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2012年         5月号
Essay……●
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2012年05月号マガジン





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】数は楽しい(大きな数の動機付け)

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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●意識のズレ 

●3月19日、山荘に一泊

 昨夜遅く、山荘にやってきた。
途中、コンビニで、いくつかのものを買った。
せんべい、チューハイ、それにチョコレート。

 山荘に着くと、すでに春の匂い。
たとえ雑草でも、若葉には、若葉の匂いがある。
そう言えば、10日ほど前、ウグイスの初鳴きを聞いた。
が、今朝は、それがない。
どうしたのだろう? ……と思いながら、この文章を書いている。

 時は、2012年3月19日、月曜日。

 今週は、大きな目標(?)がある。
小学1〜2年生たちに、「速度と時速」を教えてみる。
私にとっても、はじめての試み。
そのための教材を午前中に、用意する。
(実際、その教材を使うのは、今週の木曜日からだが……。)

 先週、小学6年生の子どもが、速度の計算で悩んでいた。
いろいろ説明してみたが、最後まで納得できなかったよう。
それで今週は、「速度と時速」を教えてみたくなった。

 こんな問題だった。

【問】
 山に登りました。
頂上までの距離は、12キロ。
行きは、時速4キロ、帰りは、時速6キロで歩きました。
平均時速を求めなさい。

 その子どもは、「(平均時速は)5キロ」と答えた。
何度説明しても、「5キロ」と。
そう言い張った。
で、紙に山の絵を描き、「あのね、まずね、往復の時間を求めてからね……」と。
が、それでも納得できなかったよう。

 そこで今週は、「速度と時速」。
小学1〜2年生のころ、その「種」をまいておく。
その種は、やがて子どもの脳の中で、芽を出し、成長する。
学校で、速度や時速について学ぶころには、大きく成長しているはず。
これを称して、「種まき教育」(はやし浩司)という。

 大切なことは、子どもを楽しませること。
この先、いろいろな場面で、「速度」とか「時速」とかいう言葉を耳にする。
そのとき子どもがそういった言葉に、前向きに反応するようにすること。
そのために「楽しい」という印象づくりを大切にする。
それが大切。

 なお誤解があるといけないので、一言。

 私のところでは、算数だけを教えているわけではない。
小学2〜3年生になると、国語も教える。
レッスンの前の、10〜15分程度を、その時間にあてている。
……といっても、国語については、筆写と作文。
この2つ。

 筆写させる文章は、古文から現代文まで。
明治以後の文豪の書いた文章が多い。
が、そういった指導は、YOUTUBEで紹介しても、あまり意味はない。
どうか、誤解のないように。

【答え】

 先の平均時速の問題について、正解は、4・8キロ。
往復5時間(行きは3時間、帰りは2時間)で、24キロを歩いたことになる。
だから24÷5=4・8(キロ)。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【意識のズレ】(意識の錯視)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

錯視という言葉がある。
昔は「目の錯覚」と呼んだ。
同じ図形でも、見方によって、魔女にも見えたり、少女に見えたりする。
あるいは中央に、花瓶がある。
が、見方を変えると、両側に女性の顔が現れる。
こういうのを錯視と呼ぶが、「色」についてのも、よく知られている。
同じ色でも、周囲を明るい色に取り囲まれると、暗く見える。
周囲を暗い色に取り囲まれると、明るく見える。
人間のもつ「意識」についても、この錯視がよく起こる。
見方によって、180度、違う。
あるいは同じ意識でも、社会的環境の中で、まったく違った「色」に見える。
そういうことは、よくある。
意識に基準もなければ、標準もない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●KS君

 私が「意識ズレ」を実感したのは、そのときだった。
中学2年生になったKS君という男子がいた。
市内のS小学校に通っていた。
小中一貫校として知られ、進学校としても有名だった。
が、うち3分の2の生徒は、小学校からのもちあがりの生徒だった。
残りの3分の1は、中学進学時に、各小学校から入学してきた、選り抜きの生徒だった。

 KS君は、今でいうLD児だった。
文章の読解力が、極端に劣っていた。
実際には、長文の文章を読むことができなかった。
そのため、国語はもちろん、社会、理科も、苦手だった。
……という回りくどい言い方はやめよう。
学校でも評判の、できの悪い生徒だった。
S小学校という学校だったからこそ、余計に目立った。
1、2年、学年が上の児童も、下の児童も、「KS君」という名前を出しただけで、笑った。

●「後悔していないか?」

 ふつう学力が極端に劣っている生徒のばあい、中学進学時に、ほかの普通校に転校してい
く。
が、強制力はない。
KS君は、そのままS中学校に残った。

 ただ数学だけは、得意だった。
それがKS君の取り柄になっていた。
が、ある日、私はKS君にこう聞いた。
仲間にも、何かにつけ、バカにされていた。
「なあ、KS君、君はS小学校に入学したことを後悔していないか?」と。

 私はKS君が、そういう進学校で、最下位の成績ということを心配し、そう言った。
が、KS君の答は、意外なものだった。
K「ううん、後悔してないよ」
私「じゃあ、学校は楽しいか?」
K「楽しいよ」
私「だって、勉強が苦手だろ?」
K「勉強は苦手だけど、放課後は楽しいよ」と。

 「後悔しているだろう」と思い、心配していた私。
が、KS君は、「楽しい」と。
みなにバカにされながらも、KS君は、自分の世界をちゃんと守っていた。
クラスでも人気者だった。

●親子の意識

 こうした意識のズレは、そのつど経験する。
こんなこともあった。

 高校3年生になったA君が、こう言った。
「親父のヤツ、地元の大学へ入れと言ってうるさい。チクショー!」と。
その言葉に、はげしい憎悪の念を感じた。
理由を聞くと、「親父は、自分の老後のめんどうを、オレにみさせようとしている」と。

 で、しばらくして、私はA君の父親と話す機会があった。
私は大学進学の話をした。
父親はこう言った。
「うちは、経済的に余裕がないから、息子には、できれば家から大学へ通ってほしいのです」
と。

 で、再びA君との会話。
私「お父さんも、今、たいへんなんだから、自宅から通える大学にしたら?」
A「うそだよ。親は子どもの将来のためなら、借金でも何でもして、子どもを大学へ送るべきだ
よ」
私「若い人はそう考えるけどね」
A「子どもは親より、幸福になる権利がある。ぼくが親になったら、そうする」
私「自分で子育てをしてみると、思い通りにはいかないものだよ」
A「親父はね、自分の老後を心配しているんだよ。ぼくを利用しようとしているんだよ」と。

 親子の間でも、意識が大きくズレることがある。
そのズレは、時代や世代にまたがることもある。

●嫌われる団塊の世代

 最近、こんな意識のズレを経験した。
2チャンネルを読んでいたときのこと。
若い人たちが、団塊の世代を、「敵」と呼んでいるのを知った。
(「敵」と書いて、「カタキ」と読むらしい。)

 これには驚いた。
そこでその前後の記事に、目を通した。
で、わかったことは、「日本の繁栄をつぶしたのは、団塊の世代」と。
さらに「これからの高齢者世代は、ゴミ」とも。
みなが、そう考えているのがわかった。

 とくに強く意識しているわけではないが、私たち団塊の世代には、団塊の世代なりの、自負心
がある。
「日本をここまで繁栄させたのは、私たち」と。
が、20代、30代の若い人たちは、私たちの世代に対し、正反対の意識をもっている。

●戦中派vs戦後派

 もっとも世代にまたがる意識のズレは、いつの時代にもある。
たとえば戦中派と戦後派。

 戦中派の人たちは、「日本を命がけで守ったのはオレたち」という意識が強い。
一方、戦後派は、「日本を焼け野原にしたのは、戦中派」という意識が強い。
「おかしな戦争をするから、日本はいまだに苦労しているのだ」と。

 そう、いまだにこの日本は、中国や韓国など、近隣諸国から、ああでもない、こうでもないと文
句ばかり言われている。
そのたびに、私たち団塊の世代の多くは、「あの戦争はまちがっていた」と言う。
「日本が焼け野原になったのは、戦中派の人間のせい」と。

 しかしそう思う私たちと、私たち団塊の世代を「敵」と思う若い人たち。
どこがどうちがうというのか。
 
●親のめんどう

 が、意識のズレをもっとも強く感ずるのは、「親のめんどう」の話になったときのこと。
私たちの世代は、親のめんどうをみるのは、子どもの役目と考える。
「家族」というときは、そこにはかならず、祖父母がいた。
「当然」というより、そんなことは、常識。
疑うこともなかった。

 が、今は、ちがう。
悪しき欧米文化の影響というか、「家族」から祖父母が除外されてしまった。
若い人たちが「家族」というときは、自分と配偶者、それに自分の子どもたちだけの世界をい
う。
もとから「親(祖父母)のめんどうをみる」という意識、そのものがない。
ないことは、先日紹介した、千葉市に住む、EH氏からのメールでも、わかる。
EH氏はこう書いている。

 「(自分の)めんどうをみてほしかったら、息子(娘)に、頼めばよい」と。
さらにこうもあった。
「親のめんどうで、息子や娘をしばるのは、それこそ家族崩壊」と。

 意識も、ここまでズレてくると、私はもう何も言うことはない。
まだ子育てが始まったばかりで、しかも親の介護もしたことがない若い父親が、ここまで言う。
私は「異常」と思うが、それが最近の若い世代の常識ということになる。

●意識論

 意識というのは、そういうもの。
それぞれが、それぞれの意識をもっている。
「常識」と置き換えてもよい。
で、それぞれの人が、それぞれの常識をもって、自分の意見を組み立てる。

 同じ形なのだが、見る人の視点によって、180度ちがう。
意識そのものが、だまされることもある。
まわりの色によって、濃淡が変わる。
「貧困」がよい例である。

 現代の人たちは、自動車を自由に乗り回している。
半世紀前には、車をもつこと自体、夢だった。
それでも「貧しい」と言う。
進学にしても、そうだ。
私の時代でも、半数が「就職組」。
高校へ進学できる中学生は、半数に過ぎなかった。
大学はもちろん、高校にしても、「行かせてくれ」と、親に頼んだ。
が、今、親に頼んで、高校や大学へ行かせてもらう中学生や高校生はいない。
もちろん感謝の「カ」の字もない。
親子の意識のズレとなると、もっと大きい。

 たとえば親が息子にこう言ったとする。
「(仕事がなくなったら)、地元へ帰って来い」と。

 親は、「何かにつけ、都会生活は、殺伐としていて、たいへんだろう」という思いをこめてそう
言う。
仕事がなくなれば、なおさら。

 が、息子氏のほうは、そうは思わない。
「老後のめんどうをみさせるために、オレを地元に戻そうとしている」と。
親のやさしさが、かえって子どもの反発を買うこともある。

●ついでに……

 ついでに、ことこの私について。
「息子たちに老後のめんどうをかけたくない」という思いは、人一倍、強い。
自分で、実兄や実母の介護で苦労した。
社会へ入ると同時に、以後、45歳まで、収入の半分は、実家へ送った。
金銭的負担感というよりは、社会的負担感に苦しんだ。
その苦労を知っている人ほど、「息子や娘たちには、同じ苦労を経験させたくない」と思う。

 が、今、息子たちにその話をすると、こう言い返される。
「パパは、ぼくたちにも同じことをしろと言っているのか。
ぼくは、自分の息子や娘に、そんなことはさせない!」と。

 親の世話も、介護もしたことがない、(させるつもりもないが)、息子たちがそう言う。

●意識

 意識というのは、10年単位で変わっていく。

 戦後派の人たちにとっては、「金権」が、最大のテーマだった。
「出世」という言葉も、もてはやされた。
「国のため」が、「会社のため」となり、企業戦士が生まれた。
「一社懸命」という言葉も生まれた。
ひもじさの戦いが、いつしか、金権教と結びついていった。
「金(マネー)こそ、すべて!」と。
が、私たちの世代にとっては、「反権力」が大きなテーマになっていた。
60年代安保闘争。
70年代安保闘争。

 しかしつづくつぎの世代には、それが「反世代」へと変化した。
尾崎豊が歌った、『♪卒業』などに、その例をみる。

 が、さらに最近は、恋愛至上主義。
欲望第一主義と置き換えてもよい。
欲望の追求こそが、善であり、目的である、と。
映画『タイタニック』のジャックとローズに、若い人たちは、「人間の理想」を見た。
悪しき欧米文化の影響である。

 その結果が今。
世代ごとに、意識が大きく変化した。
が、その意識も、よくよく観察すると、見方がちがうだけ。
そういうふうに感ずることも多い。

 原点に同じ(欲望)がある。
その(欲望)が、見方によって、ちがって見える。
あるいは周囲の環境によって、ちがって見える。
が、中身は同じ。
親を思う心。
子を思う心。
みな同じ。
しかし見方がちがう。
周囲の環境がちがう。
だからまったく、ちがって見える。
言い換えると、(欲望)にメスを入れないかぎり、(意識)の本質を知ることはない。

 ……とまあ、話が入り組んできたので、この話は、ここまで。
こういう理屈ぽい話は、みなに嫌われる。
別の機会に、もう少しかみくだいて書いてみたい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 意識 錯視 はやし浩司 意識のズレ)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

HSaturday, January 28, 2012
*Why is "Sea of Japan" "East Sea (Tonghae)"? 
To the people of USA:(アメリカの人たちへ)

*Exaggerated nationalism of South Koreans(韓国人の過激な民族主義)
Why is Sea of Japan (Japan Sea) "East Sea? (どうして日本海が、「東海」なのか?)


●韓国の人たちよ、どうして「日本海」では、いけないのか?

 私の意見に賛成の人は、下記(A)〜(B)までを、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほし
い。
訳文は、この原稿の終わりにつけておく。

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) "East Sea"?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike "Japan" and now they have been 
trying to alter the name of "Sea of Japan (Japan Sea)" into "Tonghae" or "East Sea".
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason 
why they insist so.


But if so, there would be hundreds of "East Sea" in the world, since each country has "East
".
In Japan we have a well-known proverb, saying, "If you dislike a priest, you hate his robe too
".


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: "The exaggerated nationalism 
is very dangerous".
Sea of Japan (Japan Sea) has been "Sea of Japan (Japan Sea)" for more than 120 years 
and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to 
Japan in 1853, Sea of Japan is "Japan Sea".

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) "Gulf of Mexico"?
Why doesn't USA try to alter the name into "South Gulf"?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don't have to listen to South Korea's meaningless opinion.


In the website of "Sea of Japan, No East sea" someone writes as follows:


"Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got 
brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese 
character and documents. 
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having 
hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism."


I agree to this opinion.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan 


(B)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【読者のみなさんへ】

●私たちも声をあげよう!


韓国の東亜日報は、つぎのような記事をかかげている。
「『東海・日本海』併記について、バージニア州上院は、1票差で否決した※」(2012年01月2
8日)と。
つまり「いろいろ働きかけてはみたが、教科書に、『東海・日本海』と併記させることについて、
バージニア州では、失敗した」と。

韓国はノ大統領の時代から、世界各国に専門の特使まで派遣し、「日本海」を「東海(トンヘ)」
に改名する運動を重ねている。
「日本海」という呼称が、どうにもこうにも気に入らないらしい。
その気持ちはよくわかる。
が、どうして日本海が「東海」なのか?
 
韓国から見れば、確かに「東の海」。
が、日本から見れば、「北西の海」。
ロシアから見れば、「東南の海」。
これほどまでに自己中心性丸出しの呼び方は、そうはない。
もし世界中の国々が、自分の国を中心に、東西南北の海の名前を決めたら、それこそ「東海」
という名前は、国の数だけ生まれることになる。

そこで韓国はバランスをとるため、黄海を、独自に、「西海」と呼んでいる。
が、こちらのほうは、目立った運動は、まったくしていない。
つまり「おまけ」。
韓国は、要するに、「日本」という文字がよほど気に入らないらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「日本海」問題

 日本海の呼称問題については、たびたび書いてきた。
ここでは、もう一歩、さらに話の内容を進めてみたい。
その第一。

 日本人は、あまりにも、おとなし過ぎる!

 どうして日本はもっと積極的に発言し、行動しないのか。
韓国が特使を派遣したら、日本も派遣すればよい。
韓国が騒いだら、日本も同じだけ、騒げばよい。

 昨年(2011年5月)書いた原稿を、もう一度掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「東海(トンヘ)」問題 (?? vs. ???)

 『坊主憎ければ……』とかいうが、韓国は、「日本海」という名称が、よほど、気に入ら
ないらしい。

 で、韓国政府は、全世界の各国に「特使」まで送って、「日本海」を「東海」へ変更しよ
うと努力している。
(「特使」だぞ! わかるか!)

が、どうして「東海」なのか。
これほどまでに自己中心的な発想はない。
もしロシアが、「太平洋を『東方洋』にせよ」と主張したら、世界はロシアをどう思うだろ
うか。

 ついでに韓国は、黄海を、「西海」にしようとしている。
そうでも言わないと、バランス(=整合性)が取れないからだ。
が、無理は無理。
韓国政府も、やっとそれに気づき始めた。

 中央日報(韓国)は、つぎのように伝える。

『韓国政府は国際社会の東海(トンヘ、日本名・日本海)表記と関連し、「東海」と「日
本海」を併記すべきだという意見を国際水路機関(IHO)に提出したと、政府当局者が
1日明らかにした。 

当局者は「IHO側が2日までに東海表記に関する公式意見を伝えてほしいと要求してき
た」とし、「東海単独表記主張は成功する可能性がないと判断した」と説明した』(5月4
日)と。

 繰り返すが、どこの国に対して、「東」なのか?
日本にとっては、日本海は、「北海」。
あるいは、「北西海」。
もしこんなメチャメチャな改名が許されるとしたら、それこそ世界は、大混乱。
「東海」だけでも、世界中に、何千も生まれる。

 ついでに……

対馬海峡→(韓国の)南海
東シナ海→(台湾の)北海
台湾海峡→中国海峡
南シナ海→北フィリッピン海
フィリッピン海→グアム海、などなどとしたら、どうか?

そのうちベンガル湾も、インドの東にあるということで、「東海」になるかもしれない。
アラビア海は、パキスタンの南にあるから、「南海」になるかもしれない。

 特使まで送って改名させようとしているところが、すごい。
……というか、バカげている。

 原稿をさがしてみたら、2007年の5月に、同じ原稿を書いているのがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●またまた「東海(トンヘ)」?(2007年5月記)

Why should the Japan Sea (Sea of Japan) be the Eastern Sea?
The Japan Sea (Sea of Japan) is situated to the east of Korea, 
but is situated to the north to Japan.

++++++++++++++++++

韓国にとっては、東海(トンヘ)かも
しれないが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。

どうして韓国は、こうまで「東海」に
こだわるのか?

++++++++++++++++++

 『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺(ことわざ)を、地で行くような事例が、これ。
今も、つづいている。
韓国は、数年前から世界各国に特使まで送り、「日本海」を、「東海(トンヘ)」に改称しようと運
動を重ねている。

 韓国にとっては、たしかに「東海」だが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。
韓国は、よほど、「日本」という名前が嫌いらしい。
「日本海」ではなく、「日本」という名称が嫌いらしい。

 しかし日本の周辺を見ただけでも、その地域や固有の名前がついた海というのは、いくらで
もある。

 北から、東シベリア海、ベーリング海、オホーツク海、東シナ海、台湾海峡、フィリッピン海、
南シナ海などなど。

 しかし「東海」などという、自己中心性丸出しの名前は、どこにもない。
英語で言えば、「the Eastern Sea(東海)」。
「トンヘの意味は?」と聞かれたら、韓国の人たちは、何と答えるのか。

 こんな改名がまかり通るなら、まず日本とフィリッピンの間にある「フィリッピン海」を、「南海」
としたらどうか。
が、韓国にとっては、それはおもしろくないらしい。
こんな記事が、今朝の朝鮮N報に載っていた。

 『5月7日からモナコで開かれる、国際水路機構(IHO)総会に参加する、加盟国78カ国のう
ち、大多数が「日本海」の単独表記を支持していることが判明し、韓国政府に緊張が走ってい
る。

 韓国政府当局者は30日、IHO総会に関するブリーフィングを開き、「現在の状況では大多数
のIHO加盟国が日本海単独表記を支持しているが、どのような状況であれ、日本海が単独表
記されることを絶対に容認することはできないというの、われわれの基本的な立場」と述べた』
(07年5月1日)と。

 どうして容認することができないのか? 
韓国側は、その理由も述べたらよい。と、同時に、どうして日本海ではいけないのか。
その理由も述べたらよい。
さらに、どうして「東海」なのか、その理由も述べたらよい。

 仮に「東海」ということになれば、今度は、日本が猛反対するだろう。
「どうして東海なのか」と。

 さすがの韓国政府も、自分たちの愚かさに気づいたのだろう。
今度は、「平和の海」という代案を出してきた。
「平和」という名前は、K国が好んで使う名称でもある。今の今も、あの38度線をはさんで、韓
国側にある村を、「自由の村」と呼び、K国側にある村を、「平和の村」と呼んでいる。

 が、その「平和の海」論も、どこかへ消えた。
そこで再び、「東海」。
「併記問題」。
今度は、「日本海と東海を併記せよ」と。

 こうした韓国側の動きを見ていると、反日運動の原点を見ているようで、興味深い。
つまり韓国にとってみれば、日本の存在そのものが、おもしろくないのだ。
理由など、ない。
まさに感情論。
彼らが主張するところの歴史認識問題にしても、そのうちの何割か以上は、その感情論と考え
てよい。

 しかし一言。
韓国政府も、いちいちそんな(名称)の問題にこだわらないで、もっと大きな問題に取り組んで
みたらどうか? 
たとえば国連への分担金を一人前にふやすとか、そういうことを考えてみたらどうか? あるい
は政府開発援助金を、人口比に応じて、せめて日本の3分の1くらいにまで、ふやすとか…
…。

 そういうことはまったくせず、主張することだけは、一人前。
あるいはそれ以上!

 どちらにせよ、「東海」などという呼称そのものが、私たち日本人にとっては、言語道断。
どうして日本の北にある日本海が、東海なのか。
日本としては、絶対に容認できない呼称である。

ちなみに国際水路機構(IHO)総会では、大多数が、「日本海」の単独表記を支持しているとい
う。
当然のことである。

(付記)今まで、直接的な批判を避け、あえて東海を「西海」などとまぶして、批判記事を書いて
きましたが、今日から、正面から、「東海」とすることにしました。

(以上、2007年5月に書いた原稿より)

●グーグル翻訳でも……

 グーグル翻訳サービスを使って、「日本海」を韓国語に翻訳すると、韓国語で「東海」と翻訳さ
れる。
韓国政府は、すでにグーグルにまで、こうした手を伸ばしている。
日本よ、油断するな!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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情 反日運動 はやし浩司 日本海 東海呼称問題)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人よ、もっと声をあげよう!

 日本人よ、もっと声をあげよう。
方法は、簡単。
もしみなさんがBLOG(Twitter)を書いているなら、以下の文面をコピーし、あなたのBLOGに
貼りつけてほしい。

 ネットの世界では、同じ意見でも、数が多ければ多いほど、検索時に上位に表示される。
アメリカをはじめ、世界の人たちの目に留まる。
それが重要。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A~Bまでの訳文)

●どうして日本海が、「東海」なのか?

 私たち日本人は、韓国人(朝鮮人)が、日本を嫌っていることを知っている。
そして今、日本海という名前を、「トンヘ」つまり、「東海」と改名しようとしていることを知ってい
る。
日本海は、朝鮮半島の東側に位置する。
それが彼らの主張の根拠になっている。

が、もしそうなら、世界中に、何百という「東海」が生まれるだろう。
というのも、それぞれの国に、「東」があるからである。

日本には、『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺がある。
あのA・アインシュタインは、田丸謙二先生への手紙の中で、こう書いている。
「過激な民族主義は危険である」と。

「日本海」という名前は、100年以上も、世界の常識として使われている。
1853年に日本に来航した、マシュー・ペリー提督が使った地図でも、日本海は「日本海」にな
っている。
でないというのなら、どうしてメキシコ湾が「メキシコ湾」なのか。
アメリカは、どうしてメキシコ湾を、「南湾」と改名しようとしないのか。
なぜなら、この種のナショナリズムが、馬鹿げていることを知っているからである。

どうか韓国の、馬鹿げた意見に耳を貸さないでほしい。

『日本海であって、東海ではない』(Sea of Japan, No East Sea)サイトの中には、次のような意
見が載っている。

『……アメリカ人は韓国政府および韓国の国粋主義者たちは、漢字や漢字で書かれた書類を
読めない子どもやマスメディアの世界において、洗脳プロパガンダ(=政治的情宣活動)を繰り
広げている。

これらの攻撃的なプロパガンダは、無邪気な子どもたちをたきつけ、日本や日本人に対する
敵意を煽(あお)り立てている。
私はこれらの愚かな、構造的暴力、さらには拡張主義、つまり新しいタイプのファシズムに、抗
議する』(以上、同サイトより)と。

私は、この意見に同意する。

浜松市 はやし浩司


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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) "East Sea"?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike "Japan" and now they have been 
trying to alter the name of "Sea of Japan (Japan Sea)" into "Tonghae" or "East Sea".
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason 
why they insist so.


But if so, there would be hundreds of "East Sea" in the world, since each country has "East
".
In Japan we have a well-known proverb, saying, "If you dislike a priest, you hate his robe too
".


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: "The exaggerated nationalism 
is very dangerous".
Sea of Japan (Japan Sea) has been "Sea of Japan (Japan Sea)" for more than 120 years 
and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to 
Japan in 1853, Sea of Japan is "Japan Sea".

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) "Gulf of Mexico"?
Why doesn't USA try to alter the name into "South Gulf"?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don't have to listen to South Korea's meaningless opinion.


In the website of "Sea of Japan, No East sea", someone writes as follows:


"Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got 
brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese 
character and documents. 
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having 
hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism."
I agree to this opinion.


Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan 


(B)

++++以上 (A)~(B)をコピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい++++++

●「教科書」

 ついでに一言。

 東亜日報紙は、この記事※の中で、「教科書」という言葉に、こだわっているのがわかる。
が、アメリカの学校には、「教科書」と呼ばれる教科書は、ない。
「テキスト」はある。
が、教科書はない。
民間の出版社が発刊する、テキストである。
それぞれの学校が、自由に、それぞれのテキストを使っている。

そもそも、日本のような検定制度そのものが、アメリカには、ない。
だから、州議会に働きかけても、意味がない。
州議会で仮に併記を議決したとしても、法的拘束力はない。
それを知ってか知らずか、「教科書」という言葉を使っているところが、恐ろしい。

日本政府は、教科書について、検定済み教科書であって、国定教科書ではないと主張してい
る。
が、これはウソ。
「検定」も「国定」も、英語に翻訳すれば、同じ。

なおついでながら、オーストラリアにも検定制度はある。
民間団体が、自主的にそれを行っている。
行っているが、検定するのは、暴力と性描写のみ。
むしろ逆で、州政府は、「政治的な表現については、検定してはならない」と、釘をさしている
(南オーストラリア州)。
小学低学年時には、テキストすら使っていないところもある。

 繰り返す。
アメリカには検定制度そのものがない。
ないから、「教科書」という言い方そのものが、適切ではない。
「テキスト」は「テキスト」。
どうか誤解のないように!

 日本も、教科書制度を廃止したらよい。
戦時中の日本ならいざ知らず、2012年の今、国定教科書とは!
今どき「教科書」を使い、国民の思想統一しているのは、そこらの独裁国家くらいなもの。
日本よ、日本人よ、いいかげんに、目を覚ませ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……東亜日報紙の記事・全文)

『米教科書の「東海・日本海」併記、バージニア州上院1票差で否決
米バージニア州議会で推進された「東海(トンヘ)と日本海の教科書併記法案(SB200)」(東
海併記法案)が否決された。 
15人で構成された州議会上院の教育保健委員会は26日、全体会議を開き、東海併記法案
に対する採決を実施し、賛成7票、反対8票で否決した。
同日の採決では、賛成7票と反対7票で拮抗したが、キャスティングボートを握るスティーブン・
マーティン委員長(共和)が反対票を投じ、否決された。 

デヴィッド・マースデン議員(民主)が11日に提出した同法案は、バージニア州内の公立学校
で使用される1年生から12年生用の教科書に東海と日本海を併記することを義務づける内容
を含んでおり、16日に教育委小委員会を通過した。 

小委員会を通過した時は、全体会議の通過が有力視されたが、共和党議員を中心に親日ム
ードが生まれ、否決されたという』(以上「東亜日報」より)と。

なお日本のMSN・産経ニュースは、つぎのように伝えている。

『……米ワシントン近郊のバージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を「東海」
と併記することを求める州法案の採決が行われ、1票差で否決されたことが分かった。

歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた。

米国では最近、韓国系米国人らが日本の教科書の使用中止を求める動きもあり、日本政府
は官民を挙げた対策が求められている』(MSNニュース・2012年1月29日)と。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 東海 日本海 呼称問題 行き過ぎたナショナリズム 過激な民族主義 韓
国のはやし浩司 東海呼称問題 Tong Hae Tonghae 東海 はやし浩司 Eggerrated 
Nationalism of South Korea 韓国のファシズム はやし浩司 民族主義 はやし浩司 メキシコ
湾を南海に ペリー提督の地図)
はやし浩司 2012−01−29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4月8日(日曜日)(はやし浩司 2012ー04−08)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

近く、高校の同窓会がある。
それを兼ね、郡上八幡まで足を延ばし、市内の旅館に泊まることにした。
吉田屋という旅館。
以前より、一度は泊まってみたいと思っていた。
宿の案内によれば、1日、6組しか、宿泊客を受け入れないとのこと。
が、けっして小さな旅館ではない。
割烹旅館。
その帰りに、同窓会に出る。

その郡上八幡。
小さな町だが、観光ズレしていないところが、すばらしい。
前回行ったときには、人力車に、ワイフと2人で乗った。
プラス、あの町には、子どものころからの楽しい思い出が、ぎっしりと詰まっている。

今度行ったら、8月の盆踊りの日に泊まれるかどうか、聞いてみる。
今から予約すれば、たぶん、だいじょうぶだろう。
もしダメなら、もうひとつその山奥にある、白鳥で、盆踊りを楽しむという方法もある。
駅前のAという旅館が、イチ押し。

月日がたつのも速い。
月日が来るのも速い。
私たちはその狭間(はざま)で、過去を見たり、未来を見たりしながら生きている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●乗馬マシン

 買ったのは、数年前。
ときどき乗って、遊んでいる。
乗馬マシン。
ちょうど馬に乗っているかのように、前後左右に、パカパカ動く。
それが結構、楽しい。
本当に馬にまたがっているかのような気分になる。

 で、昨日のこと。
それに乗りながら、「女座り」というのを試してみた。
西部劇映画などで、そういうシーンがときどき出てくる。
またがって乗るのではなく、横向きに座る。
女性が、そういう乗り方をする。
単純な好奇心からだった。
が、これがまずかった。
 
 10分ほど乗っただけなのだが、そのあと気分が悪くなってしまった。
原因はわからない。
肝臓か胆のうに負担がかかったのかもしれない。
ひどくはないが、軽い吐き気を覚えた。
船酔いにも似ているが、それとも、感じがややちがう。

 で、結論。
慣れないことは、してはいけない。
するとしても、いきなり、「高速」ではまずい。
(そのとき、「高速」設定で、してしまった!)
はじめは少しずつ、ゆっくりと始めるのがよい。

 そういえば、こんな大失敗をした知人がいる。
何かにつけ、私と発想が似ている。
考え方も似ている。
行動派。
が、やっては、失敗する。
その男性は、こんなことをした。

●曲がった腰

 その男性は、自分の腰が、やや前に曲がり始めたのに気がついた。
年齢は、73歳。
若いころ、重い荷物をもつ仕事をしていた。
椎間板が損傷したらしい。

 「さあ、たいへん!」ということで、その男性は、自分で腰にあてる器具を作った。
木製で、それを背中に当てて寝る。
それを当てると、背骨がちょうどブリッジのようになる。
言うなれば矯正器具。
その男性は、それで曲がり始めた腰が、元に戻ると考えた。
それを一晩、自分の腰にくくりつけ、その姿勢で寝た。

 が、結果は大失敗。
翌朝早く、救急車で病院へ運ばれるところとなった。
腰がまったく曲がらなくなってしまった。

以後、1週間ほど、入院した。
つまり素人療法は、何かにつけて、危険。
今回の私の乗馬にしても、そうだ。
いつものようにまたがって乗っていればよいものを、あえて「女座り」をしてみた。
無理に腰を、左右に激しく振ることになった。
それがよくなかった。

 ……ということで、今朝は、朝食は抜き。
バナナ半分と、お湯だけ。
それにしても、バカなことをしたものだ
いまだに気分が悪い。
後悔!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マガジン4月16日号

 今朝は、とくに書きたいテーマは、なし。
平穏、無事。
午後は、ワイフと愛知県境までドライブに行くつもり。
途中に友人の別荘がある。
もしそこに友人がいれば、少し遊ばせてもらう。
今日は日曜日だから、たぶん、いるはず。
今が、ベストシーズン。

 で、とりあえず(?)、電子マガジンの4月16日号の発行予約を入れることにした。
テーマは、「プリウス問題」。
少し古いテーマだが、あの話は、現在、ナーナーで終わってしまっている。
もとはと言えば、アメリカ人の先走った誤解。
ありもしない急加速問題をでっちあげ、それでもって、日本車を攻撃した。

 で、私なりに調べてみたが、調べれば調べるほど、へん。
デタラメ。
その前の2月13日号で、「アメリカ人の脳みそ」について書いたので、4月16日号は、その続
編ということになる。

 プリウス問題は何だったのか。
それをもう一度、みなさんに訴えてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【アメリカ人の脳みそ】(TOYOTAのプリウス急加速問題)

アメリカ人の脳みそを疑うようになったのは、
(それ以前からも、疑っていたが……)、
あのプリウスの急発進問題が起きてから。
大学とは名ばかり。
もちろん優秀な教授や学生が集まる大学も多いが、
そうでない大学も、少なくない。

南イリノイ大学もそのひとつ。
その大学に、デービッド・ギルバート教授という教授がいる。
彼は、プリウスの急加速を、実験で証明できたと主張した。
が、その方法が、稚拙。
幼稚。
バカげている。

 『ギルバート教授は、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に、5ボルトを加えてショートさせた状
態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することなく、急加速現
象がみられた』とした。
それに対して、トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤ
ーの絶縁状態を破壊する必要があった、としている。

 つまりギルバート教授は、わざと電線をショートさせ、急加速現象を起こしてみせた。
そしてそれでもって、「トヨタのプリウスは、欠陥車」と結論づけた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以下、当時、私がBLOGに書いた原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アメリカ人の論理力(TOYOTAのプリウス問題)

●アメリカ人の友人たちへ(To my friends in USA as to TOYOTA recall problem)
You have almost lost the last friend in Asia!

++++++++++++++++++++++

今度のTOYOTA問題を通して、君たちは、
アジアにおける最後の友人を失いつつある。
それを私たちは、とても残念なことに思う。

You have almost lost the last friend that had remained to be so in Asia through the 
TOYOTA problems, about which we feel very sorry.

より多くの日本人が、反米的になりつつある。
新米的であった私でさえ、アメリカに、大きく失望した。
そして今では、こう言うようになってしまった。
「アメリカなど、クソ食らえ!」と。

More and more Japanese are becoming anti-American and even I, whom I supposed myself 
to be a pro-American, do not hesitate to say, "Down with USA".

再現性のない、インチキ実験?
報道映像の捏造?
さらには保険金目当ての、にせ事故?、などなど。
日本では、急加速は、一例も報告されていない。
それもそのはず。
この日本で、両足を、ブレーキとアクセルの両方にのせて運転する人はいない。
「事故の95%は、運転手によるもの。
車によるものは2%にすぎない」(アメリカ国家ハイウェイ安全局(NHTSA)会長)。

リコール後も、600万台のプリウスについて、60件の苦情があったとか。
(600万台につき、60件だぞ!
0・001%!
GM車やフォード車については、どうなのか?)

それについて、「NHTSAは、さらなる改善策をTOYOTAに命じた」とか。
アメリカよ、少しは、冷静になれ。
これを「日本叩き」と言わずして、何という?

A very doubtful experiment, which was proved to be a fake,
A fabricated report on TV,
False accidents reported in the Congress...,
and more over it is strange that none of these sorts of accidents are reported in Japan.
No stupid men put both feet on each a brake pedal and accelerator pedal at the same time 
in Japan.
Be calm!
NHTSA has ordered Toyota to provide a different solution, since 60 complains are reported 
among 6 million TOYOTA cars. 
Isn't this "Japan Bashing"?

+++++++++++++++++++++

●TOYOTA問題

 今回の一連のTOYOTA騒ぎは、何のか。
よくわからないが、ことの発端は、1教授のインチキ実験。
南イリノイ大学の、ギルバート教授。
彼はコードの絶縁体を意図的にはがし、それでもって、急加速を再現してみせた。

「(絶縁体がはがれるなどいうことは)、通常の状態では起こらない」というのが、一般的な常
識。
そこで今度は、同教授は、5ボルトの電圧をかけ、「同じようなことが起こる」と実験してみせ
た。

 しかし急加速問題は、何もTOYOTAで始まったわけではない。
同じような実験をすれば、ほかのメーカーの車でも、同じような反応を起こすことがわかった。
また似たような急加速は、TOYOTA車以外でも、アメリカでは、繰り返し、起きているという。
つまりこれは、TOYOTA車の問題というよりは、アメリカ人の車の乗り方に問題があると考え
たほうが、正しい。

 当初、「アクセルとブレーキを同時に踏むと……」という報道が流れたとき、私には、その意
味がよくわからなかった。
「アクセルとブレーキを同時に踏むとは、どういうことなのか」と。
そのまま解釈すれば、アメリカ人というのは、両足を、アクセルとブレーキの両方に、足を載せ
て運転しているということになる。
しかし日本人は、そういう乗り方をしない。
そのためにアクセルもブレーキも右側(アメリカでは左側)に、寄せて並べてある。
 
●疑問

 つぎつぎと新事実が、明るみになってきている。
が、今は私もまだよくわからないでいる。
報道された記事だけを集めておく。
後日、もう少し事実が明らかになった段階で、このつづきを書いてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)疑問だらけのデービッド・ギルバート教授の実験

トヨタ自動車は1日付の米議会あて書簡で、南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授が先
週の公聴会で示した見解に反論した。

同教授は、2月23日の下院エネルギー・商業委員会の公聴会で、自ら行った実験でトヨタ車に
発生したとされる急加速の状況を再現できたと証言、トヨタの電子系統に問題があるとの見解
を示していた。 

ASSOCIATED PRESS 

 南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授(2月23日の公聴会で) は、プリウスの急加速
を、実験で証明できたと主張した。

 この証言に対し、トヨタは書簡で、独自の調査と同社が調査を委託した技術コンサルティング
会社エクスポネント(米カリフォルニア州)の調査結果に基づいて反論を展開した。
トヨタはトヨタ側の実験でもギルバート教授と同じ結果が得られたが、他のメーカーの車でも同
じ状況が生じたと主張し、同教授の証言は誤解を招くと批判した。 

 エクスポネントは43ページに及ぶ報告書で、ギルバート教授の実験を他のメーカーの5車種
で行ったところ、すべて同じ状況が発生したことを明らかにし、実験のような状況は「きわめて
可能性の低い欠陥が重なった場合にしか生じない」と結論づけた。 

 ギルバート教授は23日の証言で、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に5ボルトを加えてショ
ートさせた状態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することな
く、急加速現象がみられた、とした。
トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤーの絶縁状態
を破壊する必要があった、としている。 

 ギルバート教授から、トヨタとエクスポネントの実験結果に対するコメントは得られなかった。 

 トヨタの広報担当マイク・マイケルズ氏は、ギルバード教授の調査を「誤解を招く不適切なも
の」とし、「システムをいじりまわしている」と批判した(以上「ウォール・ストリート・ジャーナル日
本語版より)。 

★以上の原文

Toyota Motor Corp. rebutted the findings of a study presented at a congressional hearing 
last week that claimed to replicate undetected sudden acceleration in its vehicles and called 
into question the company's electronics. 

TOYOTAは、反証をあげた。

Based on its own study and one undertaken by the Menlo Park, Calif., engineering research 
firm Exponent, which has been hired by Toyota, the car maker said it was able to duplicate 
the result in Toyota vehicles found by David W. Gilbert, a professor at Southern Illinois 
University-Carbondale who testified at a House hearing. But Toyota said it also created the 
same response in vehicles made by competitors, which it said rendered Mr. Gilbert's findings 
misleading. 

ギルバート教授がしたようなことをすれば、ほかのメーカーの車でも、同じようなことが起きるこ
とがわかった。

"We have reproduced the engine revving and engine speed increase in Toyota's vehicles," 
Toyota said in a statement dated March 1 and sent to congressional committees. "At the 
same time, we have also confirmed that a substantially similar kind of engine speed increase 
phenomenon occurs with the other manufacturers' vehicles." 
Toyota said the tests Mr. Gilbert performed would not happen "in the actual market." To 
achieve Mr. Gilbert's results, Toyota said it had to cut and breach the insulation on two 
wires. 

TOYOTAは、このような急加速は、TOYOTA車だけにかぎったことではなく、ギルバートの行
ったようなテスト(=2本の線の絶縁体をはがし、接触させるようなこと)は、通常の状態では起
きないと言った。

Mr. Gilbert said he will provide an official response but declined to comment on the findings 
by Exponent and Toyota. He said he may travel to California to meet with the research 
concern. 

In the last week, Toyota has endured three bruising congressional hearings questioning its 
belated response to reports of sudden acceleration in its vehicles. While Toyota executives 
acknowledged the company failed to quickly respond to safety issues in the past, the 
company has maintained that faults in its electronics are not behind incidents of unwanted 
acceleration. 

TOYOTAは、安全問題に迅速に答えなかったことは認めるものの、電子部品には欠陥はない
と主張した。

Consumer safety advocates continue to challenge Toyota on that point, charging that the 
rise in acceleration reports-which have been linked to 52 deaths-is correlated to the 
installation of an electronic throttle control system in Toyota and Lexus models beginning in 
2002. 

消費者安全協会は、52人の死亡について、TOYOTA車との関連を追究する。

Mr. Gilbert, who testified before the House Commerce and Energy Committee Feb. 23, said 
he was able to replicate sudden acceleration without creating an error code in the vehicle's 
onboard computer by introducing five volts into the gas-pedal circuitry of a Toyota Avalon. 
In his report, Mr. Gilbert said his findings "question the integrity and consistency" of Toyota'
s computers to detect malfunctions.

5ボルトの電圧をかけたら、急加速現象が起きた。

In a 43-page report, Exponent, the research firm hired by Toyota to investigate its vehicles 
electronics, applied Mr. Gilbert's test to five models including a Honda Accord and a BMW 
325i and found all five reacted similarly. Toyota added that it tested three competitor 
vehicles and found they experienced the same engine revving and speed increase when 
their electronics were similarly altered. 

同じような急加速現象は、ほかのメーカーの車でも報告されている。

"For such an event to happen in the real world requires a sequence of faults that is 
extraordinarily unlikely," Exponent said in its report. 

Toyota spokesman Mike Michels described Mr. Gilbert's research as "misleading and 
irrelevant." Mr. Gilbert was "gaming the system," Mr. Michels said. 

ギルバートの報告は、誤解を招くもの。
また車をもてあそんでいるだけ。

Separately, the National Highway Traffic Safety Administration said Thursday it has 
received more than 60 complaints from Toyota owners who report they are still 
experiencing sudden unintended acceleration despite having their vehicle repaired by a 
Toyota dealer under the car maker's recalls. 

TOYOTA のリコール後も、60件の苦情が、国家ハイウェイ安全局(NHTSA)に届いてい
る。

"Officials are contacting each and every consumer to learn more about what they say is 
happening," the agency said. 

現在、調査中。

If it appears that the remedy provided by Toyota isn't addressing the problem, NHTSA said 
it has the authority to order Toyota to provide a different solution. 
"We are determined to get to the bottom of this," said David Strickland, administrator of 
the auto-safety agency. 

国家ハイウェイ安全局(NHTSA)は、TOYOTAに、ほかの解決策を用意するよう、命じている
(以上、ウォールス・トリート・ジャーナルより)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ニューヨーク時事・3月16日】

トヨタ自動車は15日、米カリフォルニア州サンディエゴ近郊の高速道路で急加速を引き起こし
たとされるハイブリッド車「プリウス」について、技術者らが関連部品の徹底的な検査のほか、
走行テストなど多岐にわたる検証を行ったものの、車両に急加速を引き起こすような異常は見
られなかったとの暫定調査報告をまとめた。

 調査は米道路交通安全局(NHTSA)関係者と米議員らの立ち会いの下、10、11の両日実施
された。
トヨタは暫定報告で、

(1)アクセルペダルは正常に機能した。
(2)前輪ブレーキは著しく摩耗していたが、後輪ブレーキとハンドブレーキは良好な状態だっ
た。
(3)正規品のフロアマットは留め金には固定されていなかったが、アクセルペダルを妨害もしく
は接触するような状態は確認されなかった。
(4)エンジン点火装置は正常だった。
(5)変速レバーも正常だった。
(6)アクセルペダルとブレーキペダルを同時に踏んだ場合、エンジン出力が減退する機能も正
常に作動した−などと説明した(以上、時事通信より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ワシントン】米下院エネルギー・商業委員会が23日開いたトヨタ自動車の大量リコール(回収・
無償修理)問題をめぐる公聴会で、急加速を経験したとして証言したロンダ・スミスさんのトヨタ
の「レクサスES350セダン」が、現在も使用されており、何のトラブルも起こしていないことが分
かった。
米高速道路交通安全局(NHTSA)の広報担当者が24日明らかにした。 

●公聴会で証言したロンダ・スミスさん
 
同スポークスマンによれば、NHTSAが先週、同車の新しいオーナーに聞いたところ、「走行距
離3000マイル弱のところで購入し、何のトラブルも経験せずに走行距離は2万7000マイルにな
った」と答えたという。
スミスさんは証言で、2006年にテネシー州のハイウェーで制御不能の急加速に見舞われ、時
速100マイル(約160キロ)になった恐怖の経験を涙ながらに語った。
その後、スミスさん夫妻は同車を売却した。 

 報告を受けたNHTSAの検査官は、フロアーマットがアクセルペダルに引っかかったことが原
因と判断した。
しかしスミスさん夫妻は、フロアーマットのせいではないと主張。スミス夫人は、車が速度を上
げる前にクルーズ・コントロール・ライトが点滅したことから、電子制御系の問題と考えている
(以上、ウォール・ストリート・ジャーナル)。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 ただ、2005年のNHTSA調査によると、自動車事故の約95%は運転者のミスによるもの
で、自動車の問題で起こるのは約2%にすぎない。
米自動車工業会のマッカーディ会長は同公聴会で、この報告を引用する予定だ。
同会長はまた、車の衝突データを集めるのにNHTSAがもっと多くの資金を必要としていること
を訴える方針だ(以上、ウォールストリート・ジャーナル)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 先週、米カリフォルニア州のハイウェイで起きたトヨタのハイブリッド車プリウスの急加速事件
で、連邦当局の調査によってブレーキに特殊な損耗パターンが見つかり、運転者の説明に疑
問が浮かび上がっている。
関係している3人が語った。

 先週8日、サンディエゴ近くのインターステート8号線で青の2008年型プリウスを運転していた
ジェームズ・サイクス氏(61)は緊急電話をかけて、何もしないのにスピードが時速90マイル
(144キロメートル)まで上がったとオペレーターに伝えた。
最終的にはカリフォルニア・ハイウェー・パトロールのパトカーが同車に横付けし、止めることが
できた。 

 サイクス氏は走行中およびその後に、高速走行中に力いっぱいブレーキを踏み込んだと話し
た。

 しかし、関係者によれば、米運輸省道路交通安全局(NHTSA)とトヨタの専門家が共同でこ
の車を調査したが、高速走行中に一定時間力いっぱいブレーキが踏み込まれた痕跡は見つ
からなかった。

 ブレーキは変色し、損耗が見られたが、その摩擦パターンは運転者が断続的に普通程度の
力でブレーキを踏んだことを示唆しており、サイクスさんが言うような踏み込みはうかがえなか
ったという。

 これ以上の詳細は明らかではない。NHTSA当局者は12日、調査に関するコメントを拒否し
た(以上、ウォール・ストリート・ジャーナルより)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 TOYOTA問題 急加速問題 トヨタのリコール リコール問題 南イリノイ大学 
デービッド・ギルバート教授 はやし浩司 アクセルとブレーキ トヨタ プリウス 急発進 急加
速)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●アホの上塗り(How are you ashamed of yourselves, Mr. NHTST, USA?)

To: NHTSA, USA

What has been the "TOYOTA" problem?
Please re-read my article which I wrote in 2010.
In that article, I wrote, "Be ashamed NHTSA!"
I also agein write here, "Be ashamed, NHTSA!"

+++++++++++++++++++++++++

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

このたび、TOYOTAの「シロ」が、確定した。

まず、YOMIURIの記事から。

+++++++++++++以下、YOMIURI+++++++++++++++

 ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに"お墨付き"を与えたこと
を明らかにした。
末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」を購入したという。

 長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべ
きだ』と答えた」と語った。
「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも述べた。
長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。

+++++++++++++以上、YOMIURI+++++++++++++++

●ラフード米運輸長官

 こんな記者会見程度で、TOYOTAが被った損害が、解消できるのか?
それで責任を果たしたことになるのか。
このラフード米運輸長官は、アホ中のアホ。
TOYOTA車に、宇宙線をあててまで、欠陥を探し出そうとした、その張本人である。
「車に、宇宙線」だぞ。
それもNASAと協力して?!

 ラフード米運輸長官は、「論理学」の「ロ」の字も知らない、アホ。
アホ長官。

●2010年に書いた原稿より

 昨年(2010)に、私が書いた原稿を、もう一度、よく読んでみてほしい。
ここに書いた「アホ」の意味が、よくわかってもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10−04−01)

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の私の原稿が、あちこちの
サイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスによるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの不適切な操作によるもの。
ところで、こんな仰天ニュースが、読売新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)と全米科
学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受けて事故原因の調査
に乗り出すことが30日、明らかになった。

 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月かけて
行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影響を与
えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立てあげたいら
しい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼したという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア〜〜〜?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、その放射
線とやらは、どこから発せられたのか。

そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるはず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授のそれと、
どこもちがわない。

「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したとか?

TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与える
かもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほうがよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠とはならな
い。

もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こぞって、
放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、どれをめくってみ
るか。

1枚目……(△)
2枚目……(□)
3枚目……赤の(●)
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明されたわけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)であったとしても)、この命
題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがっていることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、TOYOT
Aの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。

(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)
さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA車に、ま
んべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」も証明しな
ければならない。

まだある。

「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、証明しなけれ
ばならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせなくなってし
まった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、アクセル
とブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数でも
よい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリ
カには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。
これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数値に近けれ
ば、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因があるということになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)と、ほかの
メーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通安全局
(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。
 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交通安
全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題にする前に、
車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしている。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必要があ
るのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題は起きて
いないという。

(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでいる。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証明しな
ければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータでもあれ
ば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響を
与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめて十分
となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が与え
る影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X−File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明でき
た」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。

言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 ラフード米運輸長官 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安全局(NHTS
A) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制御装置 影響 TOYO
TA ハイブリッド車)

●終わりに

 ラフード米運輸長官は、こう言ったという。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答
えた」と。

 それに応じて、日本の経団連は、「安全性のお墨付きをもらった」とはしゃいでいる。
が、これもおかしい。
日本の車、社会、経済に与えた影響は、計り知れない。
それをさておき、「お墨付き」とは?
どうして日本は、ここまで隷属するのか。
シッポを振るのか。
本来なら、「コノヤロー!」と激怒し、損害賠償を請求してよい事案である。
どうしてそれをしないのか?

 つまりラフード米運輸長官のこの程度のリップサービスで、日本人のあのときの(怒り)をご破
算にしてすませてはいけない。
またそれですむような話ではない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【結論】

 「スーパー・マルチタースク人間」かどうかは、運転中だけのテストではわからない。
スーパー・マルチ・タースク人間と言えるためには、ほかの分野でのテストでも、それが証明さ
れなければ、ならない。

 自動車の運転のような、慣れによって自動化できる技術を尺度にし、それ以外の作業ができ
るからといって、マルチ人間ということにはならない。

 従って、ユタ大学が行った、この実験とその結果は、「C」マーク。
「アメリカの大学」「教授」「大学がした実験」という言葉に、幻想をもってはいけない。
またそういう権威付けにだまされてはいけない。

(はやし浩司 David Gilbert South Illinois Fake はやし浩司 Jason Watson David Strayer 
家庭教育 ニセ科学 エセ論文 偽論文 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 スーパー
マルチ人間 スーパータスカー はやし浩司 マルチ型人間 シングルマルチ TOYOTA プリ
ウス 論理の穴 論理の矛盾 論理学 はやし浩司 必要十分条件 はやし浩司 Super 
Tasker スーパータスク人間 スーパータスク型人間 はやし浩司 マルチ人間)2012/03/06ま
とめ


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ひさしぶりに民宿に一泊 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

明日は、講演。 
それを理由に、今夜は、隣町のA町に一泊。  
浜松市の自宅から、東名高速道路を経由して、2時間30分。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●TAMIYAの「戦艦大和」 

 ところで今日、TAMIYAの戦艦大和が届いた。 
定価は2万4000円前後だが、AMAZONで買ったら、1万6000円前後だった。 
知る人ぞ知る、プラモデルの最高傑作。 
超大型モデル。 
縮尺は、350分の1。 

 学生時代から、「一度は……」と思っていた。 
「一度は作ってみたい」と。 
とうとうその夢が、実現した。 
息子に手伝ってもらえば、できるはず。 

●宿にて 

 エアコンを最高の31度に設定した。 
それから半時間。 
やっと部屋の中が暖かくなってきた。 
どこか風邪ぽい? 
おかしな寒気を感ずる。 
部屋に入ったときから、水鼻が出るようになった。 

 で、目下、インフルエンザが、大流行中。 
警戒するに越したことはない。 
今年、私は予防接種をしていない。 
ワイフや息子はしたが、私はできなかった。 
いつもの医院へ行ったら、「もう在庫がありません」と。 

 気をつけよう。 

●旧市街 

 通りは、「X町通り」となっている。 
部屋は2階。 
通りから、ひっきりなしに街の騒音が聞こえてくる。 
削岩機がコンクリートを削る音。 
そんな音も、時折、遠くから聞こえてくる。 

 どの店も元気がない。 
店というより、通りに元気がない。
そんな通りを、車がザザーッ、ザザーッと行ったり来たりしている。 
その音が、嵐の日の、窓ガラスを叩きつける雨の音のよう。 

 その商店街通り。 
家と家の隙間がない。 
この街並みは、故郷の美濃町と同じ。 
道に面した窓からだけ、外の明かりが入ってくる。 
私は高校を卒業するまで、こういう街中に住んでいた。 
懐かしさがこみあげてきた。

 ……そんなことを思い出していた。 
眠くなる目を、懸命にこらえながら……。 

●「信ずる」 

 子どもを信ずるということは、どういうことなのだろう。 
たとえば夫婦や恋人どうしなら、「疑わない」ということ。 
が、相手が子どものばあいは、ニュアンスがややちがう。 

 あえて定義するなら、「能力を認める」ということ。 
というのも、「愛する」とか、「信ずる」とかいうが、中身が、きわめてあいまい。 
抽象的。 
「子どもを信じなさい」と言われた親だって、困る。 
「どうすればいいの?」と。 

 そこで私は、こう考えた。 
「信ずることは、子どもの能力を認めること」と。 

●「能力を認める」 

 この私も、母に、泣かれたことがある。 
私が「幼稚園の先生になる」と言ったときのことだった。 
が、あのとき母だけでも、私を信じてくれていたら、そののちの私の人生は、大きく変わってい
ただろう。 
母を責めているのではない。 
母は母で、当時の常識として、そう言った。 

 その「信ずる」。 
私の能力、つまり、能力がもつ方向性、それを認めてほしかった。 
それでここに書いたように、「信ずること」イコール、「能力を認めること」と考えるようになっ
た。 

●公務員の給料、8%削減? 

 Yahooニュースは、つぎのように伝える。 

『……国家公務員の給与を引き下げる臨時特例法案をめぐり、民主、自民、公明3党は25日
午前、国会内で実務者協議を開いた。 
民主党は今年3月から平均0.23%引き下げる人事院勧告(人勧)を実施したうえで、同4月
からさらに平均7.8%を上乗せし、計平均8.03%減額する修正案を提示』(ヤフーNEWS)
と。 

 しかし問題は、給料ではなく、「手当」。 
1人ひとりの公務員に責任があるわけではないが、「手当」にメスを入れないかぎり、ただのザ
ル法案。 
職種によっては、20〜30種類もの手当はつくのがある。 
その手当の額が大きい。 

役人のことだから、あの手この手で、法案を骨抜きにしてしまうはず。 
今までも、ずっとそうだった。 
「減額された分は、手当で補てんします」と。 

 それに今ごろ、8%! 

 私の親しい友人(H市市役所勤務)は、すでに15年以上も前に、こう言っていた。 
「私ら、本当に、公務員になっていてよかったです」と。 
物価はさがる。 
給料はさがらない。 
職を失う心配は、ゼロ。 
退職金も年金も、満額! 

 今では同じ職種でも、公務員と民間とでは、2倍近い開きがある(「週刊文春」)。 
さらにこんな謀略も……。 

●年収500万円 

 今度から、年収が500万円以上あるときは、年金が減額されることになったという。 
まだ法案が通過したとは聞いていないが、たぶん、そうなるだろう。 

 しかし年金といっても、どの年金をいうのか。 
もしそれが基礎年金(国民年金)のことをいうなら、これほどまでにずるい謀略はない。 
こういうこと。 

 この先、日本経済は左前になる。 
よくなるなどということは、考えられない。 
そのときこの日本を、猛烈なインフレが襲う。 
(=円の価値がさがる。) 
現在、500円のラーメンが、1000円とか、2000円とかになる。 
ハイパーインフレが日本を襲えば、タクシーの初乗り代が、1万円になることも考えられる(経
済雑誌ほか)。 
当然、その分だけ、名目上の給料はあがる。 

 大卒の初任給が、年収にして500万円とか、そうなる。 
もしそうなったら、年金は、どうなるか。 
先の法案が通れば、年金が自動的に減らされることになる。 

 現在の今は、「500万円もあれば、減額されても、しかたない」ということになる。 
が、2年後、あるいは3年後には、そんなことは言っておれないだろう。 

 「だから今のうちに、法案を通しておけ」と。 
つまり先手を打った(?)。 
それにしても、官僚の考えることは、ずるい。 

●眠い 

 午後から眠かったが、夕食後、眠気がぐんとました。 
「横になろうか……」、 
「もう少し起きていようか……」、 
……目下、思案中。 

●下宿 

 「金沢の下宿がこうだった」と私。 
間取りは、8畳間。 
下宿では、その8畳間をベニア板で2つに仕切り、2部屋としていた。 
今の若い人たちにすれば、想像もつかないだろう。 
質素な部屋だった。 
電気も、天井に1灯、蛍光灯があるだけ。 
冷房も暖房もなし。 
小さなコタツだけ。 

 そんな下宿に、2年間いた。 
3年生になるとき、別の下宿に移ったが、それまでの下宿より、さらに劣悪だった。 
が、下宿代が下宿代だったから、文句は言わなかった。 
2食付で、9000円(1年入学時)〜1万6000円(4年卒業時)。 
そのように記憶している。 

●R町 

 夕食後、扁桃腺が痛くなった。 
いつもならアスコルビン酸の原末をもって歩く。 
が、今日は、忘れた。 

 郊外のドラグストアまで車で行く。 
そこでアスコルビン酸と葛根湯のドリンク剤を買う。 
私のばあい、アスコルビン酸でうがいをすると、痛みは消える。 
うがいするとき、しみるような痛みを感ずるときもある。 
が、そのあと、スーッと痛みが消える。 
(あくまでも私のばあいの治療法。 
ぜったいにマネをしないように!) 


