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2012年         4月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

マガジン2012−04月




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 30日号(祭日)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【本物の人vsニセモノの人】byはやし浩司 2012−03−16

●本物の人

 一言、二言、言葉を交わしただけで、それがわかる。
本物の人というのは、そういう人。
知性や理性が、バチバチと光る。
先日会った、村松秀太郎画伯も、そうだった。
思わず私は、こう聞いてしまった。
「あなたは、いったい、何者ですか」と。

 ずいぶんと乱暴な聞き方をしてしまった。
が、村松秀太郎画伯は、やさしそうに笑いながら、こう言った。
「日本画を書いていますよ」と。

●本物と偽物

 一方、ニセモノの人は、ニセモノと、これまたよくわかる(失礼!)。
同じく、その温泉で、別の男性に出会った。
名古屋市から来ているという人だった。
が、その男性のばあい、同じく一言、二言、言葉を交わしただけで、その男性の「底」が見えて
しまった。

 こうした(ちがい)は、どうして生まれるのか。
見た目には同じでも、中身がちがう。
その(中身)が、そのまま外に出てくる。
 
 が、誤解してはいけない。
中身のある人ほど、一見、ヘラヘラとした印象を受ける。
けっして、いかめしい顔つきをしているのではない。
やさしそうな、それこそ、どこにでもいるような人に見える。
が、一言、二言、言葉を交わしただけで、火花を飛び散る。
バチバチというか、ビリビリというか……。

 村松秀太郎画伯にしても、最初から、そういう人と知っていたわけではない。
が、言葉を交わした瞬間、「この人は、ただ者ではない」とわかった。

●精神の完成度

 絶え間ない心の鍛錬こそが、その人を光らせる。
あのパスカルも、そう書き残している。
釈迦も、「精進」という言葉を使った。
私は今まで、こう書いてきた。

 「精神の鍛錬法は、肉体の鍛錬法と似ている。
究極の鍛錬法というのはない。
1日でもサボったら、その日から健康は下り坂に向かう。
同じように精神も、1日でもサボったら、その日から精神は下り坂に向かう」と。

 が、肉体の鍛錬については、外から見ても、わかりやすい。
それなりに健康的で、たくましい体つきをしている。
が、精神の鍛錬については、外から見ただけでは、わからない。
ワイフは、「オーラ」という言葉を使う。
「それなりの人には、オーラが出ている」と。
しかし私は、オーラなるものを、信じない。

(1973、4年ごろ、ロシアのある科学者が、京都大学へやってきた。
そこでオーラの実験をしてみせた。
薄暗い部屋で、10人ほどの研究者が集まっていた。
当時は、「キルリアン」と呼んでいた。
オーラとキルリアンとは、同じものなのか。
あとで詳しく調べてみるが、かなりインチキ臭いものだった。
以来、私は、オーラなるものを信じない。
またそんなものがあるはずもない。)

 やはり、言葉である。
言葉のやり取りを通して、その人の精神の完成度を知ることができる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

真・善・美の追求。
学者は真を追求する。
宗教家は善を追求する。
芸術家は美を追求する。

私はものを書くことによって、何を追求しているのか。
ただの道楽なのか。
私はものを書きながら、いつも「私」を追求する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。
スパルタの七賢人の一人のターレスも、『汝自身を知れ』と言っている。
自分を知ることが、哲学の究極の目的というわけだ。
ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623〜62)も、『パンセ』の中
で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。
別のところでは、「思考が人間の偉大さをなす」ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。
この言葉は、釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。
精進というのは、「一心に仏道に修行すること。
ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。
釈迦は「死ぬまで精進しろ。それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残してい
る。

となると、答は出たようなものか。
つまり「私」というのは、その「考える部分」といことになる。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。
そんなある日、一人の事業家がやってきて、あなたの目の前に大金を積んで、こう言ったとす
る。
「今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こ
う言うにちがいない。
「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。
そこであなたという政治家が、人間であるためには、考えなければならない。
考えて、脳のOSの外に出なくてはいけない。
そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」と言って、そのお金をつ
き返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こる。
そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はないことになる。
しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」があることにな
る。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。
考えるといっても、あまりにも漠然(ばくぜん)としている。
つかみどころがない。
考えというのは、方法をまちがえると、ループ状態に入ってしまう。
同じことを繰り返し考えたりする。
いくら考えても、同じことを繰り返し考えるというのであれば、それは何も考えていないのと同じ
である。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。
そのヒントとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533−92)の『随想録』である。
彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたことがない」
と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。
そのために「書く」ということか。
私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。
もちろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかし
くない。
しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考えることができ
る。
書くことイコール、考えることと言ってもよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでに、「キルリアン」について書いた原稿をさがしてみる。
なおキルリアンについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を
掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 
撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 
対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた
物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像
を得られる)。 
また、真空中では水蒸気が速やかに拡散するため、像を得ることが出来ない』と。

 私が何人かの科学者たちと、京都大学で見た実験は、ここに書いたようなものだった。
半信半疑で、「ヘエ〜〜?」というような雰囲気で見ていたので、記憶の内容は、きわめてあい
まいである。
現在「オーラの写真」として公表されているものは、この「キルリアン現象」によるものと考えて
よい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「スピリチュアル」というインチキ(Spiritual Boom in Japan)

More and more people believe in Spirits, a kind of uncertain superstition in Japan. They 
believe the former existence or life after death. But where are they? Does it really exist? 
Books written by E-bara, a founder of this spiritual boom in Japan has succeeded in having 
sold more than 7 million copies of his books. I would rather say here that it is very 
dangerous to believe in such and such the existence of Spirits, since it is closely connected 
with Cult or Sect, a very radical religions. We have to be more careful about them.

かつての「霊」ブームが、「スピリチュアル」ブームに変わった。
インチキもインチキ、どうしてそういったインチキが、こうまで堂々と、この世の中で、大手を振
って歩くのか。歩くことができるのか。

「前世」だの、「オーラ」※だの、はては、「守護霊」だのと、科学性はゼロ。
ただの迷信。「守護霊」という言葉にしても、ほんの30〜40年前に、この日本に現れた。
何かのオカルト・ブームがきっかけだった。

雑誌などを読むと、「スピリチュアルと、宗教とは、ちがう」と説く人は多い。
「スピリチュアルは、宗教ではない」「だから危険性はない」と。

当然ではないか。

宗教には、まだ哲学がある。スピリチュアルには、それがない。
ないから、迷信。ただ、それだけに、ヘタなカルトより、タチが悪い。

思考性を他人に預けてしまうことの恐ろしさを、なたは、知っているか?
他人ならまだしも、わけのわからないものに預けてしまう恐ろしさを、あなたは、知っている
か?

「あなたはキツネの生まれ変わり」だの、「ヘビの生まれ変わり」だの、はては、「あなたの先祖
は、人を殺している。そのタタリ」だのと、とんでもないことを言われ、それを真に受けてしまう。

そのおかしさ、バカらしさ、まず、それに私たちは、気づくべきではないか。

……と書いても、私がひとりで叫んでも、意味はない。大河の中にクイを一本打つ程度の効果
しかない。

スピリチュアル・ブームの火付け役となった、E原氏の本は、総発行部数で、700万部を超え
ているという(「日本の論点」2008)。
Aテレビ系列の彼の番組では、毎回、2けた台の視聴率を稼いでいるという。

700万部だぞ! 私のBLOGやHPへのアクセス件数は、累計で、先月、月間ベースで、やっ
と10万件を超えた。
が、それでも、70分の1! テレビの視聴率と比べたら、かないっこない。

単純に計算しても、10%の視聴率としても、それだけで、1200万人。
そういう人たちが、インチキをインチキとも気がつかず、テレビという巨大マスメディアに、言い
ように操られている。
いったい、日本の良識は、どこへ消えた!

だから私は、あえて叫んでやる! 

こんなインチキを野放しにしておいたら、やがて日本は再び、たいへんなことになるぞ!

スピリチュアル・ブームくらいなら、まだよい。
思考力を失った人間がどうなるか? 
あのO真理教によるサリン事件を思い出してみればよい。
あるいは、現在のK国でもよい。さらには戦前の日本でもよい。

共通してそこにいるのは、思考力を失った人間たちだ。
さらに言えば、思考力を失った、若者たちだ。子どもたちだ。

……実は、今、私も、こうした迷信との戦いに直面している。

実家の仏壇を、私の家に移そうと考えているのだが、それについて、親類縁者の人たちから、
「ショウ抜きをしなさい」「ショウ入れをしなさい」と言われている。

「ショウ」って、何? どんな漢字をあてるの?

つまり仏壇といっても、ただの箱。
そこで所属宗派の僧侶に来てもらい、「魂」を抜いたり、入れたりしてもらえということらしい。

バカげた迷信だが、それを口にしている人たちは、本気らしい。
「ショウを抜かないで仏壇を移動すると、バチが当たる」とか、「ショウ入れをしないと、位牌をま
つっても意味がない」とか、さらには「故人が成仏できない」とか言う。

結構なご意見だが、そういう人たちは、一度、YOU TUBEで、世界の音楽なり、民族舞踊なり
を見てみたらよい。
つまり一度、世界から日本を見てみることだ。そして日本人のほかに、どこのバカがそんなこと
を口にしているか、一度、調べてみたらよい。

釈迦だって、そんなことは、一度も言っていないぞ! 
バカヤロー!

さらにあえて言うなら、日本の仏教も、そんなことばかりしているから、若い人たちに、ソッポを
向かれる。
「葬式仏教」と揶揄(やゆ)される理由も、そこにある。
結局は、スピリチュアルと中身は、同じ。

話をもどす。

「考えること」には、ある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。

そのとき横にいた人が、そっと、解答の出ている用紙を見せてくれたら、あなたはどう感ずるだ
ろうか。あなたは、ある種の陶酔感すら覚えるかもしれない。

だからほとんどの人は、できるだけ考えることから、遠ざかろうとする。
避けようとする。考えたところで、答が出てこないかもしれないという不安があるなら、なおさら
だ。

スピリチュアル・ブームは、そういう人たちの上に乗っている。
だから私は、「危険である」という。

前世も来世もない。この100年は、何とかもちこたえるとしても、200年、300年後には、人類
はもちろん、あらゆる生物が、この地球上から消える。
このままでは、そうなる。

そういう(現実)を前にして、「前世」だの、「来世」だのと、それを口にする、おかしさ。
そのおかしさに、まず気づいたらよい。

大切なことは、自分の脳みそで考えて、自分で行動することだ。
不完全で未熟かもしれないが、そこに人間が生きる意味そのものが、隠されている。

だから1人でも多くの人が、私と声を合わせて、こう言ってほしい。
「あんなのは、インチキだよ」と。その一声が、私たちの良識となって若者たちや、子どもたちの
未来を明るくする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist スピリチュアル スピリチュアル・
ブーム 精霊 聖霊 霊 カルト 迷信 オーラ論 オーラ)

(注※)
私が「オーラ」(?)なるものに出会ったのは、1970年のはじめごろのことだった。

(今、計算してみたら、1974、5年ごろのことだった。その記録は京都大学理学部のほうに
は、残っているはず。)

京都大学に、ソ連のある科学者(?)がやってきて、それを実演してみせてくれた。
その科学者は、科学的にオーラを光の映像にすることに成功したということだった。
私は、何人かの医師と連れだって、それを見るために、わざわざ京都大学まで出かけていっ
た。

(たしか当時、鍼灸の世界ではよく知られていた、良導絡研究所の研究所の人が、声をかけて
くれたように記憶している。
経絡とは何か。
その研究の過程で、だれかに呼ばれて、そこへ行った。)

そのときの実験は、こういうものだった。

(細部は記憶によるものなので、正確ではない。)

たとえば内臓のどこかに病変があると、その人が発するオーラの色が変わるというものだっ
た。
たとえば健康な人のオーラは、美しいxx色をしている。
しかし肝臓が悪くなったりすると、その色がxx色に変化する、と。

(色が変化するだけではなく、オーラの形や現れ方まで変化するという。)

体のあちこちに電極をつけていた。今から思うと、静電界か、電磁場を人工的につくり、それを
暗室で、発光させることによって、オーラ(?)を観察するというものではなかったか。

もちろん、そのあと、それは手品に近い、インチキと証明された。
人間にオーラなど、ない。
あっても、見ることも感ずることもできないはず。
ものごとは、常識で考えたらよい。

(注:ここで、キルリアンとオーラを同一視しているが、ひょっとしたら別物かもしれない。念のた
め。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 キルリアン オーラ 京都大学で
の実験 パスカル 思考 はやし浩司 パスカル)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉

 話を戻す。

 私はやはり「言葉」と思う。
あるいは、研究者であれば、論文、芸術家であれば、作品、さらに宗教家であれば、「言葉」と
いうことになる。
生き様でもよい。
とにかく、「見た目」では、わからない。
(わかることもあるが……。)

 私は、その人を判断するときは、その人の書いた文章を読む。
また文章を読まないと、落ち着かない。
たとえば簡単な例では、講演の依頼がある。

そういった依頼を電話で受け取っても、不安でならない。
日時、場所、など。
私自身の脳みその老化の問題もある。
電話で日時、場所を聞いても、すぐ忘れてしまう。
メモも、そのため、アテにならない。
が、こういう仕事のばあい、記憶違いは、許されない。
そこであえて先方には、こうお願いする。

「一度、FAXででもいいですから、依頼書を書いていただけると、ありがたいのですが」と。

 が、やはり直接的には、「言葉」ということになる。
言葉が、その人の内面世界を、直接表わす。
「先に書いた、一言、二言……」というのは、そういう意味である。

しかし私はそれでよいとしても、言葉には、2極性がある。
私が相手を判断するということは、相手もまた、私を判断していることになる。
私のほうは、相手を、「ただ者ではない」と判断する。
しかし相手は、どうなのか。
そういう私の「底」を見てしまうのか。
言い換えると、私は、そういった人たちには、どういう人物に映るのか。
残念ながら、私自身は、私をそういう「眼」で見たことがないので、わからない。

 さらに言えば、本物であっても、またそうでなくても、それはその人、個人の問題。
つまり「結果」。
ただこういうことは、言える。

 本物の人に出会うというのは、本当に楽しい。
同時に、うれしい。
自分がそうであるというわけではないが、仲間に出会ったような喜びさえ覚える。
まじめに、ただまじめに、ひたすら懸命に何かを追い求めてきた。
そういう人には、そういう人独特の(はね返ってくる言葉)がある。
雰囲気がある。
それを知るのは、本当に楽しい。
孤独感そのものが、癒される。

 ……ということで、今朝は、ここまで。

 先ほど、ある雑誌社から、原稿依頼をもらった。
その見本原稿を書いた。
おまけとして、それをここに添付する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【愛と甘やかし】


●「許して忘れる」


 (愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。が、尺度がないわけではないわけではありませ
ん。
「許して、忘れる」。英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れ
る」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。


が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではあり
ません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き
落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。


●誤解


 が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。

規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。

 自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。


●筋(すじ)


 それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生
まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。


 あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。


『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、
真の家族の喜びを与えられます』と。


 (限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。

※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)

では、今日も、がんばります。
2012/03/16


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【北朝鮮のミサイル発射実験】

●北朝鮮の裏切り

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もともとアメリカの単独行動。
日本を無視しての、単独行動。
だいたい10年近くも、もめにもめた米朝会談が、
たった1回だけの会談で、「合意」に達するほうが、おかしい。

アメリカ側の代表は、「うまくいった」と喜んで帰ったが、そうは問屋がおろさない。
北朝鮮側は、たった17日目にして、合意時効を、反故(ほご)にした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●合意事項

先の米朝会談で、北朝鮮側は、つぎの3つを約束したとされる(2012年2月)。

(1)寧辺(ニョンビョン)のウラン濃縮活動や核実験、
(2)長距離弾道ミサイル発射実験を一時停止し、
(3)国際原子力機関(IAEA)の監視要員の復帰にも応じる、と。

 が、その舌の根も乾かない今日、北朝鮮は、突然、ミサイル実験をすると、発表した(3月16
日)。
まだ1か月もたっていない!
たったの17日目。

西日本新聞は、つぎのように伝える。

『北朝鮮は、来月の故キム・イルソン主席の誕生100年に合わせ、「衛星」を打ち上げると発
表しました。

 これは「朝鮮宇宙空間技術委員会」のスポークスマンの発表として北朝鮮のメディアが報じた
ものです。
故キム・イルソン主席の誕生100年を迎える来月12日から16日の間に地球観測衛星を打ち
上げるとしています』(以上、TBS-i・ニュース)。

『2月下旬に行われた米国と北朝鮮の高官協議の合意内容が公表された。

 北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)のウラン濃縮活動や核実験、長距離弾道ミサイル発射実験を
一時停止し、国際原子力機関(IAEA)の監視要員の復帰にも応じる▽見返りに、米国は北朝
鮮に食糧支援として24万トンの栄養補助食品を提供、追加支援についても協議する−という
のが主な内容だ。

……(中略)……

 新指導部が一時的とはいえウラン濃縮や核実験・ミサイル実験の停止を受け入れたことは、
朝鮮半島の緊張を緩和する動きとして、一定の評価ができる。
2008年12月以来、中断している6カ国協議の再開につながる可能性もある』(以上、西日本
新聞:2012年3月2日)。

●アメリカ側の勇み足

「長距離弾道ミサイル発射実験、一時停止」を、本当に、北朝鮮側は、約束したのだろうか。
それについては、Yahoo Newsは、つぎのように報道している。
(ただしこれはアメリカ側の発表。)

『……アメリカ国務省のヌーランド報道官は3月16日、北朝鮮のミサイル発射予告について
「非常に挑発的だ」と述べた。
 また、ミサイル発射予告は米朝合意に「反する」と指摘し、国際的な義務の順守を要求した』
と。

 が、2012年3月に入ってからの、記事をあちこち読み返してみるが、「ミサイル」の文字は、
どこにも見えない。
聯合ニュースの一部を紹介する。

『……ウラン濃縮活動の中断に関しては、国際原子力機関(IAEA)と北朝鮮が間もなく協議に
入るとされる。
その場合、ウラン濃縮活動中断を前後して訪朝するIAEA査察官の規模や装備搬入、査察官
の立ち入り範囲、訪朝時期などが懸案になりそうだ。

 米朝は、文化・教育・スポーツ分野の人的交流拡大に関する合意についても、近く取り組み
を始める見通しだ。
米州に居住する朝鮮半島出身の離散家族の再会や、多様な文化交流が実現する可能性が
高まった』(以上、聯合ニュース、3月2日)。

 これらの記事を並べて読んでいたとき、私は、あのクリストファー・ヒルを思い出した。
あの男も、打ちあげたのは、花火ばかり。
中身が何も伴わなかった。
で、この記事をよく読めばわかるが、北朝鮮にしてみれば、「ミサイルの話は、何もしなかった」
ということになる。
つまりアメリカ側の、勇み足?

●相互連絡事務所?

 こうした一連の米朝会談の中にあって、気になるのが、「米朝相互連絡事務所」の設置。
先の会談直後から、北朝鮮側は、さかんに、その設置を求めている※。
が、この米朝相互連絡事務所は、アメリカにとっても、またこの日本にとっても、死活的な問題
を含む。

 アメリカ側にとっては、まさにその事務所が、いったん事あれば、「人質事務所」になる。
北朝鮮に住むアメリカ人は、そのまま「人質」に。

 また日本としては、警戒すべきは、「米朝友好条約」。
仮に「米朝友好条約」が締結されるようなことになれば、その時点から、日米安保条約は死文
化する。
アメリカ本土が攻撃されないかぎり、アメリカは北朝鮮を攻撃できなくなる。
つまり、北朝鮮は、日本に対して、やりたい放題のことができるようになる。

(注※)『北朝鮮の核問題を巡る6か国協議の北朝鮮首席代表を務めるリヨンホ外務次官が1
0日、ニューヨークで開かれた非公開セミナーで、最高指導者のキムジョンの意思として、米国
と北朝鮮の連絡事務所をそれぞれの首都に年内に開設することを米側に求めたことがわかっ
た。

 核問題を巡る米朝合意を契機にした、北朝鮮の外交攻勢の一環といえる。

 関係筋によると、李次官は同セミナーで米側出席者の元米外交官や専門家らに対し、米国
は北朝鮮への敵視政策を転換すべきだと要求したうえで、「今年中に双方の首都に連絡事務
所を開設したい。これはトップの意思だ」と述べた』(YOMIURI ONLINE 3月12日)。

●なし崩し

 一方的にワーワーと騒ぎ、ものごとをなし崩し的に既成事実化する。
こうした思考回路は、朝鮮民族独特のもので、それには北朝鮮も韓国もない。
竹島問題しかり、日本海の呼称問題しかり……。
……ということは、2つのことが考えられる。

(1)「ミサイル発射実験の凍結」は、アメリカ側の思い込み。
一方的にそういう話を、しただけ。

(2)米朝相互連絡事務所設置については、北朝鮮側の思い込み。
一方的にそういう話を、しただけ。

 少なくともたがいに、「そうですね」「それも考えましょう」程度のことは言ったかもしれない。
しかし文書化はしなかった(?)。

 相手がふつうの、(まともな)国なら、あいまいな合意事項でも、良識に従い、前向きに育てて
いく。
雑談ではあっても、相手の意をくみ、たがいによいように実現させていく。

 が、相手は北朝鮮。
あの北朝鮮。
まともな論理の通ずる相手ではない。
ないことは、あのクリストファー・ヒルの一連の米朝交渉を見ればわかるはず。
またしても、アメリカは、北朝鮮の手玉に取られた。

●ミサイル発射実験

 北朝鮮側はしかし、「ミサイル」とは言っていない。
「観測衛星」(報道)と主張している。
が、それを信ずる国は、どこにもない。
午後になって、つぎのような記事が配信された。

『……玄葉光一郎外相は、ただちに報収集を行うとともに、米韓をはじめとする関係国と連携
して対応するよう(事務方に)指示した』
『さらに、人工衛星の打ち上げが行われた場合、対北朝鮮制裁を定めた国連安全保障理事会
の決議に違反する可能性があるとの見方を示した』(以上、Yahoo/News)。

●すべては振り出しに

 結局すべては、振り出しにもどった。
1997年の、あの当時に戻った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「97年の愚」と題したエッセーを、書いたことがある。
それをそのままここに紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●97年の愚

 「97年の愚」というのは、1997年、韓国がデフォルト(=債務不履行=国家破綻)に陥った
とき、日本政府が、韓国政府から頼まれもしないうちから、IMF、世界銀行、アジア開発銀行な
どを総動員して、総額で500〜600億ドルかき集めて、韓国を救済したことをいう※。
しかもアメリカの反対を押し切ってまで! 

その少しあと、日本政府は、120万トン※という穀物援助(主に米)を、北朝鮮に対してしてい
る。
時のK外務大臣は、「これで(朝鮮半島が)動かなければ、責任と取る」と明言したが、結局、
何も動かなかった。
動かなかったばかりか、かえって反日運動が激化した。
竹島問題を例にあげるまでもない。
もちろんそのあと、K外務大臣が責任を取ったという話もない。
さらに最近に至っては、「借金は返しから、問題はない」(=日本に頭をさげる必要はない)と、
韓国政府は居直っている。

注※……ご存知のように、1997年、韓国は、国家破綻(デフォルト)した。
その年も終わろうとしていた、11月21日、時のイム・チャン・ヨル副首相は、こう宣言した。

「今の難局を乗り切るには、IMFの誘導調整資金の援助を受けるしかない」と。

 そのときから、韓国の国家経済は、IMFの管理下に入ることになった。

 そのとき資金援助したのが、IMFに並んで、世界銀行と日本。それぞれが100億ドルを援助
した。
そのほかにアメリカが、50億ドル。アジア開発銀行が、40億ドルなど。
総計で、550億ドル!

 その結果、それまで33行あった主要銀行は、最終的には、3行になった。
翌年には、失業者は150万人を超え、韓国ウォンは、1ドルが、1000ウォンまで、下落した。

 ただ不幸中の幸いだったことは、韓国経済の規模がそれほど大きくなかったこと。
今の日本円になおせば、わずか5〜6兆円。
それで、救済できたこと。

(日本のばあい、あのN銀行救済のためだけに、4兆円も、お金をドブに捨てている。
C総連系列のC銀には、1兆円!)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●河野洋平元外務大臣

 お人好し、日本!
おバカ、日本!
この「97年の愚」を読んだだけでも、それがわかるはず。
ここに書いた「K外務大臣」というのは、「河野洋平外務大臣」のこと。
なおウィキペディア百科事典には、「2000年(平成12年)、外務大臣として北朝鮮への50万ト
ンのコメ支援を決定した」とある。

 私の当時の記憶によれば、「120万トン」。
どちらが正しいのか?
(売国奴サイト)によれば、つぎのようにある。
(本当に、そういうサイトがある。
事実だけを転載させてもらう。)

『2000年、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。
「自分が全責任を取る」と見得を切ったが、この支援量は国連の世界食糧計画が要請した19
万5000トンの要請を遙かに上回る援助であり(金額にして1200億円)、およそ戦略性のな
いものとして「なんのためにしたのかわからないコメ支援」(田中明彦)などと批判された。
また、供与したコメの一部が軍の備蓄に回されたことへの批判も強い』(同、サイト)と。

 まさに「売国奴的行為」と呼ばれてもしかたのないような援助である。

 ……遠い昔、私が代筆した本に、河野洋平氏は推薦文を寄せてくれた。
その恩義があるから、今まで、「K外務大臣」と伏字にしてきた。
しかし今回から、「河野洋平氏」、実名表示にする。

(注※……120万トンについて。
私は当時、この数字を、確信をもって、記憶した。
50万トンというのは、米だけの数字ではないのか。
米以外の穀物を含めると、120万トン?
あるいは数年をかけ、120万トンの援助をしたのかもしれない。
当時の記録をさがしてみたが、それが見つからない。
どうであるにせよ、「50万トン」という量だけでも、たいへんな量である。)

●国益第一

 日本はもっと、国益第一に、クールな外交を展開すべき。
こんなことは、世界の常識。
北朝鮮については、韓国や中国が、いかにいやがっても、自然崩壊にもっていくべきであっ
た。
その方法としては、人権問題一本に絞り、北朝鮮を締めあげる。
徹底してそれを繰り返すべきであった。

 が、今やその人権問題にしても、なし崩し的に、どこかへかすんでしまった。
自然崩壊といっても、いまさら、どうにもならない。
中国が強力な後ろ盾となり、北朝鮮を守っている。
韓国も、そういった日本の意図を、すでに深読みしている。
「日本を結果的に利するようなことは、しない」と。
韓国は、北朝鮮が自然崩壊し、そのまま中国に組み込まれることを、何よりも心配している。
つまり手遅れ。

 では、どうするか?

●崩壊寸前?

 北朝鮮を、徹底的に無視する。
国際法違反と人権問題だけを中心に据え、それだけを世界に向け、訴えていく。
あんな国を、まともに相手にしてはいけない。
相手にする価値もない。
日本は、それに徹する。

 が、見方を変えると、こうも言える。
北朝鮮の豹変ぶりというか、平気で約束を破る姿勢には、ただただ驚くばかり。
が、つまりそれだけ内部的に、北朝鮮は、今、追いつめられている。
崩壊寸前。
「アメリカとの約束どころではない……」と。

 実際、そうなのかもしれない。
漏れ伝わってきているネット情報によれば、民衆の離反が始まっているという。
今回(2月)の米朝会談にしても、私は、「なぜ、今?」と。
「なぜ、今、食料援助をするのか?」と。
そんなふうに考えていた。
が、崩壊寸前ということであれば、納得できる。
北朝鮮も、今、死にもの狂い。

 なお、別の情報によれば、中国は北朝鮮に、米、穀物など、20万トンの援助を申し出ている
という(3月16日)。
もしそうなら、北朝鮮にしてみれば、「アメリカなど、もう用はない」ということか。

 ……とまあ、いろいろな憶測が飛んでいるが、わかりやすく言えば、この繰り返し。
北朝鮮は、周りの国々を脅迫する。
それに応じて、それぞれの国は、適当な援助を差し出す。
そのつど北朝鮮は、(振り子外交)を繰り返す。
中国→アメリカ→ロシア→韓国……、と。

 北朝鮮という独裁国家にとって、核兵器というのは、いわば(本尊)。
1回や2回程度の会談で、その本尊を手放すわけがない。
ワシントンに住んでいるアメリカ人には、それが理解できないかもしれないが……。

(願わくは、北朝鮮のミサイル発射実験が、失敗すること。
北朝鮮という独裁国家が、国際社会を前に、赤恥をかくこと。)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【注視! 日本国債の動きが、おかしいぞ!】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

とうとう国債が、下落し始めたぞ!
わかっているのか。
その深刻さが、わかっているのか。

消費税法案で、モタモタしているばあいではない。
足の引っ張りあいをしているばあいではない。
ここで何か起これば、日本は万事休す。

とうとう始まった、国債の下落。
Bloombergも、ロイターも、一斉にそれをトップ記事で、報道している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国債の続落

『債券は大幅続落 

 債券相場は大幅続落。米国景気の回復期待から前日の米債相場が大幅下落した流れを引
き継いで売りが先行。
 午後発表の20年債入札結果を受けていったんは戻したものの、中期ゾーンの現物債売りな
どをきっかけに相場は下げ幅を拡大した。 
 東京先物市場で、中心限月6月物は前日比62銭安の141円31銭で開始し、直後に141円29
銭まで下げた。
 午後の20年入札結果発表後には141円59銭までやや戻したものの、再び売りが優勢になる
と水準を切り下げ、結局は85銭安い141円08銭と、中心限月で昨年7月11日以来の安値で引
けた』(以上、Bloomberg)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 つづいて、こんな記事もある。

『海外ファンド主導で国債相場が急落、一時停止措置寸前に

 『日本国債の先物相場が急落した背景にあるのは海外ファンド勢の動きだ。
米金利急騰で商品投資顧問業者(CTA)が買い持ちを解消したほか、マクロ系と呼ばれる海
外ファンドは新たに売り持ちを構築し始めたという』(以上、ロイター)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●一刻の猶予もない

 今、日本の経済は、崖っぷちに立たされている。
ここで国債が、そのまま暴落したら、この日本はどうなる?
国家破綻だぞ!
が、それとて楽観論。
もしここで、何かのイベントリスクが発生すれば、どうなる?
地震、それとも原発事故……。
何かが引き金になり、そのまま日本は奈落の底に。

そんなことは、素人の私にもわかる。
が、国会は、何をやっている?
ゴタゴタつづき。
こういったことは、先手、先手で勝負。
後手、後手どころか、その後手も定まらない。

 今や、一刻の猶予もない。

●国債
 
 幸いなことに(?)、国債をもっているのは、金融機関と、それにジーちゃん、バーちゃんた
ち。
金融機関は、日銀の統制下にある。
あまりある現金で、国債を買いつづけている。
またジーちゃん、バーちゃんたちは、インターネットをしていない。
情報の外で生きている。
が、老人たちだって、そうはバカではない。
「どこか、おかしいぞ」と感じたときが、最後。
国債は、売りに出され、同時に暴落する。

 書き忘れたが、「国債」というのは、「国の借金」。
つまり借用証書。

●中学生の数学

 こんな数学の問題を考えてみた。

+++++++++++++++

Q:ある国が、額面100万円の国債を、利息2%をつけて、売り出した。
が、その国の経済が不安定になり、額面が割れ、80万円に下落した。
実質金利は、何%、上昇することになるか。

+++++++++++++++

 相場がさがれば、金利は自動的に上昇する。
なぜか。
この数学の問題が、それである。

 つまり仮に相場が、100万円から80万円にさがっても、その国は、100万円に対して、2%
の金利、つまり「2万円」を支払わねばならない。

 が、その国債は、実際には、80万円で売買される。
額面の100万円では売買されない。
つまり2万円という金利は、80万円に対しての金利ということになる。
これで計算すると、
2÷80=2・5%となる。

 つまり金利は、2%から2・5%に上昇したことになる。
さらに相場が、50万円にさがったら、どうなるか。
「日本の国債は、額面の半分の価値しかない」と、みなが判断したらどうなるか。

 そのときは、2÷50=4%となる。
仮にそうなったとすると、つぎに新規に国債を発行するときには、4%の利息を保証しなけれ
ば、その国債は、だれも買わなくなる。

 そこで額面100万円の国債を、4%の利息をつけて売りに出す。
で、当初は、そこそこに売れる。
が、再び、経済不安。

 その国債も、額面を割り、相場で80万円にまでさがった。
こうなると再び、先の計算。

4÷80=5%となる。

 金利は5%に上昇することになる。

 ……これを繰り返すうちに、その国は、やがて破綻する。

●楽観論

 が、おかしな楽観論が、市場を支配している。

その1。
日本よりあぶない国がいくつかあるから、まずそちらが破綻するはず。
日本は、そのあと。
だから日本は、だいじょうぶ。

その2。
日本は、大きすぎる。
日本が破綻したら、世界中がパニックになる。
だから日本が破綻する前に、世界が何とかしてくれる。

 その1については、ありえない話ではない。
というのも、日本の金融機関が大きな損失をこうむれば、金融機関は、外国から資金を引き上
げる。
そのとき真っ先の困るのが、それぞれの国。
そういった国のほうが、先に破綻する。

 その2にしても、大きいだけに、その分だけ、日本は奈落の底の、そのまた下にある地獄の
底に叩き落とされる。
結果、日本という「国」が消えてしまうかもしれない。

 だから……。

●引き延ばし

 今、世界は日本の政治を注視している。
「日本よ、ことの深刻さがわかっているのか?」と。

 残念ながら、世界の人の目に映る日本は、まことにもって、情けない。
あきれている人も、多いのではないか。
公務員数の20〜30%カットは、当たり前。
給料の、20〜30%カットは、これまた当たり前。
無駄な新幹線の建設や、道路建設は停止。
その上で、消費税率のUP。

 「そんなことをすれば、日本経済は成長性を失う」と説く人もいる。
しかし日本経済は、とっくの昔に破滅している。
それを無理に引き延ばせば延ばすほど、被害は大きくなる。

 ……というのは、乱暴な意見だが、しかし不気味は不気味。
それが冒頭にあげた、各記事。
国債の値動きが、このところ急にガタガタし始めた。
「注視!」。

 国債や現金を、タンスの中にしまっている人は、国債の動きにじゅうぶん注意したらよい。
いらぬ節介かもしれないが……。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【日誌・はやし浩司 2012−03−17】

●『マーガレット・サッチャー、鉄の女の涙』(以下、『マーガレット・サッチャー』)

 夜、8時過ぎ、月末の事務処理が終わった。
5月からの講演用のレジュメも完成させた。
そのとき、たまたま書斎にワイフが、お茶を届けてくれた。
「映画にでも行こうか?」と声をかけた。
ネットで調べると、9:30PMから、『マーガレット・サッチャー』が見られるのがわかった。
「いいわ」と、ワイフ。
それを確認したあと、すぐネットで、ビジネスホテルを予約する。
市内田町にある、クレタケ・イン・セントラル浜松。
「キャンセルがありましたから」と、すぐ部屋を用意してくれた。

 9時10分前に、家を出る。
今夜も深夜劇場。
我ら不良老人に、時刻はない。
「これからイギリスへ飛ぶぞ」と言うと、ワイフは笑った。
「映画を利用して、世界旅行!」と。

……。

 少し前、劇場から戻ったところ。
今、時刻は、12:12AM!
ワイフは、風呂に入っている。
私は、こうして今日の日記(?)を書いている。

 で、『マーガレット・サッチャー』。
評判通りの、すごい映画だった。
映画というより、メリル・ストリープの演技が、すごかった。
星は、もちろん5つ星の、★★★★★。
映画を見ながら、いろいろ考えた。
あの時代の、あのころを思い出した。
そのたびに、ズシリズシリと、重いものが胸に響いた。

 ……『マーガレット・サッチャー』の中で語られる英語は、もちろんクイーンズ英語。
一言、一言が格調高く、気品があった。
ウィット(機知)にも富んでいた。
ああいう言い回しが、日常的にできる英語が、うらやましい。
(もちろん下品な英語もあるが……。)

 つぎは、『スターウォーズ』、『長靴を履いた猫』……とつづく。
『Battleship』も楽しみ。


●友人

 話は前後する。
 
今日の昼、2週間ぶりに、友人に電話を入れた。
先月、呉(広島県)にある大和ミュージアムに行ったときのみやげを届けたのが、最後。
「どう?」と電話を入れると、意外な返事。

「女房は、胆のう摘出手術を受けてね。ぼくもヘルニアで動けなくなってしまった」と。
で、「林君、悪いが、昼飯を買ってきてくれんかなア」と。
元気のない声だった。

 異変を察知し、そのままワイフと車に飛び乗った。
途中のショッピングセンターで、3箱分の食料と飲料水を買う。
そのまま友人宅へ。
そこで2時間ほどを過ごした。
友人と奥さんは、それぞれ自分の病状を、詳しく説明してくれた。

 が、そういう話を聞くと、私は、すぐ「明日は我が身」と考えてしまう。
楽しいというよりは、(いつもは楽しいが)、しんみりとしてしまう。
私の年齢になると、いつ、何が起こるかわからない。
とんでもない伏兵が現れ、うしろから、ズバッとヤリで刺してくる。
油断できない。

 友人にしても、私よりはるかに健康に気をつかっている。
奥さんにしても、この4か月で、4キロやせたと自慢していた。
その矢先。
そんな友人夫婦にも、突然、病気が襲う。

 これから2、3日おきに、何かの食事を届けることにしよう。

●クレタケ・インにて

 ワイフは、今、チューハイを飲んでいる。
私は茶をわかし、それを飲んでいる。
日中は、あれほど眠かったのに、夜になると元気が出てくる。
そう、私は「夜男」。
血圧が低いこともあって、朝が苦手。

 こういう夜は、いつまでもこうして起きていたい。
いつまでも、文を叩いていたい。

●心配事

 今度、金環食が見られるという。
この5月21日(月曜日)に、地球と月と太陽が、一直線に並ぶ。

 その金環食が、この遠州地方でも見られるという※。
浜松市から静岡市にかけての一帯を、このあたりでは、「遠州地方」と呼ぶ。
が、金環食が見られる観測地点を知って、驚いた。
近く、東南海地震※が予想されている。
その場所と、ぴったりと一致する。

 月と太陽の引力。
その2つが重なって、この遠州地方を縦断することになる。
つまりそのとき、地球が受ける引力で、地震を引き起こす心配は、ないのか?
東南海地震は、目下、たいへん微妙な段階に入っている。
ほんの一押しで、大地震につながる。
そんなとき、地球と月と太陽が一直線に並んだら、どうなるのか。
そういう例は、今までにも、なかったわけではない。

 惑星や彗星が大接近するたびに、(もちろん偶然ということもあるが)、世界各地で、大地震
が起きている。
もしそうだとするなら、その日、この遠州地方を大地震が襲うかもしれない。
その確率は、ゼロとは言えない。

 とりあえず私とワイフは、その日に備えて、準備をすることにした。
「食料を買いだめし、山地へ避難しよう」と。
「金環食だ!」「きれい!」と浮かれている最中に、大地震が起きるかもしれない。

(注※……金環食)
『……いよいよ今年。2012年5月21日の朝。
九州・トカラ列島から福島県南東部にかけた日本の太平洋側の広い地域で、太陽がリング状
に欠けて見える珍しい天文現象 金環食(金環日食)が観測できます。
……(中略)……
今回の日食では東京・大阪・名古屋の三大都市圏が金環食帯に入っている上、中心食線(日
食帯の中心線)が南関東・静岡・紀伊半島南部などの多数の都市・観光地を通ります。
図鑑で見るような真円のリングが国内で観測できる、またとないチャンス!』(金環食ホームペ
ージ)と。

 この浜松市と静岡市、それに東京都を結ぶ線上を、金環食の中心食線が通るという!
なお、静岡市では、午前7時32分13秒に通過とか。
太陽や月の引力の力を、けっして過小評価してはいけない。

(注※……東南海地震)
『紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海 トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地
震。規模は毎回 M8・0 前後に達する巨大 地震で、約100年から150年周期で発生してい
る』
『政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2010年1月1日からの発生確率は30年以
内で 60〜70 % 、50年以内で 90 % 程度以上とされている』(ウィキペディア百科事典)と。

 東南海地震は、約100年から150年周期で起きているという。
前回は、1944年12月7日。

●夜中に目が覚める

 夜中に、息苦しくなった。
目が覚めた。
一応、ダブルベッドルームということにはなっているが、狭い!
縦と横の幅は、1・5間(約2メートル半)程度しかない。
ほぼ正方形の部屋+通路が、半畳程度。
換気扇はついているはず。
暖房も22度と、低め。
それでも夜中に胸苦しくなり、目が覚めた。
軽い頭痛もあった。
時刻は、午前4時半。

 窓を開ける。
新鮮な空気を、取り込む。
一息つく。

 「まさか……?」とは思いたいが、こんな狭い部屋で、2人の宿泊は無理。
こんな部屋に2人で泊まったら、酸素欠乏で、朝までに死んでしまう。
クレタケ・インには、そのつどしばしば泊まらせてもらっているが、こんなことははじめて。
次回は、慎重に部屋を選んでもらおう。

(注)
 チェックアウトのとき、それをフロントの男性に告げると、こう説明してくれた。
そのまま書く。

(1)部屋には、換気扇はない。
(2)洗面所(+風呂、トイレ)には、換気扇がついている。
(3)だから洗面所のドアを半開きにし、電気をつければ、換気ができる、と。

 しかし洗面所のスイッチは、1つ。
電気(天井灯)と換気扇のスイッチは別々になっていない。
つまりこの方法だと、電気をつけたまま、眠らなければならない。
が、私たち夫婦のように、真っ暗にしないと眠られない人も多いはず。
そういう人は、どうすればよいのか。

 説明を聞き、「不便だなあ」と一言。

●鏡

 テーブルの前に、50センチ四方大の鏡がある。
私の顔がまともに映っている。
その顔を、しばし、ながめる。
……というのも、私はめったに鏡を見ない。
見るとしても、1日の生活の中でも、数秒程度。

 その顔を見ながら、こう思う。
「ジジイだなあ」と。

 白髪がふえた。
今では、60%前後が、白髪。
顔のシワは少ない方だが、それは顔が、少しむくんでいるせいではないか。
どうしてだろう?
「今日、床屋へ行ってこよう」と、今、そう思った。
髪の毛はボサボサ。
口髭も、てんでばらばらな方向を向いている。
そう思ったところで、鏡から目をそらした。

●ネット中毒

 私もその仲間かもしれない。
が、隣りの韓国では、ネット中毒者が社会問題になっている。
正確には、「ネット」ではなく、ネット・ゲームと書くべきか。
一晩中、パソコン相手にゲームをする、など。
が、この日本では、話題にもならない。

 どうしてだろう?

 韓国では、一定の基準を定め、それ以上だと、ネット・ゲーム中毒と断定している。
が、この日本には、その基準すら、ない。
どうしてだろう?

 が、数値的な基準、たとえば1日、何時間以上、ゲームに没頭しているからどうのこうのとい
う尺度は、あまり意味がないのでは?
問題は、中身。
ゲームに没頭するあまり、自らを社会から遮断してしまう。
あるいはそのつど、ゲームの中の世界と、自分を1対1の関係に置いてしまう。
つまり自分とゲームの間に、距離を置かない。
バーチャルな世界に、ハマり、そこを現実社会と混同してしまう。

(「1対1」というのは、自分とネットの世界を、1対1と思い込んでしまうことをいう。
本当は、自分対、無数の相手なのだが、ゲームにハマると、それがわからなくなる。)

 で、子育ての世界には、「カプセル家族」という言葉がある。
自分たち家族を、風通しの悪いカプセルの中に、置いてしまう。
他人の意見を聞かなくなる。
自分たちだけが、ぜったい正しいと思い込んでしまう。
そのため同じ過保護でも、極端化しやすい。
過干渉や過関心にしても、極端化しやすい。
もちろんその先には、虐待もある。

 同じように、ネットを相手に、自らを社会から遮断してしまうと、ものの考え方が極端化しやす
い。
心に何かの病気をもっている人なら、なおさら。
まさにそこは仮想現実の世界。
その仮想現実の世界に、ハマってしまう。

 そのため、もしあなたがネット中毒者(?)なら、またその疑いがあるなら、努めて現実世界と
の接点をもったほうがよい。
外出するとか、人に会うとか、など。
運動をするのもよし、映画を見るのもよし。

●私

 私はいつもパソコンと、こうして向かい合っているが、ネットをする時間は、かぎられている。
パソコンと向かい合っている時間の99%は、こうして文章を叩いている。
つまりパソコンを、ワープロとして利用している。
残り1%で、Eメールを読んだり、あちこちを検索したりしている。
ゲームといっても、将棋と囲碁だけ。
ほかのゲームは、しない。

が、だからといって、安全というわけではない。
ときにささいなことが気になり、それが妄想につながるときがある。
そういうときは、精神がイラついてくる。
それで、それとわかる。
「あぶないぞ!」と。
ときどき「NO・パソコン・デー」をもうけているのは、そのため。
毎週水曜日前後を、その日と決めている。

 たとえば……ときどき「2チャンネル」をのぞくことがある。
若い人たちの意見が、そこには赤裸々な形で表現されている。
が、明らかに論理的に、「?」と思われるものも、少なくない。

「ジジイは、社会のゴミ。1匹くらい死んでも、害はない」とか、など。

どうしてそういうものの考え方をするのかということを、論じても、意味はない。
先に書いた「極端化」という現象と考えると、理解しやすい。

 ネット中毒かどうかは、何かのメンタル・テストをしてみてはじめてわかること。
たとえば子どものばあい、ゲームにハマっている子どもは、顔つきや表情、それに様子まで、
おかしくなる。
突発的に興奮状態になったり、キレやすくなったりする。
ゲームをしていないときは、(あるいはゲーム機が近くにないときもそうだが)、明らかにイライ
ラした様子を見せたりする。
(反対に、正気が失せたかのように、ヌボーッとする子どももいる。)

 何時間以上しているから、「中毒」とか、それ以下だから、「中毒ではない」とかいう判断は、し
ても、あまり意味はない。
診断のひとつの基準にはなるだろうが……。

●眠気

 再び、睡魔が襲ってきた。
眠くなってきた。
外では、カラスが鳴き始めた。
朝が近いよう。

 再び、自分の顔を見る。
小さな目だが、その目が、さらに小さく見える。
ショボショボしている。

 朝になったら、早くここを出る。
自宅で、もう一度、眠りなおす。

今日は、日曜日。
畑作を予定している。
10坪足らずの畑だが、ほぼ半分は、ほかの野菜で埋まった。
あとは、ナス、トマト、キュウリなどの定番野菜。
それを今日中に、すませたい。

……エ〜ト、ほかに、山荘へ行き、M氏に会わなければならない。
ときどき山荘周辺の草を刈ってもらっている。
その礼のあいさつをしなければならない。

 あとは薬局へ行き、目薬を買う。
いつも書斎に、3本ほど置いてあったのだが、今はゼロ。
このところ目の疲れを、よく感ずる。
気をつけよう。

 では、今朝のエッセーは、ここまで。
みなさん、おはようございます。
雨もあがり、生暖かい、春の陽気。
バンザ〜イ!

2012年3月18日


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司※

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育レベル&オーストラリアの教育レベル】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの教育レベル

 オーストラリアの教育レベルについて、最新の情報が届いた。

The average 15-year-old maths student in Australia is now performing at least two years 
behind their counterpart in Asia's leading countries; in reading and writing they are at least 
one year behind, according to your new report for the Gratten Institute. Is this gap widening?

平均的なオーストラリアの学生のばあい、他のアジアの先進国と比べたばあい、数学におい
て、少なくとも2年は遅れている。
読み書きにおいては、少なくとも、1年は遅れている。
(オーストラリア・Gratten研究所)

このギャップは、広がりつつあるのか?

Yes, it is. Australia was one of only four countries in the OECD's group of 34 members 
countries in the OECD) between 2000 and 2009 to see a fall in maths, reading and writing 
results. Whereas Australian students fell by 15 percentage points, the top students in 
countries like South Korea jumpted 15 points. 

はい、その通り。
オーストラリアは34か国からなるOECDの中において、2000年から2009年に間で、数学、
読み書きの調査結果で、学力の低下をみた、4か国の中の1か国である。
オーストラリアの学生は、韓国が15ポイントも上昇したのに対して、15ポイントも低くなった。

(以下省略)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアのレベル

 1970年のこと。
私がオーストラリアの大学で、こんな経験をした。

 理学部(Science)の学生と親しくなった。
で、部屋へ遊びに行くと、三角関数の微分の問題を解いていた。
かなり苦労をしていた。
それでそれを私が解いてみせた。
それを見て、その学生はたいへん驚いた。
「君は、法学生(law student)だろ。どうしてその君が、この問題を解けるのか?」と。

 私はこう言った。
「日本では、それを高校3年のときに、習う」と。

 が、それだけではない。
友人の家に遊びに行ったときも、そうだった。
中学1年生になった友人の妹は、2けた掛ける、2桁の掛け算を勉強していた。
日本では、当時は、小学3年生レベルで、それを学習していた。
私は、オーストラリアの教育レベルの低さ(?)に驚いた。

●誤解

 が、私が受けた印象は、まちがっていた。
こと数学(算数)に関しては、そうかもしれない。
しかし数学だけが、教科ではない。
以前、メルボルン市内のグラマースクール(全寮制の中高一貫校)について、電話で調べたこ
とがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●オーストラリアの現状

……が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。
南オーストラリア州にしても、すでに10年以上も前から、(実際には20年以上も前から、201
2年記)、小学3年生からコンピュータの授業をしている。

メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイ
ツ語、インドネシア語、日本語の中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピ
ュータの科目もある。
芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。

 もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科目の一
つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日本の常識は、世界の常識ではない。
……ということを、書いたのが、つぎの記事。
中日新聞で、発表済み。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識vs世界の常識

『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。
見慣れたシーンだが、欧米ではああいうことは、ありえない。
たいてい妻を同伴する。
向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごす
ということは、まず、ない。
そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。
ボスが罪を犯して、死刑になった。
そこまでは彼らにも理解できる。
しかし問題はそのあとだ。
彼らはこう質問する。
「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするのか」と。
欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」という
ことになる。
しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を加えられたわけで
はないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。
あのNHKの大河ドラマだ。
日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あたかも英雄のように扱われている。
すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の庶民たちは、極貧の生活を強いら
れた。
もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それ
だけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。
教育についてみても、日本では、伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになって
いる。
欧米では、実用的なことを教えるのが、教育ということになっている。
しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につけるため。
欧米では、その道のプロになるため。
日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力主義。

 日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリカ
(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。
日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質
問する生徒がよい生徒ということになっている。
日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エデュケーションの
語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの
開きがある。
私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明したら、友人
のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。
そこで「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
チャールズ皇太子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせ
て、カリキュラムを学校が組んでくれる。
たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。
教育とて例外ではない。
それを知ってもらいたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●掛け算の九九

 オーストラリアは、本当に「ラッキーな国」だ。
資源が豊富。
お金がなくなったら、砂漠に穴を掘ればよい。

 が、日本は、そういうわけにはいかない。
資源といえば、「人的資源」だけ。
それだけ。
つまり「教育」しかない。
オーストラリアのように、「2年は、遅れている」「1年は、遅れている」と、言っているわけにはい
かない。
もしこの日本が、アジアの国々と同じレベルの教育をしていたとしたら、この日本に未来は、な
い。

 が、今では、分数の計算ができない大学生など、珍しくも何ともない。
さらに最近の調査によれば、平均値の出し方のわからない大学生もいるとか。
中学生も、掛け算の九九のわからない学生がいる。
25年ほど前のことだが、中学1年生で、九九ができない学生が、20%近くもいたという。
塾連の人たちが、それを調べた。
(九九は暗記していても、5・7(ゴシチ)と聞かれて、瞬時に答えられない学生をいう。)
今は、もっと多いはず。

 世の親たちは、そして教師たちは、「一度、教えたから覚えているはず」「一度学んだから、覚
えているはず」と考えやすい。
しかしどんな学習内容でも、しばらく使っていなければ、忘れる。
忘れるものは、忘れる。

●凋落(ちょうらく)する日本

 冒頭のレポートは、韓国を取りあげている。
「韓国は、15%、伸びた(jumped 15 points)」と。
日本ではない。
韓国である。
 
 またこのレポートでは、日本のことはわからない。
そこで私なりに調べてみた。

 OECDによる学力調査による、つぎのようになっている(2006年)。

(1)数学的リテラシー
台湾→フィンランド→香港→韓国→オランダ→スイス→カナダ→マカオ→リヒテンシュタイン→
日本(10位)→、だそうだ。

 ちなみにオーストラリアは、13位。

 が、気になるのは、日本の凋落ぶり。
「科学リテラシー」についての調査だが、つぎのように順位を落としている。

2000年、韓国に次いで、2位。
2003年、フィンランドに次いで、2位。
2006年、6位。

 読解力は、8位から15位、
日本にとってよい数字は、ほとんど出てこない。

●オーストラリアの友人へ

 資料を送ってくれた友人は、Gratten研究所と連絡を取るように勧めてくれた。
私は友人には、こう書いた。

「……学力といっても、授業時間数に大きく影響を受ける。
日本では、相対的に、数学にあてる時間が多い。
オーストラリアでは、科目数そのものが多い。
その分だけ、数学を学ぶ時間が少なくなる。
だからオーストラリアの子どもたちの、数学の能力が、他の国々より低いと聞いても驚かない。
問題は、日本である。
メジャー・コンパルサリー・サブジェクト(主要教科)であるにもかかわらず、学力が低下してい
る。
日本人の子どもたちの学力低下は、かなり深刻なレベルにある」と。

 が、Gratten研究所とは、連絡を取らなかった。
率直に言えば、もうどうでもよくなってしまった。
疲れた。
……というふうに書いてはいけない。
私が書かなければ、だれが書く?
……ということで、気力をふりしぼる。

 が、こうなることは、すでに10年以上も前から、わかっていた。
わかっていたが、日本の教育は、何も動かない。
変わらない。
100年一律の教育を繰り返している。
またそれでよしと、その上で、あぐらをかいてしまっている。

 唯一の希望(?)は、私がYOUTUBEにUPしている動画が、世界中のポータルサイトが、コ
ーナーを作って紹介していてくれること。
ウソだと思うなら、「はやし浩司」で検索。
1〜10ページ近くまでを、順に見てほしい。
10ページだけでも、世界の6近いポータルサイトが、私のYOUTUBEを紹介している。
そのうち私の指導法が、ロシアや中国から、日本へ逆輸入されるかもしれない。

http://www.veengle.com/s/%E5%B9%BC%E5%85%90%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%
8C%87%E5%B0%8Eby%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8.html

http://videos.drole.ch/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://pktube.onepakistan.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%8F%B8/

http://sellhome.konyubyubwebdesign.com/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%E5%
8F%B8.html

http://www.remusicas.org/videos/-;PDlnxgONCRg.html

http://www.oguiadacidade.com.br/guiavideo/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%97%E6%B5%A9%
E5%8F%B8/
(以上、ヤフー検索、10Pまで)

●終わりに……

 オーストラリアの友人が送ってくれた資料について、今朝は考えてみた。
たいへん悲観的なエッセーになってしまったが、次回は、何とか明るいテーマについて考えて
みたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 学力 国際学力比較 リテラシー
 はやし浩司 オーストラリアの学力 Gratten Institute of Education Australia)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●吐き出し

 頭の中がモヤモヤしてくる。
それがやがて、爆発しそうなほどまでに、充満してくる。
文章が片っ端から現れ、消え、また現れ、消える。
断片的な文章であることが多い。
しかし時には、講演か何かをしているかのように、ザラザラと流れてくることもある。
それがしばらく、つづく。

 そこでパソコンの前に座る。
まず切り口となる、軽い文章を叩く。
「書く」にではない。
「叩く」。

 脳みその調子のよいときは、指先が軽快に動く。
タイプミスもほとんど、ない。
そうでないときは、そうでない。
運動をしないで、タイプを叩くと、自分でもそれがよくわかるほど、指先がモタモタする。
だから運動は欠かせない。
今朝も書斎に入る前、30分、ランニングマシンの上で、歩いた。
走った。
ほどよい汗が出た。

 たいていは、日付から叩き始める。
「今日は……」という出だしで始める。
とたん、文章が、頭の中からどっと出てくる。
あとは一気に、それを吐き出す。

「書く」のではない。
「吐き出す」。

 その快感がたまらない。
1週間分、あるいは10日分の便が、一気に出たような感じ。
(汚いたとえで、ごめん!)
しかしそれに似ている。
フロイト流に解釈するなら、肛門期の排便。
それに似ている。
(フロイトがいう肛門期というのは、心的なものをいう。誤解のないように。)

 ……おとといと、昨日、私は2日連続で、頭の中のモヤモヤを吐き出した。
気持ちよかった。
楽しかった。
同時に、疲れた。

 今朝は、その反動か。
まったりとした満足感に包まれ、頭の中はからっぽ。
遅い朝食を終え、野鳥のために、餌をまき、そのあと乗馬マシンで、腰の運動。
ゆっくりと書斎に。
時計を見たら、10時を過ぎていた。

 今日は、あの3月11日。
「もう1年!」と思うと同時に、日本人の私たちにとっては、長い1年だった。
あの日を境に、日本人は、質的に変化してしまった。

●自己客観評価力

 話題を変えよう。

 「空気を読む」という言葉がある。
感覚というより、感情の触覚を四方八方に伸ばし、その場の雰囲気を的確に判断することをい
う。
わかりやすい例でいえば、何かの会合に出たようなばあい。
そのとき、お呼びか、お呼びでないかどうか、それを判断するのも、そのひとつ。
お呼びでないところへ顔を出したりすると、場違いというか、息苦しくなる。
居場所すら、ない。
で、結局、その場からそそくさと、逃げ帰ったりする。

 何度か、経験がある。

 ただ私のばあい、「空気は読める」。
が、「空気を読みまちがえる」。
(どちらも似たようなものだが……。)

 だから最近は、何かの会に誘われても、前もって慎重に判断する。
空気を読みまちがえると、イヤミの集中砲火を浴びる。
楽しいはずの会が、かえって不愉快な会になってしまう。
が、この問題は、子どもの問題と直結している。

●AD・HD児

 集中力が欠如している子どもというのは、たしかに、いる。
AD・HD児もそうだが、その一歩手前というか、それを薄めた子どもとなると、その倍はいる。
(ADHDの発現率は、5%。)

 さらに「空気が読めない子ども」となると、年齢にもよるが、30〜40%はいる。
自己評価力の問題ということになる。
(ふつう「自己評価力」というときは、自分の能力の評価力のことをいうが……。)
あるいは現実検証能力でもよい。
周りの現実を、的確に検証できない。
あるいは現実と自分が、遊離する。
そういった力が、欠落する。
つまり自分の立場を、客観的に評価できなくなる。
(そういう意味では、「自己客観評価力」(はやし浩司)という言葉がふさわしい。)
ともかくも、みなに嫌われていても、嫌われているということ自体、わからない。

 そういう子どもは、どうすればよいか。

 ひとつの方法としては、ビデオカメラで子どもたちの様子を撮り、それをあとで子どもたちに見
せるという方法がある。
この方法は、自分で自分のビデオを撮るようになってから、知った。
現在、YOUTUBEを使い、私の教室を公開している。
その動画を、今度は自分で見る。
そのとき、そこに写っている私が、ときに私の別人格に見えるときがある。
つまり自分を、自分から離れた他人のようにして見る。
そのときふと、子どもたちが日ごろ、私をどのように見ているか、それがわかるときがある。

 たとえば私はよく、「じじい!」と呼ばれる。
が、私は自分では、じじいとは思っていない。
思っていないが、自分の動画を見ると、「なるほど」と思うときがある。
「私はじじいなんだ」と。

●母親

 が、それでも難しいのが、「母親たちの空気」。
私はいまだに、母親たちの空気が読めない。
まったくといってよいほど、読めない。
とくに幼児教室の場では、そうである。
味方なのか、反感をもっている人なのか、それすらわからないときがある。

 女性というのは、本当にむずかしい。
いまだに私にとっては、謎である。
あのホーキング博士も、最近、そう述べている。

 では、今日は、ここまで。
2012/03/12UP

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月13日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ毎晩、寝る前に、「マヤの〜〜」とかいう本を読んでいる。
結構、それが楽しい。
若いころ、シュメール人に興味をもったこともある。
東洋医学の勉強をしていて、興味をもった。

が、もうひとつ忘れてはならない民族がいる。
仰韶(ヤンシャオ)人である。
この民族も、シュメール人やマヤ人と同じくらい、大きな謎に包まれている。
黄河流域で生活していた。
調べれば調べるほど、不思議な民族。
その仰韶(ヤンシャオ)へ、一度は行ってみたい。
西安の近くである。
私たちが現在「漢方」と呼んでいる東洋医学の原点は、仰韶(ヤンシャオ)人にある。
……と私は判断している。

現存する「黄帝内経」は、後の学者たちに、ズタズタに改変され、医学書(?)になってしまっ
た。
が、元はといえば、天文学に関する本。
『五運行大論篇』を例にあげるまでもない。
しかも皮肉なことに、世界太古の『黄帝内経』は、中国にではなく、この日本に残っている。
京都の仁和寺(にんなじ)に、である。

東洋医学に関する本は、3冊、書いた。
うち1冊は、現在でも、全国の医学部や鍼灸学校で、教科書として使ってもらっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●年中児+3歳児に、かけ算と平行を教える

 昨日(3月12日)は、年中児(ほとんどが5歳児)と、3歳児(見学の女児)に、かけ算と平行を
教えた。
うまく指導できた。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/B7uP4piaqYE" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 その様子は、ここに紹介する。
こうした教育を否定する人も多い。
しかしそういう人にこそ、この動画を見てほしい。
幼児のもつ可能性に気づいてほしい。
同時に、現在の幼児教育なるものが、いかに幼児の「人権」を無視したものであるか、それに
気づいてほしい。

 特別養護老人ホームで指導者がしているような指導でもって、それが幼児教育と思い込んで
いる。
最悪なのが、NHKの幼児向け番組。
「♪お手々を、ブーラブ−ラ……」と。
ああいうのを見ていると、この私まで、恥ずかしくなる
私がもっている「幼児観」とは、まったく異質のもの。
幼児というのは、未熟で未完成という先入観でもって番組を作ると、ああいう番組になる。

 で、ときどき私は幼児たちにこう聞く。

「君たちさあ、ああいうのを見て、自分がバカにされていると思わないか?」と。

 すると、みな、こう答える。
「そうだ、そうだ」と。
年中児(4&5歳)の子どもたちだって、そう言う。
それくらいの意識はもっている!

