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はやし浩司メインHP マガジン過去版INDEX
2012年         9月号
Essay……●
BOX版(ネットストーレッジ)……●

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 3日
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●年長児(英語の勉強)byはやし浩司
 English lesson for Age 5&6 Children by Hiroshi Hayashi Hamamatsu, Japan 2012

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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【BW子どもクラブより】はやし浩司 2012−07−05

●年中児に英語を教える
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/G5REtpdScS8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小1〜2児に「角」を教える
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/PrSLj1WjCOk" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小2〜3児に「角」と「角度」を教える
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/CJg90ViEfBI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族への思い】(「家族」の重圧感で苦しむ、1人の女性)

 A県M町に住んでいるEさんからのメール。
それを読んだとき、胸が詰まった。
「家族とは何か」と。

 「家族」という言葉に、幻想をいだいてはいけない。
ほんの少し、どこかで歯車が狂うと、まさに三界の足かせ。
切るに切られない、腐れ縁。
「家族」という呪縛の中で、もがき、苦しむ。
逃れようと思えば思うほど、家族は、キバをむいて、襲いかかってくる。
「何とかしてほしい」と。

その重圧感には相当なものがある。
1日とて心の晴れぬ日はない。
心の壁にぺったりと張りつく。
めくっても、めくっても、張りつく。
Eさんも、その1人。

【Eさんより、はやし浩司へ】

はじめまして、A県M町に住むEといいます。
失礼ながら今日偶然に、先生のサイト(幼児教育ぽーたるさいとQ&A「家庭内暴力」)を見つ
け、拝見させていただきました。
先生のご解答に、小さな希望を感じ、どうしても相談に乗っていただきたくメールしました。
長くて、文章も読みにくいと思いますが、どうぞよろしくお願いします。


私自身も現在子育てに奮闘しているところですが、今回、ご相談させていただきたいのは、私
の実家の兄弟についてです。

今年で30歳になる弟は、新卒で新潟市に本店を置く銀行に勤め、就職して2か月ほどたった
ときに仕事を失いました。
職場恋愛でできた彼女に対し、仕事中に暴力、(弟いわく、強く腕をつかんだ程度だったという
ことです)をふるい、そのことで上司に無理矢理退職届けを書かされたのです。

弟は、別れを切り出された彼女に対して、何度もメールしたが無視された。
仕事中に話そうと思ったがまた無視された。
それで怒って「なんで無視するんだ」と、腕をつかんだそうです。
彼女は泣きながら上司に相談し、次の日に、上司が弟を呼び出し退職届を書かせたという成
り行きです。

その後、A県M町の実家に帰ったのですが、母への暴力や兄とのケンカで、警察沙汰が絶え
ず、現在はA市内で、私が結婚する前に一人暮らししていたマンションで、一人暮らしをしてい
ます。
仕事はせず、家賃、生活費はすべて親の仕送りです。

私は彼が仕事を失ったとき、「相手も悪いが、女の子に暴力したことはいけなかった」と言いま
した。
3年ほど前までは「謝れ」「訂正しろ」「お前が悪い」と、私の間で、毎日のように電話やメールが
ありましたが、私が意見を変えないままでいると、連絡が途絶えました。
今はこちらが連絡しても無視です。
唯一、父とだけは月に一回程度、会ったり電話することがあるようです。

私は、期限をきめて、一度仕送りを辞めた方がいいのではと言うのですが、親は、彼が実家に
戻りまた暴力をふるうことを恐れ、そのままの状態が続いています。

また、今年34歳になる兄も、5年前から実家に引きこもっています。
実家に帰っても、目を合わせるどころか、私を避けて部屋に、そのままこもってしまいます。

兄と弟を社会復帰に導くためには、どうしたらいいのでしょうか。

今回、先生にご相談したいのは上に書いたとおりですが、家族のことをもう少し詳しく知ってい
ただきたいので、時間があれば読んでいただけますか。

私の実家はA県M町にあります。
家族構成は、父、母、兄、私、弟、10年前に他界した祖父も含む6人家族でした。
父はA県の職員、母は実家で小さな美容室を経営、祖父はいつも家にいました。
外から見ると、大人しい父と明るい母、優しそうな祖父、何も問題のないような家族だったと思
います。
でも私は幼いころから原因のわからない寂しさ、息苦しさ、温かい家庭へのあこがれを強く感じ
ていました。

今思うと、コミュニケーション不足と、甘え不足だったと思います。
母はいつも忙しそうにしていましたし、父は子どもに対して全くの無関心。
祖父も家にいましたが、自己中心的で話をきいてくれるタイプではありませんでした。
私はずっと父親嫌いで、家庭崩壊の原因は父にあると思っていました。

しかし、母も実際は人一倍プライドが高く世間体を気にしますし、子どもの意見を聞いてくれま
せんでした。
それどころか、一見しただけではわからないのですが、母は極端に否定的な考え方をし、私た
ちに対して、束縛意識も強かったようです。
「家族のために犠牲になっている」という被害者意識も、ありました。
それに私が気づいたのは大人になってからで、かなりの時間がかかりました。

幼いときの3兄弟はというと、兄はオレ様タイプで、弟は人懐っこい甘えん坊、私は外では仮面
をかぶり、明るく、友達にも恵まれていました。
どこにでもいそうな子どもたちでしたが、思春期になると親子間、兄弟間で会話することもほと
んどなくなり、思春期を過ぎたころにはそれぞれがどうにもできない問題を抱えはじめました。

兄は他人と会話できず変人と言われ孤立、弟は高校時代に不登校児になり、浪人時代から母
に暴力をふるうようになりました。
そして、私は大学卒業あたりから、過食嘔吐をくりかえすようになりました。

私は娘の存在のおかげで、去年、ようやく過食嘔吐を卒業しました。
子育ては大変なときもありますが、子どもを抱くことで、過去の傷が癒されていくのを実感して
います。
そして、今は実家の家族の関係を少しでも修復したいと考えるようになりました。

私とは会話をしたがらない兄と弟ですが、どのような接し方をすればいいのでしょうか。 
そして、兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作るにはどうしたらいいのでしょうか。
お忙しいと思いますが、アドバイスをいただけたらとてもとてもうれしいです。

【はやし浩司より、Eさんへ】

 つらい気持ちは、よくわかります。
私も同じような問題をかかえ、40年以上も苦しみました。
で、数年前、実兄、実母が他界し、実家を売り払いました。
どれも悲しいことでしたが、しかし私は生まれてはじめて、解放感を味わいました。
「家族というより(家)から解放された」という、解放感です。

 で、こういうケースで、いちばん苦しんでいるのは、実は、あなたの両親です。
そしてこういうケースで、いちばんのキーパーソンは、実は、あなた自身なのです。
と書いても、どうか負担に思わないでください。
あなたが良き理解者として、両親の話し相手になってやる。
それだけで、あなたの両親は救われます。

(1)良き聞き役に徹すること。
(2)両親を批判したり、両親に責任を追及しないこと。
(3)あなたの両親は、あなた以上に、苦しみ、悩んでいます。
大切なことは、家族同士が、傷つけあわないこと。
傷つけあっても、問題は何も解決しません。

 「お父さんも、たいへんね」「お母さんも、たいへんね」と。
あなたのやさしさだけが、あなたの家族の中では、光であり、希望なのです。
で、両親がそれによって救われ、前向きに生きる希望と勇気をもったとき、あなたがた家族の
かかえる問題は、解決します。
約束します。

 そのときどきは遅々として進まない時間。
変わらない生活。
何かと苛(いら)立つことも多いことでしょう。
家族がもつ閉塞感には、相当なものがあります。
私も、40歳の始めころは、実家へ帰るとき、実家が近づくにつれ、仏教の経典を唱えずしては
おれませんでした。
それくらい苦しかったです。
恐らく、今のあなたも、そうでしょう。
が、この問題だけは、どうにもなりません。
「運命」だからです。

 つまりね、Eさん、人には無数の糸がからんでいます。
過去の糸、性格の糸、社会の糸、そして家族の糸。
そういった糸が、無数にからんで、あなたの行く道を決めてしまいます。
が、この運命という魔物は、それから逃げようと思えば思うほど、あなたにキバをむいて、襲い
かかってきます。
が、ひとたび、受け入れてしまえば、今度は、向こうからシッポを巻いて退散していきます。
卑怯で、小心者です。

 ですからあなたも、「こうでなくてはいけない」という(形)を捨て、運命をそのまま受け入れなさ
い。
あなたはそういう家庭で生まれ育った、1人の人間です。
引きこもりの兄。
無職でスネかじりの弟。
原因は、いろいろありますが、今さら、原因を追及しても、あなた自身が悲しくなるだけです。
方法は、簡単。
(現状)をそのまま受け入れ、「まあ、人生、こんなもの」と、受け入れてしまうことです。
たとえばあなたの弟が、「謝れ」「訂正しろ」「お前が悪い」と言ってきたことについても、「そう
ね」と言ってあげればよいのです。
「ごめんなさい」と言ってあげればよいのです。
「あなたが悪い」という前提で、話をしてはいけません。
(恐らく弟は、あなたを母の代理として、攻撃していると思われます。)

 弟は弟で、思うようにならない人生の中で、もっと言えば、自我の確立ができない状態の中
で、もがき苦しんでいます。
(親を責め、親からお金を取ることについては、「復讐」と考えているかもしれません。)
自分勝手で視野が狭いということはありますが、しかし弟の心を救うのも、あなたです。
あなたのやさしさです。

 あとは勇気を出して、足を一歩、前へ踏み出せばよいのです。
体はあとからついてきます。

 あなたにとっては、きびしい時期かもしれませんが、この時期を乗り越えれば、あなたはすば
らしい女性=母親になれます。
そのための試練と考えてください。
やり方をまちがえると、あなたもグチ人間になり、低劣な人間になってしまいます。
最悪のばあいは、あなたも、そのままたとえば、うつ病という暗い迷い道に入ってしまいます。
今、あなたはその瀬戸際にいます。
苦しいでしょうが、私はこうした試練を、「第二の産道」と呼んでいます。
ごくふつうのありきたりの人間になるか、それとも苦しさを乗り越え、すばらしい人間になるか
の、その分かれ道です。

 まわりをご覧なさい。
夏風のさわやかさを、肌で感じてごらんなさい。
その状態で、あなたの兄や弟を見てごらんなさい。
ちっぽけで、つまらない人間に見えてきますよ。
そんな人間に、引きずられ、悶々と悩んでいたら、あなた自身も、同レベルの人間になってしま
います。

 「私とは会話をしたがらない兄と弟ですが、どのような接し方をすればいいのでしょうか。 
そして、兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作るにはどうしたらいいのでしょうか」という部
分についてですが、(接し方)については、すでに答は出ています。
運命を受け入れる、です。

「ああなってほしい」「こうなってほしい」とは、思わないこと。
ただひたすら、相手の立場に立ち、「兄さんも苦しいのね」「弟も苦しいのね」と。
ねぎらいの言葉をかけてあげます。
もちろん両親に対しても、です。

 幸いにも、現在は、両親も健在で、現状維持ができる状態にあります。
両親は両親で、勝手に(?)仕送りをしているのですから、両親に任せておきなさい。
(私もそうでしたが、そういう息子をもつと、親は、「がんばらなくちゃ」と思うものです。)

 で、「兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作る」という部分ですが、あきらめなさい。
この先、10年はつづきます。
しかし10年もつづくと、彼らもだんだんと気がついてきます。
それまで待つしかありません。
(そんころになると、いろいろな会に顔を出したりするようになります。)
それに今、ここであなたがジタバタしても、どうにもなりません。
こうした問題は、5年単位でみます。

私の周囲にもそういう人は多いですが、(多いですよ)、この問題だけは、両親が死ななければ
解決しません。
他人から見ると、ずいぶんと身勝手な兄と弟に見えるかもしれませんが、兄も弟も、結局は両
親(家族)のもつ重圧感で苦しんでいるのです。

 直接的な方法としては、一度、心療内科のドクターに相談するという方法もあります。
今は、よく効く薬もあります。
またアメリカでは、脳を直接刺激し、このタイプの引きこもりやうつ病を、簡単に治してしまうと
いう方法も、治療法として、使われています。
1週間ほどで、完治してしまうというから、驚きです。
(日本でも、数年後には、当たり前の治療法になると思われます。)
だから希望を失わないこと!

 ……今どきという言い方は、たいへん失礼な言い方になるかもしれません。
しかし私はあなたの基本的にもつ7(やさしさ)に、深い感銘を覚えました。
今では、若い人たちは、平気で両親を捨て、家族を捨てて都会へと出て行きます。
「自分たちだけが幸福になればいい」とです。
そして私が「親のことはどうするのか」と聞くと、「親には年金がある」とか、「息子や娘をそうい
う形で縛りつけるのは、親のすべきことではない」などと答えたりします。

 さらに「親への恩はどうするのか」と聞くと、「その分は自分の子どもに返していく」と。
「私はそういう形で、自分の子どもを束縛したくない。それこそ家族崩壊だ」と言った、30歳くら
いの男性もいました。

 「返す」という意味そのもが、理解できないようです。
つまり今は、そういう時代です。
そういう時代ですから、あなたの(やさしさ)が、余計に光ります。
あなたは自分がもつ(やさしさ)を信じ、それをみがいていけばいい。
それが今、あなたの家族にとっては、何よりも大きな救いとなるでしょう。
つまりね、あなたの家族の運命を変える力を、あなたはもっている。
あとは、それを実行するだけです。

 たまたま今朝、別の方から、こんな相談が届いていました。
一部重複しますので、そのまま紹介させてもらいます。
2012/07/03

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Tさんより、はやし浩司へ】

 ご返信ありがとうございました。
先生のおっしゃる通り、登校拒否が問題なのではなく、その根本にあるものをもう一度見つめ
なおしてみようと思うことができました。

今はあせらず、とにかく娘のペースに合わせてできるだけ希望に添えるように頑張ってみま
す。

 もうひとつだけ相談させてください。
単身赴任中の主人にしばらく帰省しないよう話すのはよくないでしょうか?

先生にアドバイスをいただいたように、私自身の欲求をおさえ、娘のための時間を・・・という決
意はできました。
やれるだけやってみようという想いです。

 ただ、「ダイエットで肉絶ちしているわたしの前で焼き肉をほおばれるようなタイプ」の主人を
目の当たりにしながら、その自由さをみせつけられながら我慢をしていると頭がおかしくなりそ
うです。

娘の登校拒否についても関心がないのか、この話題に口をはさむこともなく、たった2日しかい
ない帰省した週末も昼間からお酒を飲み、昼寝しています。

娘はパパが大好きです。
帰省も月に1〜2度はあり、帰省した日は大喜び。
行っちゃう日の前日は、挙動不審なんだかちょっとおかしい・・・精神的に病んでるように泣いた
りします。

 毎月毎月こんな風に生活が乱れながらも、いままで通り帰省をしてもらったほうがい
いのでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Tさんへ】

 おはようございます。

 残念ながら、夫婦の問題は、夫婦しかわからない複雑で微妙なものです。
いろいろご事情もあるかと思います。
思い出も、いきさつもあるかと思います。
あなたが感じている不平不満も、満たされない愛への欲求不満だけかもしれません。
(もちろんそうでないこともありますが……。)

 こういうときは、自然の成り行きに任せなさい。
水が低いところを求めて、流れていくように、
雲が風に乗って流れていくように、やがて行き着くところへ、行き着きます。

 大切なことは、けっして出口のない部屋に自分を追い込まないこと。
反対に、出口のない人生はありません。
気を楽にし、「こうでなければ」と考えないこと。

 夫婦についても、「許して、忘れる」。
カリカリしないで、夫をおおらかに包んであげてみてはどうでしょうか。
あなたの出方ひとつで、夫も大きく変わるはずです。
愛人がいれば別ですが、そうでなければ、夫もさみしい思いをしているはずです。

 できれば、今の「谷」を乗り越えてほしいと思います。
それがいつか、すばらしい思い出になるからです。
人生というのはそういうものです。

 あなたも勇気を出し、「許して忘れて」みなさい。
あなたのほうが、一歩、夫を抜き出るのです。
相手は幼い子どもと思えばいいのです。
そしてあなたの心をとりまき、がんじがらめにしているクサリを解き放つ。

「許して忘れる」については、たくさん書いていますので、
「はやし浩司 許して忘れる」を一度、検索してみてください。

 危機を乗り越える方法はいくつかありますが、逃げるのではなく、受け入れるのです。 

逃げれば逃げるほど、あとを追いかけて来ますよ。
キバをむいてね。

 つぎに夫が帰ってきたら、いっしょに焼き肉を食べにいきなさい。
この世界、「負けるが勝ち」です。
それでも足りなければ、さらに負けるが勝ち。
負けて、負けて、負けまくるのです。
あなたのほうが、心を溶かせば、夫も、心を溶かします。
それができたとき、あなたは、夫婦でも、つぎのステージにあがることができます。
それまでの自分が小さく見えます。

 あとは自然体で。
それでも夫婦のままの人もいれば、それで夫婦せあることをやめる人もいます。
あとはそのときの成り行きで決めなさい。

 今、あなたは生きている。
目が見える。
音が聞こえる。
そこにうるさいけれども、家族がいる。
そこに原点を置きなさい。

 それですべての問題は解決しますよ!
どこの夫婦も、表面的にはうまくいっているように見えますが、あくまでも表面的。
みんな同じような苦しみや悲しみ、不満や不平をかかえています。

 賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、その価値を失ってから気づきます。
どうか、賢人であってください。
私はあなたがうらやましい。
人生のドラマの、まさに真っ最中にいる。
若くて、健康で、家族がいて、娘がいる。
今、そこにないものを嘆くのではなく、そこにあるものを喜び、感謝します。

では。
また!

はやし浩司
2012/07/03記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家族の引きこもり 無職の家族 
夫婦の問題 夫とのキレツ 秋風 はやし浩司 家族の確執 仕事をしない兄 家族の暴力 
はやし浩司 暴力を振るう家族 兄弟の社会復帰 バラバラになる家族 はやし浩司 家族の
束縛 重圧感 束縛感)

(補記)

【家族】

++++++++++++++++++++++

今朝は、どこかの男と、言い争っている夢を見た。
私はかなり興奮していた。
そのせいか、起きると、軽い頭痛がした。
今、あまり精神状態は、よくないようだ。
理由はわかっている。

近く、実家の寺で、法事がある。
父の33回忌である。
私は若いころから、「実家へ帰る」となっただけで、
精神状態が、たいへん不安定になる。
家族自我群による「幻惑」によるものと考えてよい。
本能に近い部分にまで、「刷り込み」がなされて
いるため、それを克服するのは、容易なことではない。

満61歳になった今でも、その「幻惑」はつづく。

+++++++++++++++++++++

●家族自我群

今の今も、家族による束縛感、呪縛感に苦しんでいる人は多い。
家族であるがゆえに、わだかまりや、こだわりも、増幅する。
またそれから逃れることもできない。
できないから、悶々と、いつ晴れるともない、苦しみの中でもがく……。
こうした呪縛感を総称して、「家族自我群」という。
またそれから生まれる苦しみを総称して、「幻惑」という。
先にも書いたように、本能に近い部分にまで刷り込みがなされているため、
その自我群から、自ら解放することは、容易なことではない。

●家族

「家族」というと、甘い響きがそこに漂う。
そうである人には、そうかもしれない。
しかしその家族も、どこかで歯車が狂うと、そのままバラバラになる。
なって、今度は、重圧感となって、その人を襲う。
家族イコール、「安住の場」とは、かぎらない。
「家族である」という、安易な『デアル論』だけで、
容赦なく、その人を攻撃する。
幸運にしても、そういった苦しみを知らない人には、
自我群の説明をしても、意味はない。
理解することすら、むずかしい。

●入浴

……ここまで書いて、朝風呂に入ってきた。
軽い偏頭痛のばあい、朝風呂に入ると、そのまま治る。
これにも、理由がある。
偏頭痛は、血管が拡張して起こる。
拡張した血管が、その周囲を取り巻く神経を圧迫する。
それで偏頭痛が起こる。

若いころは、このメカニズムがわからず、苦労した。
プラス苦しんだ。
ひどいときには、「頭を切り落としてくれ!」と叫ぶほど、
痛かった。
が、メカニズムがわかれば、対処の仕方もわかる。

やや熱めの風呂に入って、一度、血圧をあげる。
瞬間、偏頭痛はひどくなるが、5〜10分もすると、今度は
血管が収縮を始める。
それで偏頭痛は、消える。
今朝、目が覚めたときの頭痛は、偏頭痛だった。

●自我群と闘うために

家族自我群と闘うためには、まず、そのメカニズムを知る。
何度も書くが、これは本能に近い部分にまで刷り込みがなされているから、
それと闘うのは、容易なことではない。
理性や知性で、割り切ることはむずかしい。
が、「幻惑」は、読んで字のごとく、「幻惑」。
「幻(まぼろし)」。
実体があるわけではない。

私のばあい……という言い方はおかしいが、あるときから、そこにある
運命を受け入れることにした。
自分の境遇をのろっても、しかたない。
嘆いても、始まらない。
だったら、そこにある運命を、そのまま受け入れる。
とたん、心が、ウソのように軽くなったのを覚えている。

●今……

今、私が苦しんだ、家族自我群による幻惑は、ウソのように消えた。
母が他界し、つづいて兄が他界し、「家」そのものが、消えた。
残るのは、実家という「古家」と「法事」のみ。
しかしそれらは、もう(心の問題)ではない。

が、すべての呪縛から解放されたというわけではない。
実家の周辺には、親類が住んでいる。
近所の人たちとのつきあいもある。
伯父、伯母、それに叔母もいる。
しかし我が身を振り返ってみれば、その私も61歳。
正直なところ、「もう、いいかげんにしてほしい!」と叫びたい。
が、こうなったら、居直って生きるしかない。
「どうでもなれ」と、投げ捨てて生きるしかない。

●幻惑に苦しんでいる人へ

私のBLOGへの検索・ワードを見ると、「家族による苦しみ」
についてのものが、多い。
(BLOGによっては、どんな言葉を検索して、アクセスして
きたかが、わかるようになっている。)

つまりそれだけ、この問題は、深刻ということ。
またそれで悩んでいる人も、多いということ。
逆に、そういう人たちをアクセスしてみると、そのBLOGには、
こう書いてあったりする。
「親を殺してやりたい!」と。

それは殺意というよりは、自分の体にしみ込んだ(体質)そのものを
消し去りたいという思いから、発するものと考えてよい。
あえて言うなら、自己嫌悪。
はげしい自己嫌悪。
それが転じて、「殺してやりたい!」となる。

しかしけっして、あせってはいけない。
時間はかかるかもしれないが、この問題は、時間が解決してくれる。
時間がたてば、かならず、解決する。
だから……。
それまでがんばって、がんばって、生き抜くこと。
健康だけを大切に、生き抜くこと。
それで解決する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
家族自我群 自我群 幻惑 家族とのわだかまり こだわり はやし浩司 確執 
親子の確執。)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもと笑おう、1、2、3!】

●みなさんも、子どもと一緒に笑いませんか?
 子どもの世界は、多分?、みなさんが考えているより、はるかに広く、豊かです。
 プラス、おもしろいです。ホント!
 どうかお楽しみください!
 
(年長児のみなさん)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/oT4JnZv27xI" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(小学1、2年生のみなさん)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/2RLs6BO59nw" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

以上2012年0703日、録画(はやし浩司 12−07−03)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【良心的な歯医者さん】

●K歯科医院

心の美しい人に出会うと、こちらの心まで洗われる。
ほっとするような安堵感を覚える。
今日(7−4)、こんなことがあった。

……私は現在の入野町(地名)に住むようになって、35年になる。
それ以前は、歯科医院には、行った記憶がない。
が、ある日、虫歯が痛み出した。
それで近くにある、X歯科医院へ行った。
そこでのこと。

 治療が終わって待合室に座っていると、院長(歯科医師)自らが、そこへやってきた。
私の横に座った。
体をかがめて、「林さん、これだけ出してくれれば、いい歯にしますよ」と。
院長は、5本の指を伸した。
「?」と思っていると、「50万円です」と。
(これは事実! 声を大にして強調したい!)

 この話は事実であり、もしX医院の院長がそれをどうのこうのと騒いだら、私はその院長と闘
う。
今でもX歯科医院は、近くの団地内で、医院を経営している。

 ……ということもあり、つぎに私は、少し離れたところにある、S歯科医院に通うようになった。
良心的な歯科医師だった。
院長は誠実さが、体の芯からしみ出てくるような人だった。
で、私や家族は、以後、30年以上、そのS歯科医院に通った。

 が、S歯科医院の医院長が、病気で倒れた。
そのまま閉院。
去年(2011)のことだった。
困った。
困ってワイフに相談すると、「K医院にしたら……」と。

●K歯科医院

 実は、K歯科医院は、よく知っている。
私が最初に開いた小さな教室の、すぐ近くにあった。
歩いて数分くらいのところだった。
6畳一間くらいの小さな医院で、夏などは、窓を開け広げて、治療していた。
私はその医院のそばを通るたびに、中の治療室をのぞいた。

 で、そのK歯科医院の長女のKさんが、やがて私の教室に通ってくれるようになった。
母親が二女を背中に負い、いつも連れてきてくれた。
自宅からは、かなりの距離がある。
車で、15分くらい。
が、迷わず、K歯科医院にした。
先にも書いたように、世の中には、X歯科医院のような歯科医院もある。
悪徳中の悪徳。
そのときも、ロクに治療らしい治療もせず、歯を2本も抜いてしまった。
医院を選ぶといっても、どうしても慎重にならざるをえない。

●レントゲン

 私は歯科医院で受けるレントゲンが、嫌い。
ここ3〜4年ほど、久しぶりに行ったりすると、かならずと言ってよいほど、レントゲン写真を撮
られる。
そういうシステムになっているらしい。

 で、あるとき、S歯科医院で、歯科医にこう言った。
「できれば、レントゲンを避けたいのですが……」と。
しかしS医師は、応じてくれなかった。
「ごく微量ですから」と。

 で、今回は、覚悟した。
「はじめてだから、しかたないか」と。

●1回の治療

 歯科医院によって、治療システムはちがう。
そういう話は、どこかで聞いたことがある。
が、K歯科医院は、今までの歯科医院と、すべてがちがっていた。

 予約制ではない。
受け付け順。
で、入ると、1回の治療で、すべてを治してくれた。
(今どき、1回の治療ですべてをすませてくれるところは、少ない!)
義兄も同じK歯科医院に通っているという。
「あのK先生はね、すべて保険の範囲で治療してくれるよ」と。

 何よりもうれしかったのは、レントゲンを撮られなかったこと。
プラス、K医師の妻が、私のことを覚えていてくれた。
「もう30年になりますね」と言ったので、「いえ、35年です」と。

 私は待合室で待っている間、ずっと年数を数えていた。
それで即座に「35年」と答えることができた。

●善人

 X歯科医院のような歯科医院は例外であるとしても、S歯科医院でも、治療は1回につき、15
分程度。
ひとつの虫歯でも、最低でも、5〜7回は通わねばならなかった。
それに保険で治療をしてくれるのは、目立たない奥歯だけ。
目立つ歯は、それぞれ10万円前後の実費がかかった。

 私はその(ちがい)に驚いた。
同時に、うれしかった。
それは混沌とした闇夜で、善人に出会ったようなうれしさだった。
K医師は、穏やかで、やさしそうな表情をしていた。
私のことを覚えていてくれた。

 「懐かしいです」と一言。
ぐっと胸が詰まった。
治療の合間に、私はK医師の顔を何度ものぞいた。
顔のしわのなかに、35年という年輪を感じた。
あの治療室で、懸命に治療している、K医師の姿が、そのまま浮かんできた。

●娘さん

 治療が終わった。
1回の治療で終わった。
が、どうも終わり方がすっきりしない。
で、「つぎはいつ来ればいいですか?」と聞くと、「じゃあ、また来週にでもおいでください」と。
私は「はい、来ます」と答えた。
治療室を出た。

 今、あのとき教えていた娘さんが、父親の跡を継いで、父親といっしょに仕事をしている。
つまり娘さんも、歯科医師になった。
私は、今までに、何百人という医師や歯科医師を、この世に送り出してきた。
しかし自分の教え子に、治療してもらったのは、今日がはじめて。
本当に、はじめて。

 それがどういうわけか、うれしかった。
安堵感に、満足感が加わった。
車に乗ったとき、じんと胸が熱くなった。
2012/07/04


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ヒッグズ粒子&CERN(サーン)

 「ヒッグズ粒子」なるものが、発見された。
「神の素粒子」とも呼ばれている。
Yahooニュースは、つぎのように伝えている。
 
 『4日に行われたBBC(英国放送協会)とのインタビューでホーキング博士は、「これは重要な
発見だ。ピーター・ヒッグス氏はノーベル賞をもらうべきだ」と述べつつも、「しかしこの物理学上
の偉大な進歩が、われわれが予想していなかった結果を出した実験からもたらされたというの
は、ある意味で残念なことだ」とつづけた』と。

●CERN(サーン)

 この日本では、「CERN」の名前を知る人は少ない。
「息子はCERNで働いています」と言っても、みな「?」の顔をする。

CERN……『スイスのジュネーヴ郊外でフランスと国境地帯にある、世界最大規模の素粒子物
理学の研究所。
「欧州合同原子核研究機構」、「欧州合同原子核研究機関」、「ヨーロッパ合同原子核研究機
構」、または「欧州原子核共同研究所」などとも呼ばれる。
研究内容が素粒子物理学を中心としていることから、「ヨーロッパ素粒子物理学研究所」、「欧
州素粒子原子核研究機構」などの通称もある』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 実際には、CERNで出てきた研究結果(データ)は、そのまま2つのルートで世界に流される
(息子談)。
そのうちひとつは、衛星を介して、一度インディアナ州のインディアナ大学に集められる。
大学といっても、端から端まで、車で2時間弱もかかる広大なキャンパスを誇る。
その情報を、一部は、スパコンを使って分析する。
が、スパコンの能力には限界がある。
そこでその情報は、世界中の大学の中型コンピューターに分散して流される。
もちろん、その中には、東京大学も含まれる。

 その管理を、息子と他の2人の研究者がしている。
他の2人は、ニューヨークとラスベガスにいる。
「どうしてそんな仕事ができるのか?」と聞くと、息子はこう答えた。
「常時、テレビ電話で、つながれている」と。
「ときどき東京大学からも、研究者が来るよ」とも。

 現在、先にも書いたように、CERNから出てきたデータは、2つのルートで世界に流される。
「アメリカ方式」と「ヨーロッパ方式」と呼ばれている。
使っているソフトがちがう。
そこで息子は、その2つのソフトの統合ソフトの開発も手がけている。

 なお息子に言わせると、「今は、もうスパコンの時代ではない」とのこと。
あくまでも息子がそう言っているだけだが、無数の中型コンピューターをつないだほうが、効率
のよい分析ができるそうだ(息子談)。
(息子は、州立大学の学生のときから、コンピューターの接続を専門としていた。)

 このあたりの話になると、私にもまったく理解できない。
で、昨年、こういう会話をした。

「東京では、そういう仕事はできないのか?」と。
日本も、この分野では、最先端を行くと私は思っていた。
が、息子は、こう答えた。
「東京には、そういう仕事はない。パパ、日本は相手にされていないよ」と。

 悲しい話だが、これも日本人の知らない事実のひとつ。
それはともかくも、そのCERNで、「神の素粒子」が発見された。
目下確認中だが、発見は、ほぼまちがいないようだ。
「ピーター・ヒッグス氏はノーベル賞をもらうべきだ」という話も出ている。

 そんなわけで、CERNの名前が出るたびに、どこか誇らしい気持ちになる。
うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二男 CERN CERN 神の素粒
子)2012/07/05記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 5日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【T県のJさん(母親)から、はやし浩司へ】

はやし様

サイトに時々お邪魔させて頂き、育児の参考にして励まされてきた二児の母です。
度々問題を起こす息子と、よく干渉し私や子供たち(特に私へですが)をなじる両親についてで
す。
自分の存在価値と子供への影響をご相談させて頂きたいと思います。

私たち親子3人は、離婚し実家に戻り長い期間が過ぎた今現在も、とてもふがいないのです。
両親のもとに同居しております。
収入がかなり不安定な上、十分な貯蓄もなく不安なまま今まで過ごしてきました。
が、来年3月の娘の受験終了後、教育に費用もかかる年頃にはなりますが、校区内移転を考
えています。

(これは息子が中学生活を終えるまでの間です。
その後は市外移転を考えてます)。

まず両親と私の関係ですが、仲は悪いです。
この年になってまで過干渉すぎるのと、自分たちの思いのみを押し付けてくるからです。
思うようにならなければ、両親は人前や子供の前であろうが容赦なく罵声を浴びせます。
それは私が子供のころからそうでした。
昔から暴力もありました。
今日もあります。

自営業で、自宅の一室を事務所変わりにしています。
が、仕事での外出や来客まで詮索されたりします。
来客については玄関先でのことなのですが、私の話に聞き耳を立てているような状態です。
営業活動で各担当の方が仕事で来ても、気を遣います。
常に父にが余計なことをいわないだろうか、とです。
客にも気を遣わせているので今は、外でわざわざ時間を作ってもらい、先方で会っています。

(実際、両親は、失礼な物言いをして相手を不愉快にさせたことも何度かあります)

子供が登校した後は、家には居場所がないので、外に出て仕事をしている時や、一人でいる
時が唯一安心できます。
そんな父に今日、息子を酷く叱責しているときに、子供の前で何発も殴られました。
これまでも息子に明らかな原因があり、叱責しているときに、叱責している私の方が殴られて
たことが何度もあります。
息子はをれを見て、笑っており、反省どころか反省する機会さえ奪われることが何度もありまし
た。

今日もそのような場面がありました。
突然血相を変えて殴りかかる父に抵抗していた私を見て、息子は勝ち誇ったように笑っていま
した。
よそに迷惑をかけていたことなど反省もせず、そのような態度をとったのでビンタをたたきまし
た。

息子は「父に殴られた八つ当たりで叩かれた」としか思っておらず、鼻血を出したのを見た母
は、「暴力、暴力」と言って、騒ぎ立てました。
父の暴力の原因が私だと、とにかくすべて私が悪者にされます。
はじめに息子にしていた話はどこに行ったのかわからなくなってしまいました。

隣に住む弟が察して、外に出た息子をなだめにしばらく歩いて話をしてくれたようでした。
が、息子の私に対する信頼などなく、息子の帰宅と同時に、「兄ちゃん(弟)がいてよかったね。
じいちゃん達の部屋で寝なさい」と、子供が何をしても、私が悪いとになります。

お金や日常生活についても、息子と娘とでは、息子にだけ甘く、息子と娘の間にトラブルがあ
り、明らかに息子に原因があった場合でも、息子はかばわれ、娘がひどく怒鳴られ、なじられ
ます。

息子は小学校の低学年と高学年で2回万引きをしています。
そして私は悲しく、仕事も切り上げ帰宅しひどく叱り、一緒に関係先に詫びに行きました。
1度目も2度目も改心しました。
でも2度目はいくら物が欲しかったと言え、2度目の万引きを分別なくやってしまいました。

その辺りにお小遣い以上の買い物を頻繁にしていたのが気になり、何度か問ただしました。
が、本人が万引きを否定し、その時は信じましたが、やっぱりかという思いと絶望感でいっぱい
でした。
先生から出張中に連絡を受け遠方からでしたが夜帰宅し、やはり2度目ですし、何店か悪事を
働いていたので、反省しても態度や友人を巻き込んだ事の重大さがまだ配慮が足りないと伺
える言葉が何度か出たので、許せなくて、顔を殴りました。

子供は口を切りましたが、それを周囲に暴力なら暴力と言われてもいいと、でももう2度目な上
に、お友達やそのご家族に大変申し訳なく、そういう行動になりました。
世の中狭い上に、近所での出来事だったので、自分が人の目を気にする場面もでてくるだろう
し、娘にもよからぬ迷惑がかかる可能性があることも十分話しました。
そしてもうそんな自分とは決別し、引け目を取らずまっすぐ堂々と過ごしていくよう話ました。

子供の毎月決めている額は(学年)x100円の小遣いと、必要に応じ、私が一緒に買い物につ
いて行き買うことにしていました。
ほかに両親から500円ずつ・・のはずだったのですが、父が小遣いを要求されるたびに挙げ
ていた分が月に一万近くあり、申告もないため私が把握できない状況にありました。

その時にお金は決まった額に留めて、もしそれ以外で小遣いを何かの理由であげた場合は息
子も父も両方から知らせるよう言ってありましたが、2人とも申告しません。
後で私がわかって確認することがまだ続いています。

父はこのようなことがあってもあえて私には言いません。
私に指図されたくないからです。
ちなみに、万引き2回とも両親は、息子の前で私が原因であると言ってしまいました。

(仕事で家にいないことなどが、原因と両親は言います。)

もう万引きはしませんが、何度もそのような家庭環境と息子とのことで児童相談所にも単独で
相談しに行きました。
子供のことでの相談だったので子供を連れてくるよう、担当の方に言われ、「お母さんに言えな
いことや、何か悩んだりしていることがあれば話を聞いてくれるところがあるから行ってみない
か?」と。
なるべく来所できるよう相談所から言われたような言葉をかけられ、訪ねてみました。
息子の返事は「どうして僕がそこにいかなきゃならないの?」でした。

その後しばらく様子を見て、中学に上がって特に心配な要素もなかったので、相談は一旦終了
ました。
つごうが悪くなると両親になびき、両親が取り込みます。
親はどっちなのかと、内心私も子供のその行動を見て傷つき、自信を無くし申し訳なく責めてし
まいます。
反抗期に入ったのを差し引いても私のことなど聞きませんし、だからといって両親の言うことも
聞きません。
そして、いうことを聞かなければ私の躾(しつけ)が悪いと責められます。
父たちから言われたからではありませんが、この頃あまりにも私生活や勉強や塾などでも、わ
ざとけじめをつけようとせず態度も増え、私もひどく怒鳴る回数もビンタの回数も増えてきまし
た。

塾など他方にもご迷惑をかけたからですが、自己嫌悪の連続です。
普段はお友達には優しく協調性もふつうにありますし、部活も目標を持って汗かいて頑張って
います。
ですが、家庭では何かあったとき、平気で責任転嫁したり条件を付けてきたりするようになりま
した。
子供の将来や人格面で心配です。
暴力をしつけだとは思っていませんし、私も両親にされてきた側なので暴力は嫌なのですが、
言ってもダメなときや事がまずい方向に傾倒しているときは叩いてでも聞かせようとしているの
が現実です。

息子は自分の親が祖父に殴られるのを見、今は自分が私に叩かれたことも開き直り、「暴力」
だという事も増えてきました。
そのような状況をつくってしまい、そして自分たち3人の生活の場を作ってこなかった長い期
間、不安があったにしても行動できなかった自分をとても後悔しています。

息子の今後の育成と人格についても多大な影響がでないか不安でなりません。
幸せにしたいですし、人々を幸せにして欲しいのです。
3人で生活し穏やかな暮らしを送り、今からでもきちんとした親子関係を取り戻したいのです
が、息子の気持ちが離れていたり信頼がなくなっていたりして、3人一つになれるのか、そして
また両親が過度に干渉し、安易に息子が実家の両親になびいてしまわないか気になります。

移転は娘も準備ができたら、引っ越したいといっております。
移転後は実家とは一切の関わりを、子供たちとも話した上、断とうと思っています。
息子は向き合うことができるのでしょうか。

子供達に対する両親の干渉は生活面や教育・将来のことについてすべてですが、ここ3年くら
いは以前にも増して、特定の学校や通塾先を何が何でも意を通したいようです。
通知表も親より先に自分たちに見させよとします。
お金は払うから、祖父母の言う学校に行き、言う通りにしなさいと、私のいないところで圧力を
かけているので、娘はそれに反発し私に知らせてくれます。

当然娘は自分なりに学校を決め、両親が強く進めていた大手塾とは別の個人塾を選んで頑張
っています。
息子もお姉ちゃんがいるため、自然とお世話になる形で同じ塾に通っています。
(塾は嫌いではないです。)

とにかく干渉しすぎる上に、甘やかしたとたんそれが裏目にでると怒鳴り散らして怒ります。
子供も一時は何が良くて何がいけないのかよくわからずとてもきつそうでした。
食事の時も例えば直前までたくさんの袋菓子を一緒に買いに行きごはんを食べるなら買っても
いいとむちゃくちゃなことを言いながら買い与え、当然食事などキチンと食べられるわけないの
で、ご飯を食べると約束して買ってあげたのにどうして食べないのか」と、ものすごい剣幕で怒
鳴り散らします。
で、一挙一動父に見張られ揚げ足をとられて罵倒されますので、一緒に食事をしたくないと居
間で食べようとすることもよくありますが、食卓で食事をさせています。

父には席を外すよう言いますが、「俺がその場を離れる必要はない」と、状況を分かってくれま
せん。
母も長年そんな父の機嫌が悪い時は私たちのせいにされていましたし、子供達にも同じように
責めます。

私の事など両親にとっては関係なく、このような状況が横行しています。

力が足りずふがいない私ですがよろしくお願い致します

長文ですが最後まで読んでいただき感謝致します。
ありがとうございました。

【はやし浩司より、Jさんへ】

 きびしいことを書きますが、お許しください。
これもあなたのためです。

 で、一読し、正直に告白しますが、気分が悪くなりました。
これほどまでに「暴力」が、日常化している家庭は、そうはありません。
(統計上、50%の母親が暴力を加えていることはわかっていますが……。)

 あなたは(子育て)に名を借り、自分を顧みることなく、子どもに(すべて)を押しつけているだ
けです。
またあなたは自分の子どもを、「所有物」か、何かのように考えている。
自分の思い通りにならないからといっては、怒り、暴力を振るっている。

 今どき、1度や2度、万引きをしない子どもはいません。
(だからといって、それを許せということではありませんが……。)
それをまあ、ことさら大げさに考え、あとは取り越し苦労と、ぬか喜び。
それを繰り返しているだけ。
つまりひとり芝居!

