新規ページ020 新規ページ020
はやし浩司メインHP マガジン過去版INDEX
2012年         8月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

(2012年8月号)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★まぐまぐプレミアの方へ、BW公開教室へは、ここからおいでください★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β     
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 1日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【東急・ハーヴェストクラブ浜名湖にて】 はやし浩司 2012−06―02

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/cn78Ql0HzP8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、6月2日。
土曜日。
奥浜名湖にある、東急・ハーヴェストクラブ浜名湖(ホテル)へ、やってきた。
会員制のホテル。
が、会員でなくても、一般客として、私たちでも利用できる。
建物は全体に35年前風……といった感じで、廊下も狭く、天井も低い。
東急が開発した別荘地(東急リゾートタウン)の一角にある。

環境は、Aクラス。
すばらしい。
部屋も改装を繰り返しているようで、古さを感ずることはない。
風呂からの景色も、悪くない。
料金に照らし合わせるなら、星は4つの★★★★。
今回は、朝夕、バイキングコースというのを選んだ。
あとは、料理しだい。

それから土曜日の夜は、ロビーでコンサートが開かれる。
今夜はギターとバイオリン演奏。
ギタリストは、HASE。
地元の演奏家という。
オリジナルのCDも何枚か発売している。
午後8時30分からということなので、ビデオカメラに、その様子を収める。
楽しみ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●東急リゾートタウン

 リゾートタウンといっても、ここを自宅にし、仕事に通っている人も多い。
管理人の男性に聞いたら、約150世帯の人が、住人として暮らしているという。
「近くの三ヶ日町で仕事をしている人が多いです」と。
 
 着くとすぐワイフと2人で、あたりを散歩してみた。
6月の、冷たさを含んだ初夏の潮風が、気持ちよかった。
海の香りがプンと鼻を突いた。

ぐるりと一周して、30〜40分ほど。
ワイフが、「オーストラリアへ来たみたい」と何度も言った。
アメリカで見る家々ほど大きくはない。
二回りほどスケールダウンした感じ。
それが東急リゾートタウン。

 日本というよりは、外国風。
どこから見ても、外国風。
やわらかな曲線を描いた道路の間に、別荘風の家々が並んでいる。
ゆるい山坂。
芝生の庭。
新芽が美しい。

伊豆半島へ行けば、こうした別荘地は随所にある。
が、浜松市では、ここだけ。
浜名湖・東急リゾートタウン。

●30年前

 30年前は、このあたりへよく来た。
東急がリゾート地開発を始めたころのこと。
別荘地として、土地が売りに出された。
購入するかどうか、迷った。
迷うたびに、ここへやってきた。

 当時の日本は、高度成長期。
何もかもが輝いていた。
活気があった。
どの人の顔も、自信にあふれていた。
もちろん価格も、月ごとに変わった。
その前月に2500万円だった土地が、翌月には3000万円になったりした。
が、それでも文句を言う人はいなかった。

が、契約する一歩手前までいったが、やめた。
やめて、現在の山荘にした。
山荘だったら、同じ価格で、10倍以上の広さの土地を買うことができた。
が、今にして思えば、こういうところにすればよかったかな、と。
別荘というのは、管理がたいへん。
管理を怠ると、すぐ雑草に覆われてしまう。

 それに売るのもたいへん。
そのときはそこまで気が回らなかった。
いつか不要になったとき、売却しなければならない。
こうしたリゾート地の別荘は、売りやすい。
山の中の一軒家は、売りにくい。

(現在、山荘を売りに出している。
興味のある方は、以下を見てほしい。)

http://bwhayashi6.ninja-web.net/

●止まった時計

 このリゾート地にかぎらず、25年前、日本の時計は止まった。
以来、止まったまま。
バブル経済がはじけ、日本の「失われた10年」は、「20年」になった。
この先、「30年」になるとさえ言われている。

 このホテルにしても、当時は、よく食事にやってきた。
が、今も、当時のまま。
全体に古くなった感じはする。

 本来ならこの地域一帯に、さらに瀟洒(しょうしゃ)な別荘が建ち並んでいてもおかしくない。
目の下のハーバーには、大型ヨットが並んでいてもおかしくない。
しかしそれはない。
大型ヨットにしても、むしろ数はぐんと減った。
湖上に浮かんでいるのは、小型のボート、2隻だけ。
土曜日というのに、出ていくボートはない。
戻ってくるボートもない。

 「繁栄」という女神は、韓国、中国、東南アジア各国へと散っていった。
今、ここに見る「繁栄」は、その残りかすのようなもの。
見栄っ張りで、虚栄心の強い日本政府は、相も変わらず虚勢を張っている。
借金に借金を重ね、見栄えだけはよくしている。
かっこうだけは、つけている。
が、虚勢は虚勢。
そんなものは、いつまでもつづくはずはない。
こういうホテルに泊まってみると、それがよくわかる。

 書き忘れたが、このリゾート地にしても、売り家が目立つ。
白アリにやられたのか、ベランダも朽ち果て、ボロボロになった家も少なくない。

●ミニ・コンサート

 夕食後、ロビーでミニ・コンサートを楽しんだ。
「ビデオに撮っていいですか」と聞くと、HASE氏は、快く承諾してくれた。
HASE氏というのは、「ハセ氏」。
コンサートで演奏するギタリスト。

「並みのギタリストではない」と。

最初の数分聞いただけで、それがわかった。
それに苦労人。
演奏し始めるとすぐ、汗で額が光った。

●夕食

 話は前後するが、夕食はバイキング料理。
大満足!
料金が料金だから、それほど期待していなかった(失礼!)。
が、それが大まちがい。
あの料理で文句をつける人はいない。
一品、一品に、料理人のやる気を感じた。
たとえば鰻の蒲焼にしても、ひとつずつ押し寿司風になっていた。
それだけ10個も食べれば、うな重一杯分くらいにはなる。

 レストランの高級感があり、雰囲気もよかった。
夕食は、もちろん星5つの、★★★★★。
近くに、同じようなホテルがいくつかあるが、料理に関しては、その中でも群を抜いている。

 ただし私たち老人組は、食べ過ぎないように。
隣りのテーブルの客は、大皿に大盛りの料理を、何皿もたいらげていた。
年齢は、70歳くらいだった。
いくらおいしくても、あれでは健康を害する。

●満足度

 客というのは、いつも料金と内容を見比べる。
そのとき、(料金)>(内容)を感ずると、とたんに、不平、不満が多くなる。
(料金)<(内容)を感ずると、相乗効果が起きる。
同じ料理を食べても、「おいしい」となる。

 が、今夜は、先のミニ・コンサートだけでも、私は大満足。
あれだけのコンサートは、市内の劇場でもなかなか聞けない。
チケット代にしても、5000円以下というのは、まずない。
それを10人足らずの少人数で聞く。
つまり、もったいない。
そう思ったとたん、満足度は数倍になる。

 ……ところで、この浜名湖周辺には、いくつかのホテルがある。
気軽に泊まれるホテルとしては、浜名湖かんざんじ荘、奥浜名国民宿舎などがある。
カリアック浜名湖、浜名湖ロイヤルホテルもよい。
もうひとつ上のクラスといえば、ウェルシーズンホテルがある。
さらに……というか、最高級ホテルと言えば、ホテル九重(ここのえ)。
その九重には、この6月に、ワイフの誕生日をかね、1泊することになっている。

 安心して泊まれるのは、浜名湖かんざんじ荘。
清潔度で選ぶなら、奥浜名湖国民宿舎。
静かさで選ぶなら、カリアック・浜名湖。
浜名湖ロイヤルホテルもよいが、静岡県でも集客力ナンバーワンとか。
活気のあるホテルだが、その分、いつも混雑している。

 ウェルシーズン浜名湖は、静岡県下でも最大級の温泉を擁している。
温泉巡りするだけでも、楽しい。
九重の上のクラスと言えば、掛川にある「葛城・北の丸」ということになる。
(北の丸には泊まったことがない。
「いつか、冥土のみやげに泊まろう」と、ワイフと言いあっている。)

●ぼたんインコのPippi

 ぼたんインコが我が家へ来て、ちょうど1か月目になる。
生後、2か月ということになる。
そのPippiが、数日前から、飛び始めた。
利口なのには、驚く。
毎日何かのことで、驚く。
で、今日は、こんなことがあった。

 いつも私はPippiと、二階にある書斎へ行く。
今朝もPippiを抱きながら、階段を上がろうとした。
そのときのこと。
Pippiga突然、飛びあがった。
「アッ」と思っていると、そのまま階段の最上段に。
私が階段を上がっていくのを、こちらを向いて、待っていた。

 Pippiは、先回りして、階段の上に行ったことになる。
私は手を差し出しながら、その上にPippiを乗せ、書斎へ入った。
「こいつは本当に鳥なのか」と、私は何度も驚いた。

●トラウマ

 『コザクラ・ボタンインコ』(誠文堂・新光社)に、こんな興味ある話が載っている。
Pippiを飼うようになってから、書店で買い求めた本である。

何でもインコの中には、店で売りに出される前に、心に傷を負ったのもいるそうだ。
「ヘエ〜」と思いながら、その部分を読んだ。
その部分を、そのまま紹介する。
これを読んだら、「たかがペット」という、あなたの先入観は吹っ飛んでしまうはず。

++++++++++以下、「コザクラ・ボタンインコ」より+++++++++++

……ショップで販売されていたヒナは、親から引き離され不安の中で輸送されます。
そのときに大きな音や衝撃を受けたり、慣れない環境で、身体を知らない人に握られるなどの
恐怖体験で、トラウマになることがあります。

自家繁殖のばあいも、ふご(=飼育かごのこと)に入れたヒナたちを転んだ拍子に落としてしま
い、そのときの目の前にいた人を見ていたヒナ1羽だけが、成長になっても、転んでヒナを落と
した人にはよく慣れたのに、落とされたとき、目の前にいた人だけを怖がり、慣れなかったとい
う話もります。
このことから、幼鳥期の恐怖体験はトラウマになることがわかります。(以上、P27)

++++++++++以上、「コザクラ・ボタンインコ」より+++++++++++

 この部分を読んだとき、私は、こう思った。
「これはとんでもない動物を飼うことになったぞ」と。
イヌやネコの話ではない。
ぼたんインコの話である。
そのインコが、「トラウマになることがある」(本文)と。

 トラウマだぞ! 
鳥を飼ったことがある人ならみな、知っている。
ヒナと言えば、目と皮だけの、グロテスクな顔つきをしている。
そのヒナが、そのように傷つく。
その傷のつき方が、人間そっくり。
しかもそのとき、人間の顔を記憶し、以後、その人に対して恐怖心を覚えるようになる、と。

 「たかがペット」と考えてはいけない。
それがぼたんインコ。

●午前4時起き

 午後10時ごろ、就寝。
ぐっすり眠って、今、時刻は、午前4時。
こうしたホテルでは、いつものこと。
いつも今ごろ目が覚める。
ホテルでは、いつもそうだ。

 今日は6月3日、日曜日。

●幼児期前期

 人間の子どもが、ドラ息子、ドラ息子になるのは、幼児期前期(エリクソン)と考えてよい。
幼児期後期には、その症状が現れ始める。
親には、それがわからないかもしれない。
しかし私には、わかる。

 妙におとなをなめきった様子。
ぜいたくで、わがまま。
生意気。
それなりに頭はよいが、静かな指導になじまない、など。

 あとはお決まり悪循環。
小学生になるころには、やがて手がつけられなくなる。

 幼児期前期は、「自律期」と位置づけられている(エリクソン)。
この時期に、幼児は、自ら律するということを学ぶ。
が、この時期に、飽食とぜいたく、わがままが通用する環境で甘やかされると、子どもは、その
あとドラ息子、ドラ娘になる。
自分で規律することができなくなる。
子どものしつけで、もっとも重要な時期と考えてよい。

 が、今度は、幼児期後期(満4・5歳前後)に入ると、「自立期」へと入る。
人格の核(コア)形成も始まる。
その子らしさが、でき始める。
この時期に入ると、修正がたいへんむずかしくなる。
その子どもを(変える)ためには、(環境)を変えなければならない。
しかし親の育児方法を含め、家庭環境を変えるのは、容易なことではない。
そういう意味で、ドラ息子、ドラ娘は、「環境病」のひとつと考えてよい。

●ドラ息子、ドラ娘

 子どもがドラ息子、ドラ娘になれば、苦労するのは、結局は、その子ども自身ということにな
る。
それだけの生活レベルが、将来にわたって、維持できればよい。
そうでなければ、そうでない。
その(ひずみ)が、その子ども(人)の、心をゆがめる。
そういうことも多い。

 だから……ということで、幼児期は、(とくに0〜4・5歳)までは、子どもは質素に育てるのが
よい。
親がぜいたくをするとしても、子どもを巻き込んではいけない。
規律ある生活を大切にする。
YES・NOのはっきりした、メリハリのある生活に心がける。

●家庭教育の崩壊

 話は戻るが、『コザクラ・ボタンインコ』を読んだとき、私は「しまった!」と思った。
その本の中には、こうあった。
「生後3か月くらいは、カゴの中で育てること。
そうでないと、部屋そのものを自分の縄張りと思うようになり、やがて手がつけられなくなる」
と。

 つまりインコは、カゴの中で生活をしなくなる、と。
そこで無理にカゴに押し込めようとすると、今度は、インコは人間を「敵」と思うようになる。
人間に対して、攻撃的な姿勢を見せるようになることもあるという。

 (インコのくちばしの力には、相当のものがある。
耳たぶくらいなら、くちばしで、引きちぎってしまうという。念のため。)

 人間のドラ息子、ドラ娘も同じ。
へたに頭から押さえつけると、それに猛反発するようになる。
子どもを自由に育てることはよいことだが、その(自由)をはきちがえると、手がつかられなくな
る。
小学3〜4年生ごろまでは、まだ体も小さく、母親の力でも指導ができる。
が、その時期を過ぎると、親子の立場が逆転する。
子どもが「主人」で、親が「従者」になる。
家庭教育は、そのまま崩壊する。

 が、Pippiは、すでに家の中でほぼ、放し飼いになっている。
カゴに戻そうとすると、猛烈に抵抗する。
だから「しまった!」と。
頭のよい鳥だけに、飼育が、たいへんむずかしい。

 『コザクラ・ボタンインコ』を読んで、別の心で、そんなことを考えた。

●BW公開教室

 この7月から、BW教室の無料公開を停止する。
まぐまぐプレミアム(有料電子マガジン)の読者だけに、公開する。
理由がある。

 BW教室のほうでは、私は月謝をもらい、子どもたちを指導している。
その月謝を払ってくれる親たちに、申し訳ない。
毎回、遠くから通ってきてくれる。
そういう子どもたちが有料で、家でYOUTUBEを使い学習する子どもたちが無料というのは、
おかしい。
以前から、ワイフがそう言っていた。

 それで有料にすることにした。
現在は月額300円(+15円の消費税)。
心ある人は、どうか、まぐまぐプレミアムを購読してほしい。
申し込み方法は、以下のアドレスより。

 よろしくお願いします。

http://bwopenclass.ninja-web.net/

●昨夜

 そう言えば、こんなことがあった。

 昨夜遅く、ワイフが裏庭に入ったとたん、そこに黒い人影を見たという。
家に戻り、「あなたじゃない?」と聞いたので、「ぼくじゃない」と答えた。
息子は、居間でパソコンをいじっていた。

瞬間、「空き巣?」と思ったが、ワイフが「見まちがいかしら?」と言った。
それでそのままになった。
若いころなら、そこらにある棒か何かをもって、外へ飛び出したのだが……。

こういう世相だから、何かにつけ、物騒。
気をつけたほうがよい。

●両極端

 話はぐんと政治的になる。
まず生活保護費。
現在、この制度が悪用され、それが必要でない人にまで、多額の生活保護費が支払われてい
るという。
働いて稼ぐ給料より多いということで、わざと慢性病の診断書を医院で書いてもらい、それをも
とに、不正受給している人も多いという。

 これを一方の話とするなら、他方、こんな話も伝わってきている。

 現在、資格や許認可に守られた既得権益者が、巷では想像もつかないような補助金や助成
金を受けている。
ハンパな額ではない。
先日も、ある知人が、30万円近いノートパソコンをもっていた。
P社製の、高級パソコンである。
「いいのもっていますね?」と声をかけると、すかさずこう教えてくれた。
「補助金でね……」と。

 そうでなくても、年収が5000万円を超えている人である。
そんな人に、補助金?
そういう人にしてみれば、30万円の補助金など、ポケットマネーのようなもの。
30万円のノートパソコンなど、おもちゃにもならない。
つまり今、この日本では、これら2つの(両極端〜が、同時進行の形で、一般の人たちの生活
を圧迫している。
重税に苦しんでいる。
あえいでいる。

 が、こんなことをつづけていれば、早晩、日本の国家経済は破綻する。
精神的レベルから破綻する。
まじめに働く人たちが、バカ臭さを覚えたら、おしまい。
というか、私自身、そのバカ臭さを覚えることが多くなった。

 ウソだと思うなら、一度、あの新東名(第二東名)を車で走ってみればよい。
ノー天気なマスコミは、「これで東名の交通渋滞が解消されます」とはしゃいでいる。
またそういうふうに伝えるのが、「報道」のあるべき姿と思い込んでいる。

 まさに、贅(ぜい)の上に贅を重ねた、超豪華な道路。
今の日本に、あれほどまでの道路が必要なのか?
これからの維持費はどうするのか?
30兆円以上にもなった借金を、どうやって返済していくのか?

 もし日本中の10%の人が、国債を現金に交換したら、その時点で日本の国家経済は破綻
する。
5%でもよい。
理由は簡単。
金庫の中には、1円も残っていない。

 こんな状態で、貧しい人たちは、生活保護費を不正受給する。
既得権益者の人たちは、さらに補助金を受け、優雅な生活を楽しんでいる。
そのはざまで、コツコツと働いている一般労働者たちは、バカ臭さを覚えている。

●ギリシャ

 話が飛ぶようで恐縮だが、ギリシャ問題。
EUのみならず、世界経済は、ギリシャ問題に翻弄されている。
が、ギリシャだけではない。
先週に入って、さらにクローズアップされてきたのが、スペイン。

 一般労働者たちは、極貧の生活を強いられている。
ならば、緊縮予算を受け入れ、EU本部から資金を注入してもらったほうがよい。
……とだれしも考える。
ギリシャにしても、EUから離脱すれば、国家経済は破綻すると言われている。

 が、そうはいかないところに、……というか、その裏でがんばっている人たちがいる。
公務員と呼ばれる人たちである。
この人たちにとっては、国家破綻など、何でもない。
どうということもない。
戦後直後の日本を思い浮かべてみれば、よい。
私は文部省のことしか知らないが、敗戦と同時に、クビになった文部官僚は1人もいない。
仮に国家破綻しても、公務員だけは、職場と給料が守られる。
ギリシャにしても、そうだろう。

 EUの指導を受け入れ、クビを切られるなら、公務員の身分のまま国家破綻したほうがよい。
公務員の人たちなら、そう考える。
それがギリシャのみならず、他の国々でも、極左勢力となり、緊縮予算の受け入れを拒んでい
る。
が、それはそのまま日本の近未来像と考えてよい。

●1000兆円

 国の借金が、1000兆円!
……とは言うが、こんな額を信ずる人は、いない。
これに地方自治体の借金を加えたら、その倍近くになるのでは?
あの旧国鉄だけでも、解体されるとき、17兆円の借金を残している(当時)。
そのあと25兆円にふくらんだという話を聞いたことがあるが、そこまで。
先に書いた道路公団だけでも、30兆円以上。
そうした金額を積み重ねていったら、どうなる?

 日本の国家経済が破綻するのは、可能性の問題ではない。
時間の問題。
しかも先延ばしにすればするほど、傷口も深くなる。
が、そのときも、まっさきに犠牲になるのは、一般庶民。
一般労働者。
で、そのとき。
現在のギリシャと同じ状況が、この日本でも繰り返される。
緊縮予算を受け入れるか、どうか。
その選択を迫られる。

 が、中には、こんな公務員の人もいるかもしれない。
「日本の未来を考えるなら、公務員のクビ切りもやむをえない。私のクビを真っ先に切ってくだ
さい」と。
しかしそういう公務員が、どれだけいるか?
すでにあの大阪市では、給料の減額に対して、「憲法違反」を盾に、橋下市長を訴える動きも
出ている。
懲戒免職、つまりよほどの悪事を働かないかぎり、公務員の人たちは、クビになることはない。
これを「既得権」と言わずして、何という。

 が、一般の人たちがもつ忍耐にも、限度がある。
バカ臭さが、(怒り)に変わったとき、この日本は、精神的レベルから破綻する。
 
●橋下イズム

 最後のあがき。
それが「橋下現象」。
私はそう見ている。

 今、より多くの人たちが、バカ臭さを覚え始めている。
そういう人たちが、「おかしい?」と感じ始めている。
それが(怒り)に変わり、橋下市長を、裏から支えている。

 言うなれば、これは一般民衆と行政の、最後の戦いということになる。
勝つか、負けるか。
それで日本の命運は決まる。

 ……とは言っても、1500年もつづいた官僚制度をここで是正するのは、むずかしい。
不可能と考えてよい。
それにすら気づいていない人が、あまりにも多い。
今、現在ですら、橋下市長は、役人たちの猛烈な反撃にさらされている。
面従腹背という反撃である。
やがて大阪市政は、マヒする。
今回、橋下市長が、大飯原発の再稼働に同意したのもその一つ。
橋下市長は、早々と「敗北宣言」なるものを出した。
この先、こうした事例が積み重なるようにつづく。
ある程度使い回されたあと、ボロボロになって、政界から消される。

 表面的には、橋下イズムvs民主党という構図になっている。
しかしその本質は、橋下イズムvs官僚と考えたほうがわかりやすい。
つまり全国の市長が、それぞれの自治体で橋下イズムを支えないかぎり、橋下イズムに勝ち
目はない。
と、同時に、日本の国家経済は、官僚制度だけが温存されたまま、崩壊する。

●ショートする脳みそ

 昨日(6月1日)、アメリカの株価は、大暴落した。
(NYダウ・275ドル安。)
で、気になって、あちこちのニュースサイトを見ると、Bloombergには、こうあった。
「5月米雇用統計:非農業雇用者6・9万人増ー失業率8・2%に上昇」

 この一文を目でかすめたとたん、脳みその中で、火花が飛び散った。
脳みそがショートした。

「雇用者が、6・9万人増えた……しかし失業率が8・2%に上昇した」?

 雇用者が増えたのに、失業率が上昇した?
「雇用者」というのは、「被雇用者」のことか?

 で、もう少し詳しく記事を読んでみた。

『6月1日(ブルームバーグ):米国の雇用市場は予想以上のペースで減速してきた。
雇用者の伸びは4、5月連続して10万人を下回った。
失業率も市場予想に反して上昇に転じた。労働市場の回復に陰りが生じている。 

米労働省が1日に発表した5月の雇用統計によると、非農業部門雇用者数(事業所調査、季
節調整済み)は前月比6万9000人増。
ブルームバーグ・ニュースがまとめたエコノミストの予想中央値(15万人増)の半分以下の伸
びにとどまった。
4月も7万7000人増と、速報値の11万5000人増から大きく下方修正された。
家計調査に基づく失業率は8・2%と、前月の8・1%から上昇した』(以上、Bloomberg)と。 

 やはり見出しに、まちがいはなかった。
雇用者が増えたにもかかわらず、失業率が高くなった。
常識で考えれば、雇用者が増えれば、失業率は下がるはず。
が、失業率があがった。
で、さらに常識で考えれば、雇用者は増えたが、その一方で、クビになった人が、それ以上に
増えた。
そういうことになる。
経済の世界では、無数の統計と数字が複雑に入り組んでいる。
数字だけ見て記事を読んでいると、ときとして、頭の中が混乱する。

 が、気になったのは、最後の部分。
同じくBloombergには、こうある。

『失業者に加え、経済悪化でパートタイム就労を余儀なくされている労働者や、職探しをあきら
めた人などを含む広義の失業率は、14・8%と、前月の14・5%から上昇した』(同)と。

●恐怖

 政治の話は、ここまで。

 「自分は、だれにも必要とされていない」「自分は、だれにも愛されていない」と。
それを知るのは、恐怖。
大恐怖。
それ以上の恐怖は、ない。

 あのイエスキリストですら、いつも弟子たちにこう聞いていたという。
「あなたは私を愛しているか」(説話)と。

 ここに表れている「14・8%」というのは、そういう数字をいう。
アメリカでは、(日本でもそうだが)、正規雇用とパートタイムの間では、医療保険の分野でも、
天と地ほどの開きがある。
そういう人たちの心情を思いやると、ツンとした緊張感が走る。
まさに明日は我が身……というより、まさに我が身。
現在の我が身。

 人も60歳を過ぎると、用なし。
65歳を過ぎると、ゴミ。
70歳を過ぎると、有害物。
2チャンネルなどの中では、老人は、「匹」単位で呼ばれている。
必要とされていないのは、しかたない。
しかし愛されていないのは、つらい。

 だからがんばる。
ふんばる。
しかしそれもやがて限界にくる。
限界にきて、あきらめる。

 私たちは自分の人生を、何のために生きてきたのか……と、そこまで考えてしまう。
失業し、苦しんでいる人も、ただの数字でしかない。
が、こんな残酷な話はない。
経済記事を読みながら、こんなことまで考える人は少ない。

しかし今朝の私は、そんなことまで考えた。

●かぶせもの

 奥歯のかぶせもの(専門用語は知らない)が、はずれた。
が、昨日は金曜日。
しかも30年来通っていた歯科医院が、閉院になった。
しかたないので、瞬間接着剤をつけ、それを歯にかぶせた。

 が、左右、まちがえてかぶせてしまった。
「しまった!」と思ってはずそうとしたが、びくとも動かない。

ア〜ア!

 歯のかみ合わせが悪くなった。
その部分が、カチャカチャと当たる。
さらに悪いことに、瞬間接着剤の注意書きには、こうあった。

「有機リン〜〜を使用しています。口の中では使用しないでください」と。

 ワイフがそれを読み、「だから歯医者さんへ行きなさいと行ったでしょ」と。
が、私はこう考えた。

 「どうせあと10年、もてばいい。10年もすれば、寿命」と。

 このところ、何かにつけ、そう考えることが多くなった。
ものの考え方が、ニヒルになってきた。
前向きというより、後ろ向き。
自分では前に進みたいのだが、見えない糸が、後ろから自分を引っ張る。
言うなれば前の敵と戦いながら、同時に後ろの敵とも戦う。
そうでなくても、体力、気力ともに、衰えてきている。
前の敵と戦うだけで、精一杯。
そのため生き様が、どうしても投げやりになる。
「もう、どうでもいいや」と。

 かみ合わなくなった歯をカチャカチャと鳴らしながら、そう思った。
「もう、どうでもいいや」と。

●猪鼻湖(いのはなこ)

 朝の光がカーテン越しに部屋の中に入ってきた。
窓のカーテンをあげると、浜名湖の北端、猪鼻湖(いのはなこ)が、目に飛び込んできた。
薄曇り。

 一時は農薬被害で、魚が消えたと言われた。
が、昨日見ると、小魚が泳いでいた。
小さなヤドカリも、いっぱい、いた。
「魚が戻ってきた」と、私は思った。
ワイフもそう思ったらしい。
「あら、ちゃんと魚がいるわ」と。

●東急ハーベェスト・クラブ浜名湖

 ここはクラブ制のホテル。
現在3年という年限つきのクラブ会員権を発売している。
募集価格は、163万円。
(入会金が63万円、預託金が100万円。預託金は、3年後に変換される。)
 
 会員になると、1部屋(3〜4人)を、1万3000円前後で借りられる。
食費などは別。
詳しくは、0120−024−177へ問い合わせてみたらよい。

 が、これについて、私はこう思う。
歳を取ったら、こうした固定支出は、できるだけ避けたほうがよい、と。
できるだけ、身軽にしておく。
寝たきりになっても、銀行から会員料だけが自動的に引き落とされていくというのは、危険なこ
とでもある。

 それよりもいろいろな場所へ遊びに行った方がよい(?)。
これはあくまでも個人的な意見だが、そのほうがボケ防止にもなる。
人によって、考え方は様ざまだろうが……。

 ……もうすぐ、午前6時。
入浴ができる。
ワイフも起きてきた。
Good Morning!
今日もがんばろう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 HASE 浜名湖ハーヴェストホテ
ル はやし浩司 東急リゾートタウン)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●就寝に失敗して……(6月4日の深夜)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今朝(6月3日)は、午前4時起き。
昼すぎに、昼寝。
これが1時間ほど。
が、夕食後にもう一度。
今度は、うたた寝。
これも1時間ほど。

で、午後10時ごろワイフといっしょに床に入った。
が、頭が冴えて、眠られない。
30分ほどがんばってみたが、ギブアップ。
こういうときは、自然体。
成り行きに任せる。
眠くなったら、寝る。

起きあがり、そのまま書斎へ。
……今、その書斎にいる。

先ほど、ホームページの更新を終えたところ。
現在時刻は、0時05分。
6月4日になったばかり。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●老後の生きがい

 先ほどふとんの中で、あれこれ考えた。
そのひとつ。
「老後の生きがい」。

 まだ人生が終わったわけではない。
その実感は、まったく、ない。
つまり「終わった」という実感はない。
若いころは、老人というのは、そういうものと思っていた。
みな、それなりの準備をしているもの、と。
「それなり」というのは、「死への覚悟」をいう。

が、それはまちがいだった。
自分が、この年齢になって、それがわかった。

 多少、色あせているかもしれないが、青い空は青い。
若葉の緑は、緑。
若いころと、何も変わっていない。
「死への覚悟」など、どこにもない。
むしろ、ほしいのは、「生きがい」。
他人に感謝されるという、「生きがい」。
自分は独りぼっちではないという、「生きがい」。
それに向かってがんばることのできる、「生きがい」。

 どんな小さなものでもよい。
その「生きがい」が、ほしい。

●老後の統合性

 が、「生きがい」などといったものは、向こうからはやってこない。
自分で作るもの。
用意するもの。
が、一朝一夕には、できない。
10年単位の年月をかけ、その下地を作る。
用意する。
それが老後になり、花となって咲く。

 エリクソンは、それを「老後の統合性」と呼んだ。
それについては、何度も書いた。
が、その私ですら、それをつかみきれないでいる。
それがそこにあるのだが、正体を見せない。
ぼんやりと、まるで煙のよう。
輪郭さえ、よくわからない。

●怒り

 統合性と関係があるのか、ないのか?
それはわからないが、夕食のとき、ワイフにこう言った。

「歳を取ると、人間が円(まる)くなるというのは、ウソだね。
むしろ怒りが強くなる。
ぼくなんか、とくにそうで、怒りを感じなかったら、文章が書けない」と。

 そう、ものを書くには、(怒り)が必要。
(怒り)が、ものを書く原動力になる。
が、これに対して、別の心が、即座に顔を出し、私にこうささやく。

「あのなア〜、もうお前の人生は、それほど長くないよ。
怒ってばかりいないで、平凡の中に身を沈めたらどうか」と。
つまり、もうあきらめたらどうか、と。

●路上コンサート

 私は負け犬。
英語で言えば、「Loser(ルーザー)」。
よくわかっている。
が、負け犬には、負け犬なりの、締めくくり方がある。
その締めくくり方をどうするか。
それをこのところ、それをよく考える。
考えるが、いつも堂々巡り。

 「まだ何とかなる」「もうどうしようもない」と。
この2つが、交互に顔を出し、出しては消える。

 そう言えば、昨日、あるギタリストに会った。
年齢は40歳代という。
会ったといっても、2、3言、言葉を交わしただけ。
で、ホームページを出しているというので、先ほど、そのギタリストのをのぞいてみた。

 そこには、こうあった。

○月○日……浜松駅前で、路上コンサート
○月○日……浜松駅前で、路上コンサート
○月○日……浜松駅前で、路上コンサート
○月○日……浜松駅前で、路上コンサート、と。

 ほとんど毎晩、浜松駅前で、路上コンサートをしているらしい。
かなりの実力をもっている。
並の演奏家ではない。
が、そんな人物でも、路上コンサート?

 が、考えてみれば、私も毎晩、路上コンサートをしているようなもの。
その演奏家のホームページを読んだとき、恐ろしいほどの共鳴感を覚えた。

 その演奏家もそうだろう。
私もそうだ。
で、だれかが私たちにこう言ったとする。
「いくらがんばっても、どうにもならないよ。
一生、路上コンサートだよ。
だったら、あきらめたら」と。

 が、私たちはあきらめない。
路上コンサートを棄(す)てない。
棄てたら、おしまい。
私が私でなくなってしまう。

●ささやかな希望

 が、悪いことばかりではない。
少し前だが、愛知県犬山市に住む女性(当時40歳くらい)が、こんなメールをくれた。
内容は記憶によるものなので、正確ではない。

「いつか、私が林さん(=私)の年齢になったら、もう一度、林さんの書いた文書を読み直して
みます。
私が50歳になったら、林さんが50歳のときに書いた文章を。
55歳になったら、林さんが55歳のときに書いた文章を」と。

 そのときは、「ああ、そう?」で終わってしまった。
が、それが年とともに、私の胸の中で、大きくふくらんできた。
「たとえ1人でも、そういう人がいるなら、がんばって書こう」と。

 つまり、私というより、1人の人間の記録。
その記録が、何らかの形で、この先、老後を迎える人たちの役に立つかもしれない。
ささやかな、本当にささやかな希望だが、そこに私は自分の「生きがい」を感じた。

●デジタル一眼カメラ

 夜中にひとりで原稿を書いていると、どうしても湿っぽくなる。
暗くなる。

 ……先ほど息子が帰ってきた。
裏の家の玄関を開ける音がした。
昼ごろ出かけた。
「今日はみんなと、バーベキューを食べる」と言っていた。

 ふと気分が和らぐ。
ホーッと息が抜ける。
が、どういうわけか、そのときデジタルカメラが頭に浮かんだ。
今、ねらっているのは、オリンパスのPEN LITE。
デジタルの一眼カメラ。
今までのデジタルカメラで撮った写真とは、ひと味もふた味もちがった写真が撮れるそうだ。
カタログに載っている写真を見ても、それがよくわかる。

ネットショップでは、ホワイトカラーが、4万3000円前後の価格になっている。
レッドカラーが、3万7000円前後。(ともにダブルズームセット付き。)
同じ機種なのに、色(カラー)によって、価格がちがう。

 ……こうしたモノには、不思議な力がある。
見ているだけで、心が安まる。
脳の中で、条件反射運動が起きているためらしい。
視床下部の命令で分泌されたドーパミンが、線条体にできた受容体を満たす。
そのとき脳内で甘い陶酔感が生まれる。

 不正確な記事ではいけない。
以前、それについて調べた原稿がどこかにあるはず。
それを探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●物欲のメカニズム

++++++++++++++++

子どもの物欲を満たすのは、慎重に。
それに慣れた子どもは、さらに強い
刺激を求めて、やがて物欲の奴隷に
なる。

子どもの心をモノで釣るようなことは
してはいけない。

++++++++++++++++

●物欲

孫の誠司を、あちこちに連れていってみて、驚いた。
ショッピングセンターにも連れて行った。
みやげもの屋にも連れて行った。
コンビニにも連れて行った。
もちろんおもちゃ屋にも、連れて行った。
しかしどこへ連れて行っても、モノをほしがらない。

ただその場で、手に取ってみるだけ。
「ほしい」とか、「買って」とか、言わない。
で、私のほうが、「買ってあげようか?」と声をかけるのだが、
だまっているだけ。
つまり、そういう習慣そのものが、ない。
まったく、ない!
日本の子どもなら、「あれ、買って!」「これ、買って!」と言いそうな
場面でも、そういうことは、いっさい、口にしない。

●育て方の問題

 これは息子の影響というより、嫁のデニーズの影響と思われる。
何回か、デニーズと誠司の買い物に、同行したことがある。
そういうときでも、デニーズと誠司は、そういう会話をいっさい、しない。
「必要なものは買う。しかしそれ以外のものは、いっさい買わない」と。
そういう姿勢が徹底している。
つまり先にも書いたように、そういう習慣そのものが、ない。

そういう一例だけをみて、こう判断するのも危険なことかもしれない。
しかし『物欲というのは、習慣によって作られる』。

 が、この日本では、モノで子どもの心を買うという習慣が、日常化している。
子どものほしがるものを先に予想して、それを買い与える親は少なくない。
またそれをすることによって、親子の絆(きずな)は太くなると考える。

しかし実際には、逆効果。
感謝されるとしても、一時的。
つぎに今度は、子どものほうから、それを請求してくるようになる。
が、それですまない。

物欲というのは、それを満たせば満たすほど、エスカレートする。
脳の中では、つぎのようなメカニズムが働くためと考えてよい。

●条件反射行動

 何か目新しいものを見たとき、脳の中で、「ほしい」という欲求が生まれる。
(このときすでに条件反射行動(=条件づけ反応)が起きているとみる。)
視床下部あたりから脳に向かって、強力なシグナルが送られる。
それに応じて、ドーパミン(ホルモン)が放出される。
そのドーパミンが、線条体を刺激する。

「この刺激は強烈で、このとき線条体は、『目的達成に向けた行動を起こせ』というメッセージを
受けとる。
この刺激は強力で、意志の力だけでこの衝動を克服するのは、非常に難しい」(K・ローットワイ
ラー・オゼッリほか、「サイエンス」)という。

喫煙者がタバコの煙をかいだり、アルコール依存症の人が、酒の臭いをかいだときと同じよう
な現象が、脳の中で起こる。

とたん、子どもは(おとなも)、そのモノを強烈にほしがるようになる。
それはふつうの反応ではない。
ふつうでないことは、たとえばタバコをやめられない人や、酒をやめられない人のことを考えて
みればよい。

 しかしこのとき、ドーパミンの働きを打ち消そうという働きも、同時に発生する。
これを大脳生理学の世界では、「フィードバック」と呼んでいる。
つまり、感覚がマヒしてくる。
マヒしてくるから、つぎのときは、さらに強い刺激を求めるようになる。

(実際には、「薬物依存患者などは、線条体に見られる(D2ドーパミン受容体)の数が少ない
のがふつう。
……これはおそらく、麻薬などを何度も摂取するたびに繰りかえされるドーパミンの急増を、脳
が何らかの形で相殺しようとしているのだろう」(同、K・ローットワイラー・オゼッリほか)とのこ
と。)

こうして物欲は、かぎりなくエスカレートしていく。

 だから、子どもにモノを買い与えるのは、最小限にしたほうがよい。
できれば、そういう習慣は、やめたほうがよい。

わかりやすく言えば、一度、物欲にとらわれた子ども(人)は、それを断ち切るのは容易なこと
ではない。
ばあいによっては、物欲の奴隷となる。
ちょうど喫煙者がタバコの奴隷になり、アルコール依存症の人が、アルコールの奴隷になるよ
うに、だ。

だから、先にも書いたように、モノを買い与えても、感謝するのはそのときだけ、ということにな
る。

が、さらに恐ろしいことは、つぎのステップで起こる。

 こうした欲望の奴隷になった子ども(人)は、それが満たされないとわかると、パニック状態に
なる。
狂乱状態になることもある。

ときどきショッピングセンターなどで、「あれ、買ってエ!」と、泣き叫ぶ子どもを見かけるが、そ
れもその一例ということになる。

「実際には逆効果」というのは、そういう意味である。

●物欲社会

 で、だからといって誠司が理想的というわけではない。
現代という社会は、物欲を中心になりたっている。
その物欲が、経済活動の原動力にもなっている。

もし現代という社会で、物欲を否定してしまったら、社会そのものが、崩壊してしまう。
子ども(人)の立場でいうなら、社会そのものに同化できなくなってしまう。

「欲しい」という意欲があるからこそ、そこから勤労意欲が生まれる。
だから「ある程度は・・・」ということになる。
ある程度の物欲は必要だし、そのための教育(?)も必要ということになる。
が、あくまでも「ある程度」。
その「程度」を超えたとき、その子どもは、かぎりなくドラ息子化する。

結果として、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。

それだけは、注意したほうがよい。

(補記)

ドーパミン……快楽追求行動を調整している神経伝達物質
条件づけ反応……報酬と喜びに関連する脳の刺激に対する反応。これによって
       条件づけ反応が生じ、その環境に身を置いただけで、反応が起こる
       ようになる(以上、日経「サイエンス」07−12、p54) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 物欲 物欲のメカ
ニズム 子どもの物欲 子供の物欲 線条体 ドーパミン受容体 視床下部)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●買い物依存症

 私の脳の中には、そういったメカニズムができている。
買い物症候群と同じメカニズム。

 ウィキペディア百科事典の中では、「買い物依存症」として紹介されている。
「精神疾患」のひとつだそうだ。
そのまま紹介させてもらう。

『買い物依存症(かいものいそんしょう、かいものいぞんしょう)とは精神疾患の一つであり自身
にとって不必要、あるいはすでに同様の物を所持しているにも関わらず、大多数の物品を購入
してしまうという症状。
買い物依存症の主な原因としてはストレスが挙げられており、イライラしたり不機嫌になる毎
に、デパートなどに行き買い物をし、物質的に満たされるという快楽を得ることで心を癒してい
る。

比較的女性の方が買い物依存症に陥る傾向が高い。
対して男性の場合は同様のストレス解消の手段としてギャンブルを行っており、その症状はギ
ャンブル依存症と呼ばれている。

自己顕示欲の強い人に多く見られる症状であり、自身の経済力を省みずにブランド品や高級
品を購入してしまいカード破産やローン破産に陥ってしまったという事例も存在する。

最近ではインターネットによる通信販売が普及した事により、支払能力が無く親の金を利用す
る学生やひきこもりが買い物依存症となる例も存在する』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

●私のばあい

 私は、ギャンブルはしない。
しかし「物質的に満たされるという快楽」というのは、よく理解できる。
欲しかったものを手に入れたときの安堵感というのは、たしかにある。
ただ、この中で、ひとつ書き忘れていることがある。

 たとえばカメラだが、完成されたものには、完成されたものの美しさがある。
その美しさを見ていると、心が安まる。
買い物依存症というと、意味もなく同じものをほしがる……というように考えられがち。
が、私のようなケースも少なくないはず。
精緻なカメラには、それがある。
完成された美しさ。

 さらに言えば、「それを使って、美しい写真を撮ってみたい」という願望もある。
だから「同様の物を所持しているにも関わらず、大多数の物品を購入してしまう」(同)というこ
とはない。

 で、もうひとつ付け足すと、こうなる。

 私は子どものころから、金属製のものを指先でいじっているのが好き。
これについても、いろいろな説明がなされている。
指先からの刺激により、脳内にある種のホルモンが分泌される。
モルヒネ系のホルモンと考えると、わかりやすい。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
子どものモノいじり(毛布の切れ端や、ボタン、貝殻など)も、そのひとつと考えられている。

●見るだけで満足

 が、ブレーキをかけられないわけではない。
私のばあい、それがほしいと思い、店へ行く。
現金をてにもって行く。
ほとんど買うつもりで、家を出る。
そのときのこと。

それを見たり、いじったりしているだけで、満足感を覚えてしまう。
そういう私が、ワイフには不思議に見えるらしい。
あとになって、「どうして買わなかったの?」と、よく聞く。

 理由のひとつに、子どものころ、家が貧しかったということがある。
(どこの家も貧しかったが……。)
いつの間にか、見るだけで満足する……という習慣を身につけてしまった。
が、こんな男性もいる。

●原動力

 詳しくは知らないが、今度、TOYOTAから、スポーツカーが発売になった。
何でも、ものすごい性能らしい。
その車を知り合いの男性が買った。
買ったといっても、納車は3か月先の秋ごろとか。
ほとんど毎日、その店に行って、その車をながめている。

 その気持ち、ヨ〜ク、わかる。
そういうときというのが、いちばん、ハッピー。
物欲には、そういう力もある。
つまり(生きる力)の原動力にもなる。

●就寝

 先ほど、熟睡剤を、半分のんだ。
それが効いてきたらしい。
あくびが、連続して出始めた。

 そろそろ就寝のとき。
時刻は、午前2時。

 では、今日は、ここまで。
どうということにない、平凡な1日だった。
2012/06/04


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室から】(紹介:カルワン 浜松市大工町・エスニックレストラン)

●年長児クラス……数の大小について

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/DeaNKmCBvkY" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小4児クラス……植木算など。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/gWZ5Mpzu1ao" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【おまけ】

 友人が経営するエスニック・レストランを紹介します。
インド・パキスタン料理を食べさせてくれます。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/N_FUTRvK_EA" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(はやし浩司 カルワン Karwan Karwan Mohammad Hameed Taniguchi Hamamatsu Japan  
はやし浩司 インド料理 パキスタン料理 浜松 インド料理 家庭教育 育児 教育評論 幼
児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan
 はやし浩司 )


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 3日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【旅館やホテルの米(食材)は、どこから来ているのか?】
はやし浩司 2012−06−05、雑感

●最安値

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 その数字を見たとき、体から、スーッと力が抜けていくのがわかった。
残念。
無念。

今日(2012年6月4日)、東証株価指数が、694・77円を記録した。
694・77円!

Bloombergは、つぎのように伝える。

『経済統計の悪化で前週末の米国株が急落した流れを受け、この日の日本株は朝方から幅
広い業種に売りが先行。
TOPIXは取引開始と同時に、2009年3月12日に付けた、バブル崩壊後安値(69・46円)を
下回った。
日経平均も、1月6日に付けた年初来安値8349円33銭を5カ月ぶりに更新』と。

バブル経済について、ウィキペディア百科事典は、つぎのように説明する。

『……バブル景気(バブルけいき)は、1987年から1990年まで(バブル景気絶頂期)の数年間
に日本で起こった、資産価格の上昇と好景気、及びそれに付随して起こった社会現象である。
情勢自体はバブル経済と同一』(ウィキペディア百科事典)と。

 その1990年から、今年(2012年)まで、22年。
失われた10年が、失われた20年になった。
つまりこの22年間、日本は現状維持すら、できなかった。
東証株価指数だけで、そう判断しているのではない。
周囲の町中の様子を見ただけでも、それがわかる。
大型ショッピングセンターや、ファーストフード店は別として、22年前のまま。
あるいはシャッター通りに象徴されるように、むしろ悪化している。
日本全体が、昭和村、大正村になってしまったと言ってよい。

問題はこの先、つまりつぎの10年。
失われた30年ですむのか。
それともすまないのか。

 ここまで日本経済が沈むと、国全体が自信喪失状態になる。
(すでになっているが……。)
こわいのは、負け戦。
悶々とした閉塞感。
それがやる気を奪う。
あとはこの悪循環の中で、日本経済は、ますます下降の一途をたどる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不公平感

 その一方で、実感として、貧富の差は、拡大の一途をたどっている。
生活保護者数が急激にふえている一方で、高級外車が飛ぶように売れているという。
岐阜県の下呂町(温泉街)に住む友人が、こう話してくれた。

 「この下呂町でも、おかしなことが起きている。
1泊2食付で、8000円前後の旅館がある。
その一方で、1泊10万円という旅館もある。
結構、繁盛している」と。

 どちらであるにせよ、そういう話を聞くと、まじめに働くのがバカ臭くなる。
(私のばあい、まじめに考えるのが、バカ臭くなる。)

●実態

 もう少し詳しく調べてみる。

 まず生活保護者数だが、つぎのようになっている。
また貧富の差を測る尺度として、ジニ係数(ジニ指数ともいう)というのがある。
それらは、つぎのようになっている。

(1)生活保護世帯

そして、実際、2005年度の生活保護世帯は104万世帯に達した。

 その後、2006年度〜8年度に、それぞれ、生活保護世帯数は107万世帯、110万世帯、
114万世帯と毎年3〜4万世帯づつ増加した。

 ところが09年度には127万世帯、10年度には141万世帯と保護世帯数は毎年13〜14
万世帯増と増加幅が加速している。2011年度も4〜12月平均で140・9万世帯となってい
る。
(社会実情データ図録サイトより)


(2)生活保護者受給者数は、200万人を超えていた第二次世界大戦後の混乱期をピークに
経済成長に伴って次第に減少、1995年(平成7年)度には、88万人にまで減っていた。
しかしながらその後は景気悪化から増加に転じ、1999年(平成11年)には100万人を突破、
東日本大震災が起きた2011年(平成23年)3月には半世紀ぶりに200万人を突破した。
また、同年10月の受給者は約207万人に達した』(ウィキペディア百科事典より)。

(3)貧富の差

 ところがいろいろ調べてみると、日本のジニ指数(貧富の不公平度指数)は、それほど悪化し
ていないのがわかる。
あのバブル経済のころのままというか、それ以後は、ほとんど変化していない。
しかし国民の間に、不公平感が高まっているのは事実。
それについて、「社会実情データ図録サイト」は、つぎのように説明している。

『しかし国民の不平等感が昂進しているとすれば、それ自体が問題である。
資産格差の存在、政治家・芸能人などの2代目の多さに代表されるような機会格差、自分さえ
よければいいという風潮や成果主義、勝ち組、負け組といった考え方、さらにリストラ、失業、
自殺といった社会統合を脅かす諸問題が背景にあると考えられるので、政策的対応が不必要
ということにはならない』(社会実情データ図録サイト)と。

 つまり一方で派手な話を聞くたびに、ふと我に返る。
自分がみじめになる。
自分がなさけなくなる。
この文は、それを言っている。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【上海在住のMTさんよりの近況】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

上海に8年住んでいるMTさんより、近況報告が
届いています。
転載許可がもらえましたので、ここに紹介します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

はやし先生
おはようございます。


昨夜も東北で大きな地震がありましたね。
こわいです。
でも、日本で生きていくしかない。
8月の初め頃に帰国する予定です。
他にもこわい(?)ことはあります。


3年位前に一時帰国した頃から感じ始めたのですが。
ある大型ショッピングモール内で、30代半ばくらいの女性とぶつかってしまいました。
お互い、よく周りを見ていなかったのだと思います。
謝ろうとしたら、「申し訳ありません!!」と深々と頭を下げられてしまいました。
それも何度も。
痛みを感じるほどのぶつかり方ではなかったですし、お互い悪いと思っていたのに、そんな風
に謝られて当惑してしまいました。


その後も同じような事が何回かありました。
ぶつかる、という事だけではなく、ちょっと通路をふさいでしまった、相手をさえぎってしまった、
という程度の事でも。
私がよほど恐ろしい顔をしていたのか?、とも思いましたが、今の日本はこのようにしなければ
いけないのでしょうか?


