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2011年         9月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

(2011−9月号)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【木曽・駒ヶ岳に登る】(後編)

●飯田
  
 少し前、飯田を出た。
飯田からはローカル線。
5分おきに停車しているといった感じ。
水曜日の午後ということで、高校生たちがたくさん乗っている。
ホームにも、高校生の姿が目立つ。

 時刻は午後1時16分。
日差しは強く、外に出ると真夏の陽気。

 飯田の駅で、15分ほど待ち時間があったので、売店で「ニューズウィーク」誌を買っ
た。
見出しを読んだだけで、「さすが!」と感心する。
言葉の使い方が、うまい。
世界でも超一級のライターたちが書いている。

●「知的ブラックホール」(ニューズウィーク誌)

 見出ししか読んでいないが、「知的ブラックホール」という言葉が目に留まった。
私流に解釈すると、こうなる。

つまり知識人が、知識を過信するあまり、とんでもないことを信ずるようになることをい
う?
その結果として、これまたとんでもない袋小路、つまりブラックホールに入ってしまう。
が、それですめばまだよいほう。
そういう知識人が、一般庶民を、まちがった方向に誘導してしまう。

 以前にも書いたが、たとえば『行列のできる法律相談所』(テレビ番組)がある。
あの番組に流れる法哲学は、本来の法哲学ではない。
あの番組では、何でも、「まず法ありき」という姿勢で、法を説く。
しかし「法」というのは、何か問題が起きたとき、その問題を解決するための手段として
使われるもの。
それまでは、裏方として、うしろにひっこんでいる。
とくに民法では、そうである。
何か問題が起きたとしても、当人どうしが、それでよいなら、それでよい。
法の出る幕はない。
それをいきなり、「無断で写真を撮った! 肖像権侵害!」と騒ぐ。
小学生でも、そう言う。
「どこでそんなことを知ったの?」と聞くと、「行列の……」と答える。
 
 だから私はあるとき子どもたちに、こう言った。
「写真を撮ったことで、何か不都合なことが起きたら、肖像権侵害で訴えればいい。
でも、先生がみんなの写真を撮ることは、ごく日常的な行為で、法律違反ではないよ」と。

 これも知的ブラックホールということになる。
一部の知識人が、まちがった法哲学を説き、人々にまちがった法意識をもたせてしまう。
司法試験の合格だけをめざして勉強したような人ほど、このブラックホールに陥りやすい。

ニューズウィーク誌はどのように書いているか知らない。
あとでゆっくりと読んでみたい。

●駒ヶ根まで

 ワイフは前の座席で、ニューズウィーク誌を読んでいる。
私は先ほどまで船酔いに似ためまいを感じていた。
飯田線の特急列車は、不必要なまでに、クッションがよい。
そのためカーブを曲がるたびに、フワーッ、フワーッと揺れる。

 半面ローカル線は、(つまりこの列車は)、ガタンゴトンと、線路と車輪の鉄の衝撃がそ
のまま座席の下から伝わってくる。
パソコンを使うには、ローカル線のほうが、よい。
時間はかかるが、パソコンが手元にあれば、時間は気にならない。

 ……それにしても、よく停車する列車だ。

●キング牧師・暗殺前・最後の24時間(ニューズウィーク誌)

 ワイフは、今、「キング牧師・暗殺前・最後の24時間」という記事を読んでいる。
今度、映画化されたという。

 私はそれを読んで、「がま先生」こと、蠣崎要(かきざきかなめ)氏を思い出した。
浜松市で開業医をしていた、産婦人科医である。
タレントドクターとして、よく知られていた。

が、この30年間で、「がま先生」のことを書くのは、これがはじめて。
「がま先生」という名前を書くのもはじめて。
そのがま先生にも、最後の24時間があった。
詳しくは書けない。

私はがま先生の秘書を、7年間勤めた。
その間に、がま先生の本を、10冊近く書いた。

2人の息子氏と、1人のお嬢さんの家庭教師もした。
よくいっしょに外国へも行った。
あちこちの学会にも顔を出した。

 私が東洋医学の勉強をするようになったのも、がま先生の秘書をしていたからである。
そのがま先生は、その年の春の彼岸(3月)に焼死した。
直後の夕刊では、風呂場の煙突の加熱が原因によるとあった。
享年49歳。

息子氏の1人が2階の窓から逃げるとき、その煙突に足をかけた。
そのとき「煙突が異常に熱かった」と。
そこから煙突の加熱説が生まれた。
火事、つまり事故、と。

 が、私はそれを信じなかった。
がま先生の家の構造は、がま先生と同じくらい、私はよく知っていた。
で、その数日後から、私は消防署に足を運び、原因を調べ
た。
担当署員は、こう言った。
「私のほうからは、何も言えません。あなたの質問に対して、YES、NOだけで答えま
す」と。

が、それについて、ここで書くことはできない。
その「事件」で、がま先生夫妻、お嬢さんのHチャン、それに助産婦長をしていた、K先
生の4人がなくなっている。
K先生は、私の長男を取り上げてくれた人である。
3人の子どもは、私の教え子である。
とくにHチャンは、毎週私が自分の教室へ連れてきて、教えた。
みんなからは、「おあちゃん」と呼ばれ、かわいがられていた。

●謎の24時間

 その朝、がま先生は、オペ(手術)を1つこなしている。
それが終わると、市内のGホテルで催されたネクタイ展示会に顔を出している。
そのあと、一度帰宅。
どこで昼食をとったかは、不明。
(がま先生は、居間から診察室へ行く途中、食堂で簡単に昼食をすますということが多か
った。)

 で、午後から、またオペを2つこなし、今度は奥さんと同伴で、映画館へ。
市内のC劇場で映画を見ている。
その映画のあと、一度、自宅へ戻り、食事をすますと、そのまままたGホテルへ。
そこでだれかと会い、夜11時過ぎまで、過ごす。
が、ここからさらに謎が深まる。

そのあと秘書のI氏(運転手)を呼びつけ、I氏に運転させ、K町にあるRSというス
ナックに寄っている。
RSというのは、同僚医師のK氏の妻が経営するスナックである。
そこでしばらくの時間を過ごし、自宅に帰ったのが午前0時半ごろ。

●謎の焼死事件

 がま先生は、遅い風呂に入る。
それが午前1時ごろ。
その時刻、奥さんは、二階の寝室にいた(?)。
風呂釜の空焚き説も、そこから生まれた。
空焚き状態になり、火事になった、と。

 その朝早く、午前3時半ごろ(この時刻は記憶による)、火事が発生。
がま先生以下、4人がなくなるという、あの惨事につながった。

 が、私は、その火事がどのようにして起きたか、知っている。
消防署員の肉声の録音テープも、どこかにあるはず。
が、それについては、ここには書けない。
すでに記憶の中に、封印していある。
死ぬまで、だれにも話さないだろう。

 が、なぜ?
なぜあれほどまでに幸福そうに見えた家族に、あのような惨事が襲ったか?
なぜ、がま先生は、夜半まで、Gホテルで過ごしたか。
その相手は、だれだったのか。
なぜ、がま先生は、タクシーを使わず、深夜遅く、わざわざ秘書のI氏を呼びつけ、車を
運転させたか。
なぜ、がま先生は、途中、RSというスナックにわざわざ寄ったか。
スナックを出たとき、時刻は午前0時を回っていた。

私はその謎を解くヒントは、がま先生と奥さんが見た、あの映画の中にあると考えている。
当日、C劇場で上映されていた映画は、F監督製作の「xxxx」。
その映画があの悲劇の引き金を引いた。

 「がま先生・最後の24時間」。
まさに謎に包まれた24時間だった。

が、まさにあの映画どおりの筋書きで、がま先生は、この世を去った。
『キング牧師・暗殺前・最後の24時間』というタイトルを読んで、そんなことを思い出
した。

●貸し切り 

駒ヶ根からロープウェイ乗り場のある、ひらび平まではバス。
が、ここでも客は、私たち2人だけ。
さらに、ひらび平から千畳敷までのロープウェイでも、客は私たち2人だけ。
いろいろなところへ行ったが、こんなことははじめて。
けっしてシーズンオフということではない。
頂上へ着くと、どこかのテレビ局が、旅の番組を収録していた。
見たことのあるテレビタレントが、3〜4人、いた。

 私たちはそれが終わるまで、近くのベンチで座って待った。
待って、今度は、私たちの記念撮影をした。
そばにいた男性に、シャッターを切ってもらった。
快く、引き受けてくれた。

 あとでワイフがこう言った。
「あの人ね、お笑いタレントのXXよ」と。
私がシャッターを切ってくれと頼んだ人は、テレビの世界ではかなり有名なタレントだっ
たという。
私は、そういう世界を、ほとんど知らない。
そういう番組は見ない。
XXさん、ありがとう。

●眠い

 今、夕食を終えて、部屋に戻ったところ。
つい先ほどまで、今夜は徹夜で……と考えていたが、今は、眠い。
無性に眠い。
時刻は午後7時10分。
徹夜で旅行記を書きたかった。
が、体のほうが言うことを聞かない。

 夕食前、1時間ほど、千畳敷を歩いてみた。
大きな岩が敷き詰められた歩道を、ゆっくりと歩く。
ときどき写真を撮る。
眼前に迫る駒ケ岳が、ちょうど日没どきで、まるでドラキュラか何かが住む悪魔城のよう
に見えた。
荒々しい岩肌。
遠近感のない空間。
ワイフは、「こんな景色を見るのは、はじめて」と、何度も言った。

●日韓経済戦争

 ホテルでネットがつながったのには、驚いた。
さっそく、あちこちのニュースサイトをのぞく。
気になったのは、韓国の株価。
暴落に、暴落を重ねている。

 ウォン高にすれば、輸出に影響が出る。
ウォン安にすれば、食料品やガソリン代が値上がりする。
すでに限界に近いほどまで、とくに食料品の価格が上昇している。
国内経済はメチャメチャ。
が、韓国政府が選んだ道は、ウォン安。
国民生活を犠牲にしても、まず金を稼ぐ。
うまくいけば、一気に韓国は経済大国として、世界に躍り出ることができる。

 ……というわけには、いかなかった。
韓国政府の思惑通りには、いかなかった。
最大のターゲットにしていたEUの経済が、こけた。
その前に、アメリカがこけた。
当初、つまり今回の大恐慌が始まったとき、韓国のイ大統領は、こう言っていた。
「わが国に与える経済的影響は、軽微」(8月はじめ)と。

 が、本当にこけたのは、韓国の国内経済だった。
それもそのはず。
韓国の銀行は、その大半が、アメリカの銀行の支配下にある。
サムスンにしても、ヒュンダイにしても、中身はアメリカの会社と考えたほうがよい。

 ニューズウィーク誌は、表紙を「韓流バブル」という文字で飾っている。
エンタメの世界で、韓流バブルがはじけ始めているという。
日本で起こりつつある、反韓流の動きをさす。
が、同時に韓国では、経済バブルもはじけつつある。
株価の暴落が、ほかの国とくらべても、大きすぎる。
が、日本よ、日本人よ、これだけはしっかりと覚えておこう。

 韓国が頭をさげて助けを求めてくるまで、日本は、ぜったいに韓国を助けてはいけない。
いけないことは、竹島問題を見ただけでもわかるはず。
さらに言えば、前回、韓国がデフォルトしたとき、日本は100億ドルを貸した。
そのうちの50億ドルが、まだ未払いのままになっている。

●希望

 数日前、地元の新聞社から、連載の依頼があった。
うれしかった。
ときどき単発モノの依頼はあるが、連載モノは、重みがちがう。
その連載にあわせ、体力を調整し、脳みそを鍛える。

 人は希望によって、生きる。
希望が、道を照らす。
言い換えると、道のない人生を歩むことぐらい、つらいことはない。

 これには、老人も若者もない。
1人の人間として、これほどつらいことはない。

 恐らく私にとっては、人生、最後を飾る連載になるはず。
命がけで書いてみたい。

●23:13

 先ほど目を覚ましてしまった。
部屋のエアコン調整に失敗した。
まずワイフが起き上がり、「暑い」と。

 私は窓を開けた。
眼前に、駒ケ岳が見えた。
暗闇を背にし、こちらに向かってのしかかるように、うっすらとその姿を現していた。
白い石灰石(多分)が、雪のように白く光っている。
その雄大な景色に、しばし見とれる。
それを見て、ワイフが、「美しいわね」と言ったまま、口を閉じた。

 こういう旅行では、よくこういうことがある。
睡眠調整がむずかしい。
というより、枕やふとんが変わっただけで、眠れない。
目が覚める。
今回は、暑苦しくて、目が覚めた。

 部屋は8畳。
エアコンはあるが、空調設備はないようだ。
時刻は、今、午後11時13分。

●猛暑 

 寝る前に見たニュースによれば、昨日は全国的に猛暑だったとか。
ところによっては、35度を超えたとか。
熱中症で倒れた人も多い。

 しかし9月半ばで、35度?
おととしも、たしか9月の終わりまで、30度を超える日々がつづいた。
地球の火星化(温暖化ではなく、火星化)は、確実に進んでいる。
この駒ケ岳でも、以前の今ごろは、気温も0度近くになり、氷も張ったという。
が、昨日も、そして今日も、朝夕の気温は11度前後。

 「地球が火星化したら、高い山地に引っ越そう」と考えていたが、その夢も、もろく崩
れた。
むしろ、寒冷地のほうが、地球火星化の影響を大きく受ける。

●頭痛

 ワイフが起き上がった。
「頭が痛い」と言った。
「枕を高くして」と言った。

 湿布薬を、首と額に塗ってやった。
ついでに精神安定剤を1錠。
睡眠薬がわりに、私たちはのんでいる。

「どういうふうに痛い?」と聞くと、「二日酔いみたい」と。

 ワイフも酒に弱くなった。
食前に生ビールを一杯飲んだ。
私も一口のんだが、それで顔が真っ赤になってしまった。

 一見、健康で私より元気に振舞っているが、ワイフも確実に老いつつある。
寝顔はすっかり、バーさん顔。
そんなワイフがいとおしい。
「いつまでこんなことができるのだろう」と考えていたら、目頭がスーッと熱くなってき
た。

 やはり今日の旅行は、ワイフには、無理だったかもしれない。
片道、6時間半。
次回は、もっと近いところにしよう。

●長篠の戦い

 この原稿のはじめに、「長篠の戦い」について、書いた。
当時の私は教育パパで、あちこちの史跡へ息子たちをよく連れていった。
40坪の畑も作り、自然への親しみを教えようと、植物や作物の作り方も教えた。
もちろん美術館へも連れていった。
文学も、読んで聞かせた。
テープに吹き込んで、毎晩聞かせた。

 が、今にして思うと、それが何だったのか、よくわからない。
過去どころか、年長者に対する畏敬の念など、ゼロ。
歴史の「れ」の字も理解していない。
国際経済の話をしても、「何、それ?」となる。
美術への造詣もなければ、政治の話もしない。
することと言えば、ギターを片手に、ミュージシャンのまねごとばかり。

 ああ、またグチになってしまった。
ワイフは寝息をたてて眠り始めた。
よかった。

「晃子へ、お前のめんどうは、最期の最期まで、ぼくがみるよ」と。

●欧州・9月危機

 ニューズウィーク誌を読みたいが、この暗闇では、どうしようもない。
明かりは、となりの玄関から漏れてくる光だけ。
それに紙質がちがうのか、ページをめくるたびに、ガサガサと大きな音をたてる。

 かろうじて見出しが読める程度。
が、かえってこのほうが、想像力をかきたてておもしろい。
その記事のひとつに、「欧州・9月危機」というのがある。

 が、だれが考えても、ギリシアのデフォルト(国家破綻)は、すでに既成の事実。
救いようがない。
へたに助ければ、かえってモラル・ハザードが起きてしまう。

それにギリシアだけではない。
スペインやイタリアが、そのうしろで構えている。
ドイツ一国だけで、欧州危機が回避できるとは、だれも考えていない。
今、EUは、EUそのものの崩壊の瀬戸際に立たされている。

●公務員的発想

 そのギリシア。
国民のほとんどが公務員と言ってよいほど、公務員の数が多い。
正確な数字は公表されていないが、60%近くがそうであるという。
何も公務員が悪いというわけではない。
また1人ひとりの公務員に責任があるというわけでもない。

 しかし公務員と呼ばれる人たちは、与えられた範囲での仕事はする。
権限にしがみつく。
そのくせ、少しでも管轄が侵害されると、猛烈にそれに反発する。
失敗しても責任を取らない。
常に責任逃れの口実を考えている。
加えて管轄以外の仕事はしない。
「余計なことをすれば、責任を取らされる」と。

 だから臨機応変に、ものごとに対処できない。
あの3・11大震災のときも、こんなことがあった。
ある小学校でのこと。

●震災悲劇

 地震のあと、児童たちをどこへ避難させるかで、教師たちの判断が二転三転した。
「三角地」と呼ばれる、低地にある平地か、それとも校舎の裏にある山地か、と。
そして子どもを迎えにきた父母には、いちいち名前まで書かせていた。

 結局、三角地と呼ばれる平地に避難することになり、そのとたん、津波に巻き込まれた。
74人の児童のうち、70人が死亡したという。

そのとき、こんな意見も出たという。
「山地に逃げれば、余震で木が倒れ、かえって危険」と。
一瞬の判断ミスが、多くの子どもたちの命を奪ったことになる。
が、地震から津波まで、1時間近い時間があった。
1時間の間、運動場で点呼を取りながら、親たちが迎えに来るのを待った。

 ほかにもいろいろ事情があったのかもしれない。
しかし地震があれば、津波。
津波の心配があるなら、高地へ。
学校の裏に山があるなら、まずそこへ逃げる。
裏山へ逃げれば、全員が助かっていたはず。
運動場で点呼など取っているほうが、おかしい。

 こんなことを書くと、亡くなった子どもをもつ親たちは、いたたまれない気持ちになる
だろう。
その場にいた教師のほとんども亡くなっている。
教師に責任を求めても、死んだ子どもは帰ってこない。
しかし避難マニュアルがどうのこうのと言っているうちに、津波が来てしまった。

 その反対の例もある。
福島第一原発のY所長は、「上」からの命令を無視し、原子炉に海水を注入しつづけた。
結果的に、このY所長の判断が、大惨事から、日本を救った。
が、世間の目は冷たかった。
Y所長のした行為は、独断による越権行為だった、と。
BLOG上でも、その行為について、賛否両論が今でもつづいている。

 が、どうして?
もしあのときY所長が、マニュアル通りの操作をしていたら、管直人前首相が行っている
ように、「東京にだって、人、1人住めなくなっていただろう」。

●ギリシア問題

 今のギリシアも、それに似ている。
国家破綻を前にし、公務員たちはストにストを重ねている。
一時はカンフル剤を注射してもらい、財政健全化に向かうかと思われたが、結局は何も変
わらなかった。
「救いようがない」というのは、そういう意味。 

●介護制度

 介護制度にも、大きな問題がある。
現在の介護制度の中で、恩恵を受けられる人は、必要以上に恩恵を受けられる。
その一方で、恩恵を受けられない人は、常にカヤの外。
特別養護老人ホームへ入るにも、2年待ち、100番待ち……というのが常態化している
(浜松市)。

 一方、巧みに、介護制度を利用している人も多い。
X氏(80歳)もその1人。

 妻も80歳。
日常的に歩くことには、それほど支障はない。
が、どうやってその介護度を取ったかは知らないが、介護度4(5段階中)。
ふつう介護度4というと、寝たきりの状態をいう。

 が、妻は、同時に有料の老人ホームに入居している。
週に2回、自宅に帰ってきている。
その日に、訪問介護があるからである。
恐らく自宅では、寝たきりの様子をして見せているのだろう。
介護士は、掃除、洗濯、料理などをして帰る。

 興味深いのは、訪問介護士が来る日は、夫のほうも家の中に引きこもっているというこ
と。
ふだんは、畑や庭で、いそがしそうに歩き回っている。
さらに驚くことに、妻の送り迎え(有料老人ホームと自宅の間)は、ボランティアの人た
ちがしているということ。
たまにタクシーを使うこともあるが、このタクシー代も、市が負担している。

 そういう老人がいるのを知るにつけ、「うまくやっているなあ」と感心する前に、怒りの
ようなものを、覚えてしまう。
私の母のときは、そういうサービスは、一度も受けられなかった。
2年間で、一度も受けられなかった。

(そろそろ眠くなってきたので、ここで眠る。)

●天竜峡
 
 今日は、駒ケ岳に登った。
ワイフの尻を押しながらの登山となった。
朝、7時30分ごろ、ホテル千畳敷を出発。
戻ってきたのが、10時半ごろだった。
駒ケ岳の頂上までは登れなかったが、中岳の手前にある山小屋まで行くことができた。

 天気に恵まれた。
風も、そよ吹く程度。
快晴。
気温は、20度。
簡単言えば、夢のような世界。
もう少し詩的な表現を……と考えるが、それ以上の言葉が思いつかない。
やはり「夢のような……」が、いちばん合っている。
現実の世界とは、とても思えなかった。

 よかった。
満足。
今は、帰りの列車の中。
飯田で特急に乗り換えるつもりだったが、天竜峡まで。
そこで2時間ほど、過ごすつもり。
どこかの温泉宿で一服し、そこで特急をつかまえる。
それにまだ昼食をとっていない。
何かおいしいものがあれば、よいのだが……。

 こうして私の駒ケ岳への旅は終わる。
来月はあちこちで講演がある。
それを利用して、あちこちの温泉地を巡る。
楽しみ!

 そうそう明日から、『サンクタム』、さらに明後日から、『ロスアンジェルス決戦』が始ま
る。
忙しくなりそう!

●おまけ

 天竜峡では、「龍峡亭」という旅館で、風呂に入らせてもらった。
事情を説明すると、女将が出てきて、「今日は15日です。ご縁の日です。600円でいい
です」と。

 天竜川の川沿いにある、「絶景の宿」(宿の案内書)。
「まだ泊り客は来ていないので……」という理由で、私とワイフの2人だけで入らせても
らった。
プラス、リンゴジュースのサービスつき。

 そのあと駅前まで歩き、私たちはそばを食べた。
4時14分の特急を待った。

 2011年9月15日。
おしまい。

(付記)

駒ヶ岳登山の写真集は……
http://bwmusic.ninja-web.net/
で、ご覧いただけます。


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2011++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月16日(今日は休み)

+++++++++++++++++

床から起きたのが、午前9時。
途中、何度か目が覚めたが、午前9時。
「朝の7時ごろかな?」と思って起きたら、午前9時。

昨日と一昨日、木曽・駒ヶ岳へ登った。
片道、電車、バス、ロプウェイを乗り継いで、6時間半。
結構な長旅だった。

その疲れが出たのか?
今朝は、あくびばかり。
連続して、それが出る。

+++++++++++++++++

●運動会

 近くの中学校で、運動会をしているよう。
太鼓の音、歓声、拡声器から流れる声……。
「〜〜してくださ〜い」「〜〜は前もって……」という指示が聞こえてくる。

 今日も「暑ッ」。
最近は、こういう言い方をするのだそうだ。
日本語も、どんどん、変化している。
そのうち私の文章も、辞書なしでは読めなくなるかもしれない。

 が、こんな暑い日に、運動会?
言うなれば、真夏の運動会。
もちろん対策はじゅうぶん講じられているのだろう。
が、熱中症が心配される。

 ……たった今、ゴキブリの子どもが窓枠のところにいた。
指で払いのけてやったら、そのまま瓦屋根の上に落ちた。
見ていると、ほんの数秒ほどもがいたあと、動かなくなってしまった。
瓦は、かなり熱くなっているらしい。

●映画『サンクタム』

 今、ワイフはクラブに行っている。
昨日買ったみやげものを、大切そうに、もっていった。
みなで、みやげものを交換し合うのが、習わしになっているらしい。

 今日の予定は、とくにないが、今日から映画『サンクタム』が始まる。
話題の映画だから、今日は混雑するだろう。
が、私たちは観に行く。
何も遠慮することはない。
チケットは、ネットで予約する。
今なら、まだよい席が取れるはず。

 しかし本当に観たい映画は、明日から始まる『ロスアンジェルス決戦』。
巨大なUFO軍団と人間との戦い。
まあ、常識で考えれば、人間に勝ち目はない。
相手は宇宙的規模で、地球を攻撃してくる。
言うなれば、航空機を使って、縄文人を攻撃するようなもの。

 で、いつもの私の空想。

●映画『ロスアンジェルス決戦』

 『サンクタム』のほうは、映画案内をすでに読んでいる。
荒筋はわかっている。
が、映画『ロスアンジェルス決戦』は知らない。
本当に知らない。

 で、私の空想する『ロスアンジェルス決戦』。
荒筋は、こう。

●空想(SF)

 人間に地球を任せておいたら、地球は、火星のような惑星になってしまう。
ある部分で、たとえば食料などで、彼らもまた地球の植物に依存している。
そこでこの宇宙を支配する、X星人たちは、地球人の抹殺を図る。

 X星人たちは、太陽系外からも援軍を集め、地球総攻撃を準備する。
が、その情報の一部を、宇宙を航行している探査衛星が、キャッチする。
その情報はただちに地球防衛軍に送られる。
対策が練られる。

 その1。
世界中にある核兵器が集められる。
それを搭載できるミサイルが集められる。
それらを機雷のように、地球周辺に配置する。

その2。
 総本部は、ロスアンジェルス市の地下。
地下1000メートル近くに作られた、宇宙防衛司令部。
が、X星人たちは、すでにその情報をつかんでいた。

その3。
 X星人たちは、地球の防衛網をつぎつぎと破壊し、地球に迫ってくる。
一方人間たちは、宇宙人の弱点、盲点を探し出す。
世界中の大型コンピューターを使い、彼らが残した痕跡を分析する。
が、もっとも役に立ったのは、彼らが宇宙空間に廃棄した、廃棄物。
その中には、X星人の「便」も、あった。

 刻一刻とその日が迫ってきた。
すでに各地で、X星人の先遣部隊との戦闘も始まった。

 一方人間はその便を使い、クローンX星人を完成する。
姿、形は、X星人。
しかし中身は人間。
人間は、このクローンX星人を使い、X星人とのコンタクトを開始する。

 が、ついに地球総攻撃は始まった。
地球全体が、怪しげな炎に包まれる。
一瞬にして、人間だけがその炎に包まれると、骨だけを残して溶けてしまう。

 対する人間は、あらゆる武器、火器を使い反撃する。
が、やがてクローンX星人とX星人とのコンタクトが成功する。
取り引きが開始される。

 たぶん、そのあたりから、定番の「愛」という言葉が出てくるはず。
アメリカ人は、「愛」至上主義者。
何かにつけ、うるさいほど、「愛」「愛」「愛」と言う。
映画の中では、とくにそうだ。
人間の温もりのある、その「愛」が、地球を救う……。
それに感動して、X星人たちは、自分たちの考え方を改める。
最後に少数の人間だけを残して、地球から去っていく……。

……という、具合。
まあ、そんなところ。
たぶん?

●過剰保護

 9月13日、北朝鮮漁船を日本漁船が発見し、そのあと、日本の海上保安庁が、それに
乗っていた家族と親戚9人を保護した。

 今のところ、脱北者とみられている。
が、そのあとが納得できない。

(1)9人は、「上陸許可書が得られない」という理由で、海上保安庁の船で一泊。
(2)翌日、ヘリコプターで、金沢へ。
(3)簡単な聴取がすんだあと、今度は、海上保安庁の専用機で、九州へ。
(このあたりの動きについては、記憶によるものなので、不正確。)

 しかし何がなんでも、そこまで手厚く保護する必要はない!
まるでVIP扱い。

 彼らは「韓国行き」を望んでいるという。
ならば、海上で、そのまま韓国側の巡視船に引き渡すこともできたはず。
またそうすればよかった。

 いくら脱北者でも、北朝鮮人である。
今までさんざん日本を苦しめてきた、北朝鮮人である。
脱北したとたん、「善人」になったとは、私には考えられない。
「軍人」だったということだから、国内では、一般民衆を、さんざん苦しめてきたという
ことも、じゅうぶん、考えられる。

 要するに、こんなことを繰り返していたら、税金がいくらあっても、足りなくなる。
海のアワのように消えていく。

 たとえばヘリコプター(双発タービン)でも、チャーター料金が、1日、70〜100
万円。
飛行機(双発ピストン)については、1日、20万〜100万円(アークEFI)。
その他、もともろの経費を積み重ねると、1000万円以上になるのでは?

 現に海産物の洋上取り引きは、ごく日常的に行われている。
同じように、韓国の巡視船に、海上で、脱北者をそのまま引き渡しても、何もおかしくな
い。
木造船も、そのまま韓国側に引き渡せばよい。

 私の意見を「冷たい」と思う人もいるかもしれない。
が、この先、こうした事例は、さらに多くなる。
そのたびに、こういうことが繰り返されるようになる。
そういうことも考慮に入れ、事前に「マニュアル」を用意しておく必要がある。

 日本人よ、もうこういうお人好しは、やめようではないか!
いい子ぶるのも、また先進国ぶるのも、やめようではないか!

(昼食タイムになったので、今朝はここまで……。)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【よく泣く子ども】

+++++++++++++++++

幼稚園でよく泣く子どもについての
相談があった。
群馬県のO市で、幼稚園教諭をしている
TS先生という方からのものだった。

+++++++++++++++++

【TS先生より、はやし浩司へ】

群馬県のO市で、幼稚園教諭をしているTSという者です。
現在、担任している年少3歳児K男について、ご相談させていただきます。

K男は、入園から半年が経ちましたが、保育時間のほとんどを泣いて過ごしています。
朝も泣いて登園し、自分から母親と離れることはできませんが、幼稚園を嫌がったことは
一度もないそうです。

1学期は、身の回りのことが自分でできないことで不安になっているのではと思い、衣服
の着脱や身支度の仕方などを根気よく教え、自分でできることも少しずつですが増えてき
ました。
その成果といえるかどうかわかりませんが、片づけ、手洗い・うがい、おやつや給食の準
備、帰りの支度は、泣かずに自分でできるようになりました。
しかし、それ以外の場面では、私から離れることができず、泣き続けていて、遊びもほと
んどできません。

夏休みに夏祭り盆踊りがあり、保護者が準備をしてくれている間、他の職員が、子どもた
ち(異学年・異クラス混合)を集めて、近くの児童館に連れて行く機会がありましたが、
そのときもみんなと行けず、私と一緒に過ごしました。私と、1対1でかかわっている時
には、泣きませんし、ちょっとした悪戯もするくらい元気です。こちらの言っていること
の理解もできますし、おしゃべりもいっぱいするので、いつも集団の中で泣いている姿し
か見ていない他の先生たちは、驚いていました。

2学期が始まると、さらに泣きがひどくなり、「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰
りは、並ぶ?」など、先のことを心配して、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣い
ています。
私も、できるだけ不安にならないように、そばにおいたり、見通しをもたせたりするよう
にしていますが、常に大きな声で泣いているので、正直なところ私もストレスになります
し、他の子たちも活動を十分楽しめないのではないかと思います。

母親に話を聞くと...
母親と2人だけでは外出することはできず、出かける時は、必ず祖父がK男の手を引いて
いく。
家庭訪問で私が指摘するまで、みんなと同じ食卓で食事をすることを嫌がるため、一人で
別の部屋で食事をさせていたとのことです。

分離不安? 集団恐怖症? 何かあるのでは??と思うのですが、どうでしょうか。

母親は入園前から、パートの仕事をしていて、留守中は祖母と留守番ができるそうです。
母親が虚弱という話も聞いたので、入院するなどして母親と離れた経験がないかも聞いて
みましたが、ないそうです。

K男に付いてもらえる職員はいないので、担任の私がかかわるしかないのですが、今まで
以上に安心できるように寄り添った方がよいのか、必要以上にかかわり過ぎない方がよい
のか、どのような姿勢でかかわっていったらよいのでしょうか。アドバイスをお願いしま
す。

家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児です。

【はやし浩司より、TS先生へ】

 私もいろいろな子どもに接してきました。
最初の半年間(実際には3か月ほど。以後、少しずつ机に向かって座ることができるよう
になった)、机の下で、机の脚にしがみついてレッスンを受けていた子ども(年少児)がい
ました。

 下の子どもが生まれてから、はげしい赤ちゃん返りが起き、慢性的な発熱症状(年長女
児)を示した子どももいました。
母子分離不安で、母親の姿が見えなくなっただけで、錯乱状態になった子どもの例となる
と、無数にあります。
幼児の世界は、TS先生がお気づきのように、実に複雑で、しかもいろいろな原因や症状
が複合してしますので、こうした問題が起きたら、からんだ糸をほぐすような作業が必要
になります。
短絡的に、「対人恐怖症」「これは赤ちゃん返り」「情緒不安」とかいうように結びつけるこ
とは、たいへん危険です。
(あとで述べますが、家庭環境からして、「対人恐怖症」による症状のひとつということは
じゅうぶん、考えられます。)

 基本的には、幼児は、何か心に大きな問題をかかえると、それを代償的に解消しようと、
つぎの4つの行動のどれかを取ると考えてください。

(1)攻撃型(たとえば下の子どもを、「殺す」寸前までのことをする。)
(2)同情型(相手に同情を求め、弱々しい自分を本能的な部分から演ずる。演技と言う
よりは、それが常態化しているため、意識的行為と言うよりは、無意識的な行為。メソメ
ソと泣いて見せるのも、そのひとつ。)
(3)依存型(だれかに極端に依存することによって、心の問題を解消しようとする。)
(4)服従型(ほとんど何も考えず、親や教師の言いなりになり、言われた通りに行動を
繰り返す。)

 以上は、心理学の本などに出てくる定型的な症状ですが、このほかにも、(5)内閉型(カ
ラの中に閉じこもってしまう)というのも、私は経験しています。
さらに同じ、同情型、依存型でも、暴力性を伴った攻撃型同情型、攻撃型依存型というの
も経験しています。

●一般論として

 またこういうケースのとき、親自身が気がついていないところで、子どもの心を傷つけ
ているというのも、多々あります。

(親には、自分にとって都合の悪いこと、あるいは責任があることについては、心の隅に
置き、封印してしまう傾向があります。
たとえば分離不安についても、ささいなことで、そうなります。
たとえば母親がたった3日、入院しただけで、そうなった子ども(2歳男児)がいます。
私がそれを指摘すると、「たった3日ですよ!」と、反論していました。
遊園地で迷子を経験しただけで、分離不安になってしまった子ども(3歳児)もいるくら
いですから……。)

 話を先に進める前に、「よく泣く子ども(日本では、「夜泣き」「疳の虫」という)」につ
いては、アメリカでもよく問題になっています。
そのためいろいろな「方式」が考えられています。
その中でも「ファーバー方式」というのは、とくによく知られています。
K男君のケースとは、直接的には関係ないと思われますが、参考までに、ここに原稿を添
付しておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

●ファーバー方式
 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのが
ある。
それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名前をい
う。
(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, 
and haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your ba
by will help your child sleep through the night and will help you from going mad from 
lack of sleep. Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has come up with 
a method guarantee to get your child sleeping through the night. 

 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。

The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their 
babies cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". 
Although the Ferber method does work for some parents, others think that it is to rigid. 
It is important to read the book and to decide for yourself. Some of the mothers in my 
classes have modified his method to fit their schedules and tolerance levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」前
に、ある程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバー
方式を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the family. 
Some parents cannot bear to hear their children cry for extended periods of time. 
Ferber states in his book that in order for his approach to work it is very important to 
stick with the routine. There are no exceptions unless your are traveling , your child is 
sick or you have company at your house. If you disrupt your babies sleep schedule and 
they start to wake up during the night again you will probably have to referberize the 
child. 

ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのままつ
づけることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないとい
います。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起きな
ければならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you put 
your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep while 
he/she is still awake is very important and this will teach them to go to sleep on their 
own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを寝
さかせ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、赤
ちゃんが自分で眠ることを教えます。

Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize them. 
Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with his/her 
sleeping when you start the method. Once your child is in bed leave the room and if 
she/he cries, wait a certain amount of time before you check on your child again.(the 
waiting time is outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよい
と言っています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your child 
but do not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your voice. 
Gradually increase the amount of time between the visits to your child's room. 
Eventually (usually within a week) your child will realize that crying means nothing 
more than a brief check from you. He or she will learn to sleep on his/her own through 
the night and you will also get the sleep that you have been deprived of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended 
periods of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will get them 
nowhere. To ferberize or not ferberize is a decision that only you and your partner can 
make. Here's what some parents are saying about the Ferber Method.

ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式は、
赤ちゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より
 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)
の指導法としても、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育
児書」が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の
多くは、書店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」
に対する認識の違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という
考え方が強く、一方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、
もう
一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 
months old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your 
child but do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少な
くとも五ヶ月に達していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈でき
るのですが……

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●基本的信頼関係

 K男君(3歳児)の症状からすると、基本的には、(1)対人恐怖症があり、(2)母子
間における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもと考えられます。
子どもの側からみて、0歳期に絶対的な安心感を得られなかった。
一方、母親側からみて、絶対的な受け入れをしなかった。
「絶対的」というのは、「疑いをもたない」という意味です。

 対人恐怖症を疑うのは、K男君の家庭環境からです。
「家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児」ということですから、か
なりの過保護、過干渉、祖父母による溺愛などが、想像できます。
つまりK男君は、(ものわかりのよい、実に温室的な家庭環境のみの中で育てられた)とい
う印象をもちます。
俗にいう『温室育ち、外で風邪を引く』というのがそれですが、このタイプの子どもにと
っては、集団教育の場は、まさに「野獣群れなす、野生の世界」ということになります。
対人恐怖症になってもおかしくありません。
別の形で現れるのが、いわゆる場面緘黙症ということになります。

 泣きながら、抑圧された心を発散させる……。
そういう点では、場面緘黙症よりは、予後はよいということになります。

●ついでに……

 最近の研究によれば、人間にも刷り込み(インプリンティング)があることがわかって
きました。
0歳から7か月前後までがその期間と言われています。
「敏感期」と呼ぶ学者もいます。

 この時期の母子関係がいかに重要かが、これでよくわかります。
つまりこの時期に、子どもの側からみて、何らかの理由で、「絶対的な安心感」を覚えられ
るような家庭環境ではなかったということが、考えられます。
それが遠因となり、強迫症、潔癖症、完ぺき主義へと進んだと考えられます。

 引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者もふ
えています。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、このころの基本的信頼関係の構築が失敗
すると、おとなになってからうつ病などの病気を起こしやすくなるというようなことを論
文で発表しています。

 いわく『九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子
どもは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母
子保健情報54・06年11月)を形成する』と。
さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になるこ
ともあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 乳幼児期における母子関係がいかに重要なものであるかは、いまさら言うまでもありま
せん。

 K男君のケースでは、まずこの母子関係の不全、あるいはその時期の育児の失敗を考え
てみます。
「母親の運転する車に乗せて2人で外出することはできず……」という部分が気になりま
す。
ほかに何か理由があるのかもしれませんが……。

●強迫性障害

 乳幼児にも強迫性障害はあります。
母子分離不安がその典型的な例です。
(母親の姿が見えない)→(「捨てられるのではないか」という極度の不安状態になる)→
(突発的に錯乱状態になる)

 このばあい、私は私の観察から、プラス型とマイナス型に分けて考えています。

 大声をあげ、泣き叫びながら母親のあとを追いかけるのを、プラス型。
極度の不安状態になってしまい、オドオドと混乱状態になってしまうのを、マイナス型。

 K男君のケースでは、本来、そうした強迫性障害、あるいは不安障害も考えられますが、
泣き方を観て判断します。
で、もしそうであれば、本来、こうした障害は、母親に起因します。
K男君の下の子ども(弟or妹)がいないということなので、今回は、赤ちゃん返りは除外
します。

(世間一般の人は、赤ちゃん返りを軽く考える傾向がありますが、これはとんでもない誤
解です。
子どもの心を基本的な部分でゆがめ、症状がこじれると、さまざまな障害を引き起こしま
す。)

 が、その母親に対して、自分の欲求不満をぶつけることができない。
理由は、母親自身にあると考えられます。
母親自身が、心の閉じた女性(同じく乳幼児期に基本的信頼関係の構築に失敗した)か、
あるいは、何らかの障害(自閉症、緘黙症、アスペルガーなど)をもっている。
さらに言えば、子どもへの愛情が欠落している。
(実際、自分の子どもに愛情を感じていない母親は、7〜10%もいる。
母親の表面的な演技には、惑わされないように!)

 そこでK男君は、慢性的な愛情飢餓状態を代償的に解消するために、つまり母親代わり
に、あなたという教師に、愛着行為をぶつけているということになります。
(祖父母たちと同居していて、愛情飢餓……というのもおかしいと思われるかもしれませ
んが、基本的信頼関係は、あくまでも母子間の1対1の関係で構築されるものです。)

 が、あなたとて、ほかに20人前後の幼児をかかえている。
そこでK男君は、(泣くこと)によって、自分の感じている不安を解消しようとすると同時
に、懸命に、あなたの同情を誘導している。
つまりそういう点では、先に書いた、「攻撃型同情型」ということになります。

 あなたが自分の(範囲)にいる間は、静かに落ち着いている。
しかしそうでないときは、そうでない。
錯乱状態になる。

 こうした一連の行為は、本人の意図的な行為というよりは、本能的な行為に近いので、
叱ったり、説教しても、意味はありません。
赤ちゃん返りを思い起こしてみてくだされば、それがわかると思います。
6歳児が、赤ちゃんぽい言い方で、おしっこを漏らすなど。
つまり本能的な部分で、「嫉妬」がからんでいるため、簡単には治らない(=直らない)と
いうことです。

 で、K男君のばあいは、どうでしょうか。
泣き方を観察してみると、それがわかるのですが……。
ただシクシクと泣くだけなのか?
それとも、錯乱状態になって泣くのか?