●サナトス

 再び、マヤ。
何でもそうした本によれば、5月の金環食が、「終わりの始まり」だそうだ。
つまりその日から、世界中で異変が始まり、12月22日に、世界は終末を迎える(?)。
ウソか本当か……といえば、ウソに決まっている。
が、それがおもしろい。

 フロイトが言っているように、人間には、破滅願望というものがあるそうだ。
その原動力になっているのが、「サナトス」。
つまりフロイトは、どんな精神活動にも、表裏の二面性があると説く。
「生きたいという創造的な欲望」(リビドー)があれば、同時に「死にたいという破滅的な欲望」
(サナトス)もある、と。

 おおざっぱに言えば、そういうこと。

 で、「マヤの〜〜」を読んでいると、心の内部に潜む「サナトス」を感ずる。
もちろん、それを望んでいるわけではない。
が、あえて言うなら、戦争映画か、破壊映画を見るような楽しさ。
たとえば近く、『バトルシップ(Battleship)』という映画が、公開される。
海の中から、動物の風体をした巨大なUFOが現れる。
地球のあらゆるものを破壊する。
ああいう映画は、ストレス解消には、たいへんよい。
私はそういう映画が好き。
いつもハハハと笑いながら、映画館から出てくる。

 「マヤの〜〜」とかも、ハハハと笑って終わるはず。
12月22日(日本時間では、12月23日)が、楽しみ。
大声で、ハハハと笑ってやる。

●不気味な話

 一方、こんな話もある。

 昨日、週刊朝日を買ってきた。
今週号である。
その中に、こんな記事があった(P21、「福島第一原発事故は収束していない」)。
こちらは、ハハハと笑ってすませない話。

「……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出
せよ」と警告していますね。

(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に
分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが
眠っています」と。

 4号機には、毒性がきわめて強い、プルトニウムが使われていた。
(ウラニウムは灯油、プルトニウムはガソリンに、よくたとえられる。)
そのプールには、そのほか、使用済み核燃料が入っていた。
そこまでは私も知っていた。

 が、その危険性までは、知らなかった。
「プールに収まっているから、だいじょうぶ」と聞かされていた。
が、これがとんでもない、まちがい。

 ガンダーセンによると、プールにヒビでも入って、水が抜けたら、日本は万事休すということら
しい。
北は北海道から、南は静岡県、あるいは日本列島全体が、放射性物質でおおわれる。
週刊朝日には、「過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの」とある。

 さらに恐ろしいのは、仮にそういう状態になったら、近辺の原子力発電所も、制御不能になる
という。
管理する人がいない。
つぎつぎと放棄され、爆発を繰り返す。

 そうならないことを願うばかりだが、この先、30〜40年も、ハラハラ、ヒヤヒヤしながら暮ら
すのもどうかと思う。
(もっともそれまで、私は生きてはいないが……。)

 さらに恐ろしいのは、「被害」が現れるのは、これから。
がんによる死亡者が、100万人単位でふえるという!

 昨日の新聞によれば、千葉県からですら、人口の流出がつづいているという。
一方、この静岡県の人ですら、千葉県には行きたがらない。
実家が千葉県にあるMさん(生徒の親)も、こう言っていた。
「実家へはひとりで帰ります。子どもは連れて行きません」と。

 福島原発事故は、何も収束していない。
安全宣言など、もってのほか。
こうした事故は、緊張感のゆるんだときが、恐ろしい。
そのとき第二、第三の事故が重なる。

 ……とまあ、またまた暗い話で、ごめん。

 ともかくも、今日も始まった。
寒い朝だ。
がんばろう。
がんばるしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月13日を終えて……

●インターバル撮影

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今したいこと。
……イコール、ほしいもの。

カメラによっては、インターバル撮影なるものができるとか。
間隔を置いて撮影することを、インターバル撮影という。
たとえば5秒ごとに、シャッターを切る、など。
あとでその動画を再生すれば、たとえば1日の雲の動きを、10分程度で見られたりする。
道路の人の動きを、同じように、10分程度で見られたりする。
(おもしろそう!)

計算してみる。

1秒間に、30コマとする。
5秒ごとに撮影すれば、(30x5=)150秒を、1秒に短縮できることになる。
つまり、150分の1。
だから24時間x60÷150=9・6分!
1日の動きを、たったの9・6分で見ることができる。
(フ〜〜ン!)
それを知り、それができるカメラがほしくなった。

……ということで、今夜、仕事の帰りに、近くの電気ショップに寄ってみた。
カタログを集めた。
ネットで調べたところ、リコー社製のカメラに、その機能がついているという。

庭の様子を撮影すれば、どんな鳥が、どの程度私の庭に来ているかが、わかる。
空の星の動きを撮影してみるのも、おもしろそう。
さらに畑の野菜の生育状態も、(もしそのカメラが手に入れば)、撮影してみたい。

しかし問題がひとつ。
リコー社製のカメラは、プロ用のものが多い。
値段が高い。

そこでさらに調べてみると、インターバル撮影用の専門のカメラがあることがわかった。
値段も7000円前後。
これなら小遣いの範囲で、買える。

今夜一晩考えてみる。
明日もまだこの気持ちが揺らいでいないなら、1台、買うつもり。

(「揺らいでいない」が正しいのか。
「揺らいでない」が正しいのか。
日本語は、むずかしい。
「揺らいでいる」と言うから、語法上では、「揺らいでいないなら」が正しい。
が、ふつうの会話では、「揺らいでない」と言う。
「ラ抜き言葉」というのはある。
となると、これは「イ抜き言葉」ということになる(?)。
余計なことだが……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●穏やかな1日

 今日は全体に、穏やかな1日だった。
「穏やか」というのは、「心が穏やか」という意味。
淡々と過ごした。
淡々と仕事をした。
迷いも怒りもなく、平和な1日だった。

 夕方、空き時間を利用して、ワイフとレストランで食事をした。
いつものレストラン。
いつもの料理。

 そのせいか、今も穏やか。
眠くはないが、横になれば、すぐ眠ってしまいそう。
明日も、そうであればよい。

●春休みの計画

 ワイフと春休みの計画を立てている。
どこへ行こうか?、と。

 去年の夏、福井市から大野市へ、そこから山越えをし、岐阜県の白鳥市へ抜けた。
ひとりで旅をした。
その話を、ワイフに何度もした。
それを聞き、ワイフは大野市へ行きたいと言っている。
私は高山にある、どこかの温泉へ行きたいと言っている。

 ほかに、鳥取へ行き、カニを食べるとか、紀伊半島を回ってみるとか、など。
「めんどうだから、全部しよう」と私。
「いいの?」とワイフ。

私「ぼくたち、若いとき、仕事ばかりしていて、デートできなかった」
ワ「子育てに追われたわ」
私「そうだな。遊んでいる暇がなかった」
ワ「やっと、その時間ができたわ」と。

 ホント!

 夫婦が夫婦として本当に楽しくなるのは、60歳を過ぎてから。
いつだったか、伯母がそう言っていた。
その意味が、今、やっとわかるようになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「平行」小学1年生

 今日は、1年生に「平行」を教えてみた。
楽しかった。
後半部で、子どもたちの学習風景を収録した。
どうぞ、お楽しみに!

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/lkCgeNxKiPY" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


 が、計画を立てるのは、あまり好きではない。
それに縛られる。
ブラッとでかけ、行き先で旅館を決める。
それが私流。
いつもそうしている。
春休みが、楽しみ。

●ダイエット

 今のところ、ダイエットは順調。
68キロ弱あったが、昨夜、近くのホテルで計ったら、66キロ台。
今までの経験によれば、ピークは過ぎた。
「ピーク」というのは、つまり病気にたとえるなら、「山を越えた」という意味。

 この10日間、苦しかった。
空腹感との闘い。
が、これからは、楽。
胃袋そのものが小さくなった感じ。
自然と減量できる……はず。

 昨日も、あるホテルで朝食を食べた。
バイキング方式だった。
が、私は、ほんの少量。
「食べなければ損なのか? 食べたら損(そこ)ねるのか?」と、そんなことを自問しながら食べ
た。
結果、ほんの少量ですますことができた。

 そう言えば今日、昼寝をしているとき、ワイフが横でこう言った。
「あなた、頬に線ができたわよ」と。
頬がこけたという意味で、そう言った。
「ジジイになっただろ?」と言うと、「うん」と。

 目標は、64〜65キロ。
できれば63キロ。
がんばろう!


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●講演の帰りに、翠紅苑に一泊(村松秀太郎画伯に会う)
  はやし浩司 2012−03−14 寸又峡温泉にて

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、寸又峡(すまたきょう)温泉に一泊。
S町での講演を午前中に終えたあと、そのあと少し遠回りをすることにした。

今、その電車の中。
金谷(かなや)で下車。
金谷から。大井川鉄道に乗り換え、千頭(せんず)まで。
そこからバスで、寸又峡まで。
宿は、翠紅苑(すいこうえん)。
寸又峡温泉の中では、ダントツ、イチ押しの旅館。
寸又峡温泉では、いつもこの宿と、決めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●金谷から、新金谷へ

 金谷から千頭行に乗ろうとしたが、先の電車がちょうど出た後。
1時間後という。
1時間!
「それじゃあ、歩こう」ということで、JR金谷駅から、新金谷駅まで歩いた。
距離にして、2キロ弱。
空は快晴。
心地よい春の風。
絶好の散歩日和(びより)。

 途中のショピングセンターで、飲み物を買う。

●新金谷駅

 「新」という名前はついているが、20年前と同じ。
3人の息子たちを連れて、ここでSLに乗った。
30年前と同じ。
そのころ、このあたりの時計は止まった。
昔のまま。

驚いたのは、新金谷駅から千頭まで、料金が1720円(1名分、片道)だったこと。
1時間ちょっとの距離で、この料金。

 日本の鉄道料金は、高い!
「往復で?」と聞いたら、ワイフがチケットを見ながら、「片道よ」と。
「フ〜〜ン」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。

 ……がらんとした駅構内。
少し離れたところで女子高校生が2人、大声で話している。
その声が、ストレートに、ガラス窓を通して聞こえてくる。
あとは、何かのモーターの音……。
ブ〜〜ン……。

 のんびりとした昼下がり。
白い陽光が、まぶしく光る。

……ワイフは先ほどから、バッグの中をゴソゴソと整理している。

●二次利用

 パソコン、デジタルカメラなど。
やがて買い換えていくと、古い機種がそのまま残る。
そういうのを見ながら、どうして私たちは二次使用を考えないのか、と。
いつも、そんなことを考える。

「二次使用」というのは、もしこういった製品に、二次使用機能があれば、再び実用品として、
生き返らせることができる。
たとえばデジタルカメラ。

 デジタルカメラに、インターバル撮影機能、動体検知機能、アラーム機能などがあれば、カメ
ラとして使用しなくなったあとも、防犯装置として利用できる。
目覚まし時計でも、よい。
ほかのカメラへの映像転送機能があれば、監視カメラとしても利用できる。
パソコンにしても、そうだ。
同じような機能があれば、古くなり、使わなくなったあとでも、何かの仕事をさせることができ
る。

 このことは、たとえば空き缶やビンについても、言える。
たとえばコップ型にすれば、飲んだあと、コップとして、使用できる。
筆立てや、もの入れなどに利用するという方法もある。
(考え方が、少しセコイかな?)

 ともあれ私の家にさえ、デジタルカメラが、ゴロゴロしている。
ノートパソコンも、同じ数ほど、ゴロゴロしている。

 新金谷の駅の構内で、ジュースを飲んだ。
その空き瓶をどうしようかと迷っていたとき、ふと、そんなことを考えた。

●寸又峡温泉

 寸又峡温泉へは、何度か来た。
が、温泉に泊まるようになったのは、50歳を過ぎてから。
それまでは日帰り。

 ……たった今、新金谷駅で、電車に乗った。
塗装は、はげ、表面はボコボコ。
かなりレトロ電車。

窓ガラスが、どれも薄茶色に汚れている。
そのまま外の景色が、セピアカラーに。
左右に揺れるたびに、ギシギシ、キュッキュツと。

 金谷の駅で買った雑誌を開く。
「週刊アスキー」誌。

●WINDOW8

 近くWINDOW8が発売になる。
今、そのプロトタイプが、無料で試用できる。
その記事が、「週刊アスキー」に載っていた。

 ……この世界だけは、どんどんと変わっていく。
で、今度は、WINDOW8。
私は新しいOSが発売になるたびに、パソコンを買い替えてきた。
が、すぐ買い替えるわけではない。
発売後、数か月は、様子を見る。
評判を聞いてから、買い替える。

●撮影

 電車が動き出してからまもなく、窓の外の景色をビデオカメラに収め始めた。
広い川は、言わずと知れた、大井川。
「♪越すに越されぬ大井川」と歌われた、大井川。

 しばしその美しさに、目を奪われる。

●眠い……

 講演のあとは、いつもそうだが、食欲ゼロ。
どっと睡魔が襲ってくる。
今が、そう。
写真だけ撮ることにし、パソコンを一度、閉じることにする。

……眠い……。

……「着きましたよ」と声をかけられ、目を覚ます。
列車は、千頭駅に着いていた。
列車の中で居眠りし、起こされたのは、この2〜30年で、はじめてのこと。
あわてて荷物をつかみ、列車をおりる。

●翠紅苑

 この旅館は、いつも私たちを裏切らない。
シーズンオフということで、客はまばらだった。
旅館には悪いが、私たちには、ありがたい。

 部屋へ入ると、すぐ浴衣に着替えた。
ワイフが用意してくれた、茶を飲んだ。

 窓の外は、見慣れた山間(やまあい)の景色。
午後4時というのに、すっかり夕暮れ。
全体に薄青ぽく見えるのは、標高が高いせいか。
少し離れたところに小型のトラックが止まり、作業服を着た男たちが何人か、仕事をしていた。
風もない。

 ……ふと、3日前に植えた野菜の苗のことが気になった。
ここ数日、浜松地方は強い風に見舞われた。
今朝見たら、苗の何割かが、土をかぶり、横に倒れていた。

●ないものねだり

ワイフとこんな話をした。
「ないものをねだっても、しかたないね」と。

そこにあるものに、自分の価値を見出す。
幸福というのは、そういうもの。

 健康、生き甲斐、仕事、能力、キャリア、過去、安定感、名誉、地位、安心感、住環境、友
人、家族、経済的豊かさ、など。
満点の人はいない。
どれかがあって、どれかが欠ける。
大切なことは、自分を他人と比較しないこと。
「私は私」と。
「人は人」と。
つまり、その割り切りの中に、幸福が潜んでいる。

●老人組

 老人組に入って、いろいろなことがわかった。
(「老人」の入り口に立っている、私のような人間を、「老人組」という。) 

先のない閉塞感の中で、生きることのすばらしさと、空しさ。
その2つが、同時に2色の煙のようになって、心をふさぐ。

 ものが見える。
音が聞こえる。
ときどきそれが不思議でならない。

 その一方で、「今までの人生は何だったのか」と。
たびたび立ち止まっては、ほこりのようにたまった過去を振り払う。

 不安と心配。
小さな希望に自分を託し、明日にじぶんをつなげる。
あとは精一杯、虚勢を張り、自分をごまかす。
楽しいふりをする。
毎日が、その繰り返し。

 それをワイフを話したら、先の(ないものねだり)の話になった。
ワイフがその言葉を使った。
「ないものを、ねだっても、しかたないのよ」と。

 人をうらやむ(=envy)というのは、それ自体が、私たちを不幸にする。

●世界一周

 このところワイフとこんな相談を、よく交わす。
「仕事をどうしようか?」と。

 私は、死ぬまで子どもたち(生徒の幼児たち)との接点を保ちたい。
またそれがないと、「私」の土台が崩れる。
ものが書けなくなる。

 が、ワイフは、こう言う。
「外国を回りたい」と。
客船で、世界を一周する旅もあるそうだ。
あるいは、世界のあちこちを、3か月単位で移動するという方法もある。
花火大会にたとえるなら、最後に打ち上げられるスターマインのようなもの。
ドドド、バババ……と咲いて、そのまま散る。

 私の心は、揺れ動く。

●風呂

 ワイフが入浴支度を始めた。
「温泉に入ってこようか?」と。

 先ほどバスの中で、運転手が、こう言った。
「このあたりは、天然の硫黄泉です」と。
肌がスベスベになって、よいそうだ。

 話はぐんと恐ろしくなるが、あのラジウム温泉というのは、本当に安全なのか。
WHOは、「危険だからやめろ」という勧告を、出している。
またアメリカでは、ラジウムが検出される地域では、住宅の建設許可はおりないそうだ。
はっきりと確かめてはいないが、どこかの記事にそう書いてあった。

 一度、しっかりと確かめてみる。
今日は、どちらであるにせよ、つまり危険であるかないかということは忘れ、のんびりと湯につ
かりたい。

●ミステイク

 今日は、2つのミステイクをした。
ひとつは、パソコンのコードを忘れたこと。
もうひとつは、老眼鏡を忘れたこと。
朝、あわてて出かけたので、それで忘れた。

 いくらTOSHIBAのR631でも、一晩はもたない。
現在、バッテーリーの残は、46%(3時間45分)と表示された。

 これから3時間、間断なくパソコンを叩いてやる。

●うらやむ(=envy)

 (ねたむ)(うらやむ)というのは、聖書でも、きびしく戒めている。
常識。
先にあげた幸福の中で、何が大切かといって、「健康」ほど、大切なものはない。
体のどこかがおかしくなると、とたんに健康な人が、ねたましくなる。
うらやましく思うこともある。
が、そのときは、そのとき。
釈迦もこう言っている(法句経)。
「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 私たちは日々に作り上げ、日々に失っていく。
重要なことは、失うものを嘆かない。
そこにあるものの中から、幸福を見出していく。

 では、(若さ)については、どうか。

●若い女性

 数日前、テレビを見ていたら、こんな女性がいた。
すでに2度ほど、離婚しているという。
その女性がこう言った。

「私、身長が168センチもあるでしょ。だから結婚相手の第一条件は、いっしょに歩いていて、
かっこうのいい男です」と。

 その女性は、何とかというハーフの男性と結婚し、世間を騒がせた。
が、離婚。
もう一度結婚したが、子どもが1人でき、そのあとまた離婚。

 その女性を見ながら、「ぼくなら失格だな」と思った。
身長が足りない!
と、同時に、「そういう女性も多いのかなあ」と。

 が、いくら神様が私を、青年時代に戻してくれると言っても、そういう女性と結婚するような男
性だけにはなりたくない。

若い人たちから見れば、私たち老人組は、みな馬鹿に見えるかもしれない。
しかし私たち老人組から見れば、そういう若い人たちが、みな馬鹿に見える(失礼!)。
あのバーナードショーがそう書き残している。

 (若さ)が、馬鹿の代名詞であってはいけない。
そういう(若さ)だったら、私は、ねたましいとも、うらやましいとも思わない。

●美しい人

 今朝早く、浜松の駅前で、美しい女性を見た。
「どこの国の人かしら?」とワイフ。
振り返って見ると、そこで目が合ってしまった。
とっさに、こう言った。

「My wife says, you are a beauty!」(ワイフが、あなたのことを美しい人だと言っているよ)と。
すかさずその女性は、「Thank you」と答えた。
一瞬のできごとだったが、目がすてきだった。

 国を聞くと、「I'm from Canada(カナダ)」と答えた。

 見た目の美しさでは、日本人は、欧米人にかなわない。
そんな余韻もまだ残っているとき、電車の中で、前の席に若い女性が座った。
日本人の女性だった。
が、どこもかしこも、不自然。
プチ整形というよりは、顔全体を作り直してしまったかのような女性だった。
整形が悪いというのではない。
整形が必要な人も多い。
しかしいくらがんばっても、私たちの顔を、欧米人のような顔にすることはできない。

 どうして日本人は、欧米人の顔に近づけたがるのだろうか。
欧米人が、日本人のような顔に整形したという話は、聞いたことがない。
つまり整形そのものが、日本人であることの敗北を認めるようなもの。

 若い女性よ、中身を磨け!
知性を磨け!
理性を磨け!

 私とワイフは、その女性をまじまじと見てしまった。
見とれて、そうしたのではない。
どことどこを、どう整形したか、それを知りたくて、まじまじと見てしまった。
私たちの視線を感じたのか、その女性自身は、ツンとすましていた。
どこか得意げな雰囲気だった。

●外見

 外見を飾ることの虚しさは、50歳を過ぎないとわからないのでは?
が、この意見に対して、ワイフは、こう言った。
「若い人でも、わかる人は、わかるわよ。反対に、年をとっても、わからない人は、わからない
わよ」と。

 見栄、メンツ、世間体……。
そればかり気にしている人は、多い。
「だから、それがどうしたの?」という部分がないまま、生きている。

 が、私はそういう意味で、そう言ったのではない。
見栄、メンツ、世間体ばかり気にしている人がいる。
そういう人に、その虚しさを教えてもわからない。
が、50歳を過ぎたら、教えたら、わかるようになる、と。

 先の電車の中で見た女性にしても、そうだ。
その女性は、まさに命がけで、美しくなりたいと思っている。
その気持ちは、よくわかる。
が、今、その女性に、そうすることの虚しさを話しても、理解できないだろう。
ひょっとしたら、今の人生をバラ色に感じているかもしれない。

●見栄

 が、こんな女性もいる。
80歳を過ぎても、見栄、メンツ、世間体を気にしている女性だ。
60歳近い娘と同居している。
その女性の老齢年金と、娘の年金だけで、生活している。
家計など、あってないようなもの。
しかしそんな女性でも、美容院では、1万円のチップを渡しているという。

 さらにスーパーなどで、ものを買うときも、わざわざ分厚いサイフを見せびらかしているとい
う。
両端だけを1万円札にし、間に1000円札をはさんでいる。

 見栄、メンツ、世間体を気にする人は、そこまで気をつかう。
そういう女性と、先に書いた電車の中で見た女性は、どこもちがわない。
少なくとも、私には、同じに見える。

●翠紅苑(すいこうえん)

 時刻は、午後5時48分。
日が長くなった。
山間の景色は、ここへ来たときのまま。
こういうところでは、夕方が長い。

 食事は6時でも、6時半でもよいとのこと。
温泉へは、一晩中、入れるという。
ただひとつ残念なのは、温泉までの距離が長いということ。
一度、長い通路を歩くのだが、途中、外気にさらされる。
真冬は、つらい。

●村松秀太郎画伯(むらまつ・ひでたろう・がはく)

 夕食のとき、村松秀太郎画伯と知りあった。
話しかけたら、日本画の大家、村松秀太郎画伯とわかった。
しばらく話したあと、私はこう聞いた。

「失礼ですが、あなたはたいへんな方とお見受けいたしますが、あなたはいったい、どういう方
ですか」と。

村松秀太郎画伯は、笑いながら、こう言った。
「日本画を描いている、村松です」と。
それでその人物が、村松秀太郎画伯とわかった。

 その後、席を画伯の横に移し、いっしょに食事をさせてもらった。
ふつうなら、近くにも寄れない画伯である。

 その村松秀太郎画伯、翠紅苑に連泊し、近くの山の中で絵を描いているということだった。
その翠紅苑のロビーにも、村松秀太郎画伯の日本画が飾ってある。
龍の絵である。

 その前に、温泉でもいっしょだった。
その瞬間、「この人は、ただ者ではない」と直感した。
その直感は、ズバリ、的中した。

 村松秀太郎画伯が話している様子は、動画に収めさせてもらった。
YOUTUBEにUPしておく。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 村松秀太郎 画伯 はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉)

●ただ者ではない

 ここで私は、こう書いた。
「ただ者ではない」と。
雰囲気そのものが、ちがう。
一見、穏やかそうな人だが、その奥にある重みまでは、隠せない。

最初は、千葉県の話から始まった。
そのあと静岡県の話になった。
村松秀太郎画伯は、静岡県の清水市生まれ、現在は、千葉県の市川市に住んでいるという。
放射能汚染から避難し、静岡県にやってきているということだった。

その千葉県は、今、たいへんな状況という。
若い母親など、みな、ノイローゼになってしまっている、とも。

 ただ者ではない人には、重厚な気配を感ずる。
これも年の功か。
反対に、いくら身を飾っても、ただ者はただ者。
それもよくわかるようになった。

●頭痛

 部屋に戻ったら、午後8時を過ぎていた。
軽い頭痛は、列車の中で、起こされてから、ずっとつづいている。
温泉に入って、少しひどくなった。
睡眠不足と疲れ。

 こういうときは水分を多量に補給するのがよい。
食事中も、水をたくさん飲んだ。
今も立てつづけに飲んでいる。
私流の、治療法。
一時的に頭痛はひどくなるが、そのあと、まさに(水が引くように)頭痛が消える。
(頭痛といっても、いろいろな種類のものがあるが……。
詳しくは、はやし浩司著「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)をどうぞ!)

●サッカー

 ワイフがサッカーの試合を見たいと言った。
日本対バーレーン。
日本が引き分けか、勝てば、のロンドン五輪、出場権を手にいれる。
大事な試合。

 テレビにスイッチを入れる。
前半38分。
0−0。

 「ぼくの命は、あと2時間しかない」と私。
パソコンのバッテリーは、あと2時間分程度しかない。
いや、今調べたら、1時間15分。
こうなったら、時間との勝負。
1時間で、どこまで書けるか。

●「私」論

 書き忘れたが、翠紅苑の料理は、いつ来ても、すばらしい。
満足度、120点。
が、今夜は、ほどほどのところで箸を置いた。
先ほど脱衣所で体重を測ったら、65キロだった。
できれば、この状態を保ちたい。

 要するに、ダイエットというのは、脳の奥深くに潜む本能との闘い。
食欲本能という本能との闘い。
私であって、私でない「私」との闘い。
ほとんどの人は、(私もそうだが)、その本能に振り回されてしまう。
自分を見失ってしまう。

 逆に言うと、本当の私を取り戻すためには、一度私を、その「私」から切り離す必要がある。
食事をしながらも、自分にこう問いかける。
「食べなければ損(そん)なのか。それとも食べれば損(そこ)ねるのか」と。
その問いかけを繰り返す。
その先に、本当の私がある。

 ダイエットを、ただのダイエットと考えてはいけない。

●3月15日

 昨夜は、そのまま就寝。
2回目の温泉に入り、そこでダウン。

(この間、約9時間。)

 今、千頭の駅の構内で、列車を待っている。
9時26分発の、各駅停車。
今、時刻は、9時57分。
それまでパソコンのバッテリーがもつかどうか?

 何度も、警告表示が現れる。

 やや冷えた空気が、椅子の下から体に伝わる。
しかし寒いというほどではない。
もう春は、そこまで来ている。

 私たち夫婦だけの構内。
電車に乗るのも、2人だけ?

 ……ということで、今回の寸又峡温泉の旅は、おしまい。
あとは、バッテリーが消えるまで、こうして文を打ちつづける。

 ……ワイフが、今、暖かい紅茶を横に置いてくれた。
3月15日、木曜日。
昼までに帰り、あれこれ仕事の用意をしたあと、街へ出る。
そう言えば、近く『スターウォーズ』が、公開される。
楽しみ。
今度の『スターウォーズ』は、題1作の、リメイク版。
3D。

 それから今週は……。
こういうBLOGでは、予定は書かないほうがよいそうだ。

 そう言えば、昨夜、関東地方で地震があったとか。
気がつかなかった。
またロンドン五輪のサッカー予選では、日本が2−0で、バーレーンを下している。

 ……翠紅苑では、村松秀太郎画伯に直接会うことができた。
人格者だった。
印象に強く残った。
これから画伯の日本画を見るたびに、昨夜のことを思い出すだろう。
すばらしい思い出になった。
横山大観……、平山画伯……、それにつづく、現代日本画の巨匠。

 本物の人は、どこかちがう。
雰囲気がちがう。
会った瞬間に、それがわかる。
そういう自分が、つまり多少なりとも、人を見る目ができた自分が、少しだけだが、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 翠紅苑 寸又峡温泉 村松秀太
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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(前号からのつづき)

【橋下大阪市長の暴走】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

長い前置きになった。
さて、本題。
私は、「維新」という名前に違和感を覚えながらも、橋下大阪市長の言動に注目してきた。

が、このところ、どうも様子がおかしい。
「維新の会」といい、自らを平成の坂本竜馬と位置づける(?)。
先にも書いたが、「維新」イコール、「革命」ではない。
そんなことを念頭に置きながら、橋下大阪市長の言動を分析してみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

が、その前にもう一作。
道州制についても、自分の考えを再確認してみたい。
日付は、2006年5月になっている。
内容が一部、先に書いた原稿とダブるが、
許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●最近の話題から

++++++++++++++++

憲法改正、それに道州制の導入など。

このところ、世間の動きが、
急にあわただしくなってきた。

++++++++++++++++

 憲法改正の焦点は、何といっても天皇制。
現在の「象徴天皇」から、「国家元首」としての位置づけを、明確にしようというもの。

 しかしこれには、私は、明確に、反対しておきたい。
そもそも、どうして現行の「象徴天皇」ではいけないのか? 
日本が、本当に民主主義を、標榜(ひょうぼう)するなら、「天皇元首制度」は、まさに、その民
主主義の理念を根底から、否定するものと考えてよい。

 つぎに道州制の導入だが、当然のことながら、各道、各州には、「長」が選ばれることにな
る。
この世界では、「首長(くびちょう)」という。
これについて、「道州に、国の権限を大幅に移譲し……」とあるが、それを額面どおりに読んで
はいけない。

 現在の今ですら、全国の都道府県知事の大半が、元中央官僚。
副知事の大半も、国会議員の大半も、また大都市の市長の大半も、元中央官僚。

 明治時代には、士族、華族、とくに元大名の師弟は、こぞって東大から自治省をめざした。
そしてその自治省から、全国へ県令(現在の県知事)となって散っていった。

 それから100年。この図式は、今も、何も変わっていない。

 仮にもしここで道州制になったら、道、州の「長」は、さらに元官僚たちによって、独占される
ことになる。
わかりやすく言えば、「国の権限を大幅に移譲し……」というのは、選挙で選ばれた政治家た
ちの影響力を弱め、官僚たちによる国の支配を、さらに強固にしようというものである。

 その頂点に、元首としての天皇を置く。

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。
私が学んだ、オーストラリアの大学でのテキストでは、「日本は、官僚主義国家」となっていた。
「君主(ロイヤル)官僚主義国家」となっていたのもあった。

 当時の私は、それに猛反発したが、今は、ちがう。
「なるほど、そうだったのか」と思うようになった。
同じ「民主主義」という言葉を使うが、オーストラリアでいう民主主義と、日本でいう民主主義と
は、まるでちがう。
どうちがうかということについて書き出したら、キリがないが、ともかくも、ちがう。

 今、ここで天皇を元首にした道州制を導入したら、それこそ、まさに「王政復古」。
1660年にチャールズ2世が、なしとげたあの王政復古そのものということになる。

 英語では、その「王政復古」を、「the Restoration」という。
同じく、明治維新も、外国の文献では、「the Meiji Resoration」と翻訳されている。
日本では、「維新」というが、それはいわば、言葉の煙幕のようなもの。
時の政府は、その煙幕を張って、国民をだました。

 そこで、もしここで、天皇が元首になり、今の状態のままで、道州制が導入されたら、外国で
は、「the Heisei Resoration(平成王政復古)」と呼ばれるようになるだろう。
またまた明治王政復古に、逆戻り!

 戦後、日本は、当初は押つけられたものであったかもしれないが、アメリカ型西欧文明を、受
け入れた。日本国憲法も、その過程で生まれた。

 しかしここにきて、急速に、復古主義が、台頭してきた。
その種の本も、よく売れている。
(その本の売れ方も、どこか不自然だが……。)
「武士道こそ、日本が誇るべき精神の根幹」と説く人も多い。
憲法改正も、道州制の導入も、その流れの中にある。

 行政改革、つまり官僚制度の是正は、ことごとく暗礁に乗りあげてしまっている。
なぜそうなったのかということについては、今さら、改めて書くまでもない。

 もちろん私も、みながそれでよいと言うのなら、それで構わない。
が、それには前提がある。
「それでよい」と言う前に、みなが、もっと考えなければならない。
考えた末に、「よい」というのなら、私も従う。

 しかし、みなは、考えているのか? 
本当に考えているのか? 
大半の人たちは、政治の話を口にしただけで、顔をそむけてしまう。
そういう状態の中で、「まあ、いいだろう」というように、安易な結論を出すことは、日本の将来
にとって、たいへん危険なことである。

 そのツケを払うのは、結局は、つぎの世代の人たちということになる。
今、官僚となり、わが世の春を謳歌している人たちも、「つぎの世代」、つまりあなたの子ども、
あるいは孫の立場になって考えてみてほしい。

 本当に、それでよいのか、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 憲法
改正 天皇元首制 道州制の導入 日本の民主主義 民主主義)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2007年12月の原稿を、もう1作。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●何か、おかしいぞ、教育再生会議!
(The regenerated consultative conference of the 
education)

*The Liberalization of the Education

The Japanese government has been trying to control our minds all the time since the end 
of the WW2. There they have two main consultative organs, conducted by the government. 
How can they choose the members of the organs under what kind of standard they choose 
with? The Japanese government is heading toward conservatism or the way to the right-
wing like way of thinking. We need more freedom! Or do they want the Restoration of the 
Imperial Rules?

+++++++++++++++++

「空理空論」という言葉がある。
「まず、国家統制ありき」という姿勢もある。

この両者がからんで、「教育再生会議」となった。

世界の流れは、「教育の自由化」。

それに向かって、まっしぐらに進んでいる。

なにゆえに、日本の政府は、そして文科省は、こうまで教育の自由化を恐れるのか?

国民を、どう統制しようとしているのか?

とくに気になるのが、道徳教育(?)。

「道徳を(徳育)として教科化する」という。

これに対して、日本教育再生機構のY理事長は、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や
人権などを教えることができなくなる」と、さっそく歓迎の意思表示。

「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化している。
教科書があれば何を教えるのかのコンセンサスが得られ、教育内容の水準が確保できる」と
コメントを寄せている。

しかし政府は、いったい、どういう基準で、諮問機関のメンバーを選んでいるのか?

自分たちにとって都合のよい、YESマンばかり集めて、あらかじめ用意したお膳立てに従っ
て、結論を出す。

あとはそれをもとに、「控えおろう!」と。

日本というより、日本政府は、またまた右寄りの路線に向かって、舵を切ろうとしている。

いいのか、日本! このままで!

++++++++++++++++

 「自由化」イコール、「バラバラ」という意味ではない。
またそうであってはいけない。
しかしそんなことは、常識。
明治の昔なら、いざ知らず、国民は、そんなバカではない。
アホではない。

 教科書の国定(検定も同じ)にしても、それをしているのは、先進国の中では、この日本だ
け。

 「まず、国家統制ありき」……それがこうした諮問機関の大前提。
そのおかしさに、私たち日本人が、まずそれに気づくべきではないのか。

 無数の試行錯誤の中で、失敗もあるだろう。
挫折、頓挫もあるだろう。
ときには、はげしい衝突もあるだろう。
しかしそういう山坂を越えて、日本人も、「自由」の意味を知る。
「自由」を手に入れることができる。

 いくら政府や文科省が、日本人を統制しようとしても、日本人の心は、もう別の方向を求め
て、歩き出している。
それがわからなければ、尾崎豊の「卒業」を、一度でもよいから、聴いてみることだ。

 何が、徳育教育だ! 

教科書ができれば、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や人権などを教えることができ
なくなる」(?)。

 「おかしな平和や人権」とは何か? 
それを「おかしい」と言うほうが、おかしい。
「平和」や「人権」は、守って守って、守り抜いてこそ、平和であり、人権なのである。
戦時中は、「平和」とか、「人権」という言葉を口にしただけで、「非国民」と呼ばれ、問答無用
に、逮捕、投獄された。
多くの人は、拷問まで受けた。

 そういう歴史を、日本よ、日本人よ、忘れたか! 
またそういう反省もなく、「おかしい」とは、何ごとか! 
恥を知れ!

 「道徳」についても、世界の心理学者たちは、もっと科学的な視点から、考え始めている。
マズローの「道徳論」に、一度は目を通してみればよい。
しかし「孔子」だの、「論語」という言葉が出てくるところが、恐ろしい。
さらに「武士道こそが、日本が世界に誇るべき、精神的バックボーン(背骨)」と説く人までい
る。
またそうした本が、売れに売れまくっている。

 さらにさらに、天皇を「象徴」から、「元首」にという動きもある。
憲法改正は、おおむね、その方向に向かって進みつつある。
どうして21世紀の現在、「王政復古」なのか? 
しかもこの日本で!

 だいたい「再生」とは何か? 
何からの「再生」なのか? 
まさか戦前の状態にもどることを言っているのではないだろう。
このところ、私は、この言葉に、不気味さを覚えるようになっている。

【参考:以下、ヤフー・ニュース・07年12月26日版より】

 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)は25日、首相官邸で開いた総
会で第3次報告を正式に決定し、福田康夫首相に提出した。
社会人教員の増員や校長の権限強化、現在の学制「6・3・3・4制」の弾力化などの項目の実
現を掲げ、6月の2次報告でも提言した徳育の教科化を再び盛り込んだ。

 安倍前内閣時代の昨年10月に発足した再生会議は一通りの検討作業を終え、来年1月に
も総括的な最終報告をとりまとめる。

 首相は総会後、記者団に対し、「よくまとめてくださった。
3次報告でまとまった基本的な考え方を、中央教育審議会(中教審)で具体化することになる」
と述べた。

 「社会総がかりで教育再生を」をテーマにした3次報告には、「学力の向上に徹底的に取り組
む」などの7つの柱が掲げられた。

 小中一貫校の制度化検討や小学校からの英語教育実施なども提言されたが、当初目玉と
なっていた、児童・生徒が自由に学校を選択し、その数に応じて学校に予算配分する「教育バ
ウチャー(利用券)制」は、モデル事業としての実施を検討することにとどまった。

 第3次報告は、採用者の2割以上を教員免許を持たない社会人とする▽徳育の教科化▽大
学の授業の3割以上を英語で行う−などを求めているが、専門家からは賛否の声が上がっ
た。

 教員免許を持たない社会人を教員に採用することについて、日本教育大学院大学の河上亮
一教授は、「実現すれば教育現場の意識改革になるのではないか」とみている。
教育学部を卒業した教員が多い現状よりも多様な人材が教壇に立つ方が活性化するとの考
えからだ。

 文部科学省によると、全国の小中学校の教職員は70万人おり、再生会議の報告通りにす
るなら総数で14万人の社会人を迎え入れなければならないが、河上氏とは対照的にある県
の教育委員会幹部は「民間は善、公務員は悪という発想による提言だ。
待遇面で教員は決して恵まれていない。
優秀な人材が多数集まるとは思えない」と批判する。

 道徳を「徳育」として教科化することについて、日本教育再生機構の八木秀次理事長は「実
現すれば道徳の時間におかしな平和や人権などを教えることができなくなる」と歓迎。
「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化している。
教科書があれば何を教えるのかのコンセンサスが得られ、教育内容の水準が確保できる」と
している。

 一方で河上氏は「徳育を教科にするのなら、自分のためだけでなく、人のために尽くすことは
大切だということを社会の共通認識にする努力が必要だが、現実的には難しい」と教科化には
懐疑的だ。

 大学の授業の3割を英語で行うことは可能か。

 福島県立会津大学はコンピュータ理工学部の単科大学で、教員の4割が外国人。
授業の多くは英語で行われ、卒業論文も英文だ。
第2外国語をなくし、英語の時間を増やしている。
同大は「コンピューターは米国で発展したもの。
プログラムを理解するために英語に習熟することは不可欠な対応」と英語での授業の必要性
を説く。

 一方で、横浜国立大学の鈴木邦雄副学長は、「3割の授業を行うのは大学院なら可能だろう
が、学部で行うのは難しいのではないか。
英語の授業を用意しても、学生が履修しなかったら意味がない」と話している。

 再生会議の委員の一人、中嶋嶺雄氏が学長を務める国際教養大学(秋田県)は、すべて英
語で行う。
しかし、英語に関心の高い学生が多く入学する一方で、授業についていけない学生もいるとい
う。(櫛田寿宏)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育再生会議 第3次報告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●さて、本論

 2012年2月に入り、新聞各紙は、橋下大阪市長の言動を、いっせいに報道し始めた。
そのまま紹介する。

『維新の会、遺産全額徴収も検討 「国家元首は天皇」明記

 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が事実上の次期衆院選公約「維新八策」で掲げる相
続税強化策に関し、不動産を含む遺産の全額徴収を検討していることが9日分かった。
資産を残さない「一生涯使い切り型人生モデル」を提唱、消費を促す税制に転換し、経済活性
化を図る狙い。
ただ内部に異論もあり、協議を継続する考えだ。

 国家元首は天皇と明示することも判明。
同会は10日、大阪市で開く全体会議で協議した上で、八策の概要を公表する方針だ。
現段階で数値目標はほとんど打ち出していないほか、実現可能性が疑われる項目もあり、24
日開講の政治塾でも精査を続ける』と。

●船中八策?

 さらに産経新聞は、つぎのように伝える。

『橋下氏「元首は天皇陛下」 参院議員に「船中八策」説明

 地域政党「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長は17日、参院予算委員会のメンバーと
会談。
橋下氏は、維新が次期衆院選公約として策定中の「維新版・船中八策」(維新八策)に盛り込
んだ首相公選制について、実現後も「あくまで国家元首は天皇陛下だ」との考えを示した。

 維新八策の骨子公表後、橋下氏が国会議員と議論したのは初めて。
日本では憲法上、国家元首の規定はないが、内閣法制局の見解で天皇陛下とされており、大
統領制と同じ国民の直接投票となる首相公選制導入後の元首の規定について、疑問の声が
上がっていた。

 会談では、外山斎委員(民主)が首相公選制について「大統領制とほとんど変わらない。
国家元首は首相になるのか」と質問。
橋下氏は「国民が直接選ぶことと(選ばれた首相が)国家元首であるということに論理的な必
然性はない。
天皇制のもとにおいて、国家元首は天皇陛下だ」と明言した。

 一方、維新八策で示された参院廃止についても質問が集中した。
片山虎之助委員(たちあがれ日本)は「廃止するなら衆議院がいい」と冗談を飛ばし、「改憲が
必要で簡単にはいかない」と牽制(けんせい)。
山本一太理事(自民)は「衆院も参院も廃止して一院制にすると言ってほしい」と要望した。

 橋下氏は「大阪府庁と大阪市役所が100年戦争をやってきたのと同じ状況が、衆院と参院
でもあると感じた」と皮肉り、「衆参という形は国民が望んでいない」と持論を述べた。
(産経新聞 2月18日(土)7時55分配信)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 橋下大阪市長については、もう少し言動を注意深く追いかけてみたい。
冒頭に書いたように、橋下大阪市長は、ひょっとしたら、ジャンヌダルクの再来かもしれない。
そうであれば、こんなうれしいことはない。
が、同時に、ひょっとしたら、ヒットラーの再来かもしれない。
そういう心配も、ないわけではない。

 けっして油断してはいけない。
ゲーテやシラーを生んだドイツで、その後、ヒットラーが誕生している。
第一次大戦後のドイツをうまく誘導し、ヒットラーはヒットラーになった。
今の日本の現状とよく似ている。

 失われた10年が25年になった。
社会は疲弊し、工業も先細り。
おまけに3・11大震災。
1000兆円を超える、国の借金。
あのギリシャの、100倍!

 貿易も赤字。
笛吹けど踊らずの日本経済。
どこもかしこも、不景気。
さらに少子高齢化。
『♪右を見ても、左を見ても、真っ暗闇じゃ、ござんせんか』と。

 こういうときほど、人々の心のスキをついて、超過激な政治集団が勢力を伸ばす。
英語には『悪魔は善人の顔をしてやってくる』という諺がある。

 もちろん橋下大阪市長については、わからない。
わからないが、慎重であるに越したことはない。
浮かれてブームに乗れば、やけどをするかもしれない。
ただのやけどではない。
大やけど。

 そういう警告の念をこめ、このエッセーを書いた。

 たとえば天皇の元首制と、官僚制度の是正は、基本的な部分で矛盾している。
奈良時代の昔から、官僚たちは、「天皇」という絶対的な権威者を頂点に置き、日本の政治を
牛耳ってきた。

 一方で天皇の元首制を唱え、他方で官僚政治の是正(=民主主義の完成)を説くのは、論理
的に矛盾している。
橋下大阪市長は、それに気づいているのだろうか?


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【菅直人前首相、ありがとう! あなたこそ、日本の英雄だ!】

●3−11(3・11大震災から1年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ときどき、……というか、折につけ、よくこう思う。
「あの日さえ、なければ……」と。
あの日を境に、日本は大きく変わってしまった。
日本という「国」よりも、日本人という「人」が変わってしまった。
「人」が集合され、日本という国が変わってしまった。

いまだに晴れやらぬ、悶々とした閉塞感。
やりようのない、怒りと空しさ。
心の奥は、どんよりと曇ったまま。

本当に、あの日さえなければ……。
その思いは、だれしも、同じだろう。
ワイフも、いつもそう言っている。

が、この日本が、かくも小さな国であったとは!
この日本が、かくもぜい弱な国であったとは!

何をしても、すぐ壁に突き当たってしまう。
自信喪失?
ときに絶望感?
先の見えない不安感?
そのつど、「日本はこのまま、だめになってしまうのか」と。
そんなことまで考えてしまう。

そう、「がんばれ、日本!」とは、言う。
しかし何を、どうがんばればよいのか。
がんばるといっても、目標が見えてこない。

このところ毎晩のように、3・11大震災の報道ばかり。
それを見るたびに、気が重くなる。
あの日の悪夢が、よみがえってくる。

……私はあのあと、一日中、テレビをつけっぱなしにしていた。
それが7日ほどつづいた。
そのときのこと。
気力を支えるだけで、精一杯。
気が変になりそうだった。

今、そのときの気持ちが、そのままよみがえってくる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3・11大震災

 そのとき私とワイフは、教室にいた。
ゆっくりとした揺れを感じた。
「地震!」と声をあげると、ワイフは、笑いながら、「あなたが揺らしているんでしょう」と。
ワイフは、揺れを感じなかった。
私は椅子に座っていた。
ワイフは立って、レッスンの準備をしていた。

私は壁を指さした。
壁にかかった絵が、ゆっくりと、本当にゆっくりと揺れていた。

 そのとき年中児だったY君が教室へ入ってきた。
いつもどおりのY君だった。
私は椅子を蹴って立ち、玄関口まで走った。
Y君を抱いた。
そのまま3階から1階へ。
「靴がない!」と、Y君は何度も叫んだ。
体をばたつかせた。
私は構わず、1階まで走り下りた。

 1階には、Y君の親がまだいた。
ほかの親たちも、そこまで来ていた。
「地震ですね」
「地震ですね」と。

 長い揺れで、30〜40秒はつづいた。
横揺れだった。
そのことから、私は遠くで大地震が起きたと察知した。
関東大震災の話を、父や母から聞いていたこともある。
そのときも、岐阜県でも、長い横揺れがつづいたという。
私は1階までおりたとき、関東地方での大地震を想像した。

●津波

 3時から、通常のレッスンを始めた。
が、異変が起きたのは、そのあとからだった。
4時15分から、つぎのレッスンがあった。
が、つぎつぎと欠席の連絡が入った。
が、私はこう思った。
「たいした地震でもないのに……」と。
そのときはまだ、津波の被害のことは知らなかった。

津波の被害を知ったのは、夕方、家に帰ってから。
テレビでそれを見た。
体がガクガクと震えた。
それはまさに、私の想像を絶する光景だった。

 その夜は朝まで、一睡もせず、テレビの画面を見つづけた。

●カリアック浜名湖(ホテル)

 暗い話は、やめよう。

 カリアック浜名湖……恐らく浜松に住んでいる人でも、このホテルのことは知らないだろう。
私も、ごく最近まで知らなかった。
ネットであちこちを検索していて、はじめて知った。

 場所は、浜名湖ガーデンパークのすぐ北側。
ガーデンパークからは、車で2〜3分。
住所は、村櫛町4597。
電話は、053−484−4155。

日本商工会議所関連の施設らしいが、どういう関係なのかはわからない。
見た感じ、バブル時代に官費で建築された(?)、旧豪華ホテル。
内風呂も職人による、タイル張り。
「旧」というのは、豪華だが、それなりに疲れた部分もあるという意味。
が、料金に照らしあわせるなら、文句なしの星4つの、★★★★。
 
 浜名湖をはさんで反対側に、ローヤルホテルもある。
そちらもよいが、静かに、のんびり……という方には、このホテルを勧める。
私たちは、いつもつぎのようにして、利用している。

 夕食は、同じ村櫛町にある、大村屋でとる。
このあたりでも、本気度120%の、和食料理店。
ときどきこの店に行くようになって、もう30年。
沼津にある魚市場の魚料理店に、ひけをとらない。
豪華で、安い。
もちろん、おいしい!

で、その足で、このカリアックへ。
大村屋からカリアックまでは、車で、5〜7分程度。
朝食のみのコースを頼めば、1人1泊、8000円程度。
大村屋での夕食代を含めて、9200〜300円程度。
(大村屋の定食がお勧め。量も多い。)
 
 なお村櫛町の北が、舘山寺。
舘山寺温泉のある舘山寺。
パルパルという遊園地もある。
子どもと来れば、1日中、楽しめる。

 今夜は、そのカリアックで1泊する。
パソコン三昧、読書三昧。
私にとっては、至極の時。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 カリアック 村櫛 ホテル)

●「まるわかり・時事用語」(新星出版社)

 ここへ来る途中、書店で本を買った。
「まるわかり・時事用語」(新星出版社刊)。
パラパラと適当に読んでいるだけで、楽しい。
たった今、「38:ゼロ金利政策」(P78)というページを読んだ。

 経済の世界は、知らないことだらけ。
それだけにおもしろい。
興味深い。

 考えてみれば、最近は、買う本といえば、この種の本ばかり。
実用的でもあり、実用的でもない。
事実のみを並べた本。
辞典のようでもあるが、辞典でもない。
「読んで、判断するのは、あなたですよ」という本。
そういう本が楽しい。

 その「ゼロ金利政策」。
今は、そのゼロ金利政策も効果がないほど、日本の経済は沈んでいる。
そこで日銀は、「量的緩和」を始めた。
平たく言えば、「現金のばらまき」。
が、いくらばらまいても、これまた効果がない。
現金を手にした人は、そのままタンス預金。
市中へ、お金が回っていかない。

 そういう状態は、血液にたとえるなら、「ドロドロ血」と同じと、書いてあった。
この本のどこかに、そう書いてあった。
血液の流れがよどみ、腐った状態をいう。
あとはこの悪循環の中で、さらにデフレは進行する。

●「41:小沢一郎元民主党代表の強制起訴」

 つぎに読んだのが、「41:小沢一郎元民主党代表の強制起訴」(P82)。
小沢一郎と陸山会(資金管理団体)とのお金のやり取りが、図解してあった。
その本の中には、こうある。

「小沢氏が不正を働いたという証拠は、何も見つからなかった」と。

 確かにそうだろう。
原資となった4億円の現金(小沢氏から陸山会へ、2004年10月)にしても、だからといってそ
こに違法性があるかといえば、どこにもない。
ただ小沢氏は、その金の出所については、「献金」→「銀行融資」→「自分がもっていた現金」
と、そのつど言葉を変えている。

 私たちが「?」と思う部分は、ここにある。
どうして金の出所を、2度も、言い直したのか。
また、本当にその現金は、「自分がもっていた現金なのか」。

 そのあと小沢一郎は、あたかも金の出所を隠ぺいするかのように、定期預金4億円を担保
に、銀行から4億円を借りている。
借りたあと、その4億円を今度は逆に、陸山会に貸し付けている。
そして最終的には、2007年に、陸山会は、小沢一郎に4億円を返済している。

 最初は「献金」と言った。
が、4億円もの献金はなかった。
それで今度は、「銀行融資」と言い換えた。
その後に、たしかに銀行から4億円の融資を受けている。
が、これでは現金の流れが逆。
そこで最後は、「自分がもっていた現金」と。

 現金(マネー)の流れを、常識的に読めば、そうなる。

 つまりこの一連の現金の流れが、おかしい。
どこにも違法性はないが、おかしい。
まともなお金なら、(つまり、ふつうの取り引きなら)、つぎのようにしたはず。

(1)まず小沢一郎が4億円を、陸山会に貸す。
(2)陸山会は、そのお金で土地を買う。
(3)そのあと陸山会は、小沢一郎に4億円を返す。

 それですむ話。
しかもおかしなことに、土地代金については、04年の支出なのに、05年の支出となっている。
わかりやすく言えば、土地代金を04年に払い、名義移転は、05年にしたことになる。
違法性はないが、ふつう、こういう土地の買い方はしない。
私なら、(あなたもそうだろうが)、土地代金を支払ったら、即日、名義変更の手続きを開始す
る。
放っておいたら、二重転売されるかもしれない。

 どうして小沢一郎はこういう複雑な手法を用いたのだろう……、というように考えていくと、限
りなく灰色ゾーンに、入り込んでいく。

 今回、市民団体が検察審査会に告発をした。
2011年1月に、小沢一郎は、強制起訴された。
小沢一郎は、「起訴そのものが無効」と訴えている。
が、本当に、そうか?

 ただ残念なことに、今回の強制起訴によっても、小沢一郎は、無罪になるだろう。
問われるとしても、軽微な、手続き違反だけ。
が、私たちが本当に知りたいのは、4億円という金の出所。
わいろを渡したという土建業者がいる。
公判でそう証言している。
(もちろん小沢一郎とその秘書たちは、それを否定。)
4億円が動いたのは、その直後。

 心証では、グレイというより、黒に近いグレイ。
が、それでも小沢一郎は、証拠不十分で、無罪になるだろう。

 この無力感。
いや、この無力感こそ、深刻。
一般国民の政治への不信感は、ますます増大する。
その責任は、どうなるのか。
政治家として、小沢一郎は、その責任を感じないのか。
小沢一郎は、それをどう考えているのか。

 「まるわかり・時事用語」を読みながら、そんなことを考えた。

●産経新聞の「菅直人叩き」

 産経新聞(3・11)、菅直人前首相を、猛烈に批判している。
長い記事だが、要点は、つぎの3つ。

(1)「報告書によると、菅氏は周囲の反対を押し切り、震災発生翌日の早朝、東京電力福島
第1原発を視察した。
結局、現場の混乱を増幅しただけに終わった。
……これはかえって現場を混乱させただけ」。

(2)「さらに、第1原発に代替バッテリーが必要になった際、菅氏は自らの携帯電話で担当者
に「大きさは?」「縦横何メートル?」「重さは?」と質問した。
同席者からは「首相がそんな細かいことまで聞くなんて国としてどうなのか、ぞっとした」という
証言もある」。

(3)「震災以来、会議を重ねてきた政府の「原子力災害対策本部」などの議事録が未作成の
まま放置されていたことも、今年1月になって判明した」。

(4)そして最後は、こう結んでいる。

「民主党政権が誕生して首相は3人も代ったものの、民主党政権の「無責任」「稚拙さ」「言葉
の軽さ」は変わらない。
そもそも「今の政治は目的とプロセスをはき違えている」(自民党派閥領袖)との指摘通り、まさ
に民主党は「政権交代」が目的だったのだろう」と。

(以上、「」内、原文のまま。)

 が、どう読んでも、産経新聞のこの酷評は、的をはずれている。

(1)どうして首相(東京工大出身)が、事故を起こした発電所を視察してはいけないのか。
もし反対に、それをしなかったら、逆に「しなかった!」と批判されていただろう。
またそれによって「現場が混乱した」とあるが、当時の原発の雰囲気は、「撤退」だったという。
もしあのとき東京電力が、事故を放置したまま撤退していたら、今ごろこの日本は、どうなって
いたか。
むしろそちらのほうこそ、考えると、ぞっとする。

(2)「菅氏は自らの携帯電話で担当者に「大きさは?」「縦横何メートル?」「重さは?」と質問し
た」とある。
菅直人前総理大臣なら、当然のこと。
それとも、ただ「がんばってください」だけで、よかったのか。
それを聞いて、「同席者は、ぞっとした」とある。
が、ぞっとするほうが、おかしい。
国の浮沈にかかわる、重大事故である。
日本に原爆が、数千個も落とされたような緊急事態である。
むしろぞっとすべきは、そちらのほう。
菅直人前首相の言動に、どうしてぞっとしたのか?

(2)議事録?
そんなもの、どうでもよいではないか。
空襲で爆弾が投下されたようなとき、のんきに議事録をとっているほうが、おかしい。
ものごとは常識で考えたらよい。

 いろいろな意見があることは知っている。

 なお民間の独立検証委員会は、2月、菅政権の官邸中枢の初動対応を「稚拙で泥縄的」と
批判した。
それに対して、野田首相は記者会見で過度の現場介入を認めつつも、東電の撤退を防いだと
して「一定の効果があった」と逆に評価した。
当然のことである。

もしあのときもし菅直人氏が総理大臣でなかったら、今ごろ、西は静岡県、北は東北地方の端
まで、無人地帯になっていたはず。
が、産経新聞は、連日菅直人前首相を叩いている。
しかしどうしてそこまで執拗に、叩くのか。

 以前、書いた原稿を、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所
事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発か
ら全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済
産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題
に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そ
ういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話した
という。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関
に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見
方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と
幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人
が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東
京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、
との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有して
いる。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考
えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言も
そのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要
との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注
入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と
幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評
価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱
させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したの
は東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8
日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのも
のが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没
していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を
起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質
が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グル
ープ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、横尾試算、「原発事故」宝
島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わ
ずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間は
あの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人
の英断。)

以上、2011年09月12日の原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なぜ、菅直人前首相ではだめだったのか?

 菅直人前総理大臣が、首相の座を降り、ちょうど4か月になる。
(菅直人氏は、2011年09月02日に、内閣総理大臣を辞職。)
が、この4か月、日本は、よくなったのか。
何か、変わったのか。

 現在は、野田佳彦首相が、総理大臣職を引き継いでいる。
が、私はいまだに野田佳彦首相が、どんな人物なのか、よくわからない。
顔が見えてこない。
見えてこないから、批評のしようがない。

ただここで言えることは、野田佳彦首相が、菅直人氏をやめさせてまで、首相になる価値のあ
る人物だったかどうかというになると、私はそうは思わない。

談合政治?
八方美人?
無色透明で、言葉はうまいが、中身がない?
当たり障りのない、無難政治家?
長期政権をねらっている?
こうした(?)マークを、野田佳彦首相には、10個ほど並べたい。

 これはあくまでも仮定の話だが、あの3・11震災時に、もし野田首相が事故を取り仕切って
いたとしたら、この日本はどうなっていたか。
それを想像するだけでも、ぞっとする。
東京電力と保安院の言い分に押され、福島第一原発は、放棄。
そのあと発電所はつぎつぎと爆発、メルトダウン。

 最近になって、事故直後、菅直人前首相が、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという報道
が伝わっている。
「感情をむき出しにするような人物は、首相として失格」と。

 バカヤロー!

