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2011年         11月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

(2011年11月号)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【11月3日】

++++++++++++++++++++

昨日、映画『三銃士』を観てきた。
内容はともかくも、映像技術に驚く。
「ここまで進歩したか!」と驚くこと、
しばしば。
映像技術に感動し、星は文句なしの
5つ星の★★★★★。

++++++++++++++++++++

●三島市での講演会

 三島市での講演会の感想が届いた。
うれしかった。
協議会のみなさん、ありがとうございます。
当日は市長ならびに、教育長もおいでになるということで、
かなり緊張していました。
(講演は聞いてもらえませんでしたが……。)

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/71/imgdfe49791zik9zj.jpeg
" width="1169" height="923" alt="img220.jpg">

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/70/img10046a54zik0zj.jpeg
" width="1186" height="1577" alt="img219.jpg">


●ラジオ相談(広島県のみなさんへ)

 これから広島のラジオ局で、子育てQ&Aに出演することになっています。
電話での相談です。
「IDOBATA」という番組です。
広島県の方で、まにあうようでしたら、どうか、お聞きください。
午後1時〜(11月3日)です。

Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●緊張する世界経済

++++++++++++++++++

世界経済が、極度に緊張している。
キーンと張り詰めた糸のよう。
目を凝らし、記事を読む。
息を詰める。
私のようなまったくの部外者でも、
経済ニュースを拾い読みしているだけで、
体がこわばってくる。

まさに今は、世界大戦前夜。
世界中が、今、ひっくり返るか返らないか。
その瀬戸際に立たされている。

+++++++++++++++++

●ヨーロッパ製はどこにある?

 ざっと家の中を見回してみる。
私の家も、そうだ。
あなたの家も、そうだ。
どこにヨーロッパ製のモノがある?

 何かないかとさがしてみるが、やはり、ない。
あるとすれば、ワインだが、最近は南米産のワインを飲むことが多くなった。
が、それでもさがしてみる。
食料品は、どうか?
飲料水は、どうか?

 私には縁がないが、あるとすれば、ドイツの高級車。
それだけは、今でも健在。
が、それを除くと、ヨーロッパ製のモノは、何もない。
本当に、何もない。

●アメリカでも

 7〜8年ほど前のこと。
アメリカに行った。
そのときのこと。
リトルロック(クリントン大統領の出身地)にある、ホテルに泊まった。
リトルロックの中でも、一流ホテルと呼ばれるホテルだった。
そこでのこと。
私は部屋の中のモノを見て、驚いた。

アメリカにありながら、アメリカ製のモノは、何もなかった。
テレビも、電灯も、時計も、すべて外国製。
洗面具もに至るまで、外国製。
かろうじてひとつだけあったのが、クロゼット。
見栄えだけは立派だったが、扉を開けて、これまたびっくり!
内側からはベニア板が、無造作に打ちつけられていた。
(あのクロゼットにしても、たとえばメキシコ製ではなかったか?)

 それを見て、私はワイフにこう言った。
「これじゃあ、日本では売れないよ」と。

●日本でも

 それから7、8年。
アメリカで見たのと同じ現象が、私の家でも起こりつつある。
あなたの家でも、起こりつつある。

 どれもこれも、みな、Made in China。
日本のブランド名をつけてはいるが、よくよく見てみると、Made in China。
が、まだ日本製がないわけではない。
あのときのアメリカほどひどくはないが、今、それに近い状況になりつつある。

●モノ

 私の経済学は、こんなところから始まる。
つまりヨーロッパには、もうその「力」はない。
アメリカにも、ない。
この日本にも、ない。

 で、アメリカがアメリカなのは、アメリカには軍事力があるから。
日本が日本なのは、日本が世界のサラ金国家になっているから。
産業の空洞化がよく問題になるが、貿易収支(モノの売買で稼ぐマネー)は、11%しか
ない。

 ……で、そうした視点で、ギリシアやイタリアをながめてみる。
「ギリシアやイタリアのものはあるか?」と。
フランスのモノでもよい。
が、ご存知のように、ギリシアやイタリアのものなど、どこをさがしても、ない。
フランスのモノといえば、装飾品や香水などということになる。
しかし必需品ではない。

●サラ金国家

 欧米先進国とは言うが、今ではそれが有名無実化している。
何をもって、「欧米先進国」というのか?

ヨーロッパだけではない。
アメリカにしても、衰退の一途をたどっている。
世界に君臨した軍事国家も、イラクから撤退。
アフガニスタンすら、制圧できないでいる。

 一方、この日本についても、ここ半年、銀行や証券会社は、軒並み大幅に株価を下げて
いる。
あちらで大損失、こちらで大損失。
サラ金国家も、いまや、風前の灯火。

 つまり今、世界中で、大シャッフルが起きつつある。
新旧交代?
わかりやすく言えば、「富の再配分」が始まりつつある。
今まで、欧米先進国と呼ばれる国々が、世界の富をあまりにも独占しすぎていた。
それほど働かなくても、楽な生活ができる欧米先進国。
働いても働いても、貧しいままのそれ以外の国々。
日本も、一応欧米先進国の一員だったが、戦後は懸命に働いた。
金(マネー)をためた。
その金(マネー)を世界中に投資することで、今の地位を築いた。

●自衛

 あくまでも私の経済学によれば、大恐慌は、もう避けようがない。
どういう形であれ、ギリシアは破綻する。
イタリアとフランスが、それにつづく。

 アメリカと日本も、その嵐に巻き込まれる。
日本でも、メガバンクの1つや2つは、つぶれるだろうと言われている。
大手の証券会社も、あぶない。

 ……ということで、私たち庶民は、自衛するしかない。
「あぶない」とささやかれている銀行や証券会社とは縁を切る。
こんな時期に、株や債権を買って儲けようなどというのは、まさに自滅行為。
正気の沙汰ではない。

 数日前も昼食時に、ある証券会社の前を歩いてみた。
株価も300円を切った、某証券会社である。
店頭には、「〜〜債」という大きな広告が張ってあった。
で、中を見ると、それらしき客が、若い女子店員の説明を受けていた。
知らぬが仏というか、私にはその客が、証券会社のカモに見えた(失礼!)。
ネギを背負ったカモ。

 少なくとも、証券会社の幹部には、そう見えるにちがいない。
……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっているが、今がどんなときぐらいかは、ほんの少しネットをのぞいてみ
れば、わかるはず。

●11月4日

 先のところまで書いて、私はYOUTUBEをのぞいてみた。
昨夜、11時ごろのことだった。

まず飛び込んできたのが、「3号機は核爆発していた」という映像。
1号機の爆発との比較映像が収録されていたが、たしかに3号機の爆発はすごい。
茶色のキノコ雲が、目測で500メートル近くまで昇っている。
これに比較して、1号機のほうは、水平に爆発。
煙も白い。

 で、そのあとが悪かった。
ついでに……ということで、YOUTUBEの映像をつぎつぎと見た。
その中には、あの3・11大震災で、津波に呑み込まれる人々の映像もあった。
泣き叫ぶ人……。
「逃げろ」と大声を出し、走り回る人。
そういう人たちが、路上で、つぎつぎと津波に呑み込まれていく……。

 30分ほど、見ただろうか。
とたん、眠気が吹き飛んでしまった。
そうした映像が、脳に焼きついてしまった。

 一度床の中に入ったが、1時間以上も、眠れなかった。
で、起きて書斎へ。
やっと眠気を感じたのが、午前3時ごろ。
で、今朝は、午前9時半起き。
ワイフが心配そうに、「だいじょうぶ?」と聞いた。
私は「あまり気分がよくない」と答えた。

●電子マガジン

 書斎でパソコンを開くと、マガジン(11月4日号)が配信されていた。
それを読む。

 自分で自分の書いた原稿を読みなおす。

 みなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司 
●11月5日朝(2011)
++++++++++++++++++

昨夜は、午後9時前に就寝。
その前夜、安眠に失敗。
寝る前に、大震災のYOUTUBEを見たのが
悪かった。
津波に呑み込まれていく人たちの、
生々しい映像がつづいた。
それを見て、ショックを受けた。
それがよくなかった。
あれこれ努力をしてみたが、午前3時過ぎまで、
眠れなかった。

で、昨夜は、睡眠時間は、3〜4時間。
それもあって、昨日は、最悪のコンディション。
1日中、夢うつつというか、フラフラの状態。

で、昨夜は、仕事から帰ると、風呂にも入らず、
そのまま就寝。
起きたのが、先ほど、午前5時。
スッキリというわけではないが、気分は悪くない。

+++++++++++++++++++

●御殿場

 近く、伊豆半島にある伊東市で、講演をすることになっている。
その帰り道、私とワイフは、御殿場にあるホテルに一泊する。
その予約を、昨日、すました。
ロッジの一軒家で、貸し切りの露天風呂がついているという。
楽しみ。
昨夜寝る前、ワイフがこう言った。
「x日は、晴れみたいよ」と。

●LibreOffice

 ワープロといえば、マイクロソフト社の「ワード(word)」が定番。
私も、すべてのパソコンにワードをインストールし、それを使っている。
が、このワード、値段が高い。
パソコンでも、それが組み込んであると、プラス2万円ほどUPになる。

 が、最近、メキメキと頭角を現してきたのが、「LibreOffice」。
「OpenOffice」の後継版だが、機能も進化し、動作も安定してきた。
もちろんワードの文章も、そのまま開き、編集もできる。
将来的には、LibreOfficeが主流になり、現在のワードに置き換わると予想さ
れている。

……ということで、この11月から、ワードからLibreOfficeへの移行を始め
た。
まだ本格的に使っているわけではない。
どこか恐る恐るというか、おっかなびっくり。

 ……というのも、ワード2003以前のバージョンであれば、問題なく使える。
が、ワード2007とか、2010で作成した文書のばあい、そのままでは使えないとき
がある。
そういうときはワード2007とか2010で作成した文書を、一度、ワード2003に
変換しなおさなければならない。
変換した後、LibreOfficeで読み出し、編集する。

 が、何よりもすばらしいのは、無料ということ。
使っていると、「どうして無料?」と思うことが、しばしばある。
(だからおっかなびっくり?)
さらにLibreOfficeのすぐれている点は、そのソフトを補強するための、プラ
グイン(ソフト)が、いろいろと用意されていること。
それをインストールすると、自分の好きなように、LibreOfficewoカスタマ
イズできる。
たとえば……、

日本語環境改善拡張機能……ワードのIMEに相当するフリーソフト
writer2epub……文書を電子書籍形式に変換するフリーソフト、などなど。

 現在、そのLibreOfficeを使って、この文書を編集している。
ワード2010→LibreOffice→ワード2010を繰り返しているが、今のと
ころ、まったく問題なし。

フ〜〜ン、それにしても、どうしてこんなソフトが無料なのだろう?

●次期、ノートパソコン(ウルトラブック)

 11月中旬に、TOSHIBAから、最薄、最軽量のパソコンが発売になる。
すぐ買うというわけではない。
1〜2か月もすると、値段がさがるはず。
それを待って、買う。

 ほかにもいろいろな機種を考えてみた。
AppleのMac・Airも、そのひとつ。
魅力的な機種だが、Mac・Airにすると、今までのソフトがすべて無駄になる。
周辺機器も、買いそろえなければならない。
……ということで、TOSHIBA。

●ついでにIP電話

 Skypeを利用すれば、テレビ電話が、無料で使える。
私もよく利用させてもらう。
それがさらに進化したのが、Skype5・5だそうだ。
まだ私は利用していないが、これを使えば、いわゆるIP電話が、使い放題、無料で利用
できるようになるという。

 Skype社は、先般、マイクロソフト社に買収された。
つまりより安全、より使い勝手がよくなった……ということらしい。
近く、それを使ってみる。
つまり固定電話の時代は、終わりつつある(?)。

●YOUTUBE

 先ほど、YOUTUBEに動画を3本、UPLOADした。

【年長児・植物】

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/diSFe4Y9lJE?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/l2uCOuRmuAg?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【仲間に入れない子ども】

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/raKg-VasMO0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日進月歩

 この世界も、まさに日進月歩。
何度も書くが、ついていくだけで、たいへん!
そこで私のばあい、(人生も短いこともあるが……)、手を出す分野とそうでない分野を、
はっきりと区別するようになった。
すべてに手を出していたら、それこそいくら時間があっても、足りなくなってしまう。
現在の私は、モノ書きに徹したい。
パソコン用語を使うなら、モノ書きに特化したい。

 あとはこの道、一筋。
おかしなたとえだが、夫婦生活に似ている。
結婚は、1回でこりごり。
妻は1人で、たくさん。
ついでに人生は、1回で、じゅうぶん。
その日が来てもうろたえないよう、日々を完全燃焼させる。
願わくは、ピンコロ。
それあるのみ。

 では、みなさん、おはようございます!
2011/11/05


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●野村證券研究(はやし浩司 2011−11−05)

++++++++++++++++++++

おととい、市内の地下街を歩いてみた。
その一角に、特設販売をしているコーナーがあった。
見ると、「福島産の野菜市」と書いてあった。
それを目ざとく見つけ、ワイフがこう言った。
「安いわ」と。

たとえばキュウリが2本で、50円など。
ほかにもいろいろあったが、値段は忘れた。

が、そのときのこと。
私の心が複雑に揺れ動いた。
「買うべきか、買わないでおこうか」と。
しかし目の前に立ちはだかる現実という壁を、
どうしても乗り越えることができなかった。
たとえその野菜は、規制値以下であっても、
放射性物質は蓄積される。
すでに産地偽造問題も発覚している。
大手のスーパーなどでも、約50%の魚が、
すでに放射性物質に汚染されているという。
キュウリだけですむ話ではない。

だから私はこう言った。
「やっぱり、やめとこう」と。

福島県の人たちが聞いたら、がっかりするだろうと思う。
その心情は痛いほど、よくわかる。
しかし買えないものは、買えない。

そこを去るとき、振り返り、特設販売会を見た。
通りを7、8人の人が歩いていたが、だれも立ち止まらなかった。
それを見て、私はもう一度前を向きなおした。
足早にその場を立ち去った。

++++++++++++++++++++

●CDS値

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始め
たという。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モ
ルガン・スタンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収し
ている。
なおイタリアでは、主要金融機関のCDS値が、軒並み400〜600ベーシスポイント
に上昇しているという。

●大本営発表

 私が韓国というより、野村證券に疑問をいだいたのは、つぎのような記事を読んだとき
である。
その記事は、韓国の東亞日報に、紹介されていた。
(日本の新聞にでなく、韓国の新聞にだぞ!)
いわく、『野村證券の首席エコノミスト、クォン・ヨンソン氏は27日の記者懇談会で、「フ
ァンダメンタルの側面から見たとき、韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」
と主張した』(東亞日報・9月27日)と。

 そんはずはない。
 実はギリシャより危ないのが、韓国。
韓国政府は、「韓国経済は盤石である」というような大本営発表を繰り返している。
が、だれもそんな話は信用しない。

 『韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している』(中央
日報・11年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)と。
4000億ドルだぞ!
63兆円だぞ!

 これに対して、韓国政府は、「各家庭の純資産も、その程度あるから心配ない」と、繰り
返し、応戦している。
が、その中身といえば、住宅バブル。
バブル資産。
そこへ来て、今回の大恐慌。
世界の新興国からの資金引きあげ。
韓国もそのひとつ。

 モノを売りたくても、売り先の国々の経済が収縮してしまった。
韓国政府は、「外貨準備もじゅうぶん」と豪語しているが、大半は現金ではなく、有価証券。
(外国からの借金)ですら、(投資)に組み入れてしまう国である。
数字のインチキは、し放題。

 が、それを救済したのが、日韓スワップ協定。
それについては、すでに何度も書いてきた。
ここでは野村證券に焦点をあて、考えてみたい。

 つまりIMFですら、「韓国は数か月以内にデフォルトする可能性がある」と発表した。
これに対して、野村證券は、「韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」と。
まったく正反対の意見を並べた。
この意見の乖離(かいり)こそが、私が野村證券に疑問をいだいた、突破口だった。

●大きくてつぶせない!

 ところでロイターは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、ロイター+++++++++

 ……フランスのカンヌで開かれていた20カ国・地域(G20)首脳会議は4日、国際
金融システム上重要な金融機関(GーSIFIs)として世界の大手金融機関29行を指
定した。
金融安定理事会(FSB)が公表したリストによると、内訳は欧州が17行、米国が8行、
日本が3行、中国が1行となっている。

これらの金融機関には、2016年から段階的に自己資本の1〜2.5%上積みが求めら
れる。

 邦銀でG−SIFIsに指定されたのは、三菱UFJ、みずほ、三井住友の3行。
中国は中国銀行が指定された。
米銀ではシティグループゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェースなどが含まれ
る。

++++++++++以上、ロイター+++++++++

 要するに、「大きくて、つぶせない」ということらしい。
が、ここに野村證券が含まれないのは、どうしたことか。
ロイター伝も、わざわざそう書いている。
「野村證券もうわさされていたが、今回のリストには含まれなかった」(同)と。

●株価

 そこで残るは、株価ということになる。
つまり経営状況はどうなのか。

 今年の最高値は、557円(2月17日)
最安値は、261円(10月4日)
昨日(11月4日)は、290円で今週の取り引きを終えている。
ヨーロッパの動向に敏感に反応しているところから、今は、ヨーロッパ次第というところ
か。

 ただ銀行と証券会社は、ちがう。
銀行はつぶれると、大きな波紋を広げる。
融資という形で、それぞれの地域の産業と深くかかわっている。
が、証券会社は、つぶれても、困らない。
あの山一証券の倒産劇のときのことを、思い出してみれば、それがわかるはず。
いくら「ガリバー」の異名をもつ野村證券であっても、つぶれるときは、つぶれる。
そのヒントは、「290円」という数字にある。

●なぜ?

 なぜ、野村證券は、韓国の経済を「安全」というのか。
「340ベーシスポイント」を、どう読んだらよいのか。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収し
ている。
つまり経営危機がささやかれているモルガン・スタンレー銀行と三菱UFJは、深く関わ
り合っている。
その三菱UFJと野村證券も、これまたたがいに深く関わり合っている。

 本当に野村證券は、安全なのか。
だいじょうぶなのか。
これ以上のことは私には、わからない。
わからないから、私は来週中には、すべての縁を切ることにした。

 三菱UFJとは、東海銀行時代からのつきあいを含めると、40年以上になる。
野村證券とのつきあいは、25年以上になる。
いくら「安全です」「心配ない」と言われても、客である私たちは、別の考え方をする。
その心情は、福島産のキュウリを見たときに感じた、あれと同じ。

●後記

 ところで福島県の人たちは、今、どうしているのか。
地元産の野菜を食べているのか。
それとも他県産の野菜を、選んで食べているのか。

 が、率直に言えば、私はこんなことを心配している。
たとえばこのあたりでも、良心的な店は、「うちでは、メキシコ産の牛肉を使っている」(「ス
キヤ」ほか)とか、「うちの肉は、アメリカ産です」(「吉野屋」ほか)とか言って、ちゃん
と説明してくれる。
「オーストラリア産牛肉使用」とか、メニューに表示している店も多い(「サイゼリア」ほ
か)。

 が、その一方で、まったく説明してくれない店もある。
昨夜立ち寄った「N食堂」にしても、そうだ。
自分でおかずを選んで買うのだが、そこには、サンマ、サバなどの魚類、野菜類が50〜
70種類並んでいる。
もちろん「ご飯」もある。
そういった食品の産地は、どこなのか。
いくら規制値以下であっても、できるだけ汚染された食品は、避けたい。
あとになって「汚染されていました」では、困る。

 私の印象では、むしろ浜松市のような、どこかのんびりした市で、汚染食品が多く出回
っているような気がする。
今のところガイガーカウンターなどで、調べ回っている人もいない。
が、警戒するにこしたことはない。

Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 

●11月 5日夜記(映画『フェア・ゲーム』)

++++++++++++++++++++++++

今日、映画『フェア・ゲーム』を観てきた。
イラク戦争の内幕を暴いた映画だった。
おもしろいというより、たいへん興味深かった。
星は3つの、★★★。
公式サイトの説明文には、こうある。

「アメリカ合衆国史上最大のスキャンダル。
イラク戦争を巡る巨大な謀略。
権力に立ち向かった、CIAエージェントの孤高なる戦い」と。

ただ一方的にブッシュ政権を「悪」という前提で描いていた
点については、ついていけなかった。
(「悪」は「悪」だが・・・。)

当時の状況を思い出してみると、フセイン大統領にも、
責任がなかったわけではない。
核兵器などもっていないのに、もっているというフリをしてみせた。
「(アメリカが)攻めてきたら、核兵器を使うぞ」と。
周辺の国々も、それが理由で、イラクを恐れた。

映画は、1人のCIA女性局員を中心に、描かれていた。
またそういう視点からだけで、描かれていた。
あの映画だけを観て、「ああ、そうだったのか」と思うのは、少し危険。
別にブッシュ大統領を擁護するつもりはない。
だれがみても、あの戦争は、無謀だった。
やるべきではなかった。

が、当時のアメリカのあのエネルギーを止める力は、だれにもなかった。
9・11のあの事件のあと、アメリカ人の怒りは、頂点に達していた。
仮にその女性局員の主張が通っていたとしても、あの戦争を止めることは、
だれにもできなかっただろう。

+++++++++++++++++++++++

●予定ミス

 数日前の上映時刻表をもとに、映画館へ足を運んだ。
その上映時刻表によれば、午後2時30分からの上映時間のはずだった。
が、行ってみると、午後4時35分に変更されていた。
しかたないので、街の中で2時間、つぶすことにした。

 コースは決まっている。
駅前まで行き、ビッグエイトでパソコンをながめる。
そのあと近くのレストランで、夕食。
・・・ということで、駅のほうに歩いた。
が、駅前で、どこかのブラスバンドが、生演奏をしていた。
ちょうど坂本九の『♪上を向いて歩こう』を演奏していた。
胸にジンと響いた。
で、そのまま椅子がちょうど2つ空いていたので、そこへ座った。
最前列の中央席だった。

 で、そこで50分ほど、時間をつぶした。
・・・「つぶした」という言い方は、失礼。
久しぶりに、本物の演奏を楽しませてもらった。
2〜30分もすると、脳の中に、甘い陶酔感が漂うのを感じた。
美しいというよりは、気持よかった。

 そのあと、その勢いを借り、私が「うな丼を食べようか?」とワイフに言うと、「いいわ
ね」と。
久々のうな丼である。
ビッグエイトでパソコンをながめたあと、その裏手にある、うな丼屋に向かった。
が、ここで予定ミス。
うな丼がテーブルに運ばれてくるまでに、20分もかかってしまった。
映画の上映まで、15分。

 やっと並んだうな丼を、(せっかくのうな丼だったが)、胃にかき込むようにして食べた。
「ゆっくり食べたかったね」と言うと、ワイフも、「そうね」と。
そのあと小走りで、劇場へと向かった。

●ASUSのZENBOOK

 ビッグエイトで、ASUS社のZENBOOK(新型パソコン)を見た。
台湾製である。
「ZEN」とは、「禅」のことか?
私は台湾の人たちの、こういうフレンドリーな姿勢が好き。
「台湾製」と聞いても、違和感(=反感)なく、手で触って楽しむことができる。

 そのZENBOOKは、今度発売になる、TOSHIBAのR631の競合品。
しかし名前で、TOSHIBAは、すでに負け。
どうして「R631」なのか?
名前がつまらない。
(昔からTOSHIBAは、パソコンを事務機器としか考えていない。
そういう姿勢が、今でも残っている。)
値段もZENBOOKのほうが、5万円ほど、安い。
(R631は、オフィスソフトを付属しているが・・・。)

 近くR631が発売になる。
そのとき、それほど性能に差がないということであれば、私はZENBOOKを買う。
(SPECで比較するかぎり、ZENBOOKのほうが、上のよう。
画面解像度も高い。
あとは手で触ってみた感じ。
それで決める。
私には、キーボードの感触が重要。)

買うことについては、すでにワイフの了解も、取りつけてある。

●山荘へ

 夜遅く、山荘に向かった。
(今、その山荘で、この文章を書いている。
時刻は午後11時40分。)
途中、コンビニでチューハイとか菓子とか、いつもの定番品を買う。
が、今夜はビデオなし。
横に座っているワイフが、「眠くなってきた」と言った。
「寝るかア」と声をかけると、「うん」と。

 ・・・ということで、今夜はここまで。
このつづきは、また明日。
たぶん、明日も、午前3〜4時に目が覚めるはず。
静かな時間に、静かな文章を書きたい。

 今日の成果は、とくになし。
変哲のない、1日だった。
明日こそは、充実した1日を送りたい。
がんばろう!

●午前7時(11月6日)

 静かな朝だった。
窓の外を見ると、小雨が煙っていた。
山の朝は、いつもそうだ。
雨の時は、雨というより、雲の中に、すっぽりと入ってしまう。
あたり一面、霧模様。

 昨夜、寝る前に庭に出てみた。
そのときのこと。
周囲をぐるっと見回してみた。
見えたのは、谷の向こうの1灯だけ。
4〜5キロ離れたところにある、たぶん、電柱の電灯だと思うが、それだけ。
この20年で、あたりの様子は、大きく変わった。
農家の人たちは、つぎつぎとミカン栽培から、離れていった。
減反につづく、減反。
そのかわり、そこに大きな雑木が茂るようになった。

 私の山荘の周辺にしても、そうだ。
今では、10メートルを超える木々にすっぽりと覆われている。

●『♪ダニーボーイ』

 昨日聴いたブラスバンドのメロディーが、まだ耳の中に残っていた。
数曲を除いて、私の知らない曲ばかりだった。
それもあって、アイルランド民謡の『♪ダニーボーイ』が、強く印象に残った。

 ダニーボーイ・・・アイルランドでは、日本の『♪故郷』のように、親しく歌われてい
る。
それぞれの国が、似たような曲をもっている。
たとえば韓国の『♪アリラン』、アメリカの『♪シェナンドー』、オーストラリアの『♪ウ
ォルチング・マチルダ』など。
アイルランドでは、『♪ダニーボーイ』。

 家に帰ってから、YOUTUBEでさがして、ダニーボーイを何度か聴いた。
しばらくすると、ワイフがそれを聞きつけて、やってきた。
2人で、聴いた。

●インターネット

 雨戸は、まだ閉めたまま。
ワイフはまだ、ふとんの中。
音もなく過ぎ去る時間。
廊下にロッキング・チェアーがあり、そこに衣服が無造作にかけられている。
その衣服を、どこかうらめしそうに、しばらくながめる。
ワイフが起きるまで、雨戸を開けられない。
今は、じっとがまんのとき。

 つまり雨戸を開けないと、ネットがつながらない。
ここは山の中。
電波状況が、あまりよくない。

 ・・・そう言えば、少し前、心にこう決めた。
「土曜日は、ネット無しディーにしよう」と。
土曜日だけは、インターネットを無しですまそう、と。
しかしその翌週には、インターネットをもう使っていた。
今では、インターネット無しの生活は、考えられない。
携帯端末を買ってからは、この山荘でも使うようになった。

●ネット中毒

 私のような人間も、「ネット中毒」というのか。
雑誌などによれば、1日、20回以上、ネットをのぞく人は、ネット中毒というのだそう
だ。
しかし私のばあい、20回以上。
数えたことはないが、こうしてパソコンを開いているときは、同時に、いつもインターネ
ットにつなげている。
ニュースを見たり、情報を手に入れたり・・・。
メールそのものは、10〜20回程度かもしれないが、インターネットの使い方は、もち
ろんそれだけではない。

 今は、経済ニュースから目が離せない。
Bloomberg、ロイター、ヤフー、MSI、それにNIKKEIなどなど。
TBS−iなどは、動画でニュースを配信してくれる。
それを一通り見るだけで、30分以上はかかる。
そのこともあって、ニュースの見方が、このところ大きく変わってきた。

 たとえばひとつの記事を読むと、「ほかではどんなふうに書いているのだろう」と比較す
るようになった。
あるいは「ヨーロッパやアメリカでは、どんなふうに報道されているのだろう」と、直接
向こうの記事を読むようになった。
以前なら、東京でしか手に入らなかった情報が、東京を素通りして、直接手に入る。
それもあって、インターネットのない時代と比べると、情報量が、格段と多くなった。
その分だけ、ニュースを読む時間が、長くなった。
 
 そういう私でも、やはりネット中毒ということになるのか。

●ネットの世界

 言うなれば、ネットはすでに脳みその一部になっている。
しかもその脳みそが、有機的に、他者とつながっている。
TwitterやFacebookが、それを可能にした。

 だれかの(つぶやき)が集合されると、それがそのまま「革命」につながることもある。
エジプトもリビアも、それでひっくり返った。
言い換えると、脳みそにネットワークができてしまった。
たとえば今、私がこうして書いている文章にしても、ふだんならBLOGとして発表した
とたん、世界中の人が、そのまま読むことができる。
(今朝は、それができないが・・・。)
それを「すばらしい」ととらえるか、「恐ろしい」ととらえるか。
とらえ方は、さまざまだろうが、私は「すばらしい」と、とらえる。

 たとえば以前は、図書館通いが日課になっていた。
が、今は、もうそんな必要はない。
座右に、超巨大な図書館を置いたような状態。
調べたいことは、即座に、その場で調べることができる。

 もちろん情報量もちがう。
ときにアメリカの大統領になったような気分になるときがある。
必要な情報を、直接外国から、手に入れることができる。
つまり私は、CIAのような情報局すら、自分のものにすることができるようになった。

●エネルギー

 そこで重要なことは、すでに何度も書いてきたことだが、「情報の洪水の中で溺れないこ
と」。
それにはいくつかの方法が、ある。

(1)選択・・・つねに情報は、選択する。
(2)吟味、考察・・・自分の考えを加える。

 この2つを怠ると、それこそ本当に、溺れてしまう。
何がなんだか、訳が分からなくなってしまう。
つまり1人の人間がもつ情報消化能力には、限界がある。
能力的な限界というより、時間的な限界。

 だからたとえば今の私には、スポーツ記事に目を通す余裕は、まったくない。
ニュースにしても、海外ニュースがほとんど。
国内ニュースには、ほとんど興味がない。
大半は、読み捨て、それでおしまい。

 で、ニュースを読んだら、それについて「私はどうなのか?」と、自分で考える。
が、これについては、脳みそのほうが、勝手に反応してくれるから、問題ない。
ときにバチバチと火花が飛ぶのを感ずることがある。

文章というのは、基本的には、(怒り)を覚えないと、書けない。
その(怒り)が、(書きたい)というエネルギーに変わる。
「バチバチと火花が飛ぶ」という状態は、それをいう。

●ワイフの起床
 
 たった今、ワイフが寝床から起きてきた。
時刻は、午前8時15分。
「雨戸を開けて・・・」と頼むと、ワイフが雨戸を開けてくれた。
とたん、森の景色が飛び込んできた。

 手前から栗の木、杉の木・・・。
少し離れたところに、コナラの木と椎の木・・・。
その向こうに谷がつづき、薄い紙のように、山々が連なる。
その間を白い雲が筋を引いて流れている。
その雲が見えるということは、天気が快方に向かっていることを示す。

 今日は浜松市内で、サンバの祭りがある。
どこかスケベったらしい祭りだが、11月にサンバ・・・というのも、どうか。
リオデジャネイロとは、季節が逆。
裸に近いかっこうで街中を歩くには、11月は寒すぎる。
若いころなら、私も、望遠レンズつきのカメラをもってでかけたかもしれないが、今はそ
んな元気もない。

●ネット

 ネットにつなげるためには、雨戸を開けなければならない。
……ということで、今、そのネットにつながった。
メールを読んで、あちこちのニュースサイトに目を通す。

 Szさんから、メールが届いていた。
「昨日、近くのイタリアンレストランで、七五三の祝いをしました」と。

 「2人の娘のために、祖父母+両親、計7人で祝いました」と、それにはあった。
「私たちの老後を支えるためには、増税しかないですね」とも。
が、それよりも重要なのは、70歳を過ぎても働けるような社会的環境の整備と、個人の
健康。
この2つを本気で考えないと、日本は、本当に沈没してしまう。

 ところで、私の近所には、この30年以上、まったく仕事をしないまま、年金生活をし
ている老人が、何人か、いる。
社会への貢献度も、ゼロ。
毎日、好き勝手なことをして、遊んでいる。

 若いころはそんなことは考えなかったが、このところ、そういう老人を見ると、腹が立
ってくる。
もちろんその老人個人に、責任があるわけではない。
しかし30年以上も遊ばせておく制度に、腹が立ってくる。
年金額を、月30万円で計算しても、30万x12か月x30年=1億円以上!

 1人、1億円だぞ!
実際には、妻の年金分もあるから、みな、その倍近い。

 が、そういう老人にかぎって、近所でも、威張っている。
いかにもエリート老人といった顔をして、威張っている。
草刈りひとつしない。
ゴミ拾いひとつしない。
そのつど、市や自治会に苦情の電話をかけている。
だから腹が立つ。

 ・・・というような老人になってはいけない。
反面教師というか、この先、私たち老人を見る目は、ますますきびしくなる。
そういうことも考え、これからの私たちの老後を考える。

●ニュース

 ニュースサイトには、当然のことながら、よいニュースは、あまり載っていない。
今度はイタリア経済がおかしくなったとか、タイの洪水がさらにひどくなったとか、そん
な話ばかり。

ついでに昨日のニュースによれば、北朝鮮が、日本側の報道陣の数はもちろん、サポータ
ーの数まで制限してきたという。
サッカーのアジアリーグ戦についてである。

 「だったら、そんな試合、日本側がボイコットすればいい」と考えたが、あんな国、ま
ともに相手にしてはいけない。
その価値もない。
「ああそうですか」と言って、試合だけして帰ってくればよい。
日本には、「シカト」という、すぐれた(?)問題回避方法がある。
つまりここはシカト。
無視。

●雑談

 ワイフとの雑談がつづく。
ワイフがこう言った。
「スプレーを買って帰る」と。

 このところスズメバチが、庭の周辺を飛び交うようになった。
3〜5匹、まとまって見かけたら、近くにかなり大きな巣があるとみてよい。
が、どこにあるか、わからない。
昨日も朝、それをさがしてみたが、見えるところにはなかった。

スプレーというのは、殺虫剤のスプレーをいう。
5〜6メートル先まで届くスプレーもある。
「それを買って帰る」と。

 ハチも毒をもたねば、殺されはしまい・・・ということか。

 その「毒」といえば、中国。
今回の通貨安競争の元凶といえば、中国だった。
世界中が中国の安売り攻勢に音をあげ、それぞれが通貨安競争に突入した。
その結果が今。
世界経済は、メチャメチャ。

 G20の会議を通して、オバマ大統領と胡中国国家主席と話し合ったが、成果ゼロ。
むしろ反対に中国は、EUに対し、こう言って脅した。
「欧州基金へ投資を検討してやる。そのかわり、見返りをよこせ」(日本経済新聞・11・
5))と。

 ワイフはこう言った。
「ああいう独裁国家は、いやね。民主主義がないから、こわいわ」と。

私「日本だって、独裁国家のようなものだよ。官僚主義という独裁国家。中国と、どこも
ちがわない」
ワ「だって日本はまだ政治家を、選挙で選んでいるわ」
私「形だけはね・・・」
ワ「そういえば、先日家に来た、D君(オーストラリア人)も、そう言っていたわよ。オ
ーストラリアでは、一言でも政治家に楯突(たてつ)いたら、その役人は、即座に左遷さ
れるそうよ」
私「それが民主主義だよ。この日本では、その逆。役人に楯突いたら、生きていくことす
らできない。政治家だって、吹き飛ばされてしまう」と。

 日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、そうだ。

 ・・・話は脱線したが、民主主義という点では、韓国や台湾、それにフィリッピンのほ
うが、日本より完成している。
民意がダイナミックに反映されるという点で、より完成している。
が、中国には、それがない。
どこかに毒針を隠している。
それが不気味。

 日本の官僚制度も、それに近い。
「伏魔殿」と評した政治家もいた。

●国債

 日本経済新聞(11月5日朝刊)に、こうある。
「国の借金、1000兆円、突破!」と。
09年に地方自治体の借金も含め、すでに1000兆円を超えていたはず。
現在は、もっと多い。

 その記事の末尾にこうある。
「国債が信認を失えば、国家財政はそのまま危機に瀕する」と。

 国債というのは、つまりは借金。
国は国債を発行しながら、国の内外から借金を重ねる。
今はまだ、大手の銀行を中心に国債を引き受けているからよい。
しかしその引き受けてがいなくなったら・・・?
それが「信認を失う」という意味になる。

 ただその大手銀行にしても、10年ものの長期国債から、1年の短期国債への移動を進
めているという。
イタリアやフランスが財政危機に陥れば、つぎはこの日本。

 ・・・このことはすでにあの3・11大震災の前に、うわさされていた。
経済誌はこぞって、「日本の国家破綻は、可能性の問題ではなく、時間の問題」と。
が、そこへあの3・11大震災。
アメリカの赤字上限問題、EUの金融危機……、それにつづいた。

が、日本の経済危機が、それで去ったわけではない。
こんな私でも、老人たちと温泉に入ると、若造に見える。
それと同じ。
相対的に、日本のほうがまだ安全・・・ということで、円が買われている。

 現在の円高は、その結果。

●帰り支度

 ア〜ア、またまた暗い話になってしまった。
イヤダナ〜・・・ということで、こういう話は、ここまで。
横でワイフが帰り支度を始めた。
ガサゴソ、ガサゴソ・・・。

 今朝の日記はここまで。
つづきは、自宅の書斎で。
では、みなさん、おはようございます。
今日も1日、がんばりましょう。
がんばるしかないのです。

(ここまでLibreOfficeを使って、文章を書いた。
文字が読みにくいので、やはりLibreoffice専用の、Baidu IMEをイ
ンストールしたほうがよい。
現在、MS社のIMEを使っているが、文字間が窮屈そうに詰まってしまう。
それに英数字への変換が不安定。
家に帰ったら、このパソコンにも、LibreOffice専用のIMEをインストール
するつもり。)

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある相談を考える】

【Q】

  今年小学生になった娘が、友達が出来なくて困っています。
  自分から話しかけたり、笑ったりするのが恥ずかしくて出来ない・・・
  そうなんです。
  最近では、学校へ行きたくないと言い出しました。
  今の所、登校拒否にはなっていません。
  「友達の作り方」って、あるんでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【A】

●友だち

 年齢的には、幼児期後期もすみ、児童期に入っています。
人格の核(コア)も、すでに完成しつつあるとみます。
つまり「この子は、こういう子」という(つかみどころ)ができているということ。
この時期に入ったら、鉄則はただひとつ。
「あるがままを認め、その上で、子育て(教育)を組み立てる」です。

 「友だちを作りなさい」式の人格を否定するような指導は、子どもをかえって崖っぷち
に追い込んでしまうようなことになりかねませんので、注意が必要です。
子どもの立場で、それを考えてみればよくわかるはずです。

●自己認識力

 小学1年生には、まだ自分を客観的に観察し、判断する能力はありません。
それができるようになるのは、小学3年生以上です。
「自分には友だちが多い」「少ない」とかいう、判断はできないということ。

 そんなとき親から、「もっとみんなと親しくなりなさい」などと言われても、困るのは子
どもということになります。
言い方をまちがえると、子どもは自信喪失から、自己否定、さらには心配しているような
不登校児に……ということにもなりかねません。

●人間関係は、密度

 人間関係は、密度の問題です。
その密度は、横軸を「幅」とするなら、縦軸は「深さ」ということになります。
「広く浅く」が必ずしも、理想というわけではありません。
そうでなくても、日本の学校は、昔から「すし詰め教育」と揶揄(やゆ)されています。
少なくとも欧米の基準からみれば、そうです。
たとえばオーストラリアには、「エアー・スクール」というのがあります。
無線で勉強する学校です。

 週に1度ほど、近くの学校に集まり、スクーリングを受けますが、そのときでも全学年
で、20〜25人程度です。
そういうところの子どもが、どこかヘンかというと、そういうことはまったくありません。
さらにアメリカでは、ホームスクーラー(学校へ行かないで、家庭で教育を受けている子
ども)が、推定で200万人を超えています。

 そこで大切なのは、「深さ」です。

 数は少なくても、その人と深く交際する、です。

●では、どうするか

 この時期、親ができることと言えば、各論でしかありません。
イギリスでは、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』と
教えます。
子どもを馬にたとえるのは、日本では失礼な感じがしますが、イギリスではその逆です。
それはともかくも、各論です。

 たとえば子どもの友だちを呼んで、パーティを開くとか、反対に友だちの誕生日には、
手作りのケーキを届けるとか、など。
コツは、親同士が仲よくなるつもりで、相手の子どもをその中に巻き込んでいきます。
つまりそれが「水場」ということになります。

●10人に1〜2人

 実際には、集団にとけ込めない子どもというのは、10人に、1〜2人(小学低学年児)
はいます。

 たいていは、心が開けない子どもというように考えて対処します。
自分の心を開放し、ワーッとその中に入っていけないわけです。
しかしこのばあいも、子どもの問題というよりは、乳幼児期の母子関係に問題があったと
みます。
発達心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って説明します。
つまり母子関係の不全ということになります。

 子どもというのは、絶対的なさらけ出し(=どんなことをしても許されるのだというさ
らけ出し)と、絶対的な受け入れ(=親は子どもがどんなことをしても、許すという受け
入れ)の上で、基本的な信頼関係を構築します。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 このタイプの子どもは、(孤独)と(集団での苦痛)の間で、はげしく葛藤します。
(おとなでも、そうです。)
(さみしいから皆の中に入る)→(しかし神経疲労を起こしやすい)を繰り返す。
こうした現象を、ショーペンハウエルという心理学者は、(哲学者ではない)、「二匹のヤマ
アラシ」という逸話を使って説明しました。

 ある寒い夜のこと。
二匹のヤマアラシは穴の中で、身を寄せ合って過ごすことにした。
しかし近づきすぎると、互いの針で痛い。
しかし離れすぎると、寒い。
一晩中、それを繰り返した……というのが、『二匹のヤマアラシ論』です。

●親の姿勢

 なおこの相談を読んで、それよりも気になったのは、親の育児姿勢です。
「子ども自身はどうなのかな?」という視点が、ないのが気になります。
子どもが「友だちがいない……」と悩んだのでいるのでしょうか。
(友だちがいる・いない)は、ひょっとしたら、親の主観的判断ではないでしょうか。
あるいはひょっとしたら、子どもは、集団生活が苦手で(=いやで)、悩んでいるのかもし
れません。

 中には、対人恐怖症であるとか、そういった心の問題(回避性障害、自閉症、緘黙症な
ど)をかかえている子どももいます。
どれにしても子ども自身では、コントロールができない問題です。

 そういった問題を取りあげることもなく、頭から「どうすればいいか」を考えるのは、
育児姿勢としては、危険です。
最近では、子どもに何か問題があったときは、「子どもは家族の代表」と考え、家族全体の
問題として考えるようになってきています。
「子どもだけ何とかしよう」と考えるのは、危険というより、無謀です。

 「なぜそうなのか?」という視点で、ものを考えます。
「なぜ、そうなったか?」でもよいでしょう。
この親は、そういう視点で、子どもの問題を考えているでしょうか。
でないとするなら、過関心、過干渉ということになります。

●不登校児

 子どもがどの程度、集団から孤立しているか。
また心の問題が、どの程度なのか。
それがわかりませんから、ここでいきなり不登校児の問題を取りあげるのは、適切ではな
いかもしれません。

 「学校へ行きたくない」と子どもが言うようであれば、親はまず聞き役に回ってあげま
す。
子どもの立場で、「そうね」「そうだよね」と言ってあげるだけでも、子どもの心は軽くな
るはずです。
まずいのは、「学校とは行かねばならないところ」と考え、親自身がもつ固定観念(古風な
常識)を子どもに押しつけることです。

 ときにはズル休みも、よいでしょう。
私は自分の子育てで、そうしました。
平日に学校をズル休みし、動物園などへ連れていくと、どこもガラガラでした。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れることができません。

●不登校は前兆をとらえる

 ジョンソンというイギリスの学者は、不登校、つまり学校恐怖症を3期に分けて考えて
います。
前兆期、パニック期、不登校期です。

 その前兆期に、子どもはさまざまな症状を示します。
頭痛、腹痛、脚痛、下痢、嘔吐などの身体的症状、ぐずりや、ふさぎこみ、グチ、無口、
無言などの精神的症状などなど。
ほかにたとえば、食欲不振、不眠、早朝覚醒など。
こうした症状が慢性的につづくなら、要注意ということになります。

 が、もしそうでないなら、つまりただのグチとして、「学校へ行きたくない」と言うので
あれば、よく子どもの話に耳を傾けてやることで、解決するはずです。

 ついでに言うなら、本当に行きたくないときは、「行きたくない」と直接的な言い方では
なく、「友だちがいじめる」とか、「学校の先生がこわい」とかなど、別の言い方をします。
子ども自身が、(行きたくない)という気持ちと、(行かねばならない)という気持ちのは
ざまで、葛藤するからです。
つまり自分の心をごまかしたり、正当化(合理化)したりします。

この葛藤が頂点に達したとき、パニック期を迎えます。
ある朝、突然、狂人のように暴れて、学校へ行くのを拒否する、など。

●あきらめる

 で、これが結論ということになります。
「あきらめる」です。
親としてできることにも限界があります。
一方、子どもには、子どもの世界があります。
今の段階で親ができることといえば、「温かい無視」と、「求めてきたときが与えどき」程
度のことです。

 子どもが学校から、疲れて帰ってきます。
それがわかったら、家庭では、思う存分、羽を伸ばさせてあげます。
温かい無視というのは、それをいいます。

また子どもが何らかの形で、甘えてきたら、すかさず、ぐいと抱いてあげる。
たったそれだけのことですが、それで子どもは、落ち着くはずです。
「求めてきたときが与えどき」というのは、そういう意味です。

小学1年というのはそういう時期です。
言うなれば、野原を飛んでいた小鳥をカゴの中に、押し込めたような状態。
子どもにしてみれば、たいへんなストレスを感じて、当然です。

 そこで子どもはそのストレスを解消しようと、大きくわけて2つの反応を示します。

 ひとつは外放型(プラス型)。
もうひとつは、内閉型(マイナス型)。

 外放型というのは、暴れる、騒ぐ……という方法で、ストレスを発散する方法をいいま
す。
内閉型というのは、内に引きこもり、身の安全を図る方法をいいます。
相談の子どものケースは、内閉型ということになります。

 なおあまり情緒が不安定であるようなら、白砂糖を断ち、カルシウム、マグネシウム、
カリウムの多い食生活に心がけます。
わかりやすく言えば、甘い食品や、肉類の多い献立から、海産物の多い献立に切り替えま
す。
それだけで子どもは、ぐんと落ち着くはずです。
1週間ほどで効果が現れてきますので、一度、試してみてください。

 最後に、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、割り切り、繰り返しになりますが、ある
がままを認め、その上で家庭教育を組み立てていきます。
けっしてオールマイティな子どもを求めないこと。
だれにも、得意、不得意があります。

 正直に告白しますが、私自身も集団行動が苦手です。
旅行でも、ワイフと2人だけで、のんびりとしています。
余計なことですが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 集団にとけ込めない子
ども 溶け込めない子ども 友だちのいない子ども はやし浩司 友だちが少ない子ども 
神経疲労を起こしやすい子ども はやし浩司 IDOBATA こまち)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、掛け算を教える】

●今週は、小1クラスでは、掛け算をテーマにレッスンを進めました。
 にぎやかなクラスで、子どもたちとワイワイやりながら、教えました。
 学級崩壊寸前のようなクラスですが、たいへん楽しかったです。

(1)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/21NXiEe9OoE?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/iGlB_bquFQM?hl=ja
&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/yZPFP3Fp-B0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(4)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/BS6XlOphNg0?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

サイコパス(反社会性性格)Psychopathy

+++++++++++++++++++++

【問】

 A男氏は、45歳。
2人の息子がいる。
ともに高校生。
この10年以上、仕事らしい仕事はしていない。
親の残した遺産と、妻のパートの仕事で、何とか生計を立てていた。

 が、2人の息子が高校生になったところで、家計がパンク。
医師をしている遠い親戚のNさん宅を訪ねた。
「このままでは一家心中しなければなりません。助けてください」と。
シクシクと泣きながら、土下座までしてみせた。

 見るに見かねて、その親類は、「100万円くらいなら……」といって、現金を渡した。
それが15年ほど、前。
A男氏は、「ありがとうございます」「恩は忘れません」と何度も頭をさげ、その場を去っ
ていった。

 そこでクエスチョン。
あなたは、A男氏をどのように判断するだろうか。

●サイコパス

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

 この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。

(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。

 「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同
サイト)。

 詳しくは、
http://www.psy-nd.info/
で。

 またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・
放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資
格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならな
んでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。

サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情
け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪わ
れ尽くした人を後に残して行く。

良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯
し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。北米には少なくとも200
万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・
ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

 ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。

『精神病質者の意。現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更さ
れている。

サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で
共感が無い。加えて自分の行動に責任が取れない。

多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い。
8〜9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語
処理が右脳で行われている。

一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」
より)と。

●サイコパスの自己診断

 自分がサイコパスであるかどうかは、つぎのところで自己診断できるようになっている。

http://www.psy-nd.info/diagnosis.html

興味のある人(心配な人)は、このサイトで、自己診断をしてみるとよい。

●問に対して

 冒頭の【問】を読んで、もしあなたが、「A男氏は、親戚の医師に感謝し、喜んでいる。
A男氏は、自分の家に帰り、息子たちにこう言うにちがいない。『あのNさんのおかげで、
お前たちは、高校へ通うことができる。恩を忘れるな』と。A男氏は、それからは定職に
つき、妻に毎月給料を渡すようになったはず」と答えるようなら、あなたは、ここでいう
サイコパスではない。(断定はできないが、その可能性はほとんど、ない。)

 が、サイコパスは、そうは考えない。
「しめしめ、うまくだましてやった。あのバカ医師め。まんまとオレの空涙にひっかった。
あんなヤツ、オレが土下座をすれば、イチコロよ」と。

●Nさん(医師)

 冒頭にあげた話は、実話である。
このあともたびたびA男氏は、親類の医師、つまりNさん宅を訪れている。
が、そのつど、ああでもない、こうでもないと言葉巧みに、Nさんからお金を引き出すの
に成功している。

 Nさんは、私にこう言った。
「何でも毎朝、毎晩、私の家のほうに向かって、家族全員で手を合わせて感謝していると
いうのですね。
でもね、私は仏様でも神様でもないから、そんな気味の悪いことはしなくていいって、言
ってやりました」と。