●不景気 

 先日も、浜松市内で弁当店を経営している、F氏がこう言った。 
「不景気ですね」と。 
会うたびに、そう言う。 

 こういう小さな町に来てみると、それが痛いほど、よくわかる、 
不景気なら不景気でよい。 
が、日本は、20年前を境に、それ以前の日本へと後退している。 
このままでは、戦後直後の日本に逆戻りしてしまう。 

 この宿にしても、40年前の下宿屋にそっくり。 
私は毎日、毎晩、ただひたすら勉強したのは、勉強が好きだったからではない。 
勉強以外にすることがなかった。 
遊ぶ、お金もなかった。 

●「団塊の世代は敵」 

 若い人たちから見れば、日本の繁栄を食いつぶしたのは、私たち団塊の世代ということにな
る。 
2チャンネルの投稿を読んでいると、それがよくわかる。 
一方、団塊の世代は、(私を含めての話だが)、そうは思っていない。 
「この日本を支えてきたのは、私たち」という自負心が強い。 
ただひたすら、企業戦士となり、一社懸命でがんばってきた。 
家庭を犠牲にした人も多い。 

 この意識のズレを理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要があ
る。 

●飽食と贅沢(ぜいたく) 
  
現在の20代、30代の人たちが生まれたころは、日本経済はまさにバブル経済の真っ最中。 
子どもが生まれると、祖父母までやってきて、蝶よ、花よともてはやした。 
まさに飽食と贅沢。 
それが当たり前の世界だった。 
七五三の祝いに、ホテルや料亭を借り切って祝う家も、少なくなかった。 

 が、こうした育児観を批判する人もいるには、いた。 
私もその1人だった。 
当時、書いた原稿がどこかにあるはず。 
探してみる。 

2作、つづけて紹介する。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●「費用もかえって、安いのじゃないかしら?」 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

七五三の祝いを式場で? 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●費用は一人二万円 

 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。 
何でも今では、子どもの七五三の祝いを、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。 
見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な着物を着た女の子(6歳ぐらい)が、中央にすわり、
これまた結婚式場のように、列席者がその前に並んでいた。 

費用は一人二万円くらいだそうだ。 
レポーターが、やや皮肉をこめた言い方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その
母親はこう言った。 
「家でするより楽で、費用もかえって、安いのじゃないかしら」と。 

●ため息をついた私と女房 

 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。 
私たちは、結婚式すらしてない。 
と言うより、できなかった。 
貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだったが)、私が今の
女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、「香港へ行きた
い」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでおしまい。 

実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。 
反対に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。 

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけ
でも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも
流れてしまった。 
さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。 

●「何か、おかしいわ」 

 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。 
「何か、おかしいわ」と。 
つづけて私も言った。 
「おかしい」と。 
すると女房がまたこう言った。 
「私なら、あんな祝い、招待されても行かないわ」と。 
私もそれにうなずいた。 

いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなものだったかもしれない。 
しかしおかしいものは、おかしい。 

 子どもを愛するということ。 
子どもを大切の思うということ。 
そのことと、こうした祝いを盛大にするということは、別のことである。こうした祝いをしたからと
いって、子どもを愛したことにも、大切にしたことにはならない。 
しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。 

むしろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。 
「自分は大切な人間だ」と思うのは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢
心である。 
その慢心がつのれば、子どもは自分の姿を見失う。 
こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。 

 さらに……。 
子どもが慢心をもったならもったで、その慢心を維持できればよいが、そうでなければ、結局は
その子ども自身が、……?  
この先は、私の伯母のことを書く。 

●中途半端な人生 

 私の友人の母親は、滋賀の山村で生まれ育った女性だが、気位の高い人だった。 
自転車屋の夫と結婚したものの、生涯ただの一度もドライバーさえ握ったことがない。 
店の窓ガラスさえ拭いたことがないという。 
そういう女性がどうこうというのではない。 
その人はその人だ。 
が、問題はなぜその女性がそうであったかということ。 
その理由の一つが、その女性が育った家庭環境ではないか。 

その女性は数一〇〇年つづいた庄屋の長女だった。 
農家の出身だが、子どものころ畑仕事はまったくしなかったという。 
そういう流れの中で、その女性はそういう女性になった。 

●虚栄の世界で 

 たとえばその女性は、医師の妻やその町のお金持ちの妻としか交際しなかった。 
娘と息子がいたが、医師の娘が日本舞踊を習い始めたりすると、すぐ自分の娘にも日本舞踊
を習わせた。 
金持ちの娘が琴を学び始めたりすると、すぐ自分の娘にも琴を習わせた。 
あとは一事が万事。 

が、結局はそういう見栄の中で、一番苦しんだのはその女性自身ではなかったのか。 
たしかにその女性は、親にかわいがられて育ったのだろうが、それが長い目で見てよかったの
かどうかということになると、それは疑わしい。 
結局友人の母親は、自転車屋のおかみさんにもなれず、さりとて上流階級の奥様にもなれ
ず、何とも中途半端なまま、その生涯を終えた。 

●子どもはスポイルされるだけ? 

 話を戻すが、子どものときから「蝶よ、花よ」と育てられれば、子ども自身がスポイルされる。 
ダメになる。 
それだけの財力と実力がいつまでもともなえば、それでよいが、そういうことは期待するほうが
おかしい。 
友人の母親のような末路をたどらないとは、だれにも言えない。 

 で、その女性にはつづきがある。 
その女性は死ぬまで、家のしきたりにこだわった。 
五月の節句になると、軒下に花飾りをつけた。 
そして近所に、甘酒を配ったりした。 
家計は火の車だったが、それでもそういうしきたりはやめなかった。 
友人から、「ムダな出費がかかってたいへん」という苦情が届いたこともある。 

●子どもというのは皮肉なもの 

 子どもというのは不思議なものだ。 
お金や手間をかければかけるほど、ダメになる。 
ドラ息子化する。 
親は「親に感謝しているはず」と考えるかもしれないが、実際には逆。 

 一方、子どもは使えば使うほど、すばらしい子どもになる。 
苦労がわかる子どもになるから、やさしくもなる。 
学習面でも伸びる。 
もともと勉強には、ある種の苦痛がともなう。 
その苦痛を乗りこえる忍耐力も、そこから生まれる。 
「子どもを育てる」という面では、そのほうが望ましいことは言うまでもない。 


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi 

●ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん? 

子どもに与えるお金は、100倍せよ 

●年長から小学2、3年にできる金銭感覚 

 子どもの金銭感覚は、年長から小学2、3年にかけて完成する。 
この時期できる金銭感覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。 
が、それだけではない。 
子どもはお金で自分の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。 
これがこわい。 

●100倍論 

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、100倍にして考えるとよい。 
100円のものなら、100倍して、1万円。 
1000円のものなら、100倍して、10万円と。 
つまりこの時期、100円のものから得る満足感は、おとなが1万円のものを買ったときの満足
感と同じということ。 
そういう満足感になれた子どもは、やがて100円や1000円のものでは満足しなくなる。 
中学生になれば、1万円、10万円。さらに高校生や大学生になれば、10万円、100万円とな
る。 
あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与
えることは、やめたほうがよい。 

●やがてあなたの手に負えなくなる 

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。 
あるいは高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。 
しかしこれはまったくの誤解。 
あるいは実際には、逆効果。 

一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。 
子どもはさらに高価なものを求めるようになる。 
そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。 

 先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。 
何でもその朝発売になるゲームソフトを手に入れるために、60歳前後の女性がゲームソフト
屋の前に並んでいるというのだ。 
しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。 
「かわいい孫のためです」と。 

その番組の中では、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子
ども(孫)は、こう言っていた。 

「おばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。 

●この話はどこかおかしい 

一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。 
つまり1人の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲ
ーム屋の前に並んでいるというのだ。 
その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持参で並んでいるのだろう
が、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。 
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。 

苦労などというものは、同じような苦労した人だけに理解できる。 
その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのでは
ないのか。 

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け 

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。 
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ
が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。 
少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思
い出」。 
この思い出が親子のきずなを太くする。 

●モノに固執する国民性 

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。 
アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素 
である。 
少し前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだっ
た。 
それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。 

日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそ
れが親子関係にそのまま反映される。 

 さてクリスマス。 
さて誕生日。 
あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんなプレゼントを買い与えているだ
ろうか。 
ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。 

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 七五三 祝い ホテル 結婚式 子どもの金銭感覚 金銭教育 はやし浩司
 七五三の祝い 飽食と贅沢 自分を見失う子ども 子供 はやし浩司 釣り竿を買ってやるよ
り 寒空に並ぶ祖母) 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●神国日本 

 20代、30代の人たちの目から見れば、こうなる。 
「日本の繁栄を食いつぶしたのは、団塊の世代」と。 
少なくとも、私たち団塊の世代に感謝している若い人は、いない。 
それはちょうど、私たち団塊の世代が、戦時中、戦争に行った人に感謝していないのとよく似
ている。 
むしろ逆で、「どうしてあんなバカな戦争をしたのだ」と、非難する。 

 当時の人たちは、国策として洗脳※されていたとはいえ、「神国日本」のために、命をかけ
た。 
戦った。 

(注※……私たちは常に国家によって、洗脳されている。 
私にもこんな経験がある。 

 オーストラリアへ留学生として渡ったときのこと。 
オーストラリア人の学生がこう聞いた。 
「日本ではなぜ、軍事教育をしているのか?」と。 
そこで私が「していない!」と断言すると、こう言った。 

「日本の男子学生は、みな、陸軍服(学生服)を着ている。 
女子学生は、水兵服(セーラー服)を着ている。 
それに軍隊ももっているではないか」と。 

 そこで私が、「あれは軍隊ではない。セルフ・デフェンス・アーミィ(自己防衛隊)だ」と言うと、
みなが、ドッと笑った。 
「どこの国の軍隊が、自国を守らないということがあるか」と。 

 私は「自衛隊は軍隊ではない」と教えられていた。 
つまりそのように洗脳されていた。) 

●感謝 

 だから……というわけでもないが、現在の高校生や大学生は、親に感謝などしない。 
高校生で、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、ほぼゼロ。 
大学生でも、少ない。 
それもそのはず。 

 子どもたちは幼いころから、「勉強しろ」「勉強しろ」と尻を叩かれている。 
だからこう言う。 
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と。 

 私の3人の息子たちにしてもそうだ。 
ごく平均的な高校であり、大学生だったと思う。 
思うが、このかた、ただの一度も、私に感謝の念を伝えたことがない。 
親の私は、老後の貯蓄を切り崩して、学費を工面した。 
が、そんな親の気持ちや苦労など、どこ吹く風。 
私が新しいパソコンを買ったときも、息子の1人は、私にこう言った。 

「無駄づかい、するな!」と。 

 私が自分で働いて、自分で買ったパソコンである。 
それについても、そう言う。 

●意識 

 結局は意識の問題ということになる。 
その意識が、180度、ズレている。 

 が、私たちは私たちの意識を基盤にして、ものを考える。 
「私たちがこうだから……」と。 
つまり「子どもたちには、これだけのことをしてやったのだから、内心では感謝しているはず」
と。 
私のワイフも、ときどき、そう言う。 
が、残念ながら、私の息子というより、現在の若い世代の人たちには、そういう意識は、まった
くない。 

 意識というのは、そういうもの。 
シロか、クロか。 
それしかない。 
むしろ逆恨みされる。 
「この日本をダメにしたのは、パパたち、団塊の世代」と。 

それともあなたは、戦時中、戦争に行き、日本のために戦争をしたあの世代に、感謝している
とでも言うのだろうか。 

●グチ 

 悲観的なことを書いた。 
が、こうした町に泊まってみると、それがよくわかる。 
本来なら、今、マレーシアやインドネシアに立っている高層ビルが、この町にあってもおかしくな
い。 
が、それがない。 
どこにも、ない。 

 立派な建物といえば、どこかのゼネコンが請け負った公共施設だけ。 
本来なら……と書きたいが、この先は、グチになるだけ。 
書いても意味がない。 

 ただこういうことは言える。 

 一見、華々しく見える日本経済だが、現状を知りたかったら、こうした町の、こうした民宿に泊
まってみることだ。 
ここに今、日本の現状がある。 

●講演 

 鼻水は少し出るが、風邪の症状は収まったようだ。 
よかった! 
明日は、講演。 
が、私は妥協しない。 

 どんな小さな町の講演であっても、手を抜かない。 
真剣勝負。 
そう言えば、先ほど、携帯電話に、電話がかかってきた。 
N市の教育委員会の人からのものだった。 
来月、そこで講演をすることになっている。 

それについて、要するに、「ふつうの講演をしてほしい」ということらしい。 
先週、私は、こんな演題をつけた。 
「六諏輪廻の……闇路に迷う愚痴親父」と。 
それがまずかった? 

 「改めて、書き直します」と返事を書いた。 

●就寝 

 そろそろ眠くなってきた。 
ワイフは、すでに寝支度を整えている。 
私も、先ほど、歯を磨いた。 

 ……長く通った歯科医院が、閉鎖され、すでに1年以上になる。 
今度から、K歯科医院に通うつもりでいる。 
私の教え子が、その医院で、歯科医師をしている。 
楽しみなような、恐いような。 
「あのときの恨み、今、はらす……」と、グサリとやられるかもしれない。 

 ……学生時代を久々に思い出した。 
あのころもこうして徹夜でパソコンを叩いていた……というのは、ウソ。 
当時はまだ、パソコンはなかった。 
工学部に、電子計算機というのは、あった。 
教室1部屋を占めるほど大型のもので、窓の外からのぞくと、紙テープがバラバラと音をたて
て飛び出していた。 
それを見て、私は、こう思った。 
「なんだ、こんなものか!」と。 

 それから40年。 
今、ここでこうして使っているパソコンのほうが、当時の電子計算機より、性能は、はるかによ
い。 
それを考えると、不思議な感覚に襲われる。 

(おやすみなさい。はやし浩司 2012−01−25) 

●1月26日(木曜日) 

 朝は、5時に目を覚ました。 
エアコンの、乾燥した風を感じ、目が覚めた。 
のどがカラカラだった。 

 ……ニュースサイトをのぞくと、長野市で、積雪151センチとあった。 
151センチ! 
その量に驚く。 
道理で、昨夜は、寒かった。 

●円高vs貿易赤字 

 もうひとつのニュースは、日本の貿易収支が、昨年(2011年)赤字になったこと。 
「円高不況」とは言われるが、もし今「円安」だったら、貿易赤字は、さらに膨らんでいたはず。 

どうであるにせよ、2012年の日本は、たいへん暗い。 
今は、EUの金融危機問題で関心が、EUに移っている。 
が、皮肉なことにEU問題が片づけば、つぎは日本? 
あるいは中国? 
あるいはアメリカ? 

 このところ韓国のウォンが急上昇している。 
(今日現在、1ドル=112円台。先月は、117〜116円前後。) 
韓国がターゲットにされている可能性も、きわめて高い。 

●教育 

 教育というのは、今、組み立てても、その成果が表れるのは、20〜30年後。 
言い換えると、教育は、常に20〜30年後を見据えてする。 
そのよい例が、シンガポール。 
シンガポールは、「Look East(日本を見習え)」と、20〜30年前に、その準備をした。 
こんな例がある。 

 私がいたオーストラリアのIHカレッジ(メルボルン大学)には、世界中から留学生が集まって
いた。 
が、それぞれの国の留学生は、それぞれの国の国情をそのまま反映していた。 
独裁国家からの留学生は、王子や皇太子など。 
フィリッピンなどの軍事国家の留学生は、軍人。 
そしてシンガポールからも留学生が来ていたが、彼は「教師」だった。 
名前を、チュー・チー・サンと言った。 

 日本から行った私は、三井物産という会社の内定を延期してもらい、オーストラリアに渡っ
た。 
日本は当時、経済立国をめざしていた。 
当時の私は、「なぜ、教師が?」と思ったが、今にしてみると、シンガポールは、教育に全精力
を注いでいた。 

 これからの日本を支えるには、「教育」しかない。 
が、その教育は、……? 
少なくとも今、日本がしている程度の教育なら、世界中、どこでもしている。 
英語の国際検定試験では、ビリから数えたほうが早いほど。 
こんな状態で、日本は2050年を乗り切ることができるだろうか。 

 つまり今の日本に必要なのは、教育の大改革。 
自由化。 
基本的な主要科目は、学校で教える。 
それ以外は民間に委託し、自由競争に任せる。 
たとえば英語教育などといった科目は、民間に任す。 
月謝は、バウチャー券方式で補助すればよい。 

 高校、大学の単位の共通化は、常識。 
フリースクールも、これまた、常識。 
今のように、学校以外に道はなく、学校を離れて道はない。 
そんな制度のほうが、遅れている。 
おかしい。 
その(おかしさ)に、みなが気づく。 

 が、同時に、職業格差、給与格差、官民格差を是正する。 
これが残るかぎり、受験競争はなくならない。 
学外教育といえば、受験教育。 
そうなってしまう。 

 要するに、子どもたちのもつ多様性に合わせて、無数のコースを用意する。 
その選択は、子ども自身に任す。 
なぜ今、この日本で、「武士道」なのか? 
「論語教育」なのか? 
方向性がまちがっているというより、バカげている。 

●豆腐系人間 

 とは書きつつも、このところ私も自信を失いつつある。 
子どもたちの世界でも、たくましい子どもほど、嫌われている。 
自己主張のはげしい子どもほど、嫌われている。 
「できの悪い子」と。 

 そのかわり生まれてきたのが、草食系ならぬ、豆腐系人間。 
おとなしく、ハキがなく、ナヨナヨしている。 
男子なのに、ピンクの花柄パンツをはき、耳や鼻には、金物をぶらさげている(高校生)。 
「日本は……?」と問いかけただけで、「ダサイ!」と言って、はねのけてしまう。 
(そういう若者にしたのは、時の文部省だぞ!) 
こんな日本に、未来はあるのか? 

 では、どうするか? 

 たくましい子どもを育てるためには、たくましい教師がいなければならない。 
たくましい教師を育てなければならない。 
が、現状は、……? 
「年功序列」という言葉がある。 
学校教育は、完ぺきに近いほど、その年功序列型社会。 
その年功序列型社会をまず崩す。 
30代、40代の校長が出現する。 
20代でもよい。 
そうなったとき、日本の教育は変わる。 
また変えなければならない。 

●私たちの責任 

 かなり頭が熱くなってきた。 
こういう話になると、どうしても頭が熱くなってしまう。 
が、これだけは言える。 

 それぞれの人は、それぞれの立場で、がんばっている。 
それは認める。 
が、同時に、天下国家を論じてこそ、その先に日本の未来が見えてくる。 
2050年には、少子化がさらに進み、高齢者がさらにふえる。 
(65歳までのおとな):(65歳以上の高齢者)の比率が、1・2:1になる。 

 腰の曲がったような高齢者が、100万円(3か月ごと)の札束を手づかみにして郵便局を出
る。 
その一方で、子どもをもつ親には、数万円(月額)の補助もない。 
学費にしても、基本的には、全額、親の負担。 
企業によっては、私製の奨学金制度を始めたところもある(スズキ自動車ほか)。 
しかし欧米と比べたら、超貧弱。 

 私も今、20代なら、子どもは作らない。 
生まれてくる子どもが、かわいそう! 
若い人たちにしても、そうだ。 
明けても暮れても、やっていることと言えば、恋愛ごっこ。 

 つまりこういう国にしてしまったのも、私たちの責任。 
天下国家を論じなくなった、私たちの責任。 
が、その私たちに向かって、若い人たちは、こう言う。 
「ゴミ」と。 

●亡国の兆候 

 しかし……。 
「ゴミだ」「ゴミだ」と言われると、ふとこう思う。 
「どうでもなれ!」と。 
「そんな偉そうなことを言うなら、自分で国を作ってみろ」と。 

言い換えると、この日本も、落ちるところまで落ちるしかない。 
一度、食うに困るところまで、落ちるしかない。 
またそこまで落ちないと、自分で気がつかない。 

 ……こういうのをニヒリズムという。 
そのニヒリズムが、私の心の中にも、芽生え始めている。 
まさに亡国の兆候。 
が、これではいけない! 
「どうでもなれ」と手を引いてしまったら、今までの努力は、いったい何だったのかということにな
ってしまう。 
が、それこそ、まさに敗北。 

……ということで、今日も、講演で、がんばる。 
自分の思いを、今の若い親たちに伝える。 
はかない抵抗かもしれないが、やるしかない。 

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 亡国の兆候) 


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 25日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2歳児の不登園について】

【三重県のDさん(母親)からの相談】

(Dさんより、はやし浩司へ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【 いただいた相談内容について……これは後日のトラブルを避けるためです。どうか、ご協力
ください。 】:
内容を(私)とわからないように改変したのちなら、転載、引用を、自由にしてよい。

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:2歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(36歳)母(34歳)息子(2歳)

【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きく
ださい。 】:

はじめてメール致します。
2歳の息子の母です。
息子の登園拒否に悩んでいます。

息子は去年から保育園に通い始め、今年から2年目になります。
この4月から新しいクラスになったのですが、3月の終わりごろ(クラスが変わる前)から登園拒
否を起こすようになりました。

原因として思い当たる事は、

(1)3月の終わりごろ体調を崩しお休みが続き、休み明けに登園すると、保育園が新年度の
準備の為に先生の入れ替わりを行っていた(クラスの雰囲気が変わっていた)

(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実家です)の家もゴタ
ゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構ってくれなかった)

(3)新しいクラスにまだ馴染めない

以上、いくつかありますが、どれも原因になっている気がします。

夜は夜泣きが酷いというほどではなく(時々クスンクスン言います)朝まで起きる事はありませ
ん。
食欲もそれなりにあり、特に夜はしっかり食べています。
ただ、保育園も教室に入る前までは行けるのですが、クラスに一歩入る事が出来ず、教室の
前で泣きます。
泣き方は日に日に酷くなっており、床に突っ伏して私の足に絡みついて泣く事もあれば、クラス
の先生が抱っこするのを振り払うように暴れて泣く事もあります。
そして急にタオル類を手放さなくなりました。
大きめのタオルやブランケットがあると安心するのか、寝る時も抱きしめて寝ます。
保育園へ行く時も持って行くと言って離しません。
家庭での過ごし方は、以前と大きく違う事はありませんが、今までママがいなくても祖父母と遊
べたのに、ここ数日はママがいないと嫌だと言います。
保育園から帰ると一人で遊べますが、朝はママにくっついていないと食事も摂りません。
またとっくに卒乳を済ませていましたが、最近おっぱいを求めるようにもなりました。

HPで先生のご意見を拝見致しました。
息子の場合も、母子分離不安に該当するのではないでしょうか。
毎朝「今日も保育園頑張ろうね」「帰ったら公園行こうね」などと励ましていますが、結局教室の
前で大泣きです。
園の先生には「泣いているのは朝だけで、あとは機嫌よく過ごしていますよ」と言われています
が、我慢しているだけで心は折れたままなのではないかと心配です。
今、精一杯の愛情を示そうと、出来るだけ抱っこするなどスキンシップを行っています。
症状が出てからまだ2週間程度なので、まだまだ時間が掛かるのだろうとは思っていますが、
今私に出来る事があれば、アドバイス頂けると光栄です。

よろしくお願い致します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司より、Dさんへ)

 「2歳」という年齢に、驚きました。
しかも「今年で通園、2年目」ということですから、1歳前後から、通園していることになります。

 その2歳の子どもが、体を張って、登園を拒否している……!
それを何とかして、保育園へ通わせようとしている……!
大前提として、家庭に、その必要性、(たとえば共働きしなければならないとかいう事情がない
ならば)、子どもは、家庭で、育てなさい。

 集団教育を経験させるとしても、満4歳前後からでじゅうぶんです。
アメリカの小学校の多くは、満4歳から、6年間の教育を実施しています。
それ以前は、ナーサリーの分野ということになります。
カナダでは、自由に、親と子ども(1〜4歳)が、保育園へ行きます。
登園時刻も、帰宅時刻も、自由です。
何をするかも自由です。
週に何回、行くかも自由です。
(プラス、無料です。)
つまり日本の現状は、世界的に見ると、あまりにも非常識です。

 保育園だの、幼稚園だの、幼保一元化だの、基本的な部分で、完全に狂っています。
つまり「園」の経営方針第一主義!
もっとわかりやすく言えば、「金儲け」。
子どもの心(心理)など、どこにもない!
2歳の子どもが、園へ行くのをいやがっている。
当然でしょ。
いちばん家族の愛、母親の愛を求めている乳児(幼児)が、不登園!!!

 Dさんが、バカげているというのではありません。
制度と、それを支える国や親たちの意識が、バカげている。
結論から先に言えば、さっさと園をやめ、子どもの心を守りなさい。

このままでは、基本的信頼関係の構築にすら、失敗してしまうでしょう。
子どもの年齢からして、心に大きな傷(トラウマ)を残すことも考えられます。
症状は、文面から見る範囲では、完全に、「学校恐怖症(ジョンソン)」です。
また午前中に重く、午後に軽快するというのも、典型的な日内変動です。
これを「虐待」と言わずして、何と言いますか。

(「はやし浩司 学校恐怖症」で検索をかけてみてください。)

 間接的な、つまり親にその意識がない、虐待です。
2歳ですよ!
WHOですら、「2歳までは親が育てろ」と勧告しています。
「できれば……」ということでしょうが、この時期までに子どもの心ができます。
(反対に、2歳前後までに、その構築に失敗すると、子どもは生涯にわたって、人間らしい心を
取り戻すことはないとも言われています。
野生児の例をあげるまでもありません。)

 甘えさせてあげなさい。
添い寝をさせてあげなさい。
乳房を口に含ませてあげなさい。

 すでに神経症的な症状も現れています。
(タオルを手放さないなど。)
放置すれば、この程度ではすまなくなりますよ。
身体的症状から、精神的症状へと進んでいきます。
ここはたいへん慎重に、子どもの心を見るべき時期です。

(「はやし浩司 神経症」で検索をかけてみてください。)

 なお母子分離不安ではないかということですが、Dさんのお子さんのばあいは、あくまでも随
伴症状です。
つまりそんな表面的な症状が、問題ではないということです。
お子さんの心の中では、心配と不安が渦を巻いています。
安心して、心を休めることができない。
心理学でいう、「基底不安」です。
そのひとつとして、母子分離不安症状が出ているだけです。

 本当の問題は、「(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実
家です)の家もゴタゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構
ってくれなかった)」というところです。

 こういう問題では、つまり子どもに何か症状が現れると、親は、子どもを何とかしようと考えま
す。
しかしそれこそ親の身勝手。
まずそのゴタゴタとやらを、子どもの世界から切り離しなさい。
つまり子どもの問題ではなく、あなた自身の問題です。

 一方で、親が火事を起こしておきながら、ワーワーと逃げ回る子どもに向かって、「静かにし
なさい」と叱っているようなものです。
たいへんきびしい意見を書いていることは、承知しています。
Dさんにとっても、つらい回答かと思います。
しかしね、私には、子どもが懸命に発しているSOSのほうが、心配でならないのです。
命がけで発している。

 私も子どものころ(3〜6歳)、父が酒乱で、たいへんつらい思いをしました。
その結果、今でも、心の傷と闘っています。
そういう自分を知っているからなおさら、Dさんのお子さんが心配でならないのです。
では、どうするか。

(1)保育園は、必要なければ、やめなさい。
あなたに時間があれば、2人で楽しいときを過ごしなさい。
子育ては義務ではなく、権利です。
その権利を放棄しないでください。
親子が、いっしょに楽しい思い出をつくる。
それは権利です。
あちこちへ出かけ、いっしょに過ごしなさい。
保育園などに押し込め、その権利をどうして自ら放棄するのですか?
(もちろん本人が楽しんで通うばあいは、別ですが……。)

(2)家庭のゴタゴタは、子どもから切り離しなさい。
ゴタゴタを、子どもの目からはずし、見せてはなりません。
巻き込んではいけません。
これは親の義務です。
家庭のゴタゴタに子どもを巻き込むこと自体、「虐待」ですよ!
虐待!
私は「間接虐待」と呼んでいます。
子どもの心に傷をつけるという点では、通常の(?)の虐待と、どこもちがいません。
つまりね、これはあなた自身の問題ということ。

(3)その結果として現れている、神経症的症状、不登園は、あくまでも「結果」。
対症療法だけしても、意味はありません。
まずあなたがもっている、学歴信仰的な亡霊から決別すること。
アメリカでは、学校へ通わないで、自宅で学習している子どもが、推定で200万人もいます。
あなた自身を苦しめている、学歴信仰という呪縛から、あなた自身を解き放つこと。
「保育園なんてね、行きたくなければ行かなくてもいいのよ。その分、ママと遊びましょうね」と。

 まず肩の荷をおろす。
「自由」の意味を知る。
私なら、今という貴重な時期は、できるだけ子どもといっしょにいる時間をふやします。
こういう楽しいときは、あっという間に、終わってしまいますよ。

 なおスキンシップは、「もとめてきたら、すかさず応ずる」が原則です。
1秒も、間をおいてはいけません。
「すかさず」です。
ぐいと抱いてあげるだけも、効果的です。
「あとでね」「今、忙しい」は、禁句です。
子どもは、その瞬間に、親の心を見抜きます。

Dさんは「できるだけ……」と書いていますが、「できるだけ……」では、足りないということです。
今、一度、全幅の愛情表現(愛着)を、子どもに示してあげなさい。
多少の後遺症(甘えん坊になるとか、依存性がつくとかなど)はありますが、それはマイナーな
問題です。
心の傷(トラウマ)とは、比較にならないほど、小さな問題です。

 以上ですが、あとは、私のHPの記事を参考にしてください。

「はやし浩司 基本的信頼関係」などが、役に立つと思います。

(終わりに)

 とはいえ、Dさんが、かかえているような問題は、程度の差こそありますが、みなが共通して
かかえている問題です。
外から見ると、どの家も、うまくいっているように見えますが、本当は、中身はガタガタ。
つまり(ありふれた問題)ということ。
だからどうか自分を責めないでください。

 こうしてDさんも、ただの母親から、賢い母親へと成長していきます。
その苦しみの第一歩です。
いつか、その苦労が、あなたの人生を輝かせます。
あとは恐れず、前に向かって進めばよいのです。

 よく安易に、「私は子どもを愛しています」などと得意げに言う親もいます。
しかしそういう親ほど、「愛」の意味が、まるでわかっていない。
愛というのは、苦しくも、つらいものです。
そして静かです。
そこに愛があることにさえ、気がつかない人も多いのです。

 さあ、あなたも今、その愛が試されつつあります。
方法は簡単。

『許して、忘れる』ですよ。

 「はやし浩司 許して忘れる」も、一度、検索してみてください。
きっとあなたに勇気を与えることができると思います。

 では、今日はこれで……。

はやし浩司
2012/04/06

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 間接虐待 神経症 子供の神経
症 基本的信頼関係 母子 はやし浩司 基本的不信関係 登校拒否 学校恐怖症 不登園
 はやし浩司 不登園)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【3日目の朝に】(短編小説byはやし浩司)(はやし浩司 2012−04−07)

(第1日目の朝)

●俵 周人

 俵 周人(たわら・しゅうと)、83歳。
男性。
元司法書士。
「元」をつけるのは、現在は、引退中。
というより、事務所を閉鎖して、すでに10年近くになる。
2人の息子がいたが、それぞれは独立し、現在は、東京とアメリカに住んでいる。
共に音信が途絶えて、25年。

 事務所を手伝っていた妻、由紀子は、事務所を閉鎖する、その少し前に他界。
享年、65歳だった。

 その周人が、その朝、こんな夢を見た。

●公民館

周人は、どこかの公民館らしき部屋の中にいた。
木造の、古さを感じさせる建物だった。
歩くと、あちこちで、床が、ギシギシときしんだ。
柱に塗ったペンキも、ところどころはげ落ちていた。

 周人は、その部屋の前のほうに立っていた。
村の人たちが、何かの会合を開いていた。
その周人に向かって、10数人の、男や女たちが座っていた。
周人は、男や女たちに向かって、こう言った。

 「私は神様のような者です」と。

 とたん部屋の中は、笑い声で埋まった。
中にはあからさまに、侮蔑の念を表情に浮かべる男もいた。
が、周人はつづけた。

「ここにいる皆さんは、私が勝手に、頭の中で想像した人たちです」と。
さらに笑い声は、大きくなった。
「先生は、おもしろい人だ」と。
そんな声も聞かれた。
が、周人はひるまなかった。

 「私は今、夢を見ています。みなさんは、その夢の中の人たちです。だからみなさんは、私が
勝手に、つまり頭の中で想像した人たちです」と。

●夢

 周人は、それが夢であることを知っていた。
若いころから、ときどき、そういうことがあった。
夢を見ながら、別の意識が、「これは夢である」と、周人に教えた。
周人はそれを知り、「ああ、これは夢だ」と、自分に言って聞かせた。
そのときも、そうだった。
「ああ、これは夢だ」と。

 だから周人は、男や女たちに向かって、こう言った。

 「みなさんは、実は、存在しないのです」と。

 周人は、そう言いながら、ふと前に見た夢のことを思い出した。
よくそうして、この公民館らしき部屋の中で、話したことがある。
いつだったかは思い出せない。
が、はじめてではない。
村で、何かの問題が起きるたびに、周人は、よく意見を求められた。
村で、ただ1人の、法律の専門家だった。
そのためその村では、「先生」と呼ばれていた。

 そう、そのつど、こうしてみなの前で立って話をした。

●反論

 すると左の隅にいた若い男が、こう聞いた。
若いといっても、50歳を過ぎていただろうか。
笑い声を含んだ、言い方だった。

 「……つまり、私は、あなたの想像上の人間ということですか」と。

 周人は、その質問にも、きっぱりとこう答えた。
「そうです!」と。
とたん、さらに大きな笑い声が、部屋中に響いた。

男「しかし、……私はね、今日、一日中、農協の手伝いをし、車を運転していましたよ」
周「それも、私がそのように想像したからです」
男「想像? そんなはずはありません。ほら、手だって、ちゃんと汚れている」
周「それも私がそのように想像したからです。私が想像したとおりに、あなたは話しているだけ
です」
男「じゃあ、そのあと私はどこへ行ったか、先生は、ご存知ですか」

私「知っていますよ。……そう、あなたは、水車小屋へ行き、そこで水の流れを調べましたね」
男「ハハハ、そうですが、先生は、私をどこかで見ていたのでしょう」
私「見ていたのかもしれません。映画の中のように、あなたの姿がはっきりと思い出せます」
男「……話にならない!」
周「私は、今、夢を見ているのです。みなさんは、私の夢の中の人たちなのです」と。

 するとだれかが、こう言った。
その声に同調し、さらに何人かの男や女たちが、こう言った。
「だったら、証拠を見せてくださいよ」と。

●意識

 周人は、かなりムキになっていた。
軽い興奮状態になった。
心臓の鼓動が大きくなるのが、自分でもよくわかった。
が、夢の中でそうなるのは、たいへんまずい。
「このままでは、目が覚めてしまう……」と。
周人は、自分の夢にしがみついた。

 「証拠……? たとえばみなさんの怪我や病気だって、治せます。どんなことだって、できま
す」と。

 気がつくと、1人の男が、周人の前に立っていた。
その2日前、草払い機で土手の草を刈っているとき、土手から落ちた。
そのとき、腕の骨を折った。
周人には、その事故のときの様子が、やはり映画でも見たかのように、よくわかっていた。

 「どうしてだろう?」と、周人は思った。
意識がかすかに揺れた。
周人は、自分が夢を見ていることを、忘れ始めていた。

●義理の妹

 周人は男の腕に、自分の手を置いた。
置きながら、「痛いですか」と聞いた。
固いギブスが、ひんやりと冷たかった。

 その様子を見て、男は、こう言った。
「やはり、治せないじゃないか」と。
周人は、1歩、足をうしろへ引いた。
軽い敗北感を覚えた。

 周人は、最前列に座っている女に話しかけた。
年齢は、やはり50歳くらいだった。
見覚えのない顔の女性だった。

周「あなたは、だれですか?」
女「あら、いやだ。先生ったら、私を忘れている。私はあなたの妹です。義理の……」
周「義理の妹?」
女「そうですよ。先月、父の法事で会ったばかりでしょ」
周「会った?」
女「……先生、だいじょうぶですか」
周「……ハア……?」と。

 周人は、その法事のことは知らなかった。
その女性に会ったこともなかった。
義理の妹?
「義理の妹って……?」と思ったが、それは口にしなかった。
周人は、その場を、ごまかした。

「ハハハ、そうでしたね。ごめんなさい」と。

 そこにいた男や女たちは、また笑った。
周人が、何かを口にするたびに、よく笑った。

●あの世

 会場は、どこか薄暗かった。
そのあたりだけが、1、2個の裸電球で、白く照らし出されていた。
だれかが言った。

 「先生の話は、おもしろいですね。もし私たちが先生の夢の中の人間であるとするなら、先生
の住んでいるもとの世界は、どんな世界ですか」と。

 周人はそのとき、懸命に、もとの世界を思い出そうとしていた。
「私は、俵 周人だ。名前はわかる。しかし……ここはどこなのか」と。
が、周人は、こうつなげた。
「……ええと、ここがここだとするなら、私のいたもとの世界は、あの世……ということになりま
すね」と。
懸命の反論だった。
再び、そこが夢の世界であることが、周人には、はっきりとわかった。

男「あの世? ならば先生、あの世は、どんな世界ですか」
周「……ここと、まったく同じです」
男「まったく同じ? 同じということは、どういうことですか」
周「今のみなさんと同じような人たちがいて、同じような生活をしています」と。

 事実、その通りだった。
そこにいる男や女たちにしても、またその部屋にしても、周人の記憶のどこかにあった人や部
屋にちがいない。
深い無意識の世界に潜んでいた記憶が、意識の世界に、浮かびあがってきた。
それが夢となった。

男「仮にですよ、仮にです。もしあなたがあの世で目を覚ましたら、私たちはどうなるのですか」
周「……目を覚ましたら、ですか? ……そうですね、あなたたちは、そのまま消えます」
男「先生の話は、おもしろい。私たちが消えるだなんて……。私たちは消えませんよ」と。

 笑い声は、さらに大きくなった。
「そうですね」と思った瞬間、周人も、みなといっしょに笑い出した。
とたん、周人の意識は薄らいだ。
公民館らしき部屋が、暗闇の向こうに遠ざかった。

 周人は、目を覚ました。
こう思った。
「やはり夢だった」と。

●夢日記

 有料の老人ホームだった。
周人は、その一室で横たわっていた。
1畳分ほどの畳(たたみ)を、やや長くしたベッドの上に寝ていた。
白いシーツが、足にからみ、その上から、乾いた風がやさしく吹きつけていた。
温風機が、その上の壁にあった。

 周人は、夢の中のできごとを思い出そうとしていた。
が、夢というのは、時間がたつと忘れてしまう。
ばあいによっては、1〜2分で、忘れてしまう。
意識といっても、表層の意識。
脳の表面をかすめ、そのままどこかへと去っていく。

 そこで周人は、若いときには、夢日記をつけていたこともある。
周人には、それが楽しかった。
妻の由紀子が生きているときには、その日記を、あとで読んで聞かせてやったりもした。
それを聞いて、由紀子はいつもこう言った。
「あなたの夢は、いつも映画みたい」と。

 が、夢は夢。
夢日記につづられた話は、奇想天外というよりは、連続性のないものばかりだった。
背景も、そこに出てくる人たちも、また状況も、ちがっていた。
楽しく笑うような夢もあれば、反対に、何かに追い立てられ、苦しむ夢もあった。

 が、夢日記を長くつづけていると、夢にも一貫性があることがわかるようになる。
周人は、いつだったか、それに気づいた。
自分の夢日記を読んでいたときのことである。

そのころの周人は、たとえば周人は、電車やバスに乗り遅れそうになる夢を、よく見た。
飛行機に乗り遅れそうになる夢を見たこともある。
そのことから、周人は、そういった夢を見る理由として、周人自身がもつ強迫観念によるものと
知った。

 しかし連続性はない。
今朝見た夢のつづきを、明日の朝、もう一度見るということはない。
周人は、夢がもつ、多様性……つまり脳の広さには、いつも驚いた。

●車椅子

 周人は、枕元のベルを押した。
車椅子に移動するには、介護が必要だった。
右足の関節を痛めて、10年以上になるだろうか。
そのころから歩くと激痛が走るようになり、その数年後、人工関節の埋め込み手術を受けた。
さらにその数年後、周人は、現在の、この有料老人ホームに入居した。
それまで住んでいた家と土地を売り払い、それを預託金とした。
ほかに1200坪の農地があるが、それは死んだ父名義のままになっていた。

 介護度は2。
実際には3かも?
一度、車椅子に座ったら、一日中、そのままということも珍しくなかった。
数日前には、ケアマネの男から、「特養(特別養護老人ホーム)の申し込みをしておきました」と
言われた。

 周人は、2度目のベルを押した。
夕食以後は、水分をとらないようにしている。
しかし尿意だけは、何ともしがたい。
し尿ビンをベッドの下から引き出そうとしたそのとき、介護の若い男が入ってきた。

 愛想はよいが、形だけ。
口はうまいが、心がこもっていなかった。
手際よく周人の世話をしたあと、その若い男は、そのまま部屋を出て行った。
周人は、そのままひとりで、そこに残された。

●日記

 あとは食事の時間を待つだけ。
介護士が決まった時刻になると、食事を運んできてくれる。
食堂もないわけでない。
その時刻の前に、食堂へ行けば、食堂で食事をとることもできる。
しかし周人のように、頭のしっかりした老人は、少ない。
ホームの約半数の人は、認知症か何かにかかっている。
話しかけても、反応がない。
一日中、何も話さないで、ボーッとしている人も多い。

 周人はそういった老人と、いっしょに食事をするのがいやだった。
それで特別なはからいということで、たいはんの食事は、自分の部屋ですましていた。

 周人にしても、ホームの人以外の人と話す機会は、ほとんど、ない。
話すといっても、内容は、いつもテーマ。
同じ話。
あとは、古いワープロを使い、その日の日記を書く。
それが周人のゆいいつの、日課になっていた。

●熟睡剤

 「どうすれば、夢のつづきを見ることができるだろうか」

 周人は、その日は、それだけを考えていた。
頭の中で、夢の中で会った男や女の顔を思い出していた。
「また会えるだろうか」とも。

 が、今までの経験では、それはなかった。
つまりできなかった。
夢日記をつけていたとき、それを知った。
とくに現実と夢の世界が混濁するというのは、精神状態が、かなり危険な状態であることを示
す。
精神病質の心配がある。
何かの本に、そう書いてあった。

 では、連続性のある夢はどうか。
連続映画のように、その翌日、そのつづきを、見るとか。
そんな夢でも、精神状態が、かなり危険な状態になっていることを示すのか。

 が、周人は、もう一度、今朝の夢に戻りたかった。
あの男と、もう一度、議論してみたかった。
「君は、ぼくの想像力が作った、架空の人間だ」と。
それをはっきり、それを言ってやりたかった。

 そのための方法がないわけではない。
熟睡剤を多めにのめば、朝方、軽い幻覚症状が起きる。
それを利用し、夢を見る時間を長くすることはできる。
今の周人にとって、それ以外の楽しみは、ほとんどない。

 その日も、何の変哲もなく過ぎた。
その夜もせかされるようにして、ベッドに入った。
介護士は、枕元の電気を消し、そのままつぎの部屋に向かった。
周人は、何も言わなかった。
あいさつをしなかった。

(2日目の朝)

 周人は、なだらかな丘のつづく小道を歩いていた。
細い道だったが、舗装されたように美しい道だった。
しばらく行くと、木を組んだフェンスがあり、その向こうに何人かの男たちが座っていた。
仕事の前の段取りを、あれこれと話しあっているようだった。
あるいはすでに仕事を終え、その合間に、休息をとっているのかもしれない。
周人を見つけると、その中の1人が、声をかけてきた。

 「やあ、先生、昨日の話は、おもしろかったですな」と。

 男は、山の中腹に畑をもっていた。
かぼちゃや、山芋を育てていた。
が、それがイノシシに荒らされるようになった。
周人にはそれがよくわかっていた。

周「イノシシは、出ませんか」
男「ハハハ、ヤツの餌を作っているようなものですよ」
周「それはたいへんですね」
男「いいんですよ。どうせ、私たちは食べないから」と。

 そのとき周人は、それが夢であることに気づいた。
「これは夢だ」と。
その気になれば、状況を変えることもできる。
空を飛ぶこともできる。
が、そういう思いをさえぎるかのように、別の男が話しかけてきた。

男「先生の……、昨夜話してくれた、あの話は、おもしろかったですよ」
周「……そうですか」
男「あの世というのは、私はないと思っていました」
周「いや、それがあるんです。ちゃんとあるんです」
男「先生は、あの世から来たと言いますが……ね?」
周「話すほども、価値のない世界ですから……。でね、昨日、私が消えたあとのことですが…
…」
男「消えた? 先生、冗談言わないでくださいよ」と。

 男たちはそれぞれが勝手に話し始めた。
それによれば周人は、そのあと、村の班長の家に寄り道をしたという。
秋の収穫祭の祭が近いということもあり、その話しあいをしたという。
が、周人には、その記憶がなかった。
男たちの話すがまま、それに口を合わせるしかなかった。

 「そうでしたね。そうでした。ハハハ」と。

●相談

 夢の中の周人は、村の人たちと変わらないほど元気に、歩いていた。
山の土手も、すいすいと上った。
力仕事も、軽々とできた。
が、何よりもうれしかったのは、男たちの言葉に温もりがあったこと。
ぶっきらぼうな言い方だったが、一言、一言が、周人の心に響いた。
男たちは、作物の話をした。
「キーウィは、儲かる」「いや、花木のほうが、儲かる」と。

男「あの喜一さんの土地ねえ、先生。あれ、どうなるんですか」
周「ああ、あの土地ね。あそこまで複雑になると、手のほどこしようがないね」と。

 周人は、喜一の土地の話は前から聞いていた。
代々、移転登記をしないまま、その喜一が、数年前、亡くなってしまった。
相続人はあちこちに散らばっている。
それが孫の代にまで、広がっている。
その孫も今では、生きているかどうかさえ、わからないという。
相続放棄の印鑑を集めるといっても、たいへんな作業になる。

 周人は、そんな話を、した。
男たちは、「やはり、そうか」というような顔をした。
が、つぎの一言に、周人は、電撃に打たれたようなショックを受けた。
とたん胸の鼓動が激しくなり、周人の意識がかすんだ。
周人は懸命にそれを抑えた。
目を覚ましたら、そのままに自分が消えてしまう。
が、意識だけが勝手に、遠ざかっていった。

 1人の男が、こう言った。
「奥さんがね……ほら、先生の奥さんですよ。今夜は、早く帰ってきてほしいとこぼしていました
よ。若い奥さんを、ひとりにしておいては、いけないよ」と。

●敗北感

 周人は何度も目を閉じなおした。
夢の中に戻ろうとした。
が、そのつど、さらに強い意識が、周人を引き戻した。
激しい鼓動が、頭のうしろから、周人を叩いた。
周人は、はげしく小刻みな呼吸を繰り返した。

 目を開けると、カーテンの隅から、白い朝の光が漏れていた。
周人は、強い後悔の念を覚えた。
「由紀子がいる? あの村に、由紀子が住んでいる?」
目を覚ました自分を、周人は、何度も、なじった。

 ベルを押したのは、それから半時間もしてからのことだった。

●姉の息子

 その日の午後は、遠くから客が来ることになっていた。
周人が住んでいるID地区は、観光地にもなっている。
温泉旅館も、いくつか並んでいる。

 が、周人は、その客が嫌いだった。
つまりは、様子見。
見舞いではない。
見物。
それが周人には、よくわかっていた。
が、断ることができない。
それ以上に、逃げる場所もない。
「忙しいから会えない」という口実など、どこを探してもない。

 客……20歳も若い、姉の息子だった。
つまり甥。
姉はすでに他界していたが、父が残した1200坪の農地については、相続権をもつ1人になっ
ていた。
宅地に転用すれば、かなりの財産になる。
その息子、つまり周人の甥が、その相続権を主張し始めた。
周人が死ねば、その息子と、周人の息子たちが、相続権を主張し、土地を分配することにな
る。

 周人は、その甥が嫌いだった。
定職にもつかず、女癖も悪かった。
かと言って、周人の息子たちとも疎遠になってしまった。
自分の息子だったが、遺産を分け与えようなどという気持ちは、とうの昔に消えた。

姉の息子は、遺産の協議分割書に、印を押させようとしていた。
周人はのらりくらりと、それをかわした。
そんな甥でも、印鑑を押したら、二度と来なくなる。
それが周人にはよくわかっていた。

 が、周人は、前回、その息子に会ったあと、自分の取り分については、町に寄付すると心に
決めた。
温泉街の人たちは、駐車場としてその土地を使っていた。
町に寄付すれば、ちょっとした公園にもなる。
町の人たちは、それを喜ぶだろう。
周人は、自分の意思を、遺言として書きとめ、公正証書として登記した。

●遺産

 甥は慇懃無礼な男だった。
態度も大きかった。
介護士が部屋に入ってくると、ことさら大声で、昔話をした。
「この伯父には世話になりました。よく魚釣りに、連れて行ってもらいました」と。
わざとらしい言い方だった。

 で、一連の世間話が終わると、甥は、こう訴えた。
「おじさんも、今のうちに土地を売り、もっといい施設に移ったほうがいい」と。
「母が残した家も古くなったので、早く立て直したい」とも。
が、周人はいつもの言葉を繰り返した。

 「まあ、何とかしなければなりませんね。私もそう思っていますが……」と。

 甥の立場になれば、ほかにも方法はある。
民事調停が、いちばん、手っ取り早い。
半ば強制的に、遺産の分割を請求することもできる。
しかし周人は、その方法については教えなかった。

 が、今では、客と言っても、そんな客ばかり。
棚の郵便袋には、不動産屋の名刺だけでも、10枚近くが入っている。
その郵便袋に、周人は、ちらりと目をくれた。

●写真

 その日も、体調がよくないことを理由に、甥には早めに帰ってもらった。
甥は、「今度来るときには、印鑑証明書と戸籍抄本を用意しておいてほしい」と、何度も念を押
した。
周人は、うわの空で、軽い返事を繰り返した。

 夕食は、自分の部屋でとった。
10分ほど、女性のヘルパーが、あれこれ世話をしてくれた。
が、周人のほうから、それ以上の世話を断った。
周人は、その日も、一日中、その朝見た夢のことを考えていた。
……というか、頭から離れなかった。

 棚には、妻、由紀子の写真だけが、飾ってある。
周人は、それを何度もながめた。
そしてその夜も、熟睡剤を、いつもの2倍ほど、口の中に入れた。

(3日目の朝)

●自分の家

 周人は、自分の家をさがした。
が、どれも近くまでは行くが、その先へは進めない。
またやっと見つけた家にしても、そこには別の人が住んでいた。

 山の中腹にある家。
川沿いのビルの中の一室。
いちばん自分の家らしき家は、新興住宅地の中にあった。
が、どれも似たような家で、区別ができなかった。

 周人は、はやる気持ちを抑えながら、あの男たちを探した。
「あの男たちなら、知っているはず」と。
が、その男たちも、いなかった。

●商店街の子ども

 周人はそのとき見知らぬ商店街の前を歩いていた。
すると、1人の子どもが話しかけてきた。
10歳くらいだろうか。
それとも幼児だっただろうか。
よくわからなかった。
が、こう言った。

子「おじさん、あの世から来たの?」
周「……」
子「あの世って、本当にあるの?」
周「そうだな、あるかもね」と。

 とたん、周人は、自分が夢の中にいるのがわかった。
「これは夢」と、はっきりわかった。

子「あの世って、どんなところ?」
周「こことは、どこも違わないよ。同じだよ」と。

 その瞬間、周人は、公民館らしき部屋の中に立っていた。
また別の男が、こう聞いた。

男「同じということは、どういうことですか」
周「今のみなさんと同じような人たちがいて、同じような生活をしています」と。

 周人は、うれしさが腹の底からこみあげてくるのを覚えた。
そしてそれが頭の高さまでくると、熱い涙に変わった。
周人は、あの公民館らしき部屋に戻ってた。

男「あの世が、ここと同じ?」
周「そうなんです。ここと同じです」
男「先生も、おかしなことを言う人だ。住職だって、そんなこと言わないよ」と。

 周人は、ゆっくりとそのあと、こう聞いた。

 「家に帰りたいです。由紀子が待っています。どなたか、いっしょに行ってくれる人はいません
か?」と。

 それに応じて、何人かの男や女たちが、手をあげた。
その中には、あの義理の妹がいた。
「お忙しいところ、すみません」と。
周人はていねいに、頭をさげた。
義理の妹という、その女は、にこやかに笑いながら、周人を、外に誘った。

●自宅

 その女性は、小柄な人だった。
年齢はわからないが、40歳くらいだろうか。
それとも30歳?
楽しそうだった。
歩くというよりは、空を舞うように、先を走った。
周人は、懸命にその後を追いかけた。

 鼓動はますます激しくなった。
熱い涙は、ますます大粒になり、頬を伝って落ちた。
何かを話しかけようとしたが、声にはならなかった。

 が、その女性は、周人のことなど忘れてしまっているかのようだった。
ゆるやかに曲がった道。
木々に覆われた土手。
小さな木の橋の下には、小川が流れていた。
澄んだ水で、何匹かの魚を、かいま見ることができた。

 今度は周人が聞いた。
言葉にはならなかったが、女性には通じた。

 「ここはあの世ですか」と。

 が、女性はこう言った。
「先生は、あの世から来たのでしょ。おかしなこと、言わないでくださいよ」と。

●由紀子

 家は、こんもりと盛り上がった土地の上にあった。
白い壁の家だった。
窓枠は木でできていた。

 案内してくれた女は、そこにはいなかった。
消えていた。
が、周人には、それが自分の家とわかった。
子どものころ住んだことのある、あの木枠の家。
三角屋根の玄関。
その上を覆う、スレート瓦。
のぞき窓にもなっている、ステンドドグラスの小窓。

周人は、ドアのノッブに手をかけた。
と、そのとき、家の横から、声が聞こえた。
由紀子の声だった。

 「お帰りなさい!」と。

 そっけない声だった。
洗濯ものをかかえ、由紀子がそこに立っていた。
「あなた、悪いけど、まだ洗濯物が残っているから、集めてきて」と。

 周人はそれには従わず、そのまま由紀子を抱きしめた。
そのとき周人は、はじめて自分の腕を見た。
しわのない、若々しい腕だった。
その手で、周人は、さらに力をこめ、由紀子を抱いた。
由紀子は、けげんそうな表情を残したまま、周人の腕の中で力を抜いた。

 「あなた、いったい、どうしたのよ。いつものあなたじゃ、ないみたい。おかしいわ」と。
が、周人は、そのまま由紀子を抱きつづけた。
頬には大粒の涙が、流れつづけた。
周人は構わず、由紀子を抱きつづけた。

●周人の最期

 俵 周人は、その朝早く、だれにも看取られず、息を引き取った。
医師の話では、午前5時ごろ、亡くなったのではないかということだった。
検視には、ホームの主任と、介護士が立ち会った。
医師が「老衰による自然死」とカルテに書き込むのを見届けると、介護士は手慣れた様子で、
ベッドを整え、周人の乱れたパジャマを直した。

 穏やかな表情だった。
安らかな表情だった。
今にも、笑い出しそうな顔だった。
俵 周人はこうして、この世を去った。
享年83歳。

 介護士の男は、最後にそれを見届けると、部屋を出る前に、周人の顔に、白い布をかけた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 短編小説 俵周人 3日目の朝 
はやし浩司 小説 俵 周人 はやし浩司 周人 小説 処女作)2012/04/07記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●朝・雑感あれこれ(はやし浩司 2012−03ー07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国際経済

 ネコの目どころか、オセロ(ゲーム)のように、日々に白黒が逆転する。
それにあわせて、世界の株価が、乱高下。
バカげているというか、狂っている。

 今朝のBloombergは、ギリシアの金融危機をトップに載せている。

『ギリシャは十分な同意が得られれば、
ギリシャ法に基づく国債の保有者を対象に、
集団行動条項(CAC)を発動して債務交換への参加を義務付ける』と。

 わかりやすく言えば、「借金の棒引きを、一方的に義務づけるぞ」と。
つまりギリシアはすでに、国家破綻(デフォルト)している。
それをああでもない、こうでもないと、あがく。
世界を脅す。
『無秩序に国家破綻をすれば、1兆ユーロの被害が出る』と。

1兆ユーロ……、100兆円!

 国家破綻にも、「秩序型」と「無秩序型」があるらしい。
知らなかった!

 それを先読みし、今日のニューヨーク市場は、203ドルもさげた。
日本も現在、下降中(午前9:20現在)。

ほかにも気になるニュースがある。

●ニョンビョン(寧辺)の軽水炉

 たとえば現在、北朝鮮は、軽水炉を建設しているという。
工事現場の写真も紹介されていた。
が、それを見て、???。

大型クレーンが一基だけ。
あとはトラックが、数台。
周囲の円形だけは、「円」だったが、それ以外は、まさに露天掘り。
「こんな工事で、だいじょうぶか?」と。

日本の原子炉のような精緻さが、どこにもない。
排水施設も、写真で見るかぎり、なさそう。
詳しくはわからないが、お粗末。
驚くほど、お粗末。

そんな原子炉が事故でも起こしたら、どうなるのか。
首都ピョンヤンどころか、韓国のソウルだって、あぶない。
ニョンビョンの核施設から首都ピョンヤンまでは、直線距離にして約90キロ(グーグルアース
上)。
たったの90キロ!