●私の経験から

 数年前ですが、Uさん(年少女児)がいました。
レッスンのときにも、体がこわばっているのが、よくわかりました。
緊張性対人恐怖症と考えていました。
「とくに男の人がこわいみたい」と母親は、よく言っていました。
(そういう点では、対人恐怖症ということになりますが……。)

 母親に横に座ってもらったり、あるいは抱っこしてもらったりしました。
が、何かの拍子に、(たとえば自分の作業が遅れたりすると)、そのままメソメソと泣き出
してしまいました。

 で、こういうときは、『涙は、脳の汗』と考え、私は無視します。
あれこれと理由を聞いても意味はないし、なだめても、これまた意味がありません。
本人にも、泣いているという意識がありません。
また「泣くことが悪いこと」という意識もありません。

 ただそういうときは、母親に手を握ってもらったり、あるいは抱っこしてもらうように
指示しました。
幸い、母親が、たいへん理解のある、心のやさしい人でした。
ほかの親たちも参観していましたが、ほかの親を気にせず、子どもの立場で子どもの心を
守っていました。

 その子どもは年中児になるころには、泣く回数もぐんと減り、さらに夏を過ぎたころに
は、自分のほうから手をあげ、意見を発表するようになりました。
それをみなで、何度もほめました。
以後、急速に症状は改善しました。

 で、今から思うと、原因のひとつが、姉にあったのではないかと思います。
姉もやさしい子どもでしたが、しかしそれは表面的な姿。
裏では、結構、妹をいじめていたのではないか?
今になって思うと、そんな気がします。
(反動形成により、よい兄、よい姉を演ずるケースは、たいへん多いです。)

●母親指導はタブー

 今、K男君は、母親代わりに、あなたに愛情を求め、自分の心の隙間を埋めようとして
います。
心理学的には、いろいろな用語で説明できますが、ここで重要なことは、しかし今、ここ
であなたがK男君を突き放してしまうようなことをすると、K男君は、確実に、心をゆが
めるということです。
不登園児になる可能性も高いです。
よく知られた症状に、ツッパリがあります。

 子ども(幼児)は、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、たいへんも
ろい。
私が経験した中で、ツッパリ症状の出た子どもで最年少は、小学1年のI君でした。
それまでは両親の間で、川の字になって寝ていたのですが、小学1年の夏休みに子ども部
屋を作ってもらい、そこでひとりで寝るようになりました。
とたん、あのツッパリ症状です。

 鋭い横目で人をにらんだり、独特の歩き方、そして暴力的暴言。
そこで母親にそれを話し、以前のように再び、川の字で寝るようになったとたん、症状が
ウソのように消えてしまいました。

 原則として、今はたいへんかもしれませんが、「私は母親代わりをしている」という意識
をもち、K男君に接するしかありません。
時期的には、満4歳6か月の、幼児期前期から後期への移行期までつづきますが、それ以
後は自立心が育ち、徐々に、先生から心が離れていきます。

(本来なら、母親が、その役目をしなければならないのですが、仕事をもっていること。
また母親自身の心理状態、情緒問題などがわからないので、ここでは考えないことにしま
す。
またこうした問題を、直接、母親にぶつけるのは、タブーと考えてください。
いわんや、強迫観念、母子分離不安、不安障害などの専門用語を口にするのは、タブー中
のタブーです。
そうした用語を口にできるのは、ドクターだけ。
小学校の先生でも、それで、クビが飛んだケースもあります。

 母親のほうから相談があれば別ですが、教師のほうから問題を提起するのも、タブーで
す。
いらぬ混乱を招くか、あるいはばあいによっては、園長を巻き込んだ騒動に発展します。
私も何度か、……数え切れないほど、そういう苦い失敗をした経験があります。

 『子どもを直すより、親を直す方がむずかしい』と考えてください。
つまり教師は、教師のできる範囲で、懸命にし、それですますということです。
たいへんきびしい言い方をしますが、私たちのできることにも、限界があるということで
す。

 たとえば最近も、明らかに母親の過関心、過干渉が原因で萎縮してしまった子ども(年
長女児)がいました。
が、そういう母親にかぎり、「私がぜったい正しい」「子どものことは、私がいちばんよく
知っている」と、私の言うことに耳を傾けようともしません。
むしろ反対に、「伸び伸びと明るい子ども」を、「できの悪い子」「しつけがなっていない子」
と決めつけてきます。

 で、入会して数か月もたたないうちに、「このクラスでは、ほかの子どもに圧倒される」
という理由で、そのまま去っていきました。

 こういうケースのばあいで、もう打つ手なしです。
「そうですか、ごめんなさい」という言い方をし、後ろ姿を見送るしかありません。

●K男君

 現在の家庭環境からすると、母親の協力を得るのはむずかしそうですね。
それにK男君自身が、先にも書いたように、母親に対して、ある種の恐怖心をもっている
ようにも感じられます。
つまり「おかあさん……」と言って、心を開いて甘えられる環境にないということです。
全幅的に心を開くことができない……。
つまり基本的信頼関係の構築に失敗しているというわけです。
(本来なら、そういうことができればよいのですが……。)

 ただ回避障害による症状とは、ややちがうかもしれません。
引きこもり的、あるいは場面かん黙性があるなら、回避性障害も疑われます。

 では、どうするか……。

 母子分離不安に準じて、つぎの2つに心がけてみてください。

(1)求めてきたら、すかさず愛情表現をして返す。
ほどんどの子どもは、ほんの瞬間(10〜30秒)、ぐいと抱いてあげるだけでも満足し、
体を離します。
(ばあいによっては、数秒で、すみます。)
子どもは、相手の愛情を試すためにそうします。
そのとき「あとでね」「忙しい」は、禁句です。
求めてきたら、すかさず、です。

(2)温かい無視を繰り返す。
いつも目を注ぎながら、愛情をこめて無視します。
子どもが何かの行動をしているときなど。
子どもの心は敏感です。
おとなが考えているより、はるかに敏感です。
相手のわずかな視線の動きをとらえ、相手の心の状態を判断します。
愛情だけは忘れず、温かく無視します。

●情緒障害

 もちろん何かの情緒障害も疑われます。
強迫性障害(「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰りは、並ぶ?」など、先のことを
心配して、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣く)、不安障害、恐怖症、対人恐怖症
(児童館に連れて行く機会があったが、みなと行けなかった)、神経症(おしっこの心配を
する)、自閉症スペクトラム(集団の中で引きこもってしまう)などなど。

しかしそうであっても、これらのほとんどは、年長期(幼児期後期)にかけて、脳が発達
すると同時に、脳そのものの機能的な発達とともに、症状は改善していきます。
(ADHD、場面かん黙は、小学3年生前後で、改善に向かいます。)
大切なのは、症状をこじらせないことです。
こじらせると、あとあとの立ち直りが難しくなります。

 あとは食生活の改善です。
海産物の多い食生活(Ca,Mg,K)に切り替える。
それだけでも、情緒不安症候群は、かなり改善します。
日常的に、甘い食品(白砂糖の多い食生活、たとえばアイス、ジュース類)が多いと、低
血糖になり、情緒が不安定になります。
昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士を作る』と言われています。
また戦前は、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。
詳しくは、また「はやし浩司 砂糖は白い麻薬」で検索してみてください。
いくつかをヒットするはずです。

 以上ですが、あくまでも私の意見は、参考程度にとどめてください。
実際の子どもを観ているわけではありませんので……。
またそのため、話があちこちに飛んでしまいました。
どうかお許し下さい。

 同じ指導者の立場として、最後に一言。
何かのついでにそういう話になったら、K男君の母親の過去をさぐってみるとおもしろい
ですよ。
K男君の母親の家庭環境、母親とそのまた母親(祖母)との関係など。
幼児教育の奥の深さがわかってもらえると思います。
K男君は、「家族の代表」にすぎないのですから……。
つまり現在、K男君のかかえている心の問題は、家庭環境が原因で生まれた「結果」でし
かないということです。
つまりそういう視点をもつと、幼児教育の世界が、ぐんと広がっていきます。
それこそ「人間学」の世界まで広がっていきます。

 では、今日はこれで失礼します。
メール、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 よく泣く子ども 強
迫観念 心配 不安障害 分離不安 愛情飢餓 嫉妬 はやし浩司 先生から離れられな
い子ども)
2011/09/13記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【木曽・駒ケ岳へ】(9月14日、水曜日、2011)【前編】

+++++++++++++++++++++

浜松発8:10分の豊橋行きに乗り込んだ。
行き先は、木曽・駒ケ岳。
豊橋で、飯田線に乗り換える。

「準備万端!」とワイフ。
「紫外線防止クリームはもったか?」
「もった!」
「長袖のシャツはもったか?」
「もった!」と。

ついでに「コンドームは?」と聞くと、「もった!」と。

!!!

私「あのなア、冗談、冗談。必要ないよ」
ワ「気圧が低いところでは、役に立つかもよ」
私「そんな理屈、聞いたことがない」
ワ「それに、浣腸も!」
私「浣腸? 冗談だろ?」
ワ「本当よ。このところあなた便Pがちでしょ」
私「気をきかせすぎだよ、それは……」と。 

こうして木曽・駒ケ岳への旅は始まった。
豊橋からは、特急・伊那路1号。
飯田まで行き、そこからローカル線に乗り換え、駒ヶ根まで。
駒ヶ根から駒ケ岳までは、バスとロープウェイで。
今夜は、ホテル千畳敷で一泊。

天気は、この両日、晴れのち曇り。
ワイフは天気を心配していた。
「だいじょうぶだよ。雲の上に出るんだから」と。

++++++++++++++++++++++++

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/45/img10deda3czikazj.
jpeg" width="640" height="480" alt="木曽駒ヶ岳.jpg">

●旅行

 「旅行」というより、「旅」。
その場任せの、気まままなブラリ旅。

旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる。
どこか人間のスケールが小さい……。
そんな感じがする。

 が、旅に出るには、それなりの勇気が必要。
勇気だ。
たとえて言うなら、喧嘩の相手に、わざわざ会いに行くようなもの。
臆病な気持ちでは、旅はできない。
つまり人間というのは、基本的には怠け者。
新しいことを知るよりは、古い知識にしがみついたほうが楽。
新しい場所へ行くよりは、行きなれた場所へ行くのが楽。
小さく生きた方が、安全、無難。

●脳みその栄養剤

 旅に出るというのは、固まりかけた脳みそをブレンダー(ミキサー)にかけるようなも
の。
……というのは、大げさかもしれない。
しかし歳を取ると、旅に出るのがめんどうになる。
疲れるし、それにお金もかかる。
「休みは家でぼんやりと過ごしたい」と思う。

 が、それではいけない。
脳みそにカビが生える。
腐る。
だから、あえて飛び出す。
その「あえて」という部分で、勇気が必要。

 ……知人の中には、家の中に引きこもったまま、人との接触すら絶っている人がいる。
「引きこもり」というと、若い人の病気のように考えている人も多い。
しかし60代、70代になってから、引きこもる人も多い。
病名は、多くは「うつ病」ということになっている。

 引きこもるから、うつになるのか。
うつになるから、引きこもるのか。
そういう人たちこそ、外の空気を吸ったほうがよい。
言うなれば、旅は、脳みその栄養剤。
そういう意味で、冒頭で「旅の大切さは、それをしない人たちをみると、よくわかる」と
書いた。

●公的教育支出費

 列車の中で、新聞を読む。
そのひとつ。

それによれば、日本の公的教育支出費は、またまた最下位になったとか(OECD)。
「日本は05年、07年も最下位になり、低迷がつづいている」と。
日本は、3・3%!
たったの3・3%!
OECD加盟国31か国中、最下位。
つまりその分だけ、親の負担が大きいということ。

 一方、日本の教育支出に占める私費負担の割合は、33・6%。
チリ(41.4%)、韓国(40・4%)につづいて、下から3番目。
とくに幼稚園の56・5%が、ダントツに高い。
しかもその分だけ、教育の質が高いかといえば、それはない。
生徒の数でみても、小学生の学級規模は、28・0人。
中学生で、33・0人(OECD平均は、21・4人)。
韓国に次いで、下から2番目。

つまりその分だけ、日本の教育の質は、「悪い」ということになる。

●奨学金制度

 が、この数字だけを見て、「日本もそれほど欧米とは変わらない」と思ってはいけない。
たとえばアメリカでもオーストラリアでも、奨学金制度が発達している。
大学へ進学する学生たちは、どこの大学へ入るかということよりも、どこから奨学金を手
に入れるかということに、血眼(ちまなこ)になっている。

 奨学金を提供する民間会社にしても、「どうせ税金で取られるなら……」と、奨学金をど
んどんと提供している。
もちろん会社側にも、メリットがある。
優秀な学生に、ツバをつけておくことができる。

 奨学金を得られない学生は、借金で……ということになるが、親のスネをかじって大学
へ通っている学生など、さがさなければならないほど、少ない。
現実には、ほとんどいない。

●親、貧乏盛り

 そんなわけで、昔は『子ども育ち盛り、親、貧乏盛り』と言った。
今は、『子ども大学生、親貧乏盛り』という。
が、問題はつづく。
老後の問題である。

 今、ほとんどの母親たちは、子どもが大学へ通うころになると、パートに出る。
それこそ爪に灯をともすようにして、子どもの学費(実際には遊興費)を捻出する。
が、子どもといえば、親の苦労など、どこ吹く風。

 50代で貯金ゼロの家庭は、30%もあるという。
家計は苦しい。
が、それでも親は、学費(実際には遊興費)を送りつづける。
「やがて子どもがめんどうをみてくれる……」という淡い期待を抱きつつ……。
しかしそれは幻想。

 最近の若い人たち、さらにその上の世代の人たちに、「親のめんどうをみる」という意識
はない。
ないことは、内閣府の調査結果を見ればわかる。
つまりこの段階で、親は、貯金を使い果たす。

●変わった家族観

 私たちが子どものころは、「家族」というと、そこには必ず祖父母がいた。
「先祖」という言葉も、色濃く残っていた。
が、今は、それがない。
「家族」というときには、自分たち夫婦と、その子どもたちだけをさす。
夫婦と子どもだけ。
悪しき欧米化と断言してよい。

 つまり欧米では、「家族崩壊」が常態化している。
日本および東洋の家族観と比較してみると、それがよくわかる。
欧米人のばあい、2世代家族というのがふつう。
3世代家族というのは、まず、ない。
つまり「家族」には、祖父母は含まれない。

 日本人の意識は、戦後、急速に欧米化した。
恋愛第一主義という、欧米流の価値観も、それに含まれる。
私が若いころは、結婚するにしても、まず親に相談し、親の許可を得てから……というの
が、ふつうだった。
が、今はちがう。
いきなり婚約者を連れてきて、「結婚します」と。

 最近の若い人たちは、恋愛をすると、何かすばらしいことをしでかしたかのように思う
らしい。
思うというより、錯覚。
(特別は特別だが、親も含めて他人には関係ない!
恋愛など、そこらのイヌやネコだって、しているぞ!)
「恋愛至上主義」というのは、それをいう。

●家族崩壊

それが今に見る結果ということになる。
が、欧米はまだよい。
それが常態化した状態で、社会のシステムが完備している。
老人は、若い人たちの助けがなくても、老後を送り、自分の終末ケアを受けることができ
る。

 が、この日本では、社会のシステムが追いつかないまま、意識だけが変わってしまった。
わかりやすく言えば、老人たちだけが、野に放り出されてしまった。

●人材

 グチぽいエッセーになってしまった。
しかし本来なら、日本は公的支出をふやすか、欧米並みの奨学金制度を拡充すべきである。
「奨学金に回してくれるなら、その分、税金を控除します」と。
そうするだけでも、会社は喜んで奨学金を提供するようになるだろう。
(もちろん、その分だけ税収が減るから、政府は猛反対するだろうが……。)

 しかしこの日本がなぜ日本かといえば、「人材」があるからである。
また人材以外に、財産はない。
土地は狭く、資源もない。
軍隊も貧弱。
ならば人材ということになるが……。
こんな状態で、どうして人材が育つというのか。
これからの日本は、どうやって世界と渡りあっていくというのか?

●豊橋

 伊那路1号は、定刻どおり発車。
10:08分。
飯田行き。
1号車は指定車両になっているが、客は私たちを含めて、4人だけ。
ラッキー!

 ワイフは豊橋駅で買った弁当を食べている。
私はパソコンを叩いている。
途中、「湯谷温泉駅」に停車するという。
湯谷温泉には、今年に入ってからだけで、もう10回近く通っている。

 泉山閣、湯の風HAZUなど。
ほかにもいくつかあるが、どこもカビ臭く、泊まるには、かなりの寛容力が必要。
それに料金は、ほかの温泉地と比べ、料金も割高。
が、気位だけは高い。
1300年の歴史があるとか。
それはわかるが、昔のままでは、客はつかめない。

ある旅館でのこと。
「一泊、朝食のみ」の予約をし、夕食を外から持ち込んだ。
それが女将を怒らせた。
叱られた。

 こういうことがあると、もうこりごり。
以後1か月以上になるが、以後、湯谷温泉には、足を踏み入れていない。

●駒ケ岳

 駒ケ岳には、一度、登っている。
息子の1人と旅をしたとき、登った。
登ったといっても、ロープウェイで終点まで行っただけ。
そのときの印象が今でも、強く残っている。

 で、そのとき、そこにホテルがあることを知った。
それが「ホテル千畳敷」。
「泊まろうか」ということになったが、満室だった。
そのときの恨みを、今日、晴らす。
あのとき感じた、不完全燃焼感を、今日、晴らす。

 何でも日本で最高峰にあるホテルとか。
もちろん料金も、最高?
冥土の土産には、もってこい。

●湯谷温泉

 淡い水色の空に、ポカリポカリと白い雲。
景色は薄く、かすんでいる。
緑の稲田が美しい。

 旅行のしかたにも、いろいろある。
しかしそれにも、学習が必要。
つまりレッスン料。
宣伝や広告につられていくと、たいてい失敗する。
温泉旅館にしても、何度か足を運ぶ。
現地を見て、はじめてどの旅館がよいかがわかる。
近くのみやげ物屋で評判を聞くのが、いちばんよい。

 もうすぐ列車は、その湯谷温泉駅で停まる。
私はもともと、山育ち。
山に囲まれた渓流が好き。
だから湯谷温泉……ということになる。
……ということで、湯谷温泉には、足しげく通った。

湯谷温泉を思い出しながら、そんなことを思い出した。

●長篠(ながしの)

 このあたりは、織田信長と徳川家康の連合軍、その連合軍と武田勝頼の激戦地であった
という。
あちこちに史跡が残っている。
息子たちが小さいころには、数度、通った。
史跡めぐり。
歴史の勉強という名目だった。
が、同時にこのあたりは、柿の産地。
よく柿を、箱一杯買って帰った。

 たった今、「本長篠(ほんながしの)」に着いた。
長篠の合戦は、このあたりでは、よく知られている。
騎馬戦を仕かける武田側。
それを迎え撃つ、織田側の鉄砲隊。

……というような構図ではなかったか。
実にいいかげんな記憶で、申し訳ない。
私はもともとこの種の歴史には、あまり興味がない。

●信長の時代

 現在のGDPに換算することはできない。
しかし戦国時代の日本は、恐ろしく貧しかった。
(明治のはじめですら、当時の日本のGDPは、インドネシアと同じだったという話を、
何かの本で読んだことがある。)

今に残る城だけを見て、「江戸時代も結構、豊かだった」と思うのは、まちがい。
数字で表すことは正しくないかもしれないが、一部の武士をのぞいて、たいはんの日本人
は、極貧の生活を強いられていた。

 つまり富と権力は、ほんの一握りの人間に集中していた。
それが戦国時代であり、江戸時代ということになる。
貨幣が一般社会に流通しはじめたのも、また大八車という「車」が発明されたのも、江戸
時代中期であった。
(このあたりのことは、私自身が詳しく調べた。)

 そういうことがわかればわかるほど、「何が織田信長だ!」となる。
今でも織田信長を信奉する人は多いが、エジプトのムバラクや、リビヤのカダフィと、ど
こがどうちがうというのか。
つまり城は、まさに暴政と暗黒政治の象徴。
あの城のために、どれほど多くの人たちが犠牲になったことか!
(列車が揺れ、船酔いに似た症状が出てきたので、しばらく景色を楽しむことにする。)

(つづく)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私と母(1)

 若いときは、あれほどまでにモノにこだわった母。
その母が死んだとき、手元にあったのは、コップ1個と、寝間着3枚。
たったそれだけ。
その少し前、私はこう聞いた。
「母ちゃん、お金をあげようか?」と。
するとあの母が、こう言った。
「お金で命は、買えん」と。

 その母を、私は心底、恨んだ。
私は結婚する前から、収入の約半分を、母に送っていた。
それだけではない。
若いときから、母は私から容赦なく、お金を奪っていった。
私の土地の権利書や印鑑を預けると、それを売ってしまったこともある。
で、私が泣きながら抗議すると、母は平然とこう言い放った。
「親が、先祖を守るために息子の財産を使って、何が悪い!」と。
母を責めているのではない。
それがその当時の母というより、世間の常識だった。

 で、母との関係は、そのあと10年近く、途切れた。
それを心配し、あれこれ世話を焼いてくれる人も、何人かいた。
しかし一度できた深い溝は、簡単には埋まらない。
私は「親捨て」と呼ばれ、母は母で、ちぎり絵に没頭することで、さみしさをしのいだ。
いや、1、2度、連絡を取り合ったが、すぐ喧嘩になってしまった。

 が、母が倒れた。
姉の家に2年近くいたあと、この浜松へやってきた。
いやがる母を抱きかかえて、車に乗せた。
が、体調を崩したのか、来た直後、1週間、下痢を繰り返した。
その世話をしているとき、母がこう言った。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは、思わなかった」と。
私はそれに答えて、「ぼくも、こんなことをしてやるようになるとは、思わなかった」と。
とたん、私と母をさえぎっていた壁は、音もなく静かに消えた。

 母は1年、私の家にいたあと、特別養護老人ホームに入居した。
今にして思うと、それが母にはショックだったらしい。
とたん、それまでの元気もどこかへ消えてしまった。
見舞いに行くたびに、大きな部屋の中央で、いつもぼんやりとテレビを見ていた。
が、ホームの人たちのていねいな介護もあり、母は、1年間、そこで生活をすることがで
きた。
が、最後の時がやってきた。

 母が亡くなる2日前のことだった。
仕事を終え、私とワイフが母の病室を訪れたときには、午後11時を回っていた。
私とワイフは、黙ってベッドの横に座っていた。
が、見ると、右目の付け根で、小さな涙が真珠のように光っていた。
それを見て、ワイフが反対側に回った。
ワイフがこう言った。
「あなた、お母さん、目を開いている!」と。
 
 私がそちら側に行くと、左目が、開いていた。
私は自分の顔を、その視線の中に置くと、母に、「ぼくやぞ、浩司やぞ」と、数回叫んだ。
母は聴力をほとんど失っていた。
が、とたん、母は、ウォーウォーと、2、3度叫んだ。
動物のような叫び声だった。
が、それが最後だった。
私と母の最後の会話だった。
それが終わると、母は深い眠りに落ちるように、目を閉じた。

 こうして私は母を失った。
享年94歳。
勝ち気で気丈夫な人だった。
見栄っ張りで、虚栄心も強かった。
そんな母だったが、浜松へ来てからの母は、まったくの別人だった。
やさしく、どこまでも穏やかで、一言も不平、不満を漏らさなかった。

 で、ある夜、母の体を拭きながら、私は母にこう言った。
「あのなあ、10年早く、今のような母ちゃんだったら、よかったのになあ」と。
母は何も答えなかった。
黙ったまま、下を向いていた。
今にして思うと、その無言が、鋭く私の胸を突き刺す。

 母は、まさにすべてを捨て、裸のまま、あの世へと旅だっていった。

2011/09/13記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小1児にグラフを教える】

運動会が近づき、子どもたちは疲れ気味。精神状態もハイになっています。そのためちょ
っとしたことで、すぐ興奮状態になってしまいました。もともとにぎやかな子どもたちで
すが、今日は、いつもよりさらににぎやかになりました。抑えるのに苦労しながら、とに
かく棒グラフの勉強をしてみました。疲れましたが、たいへん楽しい教室でした。私はこ
ういう子どもたちと、ワイワイと騒ぎながらレッスンを進めるのが、大好きです。親たち
には、評判はよくないかもしれませんが……。

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/itqSxqspaUk?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/9bPPG9y4qz8?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/t3mAiS_R8FM?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本を救った、管直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、管直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電
所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同
原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経
済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤
退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有してい
る。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話
したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係
機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不
要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応につい
て明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得
ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの
人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

●管直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の管直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、管直人前首相が言うように、「東
京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させ
たい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。いわく、『枝
野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。
そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を
考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」などという発言もそ
のひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は
不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水
を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応につい
て明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得
ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本
語版は、以下のように伝える。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう
評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混
乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認
めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、管直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明した
のは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4
月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そ
のものが使い物にならなくなるのを心配したためという。

●もしあのとき……

 もしあのとき管直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈
没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)
が事故を起こしたする。
内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

(電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放
射性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社))と。
ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京
大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、1・1万京ベクレルx4=4・4万京ベクレル(以上、瀬尾試算に
よる。「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、管直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言
わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間
はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「管直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を
救った2人の英断。)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月11日(日曜日)午後8時45分

++++++++++++++++++

今日は、今朝から、体、だるし。
午後を過ぎても、体、だるし。
原因がわからないまま、昼寝。
日曜日ということもあって、2時間。
2時間も!、眠った。
その間、ワイフは、横で、DVDプレーヤーで
何かの映画を観ていた。
一応、看病のつもりらしい。
が、気がついたときには、もういなかった。

夕方になって風邪の症状。
「風邪だったのか?」と思いつつ、うがい。
葛根湯を2袋、のむ。

夕食は、金目鯛の焼き物。
食欲はあった。
明日までに治す。

今は、こうしてテレビで、日本vs中国戦を観ている。
ロンドン五輪・アジア最終予選。
日本女子サッカーの五輪出場は決まっている。
応援はしているが、どうも気が入らない。
緊張感がない。
中国側サポーターにしても、そうだろう。
結果は1−0で、日本の勝ち。

+++++++++++++++++++

●色気

 63歳のジジイが、こう書くのも失礼ないこと。
それにワイフに言わせると、私はまったく「男」を感じない男とか。
自分が男っぽいから、よけいにそう思うらしい。
私のワイフは、「女」の体をした「男」。
結婚したときから、私はそう思っている。

 「こう書く」というのは、つまり女性にも、「女」を感じる女性もいれば、まったく「女」
を感じさせない女性もいるということ。
私のようなまったく風采のあがらない「男」が、「女」について書くのも、どうかと思う。
そういう意味で、「失礼なこと」と書いた。
女性がこの文章を読んだら、こう思うにちがいない。
「何を、偉そうに!」「あんたなんか、もう男じゃ、ない」と。

●好意の返報性

 「女」を感ずるというのは、要するに、「色気」を感ずるということ。
体つき、雰囲気、服装、話し方などなど。
そういうものが総合されて、「色気」につながる。

 が、ここで重要なポイントがある。
「好意の返報性」である。
イギリスの格言に、「相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う」というのがある。
つまりあなたがその人を、いい人だと思っていると、相手も、あなたのことをいい人だと
思っているもの。
もちろん、その反対もある。
つまり人間の心というのは、「鏡」のようなもの。
相手は、あなたの心を映す鏡ということになる。

●反応

 63歳の私を、「男」と思う人は、もういない。
若い母親なら、なおさら。
が、それがわかったとたん、私も、その女性を、「女」とみない。
たがいにサバサバした関係になる。

 が、たまに、本当にたまに、私を「男」と意識する母親がいる。
その瞬間、ビリビリと私は、それを感ずる。
とたん、私もその母親の中に、「女」を感ずる。
これも「好意の返報性」ということになる。

 つまり人間というのは、(ほかの動物たちもそうなのだろうが)、相手の反応に応じて、
そのつどこちらも反応する。
「男」と「女」は、とくにそうである。

●薬物乱用頭痛

 話はそれる。
実は、この2〜3週間、軽い頭痛が消えなかった。
そのつど市販の頭痛薬をのんだ。
が、おかしなことにのめばのむほど、頭痛がひどくなった。

 少し前、「同じ頭痛薬をのみつづけると、かえって頭痛がひどくなる」と書いた論文を、
読んだことがある。
肝臓が、頭痛薬を毒物ととらえるためらしい。
しかしこれは重要なこと。
ネットで調べてみる。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●薬物乱用頭痛

 大阪・樋口脳神経外科のサイトにはつぎのようにある。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++
 
 薬物乱用頭痛とは、過剰に使用された頭痛治療薬と、脳に感受性のある頭痛持ちの患者さ
んとの間の相互作用です。
頭痛を起こしやすい患者さんにおいて、頭痛頓挫薬(トリプタンやエルゴタミン製剤などの
片頭痛特効薬や一般の鎮痛薬、もしくはその両方)の乱用により、「さらに頭痛を引き起こす」
ことをいいます。
まさに「頭痛薬が頭痛を生む」という状態です。
薬物乱用頭痛は頭痛患者さんが頭痛を恐れるあまり、薬を飲み過ぎてしまう(薬物乱用)こと
から始まります。
毎日のように頭痛がある上に、「以前は効いていた鎮痛薬が効かなくなった」、「薬をいくら
飲んでも頭痛が以前より(数か月前よりも)ひどくなってきた」、という場合には
薬物乱用頭痛の可能性が高いのです。

興味深いことに、「薬物乱用頭痛の発症は元々頭痛もちである患者さんに限る」という報告
があります。
例えば、腰痛など頭痛以外の疼痛に対して鎮痛薬を乱用した場合、片頭痛の既往の無い人な
ら薬物乱用頭痛を発症せず、片頭痛の既往歴や家族歴がある患者さんでは薬物乱用頭痛を
発症しやすい、というものです。

 薬物乱用頭痛は、患者さんが急性期治療薬を乱用している間は、予防薬にもほとんど反応
せず、一旦発症すると治療にも難渋するため、その診断と認識は臨床的に極めて重要です。
「片頭痛などの慢性頭痛の患者さんが薬物乱用頭痛に陥らないように対応する」ことは、頭
痛専門医の最も大切な仕事の一つです。

+++++++++++以上、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++

●偏頭痛(片頭痛)

 簡単に言えば、同じ頭痛薬をのんでいると、かえって頭痛がひどくなることもあるとい
うことらしい。
私は若いころから、偏頭痛に悩んだ。
だからよけいに、薬物乱用頭痛になりやすいということになる。

●変更

 そこで今日、薬局へ行き、頭痛薬の種類を変えてみた。
昼食時に、いっしょにのんでみた。
とたん、頭痛が消えた。

 これは頭痛薬にかぎらない。
どんな薬でも、一種類を長期間にわたってのまないほうがよい。
薬というのは、「毒物」。
肝臓はそう判断する。

 もっとも今日は、風邪の症状もあった。
ここ数日、頭痛が消えなかった。
偏頭痛でもない。
緊張性の頭痛でもない。
・・・とまあ、自分でも判断しかねていた。
が、風邪の症状が出てきて、風邪による頭痛とわかった。

 「薬物乱用頭痛」・・・そういう頭痛もあることを、覚えておこう。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司(薬物乱用頭痛)

●「女」

 サッカーの試合を観ているかぎりでは、サッカー選手に、「女」を感じない。
(そういう不謹慎な見方をしているのは、私だけかもしれないが・・・。)
とくに中国の女子選手は、女性というより、「男」。

 再び、「男らしさとは何か」「女らしさとは何か」について考えてみる。
が、この問題は、脳下垂体にも関係している。
平たく言えば、男性の性欲中枢部は、女性のそれの2倍の大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性はより攻撃的。
女性は比較的、受動的ということになる。

 先日も1人の女子中学生が私に、こう聞いた。
「先生、どうして男子って、女子のパンティを見ると、大騒ぎするの?」と。
そこで私が、「では、君は、男子のパンツを見ても、何も感じないのか?」と。
するとその女子中学生は、キョトンとした表情で、「ゼンゼン!」と答えた。

 男と女は、基本的な部分で、大きくちがう。
女性のことはいまだによくわからないが、男性は、視覚的に「女」をとらえる。
女性のように、男性に触れられたから、興奮状態になるということは、ない。
(私のばあいは、ない。)
重要なのは、視覚。
若いころは、胸元や露出した足を見ただけで、興奮状態になってしまった。

もっとも、だからこそ、男と女の関係は、うまくいく。
またそのちがいがあるからこそ、男と女の関係は、楽しい。
多様性も、そこから生まれる。

●老齢期の「性」

 私1人だけのサンプルで、「男」を論ずることは、危険なこと。
よくわかっている。
が、こういうことは言える。

 63歳になったからといって、「女」への関心がなくなったわけではない。
しかし若いときのように、四六時中というわけではない。
「ときどき・・・」という感じ。
また感じたとしても、スーッと消えていく。
長つづきしない。
関心だけではない。
「機能」そのものも、長つづきしない。

 また男というのは、(女性もそうらしいが)、空想力の助けを借りることが多い。
その空想力そのものが、弱る。
そこでその種のDVDを借りてきて、助けを借りることもある。
しかしこれも長つづきしない。
すぐ飽きてしまう。

 これは女性のばあいも、そうらしい。
ワイフもよくこう言う。
「発情するのは、1か月に数回程度かな?」と。
ということは、たがいの発情期が重なるのは、きわめてマレということになる。

 ・・・とまあ、若い人たちには意味のないエッセーになってしまった。
しかしその若い人たちも、やがて私と同じ年齢になるときがやってくる。
遠い未来のことで、ピンとこないかもしれない。
ひょっとしたら、「私は100歳になっても、今と同じ」と考えているかもしれない。
しかし、それはありえない。
髪の毛が薄くなり、顔のシワがふえるように、「性」も確実に年齢の影響を受ける。
そういうときにみなさの役立つよう、老齢期に性について書いてみた。

 最後にオーストラリアの友人が送ってくれたジョークをひとつ。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●90歳の老人

 90歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
 「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてく
ださい」と。

 が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
 そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
 すると、その老人はこう言った。

 「いえね、先生……
 右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 それでワイフのイーボンに頼んで
 手伝ってもらったのですが、だめでした。
 イーボンが右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 
そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
 口でやってくれましたが、それでもだめでした。
 しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」

 ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。

 するとその老人は、

 「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
 だめでした。
 左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
 メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
 最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。

 ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。

 「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
 イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
 フタをあけることができませんでした。
 それで精子をとることができませんでした」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 23日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【タイタニック・シンドローム】byはやし浩司(恋愛至上主義)

++++++++++++++++++++

映画『タイタニック』を観て、涙をこぼした
人は多いはず。
中には、10回以上も足を運んだ人(女性)も
いるとか。
当時、ワイフが、そんな話をしてくれた。

恋愛さえすれば、それがすべて。
すべてが許される。
親も兄弟もない。
友人もいない。
恋愛がすべて……。
それを恋愛至上主義という。
称して『タイタニック・シンドローム』。

++++++++++++++++++++

●映画『タイタニック』

 恋愛にもいろいろある。
まさに一目惚れで恋愛……というのもあれば、数年をかけ、ある日気がついてみたら、愛
しあっていた……というのもある。

 映画『タイタニック』の中のジャックとローズは、まさに一目惚れ。
その瞬間から、たがいに(命がけ)の恋愛を始める。

 それが恋愛のすばらしいところと考える人もいる。
しかし同時に、それが恋愛の恐ろしいところと考える人もいる。

●脳内ホルモン

 恋愛も、脳内ホルモンの作用によって起こる。
フェニルエチルアミンというホルモンである。
一目惚れというのは、そのホルモンが、ドバーッと脳内に充満した状態をいう。
(これについては、何度も書いてきた。後述※)

 で、ふつうひとつの脳内ホルモンが分泌されると、その逆作用のあるホルモンも同時に
分泌される。
たがいに中和する。
つまりこうして脳は、いつも自分の脳内を、クリア(何もない状態)に保とうとする。
これを『フィードバック』という。
しかしこのフェニルエチルアミンというホルモンには、それが働かない。
脳内に残ったまま、長い人で、3〜4年。
短い人で……?
脳内に滞留する。

 一目惚れの程度にもよる。
繰り返しの頻度にもよる。

 『「生物学的に見れば、人間の男女の愛は4年で終わるのが自然である」。
人類学者ヘレン・E・フィッシャーが唱えた説だが、世界62の国と地域で調査した結果、
結婚後4年で離婚する夫婦が多い』(「独女通信」)とか。
それも先に書いたフィードバックによって、説明できる。

●問答無用

 さて本論。

 「恋愛こそすべて」というものの考え方を、恋愛至上主義という。
最近の若い人は、日本人も、昔からそう考えていたと思うかもしれないが、たった半世紀
前には、そうではなかった。

 恋愛から結婚へ進む段階においても、息子や娘は、まず親に相談。
ばあいによっては、親の許可を求めた。
家制度という、古い因習も色濃く残っていた。
(それを肯定するわけではないが……。)
恋愛イコール、結婚ではなかった。
たいはんの恋愛は、そのまま実らず、無数のブルースとなって夜の街に消えた。

 つまり恋愛するのは、当人たちの勝手としても、結婚ということになれば、そこには一
定のプロセスがあった。
が、今は、そのプロセスも消えた。

 ある日突然、息子や娘が相手を連れてきて、「結婚します!」と。
問答無用というか、問答無用であることが、当然と考えるようになった。

●薄汚い魂胆

 私はあの『タイタニック』という映画を観ていたとき、こう考えた。
ジャックとローズが、男と女だから、まだストーリーが成り立つ。
しかし男と男、あるいは女と女だったら、どうなのか、と。

 さらに言えば、ジャックにも親がいるだろう。
ローズにも母親がいた。
映画の流れからして、ローズの母親は、ずいぶんとひどい女性に描かれていた。
「金持ちの息子と結婚させ……」と。
またそういう設定にでもしないと、ストーリーが成り立たない。

 しかしその逆のケースも私は知っている。
娘の結婚を、親がかりで推し進めたケースである。
相手の男に向かっては、「うちの娘と門限を過ぎてもつきあいたかったら、まず籍を入れろ」
と迫る。
そして入籍をすませたとたん、親類縁者には、「良縁だ」「家族がふえた」と喜んでみせる。
なし崩し的に、結婚を既成事実化する。

 結婚には、常に薄汚い魂胆がつきまとう。

●名場面

 もしローズの母親が、すばらしい女性だったら、どうするのか。
娘思いで、やさしく、理解もある。
そういう女性だったら、どうするのか。

 日本風に言えば、ジャックもローズも、「親捨て」。
親を捨てた!
そこに親がいることも忘れ、欲望に溺れるまま、恋愛ごっこをする。
だいたい、2日や3日、つきあったくらいで、本物の「愛」など生まれるはずがない。
それを悲劇の主人公よろしく、凍てつく氷の海で、こう言う。

ジャック「生きて、たくさん子どもを産んでくれ……」
ローズ「ジャック……ジャック……」(記憶)と。

 『タイタニック』の中でも、最高の名場面だが、同時にそれは脳内ホルモンの恐ろしさ
を示す。

●民法上の欠陥?

 民法上にも、問題がある。
最近、こんな話を聞いた。

 私の町内に、A氏(55歳男性)がいる。
長い間、ある製作会社に勤め、そのときはリストラで、子会社で警備の仕事をしていた。
妻は、パートの仕事に出ていた。

 が、息子氏は、大学を卒業すると同時に結婚。
1度、退学、再入学をしているから、あしかけ6年間、大学に通ったことになる。
言い忘れたが、1人息子。

 その息子が大学へ通う間、A氏と妻は、必死で働いた。
妻がパートに出るようになったのも、息子の学費のためだった。
が、ここからが悲劇。

 ある日、息子氏が東京から帰ってきた。
「披露宴をしたいから、お金を貸してほしい」と。
そこでA氏が、「少しくらいなら、何とか……」と答えると、息子氏がキレた。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ」と。

 それまでも「生活費が足りない」とこぼすたびに、A氏は、貯金をおろし、息子氏に送
っていた。
息子氏は、「給料があがった、返す」と、そのつど約束した。

 が、その息子氏が、あろうことか、交通事故で、そのまま死んでしまった。
結婚して、わずか半年後のできごとだった。

 A氏はこう言った。
「お金がほしいわけではありませんが、しかし親のところへは一円も補償がありません」
と。

●人生の花

 話がそれたが、恋愛は人生の花。
人間がなぜ生きているかといえば、種族保存のため。
その目的はすべての動物に共通している。
恋愛のすばらしさは、私も経験している。
否定しない。

 が、同時にそれは「人間が本能的にもつ欲望」と深く結びついている。
しかもその「欲望」は、私であって、私ではない。
わかりやすく言えば、私たちはいつも欲望の奴隷となり、欲望に操られているだけ。
それを忘れるから、理性のコントロールがきかなくなる。

 つまり一目惚れから、一足飛びに結婚……という人は、それだけ理性のコントロールが
弱い人と考えてよい。
弱いから、同時に、離婚率も高くなる。
(離婚することが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)

 厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の
数が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている。
72万人に対して、25万人。

離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!
 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興
味深い(同、統計)。

 平たく言えば、恋愛至上主義のつぎにやってくるのが、「35%」という数字ということ
になる。

(注:結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。)

●社会制度

 欧米では、「家族」そのものが、崩壊している。
(「家庭崩壊」ではない。「家族崩壊」。)

 家族崩壊が、社会制度の中で常態化している。
だから社会制度も、それに応じて、うまく対応し、機能している。
が、この日本ではそうでない。

 社会制度が追いつかないまま、意識だけが欧米化してしまった。
その結果、老人組だけが、取り残されてしまった。
今に見る介護制度の欠陥、年金制度の不備を例にあげるまでもない。

 地方の過疎化には、目を覆うものがある。
無縁仏の増加と、寺の無住職化。
今後約60%の人が、無縁死、孤独死を強いられる。
発見までの平均日数は、約6日。
中には、死後30日を経て発見される人もいる。
これは老人組の話ではない。
40歳以上の人たちが、そうなる。

●『タイタニック・シンドローム』

 今、この日本では、恋愛至上主義が、大手を振って闊歩している。
あたかもそれが絶対的「善」であるかのように、考えられている。
もちろん映画『タイタニック』が、日本人の心を変えたわけではない。
そのずっと昔には、映画『ロメオとジュリエット』があった。
この映画も悲劇で終わったが、親の気持ちや立場が、どこにも描かれていなかった。

 『タイタニック』に至っては、さらにそうで、ローズの母親などは、むしろ悪人として
描かれていた。
が、どうしてローズが善人で、ローズの母親が悪人なのか。
もしあなたがそう思っているとするなら、あなた自身も、恋愛至上主義者ということにな
る。

 簡単に言えば、恋愛など、そこらの犬や猫でもしている。
メカニズム的には、人間の脳内における反応と、それほどちがわない。
(あるいは同じ。)
そういうものに溺れて、「恋だ」「愛だ」と騒ぐほうが、おかしい。

 人を愛するには、熟成期間が必要。
幾多の山を越え、谷を越え、やがてたどりつく。
それが「愛」であり、「恋愛」ということになる。

 恋愛至上主義に、私はここで警鐘を鳴らしたい。

【参考※】

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。
すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。
恋をすると、人は、そうなる。
 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。
恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。
(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)
しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。
この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。
脳内に残ったままの状態になる。
こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。
が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。
あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。
適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。
(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。
もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。
一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。
それが結婚生活へとつながっていく。
 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。
たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。
繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。
あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。
はじめての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度
目の恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。
しか
も、はげしければはげしいほど、よい。
二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。
あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
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●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。
が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。
「性的エネルギー」。
「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかり
やすい原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

+++++++++++++++++++++++

最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。
そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

+++++++++++++++++++++++

●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。

「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。

そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。
恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。
おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。
私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。

一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。
あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。
そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。

(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)
つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。
実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。

そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。

(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)

そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。
では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。
が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。

ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。

(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【9月10日(土曜日)】2011

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太陽熱温水器のパイプに穴があいた。
ビニールテープでしばらく塞いでいたが、やがて役に立たなくなった。
再び水が漏れ出した。
それで工事……ということになった。

私が駐車場の屋根に上ろうと準備をしていたら、先に息子が上ってくれた。
こういうとき息子の助けはうれしい。
要領を知っているのか、手際よく、穴のあいた個所を、のこぎりで切り取った。
パイプのネジを、大きなレンチで緩めた。
そこまでは楽だった。

が、パイプをはずしてみると、熱でパイプが溶けていた。
その間から水が漏れていた。
解けたパイプを金具からはずすのに、苦労した。
カッターで少しずつ切り取り、小さなドライバーでほじる。
それを繰り返した。

作業は40分ほどで終了。
「OK」という合図で、水を流した。
どうやらうまくいったらしい。

工具は、義兄に借りた。
それを返しに義兄の家に行くと、ちょうど夕食時に重なってしまった。
私たちはその足で、山荘に向かった。
ほかにすることがなかった。
時刻は午後8時を回っていた。

+++++++++++++++++++++++++

●電子製品

 私は電子製品が好き。
だから山荘へ来るときはいつも、かご一杯の電子製品をもってくる。
パソコンやカメラのほか、DVD再生機、時計、ゲーム機器などなど。
コード類もあるから、それだけでもかなりの重さになる。

 今日は、20インチのモニターも、もってきた。
ノートパソコンにつなげば、デスクトップのようにして使える。
が、使い勝手がイマイチ、よくない。
モニターの前にノートを置くと、ノートの画面がじゃまになる。
次回はキーボードも、もってくる。
そうすればそのままデスクトップになる。

●忙しかった

 今日は何かと忙しかった。
山荘を2往復。
義兄の家のある市内を2往復。
DVDショップは2軒、回った。

 昼は、カレーショップ。
夜は、ラーメン屋。
ワイフが車を運転をしながら、「私、主婦業をぜんぜん、していない」と言った。
私は「主夫業をぜんぜん、していない」と言った。

 そうそう、ラーメン屋へ行くときは、私たちはいつもニンイク入りのチューブをもって
行く。
店員さんの目を盗んで、それをラーメンに入れて食べる。
土曜日の夜だからこそ、それができる。

●ニンニク

 ニンニクには、興奮剤と鎮静剤が同居して含まれているという。
40年ほど前、恩師の田丸謙二先生が、そう教えてくれた。
つまりマッチ・ポンプ。
興奮させて、沈静させる。
沈静させて、興奮させる。
体こそ、えらい、迷惑。
興奮と沈静が、交互に体を襲う。
睡眠剤と目覚まし剤(カフェインドリンクのようなもの)を、同時にのむようなもの。
体のほうが、迷ってしまう。

 が、私には効く。
ニンニクをたっぷりと食べると、体が軽くなる。
強壮剤にもなる。
バイアグラがどんなものであるかは知らないが、似たような効果があるのではないか。

●性

 私は「性」を否定しない。
単なる排泄行為とは思わない。が、それには条件がある。
愛情と厳粛さ。
そこに至るドラマと、そこから生まれるドラマ。
これらが重なりあったとき、「性」は、人間と人間をつなぐ「絆(きずな)」となる。

(BLOGによって、使用が禁止になっている用語がある。
ここでは、以下、性的な営み行為を、SXXと表記する。)

 快楽としてのSXXもある。
性的な刺激は、脳内にモルヒネ系のホルモンを分泌させる。
それが脳内ストレスの解消につながる。
昔から『英雄、色を好む』という。
つまり、英雄と言われる人は、それだけ大きなストレスにさらされている。
そのストレス解消には、SXXが、効果的。

 そのためにはSXXは、長く、時間をかけてするのがよい。
1時間とか、2時間。
雑談をしたり、本を読んだり……。
最終的な排泄行為は、必ずしも必要ではない。
が、それについても、ベースに「愛」がなければならない。

●用なし

 60歳を過ぎると、性欲そのものが、急速に衰えてくる。
持続力がなくなる。
想像力も貧弱になる。
何よりも、「女性」を「女」と見なくなる。
豊満な肉体を見ても、脂肪の塊のように思うこともある。
が、実際には、本能よりも、それを理性でコントロールする力のほうが強くなる。
結果として、本能が理性で押さえ込まれてしまう。

 そのため心の通わないSXXが、味気なくつまらないものに思えてくる。
が、同時に、肉体的な元気も弱くなる。
(回りくどい言い方をして、ごめん。)
そういうとき私はこう思う。
「ああ、これで私も男として、用なし」と。

●散歩

 ワイフが入浴している間、私は散歩に出た。
こういう夜は、マムシに注意しなければならない。
マムシだけは、どこにいるかわからない。
周りの景色に見とれていると、いつパクッとかみつかれるか、わからない。

 それはそれとして、今夜の月は、ほぼ満月。
やや右が欠けているかな……?、という月。
ということは、上弦の月。
明日か明後日には、満月。

 それにしても、澄んだ空だ。
窓越しに、「きれいな空だ」と言うと、風呂の中からワイフがこう言った。
「UFOはいない?」と。

 下から見上げれば広い空だが、宇宙から見れば、私が見ている空は点のようなもの。
そんな「点」の中に、UFOが現れる確率は、かぎりなくゼロに近い。

「見えないよ」と言うと、何か、残念そうなことを言った。
私はそのまま山荘の周辺を一周した。

●「死の町」発言

 少しまじめな話。

+++++++++++++++++++++++

IZAニュースは、つぎのように伝える。

『……呂吉雄経済産業相は9日の記者会見で、8日に視察した福島県の東京電力福島第1
原発事故周辺市町村の感想を「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさ
に死の町という形だった」と述べた』と

+++++++++++++++++++++++

●失言

 呂吉雄経済産業相は、ほかでも何か失言をしている。
それはさておき、この部分だけを注意深く吟味してみたい。
野党(自民党)は、鬼の首でも取ったかのように騒いでいる。
「内閣失格」発言まで、飛び出している。
しかし……?

