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2012年         7月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

(2012年7月号)






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 7月 30日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●形と立体図形の学習をしました。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/iJvnKsXWTv0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(1)まず元気な子どもにする。
(2)角を削っていくのは、そのあと、ですね。

 そんな元気な5歳児の声をお楽しみください。

【おまけ・ぼたんインコのPippi】

●ボタンインコの頭のよさには、本当に驚かされます。
高校時代から、ずっと文鳥を飼っていましたが、ぼたんインコがこれほどまでに利口とは知りま
せんでした。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/7IYLykghx6s" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
2012/05/30

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【思春期vs発情期】(子どもの心を知るために)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

英語で「思春期」は、「adolescence」という。
「adolescnence」は、もともとは、「若々しさ」「発展期」という意味。

一方、日本語の「思春期」は、「ものを思う春」という意味。
が、私は最近、この「思春期」という言い方に、疑問を持ち始めている。
たしかにそういう部分がないわけではない。
多情多感。
感情の動きもはげしく、反応も速い。
好奇心も旺盛で、同時に自分の人生を見つめ始める。
そのつど悩み、苦しみ、そして「ものを思う」。

しかしその実態は、「発情」。
発情期。
発情し、本能と理性のはざまで、葛藤する。
人間は、他の動物のように、本能のまま考え、行動することができない。
いつも目の前に、大きな壁が立ちはだかる。
それが思春期ということになる。
つまり「ものを思う」というのは、あくまでも副次的なこと。
「本能」があり、それが「発情し」、理性とのはざまで、「思い悩む」。

そう解釈すると、あの思春期を、より正確に理解できる。
子どもたちの心理を、より性格に理解できる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●記憶喪失

 近く、こんな映画が、公開される。
予告編だけしか見ていないので、内容は正確ではない。
題名は忘れた。
(題名は重要ではない。)

 2人の若い男女が恋愛関係にある。
(婚約もしくは、すでに結婚していたかもしれない。)
女性は結婚指輪をしていた。
が、女性のほうが何かの事故にあい、記憶喪失状態になる。
同時に、男への愛を失う。

 男の方は女の愛を取り戻そうと、懸命に努力する。
女のほうも、努力する。
「たがいに奇跡を信じて……」と。

 実話をベースにしているらしい。
またこの種の話は、ときどき耳にする。
人は記憶喪失によって、記憶のみならず、ここに書いたように、相手への「愛」を失うこともあ
る。

●絶対的な愛?

 ここで最初の疑問にぶつかる。

 よく若い人たちは、(もちろん私たちも若いころは、そうだったが)、たがいに好きになると、永
遠の愛を誓ったりする。
「愛している」と。

が、この愛は、キリスト教で説く「愛」とは、まったく異質のもの。
あえて言えば、「性的欲望」をカモフラージュするためのものでしかない。
あるいは性的欲望の代名詞と考えてよい。
その一例が、先に書いた、記憶喪失とともに、相手への愛を失った女性である。
 
 もし、愛が絶対的なものであれば、つまり永遠の愛を誓うにふさわしいものであれば、消える
ということは、ないはず。
仮に消えても、再び顔を合わせれば、同じ思考回路を経て、脳内で同じような愛が生まれてく
るはず。

 ……少しわかりにくくなってきたので、もう少しわかりやすく説明する。

●ワイフの疑問

 結論から先に言えば、男と女が感ずる「愛」ほど、いいかげんなものはないということ。
たとえばワイフは、こんなことを言う。

 ワイフは市内の女子高校(当時)の出身である。
1クラス50名ほどいたという。
その友だちを見ながら、ワイフは高校時代にこう思ったという。

「本当にこの人たちは、みな、それぞれがそれぞれの相手を見つけ、結婚するのだろうか」と。

 で、それから十年……。
それぞれの人は、それぞれの人を見つけ、結婚していった。
ワイフは、「それが不思議でならない」と。

 性格も悪い。
容姿も悪い。
そんな友だちでも、ちゃんと相手を見つけ、結婚し、子どもをもうけた、と。

●愛の柔軟性

 となると、「愛」というのは、絶対的なものではないということになる。
もし絶対的なものなら、10人の男と10人の女がいれば、そのうち結婚できるのは、1組か2
組、あるいはせいぜい、3、4組?

 が、現実には、(もちろん独身を求める人もいるが)、10組のカップルが生まれる。
つまり(相手を求めて選ぶのではなく)、(身近にいる人の中から、1人を選び、自分をその人に
合わせていく)。
その過程で、「愛」という言葉が使われる。

 わかりやすく言えば、手の届かない高嶺の花よりも、身近にいる道ばたの花(失礼!)。
その花に自分を合わせていく。
もっとわかりやすく言えば、「だれでもいい。近くにいれば」と。
そういう意味では、ここでいう「愛」は、柔軟性に富んでいる。

●絶対?

 こう考えていくと、「絶対的な愛」など、もとから存在しない。
身近な人の中から、男も女も、最大限、自分にふさわしい相手を選んでいく。
結婚していく。
「その人が絶対!」というのは、その場かぎり。
そのときはそう思う。
しかし「絶対!」というのは、ありえない。
たまたまもっと(いい人?)が現われ、自分の手の届くところに入ってきたら、今度はその人と
恋愛関係に陥るかもしれない。

(現実に、そういう人がいる。
私の身近にいる知人の男性である。
自分の結婚式にやってきた別の女性に、一目惚れ。
結婚式をその場で、ドタキャンし、その人は、その一目惚れした人と、結婚した。
これは本当の話だぞ。)

 「絶対」と思うのは、あくまでもその人は知る人の範囲で、という意味である。
このことは、たとえば同窓会などに出てみると、よくわかる。
あるいは若いころ、交際していた人と出会うと、よくわかる。

 ときどきこう思う。
「私は、この人(女性)を、一時は死ぬほど好きだったはずなのだが、どうしてこんな人を好きに
なったのだろう?」と。

●恋愛の賞味期限

 だからというわけでもないが、記憶喪失とともに、相手への愛を失ってしまう人がういても、何
も不思議なことではない。
先にも書いたように、ここでいう「愛」には、それなりの柔軟性がある。
「Aさんがだめなら、Bさんで。Bさんもだめなら、Cさんで……」と。

 大切なのは、入り口ではなく、そのあと、2人で、どういう人生を組みたてていくかということ。
前にもどこかで書いたように、恋愛感情などというものは、脳内ホルモンの作用によって、生ま
れる。
どこかでフィーリングが一致すると、フェニルエチルアミンというホルモンが、脳内に充満する。
これを「フェニルエチルアミン効果」という。
その人は、空を飛ぶような甘い陶酔感に襲われる。

が、その脳内ホルモンにも、賞味期限がある。
長くて2年〜数年と言われている。
恋愛を何度も経験した人なら、その期間は、もっと短くなるかもしれない。

 そのときほとんどの男女は、結婚へとゴールインするが、もちろん「ゴール」ではない。
「スタートライン」。
そのときから2人で、無数のドラマを経験し、夫婦としての愛を深めていく。
そういう意味では、「愛」というのは、静かなもの。
音もなく、静かに流れていく。

 が、それについても、すでに何度も書いてきたので、ここでは、もう一度、原点に立ち返って
「愛」とは何か、考えてみたい。

●恋話(こいばな)

 今まで私たちは、「思春期」という言葉に、だまされてきた。
「思春期の最大のテーマは、自我の同一性(エリクソン)の問題です」などと、講演などで話して
きた。
しかし今どき、静かに自分の人生を考えている中学生や高校生など、ほとんどいない。
享楽的で刹那的。
場当たり的な人間関係の中で、右往左往している。

で、中身といえば、「発情期」。
またそう考えたほうが、わかりやすい。
そのことは、ファーストフード店にたむろする、若い男女を観察してみれば、よくわかる。
(思い)を語りあっている若い男女は、まずいない。
人生論を語りあっている男女は、さらにいない。
100%と言ってよいほど、中身は、「恋話(こいばな)」。

 そういった話が、つぎからつぎへと出てくる。
が、若い人を笑ってはいけない。

●入り口を入ったら出口

 60歳を過ぎた同窓会(中学&高校)でも、結局はその類の話に、花が咲く。
60歳を過ぎても、同窓生に会った瞬間から、中学時代、高校時代へと、心がタイムスリップす
る。
その間に、40年以上もの時間的空間があるはずなのに、それがつながってしまう。
入り口と出口がつながってしまう。
入り口を入ったら、そのまま出口。
で、話すことといえば、「恋話」。
昔のままの「恋話」。

 ……同窓会には、大学も含めると、もう30〜40回は出ているかもしれない。
しかし、ゆっくり話しあう時間がないこともあるが、いまだかって、人生論をしみじみと語りあっ
たことがない。
本来ならそういう話をしたいのだが、またそういう話になっておかしくないのだが、そういう話に
はならない。

 バカ話とバカ笑い。
(それが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)
それで終わってしまう。

●結論

 要するに「思春期」と構えるから、話がむずかしくなる。
しかし「発情期」とすれば、わかりやすい。
子どもたちの心理も、ぐんと理解しやすくなる。

 ごちゃごちゃと書いてきたが、私は、これからはそうする。
思春期前夜は、発情期前夜。
思春期は、発情期。
それでよい。

●ぼたんインコの発情期

 たまたまぼたんインコを飼い始めて1か月になる。
まだ幼鳥に近いが、この先、発情期が来ると、何かと飼いにくくなるという。
「ぼたんインコの飼い方」という本には、そう書いてある。
問題点も書いてある。

 たとえば背中をさすってはいけない……発情を誘発する。
巣箱は用意しないほうがよい……発情を誘発する。
発情期になったら、放鳥に注意する……逃げていってしまう、などなど。

 だったら人間の子どもについても、同じように考えればよい。

「発情期になったら……」と。

 刺激のある写真やDVDは、近くに置いてはおけない……発情を誘発する。
お金で欲望を満足させることを教えてはいけない……発情を誘発する。
発情期になったら、外出、外泊、家出に注意する……妊娠の危険性が高くなる。

 が、どういうわけか、そういう発想で、子どもの思春期を説いた本に、出会ったことがない。
どうしてだろう?

 たとえば私のことだが、高校2年生のとき、岐阜市にある県立図書館で、女体の解剖図を見
ただけで、興奮してしまったことがある。
外人相手の観光ガイドをしていたときのこと。
その娘を見ただけで、道を歩けなくなってしまったことがある。
その娘は、高校生だったが、今で言うタンクトップなる服を着ていた。
胸元が大きく開いていた。
当時の日本人で、そんな服を着ている女の子は、いなかった。

 こうした現象は、個人によってみなちがう。
が、その底流は、同じ。
「発情」。
「愛」などという言葉などは、それをカモフラージュするための、方便にすぎない。
つまり、「愛」とは、ただの言葉の飾り。
「ぼくは君を愛している」などと、回りくどいことは言わず、「ぼくは君と性KOUしたい」と言えば
よい。(KOUは、「交」のこと。BLOG禁止用語に抵触するので、こう書く。)
そのほうが、ずっとわかりやすい。
それが結論。

 今度ヒマがあったら、「発情期の子どもの心理」というテーマで、ものを書いてみたい。
そのほうが、繰り返しになるが、ずっとわかりやすい。

 さて、みなさんの子どもは、どうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 発情期 思春期 発情期前夜 
発情期の子どもの心理 はやし浩司 愛の絶対性 柔軟性)
2012/05/30


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本企業は、留学経験者を避ける】はやし浩司 2012ー05−31

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

韓国の朝鮮日報は、こんな記事を紹介している。
「日本企業は、留学経験者を嫌う」と。
アメリカのニューヨーク・タイムズ紙をベースにした記事である。
鋭いというか、アメリカ人でも、日本をここまで正確に分析している!
2012/05/31

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●休息を求めて疲れる

 たいへん興味深い内容である。
というのも、私自身が、それを経験している。
日本企業が求める社員と、留学経験者との間には、大きな壁がある。
朝鮮日報はそれを指摘し、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と結んでい
る。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++以下、朝鮮日報紙の記事+++++++++++

●留学経験者の採用を避ける日本企業

 米国の大学に在学している韓国人留学生は昨年基準で7万3350人、日本人留学生は2万
1290人だった。
日本は韓国の2.5倍の人口を抱えているが、米国の留学生数は3分の1に満たない。
日本では外国の大学出身者の就職が難しく、学生たちが留学したがらないためだ。

 米紙ニューヨーク・タイムズは29日付で、日本の企業は依然として留学経験者の採用を避け
ている、と報じた。
日本の企業には、組織に忠実で、組織から浮かない人材が適しており、外国の大学の出身者
は合わないという考え方が根付いていることが、その理由だという。
グローバルな人材を採用しない傾向は、グローバルマインドが求められる金融・文化・サービ
スなどの業界で、日本が苦戦している状況と無関係ではない、と同紙は伝えている。

 同紙によると、日本企業は「外国の大学の卒業生は他人に勝とうという気持ちが強すぎ、同
僚たちとうまく付き合えず、離職率が高い」と信じ込んでいるという。
東京三菱銀行の人事部関係者は「私たちが求める新入社員は、会社に長く尽くし、一貫性を
持って働ける人。
短期的な利益ばかりを求める人は望まない」と語った。
同行が1年間に採用する社員1200人のうち、外国の大学の卒業生は20人にも満たない。
日本企業の人事担当者1000人を対象にしたアンケートでも、外国の大学の卒業生を採用する
意向があると答えた担当者は25%以下だった。

 日本企業はまた、留学経験者が上下関係の厳しい日本の組織文化にそぐわないという偏見
も持っている。
英国のオックスフォード大学を卒業したある留学生は、日本企業の面接にはきはきした態度で
臨んだところ、面接官から「どうしてそんなにはきはきしているのか」ととがめられた。
また、米エール大学出身の留学生は、日本企業でインターンシップをしていたとき、上司の前
で腕組みをしたとの理由で注意された。
留学生たちは「日本がグローバル人材を受け入れる準備ができているのか、疑わしい」と口を
そろえる。

 こうした状況のため、就職活動中の大学生の中には、留学や語学研修経験をアピールすべ
きかどうか悩む人もいる。
米国で1年間語学研修を受けたある学生は「英語力を自慢すれば、面接官にうぬぼれていると
思われるため、つらい外国生活をどう乗り切ったのかに焦点を当てて紹介した」と話した。
日本のある教育委員会の委員は、日本が留学生を「家を出た子ども」のように見なしていると
し、「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」と危機感を募らせた。

++++++++++以上、朝鮮日報紙の記事+++++++++++

●企業型人間

 この記事を裏から読むと、こうなる。
日本企業が求める社員像というのは……

(1)他人に勝とうという気持ちが弱い人。
(2)同僚たちとうまく付きあえる人。
(3)会社に長く尽くし、一貫性を持って働ける人。
(4)短期的な利益ばかりを求めない人。
(5)はきはきせず、あいまいな返事をする人。
(6)腕組みをしたりして話さない人。
(7)英語が話せるなどと、うぬぼれた様子を見せない人。

●ポケット

 若いころ、某テレビ局の某番組に出たことがある。
そこで本番直前、ディレクターから、いきなりこう注意された。
「ポケットから手を出せ」と。
私は片手を、ズボンのポケットに手を入れていた。
無意識下の行為である。

 が、当時も今も、欧米人の多くは、ポケットに手を入れて話す。
大学の教授でも、ポケットに手を入れて話す。
何でもない行為である。
が、「それはまずい!」と。

 ここに書いた、(6)「腕組みをしたりして話さない人」というのは、それをいう。
マナーの問題というより、バカげている。
つまりそんなことを問題にすること自体、バカげている。
が、この日本では、問題?

●和をもって、貴しとなす

 要するに集団の中で、静かに、おとなしく、『和をもって、貴(とうとし)しとなす』式に仕事をす
る人のほうが、好ましい、と。
そういうこと。

 が、これは日本の基準であって、世界の基準ではない。
つまりこれだけグローバル化が叫ばれながら、しかも戦後65年にもなろうとしているのに、日
本の社会は、ほとんど変わっていない。
私はこの記事を読んだとき、「1970代の話か」と思った。
1970年代には、たしかにそうだった。

 言い換えると、私たち日本人の体質には、骨のズイまで、封建主義思想が刷り込まれてい
る。
「私はちがう」と思っている人にしても、そうだ。
そう思っているのは、あなただけ。
We are Japanese!

●変わった男

 こうして日本人は日本人に作られ、企業戦士となり、企業で一生を終える。
それがどういう人間かは、その人にはわからないだろう。
少し前、大学の同窓会に出たときのこと。
あとでYOUTUBEを再生してみて気がついたが、だれか※が私にこう言った。

「林(=私)は、昔から変わった男だと思っていたが、今でも変わらんな」と。

 興味のある人は、つぎのYOUTUBEを見てほしい。
前半部(2分57秒部)に、その声が入っている。

http://youtu.be/1iAyFSKXeqI

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/1iAyFSKXeqI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

しかし本当に変わっているのは、どちらなのか?
……といっても、日本的な基準から見れば、私はたしかに変わっている。
自分でもそれはよくわかっている。
その友人は、それを指摘した。

●名刺
 
 今でもそうだ。
この日本では、どこかの組織に属していないと、とかく生きにくい。
相手も安心しない。
こちらも居心地が悪い。

 私が名刺を渡すと、みな、かならずと言ってよいほど、裏まで見る。
表には、「はやし浩司」と住所しか書いてない。
裏は、もちろん白紙。
つづいて、みな、一瞬、けげんそうな表情を浮かべる。

 これが日本。
私たちの国、日本。
しかし「このままでは、日本は国際競争で立ち遅れてしまう」。
(すでに、そうなりつつあるが……。)

●その結果

 皮肉なことに、その結果が、60代になると、はっきりとわかるようになる。
退職後も、退職前の会社を大切にしている人は多い。
退職前の肩書きや地位を引きずっている人も多い。
が、この(こだわり)こそが、問題。

……と私は思うが、そうでない人には、そうでない。
意識というのはそういうもの。
相対的なもの。
私のほうが、問題ということになる。

 が、私は率直にこう思う。
「みんな、会社という組織のために、犠牲になった人たちだな」と。
一度しかない人生を、会社という組織を守るために、棒に振ってしまった。
……というのは、書き過ぎかもしれないが、事実は事実。
「自分のために、自分で生きる」という原点そのものが、最初から、ない。
気がついてみたら、自分の人生は終わっていた(?)。

 ……昔書いた、『休息を求めて疲れる』という原稿を思い出した。
それを探してみる。
休息を求め、私たちは働きつづけてきたが、やっと休息を手に入れたと思ったとたん、人生は
終わっていた……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

休息を求めて疲れる

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「休息を求めて疲れる」。

 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできなくなる」とい
う意味である。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。

 ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。
「ならば、なぜ今、しないのか?」と。

私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があると
いうのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。
これが原点だ。

だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円
は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければなら
ないのか。

未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。

幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学
は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることはできな
い。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。

学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」
と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれるもの
だが、それから解放されたとたん、その願望も消える。

先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、
その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。
退職したとたん、その気力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。
明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



 だからといって、どちらが正しいとか、そうでないとか、そういうことを書いているのではない。
人、それぞれ。
企業戦士になりながらも、自分をしっかりともっている人もいる。
私のようにフリーになっても、失敗に失敗を重ね、貧乏のどん底を這っている人もいる。

 が、どうであれ、日本も変わらなければならない。
変わって、世界の標準に自らを合わせなければならない。
が、その前に一度、あの封建時代を、精算しなければならない。
それをしないかぎり、つまりいつまでもNHKの大河ドラマばかり見ていたのでは、日本には明
日はない。

 このニュース記事を読んだとき、そう感じた。

(注※)「だれか」……大手I商社で、定年まで勤めた友人

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 NHK 大河ドラマ はやし浩司 
休息を求めて疲れる 日本人像 日本企業が求める日本人像)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ローソクの残り火】はやし浩司 2012−06−01

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/dNnfFY2_Lqo" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(年中4歳児に、形と図形を教える)(はやし浩司 2012ー05−31)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昼間は見えない。
明るい日差しのもと。
ローソクの灯も、小さな炎。

が、夜になると、その炎が、薄闇の中で、やさしく燃える。
ゆらゆらと、あたりを照らし、ついで、私の過去を照らす。
ローソクの残り火。
人生の残り火。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●孤独

 死ぬことは、恐怖でも何でもない。
一瞬の眠りが、そのまま永遠の眠りになる。
すでに何度か、模擬体験をしている。

が、そこに至る孤独が怖い。
徐々に蝕(むしば)まれていく、肉体と心。
その先は、暗闇に包まれた袋小路。

 じっと耐える。
闇の中で、静かに目を閉じ、孤独に耐える。
けっして癒されることのない、底なしの孤独。

●モノ

 先日、オーストラリアの友人が、私の家に来てくれた。
銀製の飾り物をくれた。
が、私にはモノへの執着心が、すでにほとんどない。
うれしいというより、どうしたらいいか。
それを先に考えてしまう。

 事実、私の家からは、モノがどんどんと消えている。
縁のあった人や、子ども(生徒)たちに、分け与えている。
旅行先で買ったみやげものや、記念品。
昔から実家にあった、骨董品や壺。
コレクションで集めた飛行機や、船の模型、などなど。

 ビーズで作ったネックレスも、一時は、何十個もあった。
が、今は、1〜2個を残すのみ。
置物や掛け軸は、たいはんが、消えた。
古い切手は、ほとんどを使ってしまった。
古銭も、今では、ただの賞品。
がんばった子どもに、賞品として、与えている。

 だから当然のことながら、ここ4〜5年、モノは買っていない。
必要なモノ以外は、買っていない。

 で、ワイフがときどき聞く。
「あなたは何がほしいの?」と。

 私はすかさず、こう答える。
「思い出かな……」と。
が、これでは答にならない。
そのあと、「健康」「仕事」……と、答える。

●どう死ぬか

 どう生きるか。
が、もっと考えるのは、どう死ぬか。
生きるのもたいへん。
死ぬのもたいへん。

宇宙から見れば、点にもならない小さな空間。
そこで私は生きてきた。
生きている。
が、つぎの瞬間には、煙のように消える。

 が、ただの煙にはなりたくない。
この世に「はやし浩司」が生きたという証(あかし)を残したい。
その証が、つぎの世代の人たちの、1歩とまではいかないにしても、半歩でも役にたてばよい。
が、それとてぜいたくな話。

 で、考える。
どう死ぬか。

●愚かな人vs賢い人

 が、
ないものねだりほど、老後をみじめにするものはない。
……ということが、おぼろげながら、わかり始めた。

 大切なことは、そこにあるものに、感謝する。
これは私のワイフが教えてくれた。
が、その感謝がむずかしい。

 愚かな人は、それを失って、その価値を知る。
賢い人は、それを失う前に、その価値を知る。
が、問題は、どうすれば、その賢い人になれるか。
それが「感謝」ということになる。

 これについても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【老齢期の統合性】

●生きる価値

 賢い人は、失う前に、その価値を知り、愚かな人は、失ってから、あわてて、その価値を知
る。

 わかりやすい例では、健康がある。
健康のときは、健康の価値というのがなかなかわからない。
病気になったり、けがをしたりしたときに、その価値がわかる。

 同じように、仕事がある。
仕事をしているときは、仕事をしていることに価値というのが、なかなかわからない。
「早く休みになればいい」とか、「できるだけ楽をしたい」とか、考える。

 しかしその仕事がなくなると、とたんに心の中に、ポッカリと穴があいたような状態になる。
それがわからなければ、その反対の状態を想像してみればよい。
もしあなたがこう言われたとしたら、あなたは、どう思うだろうか。

 「あなたはもう、何もしなくていい。
あなたの役目は終わった。あなたには用はない」と。

 あなたはそれを喜ぶことができるだろうか。
「長い休暇を手にした」と、喜ぶことができるだろうか。
答は、NO!、のはず。

 人間の価値は、他者とのかかわりの中で、決まる。
同時に、生きる価値も、他者とのかかわりの中で、決まる。
いわんや、死を待つだけの人生に、いくら健康であっても、あなたは、それに耐えることができ
るだろうか。

 私の知人にこんな老人がいる。
55歳で定年退職してからというもの、優雅な(?)年金生活。一日とて、働いたことがない。
間に、数年ほど、地区の補導委員のようなことはしたことがある。
が、それだけ。
近所のゴミ拾いすら、したことがない。

 家の裏に70〜80坪ほどの畑をもっているが、まさに庭いじり三昧(ざんまい)。
健康なときは、朝から夕まで、その庭で遊んでいた。

 が、このところ健康が、思わしくなくなってきた。
年齢は85歳を超えているのではないか。肥満も重なった。歩くのもままならない。
ときどき、妻に支えられて、庭の中を行ったり来たりしている。

 つまりその老人は、定年退職と同時に、死んだも同然という状態になった。
一見、うらやましいような老後生活に見えるが、しかしそんな生活を、だれも、理想的とは思わ
ない。
その老人は、30年という年月を、1年、あるいは1か月にして過ごしているだけ。

 (少し、言いすぎかな?)

 私も、ある時期、教材づくりに没頭したことがある。
それなりに楽しかった。
お金にもなった。
しかし今、振り返ってみると、そこに何もないことを知る。
反対に、だれかに利用されただけという思いだけが、今になって、後悔の念ばかりが、胸をふ
さぐ。

 つまり仕事といっても、中身の問題もある。
そういうことはあるが、「時間を無駄にした」という思いは、年齢とともに、ボディブロウのよう
に、ジワジワと体に響く。

●我ら、ヤング・オールド・マン!

 さあ、私は心に決めた。
もうすぐ満60歳になるが、その日を、私の満30歳の誕生日とする。
その日を境に、私はもう一度、がむしゃらに働く。その日からではない。
今日、今のこの瞬間から、がむしゃらに働く。

 どうしてこの私が、老人臭く生きなければならないのか。
老人臭くならなければならないのか。老人らしく生きなければならないのか。

 私は自分がすべきことをやる。
(とりあえずは、書きたいことを書く。)
だれのためでもない。
私のためだ。私自身の命のためだ。

 「統合性」という言葉がある。
私のエッセーでも、たびたび取りあげてきた。
その統合性というのは、(自分のすべきこと)と、(自分のしていること)を一致させることをい
う。(自分のすべきこと)というのは、ほとんどのばあい、(自分のしたいこと)ではない。
それはたとえて言うなら、寒い夜に、ジョギングにでかけるようなもの。

 だれだって、コタツの中にうずくまっていたい。
楽をしたい。しかしそれでは、自分の健康を維持することはできない。

 統合性についても、同じ。
「したくないから、しない」というのでは、もとから統合性など、望むべくもない。

 そうの統合性の確立させる。
それが老後を心豊かに生きる、秘訣ということになる。

 ただしそれには条件がある。

 統合性を確立するためには、無私無欲でなければならないということ。
打算や功利が混ざり込んだとたん、統合性は、そのまま霧散する。

(結果として、それが利益につがったとしても、それはあくまでも、結果。目的であってはいけな
い。)

 それにこの統合性は、一朝一夕に確立できるようなものではない。
「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後から、その準備に入らなければならない。
「定年退職をした。さあ、統合性を確立しよう!」と考えても、遅いということ。
よい例がボランティア活動。その基礎づくりは、40歳でも遅すぎる。
30歳でも遅すぎる。10代、20代のころからはじめて、その人の基礎になる。

【統合性、チェック・テスト】

(1) 毎朝、起きると、すぐ、すべきことが、あるか?
(2) 毎朝、起きると、すぐ、何かをし始めるか?
(3) 毎日、したいこと、すべきことが、はっきりとしているか?
(4) 毎晩、眠る前に、その日の充実感を覚えるか?
(5) 毎晩、眠る前に、明日の計画が、思い浮かぶか?

 これらのテストで、5項目とも当てはまれば、統合性の確立した人ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 統合
性 老齢期の統合性 老齢期の生きがい 統合性 チェックテスト チェック・テスト はやし浩
司 賢い人 愚かな人 感謝)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●感謝

 こうして元気なことに感謝する。
ものが見える。
ものが聞こえる。
ものを考えられる。
それに感謝する。

 すべてはここから始まる。
命がないことを嘆くのではない。
今まで生きてきたことに感謝する。

 そう言えば、釈迦も同じことを教えている。
それが今朝の結論ということになる。

 過去に書いた原稿を2作、添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ふつうこそ最善

 ふつうであることにはすばらしい価値が隠されている。
賢明な人はその価値をなくす前に気づき、そうでない人はそれをなくしてはじめて気づく。
健康しかり、家族しかり、そして子どものよさもまたしかり。

 私は三人の息子のうち、二人をあやうく海でなくしかけたことがある。
とくに二男が助かったのは奇跡中の奇跡。
そういうことがあったためか、それ以後、二男の育て方がほかの二人とは変わってしまった。
二男に何か問題が起きるたびに、私は「ああ、こいつは生きているだけでいい」と思いなおすよ
うになった。
たとえば二男はひどい花粉症で、毎年その時期になると、不登校を繰り返した。
中学二年生のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。
しかしそのつど、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、私は乗り越えることができた。
 子どもに何か問題が起きたら、子どもは下から見る。
「下(欠点など)を見ろ」というのではない。
「生きている」という原点から見る。が、そういう視点で見ると、あらゆる問題が解決するから不
思議である。
またそれで解決しない問題はない。

 ……と書いて余談だが、最近読んだ雑誌の中に、こんな印象に残った話があった。
その男性(五〇歳)は長い間、腎不全と闘っていたが、腎臓移植手術を受け、ふつうの人と同
じように小便をすることができるようになった。
そのときのこと。その人は自分の小便が太陽の光を受け、黄金色に輝いているのを見て、思
わずその小便を手で受けとめたいうのだ。
私は幸運にも、生まれてこのかたただの一度も病院のベッドで寝たことがない。
ないが、その人のそのときの気持ちがよく理解できる。
いや、最近になってこんなふうに考えることがある。

 私はこの三〇年間、往復約一時間の道のりを、自転車通勤をしている。
ひどい雨の日以外は、どんなに風が強くても、またどんなに寒くても、それを欠かしたことがな
い。
しかし三〇年もしていると、運動をしていない人とは大きな差となって表れる。
たとえば今、同年齢の多くの友人たちは何らかの成人病をかかえ、四苦八苦している。
しかし私はそうした成人病とは無縁だ。
そういう無縁さが、ある種の喜びとなってかえってくる。
「ああ、運動をつづけてよかった」と。
その喜びは、小便を手で受けとめた人と、どこか共通したものではないか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●それ以上、何を望むか

 法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。
あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言う。
「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。
どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦はこう言う。
「明日のないことを嘆くな。
今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。
「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。
そういう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。
「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではないか。
それ以上、何を望むのか」と。

 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。
東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査によると、自分の子どもを「気が合わない」
と感じている母親は、七%。
そしてその大半が何らかの形で虐待しているという。
「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代
連鎖もうかがえる」とも。
七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、そ
れ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。
言いかえると楽な子育てというのは、そもそもない。
またそういう前提で考えるほうが正しい。
いや、中には子どものできがよく、「子育てがこんなに楽でいいものか」と思っている人もいる。
しかしそういう人は、きわめて稀だ。

 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。
もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつまらないものであったか、と。
人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子どもは私という親に、まさにそのド
ラマを提供してくれた。
たとえば子どものほしそうなものを手に入れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、
家路を急いだことが何度かある。
もちろん悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を
与えてくれた。
もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。
その証拠に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかの
ような感じがする。
あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。
今でもいろいろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。
「お前たちのおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。
今まで楽しかったことだけを考えて、前に進めばよい。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【東海北陸自動車道・4車線化への疑問】
諮問委員会とは何か?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

私は昨年の秋、福井県の大野から電車に乗り、九頭竜川ダムまで。
そこからタクシーで、岐阜県の白鳥町まで、行った。
グーグルアース上で、直線距離にして、約22キロ。
以前は、バスも走っていたというが、採算が合わず、廃止。
さらにその前は、越美北線(旧国鉄)の建設が予定されていたが、これも中止。
で、その高速道路になった。

豪華の上に「豪華」を、3〜4つつけてもよいほど、立派な道路。
白鳥町へ下りるあたりでは、ループ式のトンネルになっていた。

が、料金は、ただ。
無料。
交通量が少なく、料金所に立つ職員の人件費も出ない。
それで、ただ。
無料。

秋の行楽シーズンだったが、すれちがった車は、ほんの数台。
……というか、数えていなかったが、記憶に残らないほど、少なかった。
タクシーの運転手ですら、あきれるほどの、無駄遣い。
料金は、4000円だった。

今、日本全国で、こうした道路を数えたら、キリがない。
無駄というより、今後の維持費を計算したら、ゾッとする。
が、無駄使いは、止まらない。
今度は同じく白鳥町から、飛騨清見までの4車線化。

あのあたりを車で走ったことがある人なら、みな、知っている。
町という町は、ほとんどない。
白鳥町にしても、小さな田舎町。
車で市内を走ったら、3〜4分でつき抜けてしまう。
そんな町から、飛騨清見まで、4車線化?
距離は約41キロ※。
地元の土建業者たちは、パーティまで開いて大喜び。
そこへ自民党議員も民主党議員も列席。
費用は、???億円!

費用はもちろん、すべて借金。
さらに借金の上に、借金を積み重ねての、借金。
すでにその額、31兆円以上!

バカげているというより、同じ日本人として、情けない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●有識者というウソ

 官僚たちは、「諮問委員会」という委員会をたちあげる。
どういう経緯で、どういう委員を選ぶか、それすら明確ではない。
たいていは「YESマン」のみ。
それを称して、「有識者会議」という。

 2002年9月(10年前)に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●諮問機関という、ごまかし

 官僚が世間を動かすとき、きまって使われる手法が、「諮問(しもん)委員会」の設立である。
懇談会、研究会、検討会、審議会などという名称を使うこともある。
(名称は決まっていない。
教育の世界には、中央教育審議会などがある。)

 まずもっておかしいのは、委員を選ぶときの、その人選のし方。
不明確、不明瞭。
どういう基準で、だれが選んでいるかが、まったくわからない。
委員ですら、どうして自分が選ばれたのか、わからないときがある。
関係機関に問い合わせても、「お答えできません」と言われるのみ。
もちろん委員に選ばれるのは、「イエス・マン」だけ。この世界には、こうした諮問機関をつぎか
らつぎへと渡り歩いている「有識者?」がいくらでもいる。

 そうして委員会は始まるが、(そうした会議はテレビでもよく紹介されるから、みなさんもご覧
になったことがあると思う)、会議での討論内容のほとんどは、あらかじめ官僚によって作成さ
れる。
そして座長と呼ばれる人が、それを順に読みあげ、「いかがですか?」「ご意見は?」という調
子で、会議が進んでいく。
時間は委員一人あたり、約五〜一〇分程度。
一方的に意見を述べるだけ。
討論に発展することは、まずない。
大きな諮問委員会でも、回数は五〜六回程度。
最後に座長が、官僚の意向にそった結論をまとめて、文書にして、答申する。
それでおしまい。

 あとはいわゆる「お墨付き」を得た官僚は、その答申をもとに、したい放題。
大きな国家プロジェクトの大半は、こうして決まる。
空港も、高速道路も、港も、はたまた博覧会も。
日本が官僚主義国家だと言われるゆえんは、こんなところにある。

 さて今夜も、あちこちの諮問委員会の模様が、テレビで報道されることだろう。
一度、ここに書いたような知識を頭に置きながら、ああいった委員会をながめてみたらよい。
あなたも諮問委員会のもつおかしさに、気づくはず。
(02−10−17)※

●さらにおかしいのは……

 さらにおかしいのは、こうした諮問機関に対して、反対(異議)を唱える機関が存在しないこ
と。
たいていは、それなりの人物(著名人や学識経験者)を並べる。
まさにそこは水戸黄門の世界。
葵の紋章をかかげ、「控えおろう!」と。
反対運動など、この日本では、起きるはずもない。
国民自体が、キバを抜かれてしまっている。
おとなしく、ハキがない。

 で、またまた借金。

●消費税UPと行政改革

 今の日本の放漫財政を見れば、消費税UPは、不可避。
やるならできるだけ早いほうがよい。
しかし10%程度の消費税では、焼け石に水。
25%でも、きびしい。
モタモタしていると、世界が日本の国家運営に疑問符をつける。
とたん、日本国債は奈落の底に。
「日本政府に危機管理能力、なし!」と。

 が、その前にやるべきことがある。
無駄遣いの是正。
つまりは徹底した行政改革。
公務員の削減と、人件費の削減。
その上で、消費税をUPしないと、国民が納得しない。
公務員だけが我が世の春を謳歌しながら、消費税UPは、ない。
あるとすれば、「国もろとも、奈落の底へ」。

●不気味な静けさ

 しかしこの静けさは、いったい、何なのか。
日本人は、あたかも何ごともないかのように、また何ごとも起きないかのように、のんびりと暮
らしている。
国の借金など、どこ吹く風。
少し前、新東名(第2東名)が一部開通した。
それについても、マスコミは、祭騒ぎ。
ただの祭騒ぎ。
またそれを伝えるのが、マスコミの使命と思い込んでいる。

 「これで東名(旧東名)の渋滞は解消されます」と。

 マスコミ自体が、政府の広報機関になりさがってしまっている。
批判精神ゼロ。
追及精神ゼロ。
問題精神ゼロ。

ウソは書かないが(=報道しないが)、本当のことも書かない(=報道しない)。
しかしこの静けさこそ、不気味。
私たちが知らないところで、国政が大きくゆがめられていく。

 どうしてあんな田舎に、高速道路が必要なのか?
超の上に超がつく、超豪華高速道路。
道路にもいろいろな建設の仕方があるのだろうが、あまりにも豪華すぎる。
少しでも外国の道路を走ったことがある人なら、だれにだってわかること。

 もうこういうバカげた土木建設は、やめよう。
2012/06/01記

(注※)
『NEXCO中日本は、東海北陸自動車道(白鳥IC〜飛騨清見IC)4車線化事業、東京外かく環状
道路[中央JCT(仮称)〜東名JCT(仮称)]、名古屋環状2号線[名古屋西JCT〜飛島JCT(仮
称)]及びスマートIC(6箇所)について、道路整備特別措置法第3条に基づき、2012年4月20日
に国土交通大臣の事業許可を受けましたのでお知らせします。


◇事業許可を受けた事業

(1)東海北陸自動車道 [白鳥(しろとり)IC〜飛騨清見(ひだきよみ)IC]4車線化    延長:約
41km』

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年に書いた原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●道路の落ち葉(没落する日本、いいのか、このままで!)

+++++++++++++++++++++

このあたりでも、道路の落ち葉を、「ゴミ」と
考える人が増えてきた。
落ち葉といっても、街路樹からの落ち葉。
そのたびに、市の担当課に電話が入る。
「ゴミを何とかしてほしい」と。
が、落ち葉はゴミではない。
自然の循環物。
それが気になるなら、自分で掃除すればよい。
つまりそれをしないから、役人の数ばかり増える。
外郭団体の数ばかり増える。
つまりその分だけ、税金が高くなる。

今、日本の求められている最大の課題は、行政改革。
公務員の削減。
簡単に言えば、公務員の人件費の削減。
本来なら自分たちですべき仕事まで、役所に
させてしまう。
頼んでしまう。
それをよいことに、役所は役所で、どんどんと
権限を拡大し、天下り先としての外郭団体を
増やしていく。

その結果が、今。
日本の法人税の表面税率は、40%(40・7%)を
超えている。
世界でも、最高額!

「日本の論点」(文藝春秋)は、キャノンを例に
あげている。
キャノンの法人税率は、38%。
韓国のLG電子が、19・2%。
アメリカのインテル社が、27・6%(「同書」)。
しかしこれでは勝ち目はない。

はっきり言えば、日本の民間企業は、役人を
食べさせるために金(マネー)を稼いでいるようなもの。
が、これだけではない。
一事が万事。
「日本の論点」は、ほかに、港湾のコンテナ
取り扱い料金、空港の着陸料などの例もあげている。
すべて高額。
ついでに食料品も高額。
他国のそれと比較するまでもない。

さらに悲しむべきことに、東証一部の外国企業は、
とうとう10社になってしまった(2010年9月現在、同書)。
ニューヨーク、ロンドン、シンガポールの
証券取引所には、それぞれ数百社以上もの外国企業が
上場しているというのに、10社以下(同書)。
理由は、翻訳料の負担。

……しかし日本の現状が、ここまで悲惨なものとは、
私も思っていなかった。
想像以上。
あまりにもひどい!

+++++++++++++++++++++

●公務員の給料

 いまだに闇に包まれているのが、公務員の給料。
給料というより人件費。
諸手当を含む、総人件費。

が、いったいいくら使われているのか、使われていないのか、それすらわからない。
 さらに驚くべきことに、公務員の給料をあれこれ書いただけで、批判の嵐にさらされる。
が、何も私は無理なことを書いているのではない。
「公表したらいい」と書いているだけ。
またそれですべての問題が解決する。
どうしてそんな、当然とも言えるべきようなことが、この日本ではできないのか。

●立派なのは……

 もう20年ほど前になるだろうか。
飛騨高山線で高山から名古屋に向かっているときのこと。
断続的に、ひなびた町や農村がつづいた。
農村というより、寒村。
そんな町や村の中に、ときどき場違いなほど立派なビルがあるのを知った。
それが私にはちょうど、虫歯だらけの口の中にある、金歯のように見えた。
おかしな例(たと)えに思う人もいるかもしれないが、私には、そう見えた。

 で、つぎの駅から、私は目を凝らして、そういう建物が何であるかを見た。
結果……。

もうここに書くまでもない。
公共施設の建物である。

 どうしてこの日本では、公共施設ばかりが立派なのか。
豪華というより、札束を敷き詰めて建てたようなものばかり。
会館にはじまって、図書館、公民館、道路などなど。
最近開港した静岡空港にしても、そうだ。

わずかな利用客のために、静岡県は目の玉が飛び出るようなビルや関連施設を建てた。
オーストラリアにも地方空港はあるが、どこも小さなビルだけ。
雑草の中に滑走路が走っているだけという空港も、少なくない。

●おかしな完ぺき主義

 少し前、シドニーでオリンピックが開催された。
そのときのこと。
私はマラソンコースを、テレビで見ていて、唖然とした。
日本ではまず、見かけられない道路である。
スタートやゴール付近の道ですら、でこぼこというか、つぎはぎだらけ。
私の住む団地内の道路でも、それよりもはるかに立派。

 土木技術の差というよりは、金(マネー)のかけかたのちがいということになる。
掘っては埋め、掘っては埋め、それを毎年のように繰り返している。
この状況は、あなたが住んでいる市町村でも同じのはず。
そして意味のない道路標識が、角によっては、5〜7本ずつ、立っている。
あの道路標識にしても、1本が120万円前後とか(20年ほど前に聞いた話、伝聞)。

 粗悪なものよりは、良質なもののほうがよいに決まっている。
しかしそれにも限度がある。
「公共」という呼び名がつくと、それが「超豪華」なものに変身する。
これ称して、「おかしな完ぺき主義」。
やらなくてよいようなところまで、完ぺきに仕上げる。
が、これではいくらお金があっても、足りない。
その結果が、今。

●原点

 一方、私は浜松市内と、郊外の山荘での、二重生活をしている。
距離にして20キロ足らず。
車で35〜40分の距離。
しかし生活姿勢は、まったくちがう。

 山荘の周辺では、道路工事ですら村の人たちが出て、自分たちでする。
道路沿いの草刈りですら、自分たちでする。
落ち葉など、気にする人はいない。
あっても、自分たちで、清掃する。

 それがその村の人たちの基本的な生活姿勢。
が、どちらが原点かと言えば、当然、こちらのほう。
つまり自分たちの生活環境は、自分たちで守る。

●質素革命

 日本の政府は、お金をかけるべきところを、完全に見誤った。
かけなくてもよいようなところに、無駄なお金をかけ、かけるべきところにかけない。
その結果が、今。

 もう一度、ここを読んでほしい。
「……さらに悲しむべきことに、東証一部の外国企業は、
とうとう10社になってしまった(2010年9月現在、同書)。
ニューヨーク、ロンドン、シンガポールの
証券取引所には、それぞれ数百社以上もの外国企業が
上場しているというのに、10社以下(同書)。
理由は、翻訳料の負担」。
時事通信社は、「日本語による経営情報の開示など企業側の負担が大きく、
コストに見合う上場メリットが見いだせないことも外資の撤退に拍車を
かけている」と報道している(2008年)。
いいのか、このままで!

……と叫んで、この話は、おしまい。
既得権益者、つまり公務員の壁を破るのは、容易なことではない。
 

Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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●インコのピッピ(2012/05/29)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7290801728/" title="DSC02761 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7231/7290801728_
09156b60fc_s.jpg" width="75" height="75" alt="DSC02761"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7290801496/" title="DSC02760 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7096/7290801496_
360bb3f043_s.jpg" width="75" height="75" alt="DSC02760"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7290801154/" title="DSC02759 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8147/7290801154_
74dc12b14c_s.jpg" width="75" height="75" alt="DSC02759"></a>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

インコのピッピが、我が家へ来て、3週間。
日々に、利口になる。
驚く。

おととい、3D迷路を模造紙で作ってやった。
1回目は迷ったが、2回目からは、スイスイ。
そこで……ということで、今度はさらに
複雑な3D・立体迷路を作ってやった。
称して「ピッピの要塞」。

が、これも10〜20分足らずで、完全制覇。
そのあとは、その要塞の中を、左右、上下、
自由に走り回っている。
外へ出そうとしても、いやがって出てこない。
インコの知的能力に、またまた驚く。

明日、午前中が空いているので、さらに
複雑な立体迷路を作ってみる。
ピッピに遊ばせてみる。
どんな反応を示すか、楽しみ。

人間とインコを同一視することはできない。
しかし今が重要。
生後2か月のインコだが、今をおいて、
知的能力を伸す時期はない。
好奇心が、きわめて旺盛。
その好奇心を利用し、知的能力を伸す。
この時期をのがすと、好奇心は急速に薄れる。
同時に、学習させても、効果は、ほとんどない。
脳の思考回路が、硬直化するためと考えてよい。
決まったことはできるが、それ以外のことはできない。

人間とインコのちがい。
つまり、その知的好奇心旺盛の時期が長いか、短いか。
そのあたりにあるのではないか。
人間は長い。
インコは短い。

言い換えると、いかにしてその知的好奇心を持続させるか。
さらに言えば、いかにして新鮮な刺激を与えつづけるか。
それによって、その子ども(インコ)の能力は決まる。

42年間してきた私の経験が、インコの飼育で役に立つとは!
考えもしなかった。
一説によれば、インコの知的能力は、人間の3歳児(某サイト)とか。
であるなら、それを私は自分で確かめてみたい。
同時に、それを4歳、5歳まで伸してみたい。
おもしろい実験ができそう。

と、同時に、我が家が急に明るくなった。
インコのピッピを中心に、家族の話題が多くなった。
息子も、あれこれいろいろなおもちゃを、手作りしている。
ピッピを楽しませている。

毎日、家に帰るのが楽しみになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【年長・5歳児に3D(立体図)を教える】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/grme6OJdtes" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

途中、反復作業をさせましたが、子どもたちは驚くべき集中力を見せてくれました。
早めにきりあげ、つぎのレッスンに移りたかったのですが、そのまま作業をつづけさせました。

「幼児だから、学習態度も幼稚」というのは、まったくの偏見です。
ノーカットでお見せしますので、お楽しみください。
幼児のもつ能力は、本当にすばらしいです。

AERAの記者は、「早期教育は、どうせ追いつかれるから意味がない」(2011年10月)という
ようなことを書いていた。
ひらがな学習を例にあげて、そう書いていた。

(幼児期にあわてて文字、数を教えても、どうせ追いつかれるから意味がない。
かえって学校の先生が教えにくくなるから、やめたほうがよいという内容の記事だった。)

幼児教育の「ヨ」の字も知らない、また幼児を教えたこともない記者が、古い論文だけを根拠
に、さらに言えば、想像だけで、そう書くから、恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 AERA AERA 幼児に立体図 イ
ンコの知的能力 好奇心)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

*****官邸が混乱した?
    そんなこと、当たり前のことではないか!********

【菅直人前首相、吉田昌郎前所長、ありがとう!
あなたは日本を救った大恩人だ!】byはやし浩司
2012/05/30記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

つぎの事実を知ったら、あなたも背筋が凍るだろう。
まず、それを知ってから、菅直人前首相を批判したらよい。
もしあのとき、あの場で、菅直人前首相が、あのような行動を取っていなければ……。
今ごろ、この日本は、完全に崩壊していた。
北は青森の端から、南は静岡県まで、人の住めない無人地帯になっていた。

ヘリコプター視察?
怒声?
それがどうした?
そんなことは、この事実の前では、腸から出るガス程度の意味しかない。

参考出典は、『原発事故』(宝島社)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原子力発電所事故

 原子力発電所が、いかに危険な存在であるかは、つぎの事実を知ればわかる。
『原発事故』(宝島社)から、それについて書いた部分を、抜粋する。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を
起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質
が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)

 数千発分だぞ!
わかるか、数千発分だぞ!
それが4機で、1万発分以上だぞ(福島第一原発)!
あの4号機だけで、それまでの核実験すべてで放出された量を超える放射性物質を抱えてい
る※。

(注※)(週刊朝日誌より)
『 アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。

『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出
せよ」と警告していますね。
(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に
分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが
眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。

 4号機の事故は、日本だけの問題ではない。
また日本だけの問題ではすまない。
だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている』(以上、週刊朝日)と。

 こうした事実を信ずるか信じないかは、あなたの自由。
仮に100歩譲って、その100分の1の量としても、たいへんな量である。
だから先のガンダーセンは、「4号機に注意しろ」「4号機が火災を起こしたら、日本から逃げ
ろ」と教えている(同誌)。

●読売新聞の記事より

 これに対して、読売新聞は、つぎのように伝える。
産経新聞と並んで、日本の右寄り(=自民党寄り)新聞社として、今まで原発推進運動の先頭
に立ってきた新聞社である。

++++++++以下、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++

●菅氏の危機意識「薄っぺら」……地元首長深く失望

★原発周辺自治体の首長や避難住民らを深く失望させる発言ばかりだった。

 東京電力福島第一原発事故から1年2か月余、国会事故調による菅直人前首相の参考人
聴取が28日にようやく実現したが、ある町長は、最高指揮官が示した危機意識を「薄っぺら」
と痛烈に批判した。

 全域が警戒区域と計画的避難区域となっている福島県浪江町のBT町長は、菅前首相が福
島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全体を大局的に見る
べき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。
原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点については、
「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。
本当に支障はなかったのか」と憤った。

 大半が警戒区域に指定された楢葉町のMH町長は、「原発事故に対応するための管理態勢
がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した。
(2012年5月29日08時20分 読売新聞)

++++++++以上、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++

●菅直人前首相への批判の要点

 周辺自治体の首長たちの言わんとしていることは、つぎ(読売新聞)。

(1)菅前首相が福島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全
体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。

(2)原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点について
は、「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。

(3)大半が警戒区域に指定された楢葉町の松本幸英町長は、「原発事故に対応するための
管理態勢がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した(以上、読売新聞)。

 が、どう読んでも、ポイントがズレている。
その第一。
何か問題が起きるたびに、「国が……」「国が……」と。
私はこういう意見を聞くたびに、即座にこう思う。
「では、あなた自身はどうなのか」と。
「首長としてのあなたの責任は、どうなのか」と。
「(すべて)を国(?)に任せてきた、あなた自身には、責任はないのか」と。

 それまで原発誘致に熱心だった首長もいたという話も聞いた。
(ここに書いた首長がそうだったというのではない。誤解のないように!)
そういう首長が、事故が起こったとたん、「国が……」と。
この身勝手!

 私なら、(かなり多くの人たちもそうしたと聞いているが)、即座にその場から避難する。
国(?)の指示があっても、なくても、関係ない。
たとえ国(?)が「落ち着いて行動してください」と言っても、その場から避難する。
事実、私はテレビで状況を見ながら、この浜松からでさえ、避難する準備を始めていた。
(直線距離にして、420キロ離れた、浜松市からだぞ!)
その直後、オーストラリアへ渡った。
(オーストラリアへ行くことは、3・11震災以前から、決めていたが……。)
事実、名古屋からシンガポールへの便は、満席だった。

 「国の指示がなかったから、避難しなかった」というのは、首長としては、言い逃れにしか聞こ
えない。
原発が、いかに危険な存在であるかは、少し勉強すれば、だれにだってわかること。
それを知らなかった……とは?
原子力発電所を抱えるその町の首長が、知らなかったとは?

●ヘリコプター視察

 ヘリコプター視察?
どうしてそれが問題なのか?

 原発事故の恐ろしさを熟知していたからこそ、菅直人前首相は、現地へ飛んだ。
菅直人前首相は、東工大の出身である。
「私が首相だったら……」という言い方は、実におこがましいが、私が首相だったら、真っ先に
現地へ飛んだだろう。
何はさておき、原発事故を防ぐことを考えただろう。

 当時の状況は、いろいろな報道を総合すると、こういうことらしい。
官邸も、現地福島第一原発も、地震後の大混乱の最中にあった。
たがいの連絡もままならなかった。

官邸にいた菅直人前首相は、現地の情報すら正確に把握できない状況にあった。
東京電力の会長とも、また社長とも連絡が取れなかった。
だったら、最高責任者である国家の長である首相が、自ら現地へ行くしかない。

●現場の混乱

 産経新聞によれば、あの3月11日、東京には東電の清水正孝社長(以下、清水社長)はい
なかった。
そのとき清水社長は、奈良の平城京跡を視察していた。

産経新聞はこう書いている。

『勝俣恒久会長も震災当日に北京に出張中で、両トップが震災当日に「非常災害対策本部」が
設けられた東京の交通網の乱れで11日中に帰京できず、本店に戻ったのは12日午前10
時。

勝俣会長も、震災を受け帰国を急いだが、11日は成田空港が使えず、帰国は12日だった。
東電では震災直後に非常災害対策本部を設置したが、本部長である社長は不在で、代わりに
副本部長の武藤栄副社長が指揮を執っていた』(以上、産経新聞)と。

 産経新聞ですら、こう書いている。
『財界首脳は「両トップが東京にいないということ自体が問題』と。

 まさに状況は、『刻一刻と変化していた』(産経新聞)。
で、そんなとき菅直人前首相の心中は、どうであったか?

「社長はどこだ!」「会長を出せ!」と。
そう怒鳴り散らしていたところで、何も不思議ではない。
またそう怒鳴り散らしていたからといって、どうしてそれが悪いことなのか。

 いいか、広島型原爆、数千発分の放射性物質だぞ!
数千発分!
4機合わせれば、1万発以上。
あるいはそれ以上!
わかるか?
たいへんな量の放射性物質だぞ!

●逃げる東電

 東電の言い分はこうだろう。

「私どもは、国の指示通り、かつ国の基準通り、すべてそれに従い、原発を運営してきました。
だから、私どもには、責任はありません。(あとは政府の責任です)」と。

 が、菅直人前首相は、叫んだ。
「撤退は、ありえない!」と。
東電の本社に直接乗り込んで、そう怒鳴った。

 以下は、Yahoo・Newsが伝える、当日の模様である。
緊迫した状況が、この報道からもよくわかる。
歴史的にも、たいへん重要な部分だから、そのまま紹介させてもらう。

++++++以下、Yahoo・News 2012年5月29日++++++

●「唯一の功績」にじむ演出 残留、社長に念押し→1時間後乗り込み

 国会の東京電力福島原発事故調査委員会が28日(2012年5月28日)に行った菅直人前
首相の参考人聴取では、東電に「全面撤退」の方針があったかどうかが焦点となった。
菅氏は「全面撤退と受け止めた」と繰り返したが、証言を元に当時の状況を追うとつじつまの
合わない事実が次々に浮上する。
菅氏唯一の功績とされる「撤退阻止」までも根拠は希薄になりつつある。

【フォト】 国会事故調 菅直人前首相の聴取詳報

 全面撤退について東電は「全員がいなくなることはあの状況では考えられない」(武藤栄副社
長=当時)と全否定。
政府の事故調も中間報告で「全員撤退を考えた者は確認できなかった」とした。
ただ、民間事故調は、「撤退阻止」に動いた菅氏について「結果的に東電に強い覚悟を迫り、
危機対応のターニングポイントである対策統合本部設立の契機となった」と一定の評価を下し
た。

 国会事故調での証言を総合すると、清水正孝社長(当時)は昨年3月15日未明、海江田万
里経済産業相、枝野幸男官房長官(いずれも当時)らに「撤退」方針を電話で伝えた。
海江田氏は官邸で仮眠中だった菅氏を起こし「東電から撤退したいという話が来ている」と伝
えた。

 「撤退と聞き、とんでもないことだと感じた」

 菅氏はこう証言した。「清水社長が言うことは普通なら勝俣恒久会長らも相談にあずかって
いるはずだ」とも述べ、全面撤退が東電幹部の共通認識だと考えたことを明かした。

 清水氏の電話について海江田氏は「全員という言葉があったかは記憶にないが、社長の電
話なので重い決心が背後にあると感じた」、枝野氏も「正確なやりとりは覚えていないが、全面
撤退と認識した」と証言した。
3人とも「全面撤退」とは聞いていないが、そう「受け止めた」のだ。

 ところが、枝野氏は撤退情報の真偽を福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)に電話で確認し
たことも証言している。
この際、吉田氏は「まだやれることがある。がんばります」と答えたという。
菅氏自身も14日夕に吉田氏と電話し、吉田氏は「まだやれる」と答えたことを証言している。

 つまり、菅氏らは東電に乗り込み「撤退阻止」する前、すでに現場幹部から「残留の意思」を
確認していたことになる。
加えて菅氏は15日午前4時20分ごろ、清水氏を官邸に呼び出し、「撤退はありえませんよ」と
迫った。
清水氏は「はい、わかりました」と応じたという。

 にもかかわらず、菅氏は約1時間後、東電本店に乗り込み「撤退はありえない。撤退したら
東電はつぶれる」と恫喝(どうかつ)した。
全面撤退の意思はないと踏みながら、事故対応に忙殺される東電の本丸に乗り込んだ菅氏
の意図は何だったのか。
「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えない。

 しかも菅氏の怒声はモニターを通じて福島第1原発の現場にも伝わった。
菅氏は「頑張ってもらいたいと強く言った」だけだというが、この「叱責」を「激励」と受け止めた
作業員はいない。

++++++以上、Yahoo・News 2012年5月29日++++++

●パフォーマンス?

Yahoo・Newsは、「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えないと報道して
いる。
しかしこれについては、こんな情報を、私はもらっている。

 菅直人前首相(東工大)と、吉田昌郎前所長(東工大)を、ともに知る人物(後述、『Breeze 
from Yokosuka』サイト主宰者)からである。
その人物は、東工大同窓会の会長も務めたことがあるという。
いわく、「ともに東工大出身だったから、意思の疎通ができた」と。

 たがいに面識があったかどうかは、知らない。
が、菅直人前首相が、吉田昌郎前所長と電話で話しあったとき、吉田昌郎所長は、「まだやれ
ます」と答えた。
私はそのときの吉田昌郎前所長の心情が、痛いほど、よくわかる。
「ここであきらめたら、日本はおしまいになる」と。

 それを熟知していたからこそ、「まだやれます」と。
それが東電の官僚組の意見だったと考えるには、無理がある。

 つまり当時の状況からして、菅直人前首相に、パフォーマンスを考える余裕など、まったくな
かったはず。
ものごとは、常識で考えたらよい。
あるいはあなたなら、どうするか。
そういう視点で考えたらよい。
首相といっても、1人の人間だぞ!
私やあなたと同じ人間だぞ!

 しかも日本という国がひっくり返るかもしれないという、まさに緊急事態。
日本中に広島型原爆が、何発も落とされたような状況。

一家にたとえるなら、母屋がもうもうとした煙に包まれている。
そんなとき、近所の人たちに向かってパフォーマンスを考えるバカがどこにいる?
大声で泣き叫んで、助けを求める人はいるかもしれない。
が、パフォーマンスを考えるバカはいない。
(菅直人前首相を批判する人は、菅直人前首相を、バカと思っているかもしれないが……。)

 ついでながら一言。

 ほとんど人は、福島第一原発だけの事故を考えている。
しかしあのとき福島第一原発を、なすがままに任せていたら、福島第二原発(楢葉町)、女川
原発(女川町)、東海2号炉(茨城県東海村)を含め、周辺の原発にさえ、人1人近づけなくなっ
ていたはず。
それだけではない。

 東海2号炉(茨城県)が事故を起こしただけで、「東京都の都民、50%ががん死する」(「原発
事故」宝島社・P23)と。

こうした原子炉が、無人のまま、つぎつぎと爆発、メルトダウンを繰り返す。
福島第一原発事故には、そういう可能性も含まれていた。

●『Breeze from Yokosuka』より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『Breeze from Yokosuka』サイトより、そのまま引用させてもらう。
この中で、当サイトの主宰者の方は、私の原稿を転載してくれている。
転載許可依頼があったので、私は喜んで応じた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●菅総理は日本を救った(以下、「Breeze from Yokosuka」2012年1月4日記事より)

菅前首相はあらゆるところで酷評されております。
私の母校である東工大初めての首相ということで期待していたのですが、残念でありまた寂し
い限りです。
そういう状況下にも拘わらず、はやし浩司さんはブログで菅さんを大絶賛していることを知りび
っくりしました。

菅さんは応用物理卒です。
当時の東工大は入学試験時に類別はなく、大学2年の時に各自の志望で専攻が決まります
が、人気のある所は競争が激しく、応物に行けるのは成績が上から1割程度でないと行けませ
んでした。

先日、経団連の米倉会長は菅さんと野田さんを比して「首から上の質が違う」と、仮にも一国の
首相を務めた人間を上から目線でバカにしきった話をしました。

野田さんは早稲田政経卒です。
経団連の米倉会長は東大法卒ですから文系野田さんと思考方法が近く、話は合うのでしょう。

私の高校同期の1/4ぐらいが東大に行きました。内訳は理系文系はほぼ半々でした。
私の若いころは「ものつくり、車」が人気で工学部志望が多かったのですが、数学が得意でな
い理系志望は先生から文系に転向するよう指導されました。
(一部の文学青年は何があっても文系でしたが)

それから40余年、文系に転向した一部の仲間は大企業の社長や高級官僚になりました(現
在は皆天下っていますが)。
彼らより数学が良くできた理系の仲間は皆鳴かず飛ばずです。
文系があらゆる分野で(メーカーでさえ)トップに立つようになったことが、現在の日本の停滞を
作った元凶と思っております。
中国では共産党のトップに理系が多い。
最新の経済学は高度な数学をマスターしていないと理解できません。
数学者がノーベル経済学賞を取っている時代です。

 ニュートンの力学さえも理解していると思われない各界のトップ(文系)たちが高度の数学・物
理学によっている原発のメカニズムと、それが持つ破滅的な危険度を理解できるとは思いませ
ん。
経団連トップも経産省事務次官(文系)などの話を今もうのみにしているのでしょうし、それしか
できないと思います。

話は変わりますが、ヘリコプターは兵器として、あるいは災害救助では優れたものですが、安
全性についてはセスナより一桁以上悪いのです。

スーパーマンTでビルの屋上から離陸するヘリコプターが事故を起こすシーンがあります。
スピードが勝負のビジネスエリートは、ケネディー空港からマンハッタンの本社まで渋滞した道
で戻るのは時間の無駄なので、空港からパンナムビルの屋上に飛ぶヘリコプター航路ができ
ました。

しかし、あまりの事故の多発にその航路は取りやめになりました。
エリートの損失だけでなく莫大な補償でビジネスとして成り立たなくなったのでしょう。

ヘリコプターは負の安定で飛行しているので、絶えず操縦桿でバランスを取らないと墜落しま
す。
セスナは正の安定なので操縦桿を機械的に固定しても安定して飛び続けます。
機体が傾いた時、セスナは上反角により下に傾いた翼の揚力が上の翼の揚力より大きくな
り、機体を水平方向に復元する力が働きますが、ヘリコプターの回転翼は機体の上部につい
ておるので、そのような機能をほとんど持たず、傾くと揚力が減り傾いたまま高度を保てなくな
ります。

ヘリコプターの操縦はジャンボジェットより難しいと言われています。
自由自在に走るF1も安定性は低いので素人にはとても運転ができません。
安定性は操縦性とトレードオフの関係にあります。
正の安定は谷底の平らなところに置いたサッカーボール、負の安定は尾根の平らなところに
置いたサッカーボールと考えて下さい。

 原発は絶えず反応を制御しなければならない負の安定です。
もし制御に失敗して暴走したら瞬間的に膨大なエネルギーが放出され、水で冷却できるもので
はありません。(核爆発です)
それほどの暴走にならなくても冷却に使われた水は高濃度の放射線物質を含むことになりま
す。

今回の福島原発の事故です。
もし菅総理が決断しなければ核爆発の段階まで行く可能性がありました。
爆発すれば首都圏を含む半径300kmぐらいは人間が住めないところになっていたのです。
吉田所長は決死の覚悟で会社の命に背き核爆発を防いだのです。
核爆発の可能性を危惧し私は3月14日に西に避難しました。
万が一に備え家族全員パスポートを持参し、3月15日はセントレア空港の下見に行きました。

 一度動き出した原発は停止する事は大きな危険を伴うので、電力需要の少ない深夜も運転
を続けます。
結果として電力が余ってしまうので、深夜電力として安く販売しているのです。
(現在深夜電力も大半が火力によっていますので深夜割引は非オール電化住宅の方がオー
ル電化住宅のユーザーに補償していることになります)

 熱源で水を加熱沸騰させ、その水蒸気でタービンを回し発電するということでは原発も火力
発電も同じメカニズムです。
しかし、火力発電なら事故が起こっても燃料の供給を止めればいずれ終結します。
一部地域は燃料等による汚染が起こりますが、発電所周辺が住めなくなることはありません。

原発は言ってみればガソリン満載の巨大なタンク上にある穴に直接火をつけているようなもの
で、燃料の供給をカットすることができません。

 福島原発では融解した核燃料を取り出すのに数十年間はかかると言われています。
取り出すまでは原子炉に何が起こるか分かるか誰も明確には答えられません。
しかも取り出す方法もこれから検討されるのです。
近くによって原子炉内部を観察できないのですから、いつ取り出せるかは誰も分かりません。
少なくとも私の目が黒いうちはあり得ません。
今年初孫が生まれますが、ひ孫の時代になるでしょう。

 日本開闢以来の惨事を招いた原発をいまだ目先の利益にこだわり、再稼働させるなんて言
う人は「首から上の質が違うのではなく、腐っている」と思います。
何しろ日本は4つのプレートの品評会場です。
「どじょう」でなくて「なまず」が首相になるべきところです。

菅前総理は自分の(物理学では当たり前の)考えを全く理解できない人たちに取り囲まれてや
りようがなく、怒り散らして強引に周りを動かすしかなかったと思います。

(私もサラリーマン時代、文系の幹部たちから同じ経験を何回もしています。
もっともニュートンの力学の範囲についてですが)

 質素な生活を旨として有名だった東工大卒の故経団連土光元会長なら菅さんの考えをきち
んと理解し、支援したと思います。

長くなりましたが、下のはやし浩司さんの文章もぜひ読んで下さい。
文系ですが理系的な理解力も持たれていると思います。

*********************************

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。
読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所
事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発か
ら全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。
菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してき
たが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そ
ういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話した
という。
枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を
求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示し
た。
 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。
このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人
が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東
京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、
との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有して
いる。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考
えていたことがわかる。

「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言も
そのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要
との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注
入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。

もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について
明言しなかったという。
このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評
価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱
させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したの
は東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8
日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのも
のが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没
していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を
起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質
が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!
たった1機で、数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グル
ープ調査。)
 
が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝
島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わ
ずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間は
あの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人
の英断 はやし浩司 菅直人 吉田昌郎 日本の恩人 ありがとう)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私のUFO判定】YOUTUBEの動画(画像)より

●YOUTUBE

 YOUTUBEには、玉石混淆(こんこう)というか、ニセモノ(?)、本物(?)が入り混ざってい
る。
UFO動画(画像)の話である。
中には本物(?)らしきものがあるが、今では素人でもかなりの映像技術をもっている。
ニセモノを作って楽しんでいる人もいる。

 で、私なりに、YOUTUBEにUPされているUFO動画(画像)を、判定してみた。
★の数で、表示してみる。
★5つのは、かなり信憑性の高い動画(画像)であることを示す。

【★★★★★】かなり信憑性が高い

今回は、なし。

【★★★★?】
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/5pawTzpNKW4" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(説明はないが、月の裏側で、NASAの宇宙飛行士が撮影したものらしい。UFOどうしが戦争
をしているような様子である。)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/XqMf3towVVI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(上と同じ。)

【★★★??】
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/87PRVP4EQAo" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(ミサイル説もあるが……? 広く紹介されているUFOである。)

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/i3jzDTW4qWU" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(もう30年近くも前になるだろうか。ある雑誌社の女性編集長が、庭先で見たというUFOにた
いへんよく似ている。その女性は、絵に描いてくれた。)

【★★???】
<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/wYMYIYglN90" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
どれも直線的、かつ等速的な動きから、人工衛星もしくはその残骸かと思われる。

【★????】
<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/uPUK0G9LsJs" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(車から撮影したと思われるが、地面と空の揺れ方が、同調していないところがおかしい。)

【?????】まったく信憑性がない
<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/wrBkjWgKq3U" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(一度合成写真(動画)を作り、画面に映し、それを再度カメラを振動させながら、撮影したもの
と考えられる。)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/VRJV481doQs" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(上と同じ手法で作られたものと思われる。太陽光の反射角度がちがうので、別々の画像を合
成したものと思われる。)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/aqOJaNDWNpU" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
(まったくの合成映画。カメラが先に固定されているところが、おかしい。)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【韓国の新聞社の反日記事】[?? ???? ?? ??]