ぶつかったり、相手の邪魔をしてしまったらもちろん謝ります。
でも、まるで恐れおののいているような謝り方はあまりしません。
程度にもよりますが。
大げさに謝れば謝るほど無事でいられるという世の中なのでしょうか。


そんな事があるかと思えば、自分の不快感をあからさまにする人も多くなったと思います。
お店の店員さんなどで、おそらくこちらが想定外の質問や行動をしたからなのか、舌打ちをさ
れたこともあります。
私はそこまでルール違反をしてしまったの?、とも思いましたが、私が日本を離れている6年弱
の間で、ずいぶん日本人は変わってきたと思います。
久しぶりに日本に戻った友人の息子(小学4年生)は、都内の駅のエスカレーターで立ち止まっ
ていてはいけないほう(東京は左側でしたっけ?)に立っていて、後ろから来た中年男性に「邪
魔だ。どけ!」と突き飛ばされたそうです。


以前にも先生にメールしましたが、こちらは人と人の間隔が日本よりも近いです。
毎日の事なので知らず知らずの内に身に付いてしまっています。
たまに日本に帰ると、日本人同士の距離感を取り戻すまで少し時間がかかります。
こちらを出発する前は日本に戻ったら気をつけなくちゃ、と思っているのですが、大抵、日本で
いやな顔をされて気がつきます。


日本人なのだから、日本の新しいルールにもすぐに慣れるでしょう。
でも、最近起こる、理不尽な事件の数々。
おそろしいです。
ちなみに、信号無視ですが。
この数年、赤信号の時、じっと待つ人は確実に増えてます。
片側4車線くらいあるある広い道ですと、歩行者整理のような事をしてる人がいるので、無視し
て渡ろうとするとすごく怒られます。


もちろん、いまだに信号無視する人はたくさんいます。
車も時々信号無視するので、青だから安全に渡れるというわけではないのですが。
自分の信号無視のせいで、または信号無視の車に轢かれそうになり、車をたたいて怒ってい
る歩行者も時々見かけます。


白人は必ずといっていいくらい信号無視しています。
少し前に見かけた光景です。
赤信号の横断歩道をおばあさんが渡ろうとしていました。
車の通行量は多いです。
危ないです。
若い女の子がおばあさんの後ろから走ってきて、腕をつかんで引き戻していました。
女の子は赤信号を指差しておばあさんに大声で何か言い聞かせています。
女の子はおばあさんを怒っています。
その後、青信号になってから二人は横断歩道を渡っていきました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識

 日本に住んでいると、(当然のことだが)、日本内部で起きている変化がわからない。
が、MTさんのように、上海なら上海という外国から見ると、それがよくわかる。
で、MTさんからの報告を読みながら、私から見た日本はどうなのかと考える。
つまり日本は、変わったのか。
変わらないままなのか。

 それを知るもっとも有効な方法は、いろいろな調査結果を読むこと。
意識調査、統計、世論調査など。
「日本(=日本人)は変わった」と、直接肌で感ずることもある。
たとえば最近の若い人たちは、天下国家を論じない。
石原東京都知事も言っているように、「チマチマ」している。

 が、当の若い人たちは、ぜったいに、自分ではそうは思っていない。
「意識」というのは、そういうもの。
常に自分のもっている意識が、「常識」として働く。
ちなみに高校生あたりに、「日本は……」と話しかけてみるとよい。
すかさず、「ダサ〜イ」という言葉がはね返ってくる。
もっともこの話とて、20年前の話。
そのころ、エッセーとして原稿に書いた。

●謝罪

 謝罪する日本人。……必要以上に腰が低い。
謝罪しない日本人。……権威主義的で、いばっている。

 MTさんに指摘されて気づいたが、この日本には、その両極端な人がいる。
謝罪する日本人。……心理学的には、服従・依存型人間ということになる。
謝罪しない日本人。……心理学的には、攻撃型人間ということになる。

 一見、正反対の人格をもっているように見えるが、ともに他者との良好な人間関係の結べな
い人とみる。
結べないから、極端な行動に走りやすい。
が、一般論から言えば、心の閉じた人は、謝罪しない。
「ごめんなさい」という、その一言が言えない。
たとえばアスペルガーの子どもは、他人(教師や周囲の人)に、まちがいを指摘されただけで、
パニック状態になる。
プリントにバツをつけただけで、泣き叫んだり、暴れたりする。
プリントそのものを破ってしまうこともある。

 さらに自己中心性が肥大化した人を、自己愛者という。
このタイプの人は、他者の批判を許さない。
批判されると、同じようにパニック状態になる。
……などなど。

 だから謝罪するという、行為の一面だけをみて、「日本人は……」と論ずることは、危険なこと
でもある。
ちなみに欧米人は、めったに「I'm sorry.(悪かった)」とは言わない。
言えば、責任を取らされる。

●距離感

 「人間どうしの距離感」については、よく論じられる
たとえば会話をするとき、どれくらい離れて話すか。
それを「距離感」という。

 その距離を詳しく研究した人もいる。
たとえば欧米人は広い。
アジア人は、比較的、狭い。

 だから欧米人とアジア人が立ち話などをしていると、欧米人のほうが、どんどんと後ずさりし
ていく。
距離を縮めようとするアジア人。
距離を広くしようとする欧米人。

 昔、こんなことがあった。
オーストラリアで、エレベーターに乗ったときのこと。
まだガラガラだったので、割り込んで入ろうとしたら、中にいる人に拒絶されてしまった。
オーストラリアでは、肩と肩が触れあう程度でも、「満員」となる。
実際には、体が触れあうということはない。
通勤電車でも、そうだ。

 ここでいう距離感というのは、それをいう。

 では、日本人と中国人は、どうか。
今度MTさんに会ったら、そのあたりを詳しく聞いてみる。
なおこれもあくまでも一般論だが、体臭が強い民族ほど、距離をおくそうだ。
たとえば砂漠の遊牧民。
風呂に入るという習慣がないため、体臭がひどい。
だからそれこそ、会話をするときも、数メートル以上は離れてする。
(もちろん気を許した、親族は別だが……。)

(その民族がもつ「距離(=間隔)について、詳しく調べた国際調査があったはず。
今検索をかけてみたが、見つからなかった。)

●日本で生きていくしかない

 「日本で生きていくしかない」と。
これについて、ひとつ気になっていることがある。

 ショッピングセンターなどからは、福島産の米が消えた。
栃木産の米はときどき見かけるが、岩手県産や茨城産の米も、消えた。
秋田県産の米も消えた。
そういった米は、どこへ行ったのかと疑問に思っていたら、こんなことがあった。

 数か月前、静岡県の沼津市にあるホテルに泊まったときのこと。
フロントに、こんな張り紙がしてあった。
「お米は、福島県産のものを使用しています」と。

 どうやら東北産の米は、主にホテルや旅館で使われているらしい。
そこでネットで検索をかけてみると、たいへん多くの人たちも、それを気にしているのがわかっ
た。
「今度、〜〜ホテルで忘年会をすることになったが、内部被爆が心配」とか、など。

 そこで近くの旅館やホテルに直接、自分で電話をかけ、問い合わせてみた(2012/06/05現
在)。

★浜名湖かんざんじ荘……栃木県産のこしひかり
★浜名湖カリアック……秋田産の秋田こまち(返事に5分以上、待たされた。)
★浜名湖ロイヤルホテル……「現在、秋田産に変えまして」(フロント)と言われ、厨房へ電話
が回された。
いわく「夕食バイキングと朝食バイキングでは、ちがった米を使っている」とのこと。
「調べるので、2、3分、待ってくれ」と。
(数分後)、「秋田産と青森産を使っています」とのこと。
★東急ハーヴェストクラブ浜名湖……「県名はわからないが、秋田こまちを使っています」との
こと。(返事をもらうのに、数分かかった。)
★くれたけ(セントラル)……「お米屋さんから、そのつど買っているのでわからない」とのこと。
「今、現在はどうですか?」と聞いたら、「わかりません」と。

 以上、5か所に電話をかけ、直接確かめてみた。
共通するのは、みな、東北県産の米を使っていること(くれたけは、不明)。
この静岡県で、どうして東北県産の米が使われているのか。
静岡県産や、福井県産や富山県産の米ではなく、みな、東北県産。
どうして?
「率直にお聞きしますが、福島県産のお米はどうでしょうか」と聞くと、口ごもってしまったホテル
もあった。

 これ以上のことは、ここには書けない。
私の個人的な判断についても、ここには書けない。
あとの判断は、これを読者のみなさんに、任せる。

 MTさんが言うように、私たちは、「日本で生きていくしかない」。

ついでながら、Yahoo「知恵袋」には、つぎのような書き込みがあった。
そのまま紹介させてもらう。
あくまでも参考に!

+++++++++++以下、Yahoo知恵袋より++++++++++

『福島県民(在住)です。
こちらでは普通にスーパーに福島県産の物が店頭に「福島県産」と表示されて販売されていま
す。
県産野菜のコーナーもあります。

イチゴでも1パック980〜498円の物は県外産。
片隅に山積みになっている298円は福島県産(相馬などの詳しい地名入り)です。

以前は、ブランド野菜として農家の方の名前と顔写真入りでしたが、これは無くなりました。

スーパーによっては、福島県産が隔離のように1ヶ所に集められてます。
(めっちゃ格安。タイムセールみたいな値段の時も。)

米も産地入り。
福島のお米と名乗って売られています。

出荷しても風評被害で売れないからと、農家の倉庫に置きっぱなしにしているところが多く、出
荷自体も少なかったので県外で見かける機会は限りなく低いと思います』(Rion93SKさん)。

『たぶんブレンド米になって混ざっているでしょうね。
未検査米だと産地表記もいりませんからね。

だから今年の安物米はうまいかもしれませんね。
(本来は福島の一級米なんだからね)

まぁー安物買いなんだから文句言えませんけどね。

だから米の表記をみて、100%全てに関して産地表記されていないようなお米は全てその疑
いがあります。
決して法律違反ではありませんので(というか法律を守っている)、文句言えません。

だからコスト抑える事をメインに考えているようなところだといろいろな飲食店や食品加工で使
われているでしょうね。

よって福島産は貴方の食卓や利用するお店で既にあるかもっていうのが答えになるでしょう
ね。

避けたいのなら
外食をしないで産地をうたっていない加工品も利用しないで信用できる店の単一原料米って書
いてある出所確かなお米を利用する事ですね。
そんなに極端に高いわけでも無いしね。
それを嫌だと言って文句言うのならこの国に住むのは諦め海外へ移住し国籍を変え、日本人
をやめましょう。
つまり日本から出てきましょう』(adgrocerさん)と。

+++++++++++以上、Yahoo知恵袋より++++++++++

 ……繰り返す。
あくまでも、参考に!


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 距離感 失われた20年 福島県
産の米は、どこに はやし浩司 ホテル 旅館の米 東北産の米)2012/06/05


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

はやし浩司・「インコのPippi」

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7343729440/" title="DSC02915 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8158/7343729440_
0de319578f_s.jpg" width="75" height="75" alt="DSC02915"></a>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨夜遅く、山荘に一泊。
今朝はワイフがクラブがあるとかで、早く帰ってくるつもりだった。
が、いつもの朝寝坊。
起きたのが午前8時。
あわてて帰り支度。
家に戻ったのが、午前10時少し前。

家に戻ると、ぼたんインコのピッピが鳴いた。
カゴから出すと、いつもとちがった鳴き方をした。
悲しそうに、グワーッ、グワーッと何度も鳴いた。
私の顔にくちばしをすりよせ、何度も鳴いた。
そのつど何かを訴えるように、体を上下させた。

かなりさみしかったらしい。
それ以後は、私から片時も離れない。
今もパソコンのキーボードの上を行ったり来たり……。

インコにも、母子分離不安があるのかなア……と、そんなことを考える。
体は「鳥」だが、心は人間そのもの。
今まで、いろいろな動物を飼ったことがあるが、インコは不思議な鳥だ。
頭がよいのにも驚くが、ここまで情がこまやかとは知らなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本経済のイロハ】

●みなが銀行から、お金を引き出したら……

 みなが銀行からお金を引き出したら……。
銀行はどうするのか?
現金はないから、手持ちの国債(=国の借金の借用証書)を日銀に売り、現金化するしかな
い。

 が、もしそんなことが始まれば、国債の価値は暴落、つまり国債の金利は上昇する。
つまり「今までのような、0・104%(2012/06/06現在)では、お金を貸しませんよ」となる。

 国債の金利が上昇すれば、国の負担がそれだけ大きくなる。
何といっても、国の借金だけで、1000兆円。
金利を1%としても、10兆円。
2%としても、20兆円。
4%ととなると、40兆円。
国家税収と同額になる。

●「なるようにしかならない」

 本来なら、借金がふえれば、支出を減らす。
が、この日本では、減らすどころか、ふやしている。
東海北陸道の4車線化は決まった。
凍結されていた新幹線の線路建設も、どこかのダム建設も、これまた決まった。

 将来的にそれだけの収入が約束されていればよいが、それもない。
このところ経常収支も、赤字つづき。
「どうなるんだろう?」と考えたところで、みな、思考停止。
「どうにもならない」「なるようにしかならない」と。

 が、こういうときがいちばん、恐ろしい。
どこかで火がつくと、そのままパニック状態になってしまう。
では、どうするか、だが、以上のことを前もって知っているだけでも、冷静になれる。
今から準備することができる。

(1)預金はできるだけ現金化しておく。
(2)国債はできるだけ早く売る。
(3)現金は、できるだけ現物資産に変換しておく。
(4)パニックの予兆を感じたら、生活必需品は買いだめしておく。

 この(1)〜(4)のどれもを、政府はいちばん恐れている。
私とて、それをあおっているわけではない。
(もし、みながそれをしたら、それこそ本当に、この日本は破綻してしまう。)
が、このまま国(?)と心中するわけにもいかない。
本来なら、こう書きたい。

(1)預金はできるだけ現金化しないで、銀行に預けたままにしておきましょう。
(2)国債はできるだけ売らないで、さらに買い足しておきましょう。
(3)現金は、できるだけ株式や債券に投資しておきましょう。
(4)パニックの予兆を感じても、買いだめはしないでおきましょう、と。

 もしあなたが、蓄財に成功した老人や、公務員(官僚)なら、そうすればよい。
そうでなければ、我が身は自分で守る。
それに徹したらよい。

 あくまでも参考に!
2012/06/06記


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

はやし浩司【講演会の感想】沼津教育委員会より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先日行った、沼津市での講演会の感想が届いています。
うれしかったので、紹介します。

沼津市のみなさん、教育委員会のみなさん、どうもありがとうございました。

はやし浩司
2012/06/07記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7162893599/" title="img559 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7083/7162893599_
934167337a_b.jpg" width="723" height="1024" alt="img559"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7348104386/" title="img560 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7216/7348104386_
0a10d16273_b.jpg" width="723" height="1024" alt="img560"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7348105228/" title="img561 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8154/7348105228_
6cd5cbab77_b.jpg" width="723" height="1024" alt="img561"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7162895699/" title="img562 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7099/7162895699_
e3feddaf31_b.jpg" width="723" height="1024" alt="img562"></a>

++++++++++以上723x1024サイズ+++++++++++++

【バカ親狂騒曲】(子どもをスポイルしながら、それに気づかない親たち)

【BW子どもクラブbyはやし浩司】(はやし浩司 BW教室 2012−06−07)

●年中児のみなさんのレッスンも、やっと軌道に乗ってきました。
 この先は、子どもたちのもつリズムを、少しずつ修正するような形で、指導していきます。

●また小学1〜3年生の子どもたちには、「植木算ほか」を教えてみました。
 子どもたちはみな、大きなストレスをかかえています。
それを発散させてあげるのも、私の仕事かと思っています。
生意気ざかりの子どもたちですが、たがいに楽しむ。
それが子どもを伸します。
BWの子どもたちは、迫力がちがいますよ!

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/T5ySOSEixqc" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/DiJuJPqp5e0" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Q1hUZCuCVu8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●『インコを飼ったことのない人は、人生の半分を損している』

 今日は6月8日(金曜日)。
「えっ、もう8日!」と、驚く。
あっという間に、8日も過ぎた。

 もっともこの5月は、ぼたんインコのPippiとの1か月だった。
Pippiとともに、明け暮れた。
6月に入ってからも、毎日が驚きの連続。

昨夜は、1階の居間から2階の、この書斎まで、ひとりで飛んでやってきた。
Pippiには、たいへんな冒険だったらしい。
書斎まで来ると、私の手の中で、グワーッ、グワーッと鳴いた。
赤ちゃんの「オギャー、オギャー」に似た声だが、意味もそれに近いのでは?

 唇でPippiの頬を撫でてやると、同じように私の頬をくちばしで撫でてくれた。
ぼたんインコのことを、別名、「Love Bird(ラブ・バード)」という。
その意味を、改めて実感した。

 ……このぼたんインコにも、それぞれ性格というものがあるそうだ。
(私ははじめて飼ってみたので、ほかのインコについては知らない。)
しかし幼鳥のころは、静かに、やさしく育てるのがよい。
穏やかに、愛情深く育てるのがよい。
今も、私の肩の上で、体を私の首にこすりつけて眠っている。
そこが暖かいからではないか。

生まれたのは、4月の中ごろ。
今日でちょうど2か月ということになる。
人間で言えば、まさに乳幼児。
「育て方も、人間と同じだな」と、よく思う。

 基本的信頼関係が、何よりも重要。
たがいに信頼しているので、Pippiは、私がすることについて、何ら警戒心をもたない。
私も、安心して、自分の顔を近づけることができる。
というのも、インコのくちばしは、耳たぶくらいなら平気でかみ切る力をもっている。
育て方をまちがえると、人間に対してかみつくようになる。
こうなると危険。
(インコから遠ざかる)→(ますます荒れる)の悪循環の中で、信頼関係は崩壊する。
今は、その基本的信頼関係の構築期。
何をしても、Pippiを叱ってはいけない。
(叱るようなことは、Pippiもしないが……。)

 『インコを飼ったことのない人は、人生の半分を損している』と言った人がいる。
それぞれの人は、それぞれの立場で、そう言う。
『山登りをしたことがない人は……』でもよい。
『ローマを見たことがない人は……』でもよい。

私は高校1年生の終わりごろから、いつも何かの鳥を飼ってきた。
文鳥、白鳩、鶏、うこっけい、インコ……。
鳥が好きで、若いころは、鶏肉を食べることさえ、できなかった。
が、ぼたんインコは、そうした鳥と、一線を画す。
人間の子どもとそっくりというか、同じ。
それだけに育て方もたいへんだが、(つまり乱暴な育て方はできないが)、生きがいも与えてく
れる。
毎晩仕事から帰ってくると、まっさきに、Pippiにあいさつをする。
最近では、「ただいま!」と声をかけただけで、巣箱から飛び出してくる。
手に乗せると、あの声で鳴く。
「グワーッ、グワーッ」と。
ときどきシャックリのようなものをするときがある。
それも人間の子ども、そっくり。
「グワーッ、グワーッ」と鳴きながら、しゃっくりをする。
「悪かった、悪かった」と言いながら、私はPippiの頭をさすってやる。
とたん、それまでの疲れが吹き飛んでしまう。

 だから今は、こう思う。
『インコを飼ったことのない人は、人生の半分を損している』と。

(注)「インコ」といっても、いろいろな種類がある。
「おかめインコはもっとかわいいよ」と言う人もいる。
ぼたんインコより、さらに頭がよいらしい。
言葉も覚える。
ぼたんインコは、あまり言葉を覚えないという。
今、一生懸命、言葉を教えてはいるが……。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識のズレ

 おとといの夜、映画『君への誓い(The Vow)』を見てきた。
お涙頂戴の、2流映画だった。
星は2つもきびしい、★★。

1人、レイチェル・マクアダムス(主人公の女性)の演技だけが、光った。
美しい女優だが、ちょっと歳を取りすぎたかな……という感じ。
髪の毛を長くし、若くは見せていたが……。

 その中で、こんなシーンがあった。

 主人公のページ(レイチェル・マクアダムス)は、進学の問題がこじれ、両親と3年近く、音信
を切る。
ページのほうが、家を飛び出したらしい。
(今では、息子や娘のほうが、親と縁を切る時代になったが……。)
で、それについて、ページの夫、レオ(筋肉ムキムキのハンク)が、ページの両親にこう詰め寄
る。

「親なら、(3年間も娘を放っておかず)、修復を試みるべきだった」と。

 つまり家を飛び出した娘が悪いのではない。
修復を試みなかった親の方が悪い、と。

 この発想は、まさにアメリカのハリウッド映画そのもの。
もっと正確には、アメリカ西部の、親子意識をそのまま表象している。
で、現在の日本は、その影響をまともに受けている。
よい例が、あの映画『タイタニック』。

 ローズは、母親を棄て、名前を聞かれたとき、「ローズ・ドーソン」と答える。
「ドーソン」というのは、ジャックの名前。
観客は、ローズの立場で、つまり母親を悪者ととらえることで、ローズの行動に納得する。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?

 聞くところによると、そのあとローズの母親は、生涯、ローズを捜しつづけたという……という
のは、ウソだが、親には親の気持ちがある。
(あなたが親として、子どもにもつ愛情を振り返ってみれば、それがわかるはず。)
ジャックにしても、そうだ。
ジャックにも両親がいた。
両親の気持ちは、どうなのか?

 言い換えると、現代の若い人たちは、あまりにも勝手すぎる。
それがあの映画『タイタニック』ということになる。
称して、「タイタニック・シンドローム(症候群)』。
それを象徴するかのような記事が、昨日、ネットに紹介された(2012年6月5日)。
私はこれを読んだとき、ドキッとするほど、強い衝撃を受けた。
同時に、納得した。

 「私たちの世代がもっている意識と、こうまでちがうのか」と。
そのまま紹介させてもらう。
タイトルは、『大人になっても親からの小遣いの是非』。
これを読めば、これからの親は、どうあるべきか、それがよくわかるはず。

+++++++++以下、Yahoo・Newsより+++++++++++

●大人になっても親から小遣いの是非

「就職し、自立してからも親から"生活費の援助"を受けている人の割合は25.9%」。
マーケティング・リサーチの「リサーチ・アンド・ディベロプメント」がこんな調査データを発表し
た。
同調査によれば、じつに4人に1人が親から生活費の援助を受けていることになるが、いったい
どれくらいの金額を、どれくらいの頻度で受け取っているのだろうか。

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し「今も継
続的にもらっている」が3%、「今もたまにもらっている」が11.3%、「以前にもらったことはあるが、
今はもらっていない」が30%、「もらったことはない」が55.7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。以
下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、「7〜12カ月に1回程度」(18.
6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、3万円未満との回答が合計
90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、10万円以上(2.3%)とかなり
親に依存している人も。
ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと「食費」(48.8%)や
「交際費」(44.2%)「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

このように、社会人になっても親の財布をアテにして生計を維持している若者は少なからず存
在する模様。
なんだか情けないような気もするが、彼らにも彼らなりの言い分があるようだ。

●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)

●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)

●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。

また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

なかなか給料が上がらないこのご時世、ある程度は親の好意に甘えてしまうのも致し方ないの
かもしれない。
(榎並紀行)

+++++++++以上、Yahoo・Newsより+++++++++++

●「仕送りを受け取ることが親孝行」?

 こういうとき息子や娘は、おおかた、こう言う。
「就職したら、返す」「給料があがったら、返す」と。
しかし実際には、返さない。
結婚したら、ハイ、さようなら!

 が、それにしても、4人に1人が、社会人になってからも、親の援助を受けているとは!
驚くと同時に、あきれる。
私たちの世代とは、まったく、逆。
意識も行動も、逆。
私たちの世代は、親にお金を届けた。
私のばあいは、毎月、収入の約半分を送った。

 レポートによれば、こんなことも。

『例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている』(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」)と。

 また最後に、ライターは、こう結んでいる。

『なかなか給料が上がらないこのご時世、ある程度は親の好意に甘えてしまうのも致し方ない
のかもしれない』と。
つまり「給料が少ないから、しかたない」と。

 これを読んだとき、ライターもその中の1人、つまり親から援助を受けている1人と理解した。
私がライターなら、こんな結び方は、ぜったいにしない。
というのも、親の収入にも、限度がある。
打ち出の小槌をもっているわけではない。
リストラされたら、その時点で、収入はゼロ。
(失業保険手当ては別。)
再就職しても、給料は3分の1程度になる。

 親が息子や娘に現金を渡すのは、「威厳」や「好意」のためではない。
自分の老後のためである。
自分の最期のためである。
「葬式くらいは出してほしい」という、切ない願いのためである。
私たちの世代にとっては、1万円でもきびしい。
なけなしのお金。

 それを言うも言ったり。

「……使われなかったものは多くの場合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、
いつもらうのかという話」とは!
さらに「実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝
行になるとの考えもあるようだ」とも。

 ドラ息子(娘)、この一言に極まれり!
「どうせ遺産でもらうのだから、先にもらって何が悪い」「仕送りを受け取ることが親孝行」と。
しかもそのお金を、「……交際費(44.2%)、レジャー費(37.2%)」にだと!

 50代のあなた。
60代のあなた。
70代のあなた。
この一文を、しっかりと読んでみたらよい。
繰り返し読んでみたらよい。
読んだら、あなたの意識も、180度、変わるはず。
どう変わるかは、あなた自身で、あなたの心の中を探ってみればわかるはず。

 意識のズレというよりは、現代の若者たちの意識は、ここまで狂っている。
腐っている。
飽食とぜいたくの中で、自分を見失ってしまっている。

 私ならこの調査結果を、そう結ぶ。

●終わりに一言

 ドラ息子、ドラ娘というより、バカ親と書くべきか。
今、そのバカ親がふえている!

 なお別のところで書いたが、最近の若い人たちは、親孝行を「束縛」ととらえる。
へたに親子孝行論を唱えようものなら、「あなたは子どもを束縛するのか」とやり返される。
そういうことも心のどこかに置いて、この調査結果をながめてみるとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の援助 親からの仕送り 親
のすねかじり 親孝行 はやし浩司 現在の若者の親孝行観 はやし浩司 ドラ息子 ドラ娘 
親から小遣いをもらう 親の援助 はやし浩司 結婚式の費用 はやし浩司 バカ親 馬鹿親
 馬鹿親狂騒曲 はやし浩司 親孝行論 束縛論 親孝行は束縛 拘束)

【資料の整理】

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、
「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11.3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55.7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、

最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。
以下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、
「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、
「7〜12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、
3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、
10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。

ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48.8%)
「交際費」(44.2%)
「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。

また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室byはやし浩司より】

●年長児(数の勉強+プロレス)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/M1lfkRcwODY" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小2児(植木算)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/JdR7cdj_aZs" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【整形という背徳】(はやし浩司 2012−06−06)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

街を歩いていた。
一団となった若い女性たちと、すれちがった。
その近くにある○○専門学校の学生たちだった。
そのときのこと。

その中に、たまたま3人の女性が並んで歩いていた。
それを見て、……というか、オッと驚き、その3人を、まじまじと見てしまった。
3人とも、異様な顔つきをしていた(失礼!)。
額のすぐ下から、みな、まるで三角定規でもあてたかのような鼻をしていた。
高い鼻にはちがいない。
が、日本人離れしているというより、不自然。
明らかに整形顔。

私の横を通り過ぎるまで、私はかわるがわる3人の鼻を見た。
まじまじと見た。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●両目の瞳(ひとみ)

 鼻というのは、両目の瞳(ひとみ)を結んだあたりで、もっとも低くなる。
(実際には、両目の瞳の上を結んだあたりで、もっとも低くなる。)
進化論的に考えても、合理性がある。
これには欧米人も、東洋人もない。
左右を見るとき、鼻があっては、じゃまになる。
そのためそのあたりが、もっとも低くなっている。

 が、整形で鼻をいじると、とたんに「不自然」になる。
左右の目の間に、塀を立てたようになる。

が、今では、こうした整形自体が、ファッションのようになっている。
みな、している。
が、鼻の低い人が高くするのは、理解できる。
が、高い人まで、さらに高くする。
こうしてあの独特の顔つきが生まれる。

●会議場の中の旗(板門店)

 韓国へ行くと、38度線上にある板門店を見学することができる。
ちょうど国境上に会議場がある。
その会議場の中には、大きなテーブルがある。
テーブルの中央で、南と北に分かれている。
そのテーブルの上。

 そこには韓国の旗と、北朝鮮の旗が、小さな台の上に立っている。
旗の棒の長さと大きさは同じだが、台の高さがちがう。
韓国側の旗の台は、2段。
北朝鮮側の旗の台は、3段。
つまり1段分だけだが、北朝鮮の旗のほうが高い。

 聞くところによると、会議のたびに、北朝鮮側は、1段、2段、3段……と、旗の段をふやして
いったという。
いかにも北朝鮮らしい、バカげた話である。
が、見栄を張る国は、そこまで気をつかう。

 その旗の台と同じに考えるのもどうかと思う。
が、私は女性たちの、不自然な形の鼻を見るたびに、あの旗の台を思い出す。

 旗の台と、整形した鼻。
どこがどうちがうというのか。

●人生観

 しばらくしてからワイフとこんな話をした。
「もし結婚したあと、自分の妻が整形していたと知ったら、夫はどう思うのかね」と。
「整形」といっても、ここでいうのは、美容整形。

ワ「整形の内容にもよるわね」
私「中には、もとの顔がわからなくなるほどまで、整形する女性もいるというよ」
ワ「私の知人にもいるわよ」
私「ダンナは、それに納得しているの?」
ワ「ダンナにもよるんじゃないかしら?」と。

 整形は美容の範囲なのか。
そのあたりから議論が始まる。
整形も美容の範囲だから、むずかしく考える必要はないと考える人もいる。
が、その一方で、整形は学歴詐称と同じと考える人もいる。
私もその1人。

私「それでね、相手の男性がその顔を見て、その女性を好きになったとするよね。
そのとき、その女性は、罪の意識を覚えないのかな?」
ワ「覚える人もいるでしょうし、反対に、うまくやったと喜ぶ人もいるかもしれないわよ」
私「ぼくはね、整形といっても、整形自体を問題にしているのではない。
整形に集約される人生観を問題にしている」
ワ「そこまで考えている人はいないわよ」
私「そうかなあ……。整形というのは、人生観そのものだよ」と。

●顔は履歴書

 「小沢一郎の隠し子スクープ」(MSNニュース)という記事の中に、こんな一節があった。

 『男の顔は履歴書と言ったのは大宅壮一さんだが、(それを受けて吉行淳之介さんが「女の
顔は請求書」と)、人間の顔くらいおもしろいものはない』と。

 男の顔は、たしかに履歴書。
が、同じように女の顔も履歴書。
そのことは、50代になると、よくわかる。
60代になると、さらによくわかる。

 が、整形した顔というのは、その履歴書にならない。
お面をかぶるのと同じ。
美しいといっても、どこか人工的。

 ところで1970年代にも、整形というのは、あった。
当時は、二重まぶたにするとか、脇の脱毛手術をするとか、その程度のものだったが……。
が、中には、おおがかりな整形美容手術もなかったわけではない。
そのため、顔の形が崩れてしまった人もいるという。

たとえばそのつど、あごをほっそりと見せるため、頬の手術を繰り返した女性がいる。
その女性のばあい、加齢とともに、頬の皮が下へ垂れ、耳まで下へ下がってきてしまったとい
う(某週刊誌)。

 ここで「整形した顔というのは、履歴書にはならない」というのは、それをいう。
つまりそれなりの生き方をしてきた人というのは、美しい。
顔の形や見た目ではない。
内から光り輝くように美しい。
たとえばマザーテレサ。
あの女性は、死ぬまで、まさに神々しいほどの美しさをたたえていた。

 が、整形すれば、そういった美しさを土台から崩してしまう。
20代、30代のころは、それでよいとしても、40代、50代になると、そうはいかない。
整形した部分だけが、不自然な形で、残ってしまう。
中には、鼻に入れた金属の棒が、筋となって現れたり、飛び出したりする人もいる。
そうなると、顔に、自分の履歴をぶらさげて歩くようなもの。
「私は、若いころ、かくかくしかじかの人間でした」と。

●美

 生き様だけではない。
本当の美とは何か。
そのあたりの哲学を、今の若い人たちは、自分で創り出すことさえできない。

 知的な美もあるだろう。
健康的な美もあるだろう。
それを磨く前に、手っ取り早く、見栄えだけの美を求めてしまう。

 そこで調べてみたが、鼻の整形手術といっても、プロテーゼ法、軟骨法、ヒアルロン酸注入
法、ワシ鼻修正法、ダンゴ鼻修正法、鼻先修正法などがあることがわかった。

 もちろん保健医療の対象外だから、どの手術も高額。
が、どのサイトを調べてみても、具体的に費用が書いてあるところはなかった。
「〜〜が、0・1CCあたり、〜〜円」というのはあった。
が、私のような素人には、それがいくらなのか、見当もつかない。

 が、街で見かけた女性たちは、学生だったはず。
当然収入も限られているはずだから、その費用は親の負担となる。
言い換えると、親が承認していることになる。
(むしろ親が勧めているケースもあるかもしれない。
よい男を見つけ、うまく結婚にこぎつけることができれば、万事ハッピー。)

 今の時代に、「知的な美に金をかけろ」「健康的な美に金をかけろ」と言っても、無理なのかも
しれない。
男も女も、「欲望」という名前の川の中で、溺れてしまっている。
自分を見失ってしまっている。

●ありのままの「私」

 先に「顔は履歴書」と書いた。
その結論部分を書き忘れた。

 ……やがて整形に集約される人生観が、その人の顔となる。
顔がまさに履歴書となる。
何も世間の批判を気にする必要はない。
が、50代、60代になったとき、その人は、毎日自分の顔を見ながら、どう思うだろうか。
「私は私の人生を生きてきた」と、果たして胸を張ることができるだろうか。
が、私の想像では、それはできないのではないかと思う。
「思う」だけで、確信はもてない。
しかし理由はある。

 私たちは、ありのままの「私」で生きる。
それがすべてのはじまり。
すべての終わり。
人生は一度しかない。
自分の力で、自分の顔で生きる。

 やがて美容整形はさらに進歩するだろう。
そのうち骨格や身長までいじることができるようになるかもしれない。
そうなったとき、「私」はどこへ行くのか。
心理学の世界にも、「仮面(ペルソナ)」という言葉がある。
ここでいう「整形」とは、中身はちがう。
しかし共通点がないわけではない。

 ……ということで、美容整形について考えてみた。
否定的な意見で、不愉快に思った人も多いかと思う。
しかしだれかがブレーキをかけないと、この先、さらにとんでもないことになってしまう。
ものの考え方が、質的に変化してしまう。
もちろん悪い方向に向かって……。

 いいのか、日本、このままで!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美容整形 整形という背徳 顔は
履歴書 はやし浩司 顔は人生の縮図 ペルソナ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ペルソナ(仮面)について書いた原稿を
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、夫として
の仮面など。
もちろん、商売には、仮面はつきもの。
いくら客に怒鳴られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよい。
ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、ウズを巻
く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。
陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べて
みると、それほど、劣悪な環境ではないことがわかる。
むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。
妻は、大卒のエリート。
都会の立派なマンションに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。
知的レベルも高い。子どもの教育にも熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに仮面とシャドウの問題が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとする。
「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。
いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思って、そう言うなら、まだ話がわかる。
しかしたいていのばあい、そこには、シャドウがつきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。
日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断している人ほど、そうだ。このH市でも、その人
の価値を、出身高校でみるようなところがある。
「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですってねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。
身分制度が、そのまま学歴制度になり、さらに出身高校へと結びついていった。
街道筋の宿場町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きついでしま
う。
実は、これがこわい。
「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れようとしている」と。
そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる基盤となってしまう。

 よくシャドウで話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』である。
佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである
。名優、緒方拳が、みごとな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。
が、その榎津厳もさることながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。
それが三國連太郎が演ずる、父親、榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。
榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれとるけん」と言う。
そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。
映画を見た人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強
烈な印象を与える。
嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握らせる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャンで、それを仮面とするなら、息子の嫁と不倫関
係になる部分が、シャドウということになる。
主人公の榎津厳は、そのシャドウを、そっくりそのまま引き継いでしまった。
そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげた原動力になったとも言える。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、その仮面
を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ
。見抜くだけならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。
しかしこれだけは言える。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。
ついでにシャドウもつくらない。
いつもありのままの自分を見せる。
シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、まし。
もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子どもにとっては、
好ましいということになる。

(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)

++++++++++++++++++++

●親の気負いの陰にあるもの

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育った親ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」という
気負いばかりが先行し、結果的に、よい家庭づくり、よい親子づくりに失敗しやすい。

 それを心理学の世界では、「シャドウ」という言葉を使って説明している。

 つまり子どもたちは、親のそのうしろにあるシャドウ(影)を見ながら、自分たちの心理を形成
してしまうというわけである。

 ひとつの例として、こんな例を考えてみよう。
(例として、正しいかどうかは、まだよくわからないが……。)

 ある母親は、自分が、大学を出ていなかったことを、いつも、心のわだかまりとしていた。
そこでその母親なりに、努力した。
大学の公開セミナーなどがあると、積極的に参加していた。資格もいくつか、取った。

 しかし心のわだかまりは消えなかった。
学校の父母会の席などで、学歴が話題になったりすると、その母親は、いつも小さくなってい
た。

 そこでその母親は、子どもの勉強にのめりこむようになった。
俗にいう、「教育ママ」になった。
テストの点数が少しでも悪いと、子どもを叱った。そして睡眠時間を削ってでも、そのテストのや
りなおしを、させた。

 こういうケースのばあい、母親は、子どものためを思って、そうしているのではない。
自分自身の中にある、不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用しているだけで
ある。

 だから、子どもは、やがてすぐ、そういう親の下心を見抜いてしまう。
見抜くだけならまだしも、そのシャドウの部分だけを、引きついでしまう。

 で、たとえばその努力(?)のかいもなく、その子どもが、親の希望どころか、自分の希望とも
ほど遠い、CC中学に入ったとしよう。
ふつうなら、「どこの中学でも同じ」「またがんばればいい」というような、合理的な割りきりをしな
がら、親や子どもは、それを乗りきっていく。
が、シャドウを引きついだ子どもは、そうではない。

 自分はダメな人間だというレッテルを、自らに張ってしまう。

 「どうせ、私はダメ人間だ」「失敗者だ」「失格者だ」と。
さらにそういう思いが肥大化して、自己否定にまで進んでしまうかもしれない。
さらに自ら、自暴自棄になってしまい、二番底、三番底へと落ちていくかもしれない。

 要するに、親が子どもにきびしい学習を強いたとしても、子どもがそれを、「自分のために、
親は、がんばってくれている」と感ずれば、子どもは仮に失敗しても、そこを原点として、また前
向きに歩きだす。

 しかしそのシャドウを子どもが感じたとき、(たいていのケースでは、親自身も、そのシャドウ
に気づいていないことも多いが)、そのシャドウのもつ、邪悪な部分を、子どもは引きついでしま
う。

 先のケースでいうなら、学歴や肩書きだけで人を判断したり、反対に、それがない自分を、異
常なまでに、卑下したりするようになる。

 たしかに親の気負いが強ければ強いほど、その親は、よい家庭づくり、よい親子づくりに失
敗しやすい。
それは、教育の世界でも常識である。
しかしなぜ失敗しやすいのか。その一つのヒントが、このシャドウにある。

 まだよくわからない点もあるので、ここに書いたことは、まちがっているかもしれない。
専門家の先生が読んだら、「おいおい、シャドウの意味がちがうよ」と言われるかもしれない。

 しかし一つのヒントの一口はつかんだように思う。
これから先、このシャドウの問題を、もう少し、掘りさげて考えてみたい。

 とっかかりとして、私やあなたには、どんなシャドウがあるか?
それを考えてみると、おもしろいのでは……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●超自我の世界

 フロイトの理論によれば、(自我)の向こうに、その(自我)をコントロールする、もう一つの自
我、つまり(超自我)があるという。

 この超自我が、どうやら、シャドウの役目をするらしい(?)。

 たとえば(自我)の世界で、「店に飾ってあるバッグがほしい」と思ったとする。
しかしあいにくと、お金がない。
それを手に入れるためには、盗むしかない。

 そこでその人は、そのバッグに手をかけようとするが、そのとき、その人を、もう1人の自分
が、「待った」をかける。
「そんなことをすれば、警察につかまるぞ」「刑務所に入れられるぞ」と。
そのブレーキをかける自我が、超自我ということになる。

 このことは、たとえばボケ老人を観察していると、わかる。
ボケ方にもいろいろあるようだが、ボケが進むと、この超自我による働きが鈍くなる。
つまりその老人は、気が向くまま、思いつくまま、行動するようになる。

 ほかにたとえば、子どもの教育に熱心な母親の例で考えてみよう。

 もしその母親にとって、「教育とは、子どもを、いい学校へ入れること」ということであれば、そ
れが超自我となって、その母親に作用するようになる。
母親は無意識のまま、それがよいことだと信じて、子どもの勉強に、きびしくなる。

 そのとき、子どもは、教育熱心な母親を見ながら、そのまま従うというケースもないわけでは
ないが、たいていのばあい、その向こうにある母親のもつ超自我まで、見抜いてしまう。
そしてそれが親のエゴにすぎないと知ったとき、子どもの心は、その母親から、離れていく。
「何だ、お母さんは、ぼくを自分のメンツのために利用しているだけだ」と。

 だからよくあるケースとしては、教育熱心で、きびしいしつけをしている母親の子どもが、かえ
って、学業面でひどい成績をとるようになったり、あるいは行動がかえって粗放化したりするこ
となどがある。
非行に走るケースも珍しくない。

 それは子ども自身が、親の下心を見抜いてしまうためと考えられる。
が、それだけでは、しかしではなぜ、子どもが非行化するかというところまでは、説明がつかな
い。

 そこで考えられるのが、超自我の引きつぎである。

 子どもは親と生活をしながら、その密着性ゆえに、そのまま親のもつ超自我を自分のものに
してしまう。
もちろんそれが、道徳や倫理、さらには深い宗教観に根ざしたものであれば問題はない。

 子どもは、親の超自我を引きつぎながら、すばらしい子どもになる。
しかしたいていのばあい、この超自我には、ドロドロとした醜い親のエゴがからんでいる。
その醜い部分だけを、子どもが引きついでしまう。

 それがシャドウということか。

 話がこみいってきたが、わかりやすく言えば、こういうこと。

つまり、私たち人間には、表の顔となる(私)のほか、その(私)をいつも裏で操っている、もう1
人の(私)がいるということ。
簡単に考えれば、そういうことになる。

 そしていくら親が仮面をかぶり、自分をごまかしたとしても、子どもには、それは通用しない。
つまりは親子もつ密着度は、それほどまでに濃密であるということ。

 そんなわけで、よく(子どものしつけ)が問題になるが、実はしつけるべきは、子どもではなく、
親自身の(超自我)ということになる。
昔から日本では、『子は親の背中を見て育つ』というが、それをもじると、こうなる。

 『子は、親のシャドウをみながら、それを自分のものとする』と。
親が自分をしつけないで、どうして子どもをしつけることができるのかということにもなる。

 話が脱線しようになってきたので、この問題は、もう少し、この先、掘りさげて考えてみたい。

(私の書いていることは、まちがっているかもしれないが、まちがっていれば、そのつど訂正す
ることにして、今は、このまま原稿にしておく。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親の心を見ぬく、子どもたち

 『子は親の背中を見て育つ』とは言うが、同時に、子は、親の背中の奥まで、見ぬいてしま
う。これがこわい。

 たとえばあなたが子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言ったとす
る。
そのとき、あなたは、子ども自身のためを思って、そう言っているだろうか。
それとも、自分のメンツや、見栄、世間体のためにそう言っているだろうか。
それを子どもは、あっという間に、見ぬいてしまう。

 フロイトは、「超自我」という言葉を使って、それを説明した。
子どもは、親をその背後から操っている超自我を見ぬいてしまうと。
日本語で言えば、「下心」ということになるが、そんな簡単なものではない。
奥は、もっと深い。親の人間性そのものまで、見ぬいてしまう。

 見ぬくというよりは、感性として、それを判断するといったほうが正しいかもしれない。
親は無意識のまま、仮面(ペルソナ)をかぶる。
その仮面を、子どもは、無意識のまま、身ぬく。
親は、「子どももには、そんなことはできない」と思っているかもしれないが、子どもは、親が考
えているより、はるかに敏感である。私の例で考えてみよう。

 私が高校生のときのこと。
進路指導の個別面接があった。
その教師は、あれこれと私の成績をながめながら、「君なら、できる」「がんばれる」「やればで
きる」と励ましてくれたが、どこかおかしい(?)。
へん(?)。
その教師は、本当に私のことを思って、そう言っていたのではない。
進学率を高めるためにそう言っていた。
それに私はそのとき、気づいた。
と、同時に、その教師への信頼感は、こなごなに消えた。

 その教師にしてみれば、有名大学へ何人、生徒を送りこむかが重要であった。
学校の「実績」をあげるためである。
そのため私のばあい、高校2年から3年にかけて、無理やり、理科系から文科系へ、転向させ
られてしまった! 
「君なら、K大の工学部は無理だが、K大の文学部になら、入れる」と。
今から思うと、悲劇としか言いようがない。

 これは教師と私との話だが、親子の間では、関係が一度こじれると、ことは深刻。
親子であるがゆえに、問題は、底なしにこじれる。
が、それだけではすまない。
子ども自身が、親のシャドウ(影)に苦しむことになる。

 具体的に、あれこれということではない。
しかしもっと抽象的、観念的な生きザマまで、親から子どもへと、すべてが伝わってしまう。
「学習」というなまやさしいものではない。
子どもの心に、親の超自我が、そっくりそのまま、しみこんでしまう。

 たとえば善悪の感覚、判断能力、倫理観や道徳観など。
親がたとえば、小ずるい人間であったとすると、子どもも、小ずるくなる。
親を反面教師として、別の人格をつくりあげる例もないわけではない。
しかしそのばあいでも、その子どもは、ほかの子どもたちよりも、何倍も苦労をしなければなら
ない。
たとえばほかの子どもなら、自然な形で身につける善悪感についても、不要な葛藤を繰りかえ
すことになる。

 たとえば親が、駐車場でもないところに平気で車を止めたり、あるいは赤信号でも無視して、
車を走らせていたとする。
そういった善悪感は、そっくりそのまま子どもに伝わってしまう。

 そういう親をもった子どもは、不幸である。
生活のあらゆる場面で、その小ずるさが顔を出す。
そのため、一事が万事。長い時間をかけて、その子どもは、善良な世界から、遠ざかってしま
う。
気がついたときには、まわりは、悪人だらけということにも、なりかねない。

 そこでフロイトは、人間がもつ良識や良心は、その「超自我」の中で、つくられると考えた。
その中で作られた良識や良心が、その人の生きザマを基本的な部分で、決定づける、と。

 このことは、自分の経験に照らしあわせてみると、よくわかる。

 たとえば道路に、1000円札が落ちていたとする。
そのとき、「私」、つまり、「私としての自我」は、そのお金をほしいと思う。
「拾ってもっていこう」と思う。

 しかしそれにブレーキをかける「私」もいる。
「お金がほしい」というのが、自然な「私」であるとするなら、「もらってはだめ」とブレーキをかけ
るのは、「私」を超えた「私」ということになる。

 その「私を超えた私」は、自分自身でつくっていくものというよりは、生まれ育った環境の中
で、つくられていくものということになる。
もちろんそれをつくっていくのは、親だけではない。
しかし実際には、乳幼児期までには、その方向性が決まってしまう。
そのことを考えるなら、親の責任は、きわめて重大ということになる。

 よく誤解されるが、こうした倫理観や道徳観は、学校での勉強などによって、身につくもので
はない。
道徳のテストで、すばらしい点数を取ったからといって、その子どもが、善人というわけではな
い。

 こんなテスト問題があった。小学1年生の問題である。

Q……お母さんが、台所で料理をしていました。
それを見たあなたは、どうしますか。

(1) 手伝う。
(2) そのまま遊んでいる。
(3) どこかへ遊びに行く。

 正解は(1)ということになるが、実際に、料理を手伝うかどうかは、別問題である。
つまりこういうテストで、よい点をとったからといって、その子どもの人格がすぐれているというこ
とにはならない。
要領のよい子どもなら、よい点を取るため、(1)に丸をつけるだろう。

 こんな例もある。

 私の知人に、K氏という人がいる。
当時、32歳。

 ある日、K氏のところに、K氏の母親から電話がかかってきた。
「Z氏がもっている、山林を買ってやってほしい」と。

 Z氏というのは、母親の実兄、つまりK氏の伯父である。
値段を聞くと、800万円だという。さらに話を聞くと、「本当は、2000万円くらいの価値がある」
と。

 K氏は、お金を集めて、その山林を、800万円で買った。
しかし、その山林は、それから30年近くたった現在ですら、200万円にもならない山林だっ
た。

 母親は、伯父と結託して、息子のK氏をだました。
だまして、当時、80万円でもよい値段の山林(地元の森林協同組合の職員)を、K氏に800万
円で売りつけた。

 世の中には、親をだます子どもは、いくらでもういる。
しかし子どもをだます親も、珍しくない。
しかもそのあとも、伯父なる人物は、毎年、K氏に、8〜10万円の管理費を請求してきたとい
う。

 K氏は、こう言う。
「おそらく、母は、伯父から、いくらかのペイバック(謝礼)を受け取っているはずです。
母も、伯父も、昔から、そういう人間です」と。

 が、問題は、そのことではない。

 そういう母親をもったK氏自身も、母親から、そういう人間性を引きついでいた。
K氏はこう言う。

 「私の体質の中に、実は、母や伯父の体質がしみこんでいるのですね。
私は、母と伯父に800万円、だまし取られましたが、私も、ひょっとしたら、そういうことが平気
でできる人間なのです。
ときどき、そういう自分が、こわくなります」と。

 K氏は、今も、自分自身のシャドウ(影)に苦しんでいる。

 以上、私は、超自我について書いてきた。
シャドウについても書いてきた。
その前には、(私であって私でない部分)について書いてきた。
さらに仏教で教える、末那識(自分の奥底に潜んで、自分を操るエゴ)についても、書いてき
た。
もちろん心理学でいう、潜在意識という考え方もある。

これらは結局は、すべて、(私)を知る手がかりということになる。

 「私のことは、私が一番よく知っている」と言う人は多い。
しかし本当のところ、(私)を知るのは、簡単なことではない。
そのことだけでも、わかってもらえれば、うれしい。

(はやし浩司 超自我 末那識 シャドウ 仮面 ペルソナ)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●日本人のアイデンティティ
 
 日本人は、日本がどうあるべきだと思っているのか。
どうあったらよいと考えているのか。

 日本人が、日本人としてしたいことと、日本が今、進んでいるべき道が、一致していればよ
い。
問題は、ない。
心理学の世界にも、アイデンティティ(自己同一性)という言葉がある。

 (自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致していれば、その子どもは、落ちついて
いる。
安定している。これを、アイデンティティという。
が、ときとして、その両者がかみあわなくなるときがある。

 A君(小学3年生)は、「おとなになったら、サッカー選手になりたい」と思っていた。
地元のサッカークラブでも、そこそこに、よい成績を出していた。
が、そこへ進学問題がからんできた。まわりの子どもたちが、進学塾に通うようになった。

 A君は、それでもサッカー選手になりたいと思っていた。
が、現実は、そうは甘くなかった。
4年生になったとき、さらに優秀な子どもたちが、そのサッカークラブに入ってきた。
A君は、相対的に、目だたなくなってしまった。

 ここでA君は、(自分の進みたい道)と、現実とのギャップを、思い知らされることになる。
が、こうした不一致は、ただの不一致では、すまない。

 A君は、心理的に、たいへん不安定な状態に置かれることになる。
いわゆる「同一性の危機」というのが、それである。
が、さらに進学の問題が、A君に深くからんできた。
母親が、A君にこう言った。

 「成績がさがったら、サッカーはやめて、勉強しなさい」「サッカーなんかやっていても、プロの
サッカー選手になるのは、東大へ入ることより、むずかしいのよ」と。

 子どもというのは、自我に目覚めるころから、自分のまわりに、(自分らしさ)をつくっていく。
これを役割形成という。
が、その(自分らしさ)がこわされ始めると、そこで役割混乱が起きる。

 それは、心理的にも、たいへんな不安定な状態である。

 たとえて言うなら、好きでもない男と、妥協して結婚した、女性の心理に近いのではないか。
そんな男に、毎夜、毎夜、体を求められたら、その女性は、どうなる?