 が、今の日本は、(=私たちは)、他国の原子炉のことまで心配する余裕はない。
偉そうなことも言えない。
しかしそれにしても、お粗末。

●不気味な地震活動

 MSN・ニュースは、つぎのように報道している。

『東日本大震災の影響でフィリピン海プレート(岩板)の沈み込みが加速し、関東地方を乗せた
北米プレートとの境界部にひずみが蓄積しやすくなっていることが防災科学技術研究所の観
測で6日、分かった。

(中略)

 首都圏では複数のプレート境界型地震が想定されている。関東大震災を起こしたマグニチュ
ード(M)8級の関東地震は、次の発生が約100年後とされるが、首都直下地震のひとつであ
る東京湾北部地震(M7・3)は切迫しており、発生が懸念されている』と。

 関東地震はともかくも、首都直下型地震が、かなり切迫しているということらしい。

 もちろん首都だけではない。
この遠州浜周辺もあぶない。
そこで昨夜も寝床で、ワイフとこんなことを話しあった。

「息子の家のほうに、移ろう」と。

●我が家

 我が家は、築46年になる古屋と、築10年の息子の家の2棟に分かれている。
古屋は、耐震構造にはなっていない。
昔のままの家。
一方、息子の家は、徹底した耐震構造になっている。
1階の1部屋が空いている。
私はそこへ移ろう、と。

 が、ワイフは、昔からのんき。
信じられないほど、のんき。
で、それを相談したら、「この家がつぶれるのオ?」と。

 しかたないので、私は、座卓を枕元に置いた。
万が一天井が落ちてきても、座卓が私たちを守ってくれるはず。
が、ワイフは、天井をながめながら、こう言った。

「あんな天井が落ちてきたくらいでは、死なないわよ」と。

私「あのなあ、天井が落ちてくるんじゃないよ。大屋根が落ちてくるんだよ」
ワ「落ちてこないわよ」
私「あのなあ、1分以上も、人が立っていられないほど、揺れるんだよ」
ワ「……」
私「こんなボロ家、無事のはずがないだろ……」と。

 ということで、今日は、朝食のあと、寝室の引っ越し。
ワイフが反対しても、そうする。


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回の補足】「殴り殺された老人」


(補足)

●失われた存在感、父と母(「家族崩壊」の問題)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


韓国の作家、申京淑氏の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっているという
(韓国・東亞日報)。
申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。
『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろうか」と
いう質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。
見慣れないものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感すること
が、より重要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。
ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではなく、「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。
この浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、
戻ってこない。
「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)。
浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。
が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。
『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時も『ごめ
んね』という言葉を聞かされて育った。私たちが当たり前のように耳にしながら育ったこの言葉
は、いざ両親に対してはかけたことがない。言葉の順番が変わるべきだという気がした』(同)
と。
つまり「家族崩壊」の背景には、この「一方向性」がある。
親から子への一方向性。

親はいつも子のことだけを考える。
が、子は、親のことは何も考えない。
だから「一方向性」。
またそれが原因と考えてよい。
それが原因で、家族は崩壊する。
申氏は、「親はつねに子どもたちに対して、『ごめんね』と声をかける。
しかし子どもの側から、そうした言葉が発せられたことはない。
今朝は、この問題について考えてみたい。
2011/06/12

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●保護と依存性

 日本では、親のことを、「保護者」という。
韓国でもそうだと理解している。
しかし保護と依存の関係は、申氏が指摘するように、つねに一方向的なもの。
保護する側は、いつも保護する。
依存する側は、いつも依存する。
そして一度、この保護・依存の関係ができあがると、それを変えるのは容易なことではない。
それを基盤として、人間関係が構築されてしまう。

 が、悲劇はそのあとにつづく。
当初は感謝していた依存側も、それがしばらくつづくと、「当然」になり、さらにつづくと、今度は
依存側が、保護する側に向かって、それを請求するようになる。
親子関係とて、例外ではない。

 ある息子氏は、結婚式の費用を親に請求した。
が、そのとき親は定年退職をしたあと。
貯金はあったが、老後資金としては、じゅうぶんではなかった。
それもあって「なら、半分くらいなら……」と答えた。
が、この言葉が、息子氏を激怒させた。
「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。
 以後、息子氏は、親との縁を切った。
「2、30年後に、許してやる!」と
親が言ったのではない。
息子氏が、「許してやる」と言った。

 その親は、私にこう言った。
「息子が学生のときは、生活費のほか、毎月のようにお金を貸しました。
『就職したら返す』と言っていました。
で、東京の大手運輸会社に就職しましたが、当初の2年間は、『給料が少ない』と言っては、毎
月のように、お金を借りに来ました。
『車を買うから、お金を貸してほしい』と言ってきたこともあります。
100万円でした。
『特殊車両の運転免許を取るため、30万円貸してほしい』と言ったこともあります。
そのつど『給料があがったら、返す』と言っていました。
が、縁を切った(?)ことをよいことに、以後、ナシのつぶてです。
もう3年になります」と。

 この話は事実である。
というのも、こうしたエッセーで(話し)を書くときは、その本人とわからないように書く。
いくつかの話しをまとめたり、あるいはフィクションを混ぜて書く。
が、あまりにも非常識な話しなので、あえて事実を書いた。
つまりこれが「家族崩壊」である。
 家族崩壊の根底には、保護・依存の関係がある。
それがいびつな形で増幅したとき、ここに書いたようなできごとが起こる。

●家族崩壊

 申氏には悪いが、申氏は、ひとつ事実誤認をしている。
申氏には、欧米の家族が、「家族崩壊」に見えるかもしれない。
しかし欧米では、伝統的にそうであり、それが社会の中で、「常識」として定着している。
だからたとえばアメリカ映画などをみても、そこにあるのは、両親と子どもだけ。
祖父母がからんでくることは、まず、ない。
 そのため社会のシステムそのものが、それを包む形で完成している。
たとえばオーストラリアでは、どんな小さな町にも、「オールドマン・ビレッジ(Old Men's Village)」
というのがある。
老人たちは、そこに集まって生活をする。
たいてい町の中心部にある。
幼稚園や小学校の近くにある。
 
 そのビレッジで自活できなくなったら、その横の、日本で言う「特養」へ移動する。
わかりやすく言えば、「家族崩壊」を前提として、社会のしくみが、完成している。
フランスでも、事情は同じである。

 が、この日本では、そうでない。
若い人たちの意識だけが、先行する形で欧米化してしまった。
社会のシステムが置き去りになってしまった。
そのため多くの老人や、老人予備軍の退職者たちが、言うなれば「ハシゴをはずされてしまっ
た」。

 前にも書いたが、こうした悲劇は、地方の町や村で顕著に現われている。
北信(長野県北部)から来た男性(75歳くらい、元高校教師)はこう言った。
「過疎化なんて言葉は、一昔前のもの。私にも息子と娘がいますが、娘とは、もう20年以上、
会っていません」と。

●2つの解決策

 家族崩壊に対して、2つの解決策がある。
ひとつは、予防。
もうひとつは、事後対策。

 予防というのは、「親の存在感」の復権ということになる。
たとえば私たちが子どものころは、魚でも、いちばんおいしい部分は、祖父母。
つぎに父親。
私たち子どもは、そのつぎの部分を口にした。
テレビ番組でも、祖父母が、「これを見たい」と言えば、私たちは何も言えなかった。
(それでもチャンネルを取りあって、結構、喧嘩をしたが……。)

 が、今は逆。
魚でも、いちばんおいしい部分は、子ども。
つぎに父親であり、母親。
祖父母と同居している家庭は、ほとんど、ない。
また同居していても、祖父母が口にするのは、(残り物)。

 つまり「復権」というときは、根本的な部分から、一度、ひっくり返すことを意味する。
が、今となっては、それも手遅れ。
親自身が、すでに、「親の存在感」を喪失している。

 で、事後対策。
今が、そのとき。
できること、やるべきことは、山のようにある。
そのヒントが、バートランド・ラッセルの言葉。
イギリスのノーベル文学賞受賞者。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、
『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっし
て程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

●3つのポイント

 順に考えてみよう。
(1)子どもたちに尊敬される
(2)子どもたちを尊敬する
(3)必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない

 が、現実は、きびしい。

★父親のようになりたくない

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬し
ていない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、
「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、51・5%。
また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

★親のめんどうをみない

第8回世界青年意識調査(2009)によれば、「将来、親のめんどうをみるか?」という
質問に対して、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた若者は、

  イギリス  66.0%、
  アメリカ  63.5%、
  フランス  50.8%、
  韓国    35.2%、
  日本    28.3%、であった。

 もう何もコメントする必要はない。
ここにあげた数字をじっと見つめているだけでよい。
それだけで、「家族崩壊」というのが、どういうものか、わかるはず。
同時に、今、私たちが親としてしていることの(愚かさ)に気づくはず。

●あなた自身のこと

 こう書くと、若い父親や母親は、こう言う。
「私たちの世代は、だいじょうぶ」
「私は子どもたちの心をしっかりとつかんでいる」
「私たち親子は、強い絆で結ばれているから、問題はない」と。

 が、そう思っている親たちほど、あぶない。
またここに書いたことは、50代、60代の私たちのことではない。
30代、40代の、若い親について書いたことである。
つまりあなた自身のことである。
それに気がついていないのは、あなた自身ということになる。

 では、どうするか?
結論は、すでに出ている。
『必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない』(バートランド・ラッセル)。

 子どもに尊敬されようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)
子どもを尊敬しようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)

 へたに子どもに媚(こび)を売るから、話しがおかしくなる。
親は親で、親としてではなく、1人の人間として、好き勝手なことをすればよい。
自分の道を生きればよい。
子育ては重要事だが、けっしてすべてではない。
また(すべて)にしてはいけない。
それが『けっして程度を越えない』ことに、つながる。

 先日も、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)上で、こんな相談を受けた。
「子どもが勉強しない。どうしたらいいか」と。
それに答えて私はこう書いた。

 「子どもの勉強の心配をする暇があったら、自分の老後の心配をしなさい」と。

 へたに「勉強しろ」「勉強しろ」と言うから、親はその責任を負わされる。

中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と豪語する学生すらいる。
そういう子どもが社会へ出れば、どうなるか。
たぶん、こう言うようになる。

「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 本末転倒 家族崩壊 はやし浩司 家族崩壊 家庭崩壊 保護と依存 
はやし浩司 ラッセル 父親のようになりたくない 親のめんどうをみる はやし浩司 MOM 親
の嘆き 私の子育て 何だったのか はやし浩司 私の子育ては何だったのか)

(注)六趣輪廻…… 「六趣輪廻」とは、衆生が煩悩とその行為によって必然的に"趣く"六つの
道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)(以上、2012年1月20日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再度、KS氏のコメントより

+++++++++++++++++

(東京・KS氏より)

団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は
敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)

++++++++++++++++

●「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」

 KS氏も、こう断言している。
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」と。

 ほかのコメントには、こうあった。
「団塊の世代は、ノーノーと生きてきた」
「借金を(若者に)押しつけ、遊んでいる」
「老人は、1匹、2匹で数えろ」などなど。

 こうしたコメントについては、もう少しあとで紹介することにして、まずKS氏の意見。

(1)団塊世代は、偉そうにしています。
(2)若者を見下している!!
(3)団塊世代は敬語を使えないのかね?
(4)「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
(5)事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世
代は敵に回されるんです。

 個人的には、「団塊世代は敬語を使えないのかね?」という部分に、私は反感を覚えた。
KS氏は、こう書いている。

「信号を無視して渡ってきた男性(息子も同伴)に対して、老人といえども、敬語を使って注意し
ろ」と。

 敬語?
どうして敬語なのか。
脳の中で、バチバチと火花が飛ぶ。
反論しようにも、しようがない。

●意識のズレ

 意識のズレというのは、恐ろしい。
私も含めてだが、ほとんどの団塊の世代は、そうは考えていない。
「現在の日本の繁栄を築いたのは、私たち」と。
そう考えている。
 
 が、ただ築いたのではない。
自分を犠牲にし、懸命に貧乏のドン底から、はい上がった。
私にしても、1か月に休みが、1日だけという年が、何年もつづいた。
子どもたち(息子や娘たち)にだけは、ひもじい思いをさせたくないと、そんなことばかり考えて
きた。
学費にしても、そうだ。
老後の資金を取り崩し、子どもたちを大学まで送った。
また親たるもの、そうあるべきと信じて疑わなかった。

 が、千葉県に住む、EH氏は、こう書いてきた。
「阿呆」というタイトルで、つぎのようにあった。

『老後の自分の面倒を見てもらう為に、愛情もない相手と結婚して、子供を作り、育てるって事
ですかね。そんな世界で生きていて、なんの価値があるのでしょう。
世の中は地球規模で変化をし、進化をしているのです。
夫婦、家族、恋愛... 全ての形が多様化しているのです。新旧色々あって良いじゃないですか。
結局、林先生は御自分の意見が正しいと思い切り主張していて、読んでいてがっかりです。
ちなみに私は、子供がどこでどんな生き方をしても良いと言える親をずっと目指します。
子供には子供の人生があるのですから。
それを家族崩壊とは思いません。
むしろ、親の面倒で子供を縛りつけている方が家族崩壊じゃないのですか?
親の近くにいようが遠くにいようが子供が良い人間で幸せなら、親としても幸せなはず。
林先生は子離れ出来ていないのですね。
そんなに親の面倒を子供が見るのが当たり前だと思うのなら、御自分のお子さんに『私の面倒
をみろ』と、言ったら良いのに!
 千葉 E.H.より』と。

 たぶん、まだ老親のめんどうをみたことも、介護もしたこともない若い父親が、こういうことを
平然と言ってのけるから、恐ろしい。
また老親のめんどうをみるつもりもないだろうし、介護もするつもりもないだろう。
私がEH氏の親なら、めんどうをみてもらうのも、介護をしてもらうのも、こちらから願い下げる。
想像するだけで、ぞっとする。
EH氏は、こう書いている。

「自分の老後の面倒をみてほしかったら、息子や娘に頼め」と。
「頼め」というところが、恐ろしい。
それともEH氏は、自分の子ども(息子あるいは娘)に対して、日ごろ、こう言っているのだろう
か。

「自分のめんどうをみてほしかったら、親の私に頼め」と。
またそういう親子関係を、「地球規模の変化であり、進歩である」と。

●事件

 事件は、そんな最中に起きた。
もう一度、そのときの原稿を取りあげてみる。
団塊の世代以上の、老人組のみなさん、じっくりと読んでみてほしい。
私たちの老後が、いかに悲惨なものになるか、これを読めば、少しはわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●殴り殺された老人

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●逆ギレ

 今朝のニュースで、一番驚いたのが、これ。

 赤信号を無視して歩いている男性を、別の男性が注意した。
それに注意された男性が、逆ギレ。
注意した男性を殴り、殺してしまったという事件。

 この種の事件は、ときどきあるが、今回の事件は、つぎの1点で特異性がある。
殴った男性は、そのとき自分の「10代の息子」(報道)と、いっしょだったこと。
MSN・Newsの見出しは、つぎのようになっている。

『赤信号注意され逆上…男性殴り死なせた男の「理不尽」 交錯する怒りと悲しみ』(MSN・NE
WS)と。

 以下、MSN・Newsより

+++++++++++++以下、MSN・NEWS+++++++++++++++

東京都品川区の路上で昨年11月、赤信号で横断したことを注意された男が逆上し、注意した
男性を殴って死亡させる事件があった。
傷害致死容疑で逮捕、起訴された男は警視庁の調べに「腹がたってやった」と供述。
その理不尽な行動に、関係者の間で怒りと悲しみが交錯している。(大島悠亮)

息子の前で逆上し…

 昨年11月12日午後7時35分ごろ、大手百貨店や飲食店などが立ち並ぶ東京都品川区の
JR大井町駅中央口側の横断歩道。
区内に住む無職、小牧信一さん=当時(77)=は、対面から信号無視をして渡ってきた2人組
の男らを見かけた。

 「赤信号ですよ」

 小牧さんがこう注意すると、男の1人が「うるせえんだよ」と逆上。
顔を殴られた小牧さんは路上に転倒して頭を強く打ち、意識不明の重体となった。
小牧さんはすぐに病院に搬送されたが、1カ月以上たった12月20日、帰らぬ人となった。

 捜査関係者によると、小牧さんを殴ったのは傷害致死容疑で逮捕され、今月13日に起訴さ
れた品川区東大井の会社役員、山根基久夫被告(48)。

そして、傍らにいたのは山根被告の10代の息子だった。
2人は事件後、駅構内を抜け、自宅のある東口方面から逃走。
山根被告は事件がニュースなどで報道されているのを見て、小牧さんが死亡したことも把握し
ていたという。

 当初、捜査は難航したが捜査員の執念が実を結ぶ。
事件から数週間がたち、再度、現場周辺の防犯カメラを細かく解析したところ、事件当時、現
場で目撃された男と似た人物を確認。山根被告が浮上した。

+++++++++++++以上、MSN・NEWS+++++++++++++++

●若い人たちの反応

 事件の異常性もさることながら、若い人たちの、この事件に対する反応に、私は驚いた。
2チャンネルをのぞいてみると、つぎのような意見が、ズラリと並んでいた。

全体の2分の1から、3分の1以上が、殴られて殺された小牧伸一さんを非難したり、反対に、
殴った山根被告を擁護するもの。
(殴った男性を非難しているのではなく、殴られた男性を非難している!)

●2チャンネルより

 2チャンネルへの書き込みを、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


★子供の前で恥じかかせた爺が悪いわ
まじでむかつく言い方したんだろうな
もしかして赤だと車こなくても待つタイプ?


★勇ましいなおい


★赤信号まじめに待ってる奴って馬鹿でしょw


★これは逆に爺がよっぽど酷かったんじゃないかとすら思ったり


★むしろ良い仕事しただろ 。
老人一匹殺すとか


★メリークリスマス 
子供にカッコ良いところみせたかったんだろうな 
正論だから腹が立ちともいうよな 
忘れられないクリスマスだな 
まぁ政府は見殺しにして風評被害にして 
関係者は身も心もぬくぬくぶるっちょだし


★信号をいちいち守る歩行者は大体発達障害か何かなんだよな。


★赤信号を守るのは正しいことだが 
それを守らない人を注意するのにはリスクが伴うことを教えた


★俺も原チャリ走行してたら、俺を怒鳴りつけながら追いかけてきた爺がいたが、その言い分
が、「カーブで歩行者の領域に入ったのがけしからん」みたいな話だった。 
俺が走行時、歩行者が居なかったからショートカットしたんだが、そこにいたわけでもない爺に
罵倒されて頭に来たが殴りはしなかった。


★知らんやつに注意するのはバカとしか言いようがない 
この爺はよく今まで生きてたわ


★団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ


★んなわけねえよ。 
近所に住んでてあの状況をよくわかってるから言ってるだけ。 
あそこはみんな信号無視するから注意するのがおかしいんだよ。


★俺は原付でいつものごとく車の前で止まってたら 
いきなり停止線オーバーしてるだろ!って目の前横断してたおっちゃんが怒鳴ってきた 
おっちゃん、あんた横断帯とから二メートルも離れたとこ横断してるんですが…


★団塊ってかバブル世代だったな 
まあどっちにしても敵だけど


★見ず知らずの人間に文句を言うクソジジイと、見ず知らずの人間を殴って殺すオッサン、ゴ
ミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw


★信号無視ごときでいちいち注意する奴に限って巨悪には何も言えずダンマリなんだよなw 
卑屈すぎるわ


★子供連れてるのに人に注意されるようなことをした父親の自業自得だろ 
子供の前で尊厳大事にしたかったら人に注意されるような行動をしなければいい


★いちいち注意した老害もゴミ 
殴り殺したDQNパパもゴミ 
そんなDQNパパに育てられた息子もやっぱりゴミ


★大阪の場合はジジイが率先して信号無視


★だったら親だけを呼んでこっそりよくないですよって言えばいい。 
わざわざ恥をかかせようとするような奴はこういう報いを受けるのは当然だわ


★ジジイも信号無視したことあんだろ? 
ジジババは他人に厳しく自分に甘いからな


★これはやりすぎだけど、しつこい老人もいる。車のまったく通らない赤信号で歩行者が信号
待ちをするのは愚鈍。


★俺も1回、歩道をチャリで漕ぐのが原則禁止になった月に 
歩道を漕いでたら片足引きずってるジジイに大声でキレられて警官呼ばれるまでの騒ぎになっ
たな 
警官も、別にどうでもいいじゃんみたいな態度取ってたから今度はジジイが警官に絡んでてわ
ろた


★他人を注意するのは常識知らずで自業自得だな


★77歳のじいさんの言うことなんてほっときゃいいのに 
48歳にもなってこんなことで一生台無しにするなんて 
ただのあほ、そんだけのことだろ 
どっちがいいとか悪いとかどうでもいいし 
殴ったほうも殴られたほうも人生終わりなんだよ


★俺の大学のフランス人の先生が、車が来ないのに赤信号で横断歩道を渡らず 
待っているのは日本人とドイツ人だけだって笑いながら言ってたな。 
信号が何のためにあるかを考えたら、渡らないほうが不合理だとな。


★爺も自業自得だよ。


★いい大人を注意するとかもう最悪ですね 
本人は分かっててあえてやってるんですから 
バカと言われたと同じです 
これはもう殺してくれと言ってるのと同じでしょうね


★ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気
分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ


(以下、延々と、つづく……)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識

 最近の若い人たちの意識が、私たちの意識とズレていることは、私自身も強く感じていた。
が、ここまでズレているとは、思ってもいなかった。

 若い人たちは、「77歳」という数字だけを見て、「ジジイ」と位置づけている。
その上で、事件の内容を吟味することなく、短絡的に、老人批判を展開している。
「2チャンネル」という、無責任な掲示板での意見だから、本気にとらえる必要はないのかもし
れない。
が、それ故に、かえって、現代の若い人たちの「本音」が、そこにあるとみてよい。

(もし注意したのが、30代、40代の男性だったら、どうだったのか?)

●段階の世代は「敵」

 この書き込みの中で、つぎの2つが、気になった。
「団塊」という言葉が、強く私の関心をひいた。

『団塊ってかバブル世代だったな。まあどっちにしても敵だけど』
『団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ』と。

 「v速」とは、何か。
それはさておき、ここで見られる若い人たちの意識は、180度、私たち団塊の世代のもってい
る意識とちがう。

 私たち団塊の世代には、それを意識しながら生きてきたわけではないが、「この日本の繁栄
を築きあげたのは私たち」という自負心がある。
同時に、ぜいたく三昧に明け暮れる若い人たちを見かけると、ときどき、「だれのおかげで、そ
んなぜいたくができるのか、わかっているのか?」と言いたくなるときがある。

 が、若い人たちの意識は、私たちの意識とは、ちがう。
私たち団塊の世代をさして、「敵」と。
こうした意識をもっているのは、若い人たちの中でも一部と、私は信じたいが、どうやら一部で
はなさそうだ。
すでにこうした傾向、つまり「世代間闘争」は、あの尾崎豊が、『♪卒業』を歌ったときから、始
まっていた。

●親バカからジジバカへ

 総じてみると、団塊の世代には、親バカが多い。
「子どものため……」と、自分の人生を犠牲にした人は多い。

「子どもだけには、腹一杯、メシを食べさせてやりたい」
「ひもじい思いだけは、させたくない」
「学歴だけは、しっかりと身につけさせてやりたい」と。

 が、そんな思いや苦労など、今の若い人たちにしてみれば、どこ吹く風。
気がついてみたら、老後の資金を使い果たしていた……。
それが団塊の世代。

 が、親バカなら、まだ救われる。
が、それが日本全体に及んだとき、今度は、ジジバカとなる。
私たちは「つぎの世代」を考えながら、この日本はどうあるべきかを、思い悩む。
考える。
が、肝心のつぎの世代にしてみれば、ただの(ありがた迷惑)。

 が、私たちの世代には、それがわからない。
「そうではない」という幻想にしがみつきながら、生きている。
が、幻想は、幻想。
それがわからないから、ジジバカ。
私たち団塊の世代は、今、とんでもないジジバカを繰り返している(?)。

 それを如実に表現しているのが、つぎの言葉。
少なくとも私がもっている「常識」とは、180度、ちがう。
180度、ひっくり返っている。

『……ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な
気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ』と。

 その若者は、こう言っている。

 「カチンと来るような注意のされかたをしたら、イヤミや余計な一言を返し、相手も不愉快な気
分にさせるのは、当然。
それが常識のある、社会人としての行動」と。

●ゴミ

 60代、70代の人たちよ、覚悟しようではないか。
現在の若い人たちには、私たち老人に対する畏敬の念など、微塵(みじん)もない。
そういう若い人たちに、私たちの未来を託しても、意味がない。
期待しても、意味がない。

 ……というのは書き過ぎ。
またそうであってはいけない。
それはよくわかっているが、それが私たちの未来を包む現実。
この先、この傾向は、ますます強くなる。
こんな記述も見られる。

『ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw』と。

 現に今、あくまでも風聞でしかないが、医療機関でも、「75歳以上は手術はしない」という考
え方が定着しているという。
現実にそんな規定があるわけではない。
その年齢以上になると、「年齢(とし)ですから……」と、治療を拒否されるケースも多い。
事実、私の兄は、担当のドクターに、こう言われた。
「私は治る見込みのある患者は、治療しますが……」と。

 つまり治る見込みのない患者(=兄)は、治療しない、と。

●同情

 ただ若い人たちが、忘れていることが、ひとつ、ある。

 現在、「若い人たち」と呼ばれている人にしても、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
自分たちだけは、ジジ・ババにならないと信じているかもしれない。
が、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
そしてそのとき、そのジジ・ババを取り巻く環境は、今よりも過酷なものとなる。
2050年……つまり38年後には、約3人に1人が、そのジジ・ババになる。
(=1・2人の実労働者が、1人の老人を支える時代になる。)

 現在25歳であれば、25+38=63歳!
若い人たちよ、それがあなたの未来だぞ!

 そのとき、今、天に向かって吐いた唾(つば)が、自分の顔に落ちてくる。
が、私はけっして、現在の若い人たちのように、「ザマーミロ!」とは言わない。
「かわいそうに」と同情する。

●小牧伸一さん

 小牧伸一さん、あなたの死は、けっして無駄にしない。
こういう事例では、注意するほうも、不愉快。
できれば、事なかれ主義でもって、無視したい。
しかしそれがあまりにも目に余った。

「信号を守れ」というのは、相手のことを思って発した言葉。
自分のためではない。
信号を無視すれば、その相手が事故に遭う。
小牧伸一さんは、それを心配した。
だから相手を注意した。

 が、心配してもらったほうは、逆ギレ。
あなたを逆に殴った。
こんなバカなことが「常識」というのなら、そちらの常識のほうが狂っている。

 殴った男は、本物のバカ。
どうしようもない、つまり救いようがない、バカ。
徹底して法の裁きを受ければよい。

 が、残念ながら、今、こういうバカが、ふえている。
言うなれば、これはまさに、善と悪の闘い。
善が勝つか、悪が勝つか……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因はどこにあるのか?
 
 若者たちの意識は、半世紀前と比べただけでも、完全に逆転している。
が、理由がないわけではない。
私が、35歳ごろに書いた原稿を読んでみてほしい。
この原稿の中に、その原因を知る、ひとつの手がかりがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「団塊の世代は敵」

 若い人たちから見れば、日本の繁栄を食いつぶしたのは、私たち団塊の世代ということにな
る。
2チャンネルの投稿を読んでいると、それがよくわかる。
一方、団塊の世代は、(私を含めての話だが)、そうは思っていない。
「この日本を支えてきたのは、私たち」という自負心が強い。
ただひたすら、企業戦士となり、一社懸命でがんばってきた。
家庭を犠牲にした人も多い。

 この意識のズレを理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要があ
る。

●飽食と贅沢(ぜいたく)
 
現在の30代、40代の人たちが生まれたころは、日本経済はまさにバブル経済の真っ最中。
子どもが生まれると、祖父母までやってきて、蝶よ、花よともてはやした。
まさに飽食と贅沢。
それが当たり前の世界だった。
七五三の祝いに、ホテルや料亭を借り切って祝う家も、少なくなかった。

 が、こうした育児観を批判する人もいるには、いた。
私もその1人だった。
当時、書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「費用もかえって、安いのじゃないかしら?」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●七五三の祝いを式場で?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●費用は一人二万円

 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。
何でも今では、子どもの七五三の祝いを、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。
見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な着物を着た女の子(6歳ぐらい)が、中央にすわり、
これまた結婚式場のように、列席者がその前に並んでいた。

費用は一人二万円くらいだそうだ。
レポーターが、やや皮肉をこめた言い方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その
母親はこう言った。
「家でするより楽で、費用もかえって、安いのじゃないかしら」と。

●ため息をついた私と女房

 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。
私たちは、結婚式すらしてない。
と言うより、できなかった。
貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだったが)、私が今の
女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、「香港へ行きた
い」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでおしまい。

実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。
反対に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけ
でも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも
流れてしまった。
さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。

●「何か、おかしいわ」

 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。
「何か、おかしいわ」と。
つづけて私も言った。
「おかしい」と。
すると女房がまたこう言った。
「私なら、あんな祝い、招待されても行かないわ」と。
私もそれにうなずいた。

いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなものだったかもしれない。
しかしおかしいものは、おかしい。

 子どもを愛するということ。
子どもを大切の思うということ。
そのことと、こうした祝いを盛大にするということは、別のことである。こうした祝いをしたからと
いって、子どもを愛したことにも、大切にしたことにはならない。
しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。

むしろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。
「自分は大切な人間だ」と思うのは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢
心である。
その慢心がつのれば、子どもは自分の姿を見失う。
こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反省

 ともあれ、こうした世代間闘争というのは、100%、老人組が敗れる。
古今東西、勝ったためしがない。
それもそのはず。
私たち老人組は、生きていくだけで精一杯。
その先にあるのは、「死」。

 そこで『老いては子に従え』という。
つまり負けを認めろ、と。
が、私たちの世代の者にとっては、まさに自己否定。
この原稿を読み、「私たちは何のため、だれのためにがんばってきたのだろう」と思っている人
も多いことかと思う。
そう、私たちは、何のため、だれのためにがんばってきたのか。
あるいは子育てといいながら、壮大な無駄をしただけなのか。

 これ以上は、グチになるのでは、ここでは書きたくない。
ただ私たち老人組も、反省すべき点は、多い。
たとえば私の近所をざっと見回しても、自分勝手な老人は多い。
多すぎる。
まさに自分のことしか、していない。
とくに元公務員、元準公務員(三公社五現業)の人たちが、ひどい。
豊かな年金をよいことに、まさに悠々自適の老後生活。
私もこの地区に住んで、40年以上になる。
しかしそういう人たちが、たとえば近所のゴミ拾いなどをしている姿を見かけたことがない。
一事が万事というか、そういう姿勢では、若い人たちから嫌われて当然。
老害論をぶつけられても、当然。
この私ですら、腹が立つ。

●老後のテーマ

 では、私たち老人組は、どうあるべきか。
結論は、すでに出ている。

 あとは、それに向かって、最後の「命」を燃焼させるだけ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 老害論 ジジババゴミ論 注意さ
れ殺された老人 意識のズレ 老人組の生き様 はやし浩司 団塊の世代 悪玉論 団塊の
世代 バブル世代)2012/04/06まとめ


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 21日
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【団塊の世代(バブル世代)は、若者の敵?】

●ジジババ老害論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 少し前、こんな記事を書いた。

 「最近、団塊の世代〜に対する、若い人たちからの風当たりが強くなってきているのを感じま
す。
「敵」とか、そんなふうに位置づけられているようです。
(若い人たちは、私たちのことを、「バブル世代」と呼び、経済の繁栄をつぶした世代と考えて
いるようです。)
そんな中、1人の老人(77歳)が、赤信号で横断した男性を注意し、殴り殺されるという事件が
起きました」(以上、はやし浩司)と。

 私は当然、殴り倒した男性のほうが非難されるべきと思っていた。
が、若者たちの意見は、逆。
「注意した方の老人のほうが悪い」と。
これには驚いた。
驚いて、自分の意見を書いた。

 団塊の世代は、若者の敵?。
それについて、多くの人から、(大半が若い人たちからだが)、コメントが届いた。
その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。

(ほかにも多くのコメントが届いたが、感情的な意見であったり、あるいは文章として体(てい)
をなしていないので、その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。)

+++++++++++++++++

(東京・KS氏より)

団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は
敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)

++++++++++++++++

●ジジババ老害論

 ここに紹介したKS氏の意見は、けっして一部の若者の意見ではない。
おおかたの若者たちが、そう考えている。
60〜70%の若者たちが、同じように考えていると理解してよい。
称して、「ジジババ老害論」。

 そのときに書いた原稿を、もう一度、再掲載する。
KS氏が言うように、私たち団塊の世代も、反省すべき点があるなら、謙虚に反省する。
私には、そういう視点が欠けているのかもしれない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

つぎの原稿の日付は、2012年1月20日になっている。
今日は、4月06日だから、3か月前の原稿ということになる。
団塊の世代、および老人組と呼ばれる人たちは、一度、私の原稿をじっくりと読んでみてほし
い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(以下、2012年1月20日に書いた原稿より)

【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012−01−20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ゴミ?

 少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。

 それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?

●「将来、親のめんどうをみる」

 「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界で
も最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

+++++++++++++++++++++++++++++++++

●年老いた親を養うことについてどう思うか

「どんなことをしてでも親を養う」

   イギリス66.0%、
   アメリカ63.5%、
   フランス50.8%、
   韓国35.2%、
   日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)

 日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。

 「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』:

   イギリス70.1%、
   アメリカ67.5%、
   フランス62.3%、
   日本47.2%、
   韓国41.2%

+++++++++++++++++++++++++++++++++

 平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考え
ている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もい
る。

金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。

全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。

さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。

++++++++++++++++++++++++++++++

金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。

   20代は171万円、
   30代は455万円、
   40代は812万円、
   50代は1154万円、
   60代が1601万円、
   70歳以上が1432万円。  

この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。 

貯蓄ゼロの家庭は、年収が300〜500万円未満でも21.1%。
500〜750万円未満の家庭でも16.2%。

+++++++++++++++++++++++++++++

 なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究
所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400〜500万円程度と言われている(某経済誌)。

 「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。

●祖父母と同居

 私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。

 当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。

 現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

●「祖父または祖母と同居している」

   日本(20.6%)、
   韓国(5.8%)、
   アメリカ(3.1%)、
   フランス(1.5%)、
   イギリス(1.1%)
 
 これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。

(1)日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。

(2)老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。

(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
   つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
   ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
   一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
   その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。

●「団塊の世代は敵」?

 先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?

 こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?

 その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。

●「敵」

 戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。

 が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。

 私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。

 もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。

 私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。

 父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。

 そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。

 が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。

 私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。

●ゴミ

 私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。

「老人は、役立たず」と。

 当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

 日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府
 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と
虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ジジ・ババ受難の時代

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババ
への風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののし
る表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、
たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということ
になる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言ってい
るうちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いにな
る。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみ
ればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査
結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30〜40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をし
ている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからな
い。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。
ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
 つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それ
なりにの(人間)として認められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

古い原稿を再掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。

 それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!

 この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!

 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。
毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投
書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけで
も、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)

+++++++++++++++

つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高齢者への虐待

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

+++++++++++++

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理
府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言う
のだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、
あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化する
のを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするよ
うになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほし
い。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、
まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、ある
にはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの
中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったと
いうのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火を
つけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知ってい
る。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方
で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気
づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされて
いる。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよ
う。

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、
他人の心情でものを考えられるかということ。
つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。
さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることにより、その人の精神の完成度を知ることが
できる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。
しかしこれは遺伝子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでし
まう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の
自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。
この受験競争は、どこまでも個人的なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。
子どもにかぎらず、利己的であればあるほど、当然、「利他」から離れる。
そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。
ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。
ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をする子ども
もいるのはいる。
しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化している
だけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高
邁な人たちかというと、それは疑わしい。
疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこま
れている。
それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができない。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的、迎合
的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか
心が冷たい。
いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会では、生きてい
かれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。
しかしこうした印象をもつのは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。
避けてはとおれないこと。
それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな
違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何
かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。

先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の
親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しまし
た。

ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ば
せ、トータル20万円もしました。
今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。

これも、私がそう育ててしまったのだから・・・
 しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖
姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞か
せる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?

加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい
頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時
期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているので
すね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5〜10年
もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡しては
いけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかという
と、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。

「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式の
ために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離
れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだとき
のこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んで
みてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょ
う・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らない
と、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●介護問題と子どもの意識

 介護保険は、すでにパンク状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。

 どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。

 このおかしさ。
この悲しさ。

 ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌(Mom)に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切
にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読
み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マ
イペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?

 私はどうしたらいいの?
 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私の子育ては何だったの 私の
子育てはなんだったの 親子の断絶 はやし浩司 親子の絆が切れるとき)

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚ま
でなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どう
したらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やら
せたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」
と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬
ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。
そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニ
を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気
づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だ
ったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査 は
やし浩司 受験という虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに(2012年1月20日記)

 ジジ・ババ・ゴミ論と、家族意識の変化。
さらには子どもを取り巻く環境と、家族意識の変化。
こうした問題が混然一体となり、この先、ジジ・ババを取り巻く環境は、さらに過酷なものとな
る。
それには例外はない。
「社会の大勢」というのは、そういうもの。
いかにあなたが部分的に努力したとしても、子どもたちはやがてその「大勢」に呑み込まれて
いく。

むしろ、「うちはだいじょうぶ」「うちの子にかぎって」と、高をくくっている親、家族ほど、あぶな
い。
そういう親ほど、子どもの心の変化に気づいていない。

●では、どうするか

 最近の私の結論。
「そういう時流と思い、あきらめ、納得し、受け入れる」。

 独居老人、しかたない。
孤独死、無縁死、これまたしかたない。
それ以上に、息子や娘たちには、期待しない。
期待しなければ、失望もない。

 だったら、「限度をわきまえる」※。

 繰り返しになるが、子どもたちに向かって、「勉強しなさい」と言ってはいけない。
言えば言うほど、責任を取らされる。
その言葉自体が、虐待でもある。

 今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、いない。
ゼロ!
大学生でも、いない。
社会人になってからも、親に車を買わせている子ども(若夫婦)となると、いくらでもいる。
さらには結婚式の費用から、子ども(孫)のおけいこ代まで払わせている子ども(若夫婦)まで
いる。

 が、当の子ども(夫婦)は、感謝などしていない。
「生活が苦しい」と言うことはあっても、感謝などしていない。

 だから限度をわきまえる。
(してやること)と(してはいけないこと)の間に、明確な一線を引く。
その一線を引くことに失敗すると、親子関係はバラバラになる。
それが全体として大勢を作り、ここに書いた「ジジ・ババ・ゴミ論」が生まれる。

 そう、私たちは、ゴミ。
今は、そういう前提で、自分たちの(現在)、そして(未来)を考えたらよい。
その上で、私たちはどうあるべきか。
若い世代とどうつきあっていくか。
それを考える。

(注※)限度論……バートランド・ラッセル(イギリスのノーベル文学賞受賞者)。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれど
も、けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』
と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ受難時代 ゴミ論 は
やし浩司 孤独死 独居老人 無縁老人 日本の子育て 育児論 はやし浩司 子育て限度
論)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●春休みも、もうすぐ終わり(はやし浩司 2012−04ー05夜記)

 午後になって、畑の畝を2つ、ふやした。
トウモロコシと、インゲンの種を蒔(ま)いた。
ついでにネギが伸び始めたので、化成肥料を撒(ま)いた。
それが終わり、一息ついたころ、ワイフが、「映画を見たい」と言った。

 インターネットで調べると、『ドライブ』が、ちょうどよい時刻に始まるのがわかった。
話題作ではないが、おもしろそう。
そそくさと用意し、そのまま車に飛び乗る。

 映画館には、10分前に、着いた。
間にあった。
チケットを買い、中に入る。
観客は、15人ほど。
うしろから2列目に座った。
が、これがまずかった。
最後列の男たちは、靴を脱ぎ、足を前の席……つまり私たちの席に足をかけた。
これが、臭いの何のといったら……。

 映画が始まるとすぐ、私たちは2列ほど、前の席に移動。
ほっとした。
ポップコーンをほうばった。

 しかしそれにしても、臭い足だった!
靴を脱いで足を前の席にかけるという行為そのものが、マナー違反。
臭いとあれば、なおさら。

●3D映画

 前回、『スターウォーズ』をみてから、もう10日以上になる。
3D版だった。
途中で目が痛くなった。
はじめての経験だった。
それもあって、以後、映画館へ行くのを控えていた。

 私の年齢以上の人は、ああした動きが速い3D版は、見ないほうがよい。
目に悪い。
……ということで、これからは3D版は見ない。
心に決めた。
2D版を選んで見る
動きの速くない映画を見る。

●映画『ドライブ』

 映画『ドライブ』は、殺伐とした映画だった。
ロバート・デニーロの『タクシー・ドライバー』を彷彿(ほうふつ)させるような映画だった。
意味のない、殺しあいの映画。
ま、あえて言うなら、扁桃核(へんとうかく)に傷ついた人たちの映画。
幼児期から少年期にかけ、扁桃核に傷がつくと、人間的な温かい心を失うという※。
「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と説く学者もいる。
最近の脳科学は、そんなことまで説明するようになった。

 さらにそれが進むと、いわゆる「サイコパス」※。
「サイコパシー」と言うのが正しい。
日本では、「サイコパス」という。

 もしこの世に地獄があるとするなら、ああした世界を「地獄」というのだろう。
最後に若い男が、1人の女性のために命を落とすことになる。
一応、「愛」がテーマになっている?
が、愛といっても、地獄に咲いた花のようなもの。
どうしてアメリカ人は、ああまで肉欲的な「愛」を美化したがるのだろう。
「恋愛」というときの「愛」と、キリスト教で教える「愛」とは、まったく異質のもの。
同じ「LOVE(愛)」という言葉を使うから、話がおかしくなる。

 映画の評価は、星1つか2つの、★。
たぶん、1〜2週間後には、内容すら忘れてしまうだろう。
印象の薄い映画だった。

(注※……扁桃核、以前書いた原稿より)
『東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に
生ずる傷によって起きる」と結論づけている。
 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というの
である。
 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジト
ロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。
実際、その(傷)が、こうした機器を使って、撮影されている。
 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。
 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。
さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身のあらゆることに影響を与える。
……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。
 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている』と。

(注※……サイコパス、以前書いた原稿より)
『「●サイコパス……私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じている
と思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在してい
るのです」(ここまで「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。
 この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。
(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。
 「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同サイ
ト)。
 詳しくは、http://www.psy-nd.info/で。
 またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火
魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥
奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる
人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦
なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした
人を後に残して行く。
 良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯
し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。
北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理
学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

 ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。
『精神病質者の意。
現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更されている。
サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で共
感が無い。
加えて自分の行動に責任が取れない。
多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なり、サイコパスとなる可能性が高い。
8〜9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語処
理が右脳で行われている。
一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」より)』
と。

●Mr.PC(05月号)

 少し前、「Mr.PC」(パソコン雑誌)5月号を買った。
毎号、付録のソフトが、楽しみ。
で、今回はその中の、3Dロゴに挑戦してみた。
意外と簡単にできた。

 さっそく、2、3個作ってみた。
あとで、あちこちのページを、その3Dロゴで飾ってみたい。

 ……といっても、最近、脳みその働きが鈍くなってきたように感ずる。
ミスも多くなった。
つまりパソコンで何かの作業をしていても、ミスが多くなった。
それに新しいソフトが使いこなせるようになるまでに、時間がかかるようになった。
プラス、やっと使いこなせるようになっても、1、2週間もすると、使い方を忘れてしまう。

 さらに、最近、こんなことを発見した。

 たとえば、30分間、ウォーキングマシンの上で運動をしてからキーボードを叩くのと、何も運
動をしないままキーボードを叩くのとでは、感じがまるでちがう。
運動をしてからだと、指先が軽快に動く。
運動をしてないと、ミスタイピングが多くなる。

 が、それだけではない。
運動をしてからだと、言葉がスラスラと出てくる。
運動をしてないと、「エ〜ト、何だったかな?」というように、迷うことが多い。

 若いころは、こんなことは、気にもしなかった。

 ……だからというわけではないが、今日は、午前中に30分、午後に30分、ウォーキングマシ
ンの上で、汗をかいた。
加えて乗馬マシンの上で15分に運動+畑仕事。

 肉体の健康も大切だが、精神の健康も大切。
さらに脳みその健康も大切。
肉体+精神+脳みその健康。
この3つがそろって初めて、「健康」ということになる。

 そのカギを握るのが、運動ということになる。

●北朝鮮の人工衛星、光明星1号

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7047711543/" title="3本のアンテ
ナ by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7097/7047711543_
6c76a7c3ae_b.jpg" width="800" height="600" alt="3本のアンテナ"></a>

 まずは、写真を見てほしい。
左から、スプートニック1号(旧ソ連時代のもの)、北朝鮮の光明星1号、それに私のもっている
ラジオのアンテナ。
その取りつけ部を、拡大し、並べてみた。

 で、この写真を見てもわかるように、光明星1号のそれは、衛星のアンテナというよりは、ラジ
カセのアンテナ。
宇宙で開くような構造にはなっていない。
(スプートニック1号のほうは、複雑なバネ仕掛け(?)になっているのがわかる。)

 人工衛星自体もお粗末だが、こういう人工衛星でもって、宇宙開発というところが、おかし
い。
恐らく今回予定されている人工衛星も、似たようなものなのだろう。
「カメラは積んでいるかもしれないが……」(韓国紙)、重量が100キロというのは、常識で考え
てもおかしい。
最低でも、500キロほどの重さが必要という。

 ともあれ、何からなにまで、「?」マークがつくのが、北朝鮮。
が、笑ってはいけない。
あなどってはいけない。
北朝鮮は、すでに5〜6個の核兵器をもっているという。
その気にさえなれば、日本の主要都市を全滅させることもできる。

 で、私が危惧するシナリオ……。
(1)北朝鮮が、ミサイルを発射する。
(2)軌道をはずれ、失敗する。
(3)日本が、迎撃ミサイルを発射する。
(4)それを口実に、北朝鮮が、日本にミサイルを撃ち込む。

 ふつうの常識のある国なら、そんなことはしない。
が、北朝鮮には、そのふつうの常識が通じない。
通じないことは、「光明星1号」の写真を見ても、わかるはず。
こんなおもちゃのような(「週刊現代誌」)人工衛星でもって、「宇宙開発」という。

 なお先ほどの朝鮮N報の記事によれば、北朝鮮の潜水艦が、どうやら何かの作戦行動を始
めたらしい。
ミサイルも警戒しなければならないが、北朝鮮の動きも、全体として注視する必要がある。
もしどこかの原子力発電所に、ミサイルでなくても、迫撃砲が1発撃ち込まれただけでも、今度
こそ日本も、万事休す。
日本は、本当に、終わってしまう。

 原子力発電所周辺の、防衛態勢は、万全なのか?
あとになって、「想定外の攻撃でした」などと、言うな!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 扁桃体 はやし浩司
 扁桃核の傷 精神疾患 扁桃核の傷)2012/04/05夜記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【焼津・Hotel Ambia 松風閣にて】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

午後になり、少し昼寝。
起きたのが、1時半。
「2時に行こう」と私。

目的地は焼津(やいづ)。
焼津の市内で、夕食。
そのまま近くのホテルで1泊。
Hotel・Ambia・松風閣。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●北朝鮮の人工衛星(光明星1号)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日、北朝鮮の人工衛星について書いた。
アクセス数が多かったこともあるが、
書き足りなかった点もあるので、改めて
書き足してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ここ数日、週刊現代誌に載っていた、北朝鮮の人工衛星なる模型が気になってしかたない。
現在、ピョンヤンの「電子工業館」に展示してある模型は、前回、北朝鮮が打ち上げた人工衛
星、「光明星1号」の模型という。
模型だから、本物ではない。
しかしまったくの、創造物とは言い難い。
もちろん、おもちゃではない。

 こうした展示館で模型を飾るときは、常識として、できるだけ本物に近いものを並べる。
たいていは、予備に作った本物を並べる。
古今東西、どこの展示館でも、そうしている。

 だから週刊現代誌で紹介されている人工衛星は、かぎりなく本物(?)に近いものと考えてよ
い。
しかし疑問がいくつかある。

●スプートニック1号、2号

 北朝鮮の人工衛星を見て、まず気がつくのは、その形状。
一見して、旧ソ連が打ち上げた、スプートニック1号および2号にそっくり。
球形で、アンテナが斜め後方に4本、伸びている。

スプートニック1号および2号の写真と、北朝鮮の人工衛星の写真を並べて、紹介する。

 なおスプートニック1号、2号というのは、スプートニク計画により、1950年代後半に旧ソ連
によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星をいう。

(1950年代だぞ!)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7044512175/" title="732psupu-
tonikku by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7193/
7044512175_60a12b8387_b.jpg" width="732" height="600" alt="732psupu-tonikku"></a>
(スプートニック1号)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6898407358/" title="Sputnik2_vsm 
by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7205/6898407358_
8f7910910c.jpg" width="214" height="350" alt="Sputnik2_vsm"></a>
(スプートニック2号)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6898398302/" title="img321 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7191/6898398302_
b98b867419_b.jpg" width="1024" height="1002" alt="img321"></a>
(北朝鮮の人工衛星)

 この3枚の写真を見比べただけでも、北朝鮮の人工衛星がいかに「おもちゃ風」であるかが
わかる。
おもちゃでなければ、サッカーボール。
あるいはクラブやディスコの天井につり下げてある、ミラーボール。
週刊現代誌は、「おもちゃイムニダ」と皮肉っている。

●疑問(1)アンテナ

 アンテナを見たとき、最初にこう思った。
「これはラジカセのアンテナ?」と。

 よく見ると、1本のアンテナが3段に分かれている。
携帯用のアンテナなら、伸縮できるように、3段にしたりする。
しかし人工衛星では、それは必要ではない。
仮に必要であるとしても、いったい、だれがどのようにして伸したり、縮めたりするのか。

 が、さらに詳しく見ると、3段になったアンテナが、その接続部で、溶接らしきものがほどこし
てあるのがわかる。
写真でも見ても、それぞれの部分が、不揃いにふくらんでいる。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7044495735/" title="img323 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm6.staticflickr.com/5345/7044495735_
a888b58597_b.jpg" width="559" height="1024" alt="img323"></a>
(北朝鮮の人工衛星・3段になったアンテナ)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7044495397/" title="img322 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7092/7044495397_
f12b434a52_b.jpg" width="748" height="827" alt="img322"></a>
(北朝鮮の人工衛星・アンテナ付け根部分)

 仮にこれが人工衛星であるとしても、数百億円もかけて宇宙へ飛ばす価値があるのだろう
か。
反対に、数百億円もかけて飛ばすくらいなら、もう少しその価値のあるものを打ち上げるので
はないだろうか。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

●着色の謎

 謎はまだつづく。

 宇宙では、温度の差が問題となる。
たとえば月面では、昼は+120℃、夜はー150℃になる。
月は自転をしているので、昼の蓄熱と夜の冷却が繰り返され、まだ温度差は小さい。
では、宇宙ではどうか。
回転していなければ、太陽の光の当たる表面は、限界温度、裏はー270℃近くになる。
 
 そのため人工衛星は、温度を平均化するため、回転するようにできている。
とくに人間が居住するような人工衛星は、そうである。

 が、もし機器を積んだだけの人工衛星であれば、「熱」だけを考えればよい。
電子機器は、「冷え」には強いが、「熱」には弱い。
そこで人工衛星は、スプートニック1号、2号のように、熱を反射するため、ピカピカに磨かれ
る。
ところが、である。
北朝鮮の人工衛星は、ピカピカどころか、着色してある。
わざわざ着色した理由は何なのか。
つまりここが不自然。

●本物と模型

 私は子どものころから、プラモデルを作るのが趣味だった。
そのプラモデル。
よくできたプラモデルほど、本物に近い。
たとえば飛行機にしても、それぞれの部品には意味がある。
意味のない部品は、ない。
「こんなところに、こんなものがついている。何だろう……」と考えていくと、かならず、その答が
ある。
とくに戦闘機のばあいは、無駄がない。
もちろん飾りもない。
(塗装は別だが……。)

 一方、たとえばガンダムのようなプラモデルは、言うなれば、「ウソの塊(かたまり)」。
もっともらしい部品は無数についているが、みんなウソ。
そこにある部品の意味を考えても意味は、ない。
すべてが作者の想像力から生まれた、「飾り」である。

 つまり本物をもとにしたプラモデルと創作をもとにしたプラモデルのちがいは、ここにある。

 で、人工衛星のばあいは、どうか。
……とあえて問題を提起するまでもなく、無駄なものは、いっさい、ない。
飾りも、いっさい、ない。
戦闘機のような塗装も、ない。
そんな必要もないし、そんなことをすれば、重くなるだけ。

 その人工衛星に着色がしてある?
タイルごとに、2色が使われている?
しかも人工衛星の本体は、球形ではなく、多面体。
昔見た、ウルトラマンの映画にも、こんな人工衛星は出てこない。

●つづく疑問

 もう一度、スプートニック2号の写真を見てほしい。
スプートニック2号は、ロケット本体に、きちんと格納してある。
つまりこの状態で宇宙へ飛んでいく。
つまり宇宙へ届いたら、カプセルが開き、人工衛星は外へ放たれる。
が、問題は、そのとき。
人工衛星が宇宙へ放たれると同時に、当然、アンテナは、傘を開くように開かれる。

 そこでスプートニック1号の写真をよく見てほしい。
アンテナの付け根部分である。
たぶんバネ式になっていて、アンテナが開く構造になっているのがわかる。
かなり複雑な構造をしている。

 一方北朝鮮の光明星1号は、見るからにラジカセのアンテナ風。
自動的に開くとか、そういった構造になっていないことがわかる。
「どうやって宇宙で開くのだろう」と考えるだけ、ヤボ。
このアンテナでは、宇宙で、開くことはできない。
が、展示してある光明星1号のそれは、ちゃんと開いている。

●結論

 北朝鮮の人工衛星は、どう見ても人工衛星ではない。
アンテナひとつとりあげても……というか、私たちの家にあるラジカセのアンテナと見比べてみ
ればよい。
取りつけ方、形状ともに、そっくり!

 恐らく今回打ち上げるミサイルにしても、似たようなものが積んであるのだろう。
重さは、100キロという。
北朝鮮は、世界に公開すると言っている。
だったら、その衛星本体を見せればよい。
ちがうかな?

●夢

 北朝鮮の人工衛星の話はひとまず、ここでやめ、つぎの話。

 昼寝をしたとき、こんな夢を見た。
おもしろい夢だったので、ここに記録する。

 ……私は、どこかの山道を歩いていた。
その先には、幾重も、低い山が連なっていた。
私は、どこかの町、……たぶん浜松市をめざして歩いていた。

 が、ふとこんなことを考えた。
こんな山なら、エンジン付きのパラグライダーで飛び越えてやろう、と。

 もちろん私は、パラグライダーなるものには、乗ったことがない。
見たことはある。
山荘の空の上を、よく飛んでいる。
が、いくら飛び立とうとしても、空を、木々の枝が覆っていて、飛び立てない。
木々の枝が、電線のようになり、それをじゃました。

 そこで私はこう考えた。
棒高跳びで使うような棒を用意し、それでひとっ飛びに山を乗り越えてやろう、と。

 幸い棒はすぐ見つかった。
丸くて長い棒だった。
私はその棒をよじ上り始めた。
が、しばらく上っていくと、下から何人かの男たちも、いっしょに上ってくるのがわかった。
1人は、私のすぐ下にいた。

 気にはなったが、私は上を見、そのまま上りつづけた。
あとはそのまま向こう側へ倒れればよい。
それでこの深い山を、抜け出ることができるはず……。
というようなことを、心のどこかで考えていた。

 私は棒を上った。
かなり高いところまで上った。
雲が、はるか下に見えた。
が、やがて棒の先端に。
その先端には、小さな看板が打ちつけられていた。
見ると、それには、「神」と書いてあった。
それを見て、私は、「ああ、ここは天国」と思った。

で、その看板をつかもうとすると、その看板は、スーッと消えた。
手をよけると、その看板が現れた。
で、もう一度、その看板をつかもうとした。
やはり、同じように、その看板は、スーッと消えた。

 ……そこで目が覚めた。

●夢判断

 支離滅裂な夢だった。
が、意味がないわけではない。
自分なりに夢分析をしてみる。

++++++++++++++

山の中にいた……私の閉ざされた世界を、象徴している。閉塞感。
「抜け出たい」という思い……生への葛藤。あるいは束縛からの解放。
空を覆う木々の枝……生きることにまつわる障害の数々。
丸い棒……男の象徴。ジャックと豆の木の話に出てくる、豆の木。
棒を上る……どこか芥川龍之介の『蜘蛛の糸』様。
後からついてくる男……不安の象徴。強迫観念。
「神」と書いた看板……頂点をめざしたいという欲求。願望。
看板が消える……天国に到達できないという限界。それにまつわる、はがゆさ。葛藤。

++++++++++++++

●リビドー

 空を飛ぶという夢は、ときどき見る。
が、思うように飛べないときのほうが、多い。
あるいは飛んでも、うまくコントロールできない。
「夢判断」なるものによれば、いろいろに解釈できる。
が、ジークムント・フロイトなら、こう言うだろう。

「抑圧されたリビドー(性的エネルギー)の解放を求めて葛藤している」と。

 そう、このところ不完全燃焼感が強い。
何をやっても、中途半端。
達成感や満足感がない。
何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない。

 このはがゆさ。
それが先に書いた夢の中に、凝縮されている。
が、精神科医なら、たぶん、こう判断するだろう。
「この男は、かなり強い強迫感をもっている」と。

●強迫性障害

 ウィキペディア百科事典では、つぎのように定義している。

『強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。
両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。
強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。

(1)強迫観念(きょうはくかんねん)とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安
感を生じさせる観念を指す。
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせず
にいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強
い苦痛を感じている。
ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もあ
る。

(2)強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うた
めの行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うために
なかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解
不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い』(以上、ウィキペ
ディア百科事典より)と。

 強迫性障害(患者数)と診断される日本人は、100万人とされる(ウィキペディア百科事典)。
人口の約2%(世界共通)だそうだ。

 この数を多いとみるとか、少ないとみるか……。
が、内容は、一様ではない。

 ウィキペディア百科事典では、つぎのように分類している。

『(1)不潔強迫……潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わ
ないと気がすまない。
体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る患者によっては電車のつり革を触る
ことが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感
覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。

(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に
触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。手の洗いす
ぎから手湿疹を発症する場合もある)など。

(2)確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、
何度も戻ってきては執拗に確認する。
電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。

(3)加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。
例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に
苛まれて確認に戻るなどの行為。
赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりす
るのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。

(4)被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶこ
とを異常に恐れる。
例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異
常に遠ざけるなど。

(5)自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。

(6)疾病恐怖
または疾病恐怖症など。
自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかって
しまったのではないかと恐れるもの。
HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。

(7)縁起恐怖
縁起強迫ともいう。
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまっ
たのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意
識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損し
てしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる
場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見ら
れる。

(8)不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきち
んとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これ
を常に確認したり直そうとする等の症状。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度
もやり直したりするものもある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結
果として確認行為を繰り返す場合もある。

(9)保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんで
しまうもの。
本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合
がある。

(10)数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行
為。

(11)恐怖強迫
ある恐怖あるいはことば、事件のことを口にできない。
そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできない。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態
にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過
度に確認や詮索を行う(強迫行為)』(以上、ウィキペディア百科事典より。詳しくは……、http:/
/ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

●私のばあい

 私のばあい、(1)〜(11)のどれにも当てはまらない。
「そういうことも、たまにはあるな」という程度。
……ということで、ウィキペディア百科事典を読み、少し安心する。
(自分でそう思っているだけかもしれないが……。)
と、同時に、「あの人が、そうだ」「この人も、そうだ」と、いろいろな人が頭の中に思い浮かぶ。

 が、ここで誤解してはいけない。
だれにも、ここに書いたような傾向はある。
ない人はいない。
あとは軽重の問題。
それが重くなり、通常の社会生活がむずかしくなった状態を、「強迫性障害」と呼ぶ。
ここに書いてあることがあてはまるからといって、「障害者」ということにはならない。
(あてはまらないから、強迫性障害でないということにもならないが……。)

●出版の世界

 私はこうしていつもものを書いている。
が、けっして、何かに追い立てられて書いているのではない。
むしろ逆。
それが楽しいから、書いている。

 本を読むのが好きな人がいるように、私は、ものを書くのが好き。
書いているときだけ、私は私でいられる。
反対に書かないでいると、頭の中が、すぐパンクしそうになる。
で、それを書いて、吐き出す。
その爽快感がたまらない。
前にも書いたが、ひどい便秘症の人が、BENを、ドサッと出したときの気分に似ているのでは
……?
だから書く。

 で、たまたま今日も、田丸謙二先生から、メールが届いた。
「だったら、本を書きなさい」と。

 実のところ、もう本には興味はない。
どうでもよい。
それよりも、時間が欲しい。
時間が足りない。
書きたいことがつぎつぎと出てきて、ときに自分でも収拾がつかなくなるときがある。
それに本といっても、私のほんの一部。
一部を切り売りしても、意味はない。
満足感は得られない。

 田丸謙二先生は、知らないが、この10年間だけでも、私は、10万枚(40字x36行)以上の
原稿を、書いている。
平均すれば、1日28枚前後。
これらをすべて本にすれば、130枚前後で1冊の本になるので、770冊(単行本)。
もちろんそのほとんどは、本にする価値もない駄文。
が、どんな駄文でも、それは「私」。
「これは駄文でないから、本にする」「これは駄文だから、本にしない」というのであれば、最初
から本にしてもらわなくても、結構。

……というか、本当は、私は出版社に、相手にされていない。
相手から見れば、私など、どこかのただの(馬の骨)。
出版社を責めているのではない。
私自身も、若いころ、出版社の立場で、本や教材の編集を手伝っていたことがあるから、その
あたりの事情は、よく知っている。
 
 本といっても、商品。
出版社は、まず売れる本かどうかを判断する。
販売部、もしくは営業部が、それを判断する。
編集部が動くのは、そのあと。
逆に編集部が動いたとしても、販売部が「NO」と言えば、その企画は流れる。

もちろん買い取り部数がしっかりと確約されているばあいは別。
たとえば宗教団体の多くは、こうした手法で本を出す。
「○○万部は、うちで買いますから……」と。

ほかに自費出版という方法もある。
が、私には経験がない。
本になるかならないかは、知名度と時代性で決まる。

 もちろん私には、そんな力はない。
知名度、ゼロ。

 ……これ以上書くと、グチになるから、この話はここまで。

●不完全燃焼感

 要するに、先ほど見た夢は、私の不完全燃焼感を、そのまま象徴化している。
「何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない」と。

 何だろう?
どうすればいいのだろう?

 列車は、先ほど、掛川を通り過ぎた。
書き忘れたが、今、私はこの原稿を、焼津に向かう列車の中で書いている。

●DSM−IV

 再び、強迫性障害について。
DSM−IVの診断基準によれば、(1)強迫観念と、(2)強迫行為の2つがあって、はじめて強
迫性障害と診断されるそうだ。

 で、この中で興味深いのは、(7)の縁起恐怖。
先にも書いたように、「あの人がそうだ」「この人もそうだ」という人が、つぎつぎと浮かんでくる。
「縁起恐怖」というより、「迷信恐怖」。
この迷信という代物は、実にやっかい。
一度取りつかれると、それから逃れるのは、容易なことではない。
前にも書いたが、こんな人がいた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年11月に書いた原稿、ほか1作

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●迷信

 迷信のはじまり……仏壇屋のおやじが、こんなおもしろい話をしてくれた。

 「たとえばね、何かの法事をしなかったとしますね。
そのあと、何かの事故が起きたりすると、『やっぱり、これは先祖様を供養しなかったためだ』
とかなんとか、人は思ったりするものです。

 反対にね、もし法事をしたあと、何かいいことがあったとしますね。
すると『やはり、先祖様を大切にすることはいいことだ』と、人は思ったりするものです。

 つまりね、林さん、こうして迷信というのが生まれてくるんですよ。その人の中に……」と。

 仏壇屋という職業を通して、そのおやじは、人の生死を見つめてきた。
私は仏壇屋のおやじらしからぬ話を聞きながら、そのつど、感心した。
「この人は、ただの人ではないぞ」と。
つまりそのおやじは、人間が根源的にもっている(弱さ)を見抜いている!