●韓国の反日煽り記事(韓国のロケット技術は、日本の60年代レベル?)
● ??? ?? ?? ?? (??? ?? ??? ??? 60 ?? ???)

韓国の新聞社の反日記事について
?? ???? ?? ??? ???

日本は、そんなことは言っていない。
??? ?? ???? ???.

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

どうして韓国の新聞社は、反日をあおるような記事ばかりを書くのか。

まず朝鮮日報社(5月24日)に記事を読んでみてほしい。
「日本が、韓国のロケット技術は、日本の1960年代レベルと報じた」とある。

? ??? ???? ??? ???? ???? ????

?? ?? ?? (5 ? 24 ?) ??? ?? ?? ???.
"??? ??? ?? ??? ??? 1960 ?? ???? ????"???.

++++++++以下、朝鮮日報(5月24日)++++++++++

韓国のアリラン3号衛星が日本のH2Aロケットによって打ち上げられる前日の17日、日本のメ
ディア各社は宇宙航空研究開発機構(JAXA)関係者の言葉として「韓国のロケット技術は日本
の1960年代当時のレベル」と報じた。
独自開発か他国の技術導入かで方針が定まらなかったことが影響し、韓国のロケット技術は
今なお日本の1960年代のレベルにとどまっていることを指摘したわけだ。
日本は18日、韓国のアリラン3号衛星を積んだロケットの打ち上げに成功することで「日本の
ロケットは国内限定」というこれまでの見方を脱却し、世界の衛星打ち上げ市場へと本格的に
参入することになった。

++++++++以上、朝鮮日報(5月24日)++++++++++

●検証

 JAXAは、本当に、そんなことを述べたのか?

 そこで「日本のメディア各社」が、述べたかどうか、調べてみた。
最初に、インターネットで検索をかけてみた。

 が、同様の記事を並べているのは、韓国系の新聞社だけとわかった。
中央日報、東亞日報、朝鮮日報の各社である。

 そこで私はJAXA(宇宙航空研究開発機構)に直接、電話を入れ、問い合わせてみた。
電話は最終的に、東京都丸の内にある、JAXA広報部へと回された。
以下、広報部の言葉。

(1)17日に、朝日新聞が、そういう報道をした。
(2)それが韓国に伝えられた。
(3)しかしJAXAとしては、そういった発言はしていない。
つまり「韓国の技術レベル」の話をしたのではなく、(4)「日本も、60年代、70年代は失敗を重
ねた」という意味で、そういう話をした。
(5)現在の韓国も、失敗に失敗を重ねている。

●あおり記事

 JAXAは、「韓国のロケット技術が、日本の60年代並」と評したのではなく、「日本も60年代
から70年代にかけ、失敗を重ねた」という話をした。
それを朝日新聞(17日)が、「誤解して」報じたということらしい。

 常識で考えても、顧客である韓国を、「60年代レベル」と酷評する人はいない。
今回のロケット発射では、韓国製の衛星を積載した。
つまりこうした誤解……ささいな言葉尻をつかまえ、それを曲解し、反日記事につなげる。
韓国の新聞社の特徴である。
お家芸とまでは言わないが、「特徴」である。

 が、この記事を韓国内で読んだ韓国人は、こう思うにちがいない。
「チクショー、日本!」と。
つまりそれこそが、こうした新聞社のねらいということになる。

 まだ朝日新聞の記事を確認していない。
(確認する必要もないが)、もし朝日新聞の記事が誤解の根源になっているなら、朝日新聞社
自身が、抗議するなり、訂正記事を発表すべきではないのか。
私ではなく、朝日新聞社がすればよい。

 ……つまりこうして韓国の人たちの反日感情は、日々に増幅されている。
それをわかってもらいたかったから、この原稿を書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

作られる反日感情。
過去にも、いろいろな例がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

作られる反日感情(韓国・中央日報紙のケース)2011−7月
?? ??? ?? ???

++++++++++++++++++

21日午前、仁川(インチョン)空港を出発した、
大韓航空A380旅客機が、日本の成田空港に
着陸する際に揺れ、エンジン下部が滑走路を
こすった。
A380といえば、世界最大の新型旅客機。
その旅客機のエンジンが、強風にあおられ、
滑走路をこすった。
ひとつまちがえば、大惨事になっていた。
韓国のことは知らないが、日本ではこの種の
事故は大々的に報道される。
相手が韓国であるかどうかということは、
関係ない。
「大惨事になっていたかもしれない」という
点で、事件になった。
が、韓国の中央日報は、つぎのように伝える。


+++++++++以下、韓国、中央日報より++++++++++++++

大韓航空A380航空機が日本で着陸する際、翼の下の部分が滑走路にかするという軽微な
事故が発生した。
これを日本メディアが大々的に報道し、意図的な'恥さらし'ではないかという指摘が出ている。 

(中略)

大韓航空側は「着陸時に風が激しく吹いたため、操縦士も気づかない間に機体が揺れ、(滑走
路に)ややかすったようだ」と話した。 

成田空港側はA380が着陸した滑走路を約20分間閉鎖し、機体と滑走路を点検した。
しかし特に大きな異常はなかった。
大韓航空は運航に支障はないと判断し、乗客と乗務員を乗せてソウルに予定時間より1時間
10分遅れで到着した。 

成田空港側は記者らを呼んで滑走路の写真を撮らせるなど異例の措置を取った。
大韓航空の関係者は「乗客も衝撃をほとんど感じていない軽微なものだった」とし、「ただ、日
本のメディアがこれを報道したのは、独島(ドクト、日本名・竹島)をめぐる神経戦と関係がある
とみられる」と述べた。 

日本外務省はA380が就航前に独島をデモフライトしたことに反発し、最近、大韓航空利用自
粛命令を出し、この問題は韓日両国の外交問題に発展した。 

+++++++++以上、韓国、中央日報より++++++++++++++

●被害妄想

 この記事の中で、とくに注意深く読んでほしいところは、つぎ。

『ただ、日本のメディアがこれを報道したのは、独島(ドクト、日本名・竹島)をめぐる神経戦と関
係があるとみられる」と述べた』と。

 つまり事故そのものは、とるに足りない軽微なものであった。
にもかかわらず、日本のメディアが報道したのは、竹島(独島)をめぐる神経戦と関係があると
みられる、と。

 ほとんどの読者(日本人)は、この部分を読んで、唖然とするにちがいない。
私もそうだが、そんなこと微塵も考えていない。
あなたにしても、そうだろう。
事故というのは、どこの国でも、どんな場所でも起こる。
つまり韓国人記者の勝手な判断。
妄想。
被害妄想。
在日の韓国人記者が、自らの被害妄想をふくらませ、こんな記事を書いた。

●韓国人はどう読むか

 こんな記事が「日本発」として、韓国で報道される。
簡単な想像力を働かせてみればよい。
もしあなたが韓国人で、韓国でこの記事を読んだら、あなたはどう感ずるだろうか。
あなたならきっと、こう思うだろう。
「あの日本人め(=イルボネめ!)、また韓国いじめをしている!」と。
つまりこうして韓国内で、反日感情が熟成されていく。
その一例として、この記事を取りあげてみた。

●中央日報社の在日記者へ

 日ごろの航空機事故の報道を見てほしい。
日本では、航空機事故に関しては、たいへんきびしい見方をしている。
どこの国の飛行機ということは関係ない。
あの123便事故にしても、その飛行機は、その少し前、同じような接触事故を起こしている。
それがあの123便事故につながったという説もある。

 私たち日本人は、韓国の人たちと仲よくしたいと考えている。
が、その一方で、こうした記事を韓国内に流すのは、やめてほしい。
簡単に言えば、被害妄想だけで記事を書くのは、やめてほしい。
「神経戦と関係がある」という部分は、まったくの妄想。
記者であるあなたはそう感じたかもしれないが、私たちはまったくそんなことは考えていない。

 むしろこれ見よがしに、A380を飛ばし、得意になっているのは、君たちのほうではないの
か。
その出鼻をくじかれた。
だからこういう記事を書く。
私たちは、むしろ、そう解釈する。

●?? ??? ?? ???
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????? ??? ??? ???? ?? ??? ???????.
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? 123 ? ???? ? ???? ?? ? ?? ?? ??? ??????.
??? ? 123 ? ??? ????? ????.
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??? ???, ?? ????? ??? ?? ?? ???? ???.
"???? ?????"?? ??? ?? ??.
??? ??? ??? ???? ????, ??? ?? ?? ?? ???? ?? ??.
??? ????? A380? ???? ?????? ?? ???? ?? ???.
? 出鼻? くじか??.
??? ?? ??? ??.
??? ??? ??? ????.

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●作られる反日感情(もう1例)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日韓経済戦争】作られる反日感情(はやし浩司 2010−11−01)

++++++++++++++++++++

今度日本が、ベトナムの原子力発電所建設
プロジェクト(第2期事業)で、その
パートナーに内定した。
そのニュースもさることながら、韓国の中央
N報(11月1日)は、つぎのように国内で
報道している。

『…… 日本メディアは「新興国の原発建設に
政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に
対応するため、日本が構成した'官民合同体'
が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じ
た』(中央N報、11月1日、原文のまま)と。

この中で、「韓国に対応するため」という文言に
注目してほしい。
そこで日本では、どのように報道されているか、
調べてみた。
本当に「韓国」を名指しで、「快挙」と報道して
いる報道機関があったのか。
私もこのニュースは、新聞、ネットで知っていた。
韓国の連合体と競っているいる話は聞いていた。
しかし……?

ともあれ、あちこちのサイトで、このニュース
を調べてみたが、「韓国に対応するため」と書いた
報道機関は、見あたらなかった。
以下、事実だけを並べてみる。
誤解、偏見をなくすため、削除することなく、
全文を転載、並べて比較してみる。

++++++++++++++++++++++

●韓国中央N報はつぎのように伝えた(11月1日)

*************以下、韓国・中央Nより***************

韓国・フランス・日本が競合するベトナムの原子力発電所建設プロジェクト第2期事業で、日本
がパートナーに内定した。 

ベトナムのグエン・タン・ズン首相と日本の菅直人首相は31日、ベトナム・ハノイで首脳会談を
開き、このように明らかにしたと、日本経済新聞が報じた。同紙は「これは日本が新興国の原
発建設を受注した事実上初めてのケースであり、規模は1兆円にのぼる」と伝えた。 

ベトナムは2020年代初期までに4基の原発建設を終える予定で、4基の原発のうち第1期事
業の2基はすでに年初にロシアが受注している。今回の第2期事業の2基はベトナム南部地域
での建設事業で、その間、韓国・フランスのコンソーシアムと日本が激しく競合していた。 

日本は原発建設を受注する代わりにベトナム側の港などのインフラ建設に790億円の借款を
供与し、原発関連技術の移転を提供することにした。また両国首脳は戦略物資であるレアア
ース(希土類)の研究および開発も共同で協力することにした。 
菅首相は「原発とレアアースの二つの問題について両国がパートナーになったのは真のパート
ナーシップが始まったという象徴的な意味を持つ」と強調した。 

今回のベトナム原発建設プロジェクト第2期事業は、先月22日に官民合同出資で発足した
「日本国際原子力開発」を中心に進行された。東芝・三菱重工業・日立製作所が参加してい
る。 

日本メディアは「新興国の原発建設に政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に対応する
ため、日本が構成した'官民合同体'が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じた。

*************以上、韓国・中央Nより***************
***************以下、J−Castより*************

●J−Cast(11−2)

菅直人首相は2010年10月31日、ベトナム・ハノイ市内でグエン・ダン・ズン首相と会談、原子力
発電所2基の建設を日本側が受注することが決まった。
ベトナム北西部にあるレアアース(希土類)の開発を共同で進めることにも合意した。菅首相
は、港湾建設などに総額790億円の円借款を新たに供与する意向を表明した。

*************以上、J−Castより***************
*************以下、読売新聞より*****************

●読売新聞(10−31)

【ハノイ=宮井寿光、永田毅】菅首相は31日、ベトナムのグエン・タン・ズン首相とハノイ市内
の首相府で会談し、両国関係に関する共同声明に署名した。
 ベトナム政府が予定している原子力発電所建設計画について、日本を「協力パートナー」とす
ることで合意し、日本勢の受注が事実上決まった。日本が新興国で原発建設を受注するのは
初めて。

 日本はこれまで、新興国で激化する原発建設の受注競争で相次いで敗北してきたが、今回
は官民一体で集中的に受注活動を展開したことが奏功した。
 対象となるのは、南部のニントゥアン省に予定されている第2期工事の原発2基分。ベトナム
側は条件として、低金利での優遇貸し付け、最先端技術の利用、廃棄物処理協力などを示
し、日本側も応じた。ズン首相は会談で、日本の受注について「政治的、戦略的決断だ」と語っ
た。

 両首相は省エネ家電などの部品に不可欠なレアアース(希土類)についても共同開発で合意
した。レアアースの生産量は中国が世界の9割以上を占めるが、輸出制限が世界的に問題と
なっており、「中国依存」からの脱却を図る狙いがある。

*************以上、読売新聞より*****************
*************以下、NHKサイトより***************

●NHKニュース(10月31日)
ハノイを訪れている菅総理大臣は、31日にベトナムのズン首相と会談し、現地で計画されてい
る原子力発電所の建設を日本の企業に受注させるよう求めるのに対し、ズン首相は日本側の
要請に応じることを表明する方向で調整を進めています。

ASEAN=東南アジア諸国連合などとの一連の首脳会議に出席するため、ハノイを訪れてい
る菅総理大臣は、ベトナム訪問の最終日の31日、ズン首相と会談する予定です。この中で菅
総理大臣は、ベトナムで計画されている原子力発電所2基の建設事業で、日本企業に受注さ
せるよう要請する方針です。

ベトナムの電力公社は、高い技術力などを評価して日本に発注する方針を固めていました
が、関係者によりますと、ズン首相は菅総理大臣に対し、ベトナム政府として日本側の要請に
応じることを表明する方向で調整を進めているということです。

日本政府は、アジアでのインフラビジネスを成長戦略に掲げており、外国企業との競争が激し
い原発事業で、今回ベトナムから受注を得る方向となったことで、今後の海外展開の弾みとし
たい考えです。

また、菅総理大臣は希少資源の「レアアース」について、中国への過度な依存から脱却するた
め、日本企業と現地企業が合弁で手がけることが決まっているベトナム北部の鉱山開発につ
いて、できるだけ早く生産が始められるよう、協力を求めることにしています。

*************以上、NHKサイトより***************
*************以下、朝日新聞サイトより***************

 【ハノイ=高野弦】ベトナムの最高意思決定機関である共産党の指導部は、同国南東部に建
設を予定している原子力発電所について、日本企業に発注する方針を決めた。複数の関係者
が明らかにした。正式決定すれば、原発を新たに設置する新興国で、日本が受注する初のケ
ースとなる。 

 31日の日越首脳会談で、ズン首相から菅直人首相に発注の意向が伝えられる見通し。 
 日本企業への発注方針を決めたのは、南東部ニントアン省の原発2基(出力計200万キロ
ワット)で、2021年の運転開始を目指している。 

 ベトナムは2030年までに14基の原発の建設・稼働を計画。このうち具体化しているのはニ
ントアン省の4基で、最初の2基は昨年12月にロシアが受注した。 

 インフラ輸出を成長戦略の軸にすえる日本は、残る2基の受注を目指し、今年に入って受注
活動を展開。経済産業相らが8月、経済界とともにベトナム入りし、人材育成や資金援助など
を提案していた。また、10月には新興国での受注を目指した官民共同出資の「国際原子力開
発」を立ち上げていた。 

*************以上、朝日新聞サイトより***************

●一事が万事

 中央N報を読んだ韓国の人たちは、どう思うだろうか。
日本があたかも韓国を叩くために、ベトナムでの原子力発電所建設工事を受注したと
解釈するだろう。

「快挙」、つまり「日本人は、韓国に勝ったと喜んでいる」と。

 受注競争の過程では、たびたび韓国の名前が出てきたのは事実。
中央N報にもあるように、韓国は政府と民間が一丸となって受注合戦を繰り広げていた。
で、日本もそれに対抗して、(あくまでも対抗して)、政府が受注合戦に乗り出した。
その結果、日本が受注に成功した。

 が、成功したあとは、どの報道機関も、「韓国」の「カ」の字も書いていない。
が、韓国では、『新興国の原発建設に政府と民間が合同で全力を傾けている韓国に対応する
ため、日本が構成した'官民合同体'が成し遂げた初めての快挙」と一斉に報じた』と。

 こうした報道操作は、日常茶飯事。
ことあるごとに国内の反日感情をかきたてている。
しかしこれは天下の報道機関として、あるべき報道姿勢ではない。
中央N報は、日本の報道機関のどれをさして、「一斉に報じた」としているのか。

 一事が万事というか、韓国の新聞を読んでいると、この種の情報操作があまりにも多い。
少し前は、自前で気象衛星をあげたことについて、「これで日本の世話にならなくてすむ」
と。

 今までさんざん日本の世話になっておきながら、この言いぐさはない。
せめて「今まで、ありがとう」の一言くらいは、あって当たり前。
それではいけないということで、あえて今回のニュースを取りあげてみた。

●追記

 対する日本は、どうか?

たまたま同日(11−2)TBS−iニュースは、こんなニュースを報道している。
こちらは、重要なニュースではないので、一部、省略させてもらう。

***********以下、TBSーiニュースより*************

●第二次韓流ブーム

 最近、日本で新たな「韓流ブーム」が社会現象になりつつあります。
次々とデビューしてチャート入りを果たす韓国のガールズ・グループ。
その背景には、ブームを作り出す、ある壮大な「戦略」がありました。

(中略)
 
 4か国語が飛び交う会見場。1日、韓国・ソウルの外国特派員協会に姿を現したのは、人気
ガールズ・グループ「少女時代」です。
19歳から21歳までの9人からなる「少女時代」。3年前にデビューし、韓国でトップに登りつめ
た後、台湾やタイなどのヒットチャートでも1位を獲得。
中国でもツアーを行うなど、アジア全域で活躍中です。そして9月、満を持して日本デビュー。
第2弾シングルが先週、日本を除くアジアの女性グループとして史上初のチャート1位を記録し
ました。

 日本の韓流ブームといえば、これまで比較的高い年齢層の女性たちに支えられてきました。
この新たな韓流ブームの特徴は、日本の若い女性の心を捉えていることです。
美脚が売りの少女時代だけでなく、大人の魅力を強調するグループ「BROWN EYED GIRL
S」、ヒップダンスを得意とするグループ「KARA」などが、今年に入って次々と日本デビューを
果たしています。

 1日の会見のテーマは彼女たちの世界戦略でした。

(中略)

 周到な準備の下、続々と上陸する韓国のガールズ・グループ。しかしその目は、すでに日本
のはるか先を見据えているのかもしれません。(01日22:48)

***********以上、TBSーiニュースより*************

 日本人のノー天気ぶりには、あきれるばかり。
緊張感がまるでない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 韓国の報道機関による情報操作 反日感情 はやし浩司 作られる反日感情)

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●後記

 韓国内で作られる(=あおられる)反日記事。
これからも注視していきたい。
同時にこうした反論が韓国の国内の人たちに届くよう、韓国語に翻訳して、BLOGにUPしてい
きたい。2012/05/29記


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 作られる反日記事 反日感情)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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(私とワイフが見たUFO&雄踏町(浜松市)に現れたUFO)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【和をもって、貴しとなす】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜は12時ごろまで、ワイフと私、息子と
3人で、いろいろと雑談。
床に就いたのは、そのあと。

昨日の昼ごろ知人が来て、浜名湖のアサリを届けてくれた。
このあたりでは、アサリをフライパンの上で炒め、
ネギと日本酒をかけて食べる。
超・簡単料理。
それがたまらなくおいしい。

今朝は、これからそれを食べるつもり。
先ほど、2〜3個、つまんで食べてみたが、おいしかった!

……ということで、今朝は、午前8時起き。
ほどよい冷気。
乾いた初夏の風。
畑の野菜に水をまいたあと、ぼたんインコに餌をやった。
よき日、よき朝で始まる。
2012/05/28朝

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人の運転

 先週来たオーストラリアの友人が、こう言った。
「日本人の運転は、乱暴」と。
その友人にかぎらず、みなそう言う。
で、理由を聞くと、その友人は、こう話してくれた。

 たとえば追い越しをかけるとき、平気で車線を変更する、と。
(日本人の私たちには、何でもない行為だが……。)
「オーストラリアではどうなのか?」と聞くと、「必要なときには車線を変更する。が、追い越すと
きは車線を変更しない」と。

 オーストラリアでは、郊外の幹線道路を走るときも、みな表示スピードをきちんと守る。
それが日本人の私たちには、おかしいと思えるほど、きちんと守る。
(50)という表示が見られたら、50キロ。
(80)という表示が見られたら、80キロ。
私の見た感じでは、プラスマイナス2〜5キロの範囲で、速度を守る。
守らないと、すかさずパトカーが追いかけてくる。

 幹線道路でも、2車線しかないところが多い。
そういうときは、どちらか一方の車線のみが、追い越しをかけられるように、道路に表示してあ
る。
(中央分離線の左右に、破線で表示。)
それがなければ、いくら道路が空いていても、追い越しをかけることはできない。
つまり、きびしさが、徹底している。

 そう言えば、別の友人もこう言っていた。
「日本人は、停止線での車の止め方がメチャメチャ」と。

 たとえば横断歩道の前で車を止める。
そのとき、停止線を越えて車を止める人もいれば、数メートル手前で車を止める人もいる。
中には、横断歩道の中央で車を止める人もいる。
それを見て、メチャメチャ、と。

 一方オーストラリアでは、たいていどの角にも、カメラがしかけてある。
ルールを破ると、自動的に、違反キップが送られてくる。
そういうしくみが、できあがっている。
だから彼らは、これも日本人の私たちには、おかしいと思えるほど、ルールを守る。
停止線では、私が見た感じでは、プラスマイナス30センチ前後の幅で、車を止める。
(ほとんどは、停止線で、ピタリと止める。)

 ……日本人の私たちには何でもなく見える運転でも、別の国の人が見ると、そうではないとい
うこと。
(もちろん、その逆もあるが……。)

●民主主義とルール

 概して言えば、欧米の学校では、ルールにきびしい。
日本の学校は、甘い。
民主主義の完成度の高い国ほど、ルールにきびしい。
つまり民主主義というのは、その一方で、ルールに支えられている。

 ほかにたとえば、「ウソ」がある。
欧米人は、ウソには、きわめてきびしい。
日本人の私たちには、想像もつかないほど、きびしい。
ついでに言えば、「約束」にも、きびしい。
わかりやすく言えば、「YES・NO」が、きわめてはっきりしている。
「YES」と言ったら、YESしかない。
「NO」と言ったら、NOしかない。
あいまいな返事や約束を、嫌う。
もちろんウソを言ったら、その時点で、10年の友情も、どこかへ吹き飛んでしまう。
私にも、苦い経験が、いくつかある。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は2011年の2月になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●おかしな外来語、「マニフェスト」

++++++++++++++++++

「マニフェスト」とは、何か?
その意味を知っている人は少ない。
この日本では「選挙公約」のことを、
「マニフェスト」と言う。
だったら、「選挙公約」と言えばよい。
どうしてわざわざ「マニフェスト」と言うのか?

で、ウィキペディア百科事典で調べてみたら、
こうあった。

マニフェスト(manifesto) とは、「宣言書・
声明文の意味」と。

だったら、「選挙宣言書」と言えばよい。
「選挙声明文」でもよい。
「選挙宣誓書」なら、さらによい。
「選挙公約」と言うよりは、重みがぐんとます。

「マニフェスト」と「選挙公約」。
「選挙公約」と「マニフェスト」。

どう考えても、「マニフェスト」のほうが、軽い。
横文字であるだけに、意味がわからない。
わからない分だけ、ピンとこない。
やはり「選挙宣誓書」という言葉を使った
ほうがよい。
そのほうが、わかりやすい。

そうでなくても日本人は、ウソに甘い。
「ウソも方便」という言葉もある。
平気でウソをつく。
ウソをつかれても、怒らない。
公約など、腸から出るガスのようなもの。
私たちもそう考えているし、政治家たちも
そう考えている。

+++++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 またまた経験した。
が、だからといって、その知人の妻を批判しているのではない。
久しぶりに、あの言い方を聞いた。
こんな言い方……。

 先日、知人が亡くなった。
通夜には行けなかったので、その前日、知人宅を訪れた。
そのときのこと。
知人の妻は、知人の横に座っていた。
私が知人に別れを告げているとき、その妻が、こう言った。
「林さん、昼ご飯を食べていってください」と。

 が、その地方では、それがあいさつ言葉になっている。
朝、遅く起きても、「おはよう(=早いですね)」と言うのと同じ。
ウソではないが、ウソ。
そんなとき、「じゃあ、いただきます」などと言おうものなら、さあ、たいへん。
家中、大騒ぎになる。
昼ご飯など、どこにも、用意されていない。

 もう10年も前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【表と裏】

++++++++++++++++++

みながみなというわけではないが、
私が生まれ育った郷里のM町では、
ときどき、何が本当で、何がウソ
かわからなくなる。

ウソをウソと意識しないまま、平気
でウソをつく。それがその地方の
習慣にもなっている。その場、その場で、
適当なことを言って、とりつくろう。

が、何よりも不思議なのは、そういう
ウソをつかれながらも、つかれた
ほうも平気、ということ。
それなりに、みな、うまく、やっている。

その郷里を離れて、40年。
以前、「飛騨の昼茶漬け」について
書いたことがある。4年前の原稿
である。(2007年6月記)

++++++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。
たとえば岐阜県の飛騨地方には、『飛騨の昼茶漬け』という言葉がある。
あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習がある。
しかし道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。
相手が断るのを承知の上で、誘う。
そして断るほうも、これまたウソを言う。
おなかがすいていても、「食べてきたところです」と答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうものな
ら、さあ、大変!
何といっても、茶漬けしか食べない地方である。
まさか昼飯に茶漬けを出すわけにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。
ひょっとしたら、あなたも日常的に使っているかもしれない。
日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、うまくごまかして先へ逃げるほう
が、美徳とされる。
ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌う。
何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)す』というお国が
らである。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。
そしてそれが日本人の国民性をつくりあげている。
私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。
オーストラリアのメルボルン大学にいたときのことである。
私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけないと思い、断るつもりで、「先ほど、食べ
たばかりだ」と言ってしまった。
で、そのあと、別の友人たちといっしょに、昼食を食べた。
そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられないほ
ど、激怒した。
「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。
私はそう怒鳴られながら、ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、ウソに対する寛容
度がまったく違うということを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。
しかし日本人は、それをしない。
しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分も」と考える。
そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。
それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。

●私はウソつきだった

 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。
ほかの子どもたちよりもウソつきだったかもしれない。
とにかく、ウソがうまかった。
ペラペラとその場を、ごまかして、逃げてばかりいた。
私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。

その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。
商売では、ウソが当たり前。
このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへたが決まる。
私は毎日、そういうウソを見て育った。

 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。
自分を偽るのをやめた。
だからといって、それですぐ、正直な人間になったわけではない。
今でもふと油断をすると、私は平気でウソを言う。
とくにものの売買では、ウソを言う。
自分の体にしみこんだ性質というのは、そうは簡単には変えられない。

 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。
あなたは自分の子どもに、どのように接しているかを考えてみてほしい。
あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何と言っているかを考えてみてほしい。

もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさい」「ウソはついてはいけません」と、日常的
に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。
人間は、そうでなくてはいけない。
……とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしまったが、実のところ、それがまた、日本人
の子育てで、一番欠けている部分でもある。そこでテスト。

 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけた。
そして帰りぎわ、10万円のタクシー券を渡されたとする。
そのとき、あなたはそれを断る勇気はあるだろうか。

さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はあるだろうか。
私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしまうだろうと思う。
正直に言えば、そういうことになる。

つまり私は、子どもときから、そういう教育しか受けていない。
つまりそれは私自身の欠陥というより、私が受けた教育の欠陥といってもよい。
さてさて、あなたは、子どものころ、学校で、そして家庭で、どのような教育を受けただろうか。

【補記】

日本人のこうした国民性は、話せば長くなるが、長くつづいた封建制度の結果と考えてよい。
今のK国のような時代が、300年以上もつづいたのだから、当然といえば当然。
「自分に正直に生きる」ということそのものが、不可能だった。

それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。
ただここで言えることは、決して、あの封建時代を美化してはいけないということ。
もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価はしなくてはいけない。
しかし美化すればするほど、日本人の精神構造は、後退する。

(はやし浩司 日本人の精神構造 封建時代の遺物 はやし浩司 家庭教育 育児 教育
評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 飛騨の昼茶漬け 
ウソも方便 嘘も方便)

++++++++++++++++

●表と裏

 私の知人の中にも、こんな人がいる。
裏で、私の悪口を言いながら、表では、平気でつきあってくる人である。
私はそういう人を見ながら、「この人の精神構造は、いったいどうなっているのだろう?」と思
う。

 が、私は私で、そういう人とはつきあわない。
一度でも、そういう事実を知ったら、つ
きあわない。交際をやめる。
年賀状の交換もやめる。
が、そういう人にかぎって、騒ぎたてる。

 「あの林は、年賀状の返事もよこさない」とか、何とか。

 あるいは私の動向をさぐってくる。
何だかんだと口実をつくっては、近づいてくる。よ
ほど私のことが気になるらしい。
もちろん、私に好意的だから、そうするのではない。
私が失敗したり、不幸になったりするのが、楽しみだから、そうする。
それが私にもよくわかる。

 どうせそのレベルの人たちだから、そういう人は、無視する。
相手にしない。

 ……ということで、私は若いころ、こんな鉄則を自分につくった。
『つきあうなら悪口を言わない。悪口を言ったら、つきあわない』と。

 ついでに同じころ、こんな原稿を書いたこともある。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●電話の口

++++++++++++++++++

あなたは受話器の話し口を手で押さえて、
近くの人と、話をすることはありませんか?

しかし、それはたいへん、危険なこと。
一度でも、それをすると、それが理由で、
相手との人間関係を破壊することになるかも?

++++++++++++++++++

 あなたは今、電話で、だれかと話をしている。
だれでもいい。
だれかだ。
そのとき、あなたは、近くにいる、子どもか、夫か、あるいは妻と、何か相談しなければならない
ことができた。
受話器はもったまま、だ。

 そのとき、あなたなら、どうするだろうか。

 一番、安全な方法は、電話機の「保留ボタン」を押すことだ。
それを押せば、何らかの音楽が流れ、会話は、それで完全に、途切れる。

 しかしそこまでは、したくない。
その必要は、ない。
そういうとき、あなたならどうするだろうか。
……あなたは、多分、電話の話し口(聞き口ではなく、話し口)の方を、手で押さえる。
そして小さな声で、近くにいる人に、顔をしかめながら、こう言うにちがいない。

 「この電話、あの林からよ。いやねエ〜。どうるす?」と。

 あなたは話し口を手でしっかりと押さえている。
だから小声で話したことは、相手には、聞こえないと思っている。

 だからそう言い終わると、また手を離して、「そうですねえ、わかりました、林さん」と、明るい
声で話す。

 しかし……だ。
最近の電話機は、性能がよい。
話し口を手で押さえたくらいでは、会話をさえぎることはできない。
あなたの話した言葉は、実は、耳にあてた聞き口からも、相手に伝わる。
話し口も、聞き口も、原理的には、構造は、同じ!

 だから、電話機の口を手で押さえたくらいで、安心してはいけない。
最近だが、こんなことがあった。

 私は、B氏に電話をした。少しこみいった話なので、内容は、省略する。
しかしB氏は、留守だった。(実際には、居留守を使っていた。)
かわりにB氏の妻が電話に出た。

私「……では、いつお帰りですか?」
妻「もうすぐ帰ってくると思いますが……」と。

 そのとき、B氏の妻は、受話器の話し口を手で押さえた。
その感触というか、手で押さえた感じが音でわかった。
ポンと耳がつまったような感じがした。
B氏の妻は、近くにいるB氏に、小声で、こう言った。「あの林からよ。いやねエ……。
この電話、どうする?」と。

 それに答えて、そばにいたB氏は、多分、首を横に振ったのだろう。
B氏の妻は、夫の様子を見て、再び、明るい声で、「ごめんなさいねエ。また帰ってきましたら、
林さんから電話があったことを、主人に伝えておきますから……」と。

 ……という、この話は、実は、フィクションである。
最近、別のところで聞いた話を、私の話にからめて、作ってみた。

 しかし、現実に、こんなことが私に起きたとしたら、私なら、そのB氏とは、絶交する。
つきあう必要は、ない。
つきあいたくもない。

 ……ということで、今日は、電話の話。
今でも、受話器の話し口を手で押さえて内密な話をする人は、少なくない。
しかし、それはたいへん危険なこと。
あまりにも無防備なこと。
それをみなさんにお伝えしたくて、このエッセーを書いた。

 ……なおこの話が、ウソだと思うなら、だれかに協力してもらって、自分で確かめてみたらよ
い。
私の言っていることがウソでないことが、わかってもらえるはず。
どうか、くれぐれも、ご用心!


++++++++++++++

 この中で、私は、「この話は、フィクションである」と書いた。
しかし詳しくは書けないが、似たような経験をしたから、私は、この話を書いた。

 ここでいうB氏も、表と裏のある人ということになる。
それまではかなり親しくつきあっていた人だったが、私は、この電話のあと、B氏とは、縁を切
った。
ワイフは、「適当につきあっておけばいいのよ」と言ったが、私には、そういう芸当ができない。
若いころならできたかもしれないが、今は、もうできない。
めんどうというか、そういう人が近くにいるだけで、神経がすり減ってしまう。

 が、B氏にはそれがわからない。わからないというか、私がなぜ怒っているかさえ、わ
かっていない。
だからそのあとも、何ごともなかったかのように、何度も電話をかけてきたりした。

 適当にものを言って、その場をやりすごす。
そういう人は、少なくない。
好きか嫌いかということになれば、私は、そういう人が、大嫌い! 
そういう人と、愚劣な交際をつづけて、無駄にする時間は、私には、もうない!

【補記】

 私は、そういう意味でも、この浜松が、大好き! 
私のワイフの兄弟にしても、みな、正直。
本当に正直。表も、裏もない。
そのわかりやすさが、たがい人間関係を、さわやかなものにしている。

 たとえばこの浜松では、ものの売買をするときでも、(掛け値)ということをしない。
(値切る)ということもしない。
そういうやりとりをしているところを、見たことさえない。

 人間関係もそうで、少なくとも私のワイフの兄弟たちは、ありのままの姿で、ありのま
まに生きている。
飾ることもない。虚栄を張ることもない。
見栄や世間体とは、みな、無縁の世界で生きている。
すばらしいことだと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本人の嘘 はやし浩司 日本人のウソ ウソも方便論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び、マニフェスト

 ウソをつくのが商売。
それが政治家。
そんな政治家に、誠実さを求めても、意味はない。
悲しいことだが、この日本では、だれもが、そう思っている。
私もそう思っているし、あなたもそう思っている。
私もごく最近まで、「公約」などというものは、選挙に勝つための「方便」と思っていた。
言うなれば、「選挙目標」。
だから公約が破られたからといって、それほど腹を立てなかった。

 が、しだいにウソに対して、国民の目がきびしくなってきた。
日本人の意識が、少しずつだが、変化してきた。
「公約違反」という言葉も、よく聞かれるようになった。
そこで登場したのが、「マニフェスト」?
「軍隊」を「自衛隊」と言い換えたようなもの。
つまり国民をだますための煙幕?

 私には、そう思われてならない。
だったら、やはり「選挙宣誓書」と言えばよい。
どうしてそういう言葉を使わないのか?
そのほうがわかりやすいし、国民も、注視する。
もちろん重みも、ぐんとます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 マニフェスト 選挙宣誓書 選挙声明文 公約論)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【流出する頭脳】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

全国津々浦々、市町村の「村」レベルにまで、
韓国の産業スパイは、入り込んでいた。
「日本人にできることが、ワレワレにできないはずがない」という、
逆差別意識が、「日本から盗めるものは、すべて盗め」が、合言葉につながっていった。

昨日、今日の話ではない。
私が商社マンだった、1970年代の話である。
その結果が、まさに現在。
それを象徴するかのような事件が、新日本製鉄を舞台にして起きた。
MSN(産経ニュース)から転載させてもらう。

この事件が、日本人が、もう一度、「日本人とは何か」「愛国心とは何か」、
それを考えなおすきっかけになればよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●盗まれた技術

++++++++以下、MSN(産経ニュース)2012−05−27++++++++

 付加価値の高い鋼材の生産技術が盗まれたとして、新日本製鉄が韓国の鉄鋼大手、ポスコ
と同社日本法人、新日鉄元社員などを提訴した。
昭和40年代に開発し、門外不出としてきた技術だけに、新日鉄の怒りは強い。
ポスコに対し、1千億円の損害賠償などを求めている。
ポスコは争う構えだが、敗訴すれば高収益な同事業分野からの撤退は避けられない。
産業スパイの代償の大きさを知らしめる裁判となるか。

 「やはりそうだったのか」

 韓国内でポスコが起こした裁判での証言の一つから、ある新日鉄幹部は、それまでのポスコ
への疑念が、明確な不正だと確信。
昨年末、証拠保全手続きを申し立て、裁判所が元社員の保有していた"動かぬ証拠"を押さえ
た。

 新日鉄は、「時効の懸念もあり、早期に提訴が必要」(幹部)と判断。
4月に不正競争防止法(営業秘密の不正取得行為)違反で、ポスコなどを東京地裁に提訴し
た。
日本企業が、不正な技術流出で外国企業を訴える事例としては最大規模だ。

 訴訟対象の「方向性電磁鋼板」は、新日鉄の八幡と広畑の両製鉄所だけで製造されている。
工場勤務の長かった幹部でも、「生産工程は見たことがない」という秘中の秘の技術だ。

 変圧器などに用いられる特殊な鋼板で、電圧変更時のロスなど従来製品の課題をことごとく
解消。
鉄の結晶がきれいに整列する様子から、業界では「鉄の芸術品」とも呼ばれている。

(3分の1ほど省略)

 新日鉄はポスコ側に真偽を問い合わせたが、独自技術と言い張るばかり。
「何十年もかけ、数百億円を投じてきた技術が、なぜこんなに早く追いつかれたのか」(宗岡正
二社長)。
疑念は募っていった。

 平成19年、ポスコが韓国で起こした裁判をきっかけに事態は急転した。
ポスコは、同社の元社員が方向性電磁鋼板の技術を中国の鉄鋼メーカーに売り渡したとして
提訴。
しかし、裁判で元社員は「渡したのは(ポスコの技術でなく)新日鉄の技術」と証言した。
これを受け、新日鉄が調査を開始。
同社元社員の証拠差し押さえを経て今回の提訴に至った。

 事情を知る業界関係者は、「ポスコ側に情報を漏らしたのは1人ではなく、グループだ」と指
摘する。
1990年代に新日鉄を退社した開発担当者を含む数人が関与したらしい。
新日鉄が提訴したのはグループのリーダー格とみられる。

(4分の1ほど、省略)

 元社員はどのように取り込まれたのか。
ポスコに限らず、日本企業の退職者を積極的に雇用する外資は多い。
多額の報酬が提示されることもある。
「エージェントを通じて慎重に接触し、籠(ろう)絡(らく)する」(事情通)ケースもある。

 技術を流した側と受け取った側の関係を立証するのは難しい。
裁判は長期化が予想されるが、新日鉄側は「明らかな形で情報が流出した証拠をつかんでい
る」として勝訴に自信を見せる。

 元社員はなぜ技術を漏らしたのか。
「結局は金だろう」。
新日鉄幹部らはそう吐き捨てる。

(以下省略)

++++++++以上、MSN(産経ニュース)2012−05−27++++++++

●売国奴

 「金で、日本の技術を売った?」……まさに売国奴。
が、言い換えると、今、日本人がもつ民族意識、さらに言えば愛国心は、そこまで希薄になって
いる。
ここにこうして載っている、MSNの記事は、その結果……というより、まさに氷山の一角。
それを疑う人は、韓国の現在の産業構造を見てみればよい。
鉄鋼産業はもちろん、自動車、コンピューター、家電、造船など、まさにひとつの卵子から分か
れた、双生児。
あのヒュンダイにしても、当初は、「前から見ればトヨタ、後ろから見れば日産」という自動車
を、平気で作っていた。

 その韓国が、中国を訴えた。
が、それに対して、当の韓国の技術者は、裁判所でこう証言した。

「渡したのは(ポスコの技術でなく)新日鉄の技術」と。

 厚顔無恥というのは、まさにこれを言う。
中国の企業が、韓国車を模倣したときも、ヒュンダイは、中国を訴えている。
思考回路は、まったく同じ。
何も変わっていない。

●韓流ブーム

 一時、(そして今も)、韓流ブームが日本を沸かした。
よい年齢をしたオバちゃんたちが、それも夫や子どももいるような、オバちゃんたちが、韓国の
映画俳優の尻を追いかけた。
整形を繰り返し、化粧を塗りたくったような、若い俳優である。

 私はあれを最初に見たとき、「日本人は、どうしてああまでバカなのか」と思った。
本当に、バカ!
当の韓国では、日本文化の流入は、きびしく制限されていた。
日本映画が全面解禁になったのは、2004年の1月1日のことである。

 韓流ブームと産業スパイとの関係は、ない。
しかしその底流では、太くつながっている。
民族意識の喪失と愛国心の希薄化。

 が、誤解しないでほしい。
私は行き過ぎた民族主義、愛国心には、反対である。
たとえば「日本民族はすばらしい」と思うのは、民族意識。
その返す刀で、「多民族は劣っている」と思うのは、行き過ぎた民族意識。

 また「日本を愛する」というのは、愛国心。
その返す刀で、「他の国を犠牲にしてもよい」と考えるのは、行き過ぎた愛国心。

 が、この日本では、それ以下。
国を売るような行為を平気でしながら、みじんも恥じない。
そういう意味で、売国奴と、韓流ブームに踊らされるオバちゃんたちは、底流で太くつながって
いる。
少しは恥を知れ!

●高額な報酬

 まず人材を、高額な報酬をちらつかせ、引き抜く。
引き抜かれた人材は、その期待に応えようと、もてる技術を最大限、提供する。
こうして日本の技術は、外国へ流出する。

 それを守るのが、「守秘義務」ということになるが、民族意識や愛国心の希薄な人にとって、
守秘義務など、絵に描いた餅。
で、自分のこととして考える。

 もしだれかが私のところへやってきて、こう言ったとする。
「林さん(=私)、あなたの教育技術を、1億円で売ってくれませんか」と。
(私の教室は、YOUTUBEで公開しているので、そういうことはありえないが……。)
そのとき、私は、どのような反応を示すだろうか。

 もっとも私のもっている教育技術など、その価値もない。
それに他人の技術を流用したり、盗用したりしたものでないから、売るのは、私の自由。
だから即座に、「YES」と答えるだろう。

 が、それが外国であったら……?
とくに日本のライバルとなっている国であったら……?

 ……これはかなり迷う。
日本の未来を考えたら、おいそれと「YES」とは、言えない。
この世界には、「ブーメラン効果」という言葉がある。
へたに技術を手放せば、やがてその被害は、ブーメランのように自分のところに戻ってくる。
だから「ブーメラン効果」。
つまりその精神的支柱となるのが、民族意識であり、愛国心ということになる。
 
 それがあるか、ないか?

 そこで教育ということになるが、しかし教育にも限度がある。
となると、法律による厳罰主義しかないということになる。
だいたい産業スパイが野放しになっている国は、この日本をおいて、そうはない。
韓国にしても、産業スパイは、スパイ。
政治スパイと同じ。
区別しない。
きわめてきびしい罪が科せられる。
当然、取り締まりも、きびしい。

 10年ほど前、大学の同級生が、アメリカで逮捕された。
H社の工場の責任者(副工場長)だった。
その同級生は、即、逮捕、投獄。
2年間の懲役刑を宣告された。
(しばらくして、保釈されたが……。)

 ともあれ、日韓経済戦争は、終わったわけではない。
今の今も、水面下でつづいている。
頼みの綱は、日本政府だが、あの体たらく。
与党の元代表が、「無罪になった」と、はしゃいでいる。
が、最後の最後まで、4億円の出所は、わからずじまい。
そういうことを、日本を指導する指導者が、平気でしている。
どうして新日本製鉄の技術を韓国に売った技師を、売国奴と非難することができるか……とい
うことになってしまう。

 残念な事件である。
と、同時に、今一度、韓国という国がもつ異常性に、みなが気がつくべきときでもある。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【今日、国際ニュースより】日本の国益を第一に!

●日本よ、ギリシャを助けるな!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日本よ、ギリシャに、手を出すな。
助けるな。
まず自国の利益を第一に考えろ。
「冷たい」「卑怯」と言われても、構わない。
今の日本に、そんな余裕はないぞ。

いい子ぶるな。
お人好しになるな。

ギリシャは、すでに破綻している。
そんな国に5兆円(IMF)も注いでどうなる。
どうする。
最後にババを引くのは、この日本だぞ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●100兆円!
 
 まずブルームバーグの記事。
こうある。

 『世界の銀行業界を代表する国際金融協会(IIF)のダラーラ専務理事は、ギリシャのユーロ
圏離脱のコストが手に負えないほど膨らみ、協会がこれまで予想していた1兆ユーロ(約100
兆円)を上回る公算が大きいと警告した』(2012ー05−25)と。

 ぞっとするような金額である。
そういう数字を示しながら、「ギリシャを離脱させてはいけない」と。

 その上で、『6月にメキシコのロス・カボスで開催される20カ国・地域(G20)首脳会合を前に
欧州首脳は、(5月)26日、世界経済の回復に向け欧州と日米中3カ国は、責任を共有すると
して、日米に財政再建を求めるとともに、中国には改革を断行するよう促した』(ロイター)と。

 すでにアメリカは、イチ逃げた!
IMFへの拠出金額、ゼロ。

 が、これですむとは、だれも思っていない。
『スペインのカタルーニャ州政府のアルトゥール・マス知事は25日、中央政府に対して支援を
重ねて要請した』(ブルームバーグ)と。

 つづいて『スペイン政府が今月初めに国有化した同国銀行3位のバンキア・グループは、不
動産融資とそれ以外の融資の引当金を準備するため、190億ユーロ(約1兆9000億円)の公
的資金による追加支援を申請する』(ブルームバーグ)と発表した。
これについて、大和キャピタル・マーケッツのエコノミスト、トビアス・ブラットナー氏(ロンドン在
勤)は、25日の電話取材に対し、「われわれが最初からずっと指摘してきたようにバンキアは
氷山の一角にすぎない」(ブルームバーグ)と答えている。

 氷山の一角!

●資本主義社会のリシャッフル

 トランプ(ゲーム)では、ときどきカードをリシャッフルする。
こうしてゲームの公平性を保つ。
同じように今、世界で、富のリシャッフルが起きている。

 それほど働かなくても、優雅な生活ができる人たちがいる。
その一方で、働いても働いても、貧しい生活を強いられる人たちがいる。
今のところこの日本は、前者の「優雅な生活ができる国」に属している。
貿易収支(モノ)が赤字でも、資本収支(金貸し)で、何とかカバーしている。
が、こんな状態がいつまでもつづくとは、だれも思っていない。

 その先陣を切ったのが、(「先陣」というのも、おかしいが)、EUということになる。
もともとアメリカのドルに対抗し、EUが生まれ、ユーロが生まれた。
当初、ユーロはドルを凌駕(りょうが)するほどの勢いを見せた。
相対的に、アメリカドルの地位は衰退した。
日本が橋本政権だったころの話である。

 その結果、今のEUが生まれた。
ギリシャを含む南欧世界が生まれた。
みな、それほど働かなくても、優雅な生活ができるようになった。

 が、ここにきて、EUの国家経済が、つぎつぎとおかしくなってきた。
まさに「リシャッフル」が、始まった。

●映画『ファミリー・ツリー』

 ところで私とワイフは、おとといの夜、ジョージ・クルーニー主演の映画『ファミリー・ツリー』を
見てきた。
内容はまさに、アメリカのハリウッド映画。

 仕事中心主義の夫。
その夫で、さみしい思いをしていた、(=ヒマをもてあましていた)妻。
それを理由に、妻は不倫。
(セックス第一主義の、実にアメリカ人らしい、発想!)
その最中、妻はボート事故で、植物人間に。
事故のあと、夫は、妻が不倫を重ねていたことを知る。

 私はあの映画が始まると同時に、即座にこう思った。
「何だ、このド・ぜいたくな生活は!」と。

 うそだと思うなら、そういう視点で、あの映画を見てみたらよい。
映画は一応、(家族の絆の大切さ)をテーマにしている。
しかしそんなことは、ド・ぜいたくは、アメリカだからこそ、言えること。
少なくとも、世界の標準ではない。
今の今も、世界の人口の3分の1の人たちは、じゅうぶんな食料もなく、飢餓状態であえいでい
る。

 「何が、家族だ!」
 「何が、不倫だ!」
 「何が、子どもの教育だ!」と。

 まさに飽食映画。
ド・ぜいたく映画。
それが『ファミリー・ツリー』。
そしてそれがさもあるべき、人間の生活であるかのように、私たちに見せつける。
「これがあるべき本来の生活だ」と。

 あのね、どうしてアメリカ人だけが、ああした、ド・ぜいたくな生活ができるか、それを一度、考
えてみたらどう?

 言うまでもなく、強大な軍事力に支えられた、強いドルが、それを可能にしている。
いくら印刷に印刷を重ねても、世界の人たちは、ドル紙幣をほしがる。
言うなれば有名画家の絵画と同じ。
サラサラと描いても、数万ドル、数10万ドルで売れる。

●自業自得

 私もあるとき、息子の1人にこう言われたことがある。
(だからといって、その息子を責めているのではない。誤解のないように!)
「パパは、仕事ばかりしていて、家庭を顧みなかった」と。

 事実、そうだったから、反論のしようがない。
私は仕事ばかりしていた。
が、私たちが生きた時代は、そういう時代だった。
多かれ、少なかれ、みな似たような生活を送っていた。
孤立無援。
その中で、家族にだけは、ひもじい思いをさせたくないとがんばった。
学費だけは、惜しみなく出してやろうと願った。

 が、最近の若い人たちは、私たちが経験したような時代を知らない。
ボットン便所すら知らない。
知らないばかりか、アメリカの生活を基準に、こう言う。
「戦争を起こしたのは、パパたちの世代だ。自業自得」と。
(戦争を起こしたのは、私たちではないのだが……。)

 不幸なことに、本当に不幸なことに、豊かな生活は、天から降ってくるものと思っている。
映画『ファミリー・ツリー』の中で見るような生活が、世界の標準と思っている。

●アメリカの尻馬

 が、豊かであることは、悪いことではない。
ショッピングセンターに行けば、モノや食料品が山のように積んである。
電気やガスも、今のところ無事、使うことができる。
「水資源」が豊かなのは、本当に、ありがたい。

 が、その豊かな生活に、このところ陰りが見え始めた。
簡単な計算だが、あなたの現在の生活から、1000万円x(家族数)の現金を引いてみればよ
い。
(3人家族なら、3000万円を引く。)
それが日本人の、現実の(力)ということになる。
(国の借金を、1人=1000万円で計算した。)

 そのとき、あなたの周囲に、何が残るか?
ふつうは、何も残らないばかりか、借金が残るはず。
が、それでも、何とか今は、豊かな生活ができる。
なぜか?

 理由は簡単。
アメリカの尻馬に乗り、かろうじて(円)の力を維持しているからにほかならない。
辛らつな言い方に聞こえるかもしれないが、事実は事実。

●日本の国益

 が、日本人の私たちは、それでも日本の国益を最優先する。
理由がある。

 日本を一歩外に出れば、そこは野獣うごめく、無法地帯。
弱肉強食の論理だけが通用する、野蛮世界。
食うか、食われるか。
見た目はともかくも、資本主義経済というのは、原罪的にそういった宿命を負っている。
そういう中、もしここで日本が気を緩めれば、日本はあっという間に、野獣の餌食になってしま
う。
(すでになってしまっているが……。)

 スポーツと同じとまでは言わないが、はじめから「負けてもいいや」では、勝負にならない。
勝つことはできない。
懸命に戦っても、現状維持が精一杯。
そんな中、冒頭の結論に戻る。

いい子ぶるな。
お人好しになるな。

●ちまちました人間

 たまたま昨日(5月25日)、石原東京都知事は、20年夏季五輪招致に対する国内支持率を
批判し、こう言った。

「一体、日本人は何を望んで、何を実現したら胸がときめくのか。
ちまちました自分の我欲の充実で、非常にやせた民族になった」(定例記者会見)と。

 国際オリンピック委員会(IOC)の調査で、国民の支持率が47%と低かったことについて、で
ある。

 私はまったく同感である。
が、それに対して、若い人たちの反応には、驚くべきものがある。
2チャンネルへの書き込みを、上から選択しないで、10個だけ、転載させてもらう。

★お前がオリンピックやろうとしてることが我欲の充実なんじゃねえかw 

★国民が望んで無い事を都知事が勝手に突っ走って何を考えているのか? 

★オリンピックをなぜ欲しがるのかさっぱりわからん

★我欲の塊のジジイがなんか言ってら 

★オリンピックよりも先にやらなきゃならんことが山積みだから反対してんだろ。
バカかこのジジイは

★そもそもなんで運動のできる人に金払って、遊ばせておくのか意味がわからん 

★栄えるのは東京だけ 

★五輪は欧米でやるからこそ有難味があんだろ 

★オリンピックなんかやらなくていいよワールドカップだけ誘致すればいい 

 敗戦後の混乱期。
その中からはい上がった日本人。
その日本人は、あの東京オリンピックに、「光」を見た。
未来につづく「希望」を見た。
精神だけではない。
もちろん東京オリンピックが日本にもたらした経済的利益には、計り知れないものがある。

 今の若い人たちに、それを理解せよと言っても、無理なのかもしれない。

●負け戦

 今日も、こんなニュース。
 
 リコーがデジタル複合機の国内主力工場である御殿場事業所(静岡県御殿場市)を、2013
年3月末までに閉鎖するという(26日)。

昨日(25日)、半導体大手のルネサスエレクトロニクスが、従業員約4万2000人のうち、1万
〜1万2000人をリストラすると発表したばかり。
これによって、『この2月に経営破綻し、経営再建中のエルピーダメモリにつづき、国内電機大
手の共同出資による「日の丸半導体」メーカーは、さらに苦境に立たされることになる』(以上、
時事通信)と。

 つまりこの先、こんなニュースが毎日つづくようになる。
日本という国家は、少しずつ終焉を迎える。
これを私の世界では、「負け戦」という。
が、この負け戦ほど、神経を消耗し、腐らせるものはない。

 だからここは、なりふり構わず、ふんばる。
繰り返す。

いい子ぶるな。
お人好しになるな。

 今の日本に、そんな余裕は、ないぞ!
2012/05/27夕方記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ぼたんインコ

 ぼたんインコの利口さには、驚く。
毎日、その連続。
4月初旬生まれとして、今日で1か月半。
ほぼ羽毛も生えそろい、成鳥らしくなってきた。

 たとえば言葉。
もちろん人間の話すような言葉はもっていない。
しかし鳴き方で、それを示す。

いやなとき……グアグア
餌を食べるとき……チチチ
何かしてほしいとき……ピーッ、ピーッ
探検するとき……ピヨピヨと小刻みに鳴く
怖いとき……グアーッ、グワーッ、ほか。

 好奇心は旺盛。
そのくせ気が小さい。
大きな物音を聞いたりすると、近くのタオルの中に首を突っ込んで小さくなっている。
犬のぬいぐるみが怖いらしく、5〜6メートル離れたところからでも、それを見つけると、威嚇行
動に出る。

 いっしょに遊んでやると、うるさそうに私を無視する。
そのくせ私が無視すると、ちょっかいを出してくる。
ワイフは、ときどき「人間の子どもみたい」と言う。
が、この段階では、人間の子どもより、はるかに利口。
ネットの記事などを読むと、成鳥で3歳前後の知能があるという。

 育て方をまちがえると、あの鋭いくちばしで、耳たぶをかみ切ることもあるそうだ。
が、今のところ、うちのインコは、やさしく穏やか。
頬や唇、それに耳たぶをかむときも、力を入れない。
やわかみ。
そのつど、ピーピーと鳴きながら、甘えてくる。

 何とかこのまま育ってくれればよいのだが……と願う点も、人間の子ども、そっくり。

●ニンニク

 この数日、何かにつけ、調子がよくない。
パソコンの前に座っても、ぼんやりしているだけ。
けだるい疲労感。
それなりに運動はしているが、その効果がない。

 ……ということで、昨日は、ビタミン剤を、いつもの2倍のんだ。
というか、こういうときは、ニンニクが効果的。
今日は土曜日だから、夜、そのニンニクを食べるつもり。
刺身にニンニクをつけ、それを白いご飯の上にのせる。
この浜松で覚えた、刺身の食べ方。
それを食べると、視界がパッと明るくなる。
視力がよくなるためではないか?