 こうしてアイデンティティの崩壊が始まる。

 一度、こういう状態になると、程度の差もあるが、子どもは、自分を見失ってしまう。
いわゆる(だれでもない自分)になってしまう。
自分の看板、顔、立場をなくしてしまう。
が、そこで悲劇が止まったわけではない。

 A君は、進学塾に通うことになった。
母親が、「いい中学へ入りなさい」と、A君を攻めたてた。
A君は、ますます、自分を見失っていった。

 こういう状態になると、子どもは、つぎの二つのうちの、一つを選択することに迫られる。

 (だれでもない自分)イコール、無気力になった自分のままで、そのときを、やりすごすか、代
償的な方法で、自分のつぎの道をさがし求めるか。

 代償的な方法としては、攻撃的方法(非行など暴力的行為に走る)、服従的方法(集団を組
み、だれかに盲目的に服従する)、依存的方法(幼児ぽくなり、だれかにベタベタと依存する)、
同情的方法(弱々しい自分を演じて、いつもだれかに同情を求める)などがある。

 ふつうこの時期、多くの子どもたちは、攻撃的方法、つまり非行に走るようになる。
(だれでもない、つまり顔のない人間)になるよりは、(害はあっても、顔のある人間になる)こと
を望むようになる。

 この時期の子どもの非行化は、こうして説明される。

 で、自分の存在感をアピールするために、学校でわざと暴れたりするなど。
このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、みんなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても意
味はない。
みなに恐れられること自体が、その子どもとっては、ステータスなのだ。

 これは子どもの世界の話である。

 で、日本人も、今、私の印象では、その「同一性の危機」の状態にあるとみてよい。
(日本人として、したい道)と、(進んでいる道)が、一致していない。
そのため日本人全体が、今、たいへん不安定な心理状態にある。

 民主主義国家として、平和と自由を愛する国民になるのか、それとも、復古主義的な流れの
中で、武士道に代表される過去の日本にもどるのか。
Y神社を参拝して、戦前の軍神たちに頭をさげるのか。
つまりはわけのわからない状態の中で、混沌(こんとん)としている。

 だから中国や韓国で、反日運動が起きても、「どうしたらいい……」と、ただ右往左往するだ
け。
自分の主張すら、ない。ないから、声をあげることもできない。

 では、どうするか。

 私は、もう過去の日本とは決別をして、自由と、平和と、平等の三つを旗印にかかげ、国際
化のうねりの中で、まっしぐらに前に進むしかない。
その向こうにあるのは、かつて200年前にカントが提唱した、世界国家である。コスモポリタン
である。

 はからずも今朝(4・21)、オーストラリアのハワード首相が、日本との間で、FTA(自由貿易)
協定を結ぼうと提唱したというニュースが、飛びこんできた。
オーストラリアは、イラクの自衛隊を保護するために、オーストラリア軍を派遣してくれた。

 そういう国もある。(Advance Australia!)

 そういう国の存在を信じて、前に進む。
それこそが、まさに日本のアイデンティティの確立につながる。

 ついでに一言。
よく「アイデンティティ」という言葉を使って、「武士道こそが、日本人が誇るべき、アイデンティテ
ィだ」と説く人がいる。

 しかしそもそも言葉の使い方が、まちがっている。
そういう人は、アイデンティティというのは、個性のことだと思っている。
さらに言えば、武士道など、日本人が誇らなければならない精神でも、なんでもない。

 わずか数%の、為政者たちが、刀を振り回して、大半の民衆を虐(しいた)げてきた。
その中で生まれた、自分勝手な論理と精神訓、それが武士道である。
あえて言うなら、官僚道、役人道ということになる。

 自分たちの先祖は、その大半が、武士とは無縁の、町民や農民であった。
そういう立場を忘れて、150年たった今、自分が武士にでもなったつもりで、武士道をたたえる
のは、どうかと思う。
少なくとも、私はついていけない。

 もちろん文化は文化だし、歴史は歴史。
だからそれなりに尊重はしなければならない。
が、それを今、もちだす必要は、どこにもない。
改めて日本の「柱」にしなければならない理由など、どこにもない。

 私たちが進むべき道は、前にある。うしろではない。

 日本人の心を、発達心理学にからめて、考えてみた。

(はやし浩司 日本人 アイデンティティ 自己同一性)

(追記)

 農業問題もあるが、オーストラリア、シンガポールと、自由貿易協定を結べば、それ自体が、
韓国、中国にとっては、たいへんな脅威になる。

 日本には、ほかに、ブラジルがある。
インドがある。
アメリカも、カナダもある。
EUもある。

 日本は、決して孤立していない。

 去年、オーストラリアの友人(国防省勤務)が、メールで私にこう書いてきた。
(このことは、当時のマガジンに原稿として書いた。)

 「ヒロシ、日本が、K国に攻撃されたら、オーストラリアは、自動的にK国を攻撃することになっ
ている。
安心しろ」と。
日本とK国の間の緊張感が、極度に高まっていたときでもある。

 私はそのメールをもらったとき、どういうわけか、涙が出るほど、うれしかった。
そういう心が、今回の、オーストラリア軍のイラク派遣へと、具体的につながっている。
日本の自衛隊を守るために、だ。

 韓国のN大統領よ、日本は、決して世界から、孤立なんかしていないぞ! 
バカめ! 
孤立させたいのは、N大統領、実は、あなた自身ではないのか! 
中国で反日運動が起きたとき、イの一番に、「これで日本の安保理入りは、流れた」と喜んだ
のは、どこのどなたでしたか? 
私たち、日本人は、それを忘れないぞ!

 ……とまあ、たがいに、敵意を育てていてもしかたないですよね。
しかしね、N大統領、日本人も変わりましたよ。
どうか戦前の日本人のイメージのままで、今の日本人を見ないでください。
くれぐれも、よろしくお願いします。

 やがていつかすぐ、日本と韓国が、FTA協定を結ぶことになると思います。
そういう時代は、すぐそこまできています。
そういう共通の目標に向って、いっしょに、前に進もうではありませんか。
(050421)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

● 仮面(ペルソナ)とシャドウ

 仮面(ペルソナ)をかぶると、その反作用として、心の奥にもう1人の、別の人格が生まれる。
それをシャドウという(ユング)。
たいていは、無意識のまま生まれる。
そしてそのシャドウ(影)に気づく人は、少ない。

 たとえば牧師、僧侶、そして教職者。
それほど善人でもない人間が、無理をして善人ぶると、その反作用として、その人の心の向こ
うに、シャドウができる。
そのシャドウに、自分の中のイヤな部分を押しこめることによって、表面的には、善人を装うこ
とができる。

 そのためたいていのばあい、そのシャドウは、邪悪で、薄汚い。
その奥では、ドロドロとした人間の欲望が、ウズを巻いている。

 反対に、善人でも仮面をかぶれば、理屈の上では、シャドウができることになる。
しかし善人が、仮面をかぶるということは、あまりない。
そのため善人の心の奥に、シャドウができるということは、少ない。
ふつう仮面(ペルソナ)というのは、悪人が、自分の心を隠すために、かぶる。

 そこでそのシャドウを、いくつかに分類してみる。

(1)仮面とは正反対の、本性としてのシャドウ。
(2)劣等感を補償するためのシャドウ。
(3)優越感を保護するためのシャドウ。

 たとえば、牧師。もちろん大半の牧師は、善良な人である。
しかし中には、いつも自分の心をごまかしている人もいる。
邪悪な心を押し隠しながら、人前では、あたかも神の僕(しもべ)のようなフリをして、説法をす
る。

 このタイプの人は、正反対のシャドウを、自分の中につくりやすい。
(本当は、そちらのほうが本性ということになるのだが……。)

つい先ごろ(05年4月)、大阪に住む、あるキリスト教会の牧師が、少女たちにワイセツ行為を
繰りかえしていたという事件が発覚した。
被害者は、30数名以上とも言われる。
体を清めるとか何とか言って、少女たちを裸にして、そのあと好き勝手なことをしていた。
とんでもない牧師がいたものだが、牧師であるがゆえに、かえって邪悪なジャドウが、増幅され
てしまったとも考えられなくはない。

 その牧師のばあい、牧師という顔そのものが、仮面(ペルソナ)ということになる。
ふつう、シャドウはシャドウとして、その人の陰に隠れて姿を現さないものだが、その牧師のば
あいは、反対に、シャドウのほうに、自分が操られてしまったことになる。

 ほかに、手鏡で若い女性のスカートの中をのぞいていた大学教授もいた。
マスコミの世界でも著名な教授であった。
こうした人たちは、世間的にもちあげられればあげられるほど、善人という仮面をかぶりなが
ら、その裏で、仮面とは正反対のシャドウをつくりやすい。

 また「劣等感を補償するためのシャドウ」というのもある。

 たとえば学歴コンプレックスをもっている人が、表の世界では、「学歴不要論」を唱えたり、容
姿に恵まれなかった女性が、ウーマンリブ闘争の旗手になったりするのが、それ。

たとえば「私は息子たちには、『勉強しろ』と言ったことはありません。
子どもは、自由で、伸びやかなのが一番です」などと言う親ほど、実は、教育ママであったりす
る。

 あるいは、ある会社の社員は、ことあるごとに、同僚のX氏を、いじめていた。
「あいつは、4年生の大学を出ているくせに、オレより、仕事ができない」と。

 こうしたいじめをする原動力になっているのが、ここでいう劣等感を補償するシャドウというこ
とになる。

 さらに優越感を保護するためのシャドウもある。
たとえば超の上に、超がつくような金持ちが、ことさら自分を卑下してみせたり、貧乏人を装う
などが、それ。

 少し前だが、有名なニュースキャスターが、やや顔をしかめながら、こう言った。
「この不況で、ますます生活がきびしくなりますね」と。

 そのキャスターは、年俸が、2億〜3億円もあったという。
1回の講演料が、300〜400万円。
そんなキャスターが、「生活がきびしくなる」などということは、ありえない。
いくら演技でも、限度がある。
私はそのしかめた顔を見ながら、思わずつぶやいてしまった。
「何、言ってるんだ!」と。

 彼のばあいは、一応、庶民の味方であるかのようなフリをしながら、コメントを述べていた。
が、内心では、庶民を、軽蔑していた。
あるいは庶民に対して、ある種の優越感を感じていたのかもしれない。

 よく似た例としては、他人の不幸話を、喜んで聞く人がいる。
さも同情したようなフリをして、「それは、かわいそうに」などと言うが、実際には、何も、同情な
どしていない。
このタイプの人は、他人が不幸であればあるほど、自分が幸福になったように感ずる。

 こうした仮面は、教師には、つきもの。
世間一般では、教職者は、それなりに人徳者と考えられている。
しかし実際には、私も含めてだが、むしろそうでないケースが多い。

 その人の人徳というのは、いくたの苦難の中でもまれて、はじめて身につく。
むしろそういう意味では、教職というのは、意外と楽な仕事といえる。
少なくとも、大学を卒業する時点において、とくにすぐれた人格者が、教師になるというわけで
はない。

 だから……というわけでもないが、牧師にせよ、僧侶にせよ、はたまた教師にせよ、大切なこ
とは、シャドウをつくるような仮面をかぶらないこと。
ありのままの自分を、まずさらけ出し、その中から、自分をつかんでいく。
それが私は、重要だと思う。

【追記】

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「要するに、自分に正直に生きればいいということね」と。

 いつも核心部分を、ズバリというところが、ワイフの恐ろしいところ。
私が何日もかけて知ったことを、いつも一言で、まとめてしまう。

 しかしあえて言うなら、ワイフは、少し、まちがっている。(ごめん!)

 「自分に正直に生きる」とはいうが、それは口で言うほど、簡単なことではない。

 たとえば隣人を殺したいと思うほど、憎んでいたとする。
しかしそのとき、自分に正直に生きたら、どうなるか? 

 あなたは台所から包丁をもちだし、その人を殺しに行くかもしれない。
しかしそれは、困る。

 「自分に正直に生きる」ためには、その前に、大前提として、(善良な自分)がなければならな
い。
その(善良な自分)がないまま、正直に生きたら、それこそ、たいへんなことになる。

私「だからさ、学校の先生もさ、無理をしないで、自分に、正直に生きればいいのさ。
へたに聖職者意識をもつから、疲れる。
それだけではない。
シャドウをつくってしまい、今度は、そのシャドウに苦しむことになる」
ワ「ありのままの自分で生きるということね」
私「そうだよ。
オレは、給料がほしいから、教えているだけ。
本当は、お前たちのようなバカは相手にしたくねえが、がまんしてつきあっているだけとか何と
か、そう思っているなら、そう言えばいい。
すべては、そこから始まる」と。

 ここまで書いて、新しいことに、私は気づいた。
「嫉妬(しっと)」である。その嫉妬も、シャドウ理論で説明がつくことがある。
つぎに、それを考えてみたい。


●嫉妬(しっと)

 もう20年近くも前のことだが、こんな話を聞いた。

 ある出版社に、部下の面倒みはよいが、たいへん厳格な上司がいた。
しかしたいへんダサイ男で、女性社員に、ほとんどといってよいほど、相手にされなかった。

 その中でも、つまり女性社員の中でも、その上司は、とくにA子さんに好意を抱いていたらし
い。
ところが、そのA子さんが、同じ部にいる若いB男と不倫関係になった。
とたんその上司は、A子さんに、無理な仕事ばかり押しつけて、A子さんに対して、意地悪をす
るようになったという。

 ふつうの意地悪ではない。
執拗(しつよう)かつ陰湿。
最終的には、A子さんをして、その会社をやめる寸前まで、追いつめたという。

 簡単に言えば、その上司は、A子さんに嫉妬したということになる。
しかし嫉妬するなら、その相手の男、つまりB男に対して、である。
どうしてその上司は、B男に対してではなく、A子さんに、意地悪をしたのか?

 こうしたケースでも、シャドウ理論を使えば、説明ができる。

 その上司は、職場の先輩として、つまり人格者としての仮面(ペルソナ)をかぶっていた。
職場での不倫関係を強く戒(いまし)めていた
。部下の面倒をよくみる、できた上司としての仮面である。
しかしその本性は、まったく、別のところにあった。
女性社員に相手にされなくて、悶々としていた。

 その悶々としていた部分が、その上司のシャドウを肥大化させた。
邪悪で陰険なシャドウである。
そのシャドウが、その上司を裏から操(あやつ)って、A子さんを、いじめつづけた(?)。

つまりこのケースでは、その上司は、嫉妬が原因で、A子さんに意地悪をしたのではない。
自分のシャドウに操られて、そうした。
そう考えると、話の内容が、すっきりする。

+++++++++++++++++++++

(補足)

 仮面(ペルソナ)をかぶることが悪いというのではない。
だれしも、ある程度の仮面をかぶる。かぶらなければ、仕事ができないことだって、ありえる。
たとえばショッピングセンターの店員や、レストランの店員など。
ブスッとした顔をしていたのでは、売りあげものびない。

 しかしそこで重要なことは、仮面をかぶっているときは、いつも、その仮面をかぶっていること
を、心のどこかで、自覚すること。
その仮面をかぶっていることを忘れてしまったり、あるいは仮面をとりはずし忘れると、たいへ
んなことになる。

 たとえば教師が、聖職者としての仮面をかぶったとする。
子どもを指導するためには、そういう仮面をかぶることは、ある程度は必要かもしれない。しか
しそれが本当の自分とは、思ってはいけない。
さらに一歩進んで、「私は、人格的にすぐれた人間だ」と思いこんではいけない。

 こうした状態が、さらに進むと、それこそ、自分がだれだか、わからなくなってしまうことがあ
る。
仮面人間といってもよい。仮面をずっとかぶりつづけていたため、仮面をはずせなくなってしま
う。

DSM―IV(第4版)の診断基準の中には、「演技性人格障害」というのもある。
つまりは、「自分がだれであるかもわからなくなってしまい、他人と良好な人間関係を結べなく
なってしまった人」と、考えると、わかりやすい。

ここでいうシャドウとは、少し話がそれるが、参考までに、それをあげておく。 

++++++++++++++++

【演技性人格障害】 

過度の情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状
況で明らかになる。
以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
(2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または挑発的な行動によって
特徴づけられる。
(3)浅薄で、すばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を示すために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象派的な、内容の詳細がない話し方をする。
(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。
(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

++++++++++++++++

 仮にここでいうような、人格障害というレベルまで進んでしまうと、それこそ、「私」が何なの
か、その人自身も、わからなくなってしまう。
中には、自分の悪性を隠しながら、「私は絶対的な善人だ」と信じきっている人もいる。
先にあげた、ハレンチ牧師なども、その1人かもしれない。

 仮面をかぶるとしても、その仮面は、必ずどこかで、はずすこと。
くれぐれも、ご用心!

(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ ユング 演技性人格障害)

●私は善人か?

 仮面をかぶるということは、それ自体、とても疲れる。
とくに私のように、もともと性があまりよくない人間にとっては、そうだ。

 そういう人間が、人の前で、さも人格者ですというような顔をして、話をする。
これはとんでもないまちがいである!

 事実、私は、20代から30代のはじめのころまで、職場から帰ってくると、いつも言いようのな
い疲労感に襲われた。
精一杯、虚勢を張って生きていたこともある。
子どもを教えながら、その向こうに、いつも、親たちの鋭い視線を感じていた。

 が、あるときから、自分をさらけ出すことにした。
子どもたちの前ではもちろんのこと、親たちの前でも、言いたいことを言い、したいことをするよ
うにした。

 とたん、気分が晴れ晴れとしたのを覚えている。

 で、昔から、『泥棒の家は、戸締まりが厳重』という。

 これは自分が泥棒だから、他人も自分と同じように考えていると思うことによる。
心理学でも、そういうのを、「投影」という。
自分の心を、相手の心に投影してものを考えるから、そういう。
しかしもう少し踏みこんで考えてみると、泥棒は、自分自身のシャドウ(影)におびえているとい
うことにもなる。

 「自分の家は、いつも泥棒にねらわれている」とおびえるのは、泥棒に入られることを恐れて
いるのでもなければ、また他人が、泥棒に見えることでもない。
実は、自分自身の中のシャドウにおびえているため、と。

 同じように、仮面をかぶるとなぜ疲れるかと言えば、演技をするからではなく、そのシャドウを
見透かされないように、あれこれ気を使うためではないかということにもなる。

 今から、あの当時の自分を思い出すと、そう考えられなくもない。
ある時期などは、さも「お金(月謝)には、興味はありません」などという顔をして、教えたことも
ある。
しかし私のシャドウは、熱心に、そのお金(月謝)を、追い求めていた!

 お金(月謝)がほしかったら、「ほしい」と言えばよい。
無理をしてはいけない。
つまりは、自分に正直に生きるということになるが、これがまた、たいへん。

 正直に生きるためには、その前に、自分の中の邪悪な部分を、踏みつぶしておかねばならな
い。
冒頭にも書いたように、私はもともと、性があまりよくない。
「よくない」というのは、小ずるい人間であることをいう。

 気は小さいので、たいしたワルはできない。
しかし陰に隠れて、コソコソと悪いことばかりしていた。そういう人間である。

 そういう自分に正直に生きたら、それこそ、たいへんなことになる。

 そこで私は、まず、身のまわりのルールから守ることにした
。はっきりとそれを自覚したのは、自分が、ドン底に落ちたと感じたときだった。
それについて書いたエッセーが、つぎのエッセーである。

+++++++++++++++++++++

そのときのことを書いた、エッセーをそのまま添付
します。文章が、うまくありませんが、そのまま、で。

+++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。

そういう意味で善人も悪人も紙一重。
大きく違うようで、それほど違わない。

私のばあいも、幼稚園で講師になったとき、すべてをなくした。
母にさえ、「あんたは道を誤ったア〜」と泣きつかれるしまつ。

私は毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分に言ってきかせねばな
らなかった。
ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしいと思うほど、クソまじめな生き方をするよ
うになった。
酒もタバコもやめた。女遊びもやめた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。
しかしその運命は、いかに自分と正直に立ち向かうかで決まる。
さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命ではない。
自分自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。

だから今、そういった自分を振り返ってみると、自分にはたしかに運命はあった。
しかしその運命というのは、あらかじめ決められたものではなく、そのつど運命は、私自身で決
めてきた。
自分で決めながら、自分の運命をつくってきた。
が、しかし本当にそう言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今もその運
命の中に自分はいることになる。
多分私のことだから、かなりの悪人になっていたことだろう。
自分ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事に悪事を重ねてい
るに違いない。

が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれない。
「そのつど私は私の運命を、自分で決めてきた」と。
……となると、またわからなくなる。
果たして今の私は、本当に私なのか、と。

 今も、世間をにぎわすような偉人もいれば、悪人もいる。
しかしそういう人とて、自分で偉人になったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の
大きな力に動かされるまま、偉人は偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。
しかしそれとて考えてみれば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないの
か。
ふと油断すれば、そのままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにい
る。
つまりそういう運命に吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きながら、自分と
戦う。
……戦っている。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。
どこかどう違うのかさえわからなくなる。みな、ちょっとした運命のいたずらで、善人は善人にな
り、悪人は悪人になる。

今、善人ぶっているあなただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、あなた
もその悪人になっているかもしれない。
そういうのを運命というのなら、たしかに運命というのはある。

何ともわかりにくい話をしたが、「?」と思う人は、どうかこのエッセイは無視してほしい。このつ
づきは、別のところで考えてみることにする。

++++++++++++++++++++++

この原稿につづいて書いたのが、つぎの原稿です。
55歳のときに書いたので、もうそれから2年以上
になります。

内容が少しダブりますが、お許しください。

++++++++++++++++++++++

【自分のこと】

●ある読者からのメール

 一人のマガジン読者から、こんなメールが届いた。
「乳がんです。進行しています。診断されたあと、地獄のような数日を過ごしました」と。

 ショックだった。
会ったことも、声を聞いたこともない人だったが、ショックだった。
その日はたまたま休みだったが、そのため、遊びに行こうという気持ちが消えた。
消えて、私は一日書斎に座って、猛烈に原稿を書いた。

●五五歳という節目

 私はもうすぐ五五歳になる。
昔で言えば、定年退職の年齢である。
実際、近隣に住む人たちのほとんどは、その五五歳で退職している。

私はそういう人たちを若いときから見ているので、五五歳という年齢を、ひとつの節目のように
考えてきた。
だから……というわけではないが、何となく、私の人生がもうすぐ終わるような気がしてならな
い。

この一年間、「あと一年」「あと半年」「あと数か月……」と思いながら、生きてきた。
が、本当に来月、一〇月に、いよいよ私は、その五五歳になる。
もちろん私には定年退職はない。
引退もない。死ぬまで働くしかない。
しかしその誕生日が、私にとっては大きな節目になるような気がする。

●私は愚かな人間だった

 私は愚かだった。愚かな人間だった。
若いころ、あまりにも好き勝手なことをしすぎた。
時間というのが、かくも貴重なものだとは思ってもみなかった。
その日、その日を、ただ楽しく過ごせればよいと考えたこともある。

今でこそ、偉そうに、多くの人の前に立ち、講演したりしているが、もともと私はそんな器(うつ
わ)ではない。
もしみなさんが、若いころの私を知ったら、おそらくあきれて、私から去っていくだろう。そんな
私が、大きく変わったのは、こんな事件があったからだ。

●母の一言で、どん底に!

 私はそのとき、幼稚園の講師をしていた。
要するにモグリの講師だった。
給料は二万円。
大卒の初任給が六〜七万円の時代だった。

そこで私は園長に相談して、午後は自由にしてもらった。
自由にしてもらって、好き勝手なことをした。
家庭教師、塾の講師、翻訳、通訳、貿易の代行などなど。
全体で、一五〜二〇万円くらいは稼いでいただろうか。
しかしそうして稼ぐ一方、郷里から母がときどきやってきて、私から毎回、二〇万円単位で、お
金をもって帰った。
私は子どもとして、それは当然のことと考えていた。が、そんなある夜。私はその母に電話をし
た。

 私は母にはずっと、幼稚園の講師をしている話は隠していた。
今と違って、当時は、幼稚園の教師でも、その社会的地位は、恐ろしく低かった。

おかしな序列があって、大学の教授を頂点に、その下に高校の教師、中学校の教師、そして
小学校の教師と並んでいた。
幼稚園の教師など、番外だった。私はそのまた番外の講師だった。
幼稚園の職員会議にも出させてもらえないような身分だった。

 「すばらしい」と思って入った幼児教育の世界だったが、しばらく働いてみると、そうでないこと
がわかった。
苦しかった。
つらかった。
そこで私は母だけは私をなぐさめてくれるだろうと思って、母に電話をした。

が、母の答は意外なものだった。
私が「幼稚園で働いている」と告げると、母は、おおげさな泣き声をあげて、「浩ちゃん、あんた
は道を誤ったア、誤ったア!」と、何度も繰り返し言った。
とたん、私は、どん底にたたきつけられた。
最後の最後のところで私を支えていた、そのつっかい棒が、ガラガラと粉々になって飛び散っ
ていくのを感じた。

●目が涙でうるんで……

 その夜、どうやって自分の部屋に帰ったか覚えていない。
寒い冬の夜だったと思うが、カンカンとカベにぶつかってこだまする自分の足音を聞きながら、
「浩司、死んではだめだ。死んではだめだ」と、自分に言ってきかせて歩いた。

 部屋へ帰ると、つくりかけのプラモデルが、床に散乱していた。
私はそのプラモデルをつくって、気を紛らわそうとしたが、目が涙でうるんで、それができなかっ
た。
私は床に正座したまま、何時間もそのまま時が流れるのを待った。
いや、そのあとのことはよく覚えていない。
一晩中起きていたような気もするし、そのまま眠ってしまったような気もする。
ただどういうわけか、あのプラモデルだけは、はっきりと脳裏に焼きついている。

●その夜を契機(けいき)に……

 振り返ってみると、その夜から、私は大きく変わったと思う。
その夜をさかいに、タバコをやめた。酒もやめた。
そして女遊びもやめた。もともとタバコや酒は好きではなかったから、
「やめた」というほどのことではないかもしれない。

しかしガールフレンドは、何人かいた。学生時代に、大きな失恋を経験していたから、女性に
対しては、どこかヤケッパチなところはあった。
とっかえ、ひっかえというほどではなかったかもしれないが、しかしそれに近い状態だった。
一、二度だけセックスをして別れた女性は、何人かいる。
それにその夜以前の私は、小ずるい男だった。もともと気が小さい人間なので、大きな悪(わ
る)はできなかったが、多少のごまかしをすることは、何でもなかった。
平気だった。

 が、その夜を境に、私は自分でもおかしいと思うほど、クソまじめになった。
どうして自分がそうなったかということはよくわからないが、事実、そうなった。
私は、それ以後の自分について、いくつか断言できることがある。

たとえば、人からお金やモノを借りたことはない。
一度だけ一〇円を借りたことがあるが、それは緊急の電話代がなかったからだ。
もちろん借金など、したことがない。
どんな支払いでも、一週間以上、のばしたことはない。
たとえ相手が月末でもよいと言っても、私は、その支払いを一週間以内にすました。

ゴミをそうでないところに、捨てたことはない。
ツバを道路にはいたこともない。
あるいはどこかで結果として、ひょっとしたらどこかで人をだましているかもしれないが、少なく
とも、意識にあるかぎり、人をだましたことはない。
聞かれても黙っていることはあるが、ウソをついたことはない。
ただひたすら、まじめに、どこまでもまじめに生きるようになった。

●もっと早く自分を知るべきだった

 が、にもかかわらず、この後悔の念は、どこから生まれるのか。
私はその夜を境に、自分が大きく変わった。
それはわかる。
しかしその夜に、自分の中の自分がすべて清算されたわけではない。
邪悪な醜い自分は、そのまま残った。今も残っている。

かろうじてそういう自分が顔を出さないのは、別の私が懸命にそれを抑えているからにほかな
らない。
しかしふと油断すると、それがすぐ顔を出す。
そこで自分の過去を振り返ってみると、自分の中のいやな自分というのは、子どものころから、
その夜までにできたということがわかる。

私はそれほど恵まれた環境で育っていない。
戦後の混乱期ということもあった。
その時代というのは、まじめな人間が、どこかバカに見えるような時代だった。
だから後悔する。私はもっと、はやい時期に、自分の邪悪な醜い自分に気づくべきだった。

●猛烈に原稿を書いた

 私は頭の中で、懸命にその乳がんの女性のことを考えた。
何という無力感。
何という虚脱感。
それまでにもらったメールによると、上の子どもはまだ小学一年生だという。
下の子どもは、幼稚園児だという。

子育てには心労はつきものだが、乳がんというのは、その心労の範囲を超えている。
「地獄のような……」という彼女の言い方に、すべてが集約されている。
五五歳になった私が、その人生の結末として、地獄を味わったとしても、それはそれとして納得
できる。仮に地獄だとしても、その地獄をつくったのは、私自身にほかならない。
しかしそんな若い母親が……!

 もっとも今は、医療も発達しているから、乳がんといっても、少しがんこな「できもの」程度のも
のかもしれない。
深刻は深刻な病気だが、しかしそれほど深刻にならなくてもよいのかもしれない。
私はそう思ったが、しかしその読者には、そういう安易なはげましをすることができなかった。

今、私がなすべきことは、少しでもその深刻さを共有し、自分の苦しみとして分けもつことだ。
だから私は遊びに行くのをやめた。
やめて、一日中、書斎にこもって、猛烈に原稿を書いた。
そうすることが、私にとって、その読者の気持ちを共有する、唯一の方法と思ったからだ。

++++++++++++++++++++++

 私は善人かと聞かれれば、「?」と思ってしまう。
自分の中に、確固たる「柱」がない。
それは自分でも、よく感ずる。

 私は、だれにでもヘラヘラとシッポを振るような人間だったし、今も、基本的には、そうであ
る。
たまたま今は、善の世界に生きているから、悪人でないだけである。
もし近くに悪人がいて、「おい、林、お前も仲間に入らないか」と声をかけられたら、そのままス
ーッと入ってしまうかもしれない。

 事実、M物産という会社に勤め始めたころ、ヤクザ映画を見て、妙にそのヤクザの世界に魅
力を感じたこともある。
魅力というより、あこがれた(?)。

 しかしあの夜を境に、私は、自分でもバカだと思うほど、クソまじめ人間になった。
BW教室という、小さな教室をもっているが、その教室ですら、過去35年近く、ズル休みをした
ことは、ただの一度もない。
(本当に、ない! 休んだのは、起きあがれないほどの病気になったときだけ。) 

 電話代の10円を借りたことはあるが、それ以外に、借金をしたことも、ただの一度もない。
もちろんお金のことで、他人に迷惑をかけたことは一度もない。

 しかしそれらは、自分が善人だからではなく、自分自身のシャドウにおびえていたからそうし
ただけとも言えなくもない。自分が、(泥棒)だから、自分の家の(戸締まりを、厳重)にしている
だけということか。

 その証拠に、お金にルーズな人を見ると、必要以上に腹をたてたりする。
しかしそれはその相手に対して腹をたてるというよりは、自分自身のシャドウを、忌み嫌っての
ことではないのか。
そういうふうにも、解釈できる。

 シャドウ(ユング)の考え方を、自分に当てはめてみると、そんな感じがする。

 以上、浅学を恥じず、自分勝手な解釈で、「仮面(ペルソナ)とシャドウ(影)」について、あれこ
れ考えてみた。

 もちろん私は、この道のプロではない。
学者でもない。
だからそういう意味では、どこか無責任。
書きたいことを書き、こうして書くことを楽しんでいる。
ときどき、その道の専門家の先生から、「ここがまちがっている」「ここがおかしい」という意見を
もらうが、どうか、そのあたりのことは、勘弁してほしい。

 大切なことは、いろいろな意見を踏み台にして、その上で、自分なりの考えを、前向きに発展
させることではないだろうか。
(……どこか、弁解がましいが……。)

 しかし今回、「シャドウ」という考え方には、今までになかった、新鮮さを感じた。さすが、ユン
グ先生! 
あなたはすばらしい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 シャドウ ペルソナ 仮面 はやし
浩司 化粧 はやし浩司 整形 整形美容 私は私 はやし浩司 アイデンティティ 復讐する
は はやし浩司 私の青春時代)
2012/06/06改


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ        
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年8月 8日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【発情期にわかる、子どものドラ度】

●子どもの世界「女の子の発情期」(はやし浩司 2012−06−09)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最近の中高校生は、ズバリそのまま、無修正の動画を見ている。
雑誌や本ではない。
DVDでもない。
スマフォ、つまりスマートフォンを使い、ズバリ、そのまま。
しかもここに書いたように、動画。

しかも相手は、小学生や中学生の女の子。
そういう女の子が、堂々と画面に出てくる。
違法意識はまったくない(?)。
「お前たちは、こんなのを見ているのか!」と叱ると、「みんな、見ているよ」と。
平然と言ってのける。

私はスマフォは使っていない。
外では、DOCOMOの携帯端末を使っている。
それでも費用は、月額6000円前後。

私「費用はいくらくらいかかるのか?」
子「全部で、1万円弱くらいかな?」
私「親が払っているのか?」
子「そうだよ」と。

あまりにも日常的。
ありふれた光景。
平気で、私に見せる。

子「先生も、見ているんだろ!」
私「バカ、もう見飽きた!」と。

瞬間、「これでいいのか?」と思ったが、それが(流れ)。
時代の流れ。
そんなものに逆らっても、川の中に、竹竿一本立てるようなもの。
勝ち目はない。
意味もない。
が、宗教、哲学のない国民、ここに極まれり。

帰りにワイフとこんな会話をする。

私「日本人が、ますますバカになっていくように思う」
ワ「考えないわね……」
私「すべてが欲望のおもむくまま……。そんな感じがする」
ワ「欲望第一主義ね」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●発情期前夜

 昨日、小学6年生のYさん(女児)を教えていて、いつもと様子がちがうのに気づいた。
少し前から、「?」とは感じていた。
カラフルなノートに、プリクラで撮った写真を貼り付けて遊んでいた。
それをたしなめると、甲高い声で、キャッ、キャッと騒いだ。
それまでは静かで、落ち着いた子どもだった。
それが時折、突発的に興奮状態になる。

 が、昨日は、それがさらにはげしくなった。
顔が上気し、軽い興奮状態。
ソワソワ……というよりフワフワした状態。
まじめな会話をしようとしても、取りあわない。
私の言葉を茶化し、あやしげな笑みを浮かべる。
もちろん勉強など、そっちのけ。

 Yさんも、発情期に入った。
(私はもう、「思春期」という言葉を使うのをやめた。
「発情期」のほうが、ずっとわかりやすい。)
発情期に入ると、様子が変わる。

 あとでワイフにそれを話すと、ワイフもそれに気づいたらしく、こう言った。
「女の子は、むずかしいわね」と。

 男児のばあいは、スマフォならスマフォでもよい。
まだ解消する手段をもっている。
が、女児には、それがない。
ないから、いきなり(遊ぶ)という行為に直行する。
カゴの中に押し込めようとしても、無理。
不可能。
体の内部から、燃えるような欲望がわきあがってくる。
本人自身の理性の力など、腸から出るガスのようなもの。

 ならば、じょうずに(遊ばせる)ということになるが、これもむずかしい。
同年齢の男児(男子)にしても、異性(女性)を、そういう対称としてか見ていない。
いまどき「純愛」などという言葉を使おうものなら、「何、それ?」と問い返される。

 が、危険と言えば危険。
一歩、家の外に出れば、誘惑の猛攻撃にさらされる。
だいたい、おとなたちが、ものを考えない。
そういう子どもを餌食にして、遊ぶ。
欲望のおもむくまま、行動する。
その結果が「今」であり、それが子どもたちの世界を侵襲している。

12年前(2000年ごろ)に書いた原稿がある。
そのころ、この浜松市でも1人の女の子(中2)が、HIVに感染し、エイズを発症した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

四割の善と四割の悪(中日新聞にて発表済み)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【四割の善と、四割の悪】

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪
がある。
子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。
子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンし
んちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。
時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。
あるいはそういうワナにハマりやすい。
ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プー
ルの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうな
のか。
自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。
親だってそうだ。
子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。
しかし自分で勉強している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないと
いうような世界になってしまったら、何とつまらないことか。
言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。
旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。
(洪水で滅ぼすくらいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いた
ときのこと。
神はこう答えている。
「希望を与えるため」と。
もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。

問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについ
て、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。
高校生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。
「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。
するとその男は笑いながら、こう言った。

「うちの娘は、そういうことはしないよ。
うちの娘はまともだからね」と。
私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が
悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。
子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。
悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。
そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、大きく変わる。
子どもの世界も変わる。

(参考)

 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。

(詩集「子どもたちへ」より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●堕落(だらく)

 堕落という言葉の意味を知らない人に、堕落を説いても意味はない。
かえって、それを説く私たちのほうを、バカに見る。
欲望というのはそういうもの。
欲望の奴隷になりながら、奴隷になっていることにさえ気づかない。
西洋風に言えば、悪魔に魂を売り渡している。

 が、あのソドムとゴモラにしても、現代の日本ほど、堕落していなかった(……と思う)。
ソドムとゴモラというのは、天からの硫黄と火によって滅ぼされた都市をさす。
旧約聖書の中では、ヤハウェの裁きによって滅ぼされたということになっている。
「甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である」(ウィキペディア百科事
典)とある。

 が、ここでひとつの疑問。

 「性の乱れ」を、堕落と考えてよいのか。
こと「性」に関して言うなら、あらゆる動植物に共通する本能。
それがあるからこそ、私たちは、今、ここに存在する。

 が、それには節度があるべき。
……と考えやすいが、「節度」ということになるなら、この地球で節度を守っていたら、あっという
間に、自然淘汰されてしまう。
貪欲に生きてこそ、やっと自分の種族を守れる。

たとえば魚にしても虫にしても、1匹の子孫を残すために、何万匹、何万匹もの子孫を作る。
人間の男が射S(精)する精S(子)にしても、1度に億の数。
(BLOG禁止用語に抵触するため、(精)(子)としました。)
悲しいかな、貪欲に生きてこそ、私たちは子孫をつぎの時代に残すことができる。

 もし「乱れ」ということになるなら、道徳規範の乱れということになる。
となると、何も、「性」だけの問題ではないということにもなってしまう。
「性の乱れ」は、その一部にすぎない。

●道徳規範

 ならば道徳規範とは何か。
いろいろ言われているが、基本的には、「自ら考える力」によって決まる。
が、この「力」は弱い。
とくに子どもたちの世界では、弱い。
というか、考える力そのものが、未熟。
未完成。
が、中には、自らをコントロールする力をもっている子どももいる。

 こんな女子(中1)がいた。

●お年玉

 「お年玉はぜんぶ貯金する」と言った女の子(中1)がいた。
「どうして?」と聞くと、「お金をためて、フルートを買う」と。

 その女の子は、どこかでフルートの個人レッスンを受けていた。
またフルートという楽器は、かなり高額である。
それでそう言った。

 さらに印象に残っている女の子(小3女児)に、こんな子がいた。
以前、書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

一部、内容がダブりますが、
お許し下さい。
日付は2007年になっていますが、
実際に書いたのは、2000年ごろです。

なおこの中に書いた、自動販売機での女の子は、
そののち女医になり、父親といっしょに、
医師をしています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの世界を守るために……

 性にめざめるころ、そのまま性の世界にのめりこんでしまう女の子と、そうでない女の子がい
るのがわかる。

 どちらがよいとか、悪いとか、そんなことを言っているのではない。

 ただ、現代という時代においては、子どもたちを取り巻く環境が、ますます劣化しているという
こと。
売春や援助交際は、すでに日常化している。「出会い」と呼ばれる、フリーセックスも、今では
珍しくも、何ともない。

 が、問題は、性病。その中でも、エイズの問題がある。

 「まさか……」「うちの子にかぎって……」と思っているうちに、自分の娘が、そのエイズに感染
する。
それはもう、病気という病気ではない。
十字架という、十字架ではない。
もしあなたが、「うちの娘や、息子は、そういう病気とは無縁」と思っているなら、その考えは、
甘い。
改めたほうがよい。

 2015年までには、この日本でも、エイズ感染者は、若者を中心に、数万人以上になると、予
測されている。
が、それで止まるわけではない。さらに感染者数は、ふえる。
発症者もふえる。
死亡者も、ふえる。

 そこであなたは、「学校で……」「教育で……」と考えるだろう。
しかしこの問題だけは、学校や教育では、どうにもならない。
はっきり言えば、学校や教育の、その外の世界の問題である。
性にめざめる子どもを、おさえる方法など、ない。
それは道徳や倫理を超えた世界の問題である。

 が、対処方法はないわけではない。

 子どもは、自ら、考える子どもにする。以前、こんな子ども(小3女子)がいた。

 たまたまバス停で、出会った。
そばに、自動販売機があった。
そこでその女の子に、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その女の子は、こう言
った。

 「いいです。今、ジュースを飲んだら、お母さんがつくってくれた、夕食を食べることができなく
なります」と。

 少ないが、そういう子どももいる。
また、私たちは、自分の子どもを、そういう子どもにしなければならない。

 コツは、ただ一つ。欲望に耐えられる子どもにする、こと。

 が、現実は逆である。

 子どもが生まれると、親はもちろんのこと、親類縁者たちが集まってきて、「蝶よ、花よ」と、子
どもに手をかける。お金をかける。
時間をかける。

 目一杯、子どもの欲望を満足させてしまう。
こうした安易な子育て観が、子どもをして、欲望に対して、抵抗力のない子どもにしてしまう。
性にめざめるころ、その性にのめりこんでしまう子どもというのは、そういう子どもをいう。

 これは私のあくまでも印象だが、小学5、6年生を境に、いわゆる「飛んでしまう女の子」に
は、それ以前に、ある一定の特徴がある。

 その第一は、どこか派手になる。
第二に、妙におとなびていて、それでいて、おとなをなめるような言動が見られるようになる。
第三に、それなりに「女」としての魅力を、自ら、意識している。

 概して言えば、頭がよいほうに属する。
あるいは何かにつけてませていて、物知り。
どこか、チャカチャカしている。
ファッションにも敏感。そんな感じである。

 このタイプの子どもは、小学5、6年生になると、急速におとなびてくる。
目つきまで、変わってくる。以前だが、私にこんなことを言った女の子(中学2年生)がいた。

 「先生は、まじめエ?」と。そこで私が、「まじめだよ」と答えると、「何、言ってるの。子どもが
いるくせに」と。

 そのときは、その意味がわからなかった。
しかししばらくしてから、その意味がわかった。
その女の子は、「先生は、セックスをしているのか?」という意味で、私にそう聞いた。
その女の子のいう、「まじめ」というのは、そういう意味だった。

 で、その女の子も、いつも携帯電話を片手に、男遊びを繰りかえしていた。
が、ここで大きな問題にぶつかる。
そういう事実を、親に伝えるべきかどうかという問題である。

 この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
私の仕事は、親から委託された仕事を、委託された範囲でする。
それ以外のことは、相談や、質問があるまで、しない。
またしてはならない。親に伝えれば、伝えた段階で、私と生徒の信頼関係は、そのまま崩壊す
る。

 それに確たる証拠があるわけではない。
遊んでいるらしいというのは、あくまでも、カンである。
目つきとか、あやしげな言い方、そういうもので、それがわかる。
その女の子も、筆箱の中に、金製の飾りをもっていた。
多分、どこかの男に買ってもらったものだろう。

 私が、それを指でつまみながら、「これは、何だ?」と声をかけると、「ウフン〜。いいじゃア〜
ン……」と。
なまめかしい声だった。

 が、こういうケースでも、つまり性にめざめたとしても、それはそれ。
おとなになるために、だれしも経験する、「春」である。
関門である。中学生だから早いとか、高校生だから遅いとかいう判断をしている間に、そういう
子どもも、あっという間に、おとなになる。
おとなの仲間入りをする。

 が、エイズは、そうではない。そうはいかない。
体の中に、時限爆弾をかかえるようなものである。
しかも感染という方法で、まわりの人たちを、どんどんと不幸にしていく。

 S市内のある中学校で、一人の女の子がエイズに感染しているとわかったときのこと。
その話は、生徒から生徒へと、またたく間に、広がってしまった。
もちろん親たちにも。

 とたん、その学校は、パニック状態。その女の子が、その学校の男子生徒の何人かとも、関
係していたからである。
さらにこれは、アメリカのある州立大学での話だが、その大学のフットボ−ルクラブの学生、6
0人について調べたところ、何と、15人もの学生に陽性反応が出たという。

 15人といえば、25%である。
いくらエイズ大国とはいえ、これには、大学当局も驚いた。
そしてそのあと、その大学は、その対策に追われ、とても授業どころではなくなってしまったとい
う。

 そういう現実が、この日本でも、もう目の前に迫っている。

 では、どうするか?

 私たち一人一人の親が、賢くなるしかない。
その賢さで、子どもを包むしかない。
もっとわかりやすく言えば、自ら考え、行動し、責任をとる子どもにする。
その見本を、日常生活の中で、私たち親が示す。

 子どもの世界を守るためには、もう、それしかない。

 そうそう、こんな話も、もれ伝わってきている。

 そのS市で、エイズになった中学生の親だが、娘がエイズとわかったとき、近くの神社へ行
き、(オハライ)なるものをしてもらったという。
そしてその神社の神主の指示に従い、神棚の位置をかえ、子ども部屋には、別の大きな神棚
を置いたという。

 この話からも、その親が、いかに狼狽(ろうばい)し、理性を失ったかがわかる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人間商品

 人間の商品化が進んでいる。
まさに商品。
自ら商品を意識する、歌手やタレントだけの話ではない。
ごくふつうの、どこでもいるような子どもでさえ、商品化している。
もちろん商品にするのは、親。
またそういう目でしか、見ていない。

 今では、小学生や中学生の娘に、美容整形をほどこす親など、珍しくも何ともない。
親がだぞ!