 が、A男氏の話は、すべてウソだった。
その証拠に、……というか、私はそれが証拠と考えているが、Nさんが亡くなったとき、
A男氏はもちろん、家族はだれも葬儀に来ていなかった。
「2人の息子は来ているだろう」と思って、Nさんの家族に聞いてみたが、息子も、そし
て妻も来ていなかった。
A男氏というのは、そういう人間だった。

●サイコパス

 ……だからといって、A男氏が、サイコパスというわけではない。
しかし実際に、このタイプの人は少なくない。
もう一度、先に引用した文を読んでみてほしい。

 『私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思いま
す。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が
存在しているのです』(「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。

【サイコパスの診断基準】(DSM−IVによる診断基準)

●Psychopathy Checklist (PCL)

1 口達者/表面的な魅力
2 過去におけるサイコパスあるいは類似の診断
3 自己中心性/自己価値の誇大的な感覚
4 退屈しやすさ/欲求不満耐性の低さ
5 病的に嘘をついたり人を騙す
6 狡猾さ/正直さの欠如
7 良心の呵責あるいは罪悪感の欠如
8 情緒の深みや感情の欠如
9 無神経/共感の欠如
10 寄生虫的な生活様式
11 短気/行動のコントロールの欠如
12 乱交的な性関係
13 幼少期からの行動上の問題
14 現実的で長期的な計画の欠如
15 衝動性
16 親として無責任な行動
17 数多くの結婚・離婚歴
18 少年時代の非行
19 保護観察あるいは執行猶予期間の再犯の危険が高い
20 自分の行動に対する責任を受け入れることができない
21 多種類の犯罪行為
22 薬物やアルコールの乱用が反社会的行動の直接の原因ではない

●注意

 このサイコパスの診断基準について、つぎのような注意書きが添えられている。

『サイコパスチェックリスト」は専門家が使う場合でも相当に複雑な臨床診断の道具であ
り、自分自身やそばにいる人をこれを使って診断してはいけない。この診断にはしっかり
した訓練と、正式な採点方法が必要である』と。

 安易な素人判断は、危険であるという意味である。

●善意の通じない人

 私のまわりにも、サイコパス(?)と思われる人は、少なくない。
あなたのまわりにも、ひょっとしたらいるかもしれない。
あるいはあなた自身が、そうかもしれない。
つまり善意の通じない人である。

 その人がサイコパスというわけではない。
しかし私もNさんに似たような経験を、いくつかしている。
「これだけのことをしてあげたのだから、相手はそれなりに感謝しているはず」と。親切
にしてあげたほうは、そう思いがちだが、このタイプの人には、そうした(お人好し)は
通用しない。
心そのものが欠けている……振り返ってみると、そんな印象をもつ。

 私の知人にMさん(女性、60歳くらい)がいる。……いた。

●Mさん(女性、60歳くらい)

 Mさんの第一の特徴をあげるなら、とにかくウソがうまいということ。
10のうち1つも、本当のことがない。
その場その場で、ペラペラと適当なウソをつく。
あまりウソが多いので、自分でも忘れてしまうよう。

 口もうまい。
近所の独居老人たちの世話をしている……みなに感謝されている……市から表彰されそう
になったが、辞退した……先週も、ある独居老人のために、一日中、車であちこちへ行っ
てやった……という話が、つぎつぎと口から出てくる。

 さらに近所の別の独居老人が死んだときには、自分が喪主になって葬儀をしてやったな
どという話もした。
しかもその内容が、詳細。
こっちらが聞きもしないのに、葬儀社との電話のやり取りまで話した。

 先にも引用したように、『言葉はよく知っていても、心に響かない』の通り。
ペラペラと話すが、真実味に欠ける。
「私は親切だ」「やさしい」とは言うが、そうした行為にあるべきはずの「温もり」が伝わ
ってこない。

 そしてあとは、お決まりの同情論。
Mさんが、実の父親の介護をするようになったときのこと。
Mさんは毎晩のように親戚中に電話をかけた。
私のところにもかかってきた。
「あれがたいへん」「これがたいへん」と。

 実際に、親の介護はたいへん。
そういう意味でMさんの気持ちを理解できなかったわけではない。
が、同時にMさんは妹氏の悪口を、あれこれと言った。
「近くに妹が住んでいるが、見舞いにも来ない」「来ても10分足らずで帰ってしまった」
などなど。
が、一度、こんなことがあった。

 私のワイフが、Mさんの妹氏のことをよく知っていた。
妹氏は、共働きで、父親の介護ができなかった。
そこでその代わりにということで、毎月10万円の現金を、Mさんに直接、届けていた。
そのことを私は知っていたので、ふとこう言ってしまった。

 「でも、妹さんもあなたと同じようにお父さんのことを心配していると思いますよ」と。

 この一言が、Mさんを激怒させた。
ふつうの激怒ではない。
錯乱状態に近い、激怒だった。
突然ギャーギャーと声を張り上げ、「あなたは他人の家族のことだと思って、勝手なことを
言う!」と。

 以来、私はMさんからの電話には、出ないことにした。

●離婚歴
 
 DSM−IVによる診断基準によれば、17番目に、「数多くの結婚・離婚歴がある」と
いう項目がある。
が、Mさん自身には、離婚歴はない。
(こうした診断基準は、あくまでも多数決的なものだから、みながみな、そうなるという
わけではない。)
しかしMさんの、2人の娘と1人の息子は、みな、離婚しているか、離婚状態にある。
離婚状態というのは、現在別居中ということ。

 Mさんの反社会的人格と、子どもたちの離婚と、どういう因果関係にあるかは、私には
わからない。
何かの影響を与えたということは、じゅうぶん、考えられる。
つまりMさんは、明らかに「温かい家庭作り」に、失敗していた。
3人の子どもたちは、そういう状態にありながらも、Mさんの家(子どもたちにとっては
実家)には、寄りつかないという。

●劣悪な家庭環境

 医学的な見地で「サイコパス」と呼ばれている人は、(子どもでもよいが)、そういう点
で、かわいそうな人とみる。
同情的な意味で、そう言うのではなく、「自分自身でもコントロールできない」という意味
で、そう言う。

原因としては、『幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なりサイコパスとなる可能性が高い』
(はてな・キーワード)とあることからもわかるように、乳幼児期の育児環境が第一に考
えられる。

 というのも、私が知るかぎり、サイコパスは後天的なもの。
しかも幼児期に入るころには、その傾向がはっきりしていることがあげられる。

心の冷たさだけが、強く印象に残る。
やさしくしてあげても、それがスーッとどこかへ抜けていってしまう、など。
また空想的虚言(妄言)といって、頭の中に別の世界をつくり、それに基づいて、それを
あたかも事実のように話したりする。
一見、明るく快活だが、調子がよいだけ。

 このタイプの子どもがすべてサイコパスというわけではないが、(というのも、サイコパ
スと診断されたケースはないので)、サイコパスの診断基準に照らし合わせてみると、この
タイプの子どもがなぜそうなのか、それがよく理解できる。

 ともあれこのサイコパスには、さらにいろいろな問題が隠されている。
たとえば私がよく使う『貧者の論理』『弱者の論理』『被虐待者の心理』など、総じてみる
と、(心のゆがみ)の問題と、その底辺でつながっている。

 貧者にせよ、弱者にせよ、はたまた被虐待者にせよ、サイコパスもしくは、サイコパス
的な症状を示す。
が、それについては、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 
Psychopathy サイコパス診断 診断基準 反社会性性格 人格障害 異常心理学)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜名湖・弁天リゾート・The Oceanにて(2011年10月30日)

+++++++++++++++++++++++++

料金は、1泊2食付で、1人6500円。
やる気度、本気度満点。
浜名湖周辺で、イチオシのホテル。
食事も、部屋も、申し分なし。
この部屋(5階の501号室)にしても、17畳もある。

……ということで、またまたやってきた、The Ocean。
「入野町の林です」と電話で言うと、フロントの女性が、「あら、林さん?」と。

……実を言うと、このホテルの経営者は、YSさん。
YSさんの2人の子ども(兄&妹)は、私の教え子。
私は、それぞれ4〜5年、教えた。
応援しないわけにはいかない。
が、そうしたひいき目を差し引いても、このホテルで文句を言う人はいない。
窓を開ければ、すぐ下に浜名湖が広がっている。

もしあなたが出張か何かで、もちろん旅行でもよいが、浜松市へと考えているなら、
The Oceanを選択肢に入れてみたらよい。
このホテルから浜松市内までは、車で20〜30分。
ビジネスホテル並みの料金で、旅行気分を味わえる。
はやし浩司の保証付き。

料理もよし、風呂もよし。
一流ホテル並みの食事(バイキング)を楽しむことができる。
風呂はやや小さいかなと思うが、清潔できれい。

ただし目下人気、急上昇中。
今夜は日曜日というのに、駐車場の空きを見つけるのもむずかしいほど、混んでいた。
フロントで、「今日は混んでいますね」と声をかけると、いつもの女性が笑いながら、
こう言った。
「今日は大入りです」と。
うれしそうだった。

+++++++++++++++++++++++++++

●K楼ホテル

 このホテルは、YSさんの経営。
このホテル東側に、数軒おいて、K楼ホテルというのがある。
以前は、そこによく泊まった。
そのK楼の前経営者が、MBさんだった。
MBさんの息子氏も、私の教え子だった。
その子どもは、幼稚園のときから、小学校を卒業するまで私の教室に通ってくれた。

 が、おかしなもので、その子どものことでよく覚えているのは、教室でのことではない。
その子どもが交通事故にあったときのこと。
市内の鴨江町に自宅があり、そこから自転車で教室へ通ってきてくれていた。
途中、なだらかだが、長い坂がある。
そこで交通事故にあった。
たしか右足の骨を折ったと記憶している。
その子どもが小学3年生くらいのときのことではなかったか。

 MBさんの息子氏といえば、その事件が強烈すぎて、ほかの思い出はあまり浮かんでこ
ない。

 が、残念なことに、今は経営者が変わってしまった。

 そうそう、そのK楼ホテルでは、東京からの客を連れていくと、芸者踊りをサービスで
見せてくれた。
私はホテルや旅館で、芸者踊りを見たのは、後にも先にも、そのK楼ホテルで、だけ。
そういう世界とは、無縁の世界を生きてきた。
バーもキャバレーも、ついでにトルコ風呂も、生涯において数回しか行ったことがない。
どれも1〜2回行って、それで懲りてしまった。

●教え子たち

 幼児を教えるようになって、40年以上。
浜松は大きな町だが、たいていの人のことは知っている。
直接知らなくても、人と人の間には、つながりがある。
そのつながりを、ひとつ、ふたつとつなげると、たいていふたつ目くらいで、99%の人
とつながりができてしまう。

 日本を代表する楽器メーカーや自動車メーカーの社長の子どもたち。
毎年、長者番付に名前を連ねる人の子どもたち。
ワールドカップの選手の子どもたち、などなど。
暴力団の親分の孫たちも、教えたことがある。
名前を出して恐縮だが、浜松医科大学の初代学長の息子さん、医療センターの院長の息子
さん、みな、私の教え子である。
浜松市内では、ほとんどの医院の子どもを教えた。

 が、私はそういう人脈を仕事に利用したことは、生涯において、一度もない。
またほかの生徒と区別したことも、一度もない。

●影武者

 私は自分では、「影武者」と思っている。
けっして表に出てはいけない影武者。
親たちにしても、そう考えている。
仮に目的の高校や大学へ入学したとしても、私や私の教室の名前が外に出ることはない。
だから「影武者」。

 しかしそういうニュースを耳にするたびに、「そういう子どもの方向性を作ったのは私」
と思う。
自己満足かもしれない。
しかしそれは幼児教育を知らない人の意見。
私自身は、確信をもって、そう思う。
「私が方向性を作った」と。

つまり幼児教育というのは、そういうもの。
「たった週1回で?」と思う人もいるかもしれない。
しかし教育というのは、密度の問題。
ダラダラと5日間教えるよりも、週に1時間だけ、高密度のレッスンをすればよい。
子どもは、その1時間のレッスンを「柱」にし、ほかの5日間を組み立てる。

 たとえば私の教室に入会した子どもは、例外なく、翌週のレッスンを楽しみにする。
1週間の間中、「まだか、まだか」と親に催促する。
それを「柱」という。

●宣伝

 私の教室の宣伝ばかりになったが、しかし今さら「宣伝」などということは考えていな
い。
私も64歳。
生徒が多すぎても、困る。
あと何年、今の仕事ができるのか、それさえもおぼつかない。
願わくは、ピンコロ。
ピンコロだったら、明日でも構わない。
本気で、そう思っている。

 「林も、宣伝ぽいことを書くな」とは、そんなわけで、どうか思わないでほしい。
……とはいえ、この業界も、目下大不況。
そろそろ来年度の計画を立てなければならない。
競争相手はいないが、しかしジーちゃん先生は、この世界ではあまり人気がない。
そのうち加齢臭でもするようになったら、おしまい。
自分でも、それがよくわかっている。

●縁

 ところが最近、不思議に思うことがある。
心というのは、そういう点で通いあうものなのか。
最近、多くなったのが、OBの息子や娘さんたち。
そのOBについてだが、全員、私のほうもよく覚えている人たちばかり。
というのも、生徒によっては、1年もたたずして、名前も顔も忘れてしまう人も多い。
そういう人たちは、相手のほうも、私のことを忘れてしまうらしい。

 たとえば今、来ている生徒に、T君の娘さんがいる。
そのT君は、生涯において、殴ったことがある3人の生徒のうちの1人である。
T君が中学3年生のときのことである。
勉強に対して、すっかり自信をなくしてしまい、「ぼくはもうダメだ」と。
それで私はM君を裏庭へ連れていき、頬を思いっきり殴った。
「そんな弱音を吐いてどうする!」と。

 T君の娘さんの顔を見るたび、そのときのT君の泣き顔がその上にダブる。
こうしたつながりを、仏教では、「縁」というらしい。

●35歳

 そう、縁のある人は、縁がある。
いつまでも、その人のことを覚えている。
ない人は、ない。
そのまま静かに去っていく。

 が、私も男。
子どもの母親を、「女」としてみることがある。
(最近は、それがぐんと減ってきたが……。)
その母親の中には、声をかけるのも怖いほど、美しい人がいる。
そういう人は、当然のことだが、強く印象に残る。

 これは私のきわめて個人的な感覚だが、女性がもっとも美しくなるのは、35歳前後。
が、皮肉なことに、35歳を過ぎると、女性は満開時を過ぎた花のように、急速に枯れて
いく。
具体的には、バーさん顔になる。
言い換えると、35歳の女性というのは、花火大会で言えば、花火のクライマックスを飾
るスターマインのようなもの。
ドカドカド〜ンと空に咲いて、そのまま散っていく。

 これについてワイフは、「30歳よ」と反論した。
しかし男性にとって、重要なのは、色気。
30歳というと、その色気がまだ未熟。
だからやはり35歳。

●以心伝心?

 しかし当然のことながら、母親というのは、全員、人妻。
そこにどんなに美しい人がいても、たとえて言うなら、その人は、ショーウィンドウに入
っている。
見るだけで、触ることはもちろん、心を通わせることもできない。
が、私が先に「不思議」と書いたのは、その先。

不思議なことに、本当に不思議なことに、私が「美しい人だな」と思った人は、私の教室
を去ってからも、毎年、年賀状をくれたりする。

 やはりどこかで心が通いあうのかも、しれない。
以心伝心?
好意の返報性?

●肥満

 ところで最近、温泉は入るたびに、ひとつ気になることがある。
若い男でも、肥満体の人が目立つようになってきたこと。
肥満体といっても、ブヨブヨに太っているといったふう。

 先ほども2度目の入浴をすませてきたが、そこにいた男たちもそうだった。
ポテポテ……。
タプタプ……。
明らかに20代と思われる男たちである。
それでもそんなに太っている。

 先日、別の温泉で見た男などは、背は低かったが、相撲取りと思われるような太り方を
していた。
やせて、細い人となると、5〜6人に1人くらい?
今は、そういう時代なのか。
やがて日本人も、メキシコ人やアメリカ人のようになるのかもしれない。

●異常(者)心理

 ところで心理学にも、表と裏がある。
光と闇と言ってもよい。
闇の心理学を「サイコパス」という。
異常(者)心理学ともいう。
つまり精神的に反社会的な人格をもった人は、ふつうの人には理解できないものの考え方
をする。
(何をもって「正常」といい、何をもって「異常」というかは、定義がむずかしい。
むずかしいというより、不可能。)

 最近買った本の中に、こんな例が紹介されていた。
(「最後のタブー」晋友社版)。

 たとえば……。

(1)ある女性がマンションの別の棟を見ていた。
そのとき、別の棟の一室で、1人の男が、1人の男性にナイフを突き刺していた。
   その女性は、殺人現場を目撃してしまった。
   「アッ!」と声を出すと、その男と目が合ってしまった。
   男は、その女性の顔をじっと見つめた。
見つめながらその男は、ゆっくりと指をさしながら、手を振った。

   (問1)なぜ、その男は、ゆっくりと手を振ったか?

(2)ある男が、1人の男性を、路上で殺した。
たまたまそこへ、別の男性が車で通りかかった。
その男は、車でやってきた男性を、外へ引きずり出すと、その男性も殺してしまっ
た。

(問2)なぜ、その男は車に乗っていた男まで殺してしまったか。

 ふつうの人は、(「ふつう」という言い方には抵抗を感ずるが)、常識的な考え方をする。
たとえば(問1)であれば、「男は、今度はお前の番だ。そこで待っていろ」と合図したと
考える(同書)。
(問2)であれば、「殺人現場を目撃されたから」と考える(同書)。

 しかし異常心理学の世界では、別の答を用意する。
つまり心のゆがんだ人(=犯罪者)は、別の考え方をする。
たとえば、つぎのように考え、つぎの行動を開始する。

(問1)「向こう側の棟から、男は、つぎにその女性を殺すため、その女性の階を、指を使
って調べている」
(問2)「逃走に使うための車を手に入れるために、車の中の男性を引き出し、殺した」

(以上、「最後のタブー」(晋友社)より)

●子どもの世界でも

 子どもでも、心がゆがみ始めると、「死」「殺」「闇」に対して、強い関心をもち始める。
とくに「死」について、独特の考え方をするようになる。
印象に残っている子ども(小4男児)に、H君がいる。

 H君は、ふだんは静かで、おとなしい子どもだった。
従順で、言われたことには素直に従った。
勉強もよくできた。

 が、ある日のこと。
私はH君のノートを見て、驚いた。
そこには血を出してもがく人間、手足がちぎれ、頭蓋骨がむき出しになっている人間など。
ぞっとするような絵が、ぎっしりと描かれていた。
頭蓋骨の絵は、細部に至るまで、精密だった。

 原因や理由はいろいろ考えられるが、それを書くのが、ここでの目的ではない。
ここではそういう子どももいる……という程度に、理解しておいてほしい。
H君の描いている絵が、あまりにも現実の(?)H君とかけ離れていたため、私は驚いた。

●ゆがんだ心

 一度ゆがんだ心というのは、元には戻らない。
そう断言するのは、危険なことかもしれない。
そうであってはいけないということで、多くの人たちが「セラピー」という形で努力して
いる。
しかし基本的には、元に戻すのは、たいへん難しい。
先にも紹介したように、それがその子ども(人)の心理の基本形を作ってしまう。

 たとえば「子どもの盗み」がある。

 多少の「盗み」は、どんな子どもでも経験する。
しかし心がゆがんだ子どもの「盗み」には、際限がない。
「このお金を盗んだら、家族が困る」というブレーキが働かない。
それこそ学校の給食費ですら、盗んで使ってしまう。
盗んだお金で、好き勝手なものを買い、自分の欲望を満足させる。

 大切なことは、そういう子ども(人)にしないこと。
親の異常な過干渉、過関心は、子どもの心をゆがめる。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
慢性的な抑圧状態がつづくと、子どものものの考え方は悪魔的になる。
その延長線上に、ここに書いた「サイコパス」がある。
そう考えてよい。

 サイコパス……「性格が逸脱した、反社会的な人格のこと。
連続殺人犯、重度のストーカー、常習的詐欺師、放火魔、カルトの指導者の多くがサイコ
パスに属すると考えられる」(同書)と。

「恐怖に関する感情が抜け落ちているのが特徴」(同書)ともある。

●もう1冊

 話題を変えよう。
不気味な話は、ここまで。

 もう1冊、本を買ってきた。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)というのが、それ。
昔、TK教授の「頭の体操」という本があった。
それに似た本である。

たいへんおもしろい本で、1ページごとに、「チクショー」と思いつつ、読んだ。
「チクショー」と思ったのは、まちがえたり、解けなかったりしたとき。

 2つほど、紹介させてもらう。

(問35)

 ある人が、「私の父は、私の息子です。また、私の娘は、私の母です」と言いました。
 こんなことはありうるでしょうか。

(問21)

 ある町で、6000人の人、全員について、数学の試験を実施しました。
 その結果、足の長い人ほど、よい成績を取ることがわかりました。
 足の長さと成績の間には、相関関係があると考えてよいでしょうか。

●老化 

 このところときどき、脳みその老化を覚える。
サビついてきた。
自分でも、それがよくわかる。

 そういうときは、こういう問題に挑戦するのがよい。
そうでなくても、知識や経験、技術や知恵は、どんどんと消えていく。
集中力や思考力さえ、消えていく。

 が、中には、それにすら気づかない人も多い。
「私は利口」と、いつまでもその幻想にしがみつく。
努力しない。
そういう人は、やがてボケる。
皮肉なことに、「私はだいじょうぶ」と居直っている人ほど、あぶない。

 あの特別養護老人ホームにいる人たちにしても、なぜ自分が「特別」なのか、それに気
づいている人は少ない(?)。

 で、先の問題の答。

(問35)

 「私は、成人した娘がいる未亡人と結婚しました。
ところが、私の父が、私の義理の娘に恋をして、結婚しました。
ですから私の父は私の義理の息子になり、私の娘が私の母になりました」。
「つづいて私の娘は、男の子を産みました。
それは私の孫です。
けれども、私の娘は、私の母でもあるのです。
その男の子は私の弟でもあることになります。
だったら、その兄である私も、私自身の孫なのです」(以上、同書要約)。

 人間関係を、紙に描きながらじっくりと読んでみるとよい。

(問21)

 「町の全員というと、赤ん坊や子どもも含まれています」(同書)。

 つまり6000人の中には、赤ん坊や子どもも含まれている。
数学の問題ができないのは当たり前。
だから全体として平均化すると、足の長さと成績との間には、相関関係があるということ
になる。

 秋の夜長を過ごすには、この種の本がたいへん役に立つ。

 ただし一言。
「大人のクイズ」(逢沢明著・PHP文庫)の表紙には、「京都大学助教授」という肩書き
が載っている。
しかしこういうところに肩書きを並べるのは、「地位利用」ということで、欧米では40〜
50年前からきびしく禁じられている。
(「禁じられている」ということは、「自粛」ではなく、「禁止」ということ。)
日本でも、ここ20〜30年、ほとんど見かけなくなった。
が、この本には堂々と、それが載っている。

 PHPという大手の出版社が、「地位利用」という言葉を知らないはずがない。
「まだまだ日本は肩書き社会だな」と思った。
つまり「日本人は、まだまだ肩書きに弱いからな」と。
おもしろい本だが、「京都大学助教授」ともあろう人が、肩書きを並べてまで発表するよう
な内容のある本ではない。

●The Ocean

 The Oceanに泊まりながら、The Oceanの話を書かないのは、まずい?
しかしすでにこのホテルには、何度も泊まっている。
そのつど、書いていることは、同じ。

 こうしたホテルや旅館は、料金と照らし合わせて、良し悪しを判断する。
料金が高いホテルや旅館は、良いに決まっている(?)。
料金が安いホテルや旅館は、それなりに決まっている(?)。
しかしこと、このThe Oceanについて言えば、文句を言う人はいない。
料金は、このあたりのホテルや旅館の約半額。
2人で、1人分。

●気分転換
 
 気分転換というより、転地療法。
転地療法というより、転地刺激(?)。

 これはあくまでも私の老人観察によるものだが、老人が小さな世界にこもるのは、よく
ない。
こもったとたん、脳の老化は一気に進む。
「進む」というより、それまであった「種」が、急速に拡大する。
うつ病の気(け)があった人が、ひどいうつ病になるとか。
ボケ気味だった人が、本当にボケてしまうとか。

 だからあえて、外の世界に出る。
その「あえて」という部分が大切。
わかりやすく言えば、「気力」ということになる。
生きる気力を失ったら、そのまま死の待合室に、まっしぐら。

 だから老後というのは、気力との闘いということになる。
気力を、どう奮い立たせるか。

 で、私はつぎのような方法を考えている。

(1)仕事を手放さない。
大切なのは収入ではなく、仕事を中心にして回る生活感。
現実感。
緊張感。
だから最近の私は、こう考える。

 やがて収入よりも、家賃のほうが高くなる。
このまま行けば、時間の問題。
が、そのときでも、つまり赤字になっても、仕事はつづける、と。

 これには、もうひとつ、理由がある。

 私はよく「運動は、習慣の問題」と書く。
とくに私のばあいはそうで、どこかのスポーツジムへ通っても、長つづきしない。
最長で、10か月前後だった。

 しかし仕事があるからこそ、その仕事先まで、歩いたり、自転車に乗っていったりする。
途中で、「やめた」とは言えない。
どんなに寒くてても、また雨が降っていても、歩くしかない。
自転車に乗るしかない。
それが運動になる。
だから「習慣」。
運動は、習慣の問題。

 スポーツジムに通い、月謝を払うくらいなら、赤字でも仕事はつづけたほうがよい。

 その習慣があるかないかで、老後の健康は決まる。

(2)やりたいことは、即、実行

 「やりたい」というエネルギーは、「生きたい」というエネルギーと同じ。
脳の視床下部から発せられる信号に応じて、ドーパミンが分泌される。
そのドーパミンが、人間の欲望を司る。

 欲望をすべて「悪」と決めつけてはいけない。
老後は、とくに、そうである。
「旅行をしたい」
「ものがほしい」
「おいしいものを食べたい」
「人に会いたい」と。

 これらすべてが、そのまま生きる力、原動力につながる。
が、これがまた不思議なことに、あくまでも観念的な感覚だが、それをローソクの灯のよ
うに感ずることがある。

 脳の中心部にローソクがあり、そのローソクが燃えている。
強い灯ではない。
かよわく、おぼつかない。
細々とした光。

 それがときどき力を失い、消えそうになることがある。
それが自分でもよくわかる。
だから、奮い立たせる……ということになる。

 ……実は、今夜もそうで、こうしてものを書いていても、気力がつづかない。
「こんなこと書いて、何になるのだろう」とか、そんなふうに考えてしまう。
「もう一度、風呂に入って寝ようか」とも。
言うなれば、脳の中のローソクが消えかかっている。

●精力

 先日、こんなことがあった。
いつもは冗談ばかり言っている知人である。
年齢は、私と同じくらいということしておく。
その人が、私の家に来て、真顔でこう言った。
その前に、「林さん、これは真剣な話だから……」と言った。

 聞くと、今度、何でも愛人ができたという。
20歳、年下の愛人という。
で、その愛人とときどき会っているのだが、どうもあれが、うまくいかないとのこと。
そこで「どうしたらいいか?」と。

知「林さんは漢方薬に詳しいと聞いている。何か、よい薬はないか」
私「東洋医学では、自然体を大切にしている。年齢相応の変化については、問題にしてい
ない。あるとすれば、補養剤ということになる」
知「補養剤?」
私「そういうのは、いろいろある。東洋医学では、『精』というのは、栄養分をいう。食物
から得られる精微なる物質という意味。精力、精子に通ずる」と。

 ついでに言えば、私のばあいは、ニンニクが効く。
生ニンニクをすり、白いご飯に載せ、醤油を少しかけて食べる。
半日ほどで、ビンビンとしてくる。
ただしそのときは、ワイフにも、ニンニクを食べてもらう必要がある。
ともに臭いときには、ともに気にならない。

 それともうひとつ重要なことがある。
これは泌尿器科のドクターに教えてもらったことだが、あれというのは、一度刺激を与え
ると、敏感になるのだそうだ。
たとえば一度、小便を強くがまんするようなことがあると、そのあと頻尿になるとか、な
ど。

 同じように、たとえば一度ポルノグラフィック・DVDを観ると、そのあとつづけて強
い性欲を覚えるようになる。
あれが敏感になったため、そういう反応が起きると考えると、わかりやすい。
実際、若い人でも、倦怠感を乗り越えるために、その種のDVDを利用している人は多い。
「DVDをうまく利用してみたらどうか」と、私はその知人に提案してみた。

私「あとは、バイアグラかな?」
知「林さんは、使っているのか?」
私「まだ、ない。うちのワイフなんか、放っておいたら、1年でも2年でも平気というタ
イプだから……」と。

●就寝

 こうして時間だけは、過ぎていく。
ワイフは横で、今、大きなあくびをした。
ぼんやりとした時間だけは、過ぎていく。

 ……またあくびをした。
今度は小刻みに、アッアッア〜、と。

 ……ということで、今日は、これでおしまい。

 今、ほしいもの。
TOSHIBAのウルトラ・ブック。
R631。
11月中旬、発売とのこと。
楽しみ。
「楽しみ」というのは、すぐには買わないということ。
ネットで追いかけると、1〜2か月後には、値段が20〜30%はさがる。
そのときを待って買う。

 が、それまでがまんできるか、どうか?
今の私には、自信がない。

 では、The Ocean、今夜は、ここまで!

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育評論 はやし浩司 はやしひろし 子育て 育児論 子育て論 評論 はやし浩司 浜
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Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや。
「有朋自遠方来 不亦楽 」(論語)

++++++++++++++++++++++++

オーストラリアからの友人を連れ、今日は浜北にある、
樹香庵(森林公園内、森の家)へやってきた。
前から計画していた。
予約を申し込んだのは、2か月以上も前のこと。

台北での学会の途中、この日本に寄ってくれた。

++++++++++++++++++++++++

●入浴

 入浴は4時からだった。
着いたのは、ちょうどその少し前。
夕食前に……ということで、風呂に入った。
熱い湯だったが、気持ちよかった。
出ると、風邪が抜けていた。
よかった。

●L君の消息

 共通の友人にL君がいる。
そのL君の話になった。
私も、その友人も、もう30年以上会っていない。
「どうしたんだろう?」と。

友「Facebookに書き込みをしておいたが、返事がない」
私「Facebook……。つぎからつぎへと書き込みがあるから、いちいち返事を書く
のがめんどうになる。L君も、きっとめんどうなのだろう」
友「でも、ぼくなのだから、返事を書くべきだ」と。

 同じ学部だった。
友人は中国学科、L君は日本学科。
当時、メルボルン大学の東洋学部(オリエンタル・スタディズ)には、2つの学科で、
10〜15人しかいなかった。
その中のL君である。

●樹香庵

 樹香庵には、たびたび泊まらせてもらっている。
浜松の北では、イチオシの一軒宿。
(ただしお勧めは、樹香庵だけ。その理由は、あとで……。)
これだけの自然環境を、フルに利用した宿は、そうはない。
半径1〜2キロは、深い緑に、すっぽりと包まれている。
また高台にあって、眼下に、旧浜北市の市外を見下ろす。
とくに夜景がすばらしい。

 食事は、隣のレストランでとることになっているが、季節もよく、苦にならない。
書き忘れたが、私たち夫婦はその北隣にある別棟の一室に、部屋を借りた。

●夜景

 ……今は、午後7時39分。
5時半ごろレストランに入り、今までそこで時間を過ごした。
いろいろ話したが、少し疲れた。
日本語と英語を交互に使っていると、疲れる。
疲れるから、よけいに頭の切り替えができない。
「疲れたから……」と言って、早めに自分の部屋に戻ってきた。

 内障子を開けると、美しい夜景が目に飛び込んできた。
私は、それをそのままビデオに収めた。

●芸当

 二度目の風呂から帰ってきて、ワイフがこう言った。
「老後になって、こんなところに泊まれるなんて、幸せね」と。
珍しくワイフが、本音を漏らした。
めったに手の内を見せない。
自分の弱みを見せない。
そのワイフがそう言った。

 楽天的というか、ささいなことの中から、喜びを見出していく。
うつ病とは無縁の世界に住んでいる。
私にはできない芸当。

●満足感

 ……こういう幸せなときには、何を書いたらよいのかわからない。
頭の中には、甘い陶酔感が残ったまま。
書いて、自分の気持ちを吐き出したくない。
そんなブレーキが働く。

 ……といことで、今夜は、いやな予感を覚えながらも、午後9時半、就寝。

●ドンチャン騒ぎ

 レストランで夕食をとっているとき、東側に、15〜7人のグループ。
西側に、10人前後のグループが陣取った。
平日ということもあって、ともに、どこかの作業員?
私たちがちょうど到着するころ、同じようにしてそれぞれの車でやってきた。

 レストランでも、大声で騒いでいた。
傍若無人。
その人たちが、ちょうど私たちの部屋の上、つまり2階で、二次会を始めたらしい。
(それとも三次会?)
まさにドンチャン騒ぎ。
ギャーギャー、ドスン、バタン……。

 あとで知ったが、この「森の家」は、木造。
二階の騒動が、そのまま階下に伝わってくる。

 まずワイフが目を覚ました。
つづいて私も目を覚ました。
時計を見ると、午後11時。
30分ほどがまんしたが、ワイフがギブアップ。
フロントに電話をかけ、苦情を告げた。

 しばらくすると、少し静かにはなったが、今度は廊下をドカドカと歩き回る音。
やっと静かになったと思って時計を見ると、12時。
物音は、午前1時ごろまでつづいた。

●宿としては、最悪

 私たちはいつも樹香庵に泊まっていた。
先に、「イチオシ(一押し)」と書いたのは、その樹香庵をいう。
私たちが今夜泊まっている部屋は、別棟。
1階の106号室。

 「研修所」とあるところからもわかるように、「宿」にはならない。
壁は薄く、1階と2階を隔てる、天井も薄い。
「旅館」というよりは、巨大なバンガロー。
料金が安いのはありがたいが、それを勘案しても、失望感は大きい。

 つまり「宿」としては、最悪。
「のんびりと温泉に……」という雰囲気はまったくない。
「宿」として泊まるなら、樹香庵へ。
「二度と宿泊棟には、泊まらないぞ」と、心に決める。

●パソコン

 今、時刻は午前2時56分。
障子戸の向こうには、浜北の町が見える。
美しく、宝石のように輝いている。
私はこうして寝損ねて、パソコンを叩いている。
が、こういう時間は、嫌いではない。

 パソコンさえ手元にあれば、時間をもてあますということはない。
こうして好き勝手なことを書いていればよい。

●急性咽頭炎

 今朝、いつもの医院へ行くと、「急性咽頭炎」と診断された。
今朝、起きるとき、のどが痛かった。
で、そのとき2種類の薬を処方してもらった。
そのどれかが、体に合わないらしい。

 起きたときから、軽い不快感。
気持ちが悪い。
手の届くところに、水はない。
お湯もない。
眠りそこねてしまった。
こういうときは、自然体。
このまましばらく、思いつくまま、文を書いてみる。

●協議が行き詰る

 たった今、ニュースサイトを開いてみた。
ひとつは円が、とうとう1ドル=75円台に突入したという記事。
もうひとつは、バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという記事。

 75円台に突入したということは、EUの代表者会議が不調に終わったということ。
ついでにアメリカのダウ(株式)を見ると、午後2時現在、207ドル安。
Bloombergサイトで調べてみると、こうあった。

「10月26日(ブルームバーグ):第2次ギリシャ救済の一環であるギリシャ債保有者の
損失をめぐり、銀行団と欧州連合(EU)の協議が行き詰まり、話し合いは一時中断され
ている。EU当局者が26日、明らかにした」(日本時間、27日、午前0時10分現在)。

 借金の50〜60%の棒引きを迫る、欧州連合。
それを拒否する、銀行団。
銀行団がそれに応ずれば、それぞれの銀行の格付けは、大幅にさがる。
あるいはデクシア(先日、経営破綻)のように、つぎつぎと銀行が破綻する。
応じなければ、EUそのものが、崩壊する。
両者ともに、引くに引けない、土壇場に追いつめられている。

 その結果が、1ドル=75円台ということか。

●日本は……?

日本とて、無事にすむわけがない。
今のところ「中断」ということだが、これが「決裂」ということにでもなれば、……?

 2、3週間前のある週刊誌(名前は忘れた)に、こうあった。
どこかの経済学者が書いたものだった。
「外債はすぐ売れ。金(ゴールド)は手放すな」と。

 すでにいくつかのメガバンク、証券会社の経営危機が取りざたされている。
「何とかなるだろう」と、もしあなたが思っているなら、それは甘い。
ギリシャはともかく、(というのは、ギリシャの経済規模は神奈川県程度)、イタリアやス
ペインとなると、そうはいかない。
桁が2桁もちがう。

 それにしても、銀行は罪なことをしたものだ。
ほんの数年前には、銀行の窓口で、外債の購入を勧めていた。
うるさいほど顧客に勧めていた。
そういう勧めに応じて外債を購入した人たちは、少なくない。
今、例外なく、大きな損失を出している。

●バンコク

 バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという。
ニュースなどでは、土嚢を積んで防止しようとしているようだが、下水道などを逆流して
くる水もある。
そういった水は、防ぎようがない。

3・11大震災前なら、こうした「ありえない事件」に驚いたが、今は、そうではない。
ありえないことが、つぎつぎと起こる。
日本のメガバンクや、1、2位を争う証券会社が経営破綻に陥っても、今は、驚かない。
バンコク全体が、水没しても、今は、驚かない。
ついでにEUが崩壊しても、今は、驚かない。

 もちろんそれを望んでいるわけではない。
できれば世界は平和であってほしい。
しかし同時に、3・11大震災とそれにつづく原発事故が、ただの悪夢であってほしかっ
た。

 2011年……今年は、日本にとっては、たたり年だった。
大震災に原発事故。
加えてタイの大洪水。
それにしてもバンコクに、これほどまでに多く、日系企業が進出しているとは知らなかっ
た。

(注:たった今、NIKKEI(日本経済新聞)サイトを見たら、1ドル=76円台に、
またアメリカの株式(ダウ)は、プラスに転じている。
少しだけ、ホッとした。)

●10月27日、満64歳

 暗い話はやめよう。
今夜は今夜。
ツゥナイト(tonight)。

 ワイフはやっと眠りについたようだ。
あの連中たちも、やっと静かになった。
今は、物音ひとつしない。

 今日は、10月27日。
私の本当の誕生日は、10月27日。
父が役所に届けるとき、まちがえて10月28日にしてしまった。
それで10月28日が、私の誕生日になってしまった。

 当時はそういう時代だった。
私の父は、またそういう人だった。

Happy Birthday to Me!

 はやし浩司、満64歳!

●自由と孤独

 自由と孤独は、ペアになっている。
よく子どもに、マッチングの問題を出す。

「テーブルと仲がいいのは?」と。
すると子どもたちは、「椅子」と答えたりする。

 では、「自由と仲がいいのは?」と聞くと……こんな質問をしても意味はないが、答は「孤
独」。

 自由であろうとすればするほど、孤独が襲ってくる。
孤独がいやだとするなら、自由を犠牲にするしかない。
人々は、その微妙なバランスを保ちながら、生きている。

●老後

 「私はどうだったか?」とよく考える。
「私はどう考えていたか?」と。

 私にも青年時代があり、壮年時代があった。
そのとき、私は老人の住む世界を、どう考えていたか、と。

 が、それがどういうわけか、ぼんやりとしたままで、輪郭が浮かび上がってこない。
言い換えると、私は、自分の老後はもちろん、老人の世界など、考えたことがなかった。
現在のほとんどの若者と同じように、「私は老人にはならない」と思っていた。

 無頓着。
無関心。
が、こう考えていた。
「老人というのは、死んで当然の人たち」と。
が、誤解しないでほしい。
「死ね」ということではない。
「老人というのは、その分だけ、死に近い人たち。
だから死ぬことに対して、心の準備もできている人たち」と。

 で、あるとき、恩師の松下哲子先生(幼稚園、元園長)にこう聞いたことがある。
そのとき松下先生は、84、5歳だったと思う。
「先生、年を取ると、死ぬのがこわくなくなりますか?」と。
すると松下先生は、こう言った。
「林さん、いくつになっても死ぬのは、こわいですよ」と。

●情

 老後といっても、人によっては、20〜25年もある。
1人の子どもが生まれ、成人するまでの年月に等しい。
長いといえば、長い。
その期間を、どう生きるか。
……というより、その準備をどうするか。

 脳のCPUそのものが、鈍る。
クロック数も落ちる。
が、だからといって、感情が鈍るわけではない。
むしろ逆で、喜怒哀楽の情は、むしろ繊細になる。
外界の刺激に対して、心がより敏感に反応するようになる。

 むしろ若い人たちのほうが、無神経。
前だけを見、前に向かって生きているから、横やうしろが見えない。
見えない分だけ、無神経。

●孤独

 老後の最大のテーマは、孤独ということになる。
どう、その孤独を克服していくかということ。
だからこの日本では、昔から、こう言う。
『老後は、庭いじりと、孫の世話』と。
しかしそんなことで、20〜25年は、過ごせない。

 孫の世話というが、言うなれば、時間つぶし。
勉強がいやな子どもが、フリ勉、ダラ勉するのと同じ。
やらなくてもよいような、簡単な計算問題だけをし、時間をつぶすのと同じ。
「人間関係」とは言うが、相手が孫では、その人間関係もできない。

 「老人は死ぬもの」と、子どもたちは考えている。
幼児なら、なおさら。
一度、こんな調査をしたことがある。

「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、泣いた人?」と。

 当時、10人前後の幼稚園児にそう聞いたことがある。
が、結果は、みなさんの想像どおり。
「泣いた」という子どもは、ゼロ。
いても、1人いるかいないかという程度。
そのことは祖父母の葬儀の席で、はしゃぎ回る幼児を見ればわかる。

●基礎

 が、だからといって、孫の世話が無駄と言っているのではない。
要するに過度の期待と幻想はもたないこと。
孫の世話もよいが、ほどほどに!

 これは「依存性」の問題に直結している。
一度、その依存性が一方向性をもつと、それは常に祖父母から孫への一方的なものになる。
孫の側からすれば、「してもらうのが、当たり前」となる。
が、一度、その依存性ができると、それを是正するのは、ほぼ不可能と考えてよい。

 これは親子の間でも、同じ。
兄弟、親戚の間でも、同じ。
私たちはいつも、その限度をわきまえながら、生きる。
それがよりよき人間関係の基礎となる。

●もう寝よう

 時刻は午前3時30分。
「もう寝よう」と、今、思った。
眠気が襲ってきた。
それにしても、騒々しいグループだった。
「研修」とは名ばかり。
まさに忘年会。

 浜北森の家。
旅館としての利用は無理。
いや、ふつうの旅館なら、こういうヘマはしない。
女将なり、支配人が、注意する。
「静かにしてください」程度のことは言う。

 とても残念な一夜だった。
今日は軽く眠り、家に帰って寝直そう。

 2011年10月27日、朝、3時30分。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 森の家 森林公園 樹
香庵)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ミッション:8ミニッツ』(mission:8 minutes)原題『Source Code』

++++++++++++++++++++

映画にも相性がある。
人によって、みなちがう。
自分の相性に合わないからといって、評価を
さげてはいけない。

たとえば戦争映画が好きな人が、ラブストーリー
ものを観るようなばあいを考えてみればよい。
もちろんその反対でもよい。

で、今日、『ミッション:8ミニッツ』を観てきた。
主演は、ジェイク・ジレンホールとミシェル・モナハン。
よかった!
おもしろかった!
星は文句なしの5つの、★★★★★。
私の相性と、ピタリと合った。

『シクス・センス』『マトリックス』『ミラーズ』
『インセプション』……につづく映画。
私はこの種の、つまり知的ゲーム風の映画が大好き。
思う存分、楽しませてもらった。

ただ最後の部分で大きな矛盾を感じたが、それは後の話。
映画館を出て、しばらくしてからのこと。
よくよく考えてみると、「?」、と。
そのときはそこまで深くは考えなかった。
ハハハ…で、終わった。
(「?」の部分は、どうか自分で判断してみてほしい。
映画を観てからのお楽しみ!)

ただし、先にも書いたように、映画にも相性というのがある。
楽しいと思う人もいるだろう。
反対に、つまらないと思う人もいるだろう。

私は『ミッション:8ミニッツ』を見終ったあと、
学生のころに観た、『惑星ソラリス』を思い出した。
(この映画には、リメイク版があるので、注意。)
あの映画で受けた衝撃は、今でも忘れない。
『ミッション:8ミニッツ』でも、同じような衝撃を受けた。
(映画慣れしたせいか、衝撃度は年々弱くなってきているが……。)

今週は新作が、あと2つある。
『三銃士』と『フェア・ゲーム』。
がんばって、2つとも観る。……つもり。
(私たち夫婦が頻繁に映画を観るのは、ボケ防止のため。
どうか誤解のないように!)

ところで今日は、昼前に映画館へ行った。
日曜日ということで、かなり混雑していた。
やはり映画は、ふつうの日(平日)に観るのがよい。
2011/10/30記

++++++++++++++++++++++

●ウィルス・メール

 最近、ウィルス・メールが、ますます巧妙になってきた。
今朝も、1通、届いた。

あるBLOGサービス会社からの、連絡を装ったメールである。
差出人は、その会社名になっていた。
が、件名がいつもと違っていた。

 いつもは「〜〜さんが、あなたのBLOGを登録しました」で届く。
「〜〜さん」の部分には、相手のハンドルネーム(英文字)が書き込んである。
しかし今朝のには、その「〜〜さん」の部分に、日本語で個人名が書き込んであった。
「?」と思いつつ、そのまま削除。

 この種のメールの恐いところは、メール自体はふつうのもの。
何も仕込んでない。
ウィルス・チェックをかけても、素通りしてしまう。
が、メールを開き、「〜〜さんは、どんな人」というところをクリックしたとたん、どこか
のサイトに誘導され、そこからウィルスが侵入する。

 要するに、あやしげなメールは、削除、削除、即、削除。
迷わず、削除。
「何だろう」と思ったとたん、ウィルスにやられる。

●罪の意識

 実は、4、5年前に一度、この種のメールで被害を受けたことがある。
そのときは、ある友人のコンピューターが発信源になっていた。
その友人の名前で、メールが届いた。
で、いつものようにメールを開いてしまった。

 で、そのときのこと。
とたん、パソコンの動きがおかしくなってしまった。
私はあわててパソコンの電源を落とした。

そのあと、その友人に電話をかけた。
が、その友人は平然としたもの。
「ハハハ。あちこちから苦情の電話が届いています」と。

 率直に言って、これにはあきれた。
まるで罪の意識がない。
「ウィルス対策ソフトは使っているのか」と聞くと、「古いのを、ね」と。

 私は念のため、コンピューターをリカバリー(再セットアップ)した。
ご存知の方も多いと思うが、この作業が結構、たいへん。
めんどう。
冷や汗をタラタラ流しながらの、1日仕事になってしまった。

 友人のものからといって、安心してはいけない。
とくに相手が素人ぽい人のばあいは、要注意。

(私のばあいは、メインで使っているパソコンに、「?」のメールが届いたときには、別の
パソコンで、本人のものかどうか、確認することにしている。
いちばん困るのが、差出人がメールアドレスになっていて、件名がたとえば、「お元気です
か」などとあるもの。
メールも手紙と同じ。
差出人のところには、自分の名前、件名のところには、相手の名前を書くべき!)