 一説によると、ニンニクには、興奮作用と鎮静作用が、同居しているそうだ。
それがあの独特の効果となって現われる。
学生時代に、どこかの科学者がそう話してくれたのを、覚えている。

 こういうときは、電子マガジンの編集するのがよい。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【老後vs老後】(人間と人間をつなぐ絆の粘着力)

●5月27日(日曜日)(朝記)

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
時刻は、午後9時ごろだった。
途中、いつものようにコンビニに寄り、いくつかの食料を調達。
山荘に着いてから、それを遅い夕食とした。

●雑談

 昨夜はDVDは、なし。
そのかわり、ワイフと雑談。
気がついたときには、午後11時を過ぎていた。

「風呂はどうする?」とワイフが聞いたので、「明日の朝にしよう」と私。
そのまま雑誌を読みながら、就寝。
で、今朝は、午前4時に目が覚めた。
ふだんなら、もう一度眠りなおすのだが、今朝はそのまま起床。
このところ原稿らしい原稿を書いていない。
それが理由で、起床。
そのまま居間へ。

 パソコン用バッグから、マウス、老眼鏡、目薬を取り出す。
それをコタツの天板の上に並べる。
携帯端末機を、ネットにつなぐ。
サッとニュースに目を通したあと、こうして文章を叩き始める。
時刻は今、ぴったり、午前4:00分。

●離婚

 書きたいことは、いくつかある。
……というか、昨日、「病気と離婚」について、少し書き始めた。
たとえばある精神科医はこう書いている。
「うつ病で医院へやってくる男性の50%は、その段階で、離婚している」と。

 うつ病になったから、離婚したのか、それとも離婚したから、うつ病になったのかはわからな
い。
ともかくも、事実は、そういうことらしい。
が、さらに深刻な話も。

 夫か妻、どちらか一方の配偶者ががんになると、(がんの段階にもよるそうだが)、離婚率が
急に高くなるという。

●心情的に理解できない

 が、夫か妻ががんに罹患したとき、離婚率が高くなるというのは、心情的に理解できない。
こういうばあい、「ふつうなら……」という言い方は避けたい。
しかしふつうなら、離婚しないでがんばる。
妻か夫の最期を見届ける。

 もっとも夫婦の仲ほど、摩訶不思議なものは、ない。
それぞれの夫婦には、それぞれに事情が複雑にからんでいる。
がんでなくても、ふつうの病気でも、それがきっかけで離婚ということもありえる。
また離婚するからといって、薄情(昔風の言い方)と決めつけては、いけない。

 が、全体としてみると、人間関係が希薄になっていることは、事実。
たとえば老親のめんどうをみない息子や娘が、急増している。
親が生活保護を受けながら、息子が優雅な生活を送っているというケースは、多い。
先ほど問題になった、お笑いタレントのKJ(37歳)も、その1人。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

 『お笑いコンビ「次長課長」のKJさん(37)は25日、母親が最近まで生活保護を受給してい
たことを東京都内で開かれた記者会見で認め、一部を返還する考えを明らかにした。
厚生労働省は今後、扶養可能な親族がいる場合は、家庭裁判所での調停を通じ、民法の扶
養義務を果たさせるよう自治体に呼びかけるなど、運用を厳格化することを決めた』と。

●親を棄てる子どもたち

 が、現実はきびしい。
結婚と同時に、「ハイ、さようなら!」と、親を捨てていく息子や娘は、多い。
それについて去年(2011年10月)、私が批判記事をBLOGに書いたら、つぎのようなコメント
を書いてきた男性(千葉県・EH)がいた。
題名は、「阿呆」。

「親の面倒をみろというのは、それ自体が束縛だ。
私は、自分の子どもには、そういう思いをさせたくない」と。

 年齢は文面からすると30歳前後。
最近、子ども(性別不明)をもったらしい。

 現在の若者たちは、親のめんどうをみることを、「束縛」ととらえる。
つまり自分に課せられた、民法上の義務を、「束縛」と。
しかもまだ親の面倒を経験したこともないような男性が、未来を先取りする形で、だ。
そしてこう言う。
「自分の子どもは、束縛しない」と。

 ずいぶんと勝手な意見というより、オメデタイ!
が、民法の扶養義務をあげるまでもなく、子どもが親のめんどうをみるのは、「義務」。
「束縛」とか、そうでないとか議論する以前の問題である。

 つまり現在は、子どもが親を棄てる。
配偶者が配偶者を棄てる。
そういう時代になった……と考えてよい。

●パサパサ

 たしかに人間関係が、パサパサし始めている。
友人、親類、親子、それに夫婦。
その夫婦の仲も、粘着度で決まる。
粘着度の低い夫婦もいれば、高い夫婦もいる。

 それについては、たびたび書いてきた。
その中のひとつを、そのまま紹介する。
日付は、2011年6月になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(2011年6月の原稿より)

●人間どうしをつなぐ粘着力

++++++++++++++++++++

心理学の世界には、「共依存」という言葉がある。
それについては、たびたび、書いてきた。
よくあるケース。
暴力的な夫と、その夫に、涙ぐましいほどまでに、
献身的に仕える妻。
「ふつうなら……」ということになるが、一度、
共依存関係ができてしまうと、その関係を
断ち切るのは容易なことではない。
まず、共依存について書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存(改)2011−06−29

酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。
典型的な共依存関係である。
妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。
依存されることで、自分の立場を確保する妻。
妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。
殴られたり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。
たがいに依存しあいながら、自分を支える。
傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起きることもあ
る。

家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。
ニートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。
子どもを突き放すことができない。
親自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

 依存症にも、いろいろある。
よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。
もちろん、人間が人間に依存することもある。
さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。
それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。
仕事はしない。
何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。
しかし決定的なところまでは、しない。
妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。
(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)
それに、いつも、暴力を振るっているのではない。
日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。
お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。
一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。
私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と思い込み、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、
依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。
そして夜、遅く帰ってくる。
子どもはいない。
その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。
そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。
それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。
しかしその妻には、聞く耳がなかった。
そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。
本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫に
させるといったことが必要だった。
当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。
夫は、自分から離れていってしまうかもしれない。
そんな不安感があった。
だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きな
キズを負うことが知られている。

「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が
高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではない
かという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを
身につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェル
ドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症と
も考えられなくはない。
もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。
ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような
症状は現れる。
で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……と
いう疑問をもつ人がいるかもしれない。
理由は、簡単。

このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性
を、そのつど、確認しているのである。
一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。
だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。
これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。
親子、兄弟の間でも、生まれやすい。
他人との関係においても、生まれやすい。
生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。

親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。
わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。
娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買っ
てきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存して
いたことになる。
こういう例は多い。
息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたり
するなど。

前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の
母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。
その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりなが
ら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。
その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!
その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。
いわゆる自立できない親は、そこまでする。

「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。
言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。
で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども
自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。
そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像する
が、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。
むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。
女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。

母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風
呂に入っても、それほど、話題にはならない。
こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。
このつづきは、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザコン 女性
のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴力 ドメスティック
バイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●読み返してみて……

 前述の原稿は、ずいぶん前に書いた原稿である。
「勝手な解釈をしているな」と思うところもないわけではない。
しかしこれは心理学一般に共通することだが、心理学の世界では、数学でいえば、いわゆる
「公式」的なことしか書いてない。
具体例が書いてある本というのは、少ない。
さらに「では、どうすればいいか」というところまで書いてある本は、さらに少ない。
「心理学」というのは、そういうものかもしれない。
言うなれば、心の作用を、結晶化したもの。
それを並べて説明したのが、心理学。

 言い換えると、心の作用は複雑。
複雑というより、もろもろの心理作用が、複雑にからみあって、その人の心理作用を決める。

共依存についても、純粋な意味での「共依存」というのは、ない。
だからそのあとは、「それぞれの人の解釈で……」となる。

 こうした勝手な解釈は、アカデミックな世界では許されないことかもしれない。
自分の意見を付け足すことについても、そうだ。
が、しかし逆に言えば、心理学だけで、人間の心の採用をすべて説明できるわけではない。
たとえば、こんな例で考えてみよう。

●仮面夫婦

 「仮面夫婦」という言葉がある。
私たち夫婦もそれかもしれない。
あなたがた夫婦も、それかもしれない。
表面的には夫婦だが、中身は空っぽ。
形だけの夫婦をいう。

 が、そういう夫婦の方が多いことを思えば、「それが夫婦」ということになる。
結婚当初のように、ラブラブの関係にある夫婦というのは、まず、いない。
またそういう夫婦を基準にしてはいけない。
恋愛は、ロマンス(=夢の中のできごと)だが、結婚は、現実である。

●悪妻

 私は率直に言うが、Nさん(女性、45歳)ほどの悪妻を、ほかに知らない。
まさに悪妻中の悪妻。

 突発的に錯乱状態になり、夫を蹴る、殴るは当たり前。
一足数万円もするようなハイヒールの靴を、夫に投げつけたりする。
さらにはげしくなると、台所からフライパンをもってきて、それを夫に投げつけたりする。

 見るに見かねて、夫の両親と夫の兄が、Nさんを精神病院へ連れて行こうとしたことがある。
しかしNさんは、さらに暴れて、それを拒否。
近所中に聞こえるような声で、泣きわめいた。

 が、一晩……というより、数時間もすると、まったく別人になってしまう。
まったくの別人である。
穏やかで、やさしい。
言葉の使い方も、ていねい。
が、よく観察すると、どこか不自然。
どこか演技ぽい。
別の心を、どこかで押し殺しながら、そうする。

 こんなことがあった。

 夫は、宅配便の運転手をしている。
稼ぎは、それほど、多くない。
そのこともあり、生活費が足りなくなると、Nさんは、夫の実家へ行く。
やや痴呆症になりかけた父親と病弱な母親がいる。
それをよいことに、「100万円、出せ!」「200万円、出せ!」と。
 夫の両親は、ともに80歳を超えている。

会計士として蓄えた財産はあるが、それにも限度がある。
そこで母親が、「5万円くらいなら……」と言うと、Nさんは、その現金を、母親の顔に叩きつけ
て、その場を去っていったという。

 が、夫は、Nさんと離婚はしない。
2人の子どもがいた。
それにNさんの夫は、心のやさしい男性だった。
妻に蹴られたり、殴られたりしても、オロオロと逃げ回るだけ。

●心の病気

 こういう関係を、どう理解するか。
「共依存」という言葉だけでは、説明がつかない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、多分に心の病気がからんでいる。
夫にしても、そういう妻であるにしても、孤独であるよりはよい。
あるいは夫自身も、何かの心の病気をかかえているのかもしれない。
それに毎日がそうであるというわけでもない。
Nさんが突発的に錯乱状態になるのは、10日に1度くらい。
多くて、5日に1度くらい。
それ以外のときは、先にも書いたように、むしろおだやかで、やさしい。

 そこで私は、……つまりNさんの夫のことを思いめぐらすうち、「心の粘着力」という言葉を思
いついた。
もちろん心理学上の言葉ではない。
私が勝手につけた名前である。

●心の粘着力

 人間関係には、ある程度の粘着力がある。
強弱の差はあるかもしれない。
粘着力の強い人間関係もあるだろうし、弱い人間関係もある。
強い人間関係は、「ネバネバ」ということになる。
弱い人間関係は、「パサパサ」ということになる。

 夫婦の関係。
友人の関係。
親類、縁者の関係。
近隣の人たちとの関係。
もちろん親子の関係、などなど。

 最近の若い人たちの傾向としては、前にも書いたが、デジタル型の人間関係が目立つ。
人間関係を、「ON」と「OFF」だけで、割り切ってしまう。
一度、「OFF」にすると、まったくのゼロにしてしまう。

 で、ここではもう一歩、話を進めて、ではどういうときにネバネバになり、またどういうときにパ
サパサになるか。
それについて考えてみたい。

●ネバネバ

 最近、私とワイフの関係は、加齢とともに、よりネバネバになってきたように感ずる。
「先が短くなった」という思いもある。
積み重ねてきた思い出も多い。
とくに私たち夫婦は、すべてを、2人だけでしなければならなかった。
だれの助けも期待できなかったし、だれも助けてくれなかった。

 3人の息子たちにしても、ワイフは自分で助産院に行き、ひとりで子どもたちを産んだ。
そのあとも、だれにも助けてもらわなかった。

 一方、私は仕事オンリー。
それでも家計は苦しかった。
当時はそういう時代だった。
だから余計に、私はがむしゃらに働いた。
20〜30代のころは、休日は、月に1日だけ。
そんな年が何年もつづいた。

 だからというわけでもないが、私たち夫婦は、言うなれば「ネバネバ夫婦」。
どんなはげしい夫婦げんかをしても、1〜2日のうちには、もとに戻る。
もとに戻って、また手をつないで歩く。
が、私がここで書きたい「ネバネバ」は、それとは意味が少しちがう。

 先のNさん夫婦のばあいである。
「ふつうなら、離婚」ということになるが、離婚しない。
「子はかすがい」とは言うが、それもあるのかもしれない。
が、何が2人をつないでいるのか。
そのつないでいるものが、ここでいう「ネバネバ」ということになる。

●理解のワク

 もう一度、共依存の話に戻る。
共依存の関係にある夫婦は、たしかにネバネバしている。
ほかにも、夫婦の間の会話が完全に途切れてしまった知り合いもいる。
まったく、しない。
そこでその夫婦のばあい、息子たちが、夫婦の、(つまり両親の)、連絡係をしている。
が、それでも夫婦。
離婚しないのか、できないのか、あるいはなぜそうなのか。

 そういうのを「仮面夫婦」というが、仮面の向こうに隠されたネバネバは、常識では理解でき
ない。
外見だけからは、わからない。
それこそ私のような人間が、いくら想像力を働かせても、理解できるようなものではない。
理解のワクを超えている。
「私なら、即、離婚」と口で言うのは、たやすい。
しかし、問題は、そんな簡単なことでもない。

●離婚率35・4%

 もちろん反対に、「パサパサ夫婦」というのも、いる。
昔は、「成田離婚」というのも、あった。
新婚旅行から帰ってきたそのとき、成田空港で離婚する。
だから「成田離婚」。

 パサパサといえば、パサパサ。
成田離婚は別として、さしたる理由もないまま、簡単に離婚していく人も、これまた少なくない。

一般論からいうと、(統計的にもそういう数字が出ているが)、身近に離婚経験者がいると、そ
の影響を受けて、その夫婦も離婚しやすいという。
姉夫婦が離婚したとたん、妹夫婦も、離婚する。
親が離婚経験者だと、子も離婚しやすくなる、など。

 何も離婚することが悪いと書いているのではない。
離婚など、今どき、珍しくも何ともない。
厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数が
約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている※。
72万人に対して、25万人。
離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!

 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深
い(同、統計)。

(注※)結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。

(注※)2010年について
『厚生労働省の「2010年・人口動態特殊報告」によると、つぎのようになっている。
婚姻数……98万2044人
離婚数……36万9140人』

 この数字から、「結婚した10組のうち、4組が離婚する」(厚生労働省)ということになる。(37
万÷98万=0・38)

●二人三脚

 私の考えでは、夫婦でも、「形」にしばられることなく、人間関係が破綻したら、さっさと離婚し
たほうがよいのでは、と思う。
思うだけで、では、実際、自分たちがそうなったら……というときのことを考えると、自信はな
い。
それでもネバネバとがんばるかもしれない。

 世間体もある?
もちろん子どもたちのこともある?
が、それ以上に、今は、もう夫婦でありつづけるしかない。
二人三脚でも生きていくのがむずかしい。
ひとりになって、どうやって生きていくというのか。

 が、結論から先に言うと、つまり、これがこのエッセーの結論ということになるが、人間関係
が、近年、ますますパサパサになってきた。
ネバネバ感が消え、パサパサになってきた。
つまり人間どうしをつなぐ、粘着力が、弱くなってきた。
それがよいことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。
その結果は、もう少し先になってみないとわからない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 粘着力 パサパサ人間 ネバネバ人間 離婚率 日本人の離婚率)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(以上、2011年6月に書いた原稿)

●離婚率

 離婚率の計算はむずかしい。
厚生労働省が発表する人口動態調査にしても、どの部分をどうみればよいのか、それがよく
わからない。

たとえば直近の2010年についてみれば、(離婚届数)を(婚姻届数)で割ってみると、約38%
という数字があがってくる。
つまり現代は、10組の夫婦のうち、4組までが離婚する時代ということになる。

 一方、厚生労働省は、こんな数字もあげている(人口動態調査)。

「……婚姻率、5・3%(2011年)、離婚率、1・86%」と。

 表のトップに、「人口千対(人口1000人に対して)」という注釈が入っている。
が、ここがよく理解できない。
「率」で示すのなら、「人口千対」は、必要ない。
1000人だろうが、1億人だろうが、率は、変わらない。
それとも、「人口1000人に対して、結婚した人が、5・3人、離婚した人が、1・86人」という意
味なのだろうか。
しかし人口動態調査には、「婚姻率」「離婚率」とある。

 ともあれ、こと離婚率をみるかぎり、2002年の2・30をピークに少しずつだが、さがり始めて
いる。
俗説だが、不景気になればなるほど、離婚率は下がるという。
理由は容易に推察できる。

●私たち夫婦

 私たち夫婦も、何度か危機を経験している。
けっして無事というわけではなかった。
言い換えると、仮面夫婦であれ何であれ、離婚の一歩手前でふんばっている夫婦も多いという
こと。
離婚届けを出す夫婦は、まさに氷山の一角。

 また同じ夫婦でも、いろいろな時がある。
夫婦喧嘩、離婚騒動を、年中行事にしている夫婦だっている。
「離婚していないから、いい夫婦」というふうには、考えていけない。

 で、私たちの結論。
「夫婦も、友人ね」と。

●終の棲家(ついのすみか)

 人生も最終段階に入ってきた。
昨夜もワイフが、「終の棲家はどうするの?」と、数度、聞いた。
家の建てなおしをいう。

 ……といっても、計画は、すでに立ててある。
あとはいつそれを実行するか。
現在の住居地の3分の1を売る。
それで得たお金で、家を建てなおす。
老人向けの家にし、どちらかが独りになっても、生活できるようにする。

 「老人向け」というのは、老人向け。
居間と寝室、風呂、洗面所、トイレを、効率的に結合する。
壁すべてに、手すりをつける。
車椅子のまま、道路へ出られるようにする、など。

 で、最終的に、残された1人が動けなくなったら、有料の老人ホームに身を寄せる。
それが私たち夫婦の、最期の計画。

●「外見(そとみ)だけはなア……」

 が、それよりも深刻な問題。
つまりいつ、どのような形で、「負け」を認めるか。
このところ、そういう問題が、浮上してきた。
というのも、ちょうど2年ほど前、こんな事件があった。

 で、その前に、養老孟司氏について書いておく。
解剖学の権威である。
個人的には、数回、面識がある。
愛知万博の諮問委員をしているときに、会った。
氏の「バカの壁」という本だけは読んだことがある。
それ以外には、知らない。
養老孟司氏を意識したこともないし、目標にしたこともない。

 で、その会に出たときのこと。
だれかが、私にこう言った。
「林君(=私)は、養老孟司の若いときに似ているな」と。
多分白髪まじりのボサボサの頭を見て、そう言ったと思う。
が、横にいたX君(同年齢)が、すかさず、こう言った。
「外見だけはなア……」と。

 X君は、少し、酔っていた。
それを差し引いても、辛辣(しんらつ)な言葉である。
そのときは、ハハハと笑ってすましたが、あとになってその言葉が、私の心に大きな穴をあけ
たのを知った。

●敗北宣言

 いろいろやってはみたけれど……ということになる。
いろいろやってはみたけれど、所詮(しょせん)、私は、この程度の人間。
それをいつ、どのような形で認めるか。
敗北宣言という深刻なものではないにしても、それに近い。

 といっても、私は何も名声や地位、財力を求めてきたわけではない。
「自由」を求めてきた。
が、その自由も、「死」を前にすると、粉々に吹き飛んでしまう。
いくら「私は自由だ」と叫んでも、そこには限界がある。

 まずやってくるのが、肉体的な限界。
足腰が弱くなる。
歩けなくなる。

 つぎにやってくるのが、精神的な限界。
気力の限界と言い換えても、よい。
脳みその限界と言い換えても、よい。
「死」は、そのあとに、やってくる。

 そうした限界を乗り越えるためには、サルトル※が説いたように、「無の概念」を取り入れるし
かない。
徹底して、自分を「無」にする。
「失うものは何もない」という状態にする。
そのとき私たちは、「限界(限界状況)」を乗り越えることができる。
もっとわかりやすく言えば、「私」を消す。
それがここでいう敗北宣言ということになる。
「身を運命に差し出す」。

(注※)サルトル……ジャン・ポール・サルトル
フランスの哲学者。
1905年6月21日生まれ、1980年4月15日(74歳)没。

●孤独

 わかりやすく言えば、「離婚どころではない」ということになる。
たとえて言うなら、崖っぷちに向かって進んでいる車の中で、夫婦喧嘩をしているようなもの。
また仮に離婚したからといって、未来は何も変わらない。
(どちらかに愛人でもいれば、話は別だが……。)
そこで待ち構えているのは、孤独だけ。
そうでなくても、独りで生きていくのは、むずかしい。
さらに言えば、離婚するエネルギーが残っているなら、そのエネルギーは、別のことに使いた
い。

 ……というような話を、昨夜、こたつに入って、ワイフとした。

私「あのX君ね、ズバリ、痛いところを突いてくれた」
ワ「……」
私「ぼくはX君が言うように、外見だけの人間だった……」
ワ「でも、あなたは名誉も地位も、蹴飛ばして生きてきたわよ」
私「本当は、そうではない」
ワ「?」
私「そのチャンスがなかった。あれば、シッポを振っていたかもしれない」と。

●今日は今日

 さて今日も始まった。
時刻は、午前5:34分を示している。
ワイフが起きたら、入浴。
そのあと、庭掃除。
それがすんだら、たき火。

 で、昼から、映画を見に行くことになっている。
『MIB(メン・イン・ブラック)』。
楽しみ。

 それから現在、我が家の最大の関心ごとは、ぼたんインコの「ピッピ」。
息子は、昨夜も、「ぼたんインコの飼い方」という本を熱心に読んでいた。
ぼたんインコは、たしかに、かわいい。
「ラブ・バード」ともいう。
頭もよい。
感情は、人間並み。
で、だれかがこう言った。

『インコを飼ったことがない人は、人生の半分を無駄にしたようなもの』と。

 その言葉を知ったときには、「何を、おおげさな!」と思った。
しかし今は、その言葉に同意する。
安心しきって、私の手の中で眠っているのを見るだけで、心が休まる。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論
 はやし浩司 サルトル 自由の限界 無の概念 はやし浩司 終の棲家 離婚問題 離婚
率)はやし浩司 2012−05−27記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●「まだ言い張る? 日韓基本条約、協定第二条1」

●まだ言い張る? 日本古地図にも鮮明に「朝鮮海」(中央日報紙・韓国)
(2012−05−24)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7265914328/" title="tmb240_
20120524084412-1 by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8143
/7265914328_6130de8792_s.jpg" width="150" height="150" alt="tmb240_20120524084412-1
"></a>

●反日記事

 韓国中央日報紙は、「(日本よ)、まだ言い張るのか」と題して、つぎのような記事を掲載し
た。
日本海の呼称問題に関して、である。
記事の最後部分(結論)を紹介する。

『西洋の古地図も同じだ。1794年に英国で制作された日本全図(THE EMPIRE OF JAP
AN)は東海を「韓国海(COREAN SEA)」と、鬱陵島と独島を韓国の領土と表記している。1
8世紀後半にフランスで制作されたアジア地図(L' ASIE)も東海を「韓国海(MER DE CO
REE)」としている。 

1735年にフランス地図学者のダンビル(D' Anville)が制作した西洋最初の朝鮮全図「朝鮮
王国全図」も展示されている。この地図も鬱陵島と独島を朝鮮の領土として紹介している。 

ハン・サンホ国土地理情報院学芸研究士は「韓国がIHOに要求する東海・日本海の併記が妥
当だということを対内外に広報するため、今回の企画展を開催した」と説明した』(以上、中央
日報紙)と。

●一方的記事

 当然のことながら、韓国は、自分たちの都合の悪い記事は載せない。
載せないばかりか、こうした記事を載せ、「日本海は、日本海ではなく、東海である」と主張す
る。

 しかしこの古地図を見ても、どこにも「東海」とは書いてない。
「朝鮮海」と書いてある。

だったら、なぜ「朝鮮海」と主張しないのか?
朝鮮海と書いてあるからといって、「東海」というわけではない。

 また地図をよく見ればわかるように、「朝鮮海」というのは、日本海全体をさしたものではな
く、朝鮮半島の沿岸部をさしたものである。
そういう例は、当時も、今も、世界中である。
たとえばこの遠州地方(浜松→静岡)では、太平洋の沿岸を、「遠州灘」と呼ぶ。
古くは、太平洋のことを、「とうとうみ」と呼んだ。
日本人が太平洋を「太平洋」と呼ぶようになったのは、「Pacific Ocean(平和、泰平な海)」とい
う英語が輸入されてからのことである。

●「東海」は地名ではない

 朝鮮半島の人たちが、朝鮮半島に住み、東にある海を「東海」と呼んだとしても、それは至極
当然なこと。
自然なこと。
「東」というのは、方向を示す言葉にほかならない。
「東にある海」ということで、「東の海」→「東海」と呼んだ。

 そこで韓国は、それではバランスが取れないということで(?)、黄海を「西海」と呼び、「黄海
(西海)」と、併記している。
が、こちらのほうは、静か。
世界各国に特使まで派遣してまで改名しようとする動きまでは、出ていない。
古地図をつぎつぎと持ち出して……ということまでは、していない。
なぜか?

 理由は簡単。
「日本海」の「日本」という名前が気に入らないのだ。
まさに『坊主憎ければ……』レベルの話。

 が、韓国の人たちよ、これでは整合性がない!
合理性がない。
どうして黄海は黄海のままでよいのか。

 繰り返す。
「まだ言い張る?」というくらいなら、「東海」と書いた古地図を出したらよい。
「朝鮮海」では、話にならない。
どうして「朝鮮海」が、「東海」なのか。
どこでどうつながるのか。

 本当のことを言えば、私たち日本人は、うんざりしている。
慰安婦問題にしても、韓国の人たちの(こだわり)には、ふつうでない異常性を覚える(※)。
日本人は、いくらアメリカ人に原爆を落とされたからといって、アメリカ中に、原爆慰霊碑を建て
るようなことはしない。

 日本人の私たちは、抗議と(いやがらせ)の間に、明確な一線を引くことができる。
抗議は抗議。
(いやがらせ)は(いやがらせ)。

 日本海の呼称問題も、その延長線上というより、その枠(ワク)の中にある。

 なお、中央日報紙は、先の古地図の下に、こう書いている。

『1810年に日本江戸幕府が制作した世界地図「新訂万国全図」の韓半島の部分。
当時、日本も東海(トンヘ、日本名・日本海)を「朝鮮海」と表記していたことが分かる(写真=
国土地理情報院)』(中央日報紙)と。

 が、だからといって、それがどうしたの?

(注※)日韓基本条約について(「アジアの真実」サイトより)

 『……つまり、日本は韓国に対して戦前資産53億ドル、戦後賠償8億ドルもの巨額の賠償を
行っている。
そして日韓基本条約には、以下の言葉が記されている。「戦後処理は完全かつ最終的に解決
されたこととなることを確認する」(協定第二条1)

 しかし条約締結の後、韓国は日本からの清算金を個人の賠償対象者に支払うことなく、国家
発展のために活用した。

「漢江の奇跡」と言われた韓国の経済成長が韓国人の努力とともに、この南北朝鮮を対象とし
て支払われた清算金を原動力としてなされたことは疑うべくもない。

 そして韓国政府は驚くべきことにこの条約のことを国民に知らせていない。
個人に支払わず国家発展に流用したことを隠す為であろうか。
それとも反日感情をいつまでも煽る為であろうか。
もしくはその両方か。

 その為韓国人は未だに日本が賠償責任を果たしていないと思いこみ、憤慨し、日本で終わっ
た賠償問題について訴訟を起こしているのであり、日本と韓国の間の大きな溝の一つはそこ
にある。
このことを韓国国民はもちろん、日本人も良く知る必要があると思う』と。

 私もこの話は、よく知っている。
当時、(日韓基本条約は、1965年、締結。私は1967年、日韓UNESCO交換学生として渡
韓。)、この話は、日本の政府関係者から、直接聞いている。
その額、『無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル』(同サイト)。

 『この金額は当時のものであるので、貨幣価値を今の時代に換算してみる。また、8億ドルの
うち3億の無償分のみに絞って考えてみる。

(円換算)3億ドル×360円(当時1ドル=360円)=1080億ドル
(物価換算)1080億円×10(当時の大卒初任給が約2万円)=1兆800億円』(同サイト)と。

 このお金を、当時の韓国政府は、国民には渡さず、すべて、「国」のために使用した。
「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げたのは、そのあとのことである。

「戦後処理は完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(協定第二条1)という条
文を、今一度、読み返してみてほしい。
中央日報紙よ、まず、この事実を国民に知らせたらどうだろうか。

 最後に一言。

「韓国よ、まだ言い張るのか?」
2012/05/25記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(前号からのつづき)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●深まる謎


 が、さらに驚くべきことが、つぎつぎと見つかった。
前回は、それに気がつかなかった。
球形のUFOばかりが気になった。
しかしそれだけではなかった。
本来、そこにないものが、2つ、その写真には写っていた。


 「事実」というのは、そういうもの。
調べれば調べるほど、その向こうにある別の「事実」が顔を出す。
それについては、追々書くとして、私は、そしてBT氏は、ついにETのシッポをつかんだ。
少なくとも、私は、そう確信した。


 BT氏が見せてくれた写真を、順に並べてみる。


(1)左側のUFOと、ETらしきもの。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342234/" title="222 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7097/7264342234_
2cd03ab169.jpg" width="500" height="375" alt="222"></a>


(2)(1)の写真を反転したもの。
左上の黄色い物体(ET)の輪郭が、より鮮明にねっている。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342062/" title="11 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7103/7264342062_
5da73ffe98.jpg" width="500" height="375" alt="11"></a>


(3)BT氏提供の写真を再度掲載、確認する。(矢印の部分に注目)
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342398/" title="Photo1 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7236/7264342398_
d25f6f9322.jpg" width="500" height="375" alt="Photo1"></a>


(4)右側のUFO。
グーグルアースの測定器を使い、距離を測定したら、290メートルという数字が出てきた。
山の影に入っているところから、山陰ギリギリまでの距離を測定した。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342528/" title="photo2 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7074/7264342528_
bc08ee10d6.jpg" width="500" height="375" alt="photo2"></a>


(5)屋根の上の、2つの大小のUFO。
この家の家人に直接確かめたが、これは枕とか、そういうものではない。
「北側の屋根では、ものは干さない」と断言した。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342670/" title="photo3 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7095/7264342670_
bf4c47673d.jpg" width="500" height="375" alt="photo3"></a>


(6)屋根の上の黄色いET(?)。
屋根の上に直接、乗っているのが、わかる。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342772/" title="photo4 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7072/7264342772_
6c232ffd7b.jpg" width="500" height="375" alt="photo4"></a>


(7)左下に女性の姿が見える。
何か棒(農作業用の道具?)らしきものをもっている。
道路から撮った写真とすると、この女性は小山の上にいることになる。
しかしここに小山があったのか?
前回、行ったときは気がつかなかった。
あとで4度目の検証にでかけて、自分で確かめてみる。
黄色いETは、屋根の上からその女性を見ているようにも、とれる。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342838/" title="photo5 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8022/7264342838_
d07d98d490.jpg" width="500" height="375" alt="photo5"></a>


(8)明度をあげ、ETと、その左下の女性を、見やすくした。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264342958/" title="photo5-2 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8164/7264342958_
2cdc93350e.jpg" width="500" height="375" alt="photo5-2"></a>


(9)同じく、庭にいる女性。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343040/" title="photo6 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7090/7264343040_
9b23966cdf.jpg" width="500" height="375" alt="photo6"></a>


(10)うしろ髪が長い女性であることが、この写真からわかる。
この家の家人なのか。
この写真を見せ、確かめてみる。
(報告はあとで……。)
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343162/" title="photo6-2 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7096/7264343162_
b2b2794003.jpg" width="500" height="375" alt="photo6-2"></a>


(11)再び、屋根の上のET。
頭の上に左右、2本の角(つの)のようなものがある?
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343250/" title="photo5-3 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7082/7264343250_
a74d92c4d3.jpg" width="500" height="375" alt="photo5-3"></a>


(12)左側のUFOの周辺が、円形に磁場変性しているのが、わかる。
水面に石を落としたように、かすかに波打っているのが、気になる。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343360/" title="photo3-2 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7092/7264343360_
9dffb897e5.jpg" width="500" height="375" alt="photo3-2"></a>


(13)右側のUFO。
距離を290メートルとすると、かなり巨大なUFOということがわかる。
その手前下に、軽自動車がたまたま写り込んでいたが、軽くその2倍はあるということになる。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343490/" title="photo2-2 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7227/7264343490_
d086d279ab.jpg" width="500" height="375" alt="photo2-2"></a>


(14)右側のUFOは、山陰に隠れている。
軽自動車がその下に見える。
全体に明度をあげてみた。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343624/" title="Photo1-1 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7095/7264343624_
dd6ef0b364.jpg" width="500" height="375" alt="Photo1-1"></a>


(15)ET(右上)と、女性(左下)
写真のシャープ度をあげてみた。
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7264343906/" title="photo7 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7104/7264343906_
aa880f154f.jpg" width="375" height="500" alt="photo7"></a>


●黄色い物体


 左側の屋根の上、斜め左上に、黄色い物体があるのがわかる。
私は最初、それにまったく気づかなかった。
が、写真を拡大し、明度をあげてみると、それも屋根に接してある(いる?)のが、わかった。


 複雑な形をしている。
が、よく見ると、動物的な形である。
しかも頭部らしきところには2本のアンテナ状のものが、くっついている。


 私はすぐBT氏に連絡をした。
BT氏は、その日のうちに、現場へかけつけてくれた。
メールでの返事が届いた。


「今日、行ってみましたが、黄色いものは、ありませんでした」と。
つまり黄色い物体は、この写真の中だけに写り込んでいたことになる。
とするなら、これは何か?


●庭を歩く女性


 さらに左下の女性に気がついた。
それまでは庭の一部と思っていた。
が、先にも書いたように、道路側から、塀を越え、庭先が見えること自体、おかしい。
その家は、南側から大きく回り込み、庭を通って、母屋(写真の家)に入るようになっている。
そこに小山はあったのか?
この写真の通りとするなら、その女性は、小山の上で、何かの農作業をしていることになる。


●最大の謎


 これはBT氏にも、メールで書いたことだが、「なぜ?」。
なぜ、UFOが、この日(2012年5月4日)、ここにいたかということ。
この日は、浜松市内は、凧祭りの真っ最中。
前日の雨もあり、最大限にまで盛りあがっていた。


 その日、浜名湖に近い、このY町で、このような物体が現われた。
なぜ?
目的は何か?


 さらに奇妙なのは、この写真を撮ったとき、BT氏自身、その物体の存在に気づかなかった。
写真をあとで見て、そこに、これらのものが写っているのに気づいた。
なぜ、その場では、気づかなかったのか。
とくに右側のUFOは、かなり巨大なものである。
謎はつづく。
(つづきは、またあとで……。)
2012/05/2朝記。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW5歳児クラス・言葉】

●言葉

 今回は、前回の「文字遊び」につづいて、「言葉」の学習をした。
みな、たいへん伸びやかで、教えていても、楽しい。
そんな雰囲気が、この動画を通して、みなさんに伝われば、うれしい。

 なお幼児に接していると、心が洗われる。
つまり清純になる。
だから幼稚園の先生に、悪い人はいない。

(政治家のように、金と権力に接していると、小沢一郎のようになる。
これは余談。)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Y29Wbf68QOQ" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【BW教室】

●年長児(言葉の学習)

言葉から、お話作り。
それを目的に、指導してみました。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/blj_9urJRrM" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小1&2児(対称図形)

「対称」という言葉を使って、指導してみました。
まったく問題、ありませんでした。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/5i4L41uy5_w" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●3歳児の知能

 ぼたんインコなどには、人間の3歳児程度の知能(知的能力)があるという。
どういう基準で、またどういう方法でそれがわかったかは、不明。
しかしあちこちのサイトには、そう書いてある。

 3歳児!

 「頭がいい」という意味で、そう言うのだろう。
が、それにしても、すごい。
3歳児の知能があるということよりも、あんな小さな頭で、それだけのことを考えられるところ
が、すごい。
たとえばあるサイトには、こんな話が紹介されている。

 その家の人が、台所で、ある料理を始めた。
そのインコは、その家の中で放し飼いになっていた。
で、その人が、つぎに使う食材を知っていた。
冷蔵庫の前で待ちかまえていた。
で、その家の人がその食材を、冷蔵庫から取り出そうとしたその瞬間、サッと横取り。
その食材をもって逃げていったという。
つまりその家の人の行動を、先読みしていた、と。

●たったの1グラム

 人間のばあい、「成人で体重の2%ほどにあたる1・2〜1・6キログラムの質量がある」(ウィ
キペディア百科事典)という。
1・4キロと考えて、1400グラム。
一方、ぼたんインコのばあい、同じく2%と考えても、1グラム。
(現在、私のぼたんインコは、生後4〜5週間目で、体重は50グラム前後。
50x0・02=1グラム。)

 たったの1グラム。
その1グラムで、3歳児程度の知能があるという。
人間の脳よりも、はるかに緻密な構造になっていると考えてよいのか。
大小ではない。
緻密度。

 驚くのは、あのハチの能力。
ハチのもつ知能にも、驚かされる。
それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。
「あんな小さな頭で……!」と。

●神経細胞

 生涯にわたって、神経細胞の数は、減ることはあっても、ふえることはない。
その数は、300億個ともいわれている(ウィキペディア百科事典)。
日々に、一方的に死滅するのみ。
つまり幼児のほうが、おとなのもつ神経細胞の数は多いということになる。
が、知能(知的能力)の優劣は、神経細胞の数だけでは、決まらない。
神経細胞から伸びる、樹状突起の数と、からみあいで決まる。
(「からみあい」というのは、私の個人的な印象による表現。)

 だから幼児のほうが、おとなより、知能が高いということには、ならない。
(ただしおとなより、知的回転速度が速く、柔軟性に富んでいるのは、事実。)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7251979860/" title="400px-
Complete_neuron_cell_diagram_en_svg by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.
staticflickr.com/7089/7251979860_8685834c04.jpg" width="400" height="291" alt="400px-
Complete_neuron_cell_diagram_en_svg"></a>
(神経細胞の模式図、ウィキペディア百科事典より)

 この図のような神経細胞が、300億個もあるという。
驚きである。

●俗説

 「脳」というより、「脳みそ」。
これから書くことは、脳科学の分野で証明された事実ではないので、あえて「脳みそ」と書く。
つまり俗説。

俗説的に考えれば、知能のよし、あしは、要するに「使い方の問題」と考えてよい。
そのことは、幼児というより、老人を見れば、よくわかる。

 肉体の健康と同じで、日ごろからよく訓練している人は、それなりに頭がよい。
そうでなければ、そうでない。
つまり習慣の問題。
その差が、50歳を過ぎると、ぐんと出てくる。
さらに60歳を過ぎると、決定的になる(?)。

 が、ここでパラドックス。
皮肉なことに、知的能力の低い人ほど、自分では「高い」と思っている(?)。
自分を基準にして、ものを考えるから、そうなる。
同時に、知的能力の低い人からは、高い人が理解できない。

 反対に知的能力の高い人ほど、自分を客観的に判断できるから、自分では「低い」と思って
いる?
で、こんな例がある。

 ある認知症の女性(当時67歳くらい、後にアルツハイマー病と診断された)は、こう叫んだ。
私が「……私は、そんなにバカではありません……」と言ったときのこと。
「私だって、バカではありません!」と。
ものすごい剣幕だった。

 あまりにもくどくどと、同じことを何度も言ったので、私は、そう言った。
それに対して、「私だって、バカではありません!」と。

●人間のほうがバカ

 ……で、インコの話に戻る。

 また別のサイトには、こうあった。
インコによっては、人間を、主人とは思っていないそうだ。
自分が主人と思っているそうだ。

「人間は、自分の世話をする、僕(しもべ)である」と。

 もっともこれは育て方の問題かもしれない。
人間の子どもでも、育て方をまちがえると、主従関係が逆転する。
子どものほうが威張る。
親のほうが小さくなる。

が、インコに人間の知能の高さが、理解できないのは事実。
今も、私の胸の中で眠っている。
が、その態度がデカイ。
手で出そうとすると、それをいやがり、ガリガリと鳴く。
恐らくインコのほうから見れば、人間のほうがバカに見えるにちがいない。

●ミニチュアの人間

 で、今、私はこんなことを考えている。
「これは、やっかいなことになるぞ」と。

 ペットとして買ってきたインコ(ぼたんインコ)だが、育て方をまちがえると、やっかいなことに
なるぞ、と。
たとえばインコには、「かみ癖」というのがある。
くちばしが大きいだけに、一度、かみ癖がつくと、人間の耳たぶくらいなら、食いちぎってしまう
そうだ。
そうなると、人間のほうがこわがり、逃げてしまう。
ペットとして、抱くこともできなくなる。
頭がいいだけでに、余計にたいへん。

 で、今のところ幸いなことに、私のインコ(まだ名前が決まらない)は、おだやかで、やさしい。
甘えん坊。
私の胸の中で、ときどきピヨピヨと寝言を言っている。
どうかこのまま育ってくれればよいと願っている。

 で、結論。

●人間vsインコ

 ペットと言えば、イヌやネコが定番。
ほかにウサギやハムスターもいる。
しかし、ことインコに関して言うなら、体は小さいが、ただのペットではない。
ミニチュアの人間と考えた方がよい。
この10日間だけでも、日々に成長している。

昨日あたりから、縄張り意識が急に強くなったように思う。
また昨日、小さな犬のぬいぐるみを買ってきてやった。
それを見せたが、こわがって近づこうともしない、などなど。
そのうち人間の私たちのほうが、このインコに振り回されるようになるかもしれない。
楽しみというより、どこか心配になってきた。2012/05/23朝記

(はやし浩司 ぼたんインコ ボタンインコ ぼたんいんこ はやし浩司インコの知的能力 知能
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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宇宙人のシッポ】


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


とうとうというか、ついに、私たちは
宇宙人(以下、ET)のシッポを捕(とら)まえた。


それは12年来の友人である、BT氏から
もたらされた、1枚の写真から始まった。
BT氏自身が、撮影した写真である。


「何か、へんなものが写っている」と。


こういうばあい、まずその人物を疑う。
疑って当然。
しかしことBT氏に関しては、疑う余地はない。
この12年間、ずっと誠実だった。
「まじめ」という言葉を使うなら、BT氏ほど、
まじめな人はいない。
またBT氏でなかったら、その写真を信用しなかっただろう。
そのあと3度、現場に足を運んだ。
もしBT氏でなかったら、3度も足を運ぶようなことはしなかっただろう。


私にとって、BT氏というのは、そういう人物である。
そういう人柄を知っているから、私はその写真に
釘付けになった。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●前回の報告


 今回が、その写真について原稿を書くのは2回目ということになる。
前回の原稿を、もう一度、ここに載せておく。
日付は、5月19日になっている。


【浜松市・雄踏町に現れたUFOを検証する】はやし浩司 2012−05−19


●信頼できるBT氏


 12年来の友人でもあり、信頼できるできるBT氏が、昨夜(5月18日)、1枚の写真を届けて
くれた。
「何かが写っている」と、BT氏は言った。


 まず、その写真をここに紹介する。


(1)元の写真(矢印部に注目)


 なお矢印は2か所につけたが、左の矢印のやや右側にも、もう1個、白い物体が写っている
のがわかる。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226861816/" title="UFO(1) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7225/7226861816_
645f283fc1.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(1)"></a>


(2)元の写真の明度をあげてみた。


 白い物体を、より鮮明にしてみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226861962/" title="UFO(2) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7084/7226861962_
79d732af68.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(2)"></a>


(3)左の矢印部を拡大してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226862150/" title="UFO(3) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7226/7226862150_
fa527e8e89.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(3)"></a>


(4)右の矢印部を拡大してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226862306/" title="UFO(4) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm6.staticflickr.com/5446/7226862306_
1e350ed97b.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(4)"></a>


 昨夜(18日)と、今日(19日)、2度、現場へ行って検証してみた。
左側の物体は、屋根の上にあるように見える。
右側の物体は、道路から、10〜13メートル高いところに浮かんでいたことがわかった。
詳しくは、後述する。


●現場へ


 昨夜(5月18日)、午後11時ごろ、現場へ行ってみた。
場所は、BT氏より詳しく聞いていたこともあり、すぐわかった。
フラッシュなしで、撮影してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937326/" title="DSC02694 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7104/7226937326_
84b8320384.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02694"></a>


●再び現場へ


 今日(5月19日)、午前11時30分ごろ、オーストラリアの友人とワイフ、それに私の3人で、
現場へ行ってみた。
この写真の写っている家の家人(女性)から話を聞くことができた。


(1)50歳くらいの女性だったが、写真を見て、たいへん気味悪がった。
(2)枕などではないかと聞いたが、裏の屋根(北側の屋根)では、ものを干さないと答えた。
(3)白い物体に、思い当たるものはないかと何度も念を押し聞いたが、「ない」と答えた。
(4)写真を撮った位置に立ち、私たちも現場を検証してみたが、右側の白い物体は、道路から
高さ10メートル以上の位置にあることがわかった。
(目測では、10〜13メートル前後だった。
少なくとも、工事用のバルーン型照明器具ではないことは確認できた。)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937488/" title="DSC02695 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7215/7226937488_
e841396323.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02695"></a>


ほぼ同じ位置から撮影してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937728/" title="DSC02697 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7076/7226937728_
415800a52d.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02697"></a>


道路(浜松市内から雄踏町へ抜ける道路がある。その道路に向かって、20メートルほど、先
に進んでみた。この写真の、山の大きさから、右側の物体が、かなり高いところに浮いていた
ことがわかる。)


●考察


 このタイプのUFOは、各地で頻繁に目撃されている。
集団で現れることが多いよう。
結論は、まさにUFOということになった。
未確認飛行物体ということになる。
あとの判断は、読者諸氏に任せる。
2012/05/19記


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 UFO 雄踏町に現れたUFO は
やし浩司 浜松市 雄踏町 UFO)


(次号へつづく)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【今朝・あれこれ】はやし浩司 2012−05−22

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ぼたんインコを飼うようになって、もう10日。
毎日、体重を測定している。

私の家に来たときには40グラム前後。
今は50グラムを超えている。

このぼたんインコの生育ぶりを見ていると、
人間の子どもと、そっくりそのまま。
人間の生育過程と、よく似ている。
というか、同じ。
そっくりそのまま、あてはまる。

おもしろい!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愛情(アタッチメント)

 私とワイフ、それに息子。
この3人が、交互に、それぞれの時間帯にあわせ、めんどうをみている。
といっても、やりたいように、やらせている。

 たった今現在は、インコは、私の肩にもぐって眠っている。
その場所が気に入っているよう。
私がこうして書斎で原稿を書く間は、いつも、そうしている。

 幼児……幼鳥に重要なのは、「安心感」。
「どんなことをしても、守られている」という安心感。
人間で言えば、基本的信頼関係ということになる。
その安心感が、幼鳥の心をやさしくする。

●甘える

 うちへ来て、2〜3日後くらいから、私たちに甘えるようになった。
たとえば今、インコは、肩の中に潜っている。
そこで私の指を入れると、ピ〜ピ〜と、甘ったるい声で鳴く。
「外へ出るのはいや」という意味らしい。

 そこで強引に外へ出そうとすると、今度は、「ビーピク、ビーピク」と鳴く。
怒っている声である。

 甘える……心を全幅に開いていることを意味する。

●知的能力

 幼児でもそうだが、この時期は、けっして狭いカゴの中に閉じこめるようなことはしてはいけな
い。
いろいろな経験をさせる。
私のインコにしても、「肌」と「布」の区別ができるようになった。
人間の肌には、爪を立てたり、くちばしでつついたりは、しない。
しかし布は、おもちゃがわりになっている。
ヒマさえあれば、それをかんで遊んでいる。

 で、爪楊枝(つまようじ)を、折って渡してやった。
今度は、その爪楊枝をかんで、遊んでいる。

 ……こうしてインコは、自分の住んでいる世界を広くしていく。
同時に、知的能力を高めていく。

●恐怖と闘争心

 人間の子どもでもそうだが、恐怖と闘争心は、タブー。
嫉妬もタブー。
おだやかに、やさしく育てるのがよい。

 この時期に、恐怖を与えたり、闘争心を植えつけるようなことをすると、性格が荒くなる。
先日、あるペットショップで見かけたインコが、そうだった。
人間の子どもをみかけると、カゴの中から、その子どもを攻撃していた。
それがかなわぬとわかると、水入れをくちばしでつかみ、バンバンとゆすっていた。
その様子が、ギャングみたいだった。

 方法は簡単。
先にも書いたように、やりたいように、やらせる。

●しつけ

 まだ幼鳥だから、しつけらしいしつけはしていない。
しかしインコといっても、恐竜時代からの本能が宿っている。
たとえば肩の中では、めったにフンをしない。
(「肩の中」というのは、シャツと衣服の間の空間をいう。)

 また朝方は、私の手の中で眠っているが、私が起きあがるまで、じっとそこで待っている。
私が体を動かし、起きあがると、とたん、いろいろな声で鳴く。
昨日はたまたま音楽を聴かせてやったら、それに合わせて、いろいろな声を出した。
 
 そう、インコというのは、いろいろな声で鳴く。
その声が、それぞれ意味をもっている。
ここ数日になって、その意味が、やっとわかるようになった。
つまり鳴き方そのものが、言葉になっている。

 おおまかな判断だが、今のところ、6〜8種類ほどの鳴き方をする。
さらに詳しく分析すれば、もっと多くなるかもしれない。
同じ「ピ〜」でも、長さがちがう。
繰り返す回数もちがう。

 頭のよい鳥とは聞いていたが、ここまで頭がよいとは思ってもいなかった。

 そうそう昨日はこんなことがあった。

 そっと箱の中をのぞいてみたら、(まだ箱が巣箱になっている)、何と、インコという鳥が、横
向きになって眠っていた。
(横向きだぞ!)
右の羽を下にし、体を丸め、横向きになって眠っていた。
いろいろな鳥を見てきたが、そういう寝方をする鳥は、見たことがない。

 私とワイフは、それを見て、ゲラゲラと笑った。

●名前

 ……ということで、まだ名前は、ない。
私、ワイフ、息子……、みな、呼び方がちがう。
私も、「ピッピ」「ジジ」「ハナ」「ボタン」「チビ」など、いろいろな呼び方をする。
もうそろそろ名前を決めなければいけないが、それが決まらない。

 ……たった今、「ピヨピヨ」と鳴いた。
その前は寝言(ねごと)でも言うかのように、「ピッ」とひと鳴きした。
また最近は、ときどき親鳥のように、グワグワと鳴くこともなる。
この声は、かなり大きい。

 そのうち、「グアグア」という名前になるかもしれない。

●鳥類

 動物実験という言葉がある。
動物を実験台に、いろいろな薬や治療方法の開発をする。
が、そういうとき使う動物といえば、ネズミやモルモットが多い。
イヌやサルを使うこともある。
しかし鳥は少ない(?)。

 ほ乳類と鳥類は、それだけ大きくちがうということになるが、こと「感情」ということになると、鳥
類のほうが、より人間に近いのでは?
種類にもよるのだろうが、知的能力も高い。
愛情も、こまやか。
ときどき肩の中から出てきては、私の顔の掃除までしてくれる。

●インコ様々

 こうして今や我が家は、インコ様々。
インコを中心に、生活が動いている。
おととい(日曜日)も、近くのペットショップを3軒も回った。
鳥かごをどれにするかで、迷っている。

 今、そのインコは、肩の外に出てきて、さかんに毛づくろいをしている。
その音が耳元で、ガサガサ、ゴソゴソと聞こえてくる。

 それにしても、こうしたペットには、人の心を癒す力がある。
安心しきって、スヤスヤと眠っている姿を見ると、それだけで癒される。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年5月20日(+金環食)

【サイエンス誌を読む】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「日経サイエンス」(日本経済新聞出版社)を買う。
久しぶり。
日本で、トップクラスの雑誌。
売価が高いのが、残念。
1400円。

今日はとくに予定もない。
人に会う約束もない。
日曜日。
精読と決め込む。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●盲腸(P26)

 パラパラとめくって、まず目についたのが「盲腸(虫垂)」。
「盲腸には、盲腸の役目がある」という。

「盲腸はそれ自体が、細菌を養っている。
その細菌が、別の細菌から人体を守っている」(要旨)と。

 わかりやすく言えば、盲腸にはある種の細菌が住んでいる。
盲腸はその細菌を養っている。
腸がさらに致命的な最近に襲われたとき、盲腸の中の細菌が出動し、その致命的な細菌を攻
撃する。
……ということらしい。

 ナルホド!

 人体に、無駄な臓器は何もない。
もし無駄なものなら、進化の過程で、とっくの昔に消えていたはず。
盲腸も、そのひとつ。
だからサイエンス誌は、こう結んでいる、

「……切除された虫垂は、人間と他の生物種との複雑な関係の象徴であり、人間の知識の乏
しさの象徴でもある」と。
つまり無知が理由で、人間は、いまだに盲腸の切除手術をしている、と。

 どこか回りくどい日本語なのは、英文からの翻訳によるものである。
が、それにしても、絶妙な関係ではないか。
わかるかな?

 人体は、マフィア(致命的な細菌)から身を守るため、自ら用心棒(扱いやすい細菌)を養って
いる。
平たく言えば、そういうこと。

●超弦理論

 巻頭は、「超弦理論」。

 「万物のすべての力のおおもとは、9次元空間の中で振動する超微小のゴムひものようなも
の」(P10)ということらしい。

 話せば長くなるが、「ヒモ理論」というのは、知っている。
宇宙の始まりは、ヒモだった、と。

 それをさらに発展させ、今まで説明できなかった部分を説明するのが、「超弦理論」ということ
になる。
名前が、すごい!
「超弦理論」!

こういうことまでわかる人間の知性に、感動。
驚く。
が、2度ほど読みなおしてみたが、まったく理解できなかった。
今夜、眠る前に、もう一度、読みなおしてみる。
ここで引き下がったら、1400円が、無駄になる。

●重力波の測定

 「重力波は、ブラックホールのような大質量の物体がはげしく運動するときなどに、時空のゆ
がみが並みとなって四方八方に光の速さで伝わる現象」(P17)とある。

 今度、巨大な装置を作り、この日本で、重力波の測定をすることになったという。
「Kagra」という。
「カルガ計画」?
「神岡鉱山の地下に、長さ3キロメートルのトンネルを直角に2本掘り、先端に鏡を取りつけた
パイプ2本を組み合わせて干渉計を作る……」とある。

 何やらすごいことが始まるらしい。

 重力波の正体がわかれば、それを操ることができるようになるかもしれない。
そうなれば人間は、最終的には、光の速さで、宇宙を自由に飛び回ることができるようになる
かもしれない。

●ララミディアの恐竜

 ララミディアの恐竜(P54)もおもしろかった。
ただし私はちがった視点で、その記事を読んだ。

 ……先週、ぼたんインコのヒナを買ってきた。
生まれて3週間目のヒナだった。
そのヒナを見たとき、「恐竜のティラノザウルスみたい」と思った。
「ジュラシックパーク」という映画の中で、車に乗った人間を追いかけた、あの恐竜である。
が、サイエンスの中で紹介されていた、ララミディアの恐竜は、さらに似ていた。
どこからどう見ても、ぼたんインコのヒナ。

 で、私の仮説。
「恐竜には、みな、羽毛が生えていた」と。
(サイエンス誌の中の恐竜は、みな、あかむけの丸裸。)
またそういうふうに考える方が、自然。
つまり羽毛があったと考える方が、自然。
なぜなら、恐竜の子孫である鳥類には、みな、羽毛がある!

 羽毛といっても、哺乳類の毛のような味気ない毛ではない。
カラフルで美しい。
ぼたんインコのような羽毛。
恐竜であるなら、なおさら。
身を隠す必要がない。
 
 また鳴き声にしても、もっと多彩であったはず。
そのつど、いろいろな鳴き方をしたはず。
知的能力も、もっと高かったはず。

●インコの知的能力

 今日、たまたま行ったペットショップで、こんな光景を見かけた。
ぼたんインコの鳥かごを、手で触った子ども(小3くらい)がいた。
そのときのこと。
鳥かごの奥の方で、身動きもせず身を構えていたインコが、突然、ラッシュ。
子どものほうに向かって走った。
子どもは手を引いた。
その瞬間、何と、ぼたんインコが、何と水入れを上下にくちばしでゆすりながら、人間の子ども
を威嚇した。
ものすごい音がした。
ガチャ、ガチャ、ガチャ、と。

「鳥があんなことをする」と思った直後、それを見て、私とワイフは、笑った。
 
 で、驚いたのは、さらにつぎのこと。
今度は、私がその鳥かごに手で触れてみた。
が、私にはしなかった。

 そのぼたんインコは、子どもと、おとなの私を、ちゃんと見分けていた。
見ると、ぼたんインコの鳥かごには、みな、ドアが開かないように、鍵がついていた。
小さいが、ちゃんとした鍵である。
それを見て、私とワイフは、さらに笑った。

 何といっても、進化の歴史がちがう。
恐竜……そのララミディアは、白亜紀後期に生存していたという。
今から9000万年前から7000万年前。

 ……人間の親指の先ほどしかない脳みそで、あそこまで考えられる。
感情も、一人前。
考えてみれば、これはすごいことではないか。

 「失われた大陸、ララミディアの恐竜」を読んだとき、そんなことを考えた。

●ほかに……

 「脳を育む胎盤」(P73)は、さらにおもしろかった。
何と、あの胎盤にも、胎盤の役割があるというのだ。
今はまだ、未解明な部分も多いということらしいが、胎盤の働きを軽視してはいけない。
それが科学として、納得できた。

 すばらしい!
……つまり、人間の臓器には、無駄なものは、何一つ、ない。
もともとは無駄だったかもしれない臓器でも、長い進化の過程で、意味をもつようになった。
「脳を育む胎盤」は、それを人間に教えている。

●人間の英知

 こうした人間の英知に接すると、世の中のできごとが、みな、小さく、つまらなく見えてくる。
残念ながら私はそういう世界とは無縁の世界に生きている。
結果、私は、ちっぽけで、つまらない人間。
日々の些細事に振り回され、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、恨んだり……。
相手とする人間も、これまた小さい。
くだらない。

 今日は、断続的ではあったが、サイエンス誌を読んで、1日を過ごした。
いつもながら、たいへんな内容の重い雑誌だった。
楽しかった。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●5月21日、朝、山荘にて(はやし浩司 2012−05−21 金環食の朝)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今、時刻は、午前5時21分。
もうすぐ金環食ショーが始まる。
天気予報によれば、ラッキーなことに、その時間帯だけ、この浜松市周辺は晴れるそうだ。

 昨夜この山荘へ来てから、それを知った。
それまでは、「曇りだから見られない」と、あきらめていた。

 さっそく、ガラス板とローソクを探し、観測用の遮光ガラスを作る。
中学生のとき、よく作った。
ローソクの炎を、ガラス板に当てると、煤(すす)で、ガラス板が黒くなる。
それで太陽を見る。
私は中学生のとき、天文部にいた。
毎日、黒点観測をしていた。

 が、私は別のことを考えている。
車でそのとき、町の中を走る。
車からそのときの町の様子を、ビデオカメラに収める。
金環食そのものではなく、町の様子。
たぶん多くの人たちが通りに出て、金環食を見るだろう。
だから金環食そのものは、そうした人たちに任せておけばよい。
私は町の様子。
それを、ビデオカメラに収める。

 山の中の動物たちの様子でもよい。
いろいろな動物が、あわてふためき、走り回るかもしれない……ということはないにしても、そ
れに近い現象が起きるかもしれない。
それを、ビデオカメラに収める。

●昨日

 昨日(5月20日)は、怠惰な1日だった。
朝から、調子が悪かった。
床から起きたとたん、こむら返り。
その痛さが、夕方までつづいた。
おまけに偏頭痛。
ひどい偏頭痛だった。
(偏頭痛は、薬でやがて収まったが……。)

 ……ということで、午前中は、家の中で寝たり、起きたり……。
原稿も、ほとんど書かなかった。
書きたいという意欲そのものが、わいてこなかった。
ときどき頭がボケたのではないかと、心配になった。
こんなことがあった。

●記銘力(脳に記憶を刻む力)

 ボケると、物忘れがひどくなるという。
が、この説は正しくない。

 物忘れがひどくなるのではない。
記銘力が弱くなる。
注意力が散漫になる。
つまりもとから、しっかりと、ものごとが記憶されない。
だから結果として、物忘れがひどくなったように見える。

 その証拠に、ものごとを脳に記銘するとき、それをしっかりとしておけば、忘れるということは
ない。
大切なことは、2、3度、頭の中で反復する。
そうすれば、忘れない。
 
 が、もうひとつ、数日前、こんなことを発見した。

●こだわり

 先週、ちょうど7日前のこと。
私はショッピングセンターで、5〜6個のものを、買った。
どれも家庭で使う、必需品である。

 その中に、壁の補修材があった。
それを使い、割れた壁を補修するつもりだった。
が、その補修材が、どこかへ行ってしまった。
紙袋に入っていたはず。
小さなものだから、ワイフがゴミとして捨ててしまったかもしれない。
で、ワイフに聞くと、「教室へもっていったんじゃない?」と。
しかし私には、その記憶がない。

 で、何度も部屋のあちこちを探した。
引き出しの中も探した。
が、なかった。

 ……ということで、この1週間、心のどこかでその補修材のことばかりを考えていた。
脳の内側に、ペタリと張りついたような状態になっていた。
で、1週間が過ぎた。
おもしろい現象が起きた。

 私は補修材のことばかり気にしていた。
その反作用と言うべきか、その分だけ、ほかに何を買ったか、今、思い出せない。
補修材のほかに、あと4〜5個、何かを買ったはず。
それが思い出せない。

 つまり私は補修材にこだわることによって、ほかの記憶が消えてしまった。
ほかに何を買ったか、忘れてしまった。

●穴のあいたバケツ

 こういった現象は、老人を観察していると、よくわかる。
中に、こだわりの強い老人がいる。
ある特定のことだけは、しっかりと覚えている。
しかしそのほかのことは、そうでない。
どんどんと忘れていく。
全体として、ボケていく。
そういう老人は、多い。

 言い換えると、ものごとにこだわるのは、よくない。
こだわっている部分については、記憶に強く残る。
しかし、そのほかのことは忘れていく。
忘れながら、忘れていくこと自体に、気がつかない。

 たとえばわかりやすい例として、新しい知識がある。
冒頭で、「日経サイエンス」の中の記事について、書いた。
盲腸や、超弦理論について書いた。
このときもし、私がある特定のことがらについて、強いこだわりをもっていたとすると、そればか
りに気を取られるはず。
新しい知識をせっかく吸収しても、その(こだわり)のため、脳に刻まれなくなる。
つまり忘れていく。

 そうでなくても、50歳を過ぎると、脳みそ全体が、穴のあいたバケツのようになる。
知識や知恵、身についた技術ですら、どんどんとどこかへ流れ消えていく。
英語の単語を例にあげるまでもない。
50歳を過ぎると、新しい英語の単語を覚えるのに、苦労する。
若いころの何倍もの努力とエネルギーが必要となる。

●人とのこだわり

 知識や知恵、技術だけではない。
心も、そうだ。

 たとえばある特定の人にこだわっていたりすると、心の流れが、よどんでくる。
ばあいによっては、腐ってくる。
だからそういう人は、心の中に、置かないほうがよい。
わかりやすく言えば、忘れる。

 私も少し前のある時期、ある人に、強いこだわりをもっていた。
実に狡猾(こうかつ)な人だった。
慇懃無礼(いんぎんぶれい)というか、常識に欠ける人だった。
若いころなら、その家に乗り込んでいって、ぶん殴っていただろう。

 で、心に決めた。
「義絶する」と。

 「義絶」というのは、古い言葉。
「断絶する」という意味。
一切の関係を切ることをいう。

 で、義絶した。
メールが来ても、即、削除。
そのあと、フィルターをかけた。
年賀状も、文面を読む前に、ゴミ箱へ。
電話は、受信拒否に設定。

 とたん、心の流れが、よくなった。
サラサラと流れるようになった。

 ……今の私には、余分な時間は、もうない。
くだらない人とつきあう時間はない。
くだらない過去を引きずる時間はない。
(こだわり)というときには、そういう意味も含まれる。

●ゲーム脳

 このことは、脳科学の世界でも証明されつつある。
たとえば「ゲーム脳」。

 ゲームばかりしていると、脳のある特定の部分は、活発に働く。
が、それ以外の部分は、休止状態になる。
これを長い間つづけていると、脳みそ全体が変調してくる。
最近の研究では、感情の動きが鈍磨し、平坦化するということまでわかっている。
つまり脳みそというのは、全体を、まんべんなく、平均的に使うのがよい。

 ……という意味で、(こだわり)は、脳みその健康の大敵ということになる。
そうでなくても、(こだわり)は、うつ病の主症状にもなっている。
うつ病イコール、こだわり。
こだわりイコール、うつ病。

 気をつけよう。

●時刻は午前6時半

 今、時刻は午前6時半。
あたりが、何となく暗くなってきた。
「食」は、すでに始まっているらしい。
まだ外に出ていないのでよくわからないが、報道によれば、午前6時ごろから始まっているとい
う。
午前7時半に、金環食。

 そろそろ帰り支度をし、ビデオ撮影の準備をしなければならない。
町の様子をビデオに収めながら、帰宅。

……ということで、今朝の日記は、ここまで。
2012/05/21

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 金環食 2012ー05−21)


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【5月17日のBW教室byはやし浩司】(学外教育への偏見と誤解)「AERAへの反論」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ6月中旬の陽気とか。
全国で熱中症で倒れる人が続出したという。
たしかに暑かった。
そのせいもあり、プラス疲れも出たこともあり、昨日(5/17)はバテぎみ。
そんな状態で、子どもたち(=生徒たち)と接した。
集中力、ゼロ。

私のほうが、楽しませてもらった。
「教えてやろう」という気持ちはほとんどなかった。
子どもたちとワイワイと騒ぎながら、ストレス解消。
(子どもたちも、楽しそうだったが……。)
昨日は、そんな1日だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【年中児の勉強】(文字と数&順)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/dGWD_UaNJ9s" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【小1&2児の、対称図形】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Bw_xBR4i3-0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【小2&3児の、対称図形】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/lwk-5l2cfUE" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●日本の家計

 現在、日本の家計は火の車。
大火災、進行中。
今ごろ消費税率をあげたところで、どうこうなるような状態ではない。
10%UPどころか、25%UPでも、焼け石に水。
昨日、野田首相は、「EUの経済危機は、対岸の火事ではない」と言い切った。
つまり他人ごとではない、と。

 事実、その通り。

 そんな危機的状況であるにもかかわらず、日本の国会は、麻痺状態。
機能停止状態。
「公約がどうの」「低所得者の負担がどうの」とか。
そんな問題では、ないだろ!
日本全体が、今まさに、ひっくり返ろうとしている。

 のんきというか、バカげている。
ピントがずれている。
たとえて言うなら、大火事の最中、逃げる順番をくじ引きで決めているようなもの。
そんなヒマがあったら、まず逃げろ!

 オーストラリアでは、消費税は、10%。
ただし食料品には、消費税をかけていない。
本当に低所得者のことが心配なら、消費税をかけてよいものと、そうでないものをより分けれ
ばよい。

 一方、こんな報道も。
何でも官僚たちは、7%、給料を削減され、やる気を失っているとか。
たったの7%!
民間の自営業者たちは、青息吐息。
給料らしい給料もなく、生活を切り詰めて生きている。
甘ったれるのも、いいかげんにしたらよい。

 今となっては手遅れだが、あの中曽根首相の時代に、公務員の人件費は50%カットすべき
だった。
橋本首相の時代に、消費税を25%にすべきだった。

 日本が生き残るゆいいつの方法は、計画インフレ。
ここまでくると、もうそれしかない。
計画的にハイパーインフレを起し、実質的に国の借金を、10分の1にする。
もちろん物価は、10倍になる。
ラーメン1杯、8000円。
覚悟しよう!