 で、今週もこんなことがあった。

 私は毎週、ほとんど書かさず、あるパソコン週刊誌を買っている。
今週号は、その表紙を3人の女の子が飾っていた。
が、私はその顔を見て、ワイフにこう言った。

「みんなお面をかぶっているみたい。区別がつかない」と。

 3人とも人形風の顔をしていた。
かわいいというより、作られた顔。
コミック雑誌から抜け出たような顔をしていた。

 で、よく見ると、みな整形を施しているのがわかった。
不自然な鼻、小鼻、鼻の穴。
それに目。
その上に化粧に化粧を重ねている。
元の顔など、どこにもない。

 が、何よりも気になったのは、幼児よりも幼稚な表情。
顔だけの顔。
私は知性のひとかけらも感じなかった。
つまりこれを「商品」と言わずして、何という。
まさに人間商品。

●賢い子どもにするには

 今朝は時間がないので詳しく書けないが、要するに、幼児期前期の育て方で決まる。
エリクソンが説いた、「自律期」である。
この時期に子どもの基本的な方向性が決まる。
逆に言えば、その子どもがスポイルされるかどうか、つまりドラ息子、ドラ娘になるかは、そのと
きに決まる。

 子どもの性質ではない。
親の育て方で、決まる。

 たとえば少し前、私のクビを切った中学生がいた。
私に向かってこう言った。

「先生を、(親に頼んで)、クビにしてやる」と。

 私はすかさず、その子どもを退塾処分にした。
「お前のようなガキにクビを切られてたまるか。さっさと帰れ」と。
(私は「ガキ」という言葉を使った。)
それまでにも、その中学生は、たびたび私に暴言を吐いた。
私を、ただの塾教師としてしか見ていない。
(たしかにそうだが……。)
が、その一言で、キレた。

 ……かわいそうな子どもだと思う。
人間の価値を、見栄えや、財産でしか判断しない。
中身を見ない。
いくつか塾をかけもちしていた。
私が「〜〜だ」と教えても、「○○進学塾では、こう言った」と、まるで取りあわない。
もちろん宿題など、出しても無駄。
少し暑くなれば、「クーラーをかけろ」と。

 それなりの成功者(?)になればよいが、そうでなければ、苦しむのは、結局はその子ども自
身ということになる。

 私が20代のはじめ、家庭教師をしていた子ども(中3)に、こんな子どもがいた。
この原稿の中に出てくるM君の話は、中日新聞に載せてもらった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【少子化の中で、スポイルされる子どもたち】

【ドラ息子、ドラ娘論byはやし浩司】

●甘やかしと、きびしさ

+++++++++++++

極端な甘やかしと、極端なきびしさ。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもを
ドラ息子、ドラ娘にする。
甘やかしにより、規範そのものが崩れる。
一方、アンバランスなきびしさが、子どもを反抗的にする。

わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、
キレる……。

+++++++++++++

 一方で甘やかす。
子どもに気を使う。
過干渉というよりは、子どもの機嫌を取る。
『子どもをだめにするためには、子どものほしがるものを何でも与えよ』という。
しかしこのタイプの親は、『子どもがほしがる前に、何でも与えてしまう』。

しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。
はじめは、小さなすき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。
(甘やかす)→(ますますきびしく接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくな
る。
一貫性のない親の育児姿勢が、子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。
 
 このタイプの親には、共通点がある。

(1) 溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)

(2) 育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)

(3) 飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)

(4) 視野が狭い(目先のことしか、考えていない)

(5) 見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)

(6) 代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたい)

(7) 親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかない)

 これらの特徴と併せて、

(8)一貫性がない。

そのときの気分で、子どもに甘く接したり、きびしく接したりする。

A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。
一方、母親は派手好き。
裕福な家庭で、生まれ育った。
ほしいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。
近くに祖父母もいて、A君の世話をした。
A君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と考えてい
た。
A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。
いや、するにはしたが、とても手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげ
さに喜んでみせたり、ほめたりした。
「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。
あと片づけをしない、ほしいものが手に入らないと、怒りを露骨に表現するなど。
母親は、そのつど、A君をはげしく叱った。
A君は、それに泣いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。
夫の収入だけでは足りなかった。
A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助を受けていた。
夫には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。
そのためA君の母親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。
そのころすでにA君は、オーバーヒート気味だったが、母親は、それに気づかなかった。
「やればできるはず」式に、A君に、いろいろさせた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。
好き嫌いがはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。
簡単なゲームをさせても、ルールを守らなかった。
そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人に乱暴を繰りかえしたりした。

 人格の完成度が遅れた。
他人の心が理解できない。
自己中心的。
ほかの子どもたちとの協調性に欠けた。
幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれをしたが、そうでないと
きは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。
そのころになると、母親にも乱暴を繰りかえすようになった。
母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。
ものを投げつけることも重なった。
が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。
学校の宿題をするだけで、精一杯。その宿題すら、母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。
今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、多い。
が、何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づくことがないと
いうこと。

『溺愛は、親を盲目にする』。
A君の母親は、ますます献身的に(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに対処で
きる。
アドバイスもできる。
しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたのお子さんには、問題があります」とは、
現実には、言えない。
言ったところで、そのリズム、つまり子育てのリズムを変えることは、不可能。
親にとっても、容易なことではない。
そのリズムは、子どもを妊娠したときから、はじまっている。
そんなわけで、わかっていても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。
親自身が、袋小路に入り、にっちもさっちも行かなくなる。
が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。
「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。
小学5、6年になるころには、まさに王様。
食事も、ソファに寝そべって食べるようになった。
母親が、そこまで盆にのせて、A君に食事を届けた。
母親は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるものの、結局は、買い与えてい
た。
「機嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。
が、A君の父親は、静かで、やさしい人だった。
家庭のことには、ほとんど関心を示さなかった。
仕事から帰ってくると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶしていた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親がそれに
気づくか、それが大切。
早ければ早いほど、よい。
できれば3、4歳ごろには、気づく。
(それでも遅いかもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。
そのリズムを変えるのは、容易なことではない。
1年や2年はかかる。
あるいは、もっと、かかる。
さらに親自身がもつ、子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。
それこそ行き着くところまで行き、絶望のどん底にたたき落とされないかぎり、親も、それに気
づかない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件そのも
のを、もみ消してしまった。
あちこちを回り、お金で解決してしまった。
また別の子ども(高1男子)は、無免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。
そのときも、母親が、一晩で、事件そのものをもみ消してしまった。

こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。
で、やっとそのころになると、自分の(まちがい)に気づく。
それまでは、気づかない。
ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その1人かもしれない。
が、ほとんどの人は、こういう文章を読んでも、「私には関係ない」と、無視する。
これは子育てがもつ、宿命のようなもの。

 そこで教訓。

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。
責めるべきは、あなた自身。
反省すべきは、家庭環境そのもの。
あなたの育児姿勢。
家庭のリズム。
あなたの人生観、それに子育て観。
 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。
なおるはずもない。
この問題は、そういう問題である。

+++++++++++++++

ドラ息子、ドラ娘について書いた
原稿を、いくつか添付します。
一部ダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++

●子どもをよい子にしたいとき
 
●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。
それを一口で言ってくれ。
私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。
「あんたの本を、何冊も読む時間など、ない」と。
私はしばらく間をおいて、こう言った。
「使うことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。
子どもは使えば使うほど、よくなる。
使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。
それだけではない。
忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。
「日本の子どもたちは、100%、スポイルされている」と。
わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。
そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教
えてくれた。

「ときどきホームステイをさせてやるのだが、料理の手伝いはしない、食事のあと、食器を洗わ
ない。
片づけない。
シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。
朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。
つまり、「日本の子どもは何もしない」と。

反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。
「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝
っている」と。
ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1) ものの考え方が自己中心的。

自分のことはするが他人のことはしない。
他人は自分を喜ばせるためにいると考える。
ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。
自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。
あるいは自分より先に行くものを許さない。
いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2) ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。

目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。
あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。
生活習慣そのものがだらしなくなる。
その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3) ものの考え方が無責任。

他人に対して無礼、無作法になる。
依存心が強い割には、自分勝手。
わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4) バランス感覚が消える。

ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。
また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。
本当に使わない。
「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。
だから子どもにも生活感がない。
「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。
「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。
あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。
生活への耐性そのものがなくなることもある。

友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。
話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。
そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。
子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。
よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。
そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。
しかしそういうのは忍耐力とは言わない。
好きなことをしているだけ。
幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。
寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。
風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。
そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。
その子どものお母さんは、こう話してくれた。
「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。
こういう子どもは、学習面でも伸びる。
なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っている
こと自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子ども
は伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。
「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。
買物といっても、食材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。
洗濯も今では全自動。
料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされると、かえってじゃま。
テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
親が寝そべってテレビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。
子どもを使うということは、親がキビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをす
ることをいう。
たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。
そしてそれをあなたの子どもが見つけたとする。
そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。
しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省
したほうがよい。
やらせることがないのではない。
その気になればいくらでもある。
食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。
そこで洗わせる。
フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出
る。
庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。
そういう雰囲気で包むことをいう。
何をどれだけさせればよいという問題ではない。
要はそういう子どもにすること。
それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。
子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1) 生活感のある生活に心がける。

ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうことをわからせる。
あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るのだ」という意識を
もたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

(4)生活のルールを守らせる。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。

あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグにな
っている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。
チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。
ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 10日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。
その金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。
が、それだけではない。
子どもはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。
そしてそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。
たとえば子どもの100円は、おとなの1万円に相当する。
1000円は、10万円に相当する。
親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってか
らの、1万円、10万円に相当する。
「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、
将来どうなるか。もう、言べくもない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買って
あげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。
より高価なものを買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。
あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。
が、これはまったくの誤解。実際には、逆効果。

それだけではない。
ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。
ある子ども(小2男児)は、こう言った。
「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行ってもらう」と。
そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおくれてしまう」と。
その子どもは、「おくれる」と言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分
のステイタス(地位)を守ろうとする。
物欲の内容そのものが、昔とは違う。
変質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てき
た。

援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。
「どうしてそういうことをするのか」という質問に対して、である。
しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。
もっているものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。
あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。
1000円のものだろうか。
それとも1万円のものだろうか。
お年玉には、いくら与えるだろうか。
与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。
それとも、貯金をさせるだろうか。
いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。

どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。
5、6歳の子どもに、1万、2万円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生
や大学生になったとき、あなたは100万円、200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。
つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。
あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめ
たほうがよい。
やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。
そうなればなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。

●ドラ息子症候群

 英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。
要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。
こういう例は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。
あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしな
いのでしょうか」は、ない。
もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小3)は、そんなタイプの子ども
だった。

 口グセはいつも同じ。
「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。
何でもよいのだ。
その場の自分の欲望を満たせば。
しかもそれがうるさいほど、続く。
そして自分の意にかなわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。
約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってないようなもの。
他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。
「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。
そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。
バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。

こうも言った。
「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。
M君の家は昔からの地主で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。
教えることそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっ
とほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。
そうそうこんなこともあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまっ
た。
悪質な万引きだった。
それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という理由で、猛烈な裏工作をし、その
夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。
そして彼が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼ん
でいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。
折ったら、ヒロシはどうする?」と。

そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその
万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった!
 とたん私は彼に飛びかかっていった。
結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を狂ったように責めた。
(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。
が、M君の父親が、私を救ってくれた。
うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。

「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ドラ息子

 ドラ息子かどうかは、早い子どもで、年中児の中ごろ(4歳半)前後でわかるようになる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。
「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛だ」と誤解しているようなところがある。
だから子どもにも生活感がない。
「水はどこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。
「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。
友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。
話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。
そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳の
ときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

 で、その忍耐力。
よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。
そういう力を勉強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。
しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。
幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。
その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるのが、
その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが
口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、
学習面でも伸びる。なぜか。

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。
漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにしても、大半の子どもにとっては、じっと座っている
こと自体が苦痛なのだ。
その苦痛を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。
反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子ども
は伸び悩む。

●補記(2012−03−02)

 ドラ息子、ドラ娘と評してよい子どもは、少なくない。
もちろん程度の差もある。
が、症状がひどくなると、少しでも自分の意に反したような状況、状態になると、はげしい(かん
しゃく発作)を引き起こす。

 かんしゃく発作そのものは、「家庭教育の失敗」(育児辞典)と、位置づけられている。
私が「失敗」と言っているのではない。
心理学や育児の辞典に、そう書いてある。
(以前、「失敗」と書いたことに対し、「他人の子育てについて、失敗とは何ごとか」と抗議してき
た人がいた。
それであえて、ここでこのように書いておく。)

 突発的に狂乱状態になり、暴れたり、暴言を吐いたりする。
親や先生に向かって暴言を吐いたり、ときには、そのまま家(教室)を出ていってしまったりす
る。

 が、そのとき2つの問題点があげられる。

(1) 子ども側の問題

 親が自分の子どもをドラ息子、ドラ娘にするについて、それなりの(原因)があることが多い。
たとえばLD児であったり、自閉症であったりなど。
親がそうした子どもの問題に神経質になるのはしかたないとしても、それがときとして過剰にな
りやすい。
まさに「腫れ物に触れるような育児」を繰り返す。
気をつかい、つねに機嫌を取る。
ほんの少しでも子どもが機嫌をそこねたりすると、「ごめんね」を繰り返す。
(親が、子どもに、だぞ!)
これがもとからあった障害を、複雑化する。

(2)親側の問題

 ドラ息子、ドラ娘は、親の育児姿勢が原因である。
が、その親自身にも問題があることが多い。
情緒的な欠陥、精神的な未熟性が原因となり、過保護、過関心、溺愛へと走る。
子どもに対し、育児姿勢が極端化する。
つまりベタベタの子育てを繰り返す。
これが子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。

 で、私の経験から、こんなことが言える。

 先にも書いたように、ドラ息子、ドラ娘の問題は、子どもの問題ではない。
家庭環境の問題である。
親自身に問題があることもある。
それだけに、「子どもを直す」ということは、容易なことではない。
……というより、不可能。
家庭のリズムそのものを、変えなければならない。

 大切なことは、その前の段階で、それに気づき、子どもをドラ息子、ドラ娘にしないこと。
またそのためには、風通しのよい育児環境をもつこと。
他人の家庭をのぞき、他人の子育てを知る。
意見を聞き、参考にする。
「私の子育てがいちばん正しい」とか、「私の子どものことは、私がいちばんよく知っている」と、
豪語する親ほど、「失敗」しやすい。

 ドラ息子であるか、ドラ娘であるかは、何度も書くが、満4・5歳前後には、はっきりする。
エリクソンが説くところの、幼児期前期(自律期)までの育児環境が、決定的な影響を与える。

 なお指導の場では、ドラ息子、ドラ娘に対しては、「無視する」という方法で、対処する。
相手が幼児や小学生では、叱っても意味はない。
自分を客観的に評価する力そのものが、ない。
そのため本人自身が、それを自覚するということはない。

要するに、「わがままを言っても、無駄」という雰囲気を、少しずつ作りあげていく。
その時期は早ければ早いほどよい。
小学生になってからだと、それがその子どもの性格として定着してしまう。
さらに高学年になると、暴力を伴うようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子 ドラ息子症候群 スポイルされる子どもたち はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 
Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 どら息子 どら娘 どら息
子症候群 わがままな子ども はやし浩司 自分勝手 気分屋 子育ての失敗 はやし浩司 
日本の子ども 子どもは使う ドラ息子の症状 ぜいたく 機嫌)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでに(おまけ)。
生々しい現場の話です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ドラ息子、ドラ娘症候群】

●子どもの堪忍度

++++++++++++++++++

許容度でもよい。
寛容度でもよい。
許認度でもよい。
わかりやすく言えば、「やさしさ」。

ともかく、相手をそのまま受け入れ、
それを認める度量のことを、「堪忍度」という。

この堪忍度は、相手への「想い」によっても
異なるが、それが広い子どももいれば、
そうでない子どももいる。

そうでない子どものことを、昔は、ドラ息子、
ドラ娘と呼んだ。

ささいなことで、相手を好きになったり、
嫌いになったりする。
とくに(嫌いになる)部分がはげしく、露骨。
それを平気で態度で示したり、言葉で
示したりする。

+++++++++++++++++

●思春期

 Mさんという中学1年生の女子がいた。
私が強制的に退塾を命じた、数少ない生徒の1人だった。
頭は切れ、学校での勉強もよくできた。
市内の進学校に通っていたが、成績はクラスでも1、2番だった。

 そのMさんが、ある日、私にこう言った。
「私ね、老人を見ると、生理的な嫌悪感を覚えるのね」と。

「生理的な嫌悪感」という言葉が強く印象に残った。

 で、私が「その生理的嫌悪感って、何?」と聞くと、こう話してくれた。
「トイレでもさあ、便器にうんちがついていると、使う気しないでしょ。
あれと同じよ」と。

 私はそのとき50歳を過ぎていたのではなかったか。
そろそろ老人組を意識し始めたころである。
で、私が反発して、「君だって、いつかはその老人になるんだよ」と諭すと、こう言い返した。
「私は、老人には、ならない!」と。

 自己中心性も、ここまでくると、バカ。
頭の善し悪しではない。
ものの道理がわからないから、バカ。

●ドラ息子、ドラ娘

 このタイプの子どもは、昔(30〜40年前)には、少なかった。
いたとしても、裕福な家庭で、わがままいっぱいに育てられた子ども。
そういう子どもを、昔は、ドラ息子、ドラ娘と呼んだ。

 が、今は、ごくふつうの、ごく平均的な家庭の子どもでも、そうなる。
事実、そういう子どもは多い。
飽食とぜいたくの中で、自分を見失ってしまった。
好きか嫌いかと言われれば、私はそういう子どもが嫌い。
「こんな子どもに知恵をつけさせたくない」とさえ思う。
またそういう子どもにしないよう、努力している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を検索してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ドラ息子

 ドラ息子、ドラ娘には、つぎのような特徴がある。
もしこれらの項目のいくつかに当てはまるようなら、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘
とみてよい。
今はまだ体も小さく、あなたの保護のもとでおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの
手に負えなくなる。

(1)ものの考え方が自己中心的。
自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ばせるためにいると考える。ゲーム
などで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。
あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。
約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定めても、それを達成すること
ができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかける
ことができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え
方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。
他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼
児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(3) バランス感覚が消える。
ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動することができない、など。

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。
しかし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。
あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。
そういう姿勢が、子どもをますますドラ息子、ドラ娘にする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
もう一作、検索で見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ドラ息子、ドラ娘】

●甘やかしと、きびしさ

+++++++++++++

甘やかしと、きびしさ。一貫性の
ない親の育児姿勢が、子どもを
ドラ息子、ドラ娘にする。
甘やかしで、規範そのものが
崩れる。一方、アンバランスな
きびしさが、子どもを反抗的に
する。
わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、
キレる……。

+++++++++++++

 一方で甘やかす。しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。はじめは、小
さなすき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。(甘やかす)→(ますます
きびしく接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくなる。一貫性のない親の育
児姿勢が、子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。 
 このタイプの親には、共通点がある。

(1) 溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)
(2) 育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)
(3) 飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)
(4) 視野が狭い(目先のことしか、考えていない)
(5) 見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)
(6) 代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたい)
(7) 親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかない)

 これらの特徴と併せて、(8)一貫性がない。そのときの気分で、子どもに甘く接したり、きびし
く接したりする。A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。一方、母親は派手好き。裕福な家庭で、生まれ育っ
た。ほしいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。近くに祖父母もいて、A君の世話をし
た。A君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と考えてい
た。A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。いや、するにはしたが、
とても手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげさに喜んでみせたり、ほ
めたりした。「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。あと片づけをしない、ほしいものが手に
入らないと、怒りを露骨に表現するなど。母親は、そのつど、A君をはげしく叱った。A君は、そ
れに泣いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。夫の収入だ
けでは足りなかった。A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助を受けて
いた。夫には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。そのためA君の
母親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。そのころすでにA君は、オーバーヒート気
味だったが、母親は、それに気づかなかった。「やればできるはず」式に、A君に、いろいろさ
せた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。好き嫌
いがはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。簡単なゲームをさせても、ルールを
守らなかった。そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人に乱暴を繰りかえし
たりした。

 人格の完成度が遅れた。他人の心が理解できない。自己中心的。ほかの子どもたちとの協
調性に欠けた。幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれをした
が、そうでないときは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。そのころになると、母親にも
乱暴を繰りかえすようになった。母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。ものを投げつけることも重
なった。が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。学校の宿題をするだけで、精一杯。そ
の宿題すら、母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、多い。
が、何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づくことがないと
いうこと。『溺愛は、親を盲目にする』。A君の母親は、ますます献身的に(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに対処で
きる。アドバイスもできる。しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたのお子さんに
は、問題があります」とは、現実には、言えない。言ったところで、そのリズム、つまり子育ての
リズムを変えることは、不可能。親にとっても、容易なことではない。そのリズムは、子どもを妊
娠したときから、はじまっている。そんなわけで、わかっていても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。親自身が、袋小路に入り、にっちもさっちも行かなく
なる。が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。「うちの子にかぎって……」
「そんなはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。小学5、6年になるころには、まさに王様。食事
も、ソファに寝そべって食べるようになった。母親が、そこまで盆にのせて、A君に食事を届け
た。母親は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるものの、結局は、買い与え
ていた。「機嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。が、A君
の父親は、静かで、やさしい人だった。家庭のことには、ほとんど関心を示さなかった。仕事か
ら帰ってくると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶしていた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親がそれに
気づくか、それが大切。早ければ早いほど、よい。できれば3、4歳ごろには、気づく。(それで
も遅いかもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。そのリズムを
変えるのは、容易なことではない。1年や2年はかかる。あるいは、もっと、かかる。さらに親自
身がもつ、子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。それこそ行き着くところまで行き、
絶望のどん底にたたき落とされないかぎり、親も、それに気づかない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件そのも
のを、もみ消してしまった。あちこちを回り、お金で解決してしまった。また別の子ども(高1男
子)は、無免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。そのときも、母親が、一晩で、事件
そのものをもみ消してしまった。
こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。で、やっとそのころになると、
自分の(まちがい)に気づく。それまでは、気づかない。ひょっとしたら、この文章を読んでいる
あなた自身も、その1人かもしれない。が、ほとんどの人は、こういう文章を読んでも、「私には
関係ない」と、無視する。これは子育てがもつ、宿命のようなもの。

 そこで教訓。

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。責めるべきは、
あなた自身。反省すべきは、家庭環境そのもの。あなたの育児姿勢。家庭のリズム。あなたの
人生観、それに子育て観。

 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。なおるはずもな
い。この問題は、そういう問題である。

+++++++++++++++

ドラ息子、ドラ娘について書いた
原稿を、いくつか添付します。

+++++++++++++++

●子どもは、使う

 子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。
 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、スポイ
ルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君は、
日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。
「ときどきホームステイをさせてやるのだが、料理の手伝いはしない、食事のあと、食器を洗わ
ない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさな
い」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームス
テイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われ
るような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状として
は、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1) ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。

(2) ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を
定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を
楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3) ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分
勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4) バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動す
ることができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しかし一度この
時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに
原因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省
する前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」
とか言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつく
ってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの家からタクシー
で、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用
をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家
事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなく
なる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。

幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所の生ゴミを
始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂場の排水口にたまった毛
玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。
こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋さ
んが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされ
ると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。

しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省
したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わ
ったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。
さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)生活感
のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなう
ことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困る
のだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。(3)忍耐
力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを守らせる。(5)不自由である
ことが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、(6)バランスのある生活
に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その金銭感覚
は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。子どもはこの時期を
通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。そしてそれがそれから
先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。たとえば子どもの100円は、おとな
の1万円に相当する。1000円は、10万円に相当する。
親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってか
らの、1万円、10万円に相当する。「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を
満足すること」に慣れた子どもが、将来どうなるか。もう、言べくもない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買って
あげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。より高価なものを買い与えることで、親
は「子どもの心をつかんだはず」と考える。

あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。が、これはまったくの誤解。実際には、逆
効果。それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。ある子
ども(小2男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行
ってもらう」と。そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおく
れてしまう」と。その子どもは、「おくれる」と言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分
のステイタス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。変質している。……
というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てきた。

援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「どうしてそういう
ことをするのか」という質問に対して、である。しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。もって
いるものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。1000
円のものだろうか。それとも1万円のものだろうか。お年玉には、いくら与えるだろうか。与える
としても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金をさせるだろうか。いや、その
前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。

どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。5、6歳の子どもに、1万、2万円のプレゼン
トをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、あなたは100万円、
200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。

つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。あなたにそれだけの財力と度量が
あれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめたほうがよい。やがてあなたの子
どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。そうなればなったで、苦労するのはあ
なたではなく、結局は子ども自身なのだ。

●ドラ息子症候群

 英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。要する
にものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。こういう例は、教育の
世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。
あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしな
いのでしょうか」は、ない。もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小3)
は、そんなタイプの子どもだった。

 口グセはいつも同じ。「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。何でもよいのだ。その
場の自分の欲望を満たせば。しかもそれがうるさいほど、続く。そして自分の意にかなわない
と、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってな
いようなもの。他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。
そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。
バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。こ
うも言った。

「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。M君の家は昔からの地主で、そのと
きは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。教えることそのも
のが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっとほかに学ぶべき
ことがある」というところまで、考えてしまう。そうそうこんなこともあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまった
のである。悪質な万引きだった。それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という
理由で、猛烈な裏工作をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。そして彼
が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼ん
でいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。折ったら、ヒロシはどうする?」と。
そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその
万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった! とたん私は彼
に飛びかかっていった。結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を
狂ったように責めた。(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。が、M君の父親が、私を救
ってくれた。うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。「先生、よくやっ
てくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがとう」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子 ドラ息子症候群 スポイルされる子どもたち)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Mさんという中学1年生

 そのクラスに、かん黙児(中1)の男子がいた。
教室でもほとんどしゃべらなかった。
だれかが話しかけても、ニンマリと笑うだけ。
私は、その子どもを、それまでに2年間教えていた。

 が、時間帯のつごうで、Mさんが、その男子と同じクラスで勉強するようになった。
そのときのこと。
Mさんがこう言って叫んだ。
いっしょに勉強するようになって、数か月目のことだった。

「先生、この子(=緘黙症の男子)、キモイ!」と。
そしてその男の子に向かって、こう言った。
「あんた、何か、しゃべりなよ。黙っていたら、キモイでしょ。
しゃべれよオ〜!」と。

 私はその場で、Mさんを退室させた。
「お前のようなヤツは出て行け!」と。

●「出て行け!」

 この一件だけではなかった。
そのうち、私に対しても、ズケズケとものを言うようになった。
自分自身が、今で言う、軽いAD・HD児であることにも、気づいていなかった。

 指導しているとき、私がお茶を飲むと、すかさずこう言った。

「あんた、先生でしょ。お茶ぐらい、音をたてて飲まないでよ」と。
熱かったので、ズーズーと音を立てて飲んだのが、気に障ったらしい。

 ……ということが重なり、ある日、私のほうが、キレた。

「あのね、そんなにぼくのことが嫌いなら、この教室、やめてもいんだよ」と。

 その言葉がきいたのか、それからしばらくは、静かだった。
が、そのしばらくが過ぎると、また言い始めた。

 ……その内容を書くのが、ここでの目的ではない。
ともかくも、冒頭の会話になったとき、私は爆発した。

「出て行け!」と。

 今でもときどき、ワイフとの会話の中に、そのMさんが出てくる。
「あれは、すごい子だったね」「そうね」と。

 その後の消息は知らない。
私も聞かない。
勉強だけは抜群にできる子どもだったから、現代という世界では、それなりに成功していること
だろう。
が、ワイフはこう言った。

「ああいう子(娘)は、結婚できないと思うわ」と。

 もう10年以上も前の話だから、今ごろは、30歳近くになっているはず。
結婚できただろうか。
それとも独身のままだろうか。

 私はそのMさんの話になったとき、こう言った。
「お前がああだったら、1か月も無理だろうね」と。
つまり1か月で離婚だろうね、と。

 強く印象に残った子どもだが、二度と会いたくない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ドラ息子 ドラ娘 許容度 寛容
度 忍耐力)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司 

●高校1年生のKP君に、英語を教える。

 が、みながみな、ドラ息子というわけではない。
静かな指導を、そのまま受け止めてくれる子どももいる。
KP君も、その1人。
レッスンの様子をそのまま紹介する。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/KlrpKE3FcrI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

2012/06/09記
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 人間商品 商品化する人間 ドラ
息子 はやし浩司 ドラ息子論 ドラ娘論 はやし浩司 自動販売機の前で ペン先を折る は
やし浩司 私をクビにする)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

http://bwhayashi2.fc2web.com/page010.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板への相談より】

●音信不通になってしまった長女

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんより、はやし浩司へ】

●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。

14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には
不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、
ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。

長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でした
が、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済
的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。

ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。

そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しまし
た。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道
など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。

とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離
的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力でき
ないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格
しました。

そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も
難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決
まり、新卒で入社することが出来ました。

当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で
帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後
家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。

私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、
二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。

恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると"自己中心的な親"でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく"無理"との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは
伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していませ
ん。
どう接触したらよいでしょうか。

自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実して
います。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル
回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗はしてみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきま
す。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子ども
をそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう
言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

●皮肉

 もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいってい
ます。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりま
すが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多
いですが……。)

 で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」な
のですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。

 そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子
どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考
えるわけです。

 今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになりますよ。

 もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、
「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11.3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55.7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、

最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。
以下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、
「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、
「7〜12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、
3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、
10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。

ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48.8%)
「交際費」(44.2%)
「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。

また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

 これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。

●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)

●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)

●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。

また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の援助 親からの援助 親孝
行論 はやし浩司 親孝行 最近の若者の孝行意識 学費 はやし浩司 R25 R25)

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

はやし浩司・「眠り損なう」(2012ー06−09 はやし浩司 土曜日の夜)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ただ今、時刻は午後11時50分。
11時ごろ床に就いた。
が、電気を消し、しばらくすると、頭の中が興奮状態になってしまった。
あれこれ考えているうちに、そうなってしまった。

夕方、書斎で、うたた寝をしたのが悪かった?
運動も、今日は、30分だけ。
ウォーキングマシンの上で、軽く汗をかいた。
それだけ。

ほかに……。
夕食後、畑で、分葱(わけぎ)の収穫をした。
それに味噌をつけ、10〜15個ほど食べた。
食べたときは、「辛いな」と思った。
興奮状態になったのは、そのためかもしれない?

ともあれ、こういうときは、自然体。
眠くなったら、眠ればよい。
……ということで、今は、書斎。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不安の時代

 友人のBT氏から、何通かメールが届いていた。
「何やら、たいへんなことが起こりそうですね」と。

 たしかに私も感ずる。
ザワザワとした、つかみどころのない不安感。
先が見えない閉塞感。
何だろう……?

●お米

 今日の午後、近くの和食レストランへ行った。
ワイフが、「どこのお米を使っているか、心配だわ」と言った。
私は躊躇(ちゅうちょ)することなく、店員さんに聞いた。
「ここではどこのお米を使っていますか?」と。

 しばらくして店員が戻ってきた。
「鳥取のお米です」と。
それを聞いて、安心した。
ワイフも安心した。

 心配なら、聞けばよい。
不安なら、聞けばよい。

●おかしい?

 が、それにしても、おかしい。
お米の動き方が、おかしい。
まず、福島県産のお米は、すべて出荷停止にすべき。
安全と確認されたものだけを、出荷すべき。
が、論理が逆。
こんな例で考えてみよう。

 ここに10個のピル(薬剤)がある。
1個は毒薬。
そういうとき、あなたは、そのピルをのむだろうか。
答は「NO!」。

 が、日本人(=日本政府)は、こう考える。
サンプル検査をし、基準値以下なら、問題なしとして出荷を許可する。
基準値を超えていても、他の米とブレンドすれば、放射線量は半減する。
だから問題ない、と。

少し前だが、「福島産の米は、老人ホームなどで、使ってもらえばいい」と発言した政治家もい
た。
とんでもない意見だが、こういうふうにして、汚染米は、全国へと広がっていく。

 もしブレンドすることによって、安全になるなら、汚染土は、すべて海へ棄てればよい。
海へ棄てれば、海水と混ざって、濃度は数千万分の1になる。
数億分の1になる。

 が、言うまでもなく、この論理は、まちがっている。

●バカ

 この静岡県産の茶葉から、基準値をかなり超えたものが見つかったことがある。
そのとき県の責任者は、こう説明した。

 実際に飲むときは、お湯で溶かすから、濃度は、10分の1程度になる。
だから心配ない、と。

 私はこの意見を聞いたとき、心底、その責任者の脳みそを疑った。
放射性物質と毒薬の区別もつかない。
外部被爆と内部被爆の区別もつかない。
つまりバカ。

 10分の1になっても、放射性物質は、体内へ取り込まれる。
染色体やDNAを破壊しつづける。
こと放射性物質に関しては、「これ以下なら安全」という、閾値(しきいち)は存在しない。
仮にお湯で溶かし、濃度が10分の1になっても、10倍の量になったお茶を飲めば、同じこと。
結局は、同じ量の放射性物質が、体内へ取り込まれる。

 お米も、また同じ。

●東北産のお米

 不安の種は、いくらでもある。

 相変わらず、景気はどん底。
とくにひどいのが、飲食店。
どこも閑古鳥が鳴いている。
理由のひとつが、産地偽装。
私たちは弁当を買っても、「食材はどこから?」とすぐ考える。
が、弁当には、その表示はない。
飲食店でも、それを表示している店は、ほとんど、ない。
が、これでは客が減って、当然。

 数日前、私も、近くのホテルに電話をかけた。
どこのお米を使っているか、問いただした。
が、4つのホテルのうち、4つが、東北産のお米を使っていた。
「福島県産のものではありませんよね」と聞き返すと、口ごもってしまったホテルもある。

 そこでネットで、調べてみた。
ほかの客は、どう考えているか、知りたかった。
が、知らなかったのは、私だけ。
無頓着だったのは、私だけ。
中には、ホテルでの会食(忘年会)をキャンセルした人さえいた。
「ホテルで出される料理は、こわくて食べられない」と。

 スーパーなどでは、どれもしっかりと産地表示をしている。
が、ホテルや旅館では、それをしない。
????
ホテルや旅館も、そうすべきではないか。

●疑心暗鬼

 もちろんこんなことを書くと、福島県の人たちは心を痛めるにちがいない。
しかしこればかりは、同情で、どうこうなるような問題ではない。
こわいものは、こわい。
しかも今日になっても、東京都の葛飾区で、11万ベクレルもの放射線が測定されている※。
だから最初の話に戻る。

 まず、すべての農産物の出荷を停止する。
安全と確認されたものだけを出荷する。
手間はかかるが、信頼を取り戻すには、この方法しかない。
今のように、産地偽装がつづくと、どうしても疑心暗鬼になってしまう。

 回りくどい書き方をしたが、飲食店がどん底なのは、こんなところにも理由があるのではない
か?

(注※)『東京・葛飾区の都立公園の土から、廃棄物管理の基準を大きく上回る、1キロ当たり
11万ベクレル以上の放射性物質が検出されたことがわかりました』(TBSーi・News)

●地震&富士山の爆発

 このあたりでも、地震の心配をする人がふえてきた。
ホテルの話に戻るが、海沿いのホテルは、最近まで、どこもガラガラだった。
この浜松市でも、平地から、高台へ引っ越す人がふえてきた。
自動車会社のS社は、工場を、浜岡の原子炉の近くから、浜松市へ移すという。

 我が身は自分で守る。

 加えて、富士山の噴火、爆発。
風向きによっては、このあたりも大被害を被る。
その前に、日本経済そのものが、叩きのめされる。
何を考えても、暗い話ばかり。

 BTさんでなくても、不安になって当然。

●すぐ逃げる

 では、どうするか?

 ……というか、私はずっと一匹狼で生きてきた。
そういう意味での野生臭は、人一倍、強い。
危険を感じたら、サッと逃げる。
「国が……」「国が……」などと言っていると、手遅れになる。
つまり国など、もとから相手にしていない。

 この浜松市について言えば、こう。

 大きな地震が起きたら、第一に風向きを調べる。
(あの3・11大震災のときも、私はそうした。
毎日、24時間、風向きを調べていた。)
もし東風なら、すぐ逃げる。
浜岡にある原子炉が安全と確認されたら、また戻ってくればよい。
が、まず、逃げる。
早ければ早いほど、よい。
車の渋滞が始まってからでは、遅い。

 命はそれほど惜しくないが、愚かな人たち(=電力会社の社員)と心中するのだけは、ごめ
ん。
あんな連中に、命まで預けた覚えはないぞ!

●不景気

 不景気の話にもどる。

 今、どこもかしこも、不景気。
お金の流れが、止まってしまった。
今日も、和食レストランへ行く途中、佐鳴湖の東の大通りを車で走ってみた。
が、何軒もの飲食店が、店をたたんでいるのがわかった。

組織力のある業種のことは知らない。
しかし個人の商店は、どこも青息吐息。
家人は飲まず食わずで、店だけは開いている。

 が、この先、よくなるということは、ありえない。
UEの金融危機は、何も片づいていない。
日本の経済は、アメリカ次第。
アメリカの株価がさがったとき、日本経済の命運は尽きる。
EUでも、中国でもない。
そういう意味で、今は、アメリカの株価だけを注視していればよい。

 アメリカの株価がさがれば、国債は大暴落(=国債の金利は大上昇)。
同時に、円キャリートレードで外国へ流れた円の、大逆流が始まる。
が、アメリカが何とかもちこたえれば、日本も、何とか。もちこたえる。
今は、アメリカ様々。
神様、仏様、アメリカ様。

 日本よ、だから、EUのことは、放っておけ。
深入りすると、やけどするぞ。
ついでに韓国のことも、放っておけ。
あんな国、助けても、何にもならないぞ。
1967年、日韓交換学生として渡韓して以来、ずっと韓国を隣で見つめてきた、これが私の結
論。

 日本は日本の国益だけを考えて行動すればよい。
冷たいようだが、この難局を乗り越えるには、それしかない。

●今夜は、ここまで

 今夜の私の精神状態は、よくない。
よくないことは、このエッセーを読み返してみると、よくわかる。
トゲトゲしい。
苛(いら)立っている。

 あの分葱が悪い。
今もまだ、のどの奥に、その味が残っている。
においも、残っている。
本当は、みなと仲よくしたい。
福島のお米も食べてやりたい。
韓国の人たちとも、仲よくしたい。

 喧嘩は、もういや。
人を恨むのも、もういや。
悪口を言ったり、ねたんだりするのも、いや。
今夜は、このまま安らかに眠りたい。

 ……というか、少し目がしょぼしょぼしてきた。
そろそろ床に就いた方がよさそう。

では、おやすみなさい!
2012/06/10記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【人間の子どもとvs.ぼたんインコ】(成長段階と、その変化)byはやし浩司

●ぼたんインコのPippi

 ぼたんインコが私たちの家族になって、ちょうど1か月になる。
買ったとき、店の女主人が、「生後3週間目です」と言った。
それで計算すると、生まれたのは、4月中旬か、やや少し前。
4月10日ごろということになる。

我が家へやってきたとき、その直後、撮った写真がある。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7170473559/" title="DSC02524 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7230/7170473559_
7787e4cbb0_b.jpg" width="1024" height="577" alt="DSC02524"></a>

この写真のとき、生後3週間ということだった(5月5日ごろ撮影)。

以後、ちょうど1か月になる。
ぼたんインコは、それが正確かどうかは別として、人間の子どもと同じような成長過程を経ると
いう。
幼鳥期があり、やがて成鳥期へと入っていく。
で、この1か月をみるかぎり、ぼたんインコ(以後、Pippi)は、人間の子どもの成長過程の1〜2
年分を過ごしたような印象を受ける。

●飛ぶ(巣立ち)

 たとえば人間の子どもが歩き出す時期と、Pippiが飛び始めた時期とを、同じとする。
人間の子どもは、満1歳前後から歩き始める。
Pippiは、10日ほど前から少しずつ飛ぶようになった。
これで計算すると、ぼたんインコの5週目は、人間の子どもの満1歳に相当することになる。
(必ずしも、これは正確ではない。)

 で、さらにこれに基づいて計算すると、ぼたんインコは、人間の約10倍の早さで成長すること
になる。
(だからといって、知的能力の進歩も10倍ということではない。誤解のないように。)

●穴を好む時期

 Pippiは、飛ぶ前と飛べるようになった後とでは、行動パターンが大きくちがう。
飛ぶ前は、好んで、穴を求めた。
ふとんの中や、タオルの中など。
小さな隙間があると、すぐそこへ潜り込もうとした。

 そこで私は、立体迷路のようなものを作ってやった。
これがそのときの写真である。
Pippiは、立体迷路の中を、自由に行き来し、遊んでいた。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7170473781/" title="DSC02761 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7243/7170473781_
0d097162c5.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02761"></a>

●飛ぶ

 が、飛ぶようになってからは、一変した。
穴に入らなくなると同時に、穴へ入れてやろうとしても、それを拒否するようになった。

 ただ寒いときは、私のシャツのエリ口のところから、服の中へ入ってくる。
おとといは、水遊びをしたあと、寒かったのか、一目散に、私のシャツの中に飛び込んできた。

 こうした変化を、フロイト風に表現すると、こうなる。

(1)穴ぐら期(穴を好み、活発に地表を歩き回る時期)
(2)飛び立ち期
(3)解放期(大きく移動するときは、空を飛ぶ)

●基本的信頼関係

 私たち人間に馴(な)らすという目的もあったが、最初の1週間は、毎晩、私はPippiを手の中
に抱いて寝た。

 これは私の特技のようなもの。
高校生のときから文鳥を飼っていた。
文鳥は、いつも私の手の中で寝ていた。
それでそういうことができるようになった。
それが今でもできる。
(ただし、小鳥を抱いていては、熟睡はできない。
そこで数日後からは、寝る前と、起きる前の、1〜2時間だけにした。)

 またこの時期は、(しつけ)はしない。
やりたいようにやらせる。
何をしても、許し、受け入れる。
人間の子どももそうだが、この時期は、穏やかに、やさしく、かつ静かに育てる。
大切なのは、たがいの間に、信頼関係を築くこと。
この信頼関係のあるなしで、その後の子育ての仕方は大きく変わる。
Pippiのばあいも、私はそれを強く意識した。

 たとえば糞(便)の始末。
相手は鳥だから、あたり構わず、する。
が、鳥というのは、そういうもの。
叱っても、まったく意味はない。

●1か月

 こうして無事、1か月が過ぎた。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7355686280/" title="DSC02915 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7236/7355686280_
800572b7c9.jpg" width="500" height="375" alt="DSC02915"></a>

 なお飛ぶようになってからは、人間の私たちといっしょにいる時間を、できるだけ長くした。
実際には、私が家にいる間は、ほとんどの時間をいっしょに過ごした。
人間の子どもでも、このころの体験が、原体験となり、たとえば日本で生まれ育った子どもは
日本人らしさを身につける。
アメリカで生まれ育った子どもは、アメリカ人らしさを身につける。

 外からはわからないが、メルツォフ(ワシントン大学)によれば、この時期、怒濤のごとく記憶
が蓄積される。
その記憶が集合し、やがてここでいう(らしさ)をつくる。

●好奇心

 好奇心と生活力は、密接に関連している。
その点、Pippiというよりは、ぼたんインコのもつ好奇心には、驚かされる。
手当たり次第というか、目につくもの、すべてに興味をもつ。
まさに手当たり次第。

 数日前までは、メガネに強い関心をもっていた。
私の予備のメガネをみつけては、それをかじったりしていた。
で、今は、台所の水場のあたりに、強い関心をもっている。
そのあたりにある食器類を、片っ端からかじって、遊んでいる。

●学習能力

 学習能力については、飛躍的に進歩している。
たとえば新しいものを見つけ、それが何であるかを知ったとする。
最初は、数回、試行錯誤を繰り返す。
が、つぎに同じようなものだと、1〜2回のうちには、それが何であるかを学習してしまう。

 たとえば昨日(6月9日)には、こんなことがあった。

 しばらく私の書斎(2階の8畳間)で、遊んでいた。
が、そのうち姿が見えなくなった。
心配してあちこちをさがすと、Pippiは1階の台所のテーブルの上にいた。
そこには餌が置いてある。
それをひとりで食べていた。

 そこへワイフが来た。
ワイフにバトンタッチすると、私は再び書斎へ戻った。

 が、しばらくすると、Pippiが、書斎まで、迷わず飛んできた。
Pippiは、2、3回の試行錯誤のあと、書斎までの道筋を覚えたことになる。
(1階にある居間から階段を経て、2階の私の部屋に来た。
階段は、一度、途中で90度に曲がっている。)

 で、今度は、別棟の和室までの道筋を、同じように教えた。
が、今度は試行錯誤らしい錯誤をすることもなく、道筋を、一度で学習してしまった。

(文鳥のばあいは、こうはいかない。
ここまでの知的能力はない。)

●刺激

 この時期の「刺激」には、たいへん重要な意味がある。
けっして鳥かごに閉じこめたままにしておいてはいけない。
いろいろな経験をさせる。
経験そのものが、刺激となり、知的能力を向上させる。

 これには人間の子どもも、ぼたんインコもない。
「臨界期」というほど大げさなものではないにしても、この時期をのがすと、努力の割には効果
が薄いということになる。

『鉄は熱いうちに、叩け』。

 昨日は、人間の幼児用のおもちゃをもってきて、遊ばせてみた。
Pippiにすれば、小さなジャングルジムに見えるはず。

●トラウマ

 で、そのインコ。
育て方を誤ると、心に傷をつけることもあるそうだ。
それについて、もう一度、ここに書く。

 『コザクラ・ボタンインコ』(誠文堂・新光社)に、こんな興味ある話が載っている。
Pippiを飼うようになってから、書店で買い求めた本である。

++++++++++以下、「コザクラ・ボタンインコ」より+++++++++++

……ショップで販売されていたヒナは、親から引き離され不安の中で輸送されます。
そのときに大きな音や衝撃を受けたり、慣れない環境で、身体を知らない人に握られるなどの
恐怖体験で、トラウマになることがあります。

自家繁殖のばあいも、ふご(=飼育かごのこと)に入れたヒナたちを転んだ拍子に落としてしま
い、そのときの目の前にいた人を見ていたヒナ1羽だけが、成長になっても、転んでヒナを落と
した人にはよく慣れたのに、落とされたとき、目の前にいた人だけを怖がり、慣れなかったとい
う話もります。
このことから、幼鳥期の恐怖体験はトラウマになることがわかります。(以上、P27)

++++++++++以上、「コザクラ・ボタンインコ」より+++++++++++

●敏感期

 卵からかえってすぐ歩くようになる鳥には、「刷り込み(インプリンティング)」と呼ばれる現象
が見られる。
で、最近(ここ10年)の研究によれば、人間の子どもにも、それに似た現象が起こることがわ
かってきた。
生後0〜7か月までの間と、言われている。
期間は長い。
その長い期間を通して、同じように刷り込まれるという。
この時期を「敏感期」という。

 つまり親子の意識が、本能に近い部分にまで刷り込まれる。

 ぼたんインコにも、同じような現象があると考えてよい。
その逆の現象が、先に紹介した、『コザクラ・ボタンインコ』(誠文堂・新光社)の中に書いてあっ
た話ということになる。

●3歳児の知的能力

 ぼたんインコには、人間でいう3歳児程度の知的能力があるという。
だれが、どういう部分を見て、そのように判断したのかはわからない。
しかしかなり利口なのは、事実。
3歳児といえば、かなりの能力である。

 今はPippiをペットとして飼っているが、私はこの部分に、たいへん興味がある。
もしそれが本当なら、かなりの道理も理解できるはず。
先の本の中には、「いつも決まった場所で糞をするのもいる」とある。
ぼたんインコ自身が、人間の心を理解し、自分をコントロールしていることになる。

●注意

 が、鳥は鳥。

 好奇心が旺盛なのはよいとしても、まず何でもかじってみる。
人間の子どもでも、何でもものを口に入れる時期がある。
唇の感触で、そのものの性質を知る。
フロイトは、その時期を「口唇期」と呼んだ。

 ぼたんインコのばあいは、とにかく手当たり次第。
が、これがかなり危険。
毒性のあるものまで、くちばしでかんだりする。
ときには、そのままのみ込んでしまう。

 ……実は先ほど、キーボードの横で、ホッチキスの芯を口の中でころがしていた。
「あぶない!」と思ったつぎの瞬間には、それをのみ込んでいた。
今は、「たぶん大丈夫だろう」と思いながら、自分を慰めている。
ワイフに相談すると、「そのうち、ウンチといっしょになって出てくるわよ」と。

 うかつだった。
Pippiのまわりから、危険なものは、すべて取り除いたつもりだったのだが……。
そういうこともあるから、ぼたんインコを飼ってみようと思っている人は、注意をしたらよい。

●人間の子どもvsぼたんインコ

 要するに、たかがペットと、安易に考えてはいけない。
たかが鳥と、安易に考えてはいけない。
情愛の深さでは、人間以上と言ってもよい。
その分だけ、育て方を誤ると、人間の子どものように、グレることもある。
人間を信じなくなる。
人間に対して、攻撃的になる。
くちばしの力が強いだけに、そうなると、やっかい。
耳たぶくらいなら、食いちぎってしまうそうだ。
そうなれば、それこそ本当に、手に負えなくなる。

 ……今、そのPippiは、私のシャツの下で眠っている。
安心しきったその寝顔を見ていると、心が安まる。
どうやらこの私を親と思っているらしい。

 どうかこのまま、やさしいインコで育ってくれればと願っている。
2012/06/10記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 Pippi 2012−06−10 インコ
と人間 敏感期)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 15日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板への相談より】

●音信不通になってしまった長女

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんより、はやし浩司へ】

●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。

14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には
不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、
ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。

長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でした
が、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済
的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。

ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。

そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しまし
た。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道
など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。

とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離
的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力でき
ないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格
しました。

そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も
難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決
まり、新卒で入社することが出来ました。

当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で
帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後
家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。

私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、
二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。

恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると"自己中心的な親"でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく"無理"との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは
伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していませ
ん。
どう接触したらよいでしょうか。

自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実して
います。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル
回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗をしてはみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきま
す。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子ども
をそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう
言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
その義務感そのものが、喪失しました。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

●皮肉

 もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいってい
ます。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりま
すが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多
いですが……。)

 で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」な
のですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。

 そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子
どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考
えるわけです。

 今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになります。

 もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、

「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11.3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55.7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、

最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。
以下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、
「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、
「7〜12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、
3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、
10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。

ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48.8%)
「交際費」(44.2%)
「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。

また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

 これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。

●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)

●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)

●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。

また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の援助 親からの援助 親孝
行論 はやし浩司 親孝行 最近の若者の孝行意識 学費 はやし浩司 R25 R25)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Aさんへ

 だから残念ながら、あなたのお嬢さんは、あなたに感謝など、していない。
「感謝」という言葉を使うと、たいていこう言い返してきます。
「私はその分、今度は自分の子どもに返していくからいい」と。
つまり親にしてもらった分は、自分の子どもに返していく、とです。

 おかしな論理ですが、これも現代の若者気質(かたぎ)ということになるのでしょうか。
彼らが言う「家族」には、自分と配偶者、それに子どもしかいません。
そこには両親の姿は、もとからないのです。

●法科大学の件

 あなたは賢明な選択をしました。
それほどまでに勉強をしたければ、自分で稼いで、自分で大学へ行けばよいのです。
4年間も、親のスネをかじったあげく、「また大学……」というのは、ドラ娘もよいところです。
(本人は、そうは思っていないでしょうが……。
「親の希望通り、大学へ行ってやった」と、心のどこかで考えています。)

 一方、親のほうは、「4年間も学費+生活費を出してやったのだから……」と考えがちです。
つまりこのあたりの意識が、たがいに完全にズレています。
仮に法科大学へ行ったとしても、何かとささいな理由を針小棒大にとらえ、あなたから去ってい
く可能性は、たいへん大きいでしょう。

 私の友人の息子は、親にこう言ったそうです。

「結婚式を、(地元の浜松でしてやるから)、結婚式の費用を出してくれ」と。
そこで親が、「半額くらいなら……」と答えると、「親なら、全額出すべきだ」と猛反発。
それを理由に、親との縁を切ってしまったそうです。
(子どもの側が、親との縁を切ったのですよ!) 

●意識

 悪い面ばかり書きましたが、先にも書きましたが、意識そのものがちがいます。
どちらが正しいとか、そうでないとか、そんなことを議論しても意味はありません。
たとえば私たちの世代(戦後生まれの団塊の世代)は、そのほとんどが、社会人になり、外に
出ると、親への仕送りを欠かしませんでした。
私もそうしました。
現在、70代〜の人となると、もっとそうでした。
仕送りの仕方は、人、さまざまでした。

 知人のUさん(70歳・女性)は、「ボーナスはすべて送った」と。
別の知人のF氏(70歳・男性)は、「盆暮れには、当時のお金で、10万円近く、親に渡した」と。
(大卒の初任給が、やっと2万円を超えた時代ですよ!)

 私のばあいも、結婚前から、収入の半分を実家へ送っていました。
それまでの学費を返す意味もありました。

 こうした意識は、日本人から、すでに消えました。
一方、少し前まで、東南アジアや中国から多くの人たちが日本へ働きに来ていました。
そういう人たちは、みな、母国の両親にお金を送っていました。
そういう話を聞くたびに、私は自分の青春時代を思い起こしました。

 が、今は逆転しています。
このあたりでも、盆暮れになると、都会から若い人たちが戻って来ます。
妻や子どもを連れてきます。
が、みやげをもってくる人は、ほとんどいません。
むしろ都会へ戻るとき、親から、お金をもらって帰るそうです。
また盆暮れに来るのは、「生活費を浮かすため」だそうです。
(中には、その旅費を、親に出させている息子や娘もいます。)

 つまりこれは「意識」、つまり彼らが言うところの「常識」の問題です。
私たちは、その「違い」を認めるしかありません。

●戦中派の意識

 一方、私は、最近、こんな経験をしました。
義弟と話をしているときのことです。
義弟(78歳)は、こう言いました。
「ぼくらの世代からみると、団塊の世代はいい気なもんだと思うよ」と。

 驚いて、思わず私は、こう聞きました。
「どうして?」と。

 私たちの世代は、私たちの世代なりに、「日本の繁栄を築いたのは私たち」という強い意識を
もっています。
その私たちが、「いい気なもんだ?」と。

 義兄は、こう説明してくれました。
「君たちは、ぼくたちが敷いたレールの上を走っただけではないか」と。

私「そんなことないですよ。自分を犠牲にし、家族を犠牲にし、懸命に働きました」
義「しかし命を犠牲にしたことはないだろ。偉そうなことを言ってはいけない」
私「命?」
義「俺たちの世代はね、戦争を経験している。命がけで、日本を守った」と。

 70代、80代の人は、そう考えています。
戦中派の人たちです。
そうした意識については、考えたこともありませんでした。
つまり、私たちはいつも、自分のもつ意識を基本にものを考えます。
Aさんにしても、そうです。

 もう20年ほど前になるでしょうか。
こんな記事が、ある雑誌に載っていました。
私自身の育児観に、大きな影響を与えた一文です。
それについて書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

私の子育ては何だったの?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親が子育てで行きづまるとき

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。ショックだった。
考えさせられた。
この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない
。私たち自身の問題として、本当の考えさせられた。
そういう意味で、紹介させてもらう。

 『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大
切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました。

庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。
毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。

なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、
マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。

二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの? 
私はどうしたらいいの? 
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・5
0歳の女性)と。

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。

「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚まで
なら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」
と。

もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」
と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やら
せたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」
と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

+++++++++++++++++++++

●親が子育てでいきづまるとき(2)

 前回の投書に話をもどす。
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴではなかったのか。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ?

(どうか、この記事を書いた、お母さん、怒らないでください。
あなたがなさっているような経験は、多かれ少なかれ、すべての親たちが経験していることで
す。
決して、Kさんを笑っているのでも、批判しているのでもありません。
あなたが経験なさったことは、すべての親が共通してかかえる問題。
つまり落とし穴のような気がします。)

そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育
してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦
手。息子は出不精」と。

この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あ
るいはどこが違うというのか。

 一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。
その中でも最大のパターンは、(1)「子どもの心に耳を傾けない」。
「子どものことは私が一番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決
めてしまう。

そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。
「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。
そのつど子どもの心を確かめるということをしない。
ときどき子どもの側から、「NO!」のサインを出しても、そのサインを無視する。
あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけてしまう。

このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾けない
から、それがわかる。

私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思います」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」
と。
あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。息子は、「お
もしろくなかった」と言う。
娘でさえ、「疲れただけ」と言う。

 親には三つの役目がある。
(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。

この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。
それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

+++++++++++++++++++++++

 子どもは、小学3年生ごろを境に、親離れを始める。しかし親が、それに気づき、子離れを始
めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてのこと。

 この時間的ギャップが、多くの悲喜劇を生む。掲示板に書きこんでくれたFさんの悩みも、そ
の一つ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもは去っていくもの

 要するに、じょうずに子離れしていくということ。
自分の息子や娘に、友情や、深い慈愛を求めても意味はありません。
またそういう対象ではありません。
親のほうは、「私の……」という所有格をつけます。
が、子どものほうは、「親の……」という所有格をつけません。
そのあたりに意識のギャップがあります。

 Aさんの長女について言うなら、その原因は、ひょっとしたら、乳幼児期に始まっているかもし
れません。
いちばん親の愛情を必要とするときに、下の妹が生まれてしまった。
長女にとっては、たいへんショックなことだったと推察されます。
現在、姉妹が仲が悪いのは、そのあたりに起因している可能性があります。
つまり長女にしてみれば、居心地の悪い世界だった?