●FAX

 迷惑と言えば、FAX。
このところ毎日のように、FAXが届く。
広告FAXである。

 そのたびに感熱紙が、ザラザラと無駄になる。
(最近の機種では、必要なのだけをプリント・アウトすることができるというのもあるそ
うだが……。)

 で、そのつど、私は電話線を抜き取っているのだが、しばらくするとまたかかってくる。
そこで電話機自体がもっている「拒否機能」を使って、決まった電話番号からのものは、
受け付けないように設定する。
その機能を使うと、その相手からの電話を拒否することができる。
しかし敵も然る(=猿)者、ひっかく者。
たぶん大がかりな、FAX送信業者なのだろう。
番号も1つではない。
複数〜10数回線ももっている。
一方、私の電話機では、20件までしか、相手を登録できない。

 で、その広告FAXの広告主に電話をかける。
「こういうものは、送らないでほしい」と。
その電話代は、もちろん、有料。

 ……つまり広告を出すのは、相手の自由。
しかしたとえ1円でも、受信者側に負担がかかるような広告は、法律で禁止すべき。
つまりFAXを専門に流すようなサービス会社は、法律で禁止すべき。

 もちろん当方と何かの取り引きがある会社からのFAXは、別である。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●11月1日(火曜日)2011年

+++++++++++++++++++++

今日から2011年、11月。
寒い朝。
軽い花粉症もあって、鼻水が出る。
空は、どんよりと曇っている。
低い雲。
鉛色の雲。
気分はあまりよくない。
……ということもあって、朝の運動は省略。
起きるとすぐガウンをはおり、そのまま書斎へ。

++++++++++++++++++++++

●チンピラの喧嘩

 TBS−iは、つぎのような記事を配信している。

『5、6号機は深刻な事故は免れたものの、津波で押し寄せた海水や事故後に亀裂から流
入した地下水が建屋の中に溜まっていて、東京電力では、この水を処理した上で、10月
から発電所の敷地内に散水しています。

 東京電力は「放射性物質の濃度は検出できない低さだ」と説明してきましたが、政府と
東京電力の統合会見では、この水の安全性について質問が相次ぎ、フリーの記者数名が繰
り返し、この水を飲むことを迫っていました』(TBS−i)と。

 そこで『細野原発担当大臣を補佐する内閣府の園田康博政務官が飲んでいるのは福島第
一原発5、6号機に溜まっていたとされる水です』(同)と。

 その場のやり取りがよくわからないが、「フリーの記者数名」(同)が、繰り返し、「だっ
たら、自分で飲んでみろ」と迫ったにちがいない。
そこで園田氏が、その水を飲んでみせた。

 が、この記事を読んで、何ともいたたまれない気持ちになった。
「飲め」と迫る「フリーの記者数名」。
それに応じてそれを飲む、「内閣府の園田康博政務官」。
陰湿かつ殺伐とした記者会見であったにちがいない。

 しかしこういう記者を、「バカ記者」という。
仮にそうであっても、つまり安全であっても、また安全でなくても、そんな水を飲めと、
相手がだれであっても、迫ってはいけない。
それが人間がもつ、良識というものではないのか。
いくら相手が政府高官であっても、彼らもまた別のところでは記者たちとは変わらない、
「1人の人間」。
飲む瞬間に、「もういいです」「飲まなくてもいいです」と、どうしてだれも言わなかった
のか。

 飲む側の園田康博政務官にしても、「それとこれは問題がちがう」と、どうして言えなか
ったのか。
これではまるでチンピラの喧嘩。
「ガン(眼)をつけたな!」と因縁をつけるチンピラ。
それに応じて、金を払う通行人。

 そのフリーの記者数名は、自分たちなりの正義を押し通したつもりかもしれない。
が、やったことは、チンピラのそれと同じ。
低劣。
低レベル。
いくら記者の肩書きをもっていても、「フリー」。
そこらの通行人と同じ。
そんな通行人の要求に応じて、水を飲んでみせる必要はない。

もしこんなことで、通行人が相手を裁判し、罪刑を科していたら、それこそこの日本はメ
チャメチャになる。
記者にしても、責任を問うことはできても、相手をそこまで追いつめてはいけない。
同じ苦しみを分かち合う、仲間ではないのか。

言い換えると、今、日本人の精神構造は、そこまでガタついている。

 その記事を読んで、たいへん残念に思った。

●狂乱

 このところ連日、世界の株価が乱高下している。
ドルにしても、100〜200ドル単位で、乱高下している。
メチャメチャというより、狂乱状態。

 たった一日で、ささいなことに反応しては、乱高下する。
で、今回ほど、私は資本主義体制に疑問をもったことはない。

 たとえばヘッジファンドという、訳の分からない組織がある。
要するに、マネーそのものを、商品のように売買し、金を儲ける組織。
しかもそのやり口が、きわめて投機的。
バクチ的。

 今回もそうだ。
日本政府が「(円高に対しては)、断固たる措置を取る」と、繰り返し声明を出した。
が、ヘッジファンドの連中は、それをこう読んだ。
「近く、日本政府は円売り、ドル買いに走るぞ」と。

 そこでヘッジファンドは、世界中からドルを買いあさり、その日に備える。
日本政府が円売り、ドル買いに出たら、即座にドルを売る、と。
で、その日はやってきた。
昨日(10月31日)、日本政府(政府+日銀)は、円売り、ドル買いの為替介入に打って出た。
円は75円台から一気に、79円台に。

 中身はよくわからないが、日本政府のこの措置によって、ヘッジファンドの連中は、莫
大な利益を得たはず。
つまり、ここがおかしい。

 一日、こつこつとまじめに働き、1000円、2000円というお金を稼いでいる人た
ちがいる。
その一方で、一夜にして、100億円とか200億円とかを稼ぐ人たちもいる。
これを「狂乱」と言わずして、何と言う?
私たち庶民は、打つ手もなく、それに振り回されているだけ。

 で、今朝のニュースを読むと、アメリカの株価(ダウ)は、5日間連騰したあと、昨日
は276ドルの急降下。
欧州債務危機問題が再燃。
アメリカのある銀行が経営破綻。
それで急降下。

 そこに「経済」という化け物がいる。
巨大な化け物。
化け物の気分は、毎日、コロコロと変わる。
昨日はニコニコ笑っていても、今日になると、豹変。
ささいなことで、カーッと怒り、ものを投げつける。

 そういう化け物とは、つきあわないほうがよい。
こちらまで気がヘンになる。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 23日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私は私】「私とは何か?」(山荘の朝、居間で)

●山荘の居間

 こたつの天板の上には、昨夜飲んだ、チューハイの缶、ひとつ。
まだ半分、残っている。
ほかに、パソコンのモニター、ピーナツの袋、テッシュペーパー、お盆、それにメガネ・
ケース。
無造作に散らかっている。

 コップにミネラル・ウォーターを注ぎ、それを飲む。
パソコンに電源をONにする。
時計を少し前に見たが、針は6時半を示していた。

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
着くとすぐ、ワイフは、DVDを見始めた。
私は、その横で、それをいっしょに見た。
星はつけようもないほど、つまらない映画だった。
途中で、ギブ・アップ。
猛烈な睡魔に襲われ、そのままふとんの中に。
寝たのは、午後11時ごろでは、なかったか。

●肉食

 まだ外を見ていないが、今日は、雨とか。
窓は薄暗く、外は静か。
鳥のさえずりも、コオロギの鳴き声も聞こえない。
ときどきやってくる、大きなあくび。

 昨夜食べたハンバーグが、腹の上のほうで、まだタプタプしている。
併せて食べた、エスカルゴがよくなかったかもしれない。
月に、1、2度、油っこいものを食べる。
そのたびに、腹の調子が悪くなる。

私の体は、90%が、ベジタリアン。
残りの10%が、肉食系。
肉類は嫌いではないが、どうも体に合わない。
胆嚢の機能が低下している?
自分では、そう思っている。
半年前にエコーで検査してもらったら、「胆石がありますよ」と。
ドクターは、そう言った。

 今日は、朝食を抜く。
昼と夜は、ソバ類。
今、そう決めた。

●脳(さて、本題!)

 ところで、昨日、こんな経験をした。
仕事に出かける前、私はこう思った。
「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と。
たしかに、そう思った。

 が、その出かける前、あれこれと雑務がつづいた。
教材を用意し、身支度を整えた。
その間中、私は、ヘルメットのことを忘れていた。
まったく忘れていた。
が、家を出る、その瞬間、私はヘルメットをさがした。
いつもなら勝手口の手すりに、それが掛けてある。
が、そこにはなく、床の下にころがっていた。

 私はヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●自転車 

 自転車にまたがりながら、こう考えた。
「雑務をしている間、『ヘルメットをかぶっていこう』という思いは、どこに消えていたの
か」と。
脳のどこかに、記憶としては、あったはず。
しかし雑務をこなしている間には、それが脳から消えていた。
ヘルメットのことは、まったく忘れていた。

 が、家を出る瞬間、ヘルメットのことを思い出した。
床にころがっているヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●別の脳

 最近の脳科学によれば、私たちが(自分の意思)と思っている意思にしても、意識とし
てそれを認知する前に、すでに脳の別の部分が決定しているという。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえばあなたが台所へ行く。
冷蔵庫からペットボトルを取り出し、それを飲む。
あなたは一連の行為、つまり(台所へ行く)→(冷蔵庫を開ける)→(ペットボトルを取
りだす)→(水を飲む)という行為を、自分の意思でしたと思っている。
だれかにそう聞かれれば、あなたは、そう答える。
「私は私の意思で台所へ行き、私は水を飲んだ」と。

 しかしそれ以前に、・・・時間的なことはわからないが、30分とか1時間前に、すでに
別の脳が、一連の行為をするように決めているという。
ばあいによっては、5分前かもしれない。
が、そのとき、私という「私」は、まだそれを意識していない。
つまり私たちが自分の意思と思っているものにしても、その大半が、・・・というより、そ
のほとんどが、すでに別の脳で作られている。
「もうすぐのどが渇く。お前は台所へ行って、水を飲んでこい」と。

 わかりやすく言えば、「私の意思」と思っているその「意思」にしても、別の脳に操られ
ているだけ。

●ウソ発見器

 ひとつの例としてよくあげられるのが、ウソ発見器。
いくら言葉でウソを並べても、ウソ発見器は、別の脳の中の反応を観察している。
自分の意思では、その(別の脳)までは、ごまかせない。
だからウソ発見器は、ウソを見破ることができる。

 ・・・というふうに考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、よくわからなく
なってくる。
ほとんどの人は、「私は私」と思って、行動している。
しかしそのほとんどは、別の脳がそれ以前に、勝手に決定している。
「私」という部分は、それに従って、行動しているだけ。

 先のヘルメットの話にしても、そうだ。
私は「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と、思った。
自分の意思で、そう決めた。
が、雑務の中で、そのヘルメットのことは忘れた。
「かぶっていこう」という意識さえなかった。

が、出かける瞬間、私はヘルメットをさがし、それを頭にかぶった。
それは私の意思だったのか。
それとも無意識のまま、別の脳に操られただけだったのか。

●レストランで

 昨日は、ほぼ1か月ぶりに、ハンバーグを食べた。
が、それとて、その意思は、昨日の昼過ぎには、別の脳が決めていたのかもしれない。
昨日は、朝食と昼食をかねたブランチを食べただけ。
しかも、いつもの半分。

 その一方で、このところ運動を毎日、2単位こなしている。
1単位は、30〜40分。
ランニング、ウォーキングマシン、それに自転車。
全身がひと汗、ザッと出る程度を、1単位としている。

 仕事に行く前から、空腹感があった。
たぶん、そのときすでに別の脳が、「今夜はハンバーグ」と決めていたのかもしれない。
私はそれを意識として、意識することはなかった。
が、別の脳は、そう決めていた。

 仕事が終わり、その帰り道。
私とワイフは、いつもの行きつけのレストランに寄った。
「何を食べる?」「何にしようか?」「ハンバーグにしよう」と。

●ワイフ

 今、雨の音が聞こえてきた。
雨あしが強くなった。
ボタボタと雨どいをあふれて落ちる水の音がする。

 秋の今ごろは、いつも、近くのスギ林の枯れ枝が、雨どいを塞ぐ。
雨どいを詰まらせる。

 ・・・たった今、ワイフが寝床から起きてきた。
「おはよう」と言ったようだったが、私は何も答えなかった。
めんどうだった。
「風呂はどうする?」と、ワイフが聞いた。
「うん・・・」と気のない返事。

 私はこうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
それには理由がある。

●最後の砦(とりで)

 このところ自分の住む世界が、どんどんと小さくなっていくのを感ずる。
体力、気力、思考力、集中力・・・。
それらがどんどんと弱くなっていく。

 そこで私はいくつかのことを自分に決めた。
目標とか、そういった甘いものではない。
「義務」として、位置づけている。

 その第一。
どんなことがあっても、毎日、BLOGだけは、発行する。
週3回の電子マガジンだけは、発行する、と。

 BLOGについては、1日、10枚の原稿と決めている。
電子マガジンのついては、1回分20〜30ページと決めている。
それは言うなれば、私の最後の「砦(とりで)」。
この砦を打ち破られたら、明日の私は、ない。

 市内の自宅に帰るまでに、何としてもその10枚を書きたい。
・・・何としても、書きあげたい。

●性欲からの解放

 話を戻す。

 私の脳の中に、別の「私」がいる。
それが裏から、私を操っている。
そのことは、60歳を過ぎると、よくわかるようになる。

 ・・・というか、私は、55歳前後に、それがわかった。
その前後に、私は「男の更年期」というのを経験した。
医学的に実証されたものではないが、そのころ、急速に性欲の衰えを覚えた。
いや、性欲はあったが、「女体」への関心が、ほとんどゼロになった。

 たとえば週刊誌に載っているようなヌード写真を見ても、どれも肉塊にしか見えなかっ
た。
ときに豚の脂身(あぶらみ)のように感じたこともある。
そのときのこと。
それまでの私が、いかに性欲の奴隷であったかが、わかった。
だから私はある日、ワイフにこう言った。

「今のぼくならね、女湯にだって平気で入れるよ。裸の女の人と、湯船につかって、平気
で世間話ができるよ」と。

 が、それはすがすがしいほどまでに気持のよい、解放感だった。

●性的エネルギー(リビドー)

 若い人たちに、いくらこんなことを言っても、理解されないだろう。
その渦中にある。
が、男性にしても、24時間、頭の中は「女」でいっぱいという人がいる。
そういう人にしても、自分が性欲に操られているだけとは思っていない。
自分の意思で、そうしていると思い込んでいる。
が、実際には、どの人もみな、別の脳で操られているだけ。
ついでに言えば、男がスポーツで目立ちたいと思うのも、女が化粧をするのも、別の脳に
操られているだけ。

 その原点にあるのが、性的エネルギー(フロイト)ということになる。
そのエネルギーが、脳の奥深くから、・・・最近の研究によれば、視床下部あたりから、パ
ルス信号として発信されているらしいが、そこから発信されている。

 このことは、ほかの動物を見れば、わかる。
動物だけではない。
植物にしても、そうだ。
どの生物も、生きる目的を、種族の存続に置いている。
種族の存続にはじまり、種族の存続に終わる。
残りのもろもろの行動は、言うなれば、「雑務」のようなもの。

●ドラマ

 が、だからといって、それが無駄とか、無意味とか言っているのではない。
それがあるから、人生も、また楽しい。
あの映画『タイタニック』にしても、もしジャックとローズがいなければ、ただの船の沈
没映画。
沈没再現映画。
ジャックとローズがいたから、人々を感動させ、涙を誘った。

 人生も、また同じ。
私たちがもし、無機質なまま、種族の保存だけを考えて生きていたとしたら、そこからは
ドラマは何も生まれない。
もちろん感動も、生まれない。

 言い換えると、その「ドラマ」にこそ、生きる意味がある。

●予期せぬ変化

 先に、私は、私たちは別の脳に操られていると書いた。
それはその通りだが、その別の脳が、混乱するときがある。
たとえば別の脳が、その人の方向性を決めていたとする。
が、その方向性が、乱されたようなとき。

 それが他人との接触ということになる。

 「そろそろ喉が渇いてきた。台所へ行って、水を飲んでこい」と。
別の脳がそう決めていたところへ、突然、電話がかかってきた。
友人からの電話である。
「今、近くに来ているから、ちょっとそちらに寄る」と。

 とたんあなたは、行動計画を変更する。
「あと10分で、仕事の準備を終え、居間を片づけなければならない」と。
つまりそう考えたとき、あなたは別の脳の支配から、抜け出る。
あなたはあなたとして、行動を開始する。

 それを「ドラマ」という。

 やがて友人がやってきて、居間のソファに座る。
友人にお茶を出し、自分もお茶を飲む。
渇いたのどを、お茶でうるおす・・・。
ついでに友人のおもしろい話を聞いて、笑う。
それが「私」ということになる。

●生と死

 生と死。
それはだれにも、平等にやってくる。
が、「生」にしても、それは闘うもの。
闘って、勝ち取るもの。

 たとえば昨日も仕事から帰ってきてからすぐ、ウォーキング・マシンの上で30分、歩
いた。
体というのはおもしろいものだ。
秋から冬にかけては、27分目に、汗がポタポタと下へ落ち始める。
正確に27分。

 もしそのとき、つまり仕事から帰ってきてから、こたつの中に座ってしまえば、それだ
けのこと。
しかし汗をかくことによって、細胞が活性化する。
そのあと、細胞のひとつひとつがプチプチとはじけるのが、自分でもよくわかる。
「生」は、そのあとやってくる。
つまり闘って、勝ち取るもの。
もちろん敵は、怠けた心。

●生きる意味

 私はEメールの署名のところに、こう書いている。
「Life is full of Dramas」と。
だれかの言葉だったが、だれの言葉だったかは、忘れた。
「人生はドラマでいっぱい」と。

 で、「なぜ生きているか」と聞かれれば、私は迷わず、こう答えるようにしている。
「ドラマを残すため」と。

 言い換えると、私がなぜ「私」であるかと言えば、そのドラマを残すからということに
なる。
別の脳に操られるままでは、ドラマは生まれない。
そこに「私自身の意思」を注入することによって、私は「私」を取り戻すことができる。
それがドラマということになる。

 さらに言い換えると、ドラマのない人生ほど、味気なく、つまらないものはない。
そのことは、10年を1日にして生きる老人、20年を1日にして生きる老人を見れば、
わかる。
意味もなく、また意味を持たせることもなく、毎日同じことを繰り返している。
そういう人生からは、ドラマは何も生まれない。

●感動

 が、ドラマにも、軽重がある。
振幅の大小と言い換えたほうが、正確かもしれない。
さらにわかりやすく言えば、感動のあるなし。
感動の大きさが、ドラマのスケールを決める。

 近所の人に会い、立ち話をするのも、感動。
しかしその一方で、たとえばワールドカップで、ゴールを決めるのも、感動。
さらに言えば、喜怒哀楽の世界で、人を愛するのも、また憎むのも、これまた感動。
日々に葛藤し、もがき、苦しむのも、これまた感動。
そうした無数の感動を通して、私たちは身の回りに、ドラマを築きあげていく。

 それが「私」であり、生きる意味ということになる。

●ザマーミロ

 話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今もはげしい雨が、外で降っている。
雨どいからこぼれ落ちるボタボタという音は、そのまま。

 気がつくと、ワイフがいつの間にか、私の横で眠っている。
動くものは、何もない。
いや、私がキーボードを叩くたびに、ペットボトルの水面が、かすかに、小刻みに揺れる。
それが蛍光灯の光を受け、チラチラと光を放つ。

 ・・・こうしてものを考え、キーボードで文にしているときだけ、私は私でいられる。
別の脳に支配されない、私。
きっと別の脳は、・・・もともと人間というのは、基本的には怠け者だから、こう叫んでい
るにちがいない。

 「せっかくの土曜日なのだから、横になって休め」と。

 が、私はあえて、それに逆らう。
逆らって、私は自分の意思で、私の文を、こうして書いている。
「ザマーミロ! お前の言いなりになってたまるか!」と。
別の脳に向かって、そう叫ぶ。
それが私にとっては、楽しい。

(はやし浩司 2011−10−22記)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●講演会の資料(10月29日)

++++++++++++++++++

今日の講演会で使う資料について、整理してみた。
で、改めて、私が説明を加えるまでもない。
「数字」が、すべてを語っている。

あなたはこうした数字を見て、どのように感ずるだろうか。
それが今日の講演会の骨子ということにもなる。

育児、教育は、今、大きな曲がり角に来ている。

++++++++++++++++++

【今日、あれこれ】

●放射線物質汚染

 政府の発表で、どうしても納得できないのが、これ。

茶葉から規制値を超えた放射線を観測したとき・・・「お茶でも、飲むときはお湯で薄める
から、問題ありません」、
乾しシイタケから、やはり規制を超えた放射線を観測したとき・・・「乾しシイタケだから、
料理したときには水分で薄められるから、問題ありません」と。

 つまり「濃度を薄めれば、問題なし」と。

 その延長線上にあるのが、表土のすき返し。
放射線物質で汚染された表土と、その下の土とを入れ替える。
それを「除染作業(?)」という、と。

●非論理

 どうしてこういう非論理的なことを言うのか、私には理解できない。
土を入れ替えるといっても、それは土をかき混ぜるだけ。
わかりやすく言えば、濃度を薄めているだけ。

 お茶にしても、10倍の水で沸かして飲めば、濃度は10分の1になる?
乾しシイタケにしても、料理にして食べれば、濃度は何分の1かになる?

 いくら濃度を薄めても、その分だけの放射性物質は、体内に取り込まれる。
いくら土の汚染濃度を薄めても、放射性物質は、そこに残ったまま。
どうしてそれを「除染」というのか。

 もしこんな非論理がまかり通るなら、規制値など、必要ない。
こう言えばよい。
「魚でも野菜でも米でも、みんな水で薄めて食べれば安全です」と。

●拡散

 この先、この日本では、大悲劇が始まるだろう。
福島の第一原発周辺の人たちだけではない。
東京都の人も、そしてこの浜松市の人も・・・。
がん性の病で、バタバタと人が死んでいく。

 「拡散」というのは、それをいう。
事実すでに、たとえば魚類にしても、約50%の魚から放射線が観測されている(日刊「ゲ
ンダイ」紙・10・21号)。
とくに北海道方面から、南下してくる魚の汚染度が高いという。
この先、100%になるのは、もはや時間の問題。
 
 その一例を、日刊「ゲンダイ」からここに転載する。

●スーパーで検出された魚(日刊ゲンダイ紙より)

イオン店・・・茨城 イナダ(48ベクレル)
  カツオ(13ベクレル)
       千葉 カツオ(22ベクレル)
       宮城 カツオ(14ベクレル)
          マイワシ(19ベクレル)(単位は1キログラムあたりの量)
(以上、日刊ゲンダイ紙より)

 この数値を見て、気がついたことがある。
たとえばカツオの放射線量をよく見てほしい。
茨城でも千葉でも、また宮城でも、放射線量が、13〜22ベクレルの範囲にあるのがわ
かる。
産地はそれぞれ、宮城、岩手となっているが、魚の産地ほど、あてにならないものはない。
水揚げした港が、産地となる。
仮に福島県沖で取れた魚でも、御前崎港と水揚げすれば、「御前崎(浜松)産」となる。

 で、こうして数値を並べてみると、イオンのばあい、同じ産地の魚を全国に流している
疑いが出てくる。
もちろんこの浜松でも、同じ魚が売られている可能性が高い。

 つまりこうして放射性物質は、全国に拡散されていく。
「私は浜松市に住んでいるから、だいじょうぶ」などと、高をくくっていると、たいへん
なことになる。

 ちなみに他店におけるカツオの放射線量をここに載せる。

(参考)カツオについて

 イトーヨーカー堂  カツオ(8〜17ベクレル)
 ユニー       カツオ(8〜20ベクレル)
 ダイエー      カツオ(6〜15ベクレル)
 西友        カツオ(5〜11ベクレル)
(以上、茨城、千葉、埼玉、東京で測定)  

●正確な情報

 私たちが今、いちばん必要としているのは、正確な情報である。
イオンならイオンでもよい。
それぞれの魚に汚染度を、しっかりと表示してほしい。
あるいは店先に、放射線測定器を置いてほしい。

 売る側は、「風評被害」という言葉を使う。
しかし食べる側は、「健康被害」という。
この先予想される健康被害を考えるなら、風評被害など、何でもない。
健康被害は、「命」の問題。
風評被害は、「金(マネー)」の問題。

 風評被害程度のことで、ガタガタ言う方が、おかしい。

●大本営発表

 政府の立場もよくわかる。
今ここで、「日本は終わりました」と認めると、国そのものが、崩壊してしまう。
だからウソでも何でも、「日本はだいじょうぶ」という体裁を取り繕わなければならない。
今が、そのとき。

 だから政府(文科省)は、そのつど、放射線想定値を、低め、低めに発表する。
この手法は、あの大戦中の大本営発表と、何ら変わらない。

 あの大戦においても、軍国主義を先頭に立って推し進めたのが、ほかならぬ当時の文部
省であった。
本来なら学術の府として、良識を旗印に、国民を先導すべき文部省だった。

 今、文科省は、その愚を再び犯そうとしている。
政府側にべったりと寄り添い、政府側のつごうのよい情報だけを流す。
つごうの悪い情報は、必要最小限にして流す。
ウソまでは言わないが、本当のことも言わない。
その前に、どうして文科省なのか?
どうしてこうした発表をするのが、文科省なのか?

 サッカー賭博を始めたときも、そう感じた。
どうして文科省なのか?

●自分で守る

 ともあれ、自分の「命」は、自分で守るしかない。
「健康」ではない。
「命」。

 ・・・ということで、私も放射線測定器を購入することにした。
今まで迷ったが、最近は国産のもので、安価なものが手に入るようになった。
(従来は、中国製、ロシア製のものが多かった。アメリカ製については、入手が困難だっ
た。)

 魚類はもちろん、口にするものは、自分で調べてから食べる。
またそれくらいのことをしないと、「命」は守れない。
死ぬのがこわいわけではない。
アホなことで、「命」を無駄にしたくない。
その報告は、今日の昼にでもできると思う。
(現在は、山荘にいて、ネットがつながらない状態にある。)

【追記】(放射測定器についての報告)

 放射線測定器について。
どの製品にするか。
それを選ぶのがむずかしい。

 その瞬間の空間の放射線を測定する製品がある。
しばらくONにした状態で、1時間あたりの積算量を表示する製品がある。

 が、私がほしいのは食品の放射線量を測定する製品。
しかしこちらは装置がおおげさで、価格も100万円前後。

 空間放射線量については、この浜松市では、必要ない。
多くても少なくても、今のところ、どこかへ引っ越すつもりはまったくない。
だから調べても無駄。

 どうしようか?、と、今も悩んでいる。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司

●今日の雑感・あれこれ(はやし浩司 2011−10−30)

●セシウムの量

 福島第一原発の事故が起きた直後のこと。
私は原発付近の風の方向を調べた。
そのサイトを見つけるのに苦労した記憶がある。
が、やがて日本地図に、矢印が記されたサイトを見つけた。
それを見て、まず、ほっとした。
矢印、つまり風の方向が、海のほうに向いていた。

 その翌日も、そうだった。
その翌々日もそうだった。
ずっとそうだった。
当時はまだ気圧配置が冬型で、風は西から東に吹いていた。

 だから私は当時の日記に、こう書いた。

「日本は、風に守られた」と。
事実、その通りだった。

 このたび、フランス政府は、空中にただよう放射性物質の量から、つぎのような計算を
した。

++++++++++以下、TBSーi(10・29)+++++++++++

 フランスの放射線防護原子力安全研究所は、福島第一原発から海に流出したセシウム1
37の総量がおよそ2.71京ベクレルにのぼるという推計を発表しました。
東京電力は4月下旬の発表で福島第一原発から流出したセシウム137の放射能の総量を
940兆ベクレルと推計していましたが、今回発表された数値はその30倍近くに相当し
ます。
報告書は海に流出した放射性物質の量としては過去最大としています。

++++++++++以上、TBSーi(10/29)+++++++++++

 2.71京ベクレルと聞いても、ピンとこない。
放射線の世界は、単位がメチャメチャ。
メチャメチャだが、「東京電力の発表の30倍」という点については、へんに納得できる。
当初、あの連中は、ウソばかりついていた。

 が、やはり日本は、風に守られた。
もしそれだけの量が、仮に30分の1であっても、東、もしくは南に向かっていたら、東
京はもちろん、この浜松市だって、人が住めなくなっていたかもしれない。
「海に流れたからよかった」というわけではない。
しかしなぜ原子力発電所が、海の近くに設置したかといえば、そうしたことも念頭に置い
てのことではなかったのか?

 だれもはっきりと言わない。
しかし本音を言えば、こうだ。
「万が一のときは、海へ流しましょう」と。
それが暗黙の了解事項になっていたことは、じゅうぶん、推察される。

 それにしても、2.71京ベクレルとは!
さっそく、チェルノブイリ事故のときの数値と見比べてみる。

++++++++++++以下、Nikkan Sportより+++++++++++

東京電力福島第1原発事故に伴う放射性セシウムの放出量は、日本の原子力安全委員会に
よる推計の3倍近くに達し、チェルノブイリ原発事故の4割を超すとの論文をノルウェー
の研究者らが27日までにまとめた。

大気物理学の専門誌に投稿され、結果が妥当かどうか専門家らが検証している。

 研究チームは、日本国内のデータや、核実験を監視するために世界中に設置された観測
網を利用し、事故発生から4月20日までに大気中に放出されたセシウム137は約3万
6000テラベクレル(テラは1兆)と推計。

原子力安全委員会は8月、全ての放射性物質57万テラベクレルのうち約1万1000テ
ラベクレルをセシウム137が占めると推計しており、これを大幅に上回った。

チェルノブイリの放出量は8万5000テラベクレル。

 放出量の19%が国内に、残りの大部分は海に落ちたとみている。

 また、日本政府の見方とは異なり、4号機の使用済み燃料プールから大量の放射性物質
が漏れたとの見解を示した。その理由として、4号機に放水を始めた直後から、放射性物
質の量が大幅に減ったことを挙げた。

++++++++++++以下、Nikkan Sportより+++++++++++

●チェルノブイリは、8万5000テラベクレル

 チェルノブイリ原発の事故では、8万5000テラベクレルの放射性物質が放出された
という。

 福島第一原発事故では、2.71京ベクレルだったという(フランスの放射線防護原子
力安全研究所)。

 ……ア〜ア、またまた「単位」の問題。

8万5000テラベクレル=8万5000x10の12乗=8万5000x1兆。
つまり
85000000000000000。

2・71京ベクレル=2・71x10の16乗x1億x1億
つまり
27100000000000000。

 これら2つの数字を並べてみる。
85000000000000000(チェルノブイリ)
27100000000000000(福島第一原発)

 最近、頭がボケてきたせいか、こうした計算ではよくミスを犯す。
もう一度、しっかりと計算しなおしてみる。

まちがいない……ということは、福島第一原発では、チェルノブイリ原発の事故の、約3
分の1の放射線が放出されたということになる。
これからの人的被害がそれに比例するとは思わないが、相当の被害が出るのは確実。
チェルノブイリと福島(東北地方)とでは、人口密度、そのものがちがう。
(もちろん東北地方のほうが、人口密度が高い。)
それを考慮に入れると、たとえ「19%」(Nikkan Sport)ではあっても、た
いへんな量ということになる。

 今からでも遅くないから、福島県の人たちを、全員、強制退去させるべきと、私は考え
る。

●「バカなやつ」発言

 韓国紙は、つぎのような報道を繰り返している(東亞日報ほか)。

いわく『19日、読売新聞など日本のマスコミによると、平野逹男復興相は18日夜、福
島県二本松市で行われた民主党参議院研修会で、「津波当時、(私の)高校の同級生のよう
に、逃げずに死んだバカなやつがいる」と話した。
まるで大震災の時、逃げられず津波に巻き込まれて死んだ人々がバカだという意味に受け
止められかねない軽率な発言だった』と。

 しかし、本当にそうか?

 韓国人だから、日本語の微妙な表現までは、理解できなかったらしい。
このばあい、バカだらか、「バカ」と言ったのではない。
「とても残念だ」という意味で、「バカ」と言った。
また発言をよく読むと、こうある。
「逃げずに死んだバカなやつがいる」と。

 逃げようと思えば、逃げられらのに、逃げなかった、と。
理由はよくわからないが、平野逹男復興相は、それを「バカ」と言った。
死んだ人を、「バカ」と言ったのではない。

 似たような表現は、日本語のあちこちに見られる。
「ぼくはバカを見たよ」とか、「彼はバカ正直だよ」とか。
韓国紙としては、日本の世論を混乱させたかったのかもしれない。
しかしこれは不発に終わった。

 韓国のみなさん、もう日本のことは、放っておいてほしい。
あなたがたは、あなたがたとして、どうか未来に向かって進んでほしい。
ああでもないこうでもないと、過去ばかりほじくり返して、どうなる?
過去だけではない、日本の政治家の発言までほじくり返して、どうなる?
ああ、いやだ!

●竹島問題

 数学の問題でも、答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、至難の業。

 私が中学生のとき、数学の先生が、こう教えてくれた。
「コンパスと定規だけを使って、5角形を描いてみなさい」と。

 そこで私は数日間、悪戦苦闘した。
そしてその先生にこう言った。
「コンパスと定規だけでは、5角形を描くことはできません」と。

 するといつもはやさしい顔の先生だったが、顔を真っ赤にして、こう言った。

「だったら林君、描くことができないということを証明してみせなさい」と。

 で、それからさらに何日か悪戦苦闘した。
結局私は五角形を描くことができなかった。
「五角形を描くことはできない」ということを証明することは、さらにできなかった。
 
 先生にそれを話すと、そのあと先生は、コンパスと定規を巧みに使って、五角形を描い
て見せてくれた。

 ……この話と、「竹島問題」は、どうつながるか。

 産経新聞によれば、『東京都教職員組合(都教組)が今夏の中学校教科書採択にあたり、
教員向けに各教科書を比較検討した資料の中で、日本固有の領土である竹島について「日
本領と言える歴史的な根拠はない」と、日本政府の見解を否定していたことが27日、分
かった』と。

 その上で『竹島は尖閣諸島や北方四島と違い、「日本固有の領土」と言える歴史的な根拠
はない』と断定している。

 が、これはおかしい。
つまりこの東京都教職員組合の論理はおかしい。

 先の数学の問題を思い浮かべてみてほしい。

 「日本の領土であると証明できる根拠はない」。
だから「日本の領土ではない」と。
つまり「証明できないから、日本の根拠はない」と。

 これは自分の能力を棚に上げ、「五角形を描くことができなかったから、五角形を描く方
法はありません」と言った、あのときの私の論理と同じ。

 韓国側は、この記述に大喜び。
「日本は自ら、竹島(独島)を韓国の領土であると認めた」と。

 さらに和田春樹東京大学名誉教授は、つぎのように発言している。
なお和田春樹氏は、私が学生時代の政治学の恩師でもある。

 『日本政府は慰安婦問題について1965年の日韓請求権協定で解決済みとの主張を繰り返
しているが、これでは韓国政府が求める外交交渉を拒否できない」と指摘。
続けて「独島問題は日韓関係に致命的な悪影響を与えている」として「慰安婦問題と共に
議論し解決方案を探す必要がある」と主張した』(2チャンネル・政治速報)と。

 和田春樹氏は、当時、週に何日か金沢大学やって来て、教壇に立っていた。
70年安保の真っ最中。
左翼系の教授として知られていた。

 この発言をとらえて、これまた韓国側は大喜び。
もっとも和田春樹氏は、「竹島が韓国のもの」とは言っていない。
それはわかるが、しかしこれも先の数学の問題とからんでくる。

 ならば、韓国側が、「竹島は韓国の領土である」と証明してみせればよい。
あるいはそれができるのか?
韓国側はどうなのか?
韓国側にしても、『「韓国固有の領土」と言える歴史的な根拠はない』のではないのか?

日本側はかねてより何度も、国際司法裁判所で判断してもらおうと提案している。
それを拒否し、一方的に、つまりなし崩し的に既成事実化しようとしているのは、韓国側。
そういう現実を忘れ、「日本の領土であるという証明はできない」「だから日本の領土では
ない」「つまり韓国の領土である」という論法は、数学的に考えても、メチャメチャ。

 「日本の領土ではない」と証明するのは、至難の業。
「この数学の問題は解けません」というのを証明するのと同じ。

だからこそ、双方は、「私たちの領土です」という証拠を出し合って、議論をする。
それが正攻法というものではないのか。
それを裁定するのが、国際司法裁判所ということになる。

 さらに一言、付け加える。

 東京都教職員組合は、つぎのように述べている(産経新聞)。

 『……もし、この記述通り『竹島は日本固有の領土』『韓国が不法に占拠』という政府の
一方的な見解を学校で教えることになれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植え
つけることにもなりかねない』と。

 あのね、ゼンゼンわかっていない。
感情的なナショナリズムで沸き立っているのは、韓国側。
言うべき相手がちがう。

 自分の家が泥棒に占拠された。
それを自分の息子たちの知らせると、息子たちが怒るかもしれない。
だから怒らせないよう、ここは黙っていよう、と。
私にはそんなふうに聞こえる。

 なお韓国側は、竹島で、ファッションショーまで開いている。

TBSーiは、つぎのように伝えている。

 「日韓両国が領有権を主張する竹島で韓国のデザイナーがファッションショーを開きま
した。
 28日、竹島で開かれたのは韓国のデザイナーによるファッションショーです。竹島の
領有権を主張する韓国の財団などが主催したもので、40人あまりのモデルが伝統的な韓
国の民族衣装に身を包み、およそ1時間にわたって行われました』と。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【資料集】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人の貯蓄額

50代で、貯金額ゼロの人は、約30%もいるそうだ。
また60歳の定年退職時で、貯金ゼロの人は、50%もいるそうだ(F投信調査)。
どこかの証券会社が、そんな調査結果を公表している。


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%

●男は仕事、女は家庭?(2008年、調査)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

読売新聞社(2008年8月27日)が公表した意識調査によると、

女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる……55%
そうは思わない                 ……39%、
だったという。

この数字を、1978年(30年前)と比較してみると、
「女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる」と答えた人は、26%
だった。

つまりこの30年間で、26%から、55%にふえたことになる。
(以上、読売新聞社、年間連続調査「日本人」より)

+++++++++++++++++++++++

こうした変化は、私も、ここ10年ほど、肌で感じていた。
旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観が、今、急速に崩壊しつつある。

そのことを裏づけるかのように、今回も、こんな調査結果が出ている。

+++++++++++++++++++++++

結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい……30%

そうは思わない……68%

この数字を、1978年と比べてみると、

「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」については、
賛成……71%
反対……22%だった(同調査)。

つまり30年前には、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成する人が、71%だった
のに
対して、今回は、30%にまで激減したということ。

日本人の意識は、とくにこの10年、大きく変化しつつある。
まさに「サイレント革命」と呼ぶにふさわしい。

ただし「結婚」については、肯定的に考える人がふえている。
読売新聞は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++

ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の
33%を
大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。「結婚した方がよい」は、5
年前
の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。

++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++

●父親論

●ああ、父親たるものは……!

++++++++++++++++++

平成10年度の『青少年白書』によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだ
ろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私たちの老後

●1・2人で、1人の老人

 今朝のエッセーの中で、こう書いた。

『……この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなる
という(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25〜26歳の人が、65歳になるころということになる。
 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)……』と。

 今日は、一日中、この中の数字が気になった。
現在の今ですら、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。
それがこの先(2050年)、約1・2人の人が、1人の老人を支えなければならなくなる。
2人の夫婦が、2人の老人を養う……というような単純な問題ではない。
医療費、介護費、生活費、すべてを含めて、1・2人に1人ということ。
が、そんなことは、常識で考えても、不可能。
実のところ私は、少子化が、そこまで深刻な問題をはらんでいるとは、知らなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●家族崩壊

韓国の作家、申京淑氏の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっていると
いう(韓国・東亞日報)。
申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。

『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろう
か」という質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。
見慣れないものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感す
ることが、より重要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。

ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではなく、「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。

この浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、
戻ってこない。

「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)。
浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。
が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。

『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時も『ご
めんね』という言葉を聞かされて育った。私たちが当たり前のように耳にしながら育った
この言葉は、いざ両親に対してはかけたことがない。言葉の順番が変わるべきだという気
がした』(同)と。

●どう生きるか?

(ひとつの例)

●タイの大洪水の中で(TBS−iより、2011年10月29日)

『……川からの水がどんどん流れてくる中、まさにその上では屋台の営業が続けられてい
ます。足元を流れる水をものともせず、屋台ではさまざまなおかずが売られていました。
しかし・・・

 「洪水がすごくて、店を開いてもお客さんが来ない」(屋台で働く人)

 積み上げられた土のうの間を流れて行く水。傍らのコンビニエンスストアでは従業員が
必死にバケツで水をくみ出していました。別の場所では浸水した道路へ網を投げ、魚を取
ろうとする男性が・・・。あちこちで同じような漁をする光景が見られました。こちらの
女性、ボートの上でタイ風のソーセージを焼き、売っていました。
 「今までやってた仕事が(洪水で)やれなくなったからこの商売を始めたの。工場は全
部休みになったから」(ボートでソーセージを売る女性)

 水は日本人居住区にも迫りつつあります。……』(10月29日)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ドラ息子、ドラ娘症候群】

●子どもの堪忍度

++++++++++++++++++

許容度でもよい。
寛容度でもよい。
許認度でもよい。
わかりやすく言えば、「やさしさ」。

ともかく、相手をそのまま受け入れ、
それを認める度量のことを、「堪忍度」という。

この堪忍度は、相手への「想い」によっても
異なるが、それが広い子どももいれば、
そうでない子どももいる。

そうでない子どものことを、昔は、ドラ息子、
ドラ娘と呼んだ。

ささいなことで、相手を好きになったり、
嫌いになったりする。
とくに(嫌いになる)部分がはげしく、露骨。
それを平気で態度で示したり、言葉で
示したりする。

+++++++++++++++++

●思春期

 Mさんという中学1年生の女子がいた。
私が強制的に退塾を命じた、数少ない生徒の1人だった。
頭は切れ、学校での勉強もよくできた。
市内の進学校に通っていたが、成績はクラスでも1、2番だった。

 そのMさんが、ある日、私にこう言った。
「私ね、老人を見ると、生理的な嫌悪感を覚えるのね」と。

「生理的な嫌悪感」という言葉が強く印象に残った。

 で、私が「その生理的嫌悪感って、何?」と聞くと、こう話してくれた。
「トイレでもさあ、便器にうんちがついていると、使う気しないでしょ。
あれと同じよ」と。

 私はそのとき50歳を過ぎていたのではなかったか。
そろそろ老人組を意識し始めたころである。
で、私が反発して、「君だって、いつかはその老人になるんだよ」と諭すと、こう言い返し
た。
「私は、老人には、ならない!」と。

 自己中心性も、ここまでくると、バカ。
頭の善し悪しではない。
ものの道理がわからないから、バカ。

●ドラ息子、ドラ娘

 このタイプの子どもは、昔(30〜40年前)には、少なかった。
いたとしても、裕福な家庭で、わがままいっぱいに育てられた子ども。
そういう子どもを、昔は、ドラ息子、ドラ娘と呼んだ。

 が、今は、ごくふつうの、ごく平均的な家庭の子どもでも、そうなる。
事実、そういう子どもは多い。
飽食とぜいたくの中で、自分を見失ってしまった。
好きか嫌いかと言われれば、私はそういう子どもが嫌い。
「こんな子どもに知恵をつけさせたくない」とさえ思う。
またそういう子どもにしないよう、努力している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を検索してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ドラ息子

 ドラ息子、ドラ娘には、つぎのような特徴がある。
もしこれらの項目のいくつかに当てはまるようなら、あなたの子どもはかなりのドラ息子、
ドラ娘とみてよい。
今はまだ体も小さく、あなたの保護のもとでおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの
手に負えなくなる。

(1)ものの考え方が自己中心的。
自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ばせるためにいると考える。ゲ
ームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いどおりにならないと、不
機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆の中心にいない
と、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。
約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成する
ことができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレー
キをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれ
でよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。
他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、
幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(3) バランス感覚が消える。
ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、な
ど。

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易では
ない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方その
ものに原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子
どもをなおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
そういう姿勢が、子どもをますますドラ息子、ドラ娘にする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
もう一作、検索で見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ドラ息子、ドラ娘】

●甘やかしと、きびしさ

+++++++++++++

甘やかしと、きびしさ。一貫性の
ない親の育児姿勢が、子どもを
ドラ息子、ドラ娘にする。
甘やかしで、規範そのものが
崩れる。一方、アンバランスな
きびしさが、子どもを反抗的に
する。
わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、
キレる……。

+++++++++++++

 一方で甘やかす。しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。はじ
めは、小さなすき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。(甘やかす)
→(ますますきびしく接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくなる。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。 
 このタイプの親には、共通点がある。

(1) 溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)
(2) 育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)
(3) 飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)
(4) 視野が狭い(目先のことしか、考えていない)
(5) 見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)
(6) 代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたい)
(7) 親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかな
い)

 これらの特徴と併せて、(8)一貫性がない。そのときの気分で、子どもに甘く接したり、
きびしく接したりする。A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。一方、母親は派手好き。裕福な家庭で、生まれ育
った。ほしいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。近くに祖父母もいて、A君の世話
をした。A君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と
考えていた。A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。いや、
するにはしたが、とても手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげ
さに喜んでみせたり、ほめたりした。「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に
水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。あと片づけをしない、ほしいもの
が手に入らないと、怒りを露骨に表現するなど。母親は、そのつど、A君をはげしく叱っ
た。A君は、それに泣いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。夫の収
入だけでは足りなかった。A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助
を受けていた。夫には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。そのため
A君の母親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。そのころすでにA君は、オー
バーヒート気味だったが、母親は、それに気づかなかった。「やればできるはず」式に、A
君に、いろいろさせた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。
好き嫌いがはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。簡単なゲームをさせて
も、ルールを守らなかった。そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人
に乱暴を繰りかえしたりした。

 人格の完成度が遅れた。他人の心が理解できない。自己中心的。ほかの子どもたちとの
協調性に欠けた。幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれを
したが、そうでないときは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。そのころになると、
母親にも乱暴を繰りかえすようになった。母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。ものを投げ
つけることも重なった。が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。学校の宿題を
するだけで、精一杯。その宿題すら、母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、
多い。が、何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づ
くことがないということ。『溺愛は、親を盲目にする』。A君の母親は、ますます献身的に
(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに
対処できる。アドバイスもできる。しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたの
お子さんには、問題があります」とは、現実には、言えない。言ったところで、そのリズ
ム、つまり子育てのリズムを変えることは、不可能。親にとっても、容易なことではない。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから、はじまっている。そんなわけで、わかってい
ても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。親自身が、袋小路に入り、にっちもさっち
も行かなくなる。が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。「うちの子
にかぎって……」「そんなはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。小学5、6年になるころには、まさに王
様。食事も、ソファに寝そべって食べるようになった。母親が、そこまで盆にのせて、A
君に食事を届けた。母親は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるもの
の、結局は、買い与えていた。「機嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。が、
A君の父親は、静かで、やさしい人だった。家庭のことには、ほとんど関心を示さなかっ
た。仕事から帰ってくると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶして
いた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親が
それに気づくか、それが大切。早ければ早いほど、よい。できれば3、4歳ごろには、気
づく。(それでも遅いかもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。その
リズムを変えるのは、容易なことではない。1年や2年はかかる。あるいは、もっと、か
かる。さらに親自身がもつ、子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。それこそ行
き着くところまで行き、絶望のどん底にたたき落とされないかぎり、親も、それに気づか
ない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件
そのものを、もみ消してしまった。あちこちを回り、お金で解決してしまった。また別の
子ども(高1男子)は、無免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。そのときも、
母親が、一晩で、事件そのものをもみ消してしまった。
こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。で、やっとそのころ
になると、自分の(まちがい)に気づく。それまでは、気づかない。ひょっとしたら、こ
の文章を読んでいるあなた自身も、その1人かもしれない。が、ほとんどの人は、こうい
う文章を読んでも、「私には関係ない」と、無視する。これは子育てがもつ、宿命のような
もの。

 そこで教訓。

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。責めるべ
きは、あなた自身。反省すべきは、家庭環境そのもの。あなたの育児姿勢。家庭のリズム。
あなたの人生観、それに子育て観。

 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。なおる
はずもない。この問題は、そういう問題である。

+++++++++++++++

ドラ息子、ドラ娘について書いた
原稿を、いくつか添付します。

+++++++++++++++

●子どもは、使う

 子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの
本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うこと
です。使って使って、使いまくることです」と。
 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこ
で私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こ
う教えてくれた。
「ときどきホームステイをさせてやるのだが、料理の手伝いはしない、食事のあと、食器
を洗わない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベ
ッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの
間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、
明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝ってい
る」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1) ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分
を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。
自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さな
い。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2) ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目
標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄し
てしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしな
くなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動
が多くなる。

(3) ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、
自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4) バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従っ
て行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しか
し一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方その
ものに原因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあ
り方を反省する前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉
しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、
家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親
の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこ
からくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞
くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがい
るから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの
家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞くと、「トイレ
が汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしない
ためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、そ
れ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉
強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは
言わない。好きなことをしているだけ。

幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所の
生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂場の排水口
にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。
こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお
母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、
口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをする
にしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛
を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)
→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食
材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチン
の周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレ
ビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビ
キビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなた
の子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、そ
れでよし。

しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかな
り反省したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。
食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。
フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話
に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そう
いう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそう
いう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)
生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労
がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族
のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生
活を改める。(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを
守らせる。(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが
重要だが、(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した
生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまう
ような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの
接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言え
ない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかた
よったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。そ
れを忘れてはならない。

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その
金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。
子どもはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。
そしてそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。たとえば子どもの100円は、
おとなの1万円に相当する。1000円は、10万円に相当する。
親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになっ
てからの、1万円、10万円に相当する。「与えられること」に慣れた子どもや、「お金に
よって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、将来どうなるか。もう、言べくもない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なもの
を買ってあげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。より高価なものを買い
与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。

あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。が、これはまったくの誤解。実際
には、逆効果。それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わ
す。ある子ども(小2男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売になるか
ら、ママに買いに行ってもらう」と。そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」
と言うと、「それではおくれてしまう」と。その子どもは、「おくれる」と言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによっ
て、自分のステイタス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。変
質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出
てきた。

援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「どうしてそ
ういうことをするのか」という質問に対して、である。しかも金銭感覚そのものが、マヒ
している。もっているものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろう
か。1000円のものだろうか。それとも1万円のものだろうか。お年玉には、いくら与
えるだろうか。与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金
をさせるだろうか。いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもに
させているだろうか。

どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。5、6歳の子どもに、1万、2万円
のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、あ
なたは100万円、200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。

つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。あなたにそれだけの財力
と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめたほうがよい。やが
てあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。そうなればなっ
たで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。

●ドラ息子症候群

 英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。
要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。こういう
例は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、
ない。あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハ
キハキしないのでしょうか」は、ない。もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子という
のがいる。M君(小3)は、そんなタイプの子どもだった。

 口グセはいつも同じ。「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。何でもよいのだ。
その場の自分の欲望を満たせば。しかもそれがうるさいほど、続く。そして自分の意にか
なわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。約束は守れないし、ルールなど、彼に
とっては、あってないようなもの。他人は皆、自分のために動くべきと考えているような
ところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」
と。そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼ
くはならない。バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資
格などない」とか。こうも言った。

「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。M君の家は昔からの地主で、
そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。教えるこ
とそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「も
っとほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。そうそうこんなこと
もあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてし
まったのである。悪質な万引きだった。それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するか
ら」という理由で、猛烈な裏工作をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消してし
まった。そして彼が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそ
う呼んでいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。折ったら、ヒロシはどうする?」
と。
そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私か
らその万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった! と
たん私は彼に飛びかかっていった。結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君
の母親は、私を狂ったように責めた。(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。が、M君の父親が、
私を救ってくれた。うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。「先
生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ドラ息子 ドラ息子症候群 スポイルされる子どもたち)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Mさんという中学1年生

 そのクラスに、かん黙児(中1)の男子がいた。
教室でもほとんどしゃべらなかった。
だれかが話しかけても、ニンマリと笑うだけ。
私は、その子どもを、それまでに2年間教えていた。

 が、時間帯のつごうで、Mさんが、その男子と同じクラスで勉強するようになった。
そのときのこと。
Mさんがこう言って叫んだ。
いっしょに勉強するようになって、数か月目のことだった。

「先生、この子(=緘黙症の男子)、キモイ!」と。
そしてその男の子に向かって、こう言った。
「あんた、何か、しゃべりなよ。黙っていたら、キモイでしょ。
しゃべれよオ〜!」と。

 私はその場で、Mさんを退室させた。
「お前のようなヤツは出て行け!」と。

●「出て行け!」

 この一件だけではなかった。
そのうち、私に対しても、ズケズケとものを言うようになった。
自分自身が、今で言う、軽いAD・HD児であることにも、気づいていなかった。

 指導しているとき、私がお茶を飲むと、すかさずこう言った。

「あんた、先生でしょ。お茶ぐらい、音をたてて飲まないでよ」と。
熱かったので、ズーズーと音を立てて飲んだのが、気に障ったらしい。

 ……ということが重なり、ある日、私のほうが、キレた。

「あのね、そんなにぼくのことが嫌いなら、この教室、やめてもいんだよ」と。

 その言葉がきいたのか、それからしばらくは、静かだった。
が、そのしばらくが過ぎると、また言い始めた。

 ……その内容を書くのが、ここでの目的ではない。
ともかくも、冒頭の会話になったとき、私は爆発した。

「出て行け!」と。

 今でもときどき、ワイフとの会話の中に、そのMさんが出てくる。
「あれは、すごい子だったね」「そうね」と。

 その後の消息は知らない。
私も聞かない。
勉強だけは抜群にできる子どもだったから、現代という世界では、それなりに成功してい
ることだろう。
が、ワイフはこう言った。