 最初にはっきり言っておきますが、あなたの家には、何も問題はありません。
すばらしいとまでは言えなくも、ごく平均的な家庭です。
あなたの子どもも、ごく平均的です。
問題があるとすれば、あなた自身です。
それともあなたは、聖母なのでしょうか?
それほどまでにすばらしい母親なのでしょうか?

 メールを読んで、まず最初に思い出したのが、イラン映画『桜桃の味』です。
その中に、こんなジュークが出てきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ある男が病院へ来てこう言った。「ドクター、私は頭を押さえても頭が痛い。腹を押させても腹
が痛い。
足を押さえても足が痛い。
体中、どこを押させても痛い。私は何の病気でしょうか」と。
するとそのドクターは、こう言った。
「あなたはどこも悪くない。ただあなたの指が折れているだけだよ」と。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ほんの少しだけ見方を変えると、ものの考え方も180度変わるということです。
「何もかもダメだ」と思うときも、見方を変えると一変する。
ダメなのは、子どもでも、両親でもない。
あなた自身の「目」なのです。

 あなたとあなたの両親、それにあなたと子どもたち。
その間の歯車は、完全にズレている。
「狂っている」と言っても過言ではないでしょう。

(「親子3人」という言い方も、気になります。
正しくは、「家族5人」です。
ちがいますか?)

●二番底

 あなたは今、こう思っています。
「最悪!」と。

 しかしこの種の問題は、さらに別の「底」があります。
私は「二番底」「三番底」と呼んでいます。
そのうちあなたの子どもは非行を繰り返し、家出……ということにもなりかねません。
つまり「まだ、以前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、二番底、三番底に向かいま
す。

 では、どうするか、ですね。

(1)今より、状況を悪くしないことだけを考え、あとはあきらめなさい。
あなたと両親の関係はともかくも、あなたと息子さんの関係は、完全に断絶しています。
心さえ、通いあっていない。
今の息子さんの年齢からして、修復は不可能と考えてください。
ただ、息子さんが、40代、50代になれば、少しはあなたを理解することができるようになるか
もしれません。
が、今は、無理です。

 あなたの子育てを客観的にみるなら、典型的な「代償的過保護」です。
子どもを自分の支配下において、自分の思い通りにしたいだけ。
が、思い通りにならない。
だからひとりで、イライラしているだけ。
いったい、あなたは自分の子どもを、どのようにしたいのですか?
またどうあれば、満足するのですか?

 子どもは、暴力を加えても、どうにもなりません。
あなた自身だって、父親から暴力を振るわれ、それをいちばんよく知っているはずです。
それともあなたは父親の暴力に、感謝していますか?

 仮に今、引っ越して、別のところに住んでも、息子さんの心を呼び寄せることは、不可能で
す。
両親と切り離すことなど、さらに不可能です。
だからもう、あきらめなさい。
こんな状況で、塾だの、受験勉強だのと、言ったところで、どうにもなりません。
あなたの息子さんの気持ちは、ますますあなたから離れていきます。
(あなたは「いつかは、親であるあなたに感謝するだろう」という幻想をもっているかもしれませ
んが……。
が、幻想は幻想。
夏の日のかげろうのように、はかないものです。)

 そのかわり、あなたはあなたで、自分の人生を生きます。
息子さんに対しても、(やるべきこと)はやる。
しかしそこまで。
先にも書きましたが、「今の状況を、これ以上、悪くさせないこと」だけを考え、現状維持ができ
れば、それでよしとします。

●両親に任せる

 あなた自身が、(よき家庭)の味を知らない。
不幸な家庭に育った人です。
両親から日常的に、暴力を受けていた。
だから子育てが、ちぐはぐになっています。

 で、あなたは今、自分が受けた子育てを、無意識のうちに繰り返している。
これを「世代連鎖」と呼んでいます。
あなたの子どももまた、おとなになり、家庭と子どもをもったとき、同じことを繰り返します。
つまりあなたの目の前で、あなたの子どもは、あなたの孫を、殴ったり、叩いたりするようにな
ります。
「子育ては本能ではなく、学習」というのは、そういう意味です。

 では、どうするか。

●親風

 任すところは、両親に任せなさい。
子どもたちの意思と判断に任せなさい。
私があなたの子どもなら、私でも、あなたから逃げていくでしょう。
こまごまとうるさいのは、仕方ないとしても、あなたは子どものことを、まったく信用していない。
それが転じて、子どもも、またあなたのことを、まったく信用していない。
あなた自身も、親意識が強く、常に親風を吹かしている。
加えて、「私は子どもたちのために犠牲になっている」という犠牲心も強い。
わかりやすく言えば、「私はすばらしい母親」と思い込んでいるだけ。

 だから任すところは、両親に任せなさい。
多少、ドラ息子、ドラ娘化はするでしょうが、子育ての世界では、マイナーな問題です。
あなたはあなたで、そういう環境をうまく利用し、仕事に没頭するなど、好き勝手なことをすれ
ばよいのです。
すばらしい環境じゃあ、ないですか!
まだ若いのですから、おしゃれでもし、再婚も考えたらよいのです。
自ら出口をふさぐようなことはせず、前向きに生きていくのです。
心を解き放てば、体はあとからついてきます。

 息子さんや、娘さんに何かを期待するのは、もうやめなさい。
すでに心は、遠いところに行ってしまっています。
あなたが今、両親を捨てることだけを考えているように、あなたの子どもたちも、やがてすぐ、
あなたを捨てることだけを考えるようになるでしょう。
修復できる時期があるとするなら、それは子どもが0〜4歳の幼児期までです。
思春期に入った子どもは、すでに1人の人間です。
修復など、(たとえば基本的信頼関係の再構築にしても)、不可能です。

 今の状況で、あなたが「まだ何とかなる」と焦れば焦るほど、先にも書きましたように、二番
底、三番底へと、子どもたちは落ちていきます。
むしろ、それを防いでいるのは、あなたの両親ですよ。
両親が、あなたの代わりに親をしてくれるというのなら、御の字。
「よろしくお願いします」と言えばよいのです。
「お金も出してくれる」と言っているのですから、こんなありがたい話は、ありません。

 が、肝心のあなたも、自分の両親を信じていない。
これでは、ますますあなたは、あなた自身を、追いつめるだけです。
このままでは、あなたの人生は、孤独で、さみしいものになってしまいますよ。
(だれか近くに、あなたの信頼できる人がいればいいのですが……。
何でも話せる人は、いませんか?)

 不信と過干渉、それに暴力!
その「連鎖」を断ち切るのは、あなたしかいません。
またあなたしか、できません。
子どもを叱る前に、自分の暴力を叱りなさい。
でないと、今、暴力を振るった分だけ、あなたが今度は、暴力を受けるようになりますよ。
あなたの息子さんは、やがてあなたより大きな男性になるでしょう。
腕力もつきます。
つまりそのとき、逆襲を受けます。
(それができなほどまでに、子どもを押し込めてしまえば、話は別です。
が、そうなればなったで、ハキのない、ナヨナヨした子どもになってしまうでしょう。)
 
●前向きに

 子育ては、重労働です。
が、やがてすぐ、あなたはその重労働から解放されるときがやってきます。
だったら、ものごとは、前向きに考えます。
今のあなたは、(子ども)という過去、(子ども)という内側世界に向きすぎています。
妄想性も強いかもしれません。
取り越し苦労が、そのままグチにつながっている?
グチは、アメリカでは、うつ病の診断基準の柱になっていますよ。
だからグチは言わないこと!

 また生き様そのものが、後ろ向き+内向き。
ささいなことで、「児童相談所」とは!
あなたの息子さんは、少なくともあなたより、すばらしい人になります。
(あなたという人も、その両親に育てられたのですから……。)
だからこれ以上、心配しないこと。
あなたが前向きに、生き生きと生活している姿こそが、あなたの子どもの心を伸します。
あとは、勇気を出し、子離れすればよいのです。

「私は私の人生を生きる。
私の残り少ない人生を、あなたたちのために犠牲にしない。
だからあなたたちは、あなたたちで、勝手に生きていきなさい」とです。

 最後に一言。

 暴力は、やめなさい!
あなた自身の人格を、醜くするだけです。

 以上、Jさんにはきびしいことばかり書きました。
しかしこの程度の問題は、思春期を迎えた子どもをもつ家庭では、ごくありふれたことです。
大半がそうではないでしょうか。
もっと正確には、70〜80%が、そうであると考えてください。
もう少し風通しをよくし、同じ年齢の子どもをもつ親たちと交流してみたらどうでしょうか。
「うちもそうなんです」「うちも……」という話が、つぎつぎと出てくるはずです。

 なお子どもの学費は、ほどほどに。
それよりもあなた自身の老後を考え、生活設計を始めたらよいです。
あなたの子どもには期待しないこと。
今は、そういう時代です。

 以下、参考になる資料を添えておきます。
2012/07/06

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

++++++++++++++++

基本的信頼関係について書いた原稿
などを、参考のために、ここに添付
しておきます。

++++++++++++++++

【基本的信頼関係】

●信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるという
のは、避ける。

(030422)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 基本
的信頼関係 信頼関係 子供との信頼関係)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどお
りにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味では、代
償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴がみられ
るようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(して
よいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、親に
追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその温和性
は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のものである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする……とい
ったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解す
る傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価している。臆面もな
く、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の前では、借りてきたネ
コの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題は、その
ことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その呪縛性
に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であるかわからな
いまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別として、その重圧感
は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に気が
つくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生まれてはじめ
て、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画もあっ
た。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、まず、あ
なたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あなた自身の中
の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにしてき
た。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことがある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ずる。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と考え
てよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に分析してみる
とよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子どものた
め」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利
用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用する。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力的、威圧
的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするなら、お涙ち
ょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見せつけながら、子
どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、操られ
ているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、異常なまで
に依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生まれ
ながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子ども自身が、
かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。そし
て子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔の表情と
が一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒っていると
きは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。そういう子どもを、
すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 代償
的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【自分を見失う子どもたち】(Spoiled Children)

Where should I go? What should I do? What do I want to do? These children don't know even 
what they really are.

●ドラ息子、ドラ娘

 ドラ息子症候群というのがある。自分勝手でわがまま、ものの考え方が、享楽的で(=その
場だけの快楽を求める)、ぜいたく。
自己中心性が強く、対人、対物許容範囲が狭い。好き嫌いを平気で口にし、相手やものの
「非」をとらえて、不平、不満を並べる。

 このタイプの子どもについては、たびたび書いてきたので、ここでは、その先を考える。
ずいぶんと前だが、こんな子ども(中学生、女子)がいた。
……といっても、架空の中学生と考えてほしい。いくつかの事例を、ひとつにまとめてみる。
名前を、Yさんとしておく。

 ある日のこと、Yさんが、突然、こう言った。「帰ります」「タクシーを呼んでください」と。あまり
にも突然のことなので、驚いた。が、私はその場の雰囲気に負けて、タクシーを呼んだ。

 あとで理由を母親に聞くと、母親は、こう言った。「あの子は、よそのトイレが使えないのです」
と。つまり「よその家では、大便ができない」と。

 こういうケースは珍しくない。
わがままというより、ぜいたくざんまいに育てると、子どもは、そうなる。いやなことはしない。
きたない仕事はしない。
つらい経験はしない。
世界が自分を中心に回っているかのように錯覚する。
また世界の中心にいないと、気がすまない。

 そのYさんは、よくこう言った。
「先生は、教室の消毒をしていますか?」と。
「どうして?」と聞くと、「机の上に、ホコリがたまっています」「壁にゴキブリのウンチのシミがつ
いています」と。
こまかいことを、そのつど指摘しては、おおげさに騒いだ。

 で、このタイプの子どもは、学習面でも伸び悩む。
「学習」には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える「力」がない。

 これについても、すでにたびたび書いてきたので、ここではさらにその先を書く。

●自己同一性の危機

 このタイプの子どもは、やがて、自分を見失う。
発達心理学の世界には、「自己の同一性」という言葉がある。
その「同一性」が、バラバラになってしまう。

 自分で何を、どうしたらよいかも、わからなくなってしまう。
自分が何をしたいかも、わからなくなってしまう。
自己中心性が強いから、他人から、どのように見られているかも、わからなくなってしまう。

 たとえて言うなら、糸の切れた凧のような状態になる。
フラフラと風任せ。
あるいはそのままドスンと下に落ちてくる。つまり非行の道へと、まっしぐら。

 Yさんは、教室へ入るやいなや、よくこう言った。

 「あんた(=私のこと)も、おかしな顔をしているね」
 「奥さんがかわいそう」
 「こんな暑苦しい部屋じゃ、勉強なんかできない」と。

 もちろん勉強など、しない。能力的には、かなり恵まれた子どもだった。
頭もよかった。
しかしそれだけに、扱い方がむずかしかった。
自分の非を棚にあげて、「ああでもない」「こうでもない」と、他人を批判した。

 Yさん自身も、「私はできるはず」という部分で、葛藤していたと思う。
(プライド)と(現実)のギャップの中で、もがいていた。

 一度、こう言ったことがある。
「そんなにここへ来るのがいやだったら、お母さんに、そう話してあげようか」と。

 しかしそれについては、Yさんは、がんこに拒否した。
心の中では、不満と不平が、ウズを巻いていた。それから生まれる怒りを、私にぶつけてい
た。
私を口汚くののしることで、欲求不満を解消させようとしていた。
私にも、それがよくわかっていた。

●非行

 で、このタイプの子どもは、一度、非行の道に入ると、そのまま、まっしぐらにその道へと入っ
てしまう。
(だからといって、非行が悪いというのではない。またそれでもって、子育てに失敗したというわ
けでもない。誤解のないよう。)

 Yさんは、中学2年になるころには、性的経験をもつようになった。
私には、雰囲気から、それがよくわかった。
ある日、筆入れの中に、子どもがもつようなものでない装飾品が入っていた。
それを私が指でつまんで、「これは何?」と聞くと、Yさんは、艶(なまめ)かしい声で、こう言っ
た。
「ウフン……。いいじゃん……」と。

 私は親に話すべきかどうかで、迷った。
しかし言わなかった。
言えば、私と子どもとの間の信頼関係は消える。
信頼関係が切れた状態で、子どもの指導はできない。
親の側から相談でもあれば話は別だが、こういうケースのばあい、知って知らぬフリをする。
性的経験にしても、「疑わしい」というだけで、確証があるわけではない。

 では、どうするか?

●二番底に注意

 このタイプの子どもは、進むべき方向性をいっしょにさがしてやるのがよい。
しかし先にも書いたように、自分でも、どうしたらよいか、それがわかっていない。
「あなた何をしたいの?」と聞いても、「遊びたい」とか、「お金がほしい」とか、言う。
そこでさらに、「どんなことをして遊びたいの?」「お金があったら、何を買うの?」と聞いても、
その答がない。
「わかんない……」とか言う。

 別の方法としては、スポーツや運動で、自分を燃焼させるというのがある。
しかしこの段階になると、それもしない。
「いやだ」「できない」「したくない」の悪循環の中で、ますます遠ざかっていく。

 ……と書くと、「お先、真っ暗」ということになる。
が、ここで待ってほしいのは、このタイプの子どもは、その状態が、最悪の状態ではないという
こと。
その「最悪」の下には、さらにその最悪がある。
これを私は「二番底」と呼んでいる。

 (この「二番底」「三番底」論は、はやし浩司のオリジナルである。どうか、無断で流用しないで
いただきたい。)

 たとえば非行といっても、いろいろある。(門限破り)→(外泊)→(家出)と進む。さらに(長期
家出)→(同棲)→(性病、妊娠)と進む。

 わかりやすく言えば、「直そう」とは思わないこと。それ以上、状態を悪くしないことだけを考え
て、対処する。
あとは、時間を待つ。
この段階で、あせって、何かをすればするほど、逆効果。
私が言う、二番底、三番底へと落ちていく。

 その期間は、驚くほど、短い
。ほとんどの親は、こう言う。
「あっという間でした」と。
それこそ、1、2か月の間に、そうなる。それだけに、親が気づくということもない。
「非行に走る」という言葉がある。
まさに「走る」という状態になる。

 で、子どもが非行に走ると、ほとんどの親は、「うちの子は誘われただけです」と言う。
「友だちが悪い」と。
しかしよく調べてみると、その子ども自身が中心核になっているというケースは多い。

●変化に注意

 さらに問題がつづく。
子どもというのは、ウソをつく。
仮面をかぶる。
一方、親のほうは、「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、子どもの変化を見逃してしま
う。
私の経験からして、こういうケースで、子どもの姿を正確にとらえている親は、まずいない。

 Yさんにしても、父親の前では、借りてきた猫の子のように、おとなしかった。
が、その一方で、母親は、Yさんを溺愛していた。
一度、こんなことがあった。

 私がYさんの希望進学校を聞いたときのこと。
母親は、私にこう言った。「私からは聞けませんので、先生(=私)のほうから、聞いてください」
と。
私は、「ハア……」と言っただけで、何も言うことができなかった。
 
 そのYさんについて言えば、極端にきびしい父親、極端に甘い母親の間で、(三角関係)がで
きていた。
つまり家庭教育そのものが、崩壊していた。

 結局、この問題は、行き着くところまで行く。
行かなければ、親も気がつかない。
この問題だけは、子どもの問題というよりは、親の問題。
親問題というよりは、家庭の問題。子どもは、その(代表)にすぎない。

 が、だからといって、それでその子どもが、ダメになるわけではない。
先に、「非行が悪いわけではない」と書いたが、それは、そういう意味である。
多かれ少なかれ、子どもというのは、同じような道をたどりながら、やがておとなになっていく。
この時期の失敗(?)が、そのまま一生つづくということはない。

 さらに言えば、ドラ息子、ドラ娘ということになれば、日本の子どもたちは、みな、ドラ息子、ド
ラ娘ということになる。
世界的な水準からすれば、そうである。ある母親は、こう言った。

 「先生は、ドラ息子の話をしますが、私の夫が、そのドラ息子です。どうしたらいいでしょう
か?」と。

 しかし……。

 よいか悪いかということになれば、子どもは、ドラ息子、ドラ娘にしないほうがよい。
苦しむのは、結局は、子ども自身ということになる。
それこそおとなになる過程で、「長くて曲がりくねった道」(ビートルズ)を歩かなければならな
い。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

前回のつづきです。


【欲望論】(物欲との闘い)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日本政府は、次期戦闘機に、F−35A(ロッキード・マーチン社)を、選定した。
いろいろと問題のある機種らしい。
しかしそこは敗戦国、日本。
文句も言えず、アメリカ政府の提案に従った。

いわく『第2段階評価においては、「性能」、「経費」、「国内企業参画」及び「後方支援」の4要
素について総合的な評価を行い、これら4つの要素の評価点の合計が最も高かったF−35A
を次期戦闘機として決定した』(防衛省・自衛隊・公式HP)と。

こういうのを「後から理由」という。
つまり「こじつけ」。
自分の行為を後から正当化するため、ずるい人間がよく使う話法である。
日本政府は、最初から、アメリカ政府の提案に異議を唱える立場にはなかった。
へたに「NO!」などと言おうものなら、アメリカ政府の機嫌を損ねてしまう。
何よりも、それを恐れた。

で、最初から、F−35Aに決まっていた。
ボーイング社のFA−18E、ユーロファイター社のタイフーンは、言うなればお飾り。
完成度の高さで言ったら、後者2機種のほうが、すぐれている。
F−35Aは、まだ、本当に飛べるのかどうかさえ、わかっていない。
価格も、未知数。
1機、86億円ということだが、それでも当初見積もりの2倍(ウィキペディア百科事典)!

で、私は……?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●デジタル一眼カメラ

 この1週間、私は時期カメラの選定に悩んだ。
集めたカタログは、10社前後。
厚さにして、数センチ分。
それを夜、眠る前に読む。

 で、最終的に残ったのが、

(1)ソニー社のNEX−F3
(2)パナソニック社(以下、パナ)のLumix GF5

 戦闘機とカメラ。
大きくちがようだが、選ぶ人間の気持ちは、同じ。
価格と性能、それに目的。

(1)F3は、5万4000円前後(ネット価格、色は白)。
(2)GF5は、4万8000円前後(ネット価格、色は白)。

 ともに標準レンズをつけての価格。
色を「白」にしたのは、ワイフの希望。

 目的は、「アートな写真を撮りたい」。
どれも11〜13種前後の、アートフィルターをかけることができる。
ふつうの写真が、絵画調になったりする。
一色だけを選んで、その部分だけに色をつけ、残りを白黒にすることもできる。

 が、この分野で先鞭を切ったのは、ソニーでもパナでもない。
カシオ。
そこでカシオのカタログを調べてみると、フラグシップと呼ばれる最高級機種でも、2万4000
円前後(ネット価格)。
さらに1眼カメラにこだわらなければ、ソニーでも、よいのを出している。

 私のばあい、ポケットに入れておいて、気軽に撮る。
それが私流。
そこで今朝になって、機種変更。

(1)ソニーのサイバーショット
(2)カシオのエクスリム

 ともに価格は、2万4000円前後。
最終的には、これから近くのショップへ行き、そこで決める。

 ……もうこれ以上、物欲を抑えると、気がヘンになってしまう。
で、ある人いわく、「欲しいと思ったときが、買い時」と。
老人組にとっては、とくにそう。
しばらくすると、写真を撮りたいという気力まで、失せてしまう。
ということで、買う。
それが若さを保つ、秘訣でもあるらしい。

●ある女性からのメール

 朝、IEを開くと、KMさんからメールが届いていた。
子育てに参加しない父親(夫)に悩んでいる。
そういう夫、つまり子育てに参加しない父親(夫)は多い。
しかし最初に、一言。

 昨今、父親の育児参加が、ことさら大げさに叫ばれている。
しかし母親と、父親の役目は、基本的な部分で、ちがう。
昔から英語国では、こう教える。

『母親は子どもを産み、育てるが、狩りの仕方を教えるのは、父親』と。
もう少し専門的には、こうなる。
以前にも書いたので、原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

父親の役目には、2つある。

(1)母子関係の是正(ともすればベタベタになりやすい母子関係を是正する。)
(2)社会性の取得(社会のルールを教え、狩りの仕方を教える。)

少し古い原稿(2003年ごろ)だが、私はブレない。
そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自由と孤独(父親の存在とは?)「父子論」byはやし浩司

++++++++++++++++++

昨日も介護に疲れた息子(50代)が、父親(80代)を殺すという事件が起きた。
痛ましい事件である。
こういう事件を見聞きすると、介護の経験のない人は、「どうして?」と首をかしげる。
私もそうだったし、今のあなたもそうかもしれない。
しかし「介護」のもつ重圧感には、相当なものがある。
それはいつ晴れるともなく綿々とつづく、曇り空のようなもの。
被介護者との間に良好な人間関係があれば、まだ救われる。
が、それがないと、「介護」はとたん、巨大な重石となって、あなたを押しつぶす。
それはそれとして、つまり介護の問題は別として、息子が父親を殺した。
ここに焦点を当てて、今朝は、父親と子ども(息子や娘)、つまり「父子論」について
考えてみたい。

++++++++++++++++++

●自己評価力

 ほとんどの人は、「私はふつう以上の、ふつうの人間」と思っている。
少なくとも、平均以上の人間と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。
さらに、ほとんどの親は、「私はふつう以上の、ふつうの親」と思っている。
ここでは親といっても、「父親」に的をしぼって考えてみる。
つまりこと、父親に関して言うなら、少なくとも、平均以上の父親と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。

 が、まわりの人たちは、あなたを「ふつうの人」とは思っていない。
あなたの子どもたちは、あなたを「ふつうの父親」とは思っていない。
このことはいろいろな調査結果を見ても、わかる。

 以前「断絶」という題で、それについて書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないなどがあ
る。
「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。
家族には助け合い、わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能がある。
が、断絶状態になると、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。
廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。
まさに一触即発。
親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。
そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。
あとはいつもの大げんか! 

そして一度、こういう状態になると、あとは底なしの悪循環。
親が修復を試みようとすればするほど、子どもはそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別
の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認めあわない
状態をいう。
たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論したり、逆
らうなどということは論外だった。
今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ親は少なくないが、「家から追い出される」という
ことは、子どもにとっては恐怖以外の何ものでもなかった。
江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまればそのまま佐渡の金山に送り
込まれたという。
その名残がごく最近まで生きていた。
いや、今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。

とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。
中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入ってくれれば」と、子どもの受験
競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。
そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の大失敗ととらえてよ
い。
言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうことこそが、家庭
教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべてマイナーな問題ということになる。
そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●79%!

 この原稿の中で、とくに注意してほしいところは、つぎ。
……「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青少年白書』平成10年)
……。

 あなたはこの「55%」「79%」という数字をどう読むだろうか。
さらに一言、付け加えるなら、この中には、「父親を軽蔑している」という調査項目がなかったの
は、なぜか?
言うまでもなく、総理府(現在の内閣府)の調査では、そこまではできなかった。
つまり「父親を尊敬していない」の中には、当然、「父親を軽蔑している」という子どもも、多数含
まれる。

 さらに言えば、100−79=21%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにはならな
い。
「何とも思っていない」という子どもが、大半と推定される。

 つまり父親の存在感は、きわめて薄い。
父親の立場は、きわめて弱い。
しかしほとんどの親(父親)は、「私はだいじょうぶ」と高をくくっている。
つまり自己評価力は、その分だけ、きあめて低い。

 そこで私は、この数字を、逆にこう読む。
「父親というのは、そういうもの」と。
あのフロイトも、「血統空想」という言葉を使って、それを説明している。
それについて書いたのが、つぎの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親・ヨセフ   

●今朝・あれこれ(2007年11月19日)

++++++++++++++

昨夜、どこか風邪っぽかった。
が、外食。大きな店だったが、暖房があまりきいていなかった。

肉料理を久しぶりに食べたが、家に帰ると、悪寒。薬をのんで、そのまま就寝。

ところで、この土日に、2本のDVDを見た。

『敬愛なるベートーベン』と、『ドレスデン』。ともに、すばらしい映画だった。

学生のころは、毎年、第九交響曲を歌っていた。
映画を見ながら、いっしょに合唱。
涙、ポロポロ。
『敬愛なるベートーベン』は、星は4つの、★★★★。

もう1本の『ドレスデン』も、星は4つの、★★★★。
2時間半もの大作なので、じっくりと構えて見るのがよい。

ドイツも、このところ、すばらしい映画を制作するようになった。
CGも、ハリウッド映画に追いついたという感じ。

よかった! 
感動した!

ほんとうは、どれも星は5つかもしれない。
乱発すると価値がさがるので、あえて、星は、4つにした。

++++++++++++++

●ヨセフ

 今度、キリストの父親のヨセフをテーマにした映画が、劇場で公開されるという。
公開されしだい、ワイフと見に行くつもり。
ワイフは、たいへん楽しみにしている。

 チラシには、こうある。

 「あの日、ヨセフがマリアを信じなければ、あの時、ふたりが大王による虐殺から逃れえなけ
れば、キリストは誕生しなかっった」と。

 キリスト教会の中には、「聖ヨセフ教会」というのもあるが、全体としてみると、父、ヨセフの影
は薄い。
マリア像をかかげる教会は多いが、ヨセフ像をかかげる教会は、ほとんど、ない。

私は、若いころから、教会へ行くたびに、それを疑問に感じていた。
そういう疑問をベースに、以前、いくつかの原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++

●育児に参加しない父親

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。
何もしてくれません。
負担がすべて、私にのしかかってきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうではな
い。
たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だったかもしれな
い」という「血統空想」(フロイト)をもつという。

ある女の子(小5)は母親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっといい男の
人と結婚すればよかったのに!」と。
理屈で考えれば、母親が別の男性と結婚していたら、その子どもは存在していなかったことに
なるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方をす
る。
そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親のヨセフは、
マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。
旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、その一方で、家事をおろそかにしてきた。
若い夫婦でも、約30%の夫は、家事をほとんどしていない(筆者、浜松市で調査)。
身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。
まず母親は父親をたてる。
大切な判断は、父親にしてもらう。
子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」と。
決して男尊女卑的なことを言っているのではない。
もしこの文を読んでいるのが父親なら、私はその反対のことを書く。
つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬しあうことをいう。
まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。
とくに子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、母親
の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。
ある女性(32歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。
男性そのものを、軽蔑していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。
町内の役員もし、活動的だった。
一方父親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。
母親はいつも、父親を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。
それでその女性は、そうなった?

 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。
今は、その過渡期にあるとみてよい。
同じく私の調査だが、やはり約30%の若い夫は、育児はもちろん、炊事、洗濯、掃除など、家
事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。
日本の風土そのものにも、根を張っている。あせらず、じっくりと構えること。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母親の役目

 子どもにとって、自分と母親の関係は、絶対的なものだが、しかし自分と父親の関係は、絶
対的なものではない。
「母親から生まれた」という実感はあるが、「父親から生まれた」という実感は、もちにくい。だか
らたいていの子どもは、自意識(だいたい10歳前後から)が発達してくると、父親との間に、一
定の距離を置くようになる。
「ひょっとしたら、自分は父親の子どもではないかもしれない」と思う子どもも少なくない。

ある男の子(小5)は、こう言った。
「ママが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼくは、もっと幸福になれた」と。

 こういうケースでは、「パパが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼくは、もっと幸福にな
れた」とは、言わない。
中には母親に向かって、「どうしてあんなパパと結婚したの!」と、迫る子どもさえいる。理屈で
考えれば、もし母親が別の男性と結婚していたら、その子どもは、絶対に生まれていなかった
ことになるのだが……。

 このことは、子どもと母親の結びつきを理解するには、たいへん重要なポイントとなる。
わかりやすく言えば、子どもと母親のつながりは、父親のそれよりも太いということ。
もちろん中には、そうでないケースもあるが、少なくとも、子どもの側からみると、太い。
だから父親と母親が、けんかをすると、特別の事情がないかぎり、子どもは、母親の味方をす
る。
歌にしても、母親をたたえる歌は多いが、父親をたたえる歌は少ない。

 たとえば窪田聡氏が作詞した、『かあさんの歌』にしても、森進一氏が歌う、『おふくろさん』に
しても、母親をたたえる歌である。
「♪母さんは、夜なべをして……」とは、歌うが、同じように苦労をしている父親に対して、「♪父
さんは、夜なべをして……」とは、歌わない。

最近、演歌歌手のK氏が、父親をたたえる歌を歌いだしたが、そういう歌は例外と考えてよい。
つまり母親というのは、どこかたたえやすいが、父親というのは、どこかたたえにくい?

 このことと関連しているのかもしれないが、たとえばキリスト教でも、聖母マリアをたたえる信
者は多いが、父親ヨセフをたたえる信者は少ない。
実のところ、これがこのエッセーを書き始めたヒントになっている。
昨夜ワイフが、ふと、「どうしてヨセフは影が薄いのかしら?」と言ったのが、きっかけになった。

 話が脱線したが、つまり子どもの側からみたとき、父親と母親は、決して対等ではない。
子どもにとって母親は、父親以上に、特別な存在である。
幼児でも、「お母さんがいないと、どんなことで困りますか?」と質問すると、つぎつぎと答がか
えってくる。
しかし「お父さんがいないと、どんなことで困りますか?」と質問すると、とたんに、答が少なくな
る。

 そこで母親は、このアンバランスを、子育ての場で、調整しなければならない。
そして結果として、子どもの側から見たとき、父親と母親が、等距離にいるようにしなければな
らない。
この仕事は、父親ではできない。それをするのは、母親自身ということになる。

方法としては、母親の立場をよいことに、母親だけが親であるというような押しつけはしないこ
と。
もっと言えば、家庭教育の場で、父親の存在を、いつも子どもに感じさせるようにする。
「これは大切な問題だから、お父さんに判断してもらいましょうね」「お父さんががんばってくれ
るから、みんなが安心して生活ができるのよ」とか。

 決して男尊女卑的なことを言っているのではない。
賢い母親なら、そうする。
たがいに高い次元に置き、尊敬しあうことを、「平等」という。
もちろんこの文章を読んでいるのが父親なら、その反対のことをすればよい。

 しかし、なぜ私がこのエッセーを書いているかについては、もう一つの理由がある。
それは今、父親の存在感が、ますます薄くなってきているということ。
これに対して、「父親の威厳を回復せよ」という意見もあるが、今は、もうそういう時代ではな
い。
「威厳論」をもちだしても、子ども自身が従わない。
そこでここでいうように、「たがいに高めあう」という意味での、平等論ということになる。

 またまた話が脱線したが、家庭教育においては、いかにして子どもと父親のパイプを太くする
かが、重要なテーマと考えてよい。
またその努力を怠ると、家族そのものが、バラバラになってしまう。
話せば長くなるが、問題行動を起こす子どもの家庭ほど、父親の存在感が薄いことが知られ
ている。

もっとはっきり言えば、母親だけでは、子育てはできないということ。
できなくはないが、失敗する確率は、ぐんと高くなる。そのためにも、子どもと父親のパイプは、
今から太くしておく。
そしてそれをするのは、母親の役目ということになる。
(2003−1−5)

【追記】

 よく父親の教育参加が話題になるが、それはここにも書いたように、そんな単純な問題では
ない。
父親が、「では、私も子育てに参加してみるか」と思うころは、すでに手遅れ。
問題の「根」は、もっと深い。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父親、ヨセフ

●存在感の薄い、ヨセフ

 イエス・キリストの父親は、ヨセフである。
しかし母親のマリアは、処女懐胎している。
一説によると、そのときヨセフは、マリアと婚約関係にはあったが、マリアとは性的関係はなか
ったとされる。
また一説によると、処女懐胎のことは、マリアには、天使が知らせたが、ヨセフには、知らせな
かったという。
さらにヨセフは、イエス・キリストが、神の子としての活動を始める前に、死んでいる。
ここでキリスト教、最大の謎にぶつかる。
父親ヨセフは、では、いったい、何であったのか、と。

 この議論は、キリスト教の世界では、すでにし尽くされているほど、し尽くされている。
私のような門外漢が、いまさら、論じても意味はない。
そこでここでは、もう一歩、話を先に進めてみたい。

●母親は絶対

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。
それは母親が、出産、授乳という直接的な方法で、子どもの「命」そのものにかかわるからと考
えてよい。
一方、父親と子どもの関係は、母親とくらべると、もろく不安定なもの。
わかりやすく言えば、「精液一しずく」の関係にすぎない。
このちがいは、そのあとの親子関係にも、色濃く反映される。

 たとえば夫婦でけんかをしたとする。
そのとき子どもは、たいてい母親の側にたつ。
そればかりか、子どもは、自意識が発達してくると、「自分は父親の子どもではないのでは」と
いう疑いをもつようになる。
「私の本当の父親は、もっと高貴な人物で、私もそれにふさわしい人物にちがいない」と。
これをフロイトは、「血統空想」と呼んだ。

 実際、男というのは、排泄が目的だけのためのセックスをすることができる。
その気にさえなれば、行きずりの女性と、数時間だけの性的関係をもつことだって可能であ
る。
一方、女には、妊娠、出産、育児という責務がその時点から課せられる。

もし男も女も、同等の快感であったとするなら、女はセックスなどしないだろう。
そのあと予想される「重荷」を考えたら、とても割にあわない。
たとえば男というのは、そのセックスの途中であっても、冷静に、女の反応を楽しむことができ
る。
しかし女はそうではない。
無我夢中というか、我を忘れてセックスの快感に酔いしびれる。

またクライマックスの長さも深さも、男のそれとは比較ならないほど、長く、深い。
恐らく長い間の進化の過程でそうなったのだろう。
つまり女にとっての快感は、そのあと予想される「重荷」を忘れさせるほど、すばらしいものであ
るらしい。
またそれがあるから、女も、あと先のことを考えることなく、セックスに没頭することができる?

 となると、太古の昔の男女関係がどういうものであったかについて、こう推理することはでき
る。

●親は、母親だけ?

 人間が、下等な哺乳動物の時代においては、あるいはそれよりもずっと先の時代において
は、男というのは、ただの「精液供給者」にすぎなかったのでは、と。
結婚という形ができたのは、ずっとあとのことで、それ以前はというと、子どもにとって親という
のは、母親でしかなかったのでは、と。
その原始的な関係が、イエス・キリスとマリアの関係に、如実に示されていると考えられなくもな
い。

 で、インターネットで検索してみると、父親のヨセフをたたえる教会も、少なからず存在するこ
とがわかった。
こうした教会では、父親のヨセフの苦悩や悲しみ、さらにはそれを克服した崇高さを、ことさら
美化している。

しかしその視点そのものが、結婚観が確立し、父親像、母親像が確立した、「現代」から見た
視点にすぎない。
つまり現代という視点から見れば、どう考えても矛盾する。
おかしい。おかしいから、どうしても父親のヨセフを、たたえる必要性が生まれた?