●可能性

 とは言え、長女が戻ってくる可能性がないというわけではありません。
30歳前後の子どものばあい、戻ってくるということは、まずありません。
息子であれば、なおさらです。

 が、まだ若い。
脳の構造そのものが、まだフレキシブルです。
いつか、戻ってくる可能性は、じゅうぶんあります。
それに望みをかけろというのではありません。
戻ってきても、たいていのばあい、ギクシャクした親子関係は残ります。
再び会い、「お母さん、ごめん」「会いたかったわよ」と、ハッピーエンドで終わるということは、ま
ずありません。
(安っぽい日本映画では、そういうシーンが、ありますが……。)

 すでに今、たがいの間に、大きな(こだわり)ができつつあります。
この(こだわり)が、たがいの間に、超えがたい「壁」を作ります。
たとえば子どものほうは、「葬式くらいなら、行ってやる」と考えているかもしれません。
が、親のほうは、「来てほしくない」と。

 つまり修復など考えないこと。
今、あなたがしているように、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。
というのも、みな、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それは外見。
それぞれの家庭が、それぞれの問題をかかえ、悩み、苦しんでいます。
悲しみにじっと耐えている家庭も、少なくありません。
……というか、みな、そうです。

 が、それも人生。
これも人生。
あとは、居直ればよいのです。

 先の原稿を書いたとき、つぎのような原稿も書きました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

法句経より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「それ以上、何を望むのですか」
   
 親子とは名ばかり。
会話もなければ、交流もない。
廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。
怒りたくても、相手は我が子。
できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。
「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。
今、そんな親子がふえている。
いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。
夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様
に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。
狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。
そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。
ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。
「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。
死ぬのがこわい。
どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。
そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。
そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみる
と、私はこう言うことにしている。
「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むの
ですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。
しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。
憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。

しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしか
ない。
親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。

私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、そ
れでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。
(*浜松市AB幼稚園元園長)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

親バカ論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親バカ

 つまりね、Aさん、あなたは親バカだっただけ。
そう、親バカ。
(私も含め、みんなそうですから、どうか気分を悪くしないでください。)
「子ども……」「子ども……」と、子ども中心の世界で、親バカなことをしてしまった。
それだけのことです。

 親バカ論については、どこかに書いた原稿があるはずですから、探してみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

親バカ論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【親バカ論】(2010年の原稿より)

●就職率50%

 大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50〜60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。

「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。

つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!
 浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!

●親、貧乏盛り

 『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。

 で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2〜3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)

 一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽
い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。

 全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。

●3人に1人が、高齢者

 3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。

 となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあな
たのめんどうをみない。

60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。

●親バカ

 こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。

むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。

保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけには
いかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。

 どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、み
な、つぎつぎと親バカになっていく。

●老後の用意

 しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。

 ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝
わない。いつもお客様だよ」と。

別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ〜イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。

 この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、実
家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。

 で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それ
で食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそう
よ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。

 私が「ヘエ〜〜」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。

私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときに
は、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。

●何かおかしい?

 何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くような
もの。
意味はない。

 言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれ
ない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。

●私のケース

 私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、ま
ったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。

「相手の親(=嫁の親)は、〜〜してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。

 息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)を
いう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。

●満62歳にして完成

 ・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。

 というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できな
いだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。

 が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。

 が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)

 少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。

 私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老後 はやし
浩司 親バカ論)

●親バカにならないための10か条

(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ただし恨んではいけない

 が、ひとつだけ気をつけてください。

 私は『許して・忘れる』という言葉をよく使います。
しかしそれは自分以外の人に対して使う言葉。
が、「私」に対しては、どうか?
私に対して、『許して・忘れる』ことは、できるか?

 結論は、「NO!」です。
自分を許して、忘れるということはできない。
これは私の経験によるものです。
そこで「愛」は、一気に、「憎」に向かいます。
「愛憎は紙一重」というのは、そういう意味です。

 が、「憎しみ」は、たいへん危険です。
自分の心を腐らせます。
それについては、多くの賢者が、異口同音に書き残しています。
原稿を探してみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

憎しみについて

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ネズミを殺すために、家を燃やす

 そこで重要なことは、子どもを恨まないこと。
恨みを感じたら、できるだけ早い段階で、それに気づき、原因を取り除くこと。
たいていは人間関係に起因する。
その人間関係を是正する。

 だからある賢人はこう言った。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォスディック)

 つまり人を恨んでいると、心、つまりその人の人間性全体まで、大きな影響を受ける、と。

 それについて書いた原稿を添付し、このエッセーを終える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

+++++++++++++++++++++

人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。

解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。

+++++++++++++++++++++++++

●ある女性(67歳)

 東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。

『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨み
怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの崇
高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的にも
悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。

 恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。

 ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。

 まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。

●復讐

 恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)

 「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。

 子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
 
 先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。

●詐欺

 自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。

 しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に処理して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。

 こんな人がいた。

●深み

 当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。

 ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。

 で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。

●心的エネルギー

 (恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。

 私も若いころ信じていた知人に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その知人はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)

 が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
人間性そのものまで破壊する。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。

●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』

 私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。 
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。

 実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。

 しかし「家に火をつけるようなもの」ということを知り、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。

 最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。

●Henry Fosdick

英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。

The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Aさんへ

 今のあなたは、たいへんつらい思いの中で、悶々としています。
心配と不安。
愛と憎。
自己嫌悪と反発。
忍び来る老後の影。

 戻ってくることのない過去への悔恨。
恨み、つらみ。
挫折感と空の巣症候群。
喪失感と損失感。

 しかし幸いにも、あなたをよく理解してくれるもう1人の娘がいる。
で、私のアドバイスは、ただひとつ。
長女のことは、棄てなさい。
「忘れろ」ではなく、「棄てなさい」。
消息をたずねるような愚かなことは、してはいけません。
未練だけが残ります。
いつそれが恨みに転化するとも、かぎりません。

 「勝手にどこかで生きていけばいい」と、割り切り、棄てます。
また長女も、それを望んでいます。
(今は、そうです……。)

 あとは身のまわりにある希望に、未来を託して、生きていく。
老後というのは、みな、そんなものです。
背中のどこかで、さみしさを感じ、そのさみしさを、腹の中でじっと押しつぶしながら生きていく。
ともあれ、こういう私たちにしたのは、私たち自身なのですから……。
許して忘れるなんてことは、こと「私」については、できないということです。

 でもね、Aさん。
「みな、そうですよ」という部分で、私も救われました。
たぶんあなたもそうでしょう。
人生はこれからだし、こうした挫折感を知ったものだけが、つぎのステップに進むことができま
す。
どうか、めげないで、前に向かって進んでください。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 人を恨む ネズミ はやし浩司 
親バカ論 去った娘)2012/06/12記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 17日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板への相談】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

子どもの成績があがらないので悩んでいる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Sさんより、はやし浩司へ】

はやし浩司先生へ

はじめまして。私は小学4年生の女の子を持つ母親です。
娘のことで、どうか相談に乗ってください。

私たち家族はステップファミリーで、娘が小学2年生の時に再婚して、現在の主人にとてもかわ
いがられています。
まわりの友達、両親・義理の両親とも、とてもうまくいっており、恵まれた環境で幸せに暮らして
います。

娘の生い立ちを少々お話させてください。

娘は生まれが小さく、10か月の41週で2000g満たなく生まれ、低体重出生児でした。
私はタバコもお酒も飲みませんが、つわりがとてもひどく、10カ月間に3度入退院を繰り返し
て、やっと生んだ子供です。
胎盤が標準より小さかったらしく、低体重と貧血の状態で生まれたのはそれが原因ではないか
と診断されました。

出産後も娘はINCUに入院。
小さく力がないので自力で母乳やミルクが飲めず、一か月後にやっと自分で飲めるようになり
ました。

小さいのはもちろんのこと、生まれながらにして 卵に食物アレルギーを持ち 食も細く
何かと比較していまい、神経質に育ててきた気がします。

言葉もなかなか出てこず、3歳児検診では 何も異常はないとのことでしたが、幼稚園年少さ
んの時に、何が自分で気に食わないことがあると、友達を引っ掻いたり、自傷したりする傾向
があったので、心配になり、幼稚園の先生の勧めで、県の療育センターを受診。
結果は、知能検査をしてくれた先生から、

「今は言葉がゆっくりさんで、出てこないけれど、この先はシャワーのように言葉が出てくると思
いますよ・・・。」と言われました。

ただ、違う担当の先生からは、「もしかしたら、将来、小学生になった時に、学習障害などが出
てくる可能性があるかもしれませんね・・・」と言われたのと覚えています。

生活面については

お下の問題もつい最近まで悩やんでいました。
おむつも3歳で外れましたが、失敗ばかりで、小学校1年生は1週間に1〜2度のペース、その
調子で、だんだん回数は減ったものの、小学3年生まで、いわゆる夜のおねしょはないのです
が、昼間のおもらしがありました。
学校からびっしょり濡らして帰ってくることもあり、
強く叱ったことも、しばしばありました。

それでも本人はけろっとしていて、ずっとこんな感じが続いているからなのか、とくかくおもらし
をしても、凹まずに、また繰り返していました。

小学4年生に入ってからは、びっしょり濡らして帰ってきたり、おもらしは、ほぼ今のところ皆無
ですが、心配です。
学校の養護の先生からは、もしまた失敗したら「また洗濯しなきゃならないじゃ〜ん」と言うよう
な、軽い対応にしてくださいとアドバイスをもらいました。

勉強のことに入らせていただきます。
勉強は一言でいうと「理解するのに、とても時間がかかる」ということです。
それからノートに一人勉強するのはどちらかと言うと好きで去年の先生の評価も、できるように
なりたいという気持ちは強く伝わりますとのことでした。
ただ成績は伴ないませんでした。

まず、小学1年生では、数の概念でつまずきました。
国語では、作文、音読が苦手でした。
このころはまだ様子をみようと思い、買ってきたドリルなどを少しやらせていました。

2年生では、掛け算はスムーズに暗記できましたが、時計の問題、長さやかさの問題、大きな
数の数直線などで引っ掛かりました。
とにかく時計は、最近になってやっと定着してきました。
国語は引き続き、とりわけ苦手で、文章問題などは、問題も意味もわかっていないようなことも
ありました。

3年生では、大きな数、割り算でつまずきました。
国語は引き続き苦手で、とりわけ文章問題が苦手です。

そのような状態で、4年生になり、家庭学習では、宿題の他に、Z会とプリント、小学生新聞の
書写、などなど、いろいろ手を尽くしています。

でも一向に成績が伴わず、今の時点で、3年生の時よりもテストの点数などが下がっていま
す。

勉強の仕方としては、最後まできちんと読めていないことも多々あるので、ゆえに間違いが多
く、文章問題は適当な答えを書いてみたりして間違ったりしています。

だた理解をするのに時間はとてもかかるのですが、彼女なりにできるようになったことも多々あ
ります。
むろん、未だに語彙が少なく、自分の気持ちや学校であったこと、連絡など話すことが苦手で
す。

そこで私の悩みなのですが、ここで彼女なりにできるようになっている・・・ということに焦りな
ど、どうしたら着実に成績をのばせるのか??と毎日考えるようになってしまいました。

親のエゴで「これだけ一緒に勉強しているのに・・・・」や、「とても手のかかる子供で厄介・・・」や
勉強ができなかったたり、生活面などの行動が遅れていると、「一緒に笑ったり 遊んだり、子
供との生活を心から楽しめない・・・」と決めつけてしまい、とても苦しい子育てになってしまって
います。

娘の話し方や内容も(?)が多くでますし、もう少しきちんと話して欲しい、そんな風に考えてしま
います。

習い事も、英会話とお習字をしており、5月から本人の希望でブラスバンド部に入部したのです
が、こんなに成績が悪いのに、部活なんてやってもいいのか?どうか?と、習い事も少しは効
果がでていますが、いまいちなので止めさせようかと考えています。

まとまりの悪い文章になってしまっていますが、

とても自分の子供に「育てにくさ」と「思っていること、話したいことを会話としてなりたたせること
の難しさ」を感じてしまい、辛くなっています。

子供は叱られても普通にふるまっていますが、実際のところ、どう感じているのかをくみ取って
あげることが難しくなってきています。

もともと話すことが苦手なのに、戸惑いだらけです。

このまま 成績が伴っていないのに、部活を続けさせてよいのかどうか・・。
習い事も続けさせて、意味があるのだろうか・・と、とても毎日悩んでいます。

どう娘に接し、お勉強の方も、もう少し成績があがらないものでしょうか?


いくらかでも結構です。
どうぞどうぞアドバイスください。
よろしくお願いします。

【はやし浩司よりSさんへ】

●あきらめは、悟りの境地

 今どき……というのは、言いすぎかもしれませんが、今どきSさんのような母親がいるというこ
とを知り、少し驚きました。
古風というか、古典的な学歴信仰の信者のような印象をもちました。
あなたが懸命にしていることは、子どもの側からみれば、「虐待」そのものです。
あなたは子どものため、と思って、いろいろなことをしているかもしれませんが、まさに虐待で
す。

 何ごとにつけ、子どもの気持ちを確かめることもなく、一方的に親が決めつけている。
そんない印象をもちました。

 私も以前、こんなことがありました。
あるテニスクラブに入ってときのことです。
私はストレス解消のために入ったのです。
が、コーチが神経質な人で、腕の曲げ方が悪い、振り方が悪い、腰の位置がおかしい……と、
こまかく言いました。
2、3回で、やる気喪失!
1か月で、やめました。
別にウィンブルドンを目指して、入会したわけではなかったものですから……。

 では、どうするか?
あきらめなさい。
子育てにはなるようにならないことも多いのです。
それよりも大切なのは、子どもの心を守ることです。
あなたは子どもの心を破壊しながら、それにすら気づいていない!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前、『あきらめは悟りの境地』という
エッセーを書きました。
中日新聞紙上で発表したものです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あきらめは悟りの境地

 子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。
子育てはまさに、あきらめの連続。
またあきらめることにより、その先に道が開ける。
もともと子育てというのはそういうもの。

 一方、「そんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路
に入ってしまいます。
そしてやがてにっちもさっちもいかなくなる。
要はどの段階で、親があきらめるかですが、その時期は早ければ早いほどよい。
……と言っても、これは簡単なことではありません。
どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うのは適切でないかもしれないが)してみるまで、
自分が失敗するとは思っていない。
「うちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。
また行きつくところまで行かないと気がつかない。

 要は子どもの限界をどこで知るかということ。
それがわかれば親も納得し、その段階であきらめる。
そこで一つの方法ですが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならできる
か」「自分ならどうするか」という視点で考えます。
あるいは「自分が子どものときはどうだったか」と考えるのもよいでしょう。
子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。

たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分な
らできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。

 もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるでしょうか。

「あなたの料理のし方、76点。接客態度、54点。家計簿のつけ方、80点。主婦としての偏差
値48点。あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入○○万円程度の男」と。

またそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ」「何だ、この点数は!」とあなたを
叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるでしょうか。
子どもが置かれた立場というのは、それに近い。

 親というのは身勝手なもの。
子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を読んでいる親は少ない。
子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親は少ない。
そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。

そしてここが子育ての不思議なところだが、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。
親子のきずながその時点からまた太くなり始める。
もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめてみてくだ
さい。
「あなたはあなたよ。私はあなたを支えますよ」と。
それで道は開けます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補足

 この原稿を発表したのは、2000年ごろです。
今読みながら、ひとつだけ、補足しておきたいことがあります。
それがつぎの原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

親の希望(欲望)には、際限がない。
(失読症の子どもについて)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【子育てブルース】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

子育ての世界にも、人には言えない、
悲しい物語が、山のようにある。
それを口にしたら、おしまい……という
ような話もある。
今朝は、そんな物語について、書いてみたい。
ただしここに書く子どもの例は、架空の
話と考えてほしい。
何人かの子どもを、1人の子どもに仕立てて
書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●問題児?

 その子ども(小2女児)には、まったく、問題はない。
むしろ聡明で、思考力も深い。
性格もおだやか。
とくに数に鋭い反応を示す。

 が、母親(Mさん)は、会うたびに、その子どもについて、不平、不満を並べる。
そのたびに、私は、それを否定する。
が、母親は信じない。
信じようともしない。
何か言えば、すかさず、それについて反論する。
「あそこが、悪い。ここが悪い」と

 この世界には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉もある。
自分の子どもをわざと病人にしたて、その子どもを、かいがいしく世話をしてみせる。
よくできた母親を演じてみせる。
「私は子どもを愛しています」と、口ではよく言う。
しかしその実、何も愛していない。
自分の心の隙間を埋めるために、子どもを利用しているだけ。
(「代理ミュンヒハウゼン症候群」については、「はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン」
で、検索をかけてみてほしい。)

 が、それに似た事件となると、……というより、それを薄めたような事件となると、
程度の差もあるが、ゴマンとある。
それについて、ある精神科医のドクターは、こう教えてくれた。
「そのタイプの親は、(母親であることが多いが……)、見るからに様子がちがいますから、
わかります」と。

 「見るからに」という言葉を使えるのは、それなりに多くの例を見てきたから言える。
ふつうの人には、わからない。
が、たしかに様子が、ちがう。
へん?
おかしい?

 どこか挙動が不自然で、母親らしい(なめらかさ)がない。
いつもピリピリしていて、心に余裕が感じられない。

●Mさん(37歳)のケース

 ここに書いたMさんは、毎日のように娘(小2)の心配ばかりしている。

「学校の参観日で見たが、手をあげなかった」
「声が小さかった」
「せっかく先生にさされたのに、隣の子に、先に答を言われてしまった」
「忘れ物をした」
「宿題をやらない」と。

 少しでも顔色が悪いと、すぐ病院へ連れていく。
花粉症だったのだが、「レーザーで焼いてもらう」とか、「扁桃腺を切ってもらう」とか、
そんな話ばかり。

 その女の子で特徴的だったのは、母親が近くにいるときと、いないときとでは、様子が
まるで別人のようにちがったこと。
母親がいるときは、静かでおとなしかった。
表情も暗かった。
が、母親がいないところでは、明るく快活で、いつもニコニコ笑っていた。

 母親は、「子育てでたいへんです」と言いながら、Mさんが学校から帰ってくると、
一瞬たりとも、M子さんのそばから離れなかった。

●バカなフリ

 一方、大きな問題をかかえているにもかかわらず、それにまったく気づいていない親も
多い。
気づかないまま、子どもを叱ったり、説教したりする。
あるいは幼稚園の先生に、「どうしてでしょう?」を繰り返す。
が、幼稚園の先生に、診断権はない。
またそれが判断できるようになるまでには、10年単位の経験が必要。

 病名を出すのは、はばかれるが、しかしわかるものはわかる。
わかるのであって、どうしようもない。
「〜〜障害」と言われる子どもたちである。
AD・HD児にしても、自閉症児にしても、私のばあい、会った瞬間にわかる。
が、もちろん病名を口にするのは、タブー。
タブー中のタブー。
わかっていても、わらないフリをして、……つまり無知なフリ、もっと言えば、
バカなフリをして、相談に乗る。
しかし、ここで問題が起きる。

●たとえばLD児

 LD児、つまり学習障害と言われる子どもたちがいる。
症状は、みな、ちがう。
ちがうが、ある一定のワクの中で、定型化される。
読み書きのできない子ども、算数がとくに苦手な子ども、集中力に欠ける子どもなど。
が、平たく言えば、学習面において、目立った「遅れ」を示す。

 最近の定説に従えば、脳の機能的な問題がからんでいるため、教育の世界で改善を求める
のは、容易なことではない。

たとえば識字障害児と呼ばれる子どもがいる(注※)。
難読症、失読症が含まれる。
出現率は、10%前後と言われている。
10人に1人。

 このタイプの子どもは、文字そのものを読み取ることができない。
そのためその影響は、あらゆる面に現れる。
が、親にはそれがわからない。
「算数の文章題を、読みまちがえてばかりいます」
「本を読みません」など。

 そういう子どもをもつ親から、「どうしたら国語ができるようになりますか」という
相談をもらう。
指導の方法がないわけではない。
(たとえば、音読させる。
問題を筆写させる、など。)
が、簡単には、できるようにならない。
そこであれこれ方法を教える。
が、1、2週間もすると、(たったの1、2週間!)またやってきて、こう言う。
「先生、効果、ありませんでした」と。

●X君
 
 もう1人、記憶によく残っている子ども(中学・男児)に、X君がいた。
学校でも、評判の(?)子どもだった。
で、その子どもを含めて、自宅で、4〜5人だけのクラスをもったことがある。
しかし半年もしないうちに、X君だけをのぞいて、みな、やめてしまった。
 「あんなX君といっしょでは、いやだ」と。

 小さな地域である。
小学生活6年間をともに過ごしている。
みな、それぞれ、それぞれの子どもの能力をよく知っている。

 で、そのあとX君は、3年間、私の家に通ってくれた。
いつもひとりだった。
で、何とか、それなりの高校に進学していったが、それでX君が私に感謝したかというと、
それはない。
もともと勉強が嫌いだった。
やっと少し追いついたかと思っても、学校の勉強は、さらに先へと進んでいた。
つまり「親が行け」というから、私の教室に通ってきただけ。
毎週、毎週、重い足を引きずりながら、私のところへ来ていた。
それが私にも、よくわかった。
そういうケースもある。

●私の経験

 私もいろいろな「波」を経験した。
ある時期は、市内でもゆいいつと言われる進学校の子どもたちばかりになったこともある。
また別のある時期は、いわゆる問題をかかえた子どもたちばかりになったこともある。
英才教育を試みたこともある。
2〜3歳児の教育を試みたこともある。

 30〜40代のころは、幼稚園の年中児(4〜5歳)から、高校3年生まで教えていた。
そういう「波」を無数に経験して、現在は、「なるようになれ」が、教育の基本になって
いる。
深く考えない。
子どものことだけを考えて、教える。
教えるというより、接する。
親の要求には、際限がない。
それに振り回されていたのでは、教育そのものが成り立たない。

 が、このところ体力的な限界を感ずることが多くなった。
よく誤解されるが、教育は重労働である。
どう重労働であるかは、実は、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。
たった1人や2人の子どもですら、たいへん。
それを30人とか40人とか、教える。
まともに接したら、目が回る。
その中に問題のある子どもが含まれていたら、なおさら。
さらに問題のある親が介入してきたら、……!

●親の欲望

 ここで「親の欲望には際限がない」と書いた。
が、これは事実。

 進学校にしても、自分の子どもがB中学へ入れるとわかってくると、親は、今度は、「何とかA
中学へ」と言い出す。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」と言い出す。

 また不登校児にしても、やっとのことで、午前中登校ができるようになると、「せめて給食ま
で」となる。
給食を食べるようになると、「午後の授業も」と言い出す。

 それに振り回される学校の教師こそ、えらい迷惑。
(「迷惑」という言葉には、語弊があるが……。)

 私の教室で言えば、実のところ、問題をもった子どもほど、苦労する。
マンツーマンどころか、ワイフにも手伝ってもらって、2対1で教える。
が、そういう子どもがいると、ほかの子どもたちが、やめていく。
それでいて、その子どもが感謝するかといえば、そういうことは、絶対にない。
むしろいやなことをさせられたという、被害者意識をもってしまう。
こういう子どもは、「経営」ということを考えるなら、とても割に合わない。
(これ以上、これについて書くと、グチになるので、この話はここまで。)

●「お前を訴えてやる!」

 親の無知と無理解。
独断と偏見。
傲慢とわがまま。

 今では幼稚園でも、「入れていただけますか?」と聞いてやってくる親は、ほとんど
いない。
おけいこ塾なら、なおさらそうで、へたに「うちではお引き受けできません」などと言おうものな
ら、親は、店で販売拒否にでもあったかのように怒り出す。
「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。

 私の教室のばあい、過去40年近く、入会を断わったことはほとんどない。
子どもに問題があるときは、その子どもに合わせて、2〜3人のクラスを編成して、指導する。
が、それでもこのところ疲れを覚えるようになった。
子どもの「質」が変わったというより、親たちの「質」が変わった。
子どもというより、親を見て判断する。
「この親の子どもは、教えられない」と判断したときは、入会を断わるようにしている。
子どもの問題点を、それなりに理解しているならまだしも、それがないと指導ができない。
10年ほど前だが、場面かん黙症の子ども(幼稚園女児)がいた。
このタイプの子どもは、集団の中では、貝殻を閉ざしたかのようにかん黙してしまう。

 で、ある日、父親が参観にやってきた。
自分の娘の様子を見た。
ショックを受けた。
そのあとのこと。
その父親は電話口で、こう言った怒鳴った。
「貴様は、うちの娘を萎縮させてしまった。
訴えてやる。責任を取ってもらう!」と。

●教育ブルース

 ……こうして今日も、全国のあちこちから、子育てブルースが聞こえてくる。
どこか毒々しくて、それでいて、どこかもの悲しい。
みんな一生懸命しているはずなのに、どこかで歯車が狂う。
狂って、人の心をさみしくする。

 できるならニヒリズムは、もちたくない。
しかしニヒリズムをもたずして、教育はできない。
親にしても、自分で失敗してみるまでは、それがわからない。
あるいは今の状態より、より悪くなって、それまでの状態がまだよかったことを知る。

 最初は、ほんの小さな狂い。
それが加速度的に大きくなり、悪循環に悪循環が重なる。
気がついたときには、にっちもさっちもいかなくなっている……。

 ではどうするか?

 この問題だけは、親自身が、自ら気がつくしかない。
そのために自分で賢くなるしかない。
が、それを恐れてはいけない。
子育てには、その人の人生観、哲学、生き様すべてが集約される。
子育てを追求することは、その人の人生観を追求することにもなる。
奥は深い。
生涯のテーマとして、なんら遜色はない。
……とまあ、大上段に書いて、この稿はおしまい。
どうかみなさん、失敗にめげず、がんばってください!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 子育てブルース)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)難読症、失読症の症状について

【幼児期】
Delays in speech 
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly 
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes 
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge 
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。

【学童期】
Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order 
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them 
(sound-symbol correspondence) 
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in 
words (phonological awareness) 
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make 
words (phonemic awareness) 
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems 
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words 
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in 
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal, 
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。

【後期学童期】(小学、高学年児)
Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent. 
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling 
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and 
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder) 
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings 
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task 
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory) 
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and 
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes 
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of 
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 はやし浩司 文字表出能力障害 Dyslexia  
Alexia はやし浩司 ディスレクシア アレクシア あきらめは悟りの境地 LD児 学習障害児 
親の欲望論 際限なし)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●Sさんへ

 そうでなくても、おもしろくないのが、学校の勉強です(失礼!)。
足し算のつぎが引き算……。
繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算……。
2桁の足し算、引き算……。

 一見合理的ですが、子どもの目から見たら、何も楽しくない?
そんなものを子どもに押しつけ、「できる」「できない」を心配しても、どうしようもない。
つまり、子どもがかわいそう。

 では、どうするか……ですが、一度、私がしている実験教室をのぞいてみてください。
つぎのところから、見ていただけます。
子どもたちの笑い声だけを大切に指導しています。
何も学校の教育を否定しているわけではありません。
もっと別の教え方があるという意味で、実験を重ねています。
お子さんと一緒に見てくだされば、よさがわかってもらえると思います。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

BW子どもクラブbyはやし浩司
http://bwopenclass.ninja-web.net/

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●先のことは悩まない

 子育てで何が悪いかといって、一貫性のなさほど、悪いものはありません。
言い換えると、一貫性を大切にします。
そのつど右往左往していたら、教育など、成り立たなくなります。
そのためにも、取り越し苦労、ぬか喜びをしない。
今できることを、懸命にし、あとは明日に任せます。
明日は明日で、かならずやってきます。
で、明日になったら、またその日にやるべきことを、懸命にします。

 あとは、毎日、それを繰り返します。
結果は、あとからついてくるもの。
結果を心配しない。
また結果が悪くても、またその時点をスタートにすればよいのです。

 大切なことは、あなたが描く(理想像)に、子どもを当てはめないこと。
幸い、あなたはすばらしい家族に恵まれています。
むしろ、そちらのほうを高く評価してはいかがでしょうか。
『上見てきりなし、下見てきりなし』ですよ。

 ともあれ、肩の力を抜いて!
子どもといっしょにいる時間を楽しみ、子育てを楽しむことです。
「もう一度、いっしょに、人生を歩むつもり」で。

 では、また。

 はやし浩司2012/06/13記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ワイフの誕生日】(浜名湖・舘山寺・九重一泊記)はやし浩司 2012−06−10

(副題)親に「死ね」と言い、音信不通になった娘

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日はワイフの誕生日。
6月10日。
時の記念日。
で、ワイフの名前は、「時子」になる予定だった。
が、どういうわけか、「晃子」に。
……というか、「時子」という名前は、あまりにも大正(時代)風。
私と同じように結婚していたら、「林 時子」。
ゼンゼン、合わない!
「林」と「時子」は、合わない!
晃子は晃子でよい。
その晃子が、○○歳になった。
誕生日、おめでとう!

……ということで、今日は、これから舘山寺は九重(ここのえ)。
九重(ホテル)に一泊。
以前から、一度は泊まってみたいと言っていた。
それで九重。
サンセット・クルージング&貸し切り露天風呂付きというコース。
今日のホテルは、ちょっと豪華。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●散髪

 1時間ほど昼寝。
起きて、すぐ床屋へ。
歩いて数分のところに、床屋がある。
シルバー料金で、1600円。
が、行くたびに、疑われる。
「あなたは、お若く見えますね(=本当にシルバーですか)?」と。

 時間にして、10分程度ですむとことがよい。
パサパサと切って、洗髪。
簡単な髭剃り。
それでおしまい。
走って行き、走って帰ってくる。

●プレゼント

 「誕生日プレゼントは何がいい?」と聞くと、「何もいらない」と。
そこで私が「お前のダンナが喜ぶのを買ってあげようか」と提案すると、「何?」と。

私「たとえばビデオカメラとか……。ぼくが喜ぶのを見たら、お前もうれしいだろ」
ワ「そんなのプレゼントにならないわよ。自分のでしょ」
私「でもさ、ぼくが喜べば、お前もうれしいだろ」
ワ「だったら、あなたの誕生日には何になるの」
私「そのときも、ぼくが喜ぶのを買えばよい」と。

 ワイフは若いときから、モノにはこだわらない。
線条体に、そういう受容体ができていない。
条件反射作用が起きない。

 が、私にはその受容体がある。
一度、そのモノが欲しくなると、グググーッとほしくなる。
カタログを見ていると、やがてそれを止めることができなくなる。
これが「条件反射作用」。
無理に止めていると、ストレスがたまる。
サイトカインが脳内に充満する。
徐々に精神状態がおかしくなる。
イライラし、怒りっぽくなる。

 今は、それがビデオカメラ。
毎日、「価格・コム」サイトをながめ、価格がさがるのを待っている。

●午後2時

 今、私は居間でこの原稿を書いている。
時刻は、午後2時。
ワイフは、車にガソリンを入れにでかけた。
息子は、横で何かの雑誌を読んでいる。
Pippi(インコ)は、窓のさんに止まり、へたくそな歌を歌っている。
本当にへたくそ。
昨日もPippiに、こう言った。
「お前も鳥なら、もう少し上手に歌ったら……」と。

 その歌い方を聞いていて、たいへん興味深いのは、繰り返しがないこと。
ふつう鳥というのは、同じ鳴き方を繰り返す。
が、ぼたんインコは、そのつど、ちがう。
創作しているというよりは、思いついたまま(?)、歌っている。

 ギギギ、グチョ、ピッピッ、ギリギリ、ピヨ、ヒーヒー……と。

 ワイフがガソリンスタンドから戻ったら、出かける。
のどかな日曜日の午後。
窓の外では、栗の木のやわらかな葉が、さわさわと風に揺れている。

 ……Pippiの声を聞いていると、眠くなってくる。

●九重

 先ほど、貸切風呂から戻ったところ。
食事まで、20分ほど、時間がある。
大急ぎで、このホテルの評価。

 部屋は、10階(最上階)の1055号室。
広間が15畳。
隣りの書斎風の部屋が、6畳+4畳。
窓側には、4畳ほどのベランダまでついている。
玄関と洗面所、内風呂だけでも、ふつうの旅館なら、1部屋分はある。

 窓の外には、大草山。
その大草山から下りるロープウェイが、右手に見える。

私はその15畳の隅に机を寄せ、そこで今、この文章を叩いている。
広い部屋は、よい。
それだけで、開放感がある。
気分が落ち着く。

 「さすが、浜松イチのホテル」。
何度も感心する。
このホテルには、泊まるのは、はじめて。
食事には、何度か、来たことがある。
料理のすばらしさは、よく知っている。

 料金は高いが、それ以上のサービスを受けられる。
サンセットクルージング(20分間の浜名湖遊覧)も、楽しかった。
料金を勘案しても、星は文句なしの5つ星。
★★★★★。
車で着くと、玄関先で、5〜7人の仲居さんたちが立って、私たちを迎えてくれた。
それを見て、私はドキッとするほど、驚いた。
私は、小物。
ぞれが自分でもよくわかった。

●ビデオ撮影

 九重の様子は、カメラに収めた。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/PgoQqyLlxZ4" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm           
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ        
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 20日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある母親からの相談

 親に向かって「死ね」と。
今、そういう子どもがふえている。
意識のちがいといえば、それまでだが、それが逆転し、極端化している。
そんな相談が届いている。

 回答は、私のHPの「子育てQ&A」に書いておいた。
(長くなるので……。)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「子育てQ&A」を読んでみてほしい。

ある母親からの相談。
以下、掲示板より、そのまま。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【掲示板への相談より】

●音信不通になってしまった長女

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんより、はやし浩司へ】

●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。

14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には
不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、
ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。

長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でした
が、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済
的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。

ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。

そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しまし
た。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道
など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。

とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離
的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力でき
ないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格
しました。

そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も
難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決
まり、新卒で入社することが出来ました。

当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で
帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後
家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。

私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、
二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。

恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると"自己中心的な親"でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく"無理"との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは
伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していませ
ん。
どう接触したらよいでしょうか。

自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実して
います。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル
回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗をしてはみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきま
す。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子ども
をそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう
言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
その義務感そのものが、喪失しました。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

●皮肉

 もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいってい
ます。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりま
すが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多
いですが……。)

 で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」な
のですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。

 そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子
どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考
えるわけです。

 今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになります。

 もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、

「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11.3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55.7%となっている。

「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、

最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。
以下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、
「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、
「7〜12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、
3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、
10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。

ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48.8%)
「交際費」(44.2%)
「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。

また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

 これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。

●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)

●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)

●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。

また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の援助 親からの援助 親孝
行論 はやし浩司 親孝行 最近の若者の孝行意識 学費 はやし浩司 R25 R25)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(回答は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、
「子育てQ&A」に収録。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●長い返事

 九重で、長い返事を書いた。
家出をした娘。
音信不通になってしまった娘。
その娘の心を取り戻したいと悩み、苦しむ母親。

 ……書き終えたとき、フーッと長いため息が出た。
疲れた。

 今夜はここまで。

 では……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親子断絶 音信不通の娘 本末
転倒の意識 意識のズレ はやし浩司 親の意識vs子どもの意識)

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【親に、「死ね」と言った娘】改変2012/06/13

●一億、総ドラ息子、ドラ娘論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

数日前、「音信不通になってしまった娘」について書きました。
たいへんな反響でした。
Goo−Blogだけでも、いつもの3〜4倍のアクセスがありました。
173万誌もあるBlogの中でも、アクセス数が、900番台!
驚きました。

改めて、数日前に書いた原稿を、自分で読み返しています。
と、同時に、書き足りなかった部分、もう少し訴えたかった部分について、補足しておきます。

何かが、おかしい。
今、子育てとは何か、基本的な部分で問い直されているように強く感じます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【掲示板への相談より】

●音信不通になってしまった長女

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんより、はやし浩司へ】

●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。

現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。

14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には
不自由していません。

長女の事で悩んでいます。

二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、
ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。

長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でした
が、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済
的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。

ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。

そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しまし
た。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道
など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。

とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離
的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力でき
ないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格
しました。

そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も
難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決
まり、新卒で入社することが出来ました。

当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で
帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後
家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。

私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、
二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。

恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると"自己中心的な親"でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。

そこでやっと質問です。

(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。

(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく"無理"との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは
伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していませ
ん。
どう接触したらよいでしょうか。

自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実して
います。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル
回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。

お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。

【はやし浩司より、Aさんへ】

●時代は、変わりました

 簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗をしてはみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきま
す。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。

 中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。

「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子ども
をそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。

 まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう
言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
その義務感そのものが、喪失しました。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。

*********************

つづきは、以下のページでお読み下さい。

http://bwaiueo4.ninja-web.net/page015.html#label1

*********************

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親に死ねと言った娘 親に「死
ね」と言った娘 一億総ドラ息子論 ドラ娘論)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【気力との勝負】6月14日(木曜日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

老後の健康を、どう守るか。
健康といっても、「精神の健康」。
このことは、近くの老人ホームへ行ってみればよくわかる。

老人というと、「脳の健康」、つまり痴呆症ばかりが目立つ。
しかし実際には、その多くが、「精神の病気」をかかえている。
たとえばうつ病にしても、痴呆症が原因でうつ病になった人もいる。
反対に、うつ病が原因で、痴呆症になった人もいる。
もちろん同時進行の形で、症状が進む人もいる。
専門家でも区別はむずかしいそうだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●持病

 精神にも、「持病」というものがある。
もともと精神力が強靱な人もいれば、そうでない人もいる。
たとえば数日前、『娘に「死ね」と言われた母親』という題で、エッセーを書いた。
この原稿に対する反響には、すさまじいものがあった。
同時に、いろいろなコメントが寄せられた。
こんなのもあった。

 「……私も、高校生の息子にいつも、「死ね」「死ね」と言われています。
息子はそれほど深く考えて、そう言っているのではないということは、よくわかっています。
本気ではないと信じています。
しかし実は、私は、若いころ、リストカットをした経験があります。
だからそういう言葉を聞くと、そのつど、心にその言葉が、鋭く胸に突き刺さります」と。

 同じ状況でも、受け止め方はさまざま。
その人の精神力、さらには、過去までもが影響してくる。
そういうとき自分をどう支えていくか。
これはかなり深刻な問題と考えてよい。
つまりいかにして、精神の健康を守るか。

●持病

 結論から先に言えば、他人との接触を欠かさないということ。
「内」へこもったとたん、そこで水はよどみ、腐る。

 そのための仕事や活動は、不可欠。
どんな小さなことでもよいから、夢や希望をもつ。
その先に目的をもつ。

 何か持病のある人は、なおさら。
こわいのは、先に書いた、うつ。
妄想、恐怖症、不安症、パニック障害、それに情緒不安。
「内」へこもったとたん、こうした症状が、どっと表に出てくる。
言い換えると、これは何も老人だけの問題ではないことが、わかる。
若い人にしても、そうだ。

 大切なことは、持病を作らないということ。

●気力

 若いときは、それなりの気力がある。
その気力で、自分をカバーできる。
ごまかすことができる。
言うなれば、仮面をかぶることができる。
しかし加齢とともに、気力が弱くなる。
弱くなったとき、その陰に隠れていた持病が顔を出す。

 ねたみ、嫉妬、不平、不満、恨み、つらみ、不安、心配……など。
気力がじゅうぶんなときは、それを自分の中で押し殺すことができる。
が、弱くなると、そうはいかない。
それがそのまま表に出てくる。

●では、どうするか

 つまりは気力との勝負ということになる。
「待ち」の姿勢ではいけない。
攻撃的。
攻撃的に出てはじめて、精神の健康は維持できる。

 方法は簡単。
とにかく前向きに、前に向かって進む。
「やってやる!」と。

 ……ということで、今朝も始まった。
今日も、やってやる!
2012/06/14記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【今日も終わった】(はやし浩司 2012−06−14)

●富士山の噴火&噴石シェルター

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

気になっていることが、いくつかある。
その第一は、何と言っても、EUの金融危機。
毎朝、真っ先に経済ニュースに目を通す。
つぎに東南海沖地震。
あれこれ考える。
富士山の噴火も気になる。
その富士山の噴火。

どうして前もって、何かの準備をしないのか?
たとえば富士山が噴火すれば、噴石が雨のように降ってくる。
だったら、富士山の周辺に、シェルターを作ったらよい。
一時的なシェルターだから、簡単なものでよい。
たとえば「U字溝」という、U字型のコンクリート製の製品がある。
あの大型のものを作ればよい。
それを上下、逆さまにして置く。
富士山周辺の各地に、それを並べる。
道路に沿って並べてあるだけでも、安心感がちがう。

富士山の噴火が始まったら、周辺の人たちは、まずそこへ避難する。
噴石の雨が収まったら、別のところへ避難する。

さらに心配なのが、溶岩。
だったら今から、その溶岩の流れをコントロールするような溝を作っておく。
あるいはそれをせき止めるような、溶岩止めを用意しておく。
地震波などで、あらかじめ噴火場所がわかれば、そのあたりに集中的に用意しておく。
溶岩が流れ始めたら、その先に溶岩止めを並べればよい。
ユンボやブルドーザーで運べるようにしておけばよい。

かつて中国では、外敵の侵入を防ぐために、万里の長城を築いた。
「長城」とまではいかなくても、守るべき要所に、溶岩止めを並べておく。
大きな溝を掘るのも一案。

……が、まったく、そういう動きが伝わってこない。
検討会が開かれたという話も伝わってこない。
「予知」の話はするが、「防衛」の話はしない。
のんきというか、日本人のおめでたさは、この一点に集約される。
何か起きるまで、動こうとしない。
起きてから、あわてる。
騒ぐ。

自然のなすがまま……。
というか、あとで責任を問われるのを恐れ(?)、何もしようとしない。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7187785769/" title="img563 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7235/7187785769_
9e1e71c817_c.jpg" width="554" height="800" alt="img563"></a>

簡単なスケッチを描いてみた。
ひとつの案として、ぜひ、参考にしてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●BW教室より

(年中児の学習・テーマは、「家族」)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Ldved7ju7UE" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●BW教室より

(小1&2児の学習・テーマは、「時間の長さ」)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/HdZmbZCLO-s" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ぼたんインコのPippi

 Pippiには、いろいろ教えられる。
昨日も、こんなことがあった。

 Pippiは、ネコのぬいぐるみが、嫌い。
遊び相手にと思い、街のおもちゃ屋で買ってきた。
手のひらくらいの、小さなぬいぐるみである。
が、近寄ろうともしない。
多分、「目」がこわいからではないか。

 で、そのままになっていた。
Pippiの見えないところに置いておいた。
が、それでもいけない……ということで、手に抱いたまま、Pippiをそこへ連れていった。
Pippiは、手の中で、体を固めたまま、そのぬいぐるみを見つめていた。
時間にすれば、ほんの10秒前後だったと思う。
Pippiがこわがっている様子がよくわかった。
そのまま台所のテーブルに戻った。
が、そこで異変が起きた。

 ワイフが、「おいで」と声をかけ、手を差し出したときのこと。
ふだんなら、そのまま手に飛び移っていく。
が、突然、ワイフの指先にかみついた。
本気だった。
ぼたんインコのくちばしには、ものすごい力がある。
本気でかまれたら、耳たぶくらいなら、かみちぎってしまう。
ワイフは「痛い!」と言って、手をよけた。

 それを見ていた私が手を出すと、今度は、私の指先にかみついた。
本気だった。
痛かった。

●恐怖

 恐怖体験が、Pippiを凶暴にした。
人間なら、理性でコントロールすることができる。
が、ぼたんインコのPippiには、まだそれができない。
感情の変化が、そのまま行動となって現れる。
ワイフや私を本気でかんだのは、そのため。

 私はバツとして、Pippiを、そのまま鳥かごの中に戻した。
その前に、何度も説教した。
で、内心、「今までやさしく接してきたが、これですべて無駄になった?」と思った。
Pippiが、私をそのようにかんだのは、はじめてのことだった。

 ……で、1時間ほどしてからのこと。
鳥かごの中で、「出してくれ」と暴れた。
どこかに不安感は残っていたが、Pippiを出してやった。
手の上に乗せてやった。

 Pippiは、赤ん坊が泣くように、グアーッ、グアーッと2、3度鳴いた。
で、そのあとは、いつものPippに戻っていた。
ほっとした。

●自己防衛

 こうした一連の心理作用は、人間と同じ。
日本語にも、「八つ当たり」という言葉がある。
恐怖体験によって、脳内にある種のホルモンが分泌される。
アドレナリンかもしれないし、あるいはもっと別のホルモンかもしれない。
それがPippiを凶暴にした。
自己防衛のためである。

 が、すぐさまフィードバックが働いた。
1時間後には、Pippiは、もとのPippiに戻っていた。
穏やかで、やさしいPippiである。
基本的な信頼関係は、簡単には崩れない。
またそれがあるからこそ、Pippiは、もとのPippiに戻った。

 ……とは言っても、相手は、小鳥。
本気で叱ってはいけない。
信頼関係に甘えて、強く叱れば、私(人間)そのものを怖がるようになる。
子どもも、また同じ。
……ということを、あらためて確認した。2012/06/15記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【富士山噴火】byはやし浩司
『富士山の噴火は始まっている』(木村正昭・山村武彦著、宝島社)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日(2012−06−15)、富士山噴火について書いた。
書きながら、自分が恐ろしく無知であるのを知った。
何も知らない。
何もわからない。
そこで昨日の夜、1冊の本を買ってきた。
ゼロから、勉強のし直し!