 「そんなことを言ったら、仏壇が売れなくなりますよ」と私は言いかけたが、それは言わなかっ
た。

●私の母

 私の母は、若いころから迷信深い人だった。
「迷信のかたまり」とさえ思ったことがある。
一貫性がなく、そのつど、迷信に振り回されていた。

もっとも母はそれでよいとしても、それによって振り回される私たちは、たまったものではない。

 たとえば靴一足を買うにしても、時間が指定された。
「夕方から遅い時間に買ってはだめ」とか、「買うなら、朝にしなさい」とかなど。
ほかに、「表(=玄関)で脱いだ靴は、裏(=勝手場)のほうで、はいてはだめ」というのもあっ
た。

 ときには、靴を買う日まで、指定されたこともある。
「今日は、日が悪いので、買ってはだめ。あさってにしなさい」と。

 一事が万事。
ありとあらゆることに、その迷信が、入り込んでいた。
学校へ行くときも、裏口から出て行こうとすると、そこで呼び止められ、叱られた。
「表(=玄関)から出て行きなさい!」と。

 幼いころの私はそれに従ったが、小学3、4年生にもなるころには、息苦しさを覚えるようにな
った。
私は、そのつど母に反発したが、母は母で、自分の主張を曲げなかった。
そういう話を、寺や神社で聞いてきて、いつも私にこう言った。

「そういうことを言うと、バチが当たる!」と。

●されど迷信

 迷信、ただの迷信、されど迷信。
その迷信と戦うにも、かなりの勇気が必要。
ゆいいつの武器は、知性と理性、それに知識である。
何かのことで「おかしい?」と感じたら、そのことについて、徹底的に自分で調べるのがよい。
けっして不可思議なものに心をゆだね、その虜(とりこ)になってはいけない。

できればはじめから、近づかないこと。

こうした迷信というのは、一度気にすると、心の内側にペタリと張りつく。
取れなくなる。
取れなくなるばかりか、ときに自分が自分でなくなってしまう。

 このことは、子どもの世界を見ているとわかる。
10年ほど前、それについて調べたことがあるが、小学生にしても、大半が、まじないや、占い
を信じている。
「霊」の存在を信じている子どもも、多い。

 大切なことは、自分で考えること。
仮に納得がいかないことがあったとしても、それを不可思議な「力」のせいにしてはいけない。
こんなことがあった。

 ある家庭に、3人の子どもがいた。
上から、長男、長女、それに二女。
長男、長女は、中学時代から札付きの番長に。
高校へは進学しなかった。
二女は、だれの子ともわからない子どもを妊娠、そして出産。
長女が、17歳のときのことだった。

 それについて、迷信深い叔父が近くにいて、「これは何かのたたり」と言って騒いだ。
そこでその両親は近くの神社を訪れ、「お祓(はら)い」なるものをしてもらった。

 が、原因は、母親自身にあった。
親意識が強く、権威主義。
口もうるさかった。
その上わがままで、思いこみもはげしかった。
子どもの心など、最初から、どこにもなかった。

 父親はいたが、週に1、2度赴任先の会社から帰ってくる程度。
母親は自分が感ずるストレスを、そのまま子どもたちにぶつけていた。

 子どもたちにすれば、さぞかし居心地の悪い家庭だっただろうと思う。
その結果は、先に書いたとおりである。

 つまりほんの少しだけでも、その母親に(考える力)があれば、こうした事態は防げたはず。
が、その母親には、その力さえなかった。
もっとも今は、3人ともそれぞれが結婚し、家庭をもち、それなりに幸福に暮しているから、とく
に問題はない。

 またその後のことは聞いていないが、あの母親のことだから、今ごろは、きっとこう言ってい
るにちがいない。

「何かあったら、あのX神社でお祓いをしてもらうといいですよ」と。
(以上、2008年11月記)

Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司

●迷信について(もう1作)

 信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。
迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わす。
かえって危険ですら、ある。

 S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判
するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガ
クガクと震わせます」と。

 最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。
その夫というのは、国立大学の工学部を卒業したような、エリート(?)である。
そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。

 もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではな
い。
少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。
悪魔の所作である。
だいたいにおいて、神や仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。

 たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏
のようなもの。
私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。
だからアリたちも、ひょっとしたら、そう思っているかもしれない。
「あの林は、我々の神様だ」と。

 そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。
私を否定しても、私は記にしない。
もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているようなヒマなど、ない。

 人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。
もし神や仏がいるとするなら、宇宙的な視野で、かつそれこそ11次元的な視野で、人間社会
を見つめているにちがいない。

 そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。
ものごとは、もっと常識で考えたらよい。

 信仰には、たしかにすばらしい面がある。
しかしそれは、教えによるもの。
あの釈迦も、法句経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。

※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:
115600となる。
私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにと
っては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメート
ル)の広さということになる。
人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営ま
れていることになる。
私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。
約三万人の人が住んでいる。
大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、同じ広さ
ということになる。
多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……? 
初春の陽光をあびて、青い草が、さわさわと風に揺れている。
その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。

(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。
しかしアリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。
一〇分くらいで行ってしまうのでは? 
あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。
今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●Hotel Ambia 松風閣(焼津)

 「ホテル・アンビア」という。
地元の人は、「松風閣」という。
海岸の絶壁に建つ、絶景第一のホテル。
いろいろなホテルに泊まったが、まさに絶景。
断崖絶壁の上に建つ、絶景のホテル。
部屋へ入ったとき、思わず、ウォーッと声をあげてしまった。

 まるで空中の楼閣のよう。
眼下というより、真下に海岸線が見える。
たまたま今日は、「爆弾低気圧」が発生したとか。
四国のどこかでは、秒速42メートルの突風を記録している。
そのせいか、5〜6メートルもあるような大波が、真下で絶壁に打ち上げ、白いしぶきをあげて
いた。

 ハイクラスの、やる気度120%の、豪華ホテル。
浜松周辺では、このホテルと比較できるホテルといえば、伊良湖岬にある、伊良湖ビューホテ
ル。
しかしこのホテルのほうが、上品。
ビューホテルのほうは、客層があまり、よくない(失礼!)。

 部屋へ入ると、若い女性が、館内の説明をしながら、お茶を立ててくれた。

●夕食

 夕食は、ここへ来る前、焼津さかなセンターで食べた。
さかなセンターの中には、いくつかの食堂がある。
その中の1つで、食べた。
なお焼津さかなセンターで売られている魚介類は、ショッピングセンターのそれと比べて、2〜
3割は安い。
が、食堂の料理は、「安い」という印象は、もたなかった。

 で、夕食は、抜き。
が、その間に入浴すれば、がらがらのはず。
案の定、その時間をねらって大浴場へ行くと、客は私、1人だけ。
ゴーゴーと吹きすさぶ黒い雲を見ながら、露天風呂につかる。
まさに、絶景かな、絶景かな。

 大満足!

 明日は窓から富士山がながめるとか。
天気予報を調べると、「晴れ、ときどき曇り」とか。
ラッキー!

 窓の外を見ながら、ワイフがこう言った。
「いつか、こういうときが懐かしくなるかもね」と。
それに答えて、私はこう言った。
「まだまだ序の口。これから遊んで、遊んで、遊びまくる」と。

●今東光

 昔、今東光という作家がいた。
政治家でもあり、天台宗の大僧正でもあった。
一度、平泉の中尊寺で、法主(ほっす)として、法要をいとなんでいるのを見たことがある。
11PM(日テレ)で企画を書いているとき親しくなり、それが縁で、今東光ががんに侵されたと
き、ときどき見舞いに行った。

 今東光は、2度、東京築地のがんセンターに入院している。
最初の1回目は、まったく元気だった。
医師に止められていたにもかかわらず、私を、センターの前にある焼肉屋で連れて行ってくれ
た。
今東光の病名は、直腸がんだった。
だから私のほうが心配して、「いいんですか?」と聞くと、「いいべえ」と。

 そんなある日。
また別の日に見舞うと、突然、こう言った。
「女を買いに行くべえ」と。

 当時、今東光は、女性のヌード画を描いていた。
体や性格にまったく不釣り合いな、細い線のヌード画だった。
今東光が前もって電話をすると、画廊のほうで、モデルを用意し、待っていてくれた。

 その今東光がこう教えてくれた。
「俺はな、若いころ、修行、修行で、女遊びができなかった。
病気も、もらったがな。
だから今でも、それを思うと、悔しくて、女を買いに行く」と。

 たしかそのとき「19歳から23歳まで、修行した」と言った。
そのとき聞いた年齢は記憶によるものなので、不正確。

 ……今、そのときの今東光の気持ちが、よくわかる。
私も、若いころは、仕事、仕事で、遊ぶことを知らなかった。
暇さえあれば、仕事をしていた。
それが今になってみると、悔しい。
だから、遊ぶ。
今、遊ぶ。

私「あきるほど、遊ぼう」
ワ「そうね」と。

 今では、今東光の名前を知る人も、少ない。
なお2度目に入院したときには、今東光は、ベッドの上で身動きが取れない状態だった。
丸いテント様のおおいに覆われ、顔だけ外に出していた。
それでも今東光は、原稿を書いていた。
いつ、どのようにして書いたかは知らないが、原稿を書いていた。
その原稿が、入り口のデスクの上に、きちんと並んでいた。
それが私に強烈な印象を与えた。

●ロビーにて

 ワイフが売店へ行こうと誘った。
応じた。
今、ワイフは、売店で、何やら買っている。
クラブの仲間へのみやげらしい。
私は、それを背中に、こうしてパソコンのキーボードを叩く。

 ……少し前、エレベーターで、9階から下りてきた。
そのとき焼津の夜景が、宝石のように美しく輝いていた。
嵐は去ったよう。
……だれかがエレベーターの中でこう言った。
「明日の日の出は、5時29分ね」と。

 運がよければ、またそのとき目を覚ましていれば、私も日の出を見ることができるはず。
楽しみ。
富士山を右手に、美しい写真を撮れるはず。

●春休み

 春休みということもあって、どこへ行っても、子どもの声がする。
今も背中側の通路で、子どもたちが騒いでいる。
聞きなれた声だが、うるさいものは、うるさい。
大声で、騒いでいる。
走り回っている。

 ロビーの前は、広い日本庭園になっている。
白い砂利が、ロビーの明かりを受け、白く光っている。
そのガラス窓に、ワイフの姿が映った。
何かを買ったらしい。
それを手にもち、ぶらぶらと歩いている。

●小沢系29人(民主党)辞表

 ワイフが朝日新聞の朝刊をもってきた。
1面の下の方に、「小沢系29人、辞表」とあった。
小沢系といえば、50人近くいたはず。
つまり20人以上が、小沢一郎から離反したことになる。

 「そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてだろう」と思ってみたりする。
政治の世界は、一寸先が闇。
一枚下も、これまた闇。
そこは権力と欲望が、醜く渦巻く世界。
「いやな世界だろうな」と思ってみたり、「よくやるなあ」と思ってみたりする。
 
 そう言えば、以前、「平成の忠臣蔵」というタイトルで、エッセーを書いたことがある。
野田政権が誕生したとき、小沢派議員の忠僕性を皮肉ったものである。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。
この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」と「金(マネー)」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴
力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。
いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという事実。
(工民、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●タクシーの中で

 今では、どこへ行っても、原発事故と、地震や津波の話。
今日も、そうだった。
JR焼津駅からタクシーに乗ると、運転手がこう言った。

 「どちらから?」と。
「浜松から」と答えると、「浜松は、だいじょうぶですか?」と。

 運転手は、こう言った。
「焼津の人たちの中にもね、藤枝の方へ引っ越す人がふえていますよ」と。

 浜松市内でも、遠州浜沿いに住んでいる人たちの引っ越しが始まっている。
少し前までは、新幹線の北側は安心と言っていた。
が、震度7、津波の高さ21メートル。
3つのプレートが同時に動くと、それくらいの地震になるそうだ。

 で、もしそうなら、新幹線の線路でも、防ぎようがない。
地震で地盤の液状化も起こるだろう。
そこへ21メートルの津波!
海抜10メートル前後の下町は、全滅。

 3・11大震災前なら、そんな話はだれも信じなかっただろう。
私も信じなかった。
が、今は、ちがう。
「今すぐ……」というわけではないが、いつかは起こる。
かならず、起こる。
そういう前提で、この先を見る。

 数日前も、義兄がこう言った。
「下町の人たちが、山の手のほうへ、移動しているよ」と。
義兄は、大地主で、自分の土地の管理もかね、不動産屋を営んでいる。

 いやな世の中になったものだ。
今、この瞬間にも、大地震が起こるかもしれない。

●浜岡原子力発電所

 ときどき、ワイフとこんなふうに話しあう。
もし大地震が起きたら、すぐ逃げよう、と。
近くには、浜岡原子力発電所がある。
防災は万全と言っているが、だれも信用していない。
私も、信用していない。

 あの3・11大震災から数か月後のこと。
浜岡原子力発電所でも、配管に穴が開いているのが見つかった。
放射性物質が、海へ垂れ流されているのがわかった。
で、その前後、「大規模な」(報道)、防災訓練がなされた。
が、その防災訓練が、へん!
消防自動車がやってきて、原子炉に水をかけていた。

 原子炉に水だぞ!

 私はそれをテレビのニュースで見て、笑ってしまった。
つまり日本の防災意識も、その程度。
北朝鮮では、がんでも、赤チンをつけて治すそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
それと同じ。

 ……こういう話は、やめよう。
せっかくの旅行。
考えれば考えるほど、憂うつになる。

●4月4日

 明けて、今日は4月4日。
目覚ましを、午前5時15分にセットしておいた。
目覚ましと同時に、目を覚ますと、窓全面に、青い空がまぶしいほどに光っていた。
同時にワイフも目を覚ました。

 このホテルには、一度、皇族方全員が宿泊している。
言うなれば家族旅行。
そのときはじめて、私は納得した。
「この景色なら、その価値がある」と。

 浜松からは、鈍行列車で来ても、50分。
車で来れば、もっと早い。
愛知県の西浦温泉などよりは、ずっと近い。
こんな近くに、こんなよい温泉旅館があるとは!
星は、文句なしの、5つ星。
すばらしい。

 今、時刻は午前8時07分。
大波が右上から左下に、行く筋もの山を作り、その間で、糸のように細い小波が揺れている。
プラチナ色の海。
それを取り囲むように、淡いコバルト色の海。
たった今、デジタルカメラを構えて何枚か写真を撮った。
まぶしくて、液晶画面が見えなかった。
その方向にカメラを向け、勘で撮った。

 さあ、このまま帰る。
シャトルバスは、8時30分に出る。

はやし浩司 2012−04−04 焼津・ホテルアンビア・松風閣にて

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【北朝鮮問題vs私たち日本人の問題】
●迎撃ミサイル発射、反対!

●人工衛星

 「週刊現代」(今週号)を読んだ。
グラビアの中で、北朝鮮の人工衛星を紹介していた。
前回発射したとき、ミサイルに搭載したものという。

 それを評して、週刊現在誌は、「おもちゃイムニダ」と書いていた。
たしかに、「おもちゃ」。
「おもちゃ」以下の「おもちゃ」。

 サッカーボール、あるいはミラーボールのような球体に、アンテナが4本ついていた。
それだけ。
アンテナといっても、明らかにラジカセのアンテナ様(?)。
よく見ると、そのアンテナも、途中で、伸縮できるようになっている。
いったいだれが、どのようにして伸ばしたり、縮めたりするのか?

本体は球形だが、太陽電池らしいものはない。
電波を地上へ送るにも、かなり強力なバッテリーが必要なはず。
バッテリーは、どうするのか。
さらに制御装置らしきものものない。
素人の私が見ても、チャチ。
チャチすぎて、話にならない。

 その前のページでは、日本の宇宙ステーションの製造現場を紹介していた。
それと比較しても、一目瞭然。
あれは「おもちゃイムニダ」。

 北朝鮮の人たちは、あんなおもちゃを見せつけられ、それが本当に人工衛星と思い込んでい
るのだろうか。

 週刊現代誌を買い、BLOGの中でその写真を紹介しようと思ったが、やめた。
紹介するまでもない。
それほどまでにチャチな人工衛星だった。

●赤恥

 で、私は確信した。
北朝鮮は、ミサイルなど発射しない。
……できない。
その技術もさることながら、仮に発射したとしても、宇宙には届かない。
太平洋上のどこかに墜落する。
が、そこでは、世界中の艦船が、待ち構えている。
うようよと待ち構えている。
そのあたりは、深度40メートル前後という。
当然、人工衛星(?)なるものは、回収される。

 そのとき人工衛星がハリボテであるとわかったとしたら……。
北朝鮮は、赤恥をかく程度ではすまない。
今までのウソが全部、バレてしまう。
(といっても、北朝鮮も、そこまでバカではないだろう。
回収されても困らないように、自爆装置くらいはつけているだろう。
自爆装置といっても、爆薬を詰めておけば、それでよい。)

 さらに一言。

 今回の人工衛星は、気象衛星という。
もしそうなら、飛行制御装置はもちろん、姿勢制御装置は、どうなのか。
地上から、どうやってそれを制御するのか。
宇宙から届く電波を、どうやって受信するのか。
少なくとも地上を撮影するカメラくらいは、ついているだろう※。

 だから私は、北朝鮮にこう忠告する。
「今回のミサイル発射実験は、やめたほうがいい。赤恥をさらすだけ」と。

(注※……韓国の報道)
『韓国政府関係者は「観測衛星は通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大
きさでは『実用』からほど遠い。核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」』(M
SNニュース)と。

●アメリカの反応

 それを熟知しているのか、アメリカは北朝鮮の代表に、こんな提案をしている。
「人工衛星なら、中国やロシアに打ち上げてもらってはどうか?」と。

 が、北朝鮮が「YES」と言うわけがない。
それがわかっていながら、アメリカは、そう提案した。

 Yahooニュースは、こう伝えている。

『……北朝鮮外務省・李根米州局長とアメリカ政府の元高官らが先月31日と今月1日、ドイツ
東部で非公式の協議を行った。
しかし、双方の溝は埋まらなかったもよう。

 セミナーを主催した民間団体の関係者によると、アメリカ側は「人工衛星の打ち上げであれ
ば、中国やロシアに依頼すればよい」と提案したが、北朝鮮側はそれを受け入れなかった』(以
上、Yahooニュース)と。

●周囲科学

 ひとつの科学が進歩するためには、それを支える周囲科学が必要である。
同じように、人工衛星を作るには、周囲技術が必要である。
部品1個作るのにも、必要である。
いわんや、人工衛星。

少し前まで、乾電池すら自前で作ることができなかった国である。
(恐らく、今も、できないだろう。)
そんな国が、人工衛星など、作れるわけがない。
いわんや、それを宇宙に飛ばすとは……?

 もしそれができるとすれば、イランから技術とロケット本体を手に入れたと考えるのが妥当。
イランはすでに人工衛星を軌道に乗せることに成功している。
しかし仮にそうであったとしても、今回のミサイル発射実験には、いくつかの無理がある。

 その第一。

発射場への鉄道線路は、つい昨年末(2011)に完成したばかりという(報道)。
一事が万事というか、であるなら、それまでの資材などは、どうやって運んでいたのか。
しかも発射場に立っているクレーンは、ビル建設用のクレーンという。
発射台すら、ない。
知れば知るほど、お粗末。
そんな機材で、本当にロケットなど、打ち上げることができるのだろうか。
報道によれば、発射場にしても、一部、未完成という※。

 ……ということを考えていくと、今回のミサイルの発射実験は、無理。
で、今ごろ、内部では、こんな相談をしているにちがいない。

幹部A「とにかく、ある程度、飛べばいい」
幹部B「衛星が回収されたら、どうしますか」
幹部C「……発射方向を変えることはできないか?」
幹部D「それもひとつの手だな」
幹部E「いいか、ウソがバレたら、俺たちみな、公開処刑だぞ」
幹部F「……そうなったら、ただちに脱北しよう」と。

(注※……中央日報紙より)
『……中央日報は2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げを
予告している平安北道東倉里の発射施設について、一部未完成とみられると報じた。
真偽は不明。施設の衛星写真を見た韓国政府高官の話としている。

 それによると、衛星の運搬ロケット「銀河3号」を発射台に据えるため設置される「発射整備
台」が見当たらず、発射施設にタワークレーンが置かれているという。
高官は、発射整備台の設置工事が遅れ、クレーンで代用するとみられると指摘したという』(共
同)と。

●戯言(たわごと)

 こうしたことを書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「貧しい国が、精一杯、背伸びをし、がんばっている。
そういう国を笑ってはいけない」と。

 しかしそれは北朝鮮の現状を知らない人が口にする、「戯言(たわごと)」。
独裁政権を維持するために、おびただしい数の人たちが、処刑されたり、収容所へ送られたり
している。
現在の今ですら、その数は、20万人とも、それ以上とも言われている。
つい先日は、軍の高官らが、迫撃砲で、処刑されたという。
「髪の毛一本、残すな」という、金正恩の命令によるものだという。

 なお一度収容所へ送られたら最後、生きて帰ってくる人は、ほとんどいないという。

●反面教師

 この先のことはわからない。
ミサイル発射実験につづいて、核実験も用意しているという報道もある※(韓国紙)。
やることなすこと、私たちの常識では理解できない。
狂っている。
が、どうであれ、私たちは今を生きる、生き証人として、北朝鮮の現実を、しっかりと記憶してお
く必要がある。

 歴史は繰り返す。
過去にも同じようなことがあったし、未来にも、同じようなことはある。
そういうときのために、しっかりと記憶しておく。
そして二度と、現在の北朝鮮がしているようなことを、私たちは繰り返してはいけない。
私たちがいつか、同じように狂わないという保証は、どこにもない。

 北朝鮮を非難したり、笑ったりするのは簡単なこと。
しかし私たち日本人だって、ほんの70〜80年前には、同じようなことをしていた。
それを思うなら、もう少し謙虚になってもよいのでは。
時代が変われば、記憶も薄れ、結局はまた、私たちは、同じことを繰り返す。
それを北朝鮮を通し、私たちは学ぶ。
今、学ぶ。
北朝鮮は、まさにその反面教師ということになる。

(注※……TBS)
『韓国の国防省は、北朝鮮がミサイル発射実験とみられる「衛星」を打ち上げた場合、あわせ
て核実験も行う可能性があるとの見方を示しました。
 「北朝鮮がミサイルを発射した後、短期間のうちに核実験を行う素地があり、状況によっては
追加の軍事挑発も憂慮されます」(韓国国防省スポークスマンの会見)』(以上、TBS)と。

●維新の会

 そのひとつというわけでもないが、私個人は、「維新の会」なるものに、あってはならない(危
険なもの)を感ずる。
「大躍進」というのは、結構なことだが、政治の一貫性ということを考えるなら、けっして望ましい
ことではない。

 自民党がだめだったから、民主党が大躍進した。
が、今度は、民主党がだめだから、維新の会?

 維新の会が危険というのではない。
日本人がもつ、短絡性というか、後先を考えない激情性に、危険なものを感ずる。
つまり極端すぎる。
ひとつまちがえば、この日本は、たいへんなことになる。

 「維新の会」については、どういう方向性を持っているか、もう少し冷静に、見てみる必要があ
るのではないだろうか。
支持するのは、それからでも遅くない。
現に今、国歌だの何のと、橋下氏は、かなり右翼的な色彩の濃い発言を繰り返している。
あとになって、私たちは判断を誤りました、ではすまない。

 金正恩も若い。
橋下 徹も若い。
ムードだけに酔いしれていると、それこそ、たいへんなことになる。
 
●TK先生へ

 TK先生から、たった今、メールが届いた。
現在TK先生は、自宅を改築中。
その間だけということで、現在、近くの有料老人ホームに入居している。
その返事。

『TK先生へ

近くにいれば、毎晩でも話に行けるのに残念です。
私は実際には、祖父母の手によって育てられました。
また晩年の母は、2年間、私が世話をしました。
ワイフにはさせませんでした。
老人の世話には、慣れています。
そこらの介護士より、老人の扱い方がうまいのは、そのためです。
まったく気になりません。

実兄も、最後はボケ、いろいろありましたが、弟のように感じました。
だから先生の世話など、何でもありません。
多分先生のことだから、そういうところで、自分の近未来を見、ショックを受けられたのだろうと
思います。
気持ちはよくわかります。
私も、もし自分に経験がなければ、ショックを受けただろうと思います。

しかしね、楽しめばよいのです。
私はいつも特養へ母を見舞いに行くたびに、周囲の老人たちとバカ話ばかりしていました。
が、ワイフはだめです。
老人と同居した経験がありません。
老人の世話をした経験もありません。
母が家にいる間中、「食事はどうの?」「運動はどうの?」と、そんな心配ばかりしていました。

老人には老人の世界がありますから、そっとしたいようにさせておくのがいちばんよいのです。

ただ、事故が3度つづき、それでこわくなって、特養へ入れました。
どれも、あわや……というような事故でした。
(母は昼間は眠り、夜中に動きまわりましたから……。
それにたとえ事故死であっても、不審死ということで、警察が介入してくると言われました。)
で、ケアマネに相談すると、「24時間、ついていてください」「夜は添い寝をしてください」と。
それでGIVE UP!、です。
私はその間、ただの一度も、ほかの息子や娘たちのように、グチを言ったことはありません。
つまりそういうことが、さらっとできるのです。
いつも祖父母のふとんに潜り込んで寝ていましたから……。
寒い夜は……。
中学生くらいになっても、です。

でもね、先生、こんなことを発見しました。
私も、この2年間で、2度、倒れました。
(軽いのを含めると、3度です。)
一度は、気を失い、大きなガラス窓を割ってしまいました。
そのときのことです。
死ぬことは、まったくこわくないということを知りました。
実に、穏やかで、安らいだ世界です。
「ああ、これで死ねる」とさえ、思いました。
でね、私はこう発見したのです。
脳には、そのときのために、すでにそのようなプログラムがすでにインプットされている、とで
す。
前脳と後脳の中間部あたりに、そういう部分があるそうです。

このことは逆に、最近、わかってきたのですが、あの新生児(赤ん坊)にも、そういう脳の機能
があるのだそうです。
あの新生児が、親の愛をひきつけようと、無意識の部分で、行動しているということがわかって
きました。
驚きでしょ!

つまり人間の脳のもつ、多様性というか、生まれてから死ぬまで、それぞれの段階で、プログラ
ムがちゃんとインプットされているというわけです。
だから死ぬのはこわいですが、死の瞬間は、みな、穏やかで、安らいだ気分になる。
それを発見しました。

……やがてすぐ、私も先生のあとを追いかけます。
さみしいというより、楽しみです。
だからいっしょに、残された有意義に過ごしましょう。
先生も、ジジ臭いことを言わないで。

何かとたいへんでしょうが、先生は、けっして独りではないし……。
また何かあれば、連絡してください。
パソコンの分野でしか力になれませんが、よろしく!!!!!

はやし浩司』

●160万人

 話を戻す。

 北朝鮮は、早晩、かならず崩壊する。
が、日本にとっての問題は、それから。
韓国主導になるか、中国主導になるかは別として、日本は改めて戦争責任を問われることに
なる。
すでに北朝鮮は、中国を介し、補償金を打診してきている。
その額、何と100兆円!
もちろんそれで問題が解決するわけではない。
日本のすぐ隣に、巨大な反日国家が誕生することになる。
陸軍だけで、計160万人。
それこそその気にさえなれば、日本は、ほんの数日で、占領されてしまう。
仮に占領されないにしても、それ以後、日本は、今以上にその圧力を感じることになる。
ビクビクしながら、生きることになる。

 日本は、はたして、そのストレスに耐えることができるだろうか。

 が、問題は、さらにつづく。

●日本が蒔いた種

 元はと言えば、日本が蒔いた種。
それゆえに、最近の若い人たちは、こう言っている。
「ジジババの責任」と。
それが反世代闘争(=老人への反感)の原動力となっている。

今ではジジババ・ゴミ論がさらに進み、ジジババ害悪論まで、飛び出している。
つまりこの先、私たちジジババに対する風当たりが強くなることはあっても、和らぐことはない。
団塊の世代以上の人たちにとっては、たいへん住みにくい世界が、そこで待ち構えている。

 ……とまあ、そこまで考える必要はないかもしれない。
しかし北朝鮮の問題は、回り回って、やがてそのあたりまでやってくる。
経済が落ち目になったら、なおさら。
少なくとも、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ありがとうございました」「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ゆっ
くりと休んでいてください」という時代には、ならない。
その覚悟だけは、今からしておいたほうがよい。

●迎撃ミサイル発射、反対!

 以上のような理由から、私は迎撃ミサイル発射については、明確に反対する。
北朝鮮のミサイルに当たっても、はずれても、「発射した」という事実は、この先、大きな傷とし
て、残る。
北朝鮮に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。
北朝鮮の立場で、それを考えてみると、よくわかる。

 北朝鮮にとって、戦争という突破口をいちばん名分化しやすいのは、この日本である。
アメリカや韓国ではない。
この日本である。

ならば「日本にはアメリカがついている」と考えている人は多い。
しかしそれは日本という国が、民主党政権になったときに、すでに日米安保条約は、形骸化し
た。
欧米では、「反米主義の左翼政権誕生」と、大々的に報じられた。
事実、民主党政権が最初にしたことは、中国詣で。
アメリカ詣でではなく、中国詣で。
あの小沢一郎は、300人近い国会議員や随行者を連れ、イのいちばんに、中国詣でをしてい
る。

 さらに民主党政権は鳩山氏を東南アジアに送り、アメリカ抜きの「東アジア共同体構想」をぶ
ちあげた(2009年9月)※。
欧州連合(EU)をモデルにしたものだが、これがいかにアメリカを怒らせたかは、想像するに
難(かた)くない。
現在、極東アジア情勢は、完全に日本をはずしてことが進んでいる。
米韓主導。
結論から先に言えば、戦後、日本は、今、最大の危機的状況の中に置かれている。

 ……だからここは慎重に!、……ということで、迎撃ミサイルの発射には、慎重の上に慎重
であるべき。
つまり反対!
迎撃の構えは見せても、迎撃してはいけない。
形はミサイルでも、中身はハリボテ。
そんなミサイルを本気で迎撃する必要はない。
その費用、1兆円以上!
が、それだけではない。
へたに迎撃すれば、中国を利するだけ。
中国はそれを見て、日本ならびにアメリカの迎撃システムや能力を知ることになる。

(注※……東アジア共同体構想、Yahooキーワードより)
『東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想。
民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)でアジア外交強化の取り組みとして明記。
アジア諸国と信頼関係を築き通商や金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策などの
分野で協力体制を確立するとした。
参加国には、中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国を想定。
米国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどの扱いが焦点となる』(以上、Yahooキーワ
ード)と。

●茶番劇

 最後に一言。

 今回の北朝鮮によるミサイル発射実験も、結局はアメリカvs中国という、2大国家のはざまで
起きる茶番劇に過ぎない。

 アメリカにしてみれば、北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
(テロ集団に拡散することは恐れているが……。)
アメリカにしてみれば、中国こそが、最大の脅威。

 一方、中国にしても、事情は同じ。
北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
中国にしてみれば、アメリカこそが、最大の脅威。
だからその水面下では、たがいに謀略につづく謀略を繰り返しているはず。
おぼっちゃま然としている日本には、それがわからない。
日本が立ち入るスキなど、どこにもない。

 ただ心配なのは、今、日本はその存在感(?)を示そうと、焦っていること。
その(焦り)が、日本を暴走させる。
野田首相は、厳に、慎重であってほしい。

●TK先生より

 メールを開くと、TK先生から、返事が届いていた。

『林様:ご親切なメール有難うございました。
大変に心を打たれるメールでした。
御元気そのもののように見えた貴君が、二度もお倒れになったと聞いて驚きました。
これからはお互い様歳をとる一方です。
くれぐれもご注意して下さい。
大切な人ですから。
私にとってお迎えが来るということは亡くなった「マミ」(=奥様)や、娘が待っていて久しぶりに
会え、一緒になれる期待が感じられます。
なるようにしかならないこれからですが、お互いに頑張りましょう。
くれぐれもお大事に。 
TKより』

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 北朝鮮問題 はやし浩司 2012−04−02)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 16日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【鎌倉へ】(田丸謙二先生に会う)(死刑廃止論・国歌論・愛国心byはやし浩司)

●3月30日(金曜日)自宅にて

(1)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/0zkHIQz_2fw" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/P1b3nx1gZz0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 昼前に、山荘に到着。
その前に、ショッピングセンターに寄り、野菜の苗を仕入れる。
ナス、トマト、それにキュウリ。
それぞれ2苗ずつ。

山荘では、雑草を刈ろうと思ったが、あいにくの強風。
空が白くかすむほど、杉の花粉が舞っていた。

 ワイフは、苦しそうだった。
私も、そのうち鼻と喉が、痛くなりだした。
やることもなく、(何もできなく)、そのまま1〜2時間を、過ごす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●畑仕事

 自宅に帰り、畑に苗を植える。
1つずつ、ていねいに植える。
まわりを風よけでおおう。
これが結構、重労働。
下半身には自信がある。
しかし上半身は、めったに使わない。
20〜30分も畑を耕していると、全身に汗がにじみ出てきた。

 これで6畝(うね)、作ったことになる。
ネギが、2畝。
レタスが、2畝。
ワケギが、1畝。
それに今回の野菜が、1畝。

 小さな畑だが、これで夏の終わりまで、いろいろな作物を収穫することができる。

●モクレン

 山荘のほうでは、モクレンが満開だった。
桜と花桃の花は、4分咲きといったところ。
4月に入ったら、一斉に咲き出すはず。

 そうそう、今日も、ハッサクの収穫をした。
全部で、50個ほど、収穫した。
これからが山荘の季節。
4月の終わりになると、ホトトギスが鳴きだす。
野生のジャスミンが、山荘のまわりを、甘い香りで包む。
野イチゴも、そのころ収穫できる。

 1週ごとに、山荘の様子は、大きく変わる。
楽しいというより、それがうれしい。

●義兄

 今夜は、義兄の家で、夜を過ごした。
先ほど、自宅に戻った。
時計をみると、午後10時を少し回っていた。

 その義兄が、こんな話をした。
「浜松でも、下町の土地が、売れないそうだ。
反対に、高台の土地に、売り物がないそうだ」と。

 少し説明しよう。

 浜松市という町は、下町と高台に分かれている。
太平洋沿いからつづき、海抜数メートル地帯を、「下町」という。
そこからなだらかな坂になり、北に向かって、山の手へとつづく。
山の手になる地帯を、「高台」という。
その高台は複雑に入り組んでいて、やがて三方原台地へとつづく。

義「6メートル程度の津波が来たら、下町は全滅だよ」
私「新幹線の線路が、防波堤になってくれると言っている人もいます」
義「あんなのは、簡単に乗り越えるよ」と。

 道理で……というか、この1年、不動産屋が、よく我が家へ来る。
DMもよく届く。
「売り土地はありませんか?」と。

私「下町の土地の価格は、さがっているんですか?」
義「そう、同じ面積なら、2分の1程度にまで、なっている」
私「2分の1?」
義「R町の人が土地を売り、浜北区のほうへ引っ越した。売ったお金で、土地を買ったら、土地
の広さが2分の1になったと、こぼしていたよ」
私「じゃあ、高台のほうは、価格があがっているんですか?」
義「それほどあがっていない。が、何しろ、売る人がいない」と。

 3・11大震災の影響は、こんなところにまで及んでいる。

●日は替わって、今日は、3月31日(土曜日)

 今日は、これから鎌倉に向かう。
田丸謙二先生に、会いに行ってくる。
約束の時刻は、3時。

 朝起きると、雨がはげしくガラス窓を叩いていた。
「まずいな……」と思った。
が、予定を変えるわけにはいかない。

 そのあと今夜は、平塚のホテルに一泊(予定)。
鎌倉から、江ノ電沿線上のどこかに……と思っていたが、あいにく、どこも満員。
春休みの土曜日。
今ごろの鎌倉は、足の踏み場もないほど、混雑しているはず。
ということで、平塚になった。

●高台

 私は岐阜県の山の中、育ち。
それもあって(?)、平地にある土地は、どうも落ち着かない。
また道路と同じ高さの家も、落ち着かない。
……ということで、現在住んでいる土地を買い求めた。

 入野町の中でも、西のはずれにある高台。
さらに家を建てるとき、40センチ〜150センチほど、土地を盛りあげた。
盛りあげたのには、理由がある。

 私の実家は、道路と同じ高さの平坦地にあった。
いつ自動車が飛び込んできても、おかしくない。
そんな敷地だった。
それが、私には、こわかった。
角にある一本の柱が折れただけで、私の家は、そのまま崩れてしまう。

 だから私は土地を盛りあげた。
が、ワイフにはそれが理解できなかったよう。
当時、さかんに、私にこう聞いた。
「どうして、盛りあげるの?」と。

 ワイフは、平地にある家に生まれ育った。
つまり感覚というのは、そういうもの。
平地が好きな人もいれば、山の手が好きな人もいる。
人や車の出入りがしやすいから……という理由で、平地が好きな人もいれば、私のように、わ
ざわざ土地を盛りあげる人もいる。

 人は、それぞれの思いをもって、家を建てる。
こういうばあい、「人間だから……」という共通項は、ない。
人、それぞれ。

●スピアマンの2因子説

 そう言えば、知能にも、「2因子説」がある。
「因子」という言葉(概念)を最初に使ったのは、スピアマンという学者だが、こういうこと。

 1つは、生まれながらにもっている(g因子)。
もうひとつは、後天的に身につける(s因子)。
人間(子ども)の知能は、この2つの因子で、構成される、と。

わかりやすく言えば、(g因子)というのは、遺伝的に受け継いだ因子、(s因子)というのは、環
境要因によって決定される因子ということになる。

 が、何もこれは、知能因子だけの話ではない。

 だれしも、「静かで、落ち着いた場所に、家を建てたい」と思っている。
これは、(g意識)ということになる。
が、そのあと、人は、自分の経験に応じて、それぞれが自分の家を思い描く。
これは、(s意識)ということになる。

 マンション風の家がよいと思う人もいれば、一戸建ての家のほうがよいと思う人もいる。
平地にある家のほうがよいと思う人もいれば、高台にある家のほうがよいと思う人もいる。
つまり、人それぞれ。
言い換えると、人間(子ども)の知能も、人、それぞれ。

●新幹線の中で

 新幹線に乗ると、電光ニュースに、こんなニュースが流れてきた。
「死刑存廃について、有識者の会議を……」と。

 死刑制度など、廃止すればよい。
それが文明国の常識。

もともと「刑」には、2つの意味がある。
ひとつは、本人に対する懲罰としての刑。
もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての刑。
その両面から考えても、死刑には、それを支持するだけの根拠がない。

 で、もうひとつの残された問題。
それが被害者遺族に対する、心のケアと補償の問題。
それは国家的施策として、対処する。

 以前、書いた、私の死刑廃止論をここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
+++++++++++++++++

●死刑廃止論(2007年9月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●犯罪性の認識

 たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という刑罰の
重大性を認識しているかどうかというと、答はNO。
ふつうの状態であれば、「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行
為に走るのを、思いとどまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。
それが「犯罪」。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bという悪いことを
したら、B罪というように、あらかじめ決めておく。
わかりやすく言えば、「これこれ、こういう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいます
よ」という意味。

 もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。
これによって、犯罪の発生を予防する。
わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことをしたら、こうなりますよ
と教える」という意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうという点で、
罰とての「刑」の意味はない。
罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から消えていなくなってしまう。

 そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのか。

わかりやすい例で考えてみよう。

 ひとりの男が、窃盗をしたとする。
その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗をしたのは、右手」ということで、右手を切断し
たとする。
そうした行為が、果たして刑罰として、許されるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立つ。
本人は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。
また多くの人は、右手を切り取られた人を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

 しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。
右手を切り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、それ
はひどい」と。
だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。
最高裁が83年に定めた「永山基準」というのが、それ。
それによれば、つぎのようにある。

(1) 犯罪の罪質
(2) 動機
(3) 殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4) 結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5) 遺族の被害感情
(6) 社会的影響
(7) 犯人の年齢
(8) 前科
(9) 犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも、一
般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許される」
(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応されるよう
になってきている。
つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。
犯罪そのものが凶悪化しているという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意味をもつ。
罰すべき(主体)を消してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失ってしまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰であ
る」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうか。
反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だっているかもしれない。
たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え方が変わってきた。
「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」と、ふと思うことがある。
ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになったら、それ以上に長生きをしたいとは思わ
ない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。
死刑に値する凶悪犯であるならなおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。
刑罰としては、そちらのほうがずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人もいるかも
しれない。
しかしそれこそまさに、幼稚的発想。
思考力がまだじゅうぶん発達していない子どもが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託したよう
な国なら、いざ知らず。
日本のような民主主義国家において、「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1
人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。
しかし民主主義国家では、死刑にするのは、国民1人ひとりである。
つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。
私や、あなたが、だ。
もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えているなら、それこそ、民主主義の
放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。
ゆいいつ残るとすれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。
愛する人を奪われ、深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。
犯罪者を殺したいほど憎く思うこともあるだろう。
あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるかもしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題は残る。
が、それこそ国が考えるべき問題ではないだろうか。
金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、そうした心情を、私たちみなが、
力を合わせて、救済していく。
それとも犯罪者を抹殺したところで、その人は、救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの人と、紙
一重のちがいでしかない。
どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思とは無関係に、深みにはまってしまう。
私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、明確な一線を入れることすら、むずかし
い。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論ということにな
る。

つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
死刑 死刑廃止 死刑廃止論 はやし浩司 死刑について 死刑論 祖形存廃論 はやし浩司
 死刑廃止論 死刑存廃論 死刑の意味 死刑反対論 はやし浩司 死刑反対)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同窓会

 高校の同窓会に出させてもらう。
コースは、その前日に、郡上八幡に行く。
市内の吉田屋で一泊。
朝、郡上八幡を出る。
午後の同窓会にださせてもらったあと、岐路につく。

 吉田屋は、一度は泊まってみたいと思っていた旅館。
郡上八幡へ行く機会は、ときどきあった。
そのたびにそう思った。
が、泊まる機会がなかった。

●郡上八幡

 ……ということで、郡上八幡には、思い出が多い。
郷里の美濃市からは、車でも1時間ほど。
今は高速道路ができたから、もっと早く行ける。
その郡上八幡。
郡上八幡といえば、盆踊り。
『♪かわさき(郡上踊り)』は、とくに名を知られている。
『♪郡上のなア〜、八幡〜ン』と歌う、あの歌である。

 今でも、つまり故郷を離れて46年になるが、郡上踊りを聞くたびに、ジンとあのころの自分が
戻ってくる。
飾り気のない素朴な民謡だが、名曲中の名曲。
一応、私も岐阜県人。
人並みには、郡上踊りを歌うことができる。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/BXyu0GBrYdU" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 ……今、高校時代の友人の三輪政則君(実名)を思い出した。
その三輪政則君がはじめて運転免許を手にしたとき、いっしょに郡上八幡までドライブをした。
そのとき彼は、早稲田大学に通っていた。
中学時代は、よきライバルで、2年間、学年の1位、2位を争った。

 ライバルといっても、親友だった。
期末試験などでは、休み時間を利用し、よく解答の交換をした。
(私も結構、ワルだった。)
三輪君が学年1位になると私が喜び、私が学年1位になると、三輪君が喜んだ。
そういう仲だった。

 で、その郡上八幡へ行く途中、私が少し運転した。
暗い夜道だった。
が、しばらく走ると、後ろから、回転ライトをつけた車が近づいてきた。
私はあわてて車を、泥脇に止めた。
パトカーと思った。
が、それは工事用の車だった。

 ほっとしたのも束の間、見ると車は、崖すれすれのところに停車していた。
ガードレールはなかった。
あのまま崖から落ちていれば、今の私は、い・な・い。

 ……それが今でも、大きなトラウマになっている。
悪夢の中にも、よく出てくる。
以来、車の運転ができなくなってしまった。
今でも、運転免許証はもっていない。
そのときが、私にとって、最初で最後の運転だった。

 その三輪政則君、今、この原稿を読んだら、一度、連絡してほしい。
郷里へ帰るたびに、また今でもあちこちをさがしてみるが、見当たらない。
元気か?

●藤沢

 小田原から在来線に乗り換え、藤沢に向かう。
その藤沢には、こんな奇怪な思い出がある。
事実をそのまま話す。

 G社(出版社)に、TZさんという女性の編集者がいた。
その少し前、TZさんは、G社を退職し、そのときは、独立して、出版の手伝いをしていた。
で、何かのことで、私は、そのTZさんに仕事を依頼した。

 そのときのこと。
2、3度、藤沢のマンションで、TZさんに会った。
TZさんは、本の出版について、快く承諾してくれた。
原稿も送った。

 が、そんなある日。
日にちは確かではないが、12月に入って間もないころのことだった。
突然、TZさんから電話があった。
いつもと変わらない、元気な声だった。
こう言った。
「はやしさん、悪いんだけど、仕事を引き受けられなくなったわ。
少し、体を悪くして……」と。

 ていねいな言い方だった。
私は、それに納得し、電話を切った。

 が、それから2、3か月後の、春先のころのこと。
TZさんは、大腸がんで亡くなった。
突然の訃報だった。

 で、その葬儀の席でのこと。
TZさんの無二の同僚だったNN氏に、そのことを話すと、NN氏は、吐き捨てるようにこう言っ
た。
「はやしさん、そんなこと、ありえませんよ」と。

 NN氏は、こう言った。
「そのときすでにNNさんは、昏睡状態で、電話などかけられるような状態ではなかった」と。

 私は驚いた。
NN氏も、驚いた。
しかしたしかに電話はあった。
いつもと変わらない元気な声だった。

 で、私とワイフの結論は、こうだ。

 そういう状態だったが、たまたまそのとき意識を取り戻した。
そのとき、電話をかけてくれたのでは、と。

TZさん……辻村房子さん。(実名、「つじ」は、「土・ハ・土」に、「しんにょう」の「逵」。)
NN氏……中野満月氏。(実名)

●田丸謙二先生

 現在、扇が谷(鎌倉)の家は、改築中。
その間だけということで、田丸謙二先生は、鎌倉市の近くの、(住所は鎌倉市xxx)、Sという有
料老人ホームに身を寄せている。

 午後3時、ちょうどにそこに着いた。

 元気そうだった。
うれしかった。
ビデオカメラを机の上に置いたが、田丸謙二先生は気にすることもなく、あれこれ話してくれ
た。

 そのときの様子は、YOUTUBEにそのままUPしておく。
私は田丸謙二先生の一言半句、聞き漏らすまいと、懸命に耳を傾けた。
田丸謙二先生は、私の人生の先輩であると同時に、恩師でもある。
この42年間、いつも私は、田丸謙二先生のあとを見ながら、ひよこのように、追いかけてき
た。

 その田丸謙二先生が、そこにいた。

 夕食は、老人ホームの食堂で、みなといっしょに食べた。
薄味の卵丼ぶりだった。
おいしかった。

●ホテル・サンライフガーデン(平塚)

 帰りが遅くなりそうだったので、予定通り、平塚のホテルに泊まった。
「ホテル・サンライフガーデン」。
ホテルというよりは、結婚式場。
重厚な感じがしたが、星は、3つの★★★。

 料金が高い。
東京料金。
素泊まりで、1万3000円(2名分)。 
平塚の駅からも遠い。
送迎バスで、20分ほど。

 「土曜日の夜だからしかたない」ということで、泊まった。
が、後悔、80%。
三島まで行き、そこでドーミーインに泊まればよかった。
あそこなら大浴場がある。

 ホテル全体は、コの字型になっていて、窓の外には、その中庭が見える。
南米や南欧へ行くとよく見かける、ホテル様式である。
イギリスのグラマースクールも、似たような建て方をする。
私たちの部屋は、その中庭に面している。

 ここは5回だが、左下の4階では、ちょうど結婚式が終わるところだった。
新郎と新婦が、花束を手に、列席者と別れを告げているところだった。

 また反対側の数階下は、レストランになっているらしい。
何組かの男女が、四角いテーブルを囲んで、食事をしている。
……先ほど、その1組と目が合ったので、手を振ってやった。
が、私を見て笑っているだけで、返答はなかった。

●都会

 藤沢、平塚……。
神奈川県とはいうが、大都会。
東京そのもの。
料金も、東京そのもの。

 サービスといっても、形だけ。
心など、探しても、ない。
このあたりに住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のような田舎者には、それがよくわかる。
言葉にも、共鳴感というより、共鳴性がない。

 藤沢の駅で電車を待っているとき、私はワイフにこう聞いた。
「こんなところに、住みたいと思うか?」と。
ワイフは、こう言った。
「たまに遊びに来るにはいいけど、住みたくないわ」と。

 あまりにも予想通りの答だった。
だから私は、返事もしなかった。

●田丸謙二先生との話

 そのつど田丸謙二先生は、私に意見を求めた。
が、何よりも、私が言いたかったことは、つぎのこと。

 国際触媒学会のときもそうだったが、今回の化学会に年会のときも、そうだった。
2000人(フランス・パリ)とか、8000〜9000人(東京三田)とかの科学者が集まった。
にもかかわらず、日本のマスコミは、1行も、また1秒も、それについて報じなかった。
田丸謙二先生も、こう言った。

「新聞を読んでも、何もおもしろくありません」と。
「もし福島第一原発事故がなかったら、今ごろはどんな記事が載っているのでしょうね」とも。

 同じように、田丸謙二先生は、こう言った。

 田丸謙二先生の父親の、田丸節郎氏は、まさに日本の科学界の黎明期に活躍した。
今の日本が、その地位を築くことができたのも、田丸節郎氏の力によるところが大きい。
たとえば東京工業大学にしても、田丸節郎氏が設立したと言っても過言ではない。
ベルリン大学に対して、ベルリン工科大学があった。
それをまね、東京大学に対して、東京工業大学を設立した。

が、そうした功績を知っている人は少ない。
功績を知らないだけではない。
そうした先駆者たちに感謝の念をもっている人は、少ない。
みな、そこにそれがあるのが当たり前……といったふう。
「敬老」という言葉そのものが、今、死語化している。
が、これでは、先駆者たちの苦労が、浮かばれない。

 どこかのドラ息子やドラ娘が、親の苦労も知らないで、大学を出たと威張っているようなも
の。
「私は自分で努力して、大学へ入ったのだ」と。

 私は田丸謙二先生の話を聞きながら、そんなことを考えた。

●田丸節郎

 理化学研究所の、主任研究員の名簿がある(1922年)。
そのまま紹介する。

『駒込本所以外の各帝国大学に研究室を置くのも自由とし、理研からの研究費で研究員を採
用し研究を実施した。

長岡半太郎、
池田菊苗、
鈴木梅太郎、
本多光太郎、
真島利行、
和田猪三郎、
片山正夫、
大河内正敏、
田丸節郎、
喜多源逸、
鯨井恒太郎、
高嶺俊夫、
飯盛里安、
西川正治の、14研究室発足』と。

 そうそうたる名前が並んでいる。
言い換えると、当時は、こうした学者を称える社会的風土がまだ、日本にはあった。
現在、こうした人たちの名前を、私が知っていること自体が、その証拠ということになる。
が、今は、どうか?

 先にも書いたように、「1行」も、「1秒」も、報道されない。
サポーターのいない、野原で、サッカーの試合をするのと同じ。
選手たちも、やる気をなくすだろう。
なくして、当然。

 田丸謙二先生は、こんなことも話してくれた。

「現在ね、(東大で教授をしていた)仲間たちがね、みんな、シンガポールへ行っているよ」と。
東大を退官したあと、そういった教授たちの多くが、シンガポールの大学や研究所へ、迎えら
れているという。
私たちは、こうした事実を、どう理解すべきなのか。
あるいはこういう事実を、いったい、どれほど多くの人たちが知っているか。

●田丸謙二先生より

 田丸謙二先生からメールが入った。

『林様:今日は本当に有難うございました。
わざわざ遠くからお二人で来て頂き、大変に楽しく、貴重な話を沢山聞かせて頂き、厚く御礼
申し上げます。
大変によい勉強になりました。

「反世代」の若者たちが、わが国を如何に変えて行くのか切実な問題だと思います。
近頃日本が世界のトップグループから消え去って行く話をよく聞かせられるだけに、深刻な気
が致します。

今お働き盛りの貴君だけに心からご活躍を祈念いたします。
健康には充分に気をつけて大いに頑張って下さい。
期待をしています。
田丸謙二』

 89歳になっても、天下国家を論じ、日本の未来を心配し、案じている。
それが田丸謙二先生。

 田丸謙二先生を前にすると、自分がかぎりなく小さく見えてくる。

●ホテル・サンライフガーデン

……ワイフが、どこか退屈そう。
「何かしたいか?」と聞くと、「おなか、すかない?」と。
「コンビニへでも行ってこようか?」と聞くと、「あなたは?」と。

 ……コンビニへ行ってくることにした。

(休憩)

●就寝

 ワイフはいつものように、コンビニで、チューハイを買った。
あとは酒のつまみを、少し。

 寝る前に、田丸謙二先生から、追伸が届いていた。

『林様:今日のお話について、例えば「日本はこれでいいのか?」位の題で本をお書きになった
ら如何でしょうか。
ベストセラーになります。
頑張って下さい。
田丸謙二』と。

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

田丸謙二先生へ

こんばんは!

これからは本の時代でもないように感じます。
浜松の田舎から見ていると、いつもそこに「東京」という関所があります。
その関所を通らなければ、世界の人の目に触れることはない。

が、今は、インターネットがその関所を取っ払ってくれました。
いきなり外国へ、直接、原稿を送ることができます。
日本語であっても、すぐそのまま全世界の言葉に翻訳できます。
(英語で出しているBLOGも、ひとつあります。)

もちろん本も大切ですが、(収入という意味では)、私はもうものを書くことで、お金を儲けようと
いう気はありません。
世界中をひっかきまわしてやりたい……それだけです。

事実、こうしてBLOGに原稿を発表していると、どこかのポータルサイト、あるいはニュースサイ
トが、原稿をそのまま取り上げてくれることがあります。
とたん、アクセス数が、1日で、数万件となることもあります。
すごいことだと思います。

まさに第二の産業革命を、私たちは身をもって、体験しているわけです。

で、ひとつだけ、生意気な意見を!
先生の文章を読んでいて、いつも気になるのは、こんなことです。
今では、ネットに文章を書くときは、余白や、空白部を気にしてはいけません。
たとえばこの文章がそうですが、余白がカスカウですね。
それでいいのです。

紙に文字を印刷していた時代には、「紙がもったいない」ということで、ぎっしりと文字を詰めて
書いたものです。
今は、余白がいくらあっても、ただです。
ですから、余白を思いきって、多くする。
改行を多くする。
そのほうが今風になり、文章がずっと読みやすくなります。
たとえば、こんな感じです。

先生の文章を借りて、少し、手直ししてみます。

+++++++++++田丸謙二先生の原稿+++++++++++++++++

(先生のもとの原稿)

私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。大学院に進学して研究テ
ーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いましたら、一言「触媒をおやりになったら如何で
しょうか」と言われました。しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は
誰もいなく、自分一人で考えねばなりません。終戦から余り月日も経っていないので外国の文
献も入って来ず、戦前の古い資料に基づいて研究というものは何をすればいいのか、一人で
苦しみぬいたとても辛い五ヶ月間でした。Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びまし
たが、実験をしながら自分は何か間違いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に
真剣に自問自答した体験は非常に苦しかったのですが大変に貴重な体験で、結果も面白く、
研究の楽しさを学びました。(その数年後に出版され
たEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわたり引用された。当時誰も
知らなかった面白いことだったのである。全くの幸運であった。)   


(私が改変した原稿)

 私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。
大学院に進学して研究テーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いました。
そうしたら、一言「触媒をおやりになったら如何でしょうか」と言われました。

 しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は誰もいなく、自分一人で
考えねばなりません。
終戦から余り月日も経っていないので、外国の文献も入って来ず、戦前の古い資料に基づい
て研究というものは何をすればいいのか、一人で苦しみぬきました。
とても辛い五ヶ月間でした。

 Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びましたが、実験をしながら自分は何か間違
いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に真剣に自問自答した体験は、非常に
苦しいものでした。

が、大変に貴重な体験で、結果も面白く、研究の楽しさを学びました。

(その数年後に出版されたEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわた
り引用された。
当時誰も知らなかった面白いことだったのである。
全くの幸運であった。)  

++++++++++++++++++++++++

ねっ、読みやすいでしょ!
紙に書くのではありませんから、こんなふうに、余白をぐんと多くして、書けばいいのです。
ご参考までに!!!

はやし浩司

*************************** 

●4月1日

 教師の姿勢が、問題になっている。
国歌斉唱のとき、歌った、歌わないとか。(2012年4月)

『大阪府の松井一郎知事は1日、府立学校の卒業式で国歌斉唱時に起立斉唱しなかった教
職員について、「入学式でも同一人物が同じ行動をとった場合、現場から外すべきだ」との認
識を記者団に示した』(MSN・ニュース)とか。

 2005年に書いた原稿を添付する。
なおこの中で、「愛国心(ペイトリアチズム)」について、これは私個人が、ギリシャ語、さらには
ラテン語と調べて、知ったことである。
そののち、どこかの政治評論家が、断りもなく、この部分を盗用した。
さらにどこかの政党党首も、盗用した。
2005年という、年号が、何よりも、その証拠である。
こういう盗用は、本当に、謹んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●若者の意識

 財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)が、高校生の意識調査をした。昨年(04)9月から
12月にかけて、3か国35の高校で行い、3649人が回答した。

★国歌・国旗について

 「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」と答えた
日本の高校生は、あわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった。

国旗、国歌を「誇らしい」と思う割合も、米中両国の半分以下。
「国歌を歌えるか」との質問には、「歌える」と答えた日本の高校生は、66%にとどまり、三人
に一人は、「少し歌える」「ほとんど歌えない」と答えるなど、国旗国歌に抵抗感を植えつける自
虐的教育(報告書の言葉)の影響を懸念させる結果となった。

 こうした意識は国旗国歌への敬意などに表れ、「学校の式典で国歌吹奏や国旗掲揚されると
き、起立して威儀を正すか」との質問に、「起立して威儀を正す」と答えた日本人高校生は、米
中の半分以下の30%。

38%は「どちらでもよいことで、特別な態度はとらない」と答え、国際的な儀典の場で、日本の
若者の非礼が、批判を受ける下地となっていることをうかがわせた。

★将来、意欲について

 将来への希望を問う設問では、「将来は輝いている」「まあよいほうだが最高ではない」と答え
た割合は中国が80%と最も高く、日本は54%で最も悲観的であることがわかった。

さらに、勉強については「平日、学校以外でほとんど勉強しない」が45%(米15%、中8%)、
「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」も73%(米49%、中29%)と、学習意欲も米中に比
べて明らかに低いことが裏づけられた。

 生活面では「若いときはその時を楽しむべきだ」と答えた高校生の割合も、三カ国で最も高
かった。

★恋愛、家族について

 恋愛観では「純粋な恋愛をしたい」と考える割合は、九割と日本が最も高かった。
しかし、結婚後「家族のために犠牲になりたくない」も日本がトップ。
将来「どんなことをしても親の面倒をみたい」は三カ国で最も低く、逆に「経済的な支援をする
が、介護は他人に頼みたい」が18%と、米国9%、中国12%を大きく上回った。

(以上、報告書のまま)

++++++++++++++++++++

 いろいろ反論したいことはあるが、日本の高校生の実像を表していることは、事実。
で、こうした事実を並べて、財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)は、つぎのように結論づ
けている。

 『日本の高校生たちについて、「純愛で結婚したいが、家族の犠牲にはなりたくない。親の面
倒は、金で他人に見てもらいたいという自己中心的な恋愛観・家族観が浮かんでいる」』と。
(はやし浩司 日本 青少年 青少年意識 高校生 意識 意識調査 国旗 国歌 はやし浩
司 若者の意識 自己中心的な恋愛観 恋愛至上主義 はやし浩司 高校生の意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国旗、国歌について

 国旗はともかくも、国歌について言えば、それを歌うから愛国心があり、歌わないから愛国心
がないというふうに、決めつけてほしくない。

 私は、(あなたもそうだろうが……)、外国で、日本を思うときは、別の歌を歌う。
「ふるさと」であり、「赤とんぼ」である。

●自虐的教育について

 この日本では、自国の歴史を冷静に反省することを、「自虐的教育」という。
右翼的思想の人が、左翼的傾向のある教育を批判するとき、好んで使う言葉である。

 「どうして?」と思うだけで、あとがつづかない。

●親のめんどう

 それだけ日本人の親子は、関係が、希薄ということ。
親自身が、無意識のうちにも、親子の関係を破壊している。
そういう事実に気づいていない。

 子どもの夢、希望、目的をいっしょに、考え育てるというよりは、「勉強しなさい」「いい高校に
入りなさい」という、短絡的な教育観が、親子の関係を破壊していることに、いまだに、ほとんど
の親は気づいていない。

 「子どもが自己中心的だから」という結論は、どうかと思う。
こういうところで、自己中心的という言葉を、安易に使ってほしくない。
家族の形態そのものも、ここ半世紀で大きく変わった。

ここに表れた「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたいが、18%」という数字は、数年
前の調査結果と、ほとんどちがっていない。

 よりよい親子関係を育てるためには、(ほどよい親)(暖かい無視)に心がける。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(605)

●BRIC's レポート

 最近経済界で話題になっているキーワードに、「BRIC's レポート」というのがある。

 ゴールドマン・サックス証券会社が発表した、経済レポートをいう(03年10月)。

B……Brazil(ブラジル)
R……Russsia(ロシア)
I……India(インド)
C……China(中国)を、まとめて、「BRIC's」という。

 同レポートによれば、2050年ごろには、これらBRIC'sの4か国だけで、現在の日本、アメリ
カ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの総合計を、経済規模で、上回るようになるという。

 そしてその結果、世界のGDPは、上から順に、

(1) 中国
(2) アメリカ
(3) インド
(4) 日本
(5) ブラジル
(6) ロシアの順になるという。つまり日本は、4位に転落するという。

 こうした国々をながめてみると、これからの日本が相手にすべき国は、どこか、すぐわかるは
ず。

 アメリカ、インド、ブラジルの3か国である。
とくに注目したいのが、インドとブラジルである。
これら2国は、日本との関係も深く、親日的である。
最近ある公的機関を定年退職したが、ニューデリーに住んでいる、友人のマヘシュワリ君は、
大の日本びいき。
メールをくれるたびに、「どうしてインドへ来ないのか?」と聞いてくる。

 日本よ、日本人よ、どうしてもっと、インドやブラジルに目を向けないのか?