 しかし当時といえば、社会秩序そのものが確立されていなかった。
だから当然のことながら、家族という概念も、まだ確立されていなかった。
少なくとも、現在、私たちが考える家族観、……つまり、父親がいて、母親がいて、そして子ど
もがいるという家族観とは、異質のものであったと考えるのが正しい。
この日本でも、「家」中心の家族観から、「個」中心の家族観に改められたのは、戦後のことで
ある。

●母親と父親は平等ではない?

 こう考えていくと、母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して平等でも、同一のも
のでもないことがわかる。
このことは、母親の子どもに対する意識と、父親の子どもに対する意識の違いとなっても現れ
る。
自分の子どもを見ながら、「この子どもは私の子どもではない」と疑う母親は、絶対にいない。
しかし同じように自分の子どもを見ながら、「ひょっとしたら、この子どもは、私の子どもではな
い」と疑う父親はいくらでもいる。
そしてそれがちょうどカガミに映されるかのように、子どもの心となる。

 つまり子どもにとって、親は、母親であったということは、一方で、「父親」という概念は、ずっ
とあとになって、生まれたと考えるのが正しい。
少なくとも社会秩序が確立し、一夫一妻制度が確立したあとに、その輪郭を明確にした。
それ以前はというと、父親は、まさに「精液一しずく」。

 そこで家庭では、まず父親の存在と、母親の存在は、平等ではないという前提で、考える。父
親の母親化、あるいは反対に母親の父親化ということは、ある程度はありえるが、子どもの意
識まで変えることはできない。
いくら父親が母親らしくしても、父親の乳首を吸う子どもはいない。

●母親は父親を立てる

 で、ここから先は、母親の出番ということになる。
母親は絶対的な立場を利用して、父親と子どもの関係を、より強固にするという義務がある。
具体的には、家庭では、(1)子どもが父親との関係を疑わないようにする。
子どもが「血統空想」(フロイト)をもつこと自体、すでに、父親と子どもの関係は、ゆらぎ始めて
いるということ。

 つぎに(2)母親は、父親を自分より上位に置くことにより、父親の家庭における存在を高め
る。
こう書くと、男尊女卑論だと騒ぐ人がいるが、そうではない。「平等」というのは、互いに相手を
高い次元においてはじめて、平等という。「
父親を立てる」ということ。「大切な判断は、お父さんにしてもらおう」「この話は、お父さんにも
聞いてもらおう」と。
そういう姿勢を通して、子どもは、父親像を学ぶ。身につける。

●父親ヨセフの苦悩

 こうして考えてみると、イエス・キリストの父親である「神」は、イエス・キリストをもうけるために
マリアを選んだが、ヨセフは、選ぶという対象そのものにはなっていなかったのではということ
になる。
はっきり言えば、マリアとイエス・キリストのめんどうをみるなら、だれでもよかった? 

 ……こう書くと、猛反発を受けそうだが、しかし事実を冷静に積み重ねていくと、そうなる。
あるいは、あなたがヨセフならどうだったかという視点で考えてみるとよい。

 妻が、ある日突然、妊娠した。
自分には性交したという記憶がない。
そこで妻を問いつめると、「神の子だ」という。
半信半疑だったが、しかしやがて子どもは生まれてしまった。そういう状況に置かれたら、あな
たはどう考えるだろうか。

ヨセフをたたえる教会では、「そうした苦悩を乗り越えたところに、父親ヨセフの偉大さがある」
というような論陣を張るが、それはあくまでも結果論。
結果的に、イエス・キリストが、偉大な人物になったから言えることであって、そうでなかったら、
そうでなかったであろう。

 いやそれ以上に、イエス・キリストはどうであったのか。
ヨセフを父としながらも、おそらく母親のマリアからは、「あんたの父は、ヨセフではない。
天にいる『主』である」と聞かされていた。
イエス・キリストは、そういう話を、どこでどう納得したのか。
矛盾を感じなかったのか。あるいはそれこそ、フロイトがいう、「血統空想」そのものではなかっ
たのか? 

 「どうしてキリスト教では、父親のヨセフの影が薄いのか」、また「どうしてキリスト教会では、マ
リア像を飾るが、ヨセフとマリアを並べて飾らないのか」という、何気ない疑問をもったのがきか
っけで、このエッセーを書いてみた。このつづきは、また今度、どこかの教会へ行ったときにで
も、じっくりと考えてみる。
(03−1−15)

++++++++++++++

 「マリア」のチラシの裏面には、こうある。

 「本作は、神学、歴史、政治、社会、文化などのあらゆる専門家の協力を得て、マリアとヨセ
フ、そしてキリスト誕生までの物語を、忠実に再現。突然、神からの啓示を受けた若いふたり
がどのように困難を乗り越え、お互いの親愛を築いていったのか? 
そしてクリスマスの本当の意味とは……」とある。

 映画が楽しみだ。

 そうそう、ほかに、ニコラス・ケイジ主演の、「ナショナル・トレジャー」と、アンジェリーナ・ジョリ
ー主演の、「マイティ・ハート」も封切りになる。
ワイフは「みんな見に行く」とがんばっているので、つきあうつもりでいる

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 フロイト 血統空想 マリア ヨセフ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親と子ども(息子と娘)

 自分という人間が、他人にどう評価されているか、それを知る能力が、「自己評価力」というこ
とになる。
その力がある人ほど、自分を客観的に見つめる能力をもっている。
(あるいは、その逆でもよいが……。)

 が、こと「父親」に関していうなら、子どもにどのように評価されているか、それを客観的に評
価できる父親は、いない。
そのヒマもない。
余裕もない。
家族や生活を支えるだけで、精一杯。

だから父親は、「自分」をそのまま、ストレートに子どもたちにぶつけてしまう。
私もそうだったし、今のあなたも、そうかもしれない。

 だからといって、今ここで、「子どもたちの視点で、もう一度、自分を見つめなおして
みよう」などと、提案するつもりはない。
はっきり言えば、そんなことは、どうでもよい。
先にも書いたように、父親というのは、そういう存在。
「嫌われて当然」という存在。

それがわからなければ、一度、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲で、父親と子ども(息子や娘)が、仲よく、「友」の関係にある人は
いるだろうか。

私にも、60数名近い、いとこたちがいるが、父親と子ども(息子や娘)が、うまく
いっている親子は、ほとんどいない。
「ゼロ」と断言してもよい。

★父親が心筋梗塞で倒れても、見舞いにいかない。
★同居して40年になるが、たがいに口をきかない。
★生まれてこの方、父親と会話らしい会話をしたことがない。
★離婚したあと、父親には一度も会っていない。
★仏壇を開いて、手を合わせたこともない、など。

 だからといって、そういう、いとこたちを責めているのではない。
私自身も似たようなもの。
私の息子たちも似たようなもの。
言い替えると、「子ども(息子や娘)に好かれよう」「尊敬されよう」と考えても無駄。
子どもたちはさらにその向こうで、「父親のようになりたくない」と考える。
いかにあなたが、平均以上のすばらしい父親であっても、だ。

 だからわかりやすく言えば、こういうこと。
「あなたの知ったことではない。
父親の役目を果たしたら、さっさと子どもたちから去ればよい」と。

●パラドックス

 どこの家庭も、表面的には、うまくいっているように見える。
しかしそれは「表面」だけ。
どこの家庭にも、それぞれ問題がある。
問題のない家庭は、ない。

 ただ残念なことに、今の若い夫婦(父親と母親)は、不幸な家庭、あるいは生活の苦労という
ものを知らない。
つまりそうした不幸や苦労を受け入れる度量が、きわめて狭い。
小さい。
だから父親の(父親にかぎらないが)ささいな欠点をとらえては、おおげさに騒ぐ。
(してもらったこと)を忘れ、(ないものねだり)に始終する。
「私の父親は、ここが悪い」「あそこが悪い」と。

 が、これだけは忘れない方がよい。
私も若いころ、私の父親を、そういう形で批判した。
つまり今度は、やがてあなた自身も、そういう形で批判される。
いかにあなたが「私は完ぺきな父親」と思っていても、だ。
つまりそこに自己評価力の、落とし穴がある。

 たとえばひとつの例として、「寝る前の読み聞かせ」を取りあげてみる。

●読み聞かせ

 私は戦後生まれのあの時代の人間である。
父親に本を寝る前に読んでもらったという経験がない。
母親にもなかったと思う。
記憶には、ない。

 で、そういう私が父親になった。
子どもを3人、もうけた。
が、世代連鎖というのは、恐ろしい。
無意識のうちにも、親は、自分が受けた子育てを再現する。
よい再現なら、問題はない。
しかしそうでない再現もある。

 私は3人の息子たちに、寝る前に読み聞かせをしてやったことは、一度もない。
そういう習慣そのものがなかった。

 で、たとえば、(実際に、息子たちがそう不満を漏らしているわけではないが)、
息子の1人が「パパは、ぼくたちが子どものころ、寝る前に読み聞かせをしてくれ
たことがない」と言ったとする。
息子たちは外国の映画を見、外国にはそういう習慣があることを知ったらしい。
が、この日本には、なかった。

 そういうふうに言われたら、この私は何と答えればよいのか。
まさか「ごめん」とは、言えない。

 で、息子たちは結婚し、子ども(孫)をもうけたとする。
そして自分がしてほしかったことを、子ども(孫)にする。
寝る前に、ベッドで横になり、本の読み聞かせをしてやる。
いつか見た、あの「映画」のように、だ。

 で、ここで一件落着。
めでたし、めでたし……ということになる。
息子たちは、私ができなかったことをし、親子(息子と孫)の絆を深める。
よい親子関係を築く……と書きたいが、ここで待ったア!

 本当に、それでよい親子関係を築くことができるだろうか?
答は、「NO!」。
たぶん息子たちの子ども(孫)は、いつかこう言うにちがいない。
「パパは、毎晩、頼んでもいないのに本を読み聞かせ、ぼくたちを眠らせてくれ
なかった」と。
わかるかな?
このパラドックス?

 私は私で、私の思いがあって、子育てをした。
その第一、息子たちには、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
貧乏の恐ろしさは、いやというほど、身にしみている。
大学の学費についても、これまた惜しみなく注いだ。
自分がしたような苦労だけは、させたくなかった。
私は毎月、実家から、下宿代しか送ってもらえなかった。
が、そういう思いというのは、息子たちには、伝わらない。
伝わらないばかりか、(実際に、そう言っているわけではないが)、息子たちは、たぶん、こう思
っているにちがいない。

 「パパは、毎日仕事ばかりしていて、家族を顧みなかった。そのため家族はバラバラ
だった」と。

●決別

 子離れとは、結局は、依存性との決別を意味する。
相互依存と言い替えてもよい。
この依存性があるかぎり、「父親というのは、さみしい存在」ということになる。
が、ひとたび依存性を断ち切ってしまえば、あとは楽。
目の前の道が、パッと開ける。

 つまり宝くじと同じ。
当たればもうけもの。
父親と子どもの関係も、またしかり。
たまによいことがあれば、もうけもの。
そう考えて、当たることを期待してはいけない。
また当たろうと努力しても、無駄。
こと、父親と子どもの関係について言えば、当たらなくて、当たり前。
期待しない。
幻想を抱かない。
そういう前提で、自分の将来を考える。

 それが父親と、子ども(息子や娘)との、あるべき姿ということになる。
これであなたも、少しは気が楽になっただろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 父子論 父親と子ども論 父親と子供論 親子論 親子とは何か 総理府調査 
青少年白書 将来親のめんどうを見る 父親のようになりたくない 総理府 青少年白書 は
やし浩司 父親の役割 断絶 親子の断絶)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【KMさんより、はやし浩司へ】

返信ありがとうございました。
この1週間ああでもないこうでもないと悩みました。
結婚して13年、そして育児に追われるようになって6年を思いおこしながら。

過去は忘れ現在を・・・と思うものの、しかし赴任先に戻って以降、電話なり手紙なり娘の力に
なってやりたいたい的な娘への働きかけは一度もなく、登校できないことに関しても一切意見
や考え、ああしたらこうしたらと提案さえしてくれませんでした。

帰省したときぐらい、下の子の面倒を少しみてくれれば、私が娘をかまってやれるのに・・とか
思います。
朝食の際も「ごはんできたよ」「さめちゃうよ」「食べないと片付けちゃうよ」と、娘が2度3度と声
をかけているにも関わらず、主人は返事もせず、パソコンに向かったまま。
以前から娘が「一緒にご飯をたべよう」って言っても「パパはまだいい。先にたべてなさい」と、
寝てはいたものの、こんな時くらい付きあってくれればいいのにと思います。

「一緒に食べたくて言ってるんだか食べてやったら?」と私が声をかけたら、明らかに逆切れ態
度で、食卓につき、無言でさっさと食べ終え、シンクに使ったお皿をガッチャーン。

娘は気まずそうな顔をしていましたが、かわいそうになりました。
そんな風にされても「パパ、パパ」という娘に腹が立つやら、不憫やら・・・
こんな時にそんなことしなくても・・・。
たった2日の帰省だけでまだまだ言い切れないほどの不満があります。

それと焼き肉の話は例え話です。
ひとが我慢したり頑張ったりしていることを手助けしてやれることはないだろうか・・と考えるの
ではなく、
おれがやったことじゃない俺は関係ないと無視できるタイプの人間ということです。
肉断ちしている人と焼き肉を食べに行くのは、なんとなく気まずくて食べにくい感じのするもの
だと思うのですが、
主人はいつもの予算で自分がたくさん食べられることを喜ぶ人なんです。

帰省しないよう頼むかどうかはまだ結論がでていないのですが、夏休みにも入りますし、もう少
し娘に時間を費やしてみようと思います。
でも本当に「すかさず」て難しいです。
アクションを起こしてきたときに「すかさず」は2〜3割程度しかできていないように思います。ま
たやっちまった・・毎日反省の繰り返しです。

先生のおかげでずいぶん気持ちが楽になりました。たまには学校を休んでお出かけをしてみ
ようと思います。

【はやし浩司より、KMさんへ】

 私の調査(2000年ごろ)によっても、約30%の父親が、育児、家事には、ほとんど関わって
いないことがわかっています。
(反対に、積極的に関わっている父親も、30%、います。)

 しかし私の印象では、それが現在では、行きすぎてしまった(?)。
父親が、母親がすることと同じことをしながら、それが父親としてあるべき姿と思いこんでいる。
つまり父親の母親化が進みすぎてしまった(?)。
「父親の本来の役目とはちがうのではないか」「父親には、もっとほかにすべきことがあるので
はないか」と。
そう思うことも、しばしば、です。
そういう父親も、これまた多いのも現実です。

 で、KMさんは、「父親とはこうあるべき」という「型(=幻想、理想)」を先に描き、それを基準
にして夫(主人)を見ているような気がしてなりません。
あなたの夫は、あなたの夫。

(たぶん、あなたは子どものころ、あなたの父親に、愛情豊かに育てられたのかもしれません。
あるいは反対に、あなたの父親に対して、いつも何かの不満をもっていた。
可能性としては、後者のほうではなかったかと思います。
満たされなかった父親の愛情を、あなたは夫に求めている?)

 一方、あなたの夫には、あなたの夫の過去があります。
一度、あなたの夫が、どんな環境で、どのように育てられたか、客観的にながめてみるのも、よ
いかと思います。
あなたの「夫」が、よりよく理解できるようになります。
と、同時に、また別の見方ができるようになります。
少なくとも、あなたの夫は、あなたとは同じではない。
また(同じもの)を求めても、意味はありません。

 さらに心配されるのは、こういうことです。
すでにあなたは夫への愛情を失ってしまっている(?)。
が、それを認めると、結婚生活そのものが、破綻してしまう。
そこで、子育てへの不満を、代償的にあれこれ書いているだけ(?)。

 話はずっと政治的になりますが、最近、こんな経験をしました。
沖縄へ遊びに行ったときのことです。
沖縄ではアメリカ軍の基地問題が、大きな問題になっています。
KMさんもご存知の通りです。

 しかし私はたった数日の滞在でしたが、こんなことがわかりました。

 「沖縄の人たちは、反米ではなく、反日なのだ」と。
若いころ、韓国へ交換学生として行っていたこともあり、その経験から、それがよくわかりまし
た。
が、「反日」を、大声で唱えることはできない。
自己矛盾の世界に陥ってしまうからです。
そこで「反米」。
基地・反対闘争!
またそういう図式で、沖縄の人たちの気持ちを考えると、現在の基地問題がよく理解できま
す。
ここでいう「代償的」というのは、そういう意味です。

 で、もしそうなら、つまり夫への愛が消えてしまっているなら、前にも書いたように、自然体で
考えたらよいと思います。
(私たち夫婦も、何度か離婚の危機にさらされました。)
それでも夫婦なら、それも夫婦。
そうでなければ、それもまた夫婦。

 要するに、夫には、あまり期待しないこと。
むしろ先にも書いたように、今では、父親まで、息子や娘を溺愛する時代になりました。
で、それが望ましい姿かどうかというと、私は疑問に思っています。
父親には、父親として、ほかにやるべきことがあるように思います。
(まだ「思う」という段階ですが……。)
が、今のままではよいとは、思っていません。

 日本の子どもたち(とくに男児)を総じてみると、キバを抜かれた獣(けもの)みたいです。
リーダーもいなければ、子分もいない。
ハキがなく、ナヨナヨしている。
一億、総・草食系?

 日本の国内ではそれでよいとしても、一歩、外に出れば、そこは猛獣がうごめく、海千山千の
世界。
そんな猛獣のような人間を相手に、この先、日本人は、どう生きていくというのでしょうか。
……ということまで、考えてしまいます。

 もう一度、前回書いた返事をここにあげ、今朝のエッセーとします。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、KMさんへ】

おはようございます。

残念ながら、夫婦の問題は、夫婦しかわからない複雑で微妙なものです。
いろいろご事情もあるかと思います。
思い出も、いきさつもあるかと思います。
あなたが感じている不平不満も、満たされない愛への欲求不満だけかもしれません。
(もちろんそうでないこともありますが……。)

こういうときは、自然の成り行きに任せなさい。
水が低いところを求めて、流れていくように、
雲が風に乗って流れていくように、やがて行き着くところへ、行き着きます。

大切なことは、けっして出口のない部屋に自分を追い込まないこと。
反対に、出口のない人生はありません。
気を楽にし、「こうでなければ」と考えないこと。

夫婦についても、「許して、忘れる」。
カリカリしないで、夫をおおらかに包んであげてみてはどうでしょうか。
あなたの出方ひとつで、夫も大きく変わるはずです。
愛人がいれば別ですが、そうでなければ、夫もさみしい思いをしているはずです。

できれば、今の「谷」を乗り越えてほしいと思います。
それがいつか、すばらしい思い出になるからです。
人生というのはそういうものです。

あなたも勇気を出し、「許して忘れて」みなさい。
あなたのほうが、一歩、夫を抜き出るのです。
相手は幼い子どもと思えばいいのです。
そしてあなたの心をとりまき、がんじがらめにしているクサリを解き放つ。

「許して忘れる」については、たくさん書いていますので、
「はやし浩司 許して忘れる」を一度、検索してみてください。

危機を乗り越える方法はいくつかありますが、逃げるのではなく、受け入れるのです。 

逃げれば逃げるほど、あとを追いかけて来ますよ。
キバをむいてね。

つぎに夫が帰ってきたら、いっしょに焼き肉を食べにいきなさい。
この世界、「負けるが勝ち」です。
それでも足りなければ、さらに負けるが勝ち。
負けて、負けて、負けまくるのです。
あなたのほうが、心を溶かせば、夫も、心を溶かします。
それができたとき、あなたは、夫婦でも、つぎのステージにあがることができます。
それまでの自分が小さく見えます。

あとは自然体で。
それでも夫婦のままの人もいれば、それで夫婦をやめる人もいます。
あとはそのときの成り行きで決めなさい。

今、あなたは生きている。
目が見える。
音が聞こえる。
そこにうるさいけれども、家族がいる。
そこに原点を置きなさい。

それですべての問題は解決しますよ!
どこの夫婦も、表面的にはうまくいっているように見えますが、あくまでも表面的。
みんな同じような苦しみや悲しみ、不満や不平をかかえています。

賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、その価値を失ってから気づきます。
どうか、賢人であってください。
私はあなたがうらやましい。
人生のドラマの、まさに真っ最中にいる。
若くて、健康で、家族がいて、娘がいる。
今、そこにないものを嘆くのではなく、そこにあるものを喜び、感謝します。

では。
また

はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 育児に参加しない父親 最近の
父親)2012/07/07朝記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 10日
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【家庭内宗教戦争・20年後の決算】「お前は、誰の女房だ!」by美濃周人

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●20年前

 ちょうど20年前(1992年)、美濃周人氏(以下、美濃周人)という人が、1冊の本を書いた。
『家庭内宗教戦争』(副題:「お前は、だれの女房だ!」)というタイトルの本だった。
東京の、Y書房新社という会社から出版した。
林不忘の『丹下左膳』を世に送り出した出版社である。
で、その本は、たいへんよく売れた……と聞いている。
そのころ私も、育児本の企画で、その出版社を、毎週のように訪れていた。

 出版から、ちょうど1週間目に出版社を訪れると、女性の事務員がこう教えてくれた。
「あの美濃さんの本ね、2700冊の注文が届いています」と。

●山手書房新社

 ……で、たった今、Y書房新社、つまり山手書房新社をあちこちで探してみた。
最初は、ネットの検索機能を使った。
つぎにNTTの104で、電話番号を調べてもらった。
結果、山手書房新社は、現在、どうやら存在していないようだ。

 が、出版社は倒産しても、本の出版権(これを「版権」という)というのは残る。
倒産しても、消えるということはない。
版権そのものが、財産的価値をもつ。

 そこでひとつの出版社が倒産するときは、同時に、その版権をつぎの会社に移譲したりす
る。
(実際には、在庫本をそのままつぎの会社に売却する。
売れ筋の本のみを、増刷する。)

山手書房新社にしても、もとは「山手書房」。
その会社が倒産した。
経営権が別の人物に移った。
そのあと、社名に「新社」をつけ、「山手書房新社」として、生まれ変わった。
こういう例は、出版界では、たいへん多い……というか、ごくふつうのこととして、なされている。
「新社」という名前のつく出版社は、おおかたそのような経緯で生まれた会社と考えてよい。

 山手書房新社……当時の社長は、武重史郎という人だった。
私の直接の担当者(本の編集者)は、横山秀夫という人だった。
2002年ごろ、直木賞で話題になった横山秀夫※という人物がいた。
その人物と同一人物かどうかということは、私にはわからない。

注※……ウィキペディア百科事典には、「2002年に、横山秀夫が書いた「半落ち」が、第128
回直木賞候補作となる」とある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●美濃周人

 美濃周人とは、その出版社で知りあい、以後、20年のつきあいになる。
同年齢(昭和22年生まれ)ということで、気が合った。
その美濃周人からもらった本が、何冊か、戸棚に並んでいる。
その中の1冊が、『家庭内宗教戦争』(お前は、だれの女房だ!)。

 美濃周人は、現在も健在で、本名で活躍している。
美濃周人は、ペンネームである。
数日前も、私が、「もうそろそろ正体を明かしてもいいのでは?」と言うと、美濃周人は、「そうで
すね」と言って、電話口の向こうで笑っていた。
「ただ女房が、もうそっとしておいてほしいと言っていますので」とも。

●AMAZON

 出版当時、「家庭内宗教戦争」は、1450円(定価)だった。
現在AMAZONでは、330円〜580円で、中古本が売買されている(7月8日現在)。
値段がどうこうということではない。
今の今も、こうして取り引きされていることが、重要。
本の価値を示す。

 その価値のない本は、古紙として再生利用される。
たとえばJWという人が5〜6年前、ある本を書いた。
数百万部も売れたという。
が、現在、その本は、1円で取り引きされている。
掛け算をしても、数百万円の価値しかない……ということになる。

 で、美濃周人に、「貴君の古い本を、私のホームページのほうで紹介していいか」と聞くと、美
濃周人は、「お任せします」と言った。

私「この夏休みまでに、貴君の本を、私のホームページに載せてもいいですか」
美「家庭内宗教戦争は、あちこちで起きています。そういう人の助けになるなら、ぜひ、そうして
ください」と。

 そう、今の今も、家庭内宗教戦争は、あちこちで起きている。
その深刻さは、それを経験した者でないと、わからない。
今回は、その冒頭の一部を紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【美濃周人著『家庭内宗教戦争・お前は、誰の女房だ!』(山手書房新社)】

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<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532098120/" title="img598 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8021/7532098120_
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<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532098338/" title="img599 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8001/7532098338_
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<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532098620/" title="img600 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7247/7532098620_
74d47eb4f3_z.jpg" width="410" height="640" alt="img600"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532098932/" title="img601 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8293/7532098932_
a44deb528f_z.jpg" width="410" height="640" alt="img601"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532099252/" title="img602 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8003/7532099252_
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<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532099574/" title="img603 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7116/7532099574_
c465799598_z.jpg" width="410" height="640" alt="img603"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532099814/" title="img604 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7134/7532099814_
52d8be288a_z.jpg" width="410" height="640" alt="img604"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7532100074/" title="img605 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7120/7532100074_
202c799e1d_z.jpg" width="410" height="640" alt="img605"></a>

(以下、みなさんからの反応を見ながら、紹介させていただきます。
内容的には、S学会と、N宗教団体との対立を柱にしていますが、あくまでも、家庭内における
宗教戦争をテーマにしたものです。
現在、多くの宗教団体の内部で、こうした問題が起きています。
そういう意味で、参考に鳴ればと思い、紹介させていただきました。

はやし浩司
2012/07/09記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【掛川グランドホテル・7階、702号室】

●ホテルの一室から、RECOLO(レコロ、インタバル撮影専用機)(King Jim社製)を使い、窓
の外の風景を撮ってみました。
(インターバル撮影、10秒1コマ、1秒10コマ前後にて撮影。)
お楽しみください。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/eOvkhoeJ-Jk" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

なおこの日は、掛川市で講演会がありました。

はやし浩司 2012−07−07


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【林 宗市とHiggs素粒子】(インディアナ大学USA)(Soichi Hayashi @IU)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

CERNで、先週、Higgs素粒子※が観測された。
「神の素粒子」とも呼ばれる。
その発見に中心的な役割を果たしたのが、アメリカのIU大学。
端から端まで車で、(車で、だぞ!)、1時間40分もかかるという広大なキャンパスを誇る。
息子(私のHPのあちこちを飾っている子どもは、その息子※)は、そのIU大学で、スパコン技
師をしている。……と聞いていた。

CERN(スイス)から、通信衛星を介して送られてくる膨大なデータを、IU大学で分析、解析す
る。
Higgs素粒子は、こうして確認された。
その論文の第一号が、今度、IU大学の機関誌に載った。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539142264/" title="5413 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8026/7539142264_
7f3241b9af.jpg" width="308" height="201" alt="5413"></a>
(CERN)

その機関誌の中に、息子の名前があった!
親バカと思われるかもしれないが、うれしかった。
世界の最先端を走る科学の分野の一端に、息子が関わった。
それがなぜか、うれしかった。

(原文↓)
http://newsinfo.iu.edu/news/page/normal/22806.html?emailID=22806

(注※)『ジュネーブ郊外に建設されたCERNのLHCの衝突実験で、およそ10兆回に1回しか生
成されないと言われている。
2011年12月、ヒッグス粒子が「垣間見られた」と発表された。
その後、2012年7月4日、同施設において新たな粒子を発見したと発表された。
質量は125.3±0.6GeV、標準偏差は4.9である。
これが捜し求めていたヒッグス粒子であるかは確定的には表現されておらず、さらに精度を高
める実験が続けられる』(ウィキペディア百科事典)

(注※)
先日、鷲津市のW幼稚園で講演をしたとき、園長がこう言った。
「先生のHPを飾っている外人の子どもは、先生の孫とは知りませんでした。
先生が、勝手に外人の子どもの写真を使っていると思っていました。
外国に住む外人の子どもなら、写真を使っても、だいじょうぶかなと思っていました」と。

とんでもない!

私はそういうズルいことはしない。
HPを飾っている子どもは、孫の誠司である。
(英語名は、Sage。)
Soichi Hayashiの息子である。
ここにあげた息子の息子である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●IU大学機関誌より

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539138940/" title="img607 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8143/7539138940_
ee8dabc569_c.jpg" width="595" height="800" alt="img607"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539140146/" title="img608 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7114/7539140146_
06e6c1894a_c.jpg" width="595" height="800" alt="img608"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539141666/" title="img609 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8429/7539141666_
3e579c3fd5_c.jpg" width="595" height="800" alt="img609"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539142072/" title="img610 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7268/7539142072_
71000b0780_c.jpg" width="595" height="800" alt="img610"></a>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Higgs素粒子の発見】

IU physicists, IT personnel contribute to success of Higgs boson search
IU大学、電子工学は、Higgs素粒子研究に貢献した。

FOR IMMEDIATE RELEASE
緊急報告

July 9, 2012
2012年7月9日

BLOOMINGTON, Ind. -- The announcement last week that scientists have observed a new 
particle that may be the elusive Higgs boson spelled success for Indiana University 
researchers who worked for years on a massive experiment that detected the particle. 
先週、Higgs素粒子が発見された。
IU大学の研究者たちは、長年、その発見のため、workedしてきた。

Representatives of two experiment teams, ATLAS and CMS, said July 4 in Geneva, 
Switzerland, that they had observed a new particle in the mass region around 125-126 GeV, 
consistent with expectations for the Higgs boson. The experiments have been conducted 
over several years at the Large Hadron Collider operated by CERN, the European 
Organization for Nuclear Research. 
IU's participation in the Large Hadron Collider included leadership by IU physicists who 
designed and built a key component of the ATLAS detector mechanism and by information 
technologists who ensured the availability of vast computing resources used to analyze data 
from the experiment. This collaboration by scientists and information technologists 
represents one of IU's key strengths in scientific research, and has enabled IU to be a 
particularly valuable partner in an international collaboration that involves thousands of 
people overall. 
The LHC facility is one of the largest experimental facilities ever built -- 17 miles in 
circumference, 300 feet underground, lying beneath the territory of France and Switzerland.

"As a great university, Indiana University pursues age-old and deepest questions such as '
Why is there something, rather than nothing?'" said IU President Michael A. McRobbie. "With 
this most recent announcement we congratulate IU physicists for their leadership in helping 
us understand -- at least at a physical level -- why there is something, and the 
fundamental properties of the matter that makes up that something. IU also constantly 
pursues new technological innovations, and we are thrilled that IU's information technology 
prowess aided in this discovery." 

Photo courtesy of the ATLAS Experiment at CERN, http://atlas.ch
The ATLAS Experiment at CERN, http://atlas.ch
Discovery of the Higgs boson would fill a crucial gap in the Standard Model, which describes 
the fundamental particles from which everything in the universe is made and the forces 
acting between them. The Higgs boson explains why fundamental particles have mass; 
without it, particles would whiz around at the speed of light and not be able to bind to form 
protons, neutrons, atoms, stars and the material of the universe, including us.
"What ATLAS is seeing is a very strong indication that the Higgs boson exists at a mass of 
approximately 134 times that of the proton," said physicist Harold Evans, principal 
investigator for IU's ATLAS team. "This is interesting because it validates our current 
understanding of the micro-world of fundamental particles and the forces that govern them, 
and also because it may point us to a more complete theory that describes particle 
interactions at even higher energies and smaller distance scales."
Researchers and staff from the Department of Physics in the IU College of Arts and 
Sciences, led by professor Harold Ogren, were responsible for the design and construction 
of a critical part of the ATLAS experiment's equipment, called the Barrel Transition 
Radiation Tracker. This tracker is about as tall as a person and weighs almost a ton. It is 
part of the ATLAS detector, which like the CMS detector is installed in CERN's massive 
LHC facility. Much of the Barrel Transition Radiation Tracker was constructed on the IU 
Bloomington campus. 
"This is a proud day for all of the students, technicians and engineers who worked for many 
years in Bloomington on the TRT tracker," Ogren said. "Finding the Higgs with the help of 
our tracker is a dream come true and a high point in my physics career."
For Evans, who has been at CERN since mid-May, the build-up to last week's 
announcement was the most exciting time in his career as a physicist. 
"The level of anticipation and intensity at the lab has been simply incredible," he said. "
Meetings of the analysis teams at all times of the day and night, animated discussions over 
coffee, rumors and hints of what our competitors are seeing -- all of these made CERN the 
best place in the world to be for me. I was very lucky to be there and to be a part of it all."
IU physicist Sabine Lammers said the discovery announced last week is the beginning of a 
rich period of investigation for particle physics. 
"It really is just the beginning of the Higgs era, even though it is the 'final' piece of the 
Standard Model puzzle," she said. "We will be very eager to see what the properties of this 
new particle will be, and whether there is a single Higgs boson or several."
"The Large Hadron Collider is the original 'big data' project, with massive computing power 
required to transmit and analyze the petabytes upon petabytes of data produced by the 
experiments," said Craig Stewart, executive director of the Pervasive Technology Institute 
and associate dean of research technologies. (A petabyte of data on compact disks would 
make a stack miles high). 
The data produced by the LHC is analyzed on an international computing grid called the 
Open Science Grid. IU's Pervasive Technology Institute runs the operations center for the 
Open Science Grid and is responsible for ensuring that this grid is at work processing data 
24 hours a day, 365 days a year. 
IU also partners with the University of Chicago in managing the Midwest Tier2 computing 
center, one of the main processing facilities within the Open Science Grid. The Midwest 
Tier2 Center has computing clusters at IU Bloomington, Indiana University-Purdue 
University Indianapolis, and Chicago. This center is one of only five such centers dedicated 
to processing ATLAS data in the U.S. The University Information Technology Services 
GlobalNOC (Network Operations Center) plays an important role facilitating movement of 
data from Europe to the U.S. and distribution of data throughout the U.S. over high-speed 
international and national networks.
IU physicists have also contributed to research efforts aimed at testing the Standard Model 
through the DZero project, taking place at the Tevatron collider at the U.S. Department of 
Energy's Fermi National Accelerator Laboratory near Chicago.
"It's fantastic that, after many years of collecting data with the DZero detector at the 
Tevatron, we now have an excess pointing toward evidence of the Higgs decaying into a pair 
of heavy quarks, demonstrating that the Higgs boson indeed 'couples to mass' and showing 
that it can be responsible for generating the masses of all particles," said IU physicist Rick 
Van Kooten.
IU scientists are among the primary authors of 16 peer-reviewed journal publications based 
on ATLAS data and about the computing systems that enable analyses of the data 
produced by the LHC. Members of the IU ATLAS group from the Department of Physics, in 
addition to faculty members Evans, Lammers, Ogren and Van Kooten, include research 
scientists Pauline Gagnon, Vivek Jain, Fred Luehring and Daria Zieminska; postdoctoral 
researchers Sylvie Brunet, Darren Price and Ximo Poveda; graduate students Aparajita 
Dattagupta, KyungEon Choi, John Penwell, Ben Weinert, Denver Whittington and Yi Yang; 
engineer Kirill Egorov; and grant administrator Jenny Olmes-Stevens. 
The IU Open Science Grid and Midwest Tier2 Center groups include William K. Barnett, 
Elizabeth Chism, Alain Deximo, Kyle Gross, Soichi Hayashi, Richard Knepper, Thomas Lee, 
Matthew R. Link, Fred Luehring, Chris Pipes, Robert Quick, Scott Teige and Sarah Williams. 
Quick has been a leader in the Open Science Grid for a decade, and Luehring and Teige are 
notable for being involved both as physicists and information technology experts. IU 
networking experts supporting this effort include Jon-Paul Herron, Dave Jent and Jim 
Williams.

