、この論文は、一抹の涼風となって
世界中を駆け抜けた。
同時に、私たちに人類に、未来に向かった夢を希望を
与えてくれた。

『……水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、
太陽光の電気エネルギーへの効率的な変換が期待できるという』
(北海道新聞)と。 

専門的な話で、わかりにくいが、平たく言えば、こうだ。

水は、水素と酸素で構成されている。
きわめて安定した分子構造で、水を水素と酸素に
分離するのは、容易なことではない。
よく知られた方法に、水の電気分解がある。
しかしこの方法だと、多量の電力を必要とする。

そこで目をつけられたのが、「触媒」。
触媒を使えば、少量のエネルギーでも、化学反応は
一気に加速する。
水を酸素と水素に簡単に分解できる。
もしそれが可能になれば、先にも書いたように、
人類は無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ことができる。

田丸謙二先生は、その触媒の研究に没頭していた。
私はそのニュースを読んだあと、すかさず田丸謙二
先生に、電話した。
東京大学だけでも、先生の弟子が10〜11人も
教授職に就いている。
先生に論文の概略を伝えると、「それは堂免君(東大教授)
のことだよ。今度日本化学賞を取り、おとといその
祝賀会をうちでしたばかりです」
「中にはゲロを吐いた者もいましてね」と。

私は北海道新聞に載った記事を、そのまま
田丸謙二先生に転送した。
北海道……つまり北海道大学と田丸謙二先生との
縁は深い。
田丸謙二先生は、北海道大学の何かの記念会に、
記念講演をしている。
加えて杉野目晴貞先生(北海道大学前学長)を介して、
私と田丸謙二先生はともに、縁があった。

田丸謙二先生の恩師でもあり、私がUNESCO
の交換学生として韓国に渡ったとき、杉野目晴貞
先生が、いっしょに渡韓してくれた。
韓国のあちことをいっしょに旅をしたこともある。

いろいろなサイトでその記事は紹介されていた。
私はあえて北海道新聞に載った記事を選んだ。
北海道の北海道新聞である。
電話でそれを伝えると、田丸謙二先生は、「読みたいから、
すぐ送ってほしい」と言った。
私はその場でパソコンを開き、田丸謙二先生に、
北海道新聞の記事を送った。

+++++++++++++以下、北海道新聞より+++++++++++++++

光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際の
触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大の
神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載
された。 

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。

 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

 光合成の最初に起こる反応で、太陽光で水が分解されて電子や水素イオンが作られる際
の触媒となる「膜タンパク質複合体」の詳細な構造を、岡山大の沈建仁教授と大阪市立大
の神谷信夫教授のグループが解明した。成果は17日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲
載された。 

 水から燃料電池で使う水素を作り出すことにつながり、太陽光の電気エネルギーへの効
率的な変換が期待できるという。 

 膜タンパク質複合体は、光合成をする藻類や植物の葉の中に含まれる。これまで19種
類のタンパク質が水分子と複雑に結合している全体構造は明らかになっていたが、原子レ
ベルでの詳細な構造は不明だった。

+++++++++++++以上、北海道新聞より+++++++++++++++

●田丸先生からの返事

 その夜(18日の夜)、家に帰ると、田丸謙二先生から、
メールが届いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

林様:メール有難うございました。

このメールの話は私がお話した東大教授の堂免一成君の話とは異なります。
堂免君のは水から太陽エネルギーで水素と酸素とを直接作る光触媒作用で、先月、日本化
学会賞を受けた研究です。

勿論太陽電池も一方にあり、水を電気分解すると水素と酸素が得られますが、現在では堂
免君の直接の光触媒作用の方が優れています。

この分野は日本が世界でもトップの国ですが、世界中で多くの人が取り組み始めています。
沢山の人が各種の工夫をしていますので、人類の将来のエネルギー問題の重要な研究分野
になっています。

長い目で見ると矢張り人類は将来太陽エネルギーに頼ることになります。化石燃料も限ら
れた量ですので。

お電話でお伝えしたのは、空気と水と太陽エネルギーに頼って人類はエネルギー問題に取
り組むという話です。

空気から窒素を、水から太陽光を使って水素を、そして水素と窒素からアンモニアを作っ
てそれを燃料として自動車も走るという可能性が言われています。

くれぐれもお元気で。田丸謙二 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ノーベル賞

 もし水を酸素と水素に分解できるようなことが簡単にできれば……。
それはまさにノーベル賞級の研究ということになる。
すでに実際、3年ほど前、田丸謙二先生の研究を発展させたドイツの研究者が、
ノーベル賞を受賞している。

 言い忘れたが、田丸謙二先生は、日本化学会会長、日本触媒学会会長、国際
触媒学会会長職を歴任している。
東京大学の元副総長(総長特別補佐)も経験している。
肩書きを並べたら、一枚の紙にはとても収まらない。

 昨日の電話で、「ノーベル賞級の話ですね」と言うと、田丸謙二先生は、
うれしそうに笑った。

最近、田丸謙二先生は、『出藍の誉れ』という言葉をよく使う。
先日もらったメールには、孔子の言葉を引用しながら、「よき弟子をもつことが、
最高の道楽」と書いてあった。
堂免一成氏がノーベル賞を受賞するのは、時間の問題……私はそう感じた。

●歴史の生き証人

 「歴史の生き証人」というと、少し大げさに感ずる人もいるかもしれない。
しかしいつかすぐ人類は、「水」という無尽蔵のクリーンエネルギーを手にする
ときがやってくる。

 田丸謙二先生は、昨日も、41年前と同じように、自分の夢を語ってくれた。
「水から水素を取り出し、空気から窒素を取り出す。
水素と窒素で、アンモニアを合成し、それをエネルギー源にする」と。

 水素燃料もあるが、扱い方が難しい。
アンモニアなら、ガソリンのように持ち運べる。

「化石燃料(ガソリン)は、やがて枯渇します。
原子力が危険なものであることは、今回の原発事故でもよくわかったでしょう。
だからアンモニアなのです」と。

 私は41年間、田丸謙二先生の「夢」を聞く立場にあった。
その夢が、今、まさに着実に、一歩、一歩、前進している。
昨年(2010年)に会ったときも、田丸謙二先生はこう言った。
「理研(日本理化学研究所)でも、10数名の化学者がチームを作って、研究
していますから、そにうちすぐ成果が出てきますよ」と。
私が「いつ、成果が出てくるのですか?」と聞いたときのことだった。

 いつかそのクリーンエネルギーが当たり前のものとなったとき、
それがいつだれによって、またどのようにして生まれたか。
この41年間を通して、私はそれを直接的に、知る立場にあった。
それを今、こうして書きとめることができることを、心から光栄に思う。

●希望

 大震災、大津波、そして原発事故……。
しかしその一方で、この日本は、大きな希望が前に向かって進み始めている。
田丸謙二先生が書いているように、この分野では、日本がトップを走っている。

 もちろんその原点を作ったのは、田丸謙二先生である。
1970年。
話は脱線するが、そのころに書いた原稿を、ここに添付する。
記事は、中日新聞に連載されたものである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 アンモニア燃料 堂免 光合成 光触媒)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●チリが積もって……

 話はそれるが、こんなことがある。
携帯電話からインターネット時代になり、通信費は右肩あがりに、どんどんとふえつづけてい
る。
それぞれの額は、小さい。
年額にして、2000円とか3000円。
しかし『チリも積もれば、何とか……』で、その額も、月にして10万円近くになりつつある。

 放射能汚染もそれに似ている。
今朝のニュースによれば、基準値の10倍前後※も汚染された牛肉が、すでに42頭分集荷さ
れていた
という。
7月8日の段階では、「汚染牛はない」ということになっていた。

(注※)『……(7月)12日、大阪府に持ち込まれた牛肉。
13日夜になって、1キロ当たり4350ベクレルの放射性セシウムが検出されたことがわかりま
した。
暫定規制値の8.7倍にあたり、これまでで最大の値です。
福島県南相馬市の農家から出荷された肉牛6頭から、次々と基準を超える放射性セシウムが
検出されて
いる問題。
その波紋は、13日も広がりをみせました』(TBS−iニュース)。

 それに応じて、あのいつもの会見。

『……1回食べたからといって健康影響を心配する必要はないと考えている。
(Q.流通先はほぼ特定された?)それで結構です」(東京都の会見)(同ニュース)と。

 しかしこういうことが積もりに積もって、やがて大惨事へとつながっていく。
子どもの尿から、セシウムが検出された。
静岡茶から、放射能が検出された。
飲料水から、放射能が検出された……と。

 牛肉にしても、食料品の一部。
さらに付け加えれば、内臓については、流通経路が把握できていないという。
内臓のほうが、より危険ではないのか?

●管直人首相

 現場の最高責任者として、管直人首相は、その深刻さを、日々に肌で感じているにちがいな
い。
その上での、「脱原発」発言である。
それを「希望的意見」とか「個人的発言」と片づけてよいものか。

 この日本では、財界(ゼネコン)と官僚に背を向けたら、生きていけない。
総理大臣の椅子とて例外ではない。
そういう構造が、完ぺきに近いほどまでに、できあがってしまっている。
「言論の自由」という言葉があるが、それはバラエティ番組のような場で、チャラチャラしたこと
をし
ゃべるようなことをいう。
が、そのワクを超えたら、とたん、猛攻撃にさらされる。
金と権力によって、押しつぶされる。
現に今、管直人首相の発言は、それによって押しつぶされようとしている。

 2010年度においてですら、「報道の自由世界ランキング」で、日本は第11位(国境なき記
者団)。

 私にも人を見る目は、多少、ある。
この40年間、私の仕事は、その(人)を見る仕事だった。
が、いくら否定的な見方をしても、管直人首相が、「権力の座にしがみつく独裁者」には、私に
は見え
ない。
むしろ逆で、その信念のほうにこそ、私は感服する。
もし管直人首相がずるい人間であったら、自分が生き残る道を模索しながら、財界や官僚に
適当に迎合
していただろう。
が、管直人首相は、政治生命のすべてをそこにかけている。
私には、そう見える。

●日本人の「甘さ」

 日本人というのは、最悪の事態を考えて行動しない。
希望的観測だけで、行動する(「超大恐慌」)。
「明日があるさ」「何とかなるさ」と。
つまりものの考え方が、甘い。

 わかりやすく言えば、目先の利益だけに目を奪われ、思考力を働かせない。
たとえば今回の福島第一原発事故に関しても、管直人首相は、当初アメリカの支援を断ったと
報道され
た。
それも管直人首相が非難される理由のひとつになっている。

 しかし今度は日米関係に目を向けるなら、日本のバブル経済をしかけたのもアメリカなら、崩
壊させ
たのアメリカ。
その後、失われた20年を創出したのも、アメリカということになる。
その間も、そして今も、日本は毎年30兆円前後(日本の国家税収の約75%!)もの上納金
(アメリ
カ国債の購入費)を、アメリカに納めている。
それだけではない。
ないが、いったい、いくらの上納金を納めているか、それすら定かではない。
「日本からは絞れ取れるものは、みんな取ってやれ!」というのが、アメリカ政府の本音ではな
いのか。

(注:ここから話が脱線し、反米的な原稿になる。許してほしい!)

 その上での、「支援」である。
いくら大震災とはいえ、それに飛びつく宰相はいない。
慎重になって、当然。
アメリカの動きには、かならず、「裏」がある。
百歩譲って、あのときアメリカに支援を求めていたとしても、その後の状況は変わらなかっただ
ろう。

 軍事的に見れば、日米関係は、日本の安保の要。
しかしその要も揺らいでいる。
韓国がなぜああまで日本に強気で出られるのかといえば、その裏にこの「揺らぎ」がある。
韓国政府は、こう読んでいる。
「もし日韓戦争ということになれば、アメリカは韓国側につく」と。

 「Rescue Force SOG」(Plala)HPには、つぎのようにある。

 「……日本の国債発行の抑制にこだわりを見せながら、一方では大きな借金をして、毎年5
0兆円前
後のアメリカの国債を購入し続けるのはなぜなのか。アメリカ国債は赤字であり、我々国民が
「泣き寝
入り」することは決まっている。未来に生まれる日本国民も含めて、その借金を無理矢理背負
わせてい
るこの大きな不条理。

(中略)

 現在までの国の借金は、そのほとんどがアメリカ国債購入と、国際連合国への不当に高額
な献上金、
そして癒着構造で私腹を肥やすための身勝手な血税流用の3本立てである。
日本が持っているアメリカ国債は、民間と合わせると430〜500兆円と言われる。
それは、アメリカ国債の約40パーセントが、日本からの購入で支えられていることを指し示す』
(2
008年)と。

 この記事の中では、「30兆円」ではなく、「50兆円」になっている(2008年)。

(私は知らなかった! あなたは知っていたか?)

 では、実際にはどうなのか。
ネットを使って調べてみる。

(注:ここからさらに話が脱線し、反米的な原稿になる。許してほしい!)

●日本のアメリカ国際購入費

 http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/06/post_3592.html

 このサイト(公式)によれば、日本は、2003〜2008年において、7000億ドルから600
0億ドルものアメリカ国債を購入していることになる。
つまり金を貸している。

 が、この貸し金は、二度と戻らぬ貸し金である。
その上で、6000億ドルを現在のレートで換算してみると、1ドル80円として、48兆円。

 やはり30兆円ではなく、50兆円というのが正しい。

 やはり、バカげている。
50兆円(1年分)もあれば、3・11大震災の復興費など、何でもない。
もちろん管直人首相なら、それをよく知っている。

 つまりそういうことを全体に考えながら、「政治」というのは動く。
「支援を断った管直人首相はバカだ」と言い切るほうこそ、問題。
首相には首相の、言いたくても言えない事情がある?

●話を戻す

 原発はいらない……とまでは言い切れないが、しかし「脱原発」の方向はまちがっていない。
少なくとも「推進」しなければならないような、代物ではない。
そういうことが、今回の一連の事故で、私たちも、よくわかったはず。

 今は、国家存亡をかけた、危急のとき。
言うなれば戦争状態。
支持率がどうのこうのと騒いでいる場合ではない。
国民が一致団結して、管直人首相に協力する。
責任問題の追及は、その戦争が終結したときでよい。
仮にここで首相が交代しても、事態が悪化することはあっても、好転することはない。
事故は今の今もつづいている。
現場では、最大限の事故処理がつづいている。

 それがわからなければ、こう想像してみたらよい。

 あなたが先週食べた牛肉は、汚染牛の肉だった、と。
それでもあなたは、平静でいられるだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 アメリカ国債購入費 50兆円 日本の上納金)

(補記)

 それにしても、年額50兆円とは!
アメリカの人口は、2010年度で、3億人と少し。
50兆円をその3億人で割ると、約17万円。
つまり日本人は、アメリカ人1人ひとりに、年額17万円のお金を貸していることになる。
「貸す」といっても、返してくれるアテのない、貸し金である。
つまりプレゼント。

 もちろんアメリカにお金を貸しているのは、日本だけではない。
つづいて中国、EUもいる。
そういう国々から、アメリカはお金を借りつづけている。
アメリカの総債務の対GDP比は、軽く350%を超え、400%に近づきつつある。
わかりやすく言えば、「アメリカ人は、収入の4倍の借金をしながら生活している」。

 さらにわかりやすく言えば、アメリカ人というのは、「ロクに働きもせず、世界中からお金を借
り、
遊びまくっている」。

 それが近く破綻する。
こんなバカな経済が、長続きするはずがない。
今は、第二次ITバブルに浮かれているが、それがつづいてはじける。

 管直人首相の「脱原発」を支持するつもりで、この原稿を書き始めたが、途中から、反米感
情がムラ
ムラと湧いてきた。

 50兆円!
その10分の1で、よい。
5分の1でよい。
「今年は、上納金を減らしてほしい」と、どうして日本はアメリカに言えないのか?
「その分を、東北地方の復興費にあてる」と、どうしてアメリカに言えないのか?


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝のニュースから(はやし浩司 2011−07−12)

++++++++++++++++++++++

中国が揺らいでいる。
北朝鮮が揺らいでいる。
その陰で、アメリカが揺らいでいる。

中国と北朝鮮は、独裁国家。
彼らがどう言い訳をとりつくろおうと、独裁国家。
北朝鮮は、金正日が倒れたとき、(すでに何度か倒れているが)、
また中国は、一連のバブル経済がはじけたとき、
それぞれ危機的状況を迎える。

さらに……、それ以上にあぶないのが、アメリカ。
今、国家破綻の瀬戸際に立たされている。
最終的には、ドル札の増刷によって回避はするだろうが、
日本や世界に与える影響は、甚大。
8月1日に、オバマ大統領がどのような決断を下すか。
それによって、世界の命運は決まる。

が、忘れてならないのは、EU。
それに日本。

+++++++++++++++++++++

●EU

 日本経済新聞社のHPは、以下のように伝える。(7月12日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(日本経済新聞社)

 省略

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(日本経済新聞社)

 「緊急会合を開いた」というのは、それだけ事態が急変していることを意味する。
ギリシアやポルトガルはともかくも、イタリアやスペインがコケたら、EU経済は一気に崩壊へと
向か
う。
ドイツやフランスの力にも、限界がある。
回り回って、日本にも影響が及ぶ。
そのドイツやフランスにお金を貸しているのが、日本やアメリカ。
つまり最終的には、日本が、ババを引く。

●汚染牛肉

 汚染牛肉が、すでに全国に広がっている。
TBAーiニュースはつぎのように伝える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(TBSーiニュース)

 ……6頭のうち、東京都府中市の食肉処理業者が購入した肉牛からは、国の暫定規制値5
00ベクレ
ルのおよそ7倍にあたる1キロ当たり3400ベクレルの放射性セシウムが検出されています。
これは、これまでに肉牛から検出されたなかで最も高い値で、肉の一部については既に飲食
店で提供さ
れるなど、一般に消費されているとみられます。

 このほか、新宿区の業者が購入した肉からは2200ベクレル、静岡市や横浜市などの業者
が購入し
た肉からは1998ベクレルが検出されました。(TBS−i)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(TBSーiニュース)

 この静岡県にも、その一部が流通していたという。
「飲食店などに提供された」とある。
しかし福島県の人には悪いが、こんなことは常識ではないのか。
今になってあわてて検査をすると言っている。
が、私はとっくの昔に出荷停止になっているものとばかり思っていた。
放棄された牛やブタが、農地をフラフラと歩いている姿をテレビなどで何度も見たことがある。

 こういうことを繰り返しているから、風評とやらが、さらにひとり歩きをし始める。
つまり一方で信頼をこなごなに破壊しながら、「風評被害」はない。
昨日、栃木県から来ていた男性(H自動車会社社員・40歳)も、こう言っていた。

 「(栃木県の)、飲食店では、ものを食べないようにしています」と。
理由を聞くと、「何を食べさせられているか、わからないからです」と。

 セシウムならまだよいが、これがプルトニウムだったら、どうするのか。
あるいはプルトニウムについても、検査しているのか。
不安が不安を呼ぶ。
そして自分にこう言って聞かせる。
「飲食店では、肉は食べないぞ」と。

 汚染牛肉を出荷していたのは、その農家1軒だけだったのか。
あるいはほかにも出荷していた牛はいなかったのか。
原因は、汚染された干し草を与えたということだが、それを知っていたのなら、罪深い。

 で、その日本経済も、あぶない。
3・11震災以前から、細い綱を渡るような経済運営を強いられてきた。
その状況は、3・11震災で、さらに悪化した。
それに加えて原発事故。

●勤勉性

 が、悪いことばかりではない。
その男性(H自動車会社社員・40歳)は、こうも話してくれた。

「H社の栃木工場は、天井が落ち、操業できなくなりました。
そのとき浜松市を中心に、2500人の応援部隊が来てくれました。
一方、栃木のIT技術者たちは、K市(浜松市郊外にある町)にある工場へ来て、電子部品の増
産をし
ました」と。

 その男性は、今は栃木工場に戻り、震災以前と同じように働いている。
「どこかへ避難するということは、考えていないのですか」と聞くと、きっぱりとこう答えた。
「考えていません」と。

 つまりこの勤勉さこそが、日本人の美徳ということになる。
またこの勤勉さがあるからこそ、今の今も、日本は日本でいられる。
私たち日本人の未来は、こういう勤勉な人たちによって、支えられている。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 25日
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【伸びる子・伸びない子】(かぎを握るのが、忍耐力)


●がまんをさせる(忍耐力と子どもの伸びる力)

++++++++++++++++++++

孫の誠司(当時6歳、母親はアメリカ人)のこと。
その誠司をおもちゃ屋へ連れていったときのこと。
孫の誠司はおもちゃを手に取って遊ぶだけで、
けっして「ほしい」とは言わなかった。

ショッピングセンターへ連れていったときも
そうだった。
日本の子どものように、「あれ、買って」「これ、
買って」とは、言わなかった。
で、息子(二男)にその理由を聞くと、こう言った。
「無駄なものは、いっさい買わない」と。

アメリカといっても広い。
二男の嫁が生まれ育ったのは、アメリカ南部。
両親は厳格なバプティスト教徒。
日本人の子育て法とは、基本的な部分がちがう。
その(ちがい)が、冒頭に書いたちがいとなって、
現れた。

が、それだけではない。
誕生日プレゼントでも、クリスマスプレゼントでも、
その日になるまで、親は包みを開かせない。
孫たちは、その日になってはじめて、包みを開く。
習慣のちがいといえばそれまでだが、しかし
こうした習慣が、子どもに(我慢)ということを
教える。

私がそれまでもっていた常識とはあまりにもちがったので、
孫たちを見ながら、私は強烈な印象を叩きつけられた。

+++++++++++++++++++++

●D・ゴールマンの実験

 植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)に、こんな興味深い実験が紹介されている。
D・ゴールマンがした『マシュマロ・テスト』というのが、それ(P13)。
内容をかいつまんで紹介する。

+++++以下、「天才とバカの境目」より、要約+++++

 4歳の子どもに、実験者がこう言う。

「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待って
いられたら、ほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロを、1つだけあげる。
そのかわり、いますぐ食べてもいいけどね」と。

 4歳の子どもには、大きな試練だ。
さてあなたなら(あなたの子どもなら)、どうするだろうか。

 ゴールマンはこう言う。
『子どもがどちらを選ぶかは、多くのことを語ってくれる。
性格が端的に読み取れるだけではなく、その子どもがたどる人生の軌跡
まで想像できる』と。

 で、4歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまで、15分ないし20分
間を待つことができた。
待っている間、子どもたちはマシュマロを見なくてすむように、両手で目を
覆ったり、顔を伏せたりしていた。
自分を相手におしゃべりをしていた子どももいたし、歌を歌っていた子どもも
いた。
最後までがんばりぬいた子どもは、ほうびにマシュマロを2個もらった。

 同じ4歳児でも衝動性の強い子どもは、目の前のマシュマロに手をのばした。
しかもほとんどのばあい、実験者が、『お使いに行く』と部屋を出た直後に
そうした」と。

●決定的な差

 この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・
ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡
調査がなされたという。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個
受け取ったグループとでは、決定的な差が生じた。

 情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという。

+++++以上、「天才とバカの境目」より、要約+++++

●注目すべき結果

 もう一度、最後の部分をよく読んでほしい。
こうある。

「情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという」(P14)。

 つまりがまん強い子どもは、そうでない子どもよりも、学業面においても
大きな(差)をつけたという。

しかしこれは何もこんなおおげさな実験などしなくても、常識と考えてよい。

●がまん

 子どもにとって忍耐力というのは、(いやなことをする力)をいう。
これについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

(なおこの意見は、私のオリジナルの持論。
最近書店に並んでいる育児本に、同じことを書いてあるのを知った。
私の持論のパクリである。)

 たとえばあなたの子どもに、台所の生ごみを始末させてみてほしい。
シンクに手が届かないようであれば、風呂場の排水口にたまった毛玉でも
よい。
あるいは年齢が大きければ、風呂洗い、もしくはトイレ掃除でもよい。
そういう仕事を頼んだとき、何のためらいもなくそれができる子どもは、
忍耐強い子どもということになる。

 このタイプの子どもは、学業面でも伸びる。
理由は簡単。
もともと学習(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。
しかも「この先、どんな人生を歩むようになるかまで、わかる」と。
ゴールマンは、それを研究として、つまりデータ上で、証明した。

●幼児期前期(2〜4歳期)

 エリクソンは、幼児期前期を「自律期」と位置づけている。
この時期に、「自らを律する」ということをしつけると、子どもはのちのちも、
自己管理能力のすぐれた子どもになる。

 人間の子どもだけではない。
犬もそうで、時期をうまくとらえ、しつけると、人間の言いつけをしっかりと
守ることができるようになる。
たとえば私の犬のハナは、中型の猟犬だが、いまだかって塀を乗り越えて
外に出たことはない。
塀は自分の肩ほどの高さしかないから、その気になれば、いつでも飛び出せる。

 子どももそうで、この自律期に、しっかりとしつければ孫の誠司のように
なる。
おもちゃ屋でおもちゃを見るときも、ただ見るだけ。
それで満足する。
「買って」とか、「ほしい」という言葉すら、口に出さない。
で、私のほうが見るに見かねて、「買ってあげようか?」と声をかけると、
かえってキョトンとしている。
子どもをしつけるということは、そういうことをいう。
「がまんさせる」ということは、そういうことをいう。

●物欲(食欲)

 これは私の仮説。

以前にも書いたことがあるが、脳の視床下部からは絶え間なく、ある種の
シグナルが放出されている。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、ユングが説いた「生的エネルギー」と
いうのは、それをいう。

そのシグナルに応じて、ドーパミンが分泌され、人間の脳は欲望に満たされる。
この欲望をコントロールするのが、前頭連合野ということになる。
つまり「理性」。

 しかし前頭連合野の力は、それほど強くない。
とくに線条体に受容体が一度形成されると、そこで条件反射運動が起こる。
こうなると理性の力は、さらに遠ざかる。
アルコール中毒、ニコチン中毒、さらには買い物依存症の人たちを見れば
それがわかる。
買い物依存症の人たちは、それがほしいからそれを買うのではない。
必要だから買うのでもない。
(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。

(この点、ニコチン中毒者も同じように考えてよい。
タバコを吸いたいから、タバコを吸うのではない。
タバコに、タバコを吸わせられている!)

 物欲もまさに、その1つ。
「情動の自己規制力」(ゴールマン)が強い子どもは、それだけ前頭連合野
の力が強いということになる。
反対に、そうでない子どもは、そうでない。
情動の自己規制力が弱いから、衝動的な行動をコントロールすることができない。
あるいは情動に溺れてしまう。
が、これでは落ち着いて勉強することもできない。
そのちがいが、「200点以上という差(SAT)」となって現れる。

●臨界期

 子どもをがまん強くするかどうか。
忍耐力のある子どもにするかどうか。
その時期は、幼児期前期(2〜4歳期)にかかっているとみてよい。
その時期を逃すと、以後、子どもをがまん強くしたり、忍耐力のある子ども、
つまり情動に対して自己規制力のある子どもにするのは、たいへんむずかしい。
子どもの忍耐力にも、臨界期があると考えてよい。

 たとえば年長児(幼児期後期)にもなると、その(ちがい)が、個性となって
その子どもの中に定着してしまう。
衝動性の強い子どもは、それ以後、ずっと衝動性の強い子どもになる。
いくら指導しても、また叱ったり、注意したりしても、それが直るということは、
まず、ない。

 またこのことも犬を見ればわかる。
私は以前、もう一匹、犬を飼っていた。
保健所で処分される寸前の犬だった。
が、この犬は、「自律心」ということになると、まったく自律心のない
犬だった。
ほんの少しでも裏の勝手口が開いていようものなら、私たちの目を盗んで、
そのままどこかへ行ってしまった。
何度教えても、また叱っても、死ぬまでこの悪癖は直らなかった。

●子どもを伸ばす

 子どもを伸ばすかどうか。
そのひとつの鍵をにぎるのが、(がまん)ということになる。
(あくまでもひとつの鍵。誤解のないように!)
がまん強い子どもは、伸びる。
そうでない子どもは、そうでない。

 だから幼児期、とくに幼児期前期においては、がまんをテーマに、
子育てをするとよい。
(がまん)にも臨界期があり、この時期を逃すと、そのあとのしつけが
たいへんむずかしくなる。

 で、この問題は、あなたという(親)に、そのまま直結する。
あなたは、そのがまん強い親だろうか。
それとも衝動的な行動を繰り返しているだろうか。
つまり前頭連合野の力は強いだろうか。
それとも弱いだろうか。
一度、自分の幼児期はどうであったか、自分を振り返ってみるとよい。
別の(あなた)を、あなたは発見するかもしれない。
2010/08/17

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 マシュマロ マシュマロ・テスト 忍耐 子どもの忍耐力 我慢 我慢強い子ども がま
ん強
い子ども 伸びる子ども 伸びない子ども ゴールマン はやし浩司 自己規制力 幼児期前期
 臨
界期 自律期)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

●エリクソンの心理発達段階論

エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように
区分した。

(1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築)
(3) 幼児期後期(自主性の構築)
(4) 児童期(勤勉性の構築)
(5) 青年期(同一性の確立)
(参考:大村政男「心理学」ナツメ社)

+++++++++++++++++

以下、09年4月に書いた原稿より……

+++++++++++++++++

●子どもの心理発達段階

それぞれの時期に、それぞれの心理社会の構築に失敗すると、
たとえば子どもは、信頼関係の構築に失敗したり(乳児期)、
善悪の判断にうとくなったりする(幼児期前期)。
さらに自主性の構築に失敗すれば、服従的になったり、依存的に
なったりする(幼児期後期)。

実際、これらの心理的発達は4歳前後までに完成されていて、
逆に言うと、4歳前後までの育児が、いかに重要なものであるかが、
これによってわかる。

たとえば「信頼関係」にしても、この時期に構築された信頼関係が
「基本的信頼関係」となって、その後の子ども(=人間)の生き様、
考え方に、大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係の構築がしっかりできた子ども
(=人間)は、だれに対しても心の開ける子ども(=人間)になり、
そうでなければそうでない。
しかも一度、この時期に信頼関係の構築に失敗すると、その後の修復が、
たいへん難しい。
実際には、不可能と言ってもよい。

自律性や自主性についても、同じようなことが言える。

●無知

しかし世の中には、無知な人も多い。
私が「人間の心の大半は、乳幼児期に形成されます」と言ったときのこと。
その男性(40歳くらい)は、はき捨てるように、こう反論した。
「そんなバカなことがありますか。人間はおとなになってから成長するものです」と。

ほとんどの人は、そう考えている。
それが世間の常識にもなっている。
しかしその男性は、近所でも評判のケチだった。
それに「ためこみ屋」で、部屋という部屋には、モノがぎっしりと詰まっていた。
フロイト説に従えば、2〜4歳期の「肛門期」に、何らかの問題があったとみる。

が、恐らくその男性は、「私は私」「自分で考えてそのように行動している」と
思い込んでいるのだろう。
が、実際には、乳幼児期の亡霊に振り回されているにすぎない。
つまりそれに気づくかどうかは、「知識」による。
その知識のない人は、「そんなバカなことがありますか」と言ってはき捨てる。

●心の開けない子ども

さらにこんな例もある。

ある男性は、子どものころから、「愛想のいい子ども」と評されていた。
「明るく、朗らかな子ども」と。
しかしそれは仮面。
その男性は、集団の中にいると、それだけで息が詰まってしまった。
で、家に帰ると、その反動から、疲労感がどっと襲った。

こういうタイプの人は、多い。
集団の中に入ると、かぶらなくてもよい仮面をかぶってしまい、別の
人間を演じてしまう。
自分自身を、すなおな形でさらけ出すことができない。
さらけ出すことに、恐怖感すら覚える。
(実際には、さらけ出さないから、恐怖感を覚えることはないが……。)
いわゆる基本的信頼関係の構築に失敗した人は、そうなる。
心の開けない人になる。

が、その原因はといえば、乳児期における母子関係の不全にある。
信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)の上に、
成り立つ。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。
「私は何をしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもが何をしても許す」という包容力。
この両者があいまって、その間に信頼関係が構築される。

●自律性と自主性

子どもの自律性や自主性をはばむ最大の要因はといえば、親の過干渉と過関心が
あげられる。
「自律」というのは、「自らを律する」という意味である。
たとえば、この自律性の構築に失敗すると、子どもは、いわゆる常識はずれな
言動をしやすくなる。

言ってよいことと悪いことに判断ができない。
してよいことと、悪いことの判断ができない、など。

近所の男性(おとな)に向かって、「おじちゃんの鼻の穴は大きいね」と
言った年長児(男児)がいた。
友だちの誕生日に、バッタの死骸を詰めた箱を送った小学生(小3・男児)が
いた。
そういう言動をしながらも、それを「おもしろいこと」という範囲で片づけて
しまう。

また、自主性の構築に失敗すると、服従的になったり、依存的になったりする。
ひとりで遊ぶことができない。
あるいはひとりにしておくと、「退屈」「つまらない」という言葉を連発する。
これに対して、自主性のある子どもは、ひとりで遊ばせても、身の回りから
つぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。

●児童期と青年期

 児童期には、勤勉性の確立、さらに青年期には、同一性の確立へと進んでいく
(エリクソン)。

 勤勉性と同一性の確立については、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。
子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。
それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立する。

 自我の同一性の確立している子どもは、強い。
どっしりとした落ち着きがある。
誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。
が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりん」の状態になる。
心理的にも、たいへん不安定となる。
その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異な行動をとる
ことが知られている。

 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい
自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型
(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。
「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従って
しまう。
断ることによって仲間はずれにされるよりは、そのほうがよいと考えてしまう。

 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、まず、ない。
その知識がないなら、なおさらで、その状態は、それこそ死ぬまでつづく。

●幼児と老人

私は母の介護をするようになってはじめて、老人の世界を知った。
が、それまでまったくの無知というわけではなかった。
私自身も祖父母と同居家庭で、生まれ育っている。
しかし老人を、「老人」としてまとめて見ることができるようになったのは、
やはり母の介護をするようになってからである。

センターへ見舞いに行くたびに、あの特殊な世界を、別の目で冷静に観察
することができた。
これは私にとって、大きな収穫だった。
つまりそれまでは、幼児の世界をいつも、過ぎ去りし昔の一部として、
「上」から見ていた。
また私にとっての「幼児」は、青年期を迎えると同時に、終わった。

しかし今度は、「老人」を「下」から見るようになった。
そして自分というものを、その老人につなげることによって、そこに自分の
未来像を見ることができるようになった。
と、同時に、「幼児」から「老人」まで、一本の線でつなぐことができるようになった。

その結果だが、結局は、老人といっても、幼児期の延長線上にある。
さらに言えば、まさに『三つ子の魂、百まで』。
それを知ることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 平たく言えば、こうした同情を買うという一連の行為は、精神的未熟性による
ものと考えてよい。
情緒的欠陥が原因になることもある。
どうであれ、けっして好ましいパーソナリティではないことだけは、確か。
自分の中にそういう「卑屈なゆがみ」を感じたら、それと闘う。
これもまた老後を心豊かに生きるためのコツということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 エリクソンの心理発達段階論 (1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築) (3) 幼児期後期(自主性の構築) (4) 児童
期(勤勉性の構築)(5) 青年期(同一性の確立) (はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 反抗期の子ど
も 反抗期の子供) 同情を買う)

(2011/07/09再収録)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月9日(土曜日)山荘にて

++++++++++++++++++++++++++++

今夜は、山荘へ逃げてきた。
自宅での気温は、夕方、30度を超えていた。
それで山荘へ。

途中、ブックストアで、2冊、本を仕入れる。
私は、日本文芸社の『超大恐慌の時代』(藤井巌喜著)。
ワイフは、雑誌の『ムー』(学研)。
今夜は、読書。
読書の夏(?)。

・・・今、午後10時半。
今、やっと一息ついたところ。
『超大恐慌の時代』の第1章「震災大不況の到来」、
第5章の「中国バブルついに崩壊」を読み終えた。

この2つを読んだだけでもわかるが、日本の未来は、お先真っ暗。
藤井氏は、こう書いている。
「外国人は最悪の事態を想定して行動している。
日本人は希望的観測に従って行動している」(P47・要約)と。

まったく、同意見。
福島第一原発事故にしても、ほとんどの日本人は、「安定状態に入った。
つまり問題は解決した」と思い込んでいる。
そう思いたい心情は、よくわかる。
またそうでも思わないと、気が晴れない。
しかし何ひとつ、問題は解決していない。
解決していないばかりか、この先、まだ、何が起こるか
わからない。

今日も菅首相は、こう言った。
「解決までには、この先、何十年もかかります」(記者会見)と。
つまりこの原発事故は、そういう問題。

この先、どれほど多くの悲劇を、私たちは目撃することになるのか。
それを思うと、ただただ気が重くなる。

++++++++++++++++++++++++++++

●耳鳴り

 山荘の夜は、静かだ。
ワイフはコオロギが鳴いているという。
が、私には、聞こえない。
いや、聞こえていたが、私は耳鳴りかと思っていた。

 私は子どものころ、慢性中耳炎で苦しんだ。
この病気のいやなところは、耳の奥がいつも熱っぽいこと。
そのためものごとに集中できない。
が、それでも勉強しなければならない。
そんな日々がつづいた。
そのつらさは、慢性中耳炎になったことのある人なら、みな知っている。

今は、それは収まったが、代わりに耳鳴りが始まるようになった。
ちょうどセミが鳴くような音に聞こえる。
実際、夏になり、セミが鳴くようになると、困る。
耳鳴りの音なのか、本物のセミの声なのか、区別できないときがある。

 が、そういう状態が何十年もつづくと、これも慣れ。
慣れの問題。
他人が心配するほど、私は耳鳴りの音については、気にしていない。
飛行機の中で、飛行機のエンジン音を気にしないのに似ている。
それに悪いことばかりではない。
耳が、健康のバロメーターになっている。
風邪のひき始めには、症状がまず、耳や喉(扁桃腺)に出る。
そのころ予防処置をすれば、大きな病気に進まないですむ。
実際、この20〜30年間で、病気で仕事を休んだことは、ほんの数回しかない。

 とは言いつつ、今、窓をあけ、耳を外に向けた。
コオロギの鳴き声を聞きたかった。

●Google Crome OS

 で、今夜はこう決めた。
震災や原発事故の話は書かないでおこう、と。
経済の話も、やめておこう。
座右には、家からもってきた週刊誌や心理学の本が、10冊、近くある。
私のばあい、こうして何か読むものが近くにないと、落ち着かない。
言うなれば、「文字中毒」?

 と書いても、趣味の本も読まないわけではない。
先週は、コンビニで『DIME』(小学館)を買った。
最新パソコンを特集していた。
それが今、テーブルの上にある。

目下、話題になっているのは、グーグル社が開発した、新OS。
「Google Crome」(OS)を搭載した、グーグル・パソコン(端末パソコン)。
雑誌には、「革新的新端末?」(P19)とある。
一言で表現すれば、「スピード感がちがう」ということらしい。
どこがどうちがうのだろう?
一度、どこかで触ってみたい。

●Twitter

 今やTwitterの全盛期。
そのための専用パソコンまで売りに出されている(NEC)。
たかが「つぶやき」とあなどってはいけない。
Twitterが、世界を動かしている。
中東で始まった、一連のジャスミン革命にしても、Twitterが起爆剤になった。
しかし私には、どうも使い勝手が悪い。
悪いというより、使う目的がちがう。

 私にとって、ものを書くというのは、墓石に文字を刻むようなもの。
生きているという証(あかし)そのもの。
死んだあとは、生きたという証(あかし)そのもの。
Twitterでは、それが期待できない。
文字通り、「おしゃべり」。
スズメのさえずりと同じ(失礼!)。
いくら書いても、何も残らない。

 では、FACEBOOKは、どうか?
仲間をさがし、友だちを作るには、役に立つかもしれない。
しかしこれにも限界がある。

 遠い昔の話だが、「パソコン通信」なるものが始まった。
最初はカタカナのみの交信だった。
それがやがて漢字も使えるようになった。
私は真っ先に飛びついた。
で、すぐ何人かの人たちと、友だちになった。

 1人は兵庫県姫路市に住んでいる人だった。
毎晩のように、今でいうメールを交換した。
(たしか浜松市内でも、パソコン通信をしている人は、数えるほどしかいなかった。)
が、インターネットが現れ、パソコン通信は、姿を消した。
同時に、その友人も、消えた。

 そういう経験があるから、FACEBOOKには、どうしても飛びつけない。
「やがては時間の無駄になる」と。
友だちといっても、ある限度を超えては、親しくなれない。
「限界」というのは、そういう意味。

●ネット用語

 「この世界は、どこまで進むのだろう」と、よく考える。
パソコンの性能も、1〜2年単位でよくなっていく。
新しいサービスも、つぎからつぎへと始まる。
ついていくだけで、たいへん。

毎日のように、新しい言葉も生まれる。
数日前も、「ストレステスト」という言葉が目についた。
直訳すれば。「耐性テスト」ということになる。
別の本には、「安全性確認テスト」と書いてあった。
だいたいの意味はわかったが、そこまで。

 が、いまだに意味のよくわからない言葉もある。
「スレ」という言葉。
若い人たちが、ネット上でよく使っている。
が、この言葉にしても、どんどんと変化していく。
10年ほど前だが、「モナー」という言葉もあった。
そこでネットで知り合った若い人に、意味を聞いた。
当時25歳くらいの男性だったが、親切に教えてくれた。
「お前も、そうだろ」という意味で、「モナー」と言う、と。
「お前もなあ」を短くして、「モナー」と。
相手に向かって、「偉そうなことを言うな」というときに、モナーと言う、と。

 が、最近、「モナー」という言葉は、あまり見かけない。
つまりそういうこともあるから、流行語をそのまま使うのも、危険なこと。
少なくとも、私は避けている。

●スケベ小説

 ところで震災以来、「週刊G」(講談社)を欠かさず、購入し、読んでいる。
その中に、毎週、たいへんスケベな連載小説が載っている。
作家の人には悪いが、これがどうしようもないほど、ヘタクソ。
一応それなりの名前のある作家なのだろうが、ヘタクソ。

 私もときどきスケベな話を文にする。
外に向かって発表したことはないが、言うなれば、私の秘密の趣味。
一度だけだが、ある女性に、それを読んでもらったことがある。
その女性は、こう言った。
「びっくりして、気絶しそうでした」と。

 ・・・と書くからといって、私のほうが上手というのではない。
スケベ小説というのは、現実感がモノを言う。
スケベな作家が、頭の中だけで想像して書いたような小説には、その現実感がない。
その場の人間しか知らないような、臨場感がない。
つまり読んでも、おもしろくない。
週刊Gに載っている小説は、明らかに(作り話)。
言うなれば「排泄の描写」ばかり。
哲学がない。
だから「ヘタクソ」という言葉を使った。

●TOSHIBA・UX

 ワイフは、先に床に入った。
日付は変わって、7月10日になった。
私も、少し眠くなってきた。
が、こんな時間は、そうはない。
私だけの、貴重な時間。
今しばらく、パソコンのキーボードを叩いていたい。

 使っているのは、TOSHIBAのダイナブックUX/23(10インチ・ミニパソ)。
ダイナブックのTX/66(15インチ・ノート)ももってきた。
が、私はUXのキーボードが好き。
キーを叩いているだけで、気持ちよい。
つまり今の私には、キーボードを叩くのが「主」。
文字を書くのは、「従」。
書くために叩いているのではなく、叩くために文字を書いている。
本末が逆転している。

●心の開いた人vs心の閉じた人

 が、それでは読者の方に申し訳ない。
現在、BLOGだけでも、毎日、1万人近い人たちが、私の文を読んでくれている。
そういう人たちのために、何か、役に立つことを書きたい。

 何だろう・・・?

 ・・・今、興味をもっているのは、「心の開いた人vs心の閉じた人」。
数日前から、このテーマで原稿を書きたいと思っている。
が、イマイチ、頭の中で構想がまとまらない。
まとまらないから、ずっと、そのまま。

 が、簡単に言えば、こういうこと。
(心の状態)と(外に向かって表現される様子)が、一致している人を、「心の開いた人」という。
一方、(外に向かって表現される様子)からは、(心の状態)のわからない人を、「心の閉じた
人」とい
う。

 子どもの世界を見ていると、それがよくわかる。
表情や様子から、その子どもが何を考えているか、よくわかる子どもがいる。
そういう子どもを「心の開いた子ども」という。

 その一方で、何を考えているか、よくわからない子どももいる。
心がつかみにくい。
自閉症という障害をもった子どもは別として、自閉傾向をもった子どもとなると、何割かがそう
である
と言える。
一見、従順で、おとなしく、親や教師の指導に、すなお(?)に従う。
しかしその分だけ、ストレスをため、心をゆがめやすい。
ときに突発的に錯乱状態になって、暴れることもある。

 だから・・・。
相手に対して心を開くということは、良好な人間関係を結ぶ、必要条件ということになる。
心が閉じていたのでは、良好な人間関係は、結べない。
友人でも、親子でも、そして夫婦でも。

●夫婦論

 夫婦の話を書いたので、一言。

 円満な夫婦関係を結ぶためには、1にさらけ出し、2にさらけ出し、3にさらけ出し。
性生活はそのために、たいへん有効。
たがいに裸になって、やりたいことをやればよい。

 もちろん性生活だけではない。
言いたいことを言い合う。
徹底的に言い合う。
もしそれができないというのであれば、その夫婦は、かなり危険な状態にあるということにな
る。

 だから昔からこう言う。
「喧嘩をする夫婦ほど、仲がいい」と。
あるいは「夫婦喧嘩、犬も食わない」と。
夫婦喧嘩が悪いというのではない。
その範囲で収まっているなら、夫婦喧嘩、おおいに結構。
たがいに言いたいことを言い合えばよい。
「その範囲」というのは、言い換えれば「破滅的でなければ」の意。

●小便

 少し不謹慎な話になる。

私は山荘では、小便は、窓を開け、外に向かってする。
それには理由が、ある。

 トイレを使うと、水を流すたびに、モーターがタンクに圧力を加える。
そうしないと、水が、ろ過装置を通らない。
山荘の水は、山からの引き水。
そのため一度、ろ過装置を使って、ろ過する。

 そのときモーターが回る。
その音で、ワイフが目を覚ます。
だから窓を開け、(実際には網戸を開け)、外に向かって小便をする。

 が、これが実に気持ちよい。
限界ギリギリまで膀胱に尿をため、一気に、しかしスワーッと、それを排泄する。
その快感は、多分、男性にしかわからないものではないか。

 欧米人の家には、どこにもピス・ポットというのが、用意してある。
「小便瓶」と訳す。
たいていベッドの下に隠してある。
小便をしたくなったら、その中にする。
(女性はどうしているか、私は知らない。)

 今、その小便をしてきたところ。
スッキリ。
気持ちよかった。
湿った森の冷気が、それと入れ替わりに、私の体の中にしみ込んできた。

・・・ということで、眠くなってきた。
そろそろ私も床に入ることにする。
明日も忙しくなりそう。
草払い機の修理と草刈り。
それが第一。
午後からは教材づくり。

 そうそう、犬のハナがこのところ、どんどんとやせ細っていく。
心配。
今日も好物の肉だけを与えた。
食欲だけは旺盛で、ぺロッとたいらげたが、年齢も年齢。
もう20歳になる。
それなりの覚悟はしている。

が、私には、大切な友だち。
ワイフ、B君、D君、K君についで、第五の友だち。
・・・というか、家族の一員
そう、今の私には、家族といっても、ワイフ、長男、それにハナしかいない。
だからハナがやせ細っていくのを見るのは、つらい。

 では、みなさん、おやすみなさい。
(はやし浩司 2011−07−10記)


Hiroshi Hayashi++++++July 2011++++++はやし浩司(林浩司)


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 22日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児にカレンダー(曜日)を教える】

●年長児になると、「きのう」「きょう」「あす」が理解できるようになり、さらに少し訓練すると、
「お
ととい」「あさって」まで、理解できるようになります。

こうして時的な空間を広くしていきます。
この時期にこうした種まきをしておくと、「時の流れ」を、あたかも地図で自分の場所を知ること
がで
きるように、理解できるようになります。


(1)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/FiF1wna4uuY?hl=ja
&fs=1" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/r9neaN7aK7o?hl=
ja&fs=1" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)

<iframe width="425" height="349" 
src="http://www.youtube.com/embed/Uz59GxTWObg?hl=ja&fs=1" frameborder="0" 
allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●受験教育の弊害について(小5クラスの様子を背景に)

<iframe width="425" height="349" 
src="http://www.youtube.com/embed/FmeFWzFDQ38?hl=ja&fs=1" frameborder="0" 
allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司




【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【放射線物質(放射能)の拡散図】7月8日改


+++++++++++++++++


今、この日本で何が起きているか?
たとえば静岡茶から放射能が観測されたとき、
このあたりの人たちはみな、こう言った。
「福島から、何百キロも離れているのに……」と。


が、この認識がいかに甘いものであるかは、
つぎの放射線物質(俗に言う放射能)の拡散様子図
(イギリス気象庁発表)を見ればわかる。


2011年、3月22日の分だけである。
自分で確かめたい人は、
http://atmc.jp/england/
を見たらよい。
なおこの中で、邦訳は、「拡散予測図(dispersion model)」となっているが、
正確には、「拡散様子図」もしくは「拡散想像図」が正しいのでは?


+++++++++++++++++


●2011年3月22日の、放射線物質(放射能)の拡散様子図
(イギリス気象庁作成)
Potential cloud spread - Iodine-131 - Japan - FLEXPART: dispersion model
(ヨウ素131、日本における拡散様子図)


3−22 03:00(GMT、以下、同じくイギリス標準時)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/48/img7a3e2430zik4zj.gif

width="597" height="403" alt="conccol_I-131_20110322T030000.gif">


3−22 09:00
IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/50/img7ad955cazik9zj.gif

width="598" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T090000.gif">


3−22 12:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/51/img13877486zik4zj.gif

width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T120000.gif">


3−22 15:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/52/img8853d205zikfzj.gif

width="597" height="404" alt="conccol_I-131_20110322T150000.gif">


3−22 18:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/53/img93ecf456zik4zj.gif

width="597" height="406" alt="conccol_I-131_20110322T180000.gif">


3−22 21:00
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/54/imgefab1bbfzik8zj.gif

width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110322T210000.gif">


ついでに、その3日後の様子図も1枚、掲載する。


3−25 00時(GMT)※
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/55/img23978217zikfzj.gif

width="597" height="405" alt="conccol_I-131_20110325T000000.gif">


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●100キロ単位で拡散する放射能(放射性物質)

 放射性物質(放射能)は、100キロ単位で、拡散する。
3月22日の拡散様子図を見ただけでも、それがわかる。
同サイト(http://atmc.jp/england/)では、動画でヨウ素131の拡散していく様子も示されてい
る。
これを見ると、日本列島の半分ほどもある巨大な汚染雲(Potential cloud)が、ナメクジのよう
に日本
列島を順次、襲っているのがわかる。

 
 が、それでも今回は、不幸中の幸いというか、日本列島は、「風」に救われた。
3月25日の拡散様子図を見てもわかるように、汚染雲は、主に太平洋側に流れている。
もしこの風向きが、そうでなかったら……。
この先冬になれば、そうなる可能性はきわめて高いが、日本列島は、すっぽりとその中に入っ
てしまう。


 今回の福島第一原発における事故については、すでにチェルノブイリ事故の2分の1程度の
放射能が
まき散らされているという。
つぎの図を見れば、その規模がいかに大きいものであったかがわかる(「原発事故」(宝島社)
より)。


<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/71/imgd4a5f8e4zik6zj.gif" 
width="698" height="558" alt="チェルノブイリの原発事故と放射性物質の拡散">


ちなみに、
福島第一原発→東京都心(皇居) ……206km
福島第一原発→浜松市中心部   ……410km
(グーグルアース上の直線距離)


●日本は権力闘争を繰り返している場合ではない!


 こうしたことの深刻さが少しでも理解できたら、同時に、現在進行している訳の分からない権
力闘争
が、いかに愚劣なものであるかが、わかるはず。
何も管直人首相を積極的に支持するわけではないが、こんな時期に、首相をしたいと名乗り出
る人がい
るだろうか。
管直人首相が、自らそれをするというのであれば、私たちは挙国一致内閣で、管直人首相を
支持、支援
すべき。
また今は、そういう時期。


 多くの人は、福島第一原発事故は、すでに安定状態に入ったと考えている。
しかし基本的には、何度も書いているが、何一つ、問題は解決していない。
解決に向かった努力は、目下、作業員の方たちによって懸命になされてはいるが、言うなれ
ば、いまだ
に応急措置の段階。


たとえば1号機の7月3日の様子を見てほしい。
放射線量(放射能)が、急激に拡大しているのがわかる。


(注)には、「計器不良」とあるが、意味がよくわからない。
計器不良だったから、この数値になったのか。
それとも針が振り切れてしまったから、計器不良になったのか。
この数値がまちがっていることを願うばかりである。


<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/57/imgf5e046dezik2zj.gif

width="300" height="160" alt="chart.gif">
(D/W……ドライウェルの略。格納容器本体のこと。 S/C……サプレッションチェンバーの略。
圧力抑制室
のこと)


 なお1〜3号機は、メルトダウンからメルトスルーの状態。
水素爆発も心配だが、この先、水蒸気爆発も可能性として、ありえないわけではない。
チェルノブイリでは、その水蒸気爆発が、被害を拡大させた。


●管直人首相の英断


 各地の原子炉の再開について、政府の姿勢は二転三転しているかのように見受けられる。
が、これも、現在の状況を考えるなら、やむをえないのではないか。
今、この日本で起こりつつある(現実)は、未曾有の大災害であり、へたをすれば、東京という
首都圏
はもちろん、北は東北地方全体、南は名古屋市まで、人が住めなくなる。


 そういう(現実)が、今、刻々と変化しつつある。
その変化に応じて、……というか、そういった深刻な情報がもたらされるたびに、意見が変化
する。
管直人首相が率いる政府首脳の判断が、変化する、……つまり一貫性がないからといって、
どうして私
たちがそれを責めることができるのか。


 それよりも理解できないのは、目先のマネーに目がくらみ、「原発再開」を唱える人たちであ
る。
原発再開は、少なくとも、今の福島第一原発の事故の収束を確認してからでも遅くないのでは
ないか。
今まさに、福島第一原発では、ボーボーと火が燃えさかっている。
そんな最中に、どうして原発再開なのか。


●浜岡原発について


 浜岡原子炉の閉鎖は、当然。
あんなところに原子炉があること自体、バカげている。
私の意見ではない。
世界中の科学者たちが、みな、そう言って、首をかしげている。


 まさに巨大地震の発生予想地。
海のそば。
その下には、その後発見された活断層が、何本も走っている。
俗な言い方をすれば、あんなところに原発があること自体、「正気の沙汰」ではない。
もし浜岡原発で、ひとたび事故が起きれば、(すでに何回も事故は起きているが※1)、首都圏
はもちろ
ん、日本の経済は壊滅的な打撃を受ける。


 そのときも中部電力は、「政府の基準を守っていました」と逃げるだろうが、そんな卑怯な言
い訳は、
もう2度と聞きたくない。


 巨大ゼネコンと官僚の抵抗を覚悟に、管直人首相は、浜岡原発の停止を勧告した。
これを英断と言わずして、何という。


●政府は、正直に!