 あの時点において、感情をむき出しにしない首相はいない。
むき出しになってくれたからこそ、東京電力側は、菅直人前首相の言うことを聞いた。
菅直人前首相の命令に従った。

 こう書くと、福島県の人たちには申し訳ない。
が、今、福島県以外の人たちが、(私たち静岡県人も含めてだが)、事故以前とほとんど変わ
りない生活ができているのは、菅直人前首相、ならびに吉田昌郎所長のおかげである。
そのことを思えば、ささいなミスや失敗など、腸から出るガスのようなもの。

 菅直人前首相は、「いつか、私の正しさは歴史が証明してくれる」というようなことを言ってい
る。
それはその通りで、その歴史は、すでに今、始まりつつある。
読売新聞(11−09−12)の記事は、それを証明する、貴重な証拠のひとつということになる。
私たちはこの事実を、後世の人たちに伝えていかねばならない。

 菅直人前首相、吉田昌郎所長、あなたがたは日本を救った、大英雄である。
大恩人である。
ありがとう!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論
 はやし浩司 菅直人首相 英雄 大英断 吉田昌郎 英雄 日本を救った恩人 福島第一原
発事故 はやし浩司 英雄 菅直人)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小沢一郎元代表vs菅直人前首相

 私は善人ではない。
善人ではないが、まじめに生きてきた。
ただひたすら、まじめに生きてきた。

 そういう者には、そういう者にしかわからない「共鳴性」というものがある。
私と同じように生きてきた人には、そうでない人とはちがう、強い共鳴性を覚える。
菅直人前首相とは、そういう共鳴性を強く感ずる。
表情、言葉、態度、姿勢など。

が、残念ながら、小沢一郎元代表には、そういう共鳴性が感じられない。
自分がはじき飛ばされてしまうかのような、違和感というか、不快感すら覚えてしまう。
若い人たちには、それはわからないかもしれない。
しかし60歳を過ぎると、それがよくわかる。
会った瞬間に、それがよくわかる。
同年代だからこそ、それが余計に、よくわかる。

 だからといって、菅直人前首相が善人で、小沢一郎元代表がそうでないと言っているのでは
ない。
感じ方は、人それぞれ。
人によっては、たとえば小沢一郎元代表の秘書たちは、小沢一郎元代表を、すばらしい人格
者と信じているかもしれない。
が、それはそれ。
ただ、私は私の共鳴性を信ずる。

 最後に一言。
産経新聞よ、菅直人前首相を叩いて、それでどうなる?
理由といっても、ここに書いたような理由にもならない(こじつけ)ばかり。
「怒鳴っただの」「視察をしただの」「議事録をとらなかっただの」と。
「イラ菅」であって、どうして悪いのか。
それこそまさに言論ファッショ。

 忘れてほしくないことが、ある。
菅直人前首相の時代になって、原子力発電所が建設されたのではないということ。
建設してきたのは、歴代の自民党政府と官僚、それにゼネコン。
それを側面から支えてきた、自民党寄りのマスコミ、とくにどこかの新聞社。

たまたま菅直人前首相のとき、あの忌まわしい3・11大震災が、日本を襲った。
ならば、どうして、過去の原子力行政の在り方を、記事として追及しないのか。
むしろそちらの責任こそ、重大ではないのか。

 福島第一原発事故を知り、怒鳴り続けた菅直人前首相。
そのおかげで、今の、この日本がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 管直人前首相 ありがとう 命の
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年長児に、かけ算の基礎と、平行について教えてみる】

「楽しく学ぶ子はよく学ぶ」(イギリスの教育格言)。
……ということで、今日は、年長児(5、6歳児)に、かけ算の基礎と、平行について、指導して
みました。
子どもたちとの会話をお楽しみください。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/GDY_8NF2oSc" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ロイター(2012年3月9日)「日本国債・暴落ストーリー」を精読する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「ギリシャのつぎは、日本!」……か?
ロイターは、「日本国債・暴落ストーリー」と題し、長文の論説をかかげている。

巷(ちまた)の倒産劇と同じ。
国が破産するときは、一気。
一気に破産する。
それまで耐えていた屋台骨が、ある日突然、ボキッと折れる。
そんな感じで、破産する。

うわさがうわさを呼び始めたら、最後。
日本は、そのまま一気に、奈落の底に。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ふえつづける国の借金

 国の借金が、1000兆円と聞いても、ピンとこない。
日本の人口を、1億人(生産者人口)とすると、1人あたり、1000万円。
夫婦2人で、2000万円。

 債権者(=国債の保有者)の90%が、日本人自身とか(ロイター)。
90%と喜んでいてはいけない。
2000年ごろには、95%という数字を聞いていたので、5%も減ったことになる。
わかりやすく言えば、こういうこと。

 日ノ本家なら、日ノ本家としておこう。 
その日ノ本家の親父が、家族4人で、4000万円もの借金をかかえた。
うち3600万円は、息子や娘たちから借りたもの。
残り400万円は、サラ金から借りたもの。

 それだけの借金があっても、親父はのんきなもの。
「わしは、できのいい息子や娘をもって、幸せだ」と。

が、このところ、少しずつだが、様子が変わってきた。
息子や娘たちの収入が減ってきた。
今までは何とか黒字になり、少しだが、親父に小遣いを渡していた。
が、それができなくなった。
その分だけ、親父に、こう言い出した。
「もう、これ以上、お金を貸すことができない」
「サラ金への利息までは、払えない」と。

 親父は、サラ金への利息の半分まで、息子や娘たちに負担させていた。

 ロイターは、そのことを、こう伝えている。

『……2011年の貿易収支が31年ぶりの赤字に転落、安定感があった国債市場に動揺が走
った。
輸出の停滞に加えて、原発稼働率の大幅な低下による代替エネルギー燃料の輸入拡大が主
な要因だが、貿易赤字が膨らみ続け、経常赤字が恒常化すれば、貯蓄率が低下し、国内勢主
体の国債消化構造が揺らぐとの懸念がくすぶる。
8日に発表された1月単月ベースの経常収支は4373億円の赤字と、2009年1月を上回る
過去最大の赤字を記録した。
SMBC日興証券・チーフストラテジストの末澤豪憲氏は、季節的な要因や中国春節などの特
殊要因が重なったためで2月以降は黒字に戻ると予想するが、「原発再稼働に高いハードル
があり、黒字額は低水準にとどまる」との見方を示す』と。

●地震

 息子と娘の話を書いた。
その息子や娘も、50代。
孫たちも、大学へ通い始めた。
学費がズシンと、重くのしかかる。

 そんな折も折、地震がその地方を襲った。
母屋の一角が崩れた。
本来なら家の建て替えをしたほうがよい。
が、そのお金がない。
親父は、家の修理をすることにした。
その費用が、150万円(15兆円)。
もちろん、借金。

 ふつうなら、親父は支出を削らねばならない。
しかし道楽で始めた庭いじり。
今は庭石を取り寄せ、それで池のまわりを飾っている。

 ロイターはつぎのように書いている。

『来年度予算案には整備新幹線の未着工3区間の建設費用も盛り込まれたが、「なぜ今、国
費で旧来型の新幹線を着工しなければならないのか」といった疑問を抱く関係者も少なくない。
今回の整備新幹線着工に経済合理性が議論された形跡は見られず「旧態依然とした公共投
資で建設セクターに税金を流し込まないと景気が浮揚しない構図」(外資系証券)に、市場では
構造改革に逆行した政策との批判もある』(ロイター)と。

●世間の風当たり

 こういう日ノ本家に対する、世間の風当たりは、きびしい。
「どうも、あの家は、おかしいのではないか」という、うわさが出始めた。
が、親父はどこ吹く風。
相も変わらず、ぜいたくざんまい。
やりたい放題。
息子や娘は、それを正すのだが、肝心の親父は、聞く耳さえもたない。
月に一度は、海外旅行。
そのたびに、「マイルがたまった」と、喜んでいる。
が、事故も多い。

 先月は、マカオへ行ってきたが、そこで、200万円(AIJ)ほど、バクチですってしまった。
が、親父は、それについても、知らぬ顔。
「あいつら詐欺師だ。オレが悪いのではない」と。

 ロイターは、つぎのように伝える。

『巨額な政府債務による財政の硬直性、ねじれ国会による政治の停滞に、震災による政治・経
済面での環境変化が加わり、日本国債の信用力への評価がさらに厳しくなっている』と。

『財政の弾力性が低下している要因には、政権基盤の脆弱さがもたらす政策遂行能力の欠如
もある。
いわゆる衆参ねじれの構造の弊害だ。
ねじれ構造下では、財政再建の両輪とされる歳出削減と歳入確保について、国民に強い負担
を強いるような難しい政策を打ち出すことは困難』と。

●ハゲタカ

 そういう日ノ本家を、虎視眈々(こしたんたん)と狙っている連中がいる。
2つのグループに分けられる。

 ひとつは、日ノ本家の知的財産を奪ってやろうと考えている連中。
日ノ本家には、昔から伝わる技術がある。
その技術を盗もうとしている。
ときどき日ノ本家へやってきては、様子をうかがっている。

もうひとつは、破産に追い込み、財産を安く買いたたいてやろうと考えている連中。
その連中たちが、力を合わせ、日ノ本家に近づいてきた。

 「金を貸してあげようか」と。
やさしい顔をして、やってきた。
が、親父はお人好しのボンボン。

 ロイターはこう伝える。

『ヘッジファンドが日本国債暴落ストーリーを描き始めた……メリルリンチ日本証券・チーフ債
券ストラテジストの藤田昇悟氏は語る。
暴落ストーリーを口にするタカ派なファンド勢はごく少数だが、日本の早期経常赤字化や巨大
な財政赤字を手掛かりに、「日本のギリシャ化」を想定し、日本国債売りと円売りのポジション
を構築しているという』と。

●では、どうするか?

 名誉やプライドをかなぐり捨てる。
もう一度、原点に立ち戻り、そこからはいあがる。
アジアの最貧国なら、最貧国でもよい。

 日ノ本家にたとえるなら、家屋敷を売り、一家全員が、狭いアパートに移る。
親父も、妻も、息子も、娘も、日雇い労働者となって働く。
つまりそれくらいの覚悟を、もつ。
もったら、そのときからどうすればよいかを、今から計画する。
その一例として、ロイターは、同じ町内に住む、ネシア家をあげる。

『世界でも有数の地震多発地帯であるインドネシアのスマトラ島。
2004年にマグニチュード(M)9を超える大地震と巨大津波で多くの死傷者を出した。
その後もM7〜9規模の地震が頻発、今年1月にはM7.3の地震が発生したが、ムーディー
ズはその1週間後にインドネシアの信用格付けを「Ba1」から投資適格等級の「Baa3」に引き
上げた。

インドネシアの投資適格等級への格付け復帰は1997年12月以来約15年ぶり。
好調な個人消費と輸出に支えられ、年5%後半から6%台の安定した経済成長が持続。
格付けが投資適格水準に引き上げられたことで、先進国中心に海外からの資金流入が加速
している。

政治的な安定性も増しており「経済規模が大きいBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国
に引けを取らない成長期待が財政の弾力性を確保する大きな要因」(国内金融機関)となって
いる』と。

●風前の灯火の教育

 日本の国家破綻はありえない話ではない。
旧ソ連の例をあげるまでもない。
で、その日本をゆいいつ支えてきたのが、人材、つまり教育だった。
しかし今や、その教育も、風前の灯。
この半世紀で、日本人の「質」そのものが変わってしまった。
本来なら、日本の教育は先手、先手で、他国をリードしなければならなかった。
が、その努力さえ、怠ってしまった。

 旧態依然の、あたりさわりのない教育をつづけているだけ。
ダイナミズムが消えて、もう30年になる。
目標が消えたのも、そのころ。
教師自身が、どういう子どもを育てたらよいのか、その「像」すら、描ききれていない。
簡単に言えば、「上」から言われたことを、そのとおり実行しているだけ。
「やるべきことはしまう」「しかしそれ以上のことはしません」と。

 これでは最初から、勝負にならない。
近隣の国々と同じことをしていて、あるいはそれにも及ばないことをしていて、どうして近隣の
国の人たちと渡りあっていくのか。
ひとつのヒントとして、私は「競争のシステムの導入」と「教育の自由化」をあげる。

●競争システムの導入

 日本もアメリカのように、「学年制」を廃止する。
(「学歴制度」はもちろんだが、「学年制」。誤解のないように!)
クラスの前には、その教師の名前だけを表示すればよい。
何かの植物の名前でもよい。
勉強ができる子ども(gifted child)は、たとえば「来週から、ダリア組へ行きなさい」と。
あるいは、その反対でもよい。
「まだこのアカシア組の授業の内容を、よく理解できていませんから、来年、もう1年、このアカ
シア組で勉強しなさい」と。

 競争を「悪」と決めつけるのは、簡単。
しかし日本を一歩、外に出れば、そこは競争原理の世界。
野獣と猛獣がうごめく、海千山千の世界。
それが「現実」。
その現実を無視して、日本の未来は、ない。

●自由化

 たとえば、どうしてこの日本が、電子教科書を採用しないのか。
それとも、それを採用することで、何か、まずいことでもあるというのか。
たとえば教科書会社との利権を失うとか?

 ……とまあ、いろいろ書きたいことはある。
あるが、昨日(2012年03月09日)、韓国の朝鮮N報は、こんな興味深いコラムを掲載してい
る。
題は、『無責任政治に失望、無党派層が68%に』。

日本の現状を、鋭く指摘している。

++++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++++

●東日本巨大地震:無責任政治に失望、無党派層が68%に
 極度の政治不信広がる

 「戦後最悪の危機だというのに、政治家は政争ばかり繰り返している」(35歳、会社員)
 「自民党が嫌いで民主党に投票したが、かなり失望した。
既成政党に期待することはない」(40歳、主婦)

 東日本巨大地震と福島第一原子力発電所事故の収拾が遅々として進まない中、日本では
政治全体が極度の不信を招いている。
朝日新聞が最近実施した世論調査で、民主党の支持率は17%まで低下し、自民党は12%まで
落ち込んだ。
日本国民は、民主党の災害対応能力に失望している上、何かにつけて政府の足を引っ張る自
民党に対しても、絶望同然の感情を抱いている。
時事通信による最近の世論調査では、「支持政党なし」という無党派層の比率が68.2%まで上
昇した。
1960年に世論調査が始まって以来、過去最高の数字だ。

■無責任の政治システムがむき出しに

 東京大学の木宮正史教授は、「日本政治の特徴である"無責任のシステム"が、原発事故の
収拾過程でむき出しになった」と語った。
「無責任のシステム」とは、依然として太平洋戦争を起こした人物や責任を取るべき人物につ
いて究明しようとしないなど、責任と権限が不透明な日本政治の特徴を指す。
日本の国家システムは、頻繁に変わる首相が「国の顔」の役割を果たすだけで、実際には官
僚が国家を動かすというものだった。
日本の高度成長を主導した官僚システムは、一時は世界最高水準という賛辞を受けた。
しかし、バブル崩壊後に動作不良に陥った官僚システムは、東日本大震災でそのもろさがは
っきりと浮き彫りになった。
世宗研究所の陳昌洙(チン・チャンス)博士は「官僚のマニュアルに基づいて維持されてきた日
本の政治システムは、リーダーの決断力を要する危機の状況では全く機能しないことが証明さ
れた」と語った。

■論文「日本の自殺」が再び流行

 1975年に発表された「日本の自殺」という論文が、最近『文藝春秋』などに再び掲載されるな
ど、関心を集めている。
「日本の自殺」は、リーダーシップの危機などにより、日本が内部から崩壊すると主張する論文
で、日本の現状を最も的確に予測しているとの評価を受けている。

++++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++++

●浮動票の王様

 私は自称、「浮動票の王様」。
私が動くところ、浮動票層もついて動く。
その浮動票の王様……というより、本当はその一員として、一言。

 「私たちは、たしかに絶望している」

 民主党も民主党なら、自民党も自民党。
木宮正史教授が述べていることを、箇条書きにしてみる。

(1)日本政治の特徴である"無責任のシステム"が、原発事故の収拾過程でむき出しになっ
た」と語った。

(2)「無責任のシステム」とは、依然として太平洋戦争を起こした人物や責任を取るべき人物
について究明しようとしないなど、責任と権限が不透明な日本政治の特徴を指す。

(3)日本の国家システムは、頻繁に変わる首相が「国の顔」の役割を果たすだけで、実際には
官僚が国家を動かすというものだった。

(4)日本の高度成長を主導した官僚システムは、一時は世界最高水準という賛辞を受けた。
しかし、バブル崩壊後に動作不良に陥った官僚システムは、東日本大震災でそのもろさがは
っきりと浮き彫りになった。

 その結果、

(5)世宗研究所の陳昌洙(チン・チャンス)博士は「官僚のマニュアルに基づいて維持されてき
た日本の政治システムは、リーダーの決断力を要する危機の状況では全く機能しないことが
証明された」と語った。

●私見

 順に考えてみよう。

(1)無責任システム……まったく、同感。
役人根性の第一は、余計なことはしない、管轄は守る、常に責任逃れの道を用意する。
その役人根性が、一般企業、さらには一般国民の間にまで浸透している。

(2)戦争責任……戦争責任もそうだが、江戸時代の封建時代の精算すらしていない。
いまだにあの暗黒かつ恐怖政治の時代を、美化している人が多いのには、驚かされる。

(3)官僚政治……日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
地方の議会ですら、質問書も、答弁書も、みな、役人が書いている。
作文力のある政治家は、ほとんどいない。

(4)政治の硬直化……3月6日の各新聞は、あの厚生年金基金に、旧社保庁、および現日本
年金機構から、646人も天下りをしていたと報じている。
一事が万事。
こうした団体が、日本の社会を硬直化させている。

(5)リーダーの喪失……日本人が、総一億、「もの言わぬ従順な民」に作りあげられてしまっ
た。
その結果が、今。
だれも責任を取らない……ではなく、その前に、だれも責任を追及しない。

子どもたちの世界でも、みな、キバを抜かれたような子どもたちばかりになってしまった。
またそういう子どもほど、「できのいい子」と評価されている。
今では、ガキ大将はもちろん、腕白少年すら、いない。

●日本国債の暴落

 数日前、日銀のそれなりの地位にある人物が、こう発言した。
「2、3年後には、日本国債の暴落はあるかもしれない」と。

 が、この言葉の裏には、2つの意味がある。

 まともに取れば、「2、3年後までには、日本国債は暴落する」と解釈できる。
そうでなければ、わざわざこんな発言などしない。

 もうひとつの解釈は、こうだ。
こちらのほうが、ずっと現実味がある。
つまり「今すぐではない」と。
「今すぐではないから、あわてるな」と。
言い換えると、国債の暴落は、それほどまでにひっ迫している。
その火消しのために、そう発言した。

 もし経常収支が赤字になったら……。
もし高齢者たちが、国債を現金化し始めたら……。
もし国債の引き受け手が、国債の引き受けをしぶり始めたら……。
たとえ10%でも、外国人が国債を売り始めたら……。

 その結果として、国債の金利が、1%を超え、2%になったら……。
(現在、5年モノで、0・299%、10年モノで、0・983%。)
そのとたん、日本の国家財政は破綻する。

 とても2、3年も、もたない。
冒頭で書いたように、そのときは、一気にやってくる。
その警戒心だけは、ゆるめてはならない。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【橋下大阪市長の船中8策について、考える】はやし浩司 2012−03−10

(1)天皇元首制
(2)道州制
(3)明治維新の位置づけ

●つぎは、YOUTUBE1万本!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

YOUTUBEへの動画アップ数が、3500本を超えた。
3500本!
どういうしくみになっているかは、わからない。
しかしそれだけの動画を、YOUTUBEは、無料で、保存、配信してくれる。
YOUTUBEという会社には、どんなコンピューターが置いてあるのか。
1本を、1GBとしても、1GBx3500=3500GB=3・5テラバイト!
私の分だけで、3・5テラバイト!
すごいことだと思う。

……というか、どういうしくみになっているのか。
どういうしくみで、動画を保存しているのか。
YOUTUBEという会社は、本当に不思議な会社だと思う。

おかげで……というか、今では全世界から、アクセスがある。
YOUTUBEでは、過去30日分のアクセス数が、国別で示される。
それによれば日本が一番多いが、ついでアメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、フラン
ス、台湾……とつづく。
国内、半分、外国、半分……といったところ。

で、外国の人たちは、主に、私の動画を、日本語の勉強に使っているよう。
フランスで教師をしている人からは、「方法をまねさせてもらっている」というメールが、届いた。
また中国の人からは、「息子の家庭学習に利用させてもらっている」というメールが、届いた。
そういったメールや動画は、そのつど「BW公開教室」のほうで、紹介させてもらっている。
興味のある人は、そちらのほうを見てほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『シャーロック・ホムズ』

 夕方、時間が空いた。
それを計算しながら、ワイフがこう言った。
「映画、見に行かない?」と。

 即座にOK!
このところワイフは、帳簿の整理で忙しい。
昨夜も、徹夜だった。
その気分転換。

 で、今日から公開された、『シャーロック・ホームズ』を見てきた。
このシリーズは、すべて見ている。
取って付けたような謎解き映画だが、それが結構、おもしろい。
星はすこしきびしく、3つの、★★★。

●3500本!

 で、再び、YOUTUBEの話。

 動機や理由はともかくも、3500本という数字には、まちがいはない。
いつの間にか、その数になった。
が、この先も、どんどんとふえていく。(……UPしていく。)
今の仕事をつづけているかぎり、ふえていく。(……UPしていく。)

 授業参観に来られない親たちのために、そうしている。
「宣伝」という意識は、もうない。
考えるとしたら、自分の死後。
「死んでも残るだろうか?」と。

 しかしこういうことは言える。
日本人よ、もっと目を日本の外に向けよう。

●NHK

 NHKの音楽番組に、たとえば「♪みんなの歌」や「♪名曲アルバム」がある。
ときどきそういう番組の一部が、YOUTUBEにUPされる。
が、ことNHKに関していうなら、即、削除される。……されてしまう。
実際には、NHKがYOUTUBEに抗議し、YOUTUBEのほうからユーザーに削除させているよ
う。
たいてい1か月もたたないうちに、「NHKからの申し立てにより……削除されました」という表示
が出る。

 著作権法というものがあるかぎり、これはやむを得ない措置かもしれない。
しかし、私にはどうしても納得できない。

 それがわからなければ、世界地図を見てほしい。
そこにある日本は、小さい。
本当に小さい。
島国。
私がはじめてオーストラリアへ行ったときのこと。
こんなことがあった。

 オーストラリアの学生たちが、私にこう聞いた。
「君は、どの島から来たのか?」と。

 そこで私はムッとして、こう答えた。
「島ではない。本州(メイン・コンチネント)だ」と。
そしたらまわりにいた学生たちが、ドッと笑った。
私が冗談か何かを言ったと思ったらしい。
(私は本気だったが……。)

 が、やはり日本は島国だった。
小さな島国だった。
その島国の放送局。
その放送局が著作権をもつ音楽。
そんなものを、いちいち著作権がどうのこうのといって、削除しているほうが、おかしい。
むしろ逆で、多少の著作権侵害程度のことには目を閉じ、日本の音楽を、世界に紹介したほう
が得。
日本という国を、世界に知らしめる。
その方が、得。

世界の人口は、日本の60倍!
60倍だぞ!
日本の国内で、クギ(頭)の叩きあいをして、どうする。
どうなる。

 逆に、この日本国内には、世界中の音楽が、怒涛のごとく流れ込んできている。
このままだと日本の文化は、どんどんと隅に追いやられるだけ。

●ケツの穴

 半々とはいえ、私の動画は、外国の人たちが見ている。
YOUTUBEは、つねに世界が相手。
きれいごとを言っていたのでは、世界に勝てない。
日本ではまだ少ないかもしれないが、すでに学校単位で、1000本以上もの動画をUPしてとこ
ろは、いくらでもある。
大学によっては、すべての講義を録画、UPしているところもある。

 結論から先に言えば、どうして日本人は、こうまで出るクギ(頭)を叩きたがるのか?
日本のような小さな国の中で、足の引っ張りあいをしている。
私はそういう人を、子どものころ、こう言った。
「ケツの穴が、小さい」(失礼!)と。

 さらに言えば、学校にしても、塾にしても、私のように、ビデオで授業を録画し、それをYOUT
UBEにUPしたらよい。
みなが、無料で、それぞれの授業を家庭で受けることができるようになる。
まさにインターネット・スクール!
授業料をとり、教室の中だけで授業をするという時代は、そろそろ終わりにきている。

●島国根性

 つまりこの問題は、日本人が民族的にもつ「島国根性」と密接にからんでいる。
「おらが島国の、お山の大将」。
こんなきれいごとばかり言っているから、日本はどんどんと遅れていく。
日本から技術が流出していく。
人材も去っていく。

 私も三井物産、元社員。
日本の外では、食うか食われるか。
血みどろの戦いが、繰り広げられている。
それが世界。

 一方、私は30年以上も前から、教育改革を訴えてきた。
たとえば当時ですらも、小学校入学直後には、ほとんどの子どもたちは、「算数、好き」と言っ
ていた。
が、1年もたたないうちに、ほとんどの子どもたちは、「算数、嫌い」と言い出す。
中学で学ぶ、英語にしても、そうだった。
が、この現実は、今も、同じ。
何も変わっていない。

 何かが、おかしい。
何かが、まちがっている。
が、それを具体的に訴える場所がなかった。
市販の教材を制作するという方法もあったが、それにも限界があった。
(無数の市販教材を世に出してはきたが……。)
で、今は、YOUTUBEということになった。
YOUTUBEを使えば、東京という関所を通らなくても、直、世界に、自分のしていることを伝え
られる。

 現在、私がYOUTUBEで紹介している「公開教室」は、教材からして100%、私のオリジナ
ルである。
学校の授業を、先取りしているものは、ほとんどない。
まねをしているものも、ほとんどない。
逆に、学校の方が、まねをしている。
そういう例は、多い。

 とにかく、1万本が目標!
やるしかない!

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【維新の会について、考える】

●「維新」という言葉にだまされてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 「維新」というと、何やら「革命的なもの」を連想する。
が、「維新」は革命でもなんでもない。
その言葉に酔ってはいけない。
だまされてはいけない。

 英語では「明治維新」は、「Meiji Restoration」と訳されている。
ルイ18世の王政復古と同列に考えられている。
つまり「明治・王政復古」。
「王政(天皇制)への復古」を、「維新」という。

 橋下大阪市長は、はたしてジャンヌダルクの再来なのか。
それともヒットラーの再来なのか。

私たちはここで今一度、冷静にならなければならない。
盲目的な追従こそ、危険。
時期が時期だけに、危険。
橋下大阪市長は、いったいどういう人物なのか?

 それを判断する前に、もう一度、自分の頭の中を整理してみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●天皇元首制

 橋下大阪市長は、「天皇を元首に」と考えているらしい。
元首?

●天皇制について

 少し前(2011年の末)、こんな原稿を書いた。
それをそのまま紹介する。
当時は、「女性天皇」が、話題になっていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●女性天皇

 週刊誌(新聞広告)は、相変わらず女性天皇の問題について論じている。
すでに国民の70%以上(各種世論調査)が、女性天皇を支持している。
が、ここで重要なのは、天皇自身の意思。
天皇自身はどのように考え、願っているのか。
私たちはもう少し天皇の気持ちを、大切にすべきではないのか。

 即位に際しても、そうだ。
日本国の象徴であるということは、想像を絶する重責である。
そんな重責を、天皇自身の意思を無視したまま、一方的に押しつけるのも、どうか。
あるいは一度でも、「重責を担(にな)っていただけますか」と、天皇に聞いたことがあるのだろ
うか。
それもしないで、外野席だけが、ワイワイと勝手に騒ぐ。
ワイワイと騒いで、「これが結論です」と、一方的に天皇家の人たちに、押しつける。
天皇にしても、天皇である前に、1人の人間としての「人権」がある。
その人権を踏みにじりながら、後継問題を論じて、どうする?
どうなる?

 さらに一歩踏み込めば、こうも言える。
「どうして日本人は、こうまで『格式』にこだわるのか」と。
今は、もう、そんな時代ではない。
もっと皆が、(もちろん天皇家の人たちも含めて)、自由に自分の意見を言い、したいようにす
る。
その結果としてなら、女性天皇が誕生しても、何もおかしくない。
国民も、(もちろん私も)、喜んでそれを支持する。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 沼津 第三十八番地 丸天 はやし浩司 三島 ドーミンイン・ホテル は
やし浩司 リビドー 性的エネルギー 心的エネルギー 天皇の人権 皇室問題 はやし浩司 
天皇 天皇の意思 女性天皇 皇位継承問題)2011/12/08記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

似たような内容だが、2010年にも
こんな原稿を書いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●北朝鮮

 北朝鮮では、どうやら三代目独裁者が決まりつつある。
それについて、韓国や中国につづいて、アメリカまでもが、「おかしい」と
言い出している。

「世襲で指導者を決めるのは、おかしい」と。
(中国は「認める」というような発言を繰り返しているが・・・。)

 が、この日本は、ただひたすら沈黙。
何しろこの日本には、天皇制という制度がある。
へたに「おかしい」と言おうものなら、世界中から、「じゃあ、お前のところは何だ!」とやり返さ
れてしまう。
だから沈黙。
沈黙あるのみ。

 ただこういうことを書いても、この日本では公開処刑になることはない。
一応の言論の自由は、保障されている。
が、北朝鮮でこんなことを書けば、即、公開処刑。

しかしたった65年前には、そうでなかった。
天皇制を批判しただけで、即、投獄。
獄死する人も、少なくなかった。
ひょっとしたら、つぎの65年後には、またそうなるかもしれない。
それを忘れてはいけない。

●天皇制について

 もう少し、自分のことを書く。

 田舎の小さな自転車屋だったが、3代つづいた「本家」。
そのせいもあって、昔から、私の家は、「林家」と、「家(け)」がつけられていた。
大正時代の昔のことは知らない。
しかし私が中学生のころには、斜陽の一途。
家計はあってないようなもの。

 最近になって私の実家が、伝統的建造物に指定されたとか。
しかし何も好き好んで、伝統的建造物として残したわけではない。
改築したくても、その資金がなかった。

 が、その社会的負担感には、相当なものがある。
「お前は、林家の跡取りだから、しっかりと責任を果たせ」と。
だから結婚する前から、収入の約半分を、実家へ送り続けてきた。
当時はまだ、そういう時代だった。

 で、この話と天皇制とどう関係があるか?

 つまり天皇もたいへんだろうな、ということ。
まわりの人たちは、「天皇だから幸福なはず」という『ハズ論』だけで片づけてしまう。
しかし当の天皇自身はどうなのか。
皇族の人たちは、どうなのか。
その社会的負担感には、相当なものがあるはず。
街の中を、ひとりで自由に歩くこともできない。

 「生まれながらにして天皇」というのは、かわいそうというより、酷。
自分の人生を自分の意思で生きることができない。
つまり私が書きたいのは、こういうこと。

一度は、天皇や皇族の人たちにこう問うてみる。
「たいへんな重責とは思いますが、引き受けていただけますか?」と。
そのとき天皇が、「いいですよ」と言えば、それでよし。
しかしそうでなければ、別の生き方をみなで、用意する。
私は何も、天皇制に反対しているわけではない。
天皇個人の人格と人権に、もっと配慮してもよいのではと考えている。
(以上、2010年10月27日記)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●世界の皇族たち

 学生時代、私は、世界の皇太子や王子と同じカレッジで過ごしたという経験がある。
1庶民としては、稀有な経験をさせてもらった。
そういう経験を、「世にも不思議な留学記」として、発表した(中日新聞)。
そのときの原稿を、そのままここに載せる。

皇族(王族)と呼ばれる人たちの気持ちを理解する、その手掛かりにはなるのではないか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ−ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生
活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、インター
ナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。
西ジャワの王子やモ−リシャスの皇太子。
ナイジェリアの王族の息子に、マレ−シアの大蔵大臣の息子など。
ベネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。
「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった。
また「マレ−シアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされたときにも、驚い
た。
一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。
「ピンキーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立ってい
るのが兄だ」と笑った。

 今度は私の番。
「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。
そこで「自転車屋だ」というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。
私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従
業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を共に
し、スピ−チをして帰った。
よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次官が、井口領事に連れられてやってき
たこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。
その前年にはマダム・ガンジ−も来たし、『サ−』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってき
た。
インドネシアの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところ
へ、あいさつに来た。
そのとき私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という理由
で、私は席をはずすように言われた。
当時は、まだそういう時代だった。
変わった人物では、トロイ・ドナヒュ−という映画スタ−も来て、一週間ほど寝食をともにしてい
ったこともある。
『ル−ト66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼンチンか
らの帰り道、私たちのハウスへやってきた。
そしてダンスパ−ティをしたのだが、ある国の王子が日本代表の、ジュンコという女性に、一目
惚れしてしまった。
で、彼のためにラブレタ−を書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、
私にくれた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。
その国では、彼にさからう人間など、誰もいない。
さからえない。
おかげで私は、オ−ストラリアへ着いてからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。
そんなことはどうでもよいが、そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと
結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。
私もそう思われるのがいやで、めったにこの話はしない。
が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。一九七〇年の春。
そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

アン王女がやってくる!【6】

●セントヒルダでのダンスパーティ
 
 暑さがやわらいだある日。ビッグニュースが、ハウスを襲った。

 エリザベス女王が、アン王女を連れて、メルボルンへやってくるというのだ。
しかもアン王女が、セントヒルダ(女子)カレッジで、ダンスパーティをするという。

 オーストラリアの学生たちは、「ぼくが、アンをものする」と、それぞれが勝手なことを言い始
めた。
アン王女はそのときハイティーン。
美しさの絶頂期にあった。

 しかし、そのうち、セントヒルダへ行けるのは、限られた人数であることがわかってきた。
今度は、誰が行けるか、その話題でもちきりになった。
が、結局は、行けるのは、王族や皇族関係者ということになってきた。

 私にも寮長のディミック氏から打診があったが、断るしかなかった。
だいたいにおいて、ダンスなど知らない。
一度、サウンド・オブ・ミュージックという映画の中で、その種のダンスを見たことがあるだけ
だ。
それに衣装がなかった。

 それまでもたびたびハウスの中で、夜会(ディナーパーティ)はあったが、私は、いつも日本の
学生服を着て出席していた。
日本を離れるとき、母が郷里の仕立て屋でスーツを作ってくれたが、オーストラリアでは、着ら
れなかった。
日本のスーツは、何と表現したらよいのか、あれはスーツではない。
毛布でつくったズタ袋のような感じがした。

 その日の午後。選ばれた学生は、うきうきしていた。
タキシードに蝶ネクタイ、向こうではボウタイと呼んでいたが、それをしめたりはずしたりして、
はしゃいでいた。
五、六人の留学生に、同じ数のオーストラリア人の学生。

 留学生はともかくも、オーストラリア人の学生は、皆、背が高くハンサムだった。
体をクルクルと丸めてあいさつをする、あの独特のあいさつのし方を、コモンルームで何度も
練習していた。
「王女妃殿下様、お会いできて、光栄に存じます」とか。
人選からはずされた連中は連中で、「種馬どもめ」と、わざと新聞で顔を隠して、それを無視し
ていた。

 そのとき仲のよかったボブが、横から声をかけてくれた。

「ヒロシ、お前は行くべきだ。イギリスなど、日本の経済協力がなければ、明日にでも破産する」
「ああ、しかしぼくには、あんな服がない……」
「服? ああ、あれね。あれは全部、貸衣装だ。知らなかったのか。コリンズ通りへ行けば、いく
らでも借りられる」
「貸衣装?」
「そうだ。今度、案内するよ」
「ああ、君の親切に感謝する」と。

●そしてエリザベス女王は帰った……

 夜になって、ローヤルパレードの通りを歩いてみた。いつものように静かだった。
特に変わったことはなかった。
行きつけのノートン酒場も、ふだんのままだった。
いつもの仲間が、いつものようにビールを飲んでいた。

 途中、セントヒルダカレッジのほうを見ると、カレッジ全体に、無数のライトがついていた。
それがちょうどクリスマスツリーのように輝いていた。
私はそれを見ると、何か悪いことをしたかのように感じて、その場をそそくさと離れた。

 その翌日の夕方。
エリザベス女王とアン王女は、メルボルンを離れた。カレッジから少し離れたミルクバーのある
通りが、その帰り道になっていた。
私たちはその時刻に、女王が通り過ぎるのを待った。

 夕暮れがあたりを包んでいた。
暗くはないが、顔がはっきり見える時刻でもなかった。
女王は大きなオープンカーに乗って、あっという間に、通り過ぎていった。
本当に瞬間だった。
と、同時に、女王の話も、アン王女の話も、ハウスから消えた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子の悩み【11】

●王子や皇太子は皆、偽名!

 ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。
ほかの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。
このことは前にも書いた。

 しかし日本へ帰国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、
「知らない」「そんな男はいない」と言う。
そんなはずはない。
そこである日、それも五年ほどもたってからのことだが、同じハウスにいたオーストラリアの友
人にそのことを聞くと、こう教えてくれた。

 「ヒロシ、君は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。
つまり警護上の理由で、ハウスでは、偽名を使っていたというのだ。
しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男たちは、友人ではなく、それぞれの国の大使
館から派遣された、護衛官であったという。

 もちろん私は本名で通した。
護衛官など、私にはつくはずもない。
が、こんなことがあった。

 ハウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。
外からかかってきた電話を、それぞれの部屋につなぐ係だ。
その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。
しかし彼は約束の時間になっても来なかった。

 そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。
しかしやってきたのは、彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。
私は怒った。
怒ってまた電話をつなぎ、「君が来るべきだ。
代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。

 やがて「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。
その友人が私の部屋にやってきて、こう言った。
「君は、わが国の王子に何をしているのか、それがわかっているのか。
モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。
この町にもある。
じゅうぶん気をつけろ」と。
その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘拐、処刑まです
るということだった。

 その王子。
どういうわけだか、私には気を許した。
許して、いろいろなことを話してくれた。彼の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータス
になっているとか、など。
夜遊びをしたこともある。
モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。

 が、一見、華々しく見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも
苦しんでいた。
ほんの一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうとしなくなってし
まったこともある。
詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で話題になったこともある。

●「あなたはホテルへ帰る」

 そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。
私は彼の国を旅行することになった。
旅行と言っても、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍し
ているのを知った。
街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。

 それを見ながら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手は
こう言った。
「王子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。
そこで私が「彼と一緒に勉強したことがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉
強した。みんなと勉強した」と。

 そこでさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなた
はホテルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。
まったく会話がかみ合わなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ルイス・アレキサンドリア【17】

●ハウスでのパーティ

 話が前後するが、私がハウスへ入ったちょうど、その夜のこと。
ハウスでダンスパーティがあった。
私にすれば、右も左もわからないというような状態だった。

 私はミスインターナショナルの一行だと聞いていたが、ミスユニバースだったかもしれない。
一九七〇年のはじめ、アルゼンチンのブエノスアイレスであったコンテストだ。

 その一行が、ハウスへやってきて、ダンスパーティを開いた。
その中に「ジュンコ」という日本の女性もいた。その女性はその後、大橋巨泉というテレビタレ
ントと結婚したと聞いているが、それはともかくも、その夜にルイスに会ったわけではない。
その翌日の夕方、インドネシアの西ジャワの王子が、ルイスを私に紹介してくれた。

 私はもともと、もてるタイプの男ではない。
どこから見ても、おもしろくない顔をしている。
背も低い。
メガネもかけている。
その上、まだ言葉もじゅうぶん、話せなかった。

 その私がルイスと、それから一週間の間、毎日、デートを繰り返した。
今から思うと不思議な気がする。
現実にあったことというよりは、夢の中のできごとという感じがする。
いつも誰かが車で私たちをあちこちへ案内してくれていた。
だれの車だったか、どうしても思い出せない。

 王子の車だったかもしれない。
運転してくれていたのは、多分、インドネシアの大使館の館員だったと思う。
私たちはその車で、インドネシアレストランへ行ったり、美術館を回ったり、スライドパーティに
行ったりした。
スライドパーティというのは、誰かが外国を旅行した際に撮ってきたスライドを、見せてくれると
いうパーティだった。

●ルイス・アレキサンドリア

 ルイスは背が高く、美しい人だった。
ただ当時の私は、そういう女性の美しさを理解するだけの「力」がまだなかった。

 金沢の下宿を飛び出して、まだ一週間もたっていなかった。
写真ですら、そういう女性を見たことがない。
だから私はルイスに圧倒されるまま、つまり何がなんだかわからないまま、デートを重ねた。
私にしてみれば、観光気分だった。

 しかもルイスが私に親切だったのは、それは彼女のボランティア精神によるものだと思ってい
た。
が、一週間たち別れるとき、ルイスは、私の目の前でスーッと涙をこぼした。
そしてそのとき、ルイスは、私に一本の金色のかんざしをくれた。
コンテストでもらった賞品だと、ルイスは言った。
私はそれに戸惑ったが、それほど深く考えなかった。少なくとも私は笑って、ルイスと別れた。

 ルイスはインドネシアへ帰ってから、数回手紙をくれたが、私は返事を書かなかった。
毎日が嵐のように過ぎていく中で、やがて私はルイスのことを忘れた。
が、ある日。
半年ぐいらいたってからのことだが、自分の部屋で何もすることもなくぼんやりしていると、引き
出しの中に、そのかんざしがあるのがわかった。

 私はそのかんざしを手にとると、どういうわけだか、そのかんざしをナイフで削りはじめた。
キラキラと金色に輝くかんざしだった。
私はメッキだとばかり思っていた。
が、いくら削っても、その金色の輝きは消えなかった。

 私はそれを知ったとき、何とも申し訳ない気持ちに襲われた。
私はルイスの心を、もてあそんだのかもしれない。
当時の私は自分の心がどこにあるかさえわからないような状態だった。
静かに女性の心を思いやるような余裕は、どこにもなかった。
そんな思いが、心をふさいだ。

 ルイス・アレキサンドリア。
これは彼女の実名だ。

 彼女は当時、ジャカルタの旅行代理店に勤めていた。
もしルイスの消息を知っている人がいたら、教えてほしい。
あるいはもしルイスを知っている人がいたら、「あのときのヒロシは、今、浜松に住んでいる」と
伝えてほしい。
今度は、私が、日本料理をごちそうする番だ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

非日常的な日常【19】
 
●ケタ違いの金持ちたち

 王族や皇族の子弟はもちろんのこと、公費留学生は別として、私費で留学してきたような連
中は、その国でもケタ違いの金持ちばかりだった。

 アルジェリアのレミ(実名)、ベネズエラのリカルド(実名)などは、ともにその国の石油王の息
子だった。
フィージーから来ていたペイテル(実名)もそうだった。
しかしその中でも異色中の異色は、香港から来ていたC君という学生だった。
実名は書けない。
書けないが、わかりやすく言えば、香港マフィアの大親分の息子ということだった。

 彼の兄ですら、香港の芸能界はもちろんのこと、映画、演劇などの興行を一人で牛耳ってい
た。
ある日C君の部屋に行くと、彼の兄が「ピンキーとキラーズ」(当時の日本を代表するポップシン
ガー)や布施明と、仲よく並んで立っている写真があった。
彼らが、香港で公演したときとった写真ということだった。

 いつかC君が、「シドニーにも、おやじの地下組織がある。何かあったら、ぼくに連絡してくれ」
と話してくれたのを覚えている。

●インドネシア海軍の前で閲兵

 こういう世界だから、日常の会話も、きわめて非日常的だった。
夏休みに日本でスキーをしてきたという学生がいた。
話を聞くと、こう言った。

 「ヒロシ、ユーイチローを知っているか」と。
私が「ユー……」と口ごもっていると、「ユーイチロー・ミウラ(三浦雄一郎、当時の日本を代表
するスキー選手)だ。ぼくはユーイチローにコーチをしてもらった。君はユーイチローを知ってい
るか?」と。
しかも「日本の大使館で大使をしている叔父と、一緒に行ってきた」などと言う。

 そういう世界には、そういう世界の人どうしのつながりがある。
そしてそういうつながりが、無数にからんで、独特の特権階級をつくる。
それは狂おしいほどに甘美な世界だ。

 一度、ある国の女王が、ハウスへやってきたことがある。
息子の部屋へ、お忍びで、である。
しかしその美しさは、私の度肝を抜くものだった。
私は紹介されたものの、言葉を失ってしまった。
「これが同じ人間か……」と。

 あるいはインドネシア海軍がメルボルン港へやってきたときのこと。
将校以下、数一〇名が、わざわざバスに乗って、西ジャワの王子のところへ挨拶にやってき
た。
たまたま休暇中で、ハウスにはほとんど学生がいなかったこともある。
私はその王子と並んで、最敬礼をする将校の前を並んで歩かされた、などなど。

●やがて離反

 が、私の心はやがて別の方へ向き始めた。
もう少しわかりやすく言えば、そういう世界を知れば知るほど、それに違和感を覚えるようにな
った。
私はどこまでいっても、ただの学生、あるいはそれ以下の自転車屋の息子だった。

 一方、彼らはいつもスリーピースのスーツで身を包み、そのうちのまた何人かは運転手つき
の車をもっていた。
そういう連中と張りあっても、勝ち目はない。
仮に私が生涯懸命に働いても、彼らの一日分の生活費も稼げないだろう。

 そう感じたとき、それは「矛盾」となって私の心をふさいだ。
最近になって、無頓着な人は、「そういう王子や皇太子と、もっと親しくなっておけばよかったで
すね」などと言う。
「旅行したら、王宮に泊めてもらいなさい」と言う人もいる。
今でも手紙を書けば、返事ぐらいは来るかもしれない。

しかし私はいやだ。
そういうことをしてペコペコすること自体、私にとっては敗北を認めるようなもの。

 やがて私は彼らとは一線を引くようになった。彼らもまた、私がただの商人の息子とわかる
と、一線を引くようになった。
同じ留学生でありながら、彼らは彼らにふさわしい連中と、そして私は私にふさわしい連中と、
それぞれグループを作るようになった。
そしてそれぞれのグループは、どこか互いに遠慮がちになり、やがて疎遠になっていった。

(以上、「世にも不思議な留学記」より。
さらに読んでくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html )

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●正田英三郎氏との思い出

 東京へ行くたびに、そして正田英三郎氏に会うたびに、正田氏は、東京商工会議所の近くの
ソバ屋へ連れていってくれた。
ときどき坂本二郎氏(坂本竜馬の直系のひ孫氏)も、いっしょだった。
そのときいろいろな話を聞いた。
が、その内容については、ここには書けない。

 ただ今にして思うと、なぜ、正田氏が、商工会議所の中に自分の部屋をもっていたかが、理
解できる。
大通りをはさんで、目の前は、皇居。
美智子妃殿下にとっても、たいへんつらい日々がつづいていた。
ただいつもこう思っていた。

 「いつか、それなりの人間になったら、正田氏を浜松へ招待しよう」と。
が、その日は最後まで、来ることはなかった。
私は正田氏の訃報を、この浜松で、聞いた。
それで終わった。

 だからこそ、余計にこう思う。
私たち日本人は、もう少し謙虚になってもよいのではないか、と。
「一度は、天皇家の人たちに、重責を担っていただけますかと聞くのは大切」と書いたのは、そ
ういう理由による。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

明治維新は、本当に、バラ色の「維新」だったのか。
それについて考えてみたい。
これを読んでもらえば、「維新」という言葉がもつ幻想を、
少しは訂正してもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【明治維新後の日本の教育】

●学校に通う意味・青年の意識調査より

●内閣府(2009年)の調査結果より

なぜ、あなたは学校に通うか?
その答がつぎ。

++++++++++++++++++

●日本は「友達との友情をはぐくむ」、韓国は「学歴や資格を得る」、アメリカ、イギリス、フラン
スは「一般的・基礎的知識を身に付ける」がもっとも高い。

●「友達との友情をはぐくむ」:

日本(65.7%)、
韓国(41.2%)、
イギリス(40.2%)、
アメリカ(39.2%)、
フランス(16.3%)

●「自由な時間を楽しむ」:
日本(32.5%)、
アメリカ(26.8%)、
イギリス(22.7%)、
韓国(14.7%)、
フランス(11.2%)

●「職業的技能を身に付ける」:
イギリス(44.6%)、
フランス(43.5%)、
アメリカ(42.8%)、
韓国(37.0%)、
日本(30.6%)

●「一般的・基礎的知識を身に付ける」:

アメリカ(79.1%)、
フランス(66.9%)、
イギリス(63.0%)、
日本(55.9%)、
韓国(44.9%)

詳しくは……
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/pdf/gaiyou.pdf

++++++++++++++++++

●意識のちがい

 高等教育に対する意識のちがい。
それが内閣府の調査結果によく表われている。
平たく言えば、日本の青年は、「遊ぶため」。
欧米の青年は、「社会へ出てから、生きていかれる人間になるため」。
「職業的技能を身につけるため」という意識が強い。

 役にたつかたたないかということになれば、日本の教育は役にたたない。
かなり改善されたとはいえ、英語教育がそうだった。(……今も、そうだ。)
つまり日本の教育は、英語にかぎらず、社会にしても、国語にしても、数学にしても、理科にし
ても、将来、その道の学者になるためには、たいへん機能的にできている。
が、将来、学者になる子どもは、いったい、何%いるのか?
「基礎学力」という名前に隠れて、その一方で、「教育とは役にたつものではない」という、非実
用主義が常識化している。

●役にたつ教育へ

 アメリカの中学では、たとえば数学にしても、「中古車の買い方」というテーマで学習に入る。
その過程で、小数計算の仕方や、金利の損得の判断などを順に教えていく。
が、この日本では、一次方程式だの、一次関数だの、はたまた合同だの相似だの……。
私など高校を出てから、方程式なるものを、日常生活の場で使ったことなど、ただの一度もな
い。
サインやコサイン(私たちの時代には、中学2年で、サイン、コサインを勉強した)にしても、さら
に、ない。

 が、これは教育の問題ではない。
それを学ぶ子どもたちの意識の問題ということになる。
子どもたちを育てる親の意識の問題ということになる。
「なぜ、子どもを大学へやるか?」と聞かれたら、親は何と答えるだろうか?
今でも、大半の親は、こう答えるにちがいない。

「学歴を身につけるため」と。

●身分制度の名残(なごり)

 江戸時代から明治時代へ。
今は、坂本龍馬に踊らされているから、わからないかもしれない。
なにやら坂本龍馬が、革命の旗手であったかのようにとらえられている。
しかし明治維新は、「革命」でも何でもない。
英語では、「Restoration」と訳されている。
つまり「王政復古」。
坂本龍馬は、民衆のために戦った人ではない。
民主主義を求めて戦った人でもない。
「王政復古」、つまり「天皇の復権」のために戦った人に過ぎない。

 そういう歴史的背景も学ばず、「龍馬ブーム」!
もし徳川時代がまちがっているというのなら、一度、封建時代を精算したらよい。
が、それもしない。

 わかりやすく言えば、明治維新は、徳川家から天皇家への、首のすえかえに過ぎなかった。
その一例が、現在の学歴制度に残っている。
つまり身分制度。
当時の為政者たちがもっとも腐心したのは、江戸時代の身分制度をいかにして、明治政府に
バトンタッチするか、であった。
が、方法がなかったわけではない。

 明治時代が11年も過ぎたころでさえ、東京大学の学生の75%以上が、華族、氏族の師弟
で固められた。
たいはんの庶民は、尋常小学校どまり。
それ以上となると、父親の1か月の給料をもってしても、教科書すら買うことができなかった。

 また県知事(県令)は、当時の自治省から派遣されるしくみになっていた。
選挙など、形だけ。
(現在でも、大きくみれば、その流れの中にある。)

++++++++++++++++++

以前、書いた話と同じになりますので、
以前書いた原稿を、転載します。
一部重複しますが、許してください。

++++++++++++++++++

【学歴制度】

● 5か条の御誓文

+++++++++++++++++++

1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

+++++++++++++++++++++

●平等

 明治維新の中でもっとも注目すべきは、『四民平等』。
が、あの時代。
「平等」などということは、もとからありえなかった。

 天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。

それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもの希望

 話は少し脱線する。
まず、傍証。
傍証の補強。

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)き
たい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選び
たい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラー志向が
強い。
韓国は特技系の仕事に関心がある。
米国では特技や専門技術系の職業に人気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱
い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。
しかも今、どんな公務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。
さらに公務員試験を受けるための予備校まである。
そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。
もちろん退職金も、年金も、満額支給される。
さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。
そこに5年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。
ごくふつうの自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。
(だからといって、その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。
H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。
「市役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。
「お前も、公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。
しかしこの日本では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。
数がふえるだけならまだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員
たちによって管理されることを意味する。
自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおいて、ほ
かにないだろう。
ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。
しかし本当に、そうか。
あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなのか。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今一度、
「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。

(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】

 ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子ど
もが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答えた。
日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。
しかし日本や韓国の子どもには、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる学
部」という視点で、大学を選択している。
いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパをかけても、子どもたちは、こう言う。
「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのである。

 人生には、無数の道がある。
幸福になるにも、無数の道がある。
子どもの世界も、同じ。
そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たいへん
便利で、能率よくできている。
しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始めている。
現状にそぐわなくなってきている。
明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものではないと
いうこと。
仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年になってから勉強するという
ことも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけることによっ
て、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉強し
なさい!」と怒鳴る親は少ない。
こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われるよう
になった。
「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分を手に入れる」という目
的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。
「私は、もう終わりましたから」と。
私が、「お母さん、あなたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。
新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。
なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。
そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を使った。
「革命」という意味をこめたが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時代に
温存するかであった。
ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けたかったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。
しかし一般庶民にとっては、教科書や本すら、満足に購入することができなかった。
だから結局、大学まで出られるのは、士族や華族、一部の豪族にかぎられた。
明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生のうち、約75〜80%が、士族、華族の師弟
であったという記録が残っている。
(たった6・4%の士族、華族が、約75〜80%を占めていたのだぞ!)

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の県令(知事)となって、派
遣されていった。
選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。
変っていないことは、実は、あなた自身が、一番、よく知っている。
たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜松市の市長も、そして国会議員の大半も、み
な、元中央官僚である。
(だから、それがまちがっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。
あるいは大半の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らない
のではないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 
私もこの国に住んで、56年になるが、つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++

つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
今まで書いてきたことの、ベースとなった原稿です。

++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

 インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。
どこかの国のカルト信仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。
その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度
をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それがわ
かる。
そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別した。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。
学校出の教師の給料が、15〜30円、県令(現在の県知事)の給料が、250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。
そして今に見る、学歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚
政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。
各県にある教育委員会が、支部本山。
そして学校が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。
教育はだれの目にも必要だったし、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。
どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎ
ている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。
そうでない人は、何かにつけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。
多すぎる。
親たちは日常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。
だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係なく、
職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっちもい
かないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後閉鎖
論まで、公然と議論されるようになっている。
それだけ公教育の荒廃が進んでいるということになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。
今の、この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子ど
もたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。
そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。
それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。
ウソだと思うなら、あなたの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。

(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省 はやし浩司 県令 士族 華族)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、自分の鼻
先を指さす。
(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。
年長児の大半も、自分の鼻先をさす。
しかし年中児になると、それが乱れる。
つまりこの部分については、子どもは年中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられな
くても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。
よく誤解されるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はる
かに多い。
どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらにはもっと多い
かしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教えずして
教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。
あるいは子どもというのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。
しかしむしろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大半の子
どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。
だれが育てるというのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、
必要以上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはってい
く。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士にな
るという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。
全員(一〇人)がこう言った。「どうせ、なれないもんね」と。
「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。
あるいは何を教えていないだろうか。
そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいるだろうか。
それを少しだけここで考えてみてほしい。

(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 
幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会 はやし浩司 県令 自治省 坂本龍
馬)

●最後に……

 日本の教育は、基本的な部分で、おかしい。
その(おかしさ)は、ここに書いたとおりである。
だから青年たちは、「遊ぶ」。
もとから学ぶという意識もないまま、遊ぶ。
その結果が、内閣府の調査結果ということになる。

 もう一度、冒頭の数字を、じっくりとながめてみてほしい。
あなたにも、そのおかしさが、わかるはず。
2010/07/19記


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものやる気論(参考原稿、2010年10月記より)

【子どものやる気論】自発的行動(オペラント)

●ほめる



++++++++++++++++



子どもは、ほめて伸ばす。

これは家庭教育の大鉄則!



++++++++++++++++



●灯をともして引き出す



 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味する(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」と
いう単語に由来する。



 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参
観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。



 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、そ
れが強化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。



●脳内ホルモンが脳を活発化させる



 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。



 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。



ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことが
あった。



●子どもをほめるときは本気で



 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。



 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。



 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。



 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。



●「先生、肩もんでやるよ。」



 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。



 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。



 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。



 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。



 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。



 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 
子どものやる気 子供の集中力 思考力)
(以上、2006年5月記)
+++++++++++++++++++++
もう一作、「やる気」について書いた
原稿を添付します。
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【子どもの中の子ども】

++++++++++++++++++++

子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

++++++++++++++++++++

●乳幼児の記憶

+++++++++++++

子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

+++++++++++++

「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2
000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期に
わたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォ
フらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということに
なる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは
記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわ
かりやすい。

++++++++++++++++

わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

++++++++++++++++

●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわか
ってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、
それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなた
は、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあ
るが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる前に、す
でに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気
信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてし
まう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何かということにな
ってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。私は、
あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう思うだろ
う。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をす
る」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけと
いうことになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その「私」に、さ
からってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その「反対の行動をして
みよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自我があ
る。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといっ
てもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようにな
る。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいた
とする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲
の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男性だって、そう
だ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動
かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロール
されている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思で、この
原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだ
が、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの
命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなってしまう。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。

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では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

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● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the 
brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. 
I understand the hypothalamus is the source of life itself.

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おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる気)

++++++++++++++++

では、いよいよ核心?

「私」とは何か。
また教育の世界では、「私」をどう考えたら
よいのか。

私は、ひとつの仮説を考えた。

++++++++++++++++

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains. 
The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other brains. 
Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the frontal 
part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1〜2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない部分
 視床下部 大脳前頭前野)

++++++++++++++++

教育の世界では、表面的な子どもだけを
見て、教育してはいけない。

教師のひとつひとつの行動、言動が、
どのように子どもの中に形成されていくか。
それを観察しながら、教育する。

あるいは反対に、その子どもが、その
子ども自身の中の、どのような「私」に
コントロールされているか、それを
的確に判断しながら、教育する。

それが教育の原点ということになる。

++++++++++++++++

【私とは?】(What is "Me"?)
At last I have come to an conclusion or I just feel it that I have come. Here is what I have 
found in these ten years. 

●いよいよ核心?

++++++++++++++++++

「私」の中には、(私であって、私でない部分)と、
(私であって、私である部分)がある。

大半の「私」は、(私であって、私でない部分)と
考えてよい。

食事をするのも、眠るのも、仕事をするのも、
また恋をして、結婚して、子どもをもうけるのも、
結局は、視床下部の奥深くから発せられる、強力な
シグナルによって、そう操作されているだけ。
それを「本能」と呼ぶなら、本能という名称でも、
構わない。

では、(私であって、私である部分)は、どこに
あるのか。

実は、こうしたシグナルに逆らうところに、
「私」がある。

こんな例で考えてみよう。

毎年、その時期になると、私の家の庭には、2羽の
ドバトがやってくる。
巣をつくり、雛(ひな)をかえす。

そのときのこと。
ドバトは、たいてい2羽の雛をかえす。
が、そのうち雛が大きくなると、
より強い雛が、より弱い雛を、巣から押し出して、
下へ落としてしまう。

つまり1羽だけが、生き残る。
(たまに2羽とも生き残ることがあるが……。)

雛は、雛なりに、生存をかけて、もう一羽の
雛を、巣から落とす。

が、それはその雛自身の意思というよりは、
雛自身の、生まれもった、本能によるものと
考えるのが正しい。

もしその雛が、人間と会話ができるなら、
きっとこんなふうに言うにちがいない。

私「君は、どうして、もう一羽の雛を、巣から
落としたのだ?」
雛「親が、エサをじゅうぶんにくれないからだ」
私「君の意思で、そうしたのか?」
雛「もちろん。やむをえず、私は、そうした」と。

が、雛は、自分の意思で、そうしたのではない。
もう少し正確には、これはあくまでも私の
仮説だが、こうなる。

「生きたい」という強力なシグナルが、雛の
視床下部から発せられる。
そのシグナルは、雛の辺縁系と呼ばれる部分で、
「形」のあるシグナルに変換される。
このばあい、「嫉妬」という感情に変換される。

つまりそこで2羽の雛は、たがいに嫉妬し、
巣の中で、闘争を開始する。
「出て行け!」「お前こそ、出て行け!」と。

結果的に、より力の強い雛が、弱い雛を、巣から
追い出して、落とす。
落とされた雛は、野犬などに襲われて、そのまま死ぬ。

わかりやすく言えば、雛は、こうした一連の行為を
しながら、(私であって、私でない部分)に操られた
だけということになる。

では、その雛が、(私であって私である部分)をつかむ
ためには、どうすればよいのか。

ここから先は、人間を例にあげて考えてみよう。

2人の人がいる。
砂漠かどこか、それに近いところを歩いていた。
2人も、もう数日間、何も食べていない。
空腹である。

で、2人が歩いていると、目の前に、パンが一個、
落ちていた。
1人分の空腹感を満たすにも足りない量である。

もしそのとき、2人が、一個のパンを取りあって、
喧嘩を始めれば、それはドバトの雛のした行為と
同じということになる。

基本的には、視床下部から発せられたシグナルに
操られただけ、ということになる。

が、2人の人は、こう話しあった。

「仲よく、分けて食べよう」
「いや、ぼくはいいから、君のほうが、食べろよ」
「そんなわけにはいかない。君のほうが、体も細いし、
元気がない……」と。

もう、おわかりのことと思う。
(私であって、私である部分)というのは、
(私であって、私でない部分)を、否定した
部分にあるということ。

もっとわかりやすく言えば、先に書いた、「本能」を
否定したところに、「私」がある。

さらに言えば、一度(私であって、私でない部分)から、
抜けでたところに、「私」がある。

その究極的なものは何かと問われれば、それが「愛」
であり、「慈悲」ということになる!

「愛」の深さは、「どこまで、相手を許し、忘れるか」、その
度量の深さで、決まる。

「慈悲」については、英語で、「as you like」と訳した
人がいる。
けだし名訳! 「あなたのいいように」という意味である。
つまり「慈悲」の深さは、どこまで相手の立場で、「相手に
いいようにしてやる」か、その度量の深さで、決まる。

たとえば殺したいほど、憎い相手が、そこにいる。
しかしそこで相手を殺してしまえば、あなたは、
視床下部から発せられるシグナルに操られただけ、
ということになる。

が、そこであなたは、あなた自身の(私であって、
私でない部分)と闘う。闘って、その相手を、
許して忘れたとする。
相手の安穏を第一に考えて、行動したとする。
つまりその相手を、愛や慈悲で包んだとする。

そのときあなたは、(私であって、私である部分)を、
手にしたことになる!

「私」とは何か?

つまるところ、(私であって、私でない部分)を否定し、
その反対のことをするのが、「私」ということになる。

もちろん、人間は生きていかねばならない。
視床下部から発せられるシグナルを、すべて否定したのでは
生きていかれない。

しかし、そのシグナルの奴隷になってはいけない。
シグナルの命ずるまま、行動してはいけない。
闘って、闘って、闘いぬく。
その闘うところに、「私」がある。
そのあとに残るのが、「私」ということになる。

繰りかえすが、その究極的なものが、「愛」であり、
「慈悲」ということになる!

さらに言えば、「私」とは、「愛」であり、「慈悲」
ということになる。

言いかえると、「愛」や「慈悲」の中に、(私であって、
私である部分)が存在する、ということになる!

+++++++++++++++++

【補記】

ここに書いたのは、私の仮説に基づいた、ひとつの意見のすぎない。
しかし、おぼろげならも、やっと私は、「私」にたどりついた。
「私」とは何か、その糸口をつかんだ。
長い道のりだった。
遠い道のりだった。
書いた原稿は、数万枚!

ここまでたどりつくために、ほぼ10年の月日を費やした。
(10年だぞ!)