●「塾なんか(行っても意味がない)」という主張

 「塾」の問題ではない。
言葉の問題。
「なんか」という、言葉の問題。

 この「なんか」という言葉の裏には、相手をさげすむ意味が込められている。
「勉強なんか、やっても意味はない」
「外国なんか、行っても意味がない」
さらには、「英語なんか、勉強しても、意味はない」など。

 で、昨日、ある教育評論家のサイトをのぞいてみたら、その言葉があった。
「塾なんか行かなくても、成績は伸びる」と。
元小学校教師という。
私はそれを一読した直後、こう思った。
この評論家(先生)は、塾を参観したことがあるのだろうか、と。
ひょっとしたら、頭の中だけで、「塾」の内容を想像しているだけではないのか、とも。

 しかもこの言い方は、論理的にも矛盾している。

 この主張が正しいというためには、つぎの命題を満足させなければならない。

(1)学校だけで、すべての子どもの学力を平均的に伸ばすことができる。
(2)塾へ行っても、みな、無駄に終わっている。

 もしそうなら、「塾なんか」ということになる。
さらに言えば、この発想は、全体主義国家の発想。
世界の教育の潮流に、完全に背を向けている。

 今、世界では、「自由教育」が主流になっている。
EUでも、(現在、EUは、たいへんな経済危機を迎えているが)、アメリカでも、学外教育が、主
流になりつつある。
どうなりつつあるかは、自分で行き、調べてみたらよい。
ドイツでは、中学生たちは、たいてい午前中で授業を終え、そのままいろいろなクラブに通って
いる。

 アメリカでは、ホームスクーラーが、2000年に、推定で200万人を超えている。

 今の日本のように、「学校以外に道はなく、学校を離れて道はない」という状態のほうが、異
常なのである。
画一的な人間を育てるには、すぐれたシステムである。
が、その程度。

 「なんか」という言葉に、カチンときたので、少し前に書いた原稿を再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●朝日新聞社の「AERA」誌への反論。

少し前、「AERA」誌も、「なんか」という言葉を使った。
この中で、AERAの記者は、大阪万博の前の年に発表された論文を根拠にしている点に注意
してほしい。
その論文をもとに、たとえば「幼児期に文字を教えても、学校へ入ればすぐ追いつかれる。
つまり早期教育はやっても無駄」と。

それについて……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反響(AERA・アエラの記事への反論)

+++++++++++++++++++++

数日前、雑誌「AERA」の記事に対して、
反論原稿を書いた。
その原稿にたいする反響には、ものすごい
ものがある。
直接的な意見はまだ届いていないが、「アラーム」
という機能を使うと、反響の大きさが、数字でわかる。
私の原稿を取り上げたBLOGやHPの数が、
そのまま、数字として、表示されるしくみになっている。

+++++++++++++++++++++

●「AERA」の記事

 「早期教育効果は小学生で消える」と題した、雑誌「AERA」の記事を要約すると、こうなる。
 早期教育の一例として、「読み書き」をあげ、幼児期に読み書きを教えても、その効果は小学
校で消える。
そればかりか、無理な学習が、子どもを勉強嫌いにしてしまう。
「臨界期」というのは、科学的に証明されたものではない。
むしろ家で、先取り教育をすると、子どもは学校での勉強をつまらなく思ってしまうようになる…
…などなど。

 その一例として、5〜6歳児が、小学5年生で学ぶ漢字を書いた子どもの例、高校へ入ったと
たん、無気力になってしまった子どもの例などが、書いてあった。

 その底流に見え隠れするのは、「塾必要悪論」、もしくは、「家庭教育不要論」。
結論は、「あわてて教育しても、無駄」と。
私はその記事を一読して、「これはいつの原稿か?」と、ライターの常識というよりは、年齢を
疑った。
今から25年ほど前の原稿というのなら、まだ話もわかる。
しかし今、どうしてこの時代に?

●親子のふれあい
 たまたま先月、私は、「ママターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)」
についての原稿を書いた。

マターナル・デプリベイションというのは、「乳幼児期の母子関係の不全」をいう。
乳幼児期に、母子関係が不全だったりすると、それが後々、さまざまな症状の遠因となること
がある。

その一部を、転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%はいる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。
その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。
さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。
もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デプリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●早期教育
 雑誌「AERA」では、「親子のふれあいこそ大切」と書いている。
しかしそんなことは、今では、常識。
常識中の常識。

が、それはここにも書いたように、「マターナル・デプリベイション」という分野で、考えられるべ
き問題。

が、どうしてそれが、「早期教育」と結びつくのか?
「早期教育不要論」と結びつくのか?

 要するにAERAのライターは、「無理な早期教育の結果、親子のふれあいが犠牲になる」と
言いたいのだろう。
が、ここでライターは、巧みに言葉のトリックを使っている。

(あるいは、「早期教育」の意味さえ、知らないのでは?
「先取り教育」と「早期教育」を混同している?)

何も文字の「読み書き」だけが、早期教育ではない。
また早期教育をしたからといって、親子関係が破壊されるというものでもない。

 AERAでは、無理に進学塾へ通わされた子どもの例や、目的の学校へ入学したとたん、無
気力になってしまった子どもの例などをあげている。
そしてその上で、「臨界期なるものは、科学的に証明されたものではない」と。

 ?????

 ライターは、自説を補強するため、20年前、40年前の資料を、(〜〜教授)などと実名を添
えて、並べている。
こうした手法は、多くのライターが使う。
自説に不安を感じたとき、権威者の名を借りて、それを補強する。
それにしても古すぎる!

 が、「臨界期」はある。
また臨界期をはずすと、人間は人間でなくなってしまうこともある。
その一例が、「野生児」である。
インドで1920年代に見つかったオオカミ姉妹にしても、同じころフランスで見つかった、ビクト
ールという少年にしても、それ以後、人間生活に復帰することはなかった。
言葉すら、覚えなかった。
人間らしい人間の心を取り戻すこともなかった。

 もっと簡単な例で言えば、小学校へ入学してから、音楽教育をほどこしても、そこそこの才能
を見せるようになることはあっても、そこまで。
あえて言うなら、「読み書き」(=国語能力)について言えば、親子のふれあいというよりは、母
親の言語能力が子どもに大きな影響を与える。
母親が、「ホラホラ、バスバス、ハンカチ、もった?」というような話し方を日常的にしていて、ど
うして子どもに国語力がつくというのか。
こういうとき母親は、子どもには、こう言う。
「もうすぐ、お迎えのバスが来ます。あなたはハンカチをもっていますか」と。
つまりこれが、わかりやすく言えば、「早期教育」である。

 AERAは、5〜6歳の子どもが、小学5年生で習う漢字を書いている例をあげている。が、私
は、40年近く幼児と接しているが、そんな子どもを見たことがない!
もしいるとしたら、自閉症(アスペルガー)の子どもということになる。
このタイプの子どもは、ある特定のことがらに、ふつうでない(こだわり)をもつことがある。

●小学校で消失?

 「計算力」と「算数の力」は、別。
計算力は、訓練で身につく。
しかし算数の力は、簡単には身につかない。
生活環境やその子どもの知的能力が、大きく影響する。

 同じように、「読み書き」と「国語の力」は、別。
読み書きは、訓練で身につく。
しかし国語の力は、簡単には身につかない。
生活環境やその子どもの知的能力が、大きく影響する。
ともに「思考力」の問題ということになる。

 その「思考力」を養うのに、早すぎるということはない。
乳幼児期でも、早すぎるということはない。
 が、AERAは、(読み書き)を例にあげ、そうした力は、小学校で消失する、と。
だから「早期教育は不要」と。
バカバカしいというか(失礼!)、反論するのも、疲れる。

●過熱する幼児教育

 少子化の問題もある。
それもあって、たしかに幼児教育が加熱している。
しかし問題は、なぜ加熱しているかということ。
その背景にまで、メスを入れないと、この問題は解決しない。
「早期教育は無駄」と、ハシゴをはずすのは簡単。
しかしハシゴをはずされた親たちは、どうすればよいのか。
どこへ向かえばよいのか。
それを書いてこそ、「さすがAERA!」ということになる。
まことにもって、無責任というか、乱暴なコラムということになる。

 もっとも朝日新聞社(AERAの出版元)の「塾必要悪論」は、今に始まったものではない。
私が37歳前後のことだったから、今から25年ほど前ということになる。
朝日新聞は、連日、「塾必要悪論」を展開していた。
が、そのときすでに、「塾で勉強した子どもは、学校での勉強をつまらなく思う」というような意見
はあった。
教職員の間から、さかんにそういう意見が出てきた。
が、当のライターは、その時代から、一歩も進歩していない。
(使っている資料を見ても、それがよくわかる。)

 しかし、時代は変わった。
教え方も変わった。
親たちの意識も変わった。
今時、泣いていやがる子どもを、(幼児でもよいが)、無理矢理塾通いさせる親はいない。
またそんな教え方をしている塾は、ない。
さらに言えば、学校の勉強をつまらなくさせるように教えている塾は、ない。
ライターは、自分が受けた古い教育(=古傷)を原点に、自説を、自分流に料理しているだけ。

私はAERAの記事を読んだとき、「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。
幼稚園の友達と、もっと遊びたかった。中学受験なんて必要なかった」と言った少女は、ライタ
ー自身のことではないかと疑った。

●反響

 世界の教育は自由化に向けて、まっしぐらに進んでいる。
アメリカのホームスクール、カナダの学校設立自由化、EUのクラブ制(塾制)などなど。
EUでは、大学の単位すら共通化された。
私が学んだオーストラリアのメルボルン大学では、40年も前から、世界の大学と単位交換をし
ていた。

 二男は、アメリカの私立大学で2年学んだあと、州立大学へ移籍。
しばらく民間企業に勤めたあと、現在はI大学(アメリカ)で、CERNのコンピュータ技師として仕
事をしている。
また二男の嫁は、文学部出身だが、主婦業をするかたわら、司法試験に合格。
現在はロースクールに席を置いている。

 これを「自由化」という。
世界の若者たちは、自分の力とやる気に応じて、好き勝手なことをしている。
わかるかな、AERAさん?
そういう環境作りをする。
それを「自由化」という。
私たち日本人も、そういう世界を目指す。

 話が脱線したが、「読み書き」や、極端な例を取り上げ、「早期教育は小学校で消失」という
意見は、まことにもって、暴論。
暴論というよりは、無知。
もしそうだとするなら、幼児教育とは何かということになってしまう。

 で、最後に「早期教育」について。
もちろんまだ未熟で不完全かもしれないが、その重要性は、年々、さらに大きく高まってきてい
る。
脳科学の発達とともに、(近年、急速に発達しているが)、早期教育がどうあるべきか、その道
筋も示されつつある。
繰り返すが、今時、「読み書き」?
日本人に与える影響の大きい雑誌だけに、残念。
これからも、AERAのコラムをテーマに、この問題について、書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 AERA アエラ 早期教育は小学校で消失 早期教育無用論)

【補足】

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数日前に書いた原稿を、添付する。

++++++++++++++++++

●早期教育効果は小学生で消える(?)「AERAの記事に、疑問あり!」(改訂版)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

こんな記事が、AERAという雑誌に載っていた(2010年)。
いわく「早期教育効果は、小学生で消える」と。
つづいて、

「……小学校入学前に読み書きを習得する子どもは多い。その風潮に警鐘を
鳴らす研究が報告されている。本質的な学力を決めるのは親子関係だという」と。

しかしこの原稿には、いくつかの言葉のトリックがある。
その第一、「早期教育」を、「読み書き」にすり替えている。
たしかに「読み書き」については、その効果は「小学校で消える」。
たとえば計算力にしても、幼児期に速くできるようになったからといって、
それがそのまま「数の力」に結びつくとはかぎらない。
よい例が、幼稚園によっては、かけ算の九九を暗唱させているところがある。
が、九九が言えるようになったからといって、「算数の力」が身についた
ということには、ならない。

が、こんなことは常識。

その常識を、逆手に取って、「小学生で消える」とは?
さらに言えば、消えたところで、無駄とは言い切れない。
その上に、さらに新しい知識を組みあげていく子どももいる。

(そうでない子どもも、もちろんいるが……。)

あえて言えば、「早期教育」と言っても、「知識教育」から離れ、最近では「考える子ども」
にするのが、ひとつのテーマになってきている。

ごく最近では、「Active Learning」という言葉も使われるようになった。
「ものごとに積極的に取り組む子どもにするための指導」という意味である。
「文字の読み書き」ではない!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

●読み書き

 「読み書き」をもって、早期教育と位置づける。
「だから、早い時期から学んでも、意味がない」と。
この原稿の最大のミスは、ここにある。
つまりこの原稿を書いた人は、「幼児教育」というのが、何であるか、よくわかっていない。
「早期教育」、さらには「先取り教育」の意味もよくわかっていない。
さらに最近話題になっている、「臨界期」という言葉も、知らない?

 たとえば、こんなことも書いてある。
「また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年
生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている
(黒田実郎、「保育研究」)」(AERA)と。

(しかしこの資料も、調べてみたところ、1969年「日本保育学会」「就学前の幼児の恐怖」の中
に収録されているものとわかった。
1969年といえば、40年以上も前!
大阪万博の前の年の資料!)

 それはさておき、それはその通り。
無理な文字指導が、子どもを文字嫌いにするという例は、多い。
その(文字嫌い)が悪循環となって、子どもを(国語)から、遠ざける。
たとえば年中児でも、「名前を書いてごらん」と声をかけただけで、体をこわばらせる子どもは、
いくらでもいる。
中には涙ぐむ子どもさえいる。
文字に対して恐怖心をもっているためである。

 こんなことは、少し幼児に接してみれば、だれにでもわかること。
また幼児に接した経験のある人なら、だれでも知っている。
それを、ことさら学者名まで出して強調するところが、わざとらしい。

 逆に、世界広しといえども、幼児期の幼稚園教育で、文字の読み書きを教えないのは、この
日本だけ。
そういう事実をさておいて、あたかも「幼児期に、文字教育は必要なし」というような印象を与え
るのは、どうか。
誤解というより、偏見。

 そして「文字教育」を例にあげながら、「幼児期には何もしないほうがいい」というような印象を
読者に与える。
こうした論法には、「?」マークを10個くらい、並べたい。
大切なことは、「教える」ではなく、「文字の読み書きは楽しい」ということを教えること。
それが幼児教育。
またそれが重要!

●偏見

 さらに……。

「……早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き都
内の難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまった。
競争の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、その後
の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入れば塾
通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく」(AERA)と。

 これを読んだときには、ア然とした。
このライターは、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」という言葉さえ、知らない?
そんな印象すらもった。

 たしかにこのタイプの子どもは、多い。
浜松市内の進学高校でも、高校入学と同時に、約20%の子どもが、燃え尽きる。
そのため無気力になったり、怠学に陥ったりする。
それはそれだが、だからといって、みながみな、そうなるわけではない。
何も受験競争の肩をもつわけではないが、「だから教育は無駄」式の論法には、首をかしげ
る。

 つまりここでも、「受験競争」と「早期教育」を、言葉のトリックを使ってすりかえ、読者を煙に
巻いている。

●親子のかかわり

 幼児教育の第一は、「親子のかかわり」で始まる。
またそれで終わる。
その重要性は、基本的信頼関係に始まって、心の育成などなど、今さらあえて説くまでもない。
が、ここでも、このライターは、言葉のトリックを使っている。
つぎの文章を、よく読んでほしい。

 「……長男は文字をほとんど書けないまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女の子
が持っていた「お勉強ノート」を見て圧倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢字がびっ
しりとノートのマスを埋めていた。入学後も、わが子がカタカナに四苦八苦する傍らで「5年生の
漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪語する級友の存在を知り、長男が勉強についていけるか
心配になった。

 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早期
教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得に及
ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した」(AERAより)と。

 ある親は、ほかの子どもが、スラスラと漢字を書いている子どもを見て、ショックを受けたとい
う。

(5〜6歳の子どもが、5年生の漢字を書く?
しかし私は幼児教育を40年もしているが、そんな子どもを見たことがない!
本をスラスラと読む子どもはいたが、漢字を書いた子どもは知らない。
もし本当にいるとするなら、心に何らかの障害をもった子どもということになる。
その子どもがそうというわけではないが、たとえば自閉症の子どもは、ある特定のことがらに、
ふつうでない(こだわり)を示すことがある。
全国の駅名を暗記する、どんな音楽でも一小節を聞いただけで、曲名を当てる、など。
5歳児が、5年生の漢字を書くというのは、おおげさというか、きわめてマレなケース。)

 つまりそういうトンデモナイ例を引きながら、その一方で自分の原稿に権威付けをするため、
大学の教授名を並べる。

いわく、「……すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得してい
る子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の
差は消えてしまうということを指摘してきた」と。
 (この資料も、20年前の資料!)

●過熱する幼児教育?

 早期教育というと、文字教育と考える。
早計というか、無知。
無知というか、誤解。
あるいは偏見。
私も「文字」をテーマに、レッスンを進めることは多い。
しかし「文字を教えよう」という気持ちは、さらさらない。
先にも書いたように、「文字は楽しい」ということは、教える。
もっと言えば、子どもたちを、楽しませる。
「文字は楽しい」という思いが、良循環となって、その子どもを前向きに引っ張っていく。
それが幼児教育。
その重要性は、ここに改めて書くまでもない。

 それをさておいて、「子どもには、必要な栄養食品だけを与えておけばいい」
「料理は無駄」と。
さらに言えば、こんなことも言える。
「大学へ入っても、無駄。人生の結論は、死ぬときの死に際の様子で決まる」と。
どこかのカルト教団が、信者たちにさかんに説いている言葉である。
このライターの(おかしさ)は、その一点に集約される。

●不適切な指導

 このライターの意見によるまでもなく、不適切な指導で、伸びる芽すら摘まれていく子どもは、
多い。
たとえばここでは「読み書き」がひとつのテーマになっている。
実のところ私の二男もそうだった。

 私の二男は、生まれつき、左利き。
私たち夫婦は、自然の流れに任せた。
が、小学校へ入学して一変した。
学校の先生から、「文字は右手で書かせてください」と。
担任の先生が、書道の先生であったことも、災いした。

 毎晩、二男は泣きながらノートに漢字を書いていた。
鏡文字はもちろんのこと、書き順もめちゃめちゃ。
で、1年もたったころ、私は学校の先生に向かって、こう宣言した。
「息子は、左利きで通します。無理な指導は結構です」と。

 それに対して先生は、こう反論してきた。
「冷蔵庫でも、何でも、右利き用にできています。
不便を感ずるのは、あなたのお子さんですよ」と。

 が、さらに私は反論した。
「そんなことは、慣れれば何でもないことです!」と。

 そういう問題はある。
あるが、一方的に、「消滅するから無駄」という論法には、かなり強い違和感を覚える。
●針小棒大論

 受験塾の受験競争には、私も批判的。

擁護したことは、一度もない。
しかしそれは「学習」という面からではなく、「心の育成」という面から、問題にしてきた。
またそのような趣旨で、原稿を書いてきた。

 それをストレス説と結びつけて、「子どもの教育はストレスにつながる」と一方的に決めつけて
いる。
さらにいつの論文かは知らないが、「脳神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を
正当化する科学的根拠はないとしている」(お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子ど
もの脳の発達臨界期・敏感期』)と。

 だったら、「野生児」の問題など、なかったはず!
ある時期、親子のふれあいのなかった子どもが、どうなるか?
野生児と呼ばれた子どもを知っていれば、こんな意見は出てこないはず。
「科学的根拠」というが、その研究は、今、始まったばかり。
「臨界期」という言葉が、再びクローズアップされてきたのは、ここ数年のこと。

 そこでこの本(『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』)の発行年月日を調べてみたら、2004
年とわかった。
6年前!
現在は、廃刊になっている。
当時は「科学的に」は、無理だったかもしれない。
が、ここ数年の、脳科学の進歩には、著しいものがある。
脳の中の動きを、リアルタイムで観察することもできるようになった。

●「塾通いは悪」という偏見

 このライターは、世界の潮流というものを、知らないらしい。
EUでは、むしろ逆に、学校教育より、クラブ制のほうに、教育の重点を移動している。
子どもたちがそれぞれ放課後、好き勝手なクラブに通い、好き勝手なことをしている。
たとえばドイツでは、中学校では単位制を導入し、午後はみな、それぞれのクラブに通ってい
る。

 その費用は、チャイルドマネーとして、満27歳になるまで、一律に支給されている。
額は1万5000円前後。
クラブの月謝が、1000円程度だから、その額だけで、約15のクラブに通えることになる。
学校の内部にクラブがあることもある。
日本がこの先めざすべき教育は、むしろ、そちらのほうではないのか。
10年一律というか、AERA(朝日新聞社)のばあいは、30年一律のごとく、「塾、必要悪論」を
展開している。

 そこには、「学校や幼稚園でやることは問題なし」という、ぬぐいがたい偏見すら覚える。
が、事実は逆で、むしろ「民活」、つまり民間の活力を利用したほうが、よい面も多い。
たとえば英会話にしても、民間に任せた方が、ずっとよい教育をする。
実際に、よい教育をしている。

 それに第一、今時、泣きながらいやがっている子どもを、無理に塾へ通わせる親は、い・な・
い!
いったいこの話も、何年前の話かと、聞きたくなる。
(20〜30年前には、こういう話はよく耳にしたが……。)

その部分を、ここに転載させてもらう。

「…… Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、
「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたか
った。中学受験なんて必要なかった」

 と涙を溢れさせながら訴えた」(AERAより)と。

 このライターは、自説の偏見を補強するため、ペタペタとあちこちの悪例を張りつけている。
わかるかな?

●塾で勉強したら……?

 さらにAERAの記事は、つづく。
「日本には飛び級制度はないし、習熟度別クラスも少ない。塾などで勉強したことを学校で「復
習」する状態が常に続くと、学校での勉強がつまらなくなる」(AERAより)と。

 ヘエ〜〜?

 今時、こんなことを書くライターがいること自体、信じられない。
学校第一主義というか、学校神話信仰者というか。
つい先日、韓国で発表された調査結果をもう一度、ここにあげてみる。

●居眠りする高校生たち

(授業中、居眠りをしている高校生)
居眠りについて、「普通の行動」、または「たびたびおこなっている行動」
    日本人    45.1%    
    韓国人    32.3%
    アメリカ   20.8%
    中国      4.7%

 「学校の勉強がつまらない」のは、塾で先取り教育をしているからではない。
構造的な問題。
つまり公教育がかかえる構造的な問題に起因する。
これは高校生についての調査だが、中学校でも似たような現象が起きている。
小学校でも似たような現象が起きている。
また「塾」といっても、今時、このライターが書いているような授業をしていたら、生徒など、1人
も集まらないだろう。

たとえて言うなら、「まずい料理を並べるレストラン」のようなもの。
それを「食べろ!」と押しつけても、今時の子どもは、食べない。
親だって、食べさせない。

●結論

 また動き盛りの子どもを、無理に机にしばりつけ、「読み書き」を教えれば、ストレスがたまる
に決まっている。
体や心が変調をきたすのも、当然。
あえて「尿検査」をするまでもなく、子どもたちの表情を見れば、それがわかる。
「教育」というのは、そういうもの。
子どもの表情と様子を見て、判断する。

それを「……1997年に幼稚園児の尿を採取してストレス値を比較したところ、早期教育を受
けている幼児は、受けていない幼児に比べてストレスが高かった」と。
1997年当時といえば、「早期教育」の定義も、まだあいまいだったはず。
またそのころから、不登校児が急増し、不登校が社会問題化した。
が、その一方で、水泳教室、書道など、おけいこ塾へ通っていない子どもなど、いなかったは
ず。

都会地域では、ほぼ100%。
地方の農村地帯でも、70%。
(この数字は記憶によるものなので、不正確。)

 ここでも「読み書き」と「早期教育」を混同させるという、言葉のトリックを使っている。

さらに言えば、ライターの思いこみを(柱)にし、あちこちから寄せ集め的に、古い資料をペタペ
タと張りつけている。

 で、問題があるとするなら、なぜ親たちが、こうまで過熱するのか。
(過熱しているなら、という前提だが……。)
その中まで、メスを入れる必要がある。
またそういう視点で、この問題を切り込んでほしい。
またメスを入れてこそ、「さずがAERA!」ということになる。
こうした記事を書くことによって、どういう問題が、どう解決するとういうのか?
ハシゴをはずすのは、簡単なこと。
「では、どうすればいいのか?」。

 親たちは、この日本にはびこる不平等性を、いやというほど、毎日見聞きしている。
人生の入り口で幸運に恵まれた人は、生涯、恵まれた生活を楽しむことができる。
そうでない人は、そうでない。
「受験」がその関門になっていることは、だれの目にも明らか。
親たちは日常的に、(あせり)と、(不安)を感じている。
そういう事実をさておいて、「読み書き」を「早期教育」にすりかえて、「早期教育は危険」と警鐘
(?)を鳴らす。

 AERAが書くべきことがあるとすれば、「では、どうすればよいか」ということ。
「幼児をどう楽しく指導すればよいか」ということ。
ものごとは、後ろ向きに考えるのではなく、前向きに考える。
 
●AERAを、そのまま転載

 誤解があるといけないので、インターネット上に配信された、AERAの記事をそのまま転載さ
せてもらう。

++++++++++++以下、AERAよりそのまま転載+++++++++++

●AERAより 2010年4月19日(月) 

 都内に住む30代の母親は最近、4歳の女の子が図書館で読んでいる本を見て驚いた。絵
はなく、漢字まじりの文字ばかり並ぶ小学校中学年用の読み物だ。自分の小学1年生の子ど
もは、入学してようやくひらがなを習ったばかりだというのに。思わず「すごいね」と声をかける
と、女の子は「漢字も書けるよ」と言って、スラスラと漢字を書いた。女の子の母親と話すと、通
っている有名私立幼稚園では珍しくない光景だという。

■所得よりも養育態度

 最近、地方都市から東京に転居してきた40代の母親の長男が通った保育園は、外遊びを重
視し、幼児の読み書きなど早期教育には批判的な方針だった。長男は文字をほとんど書けな
いまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女の子が持っていた「お勉強ノート」を見て圧
倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢字がびっしりとノートのマスを埋めていた。入学
後も、わが子がカタカナに四苦八苦する傍らで「5年生の漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪
語する級友の存在を知り、長男が勉強についていけるか心配になった。

 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早期
教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得に及
ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した。

 ちょうどその2カ月ほど前、文部科学省は全国学力テストの結果を分析し、親の所得が高い
ほど子どもの学力が高いという調査を発表していた。親の年収が1200万円以上では国語、算
数の正答率が全体の平均より8〜10ポイント高く、200万円未満では逆に10ポイント以上低か
った。

 だが、内田教授の調査では、子どもの学力格差は親の所得格差ではなく、親子のかかわり
方が大きく影響していた。たしかに「読み・書き」能力だけみれば、3歳では親の所得や教育投
資額が多いほど高かった。しかし、その差は子どもの年齢が上がるにつれて縮まり、小学校入
学前に消滅した。文字などの早期教育の効果はわずか、数年しか続かないのだ。

 すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得
していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてし
まうということを指摘してきた。また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかっ
た子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多か
ったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)。

■想像力豊かな子は…

 一方、幼児の語彙力については、親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、詳
細な分析をした結果、語彙の成績を左右するのは所得や教育投資額ではなく、親の養育態度
であるとわかった。

 内田教授は、こう話す。
「語彙力というのは自律的思考力を支えるものです。所得が低い家庭であっても、子どもとの
ふれあいを大事にして、楽しい経験を共有するような『共有型』の養育スタイルの家庭の子ども
の語彙得点は高いのですが、所得が高くても大人の思いを押しつけ、トップダウンで禁止や命
令、体罰などを多用する場合は子どもの語彙の成績は低いのです。他の子どもとの比較や勝
ち負けの言葉を多用するとか、子ども中心で親が犠牲となる教育も、学力基盤を育むのに効
果はありません」

 つまり親の「人間力」こそ、子どもの語彙力の発達には重要だということだ。しかも、この語彙
力こそ学童期以降の子どもの学力と関連があると話す。
 また内田教授が文字を習得している幼児と習得していない幼児に、それぞれ空想でお話を
つくってもらったところ、文字を習得していない子どもの方が想像力豊かな内容だったという。
こうした研究を通じて、過熱する一方の早期教育に警鐘を鳴らしてきた内田教授は、こう話
す。
「幼児期には五感を使って親子で体験を共有することが大切です。親子のコミュニケーション
や会話のやりとりを通じて、子ども自身が考えて判断し、親子の絆が深まっていく中で子どもの
語彙力は豊かになる。お金をかけなくても子どもは伸びるのです」

■鈍る昼間の活動

 研究者の間では以前から「早期教育」の効果に懐疑的な声は多かった。小児科医でもある、
お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』の中で、脳
神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を正当化する科学的根拠はないとしてい
る。

 むしろ、早期教育の弊害として一番心配されるのは、子どものストレスだ。東北生活文化大
学の土井豊教授らが、1997年に幼稚園児の尿を採取してストレス値を比較したところ、早期教
育を受けている幼児は、受けていない幼児に比べてストレスが高かった。さらに早期教育を受
けている幼児は、昼間の幼稚園での活動が鈍くなっていた。幼稚園後の「お勉強」に備え、日
中は活動を休止して子どもなりに心と体のバランスをとっているのだろう。日中の活動の低下
は子どもの発育にとってよくはない。ほかにも早期教育を受けた子どもがストレスで情緒障害
を引き起こしたケースや、親子の愛着関係に悪影響を及ぼした事例も報告されている。

 都内に住むAさんは、長女の妊娠中からクラシック音楽や絵本の読み聞かせで胎教した。乳
児期からは水泳、リトミックのほか、有名幼児教室にも電車で通った。自宅では幼児教室の教
材やパズル、フラッシュカードで毎日1時間以上の早期教育を実践した。友達と自由に遊ぶ時
間は少なかったが、長女に嫌がる様子も見えなかった。どんどん子どもが吸収していくのが嬉
しかったし、何よりも子どものためと信じていた。

 早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き都内の
難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまった。競争
の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、その後
の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入れば塾
通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく。

■のしかかるストレス

 先の榊原教授は、こうした塾や学習教室での先取り学習も逆の効果を生む危険性があると
話す。日本には飛び級制度はないし、習熟度別クラスも少ない。塾などで勉強したことを学校
で「復習」する状態が常に続くと、学校での勉強がつまらなくなる。

 先の40代の母親の長男が通う小学校では「(学校の勉強は)簡単すぎてばからしい」と言う子
どももいる。こうした子どもたちは、結果として学校の勉強に対するモチベーションが低下し、集
中力も低下する。それこそが中学校以降の学力低下につながりかねないのだ。

 だが、榊原教授は早期教育や中学受験に熱心な親たちを一概には非難できないと話す。格
差が広がるばかりの社会で、親が子どもの幸せのためにできることといえば、よりよい教育を
受けさせることと思いつめるのも無理からぬことだからだ。フラッシュカードで天才児が育つか
のような、教育産業のマニュアル化した教材は魅力的に見える。

 榊原教授はこう話す。
「早期教育が子どものストレスにならず『親子のふれあい』に寄与する程度なら使っても良いで
しょう」

 フラッシュカードは、知能開発のためではなく、親子のコミュニケーションのために使えばよ
い。

 Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、
「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたか
った。中学受験なんて必要なかった」
 と涙を溢れさせながら訴えた。

 Aさんは「頭にガツンとパンチをもらった感じ」だった。今まで注ぎ込んだお金と時間と苦労を
思うと「間違いだった」とは認めたくない気持ちも残る。でも、「ごめんね」と、長女に心の底から
詫びた。

 早期教育の効果はわずか数年足らず。だが、子どものストレスは成長した後も心に長く重く
のしかかる。内田教授は、
「子どもはお母さんが大好きだから嫌とは言わない。だからこそ、親は子どものストレスのサイ
ンを見逃してはいけない」
 と話している。
ライター AS

(4月26日号)

++++++++++++以上、AERAよりそのまま転載+++++++++++

●ホ〜〜〜〜〜〜!

 AERAはこう書いている。

『「Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、
「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたか
った。中学受験なんて必要なかった」
 と涙を溢れさせながら訴えた』(AERA)と。

 ホ〜〜〜〜〜〜!

 もう一度、昨日の私のレッスンの様子を、そのまま紹介する。
なおこの日は、いきなり6月中旬なみの暑気ということで、私も生徒たちも、かなりバテていた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 AERA 偏見記事 学校第一主義
 万能主義 早期教育の誤解 偏見 AERA)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●AERA誌へ

 さらに見てくださるようであれば、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より
「BW公開教室」へどうぞ!

20年前、43年前の話ではなく、「今」の話を書いてください。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【過去の記事を読み返す】

●当たるも経済専門家、当たらぬも、これまた経済専門家

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

時には、過去の記事をほじくり返してみるのも、楽しい。
とくに、予想記事と呼ばれる記事は、楽しい。
結果は、「今」ということになる。
その「今」と読み比べてみる。
それが楽しい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●経済

 今日(5月18日)、日本の株価は、大暴落した。
前日比、265円安。
週末観測で、7週連続の下落という。
Bloombergは、つぎのように伝える。
まず、それを読んでほしい。

『……5月18日(ブルームバーグ):

東京株式相場は大幅反落し、日経平均株価、TOPIXともことし最大の下落となった。
ギリシャ情勢の混乱が波及し、スペインの債務懸念が高まったほか、米国経済統計の低調で
リスク資産圧縮の動きが鮮明化した。
対ドル、対ユーロでの円高も警戒され、輸出や金融を中心に東証1部33業種は全て安い。 

TOPIXの終値は前日比21.62ポイント(2.9%)安の725.54、日経平均株価は同265円28銭
(3%)安の8611円31銭。両指数は週間で米同時多発テロ前後の2001年9月以来、約11年ぶ
りに7週連続で下げた』(Bloomberg)と。

●ひどい!

 こういう記事を読むと、私はすぐこんなことを考える。
とくに今回は、そうだ。
ほんの数か月前には、ほとんどの経済学者たちは、口をそろえ、日本の株価は上昇しつづけ
ると言っていた。

 いくら「当たるも〜〜、当たらぬも〜〜」と言っても、これはひどい。
数か月前の記事を探してみる。

●2か月前には、みな、どう書いていたか

以下、2012年3月14日、つまりちょうど2か月前の記事である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Seesaa 2012年03月14日より

●岡三オンライン証券チーフストラテジスト、IT氏

★日経平均、5月までに「震災前水準を回復」へ

『5月に向けて国内の年金基金の投資資金が流入するとみられ、日経平均は震災前水準(1万
0434円)を回復。
目先の高値のメドである11年2月に付けた1万0891円を上回る展開になりそうだ。

★外国人投資家の買い意欲旺盛

外国人投資家の買い意欲は強く、欧米のヘッジファンドの買い戻しにとどまらず、米年金基金
などの長期投資家の資金も動き出している。
年金資金を運用する機関投資家は、注文を平準化して一定期間続けて買うという傾向があ
る。
外国人は日本株を11年5月下旬から12月半ばまでに2兆円超売り越したが、そこから12年2
月末までの買越額は1兆円を上回ったばかり。買いはまだ続くだろう』と。


●BNPパリバ証券日本株チーフストラテジスト、MR氏

★金融緩和で円高修正進む 上値メドは「1万1000円」

『FRBが実施した量的緩和第2弾(QE2)が効いてきた。
米景気回復が加速し、銀行貸し出しが増える好循環に入る兆しがある。
日米金利差が拡大し、円相場は1ドル=85円程度まで円安・ドル高が進みそうだ。
一方、欧州でも欧州中央銀行(ECB)の量的緩和策が奏功し、債務問題は小康状態を保って
いる。
日経平均は4〜6月に1万1000円台を回復し、年内の高値をつけるのではないか。


★(3月)14日の日本株の上昇はショートカバー(売り方の買い戻し)が主体だろう。
空売り比率が24%程度と高まっていたので、買い戻しの動きが強まった。
長期投資家は国内外ともに、今の日本株の上昇に乗り切れていない。
本格的に買ってくるのはこれから。復興需要も株高を後押しするだろう』と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 結果は、ハズレ!
デタラメと言い切ってよいほどの、ハズレ!
とくに記事を選んだわけではない。
ここに書かれていることは、おおかたの経済学者たちも言っていたこと。

 が、問題はそのことではない。
ハズレたことが問題ではない。
問題は、こうした経済学者たちの意見を鵜のみにし、今というこの時点で、大損をした人がい
るということ。
どこの記事だったかは、忘れた。
しかしこんな記事もあったはず。

「日本株は出遅れ感が強い。
夏場にかけて、大儲けのチャンス」と。

●経済学

 つまりこんな予想なり、コメントなら、だれにでも書ける。
私のような素人にでも書ける。
つまり書かないほうが、まし。
そこらの霊能力者の予言のほうが、ずっとわかりやすい。

 言い換えると、それほどまでに経済学というのは、いいかげん。
と、同時に、魔物。
一寸先は闇という言葉がある。
それに近い。
さらに言えば、経済学者の予想ほど、アテにならないものはないということ。
とくにどこかの証券会社に籍を置いている人間の言うことには、さらにアテにならない。
耳を貸さないほうがよい。
それを書きたかった。

●若い女の子

 それにしても、ひどい。
「大損」といっても、財産を失った人も、多いはず。
途方に暮れている人も、多いはず。
さらに恐ろしいことは、こうしたまちがった情報を、証券会社の女の子(怒りの念をこめて、そう
言う)が、もっともらしく口にすること。
「今が底値ですから、買い時ですよ」と。

 経済学の「ケ」の字も知らない。
人生経験の「ジ」もないような、女の子。
そういう女の子が、それなりの年配者を手玉に取り、自分の利益につなげる。

 私もバカだったから、あのバブルショックのあと、それまでに儲けた分以上の損を出してしま
った。
リーマンショックのときは、さすがに、それほどまでの損はしなかったが、それでも損をした。
が、そのあとは、「賢明な損切り」で、難をのがれることができた。
具体的には、証券会社の女の子の言いなりには、ならなかった。

 ドバイショック(2009)、3・11大震災(2011)ショックを経て、私は現在、証券会社との付き
合いは、すべて断ち切っている。
が、これは日本経済にとって、たいへんな損失と考えてよい。
自由主義貿易体制の中にありながら、日本人の私たち自身が、資本主義の基本に不信をい
だいている。
だから昔から、こう言う。
「株屋」と。
子どものころは、「株屋」といえば、詐欺師の代名詞にもなっていた。

●自己責任

 この世界には、「自己責任」という無責任主義が平気で大手を振って、大通りをかっ歩してい
る。
だれも責任を追及しない。
だれも責任を取らない。
すべてが、ナーナーですんでしまう。

 が、おかしなことに、いつも大損をするのは、庶民という個人。
今回の福島第一原発事故もそうだが、だれも責任を追及しない。
責任を取らない。
東京電力にいたっては、「私たちには責任はない」と、居直ってしまっている。
「私たちは、国の指導に従い、やってきただけです」と。

 本来なら、万死……つまり責任者の法的処分に値する事故なのだが……。

 ……ともあれ、ときどきこうして過去をほじくり返してみるのも、楽しい。
その1例として、ちょうど2か月前の記事を、読みなおしてみた。

 で、ふと今、こう思う。
先に紹介した、岡三オンライン証券チーフストラテジスト、IT氏や、BNPパリバ証券日本株チー
フストラテジスト、MR氏は、自分の書いたことに、少しは責任を感じているのだろうか、と。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司



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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●沼津・家庭教育学級(2012年5月15日)(主催:沼津市教育委員会)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

沼津市の家庭教育学級で、講話をさせていただきました。
こじんまりとした会場でしたが、2時間という長い時間、みなさん真剣に聞いてくださいました。
ありがとうございました。

なおその帰り道、焼津市にあるグランドホテルに一泊させてもらいました。
そのときの様子をつづけて送ります。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【家庭学級】(やる気のある子どもにするには!)

(1)

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(2)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/0ihPwaMSGN8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

【焼津・グランドホテルにて】(すばらしい朝焼けでした)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/J_G1gTS-t88" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愚人と賢人(2004年に書いた原稿より)



 ずいぶんと昔だが、私に面と向かって、こう言った女の子(中3)がいた。



 「あんた(=私のこと)も、くだらねエ仕事、してるねエ。私やア、おとなになったら、

あんたより、もう少し、マシな仕事をすっからア」と。



 私は、その女の子を見ながら、怒るよりも先に、「なるほどなア」と思った
私のしている仕事は、その程度だということは、自分でも、よくわかっている。
しかし私は、その女の子の前では、本当の私の姿を見せていない。
見せる必要も、ない。



 まただからといって、その女の子を、責めているのでもない。
(実際には、そのまま退塾させたが……。)
最近の若い人たちは、多かれ少なかれ、みな、そうだ。
何も、彼女が、特別というわけでもない。
この時期の子どもは、生意気になることで、自分を主張しようとする。



 それに、多分、今でも、子どもたちから見る私は、バカで、ドジで、どこかダサイ、初老の男な
のだろう。
私も、あえて子どもたちの前で、そういう男を演じてみせている。



 で、私は、一つの事実に気がついた。



 愚人には、賢人がわからない。
どの人が賢人であるか、その区別さえできない、と。



 たとえばこんなことがある。



 幼児クラスで、私が、わざと、「3+4」の問題を、まちがえてみせたとする。
すると、子どもたちは、「先生、ちがう!」と騒ぎだす。常識で考えれば、(あくまでもおとなの常
識でだが……)、私という人間が、そんな簡単な足し算で、まちがえるはずはない。



 しかし子どもたちには、それがわからない。
中には、本気で怒ってしまう子どもさえ、いる。「あんた、本当に、先生!」と。



 しかし賢人には、愚人がよくわかる。あたかも手に取るかのように、よくわかる。
何をどう考え、どう思っているか。
そしてその先、どういう結論をだすかまで、わかる。
この足し算のケースでいうなら、子どもが怒りだすところまで、わかる。



 つまり冒頭にあげた女の子は、そのレベルの子どもということになる。
(私が賢人であるかという話は、別にして……。)
少なくとも、私は、その女の子よりは、賢人である。
だから、「なるほどなア」と思った。
またそう思うことで、自分の心を、処理した。



 で、私は、そのあと、その女の子と、こんな会話をした。



私「君は、将来、どんな仕事をするの?」

女「まあね、いろいろ」

私「たとえば……」

女「まあね。でもね、先生、私も将来、何もすることがなくなったら、塾の講師でもすっから。そ
のときは、先生、よろしくね」と。



 つまりその女の子は、対、私との関係では、愚人ということになる。
自分が愚人であるとさえ、気づいていない。
(だから、愚人ということになるが……。)
だから私が、どういう人間であるかさえ、わからない。
理解もできない。



 こうして私は、一つの結論を導いた。
それが、つぎの一文である。



 『愚人は、決して、自分を愚人と思わない。
しかし賢人は、いつも自分を愚人と思う。

そして愚人からは、賢人がわからない。
自分と同じ人間だと思う。が、賢人からは、愚人がよくわかる。
これが愚人と賢人のちがいである』である。



●愚人論



 簡単な例では、『堂々巡り』という言葉がある。
あるいは、『小田原評定』というのもある。
同じことを繰りかえし考えるだけで、前に進まないことをいう。
これを、「思考のループ」という。



 一度、このループ状態にはいると、進歩が止まるのみならず、ばあいによっては、後退する。



 たとえば昨夜、私はテレビのチャンネルをかえるとき、あるバラエティ番組をのぞいてみた。
夜の9時台だった。



 見ると、お笑いタレントとしてよく知られている、Sという男が、ペラペラと何かをしゃべってい
た。
軽妙なタッチで、若い人たちには、それなりに受けはよい。
しかし私は、ふと、こう思った。
「この男は、5年前にも、そして10年前にも、同じことを言っていたぞ」と。



 実のところ、同じかどうかはわからない。
しかし昔、彼がしゃべったのを何度か聞いたことがあるが、どの一つも、記憶に残っていない。
何かしら、いっしょに笑ったような覚えはあるが、それだけ。



 お笑いタレントのSが、ループ状態に入って、同じようなことをしゃべるのは、構わない。
それが彼の仕事である。
問題は、それを見たり聞いたりする、視聴者である。
実は、この視聴者も、ループ状態に入る。



 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。



 たとえばプロ野球が、ある。



 私はあるとき、プロ野球を見ながら、こう考えたことがある。



 「毎年、毎年、こうしてプロ野球は、繰りかえされる。しかし中身は、同じではないか」と。



 もちろん中身は、ちがう。試合の内容も、ちがう。
しかし三〇年前のプロ野球も、最近のプロ野球も、プロ野球は、プロ野球。
パターンこそちがうが、「プロ野球」という全体のワクは、同じ。



 ワイフと、こんな会話をした。



私「たとえばその日の献立を考える。そのとき、『何を食べようか』と考える。
考えながら、頭の中で、いくつかの料理を思い浮かべる。
そのとき思い浮かべる料理の内容はちがうか
もしれないが、献立を考えるというワクは、同じ」

ワ「だから、どうなの?」

私「思考も、これによく似ている。
いろいろなことを考えるが、一定のワクができると、そのワクの中だけで、同じようなパターンを
繰りかえすようになる。
しかしこうなると、思考は、進歩を停止する」



 思考が停止した状態になると、明日も今日と同じ、あさっても、その明日と同じという状態にな
る。
しかしこうなれば、その人は、死んだも同然。



私「人間は考えるから、人間なのだ」

ワ「いつものあなたのセリフよ」

私「そうだ。考えることによって、前に進むことができる」

ワ「考えなかったら……?」



 私は、老人たちの会話を例にあげた。
どこかの公園に集まって、毎日、毎日、同じ会話を繰りかえしている、あの老人たちである。



 もちろんそれが悪いというのではない。
人は、人、それぞれ。またほとんどの人は、みな、そうなる。
しかし若い人は、そうであってはいけない。



私「若い人でも、思考のループに入ってしまう人はいくらでもいる」

ワ「そういう人は、死んでいるの?」

私「思考的には、そういうことになる」



 そこで問題は、どうすればそのループ状態から、抜け出ることができるかということ。

いや、その前に重要なことは、自分が、ループ状態にあることに気がつかなければならない。



 たとえば、今のあなたを、10年前のあなたとくらべてみればよい。
20年前のあなたとくらべてみればよい。
が、それがわからなければ、あなたの近くにいる、叔父や叔母を一人選んで、その人を外から
観察してみればよい。



 あなたなら、あなた。
その人なら、その人が、10年前と同じ、あるいは20年前と同じというのであれば、あなたや、
その人は、ループ状態にいるとみる。
このタイプの人は、10年一律なことばかりを、口にする。
そして同じことを、同じパターンで繰りかえす。



 では、どうするか。
そういうループ状態から抜け出るには、どうするか。
このことを、あの釈迦は、『精進(しょうじん)』という言葉を使って説明した。
つまり常に、今のカラを破り、前に進む。
そこに生きる、人間の尊さがある。
人間の価値がある、と。



私「大切なことは、考えること。この一語に、行きつく」

ワ「どう考えるの?」

私「いいか、思想というのは、言葉でできている。だから考えるということは、ものを書くこととい
うことにもなる人間は、書きながら考え、考えながら、書く。
そうすると、荒野の荒地に、ときどき小さな、光るものを見つけることがある。
あとは、その光るものを、どこまでも追いつづければいい」と。



ワ「それが精進ってことね」

私「そう。あえて言うなら……」

ワ「何よ……」

私「先へ進めば進むほど、相対的に、まわりの人が、幼稚に見えてくる」

ワ「愚かに見えてくるということ?」



私「はっきり言えば、そういうことになるかもしれない。
だから10年前、あるいは20年前につきあった人と、会ってみればいい。
そういう人と会って話してみたとき、自分が、昔のままだと感じたら、たがいにループ状態にい
るとみていい。
しかし相手が愚かに見えたら、自分はループ状態から、抜け出たとみていい」と。



 こうして人間は、死ぬまで、歩きつづける。
求めて、求めて、歩きつづける。もちろんゴールは、ない。
そう言いきるのは危険なことかもしれない。
しかしゴールは、ない。
荒野は、どこまでも果てしなく、つづく。
そしてゴールだと思っても、必ず、その先は、ある。



 最後にもう一度。



 愚人は、決して、自分を愚人と思わない。
しかし賢人は、いつも自分を愚人と思う。
そして愚人からは、賢人がわからない。
自分と同じ人間だと思う。
が、賢人からは、愚人がよくわかる。
これが愚人と賢人のちがいである。
(040127記)

(はやし浩司 愚人 賢人 愚人論 賢人論 はやし浩司 くだらない仕事 マシな仕事 ある
女子中学生 生意気な子ども つまらない仕事)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不便と不快感

 こうして考えてみると、「あえて不便」には、2つの意味があることがわかる。

 ひとつは、行動面の不便。
これはわかりやすい。
で、もうひとつは、精神面の不便。
が、これは(不便)というよりは、(不快感)。
一見、まったく別の不便さに見えるかもしれない。
しかし脳内で起こる反応は同じ。
その処理方法も、メカニズム的には、同じ。

 わざと楽でない方法を選びながら、自分の脳に刺激を与えていく。
(不便)や(不快感)から、逃げていたのでは、刺激にならない。
あえて不便を求め、不快感を求める。
それはちょうど、寒い夜にサイクリングに出かけるような気分に似ている。
出かけたいか、出かけたくないかと問われれば、だれだって(?)、出かけたくない。
しかしサイクリングから戻ってきたときの爽快感が、たまらない。
その爽快感を知っているから、あえてサイクリングに出かける。

 ……逆に、もし、(不便)や(不快感)のない生活になってしまったら、(もちろんそれには限度
というものがあるが……)、何とつまらないことか。
それこそただ「息(いき)る」だけの人生になってしまう。

 何としても、それだけは避けなければならない。
……ということで、今日も、「あえて不便」を求めて、がんばろう。
2012/05/17朝記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 あえて不便 息る 生きる)

(追記)

 あのときあの女子中学生をそのまま退塾させたのには、別の理由がある。
日ごろの言動が生意気なのに併せて、学習態度が粗放。
ほかの子どもたちがその影響を受け始めたからである。
念のため。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息(いき)る人生】

●あえて不便

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ、「あえて不便」に、心がけている。
(便利)イコール、(望ましいこと)ではない。
あえて不便にし、生活のリズムを変える。
たとえば、パソコン上からカレンダーを消した。
とたん、日にちがわからなくなった。

それまでは、目を横にやれば、その日の日にちがわかった。
曜日もわかった。

で、今は、そのつど、壁に張ったカレンダーを見る。
日にちを調べる。
曜日を調べる。

こうした(不便)は、脳を活性化させる?
というか、生活がマンネリ化すると、刺激が乏しくなる。
単調になる。
それ以外のことが、できなくなる。

そうでなくても、使わない知識や知恵は、どんどんと消えていく。
それに気がつかないまま、どんどんと消えていく。
それがこわい。

だから「あえて不便」。
不便な道を選ぶ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「だから、それがどうしたの?」

 私の年齢になると、「だからそれがどうしたの?」という疑問が、すぐ追いかけてくる。
いつも追いかけてくる。
たとえば「長寿」。
「長生きしたからといって、それがどうしたの?」と。

 答え方をまちがえると、そのまま自己否定の世界に陥ってしまう。
自己否定ほど、恐ろしいものはない。
だから多くの人は、自分の過去にしがみつく。
学歴、肩書き、地位にしがみつく。
それを否定されたら、自分が自分でなくなってしまう。
それこそ「何のための人生だったの?」となる。

●生きる目的

 昨日、講演の依頼があった。
講演というより、講話。
ある小学校の学年単位の講話である。
講演に大小があるとするなら、もっともミニサイズの講演ということになる。
講演料も安い。
1万円。

 が、1万円が悪いというのではない。
すぐ先方に電話を入れ、確認。
「……もし、先生が自腹を切られるというのであれば、無料で結構です」と。

 また講演時間も、短い。
計画表を見ると、45分とある。
しかし45分で、何が話せるのか。
……ということで、時間を延ばしてもらった。
1時間半にしてもらった。

 よく誤解されるが、講演というのは、長いからつらいとか、短いから楽ということはない。
使うエネルギーは同じ。
……というか、いくらミニサイズの講演会でも、私は手を抜かない。
かならず10ページ前後のレジュメを用意する。
それを会場で配付してもらう。

 もちろん、(仕事)には、ならない。
しかし「だから、それがどうしたの?」と自問したとき、そういう講演会ほど、明確な答が返ってく
る。

 「それが生きる目的」と。

●無私、無欲

 一方、数日前、ある相談があった。
フォーム(=個人連絡用)での相談だった。
子どもの発達障害に関するものだった。
で、転載許可を求めると、「いかなる場合も、不許可」と。
「一文たりとも、許可しない」と。

 こういうばあいは、私は、簡単な返事を書いたあと、即、削除することにしている。
深く読めば、内容が記憶に残る。
それがどこかで亡霊のようになって出てくる。
そのとき、それがトラブルの原因となる。

 無私、無欲とはいうが、返事を書くのに、最低でも1〜2時間はかかる。
それにこの種の相談は、繰り返しやってくる。
そのつど、いつも同じような返事を書く。
が、それが問題ではない。
私にとっては、その1〜2時間が、惜しい。
1〜2時間もあれば、新しい知識を吸収することができる。

 だから即、削除。
記憶に残さない。

 で、すかさず抗議のメールが入った。

いわく「あなたに相談したことを、後悔している。相談内容を、ぜったいに公開しないことを約束
してほしい」と。

●リンカーン・コンチネンタル

 生きる目的というのは、そのつど複雑に交錯する。
損を考えたり、得を考えたり……。
ときにその意味さえ、見失う。
「ああ、私も、このままこの先、朽ちていくのか」と。
というのも、今まで、私は多くの成功者や失敗者を、直接見てきた。
若いころは、今の私ですら本当にそんなことがあったのかと思えるような世界に住んでいた。

 30代のはじめには、運転手付のリンカーン・コンチネンタル・マーク4に乗っていた。
どこかの金持ちが、貸してくれた。
それで東京と浜松の間を、行き来していた。
また東京では、ホテル・ニューオータニ以外には泊まったことがない。
そんな私だったが、今は、TOYOTAのプリウス。
燃費を気にしながら、細々と乗り回している。
そうそうこんなこともあった。

●ある女子中学生

 15年ほど前のこと。
手がつけられないほど、生意気な女子中学生がいた。
ドラ娘。
まさにドラ娘、そのもの。
トイレから戻ってくると、あるとき、こう言った。

「私ね、汚れたトイレは苦手なのよね。生理的嫌悪感を覚えるのよね」と。

 で、そのあと、私はその女子中学生を、あれこれと説教した。
「ぼくたちの時代には、ボットン便所が当たり前だった」というような話もした。
が、しばらくすると、私にこう言った。

「あんた(=私のこと)も、くだらねエ仕事(=塾教師)、してるねエ。私やア、おとなになったら、
あんたより、もう少し、マシな仕事をすっからア」と。

 この一言が私を激怒させた。
私はその場で、その女子中学生を、退塾させた。
「今日は、このまま帰りなさい!」と。

 ……この話は以前にも書いた。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(以下、日付は、2004年になっている。
が、現在、この女子中学生は、40歳くらいになっているはず。)

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【浜松市・雄踏町に現れたUFOを検証する】はやし浩司 2012−05−19

●信頼できるBT氏


 12年来の友人でもあり、信頼できるできるBT氏が、昨夜(5月18日)、1枚の写真を届けて
くれた。
「何かが写っている」と、BT氏は言った。


 まず、その写真をここに紹介する。


(1)元の写真(矢印部に注目)


 なお矢印は2か所につけたが、左の矢印のやや右側にも、もう1個、白い物体が写っている
のがわかる。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226861816/" title="UFO(1) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7225/7226861816_
645f283fc1.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(1)"></a>


(2)元の写真の明度をあげてみた。


 白い物体を、より鮮明にしてみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226861962/" title="UFO(2) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7084/7226861962_
79d732af68.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(2)"></a>


(3)左の矢印部を拡大してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226862150/" title="UFO(3) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7226/7226862150_
fa527e8e89.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(3)"></a>


(4)右の矢印部を拡大してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226862306/" title="UFO(4) by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm6.staticflickr.com/5446/7226862306_
1e350ed97b.jpg" width="500" height="375" alt="UFO(4)"></a>


 昨夜(18日)と、今日(19日)、2度、現場へ行って検証してみた。
左側の物体は、屋根の上にあるように見える。
右側の物体は、道路から、10〜13メートル高いところに浮かんでいたことがわかった。
詳しくは、後述する。


●現場へ


 昨夜(5月18日)、午後11時ごろ、現場へ行ってみた。
場所は、BT氏より詳しく聞いていたこともあり、すぐわかった。
フラッシュなしで、撮影してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937326/" title="DSC02694 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7104/7226937326_
84b8320384.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02694"></a>


●再び現場へ


 今日(5月19日)、午前11時30分ごろ、オーストラリアの友人とワイフ、それに私の3人で、
現場へ行ってみた。
この写真の写っている家の家人(女性)から話を聞くことができた。


(1)50歳くらいの女性だったが、写真を見て、たいへん気味悪がった。
(2)枕などではないかと聞いたが、裏の屋根(北側の屋根)では、ものを干さないと答えた。
(3)白い物体に、思い当たるものはないかと何度も念を押し聞いたが、「ない」と答えた。
(4)写真を撮った位置に立ち、私たちも現場を検証してみたが、右側の白い物体は、道路から
高さ10メートル以上の位置にあることがわかった。
(目測では、10〜13メートル前後だった。
少なくとも、工事用のバルーン型照明器具ではないことは確認できた。)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937488/" title="DSC02695 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7215/7226937488_
e841396323.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02695"></a>


ほぼ同じ位置から撮影してみた。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7226937728/" title="DSC02697 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7076/7226937728_
415800a52d.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02697"></a>


道路(浜松市内から雄踏町へ抜ける道路がある。その道路に向かって、20メートルほど、先
に進んでみた。この写真の、山の大きさから、右側の物体が、かなり高いところに浮いていた
ことがわかる。)


●考察


 このタイプのUFOは、各地で頻繁に目撃されている。
集団で現れることが多いよう。
結論は、まさにUFOということになった。
未確認飛行物体ということになる。
あとの判断は、読者諸氏に任せる。
2012/05/19記


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 UFO 雄踏町に現れたUFO は
やし浩司 浜松市 雄踏町 UFO)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【K君との会話】はやし浩司 2012−05−20

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日、市内のホテルで、K君と食事をした。
K君は、メルボルン大学(オーストラリア)で、修士号(Master's Degree)を取得したあと、現
在に至るまで、モナーシュ大学(メルボルン)に籍を置いている。
大学の教官(インストラクター)を、総合的に指導する立場にある。
その場でのこと。
いろいろな話をした。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ノーベル賞受賞者

 モナーシュ大学に、現在、ノーベル賞受賞者はいるかと尋ねると、「いない」と。
理由を聞くと、「受賞すると、みな、ほかの大学や研究機関に移ってしまう」と。
欧米では、学生はもちろん、教授たちも、よりよい教育(待遇)を求めて、大学から大学へと渡
り歩く。
日本の大学で見るような、徒弟制度そのものがない。

 「インターナショナルハウス(メルボルン大学)には、毎週のようにノーベル賞受賞者がやって
きて、泊まっていった」と話すと、「それは今でも、そうだ」と。
が、そのあと、K君は、こう言った。

「ヒロシは、あのノーベル賞という賞が、公平と思うか」と。

●ノーベル賞

 K君はいくつかの例をあげ、ノーベル賞の問題点をあげた。
まず推薦人制度。
それぞれの国には、推薦人が割り当てられている。
どういう基準で、だれが選ばれるか、だれも知らない。
その推薦人が、ノーベル受賞者をノルウェー政府に推薦する。

 つぎに今では、研究といっても、単独で研究する例は少ない。
複数以上の研究者が集まって、共同で研究する。
しかし賞を受けるのは、その「長」ということになっている。

 実際K君が知っている例でも、部下に研究を任せ、自分では何もしなかった研究者がノーベ
ル賞を受けた例もあるという。
「日本でも、昔、SEという元首相が、ノーベル平和賞を受けたことがある」と話すと、K君は、笑
った。

●知識人

 私は率直にこう言った。
「ぼくは、君がうらやましい。毎日、第一級の知識人(インテリジェントな人)と、接することがで
きる」と。

 が、K君はこう言った。
「ヒロシ、インストラクター(教授たち)といっても、ほとんどが、頭がおかしい。君がうらやましが
るような世界ではない」と。

私「しかし、ぼくはいつも、知識に飢えている。知識人に会う機会が、ほとんどない」
K「ぼくは大学にいても、いつも本ばかり読んでいる。今はインターネットがある。ヒロシも、そう
すればいい」と。

 学生時代のK君は、毎日本ばかり読んでいた。
今でも世界中を回りながら、古本をあさるのが、K君の趣味にもなっている。
が、K君は、私の住んでいる世界を知らない。
あえて言えば、私の住んでいる世界は、砂漠のような世界。
一方、K君は、知識が水のようにこんこんとわき出る、オアシスのような世界に住んでいる。

 「知識」に対する基準、そのものが、ちがう。
「飢え」の感じ方、そのものが、ちがう。

●有名人

 たまたま私の前の席に、その世界では有名なスポーツ選手が座った。
年齢は30歳くらい。
妻らしき女性と、数人の家族が同席していた。
私がK君に、「あの男は日本でも有名な、プロ〜〜だ」と教えると、すかさず、K君はこう言っ
た。
「バカ顔(no brain)に見える」と。

K「日本ではどういう人を、有名(famous)と言うのか」
私「正しくは、よく知られた人(well−known)と言うべきだったかもしれない」
K「商業主義の世界では、人は正しく評価されない」
私「そう。ぼくも、その意見に同感だ。この4月に、慶応大学に9000人の化学者が集まった。
ぼくの知人がその場で、基調講演をした。が、この日本では、ただの一行も、またただの1秒も
報道されなかった」
K「オーストラリアでも、そうだ」と。

 で、その一方で、商業主義に乗った人たちが、この日本では、「よく知られた人」となり、それ
を自分の名声や財力につなげていく。

●低進国

 「低進国」という言葉は、私が考えた。
「後進国」というのは、経済用語。
「低進国」というのは、文化用語。
この日本は、先進国かもしれないが、低進国。

 英語でどう表現したらよいか。
それが議論になった。
たとえば以前は、後進国と言った。
が、20年ほど前から、発展途上国と言うようになった。
だから「低進国では、まずい」と。
あえて言うなら、「文化的発展途上国(Culturally Newly-developing Country)」。

 「日本では、テレビへの露出度で、文化人が決まる」と話したら、オーストラリアでは、それは
ないと教えてくれた。
「社会への貢献度で決まる」と。

●ハーバード大学で講演?