 が、ひとつだけ菅直人首相に注文したいことがあるとすれば、政府は、もっと正直になるべ
き。
官僚がもつ情報を、そのつど、すみやかに開示すべき。


 官僚という組織は、情報によって成り立っている。
情報がなければ、ただの烏合の衆。
だから情報にしがみつく。
情報を手放さない。
しかし今は、そんな状況ではない。
国家の浮沈にかかわる一大事。
わかりやすく言えば、戦争状態。
情報を小出しにして、国民をだまそうなどという小細工は、もうやめたらよい。
しっかりとそのあたりを、管直人首相は、指導してほしい。


 すでに私のような者でさえ、外国からの情報を自由に手に入れることができるようになった。
またそういう時代になった。
政府は、正直に!


●私たちは……


 一方、国民には、国民の責任がある。
今になって自民党(野党)は、管直人首相を口汚くののしっているが、(鳩山氏は、同じ与党内
で口汚
くののしっているが)、今の今まで、こうした原発政策を野放しにしてきたのは、自民党自身で
はない
のか。
が、自民党だけが悪いのではない。
もちろん民主党が悪いのでもない。
そういう政府を作ってきた、またそれしか能のなかった私たち自身にも責任がある。


 民主主義とは名ばかり。
実態は、地方のオジチャン、オバチャンたちによる談合選挙。
それをよしとして、その政治を裏から操る官僚たち。
その結果が「今」ということになる。


 だから……と書くのは、あまりにも気が重いが、私たち自身も、「国が……」「国が……」とい
う言い
方をするのを、もうやめようではないか。
「自由」とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを「自由」という。


●最後に……


 今も、不気味な小雨が降っている。
まさに不気味。


 現在、全国の有志によって、各地の放射線が測定されている。
それらはリアルタイムで、インターネット(Ustream)で流されている。
愛知県の豊橋市(浜松市からさらに西へ32キロ)での測定結果を、昨夜も午前1時ごろまで見
ていた。


 その測定結果をみても、放射線は、毎時0・2マイクロシーベルト前後。
その測定結果は、文科省が新聞で発表している数値の約4〜5倍!
すでにこのあたりまで、放射能により、すっぽりと汚染されてしまっている。
だから「不気味」と書いた。

http://atmc.jp/geiger/?city=%E6%84%9B%E7%9F%A5
(7月8日の朝は、0・124前後、午前7時58分測定)


 こんな日は、浜松の子どもたちも、雨合羽とマスクの着用は、当然。
私は自分の教室の生徒には、そのつど雨合羽を無料で配ってきた。
(5月中旬に入ってからは、財政的な理由で中断しているが……。)


それにしても、何とも不気味な小雨ではないか。


2011/07/08記
2011/07/08改

注※(1)

●御前崎原子力発電所関連の事故

★1991年4月4日ー3号機 原子炉給水量が低下、自動停止
★2001年11月7日ー1号機 配管破断事故
★2001年11月9日ー1号機 原子炉水漏洩事故
★2002年ー自主点検の書類に16箇所の記入ミス、ひび割れの兆候を見つけるも県へ報告せ

★2002年5月24日ー2号機 点検用水抜き配管水漏れ
★2004年2月21日ー2号機 タービン建屋屋上にて火災
★2004年8月ー4号機 骨材データ偽造問題(別項で詳述)
★2005年11月4日ー1号機 配管水漏れ事故
★2005年11月16日ー3号機 屋外配管の腐食による蒸気漏れ
☆2005年11月16日ー1号機 燃料プールに異物混入
★2006年6月ー5号機タービン羽根破損
★2007年3月ー不正行為やミスが計14件あったことを中部電力が発表など
★2009年4月13日ー3-5号機のデータ改竄問題で、542個所の溶接後の熱処理を行ったうち5
号機の94個所の作業を実際に改竄した作業員が担当していたことが判明し、県に報告すると

もに早急に安全性を確認することとしている。
☆2009年8月11日ー駿河湾沖を震源とする地震の発生に伴い、4号機と5号機が緊急停止(放
射能漏れは無し)
★2009年8月19日ー8月11日の地震で点検停止中の5号機排気筒排ガスからごく微量のヨウ
素131を検出。モニタリングポストに変化はなく、外部への放射能の影響はなし
★2009年12月ー3号機で放射性廃液が漏れる事故があり、作業員34人が被曝したことが分か
った

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【浜岡原子力発電所】「今すぐ停止すべし」(以下、2011年5月7日記)


中部電力浜岡原子力発電所の危険性について

浜松市

はやし浩司


++++++++++++++++


菅直人首相は6日夜、緊急に記者会見し、
浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)にある
全ての原子炉の運転を停止するよう
中部電力に要請したと発表した【資料1】。


この発表を受け、地元の静岡県知事は、「英断」
(中日新聞)と評価。


理由は、「浜岡原子力発電所は、東海地震の震源域の
真上に位置する」こと【資料2】。


さらに最近、浜岡原子力発電所の周辺には、活断層が
3本も走っていることが判明。
(8キロメートル以内には、8本。)


うち2本は、原子力発電所直下を走っている【資料3】。


管直人首相の「停止要請」に対して、中部電力側は
表向きは従う様子を見せながらも、それを拒否。


さらにこの要請を歓迎するかと思われた御前崎市市長が、
「(我々の意見を)聞いていたのか」と、「不快表明」(5月6日)。


理由は、「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは
間違いない」と【資料4】。

さらに御前崎市市長は、つぎのように述べている。
注意深く読んでみてほしい。
なお内容は、日本経済新聞、中日新聞の双方で
報道されている。

「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、
浜岡原発だけではなく、全ての原発を見直すべきだ」
(御前崎市石原市長談)と。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料1】

菅直人首相は6日夜、緊急に記者会見し、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)にある全て
の原子炉の
運転を停止するよう中部電力に要請したと発表した。

大規模な東海地震の発生が予測される中、重大事故が発生した場合の悪影響を未然に回避
する必要があ
ると判断した。政府は浜岡原発以外の他の原発については停止要請をしない方針だ(以上、
日本経済新
聞、5月6日)。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料2】

 中部電力浜岡原子力発電所は、マグニチュード(M)8級が想定される東海地震の震源域の
真上に位
置する。

以前から地震や津波の危険性が、ほかの原発に比べはるかに大きいと指摘されてきた。中部
電は多額の
資金を投じて耐震性を強化してきたが、東日本大震災という「想定外」の巨大地震の発生によ
って、政
府は抜本的な対策を取らない限り、安全性は担保できないと判断したようだ(以上、日本経済
新聞、5
月6日)。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料3】

東海地震の想定や敷地内のリニアメントについて、問題として取り上げられるようになったの
は、発電
所が運開して間もない頃であった。

大規模地震対策特別措置法の施行などがあった頃からである。

同法施行直後に3号機の増設計画はまとめられ、1978年12月18日に設置変更許可申請書を
提出した
が、審査書類の再提出を求められて、活断層調査などの記述を大幅に追加して、1980年12月
に再提出
した。

その際、藤井陽一郎(当時筑波大学理学部教授)などから、「中部電力は、従来の検討の不
十分さを実
際上は認め、部分的には新しい知識を取り入れながらも、いろいろと言いわけをし」たなどと、
業界誌
である『原子力工業』の記事でも批判されていた。

この時点で、発電所敷地内に断層破砕帯が存在する点が既に憂慮の対象になっており、再提
出された設
置許可申請でもH断層系として一部が呼称を与えられている。

このH断層系は1〜3号機の建屋をかすめている。

この件は静岡大学助教授(当時)の小村浩夫が1981年7月に発表した論文で紹介され、原発
から8km
以内周辺には8本の活断層が知られており、ほかに3本のリニアメント(活断層の疑いがある)
がある
が、そのうち2本が原発敷地内を走っている(以上、ウィキペディア百科事典より)。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



【資料4】

 政府が中部電力に浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の全面停止を要請したことを受
け、同原発の
地元、御前崎市の石原茂雄市長は7日朝、市役所内で緊急会見を開いた。

石原市長は「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、浜岡原発だけではなく、全ての原発
を見直す
べきだ」と述べ、政府の判断を改めて批判した。

 石原市長は「国策として進めてきた原発を、国が止めるというのであれば、重く受け止めない
といけ
ない」とした上で、「地元は苦渋の判断で原発を受け入れてきた。

まさか、ここまで止める問題が急激に来るとは思わなかった」と、政府の突然の発表に驚きを
隠さなか
った以上、。

(中略)

 全面停止後の見通しについては「防潮堤が2年間で完成するかという問題もある」として、停
止期間
が2年以上になることへの懸念を示した。

また地元経済に与える影響について「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは間違
いない」と
述べた以上、(以上、日本経済新聞、5月7日)。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●安全が確保されるまでの停止

 福島第一原発事故を受け、全国で原発見直しの動きが見られる。
当然のことである。
それを受けて、静岡県御前崎市にある中部電力御前崎原子力発電所も、安全点検の
対象となった。
当然のことである。
その結果、「津波に対する防御態勢が十分でない」ということが判明した。

 それに対して、中部電力側は、『12日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)に新設予定
の防波壁
の高さを、従来想定していた12メートル超から、15メートル超に引き上げる方針を明らかにし
た』
(World Note Site)。

 が、その工事が完成するまでに、2〜3年もかかる。
しかしその一方で、東海沖地震については、「30年以内にマグニチュード(M)8程度の地震が

生する可能性が87%という数字も示されている」(同、サイト)。

 平たく言えば、今回の3・11大震災級の大地震が、今後30年以内に87%の確率で起こると
いう。
もちろんそれなりの大津波も予想される。
「87%」という数字は、「ほぼ確実に……」という数字である。

 で、常識のある人なら、こう考える。
「安全が確保されるまで、原子力発電所は、停止すべし」と。

 少なくとも防波壁が完成するまで停止すべし。
あるいは福島第一原発事故が、収束するまで停止すべし、と。
常識のある人なら、そう考える。

 が、御前崎市の石原市長は、そうは考えない。
「不快表明」をしたあと、こう述べている。
もう一度、この部分をよく読んでみてほしい。

「国が原子力を危険・不安と思うのであれば、浜岡原発だけではなく、全ての原発を見直すべ
きだ」と。

●論理的非論理

 あなたの子どもが、こう言ったとする。
「ママ、ジュース、買ってよ」と。
それに対して母親が、「今日はがまんしなさい」とたしなめたとする。
が、ここでその子どもが、こう言い返す。

「お兄ちゃんだって、買ってもらったじゃないか!」と。

 よく耳にする会話である。
子どもは不平等性を理由に、自分の主張の正当性を母親に訴える。

 が、こんな会話ならどうだろうか。

 あなたが子どもに、こう言ったとする。
「道路で、自転車に乗ってはいけません。まだあなたはうまく自転車に乗れないからね」と。
が、子どもはその子どもは、こう言い返す。

「道路が危険なら、お兄ちゃんだって、乗るべきではない。
お兄ちゃんも、やめさせろ!」と。

 こういうのを非論理的論理という。
論理的非論理でもよい。
一見、論理的だが、論理的ではない。
わかりやすく言えば、「ダダ」。
御前崎市長は、そのダダをこねた。
理由は、「お金(マネー)」(?)。

●御前崎市

 20代、30代のこと、私は子どもたちを連れて、よく御前崎市までドライブした。
その季節になると、サザエなどを、安く買うことができた。
車で、2時間ほど、かかった。

当時の1号機建設時には、原子炉建屋から最寄民家までの最低距離は、700メートル。
半径5キロメートル以内の人口は約1万7000人、10キロメートル以内は約6万人であっ
た(ウィキペディア百科事典)。

 が、それから30年。
御前崎市は一変した。
人口も3万8000人弱にふえた。
「バイパス」と現地の人たちは読んでいるが、都会にもないような4車線の道路(150号線)が、

っている。
もちろん昔の面影は、どこにもない。

当時は、砂ぼこりが舞うような田舎道だった。
御前崎市は、丘を登った、丘陵地帯にあった。
やっとさがしあてた食堂にしても、吹きさらしの板間だった。
今は、ちがう。
どうちがうかは、行ってみればわかる。

 今回の福島第一原発事故に関して、どこかの市長が、「3700億円」という数字をあげたの
を記憶
している。
「原発の経済効果は、毎年、3700億円もある」と。

 おそらく……というより、ほぼまちがいなく、御前崎市にも、その程度、あるいはそれ以上の
現金が、
毎年投下されているにちがいない。
だから御前崎市市長は、こう言った。

「雇用や地元商店街に大きな影響が出てくることは間違いない」と。

 言い換えると、石原市長は、原発推進派の市長として、原子力発電所のもつ経済効果を長く
利用して
きたことになる。
仮に3700億円としても、半端な金額ではない。
もし浜岡原子炉が停止ということにでもなれば、御前崎市は、巨大な利権を失うことになる。
非論理的論理(ダダ)であるにせよ、石原市長は、思わず本音を漏らしたことになる。

●それでも原発?

 福島第一原発事故の話に戻る。

 現在、福島第一原発周辺の市町村は、ゴーストタウン化している。
その地域に住んでいた住人の人たちの多くは、「早くもとの家に戻りたい」「もとどおりにしてほ
しい」
と言っている。

 しかし現実問題として、チェルノブイリ事故の例をあげるまでもなく、それは現段階において
はほぼ
不可能。
「ほぼ」という文字をはずしてもよい。
むしろ事態は、日に日に悪化している。
福島第一原発の原子炉は、まさにいつ爆発してもおかしくない状態。
もしそうなれば、「それどころではない」という状態になる。

 またよく広島を例にあげて、「福島も復興する」と主張する人がいる。
しかし放射性物質の量では、広島の原爆など、比較にならない。
規模、そのものが、ちがう。
チェルノブイリと比較しても、福島第一原発の原子炉は、世界最大級。
もしそんな原子炉が爆発したら、チェルノブイリの約25倍もの放射性物質が、周辺に飛散する
ことに
なる(この「25倍」という数字は、私の試算による。疑う人は、自分で試算してみたらよい)。

 が、それでもこんな意見があるのには、驚かされる。
福島第一原発の近くの町に住む住人は、テレビのインタビューに答えて、こう述べていた。
「それでも原発は必要です」「私たちはそれで生活していましたから」と。

 御前崎市市長も、同じような気持ちかもしれない。
「危ないことは、よくわかっている。しかし原発は、市の発展のために必要」と。

 が、もしつぎのような事実を知ったら、御前崎市市長というより、この浜松市に住む人たちの
気持ち
も変わるのではないか(出典は、「ウィキペディア百科事典」)。
なおこの事実の中で、2001年以後、事故数が急速にふえているのには、2つの理由があるも
のと推
理される。

(1)それ以前は、事故があっても闇から闇へと、葬られた。
(2)2001年以後、検査が厳格になり、事故が公表されるようになった。

 けっして以前は安全だったというふうに考えてはいけない。
データの改ざんは、日常的に行われていた。
そうのことは記録をていねいに読めば、わかるはず。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●小細工(九州電力の小細工)2011/07/09

 先日、ある人の車に、大きなひっかき傷がつけられた。
釘のようなもので、波状に深く、側面がえぐられていた。
買ったばかりの、新車だった。
が、その人は、やったのが、だれかすぐわかった。
道をはさんだ、はす向かいの通りで、化粧品店を経営している女性だった。
それまでの20年間、似たようなトラブルが、ずっとつづいていた。

 が、そのつど化粧品店を経営している女性は、同時に小細工をすることを忘れなかった。
そのときも、自分の店の前に立ててある看板に、同じような傷をつけていた。
つまりそうすることによって、「私の家も、被害者」ということを装った(?)。

 車に傷をつけられた人は、こう言った。
「半分、サビかかったような看板に、わざわざ傷をつける人はいませんよね。
一応、警察の事故調書が必要なので、警察に来てもらいましたが、そのとき、自分が疑われな
いよう、
先に小細工をしたというわけです」と。

 こうした小細工をする人には、いくつかの特徴がある。

(1)気が小さい
(2)住んでいる世界が小さい
(3)ものごとに、こだわりやすい(うつ気質)
(4)表の生活(顔)と裏の生活(顔)が、大きくちがう、など。

しかしこうした小細工をするのが、個人とはかぎらない。
天下の一流企業がすることもある。

 日経新聞は、こんな記事を載せている。

●やらせメール

 『……やらせメール問題を巡っては6月26日に開かれた佐賀県民向け説明会の前、原子力
部門を統
括していた別の副社長(当時)らが、説明会に「再稼働賛成」「原発推進」といった趣旨の意見
を積極
的に送るよう指示していたことが既に判明。
これを受け、原子力発電本部の課長級社員が社内や子会社4社に意見メールの投稿を依頼
していた。

 九電関係者によると、玄海原発所長と川内事務所長もこの依頼をメールで受け取っていた。
玄海の所
長はその前に、説明会に意見を出す方針を知っていたという。2人とも異論を唱えることはな
く、黙認
していたとみられる。九電は2人が意見メール投稿への協力を部下に指示していなかったかに
ついても
調査している。

 説明会は経済産業省が主催し、ケーブルテレビやインターネットで生中継された。寄せられ
た意見メ
ール473通のうち、再稼働への賛成は反対(119通)より多い226通。説明会2日後の28日には
九電
の株主総会が予定されており、九電の経営陣や原子力部門は説明会の内容に神経をとがら
せていたと指
摘する関係者もいる』(以上、日経新聞より)と。

 つまりあの九州電力が、「賛成」のやらせメールを、自社や関連会社の社員にさせていたと
いう。
まさに小細工!
私はこの記事を読んで、こう思った。

「あんな大企業でも、小細工をするのだなあ」と。

 常識で考えれば、小細工など、する必要はない。
「企業」と言っても、独占企業体。
ライバル社はなし。
国(官僚)の機嫌だけをうかがっていれば、経営は安泰。
中身は、準公共企業。
社員の身分も、準公務員。
待遇、給与体系は、公務員社会と同じ。
あるいはそれ以上。

●ごまかし論

 小細工というのは、平たく言えば、「ごまかし」。
が、考えてみれば、この世の中、ごまかしだらけ。
あらゆる人たちが、あらゆる場所で、ごまかしをしている。
それが許容範囲にあるか、ないか。
そのちがいはあるが、「私はごまかしをしていない」と断言できる人は、いったい、どれほどいる
だろ
うか。

 上は国会議員から、下は家庭の主婦まで。
レトルトパウチ食品にしても、ほんの少しトッピングを工夫するだけで、一流料理に変身させる
ことが
できる。
(私は、そういうのが、上手!)
もっともこれは(よい?)ごまかし。
相手をハッピーにする。

 だからふつう「小細工」というときは、その裏に、何かうしろめたさを伴うものをさす。
「だます」というほど強烈なものではないが、言うなれば「インチキ」。
つまり犯意は低いが、まあ、スレスレのところで相手をごまかす。

 で、今回の九州電力の「やらせメール事件」。
時期が時期だけに、これはまずい。
日本中が神経質になっている。
イライラしている。
そういうときに、こういうことをされたら、怒る。
私も怒った。
あなたも怒った。
みんな怒った。
……というか、あきれた。
……というか、電力会社も、そこまで追いつめられている。
こんな小細工をしなければならないところまで、追いつめられている。

 ともかくも、小細工はいけません。
どうせバレる。
バレたとき、信用を、100%失う。
その危険性を考えたら、小細工はしない。
堂々とぶつかり、あとは当たって砕ける。

 ……というのが、今日の私への教訓。
今日一日だけでも、ごまかしをしないで生きてみる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【思春期の女子の心理】(理性と本能の葛藤期)

●正常vs変態

 昨日、中3のNさん(女子)が、私にこう聞いた。
「先生は、変態か?」と。
で、私は、「そうだ」と答えた。
が、それを聞いて、まわりにいたみなが、「ヘエ〜〜?」と笑った。

N「先生って、変態だったの?」
私「そうだよ。でもね、この世の中に、正常な人というのもいないの。わかるかな。精神医学の
世界で
さえ、(正常)の定義付けを、あきらめてしまった」
N「じゃあ、みな、変態ってこと?」
私「そうじゃない。絶対多数の、平均的な人というのは、たしかにいる。そういった人たちが、自
分た
ちを正常といい、自分たちの外にいる人を、変態という。しかしそれこそ、偏見だよ」

 つまり正常か変態かというのは、相対的なちがいでしかない。
大切なのは、たがいに認めあうこと。

●性の世界では

 とくに性の世界では、正常も変態もない。
その男女が、(べつに男女でなくてもよいが……)、それぞれに納得していれば、正常も変態も
ない。
そういう判断をくだすこと自体、ナンセンス。

 もう少しわかりやすく言うと、こうなる。
性の世界は、きわめて言うなれば、「動物的な世界」。
その動物的な世界に対して、大脳の前頭連合野が支配する「理性の世界」がある。
この2つは、常に対立関係にある。
その理性の世界と、動物的な世界が、はげしくぶつかりあう。
理性は、動物的な行為を、「変態」と位置づけて、攻撃する。
つまりそれは、脳の内なる世界で起きている、本能と理性の戦いそのものということになる。

 ……という少しむずかしい話をしてしまった。
Nさんは、ポカーンとした表情で私の説に耳を傾けていた。
が、頭のよい子である。
その日も、「数学のテストで1番を取った」と喜んでいた。

●思春期

 思春期には、本能と理性が、脳の中で、はげしい葛藤を繰り返す。
(そうでありたい私)と(そうでありたくない私)。
あるいは(私)と(得体の知れない私)。
これらが脳の中で、はげしい葛藤を繰り返す。

 が、結局は、本能が勝つ。
理性の力は、それほど強くない。
思春期においては、とくにそうで、理性の力など、台風の風を前にしたパラソル程度の抵抗力
しかない。
一風吹いただけで、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。

私「それにね、脳の世界というのは、きわめて多様性に富んだ世界なんだよ。ニューロン(神経
細胞)
から伸びるシナプスの数のほうが、DNAの数より、はるかに多い。脳の働きだけは、DNAのコ
ント
ロールを受けないということ。わかるかな?」
N「……わからない」
私「もしDNAが、人間の思考の内容まで決めてしまっているとしたら、人間は、その範囲でし
か、も
のを考えることができない。虫や魚などは、そうかもしれない」
N「人間は、自由にいろいろなことを考えられるということね」
私「そうだ。さすが君は鋭い。その(自由)こそが、人間がもつ(多様性)ということになる」

N「鳥もそうかしら?」
私「そうだよ。それぞれの鳥は、自分勝手な行動をしているように見えるかもしれないけど、北
海道の
スズメも、九州のスズメも、スズメはスズメ。その範囲での行動しかしていない」
N「人間はどうなの?」
私「大部分は、北海道の人も、九州の人も、人は人。その範囲での行動しかしていない。が、
中に、『私
はちがう』と考えて行動を始める人がいるかもしれない。そのとき人は、DNAの支配下から、
逃れる
ことができる」
N「つまり、平均的な人は、DNAの支配下にあるということね?」
私「さすが、君は、鋭い。そのとおり」と。

 久々に、熱い話になった。
が、私はこういう話をするのが、好き。

●ただの人

 いつも多様性を追求する。
それが生きるということに、つながる。
本能の命ずるまま、つまりDNAの支配下で、多数の人と同じことをしているなら、その人は、そ
の程
度の人。
ハイデガーの説いた、「ただの人(das Mann)」というのは、そういう人をいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎのは2008年4月に
書いたもの。

話が脱線するが、許してほしい。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a "man", so-called "das Mann". But 
nobody 
agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward the of 
the lives. 
Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退
職、と
いうことになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれ
ば、人
間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったこと
すらわ
からない。

先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときの
こと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次元
がわかる
ようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、みな
に忘
れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感動
する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどるこ
とに
なる。

繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」と
呼ん
だ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●本能の奴隷

 話を戻す。

 50歳を過ぎたころ、私も、「男の更年期」というのを経験した。
簡単に言えば、そのとき思春期以来はじめて、「性」から解放された。
それは実にすがすがしい世界だった。
さわやかな世界だった。
週刊誌などに出ている、女性の裸T写真(T=体)を見ても、ただの脂肪のカタマリに見えた。

 そのときのこと。
私はそれまでの私がいかに性の奴隷であったかを知った。
性の奴隷そのもの。
恐らく現在、その渦中にいる若い人たちには、それがわからない。
自分はそれでふつうと思い込んでいる。
が、ふつうではない。
ふつうでないことは、「性」から解放されてみて、はじめてわかること。
私はそれを知った。

 もっともその時期を過ぎてからは、再び性欲が戻ってきた。
が、以前ほど、強くはない。
焚き火のあとの残り火のようなもの。
ポッポッと短く燃えては、すぐ消えてしまう。
が、何よりもすばらしいことは(?)、それ以後、本能を理性の力でコントロールできるようにな
った
こと。

●変態論

 で、変態論。

 むしろ変態でないほうが、おかしい。
もちろんそれによって他人に迷惑をかけることは、許されない。
しかしそうでなければ、どんなことをしてもよい。
どんなことを考えてもよい。
変態か、変態でないか、そんな判断をすること自体、先にも書いたようにナンセンス。
少し前まで、同性愛すら、変態の領域に押し込まれてしまっていた。

 Nさんは、「性」に関して、私に変態かと聞いた。
が、こと「性」に関しては、私はかなり平均的と思っている。
が、自分で、そう思っているだけかもしれない。
かなり変態的な人たちからみれば、私など、逆に変態かもしれない。
要するに大切なことは、ありのままの姿で、自然体で考えること。
自然体で行動すること。
それが「おかしい」と言うなら、人間そのものがおかしいということになる。
が、そういうことはない。

 最後に、一言。
こういう話は、前にもしたことがある。
もう20年近くも前のことである。
やはり中学3年生の女子が、私にこう聞いた。
「先生は、清純か」と。
で、そのとき、私は、昨夜とはちがい、こう答えた。
「ぼくは、清純だ」と。

 するとその女子は、こう言った。
「子どもがいるくせに!」と。

 しばらく、その意味がよくわからなかった。
が、やがてその意味がわかった。
その女子は、「子どもがいるということは、Sックスをしたはず。だから清純ではない」と考えた。

つまりこの時期の女子は、ほかの年代の男性や女性とは、かなりちがったものの考え方をす
る。
最初の話に戻る。
この時期の女子の脳の中では、本能と理性が、はげしい葛藤を繰り返す。
一方、男子は、割とあっさりと理性を投げ捨ててしまうが、女子はそうでない。

 この時期の子どもたち、とくに女子の心理を知るひとつの手助けになればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 思春期 思春期の女子 思春期の女子の心理 本能と理性の葛藤)
2011/07/06記

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●7月7日(2011年)

●ワイフの弱音

 昨夜、寝るとき、ワイフが、生まれてはじめて弱音を吐いた。
「あなたはいいわね」と。
「どうして?」と聞くと、「あなたにはあなたを支えてくれる人がいるから、いいわね」と。

私「……ぼくを支えてくれる?」
ワ「そうよ。あなたにはあなたのファンがいる。でも私にはいない……」
私「でも、お前には家族がいる。兄も姉も、妹もいる。ぼくにはいない……」
ワ「そうね……。あなたは、ひとりぼっちね……」と。

 そしてそのあと、こう言った。
「私が死んでも何も残らない……。みんな、あっという間に、私のことなんか忘れてしまう」と。

 私はワイフがそんなふうに考えているとは、夢にも、思っていなかった。
アメリカへ行った二男にしても、東京へ行った三男にしても、「みな、それぞれが幸福になれば
それで
いいのよ」と言っていた。
そんなワイフがさみしがっている(?)。

●切なさ

 生きていくということは、さみしさの連続。
このところ昔つきあった友のことをよく思い出す。
もう30〜40年も、音信のない人もいる。
さみしいというより、切ない。
生きていること自体が、切ない。

 父も母もいない。
兄も姉もいない。
帰るべき、故郷もない。
このところ昔、世話になった人が、ポツリ、ポツリと亡くなっていく。

私「ぼくなんかね、この浜松では、ひとりぼっちなんだよ。23歳のとき来たから、子どものころ
の友
だちさえ、いない……」
ワ「でも、あなたの書いたものは残るわ」
私「残らないよ……」
ワ「残るわよ……」
私「そう願って書いてはいるけど、残らない。インターネットの世界は、不思議な世界だよ。そこ
に読
者がいるはずなんだけど、その実感がまるでない。ものを書いたとたん、それが煙のようにな
って消え
ていく……」

●丸い涙

 気づかなかった。
ワイフはノー天気な女性とばかり、思っていた。
孤独とは無縁の世界に住んでいるとばかり、思っていた。
しかしワイフには、ワイフのさみしさがあった。
そのさみしさにじっと耐えながら、生きていた。

私「お前が、そんなふうに考えているとは、思ってもみなかった」
ワ「そう? でもよく考えるわ。このまま私が死んだら、私はどうなるのかって……」
私「……」
ワ「みな、すぐ私のことなんか、忘れてしまうわ」
私「……」
ワ「でも、あなたは自分の生き方を貫くことができた。自分のやりたいように、自分の人生を生
きるこ
とができた。みんな、あなたのような人生を送りたいと思っているけど、それができないでいる
のよ」
と。

 それを聞いているとき、丸い涙が目の上に浮かんだ。
目を閉じたとき、頬を伝って下に落ちた。

●業(ごう)

 朝、目を覚ますと、時計は5時半を示していた。
外はどうやら小雨のよう。
まだ外は薄暗かった。
起きようか、どうか、私は迷った。
どうであるにせよ、一度、トイレに行かねばならない。

 10分……20分……と、時が流れた。
そういう私に気づいて、横でワイフが、私の背中をさすってくれた。
とたん、昨夜、寝る前の話が、そっくりそのまま私の脳に戻ってきた。
だれのせいでもない。
私のせいだ。
私が背負った、罪深い業(ごう)のせいだ。
祖父から父、父から私……。
代々、伝わった業のせいだ。

 みな、私は私と思って生きている。
私も、実は、そうだった。
が、今、その業を感ずる。
私を超えて、その向こうで流れる業を感ずる。
私という「私」は、その流れの中で生きている。

●7月7日

私「ぼくだって、さみしいよ」
ワ「どうして?」
私「だって、ぼくを理解してくれる人が、どんどんと少なくなっていく……。N先生も亡くなってしま
った。T先生も亡くなって、もう4年になる……」
ワ「私は、あなたを理解しているわ」
私「でもね、そのお前が、そんな心細いことを言ったら、ぼくはどうすればいい? お前が死ん
だら、
ぼくは、どうすればいい?」
ワ「そうね……。そういう点では、あなたは、かわいそうな人よね」
私「……」
ワ「いつもひとりぼっちで、歩いている……」と。

 昨夜は、そんな話もした。
さみしかった。
つらかった。
が、ともかくも、朝になった。
朝がやってきた。
グズグズ言っても、どうにもならない。
生きていくしかない。
今日の仕事をするしかない。

時刻は今、午前6時半。
7月7日、木曜日。
小雨が心地よい涼しさとなって、窓から流れてくる。

そこにいる孤独さんよ、今日もよろしくね!


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●業(ごう)

+++++++++++++++

業について書いた原稿を
さがしてみる。
昨年も、たしか書いたはず。

+++++++++++++++

●業(カルマ)(The Deepest Sin in Ourselves) 

+++++++++++++++++++

仏教では、意識を、大きく、
(1)末那識(まなしき)と、
(2)阿頼那識(あらやしき)の2つに
わける。

末那識というのは、意識の総称。
阿頼那識というのは、現代心理学でいう、
「無意識」、あるいはさらにその奥深くに
ある、深層無意識と考えてよい。

その仏教では、末那識(「私である」という
自我)が、阿頼那識におりてきて、そこで
蓄積されると教える。
そして阿頼那識で蓄積された意識は、
今度は反対に、末那識の世界まであがってき、
末那識に影響を与えると、教える。

これについては、何度も書いてきたので、
ここではその先を考えてみたい。
いわゆる「業(ごう)」の問題である。

++++++++++++++++++++

●意識と無意識

 意識の世界のできごとは、常に、無意識の世界に蓄積される。
パソコンにたとえるなら、自動バックアップのようなもの。

(WINDOW7には、自動バックアップ機能というのがついている。
それを使うと、ファイルの変更などをすると、自動的に、別のディスクに
バックアップをコピーしてくれる。)

 仏教では、意識される意識を「唯識(ゆいしき)」とし、眼識、耳識、鼻識、
舌識、身識、意識の6つに分ける。
現代でいう、五感とも、ややちがう。
その唯識が、「私」を形成する。
それが「末那識」ということになる。

●末那識は一部

 この末那識は、先にも書いたように、常に阿頼那識の世界に影響を与え、
そこで業(カルマ)として、蓄積される。
が、現代の大脳生理学でも証明されているように、無意識の世界の広大さは、
意識の世界の広さとは、比較にならない。
20万倍とか、それ以上と言われている。

(数字で表現するのは、正しくない。
要するに、意識として使われている脳は、脳の中でもほんの一部に過ぎない
ということ。)

 よく「業が深い人」という言葉を耳にするが、つまりそれだけ阿頼那識に
蓄積された業は、大きく、反対に、末那識に与える影響も大きいということ。
言い替えると、私たち人間は、意識の世界だけで生きているのではないということ。
実際には、無意識の世界の命令に応じて、生きているということ。

●無意識の世界

 たとえばここに、場面かん黙児の子どもがいるとする。
入園など、はじめて集団に接したようなとき、発症することが多い。
家の中では、ごくふつうに会話ができる。
しかし集団の中に入ったとたん、貝殻を閉じたかのように、かん黙してしまう。

 そういう子どもと接していると、無意識の世界を操作するのが、いかに
むずかしいかがわかる。
あるいは子どもの、その向こうにある、無意識の世界の広さに、驚くことがある。
場面かん黙児の子どもは、その無意識の世界の命令によって行動する。
そのため意識の世界から、いくら話しかけたり、説教したりしても、意味がない。
効果もない。

●業(ごう)

 業(ごう)というのは、そういうもの。
人間がもつ本能とも直結している。
そのためそれが何であれ、またどういうものであれ、意識の世界でコントロールしよと
しても、ビクともしない。
仮にあなたが、きわめて知性的な人であっても、その知性で、コントロール
できるようなものではない。

 たとえば手鏡をもって、女性のスカートの下をのぞいていた大学の教授がいた。
超一流大学を出て、当時は、毎週のようにテレビに出演していた。
地位と名声、それに富を、順に自分のものにした。
にもかかわらず、自らの業を、コントロールすることができなかった。
今度は、電車の中で痴漢行為を働いて、逮捕された。

●ではどうするか

 仏教では、……といっても、釈迦仏教というよりは、釈迦滅後、500〜600
年を経てからだが、「八正道」を説かれるようになり、さらに実践的な、「六波羅密」
が説かれるようになった。

 八正道についても、たびたび書いてきたが、こと、阿頼那識ということになると、
六波羅密のほうが重要ということになる。

 布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、「六波羅密」という。
これは私も最近知ったのだが、「波羅密(ハラミツ)」というのは、「徹底」を意味する
サンスクリット語の当て字だそうだ。
漢字の「波羅密」を見て意味を考えても、答は何も出てこない。

(ついでに、日蓮宗の『南無妙法蓮華経』という題目にしても、

ナム……サンスクリット語の「帰依する」を意味する語の当て字。
しかし実際には、「hello」の意で、現在でもインドでは、あいさつの言葉として、
広く使われている、

妙法……サンスクリット語の、「因果な」を意味する、当て字、

蓮華……サンスクリット語の、「物語」を意味する、当て字、

「経」の漢字は、中国に入ってから、学者たちによって、付加された。)

 「末那識」「阿頼那識」という言葉についても、無著(むじゃく)、世親(せしん)
あたりから、世に出てきたから、サンスクリット語の当て字と考えるのが妥当。
今風に言えば、「意識」「無意識」ということになる。
(不勉強で、申し訳ない。)

●六波羅密

 ここにも書いたように、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目を、
「六波羅密」という。
これを実践することにより、人は涅槃(ねはん)の境地に達することができると
言われている。

 もっとも私のような凡人には、それは無理としても、しかしこの中でも「精進」の
重要さだけは、よく理解できる。
「日々に、私たちは前に向かって、邁進(まいしん)努力する」。
それは健康論と同じで、立ち止まって休んだ瞬間から、私たちは不健康に向かって、
まっしぐらに落ちていく。

 よく「私は、修行によって、悟りの境地に達した」とか、「法を取得しました」とか
言う人がいる。
しかしそういうことは、ありえない。
ありえないことは、あなた自身の健康法とからめて考えてみれば、それがわかるはず。

 で、私は、日常生活の中で、つぎのように解釈している。

布施……ボランティア活動をいうが、いつも弱者の立場でものを考えることをいう。

持戒……仏教的な「戒め」を堅持することをいうが、簡単に言えば、ウソをつかない、
ルールを守ることをいう。

忍辱……「忍辱」については、そういう場面に自分を追い込まないようにする。
「忍辱」は、ストレサーとなりやすく、心の健康によくない。
あえて言うなら、『許して、忘れる』。

精進……常に前に向かって、努力することをいう。
とくに老後は、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
私はとくに精進を、日常の生活の中で大切にしている。

善定……善を、より確かなものすることをいう。
口先だけではなく、実行する。

知恵……「無知は罪悪」と考えることをいう。

 が、何も「6つの教え」に、縛られることはない。
そういう点で、私はこうした教条的なものの考え方は、好きではない。
まちがってはいないが、どうしてもそれだけに限定されてしまう。
その分だけ、視野が狭くなってしまう。

 要は修行あるのみ……ということになる。

●修行

 ……といっても、私は、仏教的な、どこか自虐的な修行の価値を認めない。
(釈迦だって、そうだったぞ!)
「修行」というのは、ごくふつうの人間として、ふつうの生活を、日常的に
しながら、その中で実践していくもの。
(釈迦が説いた、「中道」というのは、そういう意味だぞ!)
もし、そこに問題があるなら、真正面からぶつかっていく。

 燃えさかる炭の上を歩くとか、雪の中で滝に打たれるとか、そういうことを
したからといって、「修行」になるとは、私は思わない。
少なくとも、私は、ごめん!
またそういうことをしたからといって、「私」の中にある「業」が、消えるわけ
ではない。

●結論

 で、私なりの結論は、こうだ。

 まず業に気がつくこと。
あとはそれとうまく、つきあっていく。
業があっても、なくても、それが「私」。
個性をもった「私」。
それが「私」と認めた上で、(それが弱点であっても、また欠陥であっても)、
前向きに生きていく。

 まずいのは、そういう業があることに気づかず、それに振り回され、同じ
失敗を繰り返すこと。
そのために「智慧」があるということになるが、それについては、また別の機会に
考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 末那識 阿頼那識 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、はやし
浩司 八
正道 六波羅密、布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵、6つの徳目 修行論)


Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(付記)

 日付は、昨年(2010年)の3月になっている。
読みなおしてみる。
ずいぶんと荒っぽい原稿である。
その荒っぽい原稿を読みなおしながら、私の底を流れる「私」をさぐる。
つまり「業」に気づくのは、それほどまでにむずかしい。
脳の奥の奥に潜んで、そこから私たちを裏から操る。
だから「宿業」ともいう。

 その「宿業」についても、以前、書いたことがあるはず。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宿業

 「宿業(しゅくごう)」という言葉もある。
業の中でも、とくに大きく、そして自分の心の奥に潜んでいて、自分を操る業をいう。

 この宿業というのは、若いときにはわからない。
人はその宿業に操られるまま、それを「私」と思いこむ。
が、加齢とともに、それが少しずつ、姿を現してくる。
現像液につけられた写真のように、姿を現してくる。

 それが「私」ということになるが、ときにその醜さに、驚くかもしれない。
「これが私の顔か!」と。
そしてそれまでの「私」が、いかに業に振り回されていたかを知る。
つまり私であって、私でない部分に振り回されていたかを知る。

 言うなれば、若いときというのは、「煩悩(ぼんのう)」のかたまり。
大脳生理学的にいうなら、ドーパミンに操られるまま。
それが「生的エネルギー」(ユング)ということになるが、しかしそれは「私」ではない。
ほんとうの「私」は、深層心理の奥深くにあって、なかなか姿を現さない。
しかもその「私」の大部分は、0歳期〜からの、乳幼児期に作られる。

 もちろん宿業がすべて悪いわけではない。
(ふつうは、宿業イコール、悪という前提で考えるが……。)
人間のもつ多様性は、煩悩によって作り出される。
またそれから生まれるドラマが人間の世界を、うるおい豊かで、楽しいものにする。
もちろんその反対もある。
憎しみや悲しみが、暗くて重い歴史を作ることもある。
が、もしなぜ私たち人間が、今、こうして生きているかと問われれば、そうした
ドラマの中で、懸命に生きるためということになる。

 そう、懸命に生きるところに、私たちの生きる意味がある。
追い詰められても、追い詰められても、土俵間際でふんばってがんばる。
それが「生きる」ということになる。

 だれにも宿業はある。
宿業のない人は、いない。
またあることを、恨んではいけない。
大切なことは、そうした宿業と仲良くすること。
どんなに醜い顔をしていても、結局は、それが「私」なのだから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 宿業)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【放射能は安全・説?】byはやし浩司(『疑わしきは罰する』)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

今朝は、九州大学大学院工学研究院エネルギー量子工学部のHPを読むことから、始まっ
た。
それには前置きとして、「デマに惑わされず、適切に判断するための科学情報」とある。

そうだ!
デマに惑わされてはいけないのだ!
……ということで、読み始めたが、どうもへん?

●放射線による人体への影響についての基礎知識
●福島県産及び茨城県産食品から検出された放射能

汚染された牛乳やほうれん草についても、つぎのように結論づけている。

『……以上より、福島、茨城で検出された放射能濃度は通常よりも高い値ですが、この食品を
食べたと
してもただちに健康被害が出るものではありません。
風評被害を避けることが肝心です。

また、ヨウ素ー131の半減期は8日で、8日毎に半分に減少していきますので、注意するのは最
初の1
ー2ヶ月までです。セシウムー137の半減期は30年なので、なかなか無くなりません。カリウムー
40
の半減期は13億年です。

また、カリウムー40はもともと自然界にあり食品内部に入っているため洗っても落ちませんが、
ヨウ素、
セシウムが表面についている場合は洗い落とすことができます』と。

 この中に出てくる、「ただちに健康被害が出るものではありません」という文言。
私はこの文言を読んだとき、脳内で拒絶反応が起きたのがわかった。
「ただちに……」でなければ、いつなのか?

 全体を読んでいると、今、福島第一原発周辺で起きていることは、すべて「風評」という印象
を受け
てしまう。
「意識」というのは、そういう点で、おもしろい。
それらしいことを、数字を並べて説明されると、「そうかなあ」と思ってしまう。
それを受け入れてしまう。
たとえば、こうある。

http://www.qpn.kyushu-u.ac.jp/message/info01/radiation.html

●人は身の回りの自然環境から常に放射線を受けて生活しています。

●受ける放射線の量は地域により異なりますが、世界平均で年間2・4ミリシーベルト(2400
マイクロシーベルト)です。 (単位に注意:1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト)

●ブラジルのカラバリ地域の人々は年間平均10ミリシーベルトの放射線を受けています。

●東京-ニューヨーク間を飛行機で往復したときに宇宙線等によって受ける放射線の量は0・19
ミリシーベルト (190マイクロシーベルト) です。

●胸部X線CTではわずか数秒間に6・9ミリシーベルトの放射線を受けます。

●高度約400kmの軌道の国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は1日当たり約1ミリシ
ーベルト (1000マイクロシーベルト) の放射線を受けます。国際宇宙ステーションに約4ヶ月
間の長期間滞在した場合は100ミリシーベルト以上の放射線を受けたことになります。(以上、
同九州大学HPより)

 こうした数字を具体的に並べながら、こう結論づけている。
注意深く読んでみてほしい。

『……(2011年、事故翌日の)3月12日の午後、福島原子力発電所正門付近で測定された
空間線量率の値が1015マイクロシーベルト (1・015ミリシーベルト) であったと報道されてい
ます。
この値は、その場所に1時間じっとしていたときに全身に受ける放射線の量で、上で述べたよ
うに健康への影響はありません』と。


●一般人の常識

 簡単に言えば、胸部X線CTでは、わずか数秒かに、6・9ミリシーベルトの放射線を受ける。
だから正門付近で測定された、1015マイクロシーベルト(1・015ミリシーベルト)程度の放射
線など、何でもない。
つまり「ただちに健康被害が出るものではありません」と。

 私など、こういう事実(?)を突きつけられると、逆にこう読んでしまう。
「胸部X線CTというのは、そんなに恐ろしいものであったのか。2度と受けないぞ」と。
またそういう読み方をするのが、一般の人の常識ではないだろうか。

 ともかくも今、放射線に関する情報が複雑に交錯している。
きわめて大ざっぱに言えば、危険説を唱える京都大学派。
「心配ない」説を唱える九州大学派。
過小評価説を流しつづける、文部科学省派。
やや大げさに危険説を唱えつづける「週刊現代」(週刊誌)派。

 が、これだけは忘れてはいけない。
放射線被害が出てくるのは、これから。
10〜20年をかけて、ゆっくりと出てくる。

●紫斑が出た子どもたち

 実際、すでに福島第一原発の周辺の子どもで、体中に紫斑を発症した子どもの例が報告さ
れている。

いわく『福島では子どもたちに下痢、鼻血、紫斑などの「急性症状」が出ているという。常識的
には考
えられないが、化学物質過敏症のように「放射線過敏症」があっても不思議はない。県外の小
児科医に
よる子どもたちの健康相談がもうすぐはじまる。その結果を注目したい』(名古屋大学・高野雅
夫准教
授)と。

紫斑は、放射線病の初期症状と言われている。
もし子どもたちの症状が放射線病によるものなら、「心配ない」説など、吹っ飛んでしまう。

 さらに今朝の中日新聞によれば、「福島原発周辺の子どもの45%に、甲状腺微量被爆」(1
面トップ)
とある。
信憑(ぴょう)性はぐんと落ちるが、「女性自身」(週刊誌)は、「郡山市で急増、謎の体調不良に
苦し
む子どもたち」という記事を特集している(今週号)。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●意識

 放射線が危険か、危険でないか。
それは私たち個人が、情報を集めて判断すべきこと。
つまり、それはそれ。

 ここでは「意識」について、もう少し深く考えてみたい。
つまり私たちが「正しい」と思っている意識ほど、アテにならないものはないということ。
意識というのは、情報によって、いくらでも作り変えられる。
脳内ホルモンの働きによっても、変化する。

 たとえば男性のばあい、(女性もそうかもしれないが)、射S(禁止用語)の前とあとでは、女
性の肉
T(禁止用語)の見方が、180度変わる。
これは、射Sによって、(欲望)が吐き出されたのではなく、射Sと同時に、脳内でフィードバック

起こるためと、私は考える。
つまり逆作用のあるホルモンが分泌され、S欲を中和する。

(BLOGによっては、禁止用語を使用すると、掲載不可になる。
「S」=「精」「性」のこと。「T」=「体」のこと。)

 S欲と意識をそのまま結びつけることは正しくないかもしれないが、私自身も、自分の中で意
識の変
化を、たびたび経験している。
よい例が、(子離れする前の子どもの見方)と、(子離れしてからの子どもの見方)。

●子離れ

 人間(=私)について書くのは、ここでは遠慮する。
私にも3人の息子がいる。
が、ドバトについて、書くのであれば、問題ないと思う。

 私の家の裏庭の栗の木の上では、毎年、ドバトが営巣し、雛を育てる。
そのドバトを見ていると、おもしろいことに気づく。

 雛を育てているときは、まさに命がけ。
この部分は、人間の子育てと似ている。
が、ひとたび巣立ち、雛が親鳥とほぼ同等格になってくると、今度は、親鳥が子鳥のドバトを追
い払う
ようになる。
さらにそれが進むと、縄張り争いをするようになる。
傍から見ていると、親鳥と子鳥が、他人以上の他人になったように感ずる。

 人間のばあいも、そこまでひどくはないにしても、似たようなケースは、いくらでもある。
民族性もあるのかもしれない。
家庭環境もあるのかもしれない。
その人の性格や哲学も、大きく影響する。
しかし概してみると、(子離れする前の意識)と(子離れしたあとの意識)は、大きくちがう。
子どもにしても、そうで、(親離れする前の意識)と(親離れしたあとの意識)は大きくちがう。

●死生観→人生観

 言い換えると、今、あなたがどんな意識をもっているにせよ、それが絶対的なものとか、正し
いもの
とか、さらには普遍的なものと考えてはいけない。
意識というのは、変わる。
またそういう前提で、自分の意識をながめる。

 たとえば私は、ごく最近まで、孤独死、無縁死という言葉を耳にすると、ドキッとした。
私自身が、孤独死、無縁死をする確率がぐんと高くなったこともある。
それを防ぐには、どうしたらよいか、それについて真剣に悩んだ。
が、それが60%以上の人の死に方であるとわかったとき、意識は変わった。

 「孤独死、無縁死、恐れるに足りず」「それもしかたのないこと」と。
とたん息子たちへの期待感は、ゼロになった。
息子たちへの思いも、変わった。
つまり意識が変わった。

 墓地や墓についての意識にしても、そうだ。
が、何よりも変化したのは、死生観。
平均余命で計算すると、私の人生は、よくて残り16年。
運がよければ、それより長くなるが、私のような無年金族は、長生きをすればするほど、みな
に迷惑を
かける。
自分で歩けなくなったら、あとはできるだけ早く、あの世へ行く。

ついでに人生観も変わった。
つまり、今が「命」。
今のうちにすべきことを、し、完全燃焼させておく。
そういう人生観に変わった。

●再び放射線

 本当のところ、私自身は、もうどうなってもよい。
雨のように放射線がこのあたりに降り注いでも、それはそれで結構。
まさに自業自得。
政治が悪いという説もあるが、その政治を許してきたのは、私たち自身。
この日本(=世界)、何もかもおかしい。
狂っている。

 少し前も、あの『ハリーポッター』の邦訳版について、誤訳が問題になった。
たしかに誤訳だらけ。
しかしそのときも、こう思った。
「もともとデタラメな本。そんなデタラメな本を誤訳したからといって、それがどうした?」と。

 今の心境もそれに似ている。
「それがどうした?」と。
が、こと子どもたちのこと、日本の将来のこととなると、話は一変する。
私が福島第一原発事故について心配するのは、結局は、そこに行き着く。
そういう視点で書くなら、こうなる。

『疑わしきは、罰する』。

 法律の世界では、『疑わしきは、罰せず』という。
しかし子どもの世界では、『疑わしきは、罰する』。
またそれに徹する。

 「心配ない」説は、とんでもない意見ということになる。
もしそうなら、自分も自分の子どもを連れて、福島へ行けばよい。
現地の牛乳を飲ませ、ほうれん草を食べさせればよい。
暴論に聞こえるかもしれないが、そこまでしたら、私も「心配ない」説を信ずる。
九州という、東北からもっとも遠く離れた場所にある大学だから、好き勝手な論理を振り回すこ
とがで
きる。

 京都大学は、それに比べて、ぐんと東北に近い。
「週刊現代」を発行する講談社は、まさにスーパー・ホットスポット内(東京)にある。
で、このエッセーの結論は、こうなる。

 日本では、今、チェルノブイリ事故以上の深刻な事故が起きている。
もしここで今、再度、大地震が起きたり、水素爆発、もしくは水蒸気爆発が起きたら、万事休
す。
作業員すら近づけなくなる。
だから万事休す。
難民として、外国へ逃げるしか、生き延びる方法はない。
みなさんには、その覚悟ができているだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 意識論)
平成23年7月5日(火)記


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【欲望の奴隷たち】(壊れる子どもの心)

●孫が、裁判?

 長野県に住む友人が、こう言った。
大学の同窓生で、司法書士をしている。
「林君なあ、今はなあ、孫がなあ、親をたきつけて、遺産相続の裁判を起こす時代なんだよな
あ」と。

 少しわかりにくい話で、ごめん。
が、こういうこと。

親が死ねば、争うとしても、ふつうは遺産相続権がある実子が、遺産分割を求めて裁判を起こ
す。
「私にも、分け前をもらう権利がある」と。

 が、最近は、そもそも遺産相続権のない孫が、親を前に立て、遺産分割を求めて裁判を起こ
す。
そんなケースがふえてきた、と。
「親父にだって、遺産相続をする権利がある。分け前をよこせ」と。
中には、親はいらないと言っているにもかかわらず、その子(つまり孫)が、「もらうべき」と言っ

騒ぐケースも多いという。
(実際には、そういうケースのほうが多いのだそうだが……。)

 わかりやすく言えば、ジーチャン、バーチャンが死ぬと、孫の立場の人間が、遺産分割を求
めて裁判
を起こす。
もちろん親が生きていれば、孫には、遺産相続権は、まだ発生していない。
つまり遺産相続権はない。
だから親をせかせ、裁判を起こす。

●身辺整理

 私も60歳を過ぎて、心境が大きく変化してきた。
そのひとつ。
モノを買わない。

 若いころは、好んで骨董品を買い集めた。
江戸時代の浮世絵を買い集めるため、北陸地方の都市を回ったこともある。
あるいは30代のころは、洋画に興味をもった。
ピカソの絵こそ手が届かなかったが、それ以外の画家の絵なら、たいてい集めた。
シャガール、ミロ、カトラン、ビュッフェ……。
ローランサンの絵も好きだった。
が、今にして思うと、どうしてあんなものを買い集めたのだろうと思う。
意味のない買い物だった。
だからときどき、ワイフにこう言う。

 「そのお金で、海外旅行をもっと楽しんでおけばよかった」と。

 で、今は、そういったものを、どんどん手放している。

●金(マネー)

 兄弟姉妹が、親の財産を取り合って争う。
私はその見苦しさを、あちこちで見聞きしている。
見苦しいというよりは、あさましい。
親の介護、葬儀、遺産分割とつづくうち、たいてい兄弟、姉妹はバラバラになる。
中には、「玄関先で怒鳴りあう」(知人)兄弟、姉妹もいる。

 だから親たる者、財産は、子どもには残さない。
額の問題ではない。
わずか数百万円のことで裁判を起こす人もいる。
反対に、それぞれが1億円以上もの財産を手にしながら、さらに争う人もいる。
そこで私たち夫婦は、こう決めた。

「ちょうど2人が死ぬころ、財産は、ゼロにしよう」と。

●欲望

 で、立場上、そんなことも考えながら、生徒たちをながめる。
兄弟、姉妹で、私の教室へ来てくれている子どもも多い。
そういう子どもたちをながめながら、「今は、仲がいいのだがなあ……」と。

 親にしても、そうだろう。
いつか自分の財産をめぐって、子どもどうしが争うなどいうことは、夢にも思っていない。
「自分が死んでも、息子や娘たちは仲がいいはず」と思いこんでいる。
あるいはそこまで考えが巡らない。
が、今のあなたがそうであるように、遺産には、恐ろしいほどの魔力が潜んでいる。
ジワジワと胸の中でふくらみ、やがて制御不能になる。
「1円でも多くもらわなければ、損!」と。

 つまり人間の欲望には、際限がない。
その欲望が、お金(マネー)に置き換わる。
あるいはその逆でもよい。
お金(マネー)が、欲望に置き換わる。

 しかし、いつから……?
どのようにして……?
反対に、「どうすれば、今のまま、いい兄弟姉妹関係をつづけることができるだろうか」と考える
こと
もある。

●親に反抗するのは、こどもの自由

 昨日も書いたが、現在、この日本では、親子の立場が逆転している。
親が子どもにペコペコし、子どもが親に向かってふてくされる。
少し古い資料だが、こんな調査結果も残っている。

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国1
5%。
親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調
査)。

 日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけな
いと考
えている高校生が、ダントツに少ない。

 こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O
G氏)
と論評する人がいる。
しかし本当にそうか。
この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなっ
てしま
う。
日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 
アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

 もう一度、数字を確認しておきたい。

「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%(アメリカ、1
6%)。
「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%(アメリカ、82%)。

 1998年の調査というから、そのときの高校生たちが、今、「親」をしている!