先ほど、ドライブをしながら、ワイフにこの仮説について説明した。
ワイフは、そのつど、私の仮説に同意してくれた。

で、それを説明し終えたとき、私の口から、長い、ため息が出た。
ホ〜〜〜〜〜ッ、と。
うれしかった。
涙がこぼれた。

この先は、私の仮説を、もう少し、心理学、大脳生理学、教育論の
3つの分野から、同時に掘りさげ、補強してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私とは 私論 愛 慈悲 愛論 
慈悲論 仮説 視床下部 辺縁系 はやし浩司の私論 教育の原点)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●言語能力

 ついでに、澤口俊之氏は、「言語能力こそが重要」と説く(「したたかな脳」日本文芸社)。

 私も、そう思う。

 言語能力のあるなしで、その人の知性を決める。「ヒトとサルの違いは、この言語能力のある
なしである」(同書)という。

 私も、そう思う。

 つまりその言語能力を喪失したら、ヒトは、ヒトでなくなってしまう。ただのサルになってしまう。

 が、最近、その言語能力のない人が、ふえてきた。いろいろな原因が考えられているが、要
するに、人間、なかんずく日本人が、それだけ「バカ」(養老孟子)になってきたということか。

 先日も、コンビニで立ってレジがすむのを待っていたら、前に立っていた母親が、自分の子ど
もに向かって、こう叫んでいたという。

 「テメエ、騒ぐと、ぶっ殺されるぞオ!」と。

 これは、ある小学校の校長先生が話してくれたエピソードである。服装や、かっこうはともかく
も、その母親の頭の中は、サル同然ということになる。

 つまりは思考能力ということになるのだろうが、それを決定づけているのが、大脳の中でも前
頭連合野である。最近の研究によれば、この前頭連合野が、「人格、理性と深いかかわりがあ
ることがわかってきました」(同書、P34)という。

 その前頭連合野の発達のカギを握るのが、ここでいう言語能力である。しかもその発達時期
には、「適齢期」というものがある。言語能力は、ある時期に発達し始め、そしてある時期がくる
と、発達を停止してしまう。「停止」という言い方には語弊があるが、ともかくも、ある時期に、適
切にその能力を伸ばさないと、それ以後、伸びるといことは、あまりない。

 それを「適齢期」という。

 私の経験では、子どもの、論理的な思考能力が急速に発達し始めるのは、満4・5歳から5・
5歳と、わかっている。この時期に、適切な指導をすれば、子どもは、論理的に考えることがで
きる子どもになるし、そうでなければ、そうでない。

 この時期を逸して、たとえば小学2年生や3年生になってから、それに気がついても、もう遅
い。遅いというより、その子どものものの考え方として、定着してしまう。一度、定着した思考プ
ロセスを修正、訂正するのは、容易なことではない。

 で、言語能力については、何歳から何歳までということは、私にはわからない。わからない
が、その基礎は、言葉の発達とともに、小学生のころから、大学生のころまでに完成されるの
ではないか。

 この時期までに、ものを考え、言語として、それを表現する。そういう能力を養っておく必要が
ある。

 澤口氏は、「日本人の脳の未熟化が進んでいる」(同書、P130)と、警告しているが、このこ
とは、決して笑いごとではすまされない。

(はやし浩司 言語能力 大脳 前頭連合野 適齢期 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評
論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer 
Japanese essayist メルツオフ メルツォフ 乳幼児の記憶 視床下部 辺縁系 扁桃核 扁桃
体 カテコールアミン はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司・林 浩司

【参考原稿】

【新生児の謎】

●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する

+++++++++++++++++

進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350〜400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

+++++++++++++++++

胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産道をくぐり抜ける
ことができない。

だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。

胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならない。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母親が死ぬかのど
ちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかといえば、それは
言えない。

たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大きさによって決ま
る。(その反対でもよいが……)。

が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?

●頭を大きくするために

人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児そのものを、人
工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。

水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながっている。

この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくすることができる。
いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。

「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術だけをもってして
も、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻すという方法
は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50〜100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法が、ごくふつうのこ
ととしてなされるようになるかもしれない。

●2つの問題

が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。

ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代からは、自然分娩に
よる出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。

「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。

もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』ということ。

脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応によってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動きをしてみせる。

つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる反面、たとえば運
動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなってしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。

これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。

●豊かな感情は人間の財産

人工胎盤で育てられた子どもは、はたして人間的な感情をもつだろうか?

豊かな感情は、安定した母子関係の中ではぐくまれる……というのが、現在の常識である。
とくに生後直後から、満2歳前後までに、その子どもの感情、つまり情緒的発達は完成される。

しかし胎児のばあいは、どうだろうか。
胎児は母親の母体内にいる間、母親の愛情を感ずることはないのだろうか。

が、これについては、「感じている」と考えるのが、自然である。
最近の研究によれば、誕生直後の新生児ですら、実は母親に向かって(働きかけ)を行ってい
ることがわかってきた。
たとえば新生児は新生児で、本能的な部分で、自らの(かわいさ)を演出することによって、親
の愛情を自分に引きつけようとする。
つまり新生児の側からも、働きかけがあるということになる。
それまでは、たとえば愛情表現にしても、母親から新生児への一方的なものと考えられてき
た。
「母親から新生児への働きかけはあっても、新生児からの働きかけはない」と。

母親から新生児へ、新生児から母親へ。
こうした相互の(働きかけ)を、「ミューチュアル・アタッチメント(Mutual Attachment)」という。

が、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、誕生直後から始まると考えるのには、無理があ
る。
あらゆる生物は、もちろん人間もだが、その成長過程において、連続性を維持しながら成長す
る。
誕生と同時に、突然、「ミューチュアル・アタッチメント」が始まるというわけではない。
胎児は胎児であるときから、「ミューチュアル・アタッチメント」は始めていると考えるのが、自然
である。

となると、人工胎盤のばあい、胎児は、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、できないという
ことになる。
人工胎盤の中の胎児は、暗くて冷たい、孤独な世界でもがき、苦しむということになる。
いくら働きかけをしても、それに応えてくれる母親は、そこにいない!

仮に100歩譲って、何とか情緒面の問題を克服して誕生したとしても、今度は、そういう子ども
に対して、卵子の提供者でしかない母親が、母親としてのじゅうぶんな愛情を感ずることができ
るかどうかという問題もある。

母親は10か月という長い期間、自分の胎内で子どもを育てるうちに、母親としての愛情を自覚
する。
あるいは出産の苦しみをとおして、その愛情を倍加させる。
もちろん夫の役割も無視できない。
妻の出産を喜ぶ夫。
そういう姿を見て、母親である妻は、さらに子どもへの愛情を倍加させる。

こうしたプロセスを省略した子どもが、はたして、感情豊かな子どもに成長するかどうかというこ
とになると、あ・や・し・い。

●人間の脳

ところで進化の過程で、人間の脳は、より大きくなってきたと言われている。

ちなみに、猿人、原人、旧人、新人、現代人の脳容積はつぎのようになっている。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクトゥス)……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容積……約350〜400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

ここで私は、「進化」という言葉を使ったが、実のところ現代人の祖先というのは、定かではな
い。
ただ言えることは、人間(ヒト)は、猿(サル)から進化したのではないということ。
反対に、たとえばチンパンジーにしても、やがて人間のように進化するということは、ありえな
い。
人間は、人間。
猿は、猿。
それぞれが、完成された個体である。

もちろん人間がここまで進化する過程の中では、猿人→原人→旧人→新人のそれぞれの段
階で、無数の新種が生まれ、そして絶滅していった。
たとえばよく知られた例として、ネアンデルタール人がいる。
ネアンデルタール人は、人間の祖先であるホモサピエンスとそれほど能力的には差がなかっ
たものの、今から1万数千年前に、絶滅している。

●未熟化する新生児

仮に産道の大きさはそのままで、胎児の頭だけが大きくなったら、どうなるか。
先にも書いたように、胎児は、母親の産道をくぐり抜けることができなくなる。
そうなれば母体である母親が死ぬか、胎児が死ぬかの、どちらかしかない。

が、ほかに方法がないわけではない。

胎児の頭がまだ、産道をくぐり抜けることができる大きさの段階で、出産するという方法であ
る。
つまり新生児としては未熟だが、その段階で母体から離され、そのあと、母体の外で育てる。
現に新生児の体重は、3200グラム弱(平均)とされているが、(平均体重は、この10年、
年々減少傾向にあるが……)、その1か月後には、体重は、約1・5倍に増加する。
2か月で2倍になる新生児も少なくない。

つまり人間の子どもの出産は、きわめて微妙な時期を選んでなされることが、これでわかる。
もし出産時が、1か月早ければ、新生児は、特別な介護なくしては生きていくことすらむずかし
い。
一方、もし1か月遅ければ、体重が増加し、ついで頭も大きくなり、出産そのものがむずかしく
なる。

ちょうどよいころに、ちょうどよい、……というギリギリのところで母親は子どもを出産する。子ど
もは、うまく産道をくぐり抜ける。

が、疑問は、残る。

なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか、という疑問である。
新生児のばあい、少なくとも生後6か月まで、保護者による手厚い保護がないかぎり、自分で
生きていくことはおろか、動き回ることすら、できない。

●進化論への疑問

ここにも書いたように、人間は人間として、今に見る人間に進化した。
「今の今も進化しつづけている」と説く人もいるが、反対に、「同時に退化しつづけている」と説く
人もいる。

突然変異というのは、まさに両刃の剣。
突然変異によって進化することもあるが、それまでの重要な遺伝子を喪失することもある。
つまり進化と退化は、相互に関連し合いながら、同時進行的に進むと考えてよい。

が、それはさておき、人間が今に見る人間になるについて、「ダーウィン的な進化論では説明
できない進化」と説く学者も少なくない。

進化論の世界では、「10万年に1回の、ささいな変化」でも、「突然変異」とみるのだそうだ。
が、こと人間に関していえば、ほぼ20万年単位で「大・突然変異」を繰りかえし、今に見る人間
になった。

たとえば「人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたにもかかわらず、350万年
前の猿人の脳容量は、ほとんどチンパンジーと変わっていない」(「るい・NETWORK・生物
史」)そうだ。

「二足歩行するようになったから、脳容積が大きくなった」という従来の常識にも、よくよく考えて
みればおかしいということになる。

そこで現われたのが、「作為説」。
「つまり人間は、その進化の過程で、何ものかによって、作為的に改良された」という説であ
る。

この説を説く学者も少なくない。

『……スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進化論についてこう述
べています。

「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いかなる形において
も人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今日と同じ形で出現した」』(指
摘:「宇宙GOGO」HPより)と。

「なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか」という疑問についても、未
熟なまま生まれるというように、だれかによって操作されたとも、考えられなくはない。

そのだれかとは、だれか?

このあたりから、話が、SF的になる。
あるいはどこか宗教的になる。
実際、こうした説に基づいて活動しているカルト教団もある。
だから私の話は、ここまで。

この先のことは、皆さんの判断に任せるが、UFOが存在し、当然、宇宙人が存在するというこ
になれば、私たち人間が、その宇宙人によって何らかの(作為的な改良)を受けたことがある
のではないかと考えても、おかしくない。

とくに(脳)については、そうである。
なぜ私たちの脳は、こうまで飛躍的に進化してしまったのか?
わずか5500年以前には、私たちは火の使い方すら知らない新石器人間であったことを考え
るなら、この疑いは大きくなることはあっても、小さくなることはない。

(注)自分で読み返しても、稚拙な内容の文章だと思う。
文章もへたくそだし、つっこみも甘い。
が、私はここを出発点として、さらにこの問題について、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 産道 胎児の大きさ 胎児の頭
 人間の脳 はやし浩司 人間の脳の大きさと産道の大きさ はやし浩司 脳の進化 はやし
浩司 子どものやる気 やる気論 オペラント)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【乳幼児期の記憶はどこにあるのか?】(子どもの能力を引き出すために)

●乳幼児期の記憶

 乳幼児期の記憶は、私が学生のころは、「ない」とされていた。
が、それがとんでもないまちがいであったことを証明したのが、ワシントン大学のメルツオフ※
である。

しかもその記憶は、おとなの私たちとは比較にならないほど、まさに怒涛のように脳の中に記
憶される。
まわりの空気、匂い、音、母親の肌のぬくもり、息づかいなどなど。
そしてそれがやがてその子供の心の基礎となる。
目を閉じてやすらかに眠る乳児。
けっして、軽く考えてはいけない。

(注※……乳幼児の記憶)

「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2
000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。
現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えら
れると考えられている(新井康允氏ほか)。
しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだ
けということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。
たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような
景色だ」と思うようなことはよくある。
これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考
えるとわかりやすい。

●相互作用

 では、その一方で、あの乳幼児(新生児を含む)も、周囲のおとなたちに対し、いろいろな働
きかけをしていることも、最近、わかってきた。
わかりやすく言えば、あの赤ちゃんが、(あかちゃんがだぞ!)、おとな(とくに親)を、操ってい
る!

 つまり自らを(かわいく)見せ、親の関心を引こうとする。
乳幼児が見せる、あの「エンゼル・スマイル」も、そのひとつと言われている。
潜在意識、もしくは本能の奥深くでなされる行為のため、もちろん乳幼児がそれを意識してい
るわけではない。
無意識のうちに、そうする。

 さらに親は親で、そういう乳幼児の姿を見て、いたたまれない気持ちに襲われる。
それについても、脳内で麻薬を与えたときと同じような領域で反応が起き、脳内が高揚した状
態になるためと説明されている※。

「かわいい」という感情は、まさにそういう相互作用によって生まれるものである。

(注※……母親の陶酔感)

 時事通信、2008年7月13日は、つぎのように伝える。
『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似た
ような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー
医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した。
母親の子への愛情を脳科学で分析すれば、育児放棄や虐待の背景にあるかもしれない病理
の解明に役立つと期待される』と。

●おっぱい

 ここではさらに話を一歩、進める。
どうすれば、乳幼児期の記憶をさぐることができるか。
またどうそれを教育の場で、応用することができるか。
最近、私は、こんな発見をした。

 4、5歳児の幼児でも、女性の乳房(おっぱい)に対して、強く反応する子どもと、そうでない子
どもがいることがわかった。
最初は子ども(生徒)たちをからかうつもりで、おしゃぶりを私の机の上に置いてみた。
そのおしゃぶりに対する反応が、子どもによって、微妙にちがう。
まったく関心を示さない子どももいれば、トローッと甘い顔つきになる子どももいる。
条件反射的に、口をもぐもぐさせる子どももいる。

 そこで私は、「こういうのを使ったことがある人?」と聞く。
が、ほとんどの子どもは、「使ったことはない!」と答える。
弟や妹が使っていると答える子どもは、いる。
しかし自分は、使ったことはない、と。

 さらに「お母さんのおっぱいを飲んだことがある人?」と聞く。
が、このばあいも、ほとんどのこどもは、「ない」と答える。
そんなはずはないと思い、何度も念を押し、聞く。
が、それでも「ない」と答える。

(ただし中には、5、6歳になるまで、母親のおっぱいをのんだり、吸ったりしている子どももい
る。)

 で、私自身の記憶をさぐってみる。
「私は、どうなのか?」と。
あるいはあなた自身は、どうか。

 私のばあいも、母親のおっぱいを吸った記憶は、ない。
ぼんやりと何かしら記憶しているようには感ずるが、直接的にはない。
が、ここにあげた子どもは、まだ4、5歳。
そんな子どもでも、「ない!」と。
が、さらに不思議なことがある。

●口唇期

 ときどき何かのことでふざけているようなとき、私は子どもたちにこう聞く。
「おっぱい、好きな人?」と。
 
 すると、ほとんどの子ども(5、6歳の年長児)は、吐き捨てるようにこう答える。
「嫌い!」と。
4、5歳の年中児でも、そう答える。
そこで私は強い口調で、こう言う。

「ウソを言うな。好きだったら、好きと言え」と。
すると何人かは、恥ずかしそうにこう言う。
「……好きだよ……」と。
が、おおっぴらに、「好き!」と答える子どもは、いない。

 もっともフロイト流に考えれば、「おっぱいが好き」(=おっぱいに特別の関心をもつ)という子
どもは、口唇期に何かの(こだわり)をもっていることが多いという。
依存性が強く、ストレスに弱いとされる(渋谷昌三「心理学」)。

●心理テスト
 
 渋谷昌三氏は、「心理学」(西東社)の中で、こんな興味深いテストを紹介している。
そのまま紹介させてもらう。

++++++++++++++++++++++++

Q:つぎの5つは、赤ちゃんの身の回りにあるものです。
それぞれを頭の中で、思い浮かべてみてください。
もっとも印象深いのは、それですか?

(1)ほ乳瓶、(2)おしゃぶり、(3)おまる、(4)おむつ、(5)ガラガラ

++++++++++++++++++++++++

 このテストによって、心の別室(はやし浩司)に抑圧された「隠蔽(いんぺい)記憶」をさぐるこ
とができるという。
乳幼児でも、おとなでも、自分にとって不快な記憶は、心に別室をつくり、それを押し込めてし
まう。
それを心理学の世界では、「抑圧」という。
そこでその中身が何であるかを知る。
このテストも、そのひとつというわけである。
どれにいちばん関心があるかを知り、その隠蔽記憶をさぐる。

 で、渋谷昌三氏は、つぎのように、診断している(同書)。

(1)ほ乳瓶やおしゃぶりを選んだ人……依存心が強く、ストレスに弱い正確です。
(2)おまるやおむつを選んだ人……まじめで几帳面で、強情なところもあり、倹約家の面もあ
ります。
(3)ガラガラを選んだ人……虚栄心が強く、めだちたがり屋。

 渋谷昌三氏は、つぎのように説明している。

『それぞれのものは、口唇愛期(誕生、1歳未満)、肛門愛期(1歳〜3歳)、エディプス期(3〜
6歳)※に対応したものです。
どの時期に(こだわり)をもっているかで、ちがう性格が形成されるといわれています」(以上、
同書)と。

 つまり、記憶というのは、視覚的なものとはかぎらないということ。
いわばガスのようになって、脳の中に残る。
そのガスが、さまざまな形で、その人の性格を作る基盤になっていく。
「形」としての記憶がないからといって、「記憶がない」と考えるのは、正しくない。

(注※……エディプス、エディプスコンプレックス)

 ソフォクレスの戯曲に、『エディプス王』というのがある。
ギリシャ神話である。物語の内容は、つぎのようなものである。

 テーバイの王、ラウルスは、やがて自分の息子が自分を殺すという予言を受け、妻イヨカスタ
との間に生まれた子どもを、山里に捨てる。
しかしその子どもはやがて、別の王に拾われ、王子として育てられる。
それがエディプスである。

 そのエディプスがおとなになり、あるとき道を歩いていると、ラウルスと出会い、けんかする。
が、エディプスは、それが彼の実父とも知らず、殺してしまう。

 そのあとエディプスは、スフィンクスとの問答に打ち勝ち、民衆に支持されて、テーバイの王と
なり、イヨカスタと結婚する。つまり実母と結婚することになる。

 が、やがてこの秘密は、エディプス自身が知るところとなる。
つまりエディプスは、実父を殺し、実母と近親相姦をしていたことを、自ら知る。

 そのため母であり、妻であるイヨカスタは、自殺。
エディプス自身も、自分で自分の目をつぶし、放浪の旅に出る……。

 この物語は、フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)にも取りあげられ、
「エディプス・コンプレックス」という言葉も、彼によって生みだされた(小此木啓吾著「フロイト思
想のキーワード」(講談社現代新書))。

 つまり「母親を欲し、ライバルの父親を憎みはじめる男の子は、エディプスコンプレックスの支
配下にある」(同書)と。
わかりやすく言えば、男の子は成長とともに、母親を欲するあまり、ライバルとして父親を憎む
ようになるという。
(女児が、父親を欲して、母親をライバル視するということも、これに含まれる。)

 この説話から、一般に、成人した男性が、母親との間に強烈な依存関係をもち、そのことに
疑問をもたない状態を、心理学の世界では、「エディプスコンプレックス」という。
母親からの異常な愛情が原因で、症状としては、同年齢の女性と、正常な交友関係がもてなく
なることが多い。

●ガスを知る

 「ガスを知る」という経験は、日常生活の中でもよくする。
たとえば街角で、どこかで見たことのある人に会ったとする。
そのときのこと。
どこで会ったかも覚えていない。
名前も覚えていない。
どういう関係だったかも覚えていない。
が、その瞬間、つまり会った瞬間、不快な思いに満たされることもあれば、反対に、懐かしさが
こみあげてくることもある。

 これは知覚できる意識が反応する前に、脳の奥深いところにガスのようにたまっている記憶
が先に反応するためと考えてよい。
『坊主、憎ければ、袈裟まで憎い』というのも、そのひとつ。
ときとして、そのガスが、印象を決めてしまう。

 乳幼児期の記憶は、言うなれば、脳の中でガス状になってたまる。
もちろん論理や分析、あるいは言葉や映像を伴った記憶ではない。
ぼんやりとしている……という意味で、「ガス」という言葉を使った。
そういう記憶である。

 言い換えると、乳幼児と接するときは、ガスがどのように記憶されているか、それに注意を払
えということになる。
モノを買い与えるとか、どこかへ連れていくとか、そういうことではない。
(おとなには、そういう記憶ほど、強く印象に残るかもしれないが……。
またそういうのをもって、「記憶」と考えやすいが……。)
ガスである。
その場の雰囲気、温もり、環境、安心感や不安感などなど。
ぼんやりとしていて、実体がない。

 が、こうしたことを理解することにより、即、それを教育の世界でも役立てることができる。
たとえば何かを教えるときも、教える内容や、できる・できたではなく、雰囲気。
「楽しかった」という思いだけを大切に、つくっていく。
それがやがて、子どもを伸ばす原動力になっていく。

 以前に書いた原稿をいくつか、参考までに、ここに載せておく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 隠蔽記憶 抑圧 エディプス は
やし浩司 ディプスコンプレックス はやし浩司 ワシントン大学 メルツオフ メルツォフ ベイ
ラー はやし浩司 母親の脳内反応 麻薬 陶酔感 はやし浩司 ベイラー医科大学 乳幼児
の記憶)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【浜名湖かんざんじ荘にて】(はやし浩司 2012−03−07)

 今日は、舘山寺温泉にある、浜名湖かんざんじ荘へやって来た。
毎月のように世話になっている。
職員の人たちとも、すっかり顔なじみ。
それだけに居心地がよい。
気楽。

 何度も書くが、浜名湖周辺で一泊……ということを考える人がいたら、この「浜名湖かんざん
じ荘」がよい。
窓からの景色(眺望)は、浜松イチ。
料理も最高。
浴場からの景色も、これまた最高。
あとは料金と相談。
この上と言えば、ホテル・ウェルシーズンがある。
さらにその上には、九重(ここえ)もある。

 私はいつも「じゃらん」を利用している。
料金も格安。
本気度も、120%。
満足度も、120%。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●認知理論(Cognitive Theory)

「認知療法」とか、「認知的不協和理論」というのは、わかりやすい。
「認知行動理論」とか、「認知行動療法」というのもある。
それらのベースになっているのが、「認知理論」ということになる。

 わかりやすく言えば、「行動理論」に対して、「認知理論」がある。
人間と言うのは、(ほかの動物もみなそうだが)、ある一定の状況下で、同じ条件が加わると、
共通した行動をする。
こうした行動反応を、体系化、理論化したものが、「行動理論」ということになる。

 それに対して、「心(精神)」も、ある一定の状況下で、同じ条件が加わると、共通した心理反
応を示す。
こうした心理反応を、体系化、理論化したものが、「認知理論」ということになる。
というか、「心」の問題を、知的に分析、体系化したものと考えたほうがわかりやすい。

 「心」というと、どうしても、「感情的」「情緒的」に考えやすい。
が、これでは科学としては、体系化できない。
そこで心の働きを、脳のメカニズムとして理解しようとして生まれたのが、認知理論ということに
なる。
近年のコンピューターの発達が大きく影響していることは言うまでもない。
脳も情報処理機関のひとつにすぎないというわけである。

『……人間の行動原理を解明する『行動理論』に対して、人間の認知的プロセスやその原理を
解明しようとする『認知理論』があり、認知行動療法のベースには、外的刺激や客観的状況の
意味をどのように解釈して受け容れるかという、『認知理論』が関係している。

認知理論は認知科学(認知心理学)の分野に包摂される仮説理論であり、脳内の情報処理プ
ロセスや知識の獲得・変容に対して強い関心・研究意欲が注がれるようになっている。

だが、心理臨床としての認知行動療法が最終的に目指すのは、『認知傾向の改善(考え方の
変容)』だけではなく『不適応行動の改善(適応行動の獲得)』であることも忘れてはならないだ
ろう』(心理学用語辞典BLOG)と。

●心

 もちろん「脳」と「コンピューター」は、ちがう。
たとえば感情。
私たち人間には、喜怒哀楽の「情」がある。
その情が総合されて、私たちの「心」を作る。
そういったものすべてを、コンピューター的に理解することはできない。
が、それも、「今はまだできない」というのが正しい。
さらに脳科学が進めば、「心」もまた、知的領域、つまり認知理論の中で説明できるようになる
かもしれない。

 事実、今では、「感情ホルモン説」が、常識化している。
「喜怒哀楽の情も、脳内ホルモンによって作られる」と。
「恋のホルモン」と呼ばれる、フェニルエチルアミンを例にあげるまでもない。

 ともかくも、「認知」の英語は、「cognitive」。
ラテン語の「I know」、つまり「私は知っている」に由来する。
だったら、「己を知る方法(セオリー)」でも、よいのではないか。

が、その点、日本語というのは、生まれながらの心理学。
日常会話の中に、そうした用語が織り込まれている。

(わだかまり)(こだわり)(ひがみ)(いやみ)(しがらみ)(いじけ)(つらみ)(取り越し苦労)(ぬか
喜び)(ねたみ)(みじめ)(ひもじい)……など。
泣き方ひとつ取り上げても、(さめざめ)(しくしく)(おいおい)(はらはら)(ほろほろ)(めそめそ)
などがある。

ほかにも心の変化、状態を表す言葉は、ズラリとある。
英語に訳したら、そのまま心理学用語になる。
たとえば「固着」という心理学用語がある。
うつ病の診断基準のひとつになっている。
それなどは、「こだわり」と考えれば、わかりやすい。

さらに日本へ伝来した仏教にしても、「宗教」というよりは、「心理学」。
人の心を体系化したもの、それが仏教。
私はそう解釈している。

 で、これらを知的に理論化したものが、「認知理論」ということになる。
わかりやすく言えば、「心の反応理論」? 

 ただし運動や行動とちがい、「心」には、実体がない。
直接、その動きを証明することができない。
だから「仮説理論」(前述)ということになる。

……というのが今までの常識。
が、最近の脳科学の進歩には、驚くべきものがある。
たまたま今朝も原稿を整理していたら、こんな論文が出てきた。

いわく『赤ちゃんの泣き声を聞くと、母親の脳内では、麻薬を得たときと同じような反応が脳の
ある領域で起きる※』と。

 「母性愛」というのは、仮説にすぎない。
が、その母性愛にすら、科学のメスが入るようになった。

(注※……母親の反応)
『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似た
ような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー
医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した。
母親の子への愛情を脳科学で分析すれば、育児放棄や虐待の背景にあるかもしれない病理
の解明に役立つと期待される』(時事通信、2008年7月13日)と。

 認知心理学は、今、ここまで進んでいる。
先の「固着(こだわり)」にしても、今では脳内の活動の様子を、リアルタイムで観察することが
できる。
それによれば、脳の一部が、過剰に興奮状態になっているのがわかるという。
それが「固着」と。

すごい!

●己を知る

 といっても、現実の世界で、「己を知る」のは、簡単なことではない。
話は、ぐんと現実的になるが、許してほしい。
こんな事件が、20年ほど前にあった。

 ある家の妻(そのとき結婚10年目ほど)が、突然、隣の家の温水器を、スコップで叩いて壊し
てしまった。
隣の家の温水器は、灯油、つまりボイラーで湯をわかすしくみになっていた。
それが時折、着火するときボワーッ音を出し、湯をわかす。
その嫁は、それが「うるさい!」と。

 その少し前から、その家の夫が、妻をたしなめてはいたが、妻は、「ときどきではない。一晩
中だ」と言って、騒いでいた。

もっとも、この程度のトラブルなら、どこにでもある話。
その妻は、小学生の娘(当時小2)に、こう言いつけた。
「ボイラーが鳴る時刻と、時間を調べろ」と。
娘は几帳面にも、何時間にもわたって、それを調べ、記録した。
妻が、ボイラーをスコップで叩いて壊したのは、その直後のことだった。

 で、この事件は、当然のことながら、隣人との弁償問題に発展した。
夫の実家の両親も、かけつけた。
いろいろ関係があり、私もその場に呼ばれた。
で、その妻は、どこかおかしいということになった。

 が、それからがたいへんだった。
病院の精神科へ行く、行かないで、今度は、夫との大騒動に発展してしまった。
ふつうの騒動ではない。
近所中に聞こえるほどの大声で、怒鳴りあった。
が、妻は、夫や夫の両親が、車に乗せようとしても、それをがんとして拒否した。
「私は、どこもおかしくない!」と。

 そのとき私は、それを知った。
その女性(妻)は、私自身の姿でもあった。
脳のCPU(中央演算装置)がズレるため、自分で自分の姿を客観的に知るということは、むず
かしい。
むずかしいというより、不可能。
「私は正常」と思いつつ、そうでない行動に走ってしまう。
つまり「己を知ることは、それくらいむずかしいこと」と。

●ダイエット

 では、どうすれば、己を知ることができるか。
ひとつのヒントとして、最近、私はこんなことに興味をもっている。

 たまたま現在、ダイエット中(減食+運動中)。
先週、体重計に乗ったら、68キロ弱。
ギョッとし、直後から、ダイエットを始めた。
食事の量を減らし、運動の量をふやした。

 おかげで(?)、現在は、66キロ台。
もっとも1〜2キロ程度なら、すぐ減る。
目標は64キロ。
苦しいのは、これから。

 で、そのダイエット。
言うまでもなく空腹感との闘い。
が、そのメカニズムがおもしろい。
認知理論を応用し、それについて少し考えてみたい。

●満腹中枢と摂食中枢

 脳の脳下垂体に、満腹中枢と摂食中枢がある。
血中の血糖値を監視する。
満腹中枢は、言うまでもなく、満腹感を感知する。
摂食中枢は、空腹感を感知する。

 この両中枢で興味深いのは、その2つがあるということ。
2つしかないということ。
中間がない。
たとえば車のガソリンメーターは、アナログでも、またデジタルでも、その中間値を示す。
私の車(プリウス)は、10段階のバーで表示する。

 が、脳のばあいは、満腹か、空腹か、だけ。
ガソリンタンクにたとえるなら、満タンになったときと、空になったときだけ、それを感知する。
では、中間のときは、どうなのか。

 原理的には、脳はそれについては感知しないということになる。
中間のときは、満腹感もなければ、空腹感もない。
食欲のことは忘れ、そのときの作業に集中できる。

 そこで私はこう考えた。
「食事といっても、空腹感を消す程度に食事をとればいい」と。

 満腹感を覚えるほど、食事を食べる必要はない。
空腹感、つまり視床下部にある摂食中枢を刺激しない程度のところまで食べればよい。
理屈で考えれば、そうなる。

 その一例として、先日、バスの中で小便をした話を書いた。
文にするようなエピソードではないが、あえて紹介する。

「……2年ほど前のこと。
バスの中で、はげしい尿意を催した。
あるところから、あるところへ行く途中である。

 ふつうなら途中下車をして……ということになるが、バスの便数そのものが少ない。
1日、数本しかなかった。
そこで私は、客がほとんどいなかったこともあり、バスの中ですることにした。
(この話は以前にも書いたが……。)

 もっていたペットボトルのお茶を飲み干すと、それをもって、最後部の座席に移った。
私は最初、こう思った。
「こんな小さなペットボトルで、だいじょうぶかな?」と。
ペットボトルは、せいぜい300mL程度の大きさ。

そのときのこと。
尿意を減らすだけなら、全量、放出する必要はない。
ほんの少しでよい。
膀胱に、仮に70〜80%の尿が残っていたとしても、尿意はそれで消える。
実際、少し出したところで、尿意は消えた。

 目的を達すると、前部の席に戻った。
ワイフが心配そうに、「どうだった?」と聞いた。
「うまくいった」と、私は答えた。

 今回、ダイエットしながら、そのときのことを思い出した。
「全量、食べる必要はない。半分程度食べておけばよい。やがて空腹感は消える」と。

 恐らく膀胱の感知能力も、視床下部のそれと同じではないか。
満タンか、どうか。
それだけを感知する。
仮に満タン状態を、(100)とすると、(80)とか(70)のときは、それを忘れていることができ
る。
が、満タン状態になったときだけ、尿意を覚える。

●私のダイエット法

そこで私のダイエット法。
要するに、満腹感を覚える必要はない。
空腹感だけを消せばよい。
そのためには、全量を食べる必要はない。
「腹8分」というが、「腹3分」とか「腹4分」にする。
そこでとどめる。
そのあたりで、空腹感は消えるはず。

 ……あまりよいたとえではないかもしれない。
「認知理論」というよりは、体のメカニズム。
が、心の動きも、こうして客観的に理解できる。
どう自分を知り、どうコントロールしたらよいか、それがわかる。

●私のこと

 では、「心」のばあいは、どうか。
たとえば「不安」を例にあげてみる。

 私のばあい、明らかに不安神経症。
強迫観念も強い。
いつも何かに追い立てられている。
ピーターパンに出てくる、フック船長に似ている。
時計を飲み込んだワニに、いつも追いかけられている。
カチコチ、カチコチ……、と。

 その原因といえば、乳幼児期の基本的信頼関係の構築の失敗。
家庭というより、戦後のあのドサクサ期。
家庭教育の「カ」の字もないような時代に、私は生まれ育った。
父や母にしても、食べていくだけで精一杯。
親子で豊かな愛情を、はぐくむなどというようなことは、ありえなかった。

 私はいまだに、その亡霊と闘っている。
不安神経症であるにせよ、強迫観念症であるにせよ、(実際のところ病名など、どうでもよいこ
とだが)、そのあたりに原因がある。
が、そういった「己」を知ることにより、症状を、自分でコントロールすることができるようになっ
た。
それが「認知」、つまり「I know」の意味ということになる。

●アスペルガー児

 認知理論そのものは、要するに心理学全体を構成する「背骨」のようなもの。
大切なのは、それをどう理解し、臨床の場で、心の問題で悩んだり、苦しんでいる人を、どう助
けていくかということ。
「認知療法」というのも、ある。
……というか、そのための「認知理論」ということになる。

 が、教育の場では、少しちがった考え方をする。

 たとえばアスペルガー児と呼ばれる子どもがいたとする。
高次自閉症と位置づけられている。
「高次」というのは、知的な意味では、問題がないということをいう。
むしろ鋭い感性や、特殊な分野に並はずれた才能を示すことが多い。

 そのアスペルガー児。
少し経験のある教師なら、瞬間見ただけで、そうであるとわかる。
が、わかっても、わからぬフリをする。
診断名など、口が裂けても言わない。
言ってはならない。

教師には、診断権はない。
医師にしか、ない。
(だからといって、医師の診断能力が完全かというと、それはない。
症例にしても、現場の教師のほうが、はるかに数多く、また長時間、経験している。)

 そこで教師のばあいは、(今、そこにいる子ども)を前提に、教育を始める。
診断名など、どうでもよい。
忘れる。
原因となると、さらにどうでもよい。

重要なことは、親から、不安を取り除いてやること。
そのためには、バカなフリをする。
親から見て、「この先生は、何も知らない」と思わせる。
またそう思わせておけばよい。
その上で、親には、こう告げる。

「何も心配ありませんよ。家では〜〜してあげてくださいね」と。

 あとは、自分のなすべきことに全力を尽くす。

 ……こういう書き方は、たいへんデリケートな問題を含む。
が、事実だから、書く。

が、私のばあい、軽い情緒障害であれば、親がまだ気がついていない段階で、それを「なお
す」ことができる。
たとえば場面かん黙児など。
現在も、幼稚園などでは、まったくしゃべらなかった子どもだったが、私の指導でしゃべるように
なった子どもが、2人いる。
方法は簡単。
ゲラゲラ笑わせながら、その笑いの渦の中に、その子どもを巻き込んでいく※。

●注※……笑いの科学)
 
 ついでに……。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われる
ようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレ
ス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわ
かってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細
胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。前向きな学習態度も、そこから生まれる。「なお
す」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしま
う。

●性(さが)

 「認知療法」ということになれば、それはその子どもがおとなになるのを、待つしかない。
自分で、自分の問題点を知る。
「どうして、私はこうまでがんこなのか」
「どうして、私は他人の言葉で、こうまで傷つきやすいのか」
「どうして、私は冗談を理解できないのか」
「どうして、私は言葉どおりに、ものを考えるか」と。

 その上で、自分の過去を知り、ついで、「アスペルガー」という言葉を知る。
「ああ、私は、子どものころ、アスペルガー児だったのだ」と。

 が、実際には、ほとんどの人は、仮にそういった問題(障害)をかかえていたとしても、それに
気がつくことはない。
気がつかないまま、一生を終える。

先に書いた、私の不安神経症にしても、強迫観念症にしても、さらに原因はといえば、母自身
の過去と結びついている。
私自身の心にしても、「母親譲り」ということになる。
母にしても、不安神経症だった。
強迫観念症だった。

 が、その母が、自分でそれに気づいていたかどうかということになると、「?」。
私の印象では、それはなかったと思う。
母は母で、死ぬまで自分のそういった「性(さが)」と闘っていたように思う。
それを指して、母は、よく「業(ごう)」という言葉を使った。
が、それでもそれに気づいていたとは、思っていない。

 母は母で、13人の兄弟がいた。
その中で、下から4、5番目。
豊かな親子関係など、結びようもなかった。
大正生まれとはいえ、私以上に、基本的信頼関係の構築とは、無縁の世界に住んでいた。

 そこで認知療法ということになるが、私たちはそうした情報を、自分で手に入れるしかない。
それを手がかりに、自分で自分を判断する。
自分自身の治療につなげる。

●ボイラーを叩いて壊した妻

 で、ボイラーを叩いて壊した妻の話。

 その妻のばあい、どうすれば「治るか」ということは、重要ではない。
どうすれば己に気がつくか。
それが先。
その妻のように、通常の常識ある社会生活がむずかしくなったようなばあいに、「障害」という
名前がつく。
妄想性が強い人だったので、病院にかかれば、「妄想性人格障害」という診断名がついたかも
しれない。
何かのことに一度こだわると、その瞬間から、妄想がかぎりなくふくらんでしまう。

「わざと音を大きくしている」
「わざと自分の睡眠を妨げている」
「私はこのまま不眠症になってしまう」と。

 ふつうなら、(「ふつう」という言葉は、慎重に使わねばならないが)、たとえそうであっても、つ
ぎの「行動」には移らない。
「思い」と「行動」の間に、距離感のある人を、人格の完成度の高い人という。
そうでない人を、人格の完成度の低い人という。
それをコントロールするのが、「理性の力」。
大脳の前頭連合野が支配する領域である。

 が、妄想が限度を超える。
それが突発的な錯乱状態を呼び起こす。
行動に走る。
私が見たときには、夫がもっていたバットで、それを壊した。

 で、そういうときというのは、先にも書いたように、脳のCPUそのものが、ズレている。
そのため、「私が正しい」と言い張る。
実際、「私は正しいことをしている」と思い込んでいる。

(反対に冷静になると、そのときの自分を「正しい」と思うよう。
多重人格性をもった人と大きくちがうのは、その両者を、自分としっかりと認識しているというこ
と。
叩いて壊したという、記憶もしっかりとある。)

 そこでその妻には、そういった行動が、心の病気によるものであることを、わからせる必要が
ある。
それが「認知療法」ということになる。
つまり妄想がふくらみ、コントロールができなくなったとき、本人自身が、こう思えばよい。
「ああ、これは病気だ」
「これは本当の私ではない」
「こういうときは、行動してはいけない」と。

 それができるようになれば、あとは時間が解決してくれる。
やがて自分で自分をコントロールできるようになる。

(追記:先の事件からすでに、20年近くになる。
現在その妻は、50歳前後になるはず。
以後、遠ざかっているので、どうなったかは、わからない。)

●DVD『アナザー・プラネット(Another Planet)』

 むずかしい話がつづいたので、話題を変える。

 先ほど、DVD『アナザー・プラネット』を見た。
SF映画だが、先日見た『メランコリア』と、どこかよく似た映画だった。
が、この『アナザー・プラネット』は、ハッピーエンドで終わる。
どうハッピーエンドで終わるかは、DVDを見ないとわからない。
かなりの論理力が必要。

 ……最後のシーンで、主人公の女性、ローダは、自分の分身に出会う。
ふと振り返ると、そこにもう1人の自分が立っている……。

……ということは、つまり自分の分身に出会うということは、『アナザー・プラネット』のほうでは、
男性は、死んだはずの妻や子どもと出会っているということになる。
だからハッピーエンド。
が、ヒントは、ここまで。
あとはDVDを見ての、お楽しみ!

 ……『惑星ソラリス』(旧作)も、おもしろかった。
1970年代後半の映画だったが、実際に見たのは、1990年ごろ。
あのとき受けた強烈な印象は、今でも忘れない。
『アナザー・プラネット』は、その後続版(?)、SF映画と位置づけてよいのでは?

●認知理論

 話を戻す。

 脳の働きを、コンピューター的に解釈することは、たしかにおもしろい。
たとえば私は、脳には、コンピューターのCPUがもっているような、クロック数のようなものがあ
るのではないかと思っている。
子どもを観察していると、それがよくわかる。
子どもたちのそれは、おとなのそれよりも、何倍も速い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の10月に、私はこんな原稿を
書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2008年10月21日

+++++++++++++++++++++++

4、5年前に、『マズローの欲望段階論』について
書いた。
その原稿を読みなおしながら、今日、自分で「なるほど」と
思った。
しかし自分で書いた原稿を読みなおして、「なるほど」は、ない。
つまりそれだけ記憶力が弱くなったということか。

+++++++++++++++++++++++

●「愚か」になる人たち

 同年代以上の人たちを見ていて、ときどき、こう感ずることがある。
「この人たちは、日々に愚かになっているのに、それに気づいているのだろうか」と。

「愚かになる」というのは、知的能力の総合的な低下を、いう。
知識や経験のみならず、知恵や思考力そのものを失うことをいう。

 しかしこれは脳のCPU(中央演算装置)の問題。
脳みそ全体の機能が衰えてくれば、知的能力の低下そのものも、わからなくなる。
自分が愚かになりつつあることすら、わからなくなる。
わからないならまだしも、知的能力が低下していても、「自分は、まとも」と誤解する人もいる。

 私の知人に、今年、85歳になる男性がいる。
軽い脳梗塞を繰り返していることもあり、話し方そのものが、かなり、おかしい。
ろれつが回らない。
そんな男性でも、あちこちに電話をかけて、説教がましいことを言う。
私のところにも、かかってきた。
「親のめんどうは、最後まで、しっかり見ろよな」とか、何とか。

 一応言っていることは(まとも)だから、それなりの会話はできるが、繊細な話しあいは、でき
ない。
深い話もできない。
そのため私のほうは、適当に話を聞いて、適当に合わせるということになる。

 が、これはそのまま、私自身の問題ということになる。
遠い未来の話ではない。
5年とか、10年とか、それくらい程度の、先の話ということになる。

●愚かさの確認

 どうすれば、自分の(愚かさ)を、自分で知ることができるか。
あるいはどうすれば、(愚かになっていく程度)を、自分で知ることができるか。

 肉体的な衰えは、たとえば体力テストなどで、かなり正確に知ることができる。
同じように、知的能力の衰えも、たとえば知能テストなどで、かなり正確に知ることができる。

 しかしそれを知ったところで、自分では、けっして、そうは思わないだろう。 
たとえば昨夜も、こんなことがあった。

 たまたま帰省している息子がパソコンをいじっていた。
音楽を、二男のインターネット・ストーレッジ(倉庫)から、ダウンロードしていた。
私もキー操作に関しては、かなり速いほうだ。
そう思っていたが、息子は、それこそ目にも止まらぬ速さで、キー操作をしていた。

 私が、パチパチ……なら、息子は、その間に、パパパ……と、キーをたたく。
「この画面は何だ?」と質問している間に、すでに数枚先の画面を表示してしまう。

 脳みそのクロック数そのものが、ちがう。
私のは、たとえて言うなら、1・0GH(ギガヘルツ)。
息子のは、たとえて言うなら、3・1GH(ギガヘルツ)。

 クロック数そのものがちがうから、自分で自分の(愚かさ)を知ることはない。
しかし息子には、それがわかる。
もたもたしている私の指先を見つめながら、「イーxxx」と。
使っているソフトが、「イーxxx」という意味らしい。

 では、自分の脳みそのクロック数を知るためには、どうしたらよいのか。

●子どもとの競争

 ひとつの方法としては、知能テストもある。
しかしこの方法では、思考力のある・なしはわかるが、クロック数まではわからない。
そこでもうひとつの方法として、子どもと競争するという方法がある。

実のところ、私はいつも、この方法で自分のクロック数を確かめさせてもらっている。

 レベル的には、中学生〜高校受験用の問題がよい。
そういった問題で、子どもと競争する。

 ただし私のように、仕事上、毎回訓練しているほうが、有利。
問題を見ただけで、解答の道筋が見えてしまう。
(子どものほうは、最初、手さぐり状態になる。)

……ウ〜〜ン……

 何かよい方法はないものか。

 たとえば脳みその中を走る電気信号を、計数的にとらえることはできないものか?
たとえば右脳のA点から出た信号が、左脳のB点に達するまでの時間を計測する、とか。
「あなたは、0・03秒かかりました」「あなたは、0・13秒かかりました」とか、など。
そこであなたの脳みそのクロック数は、「0・02GH」「0・003GH」と。

家庭でできる方法としては、(1)速算、(2)早読みなどでもわかるかもしれない。
(これも訓練で、速くなるだろうが……。早読みにしても、声の大きさによっても、変化するにち
がいない。)

 脳みそのクロック数が落ちてくると、「アウ〜〜」「エ〜〜ト」という言葉が多くなり、話し方も、
かったるくなる。
昔、大平総理大臣という人がいたが、ああなる。

 が、結論から先に言えば、脳みそも、肉体の健康と同じ。
鍛練してこそ、能力を維持できる。
……ということで、今日は、これから仕事に行く。
もちろん自転車で。

夜は、ワイフとデート。
楽しみ。 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi 脳のクロック数)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●脳の操作

 私はすでに4年も前に、「クロック数」を考えていた。
さらにそれにつづいて、これはあくまでも今の段階では仮説だが、そうした信号は、視床下部
あたりから発せられているのではないかという原稿も書いた。

 自分の脳みそをコンピューターにたとえ、分析していくことは、たしかにおもしろい。
指先でコンピューターを操作するように、自分の脳を、自分の意思で操作する。
これからは、そういう研究がさらに進むはず。
それが「認知理論」、あるいは「認知心理学」ということになる。

●就寝

 そろそろ就寝タイム。

 先ほど、ワイフと私はこんな会話をした。
「ぼくたちは、広い宇宙を、2人で最後の航海をしているみたいだね」と。

 残り少ない人生。
いろいろあった。
ありすぎて書ききれない。
若いときは、喧嘩ばかりしていた。
仕事ばかりしていた。
孤立無援というか、3人の子育ても、すべて私たちだけでした。
毎日、追い詰められてばかりいた。

 が、今、私たちはそういった重圧感から解放された。
私の実家の問題も、数年前に、片づいた。
息子たちも、片づいた。
私たちが望んでいた形のようにはいかなかったが、ともかくも片づいた。

 今は、そんなわけで、自由。
人生も晩年になって、はじめて自由。
「若いときは、デートをしたくても、できなかった」とワイフ。
「だから、今、しよう」と私。

 地球という宇宙船は巨大だが、漆黒の宇宙を航行する宇宙船であることにはちがいない。
その宇宙船に乗り、最後の航海をつづけている。
行き先は……私にもわからない。
どこにいるかも、わからない。
航行しているというよりは、漂流している?
ともかくも、私たちはその宇宙船の上で、最後の航海をしている。

 ……この航海が、どこでどう終わるかは、まだわからない。
わからないが、とにかくその日まで、生きていく。
生きていくしかない。

「その日が来たら、いっしょに死のう」と私。
「そうね」とワイフ。

 ……湿っぽい話になってしまったが、私たちには、その湿っぽさはまったくない。
ワイフは、いつもこう言う。
「私たちは、すべきことは、ちゃんとしたのよ」と。

 親たちのめんどうも、みた。
息子たちのめんどうも、みた。
やるべきことは、きちんとした。
だまされたことは、何度かある。
しかし、人をだましたことはない。
私の人生に、後腐れはない。

 では、おやすみ!

はやし浩司 2012−03−08
浜名湖かんざんじ荘にて

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 認知心理学 はやし浩司 認知
理論 認知理論とコンピューター はやし浩司 脳のクロック数 視床下部 脳の回転 はやし
浩司 浜名湖かんざんじ荘にて はやし浩司 笑いの科学 笑いの効用 はやし浩司 免疫力
の増加 2012−03−07)


Hiroshi Hayashi+++++++March 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●楽しい子どもたち

 今週は、『確率・分数』をテーマに、レッスンを進めている。
くじ引きを利用し、それを教えている。
昨日は、小学1年生に、それを教えてみた。
子どもたちは、難なく(?)、それを理解してくれた。

 YOUTUBEの動画を、そのままここに紹介する。
「小学1年生に、確率?」と、疑問に思う人は、ぜひ、見てほしい。
同時に、現在、学校でなされているカリキュラムなるものが、いかにチンプなものであるかを、
わかってほしい。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/8AhHNER4608" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【アメリカ人の脳みそ】(TOYOTAのプリウス急加速問題)

アメリカ人の脳みそを疑うようになったのは、
(それ以前からも、疑っていたが……)、
あのプリウスの急発進問題が起きてから。
大学とは名ばかり。
もちろん優秀な教授や学生が集まる大学も多いが、
そうでない大学も、少なくない。

南イリノイ大学もそのひとつ。
その大学に、デービッド・ギルバート教授という教授がいる。
彼は、プリウスの急加速を、実験で証明できたと主張した。
が、その方法が、稚拙。
幼稚。
バカげている。

 『ギルバート教授は、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に、5ボルトを加えてショートさせた状
態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することなく、急加速現
象がみられた』とした。
それに対して、トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤ
ーの絶縁状態を破壊する必要があった、としている。

 つまりギルバート教授は、わざと電線をショートさせ、急加速現象を起こしてみせた。
そしてそれでもって、「トヨタのプリウスは、欠陥車」と結論づけた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以下、当時、私がBLOGに書いた原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アメリカ人の論理力(TOYOTAのプリウス問題)

●アメリカ人の友人たちへ(To my friends in USA as to TOYOTA recall problem)
You have almost lost the last friend in Asia!

++++++++++++++++++++++

今度のTOYOTA問題を通して、君たちは、
アジアにおける最後の友人を失いつつある。
それを私たちは、とても残念なことに思う。

You have almost lost the last friend that had remained to be so in Asia through the 
TOYOTA problems, about which we feel very sorry.

より多くの日本人が、反米的になりつつある。
新米的であった私でさえ、アメリカに、大きく失望した。
そして今では、こう言うようになってしまった。
「アメリカなど、クソ食らえ!」と。

More and more Japanese are becoming anti-American and even I, whom I supposed myself 
to be a pro-American, do not hesitate to say, "Down with USA".

再現性のない、インチキ実験?
報道映像の捏造?
さらには保険金目当ての、にせ事故?、などなど。
日本では、急加速は、一例も報告されていない。
それもそのはず。
この日本で、両足を、ブレーキとアクセルの両方にのせて運転する人はいない。
「事故の95%は、運転手によるもの。
車によるものは2%にすぎない」(アメリカ国家ハイウェイ安全局(NHTSA)会長)。

リコール後も、600万台のプリウスについて、60件の苦情があったとか。
(600万台につき、60件だぞ!
0・001%!
GM車やフォード車については、どうなのか?)

それについて、「NHTSAは、さらなる改善策をTOYOTAに命じた」とか。
アメリカよ、少しは、冷静になれ。
これを「日本叩き」と言わずして、何という?

A very doubtful experiment, which was proved to be a fake,
A fabricated report on TV,
False accidents reported in the Congress...,
and more over it is strange that none of these sorts of accidents are reported in Japan.
No stupid men put both feet on each a brake pedal and accelerator pedal at the same time 
in Japan.
Be calm!
NHTSA has ordered Toyota to provide a different solution, since 60 complains are reported 
among 6 million TOYOTA cars. 
Isn't this "Japan Bashing"?

+++++++++++++++++++++

●TOYOTA問題

 今回の一連のTOYOTA騒ぎは、何のか。
よくわからないが、ことの発端は、1教授のインチキ実験。
南イリノイ大学の、ギルバート教授。
彼はコードの絶縁体を意図的にはがし、それでもって、急加速を再現してみせた。

「(絶縁体がはがれるなどいうことは)、通常の状態では起こらない」というのが、一般的な常
識。
そこで今度は、同教授は、5ボルトの電圧をかけ、「同じようなことが起こる」と実験してみせ
た。

 しかし急加速問題は、何もTOYOTAで始まったわけではない。
同じような実験をすれば、ほかのメーカーの車でも、同じような反応を起こすことがわかった。
また似たような急加速は、TOYOTA車以外でも、アメリカでは、繰り返し、起きているという。
つまりこれは、TOYOTA車の問題というよりは、アメリカ人の車の乗り方に問題があると考え
たほうが、正しい。

 当初、「アクセルとブレーキを同時に踏むと……」という報道が流れたとき、私には、その意
味がよくわからなかった。
「アクセルとブレーキを同時に踏むとは、どういうことなのか」と。
そのまま解釈すれば、アメリカ人というのは、両足を、アクセルとブレーキの両方に、足を載せ
て運転しているということになる。
しかし日本人は、そういう乗り方をしない。
そのためにアクセルもブレーキも右側(アメリカでは左側)に、寄せて並べてある。
 
●疑問

 つぎつぎと新事実が、明るみになってきている。
が、今は私もまだよくわからないでいる。
報道された記事だけを集めておく。
後日、もう少し事実が明らかになった段階で、このつづきを書いてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)疑問だらけのデービッド・ギルバート教授の実験

トヨタ自動車は1日付の米議会あて書簡で、南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授が先
週の公聴会で示した見解に反論した。

同教授は、2月23日の下院エネルギー・商業委員会の公聴会で、自ら行った実験でトヨタ車に
発生したとされる急加速の状況を再現できたと証言、トヨタの電子系統に問題があるとの見解
を示していた。 

ASSOCIATED PRESS 

 南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授(2月23日の公聴会で) は、プリウスの急加速
を、実験で証明できたと主張した。

 この証言に対し、トヨタは書簡で、独自の調査と同社が調査を委託した技術コンサルティング
会社エクスポネント(米カリフォルニア州)の調査結果に基づいて反論を展開した。
トヨタはトヨタ側の実験でもギルバート教授と同じ結果が得られたが、他のメーカーの車でも同
じ状況が生じたと主張し、同教授の証言は誤解を招くと批判した。 

 エクスポネントは43ページに及ぶ報告書で、ギルバート教授の実験を他のメーカーの5車種
で行ったところ、すべて同じ状況が発生したことを明らかにし、実験のような状況は「きわめて
可能性の低い欠陥が重なった場合にしか生じない」と結論づけた。 

 ギルバート教授は23日の証言で、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に5ボルトを加えてショ
ートさせた状態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することな
く、急加速現象がみられた、とした。
トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤーの絶縁状態
を破壊する必要があった、としている。 

 ギルバート教授から、トヨタとエクスポネントの実験結果に対するコメントは得られなかった。 

 トヨタの広報担当マイク・マイケルズ氏は、ギルバード教授の調査を「誤解を招く不適切なも
の」とし、「システムをいじりまわしている」と批判した(以上「ウォール・ストリート・ジャーナル日
本語版より)。 

★以上の原文

Toyota Motor Corp. rebutted the findings of a study presented at a congressional hearing 
last week that claimed to replicate undetected sudden acceleration in its vehicles and called 
into question the company's electronics. 

TOYOTAは、反証をあげた。

Based on its own study and one undertaken by the Menlo Park, Calif., engineering research 
firm Exponent, which has been hired by Toyota, the car maker said it was able to duplicate 
the result in Toyota vehicles found by David W. Gilbert, a professor at Southern Illinois 
University-Carbondale who testified at a House hearing. But Toyota said it also created the 
same response in vehicles made by competitors, which it said rendered Mr. Gilbert's findings 
misleading. 

ギルバート教授がしたようなことをすれば、ほかのメーカーの車でも、同じようなことが起きるこ
とがわかった。

"We have reproduced the engine revving and engine speed increase in Toyota's vehicles," 
Toyota said in a statement dated March 1 and sent to congressional committees. "At the 
same time, we have also confirmed that a substantially similar kind of engine speed increase 
phenomenon occurs with the other manufacturers' vehicles." 
Toyota said the tests Mr. Gilbert performed would not happen "in the actual market." To 
achieve Mr. Gilbert's results, Toyota said it had to cut and breach the insulation on two 
wires. 

TOYOTAは、このような急加速は、TOYOTA車だけにかぎったことではなく、ギルバートの行
ったようなテスト(=2本の線の絶縁体をはがし、接触させるようなこと)は、通常の状態では起
きないと言った。

Mr. Gilbert said he will provide an official response but declined to comment on the findings 
by Exponent and Toyota. He said he may travel to California to meet with the research 
concern. 

In the last week, Toyota has endured three bruising congressional hearings questioning its 
belated response to reports of sudden acceleration in its vehicles. While Toyota executives 
acknowledged the company failed to quickly respond to safety issues in the past, the 
company has maintained that faults in its electronics are not behind incidents of unwanted 
acceleration. 

TOYOTAは、安全問題に迅速に答えなかったことは認めるものの、電子部品には欠陥はない
と主張した。

Consumer safety advocates continue to challenge Toyota on that point, charging that the 
rise in acceleration reports-which have been linked to 52 deaths-is correlated to the 
installation of an electronic throttle control system in Toyota and Lexus models beginning in 
2002. 

消費者安全協会は、52人の死亡について、TOYOTA車との関連を追究する。

Mr. Gilbert, who testified before the House Commerce and Energy Committee Feb. 23, said 
he was able to replicate sudden acceleration without creating an error code in the vehicle's 
onboard computer by introducing five volts into the gas-pedal circuitry of a Toyota Avalon. 
In his report, Mr. Gilbert said his findings "question the integrity and consistency" of Toyota'
s computers to detect malfunctions.

5ボルトの電圧をかけたら、急加速現象が起きた。

In a 43-page report, Exponent, the research firm hired by Toyota to investigate its vehicles 
electronics, applied Mr. Gilbert's test to five models including a Honda Accord and a BMW 
325i and found all five reacted similarly. Toyota added that it tested three competitor 
vehicles and found they experienced the same engine revving and speed increase when 
their electronics were similarly altered. 

同じような急加速現象は、ほかのメーカーの車でも報告されている。

"For such an event to happen in the real world requires a sequence of faults that is 
extraordinarily unlikely," Exponent said in its report. 

Toyota spokesman Mike Michels described Mr. Gilbert's research as "misleading and 
irrelevant." Mr. Gilbert was "gaming the system," Mr. Michels said. 

ギルバートの報告は、誤解を招くもの。
また車をもてあそんでいるだけ。

Separately, the National Highway Traffic Safety Administration said Thursday it has 
received more than 60 complaints from Toyota owners who report they are still 
experiencing sudden unintended acceleration despite having their vehicle repaired by a 
Toyota dealer under the car maker's recalls. 

TOYOTA のリコール後も、60件の苦情が、国家ハイウェイ安全局(NHTSA)に届いてい
る。

"Officials are contacting each and every consumer to learn more about what they say is 
happening," the agency said. 

現在、調査中。

If it appears that the remedy provided by Toyota isn't addressing the problem, NHTSA said 
it has the authority to order Toyota to provide a different solution. 
"We are determined to get to the bottom of this," said David Strickland, administrator of 
the auto-safety agency. 

国家ハイウェイ安全局(NHTSA)は、TOYOTAに、ほかの解決策を用意するよう、命じている
(以上、ウォールス・トリート・ジャーナルより)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ニューヨーク時事・3月16日】

トヨタ自動車は15日、米カリフォルニア州サンディエゴ近郊の高速道路で急加速を引き起こし
たとされるハイブリッド車「プリウス」について、技術者らが関連部品の徹底的な検査のほか、
走行テストなど多岐にわたる検証を行ったものの、車両に急加速を引き起こすような異常は見
られなかったとの暫定調査報告をまとめた。

 調査は米道路交通安全局(NHTSA)関係者と米議員らの立ち会いの下、10、11の両日実施
された。
トヨタは暫定報告で、

(1)アクセルペダルは正常に機能した。
(2)前輪ブレーキは著しく摩耗していたが、後輪ブレーキとハンドブレーキは良好な状態だっ
た。
(3)正規品のフロアマットは留め金には固定されていなかったが、アクセルペダルを妨害もしく
は接触するような状態は確認されなかった。
(4)エンジン点火装置は正常だった。
(5)変速レバーも正常だった。
(6)アクセルペダルとブレーキペダルを同時に踏んだ場合、エンジン出力が減退する機能も正
常に作動した−などと説明した(以上、時事通信より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ワシントン】米下院エネルギー・商業委員会が23日開いたトヨタ自動車の大量リコール(回収・
無償修理)問題をめぐる公聴会で、急加速を経験したとして証言したロンダ・スミスさんのトヨタ
の「レクサスES350セダン」が、現在も使用されており、何のトラブルも起こしていないことが分
かった。
米高速道路交通安全局(NHTSA)の広報担当者が24日明らかにした。 

●公聴会で証言したロンダ・スミスさん
 
同スポークスマンによれば、NHTSAが先週、同車の新しいオーナーに聞いたところ、「走行距
離3000マイル弱のところで購入し、何のトラブルも経験せずに走行距離は2万7000マイルにな
った」と答えたという。
スミスさんは証言で、2006年にテネシー州のハイウェーで制御不能の急加速に見舞われ、時
速100マイル(約160キロ)になった恐怖の経験を涙ながらに語った。
その後、スミスさん夫妻は同車を売却した。 

 報告を受けたNHTSAの検査官は、フロアーマットがアクセルペダルに引っかかったことが原
因と判断した。
しかしスミスさん夫妻は、フロアーマットのせいではないと主張。スミス夫人は、車が速度を上
げる前にクルーズ・コントロール・ライトが点滅したことから、電子制御系の問題と考えている
(以上、ウォール・ストリート・ジャーナル)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 ただ、2005年のNHTSA調査によると、自動車事故の約95%は運転者のミスによるもの
で、自動車の問題で起こるのは約2%にすぎない。
米自動車工業会のマッカーディ会長は同公聴会で、この報告を引用する予定だ。
同会長はまた、車の衝突データを集めるのにNHTSAがもっと多くの資金を必要としていること
を訴える方針だ(以上、ウォールストリート・ジャーナル)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 先週、米カリフォルニア州のハイウェイで起きたトヨタのハイブリッド車プリウスの急加速事件
で、連邦当局の調査によってブレーキに特殊な損耗パターンが見つかり、運転者の説明に疑
問が浮かび上がっている。
関係している3人が語った。

 先週8日、サンディエゴ近くのインターステート8号線で青の2008年型プリウスを運転していた
ジェームズ・サイクス氏(61)は緊急電話をかけて、何もしないのにスピードが時速90マイル
(144キロメートル)まで上がったとオペレーターに伝えた。
最終的にはカリフォルニア・ハイウェー・パトロールのパトカーが同車に横付けし、止めることが
できた。 

 サイクス氏は走行中およびその後に、高速走行中に力いっぱいブレーキを踏み込んだと話し
た。

 しかし、関係者によれば、米運輸省道路交通安全局(NHTSA)とトヨタの専門家が共同でこ
の車を調査したが、高速走行中に一定時間力いっぱいブレーキが踏み込まれた痕跡は見つ
からなかった。

 ブレーキは変色し、損耗が見られたが、その摩擦パターンは運転者が断続的に普通程度の
力でブレーキを踏んだことを示唆しており、サイクスさんが言うような踏み込みはうかがえなか
ったという。

 これ以上の詳細は明らかではない。NHTSA当局者は12日、調査に関するコメントを拒否し
た(以上、ウォール・ストリート・ジャーナルより)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 TOYOTA問題 急加速問題 トヨタのリコール リコール問題 南イリノイ大学 
デービッド・ギルバート教授 はやし浩司 アクセルとブレーキ トヨタ プリウス 急発進 急加
速)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●アホの上塗り(How are you ashamed of yourselves, Mr. NHTST, USA?)