これらの科学者の中には、William K. Barnett, Elizabeth Chism, Alain Deximo, Kyle Gross, 
Soichi Hayashi, Richard Knepper, Thomas Lee, Matthew R. Link, Fred Luehring, Chris Pipes, 
Robert Quick, Scott Teige and Sarah Williams. Quickがいる。
(5人目に、Soichi Hayashi 林 宗市の名があった!)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●2012年07月10日

 ……ということで、今朝の私はすこぶる快調!
ひさびさに、曇り空の向こうに、黄金の太陽の輝きを見た。

(宗市へ)

 Akiko & I are so much proud of you!
Thank you for the big good news!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 Higgs素粒子 ヒッグス素粒子 ヒ
ッグズ はやし浩司 素粒子 林宗市 林 宗市 Soichi Hayashi CERN はやし浩司 IU イン
ディアナ大学 IU大学 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【追伸】田丸謙二先生からの返信(2012/07/10)

 息子(林宗市)の話を、恩師の田丸謙二先生(東大元副総長、日本化学会元会長、国際触
媒学会元会長)に、メールで知らせたら、折り返し、返事が届いた。

先生いわく、

『林様:林家もノーベル賞が来るかも。
おめでとうございます。
長生きをして楽しみにして下さい。
添付したのは日本化学会の会誌「化学と工業」の7月号に出た文章です。
猛烈に好評でした。
二番目のはこの三月の日本化学会の年会で化学会の遺産委員会の主催で公開講演会があ
り私が喋った資料です。
これもその講演会のhighlight でした。漸く家も新しくなりました。
有形文化財ですので外観は基本的には余り変わりませんがペンキで新しく見えます。
主に水回りを改良しましたが戸棚類がすっかり変わって何が何処にあるのか解らなくなりよう
やく慣れて来ました。
家の中を整理しますと亡父の残した歴史的に貴重なものが沢山出て来て来まして、特に百年
前に亡父が撮った写真が沢山あり、ドイツの学会や研究所で是非見せてれくれと人を寄こすと
言います。
却って迷惑しています。近頃めっきり老化現象が進み、出来るだけ歩くようにしていますが、先
も短い実感が強くして来ました。
くれぐれもお元気にご活躍ください。
田丸謙二』(2012/07/10)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでにメールに添付されていた、田丸謙二先生の講演会のレジュメを、ここに紹介します。
慶応大学の日吉キャンパスでなされた講演です。
9000人の、全国の科学者が集まったそうです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539881390/" title="img611 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7107/7539881390_
b200f5704c_c.jpg" width="565" height="800" alt="img611"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539883010/" title="img612 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8293/7539883010_
5934f821ca_c.jpg" width="565" height="800" alt="img612"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7539884204/" title="img613 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8164/7539884204_
44d5a6108e_c.jpg" width="565" height="800" alt="img613"></a>

【田丸謙二先生へ】

 メール、ありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2012−07−08】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日、ネットでカメラを注文した。
パナソニック社製の、「LUMIX GX5」。
ミラーレス一眼カメラ。
カラーは、シャンパンゴールド。
価格は、4万5500円。
早ければ、今日か明日には、届くはず。

昨夜は、そのカタログを見ながら、そのまま眠ってしまった。
場所は、掛川グランドホテル。
7階の702号室。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●講演会

 昨夜は、掛川市で講演会をした。
掛川市の教育長も、来てくれた。
熱が入った。
声をからしての講演だったが、朝、メールを開くと、令状が届いていた。
うれしかった。

『……大変力の入った講演ありがとうございました
講演を聞いた人は皆「自分は親バカだった」と思い知らされた様子で、私もその1人でした。
時間が少なくてどうすればいいんだ?、と感じたのですが懇談会で「出来る事としては、2つの
事をすれば良い、嘘はつかない。ルールを守る。」
これを聴いて「なるほど」と安心しました。
来てくれた人も目標の100名の大台に乗り、教育長も来てくれました
講演の内容も大変評判が良かったことを報告し、お礼とさせていただきます。

OT』

●午前4時

 今、時刻は、午前4時。
ホテルでは、バタンと倒れ、そのまま眠ってしまった。
で、午前4時。
昨日は、昼寝をしなかった。
そういうときは、水分の補給を多くし、脳みそを守る。
根拠があるわけではないが、そのほうが、調子がよい。
(水分を多くとれば、血液がサラサラになる?
専門の医師にそれを言うと、「そんなことではサラサラになりません」(医大、泌尿器科のO教
授)とのこと。
だからこれはあくまでも、素人判断。念のため。)

 講演が始まる直前、「だいじょうぶかな?」という不安が横切った。
軽い頭痛があった。
が、何とか、無事終了。
若いころのように、もう無茶ができない。
健康管理というより、健康調整がむずかしい。
講演の前と後に、葛根湯をのんだ。
私のばあい、軽い頭痛には、葛根湯が効く。

 しばらくこうして文を書いたあと、もう一度、ベッドの横になる。
熟睡感が、ない。

●静岡県

 近代的な大都会と、自然豊かな田園地帯が混在している。
変化が豊か。
それが静岡県。

 この掛川市にしても、市内は近代的。
しかし少し郊外に出ると、そこは茶畑がつづく、緑豊かな田園地帯。
気候も温暖。
雪も降らない。
このところ夏になると、暑さを覚えるが、しかしそれをのぞけば、住みやすい。

 加えてそれなりの活気もある。
「それなり」というのは、「比較的」という意味。
このことは、ほかの県へ行ってみると、よくわかる。
で、そのたびに、こう思う。
「静岡県に住んでよかった」と。
というか、人生の大半を、この静岡県で過ごせたことを、幸運に思う。
この掛川市にしても、周囲を深い木々に囲まれている。
ホテルの窓からも、それがよくわかる。

 が、ほめてばかりいてはいけない。
街道筋の工業地帯ということもあるのだろう。
私が住んだことある、岐阜県や石川県の人たちと比べると、人情が薄い。
ドライ。
べったりとした、土地に根付いた(温もり)が、それなりに、ない。
「それなり」というのは、「比較的」という意味。
もっとも、これについては、「そうほうがいい」と考える人も多い。
親戚づきあい、近所づきあいも、楽。

●朝

 結局、眠れなかった。
軽く朝風呂に入った。
衣服を整えた。
帰り支度を整えた。

 ワイフは、ああいう性格だから、まだベッドの中。
熟睡中。
時刻は、午前6時。
朝食は7時から。
朝食を食べたら、すぐ帰るつもり。
朝のラッシュアワーに重なると、電車の中で窮屈な思いを強いられる。

●銀行員

 数日前、銀行員の人と、こんな議論をした。
「窓口へ来ていただけますか?」と言うから、行ってみると、「年金保険商品」なるものを勧めら
れた。
正確には、「財産年金形成定期預金」(ゆうちょ銀行)とか、「個人年金保険」(銀行各社)とか
いう。
私のばあいは、すでに老後に入っているから、最初にある程度まとまった金額を銀行に預ける
ことになる。
それを取り崩しながら、毎月、受け取る。

 が、こんなバカげた貯金方法はない。
銀行員は、「財産活用」「税の保険料控除」というような言葉を口にした。
運用益も、加算されるという。
しかしご存知のように、年金積立金管理運用独立行政法人ですら、年金運用に結局失敗して
いる。
5・7兆円も減らしている(2009年)。
さらに銀行で見せられたパンフレットには、「この先、月々、22・5万円受け取れます」とある
が、10年後はどうなのか。
つまり、本当に22・5万円なのか。
物価が5倍になる可能性もある。
受け取り額もスライドして、多くなれば問題はない。
しかしそんなことは、ありえない。
物価が5倍になれば、中身は、5分の1になる。

銀行員は「タンス預金は危険です」と、何度か言った。
しかし銀行が倒産したら、どうなるのか。
もちろん国債が暴落すれば、その分だけ、銀行は損をする。
銀行が倒産することも、当然、視野に入れておかねばならない。

●国民年金

 私が手にする国民年金にしても、たったの6万4000円前後。
20代のはじめから、60歳まで、毎月550円〜1万4140円、積み立ててきた。

が、当時の1万円と、現在の1万円とでは、中身がまったくちがう。
当時はカレーライスが、1万円で、50回食べられた(1食200円)。
今は、どこで食べても、1食、1000円前後はする。
つまり、10回。

 そこで損得計算。
今後平均余命を80歳として、15年間、6・4万円を受け取るとして、15x12x6・4=1152万
円。
数字の上で、2倍にはなるが、先にも書いたように、中身は、半減、あるいはそれ以下。

(注:年金の枯渇)
『2004年4月7日、自由民主党議員の安倍晋三は衆院厚生労働委員会で自営業者らが加入
する国民年金について、現状のままだと積立金は2017年度に枯渇するとの見通しを述べ
た。
また厚生労働省の吉武民樹年金局長は、毎年280円の引き上げでも2023年に積立金が枯
渇するとの見通しを示した』(ウィキペディア百科事典)。

●運用益

 で、私は銀行員にこう言った。
「だいたい、あなたがたは運用利益の60%を、自分たちで使っているでしょ」と。
が、これに対して、その銀行員は、血相を変えて、反論した。
「そんなにもらっていません!」と。

 そこで私は、数字を示してやった。

 現在、銀行は肝心の銀行業務はそっちのけで、主に国債の利息だけで利益をあげている。
(とくに地方銀行ほど、この不況で、投資先がなく、国債保有率があがっている。)
国債の利息は、年、0・104%(2012年7月、財務省)。
ゆうちょの定額預金ですら、0・035%(2012年1年定期)。

 わかるかな?

 0・104−0・035=0・069%は、銀行の利益。
1000億円、国債で運用すれば、何もしなくても、それだけで銀行は、6900万円の利益をあ
げることができる。
1兆円で、6億9000万円。
10兆円で、69億円。

この額は、客に渡す分の、約2倍!
かんぽ(生命保険会社)ですら、総資産(約95兆円)のうち、国債を64兆円前後分ももってい
る。
64兆円!
保険金を支払っても、442億円も残る。

 だから私の言ったことのほうが、正しい。
銀行はあの手、この手を使い、客から現金を集める。
それを日本国債で運用し、その利益の約60%を自分のものにしている。

私は、こういった。
「今どき、年金保険商品を買うのは、思考力が半分欠落したジーチャン、バーチャンだけです
よ」と。
さらにこうも言った。
「あなたがたは10年ほど前は、窓口で、さかんに外債購入を勧めていた。手数料も高かった。
結果、みな、損をした。あなたも客に怒鳴られたことは、1度や2度はあるはずです」と。

 あの外債で損をした人は多い。
「大損」と言い換えてもよい。
経済雑誌などによると、客の95%が損をしたとある。
それもあって、銀行の窓口から、「外債」の文字が消えた。

 こんな記事が、あるHP(「週刊現代」(現代のビジネス)に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++以下「週刊現代」HPより++++++++++

 都内在住のA氏(65歳)も外貨預金で大損した一人だ。
退職金4000万円を普通預金に全額入れていたが、1000万円を超える部分はペイオフの対
象にならないと知り、安全な投資先はないかと銀行窓口で相談したところ外貨預金を勧められ
た。

「同じ預金ですけど、外貨預金なら円定期の何倍もの利息がつきますよ」

 そう言われて米ドル定期預金に2000万円ほどを預けたという。
金利は1%弱。
当時はドル円相場が95円ほどだったため、「反転すれば為替差益でも儲かる」と言われ、さら
に「おいしい」と思ったという。

 しかし今年に入って満期を迎えようとしていたところ、大震災以降の円高で為替相場が急
転。
ドル円相場が80円を突破したため、満期解約すると利息分を軽く相殺して、300万円近くの
損失となる事態に陥っているのだ。

+++++++++以上「週刊現代」HPより++++++++++

 そうでなくても、銀行の手数料(取り分)は、高い。
何かにつけて、高い。
みなが、そう感じている。
だからこそ、あのような立派なビルが建つ。

 アメリカやオーストラリアの銀行などは、ごくふつうの民家といった風。
(都会にある本店ビルだけは、どこも立派だが……。)
つまり人間と同じ。
インチキ臭い商売をする人ほど、立派なオフィスを構える。
……というのは、書き過ぎ。
それはわかっている。
が、国民の多くは、私と同じような印象をもち始めている。

●LUMIX GX1

 昼ごろ(7月8日)、LUMIX GX1が届いた。
さっそく、使ってみる。
まずは、庭で、試し撮り。

 何枚かの写真を紹介する。
(天気は小雨+曇り、時刻は午後3時ごろ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7525548546/" title="P1000016 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8291/7525548546_
760a6a2db7_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000016"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7525545638/" title="P1000015 by 
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c7e19f6ee2_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000015"></a>

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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7130/7525542678_
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bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8168/7525540106_
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<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7525536868/" title="P1000012 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7135/7525536868_
d58afd83ca_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000012"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7525533130/" title="P1000011 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7133/7525533130_
27f7939c00_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000011"></a>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【AEさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。
幼稚園年中(5歳)の娘のことでご相談させて頂きたく書き込み致しました。

年中にあがった4月から、幼稚園つまらない、行きたくないと言い続けています。
朝は1時間バスに乗って幼稚園に通っています。
出発は小学生の登校時間とほぼ同じです。
何度かべそをかきながらバスに乗ることもありました。

5月に先生にもご相談してみましたが、「何度か突然泣きだしてしまうことがありましたが、先生
やお友達など環境が変わった事があるかもしれません。
幼稚園ではお友達とも遊んだりしているし、特にこれといった大きな理由があるようには思えな
いので、しばらく様子をみましょう」とのことでした。

しかし、5月の保育参観では私の顔をみるなり泣きだしてしまい、7月の夏祭りでも泣いてしま
って、盆踊りもほとんど踊りませんでした。
後でそれとなく理由を聞くと、みんなのお母さんが見てるから恥ずかしいとのことでした。

6月の初め頃から登園前に腹痛が加わってきました。
幼稚園行きたくないって思うから痛くなっちゃうのかもよ、と言ってみたところ、「思わなくても痛
くなっちゃう」と言っておりました。
昨日、バス通園をやめて車で送ったところ、緊張のせいか車でグッタリしていました。
ただ車から降りると手を振って教室に入って行きました。
そして本日も「行きたくない…」と言ったので、幼稚園を休ませました。

しかし、つい先日園の役員をやっているお友達のママが、「幼稚園で会うと、Aちゃんから声を
かけてくれたり、手を振ってくれたりしてくれてるよ」と教えてくれました。

登園しぶりは年少の時にもありました。
年少の6月にある日突然大泣きし、行きたくないと言ったので、一日休ませました。
先生に相談したところ、「Aちゃんは頑張りすぎてないか心配していましたので、疲れが出たん
だと思います。こちらもフォローしてみます」とおっしゃってくださり、その後は問題なく登園して
おりました。

年少の時も参観ではモジモジしており、夏祭りではずっと泣いて先生に手をつながれていまし
たが、10月の運動会、2月の音楽会では立派な姿を見せてくれて、随分成長してくれたなと思
っておりました。

本人は内弁慶ですが、気は強い方だと思います。
小さいころからしっかりしていると言われていて、幼稚園に入ってまさかこういうことになるとは
正直思ってもいませんでした。
外遊び大好きで、幼稚園から帰ってくると同じマンションのお友達とお外で遊んだり、雨の日は
お友達のお家などで楽しく遊んでいるように思います。

ただ、生後間もない時から一緒にいるお友達でも、大人数で集まって一緒に遊ぶとなると、毎
回最初の1時間ぐらいは私にベタベタしています。

尚、もうすぐ3歳になる妹がいます。

私自身、1人っ子で、自分のペースを乱されるのに感情的になっていたと思います。
ちょうど彼女が一番甘えたい時期に、私が下の子の育児で一杯いっぱいになっており、手を出
すこともありました。
色々とかわいそうな思いをさせて娘に申し訳なかったと、先生のHPなどを拝見して今更ながら
反省しております。

また、私自身過敏性腸症候群であったり、神経症的な部分があると自覚しています。
「こうでなければならない」という観念も強く、おおらかな子育てができていないと思っています。

ただ、主人はとても穏やかな性格で、子供の面倒見も本当によく、大変助けられていると感じ
ています。
今回のことも一緒に考えてくれています。

上記の内容をご覧になり、娘はどのような問題を抱えどのような状況にあるのか、私はこれか
らどのように対応していけばよいのか、アドバイスがありましたらお伺いいたしたく、よろしくお
願いいたします。

【はやし浩司より、AEさんへ】

 原因は、下の子です。
嫉妬が日常化し、「お姉ちゃんだから……」と、いろいろな場面で、プレッシャーがかかっている
こともあります。
(外の世界で、懸命に、いい子ぶっているのは、そのためです。)
簡単に言えば、娘さんは、慢性的な愛情飢餓状態にあります。
それが転じて、神経症的な症状をいくつか示しているというわけです。
「ママ、私にもっと関心を向けて」と。

 2〜3年前ですが、あの新生児ですら、親に向かって、愛着行動を繰り返していることがわか
りました(アメリカ、サイエンス誌)。
親の愛情を自分のほうに向けさせるため、親をして、「かわいい」と思わせるよう、親を誘導し
ているというわけです。
いわんや……、ということで、一連の不可解な行動は、愛情飢餓が原因と考えてください。

 解決方法は簡単です。

 もう一度、上の姉に、100%の愛情を注ぎなおします。
多少の問題(甘えん坊的な依存性など)は、起こるかもしれません。
しかしこの際、思い切って、100%、注ぎなおしてみます。
子どもの側からみて、安心できる家庭環境を用意します。
「何をしても許される」「何をしてもいい」という、絶対的な安心感が、姉の心を落ち着かせます。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。
下の子が、さみしい思いをするかもしれませんが、下の子は、すぐそれを受け入れます。

 コツはいくつかありますが、(1)求めてきたときが、与えどき……と考え、娘さんが、何かの愛
情を求めてきたら、すかさず、抱いたりしてあげます。
「あとでね」「忙しいのよ」は、禁句。
すかさず、です。
添い寝、抱っこ、いっしょの入浴など、もう一度、娘さんが、乳幼児だったころの、(=下の子が
いなかったころの)、状況に戻します。

 年齢的に、やや時間がかかるかもしれません。
たとえば3〜6か月ほどです。
その間、幼稚園へは、適当に行けばよいとおおらかに構えてください。
ときには、幼稚園をさぼって、親子で動物園などへも行ってみてはどうでしょうか。

 ……家に帰っても、自分の居場所がない?
今は、そんな状況です。
(何か、赤ちゃん返りによる症状も出ているはずですが……。
妙によい姉を演じたりする、など。
これを反動形成と呼んでいます。
あるいは親の見えないところで、下の子に攻撃的ないじめをするとか。
もちろん赤ちゃんぽくなり、おねしょうをしたりするなど……。)

 あとは白砂糖の多い食生活を避け、K、Mg、Caの多い食生活(海産物中心)の献立に切り
替えてみてください。
不安定な心は、それで落ち着きます。
(ついでにダラダラした姿勢も、それでなおります。)

 不安先行型の子育てになっているようなら、もちろん改めます。
顔を見たら、ほめる……を繰り返し、あなた自身の心も作りなおします。
お姉さんが完ぺきにできることを求めるのではなく、万事、適当に。
遊戯会など、舞台で、それらしく踊れば、それでよいのです。
(もちろん、それでもほめてやりますが……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

似たような相談が、少し前にありました。
転載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【SKさんより、はやし浩司へ】

『はじめまして。息子のことで悩んでおり、こちらを見つけました。どうぞよろしくお願いします。

息子は7歳(小一)で、下に3歳(年少)の妹がいます。
父母との4人暮らしです。
ここ2年くらい、不機嫌なことが多く(波があっておだやかな時期もあるのですが)、イライラして
いるとほんの些細なことで騒いだり、母親の私に乱暴をしたり(手加減はしてるようですが)、も
のを倒したり本棚の本をぶちまけたりします。

今までは家の中で私に当たることが多く、幼稚園や公共の場で困ったことをすることはなかっ
たのですが、小学生になって1学期の終わりくらいから、家以外での問題行動が増え、学校で
は授業中立ち歩いたり他の子にちょっかいを出したり、物を投げたりとにかく落ち着きがない
ようで、先生も困っている様子です。

先生の記事もいくつか読ませていただいて、何か家庭で問題があるのかなと考えているの
ですが、なかなかよい解決方法が見つからずにいます。

うちは父親が厳しく、母親が優しいという感じの家庭です。
私自身は子供を信頼して口は出さないおおらかな母に育てられ、私の兄も私も反抗期もなく自
立しました。
子供もそのように育てたいと思っています。
できるだけ子供の話はよく
聴いて気持ちに共感しているつもりです。
泣きたいときは我慢せずに泣かせたり。子供の
悪い部分には注目せずに頑張っているところやあたりまえの行動に注目して、子供のあるが
ままを認めてあげたいと思ってきました。
なので、これ以上どうしたらいいのか悩んでいます。

息子の特徴としては、気が弱くて、ちょっと神経質なところがあります。
小さいときから
ブランコなど恐くて乗れなかったり、自信のないものにはチャレンジできなかったり。
運動は苦手ですが、工作など物を作るのが大好きで、同年齢の子に比べると高度な物が作れ
ます。

ただ完璧主義で思う通りに作れないと癇癪を起こしたりします。
家族でも人が口をつけたものは口にしません。
ルールから外れるのを嫌がり、公共の場所では注意書きを気にします。
飲食禁止と書かれたところで妹に水を飲ませようとするだけでも怒ります。
妹が悪いことをするのも許せません。
自分に何かされたわけでなくてもよく妹に怒っています。

何かに遅刻しそうになると「もう行かない」などと、遅れることを嫌がります。
学校へも忘れ物するのが嫌で教科書などは全て毎日ランドセルに入れています。
学校の勉強には充分ついていけているようですが、宿題などで間違えに気づくと「お母さん消し
て!」「もうやんない」と放り投げます。

照れ屋で口が悪いので素直に友達に「入れて」と言えなかったり、友達作りも苦手なほうです。
同じマンションで仲のいい友達がいてそのこと遊べているので楽しいときもあ……(以下、10
行ほど、文字化け)……父親は弱虫でいつまでも母親にべたべたしている息子に不満を持っ
ていて、厳しく叱っています。

息子は父親の顔をかなりうかがっており、父親が家にいるときは悪いことはしません。
父親自身体罰ありの厳しい家庭に育っています。
自分の思い通りにならないとすぐイライラして相手に怒りをぶつけます。
よく考えると息子は父親にかなり似ています。

主人には「お前があまやかしてるからつけあがっているんだ。
悪いことをしたらシバいたほうがいい」と言われます。
確かに、息子は私に命令するときもあり、それをきかないと騒ぐので私も言うことをきいてしま
うことがあり、私はなめられているのかなという気もします。

ただどうしても本人も自分の性格をもてあまして苦しんでいるようにも思え、私にしか発散でき
ないなら受け止めてあげたほうがいいのかなとも思ったり。
人を傷付けたり誰かに迷惑をかけるようなときは厳しく言っているつもりですが、それ以外のこ
とでは甘いのかなあと。

今はまだ押さえることができますが、もっと大きくなって暴れられたらどうしようという
不安もよぎり。
その気持ちがあるということは心の底から子供を信頼できていないのかな。
それを息子は見抜いているのかなとも思ったり。
そんな感じで、どうすべきか今悩んでいます。何かよいアドバイスがあればよろしくお願いしま
す。

●愛情飢餓

 一口で言えば、「愛情飢餓」。
SKさんの息子は、慢性的な愛情飢餓状態にある。
原因は、「下の子が生まれた」こと。
こういうケースでは、親は、「平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子にしてみれば、「平等(=半分)」ということが、おもしろくない。
下の妹は、家族というより、自分から母親を奪った「恋敵(こいがたき)」ということにな
る。
 要するに家庭教育の失敗ということになる。
で、こういうケースのばあい、もう一度、全幅の愛情を、上の子(息子)に注ぎなおして
みるしかない。

(妹にはかわいそうだが、こういうケースのばあい、妹には、寛容力があるはず。)
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など。

子どもがそれを求めてきたら、すかさず、愛情表現をしてやる。
「あとでね」とか、「今、ママは忙しいの」は、禁句。

 子どもの側からみて、安心感を覚えるような家庭環境を大切にする。
問題は、父親(=夫)だが、父親と対立するのは、まずい。
「あなたの言うとおりね」と言いながら、父親の言いたいこと、したいことを、先にまわ
ってする。
父親も、息子を相手に、飢餓状態にある。
つまり嫉妬している。
父親も、大きな駄々っ子と思えばよい。
権威主義的に見えるかもしれないが、それも自分の弱さを隠すための反動形成と考えれば
よい。

(詳しくは、「はやし浩司 反動形成」で検索。)

 コツは、息子を、けっして家族から孤立させないこと。
父親と息子を断絶させないこと。
親子の糸を切らないこと。
息子に、そう感じさせないこと。
キーワードは、先にも書いたが、「安心感」。
息子が安心しているかどうかだけを見ながら、接する。

 こういうケースで気をつけなければならないのは、親がアタフタすること。
叱ったり、説教したりするなど。
それが悪循環となり、息子をますます悪い方向に追いやってしまう。

 その安心感を覚えるようになれば、1週間単位で、症状はウソのように消える。
つまり息子は、そういう形で、母親のあなたを困らせる。
困らせて、自分へ関心を向けさせようとしている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)
●反動形成

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するために、
人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人がい
る。

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫んでみせ
たりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとして起
きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)がい
る。
本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。
本人に、その自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。
このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとで
は、他人には、それを見抜くことができない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せるかどう
かで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。
ときにサービス過剰になったりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくしてみせ
る、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくある。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。
中には、夫を心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずること
もあるそうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、また別
の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

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浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ はやし浩司 愛情飢餓 赤ちゃ
ん返り 不登園 はやし浩司 不登校)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方で、「嫌
いだヨ〜」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。
このころになると、子どもは「恥ずかしい」という言葉の意味がわかるようになる。
たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいことと考える。
だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえておおげさに否定してみ
せたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。
とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめると、小
声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司2012/07/11


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【多重人格障害】(解離性障害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 その人(女性)が、二重人格障害と診断されたわけではない。
(正確には、多重人格障害という。)
先日、ある男性(60歳くらい)と、それが話題になった。
いわく、「実の妹がそうではないか?」と。

 妹氏は、55歳くらい。
見た目には静かでおとなしい。
電話で話していても、ほっとするような温もりを感ずる。
驚いて、「それはどういうことですか?」と聞くと、こう話してくれた。

「何かのことで、批判めいたことを言ったとたん、別人格になるのです」と。

 別人格……性質や正確が変化するというのではない。
ものの考え方そのものまで、基本的な部分で変化する。
こんなことがあったという。

 たまたまその男性が、妹氏の家にいたときのこと。
妹の夫と妹の長男(30歳くらい)が、大声で怒鳴りあいの喧嘩を始めた。
そのとき、長男が、夫の胸ぐらをつかんで、握り拳(こぶし)をあげた。
それを見て、その男性は、それを制止しようと、まず妹氏のほうの顔を見た。
が、その顔を見て、その男性はぞっとしたという。

「○○のやつ(妹氏)、ニンマリと笑っていました」と。

 自分の夫が長男に殴られそうになった。
ふつうなら、(「ふつうなら」という言い方はできるだけ避けたいが)、母親である妹氏が、その間
に割って入る。
止める。
が、割って入るどころか、「ニンマリと笑っていた」と。

男「実は、そういうことはよくあります。
ふだんは親切で、よく気が利きます。
が、何かのことで機嫌を損ねると、その瞬間、別人格になってしまうのです。
心が欠けてしまったのではないかと思えるほど、冷淡になります。
それこそ夫に対しても、『あんたなんか、どこかへ行って死んでくればいい』と。
そんな感じになります」と。

 ……誤解がないように書いておく。
私はドクターではないし、診断権はない。
多重人格障害者の研究者でもない。
「二重人格」という言葉は、その男性の口から出てきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

 現在では、「多重人格障害」のことを「解離性障害」という。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことでは
ないと感じる。
あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくす
ることで心のダメージを回避しようとする。
それらのことから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、
切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである』と。

 これだけ読むと、だれにも、そういう(傾向)はあるということになる。
それが高じて「解離性障害」になる(?)。
たとえば夫婦げんか。

 ふだんは仲のよい夫婦でも、ひとたびけんかが始まると、たがいに別人格になったようにな
る。
が、それは「解離性障害」とは、言わない。
ウィキペディア百科事典にも、「段階がある」とある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

『「解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。
不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが、これは正常な範囲での「解離」であ
る。
更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情
を体外離脱体験とか記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の
防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。
解離は防衛的適応ともいわれるが一過性のものであれば、急性ストレス障害 (ASD)のように
時間の経過とともに治まっていくこともある。
この段階では急性ストレス障害と診断されない限り、「障害」とされることは少ない』(以上、ウィ
キペディア百科事典)と。

 そういう(傾向)が見られたからといって、「障害」と決めつけてはいけない。
ウィキペディア百科事典には、さらにつぎのようにある。

『……しかし深刻な場合には、例えば「感情の調整」が破壊されることから更に二次的、三次的
な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした
精神面の動きや行動が生物学的なものを変える。
それがまた精神面、行動面に跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。

うつ症状、摂食障害、薬物乱用(アルコール依存症もこれに含まれる)、転換性障害を併発す
ることがあり、そして不安障害(パニック障害)、アスペルガー障害、境界性パーソナリティ障
害、統合失調症、てんかんによく似た症状をみせ、リストカットのような自傷行為に止まらず、
本当に自殺しようとすることが多い。
スピーゲル (Spiegel,D.)は、その深刻なケースを念頭においてだが、次のように述べている。

 「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。
これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。
問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ」』(以
上、ウィキペディア百科事典より)と。

 つまり「ひとつの人格すら持てない」ことが問題、と。

 その男性の妹氏は、ふだんは、静かでおとなしい(私の印象)。
それを主人格とするなら、妹氏は、自分の人格をもっていることになる。

●誤解

 こうした誤解は、日常生活の中では、多い。
言葉だけが先行し、それでもって、「あの人は……」「あなたは……」「私は……」となる。
私のばあいも、自分では、「パニック障害者」ではないかと疑っている。
疑っているだけで、正式に診断されたわけではない。
(ただしドクターによる診断が、かならずしも正しいというわけではない。念のため。)

 何かのことで不安になると、それが原因で、極度の緊張状態になる。
もの考え方が、破滅的になる。
「もう、何もかもだめ」「すべてが終わった」と。
ものの考え方が、そうなる。

 そういうときは、ふとんの中で体を丸めて、静かにしている。
精神安定剤や睡眠導入剤も効果的。
興奮性を引き起こす飲料水は、厳禁。
そのまま眠ってしまえば、朝までには、治る。
書き忘れたが、私のばあい、床に就いてから、発作が起きることが多い。
原因は、私の幼児期にある。
それについて書いた原稿が、どこかにあるはず。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の傷
(本文中に、54歳とあるから、2002年ごろ書いた原稿ということになる。)

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。
しかし酒を飲むと、人が変わった。今でいう、アルコール依存症だったのか? 
3〜4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れた。
大声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。
あるいは用意してあった食事をすべて、ひっくり返したこともある。

私と5歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、こわ
いよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。
そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのように、一度つくと、消えることはない。
そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響を与える。
が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回さ
れることである。

 たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。
今でも精神状態が不安定になると、夜がこわくて、ひとりで寝られない。
あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならない。
帰ると決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。
しかしそういう自分の理由が、長い間わからなかった。

もう少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。
が、50歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。
見えてくると同時に、「なぜ、自分がそうなのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。
「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」と、そんなことを心配していた。
また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果たしていなかった。
家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。
だから私はいつも、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で
寝た。
それに私は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。
母に、「勉強しなければ、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。
つまりそういう「過去」が、今の私をつくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を受ける。
が、キズなどというのは、消えない。
消えるものではない。
死ぬまで残る。
ただこういうことは言える。

心のキズは、なおそうと思わないこと。
忘れること。
それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。
つくればつくるほど、かさぶたをめくるようにして、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。
しかし父は、先にも書いたように、3〜4日ごとに酒を飲んで暴れた。
だから54歳になった今でも、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。
「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。
54歳になった今でも、だ。

 心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

 話を戻す。

 ウィキペディア百科事典には、その原因として、つぎのようにある。
ここに書いてあることが、すべて正しいというわけではない。
が、乳幼児期における心の形成がいかに重要か、この一文を読んだだけでも、よくわかる。

『……最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。
発達心理学の愛着理論(Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイ
プ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン(Main,M.) とソロモン(Solomon,J.)が発見したDタイプ
(無秩序・無方向型)を新たに加えた。

1991年にはバラック (Barach,P.M.M.) が愛着関係(attachment)とDIDとの関係を示唆し、あるい
は2003年にライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K.)が、明確な心的外傷 (trauma)が無くとも、Dア
タッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高いとするなど、後徐々にこの
方面での研究が進んでいる』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

●許容範囲

 なお最近の研究によれば、仮に多重性をもった人格であっても、それぞれの別人格が共存し
ているということではないそうだ。
「交代人格」という言葉もある。
詳しくは……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%
A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 どうであれ、それが許容範囲にあるかどうかということ。
あればそれでよし。
そうでなければ、また別の方法を考える。
その男性はこう言った。

「妹と話をしていて、批判めいたことは、いっさい、言えません。
今、近くに住む母親(実母)のめんどうをみてくれていますが、こうしたらどうというような話をし
ただけで、パニック状態になります」と。

 つまり「そういう形でつきあっていくしかない」と。

 以上、その男性の話を思い出しながら、多重人格障害(解離性障害)について、考えてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2009年に、同じような原稿を書いていた。
改めて、それを読みなおす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++

●メタ認知

 自分の現在の脳みその活動を、客観的に
認識することを、「メタ認知(認識)」という。
「メタ」というのは、「超えた」という意味。
「認識を超えた認識」という意味で、「メタ
認識」という。

 たとえば空腹感を覚えたようなとき、
「ああ、血糖値がさがっているぞ。視床下部の
センサーがそれを感知しているぞ。
ドーパミンが線条体を刺激し始めたぞ……」と。

 目には見えないが、脳のメカニズムがある程度
わかってくると、具体的にそれを知ることができる
ようになる。
自分の中に起きている変化を、客観的に認識する
ことができるようになる。
それが「メタ認知(認識)」。
新しい言葉なので、用語の使い方がまちがっているかも
しれないが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

で、たとえばパソコンのOSにビスタがある。
このビスタには、自己評価能力という機能が
ついている。
それぞれの機能を、6点満点法で表示してくれる。
これなどは、メタ認知(認識)ということになる。
自分で自分をテストして、自分の能力を調べる。

で、ふとこんなことを考える。
人間も、似たようなことはできないものか、と。

++++++++++++++++++++

●解離性人格障害

 「人格障害」というと、ゾッとする人も多いかもしれない。
しかしこと、この「解離性人格障害」について言えば、程度の差こそあれ、ほとんどの
人に、その傾向が見られる。

 本来の「私」はいるのだが、興奮したようなとき、あるいは攻撃的になったようなとき、
もっとわかりやすい例では、カッと頭に血が上ったようなとき、別人のようになる人は
多い。
そのとき、通常の人とちがう点は、人格そのものまで変化するということ。
ふだんは平和主義者の人が、そういう状態になったとたん、虚無主義者になったりする。
淋しがりやの人が、孤独に強くなったりする。

 実は、私もそうで、それに気づくまでに、20年以上の年月がかかった。
つまり病識そのものが、なかった。
そういう自分を薄々知りながらも、「私はまとも」と思っていた。
しかし私は、(まとも)ではなかった。

 「解離(かいり)」というのは、主人格がちゃんとあって、そのつど、副人格が優勢になる状態
をいう。
主人格との間に、連続性はない。
あるいは副人格になったときでも、主人格ははっきりとそれを自覚していて、一方の側から、
「やめろ」とか、「今のお前はおかしい」とか、口を添えたりする。

●解離性性格

 で、こういう話をすると、たいていの人は、「そういえば、私にも似たようなところがある」と言
い出す。
他人の心の奥までは覗くことはできないが、もしそうであるなら、「人格障害」という診断名は、
少し仰々しすぎるのでは?
「解離性性格」でもよいのではないか。
たとえばアルコールが入ったとたん、別の人間のようになる人は多い。
ふだんは、気が弱く、おとなしく静かだった人が、アルコールが入ったとたん、気が大きくなり、
大声でわめき散らしたりする。

●病識の自覚

 ここでの目的は、解離性人格障害について書くことではない。
目的は、そうした問題が自分自身にあるとき、どうすれば、それを自分で知ることができるかと
いうこと。

 たとえば精神疾患の世界には、「病識」という言葉がある。
同じ精神疾患でも、「私は病気」と気がついている、つまり病識がある人は、まだ軽いのだそう
だ。
が、それがさらに進むと、その病識がなくなる。
「私はどこもおかしくない」とがんばる人ほど、重症ということになる。

 では、病識のある・なしは、どこで決まるのか。
 
 ひとつには、知識と経験ということになる。
そういう点では、他人の病気を知ることは、たいへん、役に立つ。
たとえば今、私は認知症の高齢者にたいへん興味がある。
そういう人たちをたくさん見ておくことによって、自分の変化をより的確に知ることができるよう
になる。

●脳のCPU

 が、脳のCPUそのものが狂ってしまっていたら、どうなのか。
言うなれば狂った頭を、狂った頭で判断するようなもので、理論上は、メタ認知(認識)できない
ということになる。

 よい例が、幻覚。

 私はチョコレートをたくさん食べると、脳の様子が変調する。
おかしくなる。
一種の覚醒作用か?

具体的にはどういう作用によるものかはわからないが、脳みそが勝手に暴走し始める。
10年ほど前、一度、そういう経験をしてから、それが恐ろしくなり、以後、チョコレートは、ほと
んどといってよいほど、口にしていない。
(そのときは、バレンタインディーか何かで、休み時間ごとに、パクパクとチョコレートを食べ
た。)
 
 そのときの症状は、別のどこかですでに書いたことがある。
たとえばこうである。
 
 頭の中に、2本の物干し竿が浮かんでくる。
具体的に、その映像が頭の中に映ってくる。
それについて、「人生の真理は、2本の物干し竿である」というように考え始める。
私が意図的に考えるのではなく、勝手に脳みそがそう考え始める。
(物干し竿)と(真理)の間には、連続性は、まったくない。
で、ふと、我に返る。
我に返って、それを頭から、振り払う。
が、つぎの瞬間には、また別のことを考え始める……。

 それは不気味というよりは、恐怖だった。
「頭が狂うということは、こういうことだ」と知った。

 そのときの経験から、CPUが狂ったときには、それを自分でコントロールするのは、たいへ
んむずかしいということを知った。

●では、どうすればよいか
 
 要するに、(心の問題)は、それがどんなものであれ、うまくつきあうしかない。
たとえばうつ病にしても、約30%の人が罹患すると言われている(アメリカ)。
日本人は、どこかいいかげんな精神構造をもっているので、それよりは少ないと言われてい
る。

 仮に30%とするなら、それは「病気」というよりは、(病気であることにはまちがいはないが…
…)、「人間が本来的にもつ性質」のようなもの。
少なくとも、特別視するほうがおかしい。

 だったら、あとはうまくつきあう。
つきあうだけ。
つきあいながら、それ以上、症状を重くしないことだけを考える。
「直そう」とか「治そう」と考えれば考えてはいけない。
そう考えて、自分を追い込めば追い込むほど、自分を苦しめることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 メタ認知(認識) 病識 解離性人格障害 剥離性人格障害 はやし浩司 メタ認
識 メタ認知 解離性 はやし浩司 多重人格 二重人格 はやし浩司 解離性障害 解離性
人格障害)

(補記)

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。
ワイフは、たいへん興味深そうに、私の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することをいう。
私が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ〜ん」と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコントロー
ルするのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからである。
その(生)を確認するために、文を書いている。
それはまさしく、(生との闘い)と言ってもよい。
そういうプロセスを知ることが、メタ認知ということになる。
それを話しているとき、若い男が運転する、ランドクルーザーとすれちがった。
横には、若い女性が、乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。
しかし実際には、自分の力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。
ランクルに乗っているだけで、大物になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく説明し
ても、あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)のほう
に、強く操られていたかもしれない。
常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、600〜800万円もするような高級車に乗れるこ
とのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのまま私た
ち自身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。
行動の内容や、考えの内容は、どうでもよい。
問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。
それがメタ認知ということになる。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で自分の
病気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言ってがんば
る。つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。
が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。
すると、精神的に不安定になる。
人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりするようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、どうだろ
うか。
「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。
それが自分でわかる。そうすれば、自分の感情を、その時点でコントロールすることができるよ
うになる。

 で、そのときも、そうだった。
私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しようか」と声をかけた。
ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生の源泉】

● 生(なま)のエネルギー
(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the 
brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. 
I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、太った
り、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、コントロール
していることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、脳の各部に発しているのではない
かと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、「生的エネルギ
ー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

 性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、確認されてい
る。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている組織であ
る。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「Sックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、Sックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、それだけ性欲も強
いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、その一例かもし
れない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、悪の道に
走りやすいということになる。
2012/07/11改

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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7月14日現在、私のHPから、それぞれのページへの
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サーバーの故障です。
「72時間内に修復する」とのこと。
不便をおかけしますが、今しばらく、お待ち下さい。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

************「見たぞUFO」90P構成**************

原本
【見たぞ、UFO! 検証旅行】(大分県日田市・割烹『花門』で、橋本 晃氏に会う)

http://www.youtube.com/watch?v=0Fziv16u8vo&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA&index
=1&feature=plcp

(資料集)
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573127374/" title="img615 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8167/7573127374_
b4f16f3cee_c.jpg" width="632" height="800" alt="img615"></a>
(中日新聞のコラム)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573127728/" title="img616 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8164/7573127728_
5e18266c6a_z.jpg" width="607" height="640" alt="img616"></a>
(私たちが見たUFO)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573127900/" title="
img61c597d8zik2zj by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7110
/7573127900_b95c4fd949_c.jpg" width="800" height="800" alt="img61c597d8zik2zj"></a>
(火星探査機・スピリットが送信してきた画像)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573127984/" title="
img62d89929zikczj by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7110
/7573127984_0f63d2fbea.jpg" width="375" height="500" alt="img62d89929zikczj"></a>
(スピリットの送信してきた画像を拡大したもの)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573128046/" title="FF(1)original 
photo by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7256/7573128046
_56e1f4eaca_z.jpg" width="600" height="600" alt="FF(1)original photo"></a>
(UFOの周囲に、フォースフィールドと呼ばれるモヤ状のものが、これでわかる。)

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573128128/" title="FF(2)Color by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8148/7573128128_
a1e87fe600_z.jpg" width="600" height="600" alt="FF(2)Color"></a>
(上記写真の明度を落とし、モヤをわかりやすくした。)

●電話

 教室へ行くと、1本の留守番電話が入っていた。
大分県日田市に住む、HSと名乗る人物からのものだった。
いわく、「あなたが新聞のコラムで書かれたのと同じUFOを見ました。
それで電話しました」と。

 私は授業の準備を忘れ、すかさず、HS氏に電話を入れた。
最初、妻らしき女性が電話口に出た。
UFOの話はしなかった。
この種の話は、相手を選んでする。
相手をまちがえると、変人と誤解される。
HS氏は、すぐ電話口に出てくれた。