 中国や韓国など、もう相手にしてはいけない。
必要なことはするが、限度を、しっかりとわきまえる。
仲よくはするが、反日感情については、無視。
そして余裕があるなら、インドやブラジルに目を向けるべきである。

 そのインドも、昔は借金国。
しかし世界銀行やアジア開発銀行などからの借金の30億ドルを、2002年度までに完済して
いる。
(韓国などは、先のデフォルトのとき、550億ドルも、日本が中心になって援助したが、感謝の
「カ」の字もない! 中国などは、いまだに日本の無償援助をよこせと、がんばっている!)

 私が日本のK首相なら、イの一番に、インド、つづいてブラジルを回る。
もう一か国つけ加えるなら、オーストラリアも回る。
オーストラリア人の親日性は、日本のK首相が、イラク派兵を頼んだときに、証明された。

 オーストラリアは、日本の自衛隊を守るために、オーストラリア兵を、イラクへ派遣してくれた
(05・3月)。
どうして、そういう国を、もっと大切にしないのか!

 あえてけんかをすることはないが、日本を嫌い、日本人を軽蔑している国々と、頭をさげてま
で、仲よくすることはない。
それよりも今、重要なことは、50年先を見越して、日本の立場を、より強固にしていくことであ
る。

 ちなみに、「インドの人口は10億人。
国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国だが、同時にアジア有数の親日国家でもある。
そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国にかわって、世界の工場となるシナリオが、
日々高まってきた。

インドの昨年第四・四半期(10月ー12月)のGDP成長率は、中国を抜いて、堂々の10・4%
だった」(宮崎正弘レポート)。

 そのインドに、中国が目を向けないはずがない。
少し前まで、仲が悪いと思われていたが、ここ1、2年で、中印貿易高は、日印貿易高を、とうと
う追いこしてしまった。
が、それだけでは、ない。
それを猛烈に追いあげているのが、実は、韓国である。

 この分野でも、日本は、完全に出遅れている。
さらに最近の、中国や韓国の合言葉はただ一つ。「日本を、極東の島国から、太平洋の奈落
の底にたたき落せ」である。
うわべはともかくも、K国が、核ミサイルを、東京にうちこんだとき、それを一番喜ぶのは、中国
であり、韓国なのである。

 現実の国際政治というのは、そういうものだし、現実的でない国際政治というのは、意味をも
たない。

 もちろんそんなことを、K国にさせてはならない。(させてたまるものか!)

 そこで日本としては、6か国協議に見切りをつけて、K国の核問題を、国連安保理に付託す
るしかない。
(中国や韓国は、それを警戒している。
そしてそういう動きを見越して、韓国は、日韓関係の整理をし始めている。)

 話がそれたが、S県の県議会が、「竹島の日」を、こういう微妙なときに定める真意が、私に
は理解できない。
国際性のなさというか、まあ、何というか。
S県の「S」は、「島」という漢字をあてる。
こうした島国根性こそが、日本の将来の足かせになっている。

 2050年という、45年後には、私は、もう生きていない。
しかしそのとき、世界はどうなっているか。
それを示しているのが、ここにあげたBRIC's レポートということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

さらに、以前書いた原稿を2作。
日付は2002年になっているが、実際には、さらにその数年前に書いた原稿と思う。
ここに書いたことは、今の今も、少しもブレていない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「公」について(What is "Public"?)

 以前、教育改革国民会議は、つぎのような報告書を、中央教育審議会に送った。

いわく「自分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬
(いけい)の念をもち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てると
ともに、社会生活に必要な基本的知識や教養を身につけることを、教育の基礎に位置づける」
と。

 こうした教育改革国民会議の流れに沿って、教育基本法の見なおしに取り組む中央教育審
議会は、〇二年一〇月一七日、中間報告案を公表した。
それによれば、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)する
ことが大切」とある。

 一読するだけで頭が痛くなるような文章だが、ここに出てくる「涵養(かんよう)」とは何か。
日本語大辞典(講談社)によれば、「知識や見識をゆっくりと身につけること」とある。
が、それにしても、抽象的な文章である。
実は、ここに大きな落とし穴がある。
こうした審議会などで答申される文章は、抽象的であればあるほど、よい文章とされる。
そのほうが、官僚たちにとっては、まことにもって都合がよい。
解釈のし方によっては、どのようにも解釈できるということは、結局は、自分たちの思いどおり
に、答申を料理できる。好き勝手なことができる。

 しかし否定的なことばかりを言っていてはいけないので、もう少し、内容を吟味してみよう。

 だいたいこの日本では、「国を守れ」「国を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、国の恩恵を受けてい
る人と考えてよい。
お寺の僧侶が、信徒に向かって、「仏様を供養してください」と言うのに似ている。
具体的には、「金を出せ」と。
しかし仏様がお金を使うわけではない。
実際に使うのは、僧侶。
まさか「自分に金を出せ」とは言えないから、どこか間接的な言い方をする。
要するに「私たちを守れ」と言っている。

 もちろん私は愛国心を否定しているのではない。
しかし愛「国」心と、そこに「国」という文字を入れるから、どうもすなおになれない。
この日本では、国というと、体制を意味する。
戦前の日本や、今の北朝鮮をみれば、その意味がわかるはず。
「民」は、いつも「国」の道具でしかなかった。

 そこで欧米ではどうかというと、たとえば英語では、「patriotism」という。
もともとは、ラテン語の「パトリオータ(父なる大地を愛する人)」という語に由来する。
日本語では、「愛国心」と訳すが、中身はまるで違う。
この単語に、あえて日本語訳をつけるとしたら、「愛郷心」「愛土心」となる。
「愛国心」というと反発する人もいるかもしれないが、「愛郷心」という言葉に反発する人はいな
い。

 そこで気になるのは、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かん
よう)することが大切」と答申した、中教審の中間報告案。

 しかしご存知のように、今、日本人の中で、もっとも公共心のない人たちといえば、皮肉なこと
に、公務員と呼ばれる人たちではないのか。
H市の市役所に三〇年勤めるK市(五四歳)も私にこう言った。
「公僕心? そんなもの、絶対にありませんよ。私が保証しますよ」と。

とくに長年、公務員を経験した人ほどそうで、権限にしがみつく一方、管轄外のことはいっさい
しない。
情報だけをしっかりと握って、それを自分たちの地位を守るために利用している。
そういう姿勢が身につくから、ますます公僕心が薄れる。
恐らく戦争になれば、イの一番に逃げ出すのが、官僚を中心とする公務員ではないのか。
そんなことは、先の戦争で実証ずみ。
ソ連が戦争に参画してきたとき、あの満州から、イの一番に逃げてきたのは、軍属と官僚だっ
た。

 私たちにとって大切なことは、まずこの国や社会が、私たちのものであると実感することであ
る。
もっとわかりやすく言えば、国あっての民ではなく、民あっての国であるという意識をもつことで
ある。
とくに日本は民主主義を標榜(ひょうぼう)するのだから、これは当然のことではないのか。
そういう意識があってはじめて、私たちの中に、愛郷心が生まれる。
「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識」というのは、そこから生まれる。

 これについて、教育刷新委員会(委員長、安倍能成・元文部大臣)では、「本当に公に使える
人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。
それが今まで、日本に欠けていたのではないか」(哲学者、務台理作氏)という意見が大勢をし
めたという(読売新聞)。
私もそう思う。
まったく同感である。
言いかえると、「個人」が確立しないまま、「公」が先行すると、またあの戦時中に逆もどりしてし
まう。
あるいは日本が、あの北朝鮮のような国にならないともかぎらない。
それだけは何としても、避けなければならない。

 再び台頭する復古主義。
どこか軍国主義の臭いすらする。
教育の世界でも今、極右勢力が、力を伸ばし始めている。
S県では、武士道を教育の柱にしようとする教師集団さえ生まれた。
それを避けるためにも、私たちは早急に、務台氏がいう「個人の確立」を目ざさねばならない。
このマガジンでも、これからも積極的に、この問題については考えていきたい。
(02−11−4)

(読者のみなさんへ)
 みなさんがそれぞれの立場で、民主主義を声を高くして叫べば、この日本は確実によくなりま
す。みんなで、子孫のために、すばらしい国をつくりましょう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 公僕意識 公教育 道徳教育 
パトリオータ はやし浩司 公と民 はやし浩司 愛国心 愛国心とは)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★国歌……何度も書くが、どうして「国歌」にそれほどまでに、こだわるのか。
こだわらなければならないのか。
私には、その理由が、よくわからない。

 国歌でなくても、長唄でも小唄でも、能の謡(うたい)でもよい。
詩の朗読でもよい。
国歌を歌ったからといって、愛国心があるということにはならない。
国家を歌わないからといって、愛国心がないということにもならない。

 加えて、日本の「君が代」には、問題がある。
ないとは言わせない。どうして主権在民の民主主義国家で、天皇をたたえる歌が、国歌なの
か。
いや、こう書くからといって、何も「君が代」に反対しているわけではない。

 それでもいいという国民が過半数を超えているなら、それはそれでいいと思う。
それも民主主義。
みんなで話しあって決めたことは、みんなで従う。私も従う。

 ただ公教育の先生が、公的な立場で、個人的な実力行使をするのは、許されない。
国歌斉唱に反対するなら、公的な立場を離れ、個人的な意見として発表すべきである。
それはたとえて言うなら、子どもの親が、どんな犯罪者でも、その子どもを差別してはいけない
という論理に通ずる。

 公的な人間は、公的な人間としての立場をわきまえて行動する。
私的な主義主張は、公的な立場を離れてるす。公教育というのは、そういうものである。

 数週間前も、1億円という巨額なワイロを受け取りながら、その責任を部下におしつけて逃げ
てしまった元総理大臣がいた。
「覚えていません」と。

 私はともかくも、一般の人たちや、そして子どもたちは、そういう政治家を見ながら、そういう
政治家たちが言うところの愛国心というものが、どういうものであるかを知る。
愛国心をぶちこわしているかどうかということになれば、そういう政治家のほうが、よほど、ぶち
こわしていることになるのではないのか。

【補記】

 「君が代を歌え」と迫る政府。
それはどこかカルト的? 一方、「君が代は歌わない」とがんばる先生たち。
それもどこかカルト的?

 この話をワイフにしたら、ワイフは、こう言った。
「そういうのを逆カルトというんじゃ、ない?」と。

 おもしろいネーミングである。
カルトに対して、逆カルト。
ナルホド!

 似たような例は、多い。
……というより、私自身も経験している。

 ある時期、私は、カルト教団と呼ばれる宗教団体に、猛烈な反発を感じた。
何冊か、本も書いた。
そのときのこと。
そのカルト教団については、何もかも否定、また否定。
まさに『坊主憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い』の心境になってしまった。

 しかし、カルト教団だから、「悪」と考えてはいけない。
しかしそれに気づくまでに、何年もかかった。
「悪いのは指導者であって、信者ではない」と。
 
 そのときの私の心理が、いわゆる「逆カルト」ということになる。
心の余裕というか、ゆとりをなくす。
車の運転でいえば、「遊び」の部分をなくす。
ものの考え方が、どこかギクシャクしてくる。

 私などは、もともと、どこかいいかげんな人間。
だから、心の中では、「?」と思っていても、そのときになったら、ちゃんと相手に合わせる。
たとえば卒業式や入学式では、みなといっしょに、大声で、国歌を歌う。歌ってすます。
主義主張は、人並み以上にはあると思うが、しかし卒業式や入学式の場で、主義主張にこだ
わる必要はない。
たかが「歌」ではないか。

 いくら酒は飲めないといっても、グラスを勧められたら、一応口だけはつけて、「乾杯!」と言
いかえす。
それがここでいう「遊び」である。「心のゆとり」である。

 ……と書いて、私は九州の隠れキリシタンの話を思い出した。
九州の日出藩(ひじはん)の踏み絵がよく知られている。

 たとえば豊前国小倉藩の家臣、加賀山隼人は、キリシタンであったという理由で、処刑されて
いる。
こんな話が伝わっている(「日本耶蘇教会年報」)。

 加賀山隼人の娘が、父親の隼人に、「父上、何も、裁きを受けず、大罪を犯した訳でもなく、
ただ、キリスタンなるが故の死罪、外で執行されるに及ばず。
我等にとりても、此の家が一番好都合でありませぬか」と。
つまり、「ただキリスト教徒というだけで、処刑なんて、おかしいでしょう。
私たちにとって、この家の幸福が、一番、大切ではないですか」と。

それに答えて、「ならぬ。かの救世主・耶蘇基督(キリスト)は罪なき身を以って、エルサレムの
城門外に二人のあさましき兇徒(きょうと)の間に置かれ、公衆の面前で死なんと欲したではな
いか。
我もまた、公衆の面前で汚辱を受けつつ死を熱望するなり」と。
つまり、「あのイエスも、信仰を守るため、公衆の面前で処刑にあっているではないか。
私も、それを希望する」と。

 この話は、その筋の世界では、「美談」として、もてはやされている。
「命がけの信仰」として、たたえられている。
しかし私は、こういう話に、どうしても、ついていけない。
信仰心と、盲目的な忠誠心を、どこかで混同しているのではないか?

 ……と書くと、猛烈な反発を買いそうだが、いくら信仰をしても、自分を見失ってはいけない。
命までかけて、信仰をしてはいけない。
信仰をしながらも、自分の心にブレーキをかける。
そのブレーキをかける部分が「私」である。

いいか、キリストは、自分の信念で処刑に甘んじた。
信者は、信念といっても、(脳注入された信念)である。
誤解してはいけない。

 キリストの立場で考えてみれば、それがわかる。

 彼自身は、公衆の面前で処刑された。
しかしキリストは、すべての民の原罪を背負って、処刑された。
決して、「自分の信者に、同じことをせよ」と、見本を見せたわけではない。
いつだったか、私は、「キリストも教師ではなかったか?」という文章を書いた。

 それをここに再掲載しておく。

++++++++++++++++++++++++++++

【神や仏も教育者だと思うとき】 

●仏壇でサンタクロースに……? 

 小学一年生のときのことだった。
私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかっ
た。
母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。
仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなか
った。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。
年始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。
が、それが一転するできごとがあった。
ある英語塾で講師をしていたときのこと。
高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった
少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。
私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。

そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。
「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がいる。
私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。
いや、何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまっ
た。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。
しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間に起こることなどありえない。
「願いごと」にしてもそうだ。
「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。
そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずが
ない。
いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。
携帯電話の運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報
道)。
どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇
〇万件とは!

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。
今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。
奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。
その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。
話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がいた。
窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。
「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。
たとえば親鸞の『回向論』。

『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令に
よってしているにすぎない。
だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいても、仏から真実を与え
られているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿氏)となる。

 しかしこれでは意味がわからない。
こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわからなくなる。
宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。
(実際には、説明している本人にすら、意味がわかっていないのではないか? 失礼!)

要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではない
か。
悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」
と。
しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。
「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のことではないか。
頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。
つまりそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。
もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。
そういうのは教育とは言わない。
問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。
私にはこんな経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。
その教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。
いわく、「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障
害者が多いのは、そのためだ」(R宗機関誌)と。
こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。
あるいはその教団には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。
「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。
こういうものの考え方は、明らかにまちがっている。
他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼らが
言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。
子どもたちにさえ、批判されている。
中には「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。
しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」と
は思わない。
神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。
いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏では
ない。
悪魔だ。
だいたいにおいて、地獄とは何か? 
子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。
しかしそれは地獄でも何でもない。
教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。
キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、と。
ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理解
できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。
たとえば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。
しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。
「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。
いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。
自分で努力することをやめてしまう。
そうなればなったで、かえってその子どものためにならない。
人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしま
う。
医学も政治学もそこでストップしてしまう。
それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。
朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤い自動車だった。
私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきりと覚えている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生より(4月1日2012年)

『林様:メール有難うございました。
とても興味深く拝読しました。
私にとっては新しい情報ですが、貴君の原稿を何十万の人が読むと言いますがそれだけの人
が本当に読んでいる保証があるのでしょうか。
読むことは出来るかもしれませんが、本当に興味を持って読む人が一人もいないということは
あり得ないのでしょうか。
その原稿に対してどんな形でどのくらいの収入があるのでしょうか。
本当に興味を持って読んでいる人は何人いるのでしょうか。
どうしたらそれが解るのでしょうか。
確かに現在は「本の時代ではない」かもしれませんが、それだけに出版社たちは、一人でも多
くの読者があるような、興味があって有意義な本を出す苦労をしているはずです。
貴君の書かれる原稿がその中に入らない理由が何かあるのでしょうか。
「ものを書いてお金を儲けようという気はない」のも結構ですが、皆が読みたがる立派で社会の
ために重要な原稿を書けば、本屋は見逃さずに本にしたがるものではないでしょうか。
何故その部類に貴君の原稿が入らないのでしょうか。
これは「浜松」だとか「東京」とかという問題を越えたことではないでしょうか。
何もよく知らないで申して申し訳ないのですが、ファンの一人として、そういう点についてご説明
していただければ幸いです。
くれぐれもお元気で。
田丸謙二』(2012−04−01)

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

 先生が言われる通りです。
「アクセス数」というのは、あくまでも「アクセス数」です。
本屋での立ち読みのようなものです。
チラッと見て、ポイ。
それを「アクセス数」と言います。

 ですから、アクセスした人イコール、読者ということではありません。
興味本位、あるいは、中には反感をもちながら、アクセスしてくる人も多いはずです。
ですから、「毎月50万アクセス」と言っても、中身は、薄いです。

 が、その一方で、電子マガジンの読者、BLOGの購読者、さらには定期発行物の登録会員
など、明らかに私の「読者」と考えてよい人も、います。
そういう人は、現在、合計で、2000人前後、います。
私は、そういう読者を、たいへん大切にしています。

 で、その中間の人たちは、どうか?
それについては、私にもわかりません。
好意的に読んでくれる人もいるでしょうし、逆に、反感を覚えながら読んでくれる人もいるでしょ
う。
しかし何よりも大切なことは、(人の目に触れること)です。

 で、本について。

 ご存知のように、私は20代の初めから、「本=書籍」について、いろいろな形で、関わってき
ました。
ゴーストライターもしてきました。
しかし私の世界では、本というのは、「商品」でしかありませんでした。
出版社にしても、まず(売る)ことを考えます。
そうした傾向が強くなったのは、1990年前後からからではないでしょうか。
大手の出版社でも、編集部より、販売部のほうの力が大きくなりました。
編集部がOKを出しても、販売部のほうで、STOPがかかるということは、この世界では、よくあ
ることです。
不況が、それに拍車をかけました。

出版業界全体の市場は、1996年をピークに約25%減少しており、多くの企業が業績悪化に
苦しんでいます(Diamond on Line)。

私も30冊近い本を出してきましたが、1990年ごろから、印税も、売れた本の分だけ。
しかも半年から1年後払いというのが、常識になってきました。
つまり「本は儲からない」。
端的に言えば、時代が、変わったということです。
で、「本」に対する幻想が、このころから崩れ始めました。

また現在、よく売れる本の著者というのは、マスコミ、とくにテレビへの露出度で決まります。
出版社も、そのことをよく知っています。
だから逆に、こう言われます。
「林さんも、東京へ出て、テレビに出てくださいよ」と、です。

 が、それでも私は(売れる本)に心がけてきました。
また私は20代〜30代は、市販の教材作りの仕事をしてきました。
教材ですから、まさに(商品)です。

 で、本に話を戻します。
本でも、テレビでも、編集者、あるいはディレクターの意向が強く働きます。
意向に反したりすると、ボツになるか、2度目がありません。
とくに私のような、地位、肩書のない人間のばあいは、そうです。
「どこの馬の骨?」というところから、企画が始まります。
そういう意味では、私は、ドン底を、這って生きてきました。
(先生とは、立場が、180度違うということを、どうか、ご理解ください。)

 で、そういう自分が、つくづくいやになりました。
あちこちに尻尾を振り、自分の魂を削りながらものを書くという作業が、です。
で、2001年ごろに書いた本を最後に、原稿は、すべてネットで公開することにしたわけです。
無料です。

 ……この「無料」というところに意味があります。
無私無欲、です。
そのかわり、書きたいことを、そのまま、書く。
だれにも媚を売らず、だれにも遠慮せず、です。
私を受け入れてくれる人がいれば、それはそれでよし。
しかしそうでなければ、それもまたよし。

 こんな男性がいます。
もと小学校の教師です。
今年90歳近い男性です。

 毎月、「植物観察会※」なるものをしています。
雨の日もしています。
もちろん無料です。

 で、その男性ですが、雨の日も、待ち合わせ場所で待っています。
が、だれも来ない日もあるそうです。
そういときは、ある程度待ち、そのまま家に帰っていきます。

 無私無欲だからこそ、そういうことができるのですね。
もし、功利、打算が入ったら、そういうことはできません。
つまりね、私はそういった生き方の中に、自分の老後のあり方を見つけたというわけです。

 ……こうして無私無欲で、ものを書く。
実際のところ、アクセス数は、ただの数字に過ぎません。
山の上から、空に向かって叫ぶようなもので、読者の顔はまったく、見えません。
実感など、さらにありません。
インターネットの世界は、そこが不思議な世界です。
パソコンというのは、実体のあるモノですが、その画面の向こうは、まさに仮想現実の世界で
す。

 だからインターネット上で、「読者」を論じても、あまり意味はありません。
ただの情報、です。

 しかし私は、こう考えます。
だからこそ、そこは「私」を超えた、人間の世界、と。

 仮にチラッと見て、ポイであっても、一部は、それを見た人の脳に残る。
それが集合され、やがて人間全体へと伝わっていきます。
「はやし浩司」という個人の名声にこだわれば、「本」が有効です。
また「本」でなければなりません。

 しかしどうせ死ねば、私は、この宇宙もろとも、消えてなくなるわけです。
生まれる前の状態に戻り、億年のその億倍の、「虚」という無の世界に戻るわけです。
だからこそ、私はこう考えます。

 何も本にこだわる必要はないのでは……と。

 ……もうすぐ、浜松に着きます。
(現在、新幹線の中です。
つづきは、またあとで書きます。)

 それにもう一つ。

 私は現在、毎日、50〜100枚の原稿を書いています。
単行本であれば、たいてい120〜140枚で、1冊の本になります。
ですから単行本になおせば、毎月、少なくとも、3〜4冊の本を書いていることになります。

 しかしご存知のように、本というのは、本当に、めんどうです。
出版社とのやりとりだけで、うんざりします。
ていねいな出版社になると、校正だけで、数往復します。
それよりも、私にとって大切なことは、こうしてものを書き、すべてを発表していくことです。
多少荒っぽくても、「生」の自分をさらけ出す。
またそのほうが、「影響力」もあります。
それができるのは、やはりインターネットです。

 まだまだ信頼性もなく、玉石混淆(こんこう)の世界ですが、やがて淘汰され、洗練されていく
ものと思います。
私はそれを信じていますし、もうこの流れを止めることは、だれにもできないと思います。

 で、私の場合ですが、「本」はよく買います。
週に、5〜6冊、雑誌や単行本を買います。
しかしそのほとんどは、「資料」として使える本です。
「著者」という著者が書いた本ではなく、「資料」です。
それをもとに、考えて書くのは、あくまでも私。
その主導権だけは、だれにも渡したくありません。

 では、今、掛川の駅を出ましたので、一度、ここでメールを送っておきます。

はやし浩司

(2012年3月31日、鎌倉にて、田丸謙二先生に会う。)

平塚市・サンライズホテルに一泊する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……2009年6月に書いた原稿より)

●無料の植物観察会

昨日、講演をさせてもらった、S小学校の校長から、こんな話を聞いた。
なんでもその老人は、今年84歳になるという。
元、小学校の教師。
毎月、一回、植物観察会を開いているという。
無料で開いているという。

日時と集合場所が、毎月、決まっている。
が、集まる会員と人数は、そのつどちがうらしい。
雨の日などは、ゼロになることもあるという。
が、その老人は休むということをしない。
雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。
そして時刻になっても、だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
その話を聞いて、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったようで、う
れしかった。
「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。
「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。
しかし「遊べ」と言われても、遊べるものではない。
「休め」と言われても、休めるものではない。
だいたいた、遊んだからといって、それがどうなのか? 
休んだからといって、それがどうなのか? 
私たちが求めているのは、その先。「だからそれがどうしたの?」という部分。
つまり、(生きがい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。
仕事をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。
が、仕事がいやなのではない。
仕事ができるということも、喜びなのだ。
その(喜び)を絶やさないようにする。

 目が見える。音が聞こえる。
ものを考えることができる。
体が動く。
……それらすべてが集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。
その老人にしてみれば、それが(生きがい)なのだ。
雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、あなたは思うかもしれない。
「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの昔に超越している。
そこらのインチキ・タレントが、名声を利用して開くチャリィティ・コンサートとは、中身がちがう。
心の入れ方がちがう。
(みなさんも、ああした偽善にだまされてはいけない!)

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。
たった1人でもよい。
多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。
しかし(やりがい)イコール、(生きがい)ということでもない。
つまりそれは他者のためではない。
自分自身のため。
老後の生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。
それとの戦いということになる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。
しかしその心は、私も大切にしたい。

何度も書くが、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。
そこに欲得がからん
だとたん、統合性は意味を失い、霧散する。
仮にその老人が会費なるものを徴収して、観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。
最初のうちは、ボランティア(=無料奉仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとた
ん、(つもり)が(つもり)でなくなってしまう。
「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につながる。
「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。
みな、恩知らず」と思うようになったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。
またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。
生きがいも、そこで消えてしまう。
つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。
何も考えず、無私無欲でやる。

 もちろん私にもいくつかの夢がある。
そのひとつは、「子育て相談会」。
今まで積み重ねてきた経験と知恵を、若い親たちに伝えたい。
もちろん無料で。
もちろん損得を考えることなく。
そうした計画は立てている。

 今は、インターネットを利用して、その(まねごと)のようなことをしている。
しかしそれもやがて限界に来るはず。
無私無欲とは言いながら、いつもどこかで、何かの(得)を考えている。
アクセス数がふえれば、うれしい。
ふえなければ、とたんにやる気を失う。
つまりそれだけ私の心が不純であることを示す。

 もっとも仕事ができるといっても、あと8年。
70歳まで。
そのころまでに、私の統合性を確立したい。
少しずつだが、その目標に向かって、進みたい。
そしていつか……。

 どこかの会場で、ひとりでポツンと、来るか来ないかわからない親を待つ。
そして時間が来て、だれも来なくても、そんなことは気にせず、鼻歌でも歌いながら、会場を片
づける。
そんな日が来ればよい。
そんな日が来るのを目標にしたい。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させることをいう
(エリクソン)。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 植物観察会 老後の生きがい 統合性 小田原 サンライズホテルにて)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 14日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【伊勢志摩・合歓の郷へ】(はやし浩司 2012−03−28)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩へ向かう。
明日、私塾会名古屋支部の会合がある。
伊勢志摩へ一泊したあと、帰りに、会合に出る。
たいへんな寄り道だが、その寄り道が楽しい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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●浜松から名古屋へ

 JR浜松駅の近くで、1人の高校生が声をかけてくれた。
K君だった。
幼稚園のときから、小6まで、私の教室に通ってくれた。
この4月から、高校2年生になる。
うれしかった。

が、こういうときというのは、会話がつづかない。
突然でもあり、何をどう話したらよいのか、わからない。
「お母さんは、お元気ですか」「すっかり高校生らしくなったね」とか。
最後に「声をかけてくれて、ありがとう」とだけ言い、別れた。

 ほんのりと心が温まった。

●9時48分

 JR浜松駅発、9時48分の大垣行の快速に乗る。
浜松から名古屋まで直行する列車は、ほとんど、ない。
豊橋で乗り換える。
この快速は、そのまま名古屋まで行く。

 いつもは豊橋から、名鉄電車に乗る。
座席もよく、乗り心地がよい。
急ぎの用でなければ、新幹線にはめったに乗らない。
名古屋というのは、そういう距離。
近くもないが、遠くもない。

●ウォークマン

 久しぶりにウォークマン(SONY)をもってきた。
音楽を聴いている。
グレゴリアンの曲が、ほとんど収録してある。
あとは定番の映画音楽とか、モーツアルトなど。
少し前まで、そのモーツアルトを聴いていた。

●合歓の郷(ねむのさと)

 今日の予定は、この列車で、名古屋まで。
名古屋で近鉄に乗り換える。
それに乗って、伊勢志摩まで。

合歓の郷に一泊。
「合歓の郷」という名前の旅館。
温泉がすてきらしい。
楽しみ。

 夕食は、伊勢海老づくしとか。
伊勢志摩といえば、伊勢海老。
楽しみ。

●咳をする女性

 通路をはさんだ隣の女性が、はげしい咳を繰り返している。
一応、マスクはしているが……。

 私もワイフに促され、マスクを着けた。
それにしてもはげしい咳。
私たちはよいとしても、会い向かいあった人たちが、かわいそう。
1人の女性はマスクをしているが、もう1人はしていない。
軽く口を押え、窓のほうに顔をそむけている。

 ときどきその女性の横顔を見る。
が、それを気にするふうでもなく、咳を繰り返している。
少し前から、化粧を始めた。
マスクをはずした。
年齢は、35歳前後?
マスクをはずしても、当たりかまわず、咳をしている。

●豊橋へ

 白くかすんだ田園地帯がつづく。
木々は枯れ、薄黄土色。
それをやさしい朝の陽ざしが、ぼんやりと照らしている。

 何やら車内アナウンスがあったが、よく聞き取れなかった。
私はグレゴリアンの歌を聴いている。
ワイフもグレゴリアンの歌を聴いている。
左右のイヤホンを、2人で分けあって、聴いている。

 ……これも、旅。
旅のしかた。

●声がかれる

 このところ声が、かれる。
少し前、浪曲の練習をした。
私はそれが原因かと思っていた。
が、浪曲ではなかった。

 花粉の季節になり、毎朝、決まってはげしいクシャミが出る。
そのとき、のどを痛めるらしい。
今朝、それがわかった。
はげしいクシャミをしたあと、のどが痛くなった。

 で、そのあと合唱団員のときよくしていた発声練習をしてみた。
高音部になると、自分でもそれがよくわかるほど、キンキン声になる。
ふだんは、そういうことはないのだが……。

●『♪Who wants to live forever?』

 『♪だれが、永遠に生きたいだろうか?』

 グレゴリアンは、こう歌う。
『♪Who wants to live forever?』と。

 よい曲だ。
ある映画の主題曲になっていた。
が、肝心の映画のほうは、駄作。
世代を超え、たがいに戦いあうという、内容の薄いものだった。
が、曲だけが、多くの歌手に歌い継がれている。

 そう、私も永遠に生きたいとは思わない。
「……だから、それがどうしたの?」と聞かれたとき、その答がつづかない。

 が、かといって、早く死にたいというのではない。
できるだけ長生きをしたい。
が、条件がある。
健康。
健康であること。
この歌をもじると、こうなる。

『♪だれが寝たきりで、長生きしたいだろうか』と。

●横尾試算

 昨日のニュースで気になったのが、これ。
あの福島第一原発2号機で、70数シーベルトの放射線が計測されたという。
7〜10シーベルトで、人間は即死すると言われている。
しかも恐ろしいことに、毎日10トン近い水を注入しているというのだが、原子炉内の水の深さ
は、60センチしかないという。
ほとんどの水は、高濃度に汚染されたまま、地下や海へと流れ出ているらしい。

 想像するだけでも、気が遠くなる……というより、絶望感に襲われる。
この先、こんなことが、何十年もつづく。
忘れてならないのは、2号機(出力100万W)だけでも、広島原発の数万発分の放射性物質
が格納されているということ。
(100万Wの原子炉を1年間稼働させると、広島原発の2700〜800発分の放射性物質が生
成されるという。横尾試算※)

 先日、大江健三郎氏は、パリで、こう言った。
「40年後に(被害は)顕在化する」と。

(注※)「電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射
性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」と。
この世界では「京(けい)」という単位が使われる。
10の16乗をいう」(以上、横尾試算「原発事故」宝島社)と。

●自己中心性
 
 こういう話をすると、つまり「40年後」というと、こんなことを言う人がいる。

「どうせ、私はそれまで生きていませんから」と。
あるいは、老人組の人は、こう言う
「どうせ、私たちはまもなく死にますから」と。

 が、これほど冷酷かつ残酷な言葉はない。

 ……40年後でも、今日のように、青空はある。
その下では、人々が住み、生活をしている。
人間の住む世界に、「時間」も「空間」もない。
「40年後は関係ない」と言う人は、「アフリカは遠いから、いくら人が餓死しても構わない」と言う
のと同じ。
つまり自分勝手。

「今さえよければ、それでいい」と言うのは、「自分だけよければ、それでいい」と言うのと同じ。
自己中心性の現れそのもの。
一見、道理をふまえているように見えるが、そんなのは、道理でも何でもない。
人格の完成度、ゼロ。
少しは自分に恥じたらよい。
あるいはその恥じる力もないほど、人間性を失っているのか?

●近鉄・名古屋駅

 近鉄・名古屋駅で、少し待ち時間がある。
12時10分発の特急「賢島」行き。
「賢島」は、「かしこじま」と読む。
旅館に電話すると、14時45分に迎えに来てくれるという。
ありがたい!

 構内で弁当とお茶を買う。
ワイフは、プラス、ビールを買う。
ワイフの家系は、酒豪が多い。
ワイフもその1人。
が、飲むのはこうして旅行のときか、寝る前だけ。

 ところで私たちはここしばらく、寝る前に養命酒をお湯に溶かして飲んでいる。
が、これが歯にはあまりよくない。
朝まで、ときに、甘い味が残る。
「このままでは、そのうち歯がボロボロになるかも?」ということで、ここ数日は、やめている。

 ……私は酒を飲めない。
そういう体質。
が、ときどき油断する。
数日前も、ワイフにつられて、チューハイ(アルコール度4%)を、コップ、半分も飲んでしまっ
た。
おかげで、その翌日、二日酔い。
夕方まで、頭痛が消えなかった。

●近鉄電車

 「近鉄電車に乗るのは、はじめて」とワイフが、言った。
「フ〜〜ン」と私。
10年ほど前までは、よく講演で、近鉄電車に乗った。
あのころは、私はいつも単独行動だった。
「悪いことをしたな」と思ったが、それはワイフには、言わなかった。

 黄土色に青い帯。
近鉄電車カラー。
何か意味があるのだろう。

 そう言えば、前回、近鉄電車に乗ったときに書いたエッセーがあるはず。
あとで探してみる。

 今、構内アナウンスで、「まもなく……」と。
時計を見ると、11時57分。
そのすぐあと、電車が構内へ入ってきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

原稿は、すぐ見つかった。
2003年に、紀伊長島まで来ている。
駅の近くの体育館で、講演をした。

以下は、そのときの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●三重県紀伊長島町で……(2003年記)

 今日(一八日)は、紀伊長島町の教育委員会に招かれて、ここへやってきた。

 名古屋から、南紀線に乗る。
午後一時すぎの、特急。
その特急で、ちょうど二時間。
四日市、津、松阪……。
その間特急は、ずっと山間の谷を抜けるが、最初に「海が見えた!」と叫ぶところが、その紀
伊長島町である。

 私は、その特急の窓から、近くの山々をながめながら、三男のことを考えていた。
いつか、三男と二人で、この紀伊半島を旅したことがある。
そのときも、「冒険旅行」だった。
私たちは、よくその冒険旅行をした。

 冒険旅行というのは、行き先を決めず、その場、その場で、行き先や、泊まるところ決める旅
行のし方をいう。
お金だけを握って、旅に出る。
その旅行でのこと。

 松阪(まつさか)へ着いたときには、真夜中だった。
泊まる旅館やホテルが見つけられず、一時間近くも、あちこちをさまよい歩いた。
そんな思い出が、つぎつぎと、脳裏に浮かんでくる。

 小学四年生の三男は、心細そうに、何度も「だいじょうぶ?」と聞いた。
そのたびに私は、「いざとなったら、駅の前で寝ればいいから」と答えた。

 その三男が、今、自分の進路を大きく変えようとしている。

 三男は、地元のK高校を卒業したあと、横浜にある、横浜K大の工学部に入学した。
センター試験では、工学部2位の成績だった。

 いつか宇宙船の設計をすると意気込んで入学したものの、そのうち、自分に合わないと言い
出した。
そして今度は、パイロットになると言い出した。
私は、「金メダルを捨てて、銅メダルをもらうようなものだ」と、批判した。

 しかし私も、昔、M物産という商社をやめ、幼稚園の講師になった経緯がある。
そんな親だから、三男を責めるわけにはいかない。
何かと言いたいことはあったが、しかし三男は、こう言った。

 「パパ、ぼくの夢は、パパに、本物の操縦桿を握らせてやることだよ」と。

 私は子どものころ、空にあこがれた。
パイロットになりたかった。
今でも、パソコンの画面の上で、空を飛ぶのが、私の趣味の一つになっている。
三男は、そういう私をどこかで見ていた。
私は、この言葉に、殺された。

 その言葉を聞いて、私はもう、反対することはできなかった。
いや、多少の迷いはあったが、三男は、その試験に向けて、体を鍛えた。
毎日、自転車で横浜から、羽田へ行き、羽田空港を一周したという。
春ごろには、どこかブヨブヨだった三男だが、試験が近づくころには、すっかり身がひきしまっ
ていた。
それを知ったとき、私の迷いは、完全に消えた。

 「どうせ受けるなら、合格しろよ」と私。
 「だいじょうぶ」と三男。

 一次試験には、八〇〇人近い応募があったという。
テレビのトレンディドラマの影響が大きかったという。
三男は、二次試験にも合格した。
「定員、七〇人だけど、残ったのは、ぼくを入れて、六九人だけだった」と言った。
残りの三次試験は、面接。場所は、宮崎県。本人は、「一〇中、八、九、だいじょうぶだ」と、の
んきなことを言っている。

 特急の窓から、空を見る。
白い雲が、薄水色の空をのぞかせながら、幾重にも重なっている。
あのときは、初夏のころだったが、今は、秋だ。

 私たちは松阪市を出ると、今度は、新宮(しんぐう)をめざした。
そのときのこと。
南紀線は、海沿いを走るものとばかり思っていた。
しかし窓の景色は、山また山。
内心では「どうなっているのだろう?」と思っていた。
が、突然、目の前に、パッと海が広がった。

 エメラルド色の海だった。
それに絵に描いたような海岸線が見えた。
夢の中で見るような景色だった。
私は心底、「美しい」と思った。
実は、その町が、紀伊長島町だった。
偶然か。

 で、そのあと、この紀伊長島町へ来たくて、JR名古屋の駅へ問い合わせたが、どの人も、ト
ンチンカンなことばかり、言っていた。

私「ほら、南紀線に乗っていて、最初に海が見える町です」
J「どこでしょうね。あのあたりは、ずっと、海ですから」
私「山を抜けて、最初に、海が見える町です」
J「○○海岸でしょうかねえ。それとも、○○岬でしょうかねえ」と。

 しかしこの話は、教育委員会の担当者の方には、言わなかった。
あまりにも、できすぎた話である。
もしこの話をすれば、「林は、口のうまい男だ」と思われるかもしれない。
しかし事実は、事実。

 委員会のほうで、私のために民宿を用意してくれた。
「はま風」(長島町古里)という民宿だった。
海岸まで歩いて、数分のところ。
その民宿の中でも、一番、奥の梅乃間に通された。

 講演は七時からだった。

 私は散歩から部屋にもどって、この原稿を書き始めた。
もうすぐ、迎えの車がくる。
時刻は、六時一五分。
このつづきは、またあとで書こう。
写真もたくさんとったから、今度のマガジンは、「紀伊長島町特集」となるかもしれない。

++++++++++++++++++

【つづき……】

 たった今、遅い夕食を食べてきた。
時刻は、午後一〇時。
東長島公民館ホールでの講演は、(多分)、無事、終わった。
800人ほど、集まってくれた。

風呂に入るべきか、どうか迷っている。
このまま寝ようか……。

 近くに、古里温泉(町営)がある。
歩いて五分くらいのところ。
講演へ行く前に、散歩しながら見てきたが、朝は、午前一〇時からだという。
明日(一九日)は、七時半の特急で帰るつもりなので、その温泉には入ることはできない。

 そうそう夕食だが、おいしかった。
仲居の女の人(本当は女将さん)が、みな、親切だった。食べ終わってから、「それ、マンボウ
の軟骨だったのですよ」と。
私はタコの刺身かと思って、パクパクと食べてしまった。
「しまった」と思ったときには、胃の中で、松阪牛のシャブシャブと混ざってしまっていた。

 三男の話にもどるが、三男は、私がパイロットになるのを反対していると思っているらしい。
それは、そのとおり。
これから飛行機事故のニュースを聞くたびに、私は、ハラハラしなければならない。
「どうぞ、どうぞ」と、賛成するような仕事ではない。

 しかし私は、親として、友として、三男を応援するしかない。
支えるしかない。
私が幼稚園の講師になったと母に話したとき、母は、泣き崩れてしまった。
私は母だけは、私を支えてくれると思っていた。

 私には、そういう悲しい思い出がある。
だから、私の息子たちにだけは、そういう思いをさせたくない。
どんなことがあっても、私は、最後の最後まで、息子たちを支える。
ただただ、ひたすら、息子たちを信じ、支える。

 今、ふと、眠気が襲ってきた。
もう今夜は、寝たほうがよさそうだ。
ワイフに電話すると、K市K小学校のN先生から、講演の依頼が入ったとのこと。
ほかの先生からの依頼とは違う。
どんなことをしてでも、受けなければならない。
N先生は、私の恩人だ。
明日、浜松へ帰ってから、時間を調整しよう。

 静かな町だ。
静かな民宿だ。
一応、目ざまし時計はつけたが、明日は、その時刻に起きられるだろうか。
少し、心配になってきた。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 三重県紀伊長島町、民宿「はま風」より。

 こういう季節も、すばらしいが、夏場は、近くの砂浜で泳ぐこともできる。
もう少し若ければ、「来年の夏に……」と考えるが、もうその元気はない。
こういう静かな季節のほうが、私には、合っているかも。

 教育委員会のOさん、車で送迎してくれた、Tさん、ありがとうございました。
(031118)

【補記】

 くだらないことだが、私のパソコン(NECのLaVie)は、三〇分ほどで、バッテリーがあがって
しまう。
しかし、今日、名古屋からいっしょに乗った男性のパソコンは、ほぼ二時間、ずっと稼動してい
た。

見ると、シャープの「MURAMASA」だった。
「さすが!」と、少し、驚いた。
ねたましく思った。

 外国の電車などは、車内にコンセントがついている。
駅にも、空港のロビーにも。
日本も、そうすべきではないか。
こういう時代なのだから……。
ついでにインターネットも使えるようにしてほしい。
こういう時代なのだから……。
(一部の駅には、無線LANの設備がついたという。)

(写真を見てくださる方は、HTML版マガジンのほうを、ご覧ください。
紀伊長島町の風景の写真を載せておきました。
すばらしいところですよ。)

 もうひとつくだらないこと。

 朝起きて、身じたくを整えていると、靴下が見つからない。
そこで部屋中をさがした。
が、それでも、見つからない。
昨夜は、講演から帰ってきたあと、食事をして、そのままこの部屋で、浴衣(ゆかた)にかえた。
そのときまで、靴下は、はいていたはず。

 それにしても気味の悪い話だ。
ここは幽霊民宿?

 さらにさがした。
しかし見つからない。

 ただひとつ、心当たりがあるのは、風呂だ。
私は今朝、起きるとすぐ、風呂(温泉)に入った。
そこで、「まさか……」と思いつつ、浴室へ行ってみると……。

 「あったア!」

 しかし、どうして? 
どうして私の靴下が、脱衣場に落ちていたのか。
私は昨夜、靴下をはいたまま寝たのか? 
しかしそんなはずはない。
私は寝るときは、必ず、靴下を脱ぐ。
ただひとつの可能性は、浴衣のどこかに脱いだ靴下が、入りこんでいたこと。
だから浴衣を脱いだとき、靴下が、脱衣場に、落ちた? 
しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 ?????と、「?」を五個並べて、この話は、おしまい。

(以上、2003年11月、紀伊長島にて)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紀伊半島

 紀伊長島へ来たとき、委員会の先生が、こんな話をしてくれた。

「このあたりでは、山側の人間と、海側の人間は、はっきりと分かれているのですよ」と。

 生活習慣のみならず、男女の(差)も、分かれている、と。

 山側の世界(=農業)では、女性の地位が低く、海側の世界(=漁業)では、女性の地位が
高い。
(漁師という職業は、いつなんどき死ぬかわからない。だから女性の地位が高くなったとか。)
また、山側の人たちは、朝飯をしっかりと食べ、昼飯は簡単にすます。
これに対して、一方、海側の人たちは、昼飯をしっかりと食べる、とか。
これは漁師は、朝早く海に出て、昼前に海から帰ってくるためだ、そうだ。

 以上、記憶によるものなので、内容は不正確。

 で、そのとき私がこう言ったのを覚えている。

「もし、海側で育った女性が、山側で育った男性と結婚したら、たいへんなことになりますね」
と。
私は冗談で言ったつもりだったが、その先生は、あっさり、「その通りです」と言って笑った。
(反対なら、うまくいくかも?)
2003年というから、もう10年近くも前の話である。
今は、事情も、大きく変わったかもしれない。

 電車は今、桑名を出たところ。
海が見え始めるのは、もっと先。
ワイフは、「まだ……?」と、言っている。

●ダイナブックR631

 前回は、シャープ製のパソコンだった。
メビウスだった。
が、今回は、TOSHIBAのダイナブック。
バッテリー切れの心配は、ない。
今も、こうして安心して、キーボードを叩いている。

 ところで今度、シャープが、台湾の会社の傘下に入ることになった。
経営不振がささやかれていたので、「とうとう……」という感じ。
こうしてまた、日本の一流メーカーが、外国へと売られていく。

(注※……MSNニュースより)
『シャープは、液晶の主力生産拠点である堺工場を守るため、外資を筆頭株主とするかつてな
い決断を下した。
世界的な価格下落や歴史的な円高水準、テレビ市場の先行き不透明など好材料が少ない
中、"液晶のシャープ"の行方が注目される』(以上、MSN)と。

 ついでながら、こんなニュースでも、韓国では、反日感情をあおりたてるために、利用されて
いる。
が、どうして反日?
つぎの朝鮮日報の記事を読めば、それがわかる。

『シャープ、「サムスン打倒」の鴻海と資本提携!

サムスン電子など韓国企業に押され、創業以来最悪の赤字を出していたシャープは27日、
「サムスン打倒」と公言する台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)大手、鴻海精密工業と
資本提携すると発表した』(朝鮮日報)と。

 あたかもシャープが、「サムスン打倒!」のために、台湾の企業と資本提携したかのように書
いてある。
韓国では、マスコミが先頭に立ち、反日感情をあおいりたてている。
こんな記事を読めば、だれだって、「日本めッ!」となる。 

●車窓の外

 車窓の外につづく、街並み。
街並みというより、都会。
「こんなところにも、多くの人が住んでいる……」と。

 ……たった今、窓の下に広い駐車場が見えた。
たくさんの車が並んでいた。
もちろんそれぞれの車には、所有者がいる。
1台1台に……。

 家にしてもそうだ。
それぞれの家に、それぞれのドラマがある。

 最近、旅行に出るたびに、そんなことをよく考える。
同時に、不思議な気持ちに襲われる。
みんな、懸命に生きている。
それが私を不思議な気持ちにさせる。

●珍説・日本人論

 窓ガラスに反射して、前の席に座っている女性の顔がよく見える。
電車が日陰に入ると、窓ガラスが鏡のようになる。
年齢は、40歳前後か。

 その女性の動きが、気になる。
相対して座っている仲間と、何やら話している。
その様子が、どこか「?」。
どこだろう?

 しばらく観察する。
が、やがてこんなことに気がついた。

 その女性は、左右、上下を見るとき、かならず顔を動かす。
眼球は、ほとんど動かさない?
顔を動かすと同時に、上半身も動かす。
それを小刻みに繰り返すから、キョロキョロというよりは、セカセカといった感じになる。
ガラス窓越しに見ているのだが、せわしなく顔や体を動かす。
落ちつかない。
が、AD・HD児の動きとも、ちがう。
どうしてだろう……?
どこがちがうのだろう……?

 が、やがてわかった。

 その女性の目は、ふつうの人以上に、細い。
一本の糸のよう。
おまけに太り気味で、下まぶたが、目を下から、押し上げている。
つまりその女性は、眼球を動かして、左右、上下を見ることができない。
(眼球の動きは、よくわからないが……。)
だから左右、上下を見るときは、その方向に向け、顔全体を動かさなければならない。
顔全体を動かすから、上半身も、それにつれて、動く。

 ナルホド!

 昔、オーストラリアの友人が、こう言った。
「日本人は、猿みたいだ」と。
欧米では、日本人は、よく猿にたとえられる。
映画『猿の惑星』も、もともとは、日本人がモデルだったそうだ。
あまりうれしくない話だが、その理由のひとつが、これ。
つまり顔全体、体全体をセカセカと動かし、あちこちを見る。
(私もそうだが……。)

 では、欧米人は、どうなのか?
それも欧米人のものの見方を思い浮かべてみると、すぐわかる。
彼らは、左右、上下を見るとき、眼球だけを動かす。
もともと目が大きいから、それができる。
だから顔全体を動かさなくてもよい。
そのため日本人のような、セカセカ感がない。

 つまり日本人が猿のようにセカセカして見えるのは、民族性というより、目の大きさが原因だ
った。
目が細く小さいから、ものを見るとき、顔全体を動かす。
立っているときは、体全体を動かす。
だから、セカセカして見える。
中に目が大きい人もいる。
そういう人でも、周囲の日本人の影響を受け、セカセカ動くようになる。

 これは、はやし浩司の珍説、日本人論ということになる。
しかしこんなことを調べた学者はいない(はず)。
珍説というよりは、「新説」か。

●TK先生より
 
 たった今、TK先生から、メールが届いた。
今朝送った原稿についての、批評である。

『林様: 最近書かれた原稿を拝読しました。
これはどんな人を対象にしているのかな、と思いながら読みました。
一言で言えば「おれは学があるんだよ」、「いろいろの 偉い人の意見も皆読んで知っている
よ」、という感じでした。
広い知識を持っている、偉い人の書く文章です。
偉くはないけれど、もっと「我が意」を伝える「感激的な原稿」が欲しいです。
「一笑い」するなり、「涙ぐむ」なり。
いけませんか。御元気で。
TK』

 TK先生の口の悪さは、学会でも定評。
TK先生が座長になると、たいていの学者は、ビビって何も話せなくなるという。

またある時期は、日本の理科予算を決定、配分する立場にいた。
併せて論文審査もしていた。

たとえば野辺山に巨大な電波望遠鏡がある。
それが完成したとき、その祝賀会で、TK先生は、最前列に座っていた。
そのとき先生は、こう言っていた。

「いやな仕事ですよ。
研究費を削ったりすると、憎まれます。
江戸の仇(かたき)を、長崎でとられるというようなことも、よくありますから」と。

 というか、先生の肩書はともかくも、つぎの一言のほうが、TK先生の偉大さを、よく説明して
いる。

 天皇陛下のテニス友だち。

 よく陛下は、鎌倉の先生のクラブへテニスをしに来ていた。
どこかの境内の横にある、2面しかないクラブである。
「椅子といっても、ブロックに板を渡しただけのものです」と。

 で、TK先生は、こう言った。
「陛下がクラブへ来ているときは、ヘリコプターが上空をくるくる回っていますから、すぐわかり
ますよ」と。

ともかくも、先生の毒舌には慣れた。
(そう言えば、私をほめてくれたことがない!)
だからこそ、私には、ありがたい。

 すかさず、私は、こんな返事を書いた。

『TK先生へ

こんにちは!

いえね、あの雑誌は、今回は、『子育て』が特集なのだそうです。
で、その巻頭で、子どもの発達について、その総論を書いてくれということで、ああいう原稿に
なりました。
けっして偉ぶっているわけではありません。
どうか、誤解のないように!

そのあと各論を書く学者は、東大の先生こそいませんが、みな、そういう人たちです。
その巻頭言用原稿です。

それに私は、「偉い人」ですから……。
ハハハ。

(本当は、みすぼらしい、敗者です。
負け犬です。
自分でもそれがよくわかっています。)

先生だけです。
そういうふうに、率直に言ってくれるのは……。
ぜんぜん、イヤミもないし……。
なお、あの雑誌は、全文、英訳され、世界中の販売会社に配布されるそうです。
(日本の自動車が販売されている国、すべてで、です。)

なおワイフは、こう言っています。
「文章は、あなたのほうがうまいから、先生は、ひがんでいるのよ」と、です。
ぼくもそう思います。

 また伊勢志摩に着いたら、メールを書きます』と。

●宇治山田

 電車は、今、宇治山田に着いた。
この先から、向かって左側に、海が見えるようになる。
先ほどまで、ワイフは、ウトウトと横で眠っていた。
何度か、ウ〜ムという声を出したあと、車掌のアナウンスで目を覚ました。

 「これからきれいな海が見えるよ」と私。

 紀伊半島と言えば、何といっても、海。
美しい海。
ここを通るたびに、私は、こう思う。
「ここは天国」と。
心底、そう思う。

 駅の向こう、つまり海側に、小高い山が連なっているのがわかる。
あの山を越えれば、海。
海が見え始めたら、ビデオカメラの出番!

●旅

 昨日、市内の書店を訪れたら、こんなタイトルの本があった。
「ぼくが旅に出る、そのわけ」(記憶)と。

 私よりずっと若いライターの書いた本だった。
写真が、表紙を飾っていた。

 その本を見たとき、「ぼくなら……」と思った。
「ぼくなら、どんなことを書くだろうか?」と。

 表紙を見ただけで、本は開かなかった。
平積みになっていたから、よく知られた人の本なのだろう。
それにタイトルからして、旅が好きな人にちがいない。

 私も旅は、嫌いではない。
が、いつもワイフに連れられて、旅に出る。
私自身は、家で本でも読んでいた方が、楽しい。
が、それでも、同じタイトルの本を書けと言われたら、どんな本を書くだろうか?

 ……旅先で感動した話を、全体の7〜8割、書く。
押しつけがましい意見ではなく、読んだ人が、「私も旅をしたい」と思うような内容にする。
残りの2〜3割で、旅に人生論を結びつける。

 そう、旅のおもしろさは、名所旧跡にあるのではない。
道端の、何気なく立っている地蔵や、川面(かわも)に遊ぶ野鳥の群れの中にある。
倒れかかり、道をふさいでいる竹やぶでもよい。
曲がりくねった農家の道を、ヨタヨタと歩く老人。
そういう老人と、世間話をする。
そういうのがおもしろい。

 で、人生のおもしろさも、またしかり……と。
この話は、ちょっとできすぎかな?

●合歓の郷(ねむのさと)

 合歓の郷には、午後3時少し過ぎに着いた。
途中、雨が降った。
通り雨で、ホテル(今まで旅館と書いてきたが、ここは立派なホテル)に着くころ、ちょうどやん
だ。
(和室で予約したので、私は、旅館風のホテルを想像していた。)

 部屋は、2間つづきの、豪華な間取り。
419号室。
部屋も、前もって、暖めてあった。
備品も完ぺき。
やる気度、100%。
カーテンを開けると、伊勢志摩半島が、一望できた。

これから温泉につかり、そのあとサンセット・クルージングなるものに、乗る。
夕刻を、海の上で、過ごす。

(地震が来なければいいが……。
私は心配性。)

●サンセット・クルージング

 風呂から出た。
5時10分に、迎えのバスが来るという。
それを待っている。

 幸い、青い空が見えてきた。
サンセット・クルージング。
「今日は、波が少し荒いようです」と、フロントの女性は、そう言っていた。
ワイフは、先ほどから、それを心配している。

「いいか、そういうときは、遠くの水平線を見ていればいい」と私。

 時刻は、ちょうど、5時。
「そろそろ行こうか……」ということで、このつづきは、またあとで。

●貸し切り

 33人乗りの大型クルーザーに、客は、私たち2人だけ。
つまり貸し切り!
その大型クルーザーで、英虞湾(あごわん)内を、40〜50分かけて、周遊。
まるで夢の中のようだった。
つまり夢の中で、船に乗っているような気分だった。

 時は、その名のとおり、夕暮れ時(サンセット)。
ワイフも私も、言葉を失った。
ただひたすら、ぼんやりと、島々をながめた。

 その様子は、ビデオカメラに収めた。
明日、家に帰ったら、まっさきに編集し、YOUTUBEにUPする。
読者のみなさんにも、楽しんでもらおう。

●YAMAHAのつま恋

 施設全体は、掛川市にある、「つま恋」(YAMAHAリゾート・センター)に似ている。
各種のスポーツ施設や、宿泊施設が並んでいる。
作り方も、よく似ている。

 が、つま恋のほうは、東海道の要所にある。
そのため、いつ行っても、かなり混雑している。
が、ここ合歓の郷は、伊勢志摩という、本線から離れた位置にある。
が、施設そのものは、つま恋に勝るとも、劣らない。
プラス、海遊びもできる。

 さらに比較すれば、温泉は、合歓の郷のほうが、はるかによい。
つま恋は、小さくて、狭い。
加えて地元の人たちも利用しているため、私たちが行ったときには、浜松駅の構内のように混
雑していた。
あとは料理だが、つま恋のバイキング料理は、地元でもイチバンと評価が高い。
さて、この合歓の郷は、どうか?

 夕食は、7時40分〜から。
まだ少し時間がある。
それまで、こうして今日の日記を書く。

●ロメオ&ジュリエット

 たった今、立ったついでに、♪ロメオとジュリエットを独唱してみた。
本気で歌ってみた。
その少し前から、そのメロディーを、鼻歌で歌っていた。

 声は張りを失い、高い音は出なくなった。
が、これでも、元合唱団員。
その気になれば、まだ歌える?

 が、この歌を歌うと、どうしてこうまで切なくなるのか。
幸福と切なさは、同時にやってくる。
幸福であることが、切ない。
どうしてだろう。

 原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。
ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。
本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけ
ての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
そして男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。
ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言
う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たま
らないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらし
い。
私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。
短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。
いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02−10−5)※

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/jFK1XA20WJs" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
A rose will bloom.... ばらは咲き、 
It then will fade:  そして色あせる。
So does a youth,  若さも、また同じ。
So does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
Others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。

訳:はやし浩司

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


【息子が恋をするとき】

●息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。
「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言え
ば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。
年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔を
しかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながら
に訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表す
る文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心
も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。
そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。
もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。
しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
6月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしば
った。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●切なさ

 生きていること自体、切ない。
つかみどころがあるようで、ない。
「時よ止まれ」と叫んでも、時は容赦なく、去って行く。
手でつかんでも、指の間から漏れていく。
その歯がゆさ。
そのもどかしさ。
それが切なさとなって、胸をしめつける。

 失った時を嘆くのではない。
去った人を嘆くのではない。
消えて久しい、純粋さを嘆く。
情熱を嘆く。
夢や希望を嘆く。

●センチ

 話題を変える。
幸福感を味わったあとというのは、どうも心がセンチになる。
これも年の功。
幸福というのは、(幸福感でもよいが)、薄いガラス箱のように壊れやすい。
それを知っているから、切なくなる?