 こんな話もした。

 もう20年ほど前のこと。
日本のある宗教指導者が、ハーバード大学で講演をしたという。
が、この話そのものが、「?」。

 外国の大学を少しでも知っている人なら、だれしも首をかしげる。
そこで私は、すかさずハーバード大学へ電話を入れた。

 もちろんハーバード大学といっても、広い。
会場となるような会館(ホール)は、いくつもある。
広い講義室を貸すこともある。
もちろん有料。
で、やっとそのホール(会場)を見つけた。

 で、電話で聞くと、「どこかの団体に貸したことはある」と。
「詳しくは文書で返事するから、文書で問い合わせてほしい」とも。

 そこですぐ私は手紙を書いた。
折り返し返事が届いた。
それにはこうあった。

 「在米のある団体に、会場(講義室の1室)を貸した。利用目的、内容は、大学としては、関知
しない」と。

 が、この日本では、そういうことが堂々と宣伝に利用される。
あたかもハーバード大学に招へいされ、講演でもしたかのように装う。

 そんな話をK君にしたら、K君は、フンと鼻先で笑った。

●SKI

 話は家族、さらには遺産の話にも及んだ。
オーストラリアでも、息子や娘には遺産を残さない人がふえているそうだ。
それを、つまり、子どもに遺産を残さないことを、英語では、「SKI(スキー)」と言うと。

 「Spend the Kids' Inheritance(子どもの遺産を消費する)」を略して、「SKI」と。

 私がどういう言い回しをするのかと尋ねると、「I am going to SKI.(スキーに行く=ぼくは息子
や娘たちに財産を残さない)」と教えてくれた。

 オーストラリアでは制度として整っているから、息子や娘が親の老後の世話をするということ
は、めったにない。
K君自身も、国からの年金など、あてにしていない。
民間の保険会社に積み立てた私的年金で老後を、老人ホームで過ごすつもりという。

 SKI……おもしろい言い方なので、ここに記録する。

●忘却

 ほかにもいろいろな話をした。
が、数日もたつと、そのほとんどを忘れてしまう。
その場だけでも、2時間も話した。
が、こうして記録できることは、たったのこれだけ。
読めば、5分足らずの文章でしかない。
残りの1時間55分は、どこへ消えたのか。

 考えてみれば、これほど恐ろしい話は、そうはない。
2012/05/20記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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●自己紹介

【はやし浩司のわけ】

 改めて、自己紹介します。

 本名は、「林 浩司」といいます。「はやし・ヒロシ」と読みます。

 大学時代、みなは、私のことを、「はやし・コージ」と、呼びました。いつの間に
か、そうなりました。しかし正しくは、「はやし・ヒロシ」です。

 で、ペンネームは、「はやし浩司」です。

 「林」を、「はやし」にしたのには、二つの理由があります。

 幼稚園で働いているころ、いつも私は、自分の名前を、「はやし」とひらがなで書
いていました。それで、「林」より、「はやし」のほうに、なじみができてしまった
こと。

 もう一つは、同じ町内に、同姓同名、同じ読み方をする人が、住んでいたこと。こ
の方は一〇年ほど前になくなりましたが、私の名前ほど、ありふれた名前もありません。

 現在でも浜松市内には、電話帳で調べただけでも、「林・ヒロシ」「林・コージ」
という人は、七、八人もいます。約200倍すれば日本の人口になりますから、この
日本には、「林・ヒロシ」「林・コージ」という人は、1500人くらいはいるとい
う計算になります。

 それで「はやし浩司」にしました。

 私は、このペンネームが、とても気にいっています。「林」という文字は、どこか
トゲトゲしいので、あまり好きではありません。

【住んでいるところ】

 住所は、浜松市のI町というところです。(インターネットでは、あまり個人情報
を漏らさないというのが、原則になっていますから、この程度でごめんなさい。私自身
は、住所を明かしても構わないと思っていますが、中には、悪い人もいますので……。)


 I町だけでも、一万世帯近くも住んでします。昔からの、大きな町です。私は、こ
のI町に住んで、今年(04)でちょうど二七年目になります。浜松へ来てからは、
三三年目になります。

 私の家は、浜松市の中心部と、浜名湖のちょうど中間あたりのところにあります。
やや丘の上、新興住宅地の一角です。新幹線で、そのあたりを通ったら、北の方を見
てください。線路からは、二キロくらい離れたところです。

 いつもさんさんと、太陽の陽光がさしているところが私の家……というのは、ウソ
ですが、私の家は、日当たりのよいところにあります。

【私のこと】

 ときどき私は、どんな人間なのだろうと考えます。

 しかし本当のところ、自分のことは、よくわからないでいます。まじめな人間なの
か、そうでないのかさえわかりません。だいたいにおいて、まじめな人間というのは、
どういう人間をいうのか、その基準は何なのか、と。そんなことまで考えていくと、
ますますわからなくなってしまいます。

 まあ、あえていうなら、ふつうの人間ではないのかなと思いますが、「ふつう」と
いう意味も、これまたよくわかりません。

 それにいろいろな面が、あります。混在しているというか、めちゃめちゃ。気が小
さいくせに、意外と、大きなこともしてしまう……。趣味にしても、そのつど、コロ
コロ変る。正義感は結構強いくせに、どこか小ずるいところがある、などなど。

 だから自分のことを、どう書いたらよいのでしょうか。別のところで、自己紹介の
記事を書いておきましたので、興味のある方は、またそちらを読んでください。(私
のHPのトップページから、左上、「思想」)

 外見は、数字で表すことができます。

 身長は166センチ。このところ体を丸めて歩くことが多くなったので、見た目に
は、それよりも低く見えるはずです。

 体重は、今は67キロ(04・2)。顔は、写真のとおりですが、みなは、「年齢
にしては、若く見える」と言ってくれます。

 メガネをかけた、ダサイ感じの男です。自分でも、それがよくわかっています。ラ
ブロマンスなど、私には無縁でした。一、二度、それらしきことは、あったかなあ、
という感じです。三枚目で、ドジ。おっちょこちょい。笑わせ名人で、ひょうきんも
のです。

 今のところこれといった病気もなく、健康です。生涯において、病院のベッドの上
で、寝たことは、一度もありません。

血圧は低く、上が100前後。下が60前後です。脈は遅いです。健康診断では、い
つもひっかかります。

 私の健康法は、ただひたすら毎日、自転車で走ること。あとは食べ物には、何かと
注意しています。

【生活信条】

 「生活信条」と、自分で書いて、ウーンと、今、うなってしまいました。

 「そんなもの、あるのかア?」と思っています。毎日、惰性で生きているだけとい
う感じです。これといった主義や主張も、ほとんど、ありません。精神力はもともと
軟弱だし、情緒も不安定。行動力もこのところ、どんどん鈍ってきています。

 まあ、あえていうなら、今は、もう自分を飾らないで生きていこうと思っているこ
とかな。ありのままの自分を、そのままさらけ出していこうと、です。

 私は、ずっと、自分を偽って生きてきたように思います。「どうすれば優等生に見
られるだろう」「どうすれば、相手にいい人だと思われるだろう」と、そんなことば
かりを考えて、生きてきたように思います。

 だから、そういう自分と、はやく決別したいです。私は私のまま、自分の人生を、
生きたいです。残りの人生も、短くなってきたことだし……。

 愛想よくしたり、相手の機嫌をとったり、へつらったり、そういうことだけは、し
ないようにと、心がけています。

 そんなわけで「信条」と言えるかどうかはわかりませんが、今は、「自分に正直に
生きる」が、ひとつの目標になっています。
(新HP用)
(040201)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●展望性と回顧性(2)

 自分の未来や将来は、どうなのか。どうあるべきなのか。それを頭の中で組み立て
ることを、展望性という。未来や将来に、夢や希望をはせらすことも、それに含まれ
る。

 一方、自分の過去は、どうであったのか。どこにどんな問題があったのかを反省す
ることを、回顧性という。思い出にひたったり、過去をなるかしむのも、それに含ま
れる。

 賢人は、ハバ広い展望性と、回顧性を、いつも同時にもつ。しかし愚人は、そのど
ちらもハバが狭い。その場だけを、享楽的に過ごす。それでよしとする。

 概して言えば、若い人は、よりハバの広い展望性をもち、老人は、よりハバの広い
回顧性をもつと言われている。そこであなた自身の展望性と、回顧性が、どの程度の
ハバをもっているかを知るとよい。それによって、あなたの精神年齢を、推定するこ
とができる。

 もしあなたが今でも、未来に向かって、目標や目的をもち、生き生きとしているな
ら、展望性のハバは広いということになり、あなたは精神的に若いということになる。
しかしいつも過去をなつかしんだり、過去の栄華や、過去の思い出にひたってばかり
いるというのであれば、あなたの精神年齢は、老人のそれということになる。

 その展望性と回顧性は、満60歳前後を境として、入れかわると言われている。つ
まり満60歳を過ぎると、展望性よりも回顧性のほうが、強くなるという(心理学者の
B・ボナーら)。

 実は、私も何かにつけて、このところ回顧性が強くなったように思う。昨夜も、あ
る飲食店で、オーストラリアの旅行案内書を読んでいたときのこと。その一頁に、ジ
ーロン(メルボルンの南にある町)から、ローン(避暑地)を経て、アデレード(南
オーストラリア州の州都)にのびる街道のことが、書いてあった。

 「グレート・オーシャン・ロード」という名前の道路である。第一次大戦の退役軍
人らが建設した道と聞いている。

 その街道の記事が、その本に載っていた。

 その記事を読んでいたときのこと、いつしか私の目は、涙で、うるんできてしまっ
た。私には、思いで深い街道だった。今でも、私の机の上には、その街道の写真が飾
ってある。

 「また行きたいな」という思いと、「もう死ぬまで行けないかもしれない」という
思いが、その記事を読んでいるとき、複雑に交錯した。

 つまりそのとき、自分の心の中で、ここでいう展望性と回顧性が、同時に交錯した
ことになる。もちろん若いときは、そういう感情をもつことは、なかった。「もう死
ぬまで……」などとは、考えもしなかった。未来は、永遠につづくように思っていた。

 だからといって、回顧性をもつことが悪いということではない。若いころの自分を
回顧することで、私の中の心のハバを広くすることができる。ただ、それにひたりす
ぎるのは、よくない。あくまでも、過去は過去。未来を、よりよく生きるために、過去
は、ある。

 あえて言うなら、こうして過去を回顧することによって、生きることにまつわる「い
とおしさ」のようなものを知ることができる。生きることのすばらしさというか、美し
さというか、そういうものである。おかしな感覚だが、懸命に生きてきた、自分が、ど
ういうわけか、かわいい。いとおしい。そして当然のことながら、なつかしい。

 が、そのままここに、立ち止まるわけには、いかない。

 私は、今、こうしてここに生きている。そして、まだまだ生きなければならない。
生きることをあきらめるわけには、いかない。そこで大切なのは、いかにして、展望
性のハバを広くするかということ。

 一〇年後も、二〇年後も、今日と同じように、「今」はある。青い空がそこにあっ
て、冬であれば、冷たい風が吹いている。そのとき、私は、いったいどうなっている
だろうか。今のままなら、多分、一〇年後も、今と同じように元気で、生きていると
思う。しかし二〇年後は、わからない。そのときも、私は今の私のように、まだ心の
荒野の中を、前に向って進んでいるだろうか……。健康や生活は、どうだろうか……。

 展望性と回顧性。この二つには、より心豊かに生きるための、重要なカギが隠され
ているように思う。今は、その程度のことしか、わからないが、この先、機会があれ
ば、またゆっくりと考えてみたい。
(040201)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【焼津・グランドホテル】 はやし浩司 2012−05−15

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は沼津市で講演。
そのあと、帰りの途中で、焼津のグランドホテルに一泊。
今は、その沼津市に向かう途中。
新幹線の中。

午前7時31分発。
三島で乗り換え、沼津へは、午前8時ごろ着く予定。
が、旅行記を書くのは、あと。

今は、講演の原稿に目を通す。

その中のひとつ。

 引きこもりも含めて、うつ病(Melancholia)の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学
者がいる。

たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子ど
もは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・母子保健
情報54・06年11月)を形成すると説く。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあ
るという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と

 うつ病の原因が、すべて、これで説明できるというわけではない。
そうでない人も多いだろう。
が、それくらい人にとって、乳幼児期というのは重要。
この時期に子どもの心は形成される。

そういう意味では、吉田敬子氏の意見には、納得できる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●午後

 現在、時刻は、午後1時58分。
焼津へ向かう電車の中。
地理的には、つぎのようになっている。

 (浜松)=(焼津)=(静岡)=(沼津)=(三島)

 つまり沼津からの帰り道に、焼津に寄る。
前回、焼津では、焼津アンビア松風閣に泊まった。
星は5つの、★★★★★。
あのホテルで、文句をつける人はいない。

 が、今回は、その隣にある焼津グランドホテル。
そこに一泊。
料金はほとんど同じか、やや割安といった感じ。
さて、どうなることやら。
このところ私たちの目は、旅行評論家程度に、肥えている。

あまりひどいようなら、実名は伏せる。
が、それはあとでの作業。
今は、こうして実名を出しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ボッタクリ・レストラン

 沼津で、昼食をとった。
駅前近くにある、Xというレストラン。
味は、最低。
最悪。
料理という料理ではない。
素人が、見よう見まねで作った我流料理。
食材をそれらしく並べただけの、駄作料理。

が、値段だけは、一人前。
ワイフのが、1300円。
私のが、900円。
ともに材料費は、200円もかかっていないのでは?
家庭で作れば、150円程度。
まさにボッタクリ・レストラン。

●睡魔
 
 電車に乗ってから、睡魔が襲ってきた。
今が、そう。
眠い。

 その目をこすりながら、パソコンのキーボードを叩く。
うっすらと意識が遠ざかる。
ぼんやりと窓の外をながめる。

 小雨。
肌寒い風。
低く、近くの山々を包む、霧。

 車掌が「興津(おきつ)、興津、つぎは興津です」と案内した。
静岡までは10分と少し。
眠るには、時間が足りない。
(ワイフは、眠ったら……と言っているが。)

●電車の中

 目の前の女性が、笑っている。
携帯端末を見ながら、笑っている。
……というか、うれしそう。
純朴そうな女性。
飾り気もなく、都会ズレもしていない。
足で、雨傘をしっかりとはさんでいる。

 ……今日の講演の中で、映画『タイタニック』を酷評してやった。
ハハハ。
若い母親たちが多かったから、そうした。
いわく、「ジャックにしても、ローズにしても、少しは親のことを考えたことがあるのか!」と。

 みなさんは、あのあとの話を知っているか?
タイタニック号が沈没したあとの話。

 そのあとジャックの両親は、ジャックを気が狂ったように探したという。
アイルランド中を探した。
「船でアメリカへ行くかもしれない」とジャックが話していたのを聞いた仲間がいた。
そこでそのあとジャックの両親は、船という船の乗船名簿を、すべて調べたという。
が、どこにも、「ジャック・ドーソン」という名前はなかった。
ジャックの両親は、一時は、どこかの国に拉致されたかもしれないとか、そんなことまで考えた
らしい。

 一方、ローズの母親は、タイタニックが沈没したあと、現場へ数回も足を運んだ。
そのたびに、花を海にたむけ、涙を流したという。

 ……というのは、私の作り話だが、逆に考えてみればよい。
あなたの息子や娘が、あのジャックやローズのような運命を選んだとしたら、あなたはどうする
だろうか。
「ああ、どこかで死んだかもね」と、笑ってすますだろうか。
それとも行方を捜しつづけるだろうか。
つまりあの映画には、親の視点が欠けている。
親の苦しみや悲しみが、抜け落ちている。

 若い人たちは、あの映画の中に、愛の理想形を見るかもしれない。
しかしそんなものは、愛でも、何でもない。
ただの欲望。

 ……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっている。
しかしあの映画を、私のような目で批判する人は少ない。
30代、40代までの人には、すばらしい映画かもしれない。
(たしかにすばらしい映画だが……。)
しかし60代、70代の人には、そうではない。
ただの恋愛至上主義映画。
アメリカ文化に毒された、ただの恋愛至上主義映画。
それをあえてみなさんに、伝えたかった。

●グランドホテル

 グランドホテルには、午後3時ごろ着いた。
部屋は6階のxx号室。
最上階。
仲居さんが、先ほど、こう言った。
「明日の朝は、天気もいいそうです」と。

 天気がよければ、駿河湾をはさんで、手前左側に、富士山が見えるはず。
部屋も広く、18畳。
和風の禁煙室。
先ほどB1の大浴場から戻ったところ。
眠気は取れたが、頭のほうは、ぼんやりしている。
雑誌をパラパラとめくる。

グランドホテル……前回、隣の松風閣に泊まったこともあるので、よけいにそう思うのかもしれ
ないが、玄関は狭い。
全体に古い。
バスタブなどは、ところどころ割れ、補修がしてあった。
が、それをのぞけば、部屋も広く、眺望もよい。

●脳神経の周波数

 以前、こう書いた。
脳の中心部からは、パソコンように、電気信号が発せられているのではないか、と。
それがあらゆる生命の原動力になっている。
で、その電気信号には、周波数がある。
脳の神経細胞は、数Hzから数10Hzほどの電気信号を発しているというから、その程度では
ないか。

もちろんコンピューターのようには、速くない。
最近のコンピューターでは、クロック数が、3・2GHzとか、3・4GHzとかいうのまである。
単純に計算すれば、コンピューターのもつ能力は、人間のそれの、10の9乗、つまり10億倍
ということになる。
人間が1問、計算する間に、10億問、解くことができる。

 が、だからといって、コンピューターのほうがすぐれているとは思わない。
反対に、人間のほうが劣っているとも思わない。
それよりも重要なのは、電気信号の伝達速度。
人間のばあいは、電気信号と化学反応を併用した方法で、信号を伝達している。
が、これには、限界がある。
つまりどうしても遅くなる。

 だから一般論してよく言われるのは、脳が大きくなればなるほど、その分だけ、頭の回転も鈍
くなるということ。
当然、動作も鈍くなる。
人間と象の動きを比べてみれば、わかる。
あるいは、ハエと人間でもよい。

(注※……脳内の電気信号と活動電位(電気パルス))

 脳内の電気信号をミクロな視点で見ると、具体的には一つ一つの細胞による活動電位などと
呼ばれる電気パルスである。
(極小の時間だけ電圧波形が生じるパルス波形の信号。)(以上、ウィキペディア百科事典)

(注※……脳波)
『この一つ一つの細胞の電気パルスを個別にいくら調べても具体的に価値のある情報(音声
情報、視界情報など)が含まれていることはない。
実際に、脳波を測定することにより思考に応じて何かを動かすという装置はあっても細胞の電
気パルス信号を測定することにより、思考に応じて何かをするという装置はない。

 ここで、脳波とは、脳波 = 各種細胞で生じる電気パルス信号の総和で、数Hz〜数十Hz
程度の電気信号をいう。(電気パルスではない)
各細胞で生じた電気パルス信号を足し合わせた総和である脳波が、思考に応じて変化するこ
とがわかっている』(以上:思考盗聴の技術サイト)と。

 しかしつぎのようなことは、すでにわかっている。
たとえば外界の刺激に応じて、脳内の反応部分がちがうということ。
たとえば母親が赤ん坊の泣き声を聞いたりすると、ちょうど麻薬を服用したときと同じ分野が反
応するという。
つまり麻薬を服用したときと同じように、甘い陶酔感に襲われるという。

 同じように、美しい音楽を聞いたり、すばらしい絵画を見たときも、それぞれ、ある特定の分
野が反応するという。

(注※……母親の反応)
2008年7月13日は、つぎのように伝える。
『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似た
ような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー
医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した』(以上、時
事通信)と。

 だんだん面白くなってきた。
が、こんな話をつづけて書くと、読者の方の負担になる。
少し話題をそらす。

●橋下市長と入れ墨

 橋下市長が、こう宣言した。
入れ墨のある職員に対して、「分限(免職)もあり得る」※と。

 だったら……というわけでもないが、茶髪もだめ、ついでにプチ整形もだめということになるの
か。
拡大解釈をすれば、そうなる。
というか、いくらでも、拡大解釈できる。

 なぜ入れ墨がだめか……ということになれば、イメージが悪い。
この日本では、入れ墨イコール、暴力団関係者というイメージが焼き付いている。
しかし入れ墨のある人イコール、暴力団関係者ということではない。
反対に、暴力団関係者がみな、入れ墨をしているわけでもない。

 たとえば私の知人は、元NTTの職員。
退職後の現在は、高利貸し金融の取り立て業をしている。
人相が悪いのが、幸い(?)した。
「調査に来ました」とか言って、不良債務者を脅している。

 なおこれに対して、橋下市長は、「私を批判したら、100倍にして返してやる」と息巻いている
(報道)。

橋下市長が、少しずつだが、本性を現し始めた。
私は以前、「橋下市長は、ヒットラーか、ジャンヌダルクか」という原稿を書いた。
(私が「ヒットラー」という言葉を最初に使った。
そのあと自民党の幹部が、その言葉を使い始めた。)
で、現在は、さらに警戒心を強くもつようになった。
ものの言い方が、どこか独裁者的?

●合理性

 外国では、入れ墨は、ファッション。
飛行機のパイロットはもちろん、スチュワーデスでもしている。
だからといって、入れ墨を奨励しているわけではない。
が、私には、入れ墨と、プチ整形の境目が、よくわからない。
あるいはどこがどう違うというのか。

 入れ墨は、視覚的に、色として認識できる。
プチ整形は、視覚的に、形として認識できる。
では、アザはどうなのか。
人相の悪い人はどうなのか。
橋下市長の主張には、合理性がない。
ないばかりか、こう思う。

「市長なら、もっとほかに、やるべきことがあるだろう!」と。
入れ墨にしても、入れ墨がどうのこうのというくらいなら、暴力団と、裏でつながっている人を調
べたらどうか。
もっとも、そんなことを調べたら、ほとんどの公共事業はストップしてしまうだろうが……。

 ……私は、それ以上に、橋下市長の政治姿勢を心配する。
ひとつのことにこだわり始めると、とことんこだわる。
そのこだわりかたが、ふつうではない。
どこか偏執的。

それに今回の発言は、入れ墨を象徴とする暴力団の逆鱗に触れるのでは?
入れ墨問題に介入するということは、暴力団を敵に回すことになる。
(けっして、暴力団を擁護しているのではない。誤解のないように!)
暴力を仕事とするから、暴力団という。

 というか、橋下市長は、じゅうぶん、注意したほうがよい。
勇気ある発言というよりは、無鉄砲(?)。
この日本に、言論の自由があるというのは、幻想にすぎない。
どうでもよい、くだらないことについては、書いたり言ったりする自由はある。
が、一線を越えると、とたんに命すらあぶなくなる。

 実は、私にも経験がある。
ある本を書いたとき、私は3人の男たちに、付け回された。
そういう意味でも、橋下市長は、発言に、もう少し慎重になったほうがよい。
(けっして、暴力団を擁護しているのではない。誤解のないように。)
 
(注※……入れ墨)
『大阪市の橋下徹市長(42)が14日、入れ墨をしている市職員に対し、「分限(免職)もあり得
る」と発言したことで、橋下氏と入れ墨職員のバトルはいよいよ"実戦"の段階に入った。
14日に回答期限を迎えた市の全庁調査では、入れ墨をしている職員が次々に見つかってお
り、「入れ墨職員は100人を超すかも」と市幹部は頭を抱えている。
ただ、橋下氏が免職という最終手段を行使できるかどうかについては疑問の声もある』(Yaho
o・News・2012・05・15より)と。

●脳下垂体

 脳下垂体から、パルス信号のようなものが発せられている。
それはすでに脳科学の世界では、証明された事実と考えてよい。
で、そのパルス信号には、強弱もあり、周期性もある。
興味のある人は、以下の記述をゆっくりと読んでみたらよい。
漢字と横文字を見ただけで、拒絶反応を起こす人は、つぎの部分を、とばしたらよい。

(注+参考資料……脳下垂体の働き)
『GnRHの姿は1977年ノーベル賞受賞者のロジェ・ギルマンとアンドリュー・ウィクター・シャリー
により次の様に明らかにされた。

●神経ホルモンとしてのGnRH

GnRHは特定の神経細胞で産生され、その神経末端から放出される神経ホルモンと考えられ
ている。
視床下部のGnRHの産生の主要エリアは視索前野で、そこに殆どのGnRH分泌ニューロンが含
まれている。
GnRHは正中隆起の高さで門脈血流へ分泌され、性腺刺激ホルモン産生細胞の膜上にある受
容体を活性化させる。
GnRHはタンパク質分解によって数分の内に分解される。

●FSHとLHのコントロール

下垂体ではGnRHはFSHとLHの合成と分泌を刺激し、その過程はGnRHパルスの頻度と強さ、
それからアンドロゲンとエストロゲンのフィードバックである。
GnRH分泌には性差が存在し、男性ではGnRHは一定の頻度で分泌されるのに対し、女性では
月経周期によってその頻度が異なり、排卵前にGnRHが急激に高まる。
GnRHの拍動性は全ての脊椎動物において見られ、正しい生殖機能を確実にするのに不可欠
である。
従って雌ではホルモンであるGnRHが単独で卵胞成長、排卵、黄体の保持という複合した過
程、そして雄では精子形成をコントロールする』。
(以上:ウィキペディア百科事典より)と。

●「性的エネルギー」(Ribido)

その点、心理学のほうの説明は、わかりやすい。
以前書いた原稿の一部を、ここに転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
「性的エネルギー」という言葉を考えたフロイトは、すばらしい。
後にフロイトの弟子のユングは、それを「生的エネルギー」という言葉に置き換える。
どちらであるにせよ、それが生きる原点になっている。

 で、最近の脳科学によれば、そうした原点的な信号が、脳下垂体の下部あたりから発せられ
ていることがわかってきた。
コンピューターのパルス信号のようなものではないかと、私は勝手に想像している。
その信号が、たとえばドーパミン(欲望と快楽を司るホルモン)の分泌を促したりする。
それが生きる原動力となって働く。

さらに今では、私たちが「感情」と称しているものにしても、ホルモン説、つまり脳内ホルモンに
よって引き起こされるという説は、常識である。
つまり脳内ホルモンを軽く考えてはいけない。

 この脳内ホルモンこそが、人間を裏から操る。

●「私」

 少し前、小学生が私にこう聞いた。
「先生は、エロ本を見たことがあるか」と。

私は鼻先で、「フン」と笑って、その場を去った。
が、それが青春。
この時期の子どもに、「君は性欲の奴隷になっているよ」と諭しても意味はない。
理解することさえ、不可能。
ぜったいに不可能。
その子どもは子どもなりに、それが「私」と思い込んでいる。
思い込みながら、つぎつぎと行動を発展させていく。

 恋愛もあるだろう。
結婚もあるだろう。
育児もあるだろう。
その過程で名誉を求めたり、肩書きを求めたりする。
欲望には際限がない。
富や権力を求め、それなりに苦労もするだろう。
そして最後に、こう思う。
「どうだい、私はすばらしいだろう!」と。

●メタ認知能力

 だからといって、「性的エネルギー」にせよ、「生的エネルギー」を否定してはいけない。
それがあるからこそ、人生も、これまた楽しい。
男が女を求め、女が男を求める。
そこから無数のドラマが生まれる。
そのドラマが、楽しい。

 あえて言うなら、できればその間に一線を引く。
(タマネギの皮の私)と、(タマネギの芯の私)の間に、一線を引く。
一線を引き、自分を客観的に見る。
これを「メタ認知能力」と言ってよいかどうかは知らない。
しかしこれこそが、まさに「高次(メタ)な認知能力」ということになる。

 大切なことは、性欲の奴隷であるにせよ、その奴隷のまま性欲に溺れてはいけないというこ
と。
常に自分を客観的に、醒(さ)めた目で見る。
そういう自分を見失ってはいけない。

 私は鼻で「フン」と笑ったとき、そう考えた。

●「精神のメルトダウン」

 また少し前、「精神のメルトダウン」という言葉を知った。
外国の社会学者が、何かの評論の中で使っていた。
「日本人は、精神的にもメルトダウンしている」と。

 ナルホド!

 私に欠けるのは、こうした自由な発想。
造語能力。
実にうまい。
的確。
精神的メルトダウン!

 たしかに日本人は、精神的にメルトダウンしてしまっている。
日本語的に表現すれば、「もの言わぬ従順な民」に、なりさがってしまっている。

 自分で考えない。
自分で行動しない。
自分で責任を取らない。

 その前に、そこにある不正、腐敗、矛盾、不公平、不平等に対しても、声をあげようともしな
い。
「だれかが何とかしてくれるだろう」
「何とかなるだろう」と。

 そしてその返す刀で、「自分だけ、そこそこによければ、それでいい」と、そこにある問題から
逃げてしまう。
まさに精神のメルトダウン。
実にうまい表現。
昨日、その言葉に感心した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●グランドホテルの夕食

 
 話を戻す。

 今夜の料理は、和懐石。
「懐石」というのは、もともとは、「簡素な料理」を意味する。
しかし今では、超豪華。
つぎつぎと料理が並んだ。
おいしかった。
大満足に近い、満足。

 で、結論。
経済的に余裕があるなら、新館のほうで。
(あとで聞いたら、「新館というのは、とくにない」とのこと。
そのつど改装工事はしているとのこと。)

私たちは旧館のほうに、宿泊。
追加料理は、いろいろできる。

●弱音(よわね)

 少し弱音(よわね)を吐く……。

今日も講演をした。
が、終わったとき、ふとこう感じた。
「ぼくの時代も、終わったな」と。
「いろいろやってみたが、ここまで」とも。
このところ(繰り返し感)が強くなった。
自分のしていることが積み重なっていかない。
話を聞きに来てくれた人にしても、数か月もすれば、私のことなど、すっかり忘れるだろう。
名前さえ、記憶に残らない。
そのころ私はまた別のところで話をする。
あとは、その繰り返し。

 が、その私も、もうすぐ65歳。
この年齢まで、無事、こうして生きてこられたことを感謝する。
同時に、「もうそろそろ潮時かな?」とも。

 とは言っても、昨日、高校時代の友人のMY君と、こう約束しあった。
「75歳まで、現役でがんばろう」と。

 その気になれば、不可能ではない。
体力を維持し、気力をみがく。
日々に精進あるのみ。
75歳までがんばれるかどうかは、あくまでもその結果。

 しかしあの田丸謙二先生は、76歳まで、東京理科大学(山口)の理学部長を勤めた。
それを思えば、75歳といっても、けっして不可能な年齢ではない。
私だって、がんばれるはず。

 しかしときどき、自信をなくす。
疲れているせいもある。
こういうときは、気力も、弱くなる。

 もう少ししたら、もう一度、温泉につかってくる。
そのあとは、そのまま就寝。
自分で自分に、「ご苦労さま」。

●5月16日

 まばゆいばかりの朝日。
窓から飛び込んできた、その朝日で、目が覚めた。

 眼下は駿河湾。
左端に崖が見え、その向こうに、富士山が見えた。
日の出直前。
さっそくビデオカメラを回す。

 が、こういうときというのは、ワイフは、無頓着。
朝日を背に、向こう側を向いて眠っている。
私は、こうしてパソコンを立ち上げ、ニュースに目を通す。
真っ先に読んだのが、ギリシャ関連のニュース。

今朝のニュースによれば、ギリシャのEU離脱は、どうやら不可避の状況になってきた。
が、「?」。
明日になると、それがひっくり返る可能性もある。
ちょっとしたきかっけで、黒石が、ゾロゾロと白石に変わる。
まさにオセロゲーム。

 どうであるにせよ、ギリシャの人たちには、きびしい時代が待っている。
EUに残るも地獄。
EUから離脱するのも地獄。

 で、昨日の日本の株価は、73円安の8900円。
EUの株価は、23ユーロ安の、2178ユーロ。
つづくアメリカは、63ドル安の、12632ドル(午前5:51現在)。
経済ニュースのどこかに、「泥沼化」(Bloomberg)という文字が見えた。

●ぼたんインコ

 昨日もそうだった。
今朝もそう。
早く家に帰って、ぼたんインコの、ピッピに会いたい。
今は、息子がめんどうをみてくれているが、息子も忙しい。
おとなしく巣の中で、眠っていてくれればよいのだが……。

 本当に人間によく慣れた鳥で、手の中では、安心しきって眠っている。
ときおり、顔を近づけると、私の顔を、愛くるしそうになめてくれる。
あんな小さな鳥だが、懸命に愛情表現を繰り返す。
そのいじらしさ。
それが、心を癒す。

●証券会社

 世界のことは知らないが、この日本では、証券会社は、ブラック企業に含めてよいのではな
いか(失礼!)。
今回も、株価が暴落する直前は、こう言っていた。
「日本の株価は出遅れ感が強い。夏にかけて1万3000円から1万5000円をねらう展開にな
る」(N証券アナリスト)と。

 が、その直後からの大暴落。
「直後」というのは、その「数日後」という意味。
証券会社の言葉を信じ、大損をした人も多いはず。
最後は一般庶民(素人投資家)にババをつかませ、自分たちは逃げる。
そんな構図が、この日本では、定着してしまった。

 証券会社に責任があるというよりは、制度、さらには意識そのものに原因がある。
アメリカでは、どんな企業でも、投資家の所有物。
投資家の利益を第一に考える。
それを忘れたら、証券会社は、成り立たない。

が、この日本では、企業は銀行の所有物。
「投資家の利益保護」を第一に考えている企業など、どこにもない。
言うなれば、バクチ。
そのバクチの大元締めが、証券会社。

 が、こうした現状は、日本の経済にとっても、たいへん不幸なことである。
こんなことを繰り返していたら、日本人は、ますます証券会社から離れていく。
経済活動は、停滞する。
その結果が今。
いくら日銀が札をばらまいても、最終的にはみな、タンス預金へと化けていく。

 ……たとえばアメリカでは、証券会社が顧客に大きな損失を与えたばあいは、即、捜査の対
象になる。
今朝も、Bloombergは、つぎのように伝える。

『…… 5月15日(ブルームバーグ): 米司法省と米連邦捜査局(FBI)は、JPモルガン・チェー
スで発生した20億ドルのトレーディング損失について刑事捜査に着手した。事情に詳しい関係
者が明らかにした』と。

 が、この日本では、そういう理由で、関係者が投獄されたという話は、聞いたことがない。
あの日債銀事件でも、トップの責任者は、一応逮捕されたが、結局は無罪。
無罪放免。
2兆円という国税をドブに捨てさせながら、無罪放免。
隣の家から、1000円盗んでも、窃盗罪。
4兆円盗んでも、無罪※。
罪名すらつかない。
4兆円という額がどういう額か、ここに数字で書いておく。

 4兆円=4000000000000円。
100万円の札束を1センチの厚さにすると、4兆円は、40キロの高さになる。
(40キロだぞ!)
そんな金を、税金から盗んでも、窃盗罪にもならない。

 私の知人は、その日債銀にいた。
そのあと、子会社のSリースに天下り。
現在の今も、満額の退職金と企業年金を手にし、悠々自適の老後生活を楽しんでいる。

(注※)ウィキペディア百科事典より

『……この売却にあたり、金融再生委員会と預金保険機構は、日本債券信用銀行の債務超過
を穴埋めするため、3兆2,428億円の公的資金投入を行った。
この結果、1998年に投入した600億円を含め、実質的国民負担額は、金融機関の負担する預
金保険料1,714億円を差し引いた3兆1,314億円に上った(公的資金投入額のうち、一時国有化
月時点の不良債権処理費用は3兆1,497億円。
国有化後に発生した損失は931億円とされる)。但し、この数字には瑕疵担保条項によって、
国による不良債権買い上げによって生じる損失は、考慮されていない』

『ちなみに、"日債銀破綻のA級戦犯"と名指しされるも、時効により刑事立件を逃れた頴川史
郎の役員退任時の退職金は約6億円といわれる。
日債銀は損害賠償とは別に、頴川史郎元会長ら旧経営陣16人に対して総額19億円の退職金
の自主的返還も要請した。
全員が返還に合意したものの、これまでの返還額は計約2億5000万円にとどまっている。こう
したなか、2007年3月7日、頴川は死去、享年84』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 アメリカだったら、無期懲役。
都市銀行も含め、日本の金融界はそういう世界と知った上で、つきあえばよい。
あとは、自己責任!

 ……そう言えば、この日本では、「株で損をした」という話を聞いても、だれも同情しない。
「馬鹿だ」と笑われて、おしまい。
だから損をした人は、黙る。
が、証券会社にとっては、これほど都合のよい話はない。
一説によると、(経済誌などによると)、一般投資家(素人)の95%が損をしているという(201
0年現在)。
FX取り引きともなると、今ではロボットが、数百分の1秒単位で取り引きを繰り返している。
(数千分の1秒単位という説もある。)
一般投資家(素人)に勝ち目はない。

●帰宅

さて、今日も始まった。
ワイフも、床から起きてきた。
なお、今週は、オーストラリアの友人がやってくる。
10月には、別の友人がやってくる。

 「7時には帰り支度をしよう」と声をかけると、「うん」と。

 窓からの日差しがますます強くなってきた。
窓は海に向かって、全面に開いている。

 ……たった今、ワイフは、レースのカーテンを閉めながら、こう言った。
「あまり変わらないね」と。
朝日のまぶしさが、あまり変わらないという意味で、そう言った。

●電車の中で

 浜松まで45分。
今回の講演旅行の総括。

 講演のできは、ふつう。
2時間近く、話しつづけた。
みな、最後まで真剣に聞いてくれた。
それを思えば、まずまずといったところか。

 ホテルは、焼津のグランドホテルに泊まった。
料金を勘案するなら、星は4つの★★★★。
団体客が多かったように思う。
火曜日(平日)だったが、かなりの混みよう。
仲居さんたちも、やる気度100%。
キビキビと働いていた。

 朝食はバイキングだったが、ほぼ満足。
メンタイコなど、中級以上の食材が、数多く並んでいた。
意見を求められたので、「満足」に丸をつけておいた。

次回は御殿場。
ホテルは、決めてある。
楽しみ。

 なお反対側の通路に、3人の女性が座っている。
年齢は、40歳前後。
その中の1人が、甲高い声で、しゃべりつづけている。
先ほど軽く注意したが、効果なし。
キャッ、キャッ、ペチャクチャ、ペチャクチャ……。

席はほぼ満席だが、その3人組の声だけが、車内で響き渡っている。
のどかな、それでいて、きわめて日常的な光景。
こうして今日も始まり、やがて終わる。

●心の実験

 心の実験をしてみることにした。
こんな実験。

 先ほど、私はこう思った。
帰りに、ぼたんインコの栄養剤を買って帰ろう、と。
駅から自宅までの間に、一軒、ペットショップがある。
そこで栄養剤を買う。

 が、多分、そのことはやがて忘れてしまうだろう。
意識の奥、つまり無意識の世界にそのまま入ってしまうはず。
雑誌を読んだり、ワイフと話したりしている間に、忘れてしまうはず。
メモ帳か何かにメモでもすれば、覚えているかもしれない。
が、忘れてしまうはず。
またそうでないと、ほかのことが考えられなくなる。

 果たして私は、あのペットショップの近くを通り過ぎるとき、それを思い出すだろうか。
それとも本当に忘れ、そのまま通り過ぎてしまうだろうか。
つまりこれがここでいう「心の実験」である。

●無意識の世界に操られる脳

 人間の心は、常に無意識の世界に操られている。
意識している部分は、脳の中でも、ほんの一部にすぎない。
もし私がペットショップの近くを通り過ぎたとき、栄養剤のことを思い出せば、思い出したという
より、無意識の世界からの命令に従ったということになる。
そうでなければ、そうでない。

 さて、どうなるか?

 ということで……眠い。
少し眠ることにした。

●自宅で……

 電車の中では夢を見た。
バスか何かに乗っていた。
ワイフが、「浜松よ」よ、私を揺り起こした。
私はフラフラと立ち上がった。
電車を出た。
駅を出た。
事務所の前まで歩き、そこで自分の車に乗った。

 で、帰り道、あのペットショップの近くにやってきた。
「ピッピの栄養剤を買って帰るよ」と言うと、ワイフは、車をその店の前に回してくれた。
私は、ショップで、栄養剤を買った……。

 さてそのときのこと。
私は自分の意思で、栄養剤を買ったことになるのか。
それとも無意識の世界からの命令に応じて、買ったことになるのか。

 最近の脳科学では、後者のほうが正しいということになる。
私たちが自分の意思でしていると思っている行動のほとんどは、実はそれ以前に、無意識の
世界で決められている。
私たちはその無意識の世界からあがってくる命令に従い、それを意識としてとらえ、行動する。

 電車を降りたとき、車に乗ったとき、私は、栄養剤のことは、まったく忘れていた。
意識の中に、なかった。
が、ペットショップの近くへやってきたとき、無意識の世界からの命令に従い、「ピッピの栄養剤
を買って帰るよ」と言った。

 ……ということで、実験、終了。
最近の脳科学の進歩は、すごい。
本当に、すごい。
ここまで人間の心がわかるようになった。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 心の実験 無意識の世界 意識とは
 はやし浩司 意識論 意識の中身 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 焼津
グランドホテル はやし浩司 2012−05−16)2012/05/16記


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 13日
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●やる気のある子どもにする(子どもの遊びとの脳科学)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今では脳内の活動を、リアルタイムで、
かつ映像化して見ることができることが
できるようになった。
すごいことだと思う。

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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●講演骨子

(1)教育学、発達心理学、脳科学の融合

 2000年に入ってから、教育学、発達心理学、脳科学の融合が始まった。
とくに脳科学の進歩には、目を見張るものがある。
それまではこれら3つの分野は、それぞれ独自に体系化されていた。
たとえば「子どものやる気」。

     (1)教育学……好子、嫌子
        (オペラント(自発的行動))
     (2)発達心理学……強化の原理、弱化の原理
        (動機付け、達成感)
     (3)脳科学
        辺縁系(扁桃核、帯状回)

(2)脳科学の分野からの説明

 それまでは、観念的に理解されていた、「情緒」についても、脳科学の世界からメスが入るよ
うになった。
たとえば「感情」についても、今では、「感情ホルモン説」が、常識になっている。

     (1)好き・嫌いについて……扁桃核(サルの実験)
     (2)善悪の感覚について……扁桃核(エンドロフィン、エンケファリン)
     (3)オペラント(自発的行動)……操られる脳
     (4)強化の原理……笑いの科学、ほめる科学
     (5)相乗効果……カテコールアミン

(3)子どもの遊び

 遊びにみる、自我の同一性について。
遊びを通し、子どもは、自我の同一性を確立する。
社会性(社会人としての常識、知識、経験)を学ぶ。

 問題点

     (1)「遊び」の質的変化
     (2)半世紀前の子どもと遊び
     (3)現在の子どもの問題点(野生臭の喪失)

(4)やる気のある子どもにする

 やる気のある子どもにするための留意点。

     (1)自我の同一性の確立(自己概念と現実自己の一致)
     (2)自発的行動(オペラント)の育成
     (3)家庭教育の反省(過干渉、溺愛、過保護、価値観の押しつけ)

 あとは、子どもを信ずる。
信じて、子どもを支える。
これからはプロの時代。
旧態依然の職業観を改める。
2012/05/13


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【鳥】(ぼたんインコの"Pippi"、我が家に来る。2012年5月12日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

高校1年の、秋の日のこと。
私は母に文鳥を買ってもらった。
岐阜市へ行ったついでに、小鳥屋に寄り、そこで買ってもらった。

すでに成鳥だった。
籠の中で、じっと私を見つめていた。
賢そうな目つきをしていた。
それでその鳥にした。

それまでにも、スズメの子どもなどは飼ったことはある。
ときどき屋根などから、落ちてきた。
が、スズメは、目が見えるようになったあとだと、人には慣れない。
自分で飛べるようになると、そのまま空へ逃げていった。

……以来、2年間、私とその文鳥は、まさに生活を共にした。
名前を「フレンド」と言った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ぼたんインコ

 2日前(5月12日)、和合町(浜松市の北部)へ行ったとき、ペットショップに寄った。
右側半分が、犬や猫、左側半分が、小鳥などの店になっている。
その小鳥の店の前に立ったとたん、猛烈に小鳥が飼いたくなった。

 見ると、文鳥、インコに混ざって、ぼたんインコや、おかめインコなどの雛が、ひとつの籠に入
っていた。
劣悪な環境である。
が、その中でも、1羽、ひときわ、やせ細った雛がいた。
私を見つけると、ピーピーと鳴きながら、羽(両腕)を上に伸し、手前のほうにやってきた。
それがちょうど、人間の子どものように見えた。
小さな小さな人間の子ども。
背丈は7〜8センチほど。
羽(両腕)を広げ、そこに立っていた。

 名前を聞くと、「ぼたんインコ」とわかった。
とっても、ぼたんインコにも、いろいろな種類がある。
私が選んだのは、体全体が黄色で、クチバシの近くが、明るいオレンジ色のインコ。
ワイフに目で合図を送ると、「しかたないわね」という表情をしてみせた。
私は迷わず、それを買った。
餌と栄養補助剤も、あわせて買った。
小さな籠は、おまけで、つけてくれた。
とたん、目の前が、パーッと華やかになった。

●フレンド

 文鳥のフレンドは、やがて私に慣れた。
いつもいっしょだった。
食事をするときも、勉強するときも、そして寝るときも。
私は毎晩、フレンドを手に抱いて寝た。
今でも、その感触が手に残っている。

それもあって、最初の夜は、そのインコを手に抱いて寝た。
ワイフは、つぶしてしまわないかと、何度も心配した。
が、私には、自信があった。

 小鳥というのは、手に抱いているときは、手と一体化する。
小鳥の肌の温もりを直接感ずることができる。
動けば、すぐわかる。
もちろん熟睡はできない。
……というか、朝起きても、熟睡感はない。

●恐竜の子孫

 鳥の魅力は、第一に、恐竜の子孫であること。
歴史がある。
1億5000万年!
そのころ人間の祖先は、ネズミのような小さな生き物だったという。
一方、人間そのものの歴史は、たかだか20万年。
比較にならない。

 ……というような大げさな話は別にして、哺乳動物を別にすれば、鳥は人間にいちばん近
い。
感情も豊か。
喜怒哀楽の情は、すべてもっている。
もちろん嫉妬もする。
忠誠心も強い。
高校時代に飼ったフレンドにしても、私以外の者には、羽はもちろん体すら触らせなかった。

●名前

 で、今は、……すでに今日で3日目になるが、名前で困っている。
ワイフは、「レモン」がいいという。
私は、「ピッピ」がいいという。
息子に聞くと、そのつど何やら、ゴージャスな名前を口にする。
そこで結論。
それぞれがそれぞれの呼び方で、呼べばいい、と。
そのうち、ひとつになる。

●ピッピ

 今、そのピッピは、私の懐(ふところ)の中にいる。
眠っている。
ぶさいくな顔をしているが、横顔が、どこかあのティラノザウルスに似ている。
ときどき夢でも見るのか、小刻みに、チチ、ピョ、ピピピと鳴く。
上からのぞくと、安心しきった様子。
その様子が、そのまま私にとっては、癒しになる。

 ネットで調べると、寿命は3年から10年とある。
この先、長いつきあいになりそう。
小さな体だが、命の大きさに、大小はない。
長短もない。

●余談

 ところで、小鳥の話とは、まったく関係のないこと。
先の「ピッピ」のところまで書いたところで、筆が止まってしまった。
頭の働きが鈍く、思うように文章が出てこない。
おかめインコなどの鳥の名前さえ、出てこない。
そんな症状がつづいた。

 そこで居間へおりていき、30分のウォーキング+ランニングの運動をした。
そのあと、10分間ほど、庭の木を切った。
かなりの汗をかいた。
で、今、書斎にもどってきて、先に書いた原稿のつづきを書いている。
が、運動をする前と、あと(現在)とでは、キーボードを叩く指の動きそのものがちがう。
文章も、スラスラと出てくる。
……というか、書きたいことが、前に前にと出てくる。

 「やはり脳みその健康のためには、運動は欠かせない」と。
世間の常識を改めて、確認する。

●私と鳥

 私はそういうわけで、鳥が大好き。
鳥を見ているだけで、ほっとするような安堵感を覚える。
で、この入野町(自宅の住所)に住むようになってからも、いろいろな鳥を飼った。

 文鳥、ニワトリ、烏骨鶏(うこっけい)、白鳩などなど。
文鳥は、一時は、20〜30羽近くになった。
白鳩も、15羽近くになった。
が、ヘビや猫に襲われ、どれも全滅。

 それからは部屋の中で飼うようになった。
文鳥も飼った。
インコも飼った。

 高校1年生のときから、そんなわけで、私の周囲にはいつも鳥がいた。
鳥がいなかった期間のほうが、はるかに短い。
だからというわけでもないが、(しかし多分にそうだが)、私は鶏肉が食べられない。
最近は、ときどき食べることもあるが、若いころは、いっさい、食べられなかった。
人間が人肉を食べるようなものではなかったか……というのは、少しおおげさ。
しかしかなり強い抵抗感を覚えた。

●5月14日

 というわけで、この2日間は、ピッピのことで忙しかった。
寝床を作ってやった。
電気あんかを入れてやった。
下に毛布を敷き、それにカイロを張りつけてやった。
が、どうも具合がよくない。
熱くなりすぎたり、反対に暖かくならなかったり……。

 箱だけでも、3箱、作りなおした。
で、結局、最初の日は、寒かったこともあり、エアコンを一晩中つけてやった。
その下に寝床を置いた。

が、昨晩は、やや暖かくなった。
寝床の下にカイロを張りつけ、その上にタオルを3〜4枚、重ねて置いた。
これは結構、うまくいった。
寝る前と、目を覚ましてから、手の中で、30分〜1時間ほど、抱いてやった。
この2日間で、かなり元気になった。
いろいろな鳴き声で鳴く。

 ピッピ、チチ、ピーなど。
今朝からはときどき、ゲーと大きな声を出すようになった。
文鳥は、そういうふうには鳴かない。
鳴き方は、いつも同じ。
その点、インコはおもしろい。
まるで言葉を話しているかのよう。
中には、本当に言葉を覚えるのもいるとか。
楽しみ。

 私の家に、久々に、華やかな花が咲いた。
息子も、昨日は、1日中、ピッピを手の中に抱いていた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ぼたんインコ ぼたんいんこ ピ
ッピ はやし浩司 2012−05−12)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●2003〜04年に書いた原稿

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「鳥」について、どんな原稿を書いたか知りたくなった。
そこで「はやし浩司 鳥」で検索をかけてみた。
1作、見つかった。
そのまま再掲載する。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年3月X日・マガジン見本
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子どもは、人の父

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

(イギリスの詩人・ワーズワース)

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。
原文では、「TheChild is Father of the Man. 」となっている。

この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。

ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。
詩の流れからすると、「その人の人格」ということか。
つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味
が含まれる。

一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。
もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決し
て、幼稚ではない。
子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。
しかも美しい。

人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。
知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。
私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。
一人の子ども(年中男児)が、とてもていねいに絵をかいてくれた。
そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」と書き添えた。

が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。
そこで「どうして泣くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれ
た。
「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
もし人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。
そしてその同じ虹を見て、子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。
そこでこう言った。

「子どもは人の父」と。

私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思
う。



(1)子育てポイント**************************

●子どもとの笑い

 いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。

☆ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。
そこで私が「先生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思った
か、腕組みをして私をにらみつけた。

「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「どうして手をあげないの?」と聞くと、「だ
って、私、先生が好きだもん」と。
マレにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。

☆ 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。
全部で何匹ですか?」と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。
そこで私が電卓を取り出して、「ええと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子ど
もがこう言った。
「あんた、それでも本当に先生?」と。

☆指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。
そこで私が、「どうせ指をしゃぶるなら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。
おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔
をななめにしてしゃぶる)を教えてやった。
するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。

☆私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。
あるとき私に「ジジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。
「もっと悪い言葉を教えてやろうか。
しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いいな」と。
子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。
それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダンシ」と呼ぶようになった。


☆算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四男児)
が、「三角関係!」と。
ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二人で、女が一人の関係だよ」と。
すると別の子どもが、「違うよオ?、女が二人で、男が一人だよオ?」と。
とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始めた。
「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。
「何だ、その歌は」と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ?、遅れてるウ?」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●心を開く

 何でも言いたいことを言い、したいことをする。
悲しいときは悲しいと言う、うれしいときはうれしいと言う。
泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。
自分の心をそのままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。

 昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳くらい)がいきなり私にこう聞いた。
「林君、君のワイフは、君の前で『へ(おなら)』を出すかね?」と。
驚いて私が、「うちの女房はそういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人
たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。

 子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使えない
ほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。

一応はたしなめながらも、一方で、「うちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す
余裕が必要である。
子どもの側からみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」とい
う絶対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。
 
そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。
子どもが心を開いたら、同じように親のほうも心を開く。
それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。
R氏(四五歳)はこう言う。

「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。
親のメンツにこだわって、あれこれ世間体をとりつくろいます。
私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本音が母の心のカベにぶつかって、
そこではね返されてしまいます。
私もさみしいですが、母もかわいそうな人です」と。

 そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めているかとい
うこと。

もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠したり、ウソを
ついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではなく、あなた
自身のことを反省する。
相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心を開いて、相手の心をそのまま受け入れ
なければならない。
またそれでこそ、親子であり、家族ということになる。

 さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。
「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。
が、数日後、女房はそれに答えてこう言った。
「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だと思うわ」と。ま
あ、世の中にはいろいろな考え方がある。



(2)今日の特集  **************************

【虐待】

●虐待にもいろいろ

 一般論として、子どもに虐待を繰りかえす親は、自分自身も、虐待を受けた経験があるとい
われている。
約50%が、そうであるといわれている。

 その虐待は、暴力だけにかぎらない。

 大きく、この(1)暴力的虐待のほか、(2)栄養的虐待、(3)性的虐待、(4)感情的虐待に、
分けられる。
暴力的虐待は、肉体的虐待、言葉の虐待、精神的虐待に分けられる。

 順に考えてみよう。

(1)肉体的虐待……私の調査でも、約50%の親が、何らかの形で、子どもに肉体的な暴力を
バツ(体罰)として与えていることがわかっている。
そしてそのうち、70%の親(全体では35%の親)が、虐待に近い暴力を加えているのがわか
っている。

 日本人は、昔から、子どもへの体罰に甘い国民と言われている。

 「日本人の親で、『(子どもへの)体罰は必要である』と答えている親は、70%。
一方アメリカ人の親で、『体罰は必要である』と答えている親は、10%にすぎない」(村山貞夫)
という調査結果もある。

 体罰はしかたないとしても、たとえば『体罰は尻』ときめておくとよい。
いかなるばあいも、頭に対して、体罰を加えてはいけない。
 
(1?2)言葉の虐待……「あなたはダメな子」式の、人格の「核」に触れるような言葉を、日常的
に子どもにあびせかけることをいう。

 「あなたはバカだ」
 「あなたなんか、何をしてもダメだ」
 「あんたなんか、死んでしまえばいい」など。

 子どもの心は、親がつくる。そして子どもは、長い時間をかけて、親の口グセどおりの子ども
になる。親が「うちの子はグズで……」と思っていると、その子どもは、やがてその通りの子ども
になる。

 しかし言葉の暴力がこわいのは、その子どもの人格の中枢部まで破壊すること。
ある男性(60歳)は、いまだに「お母さんが怒るから」「お母さんが怒るから」と、母親の影にお
びえている。そうなる。

(1?3)精神的虐待……異常な恐怖体験、過酷な試練などを、子どもに与えることをいう。

 ふつうは、無意識のうちに、子どもに与えることが多い。
たとえば子どもの前で、はげしい夫婦喧嘩をして見せるなど。

 子どもの側からみて、恐怖感、心配、焦燥感、絶望感を与えるものが、ここでいう精神
的虐待ということになる。

 子どもの心というのは、絶対的安心感があって、その上で、はじめてはぐくまれる。
その基盤そのものが、ゆらぐことをいう。

(2)栄養的虐待……食事を与えないなどの虐待をいう。
私自身、このタイプの虐待児について接した経験がほとんどないので、ここでのコメントは、割
愛する。

(3)性的虐待……今まで、具体的な事例を見聞きしたことがないので、ここでは割愛する。

(4)感情的虐待……親の不安定な情緒が与える影響が、虐待といえるほどまでに、高じた状
態をいう。
かんしゃくに任せて、子どもを怒鳴りつけるなど。

 『親の情緒不安、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。
少し前だが、こんな事例があった。

 その母親は、交通事故をきっかけに、精神状態がきわめて不安定になってしまった。
しかし悪いときには、悪いことが重なる。
その直後に、実父の他界、実兄の経営する会社の倒産と、不幸なできごとが、たてつづけに、
つづいてしまった。

 その母親は、「交通事故の後遺症だ」とは言ったが、ありとあらゆる体の不調を訴えるように
なった。
そしてほとんど毎日のように病院通いをするようになった。

 その母親のばあいは、とくに息子(小2)を虐待したということはなかった。
しかしやがて子どもは、その不安からか、学校でも、オドオドするようになってしまった。
先生にちょっと注意されただけで、腹痛を訴えたり、ときには、みなの見ているところで、バタン
と倒れてみせたりした。

 このように精神に重大な影響を与える行為を、虐待という。
暴力的虐待も、暴力を通して、子どもの精神に重大な影響を与えるから、虐待という。

 この虐待がつづくと、子どもの精神は、発露する場所を失い、内閉したり、ゆがんだりする。
そしてそれが心のキズ(トラウマ)となって、生涯にわたって、その子どもを苦しめることもある。
(040220)

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以前、つぎのような原稿を書きましたので
送ります。(中日新聞投稿済み)

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●虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。
富士市で幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。
泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。
虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。
その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。
 
カナーという学者は、虐待を次のように定義している。

(1)過度の敵意と冷淡、
(2)完ぺき主義、
(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の
支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。

その結果子どもは、
(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、
(2)強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、
(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を
起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。
「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。
もう一人は女の子でした。
母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の
子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、

(1)親自身が障害をもっている。
(2)子どもが親の重荷になっている。
(3)子どもが親にとって、失望の種になっている。
(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあ
げている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。
わかりやすく言えば、殺す寸前までのことをする。
そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。
学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。
夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。

父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と
脅されている学校の先生もいる。
あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻した
りを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識
を、社会がもつべきである。
そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。
いつか私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。

子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。
「警察……」
という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。
そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

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【付録】

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、
「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五
三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。

虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

(3)************************************

Touch your Heart byはやし浩司(1)

●子どもの巣立ち

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないた
め、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。
いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。

が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。

レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの
息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な
子育てというのも、ない。

それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わっ
てみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子
育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽く
なるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(2)

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は
自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそ
れは可能なのか……? その方法はあるのか……?

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなけれ
ば、死をこわがる理由などない。

一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれが
できれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地
に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(3)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」
と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結
果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを
見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。

『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そ
のあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、
子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命
に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そう
いうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生
からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(4)

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。
「自分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、
そう感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見て
いると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。

先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこ
に死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や
感じ方もそうだ。

私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。
しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れ
のようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育て
をしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流
れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。

そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにい
て、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私に
はそれができない。

しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どもので
きの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛
することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に
施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子ど
もに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、
子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きる
ことにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。

それを知るか知らないかは、その人の問題意識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、
自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわかる。子どもというのは、ただの
子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生きる喜びを教え
てくれる。

いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわたって、伝えてくれる。
つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、ま
さに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身
も神や仏からの使者だと知る。

そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしい
ことはない。


(4)今を考える  **************************

●疑問

 都会に住む子どものばあい、その学年になると、三つや四つの受験は、当たり前。高校
生ではない。中学生でもない。小学生である。

 まだ社会のしくみもよくわからない小学生が、三つも四つも、中学入試を経験する。中
には、五つとか六つとか……そういう子どももいる。

 それでどこかの学校に合格できればよいが、できなかったら、どうする? 親はそれで、
「うちの子は、勉強に向いていない」と、あきらめるだろうか。

 しかし実際には、そうして子どもを受験勉強にかりたてた親ほど、あきらめない。「まだ
何とかなる」「つぎがある」、無理に無理を重ねる。

 しかし少しは、子どもの立場で考えてみたらよい。

 その時点で子どもの心は、ボロボロ。そういった状態になりながらも、なおかつ、親か
ら、「勉強をつづけなさい」と、言われたら、いったい、子どもは、どうすればよいのだ。

 身近でも、中学入試に失敗した子どもがいる。二つの入試で失敗したあと、戦意喪失。
やる気をなくしたのは当然だとしても、このところ、心が荒れ始めた。家の中だけならと
もかくも、そうした「荒れ」が、外の世界でも出てくるようになると、心配。子どもの心
は、一挙に荒廃する。非行に走るようになるのは、もう時間の問題。

 子どもを受験させるのは、親の勝手だが、しかし、失敗したあとのことも、少しは考え
てほしい。

 以前、こんな中学生がいた。ここ一番、というときになると、決まって、それを避けて
しまうのである。自信がないというか、逃げ腰というか。

 そこで私がある日、こう聞いた。「どうしてがんばらないのか?」と。するとその女の子
は、こう言った。「どうせ私、S小学校の入試で落ちたもん」と。

 その女の子は、その六、七年前に小学入試で失敗したことを、そのときもまだ、気にし
ていた。そういう後遺症も残る。

 子どもの勉強をみるとき、親は、子どもの成績しかみないが、もっと大切なことは、子
どものもつ限界を知ることである。あなたがごくふつうの人(失礼!)であるように、子
どもも、またごくふつうの子どもである。

 あなたに限界があるように、子どもにも、限界がある。

 ふつうであることが悪いのではない。ふつうであることは、すばらしいことである。そ
ういう視点で、もう一度、あなたの子どもを、ながめてみる。

 ずいぶん前の話だが、こんなこともあった。

 その子どもは、四歳から五歳にかけて、かなり深刻な心の問題をかかえた。で、それが
何とか収まり、幼稚園へもふつうどおりに通うようになった。ふつうなら(……こういう
いい方は適切ではないのかもしれないが……)、小学入試どころではなかったはずだった。

 しかしその子どもが回復したとたん、(本当は完全に回復したのではなかったが……)、
親は今度は、小学入試に狂奔し始めた。私はそのときほど、「親」が、わからなくなったと
きはない。

 「親って、そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてそういう心理になれるのか
なあ」と思ってみたりした。あるいは、「子どもが病気になったことで、この親は、いった
い、何を学んだのか」と。日本の受験制度は、それ以上に、親の心を狂わせるということ
か。

 もともとその「力」のない子どもに、はじめから不合格がわかっている試験を受けさせ
ることほど、酷なことはない。

 そういう意味でも、子どもの勉強をみるときは、どう伸ばすかということに合わせて、
子どもの限界を知る。あとは、それを受け入れ、謙虚に、それに従う。それは子どもの受
験戦争をみるときの、鉄則でもある。

【付記】

 私は、だからといって、受験勉強を否定しているのではない。大切なことは、子ども自
らが、前向きに勉強するようにもっていくこと。そしてその結果として、子どもが「がん
ばる」と言ったら、それはそれとして、つまり親として、応援する。それは当然のことで
はないか。

 私も、三男が、今のY大学を中退して、M航空大学を受験すると言いだしたとき、こう
言った。「受験するならするで、きちんと予備校へ通え」と。

 三男は、学費も高いこともあって、最初は、それをこばんだ。「自分で勉強するからいい」
と。学費は、半年で、40万円ほどだった。私にも、決して楽な額ではなかった。

 しかし心のどこかで、それは親の義務のように感じた。子どもが前に進むと言ったら、
その前の雑草は、取り除いてやる。しかし子どもが望みもしないのに、雑草を取り除いて
やり、そちらへ進めと、子どもに命令するのは、まちがっている。

 小学受験はもちろんのこと、中学受験くらいのことで、子どもたちがワイワイと話題に
しているのを見たりすると、私は、「これでいいのかなあ?」と思う。まるでゲームの世界
のよう。異常な世界なのだが、その異常さがわからないほど、今の日本の子育ては狂って
いる。

 いつか、その狂いに、日本人が気がつくときが、やってくればよいのだが……。
(040221)

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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        bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
                     
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*※※…※}※**   
                       **++ ※))
                       {※}※※ /
                        ※*… /mQQQm
                      **/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye
                        = | QQ ∩ ∩ QQ
!   m\ ▽ /m
   ?=?
                            ○ ???○
=========================
  どうか、みなさん、お元気で!
===========================

【おまけ】

(注意)万が一、横に広がって読みにくいときは、
一度、ワードなどにコピーしてから、お読みください。
当方の不手際を、お許しください。

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●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のよう
にもなっている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうち
に、疲れてしまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外
で、「そういう生き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている
人がいる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。
高校は大学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方
は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたち
は、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、
そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今とい
う時を、偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二
つのはざまで、一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反
対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれな
い。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。

あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、
どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、
自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子どもたちとて同じ。子どもた
ちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども時
代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を
生きる」ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力
すると言っても、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方
が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうで
はないか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などとい
ったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、
親たちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんば
らなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧
米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息
を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++++++

 ある母親は、息子(中三)が高校受験に失敗した日のこと、私にこう言った。

 「先生、すべてがムダでした。あの子を小さいときから、英語教室や、算数教室に
通わせましたが、結局はムダでした……」と。

 結果だけをみて、人生を判断する人は、そういう考え方をする。日本の仏教そのもの
が、結果を重視する。だから、日本人は、多かれ少なかれ、何かにつけて結果をみて、
ものごとを判断する。そういう傾向が強い。

 しかし結果などというものは、放っておいても、あとから必ずついてくる。その結
果がどうであれ、大切なことは、今を懸命に生きること。あとのことは、あとに任せ
ばよい。あのアインスタインも、こう言っている。

「私は未来のことについては、決して何も考えない。未来はやがてきっとやってくるか
ら」(「語録」)と。

旧約聖書の中にも、こうある。『汝、明日のことを語るなかれ。それは一日の生ずる
ところの如何なるを、知らざればなり』(箴言27?1)と。

 最初の話に、もどる。

 私やあなただって、明日、交通事故か何かで、無残な死に方をするかもしれない。
しかしだからといって、今、懸命に生きている私やあなたが、否定されるわけではな
い。

 もっと身近な例では、事業に失敗したとか、あるいは会社をクビになったからとい
って、その人の人生すべてが、否定されるわけではない。その人が、懸命に生きてき
たという事実までは、だれにも消すことはできない。

 大切なのは、「今」なのだ。どこまでいっても、「今」なのだ。繰りかえすが、今、
どう生きているか、なのだ。結果は、放っておいても、必ず、あとからついてくる。
(030131)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++++

●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 
そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)
 
+++++++++++++++++++++++

++++++++++++++++

知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大
さをなす』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工し
て、外に出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」、B「スパゲティはどう?」、A「いいね。どこの店にする
?」、B「今度できた、角の店はどう?」、A「ああ、あそこか。そう言えば、誰か
もあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、こ
の二人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会
話として外に取り出しているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからとい
って、その園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはな
らない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意
識のうちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、
こんな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはど
うですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を
読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、
『われ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいと
か、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんな
ことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をし
ているの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、
石は土の中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもし
れないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそ
が、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身に
つけさせることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを
犠牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言え
ば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。
頭のよい悪いも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は
こう言っている。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないの
よ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配
する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰
め込み教育」が基本になっている。

さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。つまり日
本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子ど
もをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基
本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わってい
ない。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ
世界の非常識。

ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並び
でない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」
(「コウとうけん」・九八年)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃ
べっているのがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件
に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、
本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が
痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。その
ため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、
考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるとい
うこともある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるように
している。また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えない
ようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モン
テーニュ(フランスの哲学者、一五三三?九二)も、「『考える』という言葉を聞く
が、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。
ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++++

 今、人間は、たいへんな危機的な状況にあると考えてよい。まさに地球そのものが、
亡びるかもしれないという状況である。言うなれば、人間の知的能力が、まさにため
されているときということになる。

 そこでどうだろう、こう考えてみたら。

 つまり人間は、知的生物ではないという前提で、人間を自らながめてみる、と。も
っとはっきり言えば、私たち人間は、自分たちを知的生物と思いこんでいるだけ、と。
そういう前提で、もう一度、私たち自身を、見なおしてみる。

 火星はともかくも、この宇宙には、無数の知的生物がいるとされる。この地球上で、
人間だけが決してゆいいつの生物でないのと同じように、宇宙では、この人間だけが
決して、ゆいいつの知的生物ではない。

 しかも人間というのは、ひょっとしたら、宇宙に住む知的生物たちから見たら、き
わめて原始的な生物かもしれない。そういう視点をもって、もう一度、人間自身をみ
てみる。わかりやすく言えば、私たちのもつ知的レベルに対して、謙虚になるというこ
と。すべては、そこから始まる。

 はからずも、私は昨日、市の動物園へ行ってみた。そしていつも、あのサルの集団
を見ると、考えさせられる。実は、昨日も、そうだった。

 あのサルたちは、絶対に、自分たちは、バカだと思っていない。自分がバカだとわ
かるのは、自分自身がそのつど、はるかに高い視点をもったときである。しかしその
高い視点をもつことができないサルには、それがわからない。

 同じように、ほとんどの人間は、自分がバカだとは思っていない。それがわかるだ
けの高い視点すらもっていない。

 では、どうするか? ……結局は、先のエッセーの中に書いたように、「考える」
こと。すべては、ここへ行き着く。考えて、考え抜く。そうすることで、人間は、ほ
んの数センチかもしれない。数ミリかもしれない。しかしそれでも、ほんの少しだけ、
高い視点から自分を見ることができる。それまでの自分が、バカだったと気づくことが
できる。

 何ともこみいったエッセーになってしまったが、要するに、私たち人間は、実に中
途半端な知的生物であるということ。私は、それが言いたかった。
(040201)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 11日
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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私とは何か

 たとえば腹が減る。
すると私は立ちあがり、台所へでかけ、何かの食べ物をさがす。
カップヌードルか、パンか。

 そのとき、私は自分の意思で動いていると思うが、実際には、空腹という本能に命じられて、
そうしているだけ。
つまり、それは、「私」ではない。

 さらに台所へ行って、何もなければどうする? 
サイフからいくらかのお金を取り出して、近くのコンビニへ向かう。
そしてそこで何かの食物を買う。
これも、私であって、「私」ではない。
だれでも多少形は違うだろうが、そういう状況に置かれた同じような行動をする。

 が、そのとき、お金がなかったどうする? 
私は何かの仕事をして、そのお金を手に入れる。
となると、働くという行為も、これまた必然であって、やはり「私」でないということになる。

 こうして考えていくと、「私」と思っている大部分のものは、実は、「私」ではないことになる。そ
のことは、野山を飛びかうスズメを見ればわかる。

 北海道のスズメも、九州のスズメも、それほど姿や形は違わない。
そしてどこでどう連絡しあっているのか、行動パターンもよく似ている。
違いを見だすほうが、むずかしい。
しかしどのスズメも、それぞれが別の行動をし、別の生活をしている。
スズメにはそういう意識はないだろうが、恐らくスズメも、もし言葉をもっているなら、こう考える
だろう。
「私は私よ」と。

 ……と考えて、もう一度、人間に戻る。そしてこう考える。
私たちは、何をもって、「私」というのか、と。

 街を歩きながら、若い人たちの会話に耳を傾ける。
たまたま今日は日曜日で、広場には楽器をもった人たちが集まっている。
ふと、「場違いなところへきたな」と思うほど、まわりは若さで華やいでいる。

「Aさん、今、どうしてる?」
「ああ、多分、今日、来てくれるわ」
「ああ、そう……」と。

 楽器とアンプをつなぎながら、そんな会話をしている。
しかしそれは言葉という道具を使って、コミュニケーションしているにすぎない。
もっと言えば、スズメがチッチッと鳴きあうのと、それほど、違わない。
本人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」ではない。

 私が私であるためには、私を動かす、その裏にあるものを超えなければならない。
その裏にあるものを、超えたとき、私は私となる。

 ここまで書いて、私はワイフに相談した。
「その裏になるものというのを、どう表現したらいいのかね」と。
本能ではおかしい。潜在意識では、もっとおかしい。
私たちを、その裏から基本的に操っているもの。
それは何か。ワイフは、「さあねエ……。
何か、新しい言葉をつくらないといけないね」と。

 ひとつのヒントが、コンピュータにあった。コンピュータには、OSと呼ばれる部分がある。
「オペレーティングシステム」のことだが、日本語では、「基本ソフト」という。
いわばコンピュータのハードウエアと、その上で動くソフトウエアを総合的に管理するプログラ
ムと考えるとわかりやすい。
コンピュータというのは、いわば、スイッチのかたまりにすぎない。
そのスイッチを機能的に動かすのが、OSということになる。
人間の脳にある神経細胞からのびる無数のシナプスも、このスイッチにたいへんよく似てい
る。

 そこで人間の脳にも、そのスイッチを統合するようなシステムがあるとするなら、「脳のOS」と
表現できる。
つまり私たちは、意識するとしないにかかわらず、その脳のOSに支配され、その範囲で行動
している。
つまりその範囲で行動している間は、「私」ではない。

 では、どうすれば、私は、自分自身の脳のOSを超えることができるか。
その前に、それは可能なのか。可能だとするなら、方法はあるのか。

 たまたま私は、「私」という問題にぶつかってしまったが、この問題は、本当に大きい。
のんびりと山の散歩道を歩いていたら、突然、道をふさぐ、巨大な岩石に行き当たったような
感じだ。
とても今日だけでは、考えられそうもない。このつづきは、一度、頭を冷やしてから考える。
(02−10−27)※

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。スパルタの七賢人の一人
のターレスも、『汝自身を知れ』と言っている。自分を知ることが、哲学の究極の目的というわ
けだ。
ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623〜62)も、『パンセ』の中
で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。別のところでは、「思考が人間の偉大さをなす」
ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。
この言葉は、釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。
精進というのは、「一心に仏道に修行すること。
ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。
釈迦は「死ぬまで精進しろ。
それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。
つまり「私」というのは、その「考える部分」ということになる。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。
そんなある日、一人の事業家がやってきて、あなたの目の前に大金を積んで、こう言ったとす
る。
今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こう言うに
ちがいない。
「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。
そこであなたという政治家が、人間であるためには、考えなければならない。
考えて、脳のOSの外に出なくてはいけない。
そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」と言って、そのお金をつ
き返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こる。
そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はないことになる。
しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」があることにな
る。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。
考えるといっても、あまりにも漠然(ばくぜん)としている。
つかみどころがない。考えというのは、方法をまちがえると、ループ状態に入ってしまう。
同じことを繰り返し考えたりする。いくら考えても、同じことを繰り返し考えるというのであれば、
それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。
そのヒントとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533−92)の『随想録』である。
彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたことがない」
と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。
そのために「書く」ということか。
私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。
もちろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかし
くない。
しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考えることができ
る。
書くことイコール、考えることと言ってもよい。

 「私」が私であるためには、考えること。
そしてその考えるためには、書くこと。
今のところ、それが私の結論ということになるが、昨年(〇一年)、こんなエッセーを書いた。
中日新聞で掲載してもらった、『子どもの世界』(タイトル)で、最後を飾った記事である。
書いたのは、ちょうど一年前だが、ここに書いた気持ちは、今も、まったく変わっていない。

++++++++++++++++++++

〜02年終わりまでだけでも、これだけの
原稿が集まった。

それ以後も、現在に至るまで、たびたび、
私は辺縁系について書いてきた。

最後に、こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

++++++++++++++++++++

 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に
生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というの
である。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジト
ロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)が、こうした機器を使
って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心
身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
扁桃体 辺縁系 扁桃核 心 心の傷)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものやる気論
【子どものやる気論】自発的行動(オペラント)

●ほめる

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子どもは、ほめて伸ばす。

これは家庭教育の大鉄則!