●壊れる心

 もちろん中には、そうでない兄弟姉妹も多い。
良好な関係をつづけている親子も多い。
しかし皮肉なことに、学歴社会とは無縁な世界で生きている人ほど、そういう人たちが多い。
一方、高学歴な人ほど、兄弟姉妹関係が、おかしい。
親子関係がおかしい。
私の言っていることがウソでないことは、ほんの少しだけ、あなたの周囲にいる人たちを観察し
てみれ
ばわかるはず。

 つまりこの問題は、どこかで学歴社会、それを支える受験競争とからんでいる。
私自身の印象としても、それを断言できる。
子ども(生徒)にしても、受験競争を、ほんの数か月(夏休みの1か月でもよい)経験しただけ
で、別
人のようになってしまう子どもがいる。
親は、「やっと心構えができました」と喜んでいるが、その裏で、子どもの心が粉々に破壊され
ている
ことには、気づいていない。
親自身がその高学歴者であることが多い。
つまり自分の心が壊れているから、子どもの心が壊れても、それに気づかない。

●教育

 簡単に言えば、教育が欲望追求の場になっている。
教育とは名ばかり。
心を育てるしくみになっていない。
今では進学率の高い学校を、「よい学校」(?)という。
進学率というのは、より有名学校への進学率をいう。
(今さら、こんなことなど、説明する必要もないが……。)

 その結果が、現在ということになる。
何とも心さみしい社会だが、その弊害が、今、あちこちで矛盾となって噴き出している。
数日前も、こんな調査結果が新聞に載った。

「60%の人が、今後、孤独死をする」(中日新聞)と。
記憶によるものなので、数字、内容は不正確だが、NHK「無縁社会、無縁死3万2千人の衝
撃」(2
010年放映)という番組によれば、無縁死をした人が、3万2000人もいるという。
これに孤独死を加えたら、その数はさらに多くなる。

 が、これはけっして老人だけの問題ではない。
40代、50代の人たち自身も、その予備軍と考えてよい。

●では、どうするか?

 これは意識の問題。
その意識を変えるのは、容易なことではない。
10年単位というより、世代単位の問題でもある。
冒頭にも書いたように、親から子、さらに孫の代まで、意識が毒され始めている。

 戦後日本は、高度成長によって多くのものを得たが、同時に、多くのものを失った。
その結果が、今、ここにある現実ということになる。
どうすればよいかということは、私にもわからない。
が、こういうことは言える。
そこにそういう現実があり、今、みなさんがそういう現実に向かって歩んでいるなら、それを避
けるこ
とも可能ということ。

 まずいのは、それに気づかず、そのワナにはまってしまうこと。
気がついてみたら、周りにはだれもいない。
そうなってからでは、遅い。
手遅れ。
もっとも孤独死をしたからといって、それが人生の結論というわけではない。
人生の敗残者(負け犬)というわけではない。
大切なことは、それまでに(すべきこと)をやり遂げること。
有意義に生きること。

 そのための準備だけは、怠ってはいけない。
……という意味で、このエッセーを書いてみた。
異論もあるだろう。
反論もあるだろう。
ひとつの参考意見として、読んでもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 欲望の奴隷たち 親に反抗する子ども 逆転する親子関係 孫が遺産相続権を行使)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【権威主義と天下のバカ大臣】

+++++++++++++++++++++

ときどき講演に招かれる。
ていねいに迎えられる。
が、居心地があまりよくない。
窮屈。
そのときいつも、私はこう思う。
「私は、そんな人間ではないのだがなあ」と。 

が、もしそんな私でも、毎日、そんなふうに
扱われたら……。
やがて感覚が麻痺し、意識が逆転するかも
しれない。

+++++++++++++++++++++

●官僚主義国家

 今朝も中国の友人からメールが届いていた。
こうあった。
原発事故被災地についてのメールだったが、最後の一文が、グサリと胸に突き刺さった。

「China is a dictatorship country, even Japan is not a real democratic country. 」
「中国は、独裁国家だが、日本も同じように、新の民主主義国家ではない」と。

 これについては、世界中の人たちが、異口同音にそう書いている。

(1)なぜ日本では、大規模なデモ(抗議行動)が起きないのか、と。

 答は簡単。
日本人は、江戸時代より「もの言わぬ従順な民」に作りあげられている。
それがまた教育の第一目標になっている。
「ものを言う民」は、官僚政治にとっては、まことにもって都合が悪い。
が、それが悲劇ではない。
本当の悲劇は、日本人自身がそれに気づいていないということ。
民主主義もどきの民主主義をもって、それが民主主義と思い込んでいる。

 このことは私自身が経験している。
1970年に、オーストラリアのメルボルン大学(法学院)に留学したときのこと。
どのテキストにも、「日本は官僚主義国家」と書いてあった。
「君主(ローヤル)官僚主義国家」と書いてあるのもあった。

 当時の私はそれに猛烈に反発した。
が、日本は世界に名だたる官僚主義国家だった。
それから40年以上。
今に到るまで、何も変わっていない。
日本は、官僚のための、官僚による、官僚の国。

 日本の中に住んでいると、それがわからない。
日本の外に住んでみると、それがわかる。
あるいは外の国の人には、それがわかる。
「日本は新の民主主義国家ではない!」と。

●天下のバカ大臣、M/R

 TBS−iは、つぎのように伝える。

++++++++++++++以下、TBS−iより++++++++++++++++

M/R復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなか
ったことに
腹を立て、知事を叱責しました。

 宮城県庁を訪れたM/R復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わりま
す。

 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(M/R復興相)

 笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受
け取ると、
M/R大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

 「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。

客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊
なら、そ
んなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わ
りだか
ら」(M/R復興相)

++++++++++++++以下、TBS−iより++++++++++++++++

 問題点は4つある。

(1)村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責したこと。
(2)笑顔で現れた村井知事、握手を求めるが、拒否したこと。
(3)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と言ったこと。
(4)「今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」と言ったこと。
ほかにも、「オレは九州の人間だから、東北の市が何県にあるか知らない」と言ったとも伝えら
れてい
る。

 いろいろな大臣がいるが、(……いたが)、ここまで権威主義の凝り固まった大臣というもの
少ない。
まるで封建時代の殿様、そのもの。
「上下意識」が強く、「自分は偉い人間」と錯覚している。
はっきり言えば、バカげている。
つまりその錯覚意識があるかぎり、日本の民主主義は、完成しない。

 人は何をもって、「偉い」というか。
その前に「偉い」とは何か。
この日本では、地位が高く、肩書きが立派な人ほど、「偉い」という。
が、英語国には、「偉い」に相当する単語すらない。
あえて言えば、「respected」ということになる。
「尊敬される」という意味である。

 が、「尊敬される」というときには、地位や肩書きは関係ない。
いわんや日本流の上下意識は、ない。

M/Rは、大臣。
一方は、県知事。
M/Rは、無意識のうちにも(?)、上下判断をし、それに応じない相手を「無礼」と決めつけた。
まさに時代錯誤。
が、これは何もM/Rだけの問題ではない。

●権威主義

 権威主義と言えば、水戸黄門がある。
今でもテレビの人気番組になっている。
三つ葉葵の紋章をかかげ、「控えおろう」と一喝すれば、みなが、「ハハー」と言って頭をさげ
る。
日本人には、実に痛快なシーンということになる。
が、欧米人には、それが理解できない。
あるときオーストラリアの友人にこう聞かれた。

「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、どうなるのか?」と。

で、私が「水戸黄門は悪いことはしない」と答えると、まわりにいた学生たちまで、「それはおか
しい」
と言って騒いだ。
オーストラリアでは、ときの権力者といかに戦ってきたかが、歴史になっている。
ウィリアム・ウォレス(イギリス)、ロビン・フッド(イギリス)、マッド・モーガン(オーストラリア)
などなど。
そういう人たちが英雄になっている。

 つまりそれを支える権威主義者たちがいるから、こういうバカ大臣がいつまでものさばる。

 話は少し脱線するが、以前書いた原稿を紹介する。
「意識」を考える、ひとつのヒントになれば、うれしい。
「世にも不思議な留学記」より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。
中には、「空手を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。
あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の
馬は、
コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。
さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。
話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したためとわかった。
カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲んで、こう

いた。
「忠臣蔵を説明してほしい」と。
いわく、「浅野が吉良に切りつけた。浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。
ここまではわかる。
しかしなぜ、浅野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。
加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。
それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府
に抗議
すればよい。
また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及し
ないの
か、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本人は、
水戸
黄門に頭をさげるのか。
水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるのか」と。
私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになっている。たと

ばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。
体中を鉄板でおおい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。
イギリスにも、ロビン・フッドや、ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んでいると
きのこ
と。
ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。
「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)とい
う制度が
あるが、法的な規制はないのかね?」と。
そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされ
て、何
が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでいるか
ぎり、絶
対にわからない。
が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が日本へ帰ってきてからのことであ
る。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのときす
でにM
物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてし
まった。
「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア〜」と。

だからといって、母を責めているわけではない。
母は母で、当時の常識に従って、そう言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支
えてく
れると思っていた。
が、その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世界で
は、幼
稚園の教師をしていることを隠した。
一方、中の世界では、留学していたことを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どう

て?」と首をかしげてしまった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、ほかな
らぬ、
オーストラリアの友人たちである。
みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらしい仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかっ
たと
思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi 
Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 吉良上野介
 忠臣蔵 
意識論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因は歴史教育

 意識は、当然のことながら、教育によって、作られる。
とくに「歴史」については、そうである。
今でも、「私の目標は、織田信長になること」(M県・県知事)と豪語してやまない人がいる。

 それについて書いた原稿ではないが、参考までに、以前書いた原稿を、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●織田信長

++++++++++++++++++++++++++

織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

++++++++++++++++++++++++++

●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもがいたと
いう(某
雑誌)。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どどもいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そのつ
ど振り回
されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが
必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかないの
か?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らない。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かすた
め。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よろしく、
政治
家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きたか。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるのが、
歴史教育
の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよい。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生である。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう答え
た。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、ほとん
どいな
いよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返すような知
識を、
生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車を呼
ばなか
ったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転車通勤
をして
いるのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の
長官に就
任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変えること
はでき
ない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 暗記教育)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●首相が自転車通勤

 この原稿の中で、とくに注意してほしいのは、以下の部分。

「ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛庁の長
官に就
任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった」。

 まともな人が見れば、狂っている。
その狂っていることが、当時は常識だった。
国名は忘れたが、当時すでに欧米では、首相といえども、みな自宅から自転車通勤をしていた
(北欧)。


 それが民主主義……というより、民主主義の「結果」。

●天下のバカ大臣

 こういうバカが、大臣になった。
大臣になって、東北の復興を手がけることになった。
いわく、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ」と。

 人間も謙虚さを忘れたら、おしまい。
「大臣」「大臣」とチヤホヤされるうちに、自分を見失ってしまった。
被災者たちの気持ちを忘れてしまった。
だいたい「我々は何もしないぞ」とは、何ごとか!

 報道の内容が事実とするなら、この一言で、大臣失格。
即刻管直人首相は、M/Rをクビにすべき。
それができないというのであれば、管直人首相自身が責任を取るべき。

 ……朝、起きてニュース・サイトをながめた。
久々に、私は怒った。
で、あえて持論を確認。
「偉い」を廃語にしよう!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【「偉い」を廃語にしよう】

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。
よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。
日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり
偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 天下のバカ大臣 偉い 日本の民主主義 官僚主義 はやし浩司 偉いを廃語にしよ
う 復
興担当大臣)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 15日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page009.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【浜名湖かんざんじ荘にて】2011年6月29日

●ストレス解消

+++++++++++++++++++++

過度の精神的ストレスが、脳ストレスを引き起こすと言われている。
免疫細胞がサイトカインという悪玉ホルモンを分泌する。
どちらが先で、どちらがあとでもよい。
同時進行の形で、脳ストレスが起こる。

脳ストレス(脳内ストレス)になると、気分が沈む。
重くなる。
ゆううつになる。

で、こうなったら、気分転換を試みるのがよい。
いろいろな解決策があるが、そのひとつとして、ドーパミンの分泌を促すという方法が考えられ
る。
つまり何らかの形で、欲望を満たす。
ドーパミンは、欲望と快楽を司るホルモン。

(これは私という人間の、素人考え。
しかし現象的には、たいへんうまく説明できる。)

 私のばあい、何か新製品を買うこと。
何でもよい。
説明書が、分厚いものほど、よい。
買うことによって、欲望を満足させる。
サイトカインとドーパミンの関係については、知らない。
ほしいものを手に入れたという満足感が、脳ストレスを軽減する。

しかし脳ストレスを甘く考えてはいけない。
うつ病などさまざまな精神的疾患を引き起こす。
長引けば長引くほど、慢性化、重症化する。

 だから私には、買い物依存症の人の気持ちがよく理解できる。
買い物依存症の人は、それがほしいから、買うのではない。
買うことによって、欲望を満足させる。
言うなれば条件反射。
アルコール中毒やニコチン中毒と同じ。
同じメカニズムが、脳内で働く。
だから逆に言うと、そういう人たちは、(私も)、すでに何らかの心の病気をかかえているという
ことに
なる。
心の病気を代償的に解消するために、ものを買う。

 先にも書いたように、これは私という人間の素人考え。
あくまでも参考程度に考えてほしい。

+++++++++++++++++++++++

●温泉

 このところ、温泉巡りがつづく。
講演に招かれるたびに、それにかこつけて、温泉に泊まる。
先週は、伊豆長岡温泉に一泊した。
「正平荘」という、伊豆でも10本の指に入る名旅館である。
そこで京風割烹料理というのを食べた。
おいしかった。
温泉もよかった。
中庭もすばらしかった。
その私、京料理など、食べたことがない。
どういうものを京料理というのかさえ知らなかった。
遠い昔、一度食べたことがあったはずだが、味は、覚えていない。

 で、そのことを、先日、Mさん(女性)に話した。
生徒の母親で、今でも京都弁を話す。
「鴨(丸)ナスのグラタンを食べました」と話すと、「鴨ナスは、京都のものどす」と。
Mさんは、本当に美しい。
父母の間でも、よく話題になる。

 で、今日は、ここ浜名湖かんざんじ荘。
先日、ワイフの誕生会をかねて、ここへ来た。
よかった。
それでまた来た。
何と言っても、展望風呂がよい。
浜松イチのローケーション。
温泉で、ゆっくりと体を温める。
浜名湖かんざんじ荘は、いつ来ても、私の期待を裏切らない。
脳ストレスの解消には、最高!

●喧嘩

 脳ストレスの話を書いたので、もう少し、その前後を書く。

 このところ何かと不愉快なことがつづく。
災難は忘れたころやってくるという。
私がまいた種が原因なら、まだあきらめもつく。
対処の仕方もある。
しかし災難という災難は、私とは関係なく、やってくる。
原発事故もそうだが、頭のおかしな人にからまれるのも、そのひとつ。
先週は、その頭のおかしな人に、2度もからまれた。
そういう人というのは、まともな論理が通用しない。
話しても、無駄。
突発的に錯乱状態になる。
あたりかまわず、怒鳴り散らす。

 私は逃げたが、本来なら、殴り飛ばしてやりたかった。
ポカーンと一発、殴り飛ばしてやりたかった。

そういう私は子どものころ、喧嘩が得意だった。
10人くらいの子どもを相手に、たった1人で戦ったこともある。
小学5年生か、6年生のときのことだった。
相手が「決闘したい」と言うから、そこへ行った。
学校の裏手の、山のふもとだた。
そこに10人ほどがずらりと並んで、私を待っていた。

 私はそれを見た瞬間、真ん中の親分格の子どもに、頭から突っ込んでいった。
相手に逃げるスキを与えなかった。
相手は、私の頭突きを受け、そのままうしろへひっくり返った。
たぶんそのとき、相手は後頭部をぶったのだろう。
そのまま大声でうめいた。

 私は相手を頭突きした勢いを借りて、そのままその場を走り去った。
あとのことは知らない。
知らないが、その相手は、それ以後、私の姿を見ると私におびえるようになった。

 そういう思考回路や行動回路が今でも残っている。
だからそういうわけのわからない連中に出会うと、先に書いたように、殴り飛ばしたい衝動にか
られる。

●キーボード

 もうひとつの解消法として、こうしてパソコンを使って文章を叩き出すという方法がある。
今、使っているのは、ドコモの携帯端末を買ったとき、おまけでもらったパソコン。
TOSHIBAのダイナブック。
性能はそれなり。
しかしワープロとして使う分には、問題はない。
キーボードのタッチ感が心地よい。
私は、パソコンは、キーボードのタッチ感で選んでいる。

 ……そういえば、将来的には、現在のようなキーボード付のノート(ミニ)パソコンは、姿を消
す運
命にあるそうだ。
あと4〜5年で、タッチパッド式のパソコン(iPadなど)に置き換わるとか。
何かのパソコン雑誌に、そう書いてあった。

 が、それはどうかな?
そうなるかな?
キーボードの感触を楽しむために、パソコンを使う人もいる。
ピアノだって、そうだ。
タッチパッド式の鍵盤など、どう考えても、おもしろくない。
たぶん私はそういう時代になっても、キーボード付のノート(ミニ)パソコンを使いつづけるだろ
う。

●モヤモヤ

 思いついたことを、つぎつぎと書いていく。
頭の中にたまったモヤモヤを吐き出す。
これが私には、よいストレス解消法になる。
今が、そうだ。

 読んでくれる人には、申し訳ない。
しかし読者の方を利用しようなどという、失礼な思いは毛頭ない。
できるだけ何か、役に立てることを書きたいという気持ちは、ある。
たとえば今、私がここに書いたストレス解消法が、だれかの役に立てばよいと願っている。
脳ストレスにしても、それが脳ストレスによるものと気づかないまま、それに振り回されている人
は多
い。

 が、少し慣れてくれば、(もちろんその知識も必要だが)、自分で自分の脳の中の様子を客観
的に知る
ことができるようになる。
脳の機能そのものが、重ぼったくなってくる。
不平、不満が多くなる。
こだわりが強くなり、ささいなことで悶々と悩んだりする。
ものごとを悪いほうへ、悪いほうへと考える。

 ……まさにうつ病の症状?

 が、甘く考えてはいけない。
サイトカインの分泌が慢性化すると、免疫細胞の活動が鈍くなる。
免疫機能が低下する。
その結果、がん細胞が活性化する。
最近では、「がんも生活習慣病」と位置づけられるようになった。
原因の第一は、もちろん、ストレス。

●孤独

 最大のストレスと言えば、もちろん「孤独」。
孤独から生まれる、絶望感。
疎外感。
虚無感。

「孤独は心のがん細胞」。
孤独感が高ずると、人は自殺まで企てるようになる。
だから「がん細胞」。

 その孤独。
逃げる方法と、闘う方法がある。
ひとつは、自分をごまかして、孤独であることを忘れる。
しかしこれは邪道。
もうひとつは、生きがいを確保する。
が、これがむずかしい。
一朝一夕には、できない。
10年単位の準備も必要。
「定年退職しました。明日からゴビの砂漠でヤナギの木の植樹をしてきます」というわけには、
いかな
い。
そんな取ってつけたようなことをしても、長つづきしない。

●老人、お断り

 老後の最大の問題は、「孤独」ということになる。
今朝も、友人のR先生と話した。
R先生は、産婦人科医として、10年ほど前まで、医者をしていた。
5年ほど前、夫をなくし、それを機会に、現役から引退した。
そのR先生が、こう言った。

「息子がね、タクシーにでも乗って、温泉へ行って来いとよく言います。
でもね、ひとりで温泉に行っても、つまらないし……」と。

 そこでピンときた。
ひらめいた。
「そういう1人ぼっちの老人は多い。そういう人たち用の、特別コースを用意すればよい」と。
送迎は、タクシーですればよい。
旅館では、そういう老人たちのための親睦会を開けばよい。
カラオケ大会やダンス教室でもよい。

 この先、旅館業が生き残ろうとするなら、老人を考える。
老人をどう取り込むか、それを考える。
方法はいくらでもある。
が、こんなさみしい話もある。
隣の韓国では、こんな旅館がふえてきたそうだ。
旅館にも年齢制限のようなものがあって、「介護者なしの老人の1人客は、お断り」と。
つまり老人は、この先、敬遠される。
そういう流れができつつある。

●金貨金融

 先ほど、ニュースサイトをのぞいた。
TBS・News−iに、こんな記事が載っていた。

いわく『2人は、「金貨金融」と呼ばれる新たなヤミ金業を営んでいたのです。
その仕組みはこうです。
和田容疑者の店はまず、金を借りにきた客に相場より高い価格で、かつ後払いで金貨を買い
取らせます。

 客は、金貨を買い取り業者に持ちこんで現金を受け取る。最終的には、客が後払い金を店
に戻す。客
は現金を手にするものの、法外な金利を負担する形です』と。

 ゆっくりと読んでみたが、(しくみ)がよくわからなかった。
で、2度、3度、読みなおしてみた。
「金」を「ゴールド」の意味と、「マネー」の意味で使っている。
まぎらわしい。

 つまりこういうことらしい。

 お金(マネー)を借りに来た客に、金貨(ゴールド)を買わせる。
たとえば時価20万円の金貨(ゴールド)を、法定金利の83倍というから、……ウーン、かなり
の金
額になる。
15〜20%(法定金利)の83倍として、4万x約80倍=約320万円。
320万円で買わせる。
客は、その金貨を、別の業者のところへもっていき、そこで売る。
20万円の現金を受け取る。
客は20万円の現金を手にすることができるが、同時に、320万円の借金を背負うことにな
る。
(法定金利内であれば、1年後に23・6万円だけ返せばよい。)

(注)金銭消費貸借契約における上限金利は、基本的には利息制限法で定めている金利(元
本10万円
未満は20%、元本10万円以上100万円未満は18%、元本100万円以上は15%)が適用される
(A
ll About マネーサイトより)。

 しかしこうしたインチキ高利貸しは、30年前にもあった。
手口は、こうだ。

 1人の客が、金融業者のところへ、たとえば100万円を借りに行く。
すると金融業者は、その場では金(マネー)を貸さないで、電気店へ客を連れて行く。
そこで片っぱしから、電気製品を買わせる。
高額なパソコンなど。
支払いは、すべてローン。

 で、その電気製品を、そのまま買い取り屋へもっていく。
そのとき客も連れていく。
値段の30〜50%で、買い取り屋に買わせる。
それで得た現金を、客に渡す。
200万円で売れたら、100万円を客に渡し、残りの100万円を自分のものにする。
買い取り屋は、買い取った電気製品を、「未開封の新古品」として、別の業者に安く売る。

 客は、さらなる多額の借金をかかえ込み、やがて自己破産。
私の知人は、最初の借金は、たったの700万円。
1年半後には、それが1億5000万円になり、結局は自己破産に追い込まれた。
 
●ワル

 ワルはいつの世にもいる。
が、こんなワルは、そうはいない。

 自分の腎臓がだめになった。
そこで若い男と養子縁組。
その若い男から腎臓を摘出し、自分の体に移植した。
大病院の院長だったというから、開いた口がふさがらない。
なお現在、その若い男は、行方不明。
その若い男は、もうこの世にいないかもしれない。
が、もしそうなら、この医師こそ、本物のワル。
前代未聞のワル。
そのワルと比べたら、金貨金融をするワルなど、……何と表現したらよいのか。
私にはよくわからない。
どちらも、ワルはワルだが、レベルがちがう。

Yahooニュースより、一部転載。

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生体腎移植を巡る臓器売買事件で、逮捕された開業医、堀内利信容疑者(55)が移植を受け
た宇和島
徳洲会病院(愛媛県宇和島市)を運営する医療法人沖縄徳洲会の顧問弁護士は29日、堀内
容疑者が同
病院に提出した書類などを公開した。

養子縁組したドナー(臓器提供者)男性(21)が提供を決めた心情を記した手書き文書など7
点で、
同病院で移植の可否を判断する倫理委員会にも提出された。

弁護士は「倫理委はできる限りのことをした結果、親子関係はあったと判断した」と説明してい
る。(以
上、Yahooニュース・2011・6・30日より)

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●6月30日

 6月30日になった。
風呂へは、朝5時半から入れる。
朝食は7時半。

 家までは20分足らずで帰れるから、9時以後は、ふだんの日常生活。
ちょうど月末。
毎月月末には、ワイフとどこかのレストランで、月末の打ち上げ会をすることにしている。
「今月も、無事、終了!」と。

 窓のカーテンを開けると、朝モヤに包まれた浜名湖が目に飛び込んできた。
窓の下の浜名湖では、水上スキーを楽しんでいる人がいた。
ボートが、走る。
そのあとを、波を切りながら、じぐざぐに別の人がスキーを走らせる。
幻想的だった。
ビデオに収めようとしたが、あいにくのバッテリー切れ。
残念!
今日も、暑くなりそう。
昨日は、全国的に、39度近くまで気温があがった。

 39度!

 もうメチャメチャな気温だが、今ではだれも驚かない。
私が子どものころは、30度を超えたら、真夏日。
それに夏も短かった。
盆の8月15日を過ぎると、秋風が吹くようになり、川の水も冷たくなった。
それが今では、6月に39度!

●新しい試み

 数日前から、新しい試みを始めた。

 まず動画を撮影する。
教室の子どもたちの様子や、町の風景など。
(昨日は、浜名湖の風景を撮った。)

 その風景を背景に、マイクを使って、子育て論を講演風に録音して重ねる。
そうすれば、ビデオを観てくれる人は、私の子育て論を聞きながら、観光も楽しめる。
私のジジ臭い顔も観ないですむ。

 で、今度の休みに、浜松市内のあちこちの観光地の様子を、ビデオカメラに収めてみるつも
り。
とりあえず浜松城公園あたりがよい。
あのあたりには、いくつかの観光スポットがある。
YOUTUBEでは、最長15分までという制約がある。
そのため録画も15分前後に収める。
それに同じく15分前後の子育て論を、マイクを使って、載せる。
なかなかよい企画だと、自分ではそう思っている。

●生きた証(あかし)

 が、ここでふと考える。
「この世界は、どこまで進歩するのだろう」と。
今、私が今、書いていることにしても、10年後には、消えてなくなってしまうかもしれない。
現に、10年間つづけた、Eマガ(電子マガジン)は、この5月末をもって廃刊にした。
Eマガ社(無料版)そのものが、閉鎖になってしまった。

 こういうとき大切なことは、過去が消えたことを嘆かないこと。
新しいものに向かって、また歩き出すこと。
今はFACEBOOKとか、TWITTERが、全盛を極めている。
が、それもやがて別のサービスに置き換わっていくだろう。
ただ私のばあい、インターネットを利用する目的がちがう。
FACEBOOKやTWITTERでは、私の目的を達成することはできない。
「文」を書いて、「文」を伝えたい。
「心」を書いて、「心」を残したい。

 人間関係の拡大や情報の拡散を図る、FACEBOOKやTWITTERでは、それができない。
だからしばらくはかじってはみたものの、そのまま遠ざかったままになっている。
ただふとさみしさを覚えるのは、先が見えないこと。

 「10年後はどうなっているのだろう」「20年後はどうなっているのだろう」と。
それを考えると、さみしくなる。
現在使っているHP(ホームページ)にしても、「金の切れ目が縁の切れ目」。
むしろ無料HPサービスのほうが、より長く原稿を保持してくれるかもしれない。
読者がいるかぎり、つまりアクセスする人がいるかぎり、サービスは存続する。
今すぐというわけではないが、そういうことも考えながら、HPのあり方を考えていきたい。

 名誉や地位、それに肩書など、とっくの昔に捨てた。
私は、「はやし浩司がこの世に生きてきたという証(あかし)」を、この世に残したい。
が、それとて、10年もつか、どうか?

●読者からのメール

 ネットを開くと、こんなメールが届いていた。
私のYOUTUBEを見ている人からのものだった。
うれしかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hi, I am B's father, say hello to you from Shanghai China. My son enjoys your great lesson 
very 
much and learns lot from it. He is now in Japan visiting his grandparents (at Ixxxx) and his 
great 
grandparents (at Ixxx). You are a great teacher, it's a good luck for children to have a 
teacher like 
you. Children have their own little worlds and their own languages, you are the one who can 
go into 
their worlds. As a father, I also think it is meaningful to watch your video. Thank you! 

私はBの父親です。
上海からあいさつします。
私の息子は、あなたのレッスンをたいへん楽しんでいます。
たくさんのことを学んでいます。
彼は今、祖父母を訪問しながら、日本にいます。
あなたはすばらしい先生です。
あなたのような先生をもった生徒は幸福です。
子どもには子どもの世界が、子どもの言語があります。
あなたはそういう子どもの世界に入れる1人です。
父として、あなたのビデオを見ることに、意味を感じています。
ありがとう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ここに書いてある、「子どもには子どもの世界が、子どもの言語があります」というのは、事
実。
子どもを教えるときは、その世界へ入らなければならない。
それができなければ、教えていても、疲れるだけ。
また子どもも反応してこない。

 私が言うのもおかしなことだが、私には、それができる。
たとえばショッピングセンターなどでも、目と目が合った瞬間、その子どもの心を、私は捕える
ことが
できる。
これは私の特技のようなもの。
つぎの瞬間、子どものほうが、私を見て、ニコッと笑ったりする。

 ワイフはそういう様子を見て、よくこう言う。
「あの子、知っている子?」と。
が、私はいつもこう言う。
「知らない子だよ」と。

(付記)

 その日の午後、K君兄弟が、私の教室へ来た。
お父さんとお母さんが、水上スキーをしているという話を聞いていた。
で、浜名湖で見た人たちの話をした。
するとあっさりと、こう認めた。

「うん、それ、ぼくのパパとママだよ。
赤と白のボートだろ。
朝、4時半ごろ出かけていって、7時ぐらいに帰ってくるよ」と。

 K君の父親は、日本でも1、2位を争う、水上スキーの選手だった。
「トロフィーが、50個くらいあったけど、この前、20個くらい、捨てたよ」とも。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 浜名湖かんざんじ荘)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幸福論と死の覚悟】


●私が考える『幸福になるための10の鉄則』byはやし浩司


(注:あくまでも努力目標として……)


(1)去る者を負わず
(2)失ったものは忘れる
(3)今を原点として考える
(4)孤独を友とする
(5)私を飾らない
(6)争わない、競わない
(7)負けるが勝ち
(8)今、すべきことをする
(9)そこにいる人を大切にする
(10)生きていることを喜ぶ


+++++++++++++++++++++


(1)去る者を負わず

人は常に去り、またやってくる。
親や兄弟であれ、はたまた子であれ、友であれ、去る者は追わず。
来るものは拒まず。
人の心は、管理できない。
コントロールもできない。
人それぞれ。
私は私。
あなたはあなた。


(2)失ったものは忘れる

   基本的には、人は何も失わない。
   森の木々を見ろ。
   青い空を見ろ。
   天の星々を見ろ。
   失ったと思うものは、あなたの我欲だけ。
   もともと価値のないもの。
   だから忘れる。
   あとは考えない。


(3)今を原点として考える

すべては「今」から始まる。
過去はない。
未来もない。
繰り返しつづく、「今」だけ。
今を原点に、今を大切に生きる。
その結果として、明日はやってくる。
未来はそれにつづく。


(4)孤独を友とする

生きているかぎり、孤独はつきもの。
逃れようともがけばもがくほど、キバをむいて襲ってくる。
ごまかしても、無駄。
まぎらわしても、一時的。
だったら、友として、そこに置く。
友として、孤独と仲よくすごす。


(5)私を飾らない

見栄、体裁、世間体。
心を狂わす、三毒。
ありのままで生きる。
ありのままをさらけ出して生きる。
つまり裸で生きる。
そういう生き方を総称して、「質素」という。


(6)争わない、競わない

       私は、私。 
       あなたは、あなた。
       たがいに生きたいように、生きる。
       大切なことは、異論を認める。
       私とちがった人間を認める。
       マイペースで生きる。
       あとの判断は、「時の流れ」に任せればよい。


(7)負けるが勝ち

万事、負けるが勝ち。
人は損をすればするほど、心が広くなる。
強くなる。
損をすることを恐れない。
(あえて損をする必要もないが・・・。)
カッと怒ったら、黙る。
身を引く。
相手がカッと怒ったら、黙る。
身を引く。


(8)今、すべきことをする

今、すべきことを懸命にする。
今、する。
明日に回さない。
仕事しかり、家事しかり、そして健康しかり。
明日は、その結果として、やってくる。
未来は、その結果として、やってくる。


(9)そこにいる人を大切にする

そこにいる人を、私と思う。
私と思い、大切にする。
無私、無我、無条件。
見返りを求めない。
損得を考えない。
ただひたすら、大切にする。


(10)生きていることを喜ぶ

       息ができる。
       目が見える。
       音が聞こえる。
       ものが食べられる。
       歩ける。
       走れる。
       あたりまえのことに、価値を見出す。
       賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、失ってから気づく。


●死への覚悟


 今朝(7月2日)、こんな夢を見た。
目を覚ます寸前のことだった。


 ・・・私はどこか高い崖の上にいた。
下を見ると、ちょっと変わった形をした小型機が飛んでいた。
風が強かった。
小型機は前に進めず、そのまま海に着水した。
が、見ると、それは自動車ほどもある大きな、白鳥だった。
その横に自動車が、何台か並んでいた。


 私はほとんど毎朝、このタイプの悪夢で目が覚める。
学生時代からずっとそうだったような気がする。
最近は、その瞬間、呼吸が止まっているようにも感ずるので、睡眠時無呼吸症候群(SAS)に
かかってい
るのかもしれない。
ただしSASと悪夢の関係は、はっきりしていない。


 それはともかくも、これまたふと気がつくと、私たちも小型機に乗っていた。
小さな飛行機だった。
風が強く、前に進めなかった。
エンジン音だけが大きく聞こえた。
が、そのとき、飛行機はゆっくりと機首を下に向けた。
前には、海の上に突き出た小岩が見えた。
茶色の小岩だった。


 私はその小岩を見ながら、死を直感した。
直感しながら、私はこんなことを考えた。
死ぬ直前に、海の水の冷たさがわかるだろうか、と。
それとも痛みが脳に伝わる前に、死んでしまうのだろうか、と。
死への恐怖感は、まったくなかった。
「死ぬんだ」ということはわかった。
が、何もこわくなかった。


●恩師、松下哲子(のりこ)先生(幼稚園もと園長、故人)


 若いころ、恩師の松下哲子先生にこう聞いた。
そのとき先生は、80歳を超えていた。
「先生、歳を取ると、死ぬのがこわくなくなりますか」と。
すると先生は、縁側に座ったまま、こう言った。
「林さん、人はね、いくつになっても、死ぬのがこわいもんですよ」と。


 ほかのことは覚えていないが、先生を照らしていた明るい日差しだけは、やけに印象に残っ
た。


 が、今の私は、その覚悟が少しずつできつつあるのを知る。
死ぬのは、こわい。
それは松下哲子先生が言ったとおり。
しかし同時に、やがてくるその日に向けて、覚悟ができつつあるのを知る。
言い換えると、その覚悟を作ることが、これからの私の生きるテーマということになる。
どうすれば、その覚悟を作ることができるか、と。


 が、これは意識の問題ではない。
意識として覚悟するのではない。
水が低いところを求めて流れていくように、生きざまそのものが、その覚悟に向かって進んで
いく。
たとえば私はこの数年、それまで買い求めてきた様々なものを、人に与えるようになった。
若いころに買った、小物は、今では、ほとんど、ない。
メダルやコイン、模型や装飾品など。
それが最近は、絵画や、置きものに広がりつつある。
今朝も、20年来世話になった、N氏に、我が家の家宝の大皿を届けることにしている。
江戸時代に制作された、花鳥を描いた絵皿である。


ワイフが、「いいの?」と言うから、「いいよ」と。


だから今は、こう思う。
「やがて私の周囲からは、モノはすべてなくなるだろうな」と。


 これには母の影響もある。
数年前の同じころ、母は他界した。
生前は、恐ろしくモノに執着した母だった。
が、その母も、死ぬときは、数枚の浴衣と、コップなど身のまわりの生活用品だけ。
で、あるとき私は母にこう言った。
「何か、欲しいものがあるか。何でも買ってやるよ」と。
すると母は、こう言った。
「命は、金で買えん!」と。


 それが母の結論だった。
人生の結論だった。
同時に、それが私の結論にもなった。
以来、身のまわりにあるものを、私はどんどんと減らしていった。


 が、もちろん「損をしている」という感覚はない。
人にモノを与えるたびに、さわやかな気分になる。
気が楽になる。
それは楽しいことでもある。


 ・・・で、やがて私も死ぬ。
この宇宙もろとも、私は消えてなくなる。
あの世があるかどうかについては、わからない。
あのホーキング博士は、「ない」と断言した。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかしそれは死んでからのお楽しみ。
が、今は、あの世はないという前提で生きる。
死ぬための覚悟を決める。
・・・覚悟というより、その覚悟も、無理をしなくても、自然な形でできていくものなのか。


 今朝の悪夢は、飛行機で墜落していく夢。
いつもならハラハラ・ドキドキして目が覚める。
が、今朝の私は冷静だった。
悪夢は悪夢だが、ふんと鼻先で笑えるような悪夢だった。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 
BW 死の覚悟 はやし浩司 幸福の鉄則 死への覚悟 幸福になるための10の鉄則 はやし
浩司 
死への恐怖 死の恐怖)


(補足)

 以上を総論とするなら、各論として、私はつぎのことを守っている。

(1)モノやお金の貸し借りはしない。
(2)私を悪く言っている人とは、交際しない。
(3)私が一度でも文を通して、その人を批判したときには、その人とは交際しない。
(4)意味のない冠婚葬祭には、出席しない。
(5)ウソはつかない。ルールは守る。約束は守る。

Hiroshi Hayashi++++++++July 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

●7月3日(日曜日)

●宮崎正明氏のこと(金沢アメリカ文化センター元館長)

+++++++++++++++++

昨夜、深夜劇場に足を運んだ。
観たのは、『マイティ・ソー』。
「宇宙って、こんなものかなあ」と
思いながら、観た。
帰ってきたのは、午前1時ごろ。

星は2つか、3つの、★★+。

その宇宙。
私が学生時代には、アメリカが
その宇宙だった。
遠くて、遠い国。

……金沢に、アメリカ文化センター
というのがあった。
そこに、宮崎という名前の人がいた。
館長だった。
その宮崎さんが、ある日、私に
1冊の本をくれた。
「アメリカ物語」という小さな本だった。
本というより、かわいい詩集。
しかし宮崎さんは、アメリカには
行っていなかった。
空想で書いた、旅行記だった。

当時の日本は、まだ貧しかった。
アメリカ旅行などというのは、
夢のまた夢。
アメリカ文化センターの館長をしていた
宮崎さんにしても、そうだった。

その宮崎さんは、そののち、
どこかの大学の講師となった。
一度NHKのラジオ番組で、
小説が連続で朗読されたこともある。

で、私はそれを聞いて、宮崎さんに即、電話を入れた。
私は自分のことのようのうれしかった。
宮崎さんは、私のことを覚えてくれていた。
それもそのはず。
本多町(金沢市)に下宿していたころは、
毎日のようにそこに通った。
論文(英文)コンテストで、
いくつかの賞をもらったこともある。

が、名前が思い出せない。
「宮崎……?」。

そこでネットで調べてみた。
すぐわかった。
すぐ思い出した。
宮崎正明という名前だった。

現在でも、「日本ローエル協会」の名誉会長をしている。
そのHPには、こうある。

『詩人、元金沢工大助教授。翻訳書「NOTO」
(日本翻訳 文化賞、金沢市民文学賞)、「知られざるジャパノロジスト」など』と。

ネットで知るかぎり、健在のようだ。
無数の著書がズラリと紹介されている。
よかった。

改めてうれしかった。
今朝は、そんなわけで、気分良好!

……ということで、今になって、宮崎さんの
『アメリカ物語』が、ジンと胸にしみる。

いつか人間も自由に、宇宙区間を旅するときが
やってくるだろう。
しかし今は、ただ空想するだけ。
上も下も、漆黒の空間。
虚無の空間。
その間に宝石のように散らばる、無数の星々。
星間物質。
大銀河……。
宮崎さんに負けないで、『銀河物語』という
詩集を書いてみたい。
が、残念ながら、私の詩の才能は、ゼロ。
若いころ、水橋晋(しん)という詩人がいた。
あれこれ指導してくれた。
が、途中であきらめられてしまった。

が、映画を見ながら、空想することはできる。
映画『マイティ・ソー』は、そういう点では、
おもしろかった。
3D映画ということもあって、自分が
宇宙空間を飛び回っているような錯覚を覚えた。

++++++++++++++++++++

●『宇宙物語』byはやし浩司

●あと2か月

あやゆる光を吸い込む漆黒の闇。
星々は、窓に張りついたライトのように近くに見える。
距離のない世界。
だれかがこう言った。
「あの青い星まで、20万光年」と。

20万光年?
手をのばせば、そこにあるではないか。
私は青い星の横に広がる赤茶けた雲を見ていた。
雲といっても、星々の集まり。
何百億個の、そのまた何百億倍もの星々。
ぼんやりとした光で、それが全体として、3本の木のように見えた。

窓は太陽光を避けるため、そのつど静かに開閉している。
そのモーター音が、やさしく耳をかすめる。
音と言えば、それだけ。
慣性航行に入って、もう5年になる。

といっても、ここまで来ると、太陽も、小さな白い点。
太陽系全体が、大きな胎盤のようになっている。
行けども行けども、たどりつくことのない、胎盤。
太陽から届く太陽風が、その胎盤をふくらませている。
が、その向こうには、まだだれも見たことのない宇宙が広がっている。

あと2か月。
地球時間であと2か月。
私とほかの2人のクルーは、人類としてはじめて、太陽系の外に出る。
出たとたん、別の星の胎盤に突入する。
そこは別の星の羊水で満たされている。
太陽風と太陽風が、はげしくぶつかりあう。
私たちが乗っている宇宙船は、その衝撃に耐えられるだろうか。

先行して地球を離れたロボット探査船は、そこで連絡を絶った。
私はふと、昔見た、潮の目を思い出した。
地球を巡回しているときのことだった。
大洋を流れる潮。
その潮どうしが、海の上でぶつかる。
渦を巻く。
それが宇宙からだと、水に流した絵の具のようによくわかった。

胎盤どうしが、激しくぶつかりあう潮の目。
そこまであと2か月。
数週間前に私が目を覚ました。
つづいて2人のクルーが目を覚ました。
その瞬間、無数の火花が見えるという。
言うなれば、国境を越えるときに打ち上げられる花火?
歓迎の花火か、それとも死者を弔う花火か。

(宮崎さんが読んだら、笑い出しそうな詩である。
だからここまで。
どうも詩は苦手。
うまく表現できない。)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親と子の逆転現象】(狂った日本の親子関係)

●妙な光景

 近くの大型ショッピングセンターに行った。
ドッグフードと野鳥の餌、それに水入りのペットボトルを、一箱買った。
合計すれば、70キロ近くになった。
それをカートに乗せ、車まで運んだ。
そのときのこと。
1人の男性が、気ぜわしく車と車の間を動き回っていた。
年齢は私と同じくらい。
60歳前後。
何をしているのだろうと思った。
荷物を車に入れながら、その男性が気になった。
顔には緊張感が漂っていた。
うっすらと汗ばんでいた。

 で、ハッチバックを閉じ、車のドアを開けたところで理由がわかった。
反対側に並んだ車の間から、中学1年生くらいの子どもが、どこか不機嫌そうな顔をして出て
来た。
男性はその中学生らしき子どもを見つけると、すかさず、こう言った。
「ごめん、ごめん」と。
子どもは表情を緩めることもなく、何も返事をしなかった。
ふてくされていた。

 男性は、その子どもの祖父らしかった。
どこかで迷子になった。
それでその男性は、その子どもを探していた。

●祖父と孫

 どこにでもある光景である。
よく見かける。
が、私はその光景を見ていたとき、ムラムラと怒りに似たものを感じた。
見たくもない暴力映画を見せつけられたような気分?

 2人が、どこかで行き違いになったのは、わかる。
大きなショッピングセンターである。
が、探していたのは、祖父らしき男性。
子どもの方はと言えば、「どうして迷子にしたんだ」と、どこか怒っているような様子。
私には、そう見えた。
が、問題は、そのあと。
男性は、子どもを見つけると、開口一番、「ごめん、ごめん」と。
子どもが「ごめん、ごめん」と言ったのではない。
祖父らしき男性のほうが、そう言った。

●本末転倒

 こういうケースのばあい、祖父のほうが、謝る。
威張っているのは、子ども、つまり孫のほう。
頭の中の記憶をいろいろさぐってみても、子どものほうが謝っている光景を、私は見たことがな
い。
この文章を読んでいる、あなたにしてもそうだろう。
謝るべきは、子どものほう・・・とまでは、書けない。
何か、私の知らない事情があるのかもしれない。
しかし同時に、たがいに謝ったところで、何もおかしくない。
が、私の見た光景は、それとはちがっていた。

 一方的に、祖父らしき男性は謝っていた。
一方的に、子どものほうは、ふてくされ、男性を睨(にら)み返していた。

●謝る親たち

 親は、いつも子どもに謝りながら、子育てをする。
子どもにできないことを、謝る。
子どもはそれに対して、つまり親に対して、(してくれないこと)を怒る。
ある男性(30歳くらい)は、退職したばかりの親に対して、こう言って叫んだ。
「こんなオレにしたのは、テメエだろ。オレなんか、産んでくれなかったほうがよかった」と。

 前後のいきさつを省略したので、わかりにくいかもしれない。
が、どんな理由があるにせよ、この言い方は、おかしい。
今の若い人たちは、日常的に、不平、不満をかかえている。
それもそのはず。
今の若い人たちは、(そこにモノがある)という前提で生きている。
(してもらうのが当たり前)という前提で生きている。
食べ物、家、車・・・などなど。
豊かな生活を、「豊か」ともわからない。
それが(当り前)。
当り前の生活。
だから足りないモノ、不足しているモノがあると、それを不平や不満に転化してしまう。
だから「こんなオレにしたのは・・・!」となる。

●ドラ息子

 今の日本の子育ては、おかしい。
たしかにおかしい。
ある父親(私と同年齢)は、こう言った。

「息子は、一応、東京の一流大学を卒業しました。
が、学費と生活費だけでは足りず、毎月のように、10〜15万円、余分に送りました。
息子は、そのつど、『就職したら返す』と。
で、就職しましたが、この不況。
今度は『給料があがったら、返す』と。
その貸した額だけでも、1000万円近くになります。
が、結婚すると同時に、ハイ、さようなら。
子ども(孫)ができたことをよいことに、借金の話は、忘れてしまったようです」と。

 こういうケースのばあい、親側の意識と、子ども側(息子側)の意識は、180度ちがう。
親は、「子どもに感謝してくれているはず」と考える。
しかし子どものほうは、感謝などしていない。
むしろその逆。
「あれをしてくれない」「これをしてくれない」と、不平、不満ばかりを並べる。
とどまるところを知らない。
不平、不満の上に、さらに不平、不満を重ねる。
たとえば「孫を産んでやったのに、それらしい祝い金もくれない」「世話もしてくれない」「妻(嫁)
に、
ねぎらいの電話、一本くれない」と。

●意識論

 そこで登場するのが、意識論ということになる。
常識論と言い換えてもよい。
意識にせよ、常識にせよ、それは「偏見のかたまり」(アインシュタイン)。

最近の若い人たちは、赤ん坊のときから、蝶よ花よと育てられている。
ある程度大きくなれば、「そら、音楽教室」「そら、英語教室」と育てられている。
そのこともあって、今、高校生でも、親に感謝しながら、高校に通っている子どもなど、まず、い
ない。
100%いないと、断言してよいほど、いない。
大学生でも、いない。
お金を親からもらうときだけは、「ありがとう」と言う。
しかし大半は、そのまま遊興費。
アルバイトで稼ぐお金も、遊興費。
そんな子どもに感謝の念を求める方が、おかしい。
無理。

 ある子どもは、結婚式の費用を親にせびった。
が、親にはその余力は、もうなかった。
定年退職をしてから、4年が過ぎていた。
そこでその親が、「少しくらいなら・・・」と、重い口を開いて言うと、その子どもは、こう言った。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ!」と。

 意識がちがうと、ものの考え方も、そこまでちがう。
たとえば私たちの時代には、実家への仕送りは、当り前だった。
私自身も、結婚をする前から、収入の約半分を実家へ送った。
結婚式についても、その費用がなく、断念せざるをえなかった。
私だけではない。
当時の日本では、それが常識だった。

 が、今は、ちがう。
そんな話をしただけで、若い人たちは、反発する。
「オレたちに恩を着せるのか!」と。

●逆転現象

 親が子どもに謝る。
子どもは、親を責める。
おかしな逆転現象だが、今、それが常識化している。
保護と依存の関係だけでは、説明できない。
つまりこの現象は、論理では説明できない。
つまり「狂っている」。

 行き違いになった孫を探す祖父。
それを怒る孫。
祖父は孫を見つける。
「ごめん、ごめん」と言って謝る。
それを見て、孫は、ふてくされる。
祖父を睨みつける。

 今では、こんな光景は、珍しくも何ともない。
この日本では、ごくふつうの、当り前の光景である。
恐らくその子どもは、こう思っているにちがいない。
「オレを、迷子にしやがって。この馬鹿ジジイ!」と。
子どもの顔からは、そんな言葉が読み取れた。

●では、どうするか

 私たちは、飽食とぜいたくの中で、子育てのあり方そのものを見失ってしまった。
その第一。

子どもに楽をさせることが、親の愛の証(あかし)と考えるようになってしまった。
楽しい思いをさせればさせるほど、親子の絆(きずな)は太くなると考えるようになってしまっ
た。
たとえばより高価なものを買い与えれば与えるほど、子どもは喜ぶはず、と。

 が、その一方で、先にも書いたように、子どもに向かっては、「ほら、音楽教室」「ほら、英語
教室」
と。
子どもの意思を無視したまま、それを子どもに押しつける。
こうしたアンバランスな子育て観が、子どもの心を狂わせる。
が、親にはその意識はない。
「子どものため」と錯覚している。

 つまりこうした日常的な不協和音が、10年単位でつづき、親子の関係が逆転する。
今という時代が、そうだ。
が、これは子どものためにならない。
親のためにも、ならない。
子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。
そのドラ息子、ドラ娘が、つぎのドラ息子、ドラ娘を育てる……。
その一方で、親は、ますます社会の隅に追いやられる。

現在40代の人たちにしても、うち約60%の人が、やがて無縁老人、孤独老人になる。
その先で待っているのは、無縁死、孤独死。
発見までの平均日数は、約6日。
中には30日という人もいる。
(50代、60代の人の話ではない。
40代の人の話だぞ!)