 呂吉雄経済産業相は、こう述べている。
いわく「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だっ
た」と。
英語で言うなら、「ゴーストタウン」ということになる。
彼は比喩として、「死の町という形だった」と言っている。
「死の町だった」とか、「死の町」とか、言ったのではない。

 言葉としては、もう少し適切な言い方はなかったかとは思う。
しかしもしこれが失言なら、反対に、「今、ただちに健康に害が及ぶということはありませ
ん」という、あの発言は、どうなるのか。

●事実

 事実を、見たまま、率直に表現してみせた。
「死の町という形だった」というのは、それをいう。
一方、事実をねじまげて表現してみせることもある。
「今、ただちに……」というのは、それをいう。

 どちらであるにせよ、私たちが知りたいのは、(事実)。
被災者の方たちの気持ちを考えるが故に、「死の町」発言は、不適切という。
それはわかる。
しかし同時に、被災者の方たちの気持ちを考えるが故に、「いまただちに……」と発言する
のは、どうか?
不適切ではないのか。
私には、どちらも不適切にしか思えない。

●作文練習

 どうであれ、日本の政治家たちは、レベルが低い。
失言が多すぎる。
そのたびに国会が混乱する。

 あえていうなら、政治家たちよ、毎朝、1〜2時間は、作文練習をしたらよい。
そうすればもう少し言葉の使い方が、ていねいになるはず。
失言が減るはず。
要するに思考力の問題ということになる。
その思考力をみがいたらよい。

●失言

 失言にもいろいろある。
人の心にグサリと突き刺さる失言もあるだろう。
しかし全体としてみると、日本人も、ヤワになった。
「死の町」発言は別として、ささいな失言をとらえては、そのつど大騒ぎする。
大臣であれば、首が飛ぶ。

 こんなことを繰り返していたら、政治が前に進まなくなる。
多少の失言であれば、笑ってすませばよい。
そういう政治家を選んだ、私たちにも責任がある。

 私の感覚がズレているのか。
それとも世間の感覚がズレているのか。
大臣は、それで辞任することになったが、どうもスッキリしない。
2011/09/11記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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●9月8日夜記(2011)

●1万5000テラベクレル?

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1万5000テラベクレルと聞いても、
ピンとこない。
東京電力は、「4700テラベクレル」と
発表していた。
原子力保安院の言うことは信用できないが、
東京電力の言うことは、さらに信用できない。

が、日本原子力研究開発機構は、「1万5000
テラベクレル」と発表した。
汚染水として海洋にたれ流された放射性物質の
量である。

+++++++++++++++++

『……福島第一原発では4月に高濃度の汚染水が海に漏れ出たことがわかっていますが、
日本原子力研究開発機構がまとめた試算で、海に漏れ出た放射性物質の量は1万5000
テラベクレルにのぼることが新たにわかりました。

(中略)

 東京電力は4月上旬の数日間に海に放出した放射性物質の量について4700テラベク
レルと推定していますが、「今のところ、放出量について見直す必要があるとは思っていな
い」と説明しています』(TBS−I)と。

●広島型原爆

 1万5000テラベクレル?

 10の12乗を「テラ」という。
だから1万5000テラベクレルというのは、1万5000x100000000000
0ということになる。
が、それでもピンとこない。
日常では、こんな数字は使わない。
出てこない。

 そこで広島型原爆の数字を参考にしてみる。

「電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放
射性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社)と。

この世界では「京(けい)」という単位が使われる。
10の16乗をいう。

 だから1万5000ベクレルは、15000000000000000=1・5京ベク
レルということになる。
が、これでもピンとこない。
放射性物質の量は、面積で割らなければならない。
しかし相手は、海。
これだけの量が、海に拡散されたということになる。
が、その量にしても、横尾試算の、1万分の1。

 この世界では、数字だけが勝手にひとり歩きしている。
ただ感覚的に理解できることは、この先、この日本でもチェルノブイリと同じような悲劇
が繰り返されるだろうということ。
海といっても、そこには魚がいる。
魚が汚染される。
その魚を、私たちが食べる。
魚は勝手に動き回るから、牛や野菜より、タチが悪い。

 なおあのチェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京
大グループ、同書)。
結果、事故後3年も経てから、チェルノブイリの原発から300キロも離れた地域まで高
汚染地域が広がっていることが明らかになった。
200〜300キロ離れた、ベラルーシ共和国から11万人の人たちが強制移住させられ
たのも、そのころである。

 福島第一原発から、東京まで、約250キロ。
だいたい日本原子力研究開発機構の、「1万5000テラベクレル」という数字も信用でき
ない。
この量とて、「3月21日から4月30日までの期間」の量ということらしい。
つまり40日間だけで、これだけの量。
それ以外は、空中へ散った。
陸方面に散った。
悪く考えれば、そうなる。

 チェルノブイリでは、人々に症状が現れ始めたのは、2〜5年後。
ピークを迎えたのは、10年後。
福島第一原事故は、収束など、していない。
被害が出てくるのは、これからということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●自己開示

+++++++++++++++++++++

自己開示……どこまで自分をさらけ出すことができるか?
仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨て、あるがままの自分を
外の世界に向かって、表現できるか。
今日は、それについて一日、考えた。

ほとんどの人は、自分を飾り、偽り、体裁を構い、
世間体を気にして生きている。
あるがままの自分を、さらけ出して生きている人など、
さがさなければならないほど、少ない。

こんな男性(70歳)がいる。
2人の息子がいるが、長男のほうは、重度の発達障害者で、
40歳を過ぎた今も、完全介護の施設で日々を過ごしている。
が、その男性(父親)は、その長男を隠し続けている。
実家は浜松市にあるが、その実家へすら、長男を連れて
きたことは一度もないという。
ほとんどの人は、その男性に長男がいることさえ知らない。

一方、こんな家族もある。
私の近所の人だが、レストランなどでよく見かける。
子どもの1人がダウン症で、だれが見ても、それとわかる。

しかしその家族は、明るい。
祖父母も健在。
その子どもを隠そうともせず、いつも堂々と(!)、
レストランなどで食事をしている。
その様子が、実に、楽しそう。
それを見る私のほうがうれしくなるほど、楽しそう。

重い障害があるにせよ、どうしてそれを隠すのか。
時代も変わった。
ものの考え方も変わった。
障害児に対する世間の見方も変わった。
が、何よりも変わったのは、親の意識。

浜松市の北にS小学校という学校がある。
障害児教育の拠点校にもなっている。
その小学校の校長が、こんな話をしてくれた。

「以前はというと、みな障害児教室へ入るのを
いやがりました。
しかし今は、親のほうが、頼んでやってきます」と。

親に隠される子どもこそ、あわれ。
かわいそう。
同時に私たちは、そういう親の了見の狭さに驚く。
人間的な浅はかさに驚く。
いろいろな思い、いきさつ、環境、事情があることはわかる。
しかしそれでも、私はそういう親がいることを、子どもの立場で残念に思う。
どうして我が子を隠さねばならないのか!

あえて公表する必要はないにしても、私は私。
自分をさらけ出して、堂々と生きる。
私はそこに生きることのすばらしさを覚える。

++++++++++++++++++++

●条件反射のメカニズム(アルコール中毒+砂糖は白い麻薬)

 かつての私もそうだった。あなたもそうだった。
が、今、思春期の子どもの心の中では、猛烈な「性的エネルギー」(フロイト)が、わき起
こっている。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発
信源ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。
その視床下部からの命令を受けて、ドーパミンという脳間伝達物質が放出される。

 このドーパミンが、脳の中の線条体(報酬と行動要求に関する中枢部)というところを
刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(もちろんおとなも)を支配する。
ふつうの反応ではない。
最終的には、そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前野(理性の中枢部)と
いうことになる。
が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するのはむずかしい」(N・D・ボルコフ)と
いう。
 線条体が刺激を受けると、「あなたは、目的達成に向けた行動を起こせというメッセージ
を受けとる」(同誌)。

 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。
食欲、性欲、生存欲、物欲、支配欲に始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。
わかりやすく言えば、脳の中で、どのような受容体が形成されるかによって決まる。
たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されるこ
とがわかっている。

 N・D・ボルコフについては、こんな論文も発表している。

いわく「アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎの
ような論文を発表している。

……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピ
オイド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。
この結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていた
ことがわかる。
人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもし
れない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 条件反射および「中毒性」のメカニズムが、また一歩、科学的に解明された。

●9月9日(2011)

 慢性的な睡眠不足がつづくと、私のばあい、軽い頭痛が始まる。
こめかみの奥が、シクシクと痛み出す。
マッサージをしたり、湿布薬を貼ると、そのときは軽減する。
が、やがた再びシクシクと痛み出す。

 が、慢性的な睡眠不足というのは、自分ではわかりにくい。
それが生活習慣になっている。
しかし睡眠時間を計算してみると、たしかに短い。
平均して、4〜6時間。

 これではいけないと、昨夜は、早めに床についた。
精神安定剤(これは睡眠薬の代わりに使っている)+漢方薬。
いつもの2倍、のんだ。

 その効あってか、今朝は、7時ごろ目が覚めた。
睡眠時間は、たっぷり8時間。
頭痛は消えていた。
このあとも、1〜2時間、昼寝をするつもり。

 で、もうすぐ私の誕生日。
ワイフは、「新しいパソコンを買ったら……?」と言ってくれる。
が、今の私はふつうのパソコンでは、満足しない。
その分だけ、値段も高い。

が、こうしてパソコンに向かって、文字を叩けるのも、今の内。
やがてボケたら、脳みそ、そのものが使い物にならなくなる。
それにもうひとつ。

 こうした(欲望)は、抑圧しない方がよい。
欲求不満は、精神をゆがめる。
アルコール中毒の人が、断酒をしたときと同じ状態になる。
イライラ感は、それ自体が大きなストレッサー。
体の免疫力を低下させる。
肉体の健康にも、よくない。
だから適当に発散する。
つまり買う。

私「もう2年も買ってないしね」
ワ「だったら、いいんじゃないの?」
私「そうだな」と。

 で、さっそく数日前から、機種選びを始めた。
昨日も、駅前のBカメラへ行き、カタログを集めてきた。
今朝も、あちこちのサイトをのぞいている。
が、どれもイマイチ。
ノートにしようか?
デスクトップにしようか?

 が、こういうときが、いちばん楽しい。

●福島の子どもたち

 福島県に住む子どもたちの尿から、放射線が観測されているという。
これはたいへんなことと考えてよい。
で、ある市民団体が、学校ごとの集団疎開を訴えている。
当然のことだが、しかし3・11から、すでに6か月が経過している。

 原子力保安院や東京電力が、いかにいいかげんなことばかり言ってきたかは、今になっ
てはっきりしてきた。
ウソは言わないが、本当のことも言わない。
冒頭に書いた、1万5000テラベクレル(日本原子力研究開発機構)という数字にして
も、すでに何か月も前にわかっていたという。
しかし政府は国際機関に対して、東京電力が発表した数字を報告してきた。
こういう小細工を、平気でする。

 いろいろ事情はあるだろうが、今からでも遅くない。
福島の子どもたちは、一刻も早く、福島を離れた方がよい。
政府が動き出すのを待っていたら、半年はかかる。
が、そのうち子どもたちに症状が現れ始める。
そうなってからでは、遅い。

 ところでこんな話も耳にした。
生徒の父親が、1か月ほど福島市で仕事をして帰ってきた。
話を聞いた。
いわく「みんな平気な様子でしたよ」と。

私「マスクをしている人はいませんでしたか?」
父「いませんでした」
私「緊張感はありませんでしたか?」
父「まったく、ありませんでした」と。

 その話を聞き、私はキツネにつままれたような気分になった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●再び、「浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン」に一泊

++++++++++++++++++++++++++++

先週、この「ジ・オーシャン(The Ocean)」に一泊。
満足した。
で、今日も、一泊することにした。
ビジネスホテルの料金で、旅館+温泉気分が楽しめる。
窓からの景色もよい。

夕食は持ち込み。
電話で問い合わせたら、「いいですよ」とのこと。
こういう寛大なホテル(旅館)は、うれしい。

私たち夫婦は、少食派。
バイキング料理も悪くはないが、その分だけ割高感が残る。

ここ(The Ocean)へ来る前、途中で、スーパーで弁当を買った。
おにぎりとパック寿司。
飲み物も買った。
気分は、まさに遠足。

ところでこのホテルの名前は、「浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン」だそうだ。
昨日、104の電話番号案内で「ジ・オーシャン」をさがしてもらったが、かなりてこず
った。

しばらくは、このホテルのリピーターになりそう。

+++++++++++++++++++++++++++++

●今夜の挑戦

 このところ私の脳みそがサビついた?
書くことが、かったるい。
つっこみも甘い。
どうでもよいような駄作ばかり。
日記にもならない、日記。

 平和でのどかな毎日。
とくに問題はなし。
あえて言えば、昨夜、ある従弟(いとこ)と、2年ぶりに話した。
子どものころから、私を兄のように慕ってくれている。
ただの従弟ではない。
剣道は、10段を公式に認定されている。
日本に、何人もいないそうである。
人格者でもある。
私より10歳近く、年下だが、彼にだけは、一目をおいている。

●従弟

 話題はもっぱら、自然のこと。
熊や猿やイノシシのこと。
そんな話だけで、1時間ほど過ぎてしまった。
今度浜松のほうへ来たいと言うから、「いつでもいいよ」と答えた。

 儀礼で、「おいでください」と言う人も多いが、私はそういういいかげんな外交辞令(ウ
ソ)は言わない。
「おいでください」というのは、「おいでください」。
「近くおいでよ」と言ったら、「行きます」と答えた。
そういう素直さが、その従弟のよいところ。
来たら大歓迎する。

日程を調整し、この1〜2か月のうちに、来ると言う。

●温泉

 たった今、温泉につかってきた。
男湯には、私一人だけ。
女湯には、ワイフ一人だけ。
のんびり……と考えていたが、部屋でビデオを回していたのに気づいた。
夕日が沈むのを、ベランダで撮影していた。
「風で飛ばされたら、たいへん」と、軽く体を洗って、部屋に。
しばらくすると、ワイフも戻ってきた。

●至極の時

 夕食を食べながら、ワイフはビデオを観ている。
私は、横でこうしてパソコンを叩いている。
私にとっては、至極の時。
ただこのところ画面の小さいパソコンで文字を叩いていると、疲れを覚えるようになった。
長く続けていると、こめかみの奥が痛くなる。

 老人には、(自分はまだその老人ではないが)、画面の大きいパソコンのほうがよい。
画面というより、文字が大きく映し出せるパソコンのほうがよい。
で、今夜のお供は、ダイナブックのTX。
15インチ。

●旅

 私はこうして知的世界の原野に旅立つ。
そこに何があるかわからない。
読者の人には、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、何かを書きたいから、書い
ているのではない。
まず書く。
旅にたとえるなら、まず一歩を踏み出す。
私の旅はそこから始まる。

●知的世界

 脳みその中には、原野が広がっている。
原野といっても、この宇宙より広い。
そこをひとりで歩く。
この自由感。
この解放感。

 が、それにはいろいろな条件がある。
原野といっても、明るい日向(ひなた)に向かって歩く。
ものごとには、常に二面性がある。
さらに書き方によっては、明るい景色も暗くなる。
暗い景色も、明るくなる。

●パソコン

 今日、午前中、講演をした。
豊田町の「アミューズメント豊田」というところだった。
そこでの講演は、もう4、5回目になる。
観客席が大きな段になっていて、私のほうからも、来てくれている人の顔がよく見える。
いつ講演しても、たいへん話しやすい。

 その帰り、JR浜松駅の横にあるパソコンショップへ寄った。
いつもの習慣である。
言うなれば、私の遊園地。
一日でもそこにいたいが、ワイフがいるときは、見たいものだけを見て、出る。
今日は、パソコンのカタログを、雑誌1冊分、集めて、外に出た。
今では、ノートパソコンですら、2・0〜2・4GhzのCPUを積んでいる。
ほんの3、4年前のデスクトップ並みの性能である。

 そういう進歩を実感するのが、私は好き。

●パソコンの世界
 
 今さら改めて書くまでもないことだが、パソコンは、人間の生活を大きく変えた。
これからも、もっと変えていく。
どこまで変えていくか、わからない。
ただここで言えることは、こういうこと。
少しわかりにくい話になるかもしれない。

●光と分子の世界

 私たちが住むこの世界は、光と分子によってできている。
今、ここで見ているものにしても、「そこにものがある」と錯覚しているだけ。
そのものの光の反射を目がとらえ、それを後頭部にある視覚野に、映し出している。
この段階では、まだ(もの)にはなっていない。
光の点の集合に過ぎない。

 そこで脳みそは、その集合から、映像を、いくつかのフィルターを通して、選り分けて
いく。
残った映像が、(もの)ということになる。

 同じことがこの大宇宙についても、言える。
私たちは天空を見上げ、そこに大宇宙を見る。
夜空のほうが、わかりやすい。
そしてこう思う。
「そこに大宇宙がある」と。

 しかしそのときも、私たちは視覚野に映し出された映像を見ているに過ぎない。
そこでこう考える。
もし視覚野に映し出されるものであれば、それが現実の光によるものであれ、パソコンの
画面によるものであれ、同じではないか、と。
平たく言えば、天空に見える大宇宙も、パソコンの画面に移る大宇宙も、同じ。
言い換えると、私たちはコンピューターを手に入れ、第二の宇宙を自分のものにした。
まだ未熟で未完成かもしれないが、その可能性は、現実の大宇宙ほど、無限に広い。

●感情

 考えてみれば、その通り。
私たち人間にしても、脳みそがあっての人間。
コンピューター自体が、その脳みそに、かぎりなく近づきつつある。
やがて人間の脳みそ以上の能力をもったコンピュータが現れるはず。
時間の問題と考えてよい。

 が、ここでひとつの問題にぶつかる。
「感情」という問題である。
が、これもやがて解決されるであろう。
現在科学によれば、ホルモン説が常識になりつつある。
つまり私たちが「感情」とよんでいるものは、脳内ホルモンの作用によるもの、と。

 たとえば何かよいことをする。
その(よいことをした)という情報は、辺縁系にある扁桃核に送られる。
そこで扁桃核は、その刺激に応じて、エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンを
分泌する。
モルヒネの一種である。
その結果、脳内は、甘い陶酔感に満たされる。
それが「楽しいという感情」につながる。

 コンピューターの内部でも、それが可能になる。
が、現実問題として、その必要性は、まったく、ない。
コンピューターを操るのは、あくまでも人間。
コンピューターが、感情の趣(おもむ)くまま、勝手に動くようでは困る。

●私の夢

 ところで私には、こんな夢がある。

 いつか人間と複雑な対話ができるロボットが出現するはず。
討論や議論さえもできる。
そのときそのロボットに必要なのは、それにふさわしい情報。
膨大な量の情報。
ひょっとしたら、今、私がここで書き残していることが、その「情報」になりえるかもし
れない。
何しろ、膨大な量の情報である。
正確な枚数はわからないが、40字x36行詰めの原稿用紙で、すでに5〜6万枚以上に
なるのでは?
もっとあるかもしれない。

 こんな量の原稿でも、現在のUSBメモリーで、3〜4Gバイトもあれば、収まってし
まう。
そのUSBから相手の言葉に応じて、必要な情報を取り出して、話をすることなど、簡単
なこと。

 たとえば、こう……。

人間「あなたは、知的荒野についてどう思いますか」
私の情報をもったロボット「未知の世界を歩くような楽しさを覚えます」
人間「あなたが発見したことを、どうか話してください」と。

 あとは必要な情報集め、音声化する。
そしてその人間と対話をする。
いつか、そういう形で、私はこの世界に、よみがえるかもしれない。

●命

 ここまで書いてくると、つぎに「命」。
つまり「命とは何か」と。

 人間の脳の中では、無数の神経細胞が、それぞれこれまた無数のシナプスによってつな
がれている。
そのシナプスの間を、無数の信号が行き交い、思考を形成し、感情を生み出し、最終的に
は「私」を創りだしている。
それを私たちは「命」と呼んでいる。
しかしもう少しコンピューターが進歩すれば、コンピューターはやがてそれ以上のことを
するようになるだろう。
つまり「命」さえも、創りだす。

 ……ということを逆に考えていくと、では「命」とは何かということになってしまう。
コンピューターの命ではなく、私たち人間の命、である。

●私のコピー

 もし私の脳みそをそっくりそのままコピーしたコンピューターができたとする。
今まで書いてきた原稿も、そのままコンピューターの中に、ファイルとして格納されたと
する。
そのコンピューターは、「私」と言えるかどうか。

 少なくとも私以外の他人から見れば、そのコンピューターは、「はやし浩司」ということ
になる。
希望に応じて、講演もするだろう。
が、私から見れば、もちろん「私」ではない。
「コンピューター」という他人である。
そのギャップをどう埋めればよいか。
またそれは可能なのか。
そのひとつのヒントが、親子関係にある。

●意識

 コンピューターの世界では、あらゆることがらが、瞬時、瞬時に進む。
人間の脳をそのままコピーするにしても、やがてそれが可能になるころには、数秒もかか
らないだろう。

 ところで、その「数秒」を、10年単位で延ばしたのが、親子関係ということになる。
親は子どもを産み、育てる。
自分がもっている知恵や知識を子どもに、分け与える。
ときにコピーする。

 そこで私はときどきこう考える。
「息子や娘は、私なのか?」と。

 答は、「NO!」。
親とはいうが、親自身、子ども自身、とてつもなく大きな流れの中にいる。
それがわからなければ、自分の指先を見つめてみればよい。
その指を見て、「この指は、私が作ったもの」と思う人はいないはず。
同じように、自分の子どもの指を見つめ、「この指は、私が作ったもの」と思う人はいない
はず。

 私たちはもっと大きな流れの中で、創りだされている。
生殖、出産、育児などといったものは、その一部に過ぎない。
「私の体」「私の指」などと言うのはその人の勝手だが、実際のところ「私のもの」など、
ほとんどない。
あるとすれば、「意識」。
意識は「私」。

●意識

 ということで、私の持論。
私が私であるのは、「意識」によるもの。
意識があってはじめて、私は私。
逆に言えば、意識のない私は、私ではない。
よい例が、特別養護老人ホームなどで、その日、その日をぼんやりと過ごしている老人た
ち。
(だからといって、そういう老人たちが、無意味と書いているのではない。
どうか誤解のないように!)

 そういう老人たちを見ながら、「あなたは何か」と問うても、意味はない。
すでに「私」を喪失している。
つまり私が私であるためには、意識をもつこと。
心理学的に言えば、「自我」。
それがあって私たちは、はじめて、「私」ということになる。

 では、その「私」をもつためには、どうすればよいか。
それが私にとっては、「書く」ということになる。

●書く

 私はこうして書いているときだけが、「私」でいられる。
それ以外の私は、言うなれば、魂の抜け殻のようなもの。
バカな話をし、バカなことを繰り返しているだけ。

 反対にしばらくものを書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてきてしまう。
が、これは私だけの現象かもしれない。
ワイフに、「お前はどうか?」と聞くと、「私にはそういうことはない」と答える。

私「じゃあさア、たとえば経済新聞を読んだとするよね。原発事故についての記事でもい
い。そういうとき、何か、怒りのようなものを覚えることはないか?」
ワ「そりゃあ、怒れるけど、どうしようもないじゃない」と。

 ワイフは、どこまでも楽天的。
基本的な部分で、性格がちがうようだ。

●宝石

 ともあれ、こうして私は、自分の脳みその中をさまよい歩く。
目的をもって書くこともあるが、今夜の私はさまよい歩く。
あっちへ行ってみたり、こっちへ来てみたり……。

 ときにその中に、キラリと光るものを見ることがあるが、それはめったにない。
言うなれば、知性の宝石。
今までだれも気づかなかったようなこと。
そういうときは、本当にうれしい。
が、そういうのほど、他人に盗用されやすい。

 たとえばもう15年近くも前のこと。
「愛国心」という言葉が話題になった。
そこで英語では、どう言うのか調べてみた。
いや、英語ではどう言うかは知っていた。
私は、その語源を調べてみた。
結果、ギリシア語にまでたどり着いた。
英語で言う「ペイトリアティズム」は、もともとは「父なる大地を愛する」という意味で
あることがわかった。
そこには、「国」という意味はなかった。

 それを原稿にした。
しばらくしてからネット上でも発表した。
が、その数年後、気がついてみると、その「宝石」があちこちで使われているのを知った。
新聞でも、テレビでも……。
みな、自分が発見したようなことを言っていた。
さらにそのあと、「愛国心」ではなく、「郷土愛」という言葉を主張する政党まで現れた。

 こうした一連の流れは、「はやし浩司 patriotism」で検索してみれば、わか
るはず。

どこかグチぽい原稿になったが、けっしてグチを書いているのではない。
つまりこうして人間に知的世界は広がっていく。
盗用されるのは好きではないが、私も、「私」を越えた人間の一部。
どうであれ、あと15年もすれば、私の肉体も、この世から消えてなくなる。
「私のもの」と主張したところで、それがどういう意味をもつのか。

●意識論

 最後に、意識といっても、それをもって「私」と誤解してはいけない。
言い換えると、この意識ほど、いいかげんなものはない。
私は私と思っている意識の大部分が、私でないものでものが多い。
わかりやすく言えば、もっと奥深い、潜在意識の世界から操られているだけ。
フロイトが説いた、「性的エネルギー」を例にあげるまでもない。

 ためしに電車の中で化粧にいそしむ女性にこう聞いてみるとよい。
「あなたは自分の意思で、化粧をしているのですか」と。
すると例外なく、みなこう答える。
「YES!」と。

 自分の中にあって、自分でないもの。
それを順にはがしていく。
最後に残ったものが、「私」ということになる。

●午後10時 

 そろそろ眠る時刻。
こうしてあれこれ書いてみたが、新しい発見は、今夜もなし。
これから遅い風呂を浴びて、眠る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 浜名湖弁天リゾート 
ジ・オーシャン)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【ジ・オーシャンにて】

(1)乳児期の子どもと、その核(コア)形成
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/sAhadFb7c-c?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)自律期の幼児と、その核(コア)形成
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/wZXbxuFmEzc?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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 (案内書の請求)

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 19日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小学1年生クラス】

●角度の学習(カメラの位置をかえて、撮影してみました)

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/f6SQucY4gTk?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/BmpDOEQTMTw?
hl=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/eJ0CGv7_jcc?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>




【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●弁天島温泉・「The Ocean」にて(はやし浩司 2011−09ー04)

●クレタケ・イン

 浜松市内でイチのビジネスホテルと言えば、「クレタケ・イン」。
サービスもよく、清潔。
料金も、最安値圏。
ただしクレタケ・インが、すべて同じというわけではない。
ホテルによって、部屋の広さが微妙にちがう。
料金もちがう。

 いちばんよいのは、呉竹荘本店(西伊場)。
つづいてクレタケ・イン(田町)。
そして今夜は、「The Ocean」(弁天)に泊まってみることにした。
以前は「白砂亭」という名前の旅館だった。
経営者が替わり、「The Ocean」という名前になった。

 3人1部屋、朝食のみで、計1万2000円弱。
つまり朝食付きで、1名4000円弱。

「料理の持ち込みは、いいですか?」と電話で聞くと、即答で「いいです」と。
部屋の案内書にも、「館外にサークルKがあります」とある。
こういう寛大さが、うれしい。
(料理の持ち込みにうるさい旅館も多い。)

で、クレタケ系のホテルは、どこもサービスがよい。
浴衣、作務衣の両方が用意してあり、洗濯、アイロンがけなどが行き届いている。
シーツ類も、もちろん清潔。
洗濯済みで真新しい。

 旅館全体が中規模だから、風呂も中規模。
が、窓からは浜名湖が一望できる。
大浴場の洗面所には、洗面具一式のほか、歯ブラシまで置いてあった。
(歯ブラシまで置いてあるホテルは少ない。)
この料金で、文句を言う人はいない。
いろいろなホテルに泊まってきたが、これほどまでに良心的なホテルは、そうはない。
浜名湖弁天島では、イチ押しの旅館。
「The Ocean」。
星はもちろん5つ。
★★★★★。

 ちょうど夕刻だったので、窓際にビデオカメラを置き、浜名湖の様子を撮影した。

●居場所
 
 先ほど、知人の女性からメールが届いた。
それにはこうあった。
「東京にも、浜松にも、私の居場所がありません」と。

 現在、夫、息子とともに東京に住んでいる。
ときどき実家のあるこの浜松に戻ってくる。
その浜松にも、「居場所がない」と。

●私もその1人

 居場所・・・それがある人には、空気のようなもの。
ふだんは気がつかない。
が、それがなくなって、人は、自分の居場所を知る。
居場所があったことを知る。
居場所というのは、そういうもの。

●「NO」

 私も改めて知った。
先日、家出をし、3日間、あちこちを旅した。
そのときのこと。
この日本には、私の「家庭」以外、私の居場所がないことを知った。
「2、3日でも、泊めてくれる人はいないか」と、いろいろな人を、頭の中で思い浮かべ
てみた。
が、何度考えても、答えは「NO」だった。

 むしろ私のそういう状態を知ったら、おもしろがる人はいるかもしれない。
そういう人たちは、何人か、頭の中に浮かんできた。
そういう人たちには、そういう人たちどうしのネットワークがある。

 数年前も半ば冗談のつもりで、「離婚するかも?」とその中の1人に話したことがある。
が、その数日後には、みなに伝わってしまった。
別の1人からは、電話もかかってきた。
一応、心配そうな言い方だった。
が、もちろん心配などしていない。
ただの野次馬。
事実を確かめるためだった。
それが私にもよくわかった。

 残念なことだが、私の周囲には、そんな人たちもいる。
みながみな、私に好意的というわけではない。
「居場所がない」という言葉には、そういう意味も含まれる。

●実感

 結局、家出はしたものの、いつもの夫婦喧嘩で終わった。
私たち夫婦は、周期的にそれを繰り返している。
その理由はといえば、結局は居場所ということになる。

 居場所といえば、一義的には「家庭」ということになる。
しかし家庭ではない。
簡単に言えば、「生きがいが根付いたところ」ということになる。
私がいなければ、だれかが困るという場所。

 私たちは常に他者とのつながりの中で生きている。
その(つながり)を、しっかりと実感できるところ。
何も考えず、どっかりとすわることができるところ。

●すぐそば

 私たちはいつも、自分の居場所を求めて、さまよい歩く。
しかし居場所は、そんな遠くにあるのではない。
私たちのすぐそばにあって、私たちに見つけてもらうのを、息をひそめて待っている。
すぐそばにある。
あとはそれを受け入れ、それに身を任せばよい。
居場所は、あなたを温かく受け入れてくれる。

 知人のメールを読んで、そんなことを考えた。

●甘え

 話を変える。

 もう10年にもなる。
中日新聞にこんな投書が載った。
ある女子大生の投書だった。
いわく、「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

それについての原稿は、何度も書いた。
ここでは、もう少しその先を書いてみたい。
というのも、こうした傾向は、この10年で
さらに強くなった。

●自責型人間

 人間は大きく、2つのタイプに分けられる。

(1)自責型人間と、(2)他責型人間。

 たとえばお茶をこぼしたとする。
そのときすかさず、「ごめんなさい。私の不注意です」と謝るのを、自責型人間。
反対に「こんなところにお茶を置いておく人が悪い」と、だれかの責任に転嫁するのを、
他責型人間。

 私は一見、他責型人間に見えるかもしれないが、自責型人間。
何があっても、責任を自分のほうに向けてしまう。
そういうことも、心のどこかにおき、これからの原稿を読んでほしい。

●自業自得

 こう書くからといって、息子を責めているのではない。
今、ほとんどの若者たちは、こう考えている。
息子も、その1人にすぎない。

 私があるとき、こう言ったときのこと。
息子はすかさず、「そんなのは、パパたちの責任だろ」と。
私が「ぼくたち戦後生まれの人間は、ひもじい時代を過ごした」と話したときのことだっ
た。
戦争についても、「ぼくたちには、関係ない。(日本中が焼け野原になったのも)、自業自得。
パパたちが勝手に起こした戦争だろ」と。

●ニート

 現在の若者たち、そしてその上の世代を総じてみると、ほとんどが他責型人間。
少なくとも、私たちの世代よりも、はるかに多い。
理由はともかくも、世代を経るごとに、日本人の意識は大きく変わった。

 先日も、あるニート(35歳くらい・男性)と呼ばれる男と話をした。
この10年以上、仕事らしい仕事をしていない。
もちろん収入もない。
親のスネをかじりながら、その日暮らしの生活をつづけている。
そのニートに、「アルバイトでもしたら?」と話してみた。
とたん、こんな答が返ってきた。
「こんなオレにしたのは、親父だ」と。

●書き込み

 私のYOUTUBEにも、こんな書き込みがあった。
私が「でき愛」について話したものである。
いわく「オレも母親にでき愛された。おかげで今はニート」と。

 でき愛児イコール、ニートではない。
でき愛されたからといって、ニートになるわけではない。
私の言ったことが、どこかで誤解されたらしい。
それはともかくも、ここでも、「他責」が出てきた。
つまり「ニートをしているのは、オレのせいではない。母親のせい」と。
いつも心の奥底で、だれかを恨んでいる。
自分の努力のなさを棚に上げ、それを他人の責任にしている。

●自責

 私は冒頭に書いたように、自責型人間。
だから基本的な部分で、発想そのものがちがう。
たとえば私の父は、アルコール中毒だった。
ふだんは静かでおとなしかった。
しかし酒が入ると、人が変わった。
大声を出して、暴れた。

 そういう意味では、悲惨な幼児期→少年期を過ごした。
が、一度たりとも、そういう意味で、父をうらんだり、ののしったりしたことはない。
そのつど人生につまずいたことは何度か、ある。
が、それでも父をうらんだり、ののしったことはない。

 さらに言えば、現在の日本とは比較にならないほど、貧しい時代を過ごした。
が、それでもそれについて、父をうらんだり、ののしったことはない。

 反対にこんなこともあった。

●失業保険

 私も生涯において、2度、失業保険を受け取ることができた。
しかし私は受け取らなかった。
プライドが許さなかった。

 またワイフと結婚したときも、市営住宅へ入居することができた。
ワイフがそれを申し込んだ。
しかし私は入居しなかった。
プライドが許さなかった。

●子どもに謝る

 が、意識は変わった。
逆転した。
今では、祖父母や父母が、孫や子どもに、「ごめん」「ごめん」と言って謝る。
孫や子どもが謝るのではない。
祖父母や父母が、謝る。
謝りながら、子育てをしている。
それについては少し前にも書いた。
たとえば孫や子どもが迷子になったとする。
そういうとき、祖父母や父母は、血眼になって孫や子どもを捜す。
で、見つかったとする。
祖父母や父母は、まず孫や子どもに謝る。
「ごめん」「ごめん」と。

 私たちの時代には、考えられなかったことである。
私たちが子どもの時代には、反対に子どものほうが叱られた。
「バカヤロー、どこをほっつき歩いていたア!」と。

●学校では……

 同じような現象が、このあたりの小学校でも起きている(静岡県浜松市)。
今では、どんな些細な怪我でも、子どもがすると、担任の教師がその子どもと一緒に家庭
訪問をし、親に謝ることになっている(某小学校校長談)。
「昔なら、電話一本ですんだ話ですがね」と。

 では、中学校ではどうか?
何人かの中学生に、直接話を聞いてみた。
いわく、「怪我の程度にもよる」と。
このあたりは常識的な意見ということになる。

●意識の変化

 意識の変化を如実に表すのが、「仕送り」。

 私たちが青年時代のころは、社会人になると同時に、ほとんどの人が実家への仕送りを
始めた。
それがその当時の常識だった。
共通の意識だった。
が、今はちがう。
逆転した。
へたにそんな話を口にしようものなら、すかさずこう言い返される。
「そんな恩着せがましいことを言われても困る」と。

 それがひっくり返ったのが、冒頭の女子大生ということになる。
「就職先がないのは、社会の責任だ」と。

●がんこ

 意識のちがいというのは、恐ろしい。
一方の意識をもっている人は、他方の人がもっている意識を理解できない。
「常識」として、その人の脳の中で、固まってしまう。
さらに年を取れば取るほど、耳障りのよい意見だけを取り入れ、そうでない意見を排斥し
てしまう。
こうしてたがいに、人は、がんこになる。

●世代間戦争

 それだけが原因とは言えない。
しかし現在、世代間で、はげしい戦争が起きているのも事実。
たとえば「孝行論」「先祖論」。

 親孝行を説く世代と、それを無視する世代。
先祖は重要と説く世代と、それを無視する世代。

 少し前は、親の権威主義、家父長意識、上下意識が、問題になった。
私も問題にしてきた。
が、気がついてみたら、それが今は、行き過ぎてしまった。
「無視」から「否定」へ。
「否定」から、「反作用」へ。

 「反作用」というのは、「平等」すらも通り越してしまったということ。
今、親子関係は、総じてみれば、「平等」ではない。
孫や子どものほうが、「上」。
祖父母や父母のほうが、「下」。
そうなってしまった。

●縁を切る

 それでも良好な親子関係が残っていれば、祖父母も父母も救われる。
が、その人間関係も壊れてしまたら……。
というより、これも以前に書いたが、今では、子どものほうから「縁を切る」時代になっ
た。
私たちの時代には、考えられなかったことである。

 アメリカの合理主義の影響とも考えられる。
戦後、アメリカ文化が、怒涛のごとくこの日本に流れ込んできた。
結果、「家族破壊」(「家庭破壊」ではない。「家族破壊」)が急速に進んだ。
同時に、恋愛第一主義。
それも享楽主義。

 若い人は、その意識もないまま、恋愛を、すべての価値観の基本に置くようになった。
親の意見を聞く若者は、今ではいない。
いわんや親の許可を求める若者は、いない。
しかも結婚と同時に、親に向かっては、「ハイ、さようなら」と。

 理由など、何でもよい。
それこそ、「こんなオレにしたのは、テメエだろ」となる。

●人前で堂々と……

 今夕も、ワイフと夕食に出かけた。
近くにZシティという、地下の食堂街がある。
その一角。
若い男女が、怪しげな行動を繰り返していた。
女のほうが、正面から男の股間に顔を埋めていた。

 男は、顔を、女の髪の毛の中に押し込んでいた。
で、食器を返却するとき、横からそれを見ると、女のほうが、男のズボンのジッパーの中
に舌を入れていた。

 驚くというより、あきれた。
今では、人目もはばからず、そういうことを平気でする男女がふえている。
周りには、女子高校生たちが、何組が席を囲んで、アイスのようなものを食べていた。
見て見ぬフリをし、笑っていた。

●家族崩壊

 先に「家族崩壊」について、書いた。
が、欧米では、「家族崩壊」が常識化し、社会もそれに応じて、変化し、常態化した。
アメリカでもオーストラリアでも、祖父母と同居している三世代同居家族というのは、さ
がしても見つからない。

 「家族」の概念そのものが、ちがう。
また日本の概念のほうが正しいと書くつもりはない。
しかし欧米では、家族崩壊を前提として、社会のしくみも完成している。
退職後の老人を例にあげるまでもない。
老人は老人で、みな、お決まりのコースを歩む。

 まず都市部でアパート暮らし→老人村へ→特別養護施設へ……と。
在宅介護の制度も完成している。
が、この日本では、そういったシステムも、やっと軌道に乗り始めたところ。
この先、団塊の世代が大量に後期高齢者になるころには、システムそのものも崩壊しかね
ない。
あやうい。

 つまり制度が整わないうちに、家族という組織が破壊されてしまった。
若い世代の意識が変わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う。

 事実として、50代の人で、貯金額ゼロという人が、30%もいる。
そういう人たちは、今後、どうやって自分の老後を設計していくのか?