『富士山の噴火は始まっている』(木村正昭・山村武彦著、宝島社)。

この世界には、この世界の専門用語というのがある。
まずその専門用語からの勉強。
もし富士山の噴火が起これば、その被害は甚大なものとなる。
2004年に発表されたハザードマップ(正式の名称は「富士山火山防災マップ」、富士山ハザ
ードマップ検討委員会報告書)によれば、火山灰は、東は遠く房総半島一帯まで降り注ぐとい
う。
詳しくは内閣ホームページに記載されている(P092)。

もちろん火山灰だけが、恐ろしいのではない。
噴火直後には、空振、火山弾の直撃、溶岩の流出、噴煙柱などなどが、その地域を襲う。
先のハザードマップによれば、風向きにもよるが、東京都全域に、約10センチの灰が降り積も
るという。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『富士山の噴火は始まっている』

 この本を読んで知ったのは、「複合型被害」。
富士山の噴火だけが、被害をもたらすのではない。
富士山の噴火とともに、(あるいはそれに先立つ)、地震との複合も考えられる。
台風との複合も考えられる。
さらにたとえば、何かの病気の大流行との複合も考えられる。
火山灰にしても、遠方であればあるほど、粒子がこまかくなる。
それが健康被害をもたらす。
コンピューターを狂わす。
そういったもろもろの被害が複合し、さらに被害を大きくする。

 もし富士山が爆発すれば、規模が大きいだけに、被害も甚大なものとなる。
半径100キロは、危険地域だそうだ(本書)。
(この浜松市は、ギリギリ、その100キロ圏外にある。)

専門家として、いろいろな(しておくべき対策)についても書かれている。
が、もしここで富士山の噴火でも起これば、そのときこそ、本当に日本の経済は、万事休す。
長期停電ひとつとりあげても、日本の経済活動は、そのまま停止してしまう。
直接の被害だけでも、50兆円前後になるという。

「……東海地震が発生した場合の経済損失は、37兆円。
東南海、南海地震の発生では、57兆円。
首都直下地震では、112兆円と想定される。
富士山の噴火と地震が同時に起きれば、経済損失は最低でも50兆円に達するだろう。
東日本大震災(3・11大震災)の3倍である」(P117)。

 なお農作物についても、火山灰が、2ミリメートル(たったの2ミリ!)積もると、収穫量は半分
になるそうだ。
10センチも積もると、立ち枯れになってしまうそうだ(P113)。

本書には、こうある。

「……噴火のあとで降る酸性雨は、農業への悪影響が大きい。
火口から成層圏に向けてガスと灰が上昇して、両側に広がる。
火山ガスには二酸化硫黄という一種の亜硫酸ガスが含まれ、水と反応してエアロゾルという1
ミクロン以下の小さな粒子になる。
雨といっしょに降ると、金属を錆びさせるほど有害で、作物も枯れてしまう」(P113)と。

 なお原子力発電所について言えば、つぎのような心配もある。

 原発では、停電ということにでもなれば、予備の発電機が働くことになっている。
福島第一原発では、その予備の発電機がうまく機能しなかった。
が、もし火山灰が降り注ぐと、その予備の発電機が故障する可能性も高い。
火山灰には電導性がある。
こまかい機器の中に侵入すれば、そこで電気的ショートを引き起こす。

●準備すべきもの

 水と食料の確保は言うまでもない。
そのほかに、火山性ガスの吸引缶付マスク(半径10キロ圏内)、防塵マスク(半径100キロ圏
内)。
ヘルメット、ゴーグル、雨具……。
非常用簡易トイレも必需品になりそう(都会地域)。
もちろん持病の医薬品など。
とくに呼吸器系の病気をもっている人は、「ただちに安全な場所に避難すべき」とある。

 本書によれば、富士山の噴火には、前兆が必ずしもあるというわけではないらしい。
(私も含めて、ほとんどの人は、何かの前兆現象があると思い込んでいる。
ある日、突然、ドカーンということも考えておかねばならない。)

●認知心理バイアス

 本書のP158に、「認知心理バイアス」という言葉が出てくる。
「バイアスというのは、偏見、思い込みのこと」と。

 このバイアスには、さまざまなタイプのものがあるという。
その中のひとつが、「正常性バイアス」。
「異常が発生しているのに、正常の範囲と思い込む」ことを、正常性バイアスという。
たとえば何か異常なことが発生すると、心を防衛するための防衛機制が働く。
人間の心は、それほどタフにはできていない。
不安定な心理状態が長くつづくと、それを解消しようと、さまざまな心理作用が働く。
それを防衛機制という。
何か仰々しい言葉のように聞こえるかもしれないが、「防衛メカニズム」のこと。
その防衛機制により、異常なことが発生しているにもかかわらず、「正常な範囲」と思い込んで
しまう。
つまり事実を誤認してしまう。

「富士山の噴火といっても、何か前兆があるはず。前兆が現れてから行動すれば間にあう」と
考えるのも、それ。
が、先にも書いたように、必ずしも前兆があるわけではない。
あるいはすでにいくつかの前兆は現れている(本書)。
 
 さらに「凍りつき症候群」。

 本書は、興味深い事実を指摘している。

●凍りつき症候群

 文字通り、思考が「凍りつき状態」になってしまうことをいう。
たとえば「東日本大震災(3・11大震災)のとき、政府は原発事故発生直後にSPEEDI(放射
性物質拡散予測システム)を公表しなかった。
……当時政府は、『公表するとパニックになるからしなかったと担当者が判断したのでは』とい
う趣旨のことを言ったという(本書)。

 しかしこの考えは、まちがっている。
パニックは、そう簡単には起こらないものである。
怖いのはパニックではなく、パニックを恐れる人たちが引き起こす情報隠しである。
震災直後の政府はパニックや凍りつき症候群に陥り、行動機能が停止した可能性が高いとみ
ている」(本書、P160)と。

 富士山で噴火が起きれば、同じように、正常性バイアスや凍りつき症候群が起きるかもしれ
ない。
これが被害をかえって拡大させる。

 わかりやすく言えば、最後は、「私たちの生命と財産は、自分で守る」と。
その本は、私たちにそう教えている。

●日本の未来

 ともあれ、日本や世界は、激動期に入った。
航海にたとえるなら、暴風雨圏に突入した。
荒れ狂う風と波。
視界は今のところ、まだ何とか明るい。
が、その先には、真っ黒な、それこそ天まで届くような雲が立ちはだかっている……。

 が、日本は未来を失ったわけではない。
オーストラリアの友人はいつも、こう書いてきている。
「日本がもつ技術力を大切にしろ」と。

 日本の中に住んでいるとそれがわからない。
しかしオーストラリアから見ると、それがわかるらしい。
日本は、その技術力まで、まだ失ったわけではない。
つまりマン・パワー。
日本はそのマン・パワーで、この暴風雨を乗り切るしかない。
また乗り切れる。

●総括

 富士山の噴火は、今回の3・11大震災で、早まったという。
さらに東南海地震も、早まったという。
首都直下型地震も心配される。
いろいろな説が飛び交っているが、油断は禁物。

 『富士山の噴火は始まっている』(宝島社)を読んで、そういう感想をもった。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 富士山噴火 爆発 凍りつき症候群 はやし浩司 認知心理学 認知心理
バイアス 正常バイアス はやし浩司 正常性バイアス 偏見 思い込み ハザードマップ 東
南海地震 東海地震 南海地震 はやし浩司 富士山の噴火 対策)

(注・補記)

 ワイフにこのことを話すと、ワイフはこう言った。
「先日、テレビで見たわ」と。
どこかのテレビ局で、富士山の噴火について、報道したらしい。

 が、これも「正常性バイアス」。
「テレビでも報道したくらいだから、政府が何とかしてくれるだろう」と。
あるいは「みなが心配していることだから、みなと同じように行動すればいい」と。
そう考え、かえってこの問題から、遠ざかってしまう。

 大切なことは、自分で情報を集め、自分で考えること。
テレビを見たくらいでは、頭の中には何も残らない。
そのまま情報のワンオブゼムとして、どこかへ流れてしまう。
情報の洪水の中で、ことの深刻さが理解できなくなってしまう。
もちろん「知識」としても、頭の中に残らない。

 情報は頭の中で反すうする。
それによってはじめて、情報は、「知識」となる。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●RECOLO

 おととい、電気ショップへ行った。
「RECOLO」という、カメラを買った。
RECOLOのホームページにある一文を、そのまま紹介する。

「……レコロは、設定時間ごとに撮影をおこなうインターバル撮影を手軽に楽しめる専用カメラ
です。
ふつうのカメラでは撮影できない長時間の定点観測を記録することができ、植物の成長の様
子など観察に利用できます。
インターバル撮影で撮った動画は、時間の流れが普通の動画とは違い、日常では見たことの
ない動画が撮れることができます。
撮影された動画は、Youtubeなどの動画投稿サイトでは人気があり、WEB媒体のニュース等で
も多くの動画が記事に取り上げられています」(以上、RECOLO・サイト)と。

 つまり時間を短縮した映像を、撮影することができる。
で、今、それを使って、夜明けのシーンを撮っている。
夜明けの景色とともに、空の雲の動きも、撮影できるはず。
時刻は、現在、午前5時10分。
昨夜遅く、この山荘にやってきた。

 ……で、ためしに、すでにいくつかのシーンを撮ってみた。
教室の中の子どもの様子や、道路の様子など。
RECOLOのHPにもあるように、花が咲くシーンなども、数秒から数十秒の範囲で撮影するこ
とができるという。
楽しい+おもしろい。

 ……ということで、ここしばらくはRECOLOにはまりそう。
夏になったら、入道雲を撮影してみたい。
街へ出かけ、人の動きを撮影してみたい。
もちろん時間をかけ、植物が生長していく様も、撮影してみたい、などなど。
ささやかだが、小さな夢がふくらむ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インコのPippi

 昨夜、この山荘へ来る前、Pippiとひと騒動あった。
つかまえて、鳥かごに入れようとしたが、Pippiのほうが、それを先に読んでしまう。
逃げ回る。
で、何とかつかまえるのだが、あのくちばしで、かまれると痛い。
が、それでも何とかつかまえて、鳥かごの中へ。

 そこへ息子が帰ってきた。
息子がすぐまた鳥かごから出した。
Pippiは、息子にいちばん、なついている。
私たちのような手荒なことはしない。

 で、私とワイフが、この山荘に出かけるときのこと。
ふと振り返って見ると、Pippiは、息子の手の中で、体を3分の1ほど乗り出し、私たちのほうを
見ていた。

 半分目を閉じたり、開けたり……。
安らいだ表情……というよりは、勝ち誇ったような表情だった。
「ザマーミロ」と。

 それを山荘に着いてからワイフに話すと、ワイフも同じように感じたらしい。
「私も、そう感じたわ」とワイフ。
「あいつ、小鳥のくせに、生意気だな」「ホントね」と。

 先月、オーストラリアの友人(メルボルン在住)が我が家に泊まったとき、こう話してくれた。
オーストラリアには、インコはたくさん住んでいる。
友人の庭先にも、よくやってくる。
オームもやってくる。

「インコは、利口だよ。
偶然、何かの行動をしているというよりは、いつも、何かを考えながら行動している。
インコの行動には、いつも理由がある」と。
つまりインコの行動は、すべて計算ずく、と。

 生後3か月目に入ったPippi。
何度も書くが、日に日に知恵をつけ、利口になっていくPippi。
今は、人間の子どもにたとえるなら、幼児期後期の自立期に入ったよう。
何をするにも、自分の意思を明確に示すようになった。
こちらが呼んでも、どうして呼んでいるのか、その理由を見極めるようになった。
ただ呼んだだけでは来ない。
「うるさい!」というような顔をして、私の声を無視する。

 が、食パンなどを食べていると、どこからともなく飛んできて、私といっしょに、それを食べてい
る。
抜け目がない。

 いっしょにいると、何かとうるさい小鳥だが、離れていると、無性に会いたくなる。
今が、そのとき。
近くの木の上で、ウグイスがさかんに鳴いている。
あのウグイスも、Pippiと同じくらい、利口なのだろうか。
……と思ったが、Pippiは、小鳥というより、人間の子どもにはるかに近い。
成鳥になると、人間の3歳児程度の知的能力をもつようになるとか。
楽しみというより、それだけに恐ろしい。

 そう言えば、息子が先日、こう言った。
「こいつ(=Pippi)は、犬でもないし、鳥でもない。
おかしな生き物だ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●映画評論

 このところ映画評論を、あまり書いていない。
しかし見てないわけではない。
「メン・イン・ブラック3」も、「ミッドナイト・イン・パリ」も、「ダークシャドウ」も、どれも、見た。
昨日から始まった「スノーホワイト」は、今日か明日には見るつもり。
もうひとつ「幸せへのキセキ」もある。
これもボケ防止のため。
見たくて見るわけではない。
つまり運動と同じ。

 ところで今朝は、このまま自宅に向かって歩くつもり。
ワイフはまだ床の中。
午前6時には、この山荘を出たい。
目標は、2時間で15キロ。

 では、今朝はここまで。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 22日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老親を棄てる若者たち】(ジジババ・ゴミ論)

●変わる、若者たちの意識

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先週、ある知人宅(67歳)を訪れた。
この15年来、たがいに行き来している。
いわゆる3世代同居家族で、知人は、息子夫婦(ともに40歳前後)のために畑をつぶし、そこ
に家を建てた。
もちろん費用は、全額、知人の負担。
孫も2人いて、知人夫婦が、家でめんどうをみている。

その知人が、こう言った。
「息子のヤツがね、私にこう言うんですよ。
おやじね(=知人のこと)、死ぬときは、老人ホームで死んでよね、ってね」と。

自宅では介護できないし、共働きだから、めんどうをみられないということらしい。
また今、自宅で老人が死ぬと、即、警察が検死にやってくる。
知人の息子夫婦は、それを心配しているらしい。
しかしそれにしても、「老人ホームで死んでよ」は、ない。

一昔前には、私たちはこう言った。
「おやじやおふくろは、死ぬときは、自宅の畳の上で、死なせてやりたい」と。
が、今は、時代が変わった。
日本人がもっている意識そのものが、変わった。

なお、私はその息子夫婦とは、ときどき話をすることがある。
ごくふつうの、見た目には、やさしそうな人たちである。
そんな夫婦でも、そう言う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小5のIGさん

 昨日、小5のIGさん(女児)がこう言った。
「私、SR進学塾にも通っている」と。
隣にいたMTさん(女児)がそれを聞き、「受験するの?」と。
するとIGさんは、「ううん、ただ通っているだけ。中学も高校も、ふつうの学校にする」と。

 ……今、そういう子どもがふえている。
子どもというより、親の意識が変わりつつある。

●外へ出る

 もう10年ほど、前のこと。
名前は忘れたが、こんなことを言っている祖母がいた。
「へたに学力をつけると、外へ出て行ってしまうから、子どもには学力をつけさせない」と。
そのため、「勉強しなさい」と子どもを叱る母親と、「勉強なんかしなくてもいい」と諭(さと)す祖
母との間で、嫁姑戦争が起きている、と。

 当の母親からそういう相談を受けたときには、「何という祖母!」と思った。
……というか、当時の私の常識には、まったく反していた。
が、今にして思うと、その祖母には、祖母の哲学があった。
「外へ出て行ってしまう」ということは、家族崩壊を意味する。
「崩壊」とわからないまま、崩壊してしまう。

●家族崩壊

 「家庭崩壊」ではない。
「家族崩壊」。
たとえば欧米では、「家族」というときは、そこには「祖父母」は含まれない。
両親と子どもたち。
それを「家族」という。

 それが欧米では常識になっているから、子どもが社会人になってからは、祖父母がその下の
親子関係に顔を出すことは、まず、ない。
(国や地方によっては、祖父母とのつながりを大切にするところもあるが……。)
祖父母は祖父母として、それまでの家族から自らを切り離し、独立して生計を立てる。
子どもは子どもで、今度は自分たちの「家族」を作り始める。

●「経済的に余裕があれば……」

 もう何度も書いてきたが、総理府(現在の内閣府)は、毎年青少年の意識を調査している※。
それを見ても、「将来、親のめんどうをみる」という若者は、どんどんと減っている。
10年前(2000年ごろ)でさえ、28%前後。
3人に1人もいなかった。
多くは、「経済的に余裕があれば……」という条件をつけている。
が、こういう世相。
経済的に余裕のある若者(若い世代)など、まずいない。
以前書いた原稿を添付する。

●希薄になる親子関係(資料)

 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。

あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。

 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」という言葉を使って、はねのける。

 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄。
もう一度、日本の内閣府がした調査結果を、よく見比べてみてほしい。

+++++++++++++++

●第8回世界青年意識調査より

(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか

『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?

自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)


++++++++++++++++


 ここでは何も書きたくない!

 この数字がすべて。


それとも今どきの若者たちは、永遠に、若いままと思っているのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど、オメデタイ話はない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内閣府 親子関係 どんなことをしてでも親のめんどうをみる 親の
めんどう 親のめんどうをみる 成人男女の意識調査 はやし浩司 将来親のめんどうを
みる 親を養う)

●掛け軸の言葉

 が、多くの親たちは、「うちにかぎって、そういうことはない」と思い込んでいる。
つまり幻想にしがみついている。
しかし幻想は、幻想。
いくら親ががんばっても、子どもたちは子どもたちの世界で、自らの哲学を作り上げていく。
親がもっている価値観など、子どもたちの世界では、床の間の掛け軸ほどの意味もない。
いくら立派なことが書いてあっても、ただの飾り。
意識というのは、そういうもの。

 社会へ出たとたん、吸い取り紙が水を吸い取るように、周囲の哲学を吸収していく。
それがわからなければ、あなた自身を観察してみればよい。
あなたは将来、親のめんどうをみるか。
その意識はあるか。

●社会的重圧感

 たいていの人は、「もちろんある……」と答えるだろう。
が、待ったア!

 その意識にしても、相対的なもの。
私たちの世代は、外に出たものは、そのほとんどが、実家への仕送りを欠かさなかった。
私の意識というよりは、それが当時の常識だった。
私も、吸い取り紙のように、周囲の常識を吸収していた。
みながそうしていたから、私もそうした。

 今のワイフと結婚するときも、毎月、実家への仕送りが条件になっていた。
毎月だぞ!
だからワイフは結婚してからも、以後、私が45歳になるまで、一度もそれを欠かさなかった。
それだけではない。
27歳ごろからは、実家での冠婚葬祭の費用、さらには税金の支払い、商品の購入代金の支
払いまで、私が負担するようになった。

 が、経済的な負担というより、社会的な負担……「重圧感」と書いた方が正確かもしれない
が、それには相当なものがあった。

母は、冠婚葬祭だけは、派手にやった。
そのたびに、20万円〜30万円の現金が消えた。

 その哲学と、私の哲学が、まっこうから対立した。
私はそれを乗り越えなければならなかった。

●恋愛第一主義

 私たちの世代にとっては、「親のめんどうをみる」というのは、それをいう。
またその程度のことをして、はじめて、「親のめんどうをみた」となる。
が、その意識も変わった。
盆と暮れに実家へ帰る程度で、「親のめんどうをみている」と、多くの若い人たちは考えてい
る。
が、今ではそれすらしない若い人たちもふえている。
多くは、結婚したとたん、「ハイ、さようなら!」。
おかしな恋愛第一主義が、はびこっている。

 古い世代と思われるかもしれないが、私たちの時代には、そうではなかった。
親の許可がないと、結婚できなかった。
が、いまどき「許可」を求める若い人たちはいない。
恋愛したとたん、それがすべて。
後先のことも考えず、「結婚します!」と。
「恋愛」を、一世一代の大仕事と誤解している。
が、そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしている。
サルでもしている。

 (だからその一方で、離婚率も鰻上り。
現在離婚率は、30%近くになっている※。)

(注※……離婚率の算出の仕方はむずかしい。
たとえば平成19年度に結婚した人の数が719,822人に対して、離婚した人の数は254,832とな
っている。
単純に、離婚した人を、結婚した人の数で割ってみると、35・4%という数字が出てくる。)

●無縁老人

 それもあって独居老人がふえている。
しかも従来、親子関係が濃密と思われていた農村部で、ふえている。
もちろん都会部でも、ふえている。
この先すぐ、つまり私たちが後期高齢者になるころは、約60%の人たちが独居老人になると
言われている。

 が、今はさらに一歩進んで、「無縁老人」。
それもそのはず。
2050年には、1・2人の勤労者が、1人の老人を支えなければならなくなる。
(現在は、2・6人の勤労者が、1人の老人を支えている。)
少子高齢化の問題が、いかに深刻なものであるかは、この数字を見ただけでもわかる。
「2050年」と言えば、39年後。
あなたの年齢に、39歳を足してみればよい。
それがあなたの老後ということになる。

●加山雄三
 
 どうしてこのエッセーに、「加山雄三」が出てくるか?
理由は簡単。
あの加山雄三がギターを片手に、「♪二人を夕闇がア〜」と歌った。
そのとたん、日本人の意識は大きく変わり始めた。
すでにその時、底流はあったのかもしれない。
ともかくも、そのときから、恋愛至上主義が始まった。

 いや、ひょっとしたら、私たちは「恋愛」の中に、「自由」を見たのかもしれない。
それまでの私たちは、体中を、ぐるぐると取り巻いていたクサリに、もがき、苦しんでいた。
加山雄三はアメリカ式の恋愛映画を見せてくれることで、それを取り除いてくれた。
たとえひと時の幻想ではあっても、甘い夢を見ることで、自分をなぐさめることができた。

 加山雄三がまちがっていたというのではない。
加山雄三は、そのクサリを解いてくれた。
が、今、そのクサリを解きすぎてしまった。
ユルユルから、パサパサに。

●親としての限度

 老後は、確実にやってくる。
それもあっという間にやってくる。
私自身もそうだった。
つまり私も、20代、30代のころは、老後なんて、ありえない世界のように考えていた。
だから50歳になった人を見たとき、とんでもないジーさんのように感じた。

 が、その私ももうすぐ64歳になる。
そういう自分を振り返ってみても、「あっという間」だった。
つまり今、もしあなたが、「老後の問題など、私には関係ない」と思っているとしたら、それはと
んでもないまちがい、ということになる。

 回りくどい言い方をしたが、あなたはあなたで、自分の老後を最優先で考えたほうがよい。
子どもは子ども。
子どもの学費は学費。
しかしそこには一定の限度をしっかりともつ。
「親としてやるべきことはする。しかし限度を超えてはしない」と。

 でないと、……というか、現実に、60歳の定年退職時に貯金ゼロという家庭は、現在50%も
いる(S生保会社調査)。
全体でも約33%程度の家庭は、貯金ゼロ(財務省)。
年金など、もしあなたが公務員でないなら、まったくアテにならない。
そんな状態で、どうやってこれからの老後を生きていくというのか。

●親子関係の復権

 IGさんが、そう言ったとき、私はすかさず、こう言った。
「君のお母さんは、賢い人だよ」と。
「あなたも、お父さん、お母さんの近くで住みなさいよ」と。
言い忘れたが、IGさんは、ひとり娘。
それを聞いて、IGさんは、にっこりと笑った。

 が、これはけっしてIGさんの両親のことだけを考えてでのことではない。
IGさん自身にとっても、そのほうがよい。
そうでなくても、……つまり家族の絆があっても、生きていくだけでたいへん。
こんな世相で、家族がバラバラで、どうやって生きていくというのか。

●日本の将来

 とても悲しいことだが、日本の将来は、暗い。
この8月から始まった大不況を契機に、日本も、やがてすぐ他のアジアの国々と同等、あるは
それ以下になる。
日本人が外国へ出稼ぎにいかねばならなくなる時代は、すぐそこまできている。
これは可能性の問題ではない。
確実な数字として、そう予測されている。

 わかりやすく言えば、きれいごとだけでは、子育てはできないということ。
それとも死ぬか、生きるかという瀬戸際に立たされたときでも、あなたは子どもに向かって、こ
う言うことができるか。

「親のめんどうはみなくてもいい。お前はお前で、自由に空をはばたけ」と。
羽ばたき方に、意味があるのなら、それもよいだろう。
が、それは怪しい?
それほどまでに意味のある仕事をしている人は、少ない?

 ……という悲観的な見方はさておき、現実は現実。
子育ても、その現実を見失っては、できない。

●私には理解できない

 高校生にしても、大学生にしても、今や形態端末機は、必需品。
新SNSだの、スマホだの、さらにはi−Padだの、アンドロイドだの……。
話題はつきない。

 しかしそれほどまでの文明の利器を用いて、結局は、何をしている?
アホで馬鹿で、意味のない情報を回しあっているだけ。
つまりそれが今の日本の若い人たちを象徴している。

 たとえば今週号の「A」(パソコン誌)は、あのジョブズ氏の追悼記事を並べている。
前アップル社の会長である。
3人の識者(日本人)が、ああでもない、こうでもないと、ジョブズ氏を称えている。
が、私はそうは思わない。

 1978〜79年にかけての、あのホームパソコン(当時)の黎明期を直接経験している。
日本製のパソコンは、アメリカ製につぎつぎと駆逐されていった。
言うなれば、今、ジョブズ氏を称えるということは、サッカーの試合で、オウンゴールで相手を勝
たせた上、さらに相手の選手を称えるようなもの。
ジョブズ氏は、アメリカ人にとっては、英雄かもしれないが、私たちはアメリカ人ではない。
原爆を落とされた上に、マッカーサーを称えるような記事を書いて、みじんも恥じない。

●ペンタブレット

 話が過激になったので、話題を変える。

 今日、ワイフが誕生日プレゼントにということで、ペンタブレットを買ってくれた。
前からほしかった、Wacom社製の「Bamboo」。
描画ソフトが4種類も、おまけでついていた。

 が、今日は、どのひとつもじゅうぶん使いこなせいないまま、ギブ・アップ。
この世界も、格段に進化した。
つまり複雑になった。

 10年ほど前には、いろいろなソフトを使いこなしていたが、今日は惨敗。
明日は日曜日だから、もう一度、挑戦してみる。

 ……ということで、今日は、ここまで。
これからワイフと、「アメリカン・ヒーロー」という映画を観てくる。
今夜が公開日。
あまり観たいとは思わないが、これもボケ防止のため。
がんばって観てくる。
2011/10/15記

Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012−01−20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)(N市教育委員会・子育て講座用原稿)

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ゴミ?

 少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。

 それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?

●「将来、親のめんどうをみる」

 「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界で
も最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

+++++++++++++++++++++++++++++++++

●年老いた親を養うことについてどう思うか

「どんなことをしてでも親を養う」

   イギリス66.0%、
   アメリカ63.5%、
   フランス50.8%、
   韓国35.2%、
   日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)

 日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。

 「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』:

   イギリス70.1%、
   アメリカ67.5%、
   フランス62.3%、
   日本47.2%、
   韓国41.2%

+++++++++++++++++++++++++++++++++

 平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考え
ている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もい
る。

金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。

全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。

さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。

++++++++++++++++++++++++++++++

金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。

   20代は171万円、
   30代は455万円、
   40代は812万円、
   50代は1154万円、
   60代が1601万円、
   70歳以上が1432万円。 

この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。 

貯蓄ゼロの家庭は、年収が300〜500万円未満でも21.1%。
500〜750万円未満の家庭でも16.2%。

+++++++++++++++++++++++++++++

 なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究
所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400〜500万円程度と言われている(某経済誌)。

 「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。

●祖父母と同居

 私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。

 当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。

 現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

●「祖父または祖母と同居している」

   日本(20.6%)、
   韓国(5.8%)、
   アメリカ(3.1%)、
   フランス(1.5%)、
   イギリス(1.1%)
 
 これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。

(1) 日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。

(2) 老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。

(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
   つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
   ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
   一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
   その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。

●「団塊の世代は敵」?

 先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?

 こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?

 その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。

●「敵」

 戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。

 が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。

 私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。

 もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。

 私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。

 父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。

 そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。

 が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。

 私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。

●ゴミ

 私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。

「老人は、役立たず」と。

 当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

 日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府
 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と
虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ジジ・ババ受難の時代

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババ
への風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののし
る表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、
たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということ
になる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言ってい
るうちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いにな
る。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみ
ればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査
結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30〜40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をし
ている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからな
い。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。
ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
 つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それ
なりにの(人間)として認められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

古い原稿を再掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。

 それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!

 この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!

 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も
使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投
書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけで
も、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)

+++++++++++++++

つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高齢者への虐待

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

+++++++++++++

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理
府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言う
のだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、
あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化する
のを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするよ
うになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほし
い。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、
まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、ある
にはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの
中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったと
いうのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火を
つけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知ってい
る。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方
で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気
づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされて
いる。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよ
う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反論

 千葉県に住む、E.H.氏(たぶん、若い父親)からは、「呆」(「阿呆の呆」)と題して、つぎのよ
うなものが届いている。

『老後の自分の面倒を見てもらう為に、愛情もない相手と結婚して、子供を作り、育てるって事
ですかね。そんな世界で生きていて、なんの価値があるのでしょう。
世の中は地球規模で変化をし進化をしているのです。
夫婦、家族、恋愛... 全ての形が多様化しているのです。新旧色々あって良いじゃないですか。

結局、林先生は御自分の意見が正しいと思い切り主張していて、読んでいてがっかりです。
ちなみに私は、子供がどこでどんな生き方をしても良いと言える親をずっと目指します。
子供には子供の人生があるのですから。
それを家族崩壊とは思いません。

むしろ、親の面倒で子供を縛りつけている方が家族崩壊じゃないのですか?
親の近くにいようが遠くにいようが子供が良い人間で幸せなら、親としても幸せなはず。
林先生は子離れ出来ていないのですね。
そんなに親の面倒を子供が見るのが当たり前だと思うのなら、御自分のお子さんに『私の面倒
をみろ』と、言ったら良いのに!
 千葉 E.H.より』と。

 ……ほかにも同氏より、5〜6通、同じような内容のものが届いている。
「阿呆」という題名もすごいが、「愛情もない相手と結婚して……」と、我が家をのぞき知ってい
るような内容が、恐ろしい。(ハハハ)


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司・改


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……  
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ    
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒     
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 24日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【よい朝】(はやし浩司 2012−06−18 月曜日)

●扇風機

 昨夜、寝る前に扇風機をつけた。
それがよくなかった。
ずっと夢ばかり見ていたような気がする。
で、今朝は、午前3時起き。
……というか、台所でお茶を飲んだ後、もう一回、ひと眠りするつもりでいた。
が、鳥かごの中を見ると、Pippi(ぼたんインコ)が、かごの中で目を覚ましていた。
眠そうな顔をしていた。
そっと手を差し出すと、私の手の中に入った。

 私は眠るのをやめ、そのまま書斎へ。
どこか蒸し暑い。
台風が近づいているという。
ギリシャの選挙結果も、気になった。

 Pippiは、そのまま私のパジャマの中へ。
今は、そのパジャマの中で眠っている。
静かな朝。
6月18日。
月曜日。
メールを開くと、アメリカに住む息子から、父の日の祝いのメールが届いていた。

Good Moroning!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ギリシャのやりなおし選挙

 昨日(日本時間では、今ごろ)、ギリシャでは、やりなおし選挙が行われた。
結果は、もうすぐ出てくるはず。
ロイターなどの出口調査によれば、「緊縮派」の政党が、僅差で「反緊縮派」をリードしていると
いう。
ホ〜ッと安堵(あんど)。
嵐の第一波は、何とか、食い止めた。

●Pippi

 ぼたんインコのPippiが、我が家へやってきてから、我が家のリズムが一変した。
Pippiは、鳥というよりは、人間に近い。
感情も、人間そのもの。

 鳥かごの中に入れると、「出してくれ」といった様子で、せわしなく動き回る。
鳴く。
で、その間に、ワイフは料理をし、私たちは急いで食事をすませる。
(料理中は、火を使うので、鳥かごに入れるようにしている。)
が、そのあと鳥かごから出してやると、グワーッ、グワーッと鳴く(=泣く)。
Pippiが、悲しいときに出す声である。
その声が、人間の赤ん坊の、オギャーッ、オギャーッにそっくり。

 「よしよし……」と言ってなだめると、やがて静かになる。
が、今度は、シャックリ。
そのシャックリの仕方も、人間の子ども、そっくり。

 ……今、そのPippiは、私のパジャマの袖あたりのところで眠っている。
じゃまにならないよう、できるだけ静かにキーボードを叩いている。
気を遣(つか)う。
同時に、「これはたいへんなことになった」と思う。
鳥を飼うというよりは、今は、人間の子どもを預かったような心境。

 忠告……中には、「私もぼたんインコを飼ってみよう」と考える人もいるかもしれない。
しかしぼたんインコだけは、安易な気持ちで飼ってはいけない。
利口な分だけ、育て方もむずかしい。

●AD・HD児

 そのPippiの行動を見ていると、そのまま人間のAD・HDの子どもが、Pippiに重なる。
動きが速い。
瞬時に判断し、間断なく、つぎの行動に移っていく。
静かな落ち着きがない。
「ぼたんインコはみな、そうなのかなあ」と思ってみたり、「Pippiは、AD・HD児なのかなあ」と
思ってみたりする。

 そこで昨日、近くのショッピングセンターへ行き、ほかのぼたんインコの様子を観察させても
らった。
そこでは、10羽ほど、それぞれが別の鳥かごに入れられ、飼われている。
1〜2羽、動きのはげしいのもいたが、大半は、止まり木の上でおとなしく座っていた。
で、それを見た私の感想は、Pippiは、AD・HDかもしれない?

 が、インコも今は、行動期(?)。
好奇心が旺盛で、私が何か新しいことをするたびに、近くへやってくる。
じゃまをする。
昨日もたまたまパソコンのプリンターを少し手前に移動した。
とたん、プリンターに興味を示すようになった。
排紙口の中をのぞいたり、周囲をくちばしでつついたりしていた。

 「生後3か月目になると、こうなのかなあ」と思ったりする。
が、今さら、どうこう言っても仕方ない。
PippiはPippi。
ぼたんインコは、そういうものと割り切って、いっしょに暮らすしかない。

 ……そう言えば、おとといの朝は、私の手の中で眠ってしまった。
しばらく片手でキーボードを叩いていたが、それもやがてできなくなった。
仕事は、中断。
で、Pippiの寝顔を見ていたら、私まで眠くなってしまった。
書斎の椅子に座ったまま、私も眠ってしまった。
このところ、毎日、そんなことがつづく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●速報

 たった今、 Bloombergの速報が入った。
午前4:00。
どうやらギリシャのやりなおし選挙では、「緊縮派=EU残留派」が、過半数を確保したもよう。
Bloombergは、つぎのように伝える。

『……サマラス氏が率いる新民主主義党(ND)が、再選挙で勝利したもよう。
NDの得票率は29.5%、獲得議席128議席救済合意の放棄を主張する急進左派連合(SYRIZ
A)は27.1%、72議席、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は12.3%、33議席NDとPASOK合
わせて161議席、連立が可能となる過半数を制する』(以上、Bloomberg)と。

 が、その一方で、フランスでは左派政権が誕生。
ロイターはつぎのように伝える。

『……オランド大統領率いる社会党が連携する左派政党と合わせて、国民議会の絶対過半数
を獲得し、共産党や緑の党に頼らなくても法案を通せる見通しとなった。
調査会社CSAが出口調査を基に集計、社会党中心の左派陣営は、320議席、過半数獲得に
は289議席が必要。
サルコジ前大統領のUMPは221議席』(以上、ロイター)と。

 こうした選挙結果を、どう判断したらよいのか。
ギリシャはそれでよいとしても、EU全体ではどうなのか。
総合的にはどうなのか。

 それは5時間後に始まる、東京証券取引所の株価の動向を見れば、わかる。
金価格の動向を見れば、わかる。
ひとまず株価の暴落は避けられた。
金価格の暴落も避けられた。

が、だからといって、株価が上昇するかどうかというと、それはわからない。
金価格については、一時的な下げはあるものの、一時的で終わるはず。
相変わらず買い需要は強い。

 ……ということで、今ごろ、銀行や証券会社では、徹夜で臨戦態勢を取っているはず。
ぼうだいな情報が、世界中をかけめぐっているはず。
その結果は、5時間後に出る。

 株価が上昇すれば、「吉」。
下降すれば、「凶」。
4:27記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●1ドル=500円

 アメリカの経済学者が、どこかでこんな原稿を書いていた(某経済BLOG)。
「明日かもしれない。しかし3〜5年後には、日本の経済は確実に破綻する」と。
「今回消費税をあげても、焼け石に水」とも。

 で、そのとき、1ドルは、500円になる、とか。
といっても、私は驚かない。
1970年ごろ、1ドルは、360円だった。
それが商社で働いているとき、305円になり、そのあと変動相場制に移行した。

 つまり日本は、42年前に逆戻り。
日本→シドニー間の往復航空運賃が、42〜3万円。
当時の大卒の初任給が、5万円前後。
手取りが4万5000円前後。
往復の航空運賃だけで、初任給の8か月分。
つまり、そうなる。

 が、心配なのが、食料。
食料価格の暴騰は、もう止めようがない。
全体に現在より、10倍以上になるとみてよい。
価格が10倍というのではない。
当然、給料も名目、上昇するだろうが、実感として、10倍以上になる。
それがどういうものか知りたければ、今日にでもスーパーへ行き、頭の中でそれを想像してみ
ればよい。

 菓子パン1個……1000円。
カップ麺1個……2500円。
ジュース1本……1200円。
お弁当1個……8000円、と。

 が、それよりも心配なのは、工業技術力。
42年前には、その工業技術力で、その後、日本は高度成長を遂げることができた。
が、今は、それがない。
工場そのものが、姿を消した。

 ある学者いわく、「農家の人が、ベンツやBMWを乗り回すようになるでしょうね」と。

 で、何よりも重要なのは、「希望」。
希望を失ったら、日本は、本当にそのまま破滅してしまう。
経済の破綻は、まだ何とかなる。
しかし希望を失ったら、日本というより、日本人の心そのものが、崩壊してしまう。
その希望まで失ってはいけない。

 アテネ大学のセオドシス・ペレグリニス教授は、こう述べている。
「絶望感が背景にある。未来に希望を持てなければ、何もかも壊したくなる」(ロイター)と。

 破壊主義の先にあるのは、社会の混乱、犯罪、無秩序……。
日本は日本で、そうならないよう、何としてもここでその崩壊を食い止めなければならない。

+++++++++++以下、ロイターより転載++++++++++++++

白と黄色に彩られた貨幣博物館の壁には、黒字で「投票所に火を点けろ」という落書きが踊
り、「議会を燃やせ」という文字も見える。
また、無政府主義運動のシンボルである円で囲んだAというマークも、町の至る所で見られる。
警察はより深刻な犯罪の増加に追われ、そうした落書きの多くは見て見ぬふりをしている。
しかし過激な落書きは、ギリシャ社会が破綻に向かい始めている象徴にも映る。
落書きがツタのように「増殖」した場所では、野良犬がたむろし、麻薬常習者が大っぴらに薬物
を使っている。

洗練された落書きも一部にはあるが、ほとんどは口汚く下品な言葉だ。
そして、観光客にとっては残念なことだが、歴史的建築物も例外ではない。
オーストラリアからアテネを訪れたデビッド・グローブさんは、「どこもかしこも落書きだらけだ」と
嘆く。
目抜き通りに立つ教会を写真に収めながら、「不愉快だ。悪意に満ちた心ない破壊行為に過
ぎない」と語った。
多くのギリシャ人も落書きには嫌悪感を示すが、同時に、現在国が抱える苦痛を映し出してい
るという意見も少なくない。
ホテル受付係のカタリナ・アダムさんは「私たちが生きているのは攻撃的な時代だ。
アートは人生を表すというのなら、落書きが攻撃的になるのも無理はない」と理解を示す。
アテネにあふれる落書きに1つの共通したテーマがあるとすれば、それは絶望だ。

市の中心部にある市役所庁舎の外には、ギリシャ神話で知恵を象徴する女神で、アテネの守
護神でもあるアテナの像が立っている。
この像の目の部分がペンキで黒く塗り潰されているのが、現在のアテネ市民の心境を象徴し
ているのかもしれない。

+++++++++++以上、ロイターより転載++++++++++++++
2012/06/18朝記

●アメリカ

 改めて、一言。

 それにしても、アメリカはすごい。
さすが資本主義経済の大本山。

 昨日、自分で調べてみたが、2000年以後、ノーベル経済学賞の受賞者は、23人。
うち21人が、アメリカ人!
(ほとんどが、アメリカ人だぞ!)
残りの2人は、ノルウェー人とイギリス人。
そういうアメリカを相手に、日本など、もとから戦えるわけがない。
底力というか、裾野の広さがちがう。

 将棋にたとえるなら、そこらの中学生が、プロの将棋士と対局するようなもの。
アメリカは、いつも5〜6手先まで読んでいる。

 日本の、あの財務大臣を見ていると、不安になるのは、果たして私だけだろうか。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【親を尊敬しない子どもたち】(BW公開教室)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年長児のクラスでは、「地図」について学習しました。
その様子をご覧ください。
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/TGwVXP41I3U" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

もう1本は、「娘に「死ね」と言われた母親」からの相談です。
近ごろになく、この相談には、ドキッとしました。
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/ziFs7Xsc7yw" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●低俗化する日本文化(MSN&産経新聞の記事を読む)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「低俗」とは何か?
それは山登りに似ている。
どんな低い山でも、登ってみると意外と高い。
視野が広がる。
たとえば浜名湖の奥に、大草山(標高113メートル)という山がある。
山というよりは丘。
そんな低い山だが、頂上からは、遠く浜松市内まで一望できる。
そのときこう思う。
「山というのは登ってみなければ、わからない」と。

つまり低俗であるかないかは、その人自身が登っている「山」によって決まる。
その高さは、「山」に登ってみなければわからない。
相対的なもの。
低地に住んでいる人には、低地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
一方、高地に住んでいる人には、高地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
さらに言えば、高地には際限がない。
上には上がある。
高地に住んでいると思っていても、その向こうには、さらに高い山がある。
そういう高い山に住んでいる人から見れば、それより低い山に住んでいる人は、「低俗」に見え
る。

人がもつ高邁性(こうまいせい)や、低俗性は、こうして決まる。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●2つの記事

 昨日(6月16日)と、今日(6月17日)、2つの記事が目にとまった。
ひとつは、MSNのもの。
もうひとつは、産経新聞のもの。
ともに、それぞれの新聞社が配信しているサイトに、紹介された記事である。

 記事の内容は、重要ではない。
その記事を書いている「視点(=山の高さ)」が、気になった。

(1)小沢一郎の妻の手記

 MSNは、小沢一郎の妻の手記について、書いている。
離婚した小沢一郎の妻が、ある週刊誌に、手記を載せた。
読むに堪えない醜聞である。
(だからといって、小沢一郎を擁護しているというのではない。誤解のないように!)
小沢一郎という人は、もとからその程度の人物。
今でも、見るからに、その程度の人物。
あの人物にして、あの妻。
泥仕合。
私は週刊誌に載ったその記事を読んで、何も驚かなかった。

 で、それについてMSNは、つぎのように結んでいる。

 『……放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全
に終わった。
 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射
能を怖がるのかがわからない。
ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。(『WiLL』編集長)』と。

(2)御用ラッパ手
 
 もうひとつの記事は、北朝鮮と産経新聞の泥仕合。
内容はともかくも、産経新聞のほうは、記事を、やはりつぎのように結んでいる。

 『……先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないま
ま、ミサイルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。他人の非難
ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(KK)』と。

●一線

 先の記事では、「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」という部
分。
つぎの記事では、「いまだ約束の(白いご飯と肉のスープ)を提供できないまま」という部分と、
「他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の(御用ラッパ手)は実に気楽でいらっしゃる」と
いう部分。

 ともに書いてはいけないことを、書いている。
つまりいくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
書いてよいことと、悪いことがある。
その一線を越えたとき、私たちは、それを「低俗」という。

●「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」

 権力の座に、綿々としがみついている。
その世界は、まさに金(マネー)まみれ。
いくら近代的な高層ビルに住んでいても、そこはボットン便所のように薄汚く、臭い。
が、そのことと、「年齢」は、関係ない。
その年齢を計算しながら、「もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」は、ない。
百歩譲っても、今回の泥試合と、年齢は関係ない。
私はこの一文を読んだとき、即、自分の年齢をその上に重ね合わせてみた。

 小沢一郎……1942年5月生まれ
 はやし浩司……1947年10月生まれ

 年齢的には、ほとんど差がない。
同年代。
いくら相手を攻撃するとしても、年齢を理由に、「いつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」
は、ない。
要するに、言わんとしていることは、「年齢も年齢なのだから、早く死ね」と。
(このばあいは、政治的な死を意味するが……。)

「権力の座に綿々としている」ここと、年齢は関係ない。
若い政治家でも、同じようなタイプの人間はいくらでもいる。
小沢一郎にしてもそうだろう。
政治家としての魂が、一分でも残っているなら、そうは簡単には捨てられない。
「死ね」という言葉は、「すべてをあきらめろ」という意味である。
(だからといって小沢一郎を擁護しているのではない。誤解のないように!)

●視野の狭さ

 いくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
相手が貧者で弱者なら、なおさら。
それが「白いご飯と肉のスープ」。

産経新聞は、「貧乏人が何をぬかすか」「偉そうなことを言える立場のあるのか」と書いている
のに等しい。
(何も北朝鮮を擁護しているのではない。誤解のないように!)
北朝鮮とて、何も好き好んで、そういった状況にあるわけではない。
そのことは、個人というレベルで考えてみれば、だれにだってわかるはず。

 成功者も失敗者も紙一重。
富者も貧者も紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
この原稿を書いたK氏にしても、明日のことはわからない。
この日本のことだって、わからない。
現に戦時中の日本、戦後の日本がそうだった。
日本中が、一億、総「御用ラッパ手」だった。
貧困のどん底で、あえいだ。
たまたま今がそうであるからといって、相手をそのようにののしってはいけない。
……その日本人といえば、「人民抑圧独裁体制」であったあの戦時中の日本を、(江戸時代で
もよいが)、美化することはあっても、何ひとつ反省していない。

 つまり視野があまりにも低い。
その視野の低さが、読む人を、息苦しくする。

 先日も、こう書いている評論家がいた。
著名な評論家である。
いわく「あの男(=評論家、私のことではない)は、マスコミの世界からは完全に干されている」
(つまり何を書いても、意味がない)と。

 それを読んだとき、私は、「では、この私はどうなのか?」と思った。
私は今も、昔も、マスコミの世界から、完全に干されている。

 マスコミの世界に乗るか乗らないかは、運(チャンス)と、政治力で決まる。
たまたま(流れ)に乗ったからといって、そうでない人を、こきおろしてはいけない。
……これは余談。

●では、どうするか

 低俗性を感じたら、相手にしない。
低俗な人も、相手にしない。
低俗には、恐ろしい魔力がある。
固い心をそのまま溶かしてしまうかのような魔力である。
しばらくそれに染まっていると、染まっていること自体、わからなくなる。

 たとえばAKB48。
まだ幼さの残る少女を商品化し、それを金儲けにつなげている連中がいる。
一方、それを見て、薄汚い商業主義に操られている若者たちがいる。

歌や踊りにしても、聞くに堪えない、見るに堪えないものばかり。
ほとんどが美容整形をほどこしているという。
だったら人形のお面でもかぶって、歌ったり、踊ったりすればよい。
私には、彼女たちの顔の区別すら、できない。
いわんや化粧を落としたら、まったく別人の顔になってしまうだろう。

 だからある賢者はこう言った。
「AKB48の観客のほうが多いからといって、モーツアルトの演奏会よりすばらしいと思っては
いけない」と。

 が、低俗な人には、それがわからない。
(だからといって、私が高邁というわけではない。誤解のないように!)
商業主義が何であるかさえもわからない。
金儲けの道具に利用されながら、それにすら気づかない。

 低俗文化というのは、それを相手にすればするほど、時間の無駄。
無駄になるばかりか、かえって、遠回りをすることになってしまう。
一度低俗性が身につくと、それから抜け出すのに、何倍もの時間がかかる。
さらに無駄な時間を浪費することになる。

●比較

 MSNは、小沢一郎の妻の手記をもとに、小沢一郎に「死ね(=政界から退け)」と迫った。
産経新聞は「貧乏のドン底にいるなら、偉そうなことを言うな」と反論した。

 ふつうの人がそう書くのなら、まだ理解できる。
しかしともに日本を代表する、言論機関。
その言論機関にして、このレベル。
私はここに、この日本の文化の低俗性をみる。

 念のため、誤解があるといけないので、全文をここに掲載させてもらう。
みなさん自身で、私がここに書いたことと、これらの記事を読み比べてみてほしい。

++++++++++++++以下、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

●「妻からの『離縁状』」で政治家・小沢一郎は「終わった」

週刊誌の歴史に残る大スクープだ。
今週の他誌は顔色なし。
読む気が起こらない(読んでますがね)。

 『週刊文春』(6月21日号)の「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」、サブタイトルが「『愛
人』『隠し子』も綴(つづ)られた便箋11枚の衝撃」。

 手紙は昨年11月、和子夫人が地元岩手の支援者10人近くに送ったもので、松田賢弥さん
(ジャーナリスト)がそのコピーを入手した。

 まず、長年の支援に感謝しつつ、離婚の直接のキッカケを。

 〈実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。
岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日
本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました〉〈為になるどころか害になることがはっ
きりわかりました〉

 具体的には「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやれ」「食料の備蓄はある
から、塩を買い占めろ」などと言って鍵をかけて家に閉じこもり、ついには〈旅行カバンを持って
どこかへ逃げだしました〉。

 和子夫人は〈国民の生命を守る筈(はず)の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げ
るというのです〉と呆(あき)れている。

 離婚の原因は既に『文春』が報じた「隠し子」。8年前に発覚した時、小沢氏は夫人にこう言っ
たという。

〈私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさ
せた〉〈この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対
され、誰でもいいから金のある女と結婚することにした。
(中略)「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」
(中略)「いつでも離婚してやる」〉

 放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わ
った。

 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射
能を怖がるのかがわからない。ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もない
のか。
(『W』編集長)

++++++++++++++以上、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

++++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 

 北朝鮮の「労働新聞」が12日付で久しぶりに筆者を名指しで非難している。
過去にも何回かあったが金正恩体制になってからは初めてだ。
いわゆる慰安婦問題に関する日本非難の論評の中で、ソウルの日本大使館前に建てられた
慰安婦記念像に関し「産経新聞のクロダが妄言記事を書いた」というのだ。

 韓国では慰安婦(問題)は"聖域化"し政府をはじめ誰もブレーキをかけられなくなっていると
いう筆者の記事を読んだらしい。
外国公館へのあんな非礼は前代未聞で「韓国の品格にかかわるのでは」というのが記事の趣
旨だったが。

 「労働新聞」は朝鮮労働党機関紙で国を代表するメディアだから、しばしば引用や名指しで議
論していただくのは"光栄"このうえない。
ただ「いくらかの金に命を懸け軍国主義勢力の御用ラッパ手」をしていると非難しているが、自
分たちが金(経済)に困っているせいか人を非難するときはきまって「金をもらって…」というか
ら面白い。

 先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないまま、ミサ
イルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。
他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(K
K)

++++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++++

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 低俗性 高邁性 低俗文化 はやし浩司 産経新聞 小沢一郎)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●嵐の前の静けさ(EUの経済危機)「生き残り合戦」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

現在(2012/06/17午後)、ギリシャでは、やりなおし選挙が行われている。
結果次第では、世界中の経済が大混乱すると言われている。
が、ギリシャがEUに残るにせよ、EUから去るにせよ、それ自体は大きな問題にはならない。
すでに世界各国は、それを予定し、それなりの準備をしている。
むしろ怖いのは、波及的効果。
スペイン、ポルトガル、イタリアが、そのあとに構えている。
昨今のニュースによれば、キプロスもあぶない。
ギリシャで燃え始めた小さな炎が、EU全体に広がってしまうかもしれない。

そこで、アメリカ(USA)、EU、日本の株価の動向を調べてみた。

(1)USA
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7384992782/" title="USA market 
by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8012/7384992782_
ccb137ca13.jpg" width="360" height="230" alt="USA market"></a>

(2)EU
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7384992852/" title="EU Market by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8027/7384992852_
1089482218.jpg" width="360" height="230" alt="EU Market"></a>

(3)日本
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7384988718/" title="Japan Market 
by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7100/7384988718_
5e4e893dcf.jpg" width="360" height="230" alt="Japan Market"></a>

このグラフを見てもわかるように、この4月(2012年の4月)(最高値)前後から、日本とEU
は、株価を、17%前後、さげている。
一方、アメリカだけは、たったの3・7%!

EUの金融危機問題と日本がいかに連動しているか、このグラフを見ただけでもわかる。
と、同時に、アメリカだけが、ひとり勝ち。
そのこともこのグラフを見ただけでもわかる。
(私もこの3つのグラフを並べてみて、驚いた!)

ここにアメリカのしたたかさというか、アメリカの国家的な経済戦略が見え隠れする。
アメリカにしてみれば、ユーロの台頭は、同時にアメリカ・ドルの弱体化を意味する。
言い換えると、ここでユーロを叩いておけば、その分だけ、アメリカ・ドルは安泰。
もちろんアメリカとて、無傷ですむわけではない。
そこでアメリカが取った戦略は、肉を切らせて、相手の骨を切る。

で、心配なのが、この日本。
おバカ、日本。
本来なら蚊帳(かや)の外であるはずの日本が、EUの株価とほぼ同じような動き方をしてい
る。
ともに17%の下落率(2012年4月〜現在)というのも、そのひとつ。
どうしてか?

平たく言えば、日本とEUは、一蓮托生?
「EUの経済危機問題は、遠い海の向こうの話」などと思っていると、とんでもないことになる。
少なくとも、世界は、そう見ている。
「EUのつぎは、日本!」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●借金合戦

 デフレになったら、お金をバラまけばよい……と、私たちは中学生のときに、社会科の授業
で、そう習った。
簡単な理屈である。
そこで世界中の国々が、借金に借金を重ね(=国債を発行し)、中央銀行の印刷機を回した。
アメリカなどは、昨年(2011年)だけでも、その前年度(2010年)の3倍ものドル札を印刷し
た。

 言うなれば、印刷合戦。
借金合戦。
それに負けじと、新興国も、あとにつづいた。

 が、アメリカドルは、強い。
いくら印刷しても、それをほしがる国がある以上、一向に困らない。
EUのユーロがあぶない、日本の円があぶないと危惧されればされるほど、アメリカにとては、
有利。
今が、そうだ。
そのことは、冒頭にあげた、株価の動向を見ればわかる。
アメリカだけは、たったの3・7%の下落率で抑えている。

 EUや日本がこければ、そのあと、アメリカのドルは、さらに強くなる。
つまりそれがアメリカの経済戦略。
長期戦略。

(アメリカという国は、本当にすごい!
2000年以後、ノーベル経済学賞の受賞者は、23人。
うち21人が、アメリカ人!
残りの2人は、ノルウェー人とイギリス人。)
そういうアメリカを相手に、日本など、もとから戦えるわけがない。)

 で、この日本は、あまりにも優等生過ぎる。
アメリカの言いなりになり、IMFに5兆円も拠出している(2012年)。
(これに対して、アメリカはゼロ回答。)
どうせ最後にババを引くのは、この日本。
それがわかっていて、5兆円!
どうして日本は、もっと泥臭く、行動できないのか?

……というか、すでに日本は、EU経済にあまりにも深入りし過ぎてしまった。
今さら、手を引くに引けない……そういう状況になってしまった。
つまり一蓮托生。

●嵐

 ギリシャのやりなおし選挙で、どういう結果が出るにせよ、この嵐を収めることは、もうだれに
もできない。
日本もそうだが、今さら、印刷しまくった現金を回収するなどということは、不可能。
その(ひずみ)は、産業構造力の弱い国に集中する。
ギリシャやポルトガルは、その一例にすぎない。

 新興国にしてもそうだ。
たとえばここにブラジルのレアル札があったとする。
が、だれもそんなもの、ほしがらない。
(だからレアルは、昨年は1円=55レアルだったが、現在38レアルまで下落。)
インドのルピーにしても、そうだ。

 もちろんこの日本もあぶない。
が、先日、オーストラリアの友人は、こう書いてきた。
「日本はだいじょうぶだろう」と。
オーストラリアの国防省で、アジア分析を専門にしてきた友人である。
「日本には技術力があるから」とも。

 ワインやオリーブでは、この世界で生き残ることはできない。
しかし技術力があれば、生き残ることができる。
友人は、それを言った。

 で、明日から世界は、未曾有(みぞう)の嵐に巻き込まれる。
巨大な台風を何個も集めたような嵐である。
が、日本はふんばる。
こういうときは、最後までふんばった国が勝ち。
お人好しは禁物。
食うか、食われるか。
壮絶な生き残り合戦。
その緊張感だけは、失ってはいけない。

 さあ、がんばろう。
どうであれ、明日はかならずやってくる。
2012/06/17夕方記

追記:先のオーストラリアの友人は、こうも書いてきた。
「韓国には気をつけろ。これ以上、日本は技術を奪われてはいけない」と。

●世界のノーベル経済学賞受賞者(参考)
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~gifu-cea/data/nobel/economics.htm

【親を尊敬しない子どもたち】(BW公開教室)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年長児のクラスでは、「地図」について学習しました。
その様子をご覧ください。
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/TGwVXP41I3U" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

もう1本は、「娘に「死ね」と言われた母親」からの相談です。
近ごろになく、この相談には、ドキッとしました。
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/ziFs7Xsc7yw" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【思春期という反抗期】

●ああ、父親たるものは……!