 ・・・ということで、この問題は、いかに早い時期に、かついかにじょうずに子離れするかという

題に行きつく。
先日も、ある雑誌社から、こんな質問が届いた。
「子ども(小5)に勉強しなさいと言ってもしません。どうしたらいいですか」と。

 私はそれに答えて、こう返事を書いた。
「そんなヒマがあったら、自分の老後のことを心配しなさい」と。
つまりそのあたりまで割り切らないと、子離れは、完成しない。
が、それができないとどうなるか。

 あなたは一生、それこそヨボヨボの老人になるまで、「ごめん、ごめん」と子どもに謝って暮ら
さな
ければならなくなる。
それでもよいなら、私には、もう何も言うことはない。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間どうしをつなぐ粘着力

++++++++++++++++++++

心理学の世界には、「共依存」という言葉がある。
それについては、たびたび、書いてきた。
よくあるケース。
暴力的な夫と、その夫に、涙ぐましいほどまでに、
献身的に仕える妻。
「ふつうなら……」ということになるが、一度、
共依存関係ができてしまうと、その関係を
断ち切るのは容易なことではない。

まず、共依存について書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存(改)2011−06−29

酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。
典型的な共依存関係である。
妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。
依存されることで、自分の立場を確保する妻。
妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。
殴られたり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。
たがいに依存しあいながら、自分を支える。
傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起きることもあ
る。
家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。
ニートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。
子どもを突き放すことができない。
親自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

 依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症な
ど。

もちろん、人間が人間に依存することもある。
さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。
それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。
仕事はしない。
何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。
しかし決定的なところまでは、しない。
妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。
(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。
日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。
お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。
私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と思い込み、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、

存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。
そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。
その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。
そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。
しか
しその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあ
った。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。
本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫に
させ
るといったことが必要だった。
当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってし
まう
かもしれない。
そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場
を守って
いた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きな
キズを負
うことが知られている。
「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が

くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではない
かという
不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを
身につ
けてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』
と呼
んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症と
も考
えられなくはない。
もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。
ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような
症状は
現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……と
いう疑
問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。
このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性
を、その
つど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間
的にも、
献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。
だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。
これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。
他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。
親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。
わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買っ
てき
た、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存して
いたこ
とになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたり
するな
ど。
前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の
母親を見
て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりなが
ら、今に
も倒れそうな様子で歩いていたからである。
その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。
「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。
言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども
自身も、
依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像する
が、実
際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。
むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。
母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風
呂に入っ
ても、それほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザコン 女性
のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴力 ドメスティック

イオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●読み返してみて……

 前述の原稿は、ずいぶん前に書いた原稿である。
「ずいぶんと勝手な解釈をしているな」と思うところもないわけではない。
しかしこれは心理学一般に共通することだが、心理学の世界では、数学でいえば、いわゆる
「公式」的
なことしか書いてない。
具体例が書いてある本というのは、少ない。
さらに「では、どうすればいいか」というところまで書いてある本は、さらに少ない。
「心理学」というのは、そういうものかもしれない。
言うなれば、心の作用を、結晶化したもの。
それを並べて説明したのが、心理学。

 言い換えると、心の作用は複雑。
複雑というより、もろもろの心理作用が、複雑にからみあって、その人の心理作用を決める。
共依存についても、純粋な意味での「共依存」というのは、ない。
だからそのあとは、「それぞれの人の解釈で……」となる。

 こうした勝手な解釈は、アカデミックな世界では許されないことかもしれない。
自分の意見を付け足すことについても、そうだ。
が、しかし逆に言えば、心理学だけで、人間の心の採用をすべて説明できるわけではない。
たとえば、こんな例で考えてみよう。

●仮面夫婦

 「仮面夫婦」という言葉がある。
私たち夫婦もそれかもしれない。
あなたがた夫婦も、それかもしれない。
表面的には夫婦だが、中身は空っぽ。
形だけの夫婦をいう。

 が、そういう夫婦の方が多いことを思えば、「それが夫婦」ということになる。
結婚当初のように、ラブラブの関係にある夫婦というのは、まず、いない。
またそういう夫婦を基準にしていはいけない。
恋愛は、ロマンス(=夢の中のできごと)だが、結婚は、現実である。

●悪妻

 私は率直に言うが、Nさん(女性、45歳)ほどの悪妻を、ほかに知らない。
まさに悪妻中の悪妻。

 突発的に錯乱状態になり、夫を蹴る、殴るは当たり前。
一足数万円もするようなハイヒールの靴を、夫に投げつけたりする。
さらにはげしくなると、台所からフライパンをもってきて、それを夫に投げつけたりする。

 見るに見かねて、夫の両親と夫の兄が、Nさんを精神病院へ連れて行こうとしたことがある。
しかしNさんは、さらに暴れて、それを拒否。
近所中に聞こえるような声で、泣きわめいた。

 が、一晩……というより、数時間もすると、まったく別人になってしまう。
まったくの別人である。
穏やかで、やさしい。
言葉の使い方も、ていねい。

が、よく観察すると、どこか不自然。
どこか演技ぽい。
別の心を、どこかで押し殺しながら、そうする。

 こんなことがあった。

 夫は、宅配便の運転手をしている。
稼ぎは、それほど、多くない。
そのこともあり、生活費が足りなくなると、Nさんは、夫の実家へ行く。
やや痴呆症になりかけた父親と病弱な母親がいる。
それをよいことに、「100万円、出せ!」「200万円、出せ!」と。

 夫の両親は、ともに80歳を超えている。
会計士として蓄えた財産はあるが、それにも限度がある。
そこで母親が、「5万円くらいなら……」と言うと、Nさんは、その現金を、母親の顔に叩きつけ
て、
その場を去っていったという。

 が、夫は、Nさんと離婚はしない。
2人の子どもがいた。
それにNさんの夫は、心のやさしい男性だった。
妻に蹴られたり、殴られたりしても、オロオロと逃げ回るだけ。

●心の病気

 こういう関係を、どう理解するか。
「共依存」という言葉だけでは、説明がつかない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、多分に心の病気がからんでいる。
夫にしても、そういう妻であるにしても、孤独であるよりはよい。
あるいは夫自身も、何かの心の病気をかかえているのかもしれない。
それに毎日がそうであるというわけでもない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、10日に1度くらい。
多くて、5日に1度くらい。
それ以外のときは、先にも書いたように、むしろおだやかで、やさしい。

 そこで私は、……つまりNさんの夫のことを思いめぐらすうち、「心の粘着力」という言葉を思
いつ
いた。
もちろん心理学上の言葉ではない。
私が勝手につけた名前である。

●心の粘着力

 人間関係には、ある程度の粘着力がある。
強弱の差はあるかもしれない。
粘着力の強い人間関係もあるだろうし、弱い人間関係もある。
強い人間関係は、「ネバネバ」ということになる。
弱い人間関係は、「パサパサ」ということになる。

 夫婦の関係。
友人の関係。
親類、縁者の関係。
近隣の人たちとの関係。
もちろん親子の関係、などなど。

 最近の若い人たちの傾向としては、前にも書いたが、デジタル型の人間関係が目立つ。
人間関係を、「ON」と「OFF」だけで、割り切ってしまう。
一度、「OFF」にすると、まったくのゼロにしてしまう。

 で、ここではもう一歩、話を進めて、ではどういうときにネバネバになり、またどういうときにパ

パサになるか。
それについて考えてみたい。

●ネバネバ

 最近、私とワイフの関係は、加齢とともに、よりネバネバになってきたように感ずる。
「先が短くなった」という思いもある。
積み重ねてきた思い出も多い。
とくに私たち夫婦は、すべてを、2人だけでしなければならなかった。
だれの助けも期待できなかったし、だれも助けてくれなかった。

 3人の息子たちにしても、ワイフは自分で助産院に行き、ひとりで子どもたちを産んだ。
そのあとも、だれにも助けてもらわなかった。

 一方、私は仕事オンリー。
それでも家計は苦しかった。
当時はそういう時代だった。
だから余計に、私はがむしゃらに働いた。
20〜30代のころは、休日は、月に1日だけ。
そんな年が何年もつづいた。

 だからというわけでもないが、私たち夫婦は、言うなれば「ネバネバ夫婦」。
どんなはげしい夫婦げんかをしても、1〜2日のうちには、もとに戻る。
もとに戻って、また手をつないで歩く。
が、私がここで書きたい「ネバネバ」は、それとは意味が少しちがう。

 先のNさん夫婦のばあいである。
「ふつうなら、離婚」ということになるが、離婚しない。
「子はかすがい」とは言うが、それもあるのかもしれない。
が、何が2人をつないでいるのか。
そのつないでいるものが、ここでいう「ネバネバ」ということになる。

●理解のワク

 もう一度、共依存の話に戻る。
共依存の関係にある夫婦は、たしかにネバネバしている。
ほかにも、夫婦の間の会話が完全に途切れてしまった知り合いもいる。
まったく、しない。
そこでその夫婦のばあい、息子たちが、夫婦の、(つまり両親の)、連絡係をしている。
が、それでも夫婦。
離婚しないのか、できないのか、あるいはなぜそうなのか。

 そういうのを「仮面夫婦」というが、仮面の向こうに隠されたネバネバには、常識では理解で
きない
(思い)が隠されている。
それこそ私のような人間が、いくら想像力を働かせても、理解できるようなものではない。
理解のワクを超えている。
「私なら、即、離婚」と口で言うのは、たやすい。
しかし、問題は、そんな簡単なことでもない。

●離婚率35・4%

 もちろん反対に、「パサパサ夫婦」というのも、いる。
昔、「成田離婚」というのも、あった。
新婚旅行から帰ってきたそのとき、成田空港で離婚する。
だから「成田離婚」。

 パサパサといえば、パサパサ。
成田離婚は別として、さしたる理由もないまま、簡単に離婚していく人も、これまた少なくない。
一般論からいうと、(統計的にもそういう数字が出ているが)、身近に離婚経験者がいると、そ
の影響を
受けて、その夫婦も離婚しやすいという。
姉夫婦が離婚したとたん、妹夫婦も、離婚する。
親が離婚経験者だと、子も離婚しやすくなる、など。

 何も離婚することが悪いと書いているのではない。
離婚など、今どき、珍しくも何ともない。

厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数が
約72万人
に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている※。
72万人に対して、25万人。
離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!

 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深
い(同、
統計)。

(注※)結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。

●二人三脚

 私の考えでは、夫婦でも、「形」にしばられることなく、人間関係が破綻したら、さっさと離婚し

ほうがよいのでは、と思う。
思うだけで、では、実際、自分たちがそうなったら……というときのことを考えると、自信はな
い。
それでもネバネバとがんばるかもしれない。

 世間体もある?
もちろん子どもたちのこともある?
が、それ以上に、今は、もう夫婦でありつづけるしかない。
二人三脚でも生きていくのがむずかしい。
ひとりになって、どうやって生きていくというのか。

 が、結論から先に言うと、つまり、これがこのエッセーの結論ということになるが、人間関係
が、近
年、ますますパサパサになってきた。
ネバネバ感が消え、パサパサになってきた。
つまり人間どうしをつなぐ、粘着力が、弱くなってきた。
それがよいことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。
その結果は、もう少し先になってみないとわからない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 粘着力 パサパサ人間 ネバネバ人間 離婚率 日本人の離婚率)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●珍奇な事件

+++++++++++++++++++

意識のちがいと言えば、それまで。
しかし時として、常識では計り知りえない
事件が起きる。

あらすじは、こうだ。

ある温泉街で、ある男性が、温泉をのぞき見していて逮捕された。
年齢は75歳前後。
それを見つけたのは男性。
65歳前後。
ともに同じ旅館に泊まる客。
(以上、事実とは少し内容を変えた。)

ここまではよくある事件。
似たような話はよく聞く。
が、さらに話を聞くと、頭が混乱してくる。

温泉といっても、男性客用の温泉。
つまり75歳の男性は、同性である男性の温泉をのぞいて逮捕された。
男性が男性の浴室をのぞいて、どうする?、と聞きたいが、そこが意識の問題。
だれしも、「そんならいっしょに、入浴すればいい」と考える。
そうすれば堂々と、男性の裸を見ることができる。

++++++++++++++++++++++++

●のぞき見

 「のぞく」という行為には、不思議な快感をともなう。
相手の秘密を知るという快感である。
それはわかる。

 私のばあいも、同じ女性でも、入浴後の女性には、そうでない女性よりも色気を覚える。
なまめかしい。
清潔感が漂う。
これは私だけの感覚かもしれない。

 が、だからといって、それがそのまま(のぞき)につながるというわけではない。
のぞきは、犯罪。
相手のプライバシーを盗むという点で、窃盗罪に準じて考える。

が、(のぞき)願望というのは、だれにでもある?
英語では「Peeping Tom」という。
英語にも常用語があることからもわかるように、これは世界人類共通の性癖と考えてもよい。

 が、それとて、相手が異性のばあい。
日本のように公衆浴場が発達したところで、どうして男性が男性の浴室をのぞくのか。
その必要性すら、ない。
つまりここがこの事件の最大の謎。

●男にもいろいろ

 男にも、いろいろある。
若いころは、それがわからなかった。
しかし半世紀も生きてくると、それがわかるようになる。
「濃い男」もいれば、「薄い男」もいる。
濃い男というのは、女性だけにしか興味をもたない男。
薄い男というのは、男性でも、女性でも……という男。
境界がはっきりしない。

 が、さらに進んで、同性愛というのもある。
温泉などに行くと、ときどきそれらしきカップルを見かけるときがある。
何となく雰囲気があやしい。
それで、それがわかる。

 が、男性が男性の浴室をのぞき、逮捕された。
しかし罪状は、何か?
罪状を、どうするのか?

●多様性

 ただ想像することは、できる。
私たちが、女性の裸体を見て、それなりに性的に刺激されるように、同性愛の男性たちは、男
性の裸体
を見て、それなりに性的に刺激される。
「見たい」という欲望も、生まれる。

 だから同性愛の人たちが、温泉に入るということは、私たちが混浴に入るのと同じと考えてよ
い。…
…のか?
あるいは、それとはちがうのか?

 人間の心理は、かなりの部分まで類型化されている。
心理学という学問に体系化されている。
しかしそれですべて説明できるかというと、そうでない部分もある。
そのひとつが、男女の問題。
性の問題。
1000人いれば、1000様の個性があると思われるほど、この世界は、多様性に富んでいる。
私がそれを最初に知ったのは、20歳のはじめのころ。
ある男性(当時、30歳くらい)が、こう話してくれた。

「ぼくはね、関取のような太った女性が好きだ。そういう女性の尻で、顔を踏みつけてもらうの
が好き
だ」と。

 私はそれを冗談か思った。
が、その男性の妻は、本当に関取のような人だった!
言い換えると、「自分が理解できない」という理由だけで、相手の心を否定してはいけないとい
うこと。
人、それぞれ。
私は、私。
あなたは、あなた。

●夫婦問題

 夫婦にしても、そうだ。
いろいろある。
千差万別。
私のワイフは、ああいう女性だから、結婚当初は、何をしても、私は「変態!」と言われた。
石部金吉(カタブツ男)という人がいた。
私のワイフは、その石部金吉。
石部金子。

 まじめなのはよいが、融通がきかない。
今でも、ときどき、こう言う。
「ほかの人は、そんなことしないわよ」と。

 そこで私が、「どうしてそんなことを知っているのか?」と聞く。
つまりワイフは、自分の常識だけで、他人を判断しようとする。
が、こと「性」の世界では、それは通用しない。
言い換えると、この多様性こそが、おもしろい。

 ……もう20年ほど前のこと。
ある会合で会った女性(当時30歳前の美しい女性)が、こう言った。
「私、毎月1回、70歳の男性の相手をしています」と。

 相手の男性には、妻もいる。
子どももいる。
孫もいる。
みなの前で、臆面もなく、そう言った。
私が驚いていると、その女性は、10歳以上も年上の私にこう言った。

「あなたは、まだお若いですね」と。

 この世界は、そういう世界。
それにしても、冒頭の事件。
いろいろ想像力を働かせてみるが、私には、どうしても理解できない。
(理解する必要もないが……。)
私には、実に珍奇な事件ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++June.2011+++++++++はやし浩司

●礼状

++++++++++++++++

先日、虐待についての相談があった。
その返事を書いた。
それについて、つぎのような礼状が
届いた。
こうして礼状をくれる人は、珍しい。
つまりこの礼状を書いた段階で、
その人の心の問題の大半は解決したと
みてよい。
自分を知るということは、そういうこと。

子育ての世界では、「うちの子のことは、
私がいちばんよく知っている」と思っている
親ほど、実は、自分の子どものことを知らない。

が、謙虚になったとたん、そこに自分の
姿が見えてくる。
「子どもは家族の代表」にすぎない。
それがよくわかるようになる。

++++++++++++++++++

【埼玉県のSTさんより、はやし浩司へ】(一部、プライバシーに関する部分は、改変)

何をどのように調べていいのか検索方法も正直わからないまま、先生のホームページにたどり
着いた時
はすがるような思いで今思っていることを書き連ねました。

その後・・・メルマガの廃止・相談は現在休止していることを知りました。
お忙しいのに、突然のメールに丁寧に返信して頂き、読みながら涙が止まりませんでした。
子どものこの状態を作ったのは、明らかに私だ!早く何とかしなくては!!と感じながら、なか
なか一
歩を踏み出せないまま、毎日を送りまたバトルをする・・・の繰り返しでした。

自分を振り返っても母との楽しい思い出はほとんど思い出せず、叩かれたりののしられた
り・・・辛い
悲しい思い出しか浮かばず、虐待は連鎖すると聞いていたけれど、子どもを授かった時に『絶
対に優し
いお母さんになる!!私は絶対手を出さない!』と理想の母になると決めたはずでした。

ところが子育てはマニュアルどおりには全くいかず・・・それもわかっていたはずなのにイライラ
は募
るばかりでした。
主人は、大変子育てには協力的で、母乳以外の事はすべてやってくれます。
むしろ私以上に母親です。
子どもの事もこんな私ですら大切にしてくれます。子どもたちももちろんいうまでもなく二人とも
パパ
っ子です。

主人は私にとっては、初めて嫌われるかどうかなど気にせず心を開ける唯一の人です。 

主人の優しさに私の心はやっと開き、前向きに生きれるようになり、主人と生活するようになり
生まれ
て初めて毎日が楽しく充実した日々をすごせるようになりました。

私と母との関係も知っています。
子どもに怪我した跡が見つかり、怪我するほど叱ってはだめだ!!とここ数年言われていまし
たが、
今年に入り子ども自身も今まで父親にはべたべた甘えていたのに、反抗的な態度をとる様に
なり、段々
このままでは家族が崩壊すると心を痛めていました。
私はその主人の悲しそうな姿を見てこの人の為にも私自身が何とかしないと、本当に親子も夫
婦も・・・
家族がバラバラになる。
それぞれが壊れてしまう・・・ニュースで取り上げているようなことがいつか我が家にも起こ
る・・・・
主人に申し訳ないと。

以前テレビで見た【Mツリー】に問い合わせました。
しかし自分でもこれだけいいのか???子どももどこかにかからなくていいのか???とても
不安で
した。

ネットを見ると【虐待】【アダルトチルドレン】【パーソナリティ障害】・・・・どれも当てはまりすぎ
るぐらい当てはまります。
子どもの荒れや自傷行為も私の関わりからだとはっきりしていますが・・・どこかわかっている
のに子
どもに素直に謝る事も出来ず、自分を正す事も出来ません。

先生からの返事で戸惑っている場合でないことがよくわかり、心療内科の門をくぐろうと思いま
す。〔薬
には正直抵抗がありますが・・・・〕
そして何より・・・・私たち家族の進むべき道が示されたような気がしてず〜っと先に光が見える
よう
に思えます。

私は母に色々相談したり、手をつないで出かけたり、ショッピングに行くとこはありませんでした
が娘
といつか笑って並んで歩ける日がくるように頑張ります。

それとあつかましいのですが、M市でこのような心の問題に詳しい心療内科をご存知でしたら
教えて頂
けないでしょうか??
紹介という形ではなく、特殊な問題ですので、ご存知であればそちらにかかろうかと思いまし
て・・・。
勝手なお願いばかりで申し訳ありません。なにとぞよろしくお願いします。
お忙しいところ本当にありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●蛍(ほたる)Fire Fly ●浜名湖かんざんじ荘 ●ポポンS信者

+++++++++++++++++++++

オーストラリアには、蛍はいない。
オーストラリアの友人が、そう言っていた。
英語では、「Fire Fly(火のハエ)」と言う。

その蛍が、今ごろ、山荘の周辺で飛び交う。
静かに、ひたすら静かに、羽音もなく、
静かに飛び交う。

2011年6月26日(日曜日)の夜、
私とワイフは、庭先で、蛍を追いかけた。
時刻は午後11時ごろ。
1匹、2匹……。
追いかけていくと、その先のヤブの中で、
10〜15匹が飛び交っていた。
クリアな光だった。
白い、鋭い光だった。
ホーッとため息が出るほど、美しかった。

毎年、今ごろ、ときどき蛍を見かける。
しかし今年は、格別。
私も、もちろんワイフも、これほどまでの数の
蛍を見たことがない。
何匹かは、それぞれがペアになり、まるで
戯れるように飛んでいた。
ときどき、スーッと庭を横切るのもいた。
横切るときは、一直線。
結構、速い。

懐中電灯を照らしたとたん、姿が消える。
見失う。

オーストラリアの友人にそれについて書くと、
「一度でいいから、見てみたい」と。

ビデオカメラに収めようと思ったが、
「たぶん、だめだろう……」ということで、
あきらめた。

(記録)

蛍……毎年6月の末。
今年は6月26日。
曇天で、雨がつづいたような夜。
霧のような小雨が降っているか、湿っぽい夜。
そんな夜に、山草の周辺では、蛍が出没する。

(はやし浩司 蛍 ほたる ホタル 山荘の蛍 山荘のほたる)

++++++++++++++++++

●ポポンS・信者

 友人のO医師が、こう言った。
前立腺ガンの権威である。
PSA検査の普及に努めている。
「私はポポンSの信者です」と。

 その言葉が、ずっと頭の中に残っていた。
それもあって、昨日、ワイフがポポンSを買ってくれた。
総合ビタミン剤である。

 ……というのも、その前の数日、体の疲れが取れなかった。
睡眠時間もじゅうぶん。
それほど体重がふえたわけでもない。
しかし何とも言えない疲労感。
横になっていても、だるい。
集中力もつづかない。

 そんなときワイフがO医師の言葉を思い出した。
「ポポンSを買ってきましょうか?」と。
即座に私は、ワイフにそれを頼んだ。

 で、その結果。

 昨夜は夕食後に2錠、のんだ。
今朝は、朝食後に1錠、のんだ。
たぶん、ポポンSが効いたのだと思う。
体のだるさが、消えた。
口から、ジョークがポンポンと飛び出るようになった。

 よかった!

私「きっと、ビタミン不足だったんだね」
ワ「夏になると、どうしても不足しがちになるからね」と。

 ということで、私もポポンSの信者になった。
これからは毎日、のむようにする。
死ぬまで、……たぶん。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●浜名湖かんざんじ荘

++++++++++++++++++

昨夜、浜名湖かんざんじ荘に電話する。
浜名湖周辺では、一押しの簡易旅館。
清潔で、温泉もすばらしい。
浴衣にも丹前にも、アイロンがしっかりと
かかっている。
料理も、よい。
この旅館だけは、いつ行っても、期待を
裏切らない。
とくにカラオケスタジオがすばらしい。
一流の劇場並み。

で、X日の夜の予約を入れる。
常連と言ってよいほど、よく利用させてもらう。
それもあって、料金は、いつも特別料金。
xxxx円(1人一泊)。
「今度もその料金でいいですか」と聞くと、
「浜松の林さんですね、いいですよ」と。

こういう交渉が、電話でできるところがすばらしい。

「また、HPで、かんざんじ荘を宣伝しておきますから」と
言うと、「お願いしますね」と。
電話口の向こうの男性は、うれしそうだった。

みなさん、浜名湖かんざんじ荘へ行こう!
はやし浩司推薦の簡易旅館。
「簡易」をつけるのは、旅館街にある、ホテル九重や、花乃井
のような豪華なホテルではないという意味。

が、浜松イチのローケーション。
ほかにない!
ホント!
料金も、たいへんリ−ズナブル。
ウソでないことは、泊まってみればわかる。

〒431-1202
静岡県浜松市西区呉松町1768-1
TEL053-487-0330(予約専用)
   053-487-0257(代)

http://www.kanzanji.com/

夏休みに利用する人は、早めに予約するとよい。

もちろんふところに余裕がある人には、ホテル九重、あるいは花乃井がお勧め。
温泉で選ぶなら、ホテル・ウェルシーズン浜名湖。
あとの旅館やホテルは、どうかな?、といったところ。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 11日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Do we deserve to survive or should we be wiped out?
(人類に生存の価値は、あるや否や?)

●6月24日(金曜日)

●「私たち人間には、存続するだけに足りる価値があるや否や」と。


++++++++++++++++++

今日から、映画『スーパー・8』が始まった。
『E.T.』のリメイク版ということらしい。
ということは、粗筋(あらすじ)は、もうわかった。

が、今夜は、おとなしく家に帰った。
この暑さ。
温度計も見ず、散歩に出た。
40分も歩いた。
疲れた。
バテた。

仕事の帰りに、ワイフと「山岡家」でラーメンと餃子を食べた。
こういうときは、ニンニクがうまい。
ちょうど明日は休み。
餃子にニンニクをたっぷりとつけて、食べた。
おいしかった。

……何でも埼玉県の熊谷市で、気温39・8度を
記録したとか。
原発事故の陰で忘れていたが、地球温暖化
(火星化)は、かなり進んでいるらしい。

+++++++++++++++++

●3凶

 今、世界&日本には3つの凶事がある。
地球温暖化(火星化)、EU&中国の経済崩壊+日本のデフォルト、それに福島第一原発の原
発事故。


 どれも深刻。
2番目の経済問題は、まだ何とかなる。
しかし経済が崩壊すると、人心も崩壊する。
ウソか本当か知らないが、韓国へ逃げた脱北者の1人は、こう告白している。
「人肉を食べていた。残りは市場で、羊の肉として売っていた」(韓国紙)と。

 原発事故は、今の今も、継続中。
現場では、必死の作業がつづいている。
作業の成功を祈るしかない。
作業員の方には、頭がさがる。
もしこういう方たちに万が一のことがあれば、日本政府は(=私たちは)、最後の最後までめん
どうを
みる。
手厚い災害年金に障害補償。
それでも足りないかもしれない。

 また地球温暖化については、(温暖化程度ではすまないから、私は「火星化」と呼んでいる
が)、自然
災害がますます大型化している。
大洪水に、大型ハリケーン。
場所も選ばない。
そんな印象をもっている。

 で、これらの3凶。
それぞれがバラバラのように見えるが、その実、複雑にからみあっている。
化石燃料の消費を減らそうと思えば、原子力発電に頼るしかない。
原子力発電を減らそうと思えば、化石燃料に頼るしかない。
つまり温暖化は進む。
一方、化石燃料には限りがある。
価格が高騰する。

 そこで主要国は、札を印刷する。
アメリカ、日本、EU、中国……。
それに耐えられない国は、崩壊していく。
今、ギリシア、ポルトガルがあぶない!

●VOTER(投票者)

 VOTER……SF映画のタイトルにもなりそうな言葉である。
「投票者」。

 10日ほど前、友人のT氏と電話で話しているとき、こんな言葉がひらめいた。
「VOTER」。

 かなりSF的な話になるが、こういうこと。

 今、宇宙のどこかで、宇宙人たちが、(神でもよいが)、こう話し合っている。
「地球の人間を存続させるべきか、滅亡させるべきか」と。
人間1種類で、ほかのあらゆる生物が、絶滅しようとしている。
人間1種類を滅ぼせば、ほかのあらゆる生物は、生存しつづけることができる。
そこで「投票」。

 が、ここで2つの問題が起きる。

 ひとつは、仮にすべての生物が滅んだとしても、地球には再生能力がある。
再び生命を生み出す力がある。
火星のようになってしまえば、おしまいだが、海が残れば、まだ何とかなる。
あわてて人間を絶滅させる必要はない。

 つぎに「投票」といっても、だれに投票させるか。
天の神々か、人間自身か?
その投票する人を、「VOTER(投票者)」という。

●絶滅か、存続か

 旧約聖書の中には、ソドムとゴモラ(創世記19章)の話が出てくる。
もしその話が事実とするなら、旧約聖書の中の神は、一度は、(あるいは何度も)、人間を滅ぼ
そうとしたことにな
る。
核兵器のような兵器を使ったという説もある。
今でもその地域には、ガラス化したテクタイトという岩石(注※)が散らばっている。

 となると、これはあくまでもSF小説の範囲での話だが、人間の存続・絶滅を決定するのは、
「神」ということにな
る。
が、神自身の判断能力にも限界がある(?)。
今のこの世界を見れば、それがわかるはず。
神が創造したはずの人間は、まさに欠陥だらけ。
自動車にたとえるなら、とっくの昔にリコールの対象になっていたはず。

 が、人間が、その「途上」にあるとしたら、どうか。
未熟な存在から完成された存在へと。
いつかこの人間も、神に近い存在になるかもしれない(「ノアの説話」)。
たとえて言うなら、まだ「幼児」。
子どもの段階。
そんな段階の人間を、あわてて滅亡させるのも、どうか?
……ということで、かろうじてリコールされないまま、存続している。
が、それにも限界がある。
その前に地球が火星化してしまったのでは、遅い。
地球のもつ再生能力そのものが、なくなってしまう。

 そこで神は、(宇宙人でもよいが)、人間自身に、それを判断させることにした。
それがT氏と話したときに出てきた言葉、「VOTER」である。

●YES・NO?

 方法は簡単。
無作為に、地球人の中から、数万人とか、数十万人とかの人間を選ぶ。
もちろんそれらの人間には、それを知らせない。
あくまでも無意識下の世界での話。
通信方法は、いくらでもある。

 神は、(宇宙人でもよいが)、こう問いかける。
「君たち人間には、存続するだけに足りる価値があるや否や」と。
で、そう問われた人間は、意識を総合し、やはり無意識下で答える。

「YES、その価値あり」と。
あるいは、「NO、その価値なし」と答える人もいるかもしれない。

 あとはそれを集計すればよい。
つまりこれぞまさしく、民主主義!

 で、K氏とはこんな話になった。

私「あなたなら、どうしますか? YESですか、NOですか?」
K「そうですねえ……。昔、手塚治虫の描いたコミックにも、そんなようなシーンが出てきました
ね。いろいろな動
物たちが集まって、同じように投票をしました」
私「ああ、ありましたね……。名前は忘れましたが……」
K「……う〜ん、むずかしい問題ですね」
私「……むずかしい……」

 が、そのとき、こうも考えた。
何もYESとNOだけで、白黒をつける必要はない。
改造すべき点は、改造すればよい、と。
脳の視床下部あたりを少しいじって、ドーパミンの分泌を、何分の1かにするとか、など。
それだけでも、人間が本性的にもつ攻撃力は、半減するはず。

K「でも、そんなことをすれば、生殖本能も弱体化しますよ。生命力そのものも弱くなってしま
う。フロイトも性的エ
ネルギーという言葉を使っているくらいですから」
私「そうですね。それもまずい。男も女も、フニャフニャになってしまったら、それこそ人類、滅
亡ですね」
K「じゃあ、前頭連合野を、今の2〜3倍にすればいい。宇宙人のような頭になりますがね…
…」
私「でも、それも困るんですよ。女性の産道にも限界がありますから。今でさえ、出産は、たい
へんな重労働。頭
の大きさが2〜3倍にもなったら、帝王切開でしか、子どもは生めなくなります。あるいは、思い
切って、体外受
精、
人工胎盤で……という方法になりますね」
K「ゆくゆくはそうなるかもしれませんね。SF映画にも、そういうシーンがよく出てきます」

●結論

 では、どうするか。
もしあなたがVOTERとして、選ばれし人であり、どちらに投票するかと迫られたら、どうする
か?
もっともそれほど深刻に考える必要はない。
人類の存亡を決定する……などと、気負うことはない。
あなたの無意識下の判断であり、たとえ決断をくだしたとしても、あなたには決断をくだしたとい
う意識すら残らな
い。
それによって人間が滅亡したとしても、責任を感ずることもない。
何度も書くが、問いかけも、答えるのも、すべて無意識下でなされる。

 では、どうか?
静かに自分の心の中をのぞいてみる。

「私たち人間には、存続するだけに足りる価値があるや否や」と。

私「Kさんなら、どちらにしますか?」
K「……やっぱり、NOかなあ……。このままでは地球はメチャメチャになってしまうし……」
私「人間、一種類が滅ぶことで、つぎの時代に生物が残せるなら、私もやはりNOかなあ……」
K「でも、人間のような知的生物が滅ぶというのも、もったいないような気がします」
私「心配無用。神にせよ、宇宙人にせよ、遺伝子操作か何かで、またすぐ再生しますよ。それ
に遺伝子さえ保存
しておけば、またいつでも人間を再生できます。人間という形ではないにしても、たとえば人間
の遺伝子を、ほか
の動物に組み込むとか……」
K「今度は、どの生物を改造しますか?」
私「そうですねエ……。ほ乳類の中では、馬かなあ……。草食動物だし……。難しいですねエ
……」と。

 生存欲は常に、闘争欲をともなう。
闘争欲をともなわない生存欲はない。
その闘争欲が、知的生物を狂わす。
生きていること自体が、「罪」と考えてよい。
食卓で、魚を食べる。
肉を食べる。
つまりほかの生物を犠牲にしている。
その罪を、どう認識するか。
それを認識できる人を、善人といい、そうでない人を悪人という。

 あとはそれをどうコントロールするか。
それが大脳の前頭連合野の機能ということになる。
知性と理性の府。
つまりは思考力。
それをどう磨いていくか。

 もし人間に最後のチャンスがあるとするなら、今からでも遅くないから、知性と理性を磨く。
その努力を、神が、(宇宙人でもよいが)、知れば、最後のチャンスをくれるかもしれない。
そうでなければ、そうでない。

私「でも、こうして考えることは、無駄ではないと思いますよ」
K「荒唐無稽な話ですがね」
私「いや、私はね、地球というものを、その外に視点をおいて考えるのは、とても大切なことだ
と思うのです。それ
がSFであれ、なんであれ、構いません。視点を変えると、視野が広がります」と。

 最後はいつもの笑いで終わった。
「今度、みんなで集まりましょう」と、K氏は言った。
「どこか、カルト的な会になりそうですから、そこは慎重にね」と私。


(注※……テクタイト)(ウィキペディア百科事典より)

テクタイト(英: tektite、語源はギリシャ語の tektos --溶けた-- から)は、隕石衝突によって作
られる天然
ガラスである。成分は地球の鉱物と同じで、形状は円形のものや水滴形状のものが多いが、
さまざまである。大
きさは数センチのものもある。
起源については、地球で形成されたものかどうかで議論されたが、高速で衝突した巨大な隕石
のエネルギーで
蒸発気化した地表の石や砂などが、上空で急冷して固まったものだと考えられている。テクタ
イトが見られるのは、
その起源から衝突クレーターの位置に関連し、また広く分布する。チェコで採集される
モルダバイト (moldavite) と呼ばれるテクタイトは、ネルトリンガー・リース(リース・クレーター)と
関係するもので
ある。



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月25日(June 25th) 言論の自由(Freedom of Speech in Japan)+"Super8"

To: Mr and Ms Goo-Blog Readers, I thank you for your reading!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
+++

Goo−Blog、1誌でのアクセス数が、毎日3000件前後をキープしている。

3000件というと、少ないと思う人もいるかもしれない。
しかしアクセス数順位でみると、160万誌の中で、139位(2011年6月24日)。
127位(2011年6月25日)。

160万誌の中で、127位!
1600000誌の中で、127位だぞ!

もう1誌、同じGoo−Blogで、Blogを毎日発行しているが、こちらも、同じような成績。

ほかに楽天日誌、Blogger、FC2ーBlog、はてなダイアリーなども、毎日、発行している。
アクセス数を合計すると、これらのBlogだけでも、1日、軽く1万件を超える。

ほかにこのところぐんぐんと伸びているのが、YOUTUBE(動画)。
こちらは毎日1000件前後。

もちろんホームページもある。
私にとっては、ホームページ(以下、HP)が活動の中心になっている。
メインのHPが1本あり、そのHPから、約15本のHPが枝分かれしている。
それぞれにカウンターがつけてある。
こちらも合計すると、1日、5000〜6000件になる。

が、実は、それだけではない。
私の文章をそのまま転載しているBLOGやHPも少なくない。
動画にしても、一度ダウンロードしたあと、焼き直して掲載してくれているところもある。
さらに現在、2つのポータルサイトが、私の特設コーナーを設けてくれている。
もちろんカウンターの設置していないページへの、ハイパーリンクというのもある。
実際には、このハイパーリンクのほうが、はるかに多い。

総合計すると、いったい、どれだけになるのか?
毎日、どれだけの人が、私の書いた文章を読んでくれているのか。
そんなわけで、総合計数となると、私にもわからない。
おおざっぱに言えば、月に50万件前後?
あるいはそれ以上。

……それとも総合計数など気にしても、あまり意味がないのでは?
今、ふと、そう思った。

書籍の場合は、発行部数や販売部数で、明確な「数」が出てくる。
しかし書籍でも、回し読みをするばあいもあるだろう。
図書館などに置いてあれば、1冊の本を、何百人もの人が読むということもある。

要するに、たくさんの人たちが、私の文章を読んでくれているということ。
これを「励み」と言わずして、何という。

この文章を読んでくれた、みなさん、ありがとう!
とくにGoo−Blogの読者のみなさん、ありがとう!
本当に、ありがとう!
みなさんのおかげで、私は今日も、こうして生きていられる!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
+++

●自我の統合性

 ただし、誤解しないでほしい。
こうして毎日文章を書いているが、利益となると、ほとんどゼロ。
子育て相談にしても、私はいまだかって、1円だって受け取ったことはない。
(=お金を払ってくれた人はいない。)

 が、だからこそ、私は毎日、好き勝手なことを書くことができる。
だれも気にしなくてよい。
だれにも媚(こび)を売らなくてよい。
この気楽さ。
この自由。
が、この気楽さと自由こそが重要。
無私、無欲でするところに、意味がある。
また無私、無欲でなければ、意味がない。
「自我の統合性」とは、まさにそれをいう。
(注、(やるべきこと)と(現実にしていること)の一致を、「自我の統合性」という。)

●敵

 こういう私だから、無数の敵を作ってしまった。
ものを書くというのは、そういうこと。
音楽や絵画とは、性格がちがう。
「私のことを書いた」「私の親のことを書いた」と、怒ってきた人はたくさんいた。
「いた」というのは、最近は、ほとんどいなくなったということ。
たぶん、あきらめただろう。
あるいは相手にされなくなった?
私も相手にしなくなったが……。

 だから孤独といえば、孤独。
人間関係だけではない。
先日も、ある漢方薬局へ行った。
そこの薬剤師が、漢方薬の説明をあれこれとしてくれた。
「ビワの葉がどうの」「シソの葉がどうの」と。
この先は、たぶんに手前味噌的な話になるが、許してほしい。
ひとつの例として書く。

 しかしそういうのは漢方薬とは言わない。
あえて言うなら、民間薬。
漢方薬というときは、「君・臣、佐、使」の方剤論に従って処方された「薬」をいう(はやし浩司著
「東
洋医学・基礎編」P239)。

 よく知られた風邪薬に「麻黄湯」がある。
麻黄湯についても、麻黄が(君=主薬)、それを桂枝が助ける。
桂枝が(臣薬)。
その君薬、臣薬に対して付随的に働くのが、「佐薬」。
麻黄湯のばあいは、「杏仁」がそれにあたる。
これらの薬物に対して、たとえば飲みやすくしたり、薬効を和らげたりするのが、「使薬」。
麻黄湯のばあいは、「甘草」をそれに使う。
(以上、はやし浩司著「東洋医学・基礎編」学研版)

 私の書いた本は、医学部や鍼灸学校で、今でも教科書として使われている。
何も自慢するわけではないが、どうしてその私が漢方薬の説明を受けねばならないのか。
「そうですか」「そうですね」と口を合わせながら、その一方で、私はひしひしと襲い来る孤独感
と闘
わねばならなかった。

●その一方で……

 もちろんその一方で、私の知らないことは、まだ山のようにある。
恐ろしいほど、ある。
書店で半時間、立ち読みをしただけで、ドドーッと、それが頭の中に流れ込んでくる。
「家に帰ったら、それについて調べてやろう」とは思うが、家に着くころには、それも忘れてしま
う。
毎日が、この繰り返し。
だから私は、「林さん(=私)は、忙しいですか?」と聞かれるたびに、こう答えるようにしてい
る。
「忙しくはないですが、時間が足りません」と。

 けっして冗談でそう言っているのではない。
本気で、そう思っているから、そう言う。
時間が足りない!

 が、そのときも、また別の孤独感を覚えてしまう。
荒野にひとり、ポツンと取り残されたような孤独感である。
行けども行けども、先が見えない。
まわりには、人はだれもいない。

 こんなとき、励みになるのが、読者。
読者の人たち。
どこかでだれかが、私の文章を読んでくれる。
それが励みになる。

 先ほど、順位について書いた。
誤解しないでほしいのは、順位といっても、学校の成績でいうような順位ではない。
またそんな順位など、争ってもしかたない。
ただで、127位になったというだけ(6月25日・Goo−Blog160万誌中)。
読者がそれだけ多いということは、それだけみなに、注目されているということ。
言うなればサッカーの試合と同じ。

 サポーターが少なければ、さみしい。
しかし多ければ、自ずと力が入る。
そういうことはある。

●不思議な世界

 といっても、インターネットの世界は、不思議な世界だ。
本やテレビなどのような「反応」は、まったくといってよいほど、ない。
毎日、アクセス数が3000件(Goo−Blog、1誌のみ)もあれば、月になおせば、9万件。
1年間で、100万件を超える。
Goo−Blogだけで、100万件!
本とはちがうが、もし本で100万部も売れれば、かなりの話題作になる。
が、インターネットの世界では、それがない。
まったく、ない。

 事実、先にも書いたが、私のHPやBLOGへのアクセス数は、毎月50万件?
もっとあるかもしれない。
が、その私には、実感が、まったくない。

 また私のばあい、「敵」が多い。
ご存知の方も多いと思うが、テレビ局にかぎらず、雑誌社にも、「ブラック・リスト」というのがあ
る。
たいていその会社の管理室にそれがある。
編集員が何かの取材をするにも、まず管理室に相談する(G社)。
「あのはやし浩司という男は、だいじょうぶですか」と。
そこで管理室がブラックリストを調べる。
その出版社が、たとえば、その著者と何かの裁判で係争中であることを知る。
すると管理室は、「NO!」のサインを送る。
「だめ」とは言わない。
事実だけを伝える。

 こうしてその著者は、その取材からはずされる。
テレビ局などにも、もちろん、それはある。
私はこうして好き勝手なことを書いているので、もちろんあちこちのテレビ局や雑誌社のブラッ
クリス
トに名前が載っているはず(?)。
1社だけ確かなのは、子ども向け雑誌社のH社である。
H社と取り引きのある別の会社の社長が、そう話してくれた。
「あなたの名前が載っているようです」と。
私が書いた、『ポケモン・カルト』という本が、誤解されている。

 私はあの本を通して、ある宗教団体(カルト)を攻撃した。
「ポケモン」を叩いたわけではない。
が、出版社は、そこまでは読まない。
パラパラと読んで、「はやし浩司は要注意」という判断だけをくだす(たぶん?)。

 が、このことを裏から理解すると、こうなる。
だからこそ、私は、好き勝手なことを書ける。
たとえば東京あたりで、主要週刊誌を批判したら、そのライターは、仕事を失う。
テレビ局を批判すれば、テレビの番組からはずされる。
一応、この日本には、言論の自由というものはある。
しかしそれは(収入)を考えない人の自由。
もし(収入)を考えたら、その自由は、どこかへ吹き飛んでしまう。

 話が脱線したが、ネットの世界では、「実力」だけがすべて。
「読者の注目度」だけがすべて。
あとには、何もない。
だから不思議な世界。

●目標

 ともあれ、ワイフだけは喜んでくれる。
昨日も、Goo−Blogの話をした。
すると、一言、「よかったわね」と。

私「ずっと、100番台をキープしている」
ワ「すごいことね……」
私「1000番台を抜けるのに苦労したけど、1000番を抜けたら、あっという間に、100番台に
なってしまった」
ワ「今度は、2桁台ね」と。

 そういう意味では、私は新しいタイプのライターかもしれない。
今までのライターは、いつもだれかに媚を売りながら生きてきた。
マスコミという巨大な利権団体に、媚を売りながら生きてきた。
が、媚を売る分だけ、自説をゆがめなければならない。
どこかの組織や団体に属していれば、なおさら。
遠慮が入る。

 しかしインターネットの世界ではそれがない。
その必要がない。
自分が発行人、編集者、著者……。
読者といっても、もちろん日本人だけではない。
YOUTUBEのチャンネル登録者にしても、半数以上が外国に住む、外国人である。
そういう人たちを相手に、ものを書く。

 が、目標はただひとつ。
真・善・美の、「真」と「善」。
その目標に向かって、ただひたすら書いていく。
あとの判断は、読者の皆さんに任せればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 Goo-Blogの読者のみなさん、ありがとう Goo-Blog インターネットの世界 真の言論
の自
由とは何か)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●『スーパー・8』(Super8)

昨夜、長男とワイフと私の3人で、映画『スーパー・8』を観てきた。
土曜日の夜ということで、ネットでチケットを予約して行った。
よい席が取れた。
が、映画は、???。
星は、せいぜい2つの、★★。
あるいは1つ。

 前宣伝がすごかっただけに、がっかり度も大きかった。
「JJエイブラムス×スピルバーグの新プロジェクト!」(公式サイト)とか。
何が「新プロジェクト」か?
おおげさ。
劇場の入りも、よくなかった。

まあ、一言で言えば、つまらない映画!

出てくるエイリアンにしても、チョット出しの小細工ばかりが、目立った。
しかも1匹だけ。
ストーリー性も、新鮮さも、なし。
もちろん「ET」や「未知との遭遇」のときのような感動もなし。
できすぎの娯楽映画。
まあ、劇場まで足を運んで観るような映画ではない。

先週は、『X−MEN』『パイレーツ・カリビアン』も観た。
どれもテーマが、陳腐。
ワイフは、「それだけ目が肥えたのよ」と言うが、そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
このところアメリカ映画がつまらない。
金儲けだけを考えた、駄作つづき。

……それとも私の脳みそがサビつき始めたのか?

しかし再度、一言。

黒沢映画がそうだった。
晩年になればなるほど、映画は大作化した。
が、それと反比例の形で、中身は薄くなっていった。
スピルバーグ映画も、しかり。
このところ目立った良作がない。

金と権力を手にすると、脳みそはサビつく?
その点、この私には、その心配はない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●新しい試み(はじめての自作BGM、ハーモニカで)・2011−6月26日

++++++++++++++++++

YOUTUBEでは、当然のことながら、
いつも著作権の問題がからんでくる。
映像は自分が撮った映像を使う。
映像については、問題ない。
が、問題はBGM。
音楽。
勝手には使えない。
使うと、音声が、(もちろん音楽も)、そのまま
消されてしまう。

そこで新しい試みとして、先日、
ハーモニカを買ってきた。
ハーモニカを自分で吹いて、それをBGM
にする。
曲も、著作権が切れた古いものにすればよい。
学校唱歌など。
それなら問題はないはず。

……ということで、うまくそれができるかどうか、
今日、試してみることにした。

もしこの方法がうまくいけば、YOUTUBE
の使い勝手が、ぐんと向上するはず。
音楽だけではない。
YOUTUBEの画像に合わせて、朗読もできるようになる。
説明も、自分の声で、できるようになる。

++++++++++++++++++++

【我が家の庭の紹介】(YOUTUBE 高画質版)

2011年6月26日、12時〜の庭の様子。
使用したビデオカメラは、SONYのCX−170。
優秀なカメラです。
手ぶれのほとんどを吸収してくれます。

BGMは、私がハーモニカで吹きました。
実にへたくそで、お粗末なBGMですが、お許しください。
これが私の処女作です。

次回は、少し練習を重ね、もう少しマシなBGMにします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●はずれた予言(ジュセリーノ・ダ・ルース氏(51歳)の地震予見)
The Prediction did not come true that a big earthquke would attack Tokyo on June 25th!

以下は、6月20日に、書いた原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●2011年6月25日午後8時53分に、関東地方で地震が起きる?(「週刊現代」)


++++++++++++++++++


3・11大震災以来、私は『週刊現代』を欠かさず
購読している。
今日も買った。
7・2日号。


週刊現代は原発事故について、毎週、特集している。
今週号は、「日本全国放射能汚染地図」。
すべてを信ずるわけではないが、しかし放射能汚染は、
かなりのところまで進んでいる。……らしい。
またここで放射能汚染が止まったわけではない。
目にこそ見えないが、今の今も、放射性物質は、
モウモウと福島第一原発から空へ、飛散している。
モウモウ……とだ。


で、その週刊現代の中に、こんな記事もあった。
ふだんならこうした記事には目もくれないが、
今回はちがった。
人は不安になると、心に穴があく。
その穴を通して、こういう記事が心にスーッと
入りこんでくる。


いわく、『2011年6月25日の午後8時53分、
東京の都心から8キロメートル以内で、地震が起きる。
マグニチュードは、6・1で、震源の深さは18キロメートル。
建物は倒壊し、負傷者も出る』(P39)と。


ホントかウソか?
ウソに決まっているが、今度ばかりは、否定できない。
どうも自分に自信がもてない。
私の論理力も、こと原発事故に関しては、今や、ガタガタ。


++++++++++++++++++++++


●ジュセリーノ・ダ・ルース氏(51歳)


 6月25日の地震を予見しているのは、ジュイセリーノ・ダ・ルース氏、51歳。
ブラジル人。
夢の中で未来を見るということで、「予言」ではなく「予見」と言うらしい。
週刊現代によれば、「これまでにも阪神大震災や東日本大震災、アメリカ同時多発テロ事件、
さらには
ダイアナ妃やビンラディンの死をも予見した」という。


 ウ〜ン?