「ああいう子(娘)は、結婚できないと思うわ」と。

 もう10年以上も前の話だから、今ごろは、30歳近くになっているはず。
結婚できただろうか。
それとも独身のままだろうか。

 私はそのMさんの話になったとき、こう言った。
「お前がああだったら、1か月も無理だろうね」と。
つまり1か月で離婚だろうね、と。

 強く印象に残った子どもだが、二度と会いたくない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ドラ息子 ドラ娘 許
容度 寛容度 忍耐力)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【BW子どもクラブより】(はやし浩司 2011−10−24&25)

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★お礼……私のホームページからのYOUTUBEへのアクセス数が、毎日、1400〜
1500件を超えるようになりました。
心からお礼、申し上げます。
ありがとうございました。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

より「公開教室」へおいでください。

2011/10/25記

+++++++++++++++++++++

●年中児の表情、動作、表現

 「サイレント・ベイビー」という言葉があります。
その延長線上に、「表情の乏しい子ども」がいます。
程度の差もありますが、表情がない、もしくは乏しい子どもは、全体の20%前後います。

 豊かな表情は、子どもの財産です。
うれしいときは、うれしそうな顔をする。
悲しいときは、悲しそうな顔をする。
それができる子どもには何でもないかもしれませんが、そうでない子どももいることは
事実です。

 欧米では、教育の場でも、子どもの表情(表現力)を重要視しています。
中学レベルになると、「ドラマ」という科目があることからも、それがわかります。
今回は、その表情の指導をしました。

(1)
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(2)
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(3)
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(4)
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小3児に、立体模型を作ってもらいました。

 立体図の指導として、今回は、みなで宇宙船を作りました。
それぞれに宇宙線のパーツを作ってもらい、最後に組み立てました。
導入部をうまく指導すると、みな、夢中になって作ってくれます。

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/iCYxDDyCxSQ?hl=
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小1児に、円錐を作ってもらいました。

 箱作りは、小4レベルの学習ですが、今回は、1年生に円錐を作ってもらいました。
最初は、子どもたちに自分で考えさえ、自分で作らせました。
自分で円錐を作った子どもがいたのには、驚きました。
円錐は、小5〜6児でも、できない子どもは、いくらでもいます。
併せて、小1児の学習風景を、紹介します。
カメラは、後方にセットしました。

(1)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小1児&小2児と立体模型作りをする】+BW教室、ありのまま

●立体模型作りをしました。BWでは、「まだ教えてもらっていないから、できない」などと
弱音を吐く子どもは、いません。(教えない)ことを前提に指導しているからです。この指
導法は、学校での指導法の逆です。学校では、(まず教える)。つぎにそれを子どもたちに
(まねさせる)。「学ぶ」という言葉は、「まねる」という言葉からうまれていることからも、
それがわかります。「失敗してもいい。まちがえてもいい。まずやってみなさい」というと
ころから、いつもレッスンをスタートさせています。(2011/10/27)

(1)小1児
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)小1児
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fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(1)小1&2児
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)小1&2児
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【もの書き論byはやし浩司】2011/10/24記

++++++++++++++++

私はしがないもの書きでござんす。
しかし一寸の虫にも五分の魂とか。
そんな私にも、誰にも譲れないものは
あるには、あるんです。
称して、
「もの書き論byはやし浩司」。

++++++++++++++++

●頭の切り替え

 昨日、ワイフがおもしろいことを言った。
「私、寝るとき、いろいろ考えていると、眠れなくなる」と。

 が、一方、私はこうしてものを書いているとき以外、ほとんどものを考えない。
寝るときはなおさらで、頭の中はカラッポ。
それまで書斎で、何を書いていたかさえ、忘れてしまうことがある。
だから横になったら、昼でも夜でも、数分から、長くても5〜10分以内には、眠ってし
まう。
「あなたの特技みたいね」とワイフは、よく言う。
そう、私の特技のようなもの。

●書く前

 今もそうだった。
書く前というのは、ツンとした緊張感が走る。
「さあ、書こう」と意気込む。
が、基本的にはカラッポ。

 で、おもむろにキーボードを叩き始める。
まず日付を書く。
ラインを入れる。
しばらくすると、頭の中がモヤモヤし始める
そのモヤモヤが、急速にふくらんでくる。
ときに書きたいことが、怒濤のごとく押し寄せてくる。
あとは、それを文章にし、指先で叩き出していく。

 が、それはけっして、楽な作業ではない。
書いている間は、結構、神経を使う。
重苦しい。
憂うつ。
ときにそこへ怒りが混入してくることもある。

そう(怒り)。
それを感ずることが多い。
他人に対する怒り。
自分に対する怒り。
とにかく「怒り」。

 ときに緊張感が持続できず、意識がもうろうとしてくることもある。
しかし叩き出す。
頭の中のモヤモヤを叩き出す。

●爽快感

 では、なぜ書くか?
少し前だが、こんなことを言った人がいた。
「そんなこと(=原稿を書くこと)をして、何になるの?」と。
あるいは「人間、ものごとをあまり深く考えないほうがいいよ」とも。

 私に好意をもって、そう言ったのではない。
私をさげすんで、そう言った。
だから私は、こう答えた。
「便秘のウンチみたいでね。吐き出さないと、気分が悪くなるからです」と。

 実際、その通り。
頭の中のモヤモヤを叩き出したときの爽快感には、格別なものがある。
頭の中がスッキリする。
カラッポになる。
便秘の人が、1週間分の便をドッと出したときのよう……というたとえは、あまりよくな
い。
わかっている。
下品。
しかしそれに近い。

●インナー・トリップ

 ものを書くことの楽しさは、それだけではない。
だれもいない原野を歩く。
未踏の原野で、そこには荒涼たる世界が広がっている。
空もあるが、光はあっても、漆黒の空。

 「インナー・トリップ」という言葉を使う人がいる。
「心の旅」という意味でそう言うらしい。
が、私は「脳の旅」という意味で、そう言う。
(あまりちがわないが……。)

 脳の中の、あちこちを旅する。
それがおもしろい。
何があるかわからない。
だから、おもしろい。
が、ものを書く楽しさは、ここから始まる。

 ……だれもいない原野を歩いていると、ときに、その下にキラリと光るものを見つける
ことがある。
私はそれを「宝石」と呼んでいる。
それまでだれも知らなかったもの。
だれも手を触れたことがなかったもの。
それを見つけたときの喜びは大きい。

 あとはその宝石を拾いあげ、その宝石をみがいていく。
文にする。
それが「私」ということになる。

●死後の世界を生きる

 そういう意味で、私の頭の中には、「読者」というのは、いない。
率直に言って、もう、どうでもよい。
読んでくれる人がいれば、うれしい。
いなくても、構わない。

 「ものを書いて稼ぐ」という卑しい根性は、10年以上も前に捨てた。
「読者を意識して、媚(こび)を売る」という浅ましい根性も、10年以上も前に捨てた。
それよりも重要なのは、時間。
私に残された時間は、短い。
脳みその老化も、このところ、強く感ずるようになった。

 あと5年か?
長くて10年か?
10年といっても、瞬時。
そのことは自分の過去を振り返ってみれば、わかる。
私はもうすぐ満64歳になる。
54歳から、今日までの10年は、瞬時に過ぎた。
これからの10年も、そうだろう。

その間にできるだけたくさん、「私」を叩き出していく。
どうせ死ねば、「私」はこの宇宙もろとも、消えてなくなる。
そのあと、ひょっとしたら、私が書いた文の一部でも読んでくれる人がいるかもしれない。
そのとき私は、時空を超えて、その人と心をつながる。
私にとっては、それが「死後の世界を生きる」ということになる。

●いっぱしの作家気取り?

 ……とまあ、いっぱしの作家のようなことを書いてしまった。
「何を偉そうに!」と思っている人も多いはず。
そう、「はやし浩司」などという存在は、そこらのチリよりも軽い。
自分でも、それがよくわかっている。
だから余計に、「私は私」となる。
今さら他人の目など、気にしても、どうしようもない。
どうにもならない。
私のことを奇人と思おうと、反対に奇特な人間(実際、そう言ってきた人が何人かいる)
と思おうと、私の知ったことではない。

 「だれもいない原野を歩く」ということは、それをいう。
そこには、だれもいない……。

 ただし一言。

●五分の魂

 私は今まで、他人の文章をまねたり、盗作したことは一度もない。
もしそんなことをすれば、私の努力(=過去)のすべてが、水のアワ。
もしどこかで私が書いているのと似たような文に出会ったら、私ではなく、そちらの人間
のほうを疑ってほしい。
名もない、チリのような物書きだが、その心意気だけは、世界の大作家にも負けない。

 ……というか、最近の育児書の中には、明らかに私の文からの流用、盗作といったもの
が、多い。
新聞広告の見出しを読んだだけでも、それがわかる。
そういうことが平気でできる人というのは、「文」に対する考え方が、私とは基本的な部分
でちがう。
言うなれば「金儲けの道具」として、「文」を利用している。
こういう言葉はあまり使いたくないが、私はそういう人を「軽蔑する」。
心底、軽蔑する。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
●10月25日(EUの経済危機)

 今朝は、何と、午前5時起き。
その少し前、蚊に刺されて目が覚めた。
しばらく天井を見て、おとなしくしていたが、そのまま起床。
そのまま書斎へ。

 このところ毎日の運動量をふやしている。
昨日は、ワイフと1時間、ウォーキング。
夜はサイクリング。
近く、大きな講演会がある。
怠(なま)けた脳みそでは、講演会はできない。

●EU経済危機問題

 一家にたとえるなら、こういうこと。
 
 E子さん(EU)家族には、10人の息子がいる。
E子さんの夫は、すでに他界。
E子さんには収入がない。
が、息子には、でき・ふできがある。

 いちばん年少の息子(十男=イタリア)は、のんきな性格で、ロクに働きもせず、遊ん
でばかりいる。
趣味は、ヨット遊び。
借金がかさみ、破産寸前。

 そこでE子さんは、長男(ドイツ)と二男(フランス)に、十男を助けるように指示。
が、長男は、こう言った。
「すでに何100万円と貸しているが、一向に返してくれない。もういやだ」と。
とくに長男が、しぶった。
長男は、そこそこの働き者で、それなりに収入もある。
E子さん家族の中では、いちばんの金持ち。
乗っている車も、ベンツ。

●二男

 二男(フランス)には、もうひとつ大きな事情がある。
二男は、三男(イタリア)にも、長男よりも多額の金を貸している。
それだけでない。
二男は三男の連帯保証人にもなっている。
三男に何かのことがあれば、二男がその責任を負わねばならない。
が、その三男と十男は、一蓮托生。
隣同士で、同じ商売をしている。

 言い忘れたが、二男は農業を営んでいる。
裕福ではないが、ブドウ畑でそこそこの収入をあげている。
三男は、二男にこう言った。
「何とかして十男を助けてやろうよ」と。

●E子さんの決断

 そこでE子さんは、十男を除く9人の息子に、1人、100万円ずつ出すように言った。
計900万円。
このお金は、何とか、集まりそう。
それをE子さんが預かり、万が一のときは、そのお金を融通しあって、たがいに助ける。
助け方は、3つある。

(1)直接的に金に困った息子を助ける。

 が、この方法のばあい、900万円では、とても足りない。
十男は何とかなるが、三男は小さいが町工場を経営している。
もし三男が破綻ということにでもなれば、その倍の2000万円くらいが必要になる。
そこでE子さんは、こう考えた。

(2)みなに倍の、200万円ずつ出させる。

 100万円で足りないなら、200万円ずつにする。
が、これには、長男が反対した。
「母さん、甘やかすのも、いいかげんにしておけ!」と。
ほかの兄弟たちも、反対した。
「そんなお金、ナ〜イ!」と。

(2)E子さんが、利息の支払いの保証人になる。

 そこで第三の方法。
 
 たとえば長男や二男が、ほかの兄弟を助けるため、銀行から借金をしたようなとき、そ
の利息分について、E子さんが保証人になる。
あるいは一部を、立て替えて払う。
こうすれば、銀行から、より多額のお金を借りることができる。
が、元本は、そのまま。

 が、銀行側は、渋った。
「お金を貸すのはいいが、元本はだれが返してくれるのか」と。

 そこでE子さんは、銀行とかけあった。
「借金を、半額に棒引きにしてほしい。もし二男が自己破産するようなことにでもなれば、
あなたがには1円も返ってこないよ」と。

 が、銀行にも銀行の事情がある。
もしそんなことをすれば、信用を失う。
銀行の経営そのものが成り立たなくなる。
こうして3者(E子さん、ほかの兄弟たち、銀行)が、話し合いに入った。
「どうしよう」「どうしましょう」と。
兄弟の中には、「思い切って十男とは縁を切ろう」という意見を出す者もいた。
が、そんなことをすれば、家族の結束を誇ってきた、E家がバラバラになってしまう。

 十男(ギリシャ)が破綻すれば、三男(イタリア)もあぶない。
二男(フランス)もあぶなくなる。
こうしてE家の内部では、ああでもない、こうでもないという内部紛争(もめごと)がつ
づいている。
が、E家の人たちは、もうひとつ、重要なことを忘れている。

 こうした(もめごと)は、E家全体の信用をなくす。
それまでほかの兄弟たちと取り引きをしていた人たちまで、E家全体を、要注意家族とし
て警戒するようになる。

 仮に今回の危機を何とか乗り越えたとしても、さらに大きな経済危機となって、E家を
襲う。
あるいはその前に、ドカンと、全体がおかしくなる。
世界の金貸したちは、常に「先読み」をする。
「あの家、あぶないぞ」と。
そのウワサが出たら最後、E家全体が、破産する。

●国の危険度

 国の危険度は、たとえば、国債の利回りをみればわかる。
10月25日現在の、国債の利回りをみてみる。

イギリス・10年国債……2・554%
フランス・10年国債……3・300%(額面割れ)
ドイツ・10年国債 ……2・118%
イタリア・10年国債……5・927%(額面割れ)

 ギリシャ(十男)は、番外。
イタリア(三男)の利回りが、5・927%!
かなりあぶない。
あぶないから、利回りをよくしなければならない。
そうでなければ、だれも国債を買ってくれない。
それが、5・927%!

 今度の経済危機問題は、ギリシャではなく、本命はイタリア、それにつづくポルトガル
ということになる。

●そこで日本!

 長男と二男は、ズル賢い。
長男はその町内でも、「オオカミ」という異名をもつ。
長男は、こう言った。
「だったらさあ、あの金持ちをカモにしないか? 日本(ニチモト)の馬鹿だよ。あいつ
なら金を出す」と。

 二男は、即、それに応じた。
「それがいい。あいつは少しおだてれば、すぐその気になる」と。
 
 そこで長男(ドイツ)と二男(フランス)は、ニチモト家に電話をかけた。
ニチモト家は、E子さんの家族から電話がかかってきたというだけで、大喜び。
「一人前に相手にしてもらえた」と、大喜び。
二つ返事で、「何とかしましょう」と。

 ニチモ家の懐(ふところ)には、たんまりと現金(ドル)がある。
プラスみな、経済音痴。
いろいろ災難はあったようだが、ほかの国よりは、マシ。

 ……昨日(10月24日)までの動きを追ってみると、おおかたそういうことになる。

●どうなるか?

 私たちが「どうなるか?」と心配しても、どうにもならない。
日本政府(=官僚)すら、アテにならない。
国民のことなど、何も考えていない。
年金問題ひとつ取りあげても、それがわかるはず。
「いかにすれば、外国で大きな顔ができるか」と、そればかりを考えている。

 となると、私たちの仕事と資産は、(あればの話だが……)、自分で守るしかない。
が、それをここに書くのは、私の管轄外。
いちばん確実なのは、タンス預金。
しかしタンス預金にしても、どんどんと目減りしていくだけ。
そのうち菓子パン一個、300円とか500円になる。

 ただひとつ気になっているのは、3・11大震災以来、バブル経済が始まっているとい
うこと。
地域によっては、土地の価格が5〜6倍になったところもあるという(新聞報道)。
何千万円という絵画が、飛ぶように売れ始めたという(新聞報道)。
温泉地でも、1万円前後で泊まれるホテルや旅館がある一方、一泊、10万円前後のホテ
ルや旅館がにぎわっているという(新聞報道)。

 震災直後、日本政府(日銀)は、30兆円という金を、市中にバラまいた。
それ以後、その額が100兆円になったと報道しているところもある。
銀行はあり余る資金を、どんどんと客に貸しつけている。
それがバブルを引き起こし始めている

 何やら恐ろしいことが、この日本でも起こりつつある。
……というか、メチャメチャ。
スタグフレーション※下の、ハイパーインフレ。
私はそんな印象をもち始めている。

(注※)スタグフレーション……経済現象の一つ。stagnation(停滞)とinflation(イン
フレーション)の合成語。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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●「万策尽きた」(教師による破廉恥事件に関して)

+++++++++++++++++++++++++++++

性欲をコントロールすることは、不可能と考えてよい。
研修会や指導会程度で、性欲をコントロールできるようになるとは思わない。
メカニズム的には、アルコール中毒、ニコチン中毒と同じ。
本能に根ざすだけに、線条体に受容体ができやすい。
様態はさまざま。
つまり性癖といっても、その人(男性)がもつ受容体によって、みなちがう。

で、一度受容体ができると、条件反射的に、脳は反応する。
アルコール中毒者が、ビールのコマーシャルを見ただけで、酒が飲みたくなるように、またニコ
チン中毒者が、他人が吸うタバコの臭いをかいだだけで、タバコが吸いたくなるように、その状
況に応じて、猛烈な性欲が発生する。
このとき視床下部からの指令を受け、多量のドーパミンが分泌されるという。
線条体に受容体ができていると、受容体は即、ドーパミンに反応する。

こうした一連の条件反射をコントロールするのが、前頭連合野ということになる。
「理性の府」と呼ばれている。
しかしその「力」には限界がある。
そのことも、アルコール中毒者やニコチン中毒者をみれば、よくわかる。

では、どうするか。

もしどうしても……ということであれば、2つの方法しかない。

(1)厳罰主義(アメリカやオーストラリアでは、そうしている。)
(2)制度を改革する(2ーTeacher システムにする。あるいは教師と生徒の直接的な接触
を、禁止する。カナダでは、そうしている。)

残念なことに、この静岡県では、教師による破廉恥事件が多発している。
教育委員会による指導も頻繁に、なされている。
しかしそういう指導を受けたにもかかわらず、この種の事件を起こした教師もいるという。
そこで県の教育委員長は、こう嘆いた。

「万策尽きた」と。

読売新聞の記事を紹介する。

++++++++++以下、読売新聞より(10−22)+++++++++

 静岡県で教師が生徒への強制わいせつ容疑で逮捕されるなど性的な不祥事が止まらず、県
教育行政トップの県教育長が「万策尽きた」と発言する事態になっている。

 県教委は、懲戒免職処分を受けた教職員の氏名公表に加え、研修などの対策を打ってき
た。
教育現場から教育長に理解を示す声も漏れ、無力感が漂う。
生徒から「誰が生徒を守るのか」「先生は何やっているんだ」と厳しい声が噴出している。

 県立科学技術高校の男性教諭(47)が17日、女子生徒への強制わいせつ容疑で逮捕され
た事件を受け、県教委は20日、臨時校長会を開催。
AB教育長は「私としても万策尽きた」と苦渋の表情で語り、「学校で連帯感を持った人間関係
を作ってほしい」と約120人の校長らに訴えた。

 静岡県内で、校長や教諭がセクハラで懲戒処分されたり、教諭が盗撮やのぞきで逮捕され
たりするなど、8月からだけでも5件の性的不祥事が発覚。
県教委は、外部講師による研修やセクハラ根絶のためグループ研修を導入してきた。

 ところが、研修を受けていた高校教諭が9月に女性のスカート内を盗撮した容疑で逮捕。
生徒への強制わいせつ容疑で捕まった教諭も研修を受けている。

 AB教育長は「万策尽きたという言葉は、思わず口に出てしまった」と打ち明ける。
不祥事防止を訴える機会が再三あり、「また同じような状況で同じような話をしなければいけな
いのか」と無力感に襲われたという。
「適切な言葉でなかったと反省している。
効果的な対策を考えていかなければいけない。
具体策の検討を始めている」と話した。

 県高等学校長協会会長のAS県立静岡高校長は「苦しい心境が表れた言葉」と理解を示す
一方、「現場は万策尽きていない。
即効性がある対策はないかもしれないが、まだ努力することはある」と話す。

++++++++++以上、読売新聞より(10−22)+++++++++

●だれが「石もて打てる」のか?

 性欲……この無にして、不可思議な欲望。
たとえば「女性のスカート内の盗撮」。
私のワイフはいつも、こう言っている。
「どうしてあんな(汚い)ところを、男は見たがるの」と。

 そう汚い。
臭い。
その器官は、大便、小便の排泄器官と隣接している。
いくらそうとわかっていても、人(男)はそこに限りないロマンを抱く。
若い男なら、24時間、そのことで頭がいっぱい。
が、だからこそ、人間は、(ほかの動物もみなそうだが)、子孫を後世に残すことができる。
私たちがなぜ生きているかといえば、結局はすべてこの一点に集約される。
子孫を残すため。

 が、その様態は、さまざま
私のことを正直に書く。

 私は大学生のとき、女性の脚(太もも)を見ただけで、興奮状態になってしまったことがある。
そのとき私はたまたま自転車に乗っていた。
当時はまだミニスカートというのが、珍しかった。
で、信号か何かで、止まったときのこと。
前に立っていた女性の太ももが見えた。
風にスカートが舞ったのかもしれない。
明るく輝く、白い脚だった。

 とたん、下半身のほうが勝手に反応してしまった。
理由などない。
当時の私は、そのメカニズムなど、知る由もない。
そういう反応は、健康な男なら、みな、ある。
あって当然。

●様態

 私はこの分野については、あまり詳しくない。
一応、私がスタンダードという前提で考えると、私は女性のスカートの中には興味はない。
ないから、そういう男が理解できない。
だから京都大学の教授(当時)が、手鏡で女性のスカートの下をのぞいたという事件を知ったと
きも、「どうして?」と思うと同時に、そこで思考が停止してしまった。

 が、私自身は風呂上がりの女性に弱い。……弱かった。
濡れた髪。
甘い石けんの香り。
美しく光る肌。
……とたん、猛烈な性欲がわいてくる。……わいてきた。
 
 こうして「過去形」にするのは、遠い昔の話だからである。
今でも「美しい」とは思うが、性的な反応は、ほとんどない。
足腰は鍛えてきたが、しかしそれでも年齢には勝てない。

 が、そうした自分が正常であるとか、異常であるとかは考えない。
手の指が5本、あるように、目が2つあるように、それは「私であって私でない」と、自分を客観
的に見るようになった。

 そうした性欲の存在を知っているからこそ、仮にそれが教師によるものであっても、私は教師
を責める気にはなれない。
先にも書いたように、様態は、みなちがう。
たとえば私が親しくしていた友人は、太った女性が好きと言った。
太った女性の尻で、顔を押しつぶしてもらうと、最高の恍惚感を覚えるともいった。
彼は当時、ある通信会社で部長職をしていた。
部下は、50〜60人もいた。
もちろん都内の有名大学を出ている。
そういう男でも、そう言った。

 で、指導とか、研修会。
それも結構だが、では、その指導者はどうなのか?、という問題も残る。
教職が聖職とは、今どきだれも思わない。
私自身も思わない。
それともその指導者は、スケベDVDを観たことがないというのか。
不倫や強姦を夢想したことがないというのか。
もしそうなら、私はむしろ、その指導者のもつ「異常性」のほうを疑う。

 この場で、こんなことを宣言するのも馬鹿げていると、自分でも思う。
しかし私はこう宣言する。
「私だって、ふつうの男だ」と。

言い換えると、それぞれの男は、自分がもつ性癖に応じて、性欲を覚える。
それ自体を、どうして「悪」と決めつけることは、まちがっている。
もちろん反社会的な行為は、別である。
相手の女性の心を傷つけたり、あるいは犯罪性のある行為は、別である。

●では、どうするか?

 その答は冒頭に書いた。
教師による破廉恥行為と、その予防については、つぎのように考える。

(1)厳罰主義(アメリカやオーストラリアでは、そうしている。)
(2)制度を改革する(2ーTeacher システムにする。あるいは教師と生徒の直接的な接触
を、禁止する。)

 これについては、すでに何度も書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ハレンチ事件(2010年6月18日に、電子マガジンで発表した原稿より)

++++++++++++++++++

数日前、またどこかの教師が、18歳未満の
女性とS交渉をもって、逮捕された。
その教師は、出会い系サイトで、女性と
知り合ったという。
逮捕されたとき、その教師はこう言った
という。
「こんなに簡単にできるとは思っていなかった」と。

「簡単」ということは、「簡単」ということ。
そういったシステムが、アンダーワールドの
世界では、すでに完成している。

+++++++++++++++++++

●悪者?

 こういう事件を見聞きすると、私たちはすかさず、教師を悪者として見る。
たしかに悪者だが、しかし「悪者」と断言することもできない。
正常な(?)男性なら、若い女性に興味をもつのは、当然のこと。
またそうした本能をコントロールするのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
こうした本能は、理性の外にある。

だからといって、その教師を擁護するわけではない。
私が言いたいのは、「誰が、その男性を、石をもって打てるか?」ということ。
最近、ときどき、こんなことを考える。

 つまり男性は、若い女性と遊びたがる。
しかし実際には、若い女性に遊ばされているのは、男性のほうではないのか、と。
たとえばえばタバコがある。
喫煙者は、タバコを吸う。
そのとき喫煙者は、「自分の意思でタバコを吸っている」と思うかもしれない。
しかし実際には、「タバコにタバコを吸わされている」。

 酒にしても、そうだ。
一日の仕事を終え、家に帰って一杯のビールを飲む。
うまい!
暑い日には、なおさらうまい!

 そういうとき、私たちは、「自分の意思でビールを飲んでいる」と思うかもしれない。
しかし実際には、「ビールにビールを飲まされている」。

●ナンパ・ビデオ

 どこかあやしげなビデオショップへ行くと、その種のビデオがズラリと並んでいる。
私も若いころは、そういうビデオをよく見た。
「よく見た」といっても、「ふつう程度に」という意味。
当時はやったビデオに、『洗濯屋のケンちゃん』というビデオもあった。
私たちの世代には、衝撃的なビデオだった。

 そんなある日、ちょうど1年ほど前のこと。
いつも通うビデオショップの裏口に、そういったビデオだけを並べているコーナーがあるのを知
った。
それまで10年近くその店に通っていたが、そんなコーナーがあることさえ気がつかなかった。
私は入ったついでに、「ナンパもの」と呼ばれるビデオを1本、借りた。

●ナンパもの

 「ナンパもの」というのは、街角で男たちが若い女性に声をかけ、その女性と最終的には、Sx
xするというもの。
「モデルになってください」とか、「水着を試着してくれませんか」とか、そんなことを言って、女性
に近づく。
このとき理性というブレーキが働くなら、女性たちは男たちの申し出を断るはず。
しかし女性たちは、男たちについていく。
いとも簡単についていく。
部屋の中に入っていく。
はじめは抵抗するそぶりを見せるが、はじめだけ。
やがてすぐ、本気になっていく。
で、ある一線を越えたとき、女性は、今度は、むしろ積極的に男たちの体を求め始める。

 こうした「ナンパもの」で驚くことは、今では、「中出し」が当たり前ということ。
男たちは、女性の体の中で、射Sする。
もしこのときも、女性たちに一片の理性でも残っていれば、それがどういうことかわからないは
ずはない。
が、その時点になると、女性たちには、その理性はない。
無我夢中。
されるがままというより、むしろ自らそれを求めて、それに応ずる。

 そういうのを見ていると、先にも書いたように、「男たちが、女性を誘惑している」というより
は、「男たちが、女性に女性を誘惑するよう仕向けられている?」と。
ストレートな言い方をすると、「男たちが、女性を誘惑しているのではない」。
「男たちが、女性に、もてあそばれている」と。
そんなふうに考えてしまう。

●食欲

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえば食欲。

 最近ではどこの旅館でもホテルでも、バイキング料理が多くなった。
そのほうが、人件費が安くすむ。
そこでのこと。
おいしそうな料理がズラリと並んでいる。
そういうのを見ると、「食べなければ損」という、あの卑しい根性がわいてくる。
が、実際には、「食べなければ損」ではなく、「食べたら損(そこ)ねる」。
理性で考えたら、「食べたら損」。
が、そういうとき、食欲と闘うのは、容易なことではない。
いつもなら食べないデザートまで、しっかりと食べてしまう。
2つ、3つと、余計に食べてしまう。

 が、部屋にもどったとたん、後悔の念。
「しまった!」と思う。
「食べたのではなく、食べさせられた!」と。

●一片の理性

 じゅうぶん分別もある男性の教師が、18歳未満の若い女性に手を出す。
もしそのとき、その男性の教師に一片の理性でも残っていれば、そういった女性には手を出さ
ないはず。
が、現実には多くの教師たちが、そういった事件を引き起こし、警察沙汰になり、職場を追わ
れていく。
それまでの名誉も地位も、すべて失っていく。

が、「一片の理性もない」という点では、会ったばかりの男に、体内での射Sを許す女性も同
じ。
が、だからといって、そうした教師や女性を責めるのもどうか?
(もちろん擁護もしないが……。)
ともに、その人たちの責任というよりは、その人たちの中に潜む、もっと大きな力によって、操
られている。
当人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」など、どこにもない。
そういうふうに考えないと、この問題は理解できない。
 
●自分の意思

 で、こうした人間の一連の行動を見ていると、こういうことが言える。
私たちはなにごとにつけ、自分の意思でしているかのように思っている。
が、実際には、そうするように、仕向けられている、と。
もっと平たく言えば、「操られている」。

 とくに本能と呼ばれる部分についてはそうで、それゆえに理性の力でコントロールすること
は、たいへんむずかしい。
不可能ではないが、それをしようとがんばると、心の状態そのものがおかしくなることもある。

 たとえば私のばあいは、「モノ」。
ある特定のモノがほしくなると、終日、そのモノのことばかり考えるようになる。
デジカメならデジカメでもよい。
そうした状態が1、2週間もつづいたりすると、神経そのものが、苛立ってくる。
自分でもその変化が、よくわかる。
が、買ってしまえば、落ち着く。
そのモノを、手の中でいじって遊ぶ。

●生かされている

 私たちは「している」のではない。
「させられている」。
あらゆることがそうだ。
たとえば「生きる」こともそうだ。

今、私はこうして生きている。
一見すると、自分の意思で生きているようにも感ずる。
が、実際には、「生かされている」。
脳の視床下部あたりから、「生きろ!」「生きろ!」という強力な信号が出ている。
その結果として、「生かされている」。

 話をもとに戻すと、冒頭に書いた男性の教師にしても、自分の意思でそういう行為をしたとい
うよりは、「若い女性によって、仕向けられた」と考えられなくもない。

(だからといって、そういう男性教師を擁護しているのではない。
反社会的行為については、弁解の余地はない。
どうか、誤解のないように!)

繰り返しになるが、男も女も、それぞれにもっている本能によって、操られる。
たとえば若い女性が、化粧をしたり、ファッションに気をつかうのも、結局は「男の目」を気にし
ているからではないのか。
もちろん当の本人は、それを否定するだろう。
「私は男性を誘惑するために、化粧をしたり、ファッションに気をつかっているのではない」と。

●「私」

 こうして考えていくと、私たちはいったい、どこからどこまで生かされ、どこから先で生きている
のか、わからなくなる。
もっとわかりやすく言えば、どこまでが「私」で、どこから先が「私でない」のか、わからなくなる。
先に書いたように、「生きている」ことにしても、そうだ。
本当に私たちは、自分の意思で生きているのか?
あるいは、ひょっとしたら、生かされているだけではないのか?

 そういうふうに考えていくと、「私」と言える部分は、ほとんどないのではないかということにな
る。
話を戻す。

 冒頭で書いた男性の教師にしても、結局は「私でない」部分に操られてしまった。
相手の女性にしても、それは同じだろう。
現在の社会通念からすれば、男性の教師は「悪人」ということになる。
18歳未満だったその女性は、「被害者」ということになる。
しかし私には、「悪人」「被害者」と、決めつけることが、どうしてもできない。

 では、どうするか?

●結局は厳罰主義

 この問題だけは、結局は厳罰主義で臨むしかない。
18歳未満の女性に声をかけられただけで、男たちは震えあがる。
そういう法的な環境を用意する。

 オーストラリアでは、そうした関係を見聞きしただけで、罪に問われる。
見聞きした人には、警察への通報義務が生まれる。
通報義務を怠ったばあい、警察に逮捕されることもある。

 日本も、とくに教職にある者であれば、問答無用式に2年の懲役刑とすればよい。
見聞きして、通報義務を怠った人も、同罪。
そういう形で、理性の欠陥を、補う。
つまり理性によるコントロールには、限界がある。
その限界を認め、それを厳罰主義で補う。
それしか方法はない。

 が、現実には、「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」とか何とか、
理由にもならない理由で、たいていは執行猶予刑になる。
(教職を追われることは、当然のことではないか。)
こうした(甘さ)が、こうした犯罪を野放しにする。
いつまでたっても、跡を絶たない
繰り返し、繰り返し、新聞で報道される。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 厳罰主義 本能と理性)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●カナダでは……

なお、カナダでは、教師と生徒との接触を、きびしく制限している。

たとえばカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら
親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いた
ら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そ
ういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話
がかかってきます」と。

教育のあり方を、基本的な部分で考えなおす
ための、その参考にしてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーン
だが、欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過
ごすということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解でき
る。しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐
をするのか」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」と
いうことになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害
を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、
あたかも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、
一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府
時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、
伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的な
ことを教えるのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本
では学歴を身につけるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。
欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメ
リカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言
し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の
基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出
す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地
ほどの開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになって
いる」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこ
で「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてく
れた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太
子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュ
ラムを学校が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、
と。そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもら
いたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 
1999年記

************************

【常識が偏見になるとき】 



●たまにはずる休みを……!



「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ
そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。



アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たと
えば……。



●日本の常識は世界の非常識



(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親
が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、
州政府が家庭教師を派遣してくれる。



日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の割合でふ
え、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。



それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開い
たり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、
こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。



(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ
通う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単
位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。



そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは
学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。
こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1
4000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長
二七歳まで支払われる。



 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対
する世間の評価はまだ低い。



ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら
親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いた
ら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そ
ういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話
がかかってきます」と。



(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、はさん
であるのもあった。「○○大学、○名合格……
と(※)。



この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そ
こで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。



 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども
は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。



なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同
時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。



●そこはまさに『マトリックス』の世界



 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。



その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私
はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰してい
る。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世
界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかない
まま、仮想の価値に振り回されている……。



●解放感は最高!



 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。



※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後
三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めるこ
とができる。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●「自由に学ぶ




 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。



 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。



 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、
国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事
的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。



 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は
むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所シス
テムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべき
ではないのか」と(以上、要約)。



 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中学生では、38
人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、4000人多い。

(以上、2000年ごろ書いた原稿より)

(はやし浩司 フリースクール 自由な教育 LIE Learn in Freedom 不登校 常識論 意識 
はやし浩司 教育評論 教育論 はやし浩司 教師による性犯罪 破廉恥事件 はやし浩司 
ハレンチ行為)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネットの世界(10月24日記)

 最初にその変化を感じたのは、「2チャンネル」でのことだった。
当初、……といっても数年前のことだが、それをのぞいたときには、あまりの低劣さに驚いた
(失礼!)。
しかし最近は、ちがう。
読み応(ごた)えがある。
内容も深い。
文章もしっかりしている。

 この世界も、確実に進化している。
たとえばニュースサイトにしても、10年前には、新聞社やテレビ局の「小出しニュース」しかな
かった。
少しだけ一部を見せ、あとは新聞で……と。

 が、今はたとえば、ロイターやYahooなどは、新聞やテレビ以上の情報を提供している。
情報の質と量も、桁違いに多くなった。
もちろんそれに並行して、私たち(私?)の生活も、大きく変わりつつある。
たとえばテレビのニュースにしても、私はたまに見る程度。
新聞の記事にしても、ネットの記事の確認用。

●情報の質

 ほんの5、6前には、(確たる資料があるわけではないが)、ネットで得られる情報には、信頼
感がほとんどなかった。
「本に書いてあった……」「新聞に書いてあった……」と言えば、みな黙った。
しかし「ネットに書いてあった……」と言っても、だれも本気にしなかった。

 が、今はちがう。
辞書や百科事典にしても、安心して読んだり、引用したりできるようになった。
もちろん中身も濃くなった。

 たとえばときどき世界の株価の動向を調べるときがある。
そういうときでも、たとえばBloombergを使えば、世界中の株価が、リアルタイムでわかる。
しかもどれも、詳細なグラフ付き。

 この先、ネットの世界はさらに進化する。
無限というか、そこには限界がない。
が、私が常々、不思議に思うことがひとつある。
たとえばYOUTUBE。

私は週に、10〜15本のビデオをUPLOADしている。
が、どれだけUPLOADしても、制限なし。
期限なし。
現在、3300本近いビデオをUPLOADしているが、そういった情報は、どのような形で、どこへ
蓄積されていくのだろう。

 膨大な情報量とは思うが、それが不思議でならない。
つまりこの世界は、底なし(?)。

●選択と淘汰

 が、情報量が多い分だけ、その一方で「選択」の問題がある。
へたをすれば、私たちは情報の洪水の中で溺れてしまう。
そこで必要な情報だけを取りあげ、それ以外は捨てる。
それをしないと、あっという間に、わけがわからなくなってしまう。

 たとえば私のこのメインのパソコンには、「お気に入り」がズラリと登録されている。
その数、500〜1000。
フォルダーに格納してあるのもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。

 そこで私はそのつど、使わなくなったサイトを削除する。
しかしその一方で、興味のあるサイトを、どんどん登録していく。
こうしてサイト、つまり情報源が淘汰されていく。

 もっとも利用者はそれでよいかもしれない。
しかし情報を提供する側は、そうではない。
淘汰されるということは、「消える」ことを意味する。
そこで提供する側は、より良質の情報を提供しようとする。
それが先に書いた、「質の向上」につながる。

 利用者は選択する。
そのつど提供者は、淘汰されていく。
選択と淘汰。
現在、それがネットの世界では、目まぐるしく繰り返されている。

●私のばあい

 私も、ほかのネットユーザーと同じように、ネットの利用者でもあり、同時に情報の提供者でも
ある。
利用者である部分については、大きな問題はない。

しかし提供者である部分については、そうではない。
「淘汰」という問題がある。
「淘汰される」ということは、先にも書いたように「消える」ことを意味する。
たとえば電子マガジン。

 今年の夏、10年近く利用させてもらった、Eマガ社が閉鎖された。
ひとつのマガジン社が消えるということは、(この世界では、本当に跡形もなく消えてしまうが…
…)、それまでに蓄積された原稿そのものが消えることを意味する。
これは私にとっては、恐怖以外の何ものでもない。

 そこで私は原稿の救出をしたが、その作業だけで、1か月もかかった。
が、それだけではない。

 たとえば私は、ホームページにしても、メインにしているサイトから、10〜15本のサイトに枝
分かれさせている。
それぞれが独立している。
その10〜15本のサイトにしても、アクセス数がふえていくのもあれば、減っていくのもある。

 最近急速にアクセス数がふえているのが、YOUTUBEを紹介している「BW公開教室」。
これは現在、毎日1000〜1500件もある。
「最前線の子育て論byはやし浩司」も、ほぼ同じ。

その一方で、1年前には、毎日500〜1000件近いアクセスがあった「音楽と私」は、このとこ
ろ100件前後で低迷している。

 情報を提供する側としては、アクセス数が多いサイトにどうしても「力」が入る。
そうでないのには、そうでない。
「音楽と私」は、このところ更新するのも、おっくうになってきている。
つまりこうして私自身が、情報を淘汰していく。

●この先

 この先もネットの世界は、どんどんと変化していく。
「ついていくだけで、たいへん」と書きたいが、このところ、そういうことはあまり考えない。
「どうすれば、私の書いたものを、私の死後も残せるか」と。
そんなふうに考えることが多くなった。
というのも、「変化」というのは、まさにエンドレス。
命には限界がある。

 エンドレスvs限界。

 エンドレスなものと闘っても意味はない。
負けるに決まっている。
だったらはじめっから負けを認め、その分のエネルギーを、「限界」のほうに使ったほうがよ
い。

「どうすれば原稿を残せるか」と。

 「書籍」という方法もあるが、私のばあい、毎月、単行本にして、3〜4冊分の原稿を書いてい
る。
そんな原稿を本にしてくれるような出版社は、ない。
また出版したところで、売れないだろう。
いや、それ以上に、あの書籍という世界は、窮屈。
こうして自由にものを書いている今の私を、空を飛ぶカモメにたとえるなら、書籍の世界は、
「鳥かご」のようなもの。

 ああでもない、こうでもないという出版社からの注文を聞きながら、自分の思想を、ギュウギ
ュウと本の中に押し込めていく。
だから「鳥かご」。

 本を書くのをやめてから、もう10年近くになる。
こうして自由にものを書くようになってから、もう10年近くになる。
だから私はもう、あの書籍の世界に戻ることはないだろうし、戻れない。

●賭(かけ)

 これは大きな賭(かけ)かもしれない。
実のところ先に書いたYOUTUBEにしても、もしYOUTUBE社が閉鎖ということにでもなった
ら、万事休す。
バックアップはどこにも保存していない。
仮にバックアップしてあっても、3300本近いビデオ(ほとんどが10〜15分編集)を、再UPLO
ADするのは、時間的にも無理。

 同じように、ホームページの世界は、「金の切れ目が縁の切れ目」。
私が死んだら、それでおしまい。
(メインサイトは、有料サービスを利用している。)
が、フリーのホームページ・サービスを使えば、永遠ということはないにしても、10年単位程度
には、そのままそこに残してくれる。

 だから私はあえて、フリーのサービスを利用している。
が、それで安心できるわけではない。
フリーということは、無料ということ。
これもいつ閉鎖されるか、わからない。
閉鎖されても、文句は言えない。

 そこで私はホームページのほうで原稿を保存しながら、同時にBLOGのほうでも原稿を発表
している。
現在、7〜8社から、同時に発表している。

 たいへんな作業に思う人もいるかもしれない。
しかし原稿は、コピペ(コピー&ペイスト)すればよい。
時間にすれば、毎回5分程度ですむ。

 が、これに文句を言ってきた人がいた。
「同じ原稿を、あちこちで出すな!」と。

 しかしそれは私の勝手。
しかもそれにはちゃんとした理由がある。

 最近はBLOGのサービス会社も安定してきた。
が、草創期にはそうではなかった。
それこそ雨後の竹の子のようにBLOGのサービス会社が生まれ、そして消えていった。
その「消えていく」とき、私の原稿も消えていった。
そういう苦い経験があるから、7〜8社となった。

●毎月50万件以上!

 こうしてカウントを取っている分だけでも、毎月50万件以上のアクセスをカウントするようにな
った。
2年前には、30万件だったから、上昇傾向にあることには、ちがいない。
が、実際には、ハイパーリンクといって、サイトの一部に直接アクセスしてくる人も多い。
そういうアクセスも含めると、もっと多いはず。
あるいはその数倍はあるはず。

 もっともアクセス数が多いからといって、それは「数字」の話。
実感はない。
利益もない。
が、そうであるからこそ、別の楽しさがある。
言うなれば、未知の宇宙を航行するような楽しさ。
私の目の前には、漆黒だが、無限の宇宙が広がっている。
それに向かって進んでいくような楽しさ。

 ひょっとしたら、10年後には、アクセス数が、毎月500万件とか、1000万件になるかもしれ
ない。
それを想像するだけでも楽しい。

 ……ということで、今朝は「ネットの世界」について考えてみた。

 みなさん、おはようございます。
はやし浩司 2011−10−24朝記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●八方美人(日韓経済戦争・2011−10−25版)

 今日だけを見ているのではない。
ここ数日、日本の株はさがりっぱなし。
『東京株式午前10時:指数はマイナス転換、値下がり銘柄数は1000超に』(Yahoo経済記
事の)の見出し。

 一方、日韓スワップ協定のあと、韓国の株価は上昇に転じ、ウォン安にも歯止めがかかっ
た。
そればかりか、サムスンは、増資増資の大合唱。
何しろ日本政府のお墨付き。
資金調達も楽になった。
「万が一のときは、スワップ協定が起動します」と。
その額、700億ドル。
約6兆円!

 が、もちろん韓国側からは、一言の礼もない。
ないばかりか、またまた竹島(独島)問題。
言いたい放題、やりたい放題。

●戦略なき日本外交

 一方で韓国を助け、その韓国に、日本の産業が叩きのめされている。
が、何も言えない。
何もできない。

 IMFは、つい先月まで、「韓国はここ数か月にデフォルト(債務不履行)に陥る」と警告してい
た。
だったら、デフォルトさせればよい。
何も日本の首相がノコノコでかけて行ってまで、救済を申し出る必要はなかったはず。
仮に韓国のデフォルトで、日本の金融機関が被害を被れば、日本の金融機関を救済すればよ
い。

 ウィキーリークスの暴露報道によれば、日本の鳩山内閣が誕生したとき、韓国のイ大統領
は、アメリカの国務大臣(クリントン)に、つぎのように打電している。
「鳩山内閣は、自民党内閣とはまったく異質の、北朝鮮側寄りの政府である」と。
「北朝鮮側と、何本もの人脈もある」というようなデタラメまで伝えている。

 こういうのをモマシという。
告げ口という。
たしかに反米色の濃い内閣ではあったが、そこまでの左翼政権ではなかったはず。
つまりこうしてアメリカを日本から離反させ、自らはアメリカの忠実な子分であることを宣言し
た。
現在の日米関係は、その延長線上にある。

 今まで私は、お人好し外交はやめようと書いてきた。
しかし今、もうひとつ、新しい言葉を思いついた。
日本よ、八方美人は、やめよう、と。
このままでは、本当に日本は沈没してしまう。

 最後にもうひとつ。
オバマ大統領とイ大統領との晩餐会での席でのこと。
何でも日本料理が出たそうだ。
それについて今(10月25日)、韓国では大問題になっている。
フランス料理やドイツ料理には、文句を言わない。
中華料理にも文句を言わない。
日本料理にだけ、文句を言う。

 料理をごちそうになる立場であっても、日本料理が出たことに腹を立てる。
韓国という国は、この44年間、何も変わっていない。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 16日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宗教VSカルト論】BYはやし浩司

●インチキ予言

 「5月21日に、世界はを終末を迎える」。
そんな予言をした宗教団体があった。
が、5月21日には、何も起こらなかった。
そこでその宗教団体の「長」は、計算ミスとし、
今度は10月21日に、終末を迎えると言い出した。
が、その10月21日にも、世界は終末を迎えることはなかった。
終末を迎えたのは、皮肉なことに、リビアのカダフィ大佐だった。

 その宗教団体は、「カダフィ教」を信奉する宗教団体だったのか。
ロイター・NEWSは、つぎのように伝える。

『今月21日を「世界の終末の日」と予言してメディアの注目を集めた米国のキリスト教
徒ハロルド・キャンピング氏(90)が、「審判の日」を前に沈黙を守っている。

 ラジオ局「ファミリー・ステーション」を主宰するキャンピング氏は今年、5月21日
を「最後の審判の日」と予言して一躍話題の人となった。その後、当日に何も起こらなか
ったのは計算ミスだと釈明し、新たに10月21日を世界の終末の日と予言し直した』(以
上、ロイター)と。

●終末論

 キリスト系のカルト教団体は、よく「終末」という言葉を口にする。
英語で「apocalypticism(終末論)」と書くことからもわかるように、それが「ーism(主
義)」になることもある。
つまり教えの「柱」。
「世界はやがて終末を迎える」という大前提で、教義を組み立てる。

 が、カルトがカルトと呼ばれる所以(ゆえん)は、ここにある。
不安と希望、バチと利益(りやく)、終末と救済を、いつもペアにし、信者を獲得し、誘導
する。

 とくに終末論は、ユダヤ教のお家芸。
ユダヤ人は、紀元前1000年の昔から、そのつど歴史の中で迫害されてきた。
そのたびにユダヤ教では、終末論を唱えた。
つまりそういう暗い歴史の中で、「終末論」は、「ーism(イズム)」として、独立した。

●思い込み

 現在、人間はいろいろな問題をかかえている。
国際経済は、ガタガタ。
アジアに目をやれば、タイの大洪水。
この日本も、原発問題で右往左往。

 が、それら十把ひとからげにして、「終末」は、ない。
いわんやそれを預言し、日時まで特定する。
人にはそれぞれ(思い込み)というのはある。
が、それにも程度というものがある。
その程度を組織的に越えたとき、それを私たちは「カルト」と呼ぶ。
つまり「狂信的宗教団体」。

 アメリカだけの話ではない。
この種のインチキ預言は、世界中のいたるところで発生している。
もちろんこの日本でもある。
4〜5年前だったか、「北朝鮮が攻めてくる」と預言した仏教系の宗教団体があった。
13世紀に起きた蒙古襲来になぞらえ、それを預言した。
各新聞の1面を借り切って、それを預言した。
が、その日には何も起こらなかった。

●エアーポケット

 不安や心配が重なると、心に穴が開く。
スキができる。
スキができると、合理的な判断力が低下する。
そのとき、人は、とんでもないことを信ずるようになる。
ふつうの状態なら、一笑に付すようなことでも、信ずるようになる。
私はこれを「心のエアーポケット」と呼んでいる。

 が、この心のエアーポケットは、だれにでもある。
私にもあるし、あなたにもある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2004年の3月に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●家庭内宗教戦争(2004年3月の原稿より)

 こういう時代なのかもしれない。今、人知れず、家庭内で、宗教戦争を繰りかえしてい
る人は多い。夫婦の間で、そして親子の間で。

 たいていは、ある日突然、妻や子どもが、何かの宗教に走るというケースが多い。いや、
本当は、その下地は、かなり前からできているのだが、夫や親が、それを見逃してしまう。
そして気がついたときには、もうどうにもならない状態になっている。

 ある夫(43歳)は、ある日、突然、妻にこう叫んだ。

 「お前は、いったい、だれの女房だア!」と。

 明けても暮れても、妻が、その教団のD教導の話ばかりするようになったからである。
そして夫の言うことを、ことごとく否定するようになったからである。

 家庭内宗教戦争のこわいところは、ここにある。価値観そのものが、ズレるため、日ご
ろの、どうでもよい部分については、それなりにうまくいく。しかし基本的な部分では、
わかりあえなくなる。

 その妻は、夫にこう言った。

 「私とあんたとは、前世の因縁では結ばれていなかったのよ。それがかろうじて、こう
して何とか、夫婦の体裁を保つことができているのは、私の信仰のおかげよ。それがわか
らないのオ!」と。

 そこでその夫は、その教団の資料をあちこちから集めてきて、それを妻に見せた。彼ら
が言うところの「週刊誌情報」というのだが、夫には、それしか思い浮かばなかった。

 が、妻はこう言った。「あのね、週刊誌というのは、売らんがためのウソばかり書くのよ。
そんなの見たくもない!」と。

 こうした隔離性、閉鎖性は、まさにカルト教団の特徴でもある。ほかの情報を遮断(し
ゃだん)することによって、その信者を、洗脳しやすくする。信者自身が、自ら遮断する
ように、しむける。

だからたいていの、……というより、ほとんどのカルト教団では、ほかの宗派、宗教はも
ちろんのこと、その批判勢力を、ことごとく否定する。「接するだけでも、バチが当たる」
と教えているところもある。


●ある親子のケース

 富山県U市に住む男性、72歳から相談を受けたのは、99年の暮れごろである。あと
少しで、2000年というときだった。

 U市で、農業を営むかたわら、その男性は、従業員20人ほどの町工場を経営していた。
その一人息子が、仏教系の中でもとくに過激と言われる、SS教に入信してしまったとい
う。

 全国で、15万人ほどの信者を集めている宗教団体である。もともとは、さらに大きな
母体団体から分離した団体だと聞いている。わかりやすく言えば、その母体団体の中の、
過激派と呼ばれる信者たちだけが、別のSS教をつくって独立した。それがSS教という
ことになる。

 教義の内容も過激だったが、布教方法も過激であった。毎朝、6時にはその所属する会
館に集まり、彼らが言うところの、「勤行」を始める。それが約1時間。それが終わると、
集会、勉強会。そして布教活動。

 相談してきた男性は、こう言った。

 「ひとり息子で、工場のほうを任せていたのですが、このところ、ほとんど工場には、
姿を見せなくなりました。週のうちの3日は、まるまるその教団のために働いているよう
なものです。

 それに困ったのは、最近では、従業員はもちろんのこと、やってくる取り引き先の人に
まで、勧誘を始めたことです。

 何とか、やめさせたいのですが、どうしたらいいですか」と。

 部外者がこういう話を聞くと、「信仰の自由がある」「息子がどんな宗教を信じようが、
息子の勝手ではないか」と思うかもしれない。しかし当事者たちは、そうではない。その
深刻さは、想像を絶するものである。

 「本人は、楽しいと言っていますが、目つきは、もう死んだ魚のようです。今は、どん
なことを言っても、受けつけません。親子の縁を切ってもいいとまで言い出しています」
とも。


●カルトの下地

 よく誤解されるが、カルト教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者
がいるから、カルト教団は生まれ、そして成長する。

 だから自分の家族が、何かのカルト教団に入信したとしても、そのカルト教団を責めて
も意味はない。原因のほとんどは、その信者自身にある。もっと言えば、そういう教団に
身を寄せねばならない、何かの事情が、その人自身に、あったとみる。

 冒頭に書いた、ある夫(43歳)の例も、そうだ。妻の立場で、考えてみよう。

 どこか夫は、権威主義的。男尊女卑思想。仕事だけしていれば、男はそれでよいと考え
ているよう。その一方で、女は育児と家庭という押しつけくる。そういう生活の中で、日々、
窒息しそうになってしまう。

 何のための人生? なぜ生きているのか? どこへ向えばよいのか? 生きがいはどこ
にある? どこに求めればよいのか? 何もできないむなしさ。力なさ。そして無力感。

 しかし不安。世相は混乱するばかり。社会も不安。心も乱れ、つかみどろこがない。何
のために、どう生きたらよいのか。心配ごともつきない。自分のことだけならともかくも、
子どもはどうなるのか? 国際情勢は? 環境問題は?