ところで、今の若い人たちは、「センチ」などという言葉を使うだろうか?
センチというのは、センチメンタルという意味。
英語では「sentimental」。
日本語では、「感傷的」と訳す。
「感じやすく、涙もろいさま」(Yahoo辞書)とある。

 今が、そのとき?
「話題を変える」と宣言してみたが、話が、またもとに戻ってしまった。

 ……とにかく、もうすぐ夕食。
夕食のあとは、もっと楽しい話を書いてみたい。

●TK先生からの返信

 夕食後、パソコンを立ち上げると、TK先生から、メールが届いていた。
うれしかった。
TK先生という先生は、そういう先生。
そばに感じるだけで、心が安らぐ。
あるいは先生は、相手を、先生自身がもつおおらかさで、包んでしまう。
講演にしても、そうだ。
相手が1000人でも、9000人でも、そのまま包んでしまう。
その偉大さというか、パワーは、言葉では、表現できない。

 私的なメールだから、そのまま紹介してよいものかどうか迷った。
(許可を求めたら、断られるに決まっている!)
が、若いころからTK先生は、何かよいことや、うれしいことがあると、真っ先に私に知らせてく
れた。
私は私で、それを聞くのが、何よりも楽しみだった。
この42年間、ずっと、そうだった。
それがいまでも、つづいている。

……というか、田丸謙二先生が、日本という国のためになした偉業の数々。
それを知る人は少ない。

たとえばあるプロジェクトで、日本政府は、アメリカの言いなりになって、2000億円という研究
費を、無駄にしそうになったことがある。
田丸謙二先生は、自費で世界各国を飛び回り、その計画を日本政府に断念させたこともあ
る。
もちろんその逆のこともある。

TK先生の偉大さを、みなさんもぜひ知ってほしい。

『林様:
今度の日本化学会の春の年会は九千人近くの参加者があり、慶応の日吉キャンパスで行わ
れました。
その後懇親会で乾杯の音頭を取らせられましたが、懇親会も四百人以上の盛会でした。
今度の年会の中で公開講演会があり、幾人もの講演者に混じって私も講演をさせられました
が、その公開講演会の責任者から下記のようなお褒めの言葉が来ました。

「群を抜いていい講演」、「聴き応えのある講演」、「何人もの方から非常に良かった」とか「皆さ
ん大変に感激した」とか、私の所にも沢山のお褒めのメールや電話が来ましたが、個人的なの
は「お世辞」もあると思いますが、上記のような公開講演会の責任者からのは、大体本当の言
葉だと思いますので、お知らせします。

余計なことをお書きして恐縮ですが、取り敢えずご連絡致します。
くれぐれもお元気で。
TK』

●夕食

 夕食は、伊勢海老を使った、海老づくしだった。
すべてが、伊勢海老料理。
レストランの入り口には、生けすがつくってあり、20〜30匹の伊勢海老が飼ってあった。
レストランを出るとき、「ああ、今夜は、これを食べたんだ」と。

●就眠

 ワイフは、もう床の中に入り、寝息をたてている。
時刻は、午後10時19分。
夕食の料理は、すばらしかった。
一級の料理と評しても、よい。
おいしかった。
とくに伊勢海老の鉄板焼きは、おいしかった。
伊勢海老というのは、もともと味が淡白で、料理の仕方をまちがえると、何を食べているのか
わからなくなる。
海老のおいしさを引き出しながら、味にアクセントをつける。
並みの料理人では、まねのできない芸当である。

 さて、明日は忙しい。
一度、名古屋まで出たあと、会合に出席。
そのあと浜松に、帰る。

 では、みなさん、Have a good night!

●3月29日

 朝は、午前4時半に目が覚めた。
こうしたホテルでは、いつも、そうだ。

 で、メガネを探したが、どこにもない。
「?」と思いながら、また探した。

 が、メガネは、かけたままだった。
その少し前、トイレに起きたとき、メガネをかけたらしい。
またそのまま眠ってしまったらしい。

私も、かなりボケてきた。
こんなアホな経験は、生まれてはじめて。
メガネをかけたまま、メガネを探した。
それにしても、ドジな話!

●合歓の郷

 合歓の郷は、広大な敷地の中にある。
その一角だけで、ふつうのホテルなら、何10棟も建ってしまうだろう。
中に、貸別荘というのも、ある。
サンセット・クルージングに向こう途中、バスの運転手が、案内してくれた。
(バスの中にも、客は、私たち2人だけだった!)

そこには10〜20棟、並んで建っていた。
そのあたりは、ゆるやかな丘陵になっていた。
芝生でおおわれていた。
道路も、カーブを描いていた。
それを見て、ワイフが、「オーストラリアの家みたい」と言った。

 オーストラリアでは、どこでも見られる風景である。
が、この日本では、珍しい。
平坦地を、碁盤の目のように仕切る。
家は、それぞれ、バラバラ。
洋風もあれば、和風もある。

 つまり欧米人は、全体のバランスを考え、自分の家を建てる。
日本人には、もとから、そういう発想そのものが、ない。
ある学者は、「押す文化、引く文化」という言葉を使い、日本人の特性を説明した。
あとで、その原稿を探してみる。

 ともかくも、合歓の郷は広い。
その広さを感じただけで、ほっとした安堵感を覚える。

 そうそうワイフはこうも言った。
「日本にも、こういういいところがあるのね」と。

 ここ数年、ワイフは、ことあるごとに、こう言っている。
「オーストラリアへ移住しよう」と。
そのつど、私はこう言って、ワイフをなだめる。
「もう少し日本でがんばるから、待ってよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【押す文化vs引く文化】(2000年ごろ書いた原稿より)

●引く文化・押す文化

 日本の子どもは、消しゴムのカスを、手前に払って、机の下に落とす。
欧米の子どもは、向こう側に払って、机の上に残す。

考えてみれば、不思議なことだ。
教えなくとも、日本の子どもたちは、いつの間にかそうするようになる。
考えてみれば、日本の刀は、手前に引きながら、相手切る。
欧米の刀は、相手のほうに突き刺しながら切る。
ノコギリも、包丁もそうだ。
日本では引きながら切る。
欧米では押しながら切る。

 これを称して、日本の文化は「引く文化」、欧米の文化は「押す文化」と言った学者がいた。
そんな話を、ある友人から聞いたことがある。

たとえば「庭」。
日本では、庭をつくるとき、視点を家の中に置く。
つまり家の中に美しさを、引きこむようにして庭をつくる。
欧米は反対に、外に向かって庭をつくる。

 わかりやすく言えば、通りから見た美しさを大切にする。
何でもないようなことだが、こうした文化は、教育にも大きな影響を与えている。

 日本人は、周囲の価値を、自分の中に引きこむことを美徳とする。
内面世界の充実を大切にする。
一方、欧米では、自分の価値を、相手に訴えることを美徳とする。

 日本人はディベイト(討論)がヘタだと言われているが、そもそも国民性が違うから、しかたな
い。
いや、長い間の封建制度が、日本独特の国民性を作った。
自己主張をして波風を立てるよりも、ナーナーですまし、「和」をもって尊しとすると、日本人は
考える。

 つまりそもそも風土そのものが、「個」を認める社会になっていない。
特に教育の世界がそうだ。
徹底した上意下達方式のもと、親も子どもも、いつもそれに従順に従っている。
文部省が「体験学習だ」と言えば、体験学習。
「ボランティア活動だ」と言えば、ボランティア活動。
いつもすべてが全国一律に動く。
親の側から、教育に注文をつけるということは、まず、ない。

 そういう意味でも、日本人は、まだあの封建制度から解放されていない。
体質も、それから生まれるものの考え方も、封建時代のままといってもよい。
言いかえると、日本の封建時代が残したマイナスの遺産は、あまりにも大きい。

 ……と悩んでもしかたない。
問題は、こうした封建体質から私たちをいかにして解放させるか、だ。
一つの方法として、あの封建時代、さらにその体質をそっくりそのまま受け継いだ明治、大正、
昭和の時代を今ここで、総括するという方法がある。
歴史は歴史だからそれなりに正当に評価しなければならない。
しかし決して美化したり、茶化したり、歪曲してはならない。

 たとえば2000年のはじめ、NHKの大河ドラマにかこつけて、この静岡県で、『葵三代、徳川
博』なるものが催された。
たいへんなにぎわいだったと聞いているが、しかしそういう形で、あの封建時代を美化するの
はたいへん危険なことでもある。

 あの類をみないほどの、暗黒かつ恐怖政治のもとで、いかに多くの民衆が虐げられ、苦しん
だか、それを忘れてはならない。
一方、徳川家康についても、その後、300年という年月をかけて、つごうの悪い事実は繰り返
し抹消された。

私たちが今もつ「家康像」というのは、あくまでもその結果でしかない。つまりこうした
ことを繰り返している間は、私たちはあのマイナスの遺産から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●旅

 旅といっても、ボケ防止のための旅というのも、ある。
旅に出るだけで、四方八方から、いろいろな刺激を受ける。
その刺激が、脳みそを、「引っかき回す」。
つまりそれまで眠っていたような部分まで、刺激する。

 脳の神経細胞の数は同じでも、使っていなかった部分を使うようになれば、その分だけ、神
経細胞はふえたことになる。
広い屋敷にある古い倉庫を、居間に改造するようなもの。
たとえとしては、あまりよくないかもしれない。
しかし私には、そんな感じがする。

●英虞湾

 英虞湾は、地形が複雑。
その間に、大小、形、さまざまの島が64もあるという。
島だけではない。
無数の山々が、高くはないが、ホテルを取り囲んでいる。

 で、たった今、窓のほうを見ると、カーテンの下が白く輝いているのがわかった。
見ると、ちょうど太陽が地平線から昇るところだった。
私はバッグからカメラを取り出すと、その写真を撮った。
「ああ、あちらが東なんだ」と、そのときはじめてわかった。

 この窓から見ているかぎりでは、自分がどの位置にいるのか、わからない。
というか、私の方向感は、人並み以上にすぐれている。
見知らぬ街でも、迷子になることはめったにない。
しかしこの伊勢志摩は、ちがった。
このホテルにしても、どのあたりにあるのか、それさえわからなかった。
とくに昨日は、一度、小雨が降るほど、空が曇っていた。
方向感は狂ったままだった。

 ……これから風呂に入る。

 そうそう、このホテルの難点は、温泉までの距離が遠いということ。
一度、ホテルの外に出て、300〜400メートルほど、歩かねばならない。
冬場は、つらい?
だから部屋の中にある、風呂へ。

●TK先生より

たった今、TK先生から、メールが入った

『林様:

今度こちらにお出で下さる際のことを考えたのですが、現在一時的にお世話になっている「シ
ニア・ホーム・T」は滞在者拾四、五人の小さいところですが、私の数年後のあり方を現実的に
suggest してくれています。

半分以上が車椅子です。
「認知症」などボケている人もいます。
助けて貰わないと食事が出来ない人もいます。
歳をとることは誰でも避けられない運命ですが、どうでしょう、こちらで皆の様子を見ながらこち
らで皆と一緒に私の来客として夕食を取るのは。
軽い夕食ですが、老人用の食事で、魚もよく出ますが骨は全然ない形です。
野菜も柔らかく調理されています。

貴君にはまだ二、三十年先のことでしょうが、避けられない「歳をとる」ことの参考にもなりま
す。
夕食に行く前に、私の部屋でビールとおつまみもの位を食べてから行けば、少しは形がとれま
す。
街で混んでいる中で食べるより良い勉強になります。
如何でしょうか。

ついでにこちらに来る方法ですが、浜松から小田原まで新幹線で来て、小田原から東海道線
で藤沢に来て進行方向左側に、「江ノ電」(江ノ島電鉄)がありますか、それに乗って20分近
く、「XX」駅から三つ目に「YY」駅があり、その次が「ZZ」の駅で駅のホームの北側に駅に接す
るように煉瓦作りの「シニア・ホーム・T」という駅からx分のところです。

楽しみにお待ちしています。

御元気で。
TK』

●はやし浩司より、TK先生へ

TK先生へ

こんにちは!

 先生のお気遣い、ありがとうございます。
先生のご指導の通りにいたします。
ありがたいことです。
よい勉強になると思います。

 実のところ、自分の老後をよく考えます。
ホームへの入居も、現実問題になってきています。

 で、私も、数年前まで、実母と実兄の介護をしていました。
実母は、2年間、私の家にいました。
(便などの世話は、すべて私がしました。)
実兄は、3か月、私の家にいて、そのあと地元のグループホームに入りました。
実母は、そのあとは、他界するまで、ここ浜松の特養に入りました。
何かとたいへんでした。

 で、あいついで、3年前に他界。
実母、実兄が他界したとき、正直言って、ほっとしました。
(最近になって、さみしく思うことがありますが……。)

 このあたりでは、親の介護を2年すると、兄弟姉妹はバラバラになるといいます。
遺産問題も絡んできます。
わずか数百万円の遺産のことで、言い争っている兄弟姉妹は、ゴマンといます。

それでそうなります。
介護、遺産問題は、本人もたいへんですが、そのまわりの家族にとっても、深刻な問題です
ね。

 で、私も、実母、実兄の介護を経験し、かなり人生観、イコール、教育観が変わりました。
それまでは、子どもは子どもで自分の人生を歩めばよいと考えていました。
が、これからはそんなわけにはいかない。
それで人生観、イコール、教育観が変わりました。

 今では、私たち老人組は、老害、さらには「ゴミ」と呼ばれています。
ネットの世界を見ると、それがよくわかります。
たとえば団塊の世代(=私たちの世代)は、若い人たちの間では、「バブル世代」と呼ばれてい
ます。
日本の経済を破壊した、「悪玉」のような存在に考えられています。
(一方、私たちは、「日本の繁栄を築いたのは、私たち」という意識が強いのですが……。) 

 意識というのはそういうものかもしれません。
錯視画のようなものです。
同じ「絵」でも、見る人によって、まったく別の絵に見える。

 私が後期高齢者になるころには、孤独死、無縁死が当たり前になります。
すでに少し田舎のほうへ行くと、無住の寺がふえ、また住職がいても、慰霊碑なるものがふえ
ています。
無縁仏を、まとめて供養するためのものです。

 で、x日は、予定どおり、3時ごろおうかがいすればよろしいでしょうか。
それとも、もっと遅い方がよろしいでしょうか。
時刻を、先生のご都合に合わせて、ご指定くだされば、そのようにいたします。

どうか、お知らせください。
ご返事、ありがとうございました。

はやし浩司

●終わりに……

 ……で、こうして自分の原稿を読み返してみる。
結構、「旅行記」、もしくは、「私にとっては、旅とは何か」になっているから、興味深い。
そのときどきに考えたことを、書きつづる。
こんな旅行記もあっても、よいのでは……。

……ということで、今回の、伊勢志摩旅行記(?)は、これでおしまい。

 今日もがんばろう!

(はやし浩司 2012−03−28 はやし浩司 英虞湾 伊勢志摩 はやし浩司 合歓の郷 
ねむのさと はやし浩司 サンセット・クルージング 伊勢海老 教育 林 浩司 林浩司 
Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 浜松 幼児教室 はやし
浩司 ロメオ ジュリエット 息子が恋をするとき はやし浩司 珍説 日本人論 日本人は、な
ぜセカセカして見えるか はやし浩司 TK先生 あご湾 あごわん)
はやし浩司 2012−03−29記


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

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●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【3月末・年中児・最後のレッスン】

●テーマは、漢字

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/pknqqR3sDTA" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●児童期から思春期へ、自我の同一性について

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/3Jrr8RjoR4w" 
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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●子どもは人の父(完成原稿)
(日本自動車工業会・会報誌・特集(巻頭言)より)2012−3月

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7020685725/" title="img314 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7259/7020685725_
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7036/7020686671_
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7272/6874583486_
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7206/6874584124_
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7095/6874584316_
16fe61de65_b.jpg" width="763" height="1024" alt="img320"></a>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもは人の父 子供は人の父
 原始反応 児童期 思春期 はやし浩司 幼児期前期 幼児期後期)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●小1児に、距離、時速、時間を教える。

小学1年生に、距離、時速、時間について教えました。別のもうひとつの1年生クラスでは、うま
く教えられませんでしたので、このクラスでは、気合いを入れて教えてみました。(うち1人は、
幼稚園を卒園したばかりの、Yさんです)。

が、今回は、うまく教えられました。Yさんが、最後の問題を解いたとき、「ヤッター!」という気
分になりました。うれしかったです。2012年3月27日。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/v_RNFD7ljMA" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 BW幼児教室 BW子供クラブ 
BW子供クラブbyはやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【田丸謙二先生について】(日本のマスコミの大矛盾)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149635/" title="img093 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm7.staticflickr.com/6096/7016149635_
b0ae564fdb.jpg" width="395" height="499" alt="img093"></a>

http://ktamaru.ninja-web.net/

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●触媒工学

 触媒工学の分野では、日本は最先端を独走している。
「触媒」と聞いて、「?」と思う人も多いかと思う。
その理由は、もう少しあとに書くとして、今では触媒なしに、この社会は成り立たない。
電子工学、遺伝子工学、それにつづくのが、触媒工学である。

(1980年ごろ、東大の研究室で会うと、田丸謙二先生は、こう話してくれた。
「電子工学(コンピューター)については、基礎研究はすでに終わりました。
しかし遺伝子工学がこうまで進歩するとは、思ってもいませんでした」と。
まだ触媒工学なるものは、日本では、ほとんど知られていなかった時代である。)

 その触媒工学の分野で、これまた最先端のトップランナーが、田丸謙二先生である。
1970年当時、田丸謙二先生は、こんな話をしてくれた。

「水を、触媒で、酸素と水素に分解できれば、エネルギーの問題は、すべて解決します」と。

触媒工学というのは、それをいう。

 1年ほど前会ったとき、田丸謙二先生に、「いつ成果が出ますか?」と聞いたときのこと。
先生は、笑いながらこう話してくれた。

 「現在、理研(理化学研究所)で、チームを作り、懸命に研究していますから、近くその成果が
出ますよ」と。
現在、東大だけでも、田丸謙二先生の弟子が、10人前後、教授をしている。
書き忘れたが、東大でも、当時、田丸謙二先生は、最年少で教授職に就いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生

 その田丸謙二先生のホームページを読んでいたら、先生に、たまらなく会いたくなった。
で、昨夜(3月25日)遅く、メールを出すと、すぐ返事が来た。

『林様:メール有難うございました。ただ今私は「我が家」をレフォームしておりますので、その
間、臨時の所(シニア・ホーム)に滞在しています。4月一杯多分滞在します。
今日は日本化学会の年会が日吉の慶応キャンパスであり、私が講演して来ました。自分なが
らうまく行ってよい評判でした。くれぐれもお元気で。御急ぎの御用がありましたらどこかでお会
いしましょうか。田丸謙二』と。

 折り返しメールを交換し、このx日に、鎌倉で会うことにした。
今日も、慶応キャンパスで、講演をしてきたとか。
1923年生まれということだから、今年、89歳になる。
若いときから、田丸謙二先生という先生は、そういう人である。
50歳を過ぎ、中国語を独学で学び、中国化学会の総会で、基調講演までこなしている(198
2)。
しかも、中国語で!

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6870040352/" title="img155 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm7.staticflickr.com/6116/6870040352_
1d2f545b10.jpg" width="500" height="419" alt="img155"></a>

●ファーバー研究所創立100年祭(Fritz Haber Institut の創立百年祭)

 で、今朝、書きたいことは、このことではない。
田丸謙二先生は、先にも書いたように、世界の触媒工学の先鞭をつけた研究者である。
事実、ごく最近まで、日本は、この分野の研究では、世界の最先端を走っていた。

 その功績もあり、田丸謙二先生は、1984年(7月)〜1988年(7月)まで、国際触媒学会の
会長を務めている。
が、そのことを一般の人で、知っている人は、ほとんどいない。

 さらに5、6年ほど前、国際触媒学会の大会が、フランスのパリで催された。
世界中から、2000人近い学者が集まった。
(2000人だぞ!)
田丸謙二先生は、その学会でも、基調講演をしている。
が、そのことを知っている人も、ほとんどいない。
当時、田丸謙二先生は、こう話してくれた。

「中国人の学者がふえたのには、驚きました」と。

 ほかにも、いろいろある。
ごく最近では、昨年(2011)、ドイツで、ファーバー研究所創立100年祭があった。
私たちが今、ここでこうして生きているのは、ファーバー博士のおかげと言っても過言ではな
い。
ファーバーは、空気中の窒素固定を成し遂げた。
それにより、人類は、まさに「空気からパンを作る」ことができるようになった。

 そのファーバー研究所創立100年祭に、田丸謙二先生は、講師として呼ばれ、講演をしてい
る(注※)。
田丸謙二先生の父親の田丸節郎は、ファーバーの第一弟子でもあった。
また現在の東工大、理研の産みの親でもある。
が、こういったことを、知っている人は、ほとんどいない。

 私は、それが、おかしい!、と言っている。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149955/" title="img187 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm7.staticflickr.com/6053/7016149955_
4748967f66.jpg" width="457" height="500" alt="img187"></a>
(中央左が、田丸節郎、その右が、ファーバー博士)

●日本のマスコミの大矛盾

 なぜ、日本のマスコミは、こうした重大な事実を、日本で報道しないのか。
どこかつかみどころのないタレントが、どこか理解しがたい映画を製作し、何とかという賞を取
ると、それこそ狂ったように大騒ぎする。
日本の一大事のように、大騒ぎする。

 が、日本人の科学者が、フランスのパリの国際学会で、基調講演をしても、一行(一秒)も報
道しない。
その情報収集能力もなければ、価値を判断する能力すら、ない。
反対に、国内では、その人物を、肩書きや地位だけで判断する。
テレビへの露出度だけで判断する。

 一方、現地のフランス国営放送は、田丸謙二先生に、スタジオでさらに再講演してもらい、そ
れを番組として、放送している。

 日本のマスコミの姿勢のおかしさ、矛盾は、すべてこの1点に凝縮される。
その結果というか、日本の文化レベルは、落ちるところまで、落ちた。
まるで日本総ギャグ化。
お笑いタレントが、どこかの県知事になっても、だれも疑問に思わない。
日本人は、「アカデミック」という言葉のもつ意味すら、知らないのでは?

 もっと言えば、この日本では、「文化人」なるものは、テレビへの露出度で決まる。
そうでなければそうでない。

 これを「大矛盾」と呼ばずして、何と言う?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……以下、田丸謙二先生のHP(日記)より)

『●Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて

   1911年にKaiser Wilhelm Institut として Berlinに創立された研究所が途中で Fritz Haber 
Institut (FHI) と名前を変えて、10月26日〜28日の三日間に創立百年のお祝いをした。

   4年前にノーベル化学賞をとった前所長の Ertl 教授の75 歳の誕生日のお祝いも兼ね
て、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。
参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく化学史の専門家まで含み、千人ほどの集まりで
あった。
私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この百年の間での田丸家
と Fritz Haber Institut との関連について講演をした。

  内容的には亡父が1908年2月に Karlsruhe の Haber 研究室に留学し、「死ぬほど働いて」
アンモニア合成の成功に関与し、1911年Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm 
Institut の所長になった折に直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵
対関係になるまで合計6年間 Haber と共に研究をして来た。

今回においてその当時亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは現在見せられ
た聴衆にとっては大変に印象的であったようであったし、FHI としても非常に貴重なものであっ
た。

   その後1918年に Haber は「空気からパンを作った」ということでノーベル化学賞を受け、
1924年に星一さんの招待に応じて夫妻で来日をした。
在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である]という、彼がドイツで
英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演をし、亡父がそれを翻訳し、自分なりの科
学振興の必要性も加えて、一冊の本として岩波から出版したのである。
(事実その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75%はドイツに行ったものである。)

   その影響もあってわが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser 
Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、
学術論文数もほどなく倍増し、人材が育ち、アジアでも最も近代化した国になった。

ベルリン工科大学をモデル化して東京工大を新設もした。
(この両方の学術振興の実積は亡父の大変な尽力なしでは実現しなかったものである。)

   Haber がドイツの学術振興だけでなく結果的にはわが国でも科学振興の実績を積んだこ
とは、科学を重視するドイツ人たちにとっても初耳であったし,大変に印象的でもあったらしい。
(わが国でもほとんど知られていない。)

   次世代として私が、世界で初めて触媒反応中に固体触媒表面の挙動を直接観察して、そ
れまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させて、in situ 
characterization を開発し触媒科学が科学として生まれたことに触れてそれをErtl がそれを発
展して例えば Photoemission electron microscope を用いて見事な発展をもたらしてノーベル
賞に至ったことに触れ、さらに婿の大山茂生(現東京大学教授)がフンボルト賞を三年前にう
けて Hajo Freund と共に、半年間FHI に滞在したことを告げて、結局田丸家は過去百年の間
三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間世界をリードして
来たFHI が更なる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。 

  話の途中に亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン
製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子にピッタリのサイズであ
ることを言って、秀子がその服を着て現れた時は皆で拍手大喝采であったし、ハ―バー夫妻
が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、ハー
バーと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。

  話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わり
に、素晴らしい話だった、wonderful だけでも、十何人か、, beautiful, elegant, moving (感動
的), gem (宝石)(招待に与った Friedrich さんの表現)、highlight (今回のCentenary の議長を
務めた FTI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現), excellent (Ertl さんの表現)と各
人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。

英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな立派な presentation をするな
んて考えられない、という大変な評判であった。

そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非その
資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度同じ話をして貰
いたいということになり、今度は聴衆は十何人の幹部の前でもう一度 presentation をさせられ
た。

ビデオにまとまったら送ってくれるという。
とにかくこの上ない大変な好評であった。
ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いること
が出来て本当によかったと思った。
中には鎌倉まで人を派遣して FHIの古い資料を見せてくれないか、とまで言われた。
FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。

  昔は従来英語で苦労をすることが全くなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、
秀子が大分助けてくれた。
老化現象も耳の遠くなる不便さはどうにかしなければ、もっと優れた補聴器にするか、というの
が正直の感じであった。
幸い招待を受けた婿が全てを手配してくれたし済ますことが出来た。
ベルリンでは日本に比べて非常な寒さであって、往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的
に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた。(会議が終わって
から秀子たちと Romance Road を回って来た)

  秀子が科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisier ヤ Liebig などの
手書きの手紙があると伝えたら大変に興味を示していたという。
亡父が購入したままに置いてあっただけに、多分世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、
科学史の資料としても大変に貴重なものであるからである。

  世界の人口は前世紀中に4倍になった。遠からず世界の人口は二百億になるという。ハー
バーのお蔭で1913年に窒素肥料のアンモニアが工業的に生産され始め、何十億もの人が飢
餓から救われたのでる。

2011年12月28日』
(以上、「田丸謙二先生のHPより」)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7016149817/" title="img176 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7104/7016149817_
386134bb37_b.jpg" width="560" height="771" alt="img176"></a>
(アインシュタイン博士より、田丸謙二先生へ)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 田丸
節郎 ファーバー はやし浩司 触媒工学)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3月27日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

朝早く、田丸謙二先生から、講演用
資料などが、送られてきた。

数日前、日吉の慶応キャンパスで行われた、
日本化学会の年総会の席で、田丸謙二先生は
基調講演を行った。
そのときの資料である。

この世界に住んでいる人も、また住んでいない人も、
超一級の講演がどういうものか、またそのレジュメが
どういうものか、これを見ればわかる。

今朝は、そのため、朝の運動は抜き。
起きるとすぐそのまま、書斎へ。
田丸謙二先生の資料を、ホームページに
UPLOADした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7218/6873384550_
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++++++++++++++++

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7019491461/" title="img309 by 
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7207/7019493417_
58eaa3ee18_b.jpg" width="720" height="1024" alt="img313"></a>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 講演
 日本化学会 2012年 年会 講演)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●北朝鮮のミサイル問題

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 近く日本の野田首相は、北朝鮮のミサイルの迎撃、撃墜を命令するという(3月27日)。
が、私は、それに明確に反対する。
理由は、以下に述べる。

つまり今、ここで日本が、北朝鮮に対して攻撃的姿勢に出れば、即、北朝鮮に、日本攻撃の口
実を、将来にわたって、提供することになる。

 次回から日本が衛星ロケットを打ち上げるたびに、日本は厳戒態勢をとらねばならなくなる。
日本の発射基地そのものが、攻撃対象になるかもしれない。

相手は、常識的な道理の通ずる国ではない。
通ずる国でないことは、今までの経緯を見ればわかるはず。
が、それだけではない。

 やがてこの先、南北朝鮮は、何らかの形で統一される。
オバマ大統領も、先の核サミット(ソウル)で、それを明言した。

が、それは同時に、日本のすぐそばに、巨大な反日国家が誕生することを意味する。
人口は、計6000〜7000万人。
2050年には、日本の人口と拮抗(きっこう)する。
(日本の人口は、8000万人近くにまで減少すると言われている。)
そうなったとき、この日本は、その朝鮮と、どう対峙していくつもりなのか。

 今回のミサイル問題は、あくまでも、朝鮮半島の内部問題。
ミサイル自体は、アメリカと北朝鮮の2か国間問題。
つまりどこかで、この問題は、日本と切り離して考える必要がある。
深入りは、日本にとっては、たいへん危険。
今、日本は、南北朝鮮の統一後、もしくは30年後を見据えて行動する。

 仮に南北朝鮮が、平和的に統一されたとしても、(むしろそのほうが日本にとっては脅威なの
だが)、つぎに彼らが「敵」とするのは、この日本である。
中には、表面的な友好関係だけを見て、「そんなことはない」と、思っている人もいるかもしれな
い。
しかし、それはどうか?

 たとえば今朝(3/27)の朝鮮日報は、こんな記事をトップに載せている。

『トヨタ、エアバッグで現代自を挑発』と。

 記事は、こうなっている。

『……新型カムリで失地回復を目指すトヨタ自動車が、韓国自動車最大手の現代自動車のエ
アバッグを「問題視」している。
最近韓国の新聞に掲載された新型カムリの広告は、「安価な第2世代のディパワード・エアバッ
グを採用することもできた。
大半の車はそうだから。
エアバッグは目に見えないものだから」とのフレーズとともに「カムリは同クラス最高の第4世代
アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっている』と。

 トヨタは、何も現代自動車を挑発したわけではない。
「カムリは同クラス最高の第4世代アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっているだけなので
ある。
が、それが朝鮮日報では、「挑発」となる。
反日感情は、それほどまでに、根が深い。

 彼らのその思考回路を買えることは、容易なことではない。
というより、この40年間、何も変わっていない。
この先、40年についても、そうだろう。
だからこそ、日本は、(お人好し的外交政策)にブレーキをかけなければならない。

 いいか、迎撃ミサイル1発、1兆円だぞ!
政府は、ミサイル本体だけの価格を公示している。
が、機関銃に例えるなら、ミサイルというのは、「銃弾」。
銃弾だけの価格。
機関銃という銃、その他もろもろの装備の価格は、含まれていない。

 日本は、いったい、だれのために、北朝鮮のミサイルを、迎撃、撃墜しようとしているのか。
仮に日本のためであるとしても、あんな国、まともに相手にしてはいけない。
その価値もない。

 私だって子どものころ、よく戦争ごっこをした。
喧嘩もした。
しかしいつも、相手を選んで、それをした。
自分より幼い子どもや、女の子には、手を出さなかった。
もとから相手にしなかった。

 迎撃態勢を組み、相手を威嚇するのはよいとしても、構えだけ。
迎撃ミサイルを発射するのは、危険というより、無謀。
野田首相は、今回の核サミット(ソウル)では、「つまはじき」だったとか。
『民主党政権の外交無策により、日本は国際社会から「つまはじき」』(MSN)と。

 だったら、つまはじきでよい。
つまはじきのまま、あとは静観すればよい。
(あるいは「傍観」?)

 恐らくあの野田首相のことだから、日本の存在感をアピールしようと、過激な手段を選ぶかも
しれない。
「撃墜命令」も、そのひとつ。
が、ここは冷静に。
何も日本が、火中の栗を、あえて拾うことはない。
アメリカや韓国に任せればよい。

 それがわからなければ、もう一度、頭の中で、こう考えてみたらよい。
「もし、南北朝鮮が統一したら、この日本はどうなるか?」と。
日本の横に、核兵器に加え、150万に兵力をもった、巨大軍事国家が誕生する。

 そういう未来を見据えながら、では、今、この日本はどうあるべきか、それを考えたらよい。
その結論が、冒頭に書いたこと。
「私は、ミサイル撃墜に、明確に反対する」である。

 勇ましい好戦論に、踊らされてはいけない。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【美容整形という、背徳】(はやし浩司 2012−03−29夜記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩→名古屋から帰ったのが、夕刻。
しばらくしてから夕食。
そのままコタツの中で、居眠り。
居眠りといっても、3時間。
寝過ぎた。

先ほどワイフは、先に床に入った。
現在時刻は午後11時。
「ぼくは、あとから寝るから……」と言い、そのまま書斎へ。
5月の講演のレジュメを、主催者の方から書き直すように言われている。
ついでに、中日ショッパー用の原稿も。
「専門的すぎてわかりにくい」とのこと。

書き直すのは、めんどうではない。
その気になれば、10分程度ですむ。
(ショッパーの記事の方は、全面的に書き改める。)
が、私のばあい、(その気)になるまでが、たいへん。
どうしても、後回しになってしまう。
若いころからの、私の悪いクセ。

「原稿は、いつも1回勝負!」と。
いつもそう決めている。
2回目を書くエネルギーがあったら、別のことを書きたい。
不完全でもよいではないか。
それがそのときの「私」なら、それも「私」。
私は「私」のままを書く。

消しゴムで消して直すなどという人生観は、私には、もとからない。
だから子どもたち(=生徒たち)にも、よくこう言う。
「まちがえたら、そのままにしておきなさい。
一本、線を引けばいい。
新しい答は、その下に書けばいい」と。

が、たまに、それまで書いた原稿を、何かの手違いで削除してしまうことがある。
コンピューターというのは、それがこわい。
一度、削除すると、跡形もなく、「虚」になってしまう。

そういうときは、つぎの2つの中から、1つを選ぶ。

(1)さらによい原稿を書く。
(2)あきらめて、別のことを書く。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●整形手術

 今日、こんなことがあった。
名古屋から、豊橋までは、名鉄。
豊橋から浜松までは、JRの在来線。
座席は通勤列車用に、両側、一列に並んでいる。
その電車の中でのこと。

 隣に、見た感じ、新婚旅行帰りの若い男女が座った。
おそろいの大きなバッグが、通路側に並べてあった。

 しばらくすると、私の左横にいた女性が、居眠りを始めた。
その向こうの男性は、そのときには、すでに熟睡モード。
左側の女性は、顔を男性のほうに傾けるようにして、眠り始めた。
私の位置からは、女性の顔を下から見あげたような状態になる。
が、その顔を見て、ドキッとした。

 ほんの3〜4ミリだが、その女性は、目を開けたまま眠っていた。
そんなことができるのかと思い、数度、私は見直した。
最後は、まじまじと見た。

 見ると二重まぶたの溝が、先の方で一度途切れている。
かすかだが、端のところに手術痕も残っている。
その目の中で、眼球が、ゆっくりと左右に揺れていた。
私は、それを見て、ドキッとした。

 二重まぶたの手術で、目を大きくした。
それはわかる。
が、そのため眠ったとき、目が閉じなくなってしまった?
もしこんな状態が長くつづけば、角膜が乾燥し、角膜が傷つく。
そんなことは、素人の私でも、よくわかる。
だからふつう目は、常に涙を出し、角膜を潤す。
目がまばたくのも、そのため。
が、その目が、たとえ3〜4ミリとはいえ、開いたまま……。
だいじょうぶなのだろうか。
私は右隣に座っているワイフに小声で、こう言った。

私「ぼくのねえ……隣の女性ね、目を開けたまま眠っているよ」
ワ「……みたいね……整形手術で、上まぶたを引き上げたせいじゃないかしら」
私「目にはよくないよ……」
ワ「でも今じゃ、みんなしてるわよ」と。

●二重まぶた

 ネットで、二重まぶた手術の後遺症について、調べてみた。

Seesaaの「広告BLOG」には、つぎのような後遺症が列挙してあった。

『(1) 術後のハレがひどかった。 
 
(2) 目がチクチクして、違和感がする。 
 
(3) すぐに二重が取れてしまった。 
 
(4) 点止めなので、二重のラインの仕上がりが、カーテンのようにハシのほうが下がってしま
った。 

(5) 普段は気にならないが、まぶたをおさえると目がゴロゴる。 

(6) 術後、目が少し引きつったままになってしまった。 

(7) 二重のラインが不自然で、あまりきれいではない。 

(8) 再手術をしても、またすぐに二重が取れてしまった。 

(9) 目を閉じると、点状のくぼみが残っているので、手術を受けたのが他人にすぐわかる。 

(10) 二重のラインが途中でとぎれている。 

(11) 術後は、しばらくコンタクトレンズがはめられなかった。 

(12) 術後、まぶたにシコリができてしまった。 

(13) 手術後、気がかわってもとにもどそうとしたが、糸をそのままぬくことができず、もとにも
どせなかった。 

(14) 手術をする際、まぶたをひっくり返して麻酔の注射をされるので、とても痛く怖かった。 

(15) 眼科で診察をうけると、まぶたの裏側に糸が見えているので、眼科の先生に二重まぶた
の手術を受けたのが、バレてしまった』(以上、Seesaa Blogより)と。

 が、この中には、「目が閉じなくなってしまった」というのはない。

 そこでさらに検索を繰り返してみると、それはあった。

●目が閉じられない

 ある女性が、ある眼科医の相談コーナーのページに、それについて相談している。
それに対し、N医師(HPの管理者)は、つぎのように答えている。

『多分脂肪も取っているでしょうし、皮膚も余裕が無いということですと、修正は難しいでしょう
し、元の一重に戻す事はさらに無理だと思います。 
目を閉じれない位ですし、どうしてもということであれば植皮をして、皮膚を植え二重を狭くして
いくしか方法は無いでしょう』と。

 失敗と断言してよいかどうかは、わからない。
しかし二重まぶたの手術をして、目が閉じられなくなってしまった女性(男性も?)、結構、多い
ようだ。

 が、私が書きたいのは、このことではない。

●内面世界の積み重ね

 ありのままをさらけ出して生きるのは、むずかしい。
ありのままをさらけ出して生きるためには、その前に「私」がなければならない。
「私」がないまま、さらけ出したら、それは裸で街を歩くようなもの。
「衣服で飾れ」ということではない。
ここでいう「私」というのは、内面世界の積み重ねをいう。
その積み重ねが、心の衣服となり、その人を美しくする。
その積み重ねが、むずかしい。

 たとえば女性の美しさ。

 以前、アメリカのある空港で、1人の若い女性を見かけた。
白人だった。
年齢は25歳前後だったと思う。
その女性は、大きなノートパソコンに向かい、一心不乱にキーボードを叩いていた。
直接顔を見たわけではない。
が、体全体が、知的な緊張感に包まれていた。
それがその女性を、美しく輝かせていた。

 が、この日本では、「女性の美」が、ますます軽薄になっていくように感ずる。
最近では、つけまつげが流行している(?)。
中には1センチほどもある、長いつけまつげをしている女性もいる。
私には、それが、お化けというより、タヌキのようにしか見えない。
いや、タヌキだって、あんなアホなことはしない。

 が、女性がそうした化粧をするのは、それを「かわいい」と思う男性がいるから。
つまりそういう女性が多いということは、男性もまた、それにふさわしい男性になりつつあること
を示す。

 美容整形であろうが、プチ整形であろうが、それをするのは本人の自由。
(以下、「整形」とする。)
しかしその一方で、内面世界の積み重ねを忘れたら、それこそ顔は、絵を描くための、ただの
キャンバスになってしまう。
が、私は、もう一歩踏み込んで、こんなことを考える。

 もしあなたの恋人なり、妻が、整形を繰り返していたとしたら……。
あなたは、それに耐えられるだろうか?
それでもあなたは、そういう相手を、自分の友人、もしくは妻として迎え入れることができるだろ
うか?

 顔だけではない。
胸も体も……。

 私の価値観を押しつけるつもりはない。
が、私だったら、とても耐えられない。

●ハイデッガー

 女性にかぎらず、その人の本当の美しさは、懸命に生きるその生き様の中から、生まれる。
見てくれの顔や姿ではない。
生き様。

 もっともそれを理解するためには、男性の側にも、それなりの内面世界の積み重ねがなけれ
ばならない。
知性、理性、道徳、哲学……、何でもよい。
そういったものを、一方で、磨いていく。
昔から、こう言う。
そう言っているのはこの私だが、「賢い人からは、愚かな人がよくわかる。が、愚かな人から
は、賢い人がわからない」と。
もう少しはっきり言えばこうだ。
「利口な人からは、バカな人がよくわかる。が、バカな人からは、利口な人がわからない」と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
つまり、整形だらけの女性を美しいと思う男性は、やはりそのレベルの男性ということ。

 さらに短絡的につぎのように言い切るのは、たいへん危険なことかもしれない。
しかしこういうことは言える。

 見てくれの顔や姿ばかりを気にし、内面世界の積み重ねを怠る人は、女性にかぎらず、男性
も、その程度の人間、ということ。
ハイデッカーが説いた『ただの人(Das Mann)』というのは、そういう人間をさす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 2010年に、『ただの人』について
書いた原稿が見つかった。
話が脱線するが、許してほしい。

 なお、結論的に、冒頭にあげた女性について、こんな事実を付記しておく。

 ……やがて電車は浜松駅についた。
2人の男女は、たがいに起しあいながら、席を立とうとした。
と、そのとき、若い女性のほうの目を見ると、明らかに病的にまで目が充血していた。
とくに目の下あたりが、真っ赤だった。
仮に30分でも、目を開けたままにしていれば、そうなる。
あるいは私が見たときのように、常に眼球を動かしていないと、角膜が傷つく。

 その女性は、目を大きくしたいがため、整形手術を受けた。
しかし整形手術には、それがどんなものであれ、何らかの危険を伴う。
後遺症を伴うこともある。
目を開いたまま眠るというのは、どう考えても、ふつうではない。
5年や10年は、それでよいとしても、20年後、30年後に、何か大きな病気につながるかもし
れない。

 なお私が見た充血と、整形手術との因果関係についてはわからない。
が、もし関係があるとするなら、そういうことを医師はしっかりと説明をしてから、手術を施すべ
きではないのか。

 かなり強い疑問を覚えたので、ここに記録しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『ただの人』(ハイデッガー(2009年の終わりに書いた原稿)

++++++++++++++++++

つい先日、12月になったと思っていたら、
もう今月もおしまい。
つい先日、2009年になったと思っていたら、
もう今年もおしまい。
つい先日、21世紀(2001年)になったと思っていたら、
もう2010年。

こうして日々は、容赦なく過ぎていく・・・。
過去へ過去へと、失われていく・・・。
・・・と、だれしも考える。
・・・と、だれしも考えやすい。

が、そういう考え方は、あまりにも通俗的。
長い歴史の中で、人は、そのように考えるように、
なってしまった。
つまり「数字」と「人生」を重ね合わせるようになってしまった。
が、そう考えてはいけない。
つまり「過ぎていく」と考えてはいけない。
「失っていく」と考えてはいけない。
何も過ぎていかない。
何も失っていかない。

そこにあるのは、今という「現実」。
現実があるだけ。
数字に惑わされてはいけない。
2009年だろうが、2010年だろうが、
そんなことは、私たちには関係ない。
私たちは、今という「現実」を懸命に生きる。
それだけを考えて生きる。

つまりこういうばあい、「数字」というのは、あくまでも
便宜上のものでしかない。

それがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
人間以外に、年や年齢を気にして生きている鳥や動物が
いるだろうか。
年齢にしても、そうだ。
気にならないと言えば、ウソになる。
しかし年や年齢という「数字」など気にしてはいけない。
気にする必要もない。
私たちは、今の今も、そこにある「現実」に向かって、
まっしぐらに進んでいく。
その上で、こう考えればよい。

「ああ、もうすぐ2010年なのか」と。

(2009年12月28日記)

++++++++++++++++++++

●年齢

 一度できあがってしまった(常識)を打ち破るのは、容易なことではない。
その個人だけの問題ではない。
その地域全体の人が、同じように考えている。
そういうところでは、なおさら容易なことではない。

たとえばG県の田舎へ行くと、今でも年長風を吹かしている人は多い。
家父長風を吹かしている人も多い
たった数歳年上というだけで、威張っている。
それがおもしろいほど、極端な形で現れる。

 こうした意識の根底にあるのが、「数字」。
年齢という数字。
言うなれば、「金持ちほど偉い」という、金権教の信者と同じ。
本来意味のないものにしがみつきながら、意味があるものと思い込んでいる。
それが意味がないものと、気がつくこともない。
またそれを認めることは、自己否定につながる。
そういう生き方そのものが、その人の哲学になっている。
だからよけいに、しがみつく。

●年齢という数字

 何歳であっても、私は私。
あなたはあなた。
今年が何年であっても、今年は今年。
今は今。
大切なのは、今、何歳かということではなく、今まで生きてきた蓄積が、私やあなたの中に、ど
れだけあるかどうかということ。
それがあればよし。
が、それがないなら、あなたが何歳であっても、あなたは、「ただの人」(ハイデッガー)。
数字という年齢をとることだけなら、だれにだってできる。
つまり、繰り返しになるが、「数字」には、意味がない。
まったく意味がない。
まず、私たちは、それを知る。
しっかりと肝に刻み込む。

●幻想

 ・・・こう書くと、「老人の強がり」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分がこの年齢になってみて気がついたことがある。
老人ほど、人生の経験者」というのは、ウソ。
「人格者」というのは、さらにウソ。
まさに幻想。

地位や肩書きなどというのは、その人を飾るカラスの羽のようなもの。
イソップ物語に出てくる、あの話である。
一羽のカラスが、自分を美しく見せようと、自分の体を、いろいろな鳥の羽で飾ろうとする。
それと同じ。
自分では美しくなったつもりでいるかもしれないが、まわりの人たちは、それを見て、「バカ」と
思う。
笑う。

 老人になればなるほど、愚劣になっていく人は、いくらでもいる。
またそういう人のほうが、多い。
だから私は、あえて言う。
「年齢」という「数字」には、意味はない、と。

●中身

 大切なのは、今という「現実」を、どう生きるているかということ。
今という「現実」の中で、自分がすべきことを、しっかりとしているかどうかということ。
そのために、今という「現実」を、しっかりと見据えているかどうかということ。
それには、若いも老いもない。
いくら若くても、死んだも同然。
そんな人は、いくらでもいる。
いくら年を取っていても、前向きに生きている人は、いくらでもいる。
大切なのは、中身。
中身で決まる。
その中身の追求こそが、「生きる」ということになる。

 ・・・とは言いつつ、「数字」はたしかに節目にはなる。
そのつど今の自分を、反省することはできる。
もし年数という「数字」、年齢という「数字」がなければ、生活に対する緊張感も半減する。
「数字」があるから、そこから緊張感が生まれてくる。
(もちろん何ら緊張感をもたないで生きている人も、多いが・・・。)
言うなれば、ウォーキング・マシンについているタイマーのようなもの。
タイマーがあるから、「がんばろう」という気持ちがわいてくる。
「2010年も、がんばるぞ!」と。

●今という「現実」

 ともあれ、節目としての2009年は、もうすぐ終わる。
で、振り返ってみれば、あっという間に終わった。
・・・というより、「数字」がどうであれ、私は今までどおり、前に向かって懸命に生きていく。
今という「現実」は、(今まで生きてきたこと)の結果であり、同時に、(これから生きる人生)の
出発点でもある。

生物学的に言うなら、私たちは常に死に、常に生き返る。
だったら今そこにある「現実」に向かって、まっすぐに生きていく。
「過去」とか「未来」とかいう言葉に、惑わされてはいけない。
過去など、どこにも、ない。
未来など、さらにどこにも、ない。

 だから・・・。
今、できることは、今、する。
今、すべきことは、今、する。
懸命にする。

【補記】

 「数字」にこだわる人は多い。

先に書いたように、たった数歳年上というだけで、年長風を吹かしたりする。
このタイプの人は、当然のことながら、年号や年数にこだわる。
たとえばある宗教団体では、入信年月日によって、信者の上下関係が決まるという。
年齢ではない。
信仰していた年数で決まる。
だから、50歳、60歳の人が、30歳、40歳の人に、頭をさげたりする。
「信心歴が長ければ長いほど、その人は、上」というわけである。

 バカげた考え方だが、信仰の世界に入ってしまうと、それがわからない。
同じように、年長風を吹かす人もそうだ。
言うなれば、『年齢教』というカルトの信者。
「年上」というだけで、威張っている。
「年下」というだけで、「下」にみる。
偉そうに説教をしたりする。
それがおもしろいほど、極端なので、思わず笑ってしまう。
 
 このタイプの人は、当然のことながら、「長生きすればするほど、人生の勝利者」というふうに
考える。
「数字」が、価値判断の基準となる。
だから幸福感も、「数字」による。
しかも相対的。
隣の人よりも、金持ちであれば、幸福。
隣の人よりも、貧乏であれば、不幸、と。
ふつうはケチで、小銭にうるさい。
そういう点では、一貫性(?)がある。

が、誤解してはいけない。 
長生きすることが無駄というのではない。
お金を稼ぐことが無駄というのではない。
しかしどちらであるにせよ、「数字」に毒されると、「人生」そのものを無駄にする。
それに気がつけば、まだよい。
ふつうはそれにすら気づかないまま、無駄にする。
そういう人は、どこまでもあわれで、かわいそうな人ということになる。
ハイデッガーの説いた、「ただの人」というのは、そういう人をいう。

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎの原稿は2008年4月に
書いたもの。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a "man", so-called "das Mann". But 
nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward 
the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

 若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

 20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退
職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

 もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

 さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

 が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

 よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれ
ば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

 その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

 が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

 そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行
く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったこと
すらわからない。

 先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときの
こと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

 このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

 この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

 老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

 この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

 つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

 統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

 程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次
元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

 「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、み
なに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

 こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感
動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

 しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

 さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

 肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどるこ
とになる。

 繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」
と呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ハイデッガー はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性 DAS 
MANN)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●カラス

 話を戻す。

 カラスはカラス。
カラスがいくらクジャクの羽をつけたところで、クジャクにはなれない。
だったら、カラスはカラスとして生きればよい。
カラスのもつ「黒」は、それ自体、美しい。
その美しさを否定し、クジャクの羽をつける。
それは即、自分の哲学の敗北を意味する。

 が、美しくなりたい(?)という若い女性を責めても、意味はない。
かわいそう。
酷!

 大切なことは、我々人生の経験組が、別の美的価値観を示してやること。
それもしないで、一方的に、若い人たちに向かって、「無駄なことをしている」と言ってはいけな
い。
それはたとえて言うなら、二階屋根に登った人から、ハシゴをはずすようなもの。

 が、その力は、あまりにも弱い。
たとえばテレビの影響。
連日連夜、そのタイプの女性や、それを取り巻く男性が、テレビに出てくる。
さらに今では、整形したことを隠すタレントは、まずいない。
堂々と、「こことここを整形しました」などと言ったりする。

 ものを考える力が乏しい、さらに若い人たちは、そういう人たちの影響をモロに受けてしまう。

 もちろん、みながみな、そうというわけではない。
同じ電車の中には、少数派だが、見るからに堅実そうな若い女性も、乗り合わせていた。
そういう女性を守るために、私たち老人組は、その(柱)にならなければならない。
ここに書いた原稿は、そのためのものと考えてほしい。

●終わりに……

 ただ誤解しないでほしい。
私は顔を整形することが、まちがっていると書いているのではない。
(「正しいこと」とは、絶対に思わないが……。)

しかし「整形」という行為の中に、その人の人生観が凝縮されているように思う。
見栄、体裁、メンツ、世間体を気にして生きる、そういう人生観である。
しかしこういう生き様ほど、見苦しいものは、ない。
へたをすれば、人生そのものを棒に振ることにもなりかねない。
その第一歩としての整形であるなら、これほど不幸な第一歩は、ない。

 私たちは、いつも、「私は私」と、生きる。
そういう生き様を貫く。
そこに生きる意味がある。
けっして、他人の目の中で生きてはいけない。

 ……今朝は、かなり過激な意見を書いてしまった。
このエッセーを読んで、不愉快に思う人も多いだろう。
が、それはそれとして、つまり美容整形のことは忘れ、では、人間の美しさとは何か。
この原稿をたたき台にして、それをもう一度、考えなおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美容整形 プチ整形 はやし浩
司 二重まぶた 目の閉じない女性 人間の美しさ ハイデガー ハイデッガー ただの人  
das Mann Das Mann)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 9日
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【愛とは何か? もう一度、原点に立ち返って考えてみる】 by はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先日、ある女性の読者(?)の方から、こんなメールをもらった。
「あなたは毎日、いろいろな原稿を書いているが、だれも読んでいない。
無駄なことはやめなさい」と。

が、その女性の読者の方には、たぶん、たいへん残念なことかもしれないが、現在、多くの方
に、原稿を読んでもらっている。
アクセス数と読者数は、この世界では分けて考えるが、(というのも、アクセス数イコール、読者
数ではないので)、アクセス数だけをあげるなら、毎月50万件を軽く超えている。
カウントに入れていないアクセスを入れると、(というのも、すべてのホームページに、カウンタ
ーを置いているわけではないので)、もっと多いかもしれない。

インターネットの世界は不可思議な世界で、そこに読者の方がいるはずなのに、その実感が、
まったくない。
ゆいいつの手掛かりは、アクセス数という、無機質な数字のみ。
で、私はその「数字」に励まされながら、(実のところ、自分で自分を励ましながら)、今朝もこう
してエッセーを書き始めた。

もちろんみながみな、私に好意的というわけではない。
冒頭にあげた読者のように、私にかなりの反感を覚えている読者も多いはず。
が、それはそれ。
たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、そういう人たちの反感をいちいち気にしていた
ら、こうしてエッセーなど書けないし、公開もできない。
私は、私の道を行く。
書きたいことを書く。

……頭がボケ、使い物にならなくなるのも、それほど遠い未来ではないと思う。
事実、東大の薬学部長をしていたM先生(現在、鎌倉市在住)は、すでに家族の顔もわからな
いほどまでに、ボケてしまった。
あれほどまでに頭脳明晰であった教授でも、そうなる。

明日は我が身。
けっして他人事ではない。
だからこそ、書けるうちに書く。

「はやし浩司はバカ」と思う人も多いかもしれない。

(事実、バカだから、反論のしようがないが……。
あるいはこうして今、書いていることが、いつか、ボケていく人間の見本になるかもしれない。

いつだったか、絵画の世界で、そういう画家が紹介されていたのを、何かの本で読んだことが
ある。
その画家は、毎年、自画像を描いていた。
が、そのうちアルツハイマー病を発症。
彼の描く絵画は、年々、異様なものになっていった。

文章の世界で、それを私が証明することになるかもしれない。
が、それとて、ひょっとしたら、後世の人の役にたつかもしれない。
「はやし浩司の文章は、〜〜病とともに、かくのごとく変化していった」とか、など。)

ともあれ今朝は、「愛の原点」について、「憎」とからませ、考えてみる。
たまたま昨夜、床に入ってから、ワイフとそんな話をした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●二律背反(アンビバレンス)

 愛と憎。
愛が深ければ深いほど、それが転じて、一度、憎になると、その憎も深い。
昔から「愛と憎は紙一重」という。
(正確には、「愛憎は、紙一重」という。)
「可愛さ余って憎さ百倍(かわいさあまってにくさ ひゃくばい)」ともいう。
こうした二律背反の心理は、すでに幼児期に形成される。
その一例が、子どもの側から見た、母子分離不安。

 母親の姿が見えるところ、あるいは母親の存在を近くに感じているときは、穏やかな表情を
し、見知らぬ場所でも、探索行動を繰り返すことができる。
が、ひとたび母親がその場からいなくなると、極度の不安状態に置かれ、パニック症状を示
す。
たいていは、ギャーッとヒステリックに泣き叫び、母親のあとを追いかけたりする。
反対に、オドオドし、混乱状態になる子どももいる。
前者をプラス型とするなら、後者は、マイナス型ということになる。
数の上では、前者のほうが、圧倒的に多い。

 こうした一連の錯乱的な混乱症状を、母子分離不安という。

●母子分離不安

 母子分離不安は、子どもの側の限度を超えた不安が原因として、起こる。
が、中には、まったくそういった症状を示さない子どももいれば、反対に、母親に対して、暴力
的行動を繰り返す子どももいる。

 母児分離不安そのものは、よく見られる症状であり、それが一定の範囲内のものであれば、
むしろ好ましい症状と考える。
母子との間に、健常な基本的信頼関係が築かれていれば、どんな子どもでも、一度は経験す
る症状である。

●3様態

 そこで一般的には、母子分離不安を、つぎの3つに分けて考える。

(1)母親に対して、まったく情愛行動を示さない子ども。
母親がいても、いなくても、まったく平然とした様子で、見知らぬ場所でも、自分勝手な行動や
探索を繰り返す。

(2)母親の姿が見えなくなったりすると、不安状態になり、母親の後を追いかけたり、ときには
混乱状態にはなるものの、再び母親の姿を見たり、近くにいるのを感じたりすると、そのまま静
かに落ち着く。

(3)(2)と同じような状況になったとき、極度の不安状態に襲われ、激しく泣いたり、暴れたり
する。
   再び母親の姿を見たり、近くにいるのを感じたりしても、興奮状態がそのままつづき、母
親に対して、殴る、蹴るなどの暴力的行為を繰り返す。
(以上、参考「心理学用語」(渋谷昌三))。

●ホスピタリズム(施設児)

こうした3つのタイプは、母子間の情愛の深さによって、決まる。
情愛の深さを(1)(2)(3)の3つのタイプにあてはめて考えると、(1)は、情愛そのものが育
(はぐく)まれていない。
(2)は、情愛と信頼関係が、健常的に育っている。
(3)は、情愛は健常的に育っているが、基本的信頼関係は、育っていないというように考えら
れる。

従って(1)のようであることが、かならずしも、よいというわけではない。
親側の育児拒否、冷淡、無視などが日常化すると、母子の間に、十分な情愛が育まれず、
(1)のような症状を示すことが多い。
たとえば生後間もなくから、母親の手を離れ、育てられた子どもが、似たような症状を示すこと
はよく知られている。
ホスピタリズム(施設児)と呼ばれるのもそのひとつだが、さらに近年、「マターナル・デブリべー
ション(母性的情愛感の欠落)」という言葉も生まれ、問題になっている。

●包丁を投げつける

 ここでは(3)の症状について、考えてみる。
というのも、母子分離不安にかぎらず、子どもの世界では、まさに「愛と憎は紙一重」という現
象がよく観察されるからである。
一例として、かんしゃく発作がある。
私の印象に強く残っている事件に、こんなのがある。

 ある日、母親が、真っ青な顔をして、私の教室に飛び込んできた。
そしてこう言った。
「うちの子が、包丁を投げつけます」と。
年長(6歳)の女児だった。

話を聞くと、「ピアノのレッスン」という言葉が、キーワードになっていることがわかった。
母親がその子どもに対し、「ピアノのレッスンをしましょうね」と声をかけた瞬間、子どもは、突
発的に錯乱状態になる。

内圧された不安感が、その一言で、一気に爆発すると考えるとわかりやすい。
そのときも母親は、子どもに包丁を投げつけられた。
その様子が、尋常ではなかったため、あわてて母親は私のところへ飛んできた。

似たような現象としては、こんなのもある。

 たとえば、外の世界(幼稚園やおけいこ塾など)では、おとなしく、従順な子どもが、家へ帰る
と、まったく別人のように暴れたりする、など。
このばあいも、内面世界に抑圧された不満や不平が、家庭という、弛緩された場所で、爆発す
ると考えるとわかりやすい。
このタイプの子どもは、外の世界では、「いい子」と評されることが多く、そのつど、それを聞い
た母親は、戸惑ったりすることが多い。

これらの症状で共通するのは、母子関係はむしろ良好で、ふつう。
もしくはふつう以上に、心豊かな家庭環境であることが多い。
(かんしゃく発作そのものは、家庭教育の失敗が原因とみる。)
母親がとくに冷淡とか、子どもへの愛情が欠損しているというふうでもない。

●激変する子ども

 が、今度は子どもの側に視点を置いてみると、見方が一変する。
気分が落ち着き、穏やかなときは、ふつうの子ども以上の、やさしい情愛行動を母親に示す。
柔和な笑みと、満足そうな表情。
母親に対する気配りも、忘れない。
私が「一緒に家に帰るときは、お母さんの手をしっかりもってあげてね」などと言うと、素直にそ
れに従ったりする。

が、そんな子どもが、ときとして突発的に錯乱状態になる。
とたん、その子どもの表情、行動が、激変する。
それこそ、「母親に向かって、包丁を投げつける」ようなことを、平気でする。
が、こうした一連の子どもの心理を分析すると、そこに「愛」と「憎」が、同居しているのがわか
る。

●異質の愛

 話は少し脱線する。

 ここで私は「愛」という言葉を使ったが、この言葉を使うときは、慎重でありたい。
というのも、愛といっても、若い人たちがよく使う、「肉欲的な愛」も愛であり、老親の世話をする
ような、「献身的な愛」も愛。
同じ「愛」という言葉を使う。
が、中身は、まったく異なる。

また最近の脳科学によれば、母親が自分の子どもに対して感ずる「愛」について、それが人格
的な裏付けのある愛というよりは、本能的な愛であることがわかってきた。
つまりそこらのイヌやネコでも、その程度の「愛」はある……という範囲での「愛」であるというこ
とがわかってきた(失礼!)。

 もう少しわかりやすく説明すると、こうなる。

たとえば赤ん坊の泣き声を聞くと、母親は、(もちろん父親の多くも)、いたたまれないような高
揚した気分を味わう。
このとき脳内では、麻薬を得たときに反応する部分が、同じように反応していることがわかった
(ベイラー医科大学の研究チーム)※。

(注※……母親の反応)
時事通信、2008年7月13日は、つぎのように伝える。
『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似た
ような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー
医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した』(以上、時
事通信)と。
 
つまりこうした本能的な反応まで、「愛」に含めてよいかどうかということについて、私は、疑問
に思う。
あるいは、さらに言えば、キリスト教で説く「愛」、仏教で説く「慈悲」とは、区別して考える。

●破滅的な攻撃

 話を戻す。

 子どもはかぎりなく深い愛を、親に求める。
が、その一方で、それが満たされないと、一転、破滅的な方法を用いて、母親を攻撃する。
ふつうの攻撃の仕方でないことは、先にも書いた。
まさに相手を、「殺す」、もしくは、「相手が死んでも構わない」というような様子で、相手を攻撃
する。
その様子が、あまりにもふつうでなかったため、母親はあわてて、私のところへ飛んできた。

●アンビバレンス(二律背反)

 が、こうした不可解な子どもの行動も、こう考えると、理解できるようになる。

 つまり本能的な「愛」というのは、それ自体が、「憎」を含むものであるということ。
フロイト流に考えるなら、リビドー(性的エネルギー)と、サナトス(破滅エネルギー)ということに
なる。
ひとつの心理状態があるとするなら、それと対立的に、相反した心理状態があるという考え方
である。
フロイトは、こうした二律背反した人間の心理を、「アンビバレンス(二律背反)」と名づけた。
これもわかりやすく説明すれば、(相手を自分に同化させたい)という欲求そのものが、(という
のも、それはもともと不可能なことであるため)、その子どもの内部で、はげしく葛藤すると考え
ると、わかりやすい。

 もちろん、こうした現象は、子どもだけのものではない。
おとな、とくに精神的に未熟なおとなの世界でも、よく観察される。
わかりやすい例として、ストーカー行為を繰り返す、ストーカーがいる。
自分勝手な思い込みだけで、相手を、無理やり、自分の心と同化させようとする。

結論的に言い換えると、そもそも「憎」をともなう「愛」などというものは、キリスト教で説く「愛」、
あるいは仏教で説く「慈悲」とは、まったく異質のものであるということ。

さらに言えば、発達心理学の世界でも、「愛着行為」というように、「愛」という言葉を使うが、そ
れは愛でも何でもないということ。

(ただし英語では、「愛着行為」を、「Attachment」と言い、「愛」という言葉を使っていない。)

●親友夫婦

 とはいえ、「愛」は、常に「憎」を伴う。
男女の間であれば、年齢には、関係ない。
というのも、もともと男女の間では、肉欲的な愛が基本になり、その関係が始まる。
夫婦でも、「友だち夫婦」もしくは「親友夫婦」と言えるほどまで、その関係を昇華するのは、並
大抵の苦労では、できない。
というか、幾多の苦楽を共にしたあと、やがてそういう境地に達することができる。
そうでなければ、そうでない。
つまり共にできなければ、その段階で、関係は、終焉する。

●憎

 そこで私は自分の心の内部を見つめなおしてみる。
現在、時刻は午前6:42。
ワイフは、まだ床の中で眠っている。
すっかりバーさん顔になってしまった。
そういうワイフに対して感じている「愛」は、本物か、と。

 答は、残念ながら、「NO」ということになる。
たとえば何かのことで、言い争いになったりすると、私はワイフに対して、明らかに憎しみを覚
える。
一方、ワイフは、ワイフで、私に憎しみを覚えるという。
このことは、昨夜、眠る前に、ワイフにそう確かめたから、知っている。

「お前は、ぼくと喧嘩すると、極端に冷たくなるが、ぼくを憎んでいるからか」と聞くと、ワイフは、
それをあっさりと認めた。
「そうね、そういうとき、あなたも私も、別人になったように感ずる」と。

つまり「憎」を覚えるようであれば、仮に何十年、いっしょに生活をしてきたとしても、たがいの
間には「愛」はないということになる。
あるいは、それは「不完全な愛」と考えてよい。

●愛と憎は紙一重

 こうして今朝、私は、「愛」と「憎」について、ひとつの結論を出すことができる。
昔から、『愛と憎は、紙一重』という。
しかしこの諺の中で説く「愛」は、愛ではない。
それがたとえ子どもに向けられたものであっても、愛ではない。
本能的な、つまりは肉欲的な愛に過ぎない。

 同時にもちろん、母親に向けられたものであっても、それは愛ではない。
そもそもの誤解のもとは、同じ「愛」という言葉を使うところにある。
それが混乱を招く。
だからたとえば、『愛と憎は、紙一重』にしても、本来なら、『肉欲と憎は、紙一重』と言うべき。
子どもの「愛着行為」にしても、「欲着行為」と言い換えたらよい。
母子の間で見せる、あの情愛行動にしても、「情欲行動」と言い換えたらよい。

 それが今朝の、このエッセーの結論ということになる。

●付記
 
 愛というのは、それ自体が深遠なもの。
静かで、音もなく、その人を包む。
同時に、人を愛するというのは、苦しい。
苦しさを伴わない愛など、存在しない。

 よく若い男女が、「愛している」「愛されている」などという言葉を使う。
しかしそんなものは、愛でも何でもない。
ただの「情欲」。
情欲であることは、テレビのバラエティ番組に出てくる男女を見ていれば、わかる。
見るからに軽薄そうな男女でも、平気で、「愛」という言葉を使う。

 同時に、若い母親や父親が、自分の子どもに対して、「愛している」と言うときも、まずそれを
疑ってみたほうがよい。
発達心理学の世界には、「代償的過保護」という言葉もある。

 過保護もどきの過保護と考えればよい。

 ふつう「過保護」というときは、その底流に、親の深い、子どもへの(慈しみ)がある。
(思いやりの心)と言い換えてもよい。
が、代償的過保護というときには、それがない。
自分の子どもを自分の支配下に置き、自分の思い通りに子どもを動かそうとする。
自分の果たせなかった夢や希望を、子どもを利用して、実現させようとする。
(だからといって、子育てに夢や希望をもつことは悪いことではない。誤解のないように!)