 週刊現代が、同時にこういう記事を載せるところが、?。
しかも具体的。
具体的すぎる。
6月25日(土曜日)
午後8時53分
東京の都心から8キロメートル以内
マグニチュードは、6・1。
震源の深さは、18キロメートル。
で、まず思いついた疑問が、「午後8時53分」という時刻。
日本時間なのか、ブラジル時間なのか。


●時差、11〜12時間


 東京とサンパウロの時差は、11時間。
東京とリオ・デ・ジャネイロの時差は、12時間。
「午後8時53分」というのは、日本時間なのか、ブラジル(サンパウロ)時間なのか。
記事をそのまま読めば、日本時間ということになる。
が、ブラジル時間とすると、そのとき日本は、6月26日の午前9時53分ということになる。


 どちらなのだろうか?
 私はこの種の予言を、まったく信用しない。
もとからそういう思考回路が、頭の中にない。
が、もし本当にこの予言が的中したら……。
程度にもよるが、それでも私は「偶然の一致」と片づけてしまうだろう。
「程度」というのは、どの程度まで的中するか、ということ。


 時刻のみならず、距離や地震の規模、震源の深さなど。
もしそれらすべてが的中したら、私は今までの思考回路を、大幅に変更しなければならない。
当たるはずはないとは思っているが、しかしどういうわけか、今回は自信がない。
それが「心の穴」ということになる。


●疑問+考察


 ジュセリーノ氏は、夢を見て、未来を予見するという。
しかし夢というのは、ランダムに脳に飛来するもの。
意思ではコントロールできない。
「そういう夢を見たい」と思っても、そういう夢を見ることは、まずない。
また現実とのつながりは、ないと言われている。
現実とつながりのある夢を見たときは、精神に何らかの問題があると言われている。
……たとえばその前の夜に夫婦げんかをしたとする。
その夫婦げんかのつづきを夢として見たときは、精神に何らかの問題があると言われている。


 また夢といっても、目を覚ます寸前に、ごく短い時間にみると言われている。
長く感じた夢でも、実際には、短い時間でみるのだそうだ。
そのためふつうは、目を覚ますと同時に、忘れる。
夢の内容が、記憶として脳に記銘される前に、脳自体が別の活動を始めてしまうためである。
だから夢の内容を覚えていようとするなら、目を覚ました直後にでも、ノートなどにそれを書きと
めて
おくのがよい。
事実、「夢日記」として、その朝に見た夢をノートに書き記している人は、結構多い。


 が、ジュセリーノ氏は、「現実」とつながりのある夢を見るらしい。
(つながり)というより、現実そのもの。
夢の内容もさることながら、日時、場所まで、詳しく予見する。
この現実性が、あ・や・し・い。
私もよく夢を見るが、日時が数字となって現れるということは、めったにない。
場所となると、「どこかで見たような所」という程度。


 まあ、どうであれ、6月25日の午後8時53分に注目してみよう。
あるいは6月26日の午前9時53分(サンパウロでは、25日午後8時53分)でもよい。


 ホントかウソか?
ウソに決まっているが、今度ばかりは、どうも自信がもてない。
何しろこの日本では今、想定外の、わけのわからないことばかり起きている。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はや
し浩司 ジュセリーノ ジュセリーノ・ダ・ルース 予見者 予言者 地震の予言)


(補記)


 しかし「週刊現代」ともあろう週刊誌が、どうしてこんな記事を載せるのか。
もしその予見というのがハズレたら、恥をかくだけではすまない。
今までの地震関連の記事すべての、信憑性すら疑われかねない。
たいへん危険な記事と言ってもよい。(以上、2011年6月20日記)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●結果は、ハズレ!(6月27日記)

 結果は、ハズレ!
まったくのハズレ!
その日、その時刻に、その場所で、地震の「ジ」の字も起きなかった。

こんなインチキな予言(予見)が、当たるはずがない。
予言するほうも、予言する方だが、それを活字にして全国に流す、週刊誌も週刊誌。
愚かさ。
「週刊現代」も、少しは自分に恥じたらよい。
あるいはどう責任を取るつもりなのか。

 3・11大震災以来、骨太の報道を繰り返していた週刊現代。
私は毎号、欠かさず、購入していた。
この記事で、かなりの評価を落とした。
もう買わない。
そうでなくても、読者は心理的にかなり不安定な状態にある。
心に穴が開いた状態と言ってもよい。
平和なときなら、まだよい。
それなりの判断力が働く。
しかし今は、ちがう。
こんなインチキな予言を流すべき時ではない。

 今の今も、多くの人たちが心配と不安の中で眠られない日々を過ごしている。
そういう中、そういう人たちの心を、もてあそぶ。
その罪深さ。

●予言の矛盾

 だいたい、予言と日時は、符合しない。
予言は予言。
しかし「日時」という数字は、人間が勝手に決めたもの。
便宜上、勝手に決めたもの。
数字というのは、もともとそういうもの。

 たとえば「木星と火星が重なったとき……」とかいう話なら、私にも理解できる。
それから計算して、それが「6月25日(土曜日)午後8時53分」になったというのなら、私にも

解できる。

 つまり自然界の現象と、人間が勝手に決めた日時とシンクロナイズするという発想が、おかし
い。
たとえば、「東京から半径8キロメートル以内」というのも、おかしい。
何なら、緯度と経度を使って表現したらどうか。
マグニチュード6・1というのもそうだ。
「震源の深さ……」にしても、そうだ。

 もし予見(?)するなら、こういう言い方にしては、どうか。

『大震災で、津波が暴れてから、100と4日の夜(6月25日(土曜日))、
人々が眠りに就こうと、支度を始めるころ(午後8時53分)、
東洋の島国の、もっとも賑やかな町で(東京の都心から8キロメートル以内)、
街路樹も大きく揺れ動く地震が起きる(マグニチュードは、6・1)。
震源の深さは、その町を見下ろす三角形の山の、6倍(震源の深さは、18キロメートル)』と。


 ……とまあ、反論するのもバカバカしいので、この話はここまで。
こんな話を真に受けた私がバカだった。
その時刻に時計を見た、私がバカだった。

では……。



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.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●卑劣な行為(スパイ行為)

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中国の海洋調査船が23日、宮城県石巻市沖の
日本の排他的経済水域(EEZ)で海洋調査を行った。
要するにスパイ行為。
こういうことが平気でできる国というのは、そうはない。
平気でできる人というのは、そうはいない。

++++++++++++++++++++++++

●意識

 これは意識の問題。
それができる人は、平気でできる。
できない人は、できない。
基本的な意識そのものがちがう。
倫理観や道徳観がちがう。

 ある母親は、毎日のように、娘(中学生)の部屋の中はもちろん、机の中まで調べている。
堂々と、それをしている。
が、その一方で、子ども部屋に入るときは、そのつど子どもの了解を求めて入る母親もいる。
そういう母親にしてみれば、机の中をこっそり調べるなどということは言語道断。
意識というのはそういうもの。

だからいつも机の中まで調べている母親は、こう言う。
「親として、当然のことをしているまでです」と。
罪の意識はまるでない。

一方、子ども部屋にすら入らない母親は、こう言う。
「机の中まで調べる親がいるなんて、私には信じられません」と。

●盗聴器

 今、学校や塾へ、携帯の録音機を子どもにもたせていく親は多い。
5000円も出せば、かなり高性能の、ICレコーダーが手に入る。
10時間ほど、録音できる。
盗聴器としては、じゅうぶん。

 理由はいろいろ。
目的もいろいろ。
しかしこれも意識の問題。
それが平気でできる人は、平気でできる。
できない人は、できない。

 さらにひどい(?)親となると、息子や娘に届く手紙を、そのつど選択し、捨ててしまう親がい
る。
母親に多い。
(妻でもいる。夫へ届く手紙やメールを、勝手に捨てたり、削除したりする。)
もちろん子ども(夫)のいないところで、開封して読む。
電話を取り次がない親もいたが、これは昔の話。
携帯電話では、それができない。
しかし毎日、子どもの携帯電話の着信記録を検閲している親はいる。

 こういう母親は、たぶん(?)、夫の手紙や電話についても、同じことをしている。
家族全員に対して、それをしている。
一事が万事。
そう考えてよい。

 しかし……。
子どもの人格という話になると、こうした一連のスパイ行為は、きわめて非人間的。
言い換えると、こういうことが平気ででき、それが当然と考えている親は(人は)、かなり人間性
が破
壊されている人とみてよい。

●人間性

 だからといって、私の人間性が高邁というわけではない。
しかし私は結婚してこのかた、他人のカバンやバッグの中に手を入れたことがない。
のぞいたこともない。
生徒やワイフのバッグにすら、ない。
(ワイフのバッグからお金を取り出すようなときでも、そのつど断りを入れる。)

 だからたとえばどこかの母親がこう言ったとする。
「先日、娘の机の中を調べましたら、こんなものが出てきました!」と。
私はその瞬間、その母親との間に、壁を作ってしまう。
話の内容を聞く前に、その母親を遠ざけてしまう。
生理的な拒絶感すら覚える。

 が、先にも書いたように、これは意識の問題。
私がそうでないからといって、相手を否定してはいけない。
一応、「そうですか……」といって、相手の立場になって話を聞く。
が、その間ずっと、私はその母親の人間性を疑う。
疑いながら、話を聞く。

●学校でも

 今、どこの学校でも、授業を開放している。
親たちはいつでも、自由に、教室での授業を参観できる。
受付で、住所や名前などを記入すればよい。

 しかしそのとき、教室へは入らず、廊下でこっそりと参観(?)する親もいる。
私はそれを「スパイ参観」と呼んでいる。
それにも理由はいろいろある。
目的もいろいろある。

 が、それをされる教師のほうは、不愉快。
どんな理由や目的があるにせよ、不愉快。
「参観するならするで、堂々とそれをすればよい」と。

 中には、(ほとんどのばあい、そうだが)、近くまで足音を消しながらやってくる親もいる。
ソーッというより、密やかに……。
そして教室の戸口の向こうに立って、教室の様子をスパイする。
教師の教え方や子どもたちの声を聞く。

 ……そういう話を、先日、講演した学校の校長から聞いた。
「低学年児のことですか?」と聞くと、「いえ、小学6年生のクラスです」と。

私「小学6年生で?」
校「子離れができないのですね」
私「私なら、頼まれても行きません」
校「ふつうは、そうです」と。

●信頼関係

 で、ワイフとその話になった。
私はこう言った。
「もし、お前がぼくをそういうふうにスパイするようになったら、ぼくは離婚するよ」と。

 夫婦といっても、信頼関係が基本になっている。
信頼関係があるから、夫婦という。
たがいがたがいをスパイするようになったら、おしまい。
夫婦である意味そのものが、霧散する。

 親子関係にしても、そうだ。
たいては親のほうが子どもをスパイする。
が、その時点で、すでに信頼関係は崩壊しているとみる。

 では、教師と親の関係は、どうか。
実は教育も信頼関係で成り立っている。
それがあるから、教師は子どもを指導できる。
が、それにヒビが入れば、教育そのものが、成り立たなくなる。

 たとえば親の過干渉などで、萎縮した子どもがいたとする。
ハキがない。
仲間に入れない。
いつもひとりで、ポツンとしている。
そういうとき教師はその子どもを励まそうと、あれこれわざとふざけたり、おどけたりする。
このタイプの子どもは、大声で笑わせるのが、いちばん、効果的。
しかし精神そのものが萎縮していると、笑わない。
口をゆがめて、フフフと笑う程度。

 が、ドアの向こうで、そういう様子を、母親がスパイする。
そしてこう思う(たぶん?)。
「あの先生は、授業中に、ふざけてばかりいる」と。

●さて、中国

 読売新聞は、こう伝える。

『政府は23日、中国の海洋調査船が同日、宮城県石巻市沖の日本の排他的経済水域(EE
Z)で海洋
調査を行ったことについて、在北京大使館を通じ、中国政府に「事前の同意のない海洋調査
は認められ
ない」と抗議した。

 中国側は「事実関係を確認する」と答えた。国連海洋法条約は、他国のEEZで海洋調査を
行う場合
には沿岸国の同意が必要と規定している』(以上、読売新聞)と。

 わかりやすく言えば、日本の近海にこっそりやってきて、海の水を調べる。
「海洋調査」の目的はわからないが、時節柄、放射線測定であったことも、じゅうぶん考えられ
る。

 が、こういうことが平気でできる国というのは、国全体が、かなりゆがんでいるとみてよい。
中国政府には、罪の意識すらないだろう。
またそれを説明しても、無駄。
理解すらできない。
調べるなら調べるで、ちゃんと日本の同意を求めてからすればよい。
日本にしても、拒否しなければならない理由はない。

 さわやかに生きるためには、身のまわりをさわやかにする。
……と書いたところで、筆が止まる。

アー、イヤダ!
本当に、こういう話は、アー、イヤダ!
書いているだけで、ムシズ(虫酸)が走る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし
浩司 信頼関係 スパイ行為 こっそり参観 盗聴器 録音機でスパイする母親たち)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●伊豆長岡温泉・正平荘旅館にて(6月22日)

++++++++++++++++++++++

梅雨も一休み。
昨日、久しぶりに、青空が見えた。
今朝も、天気はよさそう。

ウォーキングは30分。
さわやかな汗。
扇風機に当たって、体を冷やす。
近くの森で、リスが、コンコンと鳴いている。
ケンケンか?
キンキンか?
動物の鳴き声をカタカナで表示するのは難しい。
リスの泣き声は、さらに難しい。
様々な周波数の音が、混ざり合っている。

++++++++++++++++++++++

●腰痛

 昨日、2か月ぶりにW氏(68歳)に会った。
見ると、腰全体を包むようなコルセットを巻いていた。
「どうしたの?」と声をかけると、「腰痛です」と。

私「原因は?」
W「老化現象です」
私「老化現象?」
W「医者はそう言いました」と。

 便利な言葉だ。
「老化現象」。
わかりやすく言えば、「もう治療方法がない」という意味。
この言葉ひとつで、老人はそのまま死に追いやられる。

 医者も少しは詩を勉強したほうがよい。
言葉の使い方を勉強したほうがよい。
たとえば「たそがれ腰痛」「ごくろうさま腰痛」「いたわり腰痛」「仲よし腰痛」など。
「要運動腰痛」「帝王腰痛」「晩年腰痛」でもよい。
何か未来に希望をもてるような言い方をしてほしい。
「老化現象」と言われると、「もう打つ手なし」と聞こえる。

●離婚

 数年前、私の知人が離婚した。
定年離婚である。
知人のほうが、ある日突然、妻から離婚届を突きつけられた。
この話については、すでに何度か書いた。

 で、この話にはつづきがある。
その知人、いわく。
「妻は、その数年前から、周到に準備していました。私はまったく気づきませんでした」と。

 心の準備だけではない。
モノの準備。
パソコン内のメール、アルバム、衣服などなど。
「壁にかけてあった結婚式の写真すら、いつの間にか、消えていました」と。

 未練があったら、離婚など、できない。
友人の妻は、数年をかけて、すべての未練を消した。

●原因

 原因は、友人の不倫。
会社の部下(女性、30歳)と、5年にわたって不倫をつづけていた。
最初は遊びだったが、そのうち、友人のほうが本気になってしまった。
よくある話である。

 が、女性のほうが遠ざかり始めた。
友人は、それに動揺した。
妻に、不倫がバレた。

 で、そのときは、妻は、「許してくれたはず」(友人談)。
しかし妻は、その直後から、準備を始めた。
少しずつ、少しずつ……。
で、ある日、突然、「離婚します」と。

●人格否定

 妻のほうはそれでよい。
しかし夫(友人)のほうは、そうでない。
それから受ける衝撃には、相当なものがある。
全人格の否定。
全人生の否定。
「今までのオレは、いったい、何をしてきたのだろうか」と。

 2人の娘がいたが、2人も嫁いでいた。
友人の妻は、その準備もしていた。
前もって、「私たちは離婚するから」と。
2人の娘は、母親側についた。
秘密を守った。

 ……と書くからといって、その女性が悪いとか、離婚が悪いとかいっているのではない。
それはそれ。
私が書きたいことは、つぎのこと。

●心の準備

 なにごとにつけ、心の準備は、数年かけて、する。
心というのは、そういうもの。
逆に、心の整理にも、数年かかる。

 一時は人生のドン底に叩き落された友人も、今は、立ち直っている。
好き勝手なことをして、自分なりに人生を楽しんでいる。
結果としてみると、一時はもてはやされた定年離婚だが、やはり、女性には不利。
経済的に自立していれば何とかなるが、そぅでなければ、やはり、女性には不利。
夫の退職金や年金を分離したところで、長くはつづかない。
結局今、妻は娘夫婦の住む家に、同居している。

 準備をするなら、「収入の準備」も、しておく。

●今日は、伊豆長岡温泉に一泊

 このところ講演を依頼されるたびに、その近くの温泉に一泊することにしている。
今日は、伊豆長岡温泉。
駅から歩いて5分ほどの、正平荘。
(実際には、「車で5分」だった。これは私の聞きまちがい。)
実名を出してしまったから、悪口は書けない。
まだ泊まってもいない旅館だから、感想も書けない。
しかし名前がよい。
「正平荘」。

 もしひどい旅館だったら、あとで、名前をアルファベットに置換する。
そういう手もある。
が、ネットで調べたところ、悪くなさそう。
口コミ評価も、高い。
楽しみ。

 昨夜も風呂に入ったが、「明日は温泉」と、軽く流しただけ。
温泉では、私は3度、入浴することにしている。
まず到着すると、すぐ1回。
食後、遅く、1回。
それに早朝、1回、計3回。

 私たちは料理には、あまりこだわっていない。
書き忘れたが、今回もワイフが同行してくれた。
ワイフも旅館に泊まるのを楽しみにしているよう。
講演依頼が入るたびに、「今度はどこ?」と聞いてくる。

 温泉記は、正平荘に着いてから、また書くことにする。

●講演

 実のところ、今日のコンディションは、あまりよくない。
頭は冴えているが、体がだるい。
眠い。
「こんな状態で、講演などできるか?」と思う。

 ところで、最近、ある知人がどこかで講演した。
仕事関係の、その研修会での講演だったという。
私は、その知人の話を聞きながら、「どうして?」と思ってしまった。

その人の経験や知識が、どうこうと言うのではない。
人格や性格が、どうこうと言うのではない。
会話そのものがおかしい。
ふだんしゃべっている日本語が、日本語になっていない。
言葉の使い方も、不適切。
「うん、まあ」「あっ、そう」「え〜と」というよな言葉がつづく。
私たちの世界ではぜったいに使ってはならない禁止用語も、ポンポンと会話の中で飛び出す。

 そこで……というわけでもないが、私のばあい、こうして毎日文章を書くことで、自分の表現
力をみ
がく。
またそれをしていないと、脳みそは、すぐ、さび付く。

 で、恐る恐る、その人に、こう聞いてみた。
「講演のための原稿を書くことはありますか」と。
するとその知人は、臆面もなく、こう言った。

「ぼくは、恥はカクけど、文はカカない」と。

 私は笑ったが、別の心ではこう思った。
「かえってこういう人の講演のほうが、おもしろいのかもしれない」と。
つまり私の講演は、おもしろくない。
自分でも、それがよくわかっている。
 
●政治家のトチリ

 よく政治家が、トチる。
少し前は、東京の石原氏(都知事の息子氏)が、こう言った。
「(今の日本は、原発問題で)、集団ヒステリーになっている」と。

 大問題になるかと思っていたが、そのまま沈静化してしまった。
平たく言えば、今は、それどころではない。
石原氏の言葉どころではない。
集団パニックになってもおかしくない。
つまりそんな言葉にいちいち目くじらを立てているばあいではない。

 夏から冬にかけて風向きが変われば、東京にさえ人はだれも住めなくなる。
そういう現実が、ヒシヒシとそこに迫っている。

 ……とまあ、石原氏は、言葉でトチった。
文を書いていないと、そういうトチリが多くなる。
言い換えると、そういうトチリと防ぐためにも、文を書く。

●伊豆長岡

 今、私は三島市での講演を終え、伊豆箱根鉄道の電車の中にいる。
ローカル線。
伊豆長岡で、もうすぐ下車。
今、「大場(だいば)」という車内アナウンスがあった。
「あと、(駅は)いくつぐらいかなあ」とワイフに話しかける。
ワイフは時計を見ながら、「あと少しね」と。

 電話で問い合わせたとき、旅館の女将は、「三島から20分くらいです」と教えてくれた。
もしそうなら、あと5分……。

 反対側の座席では、高校生らしい男女が、意味のわからないことを話しつづけている。
遠い昔、私もそうだった。
楽しそうだった。

今「伊豆仁田(にった)」という駅に停まった。
何人かの男女がおりた。
座席が、がらりと空いた。

西側から白い日差しが車内に流れ込んできた。
先ほどネットで知ったが、福井地方では33度を超えたところもあるという。
沖縄では、熱中症で死んだ人もいるという。
先日「沖縄へ避難しようか」という話もした。
しかし夏の沖縄も、考えもの。
寒いのもいやだが、暑いのもいや。

 なお、三島でタクシーの運転手に聞いたが、三島でも、原発事故は、どこ吹く風だそうだ。
「お茶? だれも心配などしてませんよ」と。
それを聞いて、私はへんに安心した。
事実を積み重ねれば、心配して当然。
しかしそれも限度を超えると、どうでもよくなってしまう。
運転手の話を聞きながら、『茹(ゆ)で蛙』理論を、私は、思い浮かべていた。

●伊豆長岡温泉・正平荘

 正平荘……まさに一級和風旅館だった!
京風割烹旅館とある。
これほどの旅館は、そうはない。
評価をつけろと言われたら、文句なしの5つ星、★★★★★。
料金の問題もあるが、この旅館に泊まって、文句をつける人は、まずいない。
つまり大満足!
来てよかった!

 「京風」とあることからもわかるように、「これが京都」と思わせる料理ばかり。
伊豆の長岡にいて、京風料理。
2倍、楽しめる。

 町中の温泉だから、露天風呂にしてもそれなりの制約はある。
が、昔でいうなら、武士が泊まるような旅館。
坂本竜馬でも勝海舟でもよい。
造りも本気度も、100点。
こだわり度も、100点。
男性トイレの前には、和紙まで敷いてあった。
和紙を敷いたトイレを見たのは、生まれてはじめて。

 ……露天風呂では、千葉市から来ていた家族といっしょになった。
「大都会ですね」と声をかけると、「浜松だって、大都市ですよ」と。

私「いやいや、千葉市と比べたら、田舎町。比較になりません」
男「ここへ、どうやって来ました」
私「新幹線で来ました」
男「私たちは車で来ました」
私「久々に、いい旅館に泊まりました」
男「そうですねえ。いい旅館ですね」と。

●夕食

 夕食はみな、「お食事どころ」という部屋でとった。
ひとつずつのブースが、色の濃いすだれで仕切られていた。
ローソクのような淡い光が、眠気を誘う。
そんなとき、ワイフがこう言った。

「京料理は、味が薄いのよ」と。

 本当のところ、私は京料理というものを、知らない。
生涯にわたって、舞妓さんがいるような部屋で食事をしたのは、ただの一度だけ。
商社マンのときのことだった。
が、何を食べたか、覚えていない。
当時の私は、今でもそうだが、料理にはあまり興味がない。
腹がふくれれば、それでよい。

 が、正平荘の料理は、おいしいというより、珍しかった。
ワイフと2人で、ああでもない、こうでもないと言っているうちに、2時間半も過ぎてしまった。

 2時間半!

 時計を見て、驚いた。

●朝食

 朝食は9時からという。
いつもの旅館だと、7時前後〜から。
正平荘から伊豆長岡駅まで、タクシーで5分。
そこから三島駅まで、電車で20分。
三島駅から浜松まで、新幹線で、1時間30分。

 昼間での仕事に間に合うか?
やや心配になってきた。

 こういう時期だから、この長岡温泉も、不景気とか。
旅館の皆さんには申し訳ないが、客の私たちには、うれしい。
今朝も、広い浴室で、たった一人、のんびりとくつろぐことができた。
気持ちよかった。

 近く、隣町の韮山町で別の講演会がある。
そのときは修善寺温泉に泊まる予定。
伊豆の踊り子でよく知られた、修善寺温泉!
たびたび行ったことがあるが、いつも旅館でハズレ。
が、今は、ネットで口コミを調べながら、宿を選ぶことができる。
この正平荘にしても、口コミ評価は、4・5(Jサービス)。
4・5というのは、めったにない。

 「京風料理」を楽しむなら、この正平荘がよい……?

●地震(6月23日)

 明けて、6月23日。
テレビのニュースでは、岩手県沖の地震の速報を流している。
近くの町で、震度5弱の震度を観測したとか。
マグニチュードは、6・7。
午前6時51分ごろだったという。
そのとき私は1人、温泉につかっていた。
揺れはまったく感じなかった。
 
 ネットで調べると、福島原発での汚染水処理は、進んでいないという。
心配というより、不安。
ジワジワとした不安。
心の壁に張り付いた不安。
がん検診で結果を待つときのような不安。
イヤ〜ナ気分。

 昨日もワイフとこんなことを話し合った。
「もし風向きが変わり、放射線物質がこちらに向かうようになったら、逃げよう」と。  
私たちは何もできない。
ただひたすら逃げるだけ。

●中国経済

 ここにきて中国経済が、急速にきしみ始めている。
ご存知の方も多いと思うが、あの国では、地方政府まで住宅投資に狂奔している。
その住宅価格が、今年に入ってからだけでも、20%近く急落している(主要都市)。
が、日本のバブル経済のときもそうだったが、こういうばあい、「慣性の法則」(経済用語)が働
く。
ブレーキが利かなくなる。
政府の抑止政策は無視。
そのままの状態で、民衆は「行け、行け」心理で、突っ走ってしまう。
これがこわい。
バブル経済がはじけたとき、被害を大きくする。
莫大な不良債権が残る。

 オーストラリアの友人(中国研究専門)は、こう言っている。
「古い家のように、やがて崩壊するだろう」と。

 が、今ここで中国経済が崩壊すれば、その影響は、ドバイショックのときの1000倍になると
も言
われている(某経済誌)。
「1000倍」と聞いてもピンとこないが、たいへんなことになる。
日本にもたいへんな被害が及ぶ。
こういうときだから、余計に心配。
そうでなくても、日本経済は青息吐息。

●伊豆長岡温泉

 せっかくこんなすばらしい温泉に来ているのだから、もう少し伊豆長岡温泉の話をしたい。
泉質は、透明。
手でこすってみると、ヌルヌルした感じ。
このあたりの温泉は、みな、そう。
海の水が深くしみこんで、そこで温泉となって、再び陸に噴きあがってくる。
私は勝手に、そう想像している。

 若いころは食事がすむと温泉街へ繰り出したもの。
が、今は、そんな元気はない。
部屋でテレビを観たり、ビデオを観たりして、過ごす。
私のばあいは、こうしてパソコンで文を書いて過ごす。
だからというわけでもないが、通りのみやげもの屋は、元気がない。
この温泉街にかぎらない。
どこの温泉街も似たようなもの。
愛知県のN温泉では、ほとんどのみやげもの屋が、シャッターをおろしていた。

 となると、やはり料理と温泉。
この2つで旅館のよしあしは決まるということになる。
が、ここでまた問題。

 若い人には、京料理のよさはわからないだろう。
一方、私たち中老人には、量が多すぎる。
そのあたりのかねあいが、むずかしい。

●中老人

 たった今、「中老人」という言葉を使った。
英語では、「ヤング・オールド・マン(Young Old Man)」という。
老人というほどの老人ではないが、しかし老人予備群。
ほどほどに健康だが、しかしみな、何らかの故障をかかえている。
旅行をする元気は残っているが、観光地を歩き回るほどの元気はない。
中途半端な老人だから、「中老人」。
年齢的には65歳前後〜70歳前後か。
日本人のばあい、自分を老人と自覚するようになるのは、75歳前後と言われている。

 その75歳まで、あと12年。
おとといも、市内で金融業を営んでいる知人と話した。
私と同年齢(?)だが、その知人もこう言っていた。
「どう生きるかということよりも、どう死ぬかということのほうを、先に考えてしまう」と。
暗い話だが、それは事実。

知「放射能なんて、こわくありませんよ」
私「そう、死ぬのはこわくない」
知「もういつ死んでもいいですよ」
私「でもね、放射線障害は、即、骨に入りますから、痛いそうですよ」
知「……?」
私「ふつうの痛さではないらしい」
知「それもいやだな。やはりピンコロかな?」と。

●講演

 メールを開くと、昨日の講演会の主催者の方から、メールが届いていた。
「大好評」という文字が、大きく私の目にとまった。
うれしかった。
私としては、時間が足りなく、中途半端な講演会だった。
あちこちを端折った。

 が、そういうときというのは、そのつど罪の意識を感ずる。
どうしてもまちがった印象を与えてしまう。
本来ならじゅうぶん時間をかけて説明しなければならない。
それを途中で、切り上げてしまう。
その無念さは、たぶん、ほかの世界に住んでいる人たちには、理解できないかもれない。

 I校長、Wさん、みなさん、どうもありがとうございました。
たいへん気持ちよく講演をすることができました。

●正平荘の中庭

 9時からの朝食を待ちながら、中庭に面したテラスで、今、この文を書いている。
日本庭園がすばらしい。
左横には、小さな池があって、銀色の鯉が泳いでいる。
その池から左へ順、よく手入れされた庭木が、ずっと右側につづいている。
苔の生えた大きな岩、10層近くもある石灯篭。
ツツジ、サツキ、山法師、万作などなど。
目の前にはしだれヤナギが、長い枝を下へ垂らしている。

 風呂から出たばかりで、風が心地よい。
空は厚い雲でおおわれているが、その下の隙間から、ひんやりとした風が、左から右へとかけ
ぬけてい
く。
横にいるワイフはこう言った。
「やはりここは京都ね」と。

●睡魔

 うっとりとした睡魔が襲ってきた。
目を閉じれば、このまま眠ってしまいそう。
……どこかで横になりたい。
ふとんの上がよい。
このけだるさ。
この静けさ。

 ……
 ……

 眠い。
ただひたすら眠い。
朝食まで、あと10分。
先ほどワイフがタクシーの予約をすませた。
あとは朝食を軽く取って、帰るだけ。
そうそう義兄とNさんに、みやげを買わねばならない。
どうしようかと迷ったとことで、思考停止。

●新幹線の中で

 みやげは、駅前のコンビニから送った。
その間にワイフは、何か、飲み物を買った。
よい講演会だった。
よい旅行だった。
ほんわかとした満足感が、心地よい。

 旅館を出るとき、仲居さんに「YOUTUBE」に動画を載せますよ」と言うと、みなが、うれしそ
うに笑ってくれた。
手を振ってくれた。
「宣伝しておいてくださいね」と、Hさんという仲居さんが言った。
若くて、美しい人だった。
目が印象的だった。
ハーフかな?

 どういうわけか、伊豆へ来るたびに、伊豆の踊り子がダブる。
学生時代に、川端康成の『伊豆の踊り子』を読んだ。
それが、それほどまでに強烈だったということか。
それが60歳を過ぎた今も、そうだ。
脳裏から離れない。
だからタクシーに乗って手を振ったときも、Hさんという仲居さんが、その踊り子に思われた。
ふと、切なさが、身にしみた。

●不完全燃焼

 ……こうして日々は、何ごともなかったかのように流れていく。
と、書くと、今回の旅行記は、おしまいということになってしまう。
しかしまだ何か、名ごり惜しい。
すべてを書いていない。
書きたいことは、そこにある。
が、それがうまく吐き出せない。
何だろう?
どうしてだろう?
脳みそが不完全燃焼を起こしている。

 あんなすばらしい旅館に泊まりながら、書くことといえば、ありきたりなこと。
もったいないというより、自分が情けない。

 満ち足りたときというのは、そういうものか。
あるいはただ単に、眠いだけなのかもしれない。
あえて言うなら、こういうこと。

 恨みや怒りは、人間性を腐らす。
「人間性を崩壊させる」と説く人もいる。
免疫細胞がカイトサインというホルモンを分泌する。
それが脳内ストレスを引き起こす。
それがあらゆる部分に影響する。
「八つ当たり」という言葉も、ある。
が、それだけではない。
脳内ストレスは、免疫力を低下させる。
精神を腐らすだけではない。
肉体をも腐らす。

 今回の講演旅行は、そういう点では、たいへんよかった。
気分を刷新することができた。
恨みも怒りも消えた。
消えたというより、それ以上に強い力が、私を前向きに引っ張り始めている。
「くだらない人間は、相手にするな}と。

●心の整理

 冒頭で、知人の定年離婚について書いた。
が、この問題は、離婚だけの問題ではない。
私たちはいつも、似たような選択に迫られる。
似たような行動を取る。
心の整理をするときは、いつもそうだ。

 少しずつ、ひそやかに、かつ一歩、一歩、準備する。
とくに「死」を意識しているわけではないが、それでも準備する。

 数日前も、息子に、ラジコンの戦車をあげた
その前には、生徒たちに今までもらったバッジやメダルをあげた。
どんどん身の回りから、モノが消えていく。

 そう、モノには、不思議な魔力がある。
物欲にとらわれると、ときとしてニコチン中毒やアルコール中毒に似た症状を示すことがある。
線条体に受容体ができると、反射運動的に、それを求めるようになる。
買い物症候群もそのひとつ。
ためこみ屋の人が、モノを家にためこむのも、そのひとつ。
物欲には、そんな魔力がある。

 その物欲と闘う。
そのもっとも簡便な方法が、「くれてやる」ということになる。

 人生は短い。
時間がない。
できるだけ早く物欲と決別しなければならない。

●浜松

 結局、たいしたことは書けなかった。
つまらない旅行記。
このまま家に帰ったら、1時間ほど、昼寝。

 横を見ると、ワイフは寝息を立てて眠っていた。
「あなたも座ったまま眠る練習をするといいわよ」と。
勝手なことを言っている。

 正平荘。
すばらしい旅館でした。
タクシーの運転手もそう言っていた。
「正平荘は、このあたりでも上級です」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし
浩司 正平荘 伊豆長岡温泉 伊豆長岡 正平荘)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
●珍・事件?

++++++++++++++++++++

保安院の西山審議官が、時の人になった。
原発事故の解説者となった。
どこかドリフターズの加藤茶氏に似ている。
どんな深刻な事態になっても、笑い顔を絶やさない。

++++++++++++++++++++

 
●キジも鳴かずば、撃たれまい

 まことにもって、珍事件。
笑えるほどの、珍事件。
あの笑い顔の西山審議官の不倫が発覚した。
某週刊誌がそれをフォーカスした。
が、それはそれ。
私はその記事を読んだとき、こう思った。
『キジも鳴かずば、撃たれまい』(石川県の民話)と。
へたに鳴くから、居場所を知られ、人に撃たれる。
西山審議官もその1人。

 福島原発事故がなければ、西山審議官も表に出てくることはなかった。
へたに出てくるものだから、時の人になってしまった。
週刊誌にフォーカスされてしまった。
が、それが珍事件というわけではない。
そのあとが、その珍事件。
まず、MSN産経ニュースを読んでみてほしい。
 

 
*************以下、MSN産経ニュース*************
 

福島第1原発事故で経済産業省原子力安全・保安院の広報担当を務める西山英彦審議官は
23日、一部
週刊誌に自身の女性問題が報じられたことを受け、海江田万里経済産業相から同日朝、厳重
注意を受け
たことを明らかにした。

広報担当に変更はないといい、西山審議官は会見で「記事が出ること自体、私の至らなさを示
している。
深く反省し、身を正して参りたい」と陳謝した。 
MSN産経ニュース(2011年6月23日より)


(珍事1)

どうしてたかが(私事中の私事)というべき、不倫について、海江田万里経済産業相が、
西山審議官を厳重注意したのか。
審議官職という職業は、聖職なのか。
聖職でなければならないのか。

(珍事2)

西山審議官は、どうして、「記事が出ること自体、私の至らなさを示している。深く反省し、
身を正して参りたい」と陳謝したのか。
この弁を裏から読むと、「運が悪かったのは、私の不覚」という意味になる。

●不倫

 大臣ともあろう方が、どうして審議官の一私事について、厳重注意するのか。
私事は私事。
公務とはまったく関係ない。

 つぎに西山審議官が、家庭で、妻に対して、「身を正して参りたい」というのはわかる。
が、どうして世間に向かって、「身を正して参りたい」のか。
身を正すということは、どういうことなのか。
不倫といても、中には、本気のものもある。
妻との離婚を前提に、不倫している人も、これまた多い。
不倫をしたからといって、即、「悪」ということにはならない。

 西山審議官は、妻の信頼を裏切った。
それだけの痴話話である。
そんな話なら、ゴマンとある。
不倫は別として、(どうして不倫が悪なのかという定義もあいまいだが)、そんな程度の裏
切り行為なら、みなしている。
私もしている。
あなたもしている。
この世に、聖人など、いない。

 あるいは大臣で不倫をしていない人など、いるのか。
そういう点では、西山審議官は、運が悪かった?
たったそれだけのこと。
が、大臣が「厳重注意」した。
言い換えると、「これからは隠れて、もっとうまくやりなさい」と。

 色恋沙汰は、注意されたくらいでは、止まらない。
最近にない珍事件なので、コメントしてみた。

(付記)

 むしろ許せないのは、偽善者たち。
名声と知名度を利用し、平和なときには、難民救済活動の先頭に立ったりする。
その実績もなければ、それを支える周囲活動もない。
ある日突然、聖人になりすます。
が、今回の震災を見ろ。
そういう連中にかぎって、まさに音無の構え。
どうしてもっと、そういう偽善者たちをマスコミは追及しないのか。
叩かないのか。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2011−06−20

++++++++++++++++++

USAに住む息子から父の日の祝いが届いた。
知らなかった。
忘れていた。
昨日がその日だった。

++++++++++++++++++

●オーストラリア人のジョーク

1日で死にたかったら、ドイツの野菜を食べなさい。
1週間で死にたかったら、中国のペキン・ダックを食べなさい。
1年で死にたかったら、静岡のお茶を飲みなさい。

 オーストラリアでは、すでにこんなジョークが飛び交っている。

 静岡県側は、「(静岡産の製茶については、工場からの)要望があったら調べる」などと、
アホなことを言っている。
しかし要望など出す製茶工場はない。
つまり「放射能検査はしない」と。

 どうぞ、ご勝手に!
こうして静岡県茶は世界の信頼を失う。
相手にされなくなる。
全世界から輸入禁止処分になるのは、時間の問題。

●報道機関

 報道は何のためにあるのか?
新聞社やテレビ局は、何のためにあるのか?

 このところ新聞やテレビがおもしろくない。
くだらない、どうでもよいようなニュースばかり。
とくに新聞がつまらない。
世界から配信されてくるニュースを、そのまま載せているだけ。
だからどの新聞を読んでも、似たような記事ばかり。

 どうして新聞社やテレビ局は、独自の取材、調査をしないのか。
たとえばフランスで基準値を2倍も超えた放射線量の静岡県茶が発見された。
私が編集局長なら、即座に特派員をフランスに送る。
事実を確認する。

 その力さえないのか。
取材費をケチっているのか。
今、何を報道すべきか。
それを考えたら、おのずと優先順位は決まってくるはず。

 各地の放射線量にしても、そうだ。
文科省の測定記録をそのまま載せるだけ。
「混乱を招くから、独自には発表するな」という趣旨の法律はあるらしい。
しかしこの問題は、地域住民の生命に直結している。
政府の反対を押し切ってでも、独自で測定すべき。
それを新聞に載せるべき。
テレビで報道すべき。

 アーア、かくして5年後の被災者が増大する。
10年後の被災者が増大する。

●大本営発表

 福島第一原発の事故現場では、目下、懸命の事故処理がつづいている。
そういうところで働いている方たちには、頭がさがる。
本当にさがる。
が、事故は、そうした処理作業でできる範囲と程度を、はるかに超えている。
「問題」は、3月11日以来、何一つ、解決していない。
むしろ事態は日々に、悪化している。
仮にもしここで、やや大型の地震にでも見舞われたら、万事休すx2!

 すでに放射能汚染は千葉県にまで及んでいる。
千葉県全体がX線レントゲン室のような状態になっているとか。
(取手市、流山市における測定値は、4万ベクレル=約1キューリー強。
この値は、X線レントゲン室内の数値に、ほぼ等しい。)
文科省の測定結果では、ずっと平常値のままだったはずの静岡県ですら、製茶から100
0ベクレル(基準値の2倍以上)もの放射線が観測されている(フランス)。

 何もそれを望むわけではないが、では今までの文科省が発表していた測定値は何だった
のかということになる。
あるいはこれを「大本営発表」と言わずして、何と言う。

●避難(evacuation)

 昨日、ワイフと真剣に話し合った。
もしこれ以上、放射能汚染が広がってくるようであれば、とりあえずオーストラリアへ避
難しよう、と。
「とりあえず」というのは、観光ビザ限界の、3か月。
それ以後は、様子を見て、行ったり来たりすればよい。
つい先週も、オーストラリアの友人に、メールでこう書いた。

「こんな形で、40年来の夢がかなうなんて、皮肉な話だ」と。

 が、私にはそれができなかった。
実家の問題が、深くからんでいた。
が、今ならできる。
数年前、兄と母が他界した。
実家も処分した。
やっと私は身軽になった。
移住しようと思えば、いつでもできる。

 が、「非国民」という後ろめたさがないわけではない。
しかしこの問題だけは、私個人ができる範囲と程度を超えている。
今の今も、多くの人たちが福島県内に残っている。
もちろん避難した人たちも多い。
が、私が福島県の人たちに、「早く逃げなさい」と言うのと同じように、オーストラリアの
友人たちは、みな、こう言う。
「早く、オーストラリアへ逃げてこい」と。

 今さら余分に長生きしたいとは思わないが、不安な毎日を送るよりは、よい。

●汚染予想図

 ドイツ、イギリス、ノルウェー、台湾の政府機関が、独自の放射能汚染地域の予想を発
表している。
もちろん日本の気象庁も発表している。
それらの予想地域と汚染度は、まちまちだが、ひとつだけはっきりしていることがある。
放射能汚染は、100キロ単位で広がるということ。
チェルノブイリ事故のときは、500キロ単位で広がっている。
(ちなみに福島第一原発から浜松市までは、420キロ前後。)

 が、そうした情報はネット上で、よほどていねいに検索しないと、目にすることはでき
ない。
が、ただひとつ今まで幸運だったことは、風向きがよかったということ。
太平洋に向け、北寄りに風が吹いていた。
……と書いても、説得力はない。
イギリス、台湾の政府機関が発表した「放射性物質の拡散予想図」を、ここに収録する。
(ほかの国のは、ファイル形式が特殊なので、収録できず。)

(イギリス)2011年6月18日
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/63/imgf4b34c2azik1zj.gi
f" width="587" height="730" alt="イギリス.gif">

(台湾)2011年5月3日
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/64/img42aff82fzik9zj.pn
g" width="1027" height="771" alt="台湾.png">

(日本)2011年5月23日〜26日
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/65/imgce9710c3zikazj.gi
f" width="600" height="768" alt="日本.gif">

●我が身は自分で守る

 もう10年になるだろうか。
イタリア人の友人が、こんなメールをくれた。

「イタリアへ来る日本人観光客には、2種類ある。
ひとつは、旗をもったガイドを先頭に、ゾロゾロと歩いてついて歩く日本人。
これは高齢者に多い。
もうひとつは、数人のグループで行動する日本人。
これは若者に多い」と。

 ときにはみなとゾロゾロと歩くのも必要。
しかしときには、小さなグループで単独行動をするのも必要。
ケースバイケースだが、では、今は、どうすべきなのか。
実のところ、私は判断しかねている。

 オーストラリアへ行くといっても、簡単なことではない。
仕事も中断する。
帰国してからのことも、考えなければならない。
健康問題もある。
ワイフは、ああいう女性だから、どこかうれしそう。
先ほども少しその話をすると、「行きましょう」「行きましょう」と。

 どうしてああまでノー天気なのだろう。
認知症が始まっているのかもしれない(?)。
が、どうであれ、自分の命は、自分で守る。
それしかない。

6月20日
おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●6月21日(はやし浩司 劇団たんぽぽ)

●劇団たんぽぽ

 今日は雨。
湿った空気を嫌う人も多い。
が、私は好き。
家の前には小さな森があり、
そこからひんやりとした冷気が流れてくる。
雨が木々の葉を叩く音に混ざって、小鳥の鳴く声も聞こえる。
しばし目を閉じ、その鳴き声に聞き入る。

 遠い昔。
学生だったころ。
ヒッチハイクをしながら、この浜松市を通り抜けたことがある。
拾ってくれた車が、劇団たんぽぽの車だった。
車というより、マイクロバス?
そのこき、「うちへ寄っていけよ」という話になったのだと思う。

 広い通りを右に曲がり、田舎の小道を走り抜けていくと、そこに事務所があった。
7〜8人の男女が、忙しそうに立ち回っていた。
時期は忘れたが、白い日差しが、舞台装置で使う板などを、明るく照らしていた。
そうそう途中、左手に神社があったのを記憶している。
何かののぼりが、何本か立っていた。
その神社の前を右へ。
細い田んぼのあぜ道だった。
そのすぐ先に劇団たんぽぽの事務所があった。
その事務所で、私は昼ご飯を食べさせてもらった。

 今から思うと、そのときその向こうで何やら話しかけてくれたのが、劇団の長だった、
小百合葉子という名前の女性の方だった。
やさしい人だった。
強く印象に残った。

 で、そのあと何年かして、私は浜松に住むようになった。
今のワイフと結婚した。
私は真っ先にその劇団たんぽぽに向かった。
一宿一飯の世話になった。
その礼を言いたかった。
が、そのあたりは、すっかり様変わりをしていた。
道路は整備され、自動車屋がずらりと並ぶ大通りになっていた。
あるはずの神社すら、私は見つけることができなかった。

 遠い昔の話。
が、あの小屋の様子は、今でも強く心に残っている。
みな、楽しそうだった。
目を閉じると、あの日のことが、たった今見た夢のようによみがえってくる。
なつかしいというより、切ない。
あの温もり。
あの暖かさ。

 ずっとあとになってわかったことだが、劇団たんぽぽは、そのあと事務所を別の場所に
移したという。
またあのとき私の世話をしてくれた小百合葉子さんは、今は、もうこの世にいない。
「起きたら、今朝は劇団タンポポを調べてみよう」と、そのとき思った。

【劇団たんぽぽ】

 今ではネットで検索すれば、何でも簡単に調べられる。
ときに、この手軽さがこわくなることもある。
以前なら、そのつど図書館に足を運ばねばならなかった。
「劇団たんぽぽ」も、すぐ見つかった。

http://www.gekidan-tanpopo.com/ayumi/index.html

 このホームページのトップで、腕で丸を描いているのが、小百合葉子さんである。
私が会ったときは、もう少し若かったような気がする。
デスクの前に立ち、まわりの人たちに、あれこれと指示を出していた。
キビキビした言い方だった。
私に向かっては、「昼ご飯は食べたの?」「食べて行きなさい!」というようなことを言っ
たと思う。
その場にいただれかに、私の食事の用意をさせた。

 白いご飯と、赤味噌の味噌汁。
事務所の中央にあったテーブルで、それを食べた。
ほかにも何品かあったように記憶しているが、それは思い出せない。
私はその日の午後、また別の車を拾い、伊豆半島へ向かった。

 私は目を開くとき、ふと「ありがとう」と、声を漏らした。
そのまま時計を見ると、針は午前7時を示していた。

(付記)

 古い人間と思われるかもしれない。
しかし私は一宿一飯の世話になった人には、その何倍ものお返しをすることにしている。
それが私の流儀。
が、あの劇団たんぽぽにも、また小百合葉子さんにも、礼はしていない。
それが今となっては、悔やまれる。
いや、一度、偶然、劇団たんぽぽの事務所を見つけたことがある。
何かの用で、その近くまで行った。
が、そのときすでに小百合葉子さんは、この世の人ではなかった。
劇団たんぽぽのホームページを見ると、『1986年、小百合葉子は84歳でこの世を去りまし
た』とある。

 1986年。
私が39歳のころ。
東洋医学の世界から足を洗い、教室(塾)も、ほぼ倒産状態にあった。
私にとっては、いちばん苦しい時代のころだった。
新聞か何かで、小百合葉子さんが亡くなったということは知ったが、そのままになってし
まった。

 ごめんなさい!
プラス、劇団たんぽぽのみなさん、ありがとう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 劇団たんぽぽ 小百合葉子)


+++++++++++++++++++++++

●原発事故

 30分の運動を終え、テーブルに座る。
新聞を読む。
あちこちで復旧作業が始まっている。
ある幼稚園では、土の入れ替え作業をしているという。
また見舞金も、1人10万円と決まったという。
が、残念なことに、本当に残念なことに、原発の事故現場では、何一つ問題は解決してい
ない。
「あれをしています」「これをしています」という声は聞こえてくる。
しかし肝心の原子炉は、穴があいたまま。
今の今も、猛烈な勢いで放射性物質が、空にまき散らされている。
モウモウと空にまき散らされている。

 イギリス政府の「放射性物質飛散予想図」を見ても、それがわかる。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/63/imgf4b34c2azik1zj.gi
f" width="587" height="730" alt="イギリス.gif">

 今はまだよい。
放射性物質は風に乗り、北東の方向に流れている。
しかし夏から冬にかけては、風向きが逆になる。
そうなったとき、この日本はどうなるか。
東京はどうなるか。

 放射性物資は、上空2000メートル近くまで上がり、風に乗って1000キロ近くま
で飛ばされる(上記、資料)。
すでに九州の唐津でも、放射性物質が観測されている(「週刊現代」)。
それを知れば知るほど、「まだその段階ではないのだがなあ」と思ってしまう。
つまり「復旧作業どころではないのだがなあ」と。

●3号機と4号機

 3号機はMOX燃料を使っている。
わかりやすく言えば、プルトニウムを使用している。
毒性はきわめて強い。
原子炉の温度が不安定なのは、そのため。

 また4号機には、1331本もの使用済み核燃料棒が保管されている。
その数は1号機〜3号機の核燃料棒の合計数とほぼ同じ。

1号機…… 292本
2号機…… 587本
3号機…… 514本、(以上、計1393本)
4号機……1331本

 もし4号機のプールが崩壊したら、……ゾーッ!
広島型原爆の何千倍もの放射能が、空中に飛び出ることになる。
去る5月13日に書いた原稿をそのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ……原子炉の中には、いったいどれだけの放射性物質があるのか。
それについても、同書は、くわしく解説している。
ほとんどの人は、たとえば広島型原爆と比較して、原子力発電所のそれは、
それほどたいしたことはないと考えている。

 しかしこれは誤解!
同書には、こうある。

「100万キロワットの原発が、1年間稼動した場合に燃えるウランの
量は、広島型原発のそれの1000発分ある。
2年稼動した場合には、2000発分、3年では原爆3000発分。
事故が起きれば、それだけの放射能が環境中に漏れ出ることになる」(「原発事故」宝島社・
P32)と。

 福島第一原発の発電能力は、計4696KW(川北英隆)だそうだ。

が、ウィキペディア百科事典によれば、
1号機……46万キロワット
2号機……78万キロワット
3号機……78万キロワット
4号機……78万キロワット

1〜4号機の合計、280万キロワット。
「原発事故」(宝島)によれば、福島第一原発の1〜4号機だけで、1年間稼動した場合に
燃えるウランの量は、広島型原発のそれの2800発分ということになる。

 が、政府はさかんに、「風評被害」という言葉を使う。
つまり「政府の言うこと以外は、信用するな」と。

 しかし実際はその逆。
風評のほうが、はるかに現実に近い。
近いばかりか、現実のほうが、はるかに深刻。
私たちが「予断」しているより、はるかに深刻。(5月13日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●広島型原爆の2800発分

 再度確認しておくが、福島第一原発の発電能力は、280万キロワット。
チェルノブイリで事故を起こした発電機の、約3倍。
世界でも最大級。

 1年間稼働しただけで、広島型原発の2800発分。
2800発分だぞ!
「安定している」などというのは、とんでもない話。
たまたま今は、風に守られている。
が、その風が、逆を向いたら、この日本はどうなるか。
3号機が崩壊したら、どうなるか。
4号機が崩壊したら、どうなるか。

 ことの深刻さが、少しでも理解できたら、ふつうの常識のある人なら、こう思うだろう。
「今は、それどころの話ではない」と。

(5月に、「4700発分」と書いたが、これは1機あたり100万キロワットで計算した
ため。)

●全力をあげて収束させてほしい

 「週刊現代」によれば、復旧・復興費だけで、60兆円もかかるという。
「そんなお金、どこにある?」とも。

 そうでなくても、日本経済は、崩壊寸前。
昨夜も、浜松市内で数店舗のレストランを経営している社長と話したが、その社長も、こ
う言っていた。
「飲食店が、悪いです」と。
「店舗数が多いこともありますが、それにしても、最悪の不景気です」とも。

 この浜松市にして、このあり様。
これからのことを思うと、気分は重くなる一方。
まず、原発事故を処理する。
それが第一。
今、日本がもつすべての技術と能力を、そこへ集中させる。
責任追及も原因解明も、つぎのつぎ。
そのまたつぎ。

 補償だの土の入れ替えだの、そんな話も、つぎ。
今はまだ、そんなときではない。
そんなときでないことは、イギリス政府が発表した、放射性物質の飛散予想図を見てもわ
かるはず。

 ……が、人々は、あたかも何ごともないかのように、笑い、しゃべっている。
日々はそのまま、いつものように流れてる。
この浜松では、福島第一原発事故など、どこ吹く風。
そんなふうに思っている人も多い。
それが悪いというのではない。
しかし今の私には、それが不気味なほどまでに不自然に思われてならない。
2011/06/21記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【指導の、「動」と「静」について】

●私の教室では、「動」と「静」を大切にしています。
活発に騒ぐときは騒ぐ。しかしひとたび作業に入ったら、水を打ったように
静かに作業をする。
そういったメリハリのきいたレッスンを大切にしています。
前半部と後半部を、10分のビデオにまとめてみました。

テーマは、「遊びながら教える漢数字」です。

(対象は、小学1年生のみなさん)



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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親が子どもを虐待するとき】

●虐待

 虐待の内容については、すでに様々な方面から考察がなされている。
肉体的な虐待(暴力的虐待)をふつう虐待というが、暴力(殴る、蹴る、叩く)に限らな
い。
精神的虐待(威圧、恐怖心を与える)、不作為による虐待(ネグレクト、無視、冷淡、無言)、
言葉による虐待(「死ね」「捨てる」)などもある。

様態はさまざまで、多くは虐待と意識しないまま、虐待する。
そのため親側に罪の意識が薄く、また多くは、「子どものため」と錯覚して虐待することも
多い。
一般的には、指導、しつけ、教育の範囲を逸脱し、子どもに肉体的、精神的苦痛を与え、
子どもの肉体および精神に、後に残る傷痕を残すような行為を虐待という(以上、はやし
浩司)。

●虐待の背景

 親が子どもを虐待するとき、その原因も多岐にわたる。
多くは親側の精神的欠陥、情緒的未熟性があるとみる。
さらに虐待は、世代連鎖しやすく、虐待する親自身が、子どものころその親に虐待された
経験をもっていることが多い。

 また育児ノイローゼから、うつ病を発症し、その結果として子どもを虐待するケースも
ある。
このばあいは、ささいなことで、カッとなり突発的に虐待に走るのが特徴。
行動に自制がきかず、子どもを殺す寸前までのことをする。
が、しばらくすると冷静になり、「○○ちゃん、ごめんね」と謝ったりする。

 ほかに子どもを自分の支配下に置き、思い通りにする(代償的過保護)、あるいは自己の
親としての存在感を訴えるために虐待するケースもある(代理ミュンヒハウゼン症候群)。

 さらに現在、子どもを愛せないと人知れず悩んでいる母親が、8〜10%いる(はやし
浩司・浜松市内で調査)。
母親自身の乳幼児期における母子関係の不在が原因であることが多いが、こんなケースも
ある。

 Aさんは子ども(男児)が幼稚園児のころ、離婚した。
夫がAさんと子どもを捨てて、家を出た。
で、そのあとしばらくしてからAさんは、子どもを虐待するようになった。
バットで子どもを叩きつけることもあったという。
理由を聞くと、「横顔が自分を捨てた夫そっくりだから」と。

 潜在意識の奥に潜む、憎しみが、虐待という形になって、具象化するケースも少なくな
い(以上、はやし浩司)。

 ほかにキレる子どもに準じて考えることもできる。
環境ホルモン説、脳の微細障害説など。

●精神的欠陥、情緒的未熟性

 精神的欠陥については、私は専門外なので、ここでは割愛する。
簡単に言えば、大脳の前頭連合野の自己管理能力に、何か問題があるとみる。
激情的に行動に走りながら、抑制が働かない。
そのため虐待も、狂乱的になり、暴力、暴言も過激なものになりやすい。
精神的欠陥によるものであれば、精神科での治療対象となる。

 また情緒的未熟性については、その親自身の乳幼児期の環境が影響していることが多い。
とくに母子関係の不全を疑ってみる。
基本的信頼関係の構築の失敗すると、いわゆるマターナル・デブルベーション(母子関係
不全症候群)を引き起こしやすくなる(注※1)。
子どもは、心豊かで、落ち着いた静かな環境で、心をはぐくむ。
そのどこかに欠陥があると、将来的に、マターナル・デブリベーションを引き起こしやす
い(以上、はやし浩司)。

●埼玉県T市のSKさんの相談

 埼玉県T市に住んでいるSKさんより、こんなメールが届いている(はやし浩司 20
11−06ー19)。
転載許可とあるので、そのまま紹介させてもらう。

【SKさんより、はやし浩司へ】

長女9歳のことで相談です。

お恥ずかしい話ですが、下の子が生まれた頃から上の子に対してイライラが募るようにな
りました。
手を上げることも多く、精神的に追い込むような言葉を言ってしまいます。
その上ピアノや勉強・・・と子どもの能力以上のことを求めてがんじがらめの状態。

徐々に子どもが激しいつめかみ・まつげや眉毛を抜く。
最近では、ぎゃーぎゃー泣き叫ぶというかわめきちらすし、ものを投げたり、話し合って
も矛盾したことばかり言います。

すべて私のせいで愛情不足・精神的においつめたせいだと思います。
学校では普段と変わらず生活しているようですが、家では異常な行動が多いです。

心が壊れてしまっていてこのままではいけないと、何とか自分が変わらなければ・・・と
思いながらもやはり娘に対しては怒りの感情が強く、なかなか自分の力ではどうしようも
ありませんでした。

そして色々調べる中私も小さいころから虐待を受け、アダルトチルドレンであると思うよ
うになりました。
カウンセラー?病院?どこを受診していいのかわからず、私は6月末からマイツリーの虐
待についてのプログラムを受けることにしました。

ただ子どもについてもこのままではいけないような気がして、どこかの機関を受診したい
のですが、なかなか傷ついた子どもを見て頂けるというか対処法がみつかりません。
色々検索して先生のサイトにたどりつきました。

どのような機関を受診すればいいのか? 対処法など教えていただけないでしょうか。
勝手な母親ですが、ご返答よろしくお願いします。

●マイツリー(My Tree)

 マイツリー・ペアレント・プログラムについては、いろいろなホームページで紹介され
ているので、そちらをご覧いただきたい。
(「マイ・ツリー」で検索をかければ、ヒットできる。)
私(はやし浩司)は、直接的には、知らない。

 すでにマイツリーでの指導を受けているなら、しばらくはそちらで指導を受けてみた方
がよい。
私自身は、ここにも書いたように直接的には、それがどういう内容のものか、知らない。

●SKさんの子ども

 SKさんのケースでは、子どもの症状から、子ども自身がかなりの恐怖心を日常的にも
っていることがわかる。
激しいつめかみ、まつげや眉毛を抜くといった、神経症による症状は、その代償的行為と
して、外に現れる。

ふつうこういうケースでは、子どもは、(1)極端に萎縮する、(2)極端に粗放化するの
どちらかの様態を取る。

 親の異常な暴力的威圧に、抑え込まれてしまったのが、(1)のタイプ、
それをはね返し、見かけ上たくましくなったのが、(2)のタイプということになる。
SKさんの子どもは、(2)のタイプ、つまり攻撃型と考えられる。
予後について言えば、(1)のタイプは、立ち直りがたいへんむずかしい。
(2)のタイプは、一見、扱いにくいが、立ち直りが早い。
その分だけ、生命力がたくましいということになる。

 で、こういうケースのばあい、子どもは「家族の代表」にすぎない。
子どもに何か、ふつうでない症状が現れたら、子どもに問題があるとみるのではなく、家
族(このばあいは、母親の育児姿勢)に問題があるとみる。
SKさんは、「子どもを治そう」と考えているが、逆。
まずSKさん自身を治す。
その結果として、子どもも治る。

●では、どうするか

 先にも書いたように、「マイツリー」という団体で指導を受けているなら、しばらくそち
らのほうで、いろいろな人たちの意見を聞いたらよい。
が、私自身は、メールの内容からして、SKさん自身の「心」に大きな問題があるとみる。
そのため、一度、心療内科を訪れてみることを勧める。

 それによって、子どもへのこだわり、うつ病的な症状は、かなり改善する。
SKさんが精神の安定を取り戻せば、子どもも、それに並行して、落ち着く。
9歳という年齢は、まだじゅうぶん取り返しのつく年齢である。
(思春期前夜から思春期に入ると、子どもの心の問題を解決するのが、たいへんむずかし
くなる。
人格の「核(コア)」が完成するためである。)

 つぎのようにアドバイスする。

(1)父親(夫)とはどういう関係なのか。
もし父親が近くにいるなら、父親の協力、理解が不可欠。
育児をひとりで背負わないで、よきパートナーとして、協力してもらう。
(このメールを見せるのもよい。)

(2)心療内科で安定剤を処方してもらう。
今ではこだわりを取り除く、すぐれた薬も開発されている。
ささいなことが気になり、それが爆発的に興奮状態につながるようであれば、うつ病も疑
われる。
適切な治療こそ、最善。

(3)自分の心の中をのぞく
SKさんは、自身の不幸な過去について、少し触れている。
そういう形で、自分をもう一度、客観的に見つめ直してみる。
自分がわかれば、つまりそれが原因とわかれば、あとは時間が解決してくれる。
(5年単位の時間はかかる。その覚悟はしておくこと。)

(4)子どもの神経症
9歳という年齢からして、まだじゅうぶん、間に合う。
ただし子どもへの薬物投与は、慎重に。
これは子どもの問題ではなく、SKさん自身の問題と考えること。
子どもは「代表」であり、「結果」でしかない。
また攻撃型に出ているという点からして、予後もよい。
あまり深刻に考えないこと。