●M氏

 1週間ほど前、保険の外交員をしている、M氏と話す。
40人ほどのグループを作って、保険契約の勧誘をしているという。
「グループ」であって、「会社」ではない。
だからそこで働く人たちは、社員ではなく、「研修生」という身分だそうだ。
ある大手の保険会社と契約し、1件の保険契約につきいくら……という形で、収入を得て
いるという。

 そのM氏が、こう言った。
「以前は、学資保険にしても、180万円掛ければ、200万円を手にすることができた。
今は、200万円を手に入れるためには、220万円掛けなければならない」と。

 もちろんその間に万が一何かあれば、保険金を受け取ることができる。
が、それについても、ある一定以上の収入のある人は、保険には加入せず、貯金の形でも
っていたほうが得、と。

 さらにインフレの問題もある。
現在の200万円と、10年後の200万円が同じということはありえない。
今後、この日本はハイパーインフレに襲われる可能性がある。
もしそうなれば、その分だけ、損をすることになる。

 が、本当の問題は、このことではない。
子どもの学資を心配するくらいなら、自分の老後の資金を心配したほうがよい。
この先、子どもが親のめんどうをみるということは、ありえない。
期待もできない。
たとえ息子や娘がいても、この先60%の人が、孤独死、無縁死を迎える。
加入するとしたら、学資保険ではなく、介護保険。
認知症保険でもよい。

●親元

 皮肉なことに、学資を出せば出すほど、息子や娘は、親元を離れていく。
私自身も3人の息子を育ててみて、大きく考え方が変わった。
それまでは、「学資は惜しまない」が、私のモットーだった。
息子たちから請求があれば、迷わず、しかも満額、提供してきた。

 が、それがいかにバカげたことであったか。
それを今になって、思い知らされている。
いや、息子たちを責めているのではない。
息子たちにしても、ごく平均的な若者。
ふつうの常識と良識を備えた、ごくふつうの若者。

 冒頭にあげたM氏にしても、こう言った。
「親のめんどうをみるといっても、ぼくたちには、その余裕がありません」と。
2人の子ども(高校生と中学生)をかかえ、生活は、ギリギリという。
さらにこうも言った。

「親父には、年金があります。ひょっとしたら、今のぼくの給料より多いのではないかな」
と。
M氏の父親は、NTTに定年まで勤めた。
定年後は、子会社で調査員のアルバイトをしている。

 そういうM氏を、どうして責めることができるだろうか。
M氏にしても、ごく平均的な日本人ということになる。

 先日、温泉で出会った男性も、こう言っていた。
製造会社元専務。
現在は、長野県のS市で、ひとり住まい。
息子と娘がいたが、とくに娘とは、30年以上、会っていないという。

●学費

 「息子や娘たちの学資にしても、ほどほどにしておけばよかった」と。
つまり「私は、典型的な親バカだった。
気がついてみたら、貯金通帳は底をついていた」とも。
「ピンコロする、その日まで、働くしかないですね」と私が話すと、こう言った。
「今は、死後の心配までしています」と。

 その地域では、無住の寺ばかり。
境内の中央に、納骨堂を作り、そこに無縁仏となった人たちの遺骨を納めているという。

●学資保険

 ……ということで、M氏との話は、暗〜イものになってしまった。

私「学資保険といっても、大卒にしても就職率は70%ですからね」
M「無理して大学を出しても、無駄になるということですか」
私「無駄になるか、ならないかは、本人次第ですね」
M「どういうことですか」
私「懸命に自分を磨けば、それでよし。またそういう仕事ならいい」
M「……たとえば?」
私「やはり研究職ということになるかな?」と。

 向上心さえあれば、学歴など、関係ない。
そういう意味で、私は「本人次第」という言葉を使った。
大学を出ても、バカはバカ。
出なくても、賢い人は賢い。
学資を出せば、賢くなるという時代は、もう終わった。

私「あなたもね、子どもの学資など心配するのをやめて、自分の老後の資金をためたほう
がいい」
M「ハハハ、実は、ためようにも、ためようがないのです。毎月、家計は赤字です」
私「赤字?」
M「知っていて知らぬフリをしていますが、女房のヤツ、実家から毎月、お金を借りてい
るみたいです」
私「そりゃあ、たいへんだ」
M「たいへんです」と。

 書き忘れたが、M氏は、46歳。
頭も切れる。
行動も速い。
バイタリティもある。
そんなM氏でも、この不況下、生活そのものがデッドロックに乗り上げ、苦しんでいる。

●The Ocean

 ワイフは、ビデオを観ている。
長男は、絵を描いている。
私は水を飲みながら、この文章を書いている。

 ときどきたがいに言葉を交わす。
そしてまたそれぞれのことをし始める。

 ビデオが終わったら、もう一度、温泉につかってくる。

2011年9月4日 午後8時50分


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【BW子どもクラブより】年中5歳児「数の学習」

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(おまけ)The Ocean
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=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月7日(記憶のメカニズム)

 昨日、「9月6日」と知って驚いた。
「もう6日!」と。

 何もしないまま、6日も過ぎてしまった。
そして今日は、7日。
水曜日。

 昨夜は0時過ぎまで、ビデオのUPLOADなどをしていた。
だから今朝は、午前8時起き。
運動も2単位(40分x2)をこなした。
そのせいか、頭痛というより、細い神経痛がときどき、左の喉の奥からこめかみにかけて
起こる。
先日、はげしい急性咽頭炎(医師の診断)が起きて以来、それがつづいている。

 「新しい電子製品を買えば、治るんだけどな」と私。

ワ「何がほしいの?」
私「やっぱり、パソコンかな?」
ワ「どんな?」
私「メチャメチャ、高性能なのがいい」と。

 ・・・ということで、今朝は自分でいろいろな薬を選んでのんだ。
今まで医院で処方された薬が、たくさん残っている。
その中から、効能書きを読みながら、選んでのんだ。

●経済情報

 EUでは、銀行株が売られつづけている。
同時に、銀行の貸し渋りがひどくなっている。
今朝の経済新聞を読んで、そんな印象をもった。
つまり、あのリーマンショック時前夜と、同じことがEUで起きている。

 一方、日本の証券会社の株価も急降下。
野村、大和・・・など。
数か月前には500円台だったのが、今朝は300円台。
残念ながら、EUの経済危機は、さらに悪化している。
問題は、何ひとつ、解決していない。
 

Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●記憶について

++++++++++++++++

数週間ほど前のこと。
若いころ世話になった、IZ氏という
人の名前を、思い出せなかった。
IZ氏……忘れてはならない人の名前だった。
当時の経済界の重鎮だった。
数回だが直接会って、世話になった。

「何という名前だったかな?」とワイフに
聞いたが、ワイフが知る由もない。
そこで「ア」から順に思いつく名前を
口にしてみた。
が、それでも思い出せない。
思い出せないということよりも、忘れた。
そのことにショックを覚えた。
「こうして人は、ボケていくのか!」と。

ところが記憶というのは、不思議なもの。
昨夜、何かの拍子にふとその名前を思い出した。
とくにIZ氏の名前を思い出そうとして
わけではない。
本当に、何かの拍子に、である。
ふと、IZ氏の名前を思い出した。

+++++++++++++++++

●記憶のメカニズム

 記憶のメカニズムは、複雑である。
複雑というより、たとえて言うなら、広い部屋に雑然と本や書類が積み重ねられている状
態を思い浮かべれてみればよい。
どこに何があるかさえ、わからない。
図書館のように、本(=情報)が整理され、格納されているわけではない。
だから、こうした現象がときどき、起きる。

●記銘→保持→想起

 記憶は、記銘(記憶として脳に記録される)、保持(記憶として脳に残る)、想起(必要
に応じて意識として思い起こすことができる)の3つのプロセスを経て、「記憶として思い
出すこと」ができる。

 IZ氏の名前は、どこかに記銘された。
どこかに記憶として保持された。
しかしそれを思い出すことができなかった。
想起する力が鈍ったということになる。
あるいは保持する力そのものが弱くなったのかもしれない。
つまりそれを保持していた神経細胞が死滅した?

 では、そのほかの記憶はどうか?
残念ながら脳には、それを管理する能力はない。
たとえて言うなら、図書館の管理人のようなもの。
そういう部分がない。
だから「この本(=情報)は重要だから、こちらの棚に入れて……」ということができな
い。
あるいは司書のような人がいればよい。
「あの記憶はどこにありますか」と聞くと、その場所を教えてくれるような司書である。

 ただ記憶を確かなものにする方法がないかというと、そうではない。
たとえばIZ氏という名前を思い出したとき、私は、こうした。
「IZ、IZ……」と、その名前を何度も復唱した。
つぎに、IZという名前を、子どものころの友人の名前と結びつけた。
つまり有機的に関連性をもたせた。
こうすれば記銘力は、ぐんと強くなる。
受験生が何かを暗記する要領である。

 が、実は、これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題でもある。
人は、こうしてボケていく。

●叩き込む

 脳の神経細胞は、減ることはあっても、増えることはない。
再生されることもない。
日々に、どんどんと減っていく。
同時に、記憶された情報も、そのままどこかへ消えていく。
こうした経験は、日常的に、よくする。
わかりやすく言えば、脳というバケツの底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験が、どんどんとこぼれ出て行く。

 そのためたった数か月前に覚えたことですら、忘れるということもある。

 そこで重要な情報は、そのつど記銘しなおすという操作が必要になってくる。
死滅しかかったA神経細胞から、B神経細胞へ、情報を移動させるとか……。
具体的には、IZ氏の名前のときにそうしたように、「もう一度、頭の中に叩き込む」。

 これは日々の運動に似ている。
運動をやめたとたん、その日を境に、健康は下り坂を下り始める。
若いころは、数週間ほど運動をしなくても、健康を維持することができる。
しかし60歳を過ぎると、そうはいかない。
1週間も運動をサボると、体が鈍(なま)ってしまう。
動くはずの筋肉が動かなくなってしまう。
だから自分の体を奮い立たせる。
奮い立たせて、運動に向かう。

●爽快さ

 こう書くと、老後の「暗さ」ばかりが目立つかもしれない。
しかしそれは正しくない。
それは同時に楽しいことでもある。

 たとえば一日の仕事を終え、自転車にまたがる。
またがる寸前まで、「今夜はやめようか」と思う。
しかしまたがったとたん、足のほうが勝手に動き出す。
とたん、頬がさわやかな風を感ずる。
その爽快さは、ほかにはない。

 が、それだけではない。
こう書くと、そうでない人に申し訳ない気分になるが、事実として、生きている喜びさえ
覚える。

 足が動く。
目が見える。
音が聞こえる。
それらひとつひとつが、そのまま喜びとなって、はね返ってくる。

●脳の健康

 脳の健康にしてもそうだ。

 今朝は6時に起きた。
昨夜は、サッカーの日本ーウズベキスタン戦を、深夜1時ごろまで見ていた。
かなり眠かったが、6時に起きた。
起きてそのままウォーキングマシンに。
が、今朝は10分だけ。

 運動も大切だが、それで疲れてしまったのでは、意味はない。
頭がスッキリする。
その程度でよい。
今朝は、これからI市で講演会がある。
公立の幼稚園の先生方が集まってくれる。
ぼんやりと頭では、講演はできない。

●補充

 記憶の話から脳の健康論になってしまった。
が、こうしてものを書く……。
その前にものを考えるということが重要。
それが脳みそを鍛える。

 先ほど「バケツの底の穴」という言葉を使った。
これは事実。
そこで私は考えた。
「こぼれ出た分だけ、あるいはそれ以上のものを、さらに補充していけばいい」と。
そのために、情報を集め、整理し、考える。
それを文として、記録する。

 こうした一連の作業を「闘い」と呼ぶこともできる。
そう、まさに闘い。
言い換えると、老後は、その闘いの連続ということになる。

 さて、今日も、その闘いが始まった。
がんばろう。
はやし浩司 2011−09−07


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 16日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月4日

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/81/img484a476ezik9zj.
jpeg" width="440" height="324" alt="index_pht_guide.jpg">

+++++++++++++++++++++

羞恥心が崩壊している?
それとも生徒たちが、私を「男」と意識しなくなった?
このところ、横でだまって聞いていると、
中学生や高校生の女子が、平気で(?)、自分の体の
ことを話している。
「まだ生理がないの」「遅いわね」とか。

ところが、最近は小学生まで、こんな話をしている。
「私のウンチね、最近、コロコロなの」
「私のは、一応、バナナウンチよ」と。
小学5年生の女児たちである。
また、こんなことも……。

「先生、どうして男子は、女子のパンティを見ると、
へんな気分になるの?」と。

そこで私は反対に聞き返してみた。
「君は、男子のパンツを見ても、平気なのか?」と。
するとその女子は、こう言った。
「ぜんぜん……平気」と。

こういう会話を、恥ずかしげもなくするところが
恐ろしい。
今は、そういう時代なのか。
それとも子どもたちが変わってきたのか。

が、先週は、とうとうこんな質問をしてきた中学生(中1女子)
がいた。
(この話は本当だぞ!)

「先生、女子って、おしっこの穴と、膣と、どっちが上にあるの?」と。

私は、思わず、「バカ! そんなこと、知るか!」と言ってしまった。
が、少し自分を取り直して、こう言った。
「そんなのは、風呂で、鏡でも使って自分で調べろ」と。

++++++++++++++++++++++

●明るい話

 先日、ワイフがこう言った。
「あなたの書く文章は、暗い」と。
それについては、も書いた。

 以後、あれこれと反省している。
と、同時に、このところできるだけ明るい話を書こうと、努力している。
……というか、ものごとには、つねに二面性がある。
おなじものでも、見方によって、明るくもなるし、暗くもなる。
それに自分を飾るのもよくない。
よい人間ぶることもない。
私は私。

●信州・駒ヶ岳

 この9月に、ワイフと信州・駒ヶ岳に登ることにしている。
ホテルの予約も取れた。
「登る」といっても、そのほとんどをロープウェイで登る。
頂上までは、そこから歩いて、1キロほど。
ワイフは「自信がない」と言っている。
私は「天気次第」と言っている。

 そのホテル。
「ホテル千畳敷」と言う。
数日前、パンフレットを送ってきてくれた。
日本で最高点にあるホテルとか。
料金も、最高!

 この9月の最大イベントは、これ。
この登山。

●写真

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/82/img0fce2a6ezik6zj.
jpeg" width="500" height="500" alt="浩司2011.jpg">

 今度、ある雑誌に原稿を載せてもらうことにした。
が、予告はできない。
ときとしてキャンセルになることがある。
私の評判は、よくない。
つまり私の名前は、あちこちのブラックリストに載っている。

 この世界では、雑誌社にせよ、週刊誌社にせよ、その会社を批判した原稿を書いたら最後、
仕事が回ってこなくなる。
どこかでだれかが、こまめにチェックしている。
さらにあくどいのが宗教団体。
出版社に対して、いやがらせまで仕掛けてくる。

 で、その雑誌社に、その写真を送った。
上の写真が、それ。
今まではイラストを使っていたが、この8月からは、また写真を使うことにした。
この4月に、オーストラリアへ行ったときに撮った写真である。

 ところでこんな話を知っているか?

 女性のばあい、できるだけ若いときに撮った写真を載せたがる。
中には20年前に撮った写真を載せる人もいる。

 しかし男性のばあい、(これは私だけかもしれないが)、できるだけ最近、撮った写真を載せ
たがる。
昔、ある出版社の編集長が、そう話してくれた。

 テレビ局でも似たようなことがあるという。
女性の出演者は、平均2時間以上、化粧をしてからスタジオに入るという。
男性の出演者については、知らない。
今では、専門の化粧スタッフが、男性でも、ササーッと化粧をほどこす。

 で、上の写真。
もちろんまったくの素顔。

●仏壇の掃除と墓参り

 私の母と兄は、晩年、仏壇の掃除と墓参りばかりしていた。
亡くなる20年以上も前から、そうでなかったか。

 が、人間も、そんなことをするようになったら、おしまい。
生き様が後ろ向きになる。
仏壇の掃除にせよ、墓参りにせよ、そんなのは最後の最後にすればよい。
私たちは生きている。
生きている以上、生きていることを、まず大切にする。
ギリギリまで大切にする。

 が、知人の中には、墓参りばかりしている人がいる。
今は東京に住んでいるが、年に3〜5回は来ている。
60歳くらいのときから、そうでなかったか。
(現在70歳前後。)
またするならするで、こっそりとすればよい。
信仰心というのは、そういうもの。
が、いつもおおげさに、親戚中に宣伝している。
「墓参りをしに来ました」と。

 そういうことをすることが、立派な(?)行為と思いこんでいる。
価値観のちがいというより、意識のちがい。
でないというのなら、墓参りをすることに、どういう価値があるのか。
それをしたからといって、何がどうなるというのか。

 あえて言うなら、こう。
「信仰」と「儀式」を取り違えてはいけない。
信仰は信仰。
儀式は儀式。
儀式は信仰の上にあるもの。
儀式をしているからといって、信仰をしていることにはならない。

 中には経典を暗記し、いっぱしの信仰者ぶっている人がいる。
が、幼児が掛け算の九九を暗記して、ソラで言うようなもの。
そんなことをしたからといって、どうして釈迦の心を理解したことになるのか。

 私たちは最後の最後まで、つまりギリギリまで生きる。
そのときが来たら、そのとき。
病院と同じ。
病気になったら、病院へ行けばよい。
死ぬときになったら、墓参りをすればよい。
死んだら、墓へ入ればよい。
病気でもないのに、病院へ行ってどうなる?

 もし「信仰」ということを考えるなら、法句経の一冊でも読んでみたらよい。
釈迦は、墓参りについて、一言も述べていないぞ!
むしろ、逆。
こう言っている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前、書いた原稿を転載。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●それ以上、何を望むか(中日新聞掲載済み)

 法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。
あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言う。

「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦はこう言う。
「明日のないことを嘆くな。
今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。
「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。
そういう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。
「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではないか。
それ以上、何を望むのか」と。

 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。
東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査によると、自分の子どもを「気が合わない」
と感じている母親は、7%。
そしてその大半が何らかの形で虐待しているという。

「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代
連鎖もうかがえる」とも。

七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、そ
れ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。
言いかえると楽な子育てというのは、そもそもない
。またそういう前提で考えるほうが正しい。いや、中には子どものできがよく、「子育てがこんな
に楽でいいものか」と思っている人もいる。
しかしそういう人は、きわめて稀だ。

 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつ
まらないものであったか、と。
人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子どもは私という親に、まさにそのド
ラマを提供してくれた。

たとえば子どものほしそうなものを手に入れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、
家路を急いだことが何度かある。
もちろん悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を
与えてくれた。

もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。
その証拠に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかの
ような感じがする。
あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。
今でもいろいろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。
「お前たちのおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。今まで楽しかったことだけを考えて、前に
進めばよい。
 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●己こそ、己のよるべ(中日新聞掲載済み)

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。
釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。
好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」にあ
る。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。
が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しか
けても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。
大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになる
の!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴な
子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするなど。子どもは
精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。
自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩を
しているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動
にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で
最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を
叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●やっぱり暗いかな?

 がんばって、前向きな原稿を書いてみた。
これからはもっと前向きな原稿を書いていきたい。
読んでくれた人が、明るく、元気になるような原稿を!

 ワイフへ、

これでいいか?

2011/09/04

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 死ぬのがこわい 法句経 己こ
そ己のよるべ はやし浩司 私は明日死ぬ)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司※


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月3日

+++++++++++++++++

今日、「あなたの書くことは暗い」と、ワイフに
叱られた。
「もっと明るいことを書きなさいよ」とも。

もっとも親愛なる読者様であるワイフ。
そのワイフにそう言われた。
で、私、はやし浩司は、深く反省。
しっかりと反省。

このところ、何かにつけ、ジジ臭い。
暗い。
陰鬱。
自分でも、それがよくわかっている。

+++++++++++++++++

●勇気

 今日、こんな勇気をもらった。
昼食をとっているときのこと。
山荘から、5分ほどのところに、今度、
新しいレストランがオープンした。
で、そこへ行ってみようということになった。
そこでのこと。

 私たちは、その場所をよく知っている。
というのも、その隣には、大豪邸が建っている。
ふつうの豪邸ではない。
高級旅館を思わせるような大豪邸。
私たちは、それが個人の家ということは知っていた。
今度できたレストランというのは、その横。

ざるそばが、800〜900円前後。
おいしかった。
で、帰り際、レジの女性と、その大豪邸の話になった。
「どんな人が住んでいるのですか?」と。

するとレジの女性は、こう教えてくれた。
「男の人ですよ。
このレストランの経営者です」と。

が、つぎのことを聞いて、さらに驚いた。
「年齢は73歳。ひとり住まいです」と。

73歳!
ワオ〜!
73歳!

私「すごい人ですね」
女「でしょ……」
私「だったら、ついでに温泉でも掘って、旅館でもすればいい」
女「そんなことも考えているみたいですよ」
私「ホント……!」
女「前の土地が広く空けてあるのは、そのためですよ」と。

私の中から、ジジ臭さが吹き飛んでいくのを感じた。
73歳!
73歳で、この元気。
大豪邸に住み、レストランを開き、さらに旅館の経営まで考えている……。
そんな男性から見れば、私など、ただのヒヨコ。
そう思ったとたん、モリモリと勇気が湧いてきた。
「ぼくにも、できる!」と。

+++++++++++++++++++

●映画『ピラニア』3D

 よい映画がなかったので、暇つぶしに、昨夜遅く、『ピラニア』を観てきた。
おもしろかった。
が、星は1つか、2つの、★★。
要するに、おバカ映画。
が、ぜったい、子どもには見せられない映画。
女性の裸と残酷シーンの連続。
それにあのピラニアの面(つら、顔)。

 魚とはいえ、よくもまあ、あそこまで憎たらしい顔を作ったものだ。
これ以上、憎たらしい顔はない……と言えるほど、憎たらしい顔をしていた。
それに感心した。
興味のある人は、観たらよい。

 来週から、つづけて観たい映画がやってくる。
『猿の惑星』とか『ロサンジェルス大決戦』とか。
『ライフ』は目下、上映中。
今週中に、『ライフ』も観るつもり。

●映画『猿の惑星』

 『猿の惑星』の猿のモデルになったのが、日本人。
よく知られた話である。
 最初知ったときには、少なからず、頭にカチンときた。
しかしたしかに我ら、日本人は、猿に似ている。
若いときはそうでなくても、歳を取って猿に似てくる人は多い。
が、何とも失敬な話ではないか!

が、日本人だけではない。
ブッシュ前大統領だって、猿そっくり。
ジェスチャまで、猿そっくり。

 そこで笑い話。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 あのはやし浩司が、不敬罪で逮捕された。
アメリカ前大統領に向かって、「猿!」と言った。

裁判官「どうしてあなたは、猿と呼んだのか」
はやし浩司「猿、そっくりだからです」
裁判官「それは失礼だ。我が国の大統領に向かって!」

(傍聴席にいるブッシュ前大統領)「そうだ! 猿とは何だ!」

はやし浩司、ブッシュ前大統領に向かって、「猿、猿、猿……」
裁判官「やめなさい。でないと、刑務所へ送りますよ」
はやし浩司「結構です。が、裁判長、ひとつだけ、質問があります」
裁判官「何だ、言ってみろ」
はやし浩司「ブッシュ前大統領に向かって、猿と呼ぶのは、不敬罪ということはわかります。
が、もし、猿に向かって、前大統領と言ったら、どうなのですか」
裁判官「……それは、構わない。不敬罪にはならない」

はやし浩司、ツカツカとブッシュ前大統領の前に行ってこう言う。
「前大統領、ごきげんいかがですか?」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 どうか私を逮捕しないでほしい。
何かの本に出ていた笑い話を、少し改変しただけ。
それに猿に似ているからといって、ブッシュ前大統領をバカにしたのではない。
何かの動物に似ているからと言っても、それはその人をバカにしたことにはならない。
漢字では、バカは「馬鹿」と書く。
「馬」と「鹿」。

 猿の方が、馬や鹿より、ずっと賢い。
しかしそれにしても、日本人がモデルだったとは!
彼ら欧米人は、日本人をバカにするときは、いつもこう言う。
「イエロー・ヤンクス(ヤンキー)」と。
そういうのが、下地になっている?

 それはともかくも、昔、私をバカにしたアメリカ人がいた。
で、私はそのアメリカ人に、こう言ってやった。

 「君は、動物にたとえると、体が大きく、馬のようだ。
それに鹿のように足が長い。
だから君は、馬と鹿ということになる」と。
するとそのアメリカ人は、たいへん機嫌をよくし、私に、「サンキュー」と言った。

 つまり私は、ブッシュ前大統領に、「馬と鹿」と言っただけ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリア旅行

 オーストラリアで撮った写真を、YOUTUBEにUPした。

(1)ボーダータウンから、アデレードへ

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/GqEOXHz1Fuo?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)アデレードの町(世界でもっとも美しい町と言われている)

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/ayyMCKkqS3k?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●お馬鹿狂騒曲(放射線量に関して)

(1)まず、このニュース。

『……厚労省が新たに始めた抜きうち検査で判明したもので、埼玉県産の茶葉からは最高で
国の基準の3倍にあたる1530ベクレルが検出され、千葉県産では 5倍を超える2720ベク
レルが検出されました。埼玉県産の茶葉から、基準値を超えるセシウムが検出されたのは初
めてです。

 埼玉県と千葉県では同じ時期に製造された商品を回収する方針で、周辺の産地でも調査を
始めましたが、厚労省は「お湯を入れて飲めば濃度は30分の1以下に薄まるのでただちに健
康への影響はない」としています』(9月3日TBS)と。

 「お湯を入れて飲めば、30分の1になる」?
バ〜カ!
いくら30分の1になっても、30杯飲めば、内部被爆量は同じ!
5杯ずつ、6日でもいい。
放射性物質の大半は、流れ出る分もあるかもしれないが、大半は、体内で積算されていく。


(2)つぎは、これ。

『……福島県は3日、野生キノコの検査で、棚倉町のチチタケから1キロ当たり2万8000ベク
レルの放射性セシウムが検出されたと発表した。国の暫定規制値(同500ベクレル)を上回
り、キノコのセシウム濃度としては過去最大。県はチチタケのほか、同町内の野生のマツタケ
やホウキタケなどについて、採取と販売自粛を関係団体に要請した』(ヤフー・NEWS)と。

 「2万8000ベクレルと……、国の暫定基準値の500ベクレルを上回り……」と。
バ〜カ!
こういうのは、「上回った」とは言わない。
2万8000÷500=56倍!
さらに、そのあとも「?」。
「採取と販売自粛」???
即刻、「販売禁止」とすべき。


(3)まだある。

『愛知県は2日、県内で販売された栃木県産腐葉土から暫定許容値の約150倍の1キロ当た
り6万800ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県は「人への影響はない」と
説明している』(毎日JP)と。

 「人への影響はない」?
その腐葉土で育った作物は、どうなるのか。
だれが食べるのか?

 本来なら、民衆の側に立って、民衆の健康と命を率先して守らなければならない行政が、「だ
いじょうぶ」「だいじょうぶ」の一点張り。
こんなことばかり言っているから、民衆は、行政側の説明を信用しなくなる。
いったい、行政というのは、だれのため、また何のためにあるのか?
日本は、民主主義国家ではなかったのか?

(補記)

●おかしな論理

 もしこれらの論理がまかり通るなら、こうも言える。

(1)汚染された牛肉も、オーストラリア産の牛肉と混ぜて食べれば安心?
   仮にキロ当たり、1000ベクレルでも、1キロに対して、0ベクレルのオーストラリア産の牛
肉1キロを混ぜて食べれば、放射線量は、半分になる。だから、心配しなくてもよい。

(2)1キロ当たり1000ベクレルの牛肉でも、500グラムまでなら、心配ない。
   500グラムなら、500ベクレル以下になる。

(3)「福島県産の腐葉土は食べてはいけません」(文科省通達)。

(4)汚染キノコを、20グラム(これだけで500ベクレルを超える)食べた人は、1
   年間、ほかに、何も食べるな。
もちろん牛肉を食べてはだめ、お茶も飲んではだめ、ついでに水も飲んではだめ。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●おかしな論理(2)

 昨夜遅く、寝る前に、「お馬鹿狂騒曲」を書いた。
測定された放射線量についてのエッセーである。
その一部。

「……厚労省は「お湯を入れて飲めば濃度は30分の1以下に薄まるのでただちに健康への影
響はない」としています』(9月3日TBS)と。

 つまり基準値を超えたお茶でも、実際に飲むときは、お湯で溶かして飲むから、30分の1の
(濃度?)になる。
だから、「ただちに健康への影響はない」と。

 私はこの記事を読んだとき、改めて、日本人の脳みそを疑った。
そこらの2チャンネルやBLOGなどへのコメントではない。
ちゃんとした政府機関のコメントである。

●積算(蓄積量)

 もしこんな論理がまかり通るなら、どんな汚染物質だって、薄めて飲食すればだいじょうぶと
いうことになる。
が、これは誤解。

 放射性物質と通常の毒物を混同している。
放射性物質は、一度体内へ取り込まれれば、以後どんどんと積算(蓄積)されていく。
もちろん対外へ排出されていく分もあるだろうが、基本的には積算(蓄積)されていく。
しかも毒物とちがい、「しきい値」はない。
「これ以下なら安全」という「量」はない。

 お湯で溶かして30分の1になったところで、そのお茶を、30杯飲めば、積算(蓄積)量は同
じ。
もしこの論理が正しいとするなら、汚染牛肉であっても、0ベクレルの外国産牛肉と混ぜて食べ
れば安全ということになる。

 一度体内へ取り込まれた放射線物質は、以後、永久にその部位の細胞を破壊しつづける。
「半減期」という言葉もある。
中には、数週間というのもあるそうだ。
が、もしそうなら、3月11日以後、6か月もたった今、どうして各地で放射性物質に汚染された
キノコやお茶が見つかっているのか?

●「ただちに」というウソ

 これはあくまでも仮定の話である。
数字については、あくまでも仮定として、私が考えた。
こうだ。

 仮に年間被爆量が2ミリシーベルトで、10年以内のがんの発生率が、1%だったとする(仮
定1)。
100万人のうち、1万人が、がんで死ぬことになる。

 そこで今度は、年間被爆量が、2倍の4シーベルトだったとする。
(仮定1)を基準にすれば、つぎのようになる。

(1)10年以内のがんの発生率は、2%になる。
(2)5年以内のがんの発生率は、1%になる。
(3)しかし20年以内のがんの発生率は、4%になる。
(4)40年以内のがんの発生率は、8%になる。

 被爆量とがんの発生率は、「一次関数的に」相関関係を保つ。
「これ以下なら安全というしきい値はない」というのは、そういう意味。

 そこで改めて聞きたい。
「ただちに」というのは、どういう意味なのか、と。
「10年以内は、安心」という意味なのか。
「20年以内は、安心」という意味なのか。

 チェルノブイリ事故のときは、2年後から5年後にかけて症状が出始め、10年後にピークを
迎えたという(「週刊現代」)。
この先、東北地方では、とんでもないことが起こる。
というのも、放射性物質は、何も飲食物のみから、体内へ取り込まれるわけではない。
呼吸によっても、取り込まれる。
むしろこちらのほうが、こわい。
プルトニュームなどの微細粉末(ホットパーティクル)は、そのまま肺へと蓄積されてしまう。
政府は、プルトニュームは比重が重いからだいじょうぶと言っている。
しかしいくら重くても、プルトニュームのホットパーティクルの大きさは、大腸菌ほど。
この大きさだったら、自由に風に乗って、宙を舞う。
アスベストを例にあげるまでもない。

●では、どうすればよいのか

 今、この日本ではたいへんなことが起きている。
たとえば今回、福島第一原発事故で飛び散った放射性物質は、広島型原爆の160倍と言わ
れている(保安院)。
しかしだれも、こんな数字を信じない。

 原発1機で、年間250倍もの放射性物質が生ずる(「原発事故」宝島社)。
10年で、2500倍。
30年で、7500倍。
原発4機だったら、3万倍!

 仮に「160倍」としても、意味がよくわからない。
海側へ飛び散った分については、除外しているのか?
あるいはしていないのか?
桁(けた)が、2桁ちがうのではないのか?

 3・11大震災から、ちょうど半年。
日本人の間から、ますます緊張感が薄れていく。
むしろ私は、そちらのほうを心配する。

 ついでに……。

『愛知県は2日、県内で販売された栃木県産腐葉土から暫定許容値の約150倍の1キロ当た
り6万800ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県は「人への影響はない」と
説明している』(毎日JP)という。

 どこのだれが、腐葉土など、食べるものか!
2011/09/04記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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9月14日




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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2011−09−01

++++++++++++++++++

はげしい雨音で、目が覚めた。
午前5時。
台風12号が、目下接近中。
その影響か。

幸い、台風は、この東海地方をはずれた。
紀伊半島方面〜大阪方面に向かっているという。
(そちらの地方の方には、申し訳ないが……。)

かなり大型の台風らしい。
速度が遅いから、雨の量が心配される。
場所によっては、300ミリの雨量が予想されている。
24時間当たり、300ミリ!
それだけの雨が、ドッと下流地域に向かったら、どうなるか?

そんなことも心配になり、そのまま起きてしまった。
書斎に入った。
朝のウォーキング運動は、ワイフが起きてから。
(騒音がはげしい。)
つまり今朝は、運動、なし。
そのせいか、頭は半ば眠った状態。
ボーッとしている。

最初に見たのが、台風進路。
昨夜寝る前に見た進路と、ほとんど変化なし。
ただしやや速度があがったかな?
当初の予想では、3日の午前9時ごろ、名古屋市上空に中心部がやってくるということだ
った。
今朝、見ると、3日の午前9時には、北陸のほうへ抜けている。
被害が心配される。
……というか、このところ日本は、災難つづき。
地震も、再び、活発になってきたような感じがする。

ともあれ、今日から9月。
2011年、9月1日。
今月こそ、充実した1か月にしたい。

++++++++++++++++++++

●紫外線

 おととい、中学3年生のSG君が、目を真っ赤にして教室へやってきた。
「どうしたんだ?」と聞くと、「紫外線にやられた」と。

 話を聞くと、午後1時ごろから3時ごろまで、野外でテニスをしたという。
日差しの強い1日だった。

私「今すぐには症状は出ないかもしれないが、あとになって症状が出てくるぞ」
S「わかっている……」と。

 SG君はそのあと眼科へ行き、目薬をもらってきたという。
炎症を抑える薬だと思うが、しかし紫外線で破壊されたDNAを修復する薬はない。
白内障の遠因になるだけではない。
皮膚ガンの原因にもなる。

 紫外線……オーストラリアでは、2000年ごろから、深刻な問題になっている。
以前、書いた原稿(中日新聞発表済み)を掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●疑わしきは罰する(紫外線の恐怖)

 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。
四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園や保育園で、排尿、排便ができず、紙オム
ツをあててあげると、排尿、排便ができる。

六歳になっても、大便のあとお尻がふけない。
あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしまう。
反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。
原因は、紙オムツ。
最近の紙オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。
子どもというのは、排尿後の不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。

 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削除されてしまった(M誌8
8年)。
「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実はスポンサーに遠慮したためだ。
根拠があるもないもない。
こんなことは幼稚園や保育園では常識で、それを疑う人はいない。
紙オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠である。

 ……というような問題は、現場にはゴロゴロしている。
疑わしいが、はっきりとは言えないというようなことである。その一つが住環境。
高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定になりやすい…? 実際、高層住宅が人間
の心理に与える影響は無視できない。こんな調査結果がある。

たとえば妊婦の流産率は、6階以上では24%、10階以上では39%(1〜5階は5〜
7%)。流・死産率でも6階以上では21%(全体8%)(東海大学医学部逢坂氏)。
マンションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティーブルー(うつ病)になる妊婦は、一
戸建ての居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。

母親ですら、これだけの影響を受ける。いわんや子どもをや。
さらに深刻な話もある。

 今どき野外活動か何かで、真っ黒に日焼けするなどということは、自殺的行為と言って
もよい。
私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、1校もない。
無頓(とん)着といえば無頓着。無頓着過ぎる。
オゾン層のオゾンが1%減少すると、有害な紫外線が2%増加し、皮膚がんの発生率は4
〜6%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。
実際、オーストラリアでは,1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡
件数が、毎年10%ずつふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。

そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線
防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけている。が、この日本では野放し。
オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策をとっていない? 信じられない」と。
ちなみにこの北半球でも、オゾン層は、すでに10〜40%(日本上空で10%)も減少
している(NHK「地球法廷」)。

 法律の世界では「疑わしきは罰せず」という。
しかし教育の世界では「疑わしきは罰する」。
子どもの世界は、先手先手で守ってこそ、はじめて、守れる。
害が具体的に出るようになってからでは、手遅れ。
たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子を着用さ
せる、など。あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●放射線と紫外線

 原発事故以来、放射線ばかりが、問題になっている。
しかし紫外線だって、放射線だぞ!
区別する方が、おかしい。
多量に紫外線を浴びれば、皮膚ガンを誘発する。
オーストラリアの例をもう一度、しっかりと読んでみてほしい。
日本だけ安全ということはありえない。
事実、SG君のように、目を赤くする子どもが、急増している。
ウソだと思うなら、中学や高校の野球部の子どもたちを見ればよい。
ほとんどみな、例外なく、目を赤くしている。

 で、私はSG君に、サングラスをかけるように提案した。
つぎに帽子。
肩までかかるような、つばの広い帽子がよい。
オーストラリアでは、背中を覆うような帽子をかぶっている。
長袖のシャツ、長ズボンは、常識。

 そう言えば、今回の原発事故でも、こんなことがあった。
半径30キロ圏内にある、ある中学校のテニス部でのこと。
(現在は、避難勧告が出ている地域になっている。)
原発事故当初は、「今、ただちに健康に害を及ぼすことはない」ということで、学校での部
活動も、ごくふつうになされていたという。

 が、やがて……やがてといっても、2か月以上もたってから、放射線量が測定されるよ
うになった。
「ホットスポット」という言葉も、そのころ出てきた。

 その中学校では、(どこでもそうだが)、中学1年生は、球拾いをしていた。
球というのは、あとになってホットスポットと呼ばれるようになる、溝や窪地に落ちる。
その球拾いをしていた。
それを知り、親たちが動揺した(報道記事)。
当然である。
つまり動揺して、当然である。

 で、こういう問題が起きるたびに、私はこう思う。
「指導の教師は、自分の子どもだったら、そういうことをさせるだろうか」と。

 SG君にしてもそうだ。
「自分の子どもだったら、目が真っ赤になるまで、野外でテニスをさせるだろうか」と。
つまりこうした問題は、「自分の子どもなら……」という視点で考えなければならない。
ともすれば、私たちは「他人の子どもだから……」と、ものごとを安易に考えがちである。
どこか無責任になる。
が、これではいけない。

 私の教室のような小さな教室でも、雨の日は、当初、全員に雨合羽を配っていた。
最近は、気温の高い日には、150ミリリットル入りの、アメリカ製の飲料水を配ってい
る。
熱中症の予防のためである。
「もし自分の子どもなら……」「孫なら……」と考えていくと、どうしてもそういうことを
せざるをえなくなる。

 もちろん学校の先生たちも、その程度のことならしている……と思う。
が、「まだ足りない」。
SG君の真っ赤な目をみて、私はそう感じた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 疑わしきは罰する 
紫外線 紫外線の恐怖 はやし浩司 排尿異常)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

『シティライフ』誌(大阪府・北摂・高槻・茨木・摂津版)

●巻頭特集の記事より

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【シティライフ編集部のみなさんへ】

 記事を掲載してくださり、ありがとうございました。

シティライフ……アクセスは
http://kurasi.citylife-new.com/e12121.html


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月31日夜記

●ゆがむ心

 恨み、妬(ねた)み、怒り、不満、不平……そういった感情を日常的に抱いていると、
心がゆがむ。
ゆがむと気づかないまま、ゆがむ。

 わかりやすく言えば、他人の不幸を楽しむようになる。
ものの考え方が、悪魔的になる。
常識の感覚が疎くなり、軽重はあるものの、反社会的な行為を平気でするようになる。

 とくに気をつけたいのが、恨みと妬み。
ともに原始的な感情であるだけに、心、つまり脳に与えるダメージも大きい。
脳自体が、慢性的な脳ストレス状態になる。
そのため思考回路そのものが、ゆがんでくる。
また一度ゆがんだ心は、簡単には、元に戻らない。

 が、これは子どもの世界の話ではない。
おとなの世界の話でもある。
しかも50代、60代の人にとっても、けっして、無縁の話ではない。

●X氏

 自治会で親しくしている人に、A氏(65歳)がいる。
そのA氏が、こんな話をしてくれた。

 A氏の隣に、X氏(83歳)という男性が住んでいる。
定年(55歳)まで、国の出先機関の副長クラスの仕事をしていた。
以後、30年近く、仕事は、いっさいしていない。
近所づきあいもしていない。
裏に畑があり、毎日庭いじりと畑での作業だけを繰り返しているだけ。
A氏は、そのX氏に、現在に至るまで、いやがらせ(いじめ)を受けているという。

ふつうの意地悪ではない。
放火、殺人未遂、虚偽の通報、暴力行為などなど。
どれもスレスレの行為で、そのつど警察に通報したというが、どれも証拠不十分で、警察
沙汰にはなっていない。

★放火……塀を燃やされた。
 燃え残った枯れ草や、小枝などが、その下に残っていた。
★殺人未遂……生きたマムシを飼っていて、数度、それを投げ込まれたことがある。
 A氏が問いただすと、強精用のマムシ焼酎を作っているだけと逃げられたという。
★虚偽の通報……A氏の名前を勝手に使い、市役所や近所の地主に、苦情を訴えたりする。
 そのためA氏が、悪者扱いになる、など。
★暴力行為……夜中に、屋根にビンを投げられたり、パチンコでエアコンの室外機を破壊
された、などなど。
窓ガラスも割られたことがあるが、そのときA氏が通報するよりも先に、X氏のほうが、「う
ちの窓ガラスが割られた」と、警察に通報していたという。
実際、X氏の家のガラスには、いくつかの穴があいていた。

 A氏は、あきらめ顔。
「やり方が実に巧妙で……」と。
X氏は、A氏の家の動きをいつも、どこかで観察しているという。
そこでA氏は、監視カメラまで設置したが、いつも電源を入れているわけではない。
その電源を切ったときに、いやがらせをするという。

 心のゆがんだ人というのは、X氏のような人をいう。
ゆがんでいるというより、腐っている。

●『抑圧は悪魔を作る』

 なぜX氏の心が、そこまでゆがんだか。
それについてもA氏は、いろいろ話してくれた。
が、ここでは割愛する。

 問題は、日ごろの生活態度ということになる。
イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
わかりやすく言えば、不平や不満があるにせよ、それをうまく発散できればよい。
それができないと、つまり抑圧されると、心は悪魔的になる。

 X氏は、もろもろの不平、不満を、A氏の責任にした。
あるいは何かいやなことがあると、それをA氏に転嫁した。

 子どもの世界では、それが顕著に表れる。
以前(2009年8月)、書いた原稿を、ここに載せる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●痛ましい事件(抑圧は悪魔を作る)

++++++++++++++++++

またまた13歳の少年が、父親を殺害する
という事件が起きた。
まず、その記事(産経新聞・7月18日)を
読んでみたい。

++++++++++++++++++

+++++++++++++以下、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

島根県I市で中学2年の少年(13)が、父親(43)を殺害した事件で、少年の付添人
となった弁護士が17日、M市内で会見し、少年が「父親の勉強に対する指導が厳しかっ
た」との内容を話していることを明らかにした。

 付添人によると、これまで4回、少年に面会しているが、落ち着いた様子で応じている
という。付添人は「父親に対する恐怖心が拒絶感になり、事件に至ったのではないかと考
えている」と話した。今後は、少年の主張を代弁するなど少年の権利を保障するとともに、
聞き取りをしていくなかで更生に助力するとしている。

 I市教委などによると、少年は昨年11月、スクールカウンセラーに「成績のことで父
親に頭などをたたかれる」と訴え、竹刀でたたかれる体罰行為もあったという。

 県警のこれまでの調べに、少年は「父親を殺すしかないと思った」と説明。さらに、同
級生には事件前、「おやじ殺しちゃう」と殺害を予告し、当日朝には、「殺した」と伝えて
いた。少年の部屋からは、殺害方法などが書かれたメモやナイフ数本が見つかっており、
県警は少年が計画的に父親を殺害した可能性があるとみて慎重に調べている。

+++++++++++++以上、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

●「抑圧」の恐ろしさ

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的に抑圧状態が慢性的につづくと、人の心が悪魔的になることを言ったもの。
子どものばあい、それが顕著に現れる。

 まずつぎのテストを受けてみてほしい。
このテストは、表面的には、穏やかで従順な子どもを対象にしたものである。
あなたの子どもは……、

(  )表面的には穏やかで従順である。(親の前では、見た目には静か。)
(  )感情表現、とくに喜びの表現が乏しい。
(  )ときにツンとした人間的な冷たさを感ずる。
(  )ものの考え方が、消費的で刹那的。(小遣いなどもすぐ、使ってしまう。)
(  )「殺す」「死ぬ」という言葉をよく使う。(あるいはあちこちに、書く。)  
(  )「銃(ガン)」「戦争」などに興味をもっている。
(  )ノートなどに残酷な絵を描くことが多い。(「血」をテーマにした絵が多い。)
(  )善悪の判断にうとく、ときに常識はずれなことをする。
(  )何を考えているのか、親にもわからないときが多い。
(  )小動物や人形などに興味を示さない。

 もしこのテストで、5個以上思い当るところがあれば、あなたの子どもの心は
かなりゆがんでいるとみてよい。
(即席で作成したテストなので、信頼性はあまりない。)

 表面的に穏やかで従順であるからといって、「いい子」とは限らない。
それは子どもの世界では常識。
表面的な様子に、だまされてはいけない。
とくにあなた自身が権威主義的なものの考え方をしているなら、注意したらよい。

(権威主義:悪玉親意識が強く、上下意識も強い。
子どもが口応えしただけで、「親に向かって、何てこと言うか!」と怒鳴りつけるような
タイプの親をいう。

「産んでやった」「育ててやった」と、親風を吹かすことも多い。
妻に向かっては、「食べさせてやる」「稼いでやる」とか言う。
家父長意識も強い。)

 今回、I市で起きた事件の背景が、そうであったというのではない。
しかしこの種の事件は、まさに氷山の一角。
その一歩、あるいは二歩手前で、あやうく事件にならないで、闇に隠れている
ケースとなると、ゴマンとある。
ひょっとしたら、あなたの親子関係も、そうかもしれない。

 もしそうなら、(1)権威主義的発想を捨てること。
(2)友として、子どもの横に立つこと。
(3)今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処すること。
 この3つに心がけてみてほしい。

時間はかかるが、(というのも、この種の心の問題は、一朝一夕には解決しないので)、
やがて子どものほうから、心を開いてくる。
 それにしても、「『成績のことで父親に頭などをたたかれる』と訴え、竹刀でたたかれる
体罰行為もあった」とは!

 そこまでひどくなくても、毎日、毎晩、「勉強しろ!」「うるさい!」の大乱闘を
繰り返している親子は、少なくない。
もしあなたがそうなら……。
 
「子どもの成績があがったら、どうなのか?」
「それがどうしたというのか?」
そのあたりからもう一度、考え直してみてほしい。
 もし殺された父親に、そういうものの見方の一片でもあれば、少なくとも今回の
ような悲劇は避けられたはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 父親殺害 抑圧は悪魔を作る)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●もまし

 実は私は、「もまし」という言葉を、10年前まで知らなかった。
ある知人(女性、60歳)が、教えてくれた。
その女性は、こう言った。
「あら、あなた、モマシという言葉も知らなかったの?」と。

 もちろん知っている人は、知っている。
それができる人は、日常的に、平気でできる。

もまし……Aさんには、Bさんの悪口を言う。
「Bさんね、あなたのことを、バカって言ってたわよ」と。
一方、Bさんには、Aさんの悪口を言う。
「Aさんね、あなたのことを、イヤな人って、言ってたわよ」と。

 会話の内容は、実際には、もう少し複雑。
告げ口、密告、暴露、ウソなどを混在させる。

つまりこうしてAさんとBさんの間にトラブルを引き起こす。
仲たがいを誘引する。
これを「モマシ」という。

 男の世界では、あまり聞いたことがない。
しかし女性の世界では、モマシがたいへん多いという。
つまり女性のほうが、それだけ社会的に、抑圧されているということか?