よい例が、子どもの受験競争に狂奔する父親や母親。
「子どものため」と思ってそうするが、何も子どものためになっていない。
自分の身勝手な価値観を、子どもに押しつけているだけ。

 それを代償的過保護という。

 さらに私は、最近、「タイタニック・シンドローム(症候群)」という言葉を考えた。

●タイタニック・シンドローム

 あの『タイタニック』という映画が、今度は3D版になって、復活するという。
近く劇場で、公開される。

 が、私はしばらくは、3D映画は見ない。
とくにタイタニックのような長時間の大作は、目によくない。
そのことを、数日前、『スターウォーズ』を見て、知った。
途中で目が痛くなるほど、目が疲れた。
ああした動きの速い3D映画を、長時間見るのは、たいへん危険なことでもある。

 それはさておき、あの映画『タイタニック』を見て、それが人として、あるべき原点と錯覚した
人は、多いと思う。
あるいはそこに(人生の理想形)があると錯覚した人は、多いと思う。
だからというわけでもないが、最近の若い人たちの傾向として、ひとつ、気になることがある。

 「恋愛こそ、すべて」という価値観である。
(だからといって、恋愛を否定しているのではない。誤解のないように!)

 恋愛イコール、結婚……と突っ走ってしまう人は多い。
しかしたいていの恋愛は、熱病のようなもの。
うたかたの夢。
さらに言えば、脳内ホルモン(フェニルエチルアミン)のなせる業(わざ)。
そこらのイヌやネコでもしているようなことをしながら、それがすべての価値にまさる「愛」と思い
込んでしまう。
平たく言えば、裸でベッドの上で、転げまわっているだけ。
それを称して「愛」と。

 こうした一連の、錯覚現象を、私は「タイタニック・シンドローム」と呼んでいる。

●退いた視点

 さて、子育て。
「私は子どもを愛している」と思うのは、その人の勝手。
(私はそれを否定しているのでは、ない。誤解のないように!)
若いときの、体が燃えつくすような情熱とSxx。
それが「愛」と思うのは、その人の勝手。
(私はそれを否定しているにでは、ない。誤解のないように!)

 が、何ごとにも、節度と限度というものがある。
その節度と限度を超えたとき、溺愛になる。
過干渉も過保護も、さらには過関心も、それに含まれる。

 では、どうするか?

子育ては、いつも一歩退いた視点で、する。
見つめる。
ちょうど自分を、自分とは離れた視点で客観的にながめるように、子育てもまた客観的になが
める。
その作法を誤ると、結局は、子どもの心のみならず、自分の心さえも見失ってしまう。
そのひとつの例として、今朝は、「母子分離不安」をテーマにして、考えてみた。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 母子分離不安 アンビバレンス アンビバレント症候群 二律背反 はやし
浩司 愛と憎 愛憎 本能的な愛 愛着行動 アッタチメント はやし浩司 attachment ボウル
ビィ 子どもの情愛 はやし浩司 情愛行動)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

マターナル・デブリベーションとホスピタリズム
について、以前書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マターナル・デブリベーション(母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

 乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係にあるべき情愛の欠如を、「マターナル・デブリベーション」という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。

また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

 その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるにつれて、自分より弱い者をいじめたり、自分より弱い立場にある動物
を、虐待したりするようになる。

 さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

 もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリエイションが原因というわけではな
い。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。
所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 。
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 。

【その他質問、追加事項】 

抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続け
た。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われた。
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようにな
り 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言
葉)自分の存在が0になったと思い、全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。電話に出たり、ひとりで外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち
直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り
続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放される
と信じていたりして、自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽ
い奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、
心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、アマラ、カマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこ
む習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特
の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」※という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってき
た。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになってい
る。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の
発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。

ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、そ
れを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるにつれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐
待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってき
た。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされた
が、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという。
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

(注※……ホスピタリズム)

「心理学用語」(渋谷昌三)P192によれば、ホスピタリズムについて、つぎの1項目の症状をあ
げる。

(1)身体発育の不良
(2)知能の発達の遅れ
(3)情緒発達の遅滞と情緒不安定
(4)社会的発達の遅滞
(5)神経症的傾向(指しゃぶり、爪かみ、夜尿、夜泣き、かんしゃくなど)
(6)睡眠不良
(7)協調性の欠如
(8)自発性の欠如と依存性
(9)攻撃的傾向
(10)逃避的傾向
(以上、「心理学」より)。

●いじめの問題

 このマターナル・デブリエイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少
し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるにつれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐
待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし
た表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももい
る。

(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)

しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持すること
ができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要
がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子ども
がいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満
足げでおっとりした様子を示す。

人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえ
ば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デブリベーションという問題があるのは、わかった。
では、私はどうなのか?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難し
い。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
が、自分ではそれをふつうと思い込む。
私はやさしいとか、冷たいとか、客観的に判断できる人は、ふつうの世界では、いない。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれな
い。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、
そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この
「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、それと
も「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高
い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なこ
とではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということ
もある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もり
に関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エ
ンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたとする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デブリエイション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】(N小学校、分科会、レジュメ)

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはい
けない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが…
…。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性
が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分
に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物な
ど、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」
という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親
自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文
化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないよう
だ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひ
とつにもなっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セ
ルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切な
バロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかって
きた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなる
と言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。
それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。
たとえば、私の家には二匹の犬がいる。
一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。
これをA犬とする。
もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。
生後二か月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。
いつも人の顔色ばかりうかがっている。
私の家に来て、一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べ
ない。
愛想はいいが、決して心を許さない。
その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしまう。
そして腹が減るまで、戻ってこない。
もちろん番犬にはならない。
見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。
寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま寝そべっている。
庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。
おかげで植木鉢は全滅。
小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。
しかしその割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。
見知らぬ人が入ってこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。
いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、
それ以後、なかなか変わらないということ。
A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。
心に大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。
一見、愛想は悪いが、人間に心を許すことを知っている。
だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。
つまり人間を信頼している。
幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。
人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。
このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。
感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのク
セがつきやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。
相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。
一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。
許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため
精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。
「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どうもそれだけではなさそうだ。
相手の心に取り入るのがうまい。
相手が喜ぶように、自分をごまかす。
茶化す。
そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。
当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言えばそうだった。
親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。
……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。

他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。
「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。
私が私であって、私でない部分だ。
私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。
家庭崩壊、家庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。
しかしそれが問題ではない。
問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。
そして同じ失敗を繰り返す。
それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。
心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。
私のばあいも、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロー
ルすることができるようになった。
「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」
「もっと相手に心を許そう」と。
そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。
そこに教育の本当のおもしろさがある。
あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去をのぞいてみよう。
何かがあるはずである。
問題はそういう過去があるということではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それ
に引き回されることである。
またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。
あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということに
なる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 マターナルデブリエイション マターナル・デブリエイション 母子関
係 母性愛の欠落 ホスピタリズム はやし浩司 ホスピタリズム 症状 長畑 施設病 人間
性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子どもの依存性 幼児期前期 自律期 
幼児期後期 自立期)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●複合症状

 子どもを見るときむずかしいのは、症状が複合しているばあい。
あるいはひとつの症状であっても、その症状が、こじれているばあいもある。
たとえばAD・HD児。

 親が早い段階でそれに気づき、適切に対応していればよい。
が、実際には、無理に無理を重ね、症状を悪化させてしまうケースが少なくない。
中には、はげしい暴力、威圧、虐待を加える親もいる。
そうなると、同じAD・HD児でも、ちょうど複雑骨折のように、骨がどこでどう折れているかさえ、
わからなくなる。

 さらにAD・HD児に、別の問題、たとえば、かんしゃく発作、さらには、てんかん症が加わるこ
ともある。
こうして子どもの見せる症状は、ますます複雑になる。
症状が複合化するので、「複合症状」(はやし浩司)という。

●いろいろな例

 ほかにもいろいろある。

 たとえば同じかん黙児でも、それに親の情緒不安や精神不安が加わることもある。
親が、それを気にしすぎるあまり、子どもに手をかけ過ぎてしまう。
たいていはベタベタに溺愛する。

 このタイプの子どもは、たいてい、手がつけられないほどの、ドラ息子、ドラ娘になる。
外の世界で、自分を発散できない分だけ、内の世界(=家庭)で、粗放化する。
何か気にくわないことがあると、そのつど母親に包丁(包丁だぞ!)を、投げつけていた女児
(年長児)もいた。

 あるいはLD児。
タイプはいろいろある。
文字を読むことはできても、意味を把握することができない子ども。
漢字を覚えたり、単語を暗記するのが、極端に苦手な子ども。
脳の機能障害説が常識になっているが、それだけに無理をしても、意味がない。
が、親には、それがわからない。
わからないから、子どもを叱る。
「どうして、あなたはこんなことができないの!」と。

 そうでなくても、勉強は苦手。
その上、勉強に、恐怖心まで、もってしまう。
小学校の入学までに、一度、そういった症状を見せるようになると、以後、勉強が好きになると
いうことは、まず、ない。
(できない)→(逃げる)の悪循環の中で、ますます勉強から遠ざかっていく。

●知らぬフリ

 複合症状を見分けるのは、それほど、むずかしいことではない。
たとえばアスペルガー児が、本来のアスペルガー児特有の症状以外の症状を、併せもつこと
がある。
そういうときは、アスペルガー児特有の症状を、その子どもから削ってみればよい。
残ったのが、複合された部分の症状ということになる。

 が、問題は、どうすれば、それを親に、わからせることができるかということ。
私の立場では、症状名やその内容まで、話すのは、タブー。
あくまでも知らぬフリをして、指導に当たる。
たとえば親の強圧的、かつ威圧的な育児姿勢が、子どもの心をゆがめることがある。
アスペルガー児は、そういう点では、たいへん傷つきやすい。
殻に閉じこもり、がんこになる。
それを親が、はげしく叱る。
だからそれとなく、私は、こう言う。

「もう少し、お子さんを信じ、お子さんの立場で、ものを考えたらいいですよ」と。

 が、母親にはそれがわからない。
「うちの子ががんこなのは、根性が曲がっているから」と。
こうして症状は、ますます複合化する。
つまり複雑になる。

●10%のニヒリズム

 本来、子どものそばにいて、子どもを伸ばす立場の親が、子どもの伸びる芽を、かえってつ
ぶしてしまう。
こういうケースは、多い。
「私は学校の先生より、子どものことはよく知っている」「私のしていることが、いちばん正しい」
と豪語する親ほど、あぶない。
風通しが悪い分だけ、他人の話に耳を傾けない。
独断と独善の世界で、自己流の子育てを繰り返してしまう。

 が、私には、それがよくわかる。
手に取るように、よくわかる。
それだけではない。
その子どもの未来まで、ざっとわかる。
会った瞬間に、それがわかる。

若い親たちから見れば、私はバカに見えるかもしれない。
そういう目で私を見ていることさえ、私には、よくわかる。
「この親は、私をただの教師と思っている」と。
わかるが、私は、さらにバカなフリをする。 

 というのも、この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
親の方が、具体的に問題を提起し、それについて意見を求めてきたときだけ、それに答える。
この世界では、不用意に言った、ささいな言葉が、大問題になるということは、よくある。
だからこそ、わかっていても、何も言わない。
これを「10%のニヒリズム」という。
(「10%」でなくても、「20%」でもよいが……。)

 つまり切るべきところは切り、あとは親に任す。
もともと「親」というのは、そういうもの。
自分で失敗してみて、はじめて気がつく。
それまでは、聞く耳すら、ない。

●「私は無知」

 では、どうするか。
 
 これについては、何度も書いてきた。
要するに、自分たちを取り巻く「殻」を取り除き、風通しのよい家庭環境を作る。
さらに言えば、「私は無知」を前提に、謙虚になる。

 指導する側でいちばん困るのが、子どものことで何かを告げようとしたとき、すぐ反発してくる
親。

私「最近、元気がありませんが……」
親「家では、ふつうです」
私「愛情不足ということはありませんか」
親「いえ、子どもたちは、みな、平等にかわいがっています」
私「学習面で、無理をしているようなことはありませんか」
親「ありません」と。

 とくに学校の先生には、謙虚になったほうがよい。
教育のプロということはもちろん、先生は、いつも多人数の子どもたちの間で、比較しながら、
あなたの子どもを見ている。
その(比較)が、大切。
つまり客観的に、その子どもを見ることができる。
が、親には、その比較ができない。

 そのためには、聞き上手になること。
もう一歩、話を進めれば、自分の子どもでも、他人と思うこと。
距離を置けば、自分の子どもでも、客観的に見ることができるようになる。

 そんなわけで、「私は無知」を恥じてはいけない。
親は、みな、無知。
無知であるのが、当たり前。
学校でも、育児について学ぶ時間というのは、ほとんどない。
(最近は、それを教えるようになったが……。)
が、そんな程度で、育児がかかえるさまざまな問題に対処できるようになるということは、ありえ
ない。

 だから結論は、どうしても、こうなる。
「謙虚になりなさい!」と。

●対処法

 「複合症状」という言葉は、私が考えた。
が、その「複合」といっても、2つとか、3つ程度の複合は、当たり前。
中には、さらに4つとか、5つも複合することがある。

 組み合わせ論的に考えるなら、それこそ、子どもが見せる症状は、千差万別ということにな
る。
が、ていねいに分析していけば、やがて混乱したコードをほぐすように、やがて症状を分離し、
類型化することができる。
と、同時に、千差万別に見える子どもも、単純な組み合わせでそうなっていることがわかる。

 そこで私がすることは、類型化した「型」に優劣をつけ、また直しやすい部分から、直してい
く。
一方、簡単には直らない部分もある。
脳の機能や器質にかかわるような問題は、簡単にはなおらない。
ゆいいつできることがあるとすれば、「それ以上、症状を悪化させない」ということ。
消極的な対処法だが、あとは「時」を待つ。
どんな子どもにも、成長とともに、自分を正していくという能力が備わっている。
それを信じ、それを引き出す。
冒頭にあげたAD・HD児にしても、症状さえこじらさなければ、成長とともに、やがて落ち着い
てくる。
見た目の騒々しさなどは残ることはあるが、それとてその子どものコントロール下に置かれる
ようになる。
つまり自分で自分をコントロールすることができるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 複合症状 複雑化する子どもの
症状)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きる意味・高校生との会話】(はやし浩司 2012−03−23)

●今日は雨

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 朝起きると、野鳥たちが、私を待っていた。
庭を取り囲んでいた。
近くの木々や、隣の屋根の上にいた。
スズメ、ヒョドリ、ムクドリ……。
最近は、カラスまで来るようになった。
ついでに、どこかの飼い猫とリスまで来るようになった。

 「まだ6時ごろかな……」と思って起きたら、8時半!
外は雨だった。
重い雲が低く垂れ、春雨というよりは、梅雨時のような雨。
かなりはげしい雨だった。

腹をすかせているのだろう。
野鳥たちは、私を見ても、逃げようともしなかった。
そのあたりを飛び回っていた。
それを知り、私は、小走りに、あちこちに餌をまいた。

居間に戻ると、ランニング・マシンを庭に向けた。
野鳥たちが餌を食べるのを見ながら、まず30分。
ほどよい汗をかく。

今日も、こうして始まった!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原稿

 書斎に入ると、すぐ原稿のチェック。
F雑誌社からのものと、J工業会(機関誌)からのもの。
J工業会からのものは、44行分、削除してくれというものだった。
が、こういう作業が、いちばん、つらい。

「ふやせ」というのは、楽。
「減らせ」というのは、つらい。
原稿全体がもっている、バランスを崩してしまう。
原稿というのは、そういうもの。

 あとは昨日撮った、教室の動画を1本、YOUTUBEにUPする。
が、それだけで午前中の大半が、終わってしまった。

●ドーパミン

 ドーパミン(脳内ホルモン)が、かなり低下しているらしい。
もろもろの欲望が、わいてこない。
というか、気力がわいてこない。
……しぼんでしまっている。

こういうときは、何らかの方法で、(欲望)を刺激するのがよい。
もっとも簡単な方法は、物欲。
物欲を刺激する。

私のばあい、複雑な電子製品が効果的。
分厚い取り扱い説明書を見ただけで、ゾクゾクする。
これは、私の病気のようなもの。

 買い物依存症の人の、それと同じ。
そういう受容体が、線条体にできてしまっている。
わかりやすく言えば、ニコチン中毒や、アルコール中毒の人と同じ。
脳の中で、条件反射が起きる。
メカニズム的には、同じ。

●刺激

 が、今は、欲しいもの自体が、思い浮かばない。
これといって、欲しいものがない。
が、あえて言えば、パソコンということになる。
超・高性能のパソコン。
が、もうすぐWINDOW8マシンが売り出される。
それまで、がまん。

 ほかに……私は持ち物には、ほとんど興味がない。
車にも、ない。
あるとすれば、カメラか時計ということになる。
が、どれも家の中にゴロゴロしている。

 ワイフは、「旅行がいい」と、さかんに言う。
しかしそれも、少し疲れた。
旅先での睡眠調整に苦労する。
よいホテルや旅館になると、湿度も調整できるようになっている。
枕もいろいろなタイプのものが用意してある。
そうでないと、そうでない。
エアコンだけだと、空気がカラカラになる。
枕がちがうと、安眠できない。
それでいつも、夜中に目が覚める。

 で、来週は、講演を兼ね、伊勢志摩に行くことになっている。
そのあと、今度は方向を北に向け、飛騨の高山に行くことになっている。

 旅行に出かける前は、いつもこう思う。
「旅行をやめて、家でのんびりしていたい」と。

 しかし出かけてみると、「来てよかった」と。
意識が180度、ひっくり返る。
だから旅行に、行く。
それが脳の刺激になる。
そう、我ら老人組は、常に自らを刺激する。
刺激しながら、ボケを防止する。

●教室で

 教室へ入ると、ワイフが、缶ジュースを2本、買ってきた。
が、そのうち1本が、ゼリー・ジュース。
「よく振ってから、お飲みください」という注意書きがあった。
このタイプのジュースは、最初によく振り、中のゼリーを粉々にしてから飲む。
ワイフは、それを読まなかった。

だからプルタブを抜いてからが、一苦労。
箸でつつきながら、チビチビと飲み始めた。

 そういうワイフを見ながら、私はこう話してやった。

「B起したPニスを、昔、ブルブルと振った男がいてね。それで中の海綿体がバラバラになって
しまったそうだ。そのあとその男のPニスは、使い物にならなくなってしまっというよ」と。

(B=勃、P=ペ。Blogには使用禁止用語というのがある。)

 ワイフは、一度は「ウソッ!」と言ったが、どこか本気にしたような雰囲気。
そのまま何やら深刻な顔つきになってしまった。

「60歳を過ぎたバーさんが、そんなことも知らなのか」と思ったが、それは言わなかった。 

●夢と失望

 昨夜、高校生たちと、こんな議論をした。
東大の入試問題(英文)を訳させていたときのこと。
こんな英文があった。

『……夢も失望も、幻想。年を取ると、それがよくわかる。夢にうつつを抜かすこともなくなる
が、一方で、失望したからといって、それで傷つくこともない……』と。

 すかさずNさんが、こう言った。
「夢をもつことは、幻想ということ?」と。
私も、すかさず、こう答えてやった。
「いいや、夢をもつことは重要。夢がその人を動かす原動力となる。が、人は、その夢と失望を
何度も繰り返したあと、こう気がつく。それが幻想であった、とね。が、それは、それ。だから今
は、迷わず、あなたはあなたの夢を追求したらいい。」と。

 まず、何ごともやってみる。
懸命にやってみる。
失敗を恐れてはいけない。
バカだ、アホだと言われても、まず、やってみる。
たとえそれが無駄とわかっても、失敗ということにはならない。
大切なのは、そのプロセス。
ドラマ。
そのドラマに、価値がある。
生きる価値がある。
あのトルストイも、そう言っている※。

 で、その結果として、夢や失望が、幻想であったことを知る。
が、誤解してはいけない。
だからといって、その人の人生が無駄だったということにはならない。
幻想とわかったとき、人は、はじめて、なぜ今、ここに生きているか、その意味を知る。

 最初から、何もしない人には、それがわからない。
懸命に生きたことがない人には、それがわからない。
わからないまま、ただの凡人として、この世から去っていく。

 その問題は、そのあたりまで読み込まないと、設問には答えられない。
「さすが、東大の入試問題」と、私は感心した。

(注※)(中日新聞に発表した原稿より)

『……生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこ
と。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●高校の同窓会

 高校の同窓会の案内が届いた。
それはそれとして、こんなことを考えた。
「もし、あの美濃町に居を構えるとしたら、どこがいいか?」と。

 その前に、美濃町について。
(正式には、「美濃市」だが、私は「美濃町」と呼ぶほうが、好き。
牧歌的な温もりを覚える。)

 美濃町は、昔から美濃和紙の集散地として知られている。
ミニチュア京都と呼ばれるほど、古い町。
北側に、長良川が流れ、三方を山に囲まれている。
私の実家は、その美濃町の旧市街、その西のはずれにあった。

 で、私が好きなのは、南の山のふもと。
松森山という小さな山がある。
その手前。
現在の美濃第一中学校のあるあたり。
なだらかな丘陵地帯になっていて、そこからは美濃町の町が、一望できる。

 今度、同窓会に出たら、帰りにでも、あのあたりで、土地をさがしてみる。
終(つい)の棲家(すみか)というほど、大げさなものではない。
が、晩年のうち、何年かでも、そこに住めたら、うれしい。
今、ふと、そんなことを考えた。

 ……いつもは、美濃町へ行くたびに、長良川沿いにある、緑風荘という旅館に泊まる。
昔は高級旅館だった。
その面影は、今でもしっかりと残している。
が、今は、1泊、1万円前後で泊まれる。
その気軽さが、うれしい。

 ……と書くと、同窓会に出席、ということになるが、今のところ未定。
4月に入ると、毎年、講演の依頼が、入る。
その成り行きをみてから、決める。

そんなわけで、ハガキには、一応、(出席)に丸をつけたが、まだ投函していない。

●満光寺

 たった今、こんなメールが、入った。

山荘の近くに、満光寺(まんこうじ)という寺がある。
徳川家康の命を救ったこともあるという、由緒ある寺である。
その寺で撮った写真について、愛知県観光協会発行の「旬感観光あいち」編集部より、写真転
載の申し込みがあった。
「5月号の表紙に使わせてもらえないか」と。
私のHPに載せている写真である。
「その写真を、使っていいか」と。
こんな依頼は、はじめての経験。

すかさず、「はやし浩司のクレジットを、どこかに入れてくれるならOK」という条件で、許可し
た。
私にとっても、たいへん光栄なことである。

……と同時に、その写真に見入る。
ワイフと2人で、その寺へ行ったとき、撮った写真である。
観光スポットとしては、ほとんど知られていない寺である。
もう何回か行ったことがあるが、いつもガランとしている。

庭園のすばらしさは、この写真の通り。
右横に座っているのは、私のワイフ。
その近くにある龍潭寺に勝るとも劣らない、庭園を、無料で、楽しむことができる。
 
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/6861865608/" title="img392 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7062/6861865608_
7dbedf965e.jpg" width="500" height="375" alt="img392"></a> 

●さて、仕事

 午後は、パン2切れに、ジャムをつけて食べた。
それだけ。
2週間で、やっと2キロの減量。
……と油断していたら、また1キロ、太っていた。

 たいしたものは食べていない。
しかし太る。
食べたら、食べた分だけ、太る。
それが私の体質。

プラス、このところ運動をサボっている。
1日、30分のウォーキングだけ。

 寒い日は、何をやるにも、おっくうになる。
それがいけない。

 では、今日も1日、がんばる。
春休みも近い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【付記】(中日新聞の記事より)

【高校野球】(トルストイの言葉)

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。
輝く。
その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。
生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。
たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからで
はないのか。
たかがボールのゲームと笑ってはいけない。
私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。
「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一
体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。
幻想的なミュージカルだった。
あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。
「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。
私もこの問題について、ずっと考えてきた。
そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒント
を見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸
福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこ
と。生きること。
愛すること。
信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。
一球一球に全神経を集中させる。
投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。
応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。
命がけだ。
ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。
一瞬時間が止まる。
が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。
そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。
つまりそこに人間の生きる意味がある。

いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。
生きる価値をもつ。
言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。
夢も希望もない。
情熱も闘志もない。
毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわから
ない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私
たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。
あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。
感動もない。見るほうも、つまらない。
そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。
人生もそれと同じ。

そういう人生からは、結局は何も生まれない。
高校野球は、それを私たちに教えてくれる。
(中日新聞・発表済み)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●複合症状

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜、寝る前に、濃いお茶を飲んだ。
それがよくなかった。
床に入ってから、……それまではかなり眠かったのだが、頭が冴えてしまった。
で、1〜2時間、がんばったが、ギブアップ。
そのまま起きて、書斎へ。
時計を見たら、午前1時半だった。

やることもないので、雑誌(「週刊・ダイアモンド)に目を通す。
眠られぬ夜は、経済誌がいちばんよい。
10人の識者がいれば、10色の意見が出てくる。
それがおもしろい。

で、目を通しながら、パソコンを立ちあげ、Bloombergを開く。
開いたとたん、思わず、お茶をプーッと吹きだしてしまった。

「ギリシャの新国債の金利、20%を超える!」と。

少し前、80%近い、借金の棒引きをしたばかり。
「これでギリシャ問題は、何とかなった」と喜んでいた矢先の、20%!
(金利が、20%だぞ! そんな借金、返せるわけがない!)

わかりやすく言えば、元の木阿弥。
ギリシャの金融危機問題は、何も解決していない。
が、そこへもってきて、今度は、ポルトガルがおかしくなり始めた。

だれかが得をすれば、だれかが、損をする。
経済の世界は、そういうもの。
が、おかしなことに、損をした人が意外と少ない?
それもそのはず、世界の国々は、目下、札の印刷競争をしている。
札をばらまいている。
EUも、アメリカも、そしてアジア各国も。

足下の日本も、例外ではない。
現在、日本の株価は、バブル状態。
1万円の大台を越えたと、はしゃいでいるが、中身はガタガタ。
不気味なのは、海外の投資家が、日本の国債を買い始めていること。
そういった連中は、いったんことあれば、平気で今度は売り手に回る。
そのときが、こわい。

結局、再び床に入ったのが、午前4時ごろ。
起きたのが、8時半ごろ。
先ほどまでランニングマシーンの上で、一汗かいた。
そのあと軽い朝食をとり、そのまま書斎へ。
今日の予定は、とくになし。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高校の同窓会

今度、高校の同窓会がある。
前回、出席させてもらってから、もう15年近くになる。
15年!
年数を計算し、改めて、驚く。

 現在、年賀状を交換しているのは、同窓生の中でも、宮崎K君と森H君だけ。
その森君が、岐阜県でももっとも権威ある賞の、その大賞を受賞したとか。
宮崎君から、その祝賀会をかね、同窓会を開こうという連絡が入った。
私にとっては、何としても出席しなければならない同窓会である。

 ……森君といえば、まっさきに思い浮かぶのが、プラモデル。
小学生のころのことだと思う。
彼の2階の、道路に面した部屋で、大きなプラモデルを見せてくれた。
それが私には、たいへんうらやましかった。
どうしてだろう?
どうしてそんなことを真っ先に思い出すのだろう。

 宮崎君というと、柔道を思い出す。
宮崎君の叔父にあたる人だったと思う。
中学生のとき、3年間、その男性に、柔道を習った。
ただ宮崎君本人は、道場には来ていなかったと思う。

 みんな元気なのだろうか?
この浜松に住んでいると、情報は、まったくといってよいほど、入ってこない。
1人、こまめに連絡してくれた友人がいたが、彼はこの10年間、病院に入ったままという。
家族、つまり彼の母親とは、ときどき電話で話す。
それ以前は、奥さんと話していたが、現在は、その電話番号は使われていない。
数年前、中学の同窓会があった。
そこでそれとなく聞いた話では、離婚しているらしいとのこと。

 興味があるのは、女性軍(失礼!)。
私たちのクラスには、美しい人がそろっていた。
もっともそれに気づいたのは、高校を卒業してから。
それまでは気がつかなかった。
そういう人たちは、どうなったのだろう。
今でも、みんな昔のままなのだろうか。
不謹慎な意味で、(本当に不謹慎だが……)、たいへん興味がある。

●夫婦同伴

 日本では、パーティというと、(同窓会も含めてだが)、単独出席が当たり前。
一方、欧米では、夫婦同伴が、当たり前。
欧米のほうがよいというわけではない。
しかし夫婦同伴というパーティがあっても、よいのではないか。
あるいは、みなで簡単な旅行をする、とか。
バスを借り切って、どこかへ行く……。
いいね!

 飲んで、食べて、カラオケを歌って……。
あとはワイワイと騒ぐ。
同窓会というと、そんなイメージというか、「型」が決まっている。
親戚が集まる、親類会、いとこ会、OB会……。
みな、そうだ。

●人間関係

 同窓会のよい点といえば、上下関係がないこと。

ふつう人間関係は、(1)対立関係(けんか状態)、(2)調和関係(仲良し関係)、(3)専制関係
(上下関係)、(4)分離関係(心の通わないバラバラ関係)に分類される。

 もちろん高校生だった当時には、こうした関係が、色濃くあった。
が、それから40数年。
今さら、「関係」もあったものではない。
そこに「死」がまっている。
それに、私も含め、みな、おおかたの人生を終えている。
今、こうして生きているだけでも、御の字。
上下関係がどうのこうのと言っている方が、おかしい。
みな、平等。
その平等感がよい。

 ……帰りには、岐阜市の旅館に一泊するつもり。
長良川沿いには、よい旅館やホテルが並んでいる。

●女性

 そう言えば、女性というのは、30歳くらいを境に、顔が変わってしまう。
35歳を過ぎると、20歳前後の面影が、完全にと言ってよいほど、消えてしまう。
本来なら、こういうことはありえないはず。
遺伝子はそのまま。
どうしてだろう?

 一方、男性というのは、あまり変わらない。
街で会っても、その人と、すぐわかる。
20歳前後の面影を、しっかりと残している。
どうしてだろう?

 ……先ほども、近所の家の中へ、1人の女性が入っていった。
ワイフに、「あの人は、だれ?」と聞くと、「娘さんよ」と。
「わからなかったよ」と言うと、「あの娘さんも、年を取ったからね」と。

 若いころの娘さんの印象は、残っている。
ほっそりとした、かわいい女性だった。
その女性も、今では、まったくのオバサン姿。
ズングリとした体型。
ポッテリとした顔。
目の周りだけが、昔の面影を残していた。

 もし別の場所で会ったら、その人と、私にはぜったいわからないだろう。

私「女性は、どうしてああまで変わるのかな?」
ワ「そんなことないわよ。男性だって変わるわよ」
私「そうかなあ……。いくら年をとっても、ぼくには、わかるよ」
ワ「それまでの生活によるんじゃ、ないの?」と。

●脳

 その点、脳細胞は、再生しない。
死滅する。
その一方。
だから、脳細胞は、昔のままを保つことができる。
性格も性質も、昔のまま。

 もし脳細胞が、再生するようなことがあれば、性格や性質が変わってしまうかもしれない。
情報の伝達が、そこまで正確になされるとはかぎらない。
言い換えると、だからこそ、10年たっても、20年たっても、私たちは昔のままで、たがいに会う
ことができる。

 ただし、死滅する分だけ、バカになる。
「バカ」という言葉に語弊があるなら、ボケる。
そのボケるのが、心配。

 大学の同窓会でも、まず最初の会話がこれ。
「あいつ、だいじょうぶか?」と。

 「だいじょうぶ?」というのは、脳のほうのことをいう。
少し様子がおかしいと、まず、それを聞く。
こういうことを調べるのは、不謹慎きわまりない。
しかし興味があるので、調べてみる。
年齢別、ボケ老人の割合。

●年齢別、ボケ老人の割合

 平成4年の老計第29号によれば、つぎのようになっている。

(認知症患者の出現割合)

65〜69歳……1・5%
70〜74歳……3・4%
75〜79歳……7・1%
80〜84歳……14・6%
85歳以上 ……27・3%

 なおここでいう認知症患者というのは、介護が必要な患者をいう。
つまりかなり重症ということ。
私や私のワイフ程度のボケ老人まで含めたら、その数は、10倍以上になるのでは?

 恐ろしいことに、この10年間だけでも、ボケ老人の割合は、減るどころか増えているという。
別のサイトには、そうあった。

●自覚

 認知症の怖ろしいところは、それを的確に自覚できないこと。
エーザイ(製薬)HPには、つぎのようなチェックテスト項目が並んでいる。

●同じことを何度も言ったり、聞いたりする 
●慣れているところで、道に迷った 
●財布を盗まれたと言ってさわぐ 
●以前よりだらしなくなった 
●夜中に起き出して騒いだ 
●置き忘れや、しまい忘れが目立った 
●計算の間違いが多くなった 
●ものの名前が出てこなくなった 
●水道の蛇口やガス栓の締め忘れが目立つ 
●ささいなことで怒りっぽくなった 
●時間や日付が不確かになった 
●日課をしなくなった 
●以前はあった関心や興味が失われた 
●以前よりもひどく疑い深くなった 
●薬の管理ができなくなった 
●テレビドラマの内容が理解できない

 しかしこんなテストをしても、意味がない。
仮にこのテストで「あやしい?」と思っても、それは「自覚」とはちがう。
(もちろん自分以外の人のことを、診断するのには、役に立つ。
「うちのバーチャン、最近おかしいわね」と。)

 どうすれば、自分のボケ度を自覚できるか。

●ボケの自覚

 私のばあい、つぎのようにして、自覚するときがある。

 たとえばこうして毎日、原稿を書いていると、ときどき以前、書いたのと同じテーマで、書くとき
がある。
そこでネットで検索をかけてみる。
(検索しやすいように、私のばあい、原稿の末尾に、検索キーワードを並べることにしている。)

 すると、10年前に書いた原稿が出てきたりする。
タイトルも同じ……ということは、よくある。

 そこでその原稿を開き、現在書いている原稿と、読み比べてみる。
それでボケの進行度を、自分で知ることができる。

 あるいは、そのつど新語に出会う。
英語の単語でもよい。
そういった新語や単語については、その場で脳の中に叩き込む。
これを「記銘」という。

 が、50歳を過ぎてから覚えた言葉や単語というのは、あっという間に忘れてしまう。
その期間とか、割合で、自分のボケ度を自覚することができる。

 それによれば、私の脳みそも、かなりあぶない。
65歳を過ぎると、1・5%程度の人が、介護が必要なほどまでにボケる。
そこで予防ということになる。

●運動と予防

 が、最近、本当に最近、私はこんなことに気がついた。

 私は暇があれば、テレビのニュースを見ながらでも、ウォーキングマシンの上で歩いている。
そんなときのこと。

運動をし、一汗かいてから、キーボードを叩くのと、運動をしないまま、キーボードを叩くので
は、調子がまるでちがう。
運動をしたあとだと、パラパラとキーボードを叩くことができる。
運動をしていないと、モタモタ……という感じになる。
打ちミスもおおくなる。
微妙なちがいなのだろうが、その(ちがい)が、よくわかるようになった。

 ボケ防止のためには、脳みその運動のみならず、肉体の運動も重要である。

●脳梗塞

 が、認知症もさることながら、直近では、血栓性脳梗塞、あるいは微細脳梗塞も心配である。
総じてみれば、大酒飲みやヘビースモーカーの人には、頭の活動が鈍い人が多い。
50歳を過ぎるころから、「?」と思うようになり、60歳を過ぎるころから、それがはっきりとしてく
る。
だれにでもそれとわかるようになる。
たとえば……。

●反応が鈍くなる
●話し方がかったるくなる
●繊細な会話ができなくなる
●内容が通俗的になってくる
●「ア〜」「ウ〜」という間投詞(擬声語)が多くなる
●ささいなジョークに、ことさら大げさに反応する、など。
(以上、はやし浩司)

 最近の研究によっても、飲酒が脳そのものを委縮させる、またスモーキングは、感情の抑揚
を平坦化させるということがわかっている。
脳みその健康を保つのも、楽ではない。……ということらしい。

●回顧主義(懐古主義)

 できれば、こう願う。
 
 同窓会といっても、回顧主義的なものであってほしくない。
会って話をしたい人がいるとすれば、現役でまだがんばっている人。
そういう人たちと、情報を交換したい。
健康法なり、日常の過ごし方、など。

 「あのときは、こうだった」式の話には、興味はないし、そんなことならいくら話しあっても、意
味はない。
まだ、この先人生は、長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。
どうせ生きるなら、前向きに、生きた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。

 ということで、同窓会の話は、ここまで!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 同窓会 武義校同窓会 武義高校同窓会 はやし浩司 同窓会論 高校
の同窓会 同窓生 はやし浩司 2012ー03−25)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●小1,2年生に、「時速」と「距離」を教えてみる。

少し意気込んで・・・小学1年生と2年生に、「時速」と「距離」を教えてみました。
結果は、「まだ理解できないな」という印象をもちました。
こうしたレッスンは、教える側の私が、かなり意気込まなければ、失敗します。
が、その私は、この日花粉症がひどくで、たいへん調子が悪かったです。
それに薬のせいか、眠くてたまりませでした。
4月にもう一度、教えてみます。

I teach here in the video, Km.p.h. to children of Age 6,7,&8. Hiroshi Hayashi Hamamatsu 
Japan 2012

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/02iqYhZj45Y" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【仮面をかぶる、親と子】

●仮面親子

「仮面夫婦」という言葉がある。
表面(おもてづら)だけは、何とか、取り繕っている。
見た目には、仲のよい夫婦。
しかし互いの心は、バラバラ。
いちばんの特徴は、互いの悲しみや苦しみを、共有できないということ。
いざというときに、顔をそむけてしまう。

 夫が息子たちと言い争いになった。
一方的に、息子が夫に向かい、はげしい暴言を吐いた。
そのときのこと。
何かの拍子に、息子が、夫(息子の父親)の胸ぐらをつかんだ。
つかんで、片方の手で、夫を殴ろうとした。

が、その妻(息子の母親)は、それを止めようとしなかったばかりか、立ったまま、それを上か
ら見ていた。
顔には、意味のわからない笑みまで浮かべていた。

 あとで夫がそのことで、妻に問いただすと、妻は、平然とこう答えたという。
「本当に殴るとは思っていなかったから……」と。

 さらにこんなことも。

 ある日、何気なく、夫が妻にこう聞いたという。
「お前は、ぼくのことを愛してないだろ」と言うかわりに、「ぼくは、お前のことを愛していると思う
か」と。
そう聞いた。
すかさず、妻は、こう答えたという。
「あなたは、私を愛していないわ」と。

 こういうのを心理学では、「投影」という言葉を使って説明する。
つまり自分の心を相手に、そのまま投影※させる。
「私があなたを嫌っているのは、あなたが私を嫌っているから」と。

 自分の中の好ましくない評価を、それを相手のせいにして、自分を正当化する。
その妻は、子どものころから、心を開けない女性だったよう。
それもあって、夫にすら、心を開くことはなかった。
が、自分がそうであるのは、「夫が悪いから」と。

 つまり妻は、「自分が夫を愛していない」とは言えなかった。
それで「あなたは私を愛していない」という言い方で、自分の心を表現した。

(注※……投影)
 『自分のもっている不都合な欲求や、好ましくない事象を、他人に転嫁すること。被害者意識
の強い人は、投影をよく使います』(心理学用語・渋谷昌三)と。

 同じように、「仮面親子」というのがいる。
「仮面夫婦」というのは、よく論じられる。
しかし「仮面親子」というのは、あまり話題にならない。
「仮面親子」という言葉そのものは、あちこちで使われている。
が、アカデミックな意味では、あまり話題にならない。
数は、かなり多いと思われるのだが……。

●仮面親子

 見るからに母親は、子ども思いのよい人に見える。
子どもの世話も、よくしている。
やさしそうで、穏やか。
教養もあり、話し方も知的。

 が、子どもの評価は、まったく、違う。
母親のことを、「鬼ババ」と言う。

 最初、H子さん(小4)が、そう言ったとき、私は、冗談かと思った。
それでフフフと笑い、相手にしなかった。
とたん、H子さんが、キレた。
プリントに書き始めていた答を、鉛筆で、ゴシゴシと塗りつぶし、そのまま紙に穴をあけてしまっ
た。

 しばらくしてから、こう聞いた。

私「おうちで、いちばん、こわいのはだれかな?」
H「お母さん……」
私「どうして?」
H「勉強しないと、私を叩く……」
私「叩くの?」
H「テストで悪い点を取ってくると、私を叩く……」と。

 母親の気持ちはともかくも、H子さんの心は、完全に母親から離れていた。
が、母親自身は、それに気づいていない。
こういうケースは、多い。
称して、「仮面親子」。

 その「仮面親子」と言えば、最初に思いつくのが、イプセンの『人形の家』。
主人公のノーラは、いい子ぶることで、少女時代を過ごす。
つまり仮面をかぶったまま、少女時代を過ごす。
「私は人形子でした」と。

 そしてその状態は、結婚してからも、つづく。
今度は、夫の前で、いい妻を演ずる。
が、やがてそれも限界にくる。

 ある日、ノーラは、夫のもとを去る。
そのときはじめてノーラは、仮面を脱ぎ去ることができた(?)……というところで、物語は、終
わる。

●故郷

 仮面をかぶったまま、「いい子」を演ずる。
が、親には、それがわからない。
わからないから、「うちの子はいい子」と思い込む。
思い込んだまま、子どもの心を見失う。
子どもの心が、まったく別の方向を向いているのに、気づかない。

 私にも、こんな経験がある。

 ……私は中学校へ入るころから、あの郷里の美濃の町が嫌いだった。
息苦しく、自分の居場所すらなかった。
だからいつも、こう考えていた。
「おとなになったら、この家を出よう」と。

 しかしある日、それは私が高校生くらいになってからのことではなかったかと思うが、母が、こ
う言った。
「ここは、お前の故郷(ふるさと)だからな」と。
私はその言葉に、心底、ぞっとした。
美濃の町を、「故郷」という思いで、ながめたことは、それまでにも、一度もなかった。
それで、ぞっとした。

 母は母だったが、私の心の奥底を、まったく理解していなかった。
(今から思うと、それもしかたのないことだったかもしれないが……。)

 もし今、あなたがこう思っているとしたら、それはどうかな?

「私は子どもを愛している。
人一倍、愛している。
私と子どもの絆は、太い。
子どももまた、私の愛を理解してくれている。
私たちは、すばらしい親子だ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●離れる子どもの心

●心の別室論(Another Room in the Mind)

人間には、自分にとって都合の悪いことがあると、心の中に別室を作り、そこへ押し込めてしま
うという習性がある。

心理学では、こうした心理操作を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
「心の平穏を守るために自らを防衛する機能」という意味で、「防衛機制」のひとつと考えられて
いる。

その防衛機制は、つぎの7つに大別される。

(1) 抑圧
(2) 昇華
(3) 同一化
(4) 投射
(5) 反動形成
(6) 合理化
(7) 白日夢(以上、深堀元文「心理学のすべて」)

 この中でも、「不安や恐怖、罪悪感などを呼び起こすような欲求、記憶などを無意識の中に
閉じ込め、意識にのぼってこないようにする」(同書)を、「抑圧」という。

つまり心の別室の中に、それを閉じ込め、外からカギをかけてしまう。
よく「加害者は害を与えたことを忘れやすく、被害者は害を受けたことをいつまでも覚えている」
と言われる。

(そう言っているのは、私だが……。)

この「加害者は害を与えたことを忘れやすい」という部分、つまり都合の悪いことは忘れやすい
という心理的現象は、この「抑圧」という言葉で、説明できる。

が、実際には、(忘れる)のではない。
ここにも書いたように、心の別室を作り、そこへそれを押し込んでしまう。
こうした心理的現象は、日常的によく経験する。

 たとえば教育の世界では、「おとなしい子どもほど、心配」「がまん強い子どもほど、心配」「従
順な子どもほど、心配」などなど、いろいろ言われる。
さらに言えば、「ものわかりのよい、よい子ほど、心配」となる。
このタイプの子どもは、本来の自分を、心の別室に押し込んでしまう。
その上で、別の人間を演ずる。
演ずるという意識がないまま、演ずる。
が、その分だけ、心をゆがめやすい。

 これはほんの一例だが、思春期にはげしい家庭内暴力を起こす子どもがいる。
ふつうの家庭内暴力ではない。
「殺してやる!」「殺される!」の大乱闘を繰り返す。
そういう子どもほど、調べていくと、乳幼児期には、おとなしく、静かで、かつ従順だったことが
わかる。

世間を騒がす、凶悪犯罪を起こす子どもも、そうである。
心の別室といっても、それほど広くはない。
ある限度(=臨界点)を超えると、爆発する。
爆発して、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 話が脱線したが、ではそういう子どもたちが、日常的にウソをついているとか、仮面をかぶっ
ているかというと、そうではない。
(外から見える子ども)も、(心の別室の中にいる子ども)も、子どもは子ども。
同じ子どもと考える。

このことは、抑圧を爆発させているときの自分を観察してみると、よくわかる。

よく夫婦喧嘩をしていて、(こう書くと、私のことだとわかってしまうが)、20年前、30年前の話
を、あたかもつい先日のようにして、喧嘩をする人がいる。
「あのとき、お前は!」「このとき、あなたは!」と。

 心の別室に住んでいる(私)が外に出てきたときには、外に出てきた(私)が私であり、それは
仮面をかぶった(私)でもない。
どちらが本当の私で、どちらがウソの私かという判断は、しても意味はない。
両方とも、(心の別室に住んでいる私は、私の一部かもしれないが)、私である。

私「お前なんか、離婚してやるウ!」
ワ「今度こそ、本気ね!」
私「そうだ。本気だア!」
ワ「明日になって、仲直りしようなんて、言わないわね!」
私「ぜったいに言わない!」
ワ「この前、『お前とは、死ぬまで一緒』って言ったのは、ウソなのね!」
私「ああ、そうだ、あんなのウソだア!」と。

そこでよく話題になるのが、多重人格障害。
「障害者」と呼ばれるようになると、いろいろな人格が、交互に出てくる。
そのとき、どれが(主人格)なのかは、本当のところ、だれにもわからない。
「現在、外に現れているのが、主人格」ということになる。
夫婦喧嘩をしているときの(私)も、私なら、していないときの(私)も、私ということになる。
実際、夫婦喧嘩をしている最中に、自分でもどちらの自分が本当の自分か、わからなくなると
きがある。

 ともかくも、心の別室があるということは、好ましいことではない。
「抑圧」にも程度があり、簡単なことをそこに抑圧してしまうケースもあれば、重篤なケースもあ
る。
それこそ他人を殺害しておきながら、「私は知らない」ですませてしまうケースも
ないとは言わない。
さらに進むと、心の別室にいる自分を、まったく別の他人のように思ってしまう。
そうなれば、それこそその人は、多重人格障害者ということになってしまう。

 ところで最近、私はこう考えることがある。
「日本の歴史教科書全体が、心の別室ではないか」と。
まちがったことは、書いてない。
それはわかる。
しかしすべてを書いているかというと、そうでもない。
日本にとって都合の悪いことは、書いてない。
そして「教科書」の名のもとに、都合の悪いことを、別室に閉じ込め、カギをかけてしまっている
(?)。

 しかしこれは余談。
ただこういうことは言える。
だれにでも心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
大切なことは、その心の別室にいる自分を、いつも忘れないこと。
とくに何かのことで、だれかに害を加えたようなとき、心の別室を忘れないこと。
忘れたら、それこそ、その人は、お・し・ま・い!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
心の別室 防衛機制 抑圧 はやし浩司 心の別室論 人格障害 加害意識)

++++++++++++++++++++

●シャドウ論

そこで「シャドウ論」。

以下の原稿も、2009年ごろ書いた原稿である。
この中では、北朝鮮と韓国を例にあげ、「シャドウ論」を
展開してみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なし崩し的既成事実化

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「独島(日本名、竹島)と、K国の核兵器と
かけて、何と、説く?」。
答……「なし崩し的、既成事実化」。
共に、ものごとをなし崩し的に、既成事実化しよう
としている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●矛盾する論理

 韓国の人たちは、「オレたちは、K国とはちがう」と思っているかもしれない。
とくに、K国の核開発問題については、そうであろう。

K国は事実上、核兵器を所有し、核保有国であることを、既成事実化しようとしている。
韓国政府も、「それは認めない」とがんばっている。
が、同じように韓国は、K国と同じことをしている。
竹島(独島)への実効的支配を強化し(中央N報)、竹島は韓国領土であることを、既成事実化
しようとしている。
同じ民族。
発想が、よく似ている。

……というより、K国は、韓国のあとを、懸命に追いかけている。
今日(4月10日)の韓国・中央N報は、つぎのように伝えている。
 「…… 鄭総理は日本の独島(ドクト、日本名・竹島)領有権の主張に関し、『日本がこの問題
を持続的に取り上げるのは、韓日間の未来の発展に決して役立たない。
すでに韓国の国民が居住しているが、独島に対する実効的支配をさらに強化していく必要が
ある』と強調した」と。

 つまり事実上、支配しているから、竹島は、韓国の領土だ、と。

しかしこんな論理がまかりとおるなら、K国の核兵器開発問題は、どうなる?
K国も同じ論理をふりかざして、「自分たちの国を核保有国として認めろ」と騒いでいる。

●シャドウ論

 韓国とK国を並べてながめていると、ユングのシャドウ論が、頭の中を横切った。
韓国のもつシャドウを、K国が受け継いでいる。
そんな感じがした。

そんな感じがしたので、韓国とK国、それにシャドウ論をからめて考えてみたい。
うまくまとめられるかどうか自信はないが、一度、書いてみる。

 シャドウ論……「シャドウ(影)」として、心の裏に閉じこめられた人間性は、その近くにいる人
に伝染しやすい。その一例として、佐木隆三の『復讐するは我にあり』がある。

 昨年(09年3月)に書いた原稿を、もう一度、ここでとりあげてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【シャドウ論】

●仮面(ペルソナ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ペルソナ(仮面)そのものを、職業にしている人たちがいる。
いわゆる「俳優」という人たちが、それである。
で、あくまでも一説だが、あの渥美清という俳優は、本当は気難し屋で、人と会うのをあまり好
まなかったという(某週刊誌)。
自宅のある場所すら、人には教えなかったという(同誌)。
が、その渥美清が、あの『寅さん』を演じていた。
寅さんを演じていた渥美清は、ペルソナ(仮面)をかぶっていたことになる。
といっても、ペルソナ(仮面)が悪いというのではない。
私たちは、例外なく、みな、仮面をかぶって生きている。
私もそうだし、あなたもそうだ。

++++++++++++++++++++

●みな、かぶっている

 たとえばショッピングセンターで、深々と頭をさげる女子店員を見て、「人間的にすばらしい
人」と思う人は、まずいない。
顔には美しい笑みを浮かべている。
何か苦情を言ったりしても、おだやかな口調で、「すみません。ただ今、お調べいたします」など
と答えたりする。
彼女たちは、営業用のペルソナ(仮面)をかぶって、それをしている。
同じように、教師だって、医師だって、みな、ペルソナ(仮面)を
かぶっている。

最近では、さらにそれが進化(?)した。
インターネットの登場である。

 今、あなたは、私が書いたこの文章を読んでいる。
で、あなたはそれを読みながら、「はやし浩司」のイメージを頭の中で作りあげている。
心理学の世界では、これを「結晶」と呼んでいる。
そのあなたが作りあげているイメージは、どんなものだろうか。
私にはわからない。
それに結晶といっても、その中身は、みなちがう。

ある人は、「林って、理屈っぽい、気難しい男だな」と思うかもしれない。
また別のある人は、「わかりやすい、単純な男だな」と思うかもしれない。
文章を読む人の、そのときの気分によっても、左右される。

 映画なら、まだそこに「像」を見ながら、相手のイメージを頭の中で作りあげることができる。
しかし文章だけだと、それがさらに極端化する。
それがこわい。

●相手の見えない世界

 以前にも書いたが、たとえばメールで、「お前はバカだなあ」と書いたとする。
書いた人は、半ば冗談のつもりで、つまり軽い気持ちでそう書いた。
しかし受け取る側は、そうではない。
そのときの気分で、読む。
たとえば何かのことで、その人の心が緊張状態にあったとする。
だから、それを読んで激怒する。
「何だ、バカとは!」となる。

 もっとも小説家といわれる人たちは、こうした結晶を逆手に利用しながら、読者の心を誘導す
る。
よい例が、スリラー小説ということになる。
恋愛小説でもよい。
たとえば「A子は、みながうらやむほどの、色白の美人であった」と書いてあったとする。
それぞれの人は、それぞれの美人を空想する。
その美人の姿は、それぞれの人によって、みなちがう。

●現実

 が、ここで重要なことは、ペルソナ(仮面)は、ペルソナ(仮面)として、(現実)とは、しっかりと
切り離すこと。
たとえば学生時代、私にとっては、「ベン・ハー」イコール、「チャールトン・ヘストン」であり、「チ
ャールトン・ヘストン」イコール、「ベン・ハー」であった。
私には区別がつかなかった。

 しかしこうした現象は、何も私だけに起きた特殊なものではない。
映画ドラマの中の主人公を、(現実の人)と思いこんでしまう現象は、よく見られる。
しかも若い人たちだけではない。
40歳前後の女性ですら、それが区別できなくて、韓国の俳優を追いかけたりする。

 が、相手を見るときはもちろんのこと、自分自身に対してもである。
ペルソナ(仮面)と(現実)は切り離す。
とくに、自分がかぶっているペルソナ(仮面)には、警戒したほうがよい。
この操作を誤ると、自分で自分がわからなくなってしまう。
欧米では、牧師に、そのタイプの人が多いと言われている。
みなの前で、神の言葉を語っているうちに、自分自身が(現実)から遊離してしまい、自分のこ
とを(神)と思いこんでしまう。
が、それだけではすまない。

●シャドウ

 このとき同時に、自分の中にある(邪悪な部分)を、心の中に別室に閉じこめて
しまう。
閉じこめながら、自分を善人と思いこんでしまう。
こうした現象を、あのユングは「シャドウ(影)」という言葉を使って説明した。
このシャドウが、別のところで、別人格となって、その人を裏から操る。
大教会の神々しいほどまでの牧師が、その裏で、少年や少女を相手に、性犯罪を繰り返して
いたという例は、欧米では、たいへん多い。
が、さらに恐ろしいことが起きる。

 このシャドウは、ときとして、そっくりそのまま子どもに伝わることがある。
心理学の教科書に出てくる例として、あの映画『復讐するは、我にあり』がある。
それについては以前にも書いたので、このあとに、そのとき書いた原稿を添付しておく。
こういう例は極端な例であるとしても、親子の間でも、こうした現象はよく
観察される。

●シャドウを受けつぐ子ども

 ある母親は、世間では「仏様」と呼ばれていた。
しかし2人の息子は、高校時代、ともに犯罪行為を犯し、退学。
周囲の人たちは、「どうしてあんないい母親なのに、息子さんたちは……?」と言っていた。

が、こうした現象も、シャドウ論をあてはめてみると、説明がつく。
母親は、邪悪な部分、たとえば嫉妬、ねたみ、恨み、不満などを、心の中の別室に閉じことに
よって、善人を演じていただけである。
そのシャドウを、いつも近くで見ていた息子たちが、受けついでしまった。
では、どうするか。

 私たちはいつもペルソナ(仮面)をかぶっている。
それはそれでしかたのないこと。
ショッピングセンターの女子店員が、客に向って、「オイ、テメエ、そこの客、泥靴なんかで、こ
の店に来るなよ!」と叫べば、その女子店員は、そのまま解雇。
職を失うことになる。
この私だって、そうだ。

 で、大切なことは、それをペルソナ(仮面)と、はっきりと自覚すること。
そして脱ぐときは、脱ぐ。
脱いで、自分に戻る。
ありのままの自分に戻る。
それをしないでいると、それこそ人格そのものが、バラバラになってしまう。
これはたいへん危険なことと考えてよい。

+++++++++++++++++

シャドウについて書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【シャドウ論】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

仮面をかぶっても、仮面をぬぐことも
忘れないこと。
その仮面をぬぎ忘れると、たいへんな
ことになりますよ!