To: NHTSA, USA

What has been the "TOYOTA" problem?
Please re-read my article which I wrote in 2010.
In that article, I wrote, "Be ashamed NHTSA!"
I also agein write here, "Be ashamed, NHTSA!"

+++++++++++++++++++++++++

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

このたび、TOYOTAの「シロ」が、確定した。

まず、YOMIURIの記事から。

+++++++++++++以下、YOMIURI+++++++++++++++

 ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに"お墨付き"を与えたこと
を明らかにした。
末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」を購入したという。

 長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべ
きだ』と答えた」と語った。
「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも述べた。
長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。

+++++++++++++以上、YOMIURI+++++++++++++++

●ラフード米運輸長官

 こんな記者会見程度で、TOYOTAが被った損害が、解消できるのか?
それで責任を果たしたことになるのか。
このラフード米運輸長官は、アホ中のアホ。
TOYOTA車に、宇宙線をあててまで、欠陥を探し出そうとした、その張本人である。
「車に、宇宙線」だぞ。
それもNASAと協力して?!

 ラフード米運輸長官は、「論理学」の「ロ」の字も知らない、アホ。
アホ長官。

●2010年に書いた原稿より

 昨年(2010)に、私が書いた原稿を、もう一度、よく読んでみてほしい。
ここに書いた「アホ」の意味が、よくわかってもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10−04−01)

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の私の原稿が、あちこちの
サイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスによるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの不適切な操作によるもの。
ところで、こんな仰天ニュースが、読売新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)と全米科
学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受けて事故原因の調査
に乗り出すことが30日、明らかになった。

 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月かけて
行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影響を与
えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立てあげたいら
しい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼したという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア〜〜〜?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、その放射
線とやらは、どこから発せられたのか。

そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるはず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授のそれと、
どこもちがわない。

「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したとか?

TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与える
かもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほうがよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠とはならな
い。

もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こぞって、
放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、どれをめくってみ
るか。

1枚目……(△)
2枚目……(□)
3枚目……赤の(●)
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明されたわけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)であったとしても)、この命
題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがっていることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、TOYOT
Aの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。

(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)
さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA車に、ま
んべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」も証明しな
ければならない。

まだある。

「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、証明しなけれ
ばならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせなくなってし
まった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、アクセル
とブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数でも
よい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリ
カには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。
これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数値に近けれ
ば、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因があるということになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)と、ほかの
メーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通安全局
(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。
 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交通安
全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題にする前に、
車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしている。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必要があ
るのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題は起きて
いないという。

(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでいる。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証明しな
ければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータでもあれ
ば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響を
与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめて十分
となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が与え
る影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X−File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明でき
た」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。

言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 ラフード米運輸長官 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安全局(NHTS
A) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制御装置 影響 TOYO
TA ハイブリッド車)

●終わりに

 ラフード米運輸長官は、こう言ったという。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答
えた」と。

 それに応じて、日本の経団連は、「安全性のお墨付きをもらった」とはしゃいでいる。
が、これもおかしい。
日本の車、社会、経済に与えた影響は、計り知れない。
それをさておき、「お墨付き」とは?
どうして日本は、ここまで隷属するのか。
シッポを振るのか。
本来なら、「コノヤロー!」と激怒し、損害賠償を請求してよい事案である。
どうしてそれをしないのか?

 つまりラフード米運輸長官のこの程度のリップサービスで、日本人のあのときの(怒り)をご破
算にしてすませてはいけない。
またそれですむような話ではない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【結論】

 「スーパー・マルチタースク人間」かどうかは、運転中だけのテストではわからない。
スーパー・マルチ・タースク人間と言えるためには、ほかの分野でのテストでも、それが証明さ
れなければ、ならない。

 自動車の運転のような、慣れによって自動化できる技術を尺度にし、それ以外の作業ができ
るからといって、マルチ人間ということにはならない。

 従って、ユタ大学が行った、この実験とその結果は、「C」マーク。
「アメリカの大学」「教授」「大学がした実験」という言葉に、幻想をもってはいけない。
またそういう権威付けにだまされてはいけない。

(はやし浩司 David Gilbert South Illinois Fake はやし浩司 Jason Watson David Strayer 
家庭教育 ニセ科学 エセ論文 偽論文 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 スーパー
マルチ人間 スーパータスカー はやし浩司 マルチ型人間 シングルマルチ TOYOTA プリ
ウス 論理の穴 論理の矛盾 論理学 はやし浩司 必要十分条件 はやし浩司 Super 
Tasker スーパータスク人間 スーパータスク型人間 はやし浩司 マルチ人間)2012/03/06ま
とめ


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●朝・雑感あれこれ(はやし浩司 2012−03ー07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国際経済

 ネコの目どころか、オセロ(ゲーム)のように、日々に白黒が逆転する。
それにあわせて、世界の株価が、乱高下。
バカげているというか、狂っている。

 今朝のBloombergは、ギリシアの金融危機をトップに載せている。

『ギリシャは十分な同意が得られれば、
ギリシャ法に基づく国債の保有者を対象に、
集団行動条項(CAC)を発動して債務交換への参加を義務付ける』と。

 わかりやすく言えば、「借金の棒引きを、一方的に義務づけるぞ」と。
つまりギリシアはすでに、国家破綻(デフォルト)している。
それをああでもない、こうでもないと、あがく。
世界を脅す。
『無秩序に国家破綻をすれば、1兆ユーロの被害が出る』と。

1兆ユーロ……、100兆円!

 国家破綻にも、「秩序型」と「無秩序型」があるらしい。
知らなかった!

 それを先読みし、今日のニューヨーク市場は、203ドルもさげた。
日本も現在、下降中(午前9:20現在)。

ほかにも気になるニュースがある。

●ニョンビョン(寧辺)の軽水炉

 たとえば現在、北朝鮮は、軽水炉を建設しているという。
工事現場の写真も紹介されていた。
が、それを見て、???。

大型クレーンが一基だけ。
あとはトラックが、数台。
周囲の円形だけは、「円」だったが、それ以外は、まさに露天掘り。
「こんな工事で、だいじょうぶか?」と。

日本の原子炉のような精緻さが、どこにもない。
排水施設も、写真で見るかぎり、なさそう。
詳しくはわからないが、お粗末。
驚くほど、お粗末。

そんな原子炉が事故でも起こしたら、どうなるのか。
首都ピョンヤンどころか、韓国のソウルだって、あぶない。
ニョンビョンの核施設から首都ピョンヤンまでは、直線距離にして約90キロ(グーグルアース
上)。
たったの90キロ!

 が、今の日本は、(=私たちは)、他国の原子炉のことまで心配する余裕はない。
偉そうなことも言えない。
しかしそれにしても、お粗末。

●不気味な地震活動

 MSN・ニュースは、つぎのように報道している。

『東日本大震災の影響でフィリピン海プレート(岩板)の沈み込みが加速し、関東地方を乗せた
北米プレートとの境界部にひずみが蓄積しやすくなっていることが防災科学技術研究所の観
測で6日、分かった。

(中略)

 首都圏では複数のプレート境界型地震が想定されている。関東大震災を起こしたマグニチュ
ード(M)8級の関東地震は、次の発生が約100年後とされるが、首都直下地震のひとつであ
る東京湾北部地震(M7・3)は切迫しており、発生が懸念されている』と。

 関東地震はともかくも、首都直下型地震が、かなり切迫しているということらしい。

 もちろん首都だけではない。
この遠州浜周辺もあぶない。
そこで昨夜も寝床で、ワイフとこんなことを話しあった。

「息子の家のほうに、移ろう」と。

●我が家

 我が家は、築46年になる古屋と、築10年の息子の家の2棟に分かれている。
古屋は、耐震構造にはなっていない。
昔のままの家。
一方、息子の家は、徹底した耐震構造になっている。
1階の1部屋が空いている。
私はそこへ移ろう、と。

 が、ワイフは、昔からのんき。
信じられないほど、のんき。
で、それを相談したら、「この家がつぶれるのオ?」と。

 しかたないので、私は、座卓を枕元に置いた。
万が一天井が落ちてきても、座卓が私たちを守ってくれるはず。
が、ワイフは、天井をながめながら、こう言った。

「あんな天井が落ちてきたくらいでは、死なないわよ」と。

私「あのなあ、天井が落ちてくるんじゃないよ。大屋根が落ちてくるんだよ」
ワ「落ちてこないわよ」
私「あのなあ、1分以上も、人が立っていられないほど、揺れるんだよ」
ワ「……」
私「こんなボロ家、無事のはずがないだろ……」と。

 ということで、今日は、朝食のあと、寝室の引っ越し。
ワイフが反対しても、そうする。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼稚園・年中児に、確率と分数を教えてみる】(浜松BW幼児実験教室)

●小学1年、2年生に使った教材を、今日は、年中児を対象に、使ってみた。
先週、年長児で、うまく指導できたので、自信はあった。

が、教えてみてびっくり。
予想していたより、はるかに楽に、子どもたちは理解してくれた。
「幼児に分数?」「幼児に確率?」と、疑問に思う人もいるかもしれない。
そういう疑問をもつ人ほど、ぜひ、見てほしい。

 幼児でも、じゅうぶん、その概念を理解することができる。
改めて幼児のもつ能力の底深さに、驚く。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年中児 確率 分数 幼児教室)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ダイエット一考】(満腹中枢vs摂食中枢byはやし浩司)

●食欲vs性欲

 ダイエット、4日目。
かなり苦しい。
少し前、夕食を終えた。
が、量は、いつもの4分の1。
あとは、自宅でとれたハッサクで、腹をごまかす。

 食欲と性欲は、よく似ている。
見た目には大きく違うが、脳の中のメカニズムは同じ。
中枢部分は、ともに視床下部にある。
「同居」していると書いて怒る脳科学者はいない。
それくらい近い。
近いだけではない。
たがいに影響しあっている。

(たとえば女性のばあい、食欲を満たすと、性欲がわいてくるそうだ。
反対に男性のばあい、空腹感を覚えると、性欲がわいてくるそうだ。
男の性欲中枢は、摂食中枢の近くにあるという。
反対に女の性欲中枢は、満腹中枢の近くにあるという。※)

●空腹感

 その食欲。
昨夜もそうだった。
腹8分というが、腹4分で、止めた。
止めた直後は、苦しい。
「もっと食べたい」という欲望が、ググーッとわいてくる。
が、お茶を飲んでごまかす。
雑談を繰り返し、気持ちをそらす。

 やがて血中の血糖値が上昇する。
空腹感が和らぐ。

 まさに理性と欲望の死闘。
勝つか、敗れるか。
それでダイエットの成否は決まる。

●満腹感vs空腹感の消失

 今回も、おもしろいことに気がついた。

 2年ほど前のこと。
バスの中で、はげしい尿意を催した。
あるところから、あるところへ行く途中である。

 ふつうなら途中下車をして……ということになるが、バスの便数そのものが少ない。
1日、数本しかなかった。
そこで私は、客がほとんどいなかったこともあり、バスの中ですることにした。
(この話は以前にも書いたが……。)

 もっていたペットボトルのお茶を飲み干すと、それをもって、最後部の座席に移った。
私は最初、こう思った。
「こんな小さなペットボトルで、だいじょうぶかな?」と。

そのときのこと。
尿意を減らすだけなら、全量、放出する必要はない。
ほんの少しでよい。
膀胱に、仮に70〜80%の尿が残っていたとしても、尿意はそれで消える。

 目的を達すると、前部の席に戻った。
ワイフが心配そうに、「どうだった?」と聞いた。
「うまくいった」と、私は答えた。

 今回、ダイエットしながら、そのときのことを思い出した。
「全量、食べる必要はない。半分程度食べておけば、やがて空腹感は消える」と。

 要するに、満腹感を覚える必要はない。
空腹感を消せばよい。
そのためには、全量を食べる必要はない。

●権力欲

 わからないのが、権力欲。
どうして時の権力者たちは、ああまで権力に執着するのか。
理由がないわけではない。
ふつう権力者の世界は、常に、ALL or Nothing。
「すべてを手に入れるか、すべてを失うか」である。
そういう世界である。

 が、独裁者の世界は、やや異なる。
All or Die。
「すべてを手に入れるか、死」である。
独裁者は、独裁者になる過程で、多くの反対者をパージ(粛清)している。
それが明るみになれば、反対に「処刑」ということにもなりかねない。
またそういうケースは多い。

 では、民主主義国家の権力者たちは、どうなのか。
程度の差こそあれ、敗れたからといって、自分の地位や立場を明け渡す人は、少ない。
いろいろ立場をこじつけては、その地位を守ろうとする。
ダイエットにたとえるなら、満腹感というのは、ないらしい。
言い換えると、権力欲というのは、際限がないという点で、食欲とはちがう。

●理性

 そこで考える。
「権力欲には、理性の力は働くか」と。
答は、「NO!」。
皮肉なことに、権力の座を求めるような生命力の強い人ほど、一方で、貪欲。
強欲。
お金(マネー)と同じで、あればあるほど、さらにそれを求める。
言い換えると、こういうことになる。

 権力者と呼ばれる人には、「理性はない」。
逆説的な言い方をすれば、理性による歯止めがきかないからこそ、権力者になれる。
理性による歯止めがきくようなら、もとから権力者など、めざさない。

 話はぐんと現実的になるが、アメリカには、こんな常識があるそうだ。
何かの本で読んだことがある。

(1)肥満者は意思の弱い人と判断される。
(2)喫煙者は意思の弱い人と判断される、と。

 太っている人や、喫煙者の方は不愉快に思うかもしれない。
が、そういう面もないわけではない。
欲望に溺れるということは、理性によるコントロールが弱いということになる。
今の私が、そうだ。

●メタ認知能力

 そこでメタ認知能力の発動。
自分の脳の中で働く、空腹感のメカニズムを、自分で知る。

 (血糖値の低下)→(視床下部が認知)→……、と。

 わかりやすいのが性欲。
もっとも60歳を過ぎると、ガクンと性欲が減退する。
「沈没(チン没)」という言葉を使う人もいる。

(そう言えば、最近、タレントの加藤何某氏(69歳)が、女性と結婚したという。
女性は、20数歳だという。
その話を聞いて、まず心配したのが、「だいじょうぶだろうか」ということ。
そんな若い女性を、どうやって満足させるのだろう、と。
が、これはいらぬ心配。
それともひがみ?)

 性欲などは、一度満足させれば、ばあいによっては、数週間、遠ざかることができる。
が、食欲は、そうはいかない。
車のガソリンと同じ。
十分な量が供給されなければ、ガス欠状態になる。
今の私が、そう。
寒さが、何よりも、こたえる。

 ……こうして空腹感の中身を、自分を離れたところから分析する。
それがメタ認知能力。

●政治家

 食欲や性欲は、わかりやすい(?)。
コントロールできなければ、肥満体になる。
コントロールできなければ、家庭を崩壊する。
それこそまさに、「自業自得」。

 しかし権力欲は、そうでない。
1人の強欲者がいると、その何十倍、何百倍もの善良な人たちが犠牲になる。
政治の動きをながめていると、それがよくわかる。
反対にこう思うことも多い。

「あの政治家さえいなければ、もっと政治はよくなるのに」と。

 が、そういう政治家ほど、がんばる。
がんばって、めちゃめちゃなことを言ったり、したりする。

●泥沼の世界

 では、どうするか。

 私は学生時代、多くの政治家と接することができた。
日本から政治家がやってくると、まず領事から電話が入る。
「案内してやってくれませんか」と。

 よいアルバイトになった。
日本人の留学生は、あのメルボルン市(人口300万人、当時)でも、私1人だけだった。
中には、よど号ハイジャック事件で北朝鮮に渡った、YM運輸政務次官もいた。
そういったコネを使えば、私は、そのまま政治家の道に入ることもできた。
が、その入り口で、足を止めてしまった。

 際限のない世界。
わかりやすく言えば、泥沼。
金と権力、それにどす黒い欲望が渦巻く世界。
それが政治家の世界だった。
20歳そこそこの私にも、それがよくわかった。

 結論から先に言えば、権力欲には、ブレーキは働かない。
最後の最後まで、突っ走ってしまう。
そして結果的に、みな、NOTHINGの状態になって終わる。
たとえて言うなら、食べ過ぎて、最後は、体がパンクする。
そうなる。

●ダイエット

 夕食から1時間ほどが過ぎた。
先にも書いたように、いつもの4分の1程度。
空腹感さえ消えれば、それでよい。
あとは、それを繰り返す。

 で、そのダイエット。
1週間前後もつづけていると、胃袋そのものが、小さくなる。
ほんの少量で、そこそこの満腹感を得られるようになる。
そのあたりが、峠。
体重が減り始めるのも、そのころ。
それまでは、なかなか減らない。
が、減り始めると、1週間に1キロ前後ずつ減っていく。

 あとは適正体重。
その適正体重になると、身も、ついでに心も軽くなる。
頭もすっきりとしてくる。
その快感は、ダイエットに成功したものだけが知っている。
いわば(ごほうび)。
それを知っているから、ここはがんばるしかない。

 ……それにしても、どうして私は定期的にダイエットを繰り返すのか。
年中行事にもなっている。
その分だけ、意思が弱いということになるのか。
が、あえて弁解するなら、こういうこと。

 旅行とダイエットは、切っても切れない縁でつながっている。
旅行をすれば、旅館やホテルに泊まる。
そのつど、どうしても食べ過ぎてしまう。
太る。

ア〜ア。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……食欲と性欲)

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」という
ことを感じ取る部分。
摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを
感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを
知った。

女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの
満腹中枢に隣接しているという。
一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、
摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、こ
のSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の
位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるよう
に脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2
倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の
中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたい
へんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。
(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激さ
れ、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感
が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?

 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と
性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中
枢と性欲 男と女のちがい)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【スーパータスカー(Super Tasker)】(マルチタスク人間)

●同時に複数の仕事を、問題なくこなせる人間

●スーパーマルチ人間

 一見まともだが、よくよく考えてみると、おかしい。
どう考えても、おかしい。
そんなニュースが、今日(2012年3月初旬)、あちこちのニュースサイトに載った。
称して「スーパータスカー(Super Tasker)」。
つまり複数の仕事を同時にこなせる、「スーパーマルチ人間」。
しかも「人間の40人に1人が、スーパーマルチ人間」とか?

●映画の世界

 映画の世界でも、超能力(スーパーパワー)がブームになっている。
スーパーマンからはじまり、スパイダーマン、スターウォーズなどなど。
ハリーポッターやドラキュラ、バンパイアも、その仲間に入る。
神や悪魔をテーマにしたものも、多い。
超能力者そのものを扱った映画も、多い。
が、それはあくまでも映画の世界の話。
現実には、ありえない。

 ありえないが、このところその境目、つまり現実と空想の境目が、ぼんやりしてきた。
そんなとき、「スーパーマルチ人間」なるものが、現れた。
何かしら、ふつうの人間とはちがう、特殊能力をもった人間ということらしい。
おおかたの人は、その記事を読んで、そう思った。
私も、そう思った。

●遺伝子?

 30年も前なら、「バカな」と言って吐き捨てたかもしれない。
が、最近は、そうでない。
「ひょっとしたら、ありえるかもしれない」と。
そういうふうに考える人が多くなった。
超能力を売り物にした、カルト教団となると、今では無数にある。
そんなとき、「スーパーマルチ人間」なるものが現れた。

 遺伝子がちがうのか?
そう考えた人もいるかもしれない。
が、そう考えるのは、待った!

●論理の穴

 結論を先に言えば、論理の欠落。
この論文には、論理の欠落、つまり「穴」がある。
それについては、これからゆっくりと書くことにする。
私はこの種の論文を読むたびに、アメリカ人の脳みそを疑う。
ユタ大学に籍を置く研究者の論文ということだから、一応の敬意を払う。
慎重に読む。

しかしどう考えても、おかしいものは、おかしい。
……ということで、この原稿を書き始めた。
まず、その原本を紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ITPROサイトより

 ITPROサイト(アメリカIBM)に、こんな興味深い記事が載っていた。

++++++++++++以下、ITPRO サイトより++++++++++++++

'Supertaskers' can safely use mobiles while driving 
「スーパータスク人間」と呼ばれる人は、運転中でも、携帯電話を使うことができる。

A small minority of individuals show no loss of reaction time or mental skills when combining 
mobile phone use and motorway driving.
小数の人は、道路を運転中でも、携帯電話を、反応時間や精神的なスキルの損失なしで使う
ことがわかった。

By Martin James, 30 Mar 2010 at 12:01(2010年3月20日付け)

A University of Utah study into the effects of mobile phone use on people's driving skills has 
come to the expected conclusion that using a phone while driving can be highly dangerous.
ユタ大学の研究によれば、運転中に携帯電話を使用することは、きわめて危険であるという結
論になった。

Or at least that's the case for most of us. The study also made the entirely unexpected 
discovery that for one in 40 of us, there were no signs of impairment whatsoever.
ほとんどの人にとってはそうかもしれないが、その一方で、40人に1人は、そういう影響を受け
ない人がいることがわかった。
これは予期しない結果でもあった。

University psychologists Jason Watson and David Strayer tested 200 subjects in two 
motorway driving simulation tests, one of which also involved having a hands-free mobile 
phone conversation that required them to memorise words and solve maths equations.
大学の心理学者ジェイソン?ワトソンとデビッド?ストレイヤーは、200人について、道路での運
転シミュレーションテストを行った。
一方で、ハンズフリーの携帯電話で話してもらい、同時に、単語を覚えさせたり、数学の方程
式を解かせたりした。

For the vast majority of the test subjects, the researchers recorded an average 20 per 
cent increase in braking response time, a 30 per cent increase in following distance, an 11 
per cent drop in memory performance and a three per cent drop in the ability to do maths 
problems.
ほとんどの人のばあい、ブレーキ反応は、20%遅くなり、つぎの(加速反応も)30%遅くなっ
た。
また記憶力は11%、数学の問題を解く力は、3%落ちた。

However, the five 'supertaskers' not only showed no appreciable difference in following 
distance, braking time and maths ability, but remarkably they actually displayed a three per 
cent improvement to memory performance. 
しかし「スーパータスカー」と呼ばれる人たちは、ブレーキ時も加速時においても、これといった
違いを見せなかった。
数学の力も落ちなかった。
そればかりか、記憶力においては、3%の向上が見られた。

"According to cognitive theory, these individuals ought not to exist," Watson says in a 
statement. "Yet, clearly they do, so we use the 'supertasker' term as a convenient way to 
describe their exceptional multitasking ability."
「認知理論」によれば、こうしたスーパータスカーと呼ばれる人は存在しないことになっている。
それについてワトソン氏は、「が、彼らはできる。こうしたマルチタスク能力をもっている人を、ス
ーパータスカーと呼ぶことができる」と。

However, with the study likely to be taken as justification for self-proclaimed 'supertaskers' 
to continue to take risks by using their mobiles while driving, Watson had a word of caution. 
が、こうなると自称「スーパータスカー」という人を、正当化することになるかもしれない。
つまり運転中に、携帯電話を使っても、危険はない、と。
ワトソン氏は、それについては、つぎのように、警告している。

"Given the number of individuals who routinely talk on the phone while driving, one would 
have hoped that there would be a greater percentage of supertaskers," he commented.
その数字を明らかにすると、より多くのスーパータスカーが生まれることになると、彼はコメント
している。

The findings will be published later this year in the Psychonomic Bulletin and Review.
調査結果は、レビューで今年後半に公開されることになっている。

(以上、マーティン?ジェームズ、12:01 2010年3月30日記)

++++++++++++以上、ITPRO サイトより++++++++++++++

●スーパータスカー(マルチタスク人間)

 要約すれば、約40人に1人は、たとえば車の運転中でも、問題なく、同時に複数の仕事がで
きるということらしい。
(だからといって、そういう人間を認めることはできない。
運転中に携帯電話をかける行為を、正当化する根拠になってしまう、と。)

●マルチタスクvsシングルタスク

 今まで、私は「マルチ人間」というときは、複数の才能を同時にもっている人のことをいうと理
解していた。
レオナルド・ダ・ビンチを例にあげるまでもない。
たとえば、画家でありながら、同時に音楽家であるとか、そういう人間をいう。

 その一方で、ひとつの分野にしか、才能を示さない人がいる。
(ふつうは、みな、そうだが……。)
そういう人を「シングルタスク人間」と呼んでよいかどうかということについては、わからない。

 どんな人も、加齢ともに、思考回路を完成し、脳の働きを自動化していく。
画家は画家として、その道を完成させようとする。
音楽家は音楽家として、その道を完成させようとする。
完成度が高まれば高まるほど、『二兎を追う者は……』となる。
……というか、時間の限界を感ずるようになる。

 残された時間をどう使うか……ということを考えていくと、どうしても的(まと)を、ひとつにしぼ
らざるを得なくなる。
「あれも、これも……」というわけにはいかない。

 シングルタスク、イコール、「悪い」ということでもない。
が、ここでいう、「スーパータスク人間(スーパータスカー)」と呼ばれる人は、私が考えていた
「マルチタスク人間」とは、別の人であるようだ。
複数の分野ですぐれた才能を示す人ということではない。
つまり脳みその中で、複数の仕事をこなせる人という意味らしい。

●コンピューター

 コンピューターの世界では、マルチタスクは、今や常識。
ワープロを操作しながら、同時に、動画を動画サイトへUPすることができる。
あるいはファイルのコピーをすることもできる。

 初期(1980年代)のころのパソコンには、それができなかった。
ひとつの作業が終わってから、(つまりそれが終わるまで待ってから)、つぎの作業に移行し
た。

 ここでいう「スーパータスク人間」という考え方は、たぶんにコンピューターの概念に影響され
たものと思われる。
コンピューターは複数の作業を同時にこなすことができる……だから人間にも、そういう人がい
るのではないか、と。

 で、この実験が始まった……らしい。
が、この実験には、素人の私が考えても、おかしな点(=疑問点)はいくつかある。

●熟練者vs初心者

 たとえば「運転」といっても、熟練者と初心者がいる。
熟練者は、ほとんど何も考えず、運転できるだろう。
手や足が、状況に応じて、勝手に動く。

 が、初心者にとっては、そうではない。
状況に応じて、そのつど考えなければならない。
そうしたちがい、つまり熟練者と初心者を一緒くたにし、統計として調査結果を出したことに、そ
もそもの大きなミスがある。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

●慣れ

 たとえば私は今、こうしてものを考えながら、キーボードを叩いている。
慣れた人には、何でもない行為である。
考えたことが、そのまま文字となり、モニター上にそれが現れる。
さらに言えば、私などは、キーボード操作に、かなり慣れているから、こうしてキーボードをたた
きながらも、午後からの仕事に段取りを、同時に考えることができる。

 が、初心者にとっては、そうではない。
どこにどのキーがあるか、それをさがすだけでも、たいへん。
考えるヒマがないというよりは、考えそのものをまとめることができない。」

 さらに言えば、同じ運動でも、道路を歩くのと、ルームウォーカーの上を歩くのとではちがう。
道路を歩くときは、あちこちに注意を払わなければならない。
一方、ルームウォーカーの上を歩くときは、ほとんど何も考えない、イコール、数学の問題を解
きながらでも歩くことができる。
 
 自動車の運転も、それと同じに考えてもよい。
つまり「慣れ」。
心理学の世界では、「思考回路ができることによる自動化」という。

ほとんど何も考えないで運転できる人なら、運転をしながら、数学の問題を解くことができるは
ず。
反対に、そうでない人は、そうでない。
そうした「慣れ」も計算に入れ、スーパータスク人間かどうかを判断しなければならない。
少なくとも、自動車の運転というかぎられた範囲だけで、その人がスーパータスク人間かどうか
を、判断していけない。

 では、どんなとき、スーパータスク型人間と判断してよいか。

●スーパータスク型人間

 話は少し脱線するが、私が「スーパータスク」なるものを自覚するのは、通訳のときである。
日本語と英語を同時に考える。
しかしこれはけっして、楽な作業ではない。
脳の中でも、日本語を司る分野と、英語を司る分野はちがう。
日本語は、左脳、英語は右脳と言われている。
つまり通訳のときは、その両方を、同時に働かさねばならない。

そこで英語を話しているとき、いきなり日本語を聞いたり、あるいはその逆のことがあると、脳
がそのあと、ふつうでない疲労感を覚えることがある。
最近では、英文を日本語に翻訳していると、若いときには感じなかった疲労感を覚える。
だから洋画でも、字幕を見て楽しむときは、字幕だけを見て楽しむ。
英語を聞いて楽しむときは、逆に、字幕を見ないで、楽しむ。
それをしないと、ここにも書いたように、そのあと、ガクンと疲れる。

 で、右脳と左脳は、太い電線のようなものでつながっている。
「脳梁」と呼ばれる部分である。
この脳梁を通し、右脳と左脳は、たがいに情報を交換することができる。
が、加齢とともに、この脳梁の働きが悪く(?)なる。
さらにたいへんなのが、同時通訳。
訳文を考えていたのでは、同時通訳などできない。
ほぼ無我の状態で、勘で通訳する。

 このばあい、その脳梁の働きのよい人を、「スーパータスク人間」という(?)。
少なくとも、日本語と英語を同時に処理できる。
あるいは左脳が司る論理や分析をしながら、右脳が司る抽象的概念や図形を同時に処理で
きる。

運動分野にしても、そうだ。
自動車の運転という運動をしながら、別の脳を独立させることができる。
論文の内容は、どうやらそういうことらしい。

●Cマーク

 少し頭が混乱してきた。
この原稿を読んでいるみなさんも、そうだろう。

 で、結論。

 天下のユタ大学の研究者の研究にケチをつけて悪いが、私なら、この論文に、「C」マークを
つける。
200人の人について調べたということだが、この実験だけでは、必要十分条件の「十分」の部
分を満たしていない。

 この実験結果が正しいということを証明するためには、つぎの2つのことを証明しなければな
らない。

(1)この実験で、スーパータスク人間と証明された人は、ほかのさまざまな分野でも、それがで
きることを証明しなければならない。
たとえば読書をしながら、電話で客との応対ができる。
料理をしながら、数学の問題が解ける、とかなど。

(2)被験者200人の選び方にも問題がある。
どういう基準で選んだのか。

 先にも書いたように、熟練者と初心者の区別、(こうした研究調査では、きわめて基礎的な部
分だが……)、その区別をしていない。
また分野を、「運転」にかぎっているのも、問題である。

 近くのラーメン屋の親父さんは、客と雑談を交わしながらでも、うまいラーメンと作ることがで
きる。
考えようによっては、ラーメン屋の親父は、「スーパータスク人間」ということになる。
が、それも「慣れ」、つまり心理学でいうところの「自動化」と考えれば、何でもない。
あるひとつの行動の自動化ができれば、その行動は、それほど意識しなくても、できるようにな
る。
 
 そこで2番目に、この実験で、「スーパータスク人間ではない」と判断された、残り160人につ
いて、ほかの分野でも、シングルタスク人間である(イコール、スーパータスク人間ではない)と
いう証明をしなければならない。

 以上、2つの条件を満たして、はじめて、必要十分条件ということになる。
たまたま運転中の作業だけを調べ、マルチタスク人間がいると結論づけるのは、きわめて非
論理。
非論理というより、危険。
こんなインチキな論文が、世界中のネットに流れること自体、バカげている。

●プリウス事件

 ……ということで、どう考えても、この論文は、おかしい。

 私は、TOYOTAのプリウス事件(急加速問題)以来、私はアメリカ人の研究者の脳みそを疑
ってみるようになった。
そこらの高校生でもしないような、ミスを、平気でする。
インチキまではしないが、(見落とし)が多い。

 運転中に、単語を暗記できたり、数学の問題ができるからといって、「スーパータスク人間」と
いうのは、論理的に無理(アナ)がある。

●認知理論

 ここで「認知理論」という言葉が出てきた。
心理学では、よく使われる言葉である。
それについては、たくさんの原稿を書いてきた。
しかし「認知理論によれば……」(論文)というところが、よく理解できない。
「そんな理論、あったかなア〜?」と。

私が書いた原稿を探してみる。
あくまでも参考に……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結婚はしてみたけれど……(認知的不協和)

++++++++++++++++

結婚はしてみたけれど、こんなハズではなかった……という
夫婦は多い。
心理学でいえば、「認知的不協和」ということになる。

++++++++++++++++

●認知的不協和

 「個人のもつ認知に矛盾やアンバランスが生じたことを、
アメリカの心理学者のフェスティンガーは、認知的不協和と
名づけた」(大村政男著「心理学」ナツメ社、P172)とある。

日常的によく経験する。

 先日もあるところへ旅行した。
その旅行先で、昼食にとある食堂へ入った。
しかし立派だったのは、店構えだけ。
値段ばかり高く、まずかった。

 で、その食堂を出て、しばらく歩くと、そこに
行列のできた食堂が何軒かあった。
レジの前には、順番待ちの客が、ズラリと並んでいた。
それを見て、「こういうところで食べればよかった」と、
少なからず、後悔した。
言うなれば、これも認知的不協和?

●結婚相手

 しかしこれが結婚相手となると、ことは深刻。
子どもができれば、なおさらである。
そういうとき、人間は、認知的不協和から
「脱出」するため、4つのパターンから、
その一つを選ぶ(参考:同書)。

(1)この人しか私にはいないと、自分を納得させ、ほかの人と比較しない。
(2)離婚はしたくないので、がまんする。
(3)相手を育てるのは私と考え、ともに前向きに努力する。
(4)相手のよいところをさがし、それだけを評価するようにする。

 この4つのパターンは、「心理学」を参考に、私が適当に考えたものである。
が、結婚生活というのは、実際には、もう少し複雑。
そのつど、この4つのパターンが、交互に、あるいは同時に、夫婦を襲う。
ときに自分を納得させ、ときにがまんし、また別のときには、あきらめる……。
この連続。

 が、まずいのは、何と言ってもストレス。
認知的不協和も、ある一定の限度内なら、生活のスパイスとなる。
が、その限度を超えると、とたんにストレスとなって、その人を襲う。
おおまかにいえば、つぎのサイクルを踏む。

(平穏期)→(緊張期)→(爆発)→(沈静期)→(平穏期)……と。

 しかしこれもどちらかというと、仲がよい夫婦のばあい。
ずっと(平穏期)のままという夫婦も、(緊張期)のままという夫婦もいるにはいるが、
そういう夫婦のほうが、あ・ぶ・な・い。
ただ周期の長さには、個人差がある。
2〜3か月ごとに(爆発)を迎え、大喧嘩する夫婦もいる。
1〜2年ごとに(爆発)を迎えるという夫婦もいる。
あるいは小刻みなサイクルを繰り返しながら、大きなサイクルを繰り返すという
夫婦もいる。
若い夫婦ほど、サイクルが短いということになるが、それにも個人差がある。

●夫婦喧嘩

 要するに夫婦喧嘩(=爆発)も、しかたの問題ということ。
だから昔から、こう言う。
『夫婦喧嘩は、犬も食わぬ』と。
つまり何でも食べる犬でも、夫婦喧嘩は食べない、と。
「仲のよい夫婦ほど夫婦喧嘩をし、一時的ですぐ和合するから、仲裁に入るのは
愚かである」(広辞苑)という意味。

 大切なことは、こう考えること。
どんな夫婦にも、認知的不協和はつきもの。
あとは、どううまくつきあっていくかということ。
それが夫婦ということになる。

(付記)

 最近、気がついたが、結果として離婚していく夫婦には、ある共通のパターンがある。
同時にそれぞれが、離婚に向かうというケースは、少ない。
そのとき、先に離婚を覚悟するほうを、離婚側とする。
どちらかというと不本意ながら、離婚をさせられるほうを、被離婚側とする。

 ふつうは被離婚側が気がつかないうちに、離婚側が、離婚を覚悟を決めてしまう。
そしてある程度……というか、その覚悟がしっかりできた段階で、離婚側が、
被離婚側に、離婚話を持ち出す。
「離婚する」「離婚させてください」と。

 定年離婚と呼ばれる離婚には、こうしたケースが多い。

で、そのときのこと。
離婚側のほうには、微妙な変化が現れる。
相手が夫であれ、妻であれ、(妻であることのほうが多いが……)、

(1)電話などでの応対が、ぞんざいになる。
(2)きめのこまかい交際をしなくなる。(何かものを送っても、礼のあいさつがない。)
(3)小さな悪口を、それとなく会話にまぜる。
(4)軽蔑したような表現が多くなる。
(5)会話の内容が事務的になり、しっくりとかみ合わなくなる。

 で、しばらくそういう状態がつづき、部外者が「?」と思っていると、そのまま
離婚……ということになる。
たとえば数年前、私はある知人に電話をした。
その知人は、その町の中心部で事務所を開いたのだが、それがすぐ行き詰ってしまった。
そのことを知っていたので、その知人の妻に電話をしたとき、「ご主人も、たいへんですね」
と私は言った。
それに対して知人の妻は、「……あの人は、何をしても、ドジばっかり……」と。
小さい声だったが、どこか吐き捨てるような言い方だった。

で、あとで知ったのだが、そのすぐあと、知人夫婦は離婚していた。

●結婚論

 一般論からいうと、(あるいは私の経験論ということになるが)、年齢が若いときに、
ラブラブの状態で結婚した人ほど、皮肉なことに、認知的不協和は起こりにくい。
一方、晩婚型で、計算高く結婚した人ほど、認知的不協和は起こりやすい。
年齢が高い分だけ、それだけ相手をよく見ているかというと、そうでもない。
あるいは、いくら知ったつもりでいても、人間を知りつくすのは、それほどまでに
むずかしいということ。

このことは、結婚歴40年近い、私にとっても、そうである。
いまだにワイフについて、わからないところがある。
(ワイフにしても、そうだろう。)

 だからやはり結婚というのは、電撃に打たれるような衝撃を感じて、何も考えず、
ラブラブのまま、結婚するのがよいということになる。
盲目的な結婚が悪いというのではない。
どうせ、みな、盲目なのだから……。

♪Wise men say, only fools rash in. But I can't help falling love with you…

(愚かモノだけが、結婚に突進すると賢者は言う。しかし私はあなたに恋をするのを
止めることができない……。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 スーパータスク型人間 認知理
論 認知的不協和)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考までに、2002年に書いた原稿より)

●右脳教育

++++++++++++++++++++++

右脳教育は、果たして安全なのでしょうか?
まだその安全性も、確認されていない段階で、
幼児の頭脳に応用する危険性。みなさんは、
それを、お考えになったことがありますか。

たった一晩で、あの百人一首を暗記してしま
った子ども(小学生)がいました。

しかしそんな能力を、本当にすばらしい能力
と安易に評価してよいのでしょうか。

ゲームづけになった子どもたち。幼いころか
らテレビづけになった子どもたち。今さら、
イメージ教育は必要ないと説く学者もいます。

それに右脳と左脳は、別々に機能しているわけ
ではありません。その間は、「交連繊維」と呼ば
れる神経線維で結ばれ、一番大きな回路である、
「脳梁(のうりょう)」は、2億本以上の繊維
でできています。

右脳と左脳は、これらの繊維をとおして、交互
に連絡を保ちながら、機能しています。

脳のしくみは、そんな単純なものではないよう
です。

そうそう、言い忘れましたが、一晩で百人一首
を暗記したのは、あの「少年A」です。

イメージの世界ばかりが極端にふくらんでしま
うと、どうなるか。そのこわさを、少年Aは、
私たちに教えてくれました。

++++++++++++++++++++++++

 アカデミックな学者の多くは、「右脳教育」なるものに、疑問を抱いています。渋谷昌三氏もそ
の1人で、著書「心理学」(西東社)の中で、こう書いています。

 「なにやら、右脳のほうが、多彩な機能をもっていて、右脳が発達している人のほうが、すぐ
れているといわんばかりです。

 一時巻き起こった、(現在でも信者は多いようですが)、「右脳ブーム」は、こういった理論から
生まれたのではないでしょうか。

 これらの説の中には、まったくウソとはいえないものもありますが、大半は科学的な根拠のあ
るものとは言えません」(同書、P33)。

++++++++++++++++++++++++++

●右脳教育への警鐘

 論理的な思考力をなくす子どもたち。ものの考え方が直感的で飛躍的。今、静かにものを考
えられる子どもが、少なくなってきています。

 そうした危惧感を覚えながら書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++++++++++

【親が右脳教育を信奉するとき】

●左脳と右脳

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳をきたえ
ると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞氏)。

(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直観像
化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事例は、現
場でもしばしば経験する。

●こだわりは能力ではない

たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろばん
を使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むというよ
りは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。

しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。もう少
しわかりやすい例で言えば、一〇〇種類近い自動車の、その一部を見ただけでメーカーや車
種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。

たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだ
わりを見せることが知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の一小
節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうしたこだわりが強けれ
ば強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。

●論理や分析をつかさどるのは左脳

 そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成果の
陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人とい
うイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと考え
られなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論理)、他人
の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということになる。
その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

●右脳教育は慎重に

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でなければ
ならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右
脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺害事件』をあげる
研究家がいる(福岡T氏ほか)。

●少年Aは直観像素質者

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数
の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、五〇〇
〇円やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」
(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。

その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をまるで
目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの
非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど
もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●才能とこだわり

 自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せることは、よく知られている。たとえば列
車の時刻表を暗記したり、全国の駅名をソラで言うなど。車のほんの一部を見ただけで、車種
からメーカーまで言い当てた子どももいた。クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけ
で、曲名と作曲者を言い当てた子どももいた。

 こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、教育の世
界では、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、才能とは認めない。
たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を暗記できるなど。あるいは
一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、ピアノで演奏できた子どももいた。
まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めない。「こだわり」とみ
る。

 たとえばよく知られた例としては、少し前、話題になった子どもに、「少年A」がいる。あの「淳
君殺害事件」を起こした少年である。
彼は精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と鑑定されている。
直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に焼きつけてしまうこと
ができる子どもをいう。

少年Aも、一晩で百人一首を暗記できたと、少年Aの母親は、本の中で書いている(「少年A、
この子を生んで」文藝春秋)。
そういう特異な「力」が、あの悲惨な事件を引き起こす遠因になったとされる。

 と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身が、その
「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ねて、サッカーの技
術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗記できてしまうというの
は、才能ではない。

 つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。
まさにそれだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知性、感
性、理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だが、まだそ
うした背景のない子どもが、一回聞いただけで、その曲が演奏できるというのは、才能ではな
い。
 
 脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並はずれ
た、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、しばしば経験してい
る。
印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。

ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当て
た子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。
ある程度の計算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、まったく理
解できなかった。

1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。
1000円程度のものを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものがなか
った。
母親は、S君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるはず」とがんばった
が、しかしそれはS君の「力」ではなかった。

 教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければならない。
「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。
「教育することによって、伸ばすことができること」を、才能という。
が、それだけでは足りない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければなら
ない。
またそれができるから、教育という。
つまりその子どもしかできないような、特異な「力」は、才能ではない。

 こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているようにとらえられ
るかもしれないが、それは誤解である。
多かれ少なかれ、私たちは、ものごとにこだわることで、さらに自分の才能を伸ばすことができ
る。

現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数時間。
土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここでいう「こだわ
り」かもしれない。

時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にたたな
い「こだわり」ということになる。
が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、みごとな才能となって、世界的に評価されるよ
うになった人もいる。
あるいはひょっとしたら、私たちが今、名前を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そうい
う「こだわり」をもった子どもだったかもしれない。
そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定することもできない。
(02―11−27)※

(はやし浩司 右脳教育 右脳教育への疑問 こだわり 少年A イメージが乱舞する子ども 
子供 才能とこだわり 思考のバランス)

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【煩悩(欲望)論と統合性の確立 by はやし浩司】

●暖かな3月(はやし浩司 2012−03−03)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

やっと暖かくなった。
冬の冷気を感じない。
「春だなア〜」と。

ところで昨夜、ワイフと生徒たちを連れて、映画を見に行ってきた。
『戦火の馬(War Horse)』。
一頭の、賢い馬の話。

先月死んだ、犬のハナが画面にダブり、ポロポロ泣いた。
ポインター種の犬は、馬そっくり。
走り方も、馬そっくり。
目の動かし方まで、馬そっくり。
そんなわけで、星は4つの★★★★。

よかった!
ただタイトルの『戦火の馬』は、おおげさ。
『マイ・ホース(My Horse)』でもよかったのでは?

今週は、もう1本、『ヒューゴの不思議な発明』がある。
すでに公開されているが、こちらのほうは、あわてて見ない。
前評判がすばらしいだけに、ゆっくりと時間をかけ、楽しみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●3月3日

 このところ、午前9時起きがつづいている。
何かにつけ、夜更かしをする。
昨夜も床に就いたのが、午前1時。
我ら不良老人には、時刻はない。
眠くなったら、寝る。
起きたくなったら、起きる。

 が、理由がないわけではない。
目下、ダイエット中。
現在67キロの、4キロ、オーバー。
食事の量を半分に減らし、運動量を倍にした。
そのため慢性的なガス欠状態。
何をしても、力が入らない。
とくに床から起きあがるのが、つらい。
それで午前9時起き。

 が、熟睡感は、あまりない。

●アクセント

 今日の予定は、とくになし。
先ほど、軽い朝食。
「何かしたいか?」とワイフに聞くと、「まだね……」と。
こういうときは、来週の教材作りをするのがよい。
(いつもなら、そうしている。)
が、今日は、こうしてパソコンの前に、ずっと座っていたい。

 指の動きも軽やか。
頭もスッキリ。
昨日まで、どこか風邪ぽっかったが、その症状も消えた。
(「風邪っぽい」というから、「風邪っぽかった」と書いた。
この日本語は正しいのか?)

 ところで昨日、幼児教室で、「くじ」の話をした。
確率を教えるため。
で、そのときのこと。
子どもたちが、「くじ」と、「く」のところにアクセントをつけて言うのを知った。
私は、ずっと、「くじ」と、「じ」のところにアクセントつけて言っていた。

この浜松では、多くの言葉で、アクセントの位置がちがう。
たとえば「橋」「箸」「端」など。
どちらが正しいというわけではないが、ときどき戸惑うことがある。

もちろんワイフは、「あなたのアクセントは、おかしい」と言う。
私は、「浜松のアクセントは、めちゃめちゃ」と言う。
ワイフは、浜松生まれの、浜松育ち。
私は岐阜県の美濃市生まれ。

 興味のある人は、浜松へ来てみればよい。
「橋」「箸」「端」を、浜松の人たちがどう発音するか、聞いてみればよい。
みな、首をかしげるはず。

●また映画

 たった今、ワイフがお茶を届けてくれた。
こう言った。
「午後から、映画を見に行こう」と。

 「またア〜?」と言うと、「そう!」と。

 「浜北のほうでもいい……」と。

 浜北(浜松の北)にも、東宝映画劇場がある。
そこへドライブがてらに行こう、と。

 若いときからワイフの行動力には、頭がさがる。
アドレナリンの分泌が、私より盛ん。
体温も、私より高い。
同じものを食べても、ワイフは、太らない。
私は太る。
つまりその分だけ、行動派。

●プレーボーイ

 さて、本題。

 「プレーボーイ」と呼ばれる、男たちがいる。
(反対に「プレーガール」と呼ばれる、女たちもいる。)

 このプレーボーイ、目的とする「女」が現れると、特異な行動を始める。
献身的。
とにかく献身的。
一方的に相手に仕える。
ときに女の部屋にあがりこんで、掃除までしてやる。
料理までしてやる。
相手の「体」をものにするまで、何でもする。

 が、一度モノにすると、相手から急速に興味を失う。
その行動パターンは、「買い物依存症」のそれと、どこか似ている。
「相手の女性の肉体が欲しいから、欲しい」。
それだけの理由。

 要するに、自分の欲望を満足させる。
それが目標。

 一方、女性にも、「プレーガール」がいる。
昔は「八方美人」と呼んだ。
どちらにせよ、最近の傾向としては、老いも若きも、欲望にブレーキをかけない。
恋愛至上主義もそのひとつ。
恋愛したとたん、それがすべて。
自分の心にブレーキをかけない。
そのまま最後まで、突っ走ってしまう。

 もっとも今の若い人たちに、それを説いても意味はない。
また私たちの時代の話をしても、理解できない。

 私も学生時代、何人かの女性と恋愛をした。
しかし「収入がない」「生活費が用意できない」「親の了解がない」などの理由で別れた。
「しっかりと自活できてから」というのが、結婚の大前提になっていた。

 が、今はちがう。
そのまま突っ走ってしまう。
悪しきアメリカ文化の影響である。
それがわからなければ、映画『タイタニック』を見ればよい。
若い人たちは、ああいうのを見て、「愛」と錯覚している。
それがあるべき人間の姿と思い込んでいる。
人間がもっとも大切にすべきものと、誤解している。

 中身といえば、子孫保存本能。
が、そんなことは、そこらのイヌやネコでもしている。
子孫保存のための本能(種族保存本能とは区別する※後述)に、振り回されているだけ。

 結果、離婚率も、目下上昇中。
婚姻届数を3とすると、離婚届数は1(全国、役所の届け数平均※)。

(注※)
『……参考値として、「離婚件数を結婚件数で割った値」をグラフ化する。
これは「結婚件数に対し離婚件数がどれだけ多いか」を意味し、この値が仮に1を超えれば、
その年の結婚件数より離婚件数が多かったことを意味する。

 ちなみに、2001〜2007年は、おおむね0・35前後となっている』(Garbagenews.com)。
(詳しくは、http://www.garbagenews.net/archives/1219043.html)

 ただし生涯離婚率は、現在、0・2%前後。
現在、1000組の夫婦がいるとすると、その年に離婚するのは、2組ということになる。

●種族保存本能と子孫保存本能

 種族保存本能と子孫保存本能は、区別して考える。
いろいろな説があるが、私は、そう解釈している。

 種族保存本能というのは、その種族の中でも、最高品種のものを残そうという本能。
たとえば動物の世界では、もっとも力のあるオスが、多くのメスを従える。
そのために、力のあるオスどうしが、ボスの座を獲得するため、死闘を繰り返す。
そういう動物は多い。
ボスになれば、多くのメスを自分のモノにすることができる。

 子孫保存本能というのは、要するに生殖本能のこと。
人間は一夫一妻制をとることにより、種族保存本能は、「個」からは切り離す。
切り離さないと、「個」である自分は、結婚できないということになる。
「私は劣等な人間です。子どもを作らないほうが、種の保存のためには、ふさわしい」と。
……とまあ、そんなふうに考える人はいない。
またそんなふうに考えたら、私など、イのいちばんに、だれとも結婚できなかっただろう。

顔はブサイク。
足も短い。
精神的にもガタガタ。
頭も悪い。

が、どうにかこうにか、結婚だけはできた。

●欲望

 わかりやすく言えば、欲望に歯止めをかけることができなくなった。
それが現代人の特質ということになる。

 硬い話になるが、仏教では、その欲望を強く戒めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「煩悩(ぼんのう」については、
たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、2003年3月の日付に
なっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●涅槃(ねはん)(2003年3月記)

 仏教には、「涅槃(ねはん)」という言葉がある。

「煩悩(ぼんのう)を滅して、苦がなくなった究極の悟りの境地」(日本語大辞典)という意味。 

 煩悩というのは、「衆生(しゅじょう)の心身を悩ませ、悟りの妨げとなる心の働き」(同)をい
う。
わかりやすく言えば、人間の欲望のこと。
仏教では、「貪(どん)、瞋(しん)、痴(ち)」の三つの弊害(これを三毒)をいう。

 で、この煩悩を頭から、悪と決めてはいけない。
たとえば性欲にしても、それがあるから種族の保存ができる。なかったら、人類は、とっくの昔
に滅んでいたことになる。
そこで仏教では、「煩悩は燃やしつくせ」と教える。
つまり燃やして燃やして、燃やしつくし、その結果として、「涅槃の境地」に達せよ、と。

 こういうむずかしい漢字が並ぶと、読むだけでもたいへんだが、要するに、若いときは、した
いことを、思う存分しろということ。
Sックスにしても、恋人や夫婦の間で、やってやってやりまくる。
そしてその結果として、そのつまらなさを、悟ることができる。
そのつまらなさから、脱却することができる。

 そう言えば、子どもの世界でも、子どものころ、非行などのサブカルチャ(下位文化)を経験し
た子どもほど、おとなになってから常識豊かな子どもになることが知られている。
つまりワルで育った子どもほど、あとあと、すばらしい人間になるということ。

 反対に、優等生で育った子どもほど、あとあと何かにつけて、問題を引き起こす。
かえって常識ハズレになり、社会的な不適応を起こすこともある。
精神的な未熟性や、不全性が、その子ども(人)の心をゆがめることもある。

 だからといって、子どもの非行を奨励するわけではない。
が、こうした一歩、退いた視点が、子どもを、心豊かな人間に育てる。
「勉強」も大切だが、勉強そのものは、子どもを伸ばさない。
子どもを伸ばすのは、「学ぶ心」、そして「ものごとに挑戦していく前向きな姿勢」である。
勉強ができる、できないは、あくまでも、その結果でしかない。

 さて、話をもどす。煩悩だからといって、頭から否定してはいけない。
煩悩だろうが、なんだろうが、思う存分、したいことをすればよい。
して、して、しまくる。
そうすれば、やがてその空しさがわかる。
わかれば、その煩悩と決別することができる。
仏教でいう「涅槃の境地」は無理だとしても、ほぼそれに近い精神状態になるかもしれない。

 話は、ぐんと現実的になるが、よく子どもたちが、私にこう聞く。
「先生も、エロビデオを見るのか?」と。
そういうとき私は、こう答えるようにしている。
「君たちのお父さんと同じだよ。だからそういうことは、君たちのお父さんに聞きな」と。
そしてしばらくしたあと、こうつけ加える。
「もう、見飽きたけどね……」と。
これも、いわば、涅槃の境地の一つということになるのかもしれない。
(030404)

【追記】

 煩悩を燃やしつくすといっても、燃えつき症候群は好ましくない。
……ですね。
そうそう、それにしても、Sケベ・サイトの多いこと、多いこと!
 そういうところが発行するスケベ・マガジンなどは、どれも発行部数が、数万部もあるというか
ら、驚きます。
私のマガジンは、やっと合計で、八三〇部程度。
何ともなさけない感じがしないでもありません。

 しかしやがてこれも一巡すれば、私の発行するようなマガジンの読者も、少しはふえるかもし
れません。
どうせああいうのは、「無」のマガジン。
読者も、それでは満足しなくなるはず。
必ず「心」を求めるようになるはず。
そういうときがくるのを信じて、がんばるしかない。……ですね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先の原稿を書いてから、もう9年になる。
最近、書いた原稿と比較してみる。
つぎの原稿の日付は、2007年7月に
なっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●煩悩(ぼんのう)

+++++++++++++++

仏教では、煩悩(ぼんのう)に
2つあると教える。

ひとつは、知性の煩悩。
もうひとつは、感情の煩悩。

そしてその根本はといえば、
「無明」と「愛欲」であると
教える(仏教聖典)。

+++++++++++++++

 仏教では、煩悩(ぼんのう)に2つあると教える。

ひとつは、知性の煩悩。
もうひとつは、感情の煩悩。

そしてその根本はといえば、「無明」と「愛欲」であると教える(仏教聖典)。

 ここでいう「無明」は、「無知」という意味である。
しかし無知といっても、「知識のなさ」を言うのではない。
「ものの道理をわきまえないこと」(「仏教聖典」)をいう。

 この煩悩に支配されると、人は、「むさぼり、怒り、愚かになり、邪見をもち、人を恨んだり、ね
たんだり、さらには、へつらったり、たぶらかしたり、おごったり、あなどったり、ふまじめになっ
たりする」(「仏教聖典」)という。
つまり、自分を見失ってしまう。

 この中でも、仏教では、とくに(1)むさぼり、(2)怒り(瞋り)、(3)愚かさを、「世の3つの火」と
位置づける。
これらの「火」が、自ら善良な心を、焼いて殺してしまうという。
そういう例は、多い。

 「むさぼり」(仏教聖典・仏教伝道協会編)とは、私たちが日常的に使う「むさぼり」という意味
のことか。
わかりやすく言えば、欲望のおもむくまま、貪欲になることをいう。
貪欲な人は、たしかに見苦しい。

 ある女性は、このところ数日おきに、病院にいる義父を見舞っている。
義父を思いやる、やさしい心からそうしているのではない。
その財産が目的である。
義母がいるが、体も弱く、このところ思考力もかなり低下してきた。

 そんな義母でも、「見舞には来なくていい」とこぼしている。
その女性が義父を見舞うたびに、義父は興奮状態になってしまう。
そのあと様子がおかしくなるという。
しかしその女性は、見舞いをやめる気配はない。

 これも(むさぼり)のひとつと考えてよい。
その女性はまさに、義父の心を、むさぼっている。

 つぎに怒り。
仏教聖典のほうでは、(瞋り)となっている。
私は勝手に「怒り」としたが、研究者がこの文を見たら、吹きだすかもしれない。
仏教でいう(瞋り)、つまり(怒り)というのは、感情のおもむくまま、腹を立てたり、どなったり、
暴れたりすることをいう。

 ただ、(怒り)そのものを、悪いと決めつけて考えることはできない。
たとえば今、私は、社会保険庁のずさんな事務処理に、怒りを感じている。
K国の金xxにも、怒りを感じている。
元公安調査庁の長官による不正疑惑にも、怒りを感じている。
さらには、防衛大臣の失言にも、怒りを感じている。

 その(怒り)が、こうしてものを書く、原動力にもなっている。
つまり(怒り)が正義と結びついていれば、(怒り)も善であり、そうでなければ、そうでない。

 3つ目に、(愚かさ)。愚かであるということは、それ自体、罪である。
しかし先にも書いたように、「知識がないこと」を、愚かというのではない。
ものの道理をわきまえないことを、(愚か)という。
 
 では(道理)とは何か。
現代風に言えば、(人格の完成度)をさす。
人格の完成度の高い人を、「道理をわきまえている人」という。
他者との共鳴性が高く、良好な人間関係があり、より利他的な人を、人格の完成度の高い人と
いう。

 その道理を身につけるためには、自分で考えるしかない。
考えて、考えて、考えぬく。
パスカルも言っているように、人間は考えるから、人間なのである。
中に、「私はものごとを深く考えない」「考えることが嫌い」「考えるのはめんどう」と豪語(?)す
る人がいる。
しかしそういう人は、自らを愚かな人間と、公言しているようなもの。

 恥ずべきことではあっても、自慢すべきようなことではない。

 で、これらの3つは、「火」となって、人間の世界を、ときに焼き尽くすこともあるという。
「おのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を、身(しん)、口(く)、意(い)の3つの悪い行為
に導くことになる」(「仏教聖典」)と。
つまりその人だけの問題では、すまないということ。
 
 が、これにもう一言、つけ足させてもらうなら、こういうことになる。

 悪いことをしないから、善人というわけではない。
よいことをするから、善人というわけでもない。
私たちが善人になるためには、悪と、積極的に戦っていかなければならない。
悪と積極的に戦ってこそ、私たちは、善人になれる。
またそういう人を、善人という。

 話が脱線したが、私たちは、その煩悩のかたまりと言ってもよい。
この瞬間においてすら、その煩悩が、体中で、渦を巻いている。
「どうしたらいいものやら?」と考えたところで、この話は、おしまい。

私自身も、その煩悩の虜(とりこ)になり、いつも道に迷ってばかりいる。
(2007年7月記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 煩悩
論 パーリ 仏教聖典 はやし浩司 煩悩 煩悩論 欲望論)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●進歩?