私も親類の女性(69歳)に、モマシをされたことがある。
その女性をうっかりと信じてしまった。
信じて、内輪の話をしてしまった。
が、数週間もたたないうちに、その話は親戚中に広がってしまった。

 (こういうモマシにあったら、弁解せず、説明せず、ただひたすら沈黙を守るのがよい。
これは私がそのとき学習した鉄則。)

 こういうモマシが平気でできる人というのも、心がかなる腐っているとみてよい。
ふつうの心では、できない。
というか、ふつうではない。

●根が深い

 心のゆがんだ人を、どうするかということについては、私にはわからない。
牧師のような聖職者の人にとっては、大きなテーマかもしれないが、私には荷が重すぎる。
つまり私のばあい、そういう心のゆがんだ人、腐った人に出会ったら、距離を置き、遠ざ
かるようにしている。

 つきあってよいことは何もない。
ないばかりか、こちらまで影響を受けてしまう。

 もちろん相手が子どもで、私の指導下にあれば、それなりの指導はする。
しかしこの問題は、ふつう、根が深い。
それに先にも書いたように、(もちろん軽重の問題もあるが)、指導により「直す」のは、
簡単ではない。
子どもでも、5年単位の時間が必要。
攻撃的なつっぱり症状を見せる子どもを想像してみればよい。
一度ゆがんだ心は、簡単には戻らない。
さらに歳を取ると、仮面をかぶるようになる。
いい人ぶり、外からはわかりにくくなる。
それこそ80歳を過ぎても、近所の人に意地悪を繰り返すこともある。

●ネズミを殺すために、家を燃やす

 そこで重要なことは、自分の心を抑圧しないこと。
ゆがみを感じたら、できるだけ早い段階で、それに気づき、原因を取り除くこと。
たいていは人間関係に起因する。
その人間関係を是正する。

 だからある賢人はこう言った。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォスディック)

 つまり人を恨んでいると、心、つまりその人の人間性全体まで、大きな影響を受ける、と。

 それについて書いた原稿を添付し、このエッセーを終える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

+++++++++++++++++++++

人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

+++++++++++++++++++++++++

●ある女性(67歳)

 東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、
恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みず
からの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもな
く、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に処理して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

●深み

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた知人に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その知人はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
人間性そのものまで破壊する。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」ということを知り、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分を知る

++++++++++++

ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。
しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。
よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。
精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。
同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。
「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。
さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。
精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。
つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。
……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

+++++++++++++

 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれ
ば、それが流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。
 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとす
る。そういう女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味
はない。その女性はその女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。
 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。
 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」
と。
 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその
命令は、種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)と
いう異性をを意識しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識は
ない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということに
なる。「私は正常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうで
はない。あらわになった胸や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、そ
の意識はなくても、男性は、そうなる。
 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。
 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちが
いである。動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)と
いうことになる。ファッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができ
るようになったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく
変わるかもしれない。それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。
 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいてい
る。実際には楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとう
に楽しい。毎日、何か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。
哲学の世界でいう、「私自身を、知る」という世界ということになる。
 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という
読者を意識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどん
でいるのかもしれない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子の
ユングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって
支配されているということになる。
 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つま
りは、メタ認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)
 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。
 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置か
れると、子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出る
ことが知られている。
 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つ
っぱりも、その一部として理解されている。
 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう
行動を繰りかえす。
 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした
心理学者でもむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかっ
てはじめて、「無知の知」という言葉を導いた。
 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。
 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で
華々しい成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手
に取るように、よくわかるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
メタ認知 認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)

Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム(メタ認識・メタ認知)

+++++++++++++

昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。
「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。
そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。
朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。
それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

+++++++++++++

 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるとい
うことがわかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食
べたい」という作用が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起き
てくる。順に考えてみよう。
 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、
そのセンサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。
 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。
 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそ
うだが)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部
の生理的環境を一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。
 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的
バランスを一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につなが
る。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部の
センサーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。
 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のま
まのはず。あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。
その可能性は、ある。あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決
まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。
 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によっ
て、決まるという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、
摂食行動が活発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊
氏「心理学の基礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起
きなくなり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し
始めるという(同)。
 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反
した機能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう
一度、まとめると、こうなる。

(1) 視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2) 視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一
部を破壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じこと
が起きると考えるのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一
方、過食症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き
方で、ごめん!)

 で、私のばあいは、どうか?
 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べ
たこと。つまり短時間で食べた。
 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=
時間的なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌され
たらしい。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづ
けた。そのため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセ
ンサーが感知した。そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。
 私は猛烈な空腹感に襲われた。
 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、
それほどつらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせるこ
とができる。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。
結果として、朝起きたとき、空腹感は消えていた。
 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」とい
う。人間がもつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=
メタ認知)ができたからといって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、
「メタ認知ができるようになれば、さらに自分がよくわかる。自分で自分をコントロール
できるようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
空腹のメカニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹
内側核 はやし浩司 メタ認識)

(付記)
ホメオスタシス……「平衡状態」「定常状態」の意。生物が環境のさまざまな変化に対応し、
生物体内の形態的、生理的状態を安定な範囲に保ち、生存を維持する性質。アメリカの
生理学者のキャノンが提唱(国語大辞典)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ホメオスタシス ホ
メオスタシス効果 メタ認知 はやし浩司 メタ認知能力 空腹のメカニズム 視床下部 
はやし浩司 無知の知)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 12日

配信が乱れて、すみません。
9月12日号を送ります。

はやし浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子ども、あれこれ(突発的に衝動的な行動を繰り返す子ども)

++++++++++++++++++++

 親の過干渉が日常化すると、子どもは、
自分で考えるということができなくなる。
とくに善悪の判断に疎くなる。
いろいろなケースがある。

++++++++++++++++++++

(N君、小2男児)

 私の教室には、いくつかの模型飛行機が飾ってある。
ダイキャスト製の、大きさが15センチ前後の飛行機である。
その飛行機の、プロペラや脚が折られるという事件がつづいた。
模型のアンテナが折られたのもある。

が、だれが折るのか、当初はわからなかった。
私も、それほど注意していたわけではない。
気がついたときには、模型飛行機のほとんどが、壊されていた。

 が、ある日、レッスンが終わり参観にやってきた母親と話しているとき、ふとそちらの
ほうを見ると、N君(小2男児)がその前に立っていた。
模型飛行機をじっと見ているといったふうだった。
が、つぎの瞬間、N君は、さっと手を伸ばすと、指先でプロペラを折った。
ものすごい早業(はやわざ)だった。
それが終わると、再びN君は、こちらの様子を警戒するといったふうでもなく、じっと模
型飛行機に見入っていた。

 ほかにコンセントに粘土を詰めていた子ども(幼稚園男児)や、色水を溶かして、2階
のベランダから、下の子どもに向かって、それをかけていた子ども(幼稚園男児)などが
いた。

●特徴

 こうした子どもの話をすると、頭の良し悪しと結びつけて考える人は多い。
しかし頭の良し悪しとは、関係ない。
先にあげたN君にしても、学校のクラスでも、1、2を争うほど、算数が得意だった。
つまり頭が良い子どもでも、善悪の判断に疎い子どもは、いくらでもいる。
他方、頭が悪いからといって、善悪の判断が疎いということにもならない。

 それはちょうど、男子だから、料理や洗濯がへたとか、反対に女子だから、料理や洗濯
がじょうずと決めつけて考えるようなもの。
料理や洗濯のじょうず、へたに、男子も女子も、ない。
同じように、「頭が悪いから、善悪の判断に疎い」と考えてはいけない。
(もちろん、頭の悪い子どもで、善悪の判断に疎い子どももいるが……。)

 前提として、善悪の判断能力と、頭の良し悪しは、関係ない。

●突発性

 このタイプの子どもの特徴としては、突発性があげられる。
日ごろから、行動が突発的で、静かな落ち着きに欠ける。
その瞬間に、「とんでもない行動」を引き起こす。
少し前も、私のうしろから、私の後頭部を、いきなり発泡スチロールの棒で叩いてきた子
ども(小6男児)がいた。

 発泡スチロールとはいえ、6年生の腕力である。
しかも水平に、右耳をめがけて叩いてきた。
幸いにも、ほんの少しだけ位置がずれていたからよかった。
もしまともに右耳に当たっていたら、私の鼓膜は吹き飛んでいたはず。
(それでも、そのあと4、5日間、耳がポーンとしたままだったが……。)

 この子どもも、頭の良い子どもだった。
が、時として発作的に、衝動的行動に走る。
で、叱ると、その場ではシュンとうなだれ、いかにも反省していますといった様子をして
みせる。

●原因

 年齢的には、満4・5歳前までの幼児期前期における、子育ての失敗とみる。
この時期を「自律期」と呼ぶ(エリクソン)。
この時期を通して、子どもは、善悪の感覚を身につける。
先生や親の指導を忠実に守ろうとする。

 たとえば母親が、幼稚園の先生の指導と違ったことをしたりすると、すかさず、「幼稚園
の先生がねえ……」と言い返し、母親をたしなめたりする。

 あるいは部屋の様子がいつもとちがっていただけでも、敏感にそれを発見する。
元に戻そうとする。
たとえば花瓶の位置がずれていただけでも、元通りにする、など。

 この時期までに、子どもの基本的な習慣づけが決まると断言してよい。
が、反対に、この時期を、「だらしなく」過ごすと、子どもは、「だらしない子ども」にな
る。
生活態度がだらしなくなり、ものを散らかすなど。
服装や、身だしなみに無頓着になることもある。

原因は言うまでもなく、親の溺愛(甘やかし)、過干渉(親がガミガミ、コマゴマと言う)
など。
それが日常化すると、子どもは自分で考え、自分で行動するということができなくなる。

 しかしそれがすべてよいというわけではない。
反対にそれが度を越したりすると、子どもは、いわゆる融通の利かない、頭の固い子ども
になる。
たとえばユーモア、冗談が通じなくなる、など。
たとえばアスペルガー児のばあい、相手の言葉を忠実にとらえすぎるあまり、柔軟な行動
がとれないことがよく知られている。

 満4・5歳を過ぎたら、「融通性(ユーモア)の指導」も、家庭教育におけるひとつのテ
ーマと考えてよい。
 
●善悪判断

 言い換えると、年長児(5〜6歳児)をていねいに観察すると、善悪の判断能力(=常
識的な判断能力)が、正しく身についているかどうかが、わかる。
善悪の判断能力が正しく身についている子どもは、的確にそれを判断することができる。
衝動的、突発的な行動は、見られない。

 一方、そうでない子どもは、そうでない。
ひどくなると、「何をしでかすか、予想が立たない子ども」になる。
ほんの少し目を離したすきに、「とんでもないこと」をする。
しかも本人には、悪いことをしているという意識は、ほとんどない。
笑いながら、あるいはおもしろ半分に、それをする。

 私の目に、シャープペンシルを突き刺した子ども(中3・男子)、同じようにシャープペ
ンシルの先で、私の目を突き刺そうとした子ども(小4・男児)などがいた※。
ともに頭のキレる子どもで、とくに数学においては、並外れた才能を光らせていた。

(注※)この子どもは、私が振り向くのを待ち、シャーペンシルを手で握り、私に声をか
けた。
「先生、先生」と。
私はそのとき反対の方向を向いていたが、そのまま顔を、その子どものほうに向けていた
ら、シャーペンシルの先は、確実に私の目を突き刺していた。
たまたまその直前、別の子どもが、「先生!」と声をかけてくれたから、私は難を逃れるこ
とができた。

●どうするか

 先にも書いたように、年長児(6歳、幼児期後期)になると、その子どもの方向性が決
まってくる。
親は、こうした症状を子どもの中に見つけると、はげしく叱ったりする。
が、これが悪循環となり、子どもはますます「常識外れな行動」を繰り返すようになる。

 「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭環境、とくに母親の育児姿勢にあると考え、
猛省する。
静かな語りかけ、話し合いが、重要。
しかし実際には、親自身が情緒的な不安定さ、精神的な欠陥をかかえているケースが多く、
指導はむずかしい。

●過干渉児

 よく誤解されるが、口うるさいのは、過干渉ではない。
過干渉が過干渉になるためには、親側の情緒的な不安定があるばあいである。
親の機嫌、あるいはそのときの気分によって、子どもへの接し方が大きく変化する。
ギャーと興奮して子どもを叱ったり、反対に、妙に穏やかに接したりするなど。
つまり子どもの側から見て、とらえどころのない親の「心」が原因となり、子どもは、い
わゆる過干渉児になる。

 私の経験では、小学3〜4年生以後、こうした行動が見られるようになったら、指導に
よる改善はほぼ不可能とみる。
言うべきことは言いながらも、本人の現実を検証する能力と、自己を管理する能力が育つ
のを待つしかない。
言い換えると、おとなでも、こうした衝動的、かつ突発的な、「非常識な行動」を繰り返す
人は少なくない。
どういう人がそういう人であるかは、あなたの周辺にも、1人や2人はいるはず。
観察してみるとよい。
出現率としては、子ども(小学高学年児)のばあい、7〜8人に1人とみる(はやし浩司)。

●AD・HD児とのちがい

 それなりの集中力と、その場に応じた静かさ(たとえばテスト中などは、静かに学習で
きる)があるという点で、AD・HD児とは区別される。

●過剰行動児とのちがい

 行動に目的性があるという点で、突発的に錯乱状態になる過剰行動児とは区別される。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 突飛もない行動を繰
り返す子ども 何をしでかすか、わからない子ども 衝動的 子どもの衝動性 子どもの
突飛性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●もうすぐ64歳(8月30日の夜に)「今日のできごと、あれこれ」

●タレントのS

 タレントのSが、マスコミでボロクソに叩かれている。
同情の余地はない。
もともと・・・というか、見るからにその程度の男。
「国民の宝」と、どこかのバカ知事はもちあげたが、国民の宝?

 「つながりがあった」というより、準構成員そのもの。
が、問題は、マスコミそのもの。
ああいう人間を無批判に、もちあげてきた。
その責任は、どうなるのか。

 が、まだSはよい。
暴力団とのつながりがあったというだけで、社会にそれほど大きな影響を与えたというわ
けではない。
陰に隠れて、コソコソ、行動していた。

 で、そのタレントSを見ながら、こう思う。
もしSが悪いというなら、あのBTはどうなのか?、と。
ワイフが、昨夜、そう言った。
見るからに、その程度の男。
映画監督もしているが、作るのは暴力映画ばかり。
暴力団そのものを題材にした映画も多い。
その男が、今、タレントの王者として、日本のマスコミの上に君臨している。

 日本人や日本の若者たちに与えた影響となると、計り知れない。
もちろん悪い影響である。
そんな男が、東京都から、「都を代表する文化人」として表彰されている。
フランス政府からは、「日本を代表する文化人」として表彰されている。

 Sというタレントがおかしいのではない。
マスコミ全体が、狂っている。
日本人全体が、狂っている。

●日債銀の破綻処理、4・8兆円!

 最高裁判所は、「シロ」と判断した。
いわく「貸出金が多少でも回収できれば、
支援に合理性が認められるとの判断を示し、
決算に粉飾はなかった」と。

 わかりやすく言えば、日債銀がした
もろもろの融資は、「回収の見込みがなかったとは
評価できない」※と。

実にあやしげな融資だった。
にもかかわらず、「回収の見込みがなかったとは言えない」と。

 が、本当の問題は、そのことではない。
こんな一銀行のために、4・8兆円もの公的資金が使われたということ。

4・8兆円を数字で表してみる。

4800000000000円!

 もし預金者保護ということなら、
預金者だけを保護すればよかった。
その保護だけにとどめ、銀行を解体すればよかった。
何も、銀行がかかえた債務まで、国が負担することはなかった。

 が、日債銀は、事実上、救済された。
日債銀というより、行員たちが救済された。
当時の日債銀の行員は、約2000人。
4・8兆円を2000人で割ると、
1人当たり、24億円。

 つまり国は、行員1人当たり、24億円もの
公的資金(=税金)を投入し、日債銀なるものを
救済した。

以後、日債銀の行員たちは、だれひとり責任を
問われることもなく、満額の退職金(=企業年金)
を受け取り、それぞれ子会社(主に独立系ノンバンク)
へと散った。

 もちろん1人当たり、24億円の現金を手にしたわけではない。
しかしふつうなら、会社の倒産と同じように、行員は全員解雇、
無一文で、野に放り出されてもおかしくなかった。

が、ここからがまたおかしい。

 検察庁は、「乱脈融資に直接かかわったわけでもない、
国税庁長官のK氏のみを訴追」(Yahoo・ニュース)した。
結果、乱脈融資そのものを、うやむやにしてしまった。

が、もう一度、4・8兆円という数字をよく見てほしい。
日本人の人口を、1億2000万人とすると、国民1人当たり、4万円!
それだけのお金が、闇から闇へと消えたことになる。
つまりだれかが、その一方で、儲けた!

 百貨店のそごう倒産劇のときも、債務(=借金)の付け替えが、
頻繁に行われていた。
日債銀の経営破綻劇の裏でも、同じことが行われていた。

それが無罪!
シロ!

 こんなバカなことが、この日本では堂々と行われている。
捜査といっても、「国策捜査」(同・ニュース)。
はじめから結果は、わかっていた。
つまり茶番劇。

 日本が民主主義国家と思っているのは、そこらのオジチャン、オバチャンたちだけ。
日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
世界に名だたる官僚主義国家。
その官僚たちが、政治、経済、さらには裁判まで、自分たちの
思い通りに動かしている。

今度の判決を見て、私はそう感じた。

(注※)
 数学の問題でも、解答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、むずかしい。
同じように、回収の見込みについて、なかったことを証明するのは、むずかしい。
要するに、詐欺であったかどうかということ。
が、「回収の見込みがなかったとは評価できない」ということで、詐欺ではないということ
になった。
回りくどい言い方だが、こんな論法がまかり通るなら、どんな詐欺でも、無罪になって
しまう。
今、問題になっている「○X牧場」の和牛預託商法にしても、そうだ。
「(資金の)回収の見込みがなかったとは評価できない。よって無罪」と。

●どこかの川で……

 どこかの川で、28歳の男性が、橋から川に飛び込んで、死んだ。
私はその川も、橋も、よく知っている。
私はその川のほとりで、生まれ育った。

 死因はまだ報道されていないが、心臓麻痺か何かではなかったか。
あの川の恐ろしいところは、(どこの川でもそうだが)、山の清水が、いたるところで川の
中でわき出ていること。
川に沿って泳いでいると、それがよくわかる。
ときどき、氷のように冷たい清水を、帯のように感ずる。
そういう清水の中に入ると、かなり泳ぎ慣れた人でも、キーンと心臓が縮むのがわかる。

 今は、温暖化も進んだ。
しかし私が子どものころは、8月15日の盆を過ぎたら、あの川には入らなかった。
寒くて、入れなかった。
そんな川に、8月末の今ごろ、橋から飛び込むなどというのは、正気の沙汰ではない。

 28歳といえば、若い。
残念な事件である。

●生き埋め

 もうひとつの事件は、若い夫婦が生き埋めになったというもの。
どういういきさつでそうなったかは知らないが、運が悪かっただけではすまされない。
何か、やりきれない。

 どこかの若い妻が、夫を驚かそうと、砂浜に穴を掘った。
落とし穴を作った。
「誕生日を祝うためだった」というから、さらに「?」。
そに落とし穴に、夫婦ともども落ちて、2人とも窒息して死んだ。

 穴の深さも、常識をはずれている。
2・5メートル!
ほんの少しでも思考力があれば、こんな危険な遊びはしなかったはず。

 が、私の年齢になると、どうしても親の心のほうを先に考えてしまう。
「さぞかし、やりきれないだろうな」と。

 川に飛び込んで死んだ若者にも、砂浜で窒息して死んだ若者にも、親がいるはず。
そういう息子や娘をもった親は、どうか。
悲しいというより、やりきれない思いでいっぱいだろう。
無念というか、何というか……。

 人というのは、他人のことなら、「許して忘れる」ことができる。
しかし自分のこととなると、それができない。
それが親の気持ちということになる。

 だから今は、こう思う。

 若者たちよ、無謀なことをするのは、君たちの勝手。
しかしときには、親の気持ちも少しは考えて行動せよ。
君たちの命はもちろん、幸福にせよ、結婚にせよ、それは君たちだけのものではない。
君たちの背中には、君たちを、苦労に苦労を重ねて育ててきた、父親がいる。
母親がいる。
ときには、回れ右をし、背中の側にいる人間を見てほしい。

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。

この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤ
クザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。

いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどう
か?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという
こと。
(工人、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

●迷ったら・・・

 先ほど、ワイフがこう言った。
「明日は、どうする?」と。

 水曜日は、温泉に行くことにしている。
回数券で買うと、1回分800円で入浴できる。
それに映画も観たい。
が、あまりよいのがない。
見るとすれば、『ピラニア』。
昔の『ジョーズ』に似た映画と思う。
サメが、ピラニアに変わった。

 もうひとつは、温水器のパイプに穴があいた。
その修理。
「明日は、どうする?」と再びワイフが聞いたので、私はこう答えた。
「ぜんぶ、する」と。

 このところ「迷ったら、すべてする」が、私のモットーになっている。

●スピリチュアル(霊感商法)

 数日前、「?」はチラシが新聞に入っていた。
「スピリチュアル講演会」という。
見ると、もろもろの悩みを解消します、とある。
ついでにもろもろの予知、予言もします、とある。

 当日券は3500円とか。(前売り券は3000円。)

 気になったのは、小中学生の入場料金も書いてあったこと。
もしそれがカルト教団なら、(カルト教団と断言してよいが)、これは見過ごせない。
フランスでもベルギーでも、未成年者への勧誘は、法律によりきびしく禁止されている。
甘いのは、この日本だけ。
政治活動も野放し。(アメリカでは禁止。)
営利活動も野放し。(世界的に禁止。)
もちろん子どもの勧誘も、野放し。

 憲法で保障されている「信仰の自由」が、カルト教団のよいように拡大解釈されている。
その結果が、今。
だいたいにおいて、「スピリチュアル」とは何か。
訳せば「霊」ということになる。

 あのホーキング博士は、「天国などというものは、死を恐れる人のおとぎ話」と言い切っ
た。
が、人間は、それほど強くない。
ウソでもよいから、天国を信じたい人もいる。
そういう人たちの思いは思いとして、そっとしておいてやる。
「あなたはまちがっている!」と言って、ハシゴをはずすのは簡単なこと。
はずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してやる。
それができないなら、そっとしておいてやる。

 が、あえてウソを広めてはいけない。
お金を取り、人を集め、インチキ説法まではしていけない。
その先にあるのが、霊感商法。
こういうのを野放しにするから、被害者が後を絶たない。

 もし、ここに私が書いたことがまちがっているというのなら、ヤ〜イ、インチキ教団の
連中どもよ、今すぐ、私にバチを当ててみろ。
そのスピリチュアル何とかというパワーを使って、私にバチを当ててみろ!

 大地震が予言できるくらいなら、はやし浩司1人くらい、つぶすのは、わけないはず。

●勇気

 今年は平成23年だから、ちょうど23年前。
私はあるカルト教団を攻撃した本を、5冊、書いた。
それがあって、私のところへ、毎週のように、10〜20人の信者たちが押しかけてきた。
みな、口々に、こう言った。
「今に、お前は地獄へ落ちる」「5年後に結果が出る」「楽しみにしている」と。

 が、5年たっても、10年たっても、20年たっても、私は地獄へ落ちなかった。
今の今も、そこそこに元気で暮らしている。

 愚かな連中だ。
「信じたものだけが救われる」とか、「悪口を書いたら、地獄へ落ちる」とか言う。
私が神や仏なら、いちいちそんなことは気にしない。
神や仏に甘えるわけではないが、心が無量無辺に広いから、神といい、仏という。

 が、正直に告白するが、当初は怖かった。
仲のよい友人でさえも、「殺されないように注意してください」と忠告してくれた。
そう言えば、こんなことを言った信者もいた。
「夜道を歩くときは、注意したほうがいいですよ」と。

 が、今は、反対に、こわいものがなくなった。
小心で臆病だった私が、平気でものを書けるようになった。
あの一連の事件を通して、私は「勇気」を手に入れた。
今にして思うと、それがよくわかる。

●もうすぐ64歳

 もうすぐ64歳。
平均余命から逆算すると、運がよくても、私の
寿命は、残り15年。
15年。
たったの15年。

 で、反対にこんな計算をしてみる。
現在の年齢から15年を引いてみると、49歳。
49歳から64歳。・・・15年
64歳から79歳。・・・15年
49歳のときから、現在までの年数がたつと、
私もあの世行き。

 そこで考える。
49歳のとき、私は何をしていたか、と。
よく覚えているのは、中日新聞で、連載が始まったこと。
『子どもの世界、こんな問題』というコラムだった。
それから15年。
あっという間の15年。
同じように、これからの15年も、あっという間に過ぎていく。
あるいは、もっと早いかもしれない。

 が、それとて、先に書いたように、「運がよければ」の話。
平均余命から10年を引いた年齢を、健康年齢という。
晩年の10年は、病魔との闘い。
徐々に病魔に侵されながら、人は、やがて死を迎える。
その健康年齢まで、あと4年。
たったの4年。

 長生きはしたいが、私のような国民年金族(=無年金族)は、
長生きをすればするほど、みなに、迷惑をかける。
迷惑をかけてまで、長生きはしたくない。
また長生きしたところで、どういう意味があるのか。
できれば、ピンコロ。
無縁死でも孤独死でもよい。
できれば、ピンコロ。

 ・・・かなり悲観的な考え方だが、私が書きたいのは、その逆。
それだけに、このところ、生きていることに、いとおしさを覚える。

美しい空。
白い雲。
深い緑の木々。
死ねば、この世もろとも、私は消える。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今夜もワイフとドライブをしながら、そんなことを考えた。
暗い夜空だったが、淡い雲が幾重にも重なって見えた。
その下に、黒いシルエットとなった山々。
そして明かりを灯す、民家。
その切なさ。
そのなごり惜しさ。

 今や一瞬一秒が、砂時計の砂のように、過ぎていく。
無駄にできる「命」は、もうない。
回り道をしている時間もない。
迷っている暇もない。
結果がどうであれ、その結果を気にしている余裕もない。

 ただ前に進むこと。
ただひたすら前に向かって生きていくこと。
正しくても、またまちがっていても、これが私の人生。
私の選んだ人生。
今さら過去を悔やんだところで、どうにもならない。
軌道修正することもできない。
だから前に進む。

 世の中に、私のようなバカが1人くらい、いてもよい。
言うなれば、バカの実験台。
もし私の生き方がまちがっていると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、別の道を進めばよい。
もし私の生き方にも、価値があると思うなら、それはそれで結構。
あとにつづく人たちは、私を乗り越えて進めばよい。

 今夜の私は、ワイフの深い愛を感ずる。
息子の深い愛を感ずる。
それ以上、私は何を望むというのか。
仮に今、ピンコロということになっても、今の私なら、今を信ずる。
信じて、そのまま静かに死ぬことができる。
やすらかに。
穏やかに。

今夜の私は、いつもになく、満ち足りている。
人を憎まず。
人を恨まず。
平和な心で、満たされている。

 ・・・このまま静かに眠ろう。
すでにワイフは、奥の寝室で寝息をたてている。
先ほどまで横で話していた息子も、寝室へ入った。

では、みなさん、おやすみ。
日付は変わって、2011年8月31日。

引佐町・山荘にて。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 2011+++++++++はやし浩司

【楽しく学ぶ子は、よく学ぶ】

●1年生に、センチとミリを教える

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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=ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司※

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 12日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月27日(土曜日)(はやし浩司 2011−08ー27)

++++++++++++++++++

旅の疲れが出たのか?
それとも運動のせいか?
今日も、2時間も昼寝をした。
それなりにぐっすりと眠った。
目覚めも悪くなかった。

が、寝起きに夢を見た。
しばらく、ぼんやりしていた。
その夢について、あれこれと考えていた。
しかし夢は夢。
頭から振り切ると、そのまま起きあがった。
足下がフラフラした。
台所へ行くと、
ワイフが、そこにいた。

「2時間も眠ったみたい」と声をかけると、
「よく寝たわね」と。

++++++++++++++++++

●運動

 昨日は、(今朝も)、朝起きると、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
マシンでは、30分が、MAX(=限度)になっている。
が、30分程度がよい。
20分を過ぎるころから呼吸が激しくなり、さわやかな汗が全身を流れ始める。

 ほかに昨日の午後は、サイクリングを2単位。
1単位は、30〜40分前後。
ほどよい疲れが、心地よかった。

●Kさん

 40年来の友人に、Kさんという人がいる。
私と同じ、昭和22年(1947)生まれ。

役所を退職したあと、3反(900坪)の畑を買い求め、今は「百姓」(Kさん弁)をしている。
そのKさんは、無農薬農業を心がけている。
「無農薬農業」といっても、実際には、不可能。
数年もかけて、ミカンの木を栽培したが、カミキリムシが入り、全滅。
海水をくんできて、それで消毒していたが、あまり効果はなかったという。
今は、野菜作りに専念している。

 そのKさんに、ニンニクを分けてもらえないかと、昨夜電話をかけた。
東北産も中国産も、安心できない。
そこでKさんに助けを求めた。
が、この暑さ。
できは、よくないとのこと。
そしてこうも言った。

「あと何年かすると、この日本では野菜作りもできなくなるかもしれないね」と。
気候が温暖化すると、野菜もできなくなるという。

 言い忘れたが、Kさんは東京農大を出た、エリート中のエリート。
役所でも、その道、一筋に生きてきた人である。
そのKさんが、そう言った。

●総入れ歯

K「林さん(=私)、私ね、総入れ歯になりましたよ」
私「総入れ歯?」
K「昔から虫歯だらけでね。それで歯周炎に苦しみました。で、歯がみんな抜けてしまって…
…」
私「……!」
K「明日、その入れ歯を入れてもらうことになっています。話していても、フニャフニャします。聞
きづらいでしょう?」と。

 その話を聞いて、ツンとしたさみしさが、私の心を包んだ。
Kさんだけではない。
こうして私たちは、老いていく。
老い方は、人それぞれだが、みな、例外なく老いていく。

私「私も、しばらく同じ姿勢をつづけていると、体が固まって、動けなくなくなります」
K「あら、それはいけないな」
私「正座なんか、もう私にはできません。10分もしただけで、歩けなくなります」
K「ハハ、ぼくもね、腰が弱くて、映画館で映画を観ることができませんよ」
私「どうして?」
K「映画館で映画を観ていると、腰が痛くなります。太りすぎです」
私「それも、いけないですね」と。

 ニンニクの話をするつもりだったが、健康の話になってしまった。
私の年代の人たちは、みな、そうなる。
最後には、結局は健康の話になる。

●夏のレッスン

 今日は土曜日だったが、レッスンをひとつこなしてきた。
「夏期講座」と呼んでいる。
このレッスンを通して、子どもたちに自信をつけさせる。
それを第一のテーマにしている。

 何かを教えるのではなく、自信をもたせる。
そんな目的を、このビデオを通して、理解してもらえれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Summer Lesson @ BW Children's Club Hamamatsu Japan Aug. 27th 2011】

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●残暑

 残暑もきびしいが、朝夕は、めっきり涼しくなった。
ときに寒いほど。
このところ風邪をひく人が多くなった。
そんな話をよく耳にする。
 
 実は私も、あぶなかった。
寝る前はそれなりに暑い。
が、夜中に、急に気温がさがる。
それで風邪をひく。
今朝もそうだった。
それに気がつき、ワイフにしがみついていった。
 
●職業観

 1970年のころのこと。
今は、どうか、知らない。
当時のオーストラリアでは、大卒の資格がないと、ユンボやブルドーザーを操作できなかった。
それだけその仕事は、技術職として重要視されていた。

 一方、私たち、団塊の世代にとっては、商社マン、証券マンというのは、それなりの職業だっ
た。
私たちが大学を卒業するころ、日本は高度成長の波に乗った。
すべてがマネー、マネーという時代だった。
が、その時代は、あの山一証券の倒産劇で、終わった。
つまり「それなりの職業」という幻想が、つぶれた。
ほかの世代の人たちには、それがわからないかもしれない。
しかし社長が、テレビカメラに向かって、「私が悪いんです。みんな私が悪いんです」と泣きじゃ
くって見せたとき、その幻想は、つぶれた。
私たち団塊の世代に与えた衝撃は、大きかった。

 が、一方、オーストラリアでは、日本の商社マンは、「軽蔑」されていた。
軽蔑ということは、軽蔑。
どう軽蔑されていたかについては、すでに何度も書いた。

 つまり私たちがもっている「職業観」というのは、国によってちがう。
たとえば「軍事国家」「独裁国家」と呼ばれている国々では、軍人がエリートということになって
いる。
現在のフィリッピンがそう。
北朝鮮もそう。
戦時中の日本も、そうだった。
弁護士にしても、アメリカでは、資格をもちながら、失業している人はゴマンといる。
さらに言えば、パイロット。

 日本航空のばあい、ほんの4、5年前までは、機長といえば、年収2400万円以上。
しかしアメリカでは、国際線の機長ですら、月収12万円前後(「超大恐慌の時代」)で飛んでい
る。
しかも雇用契約は、一年ごとの更新制。

多くの国では、空軍のパイロットが転職し、民間機のパイロットになるケースが多い。
が、ここにきて、全裸の機長が、女性の下着を盗みに入り、逮捕されるという事件が起きた(2
011年8月)。
日本航空の現役の機長だったというから、驚きである。
つまりそういう頭のおかしな人が、飛行機の中で、操縦かんを握っていた!
想像するだけで、ゾッとする。

 地に落ちた・・・というか、こうして私たちがもっている幻想は、つぶれていく。
というか、職業に上下はない。
あるはずもない。
が、日本には、江戸時代の身分制度が、いまだに残っている。
身分制度そのものは崩れたが、その「意識」が残っている。
その意識でもって、職業の上下を判断する。
それが今、音をたてて崩れ始めている。

●学歴制度の崩壊

 もう7、8年前の話だから、現在の実情とは違っているかもしれない。
しかしこんな話を、ある中学校の校長(浜北区H中学校)の校長から聞いた。

「今では、60%の中学生は、受験勉強などしていません。部活でがんばって、推薦で高校へ入
ると考えています」と。
それから7、8年。
60%より多くなったのか。
それとも少なくなったのか。
が、一度緩んだバネは、もとには戻らない。

 中学生ですら、意識が変わった。
高校生も、変わった。
大学生も、変わった。

 変わらないのは、40代以上の古い世代。
中には、60歳になっても、70歳になっても、過去の学歴を頭に載せて歩いている人さえいる。
それはそれとして、こうした変化も時代の流れ(?)。
が、これは同時に深刻な問題でもある。
学問の軽視は、そのまま学力の低下につながる。

 先日もこんなことがあった。
事務機器屋の男に、背の高い本箱を据え付けてもらった。
そのとき私が、「地震のとき倒れるから心配だ」と言ったら、その男(40歳くらい)は、こう言っ
た。
「この本箱(スチール製)は、重いから、倒れませんよ」と。
私がいう「学力」というのは、それをいう。
学力のない人は、平気で、そう言ったりする。
こんな国が、これから先、どうやって外国と戦っていくというのか。

●学ぶ力

 繰り返し書く。

(もの知り)と(思考)は、まったく別のもの。

ものをよく知っている=情報量が多いからといって、賢い人ということにはならない。
利口な人かもしれないが、賢い人ではない。
たとえば幼稚園児でも、掛け算の九九を暗記している子どもがいる。
だからといって、そういう子どもをさして、「賢い子ども」とは、言わない。

 昔、宮沢俊義という憲法学者がいた。
私が法学生のころには、神様のような存在だった。
その宮沢俊義が、あるとき、ある小学校で憲法についての講演をした。
その直後のこと。
1人の子どもが手をあげて、宮沢俊義にこう質問した。
「憲法は、いくつ(何条)まであるのですか?」と。

 この質問に宮沢俊義は、即答できなかった。
宮沢俊義は、側近の者に六法全書をもってこさせ、憲法の条文の数を調べて答えたという。
「宮沢先生ともあろう方が・・・」とだれしも思う。
しかしこれは法科の学生ならみな知っている、有名な逸話である。

 つまり情報というのは、そういうもの。
思考というのは、そういうもの。

 このところ学校教育の内容が変わってきた。
(もの知り)から、(賢い子ども)へ。
「遅すぎた」という感はゆがめないが、今後の日本の教育に期待したい。

●身分制度

 若い人たちは、江戸時代と聞くと、遠い昔のことのように思うかもしれない。
しかし人は、加齢とともに、過去に近づいていく。
たとえば20歳の人には、130年前というと、自分の年齢の6倍以上も昔の話ということにな
る。
しかし65歳の人には、たったの2倍。
(たったの2倍!)
私の祖父母にしても、明治生まれとはいえ、江戸時代をそのまま引きずっていた。

 若いころはそうは思わなかった。
しかしこの年齢になってみると、江戸時代がすぐそこにあるのがわかる。
遠い昔ではない。
そこにある。
だから今、「江戸時代がそのまま残っている」と、だれかに言われても、驚かない。
私自身も、往々にして、それを感ずる。
先に書いた、身分制度もそのひとつ。
私たち日本人は、いまだにその身分制度を、色濃くひきずっている。

●追跡

 いつとは書けないが、最近、こんなことがあった。

 あるビデオショップへ行ったときのこと。
駐車場が空いていなくて、そこに車を止めていると、一台の車がサーッと横を通り過ぎていっ
た。
そのまま見ていると、その車は、身体障害者の人用の駐車場に、迷わず停止した。
見ると、中から、60歳前後の男女が出てきた。
シャキシャキと歩いている。
とても障害のある人には、見えなかった。

 ワイフはその男性の名前を知っていた。
以前、町内会の仕事をいっしょにしたことがあるという。
私はその男性にたいへん興味をもった。

 ・・・というより、以前からもっていた。
「そういうことが平気でできる人というのは、どういう人なのだろう」と。

●電話帳 

 電話帳から、その人の住所はすぐわかった。
私は車のナビに、その人の住所を入力した。
ビデオショップからに帰り道、その人の家を訪ねてみることにした。

 ビデオショップから、5分ほどのところだった。
細い路地を入った、一軒家。
庭先に、4畳ほどの小さな家があり、「xxピアノ教室」と書いてあった。
「娘さんかだれかが、ピアノの先生をしているのか」と、私は思った。
が、先生をしているのは、その妻のほうだった。
たまたま通りがかった女性から、それを聞いた。
また年齢も60歳くらいと思ったが、ともに、50歳前後という。
もちろん身体障害者ではない。

 その家を離れるとき、私はこう思った。
「そういうものかなあ?」と。

●速度制限

 「日本人は交通ルールを守らない」と、オーストラリアの友人は、言った。
そこで私は、「君はどういうところを見て、そう言うのか」と聞くと、こう話してくれた。
「(四つ角などで)、停止線のところできちんと止まらない」と。

 以来、よく車を観察するようになった。
ナルホド!
停止線のところできちんと止まっている車は、ほとんど、ない。
停止線を飛び出す、あるいは反対に数メートル手前で止まる。
日本人には、何でもない光景だが、オーストラリア人には、「信じられない」となる。

 そこで今回(2011年4月)、同じオーストラリア人と、ハイウェイを走ってみた。
そこでのこと。
驚いたことに、友人だけではなく、どの車も、速度表示に従い、ぴったりとその速度で走ってい
る。
これには驚いた!

 たとえば80キロの標識・・・どの車も時速80キロで走る。
60キロの標識・・・速度を、がくんと落とす。(やがて道路わきの木々を切り倒す作業車とすれ
ちがう)。
100キロの標識・・・とたん車は速度をあげ、100キロまで加速!

 ハイウェイを走るとき、みな、このルールを守る。
「まるで列車ゲームのよう」と、私は感じた。
列車ゲームでは、表示された速度を忠実に守らないと、即、減点になる。
実際の列車の運行でも、そうなっているらしいが・・・。

 で、そのときはじめて私は、以前、友人の言った言葉の意味がわかった。
「日本人は交通ルールを守らない」と。

●民主党の党首選挙

 民主党の党首選挙が始まった。
(実際には、まだ始まったわけではないが・・・。)

 しかしそれを見ながら、こう考えた。
もちろん政策論争などというのは、そっちのけ。
「数」。
数だけの勝負。

 それを見ながら、私は「関ヶ原の戦いと同じ」と思った。
関ヶ原の戦い(1600年)でも、「数」だけが、ものを言った。
それを同じことを、400年以上たった、今も、している。

 関ヶ原の戦いでは、西軍の小早川秀秋の裏切りにより、東軍が大勝し、徳川家康が政権の
座につく。
今度の選挙でも、同じようなことが起こるかもしれない。
しかし本当の問題は、このことではない。
どうしてこういう愚かなことが繰り返されるかということ。

 政治が「数」で動く。
中身ではなく、「数」。
が、これではいつになっても、日本の民主主義は、完成しない。
つまりは、私たち有権者自身が賢くならないと、民主主義は完成しない。
地方選挙のレベルから、オジチャン、オバチャンたちによる談合選挙。
その頂点に国政選挙があり、党首選挙がある。

 民主主義とはいうものの、「賢さ」をはぶいたら、ただの祭り。
まわりくどい書き方をしたが、今朝の私は、そんなことを考えた。

2011年8月28日


Hiroshi Hayashi++++++++Aug  2011+++++++++はやし浩司

●オーストラリアの友人の論文(モナーシュ大学図書館)

 オーストラリアの友人(モナーシュ大学Librarian)が、論文を送ってくれた。
キャンベラ大学での講演に使ったという。
それを読んで、先週、「これを日本語に翻訳して、日本で紹介していいか」と聞くと、「感謝する」
という返事が届いた。

 今日は、土曜日。
このあとワイフと山荘に行くことになっている。
昼寝もした。
今夜は、その翻訳に挑戦してみたい。

オーストラリアにおける中国人の動きがわかって、興味深い。

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

EAST ASIAN LIBRARY RESOURCES GROUP OF AUSTRALIA 
オーストラリアにおける東洋学図書館の資料
Newsletter No. 58 (July 2011)
2011年7月号(No.58)

Special Materials Relating to Chinese Studies at Monash University Library
モナーシュ大学における、中国研究に関する特別資料
Dennis Kishere
デニス・キシア
Chinese Studies Librarian
Monash University
中国研究・ライブラリアン
モナーシュ大学
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/55/imgc0441fcezikdzj.jpeg
" width="602" height="453" alt="d1.jpg">

省略します。

Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●8月28日夜

+++++++++++++++++++++++++

夕食後、ビスタ・パソコンのOSを、WINDOW7に交換した。
サブ・マシンで使っているパソコンである。

(近く、ビスタのUPDATEサービスが終了する。
現在、ビスタ・マシンを使っている人は、早めにWINDOW7
に乗り換えたほうがよい。)

今、時刻は7時40分だから、2時間あまりもかかった
ことになる。

が、まだ作業が終わったわけではない。
いろいろなUPDATEがつづく。
またOSを変更すると、パソコン全体がリセット(リカバリー)
された状態になる。
プログラムのインストールをはじめ、すべてイチから始めなければ
ならない。

で、このビスタ・マシン、購入してから4年になる。
2・40GHzというから、今ではごくふつうのパソコン。
ノートパソコンでも、10万円台のものなら、みな、
2・40GHz程度のOSを積んでいる。

最新のパソコン(デスクトップ)になると、3・33GHz
程度の速度を誇る。
3・46GHzというのもある。(すごいね!)

目下更新プログラムをDOWNLOAD中。
その間、別画面で、こうして文章を書いている。
この作業が終わったら、ワイフと散歩に行くつもり。

+++++++++++++++++++++++++++

●草刈り

 今日は午前中は、山荘の雑木を切り倒した。
家に帰り、午後は庭の草刈りをした。
が、そこでダウン!
2時間あまりの昼寝。
乾いた風が、気持ちよかった。

 起きたのが、夕方。
ネットに目を通す。
いろいろなコメントが、書き込まれていた。

その中のひとつ。
「子どもの自慰」について、YOUTUBEに、こんなのがあった。

「スケベじじい」と。

 神経症のひとつとしての自慰を、述べたものである。
たぶんその視聴者は、別の何かを期待して、そのYOUTUBEを開いたのだろう。
が、期待したものとはちがった?
そこで腹いせに、「スケベじじい」と書いた。
が、どちらがスケベなのか?