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬してい
ない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

 また「父親のようになりたくない」は、78・8%、「母親のようになりたくない」は、71・5%であ
った。

 この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた55%の子ども
の中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。

 この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

 ……という話しは、すでに何度も書いてきた。

●それから13年

 先の調査から、13年が過ぎた。
で、先ほどまで最近はどうなったか、それを調べてみた。
便利になったものだ。
ネットで検索をかければ、即座に情報を手に入れることができる。
それに内閣府(旧総理府)は、数年ごとに同じような調査を繰り返している。
そのため青少年の意識のちがいや変化を、数字として知ることができる。

 が、私が調べた範囲では、平成10年以後、同じような調査がなされた形跡がない。
だからこの調査結果を基に考えるしかない。

●繰り返される親子関係

 『子育ては本能ではなく、学習である』。
そういう視点で類推するなら、こうした意識は、つぎの世代へと連鎖していく。
つまり戦後の流れからすると、現在は、平成10年当時の調査結果より、悪化していると考えら
れる。
(それを「悪化」と言ってよいかどうかという問題もあるが……。
しかし家族というのは、たがいに尊敬しあっているほうがよい。
そういう点で、「悪化」という言葉を使った。)

●尾崎豊

 私の印象では、尾崎豊が『卒業』を歌ったのを節目に、日本の青少年の意識は大きく変わっ
た。
青少年が、自分たちより上の世代に反旗を翻した。

「親に何か言われると、ムシャクシャする」
「親にあれこれ指図されたくない」
「親の言うことは、イチイチ、うるさい」と。

直接的には、親に対し、「アンタには、関係ない」と突っぱねる。
それが「親のようになりたくない」(約80%)という答えとなって、はね返ってくる。

 そこでそうした青少年が、今度は自分が親になる。
そしてこう覚悟する。
「私は私の親とはちがう」
「私はすばらしい家族を築く」
「よい親子関係を作る」と。

 が、現実は甘くない。
結局は、自分がしたこと(=思ったこと)と同じことを、その子どもたちが繰り返す。
子ども、つまり先の親から見れば孫たちが、こう言い出す。
「父親のようになりたくない」
「母親のようになりたくない」と。

 それを世代連鎖という。
だからこう言う。
『子育ては本能ではなく、学習』と。

●変わる青少年の世界

 ネットで検索していたら、こんな情報にヒットした。
たまたま先ほど、市内の地下街を歩いていたら、携帯電話を片手にサーッと通り抜けていった
若者(高校生くらい)がいた。
それで気になってあたりを見回すと、そこにいた若者たち、全員が片手に携帯電話をもってい
るのを知った。
10人はいただろうか。
年齢的には、10代後半から20代。
全員、である。

 それを青少年白書は、こう調査している。

『内閣府がまとめた「平成20年版青少年白書」によると、携帯電話を使ったインターネットの利
用率は、小学生27%、中学生56・3%、高校生は95・5%となっています。
もはや中高生にとっては携帯電話の通話機能よりも、インターネットやメールを使っての……』
と。

 携帯電話ではなかった。
携帯端末だった。
青少年白書は、「携帯電話ではなく携帯端末」と。
知らなかった!

 そこでたまたま近くにいた中3の女子(生徒)に聞いてみた。
「携帯電話なら、使わなければ利用料金も少なくてすむけど、携帯端末だと、そういうわけには
いかないよね」と。
するとその女子は、こう教えてくれた。
「定額料金にすれば、6000円くらい。学割があるけどね。でもね定額料金にしていない人なん
か、月に1万円くらい使っているよ」と。

 話が脱線した。
子どもたちの世界は、日々に変化している。
話しを戻す。

●中学生たちと

 で、この話しを、中学生のクラスでしてみた。
「父親のようになりたくないが、78・8%、母親のようになりたくないが、71・5%ということだけ
ど、君たちはどうかな?」と。

 すると5人いた中学生のうち、4人が、こう言った。
「いろいろなときがあるからね。そう思うときもあるし、そうでないときもある」と。

ナルホド!

 これは、「YES/NO」で答えられるような問題ではないということか。

私「じゃあ、君たちは、お父さんを尊敬しているか?」
子「……ウ〜ン、尊敬できる面もあるし、尊敬できない面もあるよね」
子「そうだよね。好きなところもあるし、嫌いなところもある……」
私「お父さんは、うるさくないのか?」
子「うるさいから、そういうときは、『アンタには、関係ないでしょ!』と突っぱねることにしている」
と。

 となると、総理府(現在の内閣府)のした調査は何かということになってしまう。
「78・8%」という数字は、どこから出てきたのか。
もしこの数字に信頼性がおけないというのなら、それを基礎に議論を進めること自体、無意味
になってしまう。

 それに私のばあいもそうだったが、年齢とともに、親に対する考え方は変わる。
思春期における印象が、すべてというわけではない。
あるいは思春期というのは、そういうものなのか。
直接的には、親に反抗することによって、自立を目指す。

●親の立場から

 どうであれ、子どもは10歳前後(小学3年生前後)から、親離れを始める。
この時期、(家庭)という束縛から自分を解き放ち、友人との(社会)に、自分の世界を移し始め
る。

 が、ほとんどの親はそれに気づかない。
ほとんどの親は、「私はすばらしい親だ」「私は子どもたちに慕われ、尊敬されている」と思い込
んでいる。
が、これが思い込みであることは、数値の信頼性はさておき、先の「78・8%」という数字を見
てもわかる。
言い換えると、それが「ふつう」ということ。
つまり、子どもに尊敬されようと思わないこと。
思っても意味はない。

 親は親で、自分の道を行く。
中には家族主義(たいていは行きすぎた家族主義)を信奉し、「家族こそすべて」と考える人
も、いる。
「親子の太い絆こそ、何よりも大切」と。

 しかし親子というのは、皮肉なもの。
親のこうした気負いが強ければ強いほど、子どものほうはそれを負担に思う。
その負担感が、かえって、親子の間に溝を作る。
だから親は親で、自分の道を行く。
「子どものため」という義務感、犠牲心は、もたないほうがよい。
もっても、意味はない。
やるべきことはやるが、期待しない。
またそのほうが、結果的に、親子の絆は太くなる。
子どもも親を尊敬するようになる。
だからあのバートランド・ラッセルは、こう言った。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、
けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

 繰り返し取りあげてきた言葉だが、この言葉の中に、子育ての神髄が凝縮されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 父親のようになりたくない はや
し浩司 バートランド・ラッセル)


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司


昔、オーストラリアの友人がいつもこう言っていた。親には3つの役目がある。
1つ目は親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。2つ目は子どものうしろを歩く。子ども
の保護者(プロテクター)として。そして3つ目は、子どもの横を歩く。子どもの友として。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、横を歩くのが苦手。
その理由の一つが、日本ではおとなと子どもを分けて考える傾向が強い。
おとなはおとなだが、子どもを半人前の、未熟で、未経験な人間と位置づける。もともと対等で
はないという前提で、子どもをみる。

たとえば先日もロープウェイに乗ったときのこと、背中合わせにすわった女性(60歳くらい)
が、5歳くらいの孫に向かってこう話していた。「楽チイネ、楽チイネ、おばあチャンと、イッチョ、
楽チイネ」と。

5歳といえば、人格の形成期に入る。
その時期に、こうまで子どもを子ども扱いしてよいものか。
子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせることではない。同じように子どもを
大切にするということは、子どもを子ども扱いすることではない。
子どもを大切にするということは、子どもを一人の人格者として尊敬することである。子どもの
年齢には関係ない。子どもがたとえ赤ん坊でも、また成人していても、子どもを一人の人間とし
て認める。子育ての基本はここにあり、すべての子育ては、ここを原点として始まる。

 日本には親意識という言葉がある。
この親意識には、2つの意味がある。
1つは「親としての自覚」を意味する親意識。これは重要な親意識である。
もう1つは、「私は親だ」式に、子どもに向かって親の権威を押しつける親意識。

この親意識が強ければ強いほど、親は、子どもの横に立つことができなくなる。
というのも、もともと親意識の根底にあるのは、上下意識。男が上、女が下。夫が上、妻が下。
そして親が上、子が下と。
日本人は長い間の、極東の島国という特異な環境で、独特の上下意識を育てた。たとえば英
語には、「先輩、後輩」にあたる単語すらない。

あえて言えば、ジュニア、シニアだが、それとて日本で使う意味とはまったく違う。
言うまでもなく、この日本ではたった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩という考え方をし、そこ
に徹底した支配、従属関係を築く。

 が、今、幸か不幸か、(幸なのだろうが……)、この権威主義が急速に崩れつつある。
その一例が、尾崎豊が歌った「卒業」である。
あの歌は、CDのジングル版だけでも200万枚(CBSソニー広報部)も売れたそうだ。「アルバ
ム版、カセット版も含めると、300万枚以上」ということだそうだ。

あの歌の中で尾崎は、「しくまれた自由」からの「卒業」を訴えた。
私たち団塊の世代(戦後生まれ)にとっては、青春時代は、まさに反権力闘争一色だったが、
尾崎の世代(今の父親、母親の世代)には、反世代闘争へとそれが変化していった。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【補記】2002年ごろに書いた原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの携帯電話を考える

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえているの
で、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。それらを並
べると……

(1)マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、自分の情
報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あるいは他人の
意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情報が一方通行化す
る。

(2)リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、相手を自分の
世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを受けつけないか、無
視する。

(3)オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方という考え方
をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくなる。

(4)マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無味、体温
の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の上でコントロー
ルしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。

(5)字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば相手が
「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗談」の部分はわ
からない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには憤慨したり、怒ったりす
る。

(6)携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携帯電話
に固執する。

(7)カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけしか通用しない用語だけで会話をしよ
うとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。

(8)ワイアレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。無能
化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。
(9)グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるのに、いざそ
の人と直接対面すると、何も話せない。

(10)ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層に浸透している。

(11)情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考回路も軽くなる。
会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12)親指人間、会話能力欠如、言葉の短文化、感情化、短絡化、文字のマンガ化、ムダ話
がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。

 ついでに言葉の使い方そのものが、大きく影響を受け始めている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●壊れる日本語

 今日、ある店で、たいやきを2枚買った。
1枚は、あずき。
これは私用。
もう1枚は、カスタード。
これはワイフ用。
そのときのこと、店の若い女性が、袋の詰めながら、こう言った。
「シタアンです」と。

 私は2度も聞き返した。
「シタアン?」
「どういう意味ですか?」と。
瞬間、ポルトガル語かとも思った。

 つまり「2枚重なっているが、下のたいやきが、あずきです」と。
私はそれを知ったとき、日本語そのものが、携端末機化していると感じた。
もちろん文章になっていない。
そればかりか、省略につづく省略。
つまりメチャメチャ。

 しかしこれも時の流れか?
携帯端末機世代がつぎの日本を背負うようになると、私がここに書いているような
文章は、消えてなくなるかもしれない。
たとえば、こうなる。

「・・・夕食まだ。おかず焼きそば。腹へった。油少し願う。ワイフ同意。私待つ」と。

 「それでいいのかなあ・・・?」と、かなり強い疑問を感じながら、たいやきを食べた。
2010年記


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

(資料そのまま)

●幼児期の虐待と心の傷

 幼いときに受けた育児放棄、いわゆるネグレクトが脳の成長に悪影響を及ぼし、その結果、
感覚機能が低下するとの研究結果を横浜市立大学が発表しました。

 横浜市立大学の研究チームによりますと、幼児期に一定の期間、社会的に隔離されたラット
は、脳の中の情報伝達で重要な役割を果たす「AMPA受容体」が正常に働かなくなることがわ
かりました。その結果、脳の中でストレスホルモンが増加して「痛み」や「触覚」を支配する部分
の機能が低下し、痛みに鈍いなど神経の障害が出たということです。

 これまでも育児放棄、いわゆるネグレクトなどの異常な環境が脳の成長に悪影響を及ぼし精
神疾患を引き起こす可能性が指摘されていて、研究チームは「精神疾患を治療する新たな糸
口になるのではないか」としています。(19日07:54)tbs−i 2012

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================























☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【6月23日・土曜日】山荘にて

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「もう本は書かない」と思っていた。
「本より、ネット」と。
そう思っていた。

が、書くことにした。
その本の原稿が、今日、ほぼ完成した。
この月曜日に書き始めたから、6日間で書いたことになる。

出版社への売り込みはこれから。
しかし長年の勘というか、「この本は出る」と思う。
「出る」というのは、書店に並ぶという意味。
若いころには、1年間で、10冊の本を出したことがある。
ただし誤解がないように。
私は自費出版なるものは、したことがない。
私にとっては、自費出版は、屈辱以外の何ものでもない。

昨夜、ワイフに、「原稿はできたよ」と言うと、ワイフでさえ、驚いていた。
6日間というのは、私にとっても、最短記録。
明日から推敲に入る。
が、山登りにたとえるなら、下り坂。
家の建築にたとえるなら、内装工事。
あとは楽。

「あさってからはつぎの本を書くよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●64歳の生きがい

 恩師の田丸謙二先生は、80歳を過ぎてから、本を出版している。
80歳だぞ!
そういう(事実)が、私を勇気づける。
「先生ができるなら、ぼくにもできるはず」と。

 ……このところ、何をしても、落ち目。
負け戦(いくさ)。
それで本を書く気になった。

 人間というのは、怠惰な生物。
崖から落とされないと、空を飛ばない。
崖から落とされてはじめて、翼(つばさ)をもっていたことを知る。
言い換えると、安逸な生活からは、何も生まれない。
平凡は美徳だが、平凡な人生からは、ドラマは生まれない。

 が、同時に、私は感謝している。
何に対して……というのではない。
こうして前向きに、生き甲斐をもって文章が書けることに感謝している。
またそれができることに感謝している。
今回も、本を書く気になったら、6日間で、それができた。
そういう自分がうれしい。
それに感謝している。

●山荘にて

 ワイフは、先ほど、「12時には寝ようね」と言った。
素直に、私は同意した。
が、今は、まだ10時。
2時間、ある。
2時間も、ある。
で、この文章を書き始めた。
2時間もあれば、20ページは書ける。
単行本だと、120〜150ページで1冊の本になる。
そう考えれば、6日で、1冊の本を書くのは、それほどたいへんなことではない。

 もちろん内容にもよる。
目下、出版業界は、大不況。
それなりにインパクトのある本でないと、出版社がつかない。
で、月曜日に、企画書を、T社という出版社に送った。
このところT社の本を買うことが多い。
販売力がある。
それでT社にした。
すぐ「検討させてください」という返事が届いた。

 今は、そういうやり取りが、ネットを介して、即日にできる。
仕事のテンポが、20年前、30年前とは、比較にならないほど速い。
以前は、見本原稿を10〜20作、プリントアウトし、あちこちの出版社に原稿を送った。
こうしたやりとりだけで、数週間はかかった。

●盗作

 私が元気そうだと、ワイフも、うれしそう。
そうでないと、そうでない。
それがよくわかる。
「出版が決まったら、また温泉に行こうね」と声をかけると、うれしそうに笑った。

 もし出版が決まれば、10年ぶりの本ということになる。
先週までは、「原稿は無料で……」と考えていた。
しかし盗作、盗用、無断転載の多いのには、驚いた。
先月は、1000枚(40字x36行)近くが、あるサイトに、無断転載されていた。
「はやし浩司」の名前は、すべて削ってあった。
同時に、あたかも本人が書いたかのように、体裁を整えていた。

 こういうことがつづくと、まじめにものを書いている自分が、阿呆に見えてくる。
馬鹿ではなく、「阿呆」。
お人好しの阿呆。

善人になる必要はない。……私は善人ではない。
悪人でもないが、しかし悪人の餌になってはいけない。
その悪人が多すぎる。

 一方、私は、いまだかつて、(当然のことだが)、他人の文章を流用したり、あたかも自分の
文章のように偽ったことはない。
これを「盗作」という。
私は無名のもの書きだが、そんな私でも常に、自分にこう言い聞かせている。
「盗作したら、おしまい」と。

 ……若いころ、Kという日本を代表する作家と交流させてもらった。
たくさんの著作物を残した。
が、その作家は、N県に住む無名の作家の原稿を買い取り、それに自分の名前を載せ、本に
した。
それがその作家の死後、発覚した。
原稿を売った作家が、名乗り出た。
以後、そのKという作家は、文壇の世界から、消えた。
この世界では、「盗作」というのは、それを言う。

●挑戦

私「今さら、有名になりたいとは思わない。なってもしかたないし……」
ワ「じゃあ、なぜ本を書いたの?」
私「自分への挑戦みたいなものかな……。このところ脳みその老化を強く感ずる。気力も弱く
なってきた」
ワ「まだ、あなたは若いわよ」
私「そうかなア……。でもまだ10年くらいは、がんばれるような気がする」
ワ「そうよ。がんばれるわよ」と。

 2、3日、運動をさぼると、とたんに体がだるくなる。
動きが鈍くなる。
で、昨日、薬局で、栄養ドリンク剤を買ってきた。
たてつづけに、2本飲んだ。
それがきいた。
テレビのコマーシャルに出てくる男性のように、元気になった(?)。
「ファイト!」という、あれである。

 「あんなものは、効果がないよ」と言う人もいる。
しかし私にはきいた。
それで今夜も、この山荘へ来る前、ドラグストアに寄り、ドリンク剤を3本、買った。
「アリナミン・ゼロ7」と、瓶の表には、そう書いてある。
「7種類の有効成分が入っている」ということらしい。

●旅館の米

 ……ということで、今夜は気分がよい。
少しだが、昨日、ある出版社から原稿料が振り込まれた。
予定していなかっただけに、うれしかった。
即座に、「xx日に、温泉へ行こうか?」と私。

 ……と書いたところで、「待った!」。

 今夜もここへ来る途中、KE苑というラーメン屋に寄った。
全国規模のチェーン店を展開している。
その店で「ここでは、どこの米を使っていますか」と聞くと、店長がテーブルまでやってきた。
一枚のプリントアウトされた紙を、私に見せた。
それには、「栃木米と山形米のブレンド米」と書いてあった。
ともに、東北産。
どうして?

 2週間ほど前、浜名湖周辺のホテルや旅館に電話をかけ、調べた。
どこの米を使っているか、それを知りたかった。
結果、どこも東北産の米を使っていた。
この静岡県で、東北産?

 ファーストフードの、「すきや」では、鳥取米を使っていると教えてくれた。
そういうことなら、話もわかる。
が、どうしてどこも、東北産?

 このことを先日、タクシーの運転手に話すと、運転手はこう言った。
「ワシなんかさあ、3食とも、外食だよ。今さら、……遅すぎるよ」と。

 つまりもう手遅れ、と。

 ……ということで、今月は、温泉巡りは、2度だけ。
「お金が入ったら、温泉」という話は、あまりしない。

●相談

 たった今、マガジン読者の方から、相談が入った。
返事を書いた。
「相談内容を掲載してよろしいですか?」という一文も添えた。
明日の朝までに許可がもらえれば、掲載する。
許可がもらえなければ、回答の部分だけ、掲載する。

【はやし浩司より、NGさんへ】

(掲載許可が届かなかったので、回答の部分のみ。6月24日、朝記)

NG様へ

こんばんは。

NGさんは、すでに自分の過去を冷静に分析しています。
こうした問題は、過去を冷静に見ることができれば、半分は解決したことになります。 

あとは時間がかかります。
10年単位の時間です。

ただし一度傷ついた心は、もとには戻りません。
つまりもうもとに戻ろうとは思わないこと。
仲よくつきあうことです。

だれにも、ひとつやふたつ、大きな傷(トラウマ)があります。
私にもあります。
で、私のばあいも、もう闘うのをやめました。
受け入れたのです。
ぼくは、どうしようもない人間、とです。
あとは、そういう自分と知った上で、それに合った生活を組み立てていきます。

たとえば私は、この年齢になっても、夜がこわくてなりません。
ひとりで寝るのがこわいです。
だからいつもワイフといっしょに、寝ます。
ワイフは、もうあきらめていますが、そういう私と知った上で、つきあってくれます。 

NG様も、自分を責めてはいけません。
あなたはあなた。
みな、平然としていますが、傷のない人はいません。
またあなたが経験した程度の苦しみや悲しみは、乗り越えられるものです。
今は、お母様の介護で、たいへんでしょうが、この時期も、振り返ってみると、あっという間に終
わります。

なお「自己愛的」ということですが、一方で完璧主義になっていないか、注意してみてください。
世の中、いいかげんなものです。
今のあなたには、許せないかもしれませんが、そういうものです。
もし怒りを感じたら、文章なり、絵画なりに、それをぶつけてみたらいいですよ。
私はいつも、書きまくることによって、怒りを燃焼させています。
何か、そういう方法があるといいですね。
何か、ありませんか。

あなたはすばらしい経験をしています。
すばらしい青春時代を過ごしています。
ほかの人が見ることができない世界を見てきています。
そういった自分に自信をもちなさい。
それがあなたの灯台ですよ。
あなたの人生の、あなたの足元を照らしている。
あとはその光に沿って、前に進めばいいです。

ぼくも、さみしい。
あなたもさみしい。
みんな、さみしい。
けっして、自分だけがと思わないこと。
追い詰めないこと。

40歳?
うらやましいほど、若いですよ。
私はもうすぐ65歳になります。
が、負けてはおれない。
ということで、この6日間で、一冊の本を書き上げました。
来週から出版社との交渉に入ります。

40歳、すばらしい年齢ですよ。
エリクソン(ユングだったかな?)が説いた、まさに人生の正午。
どうか今というすばらしい時を見失わないように!
賢人は、それを失う前に、その価値を知ります。
愚人は、それを失ってから、その価値を知ります。
どうか賢人であってください。

なおたぶん、だめだと思いますが、いただいたメールを明日のBLOGに載せていいですか?
もちろん内容(固有名詞など)は、すべて改変し、NG様とはぜったいにわからないようにしま
す。
いかがでしょうか。
同じような悩みを抱えている人は、多いと思います。
みなの力になると思います。

最後に、あのマザーテレサは、こう書いています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【生き様論】「己こそ、己のよるべ」
(はやし浩司 2012−01−01夜記)

++++++++++++++++++++++++

年賀状を1枚、1枚、読む。
読みながら、こう思う。
「若いころは気づかなかったが、みな、それぞれの思いをもち、
年賀状を書いているのだなあ」と。

思いといっても、いろいろある。
平たく言えば、「こだわり」。

ことさら幸福であることを演出してみせる人、
虚勢を張る人、
有意義な人生を送っていることを自慢する人、
活躍ぶりを書いてくる人、などなど。

人はそれぞれ何かの負い目をもって生きている。
そういった負い目が、そのまま年賀状に表れる。
それが悪いというのではない。
人、それぞれ。
かく書く私だって、年賀状の中に、自分の負い目を織り込む。

子どものころからお金(マネー)に苦労した人は、
立派なビルを建てたことを、誇らしげに書いてくる。
家族に恵まれなかった人は、多人数の家族に囲まれた
写真のある年賀状を送ってくる。

その点、生徒がくれる年賀状には、イヤミがない。
ありのままを、そのまま書いてくる。
自分を飾らない。
おとなのような、腹芸を使わない。

では、私は、どうなのか?

これは年賀状をどうとらえるかによっても決まるが、
私は子どものころから、「年賀状というのは、それを
読んでくれる人を楽しませるもの」と考えていた。
だから毎年、趣向をこらし、あれこれと工夫した。

最近は、もっぱら読んでくれる人にとって、役立つことを
書くようにしている。
今年は、漢方で説く、五臓六腑論を図示したものを載せた。

が、このやり方が正しいというわけではない。
「年賀状は、人と人の絆(きずな)を深めるもの」と説く人もいる。
そういう人たちは、たがいに消息を知らせることで、
絆を深めている(?)。

要するに書き方も、人それぞれなら、解釈の仕方も、
人それぞれということ。
ただ最近の私は、年賀状をもらいながら、こう考える。
表面的な文言ではなく、また写真でもなく、「この人は
この年賀状で、みなに、何を伝えたいのか?」と。

そういう視点で見ると、中にはイヤミな年賀状もあるにはある。
こちらが聞きたくもないような話を、あえて年賀状の中に
織り込んでくる。
そういうときは、こう思う。
「ならば、どうして年賀状など、送ってくるのか?」と。

もちろん99・9%の年賀状は、もらってうれしい。
知りあいが元気でやっているのを知るのは、楽しいというより、
それによって、ほっとした安堵感を覚える。
ともすれば狭くなりがちな世界に、空間を与えてくれる。
過去という時間を与えてくれる。

ともかくも、人はそれぞれの負い目を抱きながら、生きている。
年賀状には、それがストレートに表れる。
年賀状を、そういう目で見るのも、また楽しい。

では、また硬い話を……。
平均余命まで、残り、15年を切った。
つまらないことを書き、時間を無駄にするのは、やめた。

+++++++++++++++++++++++++

【己こそ、己のよるべ論】

●ジョン・レノン

ジョン・レノンは、つぎのように言っている。

★You make your own dream. That's the Beatles' story, isn't it? That's 
Yoko's story . That's what I'm saying now. Produce your own dream. If you 
want to save Peru, go save Peru. It's quite possible to do anything, but not 
to put it on the leaders and the parking meters. Don't expect Jimmy Carter 
or Ronald Reagan or John Lennon or Yoko Ono or Bob Dylan or Jesus Christ to 
come and do it for you. You have to do it yourself. That's what the great 
masters and mistresses have been saying ever since time began. They can 
point the way, leave signposts and little instructions in various books that 
are now called holy and worshipped for the cover of the book and not for 
what it says, but the instructions are all there for all to see, have always 
been and always will be. There's nothing new under the sun. All the roads 
lead to Rome. And people cannot provide it for you. I can't wake you up. You 
can wake you up. I can't cure you. You can cure you.
……John Lennon, In Music/John Lennon

君は、自分の夢を作るよね。それはビートルズの物語だよね。それはヨーコの物語だよ。その
ことを今、ぼくは言っているよ。君自身の夢を生み出しなよ。ペルーを救いたかったら、ペルー
へ行って、救えばいい。何だってできるよ。しかしね、それをどこかのリーダーに任せたり、パ
ーキングメーターに任せちゃ、だめだよ。

ジミー・カーターや、ロナルド・レーガンや、ジョン・レノンや、ヨーコ・オノや、ボブ・ディラン、ある
いはイエス・キリストが、君のためにやってきて、君のためにするなんて、期待しちゃ、だめだ
よ。自分でしなければ、いけないよ。

それは、この世が始まってからというもの、偉大な人たちが、みんな言っていることだよ。彼ら
はみな、いろいろな本の中で、道を示して、道しるべを立て、少しのやり方を示すことはできる
よ。本の表紙を飾るために、神聖なとか、いろいろ書いてはあるけどね。しかしそのやり方とい
うのは、そこにあるんだ。今までもあったし、これからも、ね。

太陽の下には、何も新しいものはないよ。すべての道はローマにつづくよ。だれも、君のため
にはしてくれないよ。ぼくだって、君を起こすことはできない。癒(いや)すことはできない。君だ
けが、それをできるよ。
(ジョン・レノン・「In Music」の中で)

●仏教では

 ついでに言えば、釈迦だって、何もできない。
あなたに道を示すことはできても、あなたを助けることはできない。
いくらあなたが一心不乱に祈ったとしても、だ。
釈迦は、こう言っている。
『己こそ、己のよるべ』(法句経)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれ(誰)によるべぞ』(法句経)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●中日新聞に掲載記事より

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれによるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

(「原始」という言葉は、後の仏教学者たちが、(さげすむ目的)で使った。
北伝仏教を、「大乗仏教」と呼ぶのも、そのひとつ。
「自分たちの仏教こそが本物」という理由で、「原始」という言葉を使い、「大乗」という言葉を使
った。
「原始」という言葉に、誤った先入観をもってはいけない。)

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。
その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。 

好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。
子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。
が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。
先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。
大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになる
の!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。
「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするなど。
子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。
外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。
自分イコール、子どもというような考え方をする。
ある母親はこう言った。
「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを
殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。 

警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を
叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。
一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。その
原点をふみはずして、子育てはありえない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

法句経については、
何度も書いてきた。
以下の原稿は、2002年7月に書いたもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【家庭内宗教戦争】

 福井県S市に住む男性(47歳)から、こんな深刻な手紙が届いた。
いわく「妻が、新興宗教のT仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。
長い手紙だった。その手紙を箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。

●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のT氏のことばかり。

●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫し
てしまう。

●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ばれて
いなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。

●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やして
いる。
布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。

●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、(夫が)教団を批判しただけ
で、「今にバチが当る」と、(妻は)それにおびえる。

●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさまして」
と、逆にやり返される。

 今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。
たいていは夫が知らないうちに妻がどこかの教団に入信するというケース。
最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるときを超えると、急に、おおっぴらに信仰するように
なる。
そして最悪のばあい、夫婦は、「もう一方も入信するか、それとも離婚するか」という状況に追
い込まれる。

 こうしたケースで、第一に考えなければならないのは、(夫は)「妻の宗教で、家庭がバラバラ
になった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。
すでにその前からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。
それに気がつかなかったのは、夫だけということになる。

よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗
教がある。
とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘し、結果として、自分の勢力を
伸ばす。
しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み嫌った方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブ
ッダは、『スッタニパータ』(原始仏教の経典)の中で、つぎのように述べている。

 『それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ』(二・二六)と。

生きるのはあくまでも自分自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や
教団をつくり、自説の正しさを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダの
やり方ではない。
ゴータマ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。
死の臨終に際しても、こう言っている。

 「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたも
って、実践し、盛んにしなさい。
それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすものであって、その
ことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐(あわ)れ
むために、神々の人々との利益・幸福になるためである」(中村元訳「原始仏典を読む」岩波書
店より)と。

そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き
方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。

 また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。
事実、「あとの書かれた経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。

たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵経)が日本に氾濫(はんらん)している。
そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそ
が、唯一絶対である」と主張している。
それはそれとして、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しか
しその中でも、もっとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ
(釈迦)の教えにもっとも近いものということになるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、その
うちのひとつであるということは常識。

 中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威・故人)も、「原始仏典を読む」の中で、
「原典批判研究を行っている諸学者の間では、異論がないのです」(「原始仏典を読む」)と書
いている。
で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ(法句)』である。
中国で、法句経として訳されたものがそれである。
この一節は、その法句経の一節である。

 私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。

●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使っ
ていない。
いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。

●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。

しかし無量無辺に心が広いから、「仏(ほとけ)」という。
(だからといって、仏の心に甘えてはいけないが……。)
そういう仏が、自分が批判されたとか、あるいは自分から離れたからといって、バチなど与えな
い。

とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・ブッダなら、いちいちそんなこと、気にしな
い。
大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっている」とか、「バカ!」と言われて、怒るだろう
か。
バチなど与えるだろうか。
ものごとは常識で考えたらよい。

●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心のドア
を閉ざす。
「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」という視点で、夫 

婦のあり方をもう一度、反省してみる。
時間はかかるが、夫の妻に対する愛情こそが、妻の目をさまさせる唯一の方法である。 


 ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。
友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教えあい、助けあい、そして全幅の心を開いて
迎えあう関係をいう。
夫婦で宗教戦争をするということ自体、その時点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。 


繰りかえすが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危機的な状況になったのではない。 

すでにその前から、危機的状況にあったとみる。

 ただこういうことだけは言える。

 この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。
あるいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。
そういう人でも、つぎの鉄則だけは守ってほしい。

(1)新興宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。

(2)入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。

(3)仏教系の新興宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ(法句経)』を読んでからにし
てほしいということ。読んで、決して、損はない。

(02−7−24)

【注】

 法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。
話し言葉のままと言ってもよい。
もともと吟詠する目的で書かれた文章である。
それが法句経の特徴でもあるが、今の今でも、パーリ語(聖典語)で読めば、ふつうに理解で
きる内容だという(中村元氏)。
しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。

 仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。
寺の僧侶が読む経典にしても、ほとんどの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。
肝心の中国人が聞いてもわからないのだからどうしようもない。

さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる中国人は、ほとんどいな
い。
いるわけがない。

(サンスクリット語の当て字によるものというのが、その理由である。
たとえば、サンスクリット語では、「ナム」=「帰依する」、「ミョウホウ」=「不思議な」、「レンゲ」
=「因果な物語」を、それぞれ意味する。
それぞれに漢語(中国語)の漢字を当てた。

だから「南無妙法蓮華」は、「不思議な因果な物語」という意味になる。
南無も、妙法も、蓮華も、すべて当て字。)

そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、祭壇の前で、僧侶がうやうや
しく読みあげる。
そしてそれを聞いた人は、意味もなくありがたがる……。
日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。

 それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年からそ
れ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。

中村元氏は、生前、何かの本で、「大乗非仏説」(チベット→中国→日本へ入ってきた大乗仏
教は、釈迦の説いた本来の仏教ではない)を唱えていたが、それが世界の常識。
こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、この日本ということになる。

 たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということは書いてある
が、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。
むしろ法句経の中には、釈迦が来世を否定しているようなところさえある。
法句経の中の一節を紹介しよう。

 『あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない』※

 来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。
そういう意味では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。
「チベット密教そのもの」と主張する学者もいる。

 チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治めたり、人の病気を治したりす
る。
護摩(ごま)をたくのもそのひとつ。
みなさんも、どこかの寺で僧侶が祭壇でバチバチと護摩をたいているところを見たことがあると
思う。
あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、仏教の儀式ではない。
釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を否定すらしている。

『木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。
外のものによって、完全な清浄を得たいと願っても、それによっては清らかな心とはならない。
バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、内部の火をともす』(パーリ原点協会本「サニュッ
タ・ニカーヤ」第一巻169ページ)と。

 仏教は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではないだろ
うか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過去
論 前世論 未来論 来世論 はやし浩司 仏教論 日本の仏教 法句教 ダンニパダ ゴー
タマ・ブッダ はやし浩司 木片を焼いて バラモン はやし浩司 中村元 中村 元 原始仏教
 北伝仏教 大乗仏教 はやし浩司 パーリ原本協会)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2003年6月、今から9年ほど前に
こんなことを書いていた。

宗教とは何か。
それについて書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●未来と過去

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるという。
ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。
しかしこれには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。
反対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。
もちろんどちらがよいとか、悪いとかいうのではない。
ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後
は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。
それはほとんど毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。
そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、ない。
が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。今度は、
私の生きザマが、それにかかわってくる。
私にとって大切なのは、「今」。
10年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」と
いう程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。
しかし釈迦の経典※をいくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。
イエス・キリストも、天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。
日本に入ってきた仏教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベ
ット密教とミックスされてできた経典である。
とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。
あるいは「あればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。
本当のところはよくわからないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしても
できない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなもの
を、神や仏が、相手にするわけがない。
少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手にしない。
どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。
小市民的で、スケールも貧弱。
仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。
与えられた「今」を、徹底的に生きる。
それしかない。
それに老後は、そこまできている。
いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。
そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむ
ようになったら、おしまいということ。
あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまい
ということ。
そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるも
のはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々に前進
することこそ、大切だ」と教えている。
しかも「死ぬまで」と。
わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。
そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。
人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。
過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 1年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

【前向きの人生、うしろ向きの人生】

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。
しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。
しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。
自信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70歳)が
いた。
その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた人だった。
くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を5人ほど雇うほ
どまでになった。
が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸前にまで
追い込まれた。
(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってから二年後に他界している。)

 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をして
いた。
が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。
その人には、私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。
「母は、異常なまでにケチになりました」と。
たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出し
たという。
「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。
値段も、2000円とか3000円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。
つぎからつぎへと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。
波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。
船が止まってもいけない。
航海していて一番こわいのは、方向がわからなくなること。
同じところをぐるぐる回ること。
もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はない。
死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。
雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。
唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がいる。
しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。
いくら釣りがうまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率
を暗記しても、それがどうだというのか。
そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。
昨年、私はある会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、八〇歳を過ぎた
女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。
私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚いた。
「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。

「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばら
しい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。
しかしそういう航海からは、ドラマは生まれない。
人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。
そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。
人生の大波小波は、できれば少ないほうがよい。
そんなことはだれにもわかっている。
しかしそれ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。
その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き
になる。
そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。
信仰があるから、人は信仰するのではない。
あくまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。
よく神が人を創(つく)ったというが、人がいなければ、神など生まれなかった。
もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって説明するのだろうか。
これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。
ひょっとしたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。
しかし嘆くことはない。
そのあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。
たとえば昆虫が進化して、昆虫人間になるということも考えられる。
その可能性はきわめて大きい。
となると、その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。
隕石の衝突が恐竜の絶滅をもたらしたという。
となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。
そのときの恐竜には神はいなかったのかということになる。
数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数十万年など、マバタキのよう
なものだ。
お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。
しかし数十万円では、パソコン一台しか買えない。
数億年と数十万年の違いは大きい。
モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000年ほど
前のこと。
たったの6000年である。
それ以前の数十万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているので
はない。
この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多い。
だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。
そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。
そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。
(だからといって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)
仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というの
は、そういうものを期待してするものではない。

ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマパダ」)、つ
まり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているので
は……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどう
かを決めるのは、私たち自身である。
仏や神の意思ではない。
またそのふんばるからこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。
ドラマもそこから生まれる。
 
 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。
毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その一人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。
たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。
そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。
いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが
……)、さらに困る。
もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格
で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。

「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。 

そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。

が、何も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。 

またその女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。
その女性の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。
この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言っては
ならない。
まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずすようなもの。
ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。
何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないこと
と言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。
そしてどうすれば、うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生はおしまいと思っている。
そういう人生は敗北だと思っている。
が、いつか私はそういう人生を送ることになるかもしれない。
そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようにな
るかもしれない。
私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。
歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという
間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。
しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。
生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。

……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく
気になる。
電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察する。 

先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目
的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考え
ているのだろう」と。
そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。
その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと考えている人も多い。
中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。
クシャクシャになったオートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。 


人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。 

愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでし
まうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。
しかしふと油断すると、いつの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていく
のがわかる。
それは実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。
何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。
それは体の健康と同じで、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。
ゴータマ・ブッダは、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。
精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始める。
そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。 


 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(以上、2003年06月13日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自分の力で生きる

 生きることは、孤独なこと。
自由に生きようと思えば思うほど、
またひとりで生きようと思えば思うほど、
孤独。

が、孤独を恐れてはいけない。
孤独であるのが、当たり前。

 最後にマザーテレサの言葉をあげる。
あのイエス・キリストも孤独だった、と。
マザーテレサは、そう説いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

 イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いている。こ
の中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことである。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the 
hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus 
himself experienced this loneliness. He came amongst his own and his own 
received him not, and it hurt him then and it has kept on hurting him. The 
same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by 
and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles 
Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.

 キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物として
のパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも
受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身
も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も
孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹というこ
とになる。

(終わりに一言)

 マザー・テレサのこの言葉には、本当に勇気づけられる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 孤独論 マザーテレサ hunger 渇き イエスキリスト はやし浩司 マザーテレサ
 キリ 
ストも孤独だった イエス・キリスト 孤独論 はやし浩司 マザー・テレサ)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm           
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 29日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(前回のつづきです。)

NG様へ

みんなで力を合わせて、生きていきましょう。

では

はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●6月24日

 今朝は6時に目が覚めた。
さわやかな朝だった。
山荘ではいつもそうだ。
梅雨時でも、湿っぽさの中に、さわやかさを感ずる。

 そうそう、昨夜知ったが、今回の台風4号で、入り口にあるコナラの木の枝が折れた。
人間の太ももほどもある、太い枝で、押してもビクとも動かなかった。
今週中に、チェーンソーをもってきて、シイタケの原木を作る。
その枝だけでも、20〜30本は、できそう。
こういうのを、「怪我の功名」という。
大辞泉には、こうある。
「過失や災難と思われたことが、思いがけなく好結果をもたらすこと。
また、何げなくしたことが、偶然にも好結果を得ること」と。

 「怪我の功名」ね?
「語源由来辞典」(ネット)には、つぎのようにある。

「怪我と書くのは、当て字。
……本来は過失を意味し、その過失から生まれる失敗(けが)を含むようになった。
……語源は未詳であるが、『けがる』『けがれる』が語源かと思われる」と。

 どうして怪我を「怪我」というか、今朝、その意味をはじめて知った。
と、同時に、これからは「ケガ」もしくは、「けが」と書くことにした。
当て字は、できるだけ避けるようにしている。

●朝雲

 山間(やまあい)の谷では、小綬鶏(コジュケイ)が、鳴いている。
♪チョットコイ、チョットコイ……と。
空は曇り、その向こうに、まだらになった薄い青空が見える。
台風5号が近づいているということだから、断言はできないが、昼前にはこの雲も晴れるはず。
私は勝手に「朝雲」と呼んでいる。
夜明け前後に山間を覆う雲のことをいう。
大地のぬくもりが残っているとき、冷たい風が上空を覆うと、朝雲が発生する。

 こういう朝は、小綬鶏の声が、シンと胸に響く。
もうすぐホトトギスも鳴きだすはず。
♪トーキョートッキョ、キョカキョクと鳴く。
……が、この曇天では、どうかな?

●帰り支度

 ワイフは、まだ眠っている。
時刻は、午前7時、ちょうど。
私は帰り支度を始める。
今日は原稿の推敲で、忙しい。
それにPippi(ぼたんインコ)に会いたい。

 人間の子どもにたとえるなら、もう自立期に入ったらしい。
勝手に部屋から部屋へと飛び回っている。
用がないときは、私たちには見向きもしない。
名前を呼んでも、近くへ来ない。
が、そのくせ、何かこわいことがあると、サーッと私のシャツの中に入ってくる。
先日、大雨が降ったときもそうだった。

 で、そのときこんなことがあった。
シャツの中にいたPippiが、突然、モゾモゾと動き出した。
あちこちを動き回った。
肩から胸へ、胸から腹へ……。
何ごとかと思って見ていると、外へ出てきた。
出てきたところで、糞をした。
で、その糞が終わると、またシャツの中へ。
一目散にシャツの中へ。
その様子が、便をしたくて焦る人間の姿に、よく似ていた。
私は糞をティッシュペーパーで拭きながら、笑った。
 
 Pippiは、本当に楽しい。

 ……ということで、今朝は、ここまで。
35枚程度の原稿になった。
この2倍もあれば、1冊の本になる。
分量的には、そうなる。
来週は、別の本に挑戦してみる。
2012/06/24記

【NGさんより、はやし浩司へ】

●今日(2012年6月23日夕)、NGさんより、返事が届いた。

+++++++++++++++++++

はやし浩司先生

こんにちは。今日は蒸し暑いお天気ですね!
私からの一方的な長々としたメールに対して、早々に丁寧なメールの返信を頂き、恐縮してお
ります。
先生からのメールを読んでみて、傷ついた心についてはもう、皆同じような傷を一つや二つ持
っている
ものだと思い、仲良くつきあうことにしようと思いました。
そして、今までつまらない青春時代を送ってしまったと思っていましたが、先生の

>あなたはすばらしい経験をしています。
>すばらしい青春時代を過ごしています。
>ほかの人が見ることができない世界を見てきています。
>そういった自分に自信をもちなさい。
>それがあなたの灯台ですよ。
>あなたの人生の、あなたの足元を照らしている。
>あとはその光に沿って、前に進めばいいです。

の言葉に涙が出ました。まるで父親からかけられた言葉のように思いました。
そして、結婚については、ゆっくり焦らず、お釈迦様の教えをよく考えて、そういう人に巡り会え
たらしようと思います。

> ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。
>友というのは、いたわりあい、なぐさめあい、教えあい、助けあい、そして全幅の心を開いて迎
えあう関係をいう。

そして、自らを灯火とし、今が一番の正念場と思い、正しく舵を取り、自信を持ってこれからの
残りの人生を日々一日一日を
懸命に生きて行こうと思いました。
私のメールですが明日のBLOGに載せて頂いて構いません。むしろ取り上げて頂いて有難く
思います。
(先生のBLOGのアドレス教えて頂けますでしょうか?)
それでは、みんなで力を合わせて生きて参りましょう。
先生のご健康とご活躍をお祈りしております。
ありがとうございました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●NGさんからのメール(掲載許可をいただけましたので、紹介させてもらいます。)

【 年 齢 】:40 歳
【 性 別 】:女性

はやし浩司先生へ

はじめまして、私40才のS県在住の女性、NGと申します。
私は現在うつ病(統合失調質人格障害)を患っており、精神科にかかっております。
が、なぜこんな病気になってしまったのかと、その原因が何かとずっと悩んでいます。

それで、先生がギャングエイジに関してHPに書いておられることを知り、ギャングエイジで失敗
をした経験がずっと心から離れないので、ぜひ先生にお話を聞いて頂き、解決の糸口を見つ
けたいと思い、メールさせて頂きました。
私の経歴を以下に記します。

6ヶ月……新興住宅街に父が家を建てたため引っ越してくる。
近くの幼稚園が数が足りず、入れなかったため、親たちが作った幼稚園(地元の神社の境内
にあった)に通う。
親しい友達は近所の男の子と、転入生の女の子2人だけだった。

小2年……ギャングエイジで親しい女友達と男友達と性的な仲間集めの遊びをしていたのだ
が、学校の帰りの会で、皆の前で立たされ、叱られ、その恥ずかしさのあまり、それまで活発
だった性格だったのが、一転、目立たない様に、おとなしくするようになってしまった。

(担任の先生にはギャングエイジについての知識がなかったのか? 
この時静かに見守ってもらっていたら、違う人生だったのではないかと思う。)

小3年……クラスのある男の子をいじめてしまい、差別だと言われまた帰りの会で叱られ、ま
た落ち込む。
完全に心を閉ざ すようになってしまう。

小4年……同じ学年の優秀な女の子(幼稚園も一緒だった)に誘われ、キリスト教の教会の日
曜学校へ通いだす(数年続く)。
暗唱成句を守る生活をするようになる。

小5年……アイドルブームで周りの女の子が華やかになって行く中で、自分だけついていけな
いことに悩みだす。

小6年……一度登校拒否のような早退をしたことがあった。
中1年……校則の厳しいマンモス校で、はじめ、友達を作りやっていけるかどうか不安で、泣い
たことがあった。
誘ってくれた友人は、私立の御三家の中学へ進学。
クリスマスに久しぶりに教会へ行ったが、彼女が既に洗礼を受けていることを知り、ショックを
受け、行かなくなる。
好きな私服が選べなくなる。
親に買って欲しいとも言えなくなる。

中2年……優等生を演じることで必死だった。
中3年……とにかく3年間部活動と受験勉強に明け暮れ、身も心もボロボロになっていたと思
う。

高1年……地区で2番めに優秀な進学校へ入学。
部活と勉強に必死。
独りで繁華街をさまよい買い物依存症が始まる。

高3年……受験勉強のため塾通いを始める。
帰りは夜10時。

大1年……中学1年の時に好きだった男子の通う大学の近くのN大英文学科に入学したが、
サークルには入らず、勉強が辛い毎日。
夜は歯科助手のアルバイト。
帰りは10 時。

大2年……姉が結婚して家を出る。
父が脳梗塞で左側軽い半身不随になると同時に退職。
お酒を辞めない。
母がだんだんヒステリーになっていく。
姉を失った悲しさから1年間泣き通し。
好きだった男の子とデートに行くも、帰り家まで送ってもらえず、都内の駅でそのまま別れ、失
恋したと思い込む。
勉強が大変で、そちらばかりに打ち込む。
他大から来た老教授に見出される。

大3年……辞書学研究会に入れてもらう。
英語での論文に悩む様になる。
老教授からセクハラを受けるが、何も言えず我慢する。
女子大育ちの女性教授との板ばさみになる。

大4年……出身中学へ教育実習へ行った後、胃を壊し、以来35歳まで胃腸科通いが始まる。
(この時精神科受診していれ ば良かったと今後悔している)
就職活動の要領がわからず、老教授の勧めもあり大学院進学を決める。

院1年……ほとんど授業に着いていけない辛い毎日。
院2年……途中、老教授の計画に組み入れられ英国留学。
日本人の人たちとの人間関係に悩み、好きでもない男性
から結婚を迫られ、ノイローゼになり夜眠れなくなり、帰国。

24歳……昼夜逆転の自宅療養生活を1年間続ける。

25歳……女子大の女性教授の世話でT大の言語学関係の研究室でアルバイトを始めるが、
辛い毎日。
科学研究費の裏金工作をさせられる。

28歳……我慢できず大学のアルバイトを3年半で辞める。

29歳……パソコン教室に通いだす。

30歳……眠れなくなり初めて精神科受診。
自己愛神経症の診断。
父他界。
生命保険会社で営業職を始めるも3ヶ月で辞める。

31歳……父他界の数年前から母が認知症に……自宅療養兼介護。

32歳……自宅療養と介護。

34歳……派遣契約社員としてIT企業のコールセンターで働くも、年下の男性が好きになり、結
婚したいと言ったら、結婚とは唐突ですねと言われショックで薬を大量服用し、胃腸科に入院。
退職。
年内にまた2度大量服用し、年が 明けて精神病 
院に入院(7ヶ月)。
うつ病(回避性人格 障害)の診断。
母は母の友人(クリスチャン)の経営するグループホームに入居。

35歳……退院し、実家に一人で戻って来る。
母の友人(クリスチャン)に再び教会へ連れて行かれる。

36歳……自宅療養。
37歳……エビリファイという薬と出会い、体調が改善し、近所のスーパーの清掃員のアルバイ
トを始める。
統合失調質人格障害と診断。

38歳……初めて男性と付き合う。

39歳……ブログを始める。

40歳 現在に至る。

教会の牧師から、52歳の男性との結婚を勧められているが、気が進まないのです。
もともと自分が行きたくて行き始めた教会ではないし、信仰も子どもの頃はあったような気がす
るが十字架の意味は未だ分からないです。
最近、信じているのかよく分からないのに、信仰告白してしまいました。
もう40歳、誰も結婚してくれる年齢ではありません。

思春期のつまづきにより辛いことだらけだったが、妥協して好きでもない男性と結婚するのが
良いのか、もうこのまま一生独身で居るか、迷っています。
実家で一人が一番気楽ですが、経済的な不安があります。
なぜこんな病気になってしまったのか、原因が何にあったのか、知りたいです。
長々と申し訳ありません。
先生のご意見をお伺いしたいです。
ギャングエイジを失敗させられたことを今から訴えることは出来ますか?
だれが先生に知らせたか未だに分かりません。
藁をもすがる思いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

S県NGより

2012/06/24記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ザワザワとした不安感(6月26日朝記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 昨夜床に就いてから、あちこちのニュースサイトをのぞく。
Bloombergm、ロイター、MSN……。
とたんザワザワとした不安感?
得体の知れない不安感?
「このまま世界は、どうなるのだろう……」と。

 欧州不安は、今や、世界中に拡大しつつある。
インド、ブラジルからも、資金の引き上げが始まっている。
予想はされていたこととはいえ、実際に始まると、「この先は……?」と、どうしても考えてしま
う。

わかりやすく言えば、世界中が、札の印刷合戦をした。
「我も、我も……」と、札を市中へばらまいた。
日本にいるとその実感は薄い。
が、世界中が今、バブル経済状態にある。
そのバブルが、はじけ始めた?