 これら2つの原稿を読み比べてみる。
変化を知る。
ともの「私」だが、中身が微妙に異なる。
同時に、こうも考える。
「私は進歩したか?」と。

 答は、残念ながら「NO!」。
むしろ退化した。

このところあまり勉強しなくなった。
本(仏教典)も、読まなくなった。
たとえばどこかのホテルに泊まる。
大きなホテルだと、たいていどこにも、聖書や仏教典が置いてある。
若いころは、それを読んだ。
感動した。

 が、今は、目も通さない。
もちろん読んでも、感動しない。
理由の第一は、欲望の火が弱くなったこと。
「〜〜したい」とか、「〜〜がほしい」と思うことが少なくなった。
生命力が弱くなった?
生活力が弱くなった?
もっとわかりやすく言えば、巷(ちまた)の雑事など、どうでもよくなってしまった。
とくに悟りの境地に、(そんなものは、あるはずもないが)、近づいたというわけではない。
「めんどう」という言葉のほうが、正確かもしれない。

 「どうぞ、ご勝手に!」とか、そういうふうに思うことも多い。
とくに醜い権力闘争を見聞きしたりすると、そう思う。
が、これではいけない。
「これではいけない」とは、ワイフの言葉だが、これではいけない。
「あなたが書くのをやめたら、だれが書くのよ!」と。

 都会に住む(もの書き)たちは、それぞれに複雑にからみあっている。
この世界には、「ブラックリスト」なるものがある。
たとえば「週刊X誌」。
一度、悪口を書いたら、仕事は回ってこない。
「S雑誌社」にしても、そうだ。
その子会社、あるいは関連会社からも、仕事は回ってこない。
テレビ局をはじめとする、マスコミの世界は、そうしたシンジゲートで成り立っている。

 さらに巧妙なのが、宗教団体。
利権団体。
批判本を出版したりすると、出版社自体を、抱き込んでしまう。

 まず「はやし浩司」で検索する。
そこにズラリと、「要注意人物」「警戒人物」という文字が並ぶ。
その時点で、仕事はストップ。
こうして都会という中央集権社会は、YES・MANだけの世界になる。

 だからワイフは、こう言う。
「あなたが書くのをやめたら、だれが書くのよ!」と。

 話が脱線したが、私は自由。
だれにも相手にされないが、こうして自由にものを書くことができる。
だれにも遠慮しない。
だれにも媚(こび)を売らない。

●無の概念

 話を戻す。

 あのサルトルは、最後に「無の概念」を説いた。
それによって、サルトルは、死の恐怖から、自分を解放した。
つまり自己の限界である「死」を、乗り越えた。

 その第一の条件が、欲望からの解放ということになる。
「私の財産」「私の名誉」「私の地位」「私の……」とつづくかぎり、人は迷う。
苦しむ。
「死」を乗り越えることはできない。

 では、どうすればよいのか。

 そのヒントが、『統合性の確立』ということになる。
(すべきこと)を発見し、その(すべきこと)をする。
ただし条件がある。
無私、無欲でなければならない。
功利、打算が混入したとたん、統合性の確立は霧散する。
煩悩論の最後に、『統合性の確立』について書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『統合性の確立』については、たびたび
書いてきた。
「はやし浩司 統合性の確立」で検索
してみたら、4000件もヒットした。

2009年2月に書いた原稿が
わかりやすいので、それを紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●統合性の確立

++++++++++++++++++++++++

今日の成果。
私とワイフは、ずっとトップランナーだった。
諏訪湖の湖畔を歩くとき、いつもうしろを見ながら歩いた。
こんなところで順位を競っても意味はない。
わかっているが、私たちは、それを目標にしている。
週に2、3度、10キロ近く歩いているのも、そのため。

それぞれの人には、それぞれの目的がある。
観光を楽しみたい人。
友だちとおしゃべりを楽しみたい人。
ほかにも、いろいろあるだろう。
しかし私たちは、運動のため。
そのためには、タラタラと歩いていたのでは、意味がない。
サクサクと歩く。
汗をかく。
有酸素運動をする。

そのために歩く。
目標は、トップ。
目的地、一番乗り。

++++++++++++++++++++++++++++

●帰りのバスの中で

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「あなたの人生の縮図みたいね」と。

 いつもトップだったというわけではないが、しかしその緊張感は忘れなかった。
先手、先手で、人の前に立つ。
それは私のように一匹狼で生きていく人間にとっては、鉄則のようなもの。
二番手になったとたん、押しつぶされてしまう。

 が、目的地に着いたら、そこで遊ぶ。
時間にも余裕がある。
その周辺の店をのぞいたりする。
これもワイフに言わせると、私の人生の縮図みたいということになる。

 私はいつも、まず(すべきこと)を先にする。
それが終わったら、自分の(したいこと)をする。
その余裕がないときは、がまんする。
つまり(すべきこと)が残っているときは、(したいこと)をがまんする。

 いつもこの鉄則を守っているというわけではないが……。

●60歳の統合性

 (やるべきこと)と、(したいこと)は、基本的にちがう。
(やるべきこと)には、常に、ある種の苦痛がともなう。
できるなら、やらないですまそうとする。
そういうブレーキも働く。
人間は本来、怠けもの。
が、その(苦痛)を乗りこえなければ、(やるべきこと)は、できない。

 エリクソンは、人生の正午と言われる満40歳前後から、(やるべきこと)の基礎を作れという
ようなことを説いている。
(やるべきこと)を見つけ、その基礎固めをしていく。
それが5年とか10年とかいう年月を経て、その人の中で熟成していく。
何度も書くが、「60歳になりました。明日からゴビの砂漠でヤナギの木を植える」というわけに
はいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、身につかない。

 (やるべきこと)を見つけ、現実にそれを実行していく。
それを「統合性の確立」という。

●統合性の失敗

 私も含めてということになるかもしれないが、こうした統合性の確立に失敗している人は、多
い。
60歳という、年齢の節目に立ってみると、それがよくわかる。

明日は今日と同じ。
来月は今月と同じ。
来年は今年と同じ、と。

 家ですることといえば、テレビを見て、雑誌を読んで、あとは眠るだけ。
たまの休みには、野球中継。
雨の日は、パチンコ。
読むのは、スポーツ新聞だけ。
体のためと称して、畑を借りて家庭菜園。
ときどき旅行をしたり、孫の世話をする。
楽しむことイコール、老後のあるべき姿と考えている人も多い。

 しかしそれこそ、まさに死の待合室に入ったようなもの。
1か月を1日にして、生きるだけ。
1年を、1か月にして生きるだけ。

 そんな人生に、どれほどの意味があるというのか(失礼!)。

●今、40歳前後の方へ、

 エリクソンは40歳と言ったが、40歳では遅いかもしれない。
30歳でもよい。
20歳でもよい。
将来に向けて、統合性の確立のため、今からその下地を作っていく。
それは何も老後のためだけではない。
いつか「私は自分の人生を生きた」という実感を、
自分のものにするため。

 もしこの統合性の確立に失敗すると、老後そのものがみじめになるだけではない。
自分が生きてきたという証(あかし)、さらには足跡まで、無駄になってしまう。
人生も晩年になって、「私は何をしてきたのだ」と思うことほど、苦しいことはない。
(今の私もそうだが……。)
自分の人生を振り返っても、そこには何もない。

 いや、いつの間にか、自分に替わって、別の人間が、それをしている。
私がしたことをしている。
私より、ずっとじょうずにしている。
それはそのまま自己否定へとつながってしまう。

●無私無欲

 (やるべきこと)は、無私無欲でなければならない。
金銭的な利益、名誉や地位のためというのであれば、それは(やるべきこと)ではない。
損得勘定をしない。
仮にその結果として、金銭的な利益を得たり、名誉や地位がもたらされたとしても、それはあく
までも結果。
結果であるから、一喜一憂することもない。
淡々とそれを迎える。

 仕事で忙しい人もいるだろう。
家事で忙しい人もいるだろう。
子育てで忙しい人もいるだろう。
しかしそういう間でも、統合性のための基礎づくりを忘れてはいけない。
それは長くて苦しい道かもしれない。
先にも書いたように、できればやりたくないことかもしれない。
しかしそれでもつづける。

 それがここでいう統合性につながる。

●燃える

 一方、70歳を過ぎても若々しい人というのは、たしかにいる。
私の義兄もその1人。

 先週訪ねたら、そこにピカピカのベンツが置いてあった。
義兄のベンツは、たしか中古だったはず。
しかし、ピカピカ。

 「どうしたの?」と聞いたら、「塗装しなおした」と。
「メッキは磨きなおした。パッチ(ゴム部)は、新品に取り替えた。
シートは、張り替えてもらった」と。

 そして先月(08年12月)は、長野県の奥まで、奥さん(=ワイフの姉)とドライブしてきた、と。
生き様が前向きというか、若々しい。
ゴルフのクラブにしても、自分で設計して、それを業者に作らせたりしている。
趣味はバイクだが、40年前、50年前のバイクを拾ってきては、それを修理して走らせたりして
いる。
「夢は、いつかバイクの展示場をかねた喫茶店を開くこと」と。
年齢は、正確には、今年76歳になる。

 そういう義兄と話していると、こちらまで若返る。
話がはずむ。

●あなたの未来

 あなたの未来を知りたかったら、あなたの両親を見ることだ。
遺伝子学的にも、満20歳くらいまでは、親子といっても、様子は大きくちがう。
が、20歳まで。
満20歳を過ぎると、親子は急速に似てくる。
似てくるというよりは、実際には、同一化する。
子どもが親に似るわけではない。
同一化する。

 子どもである(あなたは)は、「私は親とはちがう」「親のようにはならない」と思っているかもし
れない。
が、それは甘い。
世の中には、「進化論」というものもあるが、それは100代とか、1000代単位で起こることで
あって、あなたの代の1代や2代くらいでは、起こるはずもない。

 40代を過ぎれば、あなたもあなたの両親も同じ。
50代を過ぎれば、さらにあなたもあなたの両親も同じ。

 こんな例がある。

●反面教師は、未来のあなた

 ある女性は若いころから、自分の母親を批判していた。
「私の母は、ずるい」「私の母は、世間体ばかり気にしている」と。
しかしその母親がなくなってしばらくすると、今度はその女性が母親そっくりの人間になってい
た。
こういう例は、いくらでもある。

 こうした世代連鎖は、どうすれば防ぐことができるか。
そこで登場するのが、「精進(しょうじん)」ということになる。
日々の絶え間ない研さんのみによって、こうした世代連鎖を断ち切ることができる。

 たとえばあなたの父親が、インチキな人だったとしよう。
女遊びは、当たり前。
親戚中から借金を重ね、そのつどそれを踏み倒す。
親をだます子はいるが、あなたの父親は、あなたという子をだます。

 あなたはそういう父親を批判する。
父親を反面教師にしながら、自分はそうしないと心に誓う。
「私は父親とはちがう」と言う。
しかし反面教師のこわいところは、ここから始まる。

 反面教師とするのは勝手でも、別のところで別の人格を作りあげないと、結局は、今度はあ
なたがその反面教師そっくりの人間になる。
理由は明白。
あなたはその反面教師しか、知らないからである。
親子のばあいは、さらによく似る。
自分ではそれはわからないが、他人から見ると、それがわかる。

●私のほうが、マシ?

 しかしこんなことも言える
たぶんに自己弁解がましいが、悩んだり苦しんだりするところに、実は価値があるのだ、と。

 統合性の一致にしても、ほとんどの人は、それが何であるかもわからず、悶々とした日々を
送っている。
しかしその(悶々とすること)自体に価値がある。
というのも、少し前、そういうことをまったく考えない人に出会った。
そのとき私が感じた(落差)というか、(驚き)には、格別なものがあった。

 私とて、統合性の確立ができたわけではない。
いまだに、悶々としている。
懸命にさがそうとしている。
が、その男性は、ノー天気というか、統合性の「ト」の字も考えていなかった。

のんき?
無神経?
無頓着?
楽天的?
享楽的?
せつな的?

 しばらくいっしょに話したが、打ち返ってくるものが、何もない。
同じように、人生を60年近く生きてきたはずなのに、何もない。
本当に、何もない。

 そこで私が、「退職後は何をしているの?」と聞くと、「マンションの守衛をしている」と。
マンションの守衛が悪いというのではない。
で、「休みには何をしているの?」と聞くと、先に書いたような答が返ってきた。

「野球中継があるときは、テレビでそれを見て過ごす」
「休みには魚釣り。雨が降ればパチンコ」と。

 本は読まない。
読むのはスポーツ新聞だけ。
音楽は聴かない。
映画も見ない。
あとは孫ができたとかで、ときどき孫の世話をしている、と。

 統合性の確立どころか、その入り口にも立っていない(失礼!)。
だからこう思った。
まだ、私のほうが、マシ、と。

●やってくる老後

 老後は、確実にやってくる。
あっという間にやってくる。
しかも老後というのは、意外に長い。

 60歳から始まったとしても、20年近くある。
幼児が成人するまでの年月に等しい。
しかしこれは、「どう過ごすか」という問題ではない。
「やるべきことをやらないと、死ぬこともできない」という問題である。

 現実に私もその年齢になり、老後の入り口に立って、その恐ろしさを実感しつつある。
仕事がなくなる恐怖。
役目がなくなる恐怖。
だれにも相手にされなくなる恐怖。
こうした恐怖は、そのまま自分をどんどんと小さくしていく。
そんな状態で、この先、20年を、どうやって生きていったらよいのか。
またそんな状態で、生きていかれるはずもない。

 まず手始めに、仕事を失ってはいけない。
どんな小さな仕事でも、それにしがみついていく。
それに町内の仕事にしても、それができるなら、どんどんとしていく。
みなの役に立つ。
みなから、役に立つ人間として評価される。

●私の経験

 これは私の経験だが、私は今にしてみると、1円もお金をもらわなかったのが、うれしい。
40代〜55歳くらいまでは、電話相談に明け暮れた。
それ以後は、無料でマガジンを出したり、無料で相談に応じている。
そのときは、「どうしてこんなバカなことをしているのだ」という思いとの闘いでもあった。
しかしそれが今、少しずつだが、光り始めている。

 もしあのとき、そして今、お金を受け取っていたら、私のささやかな統合性は、その時点で霧
散していただろう。

 もちろん今していることが、(私のすべきこと)とは、思っていない。
しかし私が今、住んでいる世界では、それしか思いつかない。
それこそ「では、これからゴビの砂漠に行って、ヤナギの木を植えてきます」というようなこと
は、私にはできない。
だいたい、その下地がない。
だから、やるしかない。
その先に何があるかわからないが、ともかくも、やるしかない。

●最後に……

 むずかしい話はさておき、朝起きたとき、(やるべきこと)がそこにあるだけでも、うれしい。
感謝しなければならない。

 その(やるべきこと)が、あなたには、あるだろうか。
あればよし。
そうでなければ、あとは自分の心と体に、ムチを打つしかない。
「楽をしたい」という思いはだれにでもある。
が、その(思い)に敗れたとたん、あなたは一気に、孤独の世界へと落ちていく。

 ……ということで、明日からまた新しい週が始まる。
「がんばるぞ」と自分に掛け声をかけて、この話は、おしまい。
どうであるにせよ、私は生きていかねばならない。
今までもそうして生きてきたし、今も生きている。
これからもそうして生きていくだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
老後の生きがい 老後の統合性 統合性の一致 やるべきこと 老後にやるべきこと 老
後の生き甲斐)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『ヒューゴの不思議な発明』

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

夕方になって、ワイフが、こう言った。
「『ヒューゴの不思議な発明』を見に行かない?」と。
昨夜、『戦火の馬』を見たばかり。
「2晩つづけてかア?」と私が聞くと、「浜北へ行けばいい」と。

浜北(浜松市の北区)には、もうひとつ、別の東宝映画劇場がある。
「劇場の問題ではないのだがなア……」と思いながらも、それに従う。
ネットで調べると、午後6時5分、開演とある。
45分しかない……ということで、あわてて車に飛び乗る。

「どうしてわざわざ遠方の劇場へ行くのか?」と、
そんなことを考えながら、車を走らせる。
浜松市内にも、劇場がある。
市内だったら、20分もかからない。

で、劇場へ着いたのが、6時10分。
チケットを買っていると、カウンターの女性が、こう言った。
「今は、予告編です」と。

最近、予告編の時間が長い。
……長くなった。
1回に、5〜6作は、見せる。
時間を計ってみたことがあるが、15〜20分。
つまり6時5分といっても、実際、映画が始まるのは、6時25分ごろ。
あわてる必要はない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ヒューゴの不思議な発明』

 言葉の問題。

「ヒューゴの不思議な発明」というタイトルを見たら、あなたは何を、どう連想するだろうか?
たぶん、こう考えるにちがいない。
「ヒューゴという少年が作った、何か不思議な発明」と。
私も、実は、そう思っていた。

 が、ヒューゴは、実際には何も発明していない。
古い機械人形をフィックスした(=直した)だけ。
つまりタイトルがおかしい。

 そこで原作を調べてみると、「Hugo(ヒューゴ)」となっていた。
ただの「Hugo」だけ。
「ヒューゴの不思議な発明」というのは、「ヒューゴのもっていた」という意味。
つまり所有格。

 主役というより、「柱」は、ベン・キングズレーが演ずるジョルジュ・メリエス。
映画の途中から、私は、同年齢ということもあって、ジョルジュ・メリエスのほうに強くひかれた。
ヒューゴというより、メリエスのほうが主役。
過去の成功や栄華を懸命に忘れようとしている、メリエス。
その部分に強く共感した。

 子ども向けの子ども用映画ということであれば、ヒューゴということになる。
ヒューゴが主役。
そういう意味では、子ども向けのファンタジー映画ということになる。
星は文句なしの、5つ星。★★★★★。
『ネバー・エンディング・ストーリー』と並ぶ、名作と考えてよい。

 また、ジョルジュ・メリエスについては、ほぼ実話ではないかと思われる。
ファンタジー映画の、まさに先駆者。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『ジョルジュ・メリエス

 マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス(Marie Georges Jean M?li?s、1861年11月8日1938年1
月21日)は、フランスの映画製作者で、映画の創生期において様々な技術を開発した人物で
ある。
パリ出身。
「世界初の職業映画監督」と言われている。
SFXの創始者で、多重露光やディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。
もともとはマジシャンで劇場経営者であったが、1895年、同じくフランスのリュミエール兄弟によ
る映画の公開を見て、映画製作に乗り出した。
彼の最も有名な作品は1902年の映画『月世界旅行』である。
題名の通り月へ探検に行く物語だが、1本の映画の中で複数のシーンがあり、物語が存在す
るという、当時としては画期的なものであった』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

●1861−1938

 ジョルジュ・メリエスは、77歳で没していることになる。
本当にパリ鋭気構内で、おもちゃ屋を営業していたかどうかは、知らない。
映画の中では、そのころヒューゴと知りあったことになる。
が、やはり気になるのは、「過去の成功や栄華を懸命に忘れようとしている、メリエス」という部
分。

 彼が手がけていたファンタジー映画は、第一次世界大戦とともに、闇に葬られる。
フィルム(=セルロイド)のほとんどは、再利用され、女性の靴のかかとになったという(映画)。
メリエス自身も、「映画の流行は一過性のもの」と思っていたらしい(映画)。
が、私は、その映画を見ながら、高校時代の恩師、平井孝一先生を思い出していた。
話がぐんと脱線するが、許してほしい。

●平井孝一先生

 私が知りあったとき、平井孝一先生は、70歳を過ぎていた。
75歳前後ではなかったかと記憶している。
美濃市の南、山沿いにあった小さな集合住宅に住んでいた。
本当に小さな集合住宅で、2間ほどしかなかったと思う。
国語の元先生だった。

 私は高校1年から2年まで、その先生から古文を学んだ。
週に1度、先生の家に行き、個人レッスンを受けた。
おかげでというか、当時は全国規模の古文だけの試験があり、私は全国で8位の成績を収め
ることができた。
(受験者数は、全国で30万人前後だったと記憶している。)

 平井孝一先生は、もともと郷里の美濃市出身だった。
実家から150メートルもない、造り酒屋の身内の1人と聞いていた。
その平井先生と縁をつないでくれたのは、母だった。
母が、平井孝一先生に、家庭教師を頼んでくれた。

 それはともかくも、ある日平井孝一先生は、1冊の本を私にくれた。
古語辞典だった。
それには、「平井孝一編」とあった。
私は驚いた。
今とちがい、当時は、「本」というだけで、たいへんな価値があった。
戦時中に印刷されたもので、見るからに疲れた感じの本だった。
が、本は本。
ズジリと重かった。
その平井孝一先生が、ある日、こう言った。

「私はね、岩国高校で、校長をしていたんですよ※」と。

 岩国高校というのは、広島県岩国市にある高校である。
「ほら、錦帯橋(きんたいばし)という橋があるでしょ。学校は、あの橋のそばにありましたよ」
と。

 そのときはじめて、私は、平井孝一先生が、たいへんな人物であったことを知った。
小さな集合住宅に住んでいたから、それまではその程度の人としか思っていなかった。

が、先生は私に古文を教えながら、一言も、それ以外、自慢たらしいことは言わなかった。
自分の過去についても、私に話してくれたのは、2年間で、それだけ。
理由はわからない。
ともかくも、平井孝一先生という人は、そういう先生だった。

(注※……平井孝一先生の略歴・岩国高校ホームページ)
http://www.iwakuni-h.ysn21.jp/soumu/principal/principal.html
岩国高校のホームページによれば、平井孝一先生は、昭和18年4月から、昭和21年3月ま
で、岩国高校で校長をしていたことがわかる。
(昭和24年に、岩国中学から学制改革により、岩国高校となる。)

 映画を見終ってから、家に着くまで、私は平井孝一先生のことを考えていた。
私が大学生のとき、平井孝一先生は亡くなった。
が、私は葬式にも行かなかった。
そういう負い目を感じていたので、私は、ワイフには、平井孝一先生の話はいっさい、しなかっ
た。

●過去

 メリエスにかぎらず、人には、それぞれ重い過去がある。
が、そうした過去が、正当に評価されるということは、まず、ない。
本当に、一部の、しかも本当に運がよかった人だけが、晩年になって、注目を集める。
再評価される。

 平井孝一先生にしても、そうだ。
岩国高校は、江戸時代の(養老館)藩学校から始まる。
岩国高校のホームページによれば、明治13年創立とある。
たいへんな伝統校と考えてよい。
そんな高校の、元校長だった。

 が、郷里の美濃市で、平井孝一先生を知っている人は、ほとんどいなかった。
元高校の教師だったということを知っている人もいなかっただろう。
私の記憶にまちがいがなければ、そのとき平井孝一先生には、子どもはいなかった。
先に書いた集合住宅にも、妻と2人だけで、静かに……というより、ひっそりと暮らしていた。

 ……どうしてだろう?
平井孝一先生には、子どもはいなかったのだろうか。
ふと今、大きな疑念が私の心の中で、渦を巻き始めた。
どうしてだろう?

●平井孝一先生

 郷里の知人に電話をする。
その結果、平井孝一先生は、美濃市内の今廣酒造店の親類の人とわかった。
電話をすると、電話口の女性は、こう言った。
「平井孝一は、うちの親戚の者です」と。

私「昔、お世話になった、林という者です。平井先生の消息を聞きたくて電話しました」
女「はあ、ずいぶん前に亡くなりましたよ」
私「岩国高校で、校長をなさっておられた平井孝一先生です」
女「そうです。まちがいありません」
私「で、先生のことを調べ、原稿にしているのですが、……先生にはご家族の方がいらっしゃっ
たのでしょうか」
女「いますよ。娘さんですが、今年、88歳になられますよ」と。

 平井孝一先生には、娘さんがいた。
私が知りあったころには、すでに39歳だったとうことになる。
現在は、隣町の関市に、住んでいるという。
よかった!

 娘さんが近くにいたということを聞いただけで、ポーッと心が暖かくなった。
ささやかだが、こうして今、平井孝一先生のことを、記録に残すことができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 平井孝一 岩国高校 平井孝一
 美濃市 今廣酒造 今廣酒店 広島県 岩国 岩国中学 はやし浩司 岩国高校 平井孝
一)

●ジョルジュ・メリエス

 もし『ヒューゴの不思議な発明』という映画を見なかったら……。
私はここでジョルジュ・メリエスという人を、もう死ぬまで知ることはなかっただろう。
ただ部分的には、記憶に残っていないわけではない。
あのガラス張りのスタジオにしてもそうだ。
何かの記録映画で、それを見たことがある。
あの『月世界旅行』にしても、何度か見たことがある。

 ただ今回、『ヒューゴの不思議な発明』を見て、見方が180度、変わった。

 若いころ、その映画を見たときには、何というチャチな映画だろうと思った。
そう思った記憶が、映画の内容より、しっかりと残っている。
が、今は、ちがう。
当時の人たちは、100%、あの映画を見て、肝を抜かれたにちがいない。
驚き、笑ったにちがいない。
この私だって、小学3年生のころ、テレビなるものを見て、仰天した記憶がある。
テレビにはカーテンがつけられ、みな、正座してそれを見た。
祖父はこう言った。

「浩司、こちらから向こうが見えるということは、向こうからもこちらが見えるということだ」と。

 祖父は本気でそう信じていた。
だからカーテンをつけた。
正座した。
ついでに言えば、テレビの司会者などに向かって、本気であいさつをしていた。

いわんや、第一次大戦前のフランス。
当時の人の気持ちがよくわかる。
わかるだけに、「チャチ」という言葉は、吹き飛んでしまった。
『ヒューゴの不思議な発明』は、そういう点でも、すばらしい映画だった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ヒューゴの不思議な発明)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     4月 9日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小学1年生に、確率を教える】(Probability Lesson for 1st Graders)
(浜松BW実験教室byはやし浩司)


●今日(はやし浩司 2012−03−01)、
小学1年生に、「確率」を教えてみた。
けっして先取り教育ではない。
基礎の概念から、教えてみた。
(かけ算の九九を暗記させるような教育ではない。念のため!)


結果は、大成功……というより、子どもたちは
簡単にそれを理解した。
教えた私のほうが、驚いた。


そういう子どもの能力を知ると、「算数とは何か?」。
「数学とは何か?」。
そこまで考えてしまう。
あるいは「学校のカリキュラムとは何か?」。
そこまで考えてしまう。


「小学1年生に確率?」と、疑問に思う人は、
ぜひ、このYOUTUBEを観てほしい。
あなたの教育観、子ども観は、確実に変わるはず。
またこの時期、何をどう教えたらよいか、
それがわかるはず。


【小学1年生クラス】(Age 6&7)


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ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【小学2年生クラス】(age 7&8)


<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/OudjrHOZysM?hl=
ja&fs=1" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 小学生に確率を教える 確率論
 確率の概念 はやし浩司 数学 確率 小学1年生と確率)
http://www.youtube.com/watch?v=zlF9n5DPGVU


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【少子化の中で、スポイルされる子どもたち】

【ドラ息子、ドラ娘論byはやし浩司】

●甘やかしと、きびしさ

+++++++++++++

極端な甘やかしと、極端なきびしさ。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもを
ドラ息子、ドラ娘にする。
甘やかしにより、規範そのものが崩れる。
一方、アンバランスなきびしさが、子どもを反抗的にする。

わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、
キレる……。

+++++++++++++

 一方で甘やかす。
子どもに気を使う。
過干渉というよりは、子どもの機嫌を取る。
『子どもをだめにするためには、子どものほしがるものを何でも与えよ』という。
しかしこのタイプの親は、『子どもがほしがる前に、何でも与えてしまう』。

しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。
はじめは、小さなすき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。
(甘やかす)→(ますますきびしく接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくな
る。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。
 
 このタイプの親には、共通点がある。

(1) 溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)

(2) 育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)

(3) 飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)

(4) 視野が狭い(目先のことしか、考えていない)

(5) 見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)

(6) 代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたい)

(7) 親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかない)

 これらの特徴と併せて、

(8)一貫性がない。

そのときの気分で、子どもに甘く接したり、きびしく接したりする。

A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。
一方、母親は派手好き。
裕福な家庭で、生まれ育った。
ほしいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。
近くに祖父母もいて、A君の世話をした。
A君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と考えてい
た。
A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。
いや、するにはしたが、とても手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげ
さに喜んでみせたり、ほめたりした。
「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。
あと片づけをしない、ほしいものが手に入らないと、怒りを露骨に表現するなど。
母親は、そのつど、A君をはげしく叱った。
A君は、それに泣いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。
夫の収入だけでは足りなかった。
A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助を受けていた。
夫には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。
そのためA君の母親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。
そのころすでにA君は、オーバーヒート気味だったが、母親は、それに気づかなかった。
「やればできるはず」式に、A君に、いろいろさせた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。
好き嫌いがはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。
簡単なゲームをさせても、ルールを守らなかった。
そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人に乱暴を繰りかえしたりした。

 人格の完成度が遅れた。
他人の心が理解できない。
自己中心的。
ほかの子どもたちとの協調性に欠けた。
幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれをしたが、そうでないと
きは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。
そのころになると、母親にも乱暴を繰りかえすようになった。
母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。
ものを投げつけることも重なった。
が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。
学校の宿題をするだけで、精一杯。その宿題すら、母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。
今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、多い。
が、何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づくことがないと
いうこと。

『溺愛は、親を盲目にする』。
A君の母親は、ますます献身的に(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに対処で
きる。
アドバイスもできる。
しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたのお子さんには、問題があります」とは、
現実には、言えない。
言ったところで、そのリズム、つまり子育てのリズムを変えることは、不可能。
親にとっても、容易なことではない。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから、はじまっている。
そんなわけで、わかっていても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。
親自身が、袋小路に入り、にっちもさっちも行かなくなる。
が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。
「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。
小学5、6年になるころには、まさに王様。
食事も、ソファに寝そべって食べるようになった。
母親が、そこまで盆にのせて、A君に食事を届けた。
母親は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるものの、結局は、買い与えてい
た。
「機嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。
が、A君の父親は、静かで、やさしい人だった。
家庭のことには、ほとんど関心を示さなかった。
仕事から帰ってくると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶしていた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親がそれに
気づくか、それが大切。
早ければ早いほど、よい。
できれば3、4歳ごろには、気づく。
(それでも遅いかもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。
そのリズムを変えるのは、容易なことではない。
1年や2年はかかる。
あるいは、もっと、かかる。
さらに親自身がもつ、子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。
それこそ行き着くところまで行き、絶望のどん底にたたき落とされないかぎり、親も、それに気
づかない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件そのも
のを、もみ消してしまった。
あちこちを回り、お金で解決してしまった。
また別の子ども(高1男子)は、無免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。
そのときも、母親が、一晩で、事件そのものをもみ消してしまった。

こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。
で、やっとそのころになると、自分の(まちがい)に気づく。
それまでは、気づかない。
ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その1人かもしれない。
が、ほとんどの人は、こういう文章を読んでも、「私には関係ない」と、無視する。
これは子育てがもつ、宿命のようなもの。

 そこで教訓。

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。
責めるべきは、あなた自身。
反省すべきは、家庭環境そのもの。
あなたの育児姿勢。
家庭のリズム。
あなたの人生観、それに子育て観。
 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。
なおるはずもない。
この問題は、そういう問題である。

+++++++++++++++

ドラ息子、ドラ娘について書いた
原稿を、いくつか添付します。
一部ダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++

●子どもをよい子にしたいとき
 
●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。
それを一口で言ってくれ。
私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。
「あんたの本を、何冊も読む時間など、ない」と。
私はしばらく間をおいて、こう言った。
「使うことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。
子どもは使えば使うほど、よくなる。
使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。
それだけではない。
忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。
「日本の子どもたちは、100%、スポイルされている」と。
わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。
そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教
えてくれた。

「ときどきホームステイをさせてやるのだが、料理の手伝いはしない、食事のあと、食器を洗わ
ない。
片づけない。
シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。
朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。
つまり、「日本の子どもは何もしない」と。

反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。
「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝
っている」と。
ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。

自分のことはするが他人のことはしない。
他人は自分を喜ばせるためにいると考える。
ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。
自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。
あるいは自分より先に行くものを許さない。
いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。

目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。
あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。
生活習慣そのものがだらしなくなる。
その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。

他人に対して無礼、無作法になる。
依存心が強い割には、自分勝手。
わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。

ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。
また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。
本当に使わない。
「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。
だから子どもにも生活感がない。
「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。
「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。
あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。
生活への耐性そのものがなくなることもある。

友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。
話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。
そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。
子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。
よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。
そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。
しかしそういうのは忍耐力とは言わない。
好きなことをしているだけ。
幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。
寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。
風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。
そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。
その子どものお母さんは、こう話してくれた。
「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。
こういう子どもは、学習面でも伸びる。
なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っている
こと自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子ども
は伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。
「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。
買物といっても、食材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。
洗濯も今では全自動。
料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされると、かえってじゃま。
テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
親が寝そべってテレビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。
子どもを使うということは、親がキビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをす
ることをいう。
たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。
そしてそれをあなたの子どもが見つけたとする。
そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。
しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省
したほうがよい。
やらせることがないのではない。
その気になればいくらでもある。
食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。
そこで洗わせる。
フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出
る。
庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。
そういう雰囲気で包むことをいう。
何をどれだけさせればよいという問題ではない。
要はそういう子どもにすること。
それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。
子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1)生活感のある生活に心がける。

ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうことをわからせる。
あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るのだ」という意識を
もたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

(4)生活のルールを守らせる。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。

あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグにな
っている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。
チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。
ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。
その金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。
が、それだけではない。
子どもはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。
そしてそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。
たとえば子どもの100円は、おとなの1万円に相当する。
1000円は、10万円に相当する。
親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってか
らの、1万円、10万円に相当する。
「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、
将来どうなるか。もう、言べくもない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買って
あげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。
より高価なものを買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。
あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。
が、これはまったくの誤解。実際には、逆効果。

それだけではない。
ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。
ある子ども(小2男児)は、こう言った。
「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行ってもらう」と。
そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおくれてしまう」と。
その子どもは、「おくれる」と言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分
のステイタス(地位)を守ろうとする。
物欲の内容そのものが、昔とは違う。
変質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てき
た。

援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。
「どうしてそういうことをするのか」という質問に対して、である。
しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。
もっているものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。
あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。
1000円のものだろうか。
それとも1万円のものだろうか。
お年玉には、いくら与えるだろうか。
与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。
それとも、貯金をさせるだろうか。
いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。

どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。
5、6歳の子どもに、1万、2万円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生
や大学生になったとき、あなたは100万円、200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。
つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。
あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめ
たほうがよい。
やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。
そうなればなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。

●ドラ息子症候群

 英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。
要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。
こういう例は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。
あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしな
いのでしょうか」は、ない。
もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小3)は、そんなタイプの子ども
だった。

 口グセはいつも同じ。
「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。
何でもよいのだ。
その場の自分の欲望を満たせば。
しかもそれがうるさいほど、続く。
そして自分の意にかなわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。
約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってないようなもの。
他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。
「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。
そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。
バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。

こうも言った。
「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。
M君の家は昔からの地主で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。
教えることそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっ
とほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。
そうそうこんなこともあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまっ
た。
悪質な万引きだった。
それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という理由で、猛烈な裏工作をし、その
夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。
そして彼が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼ん
でいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。
折ったら、ヒロシはどうする?」と。

そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその
万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった!
 とたん私は彼に飛びかかっていった。
結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を狂ったように責めた。
(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。
が、M君の父親が、私を救ってくれた。
うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。

「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ドラ息子

 ドラ息子かどうかは、早い子どもで、年中児の中ごろ(4歳半)前後でわかるようになる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。
「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。
だから子どもにも生活感がない。
「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。
「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。
友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。
話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。
そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳の
ときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

 で、その忍耐力。
よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。
そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。
しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。
幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。
その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるのが、
その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが
口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、
学習面でも伸びる。なぜか。

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っている
こと自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子ども
は伸び悩む。

●補記(2012−03−02)

 ドラ息子、ドラ娘と評してよい子どもは、少なくない。
もちろん程度の差もある。
が、症状がひどくなると、少しでも自分の意に反したような状況、状態になると、はげしい(かん
しゃく発作)を引き起こす。

 かんしゃく発作そのものは、「家庭教育の失敗」(育児辞典)と、位置づけられている。
私が「失敗」と言っているのではない。
心理学や育児の辞典に、そう書いてある。
(以前、「失敗」と書いたことに対し、「他人の子育てについて、失敗とは何ごとか」と抗議してき
た人がいた。
それであえて、ここでこのように書いておく。)

 突発的に狂乱状態になり、暴れたり、暴言を吐いたりする。
親や先生に向かって暴言を吐いたり、ときには、そのまま家(教室)を出ていってしまったりす
る。

 が、そのとき2つの問題点があげられる。

(1)子ども側の問題

 親が自分の子どもをドラ息子、ドラ娘にするについて、それなりの(原因)があることが多い。
たとえばLD児であったり、自閉症であったりなど。
親がそうした子どもの問題に神経質になるのはしかたないとしても、それがときとして過剰にな
りやすい。
まさに「腫れ物に触れるような育児」を繰り返す。
気をつかい、つねに機嫌を取る。
ほんの少しでも子どもが機嫌をそこねたりすると、「ごめんね」を繰り返す。
(親が、子どもに、だぞ!)
これがもとからあった障害を、複雑化する。

(2)親側の問題

 ドラ息子、ドラ娘は、親の育児姿勢が原因である。
が、その親自身にも問題があることが多い。
情緒的な欠陥、精神的な未熟性が原因となり、過保護、過関心、溺愛へと走る。
子どもに対し、育児姿勢が極端化する。
つまりベタベタの子育てを繰り返す。
これが子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。

 で、私の経験から、こんなことが言える。

 先にも書いたように、ドラ息子、ドラ娘の問題は、子どもの問題ではない。
家庭環境の問題である。
親自身に問題があることもある。
それだけに、「子どもを直す」ということは、容易なことではない。
……というより、不可能。
家庭のリズムそのものを、変えなければならない。

 大切なことは、その前の段階で、それに気づき、子どもをドラ息子、ドラ娘にしないこと。
またそのためには、風通しのよい育児環境をもつこと。
他人の家庭をのぞき、他人の子育てを知る。
意見を聞き、参考にする。
「私の子育てがいちばん正しい」とか、「私の子どものことは、私がいちばんよく知っている」と、
豪語する親ほど、「失敗」しやすい。

 ドラ息子であるか、ドラ娘であるかは、何度も書くが、満4・5歳前後には、はっきりする。
エリクソンが説くところの、幼児期前期(自律期)までの育児環境が、決定的な影響を与える。

 なお指導の場では、ドラ息子、ドラ娘に対しては、「無視する」という方法で、対処する。
相手が幼児や小学生では、叱っても意味はない。
自分を客観的に評価する力そのものが、ない。
そのため本人自身が、それを自覚するということはない。

要するに、「わがままを言っても、無駄」という雰囲気を、少しずつ作りあげていく。
その時期は早ければ早いほどよい。
小学生になってからだと、それがその子どもの性格として定着してしまう。
さらに高学年になると、暴力を伴うようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子 ドラ息子症候群 スポイルされる子どもたち はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 
Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 どら息子 どら娘 どら息
子症候群 わがままな子ども はやし浩司 自分勝手 気分屋 子育ての失敗 はやし浩司 
日本の子ども 子どもは使う ドラ息子の症状 ぜいたく 機嫌)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【弱体化する日本人の精神構造】

●夢

 映画の見すぎかもしれない。
週に1度は見ている。
そのせいか、このところ私が見る夢は、かなりアクション映画ぽい。
今朝は、こんな夢を見た。

 どこかの道を、4輪サンドバギーを、体で押しながら歩いていた。
昔の東海道。
美しい川沿いをしばらく歩いたあと、山道にさしかかった。
その向こうに、なだらかだが、一直線につづいた道が見えた。
長い道で、500メートルはあった。

 が、ふとうしろを振り返ると、1組の親子連れが歩いていた。
1人は母親。
もう1人は、その娘らしかった。
2人とも、着物を着ていた。
私はサンドバギーにエンジンをかけながら、こう思った。
乗せていってあげよう、と。
が、バックミラーを見ると、2人の姿が消えていた。

 追いはぎか何かに、誘拐されたらしい。
私はサンドバギーにまたがり、道を戻った。
案の定、そこで脇道にそれる細道が見つかった。
私はサンドバギーで、その細道を突き抜けた。

 ……しばらく行くと、空き地が見つかった。
古いお堂があった。
先ほど見た2人は、近くの大木に、縄で縛られていた。
私は懐から、ピストルを取り出した。
構えた。
バリバリと連射できる、最新型のピストルである。

 が、そこで見た男たちは、みなやさしそうな顔つきをしていた。
悪党には見えなかった。
穏やかそうな雰囲気で、石の上に座り、みなで何やら話しこんでいた。

「???」と思ったところで、目が覚めた。

●分析

 サンドバギーには乗ったことがない。
ピストルは、オーストラリアにいたころ、何度か使ったことがある。
友人が、射撃の名手で、撃ち方をときどき教えてもらった。
私は夢の中で、タイムスリップしていた。
時は、江戸時代。
あの親子は、江戸時代の人たちということになる。
その親子が誘拐された?

 ……つまりこのあたりに、私の心の問題が隠されている。
ものごとを危機的な状況の中で考えやすい。
こういう感覚を、心理学の世界では、強迫観念という。
それに持病の(?)、不安神経症がからむ。
私がいう「悪夢」というのは、それをいう。

私はほとんど毎日のように、その悪夢で目が覚める。

●週刊現代vs週刊ポスト

 週刊現代(週刊誌)と、週刊ポスト(週刊誌)の、静かな戦争がつづいている。
週刊現代は、ものごとを大げさに書く。
(私は大げさとは思っていないが……。)
3・11震災、それにつづく原発事故。
さらには、都心で予想される直下型地震、さらには経済危機、などなど。
それについて、週刊ポストは、「煽(あお)り雑誌」といって、非難している。
(週刊ポストが、週刊現代を名指しして、そう書いているわけではない。
誤解のないように!)

 煽りか、煽りでないか。
それは「現状」を見ればわかる。
だれも煽られていない。
何も煽られていない。

 むしろこの静けさのほうこそ、不気味。
そこにある危機を、見ようともしない。
あえて目を伏せる。

そういうのを知ると、私はむしろ、もっと煽ってもよいのではと考えている。
日本人はキバを抜かれてしまった。
抜かれた上、その戦い方まで忘れてしまった。
昔は「平和ボケ」と言った。
今は、「NO(脳)みそ化」(はやし浩司)という。
思考力を失ったから、NO(脳)みそ。
自分で考えない。

●菅直人前首相

 あの3・11大震災のあとのこと。
菅直人前首相は、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという。
それが今、問題になっている(?)。
「首相として、ふさわしからぬ行動だった」と。

 が、本当にそうか。
直後、福島第一原発事故が起きた。
それについて、当時官邸では、3000万人の避難計画も考えられていたという。
 
 そんな最中、冷静でいられる人などいるだろうか。
首相という責任ある立場の人物なら、なおさら。
怒鳴り散らしたといっても、自分のために怒鳴り散らしたのではない。
日本という国が、消えてしまうかもしれない。
そういう危機感があったからこそ、怒鳴り散らした。
菅直人前首相を擁護すれば、そういうことになる。

 ものごとは常に最悪のばあいを考えて、行動する。
あとは消去法的に、段階を追い、レベルをさげていく。
医師の診断法に似ている。

 もしあなたが血を吐いたとする。
そのときも、最悪の病気をまず疑う。
がんなら、がんでもよい。
が、それでないとわかれば、つぎの病気を疑う。
それを週刊ポストは、「煽り」というらしい。

●マグニチュード7?

 たとえば東京都心では、マグニチュード7の地震が心配されているという(「週刊現代」)。
だれも「マグニチュード7」という言葉を使っていない。
気象庁ですら、「そんなことは言っていない」という。
「マグニチュード6以上〜」ということで、「マグニチュード7」という言葉が生まれた。
「マグニチュード7」という地震は、最悪の地震である。

 それがもし東京都内で起きれば、東京都は壊滅的な被害を受ける。
「週刊現代」の今週号は、それを特集している。
これも「煽り」ということになる。
が、私はそうは思わない。
『備えあれば、憂いなし』。
ものごとは常に最悪のばあいを考えて、準備する。
アハハと笑っているほうが、おかしい。

●気迫

 話は少し脱線する。

 今日、日本でゆいいつ最後まで残った、半導体メーカーが倒産した。
「とうとう」と書くべきか、「ついに」と書くべきか。
が、私は驚くというより、ある種の無力感を覚えた。
30年以上パソコンとつきあってきただけに、残念でならない。
理由の第一は、韓国のメーカーとの戦いに敗れたこと。

が、こんなことは、10年前、20年前に、わかっていたこと。
迫力そのものが、ちがう。
言うなれば、日本のそれは、殿様商法。
韓国のそれは、無法地帯をいく、荒くれ商法。
もとから気迫がちがう。

●浜松

 私が浜松に移り住んだときのこと。
私はこの浜松では、値段を「値切らない」ことを知って、驚いた。
ものの売買は、定価通り。
売る方も、買う方も、定価通り。
(岐阜のほうでは、「正札(しょうふだ)」という言葉を使う。)
郷里の岐阜県では当たり前の、「駆け引き」すらしない。

 たとえば岐阜県では、こういうものの買い方をする。

私「いくら?」
店「1本、500円」
私「じゃあ、2本で、800円にしてよ」
店「それはきびしい。無理だなア〜」
私「わかった。3本まとめて買うから、1000円にしてよ」
店「……ウ〜ン、まあ、いいでしょう」と。

 最終的には、1本、333円で買い、私のほうの勝ちということになる。

 浜松の人は知らないかもしれないが、これを駆け引きという。

 そういう浜松の人は、ほかの地方から来た人から見ると、おとなしく見える。
みな、そう言う。
つまりこの日本の国内だけでも、これだけ「性質」がちがう。
中国人や韓国人から見れば、日本人は、飼いならされた羊のように見えるかもしれない。

●危機感

 いつも強迫観念をもっている私を基準にするのも、どうかと思う。
が、現在の日本人に欠けるのは、この危機感。
日本全体が、ぬるま湯につかったような状態になっている。
お人好し。
競争すら、しない。

 たとえば夜のテレビチャンネルを、あちこち押してみればよい。
たいていいつもどこかで、韓流ドラマを放映している。
半面、韓国では、日本映画にすら、いまだに規制されている。
先日もどこかのニュースサイトには、こうあった。

「日本人は、韓流スターに、莫大なギャラを払い、竹島占領の手助けをしている」と。

 飛躍した意見のようにも聞こえるが、私にはそういう日本人が、バカに見える。
ホント!

●男児の女児化

 子どもの世界でも、似たような現象が見られる。
以前、こんな子ども(小4男児)がいた。
A君としておく。

 そのA君、見るからに穏やか。
やさしい。
体格はふつう以上だが、歩き方も、どこかナヨナヨしている。
男女の逆転現象が起きるようになって、20年以上になる。
いじめられて泣くのは男児、いじめて泣かせるのは女児。
小学校の低学年児について言えば、今では常識。
そんな中にあっても、A君はさらに、「やさしかった」。

 原因は母親にあった。
過保護と溺愛、それに過干渉が、慢性化していた。
「乱暴な遊びはさせません」
「ゲーム機はもたせません」
「戦いごっこは、禁止です」と。

 一度、おもちゃの刀(プラスチック製)を見せたときのこと。
私が何かを話しかける前に、横にいた母親が、それを先に取りあげてしまった。

 が、そういう母親にかぎって、そのつど、私にこう聞いてくる。
「うちの子、どうでしょうか?」と。
たいていの親は、顔を合わせると、そう聞く。

が、これほど答えにくい質問はない。
私は「何も問題はありませんよ」と、そのつど、答えるしかなかった。
程度の差こそあれ、今、このタイプの子どもが、主流になってきている。

●タイ

 日本人の精神構造が弱体化していると感じたのは、もう20年前も前のこと。
息子と2人で、タイへ行った。
そのとき、それを感じた。

 ここには書かなかったが、その国のもつ緊張感を知りたかったら、兵士を見ればよい。
タイで見た兵士は、みな引き締まった体で、鋭い目つきしていた。
私は帰国直後、浜松の航空ショーを見に行ったのを覚えている。
そこで見た自衛官は、どの人も、ごくふつうのサラリーマンに見えた。
そのときこう思った。
「これではとても、戦争にならない」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
この(以下の)原稿をBLOGに
載せたのは、2010年となっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人の危機意識(日本人の繁栄ボケ)

++++++++++++++++

日本は中国に抜かれて、世界第三位の
経済国になった(GDP)。
しかし国民1人当たりの所得では、
すでにシンガポールに抜かれている。
2020年ごろには、韓国にも抜かれる
だろうと言われている。

恐ろしいのは、その予想時期が、徐々に
早まっていること。
日本が中国に抜かれるのは、2015年
ごろと言われていた。
ほんの1、2年前のことである。
それが今年、つまり2010年に抜かれた。

のんきなエッセイストたちは、「生活の
中身が大切」などと言っている。
中国に抜かれても、韓国に抜かれても、
「大切なのは、生活の質」と。

こういうことばかり言っているから、日本は
どんどんと抜かれていく。
抜かれていくだけではない。
やがて食料の輸入もままならなくなるだろう。

20〜30年ほど前には、「平和ボケ」という言葉を
よく耳にした。
が、今は、「繁栄ボケ」。
「経済ボケ」でもよい。

日本の学校では、いったい、何を教えているのか?
社会科の授業で、何を教えているのか?
日本人がこの「現代」という世界で生き抜くための、
その知識と経験を教えるのが社会科の授業ではないのか。
どうすればこの先、日本が生き延びていくことができるか、
それを教えるのが社会科の授業ではないのか。

つまり日本の教育では、この部分だけが、スッポリと
抜け落ちてしまっている。
つまり危機意識が、まったくない。
愚にもつかないような「知識」だけを、一生懸命、
子どもの頭の中に、詰め込んでいる!

その結果が、今。
今年は去年以上に、就職難という。
学生たちが就職先を求めて、右往左往している。
が、考えてみれば、こんなバカげた世界は、日本を
おいて、ほかにない。

就職先がなかったら、自分で仕事を作ればよい。
それこそリヤカーでも引いて、自分で稼げばよい。
私は、そうしたぞ!
リヤカーを引いて、ある画家の絵を売り歩いたぞ!
つまりそういうたくましさが、ない。
仕事はもらうものと思っている。
与えられるものと思っている。

加えて、「外国へ行きたくない」という若者が多いのには、
驚いた。
日本人全体が、ものの考え方が内向きになってしまった。
こういうときだからこそ、仕事を求めて、ブラジルや
インド、シンガポールへ飛び出して行けばよい。
中国でも韓国でもよい。

飽食とぜいたく。
それに少子化。
日本の若者たちが、キバを抜かれてしまった。
今では天下国家を論ずる若者は、ほとんどいない。
大学生でもいない。

その理由はといえば、すべて教育にある。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。

+++++++++++++++++

今からちょうど10年前、2000年ごろに書いた原稿です。

この中で、1人の女子学生が、つぎのように述べていることに注目してほしい。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(中日新聞投稿欄)と。

+++++++++++++++++

●日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。
(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。
また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。
それはちょうど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。
あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。
若者とて例外ではない。
タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。
そしてそれで白タク営業をする。料金はその場で客と交渉して決める。
そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、それでお金をためる。
さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼ぐ。
最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。
子どもたちとて例外ではない。
私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行った。
そこでその磁石で金属片を集める。
そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。
父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。
が、今の日本にはそれはない。
「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私とこん
な会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、
私「君は何ができる?」、
学「翻訳ぐらいなら、何とか」、
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか
書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、
学「カッコ悪いからいやだ」、
私「なぜカッコ悪い?」、
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。
「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。
もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。
言いかえると、今の日本の若たちを見れば、日本の未来がわかる。
で、その未来。
最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。
このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。
いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれて
しまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。
たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NB
C)。
どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハー
バード大学)。
私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。
そのツケを払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなの
か。
私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとして
いる。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。

日韓米仏四カ国の中高生を対象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をし
ていることが明らかになった。
現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。
学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で
最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニュー
ヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。

「二一世紀は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上
に達したが、日本は三三・八%と際立って低かった。
自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えたが、日本は二三・一%。
学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。
米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。
人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名
誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だ
ったのに対し、米国は七八・八%。
「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七六・四%と米国の方が高かっ
た。
ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要
だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。
将来の夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。
一九八〇年代からの傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10年前

 10年前(2000年ごろ)に私が書いた原稿を、どうか読み直してみてほしい。
そしてそれから10年。
何が変わったか?
日本が、その結果、どうなったか?
そういう視点で、もう一度、読み直してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の危機意識 社会の責任 繁栄ボケ 経済ボケ 危機感 はやし浩
司 タイ ギラギラ 日本人の弱体化)
2010年9月13日記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●希望する職種

 先に日本青少年研究所の調査結果をあげた。
その中にこうある。

「 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。
米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。
人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名
誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった」と。

 この結果を、もう少しわかりやすくしてみる。

【希望する職業】

日本……公務員や看護士
アメリカ……医師や政治家
フランス……弁護士
韓国……医師や先端技術者

【人生の目標】

日本……人生を楽しむ(61・5%)
アメリカ……地位と名誉(40・6%)
フランス……円満な家庭(32・4%)

 これだけ見ても、これからの日本がどうなるか、おおかたの予想がつく。

●今日から3月1日

 さて今日から3月1日。

 今週のレッスンでは、小学1年生と2年生に、「確率」を教えてみる。
教材も用意した。
私の教室(浜松BW教室)でも、確率を教えるのは、はじめての試みである。
子どもたちが、どう反応するか、楽しみ。

 私が知るかぎり、小学1年生と2年生に、確率を教えるのは、私がはじめて。
うまくいけば、明日の年長児(幼稚園児)のクラスでも、試してみたい。

 「幼児に確率?」と疑問に思う人は、ぜひ、「BW公開教室」を見てほしい。
それを見てもらえば、そのレッスンが、どういうものであるか、またどういう意味をもつか、理解
してもらえるはず。
この時期の、こうした教育こそ、重要。
計算練習ばかりしているから、算数はつまらない。
教える方もつまらないが、子どもたちにしても、同じ。
つまらない。

 どうしてこんな「つまらない教育」を、100年1律のごとく、日本は繰り返しているのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の算数教育 はやし浩司 
確率 小学生に確率を教える 弱体化する日本人 はやし浩司 弱体化する日本人の精神構
造 はやし浩司 BW教室 新しい算数教育)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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よろしくお願いします。              はやし浩司
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司    4月 6日号
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選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●オリオン座・ベテルギウス

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

オリオン座にある、ベテルギウスが注目を集めている。
その星が、近く「爆発」するかもしれないという。
(実際には、すでに爆発している?)

星が爆発するのだぞ!

爆発すれば、何と、月ほどの大きさに見られるという。
「壮大な天体ショー」と浮かれている人もいる。
その一方で、その影響で、人類は滅亡すると説く人もいる。
どちらであるにせよ、注目を集めて当然。

そのベテルギウスについて、ウィキペディア百科事典は、つぎのように書いている。

『……2009年時点のベテルギウスは、15年前の測定時と比べると15%も小さくなっており、
しかも加速的に収縮しているらしいことがわかった。
また、2010年1月にはNASAが、ベテルギウスが変型している事を示す観測写真を公開。
ガスが流出し表面温度が不均一になるなど、恒星が不安定な状態にあることが示された。近
年の観測や研究により、その形状は球形ではなく、大きな瘤状のものをもった形状であるとさ
れている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

何やらベテルギウスでは、とんでもないことが起きているらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ベテルギウス

 距離は、640光年(ウィキペディア百科事典)。
640光年とはいうが、銀河系の中でも、隣人のようなもの。
見かけの大きさは、太陽についで、2番目!
(夜空を見あげ、いちばん大きく、赤く輝いている星が、そのベテルギウス。)

『ベテルギウスは、地球からの見かけの大きさ(視直径)が2番目に大きい恒星である(1位は
太陽)』(ウィキペディア百科事典)と。

 ベテルギウスは、実際、巨大な星らしい。

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6784318602/

 

 この写真は、グーグルの「ベテルギウス写真倉庫」に掲載してあったもの。
どこに許可を求めたらよいのかわからなかったので、そのまま使わせてもらった。
詳しくは:http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%99%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%
82%A6%E3%82%B9&hl=ja&rlz=1T4MOCJ_jaJP363JP363&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&
source=univ&sa=X&ei=37pJT4WxN43wmAWlnNCbDg&ved=0CE0QsAQ&biw=1622&bih=949

 太陽の大きさは、左下、豆粒というより、針の先の大きさ。
その太陽と比べると、ベテルギウスは、とてつもなく大きな星であることがわかる。

 この星が、近く(明日〜100万年後)に爆発するらしい。
表面が、でこぼこし、今、加速度的に収縮しているという。
爆発すれば、もちろん太陽や地球にも、大きな影響を及ぼすとも言われている。

MSNニューズはつぎのように書いている。

『……恒星は核融合反応で輝いており、燃料の水素が燃え尽きると一生を終える。
太陽の8倍以上の質量の星は、寿命が近づくと赤色超巨星となり、最期は大爆発を起こして突
然、輝く「超新星」になる』と。

●ガンマ線

 「人類が滅亡する」と説く人たちは、ガンマ線の影響を問題にする。
「強烈なガンマ線で、人類は一瞬のうちに焼き殺される」と。

 この話がデタラメでないことは、NASAが、ベテルギウスの地軸を観測していることでもわか
る。
大爆発を起こしたとき、強力なガンマ線を発生する。
そのガンマ線は、ベテルギウス自体がもつ磁場によって、指向性をもつ。
わかりやすく言えば、ベテルギウスの地軸の傾きを調べれば、どの方向にガンマ線が飛び散
っていくかがわかる。

 で、それによれば、幸いにも、ベテルギウスの地軸は、地球に対して、20度ほど傾いている
という(NASA)。
つまり地球に向かっては、ガンマ線は、飛んでこない。

 が、何といっても、未知の世界。
ガンマ線がまったく飛んでこないとも言えないし、さらに太陽がどのような影響を受けるかとなる
と、まったくの未知数。
すでにその影響を受け、太陽系のほかの惑星の温暖化が進んでいるという説もある。
あるいはすでに太陽が活動期に入っていおり、猛烈な太陽風が地球を襲うという説もある。

 もしそうなったら、人類に逃げる手だてはない。
どこに隠れても、猛烈な放射線で、みな、焼き殺されてしまう……という。

●400キロ先の野球ボール

 では、実際には、どの程度の大きさと考えたらよいのか。
ウィキペディア百科事典には、こうある。

『……ベテルギウスは、400キロメートル離れた所に置いた野球ボールと同程度である』と。

 福島第一原発から東京までが、約200キロメートル。
この浜松市までが、約400キロメートル(以上、直線距離)。

 浜松市から見ると、福島第一原発のところに野球ボールを置いた距離と、大きさということに
なる。
それが、爆発する。

 被害はあるのか?
それともないのか?
たかがボール1個。
……と言いたいが、どうやらそうでもないらしい。

 何でも爆発すれば、月ほどの大きさと明るさになり、しかも昼間でも見えるようになるという。
ふつうの核爆発とは、桁外れに大きな核爆発ということらしい。
となると、「天体ショー」と浮かれているようなばあいでもない。

 かなり深刻!

 ベテルギウス……赤くて不気味な星。
夕方になると、東の空に、ひときわ大きく輝いて見える。
毎晩そこに、そのままあればよし。
爆発すれば、数時間後には巨大な星になるという。
が、そのあと、何が起こるかわからない。

 まことにもって、不気味な星……ということになる。
私もワイフも、夕方になると、いつもそのベテルギウスをまっ先に、見る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ベテルギウス 超新星爆発 オリ
オン座)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●浜松・ダイワ・ロイネット・ホテルにて(はやし浩司 2012−02−26夜)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今夜、『アンダーワールド』という映画を観てきた。
その帰りに、駅前のダイワロイネットホテルに泊まった。
超ハイテクホテル。
ときどき泊まらせてもらっている。
気分転換にはよい。
よい刺激になる。

で、映画『アンダーワールド』は、星1つの★。
あの手の映画は、見飽きた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教材作り

 ポッカリと空いた、日曜日の午後。
とくに予定はなし。
あえて言えば、明日からの教材作り。
小1〜2用の教材が、まだ何も用意していない。
が、今年度分は、予定通り、ほぼすべて消化した。
残るは、「確率」「密度」「空間図形」。

 「小学1年生に、確率?」と思う人もいるかもしれない。
が、心配、無用。
「どちらのクジを引いたら、得かな?」「損かな?」と。
そんなレッスンを展開すればよい。
私のばあい、「確率」という言葉も使う。
遠慮する必要はない。

 「密度」にしても、「どちらが、混んでいる?」「すいている?」と。
そういう切り口から、入っていく。
大切なのは、その糸口というか、概念を種まきの種にように、子どもの脳の中に入れておくこ
と。
1年後には、それが、ちゃんと頭の中で、立派な木に育っている。

 たとえば先月、「平均」を教えた。
それについてある母親から、こんなうれしいメールが届いた。
「うちの子ったら、毎日、平均、平均って、そんなことばかりを話題にしています」と。
小学1年生の女児をもつ母親からのものだった。

●東京

数日前、ほぼ1年ぶりに、東京へ行ってきた。
東京駅で新幹線を降り、タクシーで虎の門(霞が関)まで。
そこで講演。
帰りは、虎の門から新橋まで歩いた。
そこから山手線に乗り、東京駅へ。

 その東京。
大都会。
しかしこの10年、ほとんど変わっていない。
この10年間、あるいは15年間、時計は止まったまま。

その東京。
東京に住んでいる人たちには、たいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかしこう思った。
「こんなところに、住まなくて、よかった!」と。

 負け惜しみでも何でもない。
本気で、そう思った。
ビル、ビル、ビル……。
どちらを見ても、ビル、ビル、ビル……。

 そういう通りを歩いていると、奇妙な孤独感に襲われる。
人がいっぱい、いるはずなのに、さみしい。
どうしてだろう?
すべてが直線的。
縦と横の線ばかり。
やわらかな線がどこにもない。

通りを歩く人たちも、みな、無機質で無表情。
飲み食い屋にしても、それが「ある」というだけ。
いくつかの飲食店をのぞいてみたが、食欲そのものが、わいてこなかった。
作られた店、作られた雰囲気、作られた味……。
田舎ぽい店もあるにはあったが、それが女性の化粧のようにも見えた。

 あとはお決まりの、あの都会臭。
排気ガスとゴミの臭い。
ホコリと飲食店の臭い。

 浜松の家に帰ったとき、すでにあたりは真っ暗だったが、草の匂いがした。
若葉の匂い。
そこに甘ったるい春の気配を感じた。
ほっとした。
「ああ、これでいい」と。

●米朝会談

 数日前、米朝会議が終わった。
が、早々と、韓国の中央日報だけは、「双方が合意。協議は成功」と報じた。
それ以外の報道機関は、「たいした進展なし」と。
どちらが正しいのか?
以後、2日間、会談の内容を追いかけているが、どうもはっきりしない。

 アメリカ側の代表は、デービース北朝鮮担当特別代表。
北朝鮮側は、金桂寛(キム・ケグァン)外務次官。

 成果をあせる、デービース(?)。
それを手玉に取る、金。
その様子をテレビで見て、あのクリストファー・ヒルを、そのまま思い出した。

「私が解決してみせます」と、自ら名乗り出た、ヒル。
聞くところによると、クリントン国務長官(当時)に、直接自分を売りこんだという。
結果は、どうだった?
北朝鮮に、よいようにもてあそばれただけ。

ヒルがしたのは、北朝鮮に、現金と原油、食料と音楽(ニューヨークフィルのピョンヤン公演)を
与えただけ。
それに何よりも痛かったのが、「時間」。
その時間を与えてしまった。
その間に、北朝鮮は、核兵器を完成させてしまった。

 が、今回は、やや事情が異なる。
平たく言えば、日本は、まったくのカヤの外。
中国は、さらに北朝鮮寄りになった。
たぶんアメリカは、北朝鮮に、こう言っているにちがいない。

「日本から、たんまり現金を取ってやるから、ここはアメリカの要求に応じなさい」と。

 核開発問題についても、日本や韓国が求めるのは、「完全廃棄」。
かたやアメリカは、「凍結」。
 こういうのを、「頭越し外交」という。
が、アメリカにしても、日本のご機嫌を取る必要は、もうない。
自国の利益、第一。
つまり核兵器さえ拡散しなければ、それでよい。
極東アジアの緊張にしても、緊張が高まれば高まるほど、アメリカには利益がある。
中国にしても、そうだ。
北朝鮮がもつ核兵器など、痛くもかゆくもない。
その気にさえなれば、1日で、北朝鮮を焦土と化すことができる。

 では、日本はどうすべきか?