私「浜松に住む、はやし浩司という者です。電話、ありがとうございました」
橋「ああ、わざわざ、電話、ありがとうございます」
私「さっそくですが、どんなUFOでしたか?」
橋「あなたが、新聞のコラムで書かれたUFOと、そっくりのUFOです」
私「新聞?」
橋「中日新聞という新聞です。2000年の日付になっています」
私「ああ、あれですか」と。

●HS氏

 HS氏は、日田市で、割烹を経営していた。
見たのは、今年(2012年)の6月20日。
午後10時45分ごろのこと。
家の外で、巨大なUFOを目撃したという。

 大きさは、何百メートルとか、そういった数字で表現できないほど、大きなものだったという。
が、何よりも私を驚かせたのは、「ビルの高さほど低いところを飛んでいた」という内容。
HS氏は、こう言った。
「はやしさん(=私)のコラムでは、黒色ということでしたが、白色でした。大きな円形の窓らしき
ものと、その窓枠も見えました」と。

 HS氏は、きわめて至近距離で、UFOを目撃していた。

私「窓の色は何色でしかたか?」
橋「同じ白色でした」
私「オレンジ色ではなかったですか?」
橋「暗い白色でした」

●消え方

 私たち夫婦が見たUFOについては、明らかな特徴がひとつあった。
消え方。
消え方が、ふつうではなかった。

 飛行物体が遠ざかって消えるという、そういう消え方ではない。
スーッと空に溶け込むかのようにして、消えていった。
物体そのものが透明になり、徐々に消えていった。

 だから私はUFOを見たという人の話を聞くときは、いつも、消え方を聞く。
その様子によって、その話が本当かウソか、おおまかな判断ができる。
HS氏は、こう言った。
「ゆっくり頭上まで来て、それから雲と同じような色になって消えました」と。

 私はそれを聞いて、「この話は、信じられる」と直感した。

●メモ

 私はHS氏にいくつか質問をした。
そのつど、言葉をメモに取った。

(1)高さは、ビルの高さほどのところだった。
(2)大きさは、表現できないほど、大きかった。
(3)ブーメランの先端を前に、飛んできた。
これについて、「はやしさんのコラムに書かれた飛び方とは、反対でした」と。
(私が見たのは、先端をうしろ側にして飛んでいった。)
(4)ブーメランといっても、向かって右のほうがより長かった。
左右対称ではなかった。
(5)表面は、金属的で、黒くなかった。
HS氏の妻は、「地上の光が反射して、白く見えたのでは?」と言った。

●ヨタカ

 あの夜、私とワイフが見たものは何だったのか。
正確に日時を覚えているわけではない。
が、ワイフと私の記憶をつき合わせると、こうなる。

 1976年の夏の夜……。
長男が1歳を過ぎた、夏の夜のことだった。
長男は、1975年生まれ。
だから1976年の夏。

時刻は、ワイフは、午後11時ごろだったと言う。
私は、午前0時過ぎだったと思う。
近所を散歩し、あと少しで、自宅に戻るという、そのときだった。

 巨大なUFOだった。
というより、最初、私はUFOなどとは、思わなかった。
私が本などで読んで知っていたUFOは、円盤型。
今でいう、アダムスキー型のものだった。
また見たときも、私は、それがヨタカ(夜鷹)と思っていた。
ちょうどそのとき、私とワイフは、ヨタカの話をしていた。
「ヨタカが飛ぶときは、羽が光るのよ」とワイフは言った。

●中日新聞

 それから24年。
あの夜のことを、私は、中日新聞にコラムとして書いた。
「見たものは、見た」と。

 この言葉には、それまでの私の怒りをこめた。
UFOの話をするたびに、みな、こう言った。
「教育評論家を名乗るなら、そういう話はしないほうがいい」と。

 当時も、今も、UFOは、超常現象としてとらえられている。
霊魂や幽霊と同じレベル。
真顔でその話をすると、人によっては、私を変人とみる。
だから私は口を閉ざした。
が、見たものは、見た。
だからコラムの冒頭で、そう書いた。
「見たものは、見た」と。

●自衛隊浜松基地

 以下が、そのとき発表した、新聞のコラムである。
書き足す部分があるとするなら、その夜は一睡もしなかったこと。
1時間おきに、近くの自衛隊の浜松基地に電話をしたこと。
(あるいはもっと頻繁だったかもしれない。)
やっと電話がつながったのが、午前8時30分。

 いくつかの部署に電話は回された。
管制室にもつながった。
が、みな、こう言った。
「そういう報告は届いていません」「そういう話はあがってきていません」と。

 が、私は食いさがった。
「そんなはずはない。あれほど巨大な物体だ。レーダーに映らないということはありえない」と。

●『見たものは、見た』

 そのときの様子をコラムにしたのが、つぎのもの。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7573127374/" title="img615 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8167/7573127374_
b4f16f3cee_c.jpg" width="632" height="800" alt="img615"></a>
(中日委新聞のコラム)

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/84/imge35bb262zik5zj.jpeg

●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月発表)

見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが1、2キロはあった。しかも私と女房の2人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ24年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷い
はある。
が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUF
Oだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。
時刻は真夜中の0時を過ぎていた。
そのときだ。
何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかっ
た。
私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。

そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。
が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていっ
た。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。
が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに
巨大なものがあるとは思ってもみなかった。

このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてく
れた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。
私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなこと
だ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしく
はない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はそ
の人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。
私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房
の信頼を失うことになる。

 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。
君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。
文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。
ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も3冊書いたし、宗教論に関する本も5
冊書いた。
うち4冊は中国語にも翻訳されている。

そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。
だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●記憶の確認

 楽な36年間ではなかった。
というのも、記憶を維持するということだけでも、たいへんなこと。
1〜2年もすると、「ひょっとしたら……」と思うようになった。
さらに数年もすると、記憶そのものが、ぼんやりとしてくる。
「夢だったのかもしれない」と思ったこともある。

 周囲の人たちが、「見まちがい」「夢でも見たのでは?」と言えば言うほど、自信がなくなる。
が、そのつど、私とワイフは、たがいに確認しあった。
「本当に見たよね」
「見たわよ」と。

 こんな会話が、何度もつづいた。

「あの夜見たものは、何かの見まちがいではなかったか」と。
みなが、否定すればするほど、記憶があいまいになっていった。

ただあの夜見た、UFOの形だけは、鮮明に覚えていた。
直後、何度もスケッチした。

 私は九州へ行くことにした。
ワイフに「行くか?」と声をかけると、「私も行く」と。
楽な旅行ではない。
費用もかかる。
が、行かねばならないという気持ちが、急速に膨らみはじめた。
「決着をつけてやる」と。

●電話

 HS氏には、こちらから行きますと話した。
「うちは割烹をやっていますから、夕食はうちで食べてください」と。

私「で、私のときもそうでしたが、記憶が失われないうちに、たくさんメモを残しておくといいです
よ」
橋「はい、そうしています」
私「時がたつと、今度は、自分を疑うようになります。そうなると、記憶というのは、煙のように
消えていきます」
橋「わかりました」と。

 折り返し、HS氏から、FAXが届いた。
そこには、私が見たものと同じものが、描かれていた、

(1)飛行ルート……私が見たものは、真西から真東へ飛んでいった。

 で、それについてHS氏に確かめると、「私が見たものは、南から北へ、でしたね」と。

 これだけの事実でこう結論づけるのは、どうかと思う。
しかしあのブーメラン型のUFOは、緯度や経度に沿って飛んでいる(?)。
私はそんな印象をもった。

これについては、もう少しあとに書くことにする。

●観光旅行

 なおこれは私もそのとき感じたことだが、HS氏は、こう言った。
「何かの観察に来たのではないでしょうか」と。
それに対して、「私も、そう思います」と。
観光旅行か何かではないかと思いました」と答えた。

 ゆっくりと飛んできて、サッと消えていった。
そういうところから、そう感じた。
恐怖心はまったく、なかった。
「何だろう?」と思っているうちに、相手のほうから先に逃げていった。
「しまった、見つかった」と。
そんな感じだった。
私は、あの夜、そんな印象をもった。

●チケット

 九州の博多まで、新幹線で4時間と少し。
博多から、高速バスで、約1時間半。
7月13日の午後、ワイフと2人で、チケットを買いに行った。
連休の初日前日ということもあり、駅構内は混雑していた。
チケット売り場にも、ズラリと人が並んでいた。
それを見て、私たちはくるりと体を回した。

 人ごみは苦手。
旅行にしても、人の少ない時期に、人の少ないところを選んで行く。
人間嫌いというほどではないが、長くいると、頭痛が始まる。

 料金は、浜松→博多まで、2万円弱。
往復で、4万円弱。
x2=8万円弱。
プラス、博多から日田市まで、高速バス。
プラス、ホテル代。
が、私もワイフも、追いつめられていた。
時間というより、人生そのものがない。
あのUFOを見てから、36年。
新聞にコラムを発表してから、12年。
私たちには、つぎの36年どころか、12年もない。

 今、この時期を逃したら、もう二度とチャンスはないかもしれない。

●自分で確認する

 YOUTUBEを見れば、今では、居ながらにして画像でそれを見ることができる。
ブーメラン型のUFOも、多い。
今では珍しくない。
が、それが本物かどうかということになると、確信がもてない。
映像技術も進んだ。
フェイク(ニセ)画像も多い。

 で、何よりも重要なことは、自分で確認すること。
見たという人がいたら、(その人)に会い、直接話を聞くこと。
そのとき、その話が本当かウソか、それでわかる。
私たちにとって重要なことは、それが事実であること。
言い換えると、それがとりもなおさず、私たちがあの夜見たものが、事実であることの証拠にな
る。

●豪雨

 九州地方に、梅雨前線が停滞している。
上に冷たい空気。
下に高気圧。
その間を縫って、南側から湿った空気が入りこんでいる。
そのため7月に入ってから、九州地方は、猛烈な雨に見舞われている。
被害も出ている。

 大分県日田市も、大きな被害に見舞われた。
「HS氏に、だいじょうぶですか?」と聞くと、「うちは、川から離れていますから」と。

 博多からは、西鉄の高速バスで行くつもりでいる。
HS氏が、バスを勧めてくれた。

 7月14日(土曜日)朝いちばん、改めて天気図を見る。
それに九州地方は、猛烈な降雨を示す赤色に包まれていた。
「だいじょうぶだろうか?」と不安になる。

●UFO問題

 だからといって、私はいつもUFOのことを考えているわけではない。
あの夜見た、あのUFOにしても、通りでみかける救急車のようなものだったかもしれない。
時間にすれば、10〜20秒足らず。
あるいは長くて30秒前後。
ふつうなら、そのまま記憶の中から消えていたとしても、おかしくない。

 だれかに話したとしても、内容は、数分で終わってしまう。
「だからそれがどうしたの……?」と聞かれると、そこまで。
それ以上、会話がつづかない。
「見ただけです」と。

 が、最近では、……最近といっても、2008年のことだが、こんな話も伝わってきている。

●宇宙人は、存在する!

 元宇宙飛行士だった人が、宇宙人の存在を認めたというのだ。
その元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠
ぺいしていると発言。
米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展したというのだ(2008年7月29日)。

その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

【ニューヨーク 25日時事】

米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は
宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。
米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・
ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われ
われのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。
宇宙人は「奇妙で小さな人々7と呼ばれている」などと語った(以上、ヤフー・ニュースより)。 

●確認

この記事の信憑性を確かめることにした。
私はこうしたニュースでは、原文(英文)で直接確かめることにしている。

オーストラリアの友人に頼むと、折り返し返事が届いた。
友人は、オーストラリアの国防省に勤務している。
それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。

++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 
mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14
号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien 
contact has been repeatedly covered up by governments for six decades. 
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人との
コンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had 
contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.' 
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の
係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large 
eyes and head. 
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られている(=
伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had 
they been hostile", he warned "we would be been gone by now". 
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「もし彼
らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the 
longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission. 
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9
時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on 
this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said. 
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実であ
るという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はたまたまもっ
た」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's 
leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it. 
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、
外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べる
という特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what 
has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's 
been happening quite a bit." 
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そうだ
とも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、それがた
いへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor 
of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar 
alien visits continue to be investigated. 
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学の
博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、調査さ
れていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open 
up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in 
that direction." 
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう語っ
た。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組
織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was 
absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it." 
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まっ
たく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down. 
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any 
sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe. 
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、この惑星
上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠
蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意
見と共にすることはない」と。

+++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

●懐疑主義者からの反論

 こうした発言に対して、懐疑的な意見をもつ人も多い。
 
+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even 
the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from 
former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been 
coming to visit for decades. 

UFOが世界中で目撃され、多くの狂信的な信者がいますが、しかし元宇宙飛行士だった人の
内部からのスクープは、それを疑う人を吹き飛ばすには、じゅうぶんではないようだ。
宇宙人は、もう何十年もの間、(地球を)訪問してきていると主張する、アポロ14号の宇宙飛
行士のエドガー・ミッチェル氏と、NASAは距離を置こうとしているが、昨日、またまた宇宙人
が、ニュースになった。

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

ミッチェル博士は(77歳)は、アメリカ政府は、60年間、それを隠ぺいしつづけてきたと言っ
た。

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of 
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers 
recently, it's been happening quite a bit," he said. 

「私は軍と情報部で仕事をしてきた。私はおおやけの場で知られている表面的な部分の下で、
私たちは訪問を受けているということを知っている。
最近の新聞に書かれているように、それはたいへん多く起きている」と彼は言った。

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
"NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien 
life on this planet or anywhere in the universe," the agency said. 

ミッチェル博士の上層部たちは、こうしたニュースからは、いつも距離を置いた。
「NASAは、UFOを検証しない。
NASAは、宇宙における宇宙人ならびに生物について、どんな隠ぺい工作にも関与していな
い」と。

But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - 
thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer 
to home: it's all in your head, and you're wrong. 

しかしオーストラリアの懐疑論者は、ミッチェル博士の言ったことについて、関心を示さなかっ
た。
バリー・ウィリアムズ(懐疑論者)は、今日、家に真実はより近づいた。
それはすべてあなたの手の中にある。
あなたはまちがっている」と言った。

"We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and 
crime TV shows are," Mr Williams said. "The brain needs to find answers, it can't 
stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it's wrong." 

「私たちは神秘を愛し、その謎を解くのを愛する。
それを知りたければ、推理番組がいかに人気があるかを知ればよい。
脳は答を知る必要がある。
が、知ることはできない。
そこで説明ということになるが、その説明というのは、しばしばまちがっている」と。

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

●確信

 私はミッチェル博士の発言というより、告白を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくの
を感じた。
「やはり、そうだったのか」と。

 私とワイフは、あの夜以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考
えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
あの夜以来、その歯がゆさとの闘いだった。

 しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結び
つけるのは、早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

 で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな
体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されたという。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のこと
をさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに
人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるよう
なもの。

 ……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、自分の
脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた人たちよ、悔しかったら、この記事を自分で読んでみた
らよい。

●五運行大論篇(黄帝内経)

 私は東洋医学に関して、3冊の本を書いている。
うち1冊(「東洋医学・基礎篇・学研)は、今でも、医学部や鍼灸学校で、教科書として使われて
いる。
もう1冊は、ボロボロの古本でも、6000〜7000円で取り引きされている。
「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)という本である。

 その東洋医学についての本を書いているとき、奇妙な記述に出会った。
それが「五運行大論篇」である。
(ただし中国に残っている黄帝内経ではない。
京都の仁和寺に現存している黄帝内経である。
中国に残っている黄帝内経は、その後の学者らによって、ズタズタに改変されている。
仁和寺に現存する黄帝内経は、皮肉なことに、それよりも古い時期に、直接中国から日本に
伝わったものである。)

 話せば長くなるが、五運行大論篇は、まさしく「地動説」を説明したものである。
黄帝内経が書物として書き残された時期にしても、それは天地をひっくりかえすほどの奇論で
あったにちがいない。
(だからこそ、何度も書き改められたということになるのだが……。)

 それを知ったとき、私は、こう思った。
「これほどまでに高度な知識を、彼らは、どこでどのようにして手に入れたか」と。
名前の通りとするなら、黄帝の時代。
推定でも、紀元前3500年ごろ。
今から5500年も前のことである。

 詳しくは、この原稿の最後に載せておく。
興味のある人は、そちらを見てほしい。

●ナンセンス

 ……つまり私たちにとって、UFOは、存在するかどうかという議論そのものが、ナンセンス。
UFOは、存在する。
そういう前提というか、立場で、ものを考える。

 これはBT氏もそうだったし、HS氏もそうだった。
(それ)を見るまで、懐疑派どころか、(それ)があるかどうかということすら議論の外だった。
ただ私は、SF小説の世界では、空飛ぶ円盤という言葉を知っていた。
しかしそれはあくまでも小説の中の話。

 が、見た!
とたん、脳みそがひっくり返った。
一転、「UFOは存在する」という立場で、ものを考えるようになった。
「あれは何だったのか?」と。

 そういう私たちを指して、「何かの見まちがいだった」と説明する人がいる。
「あなたは頭がおかしい」と思う人もいるかもしれない。
(反対の立場だったら、私も、そう思うだろう。)
が、私は即座にこう思う。
「そう、思いたければ思えばいい」と。

 宗教のように、信ずる・信じないの問題ではない。
が、それ以上に中身のある問題でもない。
証拠もない。
要するに、「見たものは、見た」。
すべてはそこから始まる。
で、私が知りたいのは、「あれは何だったのか」ということ。
すべては、そこへ行き着く。

●『月の先住者』

 夜になって、ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読みなおす。
『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)……昭和58年発刊、たま出版となっている。
原題は、『Secrets of the Spaceship Moon』である。
「宇宙船、月の秘密」と訳せる
昭和58年7月発刊、ということだから、今から30年近くも前の本ということになる。
私が36歳のときである。

月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。
この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。

 全体では19章。
339ページ。
文字が小さいから、かなりボリュームのある本ということになる。
その中のいくつかを紹介する。
たとえば……。

●第7章 月軌道を決定した動力

次の疑問点について考えてみたい。

○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由につい
て、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議する
のか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大き
すぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだろう
か。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえな
い」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」とはい
ったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるのか。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以外の
方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」
「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 わかりやすく説明しよう。

 まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い軌道
上を、回っている。
 つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。
もちろん太陽のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。
だから、皆既月食、皆既日食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。

 さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。

 ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているということもある。
だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、見せることはな
い。
(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)

 こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さらには
(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。
(最近の学説によれば、太古の昔、地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部
が、月になったというのが、定説になりつつある。)

 しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。
月の(みかけの大きさ)が、太陽と同じなのか。
さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということは、説明できない。

 偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。

 もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。
「太古の昔、月が遠い別の天体からやってきて、地球の重力によって捕獲された」という説であ
る。
しかしならばその軌道面は、楕円形になるはず。
ぜったいに、真円にはならない。

 そこで「乗せられた」という説が出てくる。
 
 太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。
つまり月自体が、巨大な宇宙船というわけである。

 そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。
つづく第8章の冒頭には、つぎのようにある。

++++++++++++++

 ……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。

○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20〜3
0マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で一
致しているのか。
では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASAの第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体み
たいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。
なぜこの結果が驚くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングのよう
に4時間も鳴りつづけたのか。
このことが、どうして空洞の球体であることを説明しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったの
は、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研究(質
量の中心運動)は認められなかったのか。
このような科学的証拠が、宇宙船説を引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?

それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 簡単に言えば、月の内部は空洞であり、おかしなことに、つまり常識に反して、月の外
郭部ほど、密度が高く、重金属でおおわれているという。

 ……こう書くと、「月は巨大な岩石のかたまりではないか。
宇宙船という(船)と考えるには、無理がある」と考える人がいるかもしれない。
仮に巨大な宇宙船であるとしても、それは映画、『スター・ウォーズ』に出てくる、デス・スターの
ようなものではないか、と。

 しかし残念ながら、宇宙を航行するとき、もっとも安全な乗り物といえば、それなりの大きさの
隕石や衛星をくりぬいた船ということになる。
外壁を、厚い岩石で覆われているため、小さな隕石程度の衝突では、びくともしない。
が、何よりもすばらしいことに、危険な放射線類から、乗り組員を守ってくれる。
仮に映画『スター・トレック』に出てくる、エンタープライズ号のような宇宙船だったら、隕石の衝
突や放射線類から、乗り組み員を守ることはできない。

 では、動力源は何か。

 これも隕石や衛星をくりぬいた宇宙船であれば、方法は簡単。
緻密に計算をしながら、その上のどこかで、何かを爆発させればよい。
それでその宇宙船は、その反動によって、目的の方向に向かって、まっしぐらに進んでい
く。
もちろん宇宙船を止めるときには、その反対のことをすればよい。

 こうして考えて見ると、月が宇宙船であっても、なんらおかしくはない。
ないばかりか、実に精巧、かつ科学的に作られた乗り物ということになる。

 ちなみに月空洞説を裏付ける、ひとつの事実を紹介しよう。

 「月に人類が到達する以前解明されていたのは、『月の密度は地球の半分くらいだ』というこ
とぐらいだった。
実際、月の密度は、地球の約6割だった。
月の土、1立方センチメートルと、地球の土1立方センチメートルでは、地球の方が、約2倍も
重いということだ」(同書、111P)と。

 言い換えると、月の内部の40%は、空洞ということになる。

+++++++++++++++

●超常現象

 改めて『月の先住者』を読んで、私は、ふと、こう思った。
「私はこの30年近く、何をしていたのか」と。

 この地球には、いろいろな問題がある。
教育問題からはじまって、時事、環境、宗教、哲学、医学問題などなど。
しかし私たちが住む、この地球のそばに宇宙人がいて、それが月に住んでいるかもしれないと
いう話については、ほとんど考えてこなかった。

 さらにとても残念なことに、この日本では、UFO問題にしても、幽霊や心霊と同格の、「超常
現象」として位置づけられている。
そのためこの日本では、「UFOを見た」というだけで、奇人、変人扱いされる。

 しかしUFOは、「科学」である。
少なくとも科学的に解明されうる世界の乗り物である。
また科学の対象と考えて、なんらおかしくない。
それを一部の良識派(?)と呼ばれる科学者たちは、UFOを否定することによって、自分たち
の良識性を誇張する。
 
 が、もしいつか、(やがてその日は来るだろうが)、UFOなるものが、その姿を私たちの前に
姿を現したとき、そういった人たちは、どう自分たちの(非良識性)を弁解するのだろうか。

 私とて、「見たものは見た」というだけで、どれだけ、白い目で見られたことか!
これからも、自分が納得するまで、この問題を追求してみたい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私は異常者?】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

このところ、たてつづけに、2つのコメントが届いた。
同一人物からのものと思われる。

ひとつは、「同じ内容のBLOGを5つも発行しているのは、異常だ。
異常者が教育論を説くな」という内容のもの。

もうひとつは、YOUTUBEに関して、「3600本もUPしているのは、どう考えても異常だ。あな
たは偏執狂だ」という内容のもの。

反論する。

(1)同じ内容のBLOGを5つ、発行する

 最近は落ち着いてきたが、当初は、無数のBLOG・サービスが、生まれ、そして突然、連絡も
なく消滅していった。
そのつど、それまで書いた原稿が、どこかへ消えてしまった。
そういう苦い経験による。
そういう苦い経験があるから、私は複数のBLOGを発行している。

 さらに、それぞれのBLOGには、特長(良い点、欠点)がある。
HTML形式の文章を載せないところ。
量に限界があるところ。
ワクが狭くて、写真など、両端が切れてしまうところ、など。
楽天などは、禁止用語を使うと、UPLOADを拒否されてしまう。
さらにBLOGを発行すると同時に、検索エンジンに載せてくれるところもある。
(=即、グーグルなどの検索エンジンで検索できるようになる。)

 だからどうしても複数のBLOGを出さざるを得なくなる。
そういう理由があって、私は現在、同じ内容の文章を、複数のサービス会社を使って発行して
いる。

(2)YOUTUBEについて

 世界は、広い!
 
 アメリカの学校などは、それぞれの学校が、数千本〜1万本以上も、YOUTUBEにUPしてい
る。
それを意識しているわけではないが、どうしてこの日本では、こうして「出る杭を叩く」ような攻撃
ばかりするのか?
それで文句があるなら、あなた自身も、この私ではなく、世界を相手に、数千本の動画をUPL
OADすればよい。

 YOUTUBEに動画をUPするようになって、もう10年になる。
毎日1本ずつでも、3600本になる。
結果として、その数だけを見て、「異常者」はない。

 さらに一言。

 YOUTUBEもそうだが、BLOGなどは、日本語と英語の両方で、出している。
Goo−Blogがそれである。
が、外国からのアクセスの方が、2〜3倍もある。
世界の人口が、日本の50倍以上もあることを思えば、当然のことである。

 私を「異常者」と呼ぶ前に、目を外に向けろ!
目と心を開いて、外の世界を見ろ!
相手は、世界だぞ!

 ということで、今日も始まった。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●エネルギー

 ……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はUFOについてものを書くということ自体に、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章を叩いている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

●不可解な体験

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから10年以上もたって
からのことである。

●不可解な体験

が、私には、こんな不可解な体験がある。

結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、こうしてものに書くのははじめて。
だからといって、前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。
こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑われる。
「頭がおかしい」と思う人だっているかもしれない。
事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」とアドバイ
スしてくれた人もいる。
それはわかっているが、しかしあえて書く。

●オーストラリアで

 オーストラリアに留学していたときのこと。
あと一か月ほどで、日本へ帰るというときのことだった。
オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。
私は友人のDK君にビーチハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。
ビーチハウスは、ローンという港町の手前、一〇キロくらいのところにあった。
避暑地として有名なところで、そのあたりには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道
沿いに、無数の別荘が点在していた。

 ある日のこと。
DK君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。
私とDK君は、そのサンドイッチをもって、ピクニックにでかけた。
「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬(Cape Otway)に行こう」ということになった。
時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出かけたと思う。
あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になったのを覚えている。
小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチを食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。
彼らがいうブッシュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。
そして車の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。
そのときのこと。
どちらが言ったわけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。
背丈の短い雑草が、点々と生えているような殺風景な岬だった。
ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。
たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこかにあったよ
うに思う。
私たちは地面に正座してひざまずくと、そのまま体を前に倒した。
そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。
横を見ると、DK君も地面から顔を離すところだった。
私とDK君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。
ほとんど会話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。
そしてほどなく、アポロベイという港町に着いた。
港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地である。
私たちはそのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。
日はとっくに暮れていた。
まっ暗といったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。
そのとき私とDK君は、DK君の両親の住むジーロンの町の家にきていた。
そこで、ベッドに入って寝る前に、私はDK君に、こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているも
のを、吐き出したかった。

 「DK、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、DK、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、30分もかから
なかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、DK、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだった。ある
いは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔を離した。覚
えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町で、夕食
を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走っても、一時間
はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、あたりはまっ暗だった。時刻にすれば、夜の
7時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後1時か2時だったと思う。
それ以上、遅い時刻ではなかった。
が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。
距離にしても、30キロくらいしかない。
が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた! 
どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をDK君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。
DK君も同じように感じたらしい。
さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞いた。
DK君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写真などを、
そのつど届けてくれた。
一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、そこには、ハバが数100メートルもあるよ
うな巨大なUFOが写っていた。
ただしそのカメラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから5、6年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコミで伝えら
れるようになった。
いわゆる、「誘拐」(アブダクション)というのである。
私はあの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的
に説明することができない。

簡単に言えば、私とDK君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったということにな
る。
そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。
しかも数時間も! 
夏の暑い日である。

しかし現実にそんなことがあるだろうか。
私はその前にも、そのあとにも、一度だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったこと
など、ない。
電車やバスの中でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなこ
とは、一度もない。

 私とDK君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきDK君と、こんな話をする。
「ぼくたちは、宇宙人に体を検査されたのかもね」と。
考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、前にも書いた。
繰り返すが、私たちがあの夜見たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。
それに「この世のもの」でもない。
飛び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのようにして
消えていった。
飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。
そのことは前に書いたとおりである。
その原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。
これについても、前に書いたとおりである。
この点については、ワイフも同意見である。
つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに気づいた。
そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。
が、しばらくすると、その窓を取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがって
きた。
そのときは、夜空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から
浮かびあがってきたのかもしれない。

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

月表面のみならず、この地球上でも、またその間の宇宙空間においてでさえも、今までにぼう
だいな数の、UFO目撃例がある。
しかしどういうわけか、NASAは、それらすべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット扱いとい
うことは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その暴露戦術に、うって出た。
が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。
『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信じてい
る』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェル」となっ
ている)は、UFOについて、こう述べている。
『UFOに関して、あとわからないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、何か
の博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な岩石の
アーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していたというこ
とだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部門編
集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋のような建築物が見
えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確認さ
れたことだった。
ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するといった。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろ
うか。
英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面課主任)は、
BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UFOの陰謀』、ドナルド・キ
ーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つまり、それ
は技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、人々
をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』とは一
度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危機の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)が
存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可能性が
大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドームのよ
うなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P17〜18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

●月は、巨大なUFO?

 「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)には、明らかなまちがいも多い。
しかしおもしろい。
懸命に事実に近づこうという姿勢が、30年を経て、私の心に強く響く。

要するに、月には、謎が多いということ。
そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なUFOということになる、ということ。

 繰り返す。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。
オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニー
ル)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(1953年7月)。
どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。
一つの峰からつぎの峰にまたがるような、端から橋まで、20キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。
しかもそんな橋が、それまで発見されなかったことも、おかしなことだった。
それまでに、無数の天文学者が、望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたということ。
なぜか。
その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なUFOだったという。

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。
ヤフーの検索エンジンを使って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。
結局、オニール橋は、一部の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているよ
うだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信している。
ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。
私たちが見たのは、幅が数キロもあるような巨大なものだった。
だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かない。

●ロマン

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。
つまり、「夢物語」。
だからといって、どうということもないし、また何ができるということでもない。
またそれを基盤に、何かをすることもない。
ただの夢物語。
しかし心地よい夢を誘うには、この種の話が、一番。おもしろい。
楽しい。
それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、夜の空に、ファンタジックな夢をはせ
るのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。
しかしあまりハマらないように! UFOの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほ
とんどのサイトは、どこかの狂信的なグループ(カルト)が、運営している。
じゅうぶん注意されたい。

●UFO

また少し前には、この日本の国会議員たちが、「UFO」という言葉を、よく口にした。
国会という、公式の場でも、この問題が取りあげられたこともある(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」。
が、一部の議員たちは、「信じている」、「いると思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながっているの
ではないだろうか?
つまり「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」という意味であり、私はそれがUFOであっても、少し
も、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFOが飛び交っている!」と。
ラッシュアワー!

●私の空想

 月の内部には、巨大な空間がある。
その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさんと輝いている。
月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。
科学者の中にも、いる。
先に書いた、オニール橋の話にしてもそうだ。
「あった」ということよりも、「消えた」。
そういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。
私たち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。
あのUFOにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回っているという。
私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった……。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきたのか? 
その一部は、インターネット上でも公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。
私(=私たち)が見たいのは、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。

●月の不思議

 私自身もこんな発見をしている。
月の南極の写真を見ていたときのこと。
ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのクレーターがある。
「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。
まるでコンパスで描いたような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。
パソコンの画面上での測定なので、その点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2
センチ。
もう一方も、3・2センチ! 
実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。
しかしその大きさが、ピタリと一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、よく話題
になるところである。
実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこちのサイト
を開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。
つまりいたるところにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。
一説によると、月だけでも、NASAは、数10万枚の写真をもっているという。
公開されているのは、そのうちの数パーセントにすぎないという。
しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりしているという。
しかし、クレーターまでは、消せない。
それが、ここに書いた、二つのクレーターである。

(写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コーナ
ー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれば、その写
真を見ていただける。)

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。
その私がはいつくばって東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとした
ら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手なこと
をしている。
中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。
しかし頭の中で想像することはできる。
そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間の改造など、何
でもない。
それこそ、朝飯前? 
小学生が電池をつないで、モーターを回すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、
合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。
「この問題」というのは、まさに「人間に、約5500年前に起きた変化」ということになる。

 その5500年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。
新石器時代から、有史時代へ。
しかもその変化は、メチャメチャ。
その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。
黄帝というのは、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経
が、黄帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般的に
なされてきた。
黄帝内経も、そうして経緯で生まれたと考えるのは、自然なことでもある。
しかし同時期、メソポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそ
れが母体となって旧約聖書が生まれている。
黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。
今でいう、遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。
理由はわからない。
あるいはエイリアンの気まぐれだったかもしれない。
とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユ
ーフラテス川流域に住んでいた原始人である。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能力を
もつようになった。
そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教え、文字を教えた。
証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく似てい
る。
形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。
一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir(ディン
ギル)」と発音した。
星という意味と、神という意味である。
メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。
(詳しくは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。
発音も、同じだったということ。
が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて呼ぶならわ
しがあった。
(今では、反対に「〜〜帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、「dingir 〜〜」というように、先
につけて呼んでいた。
(英語国などでも、位名を先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだったの
かどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。
しかしここでも、「だからどうなの?」という部分がない。
ないまま進化してしまった。
それはたとえて言うなら、まさにそこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居するこ
とになってしまった。
人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってしまった。
人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、大ロマンである。
もちろん、ロマン。
SF(科学空想)。
しかしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。
どんどんと自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなって
いく。
「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。
相矛盾した自分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

●心配

が、心配なことも、ないわけではない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるということ
は、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人は、
人類の前に姿を現すことはない。
しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなければ
ならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつあると
いうこと。
2100年までに、地球の平均気温は、4〜6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、2100
年で止まるわけではない。

仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不の事
態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4〜6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると考えるの
は、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度
Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。
が、本当にこわいのは、火星化ではない。
そこに至る過程。
人間は、生き残るために、壮絶なバトルを繰り返すはず。
暴動、略奪、戦争……と。
静かに絶滅するということは、ありえない。
そのバトルが、こわい。
そこはまさに、地獄絵図にさらに無数の地獄絵図を重ねたような世界になるはず。
それがこわい。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

●宇宙人

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1)彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
火星や木星の衛星かもしれない。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィルスに対
して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球とほと
んど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2)地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、かなり暗
い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景色を
見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの生物
ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、人類
は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の過程
で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしまう」とわ
かれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけということに
なる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球人の
最期ということになる。

●人間と宇宙人

 さらに問題がつづく。

私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを隔離した
り、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と考えてよ
い。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしていると言われて
いる。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、彼らにとっ
ても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

 月は空洞だった。
ロシアの2人の科学者が言い出したことだが、この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせて
みると、今まで合点のいかなかったことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを目撃した人もいると
いう。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという伝説ま
で残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家もいる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が確認され、宇宙人の存在
が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に
出てくる。
アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかりしれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

 前にも取り上げたが、あの黄帝内経には、「地球の大気」についても書いている部分もある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも出会っ
た。
(詳しくは、私のHP上で紹介。「目で見る漢方診断」を参照。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な立場では、たと
えば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、東の空に消えてい
った。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、宇宙
工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。
宇宙人がその気にさえなったら、人類など、部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺し
てしまうかもしれない。

●なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿をおおっぴらに、私た
ちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということになる。
だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の気温につい
てだけをみても、4〜5度も上昇するという。

中には、「たった4〜5度?」と思う人もいるかもしれないが、4〜5度もあがれば、真冬でも、現
在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬のほうに、
より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ先に書いた地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、さらには地球温暖化防止の
ための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを考えみれば、そ
れがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろ
うか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかもしれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、「それができな
いから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」と思うようにな
った。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」がつづくかどう
か、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、それに備え
て、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その根底からひっく
り返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリストですら、宇宙人
とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教そのものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられるような、単
純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。
プラス謎が隠されている。

●BT氏の話について補足

 BT氏とは、何度も会っている。
一度は大きな地図を床に置き、あのUFOが、どちらの方向から飛んできたかを検証してことが
ある。
結果、私とワイフが見たUFOは、正確に真西から真東へ、飛んで行ったことがわかった。
一方、BT氏と弟氏が見たUFOは、正確に真東から真西へ、飛んで行ったことがわかった。
ともに、地球を真横に横切っていったことになる。

 共通点は言うまでもなく、真夜中だったということ。
が、これは常識と考えてよい。
カメラをいじったことがある人なら、みな知っている。
レンズの口径は大きければ大きいほど、多くの光をとらえる。
もしグレイのような巨大な目(瞳)をもっていたとしたら、この地球上の日中の光には耐えられな
いだろう。
言い換えると、私たち地球人には夜でも、彼らにしてみれば、昼のようなもの。
だから「夜」ということになる。

 「観光旅行?」をするには、地球の夜の方がよいということになる。

●目的?

 BT氏は、「一度、UFOに乗せてもらいたい」と言う。
そう言いながら、私にこう聞いた。
「はやしさんは、何を望むのですか」と。

 が、私には、何かをしてほしいという気持ちは、まったくない。
ただ得体の知れない、不可解なものを見た。
その正体を知りたい。
それだけ。

 もしあのような不可解なものを、そのまま受け入れてしまえば、私の中にある(合理=ロジッ
ク)が、総崩れとなってしまう。
幽霊やあの世や、占いやまじないを信ずる人たちと、同じレベルになってしまう。
が、それは私自身を否定することになる。
この世で何が恐ろしいかと言えば、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
人生も晩年になってそれをすれば、自分の人生そのものを否定するに等しい。

 が、見たものは見た。
見たものは見たのであって、どうしようもない。
その見たものが何であるか、それに納得したい。

●カルト化

 ただひとつ注意しておきたい。
今、現在、UFOを本尊にし、無数のカルト教団が生まれつつある。
勉強会開いたり、観察会を開いたりしている。
さらに未知の惑星や、未知の宇宙人に自分たちを結びつけ、その(教え?)を宣伝したりしてい
る。

 しかし私はそういったものには、まったく興味がない。
関心もない。
むしろ私の考えは、逆。
宇宙人にもいろいろあるのかもしれない。
しかし私は、仮にそういったものが近くに降りてきたとしても、近づかないほうがよい……と思
う。
動力源として、原子力エネルギーのようなものを使っている可能性は、じゅうぶん、ある。
UFOに手で触れたとたん、あの世行き……ということも、考えられなくはない。
実際、そういう例も、いくつか報告されている。
だから私はワイフには、こう言っている。

 「UFOを近くに見たら、まず逃げろ!」と。
「10にひとつでも、危険を感じたら、逃げろ!」と。
UFOといても、神でもないし、仏でもない。
私たちを善なる世界へ導く救世主と考えるのは、たいへん危険なことでもある。

●九州へ

 天気予報が気になる。
九州地方では、大雨がつづいている。
NHKのまとめによると、14日午前3時現在、すでに20人の人が死亡、7人の人が行方不明
になっている。
今朝もワイフは、ホテルに電話を入れていた。
で、今のところ、電車も、高速バスも、予定通り運行しているとのこと。
ホテルもだいじょうぶらしい。

 長い前置きになったが、私とワイフは、九州に向かう。
HS氏に会う。
会って、私たちが見たものが何であるかを確かめる。

●浜松駅

 この数日と打って変わった、快晴。
「梅雨は終わったのかしら?」とワイフ。
が、そんなはずはない。

 予定より40分ほど早く、駅に着いた。
待合室で、列車を待つ。
11時37分発、ひかり名古屋行。
名古屋で、博多行に乗り換え。

●アリゾナ州フェニックスに現れたUFO

 メールを開くと、読者の人より、メールが届いていた。
「はやし先生の見たUFOは、これではないですか?」と。
アドレスをクリックすると、アリゾナ州フェニックスで現れたUFOの画像が現れた。
巨大なUFOで、町全体をおおうほどのUFOだった。
そのUFOについては、私も聞き知っている。
どこかのテレビ局が、以前、報道していた。

 CNNは、つぎのように書いている。

『PHOENIX (CNN) 
When it appeared in the Arizona sky on the night of March 13, it was witnessed by 
hundreds of people.
フェニック(CNN)
それがアリゾナの空に、3月13日(1997)に現れたとき、それは何100人もの人たちによっ
て、目撃された。

Neither researchers nor witnesses have yet figured out what Arizonans saw in the event 
now dubbed "the Phoenix Lights.
「フェニクスの光」と呼ばれる、その事件で、研究者も、目撃者も、アリゾナの人たちが見たもの
が何であるか、わからないでいる。

" But that hasn't stopped them from trying to puzzle it out. 