 が、それにしても、この不況感はどこから来るのか?
今、市中を歩いても、どこも元気がない。
飲食店や販売店は言うに及ばず、ふと足下の商店街をながめると、どこもシャッターを下ろし
たまま。
こんな状況であるにもかかわらず、消費税はあがり、札は紙くず化する。
本来なら、強固な政府が、国民を先導しなければならない。
が、この体(てい)たらく!
与党は目下、内ゲバ状態(6月25日現在)。

 消費税UPに賛成なわけではないが、今ごろ消費税をあげても、焼け石に水。
どうしようもない。
その前に、どうして行政改革をしないのか?
無駄な公共事業をやめないのか?
借金に借金を重ね、道路ばかり立派にしても、しかたない。

 それを話すと、ワイフはこう言った。
「若いときなら、5年くらいなら穴にこもることもできるわ。
経済の回復を待てばいい。
でも、私たちの年齢になると、それができないわね」と。

 5年も待ったら、私も70歳。
再起不能。
だったら「今」にしがみつくしかない。
この緊迫感。
この悲壮感。

 そう言えば、G県で理容業を営んでいる友人(65歳)も、こう話していた。
「もう店を閉めようかと思っている」と。
が、閉めたら最後、未来が消える。

 で、先ほど、個人商店の景況概況を調べてみた。
が、カメラ店、メガネ店、文具店……どれも10%〜30%の落ち込み。
自転車屋も悪い。
群馬県T市の調査結果をみると、従業員1〜2人の零細商店ほど、落ち込みがはげしい。
大手販売店の安売り競争が激しさをます中、小売店が、どんどんと廃業に追い込まれている。
つまりこの日本は、足下から、総崩れ。
ガタガタ。
そこで若い人たちは、公務員を目ざす。
「公務員になれば、安泰」と。

 が、この状況は、5年前、10年前のギリシャそのもの。
その結果が今ということであれば、どうしても悲観的にならざるをえない。

 ……そう言えば、そのギリシャ。
緊縮案賛成派が政権を握ったが、握ったとたん「緊縮案の実行を2年、延期してほしい」と。
つまり「公務員の削減を2年、延期してほしい」と。
だったら、「賛成派」というのは、おかしい。
「拒否派」と同じ。
あの「やりなおし選挙は何だったのか」と。
そういうことになる。

だからということもあり、ドイツのメルケル首相が、態度を硬化させた。
「こんなことを繰り返していたら、モラル・ハザードが起きる」と。
(すでに起きているが……。)

 はっきり言えば、右も左も、メチャメチャ。
この日本もメチャメチャ。
数日前、ある経済評論家は、こう書いていた。
「これ以上、EUに深入りするな」と。
が、日本はすでに深入りしすぎている。
銀行株、証券株の値動きは、EUの動向にそのまま直結している。
それがその証拠。

 「どうなるんだろう……?」と考えたところで、思考停止。
昨夜は、睡眠導入剤を、そのあと半分割って、のんだ。
「私の知ったことではない」というニヒリズム。
「私ひとりが心配したところで、どうにもならない」という無力感。
それらが混然一体となり、ザワザワとした不安感につながった?

 ともあれ、昨夜は昨夜。
今朝は今朝。
やるべきことをやり、前に進むしかない。

(朝食までの目標)

(1)マガジン7月号の準備をする。
(2)BLOGに原稿を載せる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ぼたんインコ】

●ぼたんインコのPippi

 子育てを模擬体験してみたかったら、インコを飼ってみるとよい。
セキセイ・インコよりも、ぼたん・インコ。
(おかめ・インコのほうがよいと言う人もいる。
頭もよく、感情も豊かという。)

 生後3〜4週間目ごろに、信頼のおける小鳥やで、買い受けるとよい。
それ以前だと飼育がむずかしい。
それ以後だと、飼い主に馴れるのに時間がかかるという(小鳥屋の主人の話)。

中には、劣悪な環境で、生まれ育ったインコもいるという。
人間並みに、大きな心の傷をもっていることが多いという。

 その3週間目あたりから、インコは、人間でいうなら、幼児期に入る。
幼児期前期(自律期)。
「しつけ」の時期と考えるとわかりやすい。
この時期は、静かに、穏やかに育てる。
この飼育方法も、人間の子どもと同じ。

 またこの時期に甘やかしたり、好き勝手なことをさせると、やがて手に負えなくなる。
自分が「主人」で、人間のほうが、「従者」になる。
自分のわがままが通らなくなると、攻撃的になる。
もちろん乱暴に扱うと、攻撃的になる。
あの太いクチバシで、人間の指を強くかんだりする。
人間の耳程度なら、かみちぎってしまうという。
 
 ぼたんインコは、きわめて好奇心が旺盛な鳥である。
一通り何でも、やってみないと気が済まないらしい。
たとえば人間の私が、何か新しいものを使っていたとする。
食べ物でもよい。
ぼたんインコは、かならずそばに来て、それが何であるかを確かめようとする。
その時期はずっとつづくという。
飼育本によれば、それが2〜3年もつづくという。

 で、生後2か月ほどで、飛び回るようになる。
それ以前は、二足歩行で、トコトコと歩き回る。
穴を見つけると、そこへ入っていく。
が、飛び始めると、今度は、穴には入らなくなる。
鳥のばあい、(飛び立つ前)と(飛び立つようになった後)とでは、行動パターンがまったくちが
う。

 飛び回るようになると、日に日に、行動半径を広げていく。
飛び方も、速くなる。
人間の子どもでいうなら、幼児期後期(自立期)。

ぼたんインコの翼は、たとえば文鳥のそれとは比較にならないほど、厚みがある。
その分だけ、飛び方も荒い。
(パッと飛び立ち、その瞬間ガクンと方向を変え、ストンと下降したあと、前に進んだりする。)
もちろん動きも、速い。
(20畳程度の部屋でも、1〜2秒前後で1周する。)
生後3か月ほどで、人間でいうなら、児童期(学童期)に入る。
で、この時期までに、いかにして、人間との信頼関係を築くか、
それがぼたんインコを飼うときには、きわめて重要である。

 たとえばときに、強く叱らなければならないときがある。
(ぼたんインコには、ぼたんインコなりの理由があるのだが)、ときに、人間の指に強くかみつく
ことがある。
「痛い!」と声をあげるほど、痛い。
そういうときは、思いっきり強く息を吹きかけるとよい。
それによって怒っていることを示す。
(この方法は、飼育本で知った。)
叩いたりしてはいけない。
息を吹きかける。

 ぼたんインコは、その息でひるむ。
またその後は、人間の指をかみつくようなことはない。
で、そのとき信頼関係ができあがっていれば、そのあとすぐ、関係は修復される。
口元にやってきて、餌をねだったりする。
が、信頼関係ができていないと、今度は人間を避けるようになる(……という。)
あとはこの悪循環の中で、たがいの心は離れていく。

 つまり、この点も、人間の子どもそっくり。
「同じ」と断言してもよい。

 で、我が家のぼたんインコは、もうそろそろ3か月目から4か月目に入る。
私が家にいる間は、ほとんど部屋の中で放し飼いにしている。
出かけるときだけ、鳥かごに入れる。

 頭のよい鳥だから、雰囲気でそれを察知する。
が、私はだますようなことはしない。
まず手の指の上に乗せる。
何度も、説得する。
「これから出かけるから、かごの中で待っていてよ」と。
その状態で、ゆっくりと体をつかみ、そのままそっと、かごの中に入れる。

 ……だませば、やがて「だまされた」ことを学ぶようになる。
信頼関係は、そのとき崩れる。
小鳥といっても、知的能力が高い分だけ、気を使う。

●ペット

 私が小鳥を飼い始めたのは、高校1年生の終わりごろだったと記憶している。
冬の寒い日だった。
岐阜市まで何かのことで、母と行ったついでに、文鳥を買ってもらった。
すでに成長になっていて、手を出しても乗ることはなかった。
が、寝食を共にするうち、やがて私に馴れた。
期間は忘れたが、2〜3か月もかからなかったのでは?
もともと手乗り文鳥として、育てられた鳥だった。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7450997166/" title="img567 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8165/7450997166_
ed968eac6a_z.jpg" width="640" height="537" alt="img567"></a>
(写真は、その文鳥の「フレンド」。新聞記事からして、東京オリンピックのころと思われる。フレ
ンドは、いつも私の弁当の残り物を食べていた。)

 「寝食」というのは、本当で、私は毎晩、その文鳥を手に抱いて寝た。
冬の寒い日はもちろん、夏の暑い日でも、その文鳥は私の顔に体をすり寄せて寝た。
1〜2度、体で押しつぶしそうになったことはある。
しかしその文鳥は、私が大学4年生のときまで生きた。

 私はあの文鳥で、ずいぶんと心を癒された。
学校から帰ってくると、まっ先にあいさつを交わした。
……というか、私の声を聞くと、かごの巣から落ちるようにして、私を迎えてくれた。
(ほかの人間には、指一本、体をさわらせなかったが……。)

 今でも、Pippiを抱くと、あのときの手の感触が戻ってくる。
フワフワとした羽。
腹のやわらかな皮膚。

 安心しきった表情で、手の中で眠っているのを見ると、心が癒される。
私まで、つられて眠くなる。
私にとって、小鳥というのは、そういうもの。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 Pippi はやし浩司 文鳥のフレン
ド)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


●義兄と話す


 今日、義兄と話した。
「基本的には、文章と言うのは、怒りを感じないと書けません」と話すと、ホウと感心してくれた。
平凡は美徳だが、平凡な人生からは、(怒り)は生まれない。
もちろん文章も生まれない。
生まれても、ただの駄文。


●親バカ


 たとえば自分への怒り。
称して「親バカ論」。
これについては、たびたび書いてきた。
今にして思えば、私たちは、こうまで息子や娘たちのために、自分の人生を犠牲にする必要は
なかった。
もっと自分の人生を楽しめばよかった。
大切にすればよかった。


 もっともそれでも、良好な人間関係があれば、まだ救われる。
親子であれ、兄弟であれ、親類であれ……。
が、その関係が破壊されたとき、その(怒り)は一気に、自分に向かう。
親子であれば、親バカだった自分に向かう。


 で、発見した。
『許して忘れる』は、「愛」の根幹だが、それは「私」以外の人たちには、有効。
「私」自身に対しては、無効。
自分を許し、自分を忘れることはできない。


 親バカ論については、このあたりで一度、頭を冷やしてから、またいつか書いてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●ドリンク剤


 今、机の上には、3種類のドリンク剤が並んでいる。
左から、「チオビタ・ドリンク」(T薬品製)、「新グロモント」(R社)、それに「Fight2000」(N社
製)。
それぞれに特長がある。
今、チビチビと飲んでいる「Fight2000」には、タウリンが2000r含まれているという。
何がどう効くかはよくわからないが、先日来、それらを飲むようになって、体が軽くなったのは
事実。
頭の中も、ついでにすっきりした。
これは「無水カフェイン」の作用によるものではないか。
3本の、どれにも含まれている。


 私は今まで、こうしたドリンク剤とは、あまりにも無縁の世界に生きてきた。
ああいうのは、ジー様やバー様が、気休めに飲むものとばかり、思ってきた。
が、いよいよ世話にならなければならないときが、やってきた。
つまり私も、いよいよジー様!


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●東京での講演


 今度、東京都のA区で、保育士のみなさんを相手に講演をすることになった。
その正式の依頼書が、昨夜、届いた。
が、それを見て、がっかり。
講師料として、「○千円(旅費込み)」とあった。


 ふつう公的な機関からの講演依頼については、講師料は交渉しない。
相手に任せる。
常識的な金額というのは、決まっている。
しかし○千円は、ない。
往復の旅費だけでも、1万6000円前後(新幹線利用)。
夜の講演だから、どこかに一泊しなければならない。


 それを見て、即座に、断りのFAXを返した。
「今回は、お引き受けできません」と。


 が、昨夜はそれがあって、夜遅くまで眠られなかった。
悲しいというより、さみしかった。
「私のしてきたことは、こんな程度のことだったのか」と。
(実際に、こんな程度のことだが……。)


 浜松市の皆さんは、ご存知ないかもしれないが、この逆だと、講師料は、30万〜50万円が
相場。
(「逆」というのは、東京から講師を呼ぶことをいう。)
少しテレビの露出度が高い人だと、100万円前後。
もちろん旅費、宿泊費は別。


地方コンプレックスというか、「東京から来た」というだけで、この浜松の人たちはみな、ありが
たがる。
もちろん上には、キリがない。
ニュースキャスターをしていたTS氏(故人)は、ワンステージ、100〜150万円。
(この金額は、プロモーターの人から、直接聞いた。)
2泊3日の講演旅行で、4〜5ステージこなし、東京へ帰っていったから、掛け算をすると…
…?
バカバカしいから、計算しない。
(そう言えば、アメリカの元副大統領が、北海道のどこかで講演したときには、ワンステージ、1
000万円だったとか。)


 翌朝、一番に、主催者の方から、単位を1ケタまちがえました……と連絡が入った。
「○千円ではなく、○万円です。タイプミスです」と。
それですぐ傷が癒(い)えたわけではないが、ほっと一息。
よかった。
うれしかった。
「やはり悪い人はいない」と自分に言い聞かせた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


 
●悪い人はいない?


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


基本的には、人は、みな、善人。
悪人と呼ばれる人もいるが、その人の責任というより、生まれ育った環境による。
たとえばオーストラリアでは、レバノン人による犯罪がよく問題になる。
日本では考えられないような犯罪が、多い。
残虐というより、凶悪?
猟奇的?


が、そういうレバノン人を責めてはいけない。
彼らもまた戦争の犠牲者。
オギャーと生まれたときから、戦場以外の世界を知らない。
硝煙の臭いと、飛び散った血しぶき。
そういう中で、幼児期、少年少女期を過ごし、そのままおとなになった。


もちろんそういう人たちは例外であるとしても、逆に、心豊かで、愛情に包まれて育った人の方
が、少ない。
ほとんどの人は、ひとつやふたつ、何らかの問題をかかえた環境の中で生まれ育ち、心に何ら
かの傷を負っている。
傷のない人は、いない。
みな、その傷を負いながら、またその傷と闘いながら、懸命に生きている。


最近知ったことの中で、興味深かったのは、たとえば「いじめによって、脳に、本当に目に見え
る傷がつく」という事実。


たとえば東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁
桃核に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」という。


傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジトロ
ン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)が、こうした機器を使っ
て、撮影されている。


中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。


『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身
のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『いじめは、脳
を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。


 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。


こうした科学が進めば、やがて犯罪の動機や中身、さらに原因すらも、科学的に説明されるよ
うになるかもしれない。
「悪いのは、その人ではない。その人の脳に刻まれた傷である」と。


(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 いじめ 障害 傷害罪 扁桃核 犯罪と心の傷 はやし浩司 心の傷 トラ
ウマ 東北大学 松坂)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●6月28日(怒りがないと、文章は書けない)


 どこか蒸し暑いが、それでも初夏の冷気を肌のどこかで感ずる日がつづいている。
ものを書くには最高の季節……と書きたいが、こういうときほど、人間は怠け者になる。
今日も義兄に会い、義兄にこう言った。
「ものを書くには、怒りが必要です」と。
このことは先にも書いた。


 事実、そのとおりで、(怒り)が、ものを書く原動力になる。
平凡は美徳だが、平凡な生活からは、何も生まれない。
ただし(怒り)といっても、個人の、つまらない人を相手にしても意味はない。
社会や政治、不公平や不平等……。
(怒り)にも、普遍性が必要。
明日になれば、ひっくり返るかもしれないような、そんな不安定なものを相手にしてもしかたな
い。


 その(怒り)。
たとえば今、私は「日本ユニセフ協会」に、大きな疑問(怒り)を覚えている。
昨日も、協会から、寄付金募集の書類一式が届けられた。
今日、義兄の家にも届いたという。
どこでどう、私たちの住所と名前を調べたのか。
(私は自分の住所名前は、電話帳にも出していない!)


 宗教団体であるにせよ、慈善事業団体であるにせよ、人の心を対象に募金活動を行う団体
は、慎重の上に慎重に行動してほしい。
けっして人の心をもてあそんではいけない。


(難民救済)という高邁な精神と、(寄付金をダイレクトメールで募(つの)る)という低次元な行
為は、矛盾する。
有名人を広告塔に仕立て、募金活動をするというのも、これまた低次元。


 そういった救済活動を、下から積み重ねてきた人が、寄付金を募るというのなら、まだ話もわ
かる。
が、実際には、日本ユニセフと国連のユニセフは、「密接に連絡を取りあっている」程度の、関
係(ウィキペディア百科事典)という。
もちろんまったくの別組織。
詳しくは、ウィキペディア百科事典で調べてみたらよい。


 つまりわかりやすく言えば、日本ユニセフは、ただの集金団体。
募金の20〜30%は、そのまま日本ユニセフの活動資金として使われている。
が、こんなおいしい話はない。
見方によっては、国連の1機関の名を語り、現金を集め、その一部(上限30%)を自分たちで
使用している。
その(おいしい)という部分に、私はかねてより、胡散(うさん)臭さを覚えている。


 百歩譲っても、今の日本は、それどころではない。
3・11大震災、それにつづく原発事故……。
問題はまだ何一つ、解決していない。
放射線被害が顕在化するのは、これから。
また「難民」といっても、現在の北朝鮮を見ればわかるように、そこには政治問題が複雑にか
らんでいる。
金正恩政権になってからでも、すでに2万人ほどの餓死者が出ているという(報道)。
が、日本は、食糧援助を停止している。
「難民がいる。さあ、援助!」というのは、ものの考え方が、少し短絡的すぎるのではないか。


 が、私たちがもっとも心配するのは、「偽善」。
この世の中には、弱者や貧者を理由(口実)に、そういった人を利用しながら、自分の名誉や
地位、さらには財力や権力に結びつけていく人がいる。
そういう偽善者の、「餌(えさ)」にだけは、なってはいけない。
日本ユニセフ協会がそうであるというのではない。
ないが、どうも内容がよくわからない。
日本ユニセフ協会の行動については、これからも注視していきたい。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457126020/" title="封書表紙 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7276/7457126020_
35c1bd4df1_z.jpg" width="344" height="640" alt="封書表紙"></a>
(届いた封書)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457126234/" title="封書、差出人と
なっているアドレス by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7276
/7457126234_16eb0ced86_z.jpg" width="225" height="640" alt="封書、差出人となっているア
ドレス"></a>


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457126628/" title="アドレス+国連
のユニセフマーク by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8008/
7457126628_4a9214d8e4_z.jpg" width="640" height="116" alt="アドレス+国連のユニセフマ
ーク"></a>


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457126628/" title="アドレス+国連
のユニセフマーク by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8008/
7457126628_4a9214d8e4_z.jpg" width="640" height="116" alt="アドレス+国連のユニセフマ
ーク"></a>


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457127600/" title="i by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8014/7457127600_
5cb8920492_z.jpg" width="331" height="640" alt="i"></a>
(封書の裏面)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457128162/" title="img572 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8141/7457128162_
1852fd8dc5_z.jpg" width="293" height="640" alt="img572"></a>
(同封されたシール。どうしてこんな無駄遣いをするのか?)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457128754/" title="img573 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8164/7457128754_
ff3728f708_z.jpg" width="455" height="640" alt="img573"></a>
(活動資金の流れ)ここには、日本ユニセフ協会が、20〜30%、自分用に使用している旨
は、いっさい、説明されていない。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457129192/" title="img574 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8015/7457129192_
a8af6601b2_z.jpg" width="607" height="640" alt="img574"></a>
(同じく、お金の流れ)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457130110/" title="img576 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8158/7457130110_
08e7d1fc21_z.jpg" width="281" height="640" alt="img576"></a>
(日本もかつて助けられた。その恩返しをしようという趣旨の説明文。)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457130578/" title="img577 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7254/7457130578_
989cb69710_z.jpg" width="640" height="464" alt="img577"></a>
(かつて名簿の入手に関して、問題になったことがある。それでこうした断りを入れるようになっ
たのか? 「各種の地図」とは、何か?)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457131474/" title="img578 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7271/7457131474_
f5b6016f4d_z.jpg" width="283" height="640" alt="img578"></a>
(会長は赤松良子氏になっている。理事には著名人がずらりと並んでいる。)


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457131872/" title="img579 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8012/7457131872_
067c765df7_z.jpg" width="640" height="349" alt="img579"></a>
(ここに示されている金額に注目してほしい。)


【以下、ウィキペディア百科事典より】


★公益財団法人日本ユニセフ協会(にほんユニセフきょうかい)は、東京都港区高輪に本部を
置く日本の公益財団法人である。
英語名はthe Japan Committee for UNICEFF。
別名としてユニセフ日本委員会(ゆにせふにほんいいんかい)を用いる。
36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国
際連合児童基金(ユニセフ)の日本事務所ではない。


★日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金される
のではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論
がある。


★2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出し
た。


【内訳】
●ユニセフ本部拠出金 15,200,000,000円(82%)
●本部業務分担金 842,114,854円(4.6%)ユニセフ本部と国内委員会が共同で行うキャンペー
ン分担金
●管理費(事務運営費・人件費)13,758,860円(0.1%)うち、配賦されている総額の経常費用にし
める割合約2.6%
●東日本特別会計へ 100,000,000円(0.5%)
●他事業費 2,376,674,230円(12.8%)


【他事業内訳】
●募金活動事業費 1,430,298,551円(資料、領収書の作成、郵送、決済システム維持管理、
活動報告作成)
●啓発宣伝事業費 492,850,426円(世界子供白書、ユニセフ年次報告等刊行物の作成配
布、ホームページ作成更新、現地報告会やセミナー、シンポジウム開催、広報・アドボカシーキ
ャンペーン等の費用)
●グリーティングカード募金事業費365,175,207円(グリーティングカード、ユニセフグッズの頒
布)
●啓発宣伝支部強化費 78,328,422円(全国26の地域組織による広報、啓発活動関係費)
●国際協力研修事業費 10,021,624円(国際協力に携わる人材育成にかかる費用)
となっている。


★名簿の流用
日本ユニセフ協会では、近年、ダイレクトメールの活用で、募金額が急増しているが、日本ユ
ニセフ協会は、他国のユニセフ国内委員会が同手法を用いている先例があるとして、これを1
993年から本格実施しているとしている。


このダイレクトメールは厳密には「日本ユニセフ協会」だけのダイレクトメールではない。
ニューヨーク国連本部から、国際連合児童基金が差出人となって発送するもので、ユニセフ事
務局長と日本ユニセフ協会会長がそれぞれ日本ユニセフ協会宛の募金・献金を求めるという
形式になっている。


かつて、『東京新聞』は「『地球の歩き方』読者の名簿を出版社から入手し、これを同協会が使
用した」ことを報じた。
このときのダイレクトメールは同じく国連本部から送付され、ユニセフ事務局長、日本ユニセフ
協会会長とともに、『地球の歩き方』の出版元の社長が共同でユニセフ募金を求めるという形
をとった。


2006年末には複数の名簿業者から個人情報を買取り、苗字だけのダイレクトメールを送り、受
取人からの問合せが、消費生活センターに相次いだ。
なお、日本ユニセフ協会は「宛て名については、電話帳やダイレクトメールを取り扱う会社の各
種名簿を基に」送付していると説明している。
この「個人情報を本人に無断で使用したダイレクトメール」の発送は2012年6月現在も確認され
ている。


★協会ビルの建設
2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセ
フハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3,702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされてい
る。

日本ユニセフ協会の説明によると、1969年度から「会館建設積立金」を計上しており、31年間
で25億円が準備できたため建設したとしている。
また、建設のメリットとして「賃貸ビルを借用し続けるより、土地・建物を所有するほうが、当協
会の財産として残り、かつ経費の節減にもつながる」としている。


(以上、ウィキペディア百科事典より。記事内容の責任については、以下参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%
95%E5%8D%94%E4%BC%9A


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


 ダイレクトメールによれば、「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」
とある。
一方、ウィキペディア百科事典によれば「日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その
81%をユニセフ本部に拠出した」(2007年)とある。
(数字が大きくちがうが、これについては、私が調べた範囲では、理由がわからない。)


単純に計算すれば、176・5億円の81%、つまり約143億円を、ユニセフ本部に拠出。
残りの19%、つまり約33億円は、日本ユニセフ協会が、自家使用したことになる。


 この33億円を多いとみると、少ないとみるか。
気になるのは、募金事業活動費。
約14億円とある(ウィキペディア百科事典)。


 ???よくわからない???


 「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」(ダイレクトメール)とあり、一
方で、「募金事業活動費として約14億円」(ウィキペディア百科事典)とある。


●最大の疑問


 最大の疑問は、こうだ。


 ダイレクトメールは、国連PLAZAから届いている。
しかし現金の振込先は、「日本ユニセフ協会」になっている。
ならば、どうして、振込先を、直接、国連PLAZA宛にしないのか?


 私のところには、海外からの募金要請が、毎年多く届く。
たとえばこれは、オーストラリアのM大学から届いた募金要請書(2012)である。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457501166/" title="img580 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8165/7457501166_
121714f8e8_z.jpg" width="455" height="640" alt="img580"></a>


そこ(左上)には、募金方法として、3つの方法が示されている。


<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7457501356/" title="img581 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8009/7457501356_
1db86afd54_z.jpg" width="640" height="114" alt="img581"></a>


(1)オンラインによる送金方法、(2)郵送による送金方法、(3)電話による送金方法。


 国(地方自治体)が窓口になり、集めた募金は、全額、国連のユニセフへ直接届けるという
方法も、やろうと思えば、可能なのである。
かかる費用といえば、翻訳料程度。

●そろそろ就寝

 時刻は午前0時を過ぎた。
6月27日になった。
そろそろ就寝。

 午前中に、友人の奥さんを病院に見舞う。
もちろんドリンク剤を見舞い品に。
3箱、買って届けた。
元気そうだった。

 あとはいつもルーティーン(日常ごと)。
たいした成果もなく、今日(26日)も、終わった。
これからあちこちのニュースサイトを見て、床に就く。

では……。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【BW教室】(幼児、年中児くらす)+(小2、3児の折れ線グラフの学習)

●年中児(3〜4歳児)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/6yxkjmpT0HE" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


●小1児+小2児
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Q3c6MvpeXJU" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


●小2児+小3児
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/3ghygUSeYxg" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================











☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
   http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/

□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 8月 31日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page014.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある相談より】

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)

【KMさんより、はやし浩司へ】

小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけ
なくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履
きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も
腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。

登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が
生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、ま
た喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で
主人が不在なことに救われています。

が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わ
ない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
 でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。

(H県在住、KMより)

【はやし浩司よりKMさんへ】

 たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。

 原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。

「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけで
す。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。

 では、どうするか。

 もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。

 なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべき
は、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。

 ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。

 で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。

 「ズル休み」について書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった
偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式
を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを
表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることが
できる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1
万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低
い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンク
ーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせ
て、学校がカリキュラムを組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみ
になっている。
つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにし
ても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自
分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システ
ムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学
だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もい
る。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にい
たっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化してい
る。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。ま
たそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から
支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、
それもしかたのないことではないかと、私は思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆ
とり)2012/06/29再掲載


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢「親切、それともお節介?」

●古いヤツだと、お思いでしょうが……

 昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます
……」と。

正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでござい
ます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真
暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。

 で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたとこ
ろ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めて
いる。
山東商報が伝えた。

 事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄には
オオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。

ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネ
ットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄
着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)

●ある航空会社のコマーシャル

 つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7463588310/" title="挑発 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8013/7463588310_
8fa4576b71_z.jpg" width="640" height="480" alt="挑発"></a>

 
 こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツだと思われるかもしれないが、
裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。

 このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)

両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。

●男の性欲

 男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。

 そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。

 これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。

 ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはい
ていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。

 スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。

 なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。

 ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。

 またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。

●性欲中枢について

 もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。

摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。

一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思
議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、こ
のSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の
位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるよう
に脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2
倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の
中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたい
へんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。

(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激さ
れ、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感
が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?
 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と
性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中
枢と性欲 男と女のちがい)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●民主党マニフェスト(小沢一郎について)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


国会は、小沢一郎という政治家1人のために、大混乱。
「消費税導入反対」を口実にしている。
で、改めて、民主党のマニフェストは、何だったのか。
何なのか。
それを調べてみた。


正直に言うが、消費税問題はともかくも、こんなにもたくさんのマニフェスト(選挙公約)があっ
たとは、知らなかった。
以下が、民主党マニフェストである(2010年度・菅直人総理就任前後)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


+++++++++++以下、参考:日経225サイト++++++++++++


【民主党マニフェスト・2010年度】


★事業仕分けなどによって全ての特別会計の見直しを行って不要なものは廃止していくこと。
★新政策の財源については、既存予算を削減するか収入増によって捻出すること。
★消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと。
★20年度までには基礎的財政収支が黒字になるようにすること。
★法人税制は簡素化を前提として、見直しを実施すること。
★中小企業向けの法人税率は引き下げをすること。
★連帯保証人制度や個人保証の廃止について見直すこと。
★自動車重量税や自動車取得税について簡素化して全体的に負担を軽減することなど。


★20年度までの平均経済成長率の名目成長率は3%、実質成長率は2%を目指すこと。
★日銀と協力して早期にデフレを克服すること。
★官民一体となり、高速や鉄道、原発や上下水道などインフラシステムについて国際的な展開
ができるようにすること。
★先端医療技術をいかして国際的な医療交流の促進を行うこと。
★映像、アニメ、音楽などを通じて海外への情報発信を強化していくこと。
★幼保一元化へ向けて施設区分を撤廃すること。
★首都圏などの大都市活性化をするために「大都市圏戦略基本法」を制定すること。
★介護ロボットの実用化や再生医療支援、医療機器などのイノベーションを支援すること。


★「消えた年金」について11年度までに集中して取り組み、納めた保険料や受け取る年金額が
すぐにわかる年金手帳を作る。
★年金制度を一元化して、1ヶ月7万円の最低保障年金の実現のために抜本改革を行うこと。
★後期高齢医療制度の廃止をして、13年度から新たな高齢者医療制度にしていくこと。
★診療報酬の引き上げを行うこと。
★地域の医師不足解消のため、医師を増やせるように医学部生を増やしていくこと。
★がん予防のため検診体制を強化して、肝炎治療への支援なども行う。
★ヘルパーの給与を挙げるなどして介護職の人材を確保することなどを掲げています。


★財源を確保して、現在支給されている子ども手当の1ヶ月13,000円に上積みをしていくこと。
★地域の実情によって保育園の定員増のため、子どもの医療費の負担を減らすため、給食
の無償化をするためなどのサービスへ換えられるようにすること。
★出産育児一時金、不妊治療支援といった出産関係の支援策の拡充を行うこと。
★大学生や専門学生に対して希望者全てが受けることのできる奨学金制度を創ること。
★就学前の子どもに関して保育と教育の提供をしていくこと。
★少人数学級の推進をしていくことなどが掲げられています。


★日米同盟の深化、普天間基地移設問題での沖縄負担軽減へ力を尽くすこと。
★中国や韓国などアジアの国々との信頼関係構築のため「東アジア共同体」を実現すること。
★国連安全保障理事会において常任理事国入りを目指すこと、自衛隊などによる海外への対
処活動を継続すること。
★北東アジア地域での非核化、北朝鮮の拉致問題解決へ全力を尽くすこと。


★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこ
と。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していく
こと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。


★高速道路を無料化にするとどうなるのか状況を確認しながら段階的に無料化を行っていくこ
と。
★農業以外にも所得補償制度を拡大していくこと、トレーサビリティーを義務付けしていくこと。
★「地産地消」を学校給食や老人ホームにて進めていくこと。
★口蹄疫の感染を阻止、全国のダム事業について検証を行う、ハブ空港の整備を行うことな
ど。


★再生可能エネルギーの買い取り制度の導入すること。
★スマートグリッドの開発と普及を支援すること。
★エコカーやエコ家電、エコ住宅の普及について支援していくこと。
★11年度に地球温暖化税の導入を検討していくいこと。


+++++++++++以上、参考:日経225サイト++++++++++++

●ただの口実?

 消費税導入問題は、国民全体に与える影響、生活全般に与える影響という点では、大問題
である。
それはわかる。
しかしそれだけがマニフェストではない。
ないことは、ここにあげた民主党マニフェスト(2010)を見てもわかる。

 が、私の印象では、(あくまでも私個人の印象だが)、小沢一郎という政治家は、己の権勢欲
実現のために、消費税を口実にしているとしか、見えない。
中身は、旧態依然の国盗り物語。
ちょうど北朝鮮が、ありもしない日本やアメリカの侵略を口実に、核武装しているのと同じ。
中身は独裁政権の維持のため。

 もし公約違反を内部で取りあげるなら、ほかにもいろいろある。
たとえば……

★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこ
と。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していく
こと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。

 これらのマニフェストは、いったい、どうなっているのか。
それに有権者の1人として一言。

 民主党に前回の総選挙で1票を入れた人にしても、マニフェストすべてに目を通し、賛成した
からではない。
「おおかた、こんなものでよいだろう」ということで、票を入れたはず。

(当時の世相によれば、「麻生総理大臣ではだめだ」という、反自民票が民主党候補に流れ
た。
小沢一郎は、「民主党が支持された」とはしゃいでいたが、民主党が支持されたわけではな
い。
行き場を失った浮動票層が、民主党に流れた。)

 だいたい私にしても、今日はじめて、こうしてマニフェストなるものを、精読してみた。
ほかにも未達成の重要案件が、ごろごろしている。
正義の味方よろしく、「増税強行なら離党」と声を荒げなければならないほど、……というか、私
はそれほどの信念を、小沢一郎の中に感じない。
最近の週刊誌によれば、小沢一郎には愛人がいた。
隠し子までいた。
「妻」という最重要の「友」ですら、平気で裏切るような男である。
そんな男なら、平気で、仲間を裏切る。
国民を裏切る。
ウソもつくだろう。
少なくとも、私は信用しない。

 どこかのBLOGで、ある政治評論家が、こう書いていた。
「今の日本の政治で、いちばん重要なことは、小沢一郎が消えることである」と。
まったく、同感である。
離党するなら、子分たちを道連れにしないで、ひとりで堂々と離党すればよい。
何人小沢一郎についていくか。
それはあくまでも結果。

 報道によれば、何回もそれぞれの国会議員を呼びつけ、その意思を確認しているそうだ。
その見苦しさ。
おぞましさ。
2012/06/29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●都会的優越感

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。

多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?

たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。

が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。

(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)

こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)

私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。

私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。

で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40〜50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●地方コンプレックス

 一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。

講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3〜6割が、プロモーターの手に渡る。

 講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。

 数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。

 直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)

 で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。

 浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。

 で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということにな
りまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。

 私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にす
るかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。

 私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。

 わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。

 以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、〜〜」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。

 2000年ごろに書いた原稿が出てきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●見えない過去

 あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。

 私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。

 NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。

 私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるので
はないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。

 一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどう
までみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。

 あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずう
しさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、
手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。

 これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きてい
る。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこ
かで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで
結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●NHKの「ひるどき、日本」

 NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。

 で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのだろうか。

 答など、ここに改めて書くまでもない。

 ……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。

 だから、グチ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中央集権国家 都会的優越感 
都会人のおごり はやし浩司 NHK ひるどき日本)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【矛盾だらけの日本の国家行政】はやし浩司 2012−06−30

●運動不足

 数日前、重い荷物をもって、1キロ前後、歩いた。
内心、「まずいな」と思ったが、すでに歩き出していた。
で、1キロ近くも、歩いた。
重さは、合計で、15キロ前後はあっただろうか。

 その直後から、右足のひざが痛み出した。
歩くときに、キリリと、痛みが走る。
が、以前にも同じような症状があった。
だからそのうち治るだろうと思っていた。
「こういうときは無理をしない」と。

 その「無理をしない」という部分で、運動不足になってしまった。
具体的には、この数日間、何も運動をしていない。
自転車にも乗っていない。
おかげで、今朝は、起きたすぐから体がだるい。
頭の中も、ぼんやり。
使い物にならない。

 が、だからといって、だらしない生活は禁物。
……ということで、今朝も、こうしてパソコンの前に座った。

●税金

 税金が高いのには驚いた。
住民税もあがっている。
あるサイトには、こうあった。
「11か月分の給料で、1年を生きるようなもの」と。

 その一方で、こんなニュースも載っていた。
何でもあの東京電力には、社員専用の病院があるとか。
社員とOBだけが、利用できるそうだ。
もちろん院内は、がらがら。
ベッド数も、110床近くあるのだが、約20床しか使われていないとか。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7469850744/" title="p1m by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8014/7469850744_
a2ed5dae5b_m.jpg" width="220" height="145" alt="p1m"></a>
写真で見てもわかるように、かなり大きな病院である。
たったひとつの、1企業のために!

『「資産価値は約120億円以上ある。
(都は)国有化される以上、売却して還元するべきだ」などと要求しました。
都によりますと、東京電力病院は、東電の社員とOB専用の病院で、113床のうち約20床し
か使われていないということです。
東電の勝俣会長は、売却を検討する考えを示しました』(某ニュースサイト)と。

 が、こうした専用施設は、何も東京電力にかぎったことではない。
国家公務員の専用施設、地方公務員の専用施設、さらには、財団や公団の専用施設など。
銀行ならびに、大企業と呼ばれる企業は、おしなべて、みなもっている。
その中には、専用の宿泊施設も含まれる。

 しかしどうして?

 常識で考えてみよう。
現在、こうした関連機関で働く人は、それでよい。
しかしそういう人たちの子ども、さらに孫はどうなのか、と。
子どもや孫も、そうした機関で働けるようになれば、それはそれでよい。
世襲的に、そういった施設を利用することができる。
が、そうでなければ、そうでない。

 長い目で見れば、つまり世代を超えた長い目で見れば、みなが等しく使える施設にしておい
たほうがよい。
言い換えると、こうした専用施設を作るということは、その組織の人間が、それだけ自己中心
的であることを示す。
つまり人格の完成度は低い。

 もっとも日本人は、もとから平等意識が乏しい民族である。
不平等であることを、もとから受け入れてしまっている。
NHKの大河ドラマを例にあげるまでもない。
水戸黄門のような、あんなバカげた番組ですら、いまだに視聴率20%前後というのも驚きであ
る。
「何が、葵の紋章だ!」……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっている。
しかしその延長線上に、東京電力の専用病院がある。

 ご存知の方も多いと思う。
東京電力が所有する、超豪華専用保養施設は、全国に散らばっている。
で、あの福島第一原発事故のあと、そうした施設を、被災者の人たちに開放したらどうかという
話もあった。
が、それ以後、今に至るまで、そういった話は、聞いていない。

 なお、東京電力の無駄遣いを指摘した東京都を、ほめてばかりいてはいけない。
東京都は、「病院」については問題にした。
が、「保養施設」については、不問。
それもそのはず。
東京都だって、保養施設を箱根、那須などにもっている。
「東京都職員共済組合施設」というのが、それ。
へたに保養施設を問題にすれば、まさにやぶヘビ!

 さらに今朝のニュースによれば、あの大阪府だけでも、11兆円もの負債があるとか(2011
年度、大阪府と大阪市の合計額)。
まあ、役人のみなさん、国民の無知、無関心をよいことに、やりたい放題。
東京電力は、ここにきてその矛盾の一角を、露呈したにすぎない。

●20万人vs2万人

 なお昨日、官邸の前で、近年にはない大規模のデモが実行された。
反原発デモである。

 で、そのデモについて、主催者側は、「参加者数は、20万人」と発表した。
一方、警備当局側(警察側)は、「2万人弱」(TBS)と発表した。
どちらが正しいのだろう。
差は、10倍もある!

 で、自分なりに調べてみた。
TBSーiでは、デモの様子を動画で配信している。
その動画を検証してみる。
ざっと見た感じ、20万人というのはおおげさ。
しかし2万人弱ということはありえない。
方法は簡単。
まず動画上で、1センチ画に何人いるかを調べる。
あとは面積に、その人数を掛ければよい。

 おおざっぱな計算だが、幅1センチで、約11人(28インチモニター上、デモの中央部でカウ
ント)。
1平方センチメートルで、約120人。
画面上のデモの規模は、幅14センチ、縦6センチ。
その周囲は木々に覆われていて、どういう状況なのかわからない。
が、それで計算してみると、1万0080人という数字が出てきた。
警備当局側の発表の約半数ということになる?

 (警備当局側は、いつも少なめに発表する。
それでもその約半数?)

 この計算方法は、どこがまちがっているか。

(1)まちがいの第一は、デモの中央部の1センチ画で、基本人数を計算したこと。
距離が遠ざかれば、距離の2乗に比例して、人数は多くなる。
遠方部では、1センチ画で、数千人近くになる。
一方、手前では、1センチ画では、数十人前後。

 正確に人数を知るためには、上空、真上から写真撮影するしかない。
その写真をもとに、人数を計算する。
さらにデモ隊は、日本の法律では、立ち止まることを許されていない。
(今回は、「官邸前を埋め尽くした」とあり、立ち止まっているよう。)
動いているばあいは、当然、多くなる。
また先にも書いたように、周囲は木々におおわれている。
木々に隠れている人までは、数えられない。

 どうであるにせよ、この日本で、物言わぬ従順な民が立ち上がったという、その意味は大き
い。
2万人でも、この日本では、超大規模!
つまりそれくらい多くの人たちが、原発再開に反対している。

 事実、この時期に、原発再開は、バカげている。
まだ事故の全容そものが、明るみになっていない。
何も解決していない。
つい数日前も、1号機で、10シーベルト以上のもの、放射線量が観測されている。
また放射線による人的被害が明らかになるのは、2013年の3月以後である。
この先、DNAや染色体に影響を受けた人たちは、何世代にもわたって、その後遺症に苦しむ
ことになる。

 今の段階で、原発再開、反対!
つでに……

(1)年金を一元化せよ
(2)行政改革を推進し、簡素化せよ

 そう叫んだところで、ワイフが台所で、「できたわよ」と。
つまり朝食の用意ができた。2012/06/30朝記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●今日から2012年7月

【2012年の折り返し点で考える】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2012年も、今日が折り返し点。
今日から7月1日(日曜日)。
時刻は午前5時15分。
ひんやりとした森の冷気が心地よい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反 面性

 心には常に、反面性がある。
わかりやすいのが、泥棒。
昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分が泥棒だから、泥棒に入られるのが、気になる。
戸締りが厳重になる。

 似たような例だが、『女遊びをしている人ほど、自分の娘に厳しい』というのもある。
先日も、「娘には、門限だけは、しっかりと守らせています」と言った男性がいた。
娘といっても、28歳。
28歳の娘に門限?

 もう少しわかりやすい例では、世間体を気にする人ほど、他人の生活が気になる。
幸福感も相対的なもので、他人より幸福なら、自分は幸福と思う。
他人より、そうでないなら、そうでないと思う。
こんな例もある。

 私の知りあいに、健康であることを、ことさら強調する男性(80歳くらい)がいる。
会うたびに、健康の話をする。
自慢話をする。
「無病息災が第一だよ」などと言ったりする。
(「息災」というのは、仏の力で、災いを取り除くことをいう。転じて「健康」の意。)

 が、80歳を過ぎれば、無病という人は、ほとんどいない。
その人が自分の健康を自慢するのは、その人の勝手。
が、聞く人によっては、イヤミ。
当の本人には、それがわからない。
問題は、なぜ、健康であることを自慢するか。

 このタイプの男性は、「長生きをする人イコール、人生の勝者」と考えている。
ことあるごとに、それを話題にする。
そういった話題に、会話を引き込む。
たとえば「あいつは、Y会社で取締役までしたが、70歳で死んだ。意味ないよ」と。

 こういうのを年齢中心主義という。
老人が陥りやすいので、老人性・年齢中心主義という。
命そのものを損得とからめて考える。
元公務員にこのタイプの人間が多いのは、年金を無視することができない。
「長く生きれば生きるほど、得」と考える。
そう言えば、こんな女性がいた。

 テレビ画面に向かって、堂々とこう言っていた。
「父ちゃん(=その女性の夫)が、がんばってくれたおかげで、娘の家が建ちました」と。

 その「父ちゃん」は、何かの大病を患ったらしい。
しかし1〜2年ほど、寝たきりの状態だった。
生死の境をさまよった。
その間に入った年金で、「娘の家が建った」と。

 人の心も、欲に毒されると、そこまで言うようになる。
なお先の男性(=健康を自慢する男性)は、個人の不動産屋を営んでいたこともある。
私にこう言った。
「ぼくはね、新聞を開くと、まっさきに死亡通知欄を見るよ」と。
人が死ぬと、不動産が真っ先に動く。
それはわかるが、同時に彼は、他人の死を確認しながら、それを自分の喜びにつなげる。

 念のため申し添えるなら、私は死亡通知欄なるものは、見たことがない。
その男性も「本当ですか?」と驚いていたが、見たことがない。
(内心では、ああいう欄はやめたらとよいと思っている。
欧米では反対に、子どもの誕生や、結婚などを載せている。)

●幸福度

 幸福度というのは、「尺度」を切り離したところで、決まる。
何かのBLOGに書いてあったが、「老後の幸福度というのは、夫婦の円満度で決まる」と。
それに安あがり。
一理ある。

 劇場で映画を見る。
夫婦(シルバー料金)で、2000円(1人、1000円)。
帰りに回転寿司で、寿司を食べる。
1000円(2人で10皿)。
計、3000円で、結構、ハッピーな気持ちになれる(某BLOG)。
 
●金持ち

 が、この日本では、金持ちほど成功者。
金持ちほど住む世界が広い。
金持ちほど人格者、と。
そういう人生観に毒されている人は、多い。
あの高度成長期の中で、それなりに成功した人ほど、そういう人生観をもちやすい。
が、事実は、逆。

 金(マネー)というのは、中身と言えば、欲望の化身。
金に毒された人ほど、実際には、住む世界が狭く、低俗。
ブランド品を身に着け、それでもって「私はすばらしい」と思いこむ。
心はさみしい。
人間関係もさみしい。
さらに人生そのものからも、回り道をする。
回り道をしたまま、人生の迷路、つまり袋小路に入ってしまう。
大切なものを失いながら、その失っているという自覚そのものがない。

●誰が永遠に生きたいか?

 大切なのは、中身。
何をしてきたかという中身。
人生の長短ではない。
長短で、幸福感は決まらない。
逆に、こういう曲もある。
「♪だれが永遠に生きたいと思うか(Who wants to live forever?)」と。
つまり永遠に生きたところで、それがどうしたのか、と。
有名な曲だから、YOUTUBEにも収録されている。
サラ・ブライトマンの歌で、どうぞ!

 <iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/X6Jb-4Zo548" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 ……と書くのも、私もそろそろ死を覚悟する年齢になった。
「できるだけ健康でいたい」とは思うが、「長生きをしたい」とは思わない。
長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
が、それよりも恐ろしいのが、孤独。
私には、その孤独に耐える力はない。
自分でも、それがよくわかっている。
ときどきこんなささやきも聞こえてくる。
悪魔のささやきである。

「死を待つくらいなら、自分で死を選べ」と。

 ……というか、それが私の人生観の基本にもなっている。
川で魚ととるときも、私には「釣る」ということができない。
モリを手に握り、川の中に飛び込んでいく。
それで突いて魚をとる。
それが私の生き様でもあった。

 その私がどうして死を待たねばならないのか。
その状況にならなければわからないが、私はいさぎよく、死ぬ。……死にたい。

●誤差の範囲

 こうして考えてみると、すでに私の人生の結果は、出ている。
この先、いくらジタバタしても、それは誤差をほんの少しだけ、補正するだけ。
その程度の意味しかない。
今まで何もできなかった私が、この先、何ができるというのか。

 たとえば今、ある出版社と、本の出版の話を進めている。
若いころなら、それだけで私は燃えあがった。
が、今の私は冷めたまま。
「今さら……」という気持ちが、どうしても先に立ってしまう。
数年前、あるラジオ局(横浜のR・日本)で、講演を収録したときも、そう言われた。
「この世界(マスコミの世界)では、50歳までに決まります」と。

 つまり50歳までに、どれだけ有名人になっているかどうかで、その人の価値は決まる、と。
60歳を過ぎた私では、講演にしても、聞く人もいないだろう、と。
もっとも、そんなことは他人に言われなくても、自分でもよくわかっている。
その「今さら……」という部分が、先に書いた「誤差の範囲」ということになる。

●真・善・美

 人は何を求めて生きているか。
それで人生の目的も意味も決まる。

 真・善・美という言葉もあるが、それを追求できる人は、ごく一部。
大半の人は、生きていくだけで精一杯。
仮に求めたとしても、さらに大半の人は、その途中で、頓挫(とんざ)する。
ほどほどのところで、ほどほどの人生を終える。
あとは自己満足。
自分で自分を、さみしく慰める。
さらに言えば、見ざる、聞かざる、言わず。

 へたに見たり、聞いたり、言えば、かえって自己否定に世界に落ち込んでしまう。
まちがいを知る。
能力の限界を知る。
話しても、だれにも相手にされない。
「自分のしてきたことは、この程度のことだったのか」と知ることくらい、恐ろしいことはない。

私のばあい、「真・善・美」のうちの「真」ということになるが、この先、何百年がんばっても、その
片鱗にさえ手が届かないだろう。
だから目を閉じ、耳を閉じ、口を閉じる。

 ……ほどほどのところで、あきらめる。
その程度のところで満足し、まわりを見ない。

●残りの6か月

 とはいえ、2012年は終わったわけではない。
まだ6か月、ある。
半分、ある。

 とりあえずしなければならないことは、健康の回復。
脚を痛めたおかげで、運動不足になってしまった。
その影響で、自分の体が重くてしかたない。
眠くてしかたない。
脳みそのほうも、調子がよいのは、こうした早朝だけ。
朝食を食べるころには、もうぼんやりとしてくる。

●ボケ

 こわいのは認知症。
ボケ。
すでにその兆候は現れてきている(?)。
集中力がつづかない。
言葉を忘れる。
以前はこういうことはなかったが、たとえば10年ほど前に書いた自分の原稿を読みなおしてみ
る。
そのとき、「ヘッ、こんなこと書いたのか?」と思うことが、このところ、ときどきある。
文はたしかに私のものだが、中身を忘れてしまっている(?)。

 こういった現象は、脳みその一部が、ドミノ倒しのドミノのように、崩れ落ちたことを意味する。
というのも、文というのは、常に過去に書いた文の上に、上書きしていく。
今、こうして書いている文にしても、過去に書いた文を基礎としている。
どこかでつながっている。

が、今までは、そういうことはなかった。
どんな文でも、私の文かどうかは、即座に判断できた。
現在に至るまで、その(つながり)が残っている。

 その(つながり)が消えたということは、一連の基礎まで消えたことを意味する。
が、これほど恐ろしいことはない。
ある朝、起きてみたら、それまで5本あった指が、4本になっている。
それくらいの衝撃はある。

 で、そういうときは、自分の文を何度も読み返してみる。
現在の自分とどうつながっているかを確認する。
そのときはじめて、こう思う。
「ああ、これは私の書いた文だ」と。

 ……これも認知症の症状のひとつかもしれない。
過去が、どんどんとどこかへ流れ落ちていく。
忘れるというよりは、抜けたように落ちていく。

 言い換えると、残り6か月とはいうが、現状維持だけで精一杯。
それができれば御の字。
新しい発見など、10日に1度もない。
進歩など、もう期待できない。
だから自分にこう言って聞かせる。

「がんばるしかない」と。
そう、それが今の私の口癖になっている。
がんばるしかない。

 ……とりあえず、今日の目標。
運動2単位。
(1単位は40分。)
それでも調子が戻るまでに、2週間はかかる。
今までの経験では、そう。

 何ともグチぽいエッセーになってしまった。
7月の初日だから、もう少しまともな文を書きたかった。
読んでくれた人が、元気になるような文を書きたかった。
どこか湿っぽくなってしまったのは、天気のせい(?)。
外は曇天。
小雨が降っているかもしれない。
網戸越しに見る、森の木々が、まるで絵画のように美しい。

 今日も、がんばるしかない!
2012-07-01朝記

(追記)

 まったく今日の話には関係ないが、この6月10日ごろに発売された、ソニーのRX100という
デジタルカメラ。
あれはすごいね。
昨日、近くの大型店で、触れさせてもらったが、ちがいがズシンとわかった。
値段がまだ、5万円以上もするので、おいそれとは買えないが、それにしてもすごい。
このボーナス期を過ぎれば、多少、値段もさがるはず。
ビデオカメラのPJ760Vといい、このところソニーは、すばらしい製品をつづけて出している。
がんばれ、ソニー!

 ところで、私はここ数年、パソコンはTOSHIBA、カメラ類はソニーと決めている。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================










戻る
戻る