 日本に発言権が与えられないなら、日本は6か国協議から離脱する。
それくいらいの覚悟をもつ。
北朝鮮は、どんなことがあっても、核兵器は手放さない。
核兵器あっての、金王朝。
言うなれば、独裁政権を守る本尊。

 ……というのは、書き過ぎ。
よくわかっている。

ただ、今のままでは、この閉塞感を打破することはできない。
日本は、逃げ回るだけ。
が、それだけでは、問題は解決しない。
もちろん専守防衛。
しかしやるべきときには、やる。
その覚悟を示す。

 「日本は6か国協議から離脱する。日朝協議は別枠で必要に応じてする」と。

 最後に一言。

いざとなったら、アメリカが日本を助けてくれると思っている人は、多い。
しかしアメリカ人に、そんな気は、最初から微塵(みじん)もない。
ないことは、少しでもアメリカ人とつきあったことがある人なら、わかるはず。
(アメリカ人は、そんなお人好しではないぞ!
「トモダチ作戦」なんかに、惑わされるな!)

が、アメリカ本土が攻撃されれば、話は別。
……と書きたいが、北朝鮮だって馬鹿ではない。
そんなことはしない。
そのための「米朝友好条約」。
「アメリカ本土が攻撃されなければ、アメリカは北朝鮮を攻撃しません」と。
北朝鮮の最終目標は、それ。
つまり米朝友好条約。
が、そんな友好条約が結ばれたら、日米安保条約は、そのまま死文化する。
日本は孤立無援。

 ア〜ア!

●宇宙人

 今日も、ワイフと宇宙人の話になった。
今度、またそういう映画がやってくる。
題名は『バトルシップ(Battleship)』。
楽しみ。
それでまた宇宙人の話になった。

 が、どんな宇宙人であるにせよ、地球へやってくるような宇宙人は、人間など相手にしない。
科学力も、けた外れに違う。
彼らがもつ宇宙船にしても、母船は地球程度の大きさがあると思ったほうがよい。
太陽の中にだって、平気で出入りできる。

 そういう宇宙人にすれば、人間など、取るに足りない「動物」のようにも見えるかもしれない。
よく言っても、猿、悪く言えば、ネズミ。
逆に人間は、彼らそのものが、理解できない。
姿を見ても、その姿さえ理解できないだろう。
あまりにもちがいすぎる。

 言うまでもなく、科学力と武器の破壊力は、比例する。
つまり彼らは、想像を絶するような武器をもっている。
ひとたび使えば、太陽だって破壊できる。
言い換えると、それだけの科学力があるということは、それだけの自己規制力があるというこ
と。
自己規制力がないまま、科学力をもったら、自滅、あるのみ。
今の北朝鮮を見れば、それがわかるはず。

 ……だから、人間と宇宙人が戦争をする?
そんなことは、ふつうの常識で考えても、ありえない。
ありえないが、おもしろい。

次回は、『バトルシップ』。
かならず見る。

●団塊の世代

 団塊の世代の人たちは、まだ気がついていないかもしれない。
このところ団塊の世代に対する、風当たりが強くなってきている。
「ジジババ・ゴミ論」などという、生やさしいものではない。
「団塊の世代・害悪論」まで、飛び出している。
2チャンネルに、こんな書き込みがあった。

 「あいつ(=あるタレント)も、団塊の世代だろ」
 「いちばんいい時代を、ノーノーと生きた連中だ。苦労を知らない」
 「いい気なもんだな。日本をめちゃめちゃにしやがって」と。

 意識というのは、恐ろしい。
ものの見方、考え方が、私たち団塊の世代と、180度ちがう。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「団塊の世代は、もっと発言すべきよ。若い人たちに、そうでないと、しっかりと言うべきよ」と。

 しかし残念ながら、今の若い人たちには、それを聞く耳すら、ない。
以前、私が自分のBLOGに、こう書いたときのこと。

「ぼくたちの世代は、就職と同時に、みな、給料の半分を実家へ送った」と。
それに対して、千葉県に住む若い父親は、こう書いてきた。

「阿呆(あほう)」という題名だった。
いわく、「そういうことで、息子や娘をしばることこそ、家族崩壊だ。ぼくは自分の息子や娘に
は、そういうことはさせない」(EH氏)と。
 
 誤解がないように、言っておく。

 私自身は、結婚前から、収入の約半分を実家へ送った。
45歳まで、それを欠かさずつづけた。
27歳を過ぎるころから、法事などの諸費用も、すべて負担した。
実家の立て直し費用も、すべて負担した。

 そういう立場で、息子たちには、同じような苦労はさせたくないと思ってきた。
学資にしても、惜しみなく、……言われるまま、全額負担してきた。
その一方で、子どものころ、貧乏の怖ろしさを、いやというほど経験している。
息子たちにはそういう思いをさせたくないと願ってきた。

 が、こうした思いは、戦後生まれの団塊の世代なら、みな、もっている。
程度の差はあるだろうが、みな、もっている。
だからがんばった。
彼らが言うところの「家族」を犠牲にしたかもしれないが、がんばった。
がんばるしかなかった。
が、それに対して、最近の若い人たちは、こう言う。
こう言って、吐き捨てる。
「自業自得」と。

 ……この先、「風当たり」は、ますます強くなる。
弱くなることは、ありえない。
飽食とぜいたくの中で、自分を見失ってしまった。
最初から、すべてがそろっているのが、当たり前。
そこに食べ物やモノがあるのが、当たり前。
その世代の、そういった意識を変えるのは、容易なことではない。 

●私たちの責任

 その一方で、私たちの世代にも、責任がないとは言わない。
私ももうすぐ65歳になる。
が、同年齢の仲間たちをながめても、公務員と一般会社員との間に、こうまで「差」があると
は、思ってもいなかった。

 公務員だった連中は、今でも、準公務員として、天下り先で仕事をつづけている。
(もちろんそれぞれの公務員の人に、責任があるわけではない。
制度がおかしいと私は言っている。)

一般企業に勤めた連中は、50歳を過ぎるころから、つぎつぎとリストラ。
子会社、孫会社へ転職できた連中は、まだよいほう。
たいていはそのあと、職安で職をさがしながら、2〜3年ごとに転職。
その繰り返し。
「60歳、定年制」などというのは、まさに絵に描いた餅。

 退職金にしても、公務員だった連中は、2700〜3000万円(「おいしい公務員」(週刊ダイア
モンド(11−10−15)※。
一般会社員については、おおむね、その半額。……それ以下。
今日、大阪市の橋下市長は、バスの運転手の給料をさげると言い出した。
それをそのままここに転載する。

『……大阪市の橋下徹市長が現業職員の給与を民間並みに引き下げるよう指示したのを受
け、市交通局が、市バス運転手の給与を4割弱カットすることを盛り込んだ職員給与規定の改
定案をまとめたことが26日、明らかになった。
4月からの実施を目指すが、改定には労使間の妥結が不可欠で、難航が予想される。

 交通局によると、市バス運転手の平均年収は、関西の同業5社(544万円)より3・5割高い
739万円。
一方、市バス事業の経常損益は28年連続の赤字で、累積赤字は平成22年度決算で過去最
高の604億円に達している』(MSN・2012・02・26)と。

 この事実の中に、現代社会の矛盾が集約されている。
累積赤字が604億円もありながら、給料だけは、民間より、35%も高額。

 こうした矛盾に対して、私たち団塊の世代は、何をどう行動してきたのか。
「自分さえよければ、それでいい」「今だけ、何とか、うまくすり抜ければそれでいい」と。
そういうずるい生き方を容認してきたのは、ほかならぬ私たち団塊の世代ではないのか。

 ともあれ、悲惨なのは、蓄財に失敗した個人事業主。
退職金ゼロ、年金ゼロ、貯金ゼロ……。
死ぬまで日銭を稼いで、生きていくしかない。

(注※……退職金)
 『例 北海道富良野町……3408万円、埼玉県朝霧市……3046万円、ほか』(週刊ダイア
モンド誌調べ)

●ニヒリズム

 最近、私は、ときどきこう思う。
「まあ、日本も、やがて行き着くところまで行くしかないのでは……」と。
どうしようもないというか、どうにもならない。

 もっとも若い人たちだって、生活は苦しい(?)。
韓国の朝鮮日報に、こんな記事が載っていた(2月26日)。
日本の現状と、たいへんよく似ているので、驚いた。

『……雇用と所得を増やすための韓国政府の積極的対応が求められるが、韓国社会の消費
形態を見直す必要もある。
借金をしてでも他人がしていることをしなければならないというのが、最近の消費形態だ。
結婚、マイホーム、子どもの教育を目的に借金をして、その返済に苦しむ人を指して、「ハネム
ーンプア」「ハウスプア」「エデュ(教育)プア」という新語が相次いで生まれた。
そして、老後の準備ができないまま定年を迎えると、「シルバープア」に転落す』と。

 「シルバープア」?
うまいこと言うね。
ホント!
これからは、この言葉を使わせてもらう。
「シルバープア」。

●シルバープア

 同じ貧乏でも、若いときの衝撃度は、10。
それがシルバーになると、100になる。
(数字で表しても、意味はないが……。)
先がない分だけ、深刻度は大きい。

 が、本当にこわいのは、心がむしばまれること。
心の豊かさや、余裕が消えるだけではすまない。
ものの考えかが、卑屈になる。
いやらしくなる。
ひがみやすく、じけやすくなる。
グチやイヤミが多くなる。
自分では気がつかないまま、そうなる。

 先日、ある知人(女性、55歳くらい)と、たとえばこんな会話をした。

私「……やっと今度、プリウスに乗り換えました」
知「うちなんか、軽よ、軽」
私「何とかがんばって、これからも仕事をつづけます」
知「うちのダンナなんか、倉庫番。万年、倉庫番」
私「楽しみは、温泉へ入ることです」
知「温泉……? もう4年も、旅行してないわ」と。

 自ら、人生の脇道にそれていく。
心の豊かさは、お金(マネー)では買えない。
が、お金(マネー)がない状態で、心の豊かさを維持するのは、簡単なことではない。

●思考回路

 脳みそは、加齢とともに、柔軟性をなくす。
わかりやすく言えば、思考回路が、硬直化する。
早い人で、30代から、そうなる。
40代になると、さらにそれがはっきりしてくる。

 たとえば仕事。
30代を過ぎると、転職がむずかしくなる。
40代になると、さらに転職がむずかしくなる。
たとえばそれまで、バスの運転手をしていたとする。
決めたれた時刻に、決められた路線を走っていたとする。
そんな仕事を10年とか、20年していたとする。

 そういう人が、その仕事をやめ、別の仕事に就くのは、たいへんむずかしい。
「明日から、事務職を……」というわけにはいかない。
それが思考回路。

 人は、ひとつの仕事をしながら、その分野では、専門的になる。
が、同時に、そのほかの部分を切り落としていく。
その「切り落としていく」という部分が、怖い。

そのため、自分の専門分野以外の仕事が、できなくなる。
無理をすればできなくはないが、その分だけ、大きなストレスを覚えるようになる。
実際、50歳を過ぎると、そのため分野の違う世界への転職は、不可能と考えてよい。

 私の知人は、それまで国鉄の工場で働いていた。
で、55歳で定年退職を迎え、その翌月から、市内のY楽器工場で働くことになった。
が、たった1日で、やめてしまった。
「あんなきつい(=きびしい)仕事は、わしにはできん!」と。
現在、85歳だが、以後、1日とて、外で働いた経験はない。

 その思考回路。
私にも、ある。
(もちろんあなたにも、ある。)

 では、どうすれば脳みその柔軟性を保つことができるか。
方法は、「環境適応能力」を、逆に利用する。
つまり自ら、ちがった環境の中に、自分を適応させていく。
わかりやすく言えば、「刺激」。
さらに言えば、「好奇心」と「行動力」。
もっとも効果的なのは、若い人たちと接触すること。
たとえば昨日も、こんなことがあった。

 ある中学生の机を見ると、見慣れない道具があった。
「何、これ?」と聞くと、「テープのりだよ」と。

 テープのり?

 珍しそうにそれを手に取りながめていると、ほかの中学生たちがこう言った。
「みんな知っているよ」「みんなもっているよ」と。

 で、私もひとつ買ってみることにした。
「今度、ぼくも買ってくるよ」というと、1人の中学生が、「いいよ、ぼくのをあげるから」と。
(もちろんその申し出は、断ったが……。)

 こうしてまた私の思考回路が、ひとつ訂正された。
仕事がら、のりを使うことは多い。
テープのりなるものを知らなかったら、20年前、30年前のままの(のり)を使いつづけていた。

 こまかい話を書いたが、こうして自分の脳みそを刺激する。
柔軟にする。
小さな、日々の積み重ねこそ、大切。

 思考回路……それがあるから、ほとんどの仕事は、楽にできる。
が、同時に、その思考回路があるがゆえに、脳みそは硬直化しやすい。
ときには、その思考回路を、自ら破壊してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

思考回路について書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【常識の壁】

●思考のパターン化(思考回路の形成)

+++++++++++++++++++++++

同じことを繰り返す。
繰り返していると、やがて脳みそは、やがてそれを
パターン化する。
パターン化して、そのまま脳の中に叩きこむ。
これを「自動化」という。

たとえばコップを手に取り、お茶を飲む。
そのとき、手でどのようにコップを握るか、
それをいちいち考えてする人はいない。
手は自動的に動き、コップを手にし、それを
口に運ぶ。
これが自動化である。

もう少し複雑な自動化としては、タイピングがある。
パソコンに向かって、キーボードを打つときを、思い浮かべて
みればよい。

私もこうして文字をパソコンに向かって、キーボードを
打つとき、どこにどのキーがあるか、いちいち考えて打たない。
短い言葉なら、指がまとめて動く。

「まとめて」というのは、たとえば「言葉」と打つとき、
何も考えなくても、「KOTOBA」と、一気に指が動く。
「K」「O」「T」……というように、ひとつずつの
キーを意識して打つわけではない。

だからふつう、口で話すよりも速く、文字を打つことができる。
この自動化のおかげで、私は、能率よく、かつ無駄なく、自分の
仕事をこなすことができる。

++++++++++++++++++++

●思考回路

 ある作業を繰り返していると、脳はそのパターンを認識し、それを記憶する。
脳の中に、一定の回路をつくる。 
そうした回路のうち、作業に関する回路は、手続きが記憶されるという意味で、「手続き記憶」
とも呼ばれている。
わかりやすく言えば、頭が覚えるのではなく、体が覚える。
(本当は、頭が覚えるのだが……。)

 たとえばここに書いたタイピングにしても、最初は、一本の指だけでパチン、パチンと
打つ。
が、慣れてくると、カチカチと打てるようになる。
さらに練習を重ねていくと、キーボードを見なくても、文字が打てるようになる。
同じような現象が、「思考」についても、起きる。

 たとえば何かの問題にぶつかったとしよう。
そのとき私たちは自分のもつ思考回路に沿って、ものを考え、問題を解決しようとする。
たとえば暴力団の人は、(暴力)という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。
(多分?)
お金や権力のある人は、お金や権力という手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。
(多分?)
私のばあいは、ものを書くのが好きだし、「ペン」の力を信じている。
だからものを書くという手段を念頭に置いて、問題を解決しようとする。

 人それぞれだが、さらに中身をみていくと、興味深い事実に気がつく。

●常識(?)

 それぞれの人には、それぞれの(糸)が無数にからんでいる。
過去の糸、生い立ちの糸、環境の糸、教育の糸、人間関係という糸、などなど。
そういう無数の糸にからまれながら、その人のものの考え方、つまり常識ができあがって
いく。

 アインシュタインは、「その人の常識は、18歳くらいまでに完成される」というようなことを書き
残している。

「18歳」という年齢にこだわる必要はないが、かなり早い時期に完成されることは事実
である。
そしてその常識は、一度形成されると、よほどのことがないかぎり、生涯に渡ってそのま
ま、その人のものの考え方の基本となる。
 たとえばY氏(67歳)は、ことあるごとに、「お前は、男だろが!」「お前は、長男だろが!」「何
と言っても、親は親だからな!」とか言う。

そういう言葉をよく使う。

何か問題が起こるたびに、そう言う。
それがY氏の常識ということになる。
そうした常識は、ルーツをたどっていくと、かなり若いころまで、さかのぼることができ
る。

Y氏は、若いころ、「親絶対教」として知られる、M倫理団体の青年部員として活躍していた。

●思考回路への挑戦

 私が自分のもつ思考回路を疑い始めたのは、オーストラリアに留学していたときだった。
もちろんそのときは、「思考回路」という言葉すら、知らなかった。
そのことを書いたのが、つぎの記事である(「世にも不思議な留学記」(中日新聞発表済み))。
 この中で、私は、私たちがもっている職業観ですら、環境の中で作られていくものだと
いうことを書きたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。

そこで私が「おめでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブ
タの仕事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。
彼は「ブタ」という言葉を使った。
あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識
そのものが、日本人のそれとはまったくちがっていた。
同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内で、と考えていたようだ。

また別の日、フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入
るのか」と。

「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍
隊になぜ入らない」と、やんやの非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。
軍人になることイコール、出世を意味していた。マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区が
あった。
軍人の場合、下から二階級昇進するだけで、家つき、運転手つきの車があてがわれた。
またイソロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英
雄だった。
これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になった
という暗い歴史がある。

 そして私の番。
ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。
「ヒロシ、もうそんなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。
私はことあるごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言って
いた。
ほかに自慢するものがなかった。

が、国変われば、当然、価値観もちがう。
私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえ
ば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと信じてい
た。
しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。
時まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 で、帰国後、私は大阪に本社を置く、M物産(当時は、東京と大阪の2本社制を敷いて
いた)に勤めるようになった。
そこで私は、ある日、こんな実験をした。
今にして思えば、それが、私が意識的にした最初の、思考回路への挑戦だったと思う。
私は自分の思考回路を、変えてみたかった。

 それについて書いた原稿が、つぎのもの。
少し余計なことも書いているが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。わざと、ふつうでないことをして、自分の心がどう変化
するのを、観察する。
若いときは、そんなことばかりしていた。私の趣味のようなものだ
った。

たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗るな
ど。
あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。
一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。
しかし私の考え方を大きく変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。
帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。
そのときのこと。
あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。
その通路を歩いていると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。
するとみな、一斉に走り出した。
私も最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。

しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。
寮は伊丹(いたみ)にあったが、私を待つ人はだれもいなかった。
そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。
それだけではない。
プラットホームについてからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り
過ごしてみた。

それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人
が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。
当時はまだコンピュータはなかったが、乗車
率が、130〜150%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。
そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。
「早く楽になろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だ
が、愚かな生き方の代名詞にもなっている格言である。

その電車に飛び乗る人がそうだった。
みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗る。
が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。

 ……それから35年あまり。
私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高度成長期をがむしゃらに生きてき
た。
人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられるような人生だった。
どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。
しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。
やっとヒマになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になって
いる。

私とて、そういう部分がないわけではない。
こう書きながらも、休息を求めて疲れるようなことは、しばしばしてきた。
しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ごろはもっと後悔しているかもしれない。

そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社をや
めるきっかけのひとつになったことは、まちがいない。

【補記2】

 やはり、「♪のんびり行こうよ……」は、いい歌です。
私は何度も、この歌と歌詞に救われました。
小林亜星さん、そしてそのコマーシャルを流してくれたM石油さん、ありがとう。

 そうそうそのM石油。
一度、入社試験を受けたことがあるんですよ。
学生時代の話ですが……。
そのあとM物産に入社が内定したので、そのままになってしまいましたが……。
ごめん!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話は前後するが、私はこんな経験もした。

私の思考回路に、強烈な刺激を与えた事件だった。
同じく『世にも不思議な留学記』の中で、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●たった一匹のネズミを求めて(そのネズミになる)

●牧場を襲った無数のネズミ

 私は休暇になると、決まって、アデレード市の近くにある友人の牧場へ行って、そこで
いつも一、二週間を過ごした。
「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場で、彼の牧場だけでも浜松市の市街
地より広い。
その牧場でのこと。

ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波がさざめくように、波うっていた!
見ると、おびただしい数のネズミ、またネズミ。
……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹いるかいないかという程度。
しかも、それぞれのネズミに個性があった。
農機具の間で遊んでいるのもいたし、干し草の間を出入りしているのもいた。

あのパイドパイパーの物語に出てくるネズミは、一列に並んで、皆、一方向を向いている
が、そういうことはなかった。

 が、友人も彼の両親も、平然としたもの。私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そんなこと
をすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。
農薬は羊の健康にも悪い影響を与える。
こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い保障制度が発達している。

そこで私たちはネズミ退治をすることにした。
方法は、こうだ。
まずドラム缶の中に水を
入れ、その上に板切れを渡す。
次に中央に腐ったチーズを置いておく。
こうすると両側から無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、水の
中に落ちた。
が、何と言っても数が多い。私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、それこそ
絶え間なく、すくい出さねばならなかった。

 が、三日目の朝。
起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。
友人に理由を聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向か
ったかのどちらかだ」と。
伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、即座には信じられなかっ
た。

移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。
ネズミには、どれも個性があった。

そこで私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。
が、ネズミはお
ろか、その死骸もなかった。
一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがしたが、一匹もいなかった。
ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。

●人間にも脳の同調作用?

 私の研究テーマの一つは、『戦前の日本人の法意識』。
なぜに日本人は一億一丸となって、戦争に向かったか。
また向かってしまったのかというテーマだった。
が、たまたまその研究がデッドロックに乗りあげていた時期でもあった。
あの全体主義は、心理学や社会学では説明できなかった。

そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。
そこで私は、人間にも、ネズミに作用したような「力」が作用するのではないかと考えるようにな
った。

わかりやすく言えば、脳の同調作用のようなものだ。
最近でもクローン技術で生まれた二頭の牛が、壁で隔てられた別々の部屋で、同じような行動
をすることが知られている。
そういう「力」があると考えると、戦前の日本人の、あの集団性が理解できる。……できた。

 この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。
それは私自身のことだが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。
「一匹ぐらい、まったくちがった生き方をする人間がいてもよいではないか。皆が集団移動をし
ても、私だけ別の方角に歩いてみる。
私は、あえて、それになってやろう」と。

日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思考回路 

 何度も書くが、思考回路そのものは、「悪」ではない。
思考回路があるからこそ、私たちは日常の生活の中で、ものごとをスムーズに作業し、ものご
とをスムーズに考えることができる。
手続き記憶を考えてみれば、それがわかる。

 しかしこの思考回路は、ときとして、新しいものの考え方に対して、壁となって立ちはだかるこ
とがある。
新しいものの考え方を取り入れるのを、じゃまする。
それだけではない。

その返す刀で、新しいものの考え方を、「まちがっている」と排斥してしまうことがある。
ときにはそれがその人の全人格的な思考回路になっていることがある。
たとえば「義理・人情」とかいう言葉をよく使う人がいる。
そういう人は、何かにつけて、この言葉に固執する。

 そういう人がそれまでの思考回路を変更するということは、その人自身が自分の過去、つま
りそれまで生きてきた人生そのものを否定することに等しい。
その分だけ、衝撃が大きい。
だからよけいにはげしく、抵抗する。
「オレは、義理・人情に命をかける」と。
 ……というような経験は、日常生活の中でもよくする。
 そこで2つのことを提案したい。

(1)常に新しい思考回路が組み込めるように、心の中に余裕(ROOM)を作っておくこと。
(2)常に新しい思考回路をもった人と接する機会を、大切にすること。

 つまり自分がもつ常識は、絶対的なものでないと、いつもどこかでそれを疑う。
一度思考回路ができてしまうと、『類は友を呼ぶ』のことわざ通り、人は居心地のよい世界を求
めて、集まる傾向がある。

暴力団の人は、暴力団の人どうし。
ドクターの人は、ドクターの人どうし。
さらには老人の人は、老人の人どうし、と。
が、これは思考回路を固定化するという面で、危険なことでもある。

 私は個人的には、子どもと接するのがよいと思うが、みながみな、そういう機会がある
というわけではない。
子どもたちの思考回路は、いわば白紙の状態。
その(白紙)を見ながら、私たちは自分の思考回路に(色)がついていたり、あるいは(汚れて
いることを知ったりする。

 ……ということで、思考回路について、考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 思考回路 手続き記憶 手続き的知識 常識の破壊 常識への挑戦 はや
し浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 思考回路)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●年中児に教える(記憶→数遊び)

 4〜5歳児を教えてみる。
このビデオを通し、つぎのことがわかってもらえればうれしい。

 この年齢の子どもは、すでに自ら「伸びる力」をもっている。
私が伸ばすのではない。
私が教えるのでもない。
自らもっている。

で、私がすることは、そういう「力」をうまく誘導し、引き出すこと。
英語では『灯をともし、引き出す』という。
教育(Education)の語源にもなっている。

 子どもたちの発する会話の中に、そんな「力」を感じ取ってもらえれば、うれしい。

 なお子どもは、段階ごとに、適齢期というのがある。
その適齢期をのがすと、あとあと数の力を身につけようとしても、いまくいかない。
(たとえば小学校へ入学するころには、明確な「差」となって現れる。)
4〜5歳がいかに重要な時期か、とくに数の力についてはそうである。
それもわかってもらえればうれしい。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日記 はやし浩司 2012−02−29

●E社の倒産

 数日前、半導体メーカーのE社が倒産した。
(「倒産」という言い方は、正確ではないが……。)
突然の倒産だった。
ある経済サイトは、「いきなり直球を受けたような感じ」と表現していた。
かなりの「突然」だったらしい。

 で、その際、E社の株を、信用買いしていた人が、甚大な損害を被(こうむ)ったという。
そのほとんどが、個人投資家だったという。

E社の株価は、今年に入り、」300〜400円前後を推移していた。
それが200円台にさがった。
そこで個人投資家(経済サイト)たちは、このときとばかり、株を買い始めた。
多くは信用買い。

●信用買い

 信用買いというのは、その金額分の損をするまで、株数をもてるというもの。
平たく言えば、証券会社からお金を借り、それで株を買う。

「株式用語解説サイト」には、つぎのようにある。

『……自分の手持ち資金以上の買い付けができるようになること。
証券会社に委託保証金として預けている現金(株券で代用することも可)を担保にして、株式
の買付代金を融資してもらう。
委託保証金率が30%であれば、手持ち資金の約3倍の金額まで株式が買える。
つまり、30万円の保証金で、100万円までの取引が可能』(同サイト)と。

 たとえば株価1万円の株であれば、100万円では、100株しか買えない。
信用買いをすれば、たとえば300株とかもてる。
株価があがれば、3倍の利益。
反対にさがれば、3倍の損。
損金が100万円を超えるまで、その株をもつことができる。

 が、損金が100万円を超えたらどうなるか?
証券会社はこう言ってくる。
「放棄しますか、追い証(追加証拠金)を入れてくれますか」と。
追い証を入れなければ、100万円はパーとなる。
証券会社は、その時点で、預かっていた株を売りさばく。

 が、その株が、突然、0円になったら!
証券会社が売りさばく間もなく、0円になったら!
一次的には証券会社が、損失を被ることになる。
が、当然、その損失は、株主が負担することになる。
今回のE会社の倒産の裏では、そんなことが起きた。

●被害

 が、いったいいくらの損が出たのか。
どれくらい多くの人が、損を被ったのか。
はっきりとしたデータはまだ出ていないが、Bloombergは、つぎのように伝える。

『……東証データから算出した信用買い方の懐事情を示す評価損益率は、17日時点でマイナ
ス10・29%と、東日本大震災発生直前の昨年3月4日(マイナス7・33%)以来の水準まで回
復していたが、今回のエルピーダ・ショックで回復の流れが水を差される可能性も浮上した』
と。

 「回復の流れが水をさされた可能性もある」と。
つまりそれくらい多くの投資家が、多額の損害を被ったことになる。

 おおざっぱな計算をしてみよう。

 E社は、今年に入って、300〜400前後で株価が推移していた。
それが最近になって、280円前後にさがった。
「E社がつぶれるはずがない」と見込んでいた個人株主たちは、「買い時」と判断した。
「このときぞ」とばかり、ワーッと、E社の株を買い込んだ。

 280円の株を、1万株買えば、280万円。
委託保証金率を30%にすれば、3・3倍の株数を買うことができる。
つまり280万円で、3万株。
10円上がれば、30万円のもうけ。
反対に10円下がれば、30万円の損。
90円下がれば、270万円の損。
(この時点で、証券会社から、ふつうなら「どうしますか」という電話が入る。
あるいは追い証を求められる。)

 が、今回E社のばあい、280円から一気に0円にまで、株価が下がってしまった。
売り逃げる間もなかった。
つまり280円x3万株=840万円の損ということになる。
「損をしても、280万円までと思っていたのが、840万円になってしまった!」と。
……ということで、多くの個人投資家たちが、莫大な借金をかかえることになった。

●バクチ

 これをバクチと言わずして、何と言う。
バクチ以上のバクチ。
私の知っている人の中には、全財産を失ったあと、自己破産した人がいる。
だから私の祖父は、いつもこう言っていた。
「浩司、信用買いだけは、するなよ!」と。

 あるとき祖父は、こう言っていた。
「あいつら(=証券会社の連中)、オレの株を勝手に売りやがった」と。

 つまり祖父も、それなりに苦い経験をしたらしい。
だから私にそう言った。

 それもあって、私は、信用買い(先物取引も含む)なるものをしたことがない。
また昨年(2011)の3・11大震災直前の2月末には、すべての持ち株を売り払った。
当時は、日本国債の危機がさかんに叫ばれていた。
「3月に、日本は国家破綻する」とも言われていた。
それでそうした。
ギリギリのセーフだった。

●金(ゴールド)の大暴騰

 現在、行き場を失った現金(マネー)が、貴金属(金とプラチナ)に向かっている。
もうめちゃめちゃな額と言ってよい。
めちゃめちゃ。
狂っている。

 ともにグラム、5000円弱。

 金塊1キロで、ベンツが買える?
当然、その分だけ、この先、インフレが世界中を襲う。
「タクシーの初乗りが、1万円」。
やがてそうなる。
それがわかっているから、「我も、我も……」と、みなが貴金属を買いつづけている。
その結果が今。

 では、どうするか?

 私の経験では、こういうときは、騒がず、動かず、静かにしていたほうがよい。
へたに慌てると、やけどを負う。
貴金属を買うにしても、この1〜2か月の間に、一度、ドスンとさがるはず。
中国などの中進国が、換金のため、大量に売りに出す。
そのときが買い時。
それまで、じっとがまん。

 株、債権には手を出してはいけない。
このところ銀行からよく電話がかかってくる。
「(休眠)預金をどうしますか」と。
「休眠」という言葉は使わないが、「預金をどうしますか」と。
が、こういうとき、銀行の言いなりになって、外債に手を出してはいけない。
手数料だけで、損をする。
そういうしくみになっている。

 ……とまあ、いっぱしの経済評論家のようなことを書いてしまった。
が、私はあくまでも庶民。
庶民の立場で、自己防衛論を書いてみた。
あまり本気にせず、参考までに。
またそのように、理解してほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 信用買い 追い証)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

************2012年2月29日*****************


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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よろしくお願いします。              はやし浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2月24日(講演で、東京へ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今、新幹線の中。
東京へ向かう。
虎の門近くにある、海洋船舶ビル。
そこで講演。

ワイフも同行。
「行きたいか?」と声をかけると、「うん」と。
「あんな家で、ひとりでボーッとしているのもつらいだろ?」と言うと、「うん」と。

まさに二人三脚。
2人で1人前。

たった今、講演の資料を読みなおしたところ。
ほっと一息ついたとき、静岡に着いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自転車屋

 数日前、近くのショッピングセンターへ行った。
驚いた。
驚いて、そのまま絶句。

 それまでも、100〜200台前後の自転車を並べていた。
そのコーナーが、2倍近く、広くなった。
数も、300〜400台!

 私の実家も自転車を売っていた。
新車が10〜15台。
中古車が10〜15台。
私が生まれ育った町では、それでもふつうの自転車屋だった。

 が、そのうち40台近い自転車を並べて売る店ができた。
その店が、私には、大きく、立派な店に見えた。
が、それが今では、300〜400台。
関連グッズも、ズラリと並んでいる。

 ……その自転車を見ているうちに、どういうわけか、悲しくなってきた。
すぐにも涙がこぼれそうだった。
だれかに叩きのめされたかのような、無力感。
敗北感。
それがつらかった。

「親父(おやじ)が生きていたら、これを見ただけで、絶望しただろうな」と。

 押し黙ったまま歩いていると、ワイフがこう言った。
「もう、あなたの家は、ないのだから……」と。

 ワイフは、私を慰めたつもりかもしれない。
が、そんな言葉で、慰められるようなものではない。
「自転車」には、私の祖父や父、兄の血が流れている。
今の今も、私の体の中には、その血が流れている。

 ……もし、今、私が自転車屋を経営していたら、かならずカタキを取ってやる。
敵が500台なら、私は1000台、並べてやる。
ショッピングセンターを出るまで、私はそんなことを考えていた。
 
●ザマーミロ、ヘッジファンド!

 ヘッジファンド、ハゲタカ!
数日前も、そう書いた。
そのヘッジファンド。

 ヘッジファンドは、その国の国債を買い入れるときは、ふつう、同時に保険をかける。
CDS※というのがそれ。
万が一、国債が紙くずになったとしても、その保険がかけてあれば、それでカバーできる。
(実際には、もう少し複雑。
が、おおざっぱに言えば、そういうこと。)

 ふつう国が国家破綻(デフォルト)に向かうときは、国債は額面を割る。
額面が、たとえば100万円の国債でも、90万円とかになる。
価格がさがった国債を、保険をかけながら、さらに買いつづける。
破綻が近づけば近づくほど、国債は安くなる。

 こうしてその国が破綻するのを、待つ。
破綻すれば、国債は紙くず。
が、保険がかけてあれば、額面どおり、元金は保証される。
こうしてヘッジファンドは、莫大な利益を得る。
2000年のはじめ、アルゼンチンが破綻したときもそうだった。

(注※……CDS商品について)
『クレジット・デフォルト・スワップ (Credit default swap、CDS) とは、クレジットデリバティブの一
種で、債権自体を移転することなく信用リスクのみを移転する取引である。最も取引が盛んな
クレジットデリバティブのひとつ。銀行の自己資本比率を高める対策の一環としても利用され
る』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

●ギリシャ

 ギリシャは、刻一刻と、金融危機が悪化しつつあった。
国家破綻は、時間の問題だった。
が、こういうときこそ、ヘッジファンドの出番。
破綻を見越して、国債を買いつづける。
各国の金融機関がもっているギリシャ国債を、安く買いたたく。

 で、デフォルト(債務不履行=国家破綻)ともなれば、そのときこそ、ヘッジファンドの出番。
元金は、CDFで保証されている。
額面通りの金額を、それぞれの銀行から受け取ればよい。
……という手はずだった。
が、ここで思わぬ誤算!

●ザマーミロ!

 各国の銀行団、つまり民間債権者たちは、約54%の債務削減に応じてしまった※。
わかりやすく言えば、借金の帳消し。
「うちは1億円の貸金がありますが、半額だけでも返してもらえれば結構です」と。

 銀行としても、ヘッジファンドに満額の保証金を支払うくらいなら、そのほうが安くすむ。
仮に50%分の損をしても、50%分は、返ってくる。
プラス、保証金は支払わなくても、すむ。

 が、ヘッジファンドにとっては、おもしろくない。
日に日に、保証金が積み重なっていく。
が、私は、こう書きたい。

ザマーミロ!、と。

 お金(マネー)というのは、コツコツと汗水流して働いて得るもの。
そのお金(マネー)を商品にし、巨額の利益をあげるヘッジファンド。
狂っている。
いくら資本主義の世界とはいえ、こんなことが許されてよいはずがない。

 今ごろ、ヘッジファンド・ハゲタカ集団は、地団駄(じだんだ)踏んで、悔しがっているにちがい
ない。
54%も貸し金を棒引きにされた上、保証金も手に入らない。
だから、もう一度。
ザマーミロ!

(注※……ヘッジファンド)
Bloombergは、つぎのように伝える。
CDSが発生するかどうか、目下、きわめて微妙な段階ということらしい。

『2月24日(ブルームバーグ):ギリシャ政府が同国債保有者に債務交換を強制する集団行動
条項(CAC)を発動すれば、想定元本32億ドル(約2600億円)相当のギリシャ債を保証するク
レジット・デフォルト・スワップ(CDS)の決済が発生する可能性がある。 

 ギリシャ政府は24日、投資家が保有するギリシャ債の新発債への交換を正式提案した。民
間債権者は額面の53.5%を減免することに合意している。国際スワップデリバティブ協会(ISD
A)の規則によれば、CACが発動されるとCDSの決済が起こる。 

 米証券保管振替機関(DTCC)によると、ギリシャ債を保証するCDSの残高は17日時点で合
計4263枚』(Bloomberg 2−24)と。

●ポルトガル

 もっともギリシャが、これで安泰かというと、それはどうか?
言うなれば、今回の救済策は、延命措置。
ギリシャの金融危機が、これで終わったとは、だれも思っていない。
そればかりか、今度は、ポルトガルもおかしくなり始めた。
一難去って、また一難。
それを繰り返している間に、EUは、奈落の底へと落ちていく。

●東京

 東京での講演(S&G財団)が終わった。
今は、帰りの電車の中。
先ほど、夕食の弁当を食べ終えたところ。

 正直に告白する。
今度ほど、東京を怖く思ったことはない。
今朝も、地震の夢を見た。
3年以内に、70%の確率……そんな予報も出ている。
会場から、新橋駅まで歩いたが、気が気ではなかった。
100メートル歩くごとに、「ここで地震が起きたら……」と、そんなことばかり考えていた。

 私は君子ではないが、『君子、危うきに近寄らず』。
3・11大震災(2011)以来、はじめての東京。
それ以前と何も変わらず、東京は元気だった。

●男性

 今日の講演会は、それぞれの地域で、指導員として活躍している人たちのものだった。
自動販売機のところで知りあった男性は、岩手県から来ていた。
その町の教育委員会の人だった。

 そのこともあって、……つまりほとんどが男性ということもあって、反応は鈍かった。
「笑ってくれるかな?」と思って話しても、ムッツリ、ダンマリ……。
そういう点では、話しにくかった。
が、それにも慣れた。
男性というのは、そういうもの。

●新富士

 新幹線は、たった今、新富士に着いた。
あれほど込んでいた車内も、今はガラガラ。
うしろの席に座った若い男性が、ボソボソと何やら話しあっている。
内容はわからないが、ときどきフフフ……、ハハハ……と笑っている。

 会社の同僚か、何かなのだろう。
勝ち誇ったような、自信たっぷりの声。
「私にも、ああいうときがあったなア」と。

遠い昔……というより、今の「私」とは、切り離された昔のような気がする。
うしろで話している若い男性と、私の間に、連続性がない。
言い換えると、うしろの男性が、別人種の人たちのように思えてくる。
宇宙人でもよい。

●前原誠司vs産経新聞

 前原誠司氏(民主党)と産経新聞が、喧嘩している。
ロイターは、つぎのように伝える。

 『民主党の前原誠司政調会長は23日、産経新聞の報道内容に問題があるとして、産経新
聞記者の記者会見出席を拒否した。
他の報道機関が拒否理由を求めたのに対し、前原氏は「人をおとしめるための悪口、ペンの
暴力の類いが続き受容限度を超えた。
記者に批判する権利はあるが、事実に基づかなければならない」と答えた。
会見場所に産経の記者がいたため、前原氏は隣室に移動して会見』(ロイター)と。

 そうであっても、またそうでなくても、これはまずい!
いくら気に入らなくても、特定の新聞社の記者を締め出すのは、まずい。
私だったら、「サンケイ(K)」というのは、「臭い、汚い、奇怪のことですか?」とやり返してやる。
あるいは、こうでもよい。

 「英語では、ありがとうは、サンキュー。結構ですは、サンケー?、ですね」と。

 私自身は、産経新聞にとくに、反感をもっているわけではない。(誤解のないように!)
が、前原誠司氏の発言は、報道の自由の観点からして、好ましくない。
身の回りにイエス・マンばかり置くようになったら、それは独裁政治の第一歩と考えてよい。

 そう言えば、昔、佐藤栄作元首相が、同じようにして、記者会見をボイコットしたことがあっ
た。
「新聞記者は、みな、出ていけ」と。
まことにもって、見苦しい事件だった。

 で、民主党という党が、どもよくわからない。
民主とは名ばかり。
独裁的で、心が狭い。
産経新聞など相手にせず、もっと大きな敵に向かって、その矛先を向けたらどうか。

●学力

 読売新聞にこんな記事が載っていた。
いつもの記事なので、私は驚かない。
しかし今、日本の子どもの学力は、ここまで低下している。

+++++++++++++以下、読売新聞より++++++++++++++

●「平均」の意味、大学生の24%が理解せず

 大学生の24%が「平均」の意味を正しく理解していないなど、基礎的な数学力、論理力に大
きな課題があることが、日本数学会が実施した初の「大学生数学基本調査」で明らかになっ
た。

 理系学生やセンター入試で数学を受験した大学生も多数含まれており、入試のあり方も問
われそうだ。

 調査は昨年4月から7月にかけ、国公立大から私立大まで48大学で実施。
主に入学直後の学生5934人が協力した。
調査では小中学校で学ぶ内容を中心に、論理的な文章の読解や記述力、基本的な作図力を
問う5問が出題された。

 その結果、全問正答した学生は、わずか1・2%だった。
「偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるか」を論理的に説明させる中3レベルの問題の正答率は
19・1%。
小6で学ぶ「平均」についても、求め方は分かるが、「平均より身長が高い生徒と低い生徒は
同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち、中堅私大では半数が誤答だった。

+++++++++++++以上、読売新聞より++++++++++++++  CM

 この記事を読んで、私は、こう思った。
「小学1年生(小学1年生だぞ!)でも、理解できるのに!」と。

 それを疑う人は、つぎのビデオを見てほしい。
実際、私が小学1年生に、平均を教えたときのものである(2012年1月)。

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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 子どもの学力が低下したというよりは、学校のもつ教育力が低下した。
そう考える方が、正しい。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはやりません」と。
が、教師を責めてはいけない。
教師自身が、規則、制約で、体中が、がんじがらめに縛られている。
身動きが取れない。

 もう40年前の話。
こんなことがあった。

 ある小学校(東京都)で、OHP(大型の投影機械)教育を始めた教師がいた。
私の友人の弟氏だった。
小学4年生の教室で、それを使った。
地図を何枚か重ねていくというものだった。
最初は道→川や橋→家→……、と。

当時としては、画期的な教育法だった。
弟氏は、本まで書いた。
が、それに「待った」をかけたのが、ほかならぬその学校の校長だった。
いわく「ひとつのクラスだけが、飛びぬけた教育をするのは、不公平になる」と。

 ほかの教室の親たちが騒いだこともある。
「どうしてうちの子どもの教室では、してもらえないのか!」と。

 以後、その弟氏は、OHPを使った指導をあきらめてしまった。
ここに書いた友人というのは、当時、主婦と生活社で編集長をしていた、井上清氏である。
この話が事実であることを保証するため、あえて井上清氏の名前をあげさせてもらった。

 ……今、学校教育に求められているのは、「自由」と「責任」。
この2つが両立しないかぎり、これからも子どもの学力低下は、つづく。

●浜松

 新幹線は、まもなく、浜松駅に到着する。
今日のエッセーは、ここまで。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 OHP教育 平均値 学力低下 はやし浩司 OHP 平均値がわからない
大学生 CDS ギリシャ金融危機 はやし浩司 平均 平均値 小学生でもわかる平均値 平
均 はやし浩司 BW教室での実践)

(追記)翌朝(25日)、主催者の方から、メールが届いていた。
今回も、みじめな気持で、会場を去った。
できは、最悪。
早口で、一方的に、まくしたてただけ。
気分はよくなかった。

が、メールを読んで、ほんの少しだけ、気分が安らいだ。

++++++++++++++++++++++++++

はやし様

昨日は大変貴重なご講演をいただき、誠にありがとうございました。

参加者からはとても勉強になった、初めて知る内容が多く新鮮で内容が分かりやすかったとの
声が多かったです。

今後ともお付き合いができればと思っております。

奥様にもお越しいただき、誠にありがとうございました。よろしくお伝え下さい。

この度は大変お忙しいところ、ありがとうございました。

B&G財団 HD

+++++++++++++++++++++++++++
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【読者の方より、相談】

●離婚後の問題

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

N氏(男性)は、現在、1人の女性(以下、Aさん)と同棲している。
その女性(Aさん)は、1年ほど前、別の男性と離婚。
N氏は、その女性(Aさん)との婚姻届は、まだ出していない。
現在、N氏は、その女性(Aさん)と、同棲中。

そのAさんには、元夫の間にできた、1人の子どもがいる。
現在、7歳。
今は、N氏、そのAさん、それに7歳の子どもと、いっしょに暮らしている。

離婚した相手の男性(元夫)は、「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言っている。
そのため、Aさんは、元夫にときどき、子どもを会わせている。

が、元夫は、子どもの歓心を買うため、高価なプレゼントを与えたりしている。
歯をみがかせないこともあるという。
N氏としては、こうした関係をできるだけ早く、すっきりしたい、……ということらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●N氏よりの相談(原文のまま)

『子供が6歳の時、両親が離婚。
(4歳の時から両親は一言も話さなくなっていたそうです。)
離婚後すぐ私と彼女は知り合って交際するようになり、離婚後半年で私と、彼女、彼女の子供
と3人で暮らす様になり、1年がたとうとしています

【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きく
ださい。 】:

いつも子育てにとても参考にさせてもらっています。
上記の様な複雑な状況で3人で生活しています。
同棲して1年で、結婚を考えていますが、以下の様な問題があります。

?結婚の話をすると、夫婦で建てた時の家のローンを、半分払えと言われる可能性が高い為、
様子を見ている。

?離婚した時、元夫から「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言われており、今はそれを持
続している。

離婚直後は嫌がっていたが、子供は父親を今はとても慕っており、面会後「寂しい」と泣くことも
時折ある。

父親は面会時はつきっきりで遊んであげていて、とても子供に優しい。
3,4か月に1回はゲームのソフト等、子供が喜ぶ高額なおもちゃを買ってあげている。
離婚前はそこまで遊ぶことも、ゲームを買うこともなかったようです。

?子供は3歳ころまで言葉を話すのが遅く、特殊学校に行っていた。
幼稚園も特殊学級に入れる様言われたが、普通の学校に行った途端、せきを切った様に発
語する様になった。
今まだ目を合わせて話せず、又、新しい環境になじむのがとても苦手。
普通だがかなり怖がりで、自分の慣れたもの以外に慣れるのが苦手な子。

彼女と元夫はかなり仲が悪く、話ができないので手紙でやりとりをしています。
彼女が夫に何か提案をしても罵倒する返事しか返ってこないので話し合いをして子育てを協力
しあう雰囲気はありません。

(例えば面会時にいつも歯磨きをしていなかったので歯磨きをお願いしたら、お前の育て方が
悪いとありました。
元夫は彼女以外の人には人当たりよくしているそうです。)

私は結婚をしたいのですが、例えばバレンタインデーに父親にこったチョコレートをあげようと
する等、違いを見せられると冷静であろうとするのですが辛い時があります。
又、私は私なりの教育を考えて実践しています。

例えば何時間でも家でゲームをして良い決まりだったのを、ゲームの時間を決める、本を読ま
なかった子に、夜寝る前に本を読んで聞かせている等ですが、面会のたびに違う家の、子供
にとっては心地良いルールに戻され返ってきたり、2つの家の価値観が違いすぎて子供が困
惑している時があります。

できれば結婚後は面会頻度を2カ月に1回、泊りは夏休み、冬休みのみにしたいのですが、子
供の心理上はそれがどうなのか、アドバイスを頂ければと想います。
又、父親から遠方になるのに、引っ越ししようかとも考えています。
よろしくお願い致します。
私とその子供との関係は、良い方だと思います。
子供も「今のお父さんと出会えて良かった」と言っている様です。
ただまだ彼に馴染んでもらうには時間がかかると思っていて、待つつもりでいます』(以上、N氏
の相談)。

●未練

 結婚の仕方は、いろいろある。
同じように離婚の仕方も、これまたいろいろある。
みながみな、(さわやかに)というわけにはいかない。
たいていは、(ドロドロ)。
私の知人(58歳)は、離婚調停で、3年も費やした。
財産分離に時間がかかった。

 以前、こう書いたことがある。
「離婚を覚悟するなら、未練を徹底的に消してからにしたらよい」と。
未練が残ると、離婚も、ドロドロしたものになりやすい。

 その未練。
その第一が、子どもがいれば、子どもということになる。
離婚したという「敗北感」「屈辱感」「挫折感」「失敗感」、さらに「世間体」や「見栄、メンツ」など
など。
こうしたものが、複雑にからんでくる。
もちろん相手への思い、不本意な別れなどもある。
「未練」というのは、そういう意味でも、一筋縄ではいかない。

●元夫

 N氏からの相談を読んでいると、元夫の、その「未練」を強く感ずる。
Aさんの心はともかくも、元夫は、その未練の中でもがいている。
子どもへの思いもあるだろうが、むしろ子どもを理由にし、Aさんとの接触を求めている。
独り残された元夫にすれば、「では、私はどうすればいのだ」ということになる。
相談の内容からすると、Aさんのほうが、やや強引な形で、離婚したという印象をもつ。

 そのあたりの心理、つまり元夫の気持ちを理解しないと、今の状態は、しばらくつづく。
が、口で言うほど、これは簡単なことではない。
仏教でも、四苦八苦のひとつに、『怨憎会苦(おんぞうえく)』『愛離別苦(あいりべつく)』をあげ
ている。
人間が人間であるがゆえに、苦しむ(苦)をいう。
まさに身を引き裂くような苦しみをいう。

 怨憎会苦について書いた原稿を探してみる。
怨憎会苦の苦しみを、理解してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●怨憎会苦(2008年8月19日付)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●魔性との闘い(怨憎会苦)
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)

 仏教には、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。
が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。

 で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。

 そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを
消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。

 A氏の父親が、2年前に他界した。
数億円の財産(主に土地)を残した。
その財産をめぐって、A氏(長男)と、ほかの3人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。

 A氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、
「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、
言いがかりをつけた。
A氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、
「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、
「あの土地は、私のもの」と騒いだ。

 A氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってA氏は、こう言う。

 「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という
話になってしまいました。で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、
あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、
そういう道理すら、通じませんでした」と。

 娘の夫の1人は、こう言ったという。
「(義父が)、オレの女房(=妹)に、『あの土地をお前(=妹)にやる』と言った話は、
オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。

 A氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるA氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。

 A氏の妻もこう言った。
「(妹の1人から)、嫁(=A氏の妻)が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと
言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。

 まさに怨憎会苦。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。

 「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように
感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を
貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。

 A氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、
ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースと
なると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。

 恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭(マネー)にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、
貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと
言われている。

 今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。

では、どうするか?

 釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。
つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。

 音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。
そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
(これは私の努力目標でもある。)
(2008年8月19日付)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Aさん(女性)

 Aさんにとっても、つらい毎日にちがいない。
本来なら、家庭裁判所で、家事調停を申し込むのがよい。
手続きは簡単で、家庭裁判所に出向き、調停の申し立てをすればよい。
あとは、その日に双方が会い、調停委員の前で、アドバイスを受けながら、結論を出す。
元夫の、子どもとの面会権も、そのとき決めることもできる。

 Aさんに落ち度がなければ、子どもの養育費、慰謝料なども請求できる(はず。)
養育費の額などは、相手側の収入などにより、調停委員が査定してくれる。
家事調停で裁決されたことは、本裁判の判決と同じ法的効力をもつ。
たとえば養育費が滞ったばあいなどは、即、執行猶予付きの支払い命令書を相手側に、裁判
所名で送付することができる。

 ……というのが法的手続きということになるが、実際には、「家庭裁判所で……」というケース
は、少ない。
離婚というより、離婚に至る経緯の中で、人間関係は、すでにこなごな(=ドロドロ)に破壊され
ている。
たがいに感情的になっているから、冷静な話し合いも、むずかしい。

●N氏

 やはりキーパーソンは、相談者である、N氏自身ということになる。
相手の元夫がそれに応ずるかどうかはわからないが、(私の予想によれば、会うだろうと思う
が)、Nさん自身が、相手の元夫と会ってみるのが、いちばんよい。

 ……というのも、私にも、似たような経験が何度か、あった。
一度は、暴力団がらみの事件に巻き込まれたことがある。
知りあった男性が、「アパートをさがしてほしい」と言った。
そこで知人のアパートを紹介した。
が、その男性が、暴力団の組員だった。
知らなかった。

 で、家賃は払わない、ほかの組員たちも同居するようになった……、ということで、アパートの
所有者、つまり知人が、責任を取ってほしいと泣きついてきた。
そこで私は、直接、その暴力団の事務所に乗り込むことにした。

 あらかじめ電話をかけると、「命が惜しくなかったら、来い」と。

 が、私は、子どものころから気が小さいくせに、そういうときになると、肝っ玉が座ってしまう。
私は、単身、その事務所に乗り込んでいった。

 ……中央にデスクが置いてあり、左右のソファに、それぞれ3〜4人ずつの男が座っていた。
生きた心地はしなかった。
が、私は、こう切り出した。

 「アパート代の未納分を払い、今月中に、アパートを引き払ってほしい。私の言いたいのはそ
れだけだ」と。

 私はそのとき、30歳前だったと思う。
が、組長の言葉は、意外なものだった。
こう言った。

「お前の度胸に負けた。来るとは思っていなかった。お前の言うとおりにする」と。

●元夫の苦しみ

 相手の元夫も、苦しんでいる。
私は、そう感ずる。
相手の元夫も、先に書いた未練の中で、もがいている。
だからNさんが、「会いたい。会って一度、話しあいたい」と言えば、応じてくるはず。

 最高の解決策は、Nさんが、相手の元夫に会うこと。
何も隠さず、正々堂々と、誠心誠意、相手の元夫の立場に立って、会う。
相手の元夫の気持ちを聞くだけでも、相手の元夫の心は、収まるはず。
が、それでも話しあいがつかないようであれば、こう提案すればよい。

「私の力ではどうにもならないから、一度、家事調停をしてみませんか」と。
(家事調停の仕方などは、簡易裁判所の窓口へ行けば、ていねに教えてくれる。)

 Nさんも、不愉快だろう。
相手の元夫も、もやもやしているだろう。
しかしその間にあって、いちばん苦しんでいるのが、Aさんということになる。
この先、Aさんとの結婚を真剣に考えているなら、Nさんが、間に立つのがいちばん、よい。

●子ども(7歳)のこと

 私の印象では、相手の元夫は、子どもには、あまりこだわっていないと思う。
ていねいに話しあえば、相手の元夫も、納得するはず。
つまり相手の元夫が求めているのは、不完全燃焼感というか、敗北感への償い。
「このままでは、あまりにも自分がみじめではないか」と。

 が、NさんやSさんも、同じように苦しんでいることがわかれば、またそうした誠意があること
がわかれば、相手の元夫も納得するはず。

 子どもが、緘黙症を示したのも、離婚劇というより、離婚騒動が原因と考えてよい。
「騒動」が、子どもの心を、つぶした?

 あとは、前向きに生きていく。
少し時間がかかるかもしれないが、時間が解決してくれる。
みな、その程度の(キズ)を背負っている。
キズのない人はいない。

 「これも人生」「あれも人生」と、割り切る。
私たち夫婦も、そうしている。
いろいろあったし、現在進行形で、今もある。
完ぺきな人生は、ない。
みな、ボロボロ。
だったら、ボロボロを前提として、生きる。
まさに『時は心の癒し人』。
私はいつもそう考えている。

 最後に、この正月に書いた、抱負をここに転載する。
その前に……。
勇気を出し、相手の元夫に会ってみること。
それですべてが解決するはず。
相手の元夫の立場で、会う。
「あなたのつらい気持ちもよくわかります」と。
歯磨きくらいのことで、けっして相手の元夫を責めてはいけない。
虫歯になれば、歯科医院へ行けばよい。

高価なプレゼントくらいで、相手を責めてはいけない。
「喜んでいますよ」と。
そう言えばよい。

 Nさん、あとは、あなたの勇気だけ。
運命というのは、そういうもの。
逃げ腰になると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかってきますよ。

(以上、推敲なしで、このまま返信しますので、誤字脱字は、お許し下さい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2012年のはじめに

【生きる目的と意味、そしてその生き様】
(はやし浩司 2012ー01−01)


●前向きに生きる

 前向きに生きるということは、簡単に言えば、過去を引きずらないということ。
そのためには、つぎの7つを守る。

(1)失ったものを、嘆かない。
(2)去った人を、追わない。
(3)ないものを、ねだらない。
(4)亡くなった人を、思わない。
(5)過去を、くやまない。
(6)失敗を、気にしない。
(7)自分の不幸を、数えない。

 が、それだけでは足りない。
生き様そのものを変える。
自分に対しては、つぎの3つを守る。

(1)あるがままの自分を認める。
(2)負けを認める。
(3)今を原点として、生きる。

 人間は、希望さえあれば、生きていくことができる。
が、希望は、だれにでもある。

今、ここに生きている、そのこと自体が、希望。
目が見える、音が聞こえる、風を感ずることができる……それが希望。
人と心を通わせることができる、ものを考えることができる……それが希望。

その希望は、自ら創り出すもの。
待っていても、やってこない。
日々の弛(たゆ)まない鍛練こそが、希望を生む。
肉体の健康、しかり。
精神の健康、しかり。

 他人に対しては、つぎの5つを守る。

(1)人を、恨んではいけない。
(2)人を、ねたんではいけない。
(3)人に、ねだったり、甘えてはいけない。
(4)人を、うらやましがってはいけない。
(5)人に、へつらい、自分を裏切ってはいけない。

 さらに老後の、しっかりとした設計図をもつ。
そのためには、つぎの4つを守る。

(1)私は私と割り切り、自分を他人と比較しない。
(2)年齢という数字を、気にしない。
(3)最後の最後まで、居直って生きる。
(4)孤独死、無縁死を、恐れない。

 あとは日々、平穏を旨とし、取り越し苦労にヌカ喜びをしない。
時の流れの中に身を置き、その流れに身を任す。
命は、そのまま天に任す。

 朝、起きたときに、やるべきことがある人は、幸福と思え。
今日1日、今週1週間、今月1か月、今年1年、やるべきことがある人は、幸福と思え。 
それを「真の幸福」という。

 前向きに生きるというのは、そういうことをいう。
さあ、あなたも勇気を出し、足を一歩、前に踏み出そう。
明るい未来に向かって、まっすぐ歩こう!

 『心を解き放てば、体はあとからついてくる』(アメリカの格言)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●人を恨まない

 H・フォスディック(Henry Fosdick)はこう言った。

 『Hating people is like burning down your house to kill a rat.
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで心が腐る。
だからこう言う。

『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
人を恨めば、人生を棒に振る。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげている。

 が、それでも恨みが消えないときは、どうするか。

●真の自由

 過去を引きずったとたん、人生は監獄になる。
が、だれしも、恨み、つらみはある。
失ったことを嘆き、不運を悔やむ。
が、そういうときは、それから逃げてはいけない。
とことん、恨め。
とことん、憎め。
とことん、過去を悔やめ。
身がボロボロになるまで、恨め、憎め、過去を悔やめ。
恨んで恨んで、憎んで憎んで、悔やみたいだけ悔やめ。
自分を燃やし尽くせ。

 すべてのエネルギーを燃やし尽くしたとき、あなたはその先に、恐ろしく静かな世界を見る。
それはあなたの魂が解放された、無の世界。
そのときあなたは、はじめて、真の自由を知る。

●運命

 今、あなたが苦しんでいるなら、幸いと思え。
あなたが悲しんでいるなら、幸いと思え。
あなたは今、まさに真理のドアを叩いている。
そのドアの向こうでは、真理が、あなたがドアを開いてくれるのを待っている。
息を潜(ひそ)め、静かに待っている。

 大切なことは、苦しみや悲しみから、逃れようとしないこと。
逃れようとしたとたん、運命はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、あなたが苦しみや悲しみに、真正面から立ち向かえば、運命はシッポをまいて、向こうから
退散していく。

 方法は簡単。
あるがままを、そのまま受け入れる。
そこに運命があるなら、その運命をそのまま受け入れる。

 書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という。

 もちろん闘うことができる運命であれば、それと闘う。
「逃げろ」という意味ではない。
闘う。
ふんばる。
そこに人間の生きる価値があり、美しさがある。

 が、どうにもならない運命というものもある。
もしそうであれば、負けを認める。
受け入れる。
とたん、あなたはそこに真理が待っていることを知る。

●2012年01月01日

 さあ、ともあれ、2012年は始まった!

 友よ、仲間よ、力を合わせて、前に向かって歩こう。

 馬鹿は、相手にしない。
愚か者は、相手にしない。
欲望の奴隷となり、道を見失った人間は、相手にしない。
どうせ、その程度の、つまらない人生しか歩めない。
そんな愚劣な人間のために、時間を無駄にしてはいけない。

 私たちはそういう人を、憐れんでやろう!