Tim Ley and his family are among the hundreds of witnesses who have come forward to talk 
about the Phoenix Lights.
ティムと彼の家族は、何100人もの目撃者だが、フェニックスの光について、つぎのように述
べている。

They first saw the lights while looking north from their Phoenix home. 
彼らはフェニックスの家から、北の方角を見ているとき、その光を見た』と。

 以下、その事件についていろいろ書かれている。
が、ここで重要なことは、UFOではなく、「光の列」であったこと。
ブーメランというより「V字」(CNN)形に並んでいたこと。
さらの光と光の間は、透けていたこと。
またこの地域は、アメリカ軍の秘密軍事基地と近く、ほかにも正体不明の飛行物体が、しばし
ば目撃されていること。

 で、日本でも、この事件は報道された。
その中では、目撃者の話として、低高度を飛行するV字型のUFOが、紹介されていた。
窓らしき円の中には、人影すら見えたと証言する人もいた。

 が、私とワイフが見たUFOとは、どうもそれとはちがうような気がする。
そのひとつが、「そこまで巨大ではなかった」(ワイフ)ということ。
それに光らしいものは、発していなかった。
フェニックスの「光」には、物体感がない。
CNNの報道にもあるように、「フェニックスの光」にすぎない。

 もっとも、そのあと真上に来たときのこと。
これは私たちが見たUFOについてだが、急に速度をあげ、そのまま透明になって消えていっ
た。
そのことを思い起こせば、光と光の間が透けて見えたとしても、おかしくない。
ありえるということになる。

 が、疑問が残る。

 フェニックスの光は、サーチライトのような光を灯していた。
地球上の乗り物なら、そういうライトをつけることもあるだろう。
飛行機や自動車を思い浮かべればよい。
しかしUFOには、そういったライトは、必要ない。
UFOが光って見えるのは、それはあくまでもなにかの結果であって、目的ではない。
フェニックスで、何やら不可思議なことが起きたのは事実だが、そのときのUFO(?)は、私た
ちが見たUFOとは、やはりちがうように思う。
つまり「アッ、これだ!」という、的中感が、起きてこない。

 前にも書いたが、私たちが見たUFOにしても、BT氏兄弟、さらに今回HS氏が見たUFOにし
ても、私たちの真上に来たとたん、逃げるようにして、姿を消している。
UFO側が、人目につくのを避けている。
共通して、そんな印象をもった。

 そんなUFOが、こうこうとライトなど並べて、夜空を飾るだろうか?

●京都

 たった今、新幹線は、京都を出た。
先ほどまで、私とワイフは、週刊誌を読んでいた。
私が「週刊文春」、ワイフが「週刊ポスト」。
私は、認知症度テストという記事が気になった。
それを使って、自己診断してみた。
このところ何かにつけ、自信が薄れていく。

 結果は……というか、そのテストは、だれか別の人にしてもらうものだそうだ。
自己診断テストではない。

●大川隆法(週刊文春・7・19号)

 内容については、週刊文春に取ってもらう。
が、週刊文春は、大川隆法の性の儀式についての暴露記事を載せている。
信者の若い女性を、「あなたは〜〜の生まれ変わり」だとか何とか言って、そうした儀式に誘っ
ていたという。

 幸福の科学にかぎらず、カルト教団と呼ばれる宗教団体には、この種の醜聞が、いつもつい
て回る。
UFOとて、例外ではない。
接し方をまちがえると、そのままカルト化する。

●日本人は賢くなったか?

 人間の賢さは、「自ら考える力」で決まる。

 よく誤解されるが、知識や情報が多いからといって、賢い人ということにはならない。反対に、
いくら知識や情報があっても、バカな人はバカ。
映画『フォレストガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人をバカ
というのよ。(頭じゃ、ないのよ)」と。

 そういう視点で、もう一度、日本人について考えてみる。日本人は、賢くなったか、と。

 今、高校生でも、将来を考えて、毎日本を読んだり、勉強している子どもは、10%もいない。
文部科学省国立教育政策研究所の行った調査によると、「宿題や授業でしか本は読まない」と
答えた子ども(小、中、高校)は、全体では18%だが、高校生は33%であった。
また「教科書より厚い本を読んだことがない」も、全体では16%だが、高校生では23%であっ
た(全国小学4年生以上高校2年生までの2〜120人について調査。02年)。

 わかりやすく言えば、小学生ほど、よく本を読み、中学生、高校生になると、本を読まなくなる
ということ。

一見何でもないような現象に見えるかもしれないが、「では、高校生とはいったい、何か」という
ことになってしまう。
より高度な勉強をするから高校生というのではないのか。
が、実態は、その逆。

毎日くだらない情報を、携帯端末で交換しているのが、高校生ということになる。
そう言い切るのは正しくないが、しかし実態は、そんなところと考えてよい。
大半の高校生は、毎日4〜5時間はテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶしている。
6〜7時間と答えた子どももいた
(筆者、01年、浜松市内の高校生10人について調査)。

 その結果というわけではないが、最近の高校生は、まさにノーブレイン(知能なし)という状態
になっている。
知識や情報に振りまわされているだけ。自ら考えるということができない。
政治問題や社会問題など、問いかけただけで、「ダサイ!」と、はねのけられてしまう。

 もちろん本を読んだからといって、賢くなるというわけではない。
それ以上に大切なことは、いかにして問題意識をもつか、だ。
その問題意識がなければ、本を読んでも、それもただの情報で終わってしまう。
よい例が、ゲームの攻略本だ。

もともとウソにウソを塗り固めたような本だから、いくら読んでも、それこそまさにムダな情報。
先日、私も、子どもたち(小学6年生)の前で、こう話してやった。

 「栗の葉に、近くに落ちている松の葉包み、それを手で握って、ローローヤヤ、カカカ、バーバ
ーと呪文を唱えれば、親から小遣いが、いつもの10倍もらえる」と。

 中には子どもたちは真剣なまなざしで、私の呪文をノートに書きとめようとした子どももいた。
が、そのうち一人が、「先生、反対に読むと、バ・カ・ヤ・ローだ」と。

 そこでいかにして、子どもに問題意識をもたせるか、である。が、この問題について考える前
に、こういうこともある。

●ロボット化

 ノーブレインの状態になると、その人間は、いわゆるロボット化する。
ひとつの例が、カルト教団の信者たちである。
彼らは思想を注入してもらうかわりに、自ら考えることを放棄してしまう。
ある信者とこんな会話をしたことがある。

私が「あなたがたも、少しは指導者の言うことを疑ってみてはどうですか。ひょっとしたら、あな
たがたは、利用されているだけかもしれませんよ」と。
するとその男性(60歳)はこう言った。

「○○先生は、万巻の書物を読んで、仏の境界(きょうがい)に入られた方だ。
教えにまちがいはない」と。

 同じような例は、あのポケモン現象のときに、子どもたちの世界でも起きた。
それはブームとかいうような生やさしいものではなかった。
毎日子どもたちは、ポケモンの名前をつらねただけの、まったく意味のない歌(「ポケモン言え
るかな」)を、狂ったように歌っていた。
そしてお菓子でも持ち物でも、黄色いピカチューの絵がついているだけで、それを狂ったように
買い求めていた。

私はこのポケンモン現象の中に、たまたまカルトとの共通性を見出した。そして『ポケモンカル
ト』(三一書房)という本を書いた。

●カルト教団

 このロボット化でこわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、本人にはその自覚が
ないこと。
カルト教団の信者も、またポケモンに夢中になる子どもも、なぜ自分がそうなのかということが
わからないまま、たいていは「自分は正しいことをしているのだ」と思い込まされていく。
醜い商魂に操られていく。
そしてその結果として、それこそ愚にもつかないようなことを、平気でするようになる。

 こうした状態を防ぐためにも、私たちはいつも問題意識をもたねばならない。
あなたの子どもについて言うなら、これはいつかあなたの子どもがカルト教団の餌食にしない
ためでもある。
ノーブレインというのは、それ自体がひとつの思考回路で、いつなんどき、その回路の中
に、カルト思想が入り込まないともかぎらない。

で、たまたまあのポケモンブームのころ、アメリカのサンディエゴ郊外で、「ハイアーソース」とい
う名前のカルト教団の信者たち39人が、集団自殺をするという事件が起きた(1997年3月)。
残された声明文には、「ヘール・ポップすい星とともに現れる宇宙船とランデブーして、あの世
へ旅立つ」と書いてあったという。
SF的というよりは、UFO的。

 常識で考えればバカげた思想だが、ノーブレインの状態になると、それすらもわからなくな
る。
つまりそういう人を、「バカな人」という。

 いかにして問題意識をもつか。

 これは私のばあいだが、私はいつも、自分の頭の中で、その日に考えるテーマを決める。教
育問題であることが多いが、政治問題や社会問題も多い。
たいていは身近なことで、「おかしいぞ」と思ったことをテーマにするようにしている。

 そこで改めて問う。
「日本人は賢くなったか」と。

 で、その結論だが、答は、「ノー」。日本人は知識と情報の氾濫の中で、ますます自分を見失
いつつある。
ますます愚かになりつつある。

そのことは、今の子どもたちの世界を見ればわかる。子どもたちの「質」は、この30年、確か
に悪くなった。
ひとつの例というわけではないが、30年前の幼児は、「おとなになったら、何になりたい」と聞く
と、「幼稚園の先生」とか、「野球の選手」と答えていた。
しかし今の子どもはちがう。

「魔法使い」とか、「超能力者」とか、答える。
バブル経済のころは、「私、おとなになったら、土地もちの人(男)と結婚する」と言っていた女
の子(小4)や、「宗教団体の教祖になる」と言っていた男の子(小5)もいた。
が、そのときよりも、今のほうが、さらに悪くなっているように思う。

 UFO問題を取りあげるときは、それがどこかでカルト化していないか。
それを常に疑ってみる必要がある。

●神と宇宙人

 宇宙人が神であっても、神が宇宙人であっても、私は驚かない。
もともと私は無神論者。
が、まったくの無神論かというと、そうでもない。
子どものころから、結構、信心深いところがある。
60歳ごろまで、法事はきちんとしてきたし、初詣も欠かしたことがない。
仏典も読むし聖書も読む。

 よく「キリストは宇宙人だった」と説く人がいる。
こんなことをキリスト教徒の前で口にしたら、それだけで袋田叩きにあうだろう。
しかし私も、そう思う。
つまりキリストも宇宙人だった、と。

が、宇宙人そのものではなく、宇宙人により遺伝子操作され生まれた人間、と。
似たような話に、「かぐや姫」の話がある。
かぐや姫も、赤ん坊の段階で、地球に送り込まれている。
(あくまでも、おとぎ話のひとつだが……。)
宇宙人がいるとしても、この地上に、直接立つことは、むずかしい。
地球の重力が大きいというよりは、一度無重力に慣れてしまうと、肉体そのものが重力に対応
できなくなってしまう。

 だから地球に使者を送るとしても、途中からではなく、赤ん坊の段階から送る。
またそうしないと、地球の環境に慣れることはむずかしい。

 が、宗教というのは、(教え)に基づいてするもの。
(儀式)ではない。
その視点を見失うと、UFO問題は、そのままカルト化する。
あるいは、すでにカルト化している?

●神と宇宙人

 UFO問題とキリスト教。
とくに旧約聖書と結びつける人は多い。
それもそのはず。
キリスト教でいう神は謎だらけだが、その神を宇宙人に結びつけると、謎のほとんどがスンナリ
と解決してしまう。

 が、ここにひとつの落とし穴がある。
新約聖書はともかくも、旧約聖書は、最初から最後まで、首尾一貫して終末論を説いている。
この終末論が、人類滅亡論に結びつきやすい。
言うまでもなく、カルト教団と呼ばれる宗教団体は、強迫と希望を、いつもペアにして私たちに
迫ってくる。
地獄論と天国論でもよい。
バチ論と功徳論でもよい。
「この信仰を信じた者だけが救われる」と教えながら、「信仰をやめたら地獄へ落ちる」と。
さらに付け足せば、人々の心が不安になったときこそ、カルト教団の出番。
心が不安になると、そこにスキが生まれる。
そのスキをついて、カルト教団が入り込む。

 今は、その不安の時代。
震災、原発事故、経済の停滞、そして地球温暖化。
まさに『右を見ても、左を見ても……』という状態。

 こういうとき、UFO教団(?)が、急速に勢力を拡大する。
それがもつであろう、神以上のパワーを信じて……。

●ぼたんインコのピッピ

 が、問題は、宇宙人という宇宙を自由に行き来する高度な生命体が、人間など、相手にする
だろうかということ。
仮に相手にするとするなら、理由は何か。
目的は何か。

 ……と考えながら、家で私を待つ、ぼたんインコのピッピを思い浮かべている。
たいへん利口な鳥で、育て方の本には、こうある。

「……カゴに入れておくとしても、24時間が限度です。1日、数回、数時間は放鳥し、自由に遊
ばせてください」と。

 そのピッピは、私の家しか知らない。
私の家が、ピッピの知る世界。
もちろん家の外には出さないから、森の木や、川の水を知らない。
いわんや新幹線のことも知らないし、それで私たち夫婦が、1000キロも離れた九州へ向かっ
ていることも知らない。

 ピッピはよく窓際の棚に止まり、外の世界をながめている。
ハトやヒヨドリが近づいてくると、右や左に飛び回り、大きな声で、懸命に何かを訴えている。

 が、ピッピは、そのまま私たち人間の姿でもある。
私たち人間は地球という小さな世界に、カビのようにへばりついている。
宇宙といっても、地上からのぞく、小さな天空のみ。
私たち人間を、ぼたんインコにたとえるなら、宇宙人たちは、新幹線に乗って旅行をする人間
のようなもの。
もとから相手にならない。
……というか、私が宇宙人なら、人間など、もとから相手にしない。
相手にしてもしかたない。

 が、もし相手にすることがあるとするなら、その人間が自分たちにとって脅威となったときであ
る。
たとえばこんな話が漏れ伝わってきている。

 何でもあのソ連(旧ロシア)は、月面上で核実験をしようとしたことがあるという。
(アメリカのアポロ13号も、小型の核兵器を積んでいたという話もある。)
が、そうしたロケットにかぎって、途中で行方不明になったり、原因不明の事故を起こしたりして
いる。
前に書いた『月の先住者』を読めば、その理由は、簡単にわかるはず。

●採決

 そういうふうに考えていくと、UFOに乗って地球へやってくる宇宙人たちが、人間に対して好
意的かどうかということになると、それは疑わしい。
少なくとももし私が宇宙人なら、人間を敵性生物ととらえるだろう。
マムシとかピラニア、あるいはワニとかサメ……?

 ひとつの惑星には、1種類の知的生物しか住めないという法則もある(ホーキング博士)。
2種類以上になると、優劣をかけ、やがて最終戦争が始まる。
では、宇宙ではどうか。
生活圏の広さにもよるだろう。
しかし生活圏が狭く、利害が対立するようなことになると、やはり最終戦争ということになる。

 仮に共存するとしても、どちらか一方が徹底的に優位になる、どちらか一方が、徹底的に隷
属的になる。

 が、知的生物が、複数のばあいはどうか。
映画『スターウォーズ』に出てくる酒場を思い浮かべればよい。
私は種類が多ければ多いほど、共存はむずかしいと思う。
とくに人間のような、貪欲で、強欲な生物なら、なおさら。
こんな小さな、狭い地球の上ですら、(それをよく知っているはすなのに)、戦争ばかり繰り返し
ている。

 で、こんな想定をしてみる。

 あなたは宇宙会議のメンバーである。
何万という星々から、何千という種類の宇宙人が集まっている。
そこである日、こんな会議が行われた。
「地球人を、仲間として迎えるかどうか」と。
もろもろの意見が出されたあと、いよいよ採決という段階になった。

「賛成か反対か」と。

 反対が多数のばあいは、人間は抹殺される。
あるいは脳細胞そのものに手を加えられ、ごくふつうの動物(獣)としての生活だけを許される
ようになる。

 ……かなりSF小説ぽくなってきたが、そういう視点で、一度、私たち人間を外の世界からな
がめてみるのも、悪くない。

●日田市

 高速バスは日田インターチェンジをおりた。
その直前、低い雨雲が急に厚くなったと思った瞬間、見たこともないような大雨が降り始めた。
ドドーッ、ドドーッと。
そのたびに、バスが大きく揺れた。

 バスは、予定より、20分遅れで日田市に入った。
今夜は駅前のソシエというホテルに泊まる。

 ……新幹線の中でおかしな眠り方をした。
そのせいか、ひどくはないが、頭が割れるように痛い。
だいじょうぶかな?

●日田市・花門(かもん)

 HS氏は、ホテル・ソシアの、道路をはさんだ真ん前で、割烹を経営していた。
「花門」。
私とワイフは、そこで夕食をごちそうになった。
夕食と言っても、食べたこともないような懐石料理。
その美しさとおいしさに、驚いた。
ワイフは、「こんなすてきな料理、食べたことがない」と何度も言った。
が、その言葉には偽りはない。
ワイフの別名は、石部金子。
「石部金吉」にちなんで、私がそういうニックネームをつけた。
ワイフには、「おじょうず」という言葉がない。
若いころから、クソまじめ、
クソ正直。
「クソ」を10個くらい並べても、まだ足りない。
そういう女性である。
そのワイフが、そう言った。

 日田市の花門。
JR日田駅から、歩いて数分。

 食事のあと、HS氏の家族全員(妻、娘さん2人、息子氏、それにHS氏の友人のKS氏)が、
その場へ案内してくれた。
花門の裏手。
40〜50メートル、裏通りへ入ったところ。
HS氏は、「ここでこのように見ました」と説明してくれた。
発泡スチロールで作った模型を使って、その飛び方を説明してくれた。

 なごやかな一瞬。
ほっとするような一瞬。
「来てよかった」と、私は何度も思った。

 そこには、あの夜、私たちが見たものが、「あった」!
それがうれしかった。

 そのとき私が受け取ったメモをそのまま、ここに掲載する。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7588672110/" title="img617 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8163/7588672110_
955f119dbf_z.jpg" width="510" height="640" alt="img617"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7588671728/" title="img618 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8290/7588671728_
1b955befce_z.jpg" width="506" height="640" alt="img618"></a>

●新発見

 HS氏は、こう言った。
「ブーメラン型といっても、左右対称ではなく、右側が長かったです」と。

 事実というのは、恐ろしい。
私は、自分の書いたイラストにしても、NASAが発表した火星上空のUFOにしても、(NASAは
UFOとは言っていないが)、そのときは、気づかなかった。
が、よく見ると、左右が非対称になっているのがわかる。
見る方角にもよるが、たしかに「右側のほうが、長い」。

 事実というのは、そういうもの。
知れば知るほど、つじつまが合ってくる。
ジグソーパズルのように、コマがそれまでのすき間を、きれいに埋めてくれる。

●方向

 もう7、8年になるだろうか。
私たち夫婦と、BT氏は、一枚の地図を広げ、たがいに見たUFOが、どちらの方角から、どち
らの方向へ飛んで行ったかを検証したことがある。

 どこかの料亭で、何かの料理を食べながら、それをした。
その結果、

(1)私たち夫婦が見たUFOは、正確に真西から、真東に向かって飛んで行った。
(2)BT氏が見たUFOは、これまた正確に真東から、真西に向かって飛んで行った。

 みなで地図の上に、定規を使って線を描いてみた。
が、意図的にそうしたわけではないのだが、2本の線は、きれいな平行線を描いた。
しかも緯度線に沿って、きれいな平行線を描いた。

 当時の私たちは、こう思った。
「UFOも、緯度に沿って飛行するのだ」と。

 が、今回のHS氏の話によれば、UFOは、真南から真北に向かって飛んでいったという。
これはどうしたことだろう。

 そこで調べてみると、あるサイトには、こうあった。

『…… 共振電磁場もフォース・フィールドと同様に、宇宙塵が船体に衝突するのを防ぐのに役
立っているという。
 結局、UFOは、自分自身で磁気エネルギー(スカラーエネルギー)を使って人工の共振電磁
場を作り、地球の空を飛ぶ場合は地球の共振電磁場と共振させて反重力を作り出し、地磁気
の線に沿って飛行していることがわかる』(徹底検索・堀進氏BLOG)と。

 ここにいくつか聞きなれない言葉が出てくる。
またここに書いてあることがすべて、科学的に証明されたわけではない。
しかし「地磁気の線に沿って、飛行しているのがわかる」とある。
わかりやすく言えば、帆船が風を利用して航海するように、UFOは、地球の磁場を利用して航
行している。

 それを信ずるか信じないかは別として、(というのも、私自身はよくわからないので)、しかしこ
の内容は、私たちが見たUFOの飛行ルートを、そのまま説明している。
正確に言えば、私たちとBT氏が見たUFOは、地磁気の線に対して直角に飛行した。
HS氏が見たUFOは、地磁気の線に対して平行に飛んだ。

●窓

 私とワイフが見たUFOには、窓らしきものはあった。
大きな、真円形の窓である。
薄い橙色の光を放っていた。

 つぎにBT氏の見たUFOには、窓はなかった。
「窓らしきものはなかった」と、BT氏は証言している。

 これに対して、HS氏は、窓らしきものはあった、と。
しかしその窓は閉じていたのか、機体本体と同じような色をしていたという。
「窓枠も見えた」という。
その窓枠も、同じ色をしていたという。

 で、私たち3人の話を総合すると、こうなる。
あの夜、私たちが見たUFOには、窓はあった。
その窓は開いていた。
BT氏とHS氏が見たUFOの窓は閉まっていた。

 私とHS氏の話は、窓(窓らしきもの?)があったという点で、一致する。
HS氏とBT氏の話は、窓が開いていなかった(光が出ていなかった)という点で一致する。
つまりここでも、(私の話)→(HS氏の話)→(BT氏の話)は、それぞれ連続性をもって一致す
る。

●KW氏

 割烹「花門」では、3時間余りを過ごした。
その間、HS氏の親友という、KW氏(60歳、日田市市議会元議員)という人と、話した。
KW氏自身は、UFOを見ていない。
しかし宇宙人の存在は、信じている。
会話の中に、「ニビル(惑星)」「シュメール」という言葉は、よく出てきた。
仏典の謎についても、話してくれた。
話がはずんだ。

 で、私は私たちが見たUFOの話をした。
前もって、HS氏から、話を聞いていたらしく、私たちの会話に、すんなりと入ってくれた。
またHS氏の二女も、小学2年生のときに、やはり家の裏で、UFOを目撃したことがあるとい
う。
まだ明るい日中で、それはまぶしいほどまでの光を放ち、空を横切っていったという。

 私たちは食事をしながら、昨日(7月16日)にUPした、動画(YOUTUBE)を、みなに披露し
た。

http://www.youtube.com/watch?v=0Fziv16u8vo&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA&index
=1&feature=plcp

●HS氏のメモ

 花門……『季節料理・花門』
 亭主……橋本 晃
 住所……大分県日田市元町78番
 電話……0937−22−1337

 本物の日本料理がどういうものであるかを知りたかったら、花門へ行ってみるとよい。
息子氏は、京都の割烹で修行したという。
HS氏の割烹を手伝っている。

 そのHS氏が私にメモを残してくれた。
先に書いたことと繰り返しになるが、もう一度、確認しておく。

○目撃したのは、2012年6月20日、22時29分(携帯電話の記録より)。
○音は無音。
○色は白だけど、白ではない。
○右の方が長く、左のほうが短い。
○窓(?)の周囲には、窓枠があった。
○窓の数は、9個前後(左側4個、右側5個)。これはHS氏が残したメモによる。
○UFOは、真南から真北の方向に向かって飛んで行った。

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7588681974/" title="P1000213 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7126/7588681974_
5746f4d06f_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000213"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7588685214/" title="P1000208 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7106/7588685214_
b4ebf7fcae_z.jpg" width="640" height="480" alt="P1000208"></a>

 また当日の夜HS氏は、携帯電話で2度、UFOを撮影している。
が、あとで見たら、1枚しか撮影できていなかったという。

 その写真が、これ(1)。
真っ黒で、何も写っていないかのように見える。
そこで画像処理してみると、最上部に、何か写っているのがわかった(2)。
写真というよりは、模様。
それが何を意味するかは、後日の判断に任せる。

(1)
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7590238782/" title="DVC00001 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm8.staticflickr.com/7106/7590238782_
81c4518ca7_z.jpg" width="360" height="640" alt="DVC00001"></a>

(2)
<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7590287744/" title="SDの中身 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.staticflickr.com/8156/7590287744_
c41985aa92_z.jpg" width="640" height="400" alt="SDの中身"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/7590287642/" title="橋本氏から預
かったSDの中に写り込んでいた模様 by bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm9.
staticflickr.com/8009/7590287642_f1677f9fcc_z.jpg" width="640" height="400" alt="橋本氏
から預かったSDの中に写り込んでいた模様"></a>

●新山口

 新幹線のぞみは、たった今、新山口を出た。
教え子の1人が、この町のどこかの病院でドクターをしている。
列車が走りだしたとき、ふと、そんなことを思い出した。
またこの町かどうかは知らないが、恩師の田丸謙二先生は、東大を退官したあと、この山口市
の東京理科大学で、理学部長をしていた。
「76歳まで働かされた」と言っていた。

 76歳!

 若いときには、知る由もなかった。
しかしこの年齢になると、年齢ごとのきびしさが、実感としてわかるようになる。
60歳には60歳のきびしさがある。
65歳には65歳のきびしさがある。
その延長線上に、70歳があり、76歳がある。
すべてが一次関数、もしくはゆるい二次関数のグラフを描きながら、老後に向かう。
簡単な数学である。

私「田丸先生は、76歳まで働いたんだって!」
ワ「よくがんばったわね」
私「ぼくも、そう思う。76歳で働くということがどういうことか、そのきびしさも、よくわかる」と。

 ……5〜6列先に2歳前後の女児が乗っている。
その子どもが、キャッキャッと騒いでいる。
独り言を間断なく、しゃべっている。
時折、何やらダダをこねている。
あとの客は、葬式の参列者のように、静かに黙りこくっている。

●帰路

 九州から遠ざかるにつれ、UFO問題もまた、自分の頭から切り離されていく。
脳の隅に追いやられていく。
ワイフの口からも、「UFO」という言葉が出てこなくなった。
それもそのはず。
この話には、結論がない。
私たちは「見た」。
それだけの話である。
前にも書いたように、「だからどうなの?」という部分がない。
「どうしたいの?」という部分もない。

 おそらく、あのUFOにしても、二度と見ることはないだろう。
「見たい」と思っても、空のどこを、どのように探せばよいのか。
その方法も知らないし、手段もない。
(BT氏は、念力を送れば見られるというようなことを言う。
しかし私には、その念力もない。)

が、「私も見ました」という連絡は、この先もあるかもしれない。
そのときは、そのとき。
そのときはまた、その人に会い、その人の目の中に入って、あのUFOを見る。

 ただ誤解がないようにしておきたいことがある。
私たちが見たいのは、あのUFOだけ。
ほかのUFOには、興味がない。

 割烹『花門』では、HS氏の息子氏が、こんな話もしてくれた。
何でも阿蘇山の噴火口へ、UFOが入って行ったという。
噴火口からその奥へ、飛び込んで行き、そのまま消えてしまったという。
それを20人近い人たちが目撃したという。
阿蘇山周辺では、それが大きな話題になっているという。

 太陽の中にさえ、平気で入っていくUFOもあるとか。
そういう話も聞いているので、私は驚かない。
が、興味もない。

しかし、もし私がその20人の中の1人だったら、どうだろうか。
私なら1人1人の証言を集め、こうしてしっかりとした記録として残すことを考えたかもしれな
い。

 ともあれ、今の私には、そこまでワクを広げる時間はない。
ほかにも書きたいことは、山のようにある。
UFO問題は、その中の一部にすぎない。
だからあえて耳を閉じる。
興味をもたないようにする。

●結論

 今回のUFO検証旅行は、これでおしまい。
要するに、ロマン。
夢。
懐疑的な見方をすれば、オーストラリアのUFO研究団体が書いているように、「私たちは神秘
を愛し、その謎を解くのを愛する」の一語に尽きる。
「推理番組と同じ」とも。

 そう、推理番組。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 
 あとの判断は、読者諸氏に任せる。
ただし一言。
引用した文章の真偽のほどは別として、私がここに書いたことは、私が知りえた範囲の内とい
う条件つきだが、すべて「事実」である。

 ……ワイフは、列車の中の電光ニュースを読んでいる。
「九州から東北の各地では、気温が35度だってエ!」と。
ワイフの頭の中からも、UFOが消え始めているようだ。
私も先ほどから、明日からの仕事の段取りを考えている。

 ……列車は、たった今、京都に着いたところ。
2012年7月17日。
時刻は、午後1時13分。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育
評論 はやし浩司 日田市 花門 橋本 晃 はやし浩司 UFO はやし浩司 ブーメラン型U
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 UFOとロマン 東洋医学 漢方のロマン 東洋医学の地動説)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年9月21日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て相談・2例】

●17日、18日に、掲示板の方で、子育て相談を2例受けた。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

[投稿日時]2012年 7月18日(水)
[題名]5歳娘の行動のこと
[投稿者]MK

先生はじめまして。
年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。
娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。
引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園してました。
私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでたみたいです。

5、6月は「ママが帰るとさみしいよー」と、少しぐずって言ってましたが、だんだん泣かないで通
園できていました。

7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。
帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝
てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手で
お友達触ってもどうにもならない? 
大丈夫?、と先の心配ばかりしています。

いつもと少し違うなと感じ始めました。
いつ手洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。

「夏は暑いから汗でるからたくさんお水飲んで大丈夫よ。
おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。
ちなみに一度もおもらしした事はないです。

保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。
とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。

娘の保育園は年長10人位年中児、6人の縦割りクラスです。
先生も娘のことを気にかけて下さりました。
年長さんや年中さんなので自主性を求めるために少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行ってき
て下さい・・・」を言うのを減らしてきました。
だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは不安になったのではないかな、とのことでし
た。
実際、先生が○○ちゃんは言った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答え
たそうです。

それから少し落ち着くかな、と思ってましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出した
り、床触ったから洗ってくるといいだしたりします。
「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。
「大丈夫大丈夫それ位で皆どうもならないよー」と、私が言いますが、心配不安の様子。
おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、
大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。

足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、
「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。
さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。
主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」
とか。

手におえない位にグズることがありどうしようもなくなってしまいます。
抱きしめたくても汚れてる、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか?
娘の気が済むようにあれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか?
どうしたらイイかわからない時があります。
時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。
通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。
お迎えの時は自分で履いてました。

保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。
自宅ではママが困ると分かるからチョット気に食わないと行動づるのかなともおっしゃってまし
た。
3か月通園して廻りの子は慣れてるから何でも出来るし指示されないと不安になるし張りつめ
た気持ちが破裂してしまったのかな。。。
かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。

先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とかどのように対処したらよいでしょう
か?
汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか?
これまで寝るとき保育園に行くときなど「、ママ大好き〜。チユとしたりギュっとだきしめたりして
ました。
昨夜も添い寝してると娘からチユとしてきました。
ホント難しいです。
どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。

先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。
宜しくお願い致します。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

[題名]3歳児(男児)が荒れはじめました
[投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん)

4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。
先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。
明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。
緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。

幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に
叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。

幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。

母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な
家庭環境を与えてしまいました。

自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘
えの欲求にも応えようとしてきました。
父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。

息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強
く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、か
んしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。

神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い
通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。

大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】

 回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、書いてみたいと思います。
今しばらくお待ちください。
明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。
ともに「神経症的な症状」ですね。
基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。
母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。
つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。
そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。

 で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック〜夜尿症〜潔癖症など)は、珍しくありま
せん。
私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで
紹介します。

 では、今日は、これで失礼します。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【雑感・あれこれ】(2012年7月18日記)

●梅雨明け

 昨日(7月17日)、梅雨が明けた。
長くつづいた曇り空が、一転、澄んだ青空に変わった。
気温は、30度前後。
自転車で走る。
半時間も走ると、全身がさわやかな汗に包まれる。
家に入る。
頭から水をかぶり、扇風機に当たる。
その爽快感がたまらない。

●台風

 台風X号が、九州の西を北上している。
気象庁の天気図を見る。
どうやら北朝鮮へ。
ピョンヤンの直撃コース。
台風から伸びる雨雲が、すでに朝鮮半島を覆っている。
が、こう書くからといって、北朝鮮のことを心配しているのではない。
「かわいそうだ」とは、思うが、そこまで。

 降らなければ大干ばつ。
降れば大洪水。
今度の台風が、金正恩政権の命取りになるかもしれない。
問題は、そのあと。
静かに崩壊してくれれば、それでよい。
そうでなければ、そうでない。
それを思うと、気分が重くなる。

●懇談会

 今朝、父母懇談会をもった。
その中で、こう言った。
「受験競争を子どもに強いることは、虐待です」と。

 昔、ベッドから引きずり出されていた子ども(小5男児)がいた。
その子どもは、毎日、5ページ、問題集を解くことになっていた。
その日のノルマ(問題集)をしていないと、引きずり出された。
話を聞くと、母親はこう言った。

「父親は、毎晩夜遅く帰ってきます。午前1時とか、2時になることもあります。そのあと息子の
問題集をチェックし、ノルマを果たしていないと、息子をベッドから引きずり出し、勉強をさせて
います」と。

 これを「虐待」と言わずして、何と言う?

 が、親たちには、その意識はない。
「子どものため」と、思い込んでいる。
子どものためと思いながら、子どもを虐待している。

 当然、子どもの心はゆがむ。
傷つく。
最近の研究によれば、脳(扁桃核)に、本当に傷がつくという。
目に見える物理的な傷である。
子どもの心も、親から離れる。

 ……という話は、すでにどこかで書いた。
懇談会では、その話をした。
「受験競争は避けては通れない道かもしれませんが、やり方をまちがえないように!」と。

●眠い

 今、この文章を、歯科医院の待合室で書いている。
私が5人目だったが、今、2人が、診療室に入っている。
たった今、85歳前後の女性が、診療室から出てきた。
骨と皮だけ。
ガリガリにやせている。
動作も鈍い。

 よい医師を見つけるのは、たいへんむずかしい。
よい友だちを見つけるのと同じくらい、むずかしい。
方法がないわけではない。
その地域の、信頼のおける友人か、知人に聞くとよい。
年配の人であればあるほど、よい。

 で、この医院の名前は、金原歯科医院。
浜松市の鴨江町にある。
(元裁判所前。一本、道を入ったところにあるので、通りからは見えません。そのあたりでお聞
きになると、よいでしょう。予約制ではなく、たいてい1回の治療で、すべて終わります。)

今日で、3度目。
「いい医院」と確信がもてたので、実名をここに書く。
(今まで、30年以上通ったK医院は、去年の終わりごろ、廃業した。)

 みなさんも、もし歯科医院選びで迷ったら、金原歯科医院にしてみてはどうでしょうか。
私はこの目と、歯で、しっかりとそれを確かめました。
私が保証します。

●イノシシ

 このところカメラをいつも、ぶらさげている。
どこへ行くにも、ぶらさげている。
パナソニックのGF5。
すごいカメラ。
が、すご過ぎる。

 その瞬間、ふつうの写真を撮るのがむずかしい。
あれこれと操作している間に、シャッターチャンスを逃してしまう。

 そこで今夜、車の中で、(ふつうの写真)が撮れるように設定しなおした。
「できれば、UFOを撮りたい」と。

 が、山荘の入り口を入ったところで、ワイフがふつうでない声を張りあげた。
「すわっ、UFOか!」と思った。
が、見ると、車のライトに照らされて、イノシシの子ども。
4頭!

 手に構えていたカメラをそちらに向け、シャッターを切る。
このタイミングのよさ。
ややピンボケだが、そこそこの写真が撮れた。

「UFOのほうが、よかった」と私。

●タヌキ

 イノシシの話をしていたら、ワイフがこう言った。
「昨日、うち(浜松市内の自宅)の庭をタヌキが歩いていたってエ」と。

私「タヌキ?」
ワ「そう、S(息子)が、見たってエ」
私「ネコの見まちがいじゃあないのか?」
ワ「タヌキだってエ……」と。

 ハクビシンは毎年、やってくる。
子連れでやってくる。
ほかにイタチも出る。
ヘビもいる。
サルも出る。
アライグマも出たことがある。

 リスは、いつもいる。
野鳥については、フクロウをはじめ、キツツキも出る。
スズメはもちろん、ホウジロ、ウグイス、メジロ……。
ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、山鳩、サギ、モズ……など。
ほかに名前のわからない鳥、数種類。
我が家は自然動物園のよう?

 一方、山荘のほうでは、これまた別の野鳥がやってくる。
私が好きなのは、ホトトギス。
ほかにもあるが、ここには書ききれない。
そう言えば、キジを見かけなくなった。
ウズラも、ここ数年、見ていない。
コジュケイは、健在。
ときどき、チョットコイ、チョットコイと大きな声を張りあげる。

 が、今夜はイノシシ。
こういうことがあるから、山の生活は楽しい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 金原歯科医院 鴨江 元裁判所
前)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て相談】(幼児の神経症的な症状について)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7月19日のBW幼児教室(年中児、小2児、小3児クラス)

 勉強は楽しもう!
楽しく学ぶ子は、よく学ぶ、ですよ!