 もうひとつは、「幼児の知能テスト」についてのもの。
今週は、BW教室(=私の教室)では、「知能テスト」をテーマにした。
テストそのものをしたわけではなく、テストの仕方を学習した。
それにはこうあった。
「筋力テスト、腕力テストもしたら?」と。

 イヤミとはわかっていたが、「機会があれば、いたします」という返事を書いておいた。
つまりこういう連中は、軽くあしらってすます。
本気で相手にしてはいけない。
本気で相手にしなければならないような相手でもない。
言うなれば、(つぶやき)のようなもの。
いちいち反応していたら、神経が燃え尽きてしまう。

●何でもイチバン

 母親の中には、自分の息子や娘が、何でもイチバンにできないと気が済まない人がいる。
2番ではいけない。
イチバン!

 勝気な性格の親ということになるが、どうもそれだけではないようだ。
プライドだけは、異常に高い。
高学歴とはかぎらない。
とくに目立ちたがり屋というわけでもない。
が、自分の子どもがイチバンでないと、気が済まない。
そのため自分の子どもに、何か問題を見つけたりすると、子どもを叱る。
「どうしてあんな問題ができなかったの!」と。
同じクラスに自分の子どもよりできのよい子どもがいたりすると、その子どもを徹底的に嫌った
りする。

 過干渉。
プラス過関心。
それに加えて、代償的過保護。
自分の子どもを自分の支配下におき、自分のよいように子どもを操る。
自分のかなわなかった夢や希望を、子どもに託す。
それ自体は、悪いことではない。
が、それを強要する。
それが高じて、代償的過保護となる。

 過保護は過保護だが、過保護特有の温かい愛情が感じられない。
だから過保護もどきの過保護……という意味で、代償的過保護という。

 もちろん子どもに弊害が表れる。
さらにはげしい情緒不安があると、子どもは委縮する。
ナヨナヨし、ハキがなくなる。
いつも親の目を気にし、よい子ぶる。
ときにそれが痛々しいほどになる。

 これが悪循環となり、代償的過保護は、さらにはげしくなる。
が、結果は、……。

 子どもを伸びやかにするためには、「2番でいい」という余裕が大切。
教える側にしても、そうだ。
「何でもイチバン」と構えている親は、話していても、本当に疲れる。
心に余裕がないから、息が詰まる。
レッスン中も、その親の視線が、スターウォーズの中に出てくる光線銃のように、私の神経を貫
く。
教えにくい。
やりにくい。

 幼児教室には、そんな問題もある。
あるから、ほとんどの幼児教室では、親の参観を断っている。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●守るべきものは……(はやし浩司 2011−08−29)

+++++++++++++++++

仕事、家族、お金、健康、生きがい……。
守るべきものは、多い。
多いが、けっして択一的なものではない。
それぞれに軽重がある。
連動している。

仕事とお金は、連動している。
仕事と生きがいも連動している。
家族が大切なのは、今さら書くまでもない。
またこの先、とくに、どうこうなるものでもない。

健康にしてもそうだ。
生き生きと仕事をする。
健康も、仕事をするからこそ、維持できる。
仕事があるから、がんばる。
それが健康につながる。

が、このところ、少しずつだが、自分の
中に、変化を感ずる。
攻撃から守勢。
積極から消極。
冒険から保身、などなど。
ときに「現状維持」を強く感ずることがある。
「現状を維持できれば、御の字」と。

+++++++++++++++++

●気力の減退

 最近、感ずるのは、(怒り)が弱くなったこと。
本来なら歓迎すべきことかもしれないが、ものを書くには(怒り)が必要。
(怒り)がなければ、それから生まれる文章は、ただの駄文。
ものを書いていても、長つづきしない。

 が、これではいけない。
BLOGにしても、この8月中、3〜4日も、さぼった。
「毎日、BLOGを書く」を、自分に課していたが、それが崩れた。
敗北感を味わった。
こんなことを重ねていたら、やがて電子マガジンもさぼるようになるだろう。
サイトの更新もさぼるようになるだろう。
ついでに仕事もさぼり、運動もさぼるようになるだろう。

 だからどこかで自分に、歯止めをかけなければならない。
「これだけは、何があっても……」という緊張感をもたねばならない。
その緊張感が緩んだとき、私も老人の仲間入り。

●仕事

 この大不況下。
仕事があるだけでも、感謝しなければならない。
感謝というより、自分に満足し、現状を受け入れる。
今にして思うことは、「はやし浩司もたいしたことなかったなあ」という、挫折感。
みじめ。
あわれ。

 若いころは、自分でも、もう少し何かができると思っていた。
が、この程度。
私をそばで見ている人は、きっとこう思っているにちがいない。
「ざまーみろ! 偉そうなことを言っていたが、口ほどでもなかったなあ」と。

 が、ここでやめるわけにはいかない。
つづけるしかない。
がんばるしかない。
ふんばるしかない。

●健康

 仕事と健康は、たしかに連動している。
たとえば昼寝をする。
本当なら、1〜2時間は寝ていたい。
が、その時刻になると、起き上がり、おぼつかない足取りで、仕事に向かう。
自転車をこぐ。
汗をかく。
だからこそ、健康が維持できる。

 講演にしてもそうだ。
今週は、I市の公立幼稚園の先生たちが全員、集まってくれる。
その場で、講演をする。

 鈍(なま)った頭で講演はできない。
だからその数日前から、運動量をふやす。
2倍、3倍にふやす。
もちろん書く文章量もふやす。

 (書く)ということと、(話す)ということは、そういう点では密接に関連している。
きちんとした文章が書けない人は、講演など、できない。
「ア〜ウ〜」「エ〜ト」が多くなるか、支離滅裂な講演になるだけ。
そう断言してよい。

●お金

 ワイフはいつもこう言っている。
「死ぬまで、何とか生きていかれればいいわよ」と。
ぜいたくはでくいないが、毎週映画館に足を運び、月に数度は旅行に行く。
やがて老人ホームに入居することになるが、それは自宅や土地を処分すれば何とかなる。
「死ぬまでに財産を使い切る」と。

 が、そのときは、そのとき。
それまでは、そういったことは、考えない。

●希望

 大病にしても、くじ引きのようなもの。
つまり、運。
気をつけているから、大病にならないというわけではない。
幸いなことに、本当に幸いなことに、私もワイフも、成人病とは無縁。
残るは「がん」ということになるが、ストレスさえ避ければ、がんになることはない。
ストレスが、免疫機能を低下させる。
それががん細胞を、増殖させる。

 反対に免疫機能を強化すれば、がんは防げる。
そういう点では、私の幼児教室は、役に立っている。
最近はワイフのほうが楽しみにしていて、教室へやってきては、子どもたちといっしょに笑って
いる。

●笑い(補足)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。

 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われる
ようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレ
ス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわ
かってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細
胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。前向きな学習態度も、そこから生まれる。「なお
す」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしま
う。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

●生きがい

 最後に「生きがい」。

 もっともこれについては、「統合性の問題」ということになる。
(やるべきことを見つけ)、それを(実行していく)。
それが統合性ということになる。

 その構築に成功した老人は、生き生きと前向きに生きていくことができる。
そうでなければそうでない。

 が、(やるべきこと)を見つけるのは、容易なことではない。
そこに至るまでの、それこそ10年単位、20年単位の熟成期間が必要である。

「定年退職、しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわけにはい
かない。
そんな取って付けたようなことをしても、長つづきしない。

 ただしこれにはひとつ、重要な条件がある。
無私、無欲でなければならないということ。
功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。

 で、今の私にとって、統合性とは何か。
それが最初に書いたことになる。

 日々に、知的原野を歩く。(少し大げさかな?)
何もない原野だが、ときに、キラリと光るものを見つける。
それが楽しい。
それについて書くのが楽しい。

 だから、さらに自分の魂にムチを打つ。
どんなことがあっても、BLOGは欠かさない。
とりあえず、9月は、それを実行する。
気弱になったら、負け。
さぼったら、負け。
とにかくがんばる。

2011年8月29日、早朝記


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●8月23日(水曜日)

+++++++++++++++++++++++++

明日(24日)の朝、山荘のガス検針があるという。
検針には立ち会わなければならない。
そこで午後8時過ぎ、山荘へ出かけようとしていた矢先、
T氏(40歳、友人)から電話。
「久しぶりだから、会いたい」と。

そこでそのままT氏を、山荘へ案内した。
T氏の車が、私たちの車のあとをついてきた。
ゆっくり走った。
途中でガソリンを給油した。
コンビニで、食べ物を調達した。
で、山荘へ着いたのが、9時半ごろ。

+++++++++++++++++++++++++

●8月24日朝

 ということで、昨夜は、午前1時ごろまで、T氏と話した。
好奇心の旺盛な人で、私が話すことに、熱心に耳を傾けてくれた。
そのときのこと。
今まで経験したことのない、「綿密な慎重さ」を私は感じた。
平たく言えば、「いいかげんなことは言えない」とい慎重さ。
気楽には、話せなかった。

 相手は40歳の男性である。
人生の折り返し点に立っている。
この先、T氏は、自分で自分の真・善・美を追求していく。
言うなれば、人生のドアウェイ(入り口)に立った。
そんな人に、一言たりとも、まちがったことを伝えたくない。
私が言っていることが、ひょっとしたらこれからのT氏の方向性を決める。
ずっとあとになって、「あの林(=私)の言ったことは、すべて本当だった」と思ってくれればよ
い。
またそう思ってくれるときが、やってくるはず。

 私は言葉を慎重に選びながら、科学的に証明されたことだけをていねいに、話した。
「綿密な慎重さ」というのは、それをいう。
つまりまず頭の中で、話すべきことを選び、その中から、「正しい」と断言できることだけを話し
た。
ずっとそれだけを考えながら、話した。

●人生の岐路

 ただし他人の意見の受け売りでは、意味がない。
「林が言っていたことは、すでに別の人が言っていた」では、許されない。
私は私が発見したこと。
私が自分で知り得たこと。
世界でも、私しか知らないことだけを話した。
「あの本に書いてあった」「テレビで言っていた」などという話をするのは、私のプライドが許さな
い。

 T氏がこの先、どのような人生を歩むかは、知らない。
しかし大きな岐路に立たされているのは、事実。
もし私の言ったことに触発され、真・善・美の追求を始めれば、それはそれでよし。
そうでなければ、そうでない。
日常の俗世間に埋もれ、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)になっていく。
40歳という年齢は、そういう年齢である。

私は私で、T氏が、真・善・美の追求を始めてくれることを、心底願った。
私はT氏を、小さな子どものときからよく知っている。

●言論の自由

 話題は多岐に渡った。
UFOの話から、東洋医学、心理学、宗教論など。
宗教論について話しているとき、T氏は、こう言った。
「よく殺されませんでしたね」と。
つまり「相手の宗教団体に、よく殺されないですみましたね」と。

 きわめて危険な状況に置かれたのは事実。
その団体から派遣された6人の男たちは、私の身辺を3か月に渡って、調査していった。
そのことを、日本共産党の宗門部から連絡を受けた。
「今、あなたの周辺で、X宗教団体の連中が動き回っていますから、注意してください」と。

 6人のうち、2人については、すぐわかった。
東京(1人は川口市、もう1人は大和市)からやってきていた。
私の味方と称して、いろいろな情報を提供してくれた。

 同じころ、別の知人から、写真の提供も受けた。
その中に、川口市から来ている男の顔もあった。

で、その電話のあと、ある夜、その中の1人を問い詰めた。
たまたまその男は、京都市内で、京都大学のある教授の周辺を調査していた。
その教授は、その宗教団体の「長」が、国際的な賞を受け取るのを、先頭に立って反対してい
た。
その教授は、その賞の国内推薦委員の1人だった。

 電話は1時間半もつづいた。
繰り返し押し問答がつづいた。
が、1時間半ほどたったところで、相手が根負けをした。
「実は、そうです」「あなたには負けました」と。
そしてこうも言った。

 「あなたの周辺を調べましたが、女性問題も、金線問題も出てきませんでした」と。
そのとき、3人の別働隊がいることを話してくれた。
そしてその夜を境に、私の調査から手を引くと約束してくれた。

 「日本に言論の自由があるというのは、ウソですよ」と。
私はそんな話をT氏にした。

●30代、40代

 夜1時ごろ、T氏は帰っていった。
生活は楽ではないらしい。
T氏は、こう言った。
「現在の30代、40代が、悲惨です」と。
「今、恵まれた生活を楽しんでいるのは、公務員と年金族だけですよ」とも。

 30代、40代は、給料はそのままで勤務時間が長くなっている。
あるいは給料が減額されている。
が、それでもクビがつながっているほうは、まだよいほう。
リストラ、解雇の嵐が、吹き荒れている。
「ぼくに、10人ほどの仲間がいます。
高校時代からの仲間です。
その中で、公務員になったのは別として、残り8人は今、全員、リストラされたりし、派遣社員を
しています」と。

 30代、40代の人については、私はほとんど知らなかった。
それほどまでにひどい状況になっているとは、夢にも思っていなかった。

●仕事開始

 たった今、ガス検針の男が帰っていった。
「問題はありません」「ありがとうございました」と。
額に汗をかいていた。
年齢は60歳くらいだった。
あの男性も、退職し、委託で仕事をしているのかもしれない。

 森の中では、ツクツクボウシが鳴いている。
この山の中では、午前10時というのに、肌寒さを覚える。
1日いたいが、そういうわけにはいかない。
午後から、仕事開始!
仕事があるというだけでも、感謝、感謝、感謝!

 今は、そういう時代。
ただこの1週間で、体重がまたまた1・5キロもふえてしまった。
今日から、またダイエット。
プラス、運動。

 ……今、ワイフが横で私の首をマッサージしてくれている。
昨夜、遅くまで話し込んだのが、よくなかった。
首の付け根が、重い。
幸い、頭痛はないが……。

私「この1週間、楽しかったね」
ワ「そうね」と。

 あわただしい夏休みだった。
3連続の旅行は、私の人生においても、はじめての経験。

ワ「今度、仰韶(ヤンシャオ)へ行こうか?」
私「うん、行こう」と。

 ヤンシャオには、宇宙人最大の謎が隠されている。
謎を解く鍵が隠されている。

私「よく調べてからね。どこにどういう博物館があるか……」
ワ「メソポタミアは……?」
私「イラクは無理だね。破壊されつくされている」と。

 メソポタミア文明について調べるなら、むしろ大英博物館のほうがよい。
しかしすでに無数の研究者たちが、調べつくしている。
私たちのような素人が、ノコノコと出かけていって、何か新しいことを発見できるような状況では
ない。
しかしヤンシャオはちがう。
ヤンシャオには、何かが隠されている。
うまくいけば、東洋医学(科学)の原点をさぐることができるかもしれない。

 そう、つぎの目標は、ヤンシャオ!

●新しいモニター

 家へ帰る途中、パソコンショップで、27インチの新しいモニターを購入した。
韓国のS社製。
2万1000円+消費税。

 横にMITUBISHI製やIO製もあった。
価格は、5000〜6000円も高かった。
それにデザイン面で、ぐんと見劣りがした。
本気度が感じられなかった。
いかにも事務機器といった、感じ。
が、これでは売れない。

 韓国製を購入しながら、こう思った。
「日本も、もうだめだな」と。
私が韓国製を買うようになったら、おしまい。

 8月24日(水曜日)朝記。


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●豊かさは、金(マネー)、仕事、家族、健康?(豊かさについてbyはやし浩司)

 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が、たいへん興味深い調査結果を公表した
(産経新聞・2011年8月25日、配信)
それをそのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●「家族」?「お金」?世代、男女間で意識に大きな差 
 インターネット専業証券会社のインヴァスト証券が25日発表した「豊かさとお金に関する意識
調査」によると、現在の生活について「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」
が合わせて全体の50・8%と半数を超えた。

一方で「まったく豊かに暮らしていない」が10・2%など、豊かに暮らしていないと回答した人も
49・2%となり、二極分化している状況が浮き彫りとなった。

 世代や男女間で見ると、「豊かに暮らしている」と回答したのは30代女性が7割、60代男性
が62%と高い一方、30代男性は34%、60代女性は42%と低めで、世代によっては男女間
で大きな差が出た。

 「豊かさを考える際に思い浮かべたもの」については、全体のトップは「家族」で27%。
以下「お金」(22・6%)、「時間」(10・6%)、「健康」(10・4%)、「趣味・教養」(7・2%)が続い
た。

 30代に限ると、女性は半数が「家族」と回答し、「お金」はわずか6%。
これに対し、男性は「お金」が40%で最も多く、「家族」は18%にとどまり、男女間で大きく異な
る結果となった。

 「生活を豊かにするために足りないと感じているもの」については、男女とも「お金」が4割超
でトップだった。
世代別では20〜40代は「お金」が最多だったが、50、60代は「健康」がそれぞれ38%、4
1%で最も高かった。

 調査は今月3〜5日に、インターネットで全国の20〜60代男女計500人(各世代100人)
に実施した。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

●調査結果のまとめ

 この結果をもとに、鈴木さん(架空の人物)家族を考えてみる。

 鈴木氏は、現在、35歳。
妻も35歳。
子どもは2人。
上が5歳、下が2歳。

奥さんは現在の生活に満足し、「自分は幸福」と実感している。
が、鈴木氏自身は、やや不満。
自分の力に見合った収入を得ていないと考えている。
子どもたちと楽しそうに生活している自分の妻を見ながら、軽い疎外感を覚えている。
小遣いも少ない。
妻や子どもたちは、自分がしている苦労を、理解してくれていないと感じている。

●択一の問題?

 ただこの調査結果をみて、誤解していけないことがある。
たとえば「家族」。
「家族さえしっかりしていれば、時間や健康がなくてもいい」ということにはならない。
欲張りな人であれば、「家族も大切」「お金も大切」「健康であればさらによい」と考えるだろう。
ここに出てきた数字は、あくまでも比率ということになる。
「どれかひとつ」という択一的に考えてはいけない。

 たとえば私はもうすぐ64歳になる。
そういう私にしていれば、健康が第一と考える。
老後の不安もある。
「幸福」についても、幸福と感ずるときもあれば、そうでないときもある。
さらに言えば、「お金」。

 仕事をしている男性にとっては、「お金」というのは、「仕事」をいう。
とくに戦後生まれの、団塊の世代にとっては、そうであろう。
私たちは、何かにつけ、ひもじかった。
(そう言えば、先日、私が子ども時代の写真を見たが、太っている人は、ひとりもいなかっ
た!)

専業主婦には、この感覚は薄い?
だから私のワイフも、ときどきこう言う。
「あなたは、仕事のことばかり考えている」と。
が、私は、「仕事をするから、収入を得られる」と考える。

 この調査結果を見て、いろいろと考えさせられた。
しかし「心」ろいうのは、ここに表されるほど、単純ではない。
そんなことも、別の心で考えた。

 私のばあい、健康で仕事ができること。
生きがいを感ずることができること。
それができれば、私は幸福。
そうでなければ、そうでない。

 何よりも恐いのが、孤独。
だから目標は、ピンコロ。
死ぬのは恐いが、その瞬間は、何でもない。
死を感じたら、さっさと死にたい。

 これは余談だが……。
ついでに一言。

 「とても豊かに暮らしている」と「まあ豊かに暮らしている」が合わせて全体の50・8%と半数
を超えたというが、本当か?
私の周囲の人たちを見るにつけ、私には、とてもそうは思えない。


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Mというタレント(2011/08/27)

++++++++++++++++++

Mというタレントが、暴力団とのつながりが
バレ、自ら引退を宣言した。
少し前、公の場で、「関係ありません」
「写真などあるわけありません」と断言していた。
が、それはウソだった。
つまり今度の引退宣言も、ウソと考えてよい。

一事が万事。
万事が一事。

タレントという職業の人がみな、そうであると
いうのではない。
しかしあの職業ほど、仮面をかぶった職業はない。
また仮面をかぶらないと、できない。

が、仮面を仮面と意識している間は、まだよい。
そのうち、その仮面が仮面とわからなくなる。

私も、今度の引退会見の様子をテレビで見ていた。
ときどきうっすらと涙をこぼしていた。
M氏ほどのタレントになると、あの程度の演技など、
朝飯前。
平気。
そんな涙を見て、「Mは反省している」などと、
思ってはいけない。

真相はまだヤブの中だが、Mはもっと大きなウソを、
隠している。
私はそう感じた。

やがてほとぼりが冷め、その時期が来たら、
Mは、再びタレントの世界に復帰するはず。
その場、その場で、適当なウソをついて、
その場を逃げる。
復帰するときも、そうだろう。

Mが悪いというのではない。
Mを見る、国民の側に、その一貫性がない。
つまり日本人は、「ウソ」に甘い。
だからウソを見抜くことすら、できない。

+++++++++++++++++++

●権力闘争

 管直人首相が辞職したからといって、民主党は、何も変わらない。
日本の政治は何も変わらない。
もともと政策そっちのけの、権力闘争。
「数」だけがものをいう、権力闘争。
政治の場を、「国盗り物語」の舞台のように考えている輩(やから)は多い。
またそう考えて、みじんも恥じない。

 悲しいことに、日本人は、あの江戸時代という封建時代を、一度も精算していない。
今に、それを引きずっている。
この静岡県では、徳川家康を悪く言うだけで、袋叩きにあう。
豊臣秀吉や織田信長を信奉している人も多い。
その結果が今。

 日本人は日本人独特の「権力志向」をもっている。
いまだに「出世」という言葉が、ハバをきかせている。
「偉い」という言葉も、残っている。

 もう20年ほど前になるだろうか。
M首相(自民党)という人がいた。
その首相がある幼稚園を訪れ、園児の前で、堂々とこう言い放った。

「私、日本でいちばん偉い人。……わかるかな? 日本でいちばん偉い人だよ」と。

 こういうのを、本物のバカという。
が、当の本人には、それがわからない。

 だれが時期首相になっても、なったとたん、再び権力闘争。
日本の政治は、その繰り返し。
しかし政治家が悪いのではない。
それを支える、私たちが悪い。
私たちが、意識を変えないかぎり、こうした政治家はつぎつぎと現れる。

 またまたその茶番劇が始まった!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 9日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【金沢から、羽咋(はくい)へ】

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/53/imgd01ceda0zik6zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="2011−8−22石川県羽咋市.jpg">

++++++++++++++++++++

休暇も残り、2日。
昨日になって、ワイフが、突然、UFOを見たいと言った。
UFO?

能登半島に羽咋市(はくいし)という町がある。
そこに「UFO会館」(正式名称は「宇宙科学博物館」)がある。
「羽咋へ行こうか?」と声をかけると、「うん」と。
そこで今日は、名古屋発、金沢行きのバスに乗り込んだ。

午前8時30分発。
昔は「名金線」と言った。
学生時代、よく利用させてもらった。
途中、いくつかの観光地を、そのまま通る。……通った。
料金も安かった。
当時は、名古屋から金沢まで、8〜9時間もかかった。
今は、4時間!
往復2人分で、料金は今も、1万1000円。
(片道、1名、2750円!)
JRの約半額。

++++++++++++++++++++

●UFO

 UFO会館といっても、あまり期待していない。
期待していないが、期待している?
一応、羽咋市はUFOの出没地ということになっているらしい。
昔からそういう伝説が残っている。
アダムスキー型UFOを思わせる鐘も、そのひとつ。
鐘は鐘だが、つまり音の出る鐘だが、アダムスキー型UFOにそっくり。

楽しみ……が、やはり過剰期待は禁物。
この種の博物館は、いつもたいてい期待はずれ。
わかっているが、要するに、道中を楽しめばよい。
あとは、食事。

 ホテルは確保したが、夕食はなし。
どこかで何かを食べよう。
できれば蟹料理。
少しぜいたくかな?

●一貫性

 UFOは超常現象ではない。
心霊現象とは一線を画す。
「科学」である。
またそういうレベルで論じられるべき。

 ……これについてはもう、何度も書いてきた。
その理由の第一。
論理的な一貫性がある。
デタラメなインチキ報告は別として、UFO問題を掘り下げて検討していくと、そこに一
貫性が見えてくる。
つまり論理性に矛盾がない。

 ワイフと私は、一度、巨大なUFOを目撃している。
そういう経験も下地になっている。

●ジジ臭い

 「死ぬまでに……」という言い方は、それ自体、ジジ臭い。
よくわかっている。
しかしこのところ、何かにつけ、そう考えることが、多くなった。
羽咋のUFO会館も、そのひとつ。
ならば、日本を飛び出したら……という意見もある。
たとえばアメリカのロズウェル。
1947年、アメリカのロズウェルに、UFOが墜落している。
そのロズウェル。

が、私は大の飛行機嫌い。
29歳のとき飛行機事故に遭遇してから、そうなってしまった。
それまでは、毎週のように飛行機に乗っていたが……。

 特別な理由でもないかぎり、飛行機には乗らない。
その点、UFOは、やや力不足。
ロズウェルへ行ったからといって、UFOを必ず見られるというわけではない。
アメリカ政府が、痕跡の「コ」の字も残らないほど、証拠類をすでに始末してしまったと
いう。

 ともかくも、私たちは、あの夜見たものが何であるか、それを死ぬまでに知りたい。
そのためにも羽咋へ行くことにした。
 
●アクセス数

 昨日、夕方近く、BLOGをUPした。
で、今朝、アクセス数を見たら、いつも倍以上もあった。
夕方にUPしたことを考えるなら、いつもの4倍以上ということになる。
件数でいえば、合計で、5000〜6000件!
驚いた。
昨日、『ボロボロの日本の教育』というテーマで原稿を書いた。
まさにボロボロ。
日本の教育は、落ちるところまで落ちた。
それについて書いた。
つまりそれだけ多くの人たちが、日本の教育に、危機感をもっている人が多いことを示す。

 たしかに「?」。
それだけではない。
本末が転倒している。
平等なら、まだ納得できる。
が、今は、祖父母や親が、孫や子どもに向かって、「ごめん」「ごめん」と謝る時代。
祖父母や親が、「ごめん」「ごめん」と謝りながら、孫や子どもを育てている。

 そう、昔は親が、子どもを勘当した。
親にも、まだ力があった。
それが逆転した。
今は、息子や娘のほうが、親に向かって縁を切る。
「2、30年たったら、お前を許してやる!」と。
(この先、2、30年も生きている親はいない!)

●経済

 もう少ししたら、ネットで経済ニュースを拾うことができる。
今週(8月22日・月曜日)は、どうなるか。
世界不況は、深刻度を増している。
この日本についても、異常な円高がつづいている。

 先週末の流れを引き継ぐとすれば、今週も、大波乱。
よい材料は、何もない。
このつづきは、もう少しあとに書く。

●JR東海バス

 ワイフは目を閉じ、眠り始めた。
景色と言っても、見えるのは高速道路の壁だけ。
快適にはなったが、何か、もの足りない。

 バスのシートカバーには、「JR東海バス」と書いてある。
最後尾には、トイレもある。
座席の幅も広い。
左右に10列。
定員は、40名。
乗っている客は、私たち夫婦も含めて、19人。
「空いている席は、ご自由にお使いください」と、
発車する前、運転手がそう言った。

●夏休み

 この夏休みには、3度、旅行したことになる。

(1)越前大野、
(2)城之崎温泉、
(3)そして今回の石川県・羽咋。

 オーストラリアとか上海も考えたが、飛行機嫌いを乗り越えるだけのパワーを感じなか
った。
来年3月には、友人の娘が結婚することになっているので、オーストラリアへ行くことに
なっている。
小さいときから、私を慕ってくれた。
ずば抜けて美しい女性で、それに理知的。
現在は、メルボルン市内のペンギンブックスで、編集長をしている。
世界中を飛び回っている。

 今のところ、飛行機に乗る予定は、それだけ。

●ルート

 目の前に高い山が迫ってきた。
犬山から多治見のほうへ抜けるらしい。
この時期、森の木々は濃さをぐんとます。
緑というよりは黒に近い。
濃緑色。
そこに雲間から漏れる日差しが、美しいまだら模様を作る。

 雲が、さらに一段、低くなってきた。
流れる雲だけを見ていると、まるで飛行機の窓から外を見ているよう。
それをながめながら、しばし、時のたつのを忘れる。

 ……いや、ちがう。
ルートがちがう。
私は、昔の名金線のように、本州を縦に縦断して金沢へ向かうものとばかり思っていた。
が、実際には、名古屋→米原→敦賀→福井→金沢と、列車路線と同じルートをたどってい
る。

 知らなかった!

●経済2

 先ほどネットで、いくつかのニュースをたどってみた。
そのひとつ、北海道でも地震があったとか。
つぎは浜松と思っていたが、北海道。

 それと金(ゴールド)とプラチナが、さらに高騰中。
プラチナがグラム5000円、金が4891円。
株価は様子見。
行き場を失った大量の資金が、右往左往している。
私には、そう見える。

●自由

 バスは福井県に入った……らしい。
快適。
地元バス会社の主宰するB・ツアーより、はるかに快適。
おしゃべりなオバちゃんたちもいない。
うるさいガイドもいない。
席は、ガラガラ。

 ワイフは先ほどまで、何かの本を読んでいた。
私は1時間ほど、眠った。
旅にも、いろいろな仕方がある。
が、こういう方法が、私たち夫婦には、いちばん合っている。

 わざとシーズンをはずし、バスか電車で移動する。
宿は、ネットで選ぶ。
目的地は、1つでじゅうぶん。
それでも料金は、B・ツアーの半額程度。
 
 が、本当のところ、料金が問題ではない。
自分で旅をしているという、その満足感が楽しい。
まさに学生気分!

●片山津

 またまた眠くなってきた。
バスのエンジン音が、静かに床の下から響いてくる。
時折座席が、小刻みにゴトゴトと揺れる。
うしろのほうで咳をする人以外、客の気配すらない。

 ……バスは、もうすぐ「尼御前」に到着するという。
たった今、そんなアナウンスが流れた。
「尼御前(あまごぜん)」。
何とも風流な地名ではないか。

 ……ということで、目下、思考力はゼロ。
そこに何か書きたいことがあるはずなのに、それが脳みその中に湧いてこない
あえて言うなら、今度買う、新型パソコン。
10月の誕生日には、手に入れたい。
CPUは、3・40GHz以上。
3・60GHzというのも、ある。

 ……ワイフが「あっ、海だ!」と言った。
見ると左手に海が広がっていた。
日本海。
その横に、「片山津」という書いた標識が見えた。

●F15

 左手から、見慣れないジェット戦闘機が舞い上がってきた。
F15、トムキャットである。
浜松上空を飛び交う、あの練習機とは迫力がちがう。
ゴーというすさまじい轟音が、バスの中まで聞こえてきた。

 ここは日本の防衛、最前線。
その少しあと、バスは、「北陸小牧」というところで、停まった。
客は、だれも乗らなかった。

●出かける勇気

 外に出る。
人に会う。
旅先で、それまで知らなかった世界を見る。

 脳みその活性化、つまりボケ防止のためには、たいへん重要である。
家でゴロゴロしていたいという気持ちもないわけではない。
が、それではいけない。
そこで「出かける勇気」。
少し前、旅先で出会った人が、そんな言葉を教えてくれた。

 それに似ているが、最近、私は、よくこんなことを考える。

 たとえば朝、ふとんの中で目を覚ます。
起き上がるには、まだ少し早い。
が、それでも起き上がる。
「そのまま横になっているのも、30分。
しかしウォーキングマシンの上で、歩くのも、30分」と。

 そのとき心のどこかで、ふと、「起き上がる勇気」という言葉を考える。
勇気を出して、起き上がる。
ほかにもいろいろある。

 書店へ行く。
そのときも、その本を買うかどうかで、迷う。
が、こう言って自分に言い聞かせる。
「買う勇気」と。

●叩きつぶす

 つまり人間は、基本的には、怠け者。
恐らく人間は猿の時代だったころから、そうではなかったか。
木の上で、餌を食べるだけの人生。
あとは終日、ひたすら昼寝。
だから人間になった今も、楽をすることしか、考えない。
「極楽」の「楽」が、それを表している。

 だから「出かける勇気」というのは、そういう怠け心と闘う勇気ということになる。
とくに私のような、どこか対人恐怖症ぽく、かつ回避性障害ぽい人間にとっては、そうだ。
思い切って旅に出る。
そういう怠け心を叩きつぶす。

むずかしい話はさておき、そのつど、怠け心と闘う。
それが勇気。

●片町(金沢)

 あっという間の4時間だった。
「次は片町」と表示された。
金沢市イチの繁華街。
学生時代は、よく遊んだ。
が、風景は一変した。
学生時代の面影は、どこにもない。
近代的なビルにしゃれた店。

 が、感動がないわけではない。
ほんの少しだが、心が躍るのを感じた。
この町には4年間の思い出がしみこんでいる。
バスは、もうすぐ、犀川を渡るはず。
それを身をやや硬くして待つ。

 ハロー、金沢。
犀川だけは、学生時代のままだった。

●金沢

 金沢は、その昔は、学生の町だった。
どこへ行っても、学生がいた。
目だった。
私もその金沢の金沢大学の学生だった。
あの金沢城址にあった学舎で、4年間を過ごした。
が、今は、金沢大学もそこを追い出され、角間というところに移転した。
どこにでもある新制大学のひとつになってしまった。
当然のことながら、レベルも落ちた(失礼!)。

 私たちは、それを天下の愚策という。

 当時、たまたまNHKの大河ドラマで、前田利家がテーマになった。
それだけではないが、金沢城址を、金沢市は観光地にしようとした。
そのために金沢大学を、金沢城址から追い出した。
が、これは世界の常識ではない。

 世界の大都市は、市の中心部に最高学府を置く。
「知」の府を置く。
私が学んだ、メルボルン大学を例にあげるまでもない。
それがその市の誇りでもあり、シンボルにもなっている。
その学府が、町全体の知的文化を引き上げる。

札束も印刷物なら、書本も印刷物。
金沢市は、札束を選び、書本を捨てた。
その結果が、今。

 金沢市は、観光都市として、「知」を捨て、俗化した。

……私が浜松市に移り住んだとき、私はその文化性のなさに驚いた。
浜松市は、工業都市。
20年ほど前から、「音楽の町」として売り出しているが、もともとは「楽器の町」。
「音楽」と「楽器」とでは、「文学」と「印刷機」ほどのちがいがある。

 その浜松に住んで、40年。
今度は金沢に来てみると、その浜松とそれほど違わないのに、驚く。
逆の立場で驚く。
あれほど強く感じた「差」は、もうない。
浜松が文化都市になったとは思えない。
つまりその分だけ、金沢は、俗化した。

 で、肝心の観光収入は、ふえたのか?
答えは、「NO!」。
同窓生の中には、金沢市役所に勤めたのもいる。
石川県庁に入ったのもいる。
みな、今になってこう言っている。

 「まったくの失敗だった」と。

●サンダーバード13号(金沢、13:03発)

 金沢からはサンダーバード13号(特急)で、羽咋まで。
「サンダーバード」という名前がよい。
なつかしい。
が、どう考えても、北陸を走る列車らしくない。
「犀星13号」とか「犀川13号」とか。
そういう名前のほうが風情があって、よい。
どうでもよいことだが……。

 羽咋までは、40分。
学生時代には、法律相談所の所員として、毎月のように通った。
「所員」というと大げさに聞こえるかもしれないが、要するにインターンのようなもの。
大学の教授といっしょに通った。
行けば何かを思い出すだろうが、写真が何枚か、残っているだけ。
会場となったのは、どこかの神社の事務所。
その2階。
残っている写真は、その神社の前で撮ったもの。

 羽咋出身の友人もいたはず。
SH君という名前ではなかったか。

●学生時代

 金沢での学生時代は、そのあとのメルボルン大学での学生時代の陰に隠れて、記憶の中
ではかすんでしまっている。
メルボルン大学での学生生活が、それほどまでに強烈だったということか。
が、こうも考える。

 もしあのまま、まじめに(?)、金沢大学を卒業し、商社マンになっていたら、私はどう
なっていただろうか、と。
2年ほど前、同窓会に出たとき、「伊藤忠商事を定年まで勤めまして……」と言った友人が
いた。
いっしょに入社試験に行ったことのある仲間だった。
その仲間を見ながら、私はこう思った。
「私も、ああなっていただろうな」と。

一社懸命の企業戦士。
バリバリ働いて、定年退職。
が、いくら想像力を働かせても、それ以上のことが頭に浮かんでこない。

●私は、ただのバカだった

 「今」が、つねに「結果」であるとするなら、では、金沢での4年間は、何だったのか
ということになる。
それはちょうどボケた老人を見るときの自分に似ている。
そんな人にも、それぞれ、自分の過去があったはず。
が、ボケると、そういう過去が、どこかへ吹き飛んでしまう。
積み重ねてきたはずの、人生の年輪が消えてしまう。

 今の私にしても、そうだ。
学生時代の私は、たしかにバカだった。
しかも、ただのバカ。
が、今の私が、そのバカから抜け出たかというと、それはない。
むしろさらにバカになったのかもしれない。
ボケ老人、一歩手前。

 となると、「金沢での4年間は、何だったのか」ということになる。
就職のための、一里塚?
そう考えることはさみしいことだが、私にかぎらず、当時の学生はみな、そう考えていた。
私たちはいつも、何かに追い立てられて生きていた。
あの4年間にしても、そうだ。
「大学へ入るのは、その先の就職のため」と。
そういう私が、「私」をつかんだのは、ほかならない、メルボルンでのことだった。

●「もう、いやだ!」

 私はあのメルボルンという町で、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
本物の、自由だ。
だからこそ、三井物産という会社を、迷うこともなく、やめることができた。
「もう、いやだ!」と。

 あの会社では、純利益が半年ごとに、成績表のように発表される。
それでその社員の「力」が評価される。
それを知ったとき、私は、「もう、いやだ!」と。

 が、もしあのままメルボルンを知らないで、日本の会社に入っていたとしたら……。
その仲間には悪いが、心底、ゾーッとする。
私はその意識もないまま、一度しかない人生を、棒に振っていた。

●宝達(ほうだつ) 

 列車は、すれちがい列車を待つため、宝達(ほうだつ)という駅に停まった。
5分の停車という。
さびれた田舎町(失礼!)。
少し心配になってきた。
「羽咋市はだいじょうぶだろうか?」と。
この40年間で、それなりに発展していることを願うばかり……。

 レストランもないような田舎町だったら、どうしよう?
先ほどワイフに、「和倉温泉にすればよかった」と言った。
和倉温泉へは、何度か泊まったことがある。
やはり法律相談所の所員として、その町へ行ったときのことだった。
ほかに、能登、珠洲(すず)、富来(とぎ)などなど。
能登半島で、行かなかったところはない。
夏休みになるたびに、巡回相談というので、各地に一泊ずつしながら、能登を一周した。

 ……が、言うなれば、六法全書がすべての、血も涙もない、冷酷な相談員。
事務的に相談を受け、事務的に相談に答えていた。
今から思うと、そんな感じがする。

●書生さん

 しかし能登はよい。
ほかの地方にはない、独特の風情がある。
その昔は、人も通わない、陸のへき地。
孤島。
金沢から富山方面へ行く人はいたかもしれない。
しかし能登まで回る人はいなかった。

 だから私のようなしがない学生でも、、能登を旅すると、土地の人たちは、学生のことを、
畏敬の念をこめて、「書生さん」と呼んでくれた。
そんなぬくもりが、この能登には残っている。

●コスモアイル羽咋(UFO会館)

 羽咋へ着くと、すぐ、「コスモアイル羽咋」(UFO会館)へ。
「コスモアイル?」。
「Cosmo Isle(宇宙の島)」のこと?
ネーミングが悪い。
これでは記憶に残らない。
観光客も集められない。
やはりズバリ、「UFO会館」のほうが、よいのでは?

 が、中は、かなり見ごたえがあった。
宇宙船の展示物も立派。
すばらしい。
本気度を随所に感じた。
が、肝心のUFO影が、薄い?