 人生は山登りに、似ている。
下から見れば、低い山でも、登ってみると、意外と遠くまで見渡せる。
それと同じ。
あなたが勇気を出し、山に登れば、下にいる人間が、さらに小さく見える。

 あなたは前だけを見て、前に向かって進めばよい。
ただひたすら前に向かって、進めばよい。
それですべての問題が、解決する。

(はやし浩司 2012−01−01記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【悪徳企業・悪徳教材会社】(ブラック企業の話)

●放射線測定器

 今日、放射線測定器を買った。
エステー社製。
日本製。
7700円。
「Air Counter S」(商品名)。
ガンマ線しか測れない。
が、それでじゅうぶん。

 昨日、東京へ行ったとき、不安でならなかった。
だから、今日、あわてて買った。

 それをもって、あちこちを調べた。
道路の上、植え込みの中、ついでに車の中、ほか。
全体に、毎時0・05μシーベルト〜。
場所によっては、0・15μシーベルト〜を示すところもあった。
枯草が堆積したようなところほど、高い数値を示した。
放射性物質も、そういうところで堆積される。
このことは前もって知っていたので、冷静に受け止めることができた。

 いろいろなものの上にも、直接置いて、測定してみた。
ほとんどのものは、0・05〜0・10μシーベルトの範囲だった。
ただひとつ、パック入りのオレンジ・ジュースの上では、0・19μシーベルトの値が出たのに
は、驚いた。
そのオレンジ・ジュースは、そのまま捨てた。

 以後、ずっと、首にかけて、使っている。
そのつど、測定している。

●ブラック企業(「ブラック企業の真実」・彩図社)

 今日、「ブラック企業」という言葉を知った。
薄汚い仕事のことかと思ったが、そうではない。
新入社員の立場で、就職してはいけない職種を、「ブラック企業」というらしい。
入社したら最後、骨のズイまでしゃぶられ、最後には身も心もボロボロにされた上、放り出され
る。
たいていみな、うつ病などの病気になるという。
そういう会社を、ブラック企業という。

 で、そのひとつに、パソコン教室があるという(「ブラック企業の真実」・彩図社)。
生徒の上達度に合わせ、つぎつぎと(より高度なクラス)へ、生徒を移動させていく。
もちろんそのつど、月謝もあがる。
そういう方式で、パソコン教室は、生徒から月謝をむしり取る。
 
 インストラクターには、そのノルマが課せられる。
が、良心の呵責に耐えられないインストラクターもいる。
そういうインストラクターが、上司からひどい仕打ちを受ける。

 もちろんすべてのパソコン教室がそうというわけではない。
しかしパソコン教室にかぎらず、このタイプの教室は、幼児教室にもある。

●ブラック教室

 周1回のレッスンで、生徒を集める。
が、しばらくすると、親にこう言う。
「子どもには適齢期があります。今、音楽教育をしておかないと、手遅れになりますよ」と。
「受験」とか「合格」とかいう言葉を、それにまぶせる。
親は、催眠術か何かに、かかったかのようになる。
教師の言いなりになる。

 こうして、「英語教室……」「体操教室……」「算数教室……」と。
気がついたときには、週に5日、子どもはその教室に通うようになる。

 これをブラック教室と言わずして、何と言う?

●悪徳教材会社

 さらにひどいのが、教材会社。
15年ほど前、S・スタディという教材会社が、市内で事務所を構えた。
大通りに面した、ビルの6階だった。

 ……この話は、当時、原稿として記録した記憶がある。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

私はその教材会社の説明会に、
ワイフといっしょに出かけた。
つぎの記事が、それである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪徳化する学習産業

++++++++++++++

法外な教材を売りつける教材会社は少なくない。

そういう会社が、あなたの弱みを、虎視眈々とねらっている。

++++++++++++++

 ある教材会社の主催する説明会。
予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板には、「一〇時から」と書いてある。
しばらく待っていると、席についた母親(?)の間からヒソヒソと会話が聞こえてくる。

「お宅のお子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はどこですか」と。
サクラである。
主催者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受験の話を始める。
母親は受験や学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。
しかしそれこそが、その教材会社のねらいなのだ。

 また別の進学塾の説明会。
豪華なホテルの集会ルーム。
深々としたジュータン。
漂うコーヒーの香り。
そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉強している子ども)
→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不合格で泣き崩れる母子の
姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間近くも続く!

 ビデオを見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、その進学塾のね
らいなのだ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。
どこのどの団体だとは書けないが、あやしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者か
ら金品を巻きあげる。
このカルト教団が、同じような手法を使う。
まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がおりてくる」などと言って信者を不安にする。「あ
なたはやがて大病になる」と脅すこともある。
そしてそのあと、「ここで信仰をすれば救われます」などと教えたりする。
人間は不安になると、正常な判断力をなくす。そしてあとは教団の言いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進学
塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとっていた。
特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。
知人から「教育研修会に来ないか」という誘いを受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父
母を対象にした説明会だった。
しかも私たちのために来賓席まで用意してあった。私は会の途中で、「用事があるから」と言っ
て席を立ったが、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消えない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。
それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、それは「不安」ではないか。
「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっていけるかしら」「人並みの生活が
できるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学歴によって判断される」など。
こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方親は、年間一二〇万円の教材費を
払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。
しかしこういう親にしても日本の教育そのものがもつ矛盾の、その犠牲者にすぎない。
一体、だれがそういう親を笑うことができるだろうか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでしかない。
こうした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくらでもある。それ
だけのことだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

が、この種の悪徳教材会社は、後を絶たない。
摘発されるたびに、会社名を変える。
教材にしても、表紙だけ、張り替える。
数年前も、浜松市内で、ある教材会社が摘発された。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●80万円の教材 

 高額な教材を売りつける教材会社がある。
悪徳商法として、ネットでも叩かれている。
これについて、少し書いておきたい。
方式はこうだ。

 「一式、80万円。中学3年分の教材」。
そんな教材を売りつける。
80万円の中には、テキスト代はもちろんのこと、FAXによる添削、電話相談料が
含まれている。
で、80万円を、3年分の36か月で割ると、月額約2万2000円となる。

ワークブックということなら、自分で書店で選んだ方がよい。
ワークブックには、「相性」というのがある。
その相性が合わないと、高価な教材と共に、「勉強心中」ということにもなりかねない。
「勉強心中」というのは、教材が負担で、方向転換できず、そのまま教材と共に、
勉強ができなくなってしまうことをいう。

 大切なのは、「達成感」。
その達成感が、子どもに自信をつけさせ、子どもを伸ばす原動力となる。

 それはともかく、月に1冊、1000円のワークブックをこなすだけでも、たいへんな
こと。
それを考えただけでも、2万2000円というのは、メチャメチャな額といってよい。
が、買う人は買う。
子どもにやらせる。

●私の経験

 私もある時期、市販の教材づくりに命をかけた。
毎晩、2時、3時まで、ワークブックの原案を考えた。
そんなある日、奇妙な仕事が飛び込んできた。

 大手出版社のX社からのものだった。
「都内の小学校の入試問題集を制作してほしい」という依頼だった。
わたしは即断で、それを承諾した。

 で、しばらくすると、ダンボール箱に入った資料が、ドサッと送られてきた。
過去問題に関する資料である。
全部で、40校あまりあった。
が、傾向はどれも似たようなもの。
たがいに隣の小学校の入試問題を見ながら、自分の学校の入試問題を制作していた。
それが私にも、よくわかった。
つまり私には、楽な仕事だった。

●別会社

 が、「?」と思われるような申し入れが、つづいた。
まずその教材は、「X社」の名前では売らない。
書店にも並ばない。
もちろん「はやし浩司」の名前は入れない、と。
そのかわり、高額な制作料を支払う、と。
私には、どういうことか理解できなかった。
が、やがてわかった。

 X社は、ダミーの子会社(販売会社)を立ち上げた。
その子会社名で、セールスマンを雇った。
そのセールスマンに、訪問販売の形で、教材を売らせた。
あとで聞いたら、40校あまりの問題集を、1セット、200万円で売っていた!
この金額には驚いた。
当時はバブル経済、華やかりしころで、200万円でも、飛ぶように売れた。

 が、この方式、つまり親会社がダミー会社を立ち上げ、自分の名前をけがさないように、悪徳
商法を繰り返すという方式は、けっして珍しいものではなかった。
さらにあくどい販売会社となると、倒産した教材制作会社の教材群をまとめて買い上げ、それ
を再製本し、同じ方式で売っているところもあった。
(今も、それがふつうのやり方になっている。)

 昨年(09年)も、この浜松で、悪徳教材会社が摘発された。
同じような手口で、親をだまし、高額な教材を売りつけていた。
が、刑法上の罪は軽い。
表紙だけを取り替えて、また別の販売会社を立ち上げる。
社長(=責任者)は、そのつど、別の人物にすえ替える。

 いろいろな教材を手がけてきたが、これほどまでに後味の悪い仕事はなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先にあげたS・スタディについて、
直接書いた原稿が見つかった。
そのまま紹介する。
日付は、2006年11月9日になっているが、
この事件そのものは、それよりずっと前のことだったと記憶している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●悪徳商法

 数日前、関西に住む、ある女性から電話がかかってきた。
3人の子どもをもつ母親だった。いわく、「右脳教育の教材を買ってしまったが、解約したい。ど
うすればいいか」と。

 値段を聞いて、ビックリ! 1セット、50万円だという。

 「幼児のころ、右脳教育をしておかないと、科学者にはなれません」「あなたのお子さんも、辞
書を一冊、丸暗記できるようになります」「あの卓球のIチャンも、利用していました」などなど。
そのセールスマンは、そう言ったという。

 それで50万円の教材を購入することに!

 バカめ! いや、その母親がバカと言っているのではない。
そのセールスマンが、バカ! 右脳教育の「ウ」の字も知らないで、右脳教育の教材を売りさば
いている。

 私の近くにも、「S」という、これまた「?」な教材販売会社がある。
月4回の家庭教師こみで、年間、120〜130万円の費用を取っている。
教材販売会社なのだが、家庭教師をセットにしているところがミソ。

 つまり教材を解約しようとすると、「うちの教材は、あくまでも家庭教師の補助教材です」と言
って逃げる。
家庭教師を解約しようとすると、「家庭教師はサービスとして派遣しています。教材費実費はい
ただきます」と言って逃げる。

 私の生徒の親も、何人か、その被害にあっている。

 どうか、みなさん、お気をつけください!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補記

 実は、この話には、つづきがある。

 名古屋市に、XXという教材出版会社がある。
表向きは、「教材出版会社」。
一応、表では、まともな看板をかかげている。
教材説明会などに顔を出すと、その会社のコーナーも、ちゃんとある。

 が、その子会社が、ここにあげた「S・スタディ」(当時)。
(名前は摘発されるたびに、変える。)
その手口は、先に書いた。
「教材」と「家庭教師」をセットにして、親に売りつける。

 で、09年にも、浜松市で摘発された。
そのときもこう言っていた(報道、記憶)。

 「うちは家庭教師を年間契約で雇います。途中解約のばあいは、当然、その解約料を負担し
ていただけいます」と。

 報道でそれを知ったときは、こう思った。
「うまいこと、言うなア」と。

 家庭教師といっても、学生アルバイト。
解約など、いつだってできるはず。
それに家庭教師を解約し、解約料がかかったという話は聞いたことがない。
が、私が書きたいのは、このことではない。
こんなことがあった。

●知人の息子

 ある日、遠い親戚にあたるKさん(女性)から、電話がかかってきた。
「浜松へ行くから、ちょっと寄っていいか」と。
私は即座に、それに応じた。

 が、会ってみると、30歳前後の息子氏がそばにいた。
3人で食事をともにしたが、話すことは、教育のことばかり。
「?」と思っていると、やがておもむろに、名刺を差し出した。
その名刺に、先にあげた「XX教材会社」の名前があった。

 私は、とたん身構えた。
息子氏がついてきた理由が、それでわかった。
が、それについては言わなかった。
Kさん自身も、恐らく息子氏の勤める会社の内情を知らなかったのでないか。
ふつうの出版会社と思っていたらしい。

 で、それで別れた。
そのまま縁を切ったつもりだった。
が、それからもたびたび、息子氏のほうから連絡があった。
「会いたい」「また遊びに行っていいか」「浜松へ行く用事ができたから……」と。

 私の住む世界では、そういう人とつきあうのは、たいへんまずい。
知りあうのも、まずい。
どこでどう利用されるか、わかったものではない。
で、そのつど、断るのに苦労した。
まったくの他人ではなかった。
それだけに苦労した。

●悪徳商売

 ブラック企業……。
教育の世界とて、例外ではない。
ということで、このエッセーを書いた。
みなさんの参考になればうれしい。

 そろそろ就寝タイム。
では、おやすみなさい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【はやし浩司 2012−02−21朝記】(南京虐殺事件について)

●新しい話し方?(最近の若い女性の話し方)

●フガフガ・ジャパニーズ

 12年ほど前から(=2000年ごろから)、若い女性の間で、少し変わった話し方をする人が
目立ち始めた。
当初は、東京を中心とする、都会の人たちの話し方と思っていた。
それがこの浜松にも、伝染してきた。

私が最初に気がついたのは、クリスマスのときのことだった。
どこかのコンビニで、何かを買ったときのこと。
その女性は、「メリークリスマス」を、「フンムリー・クルスモ〜ス」と言った。

 子どもの世界には、発語障害という言葉がある。
いろいろな障害に分類されている。
数も多く、そののち自然に治っていくのが、サ行障害児(サカナ→シャカナ)、
治りにくいのが、カ行障害児(カギ→タチ)など。
ほかにダミ声、吃音(きつおん)などもある。

が、この新しい言い方は、それらのどれにも属さない。
鼻から大半の空気が漏れるように、出ていく。
口をほとんど動かさない。
のどの奥の方から、声を出す。
そのためフガフガした言い方になる。
たとえば、

「いらしゃいませ」は、「ヒィラッシャイモ〜セ」となる。
「ありがとうございました」は、「ハリガトウ・グザイモシタ」となる。
特徴は、声が内側にこもる。
「アイウエオ」に応じて、口が正しく(?)動かない。
鼻から息が漏れる。
子音だけの話し方をする。

若い女性に多いことから、後天的に、そういう話し方になると考えられる。
が、驚いたことに、最近では、男性でも、そういう話し方をする人が目立ち始めた。
数日前には、あるコンビニで、40歳代の男性がそういう話し方をしているのを知った。

 私は中学生のときから、10年間ほど、合唱団に属していた。
そういう経験から言うと、こうした発声の仕方では、合唱は無理。
今はどうなっているか知らないが、40年前だったら、そのまま合唱団からつまみ出されてしま
っただろう。
さらに言えば、この発声方法では、英会話は無理。
中国語の発音となると、さらに無理。

 ともあれ、言葉にせよ、発音の仕方にせよ、そのときどきの時代の人たちが決めていく。
「こういう話し方はおかしい」と断言することは、控えたい。
が、あえて言えば、……つまり私の意見としては、お・か・し・い。

 なお発声方法は、習慣によって決まる。
そういう発声をしていると、そういう発声方法になる。
たとえば幼児でも、ふざけてダミ声を出していると、その声がそのままその子どもの、ふつうの
話し方になってしまう。
ダミ声になってしまう。

(そういう意味では、クレヨンしんちゃんの話し方は、子どもにはまねをさせないほうがよい。)

幼児期は、正しい発音で発声させる。
これは幼児教育の基本のひとつ。

●映画『タイム』

 昨夜、映画『タイム』を見てきた。
星は2つの、★★。
あえて劇場まで足を運んで……という映画ではない。
が、発想は面白かった。
25歳を過ぎると、人は、時間を買いながら生きる。
自分のもち時間がなくなると、自動的に体は機能を停止し、その人は死ぬ。

 私はその映画を見ながら、「時間」イコール「クレジットカード」のことかな、と思った。
つまり、「金の切れ目が、縁の切れ目、命の切れ目」と。
現実に、この世界は、そうなっている。
クレジットカード(=全財産)の残高がゼロになれば、生きていくのさえ、むずかしい。
それをわかりやすくしたのが、『タイム』。

 ……その中に、こんな気になるセリフがあった。
「労働者には、1日働いたら、1日分の給料しか与えない」(記憶)と。
つまり労働者は、1日働くと、「24時間」という給料を与えられる。
その給料で、つぎの1日を、生き延びることができる。
言い換えると、労働者は、毎日、働かざるをえない。
社会はそういうしくみになっている。

 が、これとて、現実そのもの。
現代社会そのものが、そうなっている。
お金がなければ、何一つ、行動に移すことができない。
極端な言い方をすれば、人がお金(マネー)を使うのではない。
人が、お金(マネー)に使われている。
平たく言えば、人が、お金の奴隷になっている。

 映画『タイム』は、それをたいへんわかりやすい形で、映画化した。
そういう点では、評価できる。

●家の売却

 オーストラリアの友人が、自宅を売却した。
奥さんは、5、6年前に他界。
2人の娘も、結婚。
今は、大きな家に、ひとりで住んでいる。
それで、その家を売った。

 いろいろ話してくれるが、その売り方が、おもしろい。
日本のそれとは、かなりシステムがちがう。
そのシステムが、おもしろい。

まず「land Valuer(土地価値査定人)」というのがやってきて、土地と家の評価をする。
(税金も、それで決まる。)
その価格で、不動産屋に、期間限定で売りに出す。
それまでに買いたい人は、不動産屋に、オークション形式で希望価格を提示する。
期限がくると、それを開示。
いちばん高い価格を示した人と、売主は、売買の交渉に入る。

「日本のほうがわかりやすいな」と思ってみたり、反対に、「日本もまねをすればいいのに」と思
ったりする。

 この先、オーストラリアで家を買ったり、売ったりすることはないだろう。
だから話としては、興味本位。
「おもしろいな」と思ったところで、思考停止。

●ハナの死

 ハナが死んで、もう1か月になる。
今でも、ときどき庭を見たとき、こう思う。
「どうしてハナはいないのだろう?」と。
が、すぐ我に返り、「ハナは死んだんだ」と、自分に言って聞かせる。

 ハナの餌が、大きな箱いっぱい、まだ残っている。
今は、その餌を、毎日、庭にまいている。
それをヒヨドリや、ムクドリ、さらにカラスまで食べにくる。
スズメも食べる。
それを見て、また涙が、ホロリ。

 毎日、一日も欠かさず、私を迎えてくれた。
最期の最期の日まで、私を迎えてくれた。
ヨタヨタとした足どりで、私を迎えてくれた。
目も、ほとんど見えなかったはず。
それでも迎えてくれた。
そんなハナが、今は、もういない。

 最期は、ふとんの中で息を引き取った。
午後11時40分ごろのことだった。
その少し前のこと。
ハナに、「また元気になったら、海へ行こうな」と声をかけた。
「海」と言っただけで、元気なころは、興奮状態になってしまった。
が、そのときもそうだった。
私が「海」と言ったら、懸命に体を動かそうとした。
顔を動かし、私の方を見つめた。
ひとみが左右に大きく動いたのが、よくわかった。

 ハナのいない庭を、今、ぼんやりとながめている。
畑の上では、スズメたちが、餌を食べている。
ムクドリも来ている。
庭の景色だけは、そのまま。
が、光は消えた。
殺風景な、どうしようもないほど殺風景な景色。
冬の冷たい風が、キンモクセイの木々を、小刻みに揺らしている。

●大和ミュージアム

 息子が、TAMIYAの戦艦大和を完成させた。
350分の1の巨大な模型である。
その祝いをかね、x日、広島県の呉市にある大和ミュージアムに行くことにした。
ホテルの予約も済んだ。
あとは切符だけ。

 3人分で、往復9万円(新幹線)、プラス、ホテル代。

 息子というより、私の方が楽しみにしている。
私が生まれたころには、まだ戦艦大和は、人々の記憶にしっかりと残っていた。
話もよく聞いた。
当時の私は、子どもながらに、こう思った。

「戦艦大和といっしょに死ねるなら、本望」と。

 それくらい戦艦大和には、あこがれた。
その夢が、近く、かなう。

●南京事件

 名古屋市の河村市長が、「南京事件はなかった」と発言したとか。
ときどき、こういうバカなことを発言する首長が現れる。

いわく、『河村たかし名古屋市長は20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会
の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為は
あったが、南京事件はなかったのではないか」(ロイター伝)と発言した。

 ロイターが伝えているとことろから、すでにこのニュースは、中国本土にも広がっているは
ず。

 が、南京事件、南京虐殺事件はあった。
かりにそれが小さな事件であったとしても、どうしてそのとき、その場に、日本兵がいたのか。
日本人は、そのあたりから、自らを反省しなければならない。
南京虐殺事件はなかったと主張する人たちは、かならず、その数字をあげる。
「30万人というのは、ウソ」と。

 3万人でもよい。
3000人でもよい。
300人でもよい。
300人でも殺したというのが、問題。

 それについては、何度も書いてきた。
原稿をさがしてみる。
日付は、2005年5月11日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●南京虐殺事件

 日華事変の最中、1937年(昭和12年)の12月12〜15日。
当時のK内閣は、南京攻略に対して、三光作戦を発令した。

 三光作戦というのは、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)という作戦をいう。

 その結果、日本軍は、中国全土で、強姦、虐殺、略奪をほしいままにした(エドガー・スノー
「アジアの戦争」)。
その「アジアの戦争」によれば、南京だけで、4万2000人以上、また南京への進撃途中で、3
0万人以上が、日本軍に殺されたという。

 うち、そのほとんどが、「無抵抗の婦人、子どもであった」(同書)という。

 どうやら、このあたりが、最大公約数的な事実のようである。

 で、ここで注意しなければならないのは、日本側は「南京では、30万人も殺していない」と主
張しているのに対して、スノーは、「日本軍は南京に向って、南京を攻略する過程で、30万人
殺している」「南京では、4万2000人」と書いている点である。

 ここに時間的錯誤がある。
また、「三光作戦」というのは、現存したし、それに基づいて、日本軍は、中国人(中国軍ではな
く、中国人)を、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくした)というのは、動かしがたい事実である。

 これに対して、こんな記事(04年11月)を書いたことがある。改めて、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

10年ほど前のことだが、こんなことを言ってきた女性(当時、35歳くらい)がいた。

 「先生、どうして中国人は、ああまで日本を悪く言うのですか! 私は許せません。日本軍が
南京で殺したのは、30万人ではありません。せいぜい、3万人です!」と。

 そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも問題でしょう。どうしてそ
のとき、日本軍が中国にいて、三光作戦を展開したのですか」と。

 あれこれ議論をしたあと、最後に、その女性は、こう叫んだ。
「あんたは、それでも、日本人か!」「即刻、教育者をやめろ!」と。

 もちろん南京虐殺事件だけではない。
中国全土はもちろん、東南アジア(マレーシア、シンガポール)でも、日本軍は同じようなことを
している。
しかし日本は、一度だって、アジアの人たちに向って、その戦争責任を認めたことはない。
ナーナーですませてしまった。

 戦争責任ということになれば、その責任は、天皇まで行ってしまう。
天皇を最高権威として、つまり日本国憲法の象徴としていだく日本としては、これは、まことに、
まずい。

 が、しかし、ものごとは、逆の立場で考えてみようではないか。

 あるとき、平和に暮らしていた日本に、となりの軍事大国K国が、侵略してきた。強大な軍事
力をもつ、K国である。

 そしてそのK国が、K国の言葉を強要し、金XX神社参拝を強要し、それに従わない日本人
を、容赦なく処罰した。
三光作戦とやらで、大阪の人たちが、30万人近く、殺された。(3万人でもよい。)そのほとんど
が、婦人や子どもたちである。

 ……という私のような意見を、現在の文部科学省大臣は、「自虐的史観」と言うらしい。
「日本人が、どうして日本を悪く言うのか」と。

 しかしどう冷静に考えても、私はK首相の言っていることのほうが、おかしいと思う。
わかりやすく言えば、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことを繰り
かえしながら、「不戦の誓いを新たにするものだ」とは!

 そんな詭弁(きべん)が、はたして、世界で通るのだろうか。
(少なくとも、韓国、中国の人たちは、そう見ている。)

 だいたいにおいて、私の姉夫婦ですら、父親がY神社に、A級戦犯として、祭られている。
にもかかわらず、一度も、Y神社を参詣していない。
むしろ、無実の罪で、処刑させられたことを、うらんでいる! それを「不戦の誓い」とは…
…!?

 むしろ、K首相の行為は、中国人や韓国人の逆鱗に触れ、戦争の火種にすら、なりかねな
い。

 日本軍による大陸侵略戦争を、肯定する人は、いまだに多い。
「日本が、道路や鉄道を敷いてやった。学校や公共施設を作ってやった」「日本のおかげで、
中国や韓国は発展したではないか」と。

 しかしもし、こんな論理がまかり通るなら、日本よ、日本人よ、逆に、その反対のことをされて
も、文句を言わないことだ。
あの中国にしても、5500年の歴史がある。
韓国にしても、2000年以上の歴史がある。

 私たちが使っている言葉は、韓国を経由して日本へ入ってきた。漢字は、まさに中国語。そ
の漢字から、ひらがなが生まれ、カタカナが生まれた。
文化の優位性ということを言うなら、日本は、中国や韓国に、もとから、かないっこないのであ
る。

 ……私は、今、かなり過激な意見を書いている。
自分でも、それがよくわかっている。

 しかしこれだけは、よく覚えておくとよい。

 もしこれだけの警告にもかかわらず、K首相が、Y神社を参拝するようなことがあれば、日中
関係や日韓関係はおろか、アジアの国々からも、日本は、総スカンを食らうだろうということ。
いや、総スカンどころでは、すまないかもしれない。先にも書いたように、「戦争の火種」にす
ら、なりかねない。
K国に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。

韓国のN大統領ですら、公式の場で、K首相のY神社参拝に触れ、「日本人よ、いい気になる
な」(04年春)と、K首相を口汚くののしっている。

つまり、この問題は、それくらいデリケートな問題だ、ということ。

 日本の首相がすることだから、あなたや私も、その責任を負うことになる。
「私には関係ない」ではすまされない。

 最後に一言。
K首相は、「心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ち」と述べている。
だったら、なぜ、「心ならずも日本人に殺された人への慰霊の気持ち」と言わないのか。
たしかに300万人もの日本人が、あの戦争で死んでいる。

 それは事実だが、しかしその日本人は、同じく300万人もの外国人を殺している。
しかも、日本の外で!

 先週も、韓国の新聞は、慰安婦問題についての最高裁判決、日本の文部科学大臣の、「(教
科書から日本批判の記事が減って)、よかった」発言などを、トップで紹介している。
が、日本では、それを知る人すら、少ない。

 それでもK首相が、Y神社参拝をつづけるというのなら、どうぞ、ご勝手に。
私は、もう知らない! 
知ったことではない! 

 ついでに、もう一言。H元首相の1億円政治献金問題がある。日本S医師連盟から、旧H派
への1億円の小切手が渡された。
だれがどう見てもワイロなのだが、H元首相は、「記憶にないが、事実なんだろう」(041130)
と逃げてしまった。

 そういう政治家を見るたびに、私は愛国心とは何だろうと、考えてしまう。
いざ、戦争ともなれば、若者たちを戦場に立たせ、自分たちは、イの一番に、その戦場から逃
げてしまう。
H元首相の、ニンマリと笑った顔を見ていると、そんな感じがする。

そういう政治家の大の仲間が、「正義」だとか、「不戦の誓い」だとか言うから、おかしい。
本当に、おかしい。
(04年12月1日記)

(補記)

 しかし……。この無力感は、いったい、どこから来るのか? 
「もう、考えるのも、いやになった」という思いすら、ある。

 何も「不戦の誓い」くらいなら、Y神社へ行かなくても、できるはず。
だいたいにおいて、「不戦の誓い」とは、何か? 
相手を怒らせ、敵意をかきたてるようなことをしながら、「不戦の誓い」とじゃ? 
私には、K首相が、まったく、理解できない。

(補記)

 日本S医師会(日歯)側から自民党旧H派への1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法違反
(不記載)の罪に問われた同派政治団体「HS研究会」(平成研)の元会計責任者・TT被告(5
5)の判決が12月3日、東京地裁であった(04年)。
OD裁判長は禁固10月、執行猶予4年(求刑・禁固10月)を言い渡した。

++++++++++++++++++++

 話を石原S氏にもどす。

 石原氏は、「なぜ中国の教科書に、文革の記述がないのか」と、中国を批判している。
「(文革で)2000万人の同胞を殺した記述がないのは、おかしい」(97P)と。

 しかしそれこそ、いらぬお節介。
つまり石原氏は、中国だって、国内でひどいことをしているではないか。
だったら、日本軍がしたことなど、問題にするなと言いたいのだろう。
あるいは、日本人が、日本の教科書に何を書こうが、日本人の自由だ、と。

 そして結論的に、「日本には経済力がある。中国など、問題ではない」という趣旨の文章がつ
づく。

 また「尖閣諸島に自衛隊を常駐させろ」と説き、もし中国軍が攻撃してきたら、日米安保条約
が発動されて、アメリカ軍が応戦してくれるなどと、説く。
「尖閣諸島は、日米同盟の試金石になる」とも。

 きわめて自己中心的な国家論である。
平和論である。忘れてならないのは、古今東西、「戦争」というのは、こうした政治家によって始
められているということ。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合した世
界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である。

●平和教育

 人格の完成度は、その人が、いかに「利他」的であるかによって決まる。
「利己」と「利他」を比較してみたばあい、利他の割合のより大きい人を、より人格のすぐれた
人とみる。

 同じように国家としての完成度は、いかに相手の国の立場でものを考えることができるかで
決まる。
経済しかり、文化しかり、そして平和しかり。

 自国の平和を唱えるなら、相手国の平和を保障してこそ、はじめてその国は、真の平和を達
成することができる。
もし子どもたちの世界に、平和教育というものがあるとするなら、いかにすれば、相手国の平
和を守ることができるか。
それを考えられる子どもにすることが、真の平和教育ということになる。

 私たちは過去において、相手の国の人たちに脅威を与えていなかったか。
 私たちは現在において、相手の国の人たちに脅威を与えていないか。
 私たちは将来において、相手の国の人たちに脅威を与えるようなことはないか。

 つまるところ、平和教育というのは、反省の教育ということになる。
反省に始まり、反省に終わる。
とくにこの日本は、戦前、アジアの国々に対して、好き勝手なことをしてきた。
満州の植民地政策、真珠湾の奇襲攻撃、それにアジア各国への侵略戦争など。

 もともと自らを反省して、責任をとるのが苦手な民族である。
それはわかるが、日本人のこの無責任体質は、いったい、どうしたものか。

 たまたま先週と今週、2週にわたって、「歴史はxxxx動いた」(NHK)という番組を見た。
日露戦争を特集していた。
その特集の中でも、「どうやって○○高地を占領したか」「どうやってロシア艦隊を撃滅したか」
という話は出てくるが、現地の人たちに、どう迷惑をかけたかという話は、いっさい、出てこなか
った。
中国の人たちにしてみれば、まさに天から降ってきたような災難である。

 私は、その番組を見ながら、ふと、こう考えた。

 「もし、今のK国が、日本を、ロシアと取りあって、戦争をしたら、どうなるのか」と。

「K国は、50万人の兵隊を、関東地方に進めた。それを迎え撃つロシア軍は、10万人。K国
は箱根から小田原を占領し、ロシア軍が船を休める横須賀へと迫った……」と。

 そしてそのときの模様を、いつか、50年後なら50年後でもよいが、K国の国営放送局の司
会者が、『そのとき歴史は変わりました』と、ニンマリと笑いながら、得意げに言ったとしたら、ど
うなるのか。
日本人は、そういう番組を、K国の人たちといっしょに、楽しむことができるだろうか」と。

 日露戦争にしても、まったく、ムダな戦争だった。
意味のない戦争だった。
死んだのは、何十万人という日本人、ロシア人、それに中国人たちだ。
そういうムダな戦争をしながら、いまだに「勝った」だの、「負けた」だのと言っている。
この日本人のオメデタサは、いったい、どこからくるのか。

 日本は、歴史の中で、外国にしいたげられた経験がない。
それはそれで幸運なことだったと思うが、だからこそ、しいたげられた人の立場で、ものを考え
ることができない。
そもそも、そういう人の立場を、理解することさえできない。

 そういう意味でも、日本人がもつ平和論というのは、実に不安定なものである。
中には、「日本の朝鮮併合は正しかった。
日本は、鉄道を敷き、道路を建設してやった」と説く人さえいる。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、逆に、K国に反対のことをされても、日本人は、文句を言
わないことだ。
ある日突然、K国の大軍が押し寄せてきて、日本を占領しても、文句を言わないことだ。

 ……という視点を、相手の国において考える。
それが私がここでいう、平和教育の原点ということになる。
「日本の平和さえ守られれば、それでいい」という考え方は、平和論でもなんでもない。
またそんな視点に立った平和論など、いくら説いても意味はない。

 日本の平和を守るためには、日本が相手の国に対して、何をしたか。何をしているか。
そして何をするだろうか。
それをまず反省しなければならない。
そして相手の国の立場で、何をすべきか。
そして何をしてはいけないかを、考える。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合した世
界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 考えてみれば、「平和」の概念ほど、漠然(ばくぜん)とした概念はない。
どういう状態を平和というか、それすら、よくわからない。
が、今、平穏だから、平和というのなら、それはまちがっている。
今、身のまわりで、戦争が起きていないから、平和というのなら、それもまちがっている。

こうした平和というのは、つぎの戦争のための準備期間でしかない。
休息期間でしかない。
私たちが、恵まれた社会で、安穏としたとたん、世界の別のところでは、別のだれかによって、
つぎの戦争が画策されている。

 過去において、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えていたか。
 今、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えているか。
 さらの将来、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えるだろうか。

 そういうことをいつも、前向きに考えていく。またそれを子どもたちに教えていく。それが平和
教育である。

++++++++++++++++++

【母親のみなさんへ……】

 勇ましい好戦論にだまされてはいけない。
振り回されてはいけない。
それがわからなければ、あなたの子どもが、戦場に行く姿を想像してみればよい。
あなたは子どもの安否が心配で、夜も眠られなくなるだろう。

 で、石原氏は、「日本の尖閣諸島が中国に攻撃されたら、日米安保条約は発動されるべき。
アメリカは、当然、中国に反撃すべき」という論法で記事を書いたのち、こうつづけている。

 「ニューヨークタイムズの記者が、当時のモンデール駐日米国大使に、『尖閣諸島で、扮装が
さらにエスカレートしたら、日米安保条約は発動するのか』と質問したところ、大使は、言下に、
『NO』と答えた。

 国会議員を辞職したばかりの私は、(この言葉に)、驚きと同時に怒りを感じましたが、なぜ
か日本政府も、国会も、それを問題としなかった」(99P)と。

 ならばあえて言おう。

 私の息子の嫁は、アメリカ人。
孫もアメリカ人。
今度生まれてくる二人目の孫も、アメリカ人。

 その孫たちが、日本の尖閣諸島を守るために、極東のアジアへやってきて、中国軍と一戦を
交えると言ったら、私は、こう言うだろう。

 「来なくていい。来るな。こんなところで、命を落すことはない。ぼくたちで、何とかするから」
と。

 石原氏の論文には、そういう原点的なものの視点が、欠けている。
記事の中には、「お国のために……」という表現すら、ある。私たち1人ひとりの命を、まるで、
モノのように考えている感じすら覚える。

 ……と書いても、私のような意見は、この日本では、少数派。
たいていの人は、石原S氏のような人の意見に耳を傾け、それに同調する。
しかし念のために申し添えるが、私は、だからといって、左翼ではない。
もちろん社会主義者でも、共産主義者でもない。
ただおかしいものは、「おかしい」と言っているにすぎない。

 あとの判断は、読者のみなさんに任せる。
みなが、それでよいというのなら、それでよい。私も、それに従う。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 南京事件 南京虐殺事件 はやし浩司 三光作戦 はやし浩司 平和論 平
和主義 はやし浩司 平和とは はやし浩司 平和について はやし浩司 ネール首相 はや
し浩司 ネール元首相 ●?于南京大屠? 我?正在努力,以反映与?卑。)
2012−02−21日記

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【広島県・呉市まで】(はやし浩司 2012−02−22)

●大和ミュージアムを見学(呉市、大和ミュージアム・旅行記)
   by はやし浩司・晃子・周市

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●サイト

http://youtu.be/kRfFIEcy9w


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

一度は……と思っていた。
大和ミュージアム。
長さ26メートルの戦艦大和の模型が、飾ってあるという。
一度は、見てみたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●新幹線の中で

 午前7時10分発の、新大阪行きに乗る。
途中、名古屋で乗り換え、広島まで。
目的地は、沖縄……ではなく、広島県、呉市(くれし)。
呉市にある、大和ミュージアム。
「大和」とは、「戦艦大和」のこと。
今日は、そこで10分の1大の、戦艦大和の模型を見る。
全長、26メートル。

 特攻作戦……戦艦大和は、沖縄への特攻作戦の途中で海に沈んだ。
無謀な作戦だった。
が、命令により死んでいった若い人たちに、責任があるわけではない。
当時は、そういう時代だった。
が、その数、3000人あまり(記憶)。
どんな気持ちだったのだろう。
子どものころから、私は、ずっとそんなことを考えていた。

●プラモデル

 動機は2つある。
ひとつは、友人のBT氏が、「一度は行く価値がある」と言ったこと。
「林さん(=私)、一度は、行ってみなさいよ」と。

もうひとつは、息子が、TAMIYAの戦艦大和を完成させたこと。
350分の1サイズ。
巨大なプラモデル。
超精密なプラモデルで、見応(ごた)えがある。
ながめているだけで、ググーッと熱いものがこみあげてくる。

 私は子どものころ、プラモデルをよく作って遊んだ。
飛行機のプラモデルだった。
マルサンという会社から、マッチ箱大のプラモデルが、売りに出されていた。
価格は30円前後だったように記憶している。
今から思うと簡単なものだった。
それを作り、手で持ちながら走り回るのが、たいへん楽しかった。
自分がパイロットになったかのように感じた。

 以来、おとなになるまで、プラモデルとは縁が切れなかった。

●夢

 今朝は、午前6時に起きた。
目覚まし時計が鳴ったとき、私は、ぐっすりと眠っていた。
夢を見ていた。
長い坂があった。
山の頂上から、ふもとまで一直線につづく坂だった。
その坂を、車でおりていく。
そんな夢だった。
ちょうど秋のころで、坂に沿って並んだ街路樹が、美しかった。

 そこで、目覚まし時計が鳴った。
瞬間、「どうして?」と思った。
旅行のことは、忘れていた。

●10分遅れ

 朝、起きるとすぐ、書斎に入った。
昨夜やり残した作業を、簡単にすませた。
が、パソコンが相手だと、簡単な作業でも、いったん始めると20〜30分はかかる。
その20〜30分が過ぎたところで、ワイフが呼びにきた。

 そそくさとパソコンを閉じ、居間に行く。
ワイフと息子がそこに、待っていた。
予定より10分遅れで、家を出た。
6時40分。

 車で大通りに出た。
深いオレンジ色の朝日が、ちぎれた雲の間から顔を出していた。

●ニュース

 ニュースサイトに目を通す。
このところ真っ先に見るのが、ロイター。
つぎにBloomberg。
この2つは、速報性にすぐれている。

 新聞社が提供しているニュースサイトは、どれも不親切。
新聞記事より新しい記事は、めったに載せない。
気持ちはよくわかるが、ときに、それを意地悪に感ずることがある。

ほかにもいろいろなところから、ニュースを配信している。
TBSや、楽天、それにYahooなど。
が、イマイチ、本気度が足りない。
……ということで、今は、ロイター。

 そのロイターは、ギリシャ問題について、懐疑的な記事を書いている。
数日前の記事では、「時間延ばしにすぎない」と。

 そうでなくてもギリシャ経済は、壊滅的状況。
そこへもってきて、緊縮予算を組めば、どうなるか。
私のような素人にも、容易に想像がつく。

 日本の神奈川県、もしくは埼玉県程度の経済規模しかないギリシャ。
そのギリシャの救済だけで、これほどまでの時間がかかる。
仲間同士で救うことができない。

EUは、たしかに弱体化している。
ギリシャが崩壊すれば、ポルトガル→スペイン→イタリアがおかしくなる。
とりあえずギリシャを防波堤にし、何とか時間稼ぎをしている。

●ポルトガル

 そのポルトガル。
こんなことを言い出した。
「うちにも、同じようにしてくれ」と。

 現在ポルトガルの国債(2年もの)利回りは、13・5%に上昇※。
ギリシャの救済策を横目で見ながら、そう言い出した。
それもそのはず。
借金を、75%近くも棒引きにしてもらえるなら、こんなおいしい話はない。

ポル「いいなあ、ギリシャは……。うちも苦しいよ」
EU「お前のところは、自力でがんばれよ」
ポル「そんなこと言わないで、うちも借金を棒引きにしてよ」
EU「あのなア……」と。

 ギリシャ問題は、ギリシャだけで、終わらない。
今度は、ポルトガルに飛び火しそうな雰囲気になってきた。

 ……悲観的な見方で、申し訳ない。

(注※……ポルトガル、ロイター)

『ラボバンクのストラテジストは「ポルトガルでは、欧州連合(EU)の支援パッケージ条件の再交
渉を政府に要請する向きが多い。
これは、ギリシャ債務再編が1度限りのことではないという可能性を示している」と述べた。

 ポルトガルの10年物国債利回りPT10YT=TWEBは18ベーシスポイント(bp)上昇し12.6
6%。
2年債利回りPT2YT=TWEBは24bp上昇し13.47%となっている』(以上、ロイター)と。

●名古屋

 名古屋で、のぞみ号(700系)に乗り換える。
自由席は、3号車まで。
ほぼ満席。

 その中にあって、計8席も、先取りしている女性がいた。
「ここは?」と聞くと、「来ます」と。
「ここは?」「来ます」、
「ここは?」「来ます」と。
そんな会話を、2、3回繰り返した。

 で、最後に、「いったい、何人、来るのですか?」と私が聞くと、一瞬迷った様子。
明らかにその女性は、ウソを言っていた。
案の定、そのあとやってきたのは、4人だけ(うち2人は子ども)。

 「空きましたから座ってください」と。
その女性はそう言った。
どこかバツの悪そうな言い方だった。

●米原

 米原あたりは、一面の雪景色だった。
ワイフにうながされて窓の外を見た。
美しいというより、寒々とした景色だった。

●悪性リンパ腫

 実は、昨日、行きつけの医院へ行ってきた。
運動のたびに、左わき下が痛む。
数年前からときどきそういう痛みはあったが、おとといは、それがひどかった。
ネットで調べると、「悪性リンパ腫」?

 同じがんの中でも、死亡率はきわめて高い。
で、行きつけの医院へ行った。
長いつきあいになる。
もう40年になる。
会うと、TH医師は、私にこう言った。
「お元気ですか?」と。

 「元気なわけがないだろ」と思ったが、それは言わなかった。
症状を告げると、あれこれと触診をしてくれた。
「リンパ腺は何ともないですなあ」と。

 で、悪性リンパ腫の名前を口にすると、こう言った。
「悪性リンパ腫なら、のどに症状が出ます。すぐわかります。それではありません」と。

 結局、薬ももらえず、そのまま帰宅。

軽くマッサージをすると、痛みはそのまま消える。
動脈瘤のようなものか?
それが腫れて、周囲の血管を刺激する。
……というのが、私の素人診断。

 「今日は、全快祝い」と言って、そのままワイフとレストランへ。

●68歳

 今朝も、近所の人の訃報が、回覧されてきた。
ワイフが「68歳の人よ……」と言って、それを私に渡した。
男性。
喪主が妻になっていた。

 「68歳かア……」と。

 それ以上、言葉がつづかなかった。

●旧約聖書の予言

 旧約聖書には、予言めいたことが、あちこちに書いてある。
それが今、その世界では、話題になっている。
アルマゲドンがどうのこうの、降臨がどうのこうの、と。
数日前も、それを読んでいた。

 が、私は、ふとこんなことに気づいた。
「旧約聖書に書いてあるのは、予言書ではなく、歴史書ではないか」と。
それならば、納得がいく。
つまりこういうこと。

 ……遠い昔、どこかの惑星が、滅びた。
火星なら火星でもよい。
温暖化と、それに伴う水や食料の奪いあい。
戦争につづく、戦争。
大気は汚れ、その結果、火星は、現在の火星になった。

その「記録」が、「予言」と名を変え、地球人に伝えられた。
「お前たちも、教えを守らないと、こうなるぞ」と。
そういうことなら、納得がいく。
つまり「予言」ではなく、「警告」。

 そこで問題なのは、降臨があるのは、前か後かということ。
つまりアルマゲドンの、前か後かということ。
神がやってきて、敬虔(けいけん)な信仰者を救うのは、いつか。
聖職者たちは、聖書の一言一句をこまかく分析し、それを論じあっている。

 が、前でも後でも、どちらでもよい。
降臨したときが、降臨したとき。
アルマゲドンによって、どのみち、ほとんどの人は、それで死ぬ。
私も死ぬ。
あなたも死ぬ。

残念ながら、私はキリスト教徒ではない。
ユダヤ教徒でもない。
神がいても、私など、相手にしないだろう。

●アルマゲドン

 アルマゲドン……もっとも可能性が高いのが、隕石の落下。
惑星との衝突も考えられる。
何でも「(そのとき)、天から、炎が雨のように降ってくる」(旧約聖書)そうだ。
となると、やはり隕石?

 直径10キロの隕石でも、人間も含め、地上のほとんどの生き物は死滅するという。
100キロを超えると、地球は、粉々?
地表という地表がめくりあがり、地上は、蒸発した岩石で覆われるという。
「蒸気岩」というらしい。
(あの岩石が、熱で、蒸気化するのだぞ!)

ハルマゲドン……可能性としては、ありえない話ではない。
が、今すぐという話でもなさそう。

●タイム・ジャンプ

 今、時刻は、午後7時14分。
広島で新幹線を降りたのが、午前10時ごろ。
9時間近くも、時間が、ジャンプしたことになる。
そこで今日の記録。

 呉阪急ホテル。
JR呉駅から、歩いて1分……というより、呉駅の真正面。
ホテルに着いたのが、11時半ごろ。
荷物を預けて、そのまま駅裏のレストランへ。

 広島と言えば、広島焼きそば……ということで、昼食は焼きそば。
「さすが本場」と思いながら、食べた。
おいしかった。
で、それが終わると、そのまま「大和ミュージアム」へ。

 本気度120%!
「すごい」の一言。
BT氏の言葉に、偽りはなかった。

●撮影

 デジタルカメラで、写真を撮りまくった。
それには、理由がある。

 こうした写真は、YOUTUBEにそのままUPすることにしている。
簡単なアルバムがそれでできてしまう。
が、今まで、YOUTUBEには、限度があった。
ビデオ撮影のばあい、15分。
静止画をつづけてUPすると、約350枚前後で、15分になる。

 が、今週から、その限度が、なくなった。
理由はわからない。
「15分以上、UPLOADできるようになりました」と。

 そこで試しに、先日、1時間近い動画を、UPしてみた。
無事、できた。
そこで今度は、静止画でそれを試してみたい。
……ということで、静止画を撮った。
撮ったというより、撮りまくった。
その数、520枚!

 それを明日、YOUTUBEにUPしてみたい。
はたして、無事、UPできるかどうか? 
無事UPできれば、そのままこの原稿に貼りつけることができる。

●海上自衛隊「くじら館」

 大和ミュージアムのあと、隣接する「くじら館」に足を運んだ。
「くじら」というのは、潜水艦のこと。
「くじら館」というのは、海上自衛隊の展示館。
浜松市には、航空自衛隊の展示館がある。
その海上自衛隊版が、「くじら館」。

順路に沿って歩いていくと、最後は、その潜水艦の内部へ入ることができる。
現役を退いたとはいえ、本物の潜水艦。
迫力がちがう。

 私はこの年齢になって、はじめて、本物の潜水艦の内部に入った。
私は閉所恐怖症。
兵隊になったとしても、潜水艦だけはごめん。
いつもそう言っている。
そのくせ、潜水艦モノの映画は、大好き。
ひとつとして、欠かしたものはない。
潜水艦に関係した映画は、すべてみてきた。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 その潜水艦の内部に、今日、入った。
大型の飛行機のようで、息苦しさはまったくなかった。
が、当然のことながら、窓は、まったくなかった。
ドキドキしながら、内部を見て回った。

●4時間

 ホテルへ戻ったのが、午後3時過ぎ。
4時間近く、歩きつづけたことになる。
……ということで、チェックインをすますと、そのままベッドへ。
バタンと倒れ、そのままひと眠り。
目を覚ますと、ワイフも、横で寝ていた。

 そのあと、風呂に入り、夕食。

●夕食

 夕食はバイキング。
1人、2500円。
500円の割引券つき。
1人、2000円。
呉阪急ホテル1階のレストラン。

 ……この呉へ来てみて、気がついた。
「物価が安い!」と。
言い換えると、浜松の物価は、高い!

●くどい

 今、時刻は、午後7時40分。
ワイフはベッドの上で、本を読んでいる。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。

 疲れているせいか、文章がうまく出てこない。
「出てこない」というのは、「適切な言葉が浮かんでこない」という意味。
それに疲れていると、文章が、どうしても回りくどくなる。

 たとえばこう……。

 「呉市も御多分に漏れず、あまり元気がない」と書き始めたとする。
が、そこで文章が途切れてしまう。
調子のよいときだと、なぜそう感じたのか、その理由を並べることができる。
が、今夜は、それができない。
そこで何とか文章をつなげようと、無理をする。
その無理をした分だけ、回りくどくなる。

 私はいつもこんなことに心がけている。
短い文章で、適切な言葉で表現する。
調子が悪いと、それがうまくできない。

 ……ということで、「うまく文章が書けない」と、ここだけでも、4、5回も繰り返した。
「うまく出てこない」「浮かんでこない」「途切れてしまう」「うまくできない」と。

 それを私は「くどい」という。
学生の作文だったら、赤字で、こう書き込むだろう。
「もっと簡潔に、要領よく、文章をまとめること」と。

●文章教室

 文章には、好き嫌いがある。
当然である。
が、誤解してはいけない。
(じょうずな文章)イコール、(好きな文章)ということではない。
いくら(じょうずな文章)でも、嫌いなものは、嫌い。
そこでふと、考える。

 ときどき「文章教室」という看板をかかげている教室を見かける。
「絵画教室」があるから、「文章教室」なるものがあっても、何もおかしくない。
講師の先生は、子どもから大学生や、社会人まで、教えているという。
が、そういう看板を見ると、いつも「?」と感じてしまう。

絵画は、感性の世界。
文章は、論理の世界。
私はその論理性を感じない文章は、好きではない。

……というか、私自身がもつ論理性と、一致しない文章は、好きではない。
たとえば細木何某(なにがし)という女性は、星占いの本を書いている。
江原何某という男性は、スピリチュアル(霊)の本を書いている。
いくら名文でも、私は、そういう人たちの書いた本には、目を通さない。
本を開く前に、拒絶反応を起こしてしまう。

 つまり文章のじょうず・へたは、指導になじまない。
いくらその講師の先生に、天才的な文才があったとしても、だ。
文章のじょうず・へたは、そのワクを超えた、別の世界で決まる。
だからよくこう思う。

「何を、どのように指導しているのだろう?」と。

 さしずめ、私の文章などは、その講師の先生からみたら、超へたくそ。
何度も書きなおしさせられるだろう。

●文章論

 では、文章とは何か?

 私たちは言葉を通して、相手に何かを訴える。
大切なのは、その中身。
真剣度。
その「言葉」が、象形化したものが、「文章」。

 もちろん訴えながら、相手に自分のことをもっと理解してほしいと願う。
正確に理解してほしいと願う。
どうすれば、相手は、自分のことをわかってくれるだろうかと考える。
それを組み立てるのが、論理性ということになる。

わかりやすく言えば、「考える」。
「考えながら、書く」。
それが重要。

●Nさん

 話題を変える。

 広島へは、高校の修学旅行で来た。
岩国なども回った。
当時は、私の記憶にまちがいがなければ、夜行列車で来た。
朝早く、広島の駅に着いたのを、覚えている。
「楽しかった」という思いよりも、「そんなことがあったのかな?」という程度。
記憶そのものが、ぼんやりとしている。
が、懐かしい。

 その懐かしさの中心部にいるのが、Nさん。
畏敬の念をこめ、「女性」と呼ぶ。
私が好意を寄せていた女性である。
その女性が、観光バスの一番奥のほうで、ほかの友だちと、カラカラと笑っていた。
その姿だけが、今でも、脳裏に焼きついている。
 
 すてきな女性だった。
が、心を打ち明けることもなく、そのまま終わってしまった。
どこか切なく、どこかほろ苦い。
プラス、歯がゆい。
それが高校の、あの修学旅行だった。

 私は今、その広島に来ている。
……というか、この広島へは、そのあと数度、来ているはず。
そのつど外人を案内し、ここへ来た。
が、そうした思い出は、ほとんど消えてしまっている。
広島と言えば、やはりNさん。

 ……あのころの私は、自分の心を素直に打ち明けることができなかった。
気が小さく、臆病だった。
(今でも、そうだが……。)
それが今ごろになって、悔やまれる。

 「好きだ。つきあってくれ。いっしょにホテルへ行こう」と。
(当時はまだラブホテルのようなものは、なかったが……。)
どうして言えなかったのだろう?
ア〜ア!

●呉阪急ホテル

 呉阪急ホテルは、「阪急」という名前があることからもわかるように、一流ホテル。
昔の帝国ホテル(東京)を思わせる風格を漂わせている。
設備類はやや古いかな……と思わせるが、調度品にはどれも、重厚感がある。
どっしりとした重みを感ずる。

 温泉こそないが、バスルームも広い。
バスタブも広い。
男性用に整髪料なども、一式そろっている。
ビジネスホテルにありがちな、窮屈さはない。
料金はそれなりに高いが、割安感はある。
サービスもよい。

 が、「二度と来ることはないだろうな」と、思う。
それに今回来てみて、こんなことを考えた。
大和ミュージアムと、くじら館だけなら、浜松からでも日帰りコース。
1泊するなら、呉市内ではなく、近くの離島にある旅館のほうがよいのでは、と。
夏場だったら、船に乗って、あたりを周遊することもできる。

 大和ミュージアムとくじら館だけを見て、こうしたホテルに一泊するのもどうか。
ぜいたくというより、もったいない?
団塊の世代は、すぐそういうものの考え方をする。
旅行を楽しむ前に、その(楽しみ)すらも、金銭的な価値に置き換えてしまう。
あるいは、これは私だけのさみしい根性によるものなのか。

●BLOG

 この原稿は、2月23日のBLOG用。
が、今日は、ほとんど原稿を書くことができなかった。
BLOGには、毎回、10枚の原稿を発表するようにしている。
現在、ここで、13枚。
(1枚)=(40字x36行)。

 これだけの旅行をしたのだから、「戦艦大和論」でも、書いてみたかった。
「広島論」でもよい。
が、今の私は、ほどよい疲れと満腹感で、脳みそは半眠状態。
(それとも、ボケがいよいよ始まったのか?)

 人は、負の一次関数的にボケていく。
脳の神経細胞は、日次的に死滅していく。
脳の神経細胞だけは、再生しない。
だから負の一次関数的。

1日、約10〜20万個の神経細胞が死滅していくと言われている。
10〜20万個だぞ!

が、それほど心配しなくてもよいという説もある。
脳細胞は、全体で、1500億個もあると言われている。
仮に100年生きたとしても、失われるのは、そのうちの2〜4%。

 が、こわいのは、微細脳梗塞や脳卒中など。
気がつかないところで、何百万、何千万単位の神経細胞が死滅している可能性もある。

 どうであれ脳みそは、不可逆的に、小さくなっていく。
今がそのときか?

●脳の神経細胞

 脳の神経細胞は、再生しないと書いた。
死滅したら、死滅したまま。
反対に、再生したら、たいへんなことになる。
ばあいによっては、5〜10年単位で、人格そのものが変わってしまう。

 私たちは10年前の人でも、20年前の人でも、同じようにつきあうことができる。
50年前の人でもよい。
それができるのも、脳の神経細胞がそのまま残っているから。

(人格の維持)か、それとも(脳の神経細胞の再生)か。
どちらかを選べと言われたら、(人格の維持)のほうがよい。
……ということで、長い進化の過程を経て、そうなったらしい?

●刺激

 どこかのニュースサイト※に、こんな記事があった。

 マウスの実験によるものだが、遊具の多い環境で育てると、判断力がますという。
そうでなければ、そうでない。
たとえば遊具の多い環境で育ったマウスは、迷路などでも、よい成績を示すという。

 人間の子どもについても、同じ。
昔から、こう言う。
『転勤族の子どもは、頭がいい』と。

 これは幼児教育の常識。
40年前に、そう言っている先生がいた。
つまり「転勤」という環境の変化が、子どもの脳の発達に、よい刺激を与える。
まずいのは、変化にとぼしい、刺激のない生活。
子どもは、(その世界)でしか、生きられなくなる。

 よくても悪くても、子どもには刺激が重要。
その刺激が、子どもを伸ばす。

(注※……マウスの実験、毎日新聞より転載)

『……チームは、刺激の多い環境の典型とされるはしごなど数種類の道具のある箱に15匹の
マウスを入れて4週間飼育した。
同時に、刺激の乏しい環境として、遊び道具のない箱で3匹のマウスを同期間、飼育した。
その後、学習や記憶力の推移、両機能をつかさどる海馬の神経細胞の状態やたんぱく質の
働きを調べた。

 刺激の多かったマウスは、刺激の乏しいマウスに比べ、迷路でゴールにたどりつくまでの時
間が回を重ねるごとに短縮されることが確認された。
さらにグルタミン酸などの神経伝達物質を運ぶ「KIF1A」、神経細胞の成長を促す「BDNF」の
2種類のたんぱく質の働きがいずれも刺激の乏しいマウスの約1.7倍に活発化していた』(以
上、毎日新聞)と。

●過保護

 このマウスの実験と直接つながるのが、「過保護」。

 過保護児の最大の特徴は、社会性の欠落。
たとえばブランコを横取りされても、それに抗議することができない。
「悪」に対する抵抗力にも乏しいから、心はもろく、いじけやすい。
怒りを内へためるから、心もゆがみやすい。

 子どもは傷まるけになりながら、成長し、たくましくなる。
そういう意味で、刺激が重要。

 では、私たち老人組は、どうか?
「今さら……」と思う部分もないわけではないが、刺激はたしかにボケ防止になる。
そのことは、こうしてものを書いていると、よくわかる。
たとえば10日間の休みがあったとする。
とたん、育児論が書けなくなる。

 こと育児論に関していえば、毎日子どもの顔を見ていなければ、書けない。
「刺激」というのは、それをいう。

●積極的不登校児

 最近、ときどき耳にするのが、積極的不登校児。
それなりの理由があるのだろう。
それは別として、親が、積極的に、自分の子どもを不登校児にする。
「学校へは行かせない」と。
 
 多くはいじめが、原因。
が、中には、「いじめられるから」という理由で、前もって不登校児にしてしまう。
親は、子どもを守っているつもりかもしれない。
しかし子どもというのは、先にも書いたように、傷まるけになりながら、成長する。
完璧な環境などといったものは、存在しない。
親がいくらがんばっても、そこには限界がある。

経済的に余裕があれば、「家庭教師をつけて……」ということもできる。
あるいはアメリカのように、ホームスクール制度が整っていればよい。
が、この日本では、そういうわけにはいかない。
親がいくらがんばっても、「学校」に代わることは、むずかしい。
仮に子ども時代はそれでよいとしても、おとなになったらどうする?

つまりそれが、ここでいう「限界」。

 さらに一歩進んで、親、とくに母親側に、心の問題があることもある。
近くの保育園にも、こんな母親がいる。

 毎日、子ども(年長女児)といっしょに、保育園へやってくる。
一日中、見え隠れしながら、塀の外から、子どもの様子をうかがっている。
で、園の先生が、「だいじょうぶですよ」と声をかける。
いったんは、家に帰る様子をしてみせるが、今度は木の陰に隠れて、子どもを見ている。

 園の園長に、「どうしたらいいですか」という相談を受けた。
で、私はこう答えた。
「思い切って、園の補助員をしてもらってはどうですか」と。
が、園長はそれを冗談ととらえた。
ハハハとたがいに笑って、(失礼!)、それですんでしまった。
 
●就寝

 こうして2012年02月22日は、終わりに近づいた。
忙しい1日だった。
プラス、疲れた。

 これはいつも思うこと。
旅先で、見知らぬ人と話すたびに、こう思う。
「こんなところにも、人がいて、みな、懸命に生きている」と。
ときとして、それが不思議でならない。
この呉市でも、そうだった。

発音が、浜松のそれと、かなりちがう。
たとえば、「呉(クレ)」も、ここ呉市では、「ク・レ」と、「レ」にアクセントをつける。
(浜松では、「ク」のほうに、アクセントを置き、「レ」を尻下がりに言う。)

 それぞれの人が、それぞれの生活をもち、それぞれに生きている。
私やあなたのように。
どこもちがわない。

私も彼らと同じと思うと同時に、彼らも、私と同じと思う。
ときとして、それが不思議でならない。

 こうして私は、戦艦大和を見ることができた。
本物ではなかったが、これで子どものころの夢がかなった。
そのつど、私はワイフにこう言う。
「冥土のみやげができた」と。

 たしかに若いころの私は、仕事ばかりしていた。
遊ぶことを知らなかった。
命に限りがあるなどとは、考えたこともなかった。
いつでもその気になれば、遊べると信じていた。

が、今はちがう。
そこに見えるものに、焦点をあて、じっとその奥まで見入る。
脳裏に叩き込む。
「二度と、見ることはないだろうな」と。

どこか暗いが、私自身は、「暗い」などとは思っていない。
若いときには見えなかったものが、今は、しっかりと見ることができる。
家々の窓にしても、それは景色ではない。
その窓の中にある生活まで、見える。……見えてくる。

 ワイフは、すでに就寝モード。
先ほどまで読んでいた本も、閉じられている。
あくびが何度か、つづけて出た。
私も、そろそろ就寝モード。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 2012年02月23日、午後10時30分。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 大和ミュージアム 広島県 呉市 くじら館 呉阪急ホテル 戦艦大和 はや
し浩司 大和)


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