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●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を意味す
る(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単語に由来す
る。



 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。
参観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。



 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それが強
化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。



●脳内ホルモンが脳を活発化させる



 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。
好きなことをしているときには、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それ
が、ニューロンの活動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「した
たかな脳」)。



 このとき大切なことは、得意分野をほめること。
不得意分野や苦手な分野には、目をつぶる。
たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。
すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、伸
び始める。
これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よくみられる現象であ
る。
が、それだけではない。



ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。
こんなことがあった。



●子どもをほめるときは本気で



 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。
腕力もあった。友だちを殴る蹴るは当たり前。
先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出されていた。



 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。
夏休みになる少し前のことだった。
私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにした。



 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。
本心だ。
英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、あなたを思う』というのがある。
あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、そのAさんも、あなたのこといい人だと
思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。



 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子どもを
伸ばす。



●「先生、肩もんでやるよ。」



 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。
私は車の助手席に、K君は、うしろの席にいた。
私は、こう言った。



 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。
おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」と。



 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。
おとなのユーモアもよく理解した。
頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こんなことがあっ
た。



 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。
「どうした?」と聞くと、K君は、少し恥ずかしそうにこう言った。



 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。



 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 子どもの
やる気 子供の集中力 思考力)
(以上、2006年5月記)

+++++++++++++++++++++

もう一作、「やる気」について書いた
原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++

【子どもの中の子ども】

++++++++++++++++++++

子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

++++++++++++++++++++

●乳幼児の記憶

+++++++++++++

子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

+++++++++++++

「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2
000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。
だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシントン大
学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。
現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えら
れると考えられている(新井康允氏ほか)。
しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだ
けということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。
これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考
えるとわかりやすい。

++++++++++++++++

わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

++++++++++++++++

●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわか
ってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、
それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなた
は、その命令に従って、行動しているだけ、という。
詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあるが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活
動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。
すると、その意思決定がされる前に、すでに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさ
い」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気
信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてし
まう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。
さらに「私」とは、何かということになってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。
私は、あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。
そのとき私は、こう思うだろう。
「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をす
る」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけと
いうことになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。
そこで私は、あえて、その「私」に、さからってみることにする。
私の意思とは、反対の行動をしてみる。
が、その「反対の行動をしてみよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。
「自我」には、自我を超えた自我がある。
わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといっ
てもよい。
すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようになる。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいた
とする。
その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲
の支配下でそうしているだけということがわかってくる。
女性だけではない。
男性だって、そうだ。
女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動かす
原動力になることは多い。
もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロール
されている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。
少なくとも、私は、自分の意思で、この原稿を書いていると思っている。
だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだが、参考にしただけ。
大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの
命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。
それがわからなくなってしまう。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。
そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。
それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。
こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。
が、そのサルから扁桃体を切除してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。
これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書
いている。
つまりは、一度、そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。
つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。
そうでなければ、そうでない。
たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。
しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。
よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子どもは、音楽が好きになるかもしれな
い。
反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますますその子どもは、音楽を嫌いになるか
もしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。
反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力
の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。
そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。
ドーパミンにも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。
本人の意思というよりは、その向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうから
である。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。
何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。
楽しませる。
笑わせる。
そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。
その力が芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。
が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。

(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。
が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。
子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。
「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。

(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。
内心では「勉強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。
そのほうが、その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。
あとは少しでも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。
ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。

++++++++++++++++++++

では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

++++++++++++++++++++

● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of 
the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is 
not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲をコントロール
していることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、太った
り、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、コントロール
していることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、脳の各部に発しているのではない
かと、私は考えている。

「生きろ!」「生きろ!」と。

これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、「生的エネルギ
ー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、確認されてい
る。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている組織であ
る。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、それだけ性欲も強
いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、悪の道に
走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に置いたが…
…。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、そのバリ
エーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、なまめかしい女性の
形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、それらが急速に普及し
た背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、それもよく
わかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、まるでちが
う。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモンなどが、
食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。
それに、まずそう?
もう1軒は。
値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、「今、前頭前
野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、適確により分けること
ができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを設置してみたりす
る。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかもしれないが、実
際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 脳科学からみたやる気論 子ど
ものやる気 やる気を引き出す)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司2012/05/13改

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どものやる気論】について(2012/05/13改)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今週、N市で、講演をする。
その原稿が、やっとできた。

……といっても、このまま話すのではない。
当日の雰囲気を見て、前後を入れ替えながら話す。
結論についても、同じ。
当時、主催者の方との話しあいの中で、決める。
私にとって、講演というのは、そういうもの。
原稿通りには、話さない。……話せない。

雰囲気を見ながら、笑いを入れたり、エピソードをふやしたりする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「遊びが子どもの仕事」(中日新聞発表済み) 

「人生で必要な知識はすべて砂場で学んだ」を書いたのはフルグラムだが、それは当たらずと
も、はずれてもいない。
「当たらず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがあ
る。
オーストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。
日本でいう砂場、つまりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。
また「はずれていない」というのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室
の外で身につける。
実はこの私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。
今でいう帰宅拒否の症状もあったのかもしれない。
それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。
けんかのし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。
性教育もそこで学んだ。

 ……もっとも、それがわかるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。
それまでは私の過去はただの過去。
自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。
いわんや、自分という人間が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。
しかしやはり私という人間は、あの寺の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。
縄張りもあったし、いがみあいもあった。
おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離されてい
たということ。
たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。
石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。
相手をつかまえればリンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。
あいさつをして笑いあうような相手ではないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。
目と目であいさつぐらいはした。
つまり寺の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技
場の外で争っても意味がない。
つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのうちに社会で必要なルールを学んでい
た。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。
子どもどうしの上下関係があった。
けんかの強い子どもや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。
そして私たちはそれに従った。
親分、子分の関係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を
出さなかった。

仲間意識もあった。
仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。
しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。
だから今、世界で起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代と
それを結びつけて、簡単に理解することができる。

もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまですんなりとは理解できなかっただろう。
だから私の立場で言えば、こういうことになる。
「私は人生で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものいたずら

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。
パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリッパをひもでつないで、電車ごっこなど。
時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども(小3)がいた。

母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、その実験をして
いるのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。
絵の具を溶かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。
善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをする。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説が
ある。
アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。
で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかま
せた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。
で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってしまった。
この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果がある。
……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。
作文力だけをみたら、小学校の3、4年生以上の力があったと思う。
で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ちゃんのときから、毎日本を読んで、そ
れをテープに録音して、聴かせていました」と。
母親の趣味は、ドライブ。
外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もあ
る。
子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。
その敏しょう性。

一人、ドッジボールの得意な子ども(年長男児)がいた。
その子どもは、とにかくすばしっこかった。
で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。
雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。
子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●笑い(笑いの科学と効能)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。
 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われる
ようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレ
ス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわ
かってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細
胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。
前向きな学習態度も、そこから生まれる。
「なおす」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおっ
てしまう。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもと遊び やる気論 カテコ
ールアミン ほめることの重要性 子どもはほめて伸ばす 子どもは笑わせて伸ばす やる気
と遊び 遊びで生まれるやる気 社会性 はやし浩司 子どものやる気)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ほめることの重要性byはやし浩司

+++++++++++++++++

ほめることの重要性については、
繰り返し書いてきた。
『子どもはほめて伸ばせ』が、私の
持論にもなっている。
あちこちの本の中でも、そう書いた。
このほどその効果が、アカデミック
な立場で、証明された。
その記事を、そのままここに、
記録用として、保存させてもらう。

+++++++++++++++++

++++++++以下、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応
力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。
父親の育児参加も同様の効果があった。
「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。
東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる0
9年まで追跡。
親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。
子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野3
0項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に
比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。
また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす
▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける−−などが社会適応力を
高める傾向があった。

 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の
時点で社会適応力が1.8倍高いことも判明した。
母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなっ
た。

 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られて
いたことを、科学的に明らかにできた。
成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】

++++++++以上、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ほめる ほめる効用 子どもをほめる ほめることの大切さ はやし浩司 
子どもはほめて伸ばす 伸ばせ 子供はほめて伸ばせ)

++++++++++++++++++++

●2007年4月の原稿より

【子どもを伸ばす】

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。
一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜっぺき)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、重
要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。
が、問題は、何がその帯状回を刺激するか、だ。
そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。
ビジネスマンがビジネスをとおして利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例というこ
とになる。
科学者にとっては、名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価というこ
とになるのか。
こう決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言えば、そういうことになる。
こうした自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状回(あくまでも伊藤氏の説に従
えばということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。
人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。
これを私は「絶壁性」と呼んでいる。
つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、人ははじめてやる気を出す。
たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も変わりなく保障されるというような
状態では、やる気は生まれない。
「明日はどうなるかわからない」「来月はどうなるかわからない」という、切羽つまった思いがあ
るから、人はがんばる。
が、それがなければ、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二
つに集約される。
「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。
ただ私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。
とくにインターネットに原稿を載せても、利益はほとんど、ない。
ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自我が原動力になっていることは
まちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。
私のように、まったく保障のワクの外で生きている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろし
い。
明日、病気か事故で倒れれば、それでおしまい。
そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。

毎日、自転車で体を鍛えているのも、そのひとつということになる。
あるいは必要最低限の生活をしながら、余力をいつも未来のためにとっておく。
そういう生活態度も、そういう危機感の中から生まれた。
もしこの絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだろうと思う。

 そこで子どものこと。
子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その我欲の追求性を子どもに自覚
させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。
順に考えてみよう。

(自我の追求)

 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段
階に分けて、子どもを導く。
英語国では、「灯をともして、引き出せ」という。
幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。
この動機づけがうまくいけば、あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をす
れば、『種をまいて、引き出す』の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。
そのためには、『子どもは使えば使うほどいい子』と覚えておくとよい。
多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせること」が、「子どもをか
わいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くするコツ」と考えている。
しかしこれは誤解。まったくの誤解。

 3つ目に、達成感。
「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱっていく原動力となる。
もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)

 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子ど
もは伸びない。
子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。
(しかし危機感をもた
せすぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。
しかし残念ながら、ここま
で飽食とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかしい。
仮に生活の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。
子ど
もの心をコントロールするのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。
E君という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。
そのときのE君は、はたから見ても、かわいそうなくらい緊張したという。
数日前から不眠症になり、当日は朝食もとらず、会場へでかけていった。
で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだったらしい。
それ以後、度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)や、生徒会長
(中学校)、文化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなっていった。
そのときどきは、親としてつらいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に立たせるという
のは、子どもを伸ばすためには大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかということ。
その一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生きがいを決めるのは、帯状回?

 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。
脳のこの部分は、人間が原始動物であったときからあるものらしい。
イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。

その辺縁系の中に、帯状回とか扁桃体と呼ばれるところがある。
最近の研究によれば、どうやら人間の「やる気」に、これらの帯状回や扁桃体が関係している
ことがわかってきた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。
反対にみなの前でけなされたりすると、不快感を覚える。
その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感や不快感を受けて、大脳連合野
の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。

一方、その扁桃体の感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。
やる気があれば、ものごとは前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、何をす
るのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。
たとえば他人にやさしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。
しかし反対に、他人をいじめたり、意地悪したりすると、後味が悪い。
この感覚は、きわめて原始的なもので、つまりは理屈では説明できないような感覚である。
しかしそういう感覚を、人間がまだ原始動物のときからもっていたと考えるのは、進化論から考
えても正しい。
もし人間が、もともと邪悪な感覚をもっていたら、たとえば仲間を殺しても、平気でいられるよう
な感覚をもっていたら、とっくの昔に絶滅していたはずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。
新皮質部というのは、いわゆる知的な活動をする部分である。
たとえば正直に生きたとする。
すると、そのあとすがすがしい気分になる。
このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだが、それを受けて、新皮質部が、「もっと正直に
生きよう」「どうすれば正直に生きられるか」とか考える。
そしてそれをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。
帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の判断を受けて、やる気を引き起こす。
「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そういう前向きな姿勢を生み出す。
そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、思考や行動を活発にしたりする。

●私のばあい

 さて私のこと。
こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるということは、ひょっとしたら、それ
だけ役にたっているということになる。
(中には、「コノヤロー」と怒っている人もいるかもしれないが……。)

さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたりすると、どういうわ
けだか、それがうれしい。
そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳細胞を活発化する。
そしてそれが私のやる気を引き起こす。
そしてそのやる気が、ますますこう
してマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。
が、読者が減ったり、ふえなかったりすると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が
低下する。そしてそれが帯状回の機能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子どものやる
気を考えることができる。
よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほめて伸ばせ」「子どもは前向きに伸ばせ」
というが、なぜそうなのかということは、脳の機能そのものが、そうなっているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。
私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらなければならない」という気持ちが強い。で
は、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。
ここでいう「やる気論」だけでは説明できない。
どこか絶壁に立たされたかのような緊張感がある。
では、その緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす

 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。
このア
ドレナリンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。
そして脳や筋肉により多くの酸素を送りこみ、危急の行動を可能にする。
こうしたストレス反応が過剰になることは、決して好ましいことではない。
そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低下や低体温などの、さまざまの
弊害が現れてくる。
しかし一方で、ほどよいストレスが、全体の機能を高めることも事実で、要は、そのストレスの
内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月5万円を返済
するのと、家を建てるため、毎月5万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで違う。
子どもの成績でいうなら、いつも100点を取っていた子どもが80点を取るのと、いつも50点し
か取れなかった子どもが、80点を取るのとでは、同じ80点でも、子どものよって、感じ方はま
ったく違う。

私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと100人を超えたときのうれしさを忘れることができ
ない一方、450人から445人に減ったときのさみしさも忘れることができない。
100人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。
しかし445人に減ったときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気

 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程度の
緊張感を与える。
しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるような緊張感でなければならな
い。
私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきているように感ずる。
ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。
あるいは交通事故にあうかもしれない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないか
と思う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、前に
進むものか。
そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。
ただパンと水だけを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。
今、こうして自分のマガジンを発行しながら、私はそんなことを考えている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないかと。
よく「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」なのか。
手に生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)がない。あるは
ずもない。

ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。
だから、「私の顔」と言えなくもない。
しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。
あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。
しかしなぜ書くかといえば、それがわからない。
多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。
それはサッカー選手が、サッカーの試合をするのに似ている。
本人は自分の意思で動いていると思っているかもしれないが、実際には、その選手は「私」で
あって「私」でないものに、動かされているだけ? 

同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされているだけ
かもしれない。
となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャックとローズを思
い浮かべてみよう。
彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。
そして数日のうちに、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心をと
らえた。
それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に翻弄(ほんろう)され
ただけかもしれない。
電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意思というよりは、その意思すらも支配する、本能
によって引き起こされたと考えられる。

いや、だいたい男と女の関係は、すべてそうであると考えてよい。
つまりジャックにし
てもローズにしても、「私は私」と思ってそうしたかもしれないが、実はそうではなく、もっと別の
力によって、そのように動かされただけということになる。
このことは、子どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。
この時期は、乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。
この時期をすぎると、子どもは急に生意気になる。
人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子はこういう子だ」という、とらえどころ
ができてくる。
そのころから自意識による記憶も残るようになる。
(それ以前の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。
これは脳の中の、辺縁系にある海馬という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆるふ
つうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。
ここに書いた、貪欲さや闘争心も、それに含まれる。
嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。

子ども、一人ひとりは、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し高い視点か
ら見ると、どの子どもも、それほど変わらない。
ある一定のワクの中で動いている。
もちろん方向性が違うということはある。
ある子どもは、作文で、あるいは別の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲さや闘争
心を、昇華させていく。
反対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらには心をゆがめる子どももいる。
しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうしているにすぎない。

 となると、私は、どうなのか。
私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局はそのハバの中で踊らされているだけな
のか。
もっと言えば、私は私だと思っているが、本当に私は私なのか。
もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。
ムダにした原稿も、もう一〇枚(1600字x10枚)以上になる。
どうやら、私はたいへんな問題にぶつかってしまったようだ。
手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、この問題と取り組んでみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世代間意識

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

対世代間意識について、考えてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●団塊の世代

世代によって、他の世代に対する意識は、大きくちがう。
称して「対世代間意識」。
簡単に言えば、「世代間意識」。

 ……といっても、共通の意識として、確立しているわけではない。
あくまでも大ざっぱな意識。
個人差もあるだろう。
強く意識している人もいるだろうし、まったく意識していない人もいるだろう。
それにこうした意識というのは、「相手」と対峙したとき、輪郭(りんかく)を現す。
それまでは、意識として意識されることは、まず、ない。

たとえば私たち団塊の世代は、「日本の経済を発展させたのは私たち」という意識をもってい
る。
意識的にそう思いながら、生きてきたわけではない。
ただがむしゃらに、働いた。
一社懸命。
企業戦士。
その結果として、日本の経済は、一時は、世界第二位と呼ばれるほどまでに、発展した。

 そういう私たちに向かって、誰かが、「老害論」を口にしたとする。
とたん、先に書いた、世代間意識が顔を出す。
「ちょっと、待て!」と。
つまりそういう前提として、ここに書く、私の「世代間意識」を読んでほしい。

 で、こうした意識は、世代によってちがう。
順に考えてみる。

●尾崎豊世代

私たち団塊の世代(昭和22年〜、1947年〜生まれ)と、その子ども、つまり団塊ジュニアの
間の世代を、私は「尾崎豊世代」と呼んでいる。
尾崎豊が、あの「♪卒業」を歌ったとき、私は大きな衝撃を覚えた。

「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った……」と。

1985年1月21日に、CBSソニーから発売になっている。

 私たちの世代は、「70年安保闘争」(1970年の日米安保反対闘争)を経験している。
中身と言えば、「祭り」。
意味がよくわかっていて、闘争に加わったわけではない。
ただ体をがんじがらめに縛りつけているクサリから、自らを解放したかった。
それが安保闘争に、つながった。

しかしそれでも「反権力」が、大義名分になっていた。
が、尾崎豊は、「反世代」を、「♪卒業」の中に織り込んだ。
「反権力」から、「反世代」へ。

 もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1)団塊の世代
(2)尾崎豊世代
(3)団塊ジュニア世代

●飽食とぜいたく

 が、これは私には、理解しがたいことであった。
というのも、尾崎豊世代といえば、日本のみならず、世界でも類見ないほどの、飽食とぜいたく
を経験した世代である。
彼らが生まれ育った環境は、まさにバブル経済の真っ最中。
生まれるとすぐ、祖父母がやってきた。
もちろん父親も、かけつけた。
それこそ、手をかけられ、時間をかけられ、金をかけられて育てられた。
親というより、社会に対して、感謝して当然の世代。
その世代が、上の世代に対して、反旗を翻(ひるがえ)した。

 ……というふうに、しばらく考えていた。
が、そのうち、尾崎豊世代が、まったく別の考え方をしているのがわかった。
むしろ私たち団塊の世代を、「敵」と考えているのがわかった。
「敵」は、「かたき」と読む。
「バブル経済を食いつぶし、日本を崩壊させた世代」と。

 それがわからなければ、ネットであちこちをサーフィンしてみればよい。
尾崎豊世代が、どのような目で、団塊の世代を見ているか、それを知ればよい。
というのも、こうした意識は、調査しようにも、それ自体が、調査になじまない。
年齢層をしぼり、「あなたは団塊の世代をどう思っていますか?」という調査そのものが、でき
ない。
仮にそういう調査をしても、そこから浮かび上がってくる「回答」そのものに、意味がない。

●窓ガラスを壊す

 あのバブル経済をどうとらえるかによって、意識は、大きく変わる。
ここにも書いたように、180度変わることもある。
が、その前に、幼児期、少年少女期に、どのような環境で生まれ育ったかによっても、大きく変
わる。

 私たちの時代は、たとえば、あの戦後の大混乱期から始まっている。
「ひもじい」という言葉が、消えたことがなかった。
毎日、腹をすかせていた。
私はよく「ボットン便所」という言葉を使う。
この言葉ほど、あの時代の、あの生活を象徴する言葉は、ほかにない。

 が、尾崎豊世代は、ちがう。
木造の校舎は姿を消し、今に見る鉄筋の校舎になった。

風が吹くたびに、天井からダニが雨のように降ってくる校舎を知らない。
急いで走れば、廊下がめくれ、木片が足に突き刺さる校舎を知らない。
気温が下がれば、みなで石炭を運び、ストーブを焚くような校舎を知らない。

 だから平気で(?)、「♪窓ガラス、壊して回った」(「卒業」)となる。
が、私たちの時代には、だれかが窓ガラスを割ったりすると、そこには紙が張られた。
もちろん不注意によるものだが……。
夏場はそれでよいとしても、冬場は、たまらない。
体を縮め、ガタガタと震えた。
「窓ガラスを壊す」という発想そのものが、なかった。

●戦中派世代

 そんな話をある男性(80歳)に話すと、こう言った。
が、その返事は、まったく予想外の、内容だった。
驚いた。
その男性は、こう言った。

 「オレたちだって、そう思っているよ」と。
つまり「私たち団塊の世代を、敵(かたき)と思っているよ」と。

 「バブル世代というのはね、オレたちが命がけで敷いたレールの上で、のうのうと生きてきた
連中だろ。
オレたちの苦労を知らない」と。

 それには、もう一つ、理由がある。
なぜ、80歳の男性、つまり戦中派の人たちが、バブル世代を「敵」とみるか、それには、もう一
つ、理由がある。
「反射的敵意」とでも書くべきか。

つまり私たち団塊の世代は、団塊の世代で、ことあるごとに、戦中派世代を批判してきた。
「バカな戦争をしたから、オレたちは、苦労したのだ」と。
「はじめから、勝てるわけがない。
そんな戦争をあの連中は起こし、日本を最後には、焼け野原にした」と。

 結果的に日本は戦争に負けた。
だからこそ、戦中派世代に対する反感は増大した。
と、同時に、戦中派世代は、口をつぐんだ。

私「どうして、ぼくたちが敵なんですか」
男「だって、お前たちは、戦争を知らないだろ」
私「知らない……」
男「命がけで国を守ったという経験もない連中が、偉そうなこと言うなよ」と。

 で、その男性は、最後にこう言った。

「団塊の世代は、生意気だ」と。

もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1)戦中派世代
(2)団塊の世代
(3)尾崎豊世代
(4)団塊ジュニア世代

●団塊ジュニア世代

 では、団塊ジュニアの世代は、どうか。
それにはすでに明確な答が出されつつある。
私たちの世代以上をさして、「老害」と。

少し前は、「粗大ゴミ」とか、「ジジババ有害論」とかいう言葉も、あった。
が、今は、老害。
老害論が、堂々と論じられている。
若者たちのサイトでは、老人は、「1匹、2匹……」と、「匹単位」で呼ばれている。

 それには理由がある。
これは年金族全体を含めてでの話だが、「老人は社会の富を食いつぶしている」と。
で、その一方で、「老後の親のめんどうをみる」と考える若者が、どんどんと減っている。
20%前後(総理府、内閣府)。
世界でも最低水準。

 その理由について、ある男性(元高校教師、長野県在住)は、こう言った。
「年金制度ですよ。年金制度が原因ですよ」と。

私「どうして?」
男「子どもたちの世代からみるとですね、親父(母)には、年金がある。
だから、めんどうをみなくてもいい。
そうなるんですよ」
私「……親のめんどうと、年金がどう結びつくのですか」
男「つまりね、今の若い人たちは、親のめんどうも、金(マネー)という尺度でしかみていないの
ですよ」
私「ひとりで生活できるなら、それでいいだろ……というわけですか」
男「そうだね。そんなわけで、長野(北信)では、若者はどんどんと去っていきます。
一度去ったら、もう戻ってきませんよ。
私も、娘とは、20年以上も会っていません」と。

 年金?
が、その根底にあるのは、金(マネー)。
金権教に毒された、日本の社会。
日本人。
「親の恩も、遺産しだい」。
それが転じて、「年金」と。

 内閣府(総理府)の調査によれば、若者たちはこう答えている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
が、現実に、経済的に余裕のある若者はいない。
みな、目一杯の生活をしている。

●孤独死、無縁死

 孤独死、無縁死のニュースが、ない日はない。
というか、今では、ニュースにもならない。
そのうちすぐ、約60%の人たちが、孤独死、無縁死を迎えるという。

 ここでいう「老害」という言葉の結果として、そうなる。
私がその子どもなら、つまり自分の親が、孤独死をしたり、無縁死をしたりしたら、罪の意識
で、死ぬまで苦しむだろう。
が、団塊ジュニア世代以下には、それもない。
罪の意識すら、覚えない。

 こんな話を聞いた。

 岐阜県の下呂町と言えば、温泉街。
その温泉街で、40年にわたり独り暮らしをしていた男性がいた。
あるホテルで、飯炊きの仕事をしていた。
その男性が、ある朝、ホテルの従業員が訪ねてみると、死んでいた。
孤独死である。

 そこでその隣人があれこれ調べ、やっとのことで、親戚をさがした。
結果、四国に2人の息子が住んでいることがわかった。
で、電話をすると、こう答えたという。
「私たちは父とは縁を切りました」
「もう親子ではありませんから」と。

 親が息子と縁を切ったのではない。
息子の方が、親と縁を切った。
団塊の私たちには、(私には?)、信じられないような話だが、これも現実。

 だから葬儀は、その隣人と、ホテルでいっしょに働いていた人、数人で執り行ったという。
遺骨は、その町のある寺に無縁仏として葬られたという。

●意識

 意識というのは、かくもちがう。
私のもっている意識と、あなたのもっている意識もちがう。
世代がちがえば、なおさら。
国がちがえば、さらに、ちがう。
時代が変われば、さらにさらに、ちがう。

さて、あなたはどんな意識をもっているだろうか。
ここでは、枝葉を切り落とし、幹だけを書いた。
あくまでも「大ざっぱな話」(冒頭)である。

が、そこで重要なことは、それがどんな意識であれ、
(1)まず相手の意識を認めること。
(2)自分の意識を基準に、ものを考えてはいけないということ。
(3)その上で、それぞれの人に合わせて、ものを考え、自分の意見を述べること。

 言い換えると、私たちがもっている意識というのは、人によって、みな、ちがう。
生まれ育った環境、時代、国によっても、ちがう。
そういう前提で、考える。

●見返り

 どうであるにせよ、対世代間意識というのは、常に若い人たちのほうが、有利。
強い。
古今東西、老人組が若者組に勝ったという、そのためしがない。
体力、気力、知力……どれをとっても、勝ち目はない。
老人組は、ただ静かに去るのみ。

 ただ、こうは思う。
私たちが作ろうとした未来は、こんな未来ではなかった、と。
たとえば先に、私は、私たちの世代は、ひもじさとの戦いだったと書いた。
事実、その通りで、私たちは、いつも腹をすかしていた。
だから背も低い。
私のばあい、両ひざに、大きな骨のこぶを作っている。
これは栄養失調が原因である。

 だから子どもたち(息子たち)には、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
またその一方で、結婚前から、収入の半分は実家へ送った。
経済的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
だから子どもたち(息子たち)には、そういう負担感を味あわせたくなかった。

 が、今は、それが180度、逆転した。
へたにそんな話を子どもたち(息子たち)に話そうものなら、逆に攻撃される。
「見返りを求める方が、おかしい」と。

 これも意識のちがいということになる。
そう言われた私たちといえば、ただ黙るしかない。
反論のしようが、ない。

●最後に

 さて、ここでは(4)の団塊ジュニア世代まで書いた。
つづく(5)の世代は、どのような意識をもつのか。
団塊ジュニア世代のもつ意識と、どのようにちがっていくのか。

 ひとつ言えることは、日本の子どもたちから、野生臭が消えたこと。
ナヨナヨしているというか、おとなしい。
言われたことはするが、それ以上はしない。
昔でいう、ガッツ精神が消えた。
リーダーも消えた。
日本の大学生たちが、就職先としてナンバーワンにあげているのが、公務員というのも、たい
へん気になる※。

これからのテーマのひとつとして、静かに観察してみたい。

(注※……2012年4月入社 就職活動学生の意識調査よると、人気就職先、公務員が2年連
続首位。
知名度・充実した福利厚生など安心できる"堅実"なイメージの企業が上位に。Leggenda)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論
 はやし浩司 意識論 意識とは 団塊の世代 戦中派の意識 団塊ジュニアの意識 はやし
浩司 世代間意識闘争 対世代間意識)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 
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14e4dbbd65_b.jpg" width="800" height="600" alt="dousoukai"></a>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【山荘にて】(はやし浩司 2012−05−12)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

浜松の凧祭りで、真っ黒に日焼けしてきた中学生がいた。
鼻の先は、かさぶたができたように、皮がめくれていた。
目も、真っ赤だった。

「どうして日焼け止めクリームを使わなかったのか!」と叱ると、「使っていた」と。
日焼け止めクリームを使っても、そこまで日焼けする。
自殺行為そのもの。

以前、中日新聞に発表した原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紫外線対策を早急に

 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよ
い。
中には、皮膚が赤むけになるほど、日焼けする子どももいる。
無頓着といえば、無頓着。無頓着すぎる。
国立がんセンターの山本医師も、『海外旅行に行って、肌を焼いているのは、日本人の若者ぐ
らいです。
海外の皮膚がん研究者からは、「いったい日本は、どうなっているのだ?」と質問されることさ
えあります。
専門家にしてみれば、日本の若者がこぞって肌を焼く行為は、自ら命を縮めているに等しい行
為なのです』(日経BP)と述べている。

 紫外線で皮膚が傷つくわけだが、オゾンが10%の割合で減りつづけると、皮膚がんは、2
6%ふえ、紫外線が2%ふえると、皮膚がんは、3%ふえるとういう(UNEP99年)。
実際、オーストラリアでは、1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、
毎年10%ずつふえている。
日光性角皮症や白内障も急増している。
しかも深刻なことに、20代、30代の若者たちの皮膚がんが、急増しているということ。
そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用
の帽子とサングラスの着用を義務づけている。
が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策を講じていない? 信じられない」と。
ちなみに北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

●破壊される環境

日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、1980年には、面積がほとんど0
だったものが、1985年から90年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさになり、2000年には、
それが南極大陸の面積のほぼ2倍にまで拡大しているという。
北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

 さらに2000年に入ってからは、地球温暖化の影響で、成層圏の水分や温度が変化。
極地方には、不気味なピンク色の雲が出現し、02年には、オゾンホールは、とうとうオーストラ
リアのタスマニアまで拡大。
「上空オゾン層はさらに破壊、急拡大している」(NASA)という。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。
しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰する」。
子どもの世界は、先手、先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。
害が具体的に出るようになってからでは、遅い。
たとえばここに書いた紫外線の問題にしても、警報が出たら、外出をひかえる。
過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子、サングラス、長そでのシャツ、長ズボン着用
させる。
サンスクリーンクリームを皮膚に塗るなど、あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
着いたのが、午後11時ごろ。
一息ついたころ、ワイフは、DVDを見始めた。
『幸せの行方』

 が、途中で、ギブアップ。
できすぎというか、テンポがのろかった。
昔の日本映画のよう。

 私はそれよりも、ギリシャの動きのほうが、気になった。
30分ごとに、二転、三転……。
連立政権ができるのか、できないのか……。
そのつどオセロ・ゲームのように、白黒がはげしく反転する。

●ゆるんだゴム

 ギリシャを一言で表現すれば、「ゆるんだゴム」。
ギリシャというより、ギリシャ人。
人心がゆるんでしまった。
漢字では「緩んだ」と書く。

 たいした働きもせず、権利の王国の中で、あぐらをかいてしまった。
が、EU連邦が突きつけた要求は、「財政を切り詰め、もっと働け」。
そうでなくても、景気は最悪。
どん底。
財政を切り詰めるということは、自ら首を絞めるようなもの。

 ……という状態に追い込まれたら、ふつうなら働くしかない。
汗水を流すしかない。
が、そうはいかない。
そうはいかないのが、人心。
平たく言えば、怠(なま)け心。

●退職後

 こうした心は、退職してみると、よくわかる。
(私のばあい、まだ現役で働いているが、それでもよくわかる。)
仕事というのは、一度、離れると、元に戻すのは、たいへん。
むずかしい。
中には、拒絶反応を示す人もいる。
「働くのは、もう、こりごり」と。

 だからこの先、定年退職を迎える人も、こう考えたらよい。
何らかの形で、またどんな形でもよいから、仕事にしがみつく、と。
老後と言っても、平均、20年もある。

「心」だけではない。
「体」もそうなる。
「気力」もそうなる。
「働こう」という気力も、消える。

 で、一度そうなったら、ゴムは、もう元には戻らない。
だからしがみつく。

●つぶし(=転職)

 この日本でも、公務員だった人は、民間企業では、働けない。
……というか、むずかしい。
まれに民間企業で働いている人もいるが、それは例外。
よい例が、教員(学校の先生)。
昔から「教員はつぶし(=転職)がきかない」と言われる。
長い間、公的な機関(=公立学校)で教員をしていると、それ以外の仕事ができなくなる。そう
いう意味で、そう言った。

 「先生だったから……」という理由で、塾の先生くらいはできるだろうと一般の人は考えるかも
しれない。
が、実際には不可能。
私立幼稚園でも、むずかしい。
多くは退職後、園長職で迎えられるが、長続きしない。
このあたり(浜松市)でも、たいてい1〜2年で、再退職していく。

 公務員の天下りがいろいろ問題になっている。
しかし天下り先しか、行くところがないも、これまた事実。

●公務員国家
 
 あまりよいたとえではないかもしれない。
しかし現在のギリシャの状態は、国全体がお役所と考えてよいのでは?
直接には知らないが、あちこちのニュースを総合すると、そんな印象をもつ。
適当に働き、あとは裏通りで、バックギャモンでもしながら遊んで暮らす。
お金は、いくらでも天から降ってくる……。

 ギリシャ人の公務員率は、34%(2008年・ILO)という。
ドイツ、イギリスと、それほどちがわない。
が、なぜ、問題なのかといえば、「高待遇」。
給料が高い。
高い分だけ、負担が大きい。
だから「緊縮せよ」(ドイツ・メルケル首相)と。

 が、そうは簡単にはいかない。
いかないという意味で、日本の例を先に書いてみた。
つまり「ゆるんだゴムは、元には戻らない」。

●ギリシャ危機

 今朝(5月12日)、ギリシャは、さらに混迷の度を増しつつある。
(流れ)からすると、ギリシャは、EUから離脱し、国家破綻するしかない。
いくらカンフル注射を施したとしても、時間の問題。
問題は、そのあと。

 が、ここで大きく意見が、2つに分かれる。

(1)それほど大きな問題にはならず、EUは安定化に向け、収束する。
(2)連鎖反応が起き、ポルトガル、アイルランド、スペイン、イタリアに飛び火する。

 あのリーマンブラザーズのときも、当初、2つの見方があった。
結果的に、連鎖反応が起き、ドミノ倒しのドミノのように、世界が大混乱に陥った。

では、ギリシャはどうか?
EU全体から見れば、経済規模は、2%。
その2%が、世界をどう動かすか。
楽観論、悲観論が、複雑に交錯している。
が、ここでも「ゆるんだゴム」論が登場する。

 ひとりがんばっているのは、ドイツだけ。
あとはみな、ゆるんだゴムのようになっている。
今は何とか、ユーロの威信を前に、世界中から金(マネー)を集め、食いつないでいる。
が、それもいつまでもつか、わからない。
(日本は、おバカだから、一生懸命、貢いでいるが……。)
どこかで小さな力が加われば、ドミノは一気に倒れる。
それがいつ始まっても、おかしくない。

●戦略的国家視点

 日本の「円」のためには、ユーロの暴落は、日本にとっては、好ましい。
中国の「元」の暴落も、好ましい。
相対的に「円」の地位が高くなる。

 札というのは、絵画と同じ。
大量生産できるリトグラフ(石版画)でもよい。
価値が高まれば高まるほど、高く売れる。

 だから日本が、EUとユーロの防衛に手を貸すのは、一時的には日本の利益になるかもしれ
ない。
が、長期的、つまり戦略的に見れば、損。
現に、今、ドル、ユーロ、元、日本……と、日本の円の地位は、さがりつづけている。
またアメリカは、そういった戦略的な視点から、今回もIMFへの出資を見送った。
(日本はおバカだから、600億ドル、つまり5兆円も出資した。2012年4月。)

 その状態で、あとは円を増刷すればよい。
ズルいといえば、ズルい。
しかしそれくらいのことなら、どこの国でもしている。
日本の現状を一言で表現するなら、お人好しのおバカ。
オホホ、オホホ……と、世界の野人たちとつきあっている。

 だから私は、こう言いたい。

「Japan, be ambitious! (日本よ、野性的に生きろ!)」と。

●17・5%?

 が、ここで問題が終わるわけではない。
「つぎは、日本」と言われている。
日本は最後のババを引かされた上、奈落の底に叩き落とされる。

 日本政府は、日本の公務員数は、17・5%(2008年、ILO)と公表している。
が、こんな数字を信ずる日本人は、いない。
日本には、旧三公社五現業から始まる、準公務員がいる。
天下り先となると、数えるのも不可能なほど、多い。
文科省という1省だけでも、2000団体近くもある。
(2000年ごろ、私が調査したところでは、約1750団体。)
もちろんそうした機関で働くのは、公務員ではない。
一応、民間人?

 先日もJR岐阜駅で、トイレに入った。
清掃している女性がいたので、「あなたは公務員ですか」と聞くと、「そうです」と。
(正確には、「公益財団法人清掃公社職員」という。)
つづいて今度は、名鉄の岐阜駅で清掃している人を見かけたので、同じ質問をぶつけてみた。

 名鉄岐阜駅では、名鉄系列の子会社の職員が、清掃業務を行っているということだった。
で、さらに詳しく聞くと、名鉄岐阜駅と、JR岐阜駅の間にある各施設は、3社が分割して行って
いるという。
(残りの1社については、不明。)
距離にすれば、歩いて5分もない。

名鉄岐阜駅の職員は、最後にこう言った。
「私たちの給料は、ほかのところの半分程度です」と(以上、伝聞なので、内容は不正確)。

 こうした現実をさておいて、「日本の公務員数は少ない」は、ない。

 ……今なら、まだ間に合う?
日本がギリシャ化してからでは、遅い。
私は心底、日本の将来を、心配する。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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【モンスタママの子育て狂騒】(3)

七五三の祝いを式場で?(失敗危険度★★★)

●費用は一人二万円

 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でも今では、子どもの七五三の祝い
を、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な
着物を着た女の子(六歳ぐらい)が、中央にすわり、これまた結婚式場のように、列席者がそ
の前に並んでいた。費用は一人二万円くらいだそうだ。レポーターが、やや皮肉をこめた言い
方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その母親はこう言った。「家でするより楽
で、費用もかえって安いのじゃないかしら」と。

●ため息をついた私と女房

 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。私たちは、結婚式すらしてない。と言うよ
り、できなかった。貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだっ
たが)、私が今の女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、
「香港へ行きたい」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでお
しまい。実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。反対
に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけ
でも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも
流れてしまった。さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。

●「何か、おかしいわ」

 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。「何か、おかしいわ」と。つづけて私も言っ
た。「おかしい」と。すると女房がまたこう言った。「私なら、あんな祝い、招待されても行かない
わ」と。私もそれにうなずいた。いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなも
のだったかもしれない。しかしおかしいものは、おかしい。

 子どもを愛するということ。子どもを大切の思うということ。そのことと、こうした祝いを盛大に
するということは、別のことである。こうした祝いをしたからといって、子どもを愛したことにも、
大切にしたことにはならない。しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。むし
ろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。「自分は大切な人間だ」と思う
のは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢心である。その慢心がつのれ
ば、子どもは自分の姿を見失う。こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。

 さらに……。子どもが慢心をもったならもったで、その慢心を維持できればよいが、そうでな
ければ、結局はその子ども自身が、……? この先は、私の伯母のことを書く。

●中途半端な人生

 私の友人の母親は、滋賀の山村で生まれ育った女性だが、気位の高い人だった。自転車屋
の夫と結婚したものの、生涯ただの一度もドライバーさえ握ったことがない。店の窓ガラスさえ
拭いたことがないという。そういう女性がどうこうというのではない。その人はその人だ。が、問
題はなぜその女性がそうであったかということ。その理由の一つが、その女性が育った家庭環
境ではないか。その女性は数一〇〇年つづいた庄屋の長女だった。農家の出身だが、子ども
のころ畑仕事はまったくしなかったという。そういう流れの中で、その女性はそういう女性になっ
た。

●虚栄の世界で

 たとえばその女性は、医師の妻やその町のお金持ちの妻としか交際しなかった。娘と息子が
いたが、医師の娘が日本舞踊を習い始めたりすると、すぐ自分の娘にも日本舞踊を習わせ
た。金持ちの娘が琴を学び始めたりすると、すぐ自分の娘にも琴を習わせた。あとは一事が万
事。

が、結局はそういう見栄の中で、一番苦しんだのはその女性自身ではなかったのか。たしかに
その女性は、親にかわいがられて育ったのだろうが、それが長い目で見てよかったのかどうか
ということになると、それは疑わしい。結局友人の母親は、自転車屋のおかみさんにもなれず、
さりとて上流階級の奥様にもなれず、何とも中途半端なまま、その生涯を終えた。

●子どもはスポイルされるだけ?

 話を戻すが、子どものときから「蝶よ、花よ」と育てられれば、子ども自身がスポイルされる。
ダメになる。それだけの財力と実力がいつまでもともなえば、それでよいが、そういうことは期
待するほうがおかしい。友人の母親のような末路をたどらないとは、だれにも言えない。

 で、その女性にはつづきがある。その女性は死ぬまで、家のしきたりにこだわった。五月の
節句になると、軒下に花飾りをつけた。そして近所に、甘酒を配ったりした。家計は火の車だっ
たが、それでもそういうしきたりはやめなかった。友人から、「ムダな出費がかかってたいへん」
という苦情が届いたこともある。

●子どもというのは皮肉なもの

 子どもというのは不思議なものだ。お金や手間をかければかけるほど、ダメになる。ドラ息子
化する。親は「親に感謝しているはず」と考えるかもしれないが、実際には逆。

 一方、子どもは使えば使うほど、すばらしい子どもになる。苦労がわかる子どもになるから、
やさしくもなる。学習面でも伸びる。もともと勉強には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗
りこえる忍耐力も、そこから生まれる。「子どもを育てる」という面では、そのほうが望ましいこと
は言うまでもない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん?
子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ(失敗危険度★★★★)

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚

 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望
を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のも
のなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこ
の時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と
同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは
満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇
万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子
どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価
であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あ
るいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子
どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあ
なたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲーム
ソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというの
だ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。
「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を
同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがと
う」と。

●この話はどこかおかしい

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖
母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に
並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持
参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労し
た人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあち
ゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ
が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル
にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太
くする。

●モノに固執する国民性

 日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そして
オーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、
友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイ
ル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、
本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな
プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

一方的にものを言わないでほしい!
視野のせまい親たち(失敗危険度★★)

●摩擦はつきもの

 こういう仕事、つまり評論活動をしていると、いつもどこかで摩擦を生ずる。それは評論の宿
命のようなものだ。たとえば以前、「離婚家庭で育った子どもは、離婚率が高い」ということを、
新聞のコラムに書いたことがある。あくまでもそれはコラムの一部であり、そのコラム自体が離
婚問題を考えたものではない。が、その直後から、一〇人近い人からはげしい抗議が届いた。
私は何も離婚を批判したのでも、また離婚が悪いと書いたのでもない。ただの統計上の事実
を書いた。それに離婚が離婚として問題になるのは、離婚にまつわる家庭騒動であって、離婚
そのものではない。この騒動が子どもの心に影響を与える。

 が、そういう人たちにはそれがわからない。「離婚家庭でもがんばっている子どもがいる」「離
婚者に対する偏見だ」「離婚家庭で育った子どもは幸福になれないということか」など。こうした
コラムを不愉快に思う気持ちはわからないでもないが、どこかピントがズレている。ほかにも似
たような事件があった。

●「一方的にものを言わないでほしい」

 同じく本の中で、「公務員はヒマをもてあましている」というようなことを書いた。これはお役所
の外では、常識と言ってもよい。その常識的な意見を書いた。が、それについても、「私の夫は
毎朝六時に起きて……」と、長々と、数ページにもわかって、その夫の生活をことこまかに書い
てきた人がいた。そして最後に、「私の夫のようにがんばっている公務員も多いから、一方的
にものを言わないでほしい」と。さらにこんなことも。

●いじめられる側にも問題

 二〇年ほど前から、いじめが大きく話題になり始めた。その前は校則が話題になったが、と
もかくもそのいじめが話題になった。私も地元のNHKテレビに二度ほどかりだされて意見を述
べることになったが、そのときのこと。そのいじめを調べていくうちに、当時、いくつかの「おや
っ」と思うような事実に出くわした。もちろんいじめは悪い。許されないことだが、しかしいじめら
れる側にも、まったく問題がないというわけではない。もっともその問題というのは、子ども自身
の問題というよりは、育て方の問題といってもよい。

 いじめられっ子のひとつの特徴は、社会性のなさ。乳幼児のときから親子だけのマンツーマ
ンだけの環境で育てられていて、問題を解決するための技法を身につけていないということが
ある。いじめられても、いじめられっぱなし。やり返すことができない。たとえばブランコを横取
りされても、それに抗議することができない、など。そこで私は「家庭環境にも問題があるので
は」と言った。が、これがよくなかった。その直後から猛烈な抗議の嵐。ものすごいものだった。
(テレビの反響は、新聞や雑誌の比ではない!)「あなたは評論家として、即刻筆を折れ!」と
いうのまであった。

●個人攻撃をしているのではない!

 こうした抗議は、評論活動にはつきもの。いちいちそれで滅入っていては、評論などできな
い。しかしどうしてこうも、こういう人たちは近視眼的なのだろうかと思う。私は全体として、もの
の本質を問題にしているのであって、決して個人攻撃をしているわけではない。いじめにして
も、私はいまだけって一度もそれを是認したことはない。が、こういう人たちは、文の一部に集
中的にスポットをあて、あたかも自分が攻撃されたかのように思うらしい。学校の先生とて、例
外ではない。親たちの執拗な抗議を受けて、精神を病んだり、転校をさせられた先生は少なく
ない。こんなことも……。

●学校の先生もたいへん!

 まだバブル経済、はなやかりしころのこと。ある学校のある先生が、たまたま仕事を手伝い
にきていた一人の母親に、ふとこう口をすべらせてしまった。「塾へ、四つも五つも行かせてい
るバカな親がいる」と。その先生は「バカ」という言葉を使ってしまった。これがまずかった。当
時(今でもそうだが)、子どもを塾へ四つや五つ行かせている親は珍しくなかった。水泳教室、
音楽教室、算数教室、英語教室と。しかしその話は一夜のうちに、父母全員にいきわたってし
まった。そして「Aさんがバカと言われた」「いや、これはBさんのことだ」となってしまった。結局
この問題は教育委員会レベルの問題にまで発展し、その先生は任期半ばで、その学校を去る
ことになってしまった。

 視野が狭くなればなるほど、結局は自分の姿が見えなくなる。そして自分の姿を見失えば見
失うほど、その人は愚かになる。これも子育てでハマりやすいワナの一つということになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

あなたのご主人は、どちらの大学ですか?
学歴に興奮する親たち(失敗危険度★★★★)

●おもしろい習性(失礼!)

 親というのは、自分で自分の子どもをバカと呼ぶのは平気だが、しかし他人に言われるのを
許さない。それはそうだが、それと同じように、自分の子どもが評価される場に落とされると、
独特の心理状態になる。動物的な嫉妬心や闘争心が刺激されるらしい。

その一つ、親、とくに母親は、学歴の話になると、興奮状態になる。これは親が共通してもつ習
性(?)ではないか。夫の学歴、自分の学歴、さらに子どもの学歴となると、興奮状態になる。
なぜそうなのかということは、別として、これをうまく利用して、金儲けにつなげている人たちが
いる。いわゆる受験屋と呼ばれる人たちである。

●ある教育機器メーカーの戦略

 ある教育機器メーカーの説明会でのこと。私も興味があったので、招待状をもって、その会
にでかけた。予定では九時三〇分に始まるということだったが、行ってきると、黒板に、「一〇
時から」と書いてあった。そこでしばらく待っていると、うしろのほうからヒソヒソ話が聞こえてき
た。サクラである。主催者の教育機器メーカーが送り込んだサクラである。

耳を傾けると、「あなたのご主人は、どちらの大学ですか?」「あなたのお子さんは、将来、公
立、それとも私立?」と。とたん、会場の中におかしな緊張感が漂い始めた。しかしそれこそま
さに、その会社のねらいである。サクラが、「あの中学はむずかしいそうよ」「進学塾では役に
たたないそうよ」と言い出した……。

●親たちは興奮状態に!

 それに拍車をかけるように、一〇時からの説明会では、まずビデオが映し出された。N研とい
う東京の進学塾が制作したビデオだが、子どもの受験勉強の様子、受験会場に行く様子、受
験しているときの様子、そして合否発表の様子がつぎつぎと映し出された。意味のないビデオ
だが、しかし合否発表のところでは、受験に落ちて、泣き崩れる母親や子どもの姿が、これで
もかこれでもかとつづいた。時間にすれば、約一〇分間程度だったが、会場がますます異様な
雰囲気になるのがわかった。しかしそれこそがまさにその会社のねらいでもあった。

 やがてその会社の教育機器の説明会が始まり、それが終わると同時に、ワンセット二四万
円もする教材が、飛ぶように売れていた。驚いたというより、それはあきれんばかりの光景だっ
た。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

近所に人に息子の制服をみられたくナ〜イ!
見え、メンツ、世間体(失敗危険度★★★★★)

●家庭教育の元凶

 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆがめる。
裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解消する。

まず(1)見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がいた。「だ
からどうしてもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見えにこだわると、親
も苦しむが、それ以上に、子どもも苦しむ。
 
つぎに(2)メンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、一度も
顔を出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、毎朝、自動車で
送り迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」というのが、その理由だ
った。また駅の近くの親戚の家で、毎朝、制服に着がえてから、通学していた子どももいた。
が、こういう姿勢は子どもの自尊心を傷つける。
 
最後に(3)世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうようになる。「ど
うしてもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。私が「無理だと思い
ますが」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったという形を作っておきたいのです」
と。不登校児になった子どもを、親戚の叔父に預けてしまった親すらいた。こうした親は何とか
「形」だけは整えようとするわけだが、ここから多くの悲喜劇が生まれる。私のような立場の人
間が、「世間は、あなたのことを、そんなに気にしていませんよ」と言っても、ムダ。このタイプの
親は、世界は自分を中心にして回っているかのように錯覚している。あるいは世界中が自分に
注目しているようかのように錯覚している。

●「しかたないので、C中学にしました」

 見えやメンツ、それに世間体を気にするということは、結局は自分を飾るということ。そういう
親には共通点がある。自分の周囲をウソで塗りかためる。たとえば……。

「私はどこの中学でもいいと思っているのですが、息子がどうしてもA中学と言いますので、先
生、息子の願いをかなえてあげてください」と。そこでその息子にそれとなく聞くと、「ぼくはどこ
でもいいけど、ママがそうしてもA中学にしろと言ってうるさい」と。あるいは「学校の先生はB中
学でも合格できると言っているのですが、息子はどうしてもC中学のほうがいいと言って私の言
うことを聞きません。しかたないので、C中学にしました」と。このときも息子に聞くと、「先生がB
中学は無理だと言ったので、C中学にした」と。さらにこんな例もある。
 
Tさん親子の間には、息子が中学生になるころから、会話という会話はほとんどなかった。食
事も別々、廊下ですれ違っても目をそむけあう。どんな会話をしても、すべて一触即発。そんな
関係であるにもかかわらず、Tさん(四五歳女性)は、ことあるごとにその息子が東京のT理科
大学に入学したことを自慢していた。「猛勉強をしてくれたおかげで、T理科大学に入ってくれま
してね」と。Tさんの家の居間には、息子の卒業証書が高々とかかげられている。もちろん息子
はほとんど家には帰っていないのだが……。

●私は私、人は人という人生観

 他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は「自分」を犠牲にすることになる。が、これほど
つまらない人生もない。自分の人生をドブへ捨てるようなもの。しかしそれは同時に、他人の目
から見ても、それほど見苦しい人生はない。笑うとか笑われるとかいうことになれば、そのほう
が笑われる。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。

 この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」とい
う、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観というのはそういうも
ので、一朝一夕には確立できない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

でも、あの子はD小学校ですって!
ブランドにこだわる親たち(失敗危険度★★★)

●テーマはブランド

 参観日のあと、母親たちが校門の内側に立ってワイワイと話し合っている。教育の話かとお
もいきや、そうではなかった。一人の母親がもっていたブランドのバッグについてだった。「どこ
で買ったの?」「わあ、ステキ!」「いくらだった?」「あら、いいわネ〜。私もこんなほしいわ」「あ
ら、あなたのも、ステキじゃない」と。

●人間の思考回路

 人間には思考回路というのがある。人というのは、一度自分の頭の中にその思考回路をつく
ると、その思考回路にそって、ものを考えたり、行動したりするようになる。脳の神経細胞のシ
ナプス(神経細胞の接合部)※が、そのようにできあがったためと私は勝手に考えている。たと
えば暴力団の男たちは、何か問題が起きると、暴力を使ってそれを解決しようとする。私のよ
うなモノ書きは、何か問題がおきると、文を書いてそれを解決しようとする。それが思考回路で
ある。

●ブランドで選ぶ幼稚園

 同じように、ブランドにこだわる親というのは、そのときどきにおいて、ブランドにこだわるよう
になる。そのほうが本人も楽ということもある。で、一度その思考回路ができあがると、その思
考回路からはずれたことをするのは容易なことではない。それはそれとして、このタイプの親
は、子どもの教育でもまた、ブランドを重視する。幼稚園でも、学校でも、ブランドで選ぶなど。
中身ではない。あくまでもブランドだ。それはもう信仰のようなもの。理由など必要ない。ブラン
ドのある幼稚園や学校なら、安心し、そうでなければ不安になる。そしてその返す刀で、(子ど
もの中身が変わったわけではないのに)、それ以外の幼稚園や学校へ通っている子どもを
「下」にみる。「うちの子はA小学校よ。でも、あの子はD小学校ですって」と。

●しかし失敗も多い

 が、いつもいつもうまくいくとは限らない。このタイプの親は、反対に自分の子どもが、その
「下」に落とされると、奇怪な行動をとり始める。毎朝、車で自分の息子を送り迎えしていた母
親がいた。息子の学校の制服を近所の人に見られると恥ずかしいというのが、その理由だっ
た。もう一〇年も前のことだが、毎朝、学校の制服を、駅前の喫茶店で着替えさせていた親す
らいた。プライドをキズつけられると、親はそこまでする。こうした親の心理を理解できないわけ
ではないが、その結末はいつもおかしい。そして悲しい。

※……人の大脳には、一〇〇億の神経細胞があると考えられ、その一個ずつの神経細胞
に、約一〇万個のシナプスがあると考えられている。すると大脳全体で、一〇の一五乗のシナ
プスがあることになり、その数はDNAの遺伝子情報の一〇の九乗〜一〇乗を超えることにな
る(新井康允氏)。人間の思考が、DNAの設計図の外にあることがこれでわかる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

A中学では、うちの子は不幸になります!
占いにこる親たち(失敗危険度★★★★)

●かわいそうな人たち

 占いや運勢にこる人というのは、自分で考えることのできない、かわいそうな人とみてよい。
一見、人間は知的な生き物に見えるが、イヌやサルと、それほど違わない。「思考」ということ
になると、「思考していない人」のほうが、「思考している人」より、はるかに多い。

 だいたいにおいて、他人の運命が読み取れるような人が、駅前の路地や喫茶店、さらにはデ
パートの通路などで、若い女性を相手に占いなどするだろか。自分で自分を占い、お金をどん
と儲けて、豪邸で遊んで暮らせばよい。自分で自分を占うことはできないというのなら、仲間の
占い師にみてもらえばよい。ああいったものは、一〇〇%インチキ。そう断言して、まちがいな
い。

●私も預言者?

 ただ私は、数一〇分も子どもと接すると、その子どもの能力や性質、さらには問題点やこれ
から先その子どもがそうなり、どういう問題を引き起こすかが手にとるようにわかる。しかしこれ
は超能力のようなものではなく、経験だ。三〇年も毎日子どもをみていると、そういうことができ
るようになる。しかし私は、たとえわかっていても、それは言わない。親に頼まれても言わない。
万が一、まちがっていたら……という迷いがあるからだ。それに治療法も用意しないで、診断
名だけをくだすのは、良心のある人間のすることではない。が、そういった連中は、平気で、相
手の運命を、あたかも知り尽くしたかのように口にする。

先日もテレビを見ていたら、『浄霊』と称して、若い娘にこう言っていたインチキ霊媒師がいた。
「あなたの体に乗り移っている悪霊は悪質です。ほうっておくと、あなたの命すらあぶない」(〇
二年四月)と。こういうことを平気で口にすることができる人は、人格そのものが崩壊した人と
みてよい。

●子どもの教育も占いで……

 若い女性ならまだしも、母親の中にも、いくらでもいる。そして子どもの教育すら、そういう占
いや運勢に頼っている……! こういう親を前にすると、会話そのものがかみ合わない。

 「先生、A中学と、B中学の件ですが、私は息子をB中学へ入れたいのですが……」
 「どうしてA中学ではだめなのですか? 距離も近いでしょう」
 「それが先週、うちの主人がG神社で占ってもらったら、A中学では、子どもが不幸になるとい
うのです」
 「不幸って?」
 「いじめにあったりして、結局は転校することになるって。そういう結果が出ました」と。

 そういうとき、私の頭の中では、私の思考回路がショートを起こす。バチバチと火花が飛び散
る。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

立派な社会人になれ!
いい学校から、いい家庭へ(失敗危険度★★★★)

●いい家庭を!