 そんなことをつぎつぎと考えていくと、自分がわからなくなる。いくら「私は私だ」と
叫んでも、その私はどこにいるのか? 生きる目的は何か? それを教えてくれる人は、
どこにいるのか?
 どこにどう救いを求めたらよいのか?

 ……そういう状態になると、心に、ポッカリと穴があく。その穴のあいたところに、ち
ょうどカギ穴にカギが入るかのように、カルト教団が入ってくる。

 それは恐ろしく甘美な世界といってもよい。彼らがいうとところの神や仏を受け入れた
とたん、それまでの殺伐(さつばつ)とした空虚感が、いやされる。暖かいぬくもりに包
まれる。

 信者どうしは、家族以上の家族となり、兄弟以上の兄弟となる。とたん、孤独感も消え
る。すばらしい思想を満たされたという満足感が、自分の心を強固にする。

 しかし……。

 それは錯覚。幻想。幻覚。亡霊。

 一度、こういう状態になると、あとは、指導者の言いなり。思想を注入してもらうかわ
りに、自らの思考力をなくす。だから、とんでもないことを信じ、それを行動に移す。

 少し前だが、死んでミイラ化した人を、「まだ生きている」とがんばった信者がいた。あ
るいは教祖の髪の毛を煎じてのむと、超能力が身につくと信じた信者がいた。さらに足の
裏を診断してもらっただけで、100万円、500万円、さらには1000万円単位のお
金を教団に寄付した信者もいた。

 常識では考えられない行為だが、そういう行為を平気でするようになる。

 が、だれが、そういう信者を笑うことができるだろうか。そういう信者でも、会って話
をしてみると、私やあなたとどこも違わない、ごくふつうの人である。「どこかおかしの
か?」と思ってみるが、どこもちがわない。

 だれにでも、心の中にエアーポケットをもっている。脳ミソ自体の欠陥と言ってもよい。
その欠陥のない人は、いない。


●どうすればよいか?

 妻にせよ、子どもにせよ、どこかのカルト教団に身を寄せたとしたら、その段階で、そ
の関係は、すでに破壊されたとみてよい。夫婦について言うなら、離婚以上の離婚という
状態になったと考えてよい。親子について言うなら、もうすでに親子の状態ではないとみ
る。親はともかくも、子どものほうは、もう親を親とも思っていない。

 しかしおかしなことだが、あるキリスト系の教団では、カルト教団であるにもかかわら
ず、離婚を禁止している。またある仏教系の教団では、カルト教団であるのもかかわらず、
先祖の供養を第一に考えている。

 そして家族からの抵抗があると、「それこそ、この宗教が本物である」「悪魔が、抵抗を
始めた」「真の信仰者になる第一歩だ」と教える。

 こうなったら、もう方法は、三つしかない。

(1)断絶する。夫婦であれば、離婚する。
(2)家族も、いっしょに入信する。
(3)無視して、まったく相手にしないでおく。

 私は、第3番目の方法をすすめている。富山県U市に住む男性(72歳)のときも、こ
う言った。

 「息子さんには、こう言いなさい。『ようし、お前の信仰が正しいかどうか、おまえ自身
が証明してみろ。お前が、幸福になったら、お前の信仰を認めてやろう。ワシも入信して
やろう。どうだ!』と。

 つまり息子さん自身に、選択と行動を任せればよいのです。会社の経営者としては、す
でに適格性を欠いていますので、クビにするか、会社をつぶすかの、どちらかを覚悟しな
さい。夫婦でいえば、すでに離婚したも同然と考えます。

 そしてこう言うのです。『これは、たがいの命をかけた、幸福合戦だ』とです。そしてあ
とは、ひたすら無視。また無視です。

 この問題だけは、あせってもダメ。無理をしても、ダメ。それこそ5年、10年単位の
時間が必要です。頭から否定すると、反対に、あなたの存在そのものが、否定されてしま
います。

 あなたは親子の関係を修復しようと考えていますが、すでにその関係は、こわれていま
す。今の息子さんの信仰は、あくまでもその結果でしかありません」と。


●常識の力を大切に!

今の今も、こうしたカルト教団は、恐ろしい勢いで勢力を伸ばしている。信者数もふえて
いる。つまりそれだけ心の問題をかかえた人がふえているということ。

 では、それに対して抵抗する私たちは、どうすればよいのか。どう自分たちを守ればよ
いのか。

 私は、常識論をあげる。常識をみがき、その常識に従って行動すればよい、と。

 むずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思えばよい。たったそれだけの
ことが、あなたの心を守る。

 家族、妻や子どもに向かっては、いつもこう言う。「おかしいものは、おかしいと思おう
ではないか。それはとても大切なことだ」と。

 そしてそのために、常日ごろから、自分の常識をみがく。これも方法は、簡単。ごくふ
つうの人として、ふつうの生活をすればよい。ふつうの本を読み、ふつうの音楽を聞き、
ふつうの散歩をする。もちろんその(おかしなもの)を遠ざける努力だけは、怠ってはい
けない。(おかしなもの)には、近づかない。近寄らない。近寄らせない。

 あとは、自ら考えるクセを大切にする。習慣といってもよい。何を見ても、ふと考える
クセをつける。そういうクセが、あなたの心を守る。

 さあ、今日も、はやし浩司は戦うぞ! みなさんといっしょに、戦うぞ!

 世の正義のため、平和のため、平等のために! ……と少し力んだところで、このつづ
きは、またの機会に!

(はやし浩司 カルト カルト信仰)
(040328)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●信者がいるから宗教団体は生まれる

 先の原稿を書いてからだけでも、もう7年。
実はこの問題については、私が30歳ぐらいのときから書き始めているので、30年以上
になる。

 が、今でもこのタイプのインチキ教団は、跡を絶たない。
モグラ叩きのモグラのように、叩いても叩いても、顔を出す。
それもそのはず。

 宗教団体があるから、信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、宗教団体が生まれる。
たとえばあの終戦直後。
今で言う「新興宗教」が、それこそ雨後の竹の子ように生まれた。
中には「信心すれば金持ちになれる」と説き、急成長した宗教団体もある。
たぶんにカルト的だったが、その日の食べ物に困る人たちにとっては、そんな判断力はな
「金持ちになれるなら……」と、多くの人が、その宗教に飛びついていった。

●スピリチュアル?

 ……という話は、たびたび書いてきた。
では、どうすればよいかについても、たびたび書いてきた。
ただ言えることは、こうしたカルト教団の「芽」は、児童期のかなり早い段階でできると
いうこと。

 原稿をさがしてみたら、2007年の12月に書いた原稿が見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 霊感商法が、またまた増殖しているという(中日新聞・07・12・20)。

いわく、「悪質な霊感商法が、再び増えている背景には、(前世)(生まれ変わり)などの言
葉がメディアをにぎわせ、(ヒーリング)(スピリチュアル)といったブームがあるようだ」
(同紙)と。

わかるか?

アホな番組を一方で、無分別に垂れ流すから、それを真に受けた純朴な人たちが、だまさ
れる。

全国霊感商法対策弁護士連絡会で活動している、WH弁護士は、つぎのように語っている。

 「有名人がスピリチュアルについて語るなど、ブームにより警戒心が薄れ、霊感商法へ
の敷居が低くなった。被害にあいやすくなっている」(同紙)と。

 たとえば……、
「死んだお父さんが、助けを待っている」
「(あなたは)昔、祖父が殺したヘビの生まれかわりだ」(同紙)などといって、祈祷料を
取られたり、物品を買わされたりする、と。

 「今月4日(=12月4日)に行われた電話相談で、寄せられた電話はわずか4時間ほ
どの間に、59件、被害金額では計1億3300万円にのぼった。2000万円もの被害
を訴えた人もいたという」(同紙)ともある。

中には、「スピリチュアルな子育て法」などという、これまた「?」な育児本まである。書
店へ行くと、この種の本が、ズラリと並んでいる。

 「前世」だの、「来世」だの、バカなことを口にするのは、もうやめよう。釈迦ですら、
そんなことは一言も言っていない。ウソだと思うなら、『法句経』を、ハシからハシまで読
んでみることだ。そんなアホな思想が混在するようになったのは、釈迦滅後、数百年もし
てからのこと。ヒンズー教の輪廻転生論がそこに入り込んだ。

いわんや、占星術? ばか! アホ! インチキ!

 あのね、占星術は、立派なカルト。そういうものを、天下の公器をつかって、全国に垂
れ流す。そのおかしさに、まず、私たちが気づかねばならない。私がたまたま見たテレビ
番組の中では、どこかのオバチャンが、こう言っていた。

「あなたの背中には、ヘビがとりついている。毎朝、20回、シャワーで洗いなさい」と。

もう、うんざり! 反論するのも、いや! ばか臭い!

が、問題は、子どもたち。

 10年ほど前だが、私が調査したところでも、約半数の子どもたち(小学生、3〜6年
生)が、占い、まじないを信じていた。今は、もっと多いのでは……? そしてそれが日本
の子どもたちの理科離れの一因になっているとも考えられる。

 子どもたちに与える影響を、少しは考えろ。
あるいは自分の頭で、少しは考えて、番組を作れ!
それとも君たちは、どこかのカルト教団と結託しているのか?

 年末にかけて、この種の番組が、ますますふえている。
思考力をなくしたテレビ局。思考力をなくしたプロデューサー。そして視聴者たち。
日本人は、ますますバカになっていく。私には、そんな気がしてならないのだが……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの指導では

 学校教育の場では、宗教論、政治論はタブーになっている。
その理由はよくわかる。
宗教論にせよ、政治論にせよ、それらは両刃の剣。
宗教を否定しても、それ自体が宗教論になる。
政治論にしても、一方を否定すれば、その反射的効果として、他方の支持につながる。
私も、いろいろな失敗をした。

 それについては、このあとに原稿を添付しておく。
日付は不明だが、2001年ごろ書いた原稿ではないかと思う。

 が、家庭においては、もしあなたが私の意見に賛同してくれるなら、子どもの前では、
きっぱりと否定したらよい。
そういう毅然とした態度、姿勢が、子どもの中で、合理的な判断力を育てる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【宗教論】byはやし浩司(2001年ごろの原稿より)

●宗教について

●霊の存在

 霊は存在するか、それともしないか。

 この議論は、議論すること自体、無意味。「存在する」と主張する人は、「見た」とか、「感
じた」とか言う。これに対して、「存在しない」と主張する人は、「存在しないこと自体」
を証明しなければならない。数学の問題でも、「解く」のは簡単だ。しかしその問題が「解
けないことを証明する」のは、至難のワザである。

 ただ若い人たちの中には、霊の存在を信じている人は多い。非公式の調査でも、約七〇
〜八〇%の人が、霊の存在を信じているという(テレビ報道など)。「信ずる」といっても、
度合いがあるから、一概には論ずることはできない。で、それはそれとして、子どもの世
界でも、占いやまじないにこっている子ども(小中学生)はいくらでもいる。またこの出
版不況の中でも、そういった類(たぐい)の本だけは不況知らず。たとえば携帯電話の運
勢占いには、毎日一〇〇万件ものアクセスがあるという(二〇〇一年秋)。

 私は「霊は存在しない」と思っているが、冒頭に書いたように、それを証明することは
できない。だから「存在しない」とは断言できない。しかしこういうことは言える。

 私は生きている間は、「存在しない」という前提で生きる。「存在する」ということにな
ると、ものの考え方を一八〇度変えなければならない。これは少しおかしなたとえかもし
れないが、宝くじのようなものだ。宝くじを買っても、「当たる」という前提で、買い物を
する人はいない。「当たるかもしれない」と思っても、「当たらない」という前提で生活を
する。もちろん当たれば、もうけもの。そのときはそのときで考えればよい。

 同じように、私は一応霊は存在しないという前提で、生きる。見たことも、感じたこと
もないのだから、これはしかたない。で、死んでみて、そこに霊の世界があったとしたら、
それこそもうけもの。それから霊の存在を信じても遅くはない。何と言っても、霊の世界
は無限(?) 時間的にも、空間的にも、無限(?) そういう霊の世界からみれば、現
世(今の世界)は、とるに足りない小さなもの(?) 

 私たちは今、とりあえずこの世界で生きている。だからこの世界を、まず大切にしたい。
神様や仏様にしても、本当にいるかいないかはわからないが、「いない」という前提で生き
る。ただ言えることは、野に咲く花や、木々の間を飛ぶ鳥たちのように、懸命に生きると
いうこと。人間として懸命に生きる。そういう生き方をまちがっていると言うのなら、そ
れを言う神様や仏様のほうこそ、まちがっている。

 ……というのは少し言いすぎだが、仮に私に霊力があっても、そういう力には頼らない。
頼りたくない。私は私。どこまでいっても、私は私。

 今、世界的に「心霊ブーム」だという。それでこの文を書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

宗教について(1)
 
 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーの
おもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るという
のもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣
は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできご
とがあった。ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広
島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳し
ていたときのことだ。私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができ
なかった。

 そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を
必要としている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、
何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしま
った。

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のよ
うな人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たります
ように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそ
んなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

 一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占い
コーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度
の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは!

 あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五
年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、
よっぽどこちらのほうが奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは
……?

 人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれた
が、こんな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしている
のだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビル
を吹っ飛ばすことができる!」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++

宗教について(2)

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなること
がある。

 たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの
回向論である。これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、
それは仏の命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、
悪や虚偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大
日本百科事典・石田瑞麿氏)となる。

 しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱ
りわからなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。要
するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではない
か。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ
行ける」と。しかしそれでもまだよくわからない。
 
 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当た
り前のことではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つま
りそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。
「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。問
題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。
私にはこんな経験がある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

宗教について(3)

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。そ
の教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、
無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N
宗機関誌)と。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。ある
いはその教団には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようにな
った。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちが
っている。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやるこ
とこそ、彼らが言うところの慈悲ではないのか。

 私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカ
ヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は「こ
の子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。神や仏ではな
い私だって、それくらいのことは考える。いわんや神や仏をや。批判されたくらいで、い
ちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。悪魔だ。だ
いたいにおいて、地獄とは何か?

 子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。しかしそれは
地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなか
ったか、と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりする
と、意外とよく理解できる。さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。
たとえば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、
「自分でしなさい」と突き放す。「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたとき
もそうだ。いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子に
なるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そうなればなったで、かえってその子ど
ものためにならない。

 人間全体についても同じ。スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人
間は自ら努力することをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それ
はまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーでは
なく、赤い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、
今でもはっきりと覚えている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

宗教について(4)
 
 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子
ども(小三男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが
当たったからだ」と。そこで私はこう言った。

 「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不足で、農家の人は雨が降っ
て喜んだはずだ」と。

 翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何て
ことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その一家は、ある仏教系の宗教教団の
熱心な信者だった。

 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人
には、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。そこ
で「真理というのは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教えてほし
いと思っているところです」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。
が、どうも会話がかみ合わない。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」の
ことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、
それが汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とそのひ
もに手をかけると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫んだ。
叫んで、「汚れるから、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家も、ある
宗教教団の熱心な信者だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

宗教について(5)

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うこ
とは許されない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求
める信者がいるから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一
つの宗教が否定されたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のド
ラマまで否定されるものではない。

 今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全国
の美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるということは、
それだけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰
している。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私は
そういうとき「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あ
るいは「あの世はあるの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」
と逃げる。霊魂や幽霊についても、そうだ。ただ念のため申し添えるなら、私自身は、ま
ったくの無神論者。「無神論」という言い方には、少し抵抗があるが、要するに、手相、占
い、予言、運命、運勢、姓名判断、さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、
一切、信じていない。信じていないというより、もとから考えの中に入っていない。

 私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」
ということで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だっ
たということも、あとから母に言われて、はじめて知った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●孤独

 孤独であることは、まさに地獄。無間地獄。だれにも心を許さない。だれからも心を許
されない。だれにも心を開かない。だれからも心を開かれない。だれも愛さない。だれか
らも愛されない。……あなたは、そんな孤独を知っているか? もし今、あなたが孤独な
ら、ほんの少しだけ、自分の心に、耳を傾けてみよう。あなたは何をしたいか。どうして
もらいたいか。それがわかれば、あなたはその無間地獄から、抜け出ることができる。

 人を許そうとか、人に心を開こうとか、人を愛しようとか、そんなふうに気負うことは
ない。あなたの中のあなた自身を信ずればよい。あなたはあなただし、すでにあなたの中
には、数一〇万年を生きてきた、常識が備わっている。その常識を知り、その常識に従え
ばよい。

 ほかの人にやさしくすれば、心地よい響きがする。ほかの人に親切にすれば、心地よい
響きがする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分の心に
誠実に、どこまでも誠実に生きる。ウソをつかない。飾らない。虚勢をはらない。あるが
ままを外に出してみる。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通り過ぎ
るのを感ずるはずだ。

 ほかの人に意地悪をすれば、いやな響きがする。ほかの人を裏切ったりすれば、いやな
響きがする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分に誠実
に、どこまでも誠実に生きてみる。人を助けてみる。人にものを与えてみる。聞かれたら
正直に言ってみる。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通りすぎるの
を感ずるはずだ。

 生きている以上、私たちは、この孤独から逃れることはできない。が、もし、あなたが
進んで心を開き、ほかの人を許せば、あなたのやさしい心が、あなたの周囲の人を温かく、
心豊かにする。一方、あなたが心を閉ざし、かたくなになればなるほど、あなたの「孤独」
が、周囲の人を冷たくし、邪悪にする。だから思い切って、心を解き放ってみよう。むず
かしいことではない。

静かに自分の心に耳を傾け、あなたがしたいと思うことをすればよい。言いたいと思うこ
とを言えばよい。ただただひたすら、あなたの中にある常識に従って……。それであなた
は今の孤独から、逃れることができる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●常識をみがく

 おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。たったこれだけ
のことで、あなたはあなたの常識をみがくことができる。大切なことは、「おかしい」と思
うことを、自分の心の中で決してねじ曲げないこと。押しつぶさないこと。

 手始めに、空を見てみよう。あたりの木々を見てみよう。行きかう人々を見てみよう。
そして今何をしたいかを、静かに、あなたの心に問いかけてみよう。つっぱることはない。
いじけることはない。すねたり、ひがんだりすることはない。すなおに自分の心に耳を傾
け、あとはその心に従えばよい。

 私も少し前、ワイフと口論して、家を飛び出したことがある。そのときは、「今夜は家に
は戻らない」と、そう思った。しかし電車に飛び乗り、遠くまできたとき、ふと、自分の
心に問いかけてみた。「お前は、ひとりで寝たいのか? ホテルの一室で、ひとりで寝たい
のか?」と。すると本当の私がこう答えた。「ノー。ぼくは、家に帰って、いつものふとん
で、いつものようにワイフと寝たい」と。

 そこで家に帰った。帰って、ワイフに、「いっしょに寝たい」と言った。それは勇気のい
ることだった。自分のプライド(?)をねじまげることでもあった。しかし私がそうして
心を開いたとき、ワイフも心を開いた。と、同時にワイフとのわだかまりは、氷解した。

 仲よくしたかったら、「仲よくしたい」と言えばよい。さみしかったら、「さみしい」と
言えばよい。
一緒にいたかったら、「一緒にいたい」と言えばよい。あなたの心に、がまんすることはな
い。ごまかすことはない。勇気を出して、自分の心を開く。あなたが心を開かないで、ど
うして相手があなたに心を開くことができるのか。

 本当に勇気のある人というのは、自分の心に正直に生きる人をいう。みなは、それがで
きないから、苦しんだり、悩んだりする。本当に勇気のある人というのは、負けを認め、
欠点を認め、自分が弱いことを認める人をいう。みなは、それができないから、無理をし
たり、虚勢をはったりする。

おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。一見、何でもない
ことのように見えるかもしれないが、そういうすなおな気持ちが、孤独という無間地獄か
ら抜け出る、最初の一歩となる。
(以上、2001年ごろに書いた原稿)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2011年10月23日の朝に

 ロイターNEWSを読んで、改めて「宗教とは何か」について考えた。

 言うまでもなく宗教とは、教えに沿ってするもの。
儀式ではない。
教え。
中身。
儀式をしたからといって、宗教を信じていることにはならない。
儀式がまちがっているというのではない。
ただ儀式には、えてして、盲目性がともなう。
その盲目性が、こわい。
理性の目を曇らす。

 が、最近の私は、さらにちがった考え方をするようになった。
カルトに身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。
しかしそれは同時に、自分の時間、つまり命を無駄にする行為である、と。
そういうふうに考えるようになった。

 そうでなくても、真理への道は遠い。
寄り道をしているヒマはない。
おかしな思想を、(思想と言えるようなモノではないが……)、注入されれば、その時点で
回り道をすることになる。

 若いときはそれでもよいかもしれない。
いろいろな経験のひとつとして、回り道をする。
しかし60歳を過ぎると、そうはいかない。
命そのものが、秒読み段階に入る。
私のばあいも、平均余命まで、あと15年になった。
「15年」というと、長い年月に感ずるかもしれない。
しかしそれもあっという間に過ぎる。
それが60歳を過ぎると、実感として、よくわかるようになる。

 現に今、こうして過去に書いた原稿をさがしてみた。
それをここに添付した。
日付を調べてみると、2001年ごろに書いた原稿ということがわかる。
つまり、もうそれから10年の年月がたっている。
「もう10年!」と驚くと同時に、「この先の10年も、同じようにあっという間に過ぎて
いくにちがいない」と思う。

 だから回り道をしているヒマはない。
……という意味で、カルトには気をつけたほうがよい。
私たちは私たちで、自らの足で立って生きていく。
不完全でもよい。
失敗つづきでもよい。
懸命に生きていく。
そこに私たちが生きている意味がある。

 要するにこれから先も、わけのわからないことを口にするカルト教団がつぎつぎと現れ
てくるはず。
そういうものには、じゅうぶん、警戒したらよい。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月23日(日曜日)「退職した団塊の世代」

+++++++++++++++++

昨夜午前3時ごろ、ワイフが私を起こした。
「寝損(ぞこ)ねたみたい」と。

睡眠導入剤と精神安定薬をもってきて、
ワイフの口に含ませる。
「寝損ねたときはね、自然体がいちばんいいよ。
無理に眠ろうとすると、かえって眠れなくなるよ」と。

しばらく2人でそのまま横になっていたが、
今度は私が眠れなくなってしまった。
で、ワイフを寝室に残し、私は書斎に。

……こうして今朝を迎えた。
時刻は、午前9時を過ぎていた。
雨の音とジェット機の騒音。
今日は「浜松航空フェスタ」のある日。
つまり自衛隊基地で航空祭のある日。

テーブルでお茶を飲む。
新聞に目を通す。
ワイフに「そのあとは、どうだった?」と聞く。
「そのあとは朝まで、ぐっすりと眠ったわ」と。
で、私はそれを聞き、ウォーキングマシンで30分、汗をかく。

のどかな朝。
日曜日。
今日は、部屋の掃除。
今週、オーストラリアの友人が来る。
現在、台湾の北部を旅行中。
そのあと日本に向かってくる。
昨夜、そんなメールが届いた。

+++++++++++++++++

●ワイフの友だち

 ワイフは現在、週3回、テニスのクラブに通っている。
その中の1つのクラブは、どういうわけか、同年代の人たちが集まっている。
「同年代」というのは、それぞれの夫の年齢をいう。
みな私と同じ、団塊の世代という。

 で、昨夜もワイフとこんな話をした。

私「お前さ、10人のうち、仕事をつづけているのは1人くらいと言ったよね」
ワ「そう、1人くらいね」
私「でね、ぼくは、残りの9人の人たちが気になる。残りの9人の人たちは何をしている
の?」
ワ「Nさんのダンナは、一日中、テレビを見ているそうよ」
私「一日中?」
ワ「そうみたい……」と。

 あとは孫の世話をしている人。
ときどき旅行などに行って、息抜きをしている人。
町内会の仕事をしている人。
妻の仕事の手伝いをしている人、など。

 仕事をつづけている人というのは、ずっと自動車の販売会社にいた。
その延長線上で、今も、自動車のセールスをしているという。
歩合制で給料をもらっているとか。

 時刻は午前3時を回っていた。
話をしながら、ワイフの意識がだんだんと遠のいていくのがわかった。
が、そのうち、そのままワイフは眠ってしまった。

 私はそれを見届けたあと、暗い天井に向かって、こう思った。
「10人に1人かア……」と。

 そのあと、私は自分の書斎に入った。

●こりごり

 「私なら、そんな生活、1日も耐えられないだろう」と。
テレビを1時間見ただけでも、「しまった!」と思う。
「時間を無駄にした」と思う。

そう考えれば考えるほど、そういった人たちは、どんな思いで毎日を過ごしているのか、
それを知りたくなった。
が、本心を明かしてくれる人は、少ない。
同窓会に出ても、そこまで踏み込んだ話はしない。
……しないというより、たがいに避ける。

 ワイフはこう言った。
「パソコンで遊んでいる人は、1人か2人ね」と。
あるいは「みな、仕事はもうこりごりと言っているみたいよ」とも。

 こりごり?

 サラリーマンの仕事の切なさは、この一語に集約される。
「こりごり」。

 私も仕事で多くの人たちとつきあってきた。
しかしそこに金銭関係がからむと、深い人間関係など、望むべくもない。
「金の切れ目が縁の切れ目

いわんや大半の退職者は、リストラ、解雇を経験している。
その瞬間、それまで自分と会社をつないでいた糸は、すべて煙となって消える。
ついでに友人関係も消える。
その人が「こりごり」と言い、仕事をしないからといって、だれがその人を責めることが
できるのか。

●人生の不可逆性

 しかしそれでも私は心配する。
一度、仕事から離れると、その人は、2度と仕事に戻れなくなる、と。
若いときはまだ柔軟性に富んでいる。
しかし40歳を過ぎると、その柔軟性が急速に消える。
硬化する。
ゴムにたとえると、伸びたまま縮まなくなる。

 そのことは、10日前後の休暇のあとによくわかる。
若いときは、そのスイッチングが簡単にできる。
が、年を取ると、それができなくなる。
休み明けの数日間は、仕事場に向かうことすら、つらい。
調子を戻すのに、数日もかかったりする。

 そう言えば、原稿を書くときもそうだ。
2、3日も書かないでいると、自分の手を重く感ずる。
ミスタイプも多くなる。
その前に、考えそのものが、まとまらない。

 だから脳の水は、つねに流しつづけたほうがよい。
止めたとたん、そこでよどみ、腐る。

 先の同年代の人たちにしても、ひょっとしたら、内心ではこう考えているかもしれない。
「そのうち、できる仕事でも見つかれば、やってみよう」と。

 が、実際には、仕事に復帰するのは不可能。
私の周辺を見ても、3〜5年のブランク(休職期間)のあと、仕事に復帰した人はいない。
1年でもいない。

 だから今、あなたが仕事をしているなら、石にかじりついてでも、仕事はつづけたほう
がよい。
収入のためではない。
あなたの脳みそのため。
肉体と精神の健康のため。

●老人観察

 50歳を過ぎるころから、私は老人観察を務めてするようになった。
それまでは、老人というのは、私の関心の外にいた。
が、最初に気になったのは、歩き方。
とくに脳梗塞を起こした人の歩き方。

 「右側が不随なのだろうか、それとも左側が不随なのだろうか」と。

 今では見た瞬間、それはわかるようになったが、歩き方に影響を与えるのは、脳梗塞だ
けではない。
いろいろな病気がある。
病気によって、歩き方も、微妙にちがう。
私は歩き方を見ただけで、その人がどんな病気をかかえているか、おおよその見当がつく
ようになった。

●寿命

 さらにこうも考える。
「60歳前後の人の健康状態を見れば、その人の寿命も予測できる」と。

 もちろん、がんや脳梗塞などの大病は除く。
しかし60歳前後の人の健康状態を見れば、「ああ、この人は70歳を過ぎて生きるのはむ
ずかしいだろうな」とか、反対に「この人は90歳を過ぎても元気だろうな
とか、そんなことまでわかる。

 言い換えると、老後の健康状態は、60歳で決まる。
たとえて言うなら、街道の関所のようなもの。
60歳という関所を通るとき、それがわかる。

 で、そういう視点で、今度は私自身を観察する。
「私はどうなのか?」と。

 その結果、大病さえなければ、80歳までは生きられるのではないかということ。
が、それには条件がある。
体重を現在の65キロ前後から、60キロ前後に落とすこと。
毎日の運動を欠かさないこと。
それさえ守れば、今のままで、80歳までは生きられるのではないか。

●時刻は12時

 時計を見たら、もう12時!
これから部屋の大掃除。
買い物。
その他、いろいろ。
書斎の階下からは、ワイフが掃除機をかけている音がする。
私も手伝わなければならない。

 ……ということで、今朝はここまで。

 今は、雨もやみ、航空ショーも始まったにちがいない。
鳥のさえずりが、急に耳に飛び込んできた。
暑くもなく、寒くもなく、湿った秋風が心地よい。

2011/10/23朝記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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【私は私】「私とは何か?」(山荘の朝、居間で)

●山荘の居間

 こたつの天板の上には、昨夜飲んだ、チューハイの缶、ひとつ。
まだ半分、残っている。
ほかに、パソコンのモニター、ピーナツの袋、テッシュペーパー、お盆、それにメガネ・
ケース。
無造作に散らかっている。

 コップにミネラル・ウォーターを注ぎ、それを飲む。
パソコンに電源をONにする。
時計を少し前に見たが、針は6時半を示していた。

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
着くとすぐ、ワイフは、DVDを見始めた。
私は、その横で、それをいっしょに見た。
星はつけようもないほど、つまらない映画だった。
途中で、ギブ・アップ。
猛烈な睡魔に襲われ、そのままふとんの中に。
寝たのは、午後11時ごろでは、なかったか。

●肉食

 まだ外を見ていないが、今日は、雨とか。
窓は薄暗く、外は静か。
鳥のさえずりも、コオロギの鳴き声も聞こえない。
ときどきやってくる、大きなあくび。

 昨夜食べたハンバーグが、腹の上のほうで、まだタプタプしている。
併せて食べた、エスカルゴがよくなかったかもしれない。
月に、1、2度、油っこいものを食べる。
そのたびに、腹の調子が悪くなる。

私の体は、90%が、ベジタリアン。
残りの10%が、肉食系。
肉類は嫌いではないが、どうも体に合わない。
胆嚢の機能が低下している?
自分では、そう思っている。
半年前にエコーで検査してもらったら、「胆石がありますよ」と。
ドクターは、そう言った。

 今日は、朝食を抜く。
昼と夜は、ソバ類。
今、そう決めた。

●脳(さて、本題!)

 ところで、昨日、こんな経験をした。
仕事に出かける前、私はこう思った。
「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と。
たしかに、そう思った。

 が、その出かける前、あれこれと雑務がつづいた。
教材を用意し、身支度を整えた。
その間中、私は、ヘルメットのことを忘れていた。
まったく忘れていた。
が、家を出る、その瞬間、私はヘルメットをさがした。
いつもなら勝手口の手すりに、それが掛けてある。
が、そこにはなく、床の下にころがっていた。

 私はヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●自転車 

 自転車にまたがりながら、こう考えた。
「雑務をしている間、『ヘルメットをかぶっていこう』という思いは、どこに消えていたの
か」と。
脳のどこかに、記憶としては、あったはず。
しかし雑務をこなしている間には、それが脳から消えていた。
ヘルメットのことは、まったく忘れていた。

 が、家を出る瞬間、ヘルメットのことを思い出した。
床にころがっているヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●別の脳

 最近の脳科学によれば、私たちが(自分の意思)と思っている意思にしても、意識とし
てそれを認知する前に、すでに脳の別の部分が決定しているという。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえばあなたが台所へ行く。
冷蔵庫からペットボトルを取り出し、それを飲む。
あなたは一連の行為、つまり(台所へ行く)→(冷蔵庫を開ける)→(ペットボトルを取
りだす)→(水を飲む)という行為を、自分の意思でしたと思っている。
だれかにそう聞かれれば、あなたは、そう答える。
「私は私の意思で台所へ行き、私は水を飲んだ」と。

 しかしそれ以前に、・・・時間的なことはわからないが、30分とか1時間前に、すでに
別の脳が、一連の行為をするように決めているという。
ばあいによっては、5分前かもしれない。
が、そのとき、私という「私」は、まだそれを意識していない。
つまり私たちが自分の意思と思っているものにしても、その大半が、・・・というより、そ
のほとんどが、すでに別の脳で作られている。
「もうすぐのどが渇く。お前は台所へ行って、水を飲んでこい」と。

 わかりやすく言えば、「私の意思」と思っているその「意思」にしても、別の脳に操られ
ているだけ。

●ウソ発見器

 ひとつの例としてよくあげられるのが、ウソ発見器。
いくら言葉でウソを並べても、ウソ発見器は、別の脳の中の反応を観察している。
自分の意思では、その(別の脳)までは、ごまかせない。
だからウソ発見器は、ウソを見破ることができる。

 ・・・というふうに考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、よくわからなく
なってくる。
ほとんどの人は、「私は私」と思って、行動している。
しかしそのほとんどは、別の脳がそれ以前に、勝手に決定している。
「私」という部分は、それに従って、行動しているだけ。

 先のヘルメットの話にしても、そうだ。
私は「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と、思った。
自分の意思で、そう決めた。
が、雑務の中で、そのヘルメットのことは忘れた。
「かぶっていこう」という意識さえなかった。

が、出かける瞬間、私はヘルメットをさがし、それを頭にかぶった。
それは私の意思だったのか。
それとも無意識のまま、別の脳に操られただけだったのか。

●レストランで

 昨日は、ほぼ1か月ぶりに、ハンバーグを食べた。
が、それとて、その意思は、昨日の昼過ぎには、別の脳が決めていたのかもしれない。
昨日は、朝食と昼食をかねたブランチを食べただけ。
しかも、いつもの半分。

 その一方で、このところ運動を毎日、2単位こなしている。
1単位は、30〜40分。
ランニング、ウォーキングマシン、それに自転車。
全身がひと汗、ザッと出る程度を、1単位としている。

 仕事に行く前から、空腹感があった。
たぶん、そのときすでに別の脳が、「今夜はハンバーグ」と決めていたのかもしれない。
私はそれを意識として、意識することはなかった。
が、別の脳は、そう決めていた。

 仕事が終わり、その帰り道。
私とワイフは、いつもの行きつけのレストランに寄った。
「何を食べる?」「何にしようか?」「ハンバーグにしよう」と。

●ワイフ

 今、雨の音が聞こえてきた。
雨あしが強くなった。
ボタボタと雨どいをあふれて落ちる水の音がする。

 秋の今ごろは、いつも、近くのスギ林の枯れ枝が、雨どいを塞ぐ。
雨どいを詰まらせる。

 ・・・たった今、ワイフが寝床から起きてきた。
「おはよう」と言ったようだったが、私は何も答えなかった。
めんどうだった。
「風呂はどうする?」と、ワイフが聞いた。
「うん・・・」と気のない返事。

 私はこうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
それには理由がある。

●最後の砦(とりで)

 このところ自分の住む世界が、どんどんと小さくなっていくのを感ずる。
体力、気力、思考力、集中力・・・。
それらがどんどんと弱くなっていく。

 そこで私はいくつかのことを自分に決めた。
目標とか、そういった甘いものではない。
「義務」として、位置づけている。

 その第一。
どんなことがあっても、毎日、BLOGだけは、発行する。
週3回の電子マガジンだけは、発行する、と。

 BLOGについては、1日、10枚の原稿と決めている。
電子マガジンのついては、1回分20〜30ページと決めている。
それは言うなれば、私の最後の「砦(とりで)」。
この砦を打ち破られたら、明日の私は、ない。

 市内の自宅に帰るまでに、何としてもその10枚を書きたい。
・・・何としても、書きあげたい。

●性欲からの解放

 話を戻す。

 私の脳の中に、別の「私」がいる。
それが裏から、私を操っている。
そのことは、60歳を過ぎると、よくわかるようになる。

 ・・・というか、私は、55歳前後に、それがわかった。
その前後に、私は「男の更年期」というのを経験した。
医学的に実証されたものではないが、そのころ、急速に性欲の衰えを覚えた。
いや、性欲はあったが、「女体」への関心が、ほとんどゼロになった。

 たとえば週刊誌に載っているようなヌード写真を見ても、どれも肉塊にしか見えなかっ
た。
ときに豚の脂身(あぶらみ)のように感じたこともある。
そのときのこと。
それまでの私が、いかに性欲の奴隷であったかが、わかった。
だから私はある日、ワイフにこう言った。

「今のぼくならね、女湯にだって平気で入れるよ。裸の女の人と、湯船につかって、平気
で世間話ができるよ」と。

 が、それはすがすがしいほどまでに気持のよい、解放感だった。

●性的エネルギー(リビドー)

 若い人たちに、いくらこんなことを言っても、理解されないだろう。
その渦中にある。
が、男性にしても、24時間、頭の中は「女」でいっぱいという人がいる。
そういう人にしても、自分が性欲に操られているだけとは思っていない。
自分の意思で、そうしていると思い込んでいる。
が、実際には、どの人もみな、別の脳で操られているだけ。
ついでに言えば、男がスポーツで目立ちたいと思うのも、女が化粧をするのも、別の脳に
操られているだけ。

 その原点にあるのが、性的エネルギー(フロイト)ということになる。
そのエネルギーが、脳の奥深くから、・・・最近の研究によれば、視床下部あたりから、パ
ルス信号として発信されているらしいが、そこから発信されている。

 このことは、ほかの動物を見れば、わかる。
動物だけではない。
植物にしても、そうだ。
どの生物も、生きる目的を、種族の存続に置いている。
種族の存続にはじまり、種族の存続に終わる。
残りのもろもろの行動は、言うなれば、「雑務」のようなもの。

●ドラマ

 が、だからといって、それが無駄とか、無意味とか言っているのではない。
それがあるから、人生も、また楽しい。
あの映画『タイタニック』にしても、もしジャックとローズがいなければ、ただの船の沈
没映画。
沈没再現映画。
ジャックとローズがいたから、人々を感動させ、涙を誘った。

 人生も、また同じ。
私たちがもし、無機質なまま、種族の保存だけを考えて生きていたとしたら、そこからは
ドラマは何も生まれない。
もちろん感動も、生まれない。

 言い換えると、その「ドラマ」にこそ、生きる意味がある。

●予期せぬ変化

 先に、私は、私たちは別の脳に操られていると書いた。
それはその通りだが、その別の脳が、混乱するときがある。
たとえば別の脳が、その人の方向性を決めていたとする。
が、その方向性が、乱されたようなとき。

 それが他人との接触ということになる。

 「そろそろ喉が渇いてきた。台所へ行って、水を飲んでこい」と。
別の脳がそう決めていたところへ、突然、電話がかかってきた。
友人からの電話である。
「今、近くに来ているから、ちょっとそちらに寄るよ」と。

 とたんあなたは、行動計画を変更する。
「あと10分で、仕事の準備を終え、居間を片づけなければならない」と。
つまりそう考えたとき、あなたは別の脳の支配から、抜け出る。
あなたはあなたとして、行動を開始する。

 それを「ドラマ」という。

 やがて友人がやってきて、居間のソファに座る。
友人にお茶を出し、自分もお茶を飲む。
渇いたのどを、お茶でうるおす・・・。
ついでに友人のおもしろい話を聞いて、笑う。
それが「私」ということになる。

●生きる意味

 私はEメールの署名のところに、こう書いている。
「Life is full of Dramas」と。
だれかの言葉だったが、だれの言葉だったかは、忘れた。
「人生はドラマでいっぱい」と。

 で、「なぜ生きているか」と聞かれれば、私は迷わず、こう答えるようにしている。
「ドラマを残すため」と。

 言い換えると、私がなぜ「私」であるかと言えば、そのドラマを残すからということに
なる。
別の脳に操られるままでは、ドラマは生まれない。
そこに「私自身の意思」を注入することによって、私は「私」を取り戻すことができる。
それがドラマということになる。

 さらに言い換えると、ドラマのない人生ほど、味気なく、つまらないものはない。
そのことは、10年を1日にして生きる老人、20年を1日にして生きる老人を見れば、
わかる。
意味もなく、また意味を持たせることもなく、毎日同じことを繰り返している。
そういう人生からは、ドラマは何も生まれない。

●感動

 が、ドラマにも、軽重がある。
振幅の大小と言い換えたほうが、正確かもしれない。
さらにわかりやすく言えば、感動のあるなし。
感動の大きさが、ドラマのスケールを決める。

 近所の人に会い、立ち話をするのも、感動。
しかしその一方で、たとえばワールドカップで、ゴールを決めるのも、感動。
さらに言えば、喜怒哀楽の世界で、人を愛するのも、また憎むのも、これまた感動。
日々に葛藤し、もがき、苦しむのも、これまた感動。
そうした無数の感動を通して、私たちは身の回りに、ドラマを築きあげていく。

 それが「私」であり、生きる意味ということになる。

●ザマーミロ

 話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今もはげしい雨が、外で降っている。
雨どいからこぼれ落ちるボタボタという音は、そのまま。

 気がつくと、ワイフがいつの間にか、私の横で眠っている。
動くものは、何もない。
いや、私がキーボードを叩くたびに、ペットボトルの水面が、かすかに、小刻みに揺れる。
それが蛍光灯の光を受け、チラチラと光を放つ。

 ・・・こうしてものを考え、キーボードで文にしているときだけ、私は私でいられる。
別の脳に支配されない、私。
きっと別の脳は、・・・もともと人間というのは、基本的には怠け者だから、こう叫んでい
るにちがいない。

 「せっかくの土曜日なのだから、横になって休め」と。

 が、私はあえて、それに逆らう。
逆らって、私は自分の意思で、私の文を、こうして書いている。
「ザマーミロ! お前の言いなりになってたまるか!」と。
別の脳に向かって、そう叫ぶ。
それが私にとっては、楽しい。

(はやし浩司 2011−10−22記)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日、あれこれ】(10月22日)

●放射線物質汚染

 政府の発表で、どうしても納得できないのが、これ。

茶葉から規制値を超えた放射線を観測したとき・・・「お茶でも、飲むときはお湯で薄める
から、問題ありません」、
乾しシイタケから、やはり規制を超えた放射線を観測したとき・・・「乾しシイタケだから、
料理したときには水分で薄められるから、問題ありません」と。

 つまり「濃度を薄めれば、問題なし」と。

 その延長線上にあるのが、表土のすき返し。
放射線物質で汚染された表土と、その下の土とを入れ替える。
それを「除染作業(?)」という、と。

●非論理

 どうしてこういう非論理的なことを言うのか、私には理解できない。
土を入れ替えるといっても、それは土をかき混ぜるだけ。
わかりやすく言えば、濃度を薄めているだけ。

 お茶にしても、10倍の水で沸かして飲めば、濃度は10分の1になる?
乾しシイタケにしても、料理にして食べれば、濃度は何分の1かになる?

 いくら濃度を薄めても、その分だけの放射性物質は、体内に取り込まれる。
いくら土の汚染濃度を薄めても、放射性物質は、そこに残ったまま。
どうしてそれを「除染」というのか。

 もしこんな非論理がまかり通るなら、規制値など、必要ない。
こう言えばよい。
「魚でも野菜でも米でも、みんな水で薄めて食べれば安全です」と。

●拡散

 この先、この日本では、大悲劇が始まるだろう。
福島の第一原発周辺の人たちだけではない。
東京都の人も、そしてこの浜松市の人も・・・。
がん性の病で、バタバタと人が死んでいく。

 「拡散」というのは、それをいう。
事実すでに、たとえば魚類にしても、約50%の魚から放射線が観測されている(日刊「ゲ
ンダイ」紙・10・21号)。
とくに北海道方面から、南下してくる魚の汚染度が高いという。
この先、100%になるのは、もはや時間の問題。
 
 その一例を、日刊「ゲンダイ」からここに転載する。

●スーパーで検出された魚(日刊ゲンダイ紙より)

イオン店・・・茨城 イナダ(48ベクレル)
  カツオ(13ベクレル)
       千葉 カツオ(22ベクレル)
       宮城 カツオ(14ベクレル)
          マイワシ(19ベクレル)(単位は1キログラムあたりの量)
(以上、日刊ゲンダイ紙より)

 この数値を見て、気がついたことがある。
たとえばカツオの放射線量をよく見てほしい。
茨城でも千葉でも、また宮城でも、放射線量が、13〜22ベクレルの範囲にあるのがわ
かる。
産地はそれぞれ、宮城、岩手となっているが、魚の産地ほど、あてにならないものはない。
水揚げした港が、産地となる。
仮に福島県沖で取れた魚でも、御前崎港と水揚げすれば、「御前崎(浜松)産」となる。

 で、こうして数値を並べてみると、イオンのばあい、同じ産地の魚を全国に流している
疑いが出てくる。
もちろんこの浜松でも、同じ魚が売られている可能性が高い。

 つまりこうして放射性物質は、全国に拡散されていく。
「私は浜松市に住んでいるから、だいじょうぶ」などと、高をくくっていると、たいへん
なことになる。

 ちなみに他店におけるカツオの放射線量をここに載せる。

(参考)カツオについて

 イトーヨーカー堂  カツオ(8〜17ベクレル)
 ユニー       カツオ(8〜20ベクレル)
 ダイエー      カツオ(6〜15ベクレル)
 西友        カツオ(5〜11ベクレル)
(以上、茨城、千葉、埼玉、東京で測定)  

●正確な情報

 私たちが今、いちばん必要としているのは、正確な情報である。
イオンならイオンでもよい。
それぞれの魚に汚染度を、しっかりと表示してほしい。
あるいは店先に、放射線測定器を置いてほしい。

 売る側は、「風評被害」という言葉を使う。
しかし食べる側は、「健康被害」という。
この先予想される健康被害を考えるなら、風評被害など、何でもない。
健康被害は、「命」の問題。
風評被害は、「金(マネー)」の問題。

 風評被害程度のことで、ガタガタ言う方が、おかしい。

●大本営発表

 政府の立場もよくわかる。
今ここで、「日本は終わりました」と認めると、国そのものが、崩壊してしまう。
だからウソでも何でも、「日本はだいじょうぶ」という体裁を取り繕わなければならない。
今が、そのとき。

 だから政府(文科省)は、そのつど、放射線想定値を、低め、低めに発表する。
この手法は、あの大戦中の大本営発表と、何ら変わらない。

 あの大戦においても、軍国主義を先頭に立って推し進めたのが、ほかならぬ当時の文部
省であった。
本来なら学術の府として、良識を旗印に、国民を先導すべき文部省だった。

 今、文科省は、その愚を再び犯そうとしている。
政府側にべったりと寄り添い、政府側のつごうのよい情報だけを流す。
つごうの悪い情報は、必要最小限にして流す。
ウソまでは言わないが、本当のことも言わない。
その前に、どうして文科省なのか?
どうしてこうした発表をするのが、文科省なのか?