(5)SKさんへ

 あなたはすばらしい母親です。
まず、そう考えてください。
ここまで自分を客観的にみつめ、また自分を改めようとする母親は、たいへん少ないです。
ただあなたには、あなたの、自分の意思ではどうにもならない問題をかかえています。
(SKさんのケースでは、マイツリーが提案しているような、プログラム的な指導で、改
善するとは、私は考えていません。
心だって風邪をひくときには、ひきます。
風邪をひいたら、病院へ行けばよいのです。)
だから自分を責めてはいけません。
どうしようもないのです。

 そのためにも、一度心療内科のドクターに相談してみるとよいでしょう。
私も仕事上、神経をすり減らすことが多く、精神安定剤を常用しています。
あとはイライラを、自分のしたいことで、解消しています。
それぞれの人にはそれぞれに合った解消法があります。
SKさんにもあるはずです。
やがてそれを見つけ、適当に発散する。
つまりこの種の病気(病気と決めつけて、ごめん!)は、治そうと思わず、うまくつきあ
えばよいのです。

 へたにがんばると、かえってストレスがたまってしまいます。

 あまりよい返事になっていないかしれませんが、いくつか原稿を添付しておきます。
どうか、参考にしてください。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※1)
 
●マターナル・デブリベーション(母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリエイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である(以上、はやし浩司)。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはな
い。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続
けた。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)
ようになり 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カ
ウンセラーの言葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安
等を感じます。電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立
ち直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋
り続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解
放されると信じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたり
ヒスっぽい奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対
して、心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と
思いこむ習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗す
る。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、
独特の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではな
い。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わっ
てきた。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになっ
ている。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育
の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、
それを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物
を、虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかっ
てきた。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこ
されたが、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デブリエイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)につ
いて、少し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物
を、虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわか
る。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかう
っとりとした表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子ど
ももいる。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないよ
うに!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持
することができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れ
ておく必要がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子
どもがいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、い
つも満足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに
関していえば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて
回る。
 「マターナル・デブリベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうな
のか?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは
難しい。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたか
もしれない。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があ
って、そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、
この「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性
が高い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろ
うか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易
なことではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうとい
うこともある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温
もりに関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン
(エンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デブリエイション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ホスピタリズム(追記)

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、
私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらって
きた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か
月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、
一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛
想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、
すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならな
い。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、
そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。
おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその
割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入っ
てこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言
ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤
解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ
以後、なかなか変わらないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、
親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許
すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つ
まり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬
は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子ど
もをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られてい
る。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりな
どのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合
わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快
活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい
人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、
どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自
分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れ
てしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだっ
たと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時
代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していく
と、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、
それがわかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えている
とき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家
庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが
問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかな
いことだ。たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回さ
れてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたか
ら、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世
代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆ
がんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることが
できるようになった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」
「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つま
り子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。
あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、
自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるという
ことではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることであ
る。またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは
時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いという
ことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの
自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 マターナルデブリエイション マターナル・デブリエ
イション 母子関係 母性愛の欠落 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨
界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後
期 自立期)

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●虐待

 ●虐待される子ども

++++++++++++++++

 カナーという学者は、虐待を次のように
定義している。

(1) 度の敵意と冷淡、
(2) 完ぺき主義、
(3) 代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、
愛情に根ざした本来の過保護ではなく、
子どもを自分の支配下において、思い
通りにしたいという、親のエゴに基づ
いた過保護をいう。

代償的過保護ともいう。

+++++++++++++++

                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で
幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震わ
せていました」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかっ
たのだろう。その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。(1)過度の敵意と冷淡、(2)
完ぺき主義、(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自
分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。代償
的過保護ともいう。

その結果子どもは、(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、(2)強迫傾向(いつも何かに強
迫されているかのように、おびえる)、(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができな
い)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の
子でした。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分そ
の男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、(1)親自身が障害をもって
いる。(2)子どもが親の重荷になっている。(3)子どもが親にとって、失望の種になっ
ている。(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、
の四つをあげている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、
殺す寸前までのことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも
深いキズを負う。学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動物の
ようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほう
がよい。教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単
ではない。父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、
殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。

あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを
戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるとい
う認識を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつ
か私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが
虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」という方法
もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。そ
のほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
虐待 虐待の定義 ホルネイ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●環境虐待

+++++++++++

虐待といっても、直接虐待と
間接虐待がある。

このほか、最近私は、環境
虐待という言葉を考えた。

+++++++++++

 虐待といっても、直接虐待と間接虐待がある。「間接虐待」という言葉は、私が考えた。
たとえばはげしい夫婦げんか、家庭騒動、家庭不和、家庭崩壊など。こういったものは、
子どもに対して直接的ではないにしても、子どもの心に大きな傷を残す。

 が、最近、こんな経験をしている。

 あるところにある母親がいる。年齢は、今年40歳を少し過ぎた。上の子どもが小学5
年生(男児)、下の子どもが小学2年生(女児)。

 母親は、結婚まもなくから、うつ病になった。うつ病には(こだわり)や(妄想性)は
つきものだが、その母親もそうだった。その母親のばあいも、ささいなことを気にして、
それを異常なまでに針小棒大に問題にした。

 あるときは、隣の浄化槽のポンプがうるさいからといって、夜中に、それを破壊してし
まったこともある。そのときは隣人が、その母親の病状を理解し、弁償程度で話がすんだ。
あるいは、家の近くの駐車場を借りているのだが、その駐車場で隣の車が、自分の車に傷
をつけたと騒いだこともある。

 見ると、ほんの数ミリにもならないすり傷だったのだが、その母親は、隣に駐車してあ
った車のドアが当たったと主張した。このときは、警察官まで呼んで、実地検分までした
という。

 そういう母親だから、家庭の中では、どんな母親か、容易に察しがつく。数週間の間、
家の中に引きこもったかと思うと、今度は突然、手芸の店を開くといって、夫をあわてさ
せたりしたこともある。が、かわいそうなのは、2人の子ども。そのつど、その2人の子
どもは、そういう母親に引き回された。私が聞いた話に、こんなことがあった。

 2年生の子どもが、学校からテスト用紙をもらって帰ってきた。かけ算の九九のテスト
用紙だった。見ると、下3分の1程度の答が、ちょうど一列ずつ下へ、ずれているのがわ
かった。母親は、自分の子どもが、隣の子どもの答案を丸写しにしたと考えた。(実際、そ
うだったかもしれないが……。子どもの世界では、よくあることである。)

 そこで母親は、その子どもを問いつめた。しかった。が、それでは足りないと思ったの
か、その足で学校へ行き、「しっかりと監視していてほしい」と先生に告げた。

 そういう家庭環境だから、上の子ども(小5男児)は萎縮してしまった。ハキがなく、
母親の前では、いつもオドオドしていた。一方、下の子ども(小2女児)は、やや粗放化
した上、虚言癖をもつようになった。こんなことがあった。

 ある日、突然、その母親が学校の職員室に飛び込んできた。そして大声でこう怒鳴った。

 「○○先生が、うちの娘を殴った。何とかしろ!」と。

 それを聞いた教頭が、授業の途中だったが、担任の先生を呼び、事情を聞いた。しかし
担任の先生には、まったく身に覚えがなかった。ほかの子どもの頭を手で、あいさつがわ
りに軽くたたいたことはあるが、その子どもには、なかった。

 それを話すと、その母親は、「うちの娘は、嘘をつかない」「あなたはうちの娘を、嘘つ
きと言うのか!」と。さらに大声で怒鳴ったという。

 結局、この話、つまりその先生がその子どもを殴ったという話は、その子どもの作り話
とわかったという。その前日あまりにも忘れ物が多いので、、その先生が、その子どもにこ
う言った。「今度、忘れ物をしたら、君のお母さんに電話するよ」と。そこでその子どもが
先手を打つ形で、先生の悪口を言った。それが「殴った」という話になった。

 こうした症状はともかくも、母親がつくる家庭環境が、子どもの心に大きな影響を与え
ていることは、明白だった。虐待という虐待ではないかもしれないが、それに近い影響を
与えていた。そこで私は、こうした虐待を、「環境虐待」と呼ぶことにした。

 子どもの立場からして、心静かにくつろげる環境がない。家庭が家庭として、機能して
いない。情緒が不安定な母親に、そのつど、生活が乱される。程度の差もあるが、こうし
た家庭環境も虐待に準じて考え、ひどいばあいには、子どもの隔離ということも考える。

 虐待といっても、内容、程度は、さまざま。子どもの体に直接危害を加える、「直接虐待」
にしても、虐待を加える親にしても、始終、虐待を加えているわけではない。ふだんは、
むしろやさしく、思いやりのある親であることが多い。(もちろん日常的に虐待をしている
親もいるが……。)

 週に1度とか、月に2、3度とか、そのときの親の気分に左右されて、子どもを虐待す
る。しかしそれでも子どもの心に大きな傷跡を残す。そういうことも考えると、ここでい
う環境虐待のほうが、ずっと質(たち)が悪い。そういう前提で、考える。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
間接虐待 直接虐待 環境虐待)

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間接虐待について、以前
書いた原稿を添付します。

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● 間接虐待

 直接虐待を受けなくても、まわりの騒動が原因で、子どもが、心理的に、虐待を受けた
のと同じ状態になることがある。これを私は、「間接虐待」と呼んでいる。

 たとえばはげしい夫婦げんかを見て、子どもがおびえたとする。「こわいよ」「こわいよ」
と泣いたとする。が、その夫婦には、子どもを虐待したという意識はない。しかし子ども
は、その恐怖感から、虐待を受けたときと同じキズが、心につく。これが間接虐待である。

 というのも、よく誤解されるが、虐待というのは、何も肉体的暴力だけではない。精神
的な暴力も、それに含まれる。言葉の虐待も、その一つである。言いかえると、心理的な
苦痛をともなうようであれば、それが直接的な虐待でなくても、虐待ということになる。

 たとえば、こんな例を考えてみよう。

 ある父親が、アルコール中毒か何かで、数日に1回は、酒を飲んで暴れたとする。食器
棚を押し倒し、妻(子どもの母親)を、殴ったり、蹴ったりしたとする。

 それを見て、子どもが、おびえ、大きな恐怖感を味わったとする。

 このとき、その父親は、直接子どもに暴力を加えなくても、その暴力と同じ心理的な苦
痛を与えたことになる。つまりその子どもに与える影響は、肉体的な虐待と同じというこ
とになる。それが私がいう、間接虐待である。

 が、問題は、ここにも書いたように、そういう苦痛を子どもに与えながら、その(与え
ている)という意識が、親にないということ。家庭内騒動にせよ、はげしい夫婦げんかに
せよ、親たちはそれを、自分たちだけの問題として、かたづけてしまう。

 しかしそういった騒動が、子どもには、大きな心理的苦痛を与えることがある。そして
その苦痛が、まさに虐待といえるものであることがある。

 H氏(57歳)の例で考えてみよう。

 H氏の父親は、戦争で貫通銃創(銃弾が体内を通り抜けるようなケガ)を受けた。その
ためもあって、日本へ帰国してからは、毎晩、酒に溺れる日々がつづいた。

 今でいう、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)だったかもしれない。H氏の父親は、
やがてアルコール中毒になり、家の中で暴れるようになった。

 当然、はげしい家庭内騒動が、つづくようになった。食卓をひっくりかえす、障子戸を
ぶち破る、戸だなを倒すなどの乱暴を繰りかえした。今なら、離婚ということになったの
だろうが、簡単には離婚できない事情があった。H氏の家庭は、そのあたりでも本家。何
人かの親戚が、近くに住んでいた。

 H氏は、そういうはげしい家庭内騒動を見ながら、心に大きなキズを負った。

 ……といっても、H氏が、そのキズに気がついていたわけではない。心のキズというの
は、そういうもの。脳のCPU(中央演算装置)にからんでいるだけに、本人が、それに
気づくということは、むずかしい。

 しかしH氏には、自分でもどうすることもできない、心の問題があった。不安神経症や、
二重人格性など。とくに二重人格性は、深刻な問題だった。

 ふとしたきっかけで、もう一人の人格になってしまう。しかしH氏のばあい、救われる
のは、そうした別の人格性をもったときも、それを客観的に判断することができたこと。
もしそれができなければ、まさに二重人格者ということになったかもしれない。

 が、なぜ、H氏が、そうなったか? 原因を、H氏の父親の酒乱に結びつけることはで
きないが、しかしそれが原因でないとは、だれにも言えない。H氏には、いくつか思い当
たる事実があった。

 その中でも、H氏がとくに強く覚えているのは、H氏が、6歳のときの夜のことだった。
その夜は、いつもよりも父親が酒を飲んで暴れた。そのときH氏は、5歳年上の姉と、家
の物置小屋に身を隠した。

 その夜のことは、H氏の姉もよく覚えていたという。H氏は、その姉と抱きあいながら、
「こわい」「こわい」と、泣きあったという。その夜のことについて、H氏は、こう言う。

 「今でも、あの夜のことを思い出すと、体が震えます」と。

 心のキズというのは、そういうもの。キズといっても、肉体的なキズのように形がある
わけではない。外から見えるものでもない。しかし何らかの形で、その人の心を裏からあ
やつる。そしてあやつられるその人は、あやつられていることにすら、気がつかない。そ
して同じ苦痛を、繰りかえし味わう。

 間接虐待。ここにも書いたが、この言葉は、私が考えた。

【注意】

 動物愛護団体の世界にも、「間接虐待」という言葉がある。飼っているペットを、庭に放
置したり、病気になっても、適切な措置をとらないことなどをいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【虐待と非行】

●非行の子ども、3割虐待経験(駐日新聞)

 全国の児童相談所で非行相談を受けた子どもの30%は、親などから、虐待されたこと
があり、ほぼ半数は、育つ途中で、養育者が代わり、親や家族らとの愛着関係を建たれる
経験をしていたことが、6月13日(05)、犬塚峰子、東京都児童相談センター治療行政
課長らの、厚生労働省研究班の調査で分かった(以上、中日新聞の記事より)。

++++++++++++++++++

 非行の内容

 男子……63%
 非行内容……盗み、家出、外泊
 
 こうした非行問題を起こした子どものうち、

 虐待を受けた子どもは、全体の30%。複数の種類の虐待を受けた受けた子どもが目立
ち、殴るなどの身体的虐待が、78%、ネグレクト(養育放棄)が、73%で、心理的虐
待が50%、性的虐待が32%。

 親が離婚したり、施設に預けられたりして、養育者が途中で代わった子どもは、47%
で、うち約4分の1は、3歳未満で経験。代わった回数は、1回が、66%、2回が、1
8%、3回は、11%いた。

 ドメスティックバイオレンス(DV)のある家庭で育った子どもが、全体の10%いる
ことも判明。

 攻撃性が高い、情緒不安定などの何らかの心理的・精神的問題をかかえる子どもは、8
5%おり、虐待経験のある子どもだと、92%に上昇した(以上、同新聞、6・14、朝
刊)。

+++++++++++++++++

●虐待は好ましくないが……

 子どもは、絶対的な安心感と、親子の信頼関係のある家庭でこそ、その心をはぐくむこ
とができる。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。

 虐待にかぎらない。育児拒否、放棄、冷淡、家庭騒動、夫婦不和、暴力、貧困など。子
どもの側から見て、「不安」を覚えたとき、子どもの心は、大きく、ゆがむ。キズつく。離
婚にしても、離婚そのものが子どもの心に影響を与えるのではない。離婚にいたる、家庭
騒動が、子どもの心に大きな影響を与える。

 子どもがいる夫婦のばあい、離婚をどのように進め、離婚後も、どのようにして、子ど
もの心を守るか。この日本では、そうした問題については、ほとんど、考えられていない。

 ただ、この調査で、「?」と思ったのは、つぎのこと。

現在、子どもに体罰を加えている母親は、全体の50%近くはいる。そしてそのうち、約
70%(全体の35%)は、虐待に近い、体罰を加えているのがわかっている(筆者、調
査)。

 つまり虐待イコール、非行ということではないのではないかということ。虐待を受けな
がらも、子どもの側で、ふんばりながら、がんばっているケースは、いくらでもある。こ
の記事を読むと、(あくまでも記事を読んでの印象だが)、非行の原因のすべては、虐待に
あるような印象をもってしまう。)

 また虐待といっても、肉体的虐待、精神的虐待のほか、間接虐待もある。はげしい夫婦
げんかを見て育った子どもも、虐待を受けたのと同じような症状を示すことがある。

 結論から先に言えば、子どもは、心豊かで、愛情に満ちた、静かな環境で、両親によっ
て育てられるのがよい。その年齢は、2歳まで(WHO)だが、実際には、満3歳まで。
この時期に、子どもは、親との(とくに母親との)、基本的信頼関係を結ぶ。

 この基本的信頼関係が、そののちの、子どもの精神的発達の基盤となる。が、この時期
に、その信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、精神的に大きな影響を受け、慢性的な
不安感を覚えたりするようになる。生涯にわたってつづくため、「基底不安」という。

 さらに精神的未熟性が、残ることもある。50歳、60歳をすぎても、親離れできず、
そのため自立そのものができず、親に依存して生きる子どもも少なくない。

 もちろん情緒的な問題も起きる。ここに書いてあるような、「攻撃性」もその一つだが、
情緒が不安定になるから攻撃性が生まれるのではなく、他者との良好な人間関係が結べな
くなり、その結果として、攻撃性が現れる。もっと言えば、このタイプの子どもは、他者
に対して、心を開くことができない。

 その結果として、仮面をかぶって、いい子ぶったり、同情を求めたり、依存的、服従的
になったりする。内へ引きこもってしまうこともある。攻撃性は、あくまでも、その一部
でしかない。

 全体としてみると、この調査は、その前提として、虐待と非行を、どこかで無理に結び
つけようとしているのではないかという印象をもった。図式としては、わかりやすいが、
かえって、親たちに、誤解を生じかねない。つまりこれだけでは、近年ふえている、そう
でない家庭(見た目にも恵まれ、裕福で、家庭円満な家庭)での非行については、説明で
きない。

●非行の原因は、別の角度から考える

 むしろそうではなくて、家庭的な不協和音が、子どもの自我の形成に影響を与え、その
結果として、子どもは、たとえば非行問題を起こすと考えたほうが、よいのでは……。

 同じ虐待を受けても、自我の同一性のしっかりしている子どもは、自分の目的に向って
進んでいく。虐待を受けなくても、同一性の確立に失敗した子どもは、さまざまな形で、
その自我を補修しようとする。その一つが、非行ということになる。

 最後に一言。

 非行イコール、即、「悪」ではないということ。今どき、「盗み」や「家出」など、珍し
くも何ともない。そこには、当然、社会全体がもつ、社会的価値観が混入する。極端な例
としては、体に爆弾を巻いて、自爆することを美徳する社会も、ないわけではない。

 さらに、最近、こんなことも聞いた。

 南アフリカの日本人学校から帰任した小学校の先生が、こう言った。「(日本で)朝礼が
終わって、子どもたちが二列に並んで教室へもどる姿を見て、ぞっとした」と。

 あなたはその先生が、どうしてゾッとしたか、その理由がわかるだろうか。

 この話をオーストラリアの友人(ドクター)に話すと、そのドクターも、そう言った。

 どこかの駅で列車をまっているときのこと。駅前が運送会社になっていて、そこに10
台近いトラックが並んでいたという。そのとき、上司らしき人が、トラックの前に運転手
を並べ、朝礼をしていたという。

 その友人も、それを見て、ゾッとしたという。

 なぜか?

 こうした感覚は、日本人として、日本に長く住んでいるとわからない。そこで私は、オ
ーストラリアの友人に、こう聞いた。

 「オーストラリアでは、どうしているのか?」と。

 すると、そのオーストラリア人は笑いながら、「(朝の集会のあと)、みな、バラバラに教
室へ入る。ぼくは、いつも、窓から、入っていた」と。

 またトラックの運転手たちについては、みな「ロボットみたいだった」と。

●サブカルチャ(下位文化)

 「非行」ということを考えるとき、では、非行を経験しない子どものほうが理想的かと
いうと、そうでもない。今の日本の子どもたちを見ていると、(決して、非行を奨励するわ
けではないが)、キバを抜かれた動物のようで、かえって不気味ですらある。

 男児でも、たいはんが、ナヨナヨしている。おとなしい。やさしい。自己主張も、弱い。
ブランコを横取りされても、文句一つ、言えない。よく子どもの攻撃性が問題になるが、
その攻撃性そのものが、まるでない。そういう子どもを、はたして、(いい子)と言ってよ
いのか。

 むしろ子どものころ、サブカルチャ(下位文化)を経験した子どもほど、おとなになっ
てから、常識豊かな子どもになることが知られている。反対に、子どものころ、優等生で
あった子どもほど、あとあと、何かと問題を引き起こしやすいこともわかっている。外部
に対して問題を引き起こすこともあるが、内々で、悶々と苦しんでいる子どもとなる、た
いへん、多い。)

 「非行」といっても、程度の問題もある。ハバもある。どこからどこまでが、許される
非行であり、どこから先が、許されない非行なのかということを、一度、明確にしておく
必要もあるのでは……。

 盗みくらいなら、だれだって、する。家出にいたっては、みな、する。虐待が好ましく
ないことは言うまでもないが、虐待イコール、非行という短絡的な発想には、私は、どう
しても、ついていけない。
(はやし浩司 子供の非行 虐待と非行 虐待 子供の攻撃性 ネグレクト 養育放棄)

(追記)

 日本の子どもたちは、全体としてみると、おとなしすぎる。先日も、アメリカ人の小学
校の教師と話したが、アメリカでは、シャイ(shy)な子どもは、問題児だそうだ。

 日本では、シャイな子どもは、問題児ではない。むしろ、控えめないい子と考えられて
いると話してやったら、その先生は、本当に驚いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【滋賀県・O市のY先生(小学校教諭)より、はやし浩司へ】
●代償的過保護
+++++++++++++++++++++++++++
滋賀県のY先生より、こんなメールが届いている。
以下、要約。
「……私のクラスにKさん(女児、小4)という子がいるが、家に帰りたがりません。
いつもみなが帰ったあとも真っ暗になるまで、校舎の裏庭(小さな山になっていて、
ふだんは児童の遊び場になっている)で、時間を過ごしています。
近くに住むEさん(女児、小4)に話を聞くと、母親がたいへんきびしい人らしく、
おおまかに言えば、つぎのようだそうです。
(1)毎日、1時間の漢字の書き取りと、計算練習が義務づけられている。
(2)そのあと母親にテストされ、満点でないと、夕食が食べられない。
(3)友だちにもらった遊び道具などは、すべて捨てられる。
(4)家の前まではいっしょに帰るが、いつも裏の勝手口から家に入る。
(5)ほかに毎日プリント学習を2枚することになっていて、それがしてないと、
ベッドから引きずり出され、それをさせられる。
(6)「成績がさがったら、お弁当を作らない」と、母親に言われている。
 学校でも、ときどき「おなかが急に痛くなった」「足が痛い」と言って、保健室
で横になっています。
小学2年生ごろまで、授業中に、おもらしをすることがあったそうです」と。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++
●代償的過保護と帰宅拒否
+++++++++++++++
典型的な代償的過保護である。
親の支配下におき、子どもを
親の思い通りにする。
一見、過保護だが、過保護に
ともなう(愛情)が希薄。
「代償的過保護」という。
過保護もどきの過保護。
そう考えるとわかりやすい。
+++++++++++++++
●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思い
どおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味で
は、代償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴が
みられるようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(し
てよいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、
親に追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその
温和性は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のも
のである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする
……といったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」
と誤解する傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価してい
る。臆面もなく、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の
前では、借りてきたネコの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題
は、そのことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その
呪縛性に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であ
るかわからないまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別
として、その重圧感は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に
気がつくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生ま
れてはじめて、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画も
あった。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、ま
ず、あなたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あ
なた自身の中の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにし
てきた。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことが
ある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見
せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ず
る。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と
考えてよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に
分析してみるとよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子ども
のため」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子
どもを利用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用す
る。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力
的、威圧的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするな
ら、お涙ちょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見
せつけながら、子どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、
操られているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、
異常なまでに依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生
まれながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子
ども自身が、かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。
そして子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔
の表情とが一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒
っているときは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。
そういう子どもを、すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
代償的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)●フリをする母親

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッ
シャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというの
は、現実にいた男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばか
りしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で
病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親を、「代理ミ
ュンヒハウゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンフハウゼン
症候群」と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)
に、一方で、姑(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい
嫁)を、演じていた人がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたっ
た一人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長
女(当時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当
然のことながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる
女性(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、
子どもが病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見
せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面と
いうより、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そう
でないのか、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子ど
ものほうが萎縮してしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、
だれか他人に訴える気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判する
ことさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ミュンヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 仮面をかぶる母
親)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子ども
がふえている。
S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。
「幼稚園で帰る時刻になると、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。
それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにきてほしいと。
どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、
園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。
そこで皆でさがすのですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうので
す」と。
私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言え
ば、家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。
まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。
幼児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつ
れて、当然、家庭の役割も変わってくる。
また変わらねばならない。
子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。

つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。
が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。
「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(随筆家・ソロー)とい
うのがある。
つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座っ
たほうが、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチ
ャの頭のようでなくてはいけない。
あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこで
こんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみ
てほしい。
もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間
関係にある。
しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃
げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。
もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれ
ない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不
自然に遅い。
毎日のように寄り道や回り道をしてくる。
あるいは外出や外泊が多いということであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。
家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、い
やなことを避けるための行動をする。
帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、
帰宅拒否につながる。
裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってく
るだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。

(はやし浩司 子供の帰宅拒否 帰宅拒否 家に帰りたがらない子ども 帰宅を拒否する
子供)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Y先生へ】
 メール、ありがとうございました。
いろいろな母親がいますね。
まさに典型的な代償的過保護と言うべき母親ですね。
まず「子どもはこうあるべき」という設計図を頭の中で作り、その設計図どおりの
子どもにしようする。
 疑うべきは、まず母親の情緒問題です。
自分の情緒的欠陥、つまり穴をふさぐために子どもを利用しているだけ。
何かの精神的な問題をもった女性と考えます。
一見、過保護に見えますが、過保護には愛情があります。
その愛情(=「許して忘れる」)がありません。
先にも書いたように、過保護もどきの過保護。
だから代償的過保護と言います。
発達心理学の用語にもなっています。
それが過度になれば、「虐待」ということになります。
「食事を与えない」「眠らせない」というのは、立派な虐待です。
 が、母親には、その自覚がない。
「私は子どものためにそうしている」と確信しています。
だから余計にやっかいですね。
説得しても、その母親には理解できないでしょう。
 ……私も子どものころ、帰宅拒否児だったと思います。
(いろいろな思い出をつなぎあわせると、そういう「私」が浮かびあがってきます。)
いつも学校帰りには、道草を食って遊んでいました。
夏でも、毎日真っ暗になるまで、近くの寺で遊んで時間をつぶしました。
今、思い出しても、暗くて、つらい毎日でした。
 もしKさん(小4)も、同じようであるとするなら、同情します。
恐らく一生、その傷が癒されることはないでしょう。
今の私が、そうです。
63歳になろうというのに、いまだに心の中に暗い影を落としています。
 やはりこの問題は、先生が指摘しておられるように、児童相談所が介入
すべき問題ですね。
先にも書いたように、「食事を与えない」「眠らせない」というのは、虐待です。
また無理な勉強を強制するのも、虐待と考えてよいでしょう。
一応、報告だけは、きちんとしておかれることを、お勧めします。
 なお小4と言えば、思春期前夜。
この先、Kさんには、いろいろな試練が待ちかまえています。
非行に走らなければよいと心配しています。
(あるいは、引きこもり(マイマス型)、家庭内暴力(プラス型)へと進むことも
多いです。)
 父親はどういう人なのか。
またどのように考えているのか。
それがわかったら、どうかまたメールをください。
では、今日は、これで失礼します。

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【児童虐待】

●児童虐待のうち、7割あまりが、核家族世帯で起きている?(Children Abuses)
(70% of Children Abuse cases are occurred so-called "Nuclear Families", or "F
amilies 
eith only parents and children". But is this true?

++++++++++++++++++

児童虐待のうち、7割あまりが、「核家族」
で起きているという。

また虐待といっても、「ネグレクト」が、
約39%。
身体虐待の31%より多かったという。

このほど、奈良県の「児童虐待等調査対策委員会」
が、そんな調査結果をまとめた。
(産経新聞・08年6月10日)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

+++++++++++以下、産経新聞より抜粋+++++++++++++++++

児童虐待の防止策などを協議する県の「児童虐待等調査対策委員会」(委員長=加藤曜子・
流通科学大教授)は9日、昨年度に奈良県と市町村が受理した児童虐待事案を対象にした、
初の調査結果を報告した。

全1228件のうち、7割あまりが父母以外の同居者のない「核家族」で起き、親が養育
を怠慢したり拒否する「ネグレクト」も全体の4割弱を占める実態が判明。県は「調査結
果から、児童虐待を早期発見することの困難さが浮き彫りになった」と深刻に受け止めて
いる。

児童虐待に関し、県内では今年度初めて、県と市町村が統一の調査票に基づいて記録する
システムを導入。昨年度は統一調査票がなかったが、同委員会では、深刻化する児童虐待
の実態をより詳しく分析する必要があるとして、昨年度分の事案も統一調査票の設問にの
っとる形で再精査した。

その結果、父母以外の同居者がいるかどうかを問う設問では、899件(73・2%)で
核家族にあたる「なし」と回答。無回答や不明を除く「あり」の回答は221件(18%)
に過ぎなかった。

また、種類別では「ネグレクト」が477件(38・8%)と最も多く、「身体的虐待」の
383件(31・2%)を上回っていた。

+++++++++++++以上、産経新聞より抜粋+++++++++++++++


●この調査結果は、おかしい?

児童虐待を調べたら、73%が、核家族世帯の子どもであったという。

だれしもこの数字だけを見たら、児童虐待のほとんどは、核家族で起きていると思うだろ
う。
中には、「核家族では児童虐待が起きやすい」と思う人もいるかもしれない。
「73%」という数字は、そういう数字である。

しかし、待ったア!

この調査結果を読んで、「?」と思った人はいるだろうか。
が、私は、一読して、「?」と思った。
奈良県の「児童虐待等調査対策委員会」という公的な機関がまとめた調査だから、「まさ
か?」とは思いたいが、おかしいものは、おかしい。

この調査でも、「万引きした子どもを調べたら、50%が、女子だった。(だから女子は万
引きしやすい)」式の、きわめて初歩的なミスを犯している(?)。

よく読んでみてほしい。産経新聞の記事には、こうある。

「(虐待)全1228件のうち、7割(73%)あまりが父母以外の同居者のない「核家族」
で起きた」(だから児童虐待は、核家族世帯で、起きやすい)と。

しかしもし、核家族が、全体の7割だったとしたら、この「7割」という数字には、まっ
たく意味がない。

ちなみに奈良県のばあい、

「核家族世帯の割合は64・01で(全国)3位である。いずれの指標も上位10都道府
県のほとんどを東京・名古屋・大阪及びその周辺の府県が占めており、大都市及び周辺地
域の特性と見られる」(2000年10月・奈良自治体問題研究所)とのこと。

つまり、64%が、核家族である、と。

この64%をもとにすれば、つぎのようなことは、調査しなくても言える。

「私立高校へ通う子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」
「ゲームをしている子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」
ついでに、もうひとつ。
「黒い靴を履いている子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」と。

「64%」と「73%」の(差)こそが、問題ということになるが、その差は、たったの
9%。
誤差の範囲とは言い切れないが、それに近い。

とくに祖父母同居の家庭では、ここでいうネグレクトという虐待は少ないはず。
両親が衣食などの世話をしないばあいには、祖父母がする。
となると、「ネグレクトが39%」という数字を、どう処理したらよいのか?

つまりこの調査によって奈良県は、「核家族世帯では、児童虐待が起きやすく、たとえば祖
父母同居家庭世帯では、児童虐待は置きにくい」ということを裏づけたかったのだろう。
それはわかるが、私は、つぎの一文を読んで、思わず、吹き出してしまった。
(「児童虐待」そのものを笑ったのではない。どうか、誤解のないように!)

「県は『調査結果から、(児童虐待の73%は、核家族世帯で起きているから)、児童虐待
を早期発見することの困難さが浮き彫りになった』と深刻に受け止めている」と。

では、これらの数字を、どう読んだらよいのか?
今一度、数字を整理してみよう。

(1)奈良県の核家族世帯の割合      ……64%
(2)児童虐待の中に占める核家族世帯の割合……73%
(3)児童虐待の中のネグレクトの割合   ……39%
(4)児童虐待の中の身体的虐待の割合   ……31%
(祖父母同居世帯では、ネグレクトの割合は、当然、少ないはず。)

話をわかりやすくするために、具体的に数字を置いて考えてみよう。

今、ここに、虐待を受けている子どもが、100人いたとする。

(1)そのうち、73人は、核家族世帯の子ども。27人は、そうでない、たとえば3世
代〜同居世帯の子ども。
(2)100人のうち、39人は、ネグレクトを受けている子ども。31人は、人体的虐
待を受けている子ども。もちろんその両方の虐待を受けている子どももいる。
(3)しかし奈良県のばあい、核家族世帯は、64%。繰りかえすが、もし虐待を受けて
いる100人の子どものうち、64人が、核家族世帯の子どもであったという結果
だったら、この調査は、まったく意味のない調査だったということになる。

ウ〜〜〜〜〜ン。

これらの数字を並べてみると、「核家族世帯でのほうが、そうでない世帯よりも、児童虐待
が、やや多いかな」という程度のことでしかない。
しかも「3世代〜同居世帯では、ネグレクトが起きにくい」ということを考慮に入れるな
ら、ネグレクトは、比較的、核家族世帯で起きやすく、身体的虐待は、比較的、そうでな
い世帯で起きやすいという程度のことでしかない。
つまり児童虐待、とくに身体的虐待と核家族世帯を、無理に結びつけることはできないの
ではないかとさえ思われる。

身体的虐待についていえば、核家族世帯であろうとなかろうと、そういうことに関係なく、
起きる。

で、結論。
「73%」という数字に、だまされてはいけない!

+++++++++++++++++

ついでに、社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」
のした調査結果を、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の5人に1人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、3倍になっていることがわかった(有
効回答500人・2000年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどき
ある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、
「虐待なし」が、61%であった。この結果からみると、約40%弱の母親が、虐待もし
くは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、7%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、1998年ま
での8年間だけでも、約6倍強にふえていることがわかった。(2000年度には、1万7
725件、前年度の1・5倍。この10年間で16倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた6932件のうち、身体的暴行が3674件(53%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、2109件(30・4%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が650件など。

虐待を与える親は、実父が1910件、実母が3821件で、全体の82・7%。また虐
待を受けたのは小学生がもっとも多く、2537件。3歳から就学前までが、1867件、
3歳未満が1235件で、全体の81・3%となっている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 児童虐待 核家族 核家族
と児童虐待 ネグレクト)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●静岡茶から放射能!(フランスで1000ベクレル以上)2011/06/19記


 1970年ごろのこと。
オーストラリアでは、日本人は、「Sneaky Nips(小ずるい日本人)」と呼ばれ
ていた。
大阪万博が開かれた当時のことである。


 が、その後の努力で(?)、日本は今の地位を築き上げた。
世界でも、もっとも信頼できる国のひとつとして評価されるようになった。
が、そんな最中、フランスで静岡茶から、1キログラム当たり1000ベクレル以上もの
放射線が観測された。
当然のことながら、このニュースは、私も含めて静岡県の人たちに、強烈な衝撃を与えた。
理由はいくつかある。


 そのひとつ。
私たち静岡県人は、今回の福島第一原発事故とは無縁と信じていた。
放射能汚染地帯の(ワクの外)にいると信じていた。
事実、毎日報道される放射線量にしても、平均値以下。
0・04〜0・05マイクロシーベルト前後(文科省観測)。
川勝静岡県知事も、そのつど、「安全」「安全」と、バカのひとつ覚えのように、その言葉
を繰り返していた。


 本当にバカだった!


●お湯で薄めれば安全


 原茶、および製茶から、500ベクレル以上もの放射線量が観測された。
が、最初に観測したのは、販売業者。
県に通報すると、県側は、「混乱を招くから、発表をさしひかえてほしい」と要請。
そのあと静岡県は、独自に放射線量を検査した。
その結果、いくつかの製茶工場の製茶から、基準値以上の放射線量が観測された。


 が、ここでおかしなことが起きた。


 県側はこう説明した。
お茶は、原茶、製茶にする段階で、5倍に濃縮される。
だから放射線の量も、5倍になる。
しかし飲茶にすると、(お湯で薄めるので)、放射線の量は8分の1になる。
だから安全、と。


 私はこの説明を聞いたとき、我が耳を疑った。
程度が低すぎるというか、バカというか、アホというか……。
いくら8分の1になっても、同じお茶を8杯飲んだら、同じ。
それがその数日後には、80分の1程度になると、訂正。
さらに数日前の川勝知事は、「100分の1になる」と、さらに訂正。
仮にお茶の中の放射線の量は薄められても、放射線物質は、そのまま溶け出ることになる。


 わかりやすく説明しよう。


 今、ここに大きなバケツがある。
そこにビー玉を100個入れる。
重さは計1キログラム。
すべてが放射線物質である。
測定してみたら、1000ベクレル。


 そこでそのバケツに水を入れる。
ビー玉の100倍の水を入れる。
重さは、約110キログラムになる。
その中から、1キロを取りだして測定すれば、放射線量は、たしかに約10分の1になる。
100倍に薄めたのだから、約100ベクレル。
しかし残りのビー玉が、それで消えるわけではない。
その水の中に残る。


 その水を飲み続ければ、当然、ビー玉は、すべて体内へ取り込まれる。


(ただし製茶の中のすべての放射性物質が、お湯の中に溶け出るわけではない。
ある程度の分は、製茶の中に残り、カスとして捨てられる。)


 どうしてそれが「安全」なのか?


●「要請があれば、検査する」


 そこで静岡県は、製茶工場から要請があれば、(放射線の)測定検査をする」と発表した。
言い換えると、「今後は、放射線検査はしない」と。
が、ここで疑問。
どこのだれが、そんな要請をするだろうか。
そうでなくても、静岡県茶は、農薬による薬害が問題になっている。
このあたりの農家でも、製品として出荷するお茶と、自分の家で飲むお茶を、しっかりと
作り分けている。
へたに要請すれば、それこそまさにヤブヘビ。


 その直後。
まさに静岡県が安全宣言した、その直後の翌日、フランスで、放射能汚染された静岡茶が
発見された。
しかも静岡県で観測された放射線の2倍以上!


 御前崎市にある浜岡原発が停止要請を受けたとき、御前崎市長はまっさきに、交付金の
減額を心配した。
が、そのとき私はこう書いた。
「交付金の減額程度ですめば、まだよいほう。今に、川根茶すべてが、出荷停止になるだ
ろう」と。


 たいへん残念なことに、今、現実にそうなりつつある。
フランスでの検査に触発され、世界各国でも検査を始めるはず。
まっさきに韓国、中国が反応するはず。
すでにオーストラリアの友人から、「だいじょうぶか」というメールが入った。
4月にオーストラリアへ行ったとき、みなに、製茶をみやげとしてもっていった。
私は、「君たちにあげたお茶は、去年のものだから安心して飲むように」と返事を書いたが、
オーストラリアでも輸入禁止になるはず。
つまりこうして輸入禁止は、世界中に及ぶ。


 で、もし川勝知事にできることがあるとすれば、世界の新聞に、こういう記事を載せる
こと。


「静岡茶は、100倍に薄めて飲めば安全です。放射線量も100分の1になります」と。
が、そんなことを書けば、世界の笑いものになるだけ。
バカにされるだけ。
が、それだけではすまない。
それ以上に、静岡県は、信用を失う。
再び、「Sneaky Nips」と呼ばれるようになる。

 
●県知事はだれの代表?


 川勝県知事は、単科大学の元学長。
静岡県では珍しい、民間代表の県知事。
それだけに期待も大きかった。


 が、しばらくすると、官僚病にどっぷりと冒されていた。
民衆の安全より、業者の利益を優先。
言わなくてもよいのに、そのつど安全宣言。
結局、大恥をかいたのは、川勝県知事自身ということになる。


 だいたい、安全宣言なるものは、そこらの役人のすることではない。
役人たるものは、まず冷静に情報収集。
このばあいは、こまめに放射線量の観測。
それがわかったら、そのまま国民に知らせる。
必要な情報はそのつど提供はしても、あとの判断は、国民に任せる。


 へたに小細工をするから、バレる。
インチキをするから、信用を失う。
が、こういう小細工やインチキは、もうこれで最後にしてほしい。
民衆の代表であるという原点に立ち返って、民衆の立場で、ものを考えてほしい。


 あの浜岡原子炉が停止要請を受けたとき、川勝静岡県知事は、「英断」という言葉を使っ
て、それに賛成したはず。
「よく言った」と私は感激していたが、今回の一連の発言で、その評価は、霧のように消
えてしまった。
とても残念なことだが……。


●補記


 さっそく静岡県側は、調査団をフランスへ送ることにしたという。
しかし製茶は、トン単位で、すでに世界中にばらまかれている。
先日の記者会見で、川勝県知事は、「発表が1日遅れたことで、どんな損害が出るのだ」と
いうようなことを言った。


 こういう姿勢が、損害、つまり被害を拡大させる。
静岡県茶の損害を私は心配しているのではない。
より多くの人が、健康被害を受ける。



Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月18日(土曜日)

+++++++++++++++++

まずホトトギスが鳴いた。
へたくそな鳴き方だった。
「……ポッポー、ポキャキョク……」と。
外は、ほんのりと明るくなり始めていた。

窓のすぐ外で鳴いた。
大きいというより、クリアな声だった。

しばらくすると、今度はウグイスが鳴いた。
こちらはこのあたりの主。
春先には、終日、このあたりで鳴いている。
じょうずな鳴き方だった。
つづいてコジュケイ。
「……チョットコイ、チョットコイ……」と。
これは谷の向こうで鳴いた。

ついでヒヨドリ、カラス……。
山の朝は、鳥の合唱で目が覚める。

横を見るとワイフも起きていた。
「なあ、あのホトトギス、へたくそだな」と言うと、
ワイフは笑った。
「本当に、ヘタクソねエ」と。

6月18日、土曜日。

++++++++++++++++++

●ビワの収穫

 今朝は、ビワの収穫で始まった。
どんよりと重い空。
雨で湿った枯れ葉。
それを長靴で踏みながら、畑へ。
一応、果樹園。
柿、梅、ハッサクなど。

 こういう日は、マムシに注意。
昨年と今年は、まだ見ていない。
しかしマムシはどこにいるか、わからない。
このあたりの農家の人たちも、みなこう言う。
「マムシに居場所なし」と。
が、日中は、枯れ草の間で、とぐろを巻いて休んでいる。

 長靴でそのあたりの枯れ葉をどかす。
安全を確かめる。
そのあと脚立を立て、ビワの木に登る。

 そう言えば、数日前、近くのショッピングセンターへ行ったら、ビワを売っていた。
8個入りで、700円だった。
高い!
そんなことを思い出しながら、つぎつぎと、もいでは、口に入れる。
少しでも酸(す)っぱいと、そのまま吐き出す。
甘いのだけを選んで食べる。
「うちのは見栄えは悪いが、完全、無農薬」と。

 のこぎりで大きな枝ごと、下に切り落とす。
その枝からワイフが、ビワの実をちぎって、カゴに入れる。
今年は大豊作。
あっという間に、ダンボール箱、数杯分のビワが収穫できた。

●暑気(あつけ)

 居間に戻ると、頭がフラフラした。
暑気に当たったらしい。
作業服の上に、厚いビニール製の雨合羽。
作業服を脱ぐと、全身、汗でぐっしょりと濡れていた。

 扇風機の前で涼んでいると、ワイフが水を持ってきてくれた。
「水分をたくさんとって、横になりなさいよ」と。

私「水分はビワで摂(と)った……」
ワ「気温がそれほど高くなくても、熱中症になる人はいるのよ」
私「気をつけるよ」と。

 マムシがこわくて、私は雨合羽を着た。
それがよくなかったらしい。
私はそのままワイフの膝の上に、頭を置いた。

●雑談

 いろいろな雑談をした。
まず映画の話。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』。
これは今日の午後、観に行くつもり。
もうひとつは、『スーパー・8』。
近く劇場で公開される。

 そのあとは、雑談、また雑談。

私「ないものねだりをしたら、キリがないよね」
ワ「そうよ」
私「ぼくたち、クリスマスも正月も、それに誕生日も、3人だけになってしまったよ」
ワ「みんなそうよ。私の友だちなんかも、みんなそうみたいよ」
私「でもね、名古屋のM君ね、還暦の祝いのときは、娘さん夫婦や、近所の人たちまで集
まり、祝ってもらったそうだよ」
ワ「私たちのときは、何もなかったわね」
私「でもね、こんな話もある……」と。

●あるもの感謝

 友人に、K氏という人がいた。
10歳ほど、私より年上だった。
この20年近く、音信が途絶えた。
そのK氏。
私の家に遊びに来るたびに、こう言った。
「林さんは、いいなあ」と。

 私たちの息子を見て、そう言った。
K氏には、子どもがいなかった。
が、そのときは、K氏の気持ちが理解できなかった。
私たちにしてみれば、子どもがいるのが当たり前。
日々の生活に追われ、むしろ、子育てをうっとうしく思っていた。

 が、今は理解できる。
K氏はK氏なりに、子作りに励んでいたのかもしれない。
そのつど、親子連れを見るたびに、それをうらやましく思っていたのかもしれない。
だから「林さんは、いいなあ」と。

私「ないものをねだり始めたら、キリがない」
ワ「私も、そう思うわ。私たちは健康だし、したいことができるわ」
私「そうだよな。健康だよな」
ワ「そうよ。あなたももうすぐ64歳になるけど、64歳で持病のない人は、珍しいのよ」
私「そうだよな……」
ワ「それに仕事もあるでしょ。何、ぜいたく言っているのよ」
私「ないものねだりではなく、あるもの感謝だね」
ワ「そうよ。今、あるものに、感謝しなくちゃあ」と。

●夫婦仲

私「ところでさ、この前、名古屋のO君が遊びにきただろ」
ワ「……」
私「あのO君、今は、別居中みたいだよ」
ワ「そうみたいね」
私「そのO君が、ぼくたちを見てね、『林君たちは、仲がいいね』と言っていたよ」
ワ「私たちね、他人が見ると、仲がいい夫婦に見えるらしいわ」
私「ぼくは、ゼンゼン、そうは思っていないけどね」

ワ「あら、そんなことないわよ。私の友だちのKさんね、寝室も別々だって言っていたわ」
私「それでも夫婦なのかア?」
ワ「そうよ。たがいに1か月以上、口をきかないこともあるって……」
私「1か月? ぼくならとても耐えられないなア……」
ワ「みんな、いろいろな問題をかかえているのよ。私たちなんか、いいほうよ」と。

●人工中絶

 ワイフの友人に、Uさん(女性)という人がいる。
その息子氏は、5年ほど前に結婚した。
そのときのこと。
息子氏がはじめて婚約者を家に連れてきた。
そのときのこと。
Uさんは、婚約者の体に妊娠線があるのを見落とさなかった。
妊娠した経験のある女性にできる、あの「白い線」である。
が、Uさんは、息子氏には、それは話さなかった。
「2人が幸福になれば、それでいい」と。

 が、それから3年。
息子氏夫婦には、いまだに子どもができないという。
妊娠はするらしいが、すぐ流産してしまう。
で、先月も、息子氏から電話があり、また妊娠した、と。

ワ「でね、その電話がおかしいのよ。息子さんは、子宮外妊娠のことを心配していたとい
うのね」
私「ああ、あの話ね。ぼくも若いころ、産科医のゴーストライターをしていたから、よく
知っているよ」
ワ「でしょ。初産の人は、子宮外妊娠のことなど、心配しないわよね」
私「ふつうは、しない」
ワ「だからね、私、そのお嫁さんはね、子宮外妊娠もしたことがあるのではないかと思っ
ているの」
私「……可能性としては、ありえない話ではないよね」と。

 人工中絶にも、時期がある。
早い時期であれば、外来手術で済んでしまう。
が、胎児がある程度大きくなると、そうはいかない。
子宮口を開くための処置も必要になる。
当然、入院手術ということになる。
さらに子宮外妊娠になると、かなりおおがかりな手術になる。
そのときの処置が悪いと、最悪のばあい、不妊症になってしまうこともある。

私「人工中絶した女性は、流産、早産をしやすくなるよ」
ワ「息子さんは、そういうことを知っているのかしら……?」
私「知らないだろうね。嫁さんにしても、そういうことは話さないだろうから……」
ワ「でも、Uさんは、知っているわよ」
私「Uさんも、息子さんには言わないだろうね」
ワ「言えないわよね」と。

 前回、妻が流産したとき、Uさんの息子氏は、涙を流して泣いていたという。
たまたまその場にいたUさんは、「またがんばればいいから」と言って、息子氏を慰めたと
いう。
それにしても罪深いのは、その妻(=嫁)。
日々の生活の中で、どうやって、その罪を償っていくのだろう?

●罪

 罪深いと言えば、こんな話も聞いたことがある。

 15年ほど前、私の知人の娘が、オーストラリアへ留学したいと言い出した。
そこでオーストラリアの友人のN君に連絡すると、すぐ身元引受人になってくれた。
オーストラリアには、ワーキングホリディという留学制度がある。
昼間は働いて、夕方から夜学に通う。

 で、最初の2か月は、N君の家に下宿(ホームステイ)した。
それからは自分でフラット(アパート)を借りて、そこに住んだ。
そのN君から、私に数回、こんな手紙が届いた。

「ヒロシ、親に話して、あの女の子をすぐ日本へ戻した方がいい」と。

 で、理由を聞くと、毎晩のように取っ替え、引っ替え、男遊びに狂っているという。
オーストラリア人のN君の目にもあまるほどの(遊びぶり)だったらしい。
当時、『イエローキャブ』という本も話題になった。

 ニューヨークのイエローキャブ(タクシー)のように、男を乗せて遊ぶ日本の若い女性
を揶揄(やゆ)したタイトルの本だった。
だれでも平気で乗せるから、「イエローキャブ」という。
「イエロー」というのは、もちろん黄色い肌の日本女性をいう。

 が、私もその知人の娘をよく知っている。
いつだったか、その知人(父親)は、私にこう言った。
「娘には、門限をきびしく守らせています」と。
事実、私が知るかぎり、その娘は、親の前では、おとなしく静かな女性だった。

 が、その女性が、やはり3年ほど前、結婚した。
相手は、何と京都のK大学を出た男性。
都市銀行に勤めている。
かなりの資産家の御曹司。
その話をN君にすると、N君は、すかさずこう言った。
「A stupid man!(バカな男だ)」と。
N君は、相手の男性を、「バカ」と言った。

 何も男遊びする女性が悪いというのではない。
人並みはずれた性欲をもっている女性は、ゴマンといる。
またそういう女性を責めても意味はない。
現代は、そういう時代ではない。
所詮、「性は無」(今東光)。
便の排泄行為と同じ。
深い意味はない。
しかし私も、同意した。
「Yeah, a stupid man!(ホント、バカな男だ)」と。

●メール

 体を起こして、メールを開く。
ドコモの携帯端末を購入してから、山荘でも、メールを読むことができる。
その中に、ある女性からの相談が届いていた。
四国のE県に住む女性からのものだった。
転載許可とあったので、そのまま紹介させてもらう。

『娘は幼稚園の年中児です。1歳の時離婚をし、実家に戻りました。
 
 以前から幼稚園でのお友だちに対する言動が気になっていました。具体的には「あっち
いって」「じゃまだよ」「〜したらいけないんだよ」などと否定的な言葉を強い調子で言い
ます。
 
 一度、それを聞いたお友だちのママから、「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」
「うちの子もそういってた」などと言っているのを耳にしたことがあります。

 悲しい気持ちになりましたが、私の育て方が原因であることは認識しています。家庭環
境も良くないと思っています。仕事柄、週の半分は私が帰宅する前に就寝しています。さ
らに私の父と私は殆ど会話がありません。食事も(朝・昼・晩)父は自分の部屋に持って
行き、テレビを見ながら一人で食べています。理由はみたいテレビがあるかららしいです。

 母は非常にだらしが無く、部屋は散らかり放題で、食事も惣菜など出来合いのものをよ
く利用します。お菓子やジュースも欲しがるだけ与えているようで、歯磨きなどもお願い
してもなかなかしてくれません。子供も肥満気味です。

 私は出来る限りと思い、週3回の早く帰れる日は食事を作り、一緒に食べます。仕事の
都合をつけて、幼稚園の行事なども積極的に参加しています。

 でも、頻繁にヒステリックに怒ってしまいます。お菓子をだらだら食べているとき、お
友達にきついことを言ったことがわかったとき、さらに私が、自分の親に対して苛々した
時などです。自分でも止められません。心療科を探してみたこともありますが行動に移せ
ませんでした。娘に人格を否定する言葉を投げつけたことも何度もあります。

 自分なりに一生懸命やってはいるものの子供にとっては心が休まらないのかと悩んでい
ます。離婚をして実家に戻ってからずっとです。2歳児クラスのときは、「明るく元気な子」
と先生方もおしゃっていましたが、あのような言動から、ひとりで遊ぶことも増えたよう
です。笑顔も減りました。

生活は自立していますが、仕事中、子供を見てもらっているため、親に意見することはあ
りません。以前「お菓子ばかりでなく・・・」といった際、母親には「じゃあもう2度と
買ってこない」と強く言われ、それからは「子供が一人で留守番できるようになるまでの
辛抱だ」と自分に言い聞かせながら過ごしています。

 子供が、優しい子、お友だちとケンカしながらも、仲良く元気に遊べる子、勉強や運動
はどっちでもいいから、ただこれだけを望んでいます。アドバイスをお願いします』(E県、
MSより)。

 現在、娘さんは、4歳という。

●MSさんへ

 子育ては重労働。
仮に子どもがそばにいなくても、その精神的負担には、相当なものがある。
一瞬たりとも、気が抜けない。
4歳児といえば、動きも活発。
目も離せない。
いわんやMSさんは、現在は離婚し、ひとりで子育てをしている。
そのための支援制度もあるが、現実には、不備だらけ。

 が、こういうときの鉄則は、ひとつ。
「今できることだけを懸命にし、先のことは悩まない」。

 「先」を求め、「先」を悩み、「先」に期待すると、不平や不満はかぎりなく増大する。
心配や不安も増大する。
というのも、「先」には、いつも欲望がからんでいる。
その欲望には、際限がない。
ひとつの「先」を達成すると、「もっと……」とか、「さらに……」となる。
だからいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。

 MSさんも、「今」のこの瞬間に、集中する。
今、そこにある現実を原点とし、今、すべきことをする。
いろいろ問題が起きたとしても、過去は過去。
問題を過去(離婚)に結びつけないこと。
というのも、MSさんの子どもが現在示しているような症状は、少し生意気な子どもなら、だれ
にでも見られるもの。
「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」「うちの子もそういってた」などなど。
心に引け目があると、悪い言葉ばかりが、気になるもの。
これらの言葉を言い換えると、こうなる。
「○○ちゃんって、しっかりしてるね」「負けず嫌いね」「うちの子もそういってた」と。

 ただ現状をみるかぎり、両親の協力は不可欠。
両親に任すべきことは、両親に任す。
両親に任せても、MSさん以上には、「悪い子」にはならないはず(失礼!)。
なぜならMSさん自身も、その両親に育てられているから。

 たとえば糖分の多い食生活にしても、生活全体から見れば、マイナーな問題(=あとで
取り返しのきく、小さな問題)。
メールを読む範囲では、MSさん自身も、またMSさんの子どもも、満たされない欲求を
かかえ、欲求不満状態にあると思われる。
MSさん自身は、かなり性的なものかもしれない。
MSさんの子どもは、いわゆる愛情飢餓状態。
MSさん自身のことは、私にはどうとも書けないが、子どもについては、つぎの方法で、
改善できる。

(1)MSさん自身がもっと心を開くこと。おかしな親意識を捨て、さみしかったら、さ
みしいと言えばよい。
(2)MSさんが、もっと濃密な愛情表現をすること。添い寝、手つなぎ、抱っこなどな
ど。子どもをもっと、甘えさせる。MSさん自身が心を開いていないため、子どももまた
心を開けない状態にある。

 「ママもさみしいから、いっしょに寝ようね」と、そう言えばよい。
ただし元夫(父親)の悪口、愚痴、不満、不平は、タブー中のタブー。
これらは、いつか子どもが、母親に何かのことで反感を覚えたとき、即、母親攻撃の材料
に転化してしまう。

 要するに、今は今で、MSさんは、今の人生を楽しめばよい。
両親に子どもを任せ、したいことをすればよい。
考えようによっては、すばらしいチャンス。
MSさんが生き生きと楽しく過ごしていれば、かならずつぎのチャンスもやってくる。
繰り返しになるが、過去をジクジクと引きずってはいけない。

(追記、MSさんから、はやし浩司へ)

はやし浩司様
 
ご返信有難うございました。
 
涙でメールが読めませんでした。
 
娘が愛情飢餓状態なのはご指摘頂き、確信しているところです。
自分がそうだった、と思いながら・・、また昔のことと比べながらと後悔しながら、
今日も仕事から帰宅し、寝ている娘を見ながら感じました。
 
私の母は今日も、私が帰宅するとすぐに、私と娘の寝室から無言で出て行きました・・・。
私は寂しいけど、それまで娘と一緒に寝てくれていた、と考えるように、考えられるよう
に、なっていきたいと思います。
 
 
娘が、今後、波風ありながらも健やかに明るく過ごせればいいのだなと改めて感じていま
す。
私が満たされない部分があることは解かっていても、自分でも具体的に認識できていない
けれど、やりがいのある仕事を続けられることを支えに、何とか、何とか、日々、毎日つ
つがなく終わることを願って過ごしていました。
 
 
少し楽しもうかなとも思います。昔のように。
自分の人生も考えようと思います。そうは言っても、大げさなことは出来ないけど、楽し
い、明るいお母さんになりたいと思います。
 
はやし浩志司様、ただいっぱいいっぱいになり、突発的に、偶然に見て、初めて送ってみ
たこのようなメールでしたが、
返信頂き、救われた人間がいることを、お知らせすると共に、感謝したいと思います。
 
大切なお時間を割いて頂き、有難うございました。
今日はこれから、娘の出世時のアルバムを見ながらビールを飲みたいと思います。
 
ありがとうございました。
 
【はやし浩司より、MSさんへ】

 つっぱらないで、負けを認め、心にすなおになればいいのです。
『負けるが勝ち』ですよ。
負けていると、心はキズまるけになりますが、キズまるけになればなるほど、元のキズが
わからなくなります。

 あのね、あなたのお母さん。
本当は、あなたのお母さんが、いちばん苦しんでいるのですよ。
娘には幸福になってもらいたい。
しかし自分を捨てた娘が、そこにいる。
(あなたにはその意識はなかったかもしれませんが……。)
たいへんな葛藤をしていると思いますよ。

 一度、心を開いて、お母さんにこう言ってみてはどうでしょうか。
「お母さん、ごめんね」と。
たった一言でいいです。
あとは時間が解決してくれます。
すぐに反応がないからといって、あきらめてはいけません。
「お母さんに心配をかけて、ごめんね」と、です。

 もし4歳の子どもが、今、あなたと同じ境遇に置かれたとしたら、あなたは自分の子ど
もをどう思うでしょうか。
あなたはきっと苦しむと思いますよ。

あなたは結婚するのも、離婚するのも、私の勝手……と思っているかもしれません。
しかしその向こうには、親がいて、そういうあなたをいつも心配して見ているのです。
ちょうど今、あなたが4歳の子どもを心配して見ているようにです。
だから「ごめんね」です。

 心を開いて!
体はあとからついてくる!
問題も、それで解決する!