また3階では、プラネタリウム風の簡単な映画を見せてくれたが、こちらはガッカリ。
つまらないギリシャ神話と、ハップル望遠鏡の紹介だけ。
が、全体としては、もしあなたがUFOファンなら、一度は訪れてみる価値はある。
(日本には、ここ以外に、それらしい場所ないこともあるが……。
あの矢追純一氏が、名誉館長にもなっている。)

 で、今日の宿泊ホテルは、「渚ガーデンホテル」。
昨夜急に予約を入れた。
それもあって、食事の用意はできないとのこと。

 で、駅前のタクシー運転手に聞くと、「ぼうぼう」という店を勧めてくれた。
「ぼうぼう」というのは、「魚」のこと。
「このあたりでは、魚一般のことを、ぼうぼうと言います」と、店の女将が教えてくれた。

 その「ぼうぼう」で、夕食。
サシミの盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、それと「のど黒」という魚の焼き物。
鯛の頭の入った味噌汁、ごはん、生ビール……。
しめて4300円。
安い!
プラス、おいしかった。
「さすが本場!」と、ワイフも大満足。

 ありがとう、「ぼうぼう様」。

●矢追純一氏

 矢追純一氏のような有名人にもなると、「私もつきあったことがある」と、名乗り出る人
は、多い。
私もその1人かもしれない。
もちろん矢追氏のほうは、私のことなど忘れてしまっているだろう。
しかしこう書けば、思い出してもらえるかもしれない。

 浜松で、針麻酔をしていたG先生のところで何度か会った。
東京のホテル・ニューオオタニでも、何度か会った。
UFOを目撃したと電話で伝えたとき、写真を20〜30枚送ってくれた。
オーストラリア製の紙巻タバコを送ると、お返しにと、日本テレビのロゴの入ったガスラ
イターを送ってくれた、などなど。

 ほかに覚えているのは、ある事件に巻き込まれ、矢追氏がニューヨークへ逃げていった
ときのこと。
電話で、「ものすごい人を見つけた」と、ニューヨークから連絡をくれた。
その「ものすごい人」というのが、あのユリ・ゲラーだった。
当時はUFOディレクターというよりは、超能力ディレクターだった(「11PM」)。

 一度会いたいと思っているが、私のことなど、忘れてしまっているだろう。
当時は、私も矢追氏も、若かった!
あの長いトレンチコートが、どういうわけか強く印象に残っている。
あの矢追氏が、この世界で、これほどまでの人になるとは、私は夢にも思っていなかった。

●三日月型

 ところで「UFO」と言われる乗り物(?)のもつ多様性には驚く。
まさに、何でもござれ。
形も、さまざま。
人間の乗り物と言えば、自動車。
飛行機。
最大公約数的に、その「形」をまとめることができる。
が、UFOについていえば、それができない。

 館内でもらったパンフによれば、「UFOの基本的な形は、大きく分けると12種類に分
けられるそうです」とある。
ワイフと私が目撃したのは、その中でも、「三日月型」ということになる。
つまりブーメラン型。
飛行パターンも紹介されているが、同じパンフによれば、18種類もあるとか。
要するに飛び方もメチャメチャということ。

 では、その正体は、何か?
やはり同じパンフによれば、

(1)軍事兵器説
(2)自然現象説(プラズマ説)
(3)エイリアン・クラフト説(宇宙人の乗り物説)
(4)未知の生物説の、4つがあるという。

 興味は尽きない。

●渚ガーデンホテル(羽咋市)

 千里浜(ちりはま)をドライブしたあと、ホテルに入った。
朝食のみで、9600円(2人分)。
どこかレトロ調の、静かで落ち着いたホテル。

 ワイフは、しばらく何やらしていたが、今は、ベッドの上で眠っている。
まだ外は薄明るい。
たそがれ時。

 あとで近くの温泉に行くことになっているが、多分、行かないだろう。
私は本を読んだり、パソコンを叩いたりしているほうが楽しい。
こうして自分の「時」を過ごす。

●事故

 話がバラバラになり、まとまらない。
テーマというか、焦点が定まらない。
ときどきメールをのぞいたり、ネットであちこちのサイトを読んだりしている。
が、どれもどれ。
それについて書きたいときには、ビリビリと電気ショックのようなものを感ずる。
が、今は、それがない。

穏やか。
平和。
満腹状態。

軽い睡魔を感ずるが、同時に軽い頭痛もある。
今日は、昼寝をしていない。
そのせい?
で、ここ千里浜(ちりはま)には、こんな思い出がある。

 下宿の先輩とドライブをしていて、事故に遭った。
車ごと横転した。
記憶の中では、3転ほどしたと思う。
空中で自分の体がクルクルと回っているのを覚えている。

 そのことを先ほどタクシーの運転手に話すと、こう説明してくれた。
「波が、ときどき段差を作ってね。その段差にタイヤが取られると、横転することもある
よ」と。
私が大学2年生のときのこと。
先輩は、3年生だった。
先輩は、それで背骨を折った。
私は不思議なことに、まったくの無傷だった。

●旅行

 今回の夏休みでは、1日おきに、3つの旅行をした。
3泊4日の旅行を、3つに分けたということになる。
それぞれの旅行には、それぞれの性格がある。

 福井県の越前大野へ行ったときには、「私は一人ぼっち」ということを、強く思い知らさ
れた。
兵庫県の城之崎へ行ったときには、昔の自分に会えたような懐かしさを覚えた。
また今回、この羽咋へ来たときには、「来た」というよりは、「古巣へ戻ってきた」という
感覚にとらわれた。

タクシーに乗っているとき、たまたま「富来行き」というバスとすれちがった。
私が何気なく、「ここから富来(とぎ)へも行けるのですか?」と聞くと、タクシーの運転
手は、驚いてこう言った。
「富来(とぎ)という読み方を知っていたお客さんは、はじめてです」と。

 能登半島という半島は、私にとっては、そういう半島である。

●仕事

 明後日から、仕事が始まる。
「がんばろう」という気持ちと、「だいじょうぶかな」という気持ち。
この2つの気持ちが、複雑に交錯する。

体力的には何とかなる。
しかしこの大不況。
そのうちジワジワと、その影響も出てくるはず。
今年度(2012年の3月まで)は、何とかなるだろう。
しかしその先が読めない。

 で、ワイフは、ああいうのんきな性格だから、いつもこう言っている。
「つぶれたら、オーストラリアへでも行きましょうよ」と。

 どこか私の教室がつぶれるのを、楽しみにしている様子(?)。
こう言うときもある。
「今まで、一度もつまずくこともなく、ここまでやってきたのだから、感謝しなくちゃあ」
と。
つまり「もうじゅうぶん仕事をしてきた。いつやめてもいい」と。
あるいは「あなたも定年退職したら?」と。

 が、今の私には、仕事が生きがいになっている。
その生きがいを、自ら捨てるわけにはいかない。
私としては、死ぬ直前まで、仕事をしていたい。
できればピンコロという死に方をしたい。
オーストラリアへも行きたいが、「行って何をする?」と考えたとたん、意欲が、スーッと
萎えていく。

 ともかくも、こうして私の夏休みは、終わる。
が、まだあきらめたわけではない。
「明日の夜も、どこかの温泉へ行こうか」と声をかけると、ワイフは、「明日も〜?」と。
気の進まない返事が、返ってきた。

 ……こうして旅行ができるのも、今のうち。
よくて、ここ数年。
今は、あきるほど、あちこちを旅行しておきたい。

●8月23日

 朝、6時、起床。
昨夜はほかにすることもなく、午後10時に就寝。
8時間、眠ったことになる。
一度、トイレに起きたが、それだけ。

 ……ということで、今朝は、気分、爽快。
脳みその働きも、まあまあ。
こうしてパソコンのキーボードを叩く指も、軽やか。
よかった!
やっと調子が戻ってきた。

●小雨

 羽咋の朝は、小雨で始まった。
食事は8時から。
10時ごろの電車に乗り、金沢へ。
金沢からバスで名古屋へ。
ほぼノンストップ。
所要時間は、4時間。
新幹線と特急を乗り継ぐよりは、時間はかかる。
しかし料金は、半額。
急ぐ旅でなければ、高速バスのほうが、楽。

 「ホテルから羽咋駅までは、タクシーだな」と、今、ふと、そんなことを考えた。

●窓の外

 ホテルといっても、ビジネスホテル?
高級なビジネスホテルといった感じ。
(フロントで聞いたら、ゴルフクラブのクラブハウスだったとのこと。)
畑の中に、ポツンと建っている。
目の下には荒れた土地。
その向こうには、畑がつづいている。
一軒だけ家があるが、ごくふつうの民家。

 右の方角に千里浜があるはずだが、ここからは見えない。
昨日は遠くに低い山々が見えたが、今朝は、白い雲に覆われ、それも見えない。
窓をいっぱいに開けた。
夏というのに、涼しい風が、サーッと吹き込んできた。
午後からは、また猛暑に逆戻りするという。
書き忘れたが、昨日は、全国的に、10月下旬の季節だったという。
それを聞いて、「10月って、こうなんだ」と。

 そこで私とワイフの結論。

(1)シーズンオフを選ぶ
(2)客の少ない旅館(ホテル)を選ぶ
(3)ほどほどの距離のところにある名所を選ぶ

 秋になれば、旅行シーズン。
楽しみが待っている。

●羽咋から金沢へ

 ホテルから駅までは歩いた。
途中、郵便局で金沢の友人にハガキを出す。
涼しい小雨。
ワイフが傘をさした。
私も傘をさした。
ちょうど40分ほどで、JR羽咋駅に。

 9時26分発の金沢行き。
鈍行列車。
席はすいていた。

 パソコンを開くと、まずメールを読む。
つづいてニュース。
このところまず気になるのが、浜松。
「浜松はだいじょうぶか?」と。
地震が近い。
それが気になる。

●失われた20年

 こういう地方へ来てみると、「失われた20年」の意味が、よくわかる。
この40年を2つに分ける。
最初の20年、この日本は、怒涛のごとく変化した。
しかしつぎの20年、この日本は、そこで時間を止めたまま。

 この鈍行列車にしても、あちこちがサビだらけ。
窓ガラスは汚れたまま、白く曇っている。
が、何よりも動きを止めたのが、「人」。

 今も、通路をはさんだ反対側の席に、2人の女性が何やら大声で話しこんでいる。
片足は座席にあげたまま。
一方はスカートを、大きくめくりあげている。

1人は、50歳前。
もう1人は、60歳前後。
まさに「女」を忘れたオバちゃんたち。
品格も風格もない。
日本人というよりは、土着原住民。
能登の土着原住民。

 どうして女性は、ああなるのか?
ああいう人たちにも、若くて美しいときがあったはず。
しかし長い年月をかけて、ああなる。
どうして?

 ……日本がかつて懸命に追い求めた「繁栄」とは何だったのか。
あるいは物欲の追求にすぎなかったのか。
その結果、つまりそれが終わったとき、残ったのは、物欲だけ。
この20年で、その物欲だけが、皮をはがれて表に出てきた。
こういうオバちゃんたちの横姿を見ていると、そんな感じがする。

●石川県

 電車はのどかな田園地帯を走る。
ひとつちがうのは、墓が目立つこと。
一駅ごとに、墓地があり、線路沿いに墓が見え隠れする。
あとは雑然とした街並みと、雑草。
道路沿いも、線路沿いも、雑草だらけ。
ちょっとした空き地でも、夏草が生い茂り、荒れ放題になっている。
数年前、石川県庁に勤める友人が、こう言った。
「石川県は、貧しいがや」と。

 その貧しさが、ここ10年で、いっそうひどくなった?
そんな印象をもった。
(まちがっていたら、ごめん!) 

●総括

 ……ということで、昨日は、ここ石川県羽咋市までやってきた。
ことUFOについて言えば、新しい発見は、なかった。
古代史とUFOの関係、古代文明とUFOの関係、さらには、彼らはいつから、何の目的
をもって、この地球へやってきたのか……。
たとえばシュメール文明、仰韶(ヤンシャオ)文明との関係など。
そういうところまで、踏み込んで展示すると、奥行きも倍加するのでは?

 宇宙船(UFOではない)の展示物が8〜9割。
UFOに関していえば、2、3の展示物と、あとはパネル写真だけ。
このあたりが、私たちがもっている常識の割合と考えてよい。
UFOオンリーとなると、カルト化(=狂信化)する危険性がある。
やはりUFOについては、ほどほどのところで、ほどほどのロマンを楽しむのがよい。
深入りは禁物。

その点、矢追純一氏は、頭がよい。
団体や組織とは、一線を引いている。

 今回の旅行を総括すると、そういうことになる。

●もうすぐ豊橋

 名古屋からは、名鉄電車に乗り換えた。
特急、豊橋行き。
疲れを感じない、楽しい旅だった。
書いた原稿は、23ページ(40字x36行)。
まあまあの成果。

 パナソニック社製のレッツ・ノートがほしい!
TOSHIBAのMXでは、やや力不足。
バッテリーチェックを見ると、「21%で、1時間39分」と表示された。
つまりバッテリーの残量は、21%。
残り、1時間39分。
実際には、あと30分もすると、警告表示が現れる。

 ……私の脳みそについて言うなら、「20%、7年」かな?
あと7、8年もしたら、使い物にならなくなる?
そんな感じがする。

(はやし浩司 羽咋 宇宙科学博物館 コスモアイル 矢追純一 UFO 能登への旅 
はやし浩司 石川県 羽咋市 渚ガーデンホテル 羽咋市 割烹 ぼうぼう はやし浩司 
ぼうぼう 羽咋 魚料理 ぼうぼう)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●城之崎にて(by はやし浩司)地元のバス会社、EバスのBツアー旅行記

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/75/img731a27d2zik9zj.
jpeg" width="640" height="480" alt="城之崎にて(2011−8−19)">

++++++++++++++++++++

明日は、城之崎に向かう。
「城崎」とも書く。
「城の崎」とも書く。
長いバス旅行。
東名から名神を通り、中国(播但道)を経て、
生野、竹田城へ。
明日の夜は、丸山川温泉に一泊。

城之崎へは、明後日、到着。
楽しみ。+ワクワク。
志賀直哉の「城之崎にて」の城之崎。
高校2年生のころ、私は志賀直哉に夢中になった。
志賀直哉の本を、片っ端から、読んだ。

その城之崎。
何しろ半世紀近くも前のことで、内容は
よく覚えていない。
志賀直哉がどこかの旅館の一室で書いた
エッセーだった。

「……が静寂だった」「……が静寂だった」という、
表現が印象に残っている。
一度は、訪れてみたかった場所。
春に、そこへ行ったオーストラリアの友人がいた。
その友人も、こう言っていた。
「よかった」と。
明後日、その夢がかなう。

「お前は志賀直哉の本を読んだことがあるか」と
聞くと、「ウ〜ン、読んだことがある……」と、
どこか、いいかげんな返事。

+++++++++++++++++++++

●城之崎(『城の崎にて』志賀直哉

ウィキペディア百科事典には、「城の崎にて」のあらすじが載っていた。
それをそのまま紹介させてもらう。

『東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」
は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投
げられ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、
何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。

驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物
の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生き
ていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そし
て命拾いした「自分」を省みる』(ウィキペディア百科事典より)と。

●志賀直哉

ついでに、志賀直哉について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある

『「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月に白
樺派の同人誌『白樺』に発表。
心境小説の代表的な作品とされる。志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し
作品を発表しており、実父との対立から広島県尾道に住み、夏目漱石の奨めにより後に
『暗夜行路』の原型となる「時任謙作」を執筆していた。
1913年(大正2年)4月には上京していたが、同年8月に里見クと芝浦へ涼みに行き、素
人相撲を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後からはね飛ばされ重傷を
負う。

東京病院に暫く入院して助かったが、療養のため城崎温泉(「三木屋」という旅館(現存)
に宿泊)を訪れる。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には結
婚する。1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」など
の作品を発表し、同年10月には実父との和解が成立している。

事故に際した自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され。簡素で無駄
のない文体と適切な描写で無類の名文とされている』(ウィキペディア百科事典より)と。

 こうした予備知識をもって旅に出るのは、楽しい。
旅の奥行きが、倍加する。

●8月18日

 志賀直哉と言えば、『暗夜行路』。
読んだはずだが、内容が思い出せない。
もう一度、ウィキペディア百科事典の助けを借りる。
こうある。

『主人公時任謙作(ときとうけんさく)は、放蕩の毎日を送る小説家。あるとき尾道に旅
に出た彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。そんな折、実は謙作が祖父と
母の不義の子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直
子が従兄と過ちを犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。大自然の中
で精神が清められてすべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ』と。

 ナルホド!
思い出した!
そういう話だった。

●8月19日

今回は、ワイフと2人の2人旅。
地元のバス会社が運営する、Bツアーを利用することにした。
ワンランク上の「ゆとりの〜〜」とかいう、コース。
もちろん料金も約2倍の、上級のコース。
座席数が、20%ほど、少ない。

 天気は曇り。
浜名湖を渡るとき、鉛色の低い雲が、重苦しそうに空を覆っていた。
空に広がった雨雲。
新聞の天気予報によれば、関西方面は、雨。
よかった!
このところの猛暑。
猛暑はこりごり。

●520ドル安

昨日(8月19日)、ニューヨークの株式市場が、520ドルも暴落した。
製造業の指標が悪かったこと。
失業保険の申請件数がふえたこと。

 こういうときは、「株」に手を出してはいけない。
プロというより、ロボットが、1000分の1単位で、コンピューター取り引きを繰り返
す。
ロボット取り引きともいう。
素人の私たちが入り込むスキはない。
……というか、カモにされるのは、私たち。
統計的にも、95%の個人投資家は、損をすることがわかっている。
こういうふうに、乱高下するときは、さらに危険。

●Bツアーが変わった?

バスが走り出すと、ガイドがこう言った。
遠まわしな言い方だったが、「おしゃべりは静かに」と。
当然のことだが、Bツアーも進化した。
そういう印象をもった。

 この40年間。
当初は、喫煙は自由。
カラオケは定番。
バスに乗ると、まず自己紹介。
それが徐々に少なくなって、つぎに始まったのが、ビデオ上映。
で、最後の残ったのが、「おしゃべり」。
ガッハハハ、ゲラゲラ、ギャーギャー。
そのおしゃべりに、注意が入るようになった。
しかし長い時間だった。

●夫婦喧嘩

 豊橋を過ぎるころ、激しい雨が窓を叩き始めた。
数分間、窓の外が、真っ白になった。
雨を嫌う人も多いが、私は好き。
心が落ち着く。
脳みその働きも、よくなる。

 ……つい数日前、『福井県越前大野への旅』について書いた。
ワイフと喧嘩をし、家出をした。
家出をし、越前大野まで行ってきた。
が、今日は、ワイフといっしょ。
仲直りしたというわけではない。
平常に、戻った。
離婚話は、どこかへ吹き飛んでしまった。

 私たち夫婦は、いつもこのパターンを繰り返している。

●サイクル

 夫婦論というのがある。
はやし浩司流に解釈すると、こうなる。

(安定期)→(不安定期)→(緊張期)→(葛藤期=爆発期)→(冷却期)→(修復期)
→(安定期)→……。

 で、今は、冷却期から修復期。
嵐が去り、(少し大げさかな?)、今は、こうしていっしょに、城之崎に来ている。
毎度のことだから、だれも私たちの離婚話を本気にしない。
義兄ですら、「あらあら、ごくろうさま」などと言ったりする。
で、そういうとき、私は、こう訴える。
「今度は、本気です。あんなヤツとは、来週中に離婚します」と。

 が、結果は、このザマ。
長くつづいて、2〜3日。
3日もすると、また元に戻る。
多少のタイムラグはあるが、まずワイフのほうが平常に戻り、つづいて私のほうが謝る。
それでおしまい。

(林夫婦は、どうなるんだろう?、と期待していた人をがっかりさせて、ごめん……。)

●城之崎

城之崎には、午後3時ごろ、着いた。
一見してわかる。
活気がある。
行きかう温泉客。
老若男女、さまざま。
客層が広い。
小さな店まで、本気!
その本気が、がんがんと伝わってくる。

 で、私たちが泊まった旅館は、『銀花』。
郊外の海沿いにあるが、この城之崎でも、超一級旅館だそうだ。

 各部屋の中に温泉がある。
室内のベランダも広い。

いろいろな旅館に泊まったが、ここも文句なしの5つ★の、★★★★★。
「上には上があるものだ」と、感嘆のため息。

●9時からは、花火大会

夜、9時から花火大会があるという。
ちょうど川向こうのホテルの横から打ち上げられるという。
今、その9時を待っているとき。
時刻は、8:57。
あと3分。

 ビデオカメラは、スタンバイ。

●花火は終わった

私たちの泊まっている部屋は、101号室。
部屋の名前は、「直哉」。
志賀直哉の「直哉」。
ワイフは、それを見て、「あなたが特別に頼んだの?」と。
が、私は頼んでない。
偶然。
しかし、どういうわけか、うれしかった。

 旅には、何かの目的があるとよい。
それについては、先に書いた。
が、これは生きる「目的」にも共通する。
たいしたものでなくてもよい。
些細なものでよい。
私たちは、それにしがみついて、生きる。

●事件

ところで今日、ここへ来る途中、バスの中でこんな事件があった。
私が叩くパソコンの音がうるさい、と。
ガイドさんのほうに、苦情が寄せられた。
が、こんな経験は、はじめて。

 もってきたパソコンは、TOSHIBAのMX。
部屋の中で叩いていても、無音と言うわけではないが、静か。
ほとんど音はしない。
またそのときは、パソコンたちあげ、メールを読んでいただけ。
今どき、飛行機の中でも、電車の中でも、パソコンは必需品。
それが「うるさい!」と。
私はすなおに謝罪し、パソコンをカバンの中にしまった。

 苦情を言った人は、70歳前後の老夫婦。
通路をはさんだ反対側の席の人たちだった。
多分、パソコンと携帯端末(携帯電話)の区別もつかない人たちではなかったか。
あるいはパソコンに対して、強度の嫌悪感をもっている(?)。
そういう人は多い。

自分が扱えないから、それを扱う人を、徹底的に毛嫌いする。
パソコンで仕事をしている人を、徹底的に軽蔑してみせる。
そういう人は、あなたの周りにも、1人や2人はいるはず。
60歳以上の人に多い。

 「あんなもの使っている人間に、ロクなのはいない!」と。
簡単にそう決めつけてしまう。
今日バスの中で会った老夫婦も、そんな人たちだったかもしれない。

 サービスエリアで買ってきた、「きんつば」を2個、分け与え、「すみませんでした」
と謝ると、一瞬戸惑ったが、つぎの瞬間には、やさしい笑顔を見せた。

●8月20日

 平凡な朝。
静かな朝。
目覚ましは、朝、6時にセットした。
昨夜は10時ごろ床に入ったので、睡眠時間は8時間。

 窓の外は、内浦湾になっていて、漁船が数隻、右から左へ通り過ぎていった。
「どちらが海なのだろう?」と。
城之崎が左方面にあるから、左方面が海?
よくわからないが、波は静か。
山の間を流れる雲も低く、厚い。

●Bツアー

 Bツアーを利用するのは、1年半ぶり?
それまでは、毎月のように利用していた。
が、最後に、おしゃべりオバちゃんたちと口論をし、すっかり嫌気がさした。

 で、今回も、こう思った。
便利で料金も安いが、やはり私たちには向かない、と。
ワイフがそう判断した。

 バス会社のサービスはよい。
ガイドもよい。
コースも旅館も、よい。
しかし客層がよくない。
昨夜も、会席料理を食べながら、ガハハ・ゲラゲラと、傍若無人に騒いでいるオバちゃん
たちがいた。
その声が、部屋の端から端まで聞こえてきた。
廊下を歩いているときも、同じ。
部屋の中まで、その大声が聞こえてきた。
残りの20数人は静かでも、こういうオバちゃんが2〜3人でもいると、旅行も台無し。
 
 「もうやめようね」と私。
「そうね」とワイフ。
 
●城之崎にて

 志賀直哉の『城の崎にて』。
はやし浩司の『城之崎にて』。
今はもう文人の時代ではない。
娯楽も多様化し、無数にある。
志賀直哉の昔には、すべての娯楽が文学に集中した。
文人にとっては、古き良き時代ということになる。

 うらやましいとは思わない。
私が志賀直哉の時代に生きていたとしても、私はただのもの書き。
文に書いたところで、目に留めてくれる人もいなかったことだろう。

●帰宅

 8月20日、午後8時すぎに、浜松へ戻ってきた。
今回も、運の悪いことに、(本当に運の悪いことに)、真うしろの席に、2組の夫婦。
女どうし、2人のおばちゃんたちが陣取った。
ともに70歳くらい。
私たち夫婦は、後ろから2列目の席。

 2度、注意したが、帰ってきたのはイヤミ。
「ア〜ラ、うるさいって注意されたから、いちばんうしろの席にいきますよオ〜」と。
わざとみなに聞こえるような大声で、席を離れていった。
が、それで静かになったわけではない。
耳が不自由なのか、その中の1人が、一方的に大声でしゃべりまくる。
が、相手の声は聞こえないらしい。
相手が何かを言うたびに、「えっ、何?」を繰り返していた。

 ほかのほとんどの客は静かだった。
みな、それぞれの旅を楽しんでいた。
が、今回も、運が悪かった。

 Bツアーへ:

「ゆとりの〜〜」では、6人以上の団体客は申し込みを断っているとか。
たいへんすばらしいことだが、できれば、3人以上にしてはどうか?
そうすれば、ああいう客を排除することができる。

 もっとも、ワイフの意見通り、Bツアーは、しばらくはコリゴリ。
そういう客がいても、ガイドは何も注意しない。
知らぬ顔。
最前列に座っているから、後部座席のことはわからない。

 が、あえて言うなら、つぎの進化を期待して、私はこう要望する。

(1)ポイントガイド……必要なことだけをガイドするというのは、よかった
(2)BGM……うるさいビデオをなくなったのは、よかった
(3)団体客の制限……よかったが、おしゃべりが目的のおばちゃんには、きびしくして
ほしい。
(4)時間の取り方……ゆったりとしていて、よかった。

●総括

 学生時代からの念願がかなった。
志賀直哉ゆかりの「城の崎」を自分の目で見ることができた。
ワイフも満足そうだった。

 あのオバちゃんたちが静かだったら、星は4つの、★★★★。
あのオバちゃんたちのおかげで、バスそのものが、拷問室に。
バスを降りたとき、ほっとしたのは、無事着いたからではない。
オバちゃんたちと別れることができたから。

(そうそう、オバちゃんたちのおしゃべりを不愉快に思っているのは、私たちだけではな
かった。
一度、私が注意したとき、前の席の人が振り向いて、こう言った。
「ありがとうございます」と。

(しかし、どうしてこの日本では、ああいうオバちゃんたちの話し声だけは、野放しにな
っているのか?
携帯電話にはうるさい。
しかしオバちゃんたちは、野放し。
おかしい。
日本だけではない。
ああいう日本人が、世界中へ出かけていき、日本人の恥をさらしている!)

 なお運転手とガイドは、たいへん質が高かった。
「ゆとりの〜〜」ということで、選りすぐられた人たちなのだろう。
ともに理知的で、気持ちのよい人たちだった。
それだけに、今回の旅行は、残念!
「バスの中で読書……」と考えていたが、その余裕は、最後までできなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 城の崎にて 城之崎 
城崎 志賀直哉 暗夜行路)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「ぼくは生活保護受けるから、かまへん」(堺屋太一・「週刊現代」2011年9・3)

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雑誌「週刊現代」に、こんな興味ある記事が載っていた。
堺屋太一氏が、対談形式の記事の中で述べている。

『……いまや大阪市では、18人に1人が生活保護を
受けていて、大阪府の教育水準は、全国47都道府県の
中でも、45番目。
なにしろ、中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない
子どもが1割もいるんですね。
そういう子どもに先生が、「しっかり勉強しないと、
おとなになって困るぞ」と言うと、「ぼくは生活保護
受けるからかまへん」と答えるというんです」(P62)と。

堺屋太一氏は、これをさして「倫理的崩壊」という言葉を
使っている。

+++++++++++++++++++++++++

●遊びほける中国人留学生(ヤフー・NEWS)

 一方、こんな記事も目にとまった(2011年8月20日)。
題して「ある在米中国人留学生、送金に苦労の親を尻目に、浪費し遊び回る」。
毎日新聞が、米華字紙より翻訳したものらしい。

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

2011年7月22日、米華字紙・僑報によると、米国へ留学している若い中国人学生の中に
は、勉強にまったく身を入れず、親からもらった生活費で毎日遊びほうけているケースも
ある。 

ロサンゼルスに住むある華人女性の家には、上海から留学のため渡米してきた甥っ子が住
んでいるが、一学期が過ぎても成績は低迷したまま。毎月親が銀行に振り込んでくれてい
る4000元(約5万円)の生活費は外食やブランド品、iPhoneなどショッピングですべて
遊びに使い果たし、さらにクレジットカードも限度額まで使ってしまっているという。 

両親は商売をしているが順調ではなく、大変な思いをして子どもの学費や生活費を工面し
ているにもかかわらず、「僕がLAに来たくて来たと思っているの? LAなんて田舎くさ
くて大したことないじゃないか。上海の方がずっと良い」「両親がむりやり留学させたんだ
から、お金がかかるのも苦労するのも両親が自分で選んだことでしょう」と、とりつくし
まもない状態だという。(翻訳・編集/岡田)

++++++++++++以下、ヤフー・NEWSより転載+++++++++++++

●日本の現状

 中学1年生で、かけ算の九九ができないという話は、すでに20年近くも前の話である
(東京都)。

 ここで誤解していけないのは、かけ算の九九といっても、レベルがある。
「ニイチガ2、ニニンガ4……」と暗記するレベル。……レベル1
これなら幼稚園児にもできる。

 つづいてランダムに、「シサン?」と聞かれて、即座に、「12」と答えるレベル。……
レベル2
もちろんその意味(4+4+4=4x3)がわかっていての話である。
20年前でさえ、レベル1はできるが、レベル2ができない。
そんな中学1年生で、20%近くもいた(東京都)。

 堺屋太一氏の話によれば、「中学生で一桁のかけ算、つまり九九ができない子どもが1割
もいるんですね」ということらしい。
こうした子どもたちが、大学生になっていく。

●2008年7月の原稿より

++++++++++++++++

2008年7月に、つぎのような
原稿を書いた。

この中で、『今では分数の足し算、
引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は59%」
(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)」
(※2)だそうだ』というところに注目してほしい。

++++++++++++++++

●公務員志望

 この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。
なぜそうなのかというところにメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもム
ダ。
ああ、私だって、この年齢になってはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった!
 死ぬまで就職先と、年金が保証されている! ……と、そういう不公平を、日本の親た
ちはいやというほど、思い知らされている。
だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を
支配する時代は終わった。
教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボロボロ。
何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。
その教育改革にしても、ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。
学校は自由選択制の単位制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地
方自治体にカリキュラム、指導方針など任せればよい(アメリカ)。
設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。
いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。
オーストラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をし
ている。
しかし検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定し
てはいけないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。
たとえばアメリカでは、大学入学後の学部、学科の変更は自由。まったく自由。
大学の転籍すら自由。
まったく自由。
学科はもちろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。
なのになぜ日本の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるの
か? 
あるいは自分たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改
革」というよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。
もうすでに日本の教育はにっちもさっちもいかないところにきている。
このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教育レベルは、アジアでも最低になる。
あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校の話ではない。
大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとん
ど勉強などしていない。
していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、
教育学部系の学生である。
このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
いわんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習授業とは!

 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。
「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。
もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩
壊する。
確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、
「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。
九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。
日本の教育改革は、三〇年は遅れた。
しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。
そのころ世界はどこまで進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くは
ない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。
世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一
六五か国中、一五〇位(九九年)。
アジアで日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。
北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。
オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。
しかし日本には数えるほどしかいない。
あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者が
いる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘・2008年当時)。

●「うちの子にかぎって……」は、幻想

 ほとんどの親は、こう考える。
「うちの子にかぎって……」と。
しかしこれは幻想。
まったくの幻想。

 子どもというのは、言うなれば、吸湿性の強い吸い取り紙。
社会という「色水」の中に落とされれば、そのままその「色」を吸収していく。
社会の色が「茶色」なのに、自分の子どもだけを「水色」にしようとしても、無駄。
子どもというのは、子どものどうしの影響力のほうを、はるかに強く受ける。
加えてほとんどの中高校生は、「親のようになりたくない」と答えている(内閣府調査)。
今では、『親の恩も遺産次第』。
ほとんどの若者たちは、そう考えている。

 が、不思議なことに、こう書くと、若者たちは、猛烈に反発する。
「私は、ちがう!」と。
つまり、ここに意識のズレが、起こる。

●親への仕送り

 60代、70代の人たちにとって、親への仕送りは、当然だった。
昨日も旅行先で知り合ったKGさん(女性、69歳)は、こう言った。
「私の初任給は3000円でした。うち、1000円を、毎月実家へ送りました」と。

 私もそうしていた。
結婚前から、収入の約50%を実家へ送っていた。
またそれが当時の常識だった。

 が、今は、ちがう。
「就職したら返す」「給料があがったら返す」と言いながら、結婚したとたん、「生活費が
足りない!」と。
そういう若者が、猛烈に反発する。
実家へ帰省しても、みやげのひとつすらもってこない。
基本的な部分で、意識そのものがズレている。

●大学生とは名ばかり

 私立の女子大学を卒業した女性(27歳)がいた。
英文科を卒業したという。
で、試しにこう聞いてみた。
「SVOOの構文を、SVOの構文になおすには、どうしたらいいの?」と。
それに答えて、その女性は、こう答えた。
「何、それ?」と。

 少し勉強家の中学生なら知っていることでも、大学の英文科を出た社会人が知らない。
もっとも今では、大学の英文科といっても、名ばかり。
高校生が使うより簡単なテキストを使い、あとは遊びほけている。

●日本の現状

 いったい、政治家にせよ、一般社会にせよ、それに親たちにせよ、こういう現実を、ど
こまで知っているのか?
教育は、もうボロボロ!
倫理観そのものが、崩壊している!

 で、堺屋太一氏の話は例外であると信じたいが、ひとつ気になることがある。
『18人に1人が生活保護を受けている』という部分。

 18世帯に1世帯という意味なのか。
それとも18人に1人という意味なのか。
もし「18人に1人」ということになると、夫婦+子ども合わせての4人家族とするなら、
「4世帯で1世帯」という計算になってしまう。

 本当だろうか?

 そこで調べてみると、「生活保護率」は、大阪府のばあい、25・7(1/1000)(2
007年度)ということがわかった(総務省統計局)。
これを100分率荷換算すると、2・57%ということになる。
注に「 都道府県別の生活保護率(ここでは世帯の比率でなく、保護人員の人口千人当た
りの比率)を図示した」とあるから、世帯率ではなく、1000人当たりの比率というこ
とになる。

 2・57%といえば、100人につき、約3人。
逆に言えば、「33人に1人」となる。
が、現在、さらに不況の嵐ははげしくなっている。
やはり堺屋太一氏が指摘するように、「18人に1人」というのは、そのまま「18人に1
人」ということになるのか。

 もしそれぞれに家族がいるなら、「18世帯に1世帯」となる。
(もちろん家族がいない人も多いが……。)
どうであるにせよ、今、この日本は、ここまで貧しくなっている!

●落ちるところまで落ちる

 折しも、日本は大不況下。
大恐慌はすでに始まった。
この先、この日本は、お先真っ暗。
やがて日本人が、外国へ出稼ぎに行かねばならなくなる。
10年どころか、5年を待たずして、そうなる。
推測ではない。
数字の上で、そうならざるをえない運命にある。

 そうなったとき、今の若者たちは、どうするのだろう。
それでも親のスネをかじりつづけるつもりなのだろうか。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。
あるいは「こんな日本にしたのは、テメエだろう!」と言うかもしれない。

 先に書いたKGさんもこう言った。
横に夫がいて、その夫もこう言った。
「日本も落ちるところまで、一度、落ちるしかないでしょうね」と。

 実のところ、私自身も、そう考え始めている。
落ちるところまで落ち、自分で気がつくしかない、と。
とても悲観的な見方だが、それが今の教育の現状ということになる。


(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本
の中学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。
以下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、
台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメ
リカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメント
を寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッ
セージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」
と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉
強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレ
ビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公
表している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だ
そうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小
学六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・
五%に低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混
合計算は、三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に
低下している(同じ問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判
した意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑
いようがない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答
えた子どもが、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。

反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかい
ない。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考え
ていない。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言
える」というのは、もはや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであった
という。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを
研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点
で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学
部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学力 日本の子どもの学力 子供の学力 英語力 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児
評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist 
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の教育 自信をなくす日本の若者たち 生活保護 はやし浩司 生活保護世帯 はやし浩
司 分数の計算 かけ算の九九 掛け算の九九 学力低下 日本の現状)2011/08/21記


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 5日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●「絶対、あいつとは離婚してやる!」

【浜松から福井県・大野市へ】(気楽なひとり旅)(後編)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●内緒

 今、私がここにいることは、ワイフは知らない。
だれも知らない。
だいたい、私自身でさえ、ここに来るとは思っていなかった。
が、だれかに居場所を知らせたいという気持ちも、ない。
ワイフもそれを望んでいないだろう。
 
 そう言えば、私がここで今、死んだら、どうなるか?
カバンの中には、いくつかの小物があるにはあるが、私の住所と名前を記したものは何も
ない。

身元不詳のまま、警察の安置所に入れられるかもしれない。
そう言えば、先ほど仲居さんがお茶を運んでくれたが、宿帳をもってこなかった。
どうしてだろう?
電話で申し込んだときも、私の苗字しか聞かなかった。

 が、私はそういう(いいかげんさ)が、好き。
人と人のつながりが、信頼関係で結ばれている。
私は約束どおり、この宿にやってきた。
宿主は、ふとんを敷いて、私を待っていてくれた。

 なお今夜は、近くの大通りで、盆踊りがあるという。
ラッキー!
楽しみ!
本格的な盆踊りを見るのは、30年ぶり。
私の町内でも盆踊りはあるが、曲目が「♪東京音頭」であったりする。
つまり風情、ゼロ。

●鯖街道

 その昔、この大野を起点として、岐阜県側にものを運んだという。
その街道には、「鯖街道」という名前がついているという。
先ほど、仲居さんが、そう話してくれた。

 「岐阜に向かって旅立つ前、きっとこんな旅館に泊まって、英気を養ったのだろう」と、
そんなことまで考える。
「こんなところなら、2泊してもいい」と、今、そんなことを考え始めた。
明日の朝、それを決めよう。

 悲しいことに、たいへん悲しいことに、今、私がここで死んでも、悲しがってくれる人
はいない。
私が見えなくなっても、心配してくれる人もいない。
ワイフはどうか?

 ああいう性格の女性だから、……というか、もともと私とはいやいや結婚した人だから、
私がいなくなって、今ごろは、清々しているにちがいない。
息子たちにしても、そうだ。
去年の正月(2010)、心臓発作で倒れたときも、そのあとそれを心配してくれた息子は
いない。

60を過ぎると、親父も死んで当然、……とまあ、そんなふうに割り切ってしまうものか。
思い出してみれば、私自身もそうだった。
50歳と聞いただけで、老人に思った。
60歳と聞けば、なさら。
病気で倒れたという話を聞いても、たいてい「ああ、そう」で終わってしまった。
さみしい人生だが、人生というのは、そういうもの。
期待しすぎてはいけない。
期待が大きければ大きいほど、あとで落胆する。

 で、この先、60%の人たちは、孤独死、無縁死を迎えるという。
死後、発見されるまでの平均日数は、6日。
60%ということは、ほぼ全員ということ。
そう思うと、不思議と気が楽になる。
大切なのは、それまで悔いなく生きること。

 で、先日、友人のN先生に、こう頼んだ。
息子さんが、臨済宗の寺の住職をしている。
「死んだあと、先生のところの慰霊塔(無縁仏用の石碑)に入れてもらえますか」と。
N先生は、すかさず、「うちでよければ、どうぞ」と言ってくれた。
うれしかった。

●死に方

 私が考える死に方。
よく考える。
みなに迷惑をかけそうになったら、こうする。

 まずオーストラリアへ行く。
どこかの田舎町のホテルに泊まる。
そこから荒野(アウトバック)を目指して歩く。
どこまでも、どこまでも、力尽きるまで歩く。
力尽きて、気を失ったら、そこでそのまま倒れて、死ぬ。

 が、今、こんなことを考える。
オーストラリアの荒野でなくても、目の前に見える、山脈でもよいのではないか、と。
この大野市からでもよい。
ここから東に向かって歩く。
地図はもたない。
山の中を歩く。
力尽きるまで、歩く。
力尽きて、そこで倒れて死ぬ。
だれにも見つからない、雑木林に囲まれた谷地がよい。

 ……しかし残念ながら、今の私には、その勇気がない。
それにもったいない話だが、私は健康。
まだだれにも、迷惑をかけていない。
仕事も現役。
ほどほどに順調。
楽しい。
死ななければならない、理由がない。

 今は、その健康と、私を支えてくれる人たちに感謝しながら、日々を過ごす。
懸命にがんばって、過ごす。

●ひぐらし

 先ほど、一匹だけだが、ひぐらしが鳴いた。
驚いた。
こんな町中で、ひぐらしが鳴く。
さすが大野と、変に感心する。
しかしもう時刻は7時。
夕食はどうなっているのか。
まさか素泊まり?
そんなはずはない。
夕食を食べたら、盆踊りを見に行く。
そこで35歳くらいの女性と知り合いになり、今夜はラブラブ……。

 もっとももう、今は、その元気もない。
今の今ですら、眠い。

●大野・盆踊り

 今日は16日(火曜日)。
「ふつう盆踊りというと、15日までなのだがなあ」と思いつつ、したくをする。
下駄を履いて出かける。

大野市は、想像以上に、大きな町だった。
大通りには、提灯が一列に、きれいに並んでいた。
また夜店も、道の両側に、100〜200軒も並んでいた。

 遠くに、ライトアップした大野城を見上げながら、みな、整然と盆踊りをしていた。
もちろん知らない人ばかり。
大都会の真ん中にいるような孤独感を覚え、祭り会場を一周すると、そのまま旅館へ。
もう一度、風呂に入って、今夜は、このままおとなしく寝る。

 熱中症の後遺症が、まだ残っている。
軽いめまいと頭痛。
気分は、晴れない。

 今夜10時に、オーストラリアの友人とスカイプをすることになっている。
それまで起きていられるかどうか……?
かなり眠い。
もう少しがんばってみよう。

●私の欠陥

 私は欠陥だらけ。
ワイフの目を通してみると、それがよくわかる。

(1)短気
(2)気分屋
(3)情緒が不安定
(4)うつ
(5)気難しい
(6)こだわりやすい
(7)人間関係で、傷つきやすい
(8)落ち込みやすい
(9)ワンマンで、権威主義者

 まさにいいとこ、なし。
いいところもあるとは思うが、ワイフの目を通すと、それがすべて消えてしまう。
ただこういうことは言える。

 ワイフの父親は、すばらしい人だった。
私も認める。
だからワイフは、いつも自分の父親を基準にして、私を見る。
言うなれば、ファザコン。
マザコンの反対だから、ファザコン。
しかしワイフの父親のような男性は、そうはいない。
というか、ワイフの父親を基準にしたら、世の男性はすべて、私も含めて、バカかアホに
見える。
が、これは困る。

 ……とまあ、グチはこれくらいにしよう。
何だかんだと言いながら、40年間、いっしょに暮らしてきた。
その40年間という(重み)は、だれにも消せない。
私にも消せないし、ワイフにも消せない。
それに残りの人生は短い。
ともに健康なのは、あと10年もない。

 新しい人生など、もう望めない。
あとは落穂を拾うように、人生の残り火をひとつひとつ大切にしながら生きていく。

私の性格は、変わらない。
ワイフの性格も、変わらない。
世の中には、いろいろな夫婦がいる。
私たちも、そのひとつ。

 ……というか、淡々と生きていく。
やるべきことをやり、人生の始末をつけるべきところはつけながら。

●8月17日

 昨夜は10時ごろまでがんばって起きていた。
オーストラリアの友人とスカイプをする約束になっていた。
が、何度やっても、つながらなかった。

 朝、起きてメールを読むと、「テレビを観ながら、眠ってしまった。Sorry!」とあ
った。
友人も、睡眠障害をかかえている。
睡眠時無呼吸症候群というので、毎夜、マスクを口にあて、眠っている。

 私もそうだ。
早朝に目が覚めてしまう。
そのため昼食前後に、眠くなる。
昼寝をする。
その調整が狂うと、とたんに調子が悪くなる。
脳みその調子が悪くなる。
ぼんやりとし、何も考えられなくなる。
あるいは集中力がつづかなくなる。

●時刻は、5時

 今、時刻は午前5時。
今日の予定は、九頭竜湖まで行き、そこからタクシーで、郡上白鳥へ向かう。
郡上白鳥からは、電車で、美濃大田まで。
そこで電車に乗り換え、名古屋へ。

 郡上白鳥まで行けば、そこは私の故郷。
自由に行動できる。

 ……たった今さがしてみたが、肝心の時刻表と、タクシー会社の電話番号を書いたメモ
をなくしてしまった。
昨夜の祭りのとき、もって出たのが、最後。
どこかで落としてしまった?

大野駅の駅前にタクシー会社があったから、そこで再度、交渉してみる。
それにしても、ドジな話だ。

●頭痛

 熱中症の頭痛が、まだ残っている。
脳がダメージを受けたのかもしれない。
熱中症で死ぬ人だっている。
けっして軽く考えてはいけない。
今日も暑くなるといから、注意しよう。

●失われた10年

 ニュース・サイトをいくつか読む。
円高がつづいている。
1ドル、76・923円。
あとちょっとで、77円。

 「円高で、助かります」などと、ノー天気なことを言っている人は多い。
盆休みを利用し、海外旅行に出かけた人たちだ。
成田空港で、テレビのレポーターに向かって、そう言っていた。

 バカめ!

 こんなメチャメチャな円高が続けば、日本の産業は、大打撃を受ける。
倒産もふえる。
その分だけ、工場の海外移転が進む。
半年を待たずして、日本はさらなる大不況の嵐に呑み込まれる。
「今回の円高で、失われた10年が、再びやってくる」と書いているサイトもあった。
つまり、そうなる。

 今や日本中が不景気で、青い息吐息。
そのことは、大野市のような町に来てみるとよくわかる。
商店街では、どの店も、門構えだけは、大きく立派。
しかしシャッターを閉じる寸前。
並べてある商品を見れば、それがわかる。
賞味期限を過ぎたような、古い商品ばかり。

 もし今、日本が再び「失われた10年」を迎えたら、3度目の「失われた10年」にな
る。
結果、日本は確実に二流国に転落。
アジアの各国と肩を並べることになる。

 そこでIMFは、日本にも、「歳出削減」を求めている。
つまり小さな政府で、効率よく政策運営をせよ、と。
当然のことである。

 収入が減ったら、それに見合った政府に作り変える。
借金に借金を重ね、ぜいたくをつづける国が、どこにある?

 ……(怒り)が戻ってきた。
よかった。
この(怒り)が、文を書く原動力となる。
(怒り)がなければ、文など、書けない。

●怒り

 横にある朝日新聞(8月17日)を読むと、こうある。
「廃止補助金、98%、天下り先へ」「姿変え継続」(防衛省)と。
 天下りを減らそう、そのために補助金を減らそう、と。
しかしフタを開けてみたら、結局は改善されたのは(?)、たったの2%。
朝日新聞は「姿変え」という言葉を使っている。
「見たか、日本の官僚制度!」と書きたいが、書くだけ、空しい。

 こうした手法は、官僚たちの常套手段。
面従腹背などという生易しいものではない。
狡猾。
狡猾、そのもの。

 だれかが声をあげなければならない。
しかしだれも声をあげない。
声をあげないから、行動もしない。
だから旧態依然のまま、悪弊はつづく。

 同じく日本経済新聞には、こうある(8月17日)。
「日本人の特質は、我慢強さにある」(「新しい日本へ」福井俊彦)と。

 我慢強い?
朝日新聞と日本経済新聞を並べて読むと、どうもそうではないのではないか。
日本人は、自分でものを考え、自分で行動できない。
それが「98%、天下り先へ」となり、他方で「我慢強さ」となる。

 ……が、今日は、ここまで。
(怒り)がつづかない。

●越前大野の駅で

 電車が来るまで、15分ほど、ある。
先ほど、駅へ来るまで、1時間ほど、町の中を歩いてみた。
静かな町だった。
不思議なことに、知人が3人、できた。

 1人は道を案内してくれた若い男性。
しばらく歩いていると、また別の男性。
こちらの男性は、私と同年輩。
いっしょに町中を歩いてくれた。
が、そこへ先ほどの若い男性。
「これ、私の息子です」と。

 偶然だった。
親子で、別々に、私を案内してくれた。

 もう1人は、昨日、越前大野へ来る途中のこと。
1人の女性と知りあった。
話を聞くと、いろいろ教えてくれた。
その女性と、今朝、またまた駅で会った。

 昨日別れるとき、「お元気そうでいいですね」と声をかけると、こう言った。
「いいえ、盆休みというのに、病院通いですよ」と。

 で、今朝会ったとき、「今日もですか?」と声をかけてしまった。
するとその女性は、笑いながら、「今日はちがいます」と。

 のどかな町の、どこまでも親切な人たち。
私は越前大野がすっかり好きになった。

●越美北線

 この路線を、「越美北線」という。
ならば、「越美南線」は、ということになる。
実は、美濃白鳥から美濃大田までの路線を、昔は「越美南線」と呼んだ。
今は、第三セクター方式で、「岐阜長良川鉄道」と呼ぶ。

 が、もし越美北線と越美南線がつながっていたとしたら……。
岐阜県と福井県が、そのままつながっていたことになる。
が、その計画は実現しなかった。
恐らく、途中の山々が険しすぎたためではないか。
これからその山々をタクシーで抜ける。
どういう状態か、自分で確かめる。

●家出

 私は目下、家出状態。
おとなげないとは、自分でもよくわかっている。
しかしその一方で、家出をする少年少女(=子どもたち)の心理が、よく理解できる。

 で、私は今日か、明日、自宅に戻る。
帰りづらいが、戻るしかない。
が、戻ったとき、ワイフがそのまま迎えてくれれば、それでよし。
しかし不愉快な顔をされたり、小言を言われたら、どうか?
私は再び、そのまま家出してしまうかもしれない。

 これは家出をする少年少女の心理に共通している。
親にしてみれば、「心配をかけて!」となる。
しかし家出をする側には、それなりの「理由」がある。
言いたくても言えない、理由がある。
だれも好き好んで家出をするわけではない。
自分の居場所がない。
家にいても、不快感ばかり、募る。
それを解消しようと、家出をする。

 家に戻るにも、それなりの(壁)と闘わなければならない。
そんなとき、つまり家に帰ったとたん、父親や母親からガミガミ言われたら、その子ども
はどうなるか。
かえって追いつめられるだけ。
だから次回は、さらに本気になって、家出をする。

 さて、ワイフはどのように反応するか。
ワイフの反応しだいでは、再び、家出ということにもなりかねない。
で、一言、追加。

 家出する側、つまり私は、こう思う。
「ワイフは何も心配など、していない。今ごろは、私がいなくて清々しているだろうな」
と。
この私の心理も、家出をする少年少女の心理を理解するのに、役に立つのでは?