 「いい学校」を口にする親はいても、「いい家庭」を口にする親は少ない。「いい学校」を誇る
親はいても、「いい家庭」を誇る親は少ない。日本人は伝統的に、仕事第一主義。学歴第一主
義。もっと言えば出世第一主義。しかしその陰で犠牲にしているものも多い。その一つが、「家
庭」であり「家族」。そのよい例が、単身赴任。私が学生時代には、「短期出張」と言った。商社
のばあい、六か月以内の短期出張は、単身赴任が原則。しかし六か月で短気出張が終わると
はかぎらない。いわゆる出張のハシゴというので、一度外国へ出ると、数年は日本へ帰ってこ
られなかった。

それについて、ある日オーストラリアの教授がこう聞いた。「日本には短期出張について、法的
規制はないのか」と。そこで私が「ない」と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラ
バラにされて何が仕事か」と騒いだ。日本の常識は、決して世界の常識ではない。が、こんな
家族もある。

●すばらしい家族

 その娘の一人が、やや重い精神病をわずらった。しかし親は、それをすなおに受け入れた。
そして家族が力を合わせてその娘を支えることにした。娘は学校へは行かなかったが、母親
は娘にあれこれ経験させることだけは忘れなかった。その中の一つが、絵画。娘はその絵画
をとおして、やがてろうけつ染に興味をもつようになった。で、中学二年生のときに、市内で個
展を開くまでになった。こういう家族をすばらしい家族という。

●親子関係を破壊する子育て

 一方、こんな親は多い。子どもの受験勉強で無理に無理を重ねて、親子関係そのものを破
壊してしまうような親だ。その日のノルマがやっていないと、その父親は、子どもを真夜中でも
ふとんの中から引きずり出してそれをさせていた。私が「何もそこまで……」と言うと、その親は
こう言った。「いえ、私は嫌われてもかまいません。息子さえいい中学へ入ってくれれば。息子
もそれで私を許してくれるでしょう」と。

このタイプの親の頭の中には、「いい家族」はない。脳のCPU(中央演算装置)そのものがズレ
ているから、私のような意見そのものが理解できない。それはちょうど映画『マトリックス』に出
てくるような世界のようなもの。現実と仮想世界が入れかわり、仮想世界に住みながら、そこが
仮想世界だとすら気がつかない。本来大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを
大切だと思い込んでしまう。

●友だちの数が財産

 少し前、アメリカ人の友人だが、私にこう言った。「ヒロシ、一番大切なのは、友だちだよ。友
だちの数こそが財産だよ」と。彼のこの言葉を借りるなら、「一番大切なのは、家族だよ。家族
のきずなこそ財産だよ」ということになる。

欧米が何でもよいわけではないが、欧米と日本とでは、家族に対する考え方そのものが違う。
たとえばオーストラリアでは、学校の先生も親も、子どもには、「よき家庭人になれ」と教える。
「よい市民になれ」と言うときもある。カナダでもアメリカでもそうだ。フランスでもドイツでもそう
だ。しかしこの日本では、「社会で役にたつ人」、あるいは「立派な社会人」が教育の柱になって
いる。「社会」という言葉は、「全体」という言葉の代名詞と考えてよい。この違いが積もりに積も
って、日本の単身赴任になり、それに驚いたオーストラリアの学生になった。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子は、まだ何とかなる!
あきらめは悟りの境地(失敗危険度★★★)

●子育てはあきらめの連続

 親の欲望には際限がない。子どもができなければできないで悩むが、少しでもできるようにな
ると、「もっと……」と考える。たとえば中学への進学。「せめてC中学、それが無理ならD中学」
と言っていた親でも、子どもがC中学へ入れそうだとわかってくると、今度は「B中学」と言い出
す。しかしこういう親はまだラッキーなほうだ。中には、D中学、E中学と、どんどんと志望校をさ
げていかなければならないときがある。しかし一度こういう状態になると、あとは何をしても空回
り。親があせればあせるほど、子どもの力は落ちていく。「そんなはずはない」「まだ何とかな
る」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路に入る。そしてやがてにっちもさっちもいかな
くなる。

 要するにどこであきらめるかだが、受験にかぎらず、子育てをしていて、あきらめることを恐
れてはいけない。子育てはまさに、あきらめの連続。またあきらめることにより、その先に道が
開ける。しかもその時期は早ければ早いほどよい。もともと子育てというのはそういうもの。

●自分で失敗するしかない

 ……と言っても、これは簡単なことではない。どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うの
は適切でないかもしれないが)とはっきりとわかるまで、自分が失敗するとは思っていない。「う
ちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。また行きつく
ところまで行かないと気がつかない。

 子どもの限界にできるだけはやく気づくこと。それがわかれば親も納得し、その段階であきら
める。そこで一つの方法だが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならでき
るか」「自分ならどうするか」という視点で考える。あるいは「自分が子どものときはどうだった
か」と考えるのもよい。子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。たとえば子どもに向か
って、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分ならできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。

●あなたなら耐えられるか?

 もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。「あ
なたの料理のし方、七六点。接客態度、五四点。家計簿のつけ方、八〇点。主婦としての偏差
値四五点。あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入四○○万円程度の男」と。ま
たそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ!」「何だ、この点数は!」とあなたを
叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるだろうか。子どもが置かれた立場というのは、それに
近い。

●親は身勝手?

 親というのは身勝手なものだ。子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を
読んでいる親は少ない。子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親
は少ない。そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。そしてここが子育ての不思議なところだ
が、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。親子のきずながその時点からまた太くなり
始める。もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめて
みてほしい。それで道は開ける。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

字がヘタだから、書道に!
悪筆、言ってなおらず(失敗危険度★)

●年長児でわかる悪筆

 年長児くらいになると、子どもの悪筆が目立ってくる。小学校へ入ると、さらにそれがはっきり
とわかるようになる。手の運筆能力が固定化してくるためと考えられる。その運筆能力は、子
どもに丸(○)を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、きれいな、つまりスムーズ
な丸を描くことができる。そうでない子どもは、多角形に近いぎこちない丸を描く。

 ちなみに縦線を描くときと横線を描くときは、指、手、手首の動きは基本的に違う。違うことは
一度、自分で縦線と横線を描き、それらがどう変化するかを観察してみるとわかる。さらに丸を
描くときは、これからがきわめて複雑な動きをするのがわかる。つまりきれいな丸を描くという
のは、それだけたいへんということ。

●書道教室へ行けばうまくなる?

 悪筆が目立ってくると、親はすぐ、「書道教室へ」と考えるが、これは誤解。運筆能力のない
子どもでも、書道をならわせると、見た目にはきれいな文字を書くようになる。が、今度は時間
ばかりかかるようになる。学校の授業でも、先生が黒板に文字を書く速さについていけないな
ど。以前、M君(小二)という男の子がいた。文字はきれいだが、とにかく遅い。皆が書き終わ
っても、まだノロノロと書いている。そこである日、私はきつく注意した。「はやく書きなさい!」
と。とたんM君ははやく書くようになったが、私はその文字を見て驚いた。文字がめちゃめちゃ
なんていうものではなかった。しかしそれがM君の本来の文字だったのだ。

●運筆能力はぬり絵で

 運筆能力を養うためには、ぬり絵がよい。ぬり絵をしながら、子どもは運筆能力を養う。ぬり
絵をしながら子どもは、こまかい四角や丸い部分を、いろいろな線を使って塗りつぶそうとす
る。そうなればしめたもの。(ぬり絵になれていない子どもは、横線なら横線ばかりで色を塗ろ
うとするから、線があちこち飛び出したりする。)文字の学習に先立って、子どもにはぬり絵をさ
せる。あとあと文字がきれいに書けるようになる。

 なおクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは三本の指でつかむようにしてもつ。
鉛筆は、親指と人さし指でつかみ、中指でうしろから支えるようにしてもつ。(だからといってそ
れが正しいもち方と決めてかかってもいけないが……。)鉛筆を使い始めたら、一度正しいもち
方を教えるとよい。ちなみに年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは約五〇%。クレヨンをもつ
ようにしてもつ子どもが、三〇%。残りの二〇%は、きわめて変則的なもち方をするのがわか
っている(筆者調査)。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

ああ、運動をつづけてよかった
ふつうこそ最善(失敗危険度★★★)

●なくしてから気づく

 ふつうであることにはすばらしい価値が隠されている。賢明な人はその価値をなくす前に気づ
き、そうでない人はそれをなくしてはじめて気づく。健康しかり、家族しかり、そして子どものよさ
もまたしかり。

 私は三人の息子のうち、二人をあやうく海でなくしかけたことがある。とくに二男が助かったの
は奇跡中の奇跡。そういうことがあったためか、それ以後、二男の育て方がほかの二人とは
変わってしまった。二男に何か問題が起きるたびに、私は「ああ、こいつは生きているだけでい
い」と思いなおすようになった。たとえば二男はひどい花粉症で、毎年その時期になると、不登
校を繰り返した。中学二年生のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。しかしそのつ
ど、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、私は乗り越えることができた。

●子どもは下から見ろ

 子どもに何か問題が起きたら、子どもは下から見る。「下(欠点)を見ろ」というのではない。
「生きている」という原点から見る。が、そういう視点で見ると、あらゆる問題が解決するから不
思議である。またそれで解決しない問題はない。

 ……と書いて余談だが、最近読んだ雑誌の中に、こんな印象に残った話があった。その男性
(五〇歳)は長い間、腎不全と闘っていたが、腎臓移植手術を受け、ふつうの人と同じように小
便をすることができるようになった。そのときのこと。その人は自分の小便が太陽の光を受け、
黄金色に輝いているのを見て、思わずその小便を手で受けとめたという。私は幸運にも、生ま
れてこのかたただの一度も病院のベッドで寝たことがない。ないが、その人のそのときの気持
ちがよく理解できる。いや、最近になってこんなふうに考えるようになった。

●健康であることの喜び

 私はこの三〇年間、往復約一時間の道のりを、自転車通勤をしている。ひどい雨の日以外
は、どんなに風が強くても、またどんなに寒くても、それを欠かしたことがない。しかし三〇年も
していると、運動をしていない人とは大きな差となって表れる。たとえば今、同年齢の多くの友
人たちは何らかの成人病をかかえ、四苦八苦している。しかし私はそうした成人病とは無縁
だ。そういう無縁さが、ある種の喜びとなってかえってくる。「ああ、運動をつづけてよかった」
と。その喜びは、小便を手で受けとめた人と、どこか共通しているのではないか。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか?
それ以上、何を望むか(失敗危険度★★)

●子育てで失敗した

 法句経(ほっくぎょう)にこんな説話がある。あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言
う。「釈迦よ、私は死ぬのがこわい。どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。それに
答えて釈迦はこう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」
と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」と。そう
いう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。「今まで子育てをじゅうぶん楽しんだではない
か。それ以上、何を望むのか」と。

●母親とのきずなが虐待の原因?

 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調査
によると、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何ら
かの形で虐待しているという。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に
走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てというのは、そ
れ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。言いかえると楽な子育てというの
は、そもそもない。またそういう前提で考えるほうが正しい。いや、中には子どものできがよく、
「子育てがこんなに楽でいいものか」と思っている人もいる。しかしそういう人は、きわめてマレ
だ。

●子育てが人生を豊かに

 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。もし私に子どもがいなければ、私の人生は何とつ
まらないものであったか、と。人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとするなら、子ども
は私という親に、まさにそのドラマを提供してくれた。たとえば子どものほしそうなものを手に入
れたとき、私は子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、家路を急いだことが何度かある。もちろん
悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは私に生きる目標を与えてく
れた。もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。その証拠
に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかのようなさみ
しさを覚える。あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、どんとやってくる。今でもいろ
いろ問題はあるが、しかしさらに別の心で、子どもたちに感謝しているのも事実だ。「お前たち
のおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。今まで楽しかったことだけを考えて、前に
進めばよい。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

いつになったら、できるの! 
己こそ、己のよるべ(失敗危険度★★★)

●自由とは、「己による」こと

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、
自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ
よ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

●考えさせない過干渉ママ

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」、
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」、
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」、母、再び割り込んできて、「楽しかったわよ
ね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫
と、今でいう「できちゃった婚」をした。どこか不本意な結婚だった。だから子どもが何か失敗す
るたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱ってい
た。

●行動させない過保護ママ

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな
る。外へ出すと、「すぐ風邪をひく」。

●責任をとらせない溺愛ママ

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親は、「子ども(小六男児)が合宿訓練に
でかけた夜、涙がポロポロと出て眠れなかった」と言った。私が「どうしてですか?」と聞くと、こ
う言った。「あの子は私がいないと何もできない子です。みんなにいじめられているのではない
かと思うと、かわいそうで、かわいそうで……」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害
事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪い
と言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、
ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

口がうまい親ほど、要注意!
あせる親は結論も早い(失敗危険度★★★)

●口がうまい親ほど……?

 あるおけいこ塾の講師が、こんなことを言った。「親の中でもワーワーと騒いで入会してくる親
ほど、要注意。そういう親ほど、やめ方がきたない」と。たとえば「先生の教え方はすばらしい。
うちの子がおとなになるまで、お世話になりますと言う親ほど、ある日突然、ハイ、さようならと
やめていく」と。別の塾の教師も、同じようなことを言っていた。「口がうまい親ほど、気をつけて
いる」と。「どうしてですか?」と聞くと、「口のうまい親は、やめたとたん、今度は悪口をあちこち
で言い始める」と。

 私にも、つきあいたい親と、そうでない親がいる。そのキーポイントとなるのが、やはり信頼関
係。この信頼関係があれば、つきあっていても心地よいが、そうでなければそうでない。もっと
も私のばあいは、その信頼関係が切れたとき、それは同時に互いの別れということになる。
が、学校の先生はそうはいかない。中にはその母親からの電話がかかってきただけで、体中
が震えると言う先生もいる。

●教育は人間関係

 ……と書きながら、これ以上書くと、親の悪口になるので、書けない。私の世界では、親はい
つもスポンサーであり、また私のよき理解者である。いわばお客さんのようなもの。そういうお
客さんに向かって、「こういう客はよい客だ。こういう客は悪い客だ」と書いていたら、仕事(商
売)にならない。しかしこれだけは言える。

 教育がふつうの商売と違うところは、そこに太い人間関係ができること。ものの売り買いとは
違う。自動車学校や予備校の指導とも違う。子どもに与える影響は、きわめて大きい。だから
教育を商売と同じように考えることはできない。そこでいくつかのポイントがある。これは親側
からみたポイントということになる。

●先生とつきあうポイント

(1)先生とつきあうときは如水淡交……子どもの教育だけにかかわり、プライベートなことは、
避ける。よく誤解されるが、プライベートなつきあいをしたからといって、信頼関係が深まるとい
うことは、ない。

(2)過剰な期待はしない……教師を聖職者だと思っている人は多い。神様のように思っている
人もいる。そしてそれに甘える形で、やりたい放題のことをする人がいる。しかし先生が聖職者
と思うのはまったくの誤解。子どもを相手に仕事をしているという点をのぞけば、あなたやあな
たの夫と、どこも違いはしない。とくに人間性がすぐれているということもない。怒るときには怒
る。不愉快に思うときは思う。そういう前提で、つまり同じ人間という前提でつきあう。

(3)別れ際を大切に……人間関係は、すべてその別れ際の美学で決まる。出会い以上に、別
れ際を美しくする。美しい別れ方をするということは、つぎの新しい出会いをまた美しくするとい
うことにもなる。教師というのは因果な商売で、その人との出会い方をみると、その別れ方まで
おおよその見当がつくようになる。「ああ、この人は別れ方がきたないぞ」と。しかしそう思った
とたん、信頼関係は半減する。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ!
先生の悪口は言わない(失敗危険度★★★)

●良好な人間関係が基本

 教育もつきつめれば人間関係。それで決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教
育の基本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。「子どもの前では、先生の
悪口は言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生の悪口を言ったときも、それに
相槌(づち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今度は、「あなたが言った言葉」として、そ
れは先生の耳に入る。必ず、入る。子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠し
ごとができない。親よりも、園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この
種の会話には敏感に反応する。

●先生も人間

 一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、そう
いうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生とてこの文
を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。もしあなたが教師で、生
徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ」と。そのときあな
たはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あんたの教え方ヘタだから、今度校長先生
に言って、先生をかえてもらうとママが言っていた」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそう
いう言葉に耐えられるだろうか。

●学校の問題は、先生がいないところ

 教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと思うえば、
いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、冒頭にあげた
「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身ではなく、この人間関係で
ある。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、それだけではすまない。

●結局は子どもの損に

 あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従わなく
なる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きではないが…
…)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、子どもの耳に
入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、「あなたが悪いか
らでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

学ぶものは山に登るごとし
知識と学力(失敗危険度★★★)

●知識と学力は別

 もの知りの人が、賢い人ということにはならない。知識と学力は本来別のものであり、これを
混同すると、教育そのものが混乱する。たとえば幼稚園児が掛け算の九九をペラペラと口にし
たとしても、その子どもが賢い子どもということにはならない。いわんや算数ができるとか、頭
のよい子ということにもならない。が、もしその子どもが、「車が三台では、そのタイヤの数は一
二」と、即座に計算できれば、算数のできる子どもということになる。その計算方法を自分で考
えだしたとしたら、さらに頭のよい子ということになる。

●知識教育が教育?

 ところがこの日本では、子どもに知識をつけさせることが教育だと思い込んでいる人が多い。
教育の体系そのものがそうなっている。たとえば学校でも、「わかったか」「覚えたか」「ではつ
ぎ……」という教え方が基本になっている。アメリカやオーストラリアでは、「どう思う?」「それは
いい考えだ」という教え方が基本になっている。また入試内容にしても、学力をためすというよ
りは、知識をためすものになっている。いろいろな改善策がこころみられてはいるが、基本的
にはこの構図は明治以来、変わっていない。

 その結果というか、今でこそやや少なくなったが、三〇年前にはどこの進学高校にも、いわ
ゆる頭のおかしい「勉強バカ」というのがいた。勉強しかしない、勉強しかできない、頭の中は
成績の数字だけという子どもである。しかしそういう子どもほど、スイスイと一流大学の一流学
部(「一流」という言い方は本当にいやだが……)へ進学していった。私は進学塾の講師をしな
がら、そのときはそのときで、「こんなことでいいのか」と、少なからず疑問に思ったことがある。

●学ぶことは苦しい

 では、学力とは何か。また学力はどうやって養えばよいのか。実はその答はあなた自身が一
番よく知っている。あなたが今、三五歳なら三五歳でよい。あなたは二〇歳のときから今まで
の一五年間で、何かを自ら学ぼうとしたか。あるいは学んだか。何かを発見したとか、何かを
新たにできるようになったとか、そういうことでもよい。

 そのとき「知識」は除外する。知識は学力ではない。するとたいていの人は、何もないことに
気づくはず。もともと学ぶということにはある種の苦痛がともなう。美濃部達吉も「語録」の中
で、「学ぶ者は山に登るごとし」と書いている。「学ぶということは楽ではない」と。だからたいて
いの人は学ぶことを、自ら避けようとする。私やあなたとて例外ではない。学力とはそういうも
のであり、また学力を養うということはそういう苦痛との戦いでもある。つまりそれだけたいへん
だということ。教育のテーマそのものと言ってもよい。ここでもう一度、あなたにとって子どもの
教育とは何か、それをじっくりと考えてみてほしい。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

私こそ親のカガミ!
代償的過保護(失敗危険度★★★★★)

●代償的過保護

 本来、過保護というのは親の愛がその背景にある。その愛があり、何かの心配ごとが引き金
となって、親は子どもを過保護にするようになる。しかしその愛がなく、子どもを自分の支配下
において、自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。いわば自分の心
のスキ間をうめるための、過保護もどきの過保護。親のエゴにもとづいた、自分勝手な過保護
と思えばよい。

 代償的過保護の特徴は、(1)親としての支配意識が強く、(2)子どもを自分の思いどおりに
したいという欲望が強い。そのため(3)心配過剰、過干渉、過関心になりやすい。(4)子どもを
人間というよりは、モノとして見る目が強く、子どもが自立して自分から離れていくのを望まない
などがある。そしてそういう愛を、理想的な愛と誤解することが多い。「私こそ、親のカガミ」と言
った母親すらいた。

●子どもを自分の支配下に

 このタイプの親は、一見子どもを愛しているように見えるが、(また親自身もそう思い込んでい
るケースが多いが)、その実、子どもを愛するということがどういうことか、わかっていない。わ
からないまま、さまざまな手を使って、子どもを自分の支配下に置こうとする。もともとはわがま
まな性格の人とみてよいが、それゆえにものの考え方がどうしても自己中心的になる。「私は
絶対正しい」と思うのはその人の勝手だが、その返す刀で、相手を否定したり、人の話に耳を
傾けなくなる。がんこになることも多い。

●お前には学費が三〇〇〇万円かかった!

 ある父親は、息子が家を飛び出し、会社へ就職したとき、その会社の社長に電話を入れ、強
引にその会社をやめさせてしまった。またある母親は、息子の結婚にことごとく反対し、そのつ
ど結婚話をすべて破談にしてしまった。息子を生涯、ほとんど家の外へ出さなかった母親もい
るし、お金で息子をしばった父親もいる。「お前には学費が三〇〇〇万円かかったから、それ
を返すまで家を出るな」と。

 結果的にそうなったとも言えるが、宗教を利用して子どもをしばった親もいた。ことあるごと
に、「親を粗末にすると、バチが当たるぞ」と教えている親もいる。そうでない親には信じられな
いような話だが、実際にはそういう親も少なくない。ひょっとしたら、あなたの周囲にもこのタイ
プの親がいるかもしれない。いや、あなたという親にも、いろいろな面があり、その中の一部
に、この代償的過保護的な部分があるかもしれない。もしそうならそうで、あなたの中のどの部
分が代償的過保護であり、あるいはどこから先がそうでないかを、冷静に判断してみるとよ
い。

●自分に気づくだけでよい

 この問題は、どこが代償的過保護的であるかに気がつくだけで、問題のほとんどは解決した
とみる。ほとんどの親は、それに気づかないまま、代償的過保護を繰り返す。そしてその結果
として、親子の間を大きく断絶させたり、反対に子ども自立できないひ弱な子どもにしたりす
る。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子は生まれつきそうです!
勉強が苦手な子ども(失敗危険度★★★★★)

●勉強が苦手な子ども

 勉強が苦手な子どもといっても、一様ではない。まず第一に、学習能力そのものが劣ってい
る子どもがいる。専門的には、多動型(動きがはげしい)、愚鈍型(ぼんやりしている)、発育不
良型(知的な発育そのものが遅れている)などに分けて考える。最近よく話題になる子どもに、
学習障害児(LD児)という子どももいる。教えても覚えない。覚えてもすぐ忘れる。覚えても応
用がきかない。集中力がつづかず、教えたことがたいへん浅い段階で止まってしまう、など。

●症状をこじらせない

 しかし実際に問題なのは、能力そのものに問題があるというよりは、たとえば私のようなもの
のところに相談があったときには、すでに手がつけられないほど、症状がこじれてしまっている
ということ。たいていは無理な学習や強制的な学習が日常化していて、学習するということその
ものに、嫌悪感を覚えたり、拒否的になったりしている。中には完全に自身喪失の状態になっ
ている子どももいる。

 原因は親にあるが、親自身にその自覚がないことが、ますます指導を困難にする。どの親
も、「自分は子どものために正しいことをしただけ」と思っている。中には私がそれを指摘する
と、「うちの子は生まれつきそうです!」と反論する親さえいる。(生まれた直後から、それがわ
かる人などいない!)

●コースからはずれたらダメ人間?

 ……と書きながら、日本の教育はどこかゆがんでいる。日本の教育にはコースというのがあ
って、親たちは自分の子どもがそのコースからはずれることを、異常なまでに恐れる。(「異常」
というのは、国際的な基準からしてという意味。)こういうばあいでも、本来なら子どもの能力に
あわせて、子どものレベルで教育を進めるのが一番よいのだが、日本ではそれができない。ス
ポーツが得意な子どももいれば、そうでない子どももいる。勉強についても、得意な子どもがい
る一方、不得意な子どもがいる。いてもおかしくないのだが、日本ではそういうものの考え方が
できない。勉強ができないことは悪いことだと決めてかかる。このことが、本来何でもないはず
の問題を、深刻な問題にしてしまう。それだけならまだしも、子どもに「ダメ人間」のレッテルを
はってしまう。考えてみれば、おかしなことだが、そのおかしさがわからないほどまで、日本の
子育てはゆがんでいる。

●落第を喜ぶアメリカの親たち

……という問題が、勉強が苦手な子どもの問題にはいつもついて回る。だからといって、勉強
などできなくてもよいと書くのは暴論だが、子どもの勉強は子どもの視点で考える。たとえばア
メリカでは、学校の先生が親に、子どもの落第を勧めると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」
だ。ウソでも誇張でもない。事実だ。子どもの成績がさがったりすると、親のほうから落第を頼
みにいくケースも多い。アメリカの親は、「そのほうが子どものためになる」と考える。しかし日
本ではそうはいかない。そうはいかないところに、日本の子育ての問題がある。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

やる、やらないも能力のうち
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★)

●無理に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』という
のがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問
題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように
説明されている。

●動機づけを決める帯状回?

 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んでい
るのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海
馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組
織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして
説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維
持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立し
た働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)

●やる気が思考力を決める

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確
ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分
担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起
こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を
飲ませることはできない』のである。

●乗り気にさせるのが伸ばすコツ

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、一生懸
命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結
果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが
帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味
で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな
い」。それだけのことかもしれない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

子どものうしろを歩くとイライラする!
子育てじょうずな親(失敗危険度★★★)

●子どものリズムをつかめ

 子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうずな親」
「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親を
いう。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。

 結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈託がな
い。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致
していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。

●子育てじょうずな親

 子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理をしない。強制もしない。
子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子ど
もと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌
を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌
う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じた
りする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。

●リズムは妊娠したときから始まる

 そもそもこのリズムというのは、親が子どもを妊娠したときから始まる。そのリズムが姿や形
を変えて、そのつどあらわれる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそ
ういうリズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも
遅くないから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。

リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ば
すためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合う
ようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子ども
のリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、子育てがじょうずな親という。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 4日
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【モンスタママの子育て狂騒】(2)

あんたさ、英語教育に反対してよ!
おめでたママ(失敗危険度★★★★★)

●英語教育は日本語をだめにする?

 こんな相談も。「今度うちの小学校でも英語教育が始まったが、今、英語なんか教えてもらっ
たら、うちの子(小三男児)の日本語がおかしくなってしまう。英語教育には反対してほしい」と。
こう書くと、まともな日本語で母親が話したかのように思う人がいるかもしれないが、実際には
こうだ。「今度、英語ね、ほら、小学校で、英語。ありゃ、うちの子に、必要ないって。あんな英
語やらやあ、さあ、かえって日本語、ダメになるさ。あんたさ、評論家ならさ、反対してよ」と。日
本語すらまともに話せない母親が、子どもの国語力を心配するから、おかしい。

●この子には、力があるはずです

 が、子どもの受験のことになると、ほとんどの親は自分の姿を見失う。数年前だが、一人の
中学生(中一男子)が、両親に連れられて私のところにやってきた。両親は、ていねいだが、こ
う言った。「この子には、力があるはずです。今までB教室といういいかげんな塾へ行っていた
ので、力が落ちてしまった。ついては、先生に任せるから、どうしてもS高校へ入れてほしい」
と。

 S高校といえば、この静岡県でも偏差値が最上位の進学高校である。そこで私は一時間だ
けその中学生をみてみることにした。が、すわって数分もしないうちに、鉛筆で爪をほじり始め
た。視線があったときだけ、何となく頭をかかえて、勉強しているフリはするものの、まったくは
かどらない。明らかに親の過関心と過干渉が、子どものやる気を奪ってしまっていた。私は隣
の部屋に待たせていた両親を呼んで、「あとで返事をする」と言って、その場は逃げた。

●「はっきり言ったらどうだ」

 数日置いて、私はていねいな手紙を書いた。「今は、時間的に余裕もないから、希望には添
えない」という内容の手紙だった。が、その直後、案の定、父親から猛烈な怒りの電話が入っ
た。父親は電話口の向こうでこう怒鳴った。「お前は、うちの子は、S高校は無理だと思ってい
るのか。失敬ではないか。無理なら無理と、はっきり言ったらどうだ」と。

●デパートの販売拒否

 本当にこのタイプの親は、つきあいにくい。どこをどうつついても、ああでもない、こうでもない
とつっかかってくる。公立の、つまり税金で動いている学校ですら、選抜試験をするではない
か。私のような、まったく私立の、一円も税金の恩恵を受けていない教室が、どうしてある程度
の選抜をしてはいけないのか。

 ほとんど親がそうだが、私が入会を断ったりすると、まるでデパートで販売拒否にでもあった
かのように、怒りだす。気持ちはわからないわけではないが、つまりは、それだけ私たちは
「下」に見られている。しかし昔からこう言うではないか。『一寸の虫にも五分の魂』と。そういう
ふうにしか見られていないとわかったとたん、私たちだって、教える気はうせる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

学校の先生が許せない!
自分を知る、子どもを知る(失敗危険度★★★★)

●汝自身を知れ

 自分を知ることはむずかしい。スパルタの七賢人の一人、ターレスも、『汝自身を知れ』という
有名な言葉を残している。つまり自分のことを知るのはそれほどむずかしい。理由はいくつか
あるが、それはさておき、自分の子どものことを知るのは、さらにむずかしい。

 一般論として賢い人には、愚かな人がよく見える。しかし愚かな人からは賢い人が見えない。
もっと言えば、賢い人からは愚かな人がよく見えるが、愚かな人からは賢い人が見えない。か
なり心配な人(失礼!)でも、自分が愚かだと思っている人はまずいない。さらにタチの悪いこ
とに、愚かな親には、自分の子どもの能力がわからない。これが多くの悲喜劇のモトとなる。

●「ちゃんと九九はできます」

 学校の先生に、「どうしてうちの子(小四男子)は算数ができないのでしょう」と相談した母親
がいた。その子どもはまだ掛け算の九九すら、じゅうぶんに覚えていなかった。そこで先生が、
「掛け算の九九をもう一度復習してください」と言うと、「ちゃんと九九はできます」と。掛け算の
九九をソラで言えるということと、それを応用して割り算に利用するということの間には、大きな
へだたりがある。が、その母親にはそれがわからない。九九がソラで言えれば、それで掛け算
をマスターしたと思っている。子どもに説明する以上に、このタイプの親に説明するのはたいへ
んだ。その先生はこう言った。

 「親にどうしてうちの子は勉強ができないかと聞かれると、自分の責任を追及されているよう
で、つらい」と。私もその気持ちはよく理解できる。

●神経質な家庭環境が原因 

が、能力の問題は、まだこうして簡単にわかるが、心の問題となるとそうはいかない。ある日、
一人の母親が私のところへきてこう言った。「うちの子(小一男子)が、おもらししたのを皆が笑
った」というのだ。母親は「先生も一緒に笑ったというが、私は許せない」と。だから「学校へ抗
議に行くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、その子どもにはかなり強いチッ
ク(神経性の筋肉のけいれん)もみられた。その子どもがおもらしをしたことも問題だが、もっと
大きな問題は、ではなぜもらしたかということ。なぜ「トイレへ行ってきます」と言えなかったのか
ということだ。もらしたことにしても、チックにしても、神経質な家庭環境が原因であることが多
い。

●ギスギスでは教育はできない

学校という場だから、ときにはハメをはずして先生や子どもも笑うときがあるだろう。いちいちそ
んなこまかいことを気にしていたら、先生も子どもも、授業などできなくなってしまう。また笑っ
た、笑われたという問題にしても、子どもというのはそういうふうにキズだらけになりながら成長
する。むしろそうした神経質な親の態度こそが、もろもろの症状の原因とも考えられる。が、そ
の親にはわからない。表面的な事件だけをとらえて、それをことさらおおげさに問題にする。

●子どもを知るのが子育ての基本

 まず子どもを知る。それが子育ての基本。もっと言えば子どもを育てるということは、子どもを
知るということ。しかし実際には、子どもを知ることは、子育てそのものよりも、ずっとむずかし
い。たとえば「あなた」という人にしても、あなたはすべてを知っているつもりかもしれないが、実
際には、知らない部分のほうがはるかに多い。「知らない部分のほうが多い」という事実すら、
気がついていない人のほうが多い。

人というのは、自らがより賢くなってはじめて、それまでの愚かさに気がつく。だから今、あなた
が愚かであるとしても、それを恥じることはないが、しかし、より賢くなる努力だけはやめてはい
けない。やめたとたん、あなたはその愚かな人になる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った
汝(なんじ)自身を知れ(失敗危険度★★★★)

●自分を知ることの難しさ

自分を知ることは本当にむずかしい。この私も、五〇歳を過ぎたころから、やっと自分の姿が
おぼろげながらわかるようになった。表面的な行動はともかくも、内面的な行動派、「私」という
より、「私の中の私」に支配されている。そしてその「私の中の私」、つまり自分は、「私」が思う
より、はるかに複雑で、いろいろな過去に密接に結びついている。

●「ぼくは何も悪くなかった」

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学
校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども
は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ
た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな
い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

●問題の本質は?

 ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない
子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ
てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ
たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

●自分であって自分でない部分

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。このタイプの親たちは、なぜそういうことをす
るかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のど
こかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。

「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてし
まう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるな
ど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。そ
れに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつ
までも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

一緒に抗議に行ってほしい!
過関心は百害のもと(失敗危険度★★★★★)

●問題は母親に

 ある朝、一人の母親からいきなり電話がかかってきた。そしてこう言った。いわく、「学校の席
替えをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言ったが、(私の子どものよう
に)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。こ
ういうことは許せない。先生、学校へ一緒に抗議に行ってくれないか」と。その子どもには、チッ
クもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、そういうことはこの
母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、むしろ母親のほうだ。こんなこともあっ
た。

●ささいなことで大騒動

 私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがついてい
るなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。その夜、猛烈な抗議の電
話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうこと
だ!」と。その子ども(小三男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学二
年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを知らなか
った。

●まじめ七割

 しかし問題は、席替えでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないかというこ
と。さらにはなぜ、小学二年生のときにそれをもらしたかということだ。さらにこうした子どもどう
しのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそんなことに神経を払ってい
たら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息がつまるだろう。教育は『まじめ七
割、いいかげんさ三割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸
ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。

●度を超えた過関心は危険

 親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子どもを
つぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズだらけになり
ながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれを自分で解決しよう
としているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、かえって子どもの成長をさ
またげる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

勉強だけをみてくれればいい!
何を考えている!(失敗危険度★★★★★)

●アンバランスな生活

 どうしようもないドラ息子というのは、たしかにいる。飽食とぜいたく。甘やかしと子どもの言い
なり。これにアンバランスな生活が加わると、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。「アンバランスな
生活」というのは、たとえば極端に甘い父親と極端に甘い母親で、子どもの接し方がチグハグ
な家庭。あるいはガミガミとうるさい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような環境を
いう。

こういう環境が日常化すると、子どもはバランス感覚のない子どもになる。「バランス感覚」とい
うのは、ものごとの善悪を冷静に判断し、その判断に従って行動する感覚をいう。そのバラン
ス感覚がなくなると、ものの考え方が突飛もないものになったり、極端になったりする。常識は
ずれになることも多い。友だちの誕生日に、虫の死骸を箱につめて送った子ども(小三男児)
がいた。先生のコップに殺虫剤を入れた子ども(中二男子)がいた。さらにこういう子ども(小三
男児)さえいる。学校での授業のとき、先生にこう言った。

●「くだらねえ授業だなあ」

 「くだらねえ授業だなあ。こんなくだらねえ授業はないゼ」と。そして机を足で蹴飛ばしたあと、
「お前、ちゃんと給料、もらってんだろ。だったら、もう少しマシなことを教えナ」と。

 実際にこのタイプの子どもは少なくない。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。が、勉
強だけはよくできる。頭も悪くない。しかしこのタイプの子どもに接すると、問題はどう教えるで
はなく、どう怒りをおさえるか、だ。学習塾だったら、「出て行け!」と子どもを追い出すこともで
きる。が、学校という「場」ではそれもできない。教師がそれから受けるストレスは相当なもの
だ。

●本当の問題 

 が、本当の問題は、母親にある。N君(小四男児)がそうだったので、私がそのことをそれと
なく母親に告げようとしたときのこと。その母親は私の話をロクに聞こうともせず、こう言った。
「あんたは黙って、息子の勉強だけをみてくれればいい」と。つまり「余計なことは言うな」と。そ
の母親の夫は、大病院で内科部長をしていた。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

いらんこと、言わんでください!
女の修羅場(失敗危険度★★★★)

●子どもは芸術品

 母親たちのプライドというのは、男たちには理解できないものがある。その中でも、とくに子ど
もは、母親にとっては芸術作品そのもの。それをけなすとたいへんなことになる。こんなことが
あった。

 スーパーのレストランで、五歳くらいの子どもが子どもの顔よりも大きなソフトクリームを食べ
ていた。体重一五キロ前後の子どもが、ソフトクリームを一個食べるというのは、体重六〇キロ
のおとなが四個食べる量に等しい。おとなでも四個は食べられない。食べたら食べたで、腹の
調子がおかしくなる。で、その子どもと目が合ったので、思わず私はその子どもにこう言ってし
まった。「そんなに食べないほうがいいよ」と。が、この一言がそばにいた母親を激怒させた。
母親はキリリと私をにらんでこう叫んだ。「あんたの子じゃないんだから、いらんこと、言わない
でください!」と。またこんなことも。

●江戸のカタキを長崎で討つ

 母親というのは、自分で自分の子どもを悪く言うのは構わないが、他人が悪く言うのを許さな
い。(当然だが……。)たとえ相手が子どもでも許さない。これは実際あった話だが、(ということ
を断らねばならないほど、信じられない話)、自分の子ども(年長男児)をバカと言った相手の
子ども(同じ幼稚園の年長男児)を、エレベータの中で足蹴りにしていた母親がいた。そこで蹴
られたほうの母親が抗議すると、最初は、「エレベータが揺れたとき、体がぶつかっただけだ」
と言い張っていた。が、エレベータがそこまで揺れることはないとわかると、こう言ったという。

「おたくの子がうちの子を、幼稚園でバカと言ったからよ」と。江戸のカタキを長崎で討つ、とい
うわけであるが、これに親の溺愛が加わると、親子の間にカベさえなくなる。ある母親はこう言
った。「公園の砂場なんかで、子どもどうしがけんかを始めると、その中に飛び込んでいって、
相手の子どもをぶん殴りたくなります。その衝動をおさえるだけでたいへんです」と。

●「お受験」戦争

 こうした母親たちの戦いがもっとも激しくなるのが、まさに「お受験」。子どもの受験といいなが
ら、そこは女の修羅場(失礼!)。どこがどう修羅場ということは、いまさら書くまでもない。母親
にすれば、「お受験」は、母親の「親」としての資質そのものが試される場である。少なくとも、母
親はそう考える。だから自分の子どもが、より有名な小学校に合格すれば、母親のプライドは
このうえなく高められる。不合格になれば、キズつけられる。

 事実、たいていの母親は自分の子どもが入学試験に失敗したりすると、かなりの混乱状態に
なる。私が知っている人の中には、それがきっかけで離婚した母親がいる。自殺を図った母親
もいる。当然のことながら、子どもへの入れこみが強ければ強いほどそうなるが、その心理
は、もう常人の理解できるところではない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

部屋の中はまるでクモの巣みたい!
砂糖は白い麻薬(失敗危険度★★)

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(ア
メリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を
大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロト
ニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、四月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。U君は突発
的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられた。このタイ
プの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は一日、一〇〇〜一二〇グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そ
こで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症
状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があった
ので、「砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て
驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったの
だ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめ
るだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラム。この量は
イチゴジャム大さじ一杯分程度。もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶
暴になったり、あるいはキーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すよう
なら、一度、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよ
い。効果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程
度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっと
りとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわ
らかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保
つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶
いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰
を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

 ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生
み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必
要なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物
を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジ
ャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理
不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。子どもの食生活を安易に考えてはいけない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

こちらの頭のほうがヘンになる
イメージが乱舞する子ども(失敗危険度★★★)

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突
然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。
その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち
らの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」
(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたり
する」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期
に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレ
ビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎ
る。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎ
る。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直
感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳であ
る(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経
験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えら
れる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

妻の身分も夫しだい!
銀行寮の掟(おきて)(失敗危険度★★)

●ある銀行の現実

 ここは県庁所在地になっているS市の郊外。不況、不況と言われながらも、大銀行だけは
別。家族寮なども、ちょっとしたホテル並の豪華さを誇る。そこでのこと。部長の息子と、課長
の息子が同じ中学を受験することになった。こういうとき、部長の息子が落ちて、課長の息子
が合格したりすると、さあたいへん。課長の息子は入学を辞退するか、その寮を出なければな
らない。私が「何もそこまで……」と言うと、ある母親はこう言った。「それは現実を知らない人
の言うことです」と。

●夫たちの地位で妻の地位も決まる

 何でもその家族寮では、夫たちの地位に応じて妻たちの地位も決まるという。会合でも、中
央にデ〜ンと座るのが、部長の妻。あとはそれに並んで、次長、課長とつづく。ヒラの妻は一番
ハシ。年齢や教養には関係ない。もちろん容姿も関係ない。また廊下ですれちがうときもそう
だ。相手がどんなに若くても、相手がどんなにそうするにふさわしくない女性(失礼!)でも、夫
の地位が自分の夫の地位よりも高いときには、道をあけなければならない。

 「そういう世界だから、どの母親も、子どもの受験にはピリピリです」と。具体的にはこうだ。ま
ず上司の息子や娘と同じ学校は受験しない。上司の息子や娘が不合格になった学校は受験
しない。受験する学校の名前は最後の最後まで秘密にする、と。

●日本人独特の上下意識

 ……私はこの話を聞いたとき、別のところで、「こんなことをしているから日本の銀行は、国
際競争力をなくした」と思った。日本人のほとんどは、日本は先進国だと思っている。たしかに
豊かで、経済力はある。しかしその中身といえば、アフリカの××部族のそれとそれほど違わ
ない。少なくとも、世界の人はそう見ている。日本の社会の中にどっぷりとつかっている人に
は、それがわからない。その一つが、日本人独特の上下意識。日本人はたった一年でも先輩
は先輩、後輩は後輩と考える。そしてその間にきびしい序列をつける。言いかえると、こうした
意識があるかぎり、日本はいつまでも奇異な目で見られる。日本異質論は消えない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

こんなオレにしたのは、お前だろ!
溺愛ママ(失敗危険度★★)

●子どもを溺愛する母親

 親が子どもを溺愛する背景には、親側の情緒的未熟性や精神的な欠陥がある。つまりそうし
た未熟性や欠陥を代償的に補うために親は子どもを溺愛するようになる。つまり子どもを溺愛
す親というのは、どこかに心の問題をもった人とみてよい。が、親にはそれがわからない。わ
からないばかりか、溺愛を親の深い愛と誤解する。だから人前で平気で、その溺愛ぶりを誇示
する。こんなことがあった。

●溺愛を「愛」と誤解?

 高校のワンゲル部の総会でのこと。指導の教師が父母たちに向かって、「皆さんはお子さん
たちが汚してきた登山靴をどうしてますか?」と聞いたときのこと。一人の母親がまっさきに手
をあげてこう言った。「このクツが無事息子を山から返してくれたと思うと、ただただいとおしくて
頬ずりしています!」と。

 あるいは幼稚園で、それはそれはみごとな髪型をしてくる子ども(年中女児)がいた。髪の毛
を細い三つ編みにした上、さらにその、三つ編みを幾重にも重ねて、複雑な髪型をつくるなど。
まさに芸術的! そこである日、その母親と道路であったので、それとなく「毎日たいへんでしょ
う?」と聞いてみた。が、その母親は何ら臆することなく、こう言った。「いいえ、毎朝、三〇分も
あればすんでしまいます」と。毎朝、三〇分!、である。

●溺愛児の特徴

 親が子ども溺愛すると、子どもは子どもで溺愛児特有の症状を示すようになる。(1)幼児性
の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心
的になる)、(3)服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、(4)柔和で
おとなしく、満足げでハキがなくなるなど。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、
私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わ
るわけではない。

●カラを脱がない子ども 

子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば子
どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を
中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行す
る。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてあるとき、そのカラを一挙に脱
ごうとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。

子「こんなオレにしたのは、お前だろ!」
母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。

 しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げ
ない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ
「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。
 
 溺愛ママは、あなたの周辺にも一人や二人は必ずいる。いて、何かと話題になっているは
ず。しかし溺愛は「愛」ではない。代償的愛といって、つまるところ自分の心のすき間うめるた
めの愛。身勝手な愛。一方的な愛。もっと言えば、愛もどきの愛。そんな愛に溺れてよいこと
は、何もない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

あの思い出を全部消せ!
理由なき怒り(失敗危険度★★)

●原稿を読んでもらったが……

 その母親がどんなメンツにこだわっているか、それは外からではわからない。わからないか
ら失敗もする。しかし今になっても、「どうして?」と首をかしげるような事件もあった。

 ある日のこと。その日はたまたま公開授業の日だった。園長も顔を出していた。で、私は一
通りの授業をほぼ終えたあと、一人の父親に前で助手をしてもらうことにした。その父親は母
親とともに最前列にいた。私はその父親に教材と原稿を渡し、それを子どもたちの前で読んで
もらった。

●執拗な電話

 その授業はその授業なりに、わきあいあいの雰囲気でなされた。その父親は少し照れては
いたが、それは当然のことだ。じょうずかへたかと言われれば、じょうずなはずがない。が、そ
の夜から、母親からものスゴイ剣幕の電話。「よくもうちの主人に恥をかかせてくれたわね!」
と。母親だって一緒に笑っていたはずだ。が、そうではなかった。それはそれで理解できたの
で、私はていねいに謝ったが、その程度では母親の怒りをしずめることはできなかった。

 その電話はその夜だけでも、ネチネチと一時間以上もつづいた。翌日の夜もやはり一時間
以上つづいた。三日目になると、さすがに私の女房も電話のベルが鳴るたびに、体を震わせ
ておびえるようになった。が、その三日目には電話はなかった。が、そのまた翌日から、ほとん
ど毎日、その母親から電話がかかってきた。私が「では、どうすればいいですか」と聞くと、「あ
の思い出を全部消せ!」とか、「時間をもとに戻せ!」とか、メチャメチャなことを言いだした。

●電話におびえた女房

 当時の私はまだ二五歳そこそこ。今ならもう少し賢い言い方で電話をかわしたかもしれない
が、そのときはそうではなかった。私はともかくも、女房は電話のベルが鳴るたびに、体をワナ
ワナと震わせた。

●いまだに謎

 ……で、今でも、なぜあの母親がああまで怒ったのか、私には理解できない。ただそのあと
その母親は、ある種の精神病になって入退院を繰り返したという話を風のたよりに聞いたこと
がある。その病気と関係があったのかもしれない。あるいはそれとは別に、うつ状態になって
いたのかもしれない。

うつ状態になると、そういったとんでもない被害妄想をもつこともあるという。もっとも今でもその
母親がまとも(?)なら、こんな文章はとてもここに書けない。もし私がこんな文章を書いたのが
わかったら、その母親は私を殺しにくるかもしれない。私の記憶に残っている母親の中でも、
最高に恐ろしい母親だった。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

インターネットの時代に(失敗危険度★★)

●深刻な話はメールではしない

 インターネットでメール交換している母親がふえている。私の周辺でも、ほとんどの母親たち
が、毎日のようにそれを楽しんでいる。が、そのメール交換にも、いろいろな落とし穴がある。
たとえば文字でメールを送ると、相手は相手の感情でその文字を読む。これがこわい。冗談の
つもりで、「バカだなあ」と書いたとする。が、相手はそのときの気持ちでその文を読む。読んで
「バカとは何だ!」となる。だからメールを書くときは、極力そういう誤解を生じさせないような配
慮が必要だ。ニコニコ笑ったような絵文字を添えたりするのも、一つの方法だ。私のばあい
は、深刻な話はインターネットではしないようにしている。

●「何だ、こんな失礼なメールは!」

 またメール交換は手軽であるだけに、どうしてもぶっきらぼうになる。手紙だと、相手の名前
を書き、つぎに「拝啓」とか書いたりする。時候のあいさつもする。メールにはそれがない。いき
なり本文に入ったりする。だから相手は相手のそのときの感情でそのメールを読む。たまたま
気分が悪かったりすると、「何だ、こんな失礼なメールは!」となる。

●無断転送はタブー

 が、何といっても、これはあくまでも私の主観的な考えだが、あの「転送」ほど、こわいものは
ない。インターネットでは、手紙の世界ではタブーになっている転送が、それこそクリック一つで
できてしまう。そして一度転送されたメールは、つぎつぎと転送され、あっという間に無数の人
たちの間に流れてしまう。これがこわい。……というより、転送はタブーだという常識が、まだわ
かっていない人が多い。中には私からの私信を平気で転送する人がいる。いや、実際には、
他人のメールを平気で転送してくるような人には、こわくて返事も書けない。「林さんだけにM子
のメールを見せてあげますね」と書いてあったりすると、心底ゾーッとする。「私のメールもこうし
て転送されるのだろうな」と。こんなこともあった。

●こわくて返事も書けない

 私はときどき、自分の書いたエッセイを、不特定多数の人に送っている。そのときもそうだっ
た。私は一人の女性(三九歳)についてのエッセイを送った。その女性は「自分の息子を愛す
ることができない」と言って悩んでいた。そのことについて書いた。

で、私がエッセイを送った読者の中に、Uさん(四一歳・女性)という女性がいた。市役所の職
員ということだった。が、Uさんは、そのエッセイをズタズタに分断し、その分断した個所ごとに、
コメントを添えて、そのまま数人の仲間に転送してしまった。そしてあろうことか、それぞれの仲
間たちがさらにコメントをつけ加え、そして最終的にはそれが私のところに回送されてきた。中
に、「美人はとくね」と、私のエッセイを皮肉ったコメントまで書き添えてあった。

 私は回送されてきた自分のエッセイを見て、怒りで体が震えた。私はしがないモノ書きだが、
自分の女房でもここまでさせない……と、そのときはそう思った。で、怒りをそのUさんにぶつ
けたかったが、それもできなかった。そういうふうに転送することに罪悪感を覚えない人には、
こわくて返事も書けない。書けば書いたで、またどんなふうに他人に転送されるか、わかったも
のではない。

●「どうして返事をくれないのか!」

 しかしもちろんUさんにはこちらの気持ちなどわかるはずもない。それからたびたびメール
で、「どうして返事をくれないのか!」というようなことを言ってきた。回数にすれば、五〜六回は
あっただろうか。しかし私の怒りが収まったときには、Uさんへの友情はすっかり消えていた。
返事を書いて人間関係を修復しようと思う前に、そういうことがわずらわしくなった。

 もちろんUさんは私の生徒の親ではない。これからもつきあうつもりはない。ないから、ここに
こうしてあえて事実を書いた。

●インターネットの問題点

 話を戻す。メール交換にはまだいろいろ問題がある。北海道に住む読者からのメールでも、
沖縄に住む読者からのメールでも、受け取る段階では、その「距離感」がまったくない。それは
当然のことだが、さらに、親しさにも距離感がない。一〇年前の友人も、つい先日知りあった友
人も、同じようなレベルで接近してくる。何というか友情の蓄積感がない。最初のメールこそて
いねいでも、二度目からのメールでは、一〇年来、あるいは三〇年来の友人のような書き方を
する。(私もそうだが……。)で、そこで人間関係が互いにわからなくなってしまう。

 これは私だけの錯覚かもしれないが、たとえばA出版社のA氏と、B出版社のB氏と交互にメ
ールを交換していたとする。互いに一、二度しか面識がなく、会話もそれほどしたことがないと
する。するとメールを交換しているうちに、A氏とB氏が区別つかなくなってしまうのだ。もしその
上、名字が同じだったりすると、さらに区別つかなくなってしまう。実のところ、多くの母親からメ
ールをもらうと、そういう混乱がよく生ずる。懸命にその母親の顔を思い浮かべながらメールを
書くのだが、それにも限度がある。メール交換にもいろいろな問題があるようだ。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

パンツのウンチで恥をかかせるとは!
結婚するというのは冗談です(失敗危険度★★)

●やがて大騒動になるとは!

 乱暴な子どもというのは、いる。「こんにちは」と言いながら、足でこちらを蹴飛ばしてくる。「さ
ようなら」と言いながら、また蹴飛ばしてくる。丸井さん(年中女児)もそうだった。そこである日、
丸井さんが私をいつものように蹴飛ばしてきたので、すかさずこう言った。「丸井さん、ぼくは君
がおとなになっても、結婚しないからな。結婚するなら、あの大野さんとする」と。たまたま大野
さんの顔が目に入った。だからそう言った。が、この一言が、やがて大問題になるとは!

●「もちろん冗談です」
 それからちょうど一週間後のこと、同じクラスの母親の一人に会うと、その母親がこう言っ
た。「先生、大野さんの件ですけどね。何でも大野さんが、私はおとなになったら、林先生と結
婚するんだと、真剣に悩んでいるというのですよ」と。大野さんが私の冗談を真に受けてしまっ
たらしい。「まずかった……」と思っていると、たまたまその日、大野さんの父親が大野さんを迎
えにきていた。そこで立ち話だったが、私はこう言った。「実のところ、大野さんといつか結婚す
ると言ってしまいましたが、あれはもちろん冗談です。ご本人は本気にされてしまったようです
が、どうかお許しください」と。

●私の失敗談
 が、その夜のこと。夕食を終えて、そろそろ風呂の用意をと考えていたら、玄関先で人の気
配が……。出てみると、大野さんの父親と母親がものすごい剣幕で立っているではないか。「ど
うしたのですか?」と声をかけると、「説明してほしい」「どういうことですか」と。父親は、「大野さ
ん」というところを、自分の妻のことだと思ってしまったらしい。私が大野さんの妻に結婚の話を
した、と。

私はこの幼児教育の世界へ入ってからというもの、子どもでもすべて名字で呼んでいる。それ
が誤解を招いた。つまり父親は、私が母親とただならぬ関係にあると誤解した。こんな失敗を
したこともある。

●ウンチのついたパンツ

子どもを指導するとき、「○○をするな」とか「○○をしなさい」とかいう命令は、できるだけ避け
たい。これは私の教育理念の一つでもある。で、たとえば授業中フラフラと歩いているような子
どもには、私はこう言う。「パンツにウンチがついているなら、立っていていい」と。そしてそれで
も立っていたら、さらに「おしりがかゆいのか?」と真顔で聞いたりする。そのときもそうだった。
小学三年生のK君が、フラフラと歩いていた。そこで「ウンチがついているなら、立っていてい
い」と。ところがそのあとハプニングが起きた。私がそう言い終わらないうちに、別の子どもが、
K君のおしりに顔をうずめて、「先生、本当にくさ〜い」と。

 その夜K君の父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「息子のパンツのことで、皆に
恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。

 これらの話は、この本のタイトルとは関係ない。つまり私の失敗談ということになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

だれにも迷惑をかけないからいい!
子どもの個性(失敗危険度★★)

●子どもの茶パツ

 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに眉を
ひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。講演な
どに言っても、それがよく話題になる。

 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけではない
から、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡単に茶パツに
することができる。手間もそれほどかからない。

●低俗文化の論理

 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、個性と
はいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。また「だれにも迷惑
をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まったくない。裏を返していう
と、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑か迷惑でないか」を、そこ
らの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗文化の論理という。こういう論理が
まかり通れば通るほど、文化は低俗化する。

文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷惑をかけ
なくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律するより高い道徳性によって決ま
る。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、それを口にするというの
は、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味する。

●学校側の抵抗

で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めてかかって
いるようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止しているところもある
が、小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思ということになる。が、学校の校
長にしてみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということになる。学校全体を包むモヤモヤと
した風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけだ。だから校長にしても、それが気になる。
……らしい。

●まるで宇宙人の酒場!

 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒューストン
国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座っていると、まるで
映画「スターウォーズ」に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら覚える。身長の高い低
い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星から来た生物のよう
な、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装もそうだ。国によって、まる
で違う。アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書くまでもない。そういうところで茶パツを
問題にしたら、それだけで笑いものになるだろう。色どころか、髪型そのものが、奇想天外とい
うにふさわしいほど、互いに違っている。ああいうところだと、それこそ頭にちょうちんをぶらさ
げて歩いていても、だれも見向きもしないかもしれない。

●結局は島国の問題?

 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシから沖
縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かもしれないが、
しかしそれはもう世界の常識ではない。

 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。ただ
この日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」という
論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校長にしても、そ
れを心配しているのではないか? 私にはよくわからないが……。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

乾電池を入れかえれば動く!
死は厳粛に(失敗危険度★★)

●死を理解できるのは、三歳以後

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解できない。
飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子ども(三歳男
児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と
言った子ども(三歳男児)もいた。子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、し
かしその概念はおとなとはかなり違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活
の一部(日常的な生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族
の死すら平気でやり過ごすことがある。

●死への恐怖心

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひとりぼ
っちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、
子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。ちなみに小学五
年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員が、「こわくない」
「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がい
た。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいや
だ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人がそ
れを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知
る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんで
もいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死
んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは
「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていね
いにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、
子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして生きることの大切さを

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめるという
目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなこと
も頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

どうして生徒なんか紹介するのよ!
すべて計算づく(失敗危険度★★)

●母親族たち

 母親たちを総称して、「母親族」という。決してバカにしているのでも、また差別しているのでも
ない。一人ひとりの母親をみていると、どの母親もすべて違う。しかし全体としてみると、その母
親にはどこか共通点があるのがわかる。そういう母親像を最大公約数的にまとめて、「母親
族」という。それはちょうど、若者たちをみて、「若者族」、老人たちをみて、「老人族」というのに
似ている。決して気分を悪くしないでほしい。で、その中の一例。

●母親族の特徴

(1)サービスも、三回つづくと、当たり前……ある音楽教室でのこと。レッスン時間はレッスン
時間としてあるのだが、たまたま隣の部屋があいていた。そこで学校帰りの子どもについて、
早く来た子どもはその部屋を自由に使ってもよいということにした。宿題がある子どもは宿題
を、レッスンをしたい子どもはレッスンを、と。最初のころこそ、親も子どももどこか遠慮がちに
その部屋を利用していたが、三か月もすると様子が変わってきた。その日のレッスンでない子
どもまでやってくるようになった。その上、三〇分とか一時間という常識的な時間ではなく、中に
は数時間もいる子どもまで出てきた。そこで半年ぐらいたったある日のこと、その音楽教室の
先生は、その部屋を閉鎖した。が、母親たちは納得しなかった。中には怒って、「約束が違う」
と、音楽教室をやめてしまう母親すらいた。

(2)すべてが計算づく……これはある英会話教室の話だが、この不況下、その教室でも生徒
集めに苦労をしていた。その教室では、生徒数が一〇人前後いないと、講師に払う時間給が
赤字になるのだが、生徒数はたったの四人。が、その講師の先生は、アメリカの州立大学を
優秀な成績で卒業した女性。教え方もうまい。しかし三か月たっても、半年たっても、生徒はふ
えなかった。クラスを閉鎖しようと経営者は何度も考えたが、その講師を手放すのは忍びなか
った。で、結局ほぼ一年間、その状態がつづいたが、やっと一人、新しい生徒が入ってくること
になった。が、そのときのこと。

 その新しい生徒は、先の四人の中の一人が紹介した子どもだったのだが、生徒の親どうしの
間で、争いが起きたというのだ。「どうして新しい生徒なんか紹介するのよ。生徒がふえれば、
それだけうちの子たちがていねいに教えてもらえないでしょ!」と。親たちは協力しあって、新し
い生徒がふえることに抵抗していたのだった。

(3)こまかい授業設定……これは学習塾での話。その塾では、小学五年生のクラスだけで、
それぞれ別々の四クラスがあった。週二回のレッスンだったので、計八クラスということにな
る。が、小学五年のG君だが、ほとんど毎週のようにレッスン日の変更を申し出てきた。「今度
の火曜日に行かれないので、明日の月曜日にしてほしい」とか。受付の女性はそのつど、その
申し出に応じていたが、ある日、出席日数をチェックしてみて驚いた。

 どの子どもも、週二回、月八回のレッスンになっていたが、G君だけは、毎月九〜一〇回にな
っていた。変更をうまくやりくりしながら、レッスンの回数をふやしていたのだ! つまり塾という
ところは、月単位で運営するところが多い。だから月によっては、四週あるクラスと、五週ある
クラスがうまれる。五週あるときは調整休みをするのだが、その間をうまく行ったり来たりする
と、月八回のレッスンを、九回にしたり一〇回にしたりできる。……とまあ、ふつうの人なら、こ
んなこまかい計算はしない。しかしG君の母親はした。しながらレッスン日をふやしていた。

●母親族こそ犠牲者

 結論から先に言えば、今、子育てそのものが、個人の欲得の追求の場になっている。エゴイ
ズムが、その底流ではげしくぶつかりあっている。「自分の子どもさえよければ、それでいい」
「何とか自分の子どもだけでも」と。そしてそれが日本全体を包む大きな流れであるとするな
ら、その流れの中で翻弄されている母親族こそ、本当の犠牲者なのかもしれない。だれもそう
いう母親族を責めることはできない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

一緒に学校へ抗議に行ってほしい!
親の身勝手(失敗危険度★★★★)

●「しっかりめんどうをみろ」

 三〇人もいれば、いろいろな生徒がいる。たとえあなたの子どもに問題がないとしても、多い
か少ないかと言えば、問題のある子どものほうが多いに決まっている。中には親ですら、手に
負えない子どももいる。そういう子どもを三〇人も一人の先生に押しつけて、「しっかりめんどう
をみろ」はない。もっと言えば、あなたという親から見れば、先生とあなたの関係は一対一かも
しれないが、先生のほうから見れば、一対三〇になる。

 たとえばあなたは「一〇分くらいの相談ならいいだろう」と思って電話をするかもしれないが、
三〇人ともなると、それだけで計五時間となる。五時間である! が、親にはそれがわからな
い。どの親も、「私だけ」と思って行動する。あるいは自分や自分の子どものことしか考えない。
こんなことがあった。

●一〇〇%完ぺきな授業はない

 ある日一人の母親が血相を変えて私の家にやってきた。そしてこう言った。「今日、学校で席
決めのとき、先生が『好きなどうし並んでもよい』と言ったという。ウチの子(小二男児)のよう
に、友だちがいない子どもはどうしたらいいのか。そういう子どもに対する配慮が足りない。こ
れから学校へ抗議に行くので、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断った。

すべての子どもに対して満点の指導など、実際には不可能だ。九〇%の子どもによかれと思
ってしても、残りの一〇%の子どもにはそうでないときもある。たまには自分の子どもが、その
一〇%に入るときもある。そういうことでいちいち目くじらを立てていたら、学校の先生だって指
導ができなくなる。

●本当の問題

 学校や学校の先生に対して完ぺきさを求める親というのは、それだけで依存心の強い人と
みる。もし教育は親がするもの、その責任は親がとるものという考えがもう少し徹底すれば、こ
うした過関心は、少しはやわらぐはず。このタイプの親は、「何とかせよ」と学校や学校の先生
に迫ることはあっても、その責任は自分にあるとは思わない。席決めを問題にした親にしても、
先生の発言よりも、むしろその子どもに友だちがいないことこそ問題にすべきではないのか。

「なぜ友だちがいないのか?」と。また友だちがいないからといって、それは先生の責任ではな
い。子ども自身が自分で、「ぼくには好きな子がいない」とでも言えば、それはそれでわかる
が、そうでなければ、先生にそこまで把握することは不可能。家へ帰ってから子どもが親に、
「ぼくには友だちがいない」と訴えたとしても、それは子ども自身の問題と考えてよい。

 子どものことに関心をもつのは、それはしかたないことだが、しかしそれが過関心になり、こ
まかいことが気になり始めたら、心の病気の初期症状と思ったらよい。ほうっておけば、あなた
は育児ノイローゼになって、自らの心を狂わすことになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

ただより高いものはない
親のエゴ、親の計算(失敗危険度★★)

●身内や親戚は教えない

 昔から『ただより高いものはない』という。教育の世界ほどそうで、とくに受験勉強のような「危
険物」は、割り切ってプロに任せたほうがよい。実のところ、私も若いころ、受験塾の講師もし
たことがあるが、身内や親戚、あるいは親しい知人の子どもについては、引き受けなかった。
理由はいくつかある。

 まず受験勉強ほど、その子どものプライバシーに切り込むものはない。学校での成績を知る
ということは、そういうことをいう。つぎに成績があがればよいが、そうでなければ、たいていは
人間関係そのものまでおかしくなる。ばあいによっては、うらまれる。さらに身内や親類となる
と、そこに「甘え」が生じ、この甘えが、金銭関係をルーズにする。私も一度だけ、遠い親戚の
子ども(小二のときから中二まで)預かったことがある。F君という男の子だった。

●F君との出会い

 F君が最初に私のところにやってきたのは、小学一年生のときのことだ。今でいう学習障害
児と言ってもよいような子どもだった。女房の遠い親戚にあたる子どもだったので、頼まれるま
ま引き受けた。いや、本来なら親戚の子どもは引き受けないのだが、母親は私の熱心なファン
だと言った。それで引き受けた。

●月謝は半額

 で、親戚ということで、月謝は当初から半額だった。正確には、当時八〇〇〇円の月謝(一ク
ラス五人程度、週一回)の半額の四〇〇〇円だった。が、そういう子だったから、半年もしない
うちに、母親から「週二回みてほしい」と言ってきた。そこで私は時間を何とかつくり、週二回、
教えることにした。しかし効果はほとんどなかった。こうなると、私のほうが立場が悪くなる。物
価もそれなりに上昇したが、F君だけは月謝を据え置いた。いや、何度か断りたいと思ったが、
親戚ということで、それもできなかった。その状態が三年、四年とつづいた。で、いよいよ中学
というとき、思うような結果が出せなかったので、私のほうから申し出て、週三回にしてもらっ
た。もちろんふやした分は、ただである。母親は感謝したが、しかしそれも最初だけだった。

●通常の月謝で……

 こうして計算してみると、すでにそのころ月謝は、通常の四分の一以下になっていた。が、そ
れでも何とかF君との人間関係はつづいた。が、私を激怒させる事件が起きた。何とF君が、同
じ教室で、数歳年下の子どもをいじめていたのである。そのいじめ方については、ここに書く必
要はないと思う。が、その事件を目撃して、私はF君への思いが消えた。(今から思うと、F君も
犠牲者だったのかもしれない。毎週三回も、いやいやながら私の家に足を運んでいたのだか
ら……。)

で、ある日、母親に、通常の月謝にしてほしいと申し出た。いや、その直前に、たまたま母親の
ほうから、週三回を、さらに週四回にしてほしいという申し出があった。私は、「通常の月謝で
教えさせていただけるなら、引き受ける」というようなことを言った。が、この言葉がどういうわけ
だか、母親を怒らせた。F君の母親は、「それなら結構です」と言って、そのまま私の教室を去
っていった。

 何とも割り切れない別れ方だったが、以後、そのF君の母親もF君も、いっさい音信はない。
葬儀の席か何かで会ったことがあるが、母親は私には視線を合わせようともしなかった。

●無料の受験特訓

 もう一つ、こんなこともあった。

私はほんの数年前まで、高校を受験する受験生については無料で教えていた。受験指導はあ
くまでも「指導」であって、教育とは異質のものと考えていたからだ。方法はこうだ。

 この静岡県では、中学三年が、受験期としてたいへん重要な意味をもつ。だからその時期を
迎えた子どもは、毎年七月から一一月まで、毎晩七時ごろから一一時ごろまで教えた。教えた
といっても、つきっきりで指導したわけではない。ときどき生徒の様子をうかがい、わからないと
ころだけを教えた。

しかしこの方法を長い間つづけていると、どこからか情報がもれて、その教室を目的に私のと
ころへやってくる生徒がふえ始めた。最初のころこそ、気前よく迎えていたが、それが四人、五
人となると、さすがの私も負担に思い始めた。が、ある夜こんなことがあった。

●無料レッスンを請求した子ども

 そろそろ七月という暑い初夏の夜だった。その年は何かとあわただしく、七月からの無料学
習(私は受験特訓と呼んでいたが)、その日程の調整がつかなかった。中学三年生はそのと
き、五人ほどいた。うち一人だけが幼児教室のOBで、残りは中学三年生になってから、入って
きた生徒だった。私は週一回、二時間という教室でそれまで教えていた。その夜のことだ。

 帰りまぎわになって、一人の中学生がこう言った。「今年はいつから受験特訓を始めてくれる
のですか?」と。私は驚いた。私は一度も、私のほうからそういう連絡をした覚えはない。あくま
でも私の好意であって、それをするかしないかは、私が決めるものだとばかり思っていた。そこ
で、「始める? ……どうして?」と聞くと、その中学生はこう言った。「お母さんが聞いてこいと
言った」と。

●ガラガラと音とをたてて……

 とたん、私の中からやる気がガラガラと音をたてて崩れていくのを感じた。この生徒たちは、
(無料の!)受験特訓を目的に、中学三年になってあわてて私のところへきたのだ。しかし毎
晩、四〜五時間の指導を、半年近くもする受験塾がどこにあるだろうか。そのとき生徒五人か
ら手にしていた月謝を合計しても、学生による家庭教師代より少ない。私は思わず、「今年は
忙しいからな……」と言ったのだが、もう一人の中学生も、不機嫌な顔をしていた。見ると「約
束が違う」というような表情だった。

 私はその年は七月になっても、受験特訓を始めなかった。八月になっても、受験特訓を始め
なかった。が、九月になると、その中の三人が私の教室をやめると言い出した。しかたないこと
だ。もともとそういう生徒だった。

 で、九月になった。私は二人の生徒だけで、一一月まで受験特訓をした。一一月というのは、
最後の校内模試が終わる月であった。内申書の成績はこの試験を最後に決まる。静岡県で
は、当時は、この内申書でほとんどが入学先の高校が決まるしくみになっていた。

 その翌年から、私は受験特訓をやめた。おかげで生徒は、一人もいなくなったが……。

●受験勉強はしごき

 受験指導というが、子どもの側からみると、「しごき」以外の何ものでもない。子どもの側で考
えてみれば、それがわかる。勉強がしたくて勉強する子どもなど、いない。偏差値はどうだっ
た、順位はどうだった、希望校はどこにするとやっているうちに、子どもの心はどんどんと離れ
ていく。だからいくら教える側が犠牲的精神をふるいたたせても、率直に言えば、親に感謝され
ることはあっても、子どもに感謝されることは、まずない。受験勉強というのは、もともとそういう
もの。「教育」という名前を使う人もいるが、ここに書いたように、受験指導は「指導」であって、
教育ではない。もともと豊かな人間関係が育つ土壌など、どこにもない。

●受験勉強はプロに任す

 長い前置きになったが、そこで本論。中に子どもの受験勉強を、親類や知人に頼む人がい
る。そのほうが安いだろうとか、ていねいにみてもらえるだろうとか考えてそうする。しかし実際
には、冒頭に書いたように、ただより高いものはない。相手がプロなら、成績がさがれば、「ク
ビ!」と言うこともできるが、親類や知人ではそういうわけにもいかない。ズルズルと指導しても
らっているうちに、あっという間に受験期は過ぎてしまう。そんなわけで教訓。受験勉強は、多
少お金を出しても、その道のプロに任せたほうがよい。結局はそのほうが安全だし、長い目で
見て、安あがりになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi


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(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
   

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 2日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

3月2日  第1168号になりました!