 サッカー賭博を始めたときも、そう感じた。
どうして文科省なのか?

●自分で守る

 ともあれ、自分の「命」は、自分で守るしかない。
「健康」ではない。
「命」。

 ・・・ということで、私も放射線測定器を購入することにした。
今まで迷ったが、最近は国産のもので、安価なものが手に入るようになった。
(従来は、中国製、ロシア製のものが多かった。アメリカ製については、入手が困難だっ
た。)

 魚類はもちろん、口にするものは、自分で調べてから食べる。
またそれくらいのことをしないと、「命」は守れない。
死ぬのがこわいわけではない。
アホなことで、「命」を無駄にしたくない。
その報告は、今日の昼にでもできると思う。
(現在は、山荘にいて、ネットがつながらない状態にある。)

【追記】(放射測定器についての報告)

 放射線測定器について。
どの製品にするか。
それを選ぶのがむずかしい。

 その瞬間の空間の放射線を測定する製品がある。
しばらくONにした状態で、1時間あたりの積算量を表示する製品がある。

 が、私がほしいのは食品の放射線量を測定する製品。
しかしこちらは装置がおおげさで、価格も100万円前後。

 空間放射線量については、この浜松市では、必要ない。
多くても少なくても、今のところ、どこかへ引っ越すつもりはまったくない。
だから調べても無駄。

 どうしようか?、と、今も悩んでいる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司

●映画『カウボーイ&エイリアン』

+++++++++++++++++++++++++

ハリロン・フォードとダニエル・クレイグ。
その2人が主演。
しかも西部劇とSF映画の合体。
そんな映画、見ないわけにはいかない……ということで、
先ほど、『カウボーイ&エイリアン』を見てきた。
今日が公開日。

で、星は、私が3つ、ワイフが、4つの、★★★+。

おもしろかったが、どこかデタラメ。
矛盾だらけの、ボロボロ映画。
『OK牧場』あり、『プレデター』あり、『宇宙大戦争』あり、
『駅馬車』あり……の映画。
最後は、『荒野の用心棒』風に、ダニエル・クレイグが町を去っていく。

むずかしく考えないで、気楽に楽しめば、それでよい。
そういう映画。

来週からは、『三銃士』が始まる。
楽しみ!

+++++++++++++++++++++++++

【日韓スワップ協定(10−22)】

●「?」の300億ドル

 韓国紙の中央日報は、日韓スワップ協定について、こう考えている(同紙、10月20
日)

『9月末現在の外貨準備高額は、3034億ドル』ある、と。

 が、韓国でいう「外貨準備」には、多額の有価証券が含まれている(詳細は不明)。
日本とは、いろいろな意味で、経済の算出方式も異なる。
だからそのまま額面通りに、受け取ることはできない。

 中央日報紙(=韓国紙の中でも、もっとも反日姿勢の強い新聞)は、こう書いている。

『韓日両国が合意した700億ドルの通貨スワップ規模は現在の130億ドル水準の5倍
を超える。当初市場が予想した規模より大きかった。その上世界的安全資産のドルで借り
ることができる300億ドル規模の通貨スワップが新しくできた。2008年の金融危機
の際に韓国は米国と300億ドルの通貨スワップを締結し、その後韓日、韓中とも通貨ス
ワップを締結した』(同日)と。

 私には、これ以上のことはわからないが、記事の中には、こうある。
「300億ドル」という数字に注意してほしい。

『……その上世界的安全資産のドルで借りることができる300億ドル規模の通貨スワッ
プが新しくできた』と。

 これはどういう意味なのか。
日韓スワップ協定で決められた700億ドルの一部が、300億ドルということなのか?
ふつうスワップ協定といえば、日韓の間なら、(円)と(ウォン)の交換を目的としたもの
をいう。
が、中央日報紙は、「ドルで借りることができる300億ドル」と書いている。
そのまま読めば、「300億ドルを、緊急時には貸します」と。
日本政府は、本当に「ドルを貸します」と言ったのか?
つまりもし何かのことがあれば、日本政府は、300億ドル、韓国に貸しますよ、と。
その額、300億ドル!
日本円で、約2兆4000億円!
まさか、アメリカを救済するため?

●まず日本の債権者を守る

 韓国経済が破綻すれば、日本の金融機関が、大きな傷を負う。
貸し金が焦げ付いたり、貸し倒れになったりする。
それは私にもわかる。
だったらその時点で、日本の金融機関を保護、補償すればよい。

 これについて日本政府側は、韓国には、日本企業が多数進出しているから、そういった
企業も保護しなければならないというようなことを言っている。
しかし本当に、そうか?

 この浜松市にも韓国に工場などを移転した企業は多い。
しかし大半は、現在、撤退している。
韓国で、韓国人を従業員にして工場を経営することについては、ほかの国にはない困難さ
がつきまとうらしい。
それもあって、韓国に残ったのは、もともと在日韓国人の経営していた企業が多い。
在日韓国人のN氏自身(浜松で工場経営)が、そう話してくれた。

 で、中央日報紙は、『……9月末現在の外貨準備高額3034億ドル、中国との通貨スワ
ップ260億ドル相当を含め4000億ドル水準の外貨流動性を確保した』と書いている。

 しかし中韓のスワップ協定は、この11月末で、期限が切れるはず。
それはともかくも、韓国の外貨(?)の3034億ドル+日韓スワップ協定で決まった7
00億ドル=3734億ドル。
中国との協定を含めて、約4000億ドル。

●どうして?

 中央日報紙は、前回(2008年)の金融危機のときも、日韓スワップ協定はあったが、
日本の世話にはならなかった。
アメリカの世話にはなった。
今回も、日本の世話にならないだろうというようなことを記事の中でにおわせている。
あくまでも韓国ウォンの安全策のため、と。 

『……2008年の金融危機の際に韓国は米国と300億ドルの通貨スワップを締結し、
その後韓日、韓中とも通貨スワップを締結した。だが、実際に通貨スワップを活用して金
を借りた先は米国だけだった』(同紙)と。

 だったら、疑問が振り出しに戻る。
それほどまの外貨があり、貿易も順調なら、韓国政府は、そもそも日韓スワップ協定など
必要ないはず。
にもかかわらず、なぜ協定を求めてきたのか、と。

●世界は見抜いている

 今回の日韓スワップ協定で、韓国の総合株価は、2日連続で上昇している。
(日本を含め、アジア各国の株価は、2日、連続で下がっている。)
つまり今回のスワップ協定は、韓国国内ではプラスに働いた。
(=韓国国内では、通貨危機への不安が、和らいだ。)

 が、ウォンについては、こう書いている。

『……韓日通貨スワップ拡大のニュースにウォン相場は1ドル=1130ウォン台まで上
がった(日本式に言えば、下がった)。19日のソウル外国為替市場でドルに対するウォン
の相場は前日より13・70ウォンのウォン高(安)ドル安(高)となる、1ドル=11
31・90ウォンで取引を終えた。これは先月16日の1112・50ウォン以来の高値
(安値)水準だ』と。

が、日韓スワップ協定のあとも、韓国ウォンは、1ドル=1130ウォンにまで下落。

 ついでながら、韓国では、通貨の上下を、逆に表現するので注意。
「これは先月16日の1112・50ウォン以来の高値水準だ」は、「これは先月16日の
1112・50ウォン以来の安値水準だ』と読む。

 今日(10月22日)現在、1ドル=1153ウォン。
この2日間で、さらに22ウォンも下落したことになる。
つまり世界は、韓国の経済危機をしっかりと見抜いている。
わかりやすく言えば、外資の逃避がいまだにつづいている。
(外資が逃げるときは、ウォンを売って他の国の通貨に乗り換える。
だからウォンが下がる。)

●お人好しはやめよう!

 日本よ、もうこれ以上のお人好し外交はやめよう。
ついでに大国意識も捨てよう。
こんなことを繰り返していたら、日本の企業は、本当に消えてしまうぞ。
こういうお人好しばかり繰り返しているから、日本人はどんどん、職場を奪われていく。
鉄鋼、造船、土木、そして電子産業……。
昨日、日本のパナソニック社は、1000人の人員解雇を発表した。

 3・11大震災のとき、アジア株は、韓国をのぞいて、すべて下落した。
韓国だけは数日後から大上昇。
それが「日本の大地震をお祝い(し)ます」という、あの垂れ幕事件へとつながった。
(韓国側サポーターは、「日本の旭日旗はどうなのか」と、反論しているが……。)
もう一度、その株価を示すグラフをここに掲載しておく。
3・11日以後、韓国の株価がどのように動いたか。
またどうしてか?
それをみなさんの目で、しっかりと確かめておいてほしい。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/77/img4019443bzik8zj.gi

f" width="360" height="230" alt="韓国の株価.gif">

●日韓友好

 日韓友好が重要なことは言うまでもない。
私も1967年から、してきた。
しかしおかしなことに、韓国という国は、それをすればするほど、反日に傾いていく。
日本を攻撃する材料がなくなると、秀吉の朝鮮出兵や、ベトナム戦争まで持ち出す。
今度は、従軍慰安婦問題。

 この状態は、恐らくこれかもつづく。
日本側の問題ではない。
韓国側の問題。
ゆがんだ民族主義と国粋主義。
これが改まらないかぎり、野田首相が求めるような「未来志向型の両国関係」など、育つ
はずがない。

 政治はどこまでも現実的に。
国際政治は、さらに現実的に。
甘いロマンをいだき、国際外交を推し進めてはいけない。
「これだけのことをしてやったのだから、相手もそれに応じてくれるだろう」などという
幻想は、もってはいけない。
そんな甘えは、日本を一歩でたら、通用しない。
とくに韓国には通用しない。

 きびしい意見ばかり書いているが、私は私なりに40年間、日韓関係を外からながめて
きた。
これが私の現在の結論ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日韓関係 日韓スワッ
プ協定)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月21日朝記

+++++++++++++++++

肌寒い朝。
足に心地よい痛みを感ずる。
昨夜、サイクリングをした。
汗をかいた。
それで足が痛い。

朝食のあと、ウォーキングマシンの上で
歩いてみよう。
それでこの痛みは、消えるはず。

ところでおとといの夜、温泉(浜名湖かんざんじ荘)で
いっしょになった人たちと、しばらく話した。
群馬大学工学部の同窓会で、来ていた。
年齢は「80歳前後」と言った。
みな、元気そうだった。

「80歳でも、みな、元気なんだ」と。
そう思ったとき、うれしかった。

元気な老人を見て、励まされる。
最近は、そんなことが多くなった。

+++++++++++++++++

●才能

 小学1年生のOKさんが、ルービック・キューブの早わざを見せてくれた。
ビデオに収めた。
まずは、ご覧、あれ!

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/b0J5qDsgoqo" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 それを見ながら、いろいろ考える。
「能力とは何か」と。

 そのあと私もルービック・キューブに挑戦してみた。
が、まったくできなかった。
1面をそろえることすらできなかった。

 家に帰ってワイフに、こう聞いた。
「なあ、人にはそれぞれ、その人にしかない恵まれた才能というのがある。
それはその通りと、ぼくは思う。
では、ぼくの才能は何かと聞かれると、それがよくわからない」と。

 すでに私の才能は、サビついている。
それが自分でもよくわかる。
現状維持が精一杯。
が、その現状維持も、このところ、怪しくなってきた。
何かにつけ、ミスや失敗が多くなった。

 そう言えば、昨夜も、どこかの塾から帰ってくる高校生と競争状態になった。
私が自転車でその高校生を追い抜いた瞬間、相手もややスピードをあげた。
私は懸命にペダルをこいだ。
が、相手はそれほど力んでいる様子もなく、私をスーッと追い抜いていった。
「もう少し若いときなら、負けなかったのに……」と、淡い敗北感を覚えた。

 で、そのOKさん。
YOUTUBEを見ながら、改めて、こう考える。

 ほとんどの人は、幼児は、幼稚で未熟と考えている。
しかしそれはまちがっている。
未経験で、知識は乏しいかもしれないが、能力は私たちおとな以上にある。
幼稚園児でも、ていねいに教えれば、方程式だって、分数だって、小数だって理解できる。
対称図形だって、正負の数だって、さらにはツルカメ算だって、理解できる。
簡単な問題なら、そのあとスイスイと解いてみせてくれる。

 それをあえておとなたちは、そういう幼児をあえて小さな世界に閉じこめようとする。
歌といえば、動揺、絵といえば、クマさんやウサギさん……。
幼児教育といえば、お遊戯会に運動会……、それに七夕だの、月見だのという、年中行事。
そういう教育も必要かもしれないが、しかしそれだけが幼児教育ではない。
またそうであってはいけない。

 OKさんの手さばきを見ながら、そんなことを考えた。

●日韓経済戦争

 日韓の間で、スワップ協定が結ばれた。
それについて今朝の韓国の新聞各社(東亞、朝鮮日報、中央日報)は、事実のみを客観的
に報道している、のみ!

 中央日報にいたっては、こう書いている。

「08年に、(韓国が金融危機に陥ったときも)、アメリカとはスワップしたが、日本とは
しなかった」と。
つまり前回、スワップ協定を結んだが、日本の世話にはならなかった。
今回も、日本の世話になることはないだろう、と。
さらに「こうしたスワップ協定は、恒常化する必要がある」(10・21)とも。

 なぜだろう?
どうして「礼」の一言もないのだろう?

●サラ金に礼を言う人はいない!

 それについて、ワイフが明快にこう答えた。
「サラ金からお金を借りたとき、サラ金に礼を言う人はいないでしょ。それと同じよ」と。

 ナルホド!

 現在、韓国の各銀行は、東京に支店を置き、日本の銀行と同じように、金(マネー)の
貸し借りができる。
そういうしくみになっている。
そのしくみを使って、韓国の銀行は、多額の金(マネー)を日本からも借りている。
で、その額、今年度末までに返済しなければならない分だけで、4000億ドル。
1ドル80円で計算しても、32兆円。
現在の韓国にしてみれば、とても返せる金額ではない。
そこでスワップ協定ということになった。

 が、金(マネー)の力は、弱い。
人間の欲望と深くからんでいるから、人間の心をつなぐ接着剤にはならない。
貸した方は、「相手は喜んでいるだろう。感謝しているだろう」と思う。
しかし借りた方は、そうは思っていない。

 国にしても、他人にしても、さらには親類や親子にしても……。
むしろ貸したほうが、逆恨みされる。
そんなケースが目立つ。
今回の日韓スワップ協定にしても、しかり。

 たぶん野田首相は、こう思っているにちがいない。
「これで韓国も未来志向型の国なるだろう(=過去の怨念を少しは和らげてくれるだろ
う)」と。
しかしそんなことはありえない。
ありえないことは、自民党の河野元外務大臣の時代に経験済み。

 ニコニコ顔の野田首相。
その横で口で笑っても、目までは笑わないイ韓国大統領。
そのイ韓国大統領は、「未来志向を……」と言った野田首相に対して、「歴史を……」とい
う言葉を、しっかりと野田首相に伝えた。

 日本は現在、巨大なサラ金国家となっている。
世界中に金(マネー)を貸し、その利息で何とか生き延びている。
産業空洞化は予想以上の速さで進んでいる。
モノで稼ぐ貿易収支は、全体の11%程度にすぎない。
だから、私たちもしっかりと、心にこう言い留めておきたい。

 「人の心は、金(マネー)では買えない」と。

 その上で、経済援助を考え、スワップ協定を考える。

●その他

 リビアでは、カダフィ大佐の死亡が確認された。
タイでは、洪水が広がっている。
ギリシャでは、デモが拡大している。

 カダフィ大佐の最後の写真が、何枚かネット(ロイター)に載っている。
そういう写真をあえて選んで載せたのかどうかはわからない。
しかしどの写真でも、カダフィ大佐は、あわれな表情をしている。
手をすりあわせ、命乞いをしているかのように見える写真もある。

 『すべてをもつものは、すべてを失うことを恐れる』と、ある賢人は言った。
独裁者と呼ばれる人は、一見、すべてを手にしているように見える。
本人も、そう思っているにちがいない。
しかし実際には、何ももっていない。
中身は、カラッポ。

 つぎにタイの洪水。
バンコックの北に、「ローズガーデン」と呼ばれる公園がある。
今でもあるかどうかは知らない。
そこでは観光客を像に乗せてくれる。

 地図でみると、そのあたりまで水没しているようだ。
そしてその洪水は、バンコック市内まで、流れ込み始めた。

 が、古い家は、みな、高床式になっている。
ちょうど一階部分は、柱だけという構造になっている。
昔から洪水は、タイの名物も言われた。
だから高床式になった。

が、都市の近代化とともに、そういった歴史を忘れた?
今度の大洪水は、近代化でおごり高ぶったタイの人たちへの、警鐘とも考えられる。
「自然は、そんなに甘くないよ」と。

 最後に、ギリシャのデモ。
私は昔から「ギリシア」と書いてきた。
しかし新聞などは、みな「ギリシャ」となっている。
英語では「Greece」と書く。
どうして「ギリシャ」なのだろう。

 それはともかくも、欧州の経済危機は、そのギリシャだけですむわけではない。
もしギリシャだけなら、とっくの昔に解決していただろう。
それにつづくポルトガルがある。
イタリアがある。

 ギリシャの2大債権国は、フランスとドイツ。
もしギリシャが破綻すれば、フランスも危ない。
必死になるフランス。
のらりくらりとそれをかわす、ドイツ。
私には、そういう構図に見える。

 なおウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……ギリシャあるいはギリシアという名称は、ラテン語名のGraecia (グラエキア)が
ポルトガル語でGr?cia (グレスィア)となり、これが宣教師によって日本にもたらされ変
容したとされる』と。

 どうやらポルトガル語の「グレスィア」が、「ギリシャ」になったらしい。
何度も「グレスィア」と繰り返し唱えてみると、たしかに「ギリシャ」という音に聞こえ
る。

2011/10/21朝記


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【1】日本のお人よし外交(日韓経済戦争・10月19日の巻)

●「正義」のない、拝金主義

+++++++++++++++++++++++++

日本の総理が、あろうことか、
ノコノコと韓国まで、自ら出かけ、
韓国救済の申し出をしてきた。
どうして?
どうして、日本が、韓国へ?
どうして、韓国側に一度は、頭をさげさせないのか?

もうひとつ……。
どうして「ノコノコ」なのか。
その理由は、この原稿を読んでもらえば、
あなたも納得するはず。

+++++++++++++++++++++++++

●お人よし外交

 日本は、どうしてこうまでお人よしなのか。
ブレイン・レスなのか。
外交音痴なのか。

現在韓国は、外貨不足、ウォン安、個人負債の増加で、にっちもさっちも立ち行かなく
なっている。
今年度末までに返却しなければならない債務(借金)が、4000億ドル(中央日報)※。
「外貨準備高が世界〜位になった」とはしゃいでいるが、大半は有価証券。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)。
 
中身はボロボロ。
4000億ドルだぞ。
63兆円だぞ!
(韓国政府の大本営発表には、じゅうぶん、気をつけたほうがよい。
これらの数字とて、韓国政府が発表したもの。
じゅうぶん疑ってみたほうがよい。)

 日本の経済規模になおすと、つまり人口比に換算すると、4000億ドルx2.5=
1兆ドル。
100兆円。
63兆円は、63x2・5=160兆円。
国も、国民も、そんな金(マネー)、返せるはずがない!

 おまけに8月1日以後、韓国からは外資がどんどんと逃げ出している。
当然、ウォンを売って、アメリカ・ドルや日本・円を買うから、ウォン安。
ドル不足、円不足……。

一家にたとえるなら、「借金の返済ばかりで、現金(ドル)がナ〜イ!」。
そういう状態。

●スワップ協定

中国とのスワップ協定は、この11月に切れる。
が、中国は、どうも再スワップ協定に応ずる気配がない。
そこで韓国は、日本に触手を伸ばしてきた。
「日本なら、ニコニコ笑って応ずるだろう」と。

 日本経済新聞は、つぎのように伝える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 『……通貨スワップ(交換)協定については現行の130億ドル(1兆円)を700億ドルに
増やすことで合意した。
2012年10月末までの臨時措置。欧州の債務危機で金融市場が不安定になっているこ
とを受け、外貨不足に備えた安全網を手厚くする。

 日本政府と韓国銀行の間で300億ドルのドル融通枠を新設。
日銀と韓国銀行が現在結んでいる円・ウォンのスワップ協定も30億ドルから300億ド
ルに増額する。
既存の危機対応のドル融通枠の100億ドルと合わせ、総額は計700億ドルとなる。

 10月に入り、韓国ウォンが対ドルで急落するなど、韓国の金融市場の動揺が目立って
いた。
協定に基づいて韓国側が要求すれば、日本は米ドルや日本円をウォンと引き換えに渡す。
逆に日本が日本円と引き換えに米ドルやウォンの供給を求めることもできる。

 供給された外貨は外国為替市場で自国通貨を買い支えるための介入資金や外国との貿易
の支払いに使われる……』(以上、日本経済新聞・10月19日)と。

 ロイターもつぎのように伝えている。

『……このところ、韓国から投資資金を引き揚げる動きが強まりウォンが急落、韓国内で
は中堅・中小企業などで外貨の調達難が生じ、日韓貿易にも間接的に影響が出始めている。
欧州発金融不安の余波を東アジアも受けつつあるなか、日本の通貨当局としては通貨交換
の拡充・強化で東アジア域内経済への影響の軽減を図りたい考えだ』と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●スワップ協定

 スワップ協定というのは、たいへんわかりやすく言えば、「お金、貸します」という約束。
もう少し具体的には、「困ったときには、韓国・ウォンを、日本円で買ってあげますよ」と。

この約束(=協定)によって、仮に韓国・ウォンが紙くずになっても、日本は、韓国・ウ
ォンを買い支えなければならなくなる。
一見、相互に平等に見える協定だが、中身は、一方的なもの。
日本が、「円を買ってください」と韓国に頼むようなケースは、現状ではありえない。
日本には、ありあまる(ドル)がある。
つまりこれほど、不平等な協定はない。
一方的に、韓国を救済するためだけの協定!

 そんなことが、どうして日本政府にわからないのか。
だから、「ノコノコ」。

●わかりやすく言うと……

 理由があるとすれば、今、ここで韓国がデフォルト(債務超過=ドル不足)に陥れば、
日本の金融機関が、莫大な損失を被ることになる。
貸し倒れになる。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 隣の金さん(=韓国)は、見た目には派手。
「儲かった、儲かった」とはしゃいでいる。
しかし実際には、利益はほとんど、残らない。
それもそのはず。
借金の額も、莫大。
利息分だけで、利益は消えてしまう。
国全体が、ワーキングプアの状態。

 が、この経済危機。
近所でも羽振りのよいの米(アメリカ)太郎(=アメリカ)さんは、金さんへ貸した金を
勝手にどんどんと持ち出し始めた(=資金の引き上げ)。
金さんの金庫番は、米太郎さん(=韓国の銀行は、ほとんどがアメリカ資本下にある)。
米太郎さんは、お金(ドル)を金さんの家から、自由に持ち出せる。

 困った金さんは、日雄さん(=日本)に助けを求めてきた。
「現金(ドル)が不足したら、どうか貸してください」と。
日雄さんも、金さんには、ものすごい金額の現金(ドル)を貸しつけている。
もし金さんが、自己破産でもしたら、その金(ドル)が、返ってこなくなる。
焦げついてしまう。

 金さんは、ずるい。
「金を貸してくれ」と言いながら、実は、日雄さんを、内々では、こう言って脅している。
「うちが自己破産したら、あなただって、ただではすまないよ」と。

 そこで日雄さんは、金さんとこんな約束(協定)をかわした。

日「わかりました。万が一のときは、あなたの家にある、絵(ウォン)を買ってあげまし
ょう。700億ドルでは、どうですか」
韓「それはありがたい」と。

ウォンが紙くずになる前に、買い支えてやる、と。
それがスワップ協定である。

●韓国と北朝鮮

 韓国と北朝鮮は、精神構造が同じ。
自分たちは、「ちがう」と思っているかもしれないが、同じ。

 北朝鮮は、同じ手法で韓国を脅迫しつづけている。
「ソウルを火の海にしてやる。戦争をするのがいやだったら、経済援助(食糧援助)をし
ろ」と。

 北朝鮮が韓国に戦争をしかければ、当然、北朝鮮も、滅亡する。
それはわかっている。
しかし韓国としては、たとえ勝敗が最初から決まっていても、戦争は困る。

 同じように韓国は、日本を脅迫しつづけている。
「韓国が破綻すれば、日本だって、ただではすまないぞ」と。
つまり「損をするのがいやだったら、俺たちを助けろ」と。

●逃げるアメリカ、穴埋めをする日本

 IMFは、韓国は数か月以内に、デフォルトする可能性があると警告している。
韓国政府は、それを否定するのに躍起なっているが、内情は火の車。
それについては、先に書いたとおり。

 で、アメリカ資本が逃げ始めた。
中国資本も逃げ始めた。
そこへ割って入ったのが、日本。
おバカ日本。
お人よし日本。

「現行の130億ドル(1兆円)を、700億ドルに増やす」と。

 だから97年末〜98年初頭のあのデフォルト(実際には回避できたので、韓国では「経
済危機」と呼んでいる)のときから、私はこう書いてきた。
「韓国に深入りしてはいけない」と。
あのときも、日本政府は、頼まれもしないうちから、総額500億ドルという現金をかき
集め、韓国を救済した。
アメリカの反対を押し切っての、救済である。

 その結果、韓国はどうなったか?
日本に感謝したか?
「ありがとう」の一言でも言ったか。
むしろ事実は、逆。
「日本のせいで、こうなった」と逆恨み。
日本が直接貸した110億ドルも、うち半分が、未返還のままという。

●「ありがとう」の一言もない

 今に至るまで、竹島問題、日本海の呼称問題などなど、どれをとっても、「反日、反日」
の大合唱。
日本が安保理の理事国入りをめざしたときには、韓国政府は、各国に特使まで送り込み、
それを阻止した。
で、最近は、慰安婦問題。
在韓日本大使館前に、慰安婦の慰霊塔建設問題。

 おバカなオバちゃんたちは、そういう外交問題があるのを知ってか知らずか、韓流スタ
ーの尻を追いかけている。
ニューズウィーク誌は、「韓流バブル」という言葉すら、使っている。

 テレビでは、毎日、韓国製の洗脳番組が流されている。
オバちゃんたちには、ハングルが読めないらしい。
現在、韓国の各地には、「ここから竹島(独島)まで、〜〜キロ」という立て札が、あち
こちに立っている。

●日本よ、引きあげろ

 日本よ、韓国から手を抜け。
足を抜け。
資金を引きあげろ。
もっと戦略的に行動しろ。
どうしてこんな簡単なことが、わからないのか。

 仮に韓国の経済力が増大し、日本と韓国の立場が逆転したら、日本に明日はないぞ。
韓国の仏国寺へ行ってみろ。
いまだに秀吉の朝鮮出兵を、恨んでいる。
それが韓国。

●最後のババ

 隣国だから、仲よくしたい。
それはわかる。
しかし何も、日本のほうから頭をさげてまで、韓国詣でをする必要はない。
立場が、逆。
借金するほうが、威張っている。
(北朝鮮も同じ。援助を受けるほうが、威張っている。)

 恐らく私の推察によれば、その裏でアメリカが動いている。
アメリカが日本を動かした。
「韓国を救済しろ」と。
つまり最後のババを、引け、と。

●今後のこと

 今回のスワップ協定は、2012年10月末までの「臨時措置」という。
(実質的には、2013年の3月まで。後述。)
期限を設けたのは、賢い。
もしそれまでに韓国が、目に余る反日行動を見せたら、「それ以後、更新しない」と脅せば
よい。
が、見方を変えれば、日本の金融機関、投資機関に与えられた猶予期間は、1年。
たったの1年。
みんな、今のうちに、逃げろ!
「また日本政府が何とかする」と思っているとした、甘い。

 韓国には、北朝鮮問題がある。
その北朝鮮。
ミサイル発射実験と核兵器実験を準備しているという。
小競り合いが、戦争につながる可能性もある。
もしそうなれば、万事休す。
浜岡という地震断層の上に原子力発電所があるのと同じくらい、現在の韓国にお金(ドル)
を貸すのは、バカげている。
日本の未来、つまり現在の子どもたちの未来を考えるなら、なおさら。

●1967年 

 私は1967年の夏、UNESCOの交換学生として韓国に渡った(第二回日韓UNE
SCO交換学生)。
その当時、まだ日韓の間に正式の国交はなかった。
だからその人物が、どういう人物だったか、覚えていない。
が、私は「領事」と呼ばれる人から、こう聞いた。

 日本の全額援助で、韓国政府は、ソウルの北に、ダムを建設した。
当初、そのダムの入り口に、「このダムは日本の援助で建設された」という文言を書いた記
念碑を建てる約束だったという。
が、建設が完成し、祝典に呼ばれたが、その記念碑はなかった。
韓国という国は、基本的には、今もそのまま。

 今回、こうしてスワップ不平等協定を結んでも、彼らは何も感謝しない。
そういう「事実」すら、韓国国内では伝えられないだろう。
(そのあたりの精神構造も、北朝鮮と同じ。)
だからいつまでたっても、反日感情は収まらない。

 ……だから私はいつも、こう書いている。
救済するにしても、一度は、頭をさげさせろ、と。
それを韓国国民にわかる形で、示せ、と。
こんなことは、当然のことではないか。

 ともあれ、救済する側が、ノコノコと韓国へ出かけて行く。
笑顔であいさつを交わす。
大国意識、丸出し。

 野田政権というのは、うわさどおりの内閣なのか。
経済がどういうものか、まったくわかっていない(?)。
もしそうなら、そんな内閣に、日本の外交を任せておくことはできない。
もう少し様子を見てから、このつづきを書いてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【参考】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先週、書いた原稿の一部を再掲載する。

(注※)

 ……中身はボロボロ。
『韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している』(中央日報・
11年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)と。
4000億ドルだぞ!
63兆円だぞ!

 これに対して、韓国政府は、「各家庭の純資産も、その程度あるから心配ない」と、繰り返し
応戦している。
が、その中身といえば、住宅バブル。
バブル資産。
そこへ来て、今回の大恐慌。
世界の新興国からの資金引きあげ。
韓国もそのひとつ。

今日のレートでみると、1ドルが、1155ウォン(10月18日)。
3・11大震災のあと、「このとき」とばかり、ウォン安に舵を切った。
徹底した輸出攻勢で、この日本に取って替わろうとした。
が、それが裏目に出た。

 モノを売りたくても、売り先の国々の経済が収縮してしまった。
韓国政府は、「外貨準備もじゅうぶん」と豪語しているが、大半は現金ではなく、有価証券。
(外国からの借金)ですら、(投資)に組み入れてしまう国である。
数字のインチキは、し放題。

先ごろ野村證券は、「韓国はアジアの中でももっとも通貨の安定した国」(東亞日報)という経済
報告書を発表した※。
が、その報告書を書いたのは、野村證券の社員だが、韓国人。
野村證券にしても、今ここで韓国がこけたらたいへんなことになる。
先に書いた4000億ドルにしても、その大半がジャパン・マネー。
週刊文春誌の記事をそのまま紹介させてもらう。

(注※)「野村證券の首席エコノミスト、クォン・ヨンソン氏は27日の記者懇談会で、「ファン
ダメンタルの側面から見たとき、韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」と主張し

(東亞日報・9月27日)。


Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教室で……

 ときどき1時間ほどの、空き時間がある。
たいてい雑誌やカタログを読んで過ごす。
頭を休めるには、カタログがよい。
今も、そのカタログに目を通していた。
SONYの「VIO Z」。
VIOシリーズの中では、最薄。
カタログには、厚さ16・7ミリ。
最薄部で、何と、9ミリ以下!

 ノートパソコンは、薄ければ薄いほど、よい。
もう10年前になるだろうか。
私はTOSHIBA製の、超薄型パソコンを買った。
軽く、持ち運びも楽だった。
しかし買った直後から、故障つづき。
それにすぐ本体が熱くなり、手のひらを置くこともできなかった。

 しかし私は、そのパソコンが好きだった。
いつももって歩いた。
そのときの感触が忘れられない。
だからノートパソコンについては、薄型が発売になるたびに、それに乗り換えてきた。
で、今度は、VIO・Z。

【2】優越感

●数学者

 いつとは書けないが、少し前、「数学者」と呼ばれる人と、話したことがある。
その数学者。
どこかの大学で教授をしているということだった。
そのため頭の回転だけは、やたらとよい(?)。

 しかしどこか、へん。
おかしい。
が、私がここに書きたいことはそのことではない。

●知的優越感

 それぞれの分野には、それぞれ、すぐれた人がいる。
専門、職種を問わない。
その個人について言えば、得意、不得意がある。
しかしこと数学に関していうなら、数学者のもつ「知的優越感」には、並外れたものがあ
る。
「数学ができる人間は、天才(=人間)。できない人間は、バカ(=人間にあらず)」と。

それが鼻持ちならないほど、極端。
それがありありと、よくわかる。
だから、へん。
おかしい。
もちろんみながみな、そうというわけではない。
しかし数学者と呼ばれる人には、そういう人が目立つ。

 どうしてだろう?

●子どもの世界でも

 こうした現象は、進学高校と呼ばれている高校へ通っている子どもにも、見られる。
「勉強がよくできる」ということを、「優秀」と誤解している。
「自分は優秀」と思うのは、その人の勝手。
が、返す刀で、相手を下に見る。

 たとえばこんな人。
テレビで何かの講演をしていた。
その中でのこと。
相手のキャスターが何かをとちった。
その瞬間、その講演者は、すかさず、そのキャスターにこう言った。

「君! 子どものころ、算数は、何点だったの?」と。

親、とくに母親にも、ときどき、同じような現象をみることがある。
都会の有名大学を出たような母親である。
上下意識が強く、相手の価値を出身大学で判断する。

 どうしてだろう?
どうして数学者に、このタイプの人間が多いのだろう。

●数学の特性

 数学という分野は、ほかの分野(国語や社会、英語)とちがい、(できる・できない)が、
はっきりとしている。
それが目立つ。
得点差も大きく、出る。

 これは私自身の経験だが、私は中学生のとき、数学と理科が得意だった。
その私は、自分が勉強ができるとは、思っていなかった。
しかしこうは思った。
「どうして、みな、こんな簡単な問題ができないのだろう」と。

 数学ができる人は、当たり前のように、それができる。
当たり前のようにできるから、できない人がいるということが信じられない。
その(信じられない)部分が増幅したのが、「優越感」ということになる。

 数学ができる人は、この「優越感」をもちやすい?

●優越感

 優越感ほど、錯覚と誤解によるものはない。
よい例が、「大学出」。
私が子どものころには、まだ、「大学出」という言葉が残っていた。
「大学を出た人」という意味である。

 この大学出。
それはそれで結構なことだが、退職し、70歳になっても、80歳になっても、大学出を
鼻にかけている人は少なくない。

 母が生前通っていた、老人ホームでのこと。
その男性は、慶応大学を出たあと、ドイツの大学に留学したこともあるという。
当時、ドイツの大学に留学したということは、かなりのエリートとみてよい。
年齢は、85歳くらいだったか?
 
 いつもグループのいちばん後ろの席で、ふんぞりかえって座っていた。
みなが体操したり、ゲームをしたりしているときも、その輪の中には入らなかった。
が、おもしろかったのは、その話し方。

 ケアセンターの職員が、お茶を渡したりすると、こう言った。
「無礼者!」と。
私が「おもしろい人ですね」と言うと、その職員は笑っていた。

 みながみな、そうなるということではない。
しかし「優越感」を振りかざす人ほど、俗性を失う。

●人間関係は、すべて数学で……

 つまり優越感というのは、「他人を見下す」という点で、自尊心とはちがう。
自己評価能力が高いとも言わない。
つまり、「優越バカ」。
子どもの世界で、それを見ると、よくわかる。

 こと数学に関して言えば、いろいろなタイプの子どもがいる。
瞬時に、数桁掛ける数桁の掛け算をやってしまう子ども。
10〜20桁の数字を、やはり瞬時に暗記してしまう子ども。
能力というよりは、「こだわり」。

 たとえば高校生でも、三角関数の微分、積分のような問題を、瞬時に解いてしまう子ど
もがいる。
神業に近い。
しかし私はそういう子どもを、「頭のいい子ども」とは、思わない。
ほかの部分で、常識に欠けるというか、ふつうでない部分ばかりがよく目立つ。
たとえばボサボサ頭で、いつも臭いとか、など。

 昔、私にこう言った男子高校生がいた。
「先生、人間関係は、すべて数学で成り立っています。
未来も、過去も、すべて数学で証明できます」と。

 頭だけは鋭い。
しかし言っていることが、へん。
その子どもはやがて国立大学の医学部へと進学していったが、「それでいいのかなあ?」と。
そういう疑問だけは、いつまでも残った。
(今でも、残っている。
というのも、その子どもは浜松市に戻ってきて、今、市内で、開業医として仕事をしてい
る。)

●頭のよい子

 その一方で、ジェネラルな(=総合的な)意味で、「頭のいい子」というのは、いる。
しかし数学が得意とはかぎらない。
それについてはまた別の機会に書くとして、これだけは確実に言える。

 「数学がよくできるからといって、頭のいい子ということにはならない」と。
もっと言えば、「勉強がよくできるからといって、頭のいい子ということにはならない」と。
「高学歴だから、頭がいい人ということにはならない」でもよい。

 数学バカ、勉強バカ、学歴バカと呼ばれる子どもは、いくらでもいる。
勉強しかしない。
勉強しかできない。
頭の中は、偏差値だらけ。
本当に頭のよい子どもというのは、四方八方に触覚が伸びていて、相手の心を包むように、
相手を理解する。

 話していても、ほっとするような温もりを覚える。

●移植

 繰り返すが、もちろん数学者、数学が得意な子どもが、みなそうというわけではない。
もちろん本当に頭のよい子どもというのも、いる。
またそういう子どものほうが、多い。

 しかしあの「受験戦争」を経験すると、たいていみな、おかしくなる。
おかしくなったとは気がつかないまま、おかしくなる。
もちろん親も気がつかない。
そのひとつが、優越感ということになる。
その反対の、劣等感でもよい。
つまり勝てば(?)、優越感。
敗れれば(?)、劣等感。

 さらにおかしなことに、親に、その優越感や劣等感が移植されることもある。
概して言えば、子どもと一体性の強い母親に、そうした現象が多く見られる。
「うちの子は優秀だ。だから私も優秀だ」と。

●結論

 結論として、言えること。
人間に優劣はない。
あるはずもない。
もちろん上下もない。
あるはずもない。

 仮に数学が得意であるとしても、それは能力の一部。
それがすべてではない。
……というひとつの例として、数学者をあげた。
数学の得意な子どもをあげた。
どうか、誤解のないように。

●10月20日

 昨夜、【1】「日韓経済戦争」と、【2】「優越感」についての原稿を書いた。
一気に書いた。
この「一気」というところが、私にとっては、大切。
それから得られる爽快感が、楽しい。

 とくに【1】の日韓経済戦争については、(怒り)を爆発させた。
97、8年ごろから書いてきたことを、この原稿に集約した。
日本は、繰り返し、同じ「愚」を犯している。
今回も、そのひとつ。

 が、ある人は、こう言った。
私といっしょに、1967年に韓国へ渡った、交換学生の1人である。

「林君、韓国では、政治と経済が2つに分かれている」と。
つまり政治の世界では、反日。
経済の世界では、親日。

 が、こうした精神的なダブル構造は、私もよく知っている。
それについては、テグ大学での経験として、文に書いたことがある。
ネット上で、さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本が嫌い?(以下、2008年9月28日に書いた原稿より)

++++++++++++++++

韓国での世論調査によれば、
「もっとも嫌いな国は、日本」だ、そうだ。

++++++++++++++++

このほど韓国における、対外国感情についての世論調査が、
公表された(中央N報が創刊43周年を迎えて実施した世論調査、08年)。

それによると、

『好きな国=昨年に続いて韓国国民が最も好きな国、経済的に最も協力すべき国は「米国」だ

た。 最も嫌いな国、最も見習うべき国は「日本」だった』(原文)という。 

『 米国に対する好感と日本に対する非好感は07年に比べて強まっている。 最も好きな国に
「米国」を選んだ回答は16%から18%に、経済的に最も協力すべき国に「米国」を選んだ回
答も35%から42%に高まった。 

最も嫌いな国に「日本」を選んだ回答は38%から57%に高まり、最も見習うべき国を「日本」
とする回答は27%から24%に減った。 

最も好きな国の2−3位は「オーストラリア」(14%)、「スイス」(9%)、最も嫌いな国の2
−3位は中国(13%)、北朝鮮(10%)、最も見習うべき国の2−3位は「米国」(18%)、
「ドイツ」(9%)、経済的に最も協力すべき国の2−3位は「中国」(38%)、「日本」(6%)
となった』(同)と。

●日本が嫌い

注目すべき点は、「最も嫌いな国に日本を選んだ回答は38%から57%に高まった」という点。
韓国民の約6割、つまり大半が「日本は嫌い」と答えている。
おおむねそんなものだろうと、私も感じている。
しかしその一方で、韓国の人たちのもつ、精神的ダブル構造。

「嫌い」ながらも、日本への「あこがれ」は強い。
この精神的ダブル構造は、40年前の昔と、ほとんど変わらない。

こんな経験がある。

 1960年代の終わり、私は、UNESCOの交換学生として、韓国に渡った。日韓の間にま
だ国交のない時代で、私たちは、どこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。

 そんなある日、大邸(テグ)大学での議論を終えたあと、私は、ひとり、大邸(テグ)大学の
屋上にのぼった。屋上からは、眼下に大邸の町並みが一望できた。

 そこでぼんやりとしていると、ひとりの学生が近づいてきた。私は、「こんなところでも、ま
た議論か……!」と身構えたが、その学生は、こう言った。つい先ほどまで、私たちを、口汚く
攻撃していた学生である。

 「ぼくは、日本へ留学したい。君は、何か、方法を知らないか」と。

 私は、その(落差)に驚いた。一方で、燃えるような反日感情をもちながら、その一方で、「日
本に留学したい」と(?)。

 つまり、こうした調査結果は、決して、数字だけで判断してはならないということ。現に、台
湾の人たちは、ことあるごとに、反日的な姿勢を示している。と、同時に、ではその韓国が、反
日的かというと、そうでもない。会って話をしてみると、個人的には、みな、よい人たちばかり
だ。

一方、ひとりこの日本に好意を寄せる国がある。
台湾である。

●もっとも、移民したい国は、日本!

 台湾のビジネス誌「遠見」によれば、全4質問中、「移民したい国」「立派だと思う国」「旅行
したい国」の3質問で、日本がトップになったという(06年6月29日)

 調査は、台湾全土で、20歳以上、約1000人の人について、行われた。以下、その結果。

「移民したい国」   日本……32.3ポイント
米国……29.1ポイント
カナダ…26.5ポイント

「最も立派と思う国」 日本……47.5ポイント
米国……40.3ポイント
中国……15.8ポイント

 ことあるごとに、日本のアラさがしをしては、悪口を書きたてる、韓国の報道機関。最近でも、
「日本の株式市場は、新興市場」(朝鮮N報)とか、「指導国家としての資質なし」(N大統領)
とか、書きたてている(06年)。

●しかし、自由主義陣営の中で、日本が敵?

韓国の人たちが日本を嫌うのは勝手だが、日本は韓国なしでも生きていかれる。
しかし韓国は、日本なしでは生きていかれない。
その現実に、もっとすなおに目を向けるべきではないだろうか。

 が、何は、ともあれ、今回の「遠見」誌による調査結果には、ほっとした。「日本の近くには、
そういう国もあったのだ」と、改めて思い知らされた。と、同時に、日本は、台湾のような国を
大切にしなければならないと感じた。

 で、話は、ぐんと現実的になるが、パソコンの液晶モニターにしても、私は韓国製というだけ
で、自分の選択肢からはずしている。買うなら、日本製。どうしても……ということなら、台湾
製ということにしている。

 近く、液晶テレビを買うつもりだが、それもそうだ。性能のよい日本製にしようか、値段の安
い台湾製にしようか、今、迷っている。韓国製などは、もとから、眼中にない。ぜったいに、韓
国製だけは、買わない。

【付記】(06年7月1日)も、朝鮮N報の記事にはこんなのがあった。
1〜3番の記事は、どれも、日本がらみの記事ばかり。

(1) 韓国の家は、実は日本の家より、狭い……。
(2) 自負心調査では、日本、18位、韓国、31位……。
(3) 韓国の殺人、性犯罪、日本の約2倍……と。

 「韓国の人たちよ、もう日本のことなどかまわず、自分たちの道を行きなさい」と、私は言い
たい。韓国の新聞に目を通すたびに、過関心ママに支配された子どものような心境になる。
つまり、イヤ〜ナ気分!

●台湾へ向かう日本の投資

 韓国か台湾か?

当然のことながら、日本の投資は今、韓国を避け、台湾に向かっている。
こういう現実に、韓国も、少しは気がつくべきではないのか。
(以上、2008年9月28日に書いた原稿より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでにその前後(2008年9月末)に書いた原稿を、紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●1ドル=1224ウォン!(2008年9月30日、午前9:30記)

7000億ドルの金融安定化法案が否決された。
その動きを受けて、アメリカドルは、世界的に全面安。
各国通貨は、値をあげた。

現在日本円は、1ドル=104円。

が、ひとり韓国の通貨だけは、ウォン安。
現在韓国ウォンは、1ドル=1224ウォン!

アメリカのドルも売られているが、それ以上の勢いで、韓国ウォンが、猛烈に
売られている。
「1224」という数字は、そういう数字である。

まだはっきりとした数字は出てこないが、韓国銀行の手持ち外貨は、すでに
底をついているはず。
これ以上、為替相場に介入したら、年末の借金が返せなくなってしまう。
なすすべもない。
指をくわえて、見ているだけ。

そのため危機ラインと言われていた、1200ウォンをあっさりと、超えて
しまった。

ゆいいつの救いは、日銀が、市中へのドル資産の大放出を決めたこと(9月29日)。
韓国経済救済のためというわけではないが、これによって、韓国経済は、
何とか生き延びられるはず。
(あるいは、それも無理かも? 9月危機の結果は、今夕までにわかる。)
 (以上、2008年9月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●お金(マネー)すべて!

 日本の経済界も、甘えてしまっている。
国家戦略というものが、ない。
ただ「お金(マネー)が稼げればいい」と。
「万が一のときは、国が何とかしてくれる」と。

 今回も、そうだ。
日本の金融界、投資家たちは、貸し金が焦げ付くのを何よりも恐れた(?)。
野田政権に、泣きついた?
が、韓国は、それを裏から見透かしている。
「日本は、金(マネー)のためなら、平気で正義を捻じ曲げる」と。
が、こういうことばかりしているから、日本はバカにされる。
一人前になれない。

 スワップ協定は、来年の10月末までつづく。
原稿の中では、『2012年10月末までの「臨時措置」という。期限を設けたのは、賢い』
と書いた。
しかし同時に、「この10月末」というところに、巧妙なワナがしかけられている。

「韓国の9月危機」という言葉があることからもわかるように、毎年、韓国では9月に「危
機」がやってくる。
「10月末」ということは、つまりは、実質的に、2013年の3月、あるいは2013
年の9月末までの2年間、スワップ協定の期間を延長したに等しい。
なぜ「9月末」にしなかったのか?

 今ごろ韓国の当局者たちは、こう言って笑っているにちがいない。
「まんまと、うまくやりましたな。これで日本の経済も、一蓮托生。その間に、われわれ
は、日本経済を叩きつぶしましょう」と。

 これは憶測でも邪推でもない。
今までの韓国の動きを観察していれば、だれにもわかる話。
もしそれを疑うなら、この原稿を機会に、あなたもこれから先、韓国がどのような動きを
見せるか、よく観察してみたらよい。

 韓国は、日本に対して、ぜったいに感謝の念を示さないぞ!

 ……前にも書いたが、経済戦争というのは、サッカーの試合とはちがう。
食うか、食われるか。
負けたら最後、日本国全体が沈没する。
国籍不明の若者たちには、それがわからないかもしれない。
しかし日本全体が沈没する。
「沈没」ということは、「沈没」。

 お金(マネー)にしても、食料にしても、天(=親たち)から降ってわいてくるものと
思っている若者たちには、それがわからないかもしれないが……。
(はやし浩司 2011−10−20朝記)

●【2】の数学者について

 以前、テレビに「哲学者」あるいは、「心理学者」と呼ばれる人たちが、よく出てきた。
「軍事評論家」と呼ばれる人たちでもよい。
独特の風貌と雰囲気。
見るからに、へん?
……へんだった。

 子どもの世界には、『裸の王様』という、よく知られた物語がある。
そういう点では、子どもの目は、正直。
へんなものは、へんと、すぐ見破る。
そういう子どもたちの目を通してみると、たしかに、へん。
「へん」というのは、俗世間でいう、「ふつう」ではないということ。

 私たちはおとなになるにつれて、「へん」と「ふつう」を見分ける能力を見失う。
たとえば昔、真っ白な顔をしてテレビに出てきた、オバーちゃんがいた。
あるいは、70歳を過ぎても、赤いミニスカートをはき、「うちのトーちゃんがね」と、赤
ちゃん言葉を話す、オバーちゃんもいた。

 マスコミの世界では、もてはやされたが、私は「へん」と感じた。

 そこで大切なことは、何かの専門家になることは重要なことだが、その道の「バカ」に
なってはいけないということ。
先日亡くなったが、アメリカ人の友人(ロン・ケリー)は、いつもこう言っていた。

「ヒロシ、日本の学校では、野球部というと、毎日、野球ばかりやらせている。あれはよ
くない」と。

 彼は日本へ来る前、30年間、高校で音楽の教師をしていた。
で、私が、「では、アメリカではどうなのか?」と聞くと、こう話してくれた。

「アメリカの高校では、野球部でも、毎週、絵画や音楽の鑑賞会に行く。練習するのは、
土曜日だが、日曜日には、しない」と。
専門バカを作らないための、ひとつのヒントとして、大切にしたい。

●さあ、今日もがんばるぞ!