●亀裂

 しかしこんなことも言える。
「家出」には、たいへん危険な側面もある。
つまり対処の仕方をまちがえると、夫婦のばあい、離婚ということになりかねない。
今回、私は家出をしたが、いつもと微妙に心理状態が異なっているのを知った。

 たとえば昨夜も、大野市の夜祭を見た。
いつもの私なら、「ワイフにも見せてやりたかった」と思う。
が、昨夜は、そういう心理にはならなかった。
町のパンフレットにしても、駅の構内のゴミ箱に捨ててきた。
家に帰っても、越前大野市の話はしないだろう。
ワイフもああいう勝気な性格だから、聞かないだろう。
つまり夫婦の間に、小さいが、亀裂が入る。

 その亀裂が修復されるものであれば、それはそれでよし。
が、そうでなければ、そうでない。

●九頭竜川へ

 大野市から、さらに東に向かう。
九頭竜川行きの電車に乗る。
40分ほどで着くという。
左右には、豊かな田園風景が広がる。
ここは米どころ。
越前米の中心地。

 こんな内陸に、これほどまでに広い田園地帯があるとは!
豊かな清流。
公害とは無縁の澄んだ空気。
蔵を並べた農家が、点在して見える。
「次回は、越前米を食べてみよう」と。
今、そんな気分になった。

●油坂

 九頭竜ダムから美濃白鳥(しらとり)までは、タクシー。
今回の旅の目的は、ここにある。
そこには、私が子どものころから、一度は見たかった景色が広がっているはず。
じっくりと、見てみたい。
楽しみ。

 途中「油坂」という坂(?)も通るらしい。
実は子どものころ、その「油坂」という言葉も、よく耳にした。
ここへ来て、そしてその文字を見て、それを思い出した。

「この道を上っていくと、油坂を通って、大野へ行く」と。

 断片的な記憶が、ジグソーパズルのように、つながっていく。

●九頭竜ダム

 九頭竜ダムが近づいてきた。
左右の山々が迫ってきた。
ときどき深い谷の上を、電車が走る。
では、電車の中では、ここまで。

 これからはじっくりと景色を楽しみたい。

●白鳥(しろとり)

 大野市の人たちは、「白鳥」を、「しらとり」と読んでいた。
私の故郷(岐阜県美濃市)でも、「しらとり」と読んでいる人がいた。
で、タクシーの運転手にそれを確かめると、「しろとり」が正しいとのこと。
「白鳥駅の近くには、看板がたくさんあって、みな、しろとりになっていますよ」と。

 私も白鳥駅に着いて、それを確かめてみた。
やはり「しろとり」が正しかった。
地元を離れて、45年になる。
地名の読み方すら、記憶の中から消えていく。

●名古屋から

 楽しい旅だったとは、言いがたい。
何かにつけ、気分が重かった。
食欲は、この3日間、ほとんどなかった。
が、いろいろな出会いがあった。
私はそういう点では、社交的(?)。
ちょっとしたチャンスをとらえ、相手の会話の中に入っていく。

 今日は、このままおとなしく家に帰ることにする。
ワイフのことだから、今ごろは、自分のほうで家を出ているかもしれない。
昔からそうだが、家で静かに待っているタイプではない。
それも覚悟しておこう。

 しかし今回の旅で、こんなことを発見した。
家出するといっても、その家出先が私にはない。
親戚を訪れれば、迎えてくれるより先に、相手は驚いてしまうだろう。
あとは、その話は、一晩をおかず、親戚中に伝わってしまう。
また友人といっても、私を泊めてくれるような友人は、この日本にはいない。
その前に、安心して我が夫婦のもめごとを話せるような友が、この日本にはいない。

 だからといって、これからそういう友人をもつのは、不可能。
友情を育てるにも、その熟成期間すら、ない。
つまり「はやし浩司」といっても、この程度の人間。
自分でも情けなくなる。

●オーストラリア

 オーストラリア……友人と、おとといスカイプで話した。
いろいろな人の名前が出てくるたびに、なつかしさがこみあげてきた。
この4月に会った人は、みな元気という。

 電車の中でこの文を書いていることもある。
しかしこの日本では、窓の外を流れる景色のように、時間が過ぎていく。
立ち止まることさえ、許されない。
オーストラリアでは、ゆっくりと穏やかな風に包まれて、時間が過ぎていく。
横を見たり、うしろを見たり……。
そんなことが自由にできる。

 今の仕事ができなくなったら、しばらくオーストラリアに住んでみよう。
そのあとのことは考えない。
先に、こう書いた。
どこまでも歩き、力尽きたら、倒れて、そのまま死ぬ、と。

 しかし何も、オーストラリアの荒野(アウトバック)でなくてもよい。
福井県の山の中でなくてもよい。
人生という舞台でも、それはできる。
生きて、生きて、生き抜く。
やがて力尽き、倒れるまで、生きて、生きて、生き抜く。
そのあとのことは、知らない。
考えても、どうにもならない。

●浜松へ

 列車は、刈谷を過ぎ、豊橋に向かっている。
そこで浜松行きに乗り換える。
窓の外には、田園風景が広がっている。
稲穂の中には、やや黄みを帯びたものもある。
しかし今朝見た、大野町の稲穂とは、明らかにちがう。
あえて書くなら、稲穂の向こうに見える、本気度がちがう。
大野町で見た稲穂は、一本、一本が、筋をそろえて、まっすぐ立っている。
そんな感じがした。

 人間も、同じ。
本気で生きている人と、そうでない人は、明らかにちがう。
本気で生きている人は、生き生きと輝いている。
そうでない人は、そうでない。
年齢は関係ない。

●居眠り

 電車の中で居眠りをしてしまった。
ひとつ手前の高塚で降りるつもりだったが、そのまま浜松へ。

 一度事務所によって、留守番電話を確認。
そのままタクシーで家へ。

 ワイフと長男は外出中だった。
私はドカッと居間に座った。
そこへワイフと長男が帰ってきた。

 不機嫌な顔をしていたらか、私も黙っていた。

 ……ということで、気楽なひとり旅は、おしまい。
次回は、(岐阜)→(板取側の上流)→(大野市)をめざしてみたい。

 そうそうタクシーの運転手が教えてくれたが、大野市から板取村へ抜ける道は、別にあ
るとか。
途中は車も走れない山道とか。
今回の、九頭竜川沿いの道とは、別ルート。
残念!
何しろ、地図さえない道の話だから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 越前大野 福井県大
野市 九頭竜川ダム)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 2日
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9月2日  第1566号になりました!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「絶対、あいつとは離婚してやる!」

【浜松から福井県・大野市へ】(気楽なひとり旅)(前編)

(プロローグ)

 私は子どものころ、いつも母にこう聞いていたという。
「あの山の向こうはどうなっている?」と。
そのたびに、母は、こう言った。
「この山をいくつも越えていくとなあ、大野というところへ行くそうや」と。

 今でも、その「大野」という言葉が、脳の中で、母の声で残っている。
それでひとり旅。
福井県・越前大野市をめざして!

●ひとり旅

++++++++++++++++++++++

休みに、どうしてもしてみたいことがあった。
ひとり旅。
たまたま昨日、ワイフと喧嘩した。
たいした喧嘩ではなかったが、それを口実に、今夜、
家を飛び出した。

明日は、福井県の大野市に向かう。
その大野市から、岐阜県に入る。
(本当は、その逆コースをたどってみたかったのだが……。)
岐阜県に入ったら、関市板取村から岐阜市へ戻る。

若いころは、こういうひとり旅をよくした。
たいていはヒッチハイクだった。
もちろんこの年齢では、ヒッチハイクはできない。
車も止まってくれないだろう。

行程は決まっていない。
パソコンがあるから、それで調べながら行く。
とりあえず、明日は、大野市へ。

(浜松)→(大野市)→(板取村)→(岐阜市)→(浜松)!

++++++++++++++++++++++

●浜松に一泊

 今夜は、……というわけで、浜松市内のビジネスホテルに一泊。
酒が飲めない私が、コンビニでチューハイを買ってきた。
菓子に、ジュース、それにパン1個。
家を飛び出したとき気がついたが、Tシャツが汚れていた。
それは今夜風呂場で洗うつもり。
あるいは明日、駅前の店で1枚、買うつもり。

……たった今、地図で調べてみた。
大野市から岐阜県側までの距離。
歩いていける距離と思っていた。
しかし九頭竜湖に沿って歩いただけでも、20〜30キロもある!
地図で見ると平坦だが、「〜〜岳」「〜〜岳」という文字が目に付く。
相当に険しい道らしい。

 あきらめた!
と、同時に、大野市の観光案内を読む。
ひとつの文化圏を形成した文化都市。
訪れてみる価値あり。
そう判断した。

●子どものころ

 大野市へ行きたいことについては、理由がある。
その話。

 ……私は子どものころ、よく母の在所で休みを過ごした。
そのとき、「大野」という名前がよく出てきた。
「この道をどんどんと上っていくと、福井県の大野へ出る」と。

 それが私には、信じられなかった。
母の在所は、低いが無数の山々に囲まれていた。
そして道の向こうには、壁のように高い山々が、おおいかぶさっていた。
山の向こうに、町があるなどとは、とても信じられなかった。
が、やがて地図を見るようになり、たしかにその道が、福井県の大野市へつながっている
のを知った。
それで「いつか……」と思うようになった。
「いつか、あの山を越えて、大野市へ行ってみよう」と。

●スカイプ

 たった今、オーストラリアの友人と、スカイプで話をした。
30分ほど、あれこれ話した。
気温は、8度とか。
向こうは今が真冬。
南オーストラリア州のどこかでは、雪が降っているとも言った。

 友人は、1〜2分ごとに、コンコンと咳を繰り返していた。
少し熱があるという。
「まだ休みが5日もある」と話すと、「じゃあ、オーストラリアへ来い」と。
前々回は、別の友人の娘の結婚式に出るため、3日間で往復した。
5日もあれば、向こうで2泊できる。
ふと、行きたくなった。
……というか、若いときなら、そうした。
それが私のやり方だった。
火がついたら、そのまま行動。
今もその「火」が、心のどこかに残っている。

●友だち

 中学生のとき、コーラス部で、こんな歌を歌った。
「♪友だちはいいな」と。

「♪友だちはいいな。明るい日向(ひなた)。かぐわしい花のそばに……」と。
NHKコンクールの課題曲だった。
が、そのときは、そんな歌を歌いながらも、「そうかなあ?」と思っていた。
が、今は、ちがう。
友だちのありがたさが、じんと胸にしみてくる。
話しているだけで、勇気がわいてくる。
こうしてホテルでひとりでいると、それがよくわかる。
で、今は、こう思う。
「明日は、大野へ行こう」と。
迷いは消えた。

 明日の夜、10時に、またスカイプをすることになっている。
そのときは、別の旅館で、そのスカイプをしたい。
「今、泊まっている旅館はね……」とか。
そんなことを話をしたい。
「ワイフに会いたかったから、家に戻った」とは、言いたくない。

●夫婦

 メールで、こんな相談(?)があった。
「夫と結婚して、8年になる。
しかしこの2年間、会話らしい会話をしたことがない。
レストランへ行っても、たがいに上の空。
会話といっても、共通の話題そのものがない。
結婚当初は、よく話をしたが、今にして思うと、どんなことを話していたか、それすら思
い出せない」と。

 こういう問題は、私は苦手。
私たち夫婦だって、問題をかかえている。
どうしようもないでいる。
そんな私が、相談に乗ること自体、おかしい。

断りの返事を書いたあと、そのまま削除した。
しかしそういう夫婦もいる。
親子もいる。
私の知人などは、30年間も、父親と話をしたことがないという人がいる。
同居していても、そうなるときには、そうなる。

 が、夫婦のばあいは、どうか?
会話が途絶えたら、その2人は、夫婦と言えるのか。
もっとも夫婦には「形」はない。
標準もない。
それぞれがそれぞれに、ひとつの空間を共有すれば、それでよい。
あとは成り行き。
自然体。
無理をしてはいけない。
努力は必要だが、気負ってはいけない。
それでも、見た目にはうまくやっている夫婦となると、ゴマンといる。

●電気の無駄遣い

 今、シャツを風呂場で洗った。
洗ったあと、エアコンの排出口の前につりさげた。
明日の朝までに乾くだろうか?
少し不安になった。

 で、たった今、窓を少し開け、窓の内側にかけなおした。
生暖かい風が、サーッと吹いてきた。
今夜も熱帯夜になりそう。
しかし……。
一方で冷房をかけ、一方で、外気を中に取り入れる。
まさに電気の無駄使い。

●頭痛

 喧嘩の原因は、私の頭痛。
いろいろあって、その前日、私は軽い熱中症になった。
幸い、症状は軽くてすんだが、そのあと、頭痛だけが残った。
かなりはげしい頭痛である。
偏頭痛の頭痛とは違う。
風邪の頭痛ともちがう。
頭のこめかみの奥が、割れるように、小刻みに痛む。

 加えて、熱中症特有のイライラ感。
まさにマニュアル通りの頭痛。
で、そのイライラをワイフにぶつけてしまった。
「お前の料理は、まずい!」とか。
そんなことを口にしてしまった。

 そういう点では、私は自己管理能力が低い。
ワイフは即座にそれに反応する。
私が「頭が痛い」と言っても、「自業自得でしょ」と片づけてしまう。
「あなたが暑いのに、道路を歩くから、悪いのよ」と。
で、その日は、一日中、床の上で臥せっていた。
もちろんゼロ看病。

 夕方になって起き上がった。
ワイフに首のマッサージを頼んだ。
が、あっさりと断られてしまった。
「いやよ!」と。
それで私は、家を出た。
口論をしたくなかった。
だから家を出た。

●8月15日から8月16日

 時刻は23:57。
パソコンの右下の時計では、そうなっている。
目がしょぼしょぼしてきた。
眠い。
だから今日の日記はここまで。
 
 ……今、時刻を見ると、0:01になっていた。
お茶に水を入れて、口につけただけで、4分も過ぎた!

+++++++++8月16日+++++++++

●単独行動

 私は「単独」で生きてきた。
組織というものが、私の体になじまない。
が、自由に生きてきたわけではない。
いつも無数のクサリに縛られて、生きてきた。

 義務感、責任感、拘束感……。
それに加えて、私はクソまじめ。
自分でもおかしいと思うほど、クソまじめ。
ときにそれが重圧感となって、私を襲う。
だから私の人生は、(息苦しさ)と(爆発)。
この繰り返し。

 もう少し、ズル賢くなってもいいのでは……。
よくそう思うが、気がついてみると、やはりクソまじめ。
いつも心のどこかで、家族のことを心配している。

 だから集団行動が苦手。
学生のころも、運動会や旅行が、苦手だった。
楽しいというより、自由が制約されると、とたんに息苦しく感じた。
だから旅行も、たいていひとりでした。
目的地も決めないで、ぶらぶらと……。
それが私のやり方だった。

●子どもたち
 
 よく学校帰りの子どもたちを見かけるときがある。
中学校の校門から、ゾロゾロと歩いて出てくる。
そのとき、いろいろなグループがあることがわかる。

 2〜3人とか、3〜4人とか、グループを作っている子どもたちが多い。
が、ときどき、1人で歩いて帰る子どもを見かける。
さみしそうとか、そういうふうには、見えない。
何かの本を読んでいたり、下を見つめたまま歩いていたりする。

 私にも小学生、中学生、高校生のときがあった。
毎日学校へ通っていたわけだから、通学の記憶も残っていてよいはず。
しかしそれがよく思い出せない。

「私はどうだったかなあ……?」と。

 登校のときはひとりだったと思うが、帰りは、いつも仲間といっしょだった。
小学生のときは、7〜8人で、集団で帰った。
が、高校生になると、いつもひとりだった。
大学生のときも、ひとりだった。
どこかのたまり場に集まることはあった。
が、そこからは、ひとりで帰った。

●観光旅行

 ということもあって、観光旅行が苦手。
バス旅行などというものは、私にとっては、拷問のようなもの。
ガイドが観光案内を始めるたびに、私は耳をふさぐ。
「右に見えますのが、〜〜。左に見えてくるのが〜〜」と。
ああした情報には、価値はない。
意味もない。
まったく、ない。
聞いても、すぐ忘れる。

 今は、ナビの時代。
情報過多の時代。
そうでなくても、情報は毎日、洪水のように押し寄せてくる。
「旅行のときぐらい、静かにのんびりしたい……」と、私は思う。
思うから、観光旅行が、苦手。

●8月16日

 今朝は6時半に起きた。
Tシャツは乾いていなかった。
しかたないので、部屋の中につるし、それをドライヤーで10分ほど暖めた。
だいぶ、乾いた。

 これから風呂に入り、福井市へ向かう。
福井市から大野市へ向かう電車があるという。
その電車に乗る。
まだ眠いが、電車の中で眠っていけばよい。

 ……そうそう、ラッシュアワーは避けたい。
現在、時刻は7時23分。
8時ごろの電車に乗れば、名古屋あたりを、10時ごろ通過。
たぶん、だいじょうぶだろう。

 が、時刻表は調べない。
あとは、そのときの様子を見て、決める。

●朝食
 
 このビジネスホテルでは、朝食は無料ということになっている。
巧みな商法である。
「無料」ということなら、だれしもたいした料理を期待しない。
簡単なサービスに簡単な食材。
それに「セルフサービス」と書いてあっても、文句を言わない。

 実際には、1泊シングルで、6000円。
「時節柄、割高になっています」と、フロントの男は言った。
その朝食でのこと。

 ビア樽のように太った男が、斜め前の席に座った。
背も高い。
「元関取」と言っても、だれも疑わないだろう。
その男が、ごはんを山盛りにして、2杯、3杯と食べていた。
食べているというより、食物を、胃袋の中に押し込んでいるといったふう。
が、そこで止まったわけではない。
席に座ったまま、まだものほしそうに、料理のほうを見ていた。
「もう1杯、食べるぞ」と思っていたら、案の定、また食器をもったまま席を立った。

 それを見ながら、こう思った。
「ダイエットは、習慣の問題」と。
食生活という習慣を変えないかぎり、ダイエットは成功しない。

●列車
 
 JR浜松駅へ着くと、ちょうど岐阜行きが出るところだった。
私はとりあえず、名古屋までにチケットを買った。
自動販売機では、名古屋までしか売っていなかった。

 幸い、席はあいていた。
そのひとつに座った。
節電対策のせいか、冷房特有の冷気は感じなかった。

●家族崩壊

 軽い睡魔が襲ってきた。
昨夜寝る前に、熟睡剤を少し割ってのんだ。
それが今ごろになって効いてきた。

 心地よい眠気。
キーボードを叩く指も、心なしか、けだるい。

 ……昨夜、オーストラリアのB君と話したことを思い浮かべていた。
B君と母親は、車で5分ほどの距離のところに住みながら、別々の家を構えて住んでいる。
「日本では、同居する」と言うと、B君は、こう言った。
「J(=母親)は、もうすぐ、オールドマン・ビレッジに入ることになっているよ」と。

 日本風に言えば、85歳とは言え、まだピンピンしている。
そんな女性でも、「もうすぐ」と、B君は言う。

 そういう状態を、韓国人のある作家は、「家族崩壊」(「家庭崩壊」ではない)と見抜いた。
つまり欧米では、「家族崩壊」が、何世紀にも渡って、社会の中に定着している。
もっとも大家族主義の韓国から見れば、の話だが……。

●列車の中

 眠るのもよし。
このままパソコン相手に、遊ぶのもよし。
今日のお供は、TOSHIBAのMX。
バッテリーのもちが、抜群によい。
うまく使えば、9時間はもつ。
(たった今、チェックしてみたら、93%、7時間50分と表示された。)
福井市はもちろん、大野市までもつはず。

 ……前の席に座った女性は、イヤフォンで音楽を聴きながら、読書している。
その横の女性は、赤いハンカチを手で握ったまま、少し離れたところの人たちをながめて
いる。
いつもの風景。
見慣れた風景。
つぎの列車に乗れば、そのまま忘れる風景。
私も、ぼんやりと、そうした風景をながめる。

●豊橋

 豊橋からは、大垣行きの、新快速に乗り換えた。
停車駅が少ない。
「大垣で、おりてみようか」という思いも、少しあった。
岐阜県に住んでいながら、私は大垣駅で、下車したことがない。
静かでよい町とは聞いている。
が、こんな朝早く着いても、しかたない。
それに体力は、できるだけ残しておいたほうがよい。
軽い頭痛は、まだ残っている。
やはりこのまま福井県の大野市に直行!

 今、そう決めた。

●選択

 人はいつも、そのつど、選択を繰り返しながら、生きている。
英語では「選択」というが、日本語で言えば、「迷い」。
迷いながら、生きている。

 できれば迷いのない人生を送りたい。
しかし時として、その迷いに苦しむことがある。
そのときどきの気分にも左右される。
そのときは「それでよい」と思っても、あとになってから、「しまった」と思う。
そんなことも多い。

 だから人は、最大公約数的な部分で、判断をくだそうとする。
無難で、安全な道。
人を傷つけず、人間関係を破壊しない。
そのレベルで、自分を納得させる。
が、そうした生き方にも、限界がある。
無数のクサリとなって、体にからみついてくる。

●御用学者

 数日前、NHKのテレビ解説委員の言葉に耳を傾けた。
EUの経済危機と、USAのドル暴落について話していた。
以前の私なら、何の批評も加えず、そうした解説委員の言葉を聞いていただろう。
しかし今は、ちがう。

 彼らは、ウソは言わない。
しかし本当のことも言わない。
原発事故以来、こうした解説委員の言葉を、私は信用しなくなった。
案の定、(けっしてそれを望むわけではないが)、解説委員は、こう言っていた。
「G7の経済閣僚が、電話会議を繰り返し、危機に陥らないよう努力しています」
「今は、小康状態を保っています」などなど。

 が、あのリーマンショックのときを思い出してみてほしい。
すでにネット上では、危機的な情報が行き交っていた。
が、公の報道機関は、「心配ない」「影響は限定的」と繰り返していた。
結果、リーマンショックは、(ショック)となって、ドカーンとやってきた。
一番、損をしたのは、一般投資家たちであった。

 今の今も、そうだ。
たとえばドイツ国債ですら、この4〜6月期、1兆8000億円以上も、売り越しがつづ
いている。
「国が売られている」。
ブラジルやオーストラリアでさえ、売り越しに転じている(2011年8月)。
こういう事実をさておいて、「心配ない」は、ない。

 こうした大本営発表には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
彼らもまた、テレビカメラに向かって話す前、ディレクターにこう注意されているはず。
「国民にいらぬ不安を与えるような発言は避けてください」と。

 かくして解説委員たは、御用学者と成り下がり、事実を国民の目からそらす。

●国際経済

 国際経済について言えば、もう結論は出ている。
つまり、もうどうしようもない。
ギリシア危機についても、手の施しようがない。
お手上げ。
目下の心配は、それがスペインやポルトガルに波及するか、しないかということ。
その先には、フランスがある。

 中国も同じ。
民主化の嵐は、この先強くなることはあっても、弱くなることはない。
その混乱が、世界経済にも影響を与える。

 日本やアメリカについては、もう何度も書いた。
生き残る道はただひとつ。
極端な円安に誘導し、人工的にハイパーインフレを引き起こす。
そういう形で、借金をチャラにする。
官僚たちの頭の中では、その構想は、すでにできあがっているにちがいない。

●日本vsアメリカ
 
 どんなに転んでも、アメリカはアメリカ。
そのアメリカに、日本が勝てるわけがない。
アメリカには、強力な軍隊、資源、食糧の3つがそろっている。
それがアメリカという国を、3本の柱となって、支えている。

 一方、この日本には、その3つがない。
どれも貧弱。
が、それよりも心配するのは、現在の韓国がそうであるように、この日本も、アメリカの
経済的植民地になるのではないかということ。
経済規模そのものが、ちがう。
アメリカにしてみれば、日本の企業の買収など、なんでもない。
たとえばアルコール(酒造)産業にしても、全国規模の酒造会社と、地方の地酒会社くら
いの差はある。
力の差は、100:9程度と言われている。
日本の企業を買い取る程度のことなら、朝飯前。


 アメリカはそのうち、日本の銀行の買収に乗り出してくるはず。
そのときこそ、要注意。

●名古屋へ

 かたい話ばかりつづいた。
列車は、愛知県の刈谷(かりや)を出た。
名古屋駅まで、あと30分ほど。
そこから岐阜まで、30分。
この列車は、大垣まで行く。
そこで列車を乗り換え、米原から福井へと向かう。

●大垣

 大垣で、今度は米原行きに乗り換える。
窓の外には、白くかすんだ田園風景がつづく。
もうすぐ伊吹山が見えてくるはず。
生涯に、2度、登ったことがある。
3度目は、もうないだろう。

 ……伊吹山が見えてきた。
白い夏雲。
その向こうに水色の空。
丸いなだらかな形をした山。
今は車で、頂上近くまで登ることができる。
その山を見ながら、ふとワイフのことを思い出す。
頂上で、岩に座って、氷を食べた。

 が、今日はワイフの話は避けたい。
目下、夫婦喧嘩中。
というか、私は家族にも嫌われている。
同居している長男にしても、たいていのばい、話しかけても、返事すらしない。
だからときどき、私はこう思う。
「私さえいなければ、私の家族はみな、平和で安泰なのだがなあ」と。

 先日観た『ツリー・オブ・ライフ』の中にも、こんなシーンがあった。
映画の中の長男が、「あんな父、早く死ねばいい」と言った。
で、それを思い出し、数日前、私は長男にこう聞いてみた。

「なあ、お前もなあ、ぼくのこと、早く死んでしまえばいいと思っているのか?」と。

が、長男は何も答えなかった。
無言イコール、「YES」ということになる。
このばあいは、そういうことになる。

 少なからずショックを受けたが、私は冗談ぽく、それを受け流した。
が、私のワイフにしても、そうだ。
ときどき、本音を漏らす。
その本音が、こわい。
そのつどズバリ、ズバリと私の心を突き刺す。

 先日も、こう言いかけた。
「あなたがみんなに嫌われているのはねエ……」と。
すかさず私はワイフの口を制した。

●用なし

 父親というのは、そういうもの。
「家族を支えなければ」という気負いは、母親のそれとは、比較にならないほど、強い。
この40年間にしても、病気で仕事を休んだのは、数日しかない。
しかも丸1日休んだわけではない。
どうしても耐えられなくなり、午後の半分の仕事だけを休むとか、そういう休み方だった。

 あとは薬をのんで、自分をごまかした。
先週も、熱中症で吐き気と頭痛がした。
それでもレッスンを休まなかった。

 ……というような話を、ワイフや息子たちにしても、意味がない。
即座に、「私だってねエ」とやり返される。
息子たちにしても、「そんな恩着せがましいこと、聞きたくない」と言う。

 が、あるとき、男は用なしになる。
ジジイというレッテルを張られる。
とたん、家族の目は、冷たくなる。
粗大ゴミ?
厄介者?
じゃま者?

 私の家だけではない。
どこの家族でも似たようなことが起きている。
このあたりでも、「親の介護が2年つづくと、兄弟姉妹は、バラバラになる」という。
集団検診に行ったとき、そこにいた看護師の女性が、そう話してくれた。
さみしい話だが、それが最近の家族像ということになる。

●機嫌を取る

 私は結婚してから、いつも、ワイフや子どもたちの機嫌ばかりとってきたような気がす
る。
が、ときどき、それに疲れる。
だから爆発する。
その繰り返し。

 今も、そうだ。
自分のしたいことより、ワイフの喜ぶことを優先させる。
長男の機嫌をとる。
同時に自分を犠牲にする。

 が、一言、不平、不満をもらしたら、最後。
ワイフの態度は一変する。
(コワイゾ〜!)
批判など、とてもできない。
そのまま殻にこもる。
がんこになる。

 ふだんはやさしく親切。
しかしこういうときになると、「どこへでも行きたいところへ行ったら」という態度になる。
「抑圧」というのは、そういう意味では、恐ろしい。
ワイフにかぎらず、その人が、まったくの別人格になる。
それこそ20年前、30年前の話を持ち出して、口論になる。

 だから……人は、常に自分を発散させて生きるのがよい。
不平や不満を、心の別室に押し込んではいけない。
それを繰り返していると、やがて心がゆがむ。

●離婚

 だから私たち夫婦も、よく離婚を考えた。
喧嘩のたびに、「離婚してやる」「離婚しましょう」となる。
が、2日も、それがつづくことはない。
3日目にはまた、もとの生活に戻る。
この繰り返し。

 だからこんな(繰り返し)は、もうやめようと思った。
何度も思った。
しかしそのつど、どちらが本当の私たちなのか、わからなくなる。
喧嘩をしているときは、喧嘩をしているときの私たちのほうが、本当の私たちと思う。
ふだんは、ふだんのときの私たちが、本当の私たちと思う。

 が、最近の私は、喧嘩はしたくない。
だからたいてい、そのまま外へ飛び出す。
ドライブ中に喧嘩しそうな雰囲気になったら、車の外へ。
家の中であれば、そのまま外出、あるいは家出。
が、それがかえって、ワイフを怒らせる。
今の状況がそうだ。
大声を張り上げて、言い争うということはしない。……もうしたくない。

●米原

 米原に着いた。
11:59分発の特急しらさぎを待つ。
まだ30分ほど、ある。

 食欲はゼロ。
昨日は、やけ食いも兼ねて、4回も食事をした。
今朝もバイキング。
いまだに腹の中が、ガポガポしている。

 ホームには、そば屋がある。
クーラーのきいた待合室もある。
が、私は心地よい暑さを感じながら、こうしてベンチに座って、キーボードを叩く。

 ……目の前に、どこ行きかは知らないが、「新快速」と書いた電車が入ってきた。
「弱冷車」という文字も見える。
「うまい言い方だな」と、感心する。
役人というのは、新語を考えるときは、天才的な頭脳を発揮する。
「自衛隊」という言葉にしても、そうだ。
中身は軍隊なのだが、「自衛隊」というと、ぐんと響きがやさしくなる。
世界をだませる。

 「節電冷房」ではなく、「弱冷車」。
たとえそうであっても、そんなこと、わざわざ断らなくてもよいのに。
どこか恩着せがましい?
偽善者ぽい?

●「消えました」

 そう言えば、先月、オーストラリアの友人が、それまでのガールフレンドと別れた。
それについて、その友人は、こう書いてきた。
「She disappeared from my life.」と。

 直訳すると、「彼女は、ぼくの人生から消えた」と。
日本人なら、「別れた」という言葉を使う。
それを「ぼくの人生から消えた」と。

 そのときも、「うまい言い方だなあ」と思った。
「消えた」と書けば、責任問題は生じない。
未練がましくない。
悲壮感もない。
それを聞いた相手(=私)にも、心配をかけないですむ。

 だからもし私がワイフと離婚したら、こう言おうと考えている。
「A子(ワイフ)は、ぼくの人生から消えました」と。
 
●しらさぎ

 ここまで普通列車(快速)でやってきた。
が、ここからは特急。
15分ほど前に、ホームに列車が入ってきた。
自由席だが、最前列の席に座る。
パソコン台があり、その横には、電源もある。

 さっそく電源をつなぎ、充電開始。

 学生時代は、4年間、通った路線である。
当時の私には、特急に乗ることなど、考えも及ばなかった。
いつも鈍行。
大学1年生のときは、岐阜から金沢まで、たしか900円と少しだった。
学割を使うと、急行や特急には乗れなかった。
そんなことを、ふと、思い出す。

●密度の問題

 先に、「この2年間、会話らしい会話のない夫婦」について、少し触れた。
2年間!
私もワイフもおしゃべりのほう。
だからそういう話を聞くと、「よくもまあ、がまんできるもの」と感心してしまう。
私なら1週間で、気が変になってしまうだろう。
恐らく仕事のすれちがいもあったりし、顔を合わせる時間も、少なかったのだろう。
夫婦といっても、密度の問題もある。

 一方、私の近所には、奥さんで、スイスで着物の着付けを教えている女性がいる。
洗練されたセンスと垢抜けたマナー。
その奥さんのばあい、一度スイスへ行くと、半年ほど、家を空ける。
が、それでも、夫婦がいっしょにいるときは、実に楽しそう。
そういう夫婦もいる。
長時間いっしょにいるから、密度が濃いということには、ならない。

 要するに、夫婦に定型はないということ。
私は私。
あなたはあなた。
大切なことは、認め合うこと。
干渉しないこと。
10年とか20年とか、長い年月をかけて、それぞれが自分たちの夫婦の像を作る。

 だから自分たちが、ほかの夫婦とちがうからといって、それを問題にしてはいけない。
その必要もない。
が、それにしても2年、とは!
「私なら別れる……」と考えるが、今、別れるにも、お金がかかる。
子どもの問題もある。
もちろん世間体もある。
それを考えると、「やっぱり、我慢します」となる。

●遅れ

 接続新幹線の遅れがあって、発車が15分ほど、遅れるという。
「こういうこともあるのだなあ」と思いながら、静かに待つ。
6号車は自由席だが、私を含めて乗客は7人ほど。

 プラットホームで駅員が何やらしゃべっていることを除けば、のどかな風景。
心休まる風景。
カーテンを開き、窓の外を見る。
駅の向こうを、車が走っているのが見える。
国道1号線だと思う。(まちがっていたら、ごめん!)

 遅れていた新幹線が着いたのか、どやどやと乗客が乗り込んできた。
と、同時に発車ベルが鳴った。
列車は、北陸線へ入った。

●絵描き
 
 絵描きと、もの書き。
よく似ている。
絵描きかは、そのときの風景(=心)を、絵にする。
もの書きは、そのときの心を、文にする。

 ひとつ大きくちがうところと言えば、絵を描いているときは、心の中は無になる。
ストレス解消になる。
文を書いているときは、頭の中は緊張感でいっぱいになる。
だから文を書いていても、ストレス解消にはならない。

 では、なぜ、書くか?

 あくまでもこれは私のばあいだが、書かないでいると、すぐ頭の中がモヤモヤしてくる。
放っておくと、それが充満し、息苦しくなる。
だから文を書いて、それを吐き出す。
その爽快感がたまらない。
今の今も、そうだ。
窓の外の景色を見ていても、つぎからつぎへと書きたいことが湧いてくる。
ぼんやりと眺めていても、そうなる。

 それはちょうどカメラマンが、何かの被写体を見つけたときの気持ちに似ているので
は?
それを楽しむ前に、シャッターを先に切る。
もしそうでないと、あとで後悔することになる。
「あのとき、写真を撮っておけばよかった」と。

 もの書きの心理もそれに似ている。
そのときでないと、思いつかないことは多い。
あとになると、忘れてしまう。
「しまった!」と思うことも多い。
だから、書く。

 ……と書くと、「そんなことをしていたら、旅を楽しめなくなるのでは?」と思う人もい
るかもしれない。
しかし旅の楽しみ方は、人、それぞれ。
私のばあいは、あとで自分の書いた文を読みなおすことで、何度も旅を楽しむことができ
る。

 しがない、無名のもの書きだが、そう思う。

●北陸線

 学生時代の北陸線から見える景色は、ひなびた田舎の農村だった。
「♪秋の、日暮れしころの、北陸の長浜の町は……イノシシが逆さまにぶらさがっている」
と。
合唱団で歌った歌に、そんなのがあった。

 が、その景色も一変した。
家々も近代的になり、平行して高速道路が走っている。
遠くの丘の上には、高層ビルも見える。
近代的な工場もふえた。
深い緑の木々はそのままだが、「これが北陸線?」と思うほど、あたりの様子は変わった。

●敦賀(つるが)

 しかし頭の中がからっぽになることも、ないわけではない。
緊張感が途切れ、疲れを覚えたようなとき。

 ……たった今、列車は、敦賀(つるが)に着いた。
敦賀原発のある、敦賀。
ここにも老朽化した原発が、いくつかあるという。
津波の心配もある。

 もしこの敦賀原発で、福島第一原発程度の事故が起きたら、その影響は岐阜市を越え、
名古屋市にも及ぶ。
直線距離にして、岐阜市まで、70キロしか離れていない。
ウソだと思う人は、グーグルアースを使って、自分で調べてみたらよい。
つまり岐阜市も、「避難勧奨区域」。

 が、岐阜市の人たちは、どこ吹く風。
敦賀というと、遠い、遠い、山の彼方(かなた)の、その向こうと考えている。

●長いトンネル

 列車は、長いトンネルに入った。
福井までは、あと30分ほど。
そこから越前大野へ向かう。

 子どものころ、「あの山の向こうはどうなっている」と聞いた、その「大野」。
その昔には、越前大野から塩をはじめ、数々の海産物が、岐阜県側に入ってきた。
私の母の先祖は、岐阜城からの落ち武者だった。
その街道沿いで、山賊をしていたという説もある。

 もっとも母は、こう言っていた。
「通行料をもらっていただけや」と。

 大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに、一度は、その大野(大野市)を見たか
った。
自分の目で、それを確かめたかった。
それで今日、その日がやってきた。

●9000円

 ……先のところまで書いたところで、船酔いに似ためまいを覚えた。
昨夜は、午前0時ごろ、床に就いた。
目を覚ましたのは、6時ごろ。
睡眠不足がたたった。

 で、パソコンを閉じ、福井市へ着くまで、静かに目を閉じた。

 ……今は、福井市から越前大野に向かう電車の中にいる。
1両編成のワンマンカー。
地元の人たちと思われる乗客で、ほぼ満員。
形は電車だが、エンジン音は、バスのそれ。
ときどきギアが入れ替わるのがわかる。

 福井市は、遠く三方を高い山に囲まれている。
10分も走ると、広々とした田園風景が広がる。
前方には、さらに高い山が見える。
それを見て、「これはだめだな」と。
明日は、大野市から、九頭竜ダム湖まで出て、それから岐阜県の白川村まで歩くつもりだ
った。
距離にして20キロ。
けっして歩けない距離ではない。
平坦地なら、歩ける。
しかし「この山では……!」と。
 
 先に、駅の観光案内所を訪れてみた。
タクシーでなら、行ってくれるとのこと。
料金は、9000円、とか。
目下、思案中。

●電車

 空が曇ってきた。
雨模様。
ときどき、窓の外を見る。
まぶしいばかりの田の緑が、目に入る。
ところどころに井掘り(水道)が見える。
水が豊富なところらしい。

 目の前の山々が、ぐんと近づいてきた。
どうなるのか?
トンネルに入るのか?
それとも山間を縫って走るのか?
が、電車は山のふもとで、大きく左に曲がった。
どうやら川沿いに走るよう。

 湿った空気が、エアコンの風にまざって流れてくる。
気持ちよい。
やはり電車は、川沿いを走っているようだ。
川幅は、それほど広くない。
10〜15メートルほど。

●夢

 その昔、福井からの行商人は、この道を通って、岐阜県側に入った。
そのときもこんな山々が連なっていたはず。
旅人も、同じ景色を見ていたはず。
そんな思いで、遠くの景色をながめる。

 それを簡単な地図にしてみると、こうなる。


  (福井市)+++(大野市)====〒===岐阜・郡上白鳥+++++名古屋
                         |
                         |
                        関市板取村
 
 ……今、思い出した。
おとなになってからも、こんな夢をよく見た。

 私はどこか、長良川の上流にいる。
そこからバスでくだっていくと、やがてバスは、岐阜県の板取村(現在の関市)に入る。
バスは、どんどんと下流に向かってくだっていく。
途中にいくつか、見慣れた村がある。
そのひとつが、母の在所のあったKB村。

 今、私はその夢の中にいる。
この先が、長良川の源流になる。
まっすぐ行けば、郡上白鳥に出るという。
関市板取村は、途中を右に曲がったところ。
地図の上ではそうなるはずだが、しかし地図には、その道が載っていない。
地図にも載らない、けもの道かもしれない。

 そう考えていたら、ほんのりと温もりのある懐かしさが、胸の中に充満してきた。
ふるさとの源流?
あのサケも、最後はふるさとの源流に戻り、そこで産卵し、命を果てるという。
そのサケの気持ちが、少しだが、理解できる。

●86キロ!

 たった今、道路標識が見えた。
「郡上(ぐじょう・岐阜県)まで、86キロ」と。
10〜20キロなら歩けるが、86キロは無理。
9000円でタクシーに乗るくらいなら、中古の自転車でもよいからそれを買って、郡上
まで行きたい。脚力には、自信がある。
しかし坂道では、どうしようもない。
あるいはひょっとしたら、下り坂ばかりかもしれない。
もしそうなら、一考の価値あり。

 旅館へ着いたら、宿主と相談してみよう。
言い忘れたが、今夜は「俵屋」という旅館に泊まる。
先ほど、駅の案内所でその宿を推薦してくれた。

 もしよい旅館だったら、実名はこのまま。
そうでなければ、「TW屋」とする。
1人1泊、10000円。
「TW屋」とし上で、悪口をいっぱい、書く。

どうかな?

●越前薬師

 電車は坂を登り始めた。
エンジン音が、苦しそうな回転音をたて始めた。
横を走る道路を見ても、明らかに勾配がきつくなっているよう。
それが目視でも、よくわかる。

 今、小さな駅に停まった。
「越前薬師」とある。

 そう言えば、昔、母がこう話してくれた。
「よく、薬屋も通った」と。

 母の家の前を通る街道を、よく薬屋も通った、と。
ひょっとしたら、その薬屋というのも、このあたりから、来たのかもしれない。
勝手な想像だが、そうした想像力を働かせてみるのも、これまた楽しい。
いや、本当に楽しい。

●観光

 今回の旅には、カメラはなし。
あえてもってこなかった。
そのかわり、こうして文を書き残すことにした。

 が、率直に言って、これほどまでに旅心を楽しませてくれるところとは知らなかった。
電車の中には、トイレがあり、そのトイレのドアは、そのまま観光案内になっている。
駅ごとに、(本当に小さな駅だが)、さまざまな観光地が紹介されている。

 かたくりの花……ひまわりの畑……花桃の並木……芝桜……桜と越前大野城……。
そしてその先には、九頭竜湖がある!

 再び、三たび、電車は平地を走ったり、山間を走ったり……。
土地の様子をみるかぎり、開けた農村地帯。
母の在所よりは、はるかに豊かな田園風景が広がっている。

●越前大野・俵屋旅館

 その昔は、機織業で栄えた町という。
今は、その栄華は見る影もない。
さびれた田舎町。
しかしその威厳は、いたるところに残っている。
大野城という、場違いなほど(失礼!)、立派な城もある。
すばらしく郷愁を覚える町。
それが越前大野市。

 その一角に、大きな門構えの、俵屋旅館がある。
見た瞬間、大正時代か、昭和のはじめにタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。

で、部屋に案内され、さらに驚いた。
庭先に面した部屋。
浜松にも本陣宿がいくつか残っているが、規模といい、豪勢さといい、それをはるかにし
のぐ。
まさに本陣宿風の宿。

 部屋の中央には、ふとんが敷いてあった。
私もいろいろな旅館に泊まってきたが、ふとんが敷いてある旅館ははじめて。
「先に旅の疲れを癒してください」という気配りか?
ありがたい。
実のところ、睡眠不足でフラフラ。

 星は3つ星の★★★。
心静かに、日本のよさを楽しみたいという方は、ぜひ、一度、訪れてみたらよい。
空いていれば、離れの一軒屋に同じ料金で泊めてもらえるとのこと。
女将はこう言った。
「同じ1泊10000円でいいですよ」と。

 家の香り、雰囲気、作り……すべてが、私の実家そのもの。
一言で今の心境を表現すれば、こう。
「来て、よかった!」。

(ただし田舎志向の旅人向け。
部屋にトイレはない。
内湯もなし。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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