●恋愛至上主義について

 電子マガジンに『恋愛至上主義』について書いた。
それについて2人の人から、メールが届いた。

1人は男性。
もう1人は女性。

【S氏から、はやし浩司へ】

……そう、こういうはなしは、温泉にでも浸かりながらのんびり語り合うのがいいで
すね(笑)。

ちなみに、『アジャストメント』は観ていないのですが、このごろアメリカ人の
恋愛観には辟易しています。

ドラマ『デッドゾーン』とか『ギャラクティカ』のような奥深い人間ドラマがあ
る一方で、フェロモンに支配された?老若男女の乱交?礼賛のような底の浅いも
のも多数あります。

ゆうべたまたま見たドラマ『グレイズ・アナトミー』で、「人はなぜ浮気するの
だろう?」というセリフがあってアングリしたのですが(笑)、その前にもっと
自制とかしないのかとツッコミ入れたくなりました。

アメリカ人は、性の欲望のままに行動することを、ちょうど「警察官に銃を向け
たらその気はなくても撃ち殺されてもしかたない」という価値観というかカルチャー
と同様に、全面肯定しているんだなと納得しました。そのくせ議員には潔癖を求
める矛盾。

少なくとも、「性=愛」とするアメリカ恋愛観は、日本人にとってはかなり異質
なものであるとおもいます。

【Hさんから、はやし浩司へ】

……現代、映画が世の中の人たちに及ぼす影響はどれほどなのでしょうか?
見れば何かしら影響はあると思いますが、あまり大きいものではないと思うのですが。
(中には非常に大きな影響を受けてしまう人もいるでしょうが)
そう考える私はこう思います。
映画はあくまでも映画。「昔々あるところに〜そして二人は、ず〜っと幸せに過ごしまし
た。」で、好いのではないでしょうか?
 
恋愛の賞味期限についてあっさり語っている映画もたくさんあります。
なかでも印象にあるのは"ダメージ"という映画です。
先生はご覧になったでしょうか?
ジェレミー・アイアンズ扮する外交官が息子の恋人であるジュリエット・ビノシュと恋に
落ちるのですが、恋というよりも、愛欲に陥る、です。
最後に全てを失った男が、かつての"女"を偶然見かけて思うのです。
「なんてことない、どこにでもいる普通の女だった」と。
 
ハッピーな気分になれる映画を見て、それから少しの間楽しくウキウキした気持ちで過ご
し、その後厳しい現実社会に向き合う。ハッピーエンドの映画の役割はそれだけだと思い
ます。愛さえあれば。。。と考える事ができる人がどれだけいるでしょうか。日本人であっ
ても、欧米人であっても。そう思うことが出来れば、どれほど幸せなことでしょうか。

●懐疑派と否定派

 S氏(男性)は、おおむね、私の意見に同感ということか。
Hさん(女性)は、「映画には、それほどの力はない」と。

 『恋愛至上主義』というのは、恋愛という「愛」があれば、何でも許されるという考え
方をいう。
しかしこれはあくまでも比較してみてわかること。
その時代のその渦中にある人には、理解できない。
自分の姿を、客観的に浮かびあがらせることすらできない。
だから現在の若い人たちに、「君たちは、恋愛至上主義者だ」と言っても、理解されないば
かりか、かえって猛反発をくらってしまうだろう。

 が、私にはできる。
私はすでに半世紀以上も生きてきた。
この半世紀だけを見ても、過去と現在を比較することで、その変化を知ることができる。
わかりやすく言えば、現在の恋愛至上主義が、たった50年前には、いかに異常なもので
あったかということが、そのころの自分と比較するとわかる。

 さらに言えば、男も更年期を迎え、性欲から解放される時期がやってくる。
そのころになると、若いころの自分がいかに「性」の奴隷であったかがわかる。
若い男性のばあい、(私もそうだったが)、24時間のうち、23時間は「女」のことばか
り考えている。
だからフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使った。

 が、それは重要な現象かもしれないが、(種族を後世に残すという意味において)、しか
しけっしてすべてではない。
もちろん至上ではない。
が、現代という社会においては、人は、欲望の追求に生きがいを求め、それがまた「善」
であるという前提で生きている。
もろもろの経済活動を例にあげるまでもない。
「恋愛」も、その「欲望」のひとつ。
S氏は、それをつぎのように端的に表現している。

『少なくとも、「性=愛」とするアメリカ恋愛観は、日本人にとってはかなり異質なもので
あるとおもいます』と。

 で、私たち日本人は、アメリカ式の恋愛観の影響を受けているか、いないか。
ひとつの例として、戦後、アメリカのGHQは、日本で見せるアメリカ映画について、ひ
とつの条件をつけた。
ウソか本当かという話は別として、(というのも、事実、すべてそうであったから)、「映画
の中には、かならずキスシーンを1回は入れること」と。

 それまでの日本人は、キス(接吻)とは、無縁の世界に生きていた。
性愛行為の途中でのことは知らないが、「好きよ」「好きだ」と、唇を重ねるということは、
まずなかった。
私の子どもの時代にもなかった。
それが日本映画にも影響を与え、日本映画の中にも、キスシーンがごくふつうのこととし
て現れるようになった。
(この説に疑問をもつ人は、自分で調べてみたらよい。)

 私なんかは、いつもこう思った。
「あんな臭い口を、どうしてくっつけあうのか?」と。
当時の日本人にとっては、虫歯は、老若男女問わず、国民病でもあった!

●草刈り

 ないものをねだっても、仕方ない。
今、ここにあるものに感謝する。
で、今日のキーワードは、「ねだる」。

 今、あるものをさがそう。
それを感謝しよう。

(1)今のところ健康
(2)今のところ仕事も順調
(3)今のところ夫婦仲も良好
(4)今のところ人間関係も良好(つきあっている人だけの範囲内で……)

 というのも、今朝、起き、雨戸を開けてびっくり!
何と我が家の前の土手の草刈りを、だれかがしてくれていた。
私が草を刈らねばならない、私の土地である。
その土地を、ときどき草刈りをしてくれる人がいる。

 先ほどまで心当たりのある人、何人かに電話をかけてみた。
が、みな、「私ではない」と。
?????????????

 本当に不思議なことがあるものだ。
というか、村の人たちの温かい心遣いが、うれしい。

Life is beautiful!

 そうそう10時ごろになって、あのホトトギスがじょうずに鳴くようになった。
「トウキョウー、トッキョ、キョカキョク(東京、特許、許可局)」と。
鳥も練習を重ねて、じょうずに鳴くことができるようになるものらしい。

6月18日、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある悲惨な事件(Yahoo Newsより)「息子を撲殺した父親」

Yahoo News様へ

転載をお許しください。
あまりにも悲惨な事件なので、胸が詰まりました。

++++++++++++++++++

Yahoo Newsに、たいへん悲惨な
事件が紹介されていた。
一行読むごとに、胸が詰まった。
息苦しかった。
数回、読みなおした。
さらに胸が詰まった。
さらに息苦しくなった。

そのまま紹介させてもらう。
つまりこういう現実が、現実にある。
そういう現実を、より多くの方にも
知ってもらいたい。

ここに登場する父親、母親、そして
殺された息子。
みんないい人だ。
そんないい人たちが、ときとして悲惨な
事件を引き起こす。

+++++++++++++++++

************以下、Yahoo Newsより**************

【法廷から】(Yahooニュースより)

 銀行員として定年まで堅実に勤め上げた男は、30年間自宅に引きこもっていた息子の
頭や顔に何度も金属バットを振り下ろした。真面目な男がなぜこれほど残虐な犯行に及んだ
のか。秋田市で長男=当時(50)=を金属バットで殴り殺した父親で無職、田口脩吉
被告(79)の口からは、仕事に邁進し、定年を迎えた男の寂漠たる光景が綴られた。(原
圭介)

 ■動かなくなった息子の顔を洗面器に

 事件は昨年11月12日午後6時ごろ、発生した。自宅で夕食を食べている長男の背後
から父親が金属バットで襲いかかり、執拗に頭部や顔を殴って、外傷性ショックで死亡さ
せた。凄惨きわまりない殺人だった。

 秋田地裁(馬場純夫裁判長)で開かれた裁判員裁判。

 被告人質問で、検察官は田口被告の残虐性を浮かび上がらせようとした。

 検察官「途中で長男にバットを取り上げられ、投げられた。しかも長男は反撃もしなか
った。なぜ殴るのを止めなかったのか」

 被告「夢中になってやっていて、中途でやめるのはダメだと思った」

 被告は長男が動かなくなってからも、洗面器の水に長男の顔をつっこみ、死んだことを
確認した。

 一人息子の長男は東京の専修大学に進んだ。ところが大学3年生のときに意味不明の言
動が始まり、精神疾患と診断された。卒業はしたものの、就職できずに帰郷。2階の部屋
に閉じこもって、本を読みふける生活を始める。以来約30年、部屋から出るのは食事の
ときだけ。自分では着替えもせず、髪やひげも伸び放題で、部屋は酸えた臭いが充満して
いたという。

 隣家の証言では、2階の窓は曇りガラスで、長男の姿はほとんど見えなかった。ただ、
夜は明かりが着き、音楽が大きな音で流れることがあったという。

 一方、田口被告は福島大経済学部を卒業後、地元の北都銀行(旧羽後銀行)に就職。約
40年間、真面目に勤めた後、さらに8年間、別の会社にも勤務した。厚生年金と長男の
障害者年金、妻の国民年金を合わせると月の収入は30万円を超え、老後の生活は決して
貧しくはなかった。

 ■被告も鬱病に罹患

 被告は犯行の2カ月前、弁護士に相談して遺言書を作成。親類宛に自分の死後の後始末
について頼む手紙も書いている。弁護人は被告が自殺も考えていたことを引き出した。

 弁護人「遺言書や手紙をどんな気持ちで書いたのですか」

 被告「息子を殺して私も死のうと思いました。私が先に死ねば、息子が一人残り、女房
もかわいそうだと思ったから」

 10年ほど前、長男の将来を心配し、被告も鬱(うつ)病に罹患(りかん)。治ったもの
の、不眠は続き、犯行前まで睡眠薬を手放せなかった。21年10月には大腸ポリープの
手術をした。その後、退院したが、貧血を起こして救急車で運ばれた。その頃から体力の
衰えを痛感し、長男の殺害と自殺を漠然と考えるようになったという。

 犯行の3週間前にも、長男を殺そうと、風呂場にいる長男の背後から漬け物石を首に押
しつけ水死させようとしたが、石を落としたため未遂に終わった。気づいた妻(75)か
ら「今度こんなことをしたら、あんたを殺す!」とどなられた。

 ■まだ体力が残っているうちに…凶行へ

 未遂後いったんは反省したものの、殺意は再び鎌首をもたげてくる。犯行当日、自宅近
くのスポーツ店にバットを買いにいった被告は、重すぎると振れないし、軽すぎると長男
への衝撃が少ないと、念入りに品定めし、ちょうどいいと思った720グラムの金属バッ
トを購入した。

 自宅に戻った被告は、妻や長男に見つからないように、自分のベッドの下に隠したあと、
夕食で長男が降りてくる直前に、彼がいつも食事で座る席の斜め後ろに隠した。食事に集
中している長男の後ろにそっと回り、死角から襲いかかる計算だった。妻がいたら殺せな
いと、妻が留守の間に殺害することも計算の内だった。

 被告は犯行後、血で染まった室内で少しだけ床や家具を拭いたあと、返り血を浴びた服
を着たまま、自分のベッドに横たわり、ぐったりしていた。自殺することもなかった。

 検察官「包丁で自分を刺すことは考えませんでしたか」

 被告「包丁は痛いので、使おうと思わなかった」

 検察官「服が脱げかかっていた遺体に、ふとんをかけてやる気は起きませんでしたか」

 被告「ふとんをかけるような力は残っていませんでした」

 帰宅した妻に発見され、「あんたがやったんだべ。あんたなんかいらない。息子さ返せ」
となじられたが、「どこさ行ってた」と応じた。

 検察官「『殺してすまん』とどうして(妻に)一言謝る気持ちになれなかったんですか」

 被告「うーん…」

 検察側は、強い殺意と計画性の裏側に、長男への憎しみや、愛情の薄さが感じられると
指摘する。

 長男は最近、被告の財布からたびたび数千円の金を抜き取り、お菓子や雑誌を買ってい
た。被告専用の冷蔵庫からも食べ物を失敬していた。

 検察官「注意したとき、長男は反発しましたか」

 被告「はい。『やってねー』『おれじゃねー』と」

 検察官「そういう長男をどう思っていましたか」

 被告「腹立たしく思いました」

 検察官「長男がいない方が自分は楽だ、という気持ちがありませんでしたか」

 被告「ありました」

 被告は体力の衰えを感じ、まだ体力が残っているうちに長男を殺害しようと考えたとい
う。

 ■財産譲る相手は被告の妻の妹

 被告は、長男の病気を治したり、環境を変える努力をしなかったのだろうか。

 一度だけ市内の病院に入院の手続きをして部屋も決まったが、長男は被告の手を振り切
り、強く拒否して自宅に逃げ帰った。通院も最初の5、6年は続けたが、その後は、長男
の代わりに妻や被告が病院に症状を話して薬をもらうようになっていた。

 事件の数カ月前、妻から、財産を処分し将来、長男を施設に入れることを提案された。

 検察官「提案にどう答えましたか」

 被告「金がかかるからだめだと言いました」

 検察官「いくらかかるか調べたことはありますか」

 被告「ありません」

 検察官「施設に入れるのに反対した理由は」

 被告「長男は入院もいやがったので、無理に施設に入るように言ってもだめだと思いま
した」

 被告の自宅の土地価格は約1千万円。200万円の貯金もあった。

 しかし、被告が書いた遺言状では、被告が死んだあと、財産を譲る相手は妻ではなく、
妻の妹だった。

 弁護人「なぜ妻に相続させようとしなったのですか」

 被告「女房とは仲が悪いので…」

 弁護人「息子の病状や将来について妻に相談しようとしたことは?」

 被告「ありません」

 弁護人「なぜですか」

 被告「『そばに来るな』と手で払われるので、話ができませんでした」

 ■「家族の中で孤立、同情する側面も」

 退職して終日家にいるようになった被告の唯一の趣味は、植木や花の世話。妻は友だち
と遊びに行ったり、パチンコに興じたり。パチンコをやめる、やめないで夫婦は何度か口
論になった。犯行の日も妻はパチンコに出かけ、帰ってきたのは午後11時ごろだった。

 退職後、長男と食事をともにすることはあっても、会話はほとんどなかった。妻とは会
話はもちろん、食事をいっしょにすることもほとんどなかった。

 裁判員「会社に40年間勤めて、楽しかった想い出は?」

 被告「(社内)旅行」

 ぽつりと答える被告の背中に孤独感がにじむ。エリート銀行員としてまじめに働いた人
生。しかし、いつの間にか妻子との心の絆は切れてしまっていたのか。

 しかし、公判の中で、こんな話が明らかになる。風呂場での殺害未遂のあと、妻は長男
に「お父さんを許してね」と話した。長男は「何でもない」と応じたという。被告はちょ
っと驚いた表情を見せた。

 検察官「この話をどう思いますか」

 被告は「うーん」と言ったきり黙ってしまった。法廷で田口被告が表情を露わにするこ
とはなかった。

 証人として出廷した妻は、「(被告を)許してやってほしい。刑を軽くしてやってほしい」
と訴えた。

 被告が退職するまでの40数年、長男の身の回りの面倒を見てきたのは妻。妻と長男の
心はつながっていたが、退職後、被告は孤立感を募らせ、母子の愛情に嫉妬し、言うこと
を聞かない母子に憎しみさえ覚えていったのではないかと感じた。

 検察側は、さしたる抵抗もせずに逃げ回る長男を執拗(しつよう)に追いかけて殺害し
た残虐性や、確実に殺害できる方法を用意周到に準備して実行した計画性を重視。「安易で
自分勝手な犯行」と、懲役10年を求刑した。

 これに対して弁護側は、鬱病や老い、治る見込みのない長男の精神疾患、妻との不仲が
絶望につながり、「八方ふさがりで、やむなく犯行に及んだ」と情状酌量を求めた。

 戦後の高度経済成長の中で、ひたすら働いてきた不器用なサラリーマンが、仕事を失っ
て家庭に戻ると、拠り所がなかったという悲哀も考えさせられた。

 弁護人「これからの人生をどうしたいと思っていますか」

 被告人「部屋の中で、ずっと長男のことを拝んでいきたい」

 細々とした声が、静まりかえった法廷に響いた。

 10日、秋田地裁は懲役7年の判決を言い渡した。判決理由には「犯行は安易で短絡的
だが、家族の中で孤立感を深め、同情する側面も……」と。

************以上、Yahoo Newsより**************

●一言一句のもつ重み

 息子を案ずる父親。
殺されそうになりながらも、父親をかばう息子。
その間にあって、悶絶する母親。
そして父親の孤独。
絶望。

 ここに書かれた一言一句を、じっくりとみなさんも読んでほしい。
コメントなど、つけようもない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 息子を撲殺した父親)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●インチキ検査をしても、バレるぞ!(静岡県茶から放射能!)

++++++++++++++++++++

業者を守ろうと、インチキ検査を繰り返しても
バレるぞ!

少しは恥を知れ!

++++++++++++++++++++

(東京新聞)6−18日

『【パリ発】フランス競争消費違反取り締まり総局(DGCCRF)は十七日、日本からパ
リ近郊の空港に 空輸された静岡県産の緑茶の葉から欧州連合(EU)の許容基準の二倍を
超える一キログラムあたり1038ベクレルの放射性セシウムが検出されたため、押収 し
たと発表した。
福島第一原発の事故後、フランスに輸入された日本産食品から放射性物質が検出されたの
は初。

EUでは三月下旬から福島や東京など十二都県産の食品を輸入する際、放射性物質検査を
義務付けているが、静岡県産の食品は対象外としていた。ただフランスは日本からの食品
に対して独自に検査していた。

フランスは今回の結果を受け今後、静岡県産の検査を強化していくことを決定。さらに欧
州全体でも従来の十二都県産に加え、静岡県産も検査対象とするよう欧州委員会に要請す
る。AFP通信によると、出荷元などは明らかにされていない』(以上、東京新聞)と。

●今日は6月18日、6月15日に書いた原稿より

 3日前に書いた原稿を再掲載!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●さらにおかしな論理

 静岡県のお茶から、規制値以上の放射線が観測された。
これに対して、静岡県の川勝平太知事は、こう言った。

「(飲用茶について)それぞれ1キロ当たり、5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制値
(1キログラム当たり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調。……飲用茶は数
ベクレルで安心して飲んでほしい」(中日新聞・6・15)と。

 川勝知事は学者であったはず。
その川勝知事が、こういう「?」なことを堂々と言うところがおかしい。
言うまでもなく放射性物質は、ほかの薬物や毒物とちがい、一度体の中に取り込まれたら
最後、体の中でどんどんと蓄積されていく。
尿となって排出される分や、半減期を経て、半減して分もある。
しかし基本的には蓄積されていく。

そういうお茶を、20キロ(20リットル)飲んだら、どうなるのか?
40キロ飲んだら、どうなるのか?
お茶にも濃さがある。
逆にこんな論理がまかり通るなら、どんなに汚染されたお茶でも、お湯で薄めれば安全と
いうことになってしまう。
さらに「?」なことがある。

 先日の報道では、(原茶)→(製茶)にした段階で、放射線の濃度は5倍になる。
しかし飲用する段階では、(お湯で薄めるので)、8分の1になると言っていた。

 どうして規制値内(500ベクレル以下)の製茶が、お湯で薄めたら、「5・8〜7・3
ベクレル」になるのか?
単純に計算すれば、83分の1になったことになる(500÷6・0で計算)。
何度も計算しなおしてみたが、やはり83分の1。

 念のため、新聞記事をそのまま紹介する。
私の書いていることを疑う人がいたら、自分で計算してみたらよい。

「……一方で、規制値(500ベクレル)を超えた2工場の製茶を、飲用茶として独自検
査したことを(川勝知事は)明かし、それぞれ5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制
値(1キログラムあたり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調」と。

 つまり製茶の段階で、500ベクレルを超えていたお茶だったが、お湯で溶かしてみた
ら、6・0ベクレル前後になった。
だから、安全、と。

 こんなバカな、手品みたいなことが、どうして起こるのか?
さらに今回の検査では、重大な見落としがある。
こうある。

「放射性セシウムの検出量は、581〜654ベクレルで……」と。

 わかるかな?
放射性物質といっても、その種類は、無数にある。
毒性がきわめて強いプルトニウム、ストロンチュームもそれに含まれる。
放射性ヨウ素もその1つだが、そのヨウ素にしても、134,132,135,133,
131などの種類がある。
調べたのは、たったの1種類。
放射性セシウムだけ。

 さらに県の報告が1日遅れたことについて、川勝知事は、こう居直っている。
「(遅れたことで、どういう)損害が出たのか言ってみてください」(中日新聞)と。

 こういうバカなことを平気で言うところが恐ろしい。
あのね、損害は、これから出るの!
1日遅れれば、その分だけ、工場からの出荷が野放しになるの。
正確な数字はわからないが、仮に1日、1トンの出荷量のある工場だったら、その1トン
が、市中に出回ることになるの!
それを日本人が、飲むことになるの!

●やがて否応なしに……

 東京に住む石原氏にしても、静岡市に住む川勝氏にしても、やがて否応なしにその事実
を突きつけられる日がやってくる。
私はけっしてそれを望む者ではないが、しかしこんなごまかしは、いつまでもつづかない。
やがて東京都全体に避難勧告が発布されるようになるかもしれない。
静岡県茶が全面、出荷禁止になるかもしれない。
だったら今は、「?」なコメントは控え、事実の収集だけに心がけるべきではないのか。
が、現実は、逆行している。
同じ中日新聞には、こうある。

「(すでに)一番茶の出荷を終えた工場も多いことから、地区内にある約100工場すべて
を検査する当初の方針を変更し、今後は要望のある工場のみを検査する」と。

 「今後は、要望のある工場のみを検査する」と。

 そうでなくても、静岡県茶については、農薬汚染が問題になっている。
ご存知の方も多いかと思うが、茶の産地にある、ため池、川からは、生物という生物が、
ほとんど姿を消した。
そういう事実を、隠しに隠しつづけている。
そういう地域で、「今後は、要望のある工場のみを検査する」?
どこの工場が、あえて「要望」など、するものか?
バカも休み休み言え。

 ……つまりこうして私たちの不信感は、募(つの)っていく。
庶民の代表として、本来なら庶民の側に立つべき人間が、企業側の利益の保護だけを考え
て発言する。
行動する。

 私の予想では、この日本は、このまま行き着くところまで行く。
またそこまで行かないと、気がつかない。
本来なら、ヒステリー状態ではなく、パニック状態になっていてもおかしくないのだが…
…。
2011/06/15記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【恋愛至上主義】について、補足

(はやし浩司より読者の方へ)

こんばんは!
 
尾崎豊の時代から始まって、世代間の確執闘争が
はげしくなったように感じています。
若い人たちが、高齢者の経験や知恵に耳を傾けなくなった。
とくに子育てにおいては、です。
ご存知のように、子どもの教育においては、若い親たちは、
自分がもっとも正しいと考えています。
その返す刀で、両親の育児観を否定してしまいます。
が、これはたいへんまずい結果をもたらします。
先人の知恵を織り込まない分だけ、ものの考え方が、極端化しやすくなります。
 
そのひとつとして、恋愛至上主義をあげました。
一度恋愛すると、若い人たちはそれがすべてと考えます。
しかしそこで冷静になってほしいのです。
自分が知りうる人間(異性)の数というのは、限られているのです。
その狭い範囲の中で、最良?の人を選んでいるにすぎないのです。
つまりそれでもって、至上と考えてはいけません。
性がきわめて自由なオーストラリアにおいてでさえ、婚約期間は
長くなる傾向があります。
1〜2年と言うのは、当たり前です。
彼らは籍を入れるのに、きわめて慎重です。
むしろ日本のほうが異常です。
犬やネコの血統書登録程度にしか、考えていません。
「恋愛しました」「結婚します」「籍を入れます」と。
 
またアメリカにしても、カルフォルニア州は一部です。
全体では、もっと保守的ですね。
アメリカ人自身がそういっています。
ハリウッド映画だけを観て、アメリカを判断しないでほしいとです。
 
が、日本では、何度も書きますが、いまや、恋愛至上主義、全盛期です。
後先のことを考えないで、恋愛、即、結婚へと突っ走ってしまいます。
が、その分だけ、破綻する夫婦もふえています。
その結果、離婚率こそ、アメリカ並ですが、仮面夫婦となると、
その数倍はいるとみてよいでしょう。
みな、子どもの養育や世間体を考えて、仮面夫婦をつづけています。
その点アメリカ人は、そういう「仮面」が苦手…、つまり表と裏、本音と建前を
使い分けませんから、そのまま離婚してしまいます。
オーストラリア人もそうですね。
言い換えると、日本人のほうが、実際には形だけの夫婦が多いということです。
これを「家族崩壊」といいます。
(家庭崩壊ではなく、家族崩壊です。)
 
日本人の恋愛観、夫婦観、家族観は、戦後大きく変わりました。
これは事実です。
この先のことはわかりませんが、ますますアメリカぽくなっていくことだけは
事実です。
それはそれでしかたのないことですが、そのため世代間の軋轢(あつれき)は
ますますはげしくなっていくことでしょう。
社会のシステムがそれについてくればよいのですが、そうでなければ、そうでない。
「混乱」あるのみ。
これから先、20〜30年は、それがつづくと思います。
 
最後に意識を変えるのは、本当にむずかしい。
新しいシステムになれるのは、もっとむずかしい。
脳の中の思考回路が、加齢と共に、固定化するからです。
若い人たちが、それを理解してくれればよいのですが、それを期待しても
無理でしょう。
私たちは私たちで、防衛するしかないのです。
わかりやすい例として、「墓」の問題があります。
われわれの年代以上の者は、墓にある種のこだわりをもっています。
(宗教心のあるなしにかかわらず、です。)
しかし若い人たちに、「墓など、無意味」と言われてしまうと、
それまでです。
反論のしようがありません。
 
だから私のばあいは、友人の寺の墓地に、無縁仏として入れてもらうよう、
すでに今から頼んであります。
それが「防衛」ということになります。
 
「アジャストメント」は、もちろんただの娯楽映画です。
私のような視点をもって見るような、ヘソまがりはいないでしょう。
ハハハと笑って楽しめば、それでよいのです。
おおせの通りです。
(ただありきたりの映画評論ではつまらないから、あのような意見を書きました。)

で、たった今、「パイレーツ・オブ・カリビアン」を観てきました。
これも実にくだらない、たわいもない映画です。
哲学性、ゼロ。
ストーリーも、ありきたり。
「インデイアナ・ジョーンズ」のリメイク版?
聖杯がどうの、永遠の命がどうの、と。
星は、がっかりの、2つだけ。
★★
 
で、期待は、いよいよ「SUPER・8」。
来週、公開です。
楽しみにしています。

では、これで・・・
 
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●静岡県川勝知事の反論(飲茶は安全?)

まず時事通信の記事(6・16)。

『……仏当局などによると、162キロの緑茶に対する検査で、欧州連合(EU)基準の1キロ
当たり500ベクレルを上回る、同1038ベクレルの放射性セシウムが検出された。緑茶は廃
棄処分される。
 仏当局は今回の検出を受け、静岡県産の野菜類に対する検査強化を決定。また、同県産
品をEUレベルでも検査対象に加えるよう欧州委員会に申し入れる方針という』(以上、時
事通信)。

 これに対して静岡県の川勝知事が、即座に反応。
こう反論した。
「飲茶にすれば、放射線量は100分の1程度になるので、飲んでも安全」(ヤフーNEW
S)と。 

●「しきい値」

 川勝知事は、放射線のしきい値について、大きな誤解をしている。
「しきい値」というのは、「それ以下の値なら安全」という「値」をいう。
しかしこと、放射線に関して言えば、しきい値は、存在しない。
そんなことは科学者の間では、常識(注※1)。

 たとえば1時間当たり、1シーベルトの放射線を浴びた100人のうち、1年以内に1
0人ががんで死んだとする。
では、0・5シーベルトなら、どうなるか。
100人のうち、5人が、がんで死ぬことになる。
あるいは2年以内に10人が死ぬでもよい。
(実際には、こんな単純な計算ではないが……。注※2)

 では、1シーベルトの1000分の1ではどうか。
1時間当たり、1ミリシーベルトの放射線を浴びたとする。
このばあいは、100人のうち、1年以内に0・01人が死ぬことになる。
0・01人ではわかりにくいから、10000人のうち、1人が死ぬと言い換えてもよい。
10年の以内に、10人が死ぬでもよい。
もし放射線を浴びた人が、10万人だったら、10年に以内に、100人が死ぬことにな
る。

 放射線は、ほかの毒物や薬物とはちがって、ある一定量以下なら無害ということは、あ
りえない。
量が少なければ、死者の数が減るだけ。
あるいは仮に10年はだいじょうぶでも、20年後には障害が現れる。
つまり「しきい値」は、存在しない。

●お湯で薄めれば安全?

 そこで再び、川勝知事の論理。

「飲茶にすれば、放射線量は100分の1程度になるので、飲んでも安全」と。

もしこんなバカげた論理が、(「バカ」と断言しても、さしつかえないと思うが)、まかり通
るなら、どんな放射線物質でも、水で希釈すれば、安全ということになる。
もちろんお湯でもよい。
水で1000倍に薄めればよい。
1万倍に薄めればよい。
だったらわかりやすく、海水に混ぜて、海へ流せばよい。
海水によって、かぎりなく希釈され、放射線物質でも安全になる(?)。

 しかしこんなバカげた論理は、世界では通用しない。
むしろかえって、世界の人の笑いものになるだけ。
が、それだけではすまない。
静岡県は信用を失う。
世界中が、静岡県茶の輸入を禁止にするのは、時間の問題。

 最初からきちんと検査し、その数値に応じて、しっかりと出荷停止処分にすればよかっ
た。
それをごまかすから、こういうことになる。
それに当初は、「飲茶にすれば8分の1になる」と言っていたはず。
それが今度は、「100分の1になる」と。

 仮に100分の1でも、そのお茶を、100杯飲んだら、どうなるのか?
またベクレルとシーベルトは、ちがう。
放射性物質の能力が、ベクレル。
人体への影響度を数値化したのが、シーベルト。
今後の人体への影響を考えるなら、「1キロ当たり1038ベクレル」というのは、きわめて深
刻な数字と考えてよい。

 へたな反論を繰り返せば繰り返すほど、静岡県は、信用を失う。
事実、失った。
フランス政府は、こう決定した。

「仏当局は今回の検出を受け、静岡県産の野菜類に対する検査強化を決定」(時事通信)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)

(注※1)低い線量の被曝についても、線量とがんや白血病などの発生確率は比例すると
考えるのが直線しきい値なしモデル(LNTモデル)と呼ばれる仮説である。LNTモデルはICRP
勧告第26号(1977年)において、人間の健康を護る為に放射線を管理するには最も合理的
なモデルとして採用された。各国の国内規制もICRPの勧告に準じていることが多い。

(注※2)1990年のICRP勧告60号においては、放射線に起因する発がんの確率は被曝線
量に対する二次式の形で増えると評価されている。線量が低いときには二次項は一次項よ
りずっと小さくなるので、実用上は一次式で表される(すなわち線量と発がんの確率は比
例している)。その比例係数は0.05、すなわち被曝1シーベルトごとにがん発生の確率が
5%上がるとしている(以上、ウィキペディア百科事典より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インチキ検査をしても、バレるぞ!(静岡県茶から放射能!)

++++++++++++++++++++

業者を守ろうと、インチキ検査を繰り返しても
バレるぞ!

少しは恥を知れ!

++++++++++++++++++++

(東京新聞)6−18日

『【パリ発】フランス競争消費違反取り締まり総局(DGCCRF)は十七日、日本からパ
リ近郊の空港に 空輸された静岡県産の緑茶の葉から欧州連合(EU)の許容基準の二倍を
超える一キログラムあたり1038ベクレルの放射性セシウムが検出されたため、押収 し
たと発表した。
福島第一原発の事故後、フランスに輸入された日本産食品から放射性物質が検出されたの
は初。

EUでは三月下旬から福島や東京など十二都県産の食品を輸入する際、放射性物質検査を
義務付けているが、静岡県産の食品は対象外としていた。ただフランスは日本からの食品
に対して独自に検査していた。

フランスは今回の結果を受け今後、静岡県産の検査を強化していくことを決定。さらに欧
州全体でも従来の十二都県産に加え、静岡県産も検査対象とするよう欧州委員会に要請す
る。AFP通信によると、出荷元などは明らかにされていない』(以上、東京新聞)と。

●今日は6月18日、6月15日に書いた原稿より

 3日前に書いた原稿を再掲載!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●さらにおかしな論理

 静岡県のお茶から、規制値以上の放射線が観測された。
これに対して、静岡県の川勝平太知事は、こう言った。

「(飲用茶について)それぞれ1キロ当たり、5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制値
(1キログラム当たり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調。……飲用茶は数
ベクレルで安心して飲んでほしい」(中日新聞・6・15)と。

 川勝知事は学者であったはず。
その川勝知事が、こういう「?」なことを堂々と言うところがおかしい。
言うまでもなく放射性物質は、ほかの薬物や毒物とちがい、一度体の中に取り込まれたら
最後、体の中でどんどんと蓄積されていく。
尿となって排出される分や、半減期を経て、半減して分もある。
しかし基本的には蓄積されていく。

そういうお茶を、20キロ(20リットル)飲んだら、どうなるのか?
40キロ飲んだら、どうなるのか?
お茶にも濃さがある。
逆にこんな論理がまかり通るなら、どんなに汚染されたお茶でも、お湯で薄めれば安全と
いうことになってしまう。
さらに「?」なことがある。

 先日の報道では、(原茶)→(製茶)にした段階で、放射線の濃度は5倍になる。
しかし飲用する段階では、(お湯で薄めるので)、8分の1になると言っていた。

 どうして規制値内(500ベクレル以下)の製茶が、お湯で薄めたら、「5・8〜7・3
ベクレル」になるのか?
単純に計算すれば、83分の1になったことになる(500÷6・0で計算)。
何度も計算しなおしてみたが、やはり83分の1。

 念のため、新聞記事をそのまま紹介する。
私の書いていることを疑う人がいたら、自分で計算してみたらよい。

「……一方で、規制値(500ベクレル)を超えた2工場の製茶を、飲用茶として独自検
査したことを(川勝知事は)明かし、それぞれ5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制
値(1キログラムあたり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調」と。

 つまり製茶の段階で、500ベクレルを超えていたお茶だったが、お湯で溶かしてみた
ら、6・0ベクレル前後になった。
だから、安全、と。

 こんなバカな、手品みたいなことが、どうして起こるのか?
さらに今回の検査では、重大な見落としがある。
こうある。

「放射性セシウムの検出量は、581〜654ベクレルで……」と。

 わかるかな?
放射性物質といっても、その種類は、無数にある。
毒性がきわめて強いプルトニウム、ストロンチュームもそれに含まれる。
放射性ヨウ素もその1つだが、そのヨウ素にしても、134,132,135,133,
131などの種類がある。
調べたのは、たったの1種類。
放射性セシウムだけ。

 さらに県の報告が1日遅れたことについて、川勝知事は、こう居直っている。
「(遅れたことで、どういう)損害が出たのか言ってみてください」(中日新聞)と。

 こういうバカなことを平気で言うところが恐ろしい。
あのね、損害は、これから出るの!
1日遅れれば、その分だけ、工場からの出荷が野放しになるの。
正確な数字はわからないが、仮に1日、1トンの出荷量のある工場だったら、その1トンが、市
中に出回ることになるの!
それを日本人が、飲むことになるの!

●やがて否応なしに……

 東京に住む石原氏にしても、静岡市に住む川勝氏にしても、やがて否応なしにその事実
を突きつけられる日がやってくる。
私はけっしてそれを望む者ではないが、しかしこんなごまかしは、いつまでもつづかない。
やがて東京都全体に避難勧告が発布されるようになるかもしれない。
静岡県茶が全面、出荷禁止になるかもしれない。
だったら今は、「?」なコメントは控え、事実の収集だけに心がけるべきではないのか。
が、現実は、逆行している。
同じ中日新聞には、こうある。

「(すでに)一番茶の出荷を終えた工場も多いことから、地区内にある約100工場すべて
を検査する当初の方針を変更し、今後は要望のある工場のみを検査する」と。

 「今後は、要望のある工場のみを検査する」と。

 そうでなくても、静岡県茶については、農薬汚染が問題になっている。
ご存知の方も多いかと思うが、茶の産地にある、ため池、川からは、生物という生物が、
ほとんど姿を消した。
そういう事実を、隠しに隠しつづけている。
そういう地域で、「今後は、要望のある工場のみを検査する」?
どこの工場が、あえて「要望」など、するものか?
バカも休み休み言え。

 ……つまりこうして私たちの不信感は、募(つの)っていく。
庶民の代表として、本来なら庶民の側に立つべき人間が、企業側の利益の保護だけを考え
て発言する。
行動する。

 私の予想では、この日本は、このまま行き着くところまで行く。
またそこまで行かないと、気がつかない。
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…。
2011/06/15記

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 1日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの心、親知らず】

●「うちに帰って相談して決めます」

 幼稚園でいうと、今、「入れて(=入園させて)もらえますか?」と聞いてくる親は、ま
ずいない。
生徒、様々。
「入れる」という前提で、見学に来たりする。
で、幼稚園側も、そうした親や子にていねいに対処する。
今では給食を提供するのも、当たり前。
手のあいている教師に、マンツーマンでガイドさせることもある。

 が、親の方はどうかというと、帰りがけに、こう言う。
「入園するかどうか、うちへ帰って相談してから決めます」と。
中には、「明日、もう一度、見学させてください」と言う親もいるという。

 親にしてみれば、何げない一言かもしれないが、この一言が、グサリと園側の園長や教
師の心を刺す。
ある教師(教師歴20年以上)は、こう言った。
「いくら慣れたとはいえ、この言葉だけには、慣れることができません」と。

●自動販売機

 こうした傾向は、私の教室でもある。
あるいはもっと、ひどい(?)。
お金さえ払えば、だれでも入れると思っている。
立場が「塾」だから、それはしかたない。
以前は、「自動販売機」と揶揄(やゆ)された。
いちいちそんなことで傷ついていたら、この仕事はできない。
慣れたわけではないが、その瞬間、その親や子どものことは忘れる。
私のばあい、「縁があったら、またおいでください」というような言い方をして、別れる。

 そう、この世界は、「縁」で始まり、「縁」で終わる。

 小さな種かもしれないが、それを蒔いておけば、いつか芽が出る。
そう思って、別れる。

 が、反対に、こういうこともある。
ときどき何かの問題をもった子どもがやってくる。
若いときは、そういう子どもでも引き受けた。
が、50歳を過ぎるころから、それができなくなった。
体力的な限界を覚えるようになった。
で、それとなく断ることもある。
が、その断り方がむずかしい。
いくらていねいな言い方をしても、たいていの親は、店で販売拒否にでもあったかのよう
に激怒する。
「どうして、うちの子は入れてもらえないのですかア!」と。

 一度だけだが昔、こう言われたこともある。
「お高くとまって、あなたは何様のつもりですか!」と。

●「メイリークリスモース」

 親といっても、若い女性の世界。
若い女性がみな、そうだというのではない。
しかし中には、テレビのバラエティ番組からそのまま出てきたような若い女性もいる。
モンスターママというよりは、プチ・モンスターママ。
電話のかけ方どころか、話し方までおかしい(失礼!)。

「オタクウ(お宅は)、ヤウジウ(幼児)キャオウシツウ(教室)?」と。
口をほとんど閉じたまま、鼻から音を出して話す。
たとえば「メリークリスマス」を、「メイリークリスモース」というような言い方をする。
都会(東京)などで、接客業をしている女性に、そういう話し方をする人が多い。
この浜松市でも、ふえてきた。

 そういう女性のばあい、私は電話の問い合わせの段階で、入会を断ることにしている。
一事が万事。
万事が一事。
母親がそういう話し方をしていて、どうして子どもにまともな国語力が育つというのか。

●ジー様

 ……とはいえ、私の仕事もいよいよ秒読み段階に入ってきた。
よく「あと何年、この仕事ができるだろうか」と考える。
若い母親たちからみると、私はとんでもないほど遠くにいるジー様に見えるはず。
私も若いとき、そう思っていた。
30代のころは、50歳の人でも、ひどくジー様に見えた。
そのジー様。
こと幼児教育の世界では、ジー様はお呼びではない。
子どもも小さいが、親も若い。
それがよくわかっているから、否応なしに、私は謙虚になる。
……ならざるをえない。
「来てもらえるだけも、ありがたい」と。

 で、残り2年か、それとも3年か?
ワイフはいつもこう言っている。
「できるところまでしましょうよ」と。

●「あんなヤツ、早く死ねばいい」

 ……と書くと、私の愚痴で終わってしまう。
で、ここから先は、育児論。

 こうしたケースで注意しなければならないのは、親たちは、子どもの心をどれだけ大切
にしているかということ。
「うちの子は、まだ判断力がないから」という理由だけで、親側がすべてを決めてしまう
ケースが目立つ。
あるいは「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と思い込んでいる親も多い。
幼稚園やおけいこ塾のみならず、学校や進路、進学についても、である。

 教師というのは、当然のことながら、親と子どもの(間)に立つ。
だから双方の気持ちや考え方がよくわかる。
が、こんなケース。

 親は、(母親であることが多いが)、「私は子ども思いのいい母親」と思い込んでいる。
子どもの生活のあらゆる場面に介入してきては、親が一方的にすべてを決めてしまう。
「今度からあの塾へ行きなさい」
「来週からは、A塾をやめ、B塾へ移りなさい」など。

 で、そういう親に対して、子どもの側が、それなりに感謝しているかというと、それは
ない。
ある男児(小6)は、口癖のように、いつもこう言っていた。
「あんなヤツ、早く死ねばいい」と。
ふつうの言い方ではない。
顔を引きつらせ、体をこわばらせて、そう言った。
「あんなヤツ」というのは、彼の母親をいう。

 が、こんなケースもある。

●成績は最下位

 S君はそのとき中学1年生だった。
進学校にはいたが、成績はいつも最下位。
1学年2クラスしかない小さな中学校だった。
S君は、悪い意味で、目立った。

 が、母親はプライドが高く、メンツを重んじた。
で、S君を、半ば強制的に転校させようとした。
隣の町に、全寮制の中高一貫校があった。
そこへ転校させようとした。
理由は、「今の学校は、うちの息子には合っていない」だった。

 で、手続きがほぼ完了したところで、S君が反撃に出た。
「ぼくは転校しない!」と。
そのあと、私に母親から相談があった。
「どうしたらいいか?」と。

 私はS君と一対一で、話した。
その中で、S君は、こう言った。
「今の学校のままでいい」と。

私「今の学校に入ったことを、後悔していないか?」
S「していない」
私「どうしてお母さんが、君を転校させようとしているか、君は知っているか」
S「知っている。ぼくが、バカだから……」
私「君は、バカではないよ」
S「でも、お母さんは、そう言っている」

私「学校はそれで、楽しいか」
S「楽しいよ。友だちもたくさんいる」
私「みんなに、いじめられないか」
S「いないよ。ぼくは人気者なんだ」
私「そうだろうな。君はユーモアのセンスもいいし……」と。
 
●悪玉親意識

 結局、S君は中学3年生までその学校に籍を置き、そのあと市内の公立高校へと進学し
ていった。
……というようなケースは、多い。
本当に多い。
親意識だけが、(親意識といっても、悪玉親意識だが)、やたらと強い。
子どもの気持ちを確かめることもなく、子どもの(すべて)を親が決めてしまう。
結果、親子の心は、バラバラ。

 が、こうなると断絶は、時間の問題。
というより、すでに断絶状態。
それに気づかぬのは、親ばかり……といった状態になる。

 では、どうしたらよいか?

 簡単に言えば、そのつど子どもの気持ちを確かめる。
その一言に尽きる。
が、こうした関係は、簡単には是正されない。
それがその親の、子育てのリズムになっているから。
しかもそのリズムは、恐らく、子どもを妊娠したときから始まっている。
つまり根が深い。

悪玉親意識が強い。
権威主義者。
家父長意識も強い。

 こうした子育て観が、しっかりとできあがってしまっているため、それを直すのは、簡
単ではない。
簡単ではない……というより、ほぼ不可能。
親自身が行き着くところまで行き、それを「失敗だった!」と認めて、はじめてわかるこ
と。

 が、方法がないわけではない。
たとえばこうした私のエッセーを読むのも、そのひとつ。
読んで、自分の姿を客観的に知る。
(そのために、私は今、こうしてそれを書いている。)

 繰り返しになるが、私の長い経験から、これだけははっきりと言える。
「うちの子のことは、私という親がいちばんよく知っている」と思っている親ほど、失敗
しやすい。
その実、自分の子どものことなど、まるで知らない。

 ということで、幼稚園やおけいこ塾を選ぶときも、子どもの心を大切にする。
そういう習慣をそのころから、身につける。
その第一が、「謙虚さ」ということになる。

 「この幼稚園へ(おけいこ塾へ)、入れていただけますか」と聞く親は、それだけ子ども
に対しても謙虚ということになる。
その謙虚さを、忘れてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 謙虚 悪玉親意識 親風 子どもの心、親知らず 断絶の始まり)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【国民の不信感、目下、増大中!】

●風邪が抜けた!

 この数日間、体がだるくてしかたなかった。
全体に熱っぽいというか、いつもホカホカ、フワフワした状態だった。
が、体温計で体温を測定しても、36・5度前後。
私は低体温症だから、私にしては、いつもより高温。
ふだんは36度以下。
「風邪薬をのむまでもないな……」と思いつつ、数日間が過ぎた。

 が、今朝(6月15日)は、それがない。
気分はさわやか。
スッキリ。
やっと風邪が抜けた。
みなさん、おはようございます!

●集団ヒステリー

 「当然、あれだけ大きなアクシデントがあったわけですから、集団ヒステリー状態にな
る……分かります、それは。心情としては」(TBS NEWSーi)と。
自民党・石原伸晃幹事長は、そう語った。

 集団ヒステリー?

 私は逆のことを考えていた。
むしろこの(静けさ)こそが、信じられなかった。
「もの言わぬ従順な民、ここに極まれり」と。

 欧米では、日本の原発事故に触発され、各地で原発反対の運動が燃えさかっている。
が、肝心のこの日本では、みなさん、ご存知の通り。
静か。
静かすぎる。
集団ヒステリーが起きて当然。
その当然の国が、かくも、静か?

 石原氏ものんきな人だ。
このたび筑波大学が中心となって、「放射能による土壌汚染地図」が公表された。
それによれば、福島第一原発から200キロも離れた、千葉県の取手市や流山市などで、
1平方メートル4万ベクレル、通常の400倍もの放射線が観測されている。
千葉県から東京まで50キロ。
放射能汚染の世界では、50キロなど、誤差の範囲。
ことの深刻さが、まるでわかっていない。

●1平方メートル当たり、4万ベクレル?

 チェルノブイリ原発事故のときは、遠く離れたスウェーデンにまで、大きな影響を与え
た。
そのスウェーデンは、かなり詳しい汚染地図を公表している。
ちなみにチェルノブイリからストックホルムまでは、約1200キロ。
この距離は、福島第一原発から、鹿児島までの距離に等しい。

 それを見ても、つまり汚染地図を見ても、汚染は、同心円状に汚染されるのではなく、
スポット的に汚染されているのがわかる(「原発事故」宝島社)。
たとえて言うなら、ミサイルに攻撃されたかのように、あちこちが虫食い的に汚染されて
いる。
遠いから安全……というのは、こと原発事故には当てはまらない。
ヨーロッパ全体でみれば、がん患者は、80万人単位でふえていると推定されている(京
都大学・今中氏)。

 が、福島第一原発から東京までは、たったの200キロ!
集団ヒステリーどころか、集団暴動が起きても何らおかしくない。
その東京に住む石原氏が、「集団ヒステリー」とは?

 もちろんチェルノブイリと福島第一原発とでは、原子炉の形そのものがちがう。
「だからチェルノブイリのときのような爆発は起きません」と説く学者もいる。
しかしその一方で、福島第一原発のほうは、発電量でみるかぎり、チェルノブイリの4〜
5倍以上もの規模があることを忘れてはいけない。
(チェルノブイリでは、4号炉のみ、出力100万キロワットが爆発した。)

 今後のことは、だれにもわからない。
しかしこんな事実もある。

 チェルノブイリでは、事故から3年たってから、やっと詳細な汚染地図が公表された。
その結果、原発事故現場から、300キロも離れたところまで高汚染地域が広がっている
ことがわかった。
その結果、チェルノブイリから200〜300キロ離れた、ベラルーシ共和国でさえ、1
1万人の人々が強制的に移住させられた。

 3年もたってからだぞ!
200〜300キロも離れていても、だぞ!

 さて本題。
簡単な算数。

 1平方メートル当たり、4万ベクレルは、1キロ平方メートルにすると、何ベクレルに
なるか。

 4万x1000x1000=40000000000ベクレル=400億ベクレル!

 しかしこんな数字を見ても、ピンとこない。
が、こういう言い方をすれば、深刻さがもう少し理解できるのでは?