★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【モンスタママの子育て狂騒】(1)

給食もレストラン感覚で!
非常識が常識(失敗危険度★★★)

●「足の裏をみるのですかア」

 「最近の母親たちはバッグを平気でベッドの上に置く」と、ある小児科の医師が怒っていた。
が、それだけではない。「子どもをベッドに寝させてください」と言うと、今度はスリッパをはかせ
たままベッドの上に……! そこで看護婦が、「スリッパをぬがせてください」と言うと、その母
親は、「足の裏をみるのですかア」と。

●最近の親たち

 こういう非常識な母親はいくらでもいる。幼稚園へ入園するについても、最近の母親で、「入
れていただけますか?」と聞く親はまずいない。当然入園できるという前提で、幼稚園へやって
くる。中には幼稚園へやってきて、見学だの、体験学習だの、さらには給食の試食までしていく
親がいる。帰りぎわに主任の教師が、恐る恐る、「入園はどうしますか?」と聞くと、「もう二、三
か所、あちこちの幼稚園を回って決めるワ」と。私にもこんな経験がある。

●「一回休みましたから」

 そのころ園長の指示で、希望者だけを集めて特別講座を開いていた。わずかだったが、別
に講座費(月額3000円)をとっていた。が、それがよくなかった。5月の連休が重なって、その
子ども(年中女児)のクラスだけが、月3回になってしまった。それについて、その母親から、
「補講してほしい」と。しかしたまたま月3回になったのは、私の責任ではない。そこで「補講は
しません」というと、今度はその父親が電話に出てきて、こう言った。「月4回ということで、講座
費を払っている。3回しかしないというのは、サギだ。ついては、お前をサギ罪で訴える」と。市
内で歯科医師をしている父親からの電話だった。

 あるいは同じころ、たまたま月1回を病気か何かで休んだ子ども(年長男児)がいた。よくある
ことだが、あとでみると、講座費がちょうど4分の3の、2250円になっていた。いや、そのとき
はそれに気づかず、「お金が足りませんが……」と言うと、その母親は平然とこう言った。
「一回休みましたから」と。

●給食もレストラン感覚で

 もっともこの程度の非常識はこの世界では常識。先日も神奈川県のU幼稚園で講演をさせて
もらったのだが、その園長がこっそりとこう教えてくれた。「今では、昼の給食もレストラン感覚
で出してやらないと親は納得しないのですよ」と。「子どもに給仕をさせないのですか?」と聞く
と、「とんでもない! スープでヤケドでもしようものなら、親が怒鳴り込んできます」と。

 今、子育ての世界では、非常識が常識になってしまっている。しかも何が常識で、何が非常
識なのか、それさえわからなくなってきている。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

何をお高くとまってんの!
神経質になる母親たち(失敗危険度★★★★)

●「あなたの教育方針は何か」

 ある日一人の母親が四歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の先
生は、三〇歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、一年間ドイツの音楽学校に留学し
ていたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。しかしその母親
は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子どもの未来像をどう考えて
いるか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?

 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週一回の音楽教室ではないか」と、その音楽教
室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と考えて、あ
れこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたという。「これから家
に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と教育論?

●「失礼」を知らない母親たち

 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室に通う
ことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアクセントが身につ
くのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あなたの教室と、K式算
数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえいた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入りたいと言う
のでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失敬」という言葉は通じ
ない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会そのものを断るようにしている。が、
それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」

 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒りだす。
「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこは紹介がないと
入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言える教室じゃないでし
ょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんなことがあった。

●初対面のときとは別人

 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハキ
のなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわかった。会
うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だったが、どこかイ
ンギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあとで」とその場は逃げ
た。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかない。

 で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、父親がものすごい剣幕で電話をかけてき
た。「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、はっきりといっ
たらどうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。私が「息子さん能力とは関係あり
ません」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れて
みせる!」と怒鳴った。もっともこの父親は、それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなって
しまった。私と女房は、妙にその事実に納得した。「うむ……」と。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

私の考えが絶対に正しい!
自分の世界で子育てをする母親たち(失敗危険度★★)

●「林先生は、ちゃんと指導していない」

 年中児になると、子どもというのは、とくに教えなくても文字を書けるようになる。もちろん我流
だが、それはそれとしてこの時期はおお目に見る。で、ある日私が子ども(年中男児)の書いた
文字に大きな花丸をつけて返したときのこと。その日の夕方、母親から抗議の電話がかかって
きた。「あんなメチャメチャな字に、花丸などつけないでください!」と。そしてその電話のあと園
長にまで電話をかけ、「林先生は、ちゃんと指導していない。どうしてくれるのか」と迫った。

●祖父が教師へ飛び込んできた

 これに宗教がからむと、さらにやっかいなことになる。ある日赤ペンで、その子ども(年中女
児)の名前を書いたときのこと。あとからその子どもの祖母から抗議の電話があった。いわく、
「赤字で名前を書くとはどういうことですか。もし万が一、うちの孫に何かあったら、あなたのせ
いですからね!」と。何でも赤字で名前を書くのは、不吉なことなのだそうだ。またこんなこと
も。

 ある日、私が肩が痛いと言うと、「なおしてあげる」と申しでてきた子ども(小五男児)がいた。
「ありがたい」と思って頼むと、その子どもは私の肩に手をかざして、何やらを念じ始めた。で、
私が「そんなのならいい。どうせなおらないから」と言うと、その子どもは笑いながら手を離し
た。私も笑った。

が、その翌日、まず祖父が教室へ飛び込んできた。「貴様は、うちの孫に何てことを教えるの
だ!」と。つづいて母親までやってきて、「うちの宗教を批判しないでください!」と。その家族は
ある宗教団体の熱心な信者だった。さらに……。

●「あなたはせっかくのチャンスをムダにした」

 クラスの生徒の家庭に不幸があるたびに、「私なら何とかできます」と申し出てきた女性(四
一歳)がいた。私の知人の姉にあたる人だった。話を聞くと、「私なら救うことができます」と。そ
のときもそうだった。子ども(小二)が、重い小児ガンになっていた。私も何とかしたいと思って
いたので、つい気を許して、「お願いします」と言ったが、それからがたいへんだった。

その女性はまず箱いっぱいの書籍をもってきた。みるとその教団の教祖が書いた本だった。
が、それで終わらなかった。ついで、そのガンの子どもの家を紹介してほしいと迫ってきた。し
かし、それはまずい。相手の人は、相手の人で、毎日壮絶な苦しみと戦っている。そういう家族
に、本当に救えるのならまだしも、宗教をすすめるのは、まずい。しかしその女性にはそれが
わからない。私はていねい断ったのだが、こう言った。「あの子は私の力で治せる。あなたはせ
っかくのチャンスをムダにした」と。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

うちの子はやればできるはず!
身のほど知らず(失敗危険度★★★★★)

●それを言ったら、おしまい

 子どもを信ずるのは大切なことだが、それにも限度がある。その能力のない子どもの親か
ら、「何とかしてほしい」と言われることぐらい、つらいことはない。思わず「遺伝子の問題もあり
ますから」と言いそうになるときもある。が、それを言ったら、おしまい。

●三割削減

 学習内容が全体で三割程度削減されることになったときのこと。それについて、「このあたり
には私立の小学校がないが、どうしたらよいか」と相談してきた親がいた。私立の小学校で
は、今までどおりの授業をすると思っているらしい。が、それはそれとして、その子ども(年長男
児)は私がみたところでも、学校の授業についていくだけでもたいへんだろうな思われる子ども
だった。そういう子どもの親が三割削減の心配をする? むしろ三割削減を喜ぶべきではない
のか。

そう言えば、名古屋市で学習塾を開いているY氏も同じようなことを言っていた。「クラス
でも中位以下の子どもの親から、(最上位の)S高校へ入れてくれと言われるくらい、困ること
はないよ」と。

●親の過剰期待

 が、この期待が子どもに向かうと、過剰期待になる。何が子どもを苦しめるかといって、親の
過剰期待ほど子どもを苦しめるものはない。たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」
と思っている。事実そのとおりだが、やる、やらないも力のうち。「やればできる」と思ったら、
「やってここまで」とあきらめる。が、これがむずかしい。

 誤解、その一……むずかしいワークをやればやるほど、勉強ができるようになるという誤解。
しかし事実はまったく逆。無理をすればそのときは多少の力はつくかもしれないが、しかしそう
いう無理は長続きしない。(勉強から逃げる)→(親がますます無理をする)の悪循環の中で、
子どもはますますできなくなる。

 誤解、その二……勉強の量(勉強時間)をふやせばふやすほど、勉強ができるようになると
いう誤解。しかしダビンチもこう言っている。『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうよう
に、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこない、また記憶されない』と。意欲をともなわない勉
強は、身につかないということだが、実際には逆効果。子どもは時間ツブシや、フリ勉がうまく
なるだけ。しかも小学校の低学年で一度、勉強から逃げ腰になると、以後、それをなおすのは
不可能といえるほど、なおすのがむずかしくなる。

 誤解、その三……訓練すればするほど、勉強ができるようになるという誤解。たしかに計算
や漢字の学習は、訓練すればするほど、それに見合った効果が期待できるときもある。しかし
計算力があるからといって、算数の力があることにはならない。漢字をよく知っているからとい
って、国語(作文)の力があることにはならない。もう少しわかりやすい例では、年中児ともなる
と、ペラペラと本を読む子どもが出てくる。しかしだからといって、その子どもは国語の力がある
ということにはならない。たいていは文字を音に変えているだけ。

●一人の母親がやってきた

 しかし母親にはそれがわからない。夏休みになる少し前、一人の母親が私をたずねてきた。
私の本の読者だというので、私もその気になっていたが、会うとこう言った。「うちの子は言葉も
遅れた。二年生になるとき、特別学級(養護学級)をすすめられているが、今のところ何とか断
ることができた。何とか学校の勉強についていきたいので、先生(私)のところで夏休みのあい
だだけでもいいから、めんどうをみてくれないか」と。

●ワークブックがぎっしり!

 で、その子どもに会うと、カバンの中に難しいワークブックがぎっしりと詰まっていた。ふつう、
J社、G研、O社のワークブックは買ってはいけない。J社のワークブックは、難解な上に、問題
がひねってある。G研やO社のワークブックは、問題の「落差」が大き過ぎる。

 たとえば同じ見開きのページの中でも、左上の一番の問題は、眠っていてもできるような簡
単な問題。が、右下の最後の問題は、「こんな問題、できる子どもがいるのだろうか?」と思う
ほどむずかしい問題であったりする。つまり落差が大き過ぎる。

こうしたワークをかかえたら最後、子どもの学習はそこでストップしてしまう。その子どものワー
クブックはそのJ社のものばかりだった。しかも、問題量が多いというか、こまかい字のものば
かり! 親としては、問題量が多いということは、それだけ「割安」と考えるのかもしれないが、
それも誤解。ワークブックはスーパーで買う食品と同じに考えてはいけない。

●ワークブックが足かせに

 ついでながら、子どものワークブックを選ぶときは、(1)動機づけ、(2)達成感の二つを大切
にする。動機づけというのは、子どもをその気にさせること。達成感というのは、いわば満足感
のことだ。この二つをクルクルまわりながら、子どもは勉強好きになる。

 私が「ワークブックはすべて捨てなさい」と言うと、その母親は目を白黒させて驚いた。さらに
私が、「子どもには内緒で、幼児用のワークブックを使わせます」と言うと、さらに白黒させて驚
いた。そして「では、指導していただかなくて結構です」と言って、そのまま去っていった。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

勉強だけできればいいの!
ガツガツママのモチ拾い(失敗危険度★★★★)

●基礎教養

 「教育」をどうとらえるかは、人それぞれ。そのハバもその深みも、その人によって違う。ある
母親は娘(小二)を育てながら、一方で本の読み聞かせ会を指導し、乳幼児の医療問題研究
会を組織し、議会運動までしていた。母親教室にも通っていたし、学校のPTAの役員もし、クラ
ス対抗のお母さんバレーも指導していた。そういうのを「基礎教養」と私は呼んでいるが、その
母親のまわりには、その基礎教育があった。が、一方、その基礎教養がまったくない親がい
る。ないまま、受験教育だけが「教育」と信じ、それだけに狂奔する。Rさん(三五歳)がそうだ。

●なりふりかまわない子育て

 Rさんは、夫の実家が裕福なことをよいことに、家計にはほとんど関心をもたなかった。夫は
ある運送会社で荷物の仕分け作業の仕事をしていた。が、Rさんは、子ども(小二男児)の教
育には惜しみなく、お金を注いだ。おけいこ塾も四つをかけもちした。空手道場、ピアノ教室、
英語教室、それに水泳教室、と。水泳教室にかよわせたのは、子どもに喘息があったからだ
が、当然のことながら家計はパンク状態。そのつど夫の実家から援助を受けていた。が、それ
だけではない。夫の一か月の給料でも買えないような学習教材を一式買ったこともある。最近
では子どもの学習用にと、中古だがコピー機まで購入している。

●モチまきのモチ?

 Rさんのような母親を見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。不快感すら覚える。
それはちょうど、バイキング料理で、「食べなければ損」とばかり、つぎからつぎへと、料理をた
いらげている女性のようでもある。あるいは、モチ投げのとき、なりふり構わずモチを拾ってい
る女性のようでもある。「教育」と言いながら、その人を包み込むような高い理念がどこにもな
い。いや、そういう人にしてみれば教育とは、まさにモチまきのモチでしかないのかもしれない。

●私はハタと困った

 私はそのRさんのことをよく知っていた。が、あろうことか、ひょんなところから、そのRさんか
ら子どもの教育の相談を受けるハメになってしまった。最近、子ども(小二男児)が、Rさんの言
うことを聞かなくなったというのだ。そこで一度、面接してみると、その子どもには、いわゆるツ
ッパリ症状が出ていた。すさんだ目つき、乱暴な言葉、キレやすい性格など。動作そのものま
で、どこか野獣的なところがあった。ほうっておけば、まちがいなく非行化する。

●私は超能力者?

私のばあい、数分も子どもと接すると、その子どもの将来が手に取るようにわかる。今、どうい
う問題をかかえ、これからどういう問題を起こすようになるかまでわかる。よく「超能力者のよう
だ」と言われるが、三〇年も毎日子どもたちと接していると、それがわかるようになる。方法は
簡単。

 まず今までに教えた子どもの中から、その子どもに似た子どもをさがす。そしてその子どもが
その後どうなっていったかを知る。さらに私のばあい、幼稚園の年中児から高校三年生まで、
教えている。しかも問題のあった子どもほど、印象に強く残っている。あとはそれを思い出しな
がら、親に話せばよい。そういう意味では、この世界では経験がモノを言う。が、この段階で、
私はハタと困ってしまった。「それを親に言うべきか、どうか」と。

●間の距離が遠すぎる

 ここで出てくるのが、「基礎教養」である。もしRさんに豊かな教養があれば、私は迷わず、そ
の子どもの問題点を話すであろう。話すことができる。しかしその教養のない親には、話しても
ムダなばかりか、かえって大きな反発を買うことになる。それだけの教養がないから、説明のし
ようがない。それはちょうどバイキング料理をむさぼり食べている女性に、栄養学の話をするよ
うなものだ。もっと言えば、掛け算もまだわからない子どもに、分数の割り算の話をするような
ものだ。間に感ずる距離が、あまりにもある!

 Rさんはさかんに、それも一方的に、「はやし先生にみてもらえるようになって、うれしいです。
よかったです」と言っていたが、私は私で、「少し待ってください」とそれを制止するだけで、精一
杯だった。私の話すら、ロクに聞こうとしない。それだけではない。このタイプの親というのは、
もともと一本スジの通った哲学がないから、成績がさがったらさがったで、今度は私の責任を
おおげさに追及する。それがわかっているから、その子どもの指導を引き受けることができな
い。で、案の定というか、私が数日後、電話で、力にはなれないと告げると、私の説明を半分も
聞かないうちに、携帯電話をプツンと切ってしまった。
 

はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

昔は子殺しというのも、あったからねえ!
女性の三悪(失敗危険度★★★★)

●人間そのものを狂わす

 嫉妬、虚栄心、母性本能を、女性の三悪という。ここで母性本能を悪と決めつけるのは正しく
ないかもしれないが、性欲や食欲と同じように考えてよい。この本脳があるからこそ、親は子を
育てるが、使い方をまちがえると、人間そのものを狂わす。そういう意味で、三悪のひとつに加
えた。

(1)まず嫉妬……こういう話は、プライバシーの問題がからむため、ふつうは正確には書かな
い。しかしそれにも限度がある。あまりにもふつうでない話のため、あえて事実を正確に書か
ねばならないときもある。こんな話だ。

●ライバルの子どもを足蹴り

 H市の郊外にU幼稚園という小さな幼稚園がある。あたりは高級団地で、そのレベルの家の
子どもたちがその幼稚園に通っていた。そこでのこと。その母親は自分がPTAの会長であるこ
とをよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていた。そして自分のライバルの子ども(年中女
児)を見つけると、執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。まずその女の子の横をそれ
となく通り過ぎながら、足でその女の子を蹴飛ばす。その勢いで倒れた女の子を、「どうした
の?」と言いながら抱くフリをしながら、またカベに投げつける……。年中児なら、かなり詳しく
そのときの状況を話すことができる。

 その女の子は、その母親の姿を見ただけで、まっさおになっておびえるようになったという。
当然だ。そこでその女の子の母親が「どうしたらいいか」と相談してきた。いや、その前に、そ
の母親は相手の母親に、それとなく抗議したというが、相手の母親は、とぼけるだけで、話にな
らなかったという。しかも相手の母親の夫というのは、ある総合病院の外科部長。自分の夫
は、同じ病院でもヒラの外科医。夫の上司の妻ということで、強く言うこともできなかったという。

●珍しい話ではない

 こういう話は、この世界では珍しくない。嫉妬がからむと、人間はとんでもないことをする。脳
のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うときがある。これも実話だが、ある母親は同じ団地
に住む別の母親の子ども(四歳児)を、エレベータの中で見つけると、いつも足蹴りにしていじ
めていた。そのためその子どもは、エレベータを見るだけでおびえるようになったという。

問題は、なぜ、そこまで母親というのは狂うかということ。先にあげた母親は、幼稚園でもPTA
の会長をしていた。多分会合の席なのでは、それらしい人物として振舞っていたのだろう。考え
るだけでもぞっとするが、しかし人には、その人でない部分がある。この話を叔母にすると、叔
母はこう言った。「昔は子殺しというのもあったからねえ」と。母親も嫉妬に狂うと、相手の子ど
もを殺すことまでする……?

 つぎに(2)虚栄心。「世間」という言葉を日常的に使う人ほど、虚栄心の強い人とみる。いつ
も他人の目の中で、自分を判断する。価値観というのが、いつも相対的なもので、他人より財
産があれば、豊かと感じ、そうでなければ貧しいと考える。子どもにしても、このタイプの母親に
は、「飾り」でしかない。もともと自己中心性が強いため、親意識も強い。「私は親だ」と。そして
その返す刀で、子どもに向っては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せる。

●他人の不幸を喜ぶ親

 このタイプの母親には、他人の不幸ほど、楽しい話はない。ここに書いたように価値観が相
対的であるため、他人が不幸であればあるほど、自分がより幸福ということになる。Tさん(三
五歳女性)がそうだった。幼稚園へはいつも、ものすごい着物でやってきた。そして若い先生に
会ったりすると、その場できどった言い方で、こう言った。「アーラ、先生、お元気そうザーます
ね。まあ、すてきな香り、よいご趣味ザーますわね」と。私はてっきりすごい家柄の母親だとば
かり思っていた。そしてこんなこともあった。

 幼稚園で遠足に行くことになったときのこと。母親たちの間で、昼の弁当はどうするかという
話がもちあがった。二、三人の親が、サンドイッチはどうかしらと提案したそのとき、Tさんはあ
たりをおさえるようにして、こう言った。「ア〜ら、(幼稚園生活で)最後の遠足ザーますから、皆
さんで仕出し弁当か何かを頼んだら、いかがザーますかしら」と。

 で、どういうわけだかそのときは反対する人もなく、その仕出し弁当になってしまった。何でも
Tさんの知人がそのお弁当を作ってくれるという。値段は「割安」とは言ったものの、当時の平
均的な弁当の二倍以上の値段だった。私はそのとき三〇歳少し前。年上の母親には何も言え
なかった。

●豪華な着物

 そのTさんだが、子どもへの執念にも、ものすごいものがあった。たとえば誕生会は、市内の
レストランで開いていた。しかも招待するのは、そのレベルの人たちばかり。私にも招待の声
がかかったが、何を着ていこうかと迷ったほどである。そしてさらに秋の遊戯会でのこと。その
クラスで、浦島太郎をすることになった。

が、Tさんは、「どうしてもうちの息子に、乙姫様をやらせたい」と申し出てきた。男の子が乙姫
様というのもおかしいという声もあったが、結局Tさんに押し切られてしまった。が、驚いたのは
最後のリハーサルの日のこと。Tさんがもちこんだ着物は、日本舞踊で使うような、これまた豪
華な着物だった。これには担任の若い先生も驚いて、「そこまではしない」ということになった
が、Tさんは悪びれる様子もなく、こう言った。「うちには
昔からのこういった着物がありますザーますの。皆さんにもお貸ししましょうかしら、ホホホ」と。
Tさんは、ただ着物をみせびらかしたかっただけだった。

●私はわが目を疑った!

 私は少なからずTさんに興味をもった。大会社の社長の夫人か。それとも大病院の院長の夫
人かと思った。が、ある日のことだった。それは偶然だった。私が何かの用事で、ふらりとある
大型スーパーの、そのまたある売り場へ行ったときのこと。そこで私はわが目を疑った。(こう
書くからといって、そういう人がザーます言葉を使ってはだめだと言っているのではない。誤解
がないように!)何とそのTさんが、頭にタオルを巻いて、その店で裏方の仕事をしていたの
だ。髪の毛も、幼稚園へくるときとは、まったく違っていた。それに目がねまでかけていた。それ
を見て、私は声をかけることもできなかった。何か悪いものをみたように感じ、その場をそそく
さと離れた。

 そして(3)母性本能……前にも書いたが、母性本能があるから悪いといっているのではな
い。この本脳というのは、扱い方が本当にむずかしい。母親自身もそうなのだろうが、まわりの
ものにとっても、である。この母性本能が狂い始めると、親と子が一体化する。これがこわい。

●子どもは芸術品

 母親にとっては、子どもは芸術品。それはわかる。だから子どもを批評したり、けなしたりす
ると、子ども以上に、母親はそれを不愉快に思う。それもわかる。が、それにも限度がある。こ
んなことがあった。

 M君(年中男児)は、かん黙症の子どもだった。かん黙症といっても、全かん黙と、場面かん
黙がある。私はこのほか、条件かん黙というのも考えている。ある特定の条件下になると、か
ん黙してしまうのである。M君もそんなタイプの子どもだった。何かの拍子に、ふとかん黙の世
界に入ってしまった。そのときもそうだった。順に何かの発表をさせていたのだが、M君の番に
なったとたん、M君はだまりこくってしまった。視線をこちらに合わせようともしない。やさしく促
せば促すほど、逆効果で、柔和な笑みを一方で浮かべながら、ますますかたくなに口を結んで
しまった。

●M君の問題点

 実はそのとき私はM君の母親に、それとなくM君の問題点を見てもらうつもりでいた。教育の
世界では、ドクターが患者を診断して診断名をくだすような行為はタブー。こういうケースでも、
「あなたの子どもはかん黙児です」などとは、言ってはならない。わかっていても、知らぬフリを
する。フリをしながら、それとなく親に悟ってもらうという方法をとる。M君のケースでも、私はそ
う考えた。で、その少し前、M君の母親に会ったとき、そのことについて話すと、M君の母親は
そのまま激怒してこう言った。「うちではふつうです。うちの子は、新しい環境になじまないだけ
です!」と。それで私はその日は母親に参観に来てもらうことにした。が、その日にかぎって、
ほかに三、四人の母親も参観に来ていた。それがまずかった。

 じりじりとした時間が流れていくのが、私にはわかった。ふつうならそこで隣の子にバトンタッ
チして、その場を逃げるのだが、そういう問題点を母親にも見てほしかった。それでいつもより
時間をかけた。私「あなたの番だよ、どうかな?」、M「……」、私「こちらを見てくれないか
な?」、M「……」、私「もう一度言うから、よく聞いてね?」、M「……」と。

●激怒したM君の母親

 こういうとき親のほうから、「どうしてでしょう?」という問いかけがあれば、そのときから指導
ができる。問いかけがなければそれもできない。少し時間はかかるが、親自身が子どもの問題
点に気づくのを待つしかない。私はM君の母親の心の中を思いやりながら、時間が過ぎるのを
待った……。が、そのときだった。

 M君の母親がものすごい勢いで子どもたちのほうの席へやってきた。そしていきなりM君の
腕をつかむと、M君をそのままひきずるようにして、部屋の外へ出て行ってしまった。本当にあ
っという間のできごとだった。ただ最後に、M君の母親が、「M! 行くのよ!」と言ったのだけ
は、よく覚えている。

 が、それですんだわけではない。M君の母親からその夜、猛烈な抗議の電話がかかってき
た。「あなたの指導方法はうちの子にあっていません」と。私は平謝りに謝るしかなかった。M
君の母親は、こう言った。「うちの子をあんな子にしたのは、あなたの責任です。ちゃんと話せ
ていたのに、話せなくなってしまった。どうしてくれるんですか! 明日園長に話して、責任をと
ってもらいます」と。いろいろあって、私にも微妙な時期だったので、私は「それだけは勘弁して
ください」としか、言いようがなかった。

●自分で行き着くところまで行くしかない

 しかし今でもときどきあのM君を思いだすときがある。そしてこう思う。親というのは、結局自
分で行き着くところまで行って、はじめて、自分に気がつくしかない、と。またその途中で、それ
に気づく親はいない。いても、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と無理をする。「うちの子
に限って、問題はない」と思う親もいる。子育てにはそういう面がいつもついて回る。それは子
育ての宿命のようなものかもしれない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

やめるということは、クビ切りだ!
去り際の美学(失敗危険度★)

●リセット症候群

 この世の中、人との出会いは、意外と簡単。その気になれば、それこそ掃いて捨てるほど
(失礼!)ある。携帯電話やインターネットの普及が、その背景にある。しかし問題は別れると
きだ。別れるときに、その人の真価がためされる。

 もっとも今は、その別れ方も電子化している。ちょうどパソコンのスイッチを消すかのように、
まったくゼロに戻して別れてしまう。こういった別れ方を「リセット症候群」と呼ぶ人もいる。別れ
方そのものが、サバサバしている。たとえば卒業式にしても、昔は皆が泣いた。先生も生徒
も、そして親たちも泣いた。しかし今はそれがすっかりさま変わりした。

 もっともドライといえばドライなのが、ブラジルからやってきた日系人家族だそうだ(K小学校
校長談)。ある日突然学校へやってきて子どもを入学させる。そしてある日突然、同じようにい
なくなる、と。日本人もドライになったとはいえ、まだそこまでドライではない。ないが、それに近
い状態になりつつある。

●「怒りで手が震えたよ」

 私と二〇年来の友人に、学習塾を経営しているF君がいる。ちょうど同じ年齢で、あれこれ情
報をもらっている。そのF君は温厚な人物だが、そんなF君でも、しばしば憤まんやるかたなしと
いったふうに電話をかけてくることがある。いわく、「月末の最後の最後の授業が終わって、さ
ようならとあいさつをしたとたん、生徒から紙切れを渡された。見ると、『今日でやめます』と母
親の字でメモ書き。怒りで手が震えたよ」と。

 この世界の外の人にはわからないかもしれないが、「やめる」という話は、塾の教師にとって
は、クビ切り以外の何ものでもない。そういう話をメモですまそうとする母親たちの心理が、F君
には理解できない。生まじめな男だけに、ショックも大きいのだろう。いや、私にも似たような経
験はあるが、しかしこの世界はそういう世界だと割り切ってつきあっている。いちいち目くじらを
立てていたら、精神がもたない。F君もそう言っているが、しかしこちら側にもこちら側のやり方
がある。そういうふうにやめた生徒は、一切、アフターケアはしない。それはまさに人間関係の
リセット。ゼロにする。メールがこようが、電話がかかってこようが、そういったものには一切、
答えない。

●皆はどうなのか?

 ……と考えて、ふと今、医院を経営するドクターたちのことが頭を横切った。考えてみればド
クターたちも、同じ立場ではないか。患者である私たちは、必要なときに医院へ行き、必要でな
ければ、たとえ「また来い」と言われていても、行かない。あのドクターたちは、私のような患者
のことをどう思っているのだろうか。怒っているのだろうか、それとも平気なのだろうか。もっと
もドクターと塾の教師は、立場がまったく違う。ドクターは、その身分や収入がしっかりと公的に
保証されている。しかし塾の教師はそうでない。

……と考えて、今度は理容店を経営するいとこのことを思い浮かべた。客とはいいながら、そ
の客ほど、浮気な客はいない。毎月定期的に来るともかぎらないし、メモどころか、何も連絡し
ないまま、別の店に乗りかえていくことだってある。いくらそれまでていねいに散髪していたとし
ても、だ。そのいとこは、そういう客をどう思うのだろうか。怒っているのだろうか、それとも平気
なのだろうか。

●塾は人間関係で決まる

 考えてみれば、塾の教師たちがどう感じようとも、子どもを塾へやるというのは、親たちから
すれば、医院や理容店へ足を運ぶようなものかもしれない。「入るのも親の自由。やめるのも
親の自由」と。となると、F君のように、怒るほうがおかしいということになる。が、教育は病気や
商売とは違う。どこか違う。

 いくら「塾」といっても、そこは教師と生徒の人間関係で成りたつ。この「関係」があるため、医
院や理容店とは、違って当然。また「やめる」という感覚が、これまた違って当然。いやいやそ
ういうふうに「違う」と思うこと自体、手前ミソかもしれない。医院のドクターだって怒っているかも
しれない。理容店のいとこだって怒っているかもしれない。怒っていても、皆、平静を装っている
だけかもしれない。

●非常識な別れ方

 で、非常識な別れ方を列挙してみる。私の経験から……。

 私に、「今度、BW(私の幼児教室)から、K式幼児教室に移ろうと思いますが、先生、あのK
式幼児教室をどう思いますか?」と聞いてきた母親がいた。私ははじめ、冗談を言っているの
かと思ったが、その母親は本気だった。

 別の教室にすでに入会届けを出したあと、(そういう情報はあらゆるところからすぐ入ってくる
が……)、私に「先生、来月からどうしたらよいか、一度相談にのってくださいな」と言ってきた
母親がいた。

 「私は息子に、何度もBW(私の教室名)をやめるように言っているのですが、どうしてもいや
だと言っています。先生のほうからもやめるように言ってくださいませんか」と電話で言ってきた
母親もいた。

 反対にある日突然、道路ですれ違いざま、「今週でBWをやめます」と言っておきながら、そ
の一か月後、また電話がかかってきて、「来週からまた行きますから」と言ってきた母親もい
た。

●美しく別れる

 こうした母親たちからは、私は神様に見えるらしい。喜んでいいのか悪いのか……。どんなこ
とをしても、また言っても、私は許すと思っているらしい。しかし私とて、生身の人間。生きる誇
りも高い。だからこうした母親たちとは、その後、交友を再開したということはない。(だからこう
してここに書いているのだが……。)またこれから先も、何らかのかかわりをもつということもな
い。(だからこうしてここに書いているのだが……。)

 何ともきわどい話を書いてしまったが、こと子どもの教育については、いかに美しく分かれる
かについて、親はもう少し慎重であってもよいのではないか。塾のみならず、今では教育その
ものが自動販売機になりつつある。「お金を入れれば、だれでも買える」と。しかしこうしたドラ
イな見方は、結局は教育そのものまでドライにする。そしてそれは結局は、子ども自身をドライ
にし、人間関係までドライにする。そうなればなったで、さらに結局は、子ども自身が何か大切
なものを失うことになる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

子どもにはナイフを渡せ!
誤解と無知(失敗危険度★★★)

●墓では人骨を見せろ?

 ある日、一人の母親(三〇歳)が心配そうな顔をして私のところへやってきた。見ると一冊の
本を手にしていた。日本を代表するH大学のK教授の書いた本だった。題は「子どもにやる気
を起こす法」(仮称)。

 そしてその母親はこう言った。「あのう、お墓で、故人の遺骨を見せたほうがよいのでしょう
か」と。私が驚いていると、母親はこう言った。「この本の中に、命の尊さを教えるためには、お
墓へつれていったら、子どもには遺骨を見せるとよい」と。その本にはほかにもこんなことが書
いてあった。

●遊園地で子どもを迷子にさせろ?

 親子のきずなを深めるためには、遊園地などで、子どもをわざと迷子にさせてみるとよい。家
族のありがたさを教えるために、子どもは、二、三日、家から追い出してみるとよい、など。本
の体裁からして、読者対象は幼児をもつ親のようだった。が、きわめつけは、「夫婦喧嘩は子
どもの前でするとよい。意見の対立を教えるのによい機会だ」と。これにはさすがの私も驚い
た。

●子どもにはナイフをもたせろ?

 その一つずつに反論したいが、正直言って、あまりのレベルの低さに、どう反論してよいかわ
からない。その前後にこんなことを書く別の評論家もいた。「子どもにはナイフを渡せ」と。「子
どもにナイフを渡すのは、親が子どもを信じている証(あかし)になる」と。そのあとしばらくして
から、関東周辺で、中学生によるナイフ殺傷事件がつづくと、さすがにこの評論家は自説をひ
っこめざるをえなかったのだろう。彼はナイフの話はやめてしまった。しかし証拠は残った。そ
の評論は、日本を代表するM新聞社の小冊子として発行された。その小冊子は今も私の手元
にある。

(注:この教育評論家はその後、麻薬を常用していたとかで、息子氏とともに、逮捕されてい
る。)

●ゴーストライターの書いた本

 これはまた元教師の話だが、数一〇万部を超えるベストセラーを何冊かもっている評論家が
いた。彼の教育論も、これまたユニーク(?)なものだった。「子どもの勉強に対する姿勢は、筆
箱の中を見ればわかる」とか、「たまには(老人用の)オムツをして、幼児の気持ちを理解する
ことも大切」とかなど。「筆箱の中を見る」というのは、それで子どもの勉強への姿勢を知ること
ができるというもの。たしかにそういう面はあるが、しかしそういうスパイのような行為をしてよ
いものかどうか? そう言えば、こうも書いていた。「私は家庭訪問のとき、必ずその家ではトイ
レを借りることにしていた。トイレを見れば、その家の家庭環境がすべてわかった」と。たまたま
私が仕事をしていたG社でも、彼の本を出した担当者がいたので、その担当者に話を聞くと、
こう教えてくれた。

 「ああ、あの本ね。実はあれはあの先生が書いた本ではないのですよ。どこかのゴーストライ
ターが書いてね、それにあの先生の名前を載せただけですよ」と。そのG社には、その先生専
用のライター(担当者)がいて、そのライターがその評論家のために原稿を書いているとのこと
だった。もう三〇年も前のことだが、彼の書いた(?)数学パズルブックは、やがてアメリカの雑
誌からの翻訳ではないかと疑われ、表に出ることはなかったが、出版界ではかなり話題になっ
たことがある。

●タレント教授の錬金術

 先のタレント教授は、つぎのようにして本を書く。まず外国の文献を手に入れる。それを学生
に翻訳させる。その翻訳を読んで、あちこちの数字を適当に変えて、自分の原稿にする。そし
て本を出す。こうした手法は半ば常識で、私自身も、医学の世界でこのタイプのゴーストライタ
ーをした経験があるので、内情をよく知っている。

 こうした常識ハズレな教授は、決して少数派ではない。数年前だが私がH社に原稿を持ちこ
んだときのこと、編集部の若い男は遠慮がちに、しかしどこか人を見くだしたような言い方で、
こう言った。「あのう、N大学のI名誉教授の名前でなら、この本を出してもいいのですが……」
と。もちろん私はそれを断った。

が、それから数年後のこと。近くの本屋へ行くと、入り口のところでH社の本が山積みになって
いた。ワゴンセールというのである。見ると、その中にはI教授の書いた(?)本が、五〜六冊あ
った。手にとってパラパラと読んでみたが、しかしとても八〇歳を過ぎた老人が書いたとは思わ
れないような本ばかりだった。漢字づかいはもちろんのこと、文体にしても、若々しさに満ちあ
ふれていた。

●インチキと断言してもよい

 こうしたインチキ、もうインチキと断言してよいのだろうが、こうしたインチキは、この世界では
常識。とくに文科系の大学では、その出版点数によって教官の質が評価されるしくみになって
いる。(理科系の大学では論文数や、その論文が権威ある雑誌などでどれだけ引用されてい
るかで評価される。)だから文科系の教官は、こぞって本を出したがる。そういう慣習が、こうし
たインチキを生み出したとも考えられる。が、本当の問題は、「肩書き」に弱い、日本人自身に
ある。

●私の反論

 私は相談にやってきた母親にこう言った。「遺骨なんか見せるものではないでしょ。また見せ
たからといって、生命の尊さを子どもが理解できるようにはなりません」と。一応、順に反論して
おく。

 生命の尊さは、子どものばあいは死をていねいに弔うことで教える。ペットでも何でも、子ども
と関係のあったものの死はていねいに弔う。そしてその死をいたむ。こうした習慣を通して、子
どもは「死」を知り、つづいて「生」を知る。

 また子どもをわざと遊園地で迷子にしてはいけない。もしそれがいつか子どもにわかったと
き、その時点で親子のきずなは、こなごなに破壊される。またこの種のやり方は、方法をまち
がえると、とりかえしのつかない心のキズを子どもに残す。分離不安にさえなるかもしれない。
親子のきずなは、信頼関係を基本にして、長い時間をかけてつくるもの。こうした方法は、子育
ての世界ではまさに邪道!

 また子どもを家から二、三日追い出すということが、いかに暴論かはあなた自身のこととして
考えてみればよい。もしあなたの子どもが、半日、あるいは数時間でもいなくなったら、あなた
はどうするだろうか。あなたは捜索願だって出すかもしれない。

 最後に夫婦喧嘩など、子どもの前で見せるものではない。夫婦で哲学論争でもするならまだ
しも、夫婦喧嘩というのは、たいていは聞くに耐えない痴話喧嘩。そんなもの見せたからといっ
て、子どもが「意見の対立」など学ばない。学ぶはずもない。ナイフをもたせろと説いた評論家
の意見については、もう書いた。

●批判力をもたない母親たち

 しかし本当の問題は、先にも書いたように、こうした教授や評論家にあるのではなく、そういう
とんでもない意見に対して、批判力をもたない親たちにある。こうした親たちが世間の風が吹く
たびに、右へ左へと流される。そしてそれが子育てをゆがめる。子どもをゆがめる。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi




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(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
   

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 6日
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012−05−07)

●文字遊びを展開しました(年長児)。

 「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。

 幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/EokJ7yEWkp8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


●小1用、小2用、小3用の教材

 今週は、「大きな数」をテーマに、小学1〜3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。

 子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/sYe3tnCeJSo" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司 2012−05ー11】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【動画・BW教室の様子】

●5月10日収録

 BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。

 今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。

 さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。

【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/oxgaUsPHca4" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【小1〜2児のクラスです】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/3UVoCJCMcxY" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【小2〜3児のクラスです】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/xNStBx1LSaI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【UTさんからの相談】

 昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。

【UTさんから、はやし浩司へ】

初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。

現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。

上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ている
こでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っていま
す。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよ
くかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。

上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。

次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。

内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわ
かってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。

そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。

その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から
聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっ
ていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。

母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じてい
ます。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい
教育熱心に家で、ワークさせたりしています。

私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹
の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的
にどうしたらいいのかわからないでいます。

私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。

【はやし浩司より、UTさんへ】

 子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。

 問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわから
ない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。

 子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。

 ……ということでは、返事になりませんね。

 この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきま
す。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。

 ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないもので
す。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待
っているのです。

 で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもい
ます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。

(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)

 おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。

 ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれ
かにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。

 なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。

 この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、
つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。

 あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたの
ほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。

 ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あ
まりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。

 今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、

はやし浩司
2012/05/11

【UTさんからの返信】

はやし先生へ 
 
 先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進
んで行く勇気をもらいました。

 私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲
慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。

 子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に
見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。

これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思い
ます。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親
のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。

 これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無断転載

 私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。

 で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかっ
た。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。

 悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消
されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。

が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。

「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。

どこかの同業者だった。
だから許した。

 が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。

 つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされ
た」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。

 ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。

●今朝は、12時間

 昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)

 軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20〜30分で、偏頭痛は、消えた。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【私のメール作法】

●件名

 毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200〜300通のメールが、すり抜けてくる。

 スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。

 (私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)

 が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。

 だから……。

(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。

 封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。

(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。

 件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。

(3)感情表現を豊かに

 ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。

 たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。

 つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。

 実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れる
ようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。

 以上が、私の「メール作法」ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本の無駄づかい】

●お人好し外交

 先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資
した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。

 まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。

++++++++++++以下、4月22日

●IMF(国際通貨基金)への拠出金

 日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!

 ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。

日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル

 アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。

 あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?

600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。

 もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。

 あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。

 ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。

べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)

 これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。

『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行
われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされ
る。
 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がそ
の様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操
作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!

 アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。

 どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。

 今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。

++++++++++++以上、4月22日

●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)

 報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。

 それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じく
らい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。

 あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。

 『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。

 対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、
国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。

 これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。

 つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの
高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。

●本論

 さて本論。

 今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。

 何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。

 世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。

 つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。

『[東京 23日(2012年4月23日)
 ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。

(中略)

<年収10倍の提示も>

(中略)

 ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与さ
れる。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュー
ス)と。

 日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!

 ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取
引されている。 
2012/05/07


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 4日
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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●MSNトッピクスより(2012−05ー06)

**********以下、MSNトッピクスより抜粋*********** 

 ……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしま
う。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろう
か?

時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間
の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。

こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモン
ド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。

普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6〜9つのこと
しか記憶に残らない。

しかし、充実した休日では一日に6〜9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っている
ことが多いので、長い時間だったように感じるのだという。

**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********

 で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech "Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html
#ixzz1suzvPiwK

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

We have all experienced it - a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems 
to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is 
affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to 
lots of memories - and when we look back, there are so many that it feels as if we were 
away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… 
but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia 
Hammond. She told the British Psychological Society's conference in London that our lives 
are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing 
to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in 
retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the 
number of memories we form. 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●二重過程理論

 なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。

『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれ
ている。

「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほ
うがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」

 心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられてい
る。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。

 二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られてい
る「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系
に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。

 これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、
認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手
早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。

●二重過程理論

 ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。

 人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。

(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)

 何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。

 たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。

 つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。

 そういう意味では、先の(1)と(2)は、順序が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要で
ある。

 だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。

ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。

 新しい知識、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二重過程理論 記憶 記憶と時
間の長さ はやし浩司 記憶の密度と時間の長さ はやし浩司 直感の体系化 理論化)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【消息・調査】(はやし浩司 2012−05−07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インターネット

 インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。

 たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。

 何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。

●興味

 が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?

 理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。

 そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。

●独りよがり

 学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。

私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。

 それを知ったとき、「ナーンダ!」と。

 ……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。

 だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、
私から去っていった。

 当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。

 はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。

●一縷(いちる)の望み

 で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。

 ……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア〜ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。

 いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場
で倒れてしまうが……。)

 が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。

●恋愛詐欺

 で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。

 住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。

 あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。

調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。

 つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。

●STOP

 ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。

 そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。

 ……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。

 みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。

 ……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012−05−06)

●宝島社

 昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。

 宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。

 が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。

 奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。

(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。

 さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島
社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。

 私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
(それとも飯田橋のほう?)
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)

 話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表し
ているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
(いいのかなあ?
こういう形で実名を出して……。)

●ブラックビジネス

 目次を並べてみる。

(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)"悪徳詐欺師系"占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。

(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは

(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界

(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は"ウソの匠"だらけ

 どれも私たちの生活と直結している。

●リフォーム業界

 読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。

 そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。

●スピチュアル商法

 「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。

 少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる
人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。

 ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、
騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情
というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。

●若い女性

 こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。

「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。

 無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。

 ……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。

●老人組よ、警戒しよう!

 ともあれ、我ら、老人組は、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。

 それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。

 どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●老後の住居(終の棲家と帰巣本能)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

老後をどこで、どのように過ごすか?
ときどき、そんなことを考える。
もちろん第一の候補地は、この浜松市ということになる。
ちょうど40年+半年、住んだことになる。
しかしここは私の故郷ではない。
知り合いはいるが、知り合いという程度。
どの人も、表面的なつきあいだけ。
花にたとえるなら、私は、水耕栽培で育ったチューリップのようなもの。
「根」そのものが、地面についていない。

で、私としては、老後は、故郷の美濃市、もしくはその周辺に住みたい。
最期は、そのあたりで自分の人生を終えたい。
心のどこかで、いつも、そう考えている。

が、ワイフは、「いや」という。
美濃の町を、よほど嫌っている……らしい。
一方、この浜松は、ワイフの故郷。
7人の兄弟姉妹は、いまだ、健在。
「いや」という理由は、よくわかる。

私「もし、ぼくが美濃に戻ると言ったら、どうする?」
ワ「私は、行かないわ」
私「だったら、離婚ということになるよ」
ワ「そのときはそのとき。また考えましょう」と。

……こんな会話を、すでに何十回も繰り返してきた。
堂々巡りというか、結論は、いつもあいまい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦

 夫婦といっても、基本的には他人。
溶け合える部分もあるが、そうでない部分も、ある。
その溶け合えない部分をどうするか。

 もちろん内容にもよる。
ワイフは熱い風呂が好き。
私は、ぬるい風呂が好き……というような部分は、どうでもよい。

しかし時として、人生観の根幹にかかわるような問題もある。
人生観、育児観、哲学など。
老後の住、つまり終の棲家(ついのすみか)もそのひとつ。
そういったもので違和感を覚えると、とたんに「他人意識」が強くなる。
「やはり他人だな」と。

●一心同体

 技術的には、同居は可能。
共助共存。
が、そのレベルを超え、一心同体となると、ことは簡単ではない。
それこそ10年、20年単位で、苦楽を共にしなければならない。
が、それには共通の基盤がなければならない。
共通の目標、共通の価値観……。

 「たがいの愛と理解で克服」などという、生やさしいものではない。
寛容と妥協、それを許す度量の広さ。
さらに平たく言えば、「あきらめ」。
結婚生活というのは、まさにその連続。
それなくして、結婚生活というのは、成り立たない。

 が、私のワイフは、「いやよ」と言う。
オーストラリアや東南アジアならよいが、私の故郷の美濃市は、「いやよ」と。
理由はよくわからないが、魚ひとつ取りあげても、口に合わないらしい。

「岐阜の魚は、ヌルヌルして、気持ち悪い」と。

 川魚というのは、そういうものなのだが……。

●夢と現実

 そこで私なりにシミュレーションをしてみる。
「はたして美濃の、あの町に住めるか」と。
つまり(夢)と(現実)の間には、大きな距離がある。
今までにも、そういう経験は、何度かしてきた。
「最期は故郷で……」と思う気持ちはあっても、現実には、それはむずかしい。

 で、先ほど私は、「水耕栽培で育ったチューリップのようなもの」と書いた。
が、故郷の美濃市となると、すでに「根」そのものを切られている。
知人、友人といっても、もちろん昔の知人、友人とは、ちがう。
考え方も、大きくちがう。
気軽にあいさつ程度のことはできるかもしれない。
が、それ以上に、彼らの世界に入り込んでいく自信はない。
ここ浜松で感ずる孤独感以上の孤独感を、覚えるかもしれない。

 だから最期は、この浜松で……となる。

●晩年の母

 ところで私の実母は、最期の2年間を、この浜松市で過ごした。
1年は、私の自宅で。
つぎの1年は、近くの特養で。

 その特養でのこと。
母はしきりに、生まれ故郷のK村に帰りたがった。
何度も私に、せがんだ。
一度、脳梗塞で倒れるまで、それはつづいた。

 そういった症状は、どの老人にも見られるらしい。
ホームのヘルパーの人たちは、こう言った。
「老人は、みな、そうですよ」と。

 ……ということは、私とて例外であるはずがない。
私も、最期に近づけば近づくほど、帰巣(きそう)本能が強くなるかもしれない。
事実、このところ、それをときどき感ずる。
「ここで死ぬのはいやだな」という思いが、そのまま「故郷で死にたい」という思いに変わる。

●老後の問題

 老後には老後の問題が、山のようにある。
これもそのひとつ。
つまりこの先、何かにつけ、じっと耐えて生きていく。
心の壁にペタリと張りついた不完全燃焼感に、じっと耐えて生きていく。
老後の住居問題だけではない。
もろもろの問題が、薄い地層のようになって、心の中に山積する。

 孤独、不安、心配、健康問題などなど。
が、どれも、自分の力では解決できない。
「命」の壁が、大きく立ちはだかる。
つまりどうしようもない。
どうしようもないから、じっと耐える。
耐えて生きるしかない。

●結論

 「老後は故郷で……」というのは、言うなれば、わがまま。
ぜいたく。
それまで、「浜松」という「地」があるだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
というのも、そういうわがままや、ぜいたくができる人のほうが、はるかに少ない。

 反対に地元に残った人には、地元に残ったという不完全燃焼感があるかもしれない。
先日、高校の同窓会に出たときも、そう言った男性が、1人いた。
「私は生まれも育ちも、そして今まで、この美濃町を一歩も出たことがありません」と。

 自慢して、そう言ったのではない。
どこかさみしそうな言い方だった。
それを思えば、自由に、空をはばたくことができた私は、幸福だったかもしれない。

 で、その点、私のワイフは、正直な人だ。
そのままストレートに心の内を表現する。
「いやよ」と。

 それはその通りで、もし私が逆の立場だったら、やはり同じように言うだろう。
「いやだ」と。

 で、このエッセーの結論。

 老後というのは、耐えて生きるもの。
それがいやなら、できるだけ自分の心をごまかして生きる。

そういう心の操作が、加齢とともに、ますます必要になってくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 終の棲家 最期の住居 老人組
の心理 耐えて生きる はやし浩司 不完全燃焼感)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月2日
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ゲームははたして、安全か?】


●子どもとゲーム

(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report, 
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)

+++++++++++++++++

「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!

イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。

+++++++++++++++++

【ロンドン27日・時事通信】

イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に
関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。

ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能
性もありそうだ。

報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられている
が、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)

+++++++++++++++++

この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。

が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!

どうして? 

一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。

どうして?

危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)

明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。

あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。

数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。

「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。

隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)

が、この日本では、野放し! まったくの野放し!

私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、
抗議の書き込みがあとを絶たない。

どうして?

いったい、この日本は、どうなっているのだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子
供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケ
モンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ゲーム中毒の子どもたち】

●韓国のネット中毒(ゲーム脳)

+++++++++++++++

相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。

今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?

そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。

++++++++++++++++

********以下、韓国・より**********

 【ソウル時事】

 韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3
年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対
策が求められている。

 韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲ
ームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を
残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。

 行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万
8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の
中毒と症状が近いという。

 学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをや
り過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止
のキャンプなどの対策に取り組んでいる。

 午前0〜6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない。 

********以上、韓国・より**********

●禁断症状

 時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.
8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とさ
れる」と伝えている。

 が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺
到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。

 その韓国。
数字が具体的に表示されている。

「……同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。

 どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。

またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲ
ームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。

 が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS−iは、こんなニュースも報道している。

**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******

 ……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦
そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問
題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが
決まっています。

**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******

 「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。

●禁断症状

 ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一
転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。

 「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。

 そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。

●ゲーム業界

 『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。

 少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。

 「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ〜〜。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ〜〜」と。

 こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけて
みたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100〜150番目あたりから、急速にそういった批判が目に
とまるようになる。

 が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なこ
とに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけら
れている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよ
い。

日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。

●脳のCPU(中央演算装置)

 話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。

 私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。

 が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。

 この問題と脳のCPUとどう関係があるか?

 つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだ
ろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。

 こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。

++++++++++++++++

古い原稿だが、2003〜5年に
かけて書いた原稿を紹介します。

++++++++++++++++

【ゲーム脳】

++++++++++++++++++++

「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」

これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。

++++++++++++++++++++

●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、

 『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れな
い」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
 森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベ
ータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関
係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。

 これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。

『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料
となる論文はいまだに発表されていない。
 手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てた
が、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見
方だ』(毎日JPより)と。

●利潤追求の世界

 こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメー
ジング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、

『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成
績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察し
た』(2003年)(毎日JPより)と。

 これにゲーム業界が飛びついた(?)。

『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語
となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニン
グ」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。

 こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。

 もちろん批判もある。

『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学
研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏
んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改
善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い
込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。

●三つ巴の論争

 現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがって
しまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。

 森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。

 が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。

(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。

「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう
思うにちがいない。

「ゲームは本当に安全なのか?」と。

 そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、
子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)

 仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果
があるとはかぎらない。

●脳トレへの疑問

 私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世
界での訓練にすぎない。

 たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうし
たの?」という部分につながっていかない。

 仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。

 たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。

+++++++++++++

【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。

 □草、□問

+++++++++++++

 答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにし
ている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。

つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。

 それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。

 つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)

●疑わしきは罰する

 子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)

++++++++++++++++++++++

ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!

+++++++++++++++++++++++

最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年
8月11日)。

『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、
集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)
という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。

この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働か
なくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NE
WS WEB JAPAN※)。

 つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略す
る。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。

 が、私がここで書きたいのは、そのことではない。

 この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、もの
すごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到してい
る」(同)という。

 考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?

 K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、
そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!

 実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本
を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジ
オ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性
たちであったということ。

 どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
 
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性
からのもあった。

 「子どもたちの夢を奪うのか!」
 「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
 「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。

 私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強し
てからものを書け」とか、など。

 (誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていた
のだが……。)

 反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」とい
う程度で、私はすませた。

 で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。

 これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?

 一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつ
つ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ
……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。

 実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのよう
に、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。

 あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこ
と。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。

 そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間に
は、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もい
た。

これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだ
ろう。これからも注意深く、監視していきたい。

 ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまっ
た若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。

注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁
気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはな
く、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリ
スで発表した。

この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に
基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS
 WEB JAPANの記事より)。

(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ゲーム脳(2)

【M君、小3のケース】

 M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。

 M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。

 M君には、特異な症状が見られた。

 祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたとい
う。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。

 祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。

 私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。

 M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けが
をしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その
柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。

 こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切
れない。こんなことがあった。

 M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取り
あげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつ
け、そのガラス戸を割ってしまったという。

 もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやって
きた。

 私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。

 そのM君には、いくつかの特徴が見られた。

(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化し
た。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。

(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。

(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割
り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。

(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。

 M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづける
そうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)

 以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化し
ている。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポン
ポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。

ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! 
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化
する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンにな
る。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前には
このタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人
はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もい
ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあ
ちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名
以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子ども
については、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友
だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破った
り捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。

「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、
キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわ
からなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1
4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果
として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という
先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発
的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きてい
る。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビ
やゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。
速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、お
しっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的
で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさど
るのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新し
い刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、こ
こにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と
全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されてい
る。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や
東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」
(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から2
20人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていること
がわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人
で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、う
つ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関
係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1
クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている
(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、
新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制に
し、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、もう1人教
員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校で
は、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分
県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●失行

 近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。

 失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。

 原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。

 それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられると
いう。行動命令と抑制命令である。

 たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二
つが、同時に発せられる。

 だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。

 精神状態も、同じように考えられないだろうか。

 たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。

 そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令という
ことになる。

 この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなり
に、よく理解できる。

 たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。

 そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子
を食べてしまう。

 それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。

 このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。

 ……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理でき
なくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。

 前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケ
ーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。

 どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっている
そうである。

 言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正
したりするということができなくなる。

 ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力と
いったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激され
ることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容
易に推察できる。

 それが「スカスカの脳」ということになる。

 これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。

(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にと
らえることは、よくある。

 たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに
40〜50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった
子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。

 当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼ん
でいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今
から、約30年前ということになる。

 ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルM
RI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そ
のものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。

 しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」という
のは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。

(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司 
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(付記)

●ネット中毒(TBS・News−i)」より

+++++++++++++++++

韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。

かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。

まず、TBS−iの報道を紹介する・

+++++++++++++++++

**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******

いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の
少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。

 韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)
が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。

 女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた
遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。

 少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日
にはそのことで母親と口論になっていたということです。

 韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろっ
て「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化し
ています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが
決まっています。

**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******

●猛烈な攻撃

 この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐に
さらされる。
ボロクソに叩かれる。

私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも
知ってほしい。

 が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。

 日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。

 あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に
対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?

 実は、今の今もそうである。

 数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。

 ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)

(付記)

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。

 たとえば……

「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ〜〜〜〜」(某サイト)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年の4月に書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ゲーム脳(ゲーム中毒)

+++++++++++++++++++

この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。

隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。

が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。

(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)

が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。

ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

●まねる(観察学習)

 発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。

 たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。

 で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。

その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。

 これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学ん
だことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。

●自己認識能力

 ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」
「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。

 ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデ
ュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。

 子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれ
た立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。

 つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「ま
ねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。

 ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。

……と私は書いている。

●付記

 あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。

 SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶ
ん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。

頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。

【補記】

 私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。

「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでし
ょう」と。

それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資
料を出してもらうところから始めたい。

(注※)

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10−02−08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少
年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インター
ネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6〜29歳の青少年
7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%
から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間
で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の
一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の2
3・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を
公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違って
いる」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット
中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神
疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

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ゲーム 疑わしきは罰する)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司

【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012−05−05)

●子どもとゲーム脳

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。

が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。

日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。

ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●朝鮮日報紙

 このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。

 じっくりと読んでみたい。

(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************


【1】


 幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は
「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受
ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中する
ようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。

 2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子ど
もは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チ
ームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、
ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また
「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、
がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも
説明した。

 さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻る
のが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬
中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に
比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。

 国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲ
ーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデ
オゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教
授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を
見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生にな
ってからが望ましい」と主張している。


【2】


 午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしの
パソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声
メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は
必要なかった。

 「よく寝たか。ゲームを始めよう」

 いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲー
ムの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力
のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタ
ークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私
は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したとこ
ろ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。

 ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン
戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千
パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無
難に勝利した。

 何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、
日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。い
つの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段も
このくらいはプレーしている。

 私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生
活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借り
てくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴
食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。

 ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うこと
はしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で
時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。


【3】


 科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、
認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このよ
うな子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のよう
な精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけ
だ。

 ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。
ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子ども
の脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の
最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠が
ない」との理由でで結論は出なかった。

 だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・
サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研
究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという
事実が、科学的に初めて立証されたのだ。

 ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、
ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その
結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左
側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬
中毒に陥ると肥大化することが分かっている。

 先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」
に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白
質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神
経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。

 韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン
教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められる
ことを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一
部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝
動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この
部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するように
なる」と説明した。

 ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ
教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快
楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事
を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン
大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シュー
ティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場
合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭
葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感
になることが、立証されたわけだ。

 韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難
だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響につい
て研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。


【4】


 ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘
ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッ
グするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わる
などの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。

 イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケー
ションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃん
は一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最
初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、
イさんはえらいと感心していた。

 しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子ど
もたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初め
は目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力
も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が
「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思う
と、とてもつらい」と話した。

 スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもた
ちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ば
なければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機
に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできる
が、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、
言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み
始める。

 カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与え
るホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じ
られなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう
危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望
ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。

 幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。
インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険
だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第
に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。

 あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケ
ースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日
後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親
が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭
するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにする
と、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機に
まで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は
「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今に
なって分かった」と話した。


【5】


 ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お
菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一
日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来て
も見向きもしない。

 ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェ
の運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョン
スにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンの
ゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭
した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだ
った。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見
せた。

 一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を
学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲー
ム以外の何も入り込むことはできなかった。

 子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす
子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の
強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフ
ォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことが
ない家庭はほとんどないだろう。

 特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに
及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっている
のも実情だ。

 昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は
2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3−7歳の
幼児・児童(3.7回)が、9−18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以
上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相
談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と
話した。

 ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼
児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。

 関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3−6歳児の脳の発達過程では、脳
梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力
と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影
響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。

 さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・
サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言
えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
2012/05/05

**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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