++++++++++++++++

●自分の中の、もう1人の自分

 もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。
するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。
自分で、自分は善人だと思いこんでしまう。

 このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。
さも私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。
全体に演技ぽい。ウソっぽい。
大げさ。

 こういう話は、以前にも書いた。

 そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。
それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、まあ、
それに近い。

 このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身
近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の
醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。

●仮面(ペルソナ)をかぶる女性

 ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、おだや
かで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。

 しかし素性は、それほど、よくなかった。
嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜い欲望が、いつもウズを巻いていた。
そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好きだった。

 こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。
その女性は、自分の醜い部分を、そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前
では、善人ぶることができた。

 が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単位の話
ではない。世代単位の話である。

 その母親は、10数年前に他界。
その娘も、今年、70歳を超えた。

●子に世代連鎖するシャドウ

 その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。
一度その娘にねたまれると、とことん、意地悪をされるという。
人をだますのは、平気。親類の人たちのみならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。

 その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。

 「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。

 話を聞くと、こうだ。
 「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っていまし
た。
家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚く、その人をののしっ
ていたのを、よく見かけました。
ほとんど、毎日が、そうではなかったかと思います。
母には、そういう2面性がありました。
私の姉は、その悪いほうの一面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。

 この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシャドウのも
つ、本当のおそろしさである。

●こわい仮面

 そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。
その前に、仮面をかぶらないこと。
といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。
教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。
 そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。
家に帰って家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。
はずして、もとの自分にもどる。

 仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。
が、それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受けつ
がれてしまう。

(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育
 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ユング 仮面 ペルソナ シャドウ論 は
やし浩司 仮面親子 はやし浩司 仮面夫婦 仮面 ペルソナ)

++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。

++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。
親としての仮面、隣人としての仮面、夫としての仮面など。
もちろん、商売には、仮面はつきもの。
商売では、いくら客に怒鳴られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。
本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよい。
ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、ウズを巻
く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。
陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べて
みると、それほど、劣悪な環境ではないことがわかる。
むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

●凶悪事件の裏に

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。
都会の立派なマンションに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。
知的レベルも高い。子どもの教育にも熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとする。
「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。
いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思って、そう言うなら、まだ話がわかる。
しかしたいていのばあい、そこには、シャドウがつきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。
日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断している人ほど、そうだ。
このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところがある。
「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですってねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。
身分制度が、そのまま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。
街道筋の宿場町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。
その人を判断する基準が、出身高校へと結びついていった(?)。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

●ドロドロとした人間関係

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きついでしま
う。
実は、これがこわい。
「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れようとしている」と。
そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる基盤となってしまう。

 よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。
佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。
名優、緒方拳が、みごとな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。
が、その榎津厳もさることながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。
それが三國連太郎が演ずる、父親、とるけん」と言う。
そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。
映画を見た人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強
烈な印象を与える。
嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握らせる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。
それを仮面とするなら、息子の嫁と不倫関係になる部分が、シャドウということになる。
主人公の榎津厳は、そのシャドウを、そっくりそのまま引き継いでしまった。
そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげる原動力になった。

●いつのありのままの自分で

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。
 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、その仮面
を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。
見抜くだけならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言える。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。
ついでにシャドウもつくらない。
いつもありのままの自分を見せる。
シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、まし。
もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子どもにとっては、
好ましいということになる。

(はやし浩司 ペルソナ 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャド
ウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●韓国とK国

 K国は韓国に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、韓国は、何もしてこないだろう」と。

一方、韓国は日本に対して、甘ったれている。
「好き勝手なことをしても、日本は、何もしてこないだろう」と。

 そしてK国は、韓国に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをして
いる。

韓国は、日本に対して、言いたい放題のことを言い、やりたい放題のことをしている。
ともにその根底にあるのは、被害妄想と「甘えの構造」。

 たしかに韓国はK国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。
南北統一についても、今、統一したら、それこそたいへんなことになる。
南北統一を望んでいないのは、当の韓国ということになる。

 一方日本は韓国に対して、何もしないだろう。
本音を言えば、「相手にしたくもない」。

竹島の実効的支配を進めれば進めるほど、世界に向かって、「竹島は韓国の領土ではない」
と、宣言しているようなもの。

どうしてあんな島に、ヘリポートを作り、一般人を住まわせるのか?
その(無理)が、不自然!
不自然だから、無理をする!
世界の人は、だれしも、そう思う。
本当に自分の領土なら、もっと堂々としていればよい。
姑息なことをするから、かえって疑われる。

●で、シャドウ論

 K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ。
わかるか?
表では正論をぶっているが、仮面の下では、姑息なことを繰り返している。
自動車にしても、「前から見れば、TOYOTA車、うしろから見れば、NISSAN車」。
そんな車を、平気で作っていた。
ほんの10年前の話である。

 日本中の、それこそ津々浦々にまで産業スパイをはびこらせ、日本から奪えるものは、何で
も奪っていった。
その結果が今である。

ウソだと思うなら、韓国の現在の産業構造を見ればよい。
20〜40年前の日本の産業構造そのもの。
自動車、鉄鋼、電子産業などなど。
反対に韓国が独自に発展させた産業は、ひとつもない!
 
 それをK国は、横から見ている。
そして韓国が生来的にもっていた(姑息さ)を、K国がそっくりそのまま引き継いでいる。
先に「K国は、韓国のあとを追いかけている」と書いたのは、そういう意味。
 ……と書くのは、書き過ぎ。
かなり過激。
私もそれをよくわかっている。
しかしこれだけは言える。

 韓国の人よ、K国の人よ、なし崩し的に、ものごとを既成事実化するのは、やめよう。
「竹島」にしても、韓国の人よ、日本人がおとなしいからといって、それをよいことに、言いたい
放題のことを言い、やりたい放題のことをやるのは、やめよう。
いいか、韓国の人よ、K国が崩壊したら、竹島どころではなくなるぞ。
へたをすれば、38度線以北は、中国の領土となる。
「渤海国」になる。
わかっているのか。
そのとき日本に泣きついてきても、遅いぞ。

 ここは冷静に!
この極東アジアで、だれが友人で、だれが友人でないか、少しは頭を冷やして考えろ。
謙虚になれ。

 「自分たちの領土でない」ということを、心の奥で自覚しているからこそ、日本政府の発言に、
そのつどビクつく。
大騒ぎする。

それがいやなら、もっと正々堂々と、国際裁判所という「場」で、たがいに証拠をあげて闘おうで
はないか。
どうしてそれがまずいのか?
何かまずいことでもあるのか?

 以上、「竹島(独島)」問題を、シャドウ論をからめて、考えてみた。
どこか「木に竹を接ぐ」ようなエッセーになってしまったが、許してほしい。
竹島問題の記事を読んだとき、ふと「シャドウ論」が頭の中を横切った。
「K国は、韓国のシャドウを受け継いでいるだけ」と。
それでこんなエッセーになってしまった。

 「?」と思われる人がいるなら、このエッセイを、「朝鮮問題」と、「シャドウ論」の2つに、頭の
中で分けて読んでほしい。
勝手な願いで、ごめん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 竹島問題 独島問題 シャドウ論 はやし浩司 ユング シャドウ論 
実効的支配 なし崩し的支配 はやし浩司 シャドウ論 シャドウ)(以上、2009年3月記)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2011年11月25日

 先のシャドウ論を書いた日付は、2009年3月になっている。
それから2年。
今は、2011年11月25日。

 で、改めて自分の書いた原稿を読みなおす。
いろいろ考える。
「これはシャドウ論というよりは、サイコパス(性格障害)の問題ではないか」とか、「妄
想とどう区別するのか」とか。

●日韓問題

 日韓問題にしても、すべてをシャドウ論で説明できるわけではない。
が、シャドウ論をあてはめてみると、韓国人のもつ精神的に二重構造性が、よく理解でき
る。

 (1)「日本ごときに植民地にされた」という屈辱感。
 (2)「自分たちの力で独立できなかった」という不完全燃焼感。
 (3)さらに「南北に分断されたのも、もとはと言えば、日本の責任」という日本責任論。

 これら3者が混然一体となり、韓国人の心の別室の中に、押し込まれている。
それが時と場合に、表に出てくる。
よく「韓国人は政治と経済を、使い分けている」という。
政治で反日、経済では親日、と。
しかし使い分けているのではない。

 民族意識はどこの民族にもある。
それが誇張されたのが、民族主義。
「我ら民族がもっともすぐれている」と。
韓国人のばあい、「日本ごときに、蹂躙(じゅうりん)された」という思いが、心の別室の原点に
ある。
言い換えると、そう思いながら、実は日本人を徹底的に差別している。
(「差別」というよりは、「軽蔑」に近いが……。)
私はこれを「逆差別」と呼んでいる。

●二重構造性

 それはともかくも、ユングのシャドウ論で考えると、韓国人がもつ精神の二重構造性がよく理
解できる。
と、同時に、私たちが個人がもつ二重構造性も、よく理解できる。
 私たちは円滑な人間関係を保つために、常に、この二重構造的精神状態の中で生きてい
る。
冒頭にも書いたように、それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、またそれができるからこそ、私たちは、この複雑な社会で生きることがで
きる。

 が、問題は、親子関係である。
ほとんどのばあい、子どものほうが、心の別室を作り、そこへ不平や不満をためこむ。
そしてそれが、時と場合に応じて、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だア!」と。

 そういう言葉が、10年たっても、20年たっても、口から出てくる。
もちろん子ども自身にはそれがわかっていない。
「抑圧」「心の別室」という言葉すら知らない。
加えて先にも書いたように、「心の別室」には、時効が働かない。
20年前、40年前の記憶がそのまま、生々しく残る。
また上書きされることもない。
楽しい思い出は、心の別室には入らない。

●よい子論

 終わりに「よい子論」についても書いておきたい。
 今、日本の子ども観、子育て観は、世界の標準から、かなりかけ離れつつある。
結論から先に言えば、たくましさがない。
またそうであることを、ほとんどの親たちは、「できのいい子」と誤解している。
たとえば従順で柔和で、やさしく、キバを抜かれてしまったような子どもほど、「よい子」と位置づ
ける。
またそういう子どもにしようと、あくせくしている。
 昔風の、腕白で、自己主張が強く、たくましい子どもを、「できの悪い子」として、むしろ遠ざけ
たり、白い目で見たりする。
私の教室でも、そうである。

ときどき「うちの子には、この教室は合いません」と言って去っていく親がいる。
が、そういう親でも自分の子どもが、親の過干渉や過関心で萎縮していることに気づいていな
い。

親自身のものの考え方が権威主義的で、威圧的であることに気づいていない。
その結果として、むしろそういう子どもほど、心をゆがめやすい。
ゆがめやすいことは、ここに書いた「シャドウ論」を読んでもらえばわかるはず。
あるいはイプセンの『人形の家』を読んでみたらよい。
自らを「人形子」と呼んだ主人公が、精神の二重構造の中で、いかに苦しみもがいたか。
それがよくわかるはず。
 本来、子どもは、そうであってはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

しめくくりに、イプセンの『人形の家』。
ウィキペディア百科事典に書かれている(あらすじ)を、
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●イプセン、「人形の家」(ウィキペディア百科事典より)

『弁護士ヘルメルの妻ノラは、無邪気にヘルメルを含めて人間を信じ、貧しいものに分け与え
る心の余裕を持ち合わせた女性であった。
彼女はヘルメルに「大切に」されていた。
猫かわいがりするヘルメルの愛の性質に、気づいていながらも日々を過ごしていたノラにある
日、事件が訪れる。

ヘルメルの部下クロクスタが、ヘルメルの留守を狙ってノラのもとに嘆願にやって来たのだ。
彼は馴れ馴れしい態度を取ったためヘルメルに疎まれ、じきに解雇される予定であった。
ノラは断ろうとするが、クロクスタは彼女の弱みを握っていた。
それはヘルメルが重病に陥り金銭が不足したとき、彼女はクロクスタから借金をし、その際、
借用証の父のサインを捏造していたということだった。
当時、彼女の父は重病であったため、これは苦肉の策であった。
もし解雇されるなら、この事実をヘルメルに暴露すると、クロクスタに宣言されたノラは悩む。
自分を支配しているヘルメルがこのことを知れば、すべての生活は破滅することは目に見えて
いるからだ。

やがて、ノラはヘルメルにクロクスタの解雇を取り消すよう頼むが、事情を知らないヘルメルは
取り合わず、クロクスタは解雇される。
宣言どおりクロクスタは暴露する手紙をヘルメルに送った。
事実を知ったヘルメルは激怒し、ノラをさんざんに罵倒する。
すべての終わりがやってきたと思ったさなか、改心したクロクスタから捏造の証拠である借用
証書が送られてくる。
これでヘルメルの危機は過ぎ去った。
先ほどまでの態度を豹変し、再び微笑んで甘いことを言い放つようになるヘルメル。
ヘルメルが対等な人間として、絶望や悩みを共有し、喜びを分かち合える存在、「1人の人間」
として自分を見ていないことにノラは絶望し、ヘルメルの制止を振り切り、ノラは家を出る』(以
上、ウィキペディア百科事典より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●では、どうするか?

【子どもの見方・考え方】8月6日(2010)

●子どもの見方

 子どもを見るとき、『いい子ほど、心配』と覚えておくとよい。
もっとはっきり言えば、子どもに(いい子)は、いない。
「いい子」と感じたら、それは仮面と考えてよい。

 子どもは、子どもらしいこと。
すべてはそこに始まり、そこで終わる。
その年齢ごとに、発達段階に応じた変化を、子どもは見せる。
何に対しても否定的になったり(幼児期前期)、あるいはあるいは生意気になったりする(幼児
期後期)。
こうした変化を一足飛びに、飛び越えて、いきなりものわかりの
よい子どもになる・・・ということは、ありえない。
もしそうなら、先に書いた、仮面を疑う。

●不自然

 仮面をかぶっている子ども(人)は、どこか不自然。
バカ丁寧であったり、バカ親切であったりする。
「バカ」がつく。
 先日もある旅行社の女性と話をしていたとき、それを感じた。
営業用の仮面と言えば、そういうことになる。
バカの上に、バカがつくほど、丁寧だった。
が、そういう表面的な様子だけをみて、その女性はすばらしい人と思ってはいけない。
人格的に完成された人と思ってはいけない。
心理学の世界にも、「原我」という言葉がある。
「本来の我」という意味である。
その女性は、「本来の我」を、営業用の顔、つまり
自我」で覆い隠している。

●原我

 人はなぜ仮面をかぶるか。
それにはさまざまな理由と事情が、からんでいる。
前提として、原我が、その人にとって好ましいものでないと、その人自身が判断していることが
ある。
つまり(好ましくない我)を隠すために、仮面をかぶる。
私は原我を、つぎの4つに分類している。

(1) 邪悪な原我
(2) 陰湿な原我
(3) 攻撃的な原我
(4) 劣等的な原我

 こうした原我を隠すために、仮面をかぶる。
たいていは本来の我とは、正反対の我を演ずる。
ケチな人が、妙に寛大ぶってみせたり、攻撃的な人が、不自然なほどやさしくしてみせたりする
など。
が、それが仮面と本人が気づいている間は、まだよい。
仮面というのは、長くかぶっていると、仮面をかぶっていること
すら忘れてしまう。
反対に仮面をかぶった自分を、「本当の我」と思ってしまう。
これがこわい!
牧師や教師、医師など、聖職者と呼ばれる人に、このタイプの
人が多い。

●反動形成

 こうした一連の心理的操作を、「反動形成」と呼ぶ。
よくある例は、長男(長女)が、下の子ども(弟や妹)に見せる反動形成。
本当は下の子どもが憎くてしかたないのだが、それを表に出したら、自分の立場がなくなってし
まう。
そこで下の子に対して、妙にやさしく振舞ったり、親切にしたりする。
一見するとよい兄(姉)に見える。
が、原我は、そうでない。
下の子(弟、妹)が憎くてしかたない。
つまり本当の自分を押し殺して、別の自分を演ずる。
が、そのままではすまない。
それがときとばあいに応じて、爆発する。

●原我の爆発

 原我はときとして、爆発する。
こうした爆発を理解するためには、「抑圧」という言葉を知らなければならない。
私は「心の中の別室」と呼んでいる。
 人間は、(ひょっとしたらあらゆる高等生物は)、何かのことで心が抑圧されると、心の中に別
室を作り、そこに別の自分を押し込めようとする。
たいていは不平や不満など。
つまり心の別室を作り、そこに不平や不満を押し込むことによって、本来の自分を守ろうとす
る。
心理学の世界でも、こうした心理操作を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
防衛機制のひとつに考えられている。

●抑圧された「我」

 が、抑圧された「我」は、ときとして爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろ!」と。
「私の人生を返してヨ!」と。
 60歳、70歳になった老夫婦が、結婚当初のことをもちだして、夫婦喧嘩をするという例は、
少なくない。
それこそ40年前、50年前の話を持ち出して、喧嘩する。
 この「心の別室」には、(1)上書きが働かない。
(2)時効がない。

●記憶の上書き

 何かいやなことがあっても、そのあと楽しい思い出があれば、その前にあったいやなことは消
える。
これを「記憶の上書き」という。
 が、心の別室に入った記憶は、ほかの心とは隔離されたままになる。
そのため上書きされるということがない。
そのあといくら楽しい思い出がつづいたとしても、そのままの状態で、心の別室に残る。

●時効

 また心の別室に入った記憶には、時効が働かない。
時間の経緯とともに、記憶が薄れたり、あるいは消えたりするということがない。
30年、40年・・・という長い年月を経ても、そのままそこに残る。
だから「こんなオレにしたのは、テメエだろ!」、「私の人生を返してヨ!」となる。

●人形の家

 一見、いい子は、こうした心の別室を作りやすい。
抑圧された自分を、その中に閉じ込め、外の世界ではいい子ぶる。
それが日常化するため、まわりの人たちはもちろん、本人自身も、それが本当の自分と思い
込んでしまう。
が、それがその本人にとって不幸なものであるか。
それはイプセンの『人形の家』を読めば、わかる。
 だからここが重要だが、子どもは、まず発散させる。
ありのままを発散させる。
言いたいことを、大声で言わせる。
つまりこれが幼児教育の第一歩ということになる。

●すなおな子ども 

 よく誤解されるが、従順で、何でもおとなの指示に従う子どもを、「すなおな子ども」というので
はない。
心の状態(情意)と顔の表情が一致している子どもを、「すなおな子ども」という。

 このタイプの子どもは、教えていても、教えやすい。
何をどう考えているか、外からわかりやすい。
が、そうでない子どももいる。

 一般に、「情緒障害児」と呼ばれている子どもは、外から見たとき、何を考えているか、つか
みにくい。
情意と表情が遊離している。
かん黙児、自閉症児など。
近年よく話題になる、アスペルガー児も、それに含まれる。

●態度

 心理学でいうところの「態度」というのは、その人の外に現れた人生観などの、表象された
「我」をいう。
が、一般的な意味では、その人の「様子」をいう。
どちらであるにせよ、子どものすなお度は、その態度を見て判断する。

 すなおな子どもは、態度もでかい。
家の中でも、やりたいようにやっている。
言いたいことをいい、行動も表情も自然。
で、あなたの子どもがそうであれば、それでよし。
そうでなければ、家庭環境そのものを、一度、猛省してみる。
 とくに児童期に入ったら、「家庭は心を休める場所」と心得る。
どうして周囲に気をつかっていて、心を休めることができるだろうか。

●仮面夫婦

 ついでながら「抑圧」の恐ろしいのは、それだけではない。
たとえば「仮面夫婦」と呼ばれる夫婦がいる。
一見、仲がよい。
しかしその実、いつもたがいにいがみ合っている。
 こうした夫婦のばあい、それぞれが心の別室を作り、その中に自分を押し込める。
本当は憎しみ合っているのに、表面的には、よい夫婦を演ずる。
 こういうケースのばあい、邪悪な「我」が、シャドウ(ユング)となって、子どもに伝播しやすい。
つまり子どもは親の心を裏から読み、それをそっくりそのまま、
自分の心としてしまう。

 よくあるケースは、子どもたちがみな、母親のシャドウを受け継ぎ、
父親を軽蔑したり、忌み嫌ったりするなど。

●いい子ほど心配

 これで『いい子ほど心配』の意味がわかってもらえたことと思う。
そこにいい子がいたら、まず疑ってかかる。
というのも、その人の人格というものは、幾多の山や谷を越えて、完成されるもの。

 そこらの子ども(失礼!)が、5歳や6歳、8歳や9歳で、人格的に高邁(こうまい)になることな
ど、ありえない。
もしそう見えたら、繰り返すが、仮面を疑ってみる。
またどうして仮面をかぶっているか、その背景を疑ってみる。
 たいていは親の過干渉、過関心、あるいは親の情緒的不安定、精神的未熟が原因となって
いる。
子どもの側からみて、抑圧された家庭環境がそこにある。

 子どもの見方のひとつとして、心のどこかにおいておくとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 原我 自我 いい子ほど心配 心の別室 抑圧 抑圧された心 よい子論 子ど
もの見方 考え方)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 2日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●年中児に、お金の数え方、6+4=10、直角について教えてみました。

 3月も末。
いくつかたまった教材があったので、今回は、3つのテーマを大急ぎで教えてみました。
あくまでも、「種まき」のつもりです。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/yBTheT8tRKg" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【書くことのすすめ】

●衰退する文章表現力

 それがよいことなのか、悪いことなのかというと、悪いことに決まっている。
この日本では、本(文章)を読む人が、どんどんと減っている。
その一方で、コミック(漫画)を読む人は、どんどんと増えている。
今に始まった現象ではない。
原稿を探してみるが、私はすでにそれについて、20年以上前に書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

原稿番号を調べたら、(#406)になっていた。
1999年ごろに書いた原稿ということになる。
それ以前のは、見つからなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(406)

●Nさんの相談より(2)

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。
祖母がいた。
「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。
私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。
あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。
そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。
が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

(私は子どもの努力に対して、丸をつける。
答の正誤など、どうでもよい。
あるいは子どもを励ますために、丸をつける。)

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。
よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。
「右利きはいいが、左利きはダメ」と。
私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意され
た。
書道の先生ということもあった。
そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。
「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。
そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。
書き順どころではない。
文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 近く小学校でも、英語教育が始まる。
その会議が10年ほど前、この浜松市であった。
その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。
つまり二画と決まりました。
同じようにMとWは四画と決まりました」と。
私はその話を聞いて、驚いた。
英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは!

 そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、25度傾けて書けと教えられたことがある。
今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろ
くない。
つまらない。
たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになっ
てしまう。

日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌い
があるとしたら、喜んでばかりはおられない。

だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくな
に守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。
「型」と「個性」は、正反対の位置にある。
子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。
子どもはやる気をなくす。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 型枠教育 教育の型 はやし浩司 喜んでばかりはおられない はやし浩司
 コミック アニメ 漫画 はやし浩司 山岳民族)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●文章表現力

 一方で、最近の若い人たちの書く文章には、独特のものがある。
(けっして、ほめているわけではない。)
主語や述部を省略する。
感情をそのままぶつける。
何に対してそう思うのか、その説明もない。
思考がバラバラに飛び散ってしまい、自分の考えを、文章としてまとめることができない。
つまり「意味不明」。

 で、その背景にあるのが、思想のコミック化。
アニメ化でもよい。
たとえば爆弾が破裂する図を描き、それでもって「怒っている」ことを表わす。
そういう表現の仕方は、うまい。
が、言葉として、怒りの様子を表現することができない。
たとえば子どもたちの世界。
二極化が進んでいる。

●文章vsコミック

 早い子どもで、すでに小学校へ入学するころには、二極化が始まる。
「本が好きな子ども」「本が嫌いな子ども」と。
それが小学高学年(5、6年生)になると、より、はっきりとしてくる。
「本が好きな子ども」「コミックが好きな子ども」と。
その割合は、1:9くらいではないか。
コミックのほうが好き(=文章になった本は、ほとんど読まない)という子どものほうが、圧倒的
に多い。

 それが悪いというのではない。
が、そのため、文章表現力が、極端に落ちる。
先に書いたような「意味不明」の文章が、多くなる。
たとえば昨日も街中を歩いていたら、歩道で色紙を売っている人を見かけた。
その1枚に、こんな文章が書いてあった。

『夫婦は、意見のぶつけ愛』と。

 一瞬、「うまいこと書くなあ」と思ったが、そこで思考停止。
「どういう意味なのか?」と考えたが、そこまで。
言わんとしていることは、何となくわかる。
「夫婦というのは、たがいに言いたいことを言う。
それを許しあうのが、愛」と。

 が、問題は、それにとどまらない。

●書くことの重要性

 映画『マーガレット・サッチャー・鉄の女の涙』に中に、こんなセリフが出てくる。
記憶によるものなので、不正確だが、こういうセリフ。

「考えたことを書く。
書いたことは、行動になる。
行動は、習慣になる。
習慣がその人の人格を作る」(記憶)と。

 考えるから、人間は人間である(パスカル)。
が、考えるだけでは足りない。
それを書いて文章にする。
書くことによって、論理力を養う。
知性や理性も、それによって磨かれる。
行動の基盤になる。
で、それが習慣となり、長い時間をかけ、その人の人格を作る。

 書くことには、そういう意味が含まれる。
が、書かなかったら、思考は堂々巡りする。
それこそ60代になっても、70代になっても、こう言う。
「お前は、男だろが。男らしくしろ!」と。

 20代のころ、あるいは10代のころ身につけた常識(?)のまま、そこで進歩が停止する。
事実、このタイプの人は、多い。
特徴をあげてみる。

(1)考え方が、世俗的(=俗っぽい)
(2)意見といっても、だれかの受け売り(=どこかで聞いたような話)
(3)ものの考え方が、直感的で、感情的(=論理性がない)
(4)内容が平べったく、深みがない(=繰り返しが多い)
(5)言葉の使い方が、不正確(=「男的にはねえ……」と言ったりする)
(6)「ダカラ論」が多い(=「男だから……」「日本人だから……」と)
(7)視野が狭い(=視野が狭く、関心のあることしか、話さない)
(8)言葉がつながらない(=「ア〜〜」「ウ〜〜」が多い)

 が、何よりも大きな特徴は、(9)繊細な会話ができない、など。
料理にたとえるなら、海賊焼きのようなものはできるが、日本料理のようなものは、できない。
(あまりよいたとえではないが……。)

●ものを書こう

 ものを書くということは、考えること。
考えなければ、ものを書くことはできない。
言葉は、論理。
その言葉が集まって、文章になる。
その文章をまとめるとき、また考える。
この繰り返しが、その人の論理力を深める。

 もうひとつ、ついでに言えば、こういうこと。

 ものを書いていると、ときどき、(稀に)、キラリと光るものを見つけるときがある。
それまで知らなかったこと、気がつかなかったこと、など。
荒野の中で、宝石を見つけるようなもの。
私のばあい、それがあるから、文を書くのがやめられない。
……というのは、あくまでも私の個人的な話。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。

 ともかくも、ものを書こう。
書いて、自分の(考え)を、形にしよう。
パスカル(フランスの哲学者、1623〜62)は、『パンセ』の中で、こう書いた。

 『人間は不断に学ぶ、唯一の存在である』と。
別のところでは、『思考が人間の偉大さをなす』とも。

 この言葉をもじると、こうなる。

「人間は不断に学び、書く、唯一の存在である」と。
さらに言えば、「書くことが、人間の偉大さをなす」とも、

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 言葉 書くことの重要性 はやし
浩司 パスカル 思考が人間の偉大さ パンセ はやし浩司 不断に学ぶ)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●3月19日、山荘に一泊

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 昨夜遅く、山荘にやってきた。
途中、コンビニで、いくつかのものを買った。
せんべい、チューハイ、それにチョコレート。

 山荘に着くと、すでに春の匂い。
たとえ雑草でも、若葉には、若葉の匂いがある。
そう言えば、10日ほど前、ウグイスの初鳴きを聞いた。
が、今朝は、それがない。
どうしたのだろう? ……と思いながら、この文章を書いている。

 時は、2012年3月19日、月曜日。

 今週は、大きな目標(?)がある。
小学1〜2年生たちに、「速度と時速」を教えてみる。
私にとっても、はじめての試み。
そのための教材を午前中に、用意する。
(実際、その教材を使うのは、今週の木曜日からだが……。)

 先週、小学6年生の子どもが、速度の計算で悩んでいた。
いろいろ説明してみたが、最後まで納得できなかったよう。
それで今週は、「速度と時速」を教えてみたくなった。
 
 こんな問題だった。

【問】
 山に登りました。
頂上までの距離は、12キロ。
行きは、時速4キロ、帰りは、時速6キロで歩きました。
平均時速を求めなさい。

 その子どもは、「(平均時速は)5キロ」と答えた。
何度説明しても、「5キロ」と。
そう言い張った。
で、紙に山の絵を描き、「あのね、まずね往復の時間を求めてからね……」と。
が、それでも納得できなかったよう。

 そこで今週は、「速度と時速」。
小学1〜2年生のころ、その「種」をまいておく。
その種は、やがて子どもの脳の中で、芽を出し、成長する。
学校で、速度や時速について学ぶころには、大きく成長しているはず。
これを称して、「種まき教育」(はやし浩司)という。

 大切なことは、子どもを楽しませること。
この先、いろいろな場面で、「速度」とか「時速」とかいう言葉を耳にする。
そのとき子どもがそういった言葉に、前向きに反応するようにすること。
そのために「楽しい」という印象づくりを大切にする。
それが大切。

 なお誤解があるといけないので、一言。

 私のところでは、算数だけを教えているわけではない。
小学2〜3年生になると、国語も教える。
レッスンの前の、10〜15分程度を、その時間にあてている。
……といっても、国語については、筆写と作文。
この2つ。

 筆写させる文章は、古文から現代文まで。
明治以後の文豪の書いた文章が多い。
が、そういった指導は、YOUTUBEで紹介しても、あまり意味はない。
どうか、誤解のないように。

【答え】

 先の平均時速の問題について、正解は、4・8キロ。
往復5時間(行きは3時間、帰りは2時間)で、24キロを歩いたことになる。
だから24÷5=4・8(キロ)。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 
【2つの危機】(はやし浩司 2012ー03−20)
(1)日本人のモラル、(2)東南海地震

【福島原発事故】(日本人のモラル)

●大江健三郎氏の「40年」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

大江健三郎氏は、こう述べた(フランス、「サロン・ド・リーブル」での講演)。

『……私は原爆は、すでに終わった歴史だと思っていたが、被爆の問題は終わっていなかっ
た。今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』(中日新聞・2012年3月19日)
と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●チェルノブイリと福島

 「40年」という数字はともかくも、私も、大江健三郎氏の意見に、まったく同感。
そのことは、チェルノブイリの現状を見れば、わかる。
放射性物質にさらされることにより、急性症状が発症する。
が、それよりも恐ろしいのは、「長い潜伏期間中にじわじわと体がむしばまれる、晩発性影響で
ある」(「原発事故」宝島社)。

 その症状は、「被爆後数か月か、数年後か、あるいは数十年後かに障害が出る」(同書)と。
遺伝的影響も無視できない。
遺伝的影響は、(1)遺伝子突然変異と、(2)染色体突然変位に、分類される。
 

 そのチェルノブイリで、症状が顕在化し始めたのは、2年後から5年後。
10年後にピークを迎えたという(同書)。
30年近くたった今も、その被害は進行中。
そのとき子どもだった人たちが影響を受け、その被害が、そのまた子どもたちに現れている。

2012年3月20日現在、あの3・11大震災、それにつづく原発事故から、まだ1年しかたって
いない。
にもかかわらず、原発事故汚染地帯では、あちこちで早々と安全宣言がなされ、観光客の誘
致運動も始まっている。
ノー天気というか、バカげている!

 たとえば、南相馬市。

「……南相馬市は、原発から20キロ圏内の(警戒区域)と被爆放射線量が年間20ミリシーベ
ルトに達する恐れのある(計画的避難区域)の、計1万3200人が、強制的に避難させられ
た。

 中心部の20〜30キロ圏内は、年間3ミリシーベルトと低く、住んでも問題ないとされ、いずれ
の区域にも指定されていない。
それでも市の中心部の住民1万3000人あまりは、市外で自主避難をつづけている。
市の人口は、福島事故前の7万1000人から、4万3000人と、3万人近く減った」(中日新
聞、3月20日)と。

 同日の中日新聞は、市内に店を構える、ある玩具商を紹介している。
その玩具商は、こうこぼしたという。
「商売になんねえ」と。

 「子どもたちがいないから、玩具を買ってくれる子どももいない」と。

 あのチェルノブイリでは、「本州の(日本の)6割分が汚染された」(同書、P54)という。
半径にして、600キロ。
(福島第一原発から、東京までが約200キロ、浜松市までが420キロ。)
南相馬市では、20〜30キロが、基準になっている(?)。
たったの20〜30キロ!

●「ウッソー」

 先日も、ある中学生がこう言った。
「福島第一原発事故は、まだ何も片づいていないよ」と、私が言うと、「ウッソー(浜松市の方
言)」と。
その中学生は、福島第一原発事故は、すでに片づいたものと思い込んでいた。

私「被害が出てくるのは、これからだよ」
中「被害者は、だれもいないわよ」
私「あのね、100万キロワットの原発1機で、年間、広島型原発の約2800発分もの放射性物
質を作りだすというよ(瀬尾試算)」
中「……」
私「それが4機……とくに警戒しなければならないのが、4号機。4号機は、プルトニウムを使っ
ていた。それに4号機のプールの中には、4機分全部を集めた分に匹敵する、燃料棒が貯蔵
されている。もし4号機のプールが破損したり、倒壊するようなことにでもなれば、この浜松市
あたりまで、人は住めなくなるんだよ」と。

 この先、何が起こるかわからない。
あれほどの津波は、しばらくはないとしても、福島第一原発の地下には、活断層が何本も走っ
ている。
それが地震を引き起こせば、さらに被害が拡大する。
4号機のプールが破損し、水が抜けただけでも、大惨事を招く。

 人が近づくことすら、できなくなる。
半径、100キロとか200キロにも、人が近づけなくなる。
そうなったとき、近くにある福島第二原発や、女川原発、さらには、東海村にある原子炉はどう
なるのか。
想像するだけでも、背筋が凍る。

●『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』

 大江健三郎氏は、こう言っている。
『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』と。
つまり被爆被害は、40年後に顕在化する、と。

 だったら、少なくとも、ここ10年は、様子を見るべきではないのか。
10年後に、被爆による影響がないとわかった段階で、各地にある原子炉の再開を始めれば
よい。
が、まだその最中の、これから先、どうなるかわからないような状況の中で、各地の原子炉を
再開するなどということは、どう考えても常識をはずれている。

 なお、大江健三郎氏は、こうも述べている。

『日本人は、危機を認め、根本的なモラルを持たなければならない』(中日新聞)と。

(1)危機を認める
(2)根本的なモラルを持つ、と。

●危機とモラル

 ある友人は、こう言った。
浜松市内で、外科医をしている。
私の教え子でもある。
いわく、「私はね、(福島原発の)あの爆発を見たとき、ああ、これで日本は終わったと思いまし
たよ」と。

 大江健三郎氏がいう、「危機を認める」というのは、それを言う。
が、今のようなモラルでは、その危機を乗り越えることはできない。
ただ、あがくだけ。
もがくだけ。

政府はウソにウソを塗り重ね、一方、国民は、耳障りのよい意見だけを鵜呑みにする。
その相互姿勢は、現在の北朝鮮と、どこもちがわない。
だから大江健三郎氏は、「根本的なモラルをもて」と。

 が、新聞では、これ以上の報道はしていない。
これ以上のことは、わからない。
大江健三郎氏が言う、「根本的なモラル」とは、何か。

私流に解釈すれば、資本主義的な物欲文明から決別し、別の価値観を見出すということにな
る。
大きなテーマだけを与えられたようで、では、どうすればよいのか、今の私にはわからない。
近く大江健三郎氏の意見が、雑誌などに載るだろうから、それを読んだあと、また私なりに考
えてみたい。

 なおここに書いた友人の外科医は、現在、浜松市と沖縄の間を、頻繁に行き来している。
「沖縄には仕事がある」と言っている。
この春休みも、沖縄で過ごしている。
家族ともども、近く、移住を考えているようだ。

 なお、最後に一言。
数日前、こんな記事が報道された。

「福島産の米は、老人ホームなどで、使ってもらう」と。

 若い人たちにすれば、老人ホームにいる老人は、そういう人たちに見えるかもしれない。
しかしその老人に近い、私は、この記事を読んで、ゾッとした。
なぜゾッとしたかについては、あえて説明しない。

 私は、こういうことを平気で言う日本人、あるいは日本という国に、心底、失望した。
大江健三郎氏が言うところの、根本的なモラルそのものが、狂っている。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【山岳民族】(日本人は、もともと山岳民族だった?)

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●浜松から、寸又峡(すまたきょう)温泉まで

 先日、寸又峡温泉へ行ってきた。
浜松からだと、一度、JRの東海道線に乗り、金谷(かなや)まで行く。
そこから大井川鉄道に乗り、千頭(せんず)まで。
さらにバスに乗り、寸又峡温泉まで。

 しかしもうひとつ、寸又峡温泉へ行くルートがある。
浜松から山間部を抜け、直接、寸又峡温泉に行くルートである。
その(浜松)(金谷)(寸又峡温泉)を線で結んでみると、ほぼ正三角形になるのがわかる。
距離的には、浜松から山間部を抜け、寸又峡温泉に行ったほうが、近いということになる。
が、山間部は、(昔は)、道路事情も悪く、その分だけ、時間もかかった。
が、今は、道路も整備された。
浜松の人でも、寸又峡温泉へ行くとき、その山間部を通り抜けていく人がいる。
先日も、近くの山の中の道を、寸又峡温泉から迎えに来たバスが走っているのを見た。
そのバスは、寸又峡温泉から、浜松まで、山間部の道路を通ってやってきた。

 道理で……というか、あの武田勝頼が、愛知県の長篠(ながしの)までやってきた理由が、そ
れでわかった。

はじめて長篠の合戦場跡を訪れたとき、私はこう思った。
「どうしてこんな山奥へ、武田勝頼は来たのか」と。
武田勝頼は、そこで織田信長の鉄砲部隊と出会い、敗れる。

(注※……長篠の戦いについて。
『長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(ユリウ
ス暦1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康
連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で勃発した戦い』(ウィキペディア百科事典)。

●美濃地方と飛騨地方

 同じようなことだが、岐阜県にも、それがある。
たとえば、岐阜県の美濃地方の山奥(板取村、郡上村)から、飛騨地方(高山、下呂方面)へ
行くときは、一度、岐阜市まで出なければならない。
私が子どものころは、そうだった。

 が、不思議なことに、美濃地方の山奥と、飛騨地方とは、文化的に類似性が多い。
さらにその先は、富山市へとつながっている。
また反対に、美濃地方の山奥は、福井県の大野市ともつながっている。
今とちがい、昔の人は、歩いて、山越えをした。
またそのほうが、ずっと近かった。

 川沿いに道が発達し、さらに海沿いに交通網が整備されたのは、鉄道や自動車が発達して
からのこと。
私が驚いたのは、こんなこと。

 たとえば岐阜県美濃市の実家から、北陸の福井市や金沢市へ行くときのこと。
私が学生のころの話である。
そのときは、一度、岐阜市まで出る。
そこからJR東海道線に乗り、米原まで行く。
米原からは、北陸本線に乗り換え、福井市や金沢市へ向かう。

 が、こんなことをしなくても、昔の人なら、美濃市からさらに山奥へ入り、峠を越えて、福井市
へ向かった。
距離的には、ずっと近い。
(ただしこの道は、現在は獣(けもの)道になっていて、猟師でないと越えられないとのこと。)
私は、それを知って、驚いた。
つまり(道のり)でいう距離と、(直線距離)でいう距離。
その両者の実感が、あまりにも、かけ離れていた。

●原発事故

 さらにこんなことも。
あの福島第一原発の事故のあと、近くの浜岡原発、さらには、福井県にある、敦賀(つるが)原
発のことが、気になった。
もし事故でも起きたら……、と。

 そこで距離を測ってみた。
あくまでも地図上での直線距離だが、現在の敦賀市から岐阜市まで、直線距離で、65〜70
キロしかない(350万分の1の地図上で、1・9センチ)。
名古屋市まで、91キロしかない(同じく、2・6センチ)。
もし敦賀原発が事故を起こしたら、岐阜市はもちろん名古屋市も、避難対象地域になる。
(福島第一原発の事故のときは、西風が幸いした。
が、敦賀原発のときは、西風は命取りになる。)

 一方、浜岡原発(御前崎)から浜松までは、たったの35〜40キロ(約1センチ)!
風向きにもよるが、東風でも吹いたら、一巻の終わり。

 日本地図を、こういう視点でながめるようになったのは、やはりあの福島第一原発の事故が
理由だと思う。
それまでは、そういう見方は、あまりしなかった。
実感距離というか、「車で〜〜時間」「電車で〜〜時間」と。
それでもって、「近い」「遠い」を判断していた。

 で、冒頭の話に戻る。

●山岳民族

 日本列島が、オーストラリア大陸のように平地だったら、私たちがもっている距離感覚は、大
きくちがっていただろう。
そこに山があるため、その山によって、距離感が狂ってしまった。
……というか、正確な距離感をもてない。
「遠い」と思っていたところが、意外と近かったり、反対に、地図上で「近い」と思っていたところ
が、意外と遠かったりする。

 さて昔の武将たちは、近道、つまり山越えをしながら、合戦を繰り広げていた。
結局、私の言いたいことは、この1点につきる。
またそういう視点がないと、戦国時代のあの時代の人々の動きを、理解することができない。

 繰り返しになるが、現在のように、川沿いに一度海に出て、そこから海沿いに移動するという
方法は、列車や自動車が発達してからのこと。
それまでの日本人は、山から山へ、歩きながら移動していた。
またそれぞれの地方の文化も、そのルートで、つながっていた。

 日本人は、もともとは、山岳民族であった……ということになる。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 文化の伝承 山間の道 はやし浩司 山岳民族)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【東南海地震】

3月17日に、東南海地震について書いた。
その中で、つぎのようなことを書いた。

『……5月21日(月曜日)に、名古屋から東京にかけ、金環食を見ることができるという。
金環食によって、太陽、月、地球が一直線に並ぶ。
そのとき、太陽と月の引力が、地球の地殻に影響を与えることはじゅうぶん、考えられる』と。

ちょうど金環食が観測されるあたりは、東南海地震が予報されている地域と重なる。
(東海地震と南海地震を合わせ、東南海地震という。)
先の、3・11大震災(2011)以来、このあたりの近くも、かなり不安定になってきているのでは
ないか。
事実、その大震災のあと、各地で、その大震災で誘発されと思われる地震が、頻発して起きて
いる。

●心配

 ここに書いたことが、まったくのデタラメかというと、どうも、そうでもないようだ。
それを裏付けるような記事が、今日(3月19日)、配信された。

(注※……金環食)
『……いよいよ今年。2012年5月21日の朝。
九州・トカラ列島から福島県南東部にかけた日本の太平洋側の広い地域で、太陽がリング状
に欠けて見える珍しい天文現象 金環食(金環日食)が観測できます。
……(中略)……
今回の日食では東京・大阪・名古屋の三大都市圏が金環食帯に入っている上、中心食線(日
食帯の中心線)が南関東・静岡・紀伊半島南部などの多数の都市・観光地を通ります。
図鑑で見るような真円のリングが国内で観測できる、またとないチャンス!』(金環食ホームペ
ージ)と。

 この浜松市と静岡市、それに東京都を結ぶ線上を、金環食の中心食線が通るという!
なお、静岡市では、午前7時32分13秒に通過とか。
太陽や月の引力の力を、けっして過小評価してはいけない。

(注※……東南海地震)
『紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海 トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地
震。規模は毎回 M8・0 前後に達する巨大 地震で、約100年から150年周期で発生してい
る』
『政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2010年1月1日からの発生確率は30年以
内で 60〜70 % 、50年以内で 90 % 程度以上とされている』(ウィキペディア百科事典)と。

 東南海地震は、約100年から150年周期で起きているという。
前回は、1944年12月7日。

●TBS−iNEWSより

 こんな記事である。

 『……長野県栄村の周辺で東日本大震災後に多発した地震は、月の引力などの影響で潮が
満ち引きする潮汐(ちょうせき)が引き金で起きたとみられることが、産業技術総合研究所の分
析で18日、わかった』(TBS-I News News 3月19日)というのだ。

TBS-I Newsは、こう続ける。

『……長野県栄村で地震で多発、「潮汐」引き金 地殻変動と発生時刻と潮汐のリズムに極め
て高い相関があり、大震災による地殻変動と潮汐力が重なって誘発されたとみられる。

 産総研の雷興林(らいきょうりん)主任研究員は、大震災以降の約2カ月間に長野県北部で
起きたマグニチュード(M)3以上の142回の地震を分析。
栄村で震度6強を観測した大震災翌日の地震(M6・7)を含む全体の約50%が、潮汐と関係
していたことを突き止めた。

 潮汐は月の引力などによって海面が周期的に上下変動する現象で、地球内部の岩盤も同じ
影響で上下に伸縮している。
雷主任研究員によると、潮汐と関係がある地震は世界の約5%で、今回はこの10倍に相当す
る前例のない高さという。

 一連の地震は地盤が下がる干潮や、下がる速度が最大のときに集中して発生。
長野県北部には、マグマから出たガスや液体が岩盤の隙間に高圧でたまっている「流体だま
り」が多数あるとみられ、この場所が潮汐力で押されて周囲の岩を破壊、断層を刺激して地震
が起きたと推定している』(以上、TBS-I News News 3月19日)と。

●5月21日

 5月21日は、はたしてだいじょうぶなのか?

 もし東南海地域が、地殻的に不安定であれば、そのあたりで地震が起きても、おかしくない。
(反対に、何も起こらなければ、地殻は安定しているということになる。つまり、今、しばらくは地
震は起きないと考えてよい。)

 ともあれ、「金環食」と浮かれていると、とんでもないことになる。
私の杞憂で終わればよいが、しかしそういったことも起こりうるという前提で、準備するのは、
それほどまちがっていない。
言うまでもなく、東海地震と南海地震が同時に起こるようなことになれば、その規模は、あの3・
11大震災の規模に匹敵する。
被害も、相当なものになるはず。

 その可能性が、たとえ何万分の1でもあるなら、警戒するに越したことはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 東南海地震 金環食と東南海地
震 東海地震 南海地震)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●映画『スターウォーズ』(3D)を見る
(60歳以上は、見るのを避けたほうがよい!)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

1978年に、第1作が公開されてから、34年。
昨夜遅く(8:30〜11:00PM)、新作『スターウォーズ』(3D版)を見てきた。
見る前から、疲れていたこともある。
が、さすがに、疲れた!
2時間30分の長編。
これでもか、これでもか……と、動きの速いシーンがつづく。
もちろん3D。
意味のない、戦い。
わけのわからない、ゴタク。
理由付け。

王妃とか、ジェダイとか、……まあ、率直に、こんなくだらない映画とは、知らなかった。
途中で、目が痛くなった。
劇場を出ようかと思った。
少なくとも、老人向けの映画ではない。
2時間半の3D映画は、きつい!

この34年間で、映画の世界は大きく変わった。
同時に、それを楽しむ観客の意識も、大きく変わった。
(私の年齢も、プラス34歳になったこともあるが……。)
1978年当時受けた、あの感動は、もうなかった。

年若い……私の年齢から見ると、まるで子どものような少女が王妃(?)。
その王妃が、一国というか、一惑星の命運を握っている(?)。
一方、レザー光線すらもよけてしまう、ジェダイ(?)。
中世のナイト(騎士)をもじったのだろうが、見ているうちに、バカ臭さを覚えてしまった。
ついでに、スカイウォーカー。

年齢的には、7〜8歳前後か?
そんな子どもが、「選ばれし子ども」とか?
戦闘機に乗って、活躍する。

そう言えば、そんなような映画が、以前にもあったぞ。
生まれながらにして、仏陀の生まれ変わりとか、何とか。

水戸黄門の三つ葉葵の紋章よろしく、「王妃」と名乗っただけで、みなが頭をさげる。
まさに権威主義。
アメリカ人にも、そういう志向性があったとは、知らなかった。
(あるいは、もともと東洋向け映画?)

ともかくも、いくらボケ防止のためとはいえ、60歳以上の人は、見に行かないほうがよい。
自分でも眼圧があがるのが、よくわかった。
とにかく動きが速すぎる。
目の毒!
(子どもの目にも、よくないのでは……?)

次回は『Battleship』(3D)と考えていたが、そんなわけで、見るのをとりやめた。
今度また似たような映画を見たら、私は失明するかもしれない。
とくに3D映画は、よくない……というより、危険。
安全性が確認されたわけではないという点で、危険。

で、今朝は午前9時に起きた。
が、起きるとすぐ、目薬をたてつづけに、数回、さした。
気のせいか、乱視がひどくなったよう?
そんなわけで、評価、なし。
評価のくだしようが、ない。
期待していただけに、ガッカリ度も大きかった。

(警告)一度、この種の映画が、目に、どのような影響が与えるのか、調べてみる必要がある
のではないか。
もし影響があるとするなら、あらかじめ警告文を表示すべきではないのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小1児に、「直角」と「垂直」を教えてみました。

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●暴力映画

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

つぎの原稿は、『バトルロワイヤル』という映画が
話題になったとき書いたもの。
この映画が公開されたのは、2000年だったから、
そのころ書いたものということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●暴力映画を考えるとき 
 
●まき散らされたゴミ

 ある朝、清掃した海辺に一台のトラックがやってきた。そしてそのトラックが、あたり一面にゴ
ミをまき散らした……。

 『Bトル・Rワイヤル』という映画が封切られたとき、私はそんな印象をもった。
どこかの島で、生徒どうしが殺しあうという映画である。
これに対して映倫は、「R15指定」、つまり、一五歳未満の子どもの入場を規制した。

が、主演のB氏は、「入り口でチン毛検査でもするのか」(テレビ報道)とかみついた。
監督のF氏も、「戦前の軍部以下だ」「表現の自由への干渉」(週刊誌)と抗議した。
しかし本当にそうか?

 アメリカでは暴力性の強い映画や番組、性的描写の露骨な映画や番組については、民間団
体による自主規制を行っている。

【G】   一般映画
【PG】  両親の指導で見る映画
【PG13】13歳以下には不適切な映画で、両親の指導で見る映画
【R】   17歳以下は、おとなか保護者が同伴で見る映画
【NC17】17歳以下は、見るのが禁止されている映画、と。

 アメリカでは、こうした規制が1968年から始まっている。
が、この日本では野放し。
先日もビデオショップに行ったら、こんな会話をしている親子がいた。

子(小三くらいの男児)「お母さん、これ見てもいい?」
母「お母さんは見ないからね」
子「ううん、ぼく一人でみるから……」
母「……」と。
見ると、殺人をテーマにしたホラー映画だった。

●野放しの暴力ゲーム

 映画だけではない。あるパソコンゲームのカタログにはこうあった。
「アメリカで発売禁止のソフトが、いよいよ日本に上陸!」(SF社)と。
銃器を使って、逃げまどう住人を、見境なく撃ち殺すというゲームである。

 もちろんこうした審査を、国がすることは許されない。
民間団体がしなければならない。
が、そのため強制力はない。
つまりそれに従うかどうかは、そのまた先にある、一般の人の理性と良識ということになる。
が、この日本では、これがどうもあやしい。映倫の自主規制はことごとく空
洞化している。

言いかえると、日本にはそれを支えるだけの周囲文化が、まだ育っていない。
先のB氏のような人が、外国政府やT都から、日本やT都を代表する「文化人」として、表彰さ
れている!

 海辺に散乱するゴミ。
しかしそれも遠くから見ると、砂浜に咲いた花のように見える。
そういうものを見て、今の子どもたちは、「美しい」と言う。
しかし……、果たして……?

(参考)

●テレビづけの子どもたち

雑誌、「ファミリス」の調査によれば、小学3、4年生で45・7%の子どもが、また小学5、6年生
で59・3%の子どもが、それぞれ毎日2時間以上もテレビをみているという。

さらに小学3、4年生で71%の子どもが、また小学5、6年生で83・3%の子どもが、それぞれ
毎日1時間以上もテレビゲームをしているという(静岡県内100名の児童について調査・02
年)。

また2時間以上テレビゲームをしている子どもも、3、4年生で19・3%、5、6年生で41・
7%!

 これらのデータから、約6〜7割前後の子どもが、毎日3時間程度、テレビを見たり、テレビゲ
ームをしていることがわかる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●こんな事実もある

『2004年6月1日、この映画(R15+)のDVDを借りていた小学6年生の少女が小学校内で同級生
を殺すという佐世保小6女児同級生殺害事件があった。
が、この児童は小学3年生からこの小説のファンであり、事件の前にはこの作品の同人小説
の創作に夢中であった。
この事件のために、再編集版『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 REVENGE』の発売が延期となった
という』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 ここに書かれた事実は、重い!

●東京の文化人?

 B・たけし氏がどうというのではない。
彼は、タレント兼、俳優の1人に過ぎない。
しかしつぎの話は事実。

 たまたま先週、勉強の合間に、B・たけし氏の話になった。
きっかけは忘れた。
で、私はこう聞いた。
「B・たけしのこと、どう思う?」と。

 するとそれぞれが、こう答えた。
「気味が悪い人」
「何を言っているか、さっぱり理解できない」と。

 好意的に評価している中学生は、ひとりもいなかった。
私はそれを聞き、ほっとした。

が、こうした見方は、けっして中学生だけのものではない。
私とB・たけし氏は、たまたま同年齢。
似たような環境で生まれ育っている。
だが、私もあの人物が、どういう思想の持ち主なのか、さっぱり理解できない。
私とは次元のちがった、つまり崇高な(?)次元でものを考えているのかもしれない。
ともかくも、理解できない。

 B・たけし氏の特異なキャラクターは、それ自体は魅力的と思う。
しかしこの日本では、テレビへの露出度だけで、その人の評価は決まってしまう。
B・たけし氏は、その露出度では、ナンバーワン。
が、誤解してはいけない。

「Well-known(よく知られた)人物」と、 「Famous(有名)な人物」とは、区別する。
「Famous」は、「Fame(名声)」の形容詞形。
よく知られているから、それだけの人物と考えるのは、まちがい。
B・たけし氏は、よく知られた人物かもしれないが、「フェイマスな人」ではない。
少なくとも私は評価しない。
(相手も、私など、ゴミ程度にしか考えていないだろうが……。)

 が、B・たけし氏は、東京都を代表する文化人であり、フランス政府からは、日本を代表する
文化人になっている。
が、そういう話を聞くと、「では、文化とは何か?」と。
そこまで考えてしまう
 
 みなさん、文化って、何ですか?
文化人というのは、どういう人を言うのですか?
東京都のみなさん、教えてください!

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3月21日、終わって】

●養命酒

 寝る前に、養命酒をお湯に溶かして飲む。
それがこのところ、私の日課になっている。
で、今が、そのとき。

 ペットボトルに、下から数センチ程度、養命酒を入れる。
その上から、ペットボトルの半分程度まで、お湯を足す。
かなり薄くなっているはずだが、味としては、ちょうどよい。
アルコール度数が14%としても、4%前後にまで下がっているはず。
(養命酒のアルコール度数は、日本酒の16%と、それほど、ちがわないそうだ。)

 チビリ、チビリと飲んでいると、そのうち顔が上気してくる。
心臓の鼓動が速くなってくる。
ほどよく酔ったところで、寝床に入れば、そのまま安眠。

●3月21日

 今日、21日は、さえない日だった。
とくに収穫なし。
何をやっても、空回り。
時刻的には、もう床に入るころだが、そこで最後の(あがき)。
「このまま寝てなるものか!」と。

 で、あちこちのニュースサイトに目を通す。
が、その前に、あくびが出てしまう。
集中力は、ほぼカラッポ。
「カラッポ」というのも、おかしな言い方だが、(エネルギー=ガソリン)にたとえると、そうなる。
ガス欠状態。
カラッポ。

 そう言えば、昨日、書店で、2冊、単行本を買った。
ともに北朝鮮関係の本。
1冊は、「金正日と金正恩の正体」(文春新書)。
もう1冊は、居間に置いてある。

 その金正恩に権力世襲されたあとも、粛清がつづいているという。
「粛清」というのは、もともとは、「排除」という意味だが、あの北朝鮮では、「殺害」もしくは、「収
容所送り」を意味するらしい。

 一度、収容所へ送られたら、ほぼ、生きては帰ってこれない。
そのしくみは、江戸時代の日本のそれと同じ。

●拷問

 江戸時代には、裁判では、自白が、何よりも重要視された。
そのため江戸時代の拷問には、すさまじいものがあった。
一度、自白のための拷問が始まると、本人が自白するか、あるいは死ぬまで拷問がつづく。
自白か、さもなくば、死か、と。
途中でやめるわけには、いかない。
途中でやめると、幕府の沽券(こけん)に傷がつく。
「拷問してみましたが、自白しませんでした」では、すまない。

 同じく北朝鮮の粛清も、これまたすごい。
一度反逆者のレッテルを張られると、裸にされ、冷凍車に吊されて運ばれるという。
P195には、こうある。

「反逆者は、食肉用冷凍車に吊して移送」(同書)と。

 いわく「捕まえられた将校、高級軍人らは、衣服をぜんぶはがされ、手と足をしばられ、冷凍
車に食用豚肉のように吊されたまま、移送された」(「朝鮮日報」2009年2月29日)と。

 当人たちだけではない。
家族、ばあいによっては、一族もろとも。
その数は、金正日の時代だけでも、20万人以上。
金正恩の時代になってからも、かなりの数の人たちが粛清されているという。

 あの国は、何かにつけメチャメチャだが、そのメチャメチャにも、メチャメチャという一本の筋
(すじ)が通っている。
そのメチャメチャは、今もつづいている。

 朝鮮日報によれば、「粛清は、大砲を使ってなされる」※とか。
つまり大砲の砲弾で、髪の毛すら残さないように、殺される、と。

(注※……「朝鮮日報」より)
『北朝鮮の事情に詳しい消息筋が21日語ったところによると、昨年末に金正日(キム・ジョンイ
ル)総書記が急死した後、金正恩(キム・ジョンウン)氏が権力を掌握する中、北朝鮮軍部で前
代未聞の「粛清旋風」が巻き起こっており、処刑も大砲を使用するなど残忍なものになっている
という』(以上、朝鮮日報)と。

●「ダイアモンド」「銀行・証券、終わらざる危機」(3月17日)

 机の横には、週刊「ダイアモンド」誌がある。
まだほとんど読んでいない。
今日の午後になって、「抜けられない国債アリ地獄」(P36)を少し読んだ。

 平たく言えば、「裸の王様と化した日本国債」「暴落すれば銀行業界も、一蓮托生」というこ
と。
サブタイトルの通り。

 が、ここまでわかっていても、日本政府は動こうともしない。
いまだにゴタゴタつづき。
政権内部でさえ、足の引っ張りあい。

 このつづきは、明日、もう一度よく読みなおしてから、書いてみたい。

●「タイタニック」3D版

 近く、映画「タイタニック」3D版が公開されるという。
が、私は見ない。
昨夜、「スターウォーズ」を見て、懲(こ)りた。
目が痛くなった。
老体に、2時間半の3D映画は、きつい。
へたをすれば、失明。
危機感を覚えた。

 乱視がひどくなったようで、老眼鏡をかけても、どうも焦点が合わない。
その心配のある人は、見ないほうが、よい。

 で、あの「タイタニック」。
若い人たちは、あの映画の中のジャックとローズに、生き様の理想型を見たらしい。
称して「恋愛至上主義」。
タイタニック・シンドロームと、名づけてもよい。

 恋愛こそ、すべて。
たった1晩か2晩、ベッドの上で裸でからみあっただけで、それを(生涯の愛)と錯覚する。
またそうした愛にこそ、人生すべての価値が凝縮されていると錯覚する。
が、そんなものは、愛でも何でもない。
脳内ホルモンのなせるワザ。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでも、している。

 「恋愛」といっても、要するに、「肉欲の追求」。
同じ「愛」という言葉を使うが、仏教で言う「慈悲」、論語で説く「仁」とは、まったく異質のもの。
キリストが説いた「愛」とも異なる。

 日本人よ、あんな映画を見て、それを人生の理想型と考えるな!
ハリウッド流のフリーセックス論に、騙されるな!

●おやすみ!

 3月21日。
やっと寝る前になって、(らしいこと)が書けた。
ほどよく酔いが回ってきた。

では、おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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