●X線撮影室

 1キューリー=約3万7000ベクレルで計算する。
それでみると、4万ベクレルは、約1キューリー強に相当する。
この値は、X線撮影室の放射線量に等しい。
つまり千葉県の取手市や流山市の人たちは、日常的に、X線撮影室の中にいるのと同じ放
射線を受けていることになる。
 
 いわく「1キューリー以上の地帯には、かならずそのドアの前には、黄色の警告マーク
が描かれ、『関係者以外、立ち入り禁ず』と書かれています。
京大原子炉実験所の性質上、僕もその中に入ることがあるが、その際かならず放射線測定
器を身につける。
仕事が終われば、さっさと出る。
中に入ったが最後、水も飲めない。
もちろんそんな場所に子どもを連れて入ってはいけないし、子どもを産んではいけない。
妊娠の可能性のある女性は、医者の相談なしに入ってはいけない。
ましてやそこで人々は生活してはいけない。
1キューリー以上の汚染域というのは、そういうイエローゾーンのことなんです」(「原発
事故」)と。

●さらにおかしな論理

 静岡県のお茶から、規制値以上の放射線が観測された。
これに対して、静岡県の川勝平太知事は、こう言った。

「(飲用茶について)それぞれ1キロ当たり、5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制値
(1キログラム当たり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調。……飲用茶は数
ベクレルで安心して飲んでほしい」(中日新聞・6・15)と。

 川勝知事は学者であったはず。
その川勝知事が、こういう「?」なことを堂々と言うところがおかしい。
言うまでもなく放射性物質は、ほかの薬物や毒物とちがい、一度体の中に取り込まれたら
最後、体の中でどんどんと蓄積されていく。
尿となって排出される分や、半減期を経て、半減して分もある。
しかし基本的には蓄積されていく。

そういうお茶を、20キロ(20リットル)飲んだら、どうなるのか?
40キロ飲んだら、どうなるのか?
お茶にも濃さがある。
逆にこんな論理がまかり通るなら、どんなに汚染されたお茶でも、お湯で薄めれば安全と
いうことになってしまう。
さらに「?」なことがある。

 先日の報道では、(原茶)→(製茶)にした段階で、放射線の濃度は5倍になる。
しかし飲用する段階では、(お湯で薄めるので)、8分の1になると言っていた。

 どうして規制値内(500ベクレル以下)の製茶が、お湯で薄めたら、「5・8〜7・3
ベクレル」になるのか?
単純に計算すれば、83分の1になったことになる(500÷6・0で計算)。
何度も計算しなおしてみたが、やはり83分の1。

 念のため、新聞記事をそのまま紹介する。
私の書いていることを疑う人がいたら、自分で計算してみたらよい。

「……一方で、規制値(500ベクレル)を超えた2工場の製茶を、飲用茶として独自検
査したことを(川勝知事は)明かし、それぞれ5・8〜7・3ベクレルと、飲用茶の規制
値(1キログラムあたり200ベクレル)を大幅に下回ったことを強調」と。

 つまり製茶の段階で、500ベクレルを超えていたお茶だったが、お湯で溶かしてみた
ら、6・0ベクレル前後になった。
だから、安全、と。

 こんなバカな、手品みたいなことが、どうして起こるのか?
さらに今回の検査では、重大な見落としがある。
こうある。

「放射性セシウムの検出量は、581〜654ベクレルで……」と。

 わかるかな?
放射性物質といっても、その種類は、無数にある。
毒性がきわめて強いプルトニウム、ストロンチュームもそれに含まれる。
放射性ヨウ素もその1つだが、そのヨウ素にしても、134,132,135,133,
131などの種類がある。
調べたのは、たったの1種類。
放射性セシウムだけ。

 さらに県の報告が1日遅れたことについて、川勝知事は、こう居直っている。
「(遅れたことで、どういう)損害が出たのか言ってみてください」(中日新聞)と。

 こういうバカなことを平気で言うところが恐ろしい。
あのね、損害は、これから出るの!
1日遅れれば、その分だけ、工場からの出荷が野放しになるの。
正確な数字はわからないが、仮に1日、1トンの出荷量のある工場だったら、その1トン
が、市中に出回ることになるの!
それを日本人が、飲むことになるの!

●やがて否応なしに……

 東京に住む石原氏にしても、静岡市に住む川勝氏にしても、やがて否応なしにその事実
を突きつけられる日がやってくる。
私はけっしてそれを望む者ではないが、しかしこんなごまかしは、いつまでもつづかない。
やがて東京都全体に避難勧告が発布されるようになるかもしれない。
静岡県茶が全面、出荷禁止になるかもしれない。
だったら今は、「?」なコメントは控え、事実の収集だけに心がけるべきではないのか。
が、現実は、逆行している。
同じ中日新聞には、こうある。

「(すでに)一番茶の出荷を終えた工場も多いことから、地区内にある約100工場すべて
を検査する当初の方針を変更し、今後は要望のある工場のみを検査する」と。

 「今後は、要望のある工場のみを検査する」と。

 そうでなくても、静岡県茶については、農薬汚染が問題になっている。
ご存知の方も多いかと思うが、茶の産地にある、ため池、川からは、生物という生物が、
ほとんど姿を消した。
そういう事実を、隠しに隠しつづけている。
そういう地域で、「今後は、要望のある工場のみを検査する」?
どこの工場が、あえて「要望」など、するものか?
バカも休み休み言え。

 ……つまりこうして私たちの不信感は、募(つの)っていく。
庶民の代表として、本来なら庶民の側に立つべき人間が、企業側の利益の保護だけを考え
て発言する。
行動する。

 私の予想では、この日本は、このまま行き着くところまで行く。
またそこまで行かないと、気がつかない。
本来なら、ヒステリー状態ではなく、パニック状態になっていてもおかしくないのだが…
…。
2011/06/15記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【舘山寺温泉・浜名湖かんざんじ荘にて】(2011年6月)

●今日は6月xx日、ワイフの誕生日

++++++++++++++++++

今日は、ワイフの誕生日。
仕事を早めに切り上げ、舘山寺温泉へ。
大草山頂上にある、「浜名湖かんざんじ荘」
へやってきた。
「常連」とまでは言わないが、よく利用
させてもらう。

ワイフと息子、それに私。
Happy B−Day, Akiko!

浜松市内では、一押しの簡易旅館。
いつ来ても、この旅館だけは、期待を裏切らない。
サービスも料理も安定している。
もし浜松へ来るようなことがあれば、
この旅館を推薦する。
最近、内装をリニューアルしたよう。
清潔!
(もともとは国民宿舎ということもあり、
作りは豪華だが、部屋はやや狭い。念のため。)

が、何といっても、展望風呂がすばらしい。
全面ガラス張りで、舘山寺温泉街が眼下に
一望できる。

料金も手ごろ。
3名一室のばあい、1人、8800円前後で泊まれる。
曜日によって料金が微妙に異なる。
ネットで調べてから予約を入れるとよい。
(当然のことだが・・・。)

電話は、053−487−0330。

+++++++++++++++++++

●Y温泉

 先週泊まった、Y温泉のS旅館は、最悪。
こういうよい旅館に泊まってみると、それがよくわかる。
カビ臭く、料理もまずかった。
デザートが、オレンジ一切というだけでも、料理の内容がわかろうというもの。

 「二度と来ない」と心に誓う。
が、幼稚園を選ぶときも、これは参考になる。
要するに幼稚園のよしあしは、園長のやる気。
それで決まる。

 が、先日、ある母親が私にこう言った。
「うちの幼稚園のY園長は、知育教育に反対だそうです」と。
それを聞いて、私は私の教室が攻撃されたように感じた。
だからこう思った。

「知育教育が何であるかもわかっていないのに」と。
そう思ったが、言わなかった。
その母親の子どもは、まだそのX幼稚園に通っている。

もう少しきびしい言い方をすると、「知育教育をするノウハウも知らない。
その能力もない。だからやみくもに反対する」となる。
ギルフォードという学者が知能因子論を唱えて、もう35年以上になる(注※)。
(私が知ったのが、35年ほど前のことだから、35年以上と書いた。)

 そのころから世界の科学者たちは、幼児の脳の発達を、懸命に研究し始めた。
知能教育の重要性も認識され始めている。
「臨界期」という言葉も、常識化している。
にもかかわらず、「反対」とは!
「賛成しない」という意見はわかる。
しかしあえて「反対」すべきようなことではない。
子どもが親に、「漢字を教えて」とくれば、いくらでも教えてよい。

 「反対」というのは、要するに、やる気なしという意味。

●臨界期

 臨界期という言葉を使ったので、少し説明しておく。

 幼児は、それぞれの発達段階において、やっておくべきことがある。
その時期を逃すと、健全な心身の発達そのものが、障害を受けることがある。
その時期を、「臨界期」という。
よい例が、野生児。
(しかしインドで発見された野生児については、最近の研究では、疑問視されている。
もともと精神に障害をもった子どもが、野生に捨てられたという説である。
詳しくは後述。)

 その一方で、たとえば音楽教育などは、かなり早い時期に臨界期が来ると言われている。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●特別な時期(臨界期)

 哺乳動物の神経細胞は、外界からの刺激で大きく、機能を変える。
最近このことが、最近あちこちでよく話題になる。
たとえば人間にも、鳥類に似た、「刷り込み(インプリンティング)」があることがわかっ
ている。
そのためこの時期に、とくに母子関係において、濃密な人間関係ができる。
が、その一方で、一部の神経細胞への刺激を遮断したりすると、その神経細胞は機能しな
くなるとも言われている(注※)。
まさか人について、人体実験をするわけにはいかないので、あくまでも動物実験での話と
いうことだが・・・。

 たとえば生後直後のマウスの片目を、何らかの方法で塞(ふさ)いでしまったとする。
するとその目は、やがて見るという機能を失ってしまう。
そればりか、ある一定の時期を過ぎると、今度は、その塞いでいたものを取り除いても、
目の機能は回復しない。
視力は失ったままとなる。

 さらにこんな事実もある。
「野生児」と呼ばれる子どもたちが、今でも、ときどき発見される。
何らかの理由で、生後まもなくから人間のそばを離れ、野生の動物に育てられた子どもで
ある。
インドのオオカミ姉妹(少女)が有名である。

 オオカミ姉妹のばあいも、そのあと手厚い保護、教育を受けたのだが、人間らしい(心)
を取り戻すとはできなかったという。
つまり脳のその部分の機能が、停止してしまったということになる。
「停止した」というよりは、「退化してしまった」ということか。

 そういう意味で、「臨界期」には、特別な意味がある。
またそれだけにこの時期の子どもの教育には、重大な関心が払わなければならない。
近年話題になっている、乳幼児〜1歳前後までの早期教育の科学的根拠も、ここにある。

 ほかにも乳幼児には記憶がないというのは、とんでもない誤解。
この時期、子どもは周囲の情報を、まさに怒濤のごとく記憶として脳の中に刻み込んでい
る(ワシントン大学・メルツォフ教授ら)。

●ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着)

 さらに最近の研究では、あの乳幼児のほうからも、親に働きかけをしていることまでわ
かってきた。
つまり自らを(かわいく)見せ、親の関心を引こうとする。
乳幼児が見せる、あの「エンゼル・スマイル」も、そのひとつと言われている。
潜在意識、もしくは本能の奥深くでなされる行為のため、もちろん乳幼児がそれを意識的
にしているわけではない。
一方、親は親で、そういう乳幼児の姿を見て、いたたまれない気持ちに襲われる。
「かわいい」という感情は、まさにそういう相互作用によって生まれる。
こうした相互の働きかけを「相互愛着(アタッチメント・mutual attachment)」という。

●さらに一歩進んで・・・

 臨界期の存在は、近年になってつぎつぎと発見されてきた。
今では、それを疑う人はいない。
常識と考えてよい。

 が、さらに研究は、一歩、進んだ。
「毎日・JP」は、つぎのように伝える。

『・・・生後直後の特別な時期「臨界期」の後でも、機能変化を起こすことを理化学研究
所の津本忠治チームリーダー(神経科学)らが発見した。脳の成長の仕組みを見直す成果
で、人間の早期教育論にも影響しそうだ。米科学誌「ジャーナル・オブ・ニューロサイエ
ンス」で27日発表した』(2010年1月)と。

 もう少し詳しく読んでみよう。

『・・・ チームは臨界期中と臨界期後のマウスで目隠し実験をし、大脳皮質の視覚野で、
ものの細部を見る役目を担う「興奮性細胞」と、輪郭をとらえる「抑制性細胞」の活動を
個別に計測した。結果、臨界期中マウスは両細胞とも、ふさいだ目側の反応が落ちた。臨
界期後のマウスは興奮性細胞は変化しなかったが、抑制性細胞は臨界期中マウスと同様に
反応が落ちた。抑制性細胞は臨界期後も機能が変わる証拠という。

 津本チームリーダーは「大脳は臨界期後も一定の発達が可能ということを示せた。マウ
スの視覚野での実験だが、人間を含む他の動物や脳のほかの機能でも同様の仕組みがある
のではないか。臨界期を人間の早期教育の根拠とする意見もあるが、それを考え直す契機
にもなるだろう」としている』と。

 つまり臨界期に機能を失った脳の神経細胞でも、何らかの訓練をすれば(?)、機能を回
復することもあるという。
「海馬などの一部の神経細胞以外は、再生されることはない」という定説をひっくり返す
研究として、注目される。

●補記

 ただし神経細胞の再生を、そのまま喜んではいけない。
それでよいというわけではない。
もし脳の神経細胞が、ほかの細胞と同じように、死滅→再生を繰り返していたら、人間は
性格、性質、人格など、こと「精神」に関する部分で、一貫性を失うことになる。
「10年前の私と、今の私は別人」ということになったら、社会生活そのものが混乱する。
従来の定説によれば、一度できた神経細胞は、死滅する一方で、再生しない。
だからこそ、私たちは、子ども時代の性格や性質、さらにはクセまで、おとなになってか
らも残すことができる。
20年前、30年前の知人とでも、安心して会話を交わすことができる。

 この論文でいう「再生」というのは、あくまでもごく限られた範囲での、しかも何らか
の治療を目的とした「再生」と考えるべきである。

 さらに一歩進んでいえば、脳は硬い頭蓋骨に包まれている。
つまり脳ミソが入る容量には限界がある。
神経細胞だけを、どんどんとふやすということは、物理的にも不可能である。

(注※)

『思考など高度な機能を担う脳の「大脳新皮質」で、成体でも神経細胞が新たに作られる
ことを、藤田保健衛生大、京都大、東京農工大などの研究チームがラットで見つけた。成
熟した個体では脳の神経細胞が増えることはないと長い間信じられ、論争が続いていた。
米科学誌「ネイチャー・ニューロサイエンス」(電子版)に27日、掲載された。

 近年、記憶に関連する海馬や嗅(きゅう)覚(かく)をつかさどる部位で神経細胞の新
生が確かめられたが、哺乳(ほにゅう)類などの高等動物ほど発達している大脳新皮質に
ついては明確な報告がなかった。

 藤田保健衛生大の大平耕司助教(神経科学)らは、人間の30〜40歳にあたる生後6
カ月のラットの大脳新皮質で、一番外側の第1層に、分裂能力を示すたんぱく質が発現し
た細胞を見つけた。頸(けい)動脈を圧迫して脳への血流を一時的に少なくしたところ、
この細胞が約1・5倍に増え、新しい細胞ができた。

 新しい細胞は、形状から神経細胞と確認。第1層から最深部の第6層まで7〜10日か
けて移動する様子が観察できた。このラットを新しい環境に置いて活動させたところ、新
しい細胞が活発に働いていることも確かめた。

 これらのことから、成体ラットの大脳新皮質には、やがて神経細胞になる「前駆細胞」
が存在し、神経細胞が危機にさらされると神経細胞が生み出されて働くと結論付けた。チ
ームは、ヒトでも同様の仕組みがあると推測している。

 神経細胞は興奮性と抑制性の両方がバランスよく働いているが、この新しい神経細胞は
抑制性だった。大平助教は「薬などで前駆細胞の働きを制御して抑制性の神経細胞を作り
出すことで、興奮性の神経細胞が過剰に働くてんかんや、一部の統合失調症の新たな治療
法が見つかるかもしれない」と話す』(以上、毎日・JPより)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 神経細胞 臨界期 はやし浩司 臨界期 乳幼児 乳幼児の記憶 刷
り込み 神経細胞の再生 臨界期の重要性 早期教育 科学的根拠)

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●先取り教育

 平たく言えば、(1)知能教育と、(2)早期教育と、(3)先取り教育はちがうというこ
と。
多くの人は、先取り教育をもって、知能教育と誤解している。
早期教育でもよい。
たとえば幼児に掛け算の九九を暗記させるのは、先取り教育ということになる。
意味のない教育である。

 ついでながら、オオカミ少女(野生児)についての疑問について書いた原稿を添付する。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●野生児(タマラとアマラ)

 ひとつの情報に出会い、つぎに同じような情報に出会うのは、
こちら側が求めてそうするばあいをのぞき、めったにない。
たとえば最近、私はタマラとアマラに関する文献を目にすることが
できた。
偶然だった。
もしその偶然がなかったら、私は自分がもつ知識を修正することは
なかっただろう。

俗に言う、『オオカミ少女』と呼ばれる2人の少女である。
そののち、心理学の本でもたびたび取りあげられている。
「野生児」という言葉も、そこから生まれた。

要点をまとめると、こうだ(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎
(新曜社))。

(1) オオカミの乳は、人間には飲めない。……だから少女たちがオオカミの
乳で育つはずがない。
(2) オオカミは、人間の子どもを連れ歩くのは不可能……オオカミはどうやって
赤子を運んだのか。
(3) ウィリアム・オグバーンというアメリカの社会学者が、
1951年に現地に入った。
が、オオカミ姉妹が発見されたという「ゴダムリ」という村は存在しなかった。
(4) 現地に新聞が残っていて、「少女たちが見つかったのは、トラの
穴」と記述されていた。
(5) 少女たちを発見したのは、シング牧師ではなく、サンタル族の住民
だった。
(6) 写真を詳しく調べてみたが、推定年齢(カマラは8歳半、アマラは
1歳半)が合わない。

 私はたびたびオオカミ姉妹(少女)について書いてきた。
この本だけで、すべてを否定するものではないが、しかし大きな疑念が
生まれたのは事実。
さらにその本は、シング牧師夫妻が寄付金集めのためにしくんだ作り話の
可能性があると説く。
実際、現在の今でも、欧米ではこの手の詐欺が後を絶たない。
(ついでに書き添えると、欧米では、孤児院経営を看板に、この種の詐欺が
日常化している。
じゅうぶん、注意したらよい。)

 で、結論としては、「自閉症か何かの障害をもった姉妹が、親に捨てられた。
その姉妹が、何年かあとに見つかった。村人たちは世話に困り、シング牧師の
ところへ連れていった」ということらしい。

 ・・・となると、私が今まで引用してきた話は、すべて訂正しなければ
ならない。
野生児の話は、ウソだったのか?

が、ここで注意したいのは、だからといって子育て論の本筋、たとえば
人間性と臨界期の問題、言語発達と臨界期の問題まで否定されるというのでは
ない。
人間はそれぞれの成長期に、それぞれの適切な環境で、適切に育てられなければ
ならない。
人間性にしても、言葉にしても、さらにたとえば音感やもろもろの美的感覚
にしても、その時期を逃すと、その後、修復がたいへんむずかしくなる。
たとえオオカミ少女の話がウソであったとしても、その重要性は変わらない。
またまったくのデタラメだったとしたら、こうまで長く、多くの心理学者や
精神学者、さらには哲学者たちの支持は受けなかっただろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 オオカミ少女の謎 オオカミ姉妹の謎 野生児への疑問 オオカミ少
女は存在しなかった はやし浩司 タマラ アマラ シング牧師 疑惑 野生児疑惑 オ
オカミ少女疑惑 オオカミ姉妹疑惑)

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●幼児の脳は、底なし

 こうした事実を知った上で、「知育教育反対」というのであれば、私も納得する。
しかしそうでなければそうでない。
むしろ文科省が定めるカリキュラムなるものが、いかに幼児(子ども)の能力を伸ばす障
壁になっていることか。
30年も前のことだが、当時の文部省の技官と対談したことがある。
そのときその技官も、こう言っていた。
「幼児教育では、文字、数は教えてはいけません。
へたに教えると、小学校の先生が、やりにくくなります」と。

私は自分の幼児教室で、幼児たちに分数は小数、正負の数、割合、確率などを教えてい
る。
要は、教え方の問題。
幼児の脳は、まさに底なし。
教えていて、そういう印象をもつ。

 わかりやすく言えば、自分がピアノを弾けないからといって、幼児にできるわけがない
と考えてはいけない。
「早すぎる」と考えるのは、まちがっている。
いわんや、「ピアノ教育、反対!」を唱えてはいけない。
反対に、私の実感としては、6歳を過ぎてからピアノ教室へ通ったばあい、それなりにピ
アノを弾けるようにはなるかもしれない。
しかし「それなりに」というレベルで、進歩は停止する。

●やる気

 話はそれたが、やる気のあるなしで、旅館のよさは決まる。
たとえばこの部屋。
テーブルの上には、水の入ったポットと、お湯の入ったポットが2つ並べてある。
お茶を入れる急須も茶碗も、ピカピカに磨いてある。
客の私たちは、そういうのを見て、やる気度、つまり本気度を知る。

 で、一事が万事。
浴衣もノリがきいて、パリパリ。
丹前も新品のよう。
アイロンもしっかりとかかっている。
掃除も部屋の隅々まで行きとどいている。
空調の音も、ほとんどしない。

 幼稚園にしても、そうだ。
やる気を感ずる幼稚園には、園長の哲学を感ずる。
その哲学があれば、よし。
そうでなければ、そうでない。
園長は毎日、幼稚園と銀行の間を行ったり来たりしているだけ。
そういう幼稚園へは、子どもをやってはいけない。
これは私の意見というよりは、常識。

 それにしても「知育教育、反対」とは!
論法としては、「日本語すら満足に話せない子どもに、英語教育反対」と言うのに似ている。
あるいは「日本のこともよく知らないのに、外国へ行っても意味がない」と言うのにも似
ている。
さらに「お尻も拭けない子どもが、バイオリンを弾くのはおかしい」でもよい。

 もしこんな論法がまかり通るなら、こうも言える。

「先の短い老人が、英語の勉強などしても無駄」
「旅行しても、お金が無駄になるだけ」
「足腰が曲がった老人が、ミュージカルを観劇して、何になる」と。

 幼児のもつ可能性に、もう少し目を向けてほしい。
・・・というのが、このエッセーの主題。
ちょうど食事時間になったので、この話はここまで。

+++++++++++++++++++++++

●手紙

 食事中、こんなことが話題になった。
ワイフのクラブ仲間に、Uさんという女性がいる。
そのUさんの息子(26歳)が結婚することになった。
相手の女性が妊娠したらしい。
それであわてて籍だけ入れることになった。
が、Uさんは、その結婚に反対。
相手の女性が、世間ズレしすぎているという。
Uさんの夫を、いきなり「パパ」と呼んでいるという。

ワ「でもね、おかしいのよ」
私「どこが?」
ワ「相手の女性が、子宮外妊娠を心配しているんだって・・・」
私「初産の人が、子宮外妊娠?」
ワ「そうでしょ。ふつうそんなこと心配しないわね」
私「そうだな。ぼくも聞いたことがない」
ワ「……」

 まあ、人それぞれ。
結婚も、それぞれ。
それでたがいに幸福になれば(?)、それでよい。

 ついでに言えば、「知育教育・賛成・反対」にしても、最終的には親や子どもが決めるこ
と。
そういう幼稚園を選ぶ親もいれば、そうでない親もいる。
あとは親の判断に任せればよい。
それでたがいに納得すれば(?)、それでよい。

●後記

 たった今、カラオケルームから帰ってきた。
ワイフと息子、それに私の3人で、歌を20曲近く歌った。
この旅館のカラオケルームは、超一流。
まるで豪華な劇場のよう。
照明も、四方八方から調整できる。
楽しかった。

 で、夕食だが、もちろん5つ星。
★★★★★。

 改めて確認。
浜松で、一押しの簡易旅館は、この「浜名湖かんざんじ荘」。
家族連れに最適。
はやし浩司は、ウソは申しません。
ぜひ、おいでください。
では、おやすみなさい!


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 知育教育 幼児教育の重要性 2011−06)

(参考※)2004年11月に書いた原稿より

●ギルフォードの立体知能モデル

 ギルフォードは、知能因子を、4x5x6=120の立体モデルで、表現した。196
7年のことだった。

 私が、最初に、その立体モデルの模式図を見たのは、ある出版社でのこと。そこの編集
部員が、「林さん、こんなのがありますよ」と言って見せてくれた。

 それが1978年ごろのころではなかったか。私は、その立体モデルを見たとき、強い
衝撃を受けた。

 そこで私は、その120の知能因子にそった、教材というか、知恵ワークを考えた。そ
れらはすぐ、学研の『幼児の学習』という雑誌に、採用された。その雑誌は、やがて、『な
かよし学習』という雑誌とともに、毎月47万部も売れた。

 ギルフォードの「立体知能モデル」。

 今では、もう古典的なモデルになっている。というのも、縦軸に、認知能力、記憶、拡
散的思考……、横軸に、図形、記号、言語……、高さに、単位、類、関係……と分けてい
るが、具体性が、ほとんどなかった。

 今から思うと、「どこか思いつき?」という印象すら、もつ。しかしそれはともかくも、
知能因子を、このように分けた意義は大きい。

 というのも、それまでは、知能因子は、スピアマンの「知能因子、2因子説」や、サー
ストンの「多因子説」などがあった程度。知能因子のとらえ方そのものが、まだばくぜん
としていた。

 それを120の知能因子に分けた! それ自体、画期的なことだった!

 で、それから25年以上。今では、この分野の研究が進み、IQとか、さらにはEQと
いう言葉も生まれ、常識化している。さらには、これらの数値では、測定できない、つま
り因子と言えない因子も考えられるようになった。

 たとえばヒラメキや、直感力、直観性、創造性、思考の柔軟性など。そこで教育の分野
だけではなく、大脳生理学の分野でも、因子についての研究が、始まっている。昨今、右
脳教育という言葉がもてはやされているが、それもその一つ。

 今の段階では、知能の内容も、複雑で、奥が深いということ、その程度しか、ここに書
くことができない。あるいはもともと思考の内容を、パターン化しようとするほうが、無
理なのかもしれない。

 人間の脳の中には、約100億個の神経細胞がある。そしてそれぞれの神経細胞が、1
0万個のシナプスをもっている。つまりこれだけで、10の15乗のシナプスの数になる。
その数は、10の9乗〜10乗と言われているDNAの遺伝情報の数を超えている! 思
考の可能性を、ワクの中で考えることのほうが、おかしい。

 ギルフォードの立体知能モデルを見るたびに、そう思う。

(はやし浩司 ギルフォード 立体知能モデル 神経細胞 シナプス 子どもの知能 知
能教育 早期教育と先取り教育 臨界期 敏感期)


Hiroshi Hayashi++++++++June 2011+++++++++はやし浩司

【欲望(煩悩)論】(今朝のキーワードは、「怒り」)はやし浩司 2011−06−17

●希望と期待

 希望にせよ、期待にせよ、それが「欲望」から発したものであれば、それは未来を約束
した希望や期待にはならない。
よく「光」という言葉を使う人がいる。
「希望は光」と。

 しかしそれは光ではない。
身を焦がす炎(ほのお)である。
たとえば子を育てる親の希望や期待には、際限がない。
受験にしても、やっとB高校へ入る力がついてくると、「何とかしてA高校へ」となる。
そのA高校が視野に入ってくると、今度は、「S高校へ」となる。

 こうして希望や期待は、際限なくふくらんでいく。
その結果、いつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。
ひとつの希望や期待がかなえられるたびに、その先でまた新たなる苦悩がやってくる。
処し方をまちがえると、家庭騒動、親子断絶、さらには家族崩壊へとつづく。
ただの「光」ではすまない。
つまり「炎」。
なぜか?
それが冒頭に書いたことである。
欲望から発しているからである。

●老後の希望

 若いうちは、まだよい。
それが意味のないものであっても、その希望や期待に、酔いしれることができる。
時間を無駄にしても、そこにはありあまるほどの余裕がある。
(本当は、余裕などないのだが……。)

 が、歳を取ると、そういうわけにはいかない。
刻一刻と、時間は短くなっていく。
無駄にできる時間など、一瞬一秒もない。
そこで何度も書くが、エリクソンという学者は、「統合性の確立」という言葉を使った。
老齢期の生き方を説いたものである。
3年前に書いた原稿だが、参考になると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)08年記
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life 
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable 
age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンは、
「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1) 普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2) 没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3) 無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4) 高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5) 還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立 無私 無我)

(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。
身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
とがある。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「無」

 統合性を確立するためには、欲望を捨て、「無」の状態でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、統合性は、霧散する。
ボランティア活動にしても、「無」でするから、意味がある。
何も期待しない。
見返りを求めない。
ただひたすら自分がすべきことをする。
それが「無」ということになる。

 で、2500年前に釈迦が説いた「無」と、近代に入ってサルトルが説いた「無の概念」
が、一致するということは、たいへん興味深い。
宗教の世界を、「観念論の世界」という。
一方、サルトルらが説いた世界を、「実存主義の世界」という。
まったく相反する世界の哲学が、最終的には、ひとつの世界に融合する。

(私自身は、釈迦は、宗教ではなく、現在に通ずる実存主義を説いたものと解釈している。
その釈迦の教えを、無理に宗教化したのは、後世の学者たちと解釈している。)

 釈迦は、「無」を哲学の根幹に置いた。
(いろいろ異論もあろうが……。)
一方、サルトルは、自由へのあくなき追求を経て、最終的には「無の概念」にたどりつく。
これについても、私はたびたび原稿を書いてきた。

 サルトルについて書いた原稿をさがしてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【自由であること】2009年記

+++++++++++++++++

自由であることは、よいことばかりで
はない。

自由であるということは、まさに自ら
に由(よ)って、生きること。

その(生きること)にすべての責任を
負わねばならない。

それは、「刑」というに、ふさわしい。
あのサルトルも、「自由刑」という言葉
を使って、それを説明した。

+++++++++++++++++

 私は私らしく生きる。……結構。
 あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる。……結構。

 しかしその自由には、いつも代償がともなう。「苦しみ」という代償である。自由とは、
『自らに由(よ)る』という意味。わかりやすく言えば、自分で考え、自分で行動し、自
分で責任をとるという意味。

 毎日が、難解な数学の問題を解きながら、生きるようなもの。

 話はそれるが、そういう意味では、K国の人たちは、気が楽だろうなと思う。明けても
暮れても、「将軍様」「将軍様」と、それだけを考えていればよい。「自由がないから、さぞ
かし、つらいだろうな」と心配するのは、日本人だけ。自由の国に住んでいる、私たち日
本人だけ。(日本人も、本当に自由かと問われれば、そうでないような気もするが……。)

 そういう「苦しみ」を、サルトル(ジャン・ポール・サルトル、ノーベル文学賞受賞者・
1905〜1980)は、「自由刑」という言葉を使って、説明した。

 そう、それはまさに「刑」というにふさわしい。人間が人間になったとき、その瞬間か
ら、人間は、その「苦しみ」を背負ったことになる。

 そこで、サルトルは、「自由からの逃走」という言葉まで、考えた。わかりやすく言えば、
自ら自由を放棄して、自由でない世界に身を寄せることをいう。よい例として、何かの狂
信的なカルト教団に身を寄せることがある。

 ある日、突然、それまで平凡な暮らしをしていた家庭の主婦が、カルト教団に入信する
という例は、少なくない。そしてその教団の指示に従って、修行をしたり、布教活動に出
歩くようになる。

 傍(はた)から見ると、「たいへんな世界だな」と思うが、結構、本人たちは、それでハ
ッピー。ウソだと思うなら、布教活動をしながら通りをあるく人たちを見ればよい。みな、
それぞれ、結構楽しそうである。

 が、何といっても、「自由」であることの最大の代償と言えば、「死への恐怖」である。「私」
をつきつめていくと、最後の最後のところでは、その「私」が、私でなくなってしまう。

 つまり、「私」は、「死」によって、すべてを奪われてしまう。いくら「私は私だ」と叫
んだところで、死を前にしては、なすすべも、ない。わかりやすく言えば、その時点で、
私たちは、死刑を宣告され、死刑を執行される。

 そこで「自由」を考えたら、同時に、「いかにすれば、その死の恐怖から、自らを解放さ
せることができるか」を考えなければならない。しかしそれこそ、超難解な数学の問題を
解くようなもの。

 こうしたたとえは正しくないかもしれないが、それは幼稚園児が、三角関数の微積分の
問題を解くようなものではないか。少なくとも、今の私には、それくらい、むずかしい問
題のように思える。

 決して不可能ではないのだろうが、つまりいつか、人間はこの問題に決着をつけるとき
がくるだろが、それには、まだ、気が遠くなるほどの時間がかかるのではないか。個人の
立場でいうなら、200年や300年、寿命が延びたところで、どうしようもない。

 そこで多くの人たちは、宗教に身を寄せることで、つまりわかりやすく言えば、手っ取
り早く(失礼!)、この問題を解決しようとする。自由であることによる苦しみを考えたら、
布教活動のために、朝から夜まで歩きつづけることなど、なんでもない。

 が、だからといって、決して、あきらめてはいけない。サルトルは、最後には、「無の概
念」をもって、この問題を解決しようとした。しかし「無の概念」とは何か? 私はこの
問題を、学生時代から、ずっと考えつづけてきたように思う。そしてそれが、私の「自由
論」の、最大のネックになっていた。

 が、あるとき、そのヒントを手に入れた。

 それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞投稿済み)です。字数を限られていた
ため、どこかぶっきらぼうな感じがする原稿ですが、読んでいただければ、うれしいです。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●真の自由を子どもに教えられるとき 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。

「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪
う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。
しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐
怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経
験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイ
と押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、
さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」、私「……いいだろ」と。
 
私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆ
えに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。

英語には『無条件の愛』という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しか
しその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文
なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。

死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うこ
とができる。そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れ
たことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、
しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 くだらないことだが、この日本には、どうでもよいことについて、ギャーギャーと騒ぐ
自由はある。またそういう自由をもって、「自由」と誤解している。そういう人は多い。し
かしそれはここでいう「自由」ではない。

 自由とは、(私はこうあるべきだ)という(自己概念)と、(私はこうだ)という(現実
自己)を一致させながら、冒頭に書いたように、『私らしく、あるがままの私を、あるがま
まにさらけ出して、あるがままに生きる』ことをいう。

 だれにも命令されず、だれにも命令を受けず、自分で考え、自分で行動し、自分で責任
をとることをいう。どこまでも研ぎすまされた「私」だけを見つめながら生きることをい
う。

 しかしそれがいかにむずかしいことであるかは、今さら、ここに書くまでもない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自由論 自由とは サルトル 無条件の愛 無私の愛 無の概念)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●釈迦の説く「無」

 では、釈迦は、「無」をどのように考えていたのか。
直接的には「空(くう)」という言葉を使った。
つぎの原稿は2006年に発表したものである。
が、本当は、もっと前に書いたかもしれない。
私はよく過去に書いた原稿を呼び出し、その原稿を改めるということをよくする。
しかし少なくとも、仏教と実存主義の融合に気づいたのは、このころということになる。
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【東洋哲学と西洋近代哲学の融合】2006年記

●生・老・病・死

+++++++++++++++++

生・老・病・死の4つを、原始仏教では、
四苦と位置づける。

四苦八苦の「四苦」である。

では、あとの4つは、何か?

+++++++++++++++++

 生・老・病・死の4つを、原始仏教では、四苦と位置づける。四苦八苦の「四苦」であ
る。では、あとの4つは何か。

(1) 愛別離苦(あいべつりく)
(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)
(3) 求不得苦(ぐふとっく)
(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)の、4つと教える。


(1) 別離苦(あいべつりく)というのは、愛する人と別れたり、死別したりすることに
よる苦しみをいう。
(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)というのは、憎しみをいだいた人と会うことによる苦し
みをいう。
(3) 求不得苦(ぐふとっく)というのは、求めても求められないことによる苦しみをい
う。
(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)というのは、少しわかりにくい。簡単に言えば、人間
の心身を構成する5つの要素(色=肉体、受=感受、想=表象の構成、行=意思、識=認
識)の働きが盛んになりすぎることから生まれる苦しみをいう。

 こうした苦しみから逃れるためには、では、私たちは、どうすればよいのか。話は少し
前後するが、原始仏教では、「4つの諦(たい)」という言葉を使って、(苦しみのないよう)
→(苦しみの原因)→(苦しみのない世界)→(苦しみのない世界へ入る方法)を、順に、
説明する。

(1) 苦諦(くたい)
(2) 集諦(しゅうたい)
(3) 滅諦(めったい)
(4) 道諦(どうたい)の、4つである。

(1) 苦諦(くたい)というのは、ここに書いた、「四苦八苦」のこと。
(2) 集諦(しゅうたい)というのは、苦しみとなる原因のこと。つまりなぜ私たちが苦
しむかといえば、かぎりない欲望と、かぎりない生への執着があるからということになる。
無知、無学が、その原因となることもある。
(3) 滅諦(めったい)というのは、そうした欲望や執着を捨てた、理想の境地、つまり
涅槃(ねはん)の世界へ入ることをいう。
(4) 道諦(どうたい)というのは、涅槃の世界へ入るための、具体的な方法ということ
になる。原始仏教では、涅槃の世界へ入るための修道法として、「八正道」を教える。

 以前、八正道について書いたことがある。八正道というのは、正見、正思惟、正語、正
業、正命、正精進、正念、正定の8つのことをいう。

+++++++++++++++

●八正道(はっしょうどう)……すべて「空」

 大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっ
ても過言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるもの
は、何もない、と。

 この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータ
の中の世界かもしれない。

 たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の
目。そのキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面
には、ただの光の信号が集合されているだけ。

 私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。

 しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在し
て、脳に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。

 こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経
て、紀元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われて
いる。釈迦の生誕年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされて
いる。

 ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、6
00年以上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経
などの、大乗経典も、できあがっている。

 しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではない
かと思い始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひ
ょっとしたら、何もないのではないか、と。

 たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこ
れが私なのかと思ってしまう。

 同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされ
ている。仏教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるもの
を、阿頼那識(あらやしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、
同じに考えてよいのではないか。

 こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限ら
れた部分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、
「本当にそうか?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。

 さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。
億年の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、
この大地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。

 そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と
思ってしまう。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味
であるとか、虚(むな)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。

 私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかと
いうこと。私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。
そういうものに振りまわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄に
することになる。

●自分をみがく

 そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうど
う)がある。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、
正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

 が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、
布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。

 八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、
「布施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。

 しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。
こうした教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考
え方が否定されてしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」とい
う程度で、よいのではないか。

 で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。
中には、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そう
いう修行も必要かもしれない。しかし、私は、ごめん。

 大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、
その中で、自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自
分をみがいていくことではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格
が高邁(こうまい)になるとか、そういうことはありえない。

 その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になっ
たとたん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですとい
うような雰囲気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。

 だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、
私たちは、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)
に、こだわる必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。

 私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんな
ことを考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まち
がったこともするかもしれない。

 しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間とし
て、生きる意味がある。

 今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考
えてみたい。
(050925記)
(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識 無の概念 空)

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もう一作、八正道について書いた
原稿を、再収録します。

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●正精進

 釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」とい
うことになる。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。

 が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中
正」の「正」である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味で
ある。

 怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほど
ほど」が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんとい
う意味でもない。

 で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)
正念、(7)正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言
葉、行為、生活、努力、思念、瞑想」とある。

 このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というの
は、日々の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられ
たような緊迫感がともなう。その緊迫感を大切にする。

 ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進に
ついても、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦
は、そう説いている。

 方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんば
る。が、そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重
要なのは、自分の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得
た情報も、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。

 しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝
に、ジョギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のう
ちにも、考えるという行為を避けようとする。

 このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「や
る!」「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中に
は、となりの子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。

 子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その
考えるという行為は、その人の習慣となって、定着する。

 考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生
活の中でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちが
いが、10年、20年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。

 ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人から
は、愚かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、
利口な人がわからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考え
る人がわからない。

 日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思って
いないだろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサ
をよこせと、キーキーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。

 つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心
の中で感ずる差のことをいう。

 さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、
カルト教団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自
分たちは絶対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、
相手を切って捨てる。

 こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のもの
である。とくに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。
(はやし浩司 八正道 精進 正精進)

【補足】

 子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするかが、
一つの重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」にすれ
ばよい。


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 話をもとにもどす。

 あのサルトルは、「自由」の追求の中で、最後は、「無の概念」という言葉を使って、自
由であることの限界、つまり死の克服を考えた。

 この考え方は、最終的には、原始仏教で説く、釈迦の教えと一致するところである。私
はここに、東洋哲学と西洋近代哲学の融合を見る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 東洋哲学と西洋哲学の融合 無の概念 無 はやし浩司 空)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●欲望の克服

 私たちが「欲望」と呼んでいるもの。
それらはすべて「無」に発する。
「性欲」を例にあげるまでもない。
ただの排泄欲にすぎない性欲が、人間社会そのものを支配している。
フロイトですら、「性的エネルギー」という言葉を使っている。
つまり「性的エネルギー」が、あらゆる動物(もちろん人間も含む)の生命力の根幹にな
っている、と。
(これに対して、フロイトの弟子のユングは、「生的エネルギー」という言葉を使っている。

 人間は絶え間なく、この欲望の支配下に置かれ、奴隷となり、それに振り回される。
が、たいへん悲しいことに、そうでありながら、ほとんどの人は、それに気づくこともな
い。
「私は私」と思い込んでいる。
ただの奴隷でありながら、それが「私」と思い込んでいる。
よい例が、電車の中で化粧をする若い女性。

 自分の意思で化粧していると本人は思い込んでいる。
「あなたは自分の意思で化粧をしているのですか」と聞いても、その女性はこう答えるだ
ろう。
「もちろん、そうです」と。

 が、その女性とて、その奥深くから発せられる「性的エネルギー」の奴隷でしかない。
その「奴隷である」という部分が、加齢とともに、やがてわかってくる。

●では、どうするか

 ここから先は、製品で言えば、まだ試作品(プロトタイプ)。
が、今の私は、こう考える。
希望や期待が、欲望に根ざすものであるなら、希望や期待をもたないこと。
へたに希望や期待をもつから、そのつど壁にぶつかり、葛藤を繰り返す。
怒りもそこから生まれる。
恨みも、ねたみも、そこから生まれる。

 ある賢人は、こう言った。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
あとでそれについて書いた原稿をさがしてみるが、怒りが強ければ強いほど、あるいは恨
みやねたみが強ければ強いほど、その人自身の人間性が破壊される。

 が、希望や期待を捨てれば、怒ることはない。
人を恨んだり、ねたんだりすることもない。
……と書くと、では、「人は何のために、何を目標に生きればいいのか」と考える人もいる。
が、答は、シンプル。
『そのとき、その場で、やるべきことを、けんめいにすればいい』と。
トルストイをはじめ、多くの賢人たちも、異口同音に、「そこに生きる意味がある」と説く。
つまり懸命に生きるところに意味がある、と。
釈迦もその1人。

 結局は、そこへ行き着く。
「結果」というのは、かならず、あとからついてくる。

 ここにも書いたように、これは試作品としての結論ということになる。
このつづきは、一度、頭を冷やしたあとに、書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 欲望(煩悩)論 煩悩論 欲望論)


(補記)2010年7月記

●『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォスディッ
ク)

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人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

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●ある女性(67歳)

 ついでながら、東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上
古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、
恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みず
からの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもな
く、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。

「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。

そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に復讐して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた伯父に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その伯父はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
『怒りは、人格を崩壊させる』と説く賢者もいる。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」とはっきり言われて、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)

●結論

 いろいろ書いてきたが、人間は欲望の奴隷と考えてよい。
その欲望が、さまざまな感情を生む。
東洋医学でも、そう教える。
その感情の中でも、「怒り」「うらみ」「ねたみ」は、心を腐らす。
ときには人格を崩壊させる。

 そこで重要なことは、つまり日々の生活の中で重要なことは、この怒りをどう手なずけ
ていくかということ。
それを自己管理能力といい、その能力のあるなしで、その人の人格の完成度が決まる。

 釈迦も「怒り」をきびしく戒めている。
フォスディックの言葉を借りると、こうなる。

●『Anger is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を怒るということは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 今朝のキーワードは、「怒り」ということになる。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●管直人首相、がんばれ!(I support Mr. Naoto KAN, the Prime Minister of Japan)改

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善人は悪人に嫌われる。
……ということでもないが、管直人首相は、目下、四面楚歌。

内閣官房副長官ですら、こう述べている。

『仙谷由人官房副長官は12日、東日本大震災の本格的復興のための2011年度第2次
補正予算案の編成について、「与野党の広い枠組みで共同作業でやっていく方がいい」と述
べ、菅首相の退陣後の新体制で行うべきだとの考えを示した』(読売新聞・6月12日)。

何という、官房副長官!
ほかのところでは、「2次補正編成はつぎの総理で」とか、「6月末が退陣のタイミング」(同、
読売新聞)などとも述べている。

首相を支えるべき官房副長官が、堂々とこういうことを公言するところが恐ろしい。
常識をはずれている。
だったら、まず官房副長官の職を退いてから、それを口にすべき。
まさに自らが乗る船に穴を開けるような行為をしながら、みじんも恥じない。
この愚かさ。
低劣さ。

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●管直人首相が何をした?

 私は毎日新聞やテレビ、ネットや雑誌、ついでにタブロイド版の新聞にも目を通してい
る。
が、今回の管直人首相の「引き下ろし劇」の理由がよくわからない。
約束を守らないとか、約束を破ったとか。
そういうレベルの話しばかり。

 私が見るかぎり、管直人首相は、よくやっている。
すばらしい。
どこかうさん臭い、悪臭漂う政治家の中にあって、管直人首相だけが、その誠実さを光ら
せている。
思い出すのは、あの三木武夫元首相。
同じような経緯を経て、政界の場から引きずり下ろされた。
が、ああいう人物こそ、政治家の中の政治家。
政治の世界では、まともなことを口にした政治家ほど、袋だたきにあう。
今回の「浜岡原子炉停止」にしても、そうだ。

 今までの政治家たちは、電力業界=官僚がこわくて、それを口にすることもできなかっ
た。
が、管直人首相は、それを断行した。
浜岡原子炉を停止させた。
まさに大英断!
もっとも過激に管直人首相を口汚く攻撃しているのが、あのSK新聞、ということも、私
には納得できる。
自民党よりの最右翼!

●今は、そんなときではない!

 仙谷由人官房副長官……私には彼がどういう人物か、よくわからない。
しかし「ペテン師まがい」という言葉を使った、鳩山氏同様、かえって自らの品位を落と
していることに、どうして気がつかないのか。
こういう例は、教育の世界にも多い。

 かなり前のことだが、ある母親が私のところに来て、こう言った。

「先生、うちのダンナは高卒なんです。給料も少ないし、生活も苦しいです。息子にはあ
あいう父親のような人間にはなってほしくないです。だから何としても大学へ……」と。

 こういう母親を、「バカ!」という。
本物のバカという。
が、自分のバカさかげんに、気づいていない。
仙谷由人官房副長官も、その1人。

 官房副長官なら、まず、何をさておき、首相を支えるべき立場の人間。
世間の批判があれば、盾となって、それを振り払うべき立場の人間。
その人間が、内閣という(内側)にいて、管直人首相下ろしに、一役買っている。
「うちのダンナは高卒なんです……」と言った母親と、精神構造は同じ。
あるいは、どこがどうちがうというのか。

 もし不満があるなら、最初から結婚など、しないこと。
あるいは離婚してから、それを言え!
さらに言えば、結婚などというものは、たがいにふさわしい人間どうしが結びつくもの。
ダンナがもし、本当にその程度なら、妻であるその母親もその程度。
自分の脳みそと学歴を棚にあげ、「ああいう父親のような人間にはなってほしくない」は、
ない!

 私はその話を聞いたとき、(私も男、夫)、唖然とした。
開いた口がふさがらなかった。
今の今もそうだ。

 みなさん、今一度、冷静になろう。
今は、そんなときではない。
このままでは、日本本土の3分の1以上が、人が住めない場所になる。
東京だって、危ない。
名古屋だって、危ない。
今の今も、放射性物質は、空中に放出されたまま。
3・11大震災以来、原発事故は、何一つ解決していない。
どうしてその深刻さが、わからないのか!

 みなが一致団結して、原発事故の処理に当たらねばならないとき。
言うなれば戦時。
つぎの総理がだれであっても、まただれでなくても、今は管直人首相に集結すべき時。
みなが知恵を出しあい、協力すべき時。
原因や責任を追及するのは、あとの、そのまたあとでよい。

 管直人首相!
私はヘソ曲がりかもしれないが、あなたを支持する。
どうか今の日本の危機を救うため、全力を尽くしてがんばってほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 管直人首相 愚かな政治劇 権力闘争)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Mさんからのコメント(ココBLOG)

はじめまして。こんにちは
私もまったく、同意見です。  なんで、こんな非常時に、菅さんを助けて協力しないの
でしょう。 政治家ってほんとになさけない。

何の為に政治家になったのでしょう?
 
こんな、災害が多重に起こってる中すべて、管総理に押し付けている人たちは、日本人を
やめればいいのに。 

 マスコミだって、レベルが低すぎる。総理変えて、原発がおさまるのでしょうか。     

管さんは間違ったことしていない。 ただ、あまりの困難なのだと、思います。  
 私も応援しています。同意見の人がいてよかった。 ありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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●DROPBOX

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Dropboxという、インターネットストーレッジのサービスがある。
今朝、それをドウンロードし、試しに使ってみた。
で、使い勝手は、最高!
今まで、BOXとか、WINDOW LIVEとか、ほかに3つ、インターネットストー
レッジを使ってきたが、使い勝手のよさでは、群を抜く。

まだ本格的に使っているわけではないが、この先、世話になりそう。

そうそう「インターネット・ストーレッジ」というのは、言うなれば、仮想のハードディ
スクのようなもの。
わかりやく言えば、ネット上の原稿倉庫。
原稿や写真、動画などを、その中に保管しておくことができる。
そこへ保管しておけば、いつでも、どこでも、またどのパソコンを使っていても、自分の
原稿や写真、動画を呼び出すことができる。

が、Dropboxのすごいところは、それだけではない。
それだけなら、今までのインターネットストレッジと同じ。
Dropboxでは、たとえば呼び出したあと、書き足したり、変更したりすると、その
まま上書きをしてくれる。
今までのように、いちいち改めて保存をかけなくてもよい。

利点は、まだある。
「Public」(公開)フォルダーに保管しておけば、だれとでもファイルを共有するこ
とができる。
電子メールに張りつけ、相手にそのまま原稿を送ることもできる。
容量に制限はあるものの、ふつうに使う分なら、不便はない。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●6月14日、今朝は4時半起き!

++++++++++++++++++

数日前から、扁桃腺が痛かった。
軽い風邪をひいた。
悪寒と倦怠感。

で、昨日は合計して、10時間ほど眠った。
それもあって、今朝は、4時半起き!
すでに外は明るかった。
いつもならそのまま目を閉じ、眠りなおし。
が、今朝は起きた。
起きて、そのままウォーキングマシンに!

一汗かいて、そのまま書斎に。
たった今、動画のUPLOADが終わったところ。
時刻は6時30分。
あっという間に、2時間が過ぎてしまった。

朝食後に、再び寝る予定。
このところ睡眠調整が、どうもうまくいかない。
が、ここは自然体。
犬のハナに倣(なら)って、自然体。
ハナは、好きなときに眠り、好きなときに
遊んでいる。

きっと人間も、太古の昔には、そうであったに
ちがいない。

++++++++++++++++++

●国によってちがう、生活時間

 どこの国の人も日本人と同じように、朝、起き、夜、眠っていると考えている人は多い。
しかしこれは誤解。
南米や地中海地方では、昼寝時間を取るところが多い。
そのため夜が長い。
午後10時から夕食、という家庭も少なくない。
あるいは夜12時ごろまで、通りで子どもが遊ぶ声が聞こえたりする。
少し前、スペインにいる友人が、こう話してくれた。
「コンサートが夜10時から、というのには、驚きました」と。

 私もアルゼンチンで似たような経験をしている。
土曜日の夜などは、夜12時を過ぎても、人々がぞろぞろと通りを歩いている。
店にしても、夜中の2時、3時まで開いている。
つまり私たちが、日本人として考える生活時間などというものは、日本人のものであって、
けっして世界の標準ではないということ。
言い換えると、こと生活時間についていうなら、日本人はもう少し自然体で考えたほうが
よいのではないか。
子どもが幼稚園で過ごす時間にしても、そうだ。
どうして8時30に登園し、午後2時00分に降園するのか。
昼の1時から午後5時までだって、いっこうに構わない。

 ……というのは弁解にしかならないが、人間もある年齢を超えたら、自然体で時間を過
ごしたらよい。
寝たいときに寝、起きたいときに起きる。
不規則がよいというのではない。
それが一定の規則性をもっていれば、それも「規則正しい生活」ということになる。

 なお詳しくは、総務省統計局が、「社会生活基本調査」というので調査している。
興味のある人は、そちらを見ればよい。
が、私は興味がない。
私は私、人は人。
私は若いときから、一般の人たちよりは、はるかに自由気ままに生きてきた。
要は、「睡眠時間」。
累計して、ある一定以上の睡眠時間を確保できれば、それでよい。
それさえきちんと守れば、あとは自然体。

●ワイフと私

 ワイフは子どもころから、母親を早く亡くしたということもあり、独立心が旺盛。
兄弟も7人もいた。
それもあって、いつも独りで寝る。……寝ていた。

 一方、私は祖父母の子。
寒い夜などは、小学6年生になっても、よく祖父母のふとんの中に潜り込んで寝ていた。
(私の家は、北西の角地にあって、とくに寒かった。)

 そういう2人が不幸にも(?)、結婚した。
だから結婚当初から、こと寝ることについては、不協和音がつづいている。
「独りで寝たい」というワイフ。
「いっしょに寝たい」という私。
60歳を過ぎた今もそうだ。

 で、おかしな人間関係ができてしまった。
私の方は、毎晩のように、「いっしょに寝てもいいか?」と、ワイフの機嫌をうかがう立場。
それに対してワイフのほうは、いつもこう言う。
「寝たければ、寝れば」と。
結婚して40年になるが、ワイフのほうから、「一緒に寝よう」と声をかけられたことは、一度もな
い。

 だから正直に告白するが、いつも寝心地はよくない。
遠慮がちに横になる私。
体が触れあうのさえ、気が引ける。
つまり窮屈。
で、ときどき、別のふとんで寝る。

 が、そういうときというのは、悪夢ばかり見る。
落ち着かない。
が、ワイフといえば、私がいないほうが、よく眠られるといったふう。
朝なども、すがすがしい様子で、起きてくる。

 が、こんな生活に、やや疲れを覚えるようになった。
で、今は、できるだけ独りで寝るように心がけている。
しかし悪夢だけは、何ともしようがない。
が、ワイフには、それが理解できない。
のんきな性格の人で、「そんな夢を見る方がおかしい」と片づけてしまう。

 では、どうするか?
……と悩みつつ、もう40年が過ぎた。
どうしようもない。
どうすることもできない。
これも「性格の不一致」ということになるのか。

 どうであるにせよ、たがいの平均余命も、15年近くになってしまった。
どこかチグハグな夫婦だが、私たちのような夫婦も少なくないはず。
「みんな、どうしているのだろう?」と思うが、そんなことを話してくれる人はいない。
これは生活の中でも、きわめてプライベートな部分。

 私の印象では、みんなそれぞれ、いろいろな問題をかかえながら、何とかうまくやっている…
…。
夫婦というのは、そういうものか。

 睡眠時間のことを書いたので、私とワイフのことを書いてみた。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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