(1)年中児(お話作り)
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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(2)小2児(棒グラフ)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/0mNYTJ6wXX8" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(3)小3児(棒グラフ)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/n4nfsrXIriA" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

[投稿日時]2012年 7月18日(水)
[題名]5歳娘の行動のこと
[投稿者]MK

先生はじめまして。
年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。
娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。
引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園していました。
私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでいたみたいです。

5、6月は「ママが帰るとさみしいよ〜」と、少しぐずって言っていましたが、だんだん泣かないで
通園できていました。

7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。
帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝
てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手で
お友達触ってもどうにもならない? 
大丈夫?、と先の心配ばかりしています。

いつもと少し違うなと感じ始めました。
いつ手を洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。

「夏は暑いから汗でるから、たくさんお水飲んで大丈夫よ。
おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。
ちなみに一度もおもらしした事はないです。

保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。
とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。

娘の保育園は、年長10人位年中児6人の、縦割りクラスです。
先生も娘のことを気にかけて下さりました。
年長さんや年中さんなので、自主性を求めるために、少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行っ
てきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。
だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは、不安になったのではないかな、とのことでし
た。
実際、先生が○○ちゃんは行った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答え
たそうです。

それから少し落ち着くかな、と思っていましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出し
たり、床触ったから洗ってくると言いだしたりします。
「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。
「大丈夫大丈夫、それ位で皆どうもならないよ〜」と、私が言いますが、心配不安の様子。
おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、
大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。

足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、
「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。
さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。
主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」
とか。

手におえない位にグズることがあり、どうしようもなくなってしまいます。
抱きしめたくても汚れている、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか?
娘の気が済むように、あれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか?
どうしたらよいかわからない時があります。
時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。
通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。
お迎えの時は自分で履いてました。

保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。
自宅ではママが困ると分かるから、チョット気に食わないと行動するのかなともおっしゃってまし
た。
3か月通園して廻りの子は慣れているから何でも出来るし、指示されないと不安になるし、張り
つめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。
かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。

先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とか、どのように対処したらよいでしょう
か?
汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか?
これまで寝るとき保育園に行くときなど、「ママ大好き〜。チユとしたりギュっとだきしめたりして
いました。
昨夜も添い寝していると、娘からチユとしてきました。
ホント難しいです。
どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。

先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。
宜しくお願い致します。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

[題名]3歳児(男児)が荒れはじめました
[投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん)

4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。
先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。
明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。
緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。

幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に
叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。

幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。

母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な
家庭環境を与えてしまいました。

自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘
えの欲求にも応えようとしてきました。
父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。

息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強
く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、か
んしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。

神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い
通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。

大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】

 回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、私の考えを書いてみたいと思
います。
今しばらくお待ちください。
明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。
ともに「神経症的な症状」ですね。
基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。
母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。
つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。
そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。

 で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック〜夜尿症〜潔癖症など)は、珍しくありま
せん。
私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで
紹介します。

 では、今日は、これで失礼します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神経症的な症状

 子どもの神経症的な症状(以下、神経症)を考えるとき、第一に重要なことは、つぎのことで
す。

(1)子どもは家族の代表
 
 子どもに何かの症状(神経症にかぎらない)が現れると、親は、子どもだけを見て、子どもを
なおそうとする。
しかし反省すべきは、親自身ということになる。
親の育児観、育児姿勢、育児態度。
『子どもは家族の代表』というのが、今では常識的な考え方になっています。
つまり子どもの問題は、家族の問題というわけです。

 ……と書くと、たいへんの親は、「私は問題ない」「私はふつう」と答えます。
が、この「私は……」というのが、曲者。
本当に「私」がわかっている親は、(親にかぎらないが)、ほとんどいない。
反対に言うと、「私のことは自分がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分のことがわかっ
ていない。

 で、親は、常に自分を「善」とし、原因を外の世界に向かって求める。
「幼稚園が悪い」「先生が悪い」と。
「〜〜があったから、こうなった」「〜〜があったから、こうなった」と。

 しかし先にも書いたように、子どもが神経症になる背景には、親の育児観が大きく影響してい
る。
心配先行型、不安先行型、さらには子どもの側からみて、愛情飢餓など。
母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは常に不安と心配の渦の中で、もがく
ようになる。
母子分離不安も、そのひとつ。
親の姿が見えなくなっただけで、ギャーと錯乱状態になって、親のあとを追いかけたりする。
(あるいは極度な不安状態になり、オドオドする。)

 親は「私は子どもを愛している」などと言うが、たとえば、母親がたった3日間、病院に入院し
ただけで、母子分離不安になった子どもがいる。
遊園地で迷子になっただけで、母子分離不安になった子どもがいる。

 原因はさまざまであり、「いつの間にか、そうなってしまった」というケースも多い。

(2)二番底論
 
 神経症は、それにつづく別の症状をともなうことが多い。
ジョンソンの学校恐怖症論によれば、不登校に先立つ前兆症状として現れることもある。
つまり「なおそう」と思わないこと。
「今の状況を、より悪くしないこと」だけを考えて、対処する。
なおそうと考え、(治そうでも直そうもよいが)、無理をすればするほど、「まだ前の方がよかっ
た……」ということを繰り返しながら、症状は悪化する。

 とくに神経症は、不登校の前兆として現れることが多い。
原因のわからない腹痛、下痢、頭痛、ぐずりなどが慢性的につづいたら、要注意。
「家庭は憩いの場」と考え、こまごまとしたしつけなどは、控える。

 またひとつの症状が、別の症状を引き起こすということも多い。
ふつう神経症では、複数の症状が、同時進行の形で現れる。
(チック、夜尿症、潔癖症、不潔嫌悪症……など。)

 これを私は、「二番底」と呼んでいる。
が、そこで止まるわけではない。
対処の仕方によっては、三番底、四番底へと向かう。
子どもの問題には、すべて、この二番底、三番底……がある。
「今が、最悪」とは思わないこと。

(3)症状は半年単位でみる
 
 神経症は、環境を改善したからといって、すぐ消えるわけではない。
半年単位で様子を見る。
チックにしても、症状が消えるまでに、半年はかかる。
おとなになってからも残ることがある。
クセとして定着するからである。
(どこかの知事が目をまばたきしたり、有名なタレントが不自然に首を振るのは、原因はチック
と考えてよい。)

 ほかの神経症にしても、……たとえば頻尿症、夜尿症にしても、ばあいによっては、1〜2年
かかることもある。

 こうした神経症は、脳内ホルモンのバランスが崩れて起こることが多い。
さらに潔癖症、不潔嫌悪症(手洗いグセ)などは、「こだわり」とみる。
小児うつ病と診断されることもある。
叱って治るような問題ではない。
自然治癒力により改善されるまでには、数か月〜かかる。
 
 子どもの心の問題は、総じて、そういう視点で考える。
なお九州大学の吉田敬子氏は、「うつ病の種は、乳幼児期に作られる」と説く。
「この時期に、母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、おとなになってから、うつ病を
発症しやすい」と。

 「何をしても許される」「何をしても許す」というたがいの信頼関係が、子どもの心の発育に
は、絶対条件ということになる。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味。

 つぎの相談は、愛情飢餓により、神経症を発症した例である。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【子どもの心の奥にあるもの】(2008年10月21日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒が不安定になることではない。
(心の緊張感)がとれないことを、情緒不安という。

心が緊張しているとき、不安や心配ごとがあると、心は一気に不安定になる。
結果として情緒は不安定になる。
つまり情緒不安というのは、(心の緊張感)がとれない、その結果として現れる症状をいう。

子どもの情緒不安を感じたら、まず、心の緊張感が、いつ、どのように発生し、どのように作用
しているかを、観察する。

慢性化すれば、神経症(症状は千差万別)を発症するようになる。
疑惑症、嫌悪症、潔癖症なども、そのひとつ。

対処法としては、(心の緊張感)をほぐすことを第一に考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【AKさんより、はやし浩司へ】

 6歳の娘と、4歳の息子がいます。6歳の娘についての、相談です。

長女はいい子で優しく素直な子です。神経質で、きっちりしている(言いつけを守る)ところもあ
ります。
5歳くらいまで母子分離不安が強く近所で多数の子供たちと遊ぶと、うちの子はなかなか私か
ら離れず、みんなの中に入って行くのを尻込みするタイプでした。
何か心にストレスを感じるとすぐ身体症状が出る子で、幼稚園入園後半年で円形脱毛になり、
年長に上がった時に神経因性頻尿になりました。
いずれもたくさん構ってあげたりスキンシップや気分転換させると自然に治りました。

 今困っている症状は、手を洗っても汚れがついている気がする。
その手で蛇口を触れない(蛇口をずっと長いこと洗います)。
手に触れるものや口に入れるもの全てにおいて清潔か、触っても大丈夫かの確認を何度もす
る。
チック(目をぱちぱちする)です。
手洗いに関しては、私が指摘したせいか本人も自覚してしまってつらがっています。
手洗いの際私が手を包み込んで一緒に洗うと、ましなようです。

 弟の方はマイペースで長女のようにきっちりせず、のびのびしています。
母親に対する独占欲が強く長女といつも私を取り合う感じです。
3歳頃まで泣きひきつけがひどく、あまり泣かせないようにしてきたからか、長女は我慢をする
ことも多かったと思います。
次男出産後1年半は保育所に預けていました。

 私自身にも問題があります。
一度火がつくと自分でもコントロールできない程激しく叱ってしまうのです。
私の母親が普段は優しく愛情深いのですが、怒るとすごくこわく、いわゆるヒステリータイプで、
毎日夫婦喧嘩の声(母の怒った声)に子供の頃から心が休まらない家庭でした。
母の顔色を伺いながら生きてきた自分を考え、自分は絶対そんな思いは子供にさせまいと思
い続けて母親になりましたが、時々自分の中に母親の影をみることがあります。

 特に生理前などはイライラが強く、子供にきつく怒ってしまいます。
その度に自己嫌悪に陥り反省し、よし明日からはとがんばるのですが、1ヶ月くらいたったある
日それまでの努力を自分で台無しにするような怒り方をして、また反省し繰り返しです。
こんな自分も嫌です。
どうにかして治したいのですが。
夫に私がきつく怒りすぎて子供が萎縮していると指摘を受けました。

 今回長女の強迫的な行動におろおろし、いろいろ調べたところ、はやし先生の相談者に対す
るアドバイスを読み、今まで長女は繊細であれこれ困ったことが起きるなと思っていたのは、す
べて私が原因だったのでは?、と思いました。
長女に対して今最大限のスキンシップをはかるようにしていますが、このまま続けて行けば良く
なるでしょうか? 

ひどい時は10分おきくらいに、「足を触ったかもしれないけどその手を舐めたかもしれないけ
ど大丈夫?」といった質問を繰り返したり、手洗い場で「洗っても洗っても汚れてるみたいな気
がする」と泣いている娘をみると、早く治してあげたくて受診させたほうがいいのかと悩んでいま
す。

 主人は自分の実家で気分転換させたら?、といいます。(主人の実家は長女びいきで行くと
いつも娘の表情が穏やかでわがまま言い放題、のびのびしています。)
先生、どうか返答は遅くても構いません。
是非アドバイスをお願いします。
私自身はメールアドレスを持っていないので主人の名前で出しています。
(相談者・AK) 

【はやし浩司よりAKさんへ】

 まずAKさん、あなた自身の心が、なぜいつも緊張状態にあるかを、静かに観察してみてくだ
さい。
いつもピリピリしているというようであれば、そのもとになっている、原因をさぐります。
(こういうケースでは、親の方が、神経症的な症状を示していることが多いです。
ピリピリとした育児姿勢、過干渉、過関心など。
親がそういう状態で、どうして子どもの神経症がなおるかということになります。)

 私の印象では、AKさん自身が、心を開けない人のように思います。
他人の前に出ると、緊張してしまうとか、(結果的に疲れやすい)、仮面をかぶってしまうとか、
そういう状態ではないかと思います。

 さらにその原因はといえば、AKさん自身の母子関係にあります。
AKさんと、AKさんの母親との関係です。
AKさん自身も、子どものころ、(いい子)ぶることで、いつも自分をごまかしていた。
現在のあなたの長女のように、です。

 で、相談の件ですが、年齢的に、つまり2歳下の弟がいるということですから、長女は、まだ
人見知り、後追いのはげしかったころ、下の弟が生まれたことになります。
下の弟が生まれたことによって、大きな愛情の変化を感じたと思われます。
対処の仕方を誤ると、赤ちゃん返りという症状が生まれます。

 長女は、現在も、その(赤ちゃん返り)の流れの中にあると思ってください。

 子どもというのは、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、敏感に反応しま
す。
親は「平等にかわいがっている」と言いますが、子どもには、そういった論理は通用しません。
あなたの夫が、ある日突然、愛人を家に連れ込んできたようなばあいを、想像してみてくださ
い。

 もうおわかりかと思いますが、長女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えて対処します。
濃密なスキンシップ、添い寝、手つなぎなど、こまめに実行してみてください。
ポイントは、『求めてきたときが、与えどき』です。

 長女のほうから、スキンシップを求めてきたようなときは、すかさず、(すかさず、です)、それ
に応じてあげます。
「あとでね……」「忙しいから……」は、禁句です。
ほんの数分、応じてあげるだけで、子どもは、落ちつくはずです。

 ほかに食生活にこころがけてみてください。
CA、MG、Kの多い食生活(=海産物中心の献立)にするだけでも、かなり効果があります。
(薬物に頼るのは、この時期、勧めません。)
とくにCAの多い食生活を大切にしてみてください。
市販の子ども用錠剤なども、効果的です。
(薬局へ行くと、高価な錠剤を勧めますが、安いものもあります。
安いのでも効果は同じです。服用量を注意して、与えます。)

私自身も、心の緊張感がほぐれないときは、CAの錠剤をバリバリと口の中で割ってのんだりし
ています。
ほかにハーブ系の錠剤をのむこともあります。
(子どもに与える量については、専門家とよく相談してください。)

 偏食、とくに白砂糖の多い食品は、避けます。
(家庭では、精製してない黒砂糖を料理に使うとよいでしょう。)

家庭生活の要(かなめ)は、子どもの側からみて、(心の休まる)環境です。
長女は、おそらく外の世界(幼稚園など)では、いい子ぶることで、自分の立場を保持している
はずです。
つまりそれだけ神経疲れを起こしやすいということです。
ですからその反動として、家の中で、ぞんざいな態度、横柄な態度を見せるかもしれません
が、そこは許してやってください。
「うちの子は、外でがんばっているから、家の中ではこうなのだ」と、です。

 6歳ともなると、(家)は、(しつけの場)ではなく、(憩いの場)とならなくてはいけません。
疲れた心を休める場所です。

手洗いグセについては、『暖かい無視』に心がけます。
心の緊張感(わだかまり、こだわり)がほぐれてくれば、自然になおります。
親がカリカリすればするほど、逆効果です。
なお子どもの神経症については、私のHP→(ここが子育て最前線)→(子ども診断)→(神経
症)に収録してありますから、参考にしてください。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

で、問題は、AKさん、あなた自身です。

 遠くは、あなたとあなたの母親との関係にまで、原因がさかのぼります。
あなた自身が、全幅に、あなたの母親に受け入れてもらえなかった……。
それが今、あなたの対人関係(もちろん子どもに対しても)に、影響を与えています。
さみしがり屋で孤独なくせに、しかし集団の中に入っていくと、すぐ神経づかれを起こしてしま
う、と。
他人を信ずることができない……つまり、他人に心を開くことができない。
自分をつくってしまう。ありのままをさらけ出すことができない、など。
(あるいは何かの原因で、長女を愛することができないのかもしれませんね。
「長女を愛しなければならない」「しかしどうも好きになれない」と、AKさん自身が、心の中で葛
藤しているということも考えられます。
あなた自身も、親に愛されていなかった……。
その世代連鎖が、今もつづいている可能性も否定できません。)

 ともかくも、こうした緊張感が、ちょっとしたきっかけで、爆発してしまう。
長女に対して、です。

 症状としては、AKさん自身が、(うつ病質)であると考えられますが、専門的な判断は、ドクタ
ーにしてもらってください。
同時にAKさん自身も、CAの多い食生活に心がけてみてください。

ほとんどの親は、子どもに、ふつうでない症状が現れると、子どもに原因を求め、子どもを治そ
うとか、直そうとか考えます。
しかし子どもは、(家族の代表)でしかありません。
幸いなことに、AKさんは、今、それに気づきつつあります。
つまりすでに問題は、半分以上、解決したということです。

 あとは、長女のよいところだけを見て、長女といっしょに、もう一度人生を楽しむつもりで、子
育てをすればよいでしょう。
あるいはもうそろそろ長女から離れ、あなた自身が自分でしたいことをすべき時期に来ている
かもしれません。
夫の実家でめんどうをみてくれるというのですから、そういう場をうまく利用して、あなたはあな
たで、好き勝手なことをすればよいのです。

 また、子どもを愛せないなら愛せないで、気負うことはありません。
実際そうした母親は、7〜10%はいます。
まず、あるがままの、自然体で、子どもに接することを大切にします。
「親だから……」と気負ってはいけないということです。
(メールによれば、AKさんは、かなり親意識の強い方のようですから……。)
子どもの「友」になることだけを考えて対処します。

 どうであるにせよ、症状としては、この時期、たいへん多いですから、あまり深刻に考えない
こと。
ただし環境を改善したとしても、すぐには症状は消えません。
あせらないこと。チックにしても、家庭環境が改善されても、ばあいによっては、そのあと、数年
つづくこともあります。
(手洗いグセは、比較的早く、症状は消えます。)

詳しくは、「はやし浩司 神経症」「はやし浩司 手洗いグセ」で、検索してみてください。
またAKさん自身の問題は、「はやし浩司 基本的信頼関係」が、参考になると思います。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi 子どもの神経症 手洗いグセ はやし浩司 不潔嫌悪症 潔癖症 はやし浩
司 神経症的な症状) 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●神経症

 子どもの側に立って、考える……これが大鉄則です。
子どもが手を洗ったら、それを「おかしい」と思うのではなく、「そうね」と理解してあげる。
子どもが納得するまで、子どもに手を洗わせる。
あるいは親もいっしょに、手を洗う。
「あなた、おかしいわよ」と、無理にやめさせても意味はない。
かえって症状を悪化させる。

 先にも書いたように、こうした情緒不安症状は、心の緊張感が取れないことに起因する。
従って、家庭での指導の第一は、「心の緊張感をほぐすこと」。
やりたいようにさせ、温かい無視に徹する。
過関心、過干渉は、タブー。
子どもの側から見て、親の視線を感じないようにする。
親の姿を見て、どこかへ逃げていくようであれば、最悪の家庭環境と考えてよい。

 保育園や幼稚園での生活が、神経疲労を起こしているようなら、ときにはズル休みもしなが
ら、心の調整をする。
いやがって泣く子どもを、無理矢理バスに押し込めるような行為は、「虐待」と考えてよい。
(日本人には、そういう意識はないが……。)
カナダでは、保育時間も親が決める。
オーストラリアでは、週3回(たとえば月・水・金だけ)という幼稚園もある。
またアメリカでは、公立小学校でも、4歳児から預かるところが多い。
世界の幼児教育は、もっとフレキシブル。

 「ズル休みをしながら、適当に行けばいい」などと私が言うと、多くの親は驚くが、それこそま
さに世界の非常識。
もう少し気楽に考えてもよいのではないか。
たとえば40年前には、1〜2年保育が主流だった。
5%の子どもは幼稚園へ行かないで、小学校へ入学していった。
現在のように、3〜4年保育が主流になったのは、ごく最近のこと。
その分だけ、子どもの学力が向上したという話は聞いていない。
(少し過激な意見で、ごめん!)

●親の意識

 まず親の意識改革をする。
方法は簡単。
もっと気楽に!
肩の力を抜く!

 子どもの症状もさることながら、母親たちの対処の仕方を読んでいると、私のほうまで気が滅
入ってきます。
子どものやりたいようにさせ、いっしょにつきあってやる。
あとはハハハと笑ってすます。

 たとえばよくある夜尿症にしても、子どもはそういうものと考え、やりたいようにさせる。
「漏らしても無視。漏らさなかったら、ほめる」です。
あとはあきらめる。
で、子どもというのは不思議なもので、親があきらめたとたん、いつの間にか、夜尿症がなおっ
てしまう。

 それをカリカリと、夜中に起こしてトイレへ連れて行くようなことをするから、かえって症状が長
引いてしまう。
子どもも、ますます神経質になる。

●心の緊張感を取る

 子どもの行為にいちいちカリカリしないこと。
そのかわり、先に書いた、「絶対的な安心感」で、子どもを包む。
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など……。
まさに根気比べということになります。

 今では、心の緊張感をほぐすためのよい薬もあります。
小児科で相談すれば、処方してもらえますが、この時期は、あまりお勧めしません。
とくに脳内ホルモンをいじる薬物は、お勧めしません。
子ども自身がもつ自然治癒力を大切にします。
と、同時に、もう一度、「子どもは家族の代表」という言葉を、思い浮かべてください。
まず何よりも重要なのか、家庭環境の見直しです。

 私のHPのどこかに、「ママ診断」がありますから、どうか一度、自己診断をしてみてください。

 で、最後に一言。

 とは書きつつも、子どもの神経症は、珍しくありません。
つまり心の病気です。
が、あまり深刻に考えないこと。
ほとんどの子どもが一度は経験する、はしかのようなものです。
「いつの間にかなおってしまった」というのが、神経症(神経症的な症状)です。
(軽いものでは、指しゃぶり、髪いじりなどがあります。
ざっと数えただけでも、下の表ほども、いろいろな症状があります。)
「自己形成」という言葉が出てきましたが、この問題とは、まったく異質のものです。
切り離して考えてください。

 全体的には、園の先生に相談しながら、そのつど反省すべき点は反省しながら対処していけ
ばよいかと思います。

(参考までに)

●ママ診断
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html

●神経症(子どもの神経症的な症状)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2458142436/" title="img152 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm3.staticflickr.com/2113/2458142436_
e393fe3dcf_z.jpg" width="464" height="640" alt="img152"></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2457313027/" title="img153 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img src="http://farm3.staticflickr.com/2230/2457313027_
bc3717f2c4_z.jpg" width="464" height="640" alt="img153"></a>

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもの神経症 神経症的な症
状 潔癖症 不潔嫌悪症ほか)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 24日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】

●強力な負のエネルギー

 自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。
「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。
言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。
繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。
つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。
その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。
その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。

●大津市での事件

 で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。
「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。
つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。
事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が
介入してくる。
教育制度のちがいも、大きい。
さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。

●家出も学校の責任?

 たとえば子どもが家出をしたとする。
小学生でも中学生でもよい。
そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。
担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。

 一方、欧米では、即、警察に電話する。
学校ではない。
警察である。
欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その
教室の教師が、全責任を負う。
が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。

大病院の医療制度を思い浮かべればよい。
医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。
しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。
患者がどこで何をしようが、関係ない。
欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。

 いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。
何か事件が起きても、責任を問われることはない。
が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。
なぜか?
この意識のちがいは、大きい。

●学校は絶対

 その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。
親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。
子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。
学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。
 
 が、私はここで最初の疑問にぶつかる。
ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。
が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子ど
もをして、学校を休ませる。
もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。

 が、この日本では、事情がかなり異なる。
最近も、こんなことがあった。

●拒食症

 ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。
病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。
神経症的な症状のひとつである。

ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。
つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。
たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。

 こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。
ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。
「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。
医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。
あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。

 その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。
話がアベコベ、と。
「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。
あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。

 学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。
おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。
オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。
学校に相談するとしても、そのあと。
(PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)

 が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。
子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、も
のを考える。
(医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)

 が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。
回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。
そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。
実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。

●事なかれ主義?

 滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意
識を感ずる。
みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。
それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。
ある新聞は、こう書いている。
「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。

 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。
体力の消耗もふつうではない。
活発盛りの子どもを、30〜35人も相手にすれば、ふつうの人でも1〜2時間でヘトヘトにな
る。

●重労働

 繰り返す。
 学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。
空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2〜3時間もない。
(週に、だぞ!)
だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。

 一方、相手は育ち盛りの中学生。
まさに発情期の子どもたち。
そういう子どもたちを相手に、授業をする。
1人や2人ではない。
30〜35人!
それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。
たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。
体力的な限界が、理由と考えてよい。
ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。
つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。

●いじめ

 さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。
教師の前でいじめをする子どもはいない。
教師のいないところで、する。
「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。

その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。
ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。
今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかる
こと。
「そう言えば、いじめがあった」と。

 さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」など
とは、ぜったいに言わない。
仕返しを恐れる。
今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。
そのときの様子について、TBS−iは、こんな記事も載せている。

『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から
「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かり
ました。

 大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子
生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。
教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたという
ことです。
学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結
論づけたということです。

 「いじめであるという認識は持っていなかった。
通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断
した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)

 校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS−
iより、2012年7月15日)と。

●犯罪行為

 ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。
いじめは、避けられないと書いているのでもない。
先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。
「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。
犯罪そのもの。
責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。
その監督責任のある、親たち。
刑事罰を受けてもおかしくない。
それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。

 率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労
がある。
仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。
さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。

●アメリカでは……

 アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。
たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。
日本でいう担任制度というのは、ない。

 その移動時間。
5分しかない。
たったの5分。
だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。
で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、
大学生)は、こう教えてくれた。
「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。

 そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。
門から出たら、親の責任になる。
どんな事故が起きても、親の責任になる。
学校ではなく、親の責任。

 これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校
の責任になる。
法律上は、そうなっている。
たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。
喧嘩なら、喧嘩でもよい。
で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。
中には校長室へ駆け込む親もいる。
「ちゃんと指導してほしい」と。
つまり、ここに無理がある。

●いじめ

 繰り返す。
陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受け
るべきである。
(もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。)
もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。
収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。
それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。

(少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。
たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)

 今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。
過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。
しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。

●法的合理性

 ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。
「法的合理性」という言葉を使ってもよい。
学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)が
ある。

 たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにも
って悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。
加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれな
い。
(だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)

 要するに私が言いたいことは、つぎのこと。

 日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきとき
に来ているのではないかということ。
学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解
のないように!)。
その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。
つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。

●学校以外の選択肢

 さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道
に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。
文科省が、すべての子どもを管理している。
そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来
ているのではないのか。

 ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブ
に通っている。
サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ……などなど。
フランスでも、イタリアでも、そうである。
仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師
は、少なくともドイツにはいない。
「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。

 もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。
子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。

 言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。
病院が病気を治すように、教育をするところ。
それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。
だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。
「何をしていたんだ!」と。

●方法

 何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。
まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。

「すべてを管理することは不可能です」と。
「私たちにもできることと、できないことがあります」と。

 第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。
「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。
とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。
監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。
しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。
そもそもそれだけの「時間」がない。
が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。
専門の担当教師を増員するしかない。
警察官による巡回も、許すしかない。
ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。
さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。
そういう権限を、学校側に与える。

●校長の自殺

 ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。
理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。
その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたという
ニュースも伝わってきている。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問
題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。

 被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。
「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になってい
る。足元から見つめ直していきたい」

 中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批
判も相次いだということです。
 出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」
「まだ納得していない保護者もいた」と。

 保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不
信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。

 なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。
そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。
「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさい
ね」と。
日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは?
つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。

●(補記)

 たまたま先週のこと。
ある中学生(中1女子)が、こう言った。

「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラ
ブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。

 高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。
放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。
しかしそれが今では、さらに低年齢化した。
中学1年生!

 私はその翌日、その学校に通報した。
生活指導の教師と、10分ほど、話した。
もちろん学校側の指導を責めたのではない。
責めても、意味はない。
ただこうした生徒が1人でもいると、1〜2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けること
になる。

 たとえば市内のX中学校では、毎年、2〜3人の女子中学生が、中絶手術を受けているとい
う(X中学生活指導担当教師弁)。
が、この数とて、まさに氷山の一角。
今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適
切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。

 ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。
学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。
いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。

 なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学で
の講演会で、つぎのように述べたという。

「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。
そういう意見もあるだろう。
が、私には、的をはずれているようにしか思えない。
もっとはっきり言えば、トンチンカン。

 以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。
あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。
自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。
その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。
が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。
それを伝えたくて、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 は
やし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労)
2012/07/22


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【平坦化する人の心】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

久しぶりに、市内(浜松市肴町→田町)の繁華街を歩いてみた。
JR浜松駅から、5〜10分の距離である。
大通りから、中通へ。
その間に、車がやっと入れるほどの小通りもある。
が、驚いた。

「テナント募集」の看板が、あちこちにかかげられていた。
シャッターを下ろした店も多い。
荒れた姿をさらしている空き店舗もあった。
夜逃げでもしたか。
そんな感じだった。
さらに……。
すでに更地になり、駐車場になっているところもあった。

「こんなひどい状況とは知らなかった」と私。
「ひどいわね」とワイフ。

店だけではない。
目を少し上に向けると、空き室の張り紙をしたビルも目立つ。
「市内で、30%が空き室になっている」という話は聞いていた。
が、実感としては、50%。

いったい、この日本はどうなってしまったのか?
この浜松は、どうなってしまったのか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●文化の「根」

 町の活気を維持するのは、商店主たちである。
地元で、店を構える商店主たちである。
デパートやスーパー、それに大型店ではない。
サラリーマンとして働く、店員たちには、「根」をおろす力はない。
商店主たちである。
商店主たちが、その地域に「根」をおろし、ついで「文化」の花を咲かせる。
この「根」こそが大切。

 が、その商店主たちが、どんどんと姿を消している。
シャッター街を例にあげるまでもない。
客にとっては、買い物のしやすい街になるかもしれない。
明るく広い店内。
冷暖房もきいている。
目が合えば、「いらっしゃいませ」とていねいに、おじぎもしてくれる。

が、何か、おかしい。
何か、足りない。
何かが、欠けている。
その欠けた部分が、「地域文化」ということになる。

●祭り

 祭りを例にあげて考えてみよう。
たとえばこの浜松市には、凧(たこ)祭りという、東海地方では最大級の祭りがある。
毎年40〜50万人の見物客が集まる。
この凧祭りは別として、ほかにも、いろいろな祭りがある。
が、どれもパッとしない。
言うなれば、お役人が企画したような官製の祭り。
中には、「サンバ祭り」というのもある。
ブラジルのカーニバルを、ミニチュア化したような祭りである。
 
 が、私ですら、見に行ったことがない。
それにもし私のワイフが、その祭りに参加すると言ったら、……というか、参加しない。
ハンカチより小さな水着を身に着け、街中を歩く。
スケベな連中には楽しい祭りかもしれない。
しかしそんな祭りに、「根」など、生えるわけがない。

 ほかにも、「がんこ祭り」というのもある。
全国から、踊り好きの人たちが集まり、それぞれの踊りを披露する。
が、これも官製。
この祭りにも、「根」がない。
「がんこ」というのは、浜松弁で、「大きい」とか、「強い」とかを意味する。

 「根」が生えるためには、その地域の、「下」からの盛りあがりが重要。
近所の人たちが集まり、踊りの練習をする。
その練習の輪が大きくなって、町内の人たち全体が動く。
それが「祭り」となっていく。
その原動力となるのが、「根」。

●平坦化

 かくして祭りでさえも、平坦化した。
凧祭りにしても、役人による規制、規制、また規制で、今ではまったくおもしろくない。
昔の凧祭りを知っている人なら、なおさらそう思うだろう。
今では、それぞれの町内が発行するワッペンを購入し、ちょうちんをもたないと、道路を歩くこ
とさえできない。
練り(行進)にしても、世話役が先導し、コースそのものが決められている。
だれかが笛を吹いたら行進し、まただれかが笛を吹いたら、停止する。

 が、40年前はちがった。
それぞれの町内の練り隊が、随所で衝突した。
怒号と罵声が飛び交い、人の湯気があたりを包んだ。
そのあと、救急車が、何台も狂ったように走り回った。
そのころの祭りを、「犬」にたとえるなら、現在の祭りは、「ウサギ」。
さらにそれ以前の祭りは、「野獣」だった……という。

●季節感

 こうして文化そのものが、平坦化した。
ついでに季節感も平坦化した。
先ほども、ワイフとこんな話をした。
「ぼくたちは、寿司といっても、正月しか食べられなかった」と。

 が、今はちがう。
毎日でも食べられる。
それに冬場でも、スイカが食べられる。
夏場でも、ミカンが食べられる。

●人間関係

 ついでに言えば、人間関係も、平坦化した。
親戚づきあい、近所づきあい、それに親子関係など。
そうした現象を、多くの人は、「都会的」という言葉を使って、説明する。
「進歩」とか、「近代化」とかいう言葉を使う人もいる。
が、都会的って、何?

 日本人は、戦後のあの高度成長期の流れの中で、自ら「根」を切ってしまった。
「都会的」という言葉の中で、自分を見失ってしまった。
それを「善」とするあまり、大切なもの、大切にしなければならないもの、それまで大切にしてき
たものを、切り捨ててしまった。
たとえば親子関係にしても、今では、子どもの方が親に向かって、「縁を切る時代」になった。
『親の恩も遺産次第』という言葉も聞かれる。
想像で書いているのではない。
R25がした調査結果を、もう一度ここで読んでみてほしい。
この調査結果には、考えさせられた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

**********以下、R25の調査結果より***********

R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、「今も
継続的にもらっている」が3%、「今もたまにもらっている」が11.3%、「以前にもらったことはある
が、今はもらっていない」が30%、「もらったことはない」が55.7%となっている。

 「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。以
下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、「7〜12カ月に1回程度」(18.
6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。

「1回にもらう金額」については「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、3万円未満との回答が合計
90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、10万円以上(2.3%)とかなり
親に依存している人も。
ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと「食費」(48.8%)や
「交際費」(44.2%)「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。

 このように、社会人になっても親の財布をアテにして生計を維持している若者は少なからず
存在する模様。
なんだか情けないような気もするが、彼らにも彼らなりの言い分があるようだ。

★「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)

★「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)

★「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)

★「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)

★「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)

★「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)

 とくに多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意
見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。

 また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。

**********以上、R25の調査結果より***********

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●若者たちの言い分

 若者たちには若者たちの言い分というものがある。
「お金をもらってやるのが、親孝行」とか、「どうせ遺産でもらうのだから」とか、など。

上述(★)印のところを、もう一度、読んでみてほしい。
現在、親子の関係も、ここまで平坦化している。
……と書いても、これは脳のCPUの問題。
平坦化した時代に、平坦化した人間関係しか知らない人に、平坦化を説明しても、意味はな
い。
理解すらできない。
それが(当たり前)という世界に生きている。
が、その一方で、みながみな、そうええはない。
ここ1週間、私は2組の親子に出会った。
実に温もりのある、2組の親子である。

(1)歯科医院
 
 その歯科医院には、大先生と呼ばれる70歳前後の医師と、30歳前後の医師がいる。
大先生は、父親、30歳前後の意思は、その娘。
受け付けは、その大先生の三女が受け持っている。
その間を行き来し、看護師をしているのが、母親。
家族経営。

 みなが、実に楽しそう。
和気あいあいといった雰囲気。

(2)日本料理店
 
 その店は、明治以来の店という。
何代目かは知らないが、現在は、60歳前後の父親が経営している。
家族は、上から長女、長男、二女。
長男は、京都での長い修行を終え、最近、その店で父親を手伝うようになったという。

 私とワイフが行くと、長女と次女、それに母親が、その店を手伝っていた。
小さな日本料理店だったが、そうした団結心は、そのまま料理に表現されていた。
端に並べるような目立たない器(うつわ)ですら、ピアピカに磨かれていた。

 少なくはなったが、そういう形で、親子関係を大切にしている家族もある。

●孤独死

 話はぐんと暗くなる。

 この先、孤独死、無縁死は、当たり前。
私たちの世代は、まだよいほう。
2050年……つまり今から、38年後。
逆算すると、後期高齢者と言われるのが、75歳。
75−38=37歳。
現在、37歳の人たちが、75歳前後になるころの話である。

そのころになると、老人1人に対して、実労働者は、たったの1・2人になるという。
いろいろ対策は考えられてはいるが、そうなったら、介護制度そのものが崩壊する。
(すでに崩壊し始めているが……。)

 が、そんな状況でも、社会に(温もり)があれば、まだよい。
温もりが、人と人をつなぐ。
たとえ孤独死であっても、無縁死であっても、心安らかに死を迎えることができる。
が、そうでなければ、そうでない。
つまり平坦社会においては、結局はそれに苦しむのは、その人、当人ということになる。

●教室で

 今夜、高校生たちと、こんな会話をした。

 「ぼくが子どものころは、親父は店先で、客と将棋を指していた」と。

高「仕事は?」
私「客を待たせていたよ」
高「待っていてくれたの?」
私「そうだ。そこへ別の客が来ると、その客まで、将棋に加わった」
高「怒らなかったの?」
私「怒る人はいなかったね」と。

 私の実家は、自転車屋だった。
道路へ自転車を並べても、怒る人はいなかった。
道路そのものが、仕事の場であり、ついでに言えば、子どもの遊び場だった。
が、今は、ちがう。
どうちがうかは、みなさん、ご存知の通り。

 こんな話をすると、1人の生徒が、こう言った。
「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。

●殺風景な光景

 その前に、こんな話もした。
繁華街の一角には、大手進学塾のビルがいくつか並んでいた。
外からのぞくと、スーツに身を包んだ社員たちが、パソコンを相手に、何やら仕事をしていた。
隣の部屋が、学生たちの談話室になっていた。
そこでは4〜5人ずつくらいのグループに分かれ、学生たちが何やら話しこんでいた。
全部で、40〜50人くらいは、いただろうか。

 見るからに殺風景な光景だった。
味も素っ気もない……。
すべてが事務的。
そんな光景だった。

 その話をしたときのことだった。
1人の生徒が、こう言った。
「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。

 一瞬迷ったが、私は、こう答えた。
「そうだな……。塾で、将棋かア……。いいねエ」と。

●時間的パラドックス
 
 私は将棋盤を持ち出すと、1人の生徒と将棋を始めた。

私「時間的パラドックスという言葉があるよ」
高「何、それ?」
私「いいか、こうして将棋を指して、時間を無駄にするだろ」
高「うん、無駄だ……」
私「ところがね、そういう時間のほうが、あとあと記憶の中に、長く残るというわけ」
高「思い出にもなるしね」
私「そう、それを時間的パラドックスという」と。

 高校生たちは、恐らく、私のところで勉強したことは、すべて忘れる。
が、将棋を指したことは忘れない。
無駄にした時間ほど、無駄にならない(?)。

●温もり

 温もりというのは、心のすき間から生まれる。
去年、オーストラリアへ行ったときのこと。
こんなことがあった。

 メルボルン市(オーストラリア)で、オーバーランド号という列車に乗った。
アデレード行きの長距離列車である。
で、その列車が、メルボルンから1時間半ほどのところにある、ジーロンという町
に着いた。
予定より、20分も早く着いた。
そのとき車内アナウンスが流れた。

「20分早く着いた。ここで客が17人乗ることになっている。
その客を待つ」と。

 しばらくすると、何人かの客が、プラットフォームを歩いていくのが見えた。
それがその17人の客だった。
その直後、また車内アナウンス。
「客が乗ったので、出発します」と。

 ご存知のように、日本では、ぜったいにありえない光景である。
私はその「不完全さ」に、たまらないほどの「温もり」を覚えた。

●温もり

 この先、ここでいう平坦化は、ますます進むだろう。
すべてがさらに合理的、事務的になる。
よい例が、ファーストフードの店。
客は、空腹感を満たすことだけを考え、店に入る。
店員との人間関係など、結びようがない。
店員にしても、定期的に、店から店へと移動していく。

 さらにそれが進んだのが、新幹線の駅であり、空港ということになる。
それらしいサービスもしてくれるが、そのサービスそのものが、平坦化している。
冷たい。
どこまでも冷たい。

 だから……先に書いた歯科医院へ入ったとき。
先に書いた日本料理店へ入ったとき。
私は言いようのない、温もりを覚えた。

●進む平坦化

 個人商店が、つぎつぎと姿を消す。
もともと大型店には、勝ち目はない。
年中無休。
夜、9時まで営業。
宣伝の仕方まで、戦略的。
組織的。

 が、その一方で、社会はさらに平坦化する。
人々の心も平坦化する。
教育の世界とて、例外ではない。
この静岡県でも、たとえば子どもが学校でケガをしたとする。

 そのとき首から上のケガは、教師が一度、かならず医院へ連れていくことになっている。
そのあと、その子どもといっしょに家庭まで行き、ケガの説明をすることになっている。
それがマニュアル化されている。
私が子どものころには、そんなケガは日常茶飯事。
教師はもちろん、親たちも、何も問題にしなかった。

 心のすき間が、ますます小さく、ぎこちないものになっている。

●すき間を大切に

 平坦化を防ぐためには、心のすき間を広くする。
もっとわかりやすく言えば、(いいかげんさ)を大切にする。
またそれを許容する、心の度量を広くする。

 ……とは言いつつも、生徒の1人と将棋を指しながら、こうも考えた。

 「10年来のつきあいのある生徒だからいいようなものの、もしこれが進学塾だったら、即、ク
ビだろうな」と。
「学校の教師でも、クビになるかもしれない」とも。
「教師が授業中に、生徒と将棋を指して、サボっていた」とか、何とか。

 ……しかしそれにしても、どうして日本の社会は、こうまでギスギスになってしまったのか。
余裕がないというか、余裕を認めない。
認めないばかりか、余裕のある人を、異端視する。
排斥する。

 その結果が今。

 駅前には、また別の大きなデパートができた。
もうひとつ、別の大きなデパートも建設中。
この先すぐ、シャッターを下ろす商店は、ますますふえるはず。
地域の根は切られ、社会はますます殺伐としたものになる。
人の心も、ますます殺伐としたものになる。

(浜松市の行政担当のみなさんへ)

 「町の活性化」という言葉をよく耳にする。
しかし町の活性化は、個人の商店主によって生み出される。
また個人の商店主を忘れて、町の活性化はない。

 その個人商店主たちを生かさないで、何が町の活性化?
私も、その個人商店の出身だが、私が知るかぎり、行政による保護、補助など、聞いたことが
ない。
受けたことがない。
考えてみれば、行政そのものが、平坦化している。
すべてが事務的になってきている。
それについては、また別の機会に考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 平坦化 地域文化 平坦化 個
人商店主 個人事業 地域文化の根 はやし浩司 大型店 シャッター街)
2012/07/22


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年長児にお話作りを教える】

 7月23日は、年長児を対象に、「お話しづくり」を学習しました。

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Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏休み&いじめ対策】

●あなたの子どもは、だいじょうぶ?