 10月20日が始まった。
ふだんどおりの1日。
仕事もある。
そう言えば、昨日、どこかの週刊誌にこう書いてあった。

「老人たちが仕事を手放さないから、若者たちに仕事が回ってこない」と。

 が、この見方はまちがっている。
仕事はいくらでもある。
その気になったら、いくらでもある。
が、現代の若者たちは、頭を下げるということを知らない。
「仕事というのは、相手のほうから頭を下げて、もってくるもの」と錯覚している。
「仕事がないのは、社会の責任」(中日新聞・投書欄)と書いた女子学生もいた。

 要するに、最初からセレブな生活を前提とするから、仕事など回ってこない。
私たち老人組が、若者たちの仕事を奪っているのではない。

それにもう一言、付け加えるなら、現代の若者たちは、(たくましさ)に欠ける。
仕事がなかったら、電柱に張り紙でもして、仕事を取ってくればよい。
(私は、そうしたぞ!)
そういうことをすべて棚に上げ、「老人たちが……」は、ない。

 ちがうかな?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 テグ 大邸(テグ)大
学での議論 大邸大学での議論 日韓経済問題 スワップ スワップ協定


Hiroshi Hayashi+++++++OCT. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【日韓経済戦争・追記】(2011年10月20日)

++++++++++++++++++++

先日、オーストラリアの友人が、こう書いてきた。
「ヒロシ、これ以上、日本の技術を、韓国に
盗まれてはいけない」と。

私もいつもそう思っている。
思っているが、どうしようもない。
この日本には、それを規制する法律すらない。
産業スパイなど、まさに野放し。
やりたい放題、し放題。
監視対象にもなっていない。

その結果が今。

++++++++++++++++++++

●韓国紙の報道より

 「韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している」(中央日報・
11年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報・9月)と。

 この数字とて、控えめなもの。
ふつう借金をかかえている人は、少なめに申告する。
国も、また同じ。
その一例が、ギリシャ。
ウソにウソを塗り固めて、世界をだましてきた。
韓国もしかり?
この数字を見ただけでも、なぜIMFが、警告を発しているか、それがよくわかる。
「韓国は、数か月以内に、国家破綻する」と。

●4000億ドル

 日本の借金も多いが、いわば身内の借金。
が、韓国はちがう。
外部(=外国)から、借りている。
その額、4000億ドル(中央日報)。
それを「今年度末までに返却しなければならない」(中央日報)。

 が、今、外資が、どんどんと韓国から逃げ始めている。
逃げるときに、ウォンを売るから、当然、ウォン安になる。
その分だけ、4000億ドルの負担が、増大する。

 そこで韓国政府は、ウォン高に誘導したい。
が、そのためには、金利をあげなければならない。
しかしあげたとたん、今度は、63兆円という負債をかかえた個人が、パンクする。

 金利をさげれば、ウォン安。
金利をあげれば、国内の個人債務者が破産する。

 この両者の板挟みになり、韓国政府は、現在、にっちもさっちも行かない状態に陥って
いる。
もちろん私は韓国のことを心配して、こう書いているのではない。
ただこう書いている。

 日本が韓国を救済するにしても、一度は、相手に頭を下げさせろ、と。
何もこちら側から韓国詣でまでして、救済を申し出る必要はない、と。

●4000億ドルvs700億ドル

 韓国の借金額は、4000億ドル。
日本がスワップ協定で応じた額が、700億ドル。
4000億ドルvs700億ドル。
微妙な金額である。

 今回の欧州(EU)の経済危機がなければ、日本の金融機関にしても、韓国の借り換え
に応じたかもしれない。
しかし今は、日本も、それどころではない。
つまり4000億ドルが、そのまま焦げ付く可能性が出てきた。
となると、700億ドルでは、とても足りない。
どうして「700億ドル」なのか?

 私にはこれ以上のことはわからない。
が、こうも推察できる。

(1)本当の借金額は、もっと多いのでは、ということ。
(2)韓国が申し入れてきた、スワップ協定での「額」は、もっと大きかったのでは、と
いうこと。
それを日本政府は、700億ドルに抑えた?
日本としては、日本の投資機関さえ守ることができれば、それでよい。
外国の投資機関が焦げ付いたところで、日本の知ったことではない。

●きびしさ

 何が起きてもおかしくないが、EUの経済危機、アメリカの貿易赤字、途上国の債務危
機……。
それらが混然一体となって、世界は大恐慌(経済パニック)に陥ろうとしている。
もちろんこの日本とて、無傷ですむはずがない。

が、日本が採るべき道は、まずこの日本を守ること。
日本を第一に考えること。
お人好しや大国意識は、捨てること。
そうでなくても、世界は海千山千の世界。
食うか食われるか。

 今の日本に欠けるのは、その(きびしさ)。
その(きびしさ)のないのが、いちばん気になる。


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●ゆがむ子どもの心


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F県に住んでいる、YSさん(母親)から、
こんな相談が届いた。
転載許可がもらえたので、そのまま紹介する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


おはようございます。
前回は夫との事についての返信ありがとうございました。
今のところ、ごくごく普通に(?)過ごしています。
(腹の立つこともありますが…。)


今回は、小1から不登校中の次女(小5)のことで、少し気になることがあったので
相談させてください。


つい最近、次女がとても怖いことを言い出しました。


「ナイフとか銃とかで、人を殺してみたい。あと、魔法が使えたら一回死んでみたい。 


 一回死んで、魔法で生き返る。飛び降りるのとか楽しそう。」


とか、さらっと普通の口調で言ったんです。


「魔法が使えなかったら、生き返らないね。」って言ったら、
「魔法が使えなかったらそんなことしない。」とは言っていましたが、とても不安で
怖くなりました。


「この世がつまらない?」って聞いたら、「べつに。」だそうです。


毎日家で普通に元気に過ごしているようにみえますし、会話も普通に
しています。
他に気になるような症状などはないと思っているのですが…。
これが本音ならどうしたらいいのか怖くなってしまいました。


5年生になってからの担任が熱心(?)で、今までよりも少し学校に関する
刺激は増えているかなとは思いますが、そのせいもありますか?
学校のことを聞いてみても、特別嫌そうな顔はしませんし、イヤだと言ったことは
すぐに引いてしつこくはしていません。


最近アニメが大好きで、アニメばかり見ているのですが、(ガンツという殺し合いの
映画も見ました)、戦いモノがあったりもするので、その影響?とも思ってはいますが…。 


半年ほど前にも「火をつけてみたい。」と言ったことがあったので、
次女の心の中はどうなっているのかとても不安です。


どうぞよろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧は悪魔を作る」

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的な抑圧感が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったもの。

その一例として、H・フォスデックも、つぎのように言っている。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat(人を恨む(憎む)という
のは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ)』と。

 ゆがんだ感情(劣勢感情、陰性感情、劣等感情)は、脳内ホルモンの分泌そのものにも
大きな影響を与える。
サイトカインを例にあげるまでもない。
サイトカインは、脳内ストレスを引き起こす。
それだけではない。
低体温を引き起こし、免疫機能を低下させる。

 もちろん精神活動にも大きな影響を与える。
YSさんの子どものばあい、表面的にはともかくも、かなりこころがゆがみ始めていると
みる。
が、このタイプの子どもは少なくない。

●I君(小6)のケース

 I君は、父親が中学校の教師だった。
それもあって、教育熱心な家庭環境で生まれ育った。
ふだんは静かで、それなりに勉強もよくできた。
私の指示にも、素直に(?)従った。

 が、ある日、そのI君のノートを見て、びっくりした。
そこには血を出してもがき苦しむ人間の顔が、実にリアルに描かれていた。
ほかに「死」「殺」などの文字も並んでいた。
現実にそこに見る(I君)と、ノートに見る(I君)は、あまりにもかけ離れていた。
私はそれに驚いた。

●M子さん(中1)のケース

 M子さんは早熟で、体格もすでにおとなになっていた。
そのM子さんが、教室にプリクラ・ブックを置き忘れていった。
で、私はそれを「忘れ物コーナー」に置いた。

 が、翌日、そのブックが、騒動の種になった。
別の子どもがそのノートを開いた。
見て、ワーワーと騒ぎ出した。
ほかの子どもたちも騒ぎ出した。

 見ると、メモページには、全裸の女性が椅子に縛られ、性的拷問を受けている絵が、何
枚も描かれていた。
残虐な絵もあった。
そのM子さんの絵も、絵というよりは、写真を思わせるほど、リアルな絵だった。

 ただM子さんは、頭もよく、行動的で活発。
絵から想像するような陰湿さは、みじんもなかった。

 M子さんは、脳内で起きている性的エネルギーを、自ら抑圧し、それが原因で、心をゆ
がめていた。

●抑圧

 心理学でいう「抑圧」を、安易に考えてはいけない。
私は「心の別室」と呼んでいる。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(電子マガジン・2009年7月15日より)

++++++++++++++++++++

よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

++++++++++++++++++++

●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)

(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

+++++++++++++

昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

++++++++++++++++++

が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思春期の子どもの心理

 抑圧は、(1)内的抑圧と、(2)外的抑圧に分けて考える。

 内的抑圧というのは、欲望、願望、希望などが原因で起こる、もろもろの欲求不満、不
平、不完全燃焼感などを抑圧することをいう。
外的抑圧というのは、たとえばきびしい家庭環境、威圧的、権威主義的な親の育児姿勢が
原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感をいう。

 思春期前夜から思春期にかけては、この双方が、子どもの内部で起こりやすい。
それが結果として、子どもの心をゆがめる。

●すなおな子ども

 「すなお」というより、「さわやかな」と言い換えたほうがよいかもしれない。
このことは幼児を観ると、よくわかる。

 たとえば「野原と森、それに赤い屋根の白い家」を描かせてみる。
そのとき心がさわやかな子どもは、見ても、ほっとするようなやさしい絵を描く。
そうでない子どもは、どこか不気味。
もう30年前のことだが、こんなことがあった。

 お父さんとお母さんの絵を描かせていたときのこと。
M君(年中児)が、お父さんの顔を描き始めるとすぐ、その顔を真っ黒に塗りつぶしてし
まった。
で、別の紙をあげ、もう一度描かせてみたが、結果は同じだった。

 しばらくしてから母親に理由をたずねると、母親はこう言った。
「実はあの前の夜、夫が蒸発しまして」と。
当時は突然の家出を、「蒸発」といった。

 その前後にも、似たような子どもがいた。
年長児の男児だったと思う。
その子どもは、父親の顔を描くのだが、体、とくに腕から手の部分を、鉛筆で真っ黒に塗
りつぶしてしまった。
母親に理由を聞くと、母親はこう言った。

 「主人(=父親)は、子どものころ大きな事故を経験し、右手が使えません。しかし息
子がそんなことを気にしているとは、夢にも思っていませんでした」と。

●YSさんのケース

 それが内的抑圧によるものなのか、それとも外的抑圧によるものなのかは、わからない。
というのも、年齢的に、思春期に入っている。
脳内で起きている変化によるものであれば、内的抑圧になる。
しかし環境的に考えると、外的抑圧になる。

 どちらであるにせよ、先に書いた、欲求不満、不平、不完全燃焼感が、怒濤のごとく渦
を巻いていると考えられる。
そのはけ口があればよいが、そのはけ口もない。
YSさんの娘は、きわめて閉塞的な環境の中で、袋小路に入ってしまっている。

 心理カウンセラー的な言い方をすれば、スポーツでも何でも、自分を発散させる場所を
与えろということになる。
が、実は、これと並行して、「自我の葛藤」の問題もある。

●自我の同一性

 自我の同一性についても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Q: 最近わが子の親に対する話し方が気になります。
たとえば、私が何か「こうしなさい」と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」など
と言ってくるので、ついつい怒ってしまうこともしばしば……。

 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。
(私はこうでありたい)という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致さ
せようとします。
一致した状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。
それが「思春期の反抗」と考えてください。

 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。
それを許せということではありません。
それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カリカリするの
はしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱皮を始めてい
るのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。

 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。
自我の確立に失敗し、非行に走ったり、親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケース
も目立ちます。
最悪のばあいには、自我の崩壊……。
ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。

 親には3つの役目があります。 ガイドとして子どもの前に立つ。 保護者として子ど
ものうしろに立つ。 そして3番目が重要ですが、友として子どもの横に立つ、です。

 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉として発散させる

 YSさんの娘が慢性的な抑圧状態にあることは、まちがいない。
が、こうした抑圧は、多かれ少なかれ、どの子どもにもある。
それがない子どもは、いない。
YSさんは、自分の子どもを「異常」と思う必要はない。
平たく言うと、「この時期の子どもによく見られる現象」ということになる。

 あまりおおげさに考えないこと。
「バカなこと言ってないで、さっさと自分のことをしなさい」程度に、軽く受け流してい
く。
ただし何らかの行動をともなうようであれば、要注意。

 たとえば「殺したい」と言いつつ、ナイフを買い求める。
「死にたい」と言いつつ、その種の本を買ってくる。
あるいはペットなどに、残虐な行為を繰り返す。
リストカットをする。

 そういうことがあれば、「観察」の段階を超えているとみる。
学校を通して、専門医もしくは心理療法士を紹介してもらう。
「治療」を考えた指導に切り替える。

 で、同時に、「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭にあると考え、YSさん自身が
猛省する。
「家庭は休む場所」「憩う場所」「心を休める場所」と心得、それに適した環境を娘に用意
する。
そのときコツは、娘の中で、心の別室がどのように形成されているか、静かに観察、判断
子どもの立場になり、子どもの心の中から、子どもを見る。
頭ごなしに叱ったり、注意しても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させるので、注意する。

 以上ですが、ここの書いたことを参考に、子どもを観察してみてほしい。
何が子どもを抑圧状態にしているかがわかれば、解決策も自ずと見えてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 抑圧 心の別室 は
やし浩司 自我の同一性 はやし浩司 残虐な言葉 思春期の子どもの心 心のゆがみ 
ねずみを殺すために家に火をつける はやし浩司 内的抑圧 外的抑圧)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【富士宮へ焼きそばを、食べに行こう!】(はやし浩司 2011−10月)

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++++++++++++++++++

 昼食を・・・と思い、台所へ。
ワイフが、ポツンとそこに座っていた。
「昼ごはんは・・・?」と聞くと、
「柿があるわ」と。

うちの庭でできた柿である。
農薬ゼロ。
皮ごと食べられる。

それを食べながら、「なあ、焼きそばを
食べにいかないか?」と声をかけると、
二つ返事で、「あらっ、いいわ!」と。

私「富士宮焼きそばだよ」
ワ「どこにあるの?」
私「富士宮だよ」
ワ「富士宮まで行くの?」
私「そう・・・」と。

 で、今は、新幹線の中。
浜松から静岡まで新幹線。
静岡から富士まで、在来線。
そこで身延線に乗り換え、富士宮まで。

私「往復の旅費が、12640円。
焼きそばが、1000円・・・くらいかな?」
ワ「ぜいたくね・・・」
私「ホント・・・」と。

+++++++++++++++++

●掛川

 乗ったと思ったら、もう掛川。
いつもは在来線。
今日は新幹線。
今週は、大阪のユニバーサルスタジオに行くつもりだった。
が、その日、ワイフは高校の同窓生に会うとか。
しかも天気予報を見ると、全国的に雨。
「あきらアメ(雨)たあ」と言うと、「そうね」と。

 それで富士宮焼きそばとなった。
さあ、みんなで行こう、富士宮焼きそば!
みんなで食べよう、富士宮焼きそば!

●あるコラム

 ある週刊誌に、知人のF氏が、毎週、短いコラムを書いている。
そのコラム。
久しぶりに読んでみたが、???。
論理性がなく、自慢たらしい話。
やたらと漢字が多く、読みづらく、おもしろくない。
おまけに支離滅裂。
全部で、60行足らずのコラムである。
一読して、すぐわかった。

「あぶないな」と。
つまり脳みその働きが、あぶないな、と。

●認知症

 文章が書けないから認知症ということではない。
文章を書くのが苦手という人はいくらでもいる。
しかしF氏はちがう。
大学元教授。
ベストセラー本ももっている。
そういう人が、文章を書けなくなったら、認知症を疑ってみたらよい。
特徴がある。

(1)ことさら古臭い漢字遣いが多い。(読者の立場になって書かれていない。)
(2)話がくどい。(こまかいところで、へんにこだわる。)
(3)連続性がない。(話がポンポンと飛ぶ。)
(4)支離滅裂(突然、だれも知らない中国の四字熟語が飛び出したりする。)
(5)趣旨が不明(何を言いたいか、よくわからない。)

 その週刊誌の、そのF氏のコラムは、まさにそれだった。
が、「明日は我が身」。

たとえば今朝、私は「メタ認知能力」についての原稿を書いた。
途中で、何を書いているか、自分でもわからなくなってしまった。
BLOGに載せようかどうか迷った。
認知症を疑われてもしかたないような文章だった。

●映画『送り人』

 これは現実の話。
事実。
だからその人たちとわからない程度に、ありのままを書く。

 数か月前、1人の男性が死んだ。
名前をUT氏としておく。
享年84歳。
妻も84歳。
妻のほうは、自活できる程度に、元気だった。

 その男性が危篤状態になったときのこと。
東京に住んでいる息子氏が、叔母から連絡を受け、30年ぶりに、浜松へ戻った。
30年ぶり!
いろいろあったらしい。

 父親は自宅で倒れた。
息子が戻ったとき、(ふつうは「駆けつけた」と書くが、そういう雰囲気ではなかった)、男性の意
識ははっきりしていた。
男性と息子氏の間に、母親が立った。
母親は息子氏に、こう言った。
「あんたなんか、帰ってちょうだい」と。

 息子氏は玄関口に立って、母親にこう聞いた。
「親父はどうなんだ! 親父も同じ気持ちか!」と。
そこで母親が父親のところへ行き、息子が来ていると話した。
しかし父親は、一瞬かなりの興奮状態になったあと、首を横に振った。
それを知って、息子氏は、そのまままた東京に帰っていった。

 この話をワイフがしてくれたとき、即座に、私はあの映画『送り人』を思い出した。
その映画の中では、死んだ父親が、最期まで息子との思い出の石を握っていた。

●映画『送り人』

 静岡から、在来線(東海道線)に乗り換えた。
その電車の中で、映画『送り人』の話になった。

私「なあ、あんなことありえないよな」
ワ「そうねえ・・・。ありえないわよね」
私「親父が、そんな石、握って死ぬだろうか」
ワ「ありえないわよね」と。

 その前に、UT氏の話をしていたこともある。

私「あの映画の脚本を書いたのは、若い人だと思うよ。視点が若い人のほうにある」
ワ「そうよね。父親の立場からすれば、息子に捨てられたわけだし・・・」
私「理由はともあれ、息子は親を捨てた・・・。最近の若い人たちは、ささいな理由をこ
じつけては、親を捨てる」
ワ「この半世紀で、立場が逆転したわね」
私「そこなんだよ。ぼくたちが社会へ出たころは、みな、収入のいくらかは、実家へ送っ
た」と。

●二番煎じ

 UT氏と息子氏の間に、何があったかは知らない。
しかし昔風の言い方をするなら、「30年も親を放っておいて、私は息子です」は、ない。
息子の側は永遠の親の愛を期待するかもしれない。
しかし親側は、別の考え方をする。
神や仏ではない。
その愛にも限界がある。

UT氏にしても、そうだろう。
が、今は、時代も逆転した。
親が子ども(息子や娘)の心配をする。
子ども(息子や娘)が、それを親に要求する。
「親なら親らしくしろ!」と。

 で、話は映画『送り人』に戻った。

私「母親なら、石を握っていたかもしれない」
ワ「そうねえ・・・」
私「が、父親は、そんなことはしない。古い世代の父親なら、なおさら」
ワ「お涙、ちょうだい・・・というわけね」
私「若い人たちなら、泣いただろうね。しかしあの映画は、『マジソン郡の橋』の二番煎じ。
ぼくはそう思った」と。

 映画の中では、息子が父親の死に駆けつけると、父親は、息子との思い出のある石を手
に握って、死んでいた。

●富士

 電車は富士に着いた。
そこで身延線に乗り換え。
富士宮まで。
(現在、富士宮から先へは、バス運行になっている。)

 ネットを使って、おいしい店をさがそうとしたが、一件もヒットせず。
通信販売で、今では富士宮焼きそばを買うこともできるそうだ。
それはわかったが、店によって味がみなちがうという。
そういう話を、いつか、だれかから聞いたことがある。

 浜松からわざわざ参上した手前、富士宮では、いちばんおいしい店を探し当てたい。
ワイフは「駅前でだれかに聞けばいい」と、のんきなことを言っている。
しかしそんなことで、いちばんおいしい店が見つかるだろうか。
少し心配になってきた。
おまけに、今日は、柿を食べただけ。
腹のほうは、ペコペコ。

 それにもうひとつ気がかりなことがある。
現在、時刻は14:49分。
個人の店だったら、休憩中ということになる。
だいじょうぶかな?

●車内

 日曜日というが、高校生らしき学生の姿が目立つ。
みな、それぞれ乱れた服装をしている。
平気で携帯電話を使っている。
少し前まで、ドアの手前の床に座っていた女性もいる。

 たった今しがた、実に、奇天烈(きてれつ)な恰好をした高校生の一群が通路を通り過
ぎていった。

私「あのなあ、富士宮には、チンドン屋学校というのがあるそうだ」
ワ「うそでしょ!」
私「ああ、うそだ」と。

●タクシー

 富士宮駅からは、タクシーに乗った。
運転手に聞くと、「うるおいてい」がよいと薦めてくれた。
(富士宮市淀師415−2:電話0544−24−7155)
駅からは、1150円の距離だった。

●うるおいてい

 タクシーの運転手が薦めてくれただけのことはあった。
おいしかった。
その様子は、ビデオに収めた。
家に帰ったら、編集し、YOUTUBEにUPするつもり。

 で、帰りは、西富士宮駅まで、歩いた。
30分ほど。
それが今日の運動。

 途中、富士の清流か。
川もあり、側溝もあったが、水は清らかに住んでいた。
「このあたりに、友人が経営する幼稚園があったはず・・・」と。
そんなことを考えながら、道を歩いた。

●西富士宮駅

 駅に着いたら、ちょうど電車が発車するところだった。
つぎの電車は、5時7分発。
約50分、待ち。
私たちは交番の前にある、「M−Fuji」という喫茶店というか、雑貨屋に入った。
道路に面したテラスで、紅茶とコーヒーを飲んだ。
時刻は16:49分。
すでにあたりは暗くなり始めていた。
低い雲が、隙間なく天を覆っていた。

 ・・・その前に、こんな事件があった。
駅を出たところで、カバンが落ちているのがわかった。
中を見ると、長野県・・・と書いた封筒が見つかった。
私たちはそれを交番に届けようと、交番に向かった。
で、あと数メートルというところで、一人の男が追いかけてきた。
「私のかばんです」と。

 2、3言、言葉を交わしたあと、私はその男にカバンを渡した。

●帰りの電車の中で

 ところで中華料理店というと、気取った高級店が多い。
料金も高い。
そういう中にあって、本物中の本物の中華料理を食べさせてくれる店がある。
「紅虎餃子店」。
JR浜松駅から北へ、数百メートル。
駅から歩いて7〜8分のところに、その店がある。

数日前も、ワイフと2人で、その店で夕食をすませた。
いつ行っても、おいしい。
「本物を食べた」という実感が、食事を終え、外に出ると、どっと湧いてくる。

●和風中華料理店

 もう少しグルメの話をつづける。

 南オーストラリア州の、Dという町へ行ったときのこと。
オーストラリアの友人が、その町に一軒しかないという中華料理店へ案内してくれた。
経営者は、中国人夫婦。
私とワイフは、定番料理をいくつか注文した。
酢豚、ギョーザ、えびのチリソース炒めなど。
が、食べてみて、びっくり。
日本で食べなれた味ばかり。
と、同時に、私はそれが和製中華料理とわかった。
つまり日本のインスタント食品に、適当に食材を加えた、和製中華料理とわかった。
製造元の食品会社名まで、わかった。
「味の素」である。

 私が、「おい、これ、味の素の味だぞ」と言うと、ワイフも素直に、それを認めた。

●タイ風インド料理店
 
 反対にこんなこともある。

 浜松の郊外に、一軒のインド料理店がある。
経営者はインド人とか?
で、そこで私とワイフは、3種類のカレーがセットになった夕食を注文した。

 が、食べてみると、どれもタイ風カレーの味。
「どこかで食べた味だなあ」と思いながら、食べた。
グリーンカレー?
レッドカレー?

 が、やがてわかった。
東南アジア系の食材店で売っている、缶詰に入ったカレーだった。
ある時期、私はエスニック料理が好きで、よくその食材店へ通った。

そのインド料理店では、(多分x10?)、そのカレーをそのまま使っていた。
牛肉や鶏肉は、適当に加えてあったが、ベースとなっている味まではごまかせない。

 が、それでもおいしければ、私は文句を言わない。
しかし食材店で一缶、80〜120円前後。
一缶もあれば、4〜5人前は作れる。
それを店で、簡単なサラダをつけ、1200円!

 あとで人づてに聞いたところでは、その経営者はインド人ではない。
バングラデッシュ人だったという。
残念ながら、こういうインチキな店は少なくない。

●本物

 もちろんその一方で、本物を食べさせてくれる店もある。
冒頭にあげた「紅虎餃子店」も、そのひとつ。
中国語のほうでは、「紅虎餃子房」となっている。
本物の中華料理を食べてみたいと思う人は、一度行ってみたらよい。
はやし浩司の保証つき。

 「餃子店」という名前がついていることからもわかるように、その店には10種類のギ
ョーザがある。
浜松も「浜松ギョーザ」で、名を売り出している。
が、率直に言って、中国の本場のギョーザには、かなわない。
かなわないことは、10種類のうち、どれひとつをとっても、すぐわかる。

 ところでこれは、何かの雑誌に載っていた話だが、中国には、焼きギョーザというのは、
ないそうだ。
(浜松ギョーザと言えば、すべて焼きギョーザ。)
で、その理由が書いてあった。

 中国では食べ残し、古くなったギョーザを、焼きギョーザとして食べる、と。
だから中国人に、焼きギョーザを出すと、出された人はそれを不愉快に思う、と。

 そう言えば、この日本でも、食べ残した刺身は、あとで焼いて食べる。
それと同じ?

●本物論

 本物というのは、どんな世界でも、どんなばあいでも、光る。
それを見た人を、感動させる。

 ただし一言。

 私の30年来の友人に、北京から来た人(現在55歳・男性)がいる。
その人に、紅虎餃子店の話をすると、その人は、こう言った。
「ああ、あれは、日本の味ですよ」と。

……!

 つまり日本人向けに、味を変えている、と。

 そういうものか?
本物を超えたその向こうにある「味」までは、私たち日本人にはわからない。

●10月2日も終わって・・・

 こうして10月2日も、こうして終わりに近づいた。
電車に乗ると、外の景色は一段と、暗さをましていた。
まさに衝動的な旅だったが、それなりに楽しかった。
「一度は・・・」と思いつつ、その「一度」を果たした。
本場の焼きそばを食べた。
これで「富士宮へ焼きそばを食べに行こう」という話はしないだろう。

・・・ということで、富士宮への旅はおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BW教室 富士宮やきそば うるおいてい はやし浩司 
富士宮焼きそば)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 2011+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの心とその形成期

=====子どもの心は、いつどのように作られるか=====

【第一の方向性】

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳〜2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていく
のではない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、
この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における
信頼関係をいう。
 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどく
なると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えている
か、わからない子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。
良好な人間関係を結べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。
 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界に
なじめない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。
そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という
言葉を使って説明した。
 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろう
とした。が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマア
ラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。こ
れをA犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということ
になる。

もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しば
らくは、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。
 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。
そのため番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけ
ても、叱られるのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。
 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよ
く守った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。
 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後ま
で深い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。
仮面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい
子ぶったりする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。
 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切
にする。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側から
すれば、「どんなことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなこと
をしても許す」という包容力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構
築される。が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信
関係となり、生涯に渡ってその子どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンテ
ィング)(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始め
る鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、その
とき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏
感期」と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつ
をとっても、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京
都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%
もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」
(同、総合研究所調査・有効回答500人・2000年)。
 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあ
るが、「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。
 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしていると
いう。(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたり
しない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときど
きある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。
その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、
「虐待なし」が、61%であったという。
 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間
のような高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみてい
てこそ、今度はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あ
るいは親から受けた子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。
 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見
せるだけでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦
というのは、こういうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。
 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば
昔から『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。
 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達して
いる。(25万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、
子どもの心にはほとんど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか
誤解のないように!
 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかた
ないとしても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見
て、そのとき親が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。た
とえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子ども
は、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。
 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になる
こともあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごと
を、(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなもの
は、他人も嫌い」と。
 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思い
こむ。自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニ
ミズム」と名づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、
この時期の子どもの心理を説明する。
 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよ
ぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。
……というより、生物と、無生物の区別ができない。
 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考
える心理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、
心の中でそれを念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外
の世界の区別ができない。
 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつ
くられたと考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。
ある子どもは、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そう
いう心理は、乳幼児の人工論によって、説明される。
 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されて
いく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには
青年期を迎えることがある。

●原始反射

 なお乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ち
ゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反
射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしまうことが知られている。その原始反射には、
つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。
バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、
親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、そ
れに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツのモローによって発見されたとこ
ろから、モロー反射と呼ばれている。口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを
指などで触れると、その指を口にくわえようとする現象をいう。自動歩行反射というのは、
脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そうとする。これを繰りかえ
していると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。マグネット反射というの
は、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象をいう(以上、同書よ
り要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると
言われている。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、
赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。もうひとつは、いわゆるネ
オテニー進化論の問題である。要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こ
うした現象となって、現れるのではないかということ。本来なら、こうした原始反射とい
ったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。
つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の
時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形に
もなるという。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れるとも考えられる。

【第2の方向性】

【幼児期前期・自律期】(2〜4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュ
マロテスト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介
させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつ
ぎのような実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくる
からね、おじさんが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つ
あげる。でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわ
り今すぐ食べてもいいけどね」と。
 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子ども
と、そうでない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。
 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに
優秀で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切
に対処できる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験を
つぎのように結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、
あらゆる努力の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得な
がら目標に向って長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)
と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者
ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査
がなされている。
 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグルー
プの間で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグル
ープは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグル
ープに200点以上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがま
んしてする力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある
子どもということにはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、
台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場
の排水口にたまった毛玉でもよい。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言っ
てできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。
 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)に
は、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよい
ことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがっ
たことを言うと、「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生は
こう言った」と言って、親をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正
義感へとつながっていく。
 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまく
いく。花瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そう
でなければそうでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなく
なる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その
緊張感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもた
せるようにする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもっ
てこい」は、ない。
 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、
子どもへの愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすれ
ばするほど、親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなこ
とを繰り返せば、子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくな
る。
 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやる
より、いっしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【第3の方向性】

【幼児期後期・自立期】(4〜5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、
「自分のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。
 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言
を吐くようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言
を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。
私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだ
よ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜
んでその言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、
損した)は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満た
す方法を覚えると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校
生になると1万円、さらに大学生になると10万円になる。
 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようににな
る。買い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲し
いからそれを買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。
 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっ
くりと説明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られ
じょうず」になるだけ。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れよ
うとする。もちろん説教としての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも
平等に備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえっ
てその自立心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過
干渉が、こわい。
 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干
渉児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。
発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが
萎縮してしまう。
 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にや
りこめられてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが
粗放児ということになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、
簡単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言い
なさい」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種
があり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。
 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子
だから、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだ
め」など。
 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児にな
る。いつも満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、
それに抗議することもできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言
う。『温室育ち、外ですぐ風邪をひく』と。
 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、
親は子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利
用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親
は、私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれし
いです。一日中、看病できると思うと、うれしいです」と。
 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、
飼い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」
(失礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効
果があがらない。心についても、そうである。
 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先
に書いた、あと片づけのしつけも、そのひとつ。
 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずか
しい。『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核
(コア)」になる。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この
子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくし
たり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

【第4の方向性】

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳〜)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能に
なってしまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、
栃木工場に向かった。
 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。ま
た被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人
が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮さ
れた。
 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がな
いわけではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。ア
メリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000
年には100万人を超えた。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前
中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダで
は、学校の設立さえ、自由である。
 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本
の学校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、
こう書いた。「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳〜)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。
この時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。
 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実
自己)。この両者が一致した状態を、「同一性」という。
 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているよう
だが、実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、そ
れを夢中になって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)
を一致させながら、自我の同一性を確立していく。
 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に
対しても、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」
になる。心理的にも、たいへん不安定となる。非行にも走りやすい。その結果として、つ
まりその代償的行動として、さまざまな特異行動をとることが知られている。
 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい自分を
演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型(集団の中
で子分として地位を確立する、非行補助)など。
 もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声
をかけられると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれに
されるより、そのほうがよいと考えてしまう。
 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、ほとんどない。

●夢と希望、そして目的

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふ
えた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがあ
る」と思って、一日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社
会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。
 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を
大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3
方向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤
解が、いまだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎな
い。かつてイギリスの詩人、ワーズワース(1770〜1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、
もう一度、心にしっかりと刻みたい。


注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902−1994)は、
発達心理学者、精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したこと
で知られる。ここではエリクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社
会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信
頼関係の構築)(2)幼児期前期(自律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)
児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一性の確立)

注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、
合計2400点満点で評価される。

注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラー
ト・ローレンツの研究で世界に知られるようになった。

注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司(改)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月17日朝記(雑記)

●肥満

 おもしろいソフトを見つけた。
人の顔を肥満体に変身させるソフトである。

 さっそくそれを使って、自分の顔を変身させてみた。

(元の写真)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/97/img6611a2eazik1zj.
jpeg" width="500" height="500" alt="浩司2011.jpg">

(変形させた顔)
<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/98/img1a5c2b0czikdzj.
jpeg" width="466" height="466" alt="PhotoFunia-76ef52.jpg">

 ワイフにそれを見せたら、ワイフがゲラゲラと笑った。

●私の好物

(特等)缶詰の鯨肉(最近は牛肉)に、ネギをまぶしてフライパンで炒めて、それをご飯
にかけて、食べる。

(1位)白いご飯に、削り節を多めに載せる。
その上から醤油を軽くかける。
箸で、削り節と醤油と、その下の白いご飯をかき混ぜながら食べる。

(2位)白いご飯と、マグロもしくはカツオの缶詰をそのまま混ぜて食べる。

(3位)生ハム、もしくはソーセージにケチャップをかけ、そのまま食べる。

 どれも私が子どものころ、……というか、戦後のあの時代には、みなが食べたもの。
今の若い人たちには信じられない話かもしれないが、それでも当時は、ごちそうだった。
卵などという高級食材は、めったに食べられなかった。
当時ですら、つまり私が小学生のころですら、1個15〜20円前後もした。
小遣いが5円、10円の時代である。
うどんが一杯、30〜70円。
お好み焼きが、一皿、20〜30円前後。

 そうそう江戸前寿司が、一人前、210円だったのを、記憶している。
超高級料理だった。
当時は冷凍設備も貧弱で、内陸部では、生鮮魚そのものが手に入らなかった。
私が小学3〜4年生のころのことだった。

 その代わりというのもおかしな話だが、鰻丼などは、比較的安かった。
町の北を長良川が流れていて、そこで鰻が捕れた。

●質素

 昔の人たちは、質素なものを食べていた。
たとえば旅館の料理にしても、魚の焼き物と味噌汁程度だったという(明治時代)。
何かの本でそう読んだことがある。

 また駅弁にしても、当初は、おにぎりに梅干し程度だったという。
それを知っただけでも、私たちが今、いかにぜいたくなものを食べているかがわかる。

●昼寝

 ところで昨日(10月16日)のこと。
いつものように昼寝をした。
1〜2時間、眠った。
が、ハーハーと体内が燃えるように熱いのを知った。
風邪ぽいかなとは思っていたが、発熱?
「とうとう熱が出てきた」と。
脈も速い。

 横を見ると、ワイフも昼寝をしていた。
で、ワイフにこう言った。
「おい、熱が出てきたみたい……」と。
するとワイフは、うるさそうにこう言った。

「バカねえ〜。気温が29度もあるからよ」と。

 あとでわかったことだが、東京では真夏日だったとか。
前線が通り過ぎ、急に暑くなった。

●鰻(うなぎ)

 鰻の話をもう少し。

 長良川では、鰻が捕れた。
夕刻しかけを川に沈めておくと、朝には、2〜3匹、捕れた。
今のような養殖鰻ではない。
天然の鰻。

 しかし鰻というのは、調理が難しい。
だから捕っても、自分で食べるということは、めったになかった。
鰻丼屋へもっていくと、一匹いくらというふうに、買ってくれた。

 私の住む町には、3軒の鰻丼屋があった。
どこもおいしかったが、実家の上手にある鰻丼屋が、とくにおいしかった。
焼き方がちがうせいもあるが、その店の鰻丼の鰻は、歯ごたえがあった。
一方、浜松で食べる鰻丼の鰻は、どれもフニャフニャ。
残念ながら、「おいしい」と思ったことは、一度もない。

●削り節

 昨夜、久しぶりに、削り節を白いご飯の上にかけて食べた。
醤油を少したらすと、おかずとして食べられる。

 ……おいしかった!
腹の胃袋に、そのままそのうまみが、しみこんでいった。

 が、削り節といっても、ダシを取るときに使うような安いもの。
そのほうが、うまい。
高級な削り節は、味が薄い。
口に合わない。
だからダシを取るような削り節。
子どものころは、毎日のようにそれを食べた。

●運動不足

 このところやや運動不足。
自分でも、それがよくわかる。
その分、食事の量を減らしているが、そういうときというのは、腹ばかりふくらんでくる。

 今夜は自転車に乗ろう!
……と今、心の中で決めた。

 ところで昨日もそれについて書いたが、「健康格差」という言葉もあるそうだ。
それはその通りで、同じ63歳でも、本当にジジ臭くなってしまった人がいる。
その一方で、若々しく見える人もいる。
私の年齢になると、プラスマイナス10歳くらいの差は出てくる。
そのちがいは何かというと、改めて書くまでもなく、健康管理。
その第一が運動ということになる。

 もちろん精神の健康も重要。
しかし第一が運動。
つまり運動をサボったら、その日を境にジジ臭くなる。

●「くたばりそこない」

 長生きした女性が、こう呼ばれているそうだ(「女性公論」今月号)。
「くたばりそこない」と。

 ワイフが読んでいた雑誌なので、見出ししか見ていない。
そこにそう書いてあった。
しかしひどい言葉だ。
「くたばりそこない」。

 が、実際には、そういう人は少なくない。
『憎まれっ子、世にはばかる』とも言う。
嫌われ者ほど、長生きをする。
……というか、本当は、みな、平等なのだが、そういう人ほど、目立つ。
つまり死は、みなに平等にやってくる。
憎まれている人ほど、長生きするというわけではない。
が、目立つ。
目立つから、「くたばりそこない」となる。

 ……やがて、この私も、そうなりそう。

●ペン・タブレット

 昨日、やっとペン・タブレットをそこそこに使えるようになった。
使いながら、一枚、絵を描いてみた。
途中で、いやになるほど、ヘタクソな絵になった。
で、ボツにしようかと考えたが、作品は作品?

 が、今日、それを楽天PhotoにUPしようとしたら、限度を超えていた。
「500KB以上はUPできません」と。

 ということで、その絵は、ここでは紹介できない。
内心ホッとしている。

 ……そろそろ朝食の時間。
今朝は、ここまで!

みなさん、おはようございます。
今日も、(今週も)、元気でがんばりましょう!
2011/10/17記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【活発に学ぶ子どもたち(Active Learners)】

●Happy LearnersからIndependent Thinkerへ。さらにActive Learnersへ。世界の教
育の潮流は、「活発に学ぶ子ども」に向かっています。言うまでもなく20年後の日本は、
現在の子どもたちが作ります。もし日本が、ほかの国々と同じ教育をしていたら、この日
本には未来はないだろう。今、日本に求められているのは、世界の標準を抜き出た革新的
な教育ではないだろうか。

今日(2011/10/17)は、年中児に、「長さ」を教えてみました。活発に学ぶ子どもたちの声
をお聞き下さい。私はこういう声が、明日の日本を支えると確信しています。

(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)
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&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(4)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●「週刊現代」誌(10・29日号)を読む

+++++++++++++++++++++++++++++++

昨日、ワイフが、「週刊現代」(10・29日号)を買ってきた。
ここが週刊誌のすごいところ。
新聞やテレビが報道しないことを、ズバリ報道する。
「言論の自由は、週刊誌によって守られている」と言っても過言ではない。
が、その週刊誌にもいろいろ。

「週刊新潮」や「週刊文春」は、どう読んでもおもしろくない。
「まちがったことは書かないぞ」という姿勢は、よくわかる。
しかしその分だけ、保守的(?)。
つまらない。

一方、「週刊現代」は、あえて火中の栗を拾いつづけている。
そのつど、私たちが知らなかったことを、気がつかせてくれる。
ということもあって、3・11大震災以来、私はほとんど毎週、週刊現代を欠かさず買っ
ている。
書店で立ち読みするような失礼なことは、していない。

++++++++++++++++++++++++++++++

●島田紳助(週刊現代誌より)

 島田紳助が涙をこぼしながら引退宣言をしたあとも、みな、「紳助さん」と(さん)づけ
で書いていた。
が、そのあと、出てくるは出てくるは、醜聞の数々。
暴力団と関係があったというよりは、暴力団の構成員そのもの。
今回も週刊現代誌は、「吉本芸人とヤクザの関係、ぶちまけたる! 『汚い男・島田紳助』」
という記事を載せている。
そんなことは、あの顔を見ればわかるだろ……と書きたいが、人は顔で判断してはいけな
い。

 が、本当の問題は、ああいう人間が、テレビというマスコミの世界で、王様のように君
臨していたこと。
島田紳助というより、マスコミの責任は、どうなるのか。
ほかにも怪しげな人物は、いるのではないか。

 今では(さん)づけで書いている雑誌、週刊誌はない。
もちろん暴力団と関係があったとしても、それは刑法でいう「罪」ではない。
今のところ島田紳助周辺に捜査当局による捜査のメスが入ったという報道は、ない。
呼び捨てにすることが正しいとは思わない。
しかし「紳助さん」は、ここまでくると、不気味。

 で、その記事を一読して感じたこと……。
私たち視聴者が、賢くなるしかないということ。
「顔」というより、「言動」。
さらにはその「言動の中身」で、その人物を判断する。
そういう姿勢が身につかないかぎり、こうした人物はつぎからつぎへと、現れる。
今の今も、マスコミの世界で大きな顔をしているのは、いくらでもいる。

●『世界大恐慌の可能性』(週刊現代)

 世界大恐慌は、すでに始まっている。
今の状況を「恐慌」と言わずして、何と言う?
たとえばギリシャ問題。

 週刊現代誌は、「ギリシャ、この腐りきった国の実態」と題した記事を載せている。
やはり一読して、「この国は、救いようがない」の一言。

悪い面だけにスポット当てて書いているような部分もないわけではない。
もともとあの国は、そういう国。
時計に追われて生活するような資本主義の国とは、かなり異質。
のんびりとした国民性が、今回は、裏目に出た。

●韓国の経済危機

 週刊現代誌を読むだけはいけない。
私も週刊現代誌風に、「韓国の経済危機」について、書いてみる。
題して「日韓経済戦争・秋の陣」。

●日韓経済戦争・秋の陣
 
 ギリシャより危ないのが、韓国。
韓国政府は、「韓国経済は盤石である」というような大本営発表を繰り返している。
が、本当かな?

 中身はボロボロ。
『韓国の対外債務、4000億ドルに迫り、過去最高額を相次いで更新している』(中央日
報・11年09月)と。
一般家庭債務も、「63兆円を越えた」(朝鮮日報)と。
4000億ドルだぞ!
63兆円だぞ!

 これに対して、韓国政府は、「各家庭の純資産も、その程度あるから心配ない」と、繰り
返し応戦している。
が、その中身といえば、住宅バブル。
バブル資産。
そこへ来て、今回の大恐慌。
世界の新興国からの資金引きあげ。
韓国もそのひとつ。

今日のレートでみると、1ドルが、1155ウォン(10月18日)。
3・11大震災のあと、「このとき」とばかり、ウォン安に舵を切った。
徹底した輸出攻勢で、この日本に取って替わろうとした。
が、それが裏目に出た。

 モノを売りたくても、売り先の国々の経済が収縮してしまった。
韓国政府は、「外貨準備もじゅうぶん」と豪語しているが、大半は現金ではなく、有価証券。
(外国からの借金)ですら、(投資)に組み入れてしまう国である。
数字のインチキは、し放題。

先ごろ野村證券は、「韓国はアジアの中でももっとも通貨の安定した国」(東亞日報)とい
う経済報告書を発表した※。
が、その報告書を書いたのは、野村證券の社員だが、韓国人。
野村證券にしても、今ここで韓国がこけたらたいへんなことになる。
先に書いた4000億ドルにしても、その大半がジャパン・マネー。
週刊文春誌の記事をそのまま紹介させてもらう。

(注※)「野村證券の首席エコノミスト、クォン・ヨンソン氏は27日の記者懇談会で、「フ
ァンダメンタルの側面から見たとき、韓国はアジアで通貨危機発生の可能性が最も低い」
と主張した(東亞日報・9月27日)。

●野村ホールディングズ 

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始め
たという。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モ
ルガン・スタンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収し
ている。

 これだけ読んでも、なぜ野村證券が、韓国経済危機説の火消しに躍起(やっき)になっ
ているか、よくわかる。

●再び「週刊現代」(10・29)

 私たちと直接関係がある記事が、これ。

「株・国債・投信・外貨預金、史上最悪のクラッシュに備えよ」。

 が、すでにクラッシュ(崩壊)は始まっている。
今日(10月18日)の日本経済新聞によれば、先週末、アメリカの株価は、247ドル
の下げ。
それを受け、今朝の東京市場も、129円安(10:00AM現在)。

 そこで私なりに、こんなことを考えてみる。
これは私の経験でもある。

●一般投資家の95%は、損をしている

 非公式な調査だが、「一般投資家の95%は、損をしている」(某経済誌)と。
株・国債・投信・外貨預金……何でもよい。
「95%」という数字は、どこから出てきた数字か、よくわからない。
しかし周囲の人たちをみても、それほど大げさではないように感ずる。
つまりほとんどの人が、損をしている。

 なぜか?

 その第一、儲かっているときは、「儲かった」「儲かった」と、はしゃいでしまう。
そのため売り時を逃してしまう。
また売り時(満期)が来ると、証券会社にせよ、銀行にせよ、さらなる乗り換えを勧めて
くる。
これが危険。
ワナ!

 客である私たちは、まんまとそれに乗せられてしまう。
若い社員から手書きの案内書が届いたりすると、フラフラとそちらに傾いてしまう。
ばあいによっては、さらに現金を上乗せして、それに応じてしまう。
「儲けさせてもらった」という負い目もある。

 が、この世界、何が起るか、わからない。
一寸先は闇。
3・11大震災を例にあげるまでもない。
EUの経済危機を例にあげるまでもない。
そういった事件(イベント)が起きるたびに、株や外債は大暴落する。
その大暴落したとき、大損をする。
それまでに儲けた分まで、吹き飛んでしまう。

 つまりこうして95%の一般投資家は、損をする。
一般投資家というのは、つまり私たち。
私のような、ちょっと知ったかブリをする投資家。

 だから結論として言えることはただひとつ。
証券会社や銀行を信用してはいけない。
彼らはあなたの資産を食い物にして、生きている!

 ……ということがわかっていても、この低金利時代。
今回の3・11大震災、それに8月1日の株価大暴落。
人間のサガ(性)は、因果なもの。
私の知人の中には、3・11大震災のあと、退職金のほとんどを失った人もいる。

●朝食

 たった今、朝食を終えたところ。
ここ数日、白いご飯に、カツオの削り節をかけて食べている。
それを見ながら、私がふと、「なんだか、魚の遺骨を食べているみたい」と。
それを聞いて、ワイフがこう言った。

ワ「へんなこと言わないでよ!」
私「だって、遺骨みたいだよ」
ワ「わかっていても、そういうことは言わないの!」
私「……人間も、残酷な生き物だね。ほかの生物の遺骨を食べて生きている……」と。

 こうして10月18日は、始まった。
のどかな朝。
何という非現実的な現実。
庭では二羽のキジバトが、芝生の上で羽を広げて横になっている。

で、一言。
がんばれ、週刊現代!
次号も買うぞ!
2011/10/18朝記


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●小5のIGさん

 昨日、小5のIGさん(女児)がこう言った。
「私、SR進学塾にも通っている」と。
隣にいたMTさん(女児)がそれを聞き、「受験するの?」と。
するとIGさんは、「ううん、ただ通っているだけ。中学も高校も、ふつうの学校にする」
と。

 ……今、そういう子どもがふえている。
子どもというより、親の意識が変わりつつある。

●外へ出る

 もう10年ほど、前のこと。
名前は忘れたが、こんなことを言っている祖母がいた。
「へたに学力をつけると、外へ出て行ってしまうから、子どもには学力をつけさせない」
と。
そのため、「勉強しなさい」と子どもを叱る母親と、「勉強なんかしなくてもいい」と諭(さ
と)す祖母との間で、嫁姑戦争が起きている、と。

 当の母親からそういう相談を受けたときには、「何という祖母!」と思った。
……というか、当時の私の常識には、まったく反していた。
が、今にして思うと、その祖母には、祖母の哲学があった。
「外へ出て行ってしまう」ということは、家族崩壊を意味する。
「崩壊」とわからないまま、崩壊してしまう。

●家族崩壊

 「家庭崩壊」ではない。
「家族崩壊」。
たとえば欧米では、「家族」というときは、そこには「祖父母」は含まれない。
両親と子どもたち。
それを「家族」という。

 それが欧米では常識になっているから、子どもが社会人になってからは、祖父母がその
下の親子関係に顔を出すことは、まず、ない。
(国や地方によっては、祖父母とのつながりを大切にするところもあるが……。)
祖父母は祖父母として、それまでの家族から自らを切り離し、独立して生計を立てる。
子どもは子どもで、今度は自分たちの「家族」を作り始める。

●「経済的に余裕があれば……」

 もう何度も書いてきたが、総理府(現在の内閣府)は、毎年青少年の意識を調査してい
る※。
それを見ても、「将来、親のめんどうをみる」という若者は、どんどんと減っている。
10年前(2000年ごろ)でさえ、28%前後。
3人に1人もいなかった。
多くは、「経済的に余裕があれば……」という条件をつけている。
が、こういう世相。
経済的に余裕のある若者(若い世代)など、まずいない。
以前書いた原稿を添付する。

●希薄になる親子関係(資料)

 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。

あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。

 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」という言葉を使って、はねのける。

 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄。
もう一度、日本の内閣府がした調査結果を、よく見比べてみてほしい。

+++++++++++++++

●第8回世界青年意識調査より

(将来、親のめんどうをみるか?)

年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか

『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?

自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)


++++++++++++++++


 ここでは何も書きたくない!

 この数字がすべて。
しかしこの問題は、結局は自分人に返ってくる。
それとも今どきの若者たちは、永遠に、若いままと思っているのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど、オメデタイ話はない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内閣府 親子関係 どんなことをしてでも親のめんどうをみる 親の
めんどう 親のめんどうをみる 成人男女の意識調査 はやし浩司 将来親のめんどうを
みる 親を養う)

●掛け軸の言葉

 が、多くの親たちは、「うちにかぎって、そういうことはない」と思い込んでいる。
つまり幻想にしがみついている。
しかし幻想は、幻想。
いくら親ががんばっても、子どもたちは子どもたちの世界で、自らの哲学を作り上げてい
く。
親がもっている価値観など、子どもたちの世界では、床の間の掛け軸ほどの意味もない。
いくら立派なことが書いてあっても、ただの飾り。
意識というのは、そういうもの。

 社会へ出たとたん、吸い取り紙が水を吸い取るように、周囲の哲学を吸収していく。
それがわからなければ、あなた自身を観察してみればよい。
あなたは将来、親のめんどうをみるか。
その意識はあるか。

●社会的重圧感

 たいていの人は、「もちろんある……」と答えるだろう。
が、待ったア!

 その意識にしても、相対的なもの。
私たちの世代は、外に出たものは、そのほとんどが、実家への仕送りを欠かさなかった。
私の意識というよりは、それが当時の常識だった。
私も、吸い取り紙のように、周囲の常識を吸収していた。
みながそうしていたから、私もそうした。

 今のワイフと結婚するときも、毎月、実家への仕送りが条件になっていた。
毎月だぞ!
だからワイフは結婚してからも、以後、私が45歳になるまで、一度もそれを欠かさなか
った。
それだけではない。
27歳ごろからは、実家での冠婚葬祭の費用、さらには税金の支払い、商品の購入代金の
支払いまで、私が負担するようになった。

 が、経済的な負担というより、社会的な負担……「重圧感」と書いた方が正確かもしれ
ないが、それには相当なものがあった。
母は、冠婚葬祭だけは、派手にやった。
そのたびに、20万円〜30万円の現金が消えた。

 その哲学と、私の哲学が、まっこうから対立した。
私はそれを乗り越えなければならなかった。

●恋愛第一主義

 私たちの世代にとっては、「親のめんどうをみる」というのは、それをいう。
またその程度のことをして、はじめて、「親のめんどうをみた」となる。
が、その意識も変わった。
盆と暮れに実家へ帰る程度で、「親のめんどうをみている」と、多くの若い人たちは考えて
いる。
が、今ではそれすらしない若い人たちもふえている。
多くは、結婚したとたん、「ハイ、さようなら!」。
おかしな恋愛第一主義が、はびこっている。

 古い世代と思われるかもしれないが、私たちの時代には、そうではなかった。
親の許可がないと、結婚できなかった。
が、いまどき「許可」を求める若い人たちはいない。
恋愛したとたん、それがすべて。
後先のことも考えず、「結婚します!」と。
「恋愛」を、一世一代の大仕事と誤解している。
が、そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしている。
サルでもしている。

 (だからその一方で、離婚率も鰻上り。
現在離婚率は、30%近くになっている※。)

(注※……離婚率の算出の仕方はむずかしい。
たとえば平成19年度に結婚した人の数が719,822人に対して、離婚した人の数は254,832
となっている。
単純に、離婚した人を、結婚した人の数で割ってみると、35・4%という数字が出てく
る。)

●無縁老人

 それもあって独居老人がふえている。
しかも従来、親子関係が濃密と思われていた農村部で、ふえている。
もちろん都会部でも、ふえている。
この先すぐ、つまり私たちが後期高齢者になるころは、約60%の人たちが独居老人にな
ると言われている。

 が、今はさらに一歩進んで、「無縁老人」。
それもそのはず。
2050年には、1・2人の勤労者が、1人の老人を支えなければならなくなる。
(現在は、2・6人の勤労者が、1人の老人を支えている。)
少子高齢化の問題が、いかに深刻なものであるかは、この数字を見ただけでもわかる。
「2050年」と言えば、39年後。
あなたの年齢に、39歳を足してみればよい。
それがあなたの老後ということになる。

●加山雄三
 
 どうしてこのエッセーに、「加山雄三」が出てくるか?
理由は簡単。
あの加山雄三がギターを片手に、「♪二人を夕闇がア〜」と歌った。
そのとたん、日本人の意識は大きく変わり始めた。
すでにその時、底流はあったのかもしれない。
ともかくも、そのときから、恋愛至上主義が始まった。

 いや、ひょっとしたら、私たちは「恋愛」の中に、「自由」を見たのかもしれない。
それまでの私たちは、体中を、ぐるぐると取り巻いていたクサリに、もがき、苦しんでい
た。
加山雄三はアメリカ式の恋愛映画を見せてくれることで、それを取り除いてくれた。
たとえひと時の幻想ではあっても、甘い夢を見ることで、自分をなぐさめることができた。

 加山雄三がまちがっていたというのではない。
加山雄三は、そのクサリを解いてくれた。
が、今、そのクサリを解きすぎてしまった。
ユルユルから、パサパサに。

●親としての限度

 老後は、確実にやってくる。
それもあっという間にやってくる。
私自身もそうだった。
つまり私も、20代、30代のころは、老後なんて、ありえない世界のように考えていた。
だから50歳になった人を見たとき、とんでもないジーさんのように感じた。

 が、その私ももうすぐ64歳になる。
そういう自分を振り返ってみても、「あっという間」だった。
つまり今、もしあなたが、「老後の問題など、私には関係ない」と思っているとしたら、そ
れはとんでもないまちがい、ということになる。

 回りくどい言い方をしたが、あなたはあなたで、自分の老後を最優先で考えたほうがよ
い。
子どもは子ども。
子どもの学費は学費。
しかしそこには一定の限度をしっかりともつ。
「親としてやるべきことはする。しかし限度を超えてはしない」と。

 でないと、……というか、現実に、60歳の定年退職時に貯金ゼロという家庭は、現在
50%もいる(S生保会社調査)。
全体でも約33%程度の家庭は、貯金ゼロ(財務省)。
年金など、もしあなたが公務員でないなら、まったくアテにならない。
そんな状態で、どうやってこれからの老後を生きていくというのか。

●親子関係の復権

 IGさんが、そう言ったとき、私はすかさず、こう言った。
「君のお母さんは、賢い人だよ」と。
「あなたも、お父さん、お母さんの近くで住みなさいよ」と。
言い忘れたが、IGさんは、ひとり娘。
それを聞いて、IGさんは、にっこりと笑った。

 が、これはけっしてIGさんの両親のことだけを考えてでのことではない。
IGさん自身にとっても、そのほうがよい。
そうでなくても、……つまり家族の絆があっても、生きていくだけでたいへん。
こんな世の中で、家族がバラバラで、どうやって生きていくというのか。

●日本の将来

 とても悲しいことだが、日本の将来は、暗い。
この8月から始まった大不況を契機に、日本も、やがてすぐ他のアジアの国々と同等、あ
るはそれ以下になる。
日本人が外国へ出稼ぎにいかねばならなくなる時代は、すぐそこまできている。
これは可能性の問題ではない。
確実な数字として、そう予測されている。

 わかりやすく言えば、きれいごとだけでは、子育てはできないということ。
それとも死ぬか、生きるかという瀬戸際に立たされたときでも、あなたは子どもに向かっ
て、こう言うことができるか。

「親のめんどうはみなくてもいい。お前はお前で、自由に空をはばたけ」と。
羽ばたき方に、意味があるのなら、それもよいだろう。
が、それは怪しい?
それほどまでに意味のある仕事をしている人は、少ない?

 ……という悲観的な見方はさておき、現実は現実。
子育ても、その現実を見失っては、できない。

●私には理解できない

 高校生にしても、大学生にしても、今や携帯端末機は、必需品。
新SNSだの、スマホだの、さらにはi−Padだの、アンドロイドだの……。
話題はつきない。

 しかしそれほどまでの文明の利器を用いて、結局は、何をしている?
アホで馬鹿で、意味のない情報を回しあっているだけ。
つまりそれが今の日本の若い人たちを象徴している。

 たとえば今週号の「A」(パソコン誌)は、あのジョブズ氏の追悼記事を並べている。
前アップル社の会長である。
3人の識者(日本人)が、ああでもない、こうでもないと、ジョブズ氏を称えている。
が、私はそうは思わない。

 1978〜79年にかけての、あのホームパソコン(当時)の黎明期を直接経験してい
る。
日本製のパソコンは、アメリカ製につぎつぎと駆逐されていった。
言うなれば、今、ジョブズ氏を称えるということは、サッカーの試合で、オウンゴールで
相手を勝たせた上、さらに相手の選手を称えるようなもの。
ジョブズ氏は、アメリカ人にとっては、英雄かもしれないが、私たちはアメリカ人ではな
い。
原爆を落とされた上に、マッカーサーを称えるような記事を書いて、みじんも恥じない。

●ペンタブレット

 話が過激になったので、話題を変える。

 今日、ワイフが誕生日プレゼントにということで、ペンタブレットを買ってくれた。
前からほしかった、Wacom社製の「Bamboo」。
描画ソフトが4種類も、おまけでついていた。

 が、今日は、どのひとつもじゅうぶん使いこなせいないまま、ギブ・アップ。
この世界も、格段に進化した。
つまり複雑になった。

 10年ほど前には、いろいろなソフトを使いこなしていたが、今日は惨敗。
明日は日曜日だから、もう一度、挑戦してみる。

 ……ということで、今日は、ここまで。
これからワイフと、「キャプテン・アメリカ」という映画を観てくる。
今夜が公開日。
あまり観たいとは思わないが、これもボケ防止のため。
がんばって観てくる。
2011/10/15記

Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月16日(破綻後の日本の教育)

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先週、証券会社に預けておいた債権の大部分を処理した。
来週中に、わずかに残った債権も処理する。
銀行への預金も必要最小限にとどめ、残りは引き出す。

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●日本の将来

 日本の将来を考えると、教育どころではなくなってしまう。
昨日も、ワイフと旧姫街道沿いを車で走ってみた。
20年前には、町工場がズラリと並んでいた。
が、今は見る影もない。
最後まで残っていた工場がひとつあったが、それも閉鎖。
赤い紙で、「貸し工場」とあった。
「今どき、工場を借りる人もいないだろうな」と思いつつ、その張り紙をながめた。

 日本がこうなった第一の理由は……。
行政改革(官僚制度の是正)の遅れ。
公務員の人件費だけで、26兆円余り(「週刊「ダイアモンド」誌・10・15)。
人件費だけだぞ!
国家税収(44兆円)の約60%!

 行政改革が叫ばれ、もう20年以上になる。
が、その間も、国の借金は増えつづける一方!

●旧国鉄

 私が現在の入野町という町に移り住んだのは、今から32年前。
その当時のこと。
町から入野町までの街道沿いの一か所に、国鉄の工場があった。
(今でも、ある。)
新幹線の定期検査、修理をする工場である。

 その工場の前では、毎日夕方5時になると、帰宅の労働者たちが柵の前にズラリと並ぶ。
5時の開門を待つためである。
そして5時の合図とともに、門が開き、どっと労働者が外に出る。

 が、実際の仕事は、午後4時(記憶によるものなので、不正確。4時15分?)。
帰宅前に「入浴時間」というのがあって、労働者たちは、入浴を済ませてから、門の前に
並ぶ。

 が、それだけではない。
検査工場といっても、「午前、1仕事。午後、1仕事」と決まっていた(隣人の証言)。
つまり新幹線の検査は、1日、2列車(16x2車両)だけ。
たったの2列車だけ。
それ以上はしない。
「どうしてか?」と聞くと、「仕事が多すぎると、それだけ検査がおろそかになるから」(隣
人)と。

 隣人は、検査の中でも車輪検査を受け持っていた。
新幹線が車庫に入ってくると、数人1組で、車輪を金槌で叩いて往復する。
その音で、車輪の不具合を確認する。
「だいたい1車両、30〜40分で済む」とのことだった。

 「では、みんな空き時間には何をしているか」と聞くと、こう教えてくれた。
「詰め所で、遊んでいる。酒を飲んでいるのもいたよ」と。
何も旧国鉄の職員を責めているのではない。
それがその当時の、旧国鉄の労働者たちの常識だった。

 なお、この「酒を飲んでいた」という話は、ほかの人たちからも聞いた。
「酒臭いのはいくらでもいたよ」(ワイフのテニスのコーチ、元旧国鉄職員)と。
その旧国鉄は、17兆円(当時)という莫大な債務を国(=私たち)に押しつけたまま、
そのあと民営化された。
17兆円だぞ。
そのあとすぐ、債務が20兆円に膨らんだという話までは、新聞か何かで読んだ記憶があ
る。
そのあと、それがどうなったかは、私は知らない。

●年金、月額30〜35万円

 で、その隣人も、55歳で退職。
私が住むこの町内は、当時、旧国鉄村と呼ばれるほど、旧国鉄からの退職者が多かった。
そのこともあって、月末になると、近くの郵便局には、年金を受け取る人の列ができた。
が、それは異様な光景だった。
それぞれの老人たちが、100万円近い札束を、鷲づかみにして、もって帰っていく。
年金は3か月ごとに、まとめて支払われることになっていた。
(今でも、この光景は変わらないが……。)

 で、私が郵便局長に聞くと、こう教えてくれた。
「国鉄だけは、退職日を、4月1日にしているのです。
ほかの三公社五現業は、3月31日ですがね」と。

 つまり1日、4月1日にずらすことによって、旧国鉄の労働者たちだけは、勤続年数を
1年長くしていた。
(これは事実だから、疑う人は自分で調べてみたらよい。)
こうして旧国鉄の労働者たちは、平均して、月額30〜35万円の年金を手にしていた。

 旧国鉄の人に責任があるわけではない。
が、この傾向は、公務員社会では、そのまま今でも引き継がれている。
(詳しくは、週刊「ダイアモンド」誌、P30〜。)

●歴然とした官民格差

 ここにも書いたように、旧国鉄の労働者の人、1人ひとりに責任があるわけではない。
しかし旧国鉄は、その当時の、そして今に到る公務員天国を象徴していると言ってもよい。
週刊「ダイアモンド」誌によれば、こうある。

「守衛、運転手、用務員……同じような仕事をしていても、公務員は民間企業の2倍の給
料がもらえる。
官民格差は歴然としてある。給与だけではない。退職金も公務員なら、ばっちりだ」(「週
刊ダイアモンド・10月15日号)と。
P27には、8職種についての比較が、棒グラフで示されている。
一例として、「役所の運転手の平均年収は、なんと民間の2・3倍」とある。

 もちろん退職金も高額。
「首都圏では、埼玉県が2151万円。
関西の兵庫県も2130万円と高水準だ。
対象を一般行政職を含む、全職種にまで広げると、その退職金額は、両県を含む多くの都
道府県で2700〜2800万円台と、大手企業も凌駕するレベルに達する」(同、P28)
と。
3000万円を超える退職金など、公務員の世界では珍しくも何ともない。

 こうした退職金については、「退職手当債」なる地方債の発行で、それに充てている。
 
●年収500万円の人が、1億1500万円の借金

 一方で少子高齢化。
産業の空洞化。
さらに今回、(2011年8月以降)、日本は、通貨の切り下げ戦争で打つ手もないまま、
敗れてしまった。
今の円高が、その結果。

 この先、この日本がどうなるか?
国の借金だけで、800兆円というが、先にも書いたように、地方の自治体がかかえる借
金もある。
それらを含めると、すでに1200兆円を超えているという説もある。

 国の国家税収が、44兆円前後だから、1000兆円としても、約23倍!
年収500万円の人が、1億1500万円の借金をかかえているに等しい。
もちろんそんな借金、返せるわけがない。

●日本の外貨

 8月1日に始まった株価の大暴落は、一連の大不況の序章にすぎない。
「経済収縮」という言葉を使う人もいる。
で、今は、EUがかかえる債務問題、アメリカがかかえる貿易赤字問題だけが、大きくク
ローズアップされている。
しかし最終的にその行き着く先は、この日本と言われている。
日本がもつ、「外貨(ほとんどがアメリカ・ドル)」は、現在、中国についで世界第二位。

 よく「外貨」は、貯金にたとえられる。
が、外貨など、必要以上に多く持っていても、どうしようもない。
言うなれば、タンス預金のようなもの。
海外に投資して、はじめて生きる。
が、その外貨は、戦後ずっと塩漬け状態。

5%でも使おうものなら、アメリカの経済が破綻する。
つまりアメリカが使わせてくれない。

 世界は、今、虎視眈々とその日本の外貨にねらいを定めている。
「最後は、日本の外貨を奪え」と。

 ……その結果、もし日本の経済が破綻し、仮に1ドルが200円とか300円とかにな
れば、もう日本には未来はない。
働く工場もない。
街には失業者があふれ、タクシーの初乗りが、1万円。
今度は日本人が、外国へ出稼ぎに行く番になる。

●「がんばろう、日本」?

 「がんばろう、日本」という言葉が、よく目につく。
3・11大震災について言った言葉だが、それもこのところ、虚しく聞こえる。
正直言って、「わかっていないなア」と。

 書斎の座右に、現在、チェルノブイリ事故に関する本が、数冊、ある。
そのどれを読んでも、放射線被害が表面化するのは、これから。
「2〜5年ごろから被害が出始め、10年後にピークを迎える」と。
つい数日前には、静岡県の伊東市で、規制値を超える乾しシイタケが見つかった。
「湯で煮て食べれば問題はないはず」などという、きわめて非科学的なことを、テレビカ
メラに向かって、ある役人が言っていた。

 湯で煮ても、その湯がまたシイタケにしみこめば、同じこと。
つまり350キロも離れた伊東市でも、そういう被害が出ている。
相手が放射性物質では、がんばろうにも、がんばりようがない。
それに今回の大不況が、拍車をかけている。
何を、どうがんばればよいのか!

●自衛あるのみ

 週刊文春誌によれば、三菱UFJ銀行、ならびに野村ホールディングズの2社が、経営
的に「危ぶまれている」状態にあるという(「週刊文春10・20日号、P24、P25)。
(記事の内容については、週刊文春誌に責任を取ってもらう。)

 銀行はつぶれないというのは、もはや神話でしかない。
証券会社にいたっては、山一証券の倒産劇を見るまでもなく、国の支援はありえない。
我が身は我が身で、守るしかない。
(だからといって、あなたも同じことをしたらよいと書いているのではない。
私がここに書いたことを参考に、あなたはあなたで、自分で調べてみたらよい。
ネットで検索をかければ、即座に事実が把握できるはず。)

●最後に教育論

 ……ということで、今は、教育どころではない。
そんな思いが、心を塞ぐ。
考えるとしたら、破綻後の日本は、どう再起したらよいかということ。
その方法はあるのか。
またそのときに備えて、今の日本の教育は、どうあるべきなのか。
言うまでもなく、日本の資源は、「人」。
人しかいない。

 私はあの「ゆとり教育」を通して、自由な教育が生まれるものとばかり期待していた。
が、結果は、ご存知の通り。
「ゆとり」は「ユルユル」になってしまった。
が、一度緩んだバネは、元には戻らない。
戻すとしても、その何倍もの時間とエネルギーを消耗する。

 教育というのは、いつも20年後を見据えてする。
また20年後に結果が出てくる。
が、今のままでよいとは、だれも思っていない。
カリキュラムの段階から、大改革をする。
日本の未来は、それで決まる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の実践

 私の教室でしていることが正しいとは思っていない。
革新的だが、問題はある。
しかしひとつの例として、現在、私のしていることを、「公開教室」として、公開している。
このあたりまで、教育を、カリキュラムの段階から改革する。
それを日本が、先行する。
世界と同じことをしていて、どうしてこれからの日本が生き残っていくことができるのか。

【BW公開教室】

興味のある方は……

http://bwopenclass.ninja-web.net/page018.html

★小1児に正負の計算を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/1f7eAPqcxuc" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

★小1児に分数を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/RZJqFr9BYeI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

★年長児に方程式を教える

<iframe width="480" height="360" src="http://www.youtube.com/embed/rxGcApAaDmk" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●自画像(ペン・タブレットを使って……)

++++++++++++++

とりあえず、ペン・タブレットを
使い、自画像を描いてみた。
WACOMのBambooを
使って描いた処女作。

まずは、お笑いあれ!

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<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/10/img6e3da83fzik2zj.
jpeg" width="438" height="320" alt="ページファイル.jpg">

表示を2分の1サイズにしてみる。

<IMG SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/10/img6e3da83fzik2zj.
jpeg" width="215" height="160" alt="ページファイル.jpg">

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『キャプテン・アメリカ』(2011年10月15日)

 昨夜遅く、映画『キャプテン・アメリカ』を観てきた。
ああいう映画は、肩が凝らない。
そういう点で高く(?)評価して、星は4つの★★★★。
随所で、私はハハハ、ゲラゲラと笑った。
娯楽映画なので、評価はそこまで。
いろいろ書きたいことはあるが、楽しめば、それでよい。
深く考えない。

 ただ3D映画は、率直に言って、疲れる。
見終ったあと、軽い頭痛が始まった。
今朝も、それがつづいていた。
市販の頭痛薬を、昼食といっしょに、のむ。
幸い、それで頭痛は、消えた。

 同じくワイフも、頭痛が起きたという。
今朝、「だいじょうぶか?」と聞くと、「もう、治った」と。
つぎに観たい映画は、『三銃士』、かな?
その映画も3Dとか?
空中戦が楽しみ。

●鳥

 庭先で、このごろ聞き慣れない鳥が鳴いている。
ピッと鳴いた後、チュクチュクピー、ピーチュクと。
かなりはげしい鳴き方である。
インコの鳴き方にも似ているが、こんなところにインコはいない。
ワイフもそれを聞いて、「あんな鳥、はじめてね」と。
ときどき窓の外を見るが、姿が見えない。
栗の木の間で鳴いている。

 この書斎の窓からは見えるはずだが、昨日の大雨のときから、雨戸は閉めたまま。
雨戸を開ければ、鳥の姿が見えるかもしれない。
今夜にでも雨戸を開けておこう。

 居間にはいつも鳥の図鑑が置いてある。
それを使えば、鳥の名前もわかるはず。
いつもそうだが、奇妙なもので、名前がわかるまで、どうも不安。
わかったとたん、安心する。
これはどういう心理的作用によるものなのか。

●運動不足

 この数日間、運動らしい運動をしていない。
ときどき20〜30分、歩くが、汗が出るほどではない。
そのせいか、腹のあたりを、重く感ずる。

 で、今、世界中で、格差反対のデモが起きている。
国によって事情がちがうらしい。
その「格差」。
「健康格差」という格差もあるという。

 概して言えば、裕福な人ほど、健康。
貧しい人ほど、不健康(?)。
貧しい人ほど、肥満やニコチン中毒になりやすいという。

 ウ〜〜ン?

 私が知っている範囲でも、夫が健康、妻が病気がち(あるいはその反対)というケース
は、少なくない。
こういうケースは、どう判断したらよいのか。

 ただ昨日、日本人の離婚率について調べていたときのこと。
離婚率というのは、経済指標と連動しているということがわかった。
町中が不景気になれば、離婚率は高くなる。
町中の景気がよくなれば、離婚率は低くなる。
景況感と離婚率のグラフが重ねて表示してあったが、ピッタシと重なっていた。

 この先、離婚率が高くなるのが、心配される。
(私たち夫婦も、あぶないが……。)

●リズム

 が、こういうことは言える。
借金に追われるような生活になると、生き様もどこか投げやりになるということ。
「健康管理どころではない」と。
そういう人は多い。

 そこで大切なことは、生活のリズムは崩さないということ。
週単位、月単位のリズム。
年単位のリズムというのもある。
そういう意味では、何かの仕事をもつということは、重要。
その仕事が、適度なリズムと緊張感をもたらす。

 ……とは言え、この先、年金の支給開始年齢が、最終的には70歳程度まで引き上げら
れるという。
それもそのはず。
夫婦で、計70万円以上も年金を受け取っている人がいる。
(が、その一方で、子育て盛りの親は、青息吐息。)
こんなメチャメチャな年金制度を維持している国は、そうはない。

 ……そう言えば、週刊文春にこんな夫婦が紹介されていた。
まず偽装離婚をする。
偽装離婚したあと、妻側が、生活保護の申請をし、生活保護費を受ける。

 今、関西方面では、生活保護を受けている人があまりにも多く、市の職員にしても、い
ちいち内情を調べたり、家庭訪問することができないのだそうだ。

 こういう人が多くなったら、日本の経済は本当に破綻してしまう。
まさに「非国民」。
「自分さえよければそれでいい」と。

●官民格差

 ああ、またグチぽくなってしまった。
こういう話を書いていると、私まで精神的に暗くなってしまう。
が、日本人も、そろそろ限界に来始めている。
アメリカやギリシアのことはさておき、この日本では、「官民格差」。
「貧富格差」というよりも、「官民格差」。
この是正を図らないと、日本でもデモは起きる。
(すでに起きているが……。)

 まあ、どうであれ、日本の経済は、そのうち破綻する。
可能性の問題ではなく、時間の問題。
日本の経済も、もう救いようがないところまできている。
……というか、それを通り越してしまっている。
家計が苦しくなったら、支出を切り詰める。
そんな小学生もわかるようなことを、日本はしてこなかった。
それも30年とか、40年前にすべきだった。

 ……ア〜ア、もうやめよう、こういう話は……。
私も、もうどうでもよくなってしまった。
「なるようになれ!」と。

 昨夜も劇場から帰るとき、鍛冶町から有楽街(浜松イチの繁華街)を歩いてみた。
が、そこは若者たちのたまり場。
夜の11時近くだったが、祭の日のように、にぎわっていた。
5〜20人のグループを作って、若者たちが、大声を出して騒いでいた。
その昔は、仕事帰りのサラーマンたちの世界だった。
が、今は、若者たち。

 学生なのか?
私服を着たサラリーマンなのか?
見た感じ、男は茶髪、長髪……。
女は、ファッション雑誌から抜け出たような服装。
挑発的な服装。

 私とワイフは一列になり、その群衆の間をかき分けるようにして、帰り道を急いだ。
時は2011年10月15日夜。
今は、2011年10月16日、夕刻。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 11月 2日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

11月2日  第1594号になりました!

★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2011年10月13日・夜記

●今日の日記

05:00AM 起床
08:30AMまで書斎
09:00AM前後、朝食
09:30AM 早い昼寝
11:00AM 起床
13:00PM 雑務、教材用意
15:00PM 町まで歩く(運動)
21:00PM 仕事
21:30PM 帰宅
22:00PM ビデオの編集とYOUTUBEへUP

今、YOUTUBEへUPしながら、今日の記録を残す。
ときどき、今日のように早朝に目が覚める。
そういうときは、自然体。
無理に眠ろうとは思わない。
起きたいときに起きる。
眠たいときに眠る。
最近は、そんなことに心がけている。

●Gifted Children 恵まれた子どもたち(小学1年生)

 小学1年生に分数を教えてみました。
 このクラスの子どもたちは、能力的にたいへん恵まれた子どもたちです。
 教え終わったあと、私は「教えたぞ」という満足感を覚えました。
 
(1)
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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(2)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/xcVBEpQ3h5o?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(3)
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/AdNn4Hrmw8w?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 分数 分数の学習 日本の小学
1年生)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●気になるニュース(2011年10月14日)

++++++++++++++++++

今朝は7時ごろ、目が覚めたと思う。
こういう曇天の日は、体内時計が狂う。
6時ごろかなと思って、メガネをかけ、時計を見ると、すでに8時!
飛び起きて居間へ。
新聞を読んで、ワイフが出してくれた茶を飲む。

いくつか気になるニュースが目にとまった。

++++++++++++++++++

●1号機で4700ミリシーベルト

 4700ミリシーベルトといえば、4・7シーベルト。
新聞(中日新聞)にもあるように、「4000ミリシーベルトを超える放射線を全身に浴び
ると、ほぼ半数の人が、放射線による障害で死亡するとされる」とある。

 「ほぼ半数」というのは、どういう意味なのか。
意味がよくわからない。
さらに「障害で死亡する」というのは、どういう意味なのか。
たとえば別の本では、「5〜10シーベルトで、即死」とある。
「即死」といっても、どの程度の時間的猶予があるのか。
「即死」ということは、どういうことなのか?
1週間以内でも、即死は即死。

 そこで改めて、この「4000ミリシーベルト」を考える。
たとえば放射線障害のばあい、「1年以内に半数が死亡する」ということなら、「2年以内
には、そのまた残りの半数の、計75%(50+25)の人が死亡する」ということにな
る(あくまでも仮定)。
さらに3年目には、残りの半数、つまり13%の人が死亡することになる。
計88%の人が死亡するということになる(あくまでも仮定)。

 もちろん放射線を一時的に浴びたばあいと、浴びつづけたばあいとでは、結果もちがっ
てくる。
しかし不気味であることには、ちがいない。

 私は1号機については、放射性物質の放出については、すでにほぼ問題が解決したと思
っていた。
しかし今の今も、放射性物質は、空中になれ流されたままになっている。

●ベラルーシでは、10ベクレル

 飲料水のセシウム規制値について、チェルノブイリ事故が起きたベラルーシでは、10
ベクレルが、規制値になっている。
つまり10ベクレル以上の値を示す飲料水は、飲むことはできない。

 が、この日本では、飲料水については、その20倍の200ベクレルという。
それについてベラルーシの民間研究機関、ベルラド放射能安全研究所の、ウラジーミル・
バベンコ副所長が、「まったく理解できない」(中日新聞・10・13)と発言している(1
0月12日)。

 ……もし、逆の立場だったらどうだろうか。
チェルノブイリから、飲料水を輸入することになった。
ベラルーシからでもよい。
その飲料水から、10ベクレルの放射性物質(放射性セシウム)が観測されたら、日本政
府は、どうするだろうか。
ただちに輸入禁止措置を取るにちがいない。

 それを「200ベクレル」とは!
「しかたない」というギリギリのところで、「200ベクレル」という数字が出てきたのだ
ろう。
が、はたして「しかたない」ですませてよいものか?

●ギリシア問題

 特権階級を構成している公務員たちが、給与カットに反対し、デモを行っている。
そんな写真が新聞に載っていた(10・14日)。
私はそれを見たとき、「ギリシアはもうだめだな」と、さらに確信した。
「救いようがない」というのは、まさにこのことをいう。

 「(公務員の数は)、30年前には27万人にすぎなかった。
今や80万人。
労働人口の4分の1。
110万人超が公務員との説もあるほど、ギリシアは公務員天国と揶揄(やゆ)される」(同)
と。

 日本も似たようなもの。
官僚たちは、あの手この手を使い、公務員数を少なく見せかけようとしている。
が、この10年、あるいは20年でもよい。
公務員が減ったという実感は、まったくない。
この文章を読んでいる、あなたもそうだろう。
つまりギリシア問題は、明日の日本の問題と考えてよい。

●「週刊文春」誌より

 週刊文春誌、最新号(10・20日号)によれば、日本の金融機関にも影響が及び始め
たという。

 名指しで経営危機が危ぶまれているのが、(1)「三菱UFJ」銀行(P24)。
(2)「野村ホールディングズ」(P25)。
ともにEU経済に、深く入りこんでいる。

 で、ここではじめて聞いた言葉が出てきた。
「CDS値」という言葉である。
週刊文春誌によれば、「経営破綻の危険度」を示す指標だそうだ。
(CDS……クレジット・デフォルト・スワップ)

 それによれば、モルガン・スタンレー銀行は、529ベーシスポイント。
この値は、リーマンショック時の値を超えているという。

(CDS値がどの程度なら危険かということは、よくわからない。
しかしモルガン・スタンレー銀行が、三菱UFJに買収されたときの値よりも、現在、モ
ルガン・スタンレー銀行は、さらに高い値になっているという。
529ベーシスポイントというのは、そういう数字らしい。)

 ほかにバンク・オブ・アメリカが、458ベーシスポイント。
野村ホールディングズが、340ベーシスポイント。
三菱UFJは、モルガン・スタンレー銀行を、リーマンショックのあと、1兆円で買収し
ている。
なおイタリアでは、主要金融機関のCDS値が、軒並み400〜600ベーシスポイント
に上昇しているという。

 あとの判断は、私たち読者がすることになる。
ただここで言えることは、ただひとつ。
銀行にせよ、証券会社にせよ、窓口の女性社員の言葉は、信用してはいけないということ。
こうしたことを問い合わせても、「心配ないですよ」と答える。
彼女たち自身も、何も知らされていないか、その上の上層部の社員に操られているだけ。
私も、(及ばずながら?)、何度も、過去に、苦い経験をしている。

 自分の頭で考え、自分で判断する。
株でもそうだが、「何とかなるだろう……」と、ズルズルと持ちつづけていると、たいてい
紙くずになる。

 以上、暗い話ばかりで、ごめん。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●横浜市で、放射性ストロンチウム発見vs福島県の米の出荷

●今、この日本では……

++++++++++++++++++++++++++++++

横浜市で、放射性ストロンンチウムが発見されたという(TBS)。
その量、1キロあたり、195ベクレル。
250キロも離れた横浜市で発見されたということに、注目してほしい(注※)。

が、その一方で、福島県産の米が、1キロ当たり、暫定規制値の500以下になったので、
出荷許可になったという(注※)。

いったい、これらの2つの事実をどう理解したらよいのか。

++++++++++++++++++++++++++++++

●暫定規制値?

 放射線量は、「ゼロ」であるのが、当たり前。
それを暫定規制値の1キロ当たり、500ベクレルを下回ったので、「出荷許可」?
つまり中には、499ベクレルの米もあるということ?

 こうした米が、スーパーなどの店先に並ぶことはない。
恐らく、加工米として、いろいろな加工食品に利用されるはず。
マネーロンダリングならぬ、ライスロンダリング。
そうすれば、米の出所を、隠蔽することができる。

 ……ということを、私は心配している。
その心配はないのか?

●放射性ストロンチウム

 その一方で、横浜でも放射線ストロンチウムが発見されたということに驚いている。
まだ確定されたわけではないが、もしこれが事実とするなら、東京以北では、この先、た
いへんなことが起こる。

 放射線ストロンチウムの毒性は、他の放射性物質の比ではない。
放射性セシウムの300倍(「週刊現代」)とも言われている。
それ自体が、金属性のホットパーティクルとして、主にカルシウムと置き換わり、骨にと
どまる(注※)。

 言うまでもなく、拡散濃度は、距離の二乗に反比例する。
250キロで、195ベクレルなら、2分の1の125キロ圏内では、4倍の約600ベ
クレル。
60キロ圏内では、さらに2400ベクレル。
さらに、30キロ圏内、つまり30000メートル圏内では、約1万ベクレル。
15000メートル圏内では、約2万ベクレル。
7500メートル圏内では、約4万ベクレル。
3250メートル圏内では、約16万ベクレル。
325メートル圏内では、100倍の、1600万ベクレル。
32メートル……原子炉の直径範囲内では、16億ベクレル?
原子力保安院による公表資料によれば、放出量は、1.4 x1014 (ストロンチウム90)とあ
る。

1・4の10の14乗=140000000000000=1400兆ベクレル!

 原子力保安院の試算値(保安院HP)の資料によれば、「プルトニウム239」だけで、合
計32億ベクレルが、大気中に放出されたという。
今回横浜で発見された放射性ストロンチウムの量は、ほぼ、それと同量ということになる。

 放射性物質というと、放射性セシウムだけが大きく問題になっている。
そのセシウム(セシウム137)にしても、「広島型原爆の150発分」(京都大学原子炉
研究所の小出裕明氏指摘)もすでに放出されている。

 150発分だぞ!

●浜松市(福島第一原発から420キロ)

 反対に考えれば、この浜松市(約420キロ)でも、約4分の1の、50ベクレルの放
射線ストロンチウムが発見されても、おかしくないということになる。

 すでに原発再開の動きが活発になっているが、人的被害がどの程度になるか、それを見
届けてからでも遅くないのではないか。
チェルノブイリ事故では、人的被害が出始めたのは、2〜5年後。
ピークを迎えたのは、10年後とある(「原発事故」宝島)。

 ストロンチウムにせよ、プルトニウムにせよ、一度人間の体内に入ったら最後、ほぼ一
生、その人の体にとどまる。
ストロンチウムの半減期は、28・8年。
プルトニウムの半減期は、何と、2万4000年!

 米の出荷許可についても、同じ。
何も放射性セシウムだけが、放射性物質ではない。
国は、あたかもセシウムだけが放射性物質であるかのように装っているが、それはおかし
い。
またそれだけをもって、「安全?暫定値」をさだめているが、それはおかしい。

 原子力保安院が発表した資料によりば、ほかにも20種類近くある。
先に書いた、ストロンチウム、プルトニウムは、そのうちの2つに過ぎない※。

 米の出荷は、最低でも5年は待つべき(2011/10/12記)。

(注※)++++++++++以下、TBS-iより+++++++++++++

福島第一原発から250キロ離れた横浜市港北区のマンションの土砂を民間の検査機関が
調べたところ、放射性物質の「ストロンチウム」が検出されていたことがわかり、横浜市
が調査を進めています。

 横浜市は先月、港北区の住民らの要望を受けて区内の側溝にたまった堆積物や土砂を測
定したところ、最高で1キロあたりおよそ4万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと
発表していました。

 横浜市などによりますと、この検査結果の後、住民らが「放射性セシウムだけではなく
ストロンチウムも確認されている」として、区内のマンション屋上の堆積物から1キロあ
たり195ベクレルのストロンチウムが検出されたとする民間検査機関「同位体研究所」
の分析結果を横浜市に提供しました。横浜市は情報提供を受け、ストロンチウムについて
も再検査を行っていて、週内にも結果を公表する方針です。

 検査を行った「同位体研究所」はJNNの取材に対し、「過去の核実験の影響などで1〜
2ベクレルのストロンチウムが検出されることはあるが、今回の分析結果はそれなりに高
い値なので福島第一原発に由来するものではないか」としています。(12日16:12)

++++++++++以上、TBS-iより+++++++++++++

(注※)++++++++++以下、Yomiuri on Lineより+++++++++++++

福島県は12日、今年作付けが認められたすべての市町村で収穫された一般米の放射性物
質濃度が調査の結果、すべて国の暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を
下回り、出荷可能になったと発表した。

 県の予備調査で高水準の放射性物質が検出されていた二本松市の水田約9アールから収
穫されたコメは、県が調査研究用に全面的に買い取るため、県はこのコメが流通すること
はない、としている。
最終更新:10月12日(水)16時47分

++++++++++以上、Yomiuri on Lineより+++++++++++++

(注※)ウィキペディア百科事典より

『……ウランの核分裂生成物など、人工的に作られる放射性同位体としてセシウム137と
共にストロンチウム90がある。ストロンチウム90は、半減期が28.8年でベータ崩壊を起
こして、イットリウム90に変わる。原子力電池の放射線エネルギー源として使われる。体
内に入ると電子配置・半径が似ているため、骨の中のカルシウムと置き換わって体内に蓄
積し長期間にわたって放射線を出し続ける。このため大変危険であるが

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)原子力保安院の資料より

●解析で対称とした期間での大気中への放射性物質の放出量の試算値

Xe-133 ……1.1x1019
Cs-134 ……1.8x1016
Cs-137 ……1.5x1016 (セシウム137)
Sr-89 ……2.0 x1015
Sr-90 ……1.4 x1014 (ストロンチウム90)
Ba-140 ……3.2 x1015
Te-127m ……1.1 x1015
Te-129m ……3.3 x1015
Te-131m ……9.7 x1012
Te-132 ……7.6 x1012
Ru-103 ……7.5 x1009
Ru-106 ……2.1 x1009
Zr-95 ……1.7 x1013
Ce-141 ……1.8 x1013
Ce-144 ……1.1 x1013
Np-239 ……7.6 x1013
Pu-238 ……1.9 x1010
Pu-239 ……3.2 x1009 (プルトニウム239)
Pu-240 ……3.2x1009
Pu-241 ……1.2x1012


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月13日

 今朝は起きるとすぐ、先の、「放射性ストロンチウム」についての原稿を書いた。
少し前(10月1日)に、こう書いたばかり。

 『……福島第一原発の事故地から、45キロも離れたところで、放射性プルトニウムが
発見されたという。
それについてNHKラジオは、簡単に事実を伝えたあと、「(たいへん重い)プルトニウム
がそんなに遠くで発見されたことに驚いている」「改めて放射性物質が広く拡散されている
のがわかった」などと、報道していた(2011年10月1日)』と。

 今度はストロンチウム。

 あの事故直後、オーストラリアの友人(メルボルン大学教授)に、放射能測定器につい
て問い合わせたことがある。
そのときその友人は、こう言った。
「ヒロシは、何を調べたいのか。調べる対象によって、測定器はみなちがう。高価なもの
は、100万円以上もする」と。

 その意味が、最近になってやっと理解できた。
放射線といっても、X線、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線がある。
市販されている3〜4万円の測定機器など、何の役にも立たない。
セシウムだけが、放射性物質ではない。

●公務員数、「5%」?

 もうひとつ調べたの、公務員の数。
あのギリシアは、公務員数の多いことで知られている。
国家公務員数だけで、20%(報道)。

 国家公務員数が20%ということは、家族(妻、夫、子)を含めると、約3倍の人口が、
国家公務員もしくはその家族ということになる。

 では、日本のばあいは、どうか。
ネットで調べると、即座に目に入るのが、「5%」という数字。
あちこちの公務員系サイトが、さかんに「5%」という数字を並べている。
「日本は、諸外国と比べても同等」と。

 しかし実態は、どうなのか?
今朝は、これについて、きっちりと結論を下しておきたい。
「週刊ダイアモンド」(10月15日号)に、詳しい資料が載っている。
それをまとめる。

●日本の公務員数

(1)地方公務員(都道府県)
   一般行政部門……24・2万人
   警察部門  ……28・0万人
   教育部門  ……90・4万人
   
(2)地方公務員(市町村)
   一般行政部門……69・5万人
   消防部門  ……13・9万人
   教育部門  ……16・0万人

ほかに特別職職員
   知事、市区町村長、県会議員、市区町村議員……約2・1万人

   以上、合計、281・4万人

(3)国家公務員
   非現業国家公務員……27・4万人
   一般行政事務局員……14・5万人
   税務署職員   ……5・3万人
   国営企業(林業)職員……0・5万人
   特定独立行政法人職員……5・8万人
   特別職国家公務員  自衛官……24・8万人
             裁判官など……2・6万人
             総理大臣、国務大臣など、400人

   以上、合計、64・1万人

(4)独立行政法人
   事務・技術職……13・4万人
   特殊法人……32・3万人
   国立大学法人……13・1万人

(注:地方公務員数は、2010年4月1日、現在、国家公務員数は、2011年度予算
定員、その他は、2011年10月1日現在。)

 以上、総合計数は、345・4万人。
日本の人口は、国勢調査によると12805万6026人(2010年)。

345÷12805=2・69%=2・7%
しかしこれは、幼児から、100歳前後までの老人を含めた数。

 そこで民間サラリーマンの数(09年国税庁調査室)で割ってみる。
それによれば、全国の民間サラリーマンの数は、4506万人。

345÷4506=7・66%

 この計算に対して、「自営業者や農業従事者などは、含まれていないではないか」
と公務員の人たちは反論するかもしれない。

 しかし同時に、公務員の世界には、公務員としてカウントされない、準公務員が
いる。
「形」は民間だが、「中身」は公務員。
たとえば旧三公社五現業。
民間企業に移行したとはいえ、独占企業体として、国家の手厚い保護下にある。

★公共企業体(三公社)
1.日本専売公社 → 1985年(昭和60年)4月1日解散 (日本たばこ産業 (JT) に移
2.行)
3.日本国有鉄道 → 日本国有鉄道清算事業団(1998年(平成10年)10月22日解散)
4.に移行 (鉄道事業は1987年(昭和62年)4月1日にJRグループに移行)
5.日本電信電話公社 → 1985年(昭和60年)4月1日解散 (日本電信電話
6.(NTTグループ)に移行)

★国の経営する企業(附帯する事業を含む)(五現業) [編集]
1.郵便、郵便貯金、郵便為替、郵便振替及び簡易生命保険の事業(註) → 
2.日本郵政公社に移管。2007年(平成19年)10月1日の郵政民営化に伴い、
3.日本郵政及び傘下のゆうちょ銀行・郵便局・かんぽ生命・郵便事業に分割・移管し、
4.公社は解散した。
5.国有林野事業(国有林野事業特別会計において事務を取り扱う治山事業を含む。)
6.日本銀行券、紙幣、国債、収入印紙、郵便切手、郵便はがき等の印刷の事業(これ
7.に必要な用紙類の製造並びに官報、法令全書等の編集、製造及び発行の事業を含む。) 
8.→ 独立行政法人国立印刷局に移管
9.造幣事業(賞はい等の製造の事業を含む。) → 独立行政法人造幣局に移管
10.アルコール専売事業 → 新エネルギー総合開発機構

★天下り先としての外郭団体

 仮に旧三公社五現業を除いたとしても、この日本には、天下り先としての外郭団体があ
る。
「公社」「公団」という名前がついていることが多い。
2004年に民営化された(?)、日本道路公団もそのひとつ。

 こうした天下り先団体(企業)は、国家公務員はもちろん、市町村の村レベルにまで、
それがある。
その実態は、いまだかって数字として解明されていない。
たとえば文科省だけでも、約2000近い外郭団体がある。
そういう団体の職員は、公務員ではないが、公的機関から流れてくる資金、あるいは公的
機関の仕事を請け負うことで給料が支払われている。

 日本では、もちろんそういう団体の職員は、「公務員」としてカウントされていない。
つまり意図的か意図的でないかはわからないが、公務員数ほど、わかりにくいものはない。

●人件費

 そこで重要なのは、「人件費」ということになる。 
「週刊ダイアモンド」(2011年10月15日)誌によれば、国家公務員、地方公務員の
人件費は、つぎのようになっている。

 地方公務員の人件費(2010年度見通し)……21・7兆円
 国家公務員の人件費(10年度)      ……5・2兆円
                     計 26・9兆円

 国の国家税収が44兆円前後だから、公務員の人件費だけで、61%を占めることにな
る。
(人件費だけだぞ!)
この額を多いとみるか、平均的とみるかについては、意見が分かれる。
つまり公務員の数は、人数という「数」だけでみてはいけない。
「日本は、5%だから、欧米並み」という意見には、じゅうぶん、注意したい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 公務員数 公務員の人件費)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【今日・あれこれ】

●10月15日夕方記

アメリカでデモが多発しているという。
事実はどうか知らないが、1%の富裕層が、アメリカの99%の富を独占しているという。
それに対する抗議のデモという。
フ〜ン?
豊かな国で、豊かな生活をしている人たちが、デモをしている?
「私たちは99%」というのが、シュプレヒコールになっているという。

 しかしこれはおかしい。
世界の富の99%を、アメリカが独占している。
……という数字は誇張だが、今まで世界の富を集めるだけ集めてきたのは、アメリカ自身
ではないのか。
アメリカへ行ったことのある人ならみな知っていると思うが、郊外へ行くと、日本ではま
ず見られない大豪邸(マンション)が、ズラリと並んでいる。
ふつうの大豪邸ではない。
サウナルームあり、プールあり、トレーニングルームあり……という家は、当たり前。
映画などで見ると、それほど大きく感じないかもしれない。
が、現実に家の中に入ってみると、ゾッとするほど、広くて、大きい。

 一部屋だけで、日本の家の1軒分はある。

 そういう国の人たちが、今、デモをしている(?)。

●正義

 ただ誤解してはいけないのは、デモをしている人たちが、「正義の人」かというと、そう
ではないかということ。
不公平に抗議するのはわかる。
しかしそういう人たちだって、自分自身が富裕層に入れば、その時点で口をつぐむはず。
わかりやすく言えば、これほど正義感のあいまいなデモはない。

 辛らつな言い方をすれば、うっぷん晴らし。
こんなデモを繰り返しても、問題は何も解決しない。
しないばかりか、ドルの力を弱くするだけ。
ドルの力が弱くなれば、その分だけ、アメリカの国力は低下する。
回り回って、アメリカはますます貧しくなる。

 平たく言えば、今の今ですら、アメリカの「ドル」は基軸通貨。
言うなれば、ピカソの絵。
(日本の「円」は、よく見て、広重の絵。
世界の人は、あまりほしがらない。)
印刷しても、印刷しても、世界の人たちは、そのドルをほしがる。
だからアメリカはアメリカでいられる。

 その「ピカソの絵」を支えているのが、ウォール街。
ウォール街は、その司令塔のような存在。
もしウォール街が傾けば、アメリカ全体も傾く。

貧富の差は、ブッシュ前大統領が、富裕層の減税を実施したときから始まる。
それがここにきて、「矛盾」として噴き出した。

●資産の逃避

 一方、週刊誌「週刊現代」によれば、資産の逃避がつづいているという。
株、外債からの逃避などなど。
しかも一時は「塩漬け」と決め込んだものの、それにも耐え切れず、逃避する人もふえて
いるという。
(そういう人は、それを「恥」と思うのか、口に出して言わないが……。)

A氏の妻は、昨日、私にこう言った。
たまたま昨日、A氏に電話をかけたときのことだった。
A氏は、昼食にでかけていて不在だった。

「主人は、株が好きでねえ……」と。

声が沈んでいた。
それでA氏が株で穴をあけたのを知った。

私「早く逃げればよかったのに……」
A「病気みたいなものですから……」
私「ズルズルともっていると、あぶないですよ」
A「林さんのほうから、主人にそう言っていただけませんかア?」
私「わかりました。今夜にでもまた電話します」と。

●逃げ時

 何ごとにも、逃げ時がある。
その逃げ時に、モタモタしていると、傷口が大きくなる。
「まだ何とかなる……」「様子を見る……」などと言っていると、そのうち株にせよ、債券
にせよ、紙くずになる。

 ある経済誌によれば、この8月以降、現在、95%の一般投資家が、損をしているとい
う。
平均して、10%程度の損失なら、まだよいほうだそうだ。
つまり10%程度の損失なら、思い切って「捨てろ」と。
今回の株大暴落で、資産を半分、さらには10分の1にした人もいる。

 逃げるに逃げられなかった?
これも週刊誌で読んだ話だが、あの3・11大震災のとき、東京電力株に投資していた人
は、株価の暴落で、大きな損失を被ったという。
東京電力株といえば、退職金の行き先にもなっていた。
私は知らなかったが、電力株というのは、そういう「株」だったらしい。
独占企業体だし、電力会社がつぶれるはずはない。
みなが、そう考えた。

 が、結果は、みなさん、ご覧の通り。
(2月はじめに、2197円、昨日の終値は、215円。)

 株というのは、儲かっている間は、それを喜ぶ。
手放さない。
しかし世の中、何が起るかわからない。
その起きたとき、損をする。
リーマンショックあり、大震災あり、大恐慌あり……。
そういうときにまとめて損をする。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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