(安心度・チェックテスト)

(1)部活、クラブ活動などに、出かけるときの様子
      明るい声で元気よく行く・・・3点
      いつも同じように出かけて行く・・・2点
      どこか暗い雰囲気・・・1点
      時間ギリギリまで行こうとしない・・・0点

(2)友だちについての話題をもちかけたとき
      あれこれと友だちの様子を楽しそうに話してくれる・・・3点
      聞いたことについては、あれこれと話してくれる・・・2点
      「うん」「まあまあ」というような、あいまいな返事が多い・・・1点
      話したがらないし、聞いても何も答えない・・・0点

(3)夢と希望、それに目的について話題にしたとき
      「あれをしたい」「これをしたい」と明確に言う・・・3点
      夢や希望はあるようだが、形がはっきりしない・・・2点
      毎日が惰性で動いているよう・・・1点
      否定的な返事が多く、何をしても自信がなさそう・・・0点

(4)心や体の変調はみられませんか
      健康で、ハツラツとし、とくに何もないよう・・・3点
      ときどき体の不調を訴えることはある・・・2点
      慢性的に、不眠、けん怠感、食欲不振、腹痛を訴える・・・1点
      このところ急速に落ち込んできたような印象をもつ・・・0点

(5)「死」「死ぬ」という言葉にどのように反応しますか
      そういった言葉を口にしても、笑い飛ばす・・・3点
      「死」というものを、自分と切り離して考えている・・・2点
      「死」を身近で考えているような雰囲気がある・・・1点
      表情が暗くなったり、何を考えているかわからない・・・0点

 このテストでは、平均点を10点前後(中学生)に想定しました。
10点以上であれば、あなたの子どもは、それなりに学生生活を前向きにとらえていると考えて
ください。
 なお点数が低いからといって、いじめられているということにはなりません。
思春期というのは、まさに怒涛のごとく(思い)が子どもを襲います。
その中で、子どもは思い、悩み、自分の進むべき道をさがします。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(家庭の安心度)

(1)あなたの子どもには、家庭の中に逃げ場がありますか
      決まった逃げ場があり、いつもそこで心を休めている・・・3点
      とくに決まった逃げ場はないが、ひとりになることが多い・・・2点
      友だちの家に出かけたり、家の外で気晴らしをする・・・1点
      夜遊び、外泊をする。あるいは部屋に引きこもる・・・0点

(2)外から返ってきたとき、あなたの子どもは・・・
      あなた(親)のいる前でも大きな態度で自分勝手なことをする・・・3点
      あなたを見ると、どこかうるさそうな顔をする・・・2点
      あなたの姿を見ると、そそくさと、その場を離れる・・・1点
      家族との接触をいやがり、話しかけても何も答えない・・・0点

(3)あなたの子どもは、キレやすく、興奮しやすいですか
      いつもなごやかな雰囲気で、性格は穏やか・・・3点
      生活は平凡で、なにごともなく過ぎていくよう・・・2点
      あなた(親)の言葉に敏感に反応し、怒ったりする・・・1点
      突発的にキレたり、ときに大声を出し錯乱状態になる・・・0点

(4)子どもの目で見て、あなたの家庭は、どのようですか
      静かで落ち着いた家庭・・・3点
      不安なことも多いが、自分では平均的と思う・・・2点
      よく騒動も起きる。夫婦仲もあまりよくない・・・1点
      はげしい夫婦喧嘩やがつづく。家族の心はバラバラ・・・0点

(5)家族旅行などを提案してみたときの様子
      子どもの方から、あれこれ希望を出したりする・・・3点
      親が行けば、付いてくるといったふう・・・2点
      行きたがらない。会話に乗ってこない・・・1点
      そういった提案を持ち出す雰囲気さえない・・・0点

 小学3年生(ちょうど親離れを始めるじき)を過ぎたら、「家庭は癒しの場」と心得えてくださ
い。
子どもはその家庭の中で、羽を伸ばし、疲れた心を癒します。
なお情緒不安というのは、「心の緊張感が取れない状態」を言います。
家庭はその緊張感を緩める場所ということになります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめを知る、5つの方法】

 いじめられている子どもでも、それを親に伝えるケースは、10%もないと言われています。
ほとんどの子どもは、いじめられてもそれを自分の心の中にしまってしまいます。
いじめの問題のむずかしさは、ここにあります。

(1)子どものことは、子どもの友だちに聞く

 あなたの子どもを積極的に家に呼び、いっしょに遊ぶ機会をふやしてみてください。
あるいはほかの親と親しくなり、自分の子どもについて聞くのもよいでしょう。
大切なことは、風通しのよい人間関係をつくること。
情報は、そういったところから、あなたの耳に入ってきます。

(2)先生に対して、聞き上手になること

 先生にとっていちばん話しにくいのは、すぐカリカリする母親です。
先生「最近、顔色がよくわりませんが」
母親「うちではふつうです」
先生「成績がさがってきたようですが」
母親「塾では、いい成績を取っています」と。

 こういうときは、自分の子どもでも他人の子どもと思い、一歩引き下がる。
自分の子どもを、客観的に見るようにする。
「己の子どもを知るは賢い父親だ」(「ベニスの商人」)と言ったのはシェークスピアですが、それ
くらい自分の子どものことを知るのは、むずかしい。
「子どものことは私がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分の子どものことを知らないも
のです。

(3)いちばん近くにいる友だち(?)を疑う

 いじめる側の子どもは、急速にあなたの子どもに接近してきます。
「このところA君からの電話が多くなった」とか、「Bさんが、やたらと遊びにくるようになった」と
いうときは、要注意。
接近しながら、こちらの動きをさぐろうとします。
その友だちが家に来たとき、あなたの子どもがうれしそうに振る舞えば、それでよし。
そうでなければ、相手の子どもの動向に注意します。

(4)心が悪魔的になる

 抑圧感が慢性的につづくと、子どもの心は悪魔的になります。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあります。
たとえばガイコツや戦争の絵を好んで描くようになったり、「血」「死」「殺」といった言葉に鋭く反
応するようになったりします。
 この時期、子どもの心は全体的に悪魔的になります。
受験競争が影響していることは言うまでもありません。
が、それ以上に悪魔的になってきたら、何が子どもの心を抑圧しているか、さぐってみてくださ
い。

(5)こまかい配慮(相談)が消える

 いじめを受けるようになると、その子どもにとっては、それが(すべて)になります。
学校での勉強や成績、宿題、家庭内での問題などは、その子どもにとっては、どうでもよくなっ
てしまうというわけです。
万事に投げやり的になり、抑圧的な症状(急にふさぎ込んだり、ものごとにこだわったり、ふとし
たきっかけで暗く沈むなど)があれば、要注意。
この段階になると、神経症的な症状も出てきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめっ子の4タイプ】

 いじめっ子には、4タイプがあります。
それぞれの子どもに応じて対処しましょう。

(1)親分タイプ

 いじめの中心的な存在で、たいてい親分・子分関係を作ります。
その親分となるタイプです。
暴力的で威圧的な子どもばかりとはかぎりません。
表ではよい子ぶり、勉強や運動面で、よい成績を示す子どもも少なくありません。
知的ないじめ、集団による組織的ないじめが特徴です。
仮面をかぶり、先生の前ではいい子ぶったりします。
「無視」「仲間はずれ」「いじわる」などを主にします。

(2)子分タイプ

 このタイプの子どもは、いじめられるのがこわく、いじめのグループに入ることによって、身の
安全をはかります。
いじめられていやな思いをした子どもほど、そうなりますが、親分になって友だちをいじめる度
胸はありません。
命令に従い、こそこそと隠れていじめを繰り返すという特徴があります。

(3)攻撃型タイプ

 このタイプの子どもは、ほかの子どもに恐れられるのが、「自分の顔」と考えます。
いじめ方が暴力的、攻撃的になるのが特徴です。
肩をいからせて歩く、言動が粗放になるなど、ツッパリ症状が出てきます。
存在感が大きく、おおっぴらに、相手に罵声を浴びせかけたり、暴力を振るったりします。

(4)陰湿タイプ

 たいていは単独。
女子に多いタイプ。
嫉妬が原因で、相手をいじめます。
もの隠し、悪口など。
「モマシ」という手法もよく使います。
たいていその子どもの近くにいて、陰湿ないじめを執拗に繰り返します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●もしあなたの子どもに、いじめの心配ができたら……

 あなたの子どもが、どうもいじめをするような悪いグループに入っていると感じたら、鉄則はひ
とつ。
『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)、です。

 子どもに、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と言うのは、子どもに、「友を取るか、親
を取るか」の二者択一を迫るようなもの。
子ども自身も相手の子どもから、ますます逃れられなくなってしまいます。
またそのとき、あなたの子どもがあなたを取ればよし。
しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになります。

 友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのものだからです。
友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。
たとえいじめっ子でも、です。
あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされることになりま
す。。
そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい、ですね。
ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。
またその範囲でおさめる。
「友だちからお金を取ることは悪い」「弱い子どもに暴力を振るうのはよくない」「陰に隠れてず
るいことをするのは、悪い」とか、など。

 コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。
子ども自身に判断させるようにしむける。
そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまいます。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作りました。
『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。
そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。
「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。
「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。
そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。
そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分
を演ずるようになる。

 つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけですが、これは
子育ての中でも高等技術に属します。
ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいま
す。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。
祭で酒を飲んで補導された中学生がいました。
親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。
……というようなケースは、よくあります。

 自分の子どもを疑うのはつらいことですが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」
と思うこと。
だからよけいに、友を責めても意味がないということになります。
何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言ですね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あなたの子どもがいじめを受けていると感じたら

(参考)

【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】

●強力な負のエネルギー

 自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。
「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。
言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。
繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。
つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。
その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。
その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。

●大津市での事件

 で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。
「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。
つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。
事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が
介入してくる。
教育制度のちがいも、大きい。
さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。

●家出も学校の責任?

 たとえば子どもが家出をしたとする。
小学生でも中学生でもよい。
そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。
担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。

 一方、欧米では、即、警察に電話する。
学校ではない。
警察である。
欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その
教室の教師が、全責任を負う。
が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。

大病院の医療制度を思い浮かべればよい。
医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。
しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。
患者がどこで何をしようが、関係ない。
欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。

 いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。
何か事件が起きても、責任を問われることはない。
が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。
なぜか?
この意識のちがいは、大きい。

●学校は絶対

 その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。
親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。
子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。
学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。
 
 が、私はここで最初の疑問にぶつかる。
ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。
が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子ど
もをして、学校を休ませる。
もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。

 が、この日本では、事情がかなり異なる。
最近も、こんなことがあった。

●拒食症

 ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。
病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。
神経症的な症状のひとつである。

ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。
つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。
たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。

 こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。
ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。
「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。
医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。
あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。

 その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。
話がアベコベ、と。
「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。
あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。

 学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。
おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。
オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。
学校に相談するとしても、そのあと。
(PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)

 が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。
子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、も
のを考える。
(医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)

 が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。
回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。
そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。
実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。

●事なかれ主義?

 滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意
識を感ずる。
みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。
それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。
ある新聞は、こう書いている。
「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。

 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。
体力の消耗もふつうではない。
活発盛りの子どもを、30〜35人も相手にすれば、ふつうの人でも1〜2時間でヘトヘトにな
る。

●重労働

 繰り返す。
 学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。
空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2〜3時間もない。
(週に、だぞ!)
だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。

 一方、相手は育ち盛りの中学生。
まさに発情期の子どもたち。
そういう子どもたちを相手に、授業をする。
1人や2人ではない。
30〜35人!
それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。
たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。
体力的な限界が、理由と考えてよい。
ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。
つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。

●いじめ

 さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。
教師の前でいじめをする子どもはいない。
教師のいないところで、する。
「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。

その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。
ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。
今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかる
こと。
「そう言えば、いじめがあった」と。

 さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」など
とは、ぜったいに言わない。
仕返しを恐れる。
今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。
そのときの様子について、TBS−iは、こんな記事も載せている。

『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から
「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かり
ました。

 大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子
生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。
教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたという
ことです。
学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結
論づけたということです。

 「いじめであるという認識は持っていなかった。
通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断
した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)

 校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS−
iより、2012年7月15日)と。

●犯罪行為

 ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。
いじめは、避けられないと書いているのでもない。
先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。
「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。
犯罪そのもの。
責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。
その監督責任のある、親たち。
刑事罰を受けてもおかしくない。
それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。

 率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労
がある。
仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。
さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。

●アメリカでは……

 アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。
たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。
日本でいう担任制度というのは、ない。

 その移動時間。
5分しかない。
たったの5分。
だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。
で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、
大学生)は、こう教えてくれた。
「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。

 そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。
門から出たら、親の責任になる。
どんな事故が起きても、親の責任になる。
学校ではなく、親の責任。

 これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校
の責任になる。
法律上は、そうなっている。
たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。
喧嘩なら、喧嘩でもよい。
で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。
中には校長室へ駆け込む親もいる。
「ちゃんと指導してほしい」と。
つまり、ここに無理がある。

●いじめ

 繰り返す。
陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受け
るべきである。
(もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。)
もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。
収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。
それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。

(少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。
たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)

 今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。
過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。
しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。

●法的合理性

 ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。
「法的合理性」という言葉を使ってもよい。
学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)が
ある。

 たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにも
って悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。
加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれな
い。
(だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)

 要するに私が言いたいことは、つぎのこと。

 日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきとき
に来ているのではないかということ。
学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解
のないように!)。
その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。
つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。

●学校以外の選択肢

 さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道
に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。
文科省が、すべての子どもを管理している。
そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来
ているのではないのか。

 ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブ
に通っている。
サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ、テニスクラブ……などなど。
フランスでも、イタリアでも、そうである。
最近聞いた話では、オランダでも、そうである。

仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師
は、少なくともドイツにはいない。
「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。

 もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。
子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。

 言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。
病院が病気を治すように、教育をするところ。
それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。
だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。
「何をしていたんだ!」と。

●方法

 何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。
まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。

「すべてを管理することは不可能です」と。
「私たちにもできることと、できないことがあります」と。

 第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。
「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。
とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。
監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。
しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。
そもそもそれだけの「時間」がない。
が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。
専門の担当教師を増員するしかない。
警察官による巡回も、許すしかない。
ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。
さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。
そういう権限を、学校側に与える。

●校長の自殺

 ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。
理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。
その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたという
ニュースも伝わってきている。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問
題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。

 被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。
「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になってい
る。足元から見つめ直していきたい」

 中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批
判も相次いだということです。
 出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」
「まだ納得していない保護者もいた」と。

 保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不
信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。

 なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。
そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。
「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさい
ね」と。
日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは?
つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。

●(補記)

 たまたま先週のこと。
ある中学生(中1女子)が、こう言った。

「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラ
ブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。

 高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。
放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。
しかしそれが今では、さらに低年齢化した。
中学1年生!

 私はその翌日、その学校に通報した。
生活指導の教師と、10分ほど、話した。
もちろん学校側の指導を責めたのではない。
責めても、意味はない。
ただこうした生徒が1人でもいると、1〜2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けること
になる。

 たとえば市内のX中学校では、毎年、2〜3人の女子中学生が、中絶手術を受けているとい
う(X中学生活指導担当教師弁)。
が、この数とて、まさに氷山の一角。
今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適
切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。

 ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。
学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。
いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。

 なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学で
の講演会で、つぎのように述べたという。

「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。
そういう意見もあるだろう。
が、私には、的をはずれているようにしか思えない。
もっとはっきり言えば、トンチンカン。

 以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。
あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。
自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。
その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。
が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。
それを伝えたくて、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 は
やし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労)
2012/07/22

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神経症的な症状について

(M様へ)

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

 神経症については、このページをご覧下さい。
なお現在は「神経症」という言葉は使わないで、「神経症的な症状」という言葉を使います。

どうかお気をつけください。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

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●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 28日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今週のBW教室より】2012/07/26

●年長児のお話作り

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/wq9gsatBTc4" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●小2児に棒グラフを教える

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Y_Wkt1YZquQ" 
frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●Pippi(ぼたんインコ)のしつけ

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Pippiが、このところ、ものを鋭くかむようになった。
とくに私たちの肩にやってきて、耳たぶをかむ。
これがかなり痛い。
(中には、耳たぶを食いちぎるぼたんインコもいるとか。)

危険度があがった……ということで、ワイフも息子も、Pippiが、肩にあがったとたん、耳たぶを
かまれないように、警戒態勢。
注意するようになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●無駄な行為

 ぼたんインコもそうだし、また乳幼児期の子どもも、そうである。
この時期のインコも子どもも、無駄なことはしない。
何かをするときには、かならず、理由がある。
あるいは、そういう行為をするには、そこに至るプロセスがある。

 その理由やプロセスを無視し、いきなり叱っても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させる。

 たとえばPippiは、書斎と廊下の間を、何度も行ったり来たりする。
そのとき、ときどき私の手元に戻ってきては、いきなり指を強くかむ。
ギリギリと強くかむ。
これは欲求不満によるもの。

廊下の窓からは、外の景色がよく見える。
そこからはスズメや、ハトが庭で遊んでいる様子が、よく見える。
それを見ると、Pippiは、かなり興奮状態になる。
私の指を強くかむのは、そのとき。

●耳たぶ

 耳たぶをかむという行為にしてもそうだ。
私たちは耳たぶをかまれると、痛いという不快感が先にくる。
冷静に考える余裕はない。
が、よくよく観察すると、Pippiは、それを遊びのつもりでしているのがわかる。
私たちが痛がっているということが、理解できない。
「痛い、痛い」と手でPippiを肩からおろす。
すかさずPippiは肩までやってきて、また耳たぶをかむ。

 つまり耳たぶをかむのは、「遊んでほしい」という意思表示。
そのために、耳たぶをかむ。

 また私たちが「痛い!」と言って反応するのを、Pippiは、遊んでもらっていると誤解する……
ようだ。

 だからそういうときは、根気よく、叱るしかない。
強く息を吹きかけながら、「痛いだろ」と強く、にらみつける。
体罰は、もちろんタブー。
体罰を加えても、それが何を意味するのか、Pippiには、理解できない。
(=理解できるはずもない。)

 体罰を加えれば、かえって人間を恐れるようになる。
で、それでも耳たぶをかじるようであれば、そのまま鳥かごの中に入れる。
「禁錮、3時間!」とか、何とか私は言う。

 で、3時間くらいしたところで、鳥かごから出してやる。
たいていおだやかで、やさしいPippiに、戻っている。

●人間の子ども

 人間の子どもも、同じ。
子どもに何かの症状が出たら、その理由、原因、プロセスをさぐる。
先にも書いたように、「何もない」ということは、こと幼児に関して言えば、ない!
かならず、ある!

 そうした理由、原因、プロセスを無視して、(しつけ)なるものをしても意味はない。
たとえばこんな例で考えてみよう。

●「がまんしてください」

 X君(年中児・4歳)という子どもがいた。
知的な遅れが目立った。
レッスンの間も、焦点の定まらない目つきで、ボーッとしていた。
先生との応答も、かみ合わなかった。
数の問題を出しても、思いついた数字を口にするだけ。
あとはゲラゲラとわらいこけていた。

 そういうX君を母親は見ながら、かなり気をもんだらしい。
が、先生は、こう言った。
「がまんしてください」と。

 というのも、この時期、発達曲線は、みな同じではない。
早熟的に発達する子どももいれば、そうでない子どももいる。
大切なことは、その子どもを楽しませること。
「楽しい」という思いが、好奇心を伸す。
学習意欲を育てる。

●LD児

 で、何とか小学校入学前には、それが目立たない子どもになった。
そのままだったら、LD児と診断されたかもしれない。
が、ここからが、よくあるケース。

 何か問題のある子どもが、(ふつう)になっても、親は、「よくなった」とは思わない。
それが当たり前と考える。
あるいは中には、「何も効果がなかった」と言う親さえいる。
「2年間、通いましたが、効果がありませでした」と。

 数値で表現するのは、適切ではないかもしれない。
が、数値で表現してみると、こうなる。

 X君は、平均児を(5)とすると、(3)前後の力しかなかった。
それが入学前に(5ー)になった。
ほかの子どもたちは(6)(7)の能力を示すようになった。

が、親はそれを喜ぶ前に、「うちの子は、やればできるはず」と思うようになった。
とたん、塾づけ。
週に3か所、4時間も通うようになった。
とたん、オーバーヒート。

 目をまばたきするチックが現れた。
食後、ときどき嘔吐することもあった。
で、眼科へ連れていくと、「過負担(塾)が原因です」と。
X君が、小学3年生になったときのことだった。

●徐々に減らす

 こういうケースのばあい、おけいこ塾にしても、負担にしても、少しずつ減らすのがよい。
……というケースは、私は何十例も経験している。
いきなりゼロにすると、あとあと立ち直れなくなる。
「また何かをさせよう」としても、子どもは、拒絶反応に似た症状を示すようになる。

 が、X君の母親は、すべてを、や・め・た!

 で、しばらくは、穏やかな日々がつづいた。
チックの症状は残ったが、ほかの神経症的な症状は軽くなった。
母親は、喜んだ。
が、同時に、X君は、まったく勉強をしなくなってしまった。
宿題すら、手をつけようとしなくなってしまった。
3年になってから買ったワークブックは、そのままほこりをかぶるようになった。

 とたん、母親に今度は、あせりが始まった。
「このままでは、うちの子は、遅れてしまう!」と。

 ……ついでに言うと、こうしたケースでは、徐々に、少しずつ負担をふやすのがよい。
が、X君の母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。
過干渉的で、すべてをその母親が取り仕切っていた。

●学校恐怖症

 ジョンソンの学校恐怖症を、この日本で最初に紹介したのは、この私である。
こんなことを自慢しても、どうしようもないが、最近では、不登校イコール、学校恐怖症と考える
人が多くなった。
「恐怖症」に準じて考える。

 学校恐怖症については、たびたび書いてきた。
原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【子どもが恐怖症になるとき】

●まさに九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。
九死に一生とは、まさにあのこと。
今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。
が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。
夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じ
た。
私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、
『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。
そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。
あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。
その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出し
た。
これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。
知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警
戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。
が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、
顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)な
どの症状が表れる。
さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れること
もある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。
エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。
これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始
めるという。
親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルら
しいということがわかった。
その子どもは閉所恐怖症だった。
実は私も子どものころ、暗いトイレでは、こわくて用を足すことができなかった。
それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっと
するような恐怖感を覚える。

(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわが
る、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。
動物のお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に
一人はいる(年中児)。
ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原
因がわからないことが多い。
また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。
これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。
そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。
何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「
生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。
また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。
高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。
脳の中にそういう思考回路ができるためと考えるとわかりやすい。
私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症
となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。
そのため説教したり、叱っても意味がない。
一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子ど
もの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。
ますます子どもはものごとをこわがるようになる。
いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。
症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。
私のばあいも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような
状態になってしまった。
「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。
が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、
克服することができた。
いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。
恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。
そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)

●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。
この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。
うつ病の一つと考える学者もいる。
不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!)

子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論

 同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま(※)。
私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。
が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」(A・M・ジョンソン)、行為障害
に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。
これらの不登校は、症状と経過から、次の三つの段階に分けて考える(長崎大・中根允文
氏)。
心気的時期、登校時パニック時期、自閉的時期。
もう少しわかりやすくすると、
次のようになる。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分の悪さを訴
える。
症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行く」などと、明るい声で答え
たりする。
これを症状の日内変動という。
理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。
そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言い出したりする。
理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。
親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。
が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言ったりすると、一転、症状が消滅する。
ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。

(3)自閉期……自分のカラにこもる。
特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はいつも緊張状態にあり、ささいなことで激怒したり、
暴れたりする(感情障害)。
この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おのの
く)の症状を示すこともある。こうした状態が、数か月から数年続く。

C回復期……断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。
週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。
(なおこの「回復期」は、私が付け足した。)

●前兆をいかにとらえるか

 要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。
たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。
この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。
この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と
言えば、その後の症状は軽くすむ。
一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考え
る。
なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

(付記)
※……不登校の態様は、一般に、この日本では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、
(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられ
ている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境
の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日
本教育新聞社」まとめ)。

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症ははやい子どもで、満四〜五歳から表れる。
乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこ
れに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。
集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあく
までもその一つと考える。

(参考)

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九
四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。
ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三
期に分けて、学校恐怖症を考えた。
私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。

症状は、

第一期・不調期登校時刻になると、身体的不調を訴える。
頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。
午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。
床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。
この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりす
る。
そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。
ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。

第二期・パニック期登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだり
する。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。
しかしいったん学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏や
かな表情を見せる。
あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。

第三期・自閉期親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自
分の世界に閉じこもるようになる。
暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。
ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることは
ある。
気を許した友人とは、限られた場所では遊ぶものの、その範囲や遊びは限定される。
この状態で症状は数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。

第四期・回復期少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っ
ては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。

●学校恐怖症の対処のしかた

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中でも書いたが、たいていの親はこの段階
で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を
見落としてしまう。
しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。
ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずし
た。
そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。
その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り
続けた。
が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが
つかないほど大きなキズを残す。
もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好
きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。
なおそうと思わないこと。
私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがした
いようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週
間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダ
メでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。
気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けるこ
と。
(2)前にも書いたように、今の状態をより悪くしなことだけを考えて、子どもの様子をみる。
(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあ
ますまで、何も言わない、何もしないこと。
(4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。特
に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。

よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避け
る。

 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。
そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。
文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だ
ったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という(不登
校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%)。

そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転向などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この診断表を見てもわかるように、X君は第一期にあった。
つぎのパニック期(第二期)を経て、不登校状態(第三期)になるのは、時間の問題だった。
事実、そのあと、X君は第三期に入り、そのまま不登校児になってしまった。
が、母親は、今でもこう言っている。
「幼児期に無理な学習をさせたのが、原因です」と。

 ……というようなケースは、多い。
本当に多い。
言い換えると、教える側の私たちは、そういうことも予想した上で、子どもを指導する。
親を指導する。
で、たいていの親はそれを理解し、何をすべきか、何をしてはいけないかを、判断する。
が、中には、それが判断できない親(母親)もいる。

 もしX君の母親が早い段階で、X君の能力を的確に判断していたら……。
X君の母親が、あるところで、満足していたら……。
X君の母親が「やればできるはず」と、X君を追い立てなかったら……。
X君の母親が、少しずつ、子どもの気持ちを確かめながら負担を減らしていたら……。
X君の母親がもう少し知的能力の高い人であったら……。
X君は、不登校児にならなくて、すんだはず。

(こう書くからといって、不登校児がみな、そうであるということではない。
不登校児になるには、様々な原因や理由がある。
もちろん心の病気がからんでいることも多い。
ここで書いているのは、そのうちのひとつに過ぎない。どうか、誤解のないように!)

●不登校

 X君の母親が、再びX君を私のところへ連れてきたのは、その数か月のことだった。
それについて書いた原稿も、どこかにあるはず。
なお内容は、少し変えてある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の心 

 子どもの心に何か問題が起きたとする。
するとたいていの親は、それをなおそうとする。
「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずい
ない。
しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は気の
もちようだ」と軽く考える。
しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間をかけて、にっちもさっちもい
かなくなる。

 S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。
そこで母親はそれを何度となくうるさく注意した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトント
ンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチックを同時に併発するようになった。
母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかった。
S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車まで呼
んだ。
しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。
R君の母親は、見るからに神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞
こうとしなかった。

 やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。
あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の希望をもったりした。
S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートした。が、病院めぐり
をすればするほど、S君の症状は悪化した。

母親はあとになってこう言った。
「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君はその
まま不登校児になった。
1年生のときも、2年生のときも、ほとんど学校へは行かなかった。
私にも相談があったので、「3か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせなさい」
と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。
そのつど学校へS君をひっぱっていった。
さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。

こうなると、私としては指導の方法はない。
さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようになると、S君の症状は一時的には
快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと薬の反作用で、症状はますます
わけのわからないものになっていった。

 ……というような話はいくらでもある。
親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしかない。
冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のようなものが
いくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつもつい
て回る。これもやはり宿命のようなもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「無知は罪悪である」

 こと子育てに関して言うなら、「無知は罪悪である」。
「知らなかった」では、すまされない。
とは書きつつも、みな、どんな親でも最初は「無知」の状態から始める。
それはそれでしかたのないこと。

 そこで「勉強」ということになる。
が、構える必要はない。
風通しのよい家庭環境にし、ほかの父母との情報交換ができるようにすればよい。
とくに1〜2年、年上の子どもをもつ親たちと親しくなるのがよい。
けっして、殻やカプセルにこもってはいけない。

 ……ということで、またまた同じことを書き始めたので、今日はここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の無知 罪悪論 風通しのよ
い子育て はやし浩司 不登校児 はやし浩司 ジョンソン 学校恐怖症 はやし浩司 恐怖症
 神経症的な症状)2012/07/26


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人来たりて、また去る……ジャン・ダルジー】

●年長児(長さの勉強)

 今日は自分の制作したビデオを見ながら、
こんなふうふに感じました。

「人、来たりて、また去る」(ジャン・ダルジー)と。

そんな私の気持ちを、このビデオを通して、みなさんに
お伝えできれば、うれしいです。

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frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

はやし浩司

2012/07/27

●31年ぶりの約束

 ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時
二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだっ
た。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映
画が話題になっていたころでもある。私にとっては、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅
と同じくらい、「ありえない未来」だった。

 しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷た
い雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の
思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細
い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売
るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙
が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。

 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見るこ
とも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真に
おさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私
の心に重くのしかかるようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日
は「出口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。
その間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこ
がそのまま出口だった。そんな感じで三十一年が過ぎてしまった。

 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」
と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思っ
たのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時
に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去
る…」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼
の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。何かを
したようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのまま指の
間から漏れていく。

 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある
茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこ
から石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」
と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみ
た。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、
そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にうしろか
ら声をかける男がいた。それにもう一人…! そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふ
れ出した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジャン・ダルジー)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【大物タイプvs小粒タイプ】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

高校2年生のクラス。
4人+1人の生徒が、来ている。
4人は、高校2年生。
残りの1人は、中学3年生。
中学3年生の子ども(女子)は、言うなれば見習い。
高校生の間に座らせることによって、(勉強癖)を、見習う。
もらう。
勉強癖のない子どもには、この方法がもっとも効果的。
『子どもの先生は子ども』
子育てを考える、大鉄則。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●小銭を稼いで、大志を捨てる

その4人の高校生のうち、1人(男子)の様子が、少し変化してきた。
近くのファーストフード店で、アルバイトをするようになってからのこと。
教室の月謝を、自分が受け取る(時間給)で割るようになった。
ときどき、ふと、「もったいない」という言葉を使うようになった。
こういう現象を、『小銭を稼いで、大志を捨てる』という。
高校生の間で、よく見られる現象である。

●弱化の原理

 原因は、弱化の原理。
脳の奥深くで、自分を(負の方向)に引く……そんな力が働いている。
たいていは、何か大きなつまずきがあったことなどが原因で、そうなる。
小学校の入試、あるいは中学校の入試で失敗した、など。
それがトラウマとなり、心の奥に潜む。
そのつど顔を出し、その子どもを(負の方向)に引っ張る。
平たく言えば、一度、自信をなくした子どもに、自信を取り戻すのは、容易なことではない。

 その子ども(A君とする)のばあいは、何が原因なのかは、私にはわからない。
恐らく本人にも、わかっていない。
それだけに、その子どもから、原因を取り除くのは、むずかしい。
不可能とさえ断言してよい。

●前向きに進む子ども

 4人のうち、その生徒をのぞいて、3人、医師をめざしている。
うち2人は、父親も医師。
もう1人(男子)は、残りの2人の影響を大きく受けた。
くわえてその男子は、スポーツマン。
1年のときから、正選手として活躍している。
インターハイへの出場を、もくろんでいる。

 「君も医者になったら?」と言うと、いつも「ぼくは、科学者のほうがいい」と。
が、内心では、医師をめざしている。

●大志

 小銭で、大志を捨てる子どももいれば、大志を大志と意識しないまま、大志に向かって進む
子どももいる。
(医師にはることが、大志と、私は書いているのではない。誤解のないように!)
自ら小さくなっていく子どももいれば、自ら大きくなっていく子どももいる。

 まずいのは、小銭の計算に振り回されること。
だからといって、小銭を粗末にしてよいと書いているのではない。
小銭にうるさいということは、万事に、ケチで、ため込み屋。
小さな世界で、こじんまりと生きる。
無難で安易な道を選ぶ。
総じてみれば、長男、長女に多い。
生活態度が、防衛的。
「小銭を大切にする」というのは、そういう意味。

●おとなの世界

 おとなの世界は、そういった子どもたちの(結果)ということになる。
さらに50代、60代の人たちは、その(結果)ということになる。
私がいちばん嫌うのは、自分では何もしなかった人が、他人を笑うこと。
他人の失敗を、ことさら大げさに、取りあげる。
「だからあいつは、ダメなんだよ」とか。

 昔は、そういう人を「小市民」と呼んだ。
私の知人にもいる。
いつだったか、私にこう言った。
「はやし君、50歳を過ぎたら、生活をコンパクトにしなさいよ」と。

 コンパクト?

 どうしてこの私がコンパクトに生きなければ、ならないのか?
死ぬまでが人生。
少なくとも、死ぬまで、私たちは生きている。
(……とは書きつつも、「そうかなア?」と迷う部分もないわけではないが……。)

 その知人が、何かをした人なら、私も納得する。
しかしその知人は、大きな楽器工場で、生涯、社員として過ごした。
(社員が小市民というわけではない。そうでない人も多い。誤解のないように!)
そんな人が、そう言う。

●親の生き様

 大きな子どもにするかどうか。
それを決めるのは、親の生き様による。
学校でもないし、教育でもないし、教師でもない。
ただひとつ気になることはある。

 大志を隠しもっている子どもは、同時に広く、世界に目を向けている。
先に書いたインターハイをめざしている子どもは、世界で活躍するスポーツ選手に詳しい。
先日も、こう言った。
「野茂(ピッチャー)は、日本の球団をやめ、アメリカへ渡ったんだよ。
年俸も10分の1になったんだよ。
野茂が、つまりプロ野球の世界に、新しい道を作った」と。

 そうでない子どもは、そうでない。
世界が小さい。
話すことといえば、ゲームのことだけ。
「ゲームがなかったら、ぼくは1日で、気が狂う」などと、平気で言ったりする。
そこにあるものを、自分の世界に引き込むだけ。
自分で作ろうとしない。

音楽にしても、聞くだけ。
スポーツにしても、見るだけ。
本にしても、読むだけ。
ゲームにしても、楽しむだけ。

 「ゲーム言語を覚えて、自分でゲームで作ってみたら?」と聞いても、「むずかしそうだから、
いやだ」と。
万事、自分が安易にできる範囲で、できることとしかしない。
が、これでは、外の世界を見ることができない。

●損をする人生

 つづきとして書きたいことは、山のようにある。
またそれについては、たびたび書いてきた。
が、結論として言えることは、『ケチは人を小さくする』。

 が、誤解してはいけない。
(ケチ)と(質素)は、別。
ここでいう(ケチ)というのは、たとえば小銭を惜しんで、自分に投資しない人のことをいう。

●2つのタイプ

 この時期に、子どもたちは、大きく2つの道に分かれていく。
より大きくなっていく子ども。
より小さくなっていく子ども。

 特徴としては、より大きくなっていく子どもは・・・、

(1)失敗を楽しむ
(2)挑戦的
(3)多芸多才
(4)情報に敏感で、即応していく
(5)おおらかで、スケールが大きい
(6)受験勉強を肯定的にとらえる

反対に小さくなっていく子どもは・・・

(1)他人の失敗を笑う
(2)保守的
(3)趣味が単一化している
(4)思考回路が固定化している
(5)ケチ
(6)社会的に通用しない価値観をもつ

●私たちの問題

 結果は・・・と書くまでもない。
こうした生きざまは、40代ごろになると、結果として現れてくる。
50代になると、さらにはっきりしてくる。
で、それはそのまま人生の密度として、はね返ってくる。

 ・・・もっとも、人生の密度というのは、その人にはわからない。
10年1律に生きている人でも、「私は濃い人生を送っている」と言う人がいる。
反対に、きわめて密度の濃い人生を送りながら、「さらに・・・」と考えている人もいる。
さらに言えば、人というのは、自分にとって都合の悪い情報を遠ざけようとする傾向がある。

 たとえば人生の密度の薄い人は、濃い人を避ける。
自分の人生の(薄さ)を知ることは、不愉快なことでもある。
敗北感が、自己否定につながることもある。
だから避ける。
つまり小さく生きている人は、小さく生きているどうしで集まり、細々と自分をなぐさめあって生
きている。
今の私がそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。

 どうであれ、その分かれ道は、中学から高校にかけて、やってくる。 
言いかえると、そのころ、それまでの(育て方)の(結果)がやってくる。

●A君

 あるとき、A君は、こう言った。
見習いに入ってきた、中学3年生の女子について、「先生、月謝の無駄だよ」と。

 その女子は、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった。
それでそのクラスに入れた。

私「どうして?」
A「たった1問を解くのに、30分もかかっている・・・」
私「それがその子の力なんだから、しかたないよ」
A「1問で、エエ〜と、1500円かア」と。

 月謝を時間割にして計算した。

私「あのね、もし、君が自分のことで同じように考えているなら、ぼくの教室をやめてもいいよ」
A「どうして?」
私「ものを習うというのは、何も、知識を得るためだけではない」
A「・・・」
私「あの女の子は、君たちから勉強癖をもらうために、この教室にいるんだよ」
A「勉強なんて、自分ですればいい。ただだから・・・」
私「・・・そうかな? 本当にそうかな?」と。

 「A君は、近く私の教室をやめていくだろうな」と感じた。
が、それはA君には言わなかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
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